秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

宗教

1124/首相の伊勢神宮参拝は「政教分離」違反か。

 中西輝政が最近に読んだ何かの本の中で、情報=インテリジェンスの重要性に触れ、朝日新聞も重要な情報源として読んで(分析して)おく必要がある旨を述べていた。
 そのとおりではあるのだが、一私人にすぎない者にとって、資料として用いるために朝日新聞を定期購読する気にはなれない。無料で配達してくれるのならば、喜んで頂戴するのだが。
 従って、ネット上でこまめにフォローしていないと朝日新聞の重要な(面白い)社説すら見逃してしまう。産経新聞論説委員室編・社説の大研究(扶桑社文庫、2004)によると、朝日新聞は2001年に5度にわたって、小泉首相(当時)の靖国参拝に反対する社説を公にしたようだ。
 そのうちの二つめ(2001.07.05)は「総理、憲法を読んで下さい」と題し、近隣諸国への配慮「以上に心を砕くべきは」憲法20条との関係だとして、条文を引用し、「この認識が決定的に欠けているのではないか」とまで言っている。
 四つめ(2001.08.14)は「首相の靖国参拝はそもそも、憲法20条の政教分離原則に照らして疑義がある」と、ズバリ書いている(以上、p.305-6)。
 朝日新聞社発行のかつての月刊「論座」の編集長で、ときどきテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」に出ていた薬師寺克行も、朝日新聞社員だったから当然だろうが、「論座」編集部編・渡辺恒雄・若宮啓文(対談)/「靖国」と小泉首相(朝日新聞社、2006)の「あとがき」の中で、首相の靖国参拝は「政教分離」や「信教の自由」という「憲法問題も絡んで」いる、と書いている(p.109)。
 靖国神社との関係でのこのような憲法20条解釈論は、憲法学界の通説ではおそらくないだろう。
 しかし、このような議論は一定の影響力を持っているようで、おそらく合憲・違憲の結論は朝日新聞とは異なるだろうが、自民党の稲田朋美産経新聞4/17の「正論」欄で、次のように書いていた。
 「首相の靖国参拝は、対外(対中韓)的には、いわゆるA級戦犯の問題に、対内的には、憲法20条3項の政教分離問題に帰着する」。
 弁護士資格をもつ稲田にして、と言いたいところで、憲法20条・「政教分離」問題とは無関係だ、と<保守>派の論者は断言しておくべきだろう。
 なぜなら、歴代の内閣総理大臣は、民主党内閣のそれらも含めて、毎年1/04あたりに伊勢神宮に参拝しているが、朝日新聞も含めて、どのメディアもこれを批判的には報道していないし、批判する国民の声というのも読んだり、聞いたりしたことはない。
 それだけ、「定着した」、憲法上の問題は何もない慣例として受けとめられているわけだ。
 しかして、伊勢神宮(正式にはたんに「神宮」)は、戦前は別だが、神道という特定の宗教のいわば総本山に他ならない(但し、「教派神道」という神社本庁に属さない神道系神社もある)。
 靖国神社もその宗教は「神道」なのであり、伊勢神宮はよくて靖国神社はいけない、という議論は、その「宗教」性・神道系宗教施設であることを理由としては全く成り立たないものだ。
 余計ながら、最近、民主党の小沢一郎が、大阪・住吉大社、奈良・大神神社、伊勢神宮の三社を続けて参拝したとされる。
 一政治家の行為だからもともと憲法問題を生じさせないが、小沢と「宗教」(ここでは「神道」)との関係について疑念を表明するメディア(報道・記事)は全くなかったはずだ。
 靖国神社についてだけ「宗教」(「神道」)との関係を問題にするのは異様だ。
 もちろん別に理由があるからこそ、朝日新聞らは首相の靖国参拝に反対しているのだ。余計な憲法論議を靖国問題にくっつけるな、と言いたい。関連させるならば、毎年の伊勢神宮参拝についても憲法上疑義があると主張すべきだ。何という<ご都合主義>なのだろうと、あらためて指摘しておきたい。

1036/8・15-追悼・参拝・松井石根。

 〇ちょうど一年前の8/15、佐伯啓思は産経新聞「正論」欄につぎのような文章を書いていた。悪くない文章なので、勝手に一部のみを再掲して紹介。
 「死者たちに思いを致すということは、別の言い方をすれば記憶するということである。そして記憶することは難しい。もっと正確にいえば、記憶したと思われるものを思いだすことは難しい。まして、戦後生まれの者にとっては、戦死者さえも想像裏のものでしかないのだから、〔…〕想像でしかないものを『うまく』思いだすことはたいへんに難しい。だから、思いだすことは、『うまく』想像することでもあるのだ。/私にとっては、あの戦争を象徴するものは、その多くが志願して死地へ赴いた若者の特攻である。〔……〕無数の若者がいる。地獄のごとき見知らぬ密林や海原に命を散らした無数の魂がある。/その魂の思いを想像することこそが、あの場違いな時間である黙祷が暗示しているものであった。特攻は、私にとっては、そのもっとも先鋭に想像力をかきたてる表出だった」。
 「あれから六十数年が経過して、戦後日本という時間と空間を眺めるとき、多くの者が、この『戦後』なるものに戸惑い、ある大きな違和感を覚えるのではなかろうか。〔……〕と報道される国が平和国家であるなどという欺瞞はもう通用しない。/基本になっていることは、戦後日本には、われわれの精神をささえる基本的な倫理観が失われてしまった、ということなのである。〔中略〕私には、もしも戦後日本において倫理の基盤があるとすれば、それは、あの戦死者たちへ思いをはせることだけであろうと思う。それは、特攻を美化するなどという批判とは無関係なことであり、また、靖国問題とも次元の異なったことである」。
 〇今年2011年の元旦の産経新聞は菅直人の動向につき、こんな記事を載せていた。
 「菅直人首相は31日深夜、東京都府中市の大国魂神社を訪れた。首相は午後10時20分に公邸を出発。同神社に到着するとスーツから、かみしも姿に着替えて、本殿に昇ると参拝した。/その後、元日午前0時になると、本殿前で太鼓を3回叩く『初太鼓打初式』に参加して、真剣な表情で太鼓を3回叩いた」。
 確認しないが、その後たぶん1/04あたりに伊勢神宮参拝もしたはずだ。
 ところで、社民党の福島瑞穂がこんなことを言うのをテレビで見聞きしたことがある。
 靖国神社への首相・閣僚の参拝は「政教分離の観点からも、好ましくない」。
 憲法上の「政教分離の観点から」(も)靖国神社首相参拝を批判するのならば、菅直人首相による府中市・大国魂神社参拝も伊勢神宮参拝も社民党・福島瑞穂は批判すべきだろう。
 靖国神社は他の神社とは違うと言うならば「政教分離」を持ち出すべきではなく、正面から<A級戦犯合祀>を堂々と批判すべきだ。
 しかして、<A級戦犯合祀>の神社だからダメだというならば、B級・C級「戦犯」としての刑死者を祀る神社もまたダメだ、ということになるはずだ(各地にある護国神社等を含む)。そのような、<B級・C級戦犯>問題に触れない靖国参拝批判論には、どこかに明らかな誤魔化しがある。
 〇早坂隆・松井石根と南京事件の真実(文春新書、2011)によると、松井石根にゆかりのある寺社等は以下のとおり(見落としがあるかもしれない)。
 ①金沢市・宗林寺(・聖徳堂)、②知立市・知立神社(・千人燈)、③熱海市・伊豆山興亜観音+「七士の碑」、④名古屋市中村区・椿神社、⑤名古屋市・日置神社、⑥愛知県三ケ根山々頂・「殉国七士廟」、⑦御殿場市・板妻駐屯地「資料館」(民営)、⑧愛知県・長福寺、⑨(⑧付近の)桶狭間古戦場公園「石碑」。

0871/寺社への拝観料・入山料等はどこへ?

 一 「日本宗教者平和協議会」という団体があるらしい。
 ウェブサイトによると、略称の「宗平協」は、「宗教者(信者・門信徒もふくめて)で、『宗教者の良心に基づき世界の平和と人類の幸福に寄与する』という目的に賛同する人であれば、誰でも参加することができ」るらしい。基本的には、個人加入の組織のようだ。
 同じく、その<主な活動>は以下だとされている。
 「①信教の自由と政教分離の確立
 靖国神社の閣僚公式参拝や国家護持の動きなど、権力による宗教統制・利用に反対し信教の自由を守る。 宗教の側からの政治権力の利用に反対し、政教分離の原則を訴える。
 ②核兵器の使用禁止と廃絶
 核兵器禁止の国際条約の締結を要求し、全ての核兵器の廃絶を求める。

 ③軍事基地の撤去と軍事条約の撤廃
 憲法違反の自衛隊に反対し、沖縄をはじめとする日本国内の米軍基地の撤去と日米安保条約の緒廃棄を求める。

 ④日本国憲法の擁護
日本国憲法を擁護し、平和・民主主義の原則を守り発展させる。

 ⑤環境の保全と回復
 「自然と共に生き、自然の中に生かされている」ことを自覚し、環境の破壊を許さず、保全と回復につとめる。

 ⑥宗教者の国際連帯の強化
 平和五原則に基づく国際友好をすすめ、平和のための宗教者の国際連帯と相互支援を前進させる。」

 これらのうち、とくに①~④は現在の日本共産党の主張と同じだ(または、それよりも率直だ)。③では、自衛隊を「憲法違反」と明記し、国内の「米軍基地の撤去」、「日米安保条約の廃棄」をはっはりと謳っている(「緒廃棄」は原文ママだが、「諸廃棄」でも意味は通じないので、「即時廃棄」の入力ミスだろうか)。

 この団体は、次のアピールを出している。
 「2000/08/31 防衛庁長官と東京都知事に「防災演習」についての抗議と要請
  2000/06/10 森首相の「国体」発言を厳しく糾弾する
  2000/05/16 森首相の「神の国」発言に断固抗議する。
  1999/07/01 盗聴法案(組織的犯罪対策法案)廃案を求めます
  1999/06/15 「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とする法制化に強く反対します。
  1999/05/25 新ガイドライン関連法案の強行採決に抗議する
  1999/04/20 NATOのユーゴ空爆を即時停止し、紛争当事者による平和交渉の再開と、関係諸国に平和的解決を要請する
 1999/01/06 中村法相の罷免と国会の解散を要求する」

 最も上の2000/08のものは「防衛庁・自衛隊と東京都」が予定する「平成一二年度自衛隊統合防災演習」は「防衛庁・自衛隊の統合幕僚会議議長の指揮の下に大量の自衛隊員を首都へ移動させるなど、治安出動のための演習といわざるをえない」とし、「治安維持を自衛隊に期待する石原東京都知事の発言や、新ガイドライン成立によるあらたな自衛隊の『治安出動』のための法『改正』を狙う政府・自民党の策動からも裏付けられ」ると述べる。

 その下の森首相発言への抗議も含めて、→
http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/apnisyu2.htm#bousai

 一番下の中村法相うんぬんは「去る四日、中村法相が法務省内での新年集会において、『日本人は、連合国からいただいた、国の交戦権は認めない、自衛もできない、軍隊ももてないような憲法を作られて、それが改正できないというなかでもがいている』と発言したことは、歴史の事実に反し、憲法に違反し人類の進歩に逆行し、憲法改悪、『有事』参戦への布石として重大な問題を孕んでおり、何よりも憲法遵守の義務を負う法務大臣の資質の欠落を露呈したものであり黙過することはできません」と始まる。そして、「わが国の憲法は連合国から試案を提示されましたが、戦争放棄はまさに幣原首相の独創であったことをマッカサー総司令官自身が認めています」と、面白い(?)ことも断定的に書いている。

 これも含めて、下の4つの全文は、→

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/ap-nisyu.html#naka

 機関紙「宗教と平和」というのを発行しているようで、そこに示された「日本宗教者平和協議会」の(事務所・事務局の)所在地は次のとおり。

 「〒113-0003 東京都文京区湯島3-37-12 TS第7ビル502号」

 二 「日本宗教者平和協議会への加盟および平和諸団体との提携協力」を規約上の「目的」の一つとする地域的団体の一つに「奈良宗教者平和協議会(略称・奈良宗平協)」というのがある。

 ウェブサイトによると、この団体は、日本宗教者平和協議会とは別に、以下のアピールを発している。

 「2003/12/09 憲法違反のイラクへの自衛隊派兵『基本計画』決定に抗議する
 2003/03/17 イラクへの武力行使に反対する
 1998/05/20 インドの核実験に抗議する
 1996/07/27 史実に反する『従軍慰安婦発言』を繰り返す奥野誠亮衆議院に抗議し、議員辞職を要求する
 1996/06/10 中国の核実験に抗議する
 1995/11/14 フランス・中国の核実験中止と核実験全面禁止条約の締結を求める
 1995/05 ~終戦・被爆五〇年にあたって~核廃絶を呼びかける奈良県宗教者のアピール
 1994/07/24 核兵器廃絶の先頭に立ち、日本国憲法の平和的民主的原則を遵守せよ。-村山首相への抗議と要請
 1993/10 小選挙区制の導入に反対するアピール」

 ・奈良市中心部より東北の般若寺(はんにゃじ)には「原爆の恐ろしさと平和の大切さを後世に伝えるため」の「平和の火」をともす「平和の塔」というのが建っている。

 ・奈良市中心部より東南の白毫寺(びゃくごうじ)の境内には、「奈良宗教者平和協議会」と書かれた木板が入口に掛かる建物がある。

 宗教法人としての寺院そのものではなくとも、この二つの寺院の代表者または有力者が「奈良宗平協」に加入している(そして有力な構成員である)ことは間違いない。

 実際にも、上掲のアピールの最上の<イラク派兵反対>は、「奈良宗教者平和協議会 代表理事 工藤良任(般若寺住職) 宮崎快堯(白毫寺住職)」という名義で出されている。→

http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/appeal.htm

 なお、上の二つの寺院はいずれも関西に25しかない、<関西花の寺二五カ所>の番所(札所)。

 三 大阪にも「大阪宗教者平和協議会」というのがあるらしい。

 「大阪宗平協ニュース」というのを発行していて、ウェブサイトによると、最新号は2009/11/24付。

 そのニュースには12/08の「第19回定期総会」と同日の記念講演(会)の案内が掲載されている。

 「民主党政権下での『反核平和』」とのテーマで講演する(した)のは中田進という人物で、同ニュースに記載の経歴によると、「1937年生まれ」の「関西勤労者教育教会講師」で、<学習の友社>や<新日本出版社>から本を出している。この二つの出版社は実質的には日本共産党とほとんど同一。

 「大阪宗平協」の事務所(事務局)は、同ニュースの発行元の記載によると、次のようだ。

 「大阪市東住吉区今川2-8-5 正念寺内」

 四 以上のようなことに加えて、「奈良宗平協」のウェブサイトからリンクを張っている諸団体等のうち「反核平和運動・被爆者団体・個人のHP」のトップ2つは「原水爆禁止日本協議会」と「日本被爆者団体協議会」であること、いくつかの県の「~平和委員会」も含まれていること、その他の「団体」のうちトップは「自由法曹団」であること、等を加味しても、「宗教者平和協議会(宗平協)」という団体は明確に日本共産党系だ。

 より正確にいえば、日本共産党員が宗教法人内に<フラクション>を形成して活動している、というのがむしろ実態に近いかもしれない。
 代表者・有力者がこの「宗教者平和協議会(宗平協)」に加入しているような寺社への拝観料・入山料等々は、いったいどこに消えるのか、何のために使われるのか。警戒しておいても悪くはない。

0848/<仏・共連合>の成立?②(終わり)。

 二 (つづき)
 ②別の某県某市のこれまたこの地域では有名な寺院の一つを訪れてみると、残念ながら写真を撮っておらず、文書・パンフをきちんと残していないことに今気づいたのだが、本堂近くに、まるで「九条の会」が主張しているような内容のビラか冊子のようなものが置かれてあった。
 先の①の寺院(・大会)よりも露骨に、「護憲」(と「反戦」)を呼びかけるものだった。
 仏教徒にも「政治的」活動の自由はある、とは一応は言えるのだろう。また、当該寺院の責任者たちは自らの信仰と「九条の会」の主張とは矛盾してない、むしろ合致している、と考えているかもしれない。
 だが、政治的には日本共産党系の運動といってよいのが常識的だと思われる「九条の会」の主張と似たようなことを書いた文書を参拝者の目に付きやすい場所に置くとは、あまりにも「政治的」に<幼稚な>感覚というものだろう。
 その寺院にもいろいろな檀家の人々がいると思われる(訪問者・参拝者の中には、私のような者もいる)。そのような直近の人々の(檀家総会の?)同意を得て、そのような文書を作成しているのだろうか。奇妙に感じながら、その寺院の境内を後にしたものだ。
 ③つぎは、全国的にも有名と見られる、日本の大寺院10に含める人もいるかもしれないほどの大寺院でのこと。
 その寺院の某建物の廊下に、10名の人物の顔写真を掲載した大きなポスターが貼ってあった。
 その10名のうち当該寺院の宗派「管長」以外の9名は、タテ長のポスターの右上から左下への順番で書くと、益川敏英(現京都産業大学理学部教授、ノーベル賞受賞者)、秋葉忠利(広島市長、元日本社会党国会議員)、湯川れい子(音楽評論家)、坪井直(被爆者)、麻生久美子(女優)、張本勲(元プロ野球選手)、田上富久(長崎市長)、小山内美江子(脚本家)、井上ひさし(作家)。
 これだけ並べると推測がつこうが、ポスターの中心には「核兵器のない世界を・あなたの未来のために国際署名にご協力を!」と書かれている。下部には、横書きで「私たちは、/核保有国をはじめとするすべての国の政府がすみやかに核兵器禁止・廃絶の交渉を開始し、締結することに合意するようよびかけます」との一文が記載されている。
 そのまた下に小さく書かれているこのポスターの製作者名は、次のとおり。
 「〇『核兵器のない世界を』国際署名キャンペーン事務局 〇113-8464東京都文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階 原水爆禁止日本協議会気付 〔TEL、URL省略〕」
 井上ひさし小山内美江子ですでに「左翼」色は明確なのだが(よく知らないが、益川敏英もたんに名声?を「利用」されているのではない、<確信的な>活動家的信条の持ち主だと書いていた人もいる)、上記事務局の「気付」先とされる「原水爆禁止日本協議会」とはいわゆる(日本)原水協で、日本共産党系(直属の?)団体そのものではないか。

 <核兵器禁止・廃絶>を謳えば、(日本人ならば?)誰でも支持してくれる(はずの)運動であり、またそのためのポスターだと、この有名大寺院の責任者は考えているのだろうか。
 怖ろしいことだ。この寺院は、(日本共産党系・)日本原水協系の活動・運動の、この地域での拠点になっている可能性すらある。あまりも堂々と、建物内に入った者は誰でも通る廊下の壁にポスターは貼られていた。
 こんな例を見ると、①で紹介した文章は、たんなる<観念的理想家>の僧侶・仏教者が書いたのではなく、僧侶・仏教者の中にも日本共産党員は存在していて、そのような者が共産党色は出さないように用心しながら配慮して書いたのではないかとすら思えてくる。
 三 以上の三つの例の寺院はいずれも、直接にコミュニズム(または日本共産党)を支持することを明言したものではない。だが、現在の日本共産党の主張・路線と決して矛盾はしないものだ。<左翼的>(あるいは少なくとも社民党的)であることはほとんど明らかで、共産党員または親共産党の者が書いた、または責任者として貼った、という可能性も否定できない。
 <仏・共連合>という見慣れないだろう言葉を使ったのは、上のことによる。
 仏教徒が現在(とくに日本で)何をすべきかと真摯に思考することを排除するつもりはない。だが、そのような誠実で真摯かもしれない思考と活動の中に<容共(親コミュニズム)>精神が結果としてであれ浸透してきているようで、これまた<戦後>思潮の結果・成りゆきの一つとして、私は怖ろしく感じるし、強い憂慮も覚える。

0847/<仏・共連合>の成立?①

 一 かつて日本共産党と創価学会が「創共協定」なのものを結んだことがあるくらいだから、コミュニスト(共産党員を含む共産主義者、広くは親共産主義者・共産党シンパ)と仏教徒が協力関係に立っても、あるいは(少なくともとりあえずは)同一の目標を目指しても何ら不思議ではないのだろう。
 知識・勉強不足で、新興仏教(の信者たち)は別として、従来からの仏教界(やそのような仏教の信者たち)は総じて<保守>的・<伝統的>で、反「左翼」ではないかと思ってきた。
 だが、「総じて」とは決して言えないようだ。よくよく思い出して見ると、従来的な仏教寺院と仏教関係者が日本で最も多いと推測される京都府で、社・共(社会党・共産党)連合による蜷川虎三「革新」府政がしばらくの間継続したのだった(確認しないが、京都市長も社・共推薦候補が担ったことがあったはずだ)。
 二 ①2000年~2009年の間の半ばに、某県某市で「全日本仏教徒会議」の大会が開かれた。その会場となった某寺は大きな古い寺院で(少なくともその県の代表的な寺院の一つで)、本堂には皇室の菊の紋章が何カ所にも付けられていたりする。
 その大会は「出会い 緑を生き、伝えるわれら」を「開催趣旨の大会テーマ」とした。「開催趣旨」はより正確には次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水はいのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史と共に大いなる環境の変化をもたらしています。/また、世界各地で起こる争い、環境破壊、温暖化現象など人間の欲望が加害者となり、限りあるこの地球というすばらしい星を苦しめています。/みほとけの慈悲と共生のこころを21世紀から地球と子孫に伝え、さらに未来に向けてひとりひとりが真剣に考えるつどいとなるよう…〔略〕から発信していきましょう。」
 採択された「大会宣言」は次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水は、いのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し、進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史とともに大いなる環境の変化をもたらしています。/人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません。清らかな水と空気が濁りつつある今日、異常現象や自然の災害は人類の生命をおびやかしています。/21世紀に入り早くも…年が経ちました。心の時代と言われながら、しかも前回の仏教徒会議で『日本仏教者からの平和の願い』を私たちが提言したにもかかわらず、今において人間が人間の生命を奪い取るという悲しいニュースの報道は、心痛の極みであります。/このような時にあたり仏教徒として、私たちは、みほとけの慈悲と共生のこころを現代に生きる人達に伝えていきます。さらに、私たちは明日という未来に向けて、ひとりひとりが真剣に、かつ、信念に満ちた活動を実践していくことを宣言いたします。」
 以上。これらの文章は読みやすい字で書かれて木製の柱の上の掲示板に記載され、その掲示柱はその寺院の山門のすぐ傍らに立てられている。また、すぐ隣に、「出会い、緑を生き、伝えるわれら」という言葉や「全日本仏教会々長」と当該寺院の「貫首」の氏名(個人名)等を刻んだ立派な石碑がある。
 人には諸活動の自由があり、仏教徒にもあるだろう。「清らかな水と空気」の大切さを説くことに反対する気はむろんない。
 だが、大きな違和感も覚えた。たとえば、1.「進化」と「進歩」を肯定するかの如きいわば<進歩主義>は、仏教の教義と合致しているのだろうか。2.「みほとけの慈悲と共生のこころ」と言うが、実質的意味は別としても、「共生」という言葉は何かの教典に明示されているものなのか。3.仏教徒が、「人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません」と断定してしまってよいのか。
 この文章は、「左翼」的環境保護運動の活動家の書いた少しはマイルドなアジ(アジテーション)・ビラの如くでもある。民主党の「左派」(旧社会党系)や社民党が強調していることと似てはいないだろうか。<地球は人類だけのものではない>との旨の部分は、<日本列島は日本人だけのものではない>と言ったらしい鳩山由紀夫を彷彿しさえする。
 「全日本仏教徒会」なる組織・団体が日本の仏教徒・寺院のうちのどの程度を組織しているのかは知らない。だが、この寺院やこうした文章が示す考え方が仏教界において決して稀少ではないようであることは、次の②・③の例でもわかる。
 (つづく)

0711/朝日新聞4/23社説の<ご都合主義>-政教分離原則と靖国神社・伊勢神宮。

 一 新聞(一部?)報道によると、麻生太郎首相は、「集団的自衛権」に関する従来の政府解釈を改め、「集団的自衛権」の行使を肯定する方向の意向を明言した、という(この麻生発言以前の執筆と見られるが、この問題につき、月刊WiLL6月号の岡崎久彦「集団的自衛権を行使できるこれだけの理由」(p.50-)も参照)。
 結構なことだ。他にも、<非核三原則>、<武器輸出禁止三原則>などの、内閣法制局見解(解釈)に依拠したのかもしれない、政策方針が首相談話(国会での答弁)又は閣議決定(?)等で語られてきている。こんな基本的問題について国会による法律制定も議決もなく、内閣総理大臣の「一存」的なものを継続してきているのは奇妙だとは思うが、その点はとりあえず別として、そもそも憲法から導かれ出されないとも十分に考えられる上のような<-原則>の変更を思い切って行うべきだ。内閣法制局官僚が戦後当初又は占領期の「精神状態」・メンタリティでもってこうした基本的問題についての政策方針を左右しているとすれば(仮定形)、これも改めるべきだ。
 二 新聞・テレビ報道によると、麻生太郎首相は、靖国神社の春季例大祭に「真榊(まさかき)」を奉納した(私費を使って、かつ内閣総理大臣の肩書きを明記して)。
 参拝してもよいとは思うが、真榊奉納もまた結構なことだ。
 麻生首相・同内閣は、支持を高めたいならば、本来の「保守」層又は「ナショナリスト」(愛国派・国益重視派)による支持の拡大をこそ目指すべきだろう。
 三 麻生首相は今年初め、伊勢神宮を参拝した。前年は福田首相もそうしたし、その前年は安倍晋三もそうした。それ以前の首相も含めて、歴代の首相にとっての慣例にすでになっているように見える。今年正月の記憶はないが、昨年正月には、首相とは一日違いで、民主党・小沢一郎代表も伊勢神宮を参拝した、との報道があった。
 政党(野党)党首と内閣総理大臣とでは性格は異なる。
 重要なことは、あるいはここで言いたいのは、内閣総理大臣(首相)による伊勢神宮参拝について、憲法上の<政教分離>の観点からこれを疑問視したり批判するような論調は(一部の?憲法学者はともかくとして)マスコミには見られない、ということだ。少なくとも、マスコミの大勢が首相の伊勢神宮参拝を<政教分離>原則との関係で批判・疑問視することは全くなかった、と言ってよいだろう。
 朝日新聞が上のような批判・疑問視をしたという知識はないし、同社の記者が伊勢神宮参拝は「公人としてか、私人としてか」という質問を首相に対して発したという記憶はない(そういう報道はなされていないと思われる)。
 以上のことは、首相の伊勢神宮参拝を憲法(政教分離条項)との関係でも問題視しない雰囲気・論調が、朝日新聞も含む日本のマスコミにはある、ということを示している。
 四 上のことの論理的帰結は、内閣総理大臣の靖国神社参拝を、朝日新聞を含む日本のマスコミは、<政教分離>原則違反(又はその疑い)という理由では批判できない、ということの筈だ。
 伊勢神宮も靖国神社も、同じ神道の宗教施設だからだ。(厳密には、天皇家の「宗教」でもある神社神道が憲法20条で禁止される「宗教活動」という場合の「宗教」に当たるかという論点はある筈だと考えているが、今回は立ち入らない)
 前者の参拝は憲法20条(政教分離)に違反せず、後者は違反する(又は適合性は疑問だとする)、などと主張することは、論理一貫性を欠く、<ご都合主義>そのものだろう。
 ところが、朝日新聞の今年4/23社説は、麻生首相の真榊奉納は総選挙を意識した「ご都合主義」ではないかとの皮肉で結びつつ(最後部分の引用-「近づく総選挙を意識してのことなのだろうか。自ら参拝するつもりはないけれど、参拝推進派の有権者にそっぽを向かれるのは困る。せめて供え物でメッセージを送れないか。そんなご都合主義のようにも見えるのだが」)、上述の<ご都合主義>をまさしくさらけ出している
 朝日新聞の上の社説は、その一部で明確にこう書く。
 「いくら私費でも、首相の肩書での真榊奉納が政治色を帯びるのは避けられない。憲法の政教分離の原則に照らしても疑問はぬぐえない
 麻生首相はじめ歴代の首相はおそらくは私費を使ってであっても「首相」として伊勢神宮に参拝しているのだと思われる(具体的な奉納物等については知らないが、少なくとも「お賽銭」に該当するものは納めているはずだ)。
 そうだとすると、朝日新聞は、首相の伊勢神宮参拝についても、「憲法の政教分離の原則に照らしても疑問はぬぐえない」と書き、社説等で論陣を張るべきではないのか? こうした批判を、首相の伊勢神宮参拝について朝日新聞はしているのか!?
 朝日新聞の首相伊勢神宮参拝に関する全紙面を見ているわけではないので仮定形にしておくが、首相の伊勢神宮参拝を「憲法の政教分離の原則」に照らして疑問視していないとすれば、靖国神社についても同じ姿勢を貫くべきであり、靖国神社参拝・奉納についてのみ「憲法の政教分離の原則に照らしても疑問はぬぐえない」と社説(!)で書くのは、まさに<ご都合主義>そのものではないか?
 心ある者が、あるいはまともな神経・精神をもつ者が朝日新聞(社)の中にいるならば、上の疑問に答えてほしい。
 4/23社説の執筆者も含めて誰も答えられないとすれば、朝日新聞の<社説>などもう廃止したらどうか。あるいは、<政教分離>に関する記事を書く又は報道をする資格は
朝日新聞にはないことを自覚すべきではないか。
 朝日新聞がまともな・ふつうの新聞ではないことを改めて確認させてくれた4/23社説だった。こと靖国神社に関することとなると朝日新聞はますます頭がおかしくなって、論理・見解の首尾一貫性などはどうでもよくなるのだろう。
 五 なお、朝日新聞による首相靖国参拝・奉納批判の主な根拠は、4/23社説によると、「戦前、陸海軍が所管した靖国神社は、軍国主義の象徴的な存在であり、日本の大陸侵略や植民地支配の歴史と密接に重なる」ということにある。
 古いが朝日新聞2006年8/04社説はもう少し詳しく、あるいは中国・韓国関係をより強調して、「日本がかつて侵略し、植民地支配した中国や韓国がA級戦犯を合祀した靖国神社への首相の参拝に反発している。その思いにどう応えるかは、靖国問題を考えるうえで欠かすことのできない視点だ」、「あの戦争を計画・実行し、多くの日本国民を死なせ、アジアの人々に多大な犠牲を強いた指導者を祀る神社に、首相が参拝することの意味である。/戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。国を代表する首相の靖国参拝は、その原点を揺るがせてしまう。だから、私たちは反対しているのである」と書いていた。
 このあたりの(朝日新聞が行うように上のように単純に判断できる問題とは断じて思えない)論点は一回では書ききれないし、多くの人がすでに議論していることなのでここでは立ち入らない。
 六 ついでに、この3年近く前の社説でも、「憲法に関する首相の強引な解釈もいただけない。憲法20条の政教分離原則は素通りして、…」と書いてもいて、やはり<政教分離>原則の関係で(靖国神社については)疑問視していることも明らかにしている。
 もう一度書くが、では首相の伊勢神宮参拝はどうなのか? その他の神社への「内閣総理大臣」の参拝・奉納等はどうなのか?
 さらについでに。今年4/23社説では「先の大戦の責任を負うべきA級戦犯を合祀したことで、天皇の参拝も75年を最後に止まった」と、2006年8/04社説では「昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を抱き、それが原因で参拝をやめたという側近の記録が明らかになった」と書いて、<いわゆるA級戦犯合祀>が天皇陛下のご親拝中断の原因だと断定する書き方をしている。しかし、これはまだ100%明確になっていることではない、と私は理解している。
 また、先帝陛下も今上天皇も「ご親拝」はされなくとも、春秋の例大祭等の際に何らかの「奉納」(という言葉は正式には適切ではないかもしれない)はなされているのであり、それは<いわゆるA級戦犯合祀>後も続いている。天皇(皇室)と靖国神社の関係が<A級戦犯合祀>によって途絶えた、と誤解しているとすれば、又はそういう誤解を意識的に読者に広めようとしてしているのだとすれば、それは誤りであるか、一種の悪辣な<誘導>に他ならない、と付記しておかねばならない。

0651/天皇(制度)と伊勢神宮をあらためて考える-その2。

 天皇(制度)と伊勢神宮の関係にかかわる若干の諸問題については、昨年の3月~5月に何回も書かせていただいた。もともとは一宗教法人のはずの神宮(伊勢神宮)の式年遷宮について天皇陛下の「ご聴許」があった旨が宮内庁の公文書によって神宮側に通知されているという事実を知って、??と感じ、関心をもったテーマだった。
 以下は昨年の3月~5月の関係エントリーの月日。3/27に始まっている。
 03月27日、04月04日、04月05日、04月15日、04月16日、05月05日、05月07日、05月08日、05月14日。  上記の事実から始まって三種の神器(うち二つは伊勢神宮と熱田大社に本物が所在する)の所有権の帰属等にまで発展したかと思う。あらためて一瞥すると、伊勢神宮崇敬会叢書の第一号、幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(1995.08)も読んで、言及していた。大して多くない文献を読んで自分なりに思考・考察したところが多かったと思う。
 最近に(前々回に言及した)大原康男・戦後の神宮と国民奉賛(上記叢書10号、2005)と百地章・伊勢神宮と公民宗教(叢書9号、2005)の二つを読んで(読了している)、議論されるべきことはすでにほぼきちんと議論されている(私などが関与しなくとも)、という想いが強い。
 できるだけ重複は避けて(といってもかつて書いたことを記憶していないので二度書きする可能性はある)、まずは上の前者を読んで知ったことを、確認も含めてメモしておく。
 ・戦後最初の式年遷宮(第59回)は20年毎だと1949年に挙行だったところ4年遅れて1953年になったのは、戦後の日本の混乱・財政難等に原因があったのだろうと推測していたが、必ずしも正確ではなく、財政難はその通りだが、(とりわけ国費を使っての)式年遷宮の挙行自体にGHQが「難色」を示したことが決定的だったようだ。当初ははたんに遅れるだけではなく「無期延期」の状態だったようでもある(以上、p.14~p.16等)。
 ・戦後最初の式年遷宮は、天皇陛下(昭和天皇)の「ご発意」によりその準備がすでに戦前から始まっており、前半は国営、後半・最終的には「民営」という異例の形をとった(p.21。戦前の準備を除き直接の国費支弁は全くなし。この点はその後も同じ))。
 ・戦後2回めの式年遷宮(第60回=1973年)は、まず神宮側(大宮司)が「大綱」を作成し、宮内庁(長官)を通じて天皇陛下(昭和天皇)の「ご聴許」(1964.03.17)があって、作業が進められた(p.22)。
 しかし、遷宮の本質からして「一宗教法人たる神宮が先に申し出る」事柄ではないので、戦後3回めの式年遷宮(第61回=1993年)の際は、大宮司が天皇陛下(昭和天皇)に「拝謁」した際に「次期式年運営のご準備をとり進めるように」との発言を賜ったのちに「準備の大綱」を神宮側が作成し、宮内庁(長官)を通じて天皇陛下(昭和天皇)の「ご聴許」(1984.02.03)を受けて具体的な準備に入った。天皇陛下の「ご発意」により始まる、という「本来の姿」により近づいた(p.26)。
 (上のような経緯はこれまで知らなかった。-秋月)
 ・天皇陛下ご自身は遷宮の儀式(最終的な「遷御の儀」)に直接には関与されない。
 戦後最初の式年遷宮の祭主(実質的には天皇陛下の名代に当たると考えられる-秋月)は北白川房子・明治天皇内親王で、皇族代表としての列席は高松宮宣仁殿下(昭和天皇の弟)(p.20)。
 戦後2回めの式年遷宮の祭主は鷹司和子・昭和天皇内親王(今上天皇の第三姉)で、皇族代表としての列席は常陸宮正仁殿下(今上天皇の弟)。
 戦後3回めの式年遷宮の祭主は池田厚子・昭和天皇内親王(今上天皇の第四姉)で、皇族代表としての列席は秋篠宮文仁殿下(今上天皇親王、皇太子殿下の弟)。
 天皇陛下はいずれの回も「出御」(「遷御の儀」のためにご神体とともに新正殿地に向けて出立することだと思われる-秋月)の時刻に合わせて、皇居内で神宮を「遙拝」された。(なお、内宮と外宮の二つあるので二日に分けて「出御」・「遷御の儀」は2回あった筈だ-秋月)
 ・戦後最初の式年遷宮(1953)の翌春(1954.04.08)に昭和天皇・香淳皇后が神宮をご親拝された際の、天皇陛下御製は次のとおり。
 「伊勢の宮に詣づる人の日にましてあとをたたぬがうれしかりけり」。
 (次回の式年遷宮は上記のことから明らかなように、2013年だ。内宮入口の宇治橋の立て替え(正確には別の箇所での新しい橋の建設)がすでに進んでいる)。

0600/伊藤謙介による山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)の書評(産経新聞)。

 産経新聞10/04の「書評倶楽部」で、伊藤謙介(京セラ相談役)が山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)を紹介・論評している。
 この本の引用又は要約的紹介なのか評者自身の言葉なのかを自信をもって区別できないが、おそらくは前者の中に、印象的な叙述がある(それ自体はほとんどは評者の文章だ)。
 山折哲雄のこの本によると、次のように整理されるらしい。
 ①A「信じる宗教」は<一神教>で、B「感じる宗教」は<多神教>。
 ②A一神教は「砂漠」の産で、B多神教は「緑なす山野」のもの。
 ③A「信じる宗教」は「天上の絶対的存在」を信じることで、「自立する声高に主張する『個』がキーワード」。
 一方、B「感じる宗教」は「地上の豊かな自然の中に神や仏の気配を感じること」で、「寂寥のなかで静かに耳を澄ます『ひとり』がキーワード」。
 私が挿入するが、日本の神道・仏教が(とくに神道が)Bであることは明らかだ。日本人の殆どは無宗教ではなく、本来は、「信じる」<一神教>ではない、「緑なす山野」の、「感じる」<多神教>の宗徒ではないか。
 山折哲雄はさらに次のように主張・警告しているらしい。
 <現代は「信じる宗教」にのみ「憧れと脅威の眼差しを注ぐ」「個の突出した時代」なのだが、「人間を越えた存在の気配を感じ取ることこそが必要」だ。それが「個、自己中心主義の抑圧に繋がるから」。
 以下は私の文による書き換えだが、欧米の一神教を背景とする「個の突出した時代」が現在日本の中心・本流にあるようだが、「個、自己中心主義の抑圧」のために、「感じる」<多神教>をもとに、「人間を越えた存在の気配を感じ取る」ことが必要だ、と主張しているようだ。
 多分の共感をもって読んだ。「信じる」<一神教>を背景とする、欧米的「個」は、本来、日本人にはふさわしくないのではないか。そして「自立する声高に主張する『個』」、「個の突出」、「個、自己中心主義」こそが、戦後の日本と日本人をおかしくしてしまったのではないか。
 樋口陽一を引き合いに出して語ってきたこともある欧米的「個人主義」批判と通底する部分が、山折の本にはありそうだ(まだ入手していないのだが)。
 以下は、評者・伊藤謙介の文章だと思われる。なかなかに<美しい>。
 「私たちは今、個が我が物顔に振る舞う、喧騒と饒舌の時代を走り続けている。/だからこそ、ときにたち止まり、星月夜を眺めつつ、悠久の時の流れに身を投じ、生きることと死ぬことに思いをはせたい」。

0577/憲法学者・樋口陽一のデマ5-神道は多神の「自然信仰」。

 憲法研究者の多くは、日本国憲法上の政教分離原則に関して、津地鎮祭訴訟最高裁判決が示した<目的効果基準>を説明し、その後の諸判決が事案の差違に応じてどのようにこの一般論を厳格にあるいは緩やかに適用しているかを分析したりするのに忙しいようだが、そもそも政教分離関係訴訟で問題になることの多い-それ自体から訴訟の提起の「政治」性も感じるのだが-<神道>なるものについて、いかほどの知見を有しているのだろうか。
 樋口陽一・個人と国家―今なぜ立憲主義か(集英社新書、2000)には、神道に関する次のような叙述がある(p.147)。
 ①明治政府は天皇・皇室を「社会の基軸」にしたかったが、「後ろ楯になる権威」がなかった。「そこでつくられたのが、国家神道」だ。
 ②「神道といっても、日本の従来の神道というのは多神教で、山の神様があったり、川の神様があったり、お稲荷さんがあったり、つまり自然信仰でしょう」。
 ③神道は「そのままでは皇室を支えるイデオロギーになりそうもない」。それで、「従来の自然信仰の神道」を「国家神道として再編成」した。
 神道に関する知識の多さ・深さについて自慢できるほどのものは全く持っていないが、その私でも、とくに上の②には驚愕した。
 神道=「自然信仰」だって?? このことが上の③の前提になっている。
 たしかに「自然」物を祭神とする神社もある(代表例、奈良県の大神神社)。また、基礎的には<太陽>こそが神道の究極の崇敬・祭祀の対象だったと思えなくもないし(素人談義なので許されたい)、その他の自然(・自然現象)に<神>を感じてきたことも事実だろう。それが日本人の<心性>だ。
 だが、絶対に神道=「自然信仰」と=で結ぶことはできないことは、常識的なことで、日本国民のほとんどが知っていることではないか。
 第一に、神道は皇室の祖先をも皇祖神として<神>と見なしている。記紀の<神代>との言葉ですでに示されているかも知れない。代表的には、現在の天皇・皇室の皇祖とされる天照大御神こそが<信仰>等の対象であり、<八幡さん>で知られる応神天皇も、神功皇后も、現在の天皇・皇室の祖先であり、かつかなり多くの神社の祭神とされている(樋口陽一は、知っている神社の祭神を調べて見ればよいだろう)。
 第二に、現在の天皇・皇室の祖先とされているかは明瞭ではないが、記紀に出てくる多数の<神>を祭神とする神社も少なくない。なお、各神社の祭神は、通常は複数だ。
 第三に、皇室関係者以外の<傑出した>人物が祭神とされ、<信仰>等の対象になっている場合がある。
 天満宮(天神さん)は菅原道真を祀る(怨霊信仰と結びついているとも言われる)。日光東照宮は徳川家康を神として祀る(「東照」という語は「天照」を意識しているとも言われる)。豊臣秀吉を祀る豊国神社もある。
 念のためにいうが、以上は、すでに江戸時代以前に存在したことで、「国家神道」化以降のことではない。
 神道における又は日本語としての「神(カミ)」とは<何か優れたものを持つもの>又は<何か特別なことをすることができるもの>とも理解されているらしい(本居宣長の説だっただろうか。何で読んだかの記憶は不明瞭だが、井沢元彦も何かに書いていた)。
 というわけで、さしあたり<神社神道>に限っても、樋口陽一の、神道は、山も川も神様とする多神教の「自然信仰」だ、という理解は明らかに誤っており、完全な<デマ>だ
 神道の理解がこの程度だと、かつての国家神道についても、現在まで続く天皇制度の由来・歴史についても、<宮中祭祀>(神道による)についても、不十分な、かつ誤った知識を持っている可能性が高い。この程度の前提的知識しかなくて、よくも憲法上の政教分離原則について滔々と?語れるものだ。この点に限られないが、ちょっとした知識・知見で大胆なことを断言する樋口陽一の「心臓」には驚くことが多い。

0512/宗教・政教分離・大嘗祭あれこれ-大原康男・小堀桂一郎らの論述。

 一 ドイツでは、市町村又は基礎的自治体のことを「ゲマインデ(Gemeinde)」というらしい。「ゲマイン」という部分は、ゲマインシャフト(Gemeinschaft=「共同体」)とも共通する語頭だろう。
 この程度の知識をもってドイツの標準的・平均的な国民の一人と思われる某人とドイツ滞在中に話していたら、その人は「ゲマインデ(Gemeinde)」という語で連想するのは、まずは「教会」だ、という旨を言ったのでやや驚いた。あとで、ドイツの(小さくとも美しい又は可愛い)「ゲマインデ(Gemeinde)」にはたいていは街の中心部の広場に面して(プロテスタント系の?)教会が存在していて、すぐ傍らに役場もある、したがって、地域自治体(「ゲマインデ」)の宗教的拠点又は一種の霊的(聖的)な集会場所として、「教会」は「ゲマインデ」を連想させるのだろう、などと漠然と考えていた。
 二 田中卓=所功=大原康男=小堀桂一郎・平成時代の幕明け-即位礼と大嘗祭を中心に-(新人物往来社、1990)の共著者の4つの論文を殆ど読了した。上のようなことを書いたのも、<宗教>にかかわって、何となく連想してしまったから。
 1 大原康男「政教分離をめぐる問題」によると、①最高裁が津地鎮祭訴訟判決(1977.07.13)で国・地方公共団体も「一定の条件のもとで宗教と関わることができるという限定的分離主義」(「目的効果基準」等を用いた個別的・実質的判断)を採用したにもかかわらず、「完全分離主義の誤った解釈を今なお憲法学者とマスコミがあきもせず墨守している」(p.123、p.127)。
 この指摘のとおりだとすると、「憲法学者とマスコミ」の責任は重大だ。政教分離原則違反を原告が主張する訴訟の多さも、「憲法学者とマスコミ」に支えられ、又は煽られているのかもしれない。
 また、大原・同上によると、②占領中の1951年に貞明皇太后(今上天皇の祖母・昭和天皇の母)が崩御されたあと、皇室の伝統・慣例により(戦前は法令の定めがあったので事実上はこれに則り)神道式で、国費で支弁して「国の儀式」として「事実上の準国葬」として御葬儀が挙行された(p.115-6)。1949年11月に当時の参議院議長・松平恒雄(会津松平家・秩父宮妃の父)が逝去した際の葬儀は「参議院葬」として(つまり国費を使って)「神式」で行われた(p.121)。1951年に幣原喜重郎(元首相・前衆議院議長)が逝去した際の葬儀は「衆議院葬」として(つまり国費を使って)「仏式」(真宗大谷派)・築地本願寺で行われた。同じく1951年、長崎市名誉市民・永井隆が逝去した際の葬儀は長崎「市民葬」として(つまり市費を使って)「カトリック式」・浦上天主堂で行われた。これらにつき、GHQは何もクレームを付けなかった(松平恒雄の葬儀ではマッカーサーは葬儀委員長あての哀悼文すら寄せた)(p.115-6、p.121-2)。大原による明記はないが、マスコミ・国民もこれらをとくに問題視しなかったと思われる。
 しかるに、と大原は今上天皇による大嘗祭ついて論及するが、尤もなことだ(但し、大嘗祭は「宗教上の儀式」との理由で「国事行為」とはされなかったが、「私的行為」とされたわけでもなく、皇位継承にかかわる「公的性格」があるとされ、皇室経済法上の「宮廷費」から費用が支出された、ということも重要だろう。p.136-7の資料(政府見解)参照)。
 そして思うに、<南京大虐殺>が戦後当初、東京裁判の際もさほど大きくは取り上げられなかったにもかかわらず、のちに朝日新聞の本多勝一のルポ記事によって大きな<事件>とされ<政治・歴史問題>化したのと同様に、<政教分離>問題の浮上も、戦後当初は(国家と宗教の分離には厳格だった筈のGHQ占領下ですら)大きな論争点ではなかったのに、一部の<左翼>や「政治謀略新聞」・朝日新聞等が<政治・憲法問題>化するために騒ぎ立てた(?)ことによるのではないか、という疑念が生じてくる。
 2 小堀桂一郎「国際社会から見た大嘗祭」は君主・国王をもつ外国各国における<国家と宗教>の関係につき有益だ。
 但し、①折口信夫による「天皇霊」という概念を持ち出しての大嘗祭の性格づけ(p.157~)は不要ではないかと、素人ながら、感じた。第一義的には天皇・皇室自体が判断されることだが、皇祖・天照大神に新しい食物(その年の新しい収穫物による米飯)を捧げ、かつ新天皇も同じそれを食すること等によつて<一体化>をシンボライズする、天皇家と「日本」国家の「歴史」を継承するための<歴史的・伝統的な>儀礼なのではないか(不必要に「秘儀」化することもないだろう)。
 ②「宗教的」とは何か、とはまことに重要な問題だ(p.171)。あらためて、日本国憲法20条等がいう「宗教」あるいは「宗教活動」の厳密な意味を問いたい。小堀は西洋近代の「宗教」概念と「日本古来の祭儀儀礼…」は同じではない、キリスト教・イスラム教・仏教それぞれに特有の「宗教的」な面があるとしても「平均値をとってすむような、普遍的概念」としての「宗教的」なるものはない、と述べる(p.170-1)。これらは正鵠を射ている指摘だろう。
 宗教を、あるいは神道を(反「神道」意識→反<天皇制度>感情)、政治的闘いの道具にするな、あるいは社会的混乱を生じさせるための手段として使うなと、ある種の政治的活動団体に対しては、朝日新聞も含めて、言いたい。

0496/幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か-再述。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11、伊勢神宮崇敬会叢書1)に言及した昨日同時刻の書き込みには、この本の文章の位置づけ等に関して一部不正確なところがあった。第二の方に関係する。
 神鏡は伊勢神宮に在り、それは天皇(家)の私有財産であることを「前提として」とこの書の一部を引用したが、「神宮制度是正問題」(p.13~)を読んでいて、「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」との感想・疑問・主張は、昭和32年度に発生した「神宮制度是正問題」の当初の頃のものだと判った。順番は逆で、このような問いかけの結果、独立後8年以上も経って!、神鏡は「皇位」とともに存在する、天皇の(私有)財産であることを政府が認めた、のだった。
 そしてまた、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」というのもその当時の当初の態度で、下記のとおり、国会での正式な回答を池田勇人内閣が行っている。
 上記書のうち「神宮制度是正問題」(p.13~)の本文はこの問題の経緯概要をまとめた14頁半で、計63頁のうち48頁半は<関係資料>の掲載に充てられている。
 まず上の感想・疑問・主張に該当する国会議員(三重県選出・浜地民平)の質問書(1960.10.8)は要約すると以下のとおり(p.59~p.60)。
 ①伊勢神宮に「奉祀」されている神鏡は天皇と宗教法人のいずれの所有か、が曖昧では困る。「天皇の御位と不可分の関係」にあると信じるが政府の解釈いかん。
 ②「天皇の御鏡」だとすると神宮が「お預かりする」状態だが、法的には「お預かりする」とはいかなる関係か(「寄託」との学説もある)。
 ③どう法的に解しようと伊勢神宮が「お預かり」していることに間違いない。とすると、政府は「神宮当局者に対して、心得なり条件なりを明示しておくべきだと思う」が、いかに考えるか。
 この質問書に対して、当時の首相・池田勇人は答弁書を作成した(1960.10.24官報号外・衆議院会議録)。ここで示された理解が、おそらく今日まで生きているものと思われる。やや長くなるかもしれないが、できるだけ引用しておく(p.61-62、①~③は上に対応する)。
 ①「伊勢の神宮に奉祀されている神鏡は、皇祖が皇孫にお授けになった八咫鏡であって、…五十鈴川上に奉祀せしめられた沿革を有するものであって、天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである。したがって、皇室経済法第七条の規定にいう『皇位とともに伝わるべき由緒ある物』として、皇居内に奉安されている形式の宝鏡とともに、その御本体である伊勢の神鏡も、皇位とともに伝わるものと解すべきであると思う」。
 ②「伊勢の神鏡は、その起源、沿革等にかんがみ神宮にその所有権があると解し得ないことは明らかであると思う」が、「民法上の寄託等」と解するかどうかは「なお慎重に検討を要する」。「要するに、神宮がその御本質を無視して、自由に処置するごときのできない特殊な御存在だと思う」。
 ③「神鏡の御本質、沿革等については、神宮当局の十分承知しているところであり、神宮は、従来その歴史的伝統を尊重してきたが、新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている次第もあり、現状において特にあらためて心得等を指示される必要はないと思う」。
 さて、第一に、かかる政府見解が、1945年の<神道指令>以降ほぼ15年、主権回復後8年以上を経てようやく出されていること自体が、まず驚くべきことだろう。何とも曖昧な状態のまま、よくぞ10数年も持ちこたえたものだと妙に感心しさえする。
 第二に、天皇の財産を伊勢の神宮が「お預かり」していることの根拠、神宮に格別の「心得等」を指示する必要のないことの根拠を、政府自体が、「神鏡」の「本質」・「起源、沿革等」という歴史的・伝統的なものに求めている、ということに注目したい。なぜ伊勢の神宮が?と「合理的(理性的)」な問いを発しても無駄なのだ。<古(いにしえ)からそうなっている>としか答えようがないものと思われる。
 第三に、「新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている」ということを、政府が公的に確認していることも重要だ。
 第四に、上の政府見解(1960年池田見解)は、「神鏡」の所有権の帰属、その<管理>の仕方に関するもので、神宮での<祭祀>、それと密接に関係する皇居内での<祭祀>の法的性格や費用負担の問題に触れるものではないことを確認しておく必要があるだろう。
 上に第三点として述べたことの反復だが、政府も「新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている」ことを知っており、かつ肯定している、と言ってよい。しかるに、この「連絡協議」にかかわる天皇・皇族の行為の<性格>はいったいいかなるものなのか? 現在の実務ではすべて「私的」行為として扱っているのだろうが、<奇妙>に思えることは既に何度も書いた。
 が、いずれにせよ、伊勢の神宮が、天皇(・皇室)との関係において、神社の中でも<特別の>位置を占めていることは明らかだ。その神宮を一私的法人(宗教法人)としてしか観念できないのは、天皇(・皇室)の神宮への行為を「私的」行為としてしか捉えないことの延長にある。そしてまた、憲法上採用されている<天皇制度>はかくも厳格に天皇(・皇室)の「公」的地位・「公」的立場と神道・神宮等にかかわる「私的」行為とを峻別することを要求されなければならないのか、そのような憲法解釈は憲法第一章を憲法20条に一方的に従属させるもので、<総合的で合理的な憲法解釈>とは言えないのではないか、との疑問が(すでに書いているが)生じる。
 ついでに、資料中に載っている(p.32-33)、昭和20年7月31日の「木戸日記」の中に見える昭和天皇の発言も興味深いものがある。
 木戸によると、上の月日に昭和天皇は「大要」次のように語られた、という(カタカナをひらがなに変えている)。
 <伊勢大神宮のことは、誠に重大なことと思ひ、種々考えていたが、伊勢と熱田の神器は、結局自分の身近に御移して、御守りするのが一番よいと思ふ。(中略)度々御移するのも如何かと思ふ故、信州の方へ御移することの心組で、考えてはどうかと思ふ。(中略)万一の場合には、自分が御守りして、運命を共にする外ないと思ふ。
 昭和20年7月31日という<時期>が正確に理解できないとこの発言の正確な趣旨も理解できないだろうが、昭和天皇が連綿と継承されてきた「伊勢と熱田の神器」のことを深く憂慮し
、「自分の身近に御移して、御守りする」意向を示していたことは明らかだ。
 
「万一の場合には、自分が御守りして、運命を共ににする外ないと思ふ。」における「万一の場合」はいろいろに想像できる。いずれにせよ、そのように「伊勢と熱田の神器」について語っていた昭和天皇にもつながる<天皇制度>自体は、現憲法のもとでも解体・廃止されておらず、「世襲」との(血統に意味を認め平等原則とも矛盾する)<不合理な(非理性的な)>言葉も憲法に明記されつつ、現に存続していることに留意しておく必要があろう。
 なお、幡掛正浩は、執筆当時、伊勢神宮崇敬会理事長。昭和32年頃は「さんざんに東京と伊勢で二挺櫓を漕がされ、くたくたになって敗退した〔神社本庁の?〕庶務課長」だった、という(p.9)。園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)は多数の関係文献を巻末に掲載しているが、この幡掛の本を記載していないのは、些か不思議だ。 

0494/日本にとって伊勢神宮とは何か。三種の神器が私(宗教)法人に在ってよいのか。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11)という計80頁の小さな本がある。「はしがき」実質3頁、「日本国家にとって『神宮』とは何か」実質5頁、「神宮制度是正問題」実質63頁、「あとがき」実質3頁。
 最も長い「神宮制度是正問題」を未読だが、その前の書名と同名の章の中に、私にはすでに刺激的な文章がある。
 第一。そもそも「式年遷宮」について、日本国民の何%が知っているだろうか。若い世代ほど知らないに違いない。かく言う私もいつ知ったのかを書くことが憚られる。
 上の本p.6-7は前回・1993年の「式年遷宮」のうち内宮の遷御について書く。-「実況をするのは三重テレビだけで、NHKほか民放はニュースですませ、実況を映すのは、…消灯した十一時台だという。/…これでは国民的関心といふ点からは『無視』に近い――と言えば言ひ過ぎだろうか」。
 (伊勢)神宮の「式年遷宮」は一宗教法人(一私人)の行為で長時間の生中継などすれば<政教分離原則>に反して公平でないし、また神道以外の宗教関係者や「左翼」的立場から天皇制度(と伊勢神宮の関係)に批判的な者たちからのクレームが多数寄せられそうだ、というようなマスコミ(・テレビ)関係者の<思考>・<思惑>を推測することができる。
 だが、伊勢神宮の「式年遷宮」は一宗教法人の「私的」行為なのか? いつぞやも書いたように正確には天皇(・皇室)の祭祀行為の一つと考えられ、少なくとも天皇(・皇室)と密接不可分の行事(祭事)であることは明らかだ。そして、現憲法上も、天皇は「日本国」と「日本国民統合」の<象徴>ではないのか。とすると、一宗教法人の「私的」行為の如き扱いをするのは決定的に間違っているのではないのか、という問題関心が再び強く蘇ってくる。
 第二。既述のことだが、三種の神器のうち「鏡」(宝鏡・神鏡)の本体(本物)は伊勢神宮に存置されている(「剣」は熱田神宮)。そして、これも園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)に主として即して既に記したが、皇室経済法により、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の代表的又は最も貴重な?物として、三種の神器は天皇(家)の「私物」=「私有財産」とされている。
 これらを前提として、上の本p.8-9は以下の旨を書く。-そのような貴重な天皇(家)の財産の一つを、伊勢神宮という一宗教法人に<預けて>よいのか? より正確に引用すると-「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」。
 たしかにこれはもっともな感想・疑問・主張だ。基本的な問題の出発点は、<天皇制度>と密接不可分の神道が他の宗教と同レベルの<宗教>と見なされつつ、一方で憲法上も<天皇制度>は厳としてなお存続している、ということにある。
 なお、上の問いを伊勢神宮・式年遷宮奉賛会・神社本庁の三者名義で宮内庁に正式に発しようとしたところ、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」という(p.9)。この本は初版が1995年だが、現在の2008年でも、問題は何ら解決・改善されておらず、宮内庁の態度も上のようなものではないかと推察される。
 このような状態でよいのか。憲法学者の殆どが、現在の自衛隊の装備・「戦力」や東アジアの軍事情勢を知らないままで憲法九条を論じているように、憲法学者の殆どは、天皇(・皇室)と伊勢神宮(等)との間の密接不可分さの歴史・現況の詳細を知らないままで、憲法20条・政教分離を論じているのではないか。
 次回の式年遷宮は2013年であと5年後。鎮地祭(一般の地鎮祭にあたるもの)が行われた、という小さな記事が載っているのを、産経新聞では見た。

0493/チベット(人)問題と日本の「左翼」団体-中国共産党による恫喝と供応?

 伊勢神宮式年遷宮広報本部・日本の源郷-伊勢神宮(2007.07)p.22には、2003年(平成15年)11月4日にチベットのダライ・ラマ法王が伊勢神宮を(玉垣内に入って)参拝する様子の写真が掲載されている。また、仏教徒であっても「日本の神道の聖地」・伊勢神宮を参拝させていただいた、「神宮の美しい自然とそれを維持する人々の態度、神宮の平和的な環境は素晴らしい…」との法王の言葉も載せている。
 西村幸祐責任編集・チベット大虐殺の真実(撃論ムック/オークラ出版、2008.05)にも、昨2007年11月にダライ・ラマ法王が伊勢神宮を参拝したときの写真が付いている。キャプションにあるように、こうしたダライ・ラマの伊勢神宮参拝を報道した日本のマスコミはあったのだろうか?(なお、これら二つは同期日のもので、どちらかの年の記載が誤っている可能性がある。)
 ところで、諸君!6月号(文藝春秋)の佐々木俊尚「ネット論壇時評」(p.262~)によると、以下のとおり。
 左翼系のメーリングリストとして著名なAML(オルタナティブ運動メーリングリスト)の中で、弁護士・河内謙策は3/19に「チベット問題を、なぜ取り組まないのか!」と題して次のように書いた。
 「日本では、なぜかチベット問題を、多くの平和運動団体がとりあげようとしていません。全労連、日本平和委員会、憲法会議、自由法曹団、連合、全労協、原水協、原水禁、許すな!憲法改悪阻止市民連合会、九条の会、ピースボート、平和フォーラム、ピープルズプラン研究所という日本の平和運動の代表的な13のサイトを見ても、現時点では、その…1頁目にチベットのチの字もありません」(p.264)。
 なお、少なくとも最初の4つと原水協は日本共産党系の団体だ。
 チベット人問題に関して、日本の<左翼>が沈黙しがちであることに対してはすでに多くの批判的指摘がある。月刊WiLL6月号山際澄夫「恥を知れ!沈黙の朝日文化人」(p.256~)もそうだし、上記の西村幸祐責任編集・チベット大虐殺の真実(撃論ムック)の中宮崇「チベット侵略を擁護する反日マスコミ『悪の枢軸』」(p.104~)は、NHK、TBSのニュース23、朝日系の報道ステイション等のテレビ・メディアを対象にする。同書の野村旗守「日本の人権団体は黙ったままか」(p.158-)は、日本ペンクラブ・日本国民救援会・自由法曹団・日本ジャーナリスト会議等を批判している。
 ダブル・スタンダードとはもう全く新鮮な言葉ではない(彼ら「左翼」には当然の、染みついた感覚なのだ)。興味深く思うのは、上に出てくる団体のうち九条の会(映画人九条の会)・日本ジャーナリスト会議は、映画「靖国」の上映を妨害したとして(政治的圧力をかけたとして)稲田朋美に対して抗議文を送った団体だ、ということだ。直接には九条・「平和」に関係がなさそうな事案には(とくに朝日新聞のガセ=捏造報道を信じて)すみやかに抗議文を送りつけておいて、一方では「平和」(と人権)に直接かつ現実的に関係しているチベット(人)問題には3/19の時点で(今回の「弾圧」は3/10~)何ら反応していないとは?!!
 九条の会(映画人九条の会)・日本ジャーナリスト会議の(たぶん事務局を握っている者たちの)おサトが知れる、とはこのことだろう。
 なぜ、<左翼>はチベット(人)に冷たく、中国(中国共産党)に甘いのか。上の佐々木俊尚論考によると、弁護士・河内謙策の「苦言」に対しては3種の反応があり、一つは、<日本はかつて中国に悪いことをしたから、大きなことを言えない。日本自身の過去の真摯な反省が必要>との旨だったとか。これは、しかし、北朝鮮による拉致をかつての戦時中の朝鮮人「強制連行」によって<相殺>しようとした辻元清美の議論と同様の詭弁だ。日本の<左翼>平和諸団体自身は<真摯に反省しているなら>良心の咎めを感じることなく堂々と<侵略>と<人権侵害>を批判すればいいではないか。日本「国家」や政府に<真摯な反省>が足りないから、という理屈も成り立たない。これらの団体は「国家」・政府からの「自由」・自立をこそ謳っている筈で、日本国・政府をこの場合に持ち出すのは卑劣であり「甘えて」いる。
 やはり第一に、社会主義・共産主義<幻想>がまだ残っていると思われる。上記のような団体の、とくに幹部活動家たちは、今なお、日本よりも中国共産党に親しみを感じるのではなかろうか。日本共産党の不破哲三は社会主義・中国の「経済的発展」をいたく喜び、さらなる発展・成長を期待していたし、立花隆は、はっきり言って<まんがチック>だが、先年の反日暴動を日本の60年安保の時期の「ナショナリズム」高揚になぞらえ、北京五輪開催を日本の東京五輪開催の時代に相応するものと捉えていた(北京五輪後にさらに中国は経済成長し、世界の「経済」大国にもなる、と彼は予想する!)。
 第二に、<幻想>・<憧れ>というよりもむしろ逆に、中国、正確には中国共産党が<怖い>のではなかろうか。将来において日本が中華人民共和国日本省となり日本人が日本(大和)「族」と呼ばれるようになる日のくることを想定して今から忠誠に励んでおく、という人は少ないかもしれないが、ひょっとすればいるかもしれない。また、中国共産党は日本国内にも当然にそのネットワークを持っているので、有形・無形の「圧力」を受けている可能性はある。
 さらに、「政治謀略」朝日新聞や朝日系文化人・知識人の中には、中国での歓待等の「供応」によって、中国に対して厳しいことを言えなくなるメンタリティを形成されてしまった者がいるに違いない本多勝一は南京大虐殺記念館から特別功労章を貰った。大江健三郎は中国で歓待付きの「講演」旅行をした。立花隆は北京大学で「講義」をさせてもらった。こうした<親中国日本人>養成を中国共産党は系統的に行っているように見える。そして中には、中国共産党に<弱味を握られた>朝日新聞関係者や朝日系文化人・知識人もきっといるだろう。
 このブログがターゲットにされることはないだろうが、中国、中国共産党、マルクス主義(を標榜する)者は、真実の意味で、<怖い>。むろんマスメディアがそれに屈すれば、政治謀略新聞・朝日の若宮啓文が好んで自己規定する「ジャーナリスト」ではもはやない。

0492/天皇の祭祀行為は宮中や宮中三殿に限られない。

 伊勢神宮式年遷宮広報本部・日本の源郷-伊勢神宮(2007.07)という計22頁の小冊子のp.3の冒頭の言葉は次のとおり。
 「神宮のおまつりは天皇陛下の祭祀です」。こうまで明記してあるのはむしろ珍しいように思う。
 既述だが、式年遷宮の準備に今上天皇陛下の「聴許」があったことを宮内庁長官が(伊勢)神宮に公文書で伝えたり、<勅祭社>という、天皇(・皇室)の「勅使」が祭祀者(祭祀主宰者)となるとみられる神社(・大社・神宮)があることも、少なくともいくつかの重要な祭祀は個々の神社(・大社・神宮)ではなく天皇(・皇室)自身の行為であることを示しているだろう。
 また、かりに天皇(・皇室)が形式的には祭祀者(祭祀主宰者)にならなくとも、皇祖・天照皇大神を祀り国家(・国民)の弥栄を祈る神社等の祭祀は、天皇(・皇室)に「代わって」行われている、という性格・位置づけのものも多くあると考えられる。
 以上で言いたいのは、天皇(・皇室)の祭祀は宮中でのみ行われるのではない、ということだ。
 また、皇居での祭祀は「宮中三殿」で行われるものに限らない。例えば、皇居内には稲を栽培・耕作する「御田」があるようであり、天皇陛下ご自身がそこでの稲作にかかわり、その「御初穂」は、伊勢神宮の「御正宮」の「玉垣」(唯一神明造の正殿を囲む板塀のことと推察される)に懸けられる(上記小冊子p.4-「懸税」というらしい)。
 ここで言いたいのは、皇居内での祭祀は「宮中三殿」という意味での「宮中」祭祀に限られない、ということだ。
 原武史は<宮中祭祀廃止>を(主観的には皇室のために?)主張しているようだが、天皇(・皇室)に関する本を数冊も書いているなら、以上のことくらいは知っているだろう。しかして、<宮中祭祀>の廃止だけで問題は解決するのか? 皇居以外で行われ続けている天皇(・皇室)主宰の祭祀はいったいどうなるのか? どのようにすべきと考えているのか? 東京=皇居で行われる祭祀は「宮中三殿」以外の場所で行われるものもあるが、<宮中祭祀廃止>論はそれらをどう考えているのか?
 簡単にあるいは単純に<宮中祭祀廃止>を主張できないのではないか。簡単・単純な<天皇制度>解体論者でないかぎりは。
 なお、伊勢神宮での祭祀が「天皇陛下の祭祀」だとして、そのような行為もまた、現行法制上は天皇の<私的行為>とされる。(神道も<宗教>だとかりにして、の話だが)宗教的性格を帯びている物・施設の所有権が天皇(・皇室)にある=天皇(・皇室)の「私有財産」とされているのと同じく、<宗教>性を帯びていれば全て<私的行為>とされているのだ。
 既述のように奇妙だと思うが、園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)等を素材にして、遅れているが別の回で、天皇(・皇室)の「行為」について整理しておくつもりだ。

0482/長部日出雄の「神道」論(諸君!5月号)と石原慎太郎「伊勢の永遠性」。

 昨年10月に、長部日出雄・邦画の昭和史(新潮新書、2007.07)p.33-34が、60年安保闘争については「否定論」が「圧倒的に多いだろう」が、自分は、<あの…未曾有の大衆行動の広がりと高まりが、…憲法改正と本格的な再軍備を…無理だ、という判断を日米双方の政府に固めさせ、…ベトナム戦争にわが国が直接的に介入するのを防ぎ止めた>と考える、と書いていることを紹介して、批判的にコメントした。
 したがって、長部日出雄という人は単純素朴で政治をあまり判っていないと感じたのだが、60年安保闘争絡みではなく、神道・「カミ」に関しては、諸君!5月号(文藝春秋)の「作家が読む『古事記』/最終回」で共感できることを書いている。
 長部は本居宣長の叙述を肯定的に引用している。別の誰かの本(井沢元彦?)でも読んだ気がするが、宣長によると、日本の「迦微(カミ)」とは「天地のもろもろの神をはじめ…尋常でないすぐれた徳があって、可畏き(かしこき)ものの総称」だ。そして、宣長は「小さな人智で測り知れ」ない「迦微(カミ)」はただ「可畏きを畏(カシコ)みてぞあるべき」と書いた、という(p.226-7)。
 そして、長部は、「物のあわれを知らない」「心なき人」が増えたことと、上のような「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念を失ってしまった」ことが、「いまの日本がおかしくなっている」原因だ旨を記している(p.227)。
 他にも共感できる叙述はあるが省略。「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念」を年少者に教育するのはどうすればよいのかと考えるとハタと困るが、<宗教>教育的あるいは<道徳>・<情操>教育的なものが公教育でも何らかの形で必要だろう。長部が自らの経験を語るような<集落の神社の森や境内>に接する機会が多くの子どもたちにあるとよいのだが(私には幸いまだあった)。
 なお、長部のこの論稿は、GHQの1945.12.15<神道指令>の正式名称と七項目の(おそらく)全文を掲載している(p.229-230)。そして長部は言う。-<寛容・融通無碍な信仰心の日本人は「神道指令」を「宗教弾圧」だとは「まるで考えもしなかった」。「神道指令」は「日本人の草の根の信仰心」を「根こそぎにした」。>
 石原慎太郎「伊勢の永遠性」日本の古社・伊勢神宮(淡交社、2003)は、「悠遠」を感じ体現しようとするのは人間だけで「伊勢」神宮はその象徴だ、旨から始めて、途中では、「人間はどのように強い意思や独善の発想を抱こうとも、結局、絶対に自然を超えることはできないし、そう知るが故にも…自然を畏敬することが出来る」等と書いている。
 こういう、神道あるいは(伊勢)神宮に関する文章を読むのは精神衛生にもなかなかよいものだ。狂信的に<保守>・<反左翼>を叫ぶのではなく、じっくりと構える他はない-それが<保守主義>であって<保守革命>などの語は概念矛盾だろう-というような想いもまた湧いてくる。

0480/天皇・神道・政教分離-つづき4。園部逸夫・皇室制度(2007)。

 皇室・神道・政教分離の関係の問題(・現況)のいくつかにつき、以下、園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007)による。園部逸夫(1929~)は元大学(法学部)教授・下級裁判所裁判官・大学教授・最高裁裁判官・大学教授といった経歴で、女系天皇容認の旨の<皇室典範有識者会議>の重要メンバーだったことで評判を悪くした面はあるが、皇室にかかわる現行(法)制度の説明や関係議論・学説の整理という点では少なくとも信頼できると考えられる。
 〇皇室の「財産」 敗戦前又は新憲法以前には天皇(・皇族)は皇居も含めて広く<私有財産>を有していたようだが、GHQの方針や新憲法施行の結果、天皇(・皇室)の①「公的活動」にかかわる財産や②「生活」にかかわる財産、③「皇室とともに伝えられてきた」財産はほとんど国有財産とされる。より正確には、国有財産は「行政財産」と「普通財産」に二分されるが、前者「行政財産」の一種としての「皇室用財産」として、天皇・皇室の利用に供されている(国有財産法による。「行政財産」には他に「公共用財産」・「公用財産」等の種別がある)。
 園部によると、①・②として皇居・御所・御用邸・御用地があり、「宮殿」は①に、「京都御所、桂離宮・修学院離宮、正倉院、陵墓」等は③に位置づけられる。天皇・皇室の利用の仕方に制限がない、という訳ではもちろん、ない。
 一方、天皇又は皇族の「純然たる私産」がなおある。①「ご由緒物」と②「お身の廻り品」だ(他に③現金もある)。前者の①に、「三種の神器、壺切りの御剣、宮中三殿、東山御文庫、皇后陛下のの宝冠類、…ご肖像画、屏風類」等がある。処分(とくに①についてだろう)には憲法8条による法的制約がある(以上、園部p.277-281、p.274)。
 ここでコメントを挿む。「三種の神器」と「宮中三殿」、とくに後者が天皇(等?)の<私有財産>とされていることは重要なポイントだ。「宮中三殿」の三殿の再述はしないが、いずれも<ご神体>が存置された<祭祀>の場所だ。そしてこれが国有財産(>皇室用財産)とされていないのは、その<宗教的>性格によるものと推察される(園部による明記はない)。政教分離原則により、神道(という<宗教>)関係施設を直接に国有にはできない、ということなのだろう。
 だが、仔細は知らないが、皇居の中に、そして「宮殿」の内部又は直近に「宮中三殿」はある筈だ(だからこそ「宮中…」と称するのだろう)。だとすれば、国有財産に囲まれて、それに保護されるように天皇(等?)の<私有財産>があることになる。
 さらに厳密に考えると「宮中三殿」の敷地(土地)は国有財産なのか「私産」なのか不明なのだが、敷地(土地)も<私有財産>だとすると、そのような<宗教用>の土地が戦後に天皇(・皇室)に無償で払い下げられたことになるが、それは特定の<宗教>を優遇したことにならないのか?
 また、「宮中三殿」の敷地(土地)は国有財産で建造物(上物)だけが<私有財産>なのだとすると、天皇(・皇室)は何らかの権原がなければその敷地(土地)を利用できない筈で、国有財産たる土地を無償で利用できる権利(無償の借地権(賃借権又は地上権))??、それとも国有財産の「占用(又は使用)許可」??)が国から付与されていることになる。その利用が<宗教>儀礼(=祭祀)だとすると、そのような優遇は、やはり特定の<宗教>を優遇していることになり、政教分離原則に反しないのか?
 <大ウソ>が基本にあると<細かなウソ>に分解されていくもので、「宮中三殿」(かりに建造物だけでも)は天皇(・皇室)の私有財産だと割り切ることによって、政教分離原則との抵触をすっきりと回避できるとは、とても考えられない。やはり、現憲法では国家・国民統合の象徴とされる天皇(・皇室)が歴史的・伝統的に10数世紀を超えて長らく行ってきた祭祀のための施設だ、という点を考慮し、強調しないかぎりは、圧倒的に広い国有財産たる区域の中に私有財産の存在を認める根拠を、あるいは(土地も国有財産の場合は)国有財産たる土地を「特権」的に利用して、その上に建つ<宗教>施設で祭祀を行えることの根拠を、説明できないのではないか。
 どこかにウソ(あるいは「無理」)がある。現行の制度・考え方はどこか奇妙だ、と感じるのだが…。なおも、別の回に続ける。<4/28に一部加筆・修正した。>

0477/日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-2。

 藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書、1991)の藤谷執筆部分によると、1950年代末から、伊勢神宮の<国家的保護>を求める動きが「神宮関係者や神職を中心とする保守的勢力」から起こり、「〔伊勢〕神宮国有化論」まで出てきたという。
 藤谷自身が「伝えられている」とか「いわれている」とか書いているのだから、どの程度の信憑性があるのか疑えないこともないが、「神宮国有化論」者の論点は次の二点にあると「いわれている」、らしい。
 ①「伊勢神宮は天皇の祖先をまつる神社」で、「皇室・国家と不可分」だから、少なくとも「天皇祭祀に必要な神殿や、敷地は国有とすべき」。
 ②「天皇の神宮に対する祭祀は私事」とされているが、「国家の象徴としての天皇の行為」で、「国家の公事としてみとめるべき」。
 ここでの「天皇の神宮に対する祭祀」とは何を意味するのか必ずしも明瞭でないが、伊勢神宮による祭祀への援助や天皇(・皇室)又はその代理者(勅使)が主宰者となる伊勢神宮での祭祀のことだろう。
 以上の二点は、「国有化」に直結する論拠に当然になるかは別としても、しごく当然の問題提起だ、と考えられる。
 (皇居内の「天皇祭祀に必要な神殿」・「敷地」の所有者は誰かは、別の回に記述する。)
 この欄でいく度か書いたように、伊勢神宮が天皇(・皇室)(のとくに「祭祀」)と不可分で天皇もまた国家と不可分(少なくとも「日本国の象徴」)だとすれば、伊勢神宮という一宗教法人の「私産」や天皇の「私的」行為と位置づけるのは奇妙であり、政教分離原則を意識するがゆえの「大ウソ」ではないかと思われる。
 だが、上の①・②を藤谷俊雄はつぎのように一蹴する。
 「まったく時代逆行の意見であることは、本書の読者には明らかなことと思う」(p.212)。
 「時代逆行」性が「明らか」だとは読者の一人となった私には思えないが。
 以上を叙述のほぼ最終的な主張としつつ、藤谷は以下のことをさらに付記している。
 1.「全知全能の神」があるならそれは「ただ一つ」でなければならず、「すべての人間を公平無私に愛する神」でなければならないのに、「特定の国家」・「民族」(・「種族」)だけを守る「神」は「未開人の神と大差ない」。「文化国家」の人々は「いいかげんに利己的な神信心〔ママ〕から目覚めていい」(p.212-3)。
 これはのちに「日本」と呼ばれるに至った地域に発生した「八百万の神々」があるという神道に対する厭味・批判なのだろう。だが、私は熱心な神道信者では全くないが、それでもバカバカしくて、反論する気にもなれない。この藤谷という人は、<宗教>をまるで理解できていないのではないか。マルクス主義者=唯物論者なら当然かもしれない(なお、神道は本当に「宗教」の一つなのかという問題があることはすでに触れている)。
 2.「天皇がどのような宗教を信じようとも天皇の私事である」。だが、それを「公事として全国民におしつければ、国民の信教の自由が失われることは歴史のしめす」ところ。「明治以後の国家がおかした過誤」が再び「繰り返され」てはならない(p.213)。
 「天皇がどのような宗教を信じようとも天皇の私事である」とは、さすがに、かつての一時期には<天皇制打倒>を唱えた日本共産党の党員(又は少なくとも強い支持者)の言葉だ。天皇(・皇室)の<信仰の自由>という問題・論点も出てきそうだが、立ち入らない(歴史的・伝統的な諸種の祭祀が「神道」という<宗教>が付着したものならば、天皇(・皇室)には<信仰の自由>はない、<天皇制度>とはそもそもそういうもので、<基本的人権>の類の議論とは別次元の存在だ、と解するほかはないだろう、と考えられる)。
 上の点よりも、<神道>を「公事として全国民におしつけ」る、ということの正確な意味が解らないことの方が問題だ。<国家神道化>を意味するのだろうか。そして<神道>を「公事として全国民におしつけ」れば、「明治以後の国家がおかした過誤」を再び繰り返すことになる、という論理も随分と杜撰だ。
 <国家神道化>は必然的に、あるいは論理的に、<明治以後の国家の過誤>につながった、あるいは、その不可欠の原因になった、のだろうか。
 むろん「明治以後の国家がおかした過誤」というものの厳密な内容が書かれていないので、上の適否を正確に検証することは不可能だ。しかし、神道の(少なくとも)<公事>化が戦前日本の「過誤」につながるというという指摘は、歴史学者・研究者の認識・それにもとづく主張ではなく、<政治>活動家のアジ演説的叙述であることに間違いはなく、この書物は上の2.を書いて全体を終えている。
 以上、近日中の読書メモの一つ。 

0476/日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-1。

 藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書、1991)は、三一書房から1960年に刊行されていた同一タイトル・内容の本の「新版」だが、「新版のあとがき」(直木)を除いて、三一書房版と異ならない。こんな経緯はともかく、新日本新書とは有田芳生日本共産党員だった時代に勤務していた新日本出版社の「新書」で、有田の企画・編集した本が日本共産党中央の不興を買って有田が日本共産党を除籍されたことでも明らかなように、実質的には日本共産党の出版物だと言っても誤りではない。少なくとも、日本共産党に都合の悪いことやその主義・主張に矛盾する内容は書かれていないものと推測される。さらに、執筆者の一人の藤谷俊雄は元・部落問題研究所(日本共産党系)の理事長で、日本共産党員だったと推測できる人物だ。
 そのような新日本新書が「伊勢神宮」について書いているとなれば、興味を惹かないわけがない。1960年時点ですでにあった「まえがき」で藤谷は「伊勢神宮の真実」を語る旨を書いているが(p.10)、ある面では、日本共産党系の出版物ですら、伊勢神宮について、~のことは肯定している、という形で利用することもできる。例えば、直木孝次郎執筆部分では、日本書記の記述は疑う必要があるが、「七世紀の天武天皇の頃に天照大神を祭る神宮が伊勢にあったこと」は「間違いない」、とある(p.13)。神社本庁又は(伊勢)神宮の言っている歴史がいかほど信用できるのか、という疑問をもつ者も、<日本共産党系の出版物ですら>認めているとなれば、疑念を解消するだろう。
 もちろん私の関心は敗戦後から現在に至る伊勢神宮に関するこの本の叙述内容にある。
 最近に読んだ本と比べて、まず、GHQの<神道指令>の前文をそのまま詳しく引用しつつ肯定的評価を与え、かつ憲法20条(政教分離条項)も全文を引用して歓迎的に叙述している点が異なる。
 憲法20条については、はたして適切かと疑問をもつが、以下の文章がある。-「無神論者だけではなく、宗教についてもっともまじめに考える宗教者たちが、この憲法の信教の自由に関する規定を心から歓迎したのは明らかである」(p.205)。
 このあたりですでにさすが日本共産党又は日本共産党系という感想が生じるが、伊勢神宮に対して<冷淡な>感覚をもって記述していることは、次のような文章(藤谷俊雄)からもうかがえる。
 ・「戦後数年間の神宮の荒廃はめだつものがあった」。
 ・「あるときは占領軍のジープが…殿舎の前まで乗りつけて、アメリカ兵が五十鈴川に釣り糸をたれて魚をとり、手あたり次第に神域の大木を切り倒したりしても、…衛士たちは、だまってひっそりと、遠まきにこの光景をながめているだけであった」。
 引用だけでは感じ取れないかもしれないが、こうした文章からは、<愉快に感じて>書いている気分が染み出ており、決して伊勢神宮を<気の毒に感じて>書いているのではないことがわかる。上の第二の文などは、いったい何のために挿入されているのか、と訝しく感じざるをえないものだ。
 上のように荒廃しかつ参拝者の激減や式年遷宮の延期もあったが、藤谷は次のように言う。
 ・「日本国家および軍国種主義とかたくむすびついてきた神社が、この程度の打撃をこうむったことは当然であって、…むしろ打撃は少なすぎた」(p.207)。
 もっと打撃を被り、(伊勢神宮等の各神社と神社制度の)衰退そして解体・崩壊があればよかった(その方が望ましかった)、という書き方だ。さすがに日本共産党又は日本共産党系。
 ついで、参拝者数の復活・増大、式年遷宮(1953年)の成功裡の実施等について、こんなことが指摘されているのが目を惹く。
 第一。<遷宮のための「奉賛会」による募金活動が活発になされ、旧町内会・隣組組織による「半強制的な寄付」があちこちであった。かかる組織の募金活動をGHQは禁止したが「一向にききめがなかった」のは、①「保守勢力が、意識的にサボタージュしたこと」、②「地方の神社の氏子組織が解体されずに残っていた」による。>(p.209)
 旧町内会・隣組組織にあたる又は近いものは今日でも町内会・自治会として残存している。簡単には論じられないが、一般的に<古いもの>・<国家・行政に利用されるもの>と認識するのは間違いだろう(そこまでこの本が踏み込んで書いているわけではないが)。
 また、上の②のように、「地方の神社の氏子組織が解体されずに残っていた」ことを消極的に評価していることが興味深い。現在でも「神社の氏子組織」は強固さの程度の差はあれ、残存していると思われる。そして、上の<町内会・自治会>の問題も含めて、戦後又は近年に喪失・崩壊しつつあるとされ、その喪失・崩壊がむしろ批判的に又は憂慮的に捉えられることが多いと見られる<地域共同体・地域コミュニティ>問題にかかわっている。
 日本共産党又は日本共産党系の本は「地方の神社の氏子組織が解体されずに残っていた」ことを否定的に評価していた、ということを記憶しておこう。
 第二。<「戦後の神社復興」に手を貸したものとして「交通資本や観光の産業資本」を無視できない。近鉄(近畿日本鉄道)は「奉賛会」に500万円もの寄付をした。「もうけんがための神社参拝の宣伝」か゜中世以来の「巡礼運動」を「再生産」している事実を「見直す」必要がある。>(p.210)
 藤谷は「無責任な大衆煽動」という表現まで使っているが、遅れてであれ式年遷宮が実施され、参拝者数も回復してきたことについて、その背景の重要な一つを「もうけんがための」「産業資本」の動きに求めているわけだ。
 さすがに…、というところだが、これはあまりに卑小で、一面的な見方だろう。敗戦直後は日々の生活に忙しくて神宮参拝をできなかった人々がある程度落ちついてのちに伊勢神宮を参拝をするようになったことは「交通資本や観光の産業資本」による「もうけんがための神社参拝の宣伝」による、とは、あまりにも参拝者の心情を無視している、と考えられる。
 私にはおそらく理解不可能だが、敗戦・国土の荒廃という衝撃のあと、伊勢神宮に赴き、再び手を合わせる人々の心中は、いかなるものだっただろうか。たんなる遊興や観光の気分でなかったことは明らかだろう。そんな国民大衆の心情を、日本共産党員又はマルクス主義者もしくは親マルクス主義者は理解できないに違いない。
 一回で終える予定だったが、さらに別の回で続ける。

0470/天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき3。

 1.昨日4/19未明に書いたように1945年10月28日に宗教団体法が廃止され、同日に<宗教法人令>が公布・施行されたが、この法令では宗教法人は「届出」制で、かつ宗教法人であれば「所得税・法人税」(おそらく今の固定資産税にあたるものも)も免除されることになるため、宗教団体が「乱立」した。そこで翌1946年・昭和21年の4/03に<宗教法人法>が制定され、「宗教法人」の設立は「所轄庁」(都道府県知事か?)の「認証」によることになった。
 一方、上の<宗教法人令>は「神社神道」(<教派神道>と区別するためにこの語があるようだ)を対象にしておらず、同令の1946年(昭和21年)2/02改正により対象とされた。その結果、「神社神道」団体も他の宗教団体と同様に「届出」すれば宗教法人になれたが、届出期間は「6ケ月以内」と限定され、届出しない場合は「解散」したものと見做すこととされていた。
 神社はこの届出をして「宗教法人」となるか民法34条により「祭祀法人」(「公益法人」の一種)になるかの選択を迫られた。だが、所管の文部大臣が民法34条の適用(「主務官庁」の「許可」が必要)を認めない方針だったため、<宗教法人令>による届出をして「宗教法人」になる以外に「生き残りの道」はなかった。
 以上、()内部分を除いて、神社本庁研修所編・わかりやすい神道の歴史(神社新報社、2005)p.246-7による(新田均執筆部分)。
 2.かくして伊勢の神宮等の神社は1946年(昭和21年)2月以降6ケ月以内に、国の一機構(営造物)ではない「宗教法人」として新たに出発したことになる。
 そして、占領下では実質的には憲法と同等かそれ以上の力をもったGHQの指令=<神道指令>によって、さらにはGHQが草案を作成した新憲法20条(政教分離原則)の定めの影響もあって、神社と国(・天皇)と関係は大きく変容することとなった。
 この政教分離(一般論ではなくわが国で現実に採用された実態)について、神社本庁の上掲書(新田均執筆)p.249は、三点に分けて、問題点を指摘している。
 そのうち最初の二つは、殆ど容易に理解・首肯できるものだ。要点は次のとおり(①・②はこの欄の筆者)。
 第一。「日本人の倫理感の根底をなす天皇・国民・国土に対する神聖感」を「軍国主義・超国家主義」と同一視して「全面的に否定したこと」。これに伴い、「神社神道の国家性」が否定され、「バラバラ」の「地域的性質」が「神社本来のもの」との見方が強調された。
 この冒頭の「日本人の倫理感の根底をなす天皇・国民・国土に対する神聖感」なるものについては、今日ではこの存在を否定・消極視する人もいるだろう。上野千鶴子佐高信辻元清美日本共産党なら、「天皇…に対する神聖感」など、とんでもない、と言うかもしれない。だが、多くの国民は天皇(・皇室)への「神聖」感を少なくともある程度は有しているのではないか。また、だからこそ、かつての敗戦直後において、GHQも<天皇>制度そのものの廃棄へと踏み切れなかったのではないか。
 上の論点よりも、GHQはこうした「神聖感」を「軍国主義・超国家主義」と同一視して(不当にも)「全面的に否定した」、という批判は的確だと考えられる。万が一「軍国主義・超国家主義」というものがかつてあり、かつそれは<悪い>ものであったとしても、そのことと<国家神道>とは、そして神社・神道(伊勢の神宮等)とは論理的には関係がない。「軍国主義・超国家主義」が神社・神道を<利用した>と言える面がかりにあるとしても、神社・神道そのものに非難が向けられるべきものではあるまい。なお、井沢元彦は、<国家神道>は本来の神道とは異なる、ということを強調している(同・仏教・神道・儒教集中講座(徳間書店、2005)p.118)。
 また、上に「神社神道の国家性」と語があり、それの否定を批判しているが、ここでの「神社神道の国家性」とは、<国家神道>を意味しているのではない、と理解されるべきものだろう。すなわち、神道が日本という「国」の成り立ち(肇まり)に深く関わっている、いやむしろ、神道なるものと成立とのちに「日本」と称されるようになった日本列島の重要部分を占める「国」の成立とは殆ど同じ時期のことであり、殆ど同じことを意味する、ということが「神社神道の国家性」という語で表現されているのではないかと思われる。
 第二。①「発生史的に見て国家とは本来無関係な宗教」であるキリスト教と国家との関係についての「信仰の自由・政教分離」という原則を、不可分の密接な関係のある日本「国家」と神道との関係に「強引に当て嵌めた」こと。これは「一つの肉体を切り分け、一つの人格を分裂させるに等しい暴挙」だった。
 ②キリスト教が「唯一の伝統宗教」である地域では「各宗派に共通の基督教的要素は政教分離の対象とはされ」ていない。また、そのことによって「国家」の「無限」の「世俗化」を抑制している。しかるに、日本では「複数の伝統宗教が存在」し、各様に国家との関係を結んできたので、キリスト教に見られる「共通の要素」は見出し難い。にもかかわらず、「単純に政教分離の原則を適用すれば、宗教間の相互摘発によって、国家は無限に世俗化してゆく可能性」がある
 この①・②のような旨は別の論者による何かで読んだ記憶があるが、いずれも鋭い指摘だと思われる。
 GHQは、あるいは当時日本に滞在したアメリカ人は、神道をキリスト教の如きものと理解したに違いない。その上で<政教分離>も構想したに違いない。かの国での<政教分離>は基本的にはキリスト教の中での諸派のうち特定の宗派を優遇しないことを意味すると簡単には理解しているが(大統領就任の宣誓の際に<聖書>の上に手を置くことはしばしばこの脈絡で語られている)、そのような理解にもとづく<政教分離>原則がそのまま日本(・神道)に適用できるわけはないだろう。
 日本での厳格な、あるいは形式的な<政教分離>原則の適用によって<国家・政治>が際限なく「世俗化」していく(又はその可能性がある)という上の指摘はなかなか新鮮だ。
 <無宗教>的な国民が多数生まれ、戦後社会が形成されてきたため、日本の<国家・政治>は倫理的・道徳的・宗教的な<歯止め>を失い、「無限に世俗化して」いっている(又はすでにそうなってしまった)のではないか。キリスト教国においてすら、<大衆民主主義>の時代となり、その問題性・危険性が指摘されている。<無宗教>国・日本ではなおさらそうなのではないか。これは興味深い論点だ。
 以上と重なる所はあるが、そもそも神道は「宗教」の一つなのか、という問題があることも強く意識せざるをえない。国家と神道の分離は「一つの肉体を切り分け、一つの人格を分裂させるに等しい」という上にも紹介した表現からは、神社関係者(神社本庁、新田均)の強い不満と抗議の感情が伝わってきそうだ。神道は少なくとも、<ふつうの宗教>ではないのではないか。
 以下と同旨のことはすでに書いたことがあるが、鎌田東二編・神道用語の基礎知識(角川選書、1999)p.12-13は、ラフカディオ・ハーンの文章を引用したりしたあと、「神道は教祖をもたない、教義がない、教典はない、教団という明確な組織をもたない、ないないづくしの宗教であ」る、と書く。
 むろん「宗教」概念の理解の仕方いかんによることだが、反復すれば、神道は少なくとも、<ふつうの宗教>ではないのではないか。そのような神道と国家(日本)との関係を欧米的に理解された<政教分離>原則によって律してよいのだろうか
 さらに言えば、国家と神道の形式的な分離によって、日本と日本人は「一つの肉体を切り分け」られ、「一つの人格を分裂させ」られたがゆえに、アイデンティテイを喪失し(又は少なくとも喪失感をもち)、日本「国家」を気嫌う<無国籍>者的な日本人も多くなったのではあるまいか(先日某書店内で、佐高信・国畜(出版社不確認)という本を見た。「国畜」とは家畜、森村誠一の造語の「社畜」から連想した造語だろう。佐高信は<無国籍>者の代表の一人だ。「左畜」とでも呼んでやろうか)。
 とりあえず今回はこのくらいにして、あと何回かは神道・皇室・政教分離にかかわるテーマで書いてみよう。

0468/1945~1947年の神社と昭和天皇。

 先の大戦終了後、GHQによる占領開始期の神社(とくに伊勢の神宮)と天皇(・皇室)の関係やそれに関するそれぞれの対応・行動は現在の日本人に広くは知られていない。
 1.敗戦前において、ということは明治維新以降の所謂<国家神道>の時代だが、神道は「宗教」とは考えられていなかった。戦前に<宗教団体法>という名の法律があったが、「教派神道」と言われたものを除く神道(およびその関係機構)はこの法律の規制対象ではなかった。
 この宗教団体法は1945年12月28日に廃止され、同日に<宗教法人令>が公布・即日施行された。
 2.その約二週間前の12/15に発せられたのがGHQの「神道指令」。その第一項は「伊勢の大廟に関して宗教的式典の指令、ならびに官国幣社その他の神社に関しての宗教的式典の指令はこれを撤廃すること。」だった。GHQは神道も「宗教」と見なし、(日本)国が伊勢の神宮等の神社による式典挙行の指示を出すことを禁じた。
 以上の二点はほとんど、千田稔・伊勢神宮―東アジアのアマテラス(中公新書、2005)p.203-4による。この著の表現によると、「神道指令」により、「…軍国主義、…過激なる国家主義的宣伝」のための再利用の「防止」を目的として「GHQは国家と神道の結びつきを断ち切った」(p.204)。
 3.この「神道指令」が発せられる約1カ月前、したがって神道(と神社)が制度上もまだ「国家」と不可分だった時期の最後に、天皇(昭和天皇)は(伊勢)神宮等を行幸・巡幸された。
 細かく書けば、11/12-皇居出発・神宮内宮「行在所」泊、11/13-外宮(豊受大神宮)・内宮(皇大神宮)参拝、京都・大宮御所泊、11/14-奈良・神武天皇陵(畝傍御陵)参拝、京都・桃山の明治天皇陵参拝、京都・大宮御所泊、11/15-京都駅から東京へ。
 以上も千田・上掲書による(p.201-2)。この際の天皇陛下の心境を私ごときが正しく推測することなどできる筈もないが、この「巡幸」は「終戦奉告」(千田)であり、昭和天皇は<敗戦>を皇祖(天照大神)・神武天皇・明治天皇の順序で、それぞれの御霊に対して<報告>されたのだと思われる(千田は明記していないが、参拝の順序は無意味・偶然では全くなかっただろう)。
 4.敗戦前において、神社の土地(境内地)は国有財産(>「公用財産」)だった。なお、寺院の土地(境内地)は国有財産のうち「雑種財産」とされ、寺院が使用する間は(おそらく「無償」で)国から各寺院に「貸しつけ」られていたが、1939年(昭和14年)に(おそらく「無償」で)「譲与」された。神社境内地はその年以降も国有財産(・「公用財産」)のままであり、土地以外の建物や組織(・人員)を含めた意味での「神社」は、「国の営造物(公共施設)」の一種だった。
 以上は、「おそらく「無償」で」の部分を除いて、神社本庁研修所編・わかりやすい神道の歴史(神社新報社、2005)p.254による(執筆=新田均)。
 5.敗戦後のGHQの国家・神道分離方針のもとでは、上のような法的状態は維持できない。GHQ「神道指令」(1945.12.15)の後で、神社の土地を戦前の昭和14年までの寺院との関係と同様に国有財産としての「雑種財産」に変更したうえで各神社に「貸しつけ」ることが計画された。だが、1946年3月に憲法改正草案(あるいは「新憲法」草案)が発表され、そこには<政教分離>も掲げられていたため、この計画実現は不可能となった。<(無償)貸しつけ>は神社(・神道という宗教)を有利に扱う(特定の宗教に「特権を与える」)ことになるからだった。一方で、<有償での(土地等の)買取り>では、資力のない神社は「自滅する以外に」なかった。
 以上も殆ど新田均執筆部分の神社本庁の上掲書p.254によっている。そして、かかる状況のもとで<無償譲渡>の実現が「緊急の課題」となり、日本国憲法の施行の前日(1947年5月2日)に国から各神社への<無償譲渡>が―<用地等(無償)払い下げ>とも表現できる―実現した、という。
 知らなかったが、何とも際どいドラマが展開されていたものだ。
 もともと書き記しておきたかったことにまだ至っていない。再び回を改める。

0465/天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき2。

 前々回の冒頭に「…日本(人)の『愛国』心を考える場合に、神道(・神社)を避けて通るわけにはいかない…」と書いた。そこで読了済みの佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008)を思い出したが、「日本の愛国心」をテーマとするこの本は、神道・神社への明示的なかつある程度詳細な言及はない。
 といって、佐伯の本を批判しているのではない。第一に、上の佐伯著は三島由紀夫・吉田満・小林秀雄・保田與重郎・福沢諭吉・西田幾太郎・夏目漱石らの日本人に言及して「日本的精神」(と西欧的精神の相克)について語っているが、そこでの(あるいは上の諸人物にとっての)「日本的精神」は<神道>と密接不可分のものだったように思われる。
 例えば、p.288には次の文章がある-「日本の精神」というときに思い浮かべる中には「仏教、神道、儒教などを背景にした一種の美意識や、自然観、倫理観があることは間違いない」。他にも「神道」的感覚・価値観に実質的には触れていると見られるところが多くあるが省略。
 第二に、上の佐伯著は宗教と政治・政教分離の問題にも触れている(例えばp.125~132は「愛国心と宗教」との見出しのもとの文章だ)。論述の途中からになるが、以下のようなことが語られている(番号はこの欄の執筆者)。
 <①ホッブズは「近代国家」のロジックとして「政教分離」を説いた。だが一切の「宗教的なものの排除」を主張したのではなく、要するに世俗的権力の宗教的権力に対する優越さえ認められれば十分だった。むしろ、ホッブズは、「神への信仰」を「隠された前提」としてこそ、契約国家・近代国家を観念する(構想する)ことができたのだ。(p.126-9)
 ②かかるホッブズの論理は「英国国教会」を念頭においたもので、「政治的主権者」=「宗教的司祭」との観念は今日ではそのまま妥当しないとしても、「明治における日本の天皇の意味づけとそれほど違うわけではない」。「政治的権力の中心」でありかつ「宗教的祭祀の中心」であった「天皇という位置」は、ホッブズの論理に照らした場合、「決して前近代的というわけではないし、また西欧近代の主権性と対立するというわけではない」。(p.130)
 ③たしかにホッブズ国家論の「近代」性の一つは「政治権力」と「個人の信仰や思想の自由」の厳格な区別にあるが、「儀礼化され習俗化した弱い意味での『宗教的なもの』まで政教分離される必要はない」。それは「個人の内面の自由とは全く関係のない問題」だ。公教育は別としても「広い意味での教育において
『宗教的なもの』の重要性を教育することはむしろ近代社会の仕事のひとつ」だ。「わが国かなり厳格で、時として誤解されることの多い政教分離論も、西欧社会のコンテキストを参照して少し考え直してみる必要もあるのではなかろうか」。(p.131-2)>
 いずれしようと思っていた佐伯著の要約的紹介の一部を書いてしまった感じだ。それはともかく、「儀礼化され習俗化した弱い意味での『宗教的なもの』」の教育の重要性を指摘している。前々回に指摘した「宗教教育」<「道徳教育」<「情操教育」とも共通する問題関心があるかに見える。
 また、「西欧社会のコンテキスト」を主としてホッブズによって辿りつつ、わが国の「
かなり厳格で、時として誤解されることの多い政教分離論」を見直す必要性を指摘している。この「政教分離」は日本国憲法上に規定されている原則でもあり、神道・神社に関心をもったのは、「一つ」には、天皇(家)と神社・神道の関係は「政教分離」条項のもとでどのように整理され、位置づけられているのか(-されるべきなのか)という問題意識があったからだった。
 この問題についての神社本庁の<言い分>等を紹介してみたいが、さらに別の回に委ねる。

0463/「神道」とはそもそも何なのだろうか。

 神道に関心をもつのは、一つは、日本の伝統・歴史という場合、あるいは日本(人)の「愛国」心を考える場合に、神道(・神社)を避けて通るわけにはいかない、という潜在的な直感があるからだ。
 「直感」からすでに結論めいたことを紹介するのは<飛躍>してはいるが、すでに一部は読んだ形跡のあった井沢元彦・仏教・神道・儒教集中講座(徳間書店、2005)には、こんな文章がある。
 ・「神道」とは「日本古来の神様を、日本人のやり方で祀っていく宗教」だ(p.121)。
 ・キリスト教が欧州キリスト教国の政治行動の理由になったように、「日本人独自の信仰である神道も、日本人独自の政治制度や文化、あるいは歴史に大きな影響を与えて」いる(p.143)。
 ・「神道がわかれば日本史の謎が解ける」(p.162-一節の見出し)。
 ・「神道」は「やはり我々日本人の考え方の根本にあるもので」、「日本人の生き方にさまざまな影響を与えている」(p.163)。
 ・「理性や理屈では必ずしもそうだと言い切れないものをそうだと信じること」が「信仰」だと思うが、「その国の人間の信仰を知らなければ、その国の歴史はわからないはず」だ。日本は「自分たちの信仰をないがしろにしてき」たため、「アイデンティティがわからなくなってしまっている」(p.164)。
 ・「日本人のアイデンティティ」は、しかし、「明らかに存在」しており、それは「神道」だ(p.164)。
 ・「我々日本人は、実は神道の信徒」なのだ(p.165)。
 ・日本人が本当に「無宗教」だったら、何かの宗教(例、キリスト教)にたちまちに染まっても不思議ではないが、そうなっていないということは、「日本には実はキリスト教に対抗し得る強力な原理があった」ことを意味する。「神道こそがその原理だった」(p.165-6)。
 引用はこの程度にしておく。日本人に特有の思考方法・感受性等についての具体的言及は省略するが、たぶん井沢の言うとおりだろうという気がしている。イザヤ・ベンダサン(山本七平)はたしか「日本教」という概念を使って日本人独特の心理・考え方等を論じていたかに記憶するが、「日本教」とは「神道」に相当に類似したものの表現ではないだろうか。
 現在の神社本庁は神道それ自体についてどう説明しているか。神社本庁教学研究所監修・神道いろは(神社新報社、2004)によると、こうだ(p.14-15)。
 ・「神道の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念」だ。
 ・「開祖」はいないし、聖書のような「教典」もない。但し、古事記・日本書紀・風土記等から「神道の在り方や神々のこと」は窺える。
 (なお、途中で挿むが、井沢・上掲書p.137は「神道の教典と考えてもいいのではないか、というもの」は「古事記」だ、と述べている。)
 ・仏教の伝来以降に「それまでの我が国独自の慣習や信仰が…『かむながらの道(神道)』として意識される」ようになった。
 ・特色の一つは「外来の他宗教に対する寛容さ」。(この点は、井沢・上掲書も指摘している。)
 ・神道は「自然との調和」を大切にする。「多くの神が森厳なる神社の境内の中にお鎮まりに」なっている。
 ・神道は「神々を敬い祖先を大切にする(敬神崇祖)」。
 (祖先崇拝を「儒教」と結びつける説明も別の論者又は文献によってなされていることがあるが、それは神道とも矛盾せず、むしろ神道の特色の一つなのだろう。もっともアジアの宗教(あるいは古来の東アジア人の精神)に共通する心性の可能性もある。)
 要約すると、以上の程度のことしか書かれていない(これは必ずしも批判ではない。単純素朴さ、簡明さは仏教とも異なる神道の特徴だと感じている)。
 一方また、「神社本庁」に関する次の説明も、神道の理解にとって参考になる(上掲の神道いろはp.44-45)。
 ・神社を国から分離するGHQの「神道指令」後、1946年2月3日に、「全国の神社と神社関係者を統合するための宗教法人神社本庁」が設立された。
 ・設立に際して、「教義が明確化された組織(神社教)の形態」を採らず、「各神社の独立性を尊重し全国の神社が独立の組織として連盟を結成する(神社連盟)を結成する」という考え方が基本とされた。
 ・従って、「他宗教にある統一的な教義といったもの」はない
 ・しかし、次の三項目を掲げる「敬神生活の綱領」を定めてはいる。①「神の恵みと祖先の恩に感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと」、②「世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと」、③「大御心(おおみこころ)をいだきてむつぎ和らぎ、国の隆盛と世界の共存共栄を祈ること」。
 以上。なるほどという感じもし、新鮮な感じもする。また、この程度の「綱領」を掲げる程度では、いく度か「神」が出てくるとしても、そして形式的には各神社や神社本庁は「宗教法人」だとしても、そもそも「宗教」といえるのだろうか、という基本的な疑問も湧いてくる
 さらに、いちおう神道も<宗教>だとして進めると、戦後は<無宗教>教育だったからこそ、「明き清きまこと」・「むつぎ和らぎ」といった心持ち、「世のため人のために奉仕し」といった公共心・他者愛心が教育されなかったのではないか、という気がしてくる(「国の隆盛世界の共存共栄(…を祈る)」のうちとくに前者(「愛国心」に直接につながる)は、公教育において殆ど無視されてきただろう)。
 よく指摘されている道徳観念・規範意識の欠如の増大傾向も<宗教教育>の欠如と無関係だとは思われない。ここでの<宗教教育>はやや大袈裟な表現で、<道徳教育>、さらには単純に<情操教育>と言い換えてもよいかもしれないが。
 今回の冒頭に「一つは」と記したが、もっと関心を持って書きたかったのは別の「一つ」にかかわる。回を改める。

0461/天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき。

 戦後教育は戦後民主主義教育とも言われるが、戦後「無宗教」教育と称してもよいと思われるくらい、「宗教」教育をしていない。その体験者は私自身で、じつのところ、神道にせよ仏教にせよ(キリスト教・イスラム教は勿論)それらに関して何を知っているかというと甚だ覚束ない。歴史(日本史)の時間に鎌倉仏教の種々の宗派と開祖を教えられた(憶えさせられた)記憶はあるが、そんなものを記憶したって仏教を理解することには全くならない。郷里には鎮守の森の中に神社=<八幡さん>もあって幼少期は境内でよく遊んだものだが、はて神道とは?、あの神社の祭神は誰?、とか考えると何も知らなかったし、今でも殆ど知らないことに気づく(のちの知識だと、たぶん「八幡」とは「崇神」天皇を祀っている筈だが確認は省略-のちに思い出し確認したが、正しくは「応神」天皇)。神道・神社関係者には常識的なことかもしれないが、メモを続ける。
 ④「皇室と最も縁深い格別なる神社は伊勢の神宮」で、その理由は「八咫鏡」が(伊勢)神宮の「御神体としてお祀り」され、「その写し」が宮中でも「お祀り」されていることにある。
 この「八咫鏡」=「宝鏡」を祀るのが宮中「賢所」。宮中三殿と言われる残りの「皇霊殿」は「歴代の天皇・皇后・皇族」を祀り、「神殿」は「八百万の神々」を祀る。(神道いろはp.214-5)。
 ⑤現在でも、「特に皇室と歴史的にも関係がある神社」に対しては、天皇陛下から、「例祭」時などに、「勅使(掌典)が差し遣わされ、幣帛が奉奠され」る。
 上にいう「幣帛(へいはく)」とは絹・麻・木綿等の<布>のこと。それを用意するための金銭は「幣帛料」という。
 上にいう「特に皇室と歴史的にも関係がある神社」をとくに「勅祭社」という。この「勅祭社」ではまた、「天皇のお使い」=「勅使」が参加して「祭祀」が行われる(だからこそ「勅祭社」と称される)。「勅祭社」は現在、次の16だとされている。近畿地方に多い。
 賀茂御祖神社、賀茂別雷神社、石清水八幡宮、氷川神社、春日大社、熱田神宮、橿原神宮、出雲大社、明治神宮、靖国神社、宇佐神宮、香椎宮、鹿島神宮、香取神宮、平安神宮、近江神宮。(以上、神道いろはp.214-5、p.47)。
 この中には(伊勢)神宮は含まれておらず、(伊勢)神宮はそもそも<別格>扱いだ。このことは上の④でも書いたが、(伊勢)神宮は内宮・外宮の他125社の総称で、中でも「内宮の御祭神である天照大御神は皇室の御祖神(みおやがみ)として尊い御存在であるとともに、常に我々国民をお守り下さっている日本の総氏神様であり、全国で約八万社ある神社の神社の中でもその根本となるお社」だからだ(但し、本山・末寺の如き関係ではない)と神社本庁によって説明されている(p.200-201)
 また、上の中に「靖国神社」も含まれていることに注目しておく必要があろう。天皇(または皇族)による同神社参拝は一時期以降はなされていないようだが、上のような叙述からすると、「勅祭社」の一つとして、毎年何回かあると思われる「例祭」の際には、天皇の代理人=「勅使」も参加して祭祀が行われ、かつ天皇陛下から「幣帛が奉奠され」ている筈なのだ。
 こうした物品またはそのために必要な金銭は、現行法令上は私的経費=「内廷費」から出されている、ということになるのだろう。
 なお、先だって言及した(伊勢)神宮の式年遷宮の祭儀には天皇陛下(・皇太子殿下)は同席されない。しかし、やはり天皇又は皇族のいわば代理人としての「皇族」(または旧皇族?)の一人が、同席するというよりも、主宰者格で列席するようだ(前回のときを撮ったDVDに映っており、その様子を描いた大きな絵画もある)。
 天皇・皇室と神道・神社(>伊勢の神宮)の関係にかかわるメモはさらに続ける。

0460/天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離。

 伊勢神宮に関する本の中には、(とくに現在の)天皇家=皇室との関係について何ら触れていないものもある。
 神社本庁教学研究所監修・神道いろは-神社とまつりの基礎知識(神社新報社、2004)は一項目2頁の簡易辞典ふうの本だが、神社本庁の書物だけあってさすがに皇室関係の記述がある。もっとも、「皇室のおまつりのいろは」だけだとわずか三項目で、かつ後半も最後の方に書かれていて、皇室関係の記述を最初からかつ大きく取り上げることには何がしかの遠慮があるように感じられなくもない。
 さて、皇室と関係の深い、というよりも皇室の始祖(皇祖)そのもの等を祀る神社等への天皇(家)からの金銭等の支出(国費支出であり「公金」の支出に他ならない)が皇室経済法という法律上の「内廷費」として、つまり皇室の<私的>行為のための費用として支出されていることは奇妙だ、という旨を先に書いた。皇室の始祖(皇祖)のための祭祀は天皇(等)の本来の任務・責務であり、「皇祖」は同時に日本という「国」の肇まりにかかわる人物だと<神話>としてであれ位置づけられてきたのだとすれば、皇祖にかかわる祭祀をまるで皇族のプライベートな趣味の如き「私的」行為と看做ささざるをえないのは、奇妙であり、一方に政教分離原則を現憲法が掲げているための<大ウソ>ではないか、というわけだ。
 以上にかかわるメモ書きを上掲の本および神社本庁研修所編・わかりやすい神道の歴史(神社新報社、2005)を参考にして続ける。
 ①名だけはよく知られているようにも思われる、皇位とともに継承される「三種の神器」とは鏡・剣・玉、すなわち「八咫鏡(やたの…)」・「天叢雲剣(あまのむらくもの…)」(又は「草薙剣」)・「八坂瓊曲玉(やさかにの…)」をいう。このうち「八咫鏡」の本体(本物)は伊勢神宮に、「天叢雲剣」の本体(本物)は熱田神宮にあり、これらによって祭祀されている。皇居・宮中内にあるこれらは「写し」又は「御分身」で、本体(本物)のいわば「代わり」にすぎない(「八咫鏡」の分身は宮中「賢所」にある)。残る「八坂瓊曲玉」の本体(本物)だけは皇居・宮中内に「安置」されている(以上、いろはp.216-7)。
 上の点だけでも、皇室と伊勢神宮・熱田神宮の「深い」関係は歴然としている。皇室(天皇)に代わって、伊勢神宮熱田神宮二つの神器の本体を<大切にお預かりし><祀っている>と、理解してよいのかもしれない。
 ②昭和天皇薨去後の現天皇の皇位継承の際、「新帝が宮中正殿に出御、三権の長(首相・衆参両院議長・最高裁判所長官)が侍立する中、剣璽等承継の儀が行われた」(歴史p.257)。「剣璽等」のうち「璽」とは「玉」=「八坂瓊曲玉」のことをいう。
 この「剣璽等承継の儀」の写真がいろはp.213に載っている。今上天皇から一歩下がった傍らに、現皇太子・常陸宮・三笠宮寛仁各殿下が立っていて、天皇陛下に対して(宮内庁の役人だろうか)二名が少なくとも二つの容器が入っている(と推測される)二つの立派な袱紗?に覆われた箱を、背中を屈して捧げ、手渡すかの如き姿勢をとっている。
 上の写真の内容はともかく、この儀式に「三権の長(首相・衆参両院議長・最高裁判所長官)」が列席していたということは重要なことだ。憲法上「世襲」と明記された皇位の継承が行われるのだから当然といえば当然ともいえる。しかし、皇位の継承は同時に「三種の神器」の継承を伴うなんていうことは憲法のどこにも(さらには「皇室典範」という法律のどこにも)書かれていない。  にもかかわらず、「三権の長」も、歴史と伝統に則って、皇位とともに「三種の神器」も継承される、という考え方に従っているのだ。
 ③しかして「三種の神器」とは何か、となると簡単な記述はむつかしい。少なくとも「いろは」本の一部の全文(例えばp.216)をここに写す(引用する)必要がある。要するに、古事記・日本書記・古語拾遺等の文書にすでに描かれていることで、三種それぞれに各々の由縁・来歴があるようだが、「皇位の継承とともに連綿と引き継がれて現在に」至っている(いろはp.217)。
 この神器の「継承の儀」の費用はどこから出ているのだろうか。「三種の神器」の継承とは<神道>そのものに由来するように思われるが、「三権の長」が同席していることによっても、皇室の「私的」行為とはもはやいえず、「公的」行為(行事)として「宮廷費」から支出されているのではないか、と考えられる。
 中途だが、これくらいにして、次回につづける。

0448/天皇制度と「宗教」-伊勢神宮式年遷宮費用問題から発展させて。

 皇室経済法(昭和22法律第4号)によると、「予算に計上する皇室の費用」には次の三種がある。①内廷費、②宮廷費、③皇族費、だ(法律上の順序による)。
 ①は皇族の「日常の費用その他内定諸費」に充てられ、②は①以外の「宮廷諸費」に充てられ、③は「皇族としての品位保持」のためのもので、皇族に年額、皇族であった者・皇族を離れる者に一時金額として出費される。
 園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007.09)も参照。但し、この本には、次の疑問の答えは明示されていない。そもそも(伊勢)神宮などという言葉は一回も出てこない。
 伊勢神宮をはじめとする神社や仏閣に天皇(家)から何らかの「金銭」が支出されているとすれば、上のどの種別に含まれるのか?
 日本国憲法第3条は「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定して、天皇は<国事行為>をするが、すべてに「内閣の助言と承認」が必要だと定める。この<国事行為>とは、同6条による内閣総理大臣・最高裁長官の「任命」のほかは、同7条が定めるものに限られると一般に解されているようだ(「「憲法改正、法律、政令及び条約」の「公布」、「国会」の「召集」、「衆議院」の「解散」、四~六<略>、七「栄典」の「授与」、八・九<略>、十「儀式を行ふこと」)。
 これらの国事行為と天皇の<(純粋な)私的行為>の区別は、財源的には、上の②と①の区別に対応する。①内廷費は皇族の「日常の費用その他」のいわば「私費」として使われる、とされる。
 天皇(皇族)の活動・行為は(憲法上の)国事行為に限られるのか、<(純粋な)私的行為>とも区別される第三の「公的行為」との類型もあり、これも存在しうるのか、については、「公的行為」肯定説と同否定説が憲法学界にはあるようだ(野中=中村=高橋=高見・憲法Ⅰ〔第四版〕(有斐閣、2006)の高橋和之(前東京大学)執筆部分のp.136-141参照)。
 少なくともマルクス主義「的」と見られる浦部法穂が関係部分を執筆している芦部信喜監修・注釈憲法(1)(有斐閣、2000)で浦部法穂は、国事行為以外は「純粋な私的行為」のみ=「ひとりの人間としてなす純然たる私的行為(起居動作や趣味の行為など)」に限られる、とする(上掲書p.201、p.220~)。
 実務あるいは現実は<公的行為>を一定範囲で肯定しているようだが(国会開会式での「お言葉」など)、皇室が社寺とかかわる行為は<公的行為>とはされていないようだ。
 高橋和之(前東京大学)は上掲書p.131で憲法上の国事行為の一つの「儀式を行うこと」に触れて、「その儀式は私的ではなく国家的な性格なものでなければならず、かつ、政教分離の原則から宗教的なものであってはならないとされる」と書き、p.132では「儀式的行為が国事行為」になるには「国家的、全国民的性格のもの」の必要があり、「宗教的性格をもってはならないことはいうまでもない」と、「いうまでもない」との語尾をつけて強調しており、伊勢神宮等への関与が(現憲法上の)国事行為になる余地はなさそうだ。
 さらに、高橋(前東京大学法学部教授)は、昭和天皇の葬儀は「皇室の宗教儀式」としての「葬場殿の儀」と「国事行為」としての「大喪の礼」の二つを含んでいたこと、かつ両者が「同じ日に隣接した場所」で「あたかも一連の儀式であるかのような外観」で行われたので「政教分離の不徹底さが批判を受けた」と明記している。
 また、高橋は、現天皇陛下の即位にかかわる「皇室の宗教儀式」としての「大嘗祭」の費用は(国事行為とされなかったが)「宮廷費」から出費された、一方、現天皇陛下の婚姻の儀全体は当時の天皇=昭和天皇の「国事行為」として行われつつも、そのうち「賢所での宗教的儀式」=「神事」の費用は(「宮廷費」ではなく)「内廷費」で賄われた、という「あいまいさを残した」とも書いている(p.132-3)。
 こうして見ると、明記は以上のどの本にもないが、伊勢神宮への関与(式年遷宮費の一部負担)は「内廷費」から出費されていると理解しておそらく間違いないだろう。
 だが、極端とも思われる浦部法穂によれば、「内廷費」とは「ひとりの人間としてなす純然たる私的行為(起居動作や趣味の行為など)」について出費されるものになるが、はたして天皇(家)にとって、皇室と関係の深い社寺への<御下賜金>の交付が「純然たる私的行為」というような性格のものか否かは疑問も生じる。
 園部逸夫・上掲書p.298は「宗教的性格」をもつ「皇室財産は私有財産」とされ、「宗教的性格を有すると見られる行為は私的な立場の行為とされている」と書く。これがどうやら、現憲法のもとでの現在の一般的理解なのだろう。皇室と関係の深い社寺への<御下賜金>の交付が「宗教的性格を有する」と見られる限り、「私的な立場の行為」としか性格づけられないことになる(従って、「内廷費」で賄われる)
 だが、前東京大学の高橋和之は「いうまでもない」と書いて当然視しているが、現憲法上存置されている天皇と天皇制度はかくも全面的に<政教分離原則>に服しなければならないものなのだろうか。
 GHQがどの程度<天皇制度>の意味や歴史を理解していたかが問題になるが、いつか書いたように、とくに<神道>との密接な関連性をもつということは、<天皇制度>のうちに元来内包されている要素であり、そのようなものとして現憲法も<天皇制度>を存続させた、という解釈も可能なのではないだろうか。だとすれば、天皇(家)と<神道>の関係について厳格に<政教分離の原則>を適用するのは、むしろ憲法の趣旨には合致していない、とも解釈できるのではないだろうか。
 園部逸夫・上掲書p.同も、「宗教的性格」の財産や行為を従来通り「私的な位置づけ」とするとしても、「財産や行為の内容によっては」、それらの「文化的・歴史的意義に鑑み、…費用を、公費から支出することが可能なものもあるのではないか」と提言又は試論的に述べ、その例として、「文化的・歴史的な側面から」「宗教的意義」を評価しての、「古くから伝わる宗教的財産や古くから行われている祭祀等」を挙げている。
 「公費から支出」とは皇室経費以外の国費支出の場合の他に、「宮廷費」からの支出も含む、と理解できるのではないかと思われる。
 「古くから行われている祭祀等」の中に大嘗祭や婚礼のための「賢所での宗教的儀式」は含まれるかもしれないが、伊勢神宮の式年遷宮への<御下賜金>の交付も含まれるかは明らかではない。だが、少しばかりの可能性は生じうるだろう。
 以上は現日本国憲法を前提としての話なのだが、そもそも、政教分離に関する条項も、日本の宗教、とくに<神道>と<(日本化された)仏教>についてのいかほどの見識・知見をもって制定されているのかも問題にしなければならない。原文を作ったGHQの担当者は殆ど詳細な知識もなく、自国(アメリカ)又は欧州の有力諸国の憲法を大きな参考にしたのではなかろうか。
 だとすれば、宗教にかかわる国情も歴史も異なる日本に、米国(又は欧州)産の宗教関係条項をそのまま持ち込むのは無理がある、と言うべきではないか。
 そしてまた、<政教分離>の観点から、天皇(家)の宗教的活動を否定するかできるだけ制限することを志向している憲法学者の議論は、<天皇制度>への不信、将来におけるそれの廃棄を心の奥底では狙っているもののように思えなくもない。
 最もよいのは、<天皇と宗教>というテーマに関しても十分に議論・検討をして、新憲法を制定する(現憲法の関係条項を改正する)ことだろう。だが、自由民主党の新憲法草案を見てみると、新20条は現行規定と内容は殆ど(全く?)変わっていない。いつ憲法改正が具体的政治日程に上がるのか不明になってしまったが、目配りすべき部分は自由民主党の新憲法草案立案者が想定していたよりも多いのではないか。

0435/伊勢神宮「式年遷宮」等と天皇(家)。

 伊勢神宮(正式名称はたんに「神宮」)の内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)はともに、20年ごとに本殿を隣接地に新しく建築し直す。これを「式年遷宮」といい、前回は平成5年・1993年の10月に行われた。これが第61回で、次回・第62回の「式年遷宮」は平成25年・2013年に行われる。20年ごとだから、単純に計算して1220余年前から行われていることになるが、一時期途絶えたことがある。が、ともあれ、奈良時代の持統天皇の時代という、現代人から見れば、はろけくも昔に始まり、現代まで続いている。
 この行事(むしろ「祭事」か)は現在では形式的には一宗教法人のもののはずだが、前回の「式年遷宮」については昭和59年・1984年に、当時の天皇(昭和天皇)が実質的にいってこれの準備を開始することを「許す」旨の意思を伝えた。これを「聴許」というらしい。
 その意思は宮内庁長官の文書に示されている。
 「宮内庁長官官房官発第一六六号/昭和五九年四月四日/宮内庁長官 富田朝彦
 神宮大宮司 二條弼基 殿
 回答/三月二十二日付け造庶発第三号により御上申の第六十一回神宮式年遷宮の儀につきましては、本日御聴許になりました。/この旨お伝えします。
」(/は改行)
 (以上、主として、神宮司庁企画(DVD)・第六十一回神宮式年遷宮/伊勢の遷宮-総集編-による。)
 伊勢神宮の「遷宮」につき天皇の「聴許」があらかじめある。次回・第62回についてもすでに現(今上)天皇の「聴許」がなされていると思われる。
 ところで、憲法にはこうある。
 「第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
 「第20条 1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
 宮内庁という紛れもない国家行政機関の長官が上の如き文書を発している。これは「公」文書ではないのだろうか。そして、天皇も憲法上「日本国の象徴」・「日本国民統合の象徴」とされる国家の(戦前の天皇機関説を持ち出すまでもなく)重要な「機関」と称してよいものだとすれば(「機関」が適切でないならば別の概念でもよい。ともかくも、国家機構の一部を占めるものと理解して誤りではないと考えられる)、天皇が、伊勢神宮という一宗教法人の活動に直接に「関与」していると言えないのだろうか
 そしてさらに、上掲の憲法20条3項で禁止されている「国及びその機関」の「宗教的活動」に該当しないのだろうか。
 あるいは、伊勢神宮から見ると、当該「宗教団体」は20条1項で禁止されている「国から特権を受け」ることをしているのではないのだろうか(なお、式年遷宮の費用は募金による。だが、確認していないものの、天皇及びその他の皇族によっても費用の一部は負担されている筈だ)。
 しかし、憲法20条の<政教分離>規定にかかわらず、天皇による「神宮式年遷宮」への関与や天皇その他の皇族による費用負担(天皇等が支払う「金銭」はすべて国が法律に基づき支出しているもので、かりに「私事」・「私生活」というものがあってそれらに使われるものであっても、出所から見るとすべて「公金」だ)が憲法に違反しているという議論は(私は)聞いた又は読んだことがない
 戦後になってからも、1953年、1973年と「式年遷宮」は行われてきており、当時は日本社会党(またはその前身の左・右社会党)が存在した。1993年というのは日本社会党を含む連立政権が誕生した年だった。にもかかわらず、日本社会党が天皇・皇室の伊勢神宮への関与等を法的に疑問視したという記憶は全くない
 憲法の規定を離れて言えば、伊勢神宮に天皇家がかかわるのは異様でも何でもない。何よりも、内宮の祭神は天照大神(アマテラスオオミカミ)で、天皇(家)の先祖(むしろ「始祖」に近い?)とされる(神話上であれ)人物だ(外宮の祭神は天照大神の食事を担当していたとされる)。歴史的に見れば、伊勢神宮は天皇(家)・皇室の祖先を祀る最大・最高の神社だったのだ。現在でもそうだろう(なお、奈良県・橿原神宮-祭神は神武天皇-は明治期に造営されたと記憶する)。
 そのような歴史的経緯を無視して憲法20条を解釈することはできず、憲法1条により「天皇」の存在が正式に承認されていることとも合わせた、総合的な解釈が必要になる。
 先日、天皇・皇室と神社の関係に触れ、両者の関係を憲法20条・「政教分離」の形式的解釈で論じてはならない旨を書いたのは、上記の「式年遷宮」のことを知っていたからでもある(それだけではないが)。
 さらに付記すれば、天皇・皇族に限らず、毎年正月、日本国の内閣総理大臣は伊勢神宮に参拝している。今年は野党第一党党首・小沢一郎も参拝した。福田首相の東京からの交通費はどこから出ていたのか?。福田首相に随行した秘書官等はいかなる性格の仕事をしたのか?。
 にもかかわらず、朝日新聞すら、上のことを問題視・疑問視しなかった筈だ。公人としてか私人としてか、などというような質問をしたマスメディアの記者もいなかった筈だ。
 明らかに、表面的・形式的には伊勢神宮は国政担当者から「特権的」扱いを受けている、と言ってよい、と思われる。だが、そのことに(現在の野党第一党はもとより)朝日新聞すら目くじらを立ててこなかった、という厳然たる事実がある、ということはきちんと記憶されておいてよいだろう。将来、状況に何らかの変化があると、朝日新聞や一部の者たちががそれを<憲法違反>だと言いかねない、と思われるからだ。
 なお、神道、神社に限らず、いちいち正確には確認していないが、皇室に縁のある寺院は、現在でも皇室と何らかの(他の寺院とは異なる)特別の関係があるだろう。皇族を離脱した者の子孫が住職(法主?、貫首?)をしているような寺院だ(いわゆる「門跡」。例、京都市・曼殊院)。
 また、京都市の泉涌寺(せんにゅうじ)のように、奈良時代の天皇を除く全ての天皇を祀っている寺院もあり、そこでは毎日朝夕、過去の多数の天皇の位牌(御尊牌)を前にして読経が行われている筈だ。そして、現在の天皇(家)からも、この寺院に対してはいくばくかの金銭(手当、お礼。正式には「御下賜金」か?)が出費されていると推測される。
 このような「特別の」関係をもって「政教分離」条項に反するとは言えないだろう。そして、おそらくは憲法学者も含めて誰も、違憲とは指摘・主張してきていないと思われる。このこともきちんと記憶されておいてよいだろう。将来、こうした皇室と寺院の関係も「法的に」問題にする新聞や論者が出現してくる可能性があるからだ。

0432/日本の起源・天皇と「神道」。

 神社本庁研修所編・わかりやすい神道の歴史(神社新報社、2005)を少し読んだのだが、第一章・第二章(執筆者・高森明勅)あたりの内容は、ほとんど日本書記や古事記の叙述と同じのように感じる。
 批判しているのではない。神道とは日本の歴史(とくに古代史)そのものと不可分だと感じていたので、あらためてそれを確認している、と言ってもよい。
 また、「神道」との語が出てくる最古の文献は日本書記らしいのだが、その例の一つの前の文章にこんな内容が書かれているという。やや長いが、現代語訳をそのまま引用する。
 「神々は、神である本性のままに、我が子孫に日本を統治するように委任された。それゆえ、この国は天地の初めから天皇がお治めになる国である」。(p.29)
 そして、次のコメントが付されている。-「神道は天皇統治の根源にかかわるものと理解されていたことになろう」。
 「天皇」制度は、現憲法上は<象徴>として、現在にまで続いている(かりに西暦600年くらいからとしても1400年を超えて連綿と続いている)。
 その「天皇」制度は最初から、というか、それ自体の重要な一内容として、「神道」という<宗教>を内に含んでいたかに見える。
 現在でも、天皇家、皇室の<宗教>は「神道」のはずで、種々の儀礼・儀式の中には古来からの「神道」にもとづくものが多いだろう。
 そのような、「神道」と不可分の「天皇」(そして皇室)制度を憲法・法律上存続させつつも、一方では、現憲法は<政教分離>を謳っている。ここには、「天皇」家にとっての<私事>としての「神道」という宗教、という理解では説明のつかない、現憲法自体が内包している「矛盾」・よく言って「わかりにくさ」があると思われる。
 だが、そのような<矛盾>をそもそも許容したものとして現憲法を理解・解釈する他はない、と考えられる。
 天皇や皇族は明らかに「神道」(という、見方によれば<特定の宗教>)を支持・支援する活動・行為をしていること、そしてそのことは<政教分離>という別の条項に何ら違反する(違憲の)ものではないということ、を(ひょっとして当たり前のことを書いているのかもしれないが)確認しておくべきだ、とふと考えた。

0386/朝日新聞今年1/5夕刊は「初詣で」にシニカル。

 <反朝日新聞>と謳いつつ、定期購読はしておらず、外出先で偶々読むか、社説をネット上でときに見るにとどまる。べったりとこの新聞と付き合うのは、精神衛生に悪い。
 外出先で偶々読んだとき、たいてい、「朝日らしさ」をどこかに発見する。
 販売店で古物を売って貰おうかなどとぼんやり考えているうちに月日が経ったが、朝日新聞今年1/05夕刊にも「朝日らしい」記事があった。
 記憶に頼らざるをえないのだが、①正月の「初詣で」を冷笑し、②「神道」は<純粋に日本的ではない>とするものだった。
 ①は直接にそう書いているわけではない。正月の「初詣で」者数の全国的な多さに驚いて、そのような<慣例>にイチャモンをつけておきたい気分がうかがえた、ということだ。
 ②はその旨を明示して、神道からは<むしろ(東)アジアに普遍的な>ものが見えてくる、というようなことを書いていた。
 <純粋に日本的なもの>を神道に求めるという風潮?を批判したい気分の明らかな記事だった。だが、歴史をいにしえへと遡れば、「日本」という概念すら曖昧になる。古代のずっと先から原型があったとすれば、「神道」は<純粋に日本的なものではない>というのは至極当たり前のことではないか。
 執筆した若い?記者は、正月の「初詣で」という、神道という宗教との関連性の多い筈の<慣例的行事>に多数の国民が参加していることに怖れをなし、そのような現象に水をかけておきたいと思ったのではなかろうか。さすがに明示はしていないが、そのような「朝日的」気分の表れた記事だった。
 ところで、日本共産党員、社会民主党員およびこれら両党の熱烈なシンパは社寺への「初詣で」(その他「食い初め」とか「七五三詣り」とか)はしないのではなかろうか。社寺のもつ「宗教」を馬鹿にし、そのようなものに関与している<大衆>をもバカにする、まじめな党員であるほど、そのような心情をもっているのではないか、と思われる(そして朝日新聞の記者もそうかもしれない)。

-0012/日本の憲法「アカデミズム」はいったいどこにいる。

 8月14日付日記言及の朝日社説に或る「怖さ」を感じたというのは、近衛文麿は自殺させずに殺す=処刑すべきだったとのニュアンスを感じたからだったと思う。昨日の靖国関係の朝日記事でも、どこか外国のことに触れているような冷たさ、一般戦没者はもちろん戦争指導者たちも同じ日本人、先輩同胞だったという感覚の希薄さ、を感じたのだが、気のせいだろうか。
 12付日記の最後は憲法20条でいう「宗教」に神道もキリスト教・天理教も小規模新興「宗教」もすべて同列に含めてよいのかとの疑問だ。歴史的・伝統的に見て、神道が他とは区別されるわが国固有の土俗的なものにすら結びついていることは常識的だろう。
 靖国参拝問題と関連させれば、叙上の如く「神道」を特別視又は例外視できないとすれば、そもそも同行為は憲法20条3項が禁じる「宗教的活動」ではない、「活動」といえるほどの行為でない、として合憲視できるのでないか。伊勢神宮に正月に首相等が又はそれ以外の時でも新被選出首相等が参拝して朝日も(たぶん)問題視してきていないのは、昨日の小泉発言のとおり。このような解釈が無理なら、日本の宗教事情に無知なアメリカ人の発想によるものとして政教分離の憲法規定=条文自体が再考され、改正されるべきだ。
 こうした憲法問題について肝心のわが国の憲法学界=憲法アカデミズムの人たちは何を考えているのか。昨日も憲法学者の名が全く又はほとんど紙面に出てこないのは何故なのか。大学で憲法を講じている者は数百人はいるはずなのに。
 靖国問題に限らず国論分裂そのものが現憲法の見方の差違に由来しているとすらいえる。主権喪失(少なくとも制限)の占領期になぜ憲法という基本法を改正できたのか、不思議だ。本来は主権回復後に同じ内容でもいいから現憲法を国民投票にでもかけておくべだったと思う。
 GHQが占領末期に憲法改正可能を示唆したが吉田茂等が採用しなかったので「押しつけ」でないとの論(古関彰一・新憲法の誕生(中公文庫)等)は、「押しつけ」の意味にもより、詳論しないが「詭弁」だ。
 また、新総選挙により構成された衆議院で審議・承認され、その後「国民によって歓迎され、受け入れられている」から「押しつけ」でないとの論(中村睦男・はじめての憲法学p.18(三省堂)は、上以上の詭弁・ヘリクツだ。
 中西輝政編・憲法改正(中央公論新社)を入手したので、その中の長谷川三千子論文から読んでみる。
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