秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ウェッジ

1417/国家・共産党・コミンテルン04。

 一 関心は多岐にわたるので、一回少し寄り道する。
 日本人の多くは、「法」と「法律」を混用している。
 渡部昇一が現憲法は「占領基本法」にすぎないというとき、やはり、「法」と「法律」の区別をおそらく知らないままで、「基本法」という言葉を用いている。
 このような混用は、国会制定法という意味での「法律」でありながら、名称としては「法」を用いる、つぎのような、日本国憲法と同時に施行された、又は同年の1947年に公布又は施行された「法律」であるが名称には「法」が用いられるものがある、という日本の(厳密には適切とは思えない)「立法」実務も大きな原因になっている。
 ついでながら、現憲法は「無効」でいったんは大日本帝国憲法を復活させなければならないとすれば、以下のような<占領下>の法律も、少なくともそれがGHQの意向によって<実質的に、又は骨格部分を押しつけられた>とすれば(独占禁止法は全体としてそれに近いだろう)、現憲法と同じく「無効」で旧帝国憲法下のそれら(又は対応する法律等)にいったんは戻る必要があるはずだ。
 しかし、そんな主張を渡部昇一らはしておらず、下記の諸法律は<改正>されてきている(すなわち、<有効>であることを前提として内容が改められてきている)。
 また、内閣法・国会法・裁判法・地方自治法・民法改正・国家賠償法等は、実質的に日本国憲法の新条項を実施するための、新憲法を「補完」するものだった(「憲法付属法律」という概念もあるらしい)。
 そして改正されているが(法律によって頻度はかなり違う)、渡部昇一らは本来又は原理的に「無効」のはずだ、という主張をしてきていない。
 こんなところにも、渡部昇一による議論の<幼稚さ>が明らかに示されている。
 参考/同日施行-内閣法、国会法、裁判法、地方自治法、7月-独占禁止法、9月-労働基準法、10月-国家賠償法、刑法改正、12月-児童福祉法、食品衛生法、民法改正(家族法部分)。
 二 「法」と「法律」の区別の分かりにくさは英米にもあるようで、前者はlaw だが、後者は a law とか laws と称するらしい。Act も「法律」を意味することがあるようだ。Rule of Law というときの「法」は前者だ。
 これと違って、フランス、ドイツ、ロシアでは、「法」と「法律」が別の言葉である、とされる。
 フランス語では、法は droite、法律は loi(ドロアとロア)。ドイツ語では、法は Recht、法律は Gesetz(レヒトとゲゼッツ)。ロシア語では前者はpravo、後者は zakon(但し、ロシア文字を使わないで普通のアルファベットで標記した場合)。
 ロシア語については、渋谷謙次郎・法を通してみたロシア国家(ウェッジ、2015)の最初の方を参照した。所在が現時点で不明になったので、頁を特定できない。 
 三 こんなことを書くのも、R・パイプス(西山克典訳)・ロシア革命史(成文社、2000)を原書も参照しつつ読んでいると、「布告」(又は「布令」 ?)と訳されているのは、原書の英語ではDecreeというものだからだ。
 このDecree に該当する、かつよく似たドイツ語はないと見られる。最も対応するのは、Verordnung だろう。
 これに対して、米語(英米語)のDecree(ディクリー) とどちらが語源的に先なのかは知らないが、フランス語にはまさに Decret (デクレ)という語があり、かつ意味も同じだと見られる。
 正確に確認はしないが、大統領令または首相府令のいずれか又は両者に、その「令」の部分についてDecret という語が現在でも用いられているはずだ(正確には、語頭は小文字)。
 つまり、ロシア「革命」直後のソヴナルコムの「布告」とは、現在的視点でいうと、又はこの当時でも<権力分立>が採用されていた国家についていうと、行政権・行政部又は行政機構・機関による「立法」(行為)を指す。
 ロシアのソヴナルコムの立法的行為をまたはその所産を「法律」と訳すと、誤りだろう。ロシア語で当時に何と呼ばれたかは知らないが、現在は「法律」の意味らしい Zaconではなく、英米語の Decreeに当たるものなのだろう。従って、西山克典の「布告」(又は「布令」)という訳は適切だ。
 四 ロシアにおいて、国民・住民全体(いわゆる有権者に限るが)が代議員・代表者を決めるために選挙を行ったのは、20世紀前半では1917年11月の「憲法制定会議」議員選挙が最後で、以降、ソ連の解体までは、国民・住民全体を代表する代議員から成る「議会」が置かれなかった。
 つまり、実質的にいう立法権も行政権も、当初は実質的に(ソヴェト中央執行委員会=CECではなく)ソヴナルコムに属し、半年ほど後には、さらに実質的には一括してロシア共産党(・レーニン)に移ったのだった。
 ソ連史の分かりにくさは、このあたりにもある。じつはR・パイプスはソヴナルコムの権能について Legislation という言葉を使い、西山訳書は「立法」と訳しているのだが、これらを通常の又は今日的意味での「立法」、つまり議会(・国会)が制定する法規範と理解してはならない。
 なお、<ソヴェト>は農民・企業経営者等を代表しておらず、<議会>ではない。
 そもそも<工場労働者>(プロレタリアート)の存在すら稀少だったとされるので、<労働者・小農>層を代表していた、というのも誤りだとする見解が多いが、別に書くだろう。
 スターリン期以降のソ連については読書不足だが、かりに<全人民代表者大会>(現在の共産中国の<全人代>参照)なるものが開催されていたとかりにしても、全く形骸化しており、<拍手で、又は挙手で>裁可・承認するだけの(いわゆる西側の「議会」を意識した)飾り物的機関だっただろう。
 元に戻ってさらにいうと、この欄でこれまで言及していないが、旧帝制下の「司法・裁判所」制度も「10月革命」後に早々に解体され、<人民法廷>とか<革命裁判所>というものが取って代わる。
 これらの上部機構は司法人民委員部(司法省・法務省)で、当然に司法人民委員(司法大臣)が長。そしてこれは、人民委員会議(ソヴナルコム)の一員。
 要するに、ロシア・ソヴェト国家には<権力分立>などはなかったのだ。R・パイプスが言うように、11年間ほどの辛うじての立憲主義・Constitutionalism は、それすらもレーニン政権誕生とともに消え失せた。
 五 ロシアが先ず資本主義から社会主義への道を切り拓いたとする見解によれば、立憲主義も権力分立も<ブルジョア>的なもので、「革命」とともに廃棄(止揚)された、と言うのだろう。
 いやまさしく、上の時代に、レーニンはそのように言明していた。
最終的には、選挙結果にもとづいていったん招集された憲法制定会議の続行を<実力(=暴力)>でもって中止させ、「解散」させたのは、レーニンの「議会」観によるとされる。
 さらにそれは「立法」と「行政」とを同時に一度は掌握したパリ・コミューンを讃えたマルクスに行きつく、とされる。E・H・カー・ロシア革命第1巻(みすず書房、1967)の該当箇所参照。
 レーニン・ボルシェヴィキにとって<全ての権力をソヴェトへ>こそがその意思であり、決して当時の(むしろ数的には優位の)議会設置擁護の社会主義者たちが主張したような<全ての権力を憲法制定会議へ>ではなかった。後者は、汚れた<資本家たち>のスローガンだとされた。
 「立憲主義」を良きものとする雰囲気が日本の「左翼」には強い。本気で、純粋無垢にそう思っている学者さまたちもいるのだろうが、<共産主義>者にとっては、(本質的に資本主義に対応した)「議会」も「立憲主義」も、それほど「良き」ものではないと扱われたことを、<レーニン主義>およびソ連の歴史は明らかにしている。
 ロシア「革命」は社会・歴史の<進歩>だったのかと、心の奥底では親社会主義の、または「共産主義」幻想をもつ日本の「左翼」の人々は真剣に自問しなければならない。<進歩>か否かという発想自体、本来は秋月の関心事項ではなくなっているのだが。
 上の発問をしても、日本共産党の党員(学者・研究者を含む)は、もう遅いかもしれない。

1037/「戦後」は終わった(御厨貴)のか?

 再述になるが、新保祐司の産経7/05「正論」欄は、「戦後体制」または「戦後民主主義」を「A」と略記して簡潔にいえば、大震災を機に①Aは終わった、②Aはまだ続いている、③Aは終わるだろう(終わるのは「間違いない」)、④Aを終わらせるべきだ、ということを同時に書いている。レトリックの問題だなどと釈明することはできない、「論理」・「論旨」の破綻を看取すべきだ(私は看取する)。
 上の点はともあれ、東日本大震災発生によって「戦後」は終わり、「災後」が始まった、ということを最初に述べたのは、菅直人に嫌われてはいない、東京大学教授・御厨貴だったようだ(月刊文藝春秋?)。
 たしかに「災後」ではあるが、「戦後」はまだ終わってはいない、というのが私の認識だ。
 井上寿一は産経8/03の「正論」欄の中で、「『8月15日』から始まった戦後日本の歴史のサイクルは『3月11日』に終わった」という一文を挿入している。「戦後日本の歴史のサイクル」という表現の意味が必ずしもよく判らないので断定できないが、3/11を戦後日本の最大の画期の如く(御厨貴と同様に?)理解しているとすれば、支持することはできない。
 今年の3/11を語るならば、1993年の細川護煕を首相とする非自民連立内閣の成立も、その翌年94年の村山富市を首相とする自社さ連立政権の成立も、大きな歴史の画期だった。これらよりも重要な画期は、2009年総選挙後の民主党「左翼・売国」政権の誕生だったかもしれない。これらの内閣の変遷から視野を外しても、1995年のオウム事件・サリン事件は、戦後「民主主義と自由主義(個人主義)」の行き着いたところを示した、とも言いうる(当時にそんな論評はたくさんあったのではないか)。
 誰でも自分が経験した目下の事象を(たんなる個人的にではない)社会的・歴史的に重要に意味を持つものと理解したがる傾向にあるかもしれないが、今年の3/11をもって「戦後」が終わったなどと論じるのは(あるいはそういう時代認識を示すのは)、「戦後」はまだ続いている、ということを糊塗・隠蔽する機能をもつ、犯罪的な言論だと考える。
 1947年日本国憲法はまだ存続している。自衛隊の憲法上の位置づけに関する議論に画期的な変化が生じたわけではない。日米安全保障条約もそのままだ。なぜ、「戦後の終焉」を語ることができるのか。
 3/11を機会に、「戦後レジーム」の終焉へと、あるいは憲法改正へとさらに奮闘すべきだ、という議論ならば分かる。
 だが、「なすべき」次元の目標と客観的な現実とを混同してはならない。
 根拠論考が(今の時点で)定かでないので引用し難いが、佐伯啓思は、この度の大震災を「戦後」の終わりを超えた、<近代>または(原発に象徴される)<近代文明>の終焉を示すもの(それの限界・欠陥を示すもの)と理解しているように見える(とりあえずは関係文献を参照要求できないが)。
 かりに上のことがあたっているとすれば、反論は可能だ。
 専門家ではないが、ニーチェ、キェルケゴールらは「近代」の限界・欠陥を強く意識したとされる。それは19世紀末だ。グスタフ・クリムトらの<世紀末>芸術運動も時期的には重なっている。何よりも、その後の第一次「世界」大戦こそがすでに、「近代」の終わりの象徴だったのではないか。第二次大戦の勃発も同様かもしれないが、その戦争の最後に「核兵器」が使われて十万人以上が一瞬にして生命を剥奪された、ということはまさしく「近代」(文明)の終わりそのものではなかったのだろうか。もう少し後にずらしても、1989年以降のソビエト解体・東欧「社会主義」諸国の終焉もまた、「近代」の終焉の徴表と理解することが不可能ではない。
 「近代(文明)」の終わりなるものは、もう100年にわたって続いているのではないか? ついでながら、アンドロイド・スマートフォンとやらを含む近年のIT技術の深化・変容は、どのように歴史的に(文明史的に)位置づけられるのだろうか。
 といったわけで、佐伯啓思のいくつかの文章をまじめに(?)読んではいるが(産経新聞、月刊正論、雑誌「表現者」内のものであれば必ず読む。ウェッジを買ったときまたは東海道新幹線のグリーン・カーを利用したときも読む(但し、連載は最終回を迎えた))、全面的に賛同しているわけではない。
 余計ながら、最近のサピオ(小学館)で小林よしのりが、佐伯啓思の産経新聞6/20の佐伯「日の蔭りの中で/原発事故の意味するもの」を、佐伯啓思が<反原発>に立つものとして「さすが」と高く評価している。そのように<反原発>論者に理解されて、佐伯は不満を感じないのだろうか。

1025/非常事態への対応に関する法的議論。

 <保守>派に限られるわけでもないのだろうが、ときに奇妙な<法的>言説を読んでしまうことがある。
 表現者37号(ジョルダン、2011年7月)の中の座談会で、柴山桂太(1974~、経済学部卒)は、こんな発言をしている(以下、p.46)。
 「今回の大震災に関しても、…、復旧に関しては、ある程度超法規的措置をとらなければいけない。本来であれば国家が、非常事態で一時的に憲法を停止して…それで対応しなければいけないんだけれども、日本ではそれが出てこない。そもそも戦後憲法に『非常事態』というものに対する規定がないからです」。「日本は近代憲法を受け入れたんだけれども…、平時が崩れた時にどうするかという国家論の大事な部分を見落としてきたという問題も出てきている…」。
 問題関心は分からなくはないが、俗受けしそうな謬論だ。この柴山という人物は憲法と法律を区別しているのか(その区別を理解しているのか)、「超法規的措置」という場合の「法規」に憲法は含まれるのか否か、といった疑問が直ちに生じる。
 そして、「一時的に憲法を停止」しなければ非常事態に対処できないという趣旨が明らかに語られているが、これは誤りだ。
 憲法に非常事態(あるいは「有事」)に関する規定がなくとも、あるいは憲法を一時的に「停止」しなくとも、憲法とは区別されるその下位法である法律のレベルで、<非常事態>に対処することはできる。
 なるほど日本国憲法は「非常事態」に関する規定を持たないが、1947年時点の産物とあればやむをえないところだろうし、ドイツ(西)の憲法(基本法)もまた、当初から非常事態(Notstand)に関する規定を持ってはいなかった(彼我の現在の違いは改正の容易さ-いわゆる硬性憲法か否かによるところも大きいだろう)。
 憲法が非常事態に対処するための法律を制定することを国会に禁止しているとは解せられないので(実際に、いくつかの「有事」立法=法律およびそれ以下の政令等が日本にも存在している。但し、いわゆる「有事立法」は自然災害を念頭には置いていない)、自然災害についても、現行法制に不備があれば法律を改正したり新法律を制定すれば済むことなのだ。
 ともあれ、憲法に不備があるから非常事態に対応できない、というのは(不備は是正されるのが望ましいとは言えても)、真っ赤なウソだ。
 JR系の薄い月刊誌であるウェッジ7月号(2011)の中西輝政「平時の論理で有事に対処/日本は破綻の回路へ」も、今回のような大災害に遭遇したとき、本来は「国家非常事態」を宣言して「平時の法体系とは別の体系」に移行すべきだったが、戦後日本の憲法には「そんな条項」はなく、「従って非常法体系も備わってはいなかった」と、柴山桂太と似たようなことを書いている(p.9)。
 しかし、<憲法の一時停止>に(正しく)言及してはおらず、「平時の法体系とは別の体系」・「非常法体系」とは法律レベルのものを排除していない、と解される点で(日本国憲法に触れているために少し紛らわしくなってはいるが)、基本的には誤っていない。
 上のことは、中西輝政が「現行法にもある災害対策基本法第105条」に(正しく)言及していることでも明らかだ。
 次の機会に、「現行法」制度の若干を紹介し、それを菅直人内閣が適切に執行・運用しているかどうかという問題に言及する。これは、 阿比留瑠比も含む「政治部」記者が―法学部出身であっても―十分には意識していない(または十分な知識がない)問題・論点であり、震災に関するマス・メディアの報道に「法的」議論がほとんど登場してこない、という現代日本の異様な状態にも関係するだろう。

0913/中西輝政・ウェッジ2010年10月号を読む②。

 中西輝政・ウェッジ2010年10月号論稿は「危機が現実化し本当の破局に立ち至」ってようやく国民が気づいて「政治が大転換する」、という「破局シナリオ」を語る。

 中西によると「教育やモラル、社会の劣化」は国家の「全面崩壊」の状況を「はっきりと見せる」ものではなく、「安全保障問題の破局が先に来る」とする。そして、最も可能性があるのは、「中国に実質的な外交権を委ねて生きるしかないという、いわば『日本族自治区』のごとき状況を招くという破局」だ、という(p.31)。
 日本が、中華人民共和国日本省または中華人民共和国日本族自治区(あるいは日本の東西でそれらに二分)になる可能性(=危険性)が語られてきているが、中西輝政もまたそれを明示しているのが注目される(見出しにも使っている。p.31)。

 だが、中西も言うように、上の可能性(=危険性)はないとは「誰にも言えない」にもかかわらず、日本国民の多くは、そのように(危険性はないと)「信じている」。ここに本当の恐ろしさがあるだろう。マスメディアの主流によって、そのような可能性(=危険性)はあっても極小なものだとのデマ的空気が撒き散らされている。何も積極的には知ろうとはせず、情報ソースを一般新聞とテレビだけに頼っている多くの国民は、相変わらず、能天気のままで、(本当は)<朦朧としながら>生活している。

 中国の<覇権>はまずは台湾に及び、続いて尖閣諸島から始まって沖縄全体に及ぶと見るのが常識的だろうが、<日本は沖縄を「侵略」して併合した>などという歴史認識をもっている「何となく左翼」も沖縄県民も含めて少なくはないようなので、沖縄の日本からの自立・独立を中国はさしあたり狙うかもしれない。

 先日言及した関口宏司会の番組で、中国人船長(ではなくおそらく兵士又は工作員)釈放について何人かの日本人の街角コメントを紹介したあと、関口宏は「冷静な見方もあるようですが」と述べて、中国(と弱腰の日本政府側)に憤慨するのではなく<冷静な>対応が望ましいかのごとき反応を示した。

 中国・共産党独裁国家と闘わないと日本は生きていけない(日本列島は残っても「日本」は消滅する)ことは明らかだと思われるのだが、ナショナリズムを刺激しそれを発揚することを回避・抑制しようとするマスメディアの姿勢は、必ずや日本の「亡国」に導くように思われる。<左翼>人士・メディアは、<戦争をしたがっている保守・反動・右翼が騒いでいる>との合唱をし始めるだろうから、バカは死ななきゃ直らない、と言う他はないだろう。

 中西が上に書くような「破局」がいったん起これば、立ち戻ることはもうできないのではないか。「もはや中国の脅威に抗しえない」という状況(p.31)の発生自体を阻止する必要がある。今の民主党政権にそのような力は、意思自体すら、ないことは明らかなのだが。

0912/中西輝政・ウェッジ2010年10月号を読む①。

 WEDGE(ウェッジ)2010年10月号。佐伯啓思の連載の他に、中西輝政「保守結集で政党の宿痾と決別せよ」がある。なかなか<豪華>だ。

 中西輝政はタイトルに即しては、「自立した安全保障政策、経済成長戦略を前面に掲げた保守勢力」による「政界の大再編、保守新党の結成」に「賭ける」しか日本に残された可能性はない、と述べる(p.31)。政界再編への期待は数年前からとくに中西において目立った主張だが、その「再編」への道筋や戦略についての具体的な提言や展望は、この論稿でも示されていない、というのが残念なところだ。中西輝政が期待?しているようには、民主党も自民党も分裂する気配がない…。

 私の印象に残った中西の叙述に以下がある。-「平成日本のように、……にもかかわらず、モラル、責任感、国家意識が大きく劣化した国は、世界の歴史でも珍しい」。その大きな「背景には」、①政治家や官僚のみならず、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまったこと」、②「団塊の世代以降の、学校教育に起因するアナーキーな『民主主義』意識」がある(p.30)。

 それぞれに深い意味があり、諸問題と連関していると思われる。大意に異論はない。

 別の機会でも触れたいが、三島由紀夫が1970年に剔抉していたように、<昭和元禄>などと称して浮かれていた頃からすでに、日本は<腐って>いっていた、のだと考えている。上の表現を借りれば、むろん<大勢として>はとか<基本的には>とかの限定を付すべきだろうが、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまった」のだ。反面としての「精神的な豊かさ」を日本国民は追求しなかったし、むしろそのようなものを蔑視したのではないのではないか、とすら思われる。

 自分と自分の家族(しかも兄弟姉妹・両親とは無関係の、自分・配偶者と子どもだけ)が物質的な面で快適に生活してゆけさえすれば、日本国家(・その将来)も東アジアの軍事情勢等も<関係がない>、というのが大方の国民の意識だったのではないか。

 そこにはむろん、日本国憲法が標榜する<個人主義>(とそれに付随した男女対等主義)が伴っており、「国家」・「公共」への関心や意識はまっとうには形成されなかった。むろん直接には日本列島が「戦場」にならず、これまた日本国憲法が標榜する<平和主義>をおおまかに信じておればよかった、という事情も加わる(<平和ボケ>だ)。

 上は中西のいう①からの連想だが、②にも関連する。日本国憲法の標榜する<自由主義>のもとで、見事に<価値相対主義>が日本で花開いた、と思われる。つまり、絶対的な「価値」、あるいは相対的にでもましな「価値」を否定し、何をしようと、何を考えようと<個人の自由だ、勝手だ>という意識が蔓延した、それは現在も強いままで継続している、と思われる。ちなみに、支持はしないが安易に共産主義政党=日本共産党の存在・存続を<寛大に>認めてしまっていることもまた、<何でもアリ>の戦後の国民意識と無関係ではない。

 中西のいう<アナーキーな民主主義>とはむつかしい概念だが、佐伯啓思も近年の本で論及しているらしい、<ニヒリズム>にも近いだろう。日本人は、<信じることができる>何ものかを喪失しまっているのだ。

 憲法学者・樋口陽一が大好きな、現憲法の最大のツボ(最も重要な条項)らしい<個人の尊重>(個人の尊厳。13条)を利用して何をするか、どのように諸個人が生きるかは<個人の尊重>からは何も解らない。諸<自由>が保障されても、その<自由>を使って何をするか、どのように生きるかは<自由主義>からは何も分からない。同じく、<民主主義>も手段にすぎず、追求すべき実体的「価値」を民主主義が示している筈がないのだ。そしてまた重要なことは、<民主主義>的に決定されたことが(いかに「真の民主主義」などと呼号しようと)最も<正しい・適切な・合理的な>ものである保障は何一つないのだ。

 かくして日本国民とその<世論>は浮遊している。

 この辺りについては、今後も何度も書くだろう。

 中西輝政は言う-「日本の世論の問題点」の背景には「日本人全体に関わる問題があり」、それは「現在の政治」の「これほどの惨状」と「全く無関係ではない」(p.30)。
 このような文章を読んでも何も感じず、能天気に、<まだ1年少し経っただけだ、民主党に任せておけば、「古い」自民党とは違う「新しい」政治をしてくれるだろう>と漫然と夢想している国民がまだ過半ほどはいるのだろう。「国民を超える政治はない」(p.30)。大新聞とテレビだけでしか世の中・政治・国際環境を知らない、知ろうとしない国民が、国家を<溶解>させていっている。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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