秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ダイアモンド社

0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。

 屋山太郎といえば産経新聞の「正論」欄にも登場する政治評論家だが、<保守>とか<左翼>とかの言葉を用いず、当面の総選挙において自民党を支持するか、それとも民主党を支持するか、というかたちでその立場を捉えた場合、自民党ではなく民主党を支持する者のようだ。
 やや古いが、週刊ダイヤモンド7/25号(ダイアモンド社)の櫻井よしこの連載コラムで桜井は計92行の文章のうち25行を屋山太郎の言葉の引用にあてている。すべてを載せると次のとおり。
 ①<…民主党事情に詳しい屋山太郎氏は、しかし、楽観的である。>
 「大胆に安全運転、これが政権奪取時の民主党の基本でしょう。外交・安保問題についても、従来の政策から大きくはずれることはないと思います。極論に走り、国民の信を失うような選択をするはずがないのです」。
 ②<屋山氏は、民主党と自公の最大の違いは外交・安保問題ではなく、国内政策に表れると予測する。>
 「自公政権は公務員制度改革を事実上葬りましたが、民主党は本気です。国家公務員33万人、ブロック局など地方に21万人。彼らの権益擁護のために政治が歪められ、国民の利益が失われてきました。改革の意味を理解できなかった麻生太郎首相の改革案は改悪です。麻生政権の終焉で同法案が廃案になるのは、むしろ、歓迎すべきです。民主党が真っ当な改革をするでしょう」。
 ③<屋山氏はさらに強調する。>
 「教育についても、民主党政権下で日教組路線が強まると心配する声があります。輿石東参議院議員会長が山梨日教組出身だから、そう思われるのでしょう。しかし、民主党の教育基本法改正案は自民党案よりまともでした。加えて、教育では首長の影響が非常に大きい。民主党政権イコール教育のねじ曲げではないと思います」。

 上の①・③で屋山は外交・安保問題や教育問題について、民主党政権になっても<心配はない>旨を語り、②では公務員制度改革では民主党の方が「本気」で、「真っ当な改革」をする、と言う。
 これらからすると、屋山は民主党候補に投票するするようだ。自民党から離れていることは公務員制度改革の議論・動向に関する彼の従来からの自民党批判に現れていたし、渡辺喜美の自民党離党の記者会見の席で渡辺とともに前に並んでいた。
 だが、<国のかたち>や国家・行政の基本と無関係だとは言わないが、「公務員制度改革」だけが政治・行政の課題ではない。<政党選択>は総合して判断する必要がある。長々と書く気はないが、「人権」擁護法、外国人地方参政権付与、夫婦別姓民法改正等々を民主党政権が促進又は制定させそうであることを考えても、また民主党の親北・親中国姿勢から見ても、自民党を丸ごと支持しないにしても、どちらかの選択を究極的に迫られれば自民党にならざるをえない、というのが「真っ当」で良識ある者の採るべき立場ではないか。
  櫻井よしこの叙述も奇妙ではある。全体の1/4以上を屋山太郎の言葉の引用で埋めながら、屋山の言葉をそのまま支持しているようではない。「民主党の政策は本当に見えてこない」(だから7/25号の時点では「マニフェストの発表を望む」となっている)とまとめているのだから、屋山太郎を実質的には批判している又は皮肉っているようにも読める。
 だが、櫻井よしこには民主党政権誕生阻止に向けて積極的に発言する気持ちはないようだ。 
 
同じ週刊ダイヤモンドの8/1号で、櫻井よしこは、小沢一郎の「金権」ぶりを松田賢弥・小沢一郎/虚飾の支配者(講談社)を使って批判してはいるが、冒頭で「8月30日の衆議院議員選挙で、民主党政権が誕生するだろう」とあっさり書いており、もはやそれを既定の方向と見なしている。民主党に投票するなという呼びかけや民主党擁護のマスコミ批判の言葉は全くない。  

 予想は当たることになるのかもしれないが、4週間も前の段階でこうまで諦めてしまうというのも、かなり奇妙なことだと思われる。 
 結果として<より左翼的な>民主党の大勝に寄与することにならないように、<より保守的な>人々には願いたいものだ。
  
 上で屋山太郎の不思議さ?に言及したが、少なくとももう一人、不思議で、訳の分からない人物がいる。勝谷誠彦だ。
 勝谷誠彦は「師匠」・花田紀凱の影響を受けている皇室問題を除いて<愛国・保守派>のようでもあるが、小沢一郎を支持・擁護し、兵庫・尼崎から立候補して民主党の推薦も受ける田中康夫(新党日本)を支持している。田中の傍らに立って、応援演説でもしそうなシーンがテレビに写っていた。
 奇妙奇天烈。新党日本・民主党の<防衛>政策と自民党のそれを比べて、
勝谷誠彦の<防衛>論は前者に近いと彼は考えているのだろうか。こんな人物の存在・発生も、日本の末期的症状の徴しなのかもしれない。

0689/中谷巌、野口悠紀夫の最近の論述の一部-週刊ダイアモンド・週刊東洋経済。

 〇中谷巌は、同・資本主義はなぜ自壊したのか(集英社)で、「新自由主義」は「間違っていた」と自己批判して注目されているらしい(未読)。
 まだ「自壊した」とは言えないと思うが、それはともあれ、週刊ダイアモンド3/21号(ダイアモンド社、2009)で中谷はこんなことを語っている。p.65。
 ・「非正規」も含めて人材は切るべきでない。貧困層を切り捨てるのが「欧米型」で、「みんなで痛みを分けて乗り切ろう」というのが日本型。
 ・「明治維新以降、日本は必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきたが、そろそろ間違いに気づくべきだ」。
 「談」らしいので厳密には語っていないことを割り引いても、前者のような対比は単純過ぎるような気がする。何よりも、後者の言い分には驚いた。「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」という「間違いに気づくべきだ」と言う。明示的ではないが、ひょっとして、「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」意識を持っていたのは中谷巌本人なのではないか。「そろそろ…気づくべきだ」という文からは多くの他人はまだ気づいていないかの如きだが、はたしてそうなのだろうか。
 中谷巌が属している経済学を含む大学、あるいは(戦後)日本のアカデミズムの世界こそ、「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」という「間違い」を継続してきたのではなかろうか。
 〇同じ週刊ダイアモンド3/21号の連載欄では、野口悠紀夫が以下のようなことを語る。p.140-1。
 日本で行われた「半国有状態での銀行への資本注入」も、「…金融システムを防止」したと肯定的に評価されているが、(アメリカの近時のそれと同じく)「レモン社会主義」で、問題にされるべきだった。戦後日本の金融行政(護送船団方式)自体も「弱い銀行を守るという建前に隠れて、強い銀行が利益を得る」という意味で「レモン社会主義」だった。
 ここで「レモン」とは、<腐っていても外からは見えない>の意で、本当に救済できるか判らないままの企業(銀行)の経営実態を指すものと思われる。そして、アメリカでは、国有化と半国有化は納税者から見ると、失敗したときに負担をかぶる点では共通するが、成功したときには「現在の株主」のみが利益を得る、という点で異なる、そこで銀行への公的資金投入に対して共和党は「納税者負担」の観点から反対し、「リベラル」も「株主〔のみ〕が再建の利益を得る可能性がある」から反対している、と野口は言う。
 以上のあとで、野口はこう述べる。
 ・「今から考えれば、日本の議論は(私のも含めて)底が浅かった」。「銀行が破綻すると混乱が起こるから…救済する必要」ありとの議論と、「納税者の負担になるから望ましくない」との議論しかなかった。
 ・「リベラル」自任者は、「国有化しない銀行に対する資本注入は、資本家に不当に有利」という議論をすべきだった。
 ・「アメリカ型資本主義はダメ」という議論では、「浅さは変わらない」。
 ・アメリカは日本がしたこと(半国有化方式)をするだろうが、「レモン」であることを認識している点で、日本とは異なる。
 ・昔から日米の違いは「政治と大学」だと思ってきた。「今金融危機をめぐる議論を見て、その観を強くする。これは深い敗北感である」。
 以上、野口が「私のも含めて」日本の議論は「浅かった」とし、アメリカと比べての「深い敗北感」を覚える、と明言しているのは、興味深いし、メモしておくに値するだろう。
 〇野口悠紀夫は、週刊東洋経済3/21号(東洋経済新報社、2009)ではこんなことを書く。連載ものの大きなタイトルは「変貌をとげた世界経済/変われなかったニッポン」で、「世界」に比べて「変化」又は「改革」が日本には足りないとの旨が含まれていそうだ。この回(第22回)のタイトルは「サッチャーとレーガンの経済改革が世界を変えた」。
 ・サッチャー改革は、抽象的には「大きな政府」・「福祉国家」・「ケインズ主義」の「見直し、ないしは否定」。評価は異なっても、この改革が「現実を大きく変えた」ことは否定できない。
 ・「今、その行き過ぎに対する批判が生じている」。ではサッチャー以前に戻ろうとするのか? 結論的には、イギリス、アメリカ、アイルランドは「進みすぎ」、日本、ドイツは「変わらなさすぎた」。問題はどちらにもあった。
 ・「小泉郵政改革」は「サッチャー、レーガンの延長線上のもの」とは「私には…思われない」。小泉以前に郵政は公社化されていて、公社を会社形態にしただけ。財政投融資制度にかかわる「カネ」の流れの変化も「小泉改革」の以前から。
 このあと英米の「改革」に関する叙述があるが、日本の、とくに「小泉改革」又は「構造改革」の分析等?はたぶん次号以降になりそうだ。
 さて、朝日新聞、産経新聞等のマスメディア、とくに民主党・社民党といった野党政党、そして評論家(論壇人?)たちは、小泉純一郎首相時代(その前の森・小渕・橋本まで遡ってもよいが)、むろん個別論点ごとでよいのだが、政府の<経済(・金融)政策>に―財政が絡むと<福祉>を含む政策全般になる―どのような主張をしてきたのだったのだろうか。当時にしていない主張を今になってしている、当時主張していたことと真逆のことを今は主張している、ということはないだろうか。

0666/週刊ダイアモンド2/07号・産経新聞2/12の櫻井よしこ、月刊正論3月号の坂元一哉ほか。

 一 週刊ダイアモンド2/07号(ダイアモンド社)のコラム「自公連立で力を失った自民党/麻生首相は本来の価値観に戻れ」(p.137)と産経新聞2/12朝刊2面のコラム「歴史観持ち使命果たせ」で、櫻井よしこは似たようなことを書いている。執筆時期が重なってもいたのだろう。
 関心を惹いた一つは、軽軍備・経済優先の(主権回復後の)戦後日本の基本路線について、それを採用した吉田茂(麻生太郎の祖父)がのちに自身が「誤りだと吐露」した(産経)、「経済優先で軍事を置き去りにした」が首相辞任後「…軍事力を退けた選択を悔いている」(週刊ダイアモンド)と叙述していることだ。
 これは現9条2項の削除を含む憲法改正のし忘れもおそらく意味しているだろう。だが、吉田自身がそう言った、または書いたということを示す文献を読んだことがないので、何らかの方法で探索し確認しておきたい。
 第二は、いずれも、集団自衛権行使に関する判断をせよ、それが政治家としての真価や支持回復につながる、と主張していることだ。
 「使命の筆頭は、9条の実質的改正につながる集団自衛権の行使以外にない」(産経)、「首相として、事実上の憲法改正につながる集団自衛権行使を可能にする内閣解釈を打ち出すのがよい」(週刊ダイアモンド)。
 田母神俊雄の更迭を簡単に了解して、防衛省事務次官の発意を阻止しなかったことで、麻生太郎の「歴史観」、本来の「保守的」立場には疑問符が付いている。そのために、麻生政権は、本来の「保守」層からの支持も失っていると思われる。櫻井よしこを批判するわけではないが、今からの急激な変化は期待できそうにない。あるいは、そもそもそんな余力があるのかどうか自体が疑問になってきた。
 二 集団的自衛権といえば、2週間前には手にしていた月刊正論3月号(産経新聞社)に、坂元一哉「今こそ憲法解釈の隘路を抜け出せ-集団自衛権行使へ・具体的事例で現実的に提言する」(p.215以下)がある。
 結論に反対はしないが、違和感が残るのは、この人(坂元)による憲法9条の基本的な解釈に関する理解の曖昧さ又は(おそらくは)誤謬だ。
 第一に、1項の「国際紛争を解決するため」の戦争とは所謂<侵略>戦争を意味する、つまり1項だけだと<自衛「戦争」>は否定されていない、と解するのが憲法学の通説の筈だが(樋口陽一は<より進歩的に>後者も否定されていると解釈する余地を残しているが少数説だ)、そのような理解・認識が伺われる叙述はなく、たんにふつうの日本語として「国際紛争を解決するため」を読んでいるように見える。
 従って第二に、2項の冒頭にある「前項の目的を達するため」(所謂「芦田修正」)を通説は実質的には意味がないものとして無視している筈なのだが、坂元はこの文言を手がかりにして「第一項の規定をより確実にするための条項」が第2項だ、とする(p.216-7)。このような理解は正確な学説状況(・内閣法制局)をふまえているとは思われない。1項を「より確実にする」のが2項なのではなく、1項と2項にはもっと大きな差異・断絶がある(だからこそ、自民党の改正案も1項はそのまま残し、現2項を全面削除しているのだ)。
 政治学者であっても憲法9条に関係する論文を書いているわりには、あるいは法学部出身の法学研究科(大阪大学)所属の学者にしては、憲法9条に関する詳細な議論の蓄積に関する知識・理解はかなり怪しいのではないか。
 中沢新一=太田光の本(集英社新書・憲法九条を世界遺産に)が理解しているような9条解釈をやはり前提として議論しているようでは、せっかくの集団自衛権行使に関する法律制定の提言も、価値又は説得力が減少するのではあるまいか。
 なお、上に少し触れたが、樋口陽一は第一項ですでに<自衛戦争>も否定されている、(「国際紛争を解決するため」という1928年パリ不戦条約以来の歴史的意味をもつ文言にかかわらず)そう解釈しないと戦前の一定の時期のままで、日本国憲法の<進取性>がない旨を述べつつ、2項で「戦力」の保持禁止、「交戦権」否認が明記されているので、まぁいいか、という書き方をしているのだ。2項の通説的解釈によると、かりに<自衛>のためでも「戦力」保持は許されず(従って、自衛隊は2項でいう「…軍その他の戦力」ではないとの<虚構>が維持されることとなっている)、自衛「戦争」もできない、ということになる。但し、国家の<自衛権>自身が(1項によっても2項によっても)否定されているわけではないので、「戦力」によらない、かつ「戦争」とは言えない<武力行使>まで妨げられているわけではない。
 一冊も(樋口陽一のものも含めて)憲法学の本を手元に置かないで書いた。いずれ、文献を示してもっときちんと説明しておく必要があるだろうか。
 直接の焦点は、憲法によっても否定されていない<自衛権>のうち<集団的自衛権>は国際法上は認められても日本国憲法上は行使できないとする内閣法制局見解なのだが、これは憲法9条の「解釈」というよりも、実質は、政府の(内閣法制局見解に従った)<政策表明>にすぎない、というのが、私の理解だ。憲法<解釈>なのではなく、<政策>宣言だ。しかも、それは今日のような軍事情勢ではないまだ牧歌的?だった時代に内閣法制局によって示された。内閣と内閣法制局とはどちらが上級行政機関なのか? 憲法にかかわるかぎりは内閣法制局の見解が優先するなどという解釈?は憲法のどこからも出てこない、ということを確認しておきたい。
 ついでに、月刊正論3月号で他に読んだものは、たぶん以下。
 田母神俊雄「やむにやまれぬ『防人』の思い」。
 匿名座談会「『村山談話』に押し潰される国防の士気」。
 稲田朋美「『国籍法改正』-私がDNA鑑定に反対する理由」。この稲田論考の趣旨は理解できたつもりだ。
 潮匡人「リベラルな俗物たち第5回/半藤一利・軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家」。もう2週間は経ったが、最初に読んだのは潮匡人のこれ。知らなかったこともあった。評価にはほんとんど全面的に賛同する。月刊文藝春秋の元編集長が<左翼・進歩派>・<九条の会>賛同者なのだから、(株)文藝春秋の<体質>もある程度はわかるのかもしれない。立花隆も文藝春秋が主な仕事場だったようだ。もつとも花田紀凱(ワック・月刊WiLL編集長)も文藝春秋出身のようだが。
 以上のほか、連載ものの複数のマスコミ監視?コラムなど。
 三 章ごとに前後しながら、第一章を最後に潮匡人・やがて日本は世界で「80番目」の国に堕ちる(PHP、2008.12)を本日、全読了。経済問題に関して、この本にもう一度触れるかも。 

0618/公務員制度改革基本法の具体的実施への姿勢は総選挙の最大の争点か-屋山太郎。

 一 櫻井よしこ・いまこそ国益を問う(ダイヤモンド社、2008)の本文末尾p.318は、「追記」として208.06.06に公務員制度改革基本法が国会で成立したことを書き、この「基本法の成立に関して、私は福田政権に高い評価を与えたい」と述べる。この法律の骨子は櫻井によると、①「官僚主導から政治家主導政治への立て直し」、②「縦割りの各省人事の弊害の打破」、③「キャリア制度の廃止」で(p.313)、<過去官僚>たちが成立に抵抗した、という。
 この法律の成立と着実な実施に私も反対はしない。
 だが、この法律の具体的実施への姿勢は<政権選択>の唯一の判断基準ではないだろう。
 二 屋山太郎はまるで上のようなことを書いている。
 産経新聞11/11「正論」欄の屋山太郎の文章の見出しは「公務員改革に消極的な麻生政権」。中見出しだけ挙げると「政官癒着理解しない首相」・「民主党顔負けのバラ撒き」・「無知ゆえの消費税引き上げ」の三つ。消費税問題とも絡ませて、官僚制度の刷新・無責任解消、政官利権構造の絶滅をしないと「国民は増税話に耳を傾けるわけがない。麻生氏や与謝野氏にはその自覚が全くない」と締め括っている。
 ここではとくに総選挙との関係は書かれていないが、月刊諸君!12月号(文藝春秋、2008)の屋山「目標はただひとつ。官僚支配の打破」(p.58-59)は、<任せていいのか、小沢一郎に>という特集の中の一つの論稿であり、かつまた内容的に見ても自民党(麻生政権)を批判し、民主党・小沢一郎に期待するものになっている。小沢一郎には任せられないという結論の執筆者の方が多いだけに、<保守派>(のはず)の屋山の主張はおやっと思わせる。
 要約的・断片的紹介だが、屋山はいう。・「小沢氏の行動原理は一貫している。…目標は一つ。政権交代のできる政治状況を作ること」だ。
 ・小沢は「政府委員制度の廃止と副大臣、政務官設置」に固執し、実現させた。
 ・小沢は「先の国会では公務員制度改革基本法を民主党主導で成立させた」。この法律は「明治以来の官僚内閣制にとどめをさそうというもの」だ。
 ・「二大政党による政権交代、官僚内閣制からの脱却という目標に向って小沢氏はこの二十年間、一直線に歩いてきた」。
 ・小沢は、「とにもかくにも、官僚内閣制の打破、自民党打倒の旗のもとに勢力を結集することに成功している」。「一般国民」の「期待も高まっている」。
 ・「天下分け目のこの時節に」麻生首相は奇妙なことを言っている。「麻生氏の時代になって、突如、政治は後ろ向きになった。だからこそ麻生氏は人気が上がらず選挙を打つに打てなくなった」。
 このように、小沢一郎を批判する・疑問視する部分は一つもなく(むしろ褒めることだけをして)最後に麻生首相を批判するとあっては、近い?総選挙では自民党にではなく、小沢一郎・民主党に投票しよう、と主張しているに等しい。
 ちょっと待て、と言いたい。公務員制度改革基本法の具体的実施への姿勢は<政権選択>の唯一の判断基準なのか。
 屋山は「官僚内閣制」というやや抽象度の高い概念を用いているが、かりにその実態があり弊害があるとして(そのことを一般的に否定はしない)、小沢一郎政権によって本当にそれの打破は具体的に実現されるのか。今でも<過去官僚>たちは「人事局」設置等に反対し又はその権限に制限をかけようとしている。小沢・民主党政権ならば必ずできる、と言い切れるのか。
 さらにもともと、「官僚内閣制」なるものの打破は次期選挙の、唯一の(又は最大の)争点なのか。
 三 
・「バラ撒き」政策度は、農家への「所得補償」も含めて、民主党の方がよりヒドい。一方、消費税率上げの明言はないようだ。
 ・民主党の1998年の基本政策によると「社会のあらゆる分野で男女の固定した役割分担や差別、不平等な状態の解消を促す。多様な生き方を可能にする家族法の整備、女性のからだと健康、性と生殖に関する権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)の保障、性的ないやがらせや暴力を防止する諸施策、女性政策を強化するための総合的な立法措置などによって、男女共同参画社会を実現する」とある。これは多分に<(左翼)フェミニズム>の影響を受けている。こうした影響の受け方の程度は自民党よりも民主党の方が「ヒドい」だろう。

 ・上記基本政策によると、「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」ともある。
 
・民主党2007年マニフェストには、<人権擁護法案>の成立をめざす旨が、「内閣府の外局」として「中央人権委員会」を設置する等と書かれてある

 ・中国・北朝鮮に対する姿勢は、民主党の方が自民党よりも<甘い>のはよく知られているとおりだ。民主党のHPには、2007年12月の(民主党・中国共産党間の)日中「交流協議機構」第2回会議(北京)の胡錦涛・小沢を含む写真が大きく載っている(多数参加のため一人一人は小さいが)。 
 ・民主党の安全保障政策に不明なところ・問題なところのあることも周知のとおり。

 以上の他にもあるだろう。公務員制度改革基本法に対する姿勢が(かりに屋山の指摘のとおりだとしても)唯一の又は最大の争点となって総選挙が行われるべきだ、とはとても思えない。
 四 自民党を100%支持しているわけでは全くない。

 西尾幹二は月刊WiLL12月号(ワック)p.101で、自民党議員の「三分の一ぐらいは福島瑞穂と同じじゃないか」と書いている。加藤紘一・河野洋平・後藤田正純ら、民主党か社民党へ出ていけ、と言いたい者もいる(河野は今期で引退)。片山さつきも大臣をした猪口某女史も「保守主義」に関する知識はあっても「保守主義」者だとはとても思えない。だが、西尾は同頁で、「民主党に至っては九割が『福島瑞穂』化している」のではないか、とも書いている。1/3も9割も感覚的な数字だろうが、親コミュニズム・親「社会主義」(あるいは「容共」)の程度において、民主党の方が高い、つまり<より左翼>であることに間違いはないものと思われる。
 近時の防衛省(航空自衛隊)高官論文<事件>との関連でいえば、そもそもが、日本社会党委員長・村山富市が首相になり、客観的とは言い難い<自虐的>談話を発表したこと自体を問題にする必要がある。社会党を政権につかせたことの弊害が、現今にも(おそらく近い将来にも)禍根を残しているわけだ。その日本社会党の「血」を最も引いているのは社民党よりもむしろ民主党だ。
 民主党系活動家は国家・地方の公務員労組のかなりの部分を支配している。そのような公務員活動家が支持する政権が出来れば、その政権はかりに上級官僚には厳しい人事政策を採っても、一般公務員にはきっと<やさしい>政府になるだろう。
 また、日教組(部分的には日本共産党系・全教?)が支持する政党が政権を担えば、再び文科省・日教組は<癒着>し、日教組が教育行政に影響を与えそうだ。
 政党の数に限りがあるかぎり、いずれが<よりまし>か、で判断せざるを得ない。民主党が<最もまし>又は<よりマシ>とは思わない。
 また、民主党に一度やらせた方が<政党再編>が早まる、という議論があるかもしれないのだが、<政党再編>が今よりましな政党状況になる保障はないし、また<政党再編>の可能性がより高くなるという根拠も何もないのではないか。
 五 以上、屋山太郎には、もっと<大局>を見ていただきたい。岩波書店の月刊雑誌・世界12月号の表紙にはたしか、大きく「政権交代選挙へ」と書かれていた。誘導・煽動以外の何物でもないだろう。岩波や朝日新聞の主張どおりに日本が動くとロクなことはない、というのはほぼ確立した歴史的教訓なのだが…。
 なお、屋山は月刊WiLL12月号(ワック)にも似たようなことをやや穏便に書いていることに気付いたが、言及は省略する。

0572/樋口陽一のデマ2+櫻井よしこの新しい本+小林よしのり編・誇りある沖縄。

 〇櫻井よしこ・いまこそ国益を問え―論戦2008(ダイアモンド社、2008.06)はたぶん半分程度は既読のものをまとめたもの。数えてみると70ほどの項目があったが、見出しに「皇室」・「皇太子妃」を含むものは一つもない。
 この1年間の<国家基本>問題又は「国益」関係問題としては、対中国、対北朝鮮、これらにかかわる対アメリカや台湾問題の方がはるかに重要で、福田首相問題、(日本の)民主党問題もこれらに関係する。地球温暖化防止のための日本の負担の問題、公務員制度改革問題、さらに「道路改革」、集団自決・大江「沖縄ノート」等々と、櫻井よしこの関心は広い(にもかかわらず、「皇室」・「皇太子妃」に言及がないのは<静かにお見守りする>姿勢なのだろうと思われる)。
 〇小林よしのり・誇りある沖縄へ(小学館、2008.06)の最終章「『沖縄ノート』をいかに乗り越えるか」とまえがき・あとがきを読了。
 曽野綾子の本が初版は「巨塊」で増刷中に「巨魁」になった(p.189)というのは本当だろうか。私の持っているものは「巨塊」だ。小林はサピオ(小学館)では山崎行太郎を無視しているが、ここでは「オタク的言い掛かり」などと言及している。
 まえがきで小林よしのりが、大江健三郎の「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」との文(大江・沖縄ノート)に「しびれる~~」と書いているが、似たような趣旨の文章をどこかで読んだ気がした。
 思い出した。樋口陽一の、同・自由と国家(岩波新書、1989.11)の最後のつぎの文章だ。
 「その名に値しようとする憲法研究者=立憲主義者は、立憲主義―その起源は西欧にあるが、しかし、くり返すが、その価値は普遍的である―を擁護するためには、彼の、あるいは彼女のナショナル・アイデンティティから自分自身を切りはなすだけの、勇気とヴィジョンを持たなければならない」(p.215)。
 「普遍的」な「立憲主義」を擁護するために、憲法学者は、自らの「ナショナル・アイデンティティ」を捨てる(「自分自身から切りはなす」)「勇気とヴィジョン」をもつ必要がある、つまりは、式上は日本国民であっても<日本人>たる「アイデンティティ」を捨てよ、と樋口は主張している。
 これは、大江健三郎のいう「このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえること」ではないだろうか。
 だとすれば、反日・亡国・日本国家「帰属」嫌悪者は、似たようなことを(いずれも相当にわかりにくく)言うものだ。
 すでに触れていることだが、「ナショナル・アイデンティティ」(日本国民意識・日本国家帰属意識)を「勇気とヴィジョン」を持って「切り離す」こと求めるこの樋口陽一の主張を、<樋口陽一のデマ2>としておこう。

-0007/「中国は社会主義の衣をまとった封建国家」-立花隆は?

 日曜とはいえ勝谷某と比べて12時間遅い(早い)生活リズムになって、体の調子がどこかおかしい。今日は2+1の計3冊届いた。このあと、5日ぶりくらいに最寄りの繁華街を散策し古書店にも入ってみよう(歩ける遠さではない)。
 読売の昨日の朝刊2面に、中国南東部地方で台風のため少なくとも104人死亡、行方不明190人とある。日本で水害数百人の死者となれば大騒ぎだが、治水のインフラ不備等の中国では珍しくもないのだろう。6面の「ドイモイ20年」との連続囲み記事中には、ベトナム「共産党の支配は大きく傷ついている」、「公正な社会の実現は、はるかかなただ」等とある。今でも社会主義・共産主義幻想を残している人々はいるのだろう。20世紀に関する歴史学上の最大の課題はなぜコミュニズムはある程度の期間、ある程度の地域で成功したのかだ、というのが私見方だ。帝国主義でもドイツ・ファシズムでも日本軍国主義でもない。
 立花隆・滅びゆく国家(2006.04、日経BP)は少なくとも一部に中国への「愛着」と「幻想」を示しており、かつての立花作品の愛読者としては幻滅した。逐一コメントしていくには、多すぎてこの欄は相応しくない。
 この本と同様に月刊誌・週刊誌等への連載寄稿をまとめたものに、最近では櫻井よしこ・この国をなぜ愛せないのか(ダイアモンド社、2006.06)がある。表面的に比べてみると、北朝鮮・拉致問題への言及が立花本には一切なく!、櫻井本には当然にある。精読していないが、立花本には(小泉は靖国参拝で中国を「挑発」するな旨言うくらいだから)中国批判、将来の中国への憂慮を示すフレーズはないのでないか。
 どちらが売れているのだろうと、某ネット販売サイトに今朝の未明に入って見てみたら、櫻井本5534位に対して立花本は80684位、しかも立花本の「カスタマーレビュー」の見出しに(だけでも)「立花隆にしてこれか」、「真に滅びゆくのは誰?」、「知の巨人?」などがあった。某社の販売数がどの程度全体を反映しているのか確たる知識はないが、それでも読者は「健全な」反応をしていると感じた。
 これまた読みかけの北村稔・中国は社会主義で幸せになったのか(PHP、2005)は中国を「社会主義の衣をまとった封建国家」としている。黄文雄・それでも中国は崩壊する(ワック、2004)などもある。ソ連と同様に中国共産党の支配もいずれ破綻するのが「歴史的必然」のように思うのだが。
ギャラリー
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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