秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

進歩的文化人

1288/「進歩的文化人」は死滅したかー福田恆存、竹内洋らによる。

 福田恒存に、「進歩的文化人」と題する小稿がある。50年前の1965年に読売新聞に連載していた随筆ものの一つだ。そこに、こうある。
 「私がいつも疑問に思うことは、他国の事はいざ知らず、日本が共産主義体制になることを好まない人でも、結果としてはそうなる事に、少なくともそうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事である。そういう人を『進歩的文化人』と呼ぶと定義しても良いくらいだ。その事を当人は意識しているのかどうか」(新字体等に改めている。福田恒存評論集第十八巻p.123(2010、麗澤大学出版会))。
 これによると、「進歩的文化人」とは、当人が「意識しているのかどうか」は別として、また「日本が共産主義体制になることを好まな」くとも、「結果としては」「日本が共産主義体制になる」「可能性を助長する様なことに手を貸している」人、ということになるだろう。
 福田恒存はこのあともいくつかの文章を挿んでいるが、-むろん「進歩的文化人」なるものに批判的なのだが-分量が少ないこともあって、正確な趣旨は必ずしも掴みがたい。ともあれ、「筋金入りの共産主義者は別」として、「進歩的文化人」の中の「その大部分の良識派」はつねに建前としての真実・正義(偽善?)を語っていて、読者もそれを好み、かくして「洗脳」は無意識に行われる、というようなことを書いている(p.124)。
 この福田恒存の文章は独自に発見したのではなく、竹内洋・革新幻想の戦後史(2011、中央公論新社)の中で言及されていたので原文を探してみたのだった。しかし、よくあることだが、この竹内著のどの箇所で言及されていたのかが今度は分からなくなってしまった。その代わりに、「進歩的文化人」にかかわるあれこれの面白い叙述や文章引用を見つけた。
 竹内の生年からすると1960年代初めだろう、<福田恒存はいいぞ>とか言ったら「この人右翼よ」と言われたとかの実体験(?)の記載があるなど、上記の竹内著は-学問的労作と随筆文の中間あたりの-、戦後史を知る上でも興味深い書物で、この欄でも何度かすでに触れたかもしれない(仔細を逐一確認しないままで、以下書く)。
 「進歩的文化人」の定義としては、古く1954年の雑誌上のものだが、高橋義孝のそれが詳しい(竹内の引用による。p.316)。
 それをさらに少し簡潔にすると、①「大学の教師をして」いる、②「共産党乃至は社会党左派の同調者」、③「新聞雑誌によくものを書」く、④「よく講演旅行」をする、⑤「本当の政党的政治活動をしているような口吻」をときに漏らすが実際は一度か二度「選挙の応援弁士」になった程度、⑥とくに若い人たちの「自分の人気を気にかけ」、いつも「寵をえていたい」と思っている。
 部分的には似たようなことを、「非常に左翼的なことを言って」いながら「党員」になったり「組織に足をいれ」ることなく、生活態度は「ブルジョア的で非現実的な人々が多い」、と言う論者もある(あった)らしい(p.319-320)。
 また、上の高橋義孝の定義の別の一部について、臼井吉見は1955年に、こう述べたらしい。
 「将来の世界は社会主義の方向に進むに違いないとの情勢判断に基づいて、すべての基準を、つねに将来の方向におき、そこから逆に現実を規定し、判断するという、一種独特の思考方式にすがって怪しまぬ」(p.317)。
 また、竹内は「進歩的文化人」と共産党との関係にも論及していて、「共産党神話の崩壊」によって「進歩的文化人」批判は勢いを増したが、一方で<非共産党的(進歩的)文化人>の存在感も大きくした、あるいは共産党「同伴」知識人だったものが、共産主義・共産党という中心のない「市民派」知識人が独自に出てきた(代表は丸山真男)、というようなことも書いている(p.317-320あたり)。
 そして、竹内によると、「進歩的文化人に引導を渡したのは」、保守派ではなく「ノンセクト・ラジカル」だった、ということになるらしい(p.323)。
 面白いが、しかし、「共産党神話の崩壊」とは1955年の共産党六全協での極左冒険主義批判、1956年のソ連でのスターリン批判によるものを意味するのだから、かなり古い。2015年の今日、「共産党神話」は完全になくなっているだろうか。
 また、「ノンセクト・ラジカル」とは1970年代初頭の「全共闘」またはその一部を指しているので、これまたかなり古い。「進歩的文化人」に対する<引導の渡し>は終わっているのだろうか。
 たしかに、「進歩的文化人」という言葉はもはや死滅していると言ってよいのかもしれない。清水幾太郎や丸山真男らが活躍(?)していた頃とは、時代がまったく異なる、と言える。但し、竹内も「悪いやつには怒り可哀想な人には同情する」テレビのキャスター・コメンテイターのうちに「進歩的文化人」の後裔または現代版を見ることを完全には否定していないようだ(p.306-310)。
 テレビのキャスター・コメンテイターにまで広げなくとも、上のように定義され、特徴をもつ「進歩的文化人」は、言葉はほぼ消失していても、今日でもなお存在し続けていると思われる。
 そこでの要素は、①大学の教師でなくてもよいが、一定の「知識人」層と俗世間的には見られているような人、②社会主義・共産主義を嫌悪せず、無意識的であれ<許容・容認>している人、これとほぼ同義だが歴史は一定の「進歩的」方向に進んでいると考える、又はそう進ませなければならないと考える人、③何らかの「声明」に加わることも含めて、見解・主張の発表媒体を持っている人、ということになろうかと思われる。
 最近にこの欄で取り上げた人々を例にとれば、集団的自衛権行使容認閣議決定に対する反対声明を出している憲法学者たち、特定秘密保護法に反対する声明を出していた憲法学者・刑事法学者等たちは、ずばりこれに該当するようだ。
 その場合に日本共産党との関係に興味がもたれてよい。かつては「左翼」には社会党系、共産党系、それ以外の<純粋「市民」派>とがあったと言えるだろうが、日本社会党の消滅とそれに代わる社民党の力不足もあって、相対的には日本共産党系の力が強くなっているように見える。旧社会党系の一部を吸収した非・反共産党の<民主党左派>系「左翼」もあるのだろうが、しかしかつての社会党系が日本共産党に対する独自性をまだ発揮できていたのと比べれば、今日では日本共産党との<共闘>に傾いているように見える。
 そして、上記の憲法学者・刑事法学者たち等は、日本共産党系「左翼」であり、<共産党系進歩的文化人>だと言ってよいだろう。
 日本共産党機関紙・前衛の巻頭あたりにしばしば登場している森英樹も含まれているし、逐一確認しないが、かつて紹介したことのある、日本共産党系法学者たちの集まりである「民主主義科学者協会(民科)法律部会」の会員である者が相当数を占めているものと思われる。ひょっとすれば、ほとんど全員がそうであるかもしれない。もっとも、樋口陽一のように、元来は非共産党的「左翼」知識人・学者ではないかと思われる者も声明に加わっているように、ゆるやかであれ<容共>=「左翼」の者が賛同者ではある。かつては、日本共産党又は同党系と協調・共闘することを潔しとはしない「左翼」も存在したと思うが、叙上のように、その割合は今日では相当に落ちているようだ。
 「九条を考える会」もまた、大江健三郎に見られるように、元来は日本共産党系とは言えない運動の団体だったかもしれないのだが、日本共産党の<積極的に中に入っていく>方針に添って、今日では実質的には日本共産党系の団体・運動になっていると言ってよいだろう。旧社会党系であれ「市民」派であれ、共産党との共闘を厭わなくなってきているのだと思われる(これはかつてと比べれば大きな違いかと思われる。それだけ、「左翼」全体の量が減っているのかもしれない)。
 というわけで、共産主義・社会主義「幻想」と「進歩」幻想を基本的には身につけたままの「進歩的文化人」はまだ死滅しておらず、この人たちとの「闘い」をまだ続けなければならない。
 むろんこのように言うことは、上に挙げたような人々が日本共産党員ではない「進歩的文化人」にとどまっている、ということを言っているのではない。「進歩的文化人」の中核にはしっかりと、かつ量的にも多く、「筋金入りの共産主義者」である日本共産党員が相当数座っている。本当に闘わなければならない対象は、この者たちだ。
 そして、「日本が共産主義体制になることを好まない」人で、かつ客観的には「そうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事」に気づいていない「進歩的文化人」がいるとすれば(単純に、<戦争反対・民主主義>のためだと考えている人も中にはいるだろう)、その人たちには、できるだけ早くこのことに「気づいて」いただく必要がある。このあたりは、<民主主義・自由主義・平和主義>と<社会主義(・共産主義)>との関係にかかわってもっと論述する必要があるのだが、すでに何度も触れてきていることでもあり、とりあえず、このくらいにせざるをえない。

 

0973/長尾龍一・”アメリカの世紀”の落日(1992)の「あとがき」。

 長尾龍一・”アメリカの世紀”の落日―「極東文明化」の夢と挫折(PHP、1992)の「あとがき」は1991.12に書かれていて、こんな言葉を含んでいる。p.192。
 ・「国際政治に対する一般的立場からすれば、私は戦後一貫して、共産圏の拡大を阻止するというアメリカの政策を支持し続けてきた」。
 ・六〇年「反安保闘争の動機に疑念を提出し続けていた」。当時の反安保キャンペインの月刊誌など「汚らわしくて手続も触れないというくらいのもの」だ。
 ・「それとともに私は、マッカーサーの占領の成果に寄生しながら、共産圏に関する幻想をふりまき、西側世界を共産圏に向かって武装解除しようとしてきた左翼知識人たちに対して、いうにいえないいかがわしさを感じてきた」。「米軍を追い返し、日本を非武装化しようとする人々の意図がどこにあるのか」、彼らの「純粋な平和への願望」を「信じたことがない」。

 -このようにアメリカの基本政策に賛成しつつ、様々な観点から様々な感想をもってアメリカを観察した。その成果がこの本だ、とされている。
 長尾龍一、1938~、元東京大学教養学部教授(法思想史・法哲学)。
 上のように書く人が東京大学教養学部にいたとは、心強いことではある。
 だが、ソ連・東欧(共産党)の崩壊・解体が明瞭になっていた時点になってからの上のような言明をそのまま鵜呑みにして<称賛?>することはできず、上の本のほか、それまでのこの人の研究内容・文献をも参照する必要があるだろう。
 

0138/諸君!2007年02月号-冷戦期知識人の「責任」。

 今年の(厳密には昨年末刊行以降の)月刊雑誌の記事で最も印象に残っているのは、諸君!07年02月号(文藝春秋)の、伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」(p.34-66)だ。
 具体的な一部分にはすでに言及したかもしれない。
 この「激論」は「戦後日本の負の遺産ともいうべき、冷戦における知識人の戦争責任」につき論じるもので(櫻井、p.35)、「戦争責任」ある「冷戦における知識人」とは、私流にいえば(ソ連・)中国・北朝鮮との「冷戦」中にこれら諸国を客観的にでも応援している(した)者たちだ。
 対論中に登場する順に、一時期のことにせよ批判されている者又は批判的にとり上げられている者の名を生(・没)年の記載もそのまま引用しつつ以下に掲げる。田中角栄(1918-93)、金丸信(1914-96)、野中広務(1925-)、和田春樹(1938-)、大江健三郎(1935-)、丸山真男(1914-96)、大塚久雄(1907-96)、竹内好(1910-77)、加藤紘一(1939-)、河野洋平(1937-)、橋本龍太郎(1937-2006)、山田盛太郎(1897-1980)、石母田正(1913-2001)、井上清(1913-2001)、家永三郎(1913-2002)、遠山茂樹(1914-)、蝋山政道(1895-1980)、大内兵衛(1888-1980)、有沢広巳(1896-1988)、尾崎秀実(1901-44)、西園寺公一(1906-93)、風見章(1886-1961)、横田喜三郎(1896-1993)、石田雄(1923-)、加藤周一(1919-)、南原繁(1889-1974)、中島健蔵(1903-1979)、千田是也(1904-1994)、武田泰淳(1912-1976)、秋岡家栄(1925-)、杉田亮毅(1937-)、清水幾太郎(1907-1988)。
 対談者の専門の関係で日本史学者の名もある程度出てくる(石母田正、井上清、家永三郎、遠山茂樹)、丸山真男、石田雄、南原繁は政治学者だ。秋岡家栄は朝日新聞の元北京特派員、同社退職後は中国「人民日報」の販売代理店の代表とかの御仁だ。過日紹介した「平和問題談話会」のメンバーも多い。
 1955年の南原繁の、「中国では毛沢東主席、周恩来総理、そういう偉大な政治家を持っておる国民は非常に幸福だと思う」との発言が、中国による対日工作との関係で紹介されている(p.57)。この南原繁に対して最大級の尊敬の言を発していた立花隆(1940-)に読んでもらいたいものだ。だが、立花隆もこの南原と同じ考えだったりして!?
 なお、同誌同号には細谷茂樹「金正日をあやし肥らせた言説」との論稿もあり(p.67-75)、タイトルどおりの諸氏の言説が引用・紹介されているので、記録又は資料として価値がある。
 言説がとり上げられているのは、野中広務鳩山由紀夫不破哲三村山富市辻元清美土井たか子日本社会党石橋政嗣小田実都留重人和田春樹坂本義和安江良介(元岩波書店)、松本昌次西谷能雄(以上2名、元未来社)、朝日新聞、だ。

0079/桑原武夫・河野健二は、陸奥宗光と違い、「戦後」を覆った親マルクス主義者。

 岡崎久彦・教養のすすめ(青春出版社、2005) を捲っていたら、陸奥宗光(1844-97)が1878~93の獄中で書いた資治性理談という著書の中で「コムミュニズム」という訳語を用いて既に共産主義批判をしたとの記述が目に入った。
 陸奥は「コムミュニズム」を財産公有・職業共営・私有権力排除の派と理解し、「この学徒は…妄想を起すに至った。この徒は…欧州文明の中にあって…迷妄を免れず、一笑にも値しないものである。…これ(公平・平等)を強制して、かえって人類の幸福を損ない、快楽を制限するようならば、本来の効果を期待できない」と書いた、という。
 こんな本を読んでいる岡崎もすごいが、前々世紀末に共産主義を批判していた陸奥宗光も「偉い」人だ。陸奥は荻生徂徠やベンサムを読み、のちにはウィーンでフォン・シュタインに学んで明治日本の立憲体制を樹立した一人となった。
 何かに役立つだろうと桑原武夫編・日本の名著(中公新書、1962)を古書で買っていたのだが、丸山真男まで50人の著書を挙げ、「なぜこの50の本を読まねばならぬか」との脅迫文的なまえがきを桑原が付している。明治時代の「知の巨人」として岡崎の上掲書が挙げていた5人のうち、桑原編書と共通するのは陸奥宗光と福沢諭吉の2人。岡崎は西郷、勝、安岡正篤を挙げ、桑原編書は田口卯吉、中江兆民らを挙げる。
 単純に比較したいのではない。桑原編の上の本には、何と、50人の中に、アナーキスト・幸徳秋水大杉栄、マルキスト・河上肇野呂栄太郎山田盛太郎羽仁五郎中野重治らを含めている。丸山真男大塚久雄ら親マルクス主義者まで含めると15人程にはなるだろう。「選定はあたうかぎり幅広く、多様性をもたせたいと願った」と桑原の脅迫文は書いているが、日本の国家、社会、国民にとって「危険」な、「破壊」と「破滅」へと導く思想家等は不要で、ゼロでも構わなかった。一方、例えば、林達夫・共産主義的人間は1951年刊だが、選択されていない。
 1962年という時期にはマルクス主義者に敬意を払っておかないと学界・出版界では「処世」できなかったのかもしれず、また桑原自身がマルキストであったのかもしれないが、戦後の親マルクス主義の雰囲気が分かる。また、河野健二は、上に挙げたうち秋水、河上、野呂、山田、羽仁、大塚の項を担当して紹介の記述をしているが、彼らへの批判的言辞を(精読したわけでないので、おそらく、と言っておくが)一切、述べていない。
 桑原武夫、河野健二という二人は党派臭のない知識人というイメージもあったが、上で述べたことから少なくとも二つのことを感じる。
 一つは、戦後のマルクス主義の影響の大きさだ。彼らがそれに影響を受けたとともに、上の中公新書に見られるように、彼ら自体がマルクス主義の宣伝者だった。かりに「党派臭」がなくとも、客観的には日本社会党、日本共産党を利していた学者だった。京都大学人文研に集った「京都学派」などというという呼び方は実質を隠蔽するものだ。
 二つは、彼らはいずれもフランス革命の研究者だった。桑原は中公の世界の名著の、ミシュレ・フランス革命史の訳者でもある。そして、いずれもフランス革命を<近代>を切り拓いた「市民革命」の典型又は模範として肯定的に評価し、論述した。彼らに代表される<フランス革命観>の適切さは、中川八洋氏の本によるまでもなく、大きく疑問視されてされてよい。
 <戦後体制からの脱却>とは桑原・河野によるマルクス主義把握のイメージ、彼らの示したフランス革命のイメージからの脱却でもあるのでないか。

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  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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  • 1721/L・コワコフスキの「『左翼』の君へ」等。
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  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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