秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

スターリン

0250/可哀想な日本共産党員のブログから二点。

 日本共産党員のブログや、コメントに対する応答を読んでいると、いちいちどのブログかを特定しないが、なかなか面白いものが含まれていることがある。若干の例を挙げて、コメントする。月日も特定しないが、比較的近日中のものだ。
 第一に、同党の実質的な初代「教祖」と言える宮本顕治の経歴、とくにスパイ・リンチ事件についての知識が不十分な日本共産党員がいる。例えば、某党員ブログはこう書く。
 「宮本顕治が逮捕されるきっかけになった事件についていってると思うんですが、宮本は「殺人」ではなく治安維持法違反で有罪になっているわけで、「殺人罪」では有罪になっていません。」(賢治→顕治に訂正しておいた)
 1933年12月のスパイ・リンチ死亡事件については、立花隆(日本共産党の研究)や当該「査問」の参加者の一人・袴田里見(昨日の同志宮本顕治へ)などの研究書や「実録」ものがある。
 日本共産党員として正しい知識と教養を身に付けるためには、そして、自己の立場に自信があるならば、同党関係文献や新聞・中総決定だけではなく、こうした本も広く読んだらいかがだろうか。
 上の本で確認しないまま書くが(それでも上の引用文よりは正確な筈だ)、宮本顕治はなるほど殺人罪で起訴され有罪判決を受けたわけではないが、治安維持法違反のみで起訴され有罪となったわけでもない。つまり、小畑某か大泉某が「査問」途中で逃亡しようとした際に拘束し実力を行使している間に死亡した件につき、過失致死か傷害致死(たぶん後者)という一般刑法犯を冒した者としても宮本は起訴され有罪判決を受けた。
 宮本顕治は治安維持法違反者としてのみ服役していたわけではない。一般刑法上の犯罪者でもあったのだ。この程度の知識も、一般の日本共産党員にはない、つまり、赤旗(新聞)等々によって誤魔化されている(正確な知識を与えられていない)ということに、改めて驚く。
 ちなみに、1.立花隆の本には、戦後すみやかに解放されえたのは「政治犯」のみで「一般刑法犯」は対象外だったが、法務省のミスで宮本顕治も<釈放>された旨書かれてあったと記憶する。
 2.ひょっとしてお知りにならない日本共産党員もいらっしゃるかもしれないので書いておくが、副委員長・袴田里見までをも除名しなければならなかったのは、まさに袴田里見が前衛(だったと思う)に連載してのちに本にしたものの一部がスパイ・リンチ事件を扱っていて、その内容が宮本顕治による殺人(柔道的首締め。未必の故意)と解釈されるおそれがあったことがきっかけだった。
 日本共産党は宮本顕治を守るため、戦前からの長い宮本の同志・当時副委員長だった袴田里見まで犠牲にしたのだ。
 第二に、某ブログ上のコメントとその反論に次のようなものがあった。一部のみ抜粋する。
 コメント-「スターリン、毛沢東、金日成、ホーチミン、ポルポトみんな一杯人殺してるよ。/共産主義者の殺人は綺麗で正義の殺人なのかな。
 反論-1.「長時間過密労働・過労死・過労自殺…資本主義の国・わが国日本でも資本が労働者を抑圧する行為がやられてますよね。
 2.「「社会主義」「共産主義」「共産党」の看板掲げているからといって、彼らのやってる事がすべて「社会主義」「共産主義」「共産党」というわけではありませんよ。わが国の政権党・自由民主党だって党名は「自由民主」でも、やってる事は大企業を応援し、庶民を増税で苦しめるなど「自由民主」とはほど遠いですからね。
 反論の1.はあまりにもひどい。「資本」の「労働者抑圧」の例である?「長時間過密労働・過労死・過労自殺によって、社会主義国(旧も含む)又は共産主義による自国民の大量殺戮が<相殺>されるわけがないではないか。前者に対応するのは、現・旧社会主義国における、労働環境・労働条件の悪さ等々による工場労働者等の死亡の多さだ。
 反論の2.についてはまず、些細なことだが、最後の文の、<大企業の応援や庶民を納税で苦しめる>のは「自由民主」に反する、との主張は全く論理的ではない。「自由」を実体的価値・「民主」を手続的価値とかりに理解するとしても、いやこのように理解しなくとも、上のことが「自由・民主」と矛盾するわけでは全くない。自由主義と民主主義の範囲内で上のような政策も十分に成り立つ(もっとも上のような簡単・単純な政策の叙述自体に同意しているわけではない)。
 「自由・民主」の意味について、(日本共産党も何か関係する宣言を出している筈だが、自党の理解も含めて)もう少し考えていただいた方がよい。
 上に引用しなかったが、イギリス労働党と北朝鮮労働党を「労働党」という名前だけで同類視しない筈との名?文章があった。だが、コメント者が問題にしているのは、いくつかの人名で代表される、マルクス主義又はマルクス・レーニン主義(=日本共産党における「科学的社会主義」)を採用し、社会主義社会・共産主義社会への展望を綱領で(どんなに短い文章でも)示している政党、という意味だろう。
 従って、「「社会主義」「共産主義」「共産党」の看板掲げているからといって、彼らのやってる事がすべて「社会主義」「共産主義」「共産党」というわけではありませんよ」という答え方では答え・反論になっていない。
 むしろ、「すべて…というわけではありません」という表現は、<一部>は<真の>
「社会主義」「共産主義」「共産党」である可能性又は余地を認めるもので、100%の反論に全くなっていない。
 私が日本共産党員としての正答を教えてあげる義理は全くないのだが、同党の立場にかりに立てば、こう言うべきだろう。
 「スターリン、毛沢東、金日成、ホーチミン、ポルポト
」、この人たち(又はこの人たちが指導した国家)は真の「社会主義」者(「社会主義」国家)ではなく、この人たちが指導した共産党は誤った「共産党」だった。従って、正しい路線を歩んでいる日本共産党と同一視するな。
 こう書いておいて、ベトナムのホーチミンについては自信がないことに気づいたが、この人以外については、<日本共産党の主張をよく勉強している>党員ならば、上のように答えるだろう。ソ連について、レーニンまでは正しく、スターリンから誤った、大量虐殺の責任も主として又は大部分はレーニンではなくスターリンにある、と主張しているのが日本共産党だからだ。
 むろん、私はさらに、上の「正答」に反論することもできる。誤っていたスターリンの指導を受け、それを支持していた日本の政党こそが、戦前およびスターリン死亡までの戦後の日本共産党ではなかったのか、ということはすでに書いた。
 他にも、もともとレーニン→マルクスと遡る源流そのものに<血生臭さ>は胚胎していたのであり、表面的には今のところ<平和的>・<紳士的>でも、日本共産党も本質的にはマルクス・レーニン主義のDNAは引き継いでいる筈ではないのか、との疑問を出しておくことも可能だろう。
 思わぬ長文になったが、最後にいくつか。
 とくに上の後者の回答者党員の知的レベルの低さは何とかしないと、ブログ上で、日本共産党は(ますます)恥を掻くことになるのではないか。
 また、同回答者の他の文章にもかなり目を通してみたが、要するに、日々の赤旗(新聞)や選挙パンフに書かれてあることをなぞっているにすぎない。語彙・概念に独自なものはなく、すべて共産党用語だ。歴史や基礎理論の勉強の足りない党員が、赤旗や選挙パンフの文章を多少は順序を変えて反復しているに過ぎない。
 ついでに。いつぞや共産主義(→日本共産党)は「宗教的」ではなく「宗教」そのもの、と書いたことがあった。党員の精神衛生のためには、日々、教典にもとづく教祖の具体的教えが書かれた文章を読み、「正しい」ものとして学習し、それに基づいて、場合によっては信者を増やすべく布教をする必要があるのだろう。
 日本共産党のようなとくにイデオロギー性の強い政党については、入党というのは教祖又は宗教への全面帰依を意味する。入党するということは<思想・信条の自由>・<信仰の自由>を丸ごと放棄することと同義だ。
 そのようにして「自由」を喪失した者は、自分の言葉・概念・論理で語る能力もまた(ごく一部の幹部候補生以外は)失っていく。そのような人たちが、ネット上でもけっこう多数うごめいていることを知ると、本当に可哀想だ、気の毒だ、と私は心から感じざるをえない。
 日本共産党に未来はないのに…。

0209/烏賀陽弘道・「朝日」ともあろうものが(徳間、2005)の「まえがき」。

 烏賀陽(ウガヤ)弘道・「朝日」ともあろうものが。(徳間書店、2005.10)という本がある。その中身というよりも<まえがき>の中にいい文があった。
 「故郷も、親も、完全に愛することも、完全に憎むこともできない。それは、切り捨てることのできない「自分の一部」になってしまうのだ」。
 そのとおりと感じる内容で、声に出して呟くと涙も滲みかける。故郷といえば、某市・某地方であり、そして日本だ。また、両親の「血」を引く私にとって、両親や祖父母は「自分の一部」なのだ。
 朝日新聞の昨年10/06付社説の一部はこうだった―「時代の制約から離れて、民主主義や人権という今の価値を踏まえるからこそ、歴史上の恐怖や抑圧の悲劇から教訓を学べるのである。ナチズムやスターリニズムの非人間性を語るのと同じ視線で、日本の植民地支配や侵略のおぞましい側面を見つめることもできる」。
 <植民地支配や侵略>の存否自体について議論はありうるのだがそれは別としても、この社説はそれらの「おぞましい側面」を「ナチズムやスターリニズムの非人間性を語るのと同じ視線で冷静・冷徹に見つめよと主張している。
 <良心的>又は<正義>面を装っているのだろうが、その<おぞましさ>とは過去の日本のものであり、先輩である同胞日本人の行為のことだ。
 上の烏賀陽の文と違いここには、「故郷も、親も…完全に憎むこともできない」という感情はない。過去の日本と先輩同胞への「愛惜の念」は全くない。それが朝日新聞だ。国籍不明と評されて当然の新聞、朝日新聞。

0206/雑誌・幻想と批評(はる書房)は共産主義との闘いを目指す。

 雑誌・幻想と批評(はる書房)の1号~4号(2004~2006)を所持している。この雑誌は、<共産主義にとどめをさすことを目的とする>雑誌だ。
 1号の黒坂真「共産主義国の戦争政策とマルクス主義経済学」は、明確に日本共産党の、レーニンに誤りはなくスターリンになってソ連は「社会主義(をめざす)国」でなくなったとの日本共産党の「理論」・「宣伝」を否定している。
 上の点が論文の主題ではないが、1919年のロシア(ソ連)共産党綱領は61年まで続いており、スターリンの権力継承によって変えられていない。レーニンはポーランド侵攻(戦争)や富農等の粛清を命令している。要するに「スターリンはレーニンの正当な継承者」で「スターリンがレーニンの理論・思想に依拠して大虐殺を断行した」、という(p.159)。
 同誌上の兵本達吉報告も、ソ連崩壊は特定個人の誤りによるのではなくマルクスに遡る「システムの失敗」だとの学者の論や、「ロシアの悲劇の最大の責任者はレーニンです」とのロシア人のNGOの言葉を紹介している(p.123-、p.137)。現在の日本共産党のソ連に関する主張は「願望」又は「言い逃れ」だろう。
 上の黒坂論文は日本共産党員たる経済学者の今の動向にも触れていて興味深い。
 かつての社会主義国の悲惨な経済・凄惨な歴史をまともに研究せず、かといって日本の国家や革命を正面から論じることもなく、資本主義経済の内在的問題を指摘して「維持可能な内発的発展」等を喧伝し、「地方分権」・「まちづくり」、「民主主義」・「人権」を唱えている、という。そして、「党員であることから得られる人脈」を維持し、雑誌・前衛や経済に起用してもらうために「言論の自由」(学問の自由)を自ら放棄している、とまで指摘している。
 同様のことは経済学者に限らず、(とくに欧州・ロシア圏に関する日本の)歴史学者(や欧米思想に影響を受けた、とくにマルクス主義に親近的な法学者)についても言えるのでないか。
 1号の創刊の辞によると、ソ連共産党により殺害された者6200万(1997、モスクワ放送)、KGBによる銃殺死者は本部のみで350万、地方支部も含めて500万(推定)、全世界の共産主義による被殺害者8000万-1億(1998、パリでの「共産主義フォーラム」)とされている(()は典拠)。また、「多くは「裁判も抜きで」「その場で」「見せしめのために銃殺」(レーニン)され」たが、これらの人びとの「九九・九九%が、無実の罪であった」という(1998.01.19元KGBシェバルシン議長代行次官が読売新聞記者に言明)。
 スターリンがすでに実権を握っていた頃にコミンテルン(国際共産党)日本支部として日本共産党が結成され、スターリンのもとで三二年テーゼも作成され、日本支部(日本共産党)に伝えられた。
 こうして生まれた、外国産の思想・マルクス主義(「科学的社会主義」)の政党・日本共産党のどこに<未来>があるのか。日本共産党とその追随者に未来はない。
 
20歳代~30歳代の若い人たちよ、日本共産党に近づくな、日本共産党に入党するな。すでに入党している人は、すみやかに離党を。まだ間に合う。虚偽と腐臭に充ちた「思想」と政党に、せっかくの、一度だけの人生を賭ける意味は全くない。お願いだから、せっかくの貴重な人生を無駄にするな、と心から訴えたい。

0195/有田芳生(構成)・短い20世紀の総括(1992)。

 外から見ていると、日本共産党の「奇妙さ」は、袴田里見・野坂参三という戦前から少なくとも1970年代までの最高幹部を簡単に除名したことでも十分に感得できる(宮本顕治の実質的な「独裁」。その前に除名された者に春日庄一や志賀某がいたが私には現実的記憶がない)。
 また、 チャウシェスク時代の在ルーマニア赤旗特派員某氏や北朝鮮元特派員萩原遼、拉致問題に取り組んだ兵本達吉らを党から切らざるを得なくなったことでも解る。
 有田芳生構成・短い20世紀の総括(1992.02、教育史料出版会)を座談会部分を残して読んでいるが、田口富久治、山川暁夫、加藤哲郎、稲子恒夫の各氏とも<スターリン時代になってからソ連は社会主義(を目指す)国でなくなった >なんてことは書いていない。むしろ「現存(していた)社会主義国」という語があるようだ。
 田口は言う(p.13)-「政治的・組織的思惑や防衛心理に由来する自己欺瞞や知的怯懦は、いっさい捨てなければならない」。ソ連等崩壊後の日本共産党の言動、すなわち<ソ連は社会主義国ではなかった>などと言うのは「自己欺瞞や知的怯懦」そのものではないのか。
 ところで、この本への執筆者は、日本共産党員でありつつ、党中央には批判的な学者たちであった可能性がある。少なくとも、田口富久治、加藤哲郎両氏はそのようだ(のちに除名又は除籍の可能性がある)。
 そしてこのような本を企画して「構成」した有田芳生自身も日本共産党から「睨まれた」可能性が高い。有田芳生の日本共産党<除籍>の原因となった本の一つかもしれない、という多少の興味も惹く本だ(但し、新日本出版社刊ではないので、除籍後の仕事かもしれない)。
  なお、かつて京都から有田某との共産党国会議員が出ていて有田芳生がその子息だとは知っていたが、芳生という名がヨシフ・・…・スターリンというスターリンの個人名に由来するとは!(p.210)
 有田芳生は現在は日本共産党とは一定の距離を保っているようだが「人間の自由や平等を求める社会主義の理念が、いまでも人類思想の大きな遺産であることを否定できるものはいないだろう」と述べるようでは、「社会主義の理念」の意味によるにせよ、まだ甘い。
 だが、マルクス主義を支持しいずれ日本も社会主義国になると考え発言していたはずの知識人・大学人等が1989-91年以降どのように「自己切開」・「自己省察」しているのかと厳しく問うているのは共感できる(p.199-)。とりわけ日本共産党員たる知識人・大学人には、有田とともに問い糾したいものだ。

0193/日本に思想のゆえに殺してよいとの思想はあったか。

 「反革命」と認定した者をかりに実力抵抗がなくとも殺戮して当然とする考え方、要するに革命の「敵」はその思想のゆえに殺しても構わないという考え方はフランス革命期にあったと見てよく、論議はなおありうるのだろうが、ロシア革命にも継承された。
 レーニンらは、フランス革命以降19世紀の欧州の歴史をよく知っていたに違いない。フランスの革命家たちがルイ16世や王妃マリー・アントワネット等の一族を断頭台で処刑死させたように、レーニン・ロシア共産党はロマノフ朝を終焉せしめ、ニコライ2世の一族全員を殺戮した。
 かかる共産党の「思想」はその後も引き継がれた。そうでないと、スターリンの粛清等、毛沢東・文化大革命による大量殺戮、金日成・金正日の粛清・思想犯の収容所送致等を説明できない。金日成は南朝鮮系・中国系等の有力な共産党員を粛清して独裁に至った。
 フランスのことを考え、思いは社会主義国に巡り、そして日本に帰ってくる。日本に体制側・権力側の敵はその思想のゆえに殺しても構わないという考え方はあったのだろうか。あったとして、どの程度現実に実施されたのだろうか。
 日本史の詳細に立ち入る知識も余裕もないが、特定の宗教のゆえに実力で弾圧された例はあるようだ(一向一揆、石山寺、島原の乱)。だが、これらは純粋に宗教のみが理由だったかは疑問だし実力による抵抗を示したから殺戮を含む弾圧を招いたとも言えるだろう。
 素人の歴史談義を続ければ、徳川家康は秀吉の血を絶やしたかっただろうが、淀君らが家康に恭順の意を示していれば、大阪の陣による秀頼・淀君の死はなかったのではないか。
 最大の問題は明治維新とその前後の時期だが、「思想」のゆえに殺された者たちはいたようだ。新選組は一方の「思想」の側の殺人部隊だった。しかし、その数はフランス革命期ほどに大量でなかった筈だし、暴力の行使に対抗する暴力の場合もあったはずだ。
 何よりも、旧体制の頭領・徳川慶喜は新体制側に恭順の意を示したために殺されず生命を全うした。旧幕側の勝海舟もそうだった。函館まで行き武装抵抗した榎本武揚も、投獄されたのちには新政府の要職まで務めた。
 日本共産党結成後の大正末に死刑付きの治安維持法ができたのは、ロシア革命成功によるロマノフ王朝一族等殺害の現実を目のあたりにした当時の日本の体制側の深刻な恐怖感によるものだっただろうが、この法律によって実際に死刑にされた者はいない
 断片的かつ粗雑な思考で結論づけるつもりはないが、わが国には「敵」はその思想のゆえに抵抗がなくとも殺しても構わないという考え方はなかったか弱かったのではないか。それは日本人の生命観であり「やさしさ」でもあって「敵との闘争」がより頻繁で深刻だった欧州諸民族と比べて、誇ってもよいのではないか。

0172/日露戦争とレーニンとスターリン-林達夫の一文。

 歴史のイフに言及した5/6の17時台のエントリーの中で「最後に、…日露戦争の勝利は、ロシア帝国の弱体化を早め、ロシア革命=社会主義国ロシア→ソ連の成立に寄与したのではないか。/日露戦争にロシアが勝利していてもロシア革命は起こった可能性は無論あるが、その時機を少しは早めたのではないだろうか。日露戦争は祖国防衛戦争だったと司馬と同じように私は理解しているが、それがレーニンらを客観的には助けたのだとかりにすると、身体がむず痒い感触も伴う。」と書いた。
 この問題に関係することが、林達夫・共産主義的人間(中公クラシックス、2005)の中の「『旅順陥落』-わが読書の思い出」に出てくる。  「旅順陥落」とはあのレーニンが日露戦争について書いた本だが、少し理解し難いものの、要するにレーニンは、日露戦争の日本の勝利を、「日本ブルジョワジー」の勝利ではあるが歴史に「進歩主義的」な役割を果たしたとして肯定的に評価しているらしい。レーニンは書いた。-「恥ずべき敗北を喫したのは、ロシア人民ではなくして、この専制主義である。旅順の降伏はツァーリズムのそれの序曲に外ならぬ」(p.333。  こう指摘され、ロシア革命を少なくとも早めたのだとすると「身体がむず痒い感触も伴う」。  ところが、二次大戦後に林達夫が読んだ雑誌の中に、ソ連の対日参戦後にスターリンが将兵に発したメッセージ全文が載っていて、それは<満州に進出したソ連赤軍将兵はかつてその父兄が受けた屈辱を雪いで仇をとった>という旨の「祝福」の文章だった、という。
 時代が異なるとはいえ、日露戦争の評価がレーニンとスターリンで正反対だ。
 林達夫は、スターリンの言葉を本心からのものと思うのは「阿呆」で、「清濁併せ呑む共産主義者の政治的逞しさ」か「同じく清濁併せ呑むソヴェート人民の政治的痴鈍」のいずれかだとし、どちらかというと、「マルクス・レーニン主義的啓蒙によってもなかなか犯し難い」ロシア庶民の気風を背景にした後者だろうという判断を示している。
 言ってみれば、スターリンは、当面の闘いの意義を見つけ、勝利するためには日露戦争敗北という屈辱の「仇」をとる、というマルクス・レーニン主義とは無関係な(と思われる)心情に訴える必要があった、ということになるのだろう。
 とすると、こちらのスターリンの方の理解もあまり楽しいものではない。
 ところで、林のこの小文は某雑誌1950年7月号に掲載され、のちに書名にもなった「共産主義的人間」は某雑誌1951年4月号に掲載されている。
 日本共産党が分裂し半分は地下に潜っていた頃だが、まだまだ<理論的>には共産主義又はマルクス・レーニン主義の影響力は強く残り、維持されていたように思われる。そんな時代の中では、とくに上の後者は、「共産主義的人間」を冷静に見てきちんと批判的に分析している。林達夫の本は、現在よりも後世にもっと読まれるようになるのではないか(現在はまだ、客観的にはマルクス主義の影響を受けた者の数が多すぎると思う)。

0057/ロシア革命から90年-選挙結果報道の中の好記事。

 日本の幕末・明治維新期のような「面白さ」がありはしないかと、一度きちんとロシア革命史を勉強してみたいと思っているが、まだできておらず、「血なまぐい」だけで、過程をフォローしておく意味は少ないかもしれない。
 それにしても、ロシア革命のうち二月革命からは完全に90年が過ぎた。90年前のロシアでは4月にレーニンが帰国してきてケレンスキーとの闘いがあり11月の「ボルシェビキ革命」へと進んでいく激動の時期だったわけだ。なお、1908年にニコライ二世一族は全員銃殺された。
 このロシア革命は結果として何だったのか? 人類が後年もじっくりと考察すべきテーマだろう。人類最大の「失敗」の一つではないか。
 ソ連時代には大多数が二月革命を支持していたというが(そりゃそうだろう)、今年二月のモスクワでの世論調査では、革命支持6%、帝政支持-つまり帝政のままの方がよかった-が29%だった、という。このように自国の歴史を回顧しなければならないとは、現在のロシア国民は、とくに若い世代は、可哀想に思わなくもない。
 帝政-ソ連時代の共通性は「権威」による支配で、「自由と民主主義」がはたしてどの程度新ロシアに根付いているのだろう。政権側がプーティンの「疑似皇帝」化をもくろんでいる、というのも、ありうる話だ。
 またもや、それにしても、と続けるが、1990年以前のソ連はなくなり、ベラルーシ、ウクナイナ(ユークレイン)、カザフスタン等々が独立国になったという大きな変化があったことを、あらためて噛みしめる。私が小学校・中学校時代に習った世界とはまるで違うのだ。
 黒海の東岸に接するグルジアはソ連の一部だったが、ここも一独立国となった。グルジアといえば、あのスターリン(1879-1953)の出身地だ。両親はロシア語を話さなかったというし、彼はロシア人ではなくグルジア人で、ソ連共産党の実質的トップになった。そのグルジアが今やNATO加盟を希望しているという報道が先日あった。
 世が世なら、グルジアのどこか(スターリンの生誕地、生育場所?)は「革命の聖地」だったかもしれない。隔世の感がある。そして再び感じる。ロシア「社会主義」革命は、人類にとって、いったい何だったのか?

0034/ソ連崩壊等の冷戦終結は資本主義国側にも「重要な原因」があるとの驚愕の現代政治学教科書。

 1991年のソ連崩壊・東欧諸国「自由化」によって冷戦の終結が言われるなど、ソ連・欧州社会主義国の解体は歴史的に極めて大きな意味を持ったはずだが、日本の「知識人」たちにはどれほどの、又はどのような影響を与えたのだろう。
 竹内靖雄・正義と嫉妬の経済学(講談社、1992)p.333以下は、それまで社会主義(又は共産主義)を信奉していた「知識人」たちの対応(「段階的退却」の戦術)には、次の5つがあった(ある)、という。
 1.レーニンまでは正しかった、スターリンから間違った(社会主義自体の敗北ではない)。2.レーニンも間違っていてソ連型社会主義は真の社会主義ではなかった。だが、マルクスは依然として正しく、社会主義にはまだ未来がある(社会主義自体の敗北ではない)。3.そもそもマルクスから間違っていて、社会主義の実験は人類に大きな厄災をもたらした。4.マルクスの社会主義は間違っていたが、西欧・北欧の「民主的社会主義」は正しく、資本主義に代わりうる未来がある。5.いかなる名であっても自由より平等優先の社会主義は誤りだ。
 私は社会主義信奉者ではなかったが、これらのうち、上の3および5の理解だ。4のいう「民主的社会主義」は意味が判らない。フランス社会党、ドイツ社民党、イギリス労働党の理念を「社会民主主義」というとすれば、それは資本主義の枠内のものであって、社会主義の一種とは言えないからだ。
 ところで、日本の政治学者の中には、少なくとも欧州での冷戦終結の意味について、上のいずれの対応をも明示的には採らない、又は上のいずれの理解も明示はせず、実質的には1.又は2.を(おそらくは1.を)前提とし、かつ資本主義国側にも問題・原因があったと考えている人たちがいるようで、驚愕した。次に書くとおりだ。
 105円で買った加茂利男=大西仁=石田徹=伊藤恭彦・現代政治学(有斐閣、1998)という本がある。教養・基礎・専門・高度のうち2番目の「基礎」にあたる現代政治学の大学用教科書のようだ。これの「冷戦終結」の項は次のように書く(執筆は大西仁氏。同書によると、東京大学卒、東北大学法学部教授)。
 ―冷戦終結の原因はソ連・東欧諸国の「社会主義体制が、国民の経済的要求や政治的自由化を求める要求」に対応できなかったのが「大きい」が、次の「冷戦体制の限界」の「露呈」も「重要な原因」だった。
 1.核戦争の危険から東西対立解消の世論が強まり、東西間の諸交流も拡大した、
 2.米ソの支配体制への不満が高まり両国が抑制できなくなった、
 3.冷戦維持目的の軍事費が経済・技術発展阻害との各国民の不満が高まった(とくに東欧では各種統制への不満が劇的に高まった)(p.199)。
 所謂「冷戦集結」は、私の理解によれば、ソ連共産党が機能不全・国家制御不能の状態になったことにより(日本共産党のために全社会主義国とは言っておかないが)ソ連・東欧諸国が「共産党」一党支配体制から解放され、基本的には日欧米の如き複数政党制・「自由主義」又は「資本主義」体制へと移行を始めたことを意味する。社会主義対資本主義という前世紀の基本的な対立構図で言えば、少なくとも(と日本共産党のために限定をつけておくが)ソ連・東欧諸国において社会主義が敗北したことを紛れもなく意味する。知識人を含む全世界の9割の人々はこれを肯定するのでないか。
 しかるに上の本の書きぶりは何だろう。米国等の所謂西側にも問題があった旨の三点が冷戦集結の「重要な原因」として挙げられている。学者様には独特の見方があるのかもしれないが、これは客観的な認識ではなく、政治的主張だ。
 ソ連の数カ国への分裂、東独の西独による吸収、チェコとスロバキアの分離、これら東欧諸国の多数のEUやNATOへの加盟等は「社会主義の敗北」としてのみ理解できる。そして、喧嘩両成敗的に、西側の国民にも不満が高まった等を敢えて「重要な原因」とするのは、特定のイデオロギーによっているとしか思えない。
 ここでイデオロギーとは、マルクスのいう「空論」・「虚偽意識」という意味でよい(p.142参照)。そして日本でかかる特定のイデオロギーをなお持っている組織・団体の代表は日本共産党だ。上のような説明は、かなり同党の説明に近いし、社会主義一般が敗北したわけではない、資本主義・社会主義ともに危機にあった、との同党の見解にも沿うものだ。
 念のために追記しておくが、この本は冷戦集結につき「社会主義体制」の原因も「大きい」とは一応書くが僅か三行で、東西両陣営に共通する「冷戦体制の限界」が「重要な要因」とする叙述は三段落18行に及ぶ。その後にはこうある-「西側が東側に勝利して終わった」との主張もあるが、「冷戦体制そのものが自壊して冷戦が終わった、という面が強かった」(p.199)。
 この本に「社会主義の敗北」、「社会主義の実験の失敗」といった語が出てくるはずもない。こうした見方は、政治・社会現象を特定のイデオロギーに不利にならないように「認識」しようとするもので、20世紀に生じた世界史的、人類史的出来事の意義を意識的に見逃している。
 上の本は、日本共産党員その他の依然としてマルクス主義者である者によって書かれているのでないか。かかる本によって「現代(国際)政治」のイメージが大学生の脳中に浸み込んでいくとすれば、怖ろしいことだ
 昨日の産経に高校の社会(歴史)の教科書にはまだまだ問題が多い旨の記事がある。それは、教える教師にではなく、教科書の執筆者に問題があるからだ。そして、その教科書の執筆者は、殆どは、大学に所属する教授等の研究者だ。上では偶々政治学の書物を取り上げたが、歴史の教科書を執筆している大学教授らがなおもマルクス主義史観の影響を受けたままであったとすれば、「日本(帝国主義)は悪いことをした」という基調で歴史教科書が書かれることになるのは自然のことだ。教科書を問題にするならば、教科書を使って教える教員よりもむしろ、そのような教科書の執筆者はどういう者たちかを問題にしなければならない。

0011/日本共産党よ、32年テーゼ・50年批判はスターリンの時代ではなかったのか。

 腑に落ちない、こと又はもの、は沢山あるが、ソ連崩壊に関係する日本共産党の言い分は最たるものの一つだ。
 同党のブックレット19「『社会主義の20世紀』の真実」(1990、党中央委)は90年04月のNHKスペシャル番組による「社会主義」の総括の仕方を批判したもので、一党独裁や自由の抑圧はスターリン以降のことでレーニンとは無関係だなどと、レーニン擁護に懸命だ。昨日に触れたが、2004年の本で不破哲三氏はスターリンがトップになって以降社会主義から逸脱した「覇権主義」になったと言う。そもそも社会主義国ではなかったので、崩壊したからといって社会主義の失敗・資本主義の勝利を全く意味しない、というわけだ。
 だが、後からなら何とでも言える。後出しジャンケンならいつでも勝てる。関幸夫・史的唯物論とは何か(1988)はソ連崩壊前に党の実質的下部機関と言ってよい新日本出版社から出た新書だが、p.180-1は「革命の灯は、ロシア、…さらに今日では十数カ国で社会主義の成立を見るにいたりました」と堂々と書いてある。「十数カ国」の中にソ連や東欧諸国を含めていることは明らかだ。ソ連は社会主義国(なお、めざしている国・向かっている国も含める)でないと言った3年前に、事実上の日本共産党の文献はソ連を社会主義国の一つに含めていたのだ。判断の誤りでした、スミマセン、で済むのか。
 また、レーニンの死は1924年、スターリンが実質的に権力を握るのは遅くても1928年だ。とすると、日本共産党によると、1928年以降のソ連は、そしてコミンテルン、コミンフォルムは、社会主義者ではなく「覇権主義」者に指導されていたことになる。そしてますます腑に落ちなくなるのだが、では、コミンテルンから日本共産党への32年テーゼはいったい何だったのか。非社会主義者が最終的に承認したインチキ文書だったのか。コミンフォルムの1950年01月の論文はいったい何だったのか。これによる日本共産党の所感派と国際派への分裂、少なくとも片方の地下潜行・武装闘争は非社会主義者・「覇権主義」者により承認された文書による、「革命」とは無関係の混乱だったのか。
 1990年頃以降、東欧ではレーニン像も倒された。しかし、日本共産党はレーニンだけは守り、悪・誤りをすべてスターリンに押しつけたいようだ。志位和夫・科学的社会主義とは何か(1992、新日本新書)p.161以下も参照。  レーニンをも否定したのでは日本「共産党」の存立基盤が無になるからだろう。だが、虚妄に虚妄を重ねると、どこかに大きな綻びが必ず出るだろう。虚妄に騙される人ばかりではないのだ。
 なお、私的な思い出話を書くと、私はいっとき社会主義・東ドイツ(ドイツ民主共和国が正式名称だったね)に滞在したことがある。ベルリンではない中都市だったが、赤旗(色は付いてなかったがたぶん赤のつもりのはずだ)をもった兵士のやや前に立って、十数名の兵士を率いて前進しているレーニン(たち)の銅像(塑像)が、中央駅前の大通りに接して立っていた。
 数年前に再訪して少し探して見たのだが、レーニン(たち)の銅像が在った場所自体がよく分からなくなっていた。
 レーニンまでは正しくて、スターリンから誤ったなどとのたわけた主張をしているのは日本共産党(とトロツキスト?)だけではないのか。もともとはマルクスからすでに「間違って」いたのだが。

0009/日本共産党2004年綱領と不破哲三の本を瞥見する。

 1991年のソ連解体と東欧諸国の「自由」化によって<冷戦>は終わったとも感じたが、またそのように理解している人が多いかもしれないが、東・東南アジアには中国・北朝鮮・ベトナム・ラオスがあり前二者は日本への現実的脅威なのだから、少なくとも東アジアでは<冷戦>は継続していると見るのが正しい。<冷戦>とは、戦争に至らない、社会主義経済・・共産党独裁政治と資本主義経済・自由主義政治の戦いであり、日本国内でも前者を目指す又は前者に甘い勢力は残存しているので(日本共産党・社会民主党・これら周辺の団体等)、国内での戦いも継続している。
 
日本共産党もHPをもつことを昨年になって知ったが、そこに出ている2004年改正の同党綱領に「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。」とある。ここにすでに虚偽がある。戦後もかなり後からの造語「科学的社会主義」をさも当時の概念かのごとく使っているのは別としても、<共産主義インターナショナルの日本支部として、天皇制と日本帝国主義の打倒をめざして(=大日本帝国の敗戦・崩壊をめざして)、ソ連共産党の理論的・財政的援助を受けて設立されました。>と正確に記述すべきだ。そのあとで「たたかった」を6つ並べていて戦前に一貫して継続的に「たたかった」かのごとく書くが、これも虚偽=ウソだ。長く見たとしても党としての活動は1934年くらいまでで、10年間以上は見るべきものはない。獄中で「帝国主義戦争反対」と念仏の如く呟くことも「闘い」だったというなら話は別だが。それに、1934年頃の中央委は半分以上がスパイで実質は特高にコントロールされていたのだ(笑っちゃうね)。22年以降一貫してでなく、1961年の新綱領制定・宮本体制の確立が実質的には現在の党の開始で、これは自民党、日本社会党よりも遅い。そのあと、「平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けた」、ポツダム宣言受諾は「日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示し」、「党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明した」と書く。よくもまぁヌケヌケととは、こういう文章にこそあてはまる。まずは自党の党員を騙す=洗脳しておく必要があるのはわかるが。
 同綱領は1989-91年のソ連・東欧の共産党支配の崩壊は「社会主義の失敗」ではなく、これらは「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」だったので「資本主義の優位性を示すものとはならな」い、と明記する。だが、これはどう見ても<後出しジャンケン>だ。つまり、ソ連等の崩壊のあとでソ連は「覇権主義」の「歴史的巨悪」で「社会主義国」でなかった、と言い立てる。では、日本共産党は、ソ連は「社会主義国」でないといつから言い始めたのか。ソ連の崩壊以降ではないか。不破氏も、例えば1977年日本共産党党大会でソ連は「社会主義の生成期」と見ていて社会主義をめざす国であることを否定していなかったと明記している。不破・新日本共産党綱領を読むp.184(新日本出版社、2004)参照。ソ連共産党に対する自主性があるかに見えたルーマニアを社会主義志向国と見つつ同共産党の大会に出席したのはチャウシェスクが殺された2年半前ほどではなかったのか。1950年代からスターリンのソ連は社会主義とは異質な国と主張していたならともかく、1992年以降になってよくもヌケヌケと自分たちを合理化する言辞を考え出せるものだ。恥ずかしいとは思わないのか。党の言うことを信頼していた党員・シンパに謝罪するつもりはないのか。
 日本共産党にとって今の希望の星は中国、ベトナム、キューバのようだ(北朝鮮は挙げていない)。不破・党綱領の理論上の突破点について(日本共産党、2005.03)p.77以下は、中国の「社会主義的市場経済」を「理論」的に?擁護している。すなわち、レーニンはロシアでは実践しなかったが「市場経済を通じて社会主義」へという路線の可能性を肯定しており、「中国やベトナム」はレーニンが構想した「道」に新たに挑戦している、のだとさ。
 不破氏が2005年に中国、ベトナム、キューバは「社会主義」に向かっている国である旨明記していることを我々はきちんと記憶しておこう。中国共産党の支配が崩壊したあとで、中国は「真の社会主義国」でなかった、となど言われるとシラケルからね(もういい加減白けているけど)。上の本では「専門家筋の観測では、中国の経済規模がやがて日本を抜き、ついでアメリカに追いつき、さらに上回ってゆくことも時間の問題だという見通し論が、いよいよ強くなっているようです」(p.71)とも書いている。このハシャギようは、予測が外れるとどうなるのだろう。楽しみでもあり、空怖ろしくもある。

-0017/不破哲三さんの本を併せて瞥見しても、面白いかも。

 党綱領のほか不破哲三さんの本を読むのも勉強になる。
 綱領は1989/91年のソ連・東欧の共産党支配の崩壊は「社会主義の失敗」ではなく、これらは「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」だったので「資本主義の優位性を示すものとはならな」い、という。
 これはどう見ても<後出しジャンケン>だ。つまり、ソ連等の崩壊のあとでソ連は「覇権主義」の「歴史的巨悪」で「社会主義国」でなかった、と言い立てる。ソ連は「社会主義国」でないといつから言い始めたのか。ソ連の崩壊以降でないか。不破氏も、例えば1977年日本共産党党大会でソ連は「社会主義の生成期」と見ていて社会主義をめざす国であることを否定していなかったと明記している(不破・新日本共産党綱領を読むp.184(新日本出版社、2004))。ソ連共産党に対する自主性があるかに見えたルーマニアを社会主義志向国と見つつ同共産党の大会に出席したのはチャウシェスクが殺された2年半前ほどではなかったのか。1950年代からスターリンのソ連は社会主義と異質な国と主張していたならともかく、1992年以降になってよくもヌケヌケと自分たちを合理化する言辞を考え出せるものだ。恥ずかしいとは思わないのか。党の言うことを信頼していた党員・シンパに謝罪するつもりはないのか。
 日本共産党にとって今の希望の星は中国、ベトナム、キューバのようだ(北朝鮮は挙げていない)。不破・党綱領の理論上の突破点について(日本共産党、2005.3)p.77-は、中国の「社会主義的市場経済」を「理論」的に?擁護する。
 レーニンはロシアで実践しなかったが「市場経済を通じて社会主義」へという路線の可能性を肯定しており、「中国やベトナム」はレーニン構想の「道」に新たに挑戦している、のだとさ。不破が2005年に中国、ベトナム、キューバは「社会主義」に向かっている国である旨明記していることを我々はきちんと記憶しておこう。中国共産党の支配が崩壊したあとで、中国は「真の社会主義国」でなかった、となど言われるとシラケルから(もういい加減白けているけど)。上の本では「専門家筋の観測では、中国の経済規模がやがて日本を抜き、ついでアメリカに追いつき、さらに上回ってゆくことも時間の問題だという見通し論が、いよいよ強くなっているようです」(p.71)とも書く(立花隆も同感か)。このハシャギようは、予測が外れるとどうなるのだろう。
ギャラリー
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