秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ケルゼン

0887/西部邁には「現実遊離」傾向はないか②。

 いかなる理由だったのか、中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)をきちんと読まなかったし、この欄でコメントしたこともおそらくない。
 と思っていたが、記憶違いで、概読して、中島岳志の法的無知等について批判的
コメントすら書いていた。  その後、所謂東京裁判法廷のパ-ル判事の<真意>をめぐる東谷暁等と小林よしのりの月刊正論(産経)等での論争を知り、ケルゼン(・「法実証主義」)の理解はパ-ル判事の意見書(所謂パール判決)の理解や評価と関係はない等と書いて、このときは小林よしのりを応援したのだった。
 西部邁が書く上掲の本の「おわりに」(p.197-、計10頁)をあらためて読んで、この人の「法」等に関する考え方、「法律観」はかなり奇妙だと感じざるをえない。
 要約的に紹介しつつ、コメントする。
 ①「近代の社会秩序を方向づけている法哲学は法実証主義だといってさしつかえない」。
 ②「実証主義」は観察・計量可能な社会の規範体系を重視し、それをできめるだけ「(形式的)に合理的に構築」しようとする。規範体系は「慣習法」も含むが、「法実証主義」の「主たる対象」は「いわゆる制定法」になる。(p.198)
 →「法実証主義」が近代「法哲学」を「方向づけ」る、との理解は適切なものか、確信はもてないが、それが、のちにも西部邁が(極端なかたちを想定して)理解するものを意味するとすれば、すでに誤謬または偏見が含まれているだろう。
 ③上のことが「過剰なほどに明確」なのはケルゼン。ケルゼンは、1.「価値相対主義」に立ち、2.「根本規範」が採用する「価値観」は「民主主義的な」「多数決」によって決定されると説き、3.「根本規範」から「合理的に導出され制定され」るのが「実定法の体系」だとする(4.略)(p.199)
 ④ケルゼンの法哲学は「ハイエックの批判した」「設計主義(…)の法哲学」であることは「論を俟たない」。
 ⑤「いささかならず奇怪」なのは、「自称保守派の少なからぬ部分が、社会秩序の維持に拘泥するのあまり、こうした(制定)法至上主義に与している」ことだ。
 →鳩山由紀夫はもともとは「最低でも県外」と言っていたのに、「できるだけ県外」との約束を履行できなくて…と謝罪した。「最低でも」と「できるだけ」では、まったく意味が違う。ごまかしがある。西部邁もまた、「法実証主義」、「主な対象」は「制定法」、という前言を、この⑤では「(制定)法至上主義」と言い換えている。批判したい対象を批判しやすいように(こっそりと)歪めることは論争においてしばしば見られることだが、西部邁も対象の歪曲をすでに行っているのではないか。
 ⑥東京裁判にもかかわる「自称保守派」の「罪刑法定主義の言説」はケルゼンの「もっとも狭い近代主義にすぎない」。<罪刑法定主義>によって「見過ごしにされている」のは、次の二つ。第一に、「制定法はつねに何ほどか抽象的に規定されるほかない」ということ。そして、「法定」 の「実相」は「権力(…)による決定」だということ。第二に、制定法の「解釈と運用」は「根本規範」に「従い切れる」ものではなく、「制定法を基礎づけたり枠づけたりしている法律以外のルール、つまり徳律(モーラル)」やその苗床たる「国民の習俗」やそれが促す「国民の士気」等を参照せざるをえない。(p.200-1)
 →この⑥には、<罪刑法定主義>への偏見と無知がある。
 <罪刑法定主義>といっても「制定法」が「何ほどか抽象的に規定されるほかない」ことは、法学または刑法学の入門書を読んだ学生においてすら常識的なことだ。また、「徳律」・「習俗」・「士気」などとは表現しないが、とくに裁判官が、法律上に明記された文言では不明な部分を何らかの方法によって<補充>して解釈していることも常識的なことだ。
 <罪刑法定主義>は上の二点を「見過ごし」にしている、などという大言壮語は吐かない方がよい。
 ⑦欧州の「慣習法の法哲学」をD・ヒュームも語り、E・バークは、「啓蒙的な自然法」とは区別される「歴史的自然法」が基礎に胚胎する「慣習法体系」を語った。「歴史的自然法」とは「歴史の英知」ともいうべき「国民の規範意識」で、憲法についての国民意識も「政治的に設計され」ず、「歴史的に醸成される」。(p.202-3)
 ⑧「保守思想」は「歴史的自然法の考え方」に「賛意を表する」。
 →「保守」=「歴史的自然法の考え方」、「左翼」または反・非「保守」(「自称保守」の多く)=「法実証主義」と言いたいのであれば、あまりも単純な整理の仕方ではないか?
 ⑨「歴史的自然法」の理解者は多少とも「法実証主義」を批判する。後者は「民主主義の多数決によって何らかの特定の直観を採用する」との見解だ。その「直観の妥当性」を「歴史的英知」、「いいかえると伝統精神」に求めるのが「保守思想における法哲学の基本」だ。
 ⑩「保守思想における法哲学」は「罪刑法定主義」に「もっとも強い疑義」をもつ。「法実証主義」の目標である「精緻な制定法」の「設計」をすれば、社会秩序は「リーガル・アルゴリズム(法律的計算法)」に任されることとなり、「法律的計算法」の支配する社会は「(民主主義という名の)牢獄」にすぎない。(p.203)
 →じつに幼稚な思考だ。たしかに、法律(制定法)の精緻さを高める必要がある場合のほかに、あまりに詳細で厳密な法律(制定法)作りを避けるべき場合もあるだろう。だが、「精緻な制定法」作りによって社会は「(民主主義という名の)牢獄」になるなどと簡単に論定すべきではないだろう。
 また、ここにはほとんど明らかに「制定法(法律)」ニヒリズムとでも言うべきものが看取できる。さらに、現代国家・現代社会につき「法律」によって国民(人民)を監視し管理する「牢獄」に見立てているらしきM・フーコーの言説を想起できさえする(M・フーコーの議論をあらためて確認はしない)。西部邁とは存外に―少なくとも「法律(実定法)」に関する限りでは―「左翼」的心情の持ち主なのではないか。

 ⑪「制定法」中心になるのは「文明の逃れ難い宿命」だろうが、「歴史的自然法」を「考慮」すべしとするのが「保守的な裁判観」だ。

 ⑫所謂東京裁判の「法実証主義・罪刑法定主義」違反に対する批判に終始して当時の「国際慣習や国際歴史(の自然法)に一顧だにしない」のは「法匪のにおいがつきまとう」。
 ⑬「左翼(近代主義)的な法律観」を排すべき。「左翼的」「裁判観」を受容したうえでの「東京裁判批判などは屁のつっぱり程度にしか」ならない
 →所謂東京裁判に関連させてだが、「法実証主義・罪刑法定主義」に立つ者を「法匪のにおいがつきまとう」との表現で罵り、「左翼的」裁判観だと断定している。
 かかる単純な議論には従いていけない。東京裁判を離れてより一般的に言えば、前回に書いたこととほとんど同様になる。つまり、西部邁がこの文章で言っている「歴史的自然法」・「慣習法の法哲学」あるいは「歴史的英知」・「伝統精神」に従った<制定法(法律)>の「解釈運用」や、新しい<制定法(法律)>案の具体例を示していただきたい。
 現実に多数ある政策課題(そして、どのような内容の法律にするかという諸問題)を前にしてみれば、「歴史的自然法」を考慮せよ、と言ってみたところで、ほとんど<寝言に等しい>
 西部邁は自分が毎年払っているだろう(原稿料・印税等の)所得税の計算方法にしても、自分が利用していると思われる公共交通・エネルギー供給事業等々にしても、どのような関係法令があり、どのような具体的定めがあるかをほとんど知ってはいないし、ひょっとすれば関心もないのかもしれない。<現実遊離>を感じる所以だ。
 ついでに。現憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。裁判官が依拠すべきなのは「法律」だけではない。「憲法」も含まれるし、何よりも「良心に従」うべきとされている。
 西部邁が嫌いな現憲法すら、<制定法(法律)至上主義>を採用していない。

0598/中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書)は駄書。

 中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)はひと月以上前に通読している。

 あらためて精読したわけでもないが、昨日ケルゼンを最初に持ち出したのはたぶん西部邁と書いたのは誤りで、中島岳志。
 中島はp.23で言う-「法」の「背景」には「自然法」や「慣習法」がある。「保守派」なら「実定法至上主義、あるいは制定法絶対主義」の立場は「本来、手放しではとれないはず」なのに、「東京裁判や戦争犯罪をめぐっては、きわめて純粋法学のハンス・ケルゼンの立場、あるいは法実証主義と言われる立場で東京裁判批判を展開するという転倒が起きている」。
 きわめて不思議に思うのだが、中島は法学または法理論なるものについて、これまでにどれだけの基礎的素養を身に付けているのだろうか(まさかウィキペディアで済ませていると思ってはいないだろう)。
 経歴を見ると、中島岳志は法学部又は大学院法学研究科で「法学」の一部をすらきちんと勉強してはいない。むろんそのような経歴がなければ法学・法理論について語ってはいけないなどと主張するつもりはない。
 しかし、上のような論述を平気で恥ずかしげもなく公にできる勇気・心臓には敬服する。

 そもそも、第一に、少なくとも「慣習法」は「法」の「背景」にあるものではなく、すでに「法」の一種だ。「自然法」となると「法」の一種かについて議論の余地があるが、「法」の「背景」につねに「自然法」があるとは限らないことは-中島は別として-異論はないものと思われる。
 第二に、「きわめて純粋法学のハンス・ケルゼン」という言い方は奇妙な日本語文だ。「純粋(法学)」に「きわめて」という副詞を付ける表現自体に、法学やそもそものケルゼンについて無知なのではないか、という疑問が湧く。
 上に続けて中島は言う-「保守派」なら「道徳や慣習、伝統的価値、社会通念は『法』と無関係であるという法実証主義をこそ批判しなければなりません。…しかし、パールを援用した自称保守派の東京裁判批判は、全面的に法実証主義に依拠している」。
 この中島岳志は、①「法実証主義」(Rechtspositivismus)というものの意味をきちんと理解しているのだろうか。②「保守派」は、「法実証主義」を批判する(すべき)というが、では「左翼」は「法実証主義」者たちだ、ということを含意しているのだろうか。③そもそも「(自称)保守派」は「全面的に」「法実証主義」の立場で東京裁判を批判している、という論定は正しいのだろうか。
 じつはこの二人のこの本はほとんど読むに値しないと私は感じている。法学や国際法のきちんとした又は正確な知識・素養のない二人が、適当な(いいかげんな)概念理解のもとに適当な(いいかげんな)議論・雑談をしているだけだ、と思っている。講談社が月刊現代を休刊させるのも理解できるほど(関係はないか?)、講談社現代新書のこの企画はひどい。
 (朝日新聞社と毎日新聞社が授賞したという、もともとの中島岳志の本もじつは幼稚で他愛ないもので、授賞は<政治的>な匂いがある。)

 中島岳志に尋ねてみたいものだ。①現在の日本において、つまり現行日本国憲法のもとで「法実証主義」は採用されるべきものなのか、そうではないのか? 「法実証主義」なるものは、一概にその是か非かを答えることができないものであるのは常識的ではないのか(従って、その賛否が左翼-保守に対応するはずもない)。
 ②現憲法76条3項は
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定する。この裁判官は「良心」と「憲法及び法律」に拘束される(~に「従う」べき)という規定を、中島岳志は、「法実証主義」という概念を使ってどのように説明・解釈するか?

 幼稚な理解に立った(この人は誰から示唆・教示を受けたのか知らないがケルゼンを理解できていないと思う)、長講釈など読むに耐えない。
 上の中島の文章は東京裁判にまだ関係させているが、のちに西部邁はp.160で次のように言って論点をずらしている、あるいは論点を拡大させている。
 「日本の反左翼」は「ケルゼンにおける価値相対主義、法実証主義」を「受け入れるのか否かはっきりしていただきたい」。「法と道徳は全く別物だ、法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義」を「自称保守派」が採るというなら、「保守」ではなく「純粋の近代主義(左翼)」に与していることが明瞭になる。
 東京裁判批判者が「法実証主義」に立っているという前提的論定自体に議論する余地があるが、それは措くとしても、「法実証主義」とは「法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義」であるかの如き表現・理解だが、そもそもこの立論又は理解自体が適切なのだろうか。例えば、「法」(「実定法」でもよい)の中に「道徳や慣習」が(一部にせよ)含まれていることは当然にあり、そのことまで「法実証主義」は否定しないだろう。

 60年安保前にマルクスの一文も読まないまま日本共産党入党を申し込んだらしい西部邁は法学部出身のはずだが、まともに法学一般をあるいはケルゼンを理解しているのだろうか。平均人以上には幅広い知識・素養にもとづいて、しかし、厳密には適当ではないことを語っているように見える。
 それに何より、「ケルゼンにおける価値相対主義、法実証主義」に賛成するのか否かという問題設定・問いかけを(「反左翼」に対して)するようでは、パール意見書にかかわるより重要な論争点から目を逸らさせることになるだろう。こんな余計なことを書いて(発言して)いるから、小林よしのりや、さらに東谷暁による、瑣末な論点についての時間とエネルギーを多分に無駄にするような文章が書かれたりしているのだ。
 もっと重要な論点、議論すべき点が、現今の日本にはあるのではないか。
 八木秀次や西尾幹二のような者たちが、皇室に関する(しかも現皇太子妃に相当に特化した)議論に<かなり夢中に>なっているのも、気にかかる。
 中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社)のような駄書が出版されたのも、日本にまだ余裕があることの証左だと、納得し安心でもしておこうか。

0349/デモクラシーに再言及すると。

 デモクラシーとは元来は讃えられるべき状態又は理念を意味したのではなく、悪い状態又は忌むべき理念だったことは、長谷川三千子の文春新書にも書いてある。
 長谷川三千子・文春新書だから信用できない、という(朝日新聞・岩波シンパにはいるかもしれない)人は、かの<権威がある、正しいことが書いてあるはずの>岩波新書、福田歓一・近代民主主義とその展望(1977)のp.3にさっそく次のように書かれているのを知るとよいだろう。
 ヨーロッパの場合はどうかというと「実はここでも民主主義という言葉ははなはだいかがわしい言葉であって、それが間違いなく正当な言葉、いい意味をもった言葉として確立したのはこの第一次大戦のときだったのであります」。
 単純・素朴な<民主主義>礼賛者は、マスコミの中にいる人も含めて、こんな単純なことも、おそらくは知らないのだろう。
 もう一点、別のことに触れておくと、第二次世界大戦は<民主主義対ファシズム>の闘いだったという理解の仕方も、戦勝国側の後づけ的な説明によることが多大であることを知っておく必要があると思われる。
 日本はいかなる意味で<ファシズム>国家だったかという基本的な問題がまずあって、丸山真男のそもそもの出発点が誤っている可能性が大だが、その点は別としても、社会主義・ソ連を含めて<民主主義>陣営と一括して理解することに、相当の欺瞞があったと言うべきだろう。
 かかる<民主主義>概念の曖昧さ、「人民民主主義」とか称して社会主義は「民主主義」と矛盾しないと説かれた、その<いかがわしさ>は、1929年のケルゼン・デモクラシーの本質と価値(岩波文庫、1948)の序文の中にも実質的にはすでに論及されている。

0160/ジュリスト1334号巻頭座談会を読む-蟻川恒正に学者の資格はない。

 5/18の午前中に自分で予告したことに拘束される謂われはないのだが、面倒と思いつつも、ジュリスト1334号・特集日本国憲法60年(有斐閣)の冒頭の、佐藤幸治・高橋和之・棟居快行・蟻川恒正の座談会記事を読み終えた。
 「憲法60年」を実質的に1990年代以降に限っても結構だが、「憲法」の「現状と課題」ではなく、(1990年代以降の)「憲法学」の「現状と課題」を話題にしてほしかったものだ。その観点からは、きわめて物足りない。
 また、私自身がよく分からず退屈を感じるところもあるのだが、「憲法」の「現状と課題」というテーマであるとしても、まとまりが悪い。
 せっかく佐藤や高橋が<批判のみならず構築も>という話をしているのに、蟻川が佐藤の説に関連して刑事・裁判員制度への疑問というスジ違いと思われる発言をしたり、高橋和之の主張らしい「国民内閣制」の議論への疑問をやはり蟻川が述べたりして論点を拡散させており、前半のまとまりの悪さは主として蟻川恒正の責任だろう。
 また、佐藤幸治(元京都大学)は橋本内閣の行政改革会議や小泉内閣の司法制度改革審議会の委員の経験があるのに対して他の3名はもっぱら書斎派?のようで、「迫力」又は「格」で見劣りがする(但し、佐藤も自らの経験を語りすぎているきらいがある)。
 そして、<構築>も大切とする高橋和之の「国民内閣制」論はたんなる批判ではないと自負されており、他の者もそれを否定していないようだが、もともとその議論の内容を私が知らないためか、いかほどに現実に影響を与えたかはさっぱり解らない(結局は学者が何か言っただけ、に終わっているのではないか)。
 高橋和之はなおかつ、最後にこうも言う。-「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」。(p.36)
 私はこの発言をやや奇異に感じた。批判の対象は実際の「憲法状況」(憲法現実)なのだろう。そして、憲法学者・研究者が「憲法現実」との間に緊張関係を持っているべきだ、との程度なら理解できなくはない。しかし、社会系の学者・研究者の姿勢は一般に現実への<批判が出発点>なのかどうか。<批判が出発点>という考え方自体がすでに一つの<政治的>立場なのではないか。つまり、むろん個々の憲法状況・憲法現実によって異なりうるのだが、「現実」の動向を<支持し又は促進>しようとするのも、すでにそれも一つの<政治的>立場あるとしても、一般論としてはとってよい学者・研究者の姿勢なのではないか。
 何げなく語られる、この前東京大学教授の言葉に、影響力が強い筈のこの人を含む憲法学界の雰囲気の一端を感じた。
 この高橋は芦部信喜・憲法(岩波書店)の補訂者として名を出しているので、故芦部信喜が指導教授だったものと思われる。芦部信喜のこの概説書の憲法制定過程や九条に関する叙述を見ると、少なくとも体制側・政府側・権力者側には「批判的」だ。これらの側が作りだした(作りだしている)「憲法現実」に対して、高橋が「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」と言うのも、芦部「門下生」ならば当然だと納得しはする(賛成はしない)。
 もっとも、芦部や高橋が旧ソ連等の社会主義体制の「憲法現実」(そしてマルクス主義)に「批判」的だったかどうかは分からないが。
 すでに、樋口陽一を指導教授とする蟻川恒正が「護憲」派で親フェミニストらしいことは記したが、この推測(とくに前者)が当たっていることを、蟻川の次の発言は明瞭に示している。
 「安保と9条を共存させ続けていく」のは「すっきりしない態度」に見えるが、「すっきりしない曖昧さをどちらかに振り切ってしまうのではなく、すっきりしないけれども複雑なものを抱えて、時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家ではないか」。「曖昧さに耐えることができる者としての法律家が、今の時代、ますます必要なのではないか」。
 東京大学の長谷部恭男の説との類似性を感じさせるこの発言の背景には、憲法九条は「軍隊その他の戦力」の保持を禁止しているが軍隊もどきの自衛隊が現実にはあり、れっきとした軍隊(外国の)が日本国内に駐留しているという現実を容認したまま、かつ憲法九条の改正にも反対するという<苦衷>があるようにも見える。
 かりにそうならば、同情に値するが?、しかし、「時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家」だとはよく言ったものだ。同じことだが、「曖昧さに耐えることができる者としての法律家」
がますます必要とは、よく言ったものだ。
 私に言わせれば、この蟻川恒正は法律家「失格」だ。一般的に言っても複雑な事案から「曖昧さ」を抜き取り、法的に「すっきり
」させるのが、専門家としての法律家の仕事ではないのか。あるいは、複雑な込み入った種々の議論を論文等によって整理・分析して「曖昧さ」をなくして論点・争点を(場合によっては結論も)「すっきり」させるのが、法律に関する学者・研究者の仕事ではないのか。この人は何と<寝呆けた>ことを言っているのだろう。これで現役の東京大学教授とは、驚き、呆れる(先日の事件で東京大学法学部又は法学研究科がどういう処置をしたかは知らない)。
 この座談会は今年2/06に行われたようで、東京都国家伴奏拒否音楽教師事件の最高裁判決(2/27)の前なのだが、蟻川恒正は、日教組等の主張と同様に、通達・職務命令による学校教師に対する国歌の起立斉唱の「強制」(反対教師の処分)にも反対する発言もしている(引用しない。p.26-27)。
 その際に、「命令し制裁する権力から、調査し評価する権力へ、という形で、権力の在り方の変質を指摘できるのではないか」と、ひょっとして自分自身はシャレたことを言ったつもりかもしれないことを、述べている。
 こんな変質論は当たっていない。一般論として見ても、「権力」はとっくに、「命令し制裁」しもするし、「調査し評価」もしてきている。あるいはどちらの「権力」の契機又は要素もとっくに見出すことができる。この人は、1990年代以降の「教育」行政に関してのみしか知識がないのだろうか。
 というわけで、全体として面白く有意義な座談会では全くない。4名の責任だけでもないだろうが、日本の憲法学界の貧困さを改めて感じる。
 但し、4名のうち、棟居快行の発言はなかなか面白い。90年代以降の時代の変化の「認識」は、この人が最も鋭いと思われる。佐藤・高橋の「時代認識」はよく聞く、かなりありきたりのもので、蟻川となると、年齢が若いためか「時代認識」すらないようだ。
 それに、棟居快行は、私の問題関心に応えるような、次の発言もしている。
 「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」。
 これは重要な指摘で、よく分からないが、憲法学界全体が「危機感」を持つ必要があるのではないか。
 また、じつは私にはさっぱり意味が判らないのだが、棟居(むねすえ)にはこんな発言もある。
 議会重視・強化論は既に破綻した構想でないかとの高橋和之発言を受けて<一度もしていないので破綻もしていないのでないか>旨述べたあとで、こう言う。
 「むしろルソー的なものに対する憲法学全体のアレルギーがあるわけで、ルソー的なるものをシュミット的なものにすぐにつなげてしまって、それに対して我々の一種の恐怖心のようなものがあって封印している。そのぐらいなら護送船団的、調整的、多元的なケルゼン的というのか、そちらの方が安全牌だということでしょう」。
 ???で憲法学界は本当に「ルソー的なもの」への「アレルギー」があるのだろうか、カール・シュミットやケルゼンについての上のような言及の仕方は適切なのだろうかと思うのだが、しかし、阪本昌成と同様に(どう「同様」かは分からないが)憲法に関連する基本的「思想」・「主義」に関心をもち、知識もある憲法研究者がここにもいる、と知って喜ばしく思った。棟居快行(1955-)はネット情報によると、東京大学出身、神戸大学→成城大学→北海道大学→現在は大阪大学と、神戸大学時代にすでに「教授」であった後、渡り歩いて?いる。
 蟻川恒正の<素性>を確認できたことのほか、この棟居を発見?したのが、今回の読書の成果だった、と言っておこう。

ギャラリー
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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