秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

左翼

1976/加藤哲郎著(1990)とL・コワコフスキ。

 いつぞや、加藤哲郎の本がL・コワコフスキの文章(・詩?)を引用・掲載していた、と書いたことがある。
 その加藤の本を、久しぶりに見つけた。
 加藤哲郎・東欧革命と社会主義(花伝社、1990年3月)。
 この本全体のハードカバーの中にある表紙のそのつぎの頁に、L・コワコフスキの文章(?)が二頁分で引用されて掲載されている。
 「東欧革命」の途上での既存?社会主義に対する鋭い批判を諧謔をもって表現したものとして、加藤は採用したのだろう。
 もっとも加藤が英語訳にせよ直接にL・コワコフスキの文章に接したのではないようで、以下からの再引用・掲載だとされている。
 全集/現代世界文学の発見・第11巻-社会主義の苦悩と新生 (学芸書林、1970)。
 これの原物はいま手元にないが、購入し所持していて、確認はしている。
 加藤哲郎は「ポーランドの哲学者・コラコフスキー」と執筆者を示している。
 これは私も最初はそのように読んだところで、L・コワコフスキの初期の作品の珍しい邦訳書である以下も、著者を「ココフコフスキ」と表記していた。
 小森潔=古田耕作訳/L・コラコフスキー・責任と歴史-知識人とマルクス主義(勁草書房、1967)。
 この著はL・コワコフスキがまだ完全にはマルクス主義者でなくなっておらず「修正主義者」とかマルクス主義正統派(スターリン派=ポーランド統一労働者党)から批判されていた時期のものだと見られる。そして、邦訳者たちもまた、反マルクス主義または反共産主義という観点からではなく、反スターリニズム(反日本共産党?)の観点から関心をもって、邦訳書を刊行したのだと推察している。
 その後、東欧の「お伽ばなし」・「怪談」とか哲学一般に関する書物の邦訳はあるが、L・コワコフスキの中心著作と評して欧米学界・論壇でも誤りはないと見られるつぎの著の邦訳書は決して?刊行されなかったことは何度も書いた。
 Leszek Kolakowski・マルクス主義の主要潮流(原語1976、英語訳1978)。
 さて、加藤哲郎が引用・掲載している文章(?)は「はしがき」のつぎの「目次」欄の右端にも、表題が「なにが社会主義でないか」と記されている。
 L・コワコフスキ自身の発表年は、1956年。この人が29歳の年。
 以下の中に収載されている。
 Leszek Kolakowski, Is God Happy ? -Selected Essays. (2012年)。p.20-p.24.
 レシェク・コワコフスキ・神は幸せか?-小論選集(2012)
 これによると表題は、What is Socialism ? で、「なにが社会主義でないか」ではなく「社会主義とは何か」だ。もっとも、原作時点以降に変更された可能性はあるし、その文章?自体は「なにが社会主義でないか」を語ることから始め、「社会主義とは何か」をこれから語ろうと書いて、ほとんど終わっている。
 これまで「文章?」とか「文章(詩?)」とか記したように、L・コワコフスキの1956年の「社会主義とは何か」は「社会主義でない」国家・政体のスローガンもどきの列挙であって、美しいものでも、じっくりと味わえる文章でもない。むしろ、乱雑だ。よって、ここに書き写すつもりもない。
 しかしそれでも、その内容が当時のポーランド当局には危険なものだったのだろう。
 ポーランド共産党(統一労働者党)の党員だった、ワルシャワ大学の研究者・教育者が書いたものだったのだから。
 上の2012年の著の原文のあとに、つぎのような注記がある(p.24)。一文ごとに改行する。
 「この小論(essay)は検閲に引っかかり、これが書かれた学生雑誌は閉鎖させられた。
 そして、すみやかに当局が除去するまで、ワルシャワ大学の告知板に貼り出された(pinned up)、。
 そのとき以降、地下で複写版が回覧された。
 共産主義が崩壊するまで、ポーランドでは公刊されないままだった。」
 この注記はかつてからL・コワコフスキが記していた可能性もあるが、2012時点でのAgnieszka Kolakwskaya (L・コワコフスキの娘)によるものかもしれない。少なくともこの選集では、L・コワコフスキが英語で執筆していないものは、この人が(原文を)英訳したとされている。
 最後に、加藤哲郎に戻らなければならない。
 加藤は1990年時点でポーランドに「コラコフスキー」という名の現存?社会主義に批判的な哲学者がいることを知った筈だが、その後にL・コワコフスキに対する関心をいかほど持ち続けたかは疑わしい。
 1990年前後に欧米に滞在していたとすれば、何かのおりに、とくにポーランド関連では、Leszek Kolakowski の名を重要な人物のそれとして知ったとしても、またマルクス主義・共産主義・社会主義との関連で彼のMain Currents of Marxism という大著の存在を知ったとしても不思議ではないが、そのようなことはなかったのかもしれない。
 いったい何が日本から<マルクス主義の主要潮流>を遠ざけたのか、関心を引き続けることだ。

1854/左翼は「ファシスト」の存在・ファシズムの再来可能性を必要とする。

 この欄で2016年に、青木理が同年7/24夜のテレビ番組で「歪んだ民主主義からファシズムは生まれるとか言いますからね」とか言い放った、と紹介している。
 日本の左翼にとって、その歴史観・政治観の形成にとって、「ファシズム」・「ファシスト」=絶対の悪という公式は不可欠なのだ。
 もっと幅広く、歴史的または欧州史または欧米思想の観点から、この欄ですでに紹介して言及したように、François Furet, The Passing of an Illusion - The Idea of Communism in the Twentieth Century - (原仏語版1995年) は、<第6章/共産主義とファシズム>の中で、つぎのように述べていた。
 前回の投稿の補足として掲載する。すでに掲載した部分をあらためてできるかぎり全文に近くなるように、邦訳書と原英訳書を見て、紹介・掲載し直す。邦訳書は、以下。なお、この邦題は「過去」と「全体主義」の二カ所ですでに適切ではないと指摘した。<幻想の終わり-20世紀の共産主義>が原書(フランス語版)の意味にも添う。
 楠瀬正浩訳・幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)。 p.244-。 
 ・「20世紀の歴史を織り成しているのは、…全く新たな政治体制であり、また20世紀が特異な性格を示すようになったのは、まさにそうした政治体制の出現のゆえにだった。そのために、歴史家は20世紀を19世紀の眼鏡を通して理解する誘惑を避けられなかった。彼らはあくまで、民主主義対反民主主義という闘いの図式を繰り返し、ファシズム対反ファシズムという対立の構図に固執した。こうした傾向は、…第二次大戦終結以降、ほとんど神聖にして犯すべからざる思想上の観点とさえ見なされるようになった。」
 ・「こうした精神的束縛にはきわめて強力なものがあり、ゆえに欧州で最も大きな力を獲得した国々-フランスとイタリア-で、コミュニズムと反ファシズムは同一の立場を示すものだと考えられ、そのため長い間、コミュニズムに対する分析はすべて妨げられる結果になってしまった。かつまた、ファシズムの歴史を語ることすら、相当に困難になってしまった。」
 ・「反ファシズム思想が20世紀の歴史に充溢するためには、≪ファシズム≫が敗北や消滅の後にもなお生き続けている必要があったのだ! 栄光から見離された政治体制が、これらの政治体制を打倒した人々の空想の世界でこれほどまでに長く後世の摸倣者を輩出したという例は、決して見られなかった現象だろう。」
 ・「我々は今日なお、ファシズムに対する偏った見方によって積み重ねられてきた廃墟の中から完全には脱し切れていない。ファシズム以上にわかりやすい攻撃目標を見つけることのできなかった欧州の政治世界は、定期的にファシズムの亡霊を蘇らせ、反ファシズムの人々の結集を図ってきた」。
 以上、神谷匠蔵の一文での指摘はF・フュレの叙述や秋月の理解と大きくは違っていないだろう、ということの例証で、さして大きな意味はない。

1853/<ファシズムの兆候>と闘うつもりの日本の左翼-神谷匠蔵の一文から①。

 <民主主義対ファシズム>という(基本的対立構造に関する)幻想の解消を秋月瑛二が日本での主要課題の第一に挙げたことがあるのは、むろん、そのような幻想をなお抱いている人々が多い-欧米よりも顕著に多い-という判断による。
 大まかにいってそのような人々は、護憲・改憲の議論にもかかわって「ガラパゴス左翼」とか「えせリベラル」とか称される人々(・組織や政党)に該当するので、この課題または論点は、少なくとも一部の論者たちにとっては、すでに無視してよい論点として決着済みの可能性はある。
 しかし、依然として上のような「基本的対立構造」に関する「理解」をしている人々が顕著に存在していると見られる。簡単に言えば、日本の社会・政治諸現象の中に「ファシズム」の兆候が見られ得るとし、その兆候が見られたとすればそれを批判的に指摘し、それと闘うことこそが「正しい」見方で、そのような立場を採るのが「正しい左翼」であり(当然に正しくないことはあり得ない)共産主義者(>日本共産党員)だとする、そういう人々だ。
 「言論プラットフォーム」なるアゴラの中で知ったが、1992年生まれらしい、信じがたいほどの若さの神谷匠蔵は、2017年1月の文章の中で、主題は「ポピュリズム」ではあり、また上のような私の論脈の中でではないが、上のような「リベラル左派及び共産主義者」の考え方・発想の仕方を、つぎのように述べている。
 神谷・2017年1月5日付「左派によって歪められた『ポピュリズム』の実像」。
 ・「左派」は「今日でもあらゆる右派的な言動の中に『ファシズム』の影を、『全体主義』の影を、…見出しては恐怖を語り『先の大戦の惨禍』が再び繰り返される可能性をあらゆる点に見出し、その芽を潰すことで『人類』に対して政治的に貢献できていると思いたい」のだろう。
 ・「左派のポピュリズム批判」は第一次大戦後から現在まで「一向に変化して」おらず、ヴィシー政権・ナチスおよびドイツ国民を「批判」したのと同じ言葉でトランプ氏やルペンに対する「人身攻撃」を浴びせているだけだ。彼ら左派が「『ポピュリズム』を批判する時、その念頭にあるのは常に第二次大戦の記憶であり、ナチスであり、ヒトラーである」。
 ・ポピュリズムは必ずしも「人種差別」や「排外主義」という要素を持たずたんに「娯楽至上主義」であり得るのであって、鍵は「大衆の熱狂」だ。にもかかわらず「左派および共産主義者が敢えて『無知な大衆の人種差別的排外主義的感情の発露』へと矮小化した」のは彼らに都合が良かったからだろう。
 ・つまり「リベラル派・左派は」、「ナチスと自分たちを区別する為にあたかもナチス的な『ポピュリズム』においては人種差別思想が不可欠の要素」だっかたのごとく語り、「そうすることで自らの『ポピュリズム性』を隠蔽してきたのである」。
 ・さらに言えば、「ポピュリズム」=「反知性」、自分たち=「知性」だと主張できるように「ポピュリズム」を再定義したのだ。かくして、「『知的で教養ある貴族の良識ある保守主義』と『大衆の扇動によって体制変革を試みる革命主義』の二項対立図式」を、見事に「『人種差別的な大衆感情を利用する極右』と『異文化に理解のあるリベラリスト』へとひっくり返した」。
 ファシズムとは直接に関係がない部分まで引用してしまった。
 しかし、「『先の大戦の惨禍』が再び繰り返される可能性をあらゆる点に見出し」、「念頭に」置くのは「常に第二次大戦の記憶であり、ナチスであり、ヒトラーである」というのは、欧米について語られていても、まさに日本の「左翼」=容共主義者の現在の主張の仕方、基本的発想にもあてはまる。
 「ナチスであり、ヒトラーである」は、「ナチスであり、ヒトラーであって、それと軍事同盟を結んだ日本の軍国主義者たち」と言い換えた方がよいかもしれない。
 繰り返すが、彼らにとって先の大戦は<民主主義対ファシズム>の戦争であり、共産主義者=ソ連は前者の側に含まれていた。そして、この戦争に「唯一」反対して闘った「栄光ある」日本共産党もまた前者の側にいたのだ。
 首相としての戦後70年談話で怪しくはなったが、それ以前の日本共産党・不破哲三による同党中央委員会政治理論誌・前衛上の論考では、安倍晋三は第二次大戦の「悪」、日本の「侵略」性を認めない→日本はドイツ(+ファシスト・イタリア)と軍事同盟を結んで戦った→ナチス容認→ゆえに「ネオ・ナチス」だ、という単純かつ簡単な(かつ幼稚な)論法と結論が述べられていた(いまだに不破哲三は日本共産党の最高幹部の一人のはずだ)。
 何かといえば少なくとも内心ではナチスとかファシズムに結びつけ、安倍晋三、安倍・自民党や安倍政権という「右派」政権を警戒し危険視して打倒しよう(少なくとも混乱させよう)というのが日本の「左翼」=容共主義者の<怨念>に満ちた基本発想であることを知っておく必要がある。
 こうした、現実認識というよりも政治的な主張に客観的には「協調」しているのは、改憲問題にかかわっての一定の憲法学者・憲法研究者だ。すでに過去のものだが、<集団的自衛権>行使容認をめぐる2015年あたりの安保法制の合憲性や真の語義からは逸脱している「立憲主義」をめぐる問題があった。
 上のような基本的対立軸の設定そのものに差異があること、その設定軸自体に内在する間違いがあること、いや我々も「民主主義」の側にいるのであって「ファシズム」を容認しているわけではないなどと反論・釈明し始めてはならないということ、を意識すべきだ。
 キミたちのいう「民主主義」とは何か?、その中には「正しい」ものならば(あるいはスターリン的以外ならば)共産主義(コミュニズム)も含まれるのか??、としつこく問う必要がある。

1833/日本の邦訳書出版業界の<左傾>ぶりの一例。

 エリック・ホブスボーム著の邦訳書の多さは、驚くべきほどだ。
 以下は、私が知ることのできた全てではない。面倒になったのでかなり省略した。一部にすぎない。
 E・ホブスボーム・反抗の原初形態―千年王国主義と社会運動/青木保訳(中公新書、1971) 。
 E・ホブスボーム・匪賊の社会史―ロビン・フッドからガン・マンまで(グループの社会史〈3〉)/斎藤三郎訳(みすず書房、1972)。
 E・ホブスボーム・革命家たち―同時代的論集〈1〉/斉藤孝他訳 (未来社、1978)。
 E・ホブスボーム・イギリス労働史研究/鈴木幹久訳(ミネルヴァ書房、 改訂版1984)。
 E・ホブスボーム・市民革命と産業革命―二重革命の時代/水田洋他訳(岩波書店、1989/6)。
 E・ホブスボーム・帝国の時代 1―1875-1914/野口建彦等訳(みすず書房、1993/1/9)。
 E・ホブスボーム・帝国の時代 2―1875-1914/野口建彦等訳(みすず書房、1998/12/9)。
 E・ホブスボーム・20世紀の歴史―極端な時代〈上巻〉/河合秀和訳(三省堂、1996/8)。
 E・ホブスボーム・20世紀の歴史―極端な時代〈下巻〉/河合秀和訳(三省堂、1996/8)。
 E・ホブスボーム・わが20世紀-面白い時代/河合秀和訳(三省堂、2004/7 )。
 E・ホブスボーム・破断の時代―20世紀の文化と社会/木畑洋一等訳(慶應義塾大学出版会、2015/3/21 )。
 E・ホブスボーム・いかに世界を変革するか―マルクスとマルクス主義の200年/水田洋監修(作品社 、2017/10/31 )
 E・ホブスボーム・20世紀の歴史-上/大井由紀訳(ちくま学芸文庫、2018/6/8)。
 E・ホブスボーム・20世紀の歴史-下/大井由紀訳(ちくま学芸文庫、2018/7/6)。
 E・ホブスボーム・資本の時代 1<新装版>/柳父國近等訳(みすず書房、2018/7/10)。
 E・ホブスボーム・資本の時代 2<新装版>/松尾太郎等訳(みすず書房、2018/7/10)。
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 上に比べて、日本でのレシェク・コワコフスキ、リチャード・パイプス、シェイラ・フィツパトリクの著書の翻訳書・邦訳書発行状況はどうだろうか。
 日本には日本の<ある勢力>にとって有益な外国文献は多く翻訳されるが、<危険な>書物はほとんど発行されない、という事実を、上のようなE・ホブスボーム著の扱いは強く実証しているように思える。
 レシェク・コワコフスキの主要著<マルクス主義の主要潮流>は40年間以上経っても邦訳されなかった。
 リチャード・パイプスのロシア革命に関する二巻の大著は、1990年以降にPaperback 版があるが、邦訳されていない。
 堅実な歴史叙述が見られる、最近この欄で試訳を紹介している、シェイラ・フィツパトリク(女性)のロシア革命(最新版2017年)は(および他のこの人の著書も)、いっさい邦訳されていない、と見られる。
 欧米語文献が(かりにフランスやドイツには流通していても)日本に十分に流通しているわけでは全くないことを、日本の「知的」または「情報」産業界にいる人々は、強く意識しておかなければならない、とあらためて強く感じる。
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 Tony Judtはつぎの遺稿論考集の冒頭のエッセイ(論考)で、E・ホブスボームをとり上げている。この人名義の最後の刊行物だ。
 Tony Judt, When the Facts Change, Essays 1995-2010.(edited & introduced by Jennifer Homans)
 明記されているように(その前の論考集でもTony Judt が記していたように)、エリック・ホブスボームはlife-long つまり、終生の、又は生涯にわたる「イギリス共産党員」だった。
 そのような人物の「歴史叙述」がマルクス主義の影響を受けていないはずはなく、この人を<20世紀最大の歴史家>などと喧伝しているようである上記の日本の出版社または翻訳者は、欺されているか、自分たちは知りながら、日本の読者を欺しているのだ。あるいは、日本の読者自体が、無意識にでも<容共>なのだ。
 以下、一部だけ、試訳して引用する。//は本来の改行箇所。
 最近にこの欄に名前を出したクリストファ・ヒルとエドワード・トムソンの名も出てくる。
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 エリック・ホブスボームが「短い20世紀」を扱う第四巻を加えるのを選んだのは驚きだった。
 彼が序文で「私はこれまでほとんど、1914年以降の時代について仕事をするのを避けた」と認めるとき、このような回避によくある理由を提示していた。すなわち、事件にあまりに接近しすぎていて、感情的にならざるをえないからだ(1917年生まれのホブスボームの場合は、その時代のほとんどを彼は生きた)、また、解釈の対象となる十分な素材の全部がまだ手に入っているわけではなく、それらの素材全てが何を意味するかを語るのはいかにも早すぎるからだ。//
 しかし、別の理由があることは明白だった。そして、ホブスボーム自身がその理由によって責任を拒否することはきっとしないだろう。すなわち、20世紀は、彼が生涯にわたって関与した政治的かつ社会的な理想と制度の明白な崩壊とともに終焉した、ということだ。 
 過ちと災悪に関する暗く重苦しい物語を、その中に見い出さないのは困難だ。
 他の多数のイギリス共産党員または元共産党員である歴史研究者の目立った世代人(クリストファ・ヒル、ロドニー・ヒルトン、エドワード・トムソン)と同様に、ホブスボームはその職業的な注目を革命的で急進的な過去に向けた。それは、党の基本方針が現在に近接した時期についてあからさまに書くのを事実上不可能にしていた、という理由によるだけではなかった。
 真面目な研究者でもある生涯の共産党員にとっては、我々の世紀の歴史には、解釈するにはほとんど克服し難い障害物がある。彼の最後の仕事が期せずして明瞭に示しているように。//
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1822/A・ブラウン・共産主義の興亡(邦訳2012)の日本人向け序文②。

 アーチー・ブラウン/下斗米伸夫監訳・共産主義の興亡(中央公論新社、2012)
 =Archie Brown, The Rise and Fall of Communism(Oxford, 2009 ;Vintage, 2010)。
 この邦訳書の冒頭にある著者自身による「日本語版のための序文」で、A・ブラウンはさらにこんなことも書いている。一文ごとに改行する。
 ③(第四段落冒頭)「日本の読者にとって共産主義が大変重要な主題である、より一層意義深い理由がある。
 今日のヨーロッパには共産主義国家は一つも残っていないが、現存する五つのうち四つがアジアに見いだすことができる
 つまり、キューバはここでは措くとして、中国、ベトナム、ラオス、北朝鮮である。
 いくつかの共通の特徴はあるとしても、共産主義は異なった時代に異なった場所で、まったく異なった現れ方を示した。
 類似点と相違点、いかに…を主要な話題として、以下のページで探っていく。」
 このあと中国と北朝鮮に関するやや立ち入った言及をしたあと、つぎのようにまとめている。
 ④「アジアの共産主義国家がこの先どう進んでいくかは、日本にとって明らかに重大事である
 このことはとりわけ、世界最大の人口を擁し、遠からず世界最大の経済規模となる中国に当てはまる。//
 共産主義の歴史--革命と戦争、悲劇と勝利、失敗と成功、イデオロギーの信奉者と殺戮者--は日本の読者にとって、他の国民に劣らず興味深いものであろう
 アジアの近隣に共産主義国家が存在することもあって、本書は今日のための洞察を含んでおり、また、過去への省察を提供するのみならず、未来への思索を誘発するであろう。
 本書が日本語に翻訳されることは私にとって大きな喜びである。」
 ** さて、上にある次の文章を、多くの日本人はそのとおりだと感じるだろうか。
 ・「日本の読者にとって共産主義が大変重要な主題である」意義深い理由は、共産主義国家で「現存する五つのうち四つがアジアに見いだすことができる」からだ。。
 ・「アジアの共産主義国家がこの先どう進んでいくかは、日本にとって明らかに重大事である」。
 ・「共産主義の歴史は日本の読者にとって、他の国民に劣らず興味深いものであろう」。
 このように言われても、**それほどではありません、共産主義がさほど重要な主題だと感じていないしアジア近隣に四つの共産主義国家が現存しているという意識もないし、共産主義の歴史がさほど興味深いものとは思っていません**、という日本人の方が、知的産業・情報産業従事者も含めて、多いのではないだろうか。
 R・パイプス、S・フィツパトリクらは、日本共産党等も含めて日本のことをほとんど知らないし、日本国内での共産主義・ロシア革命等に関する議論を知らないままで、それぞれの研究をしてきただろう。
 それはA・ブラウンも同じで、日本国内のにある「異例な」<左翼>的雰囲気を-おそらく日本語が読解できないことを決定的な理由として-知らないままで、上のようなことを書いているのだろう。
 しかし、、欧米の「共産主義」研究者からするとおそらく、上のような推測が当然に生じてくるのに違いない。
 ソ連・東欧や欧米の「共産主義」史に詳しい日本以外の研究者にとっては、上のような指摘や推測は自然または当然であって、日本人の方がむしろ違和感を覚えるのだとすると、日本人の方が<奇妙>なのではないか、と思われる。
 <共産主義の恐ろしさ>を肌感覚では理解しておらず、中国も北朝鮮も海を隔てた<遠い国>であるかのごとく捉えられているのではないだろうか。
 そもそも、中国や北朝鮮のことを「非民主主義国」とか「党独裁国家」ということはあっても、日本人は、あるいは日本のメディアや論壇者は「社会主義国家」とか「共産主義国家」などと称すること自体がまずない(なお、日本共産党は北朝鮮は「社会主義国」ではないとする)。
 欧米のメディアや論壇者と比べて、どこか感覚が麻痺しているのではなかろうか。
 それは、日本に「社会主義(・共産主義)」幻想がまだ強く残り、日本共産党の存在もあって、公然と「社会主義」・「共産主義」を批判し難い雰囲気があるからだと思われる。
 「反共」はバカな「愛国・保守」の主張であって、理性的・知的な者は<日本会議的アホ>のような主張をするはずはない、という感覚の者もいるかもしれない。「反共」ではあるらしい<日本会議的アホ>も、江崎道朗らに見られるごとく、「共産主義」に関する知識・素養がまるでないのではあるが。
 A・ブラウンの日本人向け序文を読んで感じるのは、このようなもどかしさ、不思議さだ。
 <反共産主義>あるいはその意味での<自由主義>が、おそらく知的活動者にとっての<常識>になっている国と、そうではない国(日本、おそらく韓国も)の違いだろう。
 立ち入らないが、アメリカ合衆国を含むNATO締結国であることを当然のこととしていると思われる(ソ連解体後は例えばチェコも加入した)ほとんどのヨーロッパ諸国と、日米安保や日本の自衛隊の存在自体を危険視する意識をもつ勢力がなおもある程度存在し、あるいは「抑止力」を理解していませんでしたと平気で言える首相(鳩山由紀夫)がいた国との違いだ。
 D・トランプ現大統領は、R・パイプスのぶ厚い研究書を読んでいないかもしれない。
 しかし、この大統領も、R・パイプスの<共産主義の歴史>という一般人向けの簡潔な本くらいは読んでいて、<反共産主義>の基礎的な知識・常識くらいは持っているだろう。
 基礎的な知識・常識あるいは感覚レベルで、日本には独特の<雰囲気>があるようだ。
 いいも悪いもなく「現実」なのだから受忍する他はないが、このように指摘する者がいてもいけないということはないだろう。

1741/江崎道朗と加藤哲郎・白井聡。

 L・コワコフスキはその大著の第二巻第10節の最初の第二文と第三文でこう書く。-そのうちに試訳全体はこの欄に掲載する予定だ。
 第二/レーニンの大量の著作の「読者は必ずや、彼の文体の粗暴さ(coarseness)と攻撃性に強い印象を受ける。それらは、社会主義の文献の中で、並び立つものがない。」
 第三/「レーニンによる論駁は、愚弄(insults)とユーモアの欠けた嘲笑(mockery)で満ちている。」
 コワコフスキの著に接しながら、またレーニン全集の文章の一部を読みながら、上とほとんど全く同じ感想をもつ。そして想う、こんな文章ばかりを何年も読んでいると、どういう人格・個性・心性の人間になってしまうのだろう、気の毒なことだ、と。
 そして同時に連想するのは、この欄で一度だけ取り上げた、そしてなおも掲載できる素材のある、白井聡という人物だ。つぎの本について、この欄ですでに触れた。
 白井聡・未完のレーニン(講談社選書メチエ、2007)。
 白井聡は、一橋大学の大学院の学生時代、ロシア原語で(極端にいうとだが)レーニンばかりを読んでいたように見える。その時代の論文が上の本の基礎だったはずだ。
 まだ若いはずだが、学界・アカデミズムの中ではともかく、「左翼」系の、又はある程度売れれば何でもよいと考える出版社・編集者の間ではある程度の「地歩」をすでに築いているように見える。
 将来に変わる見込みはなさそうでもあるので、この人にはいずれまた、論及したい。
 これも断定はし難いとは言え、おそらく間違いなく、一橋大学大学院での白井聡の指導教授だったのは、加藤哲郎だ。
 加藤哲郎は、この欄で本格的には言及した記憶はないが、1990年頃、つまり東欧・ソ連の「社会主義」激動期までずっと(いつからかは知らない)日本共産党員で、その頃に離脱したようだ(一昨年秋以降に収集した日本共産党関係の書物の年表がこの人物を含む数名を批判した旨のことを記載していた)。
 いうまでもなく、日本共産党員ではなくとも、あるいは「反」・「非」日本共産党であっても、共産主義者であることはあるし、「左翼」にとどまっていることもある(有田芳生はその好例だ)。そして、加藤哲郎は依然として、少なくとも「左翼」=容共ではあるだろう。
 加藤には、こんな本もある。
 加藤哲郎・ゾルゲ事件-隠された神話(平凡社新書、2014)。
 この加藤の本をつぎのように肯定的に評価し、二箇所の直接の引用で計13行を用い、二頁にわたる記述の基礎にしている書物がある。
 加藤の上の著は「ソ連崩壊後に公開された一次史料を使って、ゾルゲ事件についてこれまで知られていなかった新事実を紹介している」。
 そのとおりかもしれない。だが、加藤哲郎はいかなる関心からゾルゲ事件に関する探索をしたのだろうか。
 そのような検討や執筆者の政治的立場を全く考慮していないと見られる上の書物とはつぎで、該当頁もつぎのとおりだ。
 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(2017.07)、p.387-9。 
 江崎道朗は自らを「保守」派だと、しかも「保守自由主義」者だと考えているようだ。但し、外国の「左翼」または共産主義者・当該国の共産党員による書物を一部でかつ何箇所も下敷きにして上の本を2017年夏に刊行していたとしても、驚く必要はない。

1730/R・スクルートン『新左翼の思想家たち』(2015)。

 Roger Scruton, Fools, Frauds and Firebrands - Thinkers of the New Left (2015, Bloomsbury 2016).
 =ロジャー・スクルートン『馬鹿たち、詐欺師たちおよび扇動家たち-新しい左翼の思想家たち』。(タイトル仮訳)
 英米両国で初版が刊行されているイギリス人らしき著者のこの本は、一度じっくりと読みたいが時間がない(たぶん邦訳書はない)。
 江崎道朗のように日本共産党系または少なくとも共産主義者・「容共」の出版社である大月書店(マル・エン全集もレーニン全集もこの出版者によるものだ(だった))が出版・刊行した邦訳書を「コミンテルン史」に直接に関係する唯一の文献として用いて(しかも邦訳書を頼りにして)かなりの直接引用までしてしまう、という勇気や大胆さは私にはない。
 K・マグダーマット=ジェレミ・アグニュー・コミンテルン史(大月書店、1998)。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と…(2017)、p.50に初出。
 また、上の二人の外国人(アメリカ?、イギリス?)がどういう研究者であるかも確認しないで「コミンテルン史」に直接に関係する唯一の文献の原本として利用するという勇気も大胆さも、秋月瑛二にはない。
 書名が少しふざけている感もあって(アホ・だまし屋・火つけ団)、上記のRoger Scruton についてはネット上で少し調べてみた(江崎道朗はおそらく、K・マグダーマットとジェレミ・アグニューの二人について、このような作業すらしていない)。
 そして少なくとも、全くのクズで読むに値しない著者および本ではない、ということを確認した。私は知らなかったが、イギリスの立派な<保守派>知識人の一人だと思われる(だからこそ一つも邦訳書がないのではないか)。
 2015年にイギリスの人が「新しい左翼(New Left)の思想家たち」としてどのような者たちを取り上げて論評しているかが「目次」を見ておおよそ分かるので、この欄で紹介しておこう。本文に立ち入って読めば、「仲間たち」の名がもっと出てくるのだろうが、目次に見える名前だけでも、現在の日本人には興味深いのではなかろうか。
 以下、目次(contents、内容構成)の試訳。
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 序説。
 1 左<左翼>とは何か?
 2 イギリスにおける憤懣-ホブスボームトムソン
 3 アメリカにおける侮蔑-ガルブレイスドゥオーキン
 4 フランスにおける解放-サルトルフーコー
 5 ドイツにおける退屈-ハーバマスへと至る下り坂。
 6 パリにおけるナンセンス-アルチュセールラカンおよびドゥルーズ
 7 世界に広がる文化戦争-グラムシからサイードまでの新左翼<New Left>。
 8 海の怪獣<?The Kraken> が目を覚ます-バディウジジェク
 9 右<右翼>とは何か?
 氏名索引。/事項索引。
 以上、終わり。
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 名前だけはほとんど知っていたが、バディウ(Badiou、フランス人)だけは今も全く知らない。イギリスのトムソンとは1970年代にレシェク・コワコフスキとの間に公開書簡を交わしたE・トムソン(Thompson)のことで、この本で取り上げられるほどに有名な「新(しい)左翼」人士だとは、この人に言及するT・ジャットおよびL・コワコフスキに接しても、全く知らなかった。
 あくまで Roger Scruton によれば、ということにはなるが、上掲の者たちは<真ん中>でも何でもなく<左翼>(または<新左翼>)とされる人士であることを、日本人は知っておいてよいだろう。
 T・ジャットによると、エリック・ホブスボーム(E. Hobsbawm)はずっとイギリス共産党員だった(党籍を残していた)。
 サルトル(Sartre)はあまりにも有名だが、ミシェル・フーコー(M. Foucault)の名も挙げられている。
 この人の本(邦訳書)は少しは所持していて、少しは読んだことがある。
 そして、このフーコーは文字通りに<狂人>だと感じた。
 このミシェル・フーコーを「有名な」フランスの思想家だなどとして真面目に読んでいると、<完璧な国家嫌い=強靱な反体制意識者>になるのではないか。
 記憶に残るかぎりで、国家は収容者を監視する監獄のようなものだ、という意識・主張。そして、国家による刑罰も否定する感情・意識。
 国家の刑罰権力自体を否定し、「犯罪」者を国家が裁いて制裁を加える(=刑罰を科す)こと自体を一般に否認することから出発する刑法学者が実際にいるらしいことも(そしてM・フーコーは愛用書らしいことも)、よく理解できる。
 ドイツの「歴史家論争」でエルンスト・ノルテの論敵だった(そして邦訳書が多数ある)ハーバマス(Habermas)のほか、<ポスト・モダン>とかで騒がれた(今でも人気のある?)フランスの人たちの名も挙げられている。日本での<ポスト・モダン>はいったい今、どうなっているのだろう。
 日本では、「思想」も「イデオロギー」も、ある程度は、流行廃りのある<商品>のごときものだ、という印象を強くせざるを得ない。
 その<商品>売買に関係しているのが、朝日新聞・産経新聞を含む<メディア>であり<情報産業>なのだ(月刊雑誌・週刊誌をもちろん含む)。翻訳書出版は勿論で、「論壇」なるものもその一部だろう。
 そして、この日本の<情報産業界>は例えば選挙を動かし、政治という日本の「現実」にも影響を与えている。

1721/L・コワコフスキの「『左翼』の君へ」等。

 前回に紹介した(基本的に伊澤高志訳を書き写した)T・ジャットの文章の中に、1973年に英国歴史家E・トムソンが雑誌上の100頁の長さの公開書簡(open letter)でL・コワコフスキを批判したのに対して、コワコフスキが応答したのが「あらゆる事柄に関する私の正確な見解<My Correct Views on Everything>」と題する文章(これも「公開書簡」のかたちをとる)だった、ということが出てくる。
 このMy Correct Views on Everything と題するエッセイ(小論、トムソンへの回答・反駁文書)は1974年のもので、のちに、コワコフスキ死後の2010年に、L・コワコフスキの小論集に収載された。そしてまた、この小論集全体のムタイトルにも、このMy Correct Views - が選ばれている。
 ①Leszeck Kolakowski, My Correct Views on Everything(St. Augustine Press, 2010)だ。
 また、次いで、上のトムソンへの回答小論であるMy Correct Views on Everythingは、別のL・コワコフスキの小論集、2012年、にも収載された(収載されている全小考が①と同じでなのではない)。
 ②Leszeck Kolakowski, Is God Happy ? - Selected Essays (Penguin Classic, 2012)だ。
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 前回に重要なこととして付記する予定だったところ、思わず、忘れたまま投稿してしまった。
 一 この、<My Correct Views on Everything>の全文は、これを伊澤高志訳と少し異なって「全ての物事に関する私の適正な見方」と訳したうえで、かつ簡単に<「『左翼』の君へ-L・コワコフスキの手紙」いう題に変えて、昨2017年5月に、この欄に、秋月瑛二による試訳を掲載し終えている
 この欄で、八回で完結させている。日付・番号は、つぎのとおりだ。原書(上の②)ではp.115-p.140のもので、計26頁の長さのものを対象とする試みの邦訳だ。
 ①№1526-5/02、②№1528-5/04、③№1532-5/07、④№1533-5/08、⑤№1535-5/09、⑥№1536-5/10、⑦№1538-5/12、⑧№1540-5/13。
 内容をここで反復することはできない。L・コワコフスキはE・トムソンおよび読者に対して、自分はとっくにマルクス主義者ではない、と言いたかったことは間違いない。
 それは、長い「手紙」の最後の部分にも示されている。つぎのとおりだ(仮訳は秋月瑛二)。
 「長年にわたって君に説明してきた、と思う。
 何をって、私が何故、共産主義思想を修繕したり、刷新したり、浄化したり、是正したり〔mend, renovate, clean up, correct〕する試みに、いっさい何も期待しなくなったのか、だ。
 哀れむべき、気の毒な思想だ。私は知った、エドワード君よ。
 これは二度と微笑むことがないだろう。
  君に友情を込めて。/レシェク・コワコフスキ」
 二 この機会に、追記しておこう。
 上の実質的には最後の文の主語は「これ」とだけ訳しているが、そして「共産主義思想」のことなのは明らかだが、原文では this skull だった。
 この skull をどう訳せばよいか迷い、つまり唐突に「骸骨」または「頭蓋骨」を登場させるのに違和感をもって、これは省略して、「これ」とだけ訳した。
 のちに何ゆえだったか記憶をなくしてしまったが、<この骸骨は二度と微笑まない>というのは、シェイクスピア作の古典「ハムレット」に出てくるせりふではないか、ということを知った。シェイクスピア・ハムレットに通じていないと、意味が理解できない文章なのだった。-こう書いても確信はないので、日本のシェイクスピア・ハムレット学者の方は確かめてほしい。じつは私も「ハムレット」を一度捲ってみたのだが、すぐには該当文を発見できなかった。
 「ハムレット」から来ているのだとすると、おそらく当然に、L・コワコフスキは欧米(とくにイギリス)の読者は理解できるだろうと想定している。
 ヨーロッパ知識人との間の「教養」の違いは、いかんともし難い。
 三 L・コワコフスキのMy Correct Views on Everything を邦訳して見たくなったのは、おそらく、いま紹介しているT・ジャットの文章を読んだことがきっかけになっている。
 また、その背景には、レシェク・コワコフスキとはいかほどの、いかなるマルクス主義研究者なのか、確信を持っていなかった、ということもあった。
 つまり、レシェク・コワコフスキ『マルクス主義の主要潮流』はすでに原書を入手していたが、読むだけの、または一部でも試訳してみる価値があるのかどうかは分からなかった。
 L・コワコフスキが昨年前半に(現在でもだが)強い関心を持ったレーニンやロシア革命に関する重要文献の一つに挙げられていることは知っていたが(この点は、別に書く)、いかなるマルクス主義研究者なのか、よく知らなかったのだ。
 そこで、長い三巻本またはその合冊本(いずれも全て所持している)に立ち入る前に、少しL・コワコフスキの文章を読もうと思って選んだのが、伊澤高志の分担訳のある邦訳書によるT・ジャットの文章をきっかけとしての、My Correct Views on Everything だった。
 じつに、面白かった。また、T・ジャットは「政治的議論の歴史で最も完璧になされた、一人の知識人の解体作業」かもしれないとまで評しているが、ここまで書かれては相手も大変だと思い、挙げられている特定の氏名が実在の、現役の(「左翼」)学者であることにも驚いた(日本では、名挙げしてのこんな批判文は公刊されないだろう)。
 内容も、翻訳作業自体も容易ではなかった。しかし、L・コワコフスキの頭脳の柔軟さと鋭さ、文章表現力の凄さには敬服してしまった。内容よりもむしろ、文章・論理の運び、修辞・反語、比喩・諧謔等々、読んでいる者の<頭と精神を鍛え直す>ような文章が並んでいた。
 この人の本ならば大丈夫だろうと、相当に感じたものだ(昨年5月のことだ)。
 三 さらに追記しよう。
 その後、上の②の表題に選ばれている、狭い意味でのIs God Happy?/神は幸せか?(2006年) も、全体で4頁余と短いこともあって、また、冒頭に何とシッダールタ(釈迦)を登場させている驚きにもつられて試訳し、二回に分けてこの欄に掲載した。
 ①№1559-5/25、②№1562-5/27。
 そして、邦訳書のない、Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (英訳版、1978)=『マルクス主義り主要潮流』の一部の邦訳を掲載し始めたのは、昨年6月になってからだった。
 最初の第1回めは、№1577-6/07。第二巻16章「レーニン主義の成立」の冒頭から。
というわけで、レーニンに関する部分だけは邦訳をし終えたいと今でも考えているL・コワコフスキの大著の試訳についても、秋月なりの<瀬踏み>の時期があったのだ。
 そして、期待は(今のところ、ということにはなるが)裏切られなかった。
 上の二つのコワコフスキの小論よりも、リチャード・パイプスのロシア革命関係本よりも、英語の文法構造自体の把握は容易だ。原ポーランド語の本の英語訳であるのが理由の一つではないかと思われる。
 内容の重要性・示唆性は別として、L・コワコフスキは、少なくとも表向きは、冷静に、淡々と文章を綴っている。これは、上の二つの小論とも異なるようだ。
 となると、上の二つは元々はいったい何語で書かれたのか、英語なのではないかと思うが、楽屋ウラ話は、この程度にしよう。
 *** 下の写真は、前回言及したG・リヒトハイムの原著と邦訳書、およびL・コワコフスキ『マルクス主義の主要潮流』のドイツ語版・第一巻、のそれぞれ表紙。所持しているもの。

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1540/「左翼」の君へ⑧完-レシェク・コワコフスキの手紙。

 Leszek Kolakowski, My Correct View on Everything (1974), in : Is God Happy ? -Selected Essays (2012).
 前回のつづき。⑧。
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 しばらくの間に、伝統的な社会主義の諸装置のいくぶんかが、予期しなかったやり方で資本主義社会にそっと這入り込んでいるように思える。
 最も近視眼的な政治家たちですら、全てを金で買うことができるわけではないと、大金を積んでも清浄な空気、水、広い土地その他の自然資源を買えないときがくるかもしれないと、分かっている。
 そしてそうだ、『使用価値』が徐々に経済の中に戻ってくる。
 人類が生ゴミの処理の仕方を知らないことから生じる、『社会主義』の逆説的な結論だ。
 この帰結は官僚制の増大であり、権力の中心にいる者たちの役割の増大だ。
 共産主義が考案した唯一の治療薬-国民資産に対する中央集中型の、抑制されない国家所有と一党支配-では、治癒されるべき病気はさらに悪くなる。経済的には効き目がないし、社会関係の官僚的性格を絶対的な原理にしてしまう。
 高い程度の自治権を小さな諸共同体のためにもつ、非中央集中的な社会という君の理想を、高く評価する。そして、こうした伝統への君の執着について、共感する。
 しかし、私的所有からではなくて技術の発展から生じる、中央集中的官僚制につながる力強い権力の存在を拒否するのは愚かだ。 
 この状況を見通す一つの方法でも知っているつもりなら、『平和的な革命を起こす、そうすればこの趨勢は逆転する』と言って解決策を見つけたと想うなら、君は自らを欺いているし、言葉の魔術の犠牲者になっている。
 複雑な技術的組織網に社会が依存すればするほど、それだけ多く諸問題は中央権力によって規制されければならない。国家官僚制が力強くなればなるほど、政治的な民主主義や『形式的』、『ブルジョア的』自由が支配機構を抑制する必要、個人の弱まりうる権利をそのままにして個人に保障する必要が、ますます大きくなる。
 全てを包含する、政治的な(『ブルジョア的』な)民主主義がなくして、いかなる経済民主主義も産業民主主義も、かつてなかったし、また存在することはできない。
 現代社会が課す相反する責務をどのようにして調和させるべきかを、我々は知らない。
 我々には矛盾のない安定した社会の青写真はないのだから、ただ、これら責務の間の不確定な平衡状態に到達するように努めることができるだけだ。
 どこか別の箇所で書いたことを、繰り返そう。
  『心配しないで、平穏にかつ安全に、その人生の余後を過ごせるだけの資金を一瞬で得る方法について考えている人々の心構えが、私的な生活にはある。
 そして、明日までどうやって生きようかと懸念しなければならない人々の心持ちもある。
 人間社会というのは、全体としては、かつて得た金銭のおかげで生涯にわたる保険金があったり株式配当金があったりする、年金受給者のような幸せな地位には決しておれないだろう、と私は思う。
 人間社会の地位は、翌日までの生活の仕方に困惑している日雇い職人のそれに似ているだろう。
 夢想家(ユートピアン)というのは、人類を年金生活者の地位に置こうと夢見る人々、そうした地位は素晴らしいもので、代償(とくに道徳的な代償)がそれを獲得するには大き過ぎはしないと確信している人々だ。』//
 こう書くのは、社会主義とは死滅した選択肢だと意味させてはいない。
 そうは考えていない。
 だが、この選択は、社会主義国家の経験によってのみならず、信奉者たちの自信を理由として、彼ら信奉者が行なう社会を変えようとする努力にも限界があること、および要求と信条となった価値とを両立させられないこと、の両方に直面して彼らが何もできないことを理由として、破滅した。
 簡単に言うと、社会主義を選択する意味は、完全に、そのまさしく根源から修正されなければならない。//
 『社会主義』と言うとき、私は完璧な国家を意味させず、平等、自由および効率性への要求を達成しようとする運動を想定している。どの価値のいずれにも別々に隠れている諸問題の複雑性だけではなくて、諸価値は相互に制限し合い、それらは妥協を通じてのみ充たされうるということに気づいているかぎりで、諸困惑に対処する資格があるような運動をだ。
 そう考えないなら(またはそう考えているふりをしなければ)、自分や他人を笑い物にしている。
 全ての諸制度の変更は、全体としてこれら三つの価値に奉仕する手段だと見なさなければならず、それら自体に目的があると考えてはいけない。
 そうした変更は、一つの価値を増大させるときに別の価値を犠牲にする対価を考慮に入れて、相応に判断されなければならない。
 諸価値のいずれかを絶対的なものと見なしたり、全てを犠牲にして諸価値を実現しようとする企ては、残る二つの価値を破滅させることに必然的になるだけではなく、その一つの価値をも結局は破滅させるに違いない。
 注意しなければならない(nota bene)。これは、貴重な過去から発見したことだ。
 絶対的な平等性は、特権を与えるがしかし換言すると平等性を破壊するのを意味する、独裁的な支配制度においてのみ達成されうる。
 完全な自由は、無政府状態を意味する。無政府状態は、肉体的な最強者が支配することに結果としてはなる。つまり、完全な自由は、その反対物に変わる。
 至高の価値としての効率性は、再び独裁制を呼び起す。そうして、技術が一定のレベル以上になると、独裁制は経済的には非効率だ。
 こうした古くて自明のことを繰り返すのは、彼らがまだ夢想家の思考方法に気づかないままで歩んでいるように見えるからだ。
 それはまた、ユートピアを描く以上に簡単なことは何もない、ということの理由だ。
 この点で、我々が合意できると望む。
 そうできるなら、寛容になってお互いを許し合いたい、若干の辛辣な意見を交換し合った後であっても、他の多くの点で合意できる。
 共産主義は原理的に優れた発明品だと、優れた応用について決していくぶんかも損なわれていないと、君がまだ思い続けているなら、この合意には達しそうにないだろう。
 長年にわたって君に説明してきた、と思う。
 何をって、私が何故、共産主義思想を修繕したり、刷新したり、浄化したり、是正したり〔mend, renovate, clean up, correct〕する試みに、いっさい何も期待しなくなったのか、だ。
 哀れむべき、気の毒な思想だ。私は知った、エドワード君よ。
 これは二度と微笑むことがないだろう。
  君に友情を込めて。/レシェク・コワコフスキ。
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 終わり。上掲書、p.115-140。

1538/「左翼」の君へ⑦-L・コワコフスキの手紙(1974年)。

 前回のつづき。
  Leszek Kolakowski, My Correct View on Everything (1974), in : Is God Happy ? -Selected Essays (2012).
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 君の推論の中に…がこだまとなって鳴り響いているのが、少しは嫌だね。
 しかし、それ以外に多くのことがある。
 君は社会に関して範疇でまたは世界的『体制』-資本主義か社会主義か-で考えるので、つぎのように信じる。
 1) 社会主義は、今は不完全だが、本質的に人間発展の高次の段階だ。そして、『体制』としての優越性は、人間の生活にかかわる個別の事実に示されているか否かとは関係がなく、確かなこと(valid)だ。
 2) 非社会主義世界に見られる全ての否定的事実-南アフリカの人種差別、ブラジルの拷問、ナイジェリアの飢餓、あるいは英国の不適切な健康サービス-は『体制』に原因がある。
 一方、社会主義世界内部で生じている類似の事実も、『体制』に、しかし同じ資本主義体制に責任があり(旧社会の残存、孤立化の影響等)、社会主義体制にではない。
 3) この優越性または社会主義『体制』を信じない者は、『資本主義』は原理的に立派なものだと考えるように強いられており、またその怪物性を正当化したり隠蔽したりするように強いられている。換言すれば、南アフリカの人種差別やナイジェリアの飢餓等々を正当化することをだ。
 したがって、君の絶望的な気分は、言っていない何かを私に語らせようと試みている。
 (本当に、君の考えは私には全くあてはまらないから、君は私の良心を覚醒させようとするし、例えば、西側諸国にはスパイがいたり盗聴装置があると説明する。実際に ? 君は冗談を言っているのか ?)
 言う必要もないが、こうした独特の推論方法は、全ての経験的事実を重要ではないとして無視できるので、絶対的に反駁不可能なのだ。
 (『資本主義体制』内部で起きる何かの悪事は、定義上、資本主義の産物だ。『社会主義体制』で起きる何かの悪事は、同じ定義上、同じ資本主義の産物だ。)
 社会主義は、生産手段の全体的またはほとんど全体的な国家所有という『体制思考』の範囲内に限定されている。
 君は明らかに、雇用労働の廃止という意味では社会主義を定義できない。経験上の社会主義はこの点で資本主義と違っているとしても、囚人の直接の奴隷的労働、労働者の半奴隷的な労働(働く場所を変更する自由の廃止)および中世的な農民のglibae adscriptioを復活させていることのみで違っていると君は知っているからだ。
 そう、こうした推論構造の範囲内で、全ての現実の悪魔でなくとも、悪魔の根源は、私的所有の廃止でもってこの地上から根絶される、と信じることは首尾一貫性をもつ。
 しかし、私が論及したこれら三つの叙述は、経験上は論証も反証もいずれも不可能な、イデオロギー上の傾倒を表現したものに他ならない。
 君は、『体制』という言葉を使う思考は優れた結果をもたらす、と言う。
 全くそのとおりだが、優れているだけではなくて、奇跡的な結果だ。
 それは、一撃でもって平易に、人類の全ての諸問題を解決してしまう。
 これこそが、この次元の科学的意識に(私自身のように)到達しなかった人々が何故、世界の救済のためにこの簡単な道具を使うことを知らないのかの理由だ。
 ベルリンあるいはネブラスカのどの大学二年生でも、知っていることなのに。すなわち、社会主義世界革命。//
 <〔原文、一行空白〕>
 結語反復という消滅しつつある技法の権威を復活させるがごとき、君が書いた話題を全て尽くしたわけではない。
 しかし、ほとんどの論争点には触れたと思う。
 現時点で我々を分かつ深淵には、橋が架けられそうにない。
 君は自分をまだ、見解が異なる共産主義者または一種の修正主義者だと考えているように見える。
 そうは私は自分を見ていないし、長い間そう見なかった。
 1956年からの議論の間に君はその立場を明確にしているようだが、私は違う。
 あの年は重要で、かつ幻想も大きかった。
 しかし、出現したあとですぐに、幻想は打ち砕かれた。
 君はたぶん、人民民主主義国で『修正主義』とレッテルを貼られたものはほとんど(きっとユーゴスラヴィアを例外として)消失したと分かっている。この消失は、人民民主主義諸国の若者も老人も、自分たちの状況を『真正な社会主義』、『真正なマルクス主義』等の言葉で考えるのを止めたことを意味する。
 彼らは(しばしば受動的にではなく)より大きな国家の独立、より多大な政治的かつ社会的自由、そしてより良き生活条件を望んだのであり、決してそうした要求に社会主義に特有な何かがあったからではない。
 公式の国家イデオロギーは、逆説的な状況にある。
 支配する国家機関がその権力を法的に正当化できる唯一の方法だから、それは絶対に不可欠のものだ。そして誰も、それを信じてはいない。-支配者も被支配者も(両者ともに別の者および自分たちが信じていないことを十分に気づいていた)。
 西側諸国のほとんど全ての、社会主義者だと(ときには共産主義者だとすら)自認する知識人は、私的な会話では社会主義思想は深刻な危機にあると認める。だが、ほとんど誰も、それを活字上では認めようとしない。
 ここにある楽観的な陽気さは義務的なもので、我々は『一般大衆の間に』疑念や混乱の種を撒いたり、敵に役立つ論拠を与えたりしてはいけないのだ。
 これは自己防衛策だと君が考えるかどうかは、確実ではない。そう考えていないと思いたい。//
 しばらくの間に、伝統的な社会主義の諸装置のいくぶんかが、予期しなかったやり方で資本主義社会にそっと這入り込んでいるように思える。
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 ⑧につづく。

1536/「左翼」の君へ⑥ -L・コワコフスキの手紙(1974年)。

 L・コワコフスキ=野村美紀子訳・悪魔との対話(筑摩書房、1986)の「訳者あとがき」に、以下はよる。
 ポーランド語原著は1965年刊行で、上の邦訳書は、1968年のドイツ語版の邦訳書。
 Leszek Kolakowski, Gespraech mit dem Teufel (1968).
 また、この欄で言及したL・コワコフスキ『責任と歴史』(勁草書房、1967)の原著は分からなかったが、同じく野村によると、内容は以下と一致するらしい。
 Leszek Kolakowski, Der Mensch ohne Alternative (1960).
 さらに野村美紀子によると(p.199)、1986年頃時点で、つぎの二つのL・コワコフスキの文章が日本語になっている。
 ①「『現代の共同社会』を築きあげるために」朝日ジャーナル1984年1月13日号。
 ②「全体主義の嘘の効用」『世紀末の診断』(みすず書房、1985)に所収。
 この②は、現在試訳しているものを含む、Leszek Kolakowski, Is God Happy ? -Selected Essays (2012)にも、(英語版で)収載されている。Totalitarianism and the Virtue of the Lie (1983).
 試訳・前回のつづき。My Correct View on Everything (1974).
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 君の、君(と私)を『マルクス主義の伝統』(制度に対立する、方法や遺産)の忠誠者の一人に範囲づけようという提案は、捉えどころがなくて曖昧のように思える。
 ただ『マルクス主義者』と呼ばれることが重要だと思っていないとすると-君は思っていないと言うだろう-、君がこれにこだわる意味が私にはよく分からない。
 私は『マルクス主義者』であることに少しも関心はないし、そのように呼ばれることにも少しも関心がない。
 確かに、人文科学で仕事をしている者の中には彼らのマルクスに対する負い目(debt)を認めようとしない者はほんの僅かしかいない。
 私は、その一人ではない。
 私は、マルクスがいなければ歴史に関する我々の思考は違っていただろうし、多くの点で今よりも悪くなっていただろうと、簡単に認める。
 こう言うのは、どうだってよいことだ。
 私はさらに、マルクス理論の多くの重要な教義は偽りである(false)か無意味(meaningless)だと考える。そうでなければ、極めて限定された意味でのみ本当(true)だ。
 労働価値説は、何らかの説明する力を全くもたない規範的な道具だ、と考える。
 マルクスの著作にある史的唯物論の有名な一般的定式のいずれも受け入れられず、この理論は、強く限定された意味でのみ有効だ、と考える。
 マルクスの階級意識の理論は偽りで、その予言の多くは誤り(erroneous)(これは私が感じる一般的叙述であることはその通りだが、この結論についてここできちんと議論しているのではない)だったことが証された。
 にもかかわらず私が(哲学的でなく)歴史的問題について、マルクス主義の伝説を部分的に承継している概念を使って思考していることを承認すれば、マルクス主義者の伝統への忠誠者であることを受け入れることになるのか ?
 『マルクス主義者』の代わりに『キリスト教信者』、『懐疑主義者』、『経験主義者』を使っても同じことが言えるだろうという、ただきわめて緩やかな意味でだ。
 いかなる政党やセクトにも、いかなる教会派やいかなる哲学学派にも属さないで、マルクス主義、キリスト教、懐疑主義哲学、経験主義思想に対する負い目があることを私は、否定しはしない。
 また、その他のいくつかの伝統にも負い目がある(もっと明瞭に言えば東ヨーロッパだ。君には関係がない)。
 折衷主義の反対物が(折衷主義とのレッテルを貼って我々を脅かす人の心のうちには通常あるような)哲学的または政治的偏狭さだとすると、『折衷主義』の恐怖も共有できない。
 こうした乏しい意味で、その他たくさんの中でマルクス主義者の伝統に属することを認める。
 しかし君は、もっと多くのことを意味させていそうだ。
 君は、マルクスの精神的後継者だと定義する『マルクス主義者一族(family)』の存在を示唆しているように見える。
 君は、あちこちでマルクス主義者だと自称している全ての者たちが、世界の残りとは区別されるような一族(この半世紀の間お互いに殺し合ってきているし今もそうであることは気にするな)を形成していると思っているのか ?
 また、この一族は君には(そして私にもそうあるべきらしいが)自己同一性の確認の場所だと思っているのか ?
 君が言いたいのがこういうことならば、その一族に加入するのを拒否すると言うことすらできない。そんなものは、この世界に存在しない。
 世界とは、偉大なヨハネ黙示録の天啓が二つの帝国の間の戦争を引き起こされる可能性がきっとあるような、もう一つの帝国とはともに完璧な具現物だと主張しているマルクス主義であるような、そんな世界だ。//
 <(原文、一行空白)>
 君の手紙には、私が持ち出すべきいくつかの問題がまだある。持ち出したいのは、その重要性ではなくて、君の議論の仕方が不愉快にもデマゴギー的だからだ。
 そのうち二つを取り上げよう。
 君は私の論文を引用して、私の考えは陳腐だと書いている。
 被搾取階級は精神的文化の発展に参加するのを許されなかった、とする部分だ。
 君は排除された労働者階級の報道官のごとく現れて、義憤に満ちたふうに私に、労働者階級は連帯感、忠誠心などを形成したと説く。
 言い換えると、私は、被搾取者が教育を受ける機会が与えられなかったことを称揚するのではなく嘆き悲しむべきだ、と言った、とする。そして君は、労働者階級には道徳心がないとの私の主張らしきものに嫌悪感を示す。
 これは誤読ではなく、私が議論するのを不可能にする、一種の、愚かな、こじつけた読み方(Hineinlesen)だ。
 そうして、新しい社会主義の論理または(もう一度言うが、私は自明のこと(trueism)だと思う)科学の観念は蒙昧主義者(obscurantist)だと烙印を捺したとき、君は、重要なのは論理を変えることではなく、マルクスは所有関係を変革したかったのだと説明する。
 マルクスは本当にそうしたかったのか ?
 よし、君は私の目を開いてくれた、という以外に、私は何を言えるか ?
 <新しい論理>や<新しい科学>の問題は<ブルジョアの論理>や<ブルジョアの科学>に対抗する論争点だったのではないと思っているとすれば、君は完全に間違っている(wrong)。
 そういう考え方は行き過ぎなのではなく、マルクス主義者-レーニン主義者-スターリン主義者〔マルキスト-レーニニスト-スターリニスト〕の間での標準的な思考と議論のやり方だ。
 そういう仕方は、多数のレーニンたち、トロツキーたちそしてロベスピエールたちによって、無傷に相続された。君はそれをアメリカやドイツの大学構内で見たはずだ。//
 第二点は、君が引用している、インタビューを受けた際に私が発した一文に対する君の論評だ。
 『宗教的表象(symbols)を通じる以上の十分な自己同一性の確認(self-identification)の方法はない』、『宗教意識は…人間の文化の不可欠の一部だ』と、私は言った。
 これに君は、激怒した。『何の権利があって(と君は言う)、どんな研究をその伝統と感性に関して行って、宗教的表象の魔術に頑迷に抵抗してきた…古いプロテスタントの島の中心部で、こんなことが普遍的だと決めかかってよいのか』。
 たくさん理由をつけて、釈明する。
 第一。私は古いプロテスタントの島の中心部で、ドイツの土地の上でではなく、ドイツの記者からのインタビューを受けた。
 第二。周知のことと過って思っていたためだが、君が明らかに考えたのとは逆に、『宗教的表象』は必ずしも絵画、塑像、ロザリオ等々であるとは限らない、と説明しなかった。
 人々が信じるものは何でも、超自然的なものと理解し合う方法を与えるし、またはそのエネルギーを運んでくるのだ。
 (イェズス・キリスト自身が表象で、十字架だけがそうなのではない。)
 私はこのような言葉遣いを発明したのではないが、インタビューの際に説明しなかったので、君の偶像破壊主義的なイギリスの伝統を不快にさせたわけだ。
 こうした言葉上の説明は、迷信的な超精霊主義者(Uitramontanist、超モンタノス主義者)によって傷ついた君のプロテスタント的良心をいくぶんかは宥めるか ?
 君はまた、このインタビューで宗教的現象の永続性への私の信条を証明しきれていないと非難する-それは全てに響く。
 私がこの主題でかつて書いた、私の考え方を支える本や論文の全てをこのインタビューの際に引用しなかったのは、まさに私の考えの至らなさだった。
 君には、これらのどの本でも読む義務はない(そのうち一つは800頁以上の厚さで、しかも17世紀の諸教派運動に関するものだから、退屈すぎて、君に読み通すのを求めるのは非人間的だろう)。
 少なくとも君には、この主題での私の考え方を批判しようと試みないかぎりでは、十分な根拠がない。
 したがって、君が憤激して『何の権利があって…』というのは、君に返礼するにはより適切な言葉であるようだ。//
 不運にも、君が書いたものには、私の責任に帰したい何らかの考えにもとづいて、主題を転移させ、私が言うべきだったと君が思う何かを私が言ったと君が信じようとする例が、満ち溢れている。
 きっと君は、教条的な共産主義者の思考方法につねに特徴的な独特の思考の論理に従って、無意識にそうしている。その思考方法には、真実として作動する推論とそうではない推論との違いが完全に消失している。
 だがね、AはBを包含するというのが真実(true)でも、誰かがAを信じているからといって、その人はBを信じているという結論にはならないだろう。
 むしろ正真正銘の本能からするようにこのことを意識的に否認するのは、共産主義者の出版物にはいつも許されている。そして、その読者につぎのように大雑把に作られる情報を与えるのだ。
 『米国の大統領は、平和を愛する全人類の抗議に逆らって、ベトナムで大量殺戮の戦争を継続する、と言った』。
 あるいは、『中国の指導者は、彼ら盲目的強行外交論者、反レーニン主義者の政策は、帝国主義を助けするるために社会主義者の陣地を破壊することを企図している、と明言する』。
 こうした不思議の国の論理には、首尾一貫性がある。そして、君の推論の中にそうした論理がこだまとなって鳴り響いているのが、少しは嫌だね。
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 段落の途中だが、ここで区切る。⑦につづく。

1535/「左翼」の君へ⑤-L・コワコフスキの手紙(1974年)。

 L・コワコフスキの名をタイトルに使うドイツ語版の書物に、とりあえずだが、以下の二つがある。
 ①Ossip K. Flechtheim, Von Marx bis Kolakowski -Sozialismus oder Untergang in der Barbarei ? (1978). <マルクスからコワコフスキまで-社会主義かそれとも野蛮な没落か ?>
 ②Bogdan Piwowarczyk, Leszek Kolakowski -Zeuge der Gegenwart (2000). <レシェク・コワコフスキ-現代の証人>
 後者の②によると(p.192)、L・コワコフスキは1978年に、当時の西ドイツの雑誌か新聞だと思われるが(Zeit-Gespraeche)、「マルクス主義は民衆のアヘン(das Opnium des Volkes )だ」と題する論考かインタビュー記事を載せている。これはマルクスの著名な、「宗教はアヘンだ(科学的な社会主義とは違う)」との言明を意識したものに違いない。
 この欄の4/21付・№1511に紹介した下斗米伸夫の言葉はこうだった。再掲。
 1980年代前半の「当時の日本では、少なくとも知的世界の中では、現代ソ連論は学問の対象というよりも、まだ政治的立場の表明のような扱いしか受けておらず、戦後や同時代のソ連について議論をするのはやや勇気の要ることでもあった」。/自分も「1970年代末にある論壇誌でチェコ介入についてのソ連外交論を書いたが、学界の重鎮から、それとなくお叱りを受けた」。
 L・コワコフスキの『マルクス主義の主要な潮流』の刊行は1970年代の後半(1976、1978年)。なお、ドイツ語版は1977-79年に三巻に分けて刊行されているようだ。
 L・コワコフスキの1978年頃の言葉や書物と、その当時の日本の政治学界や私も実感していたはずの日本の「雰囲気」との間の、この懸隔の大きさを、2010年代、ロシア革命から100年後に日本で過ごしている秋月は、どう理解すればよいのだろうか。
 マルクス-レーニン-スターリン(-フランクフルト学派・毛沢東等)をきちんと「マルクス主義」の範疇で系統立てる、L・コワコフスキの『マルクス主義の主要な潮流』には、まだ日本語へ翻訳書すら存在していない。
 とりわけ、「レーニンとスターリン」を硬く結びつけていること、レーニンに何らかの「幻想」を全く示していないことが、日本の学者・研究者ないし学界や出版業者・諸メディアには<きわめて危険>なのだろうと推測される。
 試訳・前回のつづき。
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 では労働者については ? 二つの対立する見方がある。
 ある(偽のマルクーゼ派の)者は、こいつらはブルジョアジーから賄賂を受け取っていて、もう何も期待できない、と言う。
 今や学生が最も抑圧されていて、社会の最も革命的な階級だ。
 別の(レーニン主義者の)者は、労働者は虚偽の意識をもち、資本家が与える間違った新聞を読んでいるので彼らの疎外を理解できない、と言う。
 我々革命家たちだけが、頭に正しいプロレタリアートの意識を蓄え込んでいる。
 我々は労働者が考えるべきものを知っており、実際に、知らないままでも考えている。
 したがって、我々は権力を奪取する資格がある。
 (しかしこれは、科学的に証明されているように、まさに人民を欺くためにある馬鹿げた選挙遊びを通じてではない)。//
 革命的な笑談だと、不満を言っているだろう。
 そのとおり、革命的笑談だ。しかし、こう言うだけでは十分じゃない。
 これは社会を転覆できる笑談ではないが、大学を壊すことはできる。
 これは心配するに値する上演劇だ(いくつかのドイツの大学は、すでに政党の学校のように見える)。//
 私信でずっと前に議論した一般論的問題に戻ろう。
 まさしく私が『…だが、ベトナム戦争はあった』と書いて叙述した運動を、君は擁護する。
 じつに、そのとおりで、上品に行っている。だが、疑いなく、多くの違うこともある。
 伝統あるドイツの大学には、いくつかの我慢ならない特徴がある。
 イタリアやフランスの大学には、それらに固有の別の特徴がある。
 どの社会にも、どの大学にも、異議申し立てを正当化できるたくさんの物事がある。
 そして、これが私の言いたい重要な点だ。まともで十分に正当化できる不満が全くない世界には、いかなる政治運動も存在しない。
 権力を目指して相互に非難し合っている政党を見れば、彼らの主張や攻撃には十分に選ばれたかつ根拠のあるものがあることに、君はいつも気づくだろう、だがそれらの全てを理由あるものと受け取りはしない。
 誰も、すっかり間違ってはいない。共産党に加入する者はすっかり間違っている(wrong)のではない、と君が言うのは、もちろん正当(right)だ。
 ワイマール共和国でのナチの宣伝物をもう一度見れば、きわめて多数、十分に正当化できるものがあることに君は気づくだろう。
 ナチの宣伝はこう主張した。ベルサイユ条約は恥だ、そうだった。
 民主主義は腐敗している、そうだった。
 ナチは特権階級を、金権政治を、銀行家の政治を、付随的には、人々の現実の必要には関係がなく、汚いユダヤ人の新聞に役立つとして、偽りの自由を攻撃した。
 しかし、このことは、『よろしい、彼らはとても上品に振る舞ってはおらず、考えのいくつかは愚劣にすぎないけれど、彼らは多くの点で間違ってはいない。だから、条件つきで支持しよう』と言う、十分な根拠にはならない。
 少なくとも、多くの人がそう言うのを拒んだ。
 実際、ナチが既存の体制を攻撃したことに多くの長所がなかったなら、彼らは勝利しなかっただろうし、広げた旗を突撃隊(SA)の上に掲げて行進する<赤い戦線(Rotfront)>の党員たちのごとき現象は存在しなかっただろう。
 このことこそが、つぎのようにはできなかったことの理由だ。
 新左翼の運動は同じ行動様式を真似ており、同じ(例えば、全ての『形式的な』自由や全ての民主主義諸制度にかかわる点や寛容および学問上の価値に関する)イデオロギーの一部を真似ていると、私は思った。そう思ったときに、『だが、ベトナム戦争はあった』と観察することでは強く感銘をうけることはできなかった。//
 我々は彼らが見えるように蒙を啓くのを助けるべきだ、と君は言う。
 この助言を、僅かの限定をつけて、受け入れる。
 全能で全方向を見渡していると思っている人々について君が語る際に、これを適用するのはむつかしい。
 議論をする用意がある人との議論を拒んだことは、私にはない。
 困惑してしまうのは、議論する用意のない人が中にいることで、その理由は全く精確に、私には欠けている、彼らの全能性(omniscience)にあるのだった。
 本当に、私は20歳のときにほとんど完全に知識をもっていたが(omniscient)(まだ完全にではなかった)、君が知るように、みんな年を取るにつれて馬鹿になるものだ。
 28歳のときにはもっと全能ではなかったし、今やますますそうでない。
 完全な確実性や、世界の全ての厄災や惨害に対する即時の全地球的な解決方法を探している、そのような人々に満足してもらうことはできない。
 またさらに、その他の人々に接近して、カルバン派ではなくイェズス会派の体系にできる限りは従うべきだ、と私は考える。
 すなわち、誰も完全にはかつまた絶望的には堕落していない、誰もが、歪んでいようと乏しかろうと、いくつかは長所をもっていていくつかは善良な態度を示している、ということを我々は予め想定しておくべきだ。
 これはまたよく言われる、言うは行うよりも易しということだが、我々二人とも、このソクラテス的弁証法の完璧な理解者だとは私は思っていない。//
 <〔原文、初めての一行の空白〕>
 君の…との提案は…。
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 ⑥につづく。

1533/「左翼」の君へ④-L・コワコフスキの手紙(1974年)。

 レシェク・コワコフスキの書物で邦訳があるのは、すでに挙げた、小森潔=古田耕作訳・責任と歴史-知識人とマルクス主義(勁草書房、1967)の他に、以下がある。
 繰り返しになるが、この人を最も有名にしたとされる、1200頁を優に超える大著、Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (仏語1976、英語1978〔マルクス主義の主要な潮流〕) には邦訳書がない。
 L・コワコフスキ〔野村美紀子訳〕・悪魔との対話(筑摩書房、1986)。
 L・コワコフスキ〔沼野充義=芝田文乃訳〕・ライオニア国物語(国書刊行会、1995)。
 L・コワコフスキ〔藤田祐訳〕・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014)。
 また、レシェク・コラコフスキー「ソ連はどう確立されたか」1991.01(満63歳のとき)、もある。つぎに所収。
 和田春樹・下斗米伸夫・NHK取材班・社会主義の20世紀第4巻/ソ連(日本放送出版協会、1991.01)のp.250-p.266。
 試訳・前回のつづき。
 Leszek Kolakowski, My Correct Views on Everything(1974、満47歳の年), in : Is God Happy ? -Selected Essays (2012). p.115-p.140.
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 実際のところ、反共産主義とは何だ。君は、表明できないか ?
 確かに、我々はこんなふうに信じる人々を知っている。
 共産主義の危険以外に、西側世界には深刻な問題はない。
 ここで生じている全ての社会的紛議は、共産主義者の陰謀だと説明できる。
 邪悪な共産主義の力さえ介入しなければ、この世は楽園だろうに。
 共産主義運動を弾圧するならば、最もおぞましい軍事独裁でも支持するに値する。
 君は、こんな意味では反共産主義者ではない。そうだろう ?
 私もだ。しかし、君が現実にあるソヴィエト(または中国)の体制は人間の心がかつて生み出した最も完璧な社会だと強く信じないと、あるいは、共産主義の歴史に関する純粋に学者の仕事のたった一つでも虚偽を含めないで書けば〔真実を書けば〕、君は反共産主義者だと称されるだろう。
 そして、これらの間には、きわめて多数の別の可能性がある。
 『反共』という言葉、この左翼の専門用語中のお化けが便利なのは、全てを同じ袋の中にきっちりと詰め込んで、言葉の意味を決して説明しないことだ。
 同じことは、『リベラル』という言葉にもいえる。
 誰が『リベラル』か ? 
 国家は労働者と使用者との間の『自由契約』に介入するのを止めるべきだと主張したおそらく19世紀の自由取引者は、労働組合はこの自由契約原理に反しているとは主張しないのだろうか ?
 君はこの意味では自分を『リベラル』ではないと思うか ?
 それは、君の信用にはとても大きい。
 しかし、書かれていない革命的辞典では、かりに一般論として君が隷従よりも自由が良いと思えば、君は『リベラル』だ。
 (私は社会主義国家で人民が享受している純粋で完全な自由のことを言っているのではなく、ブルジョアジーが労働者大衆を欺すために考案した惨めな形式的自由のことを意味させている)。
 そして、『リベラル』という言葉でもって、あれこれの物事を混合させてしまう仕事が容易にできる。
 そう。リベラルの幻想をきっぱり拒否すると、大きな声で宣言しよう。しかし、それで正確に何を言いたいかは、決して説明しないでおこう。//
 この進歩的な語彙へと進むべきか ?
 強調したい言葉が、もう一つだけあった。
 君は健全な意味では使わない。『ファシスト』または『ファシズム』だ。
 この言葉は、相当に広く適用できる、独創的な発見物だ。
 ときにファシストは私が同意できない人間だが、私の無知のせいで議論することができない。だから、蹴り倒してみたいほどだ。
 経験からすると、ファシストはつぎのような信条を抱くことに気づく(例示だよ)。
 1) 汚れる前に、自分を洗っておく。
 2) アメリカの出版の自由は一支配党による全出版物の所有よりも望ましい。
 3) 人々は共産主義者であれ反共産主義者であれ、見解を理由として投獄されるべきではない。
 4) 白と黒のいずれであれ人種の規準を大学入学に使うのは、奨められない。
 5) 誰に適用するのであれ、拷問は非難されるべきだ。
 (大まかに言えば、『ファシスト』は『リベラル』と同じだ。)
 ファシストは定義上は、たまたま共産主義国家の刑務所に入った人間だ。
 1968年のチェコスロヴァキアからの逃亡者は、ときどきドイツで、『ファシズムは通さない』とのプラカードを持っている、きわめて進歩的でかつ絶対に革命的な左翼と遭遇した。//
 そして君は、新左翼を戯画化して愉快がっていると、私を責める。
 こんな滑稽画はどうなるのだろうかと不思議だ。 
 もっと言うと、君が苛立つのは(でもこれは君のペンが燃え広げさせた数点の一つだ)、理解できる。
 ドイツのラジオ局がインタビューの際の、私の二ないし三の一般的な文章を君は引用する(のちにドイツ語から英訳されて雑誌<邂逅(Encounter)>で出版された)。
 その文章で私はアメリカやドイツで知った新左翼運動への嫌悪感を表明した。しかし、-これが重要だ-私が念頭に置いた運動を明言しなかった。
 私はそうではなく、曖昧に『ある人々』とか言ったのだ。
 私は君が仲間だった時期の1960-63年の<新左翼雑誌>をとくに除外しなかった、あるいは私の発言は暗黙のうちに君を含んでいさえした、ということをこの言葉は意味する。
 ここに君は引っ掛かった。
 私は1960-63年の<新左翼雑誌>をとくに除外することはしなかった。そして、率直に明らかにするが、ドイツの記者に話しているとき、その雑誌のことを心に浮かべることすらしなかった。
 『ある新左翼の者たち』等々と言うのは、例えば、『あるイギリスの学者は飲んだくれだ』と言うようなものだ。
 君はこんな(あまり利口でないのは認める)発言が、多くのイギリスの学者を攻撃することになると思うか ? もしもそうなら、いったいどの人を ?
 私には気楽なことに、新左翼に関してこんなことをたまたま公言しても、私の社会主義者の友人たちはどういうわけか、かりに明示的に除外されていなくとも含められているとは思わない。//
 しかし、もう遅らせることはできない。
 私はここに、1971年のドイツ・ラジオへのインタビー発言で左翼の反啓蒙主義について語っていたとき、エドワード・トムソン氏が関与していた1960-63年の<新左翼雑誌>については何も考えていなかった、と厳粛に宣言する。
 これで全てよろしいか ?//
 エドワード、君は正当だ。我々、東ヨーロッパ出身の者には、民主主義社会が直面する社会問題の重大性を低く見てしまう傾向がある。それを理由に非難されるかもしれない。
 しかし、我々の歴史のいかなる小さな事実をも正確に記憶しておくことができなかったり、粗野な方言で話していても、その代わりに、我々が東でいかにして解放されたのかを教えてくれる人々のことを、我々は真面目に考えている。そうしていないことを理由として非難されるいわれはない。
 我々は、人類の病気に対する厳格に科学的な解消法をもつとする人たちを真面目に受け取ることはできない。この解消法なるものは、この30年間に5月1日の祝祭日で聞いた、または政党の宣伝小冊子で読んだ数語の繰り返しで成り立っている。
 (私は進歩的急進派の態度について語っている。保守の側の東方問題に関する態度は異なっていて、簡単に要約すればこうだ。『これは我々の国にはおぞましいだろう。だが、この部族にはそれで十分だ』。)//
 私がポーランドを1968年末に去ったとき(少なくとも6年間はどの西側諸国にも行かなかった)、過激派学生運動、多様な左翼集団または政党についてはいくぶん曖昧な考えしか持っていなかった。
 見たり読んだりして、ほとんどの(全ての、ではない)場合は、痛ましさと胸がむかつくような感じを覚えた。
 デモ行進により粉々に割れたウィンドウをいくつか見ても、涙を零さなかった。
 あの年寄り、消費者資本主義は、生き延びるだろう。
 若者のむしろ自然な無知も、衝撃ではなかった。
 印象的だったのは、いかなる左翼運動からも以前には感じなかった種類の、精神的な頽廃だ。
 若者たちが大学を『再建』し、畏るべき野蛮な怪物的ファシストの抑圧から自分たちを解放しようとしているのを見た。
 多様な要求一覧表は、世界中の学園できわめて似たようなものだった。
 既得権益層(Establishment)のファシストの豚たちは、我々が革命を起こしている間に試験に合格するのを願っている。試験なしで我々全員にAの成績を与えさせよう。
 とても奇妙なことに、反ファシストの闘士が、ポスターを運んだりビラを配ったりまたは事務室を破壊したりしないで、数学、社会学、法律といった分野で成績表や資格証明書を得ようとしていた。
 ときには、彼らは望んだどおりにかち得た。
 既得権益あるファシストの豚たちは、試験なしで成績を与えた。
 もっとしばしば、重要でないとしていくつかの教育科目を揃って廃止する要求がなされた。例えば、外国語。(ファシストは、我々世界的革命活動家に言語を学習するという無駄な時間を費やさせたいのだ。なぜか ? 我々が世界革命を起こすのを妨害したいからだ。)
 ある所では、進歩的な哲学者たちがストライキに遭った。彼らの参考文献一覧には、チェ・ゲバラやマオ〔毛沢東〕のような重要で偉大な哲学者ではなく、プラトン、デカルトその他のブルジョア的愚劣者が載っていたからだ。
 別の所では、進歩的な数学者が、数学の社会的任務に関する課程を学部は組織すべきだ、そして、(これが重要だ)どの学生も望むときに何回でもこの課程に出席でき、各回のいずれも出席したと信用される、という提案を採用した。
 これが意味しているのは、正確には何もしなくても数学の学位(diploma)を誰でも得ることができる、ということだ。
 さらに別の所では、世界革命の聖なる殉教者が、反動的な学者紛いの者たちによってではなく、彼ら自身が選んだ他の学生によってのみ試験されるべきだ、と要求した。
 教授たちも(もちろん、学生たちによって)その政治観に従って任命されるべきだ、学生たちも同じ規準によって入学が認められるべきだ、とされた。
 合衆国の若干の事例では、被抑圧勤労大衆の前衛が、図書館(偽物の知識をもつ既得権益層には重要ではない)に火を放った。
 書く必要はないだろう。聞いているだろうように、カリフォルニアの大学キャンパス(campus)とナチの強制収容キャンプ(camp)での生活に違いは何もない。
 もちろん、全員がマルクス主義者だ。これが何を意味するかというと、マルクスまたはレーニンが書いた三つか四つの文、とくに『哲学者は様々に世界を解釈した。しかし、重要なのは、それを変革することだ』との文を知っている、ということだ。
 (マルクスがこの文で言いたかったことは、彼らには明白だ。すなわち、学んでも無意味だ。)//
 私はこの表を数頁分しか携帯できないが、十分だろう。
 やり方はつねに、同じ。偉大な社会主義革命は、何よりも、我々の政治的見解に見合った特権、地位および権力を我々に与え、知識や論理的能力といった反動的な学問上の価値を破壊することで成り立つ。
 (しかし、ファシストの豚たちは我々に、金、金、金をくれるべきだ。)// 
 では労働者については ? 二つの対立する見方がある。
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 ⑤につづく。

1532/「左翼」の君へ③-L・コワコフスキの手紙。

 Leszek Kolakowski, My Correct Views on Everything (1974), in : Is God Happy ? -Selected Essays (2012). p.115-p.140.
 前回のつづき。
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 君が極楽に住み、我々は地獄にいると君に信じさせようとしているのではない。
 私の国のポーランドでは、飢えで苦しんでいないし、刑務所で拷問されているわけでもないし、集中強制収容所もない(ロシアと違って)。最近二年間は数人の政治犯がいただけだし(ロシアと違って)、多くの人が比較的容易に国外へ行ける(再び、ロシアと違って)。
 しかし、国家の主権は奪われている。これは、フット氏やパウェル氏が共通市場に入ればイギリスは主権を失うかもしれないと言っているのとは意味が違い、悲しくも直接的かつ明白な意味においてだ。
 軍事、外交、貿易、重要産業およびイデオロギーといった生活について鍵となる部門は、相当に几帳面に権力を行使する外国の帝国の硬い統制のもとにある、という意味だ。
 (例えば、特定の書物は発行できない、特定の情報は明らかにされない、深刻なことについて語ってはいけない。)
 まだ言えば、ウクライナ、リトアニアのような国々と我々を比べると自由の縁の部分をたくさん享受している。
 これら諸国は、自立の政府の権利に関するかぎりでは、イギリス帝国の昔の植民地よりも状況は数段悪い。
 この自由の縁は、重要なんだけれど(ハンガリー以外の『ルーブル』地域の他のどこより、重要なことを言ったり出版したりできる)、法的な保障に何ら支えられていなくて、全てが(かつてそうだったように)一夜のうちに、ワルシャワかモスクワにいる党支配者の決定によって消滅してしまう。これが、問題なのさ。
 これはたんに、権力の分化という詐欺的なブルジョア的装置がないことによる。単一性という社会主義者の夢を実現したのだが、これは同じ国家機関が立法権、執行権、司法権、さらに加えて全生産手段を支配する権力をもつことを意味する。
 同じ人間が法を作り、解釈し、実施する。国王で、議会で、軍司令官で、裁判官で、検察官で、警察官で、(新しく社会主義が生み出した)全ての国富の所有者で、唯一の雇用者で、全てが同じ机にいる-どんなに社会主義単一性が素晴らしいか、君は想像できるか ?。//
 君は政治的な理由でスペインに行かなかったことが誇りだ。
 私は原理的でないので、二度行った。
 抑圧的で非民主主義的だのに、あの体制は他のどの社会主義国よりも(たぶんユーゴスラビアを除いて)市民に自由を与えている、と言うのは不愉快だ。
 小気味よく(Shadenfreude)言っているのでなく、恥ずかしげに言っている。内心には内戦に関する哀感を持ち続けている。
 スペインの国境地帯は開かれていて(この場合に毎年300万人の観光客がいる理由を気に懸けるな)、その開かれた国境には全体主義的支配は働いていない。
 スペインでは、出版について事後検閲はあるが事前にはない(私の本は出版されて押収され、その後で数千部のコピーが売れた。ポーランドで同じ状態だったらよかったのだが)。
 スペインへ行くと、書店にはマルクス、トロツキー、フロイト、マルクーゼ等々がある。
 我々のように彼らには選挙がなく、政党がない。しかし、我々と違って、国家と支配政党から独立した多様な形態の組織がある。
 スペインは、国家として主権をもつ。//
 現存する社会主義国に理想など見ていないし、民主主義的社会主義のことを考えていると君は明言できるので、私は無駄のことを書いているようにたぶん思っているだろう。
 たしかにそうだ。そして私は、社会主義秘密警察の支持者だと君を責めはしない。
 それでも、私が言おうとしていることは、君の論考には二つの理由できわめて重要だ。
 第一に、現存する社会主義国を(確かに不完全な)新しくより良い社会秩序の始まりだと、資本主義を超えて進みユートピアを目指している過渡的な形態だと、考えている。
 この形態が新しいことを否定しないが、それがいかなる点でもヨーロッパの民主主義諸国よりも優れているというのは否定する。
 私は君の言うことを否認して、逆のことを論証する。言い換えると、民主主義制度を上回る(人々には厄介さは少なくても)全ての専制制度の悪名高き利点を除いて、現存社会主義が主張するのかもしれない優越性が根拠とする点を示す。
 第二の同じく重要なのは、民主主義的社会主義の意味を君が知っているふりをしているが、じつは知らない、ということだ。
 君は、つぎのように書く。『2000年先にある私自身のユートピアは、モリスのいう「残余時代」のようなものではない。それは(D・H・ローレンスならこう言うだろうように)「貨幣価値」が「生活価値」に、または(ブレイクならこう言うだろうように)「肉体」戦争が「精神」戦争に道を譲る世界だろう。
 ある男女は、力の源泉を容易に利用できるようになり、シトー派の修道院のように偉大な自然美の中心に位置する、単一化した諸共同体で生活するのを選べる。そこでは、農業、工業および精神的な仕事は、結びつき合っている。
 別の男女は、多様さを好んで、都市国家のいくつかの長所を再発見する都市生活の歩みを選ぶかもしれない。
 また別の人々は、隠遁の生活を選ぶだろう。
 これら三つうちをどれでも、みんなが選ぶことができる。
 学者は、パリで、ジャカルタで、ボゴタで、議論を続けることになる。』//
 これは、社会主義者の著述のきわめて良い例だ。
 世界は善良であって悪くないはずだ、と語るにまで至っている。
 この点については君の側に、完全に立つ。
 人々の心が際限のない金の追求に占められたり、需要が無限の成長をもたらす魔法の力をもったり、使用価値ではなく利益の動機が生産を支配する、といったことはきわめて嘆かわしいことだ。そのような結論をもたらす君の(マルクス、シェイクスピア、その他多数の)分析者たちと、私は無条件に、同じ立場だ。
 君が優秀なのは、こうしたことから抜け出す仕方を正確に知っていることだ。私は、知らない。//
 左翼のイデオロギストは簡単に無視しているが(よろしい。これは例外的事情でなされており、このやり方を真似しない。我々はもっと巧くやろう)、現存する唯一の共産主義の問題が社会主義思想にとって、なぜきわめて深刻なのかは、つぎに書くような理由でだ。
 すなわち、『新しい選択肢のある社会』の経験は、社会の害悪(生産手段の国家所有)に対して人々がもつ唯一の世界的な医療薬は資本主義世界の厄災、つまり搾取、帝国主義、環境汚染、貧困、経済的浪費、民族憎悪および民族対立、には完全に効かないだけでなく、その医療薬自体の一連の厄災、つまり非効率性、経済的誘導動機の欠如、とりわけ全能の官僚制や人類史がかつて知らなかった権力の集中がもつ制限なき役割、を資本主義世界に付け加える、ということをきわめて説得的に明らかにした。
 不運な一撃にすぎない ?
 いや、君は正確にはそうは言っていない。君はたんに問題を無視するのを選んでいるだけだ。そして、正当にそうしている。
 この経験を検討しようと少しでもしてみれば、偶発的な歴史的事情のみならず、社会主義のまさにその思想をも振り返ることになり、その思想に隠された両立しえない諸要求(少なくともその要求の両立性が証明されないまま残っていること)を発見することになる。
 我々は大きな自治権をもつ小さな諸共同体で成る社会を欲する。そうでないかい ?
 また、経済についての、中央集中的計画を欲する。
 この二つがどうやって両方ともに働くのかを、考えてみよう。
 我々は産業の民主主義を求め、かつ効率的な管理を求める。
 この二つはともにうまく機能するのか ?
 もちろん、そうだ。左翼のお花畑(天国)では全てが両立でき、解決できる。子羊とライオンは同じベッドで寝る。
 世界の恐怖を見よう。そうすれば、新しい社会主義の論理に向かう平和革命をいったん起こせばそれから免れることができるのが容易に分かる。
 中東戦争やパレスティナ人の不満は ?
 もちろん、これは資本主義の結果だ。
 革命を起こそう。そうすれば、問題は解決される。
 環境汚染 ? もちろん、少しも問題ではない。新しいプロレタリア国家に工場を奪わせよう。そうすれば、環境汚染はなくなる。
 交通渋滞 ? これの原因は、資本主義者が人間の快適さに関する不満を配慮しないことにある。力を与えてくれるだけでよい(実際、これは優れた点だ。社会主義では、車がずっと少ないので、従って、交通渋滞もずっと少ない)。
 インドの人々が飢えて死んでいる ? 
 もちろん、アメリカの帝国主義者が彼らの食糧を食べているからだ。
 だが、ひとたび革命を起こせば、等々。
 北アイルランドは ? メキシコの人口統計問題は ? 人種間憎悪 ? 種族間戦争 ? インフレ ? 犯罪 ? 汚職 ? 教育制度の悪化 ?
 これら全てに対して、ただ一つの同じ答えがある。全てについて同じ答えだ!//
 これは風刺画ではない。これっぽっちも、そうではない。
 これは、改革主義という悲惨な幻想を克服して人類の諸問題を解決する有益な装置を考案したとする人々の、標準的な思考方法だ。
 そしてこの有益な装置とは、反復されるだけでしばしば十分な数語で成り立ち、革命、選択肢ある社会、等々の内実があるかのごとく見え始めるものだ。
 そして追記すれば、我々には、恐怖を生み出すたくさんの消極的な言葉がある。
 例えば、『反共産主義』、『リベラル』。
 エドワード君、君はこれらを、説明なしでよく使う。その目的は多くの多様なことを混合させ、曖昧で消極的な連想を生じさせることにあると、きっと気づいていると思うのだけれど。
 実際のところ、反共産主義とは何だ。君は、表明できないか ?
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 ④につづく。

1528/「左翼」の君へ②-L・コワコフスキの手紙/1974。


 Leszek Kolakowski, My Correct Views on Everything (1974), in : Is God Happy ? -Selected Essays (2012). p.115-p.140.
 前回のつづき。
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 もちろん、そうではない〔類似性はない〕。『野獣』、『ヘンな年寄り』に満ちた、消費者資本主義だ(君の言葉だ)。
 どこを見ても、我々の血は沸き立つ。
 こちらで余裕をもって再び熱烈な道徳家でおれるかもしれないし、また我々は-君も-資本主義制度は改良をやめることができないそれ自身の『論理(logic)』をもつことを論証できる。
 君は言うのだろう、国家による健康サービスは民間の事業の存在によって困窮化しており、教育における平等は人々が民間産業によって訓練されるために損なわれている、等々。
 改革は失敗に終わる運命にある、とは君は言わない。ただ、改革が資本主義を破壊させないかぎりは資本主義は壊れない、と説明はする。それは確かに真実(true)だ。
 また君は、『もう一つの選択肢である社会主義の論理への平和革命による移行』を提唱する。
 君が言いたいことをこれが完全に明確にすると、確実に考える。
 私は逆に、完全に不明確だと考える。再び言うが、工場の完全な国家所有が一度認められると君の言うユートピアへとつながる道の上での小さな技術的問題しか残らない、と君が想像力を働かせないかぎりは。
 しかし、立証責任(onus probandi)は、社会主義社会を描く新しい青写真の制作者はこの(『歴史家にとっては』重要でない)50年の経験を放擲できる、と主張する人たちの側にある。
 (ロシアでは、『例外的な事情』というのがあった。なかったか ? だが、西側ヨーロッパに関しては例外的なものは何もない。)//
 この些細な50年(今や57年)を新しい選択可能な社会について解釈するという君のやり方は、1917年と1920年代初めの間およびスターリングラードと1946年の間の『最も人間的な顔をした共産主義』を折々に語ることでも明らかだ。
 前の第一の場合、君は『人間の顔』という言葉で何を言いたいのか ?
 警察と軍隊によって全ての経済を支配しようという企てだった。大衆の飢餓をもたらし、無数の犠牲者が出て、数百の農民反乱があった、そうしてみんな、血の海に溺れた(レーニンがのちに認めたように〔1921年10月<革命4周年>演説-試訳者〕、正確にそれを予見していた多数のメンシェヴィキやエスエル〔社会主義革命党〕の党員たちを殺したり、投獄したりしたあとで起こった、全体的な経済の災害だった)。
 それとも、七つの非ロシア人諸国の武装侵略のことを言っているのか ?
 その諸国は独立政府を形成した。あるものは社会主義的、あとは非社会主義的だ(ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、リトアニア、ラトヴィア、エストニア。神はこれら全ての国の民族が生きる場所を知っている)。
 あるいは、ロシアの歴史上唯一つ民主主義的に選挙された議会を、それが一言も発しない前に、兵士によって解散させたこと〔1918年1月の憲法制定会議の解散-試訳者〕を言っているのか ?
 社会主義的政党も含む全ての政党への暴力的な弾圧、非ボルシェヴィキ出版の禁止、そして何よりも、望むがままに殺戮、拷問、投獄をして、党とその警察の絶対的権力へと法を置き換えたことか ?
 そして、1942-46年の最も人間的な顔とは何か ?
 君はソヴィエト同盟の八つの全民族の、80万の犠牲者を生んだ国外追放のことを言っているのか ?(八つではなく七つと言おう。一つはスターリングラードのほんの少し前に追放されたから。)
 君は同盟軍から受け取った数十万人のソヴィエトの捕虜を集中強制収容所に送り込んだことを言っているのか ?
 言葉の背後にある現実について何かを考えているならば、バルチック諸国のいわゆる『集産化(collectivization)』のことを言っているのか ?//
 君が書いていることを説明できる、三つの可能性がある。
 第一。こうした事実に関しての単純な無知。歴史家だという君の職業を考えると、信じ難い。
 第二。『人間の顔』という言葉を、私が把握できないトムソン主義者の意味で使っている。
 第三。正統派と批判派〔「修正主義」派-試訳者〕のいずれであれ、たいていの共産主義者のように、共産主義制度では党の指導者たちが殺されないかぎり全ては正当だ(right)、と信じている。
 新しい選択肢のある社会主義の論理を共産主義者たち自身と、およびとくに党の指導者たちと共有できないと悟ったとき、これこそが実際に、共産主義者が『批判的』になる標準的な方法なのだ。
 フルシチョフが1956年の(重要性を私は全く理解できない)演説でただ一人名前を出した被害者は pur sang のスターリニストだったと気づいているか ?
 彼らのたいていは(ポツィシェフのように)、自分が犯罪の犠牲者になる前に無数の犯罪を冒した罪人だった。
 共産主義者が殺戮されるのを見て突然に恐怖を催したたくさんの元共産党員(名前を挙げないけど、許せ)が、回想録や批判的分析書を書いた。その恐怖に君は気づいたか ?
 彼らはつねに、『だが、そのような人々は共産主義者だった』と言って、犠牲者についての無知を釈明している!
 (ついでに言うと、これは自虐的な防御だ。何故かというと、非共産主義者を殺戮することには何も過ち(wrong)はないことを意味する。
 このことは、共産主義者と非共産主義者を区別する権限をもつ国家機関があり、その国家機関は銃砲を持つ同じ支配者でのみありうる、ということを示唆する。
 したがって、被殺戮者は、その定義によって非共産主義者であり、そして全ての物事はみんな正当(right)なのだ。)//
 よし。トムソン君、私は本当に、このような思考方法を君の責任にするつもりはない。
 でも、評価に際して君が二重の規準を使っていることに、気づかざるをえない。
 そして『二重の規準』と言うとき、新しい諸問題を見渡す『新しい社会』には経験がないのを正当化してしまいたいことを意味させてはいない。
 類似の状況に対して、政治的規準と道徳的規準とを交替に使い分けている、と言いたいのだ。
 政治的な情勢いかんによって、ある場合には熱心な道徳家で、別の場合には現実政治家だったり世界歴史に関する哲学者だったりするようなことをしてはいけない。//
 我々が理解し合うべきだとすると、君に明確にしたいのは、まさにこのことだ。
 ブラジルでの拷問について語ったラテン・アメリカの革命家との会話内容を(憶えていることから)君に書いてみよう。
 『拷問は過ち(wrong)か ?』と尋ねた。『何が言いたいのだ ?』と彼は言った。
 全て正当だ(right)と言うのか ? 拷問を正当化しているのか ?
 私は言った、『逆だ。ただ、拷問は道徳的に受容できない奇怪物だと考えるかどうかを尋ねている』。彼は答えた、『もちろんだ』。
 『キューバでの拷問もそうか ?』と私は質した。
 彼は回答した、『うん。それは別のことだ。
 キューバは、アメリカ帝国主義の脅威のもとにつねにある小さな国家だ。
 彼らは、残念だけど、自己防衛のために全ての手段を使わなければならない』。
 私は言った、『そうか。貴方は、二つとも取ることはできない。
 私も同じだが、拷問は道徳的な理由で忌まわしくかつ受容できないと貴方は考えるのなら、定義上、いかなる事情があってもそうだ。
 しかし、拷問が受忍されうる事情があるのだとすれば、貴方は拷問をする体制を非難できない。拷問それ自体には本質的に過ち(wrong)であるものは全くないと仮定しているのだから。
 ブラジルについてと全く同様にキューバの拷問を非難するか、それとも、人々に対する拷問を理由としてブラジルの警察当局を非難するのをやめるか、どちらかだ。
 実際、貴方は政治的な理由では拷問を非難できない。それはたいていの場合は完全に有効で、欲しいものをもたらすからだ。
 道徳的な理由でのみ貴方は非難できる。そしてそうだとすれば、不可避的に、どこでも、バチスタのキューバでもカストロのキューバでも、北ベトナムでも南ベトナムでも、全く同じだ』。//
 これは、私が君に明快にしたい、陳腐だけど重要な点だ。
 アメリカ合衆国にある大小あれ何らかの不公正について聞くときには心臓が失血して死にそうになり、一方では、新しい選択肢ある社会のより酷い恐怖について聞かされると突然に賢い歴史修辞学者か冷静な合理主義者になる、そういう人々がいる。
 私はたんに、そういう人と一緒になるのを拒否している。//
 これは、東ヨーロッパ出身の者が西側の新左翼に対して抱く、自然発生的なかつほとんど一般的な不信感の理由の、唯一ではないが、一つだ。
 奇妙にも一致して、この恩知らずの人々の大半は、西欧または合衆国にいったん定住すると、革命家だと思われる。
 偏狭な経験主義者や利己主義者は、彼らのほんの僅か数十年のちっぽけな個人的体験から推論して(君が正当にも観察するように、これは論理的には受容できない)、その中に、光輝く社会主義の未来に対する懐疑を抱いていることの口実を見出す。その未来というのは、最良のマルクス・レーニン主義の基礎の上に、西側諸国の新左翼というイデオロギストが精巧に作り上げたものだ。//
 ある程度はもっと詳しく書きたい話題は、これだ。
 事実をそのままに受け取ることや、一般理論から演繹することで現存社会に関する知識を得ていないことでは、我々は異なっていない、と思う。
 今度はインド出身のマオ〔毛沢東〕主義者との会話を、再び引用しよう。
 彼は言った、『中国の文化革命は、貧農(peasants)の富農(kulaks)に対する階級闘争だった』。
 私は尋ねた、『どのようにして、それを知るのか ?』
 彼は答えた、『マルクス・レーニン主義理論からだ』。
 私はコメントした、『そう。予想していたことだ』。
 (彼は理解できなかった。君には分かる。)
 しかし、これでは十分ではない。というのは、君に分かるように、適当に漠然としたイデオロギーはどれもつねに、その重要な構成要素を放棄しなくとも全ての事実を吸収(absorb)する(古いものを捨て去る(discard)、との意味だ)ことができるからだ。
 そして、厄介なことは、たいていの人々は熱心なイデオロギストではないということだ。
 誰もかつて資本主義も社会主義も見たことがなく、彼らが理論的に解釈することのできない一揃いの小さな諸事実だけを見てきたと信じているかのごときやり方で、彼らの浅薄な気持ちは作動している。
 ある諸国の人々は他諸国の人々よりも良い状態にある、ある諸国での生産、配分、サービスは他諸国よりもかなり効率的だ、こちらの人々は公民権や人権そして自由を享有しており、あちらではそうでない、と彼らは単純に気づいている。
 (君がそうするように、西側ヨーロッパに当てはめる言葉を使うには、ここで『自由』と引用符を付けるべきだろう。
 それが絶対的に義務的な左翼の叙述方法だと、私は悟っている。
 じつに、何が『自由』か。この言葉は十分に、一方の側には大きな笑いを充満させる。
 そして我々、ユーモアのセンスの欠けた人間は、笑いはしない。)//
 君が極楽に住み、我々は地獄にいると君に信じさせようとしているのではない。
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 ③につづく。

1526/「左翼」の君へ-レシェク・コワコフスキの手紙①。

 Leszek Kolakovski, Is God Happy ?(2012)のうち、「第一部/社会主義、イデオロギーおよび左翼」の中にある、My Correct Views on Everything, 1974 〔全ての物事に関する私の適正な見方〕の日本語への試訳を、以下、行ってみる。一文ごとに改行し、本来の改行箇所には、文末に//を記す。
 他にも「社会主義とは何か ?」、「左翼の遺産」、「全体主義と嘘の美徳」、「社会主義の左翼とは何か ?」、「スターリニズムのマルクス主義根源」等の関心を惹くテーマが表題になっているものも多いが、これをまずは選んだ理由は、おそらくその内容によって推測されうるだろう。
 1974年の小論。書簡の形式をとっている。
 スターリンの死、フルシチョフのスターリン批判、ハンガリー動乱、中国の文化大革命、プラハの「春」があり、日本の大学を含む「学生」運動等もほぼ終わっていた。L・コワコフスキはイギリス・オクスフォードにいて、マルクス主義哲学の研究執筆をしていたかもしれない。
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 My Correct Views on Everything, 1974 〔全ての物事に関する私の適正な見方、1974年〕
 「親愛なる、エドワード・トムソン(Edward Thompson)君へ。
 この公開書簡でなぜとても楽しくはないかというと、君の手紙は(少なくとも同じくらい)個人的な態度とともに、考え方に関係しいるからだ。
 しかし、共産主義イデオロギーについてであれ1956年についてであれ、個人的な説明をして問題を済ませはしない。とっくの前に片付いている。
 だが、一緒に始めよう、過去のことを運びあげて、署名しよう…、と言うのだったら。//
 Raymond Williams による最新号の Socialist Register の書評に、君の手紙はこの10年間で最良の左翼の著作作品の一つだと書いてあった。それは直接に、他の全ては、またはほとんど全ては、より悪いと述べているようなものだ。
 Williams はよく分かっている、私も彼の言葉に従おう。
 たまたま私がその対象になっているとしても、ある程度は、この文章を書くに至ったのを誇らしく感じる。
 そう。だから、私の反応の一つめは、感謝だ。
 二つめは、<富者の迷惑>のようなものだ。
 君の100頁もの公開書簡に対して私が答えるのに話題を適正に選択しなければならないことを、君は私に詫びるのだろう(認めると思うが、君の書簡はうまく区切りされていない)。
 最も論争点になっているものを、取り上げることにしよう。
 興味深いのだが、君の自叙伝的な部分にコメントすべきだとは思わない。
 たとえば、休日にスペインへ行かない、費用の一部を自分の懐から支払わないで社会主義者の会議に出席するということはしない、フォード財団が財源支援した会議に参加しない、権威者の前で帽子を脱ぐのを年寄りのクェーカー教徒のように拒んだのは自分だ、等々と君は書いているが、私自身の徳目一覧からして答えるべきだと、助言されるとは思わない。この徳目一覧はたぶん厳格なものではないのだろう。
 また、New Left Review 〔新左翼雑誌〕から君は離れたという話だが、私がいくつかの雑誌のいくつかの編集委員会の全てを辞めた話でもって交換するつもりはない。これらは、とても瑣末なことだ。//
 三つめは、悲しさだ、と言いたい。
 君の研究分野について十分な能力はないが、学者そして歴史家としての君の高名は知っている。
 それなのに、君の手紙の中に、話したまたは書いた多くの左翼(leftist, 左翼主義者)の決まり文句(cliche's)があるのを知るのは残念なことだ。それらは、三つの趣向からできている。   
 第一、言葉を分析するのを拒み、意図的に考え出された言葉の混合物を問題を混乱させるために使う。
 第二、ある場合には道徳的なまたは情緒的な規準を、別の類似の場合には政治的または歴史的な規準を使う。
 第三、歴史的事実をそのままに受容するのを拒む。
 言いたいことをもっと詳しく、書いてみよう。//
 君の手紙の中には個人的な不満がいくつかあり、一般的問題に関する議論もいくつかある。
 小さな個人的不満から始めよう。
 レディング(Reading)の会議に招かれなかったことで君は攻撃されたと感じているように見えるのは、また、かりに招かれれば深刻な道徳的根拠を持ち出して絶対に出席するのを拒んでいただろうと語るのは、とても奇妙だ。
 直感的に思うのだが、結局は、かりに招かれても同様に攻撃されたと感じただろう。だから、君を傷つけない方法は、会議の組織者にはなかったのだ。
 今書こう、君が持ち出す道徳的根拠とは、君がR・Sの名を組織委員会の中に見つけたということだ。
 そしてR・Sには不運だったのは、彼がかつてイギリス外交の業務で仕事をしていたことだ。
 そう、君の高潔さは、かつてイギリス外交に従事した誰かと同じテーブルに着くのを許さない。
 ああ、無邪気さに、幸いあれ! 
 君と私は二人とも、1940年代と50年代にそれぞれの共産党の活動家だった。我々の高貴な意図や魅惑的な無知(あるいは無知から逃れるのことの拒否)が何だったとしても、われわれの穏健な手段の範囲内で、人間社会で最悪の種類の奴隷的集団労働や国家警察のテロルを基礎にしている体制を、二人ともに支えた。
 このような理由で我々と一緒に同じテーブルに着くのを拒む、多数の人々がいるとは、思わないか ?。
 いや、君は無邪気だ。しかし私は、多くの西側知識人たちがスターリニズムへと改心していた『あの年月の政治の意義』を、君が書くようには、感じない。//
 スターリニズムについての君の気軽な論評から集めてみると、『あの年月の政治の意義』は、君にとってのそれは私のよりも明らかに鋭敏で多様だ。
 第一、スターリニズムの責任の一部(一部、これを私は省略しない)は、西側の諸国家にある、と君は言う。
 第二、『歴史家にとっては、50年では新しい社会体制について判断する時間が短かすぎる』、と君は言う。
 第三、『1917年と1920年代の初めの間、およびスターリングラードの闘いから1946年までの間に共産主義(コミュニズム)体制がきわめて人間的な顔を見せた時代ののような、新しい社会体制体制が発生しているならば』、と君が言うのを我々は知っている。//
 いくつか仮定を付け加えれば、全ては正当だ(right)。
 明らかにも我々が生きる世界では、ある国で重要なことが起きれば、それは通常は別の国々で起きることの一部に影響を与える。
 ドイツ・ナチズムについての責任の一部はソヴィエト同盟にあった、ということを君はきっと否定しないだろう。
 ドイツ・ナチズムに対するソヴィエト同盟の影響を、君はどう判断しているのだろうか ?//
 君の二つめのコメントは、じつに啓発的だ。
 『歴史家にとっては』50年とは、何のことか ?
 私がこれを書いている同じ日にたまたま、1960年代(1930年代ではない)の初めにソヴィエトの監獄と強制収容所にいた体験を綴った、アナトール・マルシェンコという人の本を読んだ。
 この本は1973年に(ドイツ・)フランクフルトで、ロシア語で出版された。
 ロシア人労働者の著者は、ソヴィエトからイランへと国境を越えようとして逮捕された。
 彼は幸運なことに、J・V・スターリンの遺憾な(そう、正面から見つめよう、西側諸国に責任の一部があったとしても遺憾な)誤りが終わっていたフルシチョフの時代にこれをした。
 そして、彼はわずか6年間だけ、強制収容所で重労働をした。
 彼が物語る一つは、護送車から森の中へ逃げようとした3人のリトアニア人囚人に関してだ。
 3人のうち2人はすぐに見つけられ、何度も脚を射撃され、起ち上がるように命じられ(彼らはそうできなかった)、そして、護衛兵たちによって蹴られ、踏みつけられた。
 最後に、2人は警察の犬によって噛まれ、引き裂かれた(資本主義が存続している、娯楽映画のごとくだ)。
 そうしてようやく、銃剣で刺し殺された。
 このような事態の間、ウィットに富む役人は、次の類いのことを述べていた。『さあ、自由なリトアニア人、這え、そうすればすぐに独立をかち取れるぞ!』。
 3人めの囚人は射撃され、死んだと囁かれて、荷車の死体の下に放り込まれた。
 生きて発見されたが、彼は殺されなかった(脱スターリニズム化だよ!)。しかし、数日間は、傷が膿んでいるままで暗い小部屋に入れられて放置された。
 彼は、腕が切断されているという理由だけで、生き延びた。//
 これは、君が今でも買える多数の本で読める、数千の物語の一つだ。
 知識ある左翼エリートたちは、こうした本を、進んで読もうとはしていない。
 第一に、たいていは、重要でない。
 第二に、小さく細かい事実だけを提供する(結局のところは、何らかの誤りがあることを我々は認める)。
 第三に、それらの多くは、翻訳されていない。
 (ロシア語を学習した西欧人に君が会うとして、少なくとも95%の率で血なまぐさい反応に遭うということを、君は気づいたか ? ともあれ、彼らは賢い。)//
 そして、そうだ。歴史家にとって50年、とは何のことだ ?
 50年というのは、著名ではないロシアの労働者であるマルシェンコの人生、本を出版すらできなかったもっと無名のリトアニアの学生の人生、を覆ってしまう長さだ。
 『新しい社会制度』に関する判断を急がないことにしよう。
 チリやギリシャの新しい軍事体制の良い点を査定するのに、いったい何年が必要なのかと、確実に君に質問することができるだろう。
 だが、私には君の答えが分かる。どこにも類似性がない。-チリとギリシャは資本主義の中にとどまっており(工場は私人が所有し)、一方のロシアは新しい『もう一つの選択肢のある社会』だ(工場は国家の所有で、土地も、居住している全員も)。
 真正な歴史家であるならば、もう一世紀を待てるし、わずかばかり感傷的だが慎重に楽天的な歴史知識を維持し続けることができるだろう。//
 いや、もちろんそうではない。
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 ②につづく。

1396/日本の「保守」と「左翼」ー小林よしのりと仲正昌樹を機縁に。

 日本の「保守」とか「左翼」とか書いているが、保守・左翼という概念にはしっくりきていない。保守・革新(進歩)も右翼・左翼も同じ。
門田隆将が昨年2015年春頃に月刊WiLLで書いていた「R・現実」派・「D・夢想」派も面白いとは思うが、最近では「正視派」・「幻想派」が気に入ってきた。「左翼」とは、少なくともソ連型の社会主義の失敗(過ち)という「事実」を「正視」することができない者、すなわちいまだに「幻想」をもつ者という印象が強いからだ。また、諸歴史認識問題についても、「事実」を「正視」する姿勢を続ければ、いずれ「現実」だったか「幻想」(・捏造)だったかは明らかになるはずだ、という思いもある。
 ちなみに、<自称保守派>にだって「幻想派」・「夢想派」はある。
 もっとも、日本の又はどの国にもいそうな「左翼」は自らを「幻想」派だとは自認せず、右派あるいは「保守」派こそが「幻想」をもっていると思い込んでいそうでもあるので、この用語法の採用は結局は水掛け論になってしまうかもしれない。
問題はまた、保守・革新(進歩)とか右翼・左翼という「二項対立」または「二元論」の思考方法にあると思われる。
 これらは、すぐに「保守中道」とか(保守リベラルとか)、右でも左でもない「中間・中庸」派という観念を生んでしまい、多くの人は(少なくとも半数くらいの日本人は ?)えてして、(極端ではない)「中道」・「中庸」の立場に自らはいると思いたがっているようにも見える。
 この欄で「保守」とか「左翼」とか使っているが、一種のイメージとして、特定の考え方・主張や特定の事実理解について語っている。人間・人格または全知識・全感覚がいずれか二つに画然と分けられるわけではないことは当然のこととして了解しており、個別の問題・論点によって評価が分かれることはありうる。また、特定の個別問題・論点についても各立場にグラディエーション的な差違はありうるだろう。
 もっとも、基本的または重要な問題・論点があるのも確かで、これに対する考え方・立場によって(何らかの概念を使って)大きく二分することはできる。<基本・重要>性の判断もまた人によって異なるのだろうが、この欄では秋月瑛二なりの選択と判断によるほかはない。
 「保守」(又は保守主義)とは何かについては、諸文献を参照にしてこの欄でもたびたび触れてきた。保守とは「反共」だ、と書いたこともあるし、「保守」とは「イズム」・イデオロギーではなく姿勢・ものの見方だという説明に納得感を覚えたこともある。
 自分が「左翼」ではないとするときっと「保守」なのだろうが、実態としては、「正視」派と言いたいところだ。
 もっとも、世界中に(正確には欧米世界には)conservative(conservativ) とかleft(link) とかの概念・観念は確固として又は広く用いられているようなので、しっくりこないが、用いざるをえないのかもしれない。
 いずれまた、秋月瑛二の「保守」としての考え方・理解を整理してまとめておく必要がある、と考えている。
 とこんなことを書きたくなったのも、とりわけ、小林よしのり・ゴーマニズム戦歴(ベスト新書、2016)と、仲正昌樹・精神論ぬきの保守主義(新潮選書、2014)という、珍しいとりあわせの ?(秋月瑛二はできるだけ特定範囲の文献だけを読むことをしないつもりなのだ)二著をたぶんこの一ヶ月の間に少しは読んだからだ。

1391/日本の「左翼」-中野利子/カナダ人ノーマン。

 江崎道朗・アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄(祥伝社新書、2016.09)を半分程度、第四章の終わり(p.125)まで読了。月刊正論(産経)にどの程度掲載済みだったのかは確認していない。
 第四章はアメリカ共産党のルーズヴェルト政権下での活動に関するもので、現在の日本共産党の基本方針と酷似している。
 アメリカ共産党はキリスト教団体への影響力も強めたのだったが、その際に江崎はp.120-1で中野利子・外交官E・H・ノーマン(新潮文庫、2001/原著1990)の一部を引用して参照資料としている。
 中野著は江崎著の最後の主要参考文献にも掲載されているので、中野利子は江崎道朗に似た政治的立場の人物だと誤解させかねないところがあるように思われる。
 中野利子・外交官E・H・ノーマンという書物は、著者が日本共産党員ではなかったかと疑われる中野好夫の娘だということを差し引いても、徹底的に「外交官」E・H・ノーマンを擁護するものだ。
 中野の本の最終章は「ノーマンの復権」で、1990年に、カナダ政府が歴史学者ベイトン・ライアンに委嘱して行った調査にもとづき、<ノーマンが(ソ連またはコミンテルンの)スパイではなかった>ことが連邦議会でも確認・承認された、という。
 これをもって中野はノーマンは例えば卑劣な人間ではなかったと言いたいようなのだが、しかし、問題は「スパイ」だったか否かではないだろう。また、どこかの国の「共産党」の正規の構成員(党員)だったかどうかも、本質的なことではないだろう。
 中野利子自身が書いている-「どの国の共産党にも加入していなかった」ものの、「あらためて書くまでもないが、ケンブリッジ、ハーヴァード、コロンビア各大学において、それぞれの時期に程度の差こそあれ、彼は明らかに共産党のシンパサイザーだった」(p.299)。
 カナダ外務省に「入省以前のノーマンのコミュニズムへの共感は想像以上であった」(p.300)。
 1952年の(カナダ政府による)「二回目の審問によって、彼が学生時代には共産党の同調者〔ふりがな-フェロウ・トラベラー〕であったとわかっても」外務省公務員としての彼への信頼は(アメリカと違って)揺るがなかった(p.303)。
 中野はノーマンが自ら「入党した」と手紙に書いたことを認めつつ、本心ではなかった、かの書き方もしている(p.301)。
  中野の書き方、その文章から滲み出ているのは、ノーマンは「スパイ」ではなかった、党員でもない「共産主義者」(共産党同調者も含む)であったことがなぜ論難されなければならないのか、という気分だ。
 中野利子の共産党・コミンテルンに対する擁護・支持の気分は、つぎの文章でも見られる-「価値観の目盛りが反ファシズムであった1930年代に、ファシズムの成立を防ぐための連合戦線、統一戦線の政策を提唱し、つらぬいたのが各国の共産党だった」(p.302)。
 この統一戦線(人民戦線)戦術はソ連・スターリンのもとでのコミンテルン1935年大会により採択されたもので、中野がスターリンをどう評価しているかが気にはなるが、中野は立ち入っていない。また、日本共産党もこの1935年のスターリンは批判しない(都合よく ?、1936-7年辺りから「道を踏み外した」と主張している)のだが、この点もまた別に触れる。
 そして、中野利子はノーマンの自殺は①疑惑をかけられたことに対する抗議-つまり無実主張、②有罪告白-死んで詫びる、のいずれだったかと発問し、後者説を支えるかのごとき「偽造遺書」なるものを疑問視している。
 最後に中野は書く-ノーマンを結果として自殺に追い込んだ「マッカーシズムは、形はコミュニズム批判だったが、…実は、多元的価値観に対する攻撃がその実質だった…」(p.312)。
 このように、中野利子が「左翼」・「容共」の人物であることは明らかだ。彼らにとって当然だろうが、<共産主義>を悪いものだとは考えておらず、<共産主義者>であっても何ら疚しいところはない。ただ、「スパイ」には抵抗感があるようだ。
 最後の文からは、「共産主義」もまた「多元的価値観」の一つとして守られなければならない、という考え・主張もうかがえる。
 ところで、あらためて記しておくが、ノーマンはGHQの日本占領初期の「協力者」であり、木戸幸一、都留重人らとも親交があり(近衛文麿を最後には見放したともされ)、日本共産党がいつからか「日本国憲法の父」とか称し始めた鈴木安蔵を見いだして憲法草案作成へと誘導した、ともされる日本にとって<重要な>人物だ。
 ノーマンの「共産主義者」性は、占領初期のGHQとも通底するところがあったことを忘れてはならないだろう。
 ノーマン、さらには尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲ、さらには戦前・戦中に日本にいた「共産主義者」たち…。この欄でまだ書いたことはたぶんないが、これらについての<勉強>もかつてよりは遙かに行ってきている。

1387/日本の「左翼」-田中充子におけるレーニン。

 田中充子・プラハを歩く(岩波新書、2001)という本がある。著者の専攻は「建築史」だとされ、この本は私も多くは知っているプラハの建築物(や広場)に触れているので、懐かしい気分にもさせられる。そもそもが、プラハ旅行の前か後に、本のタイトルを見て購入した可能性が高い。
 ところが、いつか原田敬一著について<この機会に党派信仰も示しておいた>のではないか旨を書いたことがあるが、建築史の専門家にしては、<この機会に党派信仰も示しておいたわよ、安心を>とでも言っているような、あるいはそれ以上に明確な、政治的・党派的な歴史理解を、著者・田中充子は記述している。田中はp.210-212で、以下のように言う。
 ・ムッソリーニ、ヒトラーにつぐ「第三の独裁者であるスターリン」は、二人に倣って、また対抗意識をもって、<スターリン・ゴシック>建築を「新生国家のイデオロギー」として示そうとしたのでないか。
 ・アメリカの摩天楼建築を「キャピタリズム・ゴシック」というなら、それはスターリンの「社会主義ゴシック」とどう違うのか。この両者は「同じ土俵、あるいは同じ体質から生まれたともいえそうだ」。敷地の広狭だけが「違っている」。
 ・ソ連には「1917年の革命以降、…1920代末まで、ロシア構成主義をはじめとするいろいろな近代建築が生まれた。というのもそのころまではまだレーニンが生きていたからだ」。
 ・「しかし、西欧的な教養を身につけたレーニンが死に、その後スターリンが独裁体制を敷いて自由主義的な風潮にストップをかけてから」欧州の知識人はソ連を離れた。「その後に登場したのがスターリン・ゴシックである」。
 さて、事実の認識自体に誤りもある。第一に、レーニンの死は1924年で1923年には政治活動ができなくなっているので、「1920代末まで」のレーニンの影響を見るのは厳密には正しくない。
 第二に、「西欧的な教養を身につけた」レーニンとは、いったいどこで仕入れた知識だろう。こんなに簡単に形容するのは誤りで、レーニンがスイス等に滞在していたことをもって、「西欧的な教養を身につけた」とする根拠にしているとすれば、噴飯ものだ。
 <ヨーロッパとロシア>というのはロシア「革命」やその「社会主義」を理解するうえでの重要な論点だが、むろん立ち入らない。
 政治的または党派的理解を感じるのは、第一に、<スターリン社会主義>と<資本主義>の同質性を語っていることだ(上に引用の第二点)。ここでは単純な<反資本主義>・<反アメリカ>感情が示されている。
 第二に、たんにスターリンを蔑視しているだけならまだましだが、明らかにスターリンと区別して、レーニンが好意的に表現されている。
 上の部分ではムッソリーニ、ヒトラー、アメリカ摩天楼、そしてスターリンへの嫌悪感が示され、積極的または好意的に語られるのはレーニンだけだ。
 これはいったいどこで仕入れた、どこで、何から「学んだ」知識なのだろう。
 田中はほとんど無意識である可能性が全くないとは言わないが、レーニンは基本的に正しく、スターリンから間違った、というのは日本共産党の公式的な歴史理解だ。
 建築史の研究者がいったいなぜ、上のように述べてレーニンを肯定的に描き、一方でスターリンへの嫌悪感を隠していないのか。
 もともと、ロシア革命もレーニン、スターリンも、田中充子の本来の研究分野ではないはずだ。
 にもかかわらず、種々の建築スタイルの存在は「レーニンが生きていたからだ」と断言しつつ、別の部分では「のではないか」とか「ともいえそうだ」の語尾にしながら、よくも上のようなことを公刊著書に書けるものだ、と感心する(内心では、少し感覚が狂っているのではないかと感じる)。岩波の読者を想定して「気を許して」、レーニンだけ誉めておいて構わないと思っていたのだろうか。
 上記のたんなる事実認識の誤りには含めなかったが、レーニンの時代は「自由主義的な風潮」があり、スターリンはそれに「ストップをかけた」とも断定している。
 この人は日本共産党の党員か意識的なシンパ(同調者)で、ソ連解体以降の日本共産党によるレーニン・スターリンの理解・主張を知っているのではないか。この程度の歴史知識の、とくに理工系の党員・シンパ学者はいくらでもいる。
 そうでないと、なかなか上のように自信をもって( ?)叙述することはできないように見える。
 もちろん、レーニンあるいはレーニン時代のロシアが「自由主義的」だったなどとは、到底いえない。
 非専門家が、いかに党派信仰を吐露しておきたくなっても、余計なことは書かない方がよい。ましてや、プラハのホテルのロビーでの「奇妙な感覚」(p.212)などを活字にして残しておくな、と言いたい。
 追記。この人は簡単に「1917年の革命」と書いているが、「革命」性自体を否定する=クー・デタまたは政権の奪取にすぎないとする和洋文献を少なからず所持している。興味があれば、<勉強>してみたらいかがだろうか ?

1377/日本の「左翼」-青木理。

 何日か前に<民主主義対ファシズム>等の図式の「観念世界に生きている」朝日新聞や大江健三郎の名を挙げるついでに、青木理の名前も出した。
 その青木理が7/24夜のテレビ番組(全国ネット)に出ているのをたまたま見て、さすがに正面からは「左翼」的言辞は吐かないだろうのだろうと思っていたら、最後の方で「歪んだ民主主義からファシズムは生まれるとか言いますからね」とか言い放った。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。テレビの生番組(たぶん)に出て、<民主主義対ファシズム>史観の持ち主、民主主義=反ファシズムという図式に嵌まっている者、であることを白状していた。その旨を明確に語ったわけではないが、「左翼」特有の論じ方・対立軸の立て方を知っている者にはすぐに分かった。
 その青木理は、毎日新聞7/25夕刊(東京版)にも登場していた。
 同紙第2面によれば、青木は、今次の東京都知事選に関して、鳥越俊太郎の元に「野党4党が結集したことが、どういう結果をもたらすか」、「一強状態の安倍政権と対峙するための橋頭堡を首都に築けるか、否か」という「視点でもこの選挙を見ています」と言ったとされる。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。野党4党の結集が「結果」をもたらしてほしい、「安倍政権と対峙するための橋頭堡を首都に築」いてほしい、と青木が思っていることがミエミエだ。
 青木理の名前は、月刊Hanada2016年9月号(飛鳥新社)誌上の青山繁晴の連載のp.209にも出てくる。
 青山によれば、6/30発売の週刊文春7/07号の中で青木理が「元共同通信社会部記者」と紹介されつつ、青山を「中傷」しているらしい(週刊文春は購読せず、原則として読まないので、直接の引用はできない)。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。青山繁晴の考え方・主張を知っているだろうし、青山が自民党から参議院議員選挙に立候補したとなれば、ますます批判したくなったとしても不思議ではない。
 青山によれば、青木は「朝日新聞の慰安婦報道を擁護する本」を出しているらしい。これを買って読んだ記憶はまるでないことからすると、私の青木理=「左翼」という判断は、その本の刊行以前に生じていたようだ。
 青木理は<日本会議>に関する本も最近に出したようだ。菅野完の扶桑社新書も気持ち悪いが(産経新聞の関連会社で育鵬社の親会社の扶桑社がこういう内容の新書を刊行することにも、日本の「保守」派の退嬰が現れている)、青木理による<日本会議>本がもっと気持ちが悪く、「左翼」丸出しの本になっているだろうことは、想像に難くない。


1298/「左翼」団体・日弁連の会長・村越進の2014.07.01声明の異様。

 宇都宮健児が会長だったことでも示されているように、まるで公正・中立でかつ法律関係については専門家の集団であるかのように見えなくもない日本弁護士連合会は、むろん弁護士の全員がそうではないにせよ、幹部あるいは役員たちは明確な「左翼」であり、「左翼」活動家弁護士たちが牛耳っている「左翼」団体に堕している。
 2014年の集団的自衛権行使容認の閣議決定後に発せられた日弁連会長・村越進の「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に抗議し撤回を求める会長声明」を読んでも上のことは明らかだ。
 さらに、この声明の内容は、弁護士が、しかもその自主団体・個別弁護士会の連合団体・日弁連のトップである弁護士が発したものとして、信じがたいほどに異様で、ずさんでもある。
 以下にそのまま引用して掲載する。
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 <集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に抗議し撤回を求める会長声明>
 本日、政府は、集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定を行った。
 集団的自衛権の行使容認は、日本が武力攻撃をされていないにもかかわらず、他国のために戦争をすることを意味し、戦争をしない平和国家としての日本の国の在り方を根本から変えるものである。
集団的自衛権の行使は、憲法第9条の許容するところではなく、そのことはこれまでの政府の憲法解釈においても長年にわたって繰り返し確認されてきたことである。
 このような憲法の基本原理に関わる重大な変更、すなわち憲法第9条の実質的な改変を、国民の中で十分に議論することすらなく、憲法に拘束されるはずの政府が閣議決定で行うということは背理であり、立憲主義に根本から違反している。
 本閣議決定は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」等の文言で集団的自衛権の行使を限定するものとされているが、これらの文言は極めて幅の広い不確定概念であり、時の政府の判断によって恣意的な解釈がされる危険性が極めて大きい。
 さらに、本閣議決定は、集団的自衛権の行使容認ばかりでなく、国際協力活動の名の下に自衛隊の武器使用と後方支援の権限を拡大することまで含めようとしている点等も看過できない。
 日本が過去の侵略戦争への反省の下に徹底した恒久平和主義を堅持することは、日本の侵略により悲惨な体験を受けたアジア諸国の人々との信頼関係を構築し、武力によらずに紛争を解決し、平和な社会を創り上げる礎になるものである。
 日本が集団的自衛権を行使すると、日本が他国間の戦争において中立国から交戦国になるとともに、国際法上、日本国内全ての自衛隊の基地や施設が軍事目標となり、軍事目標に対する攻撃に伴う民間への被害も生じうる。
 集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定は、立憲主義と恒久平和主義に反し、違憲である。かかる閣議決定に基づいた自衛隊法等の法改正も許されるものではない。
 当連合会は、集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定に対し、強く抗議し、その撤回を求めるとともに、今後の関係法律の改正等が許されないことを明らかにし、反対するものである。
 2014年(平成26年)7月1日
  日本弁護士連合会/  会長 村越  進
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 異様さ・杜撰さ-これらは「左翼」であるがゆえの政治的偏向の結果に他ならないだろうが-は、以下に認められる。
 第一に、安倍晋三内閣による閣議決定の正確な内容に言及することなく、「集団的自衛権の行使容認」は、「日本が武力攻撃をされていないにもかかわらず、他国のために戦争をすること」を意味する、と何とも安直に理解してしまっている。この文章が日弁連会長のものであるとは、その地位・職からすると-通常の感覚では-ほとんど想像もし難いほどだ。
 国際法上はまたは国連憲章の理解としては、集団的自衛権の行使とは、大雑把には、同盟国・友好国に対して第三国から武力攻撃があった場合に、自国は直接の武力攻撃の対象になっていなくとも、その友好国を助けてその第三国の攻撃に共同で対処することのようだ。しかし、集団的にせよ<自衛権>の行使であることに変わりはない。これをただちに「他国のために戦争をすること」と言い切ってしまえる神経は、-何度も使うが-<ほとんど信じがたい>。
 また、昨年の閣議決定を正確に読めば-きちんと理解しようとすれば-簡単に分かるように、閣議決定が容認した集団的自衛権の行使とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」た場合に、①「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」において、②「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき」に、かつ③「必要最小限度の実力を行使すること」という、いわゆる新三要件の充足のもとで容認されるものであり、国際法上のまたは国連憲章の理解としての集団的自衛権の行使の意味よりも相当に厳格に限定されたものだ。
 このような容易に知り得ることに目を瞑り、日本共産党と同様に<戦争>に道を拓くものという、レッテル貼りをしているか、悪罵を投げつけているにほとんど等しい。これでも日弁連の会長の声明なのか。
 第二に、専門法曹あるいは法律家ならば、もう少しは丁寧に概念の意味を明確にして諸概念を用いるべきだろう。
 すでに「戦争」という言葉が特段の定義なく使われているが、「戦争をしない平和国家」とか「徹底した恒久平和主義」などという言葉・概念がほとんど情緒的に使われている。
 日弁連は、あるいは日弁連会長・村越進は、現憲法九条のもとで、「戦争をしない平和国家」・「徹底した恒久平和主義」のゆえに、現在の自衛隊の存在そのものが違憲だと解釈(・適用)しているのだろうか。かりにそうであるならば、その旨を明確に記して、違憲の組織の行動範囲・要件を論じること自体が憲法違反だと断じるべきだろう。そうではなく、自衛権・自衛力を行使する実力組織としての(「戦力」ではない)自衛隊は合憲的に存在していると解釈(・適用)するのならば、自衛権の行使としての武力行使を簡単には「戦争」と称することはできないはずであり、簡単に「徹底した恒久平和主義」に反するなどと断じることはできないのではないか。
 第三に、「憲法に拘束されるはずの政府が閣議決定で行うということは背理であり、立憲主義に根本から違反している」と述べるが、「憲法に拘束される」という場合のその憲法の規範的意味内容が問題になっているのだから、憲法違反という前提を先に置くのは背理であって、何の意味も持たない。法律家ならば、このくらいのことは分かるだろう。「立憲主義」違反という点も同じだ。
 また、内閣が憲法解釈の変更を行うことを捉えて「立憲主義」違反と言っているようだが、最近にもこの欄で述べたように、裁判所・司法部による確定した憲法解釈が存在しない論点については、内閣は憲法解釈を行なって当然だし、また戦後何度か見られたように、その変更も実際には行われてきた。
 さらに、昨年の閣議決定時にも語られていたが、限定された集団的自衛権の行使を実際に容認するためには法律の制定・改正が必要だ。そして、かりに内閣提出の法案が国会で成立したとすれば、集団的自衛権行使は現憲法下で許容されるという憲法解釈は、もはや内閣どまりのものではなく、国民代表議会である国会の解釈になることを意味する。あくまでかりの話だが、その場合でも、すなわち国会が内閣・閣議決定の解釈を支持して、その解釈にもとづく法律案を成立させた=法律を制定・改正したとしても、日弁連は、あるいは同会長・村越進は、なお「立憲主義に根本から違反」すると主張するのだろうか。かりにそうだとすれば、それこそが国会軽視・(議会制)民主主義の軽視であって、<立憲主義>を逸脱するものだろう。
 第四に、新三要件の一部に触れつつ「これらの文言は極めて幅の広い不確定概念であり、時の政府の判断によって恣意的な解釈がされる危険性が極めて大きい」と述べるが、これはしばしば見受けられる陳腐な批判の仕方だ。
 国会により指名された内閣総理大臣等により構成される内閣を信頼していない書きぶりだ(日本共産党・社民党の連立内閣ならば信頼するのだろうか?)。その点はともかくとしても、とくに安全保障の領域では、ことの性質上、あらかじめ詳細で具体的な定めをしておくことの困難性の程度は高いものと思われる。「恣意的」な解釈というが、だからこそ、しっかりとした(例えば鳩山由紀夫や菅直人ではない首班を戴く)内閣を作っておかなければならない、とも言える、また、この部分の批判は、国会による(昨年の段階では「原則」として)事前の承認が必要とされていることを無視している。具体的認定については国会による事前チェックがかかるのだ。自民党等が与党だからそれは無意味だ、とか日弁連が言い始めたら、きっときわめて恥ずかしいことになるだろう。
 まだあるが、長くなったので、この程度にする。
 この声明は会長名だが、中身では「当連合会は、集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定に対し、強く抗議し、その撤回を求めるとともに、今後の関係法律の改正等が許されないことを明らかにし、反対するものである」と、日弁連を主体とする表現で終えている。
 弁護士たちが、安全保障・軍事に関する知見をいかほど有するかは、もともときわめて疑わしい(ついでに言えば、日本の歴史における<天皇制度>の伝統についての関心も知識もおそらくほとんどないのだろう)。そして、日本弁護士連合会とは、現実を直視することのできない<幻想と妄想>をもって、そして狭く固定した<観念>に縛られて活動している「左翼」団体に他ならないようだ。むろん、このような言い方に反発を覚える弁護士たちも少なくないだろうが、しかし、会を代表する会長の声明を読むかぎり、そのように判断せざるをえない。

1279/<左翼>愛好の「国家のゆらぎ」論を萱野稔人が批判。

 Think global, Act local というスローガンかモットーのようなものを読んだことがある。<グローバルに考え、ローカルに行動せよ(しよう)>ということだ。
 この二つにあえて反対する必要はないようにも見えるが、当然ながら、重大なことに気づく。
 グローバル・「世界」・「国際」・「地球」とローカル・「地域」との間の、<国家>がすっぱりと抜け落ちているのだ。
 上記は、ナショナルに考え、行動することは絶対にしたくないという、<左翼>の標語なのだろう。
 「国家」、そして「ナショナルなもの」をできるだけ無視したい、想起しないようにしたいというのは、遠い将来の<国家の死滅>を予言し最終目標とするコミュニズム・「共産主義」に親近的な者たちの考え方でもある。
 エンゲルスの著-家族・私有財産および国家の起源-は、コミュニストたちが廃棄したい三つのものを明確に記していた(この著の前にルソーは「家族」について実践していたが)。
 そういう人々は近年、<国家のゆらぎ>ということを語りたがる。それは一つは、単一の近代国家が統合へと向かう兆しによって生じており、EU(欧州連合)はその好例だとされる。日本近辺については、<東アジア共同体>なるものを目指すことを肯定的に語る者もいる。
 いま一つは、単一の国家内部で、「国家」と社会または民間の境が曖昧になりつつある現象として表れているとされる。国家の事務の範囲・役割が不明確になっていることを前提とする、公共事務の<民営化>も、そうした傾向の重要な一つだとされる。
 だが、<国家のゆらぎ>を積極的・肯定的に語りたがる者は、「国家」・「ナショナルなもの」をできるだけ無視したい、想起しないようにしたい、<左翼>の学者や評論家たちだと思われる。
 萱野稔人は<保守派>だとは見なされていないようだが、「日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが…」という一文を含む文章を朝日新聞の2015.01.18朝刊に書いていて、その内容は納得できるものだ。
 萱野稔人は、「国家のゆらぎ? ゆらいでいるのは米の覇権」と題し、昨年のクリミヤ半島ロシア編入、「イスラム国」、スコットランド独立住民投票に言及したあと、「これまでの国家の枠組みをゆるがすようなできごとが相次いだ」が、「これらの動きを主権国家そのものの衰退ととらえることには無理がある」と断じる。そして、ウクライナ・イスラム世界での出来事は「国家そのもののゆらぎではなくて、米国の覇権のゆらぎである」とする。
 そのあと、さらに次のように述べる。
 「国家のゆらぎについてはこれまでも、グローバリゼーションによって国境の壁は低くなり、国家は衰退していくのではないか、ということがとりわけ日本では盛んにいわれた」。しかし、サッセンの近著はそうした見方を「表面的で稚拙な見方だと批判」し、「グローバリゼーションによって国家の主権は消滅するのではなく、新たな役割を担うだけだ」としており、ドゥルーズ=ガタリの近著も「資本主義と国家の関係を理論的に考察」しつつ「(資本が国家を)超えるとは、国家なしですませるという意味では決してない」ととしている。
 最後に、つぎの一文でまとめられる。
 「日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが、国家を正面から考えるためには、そもそもそういった発想自体が問い直されなくてはならない」。
 <国家のゆらぎ>を語りたがる日本の<左翼>学者等は、「表面的で稚拙な見方」を改め、その「発想自体」を問い直す必要がある。
 ところで、「日本のリベラル派の言論人」の言説を多数掲載してきたのは朝日新聞で、そのような者の書物を多く刊行しているのも朝日新聞出版だ。上の萱野の文章における批判的指摘は、朝日新聞に対しても向けられていると見るべきだろう。だが、朝日新聞は<事前検閲>をして掲載中止を求めることはしなかった(又はできなかった)。この寄稿の担当者は、どういう気分で読んだのだろうか。

1253/月刊WiLL10月号と週刊現代9/06号ー朝日虚報と青木理ら。

 月刊Will10月号は背表紙「朝日『従軍慰安婦』大誤報」、表表紙に大きく「朝日新聞の『従軍慰安婦』は史上最悪の大誤報だった!/総力大特集120ページ」と朝日問題に大集中。もっとも、朝日がしたのは大きな「誤報」にすぎないのか?、日本国家と先輩同胞を貶めたいがゆえの意図的な(真実性が多少はあれば真実だと確信しての)<虚報>、<捏造>ではないのか、という問題は残る。
 ともあれ、朝日慰安婦検証報道に対する姿勢によって諸雑誌等のメディアの<性格>もかなり明らかになりそうだ。NHKは、この朝日新聞の一部訂正記事を放送したのだっただろうか。2000年に「女性戦犯法廷」での天皇有罪判決というパフォーマンスを一番組にしたのは長井某というNHKの「左翼」ディレクターだったが。
 週刊現代9/06号は「『慰安婦報道』で韓国を増長させた朝日新聞の罪と罰」と題して特集。例のごとく表紙からする印象に比べれば短いが、「識者30名」のアンケート結果は面白い。面白い、というのは、「識者」の中での<左翼>の存在が明確になっているからだ。
 アンケートは①朝日の検証記事は「納得のいく内容」だったか、②朝日「誤報」は「日韓関係悪化の一因」か、③朝日は「誤報の説明責任を果たした」か、の三つで、それぞれについて、いいえ、はい、どちらでもないの回答が用意されているようだ。そして、「識者30名」の選抜の仕方が適切かどうかという問題はさておくとして、30名中21名が、それぞれについて「いいえ、はい、いいえ」と回答している。この回答がふつうの、まともな感覚の持ち主の反応の仕方だと思うが、9名の回答はそうではない。上のいいえではなくはい、及びいいえではなくはいをいずれも-2、どちらでもないを-1としてマイナスを計算すると、次の結果になる。
 ①前田哲男-6、①岡留安則-6、①北原みのり-6、④青木理-5、⑤香山リカ-4、⑥斉藤貴男-2、⑥江川紹子-2、⑥小倉紀蔵-2、⑨服部孝章-1。前田哲男は近年、集団的自衛権や沖縄等、近年に軍事に強いらしき「左翼」としてよく名前を見る。マイナスは少ないが、江川紹子は少なくとももともとは親日本共産党の新聞記者だった。
 これらは明確な「左翼」だろうが、この順位では1位ではない青木理は、週刊誌本文によると、朝日新聞による検証記事の掲載は「歴史修正主義の風潮がかつてなく蔓延」して「反日」的動きに対するバッシングが強くなった状況に「耐え切れず」に「追い込まれた」もので、「日本社会が大きく変質していることを象徴的に示す」「事件」だ、と述べている。簡単には、<右派からの攻撃に耐えきれなかった、という右派増長という時代・社会の反映だ>と考えているようだ。これを読んで、青木理の頭の中の<倒錯>ぶりに(あらためて?)感心せざるをえない。
 かりに朝日新聞の報道が客観的事実を内容とするものだったとすれば、あるいはそのことに自信があれば、<右派からの攻撃に耐えきれない>というほどにナイーヴな神経を朝日新聞(の記者たち)がもっているはずはないだろう。こういうふうに青木理という<倒錯>者は朝日新聞を擁護するのだ。転嫁・曲解・相殺・無視という論法(湯浅博「潔さに欠け、往生際が悪すぎる」、月刊Will10月号p.64以下)による「検証」の仕方にみられる朝日新聞の神経のずぶとさ、厚顔無恥ぶりは何ら変わっておらず、朝日新聞が理由なく<右派からの攻撃に耐えきれず>屈服するはずがない。
 -1にすぎないが、服部孝章も、朝日報道が日韓関係悪化の一因になったことは認めつつ、朝日新聞よりも、「加害責任を明示しない安倍政権サポーターや商業主義に傾いてムードを煽るマスコミ」の方が責任は重い、とコメントしている(週刊現代p.45)。これまた、「商業主義に傾いてムードを煽る」<保守・右派>マスコミに責任を転嫁している(又は朝日よりも重い責任があるとする)ようで、不思議な議論だ。立教大学にはなかなか立派な「教授」がいる。
 今後の、9月上旬あたりまでに刊行される雑誌類の朝日新聞<慰安婦検証記事>への対応にさらに注目したい。すでに多くは明らかになっているのだが、「左翼」論者があぶりだされ、雑誌編集者の「左翼」度=親朝日新聞度が試されるだろう。

1248/オリンピックを<ナショナリズム発揚>と忌避する「左翼」。

 月刊正論(産経新聞社)は編集長・編集部が変わってかなりマシになってきたようだ。
 部員として安藤慶太・上島嘉郎という、信用の措けそうなベテランが入っていることも大きいのかもしれない。
 そろそろ数ヶ月遅れて中古本を読むのはやめようか、という気にもなってきた。
 月刊正論7月号で目に付くのは、元週刊朝日編集長・川村二郎の朝日への「決別」文だ。だが、読んで見るとほとんど朝日新聞社グループ内のもめ事の程度のようだ。すなわち、川村二郎は、朝日新聞社の「左翼」性あるいは「容共」性を日本国家・日本国民の立場から批判しているのでは全くない。せいぜいのところ、論説委員等の文章力への嘆きとか自分に対する処遇のうらみごと程度では、まったく迫力がない。
 それよりも、朝日新聞を毎日読むという精神衛生に良くない習慣のないところ、朝日新聞の昨年10/13付けの曽我豪(当時、政治部長)のコラムが一部引用されていて。その内容に興味を持った。川村によると、2020年東京五輪について曽我はこう書いた、という。
 「国民の和合の礎となる」よう「昇華していけるのか、国威発揚の道具に偏して無用な対立や混沌を生むのか」、これがこの7年の「日本の政治の課題なのだろう」。
 川村の批判に含まれているかもしれないように、二つの選択肢を挙げて、どちらを主張することもなく、「日本の政治の課題」だと言うのは、日本語文としても厳密には奇妙だ。「無用な対立や混沌」なるものの意味もよく分からない。
 そのことよりも、朝日新聞の政治部長がオリンピックについて「国威発揚の道具に偏して無用な対立や混沌を生む」可能性に言及していることが興味深い。明確に書くことなく(例のごとく?)曖昧にはしているが、オリンピックを「国威発揚の道具」に少なくともなりうるものとして批判的に捉える、という朝日新聞らしい感覚が見てとれる。
 オリンピックは、あるいはサッカー・ワールドカップは、客観的には「国威発揚」の場となり、国民「統合」の方向に働くことは否定できないと思われる。いちいち述べないが、やはりかなりの程度は、オリンピックでの成績(メダル数等)は<国力>に比例していることを否定できないと思われる。スポーツをできる余裕のある国民の数やスポーツに財政的にも援助できる金額等々は、国(国家)によって異なり、<格差>のあることはほとんど歴然としていると思われる。
 だが、そのことをもって「国威発揚の道具」視するのは、何についても平等でなければならず、<競争>の嫌いな、従ってまた<国家間の競争>についても批判的・諧謔的に捉えようとする「左翼」のイデオロギーに毒されている、と感じざるをえない。
 国家間の武力衝突・戦争に比べれば、平和的でルールに則った、可愛い「競争」ではないか。
 だが、「日本」代表とかいうように、個別「国家」を意識させざるをえないことが、朝日新聞的「左翼」には不快であるに違いない。
 先日言及した、<共産主義への憧れをやはり持っている>と吐露した人物は、<国威発揚の場となるようなオリンピックはやらない方がよい>と言い切った。あとで、オリンピック一般ではなく「国威発揚のために使われる」それに反対だと言い直していたのだが、趣旨はほとんど変わらないだろう。上述のように、客観的に見て、オリンピック等の「国家」を背負ったスボーツ大会は「国威発揚の場」にもならざるをえないからだ。
 何年かに一度、「日本」代表選手又は選手団の勝敗や成績に関心をもち、応援して一喜一憂する国民が多くいることは悪いことではないと思う。
 「地球」や「世界」ではなく個別の「国家」を意識させざるをえないオリンピック等に朝日新聞的「左翼」はもともと警戒的なのだ。彼ら「左翼」は、むろん日本国民の中にもいる「左翼」は、サッカー・ワールドカップのパプリック・ビューイングとやらに何万人、何千人もの人々が集まることに批判的、警戒的であるかもしれず、あるいは<ナショナリズムを煽られた>現象だと理解するのかもしれない。
 だが、そのように感じる意識こそが、どこか<倒錯>しているのだ。「国家」を意識したくなく、(本来のコミュニストはそうだが)「国家」を否定したい、というのは<異常な>感覚なのだ。「日本」代表を応援するのが<ナショナリズム>だとすれば、それは何ら批判されるものではないし、批判的に見る<反・ナショナリズム>の方がフツーではない。しかし、一部にはそういう者もいて、<大衆は…>などと批判していそうなのだから、異様で、怖ろしい。

1247/日本評論社・法律時報という「容共」・「護憲」雑誌。

 現物を手にしていないが、別の某雑誌に載っている広告によると、日本評論社という出版社発行の専門分野の雑誌らしき「法律時報」の編集部は、法律時報編集部編・「憲法改正論」を論じる(法律時報増刊)という書物(又は雑誌の特別号)を刊行している。そして、広告に謳われた惹き文章は次のとおりだ。
 安倍政権下で進行している『憲法改正』論に警鐘を鳴らし、理論的な対抗軸を示す。憲法学はもとより、隣接領域や諸外国からの知見をも盛り込む」。
 この日本評論社がかつて1970年代に<マルクス主義法学講座>という講座もの、たぶん全8巻程度、を刊行していたことはこの欄ですでに何度か触れた。その際に触れたかどうかは忘れたが、そのときの同講座の編集担当者だった林克行は、のちに同社の社長になった。「左翼」性の明らかな浦部法穂および辻村みよ子の憲法(学)教科書は日本評論社から発行されている。上記の法律時報編集部編・「憲法改正論」を論じるを含む広告欄の隣に掲載されている同社刊行の書物のタイトルは、家永三郎生誕一〇〇年で、誕生100年記念実行委員会編だから、家永三郎に批判的な本であるはずはない。
 日本評論社には、少なくともかつて、家永三郎の子息も勤務していた。
 家永三郎に関する書物の隣で広告されているのは、樋口陽一・森英樹・辻村みよ子ら編の国家・自由・再論、だ。
 したがって、この出版社発行の雑誌編集部が「『憲法改正』論に警鐘を鳴らし、理論的な対抗軸を示す」ことを図ることは当然かもしれないし、そのことをここで批判するつもりもない。改憲派の雑誌もあるし、護憲(又は憲法改悪阻止)派の雑誌もある。
 だが、朝日新聞社や岩波書店以外に、明確に憲法改正反対の方針をもつ法学関係の雑誌、そして出版社があることは広く知られておいてよいと思われる。いつか触れたが、日本共産党系又は親日本共産党の(当然に日本共産党員学者を含む)「民主主義科学協会法律部会」(民科・みんか)という学会の機関誌を発行しているのも、この日本評論社だ。
 関西系のテレビで夕方に「反安倍」の立場でコメントしていて今春頃に降りた(その理由は知らない)森田実は東京大学学生時代に日本共産党→ブントの活動家だったはずだ。
 森田実は、ネット情報によると2007年5月の自著出版記念会で、こう挨拶している。「来る7月22日の参院選を、日本国民が過去を反省し、国民の多数が誤った政治を支持してきたという過去の過ちを正し、再出発する日にしたい」、「そのためには、日本国民が安倍自公連立政権の側に立つ政治家を拒否すること、安倍自公連立政権の対極に立つ野党(民主党、社民党、国民新党)の候補者を当選させることが必要である」。
 そして、この会に出版社社長の中でただ一人メッセージを寄せたのは、日本評論社社長・林克行だった。
 どうやら、森田実は、少なくとも一時期、日本評論社で働いていたようだ。
 このような「政治的」立場の明確な出版社であることを知ってこの社から本を出している者もいるだろうし、また法学界には、日本評論社的な<親共、反・反共>の者が多いのかもしれない。
 だがもちろん、このような立場・考え方が<親中国・親北朝鮮>のそれでもあることを、とくに定見もなくこの出版社から本を出したり、この社の雑誌に執筆している(脳天気な)者たちは知らなければならない。

1246/稲田朋美が語る日本の法曹界の「左翼」性。

 稲田朋美が、伝統と革新(たちばな出版)という雑誌の2013年秋号(9号)で、「自主憲法制定の大切さ」と題して、この雑誌の編集責任者である四宮正貴によるインタビューに答えている。この中で、わが国の法曹界について語っている部分には全面的に同意したい気分なので、以下引用しておく。
 ・<大学の法学部での憲法教育には>「非常に問題がある」、「現行憲法の…根本的な問題点、つまり押し付けられたものであるとか、主権が制限されているときにできたものであって正統性に疑義があるというようなことは、まったく教えないです」。
 ・「しかも、憲法は絶対に正しいものとして、…、また絶対に守らなくてはいけないものだというところから出発して学びます。法曹界が非常に左派なのは、”憲法教”という新興宗教が蔓延っているからだ…。法曹界は一般社会以上に、非常に左派、左翼的な人が多いようにも思います。それは、そうした憲法を大学時代に一所懸命に勉強して、正しいと思い込んで、そうして難しいと言われている司法試験に合格した人の集まりだから…」(p.54)
 日本共産党・社会民主党等の支持を得て今年の東京都知事選挙に立候補した宇都宮健児は、何と正式に日本の弁護士たちによって選挙で選出された日本弁護士連合会(日弁連)の元会長であったことは、記憶に新しい。個別弁護士会や日弁連の執行部にいる「活動家」の中には日本共産党員もいると思われるが、そうでなくとも親日本共産党であること、または少なくとも反日本共産党(反共)ではないこと、は容易に推測できる。
 現在の司法試験に合格するためには、日本になぜ<天皇制度>が長く続いてきたか等の日本に固有の歴史問題や日本を他国から防衛するためにはどうすればよいか等の国防・安全保障問題などに関する知識はゼロであってもかまわない。従って、象徴天皇制度についてすら、「世襲」制は平等原則と矛盾して合理的でないと潜在的には意識しているような暗黙の<共和制>支持者の方が、法曹界には多いように見える。
 なぜ、そうなったのか。稲田朋美も指摘しているように、大学における憲法教育に大きな原因があるのだろう。その憲法教育は大学の憲法担当の教授たち(憲法学者)が担っていて、かつ彼らが例えば高校の日本国憲法に関する記述を含む現代社会や政治経済の教科書を書いているのだから、日本国憲法を真面目に学べば学ぶほど高校生も大学生(法学部生)も<左傾>していくことになっている。あまり真面目に勉強しない方がよいかもしれないとすら思える。司法試験に合格するような優等生こそが、真面目に勉強して<左翼>として巣立っていくのだ。
 そうした影響は、じつは法曹界に限らず、外務省を含む上級国家公務員についてもある程度は言えるかもしれない。マスコミに入社する法学部生たちは、彼らほど法学を勉強していないが(官僚バッシングはある程度は<コンプレックス>によるのではないかと思っている)、日本国憲法についての、稲田朋美が上に簡単に述べているような程度のイメージは持っているはずだ。朝日新聞社説は何と<憲法は国家を縛り、法律は国民を縛る、ベクトルが違う>という珍論を吐いたのだったが、単純素朴な(立憲主義なるものについての)憲法観・法律観も、法学部出身者であるならば、大学における憲法・法学教育の(日本国憲法の制定経緯・背景をまるで教えないような)影響を受けているのだろう。
 憲法改正をめぐって護憲派として登場して有力な論者の一人になっている、司法試験予備校?も経営している弁護士・伊藤真もいる。護憲・「左翼」の憲法学者には、青井三帆や木村草太などの社会的にも名前を出してきた若手もいる。。法曹界が<まとも>になるのは、いつになるのだろう。憂うべきことの一つだ。

1245/「共産主義への憧れ」を語る者が現存するごとく共産主義思想は死んでいない。

 三〇歳前後の男が、「共産主義への憧れはもっていますね」と明確に言うのをじかに聴いたことがある。少しは酒が入ってはいたが、それはこのつぶやきの真実性又は本音ぶりをむしろ増すものだろう。
 ところで、渡辺利夫・国家覚醒-身捨つるほどの祖国はありや(海竜社、2013)のはしがきの中には「冷戦崩壊後」という言葉があり、この渡辺だったか別の人の著書だったか、「共産主義(マルクス主義)の敗北が明らかになった後も…」という文章をごく最近に読んだことがある。
 中西輝政もまた、月刊正論4月号で「冷戦」について、「世界的にはソ連が消滅する一九九一年まで続いた」と語っている(p.56)。
 ソ連崩壊が重要な出来事であり世界史的画期だったことを否定しないが、東アジアでは「冷戦」は終わらなかった、中国や北朝鮮等の残存が証左である、等のことをこれまでこの欄で強調してもきた。さらに追加すれば、共産主義社会を究極的には志向する日本共産党という「共産主義」政党、中国共産党をかつてとは違って<友党>のごとく扱っている政党の存在こそが、日本内部においてすら<冷戦構造>が残っていることを明らかにしているようにみえる。特定の論者にとっては「共産主義(マルクス主義)の敗北が明らかになった」のかもしれないが、日本社会全体、日本人全体にとっては客観的には決してそうではない、と思える。
 自由主義対共産主義という対立は終わっておらず、<反共>か<容共>かが、現下の、石原慎太郎がしばしば引き合いに出す毛沢東の書物にいう、<最大の矛盾>点であり、最大の対立軸である、と考えている。
 日本共産党は当然だが、朝日新聞や岩波書店あるいは諸「左翼」論者がどちらの立場に客観的には立っているかが最重要な問題として意識されなければならない。
 中国や北朝鮮の現実にはいっさい又はほとんど言及せず、ときに<反米>的言辞を織り交ぜながら、安倍晋三内閣を「戦争準備政権」等々と称して、とにもかくにも安倍内閣がしようとしていることに反対し、あるいはいちゃもんをつけている輩は、客観的には中国(中国共産党)や北朝鮮(同労働党)を利する、<容共>の者たちであることをしかと確認しておかなければならない。
 冒頭に登場させた人物のごとく、ひょっとすれば「左翼的な」高校までの教育を受け、大学でさらにその「左翼」性を(主観的にはまるで自然・当然の<正当な>考え方を持っていると意識するようになるまでに)増した結果として、「共産主義への憧れ」を公然と語る日本人が現に存在することを忘れてはいけない。
 日本共産党へ投票する者の中にはさまざまな人がおり、単純に反自民党又は反「保守」気分だけの者もいるかもしれないが、まじめな?日本共産党員も含めて、「共産主義に憧れている」日本人はまだ!少なからず存在しているのだ。
 中西輝政はどこかで社会主義・共産主義あるいはマルクス主義を正面から主張しずらくなった「冷戦崩壊」以降、日本の「左翼」は<反日>を正面に掲げた、というような趣旨を書いていたが、<反日>の背後で社会主義・共産主義あるいはマルクス主義を決して捨てていないこと、あるいは<容共>・<親共>主義にとどまっていること(これはまた中国・同共産党をまったくかほとんど批判しない、という、あるいは中国・同共産党を刺激するような<ナショナリズム>的言動を日本はすべきではないなどと主張する、朝日新聞的「親中」主義でもあること)を看過してはいけない。
 むろん中西輝政はさすがに、上記の月刊正論4月号の中で、「共産主義と冷戦」の責任を対外的にもむ対内的にも追及しなかった「冷戦崩壊」以降の風潮を鋭く批判している。「ロシア革命以来の共産政権を生み出した国々こそ、『平和に対する罪』『人道に対する罪』が適用されるべき『人類史上の大罪を犯した侵略国家』として裁かれるべき」なのだ(p.57)。
 1990年頃以降、日本の政界・論壇等々はいったい何をしてきたのか。日本共産党の<ソ連は社会主義国家ではなかった>などという奇妙な反論?に納得したわけでもあるまいが、日本共産党や日本内部にいる(ソ連崩壊までソ連等の「社会主義」国に米国よりも親近感・期待感をもって議論してきた)「左翼」マスコミ、「左翼」論者等々の<責任>をいかほどきちんと追及したのか?
 1990年代に反自民細川政権、日本社会党首班の自社さ連立政権を成立させるとは、日本人全体又は多くが<狂って>いたとしか思えない。
 何度も書いたが、米国にもポルトガルを除く欧州諸国にもコミュニスト政党は存在しない(ドイツでは結成自体が法的に禁止されている)。日本は特異であり、異様なのだ。これまた、日本人特有の「お人好し」、外来思想をある程度は取り込むことに長けた日本人の特性に由来するのだろうか。困ったことだ。
 中川八洋はルソーを称揚すればマルクスは何度でもよみがえる、と書いていた。ルソーにまで遡らなくとも、日本共産党を批判しかつ同党から批判されながらも、明らかに「反共」ではなく「容共」論者であった丸山真男を称揚する書物は今日でも新たに発行されている。丸山真男を称揚しておけば、「左翼」=<容共>主義は何度でも蘇り、維持されるだろう。怖ろしいことだ。
 

 

1241/宮崎哲弥が「リベラル保守」という偽装保守「左翼」を批判する。

 宮崎哲弥が週刊文春1/16号(文藝春秋)で「リベラル保守」を批判している。正確には、以下のとおり。
 「最近、実態は紛う方なき左翼のくせに『保守派』を偽装する卑怯者が言論界を徘徊している」。「左派であることが直ちに悪いわけではな」く、「許し難い」のは、「『リベラル保守』などと騙って保守派を装う性根」だ(p.117)。
 宮崎は固有名詞を明記していないが、この批判の対象になっていることがほぼ明らかなのは、中島岳志(北海道大学)だろうと思われる。
 中島岳志は自ら「保守リベラル」と称して朝日新聞の書評欄を担当したりしつつ、「保守」の立場から憲法改正に反対すると明言し、特定秘密保護法についてはテレビ朝日の報道ステ-ションに登場して反対論を述べた。明らかに「左派」だと思われるのだが、西部邁・佐伯啓思の<表現者>グル-プの一員として遇されているようでもあり、また西部邁との共著もあったりして、立場・思想の位置づけを不明瞭にもしてきた。だが、「左翼」だと判断できるので、西部邁らに対して、中島岳志を「飼う」のをやめよという旨をこの欄に記したこともあった。
 「リベラル保守」または「保守リベラル」と自称している者は中島岳志しかいないので、宮崎の批判は、少なくとも中島岳志に対しては向けられているだろう。
 適菜収も、維新の会の協力による憲法改正に反対すると明言し、安倍晋三を批判しているので、月刊正論(産経)の執筆者であるにもかかわらず、「実態は紛う方なき左翼」である可能性がある。但し、宮崎哲弥の上の文章が適菜収をも念頭においているかは明らかではない。なお、産経新聞「正論」欄執筆者でありながら、その「保守」性に疑問符がつく政治学者に、桜田淳がいる。「保守」的という点では、さらに若い岩田温の方にむしろ期待がもてる。
 ところで、宮崎哲弥は「自らのポリティカルな立ち位置」を明確にするために、「リベラル保守」を批判しており、自らは「保守主義者」を自任したことはなく、「あえていえばリベラル右派」だと述べている。そして、安倍政権を全面的に支持するわけでは全くないが、特定秘密保護法に対する(一定の原理的な)「反対論には到底賛同できない」とする。単純素朴または教条的な?「保守」派論者よりは自分の頭で適確によく考えているという印象を持ってきたところでもあり、自称「保守主義者」でなくとも好感はもてる。また、「仏教」・宗教に詳しいのも宮崎の悪くない特徴だ。もっとも、彼のいう「リベラル」の意味を必ずしも明確には理解してはいないのだが。
 同じ「リベラル」派としてだろう、宮崎は護憲派でありながら特定秘密保護法に賛成した(反対しなかった)長谷部恭男(東京大学法学部現役教授)に言及している。この欄で長谷部は「志の低い」護憲論者(改憲反対論者)としてとり上げたことがある。長谷部が特定秘密保護法反対派に組みしなかったのは、この人が日本共産党員または共産党シンパではない、非共産党「左翼」だと感じてきたことと大きく矛盾はしない。長谷部恭男が特定秘密保護法に反対しなかったことは、憲法学界で主流的と思われる日本共産党系学者からは(内心では)毛嫌いされることとなっている可能性がある。その意味では勇気ある判断・意見表明だったと評価しておいてよい。
 宮崎哲弥が長谷部恭男の諸議論をすべてまたは基本的に若しくは大部分支持しているかどうかは明らかではない。
 ヌエ的な中島岳志を気味悪く感じていたことが、この一文のきっかけになった。

1240/アカデミズムの世界での左翼支配の内幕-東京大学関係者 。

 一 ジャパニズム16号(2013年12月号、青林堂)に、表紙にはタイトルが載ってはいないが、「覆面インダビュー/元関係者が、『アカデミズムの世界における左翼支配』の内幕を明かす」というインタビュー記事がある。「アカデミズムの世界」とは、大学または学界と理解して差し支えないだろう。
 「覆面」の「元関係者」は「W」とイニシャル化されているが、本当であるとの保障はない。但し、「まさに東大で、そうしたことを感じましたね」などの発言があることからすると、この発言者は東京大学の教員・研究者を最近か近年に退職した人物であるようで、関心を惹く。
 何よりも、この元東京大学教員らしき人物の、上記のごとくタイトル化される発言内容は、この欄で私があれこれの文献を通じて指摘または推測してきたことと符合していることが注目される。断片的にしか指摘できなかったことを、この人はけっこう長く語っている。
 その他、「カトリック・キリスト教」や「仏教」界の「左翼」性への言及がある部分はほとんど知らなかったことだ。
 重要な記事だと思うので、今年、2013年の最後に、できるだけ忠実に紹介しておく。
 二 最初の質問に対する答えは、ほとんど全面的に支持または納得できる。全文は以下のとおり。
 「確かに、文系アカデミズムの多くの分野においては、左翼支配の構造が完全に出来上がってしまっていますね。研究者を育てる大学院は、学部までとは異なり、徒弟制のような形態のところが多い、そうなると、師匠である教授が左翼なら、弟子である学生も左翼にならないと生きていけない、教授の性格にもよりますが、左翼的な教授としては自分と同じくする手下を増やしたいわけですから、教授に逆らうような学生は、就職先(アカデミック・ポスト)を紹介してもらい辛い。そうなると、それに耐えられない学生は、脱落していく。結果、左翼学生だけが残り、研究職に就いていく。一般公募の公平な研究職採用試験にしても、採用側の教授に左翼思想の持ち主が多い訳ですから、結局『リベラル』な研究者の方が就職が有利です。文系アカデミズムの世界では、このような構造で、左翼が再生産されていきます、これも教授の性格によりますが、左寄りの教授が多い組織では、保守的な言論は抑圧される事さえありますね。私の印象では、国立大学では概して、歴史学、教育学、法学、社会学の分野で左翼が強いと感じますね」(p.56-57)。
 「歴史学、教育学、法学、社会学の分野で左翼が強い」とは、この欄で私が推測的に書いたことがある(中西輝政の発言によって、「政治学」にも触れたこともある)。なお、「左翼」の意味が厳密には問題だが、上の発言では「リベラル」と換言されていることも注目される。また、「左翼」とはおそらく(日本共産党員である場合はもちろんだが)、共産党シンパの他に、日本共産党またはマルクス主義・コミュニズム(共産主義)を批判・敵視しないという意味での、「容共」者も含んでいると考えられる。
 三 東京大学法学部の「内幕」にも言及があり、また「左翼」的宗教にも言及がある。この人物は同学部に所属したことがあるか、同学部の「内情」をかなり詳しく知りうる立場にあったように思われる(こんな発言をしている<反左翼>心情者であること等からすると前者ではなく、後者と推測できるかもしれない)。以下は要約的紹介で、「」は直接の引用。
 <「戦後の東大法学部は完全に左翼的言説が支配しています。『左翼の牙城』と言ってよい」。今の状況は知らないが戦後のかつての東大法学部には「キリスト教徒」でないと教授になれないとの「暗黙の了解」があったと聞く。中でも「無教会派のクリスチャン」。「つまり、戦後日本の法学界の言論・思想空間にはその背景に、左翼的なプロテスタント・キリスト教的なるものが存在しています」。「ですから当然、靖国神社に関する政教分離訴訟では、心情的にも『反靖国』の立場を取ります。実際のところ左派系の法学者は、靖国神社も含めて『神道』というものに対して無理解であるのみならず、嫌悪感さえ感じているようです」。戦後に保守系教授が東大教授から追放されたこともあり、「いまだに保守系の法学者は傍流」に追いやられてしまっている。かかる環境の下で育つ学生が法曹になるのだから「日本の文化伝統を無視した判例」が多発するのも当然だ。>
 なお、たしかに、靖国神社の宗教は「神道」で、<保守>派が靖国神社を擁護しているとすると、「左翼」とは<反神道>派でもあり、宗教の中でもキリスト教や仏教の中には「左翼」が浸透しやすい、と言えそうだ。
 四 東京大学の中での駒場と本郷の違いにも言及がある。
 <「本郷と駒場では雰囲気が異なります。本郷…の教授陣はイデオロギー的には幅が広く、左翼の方が数は多いですが、ノンポリの教授や、数は少ないが保守系の教授も」いるのに対して、駒場(教養学部)は「戦後はまさに『左翼の牙城』になって」しまった。「反ヤスクニ」の高橋哲哉も駒場所属だ。>
 以下は再び東京大学全体の話のようだ(但し、駒場が強く意識されているようでもある)。
 <学部学生の「中道化・保守化(脱左翼化)」は進んでいるが、「教授陣は相変わらず左寄り」で、「左翼系の教授たちは、神道に対しては『国家との厳格な分離』を要求しますが、キリスト教には甘いというダブルスタンダードが見受けられ」る。法人化前の純粋国立大学の時代にキリスト教会から譲り受けてのパイプオルガン設置の運動があり、実際に駒場に設置された。また、「左翼」=「反権威主義」ならばまだ辻褄は合うが、東大の「左翼」は「リベラル」を自称しつつも「権威主義的」だ。中沢新一の採用決定の撤回はその例。(中沢は「左側」の人かもしれないが)「権威主義的なプライドが、イデオロギーの親和性よりも優先されたんでょうね」>(p.58-59)。
 五 仏教にも言及がある。<「キリスト教だけでなく、戦後の仏教界も左翼イデオロギーが強い」。「『教団の公式なイデオロギー』としては左翼的(反靖国的)である宗派が多い」。「戦前の反省に立って」のようで、「仏教系大学の学者には、政治的な左翼的発言をする人も多い」。但し、「日本仏教は…日本の伝統文化(皇室)と結びついていますから、当然に保守的な人もいることはいます」。
 さらにキリスト教にも話題は続き、高橋哲哉・姜尚中はクリスチャンだという。
 仏教寺院の中にも「左翼」のものがあることはこの欄に記したことがあり、姜尚中が講座ものの講師を担当していた著名な寺院があることも知っている。これらは、その特定の寺院名を出していずれ書きたいと思っているので、ここでは立ち入らない。
 六 最後に、この世界の「正常化」の可能性についての質問に答えている。
 <「左翼再生産の構造」は出来上がってしまってはおり、「世間一般の流れからは遅れるとは思いますが」、「徐々に変わりつつある」。「保守の土壌はまだまだ脆弱で、左翼の土壌はまだまだ強靱」なので、「保守陣営」は結束し、「ようやく芽生えてきた『保守の灯』を消さない」ことが肝要だ(p.60)。>
 以上。大学・学界では「保守の土壌はまだまだ脆弱で、左翼の土壌はまだまだ強靱」であり、「ようやく芽生えてきた」「保守の灯」と表現されるほどのものであることを国民一般、大学生や将来に大学に進学しようと思っている者の親や家族は知っておいてよいだろう。
 この人が最初に言っていたことは適切な認識だと見られること、および「左翼が強い」分野の一つとして「法学」が上げられていたことも妥当と見られることは、最近に紹介・言及した、憲法学者・刑事法学者・某特定大学法学部の50名以上の教授たちによる特定秘密保護法反対声明・意見においても相当十分に例証されているものと考えられる。

1235/「左翼」メディアと特定秘密保護法-月刊WiLL2月号。

 〇別冊正論Exttra20(2013.12、産経新聞社)が「NHKよ、そんなに日本が憎いのか」と題する一冊丸ごとNHK批判の雑誌を出し、月刊WiLL2月号(ワック)も櫻井よしこと高池勝彦の対談「NHK偏向報道判決と秘密保護法」などを掲載している。
 上の対談の中で櫻井は、「NHKや朝日新聞」ととくに名指ししたうえで、秘密保護法反対の煽り方は「もはや報道機関ではなく運動体であり、新聞はプロパガンダ・ペーパーと化している」と述べ、高池は「秘密保護法反対派は『言論の自由』や『知る権利』が制限されると言いますが、では報道機関は本当に国民の権利に応えてきたのか」と、正当な疑問を示している。
 〇NHK固有の問題は別にまた触れるとして、秘密保護法とNHKを含むメディアとの問題については、月刊WiLL2月号の表表紙には記載されていない、つぎの二つの小稿が興味深かった。
 西村幸祐の連載コラムの今回の「加速する報道テロの防止策」は、「鳩山政権で九回、菅政権で八回、野田政権で四回の強行採決があった」し、2010年の公務員国籍条項削除の国家公務員法改正案の強行採決の際には「三宅雪子の転倒演技に」報道を集中させ、法案の危険性や強行採決の問題性もが当時のメディアは問題にしなかった、しかるに……、と説く。朝日新聞等の「左翼」メディアが民主党政権時と自民党等の安倍政権時ではまるで異なる報道姿勢をとっていることを気づかせてくれる。<審議が十分でない。なぜ急ぐのか>というキャンペーンはある程度は効を奏したようで、これを肯定する世論調査結果もあったと思われる。しかし、上の民主党政権時の「強行採決」の回数は知らなかった。朝日新聞等のメディアは、その当時、強行採決を「多数の暴挙」等々と厳しく批判したのか。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の、朝日新聞を中心とする「左翼」メディア。「プロパガンダ」団体であり、政治団体であることはますます明確になってきている。
 上の一文と同じことをまた書かなければならないが、門田隆将の連載コラムの今回の「『秘密保護法』と『人権擁護法』どちらが怖い」は、(国会に上程までされたかは確認していないが)2012年9月に野田内閣が人権擁護法案(人権委員会設置案)を閣議決定したとき、強大な権限をもつ「人権委員会」が「人権擁護」の名のもとに「裁判所の令状なしでジャーナリストたちに『出頭命令』や『家宅捜索』、『押収』等をできることにメディアは反対しなかった、しかるに……、と書く。
 鳥越俊太郎、金平茂紀らは昨年に人権擁護法案に反対する運動をし、記者会見等をしたのか。現役の放送会社員・TBSの金平茂紀も含めて<政治活動家>であることははっきりしているから、もはや驚きはしないのだが。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の意識の一片もなく、真面目に(安倍内閣提出の)特定秘密保護法案には反対したのだとすれば、これらのメディアの人々の「神経」を疑うし、そのような人々が平然とテレビ画面に出てくる現実に恐怖を覚える。
 なお、上の西村幸祐のものを読んで、前回に記した「朝日新聞」の<犯罪>の中に、2005年1-2月の、安倍晋三・中川昭一の政治的生命を奪おうとする、<女性戦犯法廷放映政治家圧力>事件も加えておくべきだった、と思い出した。朝日新聞の本田雅和らNHKの長井暁らが「共犯」の事件だった。

1128/丸山真男の1950年論考と現在の「左翼」・「保守」。

 丸山真男は「自由主義者への手紙」の中で、興味深くかつ重要なことを書いている。これは月刊・世界(岩波)の1950年9月号に発表された。アメリカ、GHQが日本の敗戦後当初と異なり、反共(反ソ)へと政策転換をした後の時期だ。丸山真男全集第4巻(1995)所収、p.313以下。
 丸山がいう「君」とは誰か判然としないが、一定の思想・評論の潮流なのだろう。その「君」は自分=丸山真男に対して次のような不満・批判を吐露・提出している、とまず丸山は述べる。
 「君や僕のようなリベラルな知識人」は「思想を否定する暴力に対して左右いずれを問わず積極的に闘うことが必要」で、そのためには「ファッショに対してと同様、左の全体主義たる共産主義に対しても画然たる一線をひいて」自分の主体的立場を堅持する必要がある。にもかかわらず、「僕みたいな…マルクス主義者ではなく、性格的にはむしろコチコチの『個人主義者』」が「現代の典型的な全体主義たる共産主義に対してもっと決然と闘わない」のは何故か(p.316)。
 同旨の疑問・批判は、より簡単には、次のようにも書かれている。
 「左右いかなる狂熱主義にも本能的に反発する」はずの僕=丸山が、「共産党に対して不当に寛容であるのはおかしい」(p.333)。
 これに対する丸山真男の回答・釈明・反論はこうだ。
 「日本のような社会の、現在の情況において、共産党が社会党と並んで、民主化…に果す役割を認めるから、これを権力で弾圧し、弱体化する方向こそ実質的に全体主義化の危険を包蔵することを強く指摘したい」(p.333)。
 共産党の日本社会の「民主化」への役割を認め、それに<寛容>であることによって、共産党を「弱体化」することによる「全体主義化の危険」を防止したい、と言うのだ。
 同趣旨のことは、「政治的プラグマティズムの立場に立てばこそ」として、次のようにも語られている。
 ①「下からの集団的暴力の危険性」と②「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」、および①「大衆の民主的解放が『過剰になって氾濫する』危険性」と②「それが月足らずで流産する危険性」とをそれぞれ比較して、「前者よりも後者を重しとする判断を下す」(p.333)。
 つまり、上の①よりも②の危険性の方を重視して、②の危険性の方を抑止したい(そのためには日本共産党に対して<寛容>であることが必要だ)というわけだ。
 この論考の発表当時、日本共産党は衆議院に35議席を有するなど勢力を拡張していたが、1950年1月にコミンフォルムによるその「平和革命」論批判(のちに分裂につながる)や同年6月のGHQによる共産党員等の公職追放(レッド・パージ)があった。
 のちの主流派による武力闘争まで丸山真男が支持したかどうかは確認しないが、日本共産党勢力が拡大し、かつ抑圧?を受けつつあったときに、この丸山真男論考は書かれている。
 そういう時代的背景はふまえておく必要があるが、興味深いのは、丸山真男のような<進歩的文化人>のかかる<容共>姿勢というのは、少なくとも日本共産党が「平和」路線(「人民的議会主義」路線)を明確に採って以降の、日本の<左翼>に特徴的な考え方または気分だ、ということだ。
 丸山真男は「民主化」に「しかり西欧的意味での民主化」という注記を施しているが、それはともあれ、丸山は「民主主義」(民主化)対「全体主義」という対立軸を設定している。「共産主義」が「左の全体主義」・「現代の典型的な全体主義」であることを否定していないようであることも目を惹くが、これとは区別されたものとして、日本社会の「全体主義化の危険」・「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」を語っている。
 「民主主義」対「全体主義」という軸設定は今日ではそのままではあまりなされてはいないかもしれない。しかし、後者に代わって、「(日本)軍国主義」とか「戦前のような日本」ということが言われ(ときには「偏狭な(排他的な)ナショナリズム」)、戦前のような社会を復活させるな、「民主主義」を守り、拡充させよう、という論調はしばしば見られる。
 それが「左翼」の主張であり、「何となく左翼(サヨク)」の気分だ。
 このような主張・気分は、丸山真男の上の文章に明確に示されているように、共産主義・日本共産党に対する「寛容」さを内包している。 
 共産主義・日本共産党に完全に同調しないとしても、それよりも「軍国主義」勢力・「保守反動」勢力の拡大による<戦前のような日本>の復活・「戦争ができる」国家の復活の危険を重視し、そのためには日本共産党と闘うどころか「共闘」することすら容認するのが「左翼」・「何となく左翼」だ。
 「左翼」の中核に日本共産党はいる。その周辺に、自覚的・意識ではないにしても、幅広く厚い<容共>層がいるのが、日本の「左翼」陣営の特徴だ。
 かつて自民党政権時代に、『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズム』(1990)というおそらく唯一の研究書を刊行した上野千鶴子は、マルクス主義者または親マルクス主義の立場の者だから当然だろうが、日本共産党を含む野党の対自民党統一戦線の結成を主張していた。
 上野千鶴子ほど明確にではないにしても、岩波や朝日新聞系の知識人・論壇人の中には、日本共産党よりも<保守>政党(従来だと自民党)を嫌う、共産党の力を借りてでも自民党政権を倒したいと考えていた者が多かった、と思われる。
 むろん、マスコミ従事者や一般国民においても<民主主義対全体主場(=保守反動)>という何となくのイメージを持っている者が多いから(それはかつての戦争の性格を含む歴史認識・それに関する教育に深く関係するがここでは触れない)、<反自民党>気分は一気に2009年の民主党内閣の成立に結びついた。
 日本共産党を批判したこともあり、そのゆえに日本共産党から攻撃されたこともある丸山真男だが、上のように、日本共産党を「民主主義」の側に位置づけ、<全体主義・軍国主義>傾向にむしろ重要な危険性を感じるという意識・気分(論者によってはイデオロギー)は、今日でもなお強く残存している。
 丸山真男とはまさに戦後進歩的知識人の代表者であり、「戦後左翼の祖」の一人と言ってよいだろう。
 上のような対立軸をかりに設定するとしても、共産主義・日本共産党を「民主主義」の側に位置づける、という馬鹿なことをやめ(させ)なければならない。
 むしろ、共産主義・日本共産党の「反民主性」・「反自由主義性」こそを強く、いや最大の対立軸として、主張し続けなければならない。
 そのような<反共>を最大・最重要の旗印として掲げるのが、私の理解する言葉の意味での<保守>だ
 こういう意味で<保守>概念が使われないとすれば、別に言葉ごときに拘泥はせず、「平等」教・「共産」教に対する<自由>主義と表現してもよい。
 ともかく、<容共か反共か>、これが今日の最大・最重要の対立軸だ、と考えられる。この対立軸の設定は、決して時代遅れ、あるいは決着済みのものでは全くない。
 この点が明瞭ではない論者、評論家、月刊雑誌等の論壇類は、「保守」概念をめぐっても含めて、混乱するか(あるいは混乱を持ち込むか)、少なくとも現在の日本と日本国民にとって適切な方向・指針を示すことができないだろう。
 

1125/西尾幹二が「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」を語る。

 西尾幹二全集第2巻(国書刊行会、2012)に所収の「『素心』の思想家・福田恆存の哲学」は2004年の福田恆存没後10年記念シンポでの講演が元になっているようで、月刊諸君!2005年2月号(文藝春秋)に発表されている。全集の二段組みで48頁もあるので(p.359-406)、本当に月刊雑誌一回に掲載されたのかと疑いたくなるような長さ・大作だ。
 内容はもちろん福田恆存に関係しているが、西尾幹二の当時の世相の見方等を示していて相当に興味深い。講演からは8年ほど経っているが、今日でもほとんど変わっていないのではないか。
 6頁め(p.364)にある「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」という節見出しが、目につく。「間接的な言論統制」には「ソフト・ファシズム」というルビが振られている。「気分左翼」も「間接的な言論統制」も、福田恆存かかつて使った語のようだ。
 なぜ目を惹いたかというと、私は「何となく左翼」という語をこの欄でも使ったことがあるし、田母神俊雄の「日本は侵略国家ではない」論文に対する政府(当時は自民党政権)や<保守>論壇の一部にすらよる冷たい仕打ちに対して<左翼ファシズム>の成立を感じ、この欄でもその旨を書いたからだ。
 「何となく左翼」(意識・自覚はしなくとも「左翼」気分のメディアや人々)による「左翼」的全体主義がかなり形成されているのは間違いないと思われる。
 メディア・世間一般ではなく、特定の学界・学問研究分野では、より牢固たる「ファシズム」、<特定のイデオロギーによる支配>がほぼ成立しているのではないかとすら思われる(日本近現代史学、社会学、教育学、憲法学等)。
 さて、西尾幹二の叙述(福田恆存ではなく西尾自身の文章)を以下に要約的に紹介しておく。
 ・昭和40年の福田恆存「知識人の政治的言動」は「現在ただいまの日本を論じているに等しい」。「今の日本を覆っているのはまさに思想以前の気分左翼、感傷派左翼、左翼リベラリズムと称するもののソフトファシズムのムード」だ。「政府、官公庁、地方自治体、NHK、朝日、毎日、日経、共同通信、民放テレビ等を覆い尽くしているもの」がある。福田恆存にいう「間接的な言論統制」だ(p.366)。
 ・「真綿で首を絞められるような怪しげなマスコミの状況に今われわれ」はいる。それは「平和というタブー」に由来し、「最初はアメリカが日本全土に懸けた呪いであり、やがて革新派が親米的政権に同じ呪いをかけて身動きできなく」なった。これが「今の日本の姿」で、「呪いは全国を覆い尽くして」いる(同上)。
 ・2004年には経済界の一部が首相に靖国参拝中止を言いだし、「共産国家の言いなりになるように資本家が圧力をかけている」。NHKは1992年頃まで「政治的撃論の可能なメディア」だったが、今や「衛生無害」の「間接的な言論統制」機関になっている。文部省はかつては「保守の牙城」だったが、いつしか「次官以下の人事配置においても日教組系に占められ、”薄められたマルクス主義”の牙城」になっている(同上)。
 ・「男女に性差はないなどという非科学的奇論、ジェンダーフリーの妄想が…官僚機構の中枢に潜りこ」み、地方自治体に指令が飛び、「あちこちの地方自治体で、同性愛者、両性具有者を基準に正常な一般市民の権利を制限する」という「椿事」が、「従順な地方自治体の役人の手で次々と条例化されて」いる。「全国的な児童生徒の学力の急速な低落は、過激な性教育と無関係だとはとうてい言えない」だろう(同上)。
 ・「官庁の中心が左翼革命勢力に占領」されるという事態を福田恆存は予言しており、福田が新聞批判を開始した頃から「日本は恐らくだんだんおかしくなり」、福田の予言の「最も不吉な告知が、今日正鵠を射て当たり始めているのではないか」(p.367)。
 以上。もう少し、次回に続けよう。 

1123/君が代斉唱命令の目的についての小森陽一の文章と斉加尚代。

 〇戒告等の懲戒処分がのちに伴った国歌斉唱職務命令が教育委員会によって出されたのは東京都が最初で、昨年および今年(1月)の最高裁判決も、東京都教員を第一審原告とする、職務命令違反・懲戒処分(・再雇用拒否)にかかるものだ。
 その職務命令(通達)は2003.10.23(平成15年)に出され、後記の小森陽一の文章によると「10・23通達」と呼ばれ、翌年4月号の岩波・月刊世界は「『日の丸・君が代』戒厳令」というタイトルで特集を組んだらしい。もちろん岩波書店のことだから、反石原慎太郎・反君が代等の立場でだ。
 編集委員会編・「日の丸・君が代」処分(高文研、2004)の中で小森陽一は、職務命令そして「『日の丸・君が代』戒厳令」の目的を、つぎのように書いている。
 なお、小森陽一とは、東京大学教授だが研究者ではなく活動家・運動家・オーガナイザーとしての能力の方が上回ると思えるほどに、もちろん<九条の会>運動を含めて、しばしば岩波の本や冊子に名前を出している人物だ。
 「『日の丸・君が代』戒厳令」は公立学校を「教育の場ではなく、国民を統治・管理する、国家意思を貫徹する場」に、「軍隊と同じ、『人格』を破壊し、国策人材を作る組織」にすることを「最終的ねらい」としている。「『軍隊』の一員として、国家のために人殺しを正当化する洗脳を、子どもたちにかけるために、公立学校を軍事組織化する」ことにねらいがある。「『日の丸・君が代』戒厳令」は、東京都立学校の教職員だけではなく、「この列島に生きるすべての人々を戦時体制に組み込んでいくための攻撃」だ(p.196-7)。
 日の丸掲揚・君が代斉唱職務命令に、おどろおどろしくも、こういう意図を感じ取るのだから、その妄想的感覚は異常に発達している、と言ってよい。
 また、「左翼」教条主義者が何かにつけて繰り返すように、かつての「戦時」体制に戻そうとしているとか、新しい「戦争」を準備しているとかと、小森や上の本の中の(当時の)現役教員たちの文章は書いている。
 <反君が代(・日の丸)運動>には(むろん「反・天皇制」と結合して)このような意識・感覚があることは、知っておいてよいだろう。
 〇5/08朝の大阪市役所での<囲み取材>の場で、毎日放送の斉加尚代は「一番訊きたかったこと」だとして、「卒業式・入学式で君が代を歌うということは何の目的ですか」、「教員、先生が歌わなければいけないのはどういう理由」か、と橋下徹に尋ねている。
 こんな質問を大阪市長(大阪府君が代斉唱条例を提案したかつての大阪府知事)にするのは、それこそ「何のため」なのかと、奇妙な感じも受けた。
 橋下が実際に答えたように、国歌だから(公立学校の儀式で歌う)、という回答が返ってくることくらい通常は予測できるだろう。それを敢えて訊くのは、よほど<反・君が代>で凝り固まった「左翼」なのだろうと思ったのだが、上に紹介した小森陽一の文章を読んで、なるほどと得心するところがあった。
 斉加尚代が上の本を読んでいるという証拠はないし、読んでいないかもしれない。しかし、<反・君が代(斉唱命令)>の立場の雑誌や書物では、上の小森のような主張が繰り返し語られていると見られ、間違いなく斉加尚代はそのような主張を読み、そしてそのように理解し、賛同していると思われる。
 つまり、斉加尚代は、おそらく間違いなく、公立学校教職員への「国歌(君が代)斉唱職務命令」は、戦前と同様に天皇を称え、戦前と同様の「軍国主義」の時代にするために、子どもたちを「軍隊の一員」とし、子どもたちに「人殺しを正当化する洗脳」をかける意図をもって、発せられている、と理解しているのだと考えられる。
 たんに漠然と<分からない>から橋下に訊いているのではなく、(表現の仕方は同じではないにしても)自らは上のように明確に「理由」・「目的」を理解して(理解したつもりになって)、橋下徹が何と答えるのか、ひょっとすれば(上のようには表向きは答えられないために)答えに窮するのではないか、とでも思って、あえて(幼稚とも感じられる)質問をしたのではないだろうか。
 斉加尚代はフェミニズム・ジェンダーフリー(「男女共同参画」?)の集会に参加して放送記者の肩書きで発言したりもしているようだが、おそらく間違いなく、松井やよりと同じく、固い「左翼」信条・心情の人物のように思われる。
 「左翼」文献ばかり読んでいると、特定の<右翼・保守>以外の者は自分と同様の考え方のはずだ、自分を理解してくけるはずだ、などという、大きな勘違いをする可能性がある。
 そのように理解すれば、一人で長々と(30分程度も)質問し続けた背景も分かる。市政記者たちによる<囲み取材>の「空気」が読めていないのだ。
 そしてまた、当日の橋下徹の回答いかんにかかわらず、<反・君が代(斉唱命令)>の立場で、基本的にはそれまでに準備し予定していたとおりに、毎日放送「ヴォイス」の特集を編成し、放映した理由・背景も分かる。
 一テレビ局(しかも関西ローカルの)の放送とはいえ、数百万人は視聴していただろう。
 「君が代斉唱命令」によって最終的には公立学校を「軍事組織」化し、子どもたちを<国家のために死ぬことのできる>兵士へと育てようとしている、と考えているような「左翼」活動家がテレビ局内に番組製作担当者として(毎日放送に限らず)存在しているだろうという現実を、深刻に受けとめる必要がある。
 前後したが、斉加尚代が「子どもたち」にどう教えたら(答えたら)よいのか、という質問の仕方をしているのも、上記の小森陽一の文章を読んでみると、理由がきちんとあることが分かる。 

1090/撃論第4号-中川八洋の東口暁・月刊WiLL批判。

 昨年10/26と11/08のエントリーで、雑誌・撃論第3号(オークラ出版)に言及している。
 同・撃論第4号(2012.04)を最近に概読した。
 前号では背中に<月刊WiLLは国益に合致するか>と書かれていて、その特集が主張したいほどではあるまいと感じた。但し、今回の号を読んで、月刊WiLL批判が当たっていると感じる程度は、少しは大きくなった。
 それは、月刊WiLL(ワック)が東谷暁や藤井聡という<西部邁・佐伯啓思グループ>メンバーに橋下徹批判を書かせていることに関係しているが、この撃論は再び(背表紙に謳ってはいないが)、橋下徹批判をしている東口暁の<TPP亡国論>を指弾する中川八洋の論考を掲載しており、かつ中川は「民族系月刊誌『WiLL』」をも大々的に批判しているからだ。
 中川は「TPP賛成派はバカか売国奴」とまで銘打ったこともある月刊WiLLにお馴染みの雑談話の堤堯と久保紘之も批判していて、久保を「テロリスト願望のアナーキスト」、堤を「無国家主義者・非国民であるのを公然と自慢」などと批判している。また、よりまともな?TPP反対論者の中野剛志も批判している。
 堤らに大した関心はないし、中野の議論には関心はあるがその本を読んでいないので、ここでは紹介はしない。
 といって東口暁のTPP亡国論批判をそのまま紹介するつもりもないが、中川八洋は東口について、こう言う。
 「TPP加盟を『日本は米国の属国になる』などと叫びながら、大中華主義に従った、日本の中共属国化である『東アジア共同体』を批判しない論など、非国民の危険な甘言にすぎない」(p.109)。
 また、「左右に巧妙に揺れる”マルクス主義シンパ”東口暁」、「『中共の犬』が本性か?」などと題して東口の論述内容を批判している(p.119-)。
 もともと東口の経済論議を信頼性が高いとは思ってはいなかったが、関心をとくに惹くのは、橋下徹はTPP賛成論者である一方、東口暁は同反対論者であり、その東口を中川八洋が、「非国民」、「マルクス主義シンパ」等と批判している、ということだ。
 中川は月刊WiLLには論及しているが、<西部邁・佐伯啓思グループ>に言及しているわけではない。だが、西部邁は橋下徹と違ってTPPに反対だと明言してもいるのだ(最近の週刊現代3/17号p.183も参照
 グループとして一致しているかは確認していないが、西部邁と東口暁はTPPについて(も)同じような考え方に立っていると理解してよく、従って中川八洋は西部邁(さらに佐伯啓思らとのグループ?)とも対立している、ということになろう。
 さらに関心を惹くのは、中川八洋は東口を、米国には厳しく中国(中共)には甘い、反共よりも反米を優先している、という観点から糾弾しているのであり、このような批判または疑問は、<西部邁・佐伯啓思グループ>に対して私が感じてきたものと基本的に同じだ、ということだ。
 「東口は”中共の犬”で、日本国の安全保障を阻害する本物の売国奴と考えてよいだろう」(p.122)とまで論定してよいかどうかは別としても、西部邁、佐伯啓思、東口暁らは、反米自立(または反近代西欧)の重要性をそのかぎりではかりに適切に強調してきているとしても、中国またはコミュニズムに対する批判を全くかほとんど行わない、という点で見事に?共通している。
 彼らについて、「左翼」と通底しているのではないかと(やや勇気をもって)書いたこともあった。この点を、中川八洋は明確に指摘し、論難しているのだ。中川からすると、東口などは「マルクス主義シンパ」の「左翼」そのものであるに違いない。
 中川八洋が共産党員・共産主義者(コミュニスト)というレッテル貼りを多くの者に対してし続けているのは、少なくともにわかには賛同できないが、しかし、中川の「反共」(少なくとも中川にとっては=「保守」)の感覚は鋭くかつ適切ではないかと私は感じている。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>は、「保守」主義を自称しつつもじつは「反米的エセ保守」ないし「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって、本来の<保守>陣営を攪乱している存在なのではないか、という疑念を捨て切れない。
 別に佐伯啓思にからめて書きたいが、西部邁・佐伯啓思らは、「日本的なもの」・「日本の伝統・歴史」なるものを抽象的ないし一般論としては語りつつも、国歌・国旗問題に、あるいは「天皇制」の問題に(皇統継嗣問題を含む)、じつに見事に、具体的には論及してきていない。中共、北朝鮮問題についても同じだ。
 なお、このグループの橋下徹批判、TPP反対論、これら自体は、日本共産党の現在の主張と何ら異なるところがない。ついでに、このグループの中島岳志は依然として、「左翼」週刊金曜日の編集委員のままだ。
 中川八洋の批判は月刊WiLLにも向けられていて、月刊WiLL=世界=前衛=しんぶん赤旗であり、「赤色が濃く滲む、保守偽装の論壇誌」と「断定して間違ってはいまい」とまで書いている(p.113)。
 これをそのまま支持するものではないが、月刊WiLLは、そして同編集長・花田紀凱は、かかる批判・見方もあることを自覚し、かつ中川八洋もまた執筆陣に加える(中川に執筆依頼をする)ことを考慮したらどうか。
 蛇足ながら、東口暁は月刊正論の「論壇時評」の現在の担当者でもある。月刊正論(産経新聞社)だからといって、すべてがまっとうな「保守」論客の文章であるわけではないことを、言わずもがなのことだが、読者は意識しておく必要がある。

1057/竹内洋・革新幻想の戦後史(2011)と「進歩的大衆」。

 〇二つの雑誌での連載をまとめた(大幅に加筆・補筆した-p.513)、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011.10)が刊行されている。
 その「はじめに」の中に以下。
 ・「『進歩的文化人』という用語は死語になったが、『進歩的大衆人』は増えているのではないか。や昔日の進歩的文化人はコメンテイターやニュースキャスターの姿で跋扈している」。
 「戦後」は終わったなどという妄言を吐いている東京大学の現役教授もいるようだが、<革新幻想の戦後史>は、現在もまだ続いている。著者・竹内もそのように理解していると思われる。
 親社会主義・<進歩>主義・<合理>主義を「知的」で「良心的」と感じる体制的雰囲気あるいは「空気」は、月刊WiLL(ワック)や月刊正論(産経)等の存在と奮闘?にもかかわらず、ましてや隔月刊・表現者(ジョルダン)という雑誌上でのおしゃべりにもかかわらず、決して弱くなっていないだろう。
 竹内洋の上掲書の終章の最後の文章は以下。
 ・「繁栄の極みにあった国が衰退し没落する例」をローマ帝国に見たが、「その再現がいま極東の涯のこの地で起こりかけていまいか。……『幻想としての大衆』に引きずられ劣化する大衆社会によって…。」(p.512)

 いかに問題があっても「日本」がなくなるわけがない、「日本」国家とその文化が消滅するわけがないと多くの人は無意識にでも感じているのだろう。しかし、歴史的には、消滅した国家、消滅した民族、消滅した文化というのはいくらでもある。緩慢にでも、そのような方向に紛れもなく向かっている、というのが筆者の決して明瞭で決定的な根拠があるわけでもない、近年の感覚だ。
 竹内によると、そのような「衰退と没落」は増大している<幻想としての・進歩的大衆>によって引き起こされる。
 〇最近、知人から、「在日」韓国・朝鮮人問題や日本のかつての歴史に関することを話題にしている、ある程度閉じられているらしい投稿サイトの関係部分のコピーを送ってもらった。
 元いわゆる「在日」で今は日本でも韓国でもない外国で仕事をしているらしき人物は、かつて(「併合」時代の)日本政府は「当時韓国でハングルの使用(読み書き話す)を禁止した」、という<歴史認識>を有している。
 この点もいつか問題にしてみたいが、とりあえず今回は省略する。
 興味深いのは、かつての朝鮮半島「併合」やかつての日本を当事者とする(大陸での)戦争に関するやりとりの中で、第三者にあたる人物が、つぎのように記していることだ。
 元「在日」の人物に対する純粋の?日本人をAをしておこう。女性らしき、「seko」または「せこ」をハンドル・ネームにしている人物は、次のように書いている。
 「A君の歴史的認識には納得できません。…。いろいろなブログで勉強しているそうですが、なんでも鵜呑みにしないで事実確認をして書き込んでほしいです。日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで年に7,8回行っていますが、反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見ています。最近、韓国ドラマが日本でもたくさん放映されていますので、A君もよかったら見てください。特に歴史ドラマは男性にはお薦めです。」 

 「私たちが生まれる前の出来事でしたが、日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実です。反日感情が大きいのも納得できますし、私たちが謝ってすむ問題でもありません。でも謝りたいです。大好きな韓国と仲良くしたいから・・・申し訳ありません。」
 こんな内容の書き込みは、私は全くといってよいほど閲覧してしていないが、このイザ!のサイトにもいくらでもあるのだろう。
 ただ、より<大衆レベル>のサイトで、今日の日本の多数派を占めるようにも思われる<大衆>の意識が示されているようで、興味をもち、引用してしまった。
 この女性は(紹介・引用をしていないが)Aの「歴史的認識」は誤っている旨を断言し、ほぼ同じことだが、「日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実」だと断言している。
 このような断定的叙述はいったいどこから生じているのか?
 村山談話(1995)、菅談話(2010)、NHKの戦争「歴史」番組等々からすると、これこそが体制的・公式的な、そして時代の「空気」を表現している見解・「歴史認識」なのだろう。
 そして、上に見られるように、生まれる前のことだが「謝りたい」とも明言している。
 これこそ、「左翼的」・「進歩的」な歴史認識そのものであり、そして過去の日本の「責任」を詫びて「謝る」のが「進歩的」で「良心的」な日本人だ(そして自分もその一人だ)、という言明がなされているわけである。いわゆる「贖罪」意識と「贖罪」史観が示されている、とも言える。
 そしてまたこれこそが、「進歩的文化人」はなくなったとしても増え続けている、竹内洋のいう「進歩的大衆人」の言葉に他ならない、と思われる。
 このような意識・認識・見解を持っている「進歩的大衆」は、どのようにすれば歴史に関する異なる見方へと<覚醒し>、<目覚める>ことができるのだろうか。
 上の人物が専門書や諸雑誌をしっかりと読んで、上のような「歴史的認識」と「謝り」の表明に至ったわけではないだろう。上で少しは触れたように、時代の「空気」、体制的な「雰囲気」なのだ。
 この人物とて、新聞広告や書店で、自らの「感覚」とは異なる見解・考え方をもつ者の本等もあることくらいは知っているだろう。
 しかし、<思い込んで>いる者は、<歴史に謙虚に向かい合わない>「右翼」がまだいる、日本人はもっともっと<反省>し、過去の「歴史」を繰り返してはならない、などと思って、そのような本や雑誌を手にしようとする気持ちを抱く可能性はまるでないのではあるまいか。
 月刊WiLL、月刊正論等々、あるいは産経新聞がいくら頑張っても届かない、<進歩的大衆人>が広汎に存在している。
 <保守>論壇や<保守>的マスコミの中にいて、仔細にわたると対立がないわけではないにしても、<閉鎖的>な世界の中であれこれと言論活動をしている人々は、<井の中の蛙>の中にならないようにしなければならない。自分たちは「進歩的大衆人」に囲まれた<少数派>であることをしかと認識しておく必要があるだろう。むろん、櫻井よしこに対しても、このことは言える。
 なお、上の女性(らしき、「seko」という人物)は「日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで…反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見てい」る、と書いて、自らの「歴史的認識」の妥当性を補強しているようでもある。
 だが、むろん、現在の韓国が、あるいは現在の日韓関係がどうであるかということの認識・見解と、かつての日本の行動の「歴史的」評価とはまるで関係がない。多少とも関連させているとすれば、「お笑い」だ。

1049/「教育」界の「左翼」支配。

 〇石原慎太郎だったか、岡崎久彦だったか、見知らぬ人からこのままで日本は大丈夫なのでしょうかと話しかけられることが多くなったというような旨を昨年あたりに書いていた。
 あえて主観的願望を抜きにした客観的な(と私には見える)状況判断をすると、すでに日本はダメになった、日本はダメになってしまっている、と思える。少なくとも、もはや元に戻れない限界点を超えている、と感じている。つまり、<保守>に勝利の見込みはもはやない。ゆるやかに(緩慢に)わが愛する日本は「日本」でなくなっていっており、その基本的な流れはもはや変えようがない。すでに41年前、三島由紀夫が予見したとおりになっている。
 但し、国内状況はそうだが、中国共産党による中華人民共和国の支配の終焉=社会主義中国の崩壊が辛うじてでも時間的に先にくることがあれば、少しは希望がある。これは、日本国民、日本の政治だけではもうダメだ、ということをも意味する。こんな思いをもって晩年を生きるのは、つらい。
 〇中西輝政のいう、教育・マスコミ・論壇という「三角地帯」のうちの「教育」が「左翼」に支配されていることは明らかで、むしろそれは自然のことかもしれない。
 高校以下の学校教育で教えられているのは、「個人」主義・「平等」(男女対等を含む)、「民主主義」・「平和(反軍事)」等々の基本理念だ。
 これらは日本国憲法の基本理念でもあり、大学教員以外の学校教育の担当者になるために必要な「教員」免許を取得するためには、「日本国憲法」は必修科目であり、実際にどの程度、どのような問題が出題されているのかは知らないが、当該免許を取得しようとする者の全員が「日本国憲法」を学習していることは間違いないだろう。
 しかして、「日本国憲法」の基本理念は何か。一口で言えば、上記の如き「左翼」的理念だ。

 かつまた、彼らが学習する日本国憲法に関する教科書・参考書類はいったいどのような者たちが執筆しているのか。日本共産党員を含む「左翼」的憲法学者に他ならない。日本の憲法学界は今日に至るまでずっと、圧倒的に「左翼」に支配されている、と言ってよいだろう。
 そのような「憲法教育」を受けた教師が、確信的「左翼」か、少なくとも「何となく左翼」になってしまうのは、自然の成り行きだ。そして、彼らは、自分たちが年少の頃に受けたような「左翼」的教育を、次の世代の子どもたちへと引き継いでいく。
 日教組・全教の組織率は低いなどと言って安心するのは愚かなことだ。あるいはまた<保守的>教科書の採択率が何倍増かしたといって喜ぶのもまだ愚かなことだ。その<保守的>教科書ですら、私には「自虐的」・「進歩的」と感じられる部分があるが、それは別としても、たかが5%程度の採択率になって喜んでいるようではダメで、まだ5%程度にすぎないと嘆く必要があるものと思われる。

 「日本国憲法」から離れて、教育学に目を向けても、この学問分野が「左翼」に支配されてきていることは、竹内洋が月刊諸君!(文藝春秋)や月刊正論(産経)の連載で示してきた。手元に置いて再確認はしないが、戦後当初の東京大学教育学部は「三M」とやらが支配し、日教組を指導した(研修集会等の講師陣を担当した等を含む)といったことも書かれてあった。
 かつて日本共産党系全学連委員長で民青同盟の幹部だった(かつ「新日和見主義」事件で査問を受けて党員権停止。その後かなり遅れて共産党を離脱した)川上徹は、東京大学教育学部出身だった。
 川上徹の自伝ふうの本は読んでいないが、彼が共産党の活動家になっていくことについて、彼が所属していた大学と学部の雰囲気は、容認的・促進的であったに違いない。
 大学を除く高校までの教員は圧倒的に教育学部系の学部出身で、「左翼」的教育学を学んでいる。彼らのほとんどが「左翼」あるいは少なくとも「何となく左翼」にならないわけがない。
 (高校・中学の)日本史の教師については、大学で学んだ「日本史」(国史)、とくに近現代史がどのようなものだったかが問われなければならず、そして、日本近現代史学は「左翼」、そして講座派マルクス主義の影響がきわめて強い。日本史の教師は、そのような「左翼」またはマルクス主義歴史学者のもとで勉強して教師になり、生徒たちに教えているのだ。
 <保守>派の教科書採択に現場教員たちの根強い抵抗があるらしいのもまったく不思議ではない。
 日本史を高校等での「必修」科目とすべきとする主張がある、あるいはすでにそれは一部では実現されているらしいが、いかなる内容の「日本史」教育、とくに明治以降の歴史教育、であるのかを問題にしないと、現状では、逆効果になる可能性もあると考えられる。「左翼」的、マルクス主義的教師担当の科目が「必修」になったのでは目も当てられない。
 政経・公民等の科目の教師については、主としては大学の法学部での教育内容および担当大学教員たちの性向が問題になる。憲法学については上記のとおりだが、全体としても、社会あるいは世間一般と較べれば、「左翼」、そしてマルクス主義の影響力が強いことは明らかだろう(「人権派」弁護士はなぜ生じてくるのかを思い浮かべれば、容易に理解できる)。
 
〇以上は、思いついた一端にすぎない。こうした「教育」現場の実態、「左翼」支配、を認識することなく、「保守」論壇・「保守的」団体という閉ざされた世界の中で、「そこそこに」有名になり、「そこそこに」収入を得て、いったいいかほどの価値があるのか、と問い糾したいものだ。<大河の一滴から>とか<塵も積もれば…>という意味・価値をむろん全否定するつもりはないが。
 例えば40万部売れたなどと自慢しているあるいは宣伝している「売文」家や出版社があるが、かりに倍の80万人に読まれたとしてもその全員が内容を支持したことにはならず、また、全員が支持したとしても、日本の選挙権者のわずか1%程度でしかない。
 雑誌や単行本の影響力は執筆者たち等がおそらく考えているよりはきわめて小さく、圧倒的多数の国民・有権者は日々の大手マスメディア、とくに大手テレビ局のニュースと一般新聞の「見出し」によって、現在の日本(・日本の政治)のイメージ・印象を形成している、と思われる。狭い世界の中で「自己満足」しているのは愚かしいことだ。

1038/中西輝政・ボイス9月号論考を読む-「左翼」の蠢動。

 やや遅れて、月刊ボイス9月号(PHP)の中西輝政「”脱原発”総理の仮面を剥ぐ」を読む。
 ・テレビに加藤登紀子と辻元清美がともに映っていたので気味が悪かったのだが、「そんなに私の顔を見たくなかったら」と菅直人が何回も繰り返したのは6/15で、上の中西論考によると、議員会館内の「再生可能エネルギー促進法成立!緊急集会」でのことで、出席者には孫正義と上の二人のほか、以下がいた。
 宮台真司、小林武史、松田美由紀、福島瑞穂。
 また、この集会自体が、多くの「左翼」団体共催のものだったらしい。中西輝政は次のように書く。
 「『反原発左翼』は死んでいない。古色蒼然たる護憲派左翼などとはまったく違い、…。…〔こんな〕集会に、総理大臣が喜色満面で出席して大熱弁を振るうこと自体が」異様なものだった。
 ・知らなかったが、民主党・菅直人政権の落日ぶりに「左翼」は落胆し右往左往しているとでも楽観的に思っていたところ(?)、中西輝政によると、以下の事態が進んでいるらしい。
 上と同じ6/15に「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」の結成が呼びかけられた。呼びかけ人は以下。
 鎌田慧、坂本龍一、内橋克人、大江健三郎、澤地久枝、瀬戸内寂聴、落合恵子、辻井喬、鶴見俊輔「ら」。
 <九条の会>と見紛うばかりの「左翼」だ。そして、中西は書く。
 「多くの心ある人びと」は「左派が組織的に動き出している。左の巨大なマシーンがうなりを上げている」と「直感」するはずだ(以上、p.82)。
 ・中西輝政の上の論考は最後の節の冒頭でこう書いている。
 「すでに『戻ってきた左派』の陣営が整いはじめている可能性があるにもかかわらず、危機感という意味で、日本の良識派はあまりにも出遅れている」(p.87)。
 そのあと、「反原発」保守とされる竹田恒泰・西尾幹二への批判的言及もあるが、その具体的論点はともかくとしても、一般論として、組織・戦略・理論、いずれの分野をとってみても、保守派は「左翼」に負けているのではないか、というのは、かねて私が感じてているところでもある。
 (歴史認識諸論点も含めて)あらゆる論点について「左翼」は執拗に発言し、出版活動を続けているが、誰か<大きな戦略>を立てている中心グループがどこかに数人かいそうな気さえする。その人物たちのほとんどは(隠れ)日本共産党員で、有力な出版社または新聞社の編集者または編集委員あたりにいそうな気がする。彼らは、このテーマなら誰がよいかと調査・情報収集したりして、新書を執筆・刊行させたり新聞随筆欄に執筆させたりしているのではないか。それに較べて保守派は……。佐伯啓思は思想家で「運動」に大きな関心はなさそうだし、中西輝政はより<政治的>に動ける人物だろうが、一大学教授では限界がある。産経新聞社の何人かが、上のような<戦略中枢>にいるとはとても感じられない。日本会議とかでは<大衆>性または知名度に欠ける(この点、岩波書店や朝日新聞の名前は威力が大きいだろう)。国家基本問題研究所なるものは、櫻井よしこがいかに好人物だとしても、屋山太郎が理事の一人だという一点だけをとっても、まるであてにならない。相変わらず、私は日本の将来に悲観的だ。

1022/産経6/20佐伯啓思「原発事故の意味するもの」を読んで。

 やや遅いが、産経新聞6/20の佐伯啓思「日の蔭りの中で/原発事故の意味するもの」への感想は以下。
 第一に、日本人は「途方もない危険を受け入れることで、今日の豊かさを作り上げてきた」が、「ほんとうのところわれわれ日本人にそれだけの自覚があったのだろうか。あるいは、豊かさであれ、経済成長であれ、近代技術への確信であれ、ともかくもある『価値』を選択的に選び取ってきたのだろうか。私にはどうもそうとも思われない」と述べたあと、次のように続ける。
 「アメリカには強い科学技術への信仰や市場競争への信仰という『価値』がある。中国には、ともかくも大国化するという『価値』選択がある。ドイツにはどこかまだ自然主義的志向(あの「森」への志向)があるようにもみえる。では日本にあるのは何なのか。それがみえないのである。戦後日本は、大きな意味では国家的なあるいは国民的な『価値』選択をほとんど放棄してきた」。
 A ここでの疑問はまず、「価値」という概念の不明瞭さにかかわる。
 戦後日本(日本人・日本国家)は「平和と民主主義」という<価値>を、あるいは佐伯啓思がもうやめようという「自由と民主主義」という<価値>を、あるいは「軽武装のもとでの経済成長」という<価値>を選び取ってきた、とも言えるのではないか。
 B むろん、『日本という「価値」』(NTT出版)を著している佐伯啓思が「価値」という語を無造作に使っているわけではないだろうし、また、上のような<価値>的なものを佐伯が忌避したい気分を持っていることも分かる(つもりだ)。また、いわゆる「価値相対主義」に対する基本的な懐疑も基礎にはあるに違いない(と思われる)。

 だが、何が日本の「国家的なあるいは国民的な」「価値」であるべきか、という問題にさらに進めば、佐伯啓思の上掲書等を読んでも、じつははっきりしていない。戦前の京都学派への関心や好意的(?)評価らしきものから漠然としたものを感じることは不可能ではないが、佐伯は上の「価値」を自ら明確に提言・提示しているわけではない。「価値」をもたない、という指摘が無意味とは思えないが、それよりも、今日の日本はいかなる「価値」をもつべきか、という問いの方が本来ははるかに重要であるはずだと思われる。
 第二に、「脱原発は脱経済成長路線を意味するし、日本の国際競争力を落とす。そのことを覚悟しなければならない。一方、原発推進は、高いリスクを覚悟でグローバルな市場競争路線を維持することを意味する。グローバルな近代主義をいっそう徹底することである」と述べる。
 この二つの間の選択は「将来像」の「『価値』選択」だとも述べており、「価値」概念との関連についての疑問も生じるが、それはここではさておくとしても、次のような疑問がただちに湧く。
 ①「脱原発」=「脱経済成長」=「日本の国際競争力」の低下、②「原発推進」=「高いリスクを覚悟」しての「グローバルな市場競争路線」の維持、という二つの選択肢しかないのか? あまりにも粗雑で、単純な(佐伯啓思らしくない)書きぶりではないだろうか。実際のところ、問題はもっと多様で複雑なような気がする。
 あえて言えば、このような二項対立から出発すれば、もともと日本国家の安定的・持続的な経済成長ですら妨害したい、<日本の経済力>への怨念をもつ、<反国家>、そして<反日>の「左翼」は、簡単に前者の①を選択するだろう。それでよいのか?

1020/国歌斉唱起立条例と日弁連会長・「左翼」宇都宮健児。

 産経新聞7/01付に、いわゆる大阪府国歌斉唱起立条例につき、賛成の百地章と反対の日弁連会長・宇都宮健児のそれぞれの発言が載っている。
 語ったことが正確に文字化されているとすれば、宇都宮健児は、「左翼」週刊紙・週刊金曜日の編集委員を務めていることからも明らかな、明瞭な<左翼>だし、論理・概念も厳密でないところがある。
 ①国歌の起立斉唱を「義務」とすることと「強制」することを同義に用いている部分がある。
 「強制」は行きすぎだ等のかたちで使われることがあるが、「左翼」の使う<強制>概念には注意が必要だ。すなわち、この条例問題に即していうと、条例によって「義務」とすることは、実力をもって起立させ、(口をこじ開けて?)歌わせることを意味するわけではないので、(もともと罰則もないのだが)「強制」概念には含まれないものと考えられる。より悪いまたはより厳しいイメージで対象を把握したうえで批判する(そして同調者を増やす)のは「左翼」活動家の常道だ。
 ②「戦前と同じ国旗国歌だから、軍国主義とか天皇制絶対主義といった社会のあり方と強く結びついている、と考える人もいるし、……」。
 ここでは、宇都宮が「天皇制絶対主義」という語(概念)を何気なく使っていることに注目したい。
 「天皇制絶対主義」とは、講座派マルクス主義(日本共産党ら)による戦前の日本の性格に関する基本認識・基本用語ではないか
 お里が知れる、というか、宇都宮はどういう歴史学を勉強してきたか、どういう歴史認識をもっているかを、はからずも示したものだろう。
 ③「起立・斉唱を強制するということは、その人の思想・良心の自由を侵害することになるから憲法違反ということだ」。
 何という単純な<理屈>だろう。すでに最高裁の三つの小法廷ともで起立・斉唱職務命令の合憲性を肯定する判決が出ており、もう少しは複雑で丁寧な論理を展開しているのだが、宇都宮はこれらの判決を知らないままでこの発言をしているのだろうか。
 といった批判的コメントをしたいが、問題なのは、かかる発言者が、日本弁護士連合会のトップにいる、という怖ろしい事実だ。
 戦前の日本を<天皇制絶対主義>と簡単に言ってのける人物が、弁護士業界のトップにいて、弁護士(会)を代表しているのだ。
 おそらくは長年にわたってそうだが、「弁護士」の世界(・組織)の中枢・最上級部分は「左翼」に握られ続けている。怖ろしいことだ。
 宇都宮は、誰にまたは誰の教科書で憲法を学習して司法試験に合格したのだろう。宮沢俊義だろうか、日本社会党のブレインでもあった小林直樹(かつて東京大学)だろうか。専門法曹、とりわけ弁護士は、特段の(司法試験以外の)勉強をしたり、一般的な本を読んでいないと、自然に少なくとも<何となく左翼>にはなっている。そして、宇都宮健児のごとく、日弁連の会長にまでなる人物も出てくるわけだ。再び書いておこう、怖ろしいことだ。
 ところで、月刊正論8月号(産経)の巻頭の新執筆者・宮崎哲弥は、思い切ったことを書いている。賛成・反対の議論のいずれにも物足りなさ・違和感を感じるとし、次のように言う。
 「いま問われ、論じられるべきは、ズバリ『愛国心を涵養するため、学校で国旗掲揚、国歌斉唱を生徒たちに強制してはならないか』ではないのか」(p.48)。
 日本の国旗国歌の沿革(それがもった歴史)を度外視して一般論としていえば、まさに正論だろう。また、沿革(それがもった歴史)がどうであれ、国会が法律で特定の国歌・国旗を決定している以上は、度外視しなくても、今日、少なくとも公立学校の「生徒たち」への「強制」(この語は厳格なまたはきちんとした「教育」・「指導」・「しつけ」等の別の表現にした方がよいが)がなされても何ら問題はないし、むしろすべきだ、という主張も成り立つ、と考えられる。

1001/読書メモ-2011年3月。竹田恒泰、池田信夫ら。

 〇先月下旬に竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を読み了えているが、第一に、それぞれの「人気がある」理由を近年の(あるいは戦後の)日本は失ってきているのではないか、との旨の指摘の方をむしろ深刻に受けとめる必要があるかもしれない。

 第二に、最後(巻末対談)の北野武との対談で、北野武は、テレビではあまり感じないが、明確に<反左翼>・<ナショナリスト>であることが分かる。
 〇池田信夫・ハイエク―知識社会の自由主義(PHP新書、2008)を、今月中の、これに言及した日以降のいずれかに、全読了。一冊の新書でこれだけの内容を書けるというのは、池田はかなりの知識・素養と能力をもつ人だと感じる。ハイエク「自由主義」とインターネット社会を関連づけて論じているのも興味深い。本文最後の文章は-「われわれはハイエクほど素朴に自生的秩序の勝利を信じることはできないが、おそらくそれが成立するよう努力する以外に選択肢はないだろう」(p.200)。

 また、池田によると、例えば、ハイエクは英国の労働党よりは保守党に「近い」が、既得権擁護傾向の強い保守党に「必ずしも賛成していない」。むしろ保守党の「ナショナリズム的なバイアス」には批判的だった、という(かなり簡潔化。p.103)。こういった関心を惹く指摘は随所にある。

 〇中川八洋・国が亡びる―教育・家族・国家の自壊(徳間書店、1997)を先日に全読了。220頁余のこの本は、日本の亡国を憂う<保守派>の必読文献ではないか。

 「男女対等(…共同参画)」とか「地方分権」とか、一見反対しづらいようなスローガン・主張の中に、<左翼>あるいは<共産主義(・社会主義)>イデオロギーは紛れ込んでいる、そして日本の(自称)<保守派>のすべてがこのことを認識しているわけではない、という旨の指摘は重要だろう。

 思想・精神・徳性の堕落・劣化・弱体化もさることながら、「想定を超える」大震災に遭遇すると、日本は<物理的・自然的>にも<自壊>してしまうのではないか、とすら感じて恐れてしまうのだが…。
 〇高山正之・日本人の目を覚ます痛快35章(テーミス、2010)をかなり読む。月刊テーミスでの連載をテーマ別に再構成してまとめたもの。

 第一章・日本を貶める朝日新聞の報道姿勢
 第二章・大江健三郎朝日新聞の奇妙な連携
 第三章・卑屈で浅薄な大学教授を叩き出せ
 第四章・米国には仁義も友情もないと知れ
 第三章の中の一文章(節)のタイトルは「朝日新聞のウケを狙う亡国学者&政治家の罪」(p.109)。
 この部分から列挙されるものに限っての「卑屈で浅薄な大学教授」らは次のとおり。倉石武四郎(東京大学)、船橋洋一(朝日新聞)、後藤乾一(早稲田大学)、青木正児、園部逸夫(元成蹊大学・最高裁判事)、門奈直樹(立教大学)、大江志乃夫、倉沢愛子(慶應大学)、家永三郎、染谷芳秀(慶應大学)、小島朋之(慶應大学)、明日香寿川(東北大学)。

 真否をすべて確認してはいないが、ご存知の教授たちもいる。それはともかく、この章の最後の文章(節)のタイトルは「文科省が任命し続ける『中国擁護』の大学教授―『日本は加害者だ』と朝日新聞のような主張をする外人教授たち」だ。

 この中に「問題は元中国人がそんな名で教授になることを許した文科省にもある」との一文もある。
 少し誤解があるようだ。大学教授の任命権は文科省(・文科大臣)にあるのではない。旧国立大学については最終的・形式的には文科大臣(文部大臣)が任用・昇任の発令をしていたが、それは各大学の、実質的には関係学部の教授会の「決定」にもとづくもので、実際上、文科大臣・文部大臣(文科省・文部省)に任命権があるわけではない。実質的にもそれを認めれば(例えば「内申」を拒否することを文科省側に認めれば)、<大学の自治>(・<学問の自由>)の侵害として大騒ぎになるだろう。

 旧国立大学においてすらそうなのだから(国立大学法人である現国立大学では学長に発令権が移っているはずだ)、私立大学や公立大学の人事(教授採用・昇格等々)について文科省(同大臣)は個別的にはいかなる権限もない。残念ながら?、文科省を批難することはできず、各大学、そして実質的には問題の?教授等が所属する学部(研究科)の教授会(その多数派構成員)をこそが批難されるべきなのだ。

 〇久しぶりに、小林よしのりの本、小林よしのり・本家ゴーマニズム宣言(ワック、2010)を入手して、少し読む。五木寛之・人間の覚悟(新潮新書、2008)も少し読む。いずれについても書いてみたいことはあるが、すでに長くなったので、今回は省略。

0968/進歩的文化人の始まり、石川達三・横田喜三郎-山田風太郎1945年日記に見る。

 山田風太郎・新装版/戦中派不戦日記(講談社文庫、2002。原文庫1985、原書1971)は、1945年(昭和20年)の、その年に23歳になる年齢の作者の日記をのちに公開したもの。公開用の削除はあるが公開された部分に修正・加筆はないだろうと思っていたが、どうやら削除すらなく、全文が掲載されているようだ。

 筆者のコメントとともに、記載されている事実自体にすら、まだ生まれてもいない者には重要な価値がある。
 以下は、「文化人」の当時の言論とそれへの批判だ。網羅的ではないかもしれない。
 ①1945年一〇月二日付の一部「『闇黒時代は去れり』と本日の毎日新聞に石川達三書く。日本人に対し極度の不信と憎悪を感ずといい、歴史はすべて忘れよといい、今の日本人の根性を叩き直すためにマッカーサー将軍よ一日も長く日本に君臨せられんことを請うという。〔二文、中略〕

 ああ、何たる無責任、浅薄の論ぞや。彼は日本現代の流行作家の一人として、戦争中幾多の戦時小説、文章、詩を書き、以て日本民衆の心理の幾分かを導きし人間にあらずや。開戦当時の軍人こそ古今東西に冠たるロマンチストなりと讃仰の歓声あげし一人にあらずや。

 彼また鞭打たれて然るべき日本人の一人なり。軍人にすべての責任を転嫁せしめんとする風潮に作家たるもの真っ先きに染まりて許さるべきや。戦死者を想え。かくのごとき論をなして、自らは悲壮の言を発せしごとく思うならば、人間に節義なるもの存在せず、君子豹変は古今一の大道徳というべきなり。〔一段落、中略〕
 この人、また事態一変せんか、『いや、あの時代はあのように書くより日本の蘇生すべき道あらざりき』などといいかねまじ。余は達三の言必ずしもことごとく斥くるものにあらず。されど彼には書く権利なく、資格なく、義務なしという。少くともこの一年くらいは沈黙し、座して日本の反省(悪の反省にあらず、失敗の反省なり)の中に生きて然るべしと思う。

 〔一文、略〕而して死者に鞭打つがごとき軍人痛撃横行せん。これはある程度まで必要ならんも、当分上っ調子なる、ヒステリックなる、暴露のための暴露の小説評論時代来らん。而してそのあとにまた反省か。――実に世は愚劣なるかな」(p.542-3)。

 「悪の反省にあらず、失敗の反省なり」とは適確だ。それにしても10月初め、まだ『真相はかうだ』とかの放送は始まっていないはずだが、9月半ばにGHQによる実質的な「検閲」が始まって以降、すでに「軍人にすべての責任を転嫁せしめんとする風潮」は始まっていたごとくだ。お先棒を担いだのは、朝日新聞、毎日新聞等のマスコミだったのだろう。

 石川達三といえば、戦時中の小説「生きている兵隊」がのちの某下級審判決における事実認定(!)にまで利用されていたことを思い出した。この「社会派」作家は戦後、文壇のトップクラス(?)にいて、文芸家たちの団体の要職にも就いていた(1905-1985)。

 ②一一月五日付の一部「東京新聞に『戦争責任論』と題し、帝大教授横田喜三郎が、日本は口に自衛を説きながら侵略戦争を行った。この『不当なる戦争』という痛感から日本は再出発しなければならぬといっている。
 われわれはそれを否定しない。それはよく知っている。(ただし僕個人としては、アジアを占領したら諸民族を日本の奴隷化するなどという意識はなかった。解放を純粋に信じていた)
 ただ、ききたい。それでは白人はどうであったか。果して彼らが自国の利益の増大を目的とした戦争を行わなかったか。領土の拡大と資源の獲得、勢力の増大を計画しなかったか。
 戦争中は敵の邪悪のみをあげ日本の美点のみを説き、敗戦後は敵の美点のみを説き日本の邪悪のみをあげる。それを戦争中の生きる道、敗戦後の生きる道といえばそれまでだが、横田氏ともある人が、それでは『人間の実相』に強いて眼をつむった一種の愚論とはいえまいか」(p.609)。
 横田喜三郎、当時東京帝大法学部教授、のち新制東京大学法学部教授、法学部長等を経て、最高裁判所長官(1896-1993)。国際法の分野の「権威」。戦後当初はGHQ初期政策迎合の「左派」だったが(かなり早い時期の上の「侵略戦争」明言もその一つだろう)、のちに<保守派>にさらに転じて最高裁長官の地位を獲得したとも言われる。

 宮沢俊義(憲法)等も含めて、戦後(とくに占領期)の大学教授たち、とりわけ東京帝大(法学部)教授たち(のちの新制東京大学法学部教授たち)の<処世ぶり>は批判的に分析しておかねばならない。それが未だ十分になされていないのは、「弟子」・「後輩」の東京大学(法学部)出身者たちが「恩師」や「先輩」を批判的・客観的に検討するのを期待しても無理がある、ということに理由があるだろう。東京大学に残って学者生活を続けた者たちだけではない。同大学出身者は日本の多くの大学に散らばって(?)かつ各分野で総じては有力な地位を占めてきたのだ。

 谷沢永一によってだっただろうか、横田は、<横田喜三郎現象>という語を使われて批判・蔑視されるようなこともしたらしい。

 上の山田の文章のあとに平林たいこへの言及があり、批判的コメントもあるが省略する。

 石川達三も横田喜三郎も上の山田風太郎日記が刊行されたとき(1971年)、まだ存命だった。その本の自分に関する部分を読んだだろうか。読んだとして、自分の生き方に、少なくとも言及されている自分のかつての文章に、羞じるところは全くなかったのだろうか。

0967/<偏っている>と言う一般新聞・一般テレビだけを見聞きしている<バカ>。

 一般新聞(全国紙)とテレビの報道(ワイドショーも含む)だけでを見聞きして世の中が解ると(ほぼ正しく認識できると)勘違いしている日本人は多すぎるのではないか。全国紙ではなく、各県紙といわれる新聞を含めてもよい。その読んでいる新聞が朝日新聞だったり、特定の「傾向」を持った地方紙であれば、「ほぼ正しく」どころか、<歪んで>日本と世界の動向を「理解」してしまうだろう(以下、とりあえず現在に限るが、<歴史認識>についてもまったく同じ)。

 上のことはもはや常識的で、何らかの雑誌・専門誌紙やネット情報を加味しないと、もはや「世の中を解る」ことはできなくなっている。一般新聞(全国紙)とテレビの報道(ワイドショーも含む)だけでも誤った「理解」をもってしまう(一定の認識へと誘導される)可能性が大なので、そのかぎりですでにマイナスだが、読んでいるのが朝日新聞だったり、ましてや日本共産党・社民党の機関紙・新聞や両党系の雑誌・冊子類だったら絶望的で、決定的で大きなマイナスになる。
 かかる大きなマイナスを受けるよりは、きちんと一般新聞を読まずほとんどテレビの報道を観ない日本人の方が、むしろ素朴でかつ本能的に適切な感覚を、日本の政治・社会の動向について抱くのではないか。

 さて、一般新聞(全国紙または地方紙)とワイドショーも含むテレビの報道だけを見聞きして世の中を理解したつもりになっている者が、この欄で書いているような内容を見聞きすると、<偏っている>と感じるらしい。

 今日の日本の一般新聞(全国紙または地方紙)とテレビの報道(ワイドショーも含む)の影響力は怖ろしいほどだ。ほとんど努力することなく一般新聞・テレビからだけ情報を入手し、専門書も論壇誌等々も読まない人々は、何となく<身につけさせられた>意識・認識が日本の中正または中庸あたりの理解・認識だと勘違いしてしまうから、じつは少なからず存在するが一般新聞のほとんどやテレビのほとんどでは表に出てきていない意見・理解・認識を示されると、違和感をもち、<偏っている>と感じてしまうのだ。

 率直にいって、一般新聞(全国紙または地方紙)とワイドショーも含むテレビの報道からしか日本・世界の情報を入手しない者は<バカ>になっているのだが、その人たちはそのことに気づいていない。<バカ>ならまだよいのかもしれないが、NHKの一部番組も朝日新聞等々も特定の傾向をもつから、<アブナい>人間になってしまっている可能性もある。

 そうなるよりは、上記のように、一般新聞(全国紙または地方紙)やワイドショーも含むテレビの報道をろくに見聴きしない方がまだましだ。

 この欄の閲覧者の大部分にとっては、全く余計なことを書いたかもしれない。

 但し、例えば<保守>論壇の中にいて、身近に<保守>的な人々ばかりがいて、日常的に<保守>的会話を交わしているような人々は、<保守>は決して多数派ではないこと、日本人の多くは一般新聞(全国紙または地方紙)やワイドショーも含むテレビの報道だけを見聞きして、一昨年8月末には多くが民主党に投票したり、昨年参院選の東京選挙区では唖然とするような票数を民主党・蓮舫に投じたりするのであることを、しかと認識しておく必要があるだろう。

 仲間うちだけの議論で満足してはいけない。「左翼」政権のもとにあること、自分たちは<少数派>であることを、本当は悲痛な思いでつねに自覚しておくべきだ。

0951/日本の社会系学者・研究者を覆う「欧米的進歩主義(・合理主義)」・「社会主義幻想」。

 一 隔月刊の歴史通1月号(ワック)で、北村稔(立命大)がこう発言している。

 「不思議なのは、中国近現代の研究者の多くが、中国を批判的に研究しようとしないこと…。社会主義の中国が好きで中国研究者になったものだから、なんでも好意的に解釈をするし、いまだに社会主義は資本主義より一段高いと思い込んでいるふしがある。そういう社会主義幻想にとり憑かれたスタンスを変えて、…共産党独裁の凄まじい現実を見据えた客観的・批判的な研究をするべきだと思う…が、そういう人が少ない」(p.67)。

 これによると、「中国近現代」の専門的研究者はいるらしいが、「多くは」いまだに「社会主義幻想」に取り憑かれていて客観的・批判的研究をしていない。

 おそるべき「中国近現代(史)」学界の現実だ。

 これでは、中国の<社会主義的市場経済>なるものの、きちんとした経済学的、社会科学的(?)分析はおそらくほとんどないのだろう。

 極論すれば、日本共産党員研究者に、日本共産党それ自体(の歴史)についての、彼等のいう「社会科学」的研究を求めるようなものかもしれない。いつか、日本共産党自体の<科学的社会主義>の観点からする自己分析をせよ、と日本共産党員学者には言ってみたいものだ。いや、そんなものはなされている、各回の党大会報告、中央委員会報告がそれに当たる、と反論されるのだろうか。

 日本の「社会科学」的、歴史的、近現代史研究の対象の大きな欠損は、日本共産党それ自体だ。

 二 なぜか、佐伯啓思西部邁西尾幹二も、日本共産党についての具体的・詳細な批判はしていないようでもある。ついでに、櫻井よしこも。当たり前のことで指摘する必要はないということかもしれないが、日本「共産」党は、日本ではまだ立派な<公党>であり、党員のみならず知的職業者(大学教員等)に対して、なお隠然たる影響力を持っている。

 佐伯啓思は上の隔月刊歴史通1月号(ワック)の書評中で、こう書いている。

 自分のように「社会科学を専攻しており、しかも、その入口でマルクス主義だの戦後進歩主義だのという六〇年代末の思潮的風潮の洗礼を受けたとなると、なかなかひとつの思い込みから脱することは難しい。それは、西欧近代は、中世・封建制を打倒して、人間の普遍的な自由を打ち出したという歴史観…。そして、日本は、…明治に西欧的近代を導入し、…戦後に改めて自由と民主主義を確立した、あるいはアメリカから『配給』された、というものだ」(p.164)。

 佐伯啓思ですらこう書いているのだから、「マルクス主義だの戦後民主主義だのという」思潮の洗礼を受けた「社会科学」専攻者の中には、上にいう「思い込みから脱する」ことができていない者が<いまだに>相当の数にのぼるほどにいることが想定される。

 佐伯は「マルクス主義」・「戦後進歩主義」という語を使っているが、これらは北村のいう(私も使っている)「社会主義幻想」(にとり憑かれること)とほぼ同じか近い意味のはずだ。

 ソ連崩壊後ほぼ20年。日本共産党が後づけでソ連は「真の社会主義国」ではなかったと主張したことが影響しているのかどうか、欧州における冷戦終了・社会主義の敗北の明瞭化のあとでもなお、日本の社会系「学界」はこの有り様なのだ。

 佐伯啓思自身が、上のあとでこう続けている。

 今日ではかかる単純な図式を描いている者は「ほとんどいまい」が、「それでも、大半の研究者は、仮に意識しないとしても、漠然とこのような見取り図を脳裏に隠し持っている」(p.164)。

 こうした、<社会>系研究者を覆っている空気のような意識が(教科書等を通じて)高校・中学の社会系教師たちに影響を与えないはずはなく、彼らの講義を聴いて単位を取って卒業して公務員やマスコミ社員(・出版社員)等々になっていく学生たちに何らかの影響を与えていないはずもなく、かくして、「マルクス主義」・「戦後進歩主義」(→欧米的「自由と民主主義」)・「社会主義幻想」に何となくであれ覆われた日本は、ますます<衰亡していく>。

0911/反日声明署名者リストと最高裁の「劣化」?

 〇前々回に掲載した、2010.05.10「韓国併合」100年日韓知識人共同声明/日本側署名者のリストを見ていて、種々の感想がわく(※付きは発起人)。
 大江健三郎鶴見俊輔という、歴史・日韓関係や国際法の専門家でも何でもない者が<日韓併合条約>無効と断じる声明に加わっている。二人は<九条の会>呼びかけ人として共通する。小田実、井上ひさしも、存命であれば加わっていたのだろう。

 東京大学教授・同名誉教授という肩書きが大学教授たちの中では目立つようだ。和田春樹※を始めとして、荒井献(名誉教授・聖書学)、石田雄(名誉教授・政治学)、板垣雄(名誉教授・イスラム学)、姜尚中(教授・政治学)、小森陽一※(教授・日本文学)、坂本義和※(名誉教授・国際政治)、高橋哲哉(教授・哲学)、外村大(准教授・朝鮮史)、宮地正人(名誉教授・日本史)。姜尚中も高橋哲哉もちゃんと(?)いた。大江健三郎等々をはじめ、出身大学を調べれば、東京大学関係者はさらに多いに違いない。

 東京大学所属だから、こういう声明にその<権威>を利用されるのか、それとも、東京大学所属(・出身者)には、他大学に比べて、この声明にも見られるような、一見良心的・「進歩的」な、<左翼・反日>主義者が多いのか?

 新聞・放送関係者で名を出しているのは、さすがに朝日新聞とNHKのみ。今津弘(元朝日新聞論説副主幹)、小田川興※(元朝日新聞編集委員)、山室英男※(元NHK解説委員長)。
 それに、かつて「T・K生」というまるで在韓国の韓国人からの通信文かの如きニセ記事を連載し続けていた岩波書店の「世界」の現役編集長が発起人として堂々と名を出していることも特記されるべきだろう。岡本厚※(雑誌『世界』編集長)。

 その他、佐高信、吉見義明(中央大学教授・日本史)等々の「有名な」者たち。井筒和幸(映画監督)が<左傾>していることは知っていたが、これに名を出すとはエラくなったものだ。

 〇前回に書いたことの、余滴。

 参政権の所在・参政権者の範囲といった国家の基本問題について、司法権の頂点・最高裁判所の憲法「解釈」が誤っていれば、いったいその国家はどうなるのか。現行憲法・法制度上、最も<権威>または<現実的通用力>のある「解釈」を示すことができるのは、最高裁判所だ(日本ではこう呼ばれる。国によっては憲法裁判所)。いくらでも自由に批判し、判例変更を求めることはできるが、現行憲法・法制度上、最高裁の判決には誰も法的には異議申立てができない。否定も含めて変更をできるのは、最高裁判所自ら(但し、大法廷)に限られる(是正するための訴訟・主張方法等をも井上は書いているが省略)。

 井上薫は園部逸夫が関与した平成7年最高裁判決の「第二段落」に対して「裁判史上永遠に残る大失敗」と最大級の批難の言葉を投げつけているが、そのように批判しても、いかに井上らの「禁止説」の方が憲法「解釈」として正当であったとしても、最高裁が採用した「解釈」がいわゆる<有権的>解釈になってしまう。

 政治性をも帯びた重要な問題につき、最高裁が<道を外せば>、是正には相当の、あるいはきわめて厳しい困難さが残ってしまう。裁判所・裁判官の頂点にいる最高裁判所(・裁判官)の<劣化>をも、心ある国民は懸念し、怖れなければならないのではないか。

0904/「共産党ではないが左翼」の社会・人文系学者たちの多さ-月刊正論11月号・竹内洋を読む。

 月刊正論(産経新聞社)連載の竹内洋「革新幻想の戦後史」は月刊諸君!(文藝春秋)から「続」となって月刊正論に移ってしばらくはもたもたしている感もあったが、先月号あたりから再び(私には)面白くなった。
 1.月刊正論11月号の竹内洋・同上は丸山真男批判(の一部。竹内には丸山真男に関する新書一冊がすでにある)。その基本的趣旨自体も興味深く、1970年代以降の丸山真男の「衰え」を再確認させる。
 丸山真男については著書・全集の一部をじかに読んだことがあり、この欄でも言及した。
 このブログサイトでの「丸山真男」を検索してみると、なんと最初から13個までが「秋月瑛二」によるこの欄がヒットした!。もう忘れたが、丸山真男を主題としたものを20回は書いただろう。

 そして、丸山真男を積極的・好意的に評価する本が今日でも新たになお出ていることも思い出して、あらゆる戦線(?)での<左翼の執拗さ>をあらためて感じる。
 2.さて、p.282-3のデータ(資料)はきわめて興味深いもので、私の推測ともほとんど合致している。
 p.282の表は、ごく大まかに一言でいうと、1973年時点の支持政党調査では、「日本人平均」では自民党が一位で二位・社会党の1.5倍ほどの支持率があるのに対して、「大学教師」の支持政党の一位は社会党、二位は民社党、三位は自民党で(「特になし」を除く)、社会党支持が自民党支持の二倍以上ある、ということだ。
 竹内の関心に即して言うと、「大学」の世界では、(1980年代前半の丸山真男による叙述とは異なり)「進歩的文化人」は「多数派」だった、ということが明瞭に判る。

 これは1973年の数字だが、現在でも、「大学」教員の世界では(「進歩的文化人」という語は今日的用語としてはあまり使われなくなっていると見られるが)、「左翼」または「何となく左翼」が(とくに社会・人文系では)<圧倒的多数派>を形成しているのではないか。
 p.283の表が示す数字の方がさらに興味深い。
 1983年時点での「保守・中間・革新」意識の調査結果によると(出典の再引用は上ととともに省略)、「中間」を割愛して「保守」対「革新」の数字だけ示せば、「一般国民」が34対24、「財界」が74対10、「官僚」が56対23であるのに対して、「マスコミ」(人)は34対46、「学者・文化人」は31対51、ついでに「市民運動」(家)は14対81、「学生」は42対46だった、という。
 27年前の数字だが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」における「革新」または<左翼>性向が明瞭に数字化されている。
 そしてまた、今日でも、その傾向は変わらないものと思われる。

 70年代(とくに前半または初頭までの)「革新」ムードは全体としては80年代には消滅または弱体化していたはずだが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」においては異なることが上の資料からは明らかだ。そしてまた、ソ連が解体し北朝鮮や中国の実態がより明らかになってきている現在でもまた、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」の<政治意識>=<左翼・なんとなく左翼>性は(驚くべきことに、また執拗にも)大して変化していないのではなかろうか。
 ここでの「左翼」とは、いつかも書いたように、<容共>志向、換言すると、<反共>の立場に立たない(立てない)政治的意識・主張・見解のことを意味させている。
 3.そういう「左翼」的雰囲気の「学者・文化人」や「マスコミ」(人)の世界において、日本共産党支持またはコミュニズム支持を少なくとも明確に示しはせず、むしろそれとは距離を置きつつも、「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と評されないことが最も<安全で・安心な>態度=処世術なのだろう。
 p.283に引用されている、2009年の某雑誌での伊藤隆(東京大学名誉教授)の次の言葉は、十分に納得がいく。
 竹内洋が使った「共産党員ではないけど、いつも共産党員に気兼ねをしている学者」という表現につなげて、伊藤隆は言う。
 「気兼ね学者は大学の人事を握っていて、リベラルということで良心が満たされる気分になると同時に利益もある…。(一文略-秋月) 学者にとって一番理想なのは、東大教授で、共産党ではないが左翼である。そして、ジャーナリズムにどんどん登場するということでしょう」。

 日本共産党を支持はしないが決して「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と呼ばれたくはない、という気分の多数の(とくに社会・人文系)「学者・文化人」さまには、上のような言葉も傾聴していただきたいものだ。
 また、「共産党ではないが左翼」で、「ジャーナリズムにどんどん登場」して(世間的)知名度も獲得したいという「東大教授」は、現に多数存在するのではないか(それを現実化している「東大教授」の名を具体的に何人かは挙げることができる)。
 くり返せば、「共産党ではないが左翼」で、学界内部でも、共産党そのものに<染まっている>わけではないが決して<反共>の立場に立たない(少なくともそれを明言しない=日本共産党に「気兼ね」する)大学教員たち、そして東京大学教授たちは、世間一般の相場に比べれば著しく多い、と想定される。現在の日本の<異常さ>はこんなところにもある。あるいは、こんなところにも起因している。 

0903/TBSよ、ナショナリズムは悪か-尖閣問題を扱った「サンデー・モーニング」。

 何度か「死んだ」はずのTBSはまだしつこく生きていて、<左翼>信条にそった番組作りをしている。
 最近の朝日新聞の尖閣諸島問題に関する二つの社説は「ナショナリズム」という語を使っていないようだ。これに対して、TBSの9/26の「サンデー・モーニング」は正面から「ナショナリズム」を問題にしてきた。
 コメンテイターの発言はそれぞれニュアンスは異なり、単色のイメージで番組を作ろうとしていたわけではない。
 だが、局(この番組担当者)自体が作成したと見られる「ナショナリズム」に関する説明・コメントは、明らかに<左>に傾いている。つまり、断定的ではないにせよ、「ナショナリズム」=悪、というイメージを撒いている。
 コメンテイター以外に登場させた佐高信は<愛郷心ならよいが、ナショナリズムは「国家」と結びつくと「必ず排他的」になる>と発言した。はたしてそうか。こんなに一般化して言えるのか? ともかくも反「国家」心情がここには示されているだろう。
 コメンテイターの一人・岸井某(毎日新聞政治部記者だったか?)は他にまともなコメントもしていたが、<歴史の教訓からして、ジャーナリズムの責任は、ナショナリズムを煽らないことだ>と発言した。朝日新聞・若宮啓文の、<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>との有名な文章を思い出す。ナショナリズムを刺激せず、沈静化するのがジャーナリズム、マスメディアの義務とでも考えているならば、とんでもない誤りであり、思い上がりだと言うべきだろう。そもそもが、ナショナリズムとの関係をさほどに強く意識していることこそが、戦後のジャーナリズム・マスメディアの奇妙なところだとは思わないのだろうか。
 短い時間の番組に期待しても無理なのだろうが、あるいは、だからこそ、「ナショナリズム」に関する単純な理解にもとづくイメージ作りをしてほしくはないものだ。
 具体的な担当者は、世界で残念ながら(?)現実化していないが<グローパリズム=善、ナショナリズム=悪>という意識・観念をもっていて、賢(さか)しらに(?)、意図をもって、番組自体のナショナリズムに関する説明等を準備したのではないのか。
 加えて、番組自体の説明・コメントとコメンテイター類の発言に共通していたのは、具体的な尖閣問題を具体的に論じることなく、一般的レベルの<ナショナリズム>に関するコメントにほとんど終始していたことだ。これも、上記番組の一種の(気のつきにくい)特徴であり、いやらしいところだった。
 日中関係問題一般に遡及することもまだ一般的抽象的すぎるところがあるが、さらに日中(・日韓)問題を念頭においたような<ナショナリズム>の問題に格上げ(?)することも、本質を覆い隠す役割を果たしている。
 尖閣諸島は日本の領土なのかどうか、その領海で中国人(たんなる船長ではない可能性がある)は何をしたのか、中国政府と日本側(政府・外務省、那覇地検)の主張の内容と対立点はどこにあるのか、等々の具体的なことをおさえずして、<ナショナリズム>の是非等をほとんど一般論レベルで語らせることは、反復するが、問題の本質を視聴者が把握することを困難にさせただろう。
 この番組は必ず観てはいないが、ときにたまたま見ていると、司会の関口宏を筆頭に<戦後教育の影響を強く受けた「何となく左翼」(これが現今の日本の多数派だ)臭>を感じて、辟易することがあった。今回も同様にうんざりするところがあったので、書いておいた。
 TBSや毎日新聞は、朝日新聞と同様に、基本的なところでは、日本(人)のナショナリズムを「刺激」したり「煽動」したりしないような「冷静な」、つまりは<中国をできるだけ批判しない>、結果的には<親中>・<媚中>の報道姿勢をとり続けるのだろう。

0895/「親中・左翼」経済人=奥田碩、御手洗富士夫、小林洋太朗、北城恪太郎ら。

 西尾幹二「トヨタ・バッシングの教訓」同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010)(初出、月刊ボイス2010年5月号)は、主として、日本の経済人批判。
 西尾によると(p.55-56)、米国の「トヨタ・バッシング」にかかわる責任は新社長・豊田章男にはなく、元社長・会長、2002以降の初代日経連会長でもあった奥田碩にある。
 西尾は言う。奥田碩は「朝日新聞が『地球市民』という言葉をはやらせたように、永年にわたり『地球企業』などと歯の浮くような甘い概念を撒き散らして、トヨタ社内だけでなく日本社会にも相応に害毒を流していた」。
 そして、奥田には「『マッカーサー鎖国』に全身どっぷりひたっているくせに、自分だけは地球規模で開かれた国際人の指導者であるかのように思いなした自己錯覚」があり、それこそが今回の「自社損傷の破局」の真因だ。
 奥田碩はその著書等で、EUの市場統合を理想として、「国や地域」にとらわれず「東アジアの連携を強化」しつつ自力で(明治維新・戦後改革に次ぐ)「第三の開国」をする必要を説いた、という(p.52-53)。
 他に、「グローバル企業」キャノン社長・前経団連会長)の御手洗富士夫や、ゼロックス会長・小林陽太郎、日本IBMの北城恪太郎も俎上に乗せられている。
 上の後二者は、中華人民共和国を日米と大差のない<ふつう>の国と見なし、同国の反発を気にして、日本の首相の靖国参拝に反対した、という(p.38-39)。
 日本の戦後の学界(・大学関係者)、文筆家(・評論家)に「左翼」=<戦後の体制派>が多いことはよく知られたこと。これらを朝日新聞や岩波書店は支えており、ある面ではリードすらしている。日本の戦後のマスメディアの主流=体制派も「左翼」。
 以上のほか、最近何で読んだのだったか、<日本の行政官僚>もまた、進歩的・合理的な志向の「左翼」、少なくとも<何となく左翼>が多いようだ。その<売国>性は、外務省官僚については、つとに指摘されてきた。
 行政官僚も日本国憲法とその下での戦後の基本的な法律等を勉強して官僚になっているのだから、日本国憲法と民法・刑法等々の「価値観」を自然に身につけていることは想像に難くない。
 立ち入らないが基本的に同じことは司法官僚、ここでは「裁判官」についても言えると思われる。日本国憲法と民法(家族法を含む)・刑法・訴訟法等々の「価値観」を身につけた優等生である彼らが、少なくとも<何となく左翼>にならないはずがない。
 自民党に所属した宮沢喜一・河野洋平等を西尾幹二は<日本を壊した>者として挙げているが、谷垣禎一・現総裁は宮沢派を継承した党内<リベラル>派で、田母神俊雄<更迭>を何ら批判しないでむしろ田母神に苦言を呈した石原伸晃や、<日本国憲法のどこが悪いんだ!>と発言していた後藤田正純が目立っているようでは(他に河野の子息も中では目立っている)、自民党も少なくとも半分は「左翼」なのかもしれない(「左翼」の理解の仕方にもよる)。
 そして、経済人、あるいは財界人。この人たちも中国市場を重視し、<グローバル(企業)>化を目指しているぎりで、国籍を失った、ナショナリズムに批判的な、「左翼」となり果てているようだ。
 何度も書いてきて厭きもするが、日本はどうなるのだろう。企業のトップにある者たちも、会社の利益のために中国を堂々と批判できないようでは<自由経済>体制は守れるのか。かりに企業のトップにある者たちの多くも民主党に投票するのだとすれば、ゾッとする想像になる。
 西尾幹二は言う。-「経済が牙を持たない限り」=「経済が国家の権力意思を示す政治の表現にならない限り」、経済自身の維持を困難にする「隘路」に追い込まれる。このことに気づかないのが「経済は経済だけで自立していて勝手に翼を広げられると思っている人々」、奥田碩、御手洗富士夫、小林陽太郎、北城恪太郎らの「現代日本の経済人」だ(p.63)。

0780/7/21TBS「ニュース23」、月刊正論8月号の潮匡人による上野千鶴子論評。

 〇たぶん衆院解散の7/21の夜のTBS系「ニュース23」にTBS政治部長とかの岩田(と聞こえた)某が登場し、その日に麻生太郎首相が民主党について党大会や議員総会の会場に日本国旗を掲げない政党だと批判的に指摘したことを捉えて、<保守層に訴えたいのだろうが、国旗掲揚は(国民の)義務ではないと言っていた筈なので違和感をもった>旨の、頓珍漢な民主党擁護発言をしていた(記憶による)。
 「国家」機構以外には日本国旗掲揚の義務はないとはいえるだろうが、大会等の場所に日本国旗を掲揚しているか否かは、どのような政党かを知るための参考材料にはなる。国旗不掲揚の真偽は確認していないが、事実だとすれば、民主党の<無国籍>ぶり、あるいは反<国歌・国旗>運動をしている日教組等との「連帯」ぶり、という民主党の性格を知る上でなかなか有益だ。
 <日本国旗を掲揚できない民主党>、これは自民党等によるアンチ・キャンペーンの一つにしてよいのではないか
 それにしても、上のようなことを言って自民党・首相批判するのが、東京キー局の「政治部長」なのだ。こんな程度の人物たちがテレビの「政治」報道や「政治」関係番組を作っているのだから、日本の政治が、そして有権者の行動が歪められないわけはない、と奇妙に納得する。

 〇月刊正論8月号(産経新聞社)の潮匡人の連載「リベラルな俗物」は今回は上野千鶴子をターゲットにし、「私怨が蠢く不潔で卑猥なフェミニスト」と題する(p.188-)。
 ご苦労な文章で、なるほど上野は「私怨が蠢く不潔で卑猥な」人物なのだろうが、潮匡人の手の負えない対象でもあるようだ。
 上野千鶴子を論じるならば、その「遊び」本は除いて、上野・家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平(岩波・1990)、上野・ナショナリズムとジェンダー(青土社、1998)あたり、とくに前者を対象にし、その<フェミニズム>の具体的内容自体を批判すべきだろう。
 上野千鶴子は、<非日本共産党系、マルクス主義的フェミニスト>だ。少なくとも、マルクス主義を利用して自らの「フェミニズム」体系?を構築しようとした人物だ。<非日本共産党系>又は<非組織系>だからこそ、マルクス主義的又は「左翼」であっても(あるいは、だからこそ)東京大学が受容したのだ。
 こうしたより本質的部分に、潮匡人の分析等は説き及んでいない。
 

 〇月刊WiLL9月号(ワック)で櫻井よしこ(「自民党に求められる覚悟」、p.60-)が「…突発的なことでもない限り、八月の選挙で民主党政権が誕生するのは避けられないだろう」とすでに書いているくらいだから(?)、八月末選挙の結果はすでにほとんど明らかなのだろう。
 自民党等政権のままで日本がよくなる保障は全くないが、民主党政権又は民主党中心政権が誕生すれば日本が<ますます悪くなる=消尽し・解体していく>のはほとんど明らかだ。当たり前のごとく、「民意・ミンイ」あるいは「民主主義」が<最善の・最も合理的な・最も正しい>選択・決定をもたらすわけではないことを指摘しておく必要がある。朝日新聞が推進し、日本共産党が容認している方向なのだから、なおさらだ。些か単純化しすぎだろうが、朝日新聞や日本共産党が主張又は容認する方向に日本が向かえば日本にロクなことはない、というのが<戦後日本の普遍的な鉄則>であることを想起する必要がある。
 多数派になるだろうと又は当選者が増加するだろうと<マスコミ>等で予想されている、そのような<空気を読んで>投票先政党を決める有権者が投票者の少なくとも5%はいそうだ(ひょっとすれば20%程度だろうか)。その5~20%によって、選挙の当落が決せられる-こんな馬鹿馬鹿しい現象はない。「民主主義」には、「国民の皆様」の判断にはとっくに幻滅しておくべきだろう。しかし、政治家もマスコミも「国民の皆様」にそんなことを公言できない。
 マニフェストの基本的項目に「防衛」の項がない政党・民主党が中心となった政権ができる……、まともな状況になるために、あと何年かかるのだろうか。取り返しがつくのならばまだよいのだが。
 日本共産党社会民主党の議席減少(ますますの「泡沫政党化」)だけが楽しみであるとは、何とつまらない選挙だろう。

0775/総選挙と「左翼全体主義」、小林よしのり編・日本を貶めた10人の売国政治家(幻冬舎新書)。

 小林よしのり編・日本を貶めた10人の売国政治家(幻冬舎新書、2009.07)をたぶん7/21-22に一気に全読了。

 第四位とされた小沢一郎の項を西尾幹二が書いている。
 近い将来につき、こう叙述又は予測する。
 小沢一郎が「主導する民主党が政権政党になり、日本の舵取りをするという場面を思い描くと、そら恐ろしい気がしてくる」。
 「近づく総選挙で万が一民主党が過半数を得た場合、小沢はぐらつく自民党に手を突っ込み、政界再編を企て、一種の『合同』政権を目指すであろう。…旗印は恐らく保守ではない。左翼全体主義に傾くような危険な政権になる可能性が高いと私が見るのは」、日本政治の小沢構想は「世界の現実の流れ」に沿っておらず「逆行しているから」だ(太字は、原文では傍点強調)。
 世界とは異なり「東アジア」は「冷戦終了」前の状態にある。「中国・北朝鮮・韓国の反日トライアングル」は日本の力を「減殺し、妨害する」「特殊な地域的条件を示している」。
 日本は「自国の民族性や宗教理念を純化」し「歴史的アイデンティティの復活に努める秋(とき)」を迎えているので、「小沢流の左翼全体主義的方向は望ましくない」(太字は、原文では傍点強調)。
 「二大政党制ではなく、理念論争がより活発に行われる多党状況が醸成されるのが今一番必要だと考える」。
 以上、p.164-5。
 こうして紹介したのも、昨秋の田母神俊雄<事件>以来使ったことのある「左翼全体主義」という語を、西尾幹二も用いているからだ。また、民主党中心政権が「左翼全体主義」化政権になる可能性が高いとの予測とそれを阻止する必要性の指摘にも同感する。
 だが、理想的にはともかく、現実的には、「理念論争がより活発に行われる多党状況が醸成される」ことはないのではなかろうか。政権与党となった(西尾は三派あるとする)民主党が分裂することはなく、自民党等の一部からの民主党への合流又は自民党等の一部の民主党との「協力」又は「連立」が進むのではないか。かかる現象は、中選挙区制ではなく、一人しか当選しない小選挙区制を基本にしていることによるところが大きいと思われる。
 愉しくはないが、現実には…という話は多い。
 産経新聞記者・阿比留瑠比のブログ上の選挙後予測は、愉しくはないが、読ませる。

0752/司馬遼太郎は嘆いていないか-司馬遼太郎賞。

 「司馬遼太郎賞」の授与は司馬遼太郎館(財団法人)の事業の一つ。
 上のこと自体に問題はない。しかし、司馬遼太郎館(財団法人)の事業に司馬遼太郎自身の意向が反映されていないことは言うまでもなく、その運営には、財団の専務理事である上村洋行(記念館長、妻・福田みどりの実弟)の意思・意向の影響が大きすぎるのではないか、との疑いを持っている。
 司馬遼太郎は「国民作家」と言われるが、明確に<反イデオロギー>、そして<反共産主義>・<反マルクス主義>の人だった。
 連載小説の多くは「龍馬がゆく」・「坂の上の雲」等を含めて産経新聞紙上等で、朝日新聞には一つも連載しなかった筈だ。朝日新聞と生前の司馬遼太郎の縁は、週刊朝日誌上の<街道をゆく>シリーズにすぎない。朝日新聞本体は、司馬遼太郎を「産経」ゆかりの作家として意識的に避けていたと推測される。週刊朝日だからこそ、まだ自由があり、冒険?もできたのだ。
 にもかかわらず、現在は朝日新聞社が週刊司馬遼太郎なる季刊雑誌?を堂々と出版しているのは何故なのだろう。遺族あるいは上記の財団や記念館の(形式的ではなく実質的な)関係者の意向によるところが大きいと推測せざるをえない。
 既に書いたことがあるが、「菜の花忌」の講演会に井上ひさしが堂々と司馬遼太郎の後継者の一人のような顔をしてときどき登場しているのにはきわめて違和感をもつ。
 不破哲三との対談本を出して日本共産党をヨイショした「左翼」(隠れ党員かもしれない)の井上ひさしは、司馬遼太郎賞の選考委員の一人でもある。5人のうちのあとの4人は、陳舜臣、ドナルド・キーン、柳田邦男、養老孟司らしい。
 選考経過の詳細は知らないし明らかにされてもいないだろうが、「左翼」(隠れ党員かもしれない)の井上ひさしの発言力が大きい可能性もある。
 第一回(1998)の受賞者が立花隆だったことにもやや首を傾げるが、近年の2回の選考結果はかなりヒドいのではないか。すなわち-。
 第11回(2008)-山室信一・憲法9条の思想水脈(朝日新聞社)
 第12回(2009)-原武史・昭和天皇(岩波新書)

 上の二人は、所謂「左翼」だ。山室信一はNHKの「JAPANデビュー」のプレ番組に現在の学者・研究者の中では唯一人だけ登場して、「左翼的」言辞を吐いた。原武史の少なくとも現在の皇室論が奇矯であることは私も感じたことがある。小林よしのりらの批判の対象になっている人物だ。
 はて、山室信一と原武史の「作品」に続けて受賞させる賞というのは、いったいどのように性格の賞なのだろう(なお、最近は当初のような人物ではなく、「作品」単位の選考らしい)。
 山室信一の上の本を一瞥してみたが、とても何らかの「賞」に値するものとは思えなかった。
 井上ひさしの推薦があったとすれば、それは当然かもしれない。井上は「九条の会」の有力メンバーだからだ。この井上以外の陳舜臣、ドナルド・キーン、柳田邦男、養老孟司はきちんと読んで、審査・評価したのだろうか。
 財団の事業の一つなので、候補の絞り込みに専務理事・上村洋行の意向が関係している可能性は大きい。

 どんな団体が誰に授賞しようと勝手だが、<司馬遼太郎>という名が冠されているとなると無関心ではおれない。
 司馬遼太郎と山室信一や原武史では<肌合い>が異なる。かつ、あとの二人は司馬遼太郎がむしろ嫌ったタイプの人間のように思われる。なぜなら、二人とも、何がしかの<イダオロギー>を、巧妙に隠そうとはしていても、持っている。
 全く余計な第三者の感想に過ぎないのだが、瞑目している司馬遼太郎は、かりに意識・「霊」があるとすれば、草葉の陰で嘆いているのではあるまいか。
 司馬遼太郎記念財団を維持・継続させるための<経営>的感覚のようなものは、司馬遼太郎が忌避したかったものに違いない。その<経営>的感覚の事業によって司馬遼太郎の本来の意思・意向・精神が継承されていればまだよいのだが、そうでは全くなくなっているとすれば、著名人の名を騙る詐欺のような<事業>になってしまうのではないか。「司馬遼太郎賞」がそうでなければよいのだが。

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