秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ハーバマス

1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。

 Leszek Kolakowski は、アメリカの連邦議会図書館によるクルーゲ賞の第一回の受賞者だった。
 と言っても私は全く知らなかったのだが、このクルーゲ賞は、人文社会科学のうちでノーベル賞の対象になっていない分野(というと経済、文学(、平和)以外)の傑出した研究者に与えるべく設定されたもののようで、2003年が第一回。日本の人文社会科学の研究者は、はたして候補者にでもなったことがあるのかどうか。
 クルーゲ(John W. Kluge)というのは個人名で、以下によると、財政支援者のようだ。
 先走って書くと、L・コワコフスキが受賞したからといって<反共産主義>の鮮明な性格の賞ではないようで、のちにはドイツのJ・ハーバマス(Jürgen Habermas)も受賞している。
 以下に試訳を紹介しておくのは、レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)への授賞と選考過程を伝える、同図書館報(Bulletin)。
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 アメリカ合衆国・連邦議会図書館報(Bulletin)2003年12月。
 /執筆者-Gail Finberg 〔館員で編集スタッフとみられる〕。
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 A/授賞式の模様。
 レシェク・コワコフスキ、76歳、学者、哲学者、歴史家および才幹溢れる著述者で、その諸著作が母国ポーランド内部での反全体主義の若者の運動を教示し喚起させた人物が、人文社会科学での生涯にわたる業績に対して、第一回のJohn W. Kluge 賞を授与された。//
 100万ドルの賞金が、人文および社会科学-ノーベル賞の対象でない分野-での生涯の業績に対して、連邦議会図書館によって与えられる。
 この分野は、哲学、歴史、政治学、人類学、社会学、宗教学、言語学および芸術・文学評論を含む。//
 <つぎの3段落省略-*要旨-図書館長は、この賞はアメリカで、ワシントンで、Kluge センターの本拠であるこの図書館で授与するのがふさわしい、と語った。>
 図書館長Billington は受賞者を紹介して、語った。
 「レシェク・コワコフスキは…人間の思想についての歴史家、…非常に広い範囲でのエッセイ著述者です。
 自由がポーランドに始まっていたとき、ようやくこの人物の名前を発することがその国で可能になったそのときに、国民たちは彼を『ヨーロッパ文化の理論家』だと称しました」。//
 受賞者は30以上の書物および、多様な方式と四つの言語-先ずはポーランド語、ついでフランス語、英語およびドイツ語-での400以上の「あらゆる種類の対象に関する」論文の執筆者だと、館長は述べた。
 受賞者の主要な研究対象は哲学の歴史および宗教哲学だった、とも。//
 「彼はソヴィエト体制の内部から、その体制の奥にあるイデオロギーの知的頽廃、自由と多様性に対する寛容、および卓絶への絶えざる追求の必要性を明らかにしてきました」、と館長は述べた。
 「この人物は、ほとんど全てのことに関して執筆し、つねに、人間の条件にとって根本的に重要な諸問題に焦点を当てました」。//
 館長は、「彼は、二〇世紀後半の最も重要な事件-ソヴィエト体制の内部崩壊と平和的で非暴力的な終焉-の背後にいた、最も重要な一人の思索者(single thinker)でした」、と続けた。
 「ポーランドの連帯運動は、彼を頼って見つめていました。
 彼は、絶望に対して希望を注入し、恐怖を希望に取り替える、甚大な影響力をもちました。
 希望に関する彼の偉大な1971年の小論は、ポーランドの若者たちの運動の決定的な開始点であり、それが<連帯>へと流れ込んでいきました。」//
 「彼はヒューマニストで、哲学者で、文化批評者で、知性の歴史家であり、大きな諸問題を知的誠実さと深さでもって探求しました。その知的な誠実さと深さこそが、我々がKluge 賞でもって栄誉を与え、この国の最古の連邦文化施設にあるKluge センターに歓迎しようとしてきたものです」、と館長は語った。//
 選考過程に簡単に論及して館長は、こう語った。世界じゅうからの候補指名者たちは、人文学またはその近接した関連分野での業績が同学者たち(peers)によって優れていると承認され、別の分野や公的世界の人々に対して訴えかけるもののある傑出した学者を推薦するように、求められた、と。
 館長は、賞の支援者であるKluge は選抜に関与しておらず、とりわけ最初の受賞者が誰なのかを知らないように求められた、と述べた。//
 コワコフスキは館長Billington およびKluge 賞の初代の選抜に責任ある全ての人々に対して謝辞を述べ、Kluge に暖かく挨拶した。
 「彼は『kluge(賢明な)』人です」と、彼は言った。//
 <つぎの4段落省略>
 コワコフスキは公式の挨拶を水曜の夜に行った。そのときに彼はKluge賞を受けたが、その儀式はCoolidge Auditorium で行われ、著名人の中ではとくに、ノーベル賞の母国であるスウェーデンの皇太子Victoria 〔女性〕が同席した。// 
 B/選考過程。
 レシェク・コワコフスキをKluge賞に選抜するまでの過程は、二年前から始まった。世界じゅうの2000人を超える人々による候補者指名の要請とともに。すなわち、大学や優れた研究所の学長または理事長、人文学および社会科学の英れた仕事を評価する地位にいる広くかつ多様な著名研究者の人たちへの要請によって。
 この候補者指名その他は、別の多数の研究者たちによって、確認(review)されていた。
 図書館の専門家職員たちは、被指名者に関する経歴や資料を提供した。そして、2002年9月に、図書館の研究者会議(Council of Scholars)は、その確認(review)を行った。
 特定の分野、科目、文化および言語に精通した外部の検討者たち(reviewers)は相談を受け、過程全体に関する評価書を書いた。//
 選考過程の最終段階は、賞候補者14名から成る被選抜者たちを評価するための、特別の外部的審査員団を招集した2003年9月の会合だった。
 多様な高度の学術的選考手続に習熟している5名の傑出した研究者が、最終的な審査員団を構成した。
 これらの人々は、つぎのとおり。// 
 David Alexander。Pomona College in California の名誉学長、the Phi Beta Kappa Fellows の副所長、かつてthe Rhodes Trust のアメリカ事務局長、Oxford からの博士学位は宗教と哲学。//
 Timothy Breen。Northwestern University の米国史の教授、Yale での博士学位取得ののち、Princeton, N. J. のthe Institute for Advanced Study およびthe National Humanities Center in Durham, N.C.で勤務してきた。//
 Bruce Cole。The National Endowment for the Humanities (NEH) の現在の議長。Indiana University in Bloomington で芸術と比較文化の優れた教授だった。博士学位は、Bryn Mawr College in Pennsylvania から。//
 Gertrude Himmelfarb。The Graduate School of the City University of New York の歴史の名誉教授で、17-18世紀の精神史および文化史の研究者、the British Academy and the Royal Historical Society の主任研究員。//
 そして、Amartya Sen。英国のTrinity College, Cambridge University の修士で、2004年にHarvard 大学の経済および哲学の教授になるだろう。ノーベル経済学賞の受賞者の一人。インド・カルカッタのPresidency College とCambridge で教育を受けた。//
これら5名の審査員団による討議と推薦は、館長に最終的な選抜を答申するうえでの決定的な要因(key factor )だった。
 第13代図書館長Billington は、かつてPrinceton University の歴史の教授で、the Fulbright 〔フルブライト〕Program を指揮する委員会の議長、かつthe Woodrow Wilson International Center for Scholars の理事長。//
 この図書館のScholarly Programs at the Library の長であるProsser Gifford は、Kluge賞の選考過程全体を統括した。
 彼は、三大学を、人文社会科学の三つの異なる分野で卒業し、かつてfaculty at Amherst College の学部長かつthe Wilson Center の副所長だった。//
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 以下は、連邦図書館サイト上のL・コワコフスキらと、同時期に訪れたホワイト・ハウスでの写真(これはWhite House が発表)。いずれも「公」的なものだ。2003年時点でのブッシュ大統領との写真は、ブッシュらを嫌悪する人たちがL・コワコフスキを「その仲間」だとして利用していることがある。
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1522/レシェク・コワコフスキーという反マルクス主義哲学者。

 L・コワコフスキーのつぎの小論選集(Selected Essays)も、当然に ?、邦訳されていない。
 Leszek Kolakowski, Is God Happy ? -Selected Essays (2012).
 前回にこの人物について紹介したのはかなり古い情報だったので、この著によって上書きする。
 多数の書物を刊行し(略)、欧米諸国の学士院類の会員であり、多数の「賞」を受けている人物・哲学者が、なぜ日本ではほとんど知られていないのか。なぜ邦訳書が前回紹介のもの以外にはおそらく全くないのか。
 一部を読んだだけなので確言はしかねるが、つぎのことを推測できる。
 日本の「左翼」、とりわけ熱心な容共のそれ、そして日本の共産主義者(トロツキー派を含む)、とくに日本共産党にとって、<きわめて危険>だからだ。
 この人の著作を知っている哲学またはマルクス主義関係の「学者・研究者」はいるだろう。しかし、例えば岩波書店・朝日新聞社に、この人物の書物(『マルクス主義の主要な潮流』もそうだが)の邦訳書を刊行するようには助言や推薦を全くしないだろうと思われる。
 一方、日本の「保守」派は、いちおうは「反共」・反共産主義を謳いながら、共産主義理論・哲学に「無知」であり、欧米の共産主義をめぐる議論動向についてほとんど完全に「無関心」だからだ。
 じつに奇妙な知的雰囲気がある。
 この欄の№1500・4/14に書いた。-「冷静で理性的な批判的感覚の矛先を、日本共産党・共産主義には向けないように、別の方向へと(別の方向とは正反対の方向を意味しない)流し込もうとする、巨大なかつ手の込んだ仕掛けが存在する、又は形成されつつある、と秋月瑛二は感じている」。
 L・コラコフスキーの日本での扱いも、他の人物についてもすでに何人か感じているが、この「仕掛け」の一つなのではないか。
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 A-経歴。
 無署名の冒頭注記および縁戚者(実娘か。Agnieszka Kolakowska)執筆の「Introduction」(vii-xiii)から、L・コラコフスキーのつぎのような履歴が分かる。年齢は、単純に生年を引いたもの。
 1927年、ポーランド・ラドム生まれ。
 ロズ(Lodz)大学、ワルシャワ大学で哲学を学ぶ。
 (第二次大戦後、ソ連・モスクワ大学留学。)
 1953年/26歳、ワルシャワ大学で博士号取得。助教授に。
 1955年以降の研究著作の重要主題は、「マルクス主義」という「イデオロギーの危険性、欺瞞と虚偽および全体主義の本質」だった(Agnieszka による、vii)。
 1956年までに、「修正主義者」扱いされ、国家当局から睨まれる重要人物になる。
 1956年/29歳、『神々の死』<上掲書所収、新訳>を執筆。
 これは、「共産主義のイデオロギーと実際を極めて強く攻撃し、体制の偽った合理化やそれの虚偽情報宣伝の神話を強く批判する。当時としては驚くべきほど明快で、理解し易さや力強さに息を呑む」(Agnieszka による、viii)。
 この論考は「検閲」されて、「共産主義崩壊までのポーランドでは刊行されないまま」だった。「地下では、手書きの模写物が回覧された」(同)。
 1956年/29歳、『社会主義とは何か ?』<上掲書所収>を執筆。初期のもう一つの重要論考。「検閲」されて、これを掲載した雑誌は廃刊となる。ポーランドで非刊行、地下での回覧は、上と同じ。
 (1956-57年、オランダ、フランス・パリの大学に留学。)
 1959年/32歳、現代哲学史の講座職(the Chair)=教授に任命される。
 数年にわたり、ポーランド学術学士院(Academy)哲学研究所でも勤務。
 1966年/39歳、ワルシャワ大学で<ポーランドの10月>10周年記念の講演。
 「1956年10月以降の好機を逸し、希望を実現しなかった」として(Agnieszka による、ix)、党(ポーランド統一労働者党=共産党)と共産主義政府を、激しく批判する。
 これを理由に、党から除名される。
 1968年3月/41歳、政府により、大学の講座職(the Chair)=教授資格が剥奪され、教育と出版が禁止される。
 1968年の遅く/41歳、モントリオール・マギル(McGill)大学-カナダ-からの招聘を受けて、客員教授に。
 1969年-70年/42-43歳、カリフォルニア大学バークレー校-アメリカ-の客員教授。
 1970年/43歳~1995年/68歳、オクスフォード大学-イギリス-に移り、哲学学部の上級研究員。
 1975年/48歳、イェール大学-アメリカ-客員教授を兼任。
 1981年/54歳~1994年/67歳、シカゴ大学-アメリカ-社会思想研究所教授を兼任。
 (2009年/82歳、逝去。)
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 B。かつて、英国学士院(Academy)会員、アメリカ学士院外国人会員。ポーランド学士院、欧州学士院(Academia Europea)、バイエルン(独)人文学士院、世界文化アカデミー(Akademie Universelle des Cultures)の各メンバー。
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 C-受賞、とりわけ以下。
 Jurzykowski 賞(1969)、ドイツ出版協会平和賞(1977)、欧州エッセイ賞(仏, 1981)、エラスムス賞(1982)、ジェファーソン賞(1986)、トクヴィル賞(1993)、ノニーノ(Nonino)特別賞、イェルザレム賞(2007)。
 多数の大学から、名誉博士号。
 生涯にわたる人間性についての業績に対して、連邦議会図書館W・クルーゲ賞の第一回受賞者(2003)。
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 D-書物。30冊以上。17冊の英語著・英訳書を含む<略>。
 E-上掲書のIs God Happy ? -Selected Essays (2012).
 つぎの小論から成る。タイトルの仮の訳と発表年、およびこの本で初めて英語文で刊行されたか否か(<新訳>と記す)を記載する。また、Agnieszka Kolakowskiによる<改訳>もある。既に公刊されているものは、文献を省略して、()で刊行年のみ記す。p.324-7の「第一刊行の詳細」による。
 第一部/社会主義、イデオロギーおよび左翼。
 「神々の死」1956年<新訳>。
 「社会主義とは何か ?」1956年(英語1957年)。
 「文化の力としての共産主義」1985年(講演1985、英語<改訳>2005年)。
 「左翼の遺産」1994年(1994年)。
 「全体主義と嘘の美徳」1983年(1984年)。
 「社会主義の左翼とは何か ?」1995年(英語2002年)。
 「ジェノサイドとイデオロギー」1977年(英語1983年)。
 「スターリニズムのマルクス主義根源」1975年(英語1977年)。
 「全てに関する私の適正な見方」1974年(1974年)。
 第二部/宗教、神および悪魔の問題。
 「イェス・キリスト-予言者と改革者」1956年(英語<改訳>2005年)。
 「ライプニッツと仕事」2002年(英語2003)。
 「エラスムスとその神」1965年<新訳>。
 「外見上の神なき時代の神に関する不安」1981年(<改訳>, 2003年)。
 「神からの祝宴への招待」2002年<新訳>。
 「なぜ仔牛 ? 偶像崇拝と神の死」1998年<改訳>(講演)。 
 「神は幸せか ?」2006年<英語・新訳>(講演, オランダ語で初刊)。
 第三部/現代性、真実、過去およびその他。
 「無期日性を称賛して」1961年<新訳>。
 「俗物根性を称賛して」1960年<新訳>。
 「罪と罰」1991年(英語1991年)。
 「自然法について」2001年(講演, 英語2003)。
 「集団的同一性について」1994年(2003年)。
 「歴史的人間の終焉」1989年(1991年)。
 「我々の相対的な相対主義について」1996年(1996年, ハーバマス(Habermas)やロルティ(Rorty)との討議の中で)。
 「真実への未来はあるか ?」2001年<新訳>。
 「理性について(およびその他)」2003年<新訳>。
 「ロトの妻」1957年(<改訳>, 1972年, 1989年)。
 「我々の楽しいヨハネ黙示録」1997年<新訳>。
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 以上。
ギャラリー
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
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  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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