秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ゾルゲ

2233/江崎道朗2017年8月著の無惨27。

 <ゾルゲ事件>に関する文献で、秋月瑛二が所持しているものに、以下がある。原資料と言えるものから、一部は小説仕立てのものもある。
 ***
 ①現代史資料(1)・ゾルゲ事件(一)〔小尾俊人編〕(みすず書房、第一刷/1962)。
 ②現代史資料(2)・ゾルゲ事件(二)〔小尾俊人解説〕(みすず書房、第一刷/1962)。
 ③現代史資料(3)・ゾルゲ事件(三)〔小尾俊人解説〕(みすず書房、第一刷/1962)。
 ④チャルマーズ・ジョンソン=萩原実訳・尾崎・ゾルゲ事件(弘文堂、1966)。
 =⑤チャルマーズ・ジョンソン=篠崎務訳・ゾルゲ事件とは何か(岩波現代文庫、2013)。
 ⑥NHK取材班・下斗米伸夫・国際スパイ・ゾルゲの真実(角川文庫、1995/原著1991)。
 ⑦F.W.ディーキン・G.R.ストーリィ=河合秀和訳・ゾルゲ追跡(上)(岩波現代文庫、2003)。
 ⑦F.W.ディーキン・G.R.ストーリィ=河合秀和訳・ゾルゲ追跡(下)(岩波現代文庫、2003)。
 ⑧尾崎秀実・ゾルゲ事件/上申書(岩波現代文庫、2003)。
 ⑨リヒアルト・ゾルゲ・ゾルゲ事件/獄中手記(岩波現代文庫、2003)。
 ⑩ロバート・ワイマント=西木正明訳・ゾルゲ-引き裂かれたスパイ(上)(新潮文庫、2003/原著1996)。
 ⑩ロバート・ワイマント=西木正明訳・ゾルゲ-引き裂かれたスパイ(下)(新潮文庫、2003/原著1996)。 
 ⑪モルガン・スポルテス=吉田恒雄訳・ゾルゲー破滅のフーガ(岩波、2005)。
 ⑫加藤哲郎・ゾルゲ事件-覆された神話(平凡社新書、2014)。
 ⑬太田尚紀・尾崎秀実とゾルゲ事件-近衛文麿の影で暗躍した男(吉川弘文館、2016)。
 ***
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 「コミンテルンの謀略」を書名とするこの本が<ゾルゲ事件>を扱っていないはずはない。
 しかし、この江崎道朗著が、ゾルゲや尾崎秀実および事件関係者等の調書・発言等に関する第一次史料を見ていないこと、あるいは見ようとすらしていないことは明瞭だ。
 なお、上掲のうち岩波現代文庫のうち二つ(尾崎とゾルゲ)は、みすず書房・現代史資料を元にして抽出しているようだ。
 そして、ゾルゲ・尾崎秀実等の発言や事件の推移等々について参照にしているのは、参考文献の指摘からすると、つぎの三文献だと見られる。
 ①チャルマーズ・ジョンソン=萩原実訳・尾崎・ゾルゲ事件(弘文堂、1966)。上の④に掲出。
 ②春日井邦夫・情報と謀略(国書刊行会、2014)。
 ③小田村寅二郎・昭和史に刻む我らが道統(日本教文社、1978)。
 ゾルゲ事件に関する江崎道朗の叙述は多くかつ長くて、この書の第一の重要部分かもしれない。しかし、所詮は、上の二、三を読んで、高校生ないし大学生のレポート感覚で、要領よくまとめて、さも自分がきちんと理解しているように<見せかけた>ものにすぎない。
 この人物は平気で<孫引き>をする、すなわち上の本で紹介・引用されている部分をさも自分も直接に見た・読んだかのごとく執筆できる、という人なので、いかに多数の史資料を見ているかの印象を与えても、本人が読んだものではない。上のような書物が、要領よく?すでにまとめてくれている部分を(江崎道朗が描く「物語」にとって支障のないかぎりで)、「」つき引用ではなくとも、そのまま引用またはほとんど要約しているにすぎない。
 なお、平気で<孫引き>できる感覚は、上の③の小田村寅二郎著に依拠して、他の何人かの<聖徳太子>論をまるで自らも読んだごとく(よく確かめると、小田村著によると、とはかすかに書かれていても)行う叙述にも示されている。
 この書の執筆のおそらく後半になって、上掲文献のうち原史資料ではないものは他にもあるのだが、江崎道朗はつぎの書の存在を知って、追記したようだ。
 ④加藤哲郎・ゾルゲ事件-覆された神話(平凡社新書、2014)。
 しかし、悲しいかな、加藤哲郎は<左派>からの「インテリジェンス」論に取り組んでいる人物であることを江崎は知らない。あるいは、加藤の新書のオビに「崩壊した『伊藤律スパイ説』」とか「革命を売ったのは誰であったか?」とかあることでも示されているように、ゾルゲ事件の「真相」に対する関心が、江崎道朗と加藤哲郎とではまるで異なっている。このことも、江崎は全く無視している。
 にもかかわらず、最新関係書で言及が必要とでも思ったのかもしれない江崎道朗は、自分のそれまでの叙述に矛盾しない加藤著の部分だけを抜き出して、引用・紹介している。
 思わず、苦笑してしまう。
 この程度の、せいぜいよく勉強しましたね、いいレポートが書けましたね程度の<ゾルゲ事件>、そして「コミンテルンの謀略」の叙述について、この書のオビにはこうあった。
 再度、明記して記録に残しておく。
 「日英米を戦わせて、世界共産革命を起こせ-。なぜ、日本が第二次大戦に追い込まれたかを、これほど明確に描いた本はない。/中西輝政氏推薦」。
 コミンテルンまたはレーニン・共産主義(・社会主義)諸概念の理解について、江崎道朗は決定的・致命的誤りをしていることはすでに何度か書いた。
 ゾルゲ事件についての江崎の叙述・説明は中西輝政が書くように「なぜ、日本が第二次大戦に追い込まれたかを、これほど明確に描いた本」なのかどうか。
 中西輝政こそ、いや中西輝政もまた、恥ずかしく感じなければならない。
 なお、三点追記。第一、小田村著の戦後の発行元の日本教文社は、少なくとも戦後当初は<成長の家>関係の文献を出版していたらしい。
 第一の二。聖徳太子関係の文章を戦前に小田村寅二郎が掲載したのは、彼自身が会員だったわけではないだろうが、<成長の家>の雑誌か新聞だった。この点は、江崎は何ら触れていないが、小田村著の中に書かれている。
 第二。江崎道朗、1962年~、由緒正しく、さすがに「文学部」卒。
 第二の二。現在、月刊正論に「評論家」として毎号執筆中。日本会議元専任研究員、日本青年協議会月刊誌元編集長。
 第三。ネット上の書評・コメント欄に、江崎道朗著について、この書もだが、やたらと肯定的・賛美的なものが目立つ。こうした<書き込み>もまた、きっと動員されているのだろう。西尾幹二の近年の書についてもまた、江崎道朗の著に対するほどではないが、「読むに値する」とかの明瞭な<ちょうちん>書評・コメントがネット上で見られる。  
 正しさ・合理さ・清廉さ、等々ではない。<ともかく勝てばよい、売れればよい、煽動できればよい>の類のレーニン・ボルシェヴィキまがいの人たちが、現在の日本にもいる。
 ついでに、こうした「動員」組が最近によく書いていたのは、天皇にかかわる、<権威・権力二分論が一番よく分かる>、だ。

1213/戦争中・占領期当初のコミンテルン・共産主義者の暗躍-江崎道朗著。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)のタイトルは、コミンテルンとその影響をコミンテルン(・共産主義者スパイ)から受けた米大統領によって、敗戦後の日本に対して「時限爆弾」があらかじめ仕掛けられていた、という意味だろう。
 なぜアメリカは戦前に<反日・親中>だったのか、なぜ日本には攻撃的で中国には融和的だったのか。その判断は、のちには中国共産党による大陸中国の「共産化」や南北朝鮮の分離・北朝鮮の「社会主義」化につながり、資本主義国アメリカにとっては大きなミスだったのではないか。そのような判断ミスそして政策・戦略ミスは何故生じたのか、というのはかねて持ってきた疑問だった。
 近年になって、ルーズヴェルト大統領の側近にコミンテルン(モスクワ)のエイジェントがいて、共産主義・マルクス主義に対して「甘かった」同大統領とソ連(・スターリン)とを
結びつけ、アメリカは<反日・親中>政策を採ったことが明らかになってきている。

 中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)についてはこの欄で触れたことがある。
 江崎の冒頭掲記の著書も、主として第三章「アメリカで東京裁判史観の見直しが始まった」で、コミンテルン・同スパイ・アメリカ共産党等の運動・行動について扱っている。
 その内容を簡単にでも紹介することは避けるが、江崎の本よりも第一次資料・史料といえる文献で邦訳されているものやその他の日本語文献があるようなので、以下にリスト・アップしておく。
 第一節「外務省『機密文書』が示す戦前の在米反日宣伝の実態」より(p.126-)
 ①馬暁華・幻の新秩序とアジア太平洋(彩流社)

 ②山岡道男・「太平洋問題調査会」の研究(龍渓書房)

 ③H・クレアほか・アメリカ共産党とコミンテルン(五月書房)

 ④レーニン・文化・文学・芸術論(上)(大月書店)

 ⑤中保与作・最近支那共産党史(東亜同文会)

 第二節「ヤルタ協会を批判したブッシュ大統領と保守主義者たち」より(p.146-)

 ⑥H・フィッシュら=岡崎久彦監訳・日米・開戦の悲劇(PHP文庫)

 第三節「アメリカで追及される『ルーズヴェルトの戦争責任』」より(p.162-)

 ⑦エドワーズ=渡邉稔訳・現代アメリカ保守主義運動小史(明成社、2008)

 第四節「『ヴェノナ文書』が暴いたコミンテルンの戦争責任」より(p.178-)

 ⑧中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)〔所持〕

 ⑨A・コールター・リベラルたちの背信-アメリカを誤らせた民主党の六十年(草思社)

 ⑩クリストファー・アンドルーほか・KGBの内幕・上(文藝春秋)

 ⑪楊国光・ゾルゲ、上海ニ潜入ス(社会評論社)

 ⑫エドワード・ミラー・日本経済を殲滅せよ(新潮社)

 第五節「コミンテルンが歪めた憲法の天皇条項」より(p.203-)

 ⑬ウォード・現行日本国憲法制定までの経緯

 ⑭ビッソン・ビッソン日本占領回想記

 以上 

1055/中西輝政「大東亜戦争の読み方と民族の記憶・上」より。 

 月刊正論12月号(産経)の中西輝政「大東亜戦争の読み方と民族の記憶・上」より。
 ・「歴史は本来、つねに書き換えられねばならない。なぜなら、歴史の本質とは、いかにすぐれた歴史書であっても、それが書かれた時代的制約を逃れることはできないものだからである」。(p.142)

 ・「もしも日本の内政がしっかりしていて、政府と軍部、陸軍と海軍の意思疎通や合意がしっかりとできていれば、あるいはアメリカに〔反日主義者だった〕ルーズベルト大統領が誕生していなかったら、さらには〔ゾルゲ、尾崎秀実等々による〕各種の対日工作が、天皇陛下にまで誤った情報が吹きこまれるほど日本の中枢を完全に巻き込んで成功裏に進んでいなかったら、事態は大きく異なっていただろう。このうちどれか一つの要因でも欠けていれば、おそらく日米開戦はなかったと思われる。日米開戦は、それほど『例外中の例外』の出来事だった」。(p.152)

 ・但し、「日米開戦は、……マクロ・ヒストリーの視点からは、やはり『宿命の出来事』だったと言うしかない」。(p.153)

0526/中西輝政「『冷戦』の勝敗はまだついていない」の続き。尾崎秀実、都留重人…。

 一 5/28に紹介した中西輝政「『冷戦』の勝敗はまだついていない」(初出2006.09)同・日本の岐路(文藝春秋、2008.05)における「共産主義」論は、もちろん現在の共産主義にもあてはまるものとして読む必要がある。中国や北朝鮮が「共産主義」国又は「共産主義を目指す」国かどうかについて<理論的には>議論の余地があるだろうが、中国共産党にとってマルクス・レーニン(・毛沢東)がその思想的始祖であることに疑いはない。北朝鮮についても同様で、ソ連共産党(モスクワ)から「共産主義の子」として北朝鮮に戦後に<派遣>されてきたのが、金正日の父親、名前を変えた「金日成」(将軍)だった。
 日本国内の「共産主義」にもあてはまる。日本で最大の大衆的支持を得ている共産主義組織は日本共産党。自由主義国・日本だからこそ許容されている「自由」を最大限に活用しつつ、「自由と民主主義を守る」宣言とかを出す等々の<偽装>をし、多くの共産党員は表面的には紳士的・友好的を装いつつ、内心では又は仲間うちだけでは、表面的・対外的な言葉とは異なることを考え、語り合っている。大小の嘘・謀略・策略は、この政党と無縁ではない。
 二、以下は、5/29に続き、中西輝政の上の論文のp.302~の要約的紹介。
 1 ①1927年(昭和2年)、イギリスでのモスクワ・イギリス共産党の謀略の発覚(アルコス事件)、蒋介石による上海の中国共産党の弾圧(四・一二クーデター)により、スターリン・コミンテルンの対日本戦略の、「表面からは全く目に見えない一層ディープな秘密工作」等への見直しが迫られた(p.302-3)。
 ②上海はコミンテルンの「対日工作基地」で、「左翼」ジャーナリスト、「中国に同情的なふりをした」共産主義学者・文化人が集まっていた尾崎秀実、サルヌィニ、アグネス・スメドレー、陳翰笙、エドガー・スノー(のち『中国の赤い星』)ら(p.303)。
 ③昭和4-5年には、上海の「東亜同文書院」にコミンテルンの工作は浸透し、同書院の学生だった中西功(のち日本共産党国会議員)・西里龍夫の指揮で、学生たちは昭和5年(1930年)に「国際共産党バンザイ」・「日本帝国主義打倒」のビラを撒いた。この二人を「指導」していたのは、尾崎秀実。尾崎や中西功は日本共産党やモスクワと関係をもつ以前から中国共産党と「連携」しており、その中で「コミンテルンに間接的にリクルートされていった」(p.304-5)。
 ④尾崎秀実は「ただのスパイ」ではなく、「朝日新聞記者の身分で近衛内閣の中に嘱託として入り込み、…日本の国策を大きくねじ曲げた」。尾崎らは近衛を動かして支那事変を「泥沼の戦争」に陥らせ、「日本の破滅」・対米戦争「敗戦」へと向かわせる上で「重大な役割」を果たした。尾崎は、1937年(昭和12年)~1941年(昭和16年)、「共産主義者であることを隠し、『中国問題専門家』として近衛文麿内閣のブレーン」となり、「英米との衝突を策して南進論を唱え」、対米戦争に追い込む「大きな役割」をした(p.305)。
 2 ①<アジアの第二次大戦>をコミンテルン・中国共産党の「秘密工作、謀略」をふまえて総括すると、勝者はソ連・中国共産党・戦後に「大ブレーク」した「日本の左翼」で、敗者は日本・アメリカ・蒋介石だった。日本の「戦後左派」は自分たちを「戦勝国民」と思っていなかったか。朝日新聞の今日までの「執着」は、「左翼の勝利」という歴史観に発する。アメリカが敗者だというのは、日本を打倒してしまったため、戦後、朝鮮戦争・ベトナム戦争・中台対立で自ら「大変な苦難」を背負ったからだ(p.306)。
 ②なぜアメリカは、ソ連・中国共産党と対峙した日本を「叩く」という「愚かな選択」をしたのか。それへと「最大の役割」を果たしたのは、アメリカ国内での「コミンテルンや中国共産党の秘密工作員たちの活動」だった。彼らは真の意味で「アメリカの敵」で、同時に「日本の敵」、「蒋介石の敵」でもあった(p.306-7)。
 ③「日本の敵」の重要な人脈はゾルゲと尾崎秀実、二人を結びつけたアグネス・スメドレー、オーエン・ラティモア、そしてセオドア・ホワイト。ホワイトは、所謂「南京大虐殺」プロパガンダに協力したハロルド・ティンパーリと同様に、「中国国民党中央宣伝部国際宣伝処」に勤務していた。同「宣伝処」には、「アメリカの言論界に対し嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだとアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい」という「方針」すらあった(p.307-8)。
 ④ホワイトは戦後・1985年にも、「再び中国と組んで、日本を挟み撃ちにする」必要があるとの論文を書いた。アグネス・スメドレーは所謂<南京大虐殺>を「初めて大々的に」世界に宣伝したジャーナリストで、日米開戦・今日の日中の「歴史問題」に果たした「ネガティブな役割」は非常に大きい(p.308-9)。
 ⑤ラティモアは1941年11-12月、ルーズベルト大統領の「個人代表」として重慶・蒋介石政府の「顧問」をしていた。ロークリン・カリーは「中国担当大統領補佐官」だが、同時に「コミンテルンのスパイ・エージエント」だった(1995年に確証された)。1941年(昭和16年)の開戦直前の日米交渉で開戦回避案で妥結する可能性が出てきた際、その可能性を「潰す」ためにカリーは重慶のラティモアに電信を打ち、それに従ったラティモアの蒋介石説得により、蒋介石はルーズベルトに、「交渉を妥結しないように迫る電文」を送った。この電文は最低でも二通あり、日付は11/24と11/25。対日本最後通牒のハル・ノートは11/26だった。ラティモアが重慶にいなければ、日米交渉は妥結していた可能性は大だった。ラティモアと(コミンテルン工作員)カリーの関係こそ、「日本滅亡」への「恐るべき対日謀略の工作線」だった(p.309-310)。
 ⑥ハル・ノートの原案を作ったもう一人のホワイト、ハリー・デクスター・ホワイトも「日本滅亡への引き金」を引いたが、「日本の敵」の「真打ち」は、ハーバード・ノーマンだ。カナダ外交官・知日派学者のノーマンはマルクス主義者で「ほぼ間違いなくコミンテルン工作員」だった。留学中にイギリス共産党に入党した。「経歴をすべて秘密にして」カナダ外務省に就職し「日本専門家」として出世していくが、ハーバードにいた都留重人と知り合ったのち、1940年(昭和15年)に日本駐在となった(そして『日本における近代国家の成立』を刊行して一躍著名になる)。日米開戦後にアメリカに戻る途中、アフリカの港で都留重人と偶然に遭遇したが、都留はノーマンに、ハーバードに残したアメリカ共産党関係極秘資料の処分を頼んだと、のちに都留を取り調べたFBI捜査官は議会で証言した(p.310~311)。
 ⑦都留重人を「アメリカ共産党の秘密党員」と見ていたFBIは、ノーマンが帰国後にハーバードの都留の下宿に寄ったことを確認した。ノーマンは<マッカーシー時代>に「スパイ疑惑」を追及され、1957年に自殺した(p.311)。
 ここで区切るが、まだ終わっていない。都留重人(1912~2006)は、一時期、朝日新聞の論説顧問。雑誌「世界」(岩波)の巻頭を飾っていた記憶もあり、丸山真男よりも、<進歩的文化人・知識人>の一人だったという現実感は残っている。アメリカ・ハーバードでの前歴を知ると、戦後の彼の言動も不思議ではない。戦後の<左翼>的雰囲気は、こういう人を大切にしたのだ。一九七〇年代に、一橋大学の学長にすらなる。まさに<戦後・左翼の勝利>という時代があったし、その雰囲気は、今日まである程度は(かつて以上に?)継続している。

0264/荒木和博・拉致-異常な国家の本質(2005)を読む。

 荒木和博・拉致-異常な国家の本質(勉誠出版、2005)は北朝鮮拉致被害者救出運動に密接に関与している人の本で、詳しい情報・当事者だからこその指摘・主張がある。
 それとともに興味を惹いたのは荒木の歴史観・戦争観だ(p.103-)。
 1.「20世紀の歴史に関する私の基本的見方」は同世紀の「最大の思想的害悪はマルクス・レーニン主義(科学的社会主義あるいは共産主義)であるということだ」。ずばり全く同感だ。
 荒木は根拠資料を示すことなく「この思想によって20世紀に命を失った人が億を下らないのは言うまでもない」と述べる(p.104)。いくつかの本に従って8000万~2億人と書いてきたようにが、<少なくとも1億人>以上というのは、おさらく確実なところだろう。
 2.敗戦の原因につき、私はきちんと整理して考えたことはないが、長らく、「悪い戦争」又は「侵略戦争」だったから負けたのではなく、結局は軍事力等を支える技術・科学を含めての「国力の差」だった、と感じてきたように思う。
 荒木はこう言う-「侵略戦争をやったから負けた」、「陸軍が暴走し勝算のない戦いに突入し物量の差で負けた」とかなのではなく、a「当時の政治家や軍の指導層の切迫感のなさ、無責任」と、b「それに乗じたゾルゲ・尾崎秀実などの謀略の成功」にあった(p.105)。
 また言う-「日本の最大の過ちは国家としての明確な戦争指導方針を欠いたこと」だ、あの戦争は「謀略に乗せられ、なし崩し的に突入せざるをえなくなった、失敗した自衛戦争」だった(p.107)。
 中西輝政等も言及しているが、中国国民党を同共産党と組ませて抗日に向かわせたコミンテルンの「戦略」(又は謀略)、米国ルーズベルト政権に入り込んでいた共産主義者たちの反日・親中姿勢等々が<日本敗戦>の大きな原因だったようだ。おそらくは上の荒木の認識は、教科書的な認識ではない。
 しかし、戦時中にもまた「共産主義という悪魔」の謀略があったことはたしかで、<情報戦争>に負けた、彼らの<情報謀略>に勝てなかった、という側面があったのは事実だろう。
 ソ連共産党のエージェント(スパイ)だったとされるゾルゲにつき、篠田正浩監督の映画<スパイ・ゾルゲ>(2003)は、観ていないのだが、彼と尾崎秀実らをドイツ・ナチスや日本軍国主義と闘った<ヒーロー>の如く描いているらしい(6/18の潮匡人氏に関する部分参照)。そのような映画の製作・上映もまた、今日の、一つの<情報謀略>ではないかと思われる。

0069/産経4/13-ゾルゲの指示で、尾崎秀実の助けも借りて情報収集したコミンテルン参加中国人。

 4/11の22時台に中西輝政の叙述に依拠してコミンテルンの宣伝工作に言及したが、産経4/13に、次のような、上海・前田徹特派員の記事がある。産経購読者には不要だろうが、紹介しておく。
 中国の著名経済学者・中国国際文化書院々長の某の大半が散逸していた自伝が見つかり、次のことが明らかになった。この人(陳幹笙)は1926年にコミンテルン(国際共産主義運動)に加わり、上海で「工作員として活動を始め、表向き…国民政府所属社会科学院で学者として従事する一方、対国民政府対策と同時にゾルゲと共に対日工作に関与」した。上海にいたアグネス・スメドレーの紹介でゾルゲと知り合った。「ゾルゲはスメドレーを通じて陳氏に日本で活動するよう指示」したので、彼は妻と共に来日し、日本で情報収集にあたったが、「その際、当時、朝日新聞記者だった尾崎秀実の支援を受けていた」。1935年04月にモスクワからの某と日本で密会する予定だったが、その某が上海でスバイ容疑で逮捕されたことを知って離日し、スメドラーらに匿われた後モスクワへ脱出し、さらに米国で、表向き「太平洋問題調査会(IPR)」の仕事をしつつ「海外中国人向け雑誌の抗日宣伝活動に傾注した」。
 この種の情報収集や宣伝工作は今日でも行われているに違いない。海上自衛隊員の中国人配偶者の中に、その類の任務をもつ者がいても不思議ではない。

0061/コミンテルン直結のミュンツェンベルク・マシーンによる「大いなる嘘」の宣伝工作。

 諸君!5月号(文藝春秋)の中西輝政論文のタイトルは「「大いなる嘘」で生き延びるレーニン主義」だ(元来は連載ものの第19回。p.217-227)。全文引用したい程だが、以下に要約又は抜粋してみる。
 ソ連型共産主義という共産主義の特殊バージョンは崩壊したが、今日の東アジアにつき、共産主義の本質を見失ってはならぬ。その共産主義の本質とは「対外的には、極度にシニカルで同時に意図と接線を隠した系統的な「敵対的宣伝」と、秘密警察的な国内支配」だ。民主主義諸国でも対外宣伝工作を行っている。だが、今日の米国での対日慰安婦決議問題の根源でもあるが、共産党による対外国世論工作は「全く次元を異にした深さと規模」をもつ。マルクス主義は死んでも死なない。  レーニン主義の本質とは、1.西側諸国の自由の徹底的利用による宣伝、2.西側経済人を「利潤という餌」で取り込んで西側での世論工作の先兵とすること、3.共産主義のためには「大いなる嘘」がつねに必要だとする、道徳を排しシニシズムに徹した宣伝・煽動・洗脳、だ。
 ウィリー・ミュンツェンベルク(1889-1940)は共産主義のもつ「倒錯とシニシズムの世界」の王者だったが、彼の下で働いたアーサー・ケストラーはその「世界」から帰還し、「人間性と普遍的価値に目覚め共産主義宣伝の危険を初めて告発した」。
 1920年代からの「太平洋問題評議会」(IPR)による米国での反日宣伝活動はミュンツェンべルクが仕掛けた。この宣伝工作により、米国の世論は1938年には方向を決していた。
 ミュンツェンべルクは1921年にレーニンからコミンテルンによる「秘密宣伝」のほぼ全権を委ねられ、日本共産党・モスクワ経由の指令系統とは別に、1323年の関東大震災直後には救援を名目にコミンテルンの地下ネット構築に着手した。蝋山政道、有沢広巳らが始めた研究会に高野岩三郎、土屋喬雄、蜷川虎三千田是也らが参加し、周辺には平野義太郎、勝本清一郎、小林陽之助、野村平爾らがいたが、彼らは欧州とくにベルリンに留学していた日本の若い国費留学生で、すでに大正時代末から「ミュンツェンべルク・ネットワーク」と意識的・無意識的に関係を持ったと見られ、在独日本軍人・外交官・ビジネスマン等々にも「取り込み」の魔手が延びていたと見られる。ソ連は1920年代から一貫して日本を敵視していた。ミュンツェンべルクの工作は英国や米国にも及び、とくに今日にもその影響が残る映画界・演劇界にも多大の資金が投入された。こうした工作は1930年代の容共的人民戦線運動の源流でもあった。
 トーマス・マンアンドレ・ジッドは「クレムリンの糸」に気づいて訣別したが、無意識にコミンテルンの戦略に利用された著名人も多かった。戦後日本の「進歩的文化人」についても将来は同様の跡付けが可能となろう
 カール・ラデックはミュンツェンべルクの兄貴分で、「「嘘の芸術」を極限まで高めた「革命的シニシズム」が、宣伝とメディア操作の核心である」ことを植えつけた。ラデックはKGB創設者ジェルジンスキーの「文字通りの同志」だった。
 ミュンツェンべルクはベルリンでゾルゲを取り込み、訓練していたアグネス・スメドレーと結びつけたと考えられ、ゾルゲが日本に来るとき、スメドレーが上海に赴いたとき、二人はいずれもドイツの高級新聞の特派員証を手にしていた。
 彼のマシーンの中にはオットー・カッツもいて、カッツはドイツ国会議事堂放火はナチス自らが共産党を弾圧するために行ったとのベストセラー本を書いた。カッツはロンドンで出版人・ゴランツと逢うが、ゴランツはのちに、ハロルド・ティンパーリの「南京大虐殺」の種本(戦争とは何か)を出版した。ティンパーリは中国国民党のエージェントであったのみならず、コミンテルン又は「ミュンツェンべルク・マシーン」とも「深い繋がり」があったと見られる。
 マシーンの一員だった英国のマリーはアンソニー・ブラントをリクルートし、ブラントがケンブリッジでハーバート・ノーマンをスカウトした。ノーマンは帰国後IPRに拠って反日宣伝に従事し、GHQの占領政策の「左傾化」の中心人物になった。
 孫文の未亡人・宋慶齢は「ミュンツェンべルクのエージェント」だとの証言もある。だとしたら、国民党・共産党間の中国政治史上の多くの疑問は氷塊し、中華人民共和国そのものが「対外宣伝のための「大いなる嘘」」であることが明瞭になる。
 中西輝政氏はVoice5月号(PHP)でも伊藤貫氏との対談で(p.96以下)、「とくに怖いのは中国の仕掛ける対日心理戦で、日本人の世論操作」だ、「日本のメディアはアジア大陸からの操作にとても弱い」、日本の「エリート層のなかにも工作が急速に浸透しています。この十年で、ひたひたと進んでいる空気を感じる」等々と、中国の米国への働きかけも含めた<情報戦>に正面から言及している。
 かつての歴史もまさに今日の諸状況も、共産主義者又は共産党の公然・非公然のプロパガンダ=「大量宣伝工作」によって作られたし、かつ作られている可能性が極めて高い。  北朝鮮による日本国民の拉致や核実験実施が明白になっても、なお無邪気さ・お人好しさ・脳天気さを失わない日本人がいる。平然と人の生命を奪い、平然と微笑とともに「大嘘」を吐く者たち=共産主義者(およびその強い影響を受けた者たち)が現実には存在することを、強く、強く、胆に銘じておくべきだ。
 ちなみに、ゾルゲ(1895-1944)とは所謂「ゾルゲ事件」で検挙され、1944年に尾崎秀実とともに断罪されたスパイ・リヒャルト・ゾルゲ。スメドレーは、中国寄り(=反日)の報道を世界に流し続け、中国贔屓(=反日)の本も書いた米国人。1947年にスパイ容疑が浮かんだが、英国に逃亡した、という(1892-1950)。
 ついでに、余計ながら、また多少は上品でない気もするが、渡部昇一=中川八洋・皇室消滅(ビジネス社、2006)のp.26-27に、中川のこんな、本質を衝く言葉がある。
 「共産党には、その教理から、正直であることは戒律的に許されていません。他人を騙すことをやめることは共産主義者として信仰義務の放棄です。共産主義者として、嘘、嘘、嘘は、毎日、実践しなくてはなりません
」。

ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
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  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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