秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

カント

1851/L・コワコフスキ・マルクス主義/第一巻第一章・弁証法の起源「はしがき」。

 L・コワコフスキの文章の中で2009年にトニー・ジャットが引用していた一つは、つぎだった。
 「現実には全ての事情(事態、境遇)が一つの世界観の形成に寄与しており、全ての現象は、尽きることのない無数の原因に由来している」(Leszek Kolakowski, Marxism, 3. The Break Down(英訳、1978)p.339. この欄の№.1834)。
 L・コワコフスキはまた、全巻の緒言(Preface, Vorwort)の中で、つぎのようにも書いていた。
 「いかなる主題に関する著作者であっても、完全には自己充足的でも自立してもいない分離した断片を全体(living whole)から切り出すことを余儀なくされる」(この欄の№.1839)。
 以下の試訳部分は、どちらかと言えば、上の後者の叙述に関係しているところが多いだろう。
 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976-78年)の第一巻の第一章の最初に「第一節」に当たる「1.人間存在の偶然性」よりも前にある、実質的に(第一巻ではなく)第一章の「まえがき」または「緒言」を試訳する。英訳書・第一巻9-11頁、独訳書23-25頁。一文ごとに改行し、段落の冒頭には原書にはない数字を付した。
 第一節の「1.人間存在の偶然性」という項にはその内容に関心をもち、試訳しておきたくなったので、その前にある、原書には見出しのない「はじめに(緒言)」部分も訳しておくことにした。
 哲学文献を英語(または独語)で読むことに習熟している専門家(哲学と英語・独語邦訳の両方の専門家が望ましい)によって全体が邦訳されて日本で刊行されることがもちろんよいが、その状況ではないとすれば、「しろうと」の秋月瑛二の蛮勇で試訳してこの欄でささやかに「公に」しても非難されることはないだろう。
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 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976-78)。
 第一巻・創始者(・生成)。
 第一章・弁証法の起源(・発生)(The Origins(・Die Entstehung))。
 (はじめに)
 (1) 生きている現代哲学の全ての潮流には、記録された哲学的思索のほとんど最初に遡ることのできる、それら自体の前史がある。
 それら前史には、結果として、諸潮流の呼称よりも古くてかつ明瞭に区別できる態様がある。
 すなわち、Comte 以前の実証主義(positivism)、Jaspers 以前の実存哲学(existential philosophy, Existenzphilosophie)について語るのは意味があることだ。
 マルクス主義の場合は状況が異なるように、最初は思える。その呼称は全く単純に、その創始者の名前に由来しているのだから。
 「マルクス以前のマルクス主義」なる句は、「Descartes 以前のデカルト主義」あるいは「キリスト以前のキリスト教」という矛盾した言辞(paradox)と同じだと思えるかもしれない。
 だが、特定のある人物に出発点をもつ知的潮流であっても、それら自体の前史があるのであり、それは、浮かび上がってきた諸問題や、傑出した知性によって単一の全体へと編み込まれ、新しい文化現象へと変換された諸回答の中に具現化されている。
 もちろん、「キリスト以前のキリスト教」なる句は、「キリスト教」という概念が通常はもつのとは異なる意味で「キリスト教」という語を用いており、たんなる言葉上での遊びでもありうる。
 それにもかかわらず、一般的な合意があるように、何と言っても、キリスト降臨の直前の時期でのユダ(Judaea)の霊的生活に関して懸命に集められた知識なくしては、初期キリスト教の歴史を理解することができない。
 同じことはマルクス主義についても当てはまる、と断じてよいだろう。
 「マルクス以前のマルクス主義」という句に意味はないが、しかし、マルクスの思想(thought, Denken)は、それをヨーロッパ文化史全体の中で、かつ哲学者たちがが数世紀にわたってあれこれと発している一定の根本的問題に対する回答だと理解して、そう位置づけて考察しないとすれば、内容が空虚なものになるだろう。
 そうした根本的問題やその進展および定式化のされ方の多様性に関係づけてのみ、マルクスの哲学を、その歴史的特殊性やそのもつ価値の永続性とともに理解することができる。//
 (2) 多数のマルクス主義に関する歴史家は、この四半世紀の間に、古典的ドイツ哲学がマルクスに提示し、マルクスが新しい回答を用意した諸問題を研究する貴重な仕事をしてきた。
 しかし、古典的ドイツ哲学自体は-Kant からHegel まで-、根本的でかつ太古からある諸問題について、新しい概念上(conceptual, begrifflich)の形式を考案する試みだった。
 確かにその根本諸問題が彼らによって完全に研究され尽くされたのではないけれども、そのような諸問題の見地からする以外は、意味を成さない。-かりに平準化が可能であるとすれば、全ての哲学の発展がその固有の時期との特殊な関係を奪われてしまうにつれて、哲学の歴史は存在することをやめてしまうだろう。
 一般的に言って、哲学の歴史は、互いに制限し合う二つの原理(principles, Regeln)に服している。
 一方で、どの哲学者にとっても基本的な関心を惹く諸問題は、変わらない境遇であるにもかかわらず、それでもって人間生活が向かい合っている人間の知性に生じる同一の知識欲(curiosity)に関する様相だと見なされなければならない。
 他方で、我々は全ての知的潮流または観察し得る事実の歴史的特殊性(uniqueness, Besonderheit)に光を照射し、まさしく当の哲学者たちを生み、哲学者になるのに役立つ重要な事象に可能なかぎり綿密に言及する必要がある。
 これら二つの原則を同時に遵守するのは困難だ。なぜなら、我々はそれらは相互に制限し合わざるを得ないことを知っているけれども、どういう態様で制限し合うのかを正確に知りはしない。したがって我々は、誤りに陥りやすい直感へと立ち戻ってしまうからだ。
 かくして、二つの原理は、科学的実験や資料の識別を行う方法のように信頼できかつ明瞭であるとは全く言い難い。しかし、それにもかかわらず、二つの態様での歴史的ニヒリズム(historical nihilism)に陥るのを避ける指針および手段として、これらは有用だ。
 歴史的ニヒリズムの第一が基礎にするのは、全ての哲学的努力を永遠に繰り返されるワンセットの諸問題へと系統的に格下げをして、人類の文化的進化の全景(panorama, Panorama)を無視し、一般的には人類の文化的進化を蔑視する、ということだ。
 それの第二が構成要素とするのは、全ての現象または文化的事象の特殊な性質を把握するので満足してしまう、ということだ。それが明示的であれ黙示的であれ前提としている考え方は、いずれが個々の歴史的複合体(complex, Ganzheit)の特殊性を構成していようと、それらの現象や事象の重要性の唯一の要素はつぎのことにある、つまりその歴史的複合体の全ての細部の諸事項はその複合体との関係でのみ新しい意味を獲得するということにあり、他の態様においてはもはや意義深いものではない、ということだ。-その細部の諸事項は争う余地もなく従前の諸観念を反復したものであるかもしれないけれども-。
 このように解説的に仮説を立てることは、明らかにそれ自体の歴史的ニヒリズムへと至る。全ての細部事項を共時的な全体(synchronic whole, synchrone Ganzheit)へと排他的に関係させることを強く主張することによって、解釈の継続性を全て排除し、連続している一つの閉じられた単一項的な実在物(monadic entities)の一つだと精神や事象(mind, epoch)を見なすことを我々に強いることになるからだ。
 それは予め、そのような実在物の間には情報伝達の可能性はないと、また、それらを集合的(collectively)に描写することが可能な言語はないと、決めてしまっている。すなわち、全ての概念はそれが用いられる複合体に応じて異なる意味をもつのであり、上位のまたは非歴史的な範疇は探求の根本的原理と矛盾するものとして閉め出されるのだ。//,
 (3) 以下の考究では、これら二つの極端なニヒリズムに陥るのをを避けようとする。そして、哲学者たちの知性を鍛えてきた諸問題に対する回答としてマルクスの根本思想を理解し、同時に、マルクスの天才性を発露したものおよび彼の時代の特異性のいずれとしてもある、その特殊性(uniqueness, Besonderheit)に着目してそれらを包括的に論述ことを目的とする。
 このような自らへの要求を明確に語るのは、それを実際に成功裡に行うよりもはるかに容易だ。
 そのように実際に行って完璧さにまで至るためには、哲学の完全な歴史を、あるいはじつに人間の文明の完全な歴史を、執筆しなければならないだろう。
 そのような不可能な作業を穏便に埋め合わせて補うものとして、マルクス主義がそれらに関してはヨーロッパの哲学の展開の中で新しい一歩を形成したものとして叙述することができる、そのような諸問題の簡単な説明をすることから始めよう。//

1651/弁証法ノート①-L・コワコフスキ著17章9節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき。第9節(最終節)。
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 第9節・レーニンの弁証法ノート①。
 論考や演説でのその時どきの文章を別にすれば、レーニンは、純然たる哲学を主題とする書物をもう書かなかった。
 (1921年の『戦闘的唯物論の意義』は、情報宣伝のための命令文書たる性質のものだ。
 1913年の『マルクス主義の三つの淵源と三つの要素』は一般向けの解説で、独自性はない。)
 しかしながら、彼の死後にソヴィエト同盟で、<哲学ノート(Notebooks)>(全集38巻)と題する一巻本の書物が刊行された。これはレーニンが主に1914-15年に書いた種々の著作の抜粋から成っていて、彼自身の肯定や憤慨の論評や若干の哲学的見解が付いていた。
 ある程度の場合について、このノートは彼が読んだものや彼自身の立場表明の要約なのかどうかが明確でない。
 主要なノートは弁証法に関係しており、<唯物論と経験批判論>での粗雑な定式の調子をある程度弱めているので、興味を惹く。
 そしてこのノートは、とくに、レーニンが戦時中に読んだヘーゲルの<論理(Logic)>と<歴史哲学講義(Lectures on the Philosophy of History)>の影響を受けていることを示している。
 レーニンは、ヘーゲルのこれら書物により、彼の弁証法はマルクス主義の発展においてきわめて重要なものだったと確信した。
 彼は、<資本論>はヘーゲルの<論理>の完全な研究なくしては理解できない、とすら書いた。そして、申し分のない一貫性をもって、こう付け加えた。
 『そう、半世紀経ったが、どのマルクス主義者も、マルクスを理解していなかった』。
 この突発表現(boutade)は、字義どおりには理解されてはならない。なぜなら、レーニンは自分が1915年までにマルクスを理解したと思っていなかったとは考え難いからだ。
 しかし、上の言葉は、レーニンがある程度はヘーゲルの考察に魅惑されたことを示す。//
 <ノート>が示すように、ヘーゲルの<論理>における『普遍性』と『個別性』の問題、および『合一(unity)と諸反対物の矛盾』の理論と考えられた弁証法に、レーニンはもっとも関心を持った。
 彼は、ヘーゲルの弁証法のうちに、唯物論の基礎へと転位した後でマルクス主義が引き継いで使用した主題を発見しようとした。
 抽象化の問題および直接的感知と『普遍』の知識(knowledge)の関係に関して言うと、レーニンは、カントの教理(例えば、『事物それ自体』は完全に不明確(indefinite)で、したがって無だ)とは対立するヘーゲルの全てを強調し、抽象的思考の自律的な認識上の機能を指摘した。
 レーニンの論理によると、弁証法、そして知識の理論は、みな同じことだった。 
 <唯物論と経験批判論>は感覚(sensations)に関する主観的な解釈との闘いに集中しており、感覚を世界に関する全ての知識の源泉だと見なすことで満足しているように見えた。
 ところが一方、<ノート>は、感知(perception)それ自体に含まれる抽象化という問題を設定し、認識の過程に際限のない『矛盾』を持ち込む。
 法則、したがってまた『普遍性』は個々の現象の中にすでに含まれている。そして同様に、個々人の感知は『普遍的』要素をうちに含む、別言すれば、抽象化の行為だ。
 かくして、自然は具体的でも抽象的でもあり、事物は、一般的な規則性を把握する、ただ観念上の知識の観点からのものだ。
 具体的なものは、個別の感知行為によっては完全に具体的には把握することができない。
 一方でそれは、無限に多数ある観念および一般的法則を通じてのみ自らを再生産するのであり、その結果として、認識され尽くすことが決してない。
 最も単純な現象ですら、世界の複雑性およびその全ての構成要素の相互依存性を示している。
 しかし、全ての現象はこのように相互に結び付いているがゆえに、人間の知識は必然的に不完全で、断片的なものだ。
 具体的なものをその全ての個別性とともに把握するためには、我々は、諸現象の間の全ての連結関係に関して、絶対的で普遍的な知識を持たなければならない。
 世界に関する全ての『反射物』は、新しい矛盾によって、知識が進歩するように消失したり置き換えられたりする、内部的な矛盾を帯同している。
 反射物は、『死んで』いたり『不活性』だったりするのではなく、その断片的な性質と矛盾によって、知識の増大を生み出す。だがそれは、不明確であり続けるのであり、決して絶対的な最終物へと到達することはない。
 かくして、真実(truth)は、矛盾を解消する過程としてのみ現われてくる。//
 知識の個別の構成要素と抽象的なそれとの間にはつねに一定の緊張、あるいは『矛盾』があるがゆえに、認識の過程で前者を犠牲にして後者を絶対化することは、すなわち観念論の方法で思考することは、つねに可能だ。
 『反射物』の『普遍的』な側面をレーニンが強調していること(これは彼の主要な哲学著作でのそれに関する叙述に反している)の他に、この考え方は、観念論は聖職者やブルジョアジーによって考案された欺瞞だという大雑把な解釈から離れている、第二の重要なものだ。     
 ここで現われる観念論は、『グノセオロジー〔認識論〕的淵源』を持つ。それは、精神上の逸脱というだけではなく、認識の一つの実際の側面を絶対化するもの、あるいは一面的に発展させたものだ。
 レーニンは、賢い観念論は、愚かな唯物論よりも、賢い唯物論に近い、とすら述べる。//
 <ノート>の第二の重要な主題は、『矛盾と諸反対物の合一』だ。
 レーニンは、弁証法の全体は諸反対物の合一の科学と定義することができる、と主張する。
 彼が列挙する16の『弁証法の要素』の中でとくに、諸反対物の矛盾は多様な形態で主要なモティーフになっている。
 全ての単一の事物は諸反対物の総体および合一体で、事物の全ての属性はその反対物へと変化する。内容の形式との『矛盾』、発展の低い段階での特徴は『否定の否定』によりより高い段階へと再生産される、等々。//
 これら全ての考えは、きわめて簡単なかつ一般的な言葉で表現された。したがって、分析を精細すぎるほどに行うほどのものではない。
 レーニンは、『矛盾』、論理的関係性がいかにして客体それ自体の属性に転化し得るのかについて、立ち入った検討をしていない。
 また、抽象化を感知の内容に導入することがいかにして『反射物』理論へのそれに照応するのかについて説明してもいない。
 しかしながら、エンゲルスのように、レーニンが弁証法は客体とは無関係に一般化された『世界の論理』だと説明できる普遍的方法だと見なした、ということは見てとれる。また、ヘーゲルの論理を唯物論的な変容の生の材料だと見なした、ということも、見てとれる。
 しかし、一般的に言って、レーニンの論述はエンゲルスの解釈よりも平易ではないヘーゲル主義に関する解釈を示すものだ。
 弁証法は、たんに『事物は全て変化する』と主張するものではなく、人間の知識は主体と客体の間での、いずれかの側の『絶対的な優先性』の問題は意味がなくなる、永続的な相互作用だと解釈しようとするものだ。//
 <ノート>は、主として党が機械論的(mechanistic)唯物論を批判するのに役立つように刊行された。
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 段落の途中だが、ここで区切る。②へとつづく。

1638/「哲学」逍遙⑤-L・コワコフスキ著17章7節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき。
 今回試訳掲載分の末尾の一部/第2巻単行書p.457.-「哲学としては、レーニンの著は、エンゲルスからの引用によって辛うじて成り立つ俗悪な『常識的』論拠にもとづく、粗雑なかつ素人臭いものだ」。
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 第7節・レーニンの哲学への逍遙⑤。
 反射物理論の根幹部分は、相対主義を拒否し、真実とは実在と合致することだという伝統的な考えを受容することだ。
 レーニンが言うには、真実は、感覚、観念および判断で叙述することができる。
 認識活動の全ての所産について、本当か偽りか、すなわち実在の正しい『反射物』か間違ったそれかを、そして、我々の知識とは無関係に世界を『そのもの』として提示しているかそれとも世界の歪曲した映像を与えているかを、語ることができる。
 しかし、真実の客観的性は、エンゲルスが示したように、その相対性(relativity)と矛盾しない。
 真実の相対性とは、例えば、実用主義者たち(pragmatists)が主張する、同じ判断は、誰が、いかなる状況のもとで行なっているのか、そしてそのときにそれに同意していかなる利益が生じるか、によって真実であったり間違ったものであったりする、ということを意味するのではない。
 エンゲルスが指摘したように、科学は、その範囲内では法則が有効で、従って全てが修正されることのある限界を、絶対的な確実性をもって我々に教示することはできない。
 しかしながら、このことは、真実を虚偽または逆も同じ(vice versa)に変えるのではなく、一般的に有効だと考えられることは一定の条件においてのみ当てはまるということを、たんに意味させる。  
 いかなる真実も、究極的には確証されない。この意味において、全ては相対的だ。
 全ての知識もまた、我々は普遍世界に関する全てを知ることができない、そして我々の知識は膨張し続けるにもかかわらず不完全なままだ、という意味において、相対的だ。
 しかし、このような留保は、真実は実在に合致するものだという考えに影響を与えることはない。
 エンゲルスもまた言ったように、真実に関する最も有効な規準は、つまりある判断が正しい(true)か否かを見つけ出す最良の方法は、それを実践で試験してみることだ。
 我々が自然の諸関係に関してした発見を実践の操作へと適用することができるならば、我々の行動の成功は、判断が正しい(right)ものだったことを確認するだろう、一方で失敗は、その反対のことを証明するだろう。
 実践という規準は、自然科学と社会科学のいずれにも同じく適用することができる。後者では、我々の実在に関する分析は、それにもとづく政治的行動が効果的(effective)なものであれば、確証される。
 この有効性(effecfivity)は、実用主義の意味での『有用性(utility)』とは異なる。我々の知識は、真実であるがゆえに有用である可能性をもつのであり、有用であるがゆえに真実なのではない。
 とくに、マルクス主義理論は、実践によって顕著に確証されてきた。それにもとづく労働者運動の成功は、その有効性(validity)を最もよく証明するものだ。//
 我々が真実の客観性をひとたび認識したとすれば、『思考の経済』という経験批判論の原理は、観念論者の詐術であることが分かる。実在との合致を、努力の経済にある不明瞭な規準に置き換えることを意図しているのだ。//
 また、経験批判論がカント哲学に反対しているのは、『右翼から』、すなわちカントよりも反動的な位置から狙って攻撃していることも、明確だ。
 彼らは、現象と本体(noumenon)の区別を攻撃する。しかし、そうするのは、『事物それ自体』は余計なものだ、つまりは意識(mind)から独立した実在は存在しない、ということを示すためだ。
 しかしながら、唯物論者は、それと反対の観点からカントを批判する。現象を超える世界があるということを是認するのではなく、それに関して我々は何も知ることができないと考えることによってだ。
 経験批判論者たちは、原理上は知ることができない実在はないとして、現象と事物それ自体には差違はない、と主張する。彼らはカントの不可知論を批判するが、一方では、世界の実在に関するカントの考えのうちの『唯物論的要素』を承認している。
 唯物論の観点からすれば、実在は知られているものとまだ知られていないものの二つに分けることができる。知られ得る現象と知られ得ない『事物それ自体』の二つにではない。//
 空間、時間および因果関係といった範疇に関して言うと、レーニンは、エンゲルスの解釈に従う。
 弁証法的唯物論は、因果関係を機能的な依存性だとは見なさない。そうではなく、事象間の諸関係には真の必然性(true necessity)がある。
 実践は、因果の関係性に関する現実の(real)必然性を確定する最良のものだ。事象の規則的連続性を観察し、それによって望ましい結論を得るときはいつでも、我々は、原因・結果の関係は我々の想念(imagination)の作用ではなくて物質世界の現実の性質なのだ、と論証する。
 このような連結関係は、しかしながら、弁証法的に理解されなければならない。事象のいくつかの類型があって単一の事象だけが存在するのではない場合は、一つの根本要素は他者に対する優位を維持し続けるが(これ以上の詳細はない)、つねに相互の反作用がある。
 時間と空間はいずれも、作動している知覚の力の産物ではない。感覚の<先験的な>形態でもないし、物質から離れた反対物でもない。それらは、物理的存在の客観的な性質だ。
 かくして、時間の継続と空間の整序との関係は、世界の現実的な属性(real property)であって、独立した形而上の一体たる地位をもたない。//
 レーニンは、自分が解釈する弁証法的唯物論は実践的意味での有効な武器であるだけではなく、自然科学と社会科学の現在の状態と合致する唯一の哲学でもある、と考える。
 科学が危機にある、またはそのように見えるのは、物理学者たち自身がこのことを理解していないからだ。
 『現代物理学は、産み出しつつある。弁証法的唯物論を、産もうとしている。』
 (ⅴ. 8, 同上、p.313〔=日本語版全集14巻378頁〕。)
 科学者たちは、弁証法的唯物論こそが、マルクスとエンゲルスを知らなかったために陥った困難から救われる唯一の途だということを、認識しなければならない。
 科学者の中には反対する者がいるとしても、弁証法的唯物論はすぐに勝利するだろう。彼らの態度の理由は、個別の分野では大きな業績を達成したとはいえ、自分たちのほとんどがブルジョアジーの従僕だからだ。//
 レーニンのこの著書は、それ自体の価値によってではなく、ロシア哲学の発展に与えた影響力のゆえに、興味深い。
 哲学としては、レーニンの著は、エンゲルスからの引用によって(この著全体でマルクスの文章は二つしか引用されていない)辛うじて成り立つ俗悪な(vulgar)『常識的』論拠にもとづく、粗雑なかつ素人臭い(amateurish)ものだ。そして、レーニンの反対者に対して、抑制なく悪罵を投げつけるもの(unbridled abuse)だ。
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変えた。
 段落の途中だが、ここで区切る。⑥へとつづく。


1630/「哲学」逍遙②-L・コワコフスキ著17章7節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき。
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 第7節・レーニンの哲学への逍遙②。
 この〔リュボフ・アクセルロートの〕本は、レーニンがのちに経験批判論に反駁したことのほとんど全てを含んでいた。レーニンよりも簡潔だったが、論調は同じく粗野だった。
 二つの主要な論拠が、外部世界は我々の感覚へ『反射したもの』だ、またはそれに『対応したもの』だという見方を支持するために、提示された。
 第一に、我々は正しい(true)知覚と偽り(false)のそれかを、妄想か『適正(correct)な』観察かを区別する。そして、実際と我々の感覚が一つであり同じであるなら、我々は区別することができない。
 第二に、事物は我々の頭の中にではなく、その外側にあることを、誰でも知っている。
 カントの哲学は、唯物論と観念論の間の折衷物だ。
 カントは、外側世界という観念を維持した。しかし、神学と神秘主義の影響をうけて、世界は知り得ない(unknowable)ものだと述べた。
 この折衷物は、しかしながら、作動しないだろう。我々の知識の根源は意識と物事のいずれかにある。第三の可能性は、ない。
 物事を定義することはできない。なぜなら、『始源的事実』(primal fact)だからだ。
 『全ての事物の本質』、『全ての現象の起源かつ唯一の原因』、『元来の実質』、等々。
 物事は『経験にある所与』のもので、感覚的知覚によって知ることはできない。
 観念論は、主体なくして客体はない、と主張する。しかし、科学は地球が人よりも前に存在したことを示した。そして、意識は自然の産物であるはずであり、自然の条件ではない。
 数学知識も含めた我々の全ての知識は、我々の精神にある外部世界の『反射物』から成る、経験に由来する。
 マッハのように世界は人間の創出物だと主張するのは、科学を不可能にする。なぜなら、科学は、その研究の客体としての外部世界を前提にするからだ。
 観念論は、政治上は、反動的帰結へと導く。
 マッハとアヴェナリウスは、人間を普遍世界の測量器(measure)だと考えた。
 『この主観的理論は、大きな客観的価値をもつ、とする。
 こう言うことで、貧者は富者であり、富者は貧者だ、全てが主観的な経験に拠っている、ということを証明するのは簡単だ。』
 (<哲学小論集>〔L・アクセルロート, 1906年〕、p.92。)
 主観的観念論はまた、絶対に確実に、唯我主義(solipsism)にもなる。全てが『私の』想像のうちにあれば、他の主体の存在を信じる理由は何もないからだ。
 これは原始人の哲学だ。野蛮人は文字通りに、頭の中に入ってくる全てのものの存在を信じて、夢想を現実と、偽りの知覚を真の知覚と混同する、そして、現実に存在しているものだと考える。これは、バークリイ(Berkley)、マッハ、ストルーヴェ、そしてボグダノフがそうしているのと同じだ。//
 同じ著作で、リュボフ・アクセルロートは、スタムラー(Stammler)に反対して、決定論を擁護する。スタムラーは、歴史的決定論と革命的な意思の力の両方を信じることは一貫していないと、異論を述べていた。
 この点に関しても、彼女は、プレハノフの反論と同じものを繰り返す。歴史を作るのは人間で、その行為や精神的努力の有効性は、人間が制御できない情勢に依存する。
 自然の必然性と歴史的必然性の間に、あるいはしたがって、自然科学と社会科学の方法の間に、違いはない。
 ブルジョア的観念論者は、現在だけが現実だと主張する。そうすることで、彼らは、歴史により宿命的に破滅させられる階級の恐怖を表現している。しかし、マルクス主義者には、歴史の法則に照らして予見することができるという意味で、未来は『現実』だ。//
 つぎのことは、追記しておくべきだ。すなわち、リュボフとプレハノフはいずれも、『反射物』という語は文字通りに受け取られるべきでない、と言う。
 知覚は、鏡の中の像と同じ意味における事物の『写し』ではない、そうでなく、その内容物はそれが生む客体に依存しているという意味においてだ、と。//
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 ③へとつづく。


1625/知識人の新傾向②-L・コワコフスキ著17章2節。

 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (1976, 英訳1978, 三巻合冊2008).
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき。
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 第2節・ロシア知識人の新傾向②。
 <観念論の諸問題>〔の1903年の刊行〕は、ロシア精神文化史上の重要な事件だった。
 その考えが特別に新しかった、からではない。そうではなく、進歩的知識人階層が19世紀の進化主義や功利主義から得た全ての知的かつ道徳的な固定観念(stereotypes)に対する、一致した攻撃だったからだ。また、人民主義(Populist)の見地からではなく、ましてや保守的な正統派のそれからでもなく、最も先端的な新カント派またはニーチェの見地から、マルクス主義を批判したからだ。
 あらゆる陰影をもつ革命主義者によって受容されていた中心観念(key concept)および『進歩的』知識人の主要な歴史哲学上のドグマが、つい最近まで少なくとも一定の範囲では自分たちの仲間だと見なしていた者たちからの、挑戦を受けた。
 無神論、合理主義、進化主義、進歩と因果関係という範疇、および『集産主義的』道徳性という前提-これら全ては、迷信に対する理性の勝利を示すものではなく、知性の貧困の兆候だ、と主張された。
 マルクス主義および社会主義の全てについて、自由や人格的価値と対立するものだとして、新しい危機が明るみにされた。全ての教理上の図式は、将来および集産的理想への自己認識のために現在を奴隷化するものだ、と主張された。
 同時に、十分には気づかれることなく、個人の絶対的価値やその発展と社会変革への願望の間の矛盾、に光が当てられた-とくに個人がニーチェ思想(lines)によって高く評価されるときに、明らかになる矛盾。
 <観念論の諸問題>をブルジョア的リベラル主義者の宣言書にすぎないと見なしたマルクス主義者は、すぐに、この新しい運動の基本要素について強調することになった。すなわち、自己中心主義または大衆の苦痛や熱望を侮蔑する<君主的人間(Herrenmensch)>の道徳性を示すものだ、と強調した。
 プレハノフとともに当時に最も熱心な伝統的マルクス主義哲学の擁護者だったリュボフ・アクセルロート(Lyubov Akselrod)は、雑誌< Zaray >に『オーソドクス』と称する筆名を用いて、新しい考え方に対する、この観点からする徹底的な批判論考を発表した。
 彼女は、レーニンは一般的にはそうでなかったが、真面目に事実にもとづくやり方で、反対する論拠を概括する能力があった。
 彼女の解答は、しかしながら、主として、神聖化された定式を反復すること、ベルジャエフ、フランクおよびブルガコフが説くごとき人格的価値のカルトは利己主義および社会的責任の解体を賞賛するものだと述べること、だった。
 彼女は、マルクス主義は宗教を抑圧や不平等の道具だとして攻撃すると繰り返し述べて、史的唯物論と哲学的唯物論の間の関連性を強調した。この点で、他の全てと同じく、プレハノフの信奉者だった。
 この問題は、マルクス主義者の中で生々しいものだった。
 マクス・ツェターバウム(Max Zetterbaum)は、<新時代(Die Neue Zeit)> に連載の論文を最近に発表して、史的唯物論はいかなる存在論(ontological)的立場をも含んでおらず、カントの先験哲学(transcendentalism)と両立するものだと主張した。
 ドイツとオーストリアのマルクス主義者に一般的だったこの見方は、プレハノフと『正統派』には当然に相容れないものだった。
 リュボフ・アクセルロートが書くように(こう表現する責任をとるが)、『機構的な見解』は、人類の歴史とともに人類出現以前の歴史を含む世界を統合的に解釈するものだ。
 進歩という合理的な想念(concept)が存在する余地はない。歴史的に進歩的なものは、何であれ社会と個人の維持に向かうものだ。
 (彼女は、この定式の複雑な問題を解きほぐそうとはしていない。)
 人間の歴史の研究と自然科学との間には、根本的な違いはない。
 社会科学は、物理学のようにのみ『客観的』であり、かつ物理学のように法則と反復しうる現象にかかわっている程度でのみ『客観的』だ。//
 このような概括および簡素化しすぎの解答は、批判された著作の執筆者たちがマルクス主義者だと公言せず、自分たちの名のもとで観念論を擁護したということで、気易いものになった。
 新しい異説に迷わされてマルクス主義の伝統を、『主観主義』傾向にもとづく、とくに認識論(epistemology)の経験批判論的な種類にもとづく社会哲学と結合させようとする社会民主主義者に対処するのは、より困難だった。//
 経験批判論をマルクス主義と融合させようとする試みは、西側でもまた(とくにヴィクトル・アドラー(Viktor Adler)の息子のフリートリヒ(Friedrich)により)なされた。だが、こうした思考方法をする哲学者の一派全体について語ることができるのはロシアについてだけだ、というのは特筆に値する。彼らは、短い間だけだが、かなり大きい影響力をもった。
 多くの西側『修正主義者』と違って、この一派は、マルクス主義は哲学的に中立で、いかなる認識論上の理論とも結合され得るということを争わなかった。しかし他方で、マルクス主義の社会理論や革命戦術と調和する哲学を採用しようと探求した。
 正統派による批判と同じように、彼らは、つぎのような世界に関する統合的な像を創り出そうと努めた。その中で、特定の哲学上の教理が他の何よりも、史的唯物論の基盤と革命理論を与えることになるような世界についての。
 この点で、彼らは、ロシアの社会民主主義者の間に広がっていた教条的(doctrinaire)な精神を共有していた。
 経験主義批判の哲学で彼らが魅惑されたのは、その科学的で反形而上学的な厳格主義であり、認識論への『活動家的(activistic)』な接近方法だった。
 この二つの特徴はいずれも、継承した哲学の『体系(systems)』についてのマルクス主義の聖像破壊主義的な態度と、ロシア社会民主党のボルシェヴィキ派がもつ革命的な志向と、十分に一致するように見えた。//
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 第2節、終わり。第3節は<経験批判論>。

1622/知識人の新傾向①-L・コワコフスキ著17章2節。

 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (1976, 英訳1978, 三巻合冊2008).
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。試訳をつづけて、第2節に移る。
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 第2節・ロシア知識人の新傾向①。
 ロシアの知識階層は、世紀の変わり目に、長い間、支配的な思想の様式だった実証主義、科学主義、および唯物論を放棄する目覚ましい傾向を見せた。
 同じ傾向は、詩歌、絵画、戯曲にある哲学や社会思想において、ヨーロッパ全体で見られた。
 最後の四半世紀の、自由に思考する典型的なロシア知識人は、つぎのように、考えた。
 科学は、社会生活および個人生活に関する全ての問題への解答を用意する。
 宗教は、無知と欺瞞により維持される迷信の集合体だ。
 生物学者の解剖メスは、神と霊魂を消滅させた。
 人間の歴史は、抗しがたく、『進歩』へと強いられている。
 専政体制、宗教およびそのような全ての抑圧に反対して進歩を支援するのは、知識人階層の任務だ。
 歴史的楽観主義、合理主義、および科学のカルト(the cult)はスペンサー(Spencer)流の進化論的実証主義の主眼で、19世紀の唯物論の伝統によって強固なものになった。
 その初期の段階でのロシア・マルクス主義は、継承した世界観のこれらの要素に誇りの場所を譲った。
 確かに、19世紀の後半はチェルニュイシェフスキー(Chernyshevsky)およびドブロリュボフ(Dobrolyubov)の時代のみならず、ドストエフスキー(Dostoevsky)やソロヴィヨフ(Solovyov)の時代でもあった。
 しかし、知識人階層の最も活力に満ちた影響力のある部分、そして人民主義者(Populist)であれマルクス主義者であれ、大多数の革命家たちは、合理主義的かつ進化主義的な公教要理(catechism)を、ツァーリ体制や教会に反対する彼らの闘いの自然な付随物だと受け容れた。//
 しかしながら、このような見方は、1900年代初めには、前世紀の科学的、楽観的および集産主義(collectivist)的な理想を拒絶するという以外に共通する特質を見分けるのが困難な、多様な知的態度へと途を譲り始めた。
 カント(A. I. Vvedensky)あるいはヘーゲル(B. N. Chicherin)の様式の講壇哲学に加えて、非講壇哲学者による新しい著作が、宗教的、人格主義(personalist)的、非科学的な雰囲気を伝えた。
 多数の西側の哲学者が翻訳された。ヴント(Wund)やヴィンデルバント(Windelband)のみならず、ニーチェ(Nietzsche)、ベルクソン(Bergson)、ジェイムズ(James)、アヴェナリウス(Avenarius)、マッハ(Mach)、そして自己中心的無政府主義者のマックス・スティルナー(Max Stirner)とともに、フッサール(Husserl)ですら。
 詩歌の世界では象徴主義や『退廃』が花盛りで、ロシア文学は、メレジュコフスキー(Merezhkovsky)、ジナイダ・ギピウス(Zinaida Gippius)、ブロク(Blok)、ブリュソフ(Bryusov)、ブーニン(Bunin)、ヴャチェスラフ・イワノフ(Vyacheslav)およびビェリー(Byely)といった名前で豊かになった。。
 宗教、神秘主義、東方カルトおよび秘術信仰主義(occultism)は、ほとんど一般的になった。
 ソロヴィヨフ(Solovyov)の宗教哲学は、再生した。
 悲観主義、悪魔主義、終末論的予言、神秘や形而上的深さの探求、奇想天外嗜好、色情主義、心理学および自己分析-これら全てが一つの現代的な文化へと融合した。
 メレジュコフスキーは、ベルジャエフフ(Berdyaev)やロザノフ(Rozanov)とともに、性に関する隠喩で思い耽った。
 N・ミンスキー(Minsky)はニーチェを絶賛し、宗教的な詩歌を書き、そしてボルシェヴィキに協力した。
 元マルクス主義者は、彼らの祖であるキリスト教信仰へと戻った。宗教への関心を反啓蒙主義や政治的反動と同一視していた世代が、科学的無神論を純真で頑固な楽観主義の象徴だと見なす世代に、途を譲った。//
 1903年に、小論文を集めた、<観念論の諸問題(Problems of Idealism)>が出現した。執筆者の多くは、かつてマルクス主義者だったが、マルクス主義と唯物論を、道徳的虚無主義、人格軽視、決定主義、社会を作り上げる個人を無視する社会的価値の狂信的な追求だと、非難した。
 彼らはまた、マルクス主義を、進歩を崇拝しており、将来のために現在を犠牲にしていると攻撃した。
 ベルジャエフは、倫理的な制度は唯物論者の世界観にもとづいては設定することができない、倫理はカント的なあるものとあるべきものの区別を前提にしているのだから、と主張した。
 道徳規範は経験から演繹することができず、ゆえに経験科学は倫理に対して有用ではない。
 この規範が有効であるためには、経験の世界以外に、そうであることを知覚できる世界が存在しなければならない。その有効性はまた、人の自由な、『本態(noumeal)』的性質を前提とする。  
 かくして、道徳意識は自由、神の存在および霊魂の不滅性を前提とする。
 実証主義や功利主義(utilitarianism)は、価値に関する絶対的な規準を人に与えることができない。
 ブルガコフ(Bulgakov)は、唯物論と実証主義を、形而上の謎を解くことができない、世界と人間存在を偶然の働きだと見なす、自由を否定する、道徳価値に関する規準を提供しない、という理由で攻撃した。
 世界とそこでの人間存在は、神の和合への忠誠に照らしてのみ、知覚することができる。そして、社会への関与は、宗教上の義務の意識に他ならないものにもとづいてこそ行うことができる。
 我々の行為が聖なるものとの関係によって意味を持つときにのみ、我々は、真の自己認識と、至高の人の価値である人格の統合とについて語ることができる。//
 <観念論の諸問題>のほとんどは、つぎのことで合意していた。すなわち、法規範または道徳規範の有効性は、非経験的世界を前提とするということ。そして、人格は本来固有の絶対的価値であるがゆえに、自己認識は社会からの要求の犠牲になってはならないということ。
 ノヴゴロツェフ(Novgorodtsev)は、<先験的にある>正義の規範に法が基礎づけられる必要性を強調した。
 ストルーヴェ(Struve)は、世界的な水平化や人格の差違の除去という意味での平等性という理想を批判した。
 執筆者のほとんど、とくにS・L・フランク(Frank)は、彼ら人格主義者(personalist)の見方を支持するために、ニーチェを援用した。その際にニーチェの哲学を検討して、それは道徳的功利主義、幸福追求主義、奴隷道徳を批判している、かつ『大衆の福祉』のために人格的な創造性を犠牲にすることを批判している、とした。
 ストルーヴェ、ベルジャエフ、フランクおよびアスコルドフ(Askoldov)は全てが、ニーチェが社会主義を凡人の哲学であり群衆の価値だとして攻撃していることを支援して宣伝した。
 全ての者が社会主義の理想を、抽象観念としての人(Man)のために人格的価値を抑圧することを企図するものだと見なした。
 全ての者は、歴史的法則や、<先験的な>道徳規範の恩恵のない経験上の歴史に由来する進歩の規準について、懐疑的だった。そして、社会主義のうちに、人格に対して暴威を奮う、抽象的な『集産的な(collectiv)』価値への可能性を見た。//
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 ②へとつづく。

1011/佐伯啓思のリスボン大地震・カント・「近代」への言及を受けて。

 佐伯啓思が1775年にリスボンで大地震があり、カントが影響を受けて著書まで書いた〔『美と崇高の感情の観察』→『判断力批判』)、ということを初めて記したのはおそらく新潮45(新潮社)5月号だ(p.231-)。最近の表現者37号(ジョルダン、2011.07)の座談会「文明内部の危機」でも、同旨のことが語られている(p.39-)。
 佐伯によると、ヴォルテールはアウグスティヌスやライプニッツの<神の創造した世界は最善>とかの「神学的」世界観を疑う契機とした。また、カントは、壮大な自然現象の恐怖・脅威を人間は理性と構想力で克服しようとし、そのような人間は「人格性」をもち、かつ「崇高」だ、と論じた。これは「近代的な理性中心の発想」に連なるもので、「ちょっと極端にいえば」、「リスボン大地震を一つのきっかけ」にして「自然を人間がコントロールできる」、そこに人間の「素晴らしさ、崇高さがある、という近代的なヒューマニズムのようなものが力を得てくる」。要するに、リスボン大地震はそういう(「近代」に向けての)「大きな価値観の転換をもたらした」。そして、佐伯啓思によると、今回の日本の大震災は、かかる「近代的な考え方」が限界を迎えたことを意味する、という(表現者37号p.40)。また、新潮45の5月号では、カントのような欧州近代(またはそれを用意した欧州啓蒙主義)の自然観とは異なるものとして、宮沢賢治の詩に見られる(日本の)自然観・死生観に言及している(p.234-)。
 なかなか興味深いし、別のどこかで誰かが、ルソーの人間不平等起源論の「自然に帰れ」との反文明観の吐露もリスボン大地震の影響があったと書いていたこともついでに思い出す。
 だがむろん、完全に釈然としているわけではない。ヴォルテールとカントだけを持ち出して、「欧州近代」へのリスボン大地震の影響は論証できるのだろうか、という疑問がある。「一つのきっかけ」程度で、リスボン大地震の影響を過大評価してはいけないとの議論もできそうだ。
 また、自然災害を前にして自然と闘おうとする欧米(西洋)「近代」思想と、自然と「共生」しようとする日本的自然観・死生観との対比も上の佐伯啓思の論調には見られるようだが、そもそも「自然」環境そのものが、欧州と日本では異なる、ということが出発点なのではないか、という気もする。すなわち、自然観・死生観が異なるから大地震等々の「自然」現象への対処・対応が異なるのではなく、逆に「自然」環境が異質だからこそ、欧州と日本では自然観・死生観も異なるに至ったのではないだろうか。
 1775年といえば明治維新から100年近く前の江戸時代・安永年間。その頃以降も日本ではいくたびも大地震・津波を経験したのだが、欧州については1775年の大地震まで遡らなければならないということ自体に、自然<大災害>の多寡が示されているようにも見える。
 地域によって違うだろうが、土地の肥沃度では日本の方が総じて豊かなような気もする。しかし、地震、津波、台風といった自然現象による災禍は、古代からして欧州よりも日本の方がはるかに多く、そこから、日本(・日本人)には欧州とは異なる独自の自然観・死生観が育まれてきたのではないだろうか。
 というようなことを考えていると、なかなかに面白い。

1002/大地震・大津波後2週間余-風土と思想、朝日新聞と岩波。

 〇レマン湖畔生まれのJ・J・ルソーは地中海や大西洋を見たことがあるだろうか。あったとしても、津波を知らず、大地震を経験したこともなかっただろう。

 マルクス、エンゲルスも同様。彼らに限らず、スコットランドのアダム・スミスもエドマンド・バークも(コウクも)、ドイツのヘーゲルやカントも、オーストリア(出身)のケルゼンもハイエクも、大地震や津波を経験することなく、これらによって不意に多数の人々が生命を喪うことがあることを知らないままで「思考」しただろう。

 農耕民族と狩猟民族という対比のほかに、相対的には日本の方が温暖で、欧州は(イタリア南部等を除いて)日本人な感覚では寒冷地だということも日本と欧州の差異として指摘しうるだろう。この後者は、日本の自然の方が恵まれている、という趣旨でも指摘されてきた。四季があり、美しい山と平地と海とを一箇所からでも望見できることは、日本の誇りでもある(あった)だろう。

 だが、地震と津波をおそらく全く(またはほとんど?)経験することのない欧州人と、何十年かに一度はそうした自然の「襲撃」を受けてきた日本人とでは、寒冷地と温暖地という差異も含めて、自然観、死生観、人間観、そして宗教や「思想」が異なって当たり前だと思える。

 いかに魅力的な?「欧州近代」の思想も理念も、そのままでは絶対に日本に根付くことはないと思われる。「日本化」されて吸収されてこそ、あるいは吸収されたのちに「日本」的な変容をうけてはじめて、日本と日本人のものになる、というべきだろう。
 「風土」は<思想>(や<宗教>)と無関係ではない。それぞれの「風土」ごとに<思想>や<宗教>は成り立つ、というべきだろう。
 というような、当たり前のことかもしれないことを昨今、感じている。欧州産の「思想」を理解した気分になって<偉そうに>日本(・日本人)への適用を説くエセ知識人、日本人ではなくなっている(とくに人文・社会系の)学者・研究者たちを、軽蔑しなければならない。(かつてはマルクスが…、ルソーが…、)ルーマンが…、ハーバーマスが…、レヴィ=ストロースが…などとさかんに言っているような人々は、「日本」と「日本人」をいかほど理解しているのだろうか。日本国憲法もまた「欧州近代」の思想・理念を継受して(によって作られていて)いるが、その憲法を欧米の思想・理念・原理によってのみ理解する日本の憲法学者は、はたして「日本人」だろうか。

 〇大震災・原発問題を表紙とする雑誌・週刊誌類に混じって、「日本破壊計画」と銘打った週刊朝日増刊・朝日ジャーナル2011.03.09号(朝日新聞出版)が書店に並んでいるのを見て、朝日新聞が進めている「日本破壊計画」がまさに実現しているようで、ゾッとする。この時点で、「日本破壊計画」を特集する週刊朝日増刊を出版するとは…。

 むろん偶然ではあろう。「左翼」政治活動家・編集長の山口一臣は巻頭言は、今の日本にある「アンシャン・レジーム」を解体・破壊せよとの旨を書いているが、じつに興味深い倒錯が(やはり)見られる。戦後「平和と民主主義」のもとで日本国憲法を戴きつつ「アンシャン・レジーム」を形成・維持してきた中心にあったのは、朝日新聞(社)そのものではないか。また、「アンシャン・レジーム」というフランス革命時代に愛用された語を使っていることも、山口一臣の「革命」願望を示しているに違いない。

 これまた偶然だろうが、月刊世界の別冊-2011年819号(岩波)も並んでいて、「新冷戦ではなく、共存共生の東アジアを」という大きな見出しを表紙に掲げている。掲載されているシンポジウムのテーマは「2050年のアジア―国家主義を超えて」(日本側の基調報告者は東京大学名誉教授・坂本義和。また東京大学だ)。
 尖閣問題のあとでなお「共存共生の東アジアを」と叫びつづけるとは、さすがに朝日新聞とともに「左翼(・反日)」の軸にある岩波書店、というべきだ。「国家主義」が(厳密にどう定義・理解されているのか読んでいないが)<悪>として描かれているのも、相変わらずの<反ナショナリズム>(「ナショナル」なものの否定)を明瞭にしていてうんざりする。
 大手メディアはきちんとは報道していないようだが、自衛隊とともに在日米軍は被災地で奮闘してくれてくれているようだ。
 一方、「東アジア」の中国が日本に派遣したのは東南アジアの小?国と同程度の15人らしい。これで反米・非米の「共存共生の東アジアを」と叫んでいるのだから、異様な感覚だ。今さら指摘するまでもないのだが。
 〇月刊WiLL5月号(ワック)に掲載の諸氏の「東北関東大震災/私はこう考えた」の文章のうち、(全部読んだわけではないが)最も印象に残ったのは、つぎの西部邁の文章だ(なお、西部邁を<保守>派の第一位と位置づけているわけではない)。
 「この大震災は日本国家の沈没を告げる合図だ、と感じないほうが不思議といってよい」(p.50)。
 そのような「合図」に少なくとも結果としてはなったと、後世の「日本」史学者あるいは世界の歴史家が叙述しない、という保障はまっくないだろう。西部邁はこう続けている-「そのことについての率直な感想が、どのTVのどの番組においても、ただの一言もなかったのである」。
 西尾幹二らも、また別に山際澄夫「国難を延命に利用/菅総理の卑しい魂胆」(p.233-)も縷々指摘していることだが、「戦後」のなれの果ての、「左翼」民主党政権下で大震災を被ってしまったことは、なんという悲痛なことだろう。

0415/「保守主義」と「進歩主義」の対比-佐伯啓思・現代日本のイデオロギー。

 「保守主義」なるものについてはこれまでも触れたことがある。
 全読了した佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の最後から二つめの項目(「保守主義にとってなぜ国家なのか」)の基本的主題は「国家」だが、その中で、「保守主義」と「進歩主義」の差違が対比されて述べられている。要約的になるが、以下のごとし(p.263-266)。「保守主義」を<保守>、「進歩主義」を<進歩>と略記する。
 なお、これら二概念を「政治的」に「通俗化」しないで理解すべき、と佐伯は念を押している。
 1.<進歩>とは「歴史を、人間および人間社会の進歩として見ることができるとする発想」。歴史・文明の「進歩の観念」を生み出したヨーロッパ「啓蒙主義」に由来するので、この主義者の多くは「西欧の近代」を参照し、「範型を求める」。
 <保守>とは、「進歩する歴史の観念を拒否」する、あるいは「人間の理性に対してそれほど強固な信頼をおかない」。そり代わりに「歴史」=「人間の経験の堆積」の中の「比較的変わらないもの、絶えず維持されるもの、繰り返し現れるもの」に学び、「信をおこう」とする。
 2.<進歩>は「未来を構想する」。<保守>は「過去に思いをよせる」。前者は「未来にユートピアを想定し」、後者は「過去に、あらかじめ失われたユートピアを設定」する、と言えるかも。
 3.カントに対してヘルダーやヴィーコーが、フランス革命に対してバークが異議を唱えたように、<保守>は<進歩>に対する批判として、とくに「啓蒙主義」(>「普遍主義」・「理性主義」)批判として出現した。
 <保守>にとって重要なのは、第一に、「普遍史」ではなく「各国史」・「各国の国民性ないし国民精神のありか」。第二に、古代→封建→近代という「発展」と「歴史」を捉えない。<進歩>においては「進歩する歴史」ならば、<保守>においては「重層する歴史」。「歴史」の底には「微動だにしない層」や「比較的変化のない層」があるとともに「表層」では「さまざまな変化」が生じている、という「歴史観」だ。
 4.両者の対立は、「普遍主義」と「個別主義」、「理性主義」と「経験主義」の各対立とも言える。
 以上は、反復するが、佐伯の論じたい主題そのものではない。しかし、なかなか参考になる整理・分析の仕方ではないか。
 若いとき、私は明らかに「進歩主義」者、そして「合理(理性)主義」者だったと回想できる。しかし、今では、上のように説明される二主義のうち、「保守主義」に強く傾いている。
 加齢のせいもある。加齢とは、つまりある程度長く「生きてきた」ということとは、世の中は「建前」・「理念」や「綺麗事」だけで動いていない、社会に関しても人間に関しても(ついでに医学にかかわる「人体」の諸現象についても)「人知」の及ばない(その意味で「偶然的」な)、あるいは「人知」(=理性)ではどうしようもできない、どう説明もできない(その意味で「宿命的」・「運命的」な)事柄がある、ということが(若いときに比べて)より理解できるようになった、ということを(も)意味しているだろう。かかる理解は、<近代的「個人」>の「理性」というよりも、過去からの「歴史」の堆積の中にある「慣行」・「伝統」にもとづいて社会や人間は動く場合が少なくない(そしてその方が「理性」による「変革」にもとづくよりも首尾良いことが少なくない)、ということを認めることにつながるだろう。このような認識は、佐伯啓思が意味させる「保守主義」に親近的だと思われる。
 付記する。佐伯は「進歩主義」は政治的な「左翼」と同義ではないと強調しつつ、別の箇所では日本について次のようなことも言っている(p.269-p.270)。
 1.「社会主義の崩壊」により「左翼進歩的陣営」も崩壊したと見るのは「まちがっている」。<歴史の進歩主義>はなお根強く、「これほどまでに、進歩主義が社会の全面を覆った時代はめずらしい」。
 2.<歴史の進歩主義>の中には、①「薄められた『サヨク』としての進歩主義」の他に②「いわば旧保守派の進歩主義という奇妙なもの」もある。これらはA「グローバルなリベラル・デモクラシー」とB「グローバルなキャピタリズム」の勝利を全面的に認める、という「進歩主義」だ。一方の極にはa「市民主義や朝日新聞」が在り、他極にはb「経団連や日経新聞」が在る。aは「人権+デモクラシー」で、bは「経済的自由主義+デモクラシー」だ。そしてともに「ヨーロッパの啓蒙主義」が生んだ、これの「ある種の後継者」だ。
 そして言う-3.「いまや圧倒的に苦境に立たされているのは保守主義なのである」。
 上の2.には具体的には異論があるかもしれない。但し、読売新聞が決して「保守的」ではなく、朝日・日経とANY連合を組んだことも(かなり飛躍するようでもあるが)理解できそうな気がする。
 あとの一般的な1.と3.はこの指摘のとおりではなかろうか(10年前の本の指摘だが現在でも)。「進歩主義」による皮相な諸現象についての言及も佐伯の本には多いのだが、いちいち紹介する時間的余裕がない。
 ようやく一つの区切りがついた。再びこの本に言及し、又は引用する機会がきっとあるだろう。

0406/佐伯啓思・自由とは何か-「自己責任論」から「理由なき殺人」まで(講談社)の120頁を読む。

 佐伯啓思・自由とは何か「自己責任論」から「理由なき殺人」まで(講談社現代新書、2004.11)を偶々見つけて中を見ると、第1章・ディレンマに陥る「自由」と第2章・「なぜ人を殺してはならないのか」という問い(~p.100)は既に読んだ形跡があった。一部だけを読んでまた別の本に向かってしまうという傾向がたしかにある(それだけ読みたい本が多いからでもある)。
 区切りをつけておこうと、佐伯啓思・上掲書を第4章・援助交際と現代リベラリズム、第5章・リベラリズムの語られない前提、第3章・ケンブリッジ・サークルと現代の「自由」の順で昨夜一気に読んだ(p.101~p.222)。あと、第6章のみが残っている。
 面白い。<戦後民主主義の虚妄>を佐伯は衝いたようだが、たしかに<戦後民主主義>が前提とする個人的「自由」の脆うさ・生気のなさの不可避性が理解できる気がする。現代日本について感じる「骨格」のなさや「規範意識」の欠如についても。
 引用しながらの紹介は避ける。<戦後民主主義>を<右から>の攻撃から「保守」しようという<情緒>で凝り固まっている人々は、佐伯の「自由」(・リベラリズム)論に関心はもてず、あるいはそもそも理解できないのではないかと思われる。

0235/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(成文堂、2000)を全読了。

 たぶん6/15(金)の夜だろう、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)を全読了した。
 中川八洋の著(保守主義の哲学ほか)と比べると、登場させる思想家・哲学者は少ないが、ヒュームアダム・スミスについてはより詳しい。
 また、中川が<悪しき>思想家の中に分類しているヘーゲルについても詳しく、むしろ親近的に分析・紹介している。
 阪本昌成はルソーやカントらの国制設計上の曖昧さを批判的に克服しようとして苦労したのがヘーゲルだったと見ているようだ。
 阪本によれば、「わが国の憲法学におけるヘーゲル研究は、マルクス主義憲法学においてネガティブな形で継承されたこと以外、華々しくない」が、それは「マルクスによるヘーゲル批判を鵜呑みにした」からで、例えば、「ヘーゲルこそ合理主義的啓蒙思想〔秋月注-ルソー、ロックら〕に果敢に挑戦した人物だった」(p.106-107)。ヘーゲルは「ホッブズ以来の自然権・社会契約理論が社会的原子論であるばかりではなく、徹底したフィクションだ>と批判しつづけた」(p.126)。あるいは、「ヘーゲルによる市民社会の分析は、マルクスよりもはるかに適切」で、「国家と市民社会の相対的分離を見抜いていた」が、「マルクスは国家が市民社会の階級構造を反映しているとみたために、”階級対立がなくなれば国家が消滅する”などという致命的な誤りに陥ってしまった」(p.132)、等々。
 このような中川との違いが出ている背景又は理由の少なくとも一つは、中川が広く政治思想(社会思想)の専門で、かつマルクス主義に(批判的にでも継承されて)つながるか否かによって思想の<正・邪>が判別されているように見られるのに対して、阪本はマルクス主義はもはや<論敵>ではないとしてマルクス主義との関係に焦点を当ててはおらず、かつ専門の憲法学の観点から(国家・人権等の基本概念に主な関心を寄せて)諸文献を読んでいるからだ、と考えられる。
 それにしても阪本昌成が日本の憲法学者にしては?思想史への広汎な関心を持っていること、現に相当量を読んでいること自体に感心する。別の機会に、<わが国嫡流憲法学の特徴>(第二部第3章)と<フランス革命>に関する叙述(とくに第二部第6章)に限って掻い摘んで紹介して、メモ書きとしておこう。

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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
  • 0775/総選挙と「左翼全体主義」、小林よしのり編・日本を貶めた10人の売国政治家(幻冬舎新書)。
  • 0773/ルソー・人間不平等起原論(1755)を邦訳(中公クラシックス)で読了。
  • 0772/中学歴史教科書の分析・評価。
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  • 0768/小池百合子と山崎拓の対立、NHK6/22の「反日捏造番組」。
  • 0761/阪本昌成におけるフランス革命-1。
  • 0759/山室信一・憲法九条の思想水脈(朝日新聞社、2007)の欺瞞-なぜ「司馬遼太郎賞」。
  • 0757/NHK「売国反日プロデューサー」列伝-長井暁・濱崎憲一ら。
  • 0751/全体主義者・高嶋伸欣-週刊金曜日6/19号、NHK番組に関して。
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