秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

サ講和条約

1254/朝日新聞社説8/29が示す朝日の戦後史観。

 朝日新聞今年-2014年-8/29の社説はつぎのようなものだ。
 「「私人としてのメッセージ」で済む話ではないだろう。/安倍首相が今年4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に、自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていた。
 「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉職者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」
 送付先は、高野山真言宗の奥の院(和歌山県)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。碑は、連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に20年前に建立された。名前を刻まれている人の中には、東条英機元首相らA級戦犯14人が含まれている。首相は昨年と04年の年次法要にも、自民党総裁、幹事長の役職名で書面を送付していた。
 菅官房長官は会見で、内閣総理大臣としてではなく、私人としての行為との認識を示した。その上で、「A級戦犯については、極東国際軍事裁判所(東京裁判)において、被告人が平和に対する罪を犯したとして有罪判決を受けたことは事実」 「我が国はサンフランシスコ平和(講和)条約で同裁判所の裁判を受諾している」と述べた。
 戦後69年。このような端的な歴史的事実を、いまだに繰り返し国内外に向けて表明しなければならないとは情けない。
 日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた。
 連合国による裁判を「報復」と位置づけ、戦犯として処刑された全員を「昭和殉難者」とする法要にメッセージを送る首相の行為は、国際社会との約束をないがしろにしようとしていると受け取られても仕方ない。いや、何よりも、戦争指導者を「殉難者」とすることは、日本人として受け入れがたい。戦後日本が地道に積み上げてきたものを、いかに深く傷つけているか。自覚すべきである。
 首相の口からぜひ聞きたい。/多大なる犠牲を生み出し、日本を破滅へと導いた戦争指導者が「祖国の礎」であるとは、いったいいかなる意味なのか。あの戦争の責任は、誰がどう取るべきだったと考えているのか。
「英霊」「御霊」などの言葉遣いでものごとをあいまいにするのはやめ、「私人」といった使い分けを排して、「魂を賭して」堂々と、自らの歴史観を語ってほしい。/首相には、その責任がある。」

 8月初旬の慰安婦記事検証記事と9月初旬の原発記事(を第一義とする)社長謝罪会見の間にこんな社説を掲載しているのだから、朝日新聞が決してその<左翼・反日>性を捨てることがないことは明らかだろう。
 安倍晋三憎し=安倍の葬式はウチで出す、という気分の表れでもあるだろう。
 加えて、上の文章における単純な歴史認識・歴史観には呆然とせざるをえない。
 よく読めば、たんにいわゆる「A級戦犯」とされた者のみを念頭に置いているのではない。「A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要」への安倍晋三の哀悼文送付を批判しているのであり、丁寧でも三審制にもとづいてでもなく戦地近くの「裁判」で死刑判決を受け、処刑されたいわゆる「BC級戦犯」者に対する哀惜の念の欠片もない、じつに冷酷な文章だ。
 この社説の執筆者は、藤田まこと主演の映画「明日への遺言」(2007)を観たのだろうか、もっと前のフランキー堺主演のドラマ「私は貝になりたい」の物語を知っているのだろうか。
 この社説は「日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた」と書く。
 日本国家が「戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で」戦後を出発した、とは誤認だろう。日本又は日本人が積極的にそうしたのではない。死刑者以外の「戦犯」の刑の執行するという意味で東京裁判の「遵守」をサ条約でもって約束しなければならなかったのは事実だが、主権回復のためのやむをえざる判断だったと考えられるし、むろん広田弘毅を含む死刑者を選別したのは日本・日本人ではない。
 朝日新聞の社説のように言うならば、死刑者と終身刑者とではもともと微妙な差異しかなかったと見られるところ、サ条約にもとづく関係諸国と同意を得て死刑者(無念ながら元には戻せない)以外の受刑者を解放し、終身刑者の中には賀屋興宣というのちの法務大臣もいたことはどのように説明するのか。
 いわゆる東京裁判史観に立ちそれを絶対視するならば、それによって有罪とされた者の釈放など認めてはならなかったはずだが、朝日新聞は当時それに反対したのか?
 さらに、周知のように1953年には国会で受刑者を犯罪者とは扱わない旨の決議がなされているが、当時、朝日新聞はこれに反対したのか。
 朝日新聞社説は、戦後の歴史の一部、一端だけを取り出して、安倍晋三の<歴史認識>批判という目的のために使っているにすぎない。朝日新聞のような単純素朴な歴史観でもって実際の歴史を認識したり総括することはできない。
 何がクォリティ・ペイパーだ。戦後当初にGHQが植え付けようとした単純な<日本が悪かった>史観をいまだに引き継いでいるだけではないか。むろん、朝日新聞の慰安婦問題捏造記事の根源もここにある。日本軍・日本国家は悪いことをしたはずなのであり、していなければならなかったのだ、朝日新聞にとっては。客観的な報道をするつもりでも、そのような「思い込み」があると、記事は歪み、えてして<捏造>記事になってしまう。このようなおそれが今後の朝日新聞にあるのは、8/29の社説でも明らかだ。

1238/安倍首相が靖国神社を参拝してなぜいけないのか。

 〇朝日新聞12/27朝刊は「狂い咲き」をしていた。
 安倍首相靖国参拝をうけて「参拝制止を一蹴」が最大の活字での一面橫見出しになるのだから、奇怪な新聞だ。
 毎日新聞も一瞥してみたが、かなり似ている。
 〇日本の首相の靖国神社参拝には種々の論点があることを、あらためて考えさせられる。
 安倍首相が堂々とむろん疚しい心理など一切示さずに発言していたのには感動したが、同首相の同日の「談話」の内容を全面的に支持しはしない。わざわざ談話など出し、また外国語訳して各国に伝えることをしなければならないのは、本来は異常なことだ。
 それよりも、<不戦の誓い>をすることは構わないが、「日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道を…」等と述べて戦後日本を全体として肯定的に評価しているようであるのは、安倍本来の<戦後レジームからの脱却>という思想とは少なくとも完全には合致していない、と感じる。ともあれ、それは政治的判断の混じった「談話」だとして、ここではこれ以上は触れない。
 アメリカは自国の都合と利益のために「失望」という声明を出した。これを、朝日や毎日は「援軍」のごとく理解して喜んでいるようだ。このアメリカの立場にも触れないが、靖国神社の祭神となっている(合祀されている)いわゆるA級戦犯を作り出したのは他ならぬアメリカ主導の「東京裁判」であったのだから、<A級戦犯認定=東京裁判>批判との印象が生じる可能性のある靖国神社参拝を、いかに現在の「同盟国」の首相の行為であろうとも、少なくとも素直には支持・応援できないだろうことは不思議ではない。靖国神社参拝は、従って当然に、「反米」的性格または側面をもつに至っている、とも言える。
 〇日本の首相の靖国神社参拝についての種々の論点については、この欄で断片的にせよ何回も言及してきた。論点の所在と簡単なコメントを記しておく。
 第一に、憲法上の「政教分離」に反しないか。12/26朝刊では朝日新聞よりも毎日新聞がこの論点の所在に触れて批判的な記事を書いている。そして、平野武(龍谷大名誉教授)の<首相在任中は避けるべき>との旨のコメントを紹介している。この点にやや立ち入れば、月刊WiLL2014年1月号で加地伸行が、「平野武という人物」が伊勢神宮「遷御の儀」に安倍首相が臨席したことを「政教分離に反し、違憲性があると言う」と紹介したうえで、「平野某は政教分離ということの初歩的な意味も分かっていない」等と批判している(p.18)。平野武にとってみれば、一貫した主張なのかもしれない。なお、社民党・福島瑞穂も今回の靖国参拝を「政教分離」違反だと主張したらしい。
 だが、この欄でも述べたことがあるが、「政教分離」違反であるならば、A級戦犯合祀問題以前の憲法問題であり、吉田茂も佐藤栄作も中曽根康弘も小泉純一郎も憲法違反の行為をしてきたことになる。
 毎日新聞はこれまでの首相靖国参拝のそのつど、「政教分離」違反または疑いという報道・主張をし続けてきたのだろうか。今回に限って、またはA級戦犯合祀以降に限って「政教分離」違反という論点を持ち出すのは、論理的には成り立ちえないことだ。
 それに何より、毎年正月の4日あたりに首相が伊勢神宮に参拝することはほとんど「恒例」になっているが、伊勢神宮もまた戦後は神道という宗教の一施設であるところ、毎日新聞は(朝日新聞も)何ら問題にしてきていないのではないか。そのくせ、靖国神社についてだけ「政教分離」違反問題を持ち出すのは論理的に完全に破綻している。なお第一に、社民党が民主党と連立政権を組んで福島瑞穂が大臣だったときもあったかと思うが、民主党の鳩山由紀夫も菅直人も野田佳彦も首相として伊勢神宮参拝をしたはずだ。民主党・社民党連立政権時代、福島瑞穂は、伊勢神宮正月参拝に反対する旨を大々的に主張したのか? 第二に、上記の加地伸行の文章によれば、平野武は首相の伊勢神宮正月参拝は(少なくとも明示的には)問題にしていないらしい(p.19)。学問的に一貫させるつもりならば、首相の伊勢神宮正月参拝を「違憲」視する大?論文を書くべきだろう。
 大きな第二に、靖国神社は首相が参拝すべきではない「死者」が祭神として祀られているか。これが最大の問題だが、いくつかの基本的論点やさらに細かな論点に分岐していく。
 朝日新聞の東岡徹は12/27朝刊で「侵略された中国や、植民地支配を受けた韓国の人々には、靖国神社への嫌悪感が強い」とあっさりと書いている。先の戦争は中国「侵略」戦争で、当時は韓国を「植民地支配」していたということを当然のごとく前提にしている。そのような<悪業>をした指導者たちは断罪されるべきであり(だからこそ「A級戦犯」であり)、彼らを合祀する靖国神社参拝はすべきではない、という理屈のようだ。
 上の前提自体に、少なくとも論じられるべき余地がなおある。1+1=2のごとき当然の前提にしてはならない。前者にも大きな疑問があるが、後者の「植民地支配」という概念の使用にも私は疑問をもっている。ドイツ(・ナチス)の侵攻によるチェコ、ポーランド、バルト三国等の支配は「植民地支配」だったのか。同様に朝鮮(大韓帝国)についても「合邦」か少なくとも日本の事実上の施政権の地域的対象の拡大であって、決して「植民地」として支配したわけではないのではないか。この問題はこの欄でまだ言及したことがない、かねてより有してはいた関心事項だ。
 さてここでの基本的な第一の論点だが、かりに日本がかつて「侵略」や「植民地支配」をしていたとして、その当時の(といっても時期により異なるが)日本の政治指導者たちの「責任」はどのように問われるべきなのか。
 上の「政治指導者たち」という言葉の範囲は不明確だ。「東京裁判」法廷は「平和に対する罪」という新奇の犯罪概念を作り出し、<A級>戦犯という犯罪者として刑罰を下した(ということになっている)。
 ここでむろん、「東京裁判」なるものの合法性・正当性、そして具体的な<A級>戦犯者の範囲の特定の正確さ・合理性・適切さ、という別の第二の論点も出てくる。そしてまた、なぜ特定の25名が<A級>戦犯被告として判決をうけ、なぜそのうち7名は「死刑」だったのか?も論点になりうる。 <A級戦犯合祀の神社参拝はけしからん>と主張する者は、「死刑」ではなくのちに死亡した者も含む被合祀者14名(のようだ)のそれぞれの「罪状」をきちんと語り、説明できなければならない。
 「東京裁判」あるいは実質的にはアメリカまたはGHQ任せで「侵略」・「植民地支配」の指導者の範囲を画定してしまうのは、他人・他国任せのじつに無責任なことではないのか。
 なお、7名の死刑が執行されたのは、1948年12/23で今上天皇(当時、皇太子)の誕生日で、むろん偶然ではない(起訴は4/29で昭和天皇の誕生日)。
 基本的な第三に、絞首刑にあった者は生き返らないが、それ以外の者は「終身(無期)刑」を受けた者も日本の再独立後(主権回復後)には関係各国の同意を得て解放され、政治家として活躍した者もいる。そしてその前提として、もはや「犯罪者」扱いはしない旨の国会決議までなされている。そのうえで、「B・C級戦犯」としての刑死者の遺族に対しても遺族年金が給付されている。「A級戦犯」だった者も、犯罪者扱いしてはいけない、と言うことができる。死刑と終身刑の区別が正確にまたは厳格になされたとはとても思われず、終身刑だった賀屋興宣がのちに大臣になったことを考えると、「A級戦犯」としての刑死者(法務死者、昭和殉難者といいうらしい)は、死刑判決でさえなければ、政治家等としてのちの人生を全うできたかもしれない。
 要するに、日本人は「A級戦犯」者をもはや犯罪者として扱ってはいけないのではないか、という論点がある。朝日や毎日は「A級戦犯」合祀を問題にはしても、そしてこれにかかわる昭和天皇の発言らしきものを「政治利用」しつつも、上記の国会決議等のその後の法律レベルの問題にはまったく言及していない。不正確で、不当な記事づくりではないか。
 これに関連して第四に、サンフランシスコ講和条約で主権回復に際して日本が東京裁判の「諸判決を受け容れ」た、ということの意味が論点になりうる。この欄で触れたことがせあるが、民主党の岡田克也が国会・委員会で条約と法律とはどちらが上位かと質問して、サ講和条約(の理解)に日本はその後ずっと拘束されるのではないか旨を主張した論点だ。
 「裁判」と訳そうと「諸判決」と訳そうと本質的な違いはない(渡部昇一の言説は的を射ていない)。この点は、この欄で紹介したが、稲田朋美は私と同旨のことを記していた。
 この問題は、あるいはサ講和条約の当該条文の意味は、終身刑判決を受けた者や期限のきていない有期刑者は、「諸判決」どおりにきちんと執行する(そうしない場合は関係各国と協議し同意を得て解放する、という趣旨を含む)、という趣旨だ、と解釈して差し支えないと考えている。つまり、日本を当事者とする先の戦争が「侵略」戦争だった等の「東京裁判」の基礎にある考え方または歴史認識まで受容したわけではない、と私は理解している。
 とりあえず思い浮かぶのが、以上のような大きな論点、基本的な論点だ。
 A級戦犯も合祀されている靖国神社を日本の首相は参拝すべきではない、という主張の前提にある、A級戦犯=「犯罪者」=「悪い」政治指導者=「侵略」・「植民地支配」をした「悪者=犯罪者」、という理解は、それぞれの等号=同一視の段階で、きちんと吟味すべきではないのか、とりわけ日本の報道機関は。中華人民共和国や大韓民国の「御用新聞」(・ご注進機関)でないかぎりは。
 その他、「村山談話」などというややこしいが大きな論点もあったが、今回はこれくらいで。

1137/資料・史料-2012年04月28日民主主義科学者協会法律部会理事会声明。

 資料・史料-2012年04月28日民主主義科学者協会法律部会理事会声明
 「今年は、沖縄を米国の施政権の下においたサンフランシスコ講和条約と(旧)日米安保条約の発効から60年、沖縄の復帰から40年を迎える。しかし、今なお日本全国に多数の米軍基地が存在し、日本における主権と人権を制約している。とくに、日本の総面積のわずか0.6 %しかない沖縄に、いまも米軍専用基地の74 %が集中し、普天間基地や嘉手納基地をはじめ33もの米軍専用基地が置かれたままである。
 日米両政府は2月8日、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の「移設」を在沖縄米海兵隊のグアム移転の前提にしていた現行の在日米軍再編計画を見直し、両者を切り離す協議を開始することを発表した。その狙いは、普天間基地の名護市辺野古への「移設」が、県民・市民の反対で行き詰まるなか、アジア太平洋地域重視を打ち出した米国の新国防戦略に基づきグアム移転を先行して進めることであり、米国は、その移転費用の増額や普天間基地の改修費用の支出を日本政府に迫ってきている。これにより、普天間基地が固定化される危険も強まっている。また、現在の民主党政権は、「武器輸出三原則」を緩和し、「基盤的防衛力構想」を放棄するなど、日本の軍事的プレゼンスの拡大、強化をもくろんでいる。
 私たち民主主義科学者協会法律部会は、3 月26 日から29日にかけて沖縄県那覇市で合宿研究会を開催した。そのなかで、沖縄と安保体制、日米地位協定をめぐる諸問題や、普天間基地の辺野古地区への「移設」反対運動、高江ヘリパット基地反対運動、歴史教科書検定・公民教科書採択をめぐる運動などさまざまな平和への取り組みを学ぶとともに、普天間基地や名護市辺野古地区の現地にも赴き、基地による多くの人権侵害や生活破壊、地域社会と地方自治体に対する重圧と、それらの問題点を改めて深く実感した。
 私たち民主主義科学者協会法律部会は、これまでにも法学の立場から安保体制に関する共同研究の成果を発表し、安保条約は、軍事同盟条約として国連の集団安全保障の理念に背馳し、憲法の平和主義および基本的人権の保障の理念と矛盾することを指摘してきた。いま改めて、それを再確認するとともに、安保条約と米軍基地は、日本国憲法前文の「平和のうちに生存する権利」やこんにち国連でも注目が高まりつつある「平和に対する人民の権利」を脅かすものであることを強調したい。
 日米安保条約の下で米軍基地の存在を永久化し、「日米同盟」を深化させるとして全世界的な軍事的関与を進め、また、普天間基地の名護市辺野古地区への移転に固執しつつ、それが果たせない場合は普天間基地を維持するとする日米両政府の方針は、国際社会の平和と日本国憲法の平和・人権・民主主義の原理を大きく損なうものとの認識の下、その方針の変更を強く求めるものである。」
 <出所-ネット上>
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 ・この主張がどの政党の主張・見解に添ったものであるかは言うまでもない。
 ・現在の民主党政権は、「武器輸出三原則」を緩和し、「基盤的防衛力構想」を放棄するなど、日本の軍事的プレゼンスの拡大、強化をもくろんでいる、らしい。「日本の軍事的プレゼンスの拡大、強化」はそもそも<悪>か?
 ・この「学会」によると、日米安保条約は日本国憲法の理念に矛盾し、「安保条約と米軍基地」は日本国民の<平和的生存権>等を脅かすものらしい。そして、最後に日米両政府に対して「
方針の変更を強く求める」というが、具体的にはどのようにしたいのか?。
 ・内容は法学のうち、とくに憲法学、国際法学に関連しているだろう。この「民科」に属する研究者(教授たち)には「学問の自由」はあるのだろうか?
 

1109/西部邁・佐伯啓思グループの「反共」性。

 佐伯啓思の昨年9月と今年4月の文章(産経新聞連載コラム)を読み返してみると、前者では「事実上は、日本には主権性は帰属しない」とも述べつつ、その前には「不完全な主権性」(「国家統治権限」はGHQの「制限のもとにおかれる」(subject to)こと)と明確に語ってもいる。
 後者では、日本国憲法は「本来は」無効である理由として、たんに「広義の戦争状態における占領である。日本には主権はない」、「憲法制定とは、主権の最高度の発動以外の何ものでもないから」、と記している。
 ニュアンスが少し違うようなのだが、こう指摘することは揚げ足取りになるのかもしれない。
 それよりも、講和条約・安保条約の締結・発効に関する問題を<日米関係>の視角でのみ見ているようであることが、大いに気になる。
 むろん佐伯啓思が指摘するように、これらは「主権」性をめぐる法的および実質的な論点を生じさせただろうが、これらの条約の背後には、1949年における東西ドイツの分裂・建国(社会主義・ドイツ民主共和国の成立)や毛沢東・中国共産党による社会主義中国(中華人民共和国)の成立等があり、1950年の朝鮮戦争勃発もあった。佐伯が知らないわけではもちろんないだろうが、東西対立を背景としての日本の<反共・自由主義>陣営への参加という決断があった。そこに米国の意思が働いてないとは言わないが、日本にとっては当然の、少なくともやむをえない「単独(実際は多数)講和」だった、と思われる。
 ソ連等をも含む「全面講和」条約を締結をして日米安保条約を締結しなければ、日本の主権は法的にも事実上も明確に「回復」したのだろうか。そのような選択の現実的可能性はあったのだろうか(むろん、立花隆等が敬愛する南原繁ら「進歩的文化人」、岩波・「世界」等の<全面講和>論もあったわけだが、この論が親社会主義・コミュニズム幻想を背景にしていたことは明らかだ)。
 こんな事情を抜きにして、アメリカとの関係のみに着目して、主権の「完全」性・「自立」性や「従属」性を現時点で語ることに、いかほどの生産的・建設的な意味があるのだろうか。全くないとは言わないし、むろん、「思想家」としての格好の思考素材にはなるのだろうが。
 なお、<西部邁・佐伯啓思グループ>が反米・自立の必要を強調はするが、中国・北朝鮮という「現存する」社会主義国に対する批判的視線はきわめて弱い、ということは何度か書いた。
 旧社会主義国・ロシアにより北方領土は実効支配され、社会主義国・中国は尖閣諸島を自らの領土と宣言し、実効支配をしようしているがごときだ。これらは「主権侵害」ではないのか? 北朝鮮による日本人拉致もそうだが、さらに、中国や北朝鮮の「工作員」による「間接的」な「侵略」、つまりは<主権侵害>は、多くの国民が考えている以上に、日常的に行われているのではないか。中国について、 ペマ・ギャルポの、中国の「日本解放工作」に関する書物・論考等参照。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>は、これらについて、まともに議論し、その成果等を雑誌に発表したりしたことがあるのだろうか?

1108/日本国憲法「無効・破棄」論について①。

 一 佐伯啓思産経新聞の昨年2011年の9/19、すなわち講和条約締結ほぼ60年後に、連載コラムの「日の蔭りの中で」で、①同条約によって主権を回復したと言っても、占領期に日本は「完全に」主権を喪失していたわけではなく、日本国政府は存在していたので、「主権はせいぜい『制限』され」ていた、②同条約締結(・発効)後も、日米安保条約により「国防という主権の最高の発動を『制限』されて」いるので、「いまだに日本は『不完全な主権国家』ということになる」のではないか、と述べる。相当に乱暴に要約したが、講和条約の前後でさほど大きな(質的な)変化はなかったのではないかと、(佐伯啓思らしく)辛口で?分析しているわけだ。
 また佐伯は最近4/16、講和条約発効ほぼ60年後の同連載でも、「同条約と同時に日米安全保障条約が締結された」ことにより、「形の上では日本は主権国家となり、実体の上では『不完全主権国家』となった」、と同旨を述べている。「戦後日本の繁栄であり発展であるとされるもの、すなわち日本が得た『利』は、実は、『完全な主権』をいまだに回復していないがゆえに可能だったということになる」とも書いている。
 翌日4/17の産経新聞「正論」欄では稲田朋美が「主権回復記念日を設ける意義は」と題し、自民党が4/28を「主権回復記念日として祝日に」する法案を国会に提出したことから書き始めていることと対比すると、本当に「主権回復」したのか?、そんなに喜んでよいのか?と佐伯啓思はあらかじめ言っているようで、なかなか面白い。
 この対立?について、ここでコメントしたいのではない。稲田朋美も、「主権回復記念日を祝うということは、安倍晋三首相が掲げた『戦後レジームからの脱却』を今一度わが党の旗にすること」だとか述べ、「今年の主権回復記念日を、日本が…真の主権国家になる始まりの一日に、そして保守政治再生の一歩にしたい」と結んでいるので(現状は「真の主権国家」ではないと言っているようであったりするので)、そもそも基本的な対立があるかどうかも疑わしい可能性がある。
 二 佐伯啓思の4/16の連載コラムで関心を惹いたのはむしろ、「サンフランシスコ条約締結以前の占領状態は、公式的にいえば、いまだ戦争継続中なのであり、広義の戦争状態における占領である。日本には主権はない。したがって、『本来』の意味でいえば、あの憲法は無効である。憲法制定とは、主権の最高度の発動以外の何ものでもないからだ」と書いていることだ。
 「本来」の意味では無効、ということの正確な意味はむろん問題になるが、なぜ関心を惹いたかというと、石原慎太郎が最近(も)、日本国憲法「無効」かつ<破棄>論を述べているからだ。
 産経新聞3/26の「新憲法起草/熱帯びる地方-石原、橋下氏が牽引」と題する記事は次のように伝える。
 「東京都の石原慎太郎知事は今年2月下旬、『占領軍が一方的に作った憲法を独立後もずっと守っている。こんなばかなことをしている国は日本しかない』と強調、憲法破棄と自主憲法制定を呼びかけた。/大阪市の橋下徹市長率いる『大阪維新の会』も3月上旬に公表した公約集『維新八策』の原案で憲法改正を明記。橋下氏は『平穏な生活を維持しようと思えば不断の努力が必要で、国民自身が汗をかかないといけない。それをすっかり忘れさせる条文だ』と憲法9条批判も展開している」。
 石原慎太郎は産経新聞3/05の連載コラムで「歴史的に無効な憲法の破棄を」と題して、たとえば次のように明言している。
 「憲法改正などという迂遠な策ではなしに、しっかりした内閣が憲法の破棄を宣言して即座に新しい憲法を作成したらいいのだ。憲法の改正にはいろいろ繁雑な手続きがいるが、破棄は指導者の決断で決まる。それを阻害する法的根拠はどこにもない。/敗戦まで続いていた明治憲法の七十三条、七十五条からしても占領軍が占領のための手立てとして押しつけた現憲法が無効なことは、美濃部達吉や清瀬一郎、そして共産党の野坂参三までが唱えていた」。
 佐伯啓思は「ではどうすべきか」を書いてはいないのだが、憲法が「本来」の意味では「無効」だと、あるいは、石原慎太郎とともに<センティメント(情緒・気分)>としては現憲法は「無効」だと、言いたいし、そういう情緒・気分も理解できる。しかし、現在における現実的かつ法的な議論としては、日本国憲法「無効」・<破棄>論は成り立たないし、成り立つべきでもない、と考える。
 さらに続けるつもりだったが、長くなったので、次回にする。
 なお、橋下徹の、憲法九条に限っての「国民投票」による(憲法九条改正問題の)決着、という意見にも、完全には同意しない。この点に、いつ言及できるだろうか。橋下徹のツイッターをすべてフォローすることはできないように、この欄のために費やせる時間が無限にあるわけでもないので、困ってはいる。

0940/戦後史②-遠藤浩一著の2。

 <戦後>とは何だったか、については直接・間接にいろいろと言及してきた。かつて、類似タイトルの田原総一朗の本の内容に触れたこともある。

 あらためて、より包括的に、だが当面は遠藤浩一と佐伯啓思の本を手がかりにして、<戦後史>を考える。

 日本の<戦後>の第一の区切りは1952年の講和条約発効だったかに見える。だが、1950年の朝鮮戦争と警察予備隊発足による日本の事実上の<再軍備(軽装備だが)>の始まりと、その前提としてのアメリカの占領基本方針の変更(変更前の「成果」こそが1947年施行の日本国憲法だった)の時点の方が政治的意味は大きいかもしれない。

 1947年初め(日本国憲法はすでに公布されていた)までを<戦後第一期>とすれば、その後が<戦後第二期>で、今日にいう<戦後>とは、この<第二期>の、アメリカの軍事力に守られて(軽軍事力のままで)経済成長にいそしむ、という「体制」に他ならないだろう。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)p.216(2010、麗澤大学出版会)は、そのような「戦後というものの継続」が確定したのは、1952年でも、(政治学者はしばしば画期として用いる保守・左翼政党のそれぞれの統一年である)1955年(「1955年体制」)でもなく、「昭和三十年代半ば以降」だったとする。

 昭和30年代の半ば、昭和35年は1960年で、<六〇年安保騒擾>の年。この年に岸内閣は退陣し、池田勇人内閣に変わる。

 池田は「朝鮮特需の頃」(1950年)から「助走」を始めていた「高度成長に棹さすことによって所得倍増政策を推進」した(p.217)。

 1963年10月に池田勇人は「在任中、憲法改正はいたしません」と宣言した(p.221)。

 遠藤浩一によると、池田政権の発足ととともに「軽武装・対米依存・経済成長優先」という「吉田路線」が復活し、「戦後」は終わらないまま「池田時代から本格化した」(p.221)。

 最近しばしば目にする<吉田ドクトリン>の内容とその評価はなおも留保したいが、<60年安保騒擾>後の数年間で、現在の日本の基本的姿は決まってしまった、という趣旨には同感する。

 すなわち、この時期に、政権党・自民党は、憲法改正(自主憲法制定)を実質的にあきらめてしまったのだ。

 どうしてだったのだろう? この時期に憲法調査会の報告もあったはずだが、改憲反対勢力が国会で1/3以上を占めていたので、改正の現実性は低かった。

 しかし、憲法改正(自主憲法制定)を訴え続け、国会内勢力を憲法改正発議が可能なように改める努力を、なぜ自民党政権はしなかったのだろうか。

 いつかも書いた気がするが、この時期に憲法改正=「自衛軍」の正式な(憲法上の)認知がなされていれば、今日まで残る基本的な諸問題のかなりの部分はすでに解決されていた。 三島由紀夫の1970年の自裁はなかった可能性がむしろ高いだろう。

 表向きはまたは身近は「平和」な状況のもとで快適で豊かな「物質的生活」を望んだ国民の意識が背景にはあるのだろう。しかし、国民の意識あるいは「欲望」に追随し阿るのが政治家・政党ではあるまい。

 岸信介は、「経済は官僚でもできる。だが、外交や治安はそうはいかない」と語ったらしい(遠藤浩一・下p.217)。

 なぜ、憲法改正はこの時期に挫折し、その後実質的には政治的課題・現実政治的な争点にならなくなったのだろうか。

 改憲反対勢力が国会で1/3以上を占めていた、あるいはそのような状態にさせていた「力」は、いったいどこから来ていたのだろう、という問題ともこの疑問は関連するはずだ。

0936/講和条約から60年安保「騒擾」へ-遠藤浩一著。

 一 いわゆる「六〇年安保」の1960年が、戦後日本にとっての重要な分岐点の一つだっただろう。

 遠藤浩一は、<六〇年安保闘争>などという語は用いず、「六〇安保騒擾」と称している。ともあれ、今でも、この「闘争」なるものに参加して国会周辺デモをしたことを懐かしくかつ何の恥ずかし気もなく語っている者が知名人の中にも少なくないことはどうしたことだろう。騙されてか、信念を持ってかのいずれにせよ、樺美智子や西部邁らとともに安保改定「反対」デモに加わったということは、秘すべき、恥ずかしい過去なのではないか。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(2010.04、麗澤大学出版会)p.47は、次のように<主権回復時(から安保改定に至るまでの経緯)>の論点を整理している。適確なのではないかと思われる。
 ・「平和憲法」により「戦力は…保持しない」として「自分で自分を守ることは致しません」と内外に宣言した日本が「主権を回復」しようとするとき、「二つの選択肢」が想定された。

 ・①「憲法を改正して普通の独立主権国家並の体制を整える」(そのうえでどこかと「同盟関係」を結ぶというオプションもありうる)。②「憲法の非戦条項を維持したまま別の国家に保護を求める」。

 ・かつまた、「東西」分裂・「冷戦」の激化があったので、この点でも「複数の選択肢」が発生した。

 ・A「自由民主主義陣営」に属する、B「共産圏」に属する、C「非同盟中立」を標榜して「独自の道」を歩む。但し、Cの場合は日本を「軍事的、経済的に保護」できる「非同盟中立の大国」は存在しなかったので、この道は「必然的に憲法を改正し自主防衛を追求」せざるをえない。

 ・以上を複合させて整理すると、「主権回復時」の日本は次の五つから進むべき途を選択する必要があった。

 ・①「憲法を改正し再軍備」したうえで「自由民主主義諸国」と連携する。②「再軍備したうえで共産圏」にコミットする。③「再軍備して非同盟・中立」を追求する。④「憲法」に手を付けず(=憲法改正をせず)「軽武装もしくは非武装」で「米国に軍事的保護を求める」。⑤同様に「軽武装もしくは非武装」で「ソ連に軍事的保護を求める」。

 ところが、と遠藤浩一は続ける。「全面講和論者」は「平和、平和」と気勢を上げるだけで、当時の日本が置かれた「状況」とそこから導出される「選択」について、「説得力ある議論」を展開したわけではなかった(p.47)。

 二 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者は、現実に明確な<勝利>をしたわけではないが、戦後日本の歩みにきわめて重要な役割を果たした。その系譜は、脈々と今日まで受け継がれ、<左翼・売国>政権となって政治の現実について主導権を握るまでに至っている(「コミュニズム」の影響は今日の日本でもなお根強く生きている)。

 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者とは簡単にはかつてにいう<進歩的文化人>を含み、かつこれによって煽られ、「理論」的に支えられもした。この者たちの<罪>は、永遠に忘れられてはならない。むろん、その背後にソ連共産党等の外国を含むコミュニストがいたことも明らかなことだ。

 戦前の個々の「戦史」や作戦・戦略面での<判断ミス>やその責任者について関心はなくはないが、そしてそれは戦後(・占領期)の「東京裁判」の理解と関係するが、基本的には、戦前の歴史には積極的な関心を持たないようにしている。

 時間的余裕が、現在も、想定される将来も乏しいからだ。

 日本は<戦争に負けた>、という事実から、日本の「戦後史」をふりかえるしかない。そして、<戦争に負けた>のは事実だが、そこに道徳的・倫理的な評価を混ぜることがあってはならない、ということをも前提としてふりかえるしかない。

 <戦争に負けた>のは事実だとしても、日本がその<戦争>をしたこと自体が「悪」だったとか、道義的・道徳的・倫理的に批難されるべきものだったとかの立場には立たない。<日本は(反省すべき)悪いことをした>という歴史認識は、一方に偏り過ぎている。いかにそれが、戦後の<正嫡の>「歴史観」だったとしても、<正嫡>・<公式>の歴史観・歴史認識が適切または「正しい」保障はない。言わずもがな、だが。

 というわけで、あるいは、ということを前提として、遠藤浩一の本等に言及しながら、「戦後史」をふり返る作業も、この欄で行う。

0820/資料・史料-日本国との平和条約〔いわゆる1952.04.28発効「サンフランシスコ講和条約」〕①。

 資料・史料-日本国との平和条約〔いわゆる「サンフランシスコ講和条約」、1952.04.28発効〕①前文・第一章~第三章(1条~6条)

 日本国との平和条約
 昭和27年4月28日・条約第5号
 効力発生、昭27・4・28〔昭27外告10〕
 連合国及び日本国は、両者の関係が、今後、共通の福祉を増進し且つ国際の平和及び安全を維持するために主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力
する国家の間の関係でなければならないことを決意し、よつて、両者の間の戦争状態の存在の結果として今なお未決である問題を解決する平和条約を締結することを希望するので、
 日本国としては、国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力し、国際連合憲章第五十
五条及び第五十六条に定められ且つ既に降伏後の日本国の法制によつて作られはじめた安定及び福祉の条件を日本国内に創造するために努力し、並びに公私の貿易及び通商において国際的に承認された公正な慣行に従う意思を宣言するので、
 連合国は、前項に掲げた日本国の意思を歓迎するので、
 よつて、連合国及び日本国は、この平和条約を締結することに決定し、これに応じて下名の全権委員を任命した。これらの全権委員は、その全権委任状を示し、そ
れが良好妥当であると認められた後、次の規定を協定した。

 第1章 平和
 第1条
 (a)〔戦争状態の終了〕
 日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する

 (b)〔日本国の主権承認〕
 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

 第2章 領域
 第2条
 (a)〔朝鮮〕
 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
 (b)〔台湾・澎湖諸島〕
 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
 (c)〔千島・樺太〕
 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対す
るすべての権利、権原及び請求権を放棄する。<太字-掲載者>
 (d)〔太平洋諸島〕
 日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下にあつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。
 (e)〔南極地域〕
 日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。
 (f)〔新南群島・西沙群島〕
 日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 第3条〔南西・南方諸島〕
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

 第4条〔放棄された地域に関連する財産処理〕
 (a)この条の(b)の規定を留保して、日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に
対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第二条に掲げる地域にある連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つている当局が現状で返還しなければならない。(国民という語は、この条約で用いるときはいつでも、法人を含む。)
 (b)日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認
する。
 (c)日本国とこの条約に従つて日本国の支配から除かれる領域とを結ぶ日本所有の海底電線は、二等分され、日本国は、日本の終点施設及びこれに連なる電線の半分を保有し、分離される領域は、残りの電線及びその終点施設を保有する。

 第3章 安全
 第5条〔国連憲章上の行動原則の受諾〕
 (a)日本国は、国際連合憲章第二条に掲げる義務、特に次の義務を受諾する。
  (i) その国際紛争を、平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決すること。
  (ii) その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。
  (iii) 国際連合が憲章に従つてとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合が防止行動又は強制行動をとるいかなる国に対して
も援助の供与を慎むこと。
 (b)連合国は、日本国との関係において国際連合憲章第二条の原則を指針とすべきことを確認する。
 (c)連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。
<太字-掲載者>

 第6条
 (a)〔占領軍の撤退と外国軍隊の駐留〕
 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但
し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。
 (b)〔未帰還日本軍隊の復帰〕
 日本国軍隊の各自の家庭への復帰に関する千九百四十五年七月二十六日のポツダム宣言の第九項の規定は、まだその実施が完了されていない限り、実行されるもの
とする。
 (c)〔占領軍の占有する日本財産の返還〕
 まだ代価が支払われていないすべての日本財産で、占領軍の使用に供され、且つ、この条約の効力発生の時に占領軍が占有
しているものは、相互の合意によつて別段の取極が行われない限り、前記の九十日以内に日本国政府に返還しなければならない。
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0189/朝日新聞1948年11月13日社説-東京裁判判決は永遠に不滅です。

 朝日新聞は、「東京裁判」判決言渡しの翌日の1948.11.13社説に次のように書いた。
 「東京法廷において決定された意思が…動かし難い権威ある意思であることはいうまでもない。…意思の寛厳について論ずる資格をもたないし、また論じようとも思わない」。
 「この際銘記しておきたいことは、この裁判が…軍国主義的な過去の日本の完全な精算を要求すると同時に、…未来に建設すべき日本の姿を明確に平和国家として規定するものだという点である。しかもこの要求と規定は、今後決して再審の機会を与えられることなく、いつまでも日本国民の行動を制約するものだということである。そして、われわれは進んでこの制約に服するものである」。
 この社説は、東京裁判が過去の日本の「清算を要求」し将来の日本を「規定」するので、日本の行動を「制約」するが、「われわれ」=朝日新聞は「進んでこの制約に服する」と宣言している
 占領下なのでGHQに「迎合」する気分があったに違いないが、それにしても見事に、自分には自分で思考し判断する能力・資格がない、ただただ(東京裁判判決を)有難く頂いて永遠に尊重します、と告白しているわけだ。
 しかし朝日は主権回復後も、すなわちGHQのプレスコードによる実質的な「検閲」があり自由な言論ができなかった占領期が終わって独立して以降も、「自由な」マスメディアとしては最悪・最低の告白を改めようとせず、占領期間中の、<自虐史観>あるいは東京裁判史観をそのまま維持し続けた、と私は理解している。
 ここに朝日新聞の致命的な欠陥があるのでないか。近年の靖国・戦犯問題等での朝日の論調の基礎にも、この60年近く前の社説があるようだ。その意味でじっくりと読まれてよい社説だと思う。

-0048/サ講和条約11条の<裁判>・<判決>に意味はあるか。

 安倍首相の「歴史認識」問題よりも北朝鮮核実験問題の方が重要と思いつつも、いくつかの本で読んだ講和条約・戦犯問題が国会で現に議論されていたのはなかなか興味深かった。
 講和条約11条の解釈については、「裁判」は「諸判決」のことと反論する保守派もいるが(小林よしのりも)、この欄の08/11で述べたように、そんな「訳語」のことを問題にしない安倍の解釈が適切と思う。
 簡単に買える小さな六法(例えば有斐閣ポケット六法)にも掲載されている講和条約(日本国との平和条約、1952.04.28発効)11条第一文は次のとおり。
 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」。
 全27条や11条の第二文以下との関係・位置づけから見ても、これから日本国が東京「裁判」等の事実認定・理由づけ等を細かなことも含めてすべてに同意し、将来も国自体の「歴史認識」として有し続けるなどという解釈が出てくるはずがない。
 「承諾し」という語は、第一文後段の前提として、個々の諸判決の結論(とくに拘禁刑判決)に国としては異議を唱えない(異論を述べない、従う)との意味で用いられているのだ。
 再言になるが、誰が「戦争犯罪人」かの結論はもちろん事実認定・理由づけについてもそのまま将来にわたって自らの「歴史認識」とすべき旨を東京裁判終了後に述べていたのが、朝日新聞だった。
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