秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ソヴィエト

2049/L・コワコフスキ著第三巻第11章第4節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。分冊版、p.410-p.415。合冊版、p.1115-p.1119。 
 第11章・ハーバート・マルクーゼ-新左翼の全体主義的ユートピアとしてのマルクス主義。
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 第4節・自由に反抗する革命(The revolution against freedom)。
 (1)インチキの必要を増大させてその必要を充足させる手段を提示する、そして虚偽の意識の呪文で多数の人々を縛る、このようなシステムから逃れる方途はあるのか?
 ある、とマルクーゼは言う。
 我々は、現存する世界を完全に「超越」し、「質的変化」を追求しなければならない。
 我々は、現実の「構造」そのものを破壊し、人々が自由のうちに要求を発展させるようしなければならない。
 我々は、(現在あるものを新しく適用するだけではない)新しい技術を持ち、芸術と科学、科学と倫理の統合を再び獲得しなければならない。
 我々は、自由な想像力を発揮し、科学を人類の解放のために用いなければならない。//
 (2)しかし、人々の多数が、とくに労働者階級が、システムに囚われて既存秩序の「世界的な超越」に関心をもたないとき、これら全てのことをいったい誰がすることができるのか?
 <一次元的人間>によると、答えはこうだ。
 「保守的な民衆的基盤のすぐ下には、浮浪者と外れ者の、異なる人種と異なる肌色の被搾取者と被迫害者の、失業者と雇用不能者の、下層界がある。
 彼らは、民主主義諸過程の外部に存在している。<中略>
 彼らがゲームをするのを拒むことから始めるということは、この時代の終わりの始まりを画しているということだ。」(p.256-p.257.)//
 (3)そして、アメリカ合衆国の人種的少数者のルンペン・プロレタリアートは、エロスとロゴスの統合を回復し、新しい科学技術を生み出し、そして形式論理、実証主義および経験論の僭政体制から人類を自由にするための、中でもとくに選ばれた人間たちの部門だ。
 しかしながら、マルクーゼは別の箇所でこう説明する。我々はまた、他の諸力を頼みにすることができる。すなわち、学生たちと経済的かつ技術的に後れた諸国の人々だ。
 これら三つのグループの同盟は、人間性の解放のための主要な希望だ。
 反乱する学生運動は、「変革のための決定的要素」だ。彼ら自体では完成させることはできないけれども(<五つの講義録>の中の「暴力の問題と急進的反対派」を見よ)。
 革命的勢力は暴力を用いなければならない。彼らは高次の正義を代表しており、現在のシステムはそれ自体が制度化された暴力の一つなのだから。
 合法的な範囲内に抵抗を制限することを語るのは馬鹿げている。いかなるシステムも、最も自由なシステムですら、自分に向かう暴力の行使を是認することができない。
 しかしながら、目的が解放であるならば、暴力は正当化される。
 さらに、学生たちの政治的反抗が性的な解放に向かう運動と結びついているのは、重要でかつ勇気を与える兆候だ。//
 (4)暴力を避けることはできない。現在のシステムは、虚偽の意識でもって多数民衆を苦しめており、僅かな者たちがそれから免れているにすぎないからだ。
 資本主義は、文化と思想の全てを同質化する手段を作り出してきた。その結果として、システムの一部に批判を変質させることで、批判を骨抜きにすることができている。すなわち、そのゆえにこそ、必要なのは暴力による批判なのであって、これはそのようにしては弱体化され得ない。
 言論と集会の自由、寛容および民主主義諸制度は全て、資本主義的価値による精神的支配を永続化する手段だ。
 従って、真の、惑わされていない意識をもつ者はみな、民主主義的自由と寛容からの解放を目指して闘わなければならない、ということになる。//
 (5)マルクーゼは、この結論を導くことを躊躇しない。彼はおそらく最も明確に、「抑圧的寛容」に関する小論でこれを述べている(Robert Paul Wolff 等による<純粋な寛容性への批判>(1964年)で)。
 彼は過去には、寛容は解放のための理想だ、と主張する。しかし今や、それは抑圧のための道具だ。多数派の同意を得て核兵器庫を建設し、帝国主義政策を追求する等々の社会を強化するために役立つとして。
 この種の寛容は、解放主義の理想に対する多数者の僭政だ。
 さらに、間違っていて悪であるがゆえに寛容であるべきではない教理や運動に対して寛容だ。
 全ての個別の事実と制度は、それらが帰属する「全体」の観点から判断されなければならない。そして、この場合の「全体」とは本来的に邪悪である資本主義システムであるので、このシステム内の自由と寛容は、それら自体が同様に悪(evil)だ。
 ゆえに、真の深い寛容は、虚偽の思想と運動に対する不寛容さを伴っていなければならない。
 「自由の範囲と内容を拡大する寛容は、つねに党派性がある(partisan)。-抑圧的な現状の唱道者に対しては不寛容だ」(p.99.)。
 「新しい社会(これは将来の事柄であるために現在とは反対のものとして以外には描写したり定義したりすることのできない)の建設が問題となっているときに、無限定の寛容を許容することはできない。
 真の寛容は、解放の可能性と矛盾したり反対したりする虚偽の言葉や間違った行為を擁護することができない」(p.102.)。
 「生存のための充足、自由と幸福自体が危うくなっている場合には、社会は無差別的であることができない。この場合には、寛容を隷従状態を継続するための道具にしないかぎりは、一定の事物を語ることぱできず、一定の思想を表現することはできず、一定の政策を提案することはできず、一定の行動を許容することができない」(同上)。
 言論の自由は肯定されるが、それは、客観的な真実を含むがゆえにではなく、そのような真実が存在し、かつそれを発見することができるからだ。
 従って、言論の自由は、真実でないものを永続ためのものであるならば、正当化することができない。
 このような自由が想定しているのは、全ての望ましい変化はシステム内部での理性的な議論を通じて達成される、ということだ。
 しかし、実際には、このようにして達成することのできるものは全て、システムを強化することに役立つ。
 「自由な社会はじつに、非現実的で叙述し難いほどに、現にある社会とは異なる。
 このような環境のもとでは、『事態の正常な行路を経て』、破壊されることなく生起するものは全て、全体を支配する特有の利益が支配する方向での改良になりがちだ」(p.107.)。
 多様な意見を表現する自由は、表現される意見は既得権益層(establishment)の利益を反映するということを意味する。既得権益層には意見を形成する力があるために。
 たしかに大衆メディアは現代世界の暴虐ぶりを描写する。しかし、無感動に、偏りを示すことなく、そうする。
 「かりに客観性が真実と何がしかの関係があるとすれば、またかりに真実は論理と科学の問題以上のものだとするならば、この種の客観性は虚偽であり、この種の寛容性は非人間的だ」(p.112.)。
 教理化されるのと闘い、解放の勢力を発展させるには、「表向き明らかに非民主主義的な手段が必要だろう。
 こうした手段は、つぎのような諸グループが行う言論や集会について寛容であることをやめる、ということを中に含んでいる。すなわち、攻撃的政策、武装、狂信的排他主義、人種や宗教を理由とする差別、を推進する者たち、あるいは、公共サービス、社会的安全、医療等々の拡大に反対する者たち。
 さらに、思想の自由の回復は、必ずや学校教育制度での教育や実務に新しく厳格な制限をもたらすかもしれない」(p.114.)。この制度の内部に囲い込まれて者たちは、本当の選択する自由を持っていないのだから。
 どの場合に不寛容と暴力が正当化されるのかを決定する資格をもつ者は誰なのか、と問われるとすれば、それに対する答えは、それをすることでどの根本教条に奉仕するか、にかかっている。
 「解放的寛容<中略>は、右(Right)からの運動に対する不寛容を意味し、左(Left)からの運動についての寛容を意味するだろう」(p.122-p.123.)。
 この単純な定式は、マルクーゼが主張する「寛容」の性格を典型的に示している。
 彼が明瞭に述べるところでは、彼の目的は独裁制を打ち立てることではなく、寛容という観念と闘うことで「真の民主主義」を達成することだ。巨大な多数派は、その心性が情報の民主主義的淵源によって歪められているために、正しい判断をすることができないのだから。//
 (6)マルクーゼは、共産主義者の見地から書いているのではなく、彼の思想が共有する「新左翼」のそれから書いている。
 共産主義の既存の形態に関するマルクーゼの態度は、批判と称賛の混合物の一つであり、きわめて曖昧で両義的な言葉で表現されている。
 彼は、アメリカ合衆国とともにソヴィエト連邦に適用されるように、「全体主義的」や「全体主義」という語を用いる。しかし一般的には、前者と比べると、後者を軽蔑している。
 マルクーゼは、あるシステムは多元主義的で、別のそれはテロルにもとづくことを承認する。しかし、この点を本質的な差違であるとは見なさない。
 すなわち、「ここでの『全体主義的』とは、テロルによってのみならず、定立された社会によって効果的な反対の全てを多元主義的に吸収することをも意味するよう、再定義される」(<五つの講義録>, p.48.)。
 「『全体主義的』とは、社会によるテロルを用いる政治的調整のみならず、与えられた利益による必要物の操作を通じて働く、非テロル的経済技術的な調整もそうだ」(<一次元的人間>, p.3.)。
 「文化の領域では、新しい全体主義は厳密には調和させる多元主義として出現するのであり、そこでは最も矛盾する労働と真実とが無関心なままで平和的に共存する」(同上, p.61.)。
 「今日では、先進的産業文明の活動過程の中に、権威主義体制のもとにはない社会は存在するのか?」(同上. p.102.)。//
 (7)要するに、テロルは、テロルとしても、民主政、多元主義および寛容によっても、いずれによっても行使される。
 しかし、テロルが解放のために用いられれば終焉に到達するだろう約束がそこにはあり、にもかかわらず、自由の形態で用いられるテロルは、永遠に続く。
 一方で、マルクーゼは、つぎの考えを繰り返して表明している。すなわち、ソヴィエトと資本主義体制は、産業化という同じ過程の類型として、ますます似たものになっている、との見方を。
 彼は<ソヴィエト・マルクス主義>で、マルクス主義の国家教理を鋭く批判し、それにもとづくシステムはプロレタリアートの独裁ではなく、プロレタリアートと農民に対する独裁の手段を用いた産業化の加速のための手段であり、マルクス主義はその目的のために歪曲されている、と主張する。
 マルクーゼは、マルクス主義のソヴィエト版が幼稚な知的水準にとどまることや、マルクス主義が純粋に実用主義的(pragmatic)な目的のために使われていることを、認識している。
 他方で彼は、西側資本主義とソヴィエトのシステムは、中央集中の増大、官僚制、経済合理化、教育の編成、情報サービス、労働の気風、生産等々の方向で、一つに収斂していく顕著な兆候を示している、と考える。
 しかしながら、一方で、彼がより大きい希望を認めるのは、資本主義よりもソヴィエトだ。ソヴィエトでは官僚制はその利益を完全には囲い込むまたは永続化することをしていないからだ。すなわちそれは、「究極的には」、抑圧による統治体制とは比較しようもない、全てに及ぶ技術的、経済的および政治的目標に対する第二次的地位を占めるに違いないからだ。
 階級を基礎とする国家では、合理的な技術的経済的発展は搾取者たちの利益と矛盾する。
 同じような状況はソヴィエト社会でも発生している。官僚制は、それ自体の目的のために進歩を利用しようとしているのだから。しかし、将来にこの矛盾は解消される可能性がある。それは、資本主義では生じないだろう。//
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 第4節、終わり。第5節・最終節の表題は<論評(Commentary)> 。

2001/L・コワコフスキら編著(1974)⑥-討論③。

 L・コワコフスキ=S. Hampshire 編・社会主義思想-再評価(New York、1974)。
 Leszek Kolakowski & Stuart Hampshire, ed, The Socialist Idea - A Reappraisal.(New York, 1974).
 L・コワコフスキの「序文」が彼自身の文章として記述する、報告(および副報告またはコメント)の後の「討論」の内容。つづき。p.14-p.17.
 以下の(12)のほとんどは会合・シンポジウムの最後にL・コワコフスキが述べた「結語」の引用だとされているので、その中の段落分けについて(-01)等の小番号を付した。
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 討論③。 
 (12)レディング会合についての私の個人的な見方を示すために、勝手ながら討論のあとで私が行った結語的論評を引用したい。//
 (-01)我々の討議の狙いは、現存する政治体制、運動または政党、社会主義者または共産主義者を批判することではなかった。
 しかしながら、明らかなことだが、実現しようとする現存する試みがまるでこの討議と無関係であるかのごとく、今日に社会主義思想に関して討議することはできない。
 この会合を組織するに際して、我々は4つの範疇の人々、4種類の思考(mentality)を避けたかった。それらは、社会主義思想とそれが実際に具現化されたものとの関係についての議論でしばしば見出すものだ。//
 (-02)第一。社会主義思想にも社会主義社会で形成されている姿のいずれにも間違った(wrong)ものは何もない、と単純に考える人々がいる。
 思想はしっかりして首尾一貫した素晴らしいものであり、完璧にソヴィエト型諸国で具体化された。
 これはオーソドクスな共産主義者の見方の要点だ。//
 (-03)第二。現存する経験に照らして思想は完全に破綻していることが判った、ゆえにそれに関して語るものは何もない、と考える人々がいる。
 共産主義システムは、社会主義思想を永遠に葬ってしまった。
 (-04)第三。多数のトロツキストと批判的共産主義者たちに典型的な接近方法がある。
 それは、つぎのように要約することができる。
 共産主義諸国に、多数の過ちを冒した官僚主義的な歪曲があることを否定することはできない。
 しかし、原理または本質は健全なものだ。
 全く問題がない。-貴方たちが執拗に主張するなら、私〔トロツキストら〕は譲って、このシステムは、数億万人の犠牲のうえに、侵略のうえに、民族抑圧のうえに、際立つ不平等、搾取、文化的荒廃、政治的僭政体制のうえに築かれている、と認めよう。-
 しかし、貴方たちは、国家が工場を所有している!ことを否定することはできない。
 そして、共産主義諸国での国家所有工場は人類にとって無限の価値をもつので、この成果に直面するならば、他の全ての事情は些細で二次的なことだ。//
 (-05)第四。新左翼の間では全く共通の態度がある。それは、つぎのように表現することができる。
 全く問題がない。現存する社会主義諸国はガラクタであることに私〔新左翼〕は同意するが、我々はその諸国の歴史にも現実の条件にも関心がない。我々はもっと巧くやろうとしているからだ。
 どのようにして?
 ごく簡単だ。
 我々はまさに、地球的革命を起こして、疎外、人口過剰および交通渋滞を排除しなければならない。
 青写真の用意はある。我々が行うべき全ては、地球的革命を起こすことだ。//
 (-06)周りを見れば、これら4つの範疇のいずれかに入らない者はほとんどいないことを我々は知る。
 我々は、これらの態度はここにはなかった、ということを少なくとも達成した。
 これが意味するのは、我々は社会主義思想と社会主義諸国の現存する経験のいずれをも真摯に考察したということ、およびこの経験はこの思想の有効性と将来の見込みに関する討議にとってきわめて意味がある、ということだ。
 この事実それ自体が、「社会主義」という言葉がこの世に生まれた後のほとんど150年になっても、我々がなお最初に立ち戻らなければならないことを明らかにしている。
 しかしながら、これは落胆あるいは絶望の理由だ、と私は言おうはしない。
我々が人間の悲惨さをなくしてしまうのができないのは本当であっても、同時に、改善されるだろうと考える者が誰もいないとすれば、世界は現状よりももっと悪くなるだろうということも本当だろう。//
 (13)我々はいま、どこにいるのか?
 社会主義の観点からして社会に関する我々の思考に欠けているのは、我々が実体化されるのを見たいと欲する一般的諸価値ではない。そうではなく、実践に投入されればこれらの諸価値が相互に衝突し合うのを阻止する方法に関する知識であり、理想を達成するのを妨害している諸力に関するより十分な知識だ。
 我々は平等に<賛成>するが、経済の組織化は平等な賃金にもとづくことができないこと、いかなる制度的変化があっても急速には破壊されそうにない永続的メカニズムが文化的後進性にはあること、ある程度の不平等性は生来的要因でもって説明することができ、社会的過程へのその影響力についてはほとんど知られていないこと、等々を認識している。
 我々は経済民主主義に賛成するが、経済民主主義を有能な生産稼働と調和させる方法を知らない。
 我々は、官僚制に反対する多くの論拠をもち、生産手段に対する公的統制、換言すると官僚制の増大、を支持する同じく多くの論拠ももつ。
 我々は現代技術の破壊的影響を嘆くが、それに対する我々の知る唯一の防御策は、より進んだ技術だ。
 我々は小さな共同体の自律の増大を支持し、地球的規模での計画化の増大を支持する。-れら二つのスローガンには何の矛盾もないかのごとくに。
 我々は学校での学習の増大を支持し、生徒たちの自由の増加を支持する。-後者は実際には学習を少なくする。
 我々は技術の進歩と完全な安全とを支持する。-後者は動かないことだ。
 我々は人は自分の幸福追求について自由でなければならないと語りつつ、幸福についての誰にも適用できる絶対確実な規準を知っているふりをしている。
 我々は、誰もが民族的憎悪に反対する世界で民族的憎悪や民族的孤立主義に反対している。しかし、かつて人間の歴史には民族的憎悪に関するもっと多くのことがあった。
 我々は、人々は実体的存在だと考えられなければならないと主張する。しかし、人々は肉体をもつという考えほど衝撃を与えるものはない。これが意味するのは、人々は遺伝的に決定されており、生まれて死ぬ、若いまたは老いた、男または女だ、ということで、また、誰が生産手段を所有するかに関係なくこれら全ての要因が社会過程で一定の役割を果たすことができる、ということであり、さらに、いくつかの重要な社会的諸力は歴史的条件の産物ではなく、階級分化によるものでも決してない、ということだ。//
 (14)我々は数百年前には幸福だった。
 我々は、搾取者と被搾取者、富者と貧者がいることを知った。そして我々には、いかにして不公正を除去するかに関する完璧な思想がある。我々は所有者を搾取し、富を共通の善に変えるだろう。
 我々は所有者を搾取した、そして世界の歴史上で最も怪物的で抑圧的な社会システムの一つを創った。
 そして、我々は、全ては「原理的に」うまくいっていると繰り返して言い続ける。何らかの不運な事件だけが忍び込んできて、善なる思想を僅かに傷つける。
 さあ、再出発しよう。//
 (15)社会主義的用語で思考し続けるのは、愚かだろうか?
 私は、そうは考えない。
 正義、安全確保、教育の機会、あるいは福祉と貧者や無力者に対する国家の責任、これらをより大きくするために西側ヨーロッパでなされてきたことが何であれ、それらは、幼稚で幻想的なものであったとしても、社会主義イデオロギーの圧力と社会主義運動なくしては達成され得なかった。
 このことは、我々がこの幻想を多数の失敗の後でも無限に抱くことがあらかじめ保障されていて、許容されている、ということを意味していない。
 しかしながら、過去の経験は部分的には社会主義思想を支持し、部分的にはそれに反対している、ということを意味している。
 我々はたしかに、対立なき社会の秘訣または完璧さに向かう合鍵を有しているなどと、思い違いすることは許されない。
 予期され得なかった事件が起きなければ原理的には一緒に達成することのできた諸価値の系統的なセットを我々は持っているなどと、考えることもできない。人間の歴史のほとんどは予期し得ない偶発事件によって成り立っているのだから。
 我々は、伝統的な社会主義の諸価値のセット全体を信じつづけることはできないし、多数の些細な真実を憶えていないかぎりは、最小限の精神的な誠実さを保ちつづけることもできない。
 すなわち、これらの諸価値の中には、実行に移すならば相互に対立し合わないものは何もないのだ。
 我々が作動させた社会的変化の結末の全てを、我々が知ることは決してない。
 過去の歴史の堆積と永遠につづく人間という生物の特質の両者は、社会の計画化に制限を課した。
 そしてこの制限を、我々は曖昧にしか知っていない。
 多数の陳腐な真実が示唆して意味することに我々が強く抵抗するのは、何ら驚くべきことではない。
 こうしたことは、たんに人間の生活について自明のことはその不愉快さだという理由だけで、全ての知の領域で生じている。//
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 終わり。

1998/L・コワコフスキら編・社会主義思想(1974)④-討論①。

 
 Leszek Kolakowski & Stuart Hampshire, ed, The Socialist Idea - A Reappraisal.(Basic Books, Inc. Publishers, New York, printed in Great Britain, 1974).
 L・コワコフスキ=S. Hampshire 編・社会主義思想-再評価(New York、1974)。
 イギリス・レディングの会合での諸報告の記録である上の著には、報告(および副報告またはコメント)の後の「討論」の内容を記録してはいない。
 L・コワコフスキの「序文」が彼自身の文章として、「討論」内容の少なくとも一端を紹介しているので、参考になる。
 なお、当初に設定された論点・課題の一覧はこの紹介の項の①のとおりで、そうした設定の具体的内容や趣旨もL・コワコフスキは記している。その部分も訳出しておけば、意味の理解がより容易だってたかもしれない。
 <討論の内容をここで再現しはしない。しかし、討論で繰り返された主題のいくつかを指摘し、参加者で分かれた主要な論点に言及しておくことが有益かもしれない>と述べて、L・コワコフスキは「討論」を以下のように紹介する。試訳。段落番号は、最初からの通しではない。p.8~。
 討論①。
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 (1)予期されるだろうように、討論では継続して、社会主義の最も伝統的な諸価値の意味や有効性に立ち戻った議論が行われた。
 いくつかの場合には、参加者の相違と論議は、数十年間あるいは一世紀を超えてすら社会主義思想にはよく見られた様式に従うものだった。
 (2)社会主義という観念をどのように定義するかについて合意がなかったのみならず、その定義に向かう接近方法についてすら合意がなかつた。
 マルクス主義の伝統が、通常はこの議論の出発地点だった。
 しかしながら、つぎのことが指摘された。すなわち、マルクス主義自体が、いくつかの重要な諸点では、矛盾を除去したり内在的な首尾一貫性を完成させたりすることをしないで、異種の起源をもつものを結合しようとしたものだ、ということ。
 かくして、マルクス主義は、一方で啓蒙主義(Enlightenment)の遺産と一致して、至高の価値をもつ個人の自律と自由な発展を強調しつつ、他方では社会の完璧な統合へのロマン派的郷愁(romantic nostalgia)を継承した。
 この二つの傾向は(Taylor が述べたように)相互に対立し、社会主義社会はどのようなものであるべきかに関して、全く異なる二つの考え方の中に反映された。
 マルクス主義の理性主義および普遍主義の側は、個人の幸福、裕福、余暇、創造から成る社会主義の展望(vision)を生み出した。
 マルクス主義のロマン派の側は、有機的共同体へと回帰する必要性を強調した。そして、全体主義的な社会主義という夢想郷(utopia)を生み出す傾向にあっただろう-(Kolakowski が主張したように)完璧な統合という理想は全体主義的僭政体制以外のいかなる形態にも陥る傾向性はなかった、というのが本当のことならば。
 (Petrovic が強調した)もう一つの緊張関係は、マルクスの革命的人間中心主義と彼の経済的決定論の間にあったことが注目されるかもしれない。
 前者の観点からは、社会主義に向かう運動は、個人の精神的な発展と諸生活の物質的および制度的な条件の変化の間の相互依存的な永続的な過程だ、ということを意味包含(imply)する。
 これが意味するのは、社会主義への変容を制度の観点から定義することができない、ということだ。
 もう一つの後者の接近方法は、純粋に「客観的」な観点から歴史過程を叙述し、(Raddatz が指摘したように)個人の意識と個人的な価値がどのようにして制度の変容の影響を受けるか関して考察する余地を残さない。
 その結果としてこの接近方法によると、我々は、社会主義運動を、確かな制度上の企図を実行するよう定められた技術的な手段だと、かつ社会主義を、新しい社会を作り出す人間たちに何が生じるかとは関係なく、この企図を達成するための条件だと、と把握するすることになる。//
 (3)社会主義をたんに公的所有制と権力の観点からのみ定義するならば、社会主義のイデオロギー上の観念を無視することになる。-この点は、参加者たちの間で争いがなかった。
 また、社会的対立や不満の全てを除去する、普遍的な救済(salvation)のための青写真だと社会主義のことを考える者も、いなかった。
 しかしながら、このような一般的な一致はあっても、もっと特殊な諸論点の全てについて、論争を予め阻止することができたのではなかった。
 我々は社会主義を、社会関係の一定の望ましいセット(set)と定義すべきなのか、それとも(Hampshire が示唆するように)社会経済的な弱者の願望と要求に従って社会的諸問題を解決するための手段だと定義すべきなのか?
 討論では、この二つの傾向-つまり夢想的(utopian)と実際的(pragmatic)-はつねにお互いに衝突し合った。
 ある人々(Marek とPetrovic)は、我々は夢想郷(utopia)なしで、換言すれば人間の潜在的力の範囲内で描いた理想像(imaginary pictures)なしで、済ませることはできない、と何度も強調した。
 我々は達成され得る現実的目標よりも、一種の規整的観念(regulative idea)を必要とする、全ての実際的諸問題について従うべき一般的な方向を見出すのを助けてくれるものが必要だ、と。
 しかしながら、討論を支配したのは、より実際的な接近方法だったと思えた。
 19世紀の資本主義社会では達成の見込みがないように見えた多数の社会的要求が実際には満足されたがゆえに、社会制度についての過激な「二者択一的」見方(資本主義・社会主義)は説得力を失った(Walter Kendall の意見)。
 組織的な労働運動の圧力が証明したのは、労働者階級の分け前を改善するために現存する国家諸制度を利用するのに間違いなく成功した、ということだ。したがって、この圧力が有効であることには<先験的な>限界があるとする理由はない。
 他方で、現存する社会主義制度はそれ自体では、資本主義社会内部で解決できていない社会問題を解決する力はないことが、経験から判断して、分かった。
 社会主義制度は膨大な対価を払って、発展途上諸国での産業化の諸問題を解決した。そして、原始的蓄積の組織者としての役割を果たした。
 しかし、社会主義制度は、社会主義思想の伝統によれば社会組織の特殊に<社会主義的>な形態へと取りかかると想定された単一の任務を履行することができなかった。//
 (4)現存する社会主義社会は、マルクス主義の伝統が定義しているような生活の社会主義形態への乏しい準備的な歩みなのか、それとも資本主義発展の周縁にある諸国での急速な工業化の道具にすぎないのか。-これに対する回答は、社会主義世界をどう定義するかの標識に関する参加者の見方によって異なった。
 Harrington の見解は、こうだった。物質的な豊かさは社会主義発展の前提条件だ。我々が必要な作業の減少や余暇の増大で進歩を測らなければならないことは、社会主義革命はまだ起きていないとの明確な結論を導く。遠く離れてすら社会主義の名に値する社会は生み出されていない。社会主義発展はその原理上、発展途上社会では、とくに第三世界では、想定し難い。
 この見解は、満場一致で支持されたわけではなかった。
 他方には、現存する社会主義制度はいかに非効率で重苦しいものであっても、階級社会を超える決定的な歩みだと考えられなければならない、社会対立の根源の全てを破壊することはできていないけれども、階級分化から帰結するその一つを破壊することには成功したのだから、というむしろ孤立した見解があった(Nuti)。
 この問題は自動的に、別の問題へとつながっていった。
 ソヴィエト型社会は新しい階級分化を生み出したというのは、どの程度に本当のことなのか?
 もう一つの共有されたのではない見方は、社会主義制度の欠陥は支配する官僚機構の無能さによって説明することができ、官僚機構と社会の間の階級対立によるのではない、というものだった(Nuti)。
 参加者の多数(Hirszowicz、Walter Kendall、Kolakowski、Sirk)は、ソヴィエト型社会で装置化された特権のシステムは利益の新しい衝突を生み出した、いくつかの点で異なってはいるが基本的には階級分化と類似のものだ、と主張した(責任の所在なき権力、支配的グループによる生産手段の排他的統御、技術的および経済的進歩への趨勢と政治的官僚制の独占的地位の間の永続的な対立)。
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 ②につづく。

1930/L・コワコフスキ著第三巻第四章第10節①。

 レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)・マルクス主義の主要潮流(原書1976年、英訳書1978年)の第三巻・崩壊。試訳のつづき。
 第4章・第二次大戦後のマルクス=レーニン主義の結晶化。
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 第10節・スターリン晩年時代のソヴィエト文化の一般的特質①。
(1)この時代のソヴィエトの文化生活の独自性は、たんにスターリンに特有の独特な個性によるのではなかった。
 その独自性は一口で言うと、国家・国民の文化は成り上がり者(parvenu、成金者)のそれだった、と要約できるかもしれない。-全ての独自性はほとんど完璧に、初めて権力を享有した者の心性、信条、および好みを表現している。
 スターリン自身が、この独自性を高い程度に例証していた。しかし、統治機構の全体にも特徴的なもので、その成り上がり者性は、スターリンがそれを一方では隷属状態へと変えながらも、スターリンを助け続け、彼の至高の権威を維持し続けた。//
 (2)ボルシェヴィキの古い守り手たちや従前の知識人たちが連続して粛清され、絶滅したあと、ソヴィエトの支配階級は主として、労働者と農民の出自をもつ個人で構成された。彼らは乏しい教育しか受けておらず、文化的背景をもたず、特権を渇望し、純粋な「世襲の」知識人たちに対する憎悪と嫉妬を溢れるほどもっていた。
 成金者の本質的特性は「見せびらかす」ことへの絶え間なき切望感だ。したがって、彼らの文化は見せかけ(make-believe)であり、粉飾(window-dressing)だ。
 彼らは、従前の特権階層の知的な文化の代表的なものを自分の周囲に見ているかぎりは、心の平穏を持たない。それから遮断されていたがゆえに、彼らはそれを憎悪し、ブルジョア的または貴族的だとして貶す。
 成金者は狂信的な民族主義者で、その母国や環境は他の全てより優れているという考え方に飛びつく。
 自分たちの言語は、彼らによれば、(他の言語を通常は知らないが)<とくに優れた>言葉で、自分の微少な文化的資源でも世界で最も洗練されたものだと自分や他者の誰をも納得させようとする。
 彼らは、<アヴァン・ギャルド的(avant-garde)>な文化的実験の雰囲気があるものや、創造的な新奇さをひどく嫌悪する。
 限定された傾向の「一般常識」的格言でもって生活し、その格言類について誰かが説明を求めてきたときには、怒り狂う。//
 (3)成金者の心性のこうした特質は、スターリニスト文化の基本的なところにも感知することができる。すなわち、民族主義、「社会主義リアリズム」という美学、そして権力システムそれ自体にすら。
 彼らは、権威に対する農民に似た卑屈さを、権威を分有しようという大きな欲求と結びつける。ある程度まで階層が上がってしまうと、上位者にはひれ伏しつつ下位の者たちは踏みつけるだろう。
 スターリンは成金者たるロシアの偶像であり、栄光の夢の具現者だった。
 成金国家には権力の階層と、従属者をむち打ってもなお崇拝される指導者が存在しなければならない。//
 (4)既述のように、戦前に徐々に増大していたスターリニズムの文化的民族主義は、戦勝後には巨大な形をとった。
 1949年、プレスは「コスモポリタニズム」、明確には定義されていないが反愛国主義を明らかに含んで西側を称賛する悪徳、に対抗する宣伝運動を開始した。
 この運動が展開するにつれて、コスモポリタン〔世界主義者〕はユダヤ人と全く同一だということがますます理解されてきた。
 個々人が嘲笑されたり、ユダヤ的に響く従前の名前を持っていたときには、こうしたことが一般には言及されていた。
 「ソヴィエト愛国主義」はロシア排外主義と区別がつかないもので、公的な熱狂症(mania)になった。
 宣伝活動によって、全ての重要な技術的考案や発明がロシア人によってなされた、ということが絶え間なく語られ、この文脈で外国人に言及することはコスモポリタニズムおよび西側に屈服する罪悪だとされた。
 <大ソヴェト百科辞典>は、1949年末からそれ以降に出版された。これは、半分は滑稽で、半分は気味の悪い巨大熱狂症患者の、比類なき例だ。
 例えば、歴史部門の「自動車」の項は、こう書き始める。「1751-52年に、Nizhny Novgorod 地方の農民であるLeonty Shamshugenov(q.v.)が二人で動かす自己推進の車を作った」。
 「ブルジョア」文化、つまり西側文化は、腐敗と頽廃の温床だとして継続的に攻撃される。
 例えば以下は、ベルクソン(Bergson)に関する記述内容から抽出したものだ。〔以下のBは原文どおりで「ベルクソン」の意味〕//
 「フランスのブルジョア哲学者。-観念論者、政治と哲学について反動的。
 Bの直観主義(intuitionism)は理性と科学の役割を軽視し、社会に関する神秘主義理論は帝国主義者の哲学の土台として寄与している。
 彼の見方は帝国主義時代でのブルジョア・イデオロギーの退廃、階級矛盾の増大に直面したブルジョアジーの攻撃性の成長、プロレタリアートの階級闘争の深化に対する恐怖、…<中略>を鮮やかに示している。
 資本主義の初期の全般的危機とその全ての矛盾の激化の時期に、唯物論、無神論、科学的知識の狂気じみた敵、民主主義の敵および階級的抑圧からの被搾取大衆の解放の敵として、その哲学をえせ科学的切り屑で偽装して…<中略>、Bは出現した。
 Bは、観念論を『新しく』正当化するものとして、『内的映像』による認識について生活、実践と科学によって以前にとっくに反証されている…<中略>、古代の神秘主義者、中世の神学者の見方を、提示しようとした。
 弁証法的唯物論は、直観という観念論的理論を、世界と現実に関する知識は何らかのきわめて感覚的な方法によってではなく人間性に関する社会歴史的な実践を通じて生まれる、という論駁し難い事実でもって拒否する。
 Bの直観主義は、不可避的に迫り来る資本主義の崩壊を前にした帝国主義的ブルジョアジーの恐怖と、現実に関する科学的な知識、とくにマルクス=レーニン主義の科学が発見した社会発展の法則が抗し難く意味するもの…<中略>から逃亡しようとする切実さを、表現している。
 Bは、民族の至高性の敵として、ブルジョア的コスモポリタニズム、世界資本主義の支配、ブルジョア的宗教と道徳を擁護した。
 Bは、残虐なブルジョアの独裁や、労働者を抑圧するテロリストの手段に賛同した。
 第一と第二の大戦の間に、この戦闘的な反啓蒙主義者は、帝国主義的戦争は『必要』でありかつ『有益』だと主張した…<以下略>。」//
 (5)もう一つ、以下は、「印象主義(Impressionism)」に関する記述内容だ。〔以下のIは原文どおりで「印象主義」のこと〕
 「19世紀の後半のブルジョア芸術における退廃的傾向。
 Iは、ブルジョア芸術の初期段階の退廃の結果で(<デカダンス>を見よ)、進歩的な民族的諸伝統と断絶したものである。
 Iの支持者は、『芸術のための芸術』という空虚で反民衆的な基本綱領を擁護し、客観的現実の真実に合った現実的な描写を拒否し、芸術家は自分の主観的な印象によってのみ記録しなければならないと主張した…<略>。
 Iの主観的観念論的見方は、哲学における現在の反動的趨勢の基本原理と関係がある。-新カント主義、マッハ主義(q.v.)等。これらは現実と感覚を、印象と理性を分離させた…<略>。
 人類、社会現象および芸術の社会的機能には無関心のままで、客観的な真実の諸規準を拒否することによって、Iの支持者は、現実の実像を崩壊させ、芸術の形態を喪失している…<中略>、そのような作品を不可避的に生み出した。」
 (6)ソヴィエト同盟の世界の文化からの孤立は、ほとんど完璧だ。
 西側の共産主義者の若干のプロパガンダ的作業は別として、ソヴィエトの読者たちは、小説、詩作、戯曲、映画、そして言うまでもなく哲学や社会科学の形態で西側が生み出しているものに関して、全く無知の状態に置かれたままだった。
 レニングラードのエルミタージュ(Hermitage)にある20世紀絵画の豊かな貯蔵作品は、正直な市民を腐敗させないように、地下室に置かれたままだった。
 ソヴィエトの映画や戯曲は、戦争と帝国主義に奉仕するブルジョア学者たちの仮面を剥ぎ取り、ソヴィエトの生活の無類の愉楽さを称賛した。
 「社会主義リアリズム」が至高のものとして支配した。もちろん、ソヴィエトの現実をその現実のままに提示する-これは生硬な自然主義かつ一種の形式主義になっただろう-という意味でではなく、自分たちの国とスターリンを愛するようにソヴィエト人民を教育するという意味でだが。
 この時期の「社会主義リアリズム」の建築物は、スターリン主義イデオロギーの最も権威ある記念碑だ。
 ここでもまた、支配的原理は「形式に対する内容の優越性」だった。但し、この二つが建築物についてどう区別されるのか、誰も説明することができなかったけれども。
 その影響は、いかなる場合でも、誇張されたビザンティン様式の尊大な正面〔ファサード〕を造ることだった。
 住宅がほとんど建設されておらず、大中の市や町の数百万の民衆が汚い中で群がって生活しているときに、モスクワや他の都市を装飾したのは、虚偽の円柱と上辺だけの飾りに満ちた、かつその大きさは「スターリン時代」の荘厳さに釣り合う、巨大な新しい宮殿だった。
 こうしたことはまた、建築分野での、典型的な成り上がり者様式だった。要約するならば、つぎのモットーになるだろう。すなわち、「大きいものは美しい」。//
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 ②へとつづく。
ギャラリー
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