秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

アンドレ・ジッド

1883/L・コワコフスキ著・第三巻第三章第1節④。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流=Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism(原書1976年、英訳1978年、合冊版2004年)、の試訳のつづき。
 第三巻・第三章/ソヴィエト国家のイデオロギーとしてのマルクス主義。1978年英語版 p.88-p.91、2004年合冊版p.857-p.860。
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 第1節・大粛清のイデオロギー上の意味④。
 (24)組織的に作りごとをする同様の仕組みは、例えば一般的「選挙」のような、他の多くの分野に見られた。
 選挙を実施するような面倒事を行い費用を割くのを政権はやめたはずだ、と思われるかもしれない。誰が見ても、その馬鹿々々しさは明白だ。
 しかし、それを実施するのは重要だった。全ての市民を、共同の虚構の、まさにそのことによって完全な紛い物ではなくなる公式の「現実」の、参加者かつ共作者に変えることができたのだから。
 (25)第四の問題は、不可解な現象を我々に再び提示する。
 ソヴィエト同盟から西側に入った情報は、むろん、断片的で不確かなものだった。
 体制は接触を厳格にし、いずれの側からの情報の流出入も制限しようと最大限の努力をし尽くした。
 ソヴィエト国民による外国旅行は国家利益のために厳しく統制され、外国人による無資格の通信や報道は、諜報活動か反逆行為だと見なされた。
 にもかかわらず、ソヴィエト国家は、完全に世界から自らを遮断することはできなかった。
 警察テロルに関するある程度の情報は西側へと浸み出た。その情景を実感した者はいなかったけれども。
 さらに、モスクワ裁判は急いでかつ不器用に準備されたので、いくつかの西側の新聞は、明らかな矛盾や不条理を指摘した。
 だが、そうしたときに、西側の知識人たちがスターリニズムに対してとった寛容な態度を、いったいどう説明すればよいだろうか。彼らは、積極的に支援しなかったか?
 実直で腐敗とは無縁のイギリスの社会主義者、Sysney Webb とBeatrice の夫妻は、テロルが高揚していた間に一度ならずソヴィエト同盟を訪問し、「新しい文明」に関する喫驚するばかりの書物を発行した。
 彼らが明確に記述するところによると、ソヴィエトの制度は正義と幸福を求める人間の最も貴重な希望を具現化したものだった。そして彼らは、イギリスの汚辱と対照させて観察し、イギリスのエセ民主主義を罵倒した。
 モスクワ裁判の真正さやロシア最初の「民主主義」政権の完璧さを疑う理由が、彼らにはなかった。
 ソヴィエトの制度を擁護し、裁判の虚偽性を看取しなかった者たちの中には、Leon Feuchtwanger、Romain Rolland、およびHenri Barbusseらがいた。
 そうした合唱に加わらなかった数少ない一人は、André Gide(アンドレ・ジッド)だった。彼は1936年にソ連邦(USSR)を訪れ、印象記を書いた。
 彼は当然に、暴虐行為については何も見なかった。へつらいに囲まれ、体制による偉業の幻惑だけを示された。しかし、彼は、表面的なものが普遍的な虚偽(mendacity)のシステムを隠蔽していると悟った。
 何人かのポーランドの文筆家たちもまた、見せかけ(make-believe)のものを見抜いた。イギリスの報道記者のMalcom Muggeridge がそうだったように(<モスクワの冬>、1934年)。//
 (26)西側知識人たちの反応は、良識や批判的精神に対する、教理的イデオロギーの特筆すべき勝利だった。
 粛清の時期は確かに、ナツィの脅威の時期でもあった。このことによって、左翼またはリベラルな伝統の中で育て上げられた多数の思索者や芸術家たちが、文明に掛かる脅威からその文明を救い出すという唯一の希望をロシアに見た、ということが説明され得るかもしれない。
 ファシストの野蛮さに対する防波堤を与えてくれると頼ることができるならば、彼らは、「プロレタリア国家」を最大限に許す心の用意があった。
 彼らは、スターリニズムとは違ってナツィズムはその悪の顔を世界から隠そうとはほとんど努力しなかったために、それだけ一層、たやすく巧みに欺された。ナツィズムは公然と、その意図は他の民族を粉々にして塵とし、「劣った諸人種」を奴隷状態に貶める、そのような強大で全能のドイツを作ることだ、と宣言していたのだ。
 一方でスターリンは、平和と平等、被抑圧民衆の解放、国際協調主義、そして諸民衆の間の友好、という社会主義の福音を説きつづけた。
 批判的に思考することが職業であるはずの西側の者たちは、事実よりも無用の言葉を信頼した。すなわち、イデオロギーと願望を伴う思考が、最も明白な現実よりも強力だったのだ。//
 (27)粛清に関して考察する際には、スターリンのロシアはどの時期であれ、警察には、ましてや<党の上にある>警察には、統治されなかった、ということを知ることが重要だ。
 <党の上にある>警察うんぬんは、党の優越性を回復するのが課題だと主張した、スターリン死後の自称改革者が用いた口実(alibi)だった。
 スターリンのもとでの警察は随意に党員たちを逮捕し殺害した、というのは本当のことだ。しかし、党組織の最高部が、とくにスターリン自身が指示しまたは是認しなければならない履行者たちがいる、党の最高のレベルに対してではなかった。
 スターリンは党を支配するために警察を使った。しかし、彼自身が、秘密警察の長ではなく党指導者としての権能をもって、党と国家のいずれをも支配した。
 この点は、ソヴィエト体制における党の機能に関する研究で、Jan Jaroslawski が十分に明らかにしている。
 スターリンに具現化される党は、一瞬なりとも至高の権力を放棄しなかった。
 スターリン後の改革者たちが党は警察よりも上位だと主張したとき、彼らは、党員は党当局の承認なくしては逮捕されてはならないということのみを意味させたかった。
 しかし、かつてもつねにそのような状態だった。警察が同等の階層にいる党指導者たちをある程度は逮捕したとしてすら、さらに上位の党指導者たちの監視のもとにあった。
 警察は、党の手中にある道具だった。
 厳格な意味での警察システム、つまり警察が完全に自由に権限を行使するシステムがロシア国家を覆ってはいなかったし、またそうすることはできなかった。それは、党が権力を失うことを意味していただろう。そしてそれは、システムの全体が崩壊することを原因とすることなくしては生じ得なかっただろう。//
 (28)このことによってまた、スターリンのもとでの、かつ現在でのいずれについても、イデオロギーが果たす特殊な役割が、説明される。
 イデオロギーは、たんにシステムに対する助けや飾りにすぎないのではない。それを民衆が本当に信じようと信じまいと、そのいずれにも関係なく、システムが存在するための絶対的条件だ。
 スターリニズム的社会主義は、その正統性の根拠は完全にイデオロギーに由来する、モスクワが支配する帝国を生み出した。とくに、ソヴィエト同盟は全ての労働大衆の利益を、とりわけ労働者階級の利益を具現化する、ソヴィエト同盟は彼らの要求と希望を代表する、ソヴィエト同盟はいずこにいる被搾取大衆の解放をも実現する世界革命に向かう最初の一歩だ、という諸教理に由来する、そういう帝国を。
 ソヴィエト体制は、このイデオロギーなくしては作動することができなかった。そのイデオロギーこそが、今ある権力装置の<存在理由(raison d'etre)>だった。
 その権力装置は、性質上本質的にイデオロギー的でかつ国際主義的なもので、警察、軍隊その他の諸制度によって代替されることはできないものだった。//
 (29)ソヴィエト国家の警察はいつでもイデオロギーによって決定された、と述べているのではない。
 そうではなく、必要としたときに警察を正当化するために、イデオロギーが存在しなければならない。
 イデオロギーはシステムの中に組み込まれており、その結果としてイデオロギーは、正統化の基本原理が国民による選挙かまたは世襲君主制のカリスマ性かに由来する国々と比べて、全く異なる役割を果たす。
 (30)ソヴィエトのような体制には、その行動の正当化を公衆(the public)に求める必要がない、という利点がある。その定義上、公衆の利益と要求を代表する、そして、このイデオロギー上の事実を変更できるものは何もないのだ。
 しかしながら、ソヴィエト的制度は、民主主義的諸体制には存在し得ない危険(risk)にもさらされている。すなわち、イデオロギー上の批判に対して極度に敏感(sensitive)なのだ。
 このことはとりわけ、知識人が他の体制下とは比べものにならない地位を占める、ということを意味する。
 システムの知的な正当性(validity)に対する脅威、あるいは異なるイデオロギーの擁護は、道徳的な危険を示す。
 全体主義国家は決して全くの不死身のものになることはできないし、批判的思考をすっかり抑え切ることもできない。
 全体主義国家は、生活の全様相を支配するので全能であるように見えるかもしれないが、イデオロギー上の一枚岩に生じるいかなる裂け目もその存在に対する脅威になるというかぎりでは、弱いものでもある。//
 (31)さらに、イデオロギーがそれ自体の慣性的運動を失い、国家当局による現実的命令以外の何ものでもほとんどないものへと位置を下げる、そのようなシステムを維持することは困難だ。
 スターリニズムの論理は、真実はそれぞれの時点で党が、すなわちスターリンが語ることだ、というものだった。そして、このことの効果は、イデオロギーの実質をすっかり空虚なものにすることだった。
 他方で、イデオロギーは、それ自体の首尾一貫性をもつ一般的理論として提示されなければならない。そしてそれがなされるかぎりは、イデオロギーがそれ自体の推進力を得られない、そして-実際にスターリン後の時期に生じたように-その主要な代表者や単独の権威ある解釈者に対抗して用いられる、といったことは保障されるはずはない。
 (32)しかしながら、1930年代の遅くには、このような危険からはきわめて遠くにいるように思われた。
 市民社会がもはやほとんど存在せず、一般民衆はスターリンに個人化された国家の命令に服従すること以外のいかなる志向も持たないように見える、そうしたほとんど理想的な、完璧な国家へと、システムが持ち込まれた。
 (33)社会的紐帯を破壊するきわめて重要な手段は、隣人たちを相互にこっそりと監視(spy)する普遍的な制度だった。
 全ての市民が法的にまたは道徳的にそうするように義務づけられ、密告(tale-bearing)は立身出世するための主要な方法になった。
 こうしてまた、莫大な数の人々が、個人的な上昇のために犯罪加担者になった。
 スターリニズム的社会主義の理想は、国の誰もが(スターリンを除いて)強制収容所の収監者であり、同時にまた秘密警察の工作員でもある、そのような状態であるように見えた。
 これを究極的な完成形にまで至らせるのは困難だったが、それへと向かう趨勢は、1930年代にはきわめて強かった。//
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 ④終わり。第1節も終わり。第2節の表題は「スターリンによるマルクス主義の編纂」(仮)。

1348/日本共産党の「影響力工作」類型-佐々木太郎著。


 佐々木太郎・革命のインテリジェンス-ソ連の対外的「影響力」工作-(勁草書房、2016)の第4章は「仮説としてのソ連の『影響力行使者』の諸類型」というタイトルになっている。
 書名やこの表題に見られるようにソ連(・共産党)の対諸外国に対する「影響力」工作がテーマだが、相当程度に同様のことは自由主義(資本主義)諸国内にある共産党その他のコミュニズム政党の当該国内における「影響力」工作についても妥当する、と思われる。
 先だって江崎道朗論考に触れて、上の「諸類型」を挙げ、5つめの「デュープス」について江崎論考を引用して説明した。
 5つの類型とは、もともとはアメリカ・FBI元長官のE・フーバーによるもののようだが、①公然の党員、②非公然の党員、③「同伴者」、④「機会主義者」、⑤「デュープス(罪のない犠牲者)」をいう。
 これらの類型のうち、ほぼ意味が明らかな①と②(=AとB)以外について、E・フーバーを紹介・参照しての佐々木の説明を、さらに引用・紹介しておこう。その際、「影響力」工作・行使の主体として、日本共産党を想定した、引用・紹介になるかもしれない。
 C・「同伴者(Fellow Travelers)」
 フーバーによると、同伴者は「党員ではないが、ある期間において党の綱領を積極的に支持(同調)する」。「積極的に共産党に対して支援をおこなう非党員」のことだ。
 「シンパ」とは区別されるべきで、「シンパ」は「より消極的であり、特定の問題について党や党員に共感を示すが、積極的な支援をしたりしなかったりする」。同伴者よりも「より消極的あるいは限定的な支援をおこなう非党員」のことだ。
 佐々木は、この「同伴者」という語の経緯もふまえて、つぎのように定義する。
 「共産主義の大義や理想、あるいは共産党が示した特定の問題についての対応や解決策への強い共感から、共産党のための活動をする非共産党員」(p.104)。
トロツキーがこの語を使い始めたとされ、アーマンド・ハマー、アンドレ・ジッド、アインシュタイン、ロマン・ロラン、ハインリヒ・マン等々がその例とされるなど興味深いが、省略する。
 D・「機会主義者(Oppotunists)」
 同伴者と同じく非党員だが、同伴者と異なり、「共産主義や共産党の方針に対する共感から進んで同党のための仕事をする」のではない、また「デュープス」と異なり、「共産党のフロント組織が訴える普遍的な"正義" に対して共感を持つ」わけでもなく、「個人的な利益が増大する場合にのみ、共産党に接近する人々」のことをいう(p.111)。
 フーバーによると、「もし個人的に利益を得られるのであれば、意識的に党を支持し、代わりに支援や恩恵を受け取る」、「シニカルで利己的な」人々だ。
 再び佐々木の文章に戻ると、共産党はこの類型の人々に「強い警戒感」を持ちつつ、「戦略的な交際」を結ぶ。そして、<機会的>であっても、自らの力を行使して共産党の方針へと「世論や政策を誘導」するならば立派な「影響力行使者」の一類型になる。
 E・「デュープス」
 「騙されやすい人々」、つまり「カモ」で、フーバーは「罪もない犠牲者」(Innocent Victim)とも換言しつつ、「共産主義者の思想統制に知らず知らずのうちに従属して党の仕事をする個人」とも表現する、とされる。
 佐々木によれば、「明確な意思をもって共産党のための活動をする人々ではなく」、共産党という「政党やフロント組織が訴える普遍的な"正義" に対して情緒的な共感を抱き、知らず知らずのうちに共産党に利用されている人々」のことをいう。
 以上で引用・紹介を終える。
 すでに「デュープス」なるものについて触れたことがあるように、きわめて興味深い、有益な類型化だ。
 党員ではないが日本共産党(・候補)に選挙で投票している党員数の10倍以上の人々、日本共産党系の集会・デモに参加している人々、日本共産党の「フロント組織」・「大衆団体」または日本共産党系の「学会」・「研究者グループ」の構成員になっている人々…。これらの中に公然または非公然の党員も勿論いるだろうが、党員以外の者たちは、「同伴者」、「機会主義者」あるいは「デュープス」のいずれに該当するのだろうか。
 万々が一、この欄(あるいは佐々木・上掲著)に接することがあれば、自己分析してほしいものだ(「無意識」という「デュープス」概念の要素を充たさなくなるかもしれないが)。
 ところで、「機会主義者(Oppotunists)」のところで「個人的な利益」に言及があるが、「個人的利益」のために日本共産党に接近したり、ついには日本共産党員になったりする者が、とくに<(日本の人文・社会系の)学者・研究者>の中には少なからず存在するものと思われる。
 かつてこの欄で述べたことのある、<処世のための>あるいは<出世のための>「左翼」人士化、そして日本共産党の党員化だ。
 上掲の佐々木著には、また言及することがあるだろう。
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