秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

宗教

美しい日本05ー高く登る神社の石参道。

 陸奥一宮・塩竃神社(+志波彦神社)へは二度訪れた。一度目は仙石線の本塩釜駅からタクシーで、東の方から志波彦神社の近くにまで運んでもらい、帰路は塩竃神社・社務所の南につづく石段を降りた。
 この石段降りは雨模様で石が少し濡れていたため、一歩ずつ緊張した。降りてから再び本塩釜駅までは歩き、鉄道で松島が見える方に向かった。そのとき、行きは簡単にタクシーに頼ってしまったことで完全な参拝ではなかったような気がし、つぎのときは、きちんと石の参道を上がって参拝しようと思った。
 今度は東北線の塩釜駅から歩いて、塩竃神社の森の下にくると、頂の最終部分が何とか判断できる程度に、まっすぐに上に登っていく、石の参道が見える。鬱蒼とした木々に囲まれて、左右平行の石段がまっすぐに登っていく姿は、美しい。
 司馬遼太郎・ワイド版街道をゆく26巻(朝日新聞社、2005)p.247には、「ふもとの町から一直線に石段がきずかれている。/『高いですなあ』と、多少はひるんだ」、とある。
 極端に長いことはないが、老輩には、そこそこに厳しい。200段くらいだっただろうか。
 なお、志波彦神社という神社が社殿の向きを変えて隣の敷地内にあるのだが、なぜこの別の神社と併せて実質的には一つになっているのか、その複雑な背景・理由は、きっと何かで読んだはずだが、分からない(憶えていない)。
 但し、一つではなく二つの神社のご朱印をいただくことになるので、一社ぶんの300円ではなく400円か500円のご志納金だったことはなぜか( ?)憶えている。
 山の途中まで一直線に石の階段が参道として上がっている景色としては、千葉県/安房の国の洲崎神社のそれも印象に残った。専門の宮司さんはいないようで、電話をするとご朱印のために事業用の小型車で、社務所までやってきてくれた。その間に、石段登りをしてその上にある小さな社殿で参拝したのだが、石段は塩竃神社のそれよりも幅狭いが、高さはたかい(したがって段数も多い)。
 降りようとして前方を見ると-下方は傾斜のある、持つところが何もない石段だ-、東京湾かその付近を、タンカーがゆっくりと移動していた。天気もよく、青い空のもとでの古びた社務所、県道、そして船のうかぶ海が一望に見えて、清々しく美しかった。
 このとき、神社の多くのように、社殿も石段も南を向いているのだろうと思っていた。
 ところがその日のうちにでも分かったが、社殿は西向きで、石段は東から西へと下っていた。神奈川県と向かい合っていたことになる。見たタンカーは外洋を悠々と航行していたのではなく、東京湾に入る準備をしていたのかもしれない。
 なお、各旧国の「一宮」がどれかについては争いが残っているようで、安房については、洲崎神社の前に訪れた安房神社の方が大規模だし、名前からしても一宮らしい。
 しかし、源頼朝が挙兵してまず向かいの安房の国に上陸したとき、上に書いた洲崎神社で戦勝を祈り、<この宮こそ安房の一宮だ>とか言ったらしい。そんな由緒があって、全国一宮会は安房神社と洲崎神社の二つを安房の国の一宮としているらしい。
 神社の由緒書、案内文などは読んでも忘れることが多い。熱心な頃は、毎週のように出かけたのだから当然だろう。それでも、上の洲崎神社についての上のようなことは、由緒書をもらったそのときか、館山駅に近いホテルで読んでか、記憶として定着してしまった。
 思いを外国に馳せると、欧州の教会は、中小の街であれば、街の中心の広場にあることが多いだろう。鉄道で教会の尖塔が見えれば、そこは市街地の中心であることが想定できる。
 ドイツのゲッティンゲンでもフライブルクでも、フランスのシュトラスブールでも同じ。
 パリのセーヌ川の中島・シテ島の東にノートルダム寺院はある。マドレーヌ教会もコンコルド広場の北方近くなので中心部といえる。ウィーンのシュテファン大聖堂は同市の中心にある、と言ってよいだろう(ベルリンは ?と考えてみたがはっきりしない)。
 なぜこんなふうに話を広げたかというと、日本には街の中心部の広場そばに神社がある、ということはまずない。高く登っていく石段の先に社殿があるという神社の位置は、欧州の=キリスト教の宗教施設とは、大きく異なるのではないかと感じる、からだ。
 日本の「神」は人々の暮らしに気を遣って、あるいは遠慮して、人里から少し離れた、多くは少し高い場所を選んだ、ということなのかどうか。

美しい日本04-神社等の位置03。

 山門をくぐって、さらに何段か下った、日射しの少ない暗い参道をまっすぐ歩いたことがあった。四国八八所巡礼の82番、高松市にある根香(ねごろ)寺だ。
 もう一つ、宮崎・日南市の鵜戸神宮も、下っていくように作られている。
 バス停から少し登った所を(トンネルの方にいかないで)さらに登ると、海の方向へと下っているやや古くはなっている参道がある。
平地まで下ると神社の雰囲気が漂っているが、この神社の特徴は、さらにそのあとにあった。つまり、海に面した岩壁に作られたハシゴのような人工の石段を何度か曲がりながら行き着いたところが、岩壁中に30~40度ほど口が開いた洞窟になっていて、その中に、拝殿と本殿が収まっている。最初はぎょっとして、のちに不思議なかつ神々しいものに思えてくる。
 こんな社殿は、おそらく他にはないのではないか。
 この神社はふつうの参道自体も下向きだ。但し、波が吹き込んでくるかもしれないほどの岸壁中に貝の蓋のように開いた空間内の社殿の位置は、参道の上がり・下がりの違いという論点からはすでに離れている、独特のものだ。
 海に対して切り立った岩の中の隙間に、昔の人々はきっと、不思議さ、異様さを感じるとともに、「神」の存在を感じていたのだろう。
 例の如く余計なことを書くと、四国82番の根香寺の前の81番の札所は白峯寺で、それぞれ高松・坂出両市にまたがる五色台という丘陵の東部と西部にある(従って今では、平地から歩いて登るのはかなり厳しいようだ)。
さて、この白峯寺のすぐ近くには崇徳上皇の墓陵があり、当該墓陵独自の参道もあるが、白峯寺から簡単に行ける。墓陵の前に立つと(又はしゃがむと)石製の墓碑以外には、緑の木々しか見えない。
 竹田恒泰がひざまづいている写真を扉とする、崇徳上皇に関する本を彼が出版している。同・怨霊になった天皇(小学館、2009)。また、僧・西行も一度は実際に訪れたようで(12世紀だろう)、江戸時代に入ってからの上田秋成による雨月物語の最初の話は「白峯(しらみね)」という題。そこでは、崇徳(の霊)と西行が会話を、あるいは議論をしている。
 この会話・議論は実際のものに近いのかどうか、西行がこれについての何かの記録を残しているのかは知らない。物語では、保元の乱あたりの崇徳上皇の行動とその後の朝廷側の彼に対する措置について、崇徳と西行の間で、一種の「歴史認識」論あるいは「正義」論が交わされる。江戸時代にまで、そして雨月物語を通じて今日まで、崇徳と西行にかかわる話が残っているのは興味深いことだ。
 麓にも、崇徳が実際に流刑され隔離されて生活していた辺りに、「天皇寺」という寺があり、79番の札所だ(これを神宮寺としていたはずの神社も同じ境内かとすら思うほどに近接して存在している)。崇徳上皇と無関係なはずはない。
 京都市・今出川通り堀川東入るに、明治改元の直前に、「白峯神宮」が設置され、崇徳上皇はこの神社の祭神になった。この神社へ明治天皇や昭和天皇は、とか書き出すと、テーマから離れてしまうし、長くなりすぎる。この白峯と冠する神社自体は、楼門も拝殿・本殿も同じ平地上にあるはずだ。

美しい日本02-神社の建築と位置01。

 なぜかは不明だが、神社というと京都の平安神宮を思い浮かべる時期があり、建築物はかつての平安宮(・紫宸殿 ?)をやや小さく模したもののようだが、その派手な朱色やその青緑色との対照などは、どぎつく感じて、私の好みではなかった。日光東照宮の楼門等も、昔の人は(江戸時代初期の人は)細かく優れた技術を持っていたことに感心はするが、その壮麗さによって却って、好みにはなれなかった。
 仏教寺院の建築物の方に、むしろ日本の古い美しさを感じていた時期があったはずだ。典型的には、大和・斑鳩の法隆寺。
 だが、遅れて伊勢神宮を知るに至って、印象は変わる。
 参拝者には全体を見ることすらできない正殿は、小さくかつ素朴で、稲倉を想起させもする、簡明な美しさがある。-はずだ。全体は写真でしか見たことがなく、斜めの位置から上部を撮影したにとどまる。北側に回れば-出雲大社のように-全体を後ろから見られるのだろうか。
 ここの正殿を見ることはできなくとも、伊勢神宮の仲間(「別宮」)である同じ三重県(・旧志摩国)にある伊雑(いざわ)宮の正殿は伊勢神宮のそれと全く同じ形をしているはずであり(神明造)、1メートル程度の間近で参拝でき、もちろん全体をしっかりと見ることができる。市街地から離れた(しかし近鉄の無人駅から簡単に歩ける)、こんもりとした叢林の中の静寂と相俟って(参拝者・観光客も少ない)、日本の原点的な美しさを感じることができる。
 神明造の建物自体は、伊勢神宮(内宮)の中にある風日祈宮(かざひのみのみや)できちんと見ることができる。いつの頃からか分からないほどの古代の頃から、日本人は、このような形の建物(にいる又は到来する=憑りつくとされる神々)に向かって「祈り」つづけてきたのだと考えると、日本人しての感慨も湧こうというものだ。
 神明造の神社建築物は、全国的には多くはない。京都府の(天橋立の北にある)籠(この)神社の正殿は、数少ない例だろう(伊勢神宮と祭神が同じ)。
 神明造ではなくとも、古い、由緒ある神社の正殿・本殿は、当たり前だが仏教くさくなく、それぞれに美しい。奉賛会の会員ではあるものの、率直にいって靖国神社の拝殿には建築美は感じないが、本殿はどうなっているのだろう(いわゆる昇殿参拝というのをしたことがない)。
 子細に立ち入ると長くなるので省略せざるをえないが、宇佐神宮・鶴岡八幡宮(鎌倉)等の八幡造も、その謂われとともに好きで、美しい、といえる。福山市の素戔嗚神社の正殿は、ふつうの本殿が二つ中心で直角にクロスした十字型をしていて、珍しい。他に類例はあるのだろうか。
 香椎宮(福岡市)の本殿も、じっと眺めてしまったほどに魅力的だ。神官によると全国でここだけで、香椎造とかいうらしい。
 住吉造の複数の本殿の並び方も面白いが(大阪・住吉神社など)、これは「美しさ」とは別の話かもしれない。
 そもそもかつての私のように、拝殿建築物を神社の最も重要なそれと何となく思っている人が多いかにも見える。いっとき以降、私は参拝のあと必ず、左右両方に動いて拝殿の奥にある正殿・本殿を見ようとしている(もっとも、大和・大神神社のように本殿がなく、三輪山自体がそれにあたるとされる場合もある)。
 多くの人は意識していないのかもしれないが、鳥居の形・作り方にも種々ある(例えば、伊勢神宮・明治神宮・靖国神社で異なる)。だが、基本的な形は同じなので、なぜ遙か昔の日本人はこのようなかたちを選んだ、又は考え出したのだろうと思ってしまうことがある。そして、決して嫌いな造形ではない。
 正殿における千木・枕木、千木の縦切りと水平切りの違いなどに触れていくとキリがないが、これらも(むろん神道という宗教の問題であるとともに)「建築美」の問題でもあろう。但し、正殿・本殿に千木・枕木類がまったくない神社も少なくない。これは<神仏混淆>の長い時代と無関係ではないと、以上のすべてと同じく「素人」の考え・印象だが、思っている。つまり、寺院の本堂が変化した、またはそれを借用した神社・本殿も少なくないのだろう。
 以上に名を出した神社は、すべて訪れた。もちろん、名前を出していない、訪れた神社の数の方が、はるかに多い。
 

歴史・政治・個人04-01。

 一 関川夏央・人間晩年図鑑1995-99年(岩波、2016)を一瞥していて江藤淳(-1999)の項に達したとき、「ナイアガラの瀑布が落下する一歩寸前の水の上で、小舟を漕いでいるようなもの」という表現に出くわした。江藤の妻が数ヶ月後に亡くなるらしいことを江藤が知った時点でのその妻と江藤自身の状況を表現している。江藤淳自身のたぶん1999年刊行の書からの引用部分の一部だ。
 なぜ印象に残ったかというと、鋭いアフォリズムに溢れた西尾幹二・人生について(新潮文庫、2015/原書2005・同全集第14巻にも所収)の「死について」の中に、かなり似た表現があるからだ。どちらが先かという話をしているのではない。
 西尾幹二は1989年逝去の詩人・上田三四二の書(この世この生、新潮社・1984)を参照・引用しながら、(川の下流の)「滝口までの線分の生」という生あるいは人生の本質を捉えた見方に共感を示す(p.205-6)。
 もう少し上田の文章を要約的にでも引用しないと分かりづらい。直接に見てみると、上掲の上田の書はこう述べている(もちろん一部)。
 ・残された人生の時間を「滝口までの河の流れのようなもの」と想像した。「滝口」とは「死の瞬間における死」だ。滝口までが「生の持時間」で「水流となって刻一刻、滝口に向かっている」。
 ・「滝口にちかい思い」も「あくまで予感」で、「私の死」は「いつ来るか予測のつかない曖昧なものとして目の前に」にあるが、「実際にやって来たとき、それを体験しようとしても私はその瞬間において死んでおり」、「その到来を知ることができない」。
 ・「私自身の死は、私自身にとって…、ないのである」。そこに、「死後なき死というおそろしい認識〔=恐怖〕に耐えるせめてもの慰藉を見い出してきた」。
 ・「死はある。しかし死後はない。死の滝口は、…水流をどっと瀑下に引き落とすとみえたところで、神隠しにでもあったように水の量は消え」る。
 ・「死後はすでに考慮外」だ。「死を避けることはできないが、死後はないと思い定め、…、滝口までの線分の生をどう生きるかに思いをひそめればよい」。以上、上田p.10-11。
 江藤のいう「ナイアガラの瀑布が落下」し始める地点が上田=西尾のいう「滝口」のことだ。
 その地点・時点以降(=死後)は「ない」=認識・意識不可能だ、という深遠な?洞察がここにある。
 自己(または肉親)の近づく「死」を意識した際に、人というのは同じようなことを考えるものだと思う(むろん、江藤が上田の上記のような比喩?を知っていた可能性はある)。
 二 だが、と揚げ足取りをすれば、「滝口」はまだ「死」ではないだろう。
 「滝口」から水瀑とともに落ちる途中か、滝壺の水に衝突してか、あるいは滝壺の中に深く沈んで溺れることによって、ようやく「死」に至るのではないだろうか。漕いでいた「小舟」もろとも落下し始めることだけでは、おそらくまだ「死」に至ってはないのではないか。
 江藤淳や西尾幹二(・上田三四二)を貶めようという気はさらさらないし、あくまでの喩え話に「理屈」でもって容喙しても意味がない。
 厳密には、と考えてしまうのも、どのような「死に方」が楽だろうか、不可避の、切迫した自らの「死」を意識して「自分が消滅するという恐怖」(西尾幹二・上掲書p.202)が発生したときから、実際の「死」までの、<恐怖>が継続する時間、または<苦しみ>の程度は、自分の場合はどうなるのだろう、とときどき想像してしまうからだ。
 「滝口」とは、「死」の意識が、つまりは「自分が消滅するという恐怖」が現実的・具体的に発生する地点だと思われる。理屈を言えば、じつは、落ちたと思った(「滝口」だと意識した)としても滝の高さが2メートルほどで、ずぶ濡れになっても平気でまだ生きている可能性はある。
 三 死刑囚が処刑される(刑を執行される)までどのような心理でいるのだろうと想像すると、なかなか恐ろしい。
 そしてまた、そもそもが江藤のいう「瀑布が落下する一歩寸前の水の上」の心理から書き始めたくなったのは、いわゆるA級戦犯のうち松井石根ら7名は東京裁判法廷の判決日から処刑される=刑を執行されるまで、どういう意識・心理だったのか、Death by hanging というが、厳密にはいつの時点で彼らは「死」に至ったのかその直前に何を一瞬にでも感じたのか・想ったのか、ということに思いを馳せることがあるからだ。
 どうやら最後まで書けそうにない。
 <つづく>

2008年4月に「日本共産教」・「科学的社会主義教」と言っていた(再掲)。

 2007/03/23付けで、次のように、日本共産党を「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体と皮肉っていた。同じことを、つい最近も感じたわけだ。再掲する。最後の一段落は無関係なので、以下では省略。 
 --------------
 日本共産党ではなく「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体。
 安い古本だからこそ店頭で買ったのだが、日本民青同盟中央委・なんによって青春は輝くか(初版1982.04)という本がある。中身は青年・若年層向けの宮本顕治・不破哲三等の講演を収めたもの。
 宮本顕治のものは四本ある。宮本は逝去まで日本共産党中央から非難されなかった珍しい人物なので、この本で宮本が語っていることを日本共産党は批判できず、「生きている」日本共産党の見解・主張と理解してよいだろう。
 全部を読んでいないし、その気もない。p.14を見ていて、こんな内容が少しだけ興味を惹いた。以下、宮本の講演録(1982年2月に民青新聞に掲載)の一部。
 <「社会主義」とは第一に「搾取をなくし、特権的な資本家をなくして、労働者の生活を守る」、第二に、「広範な働く人の民主主義を保障する」、第三に「民族独立を擁護する」。ポーランド問題で社会主義自体がダメだとの批判が起きているが、そうではない。社会主義そして「将来の共産主義社会」は「どんな暴力も強制も不要な」「すべての人びとの才能が花ひらく、才能が保障される社会」で「マルクス、エンゲルス、レーニンたちが一貫して主張してきた方向」だ。>
 ここまででも「搾取」・「特権的な資本家」といった概念がすでに気になるし、またこの党が「民族独立」=反米を強調していることも面白い(社会主義の三本柱の一つに宮本は挙げている。はたして、「社会主義」理論にとって「民族独立」はこれほどの比重を占めるものなのか)。
 だが、面白いと思い、さすがに日本共産党だと感じたのは、上に続く次の文だ-マルクスらの説は「ただ希望するからではなく、人類の歴史、いろんな発展が、そうならざるを得ない」。
 このあとの、マルクスらの説は「人類のつくったすべての学説のすぐれたものを集めたもの」だということが「共産主義、科学的社会主義のほんとうの立場」だ、という一文のあとに「(拍手)」とある。
 いろいろな事実認識、予測をするのは自由勝手だが、上の「いろんな発展が、そうならざるを得ない」とはいったい何だろうか。「そうならざるを得ない」ということの根拠は何も示されていない。共産党のいう<歴史的必然性>とやらのことなのだろうが、それはどのようにして、論証されているのか??
 たんなる「希望」であり、そして要するに「確信」・「信念」の類であり、<科学的>根拠などどこにもない。
 上のような内容を含む講演というのは、信者または信者候補者を前にした<教主さま>の<説教>・<おことば>に違いない。その宗教の名前は、<日本共産教>または<科学的社会主義教>が適切だろう。
 現在も、こんな(将来の確実な<救済>=仏教的には「浄土」の到来?を説く点で)基本的には新興宗教を含む「宗教」と異ならない「教え」を信じて信者になっていく青年たちもいるのだろう。1960年代後半から1970年前半頃までは、今よりももっと多かったはずだ。
 こんな民青同盟又は日本共産党の組織員になって「青春」が「輝く」はずもない。一度しかない人生なのに、日本共産党(・民青同盟)に囚われる若い人々がいるのは(この組織だけでもないが)本当に可哀想なことだ。
 ------------------
 以上。

歴史・政治・個人03

 おそらくは平均よりも多く神社仏閣をまわっている。そこでは、神社と寺院に分けて、共通する言葉を内心で語るようにしている。神社ではそれぞれの祭神に、寺院では両親と祖先に(宗派と無関係に)内心で話しかけている。参拝とかお祈りとかふつうは言う。
 もっとも、正確にまたは厳密にいえば、秋月瑛二は「神」・「仏」あるいは「霊」というものの存在を「信じて」いるわけではない。人は死ねば「仏」になるとか言われ、人間でも死後に「神」になったらしい者もいるようだが、そもそも人間は死んでのちになお「霊」として存在するのかどうか、自分についていえば-死んだことがないので分からないが-きわめて疑わしく思っている。生まれる前にはいかなる自意識もなかったが、あるいは自分にとっては悠久の静寂だったが、死んだ後もまた、再びそのような、意識のない沈黙の世界に戻っていくだけなのではないか。
 死自体を自らは感知できないとすれば、個々の人の「死」とは、逆説的ながら、生きている人間のためにこそありうるのだろう。
 池田晶子・人生は愉快だ(毎日新聞社、2008)p.268-には、「共産中国」を批判する、あるいは皮肉る、つぎの旨の文章がある。
 ・人の死後にはその人の「霊魂」など存在しないはずだ。にもかかわらず、「英霊」を祀る靖国神社参拝を批判するとは、「英霊」という「存在しないもの」の「戦争責任」を追及しており、奇妙だ。「存在しないものを存在すると信じ込んでいる日本人の『迷信』を、まず論破すべきではないか」。
 池田の説、ごもっともだ。
 しかし、池田は徹底した?「唯物論」者ではないようで、上の著のp.111-は、マルクス(の「唯物論」)を例えばつぎのように述べて批判している。
 ・「この人は、意識がすなわち自己であるというこの当たり前が理解できない」。「自己を自己として思惟する者が、『利己主義者』と見える。そこに見えるのは一個の肉体だけだからだ」。
 ・この人は「目に見える肉体、目に見える社会しか眼中にない社会革命家」で、「目に見えない思惟の類はすべて、迷妄でなければ阿片である」。
 ・「人間に葬式を禁じることだけはできない」。「いかなる民族、いかなる体制においても、人間は人間が死ぬことを『何事でもない』と思うことができない」。人はその時「一個の石でもそこに置く」。「死とは必ず何らかの意味なのである」。
 これまた、ごもっとものように思える。
 池田の書いていることについて、丁寧な議論をしようとしているのではない。
 前回に「戦犯」被処刑者、とくに1948年の今上天皇(当時の皇太子)の誕生日に「首を吊られて」死んだ7名の人たち、を念頭において、「浮かばれないのでないか」とか書いたのだったが、とくに彼らの死と彼らの(あるとすれば)「霊」 というものに想いを寄せていて、ふと池田晶子の文章に接したにすぎない。
 彼らの「霊」は実在しないかもしれない。おそらくそうだろう。しかし、生きている者が、日本人が、彼らの「霊」を感じる、あるいは感じようとすることはできる。そして、涙することはできる。 

1306/2016年<伊勢・志摩サミット>と伊勢神宮。

 安倍晋三首相が6/05、2016年サミットの開催地を<伊勢・志摩>と決定したことを発表した。
 候補地がいくつかあることを知って、伊勢志摩がベストだと個人的には感じてきた。それは、<神宮(伊勢神宮)>が開催地域に属しているか、少なくとも近いからだ。
 志摩市に決定とのニュースを知ってただちに、首脳たちは神宮を訪問することになるのかが気になった。
 のちの報道によると、安倍首相は決定理由として、①「悠久の歴史をつむいできた」伊勢神宮を訪れて(主要国のリーダーたちに)「日本の精神性に触れていただく」ためによい場所であること、②「日本の原風景といえる美しい自然」、「日本のふるさとの情景」を感じてほしいことを挙げた。
 上の②よりも①が先にあることに、安倍首相が<日本の>首相であることを感じる。剛速球のストレート勝負といったところか。
 この決定に三重県選出の岡田克也、維新の党の柿沢未途はそれぞれの理由で歓迎しているようだが、「左翼」の日本共産党、社民党(+生活の党ナニヤラ)の反応は今のところ明らかではない。
 神宮(伊勢神宮)は自民党総裁・谷垣禎一が言うように「日本の」「歴史と伝統」がつまったところで、日本の「聖地」といってもよいところだ。
 しかし、言うまでもなく、伊勢神宮は「神道」という宗教の施設でもある。むろん私は気にしないし、むしろこの点こそが開催地域になることを望んだ理由でもあるが、この点に着目して、気に懸け、さらには反対したり、抗議したりする「一部」勢力があるのではないか、と考えられる。
 どういう理屈が考えられるだろうか。
 ①国際的会議のために特定の「宗教」を利用してはいけない。あるいは、その機会に、特定の「宗教」に有利になるようなことをしてはいけない。これは日本国憲法上の政教分離、あるいは国家の宗教にかかる中立性に関係がある。
 ②「神道」はかつて、<国家神道>として、かつての戦争の精神的支柱になってきた。そのような神道の施設である神社の中でも伊勢神宮は実質的に最高位だ(だからこそ正式名称はたんに「神宮」だ)。日本政府が先の戦争への反省をすることなくそのような施設を訪れることを外国首脳が訪れることを求めるのは、日本による戦争の被害者である<アジア諸国・諸国民>が許さないし、また、先の戦争で日本と戦った国々の首脳は、そのような「悪」の歴史と結びついた伊勢神宮を訪れるべきではない。このような批判は、中国共産党の中国および韓国であれば、行なう可能性がある、と思われる。
 こういうクレームあるいは「いちゃもん付け」はありうるので、志摩市開催であっても伊勢神宮訪問にはただちには言及されない可能性もあると想定していたが、上記のとおり、安倍首相は真っ先に、伊勢神宮=「日本の精神性」に論及した。剛速球のストレート勝負という感想をもったのも、そういう事情がある。
 ここで、この欄でいく度か述べてきたこと、すなわち、毎年一月初旬に内閣総理大臣がおそらくは公式に(個人的・私的にではなく)参拝するという慣例がほぼできあがっていると見られるところ、朝日新聞をはじめとする「左翼」マスメディアはこれを<政教分離>違反だとか言って問題視することはしていないとみられること、は意味をもってくる、と考えられる。
 最近に確認したことだが、日本共産党は首相の靖国神社参拝に反対する理由として、①A級戦犯合祀、②政教分離違反の二つを挙げている。社民党・福島瑞穂も同じことを言っていたのをテレビで見聞きしたことがある。
 そうすると、靖国神社と同じ「神道」の伊勢神宮参拝もまた上の②の理由から問題視されなければならないはずだが、この二つの党が伊勢神宮参拝をどう判断しているのかの知識は今のところない。
 しかしともあれ、朝日新聞を含む大手マスメディアが首相の伊勢神宮参拝を問題視して騒いだことはないはずだ。また、この欄に書いたことがあるが、民主党・菅直人は、首相時代に、地元の神社の祭りに参加して、神輿を担いだりしたことがある。
 上のことは「神道」・「神社」やその行事が<特定の>宗教とはほとんど意識されないようにもなっている場合があることを示している。京都市の葵祭り、時代祭り、祇園祭りはいずれも本来は(かりに実行委員会催行であっても)三つ又は計四つの神社の宗教行事だ。あるいはまた、安倍晋三首相は昨年、伊勢神宮の式年遷宮の最後の行事に「臨席」したと伝えられた。これも内閣総理大臣としての参席だったはずだが、しかし、朝日新聞・NHKも含めて、政教分離の観点から問題視するようなことはなかったはずだ。
 こうした流れ、または雰囲気の中で、サミットにおける外国首脳らの伊勢神宮訪問(参拝ではない)が平穏に行われれば、まだ来年のことだが、けっこうなことだ。
 しかし、中国政府、同じことだが中国共産党、あるいは韓国政府は、上に想像?したような批判をしてくる可能性があるようにも思われる。少しばかりは懸念することだ。これらの批判があれば、当然に、朝日新聞等は<騒ぎ出す>。
 欧米に行ってキリスト教の教会等を見ても、各国の国民等がそれぞれの宗教・信仰を持っていることを何ら不思議に思ったことはない。日本もまた、あるいは日本人の多くもまた、「神道」という宗教を許容し大切にしてきていることを、何ら奇妙に感じることなく、外国首脳らが伊勢神宮を訪れてくれるとよいのだが。

1266/神社・仏閣めぐり-護国神社巡拝はいかが?

 神社仏閣・社寺(寺社)と一括りにいうが、寺院については四国遍路88をはじめ西国33・坂東33・秩父34の札所めぐり(四国遍路以外はいずれも観世音菩薩=観音信仰による観音菩薩を本尊とする寺院巡拝だ)等々があるのに対して、神社についてはきわめて少ない。
 もともとは「ご朱印」というのは納経の証明書のごときもので仏教に由来するものだと思われ、神道・神社にはなじみがなかったものかもしれない。それでも、いつ頃からなのだろう、神社でも、たいていは、「ご朱印」がいただけるようになっている。なお、神社も寺院も全国一律に300円の「ご志納」が代金になっていることは興味深く、これは安いだろう(あらかじめ印刷されていて捺印と参拝日付だけの記入にとどまる場合は200円であることもある)。500円出しておつりは要らないつもりでも必ず返金があることも興味深い(但し、例外はあるし、賽銭の追加のつもりでと言えば受領してもらえることもある)。
 寺院については上記の観音霊場めぐりの他に、薬師霊場巡拝、不動尊聖跡巡礼等々が各地方(おおむねプロック単位)でかなり多く存在している。北海道についてはよく知らない。
 神社についても、例えば「東京十社めぐり」という元准勅祭社巡拝もあり、専用の御朱印帳もある。個人的なことを書くと、亀戸天神社の一つだけを除いて、あとの九社はお参りをして、ご朱印もいただいている。他に、京都市内に限っての、京都五社、京都八社などもある。他にも、比較的狭い地域での神社めぐりがセット(?)されていることはあるものと思われる。
 四国、関西、関東といった広い地域での神社めぐりのコースはないようなのだが、より広く「全国一の宮めぐり」というものがある。これにはB5版の比較的大きい専用の御朱印帳が用意されており(購入でき)、「新一の宮」を加えて、沖縄・那覇、対馬、壱岐、隠岐、佐渡、会津から札幌まで、地域は日本全国に広がる。これだけの広さのある仏教寺院めぐりはないだろう。「新一の宮」を含む「全国一の宮」の数は長野県の諏訪大社四社や京都の下鴨・上賀茂の二社をどう数えるか、若狭姫神社を含めるか等の問題がありむつかしいが、御朱印帳の一頁に別々に記載されている神社数は108のはずだ(薩摩国には二、紀伊国には三、安房国には二など複数ある場合が少なくないので、旧国数や現在の都道府県数よりも多い)。
 神社についてはこれくらいのもので、あとは個人的に全国の護国神社めぐりをすることが考えられ、ガイドブックも近年になって発売されている。それによると、全国に52の護国神社がある(靖国神社は含まない)。原則として各府県に一つあるが、北海道には三つ(札幌・旭川・函館)、兵庫県には二つ(神戸・姫路)、広島県にも二つ(広島・福山)あり、なぜか神奈川県には(靖国のある東京都にも)ない。但し、残念ながら、専用の御朱印帳は発売・販売されていない。ついでに書くと、釧路護国神社があることも知っているが(但し、ご朱印はいただけなかった)、公式には?ガイドブックに掲載されていない。
 したがって、唯一専用の朱印帳がある、広い地域での神社巡拝セットは「全国一の宮めぐり」だけなのかもしれない。集客?のためといっては失礼だが、いろいろなアイデアが工夫されてよいかもしれない。
 なお、関西(三重県を除く)には神仏霊場巡拝といって、90の寺院・60の神社、計150の社寺がそれぞれの(札所のごとき)番号をもち、ぶ厚い専用の御朱印帳もあるものがある。これは寺院と神社の両方を巡るもので、かなりユニークな(そして私にはよいと感じられる)ものだ。
 ここで思い出したが、神社についても、後醍醐天皇ゆかりの神社(吉野神社、神戸の湊川神社など)については専用の御朱印帳がある。また、氷川神社、津島神社、各地の八坂神社などの素戔嗚尊を祭神とする神社は「全国清々会」という団体を作っているようで、専用の御朱印帳(但し、個別の神社名の記載はない)もある。
 以上のようなことを書いてるのも、ロクに仕事をしないで、全国の寺院・神社を、ふつうの?人に比べればたくさん訪れていると思っているからだ。その経験から、日本の宗教や日本の歴史や日本人の心情・精神等々について、いろいろと感じることが少なくない。いずれ、おりにふれて、より具体的なことをこの欄に記していってみよう。

1243/資料・史料ー<国有境内地処分法>。

 資料・史料 <国有境内地処分法>(社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律)

 伊勢神宮等の敷地等が戦前の国有地から戦後当初に宗教法人に無償譲渡されたことはよく知られている。
 その経緯(・神社側の苦労・奮闘等)を伊勢神宮について叙述した伊勢神宮崇敬会叢書の一つも所持しているのだが、仔細は省略して、まだ生きているようである根拠法律・同施行令を、やや長いがそのまま掲載しておく(附則は省略)。いずれも、現憲法施行直前に制定されたが、その後に若干の改正を受けた現行のものである。
 
 「昭和二十二年法律第五十三号(社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律
  昭和十四年法律第七十八号を次のように改正する。
 第一条  社寺上地、地租改正、寄附(地方公共団体からの寄附については、これに実質上負担を生ぜしめなかつたものに限る。)又は寄附金による購入(地方公共団体からの寄附金については、これに実質上負担を生ぜしめなかつたものに限る。)によつて国有となつた国有財産で、この法律施行の際、現に神社、寺院又は教会(以下社寺等という。)に対し、国有財産法によつて無償で貸し付けてあるもの、又は国有林野法によつて保管させてあるもののうち、その社寺等の宗教活動を行うのに必要なものは、その社寺等において、この法律施行後一年内に申請をしたときは、主務大臣が、これをその社寺等に譲与することができる。
 第二条  この法律施行の際、現に国有財産法によつて社寺等に無償で貸し付けてある国有財産で、前条の規定による譲与をしないもののうち、その社寺等の宗教活動を行うのに必要なものは、同条の申請をしたものについては、譲与をしないことの決定通知を受けた日から、六箇月内に、その他のものについては、この法律施行の日から、一年内に、申請をしたときは、主務大臣は、時価の半額で、随意契約によつて、これをその社寺等に売り払うことができる。
 2  前条に規定する行政処分について、行政不服審査法(昭和三十七年法律第百六十号)による不服申立てをした者は、前項の期間満了後も、その不服申立てに対する決定書又は裁決書を受領した日から、なお三箇月内に、前項の売払の申請をすることができる。
 第三条  第一条又は前条第一項の規定によつて、譲与又は売払をする国有財産の範囲は、勅令でこれを定める。
 第四条  第一条又は第二条第一項の規定によつて、譲与又は売払をすることができる国有財産(以下従前の土地という。)が、その譲与又は売払前に、土地改良法による土地改良事業又は土地区画整理法による土地区画整理事業の施行地区に編入せられた場合において、その従前の土地に係る換地処分に関して、国が清算金の交付又は補償金の支払を受ける場合は、主務大臣は、従前の土地にあつた社寺等が、換地処分の告示のあつた時から、一年内に、申請をしたときは、第一条に規定する従前の土地に係る清算金又は補償金については、その金額に相当する債権を、第二条第一項に規定する従前の土地に係る清算金又は補償金については、その金額の半額に相当する債権をその社寺等に譲渡することができる。
○2  国が土地改良法又は土地区画整理法の規定によつて、費用を負担せしめられる場合又は従前の土地に係る換地処分に関して、国が清算金を徴収せられる場合は、第一条に規定する従前の土地に係る負担金又は清算金については、その金額に相当する債務を、第二条第一項に規定する従前の土地に係る負担金又は清算金については、その金額の半額に相当する債務をその社寺等に負担せしめる。
 第五条  従前の土地が、その譲与又は売払前に、土地改良法による土地改良事業又は土地区画整理法による土地区画整理事業の施行地区に編入せられた場合において、従前の土地にあつた社寺等が、その交付せられた換地以外の土地に移転する必要のあるときは、主務大臣は、その社寺等が、換地処分の告示のあつた時から、一年内に、申請をしたときは、その社寺等に対し、第一条に規定する従前の土地の換地及び従前の土地に定著する国有物件については、譲与を、第二条第一項に規定する従前の土地の換地及び従前の土地に定著する国有物件については、時価の半額で、売払をすることができる。
 第六条  削除
 第七条  第二条第一項及び第五条の規定による売払代金については、命令の定めるところによつて、十年内の年賦延納又は土地による代物弁済を認めることができる。」

 「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律施行令
(昭和二十二年五月一日勅令第百九十号)
 最終改正:昭和二八年八月一日政令第一四七号
 第一条  社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律 (昭和二十二年法律第五十三号。以下「法」という。)第一条 又は第二条第一項 の規定によつて、社寺等に譲与又は売払をする国有財産は、左の各号の一に該当するものとする。
 一  本殿、拝殿、社務所、本堂、くり、会堂その他社寺等に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地
 二  宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地
 三  参道として必要な土地
 四  庭園として必要な土地
 五  社寺等の尊厳を保持するため必要な土地
 六  社寺等の災害を防止するため直接必要な土地
 七  歴史又は古記等によつて社寺等に特別の由緒ある土地
 八  その社寺等において現に公益事業のため使用する土地
 九  前各号の土地における立木竹その他の定著物
 2  その社寺等の所属教派若しくは宗派、その社寺等の主管者又はその社寺等が主宰する財団法人の経営する公益事業がその社寺等の経営に準ずるものと認められるときは、その事業のため現に使用する土地及びその定著物は、これを社寺等に譲与又は売払をすることができる。
 第二条  法第一条 及び法第二条第一項 に規定する国有財産で、国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要があると認めるものは、国有として存置し、前条の規定にかかわらず、譲与又は売払をしない。
 第三条  法第七条 の規定による年賦延納は、売払代金の全額を一時に納付することが困難な場合に限り、これを認める。
 2  年賦延納を認める場合には国債で延納金額に相当する担保を提供した場合を除いては、民法第三百二十五条第三号 に規定する先取特権の登記をしなければならない。
 第四条  法第七条 の規定による代物弁済は、売払代金が十万円以上で、現金で納付することが著しく困難な場合に限り、これを認める。
 2  代物弁済に充てようとする土地は、価額五万円以上で、担保権の設定なく、且つ管理又は処分上適当なものでなければならない。
 3  代物弁済を認めた場合は、その土地について、所有権移転の登記が完了したときに、弁済があつたものとみなす。
 第五条  法第十三条 の規定による補償は、神社又は寺院が、この勅令施行の日から、一年内に、申請をしたとき、左の各号の定めるところにより、これを行う。
 一  神社又は寺院の植栽した森林で、法第十二条 の規定によつて部分林としないものについては、主務大臣の定めるところによつて、この勅令施行の日におけるその森林の立木竹の価額の十分の八の額を立木竹又は林産物で、その神社又は寺院に交付する。但し、その十分の八の額が植林又は植林上必要な施設のため、神社又は寺院が支出した金額に年五分の複利計算による利息の額を合算した額に達しないときは、その合算額を立木竹又は林産物で交付する。
 二  神社又は寺院の植栽した森林以外の森林について、神社又は寺院が、林道又は砂防、防火その他の施設の新設改良したものについては、主務大臣の定めるところにより、その新設した施設の価値又は改良した部分の価値の現存するものに限り、この勅令施行の日におけるその評価額を立木竹又は林産物で、その神社又は寺院に交付する。但し、その評価額が、施設の新設改良費に年五分の複利計算による利息の額を合算した額を超えるときは、その合算額を限度とする。」

1238/安倍首相が靖国神社を参拝してなぜいけないのか。

 〇朝日新聞12/27朝刊は「狂い咲き」をしていた。
 安倍首相靖国参拝をうけて「参拝制止を一蹴」が最大の活字での一面橫見出しになるのだから、奇怪な新聞だ。
 毎日新聞も一瞥してみたが、かなり似ている。
 〇日本の首相の靖国神社参拝には種々の論点があることを、あらためて考えさせられる。
 安倍首相が堂々とむろん疚しい心理など一切示さずに発言していたのには感動したが、同首相の同日の「談話」の内容を全面的に支持しはしない。わざわざ談話など出し、また外国語訳して各国に伝えることをしなければならないのは、本来は異常なことだ。
 それよりも、<不戦の誓い>をすることは構わないが、「日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道を…」等と述べて戦後日本を全体として肯定的に評価しているようであるのは、安倍本来の<戦後レジームからの脱却>という思想とは少なくとも完全には合致していない、と感じる。ともあれ、それは政治的判断の混じった「談話」だとして、ここではこれ以上は触れない。
 アメリカは自国の都合と利益のために「失望」という声明を出した。これを、朝日や毎日は「援軍」のごとく理解して喜んでいるようだ。このアメリカの立場にも触れないが、靖国神社の祭神となっている(合祀されている)いわゆるA級戦犯を作り出したのは他ならぬアメリカ主導の「東京裁判」であったのだから、<A級戦犯認定=東京裁判>批判との印象が生じる可能性のある靖国神社参拝を、いかに現在の「同盟国」の首相の行為であろうとも、少なくとも素直には支持・応援できないだろうことは不思議ではない。靖国神社参拝は、従って当然に、「反米」的性格または側面をもつに至っている、とも言える。
 〇日本の首相の靖国神社参拝についての種々の論点については、この欄で断片的にせよ何回も言及してきた。論点の所在と簡単なコメントを記しておく。
 第一に、憲法上の「政教分離」に反しないか。12/26朝刊では朝日新聞よりも毎日新聞がこの論点の所在に触れて批判的な記事を書いている。そして、平野武(龍谷大名誉教授)の<首相在任中は避けるべき>との旨のコメントを紹介している。この点にやや立ち入れば、月刊WiLL2014年1月号で加地伸行が、「平野武という人物」が伊勢神宮「遷御の儀」に安倍首相が臨席したことを「政教分離に反し、違憲性があると言う」と紹介したうえで、「平野某は政教分離ということの初歩的な意味も分かっていない」等と批判している(p.18)。平野武にとってみれば、一貫した主張なのかもしれない。なお、社民党・福島瑞穂も今回の靖国参拝を「政教分離」違反だと主張したらしい。
 だが、この欄でも述べたことがあるが、「政教分離」違反であるならば、A級戦犯合祀問題以前の憲法問題であり、吉田茂も佐藤栄作も中曽根康弘も小泉純一郎も憲法違反の行為をしてきたことになる。
 毎日新聞はこれまでの首相靖国参拝のそのつど、「政教分離」違反または疑いという報道・主張をし続けてきたのだろうか。今回に限って、またはA級戦犯合祀以降に限って「政教分離」違反という論点を持ち出すのは、論理的には成り立ちえないことだ。
 それに何より、毎年正月の4日あたりに首相が伊勢神宮に参拝することはほとんど「恒例」になっているが、伊勢神宮もまた戦後は神道という宗教の一施設であるところ、毎日新聞は(朝日新聞も)何ら問題にしてきていないのではないか。そのくせ、靖国神社についてだけ「政教分離」違反問題を持ち出すのは論理的に完全に破綻している。なお第一に、社民党が民主党と連立政権を組んで福島瑞穂が大臣だったときもあったかと思うが、民主党の鳩山由紀夫も菅直人も野田佳彦も首相として伊勢神宮参拝をしたはずだ。民主党・社民党連立政権時代、福島瑞穂は、伊勢神宮正月参拝に反対する旨を大々的に主張したのか? 第二に、上記の加地伸行の文章によれば、平野武は首相の伊勢神宮正月参拝は(少なくとも明示的には)問題にしていないらしい(p.19)。学問的に一貫させるつもりならば、首相の伊勢神宮正月参拝を「違憲」視する大?論文を書くべきだろう。
 大きな第二に、靖国神社は首相が参拝すべきではない「死者」が祭神として祀られているか。これが最大の問題だが、いくつかの基本的論点やさらに細かな論点に分岐していく。
 朝日新聞の東岡徹は12/27朝刊で「侵略された中国や、植民地支配を受けた韓国の人々には、靖国神社への嫌悪感が強い」とあっさりと書いている。先の戦争は中国「侵略」戦争で、当時は韓国を「植民地支配」していたということを当然のごとく前提にしている。そのような<悪業>をした指導者たちは断罪されるべきであり(だからこそ「A級戦犯」であり)、彼らを合祀する靖国神社参拝はすべきではない、という理屈のようだ。
 上の前提自体に、少なくとも論じられるべき余地がなおある。1+1=2のごとき当然の前提にしてはならない。前者にも大きな疑問があるが、後者の「植民地支配」という概念の使用にも私は疑問をもっている。ドイツ(・ナチス)の侵攻によるチェコ、ポーランド、バルト三国等の支配は「植民地支配」だったのか。同様に朝鮮(大韓帝国)についても「合邦」か少なくとも日本の事実上の施政権の地域的対象の拡大であって、決して「植民地」として支配したわけではないのではないか。この問題はこの欄でまだ言及したことがない、かねてより有してはいた関心事項だ。
 さてここでの基本的な第一の論点だが、かりに日本がかつて「侵略」や「植民地支配」をしていたとして、その当時の(といっても時期により異なるが)日本の政治指導者たちの「責任」はどのように問われるべきなのか。
 上の「政治指導者たち」という言葉の範囲は不明確だ。「東京裁判」法廷は「平和に対する罪」という新奇の犯罪概念を作り出し、<A級>戦犯という犯罪者として刑罰を下した(ということになっている)。
 ここでむろん、「東京裁判」なるものの合法性・正当性、そして具体的な<A級>戦犯者の範囲の特定の正確さ・合理性・適切さ、という別の第二の論点も出てくる。そしてまた、なぜ特定の25名が<A級>戦犯被告として判決をうけ、なぜそのうち7名は「死刑」だったのか?も論点になりうる。 <A級戦犯合祀の神社参拝はけしからん>と主張する者は、「死刑」ではなくのちに死亡した者も含む被合祀者14名(のようだ)のそれぞれの「罪状」をきちんと語り、説明できなければならない。
 「東京裁判」あるいは実質的にはアメリカまたはGHQ任せで「侵略」・「植民地支配」の指導者の範囲を画定してしまうのは、他人・他国任せのじつに無責任なことではないのか。
 なお、7名の死刑が執行されたのは、1948年12/23で今上天皇(当時、皇太子)の誕生日で、むろん偶然ではない(起訴は4/29で昭和天皇の誕生日)。
 基本的な第三に、絞首刑にあった者は生き返らないが、それ以外の者は「終身(無期)刑」を受けた者も日本の再独立後(主権回復後)には関係各国の同意を得て解放され、政治家として活躍した者もいる。そしてその前提として、もはや「犯罪者」扱いはしない旨の国会決議までなされている。そのうえで、「B・C級戦犯」としての刑死者の遺族に対しても遺族年金が給付されている。「A級戦犯」だった者も、犯罪者扱いしてはいけない、と言うことができる。死刑と終身刑の区別が正確にまたは厳格になされたとはとても思われず、終身刑だった賀屋興宣がのちに大臣になったことを考えると、「A級戦犯」としての刑死者(法務死者、昭和殉難者といいうらしい)は、死刑判決でさえなければ、政治家等としてのちの人生を全うできたかもしれない。
 要するに、日本人は「A級戦犯」者をもはや犯罪者として扱ってはいけないのではないか、という論点がある。朝日や毎日は「A級戦犯」合祀を問題にはしても、そしてこれにかかわる昭和天皇の発言らしきものを「政治利用」しつつも、上記の国会決議等のその後の法律レベルの問題にはまったく言及していない。不正確で、不当な記事づくりではないか。
 これに関連して第四に、サンフランシスコ講和条約で主権回復に際して日本が東京裁判の「諸判決を受け容れ」た、ということの意味が論点になりうる。この欄で触れたことがせあるが、民主党の岡田克也が国会・委員会で条約と法律とはどちらが上位かと質問して、サ講和条約(の理解)に日本はその後ずっと拘束されるのではないか旨を主張した論点だ。
 「裁判」と訳そうと「諸判決」と訳そうと本質的な違いはない(渡部昇一の言説は的を射ていない)。この点は、この欄で紹介したが、稲田朋美は私と同旨のことを記していた。
 この問題は、あるいはサ講和条約の当該条文の意味は、終身刑判決を受けた者や期限のきていない有期刑者は、「諸判決」どおりにきちんと執行する(そうしない場合は関係各国と協議し同意を得て解放する、という趣旨を含む)、という趣旨だ、と解釈して差し支えないと考えている。つまり、日本を当事者とする先の戦争が「侵略」戦争だった等の「東京裁判」の基礎にある考え方または歴史認識まで受容したわけではない、と私は理解している。
 とりあえず思い浮かぶのが、以上のような大きな論点、基本的な論点だ。
 A級戦犯も合祀されている靖国神社を日本の首相は参拝すべきではない、という主張の前提にある、A級戦犯=「犯罪者」=「悪い」政治指導者=「侵略」・「植民地支配」をした「悪者=犯罪者」、という理解は、それぞれの等号=同一視の段階で、きちんと吟味すべきではないのか、とりわけ日本の報道機関は。中華人民共和国や大韓民国の「御用新聞」(・ご注進機関)でないかぎりは。
 その他、「村山談話」などというややこしいが大きな論点もあったが、今回はこれくらいで。

1223/西尾幹二・憂国のリアリズム(2013)を全読了。

 西尾幹二・憂国のリアリズム(ビジネス社、2013)を、10/12~10/13に、数回に分けながら、すべて読んだ。

 〇最終章(第五章「実存と永遠」)の最後の節のタイトルは「宗教とは何か」。

 その中で自然科学者や社会科学者は「実在」を対象としていて、「自己」をとくに問題にしない、一方、人文科学はそうはいかない、と書いているのは興味深い。たしかに、経済・政治・法等を対象とする学部・学科に所属するまたは出身の「評論家」・論者に較べて、西尾幹二の文章には「自己」というものが相対的には色濃く現れているように感じるからだ。
 西尾は続けて、歴史学に言及し、歴史研究の認識対象たる「実在」は「過去」だが、「歴史は記述されて初めて歴史になる」、記述には過去の「特定の事実の選択」が先行し、この選択には記述者の「評価」が伴う、歴史研究の対象たる「客観世界」は「自己」が動くことによって「そのつど違って見える」、というようなことを書いている(p.321)。
 そのとおりだろう、と思われる。但し、瑣末で余計なことだが、歴史学は現在の大学での学部・学科編成とは異なり、元来は「社会」系の学問分野ではないか、と感じている。そして、おそらくは西尾の論述の仕方とは逆に、「社会科学」なるものも厳密には「自己」なるものの立場を抜きにしては語られえないのではないか、とも感じている。

 さて、西尾幹二は「宗教」を、「過去」なる具体的・有限の「実在」を前提としたりするのではなく、「何もない世界、死と虚無を『実在』とする心の働き」だと、ひとまず定義している。ここに学問と宗教の違いがある、ということだろうか。そしてまた、「何もない世界、死と虚無を『実在』とする」のは「途方もないこと」で、「死ではなく永遠の生、虚無ではなく永遠の実存を信じ」る多くの宗教組織・教団類があるが、「どれか一つの宗派の選択だけが正道である」とする強靱さを自分は持てない、「特定の宗教に心を追い込むことがどうしてもできない」と西尾が告白?しているのも(p.322-4)、興味深い。

 最も最後の段落の文章は、なかなか難解だ。-学問と宗教は相反概念だが、明治以来日本人は欧州から「近代の学問の観念を受け入れ、死と虚無を『実在』として生きているのが現実であるにもかかわらず、このニヒリズムの自覚に背を向け、誤魔化しつづけて生きている。そのため宗教とは何かを問われたり問うたりしたりして平然と『自己』を疑わないでいるのである」(p.325)。

 〇ところで、この著書は西尾幹二の2010年~2013年6月に諸雑誌に発表した論考をまとめたものだ。五つの章に分類されてはいるが、数えてみると全部で26本の論考から成り立っている。
 どの雑誌に発表されたものかを「初出一覧」(p.330-)で見てみると。月刊WiLLまたは歴史通(いずれも、ワック)が計7で最も多く、ついで、言志(これは知らなかったのでネットで調べてみると、ブクログが発行所、編集長・水島総、編集者・井上敏治・小川寛大・古谷経衡)が5。第三位なのが月刊正論(産経新聞社)で3、続いてサピオ(小学館)と週刊新潮(新潮社)が各2ジャパニズム・週刊ポスト・テーミス等が各1、になっている。

 言志なる雑誌(メールマガジン?)に関心をもった。同時に、西尾幹二は現在は月刊正論(産経)に連載しているようだが、月刊WiLL+歴史通と言志で12/26を占めており、月刊正論掲載は3論考しかないので、とても<産経文化人>とはいえない、ということが明確になってもいる。産経新聞の「正論」執筆グループの一人でもないはずだ。些細なことかもしれないが、こんなことも興味深くはある。

 「産経」を批判または皮肉っている部分も数カ所あった。この本の内容についてはさらに言及する(今回に上で言及したのは最も非政治的な論考かもしれない)。

1219/遷宮と天皇と政教分離と。

 10月初旬の「遷宮」について、テレビは当初の予想よりは丁寧に報道していた。しかし、神宮(伊勢神宮)と天皇(家)との関係に触れたのは全くかほとんどなかったようだ。臨時祭主の黒田清子さんとの語りかテロップが入っても不思議ではないシーンにも、そのようなものはなく、映像だけが彼女を映し出していた。

 また、内宮の遷御の儀に内閣総理大臣・安倍晋三が「出席」したことを知り、そのような事前の知識がなかったので驚いた。かつまた神道という特定の宗教の祭事への出席であるので、憲法上の<政教分離>原則との関係を問題にする者がいても不思議ではないのに、そのような論調はまったく出てこなかったようであることも印象に残った。

 さて、古くなるが、2008年の春頃にこの欄で何度か、伊勢神宮・天皇(家)・政教分離について言及している。

 ・日本の起源・天皇と「神道」(3/25)   ・伊勢神宮「式年遷宮」と天皇(家)(3/27) 

 ・天皇制度と「宗教」-伊勢神宮式年遷宮費用問題から発展させて(4/04)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離(4/15)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき(4/16)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき2(4/18)

 ・1945-1947年の神社と昭和天皇(4/19)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき3(4/20)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき4(4/21)

 ・日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-1(4/24)

 ・日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-2(4/24) 

 ・天皇・神道・政教分離-つづき4(4/26)

 ほかに、この時期には、つぎのようなものも書いていた。
 ・戦後日本を支える「大ウソ」-非武装・政教分離(4/05)

 ・長部日出雄の「神道」論(諸君!5月号)と石原慎太郎「伊勢の永遠性」(4/28)

 神道関係者、とくに伊勢神宮や神社本庁関係者には自明のことを多く書いているとは思うが、5年以上前によく勉強(?)したものだという個人的な感慨も湧くので、関係者や専門家以外の方々には参照していただきたい。なお、別の時期にも同様のテーマを集中的に書いたかもしれないが、たまたまこの辺りの時期の古い書き込みを見る機会があったので、2008年3月下旬~同4月の書き込みに限っている。

1206/山村明義・本当はすごい神道(2013)と伊勢の式年遷宮ほか。

 〇山村明義・本当はすごい神道(宝島社新書、2013)を、たぶん先週初めに読了。同・神道と日本人(新潮社、2011)も所持していて、より重要なようだが、重たい感じで、冒頭掲記のものを先に読んだ。
 最初の方で、知らなかったことをいくつか知り、宗教(・神道)に関する現在の日本のマスメディアの異様さも感じる。以下は、知らなかったこと(~p.61)。

 ・2011-12年サッカー・ワールドカップの直前、日本代表チームは男女ともに「熊野三山」に参拝した。選手・関係者でかなりの人数になる。なぜ熊野かは省略する。私も熊野三山(本宮・新宮・那智)を二回は巡拝している。
 ・トヨタ自動車のある豊田市には「トヨタ神社」ともいわれる豊興神社があり、毎年年頭、トヨタグループの幹部たちは参詣する。三菱グループの「守護」神社は大阪市西区にある土佐稲荷神社、三井グループのそれは東京都墨田区の三囲神社、等々。いわば「企業神社」は多数ある。

 ・出光興産のそれは、出光佐三の郷里近くの宗像大社

 ・海上自衛隊護衛艦「いせ」には伊勢神宮の祠があり、同「ひえい」には東京・日枝神社の神札が貼られいる、等。

 ・朝日新聞社にすら、東京・中央区築地に波除稲荷神社という「氏神神社」がある。社の新車にはこの神社で「新車祓い」をする。関連会社の朝日浜離宮ホールは、歳末の舞台挨拶の日に波除稲荷神社の神職者が神事を行っている。

 政教分離とかの問題では小うるさい朝日新聞にも特定の「守護」神社があるとは愉快ではないか。

 〇東京巨人軍が宮崎神宮に、阪神タイガースが(西宮神社ではなく)広田神社(西宮市街地の北)に、シーズン開始前に必勝または優勝祈願をすることは、毎年のようにテレビのスポーツ番組で報道されている。

 上の点では、特定の、といえなくもない宗教、すなわち神道に対しておおらかとも見えるマスコミも、他の点ではほとんど宗教・神道関係の報道を避けている。

 最初に記したサッカー団体によるこぞっての熊野参拝は知らなかった。サッカー関係者にとっては大行事のはずだが、マスコミは取りあげていないのではないか。

 今年は出雲大社の60年ぶりの遷宮、伊勢神宮の式年遷宮の年だ。前者はすでに終わったはずだが、テレビではおそらく全く報道していない(地元・島根県は別かもしれない)。
 伊勢神宮の式年遷宮に関する報道もおそらくまったくなされていない。週刊誌や雑誌が取りあげ、それだけでの特集をする雑誌・ムック類も多数出版されているが、テレビや一般新聞はおそらく何も
報道していない。遷宮ですらこうなのだから、外宮境内に「遷宮館」が完成していることなどは全国ニュースとしてテレビ・一般新聞で報道されたことはないだろう。

 どこか異常ではないか。むろん、様々の信仰をもつ視聴者・読者がいるから<特定の>宗教に関する報道はできない、という理屈によるのだろう。

 しかし、かつてこの欄で伊勢神宮や神道、それらと皇室との関係についてかなり熱心に言及したことがあるのだが、宗教といわれるものの中で、少なくとも「神道」だけは別扱いがされてよい、されるべきだ、と考えている。
 法的理屈がまったくなくはない。世襲の天皇制度を現日本国憲法も認めているが、天皇家の宗教はいうまでもなく「神道」だ。神宮の式年遷宮の祭主代理は現皇太子殿下の妹の黒田清子さん(祭主は今上天皇の姉の池田厚子さん)であることにも示されているように、また遷宮の細かな準備日程は今上天皇の「許可」(正式用語ではない)にもとづいているように、伊勢神宮の式年遷宮とは実質的または本質的には天皇家の行事に他ならない

 この式年遷宮に対しても天皇・皇室はもちろん何らかの費用を負担しているが、それが「内廷費」といういわばポケットマネー、「お手持ち金」として支出されるのも奇妙なことだ。テレビや家具あるいは皇居内用の自動車を購入する費用と、法律上はまったく同質のものと扱われているのだ。

 そもそもは1945年の「神道指令」にもとづき、また現憲法の「政教分離」原則によってこうなっている。しかし、憲法上の存在である「天皇」の宗教が一貫して神道であることは占領期にも、日本国憲法制定時にも公知のことだったはずだ。天皇制度を維持するかぎり、何らかの配慮または特別の考慮が払われてしかるべきだったはずなのだが、何もなされなかった。
 その結果として、現在のテレビや一般新聞の神道に対する「冷たさ」がある。むろん一般国民はそんなマスコミの態度にかかわりなく、初詣をし、七五三行事をし、パワースポット巡りをしているのだが…。

 富士山が世界遺産とされたのは「自然遺産」ではなく、「文化遺産」としてだったことの意味を、テレビ局・一般新聞の関係者はしっかりと考えるべきだろう。「文化」には宗教も含まれている。富士山という山岳のみが世界遺産指定をされたのではなく、<富士山信仰>のあることを前提として、富士宮浅間神社を含む種々の宗教施設も含めて世界遺産とされたのだ。

 思うに、世界遺産指定関係者、ユネスコの方が、日本のマスコミよりもはるかに宗教に対して大らかだ。どういう国の者が指定メンバーなのかは知らないが、彼らは日本には日本独自の宗教がある、ということを、ごく自然な、ごく当たり前のこととして、神社等を含む「富士山」を世界遺産の中の「文化遺産」として指定したのだと思われる。

 日本には日本独自の文化があり、日本独自の宗教がある。当たり前のことではないか。日本のとくに「左翼」マスコミは、「日本独自の」ものが嫌いなのに違いない。NHKも含めて、伊勢神宮の10月初旬の遷宮行事がどう報道されるのか、注目しておきたい。

1124/首相の伊勢神宮参拝は「政教分離」違反か。

 中西輝政が最近に読んだ何かの本の中で、情報=インテリジェンスの重要性に触れ、朝日新聞も重要な情報源として読んで(分析して)おく必要がある旨を述べていた。
 そのとおりではあるのだが、一私人にすぎない者にとって、資料として用いるために朝日新聞を定期購読する気にはなれない。無料で配達してくれるのならば、喜んで頂戴するのだが。
 従って、ネット上でこまめにフォローしていないと朝日新聞の重要な(面白い)社説すら見逃してしまう。産経新聞論説委員室編・社説の大研究(扶桑社文庫、2004)によると、朝日新聞は2001年に5度にわたって、小泉首相(当時)の靖国参拝に反対する社説を公にしたようだ。
 そのうちの二つめ(2001.07.05)は「総理、憲法を読んで下さい」と題し、近隣諸国への配慮「以上に心を砕くべきは」憲法20条との関係だとして、条文を引用し、「この認識が決定的に欠けているのではないか」とまで言っている。
 四つめ(2001.08.14)は「首相の靖国参拝はそもそも、憲法20条の政教分離原則に照らして疑義がある」と、ズバリ書いている(以上、p.305-6)。
 朝日新聞社発行のかつての月刊「論座」の編集長で、ときどきテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」に出ていた薬師寺克行も、朝日新聞社員だったから当然だろうが、「論座」編集部編・渡辺恒雄・若宮啓文(対談)/「靖国」と小泉首相(朝日新聞社、2006)の「あとがき」の中で、首相の靖国参拝は「政教分離」や「信教の自由」という「憲法問題も絡んで」いる、と書いている(p.109)。
 靖国神社との関係でのこのような憲法20条解釈論は、憲法学界の通説ではおそらくないだろう。
 しかし、このような議論は一定の影響力を持っているようで、おそらく合憲・違憲の結論は朝日新聞とは異なるだろうが、自民党の稲田朋美産経新聞4/17の「正論」欄で、次のように書いていた。
 「首相の靖国参拝は、対外(対中韓)的には、いわゆるA級戦犯の問題に、対内的には、憲法20条3項の政教分離問題に帰着する」。
 弁護士資格をもつ稲田にして、と言いたいところで、憲法20条・「政教分離」問題とは無関係だ、と<保守>派の論者は断言しておくべきだろう。
 なぜなら、歴代の内閣総理大臣は、民主党内閣のそれらも含めて、毎年1/04あたりに伊勢神宮に参拝しているが、朝日新聞も含めて、どのメディアもこれを批判的には報道していないし、批判する国民の声というのも読んだり、聞いたりしたことはない。
 それだけ、「定着した」、憲法上の問題は何もない慣例として受けとめられているわけだ。
 しかして、伊勢神宮(正式にはたんに「神宮」)は、戦前は別だが、神道という特定の宗教のいわば総本山に他ならない(但し、「教派神道」という神社本庁に属さない神道系神社もある)。
 靖国神社もその宗教は「神道」なのであり、伊勢神宮はよくて靖国神社はいけない、という議論は、その「宗教」性・神道系宗教施設であることを理由としては全く成り立たないものだ。
 余計ながら、最近、民主党の小沢一郎が、大阪・住吉大社、奈良・大神神社、伊勢神宮の三社を続けて参拝したとされる。
 一政治家の行為だからもともと憲法問題を生じさせないが、小沢と「宗教」(ここでは「神道」)との関係について疑念を表明するメディア(報道・記事)は全くなかったはずだ。
 靖国神社についてだけ「宗教」(「神道」)との関係を問題にするのは異様だ。
 もちろん別に理由があるからこそ、朝日新聞らは首相の靖国参拝に反対しているのだ。余計な憲法論議を靖国問題にくっつけるな、と言いたい。関連させるならば、毎年の伊勢神宮参拝についても憲法上疑義があると主張すべきだ。何という<ご都合主義>なのだろうと、あらためて指摘しておきたい。

1036/8・15-追悼・参拝・松井石根。

 〇ちょうど一年前の8/15、佐伯啓思は産経新聞「正論」欄につぎのような文章を書いていた。悪くない文章なので、勝手に一部のみを再掲して紹介。
 「死者たちに思いを致すということは、別の言い方をすれば記憶するということである。そして記憶することは難しい。もっと正確にいえば、記憶したと思われるものを思いだすことは難しい。まして、戦後生まれの者にとっては、戦死者さえも想像裏のものでしかないのだから、〔…〕想像でしかないものを『うまく』思いだすことはたいへんに難しい。だから、思いだすことは、『うまく』想像することでもあるのだ。/私にとっては、あの戦争を象徴するものは、その多くが志願して死地へ赴いた若者の特攻である。〔……〕無数の若者がいる。地獄のごとき見知らぬ密林や海原に命を散らした無数の魂がある。/その魂の思いを想像することこそが、あの場違いな時間である黙祷が暗示しているものであった。特攻は、私にとっては、そのもっとも先鋭に想像力をかきたてる表出だった」。
 「あれから六十数年が経過して、戦後日本という時間と空間を眺めるとき、多くの者が、この『戦後』なるものに戸惑い、ある大きな違和感を覚えるのではなかろうか。〔……〕と報道される国が平和国家であるなどという欺瞞はもう通用しない。/基本になっていることは、戦後日本には、われわれの精神をささえる基本的な倫理観が失われてしまった、ということなのである。〔中略〕私には、もしも戦後日本において倫理の基盤があるとすれば、それは、あの戦死者たちへ思いをはせることだけであろうと思う。それは、特攻を美化するなどという批判とは無関係なことであり、また、靖国問題とも次元の異なったことである」。
 〇今年2011年の元旦の産経新聞は菅直人の動向につき、こんな記事を載せていた。
 「菅直人首相は31日深夜、東京都府中市の大国魂神社を訪れた。首相は午後10時20分に公邸を出発。同神社に到着するとスーツから、かみしも姿に着替えて、本殿に昇ると参拝した。/その後、元日午前0時になると、本殿前で太鼓を3回叩く『初太鼓打初式』に参加して、真剣な表情で太鼓を3回叩いた」。
 確認しないが、その後たぶん1/04あたりに伊勢神宮参拝もしたはずだ。
 ところで、社民党の福島瑞穂がこんなことを言うのをテレビで見聞きしたことがある。
 靖国神社への首相・閣僚の参拝は「政教分離の観点からも、好ましくない」。
 憲法上の「政教分離の観点から」(も)靖国神社首相参拝を批判するのならば、菅直人首相による府中市・大国魂神社参拝も伊勢神宮参拝も社民党・福島瑞穂は批判すべきだろう。
 靖国神社は他の神社とは違うと言うならば「政教分離」を持ち出すべきではなく、正面から<A級戦犯合祀>を堂々と批判すべきだ。
 しかして、<A級戦犯合祀>の神社だからダメだというならば、B級・C級「戦犯」としての刑死者を祀る神社もまたダメだ、ということになるはずだ(各地にある護国神社等を含む)。そのような、<B級・C級戦犯>問題に触れない靖国参拝批判論には、どこかに明らかな誤魔化しがある。
 〇早坂隆・松井石根と南京事件の真実(文春新書、2011)によると、松井石根にゆかりのある寺社等は以下のとおり(見落としがあるかもしれない)。
 ①金沢市・宗林寺(・聖徳堂)、②知立市・知立神社(・千人燈)、③熱海市・伊豆山興亜観音+「七士の碑」、④名古屋市中村区・椿神社、⑤名古屋市・日置神社、⑥愛知県三ケ根山々頂・「殉国七士廟」、⑦御殿場市・板妻駐屯地「資料館」(民営)、⑧愛知県・長福寺、⑨(⑧付近の)桶狭間古戦場公園「石碑」。

0871/寺社への拝観料・入山料等はどこへ?

 一 「日本宗教者平和協議会」という団体があるらしい。
 ウェブサイトによると、略称の「宗平協」は、「宗教者(信者・門信徒もふくめて)で、『宗教者の良心に基づき世界の平和と人類の幸福に寄与する』という目的に賛同する人であれば、誰でも参加することができ」るらしい。基本的には、個人加入の組織のようだ。
 同じく、その<主な活動>は以下だとされている。
 「①信教の自由と政教分離の確立
 靖国神社の閣僚公式参拝や国家護持の動きなど、権力による宗教統制・利用に反対し信教の自由を守る。 宗教の側からの政治権力の利用に反対し、政教分離の原則を訴える。
 ②核兵器の使用禁止と廃絶
 核兵器禁止の国際条約の締結を要求し、全ての核兵器の廃絶を求める。

 ③軍事基地の撤去と軍事条約の撤廃
 憲法違反の自衛隊に反対し、沖縄をはじめとする日本国内の米軍基地の撤去と日米安保条約の緒廃棄を求める。

 ④日本国憲法の擁護
日本国憲法を擁護し、平和・民主主義の原則を守り発展させる。

 ⑤環境の保全と回復
 「自然と共に生き、自然の中に生かされている」ことを自覚し、環境の破壊を許さず、保全と回復につとめる。

 ⑥宗教者の国際連帯の強化
 平和五原則に基づく国際友好をすすめ、平和のための宗教者の国際連帯と相互支援を前進させる。」

 これらのうち、とくに①~④は現在の日本共産党の主張と同じだ(または、それよりも率直だ)。③では、自衛隊を「憲法違反」と明記し、国内の「米軍基地の撤去」、「日米安保条約の廃棄」をはっはりと謳っている(「緒廃棄」は原文ママだが、「諸廃棄」でも意味は通じないので、「即時廃棄」の入力ミスだろうか)。

 この団体は、次のアピールを出している。
 「2000/08/31 防衛庁長官と東京都知事に「防災演習」についての抗議と要請
  2000/06/10 森首相の「国体」発言を厳しく糾弾する
  2000/05/16 森首相の「神の国」発言に断固抗議する。
  1999/07/01 盗聴法案(組織的犯罪対策法案)廃案を求めます
  1999/06/15 「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とする法制化に強く反対します。
  1999/05/25 新ガイドライン関連法案の強行採決に抗議する
  1999/04/20 NATOのユーゴ空爆を即時停止し、紛争当事者による平和交渉の再開と、関係諸国に平和的解決を要請する
 1999/01/06 中村法相の罷免と国会の解散を要求する」

 最も上の2000/08のものは「防衛庁・自衛隊と東京都」が予定する「平成一二年度自衛隊統合防災演習」は「防衛庁・自衛隊の統合幕僚会議議長の指揮の下に大量の自衛隊員を首都へ移動させるなど、治安出動のための演習といわざるをえない」とし、「治安維持を自衛隊に期待する石原東京都知事の発言や、新ガイドライン成立によるあらたな自衛隊の『治安出動』のための法『改正』を狙う政府・自民党の策動からも裏付けられ」ると述べる。

 その下の森首相発言への抗議も含めて、→
http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/apnisyu2.htm#bousai

 一番下の中村法相うんぬんは「去る四日、中村法相が法務省内での新年集会において、『日本人は、連合国からいただいた、国の交戦権は認めない、自衛もできない、軍隊ももてないような憲法を作られて、それが改正できないというなかでもがいている』と発言したことは、歴史の事実に反し、憲法に違反し人類の進歩に逆行し、憲法改悪、『有事』参戦への布石として重大な問題を孕んでおり、何よりも憲法遵守の義務を負う法務大臣の資質の欠落を露呈したものであり黙過することはできません」と始まる。そして、「わが国の憲法は連合国から試案を提示されましたが、戦争放棄はまさに幣原首相の独創であったことをマッカサー総司令官自身が認めています」と、面白い(?)ことも断定的に書いている。

 これも含めて、下の4つの全文は、→

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/ap-nisyu.html#naka

 機関紙「宗教と平和」というのを発行しているようで、そこに示された「日本宗教者平和協議会」の(事務所・事務局の)所在地は次のとおり。

 「〒113-0003 東京都文京区湯島3-37-12 TS第7ビル502号」

 二 「日本宗教者平和協議会への加盟および平和諸団体との提携協力」を規約上の「目的」の一つとする地域的団体の一つに「奈良宗教者平和協議会(略称・奈良宗平協)」というのがある。

 ウェブサイトによると、この団体は、日本宗教者平和協議会とは別に、以下のアピールを発している。

 「2003/12/09 憲法違反のイラクへの自衛隊派兵『基本計画』決定に抗議する
 2003/03/17 イラクへの武力行使に反対する
 1998/05/20 インドの核実験に抗議する
 1996/07/27 史実に反する『従軍慰安婦発言』を繰り返す奥野誠亮衆議院に抗議し、議員辞職を要求する
 1996/06/10 中国の核実験に抗議する
 1995/11/14 フランス・中国の核実験中止と核実験全面禁止条約の締結を求める
 1995/05 ~終戦・被爆五〇年にあたって~核廃絶を呼びかける奈良県宗教者のアピール
 1994/07/24 核兵器廃絶の先頭に立ち、日本国憲法の平和的民主的原則を遵守せよ。-村山首相への抗議と要請
 1993/10 小選挙区制の導入に反対するアピール」

 ・奈良市中心部より東北の般若寺(はんにゃじ)には「原爆の恐ろしさと平和の大切さを後世に伝えるため」の「平和の火」をともす「平和の塔」というのが建っている。

 ・奈良市中心部より東南の白毫寺(びゃくごうじ)の境内には、「奈良宗教者平和協議会」と書かれた木板が入口に掛かる建物がある。

 宗教法人としての寺院そのものではなくとも、この二つの寺院の代表者または有力者が「奈良宗平協」に加入している(そして有力な構成員である)ことは間違いない。

 実際にも、上掲のアピールの最上の<イラク派兵反対>は、「奈良宗教者平和協議会 代表理事 工藤良任(般若寺住職) 宮崎快堯(白毫寺住職)」という名義で出されている。→

http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/appeal.htm

 なお、上の二つの寺院はいずれも関西に25しかない、<関西花の寺二五カ所>の番所(札所)。

 三 大阪にも「大阪宗教者平和協議会」というのがあるらしい。

 「大阪宗平協ニュース」というのを発行していて、ウェブサイトによると、最新号は2009/11/24付。

 そのニュースには12/08の「第19回定期総会」と同日の記念講演(会)の案内が掲載されている。

 「民主党政権下での『反核平和』」とのテーマで講演する(した)のは中田進という人物で、同ニュースに記載の経歴によると、「1937年生まれ」の「関西勤労者教育教会講師」で、<学習の友社>や<新日本出版社>から本を出している。この二つの出版社は実質的には日本共産党とほとんど同一。

 「大阪宗平協」の事務所(事務局)は、同ニュースの発行元の記載によると、次のようだ。

 「大阪市東住吉区今川2-8-5 正念寺内」

 四 以上のようなことに加えて、「奈良宗平協」のウェブサイトからリンクを張っている諸団体等のうち「反核平和運動・被爆者団体・個人のHP」のトップ2つは「原水爆禁止日本協議会」と「日本被爆者団体協議会」であること、いくつかの県の「~平和委員会」も含まれていること、その他の「団体」のうちトップは「自由法曹団」であること、等を加味しても、「宗教者平和協議会(宗平協)」という団体は明確に日本共産党系だ。

 より正確にいえば、日本共産党員が宗教法人内に<フラクション>を形成して活動している、というのがむしろ実態に近いかもしれない。
 代表者・有力者がこの「宗教者平和協議会(宗平協)」に加入しているような寺社への拝観料・入山料等々は、いったいどこに消えるのか、何のために使われるのか。警戒しておいても悪くはない。

0848/<仏・共連合>の成立?②(終わり)。

 二 (つづき)
 ②別の某県某市のこれまたこの地域では有名な寺院の一つを訪れてみると、残念ながら写真を撮っておらず、文書・パンフをきちんと残していないことに今気づいたのだが、本堂近くに、まるで「九条の会」が主張しているような内容のビラか冊子のようなものが置かれてあった。
 先の①の寺院(・大会)よりも露骨に、「護憲」(と「反戦」)を呼びかけるものだった。
 仏教徒にも「政治的」活動の自由はある、とは一応は言えるのだろう。また、当該寺院の責任者たちは自らの信仰と「九条の会」の主張とは矛盾してない、むしろ合致している、と考えているかもしれない。
 だが、政治的には日本共産党系の運動といってよいのが常識的だと思われる「九条の会」の主張と似たようなことを書いた文書を参拝者の目に付きやすい場所に置くとは、あまりにも「政治的」に<幼稚な>感覚というものだろう。
 その寺院にもいろいろな檀家の人々がいると思われる(訪問者・参拝者の中には、私のような者もいる)。そのような直近の人々の(檀家総会の?)同意を得て、そのような文書を作成しているのだろうか。奇妙に感じながら、その寺院の境内を後にしたものだ。
 ③つぎは、全国的にも有名と見られる、日本の大寺院10に含める人もいるかもしれないほどの大寺院でのこと。
 その寺院の某建物の廊下に、10名の人物の顔写真を掲載した大きなポスターが貼ってあった。
 その10名のうち当該寺院の宗派「管長」以外の9名は、タテ長のポスターの右上から左下への順番で書くと、益川敏英(現京都産業大学理学部教授、ノーベル賞受賞者)、秋葉忠利(広島市長、元日本社会党国会議員)、湯川れい子(音楽評論家)、坪井直(被爆者)、麻生久美子(女優)、張本勲(元プロ野球選手)、田上富久(長崎市長)、小山内美江子(脚本家)、井上ひさし(作家)。
 これだけ並べると推測がつこうが、ポスターの中心には「核兵器のない世界を・あなたの未来のために国際署名にご協力を!」と書かれている。下部には、横書きで「私たちは、/核保有国をはじめとするすべての国の政府がすみやかに核兵器禁止・廃絶の交渉を開始し、締結することに合意するようよびかけます」との一文が記載されている。
 そのまた下に小さく書かれているこのポスターの製作者名は、次のとおり。
 「〇『核兵器のない世界を』国際署名キャンペーン事務局 〇113-8464東京都文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階 原水爆禁止日本協議会気付 〔TEL、URL省略〕」
 井上ひさし小山内美江子ですでに「左翼」色は明確なのだが(よく知らないが、益川敏英もたんに名声?を「利用」されているのではない、<確信的な>活動家的信条の持ち主だと書いていた人もいる)、上記事務局の「気付」先とされる「原水爆禁止日本協議会」とはいわゆる(日本)原水協で、日本共産党系(直属の?)団体そのものではないか。

 <核兵器禁止・廃絶>を謳えば、(日本人ならば?)誰でも支持してくれる(はずの)運動であり、またそのためのポスターだと、この有名大寺院の責任者は考えているのだろうか。
 怖ろしいことだ。この寺院は、(日本共産党系・)日本原水協系の活動・運動の、この地域での拠点になっている可能性すらある。あまりも堂々と、建物内に入った者は誰でも通る廊下の壁にポスターは貼られていた。
 こんな例を見ると、①で紹介した文章は、たんなる<観念的理想家>の僧侶・仏教者が書いたのではなく、僧侶・仏教者の中にも日本共産党員は存在していて、そのような者が共産党色は出さないように用心しながら配慮して書いたのではないかとすら思えてくる。
 三 以上の三つの例の寺院はいずれも、直接にコミュニズム(または日本共産党)を支持することを明言したものではない。だが、現在の日本共産党の主張・路線と決して矛盾はしないものだ。<左翼的>(あるいは少なくとも社民党的)であることはほとんど明らかで、共産党員または親共産党の者が書いた、または責任者として貼った、という可能性も否定できない。
 <仏・共連合>という見慣れないだろう言葉を使ったのは、上のことによる。
 仏教徒が現在(とくに日本で)何をすべきかと真摯に思考することを排除するつもりはない。だが、そのような誠実で真摯かもしれない思考と活動の中に<容共(親コミュニズム)>精神が結果としてであれ浸透してきているようで、これまた<戦後>思潮の結果・成りゆきの一つとして、私は怖ろしく感じるし、強い憂慮も覚える。

0847/<仏・共連合>の成立?①

 一 かつて日本共産党と創価学会が「創共協定」なのものを結んだことがあるくらいだから、コミュニスト(共産党員を含む共産主義者、広くは親共産主義者・共産党シンパ)と仏教徒が協力関係に立っても、あるいは(少なくともとりあえずは)同一の目標を目指しても何ら不思議ではないのだろう。
 知識・勉強不足で、新興仏教(の信者たち)は別として、従来からの仏教界(やそのような仏教の信者たち)は総じて<保守>的・<伝統的>で、反「左翼」ではないかと思ってきた。
 だが、「総じて」とは決して言えないようだ。よくよく思い出して見ると、従来的な仏教寺院と仏教関係者が日本で最も多いと推測される京都府で、社・共(社会党・共産党)連合による蜷川虎三「革新」府政がしばらくの間継続したのだった(確認しないが、京都市長も社・共推薦候補が担ったことがあったはずだ)。
 二 ①2000年~2009年の間の半ばに、某県某市で「全日本仏教徒会議」の大会が開かれた。その会場となった某寺は大きな古い寺院で(少なくともその県の代表的な寺院の一つで)、本堂には皇室の菊の紋章が何カ所にも付けられていたりする。
 その大会は「出会い 緑を生き、伝えるわれら」を「開催趣旨の大会テーマ」とした。「開催趣旨」はより正確には次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水はいのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史と共に大いなる環境の変化をもたらしています。/また、世界各地で起こる争い、環境破壊、温暖化現象など人間の欲望が加害者となり、限りあるこの地球というすばらしい星を苦しめています。/みほとけの慈悲と共生のこころを21世紀から地球と子孫に伝え、さらに未来に向けてひとりひとりが真剣に考えるつどいとなるよう…〔略〕から発信していきましょう。」
 採択された「大会宣言」は次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水は、いのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し、進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史とともに大いなる環境の変化をもたらしています。/人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません。清らかな水と空気が濁りつつある今日、異常現象や自然の災害は人類の生命をおびやかしています。/21世紀に入り早くも…年が経ちました。心の時代と言われながら、しかも前回の仏教徒会議で『日本仏教者からの平和の願い』を私たちが提言したにもかかわらず、今において人間が人間の生命を奪い取るという悲しいニュースの報道は、心痛の極みであります。/このような時にあたり仏教徒として、私たちは、みほとけの慈悲と共生のこころを現代に生きる人達に伝えていきます。さらに、私たちは明日という未来に向けて、ひとりひとりが真剣に、かつ、信念に満ちた活動を実践していくことを宣言いたします。」
 以上。これらの文章は読みやすい字で書かれて木製の柱の上の掲示板に記載され、その掲示柱はその寺院の山門のすぐ傍らに立てられている。また、すぐ隣に、「出会い、緑を生き、伝えるわれら」という言葉や「全日本仏教会々長」と当該寺院の「貫首」の氏名(個人名)等を刻んだ立派な石碑がある。
 人には諸活動の自由があり、仏教徒にもあるだろう。「清らかな水と空気」の大切さを説くことに反対する気はむろんない。
 だが、大きな違和感も覚えた。たとえば、1.「進化」と「進歩」を肯定するかの如きいわば<進歩主義>は、仏教の教義と合致しているのだろうか。2.「みほとけの慈悲と共生のこころ」と言うが、実質的意味は別としても、「共生」という言葉は何かの教典に明示されているものなのか。3.仏教徒が、「人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません」と断定してしまってよいのか。
 この文章は、「左翼」的環境保護運動の活動家の書いた少しはマイルドなアジ(アジテーション)・ビラの如くでもある。民主党の「左派」(旧社会党系)や社民党が強調していることと似てはいないだろうか。<地球は人類だけのものではない>との旨の部分は、<日本列島は日本人だけのものではない>と言ったらしい鳩山由紀夫を彷彿しさえする。
 「全日本仏教徒会」なる組織・団体が日本の仏教徒・寺院のうちのどの程度を組織しているのかは知らない。だが、この寺院やこうした文章が示す考え方が仏教界において決して稀少ではないようであることは、次の②・③の例でもわかる。
 (つづく)

0711/朝日新聞4/23社説の<ご都合主義>-政教分離原則と靖国神社・伊勢神宮。

 一 新聞(一部?)報道によると、麻生太郎首相は、「集団的自衛権」に関する従来の政府解釈を改め、「集団的自衛権」の行使を肯定する方向の意向を明言した、という(この麻生発言以前の執筆と見られるが、この問題につき、月刊WiLL6月号の岡崎久彦「集団的自衛権を行使できるこれだけの理由」(p.50-)も参照)。
 結構なことだ。他にも、<非核三原則>、<武器輸出禁止三原則>などの、内閣法制局見解(解釈)に依拠したのかもしれない、政策方針が首相談話(国会での答弁)又は閣議決定(?)等で語られてきている。こんな基本的問題について国会による法律制定も議決もなく、内閣総理大臣の「一存」的なものを継続してきているのは奇妙だとは思うが、その点はとりあえず別として、そもそも憲法から導かれ出されないとも十分に考えられる上のような<-原則>の変更を思い切って行うべきだ。内閣法制局官僚が戦後当初又は占領期の「精神状態」・メンタリティでもってこうした基本的問題についての政策方針を左右しているとすれば(仮定形)、これも改めるべきだ。
 二 新聞・テレビ報道によると、麻生太郎首相は、靖国神社の春季例大祭に「真榊(まさかき)」を奉納した(私費を使って、かつ内閣総理大臣の肩書きを明記して)。
 参拝してもよいとは思うが、真榊奉納もまた結構なことだ。
 麻生首相・同内閣は、支持を高めたいならば、本来の「保守」層又は「ナショナリスト」(愛国派・国益重視派)による支持の拡大をこそ目指すべきだろう。
 三 麻生首相は今年初め、伊勢神宮を参拝した。前年は福田首相もそうしたし、その前年は安倍晋三もそうした。それ以前の首相も含めて、歴代の首相にとっての慣例にすでになっているように見える。今年正月の記憶はないが、昨年正月には、首相とは一日違いで、民主党・小沢一郎代表も伊勢神宮を参拝した、との報道があった。
 政党(野党)党首と内閣総理大臣とでは性格は異なる。
 重要なことは、あるいはここで言いたいのは、内閣総理大臣(首相)による伊勢神宮参拝について、憲法上の<政教分離>の観点からこれを疑問視したり批判するような論調は(一部の?憲法学者はともかくとして)マスコミには見られない、ということだ。少なくとも、マスコミの大勢が首相の伊勢神宮参拝を<政教分離>原則との関係で批判・疑問視することは全くなかった、と言ってよいだろう。
 朝日新聞が上のような批判・疑問視をしたという知識はないし、同社の記者が伊勢神宮参拝は「公人としてか、私人としてか」という質問を首相に対して発したという記憶はない(そういう報道はなされていないと思われる)。
 以上のことは、首相の伊勢神宮参拝を憲法(政教分離条項)との関係でも問題視しない雰囲気・論調が、朝日新聞も含む日本のマスコミにはある、ということを示している。
 四 上のことの論理的帰結は、内閣総理大臣の靖国神社参拝を、朝日新聞を含む日本のマスコミは、<政教分離>原則違反(又はその疑い)という理由では批判できない、ということの筈だ。
 伊勢神宮も靖国神社も、同じ神道の宗教施設だからだ。(厳密には、天皇家の「宗教」でもある神社神道が憲法20条で禁止される「宗教活動」という場合の「宗教」に当たるかという論点はある筈だと考えているが、今回は立ち入らない)
 前者の参拝は憲法20条(政教分離)に違反せず、後者は違反する(又は適合性は疑問だとする)、などと主張することは、論理一貫性を欠く、<ご都合主義>そのものだろう。
 ところが、朝日新聞の今年4/23社説は、麻生首相の真榊奉納は総選挙を意識した「ご都合主義」ではないかとの皮肉で結びつつ(最後部分の引用-「近づく総選挙を意識してのことなのだろうか。自ら参拝するつもりはないけれど、参拝推進派の有権者にそっぽを向かれるのは困る。せめて供え物でメッセージを送れないか。そんなご都合主義のようにも見えるのだが」)、上述の<ご都合主義>をまさしくさらけ出している
 朝日新聞の上の社説は、その一部で明確にこう書く。
 「いくら私費でも、首相の肩書での真榊奉納が政治色を帯びるのは避けられない。憲法の政教分離の原則に照らしても疑問はぬぐえない
 麻生首相はじめ歴代の首相はおそらくは私費を使ってであっても「首相」として伊勢神宮に参拝しているのだと思われる(具体的な奉納物等については知らないが、少なくとも「お賽銭」に該当するものは納めているはずだ)。
 そうだとすると、朝日新聞は、首相の伊勢神宮参拝についても、「憲法の政教分離の原則に照らしても疑問はぬぐえない」と書き、社説等で論陣を張るべきではないのか? こうした批判を、首相の伊勢神宮参拝について朝日新聞はしているのか!?
 朝日新聞の首相伊勢神宮参拝に関する全紙面を見ているわけではないので仮定形にしておくが、首相の伊勢神宮参拝を「憲法の政教分離の原則」に照らして疑問視していないとすれば、靖国神社についても同じ姿勢を貫くべきであり、靖国神社参拝・奉納についてのみ「憲法の政教分離の原則に照らしても疑問はぬぐえない」と社説(!)で書くのは、まさに<ご都合主義>そのものではないか?
 心ある者が、あるいはまともな神経・精神をもつ者が朝日新聞(社)の中にいるならば、上の疑問に答えてほしい。
 4/23社説の執筆者も含めて誰も答えられないとすれば、朝日新聞の<社説>などもう廃止したらどうか。あるいは、<政教分離>に関する記事を書く又は報道をする資格は
朝日新聞にはないことを自覚すべきではないか。
 朝日新聞がまともな・ふつうの新聞ではないことを改めて確認させてくれた4/23社説だった。こと靖国神社に関することとなると朝日新聞はますます頭がおかしくなって、論理・見解の首尾一貫性などはどうでもよくなるのだろう。
 五 なお、朝日新聞による首相靖国参拝・奉納批判の主な根拠は、4/23社説によると、「戦前、陸海軍が所管した靖国神社は、軍国主義の象徴的な存在であり、日本の大陸侵略や植民地支配の歴史と密接に重なる」ということにある。
 古いが朝日新聞2006年8/04社説はもう少し詳しく、あるいは中国・韓国関係をより強調して、「日本がかつて侵略し、植民地支配した中国や韓国がA級戦犯を合祀した靖国神社への首相の参拝に反発している。その思いにどう応えるかは、靖国問題を考えるうえで欠かすことのできない視点だ」、「あの戦争を計画・実行し、多くの日本国民を死なせ、アジアの人々に多大な犠牲を強いた指導者を祀る神社に、首相が参拝することの意味である。/戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。国を代表する首相の靖国参拝は、その原点を揺るがせてしまう。だから、私たちは反対しているのである」と書いていた。
 このあたりの(朝日新聞が行うように上のように単純に判断できる問題とは断じて思えない)論点は一回では書ききれないし、多くの人がすでに議論していることなのでここでは立ち入らない。
 六 ついでに、この3年近く前の社説でも、「憲法に関する首相の強引な解釈もいただけない。憲法20条の政教分離原則は素通りして、…」と書いてもいて、やはり<政教分離>原則の関係で(靖国神社については)疑問視していることも明らかにしている。
 もう一度書くが、では首相の伊勢神宮参拝はどうなのか? その他の神社への「内閣総理大臣」の参拝・奉納等はどうなのか?
 さらについでに。今年4/23社説では「先の大戦の責任を負うべきA級戦犯を合祀したことで、天皇の参拝も75年を最後に止まった」と、2006年8/04社説では「昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を抱き、それが原因で参拝をやめたという側近の記録が明らかになった」と書いて、<いわゆるA級戦犯合祀>が天皇陛下のご親拝中断の原因だと断定する書き方をしている。しかし、これはまだ100%明確になっていることではない、と私は理解している。
 また、先帝陛下も今上天皇も「ご親拝」はされなくとも、春秋の例大祭等の際に何らかの「奉納」(という言葉は正式には適切ではないかもしれない)はなされているのであり、それは<いわゆるA級戦犯合祀>後も続いている。天皇(皇室)と靖国神社の関係が<A級戦犯合祀>によって途絶えた、と誤解しているとすれば、又はそういう誤解を意識的に読者に広めようとしてしているのだとすれば、それは誤りであるか、一種の悪辣な<誘導>に他ならない、と付記しておかねばならない。

0600/伊藤謙介による山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)の書評(産経新聞)。

 産経新聞10/04の「書評倶楽部」で、伊藤謙介(京セラ相談役)が山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)を紹介・論評している。
 この本の引用又は要約的紹介なのか評者自身の言葉なのかを自信をもって区別できないが、おそらくは前者の中に、印象的な叙述がある(それ自体はほとんどは評者の文章だ)。
 山折哲雄のこの本によると、次のように整理されるらしい。
 ①A「信じる宗教」は<一神教>で、B「感じる宗教」は<多神教>。
 ②A一神教は「砂漠」の産で、B多神教は「緑なす山野」のもの。
 ③A「信じる宗教」は「天上の絶対的存在」を信じることで、「自立する声高に主張する『個』がキーワード」。
 一方、B「感じる宗教」は「地上の豊かな自然の中に神や仏の気配を感じること」で、「寂寥のなかで静かに耳を澄ます『ひとり』がキーワード」。
 私が挿入するが、日本の神道・仏教が(とくに神道が)Bであることは明らかだ。日本人の殆どは無宗教ではなく、本来は、「信じる」<一神教>ではない、「緑なす山野」の、「感じる」<多神教>の宗徒ではないか。
 山折哲雄はさらに次のように主張・警告しているらしい。
 <現代は「信じる宗教」にのみ「憧れと脅威の眼差しを注ぐ」「個の突出した時代」なのだが、「人間を越えた存在の気配を感じ取ることこそが必要」だ。それが「個、自己中心主義の抑圧に繋がるから」。
 以下は私の文による書き換えだが、欧米の一神教を背景とする「個の突出した時代」が現在日本の中心・本流にあるようだが、「個、自己中心主義の抑圧」のために、「感じる」<多神教>をもとに、「人間を越えた存在の気配を感じ取る」ことが必要だ、と主張しているようだ。
 多分の共感をもって読んだ。「信じる」<一神教>を背景とする、欧米的「個」は、本来、日本人にはふさわしくないのではないか。そして「自立する声高に主張する『個』」、「個の突出」、「個、自己中心主義」こそが、戦後の日本と日本人をおかしくしてしまったのではないか。
 樋口陽一を引き合いに出して語ってきたこともある欧米的「個人主義」批判と通底する部分が、山折の本にはありそうだ(まだ入手していないのだが)。
 以下は、評者・伊藤謙介の文章だと思われる。なかなかに<美しい>。
 「私たちは今、個が我が物顔に振る舞う、喧騒と饒舌の時代を走り続けている。/だからこそ、ときにたち止まり、星月夜を眺めつつ、悠久の時の流れに身を投じ、生きることと死ぬことに思いをはせたい」。

0577/憲法学者・樋口陽一のデマ5-神道は多神の「自然信仰」。

 憲法研究者の多くは、日本国憲法上の政教分離原則に関して、津地鎮祭訴訟最高裁判決が示した<目的効果基準>を説明し、その後の諸判決が事案の差違に応じてどのようにこの一般論を厳格にあるいは緩やかに適用しているかを分析したりするのに忙しいようだが、そもそも政教分離関係訴訟で問題になることの多い-それ自体から訴訟の提起の「政治」性も感じるのだが-<神道>なるものについて、いかほどの知見を有しているのだろうか。
 樋口陽一・個人と国家―今なぜ立憲主義か(集英社新書、2000)には、神道に関する次のような叙述がある(p.147)。
 ①明治政府は天皇・皇室を「社会の基軸」にしたかったが、「後ろ楯になる権威」がなかった。「そこでつくられたのが、国家神道」だ。
 ②「神道といっても、日本の従来の神道というのは多神教で、山の神様があったり、川の神様があったり、お稲荷さんがあったり、つまり自然信仰でしょう」。
 ③神道は「そのままでは皇室を支えるイデオロギーになりそうもない」。それで、「従来の自然信仰の神道」を「国家神道として再編成」した。
 神道に関する知識の多さ・深さについて自慢できるほどのものは全く持っていないが、その私でも、とくに上の②には驚愕した。
 神道=「自然信仰」だって?? このことが上の③の前提になっている。
 たしかに「自然」物を祭神とする神社もある(代表例、奈良県の大神神社)。また、基礎的には<太陽>こそが神道の究極の崇敬・祭祀の対象だったと思えなくもないし(素人談義なので許されたい)、その他の自然(・自然現象)に<神>を感じてきたことも事実だろう。それが日本人の<心性>だ。
 だが、絶対に神道=「自然信仰」と=で結ぶことはできないことは、常識的なことで、日本国民のほとんどが知っていることではないか。
 第一に、神道は皇室の祖先をも皇祖神として<神>と見なしている。記紀の<神代>との言葉ですでに示されているかも知れない。代表的には、現在の天皇・皇室の皇祖とされる天照大御神こそが<信仰>等の対象であり、<八幡さん>で知られる応神天皇も、神功皇后も、現在の天皇・皇室の祖先であり、かつかなり多くの神社の祭神とされている(樋口陽一は、知っている神社の祭神を調べて見ればよいだろう)。
 第二に、現在の天皇・皇室の祖先とされているかは明瞭ではないが、記紀に出てくる多数の<神>を祭神とする神社も少なくない。なお、各神社の祭神は、通常は複数だ。
 第三に、皇室関係者以外の<傑出した>人物が祭神とされ、<信仰>等の対象になっている場合がある。
 天満宮(天神さん)は菅原道真を祀る(怨霊信仰と結びついているとも言われる)。日光東照宮は徳川家康を神として祀る(「東照」という語は「天照」を意識しているとも言われる)。豊臣秀吉を祀る豊国神社もある。
 念のためにいうが、以上は、すでに江戸時代以前に存在したことで、「国家神道」化以降のことではない。
 神道における又は日本語としての「神(カミ)」とは<何か優れたものを持つもの>又は<何か特別なことをすることができるもの>とも理解されているらしい(本居宣長の説だっただろうか。何で読んだかの記憶は不明瞭だが、井沢元彦も何かに書いていた)。
 というわけで、さしあたり<神社神道>に限っても、樋口陽一の、神道は、山も川も神様とする多神教の「自然信仰」だ、という理解は明らかに誤っており、完全な<デマ>だ
 神道の理解がこの程度だと、かつての国家神道についても、現在まで続く天皇制度の由来・歴史についても、<宮中祭祀>(神道による)についても、不十分な、かつ誤った知識を持っている可能性が高い。この程度の前提的知識しかなくて、よくも憲法上の政教分離原則について滔々と?語れるものだ。この点に限られないが、ちょっとした知識・知見で大胆なことを断言する樋口陽一の「心臓」には驚くことが多い。

0512/宗教・政教分離・大嘗祭あれこれ-大原康男・小堀桂一郎らの論述。

 一 ドイツでは、市町村又は基礎的自治体のことを「ゲマインデ(Gemeinde)」というらしい。「ゲマイン」という部分は、ゲマインシャフト(Gemeinschaft=「共同体」)とも共通する語頭だろう。
 この程度の知識をもってドイツの標準的・平均的な国民の一人と思われる某人とドイツ滞在中に話していたら、その人は「ゲマインデ(Gemeinde)」という語で連想するのは、まずは「教会」だ、という旨を言ったのでやや驚いた。あとで、ドイツの(小さくとも美しい又は可愛い)「ゲマインデ(Gemeinde)」にはたいていは街の中心部の広場に面して(プロテスタント系の?)教会が存在していて、すぐ傍らに役場もある、したがって、地域自治体(「ゲマインデ」)の宗教的拠点又は一種の霊的(聖的)な集会場所として、「教会」は「ゲマインデ」を連想させるのだろう、などと漠然と考えていた。
 二 田中卓=所功=大原康男=小堀桂一郎・平成時代の幕明け-即位礼と大嘗祭を中心に-(新人物往来社、1990)の共著者の4つの論文を殆ど読了した。上のようなことを書いたのも、<宗教>にかかわって、何となく連想してしまったから。
 1 大原康男「政教分離をめぐる問題」によると、①最高裁が津地鎮祭訴訟判決(1977.07.13)で国・地方公共団体も「一定の条件のもとで宗教と関わることができるという限定的分離主義」(「目的効果基準」等を用いた個別的・実質的判断)を採用したにもかかわらず、「完全分離主義の誤った解釈を今なお憲法学者とマスコミがあきもせず墨守している」(p.123、p.127)。
 この指摘のとおりだとすると、「憲法学者とマスコミ」の責任は重大だ。政教分離原則違反を原告が主張する訴訟の多さも、「憲法学者とマスコミ」に支えられ、又は煽られているのかもしれない。
 また、大原・同上によると、②占領中の1951年に貞明皇太后(今上天皇の祖母・昭和天皇の母)が崩御されたあと、皇室の伝統・慣例により(戦前は法令の定めがあったので事実上はこれに則り)神道式で、国費で支弁して「国の儀式」として「事実上の準国葬」として御葬儀が挙行された(p.115-6)。1949年11月に当時の参議院議長・松平恒雄(会津松平家・秩父宮妃の父)が逝去した際の葬儀は「参議院葬」として(つまり国費を使って)「神式」で行われた(p.121)。1951年に幣原喜重郎(元首相・前衆議院議長)が逝去した際の葬儀は「衆議院葬」として(つまり国費を使って)「仏式」(真宗大谷派)・築地本願寺で行われた。同じく1951年、長崎市名誉市民・永井隆が逝去した際の葬儀は長崎「市民葬」として(つまり市費を使って)「カトリック式」・浦上天主堂で行われた。これらにつき、GHQは何もクレームを付けなかった(松平恒雄の葬儀ではマッカーサーは葬儀委員長あての哀悼文すら寄せた)(p.115-6、p.121-2)。大原による明記はないが、マスコミ・国民もこれらをとくに問題視しなかったと思われる。
 しかるに、と大原は今上天皇による大嘗祭ついて論及するが、尤もなことだ(但し、大嘗祭は「宗教上の儀式」との理由で「国事行為」とはされなかったが、「私的行為」とされたわけでもなく、皇位継承にかかわる「公的性格」があるとされ、皇室経済法上の「宮廷費」から費用が支出された、ということも重要だろう。p.136-7の資料(政府見解)参照)。
 そして思うに、<南京大虐殺>が戦後当初、東京裁判の際もさほど大きくは取り上げられなかったにもかかわらず、のちに朝日新聞の本多勝一のルポ記事によって大きな<事件>とされ<政治・歴史問題>化したのと同様に、<政教分離>問題の浮上も、戦後当初は(国家と宗教の分離には厳格だった筈のGHQ占領下ですら)大きな論争点ではなかったのに、一部の<左翼>や「政治謀略新聞」・朝日新聞等が<政治・憲法問題>化するために騒ぎ立てた(?)ことによるのではないか、という疑念が生じてくる。
 2 小堀桂一郎「国際社会から見た大嘗祭」は君主・国王をもつ外国各国における<国家と宗教>の関係につき有益だ。
 但し、①折口信夫による「天皇霊」という概念を持ち出しての大嘗祭の性格づけ(p.157~)は不要ではないかと、素人ながら、感じた。第一義的には天皇・皇室自体が判断されることだが、皇祖・天照大神に新しい食物(その年の新しい収穫物による米飯)を捧げ、かつ新天皇も同じそれを食すること等によつて<一体化>をシンボライズする、天皇家と「日本」国家の「歴史」を継承するための<歴史的・伝統的な>儀礼なのではないか(不必要に「秘儀」化することもないだろう)。
 ②「宗教的」とは何か、とはまことに重要な問題だ(p.171)。あらためて、日本国憲法20条等がいう「宗教」あるいは「宗教活動」の厳密な意味を問いたい。小堀は西洋近代の「宗教」概念と「日本古来の祭儀儀礼…」は同じではない、キリスト教・イスラム教・仏教それぞれに特有の「宗教的」な面があるとしても「平均値をとってすむような、普遍的概念」としての「宗教的」なるものはない、と述べる(p.170-1)。これらは正鵠を射ている指摘だろう。
 宗教を、あるいは神道を(反「神道」意識→反<天皇制度>感情)、政治的闘いの道具にするな、あるいは社会的混乱を生じさせるための手段として使うなと、ある種の政治的活動団体に対しては、朝日新聞も含めて、言いたい。

0498/産経新聞5/08櫻井よしこ論考と佐伯啓思。

 産経新聞5/08櫻井よしこ「福田首相に申す」は、中国共産党のチベット人・ウイグル人弾圧・「文化の虐殺」が進行中だとしたあと、「近い将来、台湾制覇のため南進すると思われる」と書き、さらにつづけて「そうなれば、日本にとっても深刻な危機が到来する」とする。
 <異形の国家>・共産党独裁の中国は、まずは尖閣諸島を皮切りに沖縄諸島から始めて、日本列島全域を支配することを狙っているものと思われる。太平洋(の軍事管理)を米国と中国で東西に二分しようと中国要人が米国人に発言したとかの報道(氏名・役職等の詳細を確認しないままで記憶で書いている)も、上のことが全くの杞憂でないことを裏付ける。
 となると、日本は中華人民共和国日本州となり日本人は日本「人」ではなく日本(大和?、倭?)「族」と称されるのだろう。中国の一部とされなくとも旧ソ連と旧東欧との関係の如く、中国の<傀儡>政権(日本共産党が存続していれば参加?)のある実質的な<属国>になる可能性もある。
 そうなれば、―最近、伊勢神宮等の神社・神道のことについて書く機会が増えたが―伊勢の神宮を含めた、神社という「日本的な」ものは、―チベットの仏教施設がそうなっていると報道されているように―すべて又は殆ど破壊され、解体されてしまう可能性もある。日本全国から、根こそぎ、「神社」(お宮さん)が破壊され、なくなってしまった日本という地域は、もはや「日本」ではないだろう。同様のことは日本仏教・寺院についても言える。
 上のことが全く杞憂とは言えないのは、1945年の占領開始の頃に、主だったいくつかの神社を除く多数の神社はすべて潰される(物理的にも破壊される、又は自ら破壊しなければならない)のではないかとの危惧と<覚悟>を神社関係者はもった、ということを最近何かで読んだことでも分かる。幸い、GHQは、神社・神道があったからこそ戦争が開始された、とは理解しなかったので<助かった>ようなのだが。
 ところで、櫻井よしこは、福田首相が「念頭に置くべき」なのは、「異民族も含めた中国の人々、そして国際社会に向かって、いかなる普遍的価値観に基づいた言葉を発することができるか」という点だ、とも主張している。
 ここでの「普遍的価値観」とは生命を含む<人権>の尊重、信教の「自由」の保障を含んでいるだろう(民族の自決権は?)。
 かかる「普遍的価値観」はアメリカのそれであり、<左翼>価値観だとして日本の保守派がそれを主張するのは<奇妙な光景だ>と言ったのが佐伯啓思だった。前回言及した、佐伯啓思・学問の力(NTT出版)でも同旨のことが述べられているようだ(p.164~)。だが、アメリカの独立と統一(連邦化)を支えた思想がフランス革命の際の「左翼的革命思想に近い」(p.164)と言えるのかなお吟味が必要だと感じるし、それよりも、戦略的に(本当に「普遍的」かは厳密には怪しいだろうことは認めるが)「普遍的価値観」なるものに基づき中国(・胡錦涛)に対して発言することは当然でありかつすべきことで、少なくとも批判・揶揄されることではあるまい、と考えるが、いかがなものだろう。

0496/幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か-再述。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11、伊勢神宮崇敬会叢書1)に言及した昨日同時刻の書き込みには、この本の文章の位置づけ等に関して一部不正確なところがあった。第二の方に関係する。
 神鏡は伊勢神宮に在り、それは天皇(家)の私有財産であることを「前提として」とこの書の一部を引用したが、「神宮制度是正問題」(p.13~)を読んでいて、「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」との感想・疑問・主張は、昭和32年度に発生した「神宮制度是正問題」の当初の頃のものだと判った。順番は逆で、このような問いかけの結果、独立後8年以上も経って!、神鏡は「皇位」とともに存在する、天皇の(私有)財産であることを政府が認めた、のだった。
 そしてまた、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」というのもその当時の当初の態度で、下記のとおり、国会での正式な回答を池田勇人内閣が行っている。
 上記書のうち「神宮制度是正問題」(p.13~)の本文はこの問題の経緯概要をまとめた14頁半で、計63頁のうち48頁半は<関係資料>の掲載に充てられている。
 まず上の感想・疑問・主張に該当する国会議員(三重県選出・浜地民平)の質問書(1960.10.8)は要約すると以下のとおり(p.59~p.60)。
 ①伊勢神宮に「奉祀」されている神鏡は天皇と宗教法人のいずれの所有か、が曖昧では困る。「天皇の御位と不可分の関係」にあると信じるが政府の解釈いかん。
 ②「天皇の御鏡」だとすると神宮が「お預かりする」状態だが、法的には「お預かりする」とはいかなる関係か(「寄託」との学説もある)。
 ③どう法的に解しようと伊勢神宮が「お預かり」していることに間違いない。とすると、政府は「神宮当局者に対して、心得なり条件なりを明示しておくべきだと思う」が、いかに考えるか。
 この質問書に対して、当時の首相・池田勇人は答弁書を作成した(1960.10.24官報号外・衆議院会議録)。ここで示された理解が、おそらく今日まで生きているものと思われる。やや長くなるかもしれないが、できるだけ引用しておく(p.61-62、①~③は上に対応する)。
 ①「伊勢の神宮に奉祀されている神鏡は、皇祖が皇孫にお授けになった八咫鏡であって、…五十鈴川上に奉祀せしめられた沿革を有するものであって、天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである。したがって、皇室経済法第七条の規定にいう『皇位とともに伝わるべき由緒ある物』として、皇居内に奉安されている形式の宝鏡とともに、その御本体である伊勢の神鏡も、皇位とともに伝わるものと解すべきであると思う」。
 ②「伊勢の神鏡は、その起源、沿革等にかんがみ神宮にその所有権があると解し得ないことは明らかであると思う」が、「民法上の寄託等」と解するかどうかは「なお慎重に検討を要する」。「要するに、神宮がその御本質を無視して、自由に処置するごときのできない特殊な御存在だと思う」。
 ③「神鏡の御本質、沿革等については、神宮当局の十分承知しているところであり、神宮は、従来その歴史的伝統を尊重してきたが、新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている次第もあり、現状において特にあらためて心得等を指示される必要はないと思う」。
 さて、第一に、かかる政府見解が、1945年の<神道指令>以降ほぼ15年、主権回復後8年以上を経てようやく出されていること自体が、まず驚くべきことだろう。何とも曖昧な状態のまま、よくぞ10数年も持ちこたえたものだと妙に感心しさえする。
 第二に、天皇の財産を伊勢の神宮が「お預かり」していることの根拠、神宮に格別の「心得等」を指示する必要のないことの根拠を、政府自体が、「神鏡」の「本質」・「起源、沿革等」という歴史的・伝統的なものに求めている、ということに注目したい。なぜ伊勢の神宮が?と「合理的(理性的)」な問いを発しても無駄なのだ。<古(いにしえ)からそうなっている>としか答えようがないものと思われる。
 第三に、「新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている」ということを、政府が公的に確認していることも重要だ。
 第四に、上の政府見解(1960年池田見解)は、「神鏡」の所有権の帰属、その<管理>の仕方に関するもので、神宮での<祭祀>、それと密接に関係する皇居内での<祭祀>の法的性格や費用負担の問題に触れるものではないことを確認しておく必要があるだろう。
 上に第三点として述べたことの反復だが、政府も「新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている」ことを知っており、かつ肯定している、と言ってよい。しかるに、この「連絡協議」にかかわる天皇・皇族の行為の<性格>はいったいいかなるものなのか? 現在の実務ではすべて「私的」行為として扱っているのだろうが、<奇妙>に思えることは既に何度も書いた。
 が、いずれにせよ、伊勢の神宮が、天皇(・皇室)との関係において、神社の中でも<特別の>位置を占めていることは明らかだ。その神宮を一私的法人(宗教法人)としてしか観念できないのは、天皇(・皇室)の神宮への行為を「私的」行為としてしか捉えないことの延長にある。そしてまた、憲法上採用されている<天皇制度>はかくも厳格に天皇(・皇室)の「公」的地位・「公」的立場と神道・神宮等にかかわる「私的」行為とを峻別することを要求されなければならないのか、そのような憲法解釈は憲法第一章を憲法20条に一方的に従属させるもので、<総合的で合理的な憲法解釈>とは言えないのではないか、との疑問が(すでに書いているが)生じる。
 ついでに、資料中に載っている(p.32-33)、昭和20年7月31日の「木戸日記」の中に見える昭和天皇の発言も興味深いものがある。
 木戸によると、上の月日に昭和天皇は「大要」次のように語られた、という(カタカナをひらがなに変えている)。
 <伊勢大神宮のことは、誠に重大なことと思ひ、種々考えていたが、伊勢と熱田の神器は、結局自分の身近に御移して、御守りするのが一番よいと思ふ。(中略)度々御移するのも如何かと思ふ故、信州の方へ御移することの心組で、考えてはどうかと思ふ。(中略)万一の場合には、自分が御守りして、運命を共にする外ないと思ふ。
 昭和20年7月31日という<時期>が正確に理解できないとこの発言の正確な趣旨も理解できないだろうが、昭和天皇が連綿と継承されてきた「伊勢と熱田の神器」のことを深く憂慮し
、「自分の身近に御移して、御守りする」意向を示していたことは明らかだ。
 
「万一の場合には、自分が御守りして、運命を共ににする外ないと思ふ。」における「万一の場合」はいろいろに想像できる。いずれにせよ、そのように「伊勢と熱田の神器」について語っていた昭和天皇にもつながる<天皇制度>自体は、現憲法のもとでも解体・廃止されておらず、「世襲」との(血統に意味を認め平等原則とも矛盾する)<不合理な(非理性的な)>言葉も憲法に明記されつつ、現に存続していることに留意しておく必要があろう。
 なお、幡掛正浩は、執筆当時、伊勢神宮崇敬会理事長。昭和32年頃は「さんざんに東京と伊勢で二挺櫓を漕がされ、くたくたになって敗退した〔神社本庁の?〕庶務課長」だった、という(p.9)。園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)は多数の関係文献を巻末に掲載しているが、この幡掛の本を記載していないのは、些か不思議だ。 

0494/日本にとって伊勢神宮とは何か。三種の神器が私(宗教)法人に在ってよいのか。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11)という計80頁の小さな本がある。「はしがき」実質3頁、「日本国家にとって『神宮』とは何か」実質5頁、「神宮制度是正問題」実質63頁、「あとがき」実質3頁。
 最も長い「神宮制度是正問題」を未読だが、その前の書名と同名の章の中に、私にはすでに刺激的な文章がある。
 第一。そもそも「式年遷宮」について、日本国民の何%が知っているだろうか。若い世代ほど知らないに違いない。かく言う私もいつ知ったのかを書くことが憚られる。
 上の本p.6-7は前回・1993年の「式年遷宮」のうち内宮の遷御について書く。-「実況をするのは三重テレビだけで、NHKほか民放はニュースですませ、実況を映すのは、…消灯した十一時台だという。/…これでは国民的関心といふ点からは『無視』に近い――と言えば言ひ過ぎだろうか」。
 (伊勢)神宮の「式年遷宮」は一宗教法人(一私人)の行為で長時間の生中継などすれば<政教分離原則>に反して公平でないし、また神道以外の宗教関係者や「左翼」的立場から天皇制度(と伊勢神宮の関係)に批判的な者たちからのクレームが多数寄せられそうだ、というようなマスコミ(・テレビ)関係者の<思考>・<思惑>を推測することができる。
 だが、伊勢神宮の「式年遷宮」は一宗教法人の「私的」行為なのか? いつぞやも書いたように正確には天皇(・皇室)の祭祀行為の一つと考えられ、少なくとも天皇(・皇室)と密接不可分の行事(祭事)であることは明らかだ。そして、現憲法上も、天皇は「日本国」と「日本国民統合」の<象徴>ではないのか。とすると、一宗教法人の「私的」行為の如き扱いをするのは決定的に間違っているのではないのか、という問題関心が再び強く蘇ってくる。
 第二。既述のことだが、三種の神器のうち「鏡」(宝鏡・神鏡)の本体(本物)は伊勢神宮に存置されている(「剣」は熱田神宮)。そして、これも園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)に主として即して既に記したが、皇室経済法により、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の代表的又は最も貴重な?物として、三種の神器は天皇(家)の「私物」=「私有財産」とされている。
 これらを前提として、上の本p.8-9は以下の旨を書く。-そのような貴重な天皇(家)の財産の一つを、伊勢神宮という一宗教法人に<預けて>よいのか? より正確に引用すると-「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」。
 たしかにこれはもっともな感想・疑問・主張だ。基本的な問題の出発点は、<天皇制度>と密接不可分の神道が他の宗教と同レベルの<宗教>と見なされつつ、一方で憲法上も<天皇制度>は厳としてなお存続している、ということにある。
 なお、上の問いを伊勢神宮・式年遷宮奉賛会・神社本庁の三者名義で宮内庁に正式に発しようとしたところ、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」という(p.9)。この本は初版が1995年だが、現在の2008年でも、問題は何ら解決・改善されておらず、宮内庁の態度も上のようなものではないかと推察される。
 このような状態でよいのか。憲法学者の殆どが、現在の自衛隊の装備・「戦力」や東アジアの軍事情勢を知らないままで憲法九条を論じているように、憲法学者の殆どは、天皇(・皇室)と伊勢神宮(等)との間の密接不可分さの歴史・現況の詳細を知らないままで、憲法20条・政教分離を論じているのではないか。
 次回の式年遷宮は2013年であと5年後。鎮地祭(一般の地鎮祭にあたるもの)が行われた、という小さな記事が載っているのを、産経新聞では見た。

0493/チベット(人)問題と日本の「左翼」団体-中国共産党による恫喝と供応?

 伊勢神宮式年遷宮広報本部・日本の源郷-伊勢神宮(2007.07)p.22には、2003年(平成15年)11月4日にチベットのダライ・ラマ法王が伊勢神宮を(玉垣内に入って)参拝する様子の写真が掲載されている。また、仏教徒であっても「日本の神道の聖地」・伊勢神宮を参拝させていただいた、「神宮の美しい自然とそれを維持する人々の態度、神宮の平和的な環境は素晴らしい…」との法王の言葉も載せている。
 西村幸祐責任編集・チベット大虐殺の真実(撃論ムック/オークラ出版、2008.05)にも、昨2007年11月にダライ・ラマ法王が伊勢神宮を参拝したときの写真が付いている。キャプションにあるように、こうしたダライ・ラマの伊勢神宮参拝を報道した日本のマスコミはあったのだろうか?(なお、これら二つは同期日のもので、どちらかの年の記載が誤っている可能性がある。)
 ところで、諸君!6月号(文藝春秋)の佐々木俊尚「ネット論壇時評」(p.262~)によると、以下のとおり。
 左翼系のメーリングリストとして著名なAML(オルタナティブ運動メーリングリスト)の中で、弁護士・河内謙策は3/19に「チベット問題を、なぜ取り組まないのか!」と題して次のように書いた。
 「日本では、なぜかチベット問題を、多くの平和運動団体がとりあげようとしていません。全労連、日本平和委員会、憲法会議、自由法曹団、連合、全労協、原水協、原水禁、許すな!憲法改悪阻止市民連合会、九条の会、ピースボート、平和フォーラム、ピープルズプラン研究所という日本の平和運動の代表的な13のサイトを見ても、現時点では、その…1頁目にチベットのチの字もありません」(p.264)。
 なお、少なくとも最初の4つと原水協は日本共産党系の団体だ。
 チベット人問題に関して、日本の<左翼>が沈黙しがちであることに対してはすでに多くの批判的指摘がある。月刊WiLL6月号山際澄夫「恥を知れ!沈黙の朝日文化人」(p.256~)もそうだし、上記の西村幸祐責任編集・チベット大虐殺の真実(撃論ムック)の中宮崇「チベット侵略を擁護する反日マスコミ『悪の枢軸』」(p.104~)は、NHK、TBSのニュース23、朝日系の報道ステイション等のテレビ・メディアを対象にする。同書の野村旗守「日本の人権団体は黙ったままか」(p.158-)は、日本ペンクラブ・日本国民救援会・自由法曹団・日本ジャーナリスト会議等を批判している。
 ダブル・スタンダードとはもう全く新鮮な言葉ではない(彼ら「左翼」には当然の、染みついた感覚なのだ)。興味深く思うのは、上に出てくる団体のうち九条の会(映画人九条の会)・日本ジャーナリスト会議は、映画「靖国」の上映を妨害したとして(政治的圧力をかけたとして)稲田朋美に対して抗議文を送った団体だ、ということだ。直接には九条・「平和」に関係がなさそうな事案には(とくに朝日新聞のガセ=捏造報道を信じて)すみやかに抗議文を送りつけておいて、一方では「平和」(と人権)に直接かつ現実的に関係しているチベット(人)問題には3/19の時点で(今回の「弾圧」は3/10~)何ら反応していないとは?!!
 九条の会(映画人九条の会)・日本ジャーナリスト会議の(たぶん事務局を握っている者たちの)おサトが知れる、とはこのことだろう。
 なぜ、<左翼>はチベット(人)に冷たく、中国(中国共産党)に甘いのか。上の佐々木俊尚論考によると、弁護士・河内謙策の「苦言」に対しては3種の反応があり、一つは、<日本はかつて中国に悪いことをしたから、大きなことを言えない。日本自身の過去の真摯な反省が必要>との旨だったとか。これは、しかし、北朝鮮による拉致をかつての戦時中の朝鮮人「強制連行」によって<相殺>しようとした辻元清美の議論と同様の詭弁だ。日本の<左翼>平和諸団体自身は<真摯に反省しているなら>良心の咎めを感じることなく堂々と<侵略>と<人権侵害>を批判すればいいではないか。日本「国家」や政府に<真摯な反省>が足りないから、という理屈も成り立たない。これらの団体は「国家」・政府からの「自由」・自立をこそ謳っている筈で、日本国・政府をこの場合に持ち出すのは卑劣であり「甘えて」いる。
 やはり第一に、社会主義・共産主義<幻想>がまだ残っていると思われる。上記のような団体の、とくに幹部活動家たちは、今なお、日本よりも中国共産党に親しみを感じるのではなかろうか。日本共産党の不破哲三は社会主義・中国の「経済的発展」をいたく喜び、さらなる発展・成長を期待していたし、立花隆は、はっきり言って<まんがチック>だが、先年の反日暴動を日本の60年安保の時期の「ナショナリズム」高揚になぞらえ、北京五輪開催を日本の東京五輪開催の時代に相応するものと捉えていた(北京五輪後にさらに中国は経済成長し、世界の「経済」大国にもなる、と彼は予想する!)。
 第二に、<幻想>・<憧れ>というよりもむしろ逆に、中国、正確には中国共産党が<怖い>のではなかろうか。将来において日本が中華人民共和国日本省となり日本人が日本(大和)「族」と呼ばれるようになる日のくることを想定して今から忠誠に励んでおく、という人は少ないかもしれないが、ひょっとすればいるかもしれない。また、中国共産党は日本国内にも当然にそのネットワークを持っているので、有形・無形の「圧力」を受けている可能性はある。
 さらに、「政治謀略」朝日新聞や朝日系文化人・知識人の中には、中国での歓待等の「供応」によって、中国に対して厳しいことを言えなくなるメンタリティを形成されてしまった者がいるに違いない本多勝一は南京大虐殺記念館から特別功労章を貰った。大江健三郎は中国で歓待付きの「講演」旅行をした。立花隆は北京大学で「講義」をさせてもらった。こうした<親中国日本人>養成を中国共産党は系統的に行っているように見える。そして中には、中国共産党に<弱味を握られた>朝日新聞関係者や朝日系文化人・知識人もきっといるだろう。
 このブログがターゲットにされることはないだろうが、中国、中国共産党、マルクス主義(を標榜する)者は、真実の意味で、<怖い>。むろんマスメディアがそれに屈すれば、政治謀略新聞・朝日の若宮啓文が好んで自己規定する「ジャーナリスト」ではもはやない。

0492/天皇の祭祀行為は宮中や宮中三殿に限られない。

 伊勢神宮式年遷宮広報本部・日本の源郷-伊勢神宮(2007.07)という計22頁の小冊子のp.3の冒頭の言葉は次のとおり。
 「神宮のおまつりは天皇陛下の祭祀です」。こうまで明記してあるのはむしろ珍しいように思う。
 既述だが、式年遷宮の準備に今上天皇陛下の「聴許」があったことを宮内庁長官が(伊勢)神宮に公文書で伝えたり、<勅祭社>という、天皇(・皇室)の「勅使」が祭祀者(祭祀主宰者)となるとみられる神社(・大社・神宮)があることも、少なくともいくつかの重要な祭祀は個々の神社(・大社・神宮)ではなく天皇(・皇室)自身の行為であることを示しているだろう。
 また、かりに天皇(・皇室)が形式的には祭祀者(祭祀主宰者)にならなくとも、皇祖・天照皇大神を祀り国家(・国民)の弥栄を祈る神社等の祭祀は、天皇(・皇室)に「代わって」行われている、という性格・位置づけのものも多くあると考えられる。
 以上で言いたいのは、天皇(・皇室)の祭祀は宮中でのみ行われるのではない、ということだ。
 また、皇居での祭祀は「宮中三殿」で行われるものに限らない。例えば、皇居内には稲を栽培・耕作する「御田」があるようであり、天皇陛下ご自身がそこでの稲作にかかわり、その「御初穂」は、伊勢神宮の「御正宮」の「玉垣」(唯一神明造の正殿を囲む板塀のことと推察される)に懸けられる(上記小冊子p.4-「懸税」というらしい)。
 ここで言いたいのは、皇居内での祭祀は「宮中三殿」という意味での「宮中」祭祀に限られない、ということだ。
 原武史は<宮中祭祀廃止>を(主観的には皇室のために?)主張しているようだが、天皇(・皇室)に関する本を数冊も書いているなら、以上のことくらいは知っているだろう。しかして、<宮中祭祀>の廃止だけで問題は解決するのか? 皇居以外で行われ続けている天皇(・皇室)主宰の祭祀はいったいどうなるのか? どのようにすべきと考えているのか? 東京=皇居で行われる祭祀は「宮中三殿」以外の場所で行われるものもあるが、<宮中祭祀廃止>論はそれらをどう考えているのか?
 簡単にあるいは単純に<宮中祭祀廃止>を主張できないのではないか。簡単・単純な<天皇制度>解体論者でないかぎりは。
 なお、伊勢神宮での祭祀が「天皇陛下の祭祀」だとして、そのような行為もまた、現行法制上は天皇の<私的行為>とされる。(神道も<宗教>だとかりにして、の話だが)宗教的性格を帯びている物・施設の所有権が天皇(・皇室)にある=天皇(・皇室)の「私有財産」とされているのと同じく、<宗教>性を帯びていれば全て<私的行為>とされているのだ。
 既述のように奇妙だと思うが、園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)等を素材にして、遅れているが別の回で、天皇(・皇室)の「行為」について整理しておくつもりだ。

0482/長部日出雄の「神道」論(諸君!5月号)と石原慎太郎「伊勢の永遠性」。

 昨年10月に、長部日出雄・邦画の昭和史(新潮新書、2007.07)p.33-34が、60年安保闘争については「否定論」が「圧倒的に多いだろう」が、自分は、<あの…未曾有の大衆行動の広がりと高まりが、…憲法改正と本格的な再軍備を…無理だ、という判断を日米双方の政府に固めさせ、…ベトナム戦争にわが国が直接的に介入するのを防ぎ止めた>と考える、と書いていることを紹介して、批判的にコメントした。
 したがって、長部日出雄という人は単純素朴で政治をあまり判っていないと感じたのだが、60年安保闘争絡みではなく、神道・「カミ」に関しては、諸君!5月号(文藝春秋)の「作家が読む『古事記』/最終回」で共感できることを書いている。
 長部は本居宣長の叙述を肯定的に引用している。別の誰かの本(井沢元彦?)でも読んだ気がするが、宣長によると、日本の「迦微(カミ)」とは「天地のもろもろの神をはじめ…尋常でないすぐれた徳があって、可畏き(かしこき)ものの総称」だ。そして、宣長は「小さな人智で測り知れ」ない「迦微(カミ)」はただ「可畏きを畏(カシコ)みてぞあるべき」と書いた、という(p.226-7)。
 そして、長部は、「物のあわれを知らない」「心なき人」が増えたことと、上のような「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念を失ってしまった」ことが、「いまの日本がおかしくなっている」原因だ旨を記している(p.227)。
 他にも共感できる叙述はあるが省略。「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念」を年少者に教育するのはどうすればよいのかと考えるとハタと困るが、<宗教>教育的あるいは<道徳>・<情操>教育的なものが公教育でも何らかの形で必要だろう。長部が自らの経験を語るような<集落の神社の森や境内>に接する機会が多くの子どもたちにあるとよいのだが(私には幸いまだあった)。
 なお、長部のこの論稿は、GHQの1945.12.15<神道指令>の正式名称と七項目の(おそらく)全文を掲載している(p.229-230)。そして長部は言う。-<寛容・融通無碍な信仰心の日本人は「神道指令」を「宗教弾圧」だとは「まるで考えもしなかった」。「神道指令」は「日本人の草の根の信仰心」を「根こそぎにした」。>
 石原慎太郎「伊勢の永遠性」日本の古社・伊勢神宮(淡交社、2003)は、「悠遠」を感じ体現しようとするのは人間だけで「伊勢」神宮はその象徴だ、旨から始めて、途中では、「人間はどのように強い意思や独善の発想を抱こうとも、結局、絶対に自然を超えることはできないし、そう知るが故にも…自然を畏敬することが出来る」等と書いている。
 こういう、神道あるいは(伊勢)神宮に関する文章を読むのは精神衛生にもなかなかよいものだ。狂信的に<保守>・<反左翼>を叫ぶのではなく、じっくりと構える他はない-それが<保守主義>であって<保守革命>などの語は概念矛盾だろう-というような想いもまた湧いてくる。

0480/天皇・神道・政教分離-つづき4。

 皇室・神道・政教分離の関係の問題(・現況)のいくつかにつき、以下、園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007)による。園部逸夫(1929~)は元大学(法学部)教授・下級裁判所裁判官・大学教授・最高裁裁判官・大学教授といった経歴で、女系天皇容認の旨の<皇室典範有識者会議>の重要メンバーだったことで評判を悪くした面はあるが、皇室にかかわる現行(法)制度の説明や関係議論・学説の整理という点では少なくとも信頼できると考えられる。
 〇皇室の「財産」 敗戦前又は新憲法以前には天皇(・皇族)は皇居も含めて広く<私有財産>を有していたようだが、GHQの方針や新憲法施行の結果、天皇(・皇室)の①「公的活動」にかかわる財産や②「生活」にかかわる財産、③「皇室とともに伝えられてきた」財産はほとんど国有財産とされる。より正確には、国有財産は「行政財産」と「普通財産」に二分されるが、前者「行政財産」の一種としての「皇室用財産」として、天皇・皇室の利用に供されている(国有財産法による。「行政財産」には他に「公共用財産」・「公用財産」等の種別がある)。
 園部によると、①・②として皇居・御所・御用邸・御用地があり、「宮殿」は①に、「京都御所、桂離宮・修学院離宮、正倉院、陵墓」等は③に位置づけられる。天皇・皇室の利用の仕方に制限がない、という訳ではもちろん、ない。
 一方、天皇又は皇族の「純然たる私産」がなおある。①「ご由緒物」と②「お身の廻り品」だ(他に③現金もある)。前者の①に、「三種の神器、壺切りの御剣、宮中三殿、東山御文庫、皇后陛下のの宝冠類、…ご肖像画、屏風類」等がある。処分(とくに①についてだろう)には憲法8条による法的制約がある(以上、園部p.277-281、p.274)。
 ここでコメントを挿む。「三種の神器」と「宮中三殿」、とくに後者が天皇(等?)の<私有財産>とされていることは重要なポイントだ。「宮中三殿」の三殿の再述はしないが、いずれも<ご神体>が存置された<祭祀>の場所だ。そしてこれが国有財産(>皇室用財産)とされていないのは、その<宗教的>性格によるものと推察される(園部による明記はない)。政教分離原則により、神道(という<宗教>)関係施設を直接に国有にはできない、ということなのだろう。
 だが、仔細は知らないが、皇居の中に、そして「宮殿」の内部又は直近に「宮中三殿」はある筈だ(だからこそ「宮中…」と称するのだろう)。だとすれば、国有財産に囲まれて、それに保護されるように天皇(等?)の<私有財産>があることになる。
 さらに厳密に考えると「宮中三殿」の敷地(土地)は国有財産なのか「私産」なのか不明なのだが、敷地(土地)も<私有財産>だとすると、そのような<宗教用>の土地が戦後に天皇(・皇室)に無償で払い下げられたことになるが、それは特定の<宗教>を優遇したことにならないのか?
 また、「宮中三殿」の敷地(土地)は国有財産で建造物(上物)だけが<私有財産>なのだとすると、天皇(・皇室)は何らかの権原がなければその敷地(土地)を利用できない筈で、国有財産たる土地を無償で利用できる権利(無償の借地権(賃借権又は地上権))??、それとも国有財産の「占用(又は使用)許可」??)が国から付与されていることになる。その利用が<宗教>儀礼(=祭祀)だとすると、そのような優遇は、やはり特定の<宗教>を優遇していることになり、政教分離原則に反しないのか?
 <大ウソ>が基本にあると<細かなウソ>に分解されていくもので、「宮中三殿」(かりに建造物だけでも)は天皇(・皇室)の私有財産だと割り切ることによって、政教分離原則との抵触をすっきりと回避できるとは、とても考えられない。やはり、現憲法では国家・国民統合の象徴とされる天皇(・皇室)が歴史的・伝統的に10数世紀を超えて長らく行ってきた祭祀のための施設だ、という点を考慮し、強調しないかぎりは、圧倒的に広い国有財産たる区域の中に私有財産の存在を認める根拠を、あるいは(土地も国有財産の場合は)国有財産たる土地を「特権」的に利用して、その上に建つ<宗教>施設で祭祀を行えることの根拠を、説明できないのではないか。
 どこかにウソ(あるいは「無理」)がある。現行の制度・考え方はどこか奇妙だ、と感じるのだが…。なおも、別の回に続ける。<4/28に一部加筆・修正した。>

0477/日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-2。

 藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書、1991)の藤谷執筆部分によると、1950年代末から、伊勢神宮の<国家的保護>を求める動きが「神宮関係者や神職を中心とする保守的勢力」から起こり、「〔伊勢〕神宮国有化論」まで出てきたという。
 藤谷自身が「伝えられている」とか「いわれている」とか書いているのだから、どの程度の信憑性があるのか疑えないこともないが、「神宮国有化論」者の論点は次の二点にあると「いわれている」、らしい。
 ①「伊勢神宮は天皇の祖先をまつる神社」で、「皇室・国家と不可分」だから、少なくとも「天皇祭祀に必要な神殿や、敷地は国有とすべき」。
 ②「天皇の神宮に対する祭祀は私事」とされているが、「国家の象徴としての天皇の行為」で、「国家の公事としてみとめるべき」。
 ここでの「天皇の神宮に対する祭祀」とは何を意味するのか必ずしも明瞭でないが、伊勢神宮による祭祀への援助や天皇(・皇室)又はその代理者(勅使)が主宰者となる伊勢神宮での祭祀のことだろう。
 以上の二点は、「国有化」に直結する論拠に当然になるかは別としても、しごく当然の問題提起だ、と考えられる。
 (皇居内の「天皇祭祀に必要な神殿」・「敷地」の所有者は誰かは、別の回に記述する。)
 この欄でいく度か書いたように、伊勢神宮が天皇(・皇室)(のとくに「祭祀」)と不可分で天皇もまた国家と不可分(少なくとも「日本国の象徴」)だとすれば、伊勢神宮という一宗教法人の「私産」や天皇の「私的」行為と位置づけるのは奇妙であり、政教分離原則を意識するがゆえの「大ウソ」ではないかと思われる。
 だが、上の①・②を藤谷俊雄はつぎのように一蹴する。
 「まったく時代逆行の意見であることは、本書の読者には明らかなことと思う」(p.212)。
 「時代逆行」性が「明らか」だとは読者の一人となった私には思えないが。
 以上を叙述のほぼ最終的な主張としつつ、藤谷は以下のことをさらに付記している。
 1.「全知全能の神」があるならそれは「ただ一つ」でなければならず、「すべての人間を公平無私に愛する神」でなければならないのに、「特定の国家」・「民族」(・「種族」)だけを守る「神」は「未開人の神と大差ない」。「文化国家」の人々は「いいかげんに利己的な神信心〔ママ〕から目覚めていい」(p.212-3)。
 これはのちに「日本」と呼ばれるに至った地域に発生した「八百万の神々」があるという神道に対する厭味・批判なのだろう。だが、私は熱心な神道信者では全くないが、それでもバカバカしくて、反論する気にもなれない。この藤谷という人は、<宗教>をまるで理解できていないのではないか。マルクス主義者=唯物論者なら当然かもしれない(なお、神道は本当に「宗教」の一つなのかという問題があることはすでに触れている)。
 2.「天皇がどのような宗教を信じようとも天皇の私事である」。だが、それを「公事として全国民におしつければ、国民の信教の自由が失われることは歴史のしめす」ところ。「明治以後の国家がおかした過誤」が再び「繰り返され」てはならない(p.213)。
 「天皇がどのような宗教を信じようとも天皇の私事である」とは、さすがに、かつての一時期には<天皇制打倒>を唱えた日本共産党の党員(又は少なくとも強い支持者)の言葉だ。天皇(・皇室)の<信仰の自由>という問題・論点も出てきそうだが、立ち入らない(歴史的・伝統的な諸種の祭祀が「神道」という<宗教>が付着したものならば、天皇(・皇室)には<信仰の自由>はない、<天皇制度>とはそもそもそういうもので、<基本的人権>の類の議論とは別次元の存在だ、と解するほかはないだろう、と考えられる)。
 上の点よりも、<神道>を「公事として全国民におしつけ」る、ということの正確な意味が解らないことの方が問題だ。<国家神道化>を意味するのだろうか。そして<神道>を「公事として全国民におしつけ」れば、「明治以後の国家がおかした過誤」を再び繰り返すことになる、という論理も随分と杜撰だ。
 <国家神道化>は必然的に、あるいは論理的に、<明治以後の国家の過誤>につながった、あるいは、その不可欠の原因になった、のだろうか。
 むろん「明治以後の国家がおかした過誤」というものの厳密な内容が書かれていないので、上の適否を正確に検証することは不可能だ。しかし、神道の(少なくとも)<公事>化が戦前日本の「過誤」につながるというという指摘は、歴史学者・研究者の認識・それにもとづく主張ではなく、<政治>活動家のアジ演説的叙述であることに間違いはなく、この書物は上の2.を書いて全体を終えている。
 以上、近日中の読書メモの一つ。 
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
アクセスカウンター