秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

つる

2355/広島の折鶴とロシアの「つる」(Zhuravli)—英語版Wiki による。

 前回にロシアの「Zhuravli」という歌は広島の原爆被害者の折り鶴と関係があるようだと再確認しないまま書いた。気になっていたので、「再確認」してみた。
 出所は英語版のWikipdia の「Zhuravli」の項目。日本語版のものにはたぶん出ておらず、そもそも「Zhuravli」の項目自体がなく、「(the) Cranes 」で日本語版を検索しても直接には出てこない。
 日本の広島と関係があるのは、以下の<Inspiration>の項だけだが、もっと試訳しておく。
 なお、その項目にしても、英語版Wikiの記述に信頼が100%が措けるかというと、私にはそう断言する資格はない。
 ****
 <Zhuravli>
 1969年に最初に演奏された、第二次世界大戦に関するロシアの最も有名な歌の一つ。
 ○Inspiration.
 ダゲスタン(Dagestan)の詩人、Rasul Gamzatov が広島を訪れたとき、広島平和記念公園と、その市の放射能汚染の結果として白血病に罹ったSadako Sasaki(佐々木禎子)に捧げられた像に印象を受けた(impressed)。
 彼女は日本の伝統に従って、生命が救われるという(空しい)望みをもって、千羽の紙の鶴を折った。
 この少女—今日まで無垢の戦争犠牲者を象徴する一人となっている—が織った紙の鶴の記憶はGamzatov から数ヶ月間離れず(haunted)、今では有名な〔つぎの〕数行から始まる詩を書くよう彼をinspire した。
 「私はときどき感じる。兵士たちは、
  血生臭い平原から帰らず、
  地上に横たわっていないが、
  しかし、白いつるに変わったのだ、と。」
 ○翻訳。
 この詩は元々はGamzatov の母語で書かれ、最初の言葉遣いに近い多様な訳がある。
 有名な1968年のロシア語訳は、傑れたロシア詩人かつ翻訳者のNaum Grebnev によってすみやかに行われ、1969年には歌になった。そして、世界じゅうに最も良く知られたロシア語での第二次大戦のバラード(ballad)の一つになった。
 Gamzatov の詩の最良の英語訳の一つは、アメリカの詩人のLeo Schwarzenberg による2018年のものだ。
 <その英語訳文、省略>
 ○音楽化。
 この詩が雑誌<Novy Mir>に発表されると有名な俳優かつ歌手(crooner)のMark Bernes の注目を惹き、彼は詩を修正し、Yan Frenkel に曲を作るよう依頼した。
 Frenkel がその新しい歌を最初に歌ったとき、Bernes(そのときまでに肺ガンに罹っていた)は、この歌は自分自身の運命だと感じ、泣いた。
 「つるの列には小さな隙き間がある。たぶん、そこは私のためにreserve されている。いつか私はその列に加わるだろう、そして天空から、地上に私が残した人々に呼びかけるだろう。
 歌は1969年の7月9日から録音され、Bernes は、歌の録音後約5週間後の、8月16日に死亡した。その録音は、彼の葬礼の際に流された。
 それ以降、「Zhuravli」は、Joseph Kobzon によって最も頻繁に演奏されることになる。 
 Frenkel によると、「つる」はBernes の最後の録音曲であり、彼の「真の白鳥(swan)歌」だ。
 ○遺産(Legacy)。
 「つる」は、第二次大戦の戦死兵士の象徴になった。
 その影響は広く世界中に及んだので、旧ソヴィエト連邦の記念行事は、飛ぶつるのイメージを特に取り上げた(feature)。いくつかの国家官署には、例えばSt. Petersburg のつる記念館(the Crane Memorial)には、詩碑すらがある。
 今日、「つる」はロシアでは、なおも最も有名な戦争歌の一つだ。
 1986年以降の毎年10月22日、Rasul Gamzatov の生誕地のダゲスタン(Dagestan)・ロシア共和国は、「白鶴〔白いつる〕祭り(Festival)」を開催している。
 1995年、ナツィス敗北後50年の年、ロシアは、第二次大戦戦死者追悼の切手を発行した。その切手は、クレムリンの無名兵士戦争記念館を背景にして飛ぶつるを描いていた。
 2005年、あるロシアの退役兵士が、三羽のつるとロシア語と英語で四行のつるの詩を刻んだ記念碑を、米国カリフォルニア州のロサンゼルス、西ハリウッドのPlummer 公園に建立した。
 9トンの記念碑の費用は、ロサンゼルス第二次大戦退役軍人会のロシア語を話す退役兵士たちの出捐によるものだった。
 第二次大戦終了を記念する地方行事は、五月の勝利の日に定期的に催されている。
 ○ カバーと他メディアでの利用。
 <以下を除いて、全て省略>
 2000年、ロシアのオペラ歌手のDmitry Khvorostovsky が、ソヴィエトの勝利55周年記念式典で、自分自身の翻訳歌詞での歌(his own version)を発表した。
 ****
 その他の記載、省略。
 以上。
 ——
  ①上で省略した英語訳で「最良のものの一つ」(「定訳」ではない)と、②先日にこの欄で依拠した英語訳(動画字幕)とは同じではない。
 例えば、まず冒頭が、①「I feel sometimes」に対し、②では「Sometimes it seemd to me」だ。ここは①の方が短いが、意味はほとんど同じで、「私はときに思う」と前回に試訳したのは、少なくとも間違いではないだろう。
 他に、全部を挙げないが、①の方が総じて長い。つまり、言葉数が多い。詩の訳文としてはあり得るだろうが、先日の「私訳」でも歌の旋律にはなかなか乗らないので、少なくともHvorostovskyが歌っていた旋律には、言葉数が多すぎるだろう。
 例えば、第一に、②で「haven't layed our land.」で「横たわっていない」と私訳した部分は、①「 have not been buried to decay and molder」と長く、そのように意味は理解したがあえて「埋められて」という訳語は避けて試訳したところ、直訳すると<土に埋葬されて腐り朽ちていない>と明瞭に(あるいは露骨に)書いている。
 第二に、印象的な「その列の中に、小さな隙き間がある。たぶん、あの隙き間は、私のために空いている」、の部分。
 ②では、たんに「It is a small gap in this order, Perhaps this place is for me.」だった。
 これに対して①では、「In their formation I can see a small gap, It might be so, that space is meant for me.」と長くなっている。
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  こんな詮索をしているとキリがない。
 もっとはるかに重要なことは、日本語でたどり着ける情報世界と、英語を用いて利用できる情報世界には、格段の差がありそうだ、ということだ。
 こんなことは、日本語の世界での<レシェク・コワコフスキ>に関する情報の限界について、とっくにしみじみと感じたことだったが。
 ——

2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。

  No.2317/2021.03.20にピアノ(88鍵)の鍵盤ごとの音の高さをHz単位で記しているが、有力または定説とみられる情報に従っている。
 絶対音階でのAはA0が27.5であるのを除いて(A1〜A7は)全て整数だが、これはAだからで、他の音はこんなに単純ではない。最高音のCは約4186Hz=4.186kHzだが、正確には端数がつく。
 A4=440Hzで、これが「音叉」の音の高さだと思われる。
 もっとも、ピアノ調律師はこれよりも少し高めに設定することがある、と何かで読んだことがある。また、交響楽団等々によって一定していない、ともいう。
 音には高さだけではなく、強さ(大きさ)や「音色」もあるから高さだけが重要であるのではないが、A4が周波数440Hzと決められているならば、周波数計を使って厳密に設定すればよいのではないか、と素人は考える。音は高さだけではないが、そうすると調律師という職業は要らなくなるだろうか。
 そうはいかないのが、ヒト・人間の感覚・感性に関係する音楽のむつかしい、または微妙なところだろう。
 ところでピアノ(またはバイオリン等)の一台(一本)だけならばどのようにでも?設定すればよいが、多数の楽器で演奏する場合、事前の音程の調整は決定的に重要だろう。リハーサル(Rehearsal)とは、きっと、まずはこのためにあるのだろう。
 余計な追記。ピアノではA0〜A7以上の音域があり、その他の楽器も高い音・低い音さまざまのものがあるのに、なぜ楽譜には、ト音記号のものとへ音記号のものしかないのか。合唱曲用のソプラノとテノールでは(アルトとバスも)同じ高さを示す楽譜を使っているのは奇妙で、女声と男声では、一オクターブ程度の差が本当はあるのではないか。あるいは、オーケストラの全ての楽器について、同じ高さまたは同じ基本音階を示す楽譜が用いられているのか?
 --------
  <Yoasobi(よあそび)>、<Ado(アド)>のいくつかの歌・曲をYouTube で(見つつ)聴いた。曲名やら歌手名やら分からないのが、いつの頃からか多くなった。
 とりあえずこの二人(二組)について、嫌いだ、受けつけられない、ということは全くない。私にはテンポがやや早すぎ、リズム打ちもやや落ち着かないけれども。
 だが、とくに感じるのは、<Ado(アド)>という若い女性の声質と歌唱力だ。テレビによく出ているらしい下手な女の子グループよよりも、数段、いやはるかに声質がよくて、上手いだろう。
 (ところで、この人たちの歌と詩を聴いていると、全く余計ながら、西尾幹二は150年前に生きているのがふさわしい人物だ、と思えてくるのだが。)
 You Tube で(見つつ)聴いたといえば、Nataliya Gudziy がカバーしている<防人の詩>(原曲・さだまさし)はすこぶる印象的だった。
 私の世代だと、いや私に限れば、やはり小椋佳の、広くは知られていないいくつかの曲になお惹かれるところもある。比較的最近に知ったまたは意識した小椋佳の(よい)歌・曲に、つぎの二つがある。
 ①冬木立(初出1978年、小椋佳/作詞・作曲)。
 ②忍ぶ草(初出1978年、同上)。 
 確認してみると、何とYouTube上に二つともあった(すごい)。
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  バイオリンのIzhark Perlman のCDでユダヤ民謡を知ったあと、それに関してあれこれとYouTube を検索していたときだと思うが(それ以外に考えられない)、ロシア民謡とされるつぎの歌・曲を知った。
 Dmitri Hvorostovsky という人が歌っていた。まず感じたのは、歌・曲自体ではなく、この人の歌唱力のすごさだった。バリトンで、このクラスの音量と力強さ、口腔内・体内での響きをもって歌っている人は、日本のテレビでは見聞きしたことがない。バリトンのプロ歌手にはいるのかもしれないが。
 次いで、歌・曲自体に惹き込まれた。私好みの(よく聞けば単純素朴な旋律の)いい曲だ。
 先走って書けば、観たYou Tube上のタイトルは、つぎだ。
 Marvellous: Listen to the most popular Russian song for the last 45 years -Cranes.
 ロシア民謡とされ、上の末尾がタイトルで、(The)Cranes〔鶴、つる〕という。ロシア原語では、<Zhuravli>。
 ロシア語は分からないが、字幕で出てくる英語によると、これは主には戦死者を偲ぶ歌だ。
 やはり(?)、短調ミ始まりだ。
 いろいろと情報を探ってみた。種々考えさせられ、感じるところもある。第二次大戦の勝者・ロシア(ソ連)の<民謡>となっている曲であり、ロシア人の「愛国」の歌だろうからだ。
 しかし、戦死者だけではなく、あるいは戦争と関係なく、母国・祖国に生まれて死んでいった、全ての人々を思い出している(そして自分もいつか死ぬよ、と彼らに告げている)歌だと理解することは不可能ではない。
 二通り以上の英語字幕を見たことがあり、別情報では英語の「定訳」もあるというが、上記のYouTube 欄上に出ている英語字幕から、歌らしくなるように?訳してみよう。試訳であり、私訳。
  +++
 「血なまぐさい平原から帰って来なかった、
  兵士たちは、故郷の土に横たわっていない。
  白いつるに変わったのだと、私はときに思う。
  あの遠い時空からやって来て、つるたちは飛び、私は声を聞く。
  あまりにもたびたびで、とても悲しそうだからか、
  私はふと立ち止まって、静かに天空を見上げる。
  ***
  疲れたつるたちが、群れをなして飛ぶ。
  霧の中を、空の端へと飛んでいく。  
  その列の中に、小さな隙き間がある。
  たぶん、あの隙き間は、私のために空いている。
  その日がいつか来るだろう。あのような群れに入って、
  私は、同じ青灰色の霞の中を飛び、
  鳥のように、天空から語りかけるだろう。
  地上に残る全ての人々に対して。
  ***
  血なまぐさい平原から帰って来なかった、
  兵士たちは、故郷の土に横たわっていない。
  白いつるに変わったのだと、私はときに思う。」
 --------
  さて、この曲には特定の作曲者・作詞者がいるらしい。
 D. Hvorostovsky だけが歌っているのでもない。ロシア民謡と言っても、さほど古いものではなく、1968年頃に作られたようだ。
 これらの詳細は省略するが、一点だけ、書き記しておく必要がある。
 この「つる」というのは、広島の平和祈念公園にある「原爆の子の像」の<折り鶴>と関係がある、という情報がある。たしか英語の情報だ。
 再確認しないで書くと、たぶん広島を訪れた作者(作詞者・作曲者)が、<折り鶴>を織りながら死んでいった少女(2歳で被曝、12歳で発症、13歳で死亡)の話を聞くか、またはそれをもとにすでに築造されていた「像」の下の折鶴を見てからその物語を知って、inspire されて(つまりinspiration を得て)<つる>を用いる歌・曲を作った、というのだ。
 まんざら虚報とは思えないが、そんな話は日本では聞いたことがないし、そもそも上の「つる」というロシアの歌自体が、ほとんど全く知られていないだろう。
 ——
 D. Hvorostovsky 。この人自身、50歳代でもう亡くなっている。1962〜2017。


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