秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

オバマ大統領

1072/米中冷戦時代への突入-中西輝政論考。

 〇大した数を読んではいないが、昨年末に読んだ論壇誌類中の論考の白眉は、月刊WiLL2月号(ワック)の中西輝政「二〇二〇年は日本の時代」(p.30-47)だろう。実質的に巻頭論文であり、表紙でもこのタイトルが最右翼に掲示されている。もっとも、産経新聞を含む大手メディアは無視または軽視するかもしれない。
 「二〇二〇年は日本の時代」は文末の(条件つきの)楽観的予測から取ったものだろうが、内容的には、中西輝政が類似のことも指摘・主張している、月刊正論2月号(産経)中の、「米中対峙最前線という決断」(p.86-)というタイトルの方がよいかもしれない。
 以下は、月刊WiLLの方の要約的紹介。
 ・「非常に優れた保守の論客」との会話で中国の脅威を軽視しているのに驚き、日本の「保守の分岐点」はここにある、と感じた。「中国の脅威をどう考えるか」で保守の立ち位置も極北・極南ほどに離れる(p.30)。
 ・アメリカが日本に及ぼす害悪は日本「文明」に対するものである一方、中国のそれは、日本「国家」の存立を劇的に脅かしている。また、深刻度は同じでも切迫度に大きな差がある。日本の「保守」は「国家の危機」にこそ敏感になるべきだ(p.31)。
 ・近年の中国の軍事・外交動向に欧米諸国は「あらたな国家モデル」の提示と「世界覇権」への意図を感じ取った。多くの途上国は前者に影響を受けている。リビアも「中国モデル」継承者だったが、この国に介入した英米軍等にはそのモデルは「許さない」との意志があった。これは<米中新冷戦>構図の北アフリカ版で、「世界秩序」は歴史的に重大なとば口に立っている。この「中国の脅威」に「世界中で一番鈍感なのは、日本人」だ(p.32-33)。

 ・尖閣事件等々は中国の本質を分からせるに十分だった。「軍部による中国の国家支配がはじまっている」。アメリカ・オバマ大統領の2011.11.16演説は東シナ海・インド洋へと広がる「中国の動きを軍事的に牽制するため」のもの。かかる変化は遅すぎるものだが、「アメリカが中国との対峙を明言」したことは、それだけ「中国の脅威が増した」ことを意味する。「米中は間違いなく、冷戦時代に突入した」(p.34-35)。

 ・日本の政治家・官僚・国民はかかる「歴史の転換」を「正しく感じ取って」いるか。与野党もマスコミも「自らの生活が第一」と、「現状にしがみついて」いるのではないか(p.35-36)。
 ・日本が現状のままで2015年まで推移すれば、日本「国家」の存立自体が「非常に困難な状況に陥る」=「破局が到来する」可能性が大きい。理由はつぎの三つ。  ①財政・経済問題。経済力、世界競争力は凋落したまま。  ②安保・外交。遅くとも2020年代頃に尖閣は中国に奪われているだろう。現状を客観的に見れば、すでに尖閣の実効的支配権は中国が持っているとも言える。現状はすでに「平時」ではないが、日本政府の動きは鈍い。中国を囲むロシアも韓国もアジア諸国も軍備増強させている中で、「中国包囲網」の「もっとも弱い環」は日本だ。中国は当然に日本をターゲットにして包囲網打破を図るが、それは「軍事だけではなく、政治工作や世論工作など、あらゆる手段」を使ったものになろう。  ③「政党構造が融解し、国内政治がまったく機能していないこと」。これの最大の原因は政治家を含む国民全体が「生活が第一」と、「腐敗した個人主義の暴走に身を委ね、民主主義がまったく機能していない」ことだ。
 これで2/3くらいまで。

 〇反米=自立の主張はあってよいが、対中国を含む「反共」を無視・軽視してはならず、むしろ後者をこそ優先すべき旨は、これまで何度も書いてきた。  佐伯啓思の冴えた分析に感心しながらも(最近も読んではいるがこの欄で言及するのは少なくなっている)、なぜこの人は(アメリカまたは近代欧米思想を批判的に語るのに)コミュニズム・共産主義批判または(現存する社会主義国である)中国に対する批判的叙述が乏しいのだろうとも感じてきた。
 反米・自立が達成されたとしても、同時に別の国(中国)に従属した形式的「自立」に変わったのでは元も子もなくなる、とも最近に書いた。
 アメリカは防衛線を東南方向へと移し、朝鮮半島と日本は中国に任せる、従って日米安保条約は廃止される(日本が対中国防衛をするためには自主軍備によることが必要になる)との情報または予測も語られている。
 日々の生活に、それなりの既得権益の維持に、それぞれの国民やマスコミを含む会社・団体が汲々としている間に、日本「国家」自体が消滅する(これは日本の中国の一州・自治州化か北朝鮮の如き中国傀儡政権の日本における誕生を意味する)危機にあるのではないか。
 そのような中国「共産主義」国家の脅威を、中西輝政のように語る論者がもっと増えなければならない。親中・媚中・屈中の朝日新聞や同新聞御用達の大学教授・評論家等に期待できないことだけははっきりしているが。
 中国は「社会主義的市場経済」の国で共産主義国家でもそれを目指す国家でもない、という認識があるとすれば、それは根本的に間違っている。日本共産党・不破哲三が中国を「現存する社会主義国」と見なして中国の今後に期待していること(この欄でいつか触れた)は一つの例証ではあるだろう。
 上の続きの紹介は別の回で試みる。

0814/資料・史料-2009.09.24鳩山由紀夫国連一般討論演説。

 資料・史料-2009.09.24鳩山由紀夫首相国連一般討論演説 
 /第64回国連総会における鳩山総理大臣一般討論演説/2009年9月24日/ニューヨーク

 議長、ご列席の皆様、/トレイキ議長の第64回国連総会議長への就任をお祝い申し上げます。また、デスコト前議長の卓越した指導力に敬意を表します。
 私は、国連が直面する様々な課題への対応において潘基文事務総長が示している献身と指導力を、高く評価します。

 議長、/日本で、制限的なものとは言え選挙制度が始まったのは、今から120年前の1889年のことです。その後、20世紀のはじめには「大正デモクラシー」と呼ばれる時代もあり、選挙によって政府が変わることは、実は日本でも当たり前のことでした。
 このように、日本は民主主義と選挙の確かな伝統を持つ国です。しかし、第二次世界大戦後の日本では、投票を通じた政権交代が行われることはありませんでした。政と官の間の緊張関係が消えて、結果として日本外交から活力を奪ってしまった面があることは否めません。
 しかし去る8月30日、日本国民は総選挙において遂に政権交代を選択しました。それは日本の民主主義の勝利であり、国民の勝利でした。そして先週9月16日、私が日本国首相に就任し、今ここに立っています。
 私の率いる新政権は、民主主義のダイナミズムを体現し、オール・ジャパンの陣容で、直面する内政・外交の課題に全力で取り組む所存です。

 議長、/日本が国際連合への加盟を承認されたのは、1956年12月18日です。その時の首相が、我が祖父、鳩山一郎でした。
 日本の国連デビューとなった第11回総会で、当時の重光葵外相は次のように述べています。
 「日本の今日の政治、経済、文化の実質は、過去一世紀の欧米及びアジア両文明の融合の産物であって、日本はある意味において東西の架け橋となりうるのであります。このような地位にある日本は、その大きな責任を十分自覚しておるのであります」と。
 当時の首相である祖父・一郎は「友愛」思想の唱導者でした。友愛とは、自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方です。
 重光葵の演説にある「架け橋」という考え方が、一郎の友愛思想と共鳴していることは実に興味深いことです。

 それから53年後の今日、同じ国連総会の場で、私は日本が再び「架け橋」としての役割を果たさんことを、高らかに宣言したいと思います。

 議長、/今日、世界はいくつもの困難な挑戦に直面しています。決して、やさしい時代ではありません。しかし、「新しい日本」はそのような挑戦に背を向けることはしません。友愛精神に基づき、東洋と西洋の間、先進国と途上国の間、多様な文明の間等で世界の「架け橋」となるべく、全力を尽くしていきます。
 本日、私は日本が架け橋となって挑むべき5つの挑戦について述べます。

 第一は、世界的な経済危機への対処です。
 世界経済は、最悪期を脱したかに見えるものの、雇用問題をはじめ、予断を許さない状態が続いています。
 そこでまず、日本がやるべきことは、自身の経済再生です。新しい日本にはそのためのプランがあります。
 年間5.5兆円の子ども手当は、教育への投資であると同時に、消費刺激策であり、少子化対策となります。
 自動車の暫定税率の廃止は、年2.5兆円の減税策であるとともに、流通インフラの活性化によって日本産業のコスト競争力を改善することが期待されます。
 後で述べるように、我々は極めて高い気候変動対策の目標を掲げていますが、そのことによって電気自動車、太陽光発電、クリーンエネルギー事業など、新しい市場が生まれるでしょう。また、海洋・宇宙・次世代ITなどの分野でも、新産業・新技術の創造を通じて安定的な成長力を確保します。
 政権交代を通じた経済政策の見直しにより、日本経済は復活の狼煙を上げるに違いありません。

 次に、新しい日本はグローバリゼーションに適切に対処する必要があります。グローバリゼーションという世界的な相互依存の深化には、光の側面と影の側面があります。光の部分を伸ばし、影の部分を制御することが今日の世界の課題となっています。
 貿易・投資の自由化を進める一方、市場メカニズム任せでは調整困難な「貧困と格差」の問題や、過剰なマネーゲームを制御する仕組みづくりのため、国際協調が求められています。G20を含む国際会議の場で、日本は共通のルール作りに向けて、「架け橋」の役割を果たしていきます。

 二番目の挑戦は、気候変動問題への取組みです。
 異常気象の頻発や海水面の上昇などに見られるように、地球温暖化は我々の目の前に現実に存在する危機です。しかも、一国で取り組んでも限られた効果しかあがりません。ところが、先進国と途上国、先進国の間、途上国の間と、各国の間で短期的な利害が一致せず、ポスト京都議定書の枠組み構築の道のりは決して平坦ではありません。
 新しい日本政府は、温室効果ガスの削減目標として、1990年比で言えば2020年までに25%削減を目指すという非常に高い目標を掲げました。交渉状況に応じ、途上国に対して、従来以上の資金的、技術的な支援を行う用意があることも明らかにしました。もちろん、すべての主要国による公平かつ実効性のある国際的枠組みの構築及び意欲的な目標の合意がわが国の国際約束の「前提」となりますが、日本がこのような野心的な誓約を提示したのは、日本が利害関係の異なる国々の「架け橋」となり、将来世代のためにこの地球を守りたい、と願ったからにほかなりません。
 私はご臨席の皆様に強く訴えます。来るべきCOP15を必ず成功させようではありませんか。
 第三は、核軍縮・不拡散にむけた挑戦です。
 米ロ間で核兵器削減交渉が進展しつつあることを私は歓迎します。英仏の独自のイニシアティブも同様に評価しており、すべての核保有国が具体的な核軍縮措置をとることが急務です。そして、新たに核兵器の開発を企図する国が存在するほか、核物質や核技術がテロリストの手に渡り、実際に使われる危険性は、今後ますます高まりかねません。
 この分野でも、日本は核保有国と非核保有国の「架け橋」となって核軍縮の促進役になれる可能性があります。すなわち、核保有国に核軍縮を促し、非核保有国に核兵器保有の誘惑を絶つよう、最も説得力を持って主張できるのは、唯一の被爆国としてノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキを訴え続けてきた日本、そして、核保有の潜在的能力を持ちながら非核三原則を掲げ続けている日本です。
 今年4月、オバマ大統領がプラハで「核兵器のない世界」の構想を示したことは、世界中の人々を勇気づけました。私もその一人です。来年5月のNPT運用検討会議を成功させるためにも、CTBTの早期発効やカットオフ条約交渉の早期開始に向け、我々は今こそ行動すべきです。
 ここで北朝鮮について触れておかなければなりません。北朝鮮による核実験とミサイル発射は、地域のみならず国際社会全体の平和と安全に対する脅威であり、断固として認められません。北朝鮮が累次の安保理決議を完全に実施すること、そして国際社会が諸決議を履行することが重要です。日本は、六者会合を通じて朝鮮半島の非核化を実現するために努力を続けます。日朝関係については、日朝平壌宣言に則り、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を誠意をもって清算して国交正常化を図っていきます。特に、拉致問題については、昨年に合意したとおり速やかに全面的な調査を開始する等の、北朝鮮による前向きな行動が日朝関係進展の糸口となるでありましょうし、そのような北朝鮮による前向きかつ誠意ある行動があれば、日本としても前向きに対応する用意があります。
 第四の挑戦は、平和構築・開発・貧困の問題です。
 21世紀の今日においても、貧困、感染症、保健、教育、水と衛生、食料、麻薬などの問題から世界は解放されていません。特に、途上国において事態は深刻です。破綻国家がテロの温床になるという、残念な現実も指摘せざるをえません。昨年来の世界経済危機は、状況の悪化に拍車をかけています。新しい日本はここでも「架け橋」になるべきです。
 日本は国際機関やNGOとも連携し、途上国支援を質と量の双方で強化していきます。アフリカ開発会議(TICAD)のプロセスを継続・強化するとともに、ミレニアム開発目標(MDGs)の達成と人間の安全保障の推進に向け、努力を倍加したいと考えます。
 アフガニスタンの安定と復興のために、日本は、警察支援を含む治安能力の強化や社会インフラの整備、日本の援助実施機関であるJICAによる農業支援や職業訓練を含む人材育成など幅広い分野での支援を実施してきました。その上に立って、アフガニスタンがその安定と復興のために注ぐ努力を、国際社会とともに積極的に支援します。言うまでもなく、アフガニスタンで平和を達成し、国の再建を進める主役はアフガニスタンの人々です。その際、反政府勢力との和解や再統合は、今後重要な課題となります。日本は、この分野で、和解に応じた人々に生活手段を提供するための職業訓練などの社会復帰支援の検討も含め、有益な貢献を果たします。また、周辺地域の安定も重要であり、パキスタンなどに対する支援も着実に行います。
 今日の世界において、「国家の安全保障」と「人間の安全保障」はますます分離不可能になってきました。様々な国家も、民族も、人種も、宗教も、互いの違いを認めて共生する、つまり「友愛」の理念によって「支えあう安全保障(shared security)」を実現することこそが、人類を救う道なのです。
 第五は、東アジア共同体の構築という挑戦です。
 今日、アジア太平洋地域に深く関わらずして日本が発展する道はありません。「開かれた地域主義」の原則に立ちながら、この地域の安全保障上のリスクを減らし、経済的なダイナミズムを共有しあうことは、わが国にとってはもちろんのこと、地域にとっても国際社会にとっても大きな利益になるでしょう。
 これまで日本は、過去の誤った行動に起因する歴史的事情もあり、この地域で積極的な役割を果たすことに躊躇がありました。新しい日本は、歴史を乗り越えてアジアの国々の「架け橋」となることを望んでいます。
 FTA、金融、通貨、エネルギー、環境、災害救援など――できる分野から、協力し合えるパートナー同士が一歩一歩、協力を積み重ねることの延長線上に、東アジア共同体が姿を現すことを期待しています。もちろん、ローマは一日にしてならず、です。ゆっくりでも着実に進めていこうではありませんか。
 議長、/最後に私は、国際連合こそがまさに「架け橋」の外交の表現の場であることを、列席の皆さま方に思い起こしていただきたいと思います。
 国際の平和と安全、開発、環境などの諸問題の解決にあたり、国連の果たす役割には極めて大きいものがあります。私は、国連をもっと活かしたいし、国連全体の実効性と効率性を高めたいとも思います。
 日本は国連、中でも安全保障理事会において、様々な国の間の「架け橋」として、より大きな役割を果たすことができる、と私は確信しています。安全保障理事会の常任・非常任理事国の議席の拡大と日本の常任理事国入りを目指し、そのための安保理改革に関する政府間交渉に積極的に取り組んでまいります。
 以上、「新しい日本」からのメッセージをお伝えしました。
 ご清聴に感謝します。
 -------------------------
 いくつかコメント。
 気になる言葉・表現-①選挙による「政権交代」がなかったことが、「政と官の間の緊張関係が消えて、結果として日本外交から活力を奪ってしまった面がある」。②「日本国民は総選挙において遂に政権交代を選択しました。それは日本の民主主義の勝利であり、国民の勝利でした」。←これらの認識は妥当か?
 ③「これまで日本は、過去の誤った行動に起因する歴史的事情もあり、この地域〔東アジア〕で積極的な役割を果たすことに躊躇がありました」。←日本の「過去の誤った行動」と明言。これは何の意味か? かく発言する意義・必要性は?
 幼児的美文-①「友愛とは、自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方です」。
 ②「新しい日本」は、「友愛精神に基づき、東洋と西洋の間、先進国と途上国の間、多様な文明の間等で世界の「架け橋」となるべく、全力を尽くしていきます。」
 ③「今日の世界」では「国家の安全保障」と「人間の安全保障」は「ますます分離不可能になって」いる。「様々な国家も、民族も、人種も、宗教も、互いの違いを認めて共生する、つまり「友愛」の理念によって「支えあう安全保障」を実現することこそが、人類を救う道なのです。
 上の③などは、かかることを国連総会(!)で発言することを<恥ずかしく>思わないのだろうか。どこかの高校あたりの(何十年か前の?)弁論大会ではあるまいし。
 地球環境問題、核問題、五本柱の一つとされた「東アジア共同体の構築」問題等々についての内容的なコメントは省略。 

0807/資料・史料-2009.04.05米オバマ大統領プラハ演説。

 資料・史料-2009.04.05米オバマ大統領プラハ演説
 平成21年4月5日
 <在日アメリカ大使館ウェブサイトによる。「正文は英文」で、「参考のための仮翻訳」だと注記されている。>

 //バラク・オバマ大統領のフラチャニ広場(プラハ)での演説
 2009年4月5日、チェコ共和国プラハ

 温かい歓迎をありがとうございます。プラハの皆さん、ありがとうございます。そしてチェコ共和国の皆さん、ありがとうございます。本日私は、ヨーロッパの中心にあるこの素晴らしい都市の中心部に皆さんと共に立つことを誇りに思います。また、私の前任者の1人の表現を借りれば、ミシェル・オバマをプラハに連れてきた男であることを誇りに思います。
 クラウス大統領、トポラーネク首相をはじめとする、ご臨席の政府要人の皆さん、温かいおもてなしに感謝します。そしてチェコ共和国民の皆さんの米国への友情に、お礼の言葉を申し上げます。
 私は、シカゴで長年暮らす間に、チェコの人たちが陽気な、楽しい友人であることを知るようになりました。私の後ろには、チェコ国民の英雄トーマス・マサリク大統領の銅像があります。1918年に、米国がチェコの独立を支援することを誓約した後、マサリク大統領はシカゴで、10万人以上と推定される聴衆を前に演説をしました。私はマサリク大統領の記録に到達することはできないと思いますが、シカゴからプラハへ、彼の足跡をたどることを光栄に思います。
 1000年以上にわたり、プラハは、世界のいかなる都市とも異なる、独自の道を歩んできました。皆さんは、戦争も平和も体験してきました。いくつもの帝国の盛衰を目の当たりにしてきました。そして、芸術と科学、政治と文学の世界で、革命の先頭に立ってきました。そうした中で、プラハの人々は、一貫して自らの道を追求し、自らの運命を切り開くことを主張してきました。そして、この古い歴史と若さを合わせ持つ「黄金の都」は、皆さんの不屈の精神を表す生きた記念碑となっています。
 私が生まれたころ、世界は分裂しており、私たちの国は今とは大きく異なる状況に直面していました。当時、私のような人間がいつの日か米国大統領になると予想する人は、ほとんどいませんでした。米国大統領がいつの日かこのようにプラハの聴衆を前に話をすることができるようになると予想する人は、ほとんどいませんでした。そして、チェコ共和国が自由な国となり、北大西洋条約機構(NATO)の一員となり、統一されたヨーロッパを指導する立場になると予想する人はほとんどいませんでした。そのような考えは、夢のような話として片付けられたでしょう。
 私たちが今日ここにいるのは、世界は変わることができないという声を意に介さなかった大勢の人々のおかげです。
 私たちが今日ここにいるのは、壁のどちら側に住んでいようとも、またどのような外見であろうとも、すべての人間に自由という権利があると主張し、そのために危険を冒した人々の勇気のおかげです。
 私たちが今日ここにいるのは、プラハの春のおかげです。信念に基づき、ひたすら自由と機会を追求する行動が、戦車と武器の力で国民の意思を弾圧しようとする人々を恥じ入らせてくれたおかげです。
 私たちが今日ここにいるのは、今から20年前に、約束された新しい日の到来と、あまりに長い間与えられないままだった基本的人権を求めて、街頭デモを行ったプラハの市民のおかげです。「Sametová revoluce」、すなわち「ビロード革命」は、私たちに多くのことを教えてくれました。平和的な抗議が帝国の基礎を揺るがし、イデオロギーの空虚さを明るみに出すことができること、小国が世界の出来事に極めて重要な役割を果たせること、若者が先頭に立って旧来の対立を克服することができること、そして精神的なリーダーシップはいかなる武器よりも強力であるということを教えてくれたのです。
 平和で統一された自由なヨーロッパの中心で、今、私が皆さんにお話しすることができるのはそのためです。指導者たちが信じなかったときでさえも、普通の人々が、分裂を克服できると信じたからです。壁を取り壊すことができると信じ、平和を達成できると信じたからです。
 私たちが今日ここにいるのは、あらゆる困難にもかかわらず、米国民とチェコ国民が、この日が必ず来ると信じたからです。
 私たちは、こうした歴史を共有しています。しかし今、この世代、私たちの世代が、何もせずにいることはできません。私たちも選択を迫られています。世界が統合に向かうにつれ、相互のつながりが増しています。そして、世界的な経済危機、気候変動、旧来の対立という根強い脅威、新たな脅威、壊滅的な効果を持つ兵器の拡散といった問題が、とても制御できないほどのスピードで進んできました。
 いずれの課題も、すぐに、あるいは容易に解決できるものではありません。いずれも、解決するには、私たちが相互の意見に耳を傾けて協力すること、時に生じる意見の相違ではなく、共通の利害に重点を置くこと、そして私たちを分裂させ得るいかなる力よりも強い、共通の価値観を再確認することが必要な課題ばかりです。これこそ、私たちが続けていかなければならない取り組みです。私がヨーロッパへ来たのは、その取り組みを始めるためです。
 私たちが再び繁栄するためには、国境を越えて協調した行動を取ることが必要です。そうした行動とは、新たな雇用をつくり出すために投資することであり、成長を阻む保護主義の壁に抵抗することです。また、金融システムを改革し、乱用や今後の危機を防ぐための新たな規則を定めることです。
 そして私たちには、共通の繁栄と共通の人間性に対する義務を負っており、新興市場や、おそらく金融危機とはほとんど関係がなかったにもかかわらず、そのために最も苦しんでいる貧しい人々に手を差し伸べなければなりません。それ故、私たちは、誰もが一定の援助を受けることができるように、今週、国際通貨基金に1兆ドルを超える資金を拠出する決定を下しました。
 地球を守るために、私たちのエネルギー消費の仕方を変えるのは今です。私たちは共に気候変動に対処するため、化石燃料への世界的な依存に終止符を打ち、風力や太陽光などの新たなエネルギー源を利用し、すべての国が責任を果たすことを要求しなければなりません。皆さんに誓って申し上げますが、米国は、こうした世界的な努力で先頭に立つ準備ができています。
 私たちは、共通の安全保障を提供するために、同盟を強化しなければなりません。NATOが設立されたのは今から60年前、共産主義がチェコスロバキアを支配した後でした。この時、自由主義世界は、遅ればせながら、自由主義世界が分裂している場合ではないことを知ったのです。そこで私たちは団結して、史上最強の同盟を構築しました。そしてその後何年間も、何十年も協力を続けた結果、ついに鉄のカーテンが開かれ、自由が流れる水のように広がっていきました。
 今年は、チェコ共和国はNATO加盟10周年を迎えます。20世紀には、チェコ共和国が参加することなく決断が下されたことが何度もありました。大国が皆さんを失望させ、あるいは皆さんの意見を聞かずに皆さんの運命を決めることもありました。私はここで約束します。米国は決してチェコ国民に背を向けることはない、と。私たちは、共通の価値観、共通の歴史によって…私たちは、共通の価値観、共通の歴史、そして永続的な同盟の約束によって結ばれています。北大西洋条約第5条には、一締約国に対する武力攻撃は全締約国に対する攻撃とみなす、と明記されています。これは、今の時代にも、いつの時代にも適用される約束です。
 米国が攻撃を受けたとき、チェコ共和国の国民はこの約束を守りました。何千もの人々が米国の国土で殺害されたとき、NATOはそれに呼応しました。アフガニスタンにおけるNATOの任務は、大西洋の両側の人々の安全にとって不可欠なものです。私たちは、ニューヨークからロンドンまで各地を攻撃してきた、まさにそのアルカイダ・テロリストを標的とし、アフガニスタン国民が自らの将来に責任を負えるよう支援しています。私たちは、自由主義諸国が、共通の安全保障のために提携できることを実証しています。そして私は、米国民が、この努力に際してチェコ国民が払った犠牲に敬意を表し、犠牲となった方々を追悼していることをお伝えしたいと思います。
 いかなる同盟も、手をこまねいている場合ではありません。私たちは、新しい脅威がどこで発生しようとも、それに対処するための危機管理計画を備えておくために、NATO加盟国として協力しなければなりません。国境を越えた危険に対処するために、相互の協力関係を強化し、世界各地の国家や機関との関係を強化しなければなりません。そして、共通の懸念事項に関して、ロシアと建設的な関係を構築すべく努力しなければなりません。
 今日私が重点を置いてお話しする課題のひとつは、この両国の安全保障にとって、また世界の平和にとって根本的な課題、すなわち21世紀における核兵器の未来、という問題です。
 何千発もの核兵器の存在は、冷戦が残した最も危険な遺産です。米国とソ連の間に核戦争が起きることはありませんでしたが、何世代にもわたり人々は、この世界が一瞬の閃光(せんこう)の下に消失してしまうこともあり得ると承知の上で生活していました。プラハのように何世紀にもわたって存在し、人類の美しさと才能を体現した都市が消え去ってしまう可能性がありました。
 今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。歴史の奇妙な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、核攻撃の危険性は高まっています。核兵器を保有する国家が増えています。核実験が続けられています。闇市場では核の機密と核物質が大量に取引されています。核爆弾の製造技術が拡散しています。テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、全世界的な不拡散体制を軸としていますが、規則を破る人々や国家が増えるに従い、この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。
 これは、世界中のあらゆる人々に影響を及ぼします。ひとつの都市で1発の核兵器が爆発すれば、それがニューヨークであろうとモスクワであろうと、イスラマバードあるいはムンバイであろうと、東京、テルアビブ、パリ、プラハのどの都市であろうと、何十万もの人々が犠牲となる可能性があります。そして、それがどこで発生しようとも、世界の安全、安全保障、社会、経済、そして究極的には私たちの生存など、その影響には際限がありません。
 こうした兵器の拡散を抑えることはできない、私たちは究極の破壊手段を保有する国家や人々がますます増加する世界に生きる運命にある、と主張する人もいます。このような運命論は、極めて危険な敵です。なぜなら、核兵器の拡散が不可避であると考えることは、ある意味、核兵器の使用が不可避であると認めることになるからです。
 私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて共に戦わなければなりません。そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、その先頭に立つことはできます。その活動を始めることはできます。
 従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。私は甘い考えは持っていません。この目標は、すぐに達成されるものではありません。おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。この目標を達成するには、忍耐と粘り強さが必要です。しかし今、私たちは、世界は変わることができないという声を取り合ってはいけません。「イエス・ウィ・キャン」と主張しなければならないのです。
 では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。まず、米国は、核兵器のない世界に向けて、具体的な措置を取ります。冷戦時代の考え方に終止符を打つために、米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、他国にも同様の措置を取ることを求めます。もちろん、核兵器が存在する限り、わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します。しかし、私たちは、兵器の保有量を削減する努力を始めます。
 米国は今年、弾頭と備蓄量を削減するために、ロシアと、新たな戦略兵器削減条約の交渉を行います。メドベージェフ大統領と私は、ロンドンでこの作業を開始しました。そして今年末までには、法的拘束力を持ち、十分に大胆な新しい合意を目指す予定です。これは、さらなる削減に向けた準備段階となるものであり、この努力にすべての核兵器保有国を参加させることを目指します。
 全世界的な核実験の禁止を実現するために、私の政権は、米国による包括的核実験禁止条約の批准を直ちに、積極的に推し進めます。この問題については50年以上にわたって交渉が続けられていますが、今こそ、核兵器実験を禁止する時です。
 そして、核爆弾の製造に必要な物質の供給を断つために、米国は、国家による核兵器製造に使用することを目的とする核分裂性物質の生産を、検証可能な形で禁止する新たな条約の締結に努めます。核兵器の拡散阻止に本気で取り組むのであれば、核兵器の製造に使われる兵器級物質の製造を停止すべきです。これが初めの1歩です。
 第2に、私たちは共に、協力の基盤として、核不拡散条約を強化します。
 条約の基本的な内容は、理にかなったものです。核保有国は軍縮へ向かって進み、核兵器を保有しない国は今後も核兵器を入手せず、すべての国々に対し原子力エネルギーの平和利用を可能にする、という内容です。不拡散条約を強化するために私たちが受け入れるべき原則がいくつかあります。国際的な査察を強化するための資源と権限の増強が必要です。規則に違反していることが発覚した国や、理由なしに条約を脱退しようとする国が、即座に実質的な報いを受けるような制度が必要です。
 そして、私たちは、各国が、拡散の危険を高めることなく、平和的に原子力エネルギーを利用できるようにするために、国際燃料バンクなど、原子力の民生利用での協力に関する新たな枠組みを構築すべきです。これは、核兵器を放棄するすべての国、特に原子力の平和利用計画に着手しつつある開発途上国の権利でなければなりません。規則に従う国家の権利を拒否することを前提とする手法は、決して成功することはありません。私たちは、気候変動と戦い、すべての人々にとって平和の機会を推進するために、原子力エネルギーを利用しなければなりません。
 しかし、私たちは前進するに当たり、幻想を抱いてはいません。規則を破る国も出てくると思われます。いかなる国であろうとも規則を破れば、必ずその報いを受けるような制度を整備する必要があるのは、そのためです。
 今朝、私たちは、こうした脅威に対処するための新しい、より厳格な手段が必要であることを、改めて実感させられました。北朝鮮が再び規則を破り、長距離ミサイル用にも使うことが可能なロケットの発射実験を行ったのです。この挑発行為は、行動を取ることの必要性を浮き彫りにしています。それは、本日午後の国連安全保障理事会での行動だけでなく、核兵器の拡散を阻止するという決意の下に取る行動です。
 規則は、拘束力を持たなければなりません。違反は、罰せられなければなりません。言葉は、実際に意味を持たなければなりません。世界は結束して、核兵器の拡散を防がなければなりません。今こそ、国際社会が断固とした対応を取る時です。北朝鮮は、脅威と違法な兵器によって安全保障と尊敬を勝ち取る道を切り開くことは決してできない、ということを理解しなければなりません。すべての国家が、より強力な国際体制を築くために協力しなければなりません。私たちが協力して北朝鮮に圧力をかけ、方針を変更するよう迫らなければならないのはそのためです。
 イランは、まだ核兵器を製造していません。私の政権は、イランとの相互の利益と尊敬に基づき、イランとの関与を求めていきます。私たちは対話を信じています。しかし、対話の中で明確な選択肢を提示していきます。私たちは、イランが政治的にも経済的にも、国際社会の中で正当な位置を占めることを望んでいます。私たちは、厳しい査察の下で原子力エネルギーを平和的に利用するイランの権利を支持します。これこそ、イラン・イスラム共和国が取ることができる道です。一方で、イラン政府は、さらなる孤立と、国際的な圧力と、すべての国々にとって危険を高めることになる、中東地域における核軍拡競争の道を選ぶこともできます。
 はっきり言いましょう。イランの核開発・弾道ミサイル開発活動は、米国だけでなく、イランの近隣諸国および米国の同盟国にも真の脅威を及ぼします。チェコ共和国とポーランドは勇敢にも、こうしたミサイルに対する防衛システムの配備に同意してくれました。イランからの脅威が続く限り、私たちは、費用対効果の高い、実績のあるミサイル防衛システムの導入を続けていきます。イランの脅威がなくなれば、私たちの安全保障の基盤が強化され、ヨーロッパにミサイル防衛システムを配備する動機がなくなります。
 最後に、私たちは、テロリストが決して核兵器を入手することがないようにしなければなりません。これは、世界の安全保障に対する、最も差し迫った、かつ最大の脅威です。1人のテロリストが核兵器を持てば、膨大な破壊力を発揮することができます。アルカイダは、核爆弾の入手を目指す、そしてためらうことなくそれを使う、と言っています。そして、管理が不十分な核物質が世界各地に存在することが分かっています。国民を守るためには、直ちに、目的意識を持って行動しなければなりません。
 本日、私は、世界中の脆弱(ぜいじゃく)な核物質を4年以内に保護管理することを目的とした、新たな国際活動を発表します。私たちは、新しい基準を設定し、ロシアとの協力を拡大し、こうした機微物質を管理するための新たなパートナーシップの構築に努めます。
 また私たちは、闇市場を解体し、物質の輸送を発見してこれを阻止し、金融手段を使ってこの危険な取引を停止させる活動を拡充しなければなりません。この脅威は長期的なものとなるため、私たちは、「拡散に対する安全保障構想」や「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアチブ」などの活動を、持続的な国際制度に転換するために協力すべきです。そして、手始めとして、米国の主催による核安全保障に関する国際サミットを今後1年以内に開催します。
 私たちが、このように幅広い課題について行動を起こせるのかと疑問を持つ人もいると思います。国家間には避けられない立場の相違があるため、真の国際協力が可能であるかどうか疑問を持つ人もいます。そして、核兵器のない世界の話を聞き、実現不可能と思える目標を設定することに価値があるのかという疑問を持つ人もいます。
 しかし間違ってはいけません。そうした考え方の行き着く先は分かっています。国家や国民が、相違点によって特徴付けられることを良しとするとき、相互の溝は深まります。私たちが平和の追求を怠るときには、永久に平和をつかむことができません。希望ではなく恐怖を選んだときにどうなるかは分かっています。協力を求める声を非難し、あるいは無視することは、容易であると同時に、卑劣なことでもあります。戦争はそのようにして始まります。人間の進歩はそこで止まってしまうのです。
 この世界には暴力と不正があり、私たちはそれに立ち向かわなければなりません。その際に、私たちは、分裂するのではなく、自由な国家、自由な国民として結束しなければなりません。武器を捨てることを呼びかけるより、武器を取ることを呼びかける方が、人々の感情をかき立てるものです。だからこそ、私たちは団結して、平和と進歩を求める声を上げなければなりません。
 それは、今もプラハの街にこだまする声です。1968年の亡霊です。ビロード革命のときに聞こえた歓喜に満ちた声です。一度も発砲することなく、核を保有する帝国の打倒に貢献したチェコの人々の声です。
 人間の運命は、私たちが自ら切り開くものです。ここプラハで、より良い未来を求めることによって、私たちの過去に敬意を示そうではありませんか。私たちの間にある溝に橋を架け、希望を基にさらに前進し、これまでより大きな繁栄と平和をこの世界にもたらす責任を引き受けようではありませんか。共に手を携えれば、それを実現することができます。
 ありがとうございました。プラハの皆さん、ありがとうございました。//

ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー