秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

エンゲルス

1700/社会主義と独裁②ーL・コワコフスキ著18章6節。

 レーニンは、「人民(民衆)」、「被抑圧階級」等々とよく言う。
 日本共産党がこれに該当とするものとして現在用いているのは、「国民」だ。
 「国家、それは一階級の他の階級に対する支配を維持するための機構である」。p.485。
 「国家とは、一階級が他の階級を抑圧するための機構、一階級に他の隷属させられた諸階級を服従させておくための機構である」。p.487。
 エンゲルスが言うように、「土地と生産手段の私的所有が存在しており、資本が支配している国家は、どんなに民主主義的であろうと、すべて資本主義国家であり、労働者階級と貧農を隷属させておくための資本家の手中にある機構である」。p.493。
 以上、1919年。日本語版・レーニン全集29巻より。
 「今日に至るまでの全ての社会の歴史は、階級闘争の歴史だ。/
 封建時代の没落から生まれた近代ブルジョア社会は、階級対立をなくさはしなかった。新たな階級を、新たな抑圧条件を、新たな闘争形態を古いものと置き換えたにすぎない。/ブルジョア階級の時代は、階級対立を単純化したことによって際立っている。社会全体がますます、敵対する二大陣営、直接に対峙し合う二大階級-ブルジョア階級と7プロレタリア階級-に分裂する」。
 以上、1848年。カール・マルクス・共産主義宣言より。平凡社・2015年の柄谷行人訳を参照。
 日本共産党は、「国家」観も、「歴史」観も、最初からまるで違っている。
 <階級闘争>-<敵・支配階級との闘い>-絶えず<敵>を設定しての執拗かつ継続的な<闘い>。まともな人間は意識したり想定したりしないところのものを、彼らはつねに考えている。彼らとは<人間>そのものが同じではない、と理解しておくべきものなのだ。
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 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 この本には、邦訳書がない。何故か。
 日本共産党と「左翼」にとって、読まれると、きわめて危険だからだ。
 <保守>派の多くもマルクス主義・共産主義の内実に関心がないからだ。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 前回のつづき。
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 第6節・社会主義とプロレタリア-ト独裁②。
 1917年4月-5月の『党綱領改正に関する資料』で、レーニンはこう書いた。
 『公教育は、民主主義的に選出された地方政府機関によって管理されるべきこと。
 学校のカリキュラム編成や教材の選択に中央政府が介入するのを許さないこと。
 教師たちは直接に地方民衆によって選任され、地方民衆は望ましくない教師を解任する権利をもつこと』、等々(全集24巻p.473〔=日本語版全集24巻501頁〕。)(+)//
 最終目標は国家と全ての束縛を完全に廃棄することだ。このことは、自発的な共存と連帯の原理に人民が慣れるときに可能になるだろう。
 犯罪や非行の原因は、搾取と貧困だ。そして、社会主義のもとで徐々に消失するだろう。 -こうしたレーニンの確信は、実際上、社会主義者たちの間で一般的なものだった。//
 ヨーロッパで戦争が闘われている間にこうした言葉で叙述されたレーニンの夢想郷(Utopia)は、ソヴィエト権力50年を経た後で読む者には、度肝が抜かれるほどにナイーヴ(無邪気)だ。
 トマス・モアの空想小説がヘンリ13世のイギリスを扱ったのと同じように、やがてすぐに成立することとなる国家を扱っている。
 しかし、綱領的計画と半世紀後のその『達成物』の間の醜悪な相違(grotesque divergences)を全て指摘するのは、実りないことだ。
 レーニンの夢想郷は、総じてはマルクスの考えと合致している。しかし、のちの著作には触れないで、レーニン自身の初期の著作と比較すると、際立つ違いが明らかだ。すなわち、党に関してはそもそも何も語っていない、ということだ。//
 レーニンがその幻想を真面目に書いたことを疑う理由はない。書いたときに彼は、世界革命がまさに起こりつつあると間違って(wrongly)信じていた、ということが想起されるべきだ。
 しかし、レーニンは明らかに、自分が描く絵は自分自身の革命と党に関する教理に紛れもなく反している、ということを感知していなかった。
 『多数者の独裁』は、歴史に関する科学的な理解で装備された政治組織を通じて行使されると想定されていた。『過渡期のプロレタリア国家』という考えに広く通じるこうした性格づけは、<国家と革命>では、全く述べられていない。
 この書物を書いていた時期に、レーニンは、明確につぎのように思い描いていた。武装し、解放された全人民が、行政、経済管理、警察、軍隊、裁判等々の全ての作用を直接に遂行するだろう、と。
 彼はまた、自由への制約は従前の特権的階級に対してのみ適用され、一方で労働者および労働農民は完璧に自由に、選択に従って彼らの生活を規律するだろう、と考えていた。//
 しかしながら、革命後に出来あがった体制の本質は、たんに内戦やロシアの外部での革命運動の立ち止まりと関係する歴史的偶然の結果ではなかった。
 専制的でかつ全体主義的な(この区別は重要だ)全ての特質を備えた体制は、その主要な道筋については、レーニンが長い年数をかけて作りだしたボルシェヴィキの教理によって、あらかじめ描かれていた。当然に、その結果は完全には実現されなかったし、予見もされなかったけれども。//
 レーニンが1903年以降に多くの場合にかつ多様な形態で設定した根本的な原理は、自由や政治的平等といった範疇は重要な意味をもたず、階級闘争の道具にすぎない、そして、どの階級の利益に役立つのかを考慮しないでこれらを擁護するのは阿呆(foolish)だ、というものだった。
 『実際には、プロレタリア-トは、共和制への要求を含む、全ての民主主義的要求への闘いをブルジョアジーの打倒のための革命的な闘争の劣位に置くことによってのみ、自主性を維持することができる。』(+)
 (『社会主義革命と民族の自己決定権』、1916年4月。全集22巻p.149〔=日本語版全集22巻「社会主義革命と民族自決権」172頁〕。)
 ブルジョア諸制度のもとでの専制政と民主政の違いは、後者が労働者階級の闘争を容易にするかぎりでのみ意味がある。これは二次的な違いであって、形式の一つにすぎない。
 『普通選挙、憲法制定会議、国会は、たんなる形式であり約束手形であるにすぎず、現実の事態を何ら変えることがない。』 (+)
 (『国家について』、1919年7月11日の講義。全集29巻p.485〔=日本語版全集29巻493頁〕。)
 これこそが、革命後の国家に関する、なおさらに(a fortiori)本当のことだ。
 プロレタリア-トに権力があるがゆえに、その権力を維持すること以外に、重要なものは何も考えられない。
 全ての組織上の問題は、プロレタリア-ト独裁を維持することの劣位に置かれる。//
 プロレタリア-ト独裁は-一時的にではなく永続的に-、議会制度および立法権と執行権の分離を廃棄するだろう。
 これこそが、ソヴェト共和国と議会主義体制の間の主要な違いだとされるものだ。
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 (+) 秋月注記-日本語版全集を参考にし、ある程度は訳を変更した。
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 段落の中途だが、ここで区切る。③へとつづく。

1695/社会主義と独裁①-L・コワコフスキ著18章6節。

 この本には、邦訳書がない。何故か。
 日本共産党と「左翼」にとって、読まれると、極めて危険だからだ。
 <保守>派の多くもマルクス主義・共産主義の内実に関心がないからだ。
 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 第6節へと進む。第2巻単行著では、p.497~。
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 第6節・社会主義とプロレタリア-ト独裁①。
 レーニンの活動の全体は、『最終的な目標』、すなわち社会主義社会の建設、のための闘争に向けられていた。しかし、戦争の前には、その社会がどのようなものであるかを明確に語ることに関心を示さなかった。
 その著作物の中には、財産の集団化、賃労働や商品経済の廃止等々の、よく知られる社会主義の考えへの言及が散在していた。
 しかしながら、革命の前には、『プロレタリア-ト独裁』という、生涯にわたって変えないままだった概念が何を意味するかを説明した。
 <カデットの勝利と労働者党の任務>で、彼は、強調してこう表明した。
 『独裁とは、法にではなく実力(force)にもとづく、制限なき権力(power)だ。』
 (全集10巻p.216。)
 『権力(authority)-無制限で、法の外に立ち、そして言葉の最も直接的な意味での生の力(force)にもとづく-が、独裁だ』(同上、p.244〔=日本語版全集10巻231頁〕。)。
 『「独裁」という概念には、<これ以外のいかなる意味もない>。-このことをよく憶えておきなさい、カデット紳士諸君』(同上、p.246〔=日本語版全集10巻233-4頁〕。)。//
 見地が変わらなかったことを明白にするため、レーニンは上のような言明を1920年に繰り返した。
 独裁は『強制の最も直接的な形態』だ。そして、プロレタリア-ト独裁は、プロレタリア-トが打倒した搾取者に対してプロレタリア-トが実力(force)を行使することだ。
 この実力がいかに行使されるかに関して、レーニンは、第二インターナショナルの指導者たちに向けられた小冊子<国家と革命>で、回答を示した。
 第三インターナショナル(彼の頭では早くも1915年のつもりだった)創立の直前に、革命が全ヨーロッパの至る所ですみやかに勃発するだろうと期待して、レーニンは、何度も国家に関するマルクス主義理論および社会主義が国家装置の作動にかかわってくる変化の理論を詳説することが必要だと考えた。//
 マルクスとエンゲルスによれば、とレーニンは指摘する、国家は和解しえない階級対立の結果物だ。両者の間を調整したり仲裁するという意味においてではなく、逆に、国家そのものは今まではつねに、所有階級が被抑圧階級に押しつけてきた装置だった。
 その諸装置は階級対立において中立ではありえず、一方の階級の他方に対する経済的抑圧の法的表現にすぎない。
 ブルジョア国家の諸装置と諸機関が、労働者の解放のために用いられることはあり得ない。
 ブルジョア国家での選挙権は、社会的緊張を緩和する手段ではない。被抑圧階級が権力を獲得するのを可能にする手段でもない。たんに、ブルジョアジーの権力(authority)を維持する方法にすぎない。
 プロレタリア-トは、国家機構を破壊(destry)することなくして自らを解放することはできない。
 これが革命の主要な任務であって、マルクス主義理論と一致する国家の『消滅』とは明確に区別されなければならない。
 ブルジョア国家は、ここでいまや、粉砕(smash)されなければならない。消滅は、プロレタリア国家にとっては革命のあとに、すなわち政治的権力が打倒される将来の時点に、生じる。//
 レーニンは、とくにパリ・コミューンに関するマルクスの論文およびその<ゴータ綱領批判>に言及し、また、エンゲルスの小文や手紙にも言及する。
 社会主義運動上の修正主義およびブルジョア国家をプロレタリア-トの利益に役立つよう使用するという考え方は、マルクス主義の基盤に反している、と彼は言う。
 それは妄想であり、あるいは革命を放棄した日和見主義者の欺瞞的な策略だ。
 プロレタリア-トは、国家を必要とする(ここでアナキストは過った)。しかし、それは、枯渇して自らを破壊する方向にある国家でなければならない。
 移行期に搾取者の抵抗を抑え込むために、その抵抗の強さを予見することはできないが、国家の従前の形態とは違って所有階級の残り滓に対する社会の大多数による独裁になる、プロレタリア-トの独裁が存在しなければならない。
 その時期の間、資本主義者の自由は制限されなければならない。一方で諸階級がすっかりなくなってしまったときにのみ、完全な民主主義が可能になるだろう。
 この移行期の間、国家は困難なく作動し続けるだろう。多数者が少数の搾取者を簡単に打ち負かし、特殊な警察機構を必要としないだろうから。//
 パリ・コミューンの経験は、共産主義国家組織の一般的な特質を描写するのに役立つ。
 その国家では、常設軍は廃止され、代わりに人民が武装するだろう。国家の全官僚が、労働者階級によって選出されかつ罷免されるだろう。
 警察は、軍隊のごとき機能を持つものとしては必要とされず、武力を携帯することのできる人民全体によって実施されるだろう。
 付け加えると、国家の組織上の作用は簡素なので、読み書きをする誰もが履行することができる。
 社会一般の作動のためには、特殊な技能は必要でないだろう。そして、そのゆえに、分離した官僚層は生じないだろう。簡素な行政と会計が、手工業者と同じ賃金で、公民全員によって交替で履行されるだろう(レーニンは、この点をとくに強調した)。
 誰もが平等に国家の奉仕者[公務員]になり、平等な基準によって支払われ、平等に仕事をする義務を負うだろう。
 彼らは手仕事労働者と役人[公務員]のいずれかを選択できるので、誰も官僚主義者にならないだろう。
 行政の簡素さ、報酬の平等さ、そして公務員たちの選挙と解任可能性があるので、社会から孤立した、寄生的官僚層が形成される危険はないだろう。
 最初には政治的な強制がなければならないが、国家がその機能を失うにつれて、徐々にその政治的な性格も失い、純粋な行政の問題になるだろう。
 命令はもはや、最上者から与えられるのではない。必要な中央の計画が、幅広い領域的自治と結びつくだろう。
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
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 段落の中途だが、ここで区切る。②へとつづく。

1686/帝国主義と革命①-L・コワコフスキ著18章5節。

 この本には、邦訳書がない。Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. =L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 第5節へと進む。第2巻単行著の、p.491以下。
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 第5節・帝国主義の理論と革命の理論①。
 帝国主義に関するボルシェヴィキの理論は、レーニンとブハーリンが作った。
 ブハーリンは、最初に、新しい歴史的時代のために革命の戦略の基礎を定式化した。
 帝国主義に関する著作でレーニンは-すでに書いたことだが、たいていの部分は、J・A・ホブソンの<帝国主義>(1902)とR・ヒルファディングの<金融資本主義>(1910)にもとづく-、帝国主義を前独占資本主義時代と区別する主要な五つの特質を列挙する。
 (1) 生産と資本の集中。これは、大独占体による世界経済の支配へと至る。
 (2) 銀行と金融資本の融合およびその結果としての金融寡頭制。
 (3) 資本の輸出のとくに重要な役割。
 (4) 国際的資本主義の独占同盟者たちによる世界分割。
 (5) 大帝国主義諸勢力による世界の領土的分割競争。
 この状況は資本主義の矛盾を除去せず、極限にまでその矛盾を高める。体制内部での発展の不均等性と競争の激しさは、戦争の蓋然性を減少させないばかりか、それを一層不可避にする。
 最後の点を、レーニンは、カウツキーを攻撃して、強調する。
 カウツキーは、世界経済体制が『極端な帝国主義』の段階へと移行するのを予見するのは可能だ、と主張していた。その段階とは、大諸国と国際的カルテルが世界の分割を安定化させ、戦争の危険性を排除できる帝国主義の段階だ。
 カウツキーは、これを一般的な仮説として提起し、このように必然的に進むとは何も主張しなかった。
 しかし、レーニンは、戦争なき資本主義、革命も起こりそうにない状態の国家、という考え方だと憤慨した。
 カウツキーの『愚にもつかない話』は反マルクス主義的で、日和見主義の兆候だ。帝国主義は、世界発展の不均等性を調整して排除する手段はないので、戦争なくしては存在し得ないはずだろう。
 そのことから、論文『プロレタリア革命の軍事綱領』(1916)で、レーニンは、社会主義は全ての国で同時に勝利することはない、との結論を導いた。
 革命の過程は一つまたは若干の国々で始まり、それがさらなる対立と戦争につながるだろう。//
 ブハーリンは、革命の展望と、単一の制度を同時に構成する世界経済の不均等な発展との関係を、戦争中と革命後の最初の数年の間に書いた書物で、詳述した。
 彼が説明するには、帝国主義は、監督して規制する力のある国家とともに、生産の無秩序を克服しようと、かつ合理的な経済を組織しようと追求する。
 しかし、矛盾と競争を除外することはできず、そのゆえに、帝国主義戦争を避けることはできない。
 全体としての資本主義体制は、社会主義革命に向けて成熟している。しかし、技術的な発展が高度に達しており、莫大な収益のおかげでブルジョアジーが労働者に高い賃金を支払うことができ、労働者に革命を思いとどまらせるところでは、矛盾の集中が最大になっている、つまり資本主義世界の外縁の、後進地域、植民地および半封建的な諸国以上に、この社会主義革命は、勃発しそうにない。
 増大する搾取、民族的抑圧、および農民運動が組み合わさって、これらの諸国は、世界的体制の鎖を力づくでもぎ取ることのできる最も弱い繋ぎ目(環)だ。
 発展していない諸国での社会運動は、直接に社会主義の建設を導くことはできない。しかし、それは、先進諸国のプロレタリア-トの自然の同盟者であって、労働者、農民の結合した力にもとづいて、漸進的で平和的な社会主義への発展と一致するブルジョア民主主義的目標を達成する、そのような過渡的な社会形態を創り出すことができるだろう。//
 しかしながら、レーニンは1916年までに、議論をつぎの段階へと進めた。
 『自己決定に関する討論の総括』で、こう書いた。//
 『植民地や欧州の小民族の反乱が伴わない、<偏見を全てもった>小ブルジョアの一部の革命的な暴発が伴わない、地主、教会および君主制による抑圧に反対する、あるいは民族的抑圧に反対する等々の、政治的には無自覚のプロレタリアと半プロレタリアの大衆の運動が伴わない、そのような社会革命が<考えられ得る>、と想像するのは全て、社会革命を放棄することを意味する。<中略>
 「純粋な」社会革命を期待する者は誰も、それに生きてめぐり合うことは<決してない>だろう。<中略>
 ヨーロッパでの社会主義革命は、抑圧されかつ不満をもつあらゆる全ての者の側の、大衆闘争の暴発以外のものでは<あり得ない>。
 不可避的に、小ブルジョアや遅れた労働者の一部もそれに参加するだろう-このような参加なくして、<大衆>闘争は不可能であり、<いかなる革命も>また可能では<ない>。
 また彼らは、全く同じように不可避的に、自分たちの偏見、反動的な空想、弱さと誤りを運動に持ち込むだろう。
 しかし、<客観的には>、彼らは<資本>を攻撃するだろう。』
 (全集22巻p.355-6〔=日本語版全集22巻416-7頁〕。)//
 この理論の帰結またはこれがマルクス主義の伝統から逸脱する程度を、レーニンが十分に意識していたかどうかは明確でない。
 マルクス主義が発展の『ブルジョア』段階だと、別言すれば一次的な農民と従属民族の段階だと見なすような多数の充足されない要求や熱望があるところでのみ、社会主義者の蜂起は発生し得る。-このことが、いずれにしても、断固として述べられた。
 これは、社会がブルジョアジーとプロレタリア-トでのみ構成される、マルクスが予見したような状況に資本主義が接近するときには、社会主義革命は生じない、または生じそうにない、ということを意味する。
 充たされない農民と民族的要求および『封建主義の残滓』の存在はプロレタリア-トを助けて、『非プロレタリア』の活力でもってプロレタリア-トを補強し得るだろうとのレーニンの言明は、もちろん、マルクスとエンゲルスの戦略と矛盾してはいない。
 マルクスとエンゲルスは、多様な場合に同様の立場を採用した。例えば、1848年のドイツのプロレタリア革命や1870年代のロシアの革命への望みにおいて、あるいは、アイルランド問題はイギリスの労働者階級の立場を強化するだろうとの見方において。
 本当のことだが、マルクスとエンゲルスは、この同盟がどのように作動するかに関するいかなる精確な理論をも提示しなかったし、どのようにして彼らの望みは社会主義革命に関する一般理論と調和できるのかについて、明確でもなかった。
 しかし、プロレタリア革命は『封建主義の残滓』による補強なくしては決して生じることができないとの言明は、マルクス主義における新考案物(novelty)であり、伝統的理論からは完全に離反するものだった。//
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
 ②へとつづく。

1641/「哲学」逍遙⑥-L・コワコフスキ著17章7節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき(第17章の最終)。
 今回試訳掲載分の一部/第2巻単行書p.458.-レーニンは「認識論上の実在論を唯物論と混同していた。彼は唯物論は『客観的な物質的実在』を是認することで成り立つ、と言った。しかし、そうならば、カトリックの哲学者は、ほとんど全員が唯物論者だ」。
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 レーニンの哲学への逍遙⑥
 哲学としては、レーニンの著は、エンゲルスからの引用によって(この著全体でマルクスの文章は二つしか引用されていない)辛うじて成り立つ俗悪な『常識的』議論にもとづく、粗雑なかつ素人臭いものだ。そして、レーニンの反対者に対して抑制なく悪罵を投げつけるものだ。〔以上、重複〕
 この著は、彼ら反対者の見解を理解することに完全に失敗している。そして、理解しようとすることに嫌気がさしている。
 この著は、エンゲルスおよびプレハノフから引用する文章が含んでいる内容にほとんど何も加えていない。主な違いは、エンゲルスにはユーモアの感覚があったが、レーニンには少しもない、ということだ。
 彼は安っぽい罵倒と嘲笑でそれを埋め合わせようとし、論敵たちは反動的な狂人で聖職者の従僕だと非難する。
 エンゲルスの議論は世俗化され、決まり切った問答の形態へと変えられている。感覚は事物の『模写』または『鏡への反射物』だ、哲学上の学派は『党派』になる、等々。
 この書物を覆っている憤懣は、つぎのことを理解できない初歩的な思考者には典型的なものだ。すなわち、自分の想念の力で地球、星、そして物質世界全体を創造したとか、自分が見つめている客体は、どの子どももそうでないと見ているときには、自分の頭の中にあるとか、健全な精神をもつ者ならばどうやっても真面目には主張しない、ということを理解できない者。
 この点において、レーニンの観念論との闘いは、一定の未熟なキリスト教弁解主義者(apologists)のそれに類似している。//
 レーニンの攻撃は、ボグダノフ、バザロフ(Bazarov)およびユシュケヴィチ(Yushkevich)によって応酬された。
 ユシュケヴィチは、<哲学正統派の重要点>(1910)で、プレハノフを、哲学上の考えを憲兵よりも持たない警官のような(扁平足の)無学者だと攻撃した。
 彼は、宣言した。プレハノフとレーニンはいずれも、教条的な自己主張と自分たちの見解しか理解できない無能力によってロシア・マルクス主義を頽廃させたことを例証している、と。
 彼は、レーニンの無知、その執筆能力、およびその言葉遣いの粗雑さについて、とくに痛烈だった。事実の誤り、『黒の百(the Black Hundred)の習慣をマルクス主義へと持ち込むこと』、引用した書物を読んでいないこと、等々について、レーニンを非難した。
 その力で感覚の原因となるという物質の定義は、それ自体がマッハ主義への屈服だ。これは、プレハノフ、そしてプレハノフを模写したレーニンに、向けられた。
 マッハもバークリも、『世界の実在』を疑問視しなかった。論争された問題は、その存在ではなくて、実体、物質および精神(spirit)といった範疇の有効性(validity)だった。
 ユシュケヴィチは、こう書いた。経験批判論は、精神と物質の二元論を廃棄することでコペルニクス的革命を達成した、世界に対する人の自然な関係について何も変更させておらず、実在論(realism)の自然発生的な価値を形而上学的な呪物主義から自由にして回復させたものだ、と。
 レーニンは、実際に、認識論上の実在論を唯物論と混同していた(彼は何度も繰り返して、唯物論は『客観的な物質的実在』を是認することで成り立つ、と言った。しかし、そうならば、カトリックの哲学者はほとんど全員が唯物論者だ)。
 『反射物』の理論全体は、前デモクリトス派の、彼らを物体から神秘的に引き離して、彼らの眼や耳に襲来する形象(image)は存在する、という無邪気(naive)な信念を繰り返したものだ。      
 『事物それ自体』と純粋に主観的なそれの形象の間にあると想定されている『類似性』とは何であるかを、また、いかにして模写物(the copy)は始源物(the original)と比較され得るのかを、誰も語ることはできない。//
 <唯物論と経験批判論>は、革命の前およびその直後には、特別の影響力を持たなかった(1920年に第二版が出版されたけれども)。
 のちにスターリンによって、この著はマルクス主義哲学の根本的な模範だと、宣せられた。そして、およそ15年の間、スターリン自身の短い著作とともに、ソヴィエト連邦での哲学学習の主要な教材だった。
 その価値は微少だが、この著作は、正統派レーニン主義的マルクス主義とヨーロッパ哲学とが接触した最後の地点の一つを示した。
 のちの数十年間、レーニン主義と非マルクス主義思想との間には、論争という形態ですら、実質的に何の接触もなかった。
 『ブルジョア哲学』に対するソヴィエトの公式の批判は、多様な形態での『ブルジョア哲学』は、レーニンによる論駁によって死に絶えた、マッハやアヴェナリウスの観念論的呆言を繰り返すものだ、ということを当然視させた。//
 しかしながら、レーニンのこの著作の重要さは、政治的な脈絡の中で見分けられなければならない。
 レーニンがこれを書いているとき、マルクス主義を『豊かにする』とか『補充する』とか-神が禁じているところの-『修正する』とかの意図を、彼は何ら持っていなかった、と思われる。
 レーニンは、全ての哲学上の問題への解答を探求したのではなかった。全ての重要な問題は、マルクスとエンゲルスによって解決されていたのだから。    
 彼は、序文で、ルナチャルスキーはこう言った、と茶化した。『我々は道を間違えたかもしれない。だが、我々は捜し求めている』。〔+〕
 レーニンは、捜し求めていなかった。
 彼は、革命運動は明晰なかつ均一の『世界観(Weltanschauung)』を持たなければならない、この点でのいかなる多元主義も深刻な政治的危険だ、と固く信じていた。
 彼はまた、いかなる種類の観念論も、多かれ少なかれ宗教が偽装した形態であり、つねに搾取者が、民衆を欺瞞し呆然とさせるために用いるものだ、と確信していた。//
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 〔+〕 原書に、頁数等の記載はない。この部分は、日本語版全集14巻「第一版への序文」10-11頁にある。但し、参考にして、訳をある程度は変更した。
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 第7節、終わり。第8節の節名は、「レーニンと宗教」。

1638/「哲学」逍遙⑤-L・コワコフスキ著17章7節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき。
 今回試訳掲載分の末尾の一部/第2巻単行書p.457.-「哲学としては、レーニンの著は、エンゲルスからの引用によって辛うじて成り立つ俗悪な『常識的』論拠にもとづく、粗雑なかつ素人臭いものだ」。
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 第7節・レーニンの哲学への逍遙⑤。
 反射物理論の根幹部分は、相対主義を拒否し、真実とは実在と合致することだという伝統的な考えを受容することだ。
 レーニンが言うには、真実は、感覚、観念および判断で叙述することができる。
 認識活動の全ての所産について、本当か偽りか、すなわち実在の正しい『反射物』か間違ったそれかを、そして、我々の知識とは無関係に世界を『そのもの』として提示しているかそれとも世界の歪曲した映像を与えているかを、語ることができる。
 しかし、真実の客観的性は、エンゲルスが示したように、その相対性(relativity)と矛盾しない。
 真実の相対性とは、例えば、実用主義者たち(pragmatists)が主張する、同じ判断は、誰が、いかなる状況のもとで行なっているのか、そしてそのときにそれに同意していかなる利益が生じるか、によって真実であったり間違ったものであったりする、ということを意味するのではない。
 エンゲルスが指摘したように、科学は、その範囲内では法則が有効で、従って全てが修正されることのある限界を、絶対的な確実性をもって我々に教示することはできない。
 しかしながら、このことは、真実を虚偽または逆も同じ(vice versa)に変えるのではなく、一般的に有効だと考えられることは一定の条件においてのみ当てはまるということを、たんに意味させる。  
 いかなる真実も、究極的には確証されない。この意味において、全ては相対的だ。
 全ての知識もまた、我々は普遍世界に関する全てを知ることができない、そして我々の知識は膨張し続けるにもかかわらず不完全なままだ、という意味において、相対的だ。
 しかし、このような留保は、真実は実在に合致するものだという考えに影響を与えることはない。
 エンゲルスもまた言ったように、真実に関する最も有効な規準は、つまりある判断が正しい(true)か否かを見つけ出す最良の方法は、それを実践で試験してみることだ。
 我々が自然の諸関係に関してした発見を実践の操作へと適用することができるならば、我々の行動の成功は、判断が正しい(right)ものだったことを確認するだろう、一方で失敗は、その反対のことを証明するだろう。
 実践という規準は、自然科学と社会科学のいずれにも同じく適用することができる。後者では、我々の実在に関する分析は、それにもとづく政治的行動が効果的(effective)なものであれば、確証される。
 この有効性(effecfivity)は、実用主義の意味での『有用性(utility)』とは異なる。我々の知識は、真実であるがゆえに有用である可能性をもつのであり、有用であるがゆえに真実なのではない。
 とくに、マルクス主義理論は、実践によって顕著に確証されてきた。それにもとづく労働者運動の成功は、その有効性(validity)を最もよく証明するものだ。//
 我々が真実の客観性をひとたび認識したとすれば、『思考の経済』という経験批判論の原理は、観念論者の詐術であることが分かる。実在との合致を、努力の経済にある不明瞭な規準に置き換えることを意図しているのだ。//
 また、経験批判論がカント哲学に反対しているのは、『右翼から』、すなわちカントよりも反動的な位置から狙って攻撃していることも、明確だ。
 彼らは、現象と本体(noumenon)の区別を攻撃する。しかし、そうするのは、『事物それ自体』は余計なものだ、つまりは意識(mind)から独立した実在は存在しない、ということを示すためだ。
 しかしながら、唯物論者は、それと反対の観点からカントを批判する。現象を超える世界があるということを是認するのではなく、それに関して我々は何も知ることができないと考えることによってだ。
 経験批判論者たちは、原理上は知ることができない実在はないとして、現象と事物それ自体には差違はない、と主張する。彼らはカントの不可知論を批判するが、一方では、世界の実在に関するカントの考えのうちの『唯物論的要素』を承認している。
 唯物論の観点からすれば、実在は知られているものとまだ知られていないものの二つに分けることができる。知られ得る現象と知られ得ない『事物それ自体』の二つにではない。//
 空間、時間および因果関係といった範疇に関して言うと、レーニンは、エンゲルスの解釈に従う。
 弁証法的唯物論は、因果関係を機能的な依存性だとは見なさない。そうではなく、事象間の諸関係には真の必然性(true necessity)がある。
 実践は、因果の関係性に関する現実の(real)必然性を確定する最良のものだ。事象の規則的連続性を観察し、それによって望ましい結論を得るときはいつでも、我々は、原因・結果の関係は我々の想念(imagination)の作用ではなくて物質世界の現実の性質なのだ、と論証する。
 このような連結関係は、しかしながら、弁証法的に理解されなければならない。事象のいくつかの類型があって単一の事象だけが存在するのではない場合は、一つの根本要素は他者に対する優位を維持し続けるが(これ以上の詳細はない)、つねに相互の反作用がある。
 時間と空間はいずれも、作動している知覚の力の産物ではない。感覚の<先験的な>形態でもないし、物質から離れた反対物でもない。それらは、物理的存在の客観的な性質だ。
 かくして、時間の継続と空間の整序との関係は、世界の現実的な属性(real property)であって、独立した形而上の一体たる地位をもたない。//
 レーニンは、自分が解釈する弁証法的唯物論は実践的意味での有効な武器であるだけではなく、自然科学と社会科学の現在の状態と合致する唯一の哲学でもある、と考える。
 科学が危機にある、またはそのように見えるのは、物理学者たち自身がこのことを理解していないからだ。
 『現代物理学は、産み出しつつある。弁証法的唯物論を、産もうとしている。』
 (ⅴ. 8, 同上、p.313〔=日本語版全集14巻378頁〕。)
 科学者たちは、弁証法的唯物論こそが、マルクスとエンゲルスを知らなかったために陥った困難から救われる唯一の途だということを、認識しなければならない。
 科学者の中には反対する者がいるとしても、弁証法的唯物論はすぐに勝利するだろう。彼らの態度の理由は、個別の分野では大きな業績を達成したとはいえ、自分たちのほとんどがブルジョアジーの従僕だからだ。//
 レーニンのこの著書は、それ自体の価値によってではなく、ロシア哲学の発展に与えた影響力のゆえに、興味深い。
 哲学としては、レーニンの著は、エンゲルスからの引用によって(この著全体でマルクスの文章は二つしか引用されていない)辛うじて成り立つ俗悪な(vulgar)『常識的』論拠にもとづく、粗雑なかつ素人臭い(amateurish)ものだ。そして、レーニンの反対者に対して、抑制なく悪罵を投げつけるもの(unbridled abuse)だ。
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変えた。
 段落の途中だが、ここで区切る。⑥へとつづく。


1631/「哲学」逍遙③-L・コワコフスキ著17章7節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき。
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 第7節・レーニンの哲学への逍遙③。
 レーニンは明らかに、プレハノフと『オーソドクス』はそれに値するほど完全には経験批判論を論駁していない、と考えた。
 彼は1908年のほとんどを、この主題について考えて過ごした。そのうち数ヶ月はロンドンで、英国博物館で研究した。
 その成果は、<唯物論と経験批判論-反動哲学への批判的論評>という書名の本の形をとって、1909年にモスクワで公刊された。//
 経験批判論を批判する際に、レーニンは、内部的な一貫性に関する教理に対する、多様な哲学者たちの異論に特別にはかかわらなかった。
 彼の目的は、経験批判論は『哲学の根本問題』を解消するのに成功していないことを示すことだった。経験批判論は、物事に対する精神(mind)の優位性の哲学、または<その反対も正しい(vice versa)>の哲学で、徹底的なバークリ的観念論を隠蔽する言葉のまやかしの一片だ、そしてそのゆえに、宗教的霊感主義と搾取階級の利益を支持することを意図している、と。//
 レーニンの議論は、党派性(パルチザン性・党派主義、partisanship)にもとづいていた。
 彼は、この言葉を二つの意味で用いた。
 第一に、エンゲルスが明確にしたように、唯物論と観念論との間の中間的立場はあり得ないことを意味する。反対派へと移行したと主張する哲学者たちは、たんに陰険な観念論者だ、ということ。
 さらに、哲学の全ての主要問題は、これの付随物だ。
 世界は知り得るか否か、決定論は真実(true)なのか、真実や時と空間の意味の規準は何か-これらの問題は全て、特殊な例または『根本問題』の拡張物だ。
 これらになされる全ての解答は、傾向として唯物論的または観念論的だ。そして、これら二つの間での選択を回避することはできない。//
 第二に、レーニンにとって党派性(partisanship)は、哲学上の理論は階級闘争において中立的ではなくその手段だ、ということを意味する。
 全ての哲学が、何らかの階級利益に奉仕している。そして、階級闘争で引き裂かれた社会では、哲学者が自分の意図をどう考えていようと、そうでないことはあり得ない。
 直接の政治活動以上に、哲学において非党派的人間であることはもはや不可能だ。
 『哲学における非党派主義(non-partisans)は、政治においてそうであるように、どうしようもなく愚鈍だ。』(+)
 (<唯物論と経験批判論>ⅴ. 5、全集14巻p.286。〔=日本語版全集14巻345頁。〕)
 『哲学における非党派性(non-partisanship)とは、観念論に、そして唯信主義(fideism)に対する、卑劣にも仮面をつけた隷従にすぎない』(ⅵ. 5, 同上、p.355〔=日本語版全集14巻430頁〕)。(+)
 唯物論だけが、労働者階級の利益に奉仕することができる。そして、観念論者の教理は、搾取者の道具だ。//
 レーニンは、『党派性(partisanship)』のこれら二つの意味の関係を論じていないし、哲学者たちと階級の連関は過去へと投影され得るものかどうかも考察していない。
 例えば、唯物論者ホッブズと平民キリスト教聖職者は、抑圧された階級と資産所有者のイデオロギーをそれぞれ代表しているのか?
 レーニンは、現在ではプロレタリアートとブルジョアジーの根本的な社会的対立は哲学者の唯物論の陣営と観念論のそれへの二分に対応する、と主張するにとどめる。
 観念論と政治的反動との結合は、レーニンがつぎのように見なしているということで、最も明確に示される。すなわち、彼によると、あらゆる形態の観念論、とくに認識論上の主観主義は、実践上も論理的一貫性の問題としてもいずれも、宗教的信仰を支えるものだ。
 レーニンがこのような非難を、それ独自の哲学を根拠にしてあらゆる形態の宗教的信仰を攻撃している経験批判論に対して、より強く行うのはむつかしい。
 しかしながら、バークリは、容易な攻撃対象だった。彼の理論が否定する、物事の現実の存在を信じることは、無神論の主要な支えだ、とバークリは考えたので。
 ともあれ、観念論者たちの間の論争は、些細な意味しかもたない、バークリ、ヒューム(Hume)、フィヒテ(Fichte)、経験批判論者、そしてキリスト教神学者の間に根本的な違いはない、とレーニンは言った。
 主観的観念論に対するカトリック哲学者たちの攻撃は、家庭内での争論にすぎない。同様に、経験批判論者の宗教に対する反対論は、プロレタリアートの警戒を解いてプロレタリアートを違う途を経て宗教的神話学と同じ方向へと導くことを意図する欺瞞だ。
 『アヴェナリウスのような者の洗練された認識論上の妄想は職業上の作り物のままで、「自分自身の」小さな哲学上のセクト(党派)を形成しようとする試みだ。
 しかし、実際の問題としては、今日の社会の諸思想と諸傾向の闘争という一般的状況のもとでは、これら認識論上の策謀が果たす客観的な役割は、全ての場合において、同じだ。つまり、観念論と唯信主義への途を掃き清めることであり、それらに忠実に奉仕することだ。』(+)
 (ⅵ. 4, 同上、p.341。〔=日本語版全集14巻413頁。〕)//
 ゆえに、経験批判論は経験の要素がその中で存在論的に中立で『精神的(psychical)』でも『物質的(physical)』でもない世界の像を構築すると主張して、純真な読者を騙している、ということが容易に分かった。
 欺瞞的な言葉遣いが異なるにすぎないマッハとアヴェナリウスおよびドイツ、イギリス、ロシアの仲間の哲学者たちは、世界を印象の収集物へと変形することを主張しており、そうして『物質的現実』は、たんなる意識の産物になる。
 彼らがこの理論を一貫させれば、唯我主義の不合理へと行き着き、世界全体を個々の主体の創出物だと見なすことになる。
 彼らがこの結論を述べないとすれば、読者を誤導したいと願っているか、彼ら自身の教理の空虚さが暴露されるのを怖れているからだ。
 ともあれ、彼らは聖職者の従僕であり、非知性的な言葉の紡ぎ手であって、単純な者たちを瞞し、真の哲学的問題を混乱させている。一方で、ブルジョアジーは権力を自分たちに維持するために民衆の当惑を利用している。
 『我々のうち誰でも、物質的(physical)なものと精神的(mental)なものとを知っている。しかし誰も現在では、「第三の」ものを知らない。
 アヴェナリウスは、策略でもって自分の痕跡を隠蔽しているにすぎない。一方で、<実際には(in fact)>、自我は始源的なもの(中心項)で自然(環境)は二次的なもの(対立項)だと宣言している。』(+)
 (ⅲ. 1, 同上、p.147。〔=日本語版全集14巻172頁。〕)//
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 (+ 秋月注記) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
 ④へつづく。

1581/党と運動・意識性と自然発生性①-L・コワコフスキ著16章「レーニン」2節。

 第16章・レーニン主義の成立
 前回のつづき。
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 第2節・党と労働者運動-意識性と自然発生性①。
 独自の政治的一体としてのレーニン主義の基本的教理は、1901年~1903年に定式化された。
 この数年間にロシアでは、主な政治集団が創立され、それらは絶えずお互いで争いながら帝制に対する闘いを十月革命まで遂行した。すなわち、社会民主党のボルシェヴィキ派とメンシェヴィキ派、社会革命党(エスエル)および立憲民主党(<カデット>)。//
 レーニンが考え(ideas)を徐々に見える形にした主要な機関は、<イスクラ(Iskra)>だった。
 1903年の第二回党大会まで、レーニンと他の編集局員との間の差違は、大して重要ではなかった。そして、実際に新聞の基本論調を作ったのはレーニンだった。
 レーニンは最初はミュンヒェンで、のち1902年の春に移動したロンドンで、その編集に携わった。
 <イスクラ>は、ロシア社会民主党の修正主義や経済主義と闘うことのみならず、党が公式には存在しているにもかかわらず、思想(ideology)と組織のいずれに関してもまだ統合されていない集団との間の結節点として活動することをも、意図していた。
 レーニンが、つぎのように書いたように。『一つの新聞は集合的な情報宣伝者や集合的な扇動者であるばかりではなく、集合的な組織者でもある。』(<何から始めるべきか>、全集5巻p.22〔=日本語版全集5巻3頁以下「なにからはじめるべきか?」〕)。
 <イスクラ>は実際に、大会を準備するうえで決定的な役割を果たした。この大会は、開催されたときに、ロシアの社会民主主義者を単一の政党へと統合した。その党はすぐに、二つの反目しあう集団へと分裂した。//
 レーニンは、党の役割という鍵となる問題を、経済主義と闘うボルシェヴィキの考え方(ideology)を生み出す基礎に据えた。その経済主義とは、影響力は衰えているとしてもきわめて危険だと彼が見なしたものだった。
 経済主義者は史的唯物論を、(ともかくも近い将来にロシアのブルジョアジーの主とした仕事になる)政治的目的と比べて、プロレタリアートの経済的闘争を優先させる理論だと解釈した。
 そして経済主義者は、労働者階級の運動を、一体としての労働者による自然発生的な運動の意味での『労働者の運動』と同一視した。
 プロレタリアート自身の綱領の厳密な階級性を強調し、<イスクラ>集団を、知識人層やリベラルたちに倣って主張している、理論や思想の重要性を高く評価しすぎている、専政体制に対する全ての階級の共通する敵対関係に重きを置きすぎている、と攻撃した。
 経済主義は、一種のロシアのプルードン主義(Proudhonism)で、または< ouvrierisme >と称されるものだ。
 これを支持する者によると、社会民主党とは、真の労働者運動の、指導者ではなくて、機関であるべきだ。//
 レーニンは、いくつかの論文で、とくに<何をなすべきか>(1902年)で、前衛としての党の役割を否定しているとして経済主義者を攻撃し、一般的な語法を用いて、社会民主主義運動における理論の重要性に関する自分の見地を表明した。
 彼は、つぎのように主張した。革命の展望にとってのきわめて重大な問題は、革命運動に関する理論上の意識(conciousness)であり、これは労働者の自然発生的(spontaneous)な運動によっては決して進化させられないものだ。
 『革命的理論のない革命運動は、存在し得ない』。
 これは、他のどこよりもロシアにおいて、より本当(true)だった。なぜなら、社会民主主義がその揺籃期にあり、また、プロレタリアートが直面する任務がヨーロッパ的かつアジア的な反動の稜堡を打倒することだったからだ。
 このことが意味したのは、世界プロレタリアートの前衛であることを運命づけられていること、およびこの任務を適切な理論の装備なくして履行することはできないこと、だった。
 経済主義者は、社会発展における『客観的な』経済環境の重要性について語った。
 その際に、政治的意識を経済的要因の自動的な帰結の一つと見なし、それは社会の進化を開始させ活性化させることができない、とする。
 しかし、経済的利益が決定的だという事実は、プロレタリアートの根本的な階級利益は政治的革命とプロレタリアート独裁によってのみ充足されうるのだから、労働者の経済闘争は最終的な勝利を確実にすることはできない、ということを意味しなかった。
 労働者は、自分たちだけにされたのでは、全体としての階級と現存する社会制度の間には根本的な対立があるという意識を獲得することができなかった。//
 『我々は、労働者の間に社会民主主義的意識がありえるはずはなかった、と言った。
 この意識は、外部からしか労働者へともたらされることのできないものだった。
 全ての国の歴史は、労働者階級がまったく自分の力だけでは、組合主義的意識、すなわち、組合に団結し、雇い主と闘い、政府に労働者に必要なあれこれの法律の発布をさせるように励むなどのことが必要だという確信しか形成できないことを、示している。』(+)
 (全集5巻p.375=〔日本語版全集5巻「なにをなすべきか」395頁〕)//
 このことは、西側でそうだった(『マルクスとエンゲルス自身もブルジョア・インテリゲンツィアに属していた。』++)。そして、ロシアでもそうなることになる。
 レーニンは、この点で、カウツキーに魅惑されて支持した。彼は、プロレタリアートの階級闘争はそれ自体では社会主義の意識を生み出すことができない、階級闘争と社会主義は別々の現象だ、そして、社会主義の意識を自然発生的な運動の中に植え込むことが社会民主党の任務だ、と書いていた。//
  (+秋月注) 日本語版全集5巻を参考にして、訳出し直している。
  (++同注) この前後を含めると、つぎのとおり。日本語版全集5巻395頁による。-「近代の科学的社会主義の創始者であるマルクスとエンゲルス自身も、その社会的地位からすれば、ブルジョア・インテリゲンツィアに属していた」。
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 ②へとつづく。

1579/レーニン主義②-L・コワコフスキ著<マルクス主義>16章1節。

 試訳のつづき。
 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (Norton, 三巻合冊 2008)では、第16章第1節は、p.661-4。第二分冊(第二巻)の以下は、p.382-。
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 第1節・レーニン主義をめぐる論争②。
 レーニンは『修正主義者』だったかという問題は、レーニンの著作物とマルクスの著作物とを比較することによって、あるいはこの問題または別の問題についてマルクスならば何をしただろうかまたは何と語っただろうかという回答不能の問題を設定することによってのみ決定することができる。
 明白に、マルクスの理論は多くの箇所で不完全で曖昧だ。そして、マルクスの理論は、その教理をはっきりと侵犯することなくして、多くの矛盾する方法で『適用』されうるだろう。
 にもかかわらず、マルクス主義とレーニン主義の間の継承性に関する問題は、完全に意味がないわけではない。
 しかしながら、この問題は、『忠実性』に関してではなくて、理論の分野でマルクス主義の遺産を『適用』するまたは補足するレーニンの企てにある一般的な傾向を吟味することによって、むしろよりよく考察することができる。//
 述べたとおり、レーニンにとっては、全ての理論上の問題は、唯一の目的、革命のためのたんなる道具だった。そして、全ての人間の行い、観念、制度の意味および価値は、もっぱらこれらがもつ階級闘争との関係にあった。
 このような志向性を支持するものを、多くの理論上の文章の中で、ある階級社会における生活の全側面のうち一時性や関係性を強調したマルクスやエンゲルスの著作物に見出すのは困難ではない。
 にもかかわらず、この二人の特有の分析は、このような『還元主義』定式が示唆すると思える以上に、一般論としてより異なっており、より単純化できないものだ。
 マルクスとエンゲルスはともに、『これは革命にとって良いものか悪いものか?』という発問によって意味されている以上の、利益についての相当に広い視野を持っていた。
 他方、この発問は、レーニンにとっては、問題がそもそも重要かどうか、そうであればそれはどのように決定されるべきかに関する、全てを充足する規準だった。
 マルクスとエンゲルスには、文明の継続性に関する感覚があった。そして、彼らは、科学、芸術、道徳、および社会的諸制度の全ては階級の利益のための道具『以外の何物でもない』、とは考えなかった。
 にもかかわらず、彼らが史的唯物論を明確にする一般的定式は、レーニンが用いるのに十分だった。
 レーニンにとって、哲学的問題はそれ自体では意味をもたず、政治的闘争のためのたんなる武器だった。芸術、文学、法と制度、民主主義諸価値および宗教上の観念も、同様だった。
 この点で、レーニンは、マルクス主義から逸脱していると非難することができないだけではなく、史的唯物論の教理をマルクス以上に完全に適用した、ということができる。
 例えば、かりに法は階級闘争のための武器『以外の何物でもない』とすれば、当然に、法の支配と専横的独裁制の間に本質的な差違はない、ということになる。
 かりに政治的自由はブルジョアジーがその階級的利益のために使う道具『以外の何物でもない』とすれば、共産主義者は権力に到達したときにその価値を維持するよう強いられていると感じる必要はない、と論じるのは完全に適正だ。
 科学、哲学および芸術は階級闘争のための器官にすぎないので、哲学論文を書くことと砲火器を使うことの間には『質的な』差違はない、と理解してよいことになる。-この二つのことは、異なる場合に応じた異なる武器であるにすぎず、味方によって使われるのかそれても敵によってか、に照らして考察されるべきものだ。
 このようなレーニンの教理の見方は、ボルシェヴィキによる権力奪取以降に劇的に明確になった。しかし、こういう見方は、レーニンの初期の著作物において表明されている。
 レーニンは、見解がやや異なる別のマルクス主義者たちとの議論で、共通する教理を適用する変わらない簡潔さと一貫性で優っていた。
 レーニンの論敵たちがレーニンはマルクスが実際に言った何かと矛盾していると-例えば、『独裁』は法による拘束をうけない専制を意味しないと-指摘することができたとき、彼らは、レーニンの非正統性というよりもむしろ、マルクス自身のうちにある首尾一貫性の欠如を証明していた。//
 しかし、それでもなお、レーニンがロシアの革命運動に導入した一つまたは二つのきわめて重要な点に関する新しい発想は、マルクス主義の伝統に対する忠実性がなり疑問であることを示唆する。
 第一に、レーニンは初期の段階で、『ブルジョア革命』のための根本戦略として、プロレタリアートと農民との間の同盟を擁護した。一方で、レーニンに対する反対者たちは、ブルジョアジーとの同盟の方がこの場合の教理とより一致しているはずだ、と主張した。
 第二に、レーニンは、民族問題を、たんなる厄介な邪魔者のではなくて、その教理を社会民主主義者が発展させるべく用いることができかつそうすべき活動源の、強力な蓄蔵庫であると見た最初の人物だった。
 第三に、レーニンは、自分自身の組織上の規範と、労働者による自然発生的な突発に向けて党が採用すべき態度に関する彼自身の範型とを、定式化した。
 これら全ての点について、レーニンは改良主義者やメンシェヴィキからのみならず、ローザ・ルクセンブルク(Rosa Luxemburg)のような正統派の中心人物によっても批判された。
 また、これら全ての点について、レーニンの教理は極度に実践的なものであることが判明した。そして、上記の三点の全てについて、レーニンの政策が、ボルシェヴィキ革命を成功させるために必要なものだった、とレーニンの教理に関して、安全には言うことができる。
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 第2節・党と労働者運動-意識性と随意性、へとつづく。

1549/アンジェイ・ワリツキ・マルクス主義と自由(1995)の構成。

 日本の「左翼的」すなわち「容共的」学界・論壇や出版社を含むメディアにとって危険な外国の人物やその著作は、紹介されたり翻訳されたりする傾向がきわめて少ない。
 R・パイプス(アメリカ)についても、F・フュレ(フランス)についても、エルンスト・ノルテ(ドイツ)についても、この人たちは日本で決して全くの無名ではないとしても、そのことを感じている。
 アンジェイ・ワリツキ(Andrzej Walicki)の著書についても、そうだろう。
 その書名は、マルクス主義と自由の王国への跳躍-共産主義ユートピアの成立と崩壊=Marxism and the Leap to the Kingdom of Freedom -The Rise and Fall of the Communist Utopia (1995)。
 この書物につき、この分野の専門的研究者とは見なされていないだろう竹内啓のつぎの論考があり、かなり詳細な紹介とコメントを含む。ネット上で、PDF形式で掲載されている。
 竹内啓・書評/明治学院大学国際学研究2000年3月31日号p.67-p.85。
 
しかし、見事に、この竹内啓PDFファイル以外に、日本では上の著に触れたものはないように見える(氏名の読み方すら分かりにくい。日本語のWikipedia での紹介もないのでないか)。
 以下は、この著の構成(内容)だ。<危険さ>を感じる人がいるだろう。
 しかし、竹内啓も言っているように、マルクス主義と「自由」は、あるいは現代の「自由」とは何かについて、(日本人も)きちんと議論・研究する必要がある。
 マルクス主義・「科学的社会主義」を名乗る政党に「学問の自由」も「出版の自由」も実質的に形骸化されているという、畏るべき実態が日本にはあると思われる。
 そうしてまた、「反共」をいちおうは謳いながら、マルクス主義・共産主義(あるいはレーニン主義・スターリニズム)、あるいは<亜流>マルクス主義者の思想・理論の詳細な分析・研究などにはまるで関心がない、分けが分からなくなっている、日本の<保守>の悲惨な実態もある。有り難さではなくて、その惨状に、涙こぼるる思いがする。
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 アンジェイ・ワリッキ・マルクス主義と自由の王国への跳躍(1995).
 第1章・自由に関する哲学者としてのマルクス。
  第1節・緒言。
  第2節・公民的および政治的自由-自由主義との対立。
  第3節・自己啓発の疎外という物語-概述。
  第4節・パリ<草稿>-喪失し又は獲得した人間の本質。
  第5節・<ドイツ・イデオロギー>-労働の分離と人間の自己同一性の神話。
  第6節・<綱要>-疎外された普遍主義としての世界市場。
  第7節・<資本論>での自己啓発の疎外と幼き楽観主義の放棄。
  第8節・将来の見通し-過渡期と最後の理想。
  第9節・ポスト・マルクス主義社会学伝統における資本主義と自由-マルクス対ジンメルの場合。
 第2章・エンゲルスと『科学的社会主義』。
  第1節・『エンゲルス的マルクス主義』の問題。
  第2節・汎神論から共産主義へ。
  第3節・政治経済学と共産主義ユートピア。
  第4節・諸国民の世界での『歴史的必然性』。
  第5節・『理解される必然性』としての自由。
  第6節・喪失した自由から獲得した ?自由へ。
  第7節・二つの遺産。
 第3章・『必然性』マルクス主義の諸変形。
  第1節・カール・カウツキー-共産主義の『歴史的必然性』から民主政の『歴史的必然性』へ。
  第2節・ゲオルギー・プレハーノフ-夢想家の理想としての『歴史的必然性』。
  第3節・ローザ・ルクセンブルクまたは革命的な運命愛(Amor Fati)。
 第4章・レーニン主義-『科学的社会主義』から全体主義的共産主義へ。
  第1節・レーニンの意思と運命の悲劇。
  第2節・『ブルジョア自由主義』へのレーニンの批判とロシア民衆主義の遺産。
  第3節・労働者の運動と党。
  第4節・『単一政』の破壊と暴力の正当化。
  第5節・文学と哲学におけるパルチザン原理。
  第6節・プロレタリアート独裁と国家。
  第7節・プロレタリアート独裁と法。
  第8節・プロレタリアート独裁と経済的ユートピア。
 第5章・全体主義的共産主義から共産主義的全体主義へ。
  第1節・レーニン主義とスターリン主義-継承性に関する論争。
  第2節・世界の全体観念としてのスターリン主義的マルクス主義。
  第3節・『二元意識』と全体主義の『イデオロギー支配制』。
 第6章・スターリン主義の解体-脱スターリン主義化と脱共産主義化。
  第1節・緒言。
  第2節・マルクス主義的『自由』と共産主義的全体主義。
  第3節・脱スターリン主義化と脱共産主義化の諸段階と諸要素。
  第4節・ゴルバチョフのペレストロイカと共産主義的自由の最終的な拒絶。
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 以上。

1440/レーニンと社会民主主義①-R・パイプス著9章2節。

 前回のつづき。
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 第9章・レーニンとボルシェヴィズムの起源
  第2節・レーニンと社会民主主義 〔p.345-p.348〕
 1920代に定式化されたレーニンの公式の<経歴>(vita)は、その本質的特徴において、キリストの一生をモデルにしている。
 キリスト学のように、変わらずまた変わりえないものとして、その宿命は生誕の日にあらかじめ決定されていたものとして、主人公を叙述している。
 レーニンの公式の伝記作者は、レーニンがその考えを一度でも変えたということを認めることを拒否する。 
 レーニンは政治に関与するようになった瞬間から、確固たる正統派マルキスト(マルクス主義者)だったとされる。
 このような主張は誤っていることは、容易に示すことができる。//
 まず、『マルクス主義者』という語は、レーニンが若いときには一義ではなく、少なくとも二つの異なる意味をもった。
 古典的マルクス主義原理は、成熟した資本主義経済の諸国家に適用された。 
 マルクスは、このような国のために、発展の科学的理論、つまり崩壊と革命という不可避的な結末、を提供すると称した。
 この原理は、それが科学的客観性をもつとされたこと、およびその予見の不可避性の二つの理由で、ロシアの過激な知識人に対して莫大な訴える力をもった。
 マルクスは、ロシアの社会民主主義運動が始まる前に、広く知られていた。すなわち、1880年にマルクスは、『資本論』は他のどの国でよりもロシアで多くの読者と崇拝者を獲得した、と誇ったほどだ。(10)
 しかし、ロシアは当時ほとんど資本主義が進展していなかったので、言葉を緩やかに定義することにはなるが、ロシアの初期のマルクス支持者は、マルクスの理論をロシアの地域的状況に適合するように再解釈した。  
 彼らは1870年代に、『分離した途』という原理を定式化した。それによると、ロシアは、農村共同体を基盤とする社会主義の独自の形態を発展させ、資本主義の段階を回避して、社会主義へと直接に飛躍するだろう、ということになる。(11)
 レーニンの兄は人民の意思組織の綱領にあるこの種のイデオロギーを採用したが、それは1880年代のロシアの過激派サークルではふつうのことだった。//
 レーニンが成長した知的な環境がもつ知識は、彼がイデオロギーを進展させるのに役立った。   
 マルクス主義の変種はロシアでまだ知られていなかったので、レーニンは1887-91年には、社会民主主義という意味でのマルクス主義者ではなかったし、またそうであるはずはなかった。
 実証的文書は、レーニンは1887年からおよそ1891年までの間、人民の意思の典型的な支持者だったことを示唆している。
 レーニンは、最初はカザンで、そしてサマラで、この組織の構成員と親密な交際をしていたと述べた。 
 彼は積極的に、その多くが刑務所や流刑から解放されたのちにヴォルガ地域に住みついた、人民の意思の老練活動家を探し出して、その運動の歴史ととくにその組織実務を学んだ。
 この知識を、レーニンは深く吸収した。ロシア社会民主党の指導者の一人になった後ですら、彼は、厳しく訓練された、策略を好みかつ職業的な革命党への信頼、および資本主義という長い中間段階を主張する綱領に対する苛立ちのために、同志たちから離れることがあった。 
 人民の意思(Narodnaia Volia)のように、レーニンは資本主義と『ブルジョアジー』を侮蔑した。それらに彼は、社会主義の同盟者ではなく、公然たる敵を見ていたのだ。
 注目する価値があるが、1880年代の遅くにレーニンは、『ドイツ』の-つまり社会民主主義の-精神でのマルクスとエンゲルスに接近し始めていた地域のグループ活動に加わらなかった。(12) //
 1890年6月にようやく、当局はレーニンが形式上の学生として法曹試験を受けることを許した。
 彼は1891年11月にそれに合格したが、法曹実務には就かず、経済文献の研究、とくに Zemstva が刊行した農業の統計調査のそれに没頭した。 
 レーニンの妹のアンナの語るところによれば、彼の目的は『ロシアにおける社会民主主義の実現可能性』を決定することだった。(13)//
 ときは、熟していた。
 ドイツでは、1890年に合法化された社会民主党が、選挙で驚くべき成功を収めていた。
 ドイツ社会民主党の優れた組織と労働者への政策主張を広汎なリベラル綱領に結びつける能力によって、いずれの連続する選挙でもより多くの議席数を獲得してきていた。
 ヨーロッパの最大の産業国家で暴力によってではなく民主主義手続を通じて社会主義が勝利することができることが、突如として想定できるように見えはじめた。
 エンゲルスはこのような展開に感動して、死ぬ少し前の1895年に、彼とマルクスが1948年に予言した革命的変革は決して起こらないかもしれない、だが社会主義はバリケードによってではなく投票箱でうまく勝利することができる、と認めた。(14)
 ドイツ社会民主党の例は、ロシアの社会主義者たちに強い影響力をもち、『分離した途』や革命的クー・デターという昔の理論は不評を招いた。// 
 このような考えの広がりと同時期に、ロシアは1890-1900年の10年間に産業労働者の数が二倍になり、経済成長率が他諸国よりも上回るという、劇的な産業発展の大波を体験していた。 
 示唆されたのはしたがって、ロシアはマルクスもありうると想定していた資本主義を回避して進む機会を見失い、西側の経験を繰り返す運命にある、ということだった。//
 このように雰囲気が変化し、社会民主主義の理論はロシアで支持者を獲得した。 
 ジュネーヴでゲオルク・プレハーノフやパウル・アクセルロッドが、ペテルスブルクでペーター・ストルーヴェが定式化したように、ロシアは二つの段階を経て社会主義に到達すべきだった。
 最初に、十分に成長した資本主義を通過しなければならない、それはプロレタリアートの地位を拡大し、かつ同時に、そのもとでドイツ人のようにロシアの社会主義者たちが政治的影響力を獲得できる、議会制度を含めた『ブルジョア的』自由という利益をもたらすだろう。 
 『ブルジョアジー』がひとたび専政政治とその『封建的』経済基盤を拭い去ってしまえば、段階はつぎの歴史発展の局面、社会主義への前進、へとセットされるだろう。
 1890年代の半ばには、このような考え方は多くの知識人(intelligentsia)の想像力を捉え、『分離した途』という昔のイデオロギーはほとんど見られなくなった。この旧式の考えのために、今やストルーヴェは『人民主義(Populism)』という新しい軽蔑語を使った。(15)//   
  (11) この主題は私の<ストルーヴェ>で長く扱われている。R. Pipes, Struve: Liberal on the Left, 1870-1905 (1970), p.28-51.
  ---
 ②につづく。

1337/2008年4月に「日本共産教」・「科学的社会主義教」と言っていた(再掲)。

 2007/03/23付けで、次のように、日本共産党を「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体と皮肉っていた。同じことを、つい最近も感じたわけだ。再掲する。最後の一段落は無関係なので、以下では省略。 
 --------------
 日本共産党ではなく「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体。
 安い古本だからこそ店頭で買ったのだが、日本民青同盟中央委・なんによって青春は輝くか(初版1982.04)という本がある。中身は青年・若年層向けの宮本顕治・不破哲三等の講演を収めたもの。
 宮本顕治のものは四本ある。宮本は逝去まで日本共産党中央から非難されなかった珍しい人物なので、この本で宮本が語っていることを日本共産党は批判できず、「生きている」日本共産党の見解・主張と理解してよいだろう。
 全部を読んでいないし、その気もない。p.14を見ていて、こんな内容が少しだけ興味を惹いた。以下、宮本の講演録(1982年2月に民青新聞に掲載)の一部。
 <「社会主義」とは第一に「搾取をなくし、特権的な資本家をなくして、労働者の生活を守る」、第二に、「広範な働く人の民主主義を保障する」、第三に「民族独立を擁護する」。ポーランド問題で社会主義自体がダメだとの批判が起きているが、そうではない。社会主義そして「将来の共産主義社会」は「どんな暴力も強制も不要な」「すべての人びとの才能が花ひらく、才能が保障される社会」で「マルクス、エンゲルス、レーニンたちが一貫して主張してきた方向」だ。>
 ここまででも「搾取」・「特権的な資本家」といった概念がすでに気になるし、またこの党が「民族独立」=反米を強調していることも面白い(社会主義の三本柱の一つに宮本は挙げている。はたして、「社会主義」理論にとって「民族独立」はこれほどの比重を占めるものなのか)。
 だが、面白いと思い、さすがに日本共産党だと感じたのは、上に続く次の文だ-マルクスらの説は「ただ希望するからではなく、人類の歴史、いろんな発展が、そうならざるを得ない」。
 このあとの、マルクスらの説は「人類のつくったすべての学説のすぐれたものを集めたもの」だということが「共産主義、科学的社会主義のほんとうの立場」だ、という一文のあとに「(拍手)」とある。
 いろいろな事実認識、予測をするのは自由勝手だが、上の「いろんな発展が、そうならざるを得ない」とはいったい何だろうか。「そうならざるを得ない」ということの根拠は何も示されていない。共産党のいう<歴史的必然性>とやらのことなのだろうが、それはどのようにして、論証されているのか??
 たんなる「希望」であり、そして要するに「確信」・「信念」の類であり、<科学的>根拠などどこにもない。
 上のような内容を含む講演というのは、信者または信者候補者を前にした<教主さま>の<説教>・<おことば>に違いない。その宗教の名前は、<日本共産教>または<科学的社会主義教>が適切だろう。
 現在も、こんな(将来の確実な<救済>=仏教的には「浄土」の到来?を説く点で)基本的には新興宗教を含む「宗教」と異ならない「教え」を信じて信者になっていく青年たちもいるのだろう。1960年代後半から1970年前半頃までは、今よりももっと多かったはずだ。
 こんな民青同盟又は日本共産党の組織員になって「青春」が「輝く」はずもない。一度しかない人生なのに、日本共産党(・民青同盟)に囚われる若い人々がいるのは(この組織だけでもないが)本当に可哀想なことだ。
 ------------------
 以上。

1279/<左翼>愛好の「国家のゆらぎ」論を萱野稔人が批判。

 Think global, Act local というスローガンかモットーのようなものを読んだことがある。<グローバルに考え、ローカルに行動せよ(しよう)>ということだ。
 この二つにあえて反対する必要はないようにも見えるが、当然ながら、重大なことに気づく。
 グローバル・「世界」・「国際」・「地球」とローカル・「地域」との間の、<国家>がすっぱりと抜け落ちているのだ。
 上記は、ナショナルに考え、行動することは絶対にしたくないという、<左翼>の標語なのだろう。
 「国家」、そして「ナショナルなもの」をできるだけ無視したい、想起しないようにしたいというのは、遠い将来の<国家の死滅>を予言し最終目標とするコミュニズム・「共産主義」に親近的な者たちの考え方でもある。
 エンゲルスの著-家族・私有財産および国家の起源-は、コミュニストたちが廃棄したい三つのものを明確に記していた(この著の前にルソーは「家族」について実践していたが)。
 そういう人々は近年、<国家のゆらぎ>ということを語りたがる。それは一つは、単一の近代国家が統合へと向かう兆しによって生じており、EU(欧州連合)はその好例だとされる。日本近辺については、<東アジア共同体>なるものを目指すことを肯定的に語る者もいる。
 いま一つは、単一の国家内部で、「国家」と社会または民間の境が曖昧になりつつある現象として表れているとされる。国家の事務の範囲・役割が不明確になっていることを前提とする、公共事務の<民営化>も、そうした傾向の重要な一つだとされる。
 だが、<国家のゆらぎ>を積極的・肯定的に語りたがる者は、「国家」・「ナショナルなもの」をできるだけ無視したい、想起しないようにしたい、<左翼>の学者や評論家たちだと思われる。
 萱野稔人は<保守派>だとは見なされていないようだが、「日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが…」という一文を含む文章を朝日新聞の2015.01.18朝刊に書いていて、その内容は納得できるものだ。
 萱野稔人は、「国家のゆらぎ? ゆらいでいるのは米の覇権」と題し、昨年のクリミヤ半島ロシア編入、「イスラム国」、スコットランド独立住民投票に言及したあと、「これまでの国家の枠組みをゆるがすようなできごとが相次いだ」が、「これらの動きを主権国家そのものの衰退ととらえることには無理がある」と断じる。そして、ウクライナ・イスラム世界での出来事は「国家そのもののゆらぎではなくて、米国の覇権のゆらぎである」とする。
 そのあと、さらに次のように述べる。
 「国家のゆらぎについてはこれまでも、グローバリゼーションによって国境の壁は低くなり、国家は衰退していくのではないか、ということがとりわけ日本では盛んにいわれた」。しかし、サッセンの近著はそうした見方を「表面的で稚拙な見方だと批判」し、「グローバリゼーションによって国家の主権は消滅するのではなく、新たな役割を担うだけだ」としており、ドゥルーズ=ガタリの近著も「資本主義と国家の関係を理論的に考察」しつつ「(資本が国家を)超えるとは、国家なしですませるという意味では決してない」ととしている。
 最後に、つぎの一文でまとめられる。
 「日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが、国家を正面から考えるためには、そもそもそういった発想自体が問い直されなくてはならない」。
 <国家のゆらぎ>を語りたがる日本の<左翼>学者等は、「表面的で稚拙な見方」を改め、その「発想自体」を問い直す必要がある。
 ところで、「日本のリベラル派の言論人」の言説を多数掲載してきたのは朝日新聞で、そのような者の書物を多く刊行しているのも朝日新聞出版だ。上の萱野の文章における批判的指摘は、朝日新聞に対しても向けられていると見るべきだろう。だが、朝日新聞は<事前検閲>をして掲載中止を求めることはしなかった(又はできなかった)。この寄稿の担当者は、どういう気分で読んだのだろうか。

0815/家族間の殺人の増大-戦後日本<個人主義>の行き着くところ。

 「亀井静香金融・郵政改革担当相は5日、東京都内の講演で「日本で家族間の殺人事件が増えているのは(企業が)人間を人間として扱わなくなったためだ」と述べた。その上で日本経団連御手洗冨士夫会長と会談した際に「そのことに責任を感じないとだめだ」と言ったというエピソードを披露し、経団連を批判した」。以上、MSN産経ニュース。
 亀井の認識は誤っている。

 「日本で家族間の殺人事件が増えている」とすれば、それは第一に、日本国憲法が「家族」に関する規定を持たないことにもよる、<家族>よりも<個人>を大切にする、戦後日本的<個人主義>の蔓延によるところが大きい。
 第二に、もともと<家族>を呪い、解体を目指す<左翼>(容共)勢力が幅をきかし、現在でも根強く残っていることにある。マルクス主義者にとって、国家・私有財産とともに<家族>なるものもいずれ消滅すべきものなのだ(エンゲルス「家族、私有財産および国家の起源」参照)。
 この考え方は、(マルクス主義的)フェミニズムに強く刻印されており、そのような考え方の持ち主が閣僚になってしまっている、という怖ろしい現実も目の前にある。<個人>、とくに<女性>こそが<家族・家庭>のために差別(・「搾取」)されてきた、と彼ら(彼女ら)は考える。
 上の二つは重なり合う。要するに、<個人>が<家族・家庭>のために犠牲になってはならず、各<個人>は<家族・家庭>の中で<対等・平等>だという一種のイデオロギーが、今日の日本にかなり深く浸透している。
 このような意識状況において、親の<権威>を子どもが意識するはずもない。親は<権威>を持とうともせず、<友だち>のような、子どもを<理解してあげる>親がよい親だと勘違いしている。
 子どもが親等の<目上>の者をそのためだけで<尊敬する>わけがない。
 こんな状況においては、<家族>であっても、<個人>に辛くあたったり、自分<個人>の利益にならない者は、血縁に関係なく、容易に殺人の対象になりうる。
 以上は主として子どもによる親殺し・祖父母殺しについて書いた。逆の場合も同様なことが言える。
 <子育て>が愉しくなく、自分<個人>が犠牲になっている、と感じる女性は昔より多いはずだ。
 女性の中には、自分が産んだ子どもが、自分の睡眠時間と体力を奪ったり、自分の若さを奪っていると感じて邪魔に感じたり、あるいは他の子どもと比較して何らかの点で劣っているのではないかと感じることによって他の母親との関係での自分<個人>のプライドが傷つけられている、と感じたりする者たちもいる。
 似たようなことは父親にもあるかもしれないが、母親の方に多いだろう。
 このような親たちを生んでしまった戦後日本社会とは何だったのか。<個人の尊厳>が第一、と憲法学者さまたちが説き、それを<左翼>的教師たちが小学校・中学校・高校で教育実践している間に、<家族・家庭>(・地域・国家)よりも、いびつに肥大化した自己を大切にする<個人主義>の社会になってしまった。
 ついでに。内容につき言及したことはないが、関連文献として、林道義・母性崩壊(PHP、1999)がある。じつに衝撃的な本だ。
 亀井静香はこの本でも読んで、経団連・御手洗などにではなく、閣僚仲間の福島瑞穂や千葉景子に対してクレームをつけてみてはどうか。

0459/日本共産党ではなく「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体。

 安い古本だからこそ店頭で買ったのだが、日本民青同盟中央委・なんによって青春は輝くか(初版1982.04)という本がある。中身は青年・若年層向けの宮本顕治・不破哲三等の講演を収めたもの。
 宮本顕治のものは四本ある。宮本は逝去まで日本共産党中央から非難されなかった珍しい人物なので、この本で宮本が語っていることを日本共産党は批判できず、「生きている」日本共産党の見解・主張と理解してよいだろう。
 全部を読んでいないし、その気もない。p.14を見ていて、こんな内容が少しだけ興味を惹いた。以下、宮本の講演録(1982年2月に民青新聞に掲載)の一部。
 <「社会主義」とは第一に「搾取をなくし、特権的な資本家をなくして、労働者の生活を守る」、第二に、「広範な働く人の民主主義を保障する」、第三に「民族独立を擁護する」。ポーランド問題で社会主義自体がダメだとの批判が起きているが、そうではない。社会主義そして「将来の共産主義社会」は「どんな暴力も強制も不要な」「すべての人びとの才能が花ひらく、才能が保障される社会」で「マルクス、エンゲルス、レーニンたちが一貫して主張してきた方向」だ。>
 ここまででも「搾取」・「特権的な資本家」といった概念がすでに気になるし、またこの党が「民族独立」=反米を強調していることも面白い(社会主義の三本柱の一つに宮本は挙げている。はたして、「社会主義」理論にとって「民族独立」はこれほどの比重を占めるものなのか)。
 だが、面白いと思い、さすがに日本共産党だと感じたのは、上に続く次の文だ-マルクスらの説は「ただ希望するからではなく、人類の歴史、いろんな発展が、そうならざるを得ない」。
 このあとの、マルクスらの説は「人類のつくったすべての学説のすぐれたものを集めたもの」だということが「共産主義、科学的社会主義のほんとうの立場」だ、という一文のあとに「(拍手)」とある。
 いろいろな事実認識、予測をするのは自由勝手だが、上の「いろんな発展が、そうならざるを得ない」とはいったい何だろうか。「そうならざるを得ない」ということの根拠は何も示されていない。共産党のいう<歴史的必然性>とやらのことなのだろうが、それはどのようにして、論証されているのか??
 たんなる「希望」であり、そして要するに「確信」・「信念」の類であり、<科学的>根拠などどこにもない
 上のような内容を含む講演というのは、信者または信者候補者を前にした<教主さま>の<説教>・<おことば>に違いない。その宗教の名前は、<日本共産教>または<科学的社会主義教>が適切だろう。
 現在も、こんな(将来の確実な<救済>=仏教的には「浄土」の到来?を説く点で)基本的には新興宗教を含む「宗教」と異ならない「教え」を信じて信者になっていく青年たちもいるのだろう。1960年代後半から1970年前半頃までは、今よりももっと多かったはずだ。
 こんな民青同盟又は日本共産党の組織員になって「青春」が「輝く」はずもない。一度しかない人生なのに、日本共産党(・民青同盟)に囚われる若い人々がいるのは(この組織だけでもないが)本当に可哀想なことだ。
 読了済みの佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版)の紹介を含めた言及をしたいのだが、内容が重たいので、書き始められずにいる。

0395/佐伯啓思・隠された思考と樋口陽一の「個人の尊重」。

 佐伯啓思・隠された思考-市場経済のメタフィジックス(筑摩書房)の序章「<演技する知識>と<解釈する知識>」、p.3~p.17を昨夜(2/15)読んだ。1985年6月刊の、佐伯が35歳か36歳のときの著。この年齢にも驚くが、序章だけでもすでに相当に(私には)刺激的だ。事実・認識・真実・科学・解釈・学問等々、すべての<知的営為>に関係している。
 佐伯の述べたい本筋では全くないが(本筋の紹介は省く)、次の文章が目に留まった。
 「明確な自己意識つまり自我の成立こそ理性であるとした近代精神は、それ自体が近代の産物であるというところまで洞察することはできなかった」(p.15)。
 思い出したのは、個人の尊重こそが日本国憲法の三原理をさらに束ねる基本的・究極的理念であると述べた(らしい)憲法学者・樋口陽一とその言葉に感銘を受けた旨述べていた井上ひさしだ。
 個人の尊重の前提には<近代的自我の確立した>自律的・自立的個人という像があると思われる。樋口陽一(そして井上ひさし)の<思考>は<近代>レベルのもので、<近代>内部にとどまっている。それはむろん、日本国憲法自体の限界なのかもしれない。
 だが、既述の反復かもしれないが、戦後当初ならばともかく近年になってもなお<個人の尊重>(「個人主義」の擁護にほぼ等しいだろう)を強調するとは、憲法学者(の少なくとも有力な傾向)の時代錯誤ぶりを示しているようだ。講座派(日本共産党系)マルクス主義のごとく、あるいはせいぜい<近代>合理主義者(近代主義者)のごとく、日本と日本人はまだ<近代>化していない、ということを主張したいのだろうか。
 佐伯のいう「近代」とは<ヨーロッパ近代>に他ならないだろう。<ヨーロッパ近代>の精神を学び・習得したつもりの、自律的・自立的個人であるつもりの樋口陽一らは、<遅れた>日本人大衆に向かって(傲慢不遜にも!)説教したいのだろうか。
 個人の(尊厳の)尊重なるものの強調によって、物事が、<現代>社会が動くはずはない。逆に、<共同体>的なもの(当然に「家族」・「地域」等を含む)の崩壊・破壊・消失に導く政治的主張になってしまうことを樋口陽一らは思い知っていただきたい。
 エンゲルス『家族、私有財産及び国家の起源』は「家族」・「私有財産」・「国家」の崩壊・消滅を想定(・<予言>)するものだった。樋口陽一らがこれを信じるマルクス主義者(コミュニスト=日本共産党的にいうと<科学的社会主義教>信者)だとすれば、もはや言うコトバはない(つける薬はない)。ルソーのいう国家=一般意思に全的に服従することで「自由」になるという<アトム的個人>を樋口陽一らが「個人」として想定しているならば、今ごろになってもまだ何と馬鹿で危険なことを、と嗤う他はない。
 佐伯啓思が多くの憲法学者の思考の及ばない範囲・レベルの思考を30歳代からしていたことは明らかなようだ。 

0114/なぜ共産主義は大量殺人に至った(至る)のか?

 ステファヌ・クルトワ等(外川継男訳)・共産主義白書<ソ連篇>(恵雅堂出版、2001)の序p.12は、「共産主義」体制による死者(銃殺・絞首等の死刑、事故や飢餓、放置による餓死、強制収容所送りの際、抵抗した際、強制労働による衰弱・病気等々によるものを含む)の数を次のように書いている。
 ソ連2000万、中国6500万、ヴェトナム100万、北朝鮮200万、カンボジア200万、東欧100万、ラテンアメリカ15万、アフリカ170万、アフガニスタン150万、国際共産主義運動・政権党でない共産党約1万。
 「殺された合計は一億人に近い」。上の数字の合計は、正確には、9436万。
 また、ナチスによる死者数は、占領国市民1500万、ユダヤ人510万、ソ連軍捕虜330万、強制移住による者110万、ジプシー数10万。これらの合計は、2450万+数十万(p.23)。
 訳者解題によると、上の本が1997年に刊行された際、一億人に近い大量殺戮を生んだ共産主義を信奉する政党(共産党)がフランスでなお活動していることに強い抗議が挙がるという反響があった、という。
 また、著者は、ナチズムが断罪されたのに共産主義の「罪」が問われることなく、なぜ共産党政権が中国やキューバになおあるのかとも問いかけているが、序の最後にある「なぜ」の問いかけはこうだ。
 「なぜレーニン、トロツキー、スターリンその他の人々は、自分たちが「敵」と判断したすべての人々を絶滅することが必要だと考えたのだろうか?
 20世紀の最大の問題はナチズム(あるいはドイツ・ファシズム)でも日本軍国主義でもなく、共産主義だった。それは21世紀に入っても続いている。
 ナチズムや日本軍国主義の分析・研究よりも共産主義の分析・研究の方が重要で、かつ現実的(現代的)意味がなおあるのではないか。
 ついでに、上の本の序から1点だけさらに抜粋しておく。ロシアで1825~1917年の92年間に、死刑判決が実際に執行されたのは3932人だが、この数は政権を握ったボルシェビキ(ロシア共産党)によって1917年11月からわずか4ケ月間に処刑された人数よりも少ない(p.22)。
 1億人(共産主義)、2500万(ナチス)という数の大きさは、第二次大戦中の日本人の軍民合わせての戦死者数が約350万とされているのと比べてもよくわかる。
 ところで、中川八洋・保守主義の哲学(PHP)p.256は、ソルジェニーツィンの収容所群島に依ってレーニン、スターリンの殺戮者数を(上の本の2000万ではなく)6600万としている。また、根拠は不明だがp.293には「二十世紀に二億人の人類を殺害した共産主義…」という叙述もある。上の本の一億人近くの2倍だ。
 かかる人殺しの思想・共産主義(マルクス主義)がどうやって生まれたのかを知ることは重要だろう。
 簡単な紹介に馴染まないが、中川八洋によると、(プラトン)→デカルト→ルソー→ヘーゲル→マルクス→レーニン→スターリン→毛沢東・金日成が最も単純な系譜になる(p.242等)。私の不十分な理解によれば、内容的には、社会を完全に合理的に認識でき、人間も含めて変革(改造)できる筈だとする傲慢な「近代合理主義」、現状不満の狂人・ルソーの夢想的「平等主義」(→資産家からの財産没収等)は少なくとも挙げられるべきものだ。
 なお、別の本で知ったのだが、フェミニズムもマルクス主義を淵源にしているようだ。エンゲルスに家族・私有財産及び国家の起源という著があるが、上野千鶴子らの研究書はこれに大いに依拠しているらしい。マルクスやエンゲルスによれば、「家族」・「私有財産」・「国家」はいずれも消滅すべき(又は消滅する筈の)ものだ。フェミニズムが当面は「家族」の解体を志向しているのも納得できる。

-0040/若宮啓文、有田芳生はいい名前だ。

 これまた古いが朝日の「いっそ…夢想する」で有名な若宮啓文が同紙8月28日のコラムで加藤紘一自宅放火という「テロ」に対する小泉首相等の反応の遅さを詰っている。拉致という明確な国家「テロ」の問題をとりあげるのは日朝国交正常化の「障害」と明記して横田滋氏等から総スカンを食った朝日が、再述すれば、国家「テロ」問題よりも国交正常化優先すべきとの見解だった朝日が、「テロとの戦いはどうした」という見出しのコラムを掲載する資格は全くない。
 何げなく有田芳生のサイトを見ていたら0912付の最後に「安倍の改憲を含む戦後の枠組み解体路線には断固として与しない」とあった。改憲問題は別として、「戦後の枠組み」とは一体何を意味しているのかが問題だ。常識的にみて、「戦後」の全てが良かったか悪かったかという問いは、従って「解体」に一括賛成か反対かの選択は無意味だろう。むろん、「進歩」があったことを否定しないが、しかし、有田の詳しいオウム事件・サリン事件や悪質少年犯罪事件はまさに「戦後」が生み出した現象でないか。「解体」との結論にならないとしても憲法・教育も含めた「枠組み」の妥当性を疑ってみること自体は大切だろう。
 渡部昇一=林道義=八木秀次・国を売る人びと(PHP、2000)を読了し、西尾幹二=八木秀次・新国民の油断(PHP、2005)を通読した。
 フェミニズム・ジェンダーフリー論の帰結のヒドさに愕然とした。有田は後者で紹介されている「自由な」教育も「解体」しないで維持したいのか。また、後者によると、エンゲルスは『…起源』で家庭内で夫は支配者でブルジョアジ-、近代家族は「プロレタリア-ト」たる妻の「家内奴隷制」で成立とまで書いていた。なるほど、マルクス主義とフェミニズムは「個人」のために「家族」を崩壊させる理論なのだ。そして、男女平等といった表向き反対しにくいテ-ゼが利用されて、「家族」の解体がある程度進行してしまっていることも感じる。その結果が、親の権威の欠如(=親子対等論)等々であり、「家族」の崩壊はオウム事件、悪質少年犯罪等と、さらに晩婚化・少子化とも決して無関係でないと考えられる。結局はマルクス主義の影響によってこそ、日本社会は大切なものを喪失してきたのだ。まさに「悪魔の理論」といえる。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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