秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ナチス

1676/ファシズム-岩波書店「検閲済」邦訳書(2016)②。

 ケヴィン・パスモア=福井憲彦訳・ファシズムとは何か(岩波書店、2016.04)。
 4.この著者が書いていることも、イギリスの学者にしては「左翼的」だ。
 第8章の表題は、<ファシズム、女性そしてジェンダー>。通常の?ファシズム関連書に比べて、なかなかユニークだ。
 また、この章名にも見られるかもしれないが、歴史書というよりも、執筆時点でのこの著者の政治的見解・主張をかなり強く出すものになっている。 
 むろん同一視はしていないが、ファシズムの歴史と現在の欧州の「極右」・<民族主義者または人種主義者>とを関連づけて、後者に対する警戒または批判の主張を明確に述べている。
 日本でもよく知られたフランスの国民戦線(FN、ルペン)をはじめ、イタリアの「社会運動」(MSI)、イギリスにもあるという国民戦線(NF)等の「極右政党同士」の絡み合う関係を批判的に叙述している。p.158など。
 これでは、かつてのファシズムを冷静に把握するという書物になっていないのも当然だろう。ドイツ・ファシズムあるいはナチズム・国家社会主義や戦後ドイツの「歴史家論争」に立ち入ることができないのも、無理はない。
 さすがに岩波書店が邦訳書を刊行し、訳者・福井憲彦が前回紹介のようなことを訳者として自分で書いている、そういう書物だ。
 5.著者も訳者も<ファシズム>研究を一生の仕事?とはしていない、少なくとも第一の専門研究分野としてはしていない。
 そして、著者の文献案内や訳者の日本語文献についての案内を通覧すると、興味深いことにも気づく。
 もっぱら英語文献に限ってケヴィン・パスモアは原書に32文献(アレントは一つ)を最後に挙げているようだ。
 そのうち、日本語訳書があるのは、ハンナ・アレントの三巻本を一つとして、4つだけ。
 もともと原著者の参考文献提示の数も少ないと思われるが、邦訳書の少なさもまた、驚くべきことだ。
 ファシズム、ファシズムとよく言う日本人だが、あるいは日本の「左翼」だが、いかほどにきちんとした知識があるのか、これから見てもきわめて疑わしい。
 訳者・福井憲彦が挙げる日本語文献案内(邦訳書を当然に除く)も、きわめて少ない。
 まともな単著らしきものは、山口定・ファシズム(岩波現代文庫)だけで、もう一つの複数著者の本は「旧聞に属するが」と福井自身が書く1978年刊行のもの。
 あとは論文少しと各国についての通史もの。
 ドイツ・ヒトラーに関するものも数冊挙げられているが、ナチス時代の歴史叙述であり、<<ファシズム>に焦点を絞ったものではなさそうにみえる。
 福井はまた、こう書く。
 「一連のファシズム現象のなかでもナチ・ドイツに関する研究は、翻訳書も含めて日本ではきわめて層が厚い」。
 これは、趣旨やや不明だが、ほとんど信じられない。フランスが専門対象の福井憲彦にはそう思えるのかもしれない。しかし、かりにヒトラー時代あるいはその前のワイマール期も含めてのナチス党等を研究しているからといって、<ファシズム>を研究していることには全くならないだろう。言うまでもないことだ。
 2016年に日本で刊行された時点での、訳者・福井の叙述だ。
 6.2016年から今年にかけて、アメリカ大統領選、フランス大統領選等々、関心を集めた選挙があり「右派」あるいは「保守派」台頭も話題になった。日本ではずっと安倍晋三内閣だった。 
 こういう時機に合わせての、岩波書店によるこの邦訳書刊行ではないだろうか。
 じつに「商売」上手な、そしてきわめて「政治的な」出版物だろう。
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 少しは立ち入る用意をしていたが、できなくなった。
 一つの英語文献、二つの独語文献の名前だけ記す。
 Paul E. Gottfried, Fascism -The Carter of a Concept (USA, Northern Illinois Uni. 2016).〔ファシズム。2016〕
 Siegfried Gerlich, Ernst Nolte -Portrait eines Geschichtsdenkers (2009). 〔Siegfried Gerlich, エルンスト・ノルテ-ある歴史哲学者の肖像。 2009〕
 Vincent Sboron, Die Rezeption der Thesen Ernst Noltes ueber Nationalsozialismus und Holocaust seit 1980 (Grin, 2015). 〔Vincent Sboron, 国家社会主義とホロコーストに関する1980年以来のエルンスト・ノルテの諸命題の受容。 2015〕

1535/「左翼」の君へ⑤-L・コワコフスキの手紙(1974年)。

 L・コワコフスキの名をタイトルに使うドイツ語版の書物に、とりあえずだが、以下の二つがある。
 ①Ossip K. Flechtheim, Von Marx bis Kolakowski -Sozialismus oder Untergang in der Barbarei ? (1978). <マルクスからコワコフスキまで-社会主義かそれとも野蛮な没落か ?>
 ②Bogdan Piwowarczyk, Leszek Kolakowski -Zeuge der Gegenwart (2000). <レシェク・コワコフスキ-現代の証人>
 後者の②によると(p.192)、L・コワコフスキは1978年に、当時の西ドイツの雑誌か新聞だと思われるが(Zeit-Gespraeche)、「マルクス主義は民衆のアヘン(das Opnium des Volkes )だ」と題する論考かインタビュー記事を載せている。これはマルクスの著名な、「宗教はアヘンだ(科学的な社会主義とは違う)」との言明を意識したものに違いない。
 この欄の4/21付・№1511に紹介した下斗米伸夫の言葉はこうだった。再掲。
 1980年代前半の「当時の日本では、少なくとも知的世界の中では、現代ソ連論は学問の対象というよりも、まだ政治的立場の表明のような扱いしか受けておらず、戦後や同時代のソ連について議論をするのはやや勇気の要ることでもあった」。/自分も「1970年代末にある論壇誌でチェコ介入についてのソ連外交論を書いたが、学界の重鎮から、それとなくお叱りを受けた」。
 L・コワコフスキの『マルクス主義の主要な潮流』の刊行は1970年代の後半(1976、1978年)。なお、ドイツ語版は1977-79年に三巻に分けて刊行されているようだ。
 L・コワコフスキの1978年頃の言葉や書物と、その当時の日本の政治学界や私も実感していたはずの日本の「雰囲気」との間の、この懸隔の大きさを、2010年代、ロシア革命から100年後に日本で過ごしている秋月は、どう理解すればよいのだろうか。
 マルクス-レーニン-スターリン(-フランクフルト学派・毛沢東等)をきちんと「マルクス主義」の範疇で系統立てる、L・コワコフスキの『マルクス主義の主要な潮流』には、まだ日本語へ翻訳書すら存在していない。
 とりわけ、「レーニンとスターリン」を硬く結びつけていること、レーニンに何らかの「幻想」を全く示していないことが、日本の学者・研究者ないし学界や出版業者・諸メディアには<きわめて危険>なのだろうと推測される。
 試訳・前回のつづき。
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 では労働者については ? 二つの対立する見方がある。
 ある(偽のマルクーゼ派の)者は、こいつらはブルジョアジーから賄賂を受け取っていて、もう何も期待できない、と言う。
 今や学生が最も抑圧されていて、社会の最も革命的な階級だ。
 別の(レーニン主義者の)者は、労働者は虚偽の意識をもち、資本家が与える間違った新聞を読んでいるので彼らの疎外を理解できない、と言う。
 我々革命家たちだけが、頭に正しいプロレタリアートの意識を蓄え込んでいる。
 我々は労働者が考えるべきものを知っており、実際に、知らないままでも考えている。
 したがって、我々は権力を奪取する資格がある。
 (しかしこれは、科学的に証明されているように、まさに人民を欺くためにある馬鹿げた選挙遊びを通じてではない)。//
 革命的な笑談だと、不満を言っているだろう。
 そのとおり、革命的笑談だ。しかし、こう言うだけでは十分じゃない。
 これは社会を転覆できる笑談ではないが、大学を壊すことはできる。
 これは心配するに値する上演劇だ(いくつかのドイツの大学は、すでに政党の学校のように見える)。//
 私信でずっと前に議論した一般論的問題に戻ろう。
 まさしく私が『…だが、ベトナム戦争はあった』と書いて叙述した運動を、君は擁護する。
 じつに、そのとおりで、上品に行っている。だが、疑いなく、多くの違うこともある。
 伝統あるドイツの大学には、いくつかの我慢ならない特徴がある。
 イタリアやフランスの大学には、それらに固有の別の特徴がある。
 どの社会にも、どの大学にも、異議申し立てを正当化できるたくさんの物事がある。
 そして、これが私の言いたい重要な点だ。まともで十分に正当化できる不満が全くない世界には、いかなる政治運動も存在しない。
 権力を目指して相互に非難し合っている政党を見れば、彼らの主張や攻撃には十分に選ばれたかつ根拠のあるものがあることに、君はいつも気づくだろう、だがそれらの全てを理由あるものと受け取りはしない。
 誰も、すっかり間違ってはいない。共産党に加入する者はすっかり間違っている(wrong)のではない、と君が言うのは、もちろん正当(right)だ。
 ワイマール共和国でのナチの宣伝物をもう一度見れば、きわめて多数、十分に正当化できるものがあることに君は気づくだろう。
 ナチの宣伝はこう主張した。ベルサイユ条約は恥だ、そうだった。
 民主主義は腐敗している、そうだった。
 ナチは特権階級を、金権政治を、銀行家の政治を、付随的には、人々の現実の必要には関係がなく、汚いユダヤ人の新聞に役立つとして、偽りの自由を攻撃した。
 しかし、このことは、『よろしい、彼らはとても上品に振る舞ってはおらず、考えのいくつかは愚劣にすぎないけれど、彼らは多くの点で間違ってはいない。だから、条件つきで支持しよう』と言う、十分な根拠にはならない。
 少なくとも、多くの人がそう言うのを拒んだ。
 実際、ナチが既存の体制を攻撃したことに多くの長所がなかったなら、彼らは勝利しなかっただろうし、広げた旗を突撃隊(SA)の上に掲げて行進する<赤い戦線(Rotfront)>の党員たちのごとき現象は存在しなかっただろう。
 このことこそが、つぎのようにはできなかったことの理由だ。
 新左翼の運動は同じ行動様式を真似ており、同じ(例えば、全ての『形式的な』自由や全ての民主主義諸制度にかかわる点や寛容および学問上の価値に関する)イデオロギーの一部を真似ていると、私は思った。そう思ったときに、『だが、ベトナム戦争はあった』と観察することでは強く感銘をうけることはできなかった。//
 我々は彼らが見えるように蒙を啓くのを助けるべきだ、と君は言う。
 この助言を、僅かの限定をつけて、受け入れる。
 全能で全方向を見渡していると思っている人々について君が語る際に、これを適用するのはむつかしい。
 議論をする用意がある人との議論を拒んだことは、私にはない。
 困惑してしまうのは、議論する用意のない人が中にいることで、その理由は全く精確に、私には欠けている、彼らの全能性(omniscience)にあるのだった。
 本当に、私は20歳のときにほとんど完全に知識をもっていたが(omniscient)(まだ完全にではなかった)、君が知るように、みんな年を取るにつれて馬鹿になるものだ。
 28歳のときにはもっと全能ではなかったし、今やますますそうでない。
 完全な確実性や、世界の全ての厄災や惨害に対する即時の全地球的な解決方法を探している、そのような人々に満足してもらうことはできない。
 またさらに、その他の人々に接近して、カルバン派ではなくイェズス会派の体系にできる限りは従うべきだ、と私は考える。
 すなわち、誰も完全にはかつまた絶望的には堕落していない、誰もが、歪んでいようと乏しかろうと、いくつかは長所をもっていていくつかは善良な態度を示している、ということを我々は予め想定しておくべきだ。
 これはまたよく言われる、言うは行うよりも易しということだが、我々二人とも、このソクラテス的弁証法の完璧な理解者だとは私は思っていない。//
 <〔原文、初めての一行の空白〕>
 君の…との提案は…。
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 ⑥につづく。

1392/共産主義とファシズムに関する「強迫観念」。

 市販本・新しい歴史教科書/中学社会(自由社、2015)の通算項目番号74は「共産主義とファシズムの台頭」というタイトルのもとに、さらに「2つの全体主義」との小項を立て、「欧州で生まれた二つの政治思想」、すなわち「共産主義」と「ファシズム」の二つは「国家や民族全体の目的の実現を最優先し、個人の自由を否定する思想を核心としているので、全体主義とよばれた」と書く。そして、「全体主義は…、…、20世紀の人類の歴史に大きな悲劇をもたらした」と続ける(p.226)。
 また、同書は、「2つの全体主義の犠牲者数」は「2つの世界大戦の戦死者数」を「はるかに上回り、…」とも書いている(p.271)。
 しかし、同教科書の採択率等からして、上のような世界歴史観がどの程度の中学生たちの意識に影響を与えているのかは、疑わしいところがある。立ち入らないが、ファシズム(またはヒトラー・ナチズム)の残虐さを強調しつつ、社会主義・共産主義を(例えばロシア革命を)美化して描き、ソ連の崩壊を最大級の事件としては全く扱っていない、山川出版社の高校・世界史教科書を一瞥したことがある。
 日本にはかつて民社党という政党があり、「左右の全体主義を排する」ことを綱領に掲げていた。共産主義とファシズムを「全体主義」で括るという歴史観だったとみられ、鋭くかつ正しいものを含んでいた、というべきだろう。
 しかし、同党の歴史観、考え方は、日本人全体や、政治にかかわる多くの人々に受容されていたかというと、疑わしいと思われる。
 つまり、圧倒的に、または大勢としては、ファシズムとコミュニズム(共産主義)は、対立するものとして、あるいは真反対の対極にある ものとしてすら、理解されたし、理解されているのだ。
 二 この欄で、エルンスト・ノルテが歴史把握についての「イデオロギーの障壁」について語っている部分を邦訳した。
 分かりやすい文章ではないが、ノルテのいう<二つのイデオロギーの障壁>とは、秋月の理解では、つぎの二つをいう。
 ①関心と警戒を、ファシズム(ナツィス)に集中させなければならない。
 ②共産主義(コミュニズム)を批判してはならず、それとファシズムとを比較して(例えば類似性を語って)はならない。
 ドイツでは、②のようなことをすれば、大切な①を没却してしまう、という考えが少なくとも有力にあるようだ。
上のような状況は日本にもあるのであり、日本共産党や「左翼」はしきりと<反ファシズム>または<反軍国主義>を主張する。
 日本の軍国主義・ファシズムに関心と警戒を集中させる。そして、「共産主義」の脅威・危険性にはできるかぎり触れない。
 戦時中の日本を「ファシズム」(の一種)と規定するのが一般的かどうかは不分明だが(丸山真男や上の山川教科書は日本の「ファシズム」を語る)、中国と中国共産党が日本について「軍国主義(者)」という語を使っているためか、反「軍国主義」、「反軍」の「左翼的」意識・主張はかなり一般化しているだろう。
 最近にフュレの著書(幻想の終わり)の一部を紹介して書いたように、また次回に「敵対的近接」を訳出する際のフュレも語っているが、ファシズム・ナチィスはとっくに消滅しているはずなのに、「左翼」は、日本共産党も、「ファシズム」のあるいは「軍国主義」の再来をしきりと警戒し、ファシズム・軍国主義の体現者を「ファシスト」とか「ヒトラー」とか「好戦者」とレッテルづける。
 昨年の「戦争法案」というレッテル貼りもそうだが、安倍晋三がヒトラー呼ばわりされたり(鼻の下にヒゲのあるヒトラーの似顔絵を模して描かれたり)、橋下徹が「ハシスト」と呼ばれたりする。大阪府の共産党委員会幹部は、対「維新の会」の、自民党を含む共闘を「反ファッショ統一戦線」だと述べたことがあった。
 彼ら「左翼」にとっては、反ファシズム、反軍国主義と主張しておけば自らの立場を正当化でき、有権者多数の維持を獲得できる(かもしれない)、のだ。
 その際の彼ら「左翼」、日本共産党を含む、の<標語>は、「平和」であり、「民主主義」だ。また、ファシズムによる人権抑圧に着目して「自由」も用いられる。ファシズム・独裁に対する、個人的「自由」ということになる。
 かつてこの欄で<民主主義とは、「左翼」の標語だ>と書いたことがあるのは、このような脈絡による。
 しかし、上のような論法、思考方法、思考図式は「誤り」だ、少なくとも日本共産党という日本の共産主義者たちが「戦略」的に採用しているものだ、と言わなければならない。
 日本共産党は当面は「民主主義革命」を目指しているのであり、それを達成するための論法・戦略として、「民主主義・平和・自由」を語っている。これは1935年のコミンテルンも、その後のアメリカ共産党も採用した戦略であって、社会主義・共産主義を明確に支持する者ではなくとも(そんな日本人は少ないに決まっている)、当面、「民主主義(の徹底)」とか「平和(・九条2項の維持)」とか「自由(侵害の防止)」で一致する者たちを、緩やかにでも日本共産党の支持者にして、党勢を拡大して、「民主主義革命」に一歩でも近づけようとしているわけだ(国民連合政府とかはその一里塚)。その目的だけではなく、ともかく政権・政治・政情を混乱させたい、という本能にもよっているが。
 ファシズム(・軍国主義)対民主主義。この思考図式で世界・国家・社会を見ている者は少なくない。それこそが、日本の「左翼」だ。その背後には、日本共産党がいる。
 この図式によるとかつての社会主義諸国は「民主主義」の側になつてしまう。何と、ドイツ「民主」共和国(東ドイツ)という国があったし、朝鮮「民主主義」人民共和国という国が現在でもある。
 ソ連崩壊後は、日本共産党も「左翼」も、表向きは現実にあった「社会主義」と「民主主義」との関係について、口を少しは噤んでいるようだ。しかし、「真の民主主義」、「民主主義の徹底」を主張し、現在の政権与党・安倍政権を<反民主主義>と見なしている点では、教条的な図式に乗っかったままだ。
 上の二つの「障壁」は歴史認識にも大きな影響を与えている。ファシズムあるいは日本軍国主義に「悪」があったのであり、その再来を防止するためには、その「罪業」を繰り返し暴き出し、記憶にとどめ、かつつねに覚醒させなければならないのだ。
 ここに産経新聞のいう「歴史戦」があったはずだ。しかし、昨年の安倍70年談話は「過去の歴代の内閣の立場〔村山談話を含む〕を踏襲する」、<事変、侵略、戦争>は<もはや決して行わない>と明言することによって(主語は明らかだ)、少なくとも数十年間、日本国家としての歴史認識を固定してしまった(むろん個々の国民の歴史観・歴史認識がそれに拘束されるいわれはない)。
 産経新聞も、おそらくは月刊正論編集部も、この談話を基本的に擁護することによって、自らが掲げていた「歴史戦」に敗北したことを自白したに等しく、<骨が抜かれた> 報道・出版媒体であることを明らかにした。
 三 Richard Pipes, Drei Fragen der Russischen Revolution (Passagen Verlag、1995/ドイツ語版1999、ドイツ語訳者・Udo Rennert、たぶん未邦訳ー「ロシア革命の三つの問題」)は冒頭で、<ロシア革命がなければ、きわめて高い蓋然性で、国家社会主義(ナツィス)はなかった、おそらく第二次大戦はなかった、たぶん冷戦もなかった>と言っている(p.11。この本はウィーンでの講演記録)。
 エルンスト・ノルテもロシア革命とドイツ・ファシズムとの関係に注目していて、基本的に同意するF・フュレも、前者の結果が後者だとする単純な理解を疑問しつつ、両者の間に関係があることを率直に認めている。
 アメリカ人のリチャード・パイプスも似たようなことを言っているので、やや驚いた。
 国は変わって日本では、共産主義一般でなくとも少なくともロシア「革命」を成功させたロシア・共産主義(ボルシェヴィズム)とドイツ・ファシズム(なお、ノルテは、「ファシズム」はイタリアについてのみ、「ナツィズム」をドイツについて使うことがある)の関係・「近接性」について考察することがほとんどないように見える。
 ファシズムと共産主義を比較してはいけないという「タブー(禁忌)」がまだ強く生きているようだ。反ファシズム論がもつ「強迫観念」かもしれない。
 なお、上のノルテの①に対して、いや日本の軍部は「よいことを(も)した」、日本の戦争は「正義」の戦争だった(そういう面もあった)とだけ<保守>の側が反発するのは、最近感じることだが、日本共産党・「左翼」の土俵に乗っかっている面がないではないと思われる。かつての歴史を同じ次元で、反対から見ているだけではないか、という気がしないでもない。つまり、②の視点、つまり「共産主義」という観点からもかつての歴史を理解しようとしなければならないのではないか。この観点からの歴史研究が必要だ。
 もっとも、南京事件、中国共産党の動きなど、「共産主義」という観点を含めないと理解できない事象、歴史問題があり、すでに研究されてはいるのだが。
 元に戻っていうと、ロシア革命は1917年(大正6年)でヒトラー・ナツィスの政権掌握は1933年という時期的差違はあるが、いずれも第一次大戦の影響を受けたものであることに変わりはない。ロシア革命は第一次大戦の途中で厭戦気分とともに起きており、その10月革命は第一次大戦の当事者・ドイツ帝国がレーニンの国内通過を許容しなければ起こらなかっただろう。ドイツは対ロシアの戦争を有利にするためにレーニンを利用した、そのレーニンは大戦後にドイツを敵視し、ワイマール・ドイツを怯えさせるようなソ連を作ってしまった、というわけだ(但し、ラパッロ秘密条約、独ソ不可侵条約など、両国の関係は複雑だ)。
 ボルシェヴィズム(ロシア・共産主義)とヒトラー・ナツィスの「暴虐」は、世界大戦による「殺戮」の日常化の記憶と無関係ではないともいわれることがある。その当否は別として、ヨーロッパ文明の行き着いた先、その二つの鬼子だとロシア共産主義とナツィズムが言われることもあるように、第一次大戦やそれを生んだ「ヨーロッパ」という母胎をもつことですでに、両者には共通性・類似性があるのではないか。
 また、ノルテらも言及しているように、ロシア革命の成功とレーニン・スターリンの「ボルシェヴィキ」帝国の存在なくして、ヒトラー・ナツィスは誕生しなかったにも見える。詳しくは知らないが、ヒトラーがある程度は「共産主義」の脅威・恐怖を利用したのはたしかだろうし、一方では「国家社会主義労働者党」というナツィス党の名称にも見られるように、反現状・反西欧資本主義気分によって支えられていたかにも見える。ここで、ヒトラー・ナツィスの政権奪取を社会主義者(社会民主党)と手を組んで断固阻止しようとはしなかったドイツ共産党も、視野に入れる必要がある。
 書くのに疲れてきた。さらに「勉強」はしよう。いずれにせよ、共産主義(コミュニズム)とファシズムの関係は、日本共産党や日本の「左翼」が図式的かつ単純に理解しているようなものではない、と断言することができる。それはまた、日本の戦前あるいは昭和戦前の北一輝等々の「思想」の性格づけ・位置づけがたやすくはないことと同様だと思われる。
 <イデオロギーの障壁を超えて>、<強迫観念から自由に>、歴史は総合的にかつ多面的に把握されなければならない。

1381/試訳ー共産主義とファシズム・「敵対的近接」02。

 Francoir Furet=Ernst Nolte, "Feindliche Naehe " Kommunismus und Faschismud im 20. Jahrhundert - Ein Briefwechsel(Herbig, Muenchen, 1998)、F・フュレ=E・ノルテ・<敵対的近接>-20世紀の共産主義(=コミュニズム)とファシズム/交換書簡の「試訳」の2回目。p.11~16.
 大きな段落の区切り後の表題は「(一つの)長い注釈」で、これは、書簡の交換の契機となったフュレの大著・Le passe d'une illusion. Essai sur l'idee communiste au XXe siecle (1995)の第6章に付せられた、もっぱらノルテに言及している長い注釈のことだ。
 この著には邦訳書・楠瀬正浩訳/幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)があり、上の注釈部分も訳出されている(p.253-4)。したがって、この邦訳書の一部を読めば、この注釈の内容も分かるので、これを参照すれば足りる。フランス語原文にもとづく翻訳書は、いわば「正訳」書のようなものだろう。
 但し、フランス語文からドイツ語に訳された冒頭掲記の本に少し立ち入り、上記邦訳書と少しばかり対照させてみて、私なりの(ドイツ語文からの)訳も掲載しておこうと考えた。楠瀬正浩訳は一部にせよ間違っている、という理由では全くない。ドイツ人訳者の判断又は思い入れらしきものもあるのだろうか、同じ趣旨だとしても(それは当然だろう)、選択された言葉のニュアンスや意味の理解に、微妙な違いがあるように感じられたからだ。また、文章の構造自体が違っている場合があることも歴然としている。
 なお、英語訳書である、The Passing of an Illsion, The Idea of Communism in the Twentieth Century(Univ. Chicago、1999)ものちに入手したが、これまたかりに直訳すれば同じような感想を抱きそうだったので、これの参照は、ほとんどしていない。
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 <(一つの)長い注釈>
 この20年、とくに1987年にドイツの歴史家が議論した国家社会主義(ナツィス)の解釈に関する論争(歴史家論争〔注12/秋月注、フュレの原本の数字〕)以来、エルンスト・ノルテの見解はドイツおよび全西欧で異口同音に批判されたので、特別の注釈を施しておく価値があると思われる。
 エルンスト・ノルテの功績は、とりわけ、きわめて早い時期にコミュニズムとファシズムを比較してはいけないという禁止を打ち破ったことにある。この禁止は西欧では多かれ少なかれ一般的であり、理解しうるまだきわめて生々しい理由でとくにイタリアとフランスで、またドイツでは特別に厳しく遵守された。
 エルンスト・ノルテはすでに1963年にその著「ファシズムとその時代(Der Faschismus in einer Epoche 〔秋月注-in seiner が正しいと見られる〕)で、新ヘーゲル派とともにハイデガー(Heidegger)の影響を受けた、彼の歴史哲学的な20世紀の解釈を、概述した。
 自由主義の制度(liberales System)はそれがもつ矛盾性と将来に対する開放性によって、コミュニズムとファシズムという二つの大イデオロギーを生んだ。マルクスが道を拓いたコミュニズムは、近代社会の「超越性」を極端にまで狩り立てた。著者はそれを、人間の思考と行動から本性と伝統の領域を奪い去る、民主政的な普遍性の抽象化と理解する。
 ファシズムは、これに対して、予め決定されていない自由な存在に対する不安を除去して安心を与えようと意図した。それは遠くは、ニーチェおよび「生」と「文化」を「超越性」から守ろうとする彼の「意思」に着想を得ていた。
 こうして導き出される帰結は、二つのイデオロギーを別々に切り離して考察することはできない、ということだ。これらは、一緒になって、ラディカルな方法で自由主義の矛盾を明らかにする。そして、我々の世紀全体が、これらの相互補完性・対立性の影響のもとにあった。
 年代史的な時系列でもって、それらを整序することもできる。レーニンの勝利はムッソリーニのそれに先行し、言うまでもなくヒトラーのそれに先行した。
 ノルテの見解によれば、最初のものが後続の二つの誘発原因になった。そしてノルテは後続の諸著作で、このような関係を強調している(1966年「ファシズム運動」、1974年「ドイツと冷戦」、中でも1987年「欧州の内戦 1917-1945」)。
 イデオロギーの面から見れば、ボルシェヴィズムという普遍主義的な過激主義は、ナツィズムにおける特殊性の増大を誘発した。実際の面から見ると、レーニンによって行われた階級なき社会という抽象化を掲げてのブルジョア階層の抹殺は、ヨーロッパはコミュニズムの脅威に対して最も弱いので、忽ちのうちにパニックをもたらした。これは、ヒトラーの、およびナショナリストによる逆テロルの勝利を導いた。
 ヒトラーですら彼の敵に対して、最初から敗北するはずの闘争を遂行した。彼も「技術」の普遍的な魅力に惹かれ、同じ方法を彼の敵対者に対しても適用した。スターリンと全く同様に彼は工業化を好み、社会的「超越性」をもつ、ユダヤ・ボルシェヴィキという双頭体の怪物と闘う、と彼は称した。だが実は、ゲルマン種族の支配のもとに人類を一つにするつもりだった。このようにして準備された戦争には、勝利できる根拠は何もなかった。
 ナツィズムは、その発展とともにその元来の論理に忠実ではなくなる。この観点からノルテは、彼の最近の著書(1992年「ハイデガー-人生と思索における政治と歴史」)で、ナツィズムに味方したハイデガーの短い活動家時代を擁護しかつ釈明している。
 ノルテによれば、のちに彼の師となった哲学者には、国家社会主義に対して初めに熱狂しのちに速やかに幻滅するだけの理由があった。
 以上のように見ると、贖罪意識に囚われている者であれ、ファシズムを理解しようとすることでそれへの嫌悪感を弱めるのではないかと怖れる者であれ、あるいはたんに時代の空気に順応しているにすぎない者であれ、戦後世代の人々にとって、ノルテの著作がきわめて衝撃的だったことが十分に理解できる。
 上の前の二つのような振る舞い方は少なくとも高貴な動機によるもので、歴史家はそれを尊重できるし、しなければならない。だが、そのような態度を歴史家がとるならば、ソヴィエトのテロルは1920年代と1930年代にファシズムとナツィズムが大衆性を獲得した重要な要因であることを考察することができなくなってしまうだろう。また、ヒトラーの権力奪取が、先行するボルシェヴィズムの勝利に、およびレーニンが統治のシステムにまで高めた裸の暴力という悪い実例に、いかに条件づけられていたかを、さらには、コミンテルンが共産主義革命をドイツへと拡張しようとしているとの強い印象づけよっていかに条件づけられていたかも、無視してしまうに違いない。
 実際のところ、このような出発点から考察することの禁止は、ファシズムの歴史の徹底的な研究を妨げている。歴史の世界でのこの禁止は、政治の世界でソヴィエトの影響を受けた反ファシズムが発揮しているのと同じ効果を持った。
 反ファシズムに対する批判を禁止することによって、この種の歴史資料編纂的な反ファシズムは、ファシズムを理解することも妨げる。
 ノルテの功績は、何よりも、このタブーを打ち破ったことにある。
 残念なことにノルテは、 ナツィズムに関するドイツの歴史家論争の過程で、彼のテーゼを強調しすぎて、彼の立場の解釈を弱めている。すなわち、彼はユダヤ人について、ヒトラーの組織化された対抗者で、敵と結びついた、と説明しようとした。
 ノルテを「アウシュヴィッツ否認者」[秋月ー邦訳書および英訳書では「ネガ・シオニスト」]と称することはできない。彼は、繰り返しナツィスによるユダヤ人虐殺への嫌悪感を強く表明しているし、一つの人種のかつてない工業的な抹殺だとして、ユダヤ人ジェノサイドの異常性も承認する。
 彼が維持する考え方は、だが、ボルシェヴィキによるブルジョア階級の廃絶がそうしたものへの道を開いた、強制収容所(Gulag)はアウシュヴィッツよりも前にすでに存在した、というものだ。
 しかし、ノルテの眼からすればユダヤ人ジェノサイドは時代風潮を構成する要素だったとしても、勝利のためのたんなる手段だと見なされてはいない。彼は恐るべき特異性を認める。その特異性とは、目標それ自体が目標で、さらに優位する目標が「最終的解決」という勝利の産物だ、というものだ。
 さらにノルテは、彼の最近の文書が示すように、ヒトラーの反ユダヤ主義というパラノイアを考察しようとするに際して、ハイム・ヴァイツマン(Chaim Weizmann)が世界ユダヤ人会議の名前で1939年9月に世界中のユダヤ人に対してイギリス人の側に立って闘うことを呼びかけた宣言に、一種の「理性的な」根拠を見い出したようだ。
 このような議論は、衝撃的であると同時に、誤りだ。
 疑いなく、ノルテは、潜在意識下にある辱められたドイツ・ナショナリズムと関係している。それについて、ノルテの論敵はこの二十年の間、彼を非難してきた。また、それは、彼の諸著作の主要なモティーフだ。
 しかし、ある観点からはこのような批判が適切だとしてすら、彼の全業績と解釈の価値を失わせることはできない。それは、最近の50年間において最も洞察力に富むものの一つだ。
 参照、〔以下、ノルテに関するフランス人の二つの論考が挙げられており、邦訳書にもあるが、省略〕。 
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1354/共産主義の罪悪とナチス①ーヘインズ=クレーア。

 Haynes, J.E.とKlehr, H.の二人は、中西輝政監訳の日本語訳書(PHP、2010)もある、1999年刊行の "Venona-Disclosing Soviet Espionage in America"(ヴェノナ)の著者だ。
 同じ二人の著書である、In Denial-Historians, Communism & Espionage(2003、Encounter Books -New York, London)の Introduction に目を通していて、他でも読んだことがあるような表現に出くわした。とりあえず、あまり辞書を引かないようにして、「Introduction」の最初から訳してみよう。Communism、Communistは、「共産主義(者)」ではなく、コミュニズム・コミュニストという訳語にする。
 「50年以上前、アメリカ、イギリス、そしてソヴィエトの軍隊はナツィ・ドイツをやっつけて人類史上最も殺人狂的な体制の一つを破壊した。その崩壊は、ファシズムへの関心やそれとの関わりがなくなることを意味しなかった。年月が経るにつれて、ナツィズムは、その主な犠牲者であったユダヤ人の記憶ばかりではなく、その復活を許さないと決心した世界中の多くの人々の記憶において、seared であり続けた。ホロコーストを"normalize"しようとする努力やその恐怖を極小化しようとする努力は、怒りや嫌悪感を誘発し続けている。
 ソヴィエト同盟の崩壊やそれがかつて指導したコミュニスト世界の融解から、10年とほんの少ししか経っていない。コミュニストの諸体制は、ナツィ・ドイツよりも長く生き延びた。そして、それら〔コミュニスト諸体制〕の犠牲者数全体は、欧州のファシズムによって殺戮された人々の数をはるかに上回る。にもかかわらず、まだ、コミュニズムによる莫大な人的犠牲は、アメリカ人の知的生活にほとんどregister されていない。さらに悪いことに、かなり多くのアメリカの中心的知識人たちは、今や公然と、人類史上の最も血塗られたイデオロギーの一つに喝采を浴びせ、そのために弁明している。そして、彼らは、社会のはみ出し者として扱われるのではなく、アメリカの高等な教育や文化生活の中で顕著な地位を占めている。ナツィによる犯罪の記憶が新しいままでいる一方で、コミュニストによる犯罪の記憶がかくも速く消失してしまったのは、いったいどのようにして可能であるのか?
 冷戦は諸国家間の闘いであったのみならず、諸国家の内部でのイデオロギー闘争でもあった。アメリカの知識人たちの間には明確なファシスト傾向はなかったが、一方で、合衆国は、その他の民主主義諸国のように、明確なコミュニスト運動を匿った(harbored)。それ〔コミュニスト運動〕は、知識人たちによる支持を不相当にも引き出したのである。かくして、合衆国におけるコミュニズムのノスタルジックな余生は、世界中の現実のコミュニスト諸体制のほとんどを延命させてきている。冷戦は地上ではなくなったにもかかわらず、しかし、歴史上の冷戦は荒れ狂っており、学者たちの間でのたんなる口喧嘩以上のものである。コミュニズムを修復しようとする彼らの意識的な努力によって、覚えられるだろうものは何か、忘れられるだろうものは何か、に関するアメリカ人の彼ら自身の国民的な経験の記憶を、そして21世紀の挑戦についての我々の理解を形成するだろうあの歴史からの教訓を、多数の著述家や教授たちが変形しようとしている。」
 <p.1-2、以下の段落は省略>
 「他でも読んだことがあるような」、というのは、クルトワ=ヴェルト・共産主義黒書<ソ連篇>のやはり最初の方だ。
 <つづく>

1294/日本共産党のデマ-安倍首相らは「ネオナチ」か。

 デマゴギーとは、政治的目的をもって、または政治的効果を狙って、意図的に発信・流布する虚偽の情報のことらしい。略して、デマ。これを行なう者をデマゴーグという。
 日本で歴史上も現在でも最大の、手のこんだデマゴギー流布団体は、日本共産党だ。
 マルクス(・レーニン)主義自体が、古代史家の安本美典が適切に、端的に語るように、<大ホラの体系>だろう。これを「科学的社会主義」と言い換えていること自体、「科学」を愚弄するデマゴギーだと言える。
 日本共産党・不破哲三が前衛2015年3月号で、安倍晋三首相らを「日本版『ネオナチ』そのものだ」と言っている(p.135)。あるいは、「安倍内閣-…日本版『ネオナチ』勢力」という見出しをつけている(p.131)。
 このように断定する論拠は何か。つぎのような論旨の展開がある。
 ①河野談話や細川護煕首相の1993.08の「侵略戦争」発言に危機感をもった自民党内「戦争礼賛」派が同月に党内に「歴史・検討委員会」を作った。当選1回生の安倍晋三も参加した。
 ②上の委員会は1995.08に検討結果を著書・大東亜戦争の総括(展転社)でまとめた。この戦争の呼称自体が戦争を「美化」するもので、同書は、「アジア解放と日本の自存・自衛の戦争、正義の戦争」だったとし、南京事件も慰安婦問題も「すべてでっち上げ」だとした。
 ③かかる「戦争礼賛」論を教育に持ち込むために「礼賛」派を集めてその戦での歴史教科書づくりを始めた。新しい歴史教科書をつくる会発足が1996.02。
 ④上の運動を「応援」する国会議員団〔名称省略〕を1997.02を発足させ、事務局長に安倍晋三がなった。2001.01に「戦争美化」のつくる会教科書が文部省の検定に合格した。
 ⑤このように、安倍晋三は「戦争礼賛」の教科書づくりの「張本人」。要職を経て、「大東亜戦争」肯定論という「異様な潮流の真っただ中で育成され、先輩たちからその使命を叩き込まれて」、2006年に首相になった。
 ⑥政権と自民党を安倍晋三を先頭とする「戦争礼賛」の「異様な潮流」が「乗っ取った」状態にあるのが現在。
 ⑦上の潮流に属する「ウルトラ右翼の団体」のうち、「最も注目」されるのは、「日本会議」と「神道政治連盟」。それぞれ国会議員懇談会をもち、安倍晋三は首相就任後も前者の特別顧問、後者の会長だ。また、第二次安倍内閣の閣僚は全員かほとんどが上のいずれかに属しており、内閣は「ウルトラ右翼」性をもち、「侵略戦争の美化・礼賛一色の内閣」だ。
 ⑧「ネオナチ」とは要するに「ヒトラーの戦争は正しかった」というもの。
 ⑨安倍首相中心の日本の政治潮流は「ヒトラーと腕を組んでやった日本の侵略戦争」を「あの戦争は正しかった」と言っているのであり、「主張と行動そのもの」が「ネオナチ」と「同質・同根」。あの戦争を「礼賛」する「安倍首相率いるこの異質な潮流こそ、日本版『ネオナチ』そのものだ」。
 さて、間にいくつかのことを挿んでいるが(新しい歴史教科書をつくる会を結成させたのは自民党(の一潮流)という書き方だが、事実に即しているのだろうか。それはともかく)、安倍首相らは「ネオナチ」だとするその論旨は、A/安倍らはあの戦争を「美化」・「礼賛」している。B/あの戦争は「ヒトラー〔ナチス〕と腕を組んでやった」ものだ。C/したがって、安倍らは「ネオナチ」だ、という、じつに単純な構造を取っている。
 不破哲三とはもう少しは概念や論理が緻密な人物かと思っていたが、上の論理展開はヒドいだろう。政治的目的をもって、政治的効果を狙って、あえて虚偽のことを述べている、と思われる。
 まず、上のAは適切なのか。物事を、あるいは歴史を、単純に把握してはいけないことは、別の問題については、日本共産党はしきりと強調している。戦争の「美化」・「礼賛」とだけまとめるのは、単純化がヒドすぎる。
 大東亜戦争の総括(展転社)を読む機会を持ってはいないが、安倍首相らの<歴史認識>がこれほどに簡単で単純なものとは到底考えられない。たしかに、日本共産党のような?GHQ史観または東京裁判史観にそのまま立ってはいないだろうが、もう少し複雑にあるいは総合的に、あるいは諸局面・諸要素ごとに判断しているように思われる。
 また、例えば、より具体的には、安倍首相らの「潮流」に属する団体としてとくに「日本会議」が挙げられているが、田久保忠衛は同会の代表役員であるところ、田久保・憲法改正最後のチャンス!(2014、並木書房)を読んでも、-この点は別の機会にも触れるが-田久保があの戦争を全体として「美化」・「礼賛」しているとは到底感じられない。長谷川三千子も同じく代表役員だが、GHQ史観・東京裁判史観に批判的だったとしても、あの戦争を単純に「美化」・「礼賛」しているわけではないだろう。
 さらに、今手元にはないが、初期のいわゆるつくる会の歴史教科書を読んだことのある記憶からしても、まだ十分に<自虐的>だと感じたほどであり、あの戦争の「美化」・「礼賛」一色で叙述されていたとは到底思えない。そのような教科書であれば、そもそも、検定には合格しなかったのではないか。
 いずれにせよ、安倍首相らを批判し、悪罵を投げつけたいがための、事実認識の単純化という誤り(虚偽)があると考えられる。批判しやすいように対象や事実を単純化して把握することによって、じつは、存在しない異なる対象や事実を批判しているにすぎなくなる、というのはデマ宣伝にしばしば見られることだ。
 つぎに、ドイツ(・ナチス)と<腕を組んだ>戦争という、あの戦争の理解は適切なのか。なるほど、日独伊三国同盟というものがあった。しかし、日本とドイツは共同しての戦闘は行っていないし、その同盟の意味は時期によって異なる。ドイツ(・ナチス)と「社会主義」ソ連が「腕を組んだ」時期もあったのだ。また、政府ではないにしても、南京事件に関してドイツ人の中には<反・日本>で行動した者もあったことはさておくとしても、<保守派>の中には、ドイツと同盟したことを批判的に理解する者もいる。「日本会議」や「神道政治連盟」の役員の中にも、そういう論者はいるだろう。
 詳しくは歴史あるいは日独関係の専門家に任せるとして、<ドイツ・ナチスと手を組んだ戦争を「礼賛」しているから「ネオナチ」だ>というのは、子供だましのような幼稚で杜撰な論理だ。安倍首相らを批判し、悪罵を投げつけたいがための、論理展開の単純化という誤り(虚偽)があると考えられる。
 このような論法を日本共産党について採用したらどうなるのだろうか。上の論理よりももっと容易に、「ネオ」大粛清組織、「ネオ」大量殺戮組織、「ネオ」人さらい組織、「ネオ」侵略戦争支持組織、等々と批判することができる。
 「ソ連型社会主義」とか称して、誤りはあるものの(生成途上の)「社会主義」国だと見なしていたはずのソ連を、1991年末にソ連が崩壊した後では平然と<社会主義国ではなかった>と言い繕えることができるように、「ウソ、ウソ、ウソ」を得意とするコミュニスト集団・日本共産党のことだから、別に驚きはしない。言ったところで無駄だろうが、いちおう言っておきたい。党員と熱心なシンパにだけ通用するような、幼稚で単純なデマを撒き散らすな。
 

0630/朝日新聞・若宮啓文の<反日・反国家>、<親中・親東アジア>、「左翼」意識

 日本共産党の不破哲三や朝日新聞の若宮啓文の本を読むことを躊躇しないし怖れもしない。しかし、どこか感覚・神経が<異常>と思われる人の文章を長く読むことは一種の苦痛であり、あるいはまた、ときどき気持ちが悪くなり、心理的には嘔吐が出そうになることがある。
 若宮啓文の「反日」・「反国家」意識、そしてアジアの隣国(中国等)への配慮優先意識、「左翼(サヨク)」意識は徹底している。同・右手に君が代左手に憲法(朝日新聞社、2007)は、あくまで若干の例にすぎないが、以下の如く書く。
 ①80年代に比べて90年代には「首相の配慮」があったとして肯定的に評価する。そして、「例えば宮沢政権は…1992年秋、右派の反対を押し切って天皇陛下の訪中を実現させた。過去に大きな区切りをつける旅」だった、と書く(p.12)。
 宮沢や河野洋平・加藤紘一らを自民党の中では評価する、<親中・屈中>。
 ②「外国では…『靖国』が軍国主義の象徴として伝えられる。だからこそ、首相の参拝があれほど問題にされるのだ」(p.37)。ここでの首相は小泉。
 米国・英国の大統領・首相らはこれまで何回か靖国参拝を希望したがむしろ日本政府側が固辞したと伝えられる。そうだとすると、上の「外国」はたぶん中国と韓国の二国だけではないか(北朝鮮もだろうが、金正日が訪日する可能性はほぼない)。
 それに、「『靖国』が軍国主義の象徴として伝えられる」ことに若宮啓文は何ら疑問を呈さず、当然視しており、誤解を解こうとする又は誤解を解くべきだとする主張はどこにもない。
 ③2004.02に書く-「それにしても、である。ハト派のいきおいが弱すぎはしないか」、「ハト派に春は来るのだろうか」(p.40-41)。
 ④「町の家々からだんだん日の丸が消えたのは、世代交代や戦後教育と無関係ではあるまい」。まして君が代に「抵抗感や違和感をもつ人が増えたのは仕方がないことだった」(p.43)。
 法制化された国歌・国旗に関する若宮の文章だ。一つに、「町の家々」から「日の丸」を「消え」させたのは、そして君が代への「抵抗感」等を煽ったのは、自分自身が属する朝日新聞を筆頭とする戦後「左翼」ではないか。客観的な事実として他人事のように書くな、と言いたい。
 二つに、若宮は日の丸・君が代には「戦争当時の暗いイメージが潜んでいる…」と書く(p.42)。この人自身がもつイメージなのだろう。戦後の「反戦・民主主義」教育をきちんと受容した(-に洗脳された)真面目な?学校優等生だったかと思われる。
 ⑤2004年の元反戦自衛官等自衛隊宿舎反自衛隊ビラ投函事件につき、2004.12の東京地裁(八王子支部)の刑事判決が「無罪」としたのは朗報」だった(p.80)。ここにも<反自衛隊>意識・<反軍(軍事)>意識。
 この前に、若宮自身はこの事件を、「市民団体の3人が防衛庁官舎の郵便受けに自衛隊イラク派遣反対のビラを入れただけで逮捕され、75日も勾留された」一件と記し、「あきれた事件」の一つに挙げている。
 この刑事事件は、本の出版時点で若宮が追記しているように、控訴審で逆転有罪となった(住居侵入罪)。最高裁は今年、上告棄却した(有罪維持)。
 若宮は高裁判決後の追記中に「…確かに行き過ぎだったのだろう。だが、黙秘したとはいえ身元の分かった相手を75日も勾留することはないだろう。そういう非常識がまかり通るのが恐ろしい」と書いている(p.81)。
 こんな若宮の「非常識」こそ「恐ろしい」。<勾留>するか否かは<身元が判明していないか否か>に単純に対応しているのか? 他の要素も当然に考慮されて判断される。
 ⑥ブラントの所作(ポーランドでの跪き)、ワイツゼッカーの(演説中の)フレーズを讃え、「ナチスの断罪を徹底してきたドイツ」の作法はうまかったが、「日本の〔かつての軍国主義・「侵略」に関する-秋月〕それはあまりに下手だった」と書く(p.96)。
 ドイツ・ナチスの「ホロコースト」のような犯罪を日本人・日本軍・日本政府は行っていない。<左翼>にありがちな主張なのだろうが、ドイツと日本の戦前の「罪」を同類のものとして理解する、という大きな過ちに朝日新聞・若宮啓文も(そのことを知りつつ結果としては)陥っているようだ。
 つづけて次のように書く。
 ⑦「隣国のナショナリズムは日本よりも強烈だ」。「しかし、だからこそ…相手の気持ちをどうほぐすか、そこは日本の知恵と度胸が問われているのではないか」(p.96)。
 日本の「ナショナリズム」は強く警戒し批判する一方で、「日本よりも強烈」だという「隣国のナショナリズム」に対して(上の「…」の部分で「言うべきことは言いつつ」といちおう書くが)何と優しい言葉だろう。隣国(中国・韓国)ではなく、まずは日本政府を非難・攻撃する、又は注文をつける、という姿勢で朝日新聞と若宮啓文は一貫していると言ってよい。
 ⑧中国の「反日デモ」と小泉「靖国参拝」を相殺し、次のように提言する。南京事件につき「日本側は規模がどうあれ、市民や捕虜の虐殺という非道の事実を重く受け止める」、小泉首相は「謙譲の精神で靖国参拝をとりやめる」(中国側への提言は省略、p.101)。
 「市民」に紛れこんだ便衣兵は「市民」ではなく、抵抗や脱走をする「捕虜」は捕虜ではなく「兵士」。これらを攻撃することは合法的な戦闘行為で「非道」ではない、という論点があることを天下の朝日新聞・若宮啓文が知らない筈はないと思うが。
 また、若宮啓文はなぜ首相靖国参拝を批判するのか。「A級戦犯」合祀が理由かと思われるが(p.104以降の別の項参照)、ではB級戦犯・C戦犯の合祀はどうなのか、と同趣旨の見解をもち、主張をする人々に対してとともに、若宮にも訊ねてみたい。
 ⑨「勝者は決して非を認めない」。広島への原爆投下につき英国軍幹部は「広島市が受けた懲罰」は「日本全体への報復の一部」と語ったが、原爆投下には種々の問題がある。しかし、「非道の責任を米国にだけ求めるのはフェアでない」。沖縄では日本軍に島民が「集団自決を求められた」等々があったりした。「民間への無差別攻撃を非難する資格が果たして日本政府にあっただろうか」(p.109-110)。
 ここまでくるといよいよ<気味が悪い>。
 ここでは米国を擁護し、旧日本軍をむしろ責める。<反日>・<自虐>そのもの。
 日本の「資格」を問題にするなら、日本軍による「民間への無差別攻撃」の実例を挙げるべきではないのか。また、かりにその実例があったとして、日本は「反省し」、米国にも「反省」を求める、日本は自己批判すべきとしかつ米国も「批判する」ならば分かるが、どうして<米国だけを責めるな、その資格は日本はない>という主張のみになるのか、きわめて不思議だ。
 まず第一に、<日本が悪かった>。この一線から若宮啓文は全く抜け出すことができない。見事に(単純に)、一貫している。こんな人が論説主幹だったのだから、朝日新聞は見事で(単純で)、恐ろしい。
 もう少し記録しておきたいことがあるので、たぶん次回に。

0479/佐伯啓思・諸君!5月号における「社会主義」・「共産主義」。

 某の連載があることを理由に諸君!(文藝春秋)の購入をやめていたが、佐伯啓思の最新の文章が読みたくなって、20日ほど遅れて同・5月号を買った。
 佐伯啓思「アメリカ文明の落日と『世界史の哲学』の構築」(p.26~44)。新聞のコラムと比較するのは無理があろうが、朝日新聞の若宮啓文の駄文を読んだあとでは、知的刺激を感じる、豪奢な食事の如き論稿だ。
 佐伯啓思・日本の愛国主義(NTT出版、2008)についてと同様に、筆者(佐伯)の主題とは異なる(佐伯にとっては)瑣末であろう事項・問題についての叙述を要約的に記しておく。すなわち、「社会主義」あるいは「共産主義」について。
 ・<「冷戦の主役である社会主義という実験」も「西欧近代主義の極限的な形態」だった。20世紀初頭の「西欧知識人たち」は「新たな価値創造」に賭けるとすれば、「ファシズムかボルシェビズムかという選択に迫られた」。>
 ・<「社会主義という人間理性の極端なまでの過信」と「歴史を導く正義という理念への過剰な期待」は、「あまりに独断的な価値創出」で、「世俗化された疑似宗教というべきもの」だった。>
 ・<20世紀「西欧社会」の「ニヒリズム的状況」を「不透明に覆い隠した」のは、「ナチズムとスターリニズムの蛮行」だった。「ナチスによるユダヤ人虐殺とスターリンによるおそるべき粛清、さらに共産主義による驚くべき虐殺」は、「自由・民主主義、ヒューマニズム、人権などの近代主義の理想をもう一度、呼び覚ますに十分」だった。>(以上、p.38)
 「社会主義」・「共産主義」に言及があるのはこの部分だけだと思われる。そして、以上の諸点に反対はしないし、逆に基本的にはそのとおりだろうと相槌を打つ。
 但し、上の最後の文は、そのために「自由・民主主義」あるいはアメリカの「歴史観」や「価値観」が検討されずに「聖域」化された、という論旨につながっていき、全体としてアメリカニズム(「アメリカ文明」)の問題点・限界を指摘することが主題になっている(その帰結として、最後に「日本の精神」の再発見の必要を説いているが)。
 そして、(上のカッコ内を除いて)どこか違う、「思想的」にはともかく「現実的」には、日本の現在の焦眉の論点ではないのではないか、という感想をもってしまった。別の機会に少しはより詳しく書こう。

-0030/田原総一朗は立花隆よりもマシそう。

 くどいようだが、日本共産党を軽視してはならない。8月25日に機関紙読者数の減少に触れたが、それでも同資料によれば、赤旗本紙30万、日曜版138万の読者がいる(筆坂・日本共産党(新潮新書、2006)p.54によれば、合計で164万)。
 この数字は、一般の書籍が10万も売れればヘストセラ-扱いされるのを考えると、ある種、恐ろしい数字だ。
 毎週1回は100万人以上がコミュニズムを支持する政党の見解を読んでいる。
 先進資本主義国日本で共産党が存在し活動しているのは異常であり、かつそこに日本社会・日本人の意識に独特の問題点又は特徴があるといういうのが私見だ。異常であること、そして異常さをさして意識していないのも異常である、ということを強調したい。
 日本共産党の存在は日本社会党のそれとともに60年安保や70年安保頃の闘争又は国民運動をどのように総括するかともかかわる。デモに参加したことを無邪気に書き、「60年安保」をおそらくは反米民族・民主主義闘争として肯定的に評価することを疑っていないようである立花隆・滅びゆく国家(2006)に比べて、同じくデモに参加していた田原総一朗・日本の戦後―上・私たちは間違っていなかったか(講談社、2003.09)は、「あの国民運動ともいうべきエネルギ-はなんだったのか」と問うているだけでも(p.32)-全部は未読だが-立花よりも良心的だ。
 私見では、日本の軍事力の弱小さを前提とすると、対等性の向上、有事のアメリカの防衛義務の明記等を図る60年安保改訂を当時の国民は反対すべきではなかった。だが、社会主義「革命」をめざす政党と「進歩的・良心的」知識人の「煽動」があったからこそ(マスコミも当然に入る)、大「国民運動」にまでになった。
 南原繁をはじめとする「知識人」たちの責任は頗る大きい、と思う。むろん日本社会党は欧州社民主義政党と異なり容共・反米の立場だったのであり、日本社会党のブレインたちの責任は極めて大きく、歴史的に誹られても仕方がない、と考える。
 このあたりの点はさらに勉強して、いずれまた、70年安保や「全共闘」問題とともに、触れるだろう。
 どのような時代を生きてき、どう当該時代を評価するかは、今後の私の重要な、形式的には趣味としか言い様がないが、作業なのだ。
 ドイツは統一に際してナチス前の帝国の領土回復を国家としては諦念した。が、個人次元では複雑な想いをもつ人もいることが判る-今朝の読売6面を参照。
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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