一 古田博司・ヨーロッパ思想を読み解く—何が近代科学を生んだか(ちくま新書、2014)をまた読了していないが、同・使える哲学(Discover21、2015)とともに、重要な基礎概念または範疇は、つぎだ。
 「向こう側」と「こちら側」。そして、この区別と異なる、「この世」と「異界」等。
 そして、「向こう側」と「こちら側」の区別が厳密にはつき難いことは、古田も当然に意識しているだろう。
 それにしても、何とか意味をそれなりに理解してみたいところだ。
 歴史通2016年3月号(ワック出版)に、上の後者の2015年著の紹介らしき記事がある。p.134。この記事は、こう書く。
 <西洋の「向こう側」はあくまで「この世」に属し、「五感では感じられない」が「『こちら側』の根拠になるようなもの」。
 「化学式やDNAのらせん構造がそれにあたる」。
 「イデア」こそ、まさに「向こう側」のこと。
 「イギリス哲学的思考」はこの「向こう側」へと「超え出る」もので、「近代科学を生んだ」。
 「ドイツ哲学」はこれに何ら貢献せず、「近代の終焉とともに無用になった」。>
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  ①顕微鏡(・望遠鏡)、レントゲン検査、CT とかMRI とかは、「五感」を延長したもの、ということになるのだろうか。そうだとすると「こちら側」もその範囲は可変で、広くなっている。
 だが、これらの作製にも、結果の解析・分析にも、「向こう側」の研究成果がたぶん必要なのだろう。
 ②古田のドイツ哲学批判は、上の前者でも厳しい。
 おそらく、ニーチェなどは全く評価していないだろう。ニーチェはドイツの哲学者だが、そもそもカントもヘーゲルも幾分なりとも継承しているように見えない。よく言えば<屹立>している、悪く言えば、<独りで勝手に喚いている>(ようなイメージがある)。
 したがって、ニーチェから強い影響を受けたと自認している西尾幹二(+西尾が書いたもの)を、古田博司はほとんどか全く(積極的・肯定的には〕評価していないのではないか。
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  上の歴史通2016年3月号の記事は、「編集部のこの一冊」という表題が右上にあったりするので、編集部が書いたようでもある。
 だが、古田著やその基礎概念を簡単にまとめるのは容易ではないだろう。
 大胆に推測すれば、筆者である古田博司自身が、執筆している
 ところで、無署名で裁判例を理解するための解説文を判決そのものの文章より前に置くことは、民間の判決例掲載雑誌の<判例評論>や<判例タイムズ>でも見られる。いくつかのまたは重要な最高裁判決については、当該事件を担当した最高裁調査官が(アルバイトで?)執筆しているともいわれる(ほとんど同じまたは類似の文章が、のちに公式の最高裁調査官解説本に出ることもある)。
 最高裁判決ではないが、ある地裁判決の掲載時にその「解説」または「前置き」文を、無署名で執筆したことが、秋月瑛二にも一回だけある(報酬=原稿料は出た)。
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