新テロ対策特措法に民主党は反対したのだったが、その反対の理由は、少なくとも小沢一郎代表によるかぎり、その法案の内容が<憲法違反(違憲)>だから、というものだった。
 小沢の何かの本又はどこかの新聞又は雑誌の発言中に詳しく語られているのかもしれないが、新テロ対策特措法(案)のどういう部分が憲法(前文も含めてもよい)のどの条項のどの部分に違反する、あるいはそうした条項に示されているどのような基本理念又は基本原則に違反するのか、私はきちんと報道した新聞を読んだことがなく、NHKを含む放送局で聞いたこともない。
 法律案をめぐる対立はしばしばあるだろうが、また、あって当然だろうが、ある法案への反対理由が<憲法違反(違憲)>だからだと野党第一党の党首が主張する場合が頻繁にあるとは思えない。通常は政策の合理性・明確性・(特定の層にとっての)利益性・不利益性等が争点になるのであり、<違憲>だからと言ってしまえば、そうした議論は全て不要になる、<切り札>的な反対理由なのだ。
 そうした重大な反対理由を主張したにもかかわらず、その具体的な趣旨・内容が広く知られなかった、ということはきわめて異様だった、と思われる。
 テレビを含むマスメディアは、上の点をきちんと報道しなかったし、詮索しようともしなかったかに見える。
 小沢の<違憲論>が憲法解釈として真っ当又は適切なものかどうかについて、<専門の>憲法学者が議論したり、コメントを加えても何ら不思議ではないとも考えるが、そのような例は、マスメディア上では全く又はほとんどなかったのではないか(一面では、憲法学者の感覚の<鈍さ>も感じるが)。
 マスメディアにおける憲法に関する議論のこのような<軽さ>あるいは<いいかげんな>扱い方は、本当はきわめて異様なのではないだろうか。野党第一党の党首たる政治家の<違憲論>が、<軽く>聞き流す程度に扱われたように見える。
 小沢の<違憲論>に賛成して書いているわけではない(そもそもその具体的内容がよく分からない)。重大・重要であるはずの意見、よく言えば<問題提起>、をきちんと受けとめる感覚がはたして日本のマスメディアにあったのか、ということを疑問視したいのだ。
 以下は、やや別のテーマになるが、マスメディアの問題に関する点では同じだ。
 小沢といえば、自党の役員たちが<大連立>構想に反対して代表を辞めると言い出したとき、昨年の参院選挙の際には<政権交替への1ステップに>とか言っていたはずなのに、<民主党にはまだ政権担当能力がない>と批判してみせた。しかるに、翻意して代表の座にとどまるや、次期衆議院選挙で<政権交替を>と訴えているようだ。この<変心ぶり>・<言い分の変化>は彼の政治家としての資質を問題にしうるものでありうるが、しかし、マスメディアが厳しく批判した、という印象はない。朝日新聞も、少なくとも、安倍前首相の発言等に比較すれば、はるかに寛大に、はるかに優しく、報道しているだろう。
 野党第一党の代表という政治家の「発言」の移ろい=一貫性のなさに対する、このマスメディアの感覚の<鈍さ>あるいは<いいかげんさ>はいったい、どこから来ているのだろう。
 マスコミについては、不思議に思うことが最近もたくさんある。理論も理屈も、国益も公益も、将来の「日本」も関係がない、ただ当面の<政局>・<政争>にのみ関心をもっている政治記者が多すぎるのではないか。