秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

経済・財政

0978/西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号)を読む②。

 西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号、ワック)から、のつづき。
 ・規制緩和あるいは「秩序からの解放とか、規制からの解放」→市場「活力」、というのは「エコノミストたちの…ひょっとすると戦後六十五年に及ぶ」大誤解だ。これは「戦後始まった歴史感覚乏しきアメリカニズム」の結果。「秩序を作る活力を持たずに、競争の活力がつくわけもない」(p.232-3)。
 -なるほど。だが、前回に紹介したように、西部邁によると規制と保護の間には<絶妙なバランス>が必要で、一方に偏してはいけないのだ。
 ・日本人が平成の22年余「毎日叫んでいた構造改革がもしも必要だとしても」、歴史を忘れた「合理主義」に舞い上がり、「抜本改革だ、構造改革だ、急進改革だ」などと叫んではいけない。このことは「保守思想の見つけ出した知恵」だ。

 -なるほど。だが「構造改革」一般を否認しているわけでもない。その具体的内容、規制と保護の間の<絶妙なバランス>の問題なのだろう。

 ・世代交代により戦前を知っていた、「歴史の知恵を少々は身につけていた」者たちが消え、敗戦後に育った世代が平成に入って以降、「一斉に各界の最前線に立ち改革を唱え始めた」。その「最大の犠牲者」でもあるのが「今の民主党にいる東大出の高級役人であり、弁護士であり、松下政経塾出身者であり、労働組合の幹部出身者たち」だ。その意味で民主党を「クソミソ」に言う気はない(p.234-5)。

 -戦前・戦中の実際を知っていて単純に<日本は(侵略戦争という)悪いことをした>のではないと実感として知っていた者たちがいなくなり(あるいはきわめて少なくなり)、占領下のいわゆるGHG史観・自虐史観の教育を受け、素朴に<平和と民主主義>教育を受けてきた世代が政界でも「最前線」に立つようになった。鳩山由紀夫、仙谷由人、菅直人、みんなそうだ。このほぼ<団塊の世代>は1930年代前半生まれの「特有の世代」の教師あるいは先輩によって、教育・指導されてきた。その結果が現在だ、という趣旨だと理解して、異論はない。

 なお、「東大出」ととくに指摘しているのは、月刊WiLL3月号の巻頭の中西輝政「日本を蝕む中国認識『四つの呪縛』」の一部(p.36、p.39)とも共通する。中西輝政は<団塊>世代に限定しておらず、固有名詞では、藤井裕久、与謝野馨、加藤紘一、谷垣禎一、仙谷由人らを挙げている。

 ・「民主党のような人間たちを作り出したのは、ほかならぬ戦後の日本」だ。月刊WiLL・週刊新潮・産経新聞に寄稿する「保守派のジャーナリストのように、単に民主党の悪口を言って」いて済むものではない(p.235)。

 -上の第一文はそのとおりで、そのような意味で、民主党内閣の誕生は戦後日本の<なれの果て>、あるいは戦後<平和と民主主義(・進歩主義・合理主義)>教育の成果だと思われる。従って、民主党政権の誕生は戦後日本の歴史の延長線上にあり、大きな<断絶(・「革命」)>をもたらしたものではない、というのが私の理解でもある。また、上の趣旨は、「民主党のような人間たち」のみならず、民主党を「支持した」人間たち、民主党政権誕生を「歓迎した」人間たちにもあてはまるだろう。そういう人々を「ほかならぬ戦後の日本」が作ってしまった。

 上の第二文はそこでの雑誌類に頻繁に登場する「保守派」論者たちへの皮肉だ。櫻井よしこを明らかに含んでいるだろう。渡部昇一佐伯啓思まで含めているのかどうか、このあたりにまで踏み込んでもらうと、もっと興味深かったが。
 ・民主党の「大、大、大挫折」は日本人が戦後65年間、「民族国民として、緩やかな集団自殺行為をやっていたことの見事なまでの証拠」だ(p.233)。
 -そのとおりだと思うが、この点を自覚・意識している者は、到底過半に達してはいない。

 ・今や「ほとんどすべての知識人が専門人」となり、「局所」・「小さな分野」にしか関心・知識のない人間が「膨大に生まれている」。新聞記者、雑誌記者、テレビマン、みんな「その手合い」で、民主党の醜態と併せて考えて、「ほとんど絶望的になる」(p.235)。
 -昨今の気持ちとほとんど同じだ。なんとまぁヒドい時代に生きている、という感覚を持っている。西部邁はこのあとで、退屈な老人にとって「絶望ほど面白いものはない」、「民主党さんありがとう」と言いたい、と書いているが、どの程度本気なのかどうか。一種のレトリック、諧謔だろう。ひどい時代を生きてきたし、生きている。マスメディアのみならず、「その手合い」に毒され、瞞されている有権者日本人に対しても、「ほとんど絶望的になる」。この欄にあれこれと書いてはいるが、ほとんど<暇つぶし>のようなものだ。あるいは、時代への嫌悪にじっと耐えて生きている証しのようなものだ。

0977/西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号)を読む。

 月刊WiLL3月号(ワック)の西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(p.226~)は、最近の西部邁のものの中では共感するところが多く、興味を惹く部分もある。

 例のごとく(?)、タイトルと内容は必ずしもきちんと対応していないし、小沢一郎論にもとりあえずは大きな関心はない。

 佐藤栄作首相の後が田中角栄ではなく福田赳夫であったなら、日本の政治・政界も現実とはかなり異なる歩みを持ったのではないか、①程度の違いかもしれないが、親中か反共かの考え方の違いが二人にはあった、②日本の国家財政の<借金>づけ体質の始まりは田中角栄内閣にあるのではないか、といった関心から、その田中角栄の系譜の小沢一郎を問題にすることはできる。

 また、1993年の小沢の自民党離党(「新生党」結成)こそが細川非自民内閣の誕生の機縁になり、反小沢か否かで自社さ連立(村山)政権もできたのだったから、今日までに至る政界の混乱(?)はそもそもが、小沢一郎という政治家の言動に起因する、と言える、と思われる。
 そのような意味では、たんに<政治とカネ>や現在の民主党の内紛といった小さな(?)問題の中に小沢一郎を位置づけてはいけないだろう。

 以上は余計な文章で、西部邁批判ではない。別に本格的に小沢一郎には触れたい(あまり気乗りのするテーマではないが)。

 上掲西部邁論考は小沢一郎への言及から始まる。その部分は省略して、以下は、共感するまたは興味を惹く西部の文章の引用または要約だ。
 ・民主党政権は、「一言で表せば」「マスコミ政権」だ。メディアと「それに踊らされた世論」の責任は大きい。小沢の「化けの皮すら見抜けない」経済界の責任も大きい(p.228-9)。

 -本来なら「国民」と「メディア」に責任をとらせて「彼らを残らず始末」すべし、とまで西部は言う。また、メディアの責任に関して、「朝日新聞系」のほか、「あろうことか、産経新聞や『文藝春秋』まで」流れに追随、と産経新聞等も批判している。民主党政権(2009総選挙、鳩山由紀夫首相)の発足に関して、産経新聞や「文藝春秋」がどういう論調だったのか定かな記憶はないが、ともあれ、この両者もメディアの一部として批判されていることも目を惹いた。
 ・市場における「競争と政府による保護」は「両方とも必要」で、問題はをどのようにして両者の「絶妙なバランスを取るか」だ。民主党は「自由競争」・「弱者保護」とはそれぞれ何かという「原則的な問題」を見極められずに混乱している。だが、民主党のみならず、「財界」、「お役人、学者、その他のインテリ」といった「昨日まで自由競争バンザイを唱えていた連中までもが、今日になってパタッと口を噤んでしまい、誰も言わなくる」という、社会全体の混乱だ(p.231)。

 -「小泉構造改革」は保守派においてどう評価され総括されているのか、という疑問は最近に述べたばかりだ。小泉首相によって自民党が300議席以上を獲得したこともあって、当時は、保守派の多数部分は「構造改革」を肯定または支持したのではなかったのか? 当時に、八木秀次中西輝政等々は何と言っていたのだろうと、何人かの当時の主張・理解を振り返ってみたい、と思っている。ともあれ、西部邁が指摘するように、「昨日まで自由競争バンザイを唱えていた連中までもが、今日になってパタッと口を噤んでしま」う、という現象はあるのではないか。「貧困」・「格差」拡大キャンペーンに負けている、と言えなくなくもないこの問題は、もう少し関心をもち続けたい。

 ・TPPの「関税撤廃への歩み」は「市場競争を至上命題とする弱肉強食も厭わぬ新自由主義が、まだ延命している証左」だ。「新自由主義」を語る「日本のインテリの連中」は自由主義の「新旧の区別」をつけていない。「日本では新自由主義が小泉改革時代に最高潮に達し、様々な社会問題を噴出させ」た。それを民主党が批判したのなら、「旧自由主義」を振り返るべきで、そうすれば、「子ども手当や、その他の福祉ばら撒き政策など」が出てくるはずはない。だが、「自由主義」を拾っては捨て、「またゴミ箱から拾ってくる」のが民主党政権の醜態だ(p.232)。

 -西部邁のこの部分を支持して引用したわけではない。西部意見として興味深い。もともと「新自由主義」批判は「旧自由主義」に戻れとの主張ではなく、<親社会主義>からの資本主義(社会)自体への批判であるような気がする。にもかかわらず、民主党政権が直接に「社会主義」政策を採ることはできず依然として資本主義(いずれにせよ「自由主義」)の枠内で経済政策を決定せざるをえないために、その諸政策は場当たり的で首尾一貫していないのだ、とも思われる。なお、「子ども手当て」は中川八洋らも指摘しているように、特定の<親社会主義「思想」>による(またはそれが加味された)ものだろう。

 このくらいにして、時間的余裕があれば、さらに続ける。

0975/小泉純一郞「構造改革」を<保守>はどう評価・総括しているのか。

 自民党・小泉純一郞内閣の時代、とりわけその「経済政策」は、<保守>派論者によってどのように評価され、総括されているのだろうか。あるいはどのように評価され、総括されるべきなのだろうか。この点について、<保守>派にきちんとした定見はあるのだろうか。
 2005年総選挙(小泉「郵政解散」選挙)で自民党が獲得した議席数に期待した<憲法改正>への期待は脆くも崩れ去り、議席数の政治的意味に浅はかにも?過大に期待してしまった<保守>派論者は反省すべきだろう。

 ここでの問題はそうした論点ではなく、<構造改革>とも称された、経済(・財政)政策の当否だ。

 佐伯啓思は基本的に消極的な評価をしていると思われる。
 例えば、佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010)の第四章「グローバル資本主義の帰結」では、小泉時代に限られないが、主としては<若者の労働環境>にかかわって、こんなことが書かれている(原論文は2009年03月)。

 「新自由主義的な経済政策…とりわけ日本の場合には、九〇年代の構造改革……」。「労働市場の規制緩和や能力主義が格差を生み、派遣やフリーターを生み出したことは間違いなく、この新自由主義、構造改革を改めて問題にするのは当然…」。「新自由主義の市場擁護論はあまりにもナイーブ…」(p.66)。

 「市場競争主義は…日本的経営を解体しようとした。しかし、今日の大不況は、市場中心主義の限界を露呈させ、雇用の安定と労働のモティベーションの集団的意義づけを柱とする日本型経営の再評価へと向かうであろう」(p.70)。

 郵政民営化に反対票を投じた、平沼赳夫とも近いようである城内実は、そのウェブサイトの「政策・理念」の中で、次のように書く。

 「行き過ぎた規制緩和や急激な競争原理が招いたのは、強い者だけが一人勝ちする弱肉強食の殺伐とした社会でした。急速に広がる格差社会、働いても働いても楽にならないワーキングプア。そういった社会問題の根源には、経済に対する政治の舵取りが密接に関係していることはいうまでもありません」。

 城内実は「新政策提言」の中ではこうも書いている。
 「自民党小泉政権下でとられてきた構造改革路線や新自由主義的政策は、郵政・医療・福祉など、国民の生活を支えてきた制度をことごとく破壊し、また、この時代に地方経済や地域共同体は経済的にも社会的にも崩壊の危機に陥ってしまいました。共助の精神に綿々と支えられてきたわが国の社会も、いまや自殺率で世界4位、相対貧困率で世界2位と、惨憺たる有様です。私は、このような結果をもたらした時代と政策をきっちりと総括し、根本的な見直しをしてまいります」。
 こうして見ると、<保守>派は「新自由主義」・「構造改革」に消極的な評価をしているようだ。2009年の<政権交代>は小泉・構造改革路線による<格差拡大>等々が原因のようでもある。
 だが、そのように<保守派>論者は、自民党自身も含めてもよいが、一致して総括しているのだろうか。明確にはこの問題について語っていない者も多いのではなかろうか。

 中川八洋も<保守>派論者だと思われるが、中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の第七章は英国のサッチャー「保守主義革命」を高く評価し、またハイエクやフリードマン(の理論の現代への適用)を支持する。その中で付随的に<小泉改革>にも次のように言及している。

 小泉純一郞は自民党の中で例外的に「ましな」政治家だったが、「中途半端」だったがゆえに「基本的にはまっとうであった、せっかくの小泉改革」はひっくり返された。
 「貧困」・「格差」キャンペーンは反自民党ムード作り(→自民党つぶし)に「実に絶大な効果」があった。しかし、「小泉構造改革」によって「貧困」・「格差」が拡大したというのは「出鱈目な因果関係のでっち上げ」でしかない。だが、自民党にはこのキャンペーンに対抗する能力はなく、そうしようとする「意識すら皆無」だった。

 日本での「貧困率の増大」・「悪性の格差社会」発生は主として次の三つの原因による。「小泉構造改革とは何の関係もない」。①過剰な社会保障政策(→勤勉さ・労働意欲の喪失・低下)、②「男女平等」政策による日本の労働市場の攪乱、一部での「低賃金化」の発生・その加速、③ハイエク、フリードマンらが批判する「最低賃金法の悪弊」(→最低賃金以下でもかまわないとする者からの労働機会の剥奪)。以上、p.249-251。

 はて、どのように理解し、総括しておくべきなのか。佐伯啓思や城内実も否定はしないように思われるが、「格差」増大等々は<小泉構造改革>のみを原因とするものではないだろう。また、議論が分かれうるのだろうが、はたして「新自由主義」とか「市場原理主義」といったものに単純に原因を求めて、理解し総括したつもりになってよいものかどうか。
 <新自由主義>を「悪」と評価するのは辻村みよ子ら<左翼>もほぼ一致して行っていることであり、それだけでは<保守>派の議論としては不十分なのではないか。こんなところにも、近年の<保守>論壇あるいは<保守>派の論者たちの議論にまどろこしさと不満を感じる原因の一つがある。 

0895/「親中・左翼」経済人=奥田碩、御手洗富士夫、小林洋太朗、北城恪太郎ら。

 西尾幹二「トヨタ・バッシングの教訓」同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010)(初出、月刊ボイス2010年5月号)は、主として、日本の経済人批判。
 西尾によると(p.55-56)、米国の「トヨタ・バッシング」にかかわる責任は新社長・豊田章男にはなく、元社長・会長、2002以降の初代日経連会長でもあった奥田碩にある。
 西尾は言う。奥田碩は「朝日新聞が『地球市民』という言葉をはやらせたように、永年にわたり『地球企業』などと歯の浮くような甘い概念を撒き散らして、トヨタ社内だけでなく日本社会にも相応に害毒を流していた」。
 そして、奥田には「『マッカーサー鎖国』に全身どっぷりひたっているくせに、自分だけは地球規模で開かれた国際人の指導者であるかのように思いなした自己錯覚」があり、それこそが今回の「自社損傷の破局」の真因だ。
 奥田碩はその著書等で、EUの市場統合を理想として、「国や地域」にとらわれず「東アジアの連携を強化」しつつ自力で(明治維新・戦後改革に次ぐ)「第三の開国」をする必要を説いた、という(p.52-53)。
 他に、「グローバル企業」キャノン社長・前経団連会長)の御手洗富士夫や、ゼロックス会長・小林陽太郎、日本IBMの北城恪太郎も俎上に乗せられている。
 上の後二者は、中華人民共和国を日米と大差のない<ふつう>の国と見なし、同国の反発を気にして、日本の首相の靖国参拝に反対した、という(p.38-39)。
 日本の戦後の学界(・大学関係者)、文筆家(・評論家)に「左翼」=<戦後の体制派>が多いことはよく知られたこと。これらを朝日新聞や岩波書店は支えており、ある面ではリードすらしている。日本の戦後のマスメディアの主流=体制派も「左翼」。
 以上のほか、最近何で読んだのだったか、<日本の行政官僚>もまた、進歩的・合理的な志向の「左翼」、少なくとも<何となく左翼>が多いようだ。その<売国>性は、外務省官僚については、つとに指摘されてきた。
 行政官僚も日本国憲法とその下での戦後の基本的な法律等を勉強して官僚になっているのだから、日本国憲法と民法・刑法等々の「価値観」を自然に身につけていることは想像に難くない。
 立ち入らないが基本的に同じことは司法官僚、ここでは「裁判官」についても言えると思われる。日本国憲法と民法(家族法を含む)・刑法・訴訟法等々の「価値観」を身につけた優等生である彼らが、少なくとも<何となく左翼>にならないはずがない。
 自民党に所属した宮沢喜一・河野洋平等を西尾幹二は<日本を壊した>者として挙げているが、谷垣禎一・現総裁は宮沢派を継承した党内<リベラル>派で、田母神俊雄<更迭>を何ら批判しないでむしろ田母神に苦言を呈した石原伸晃や、<日本国憲法のどこが悪いんだ!>と発言していた後藤田正純が目立っているようでは(他に河野の子息も中では目立っている)、自民党も少なくとも半分は「左翼」なのかもしれない(「左翼」の理解の仕方にもよる)。
 そして、経済人、あるいは財界人。この人たちも中国市場を重視し、<グローバル(企業)>化を目指しているぎりで、国籍を失った、ナショナリズムに批判的な、「左翼」となり果てているようだ。
 何度も書いてきて厭きもするが、日本はどうなるのだろう。企業のトップにある者たちも、会社の利益のために中国を堂々と批判できないようでは<自由経済>体制は守れるのか。かりに企業のトップにある者たちの多くも民主党に投票するのだとすれば、ゾッとする想像になる。
 西尾幹二は言う。-「経済が牙を持たない限り」=「経済が国家の権力意思を示す政治の表現にならない限り」、経済自身の維持を困難にする「隘路」に追い込まれる。このことに気づかないのが「経済は経済だけで自立していて勝手に翼を広げられると思っている人々」、奥田碩、御手洗富士夫、小林陽太郎、北城恪太郎らの「現代日本の経済人」だ(p.63)。

0871/寺社への拝観料・入山料等はどこへ?

 一 「日本宗教者平和協議会」という団体があるらしい。
 ウェブサイトによると、略称の「宗平協」は、「宗教者(信者・門信徒もふくめて)で、『宗教者の良心に基づき世界の平和と人類の幸福に寄与する』という目的に賛同する人であれば、誰でも参加することができ」るらしい。基本的には、個人加入の組織のようだ。
 同じく、その<主な活動>は以下だとされている。
 「①信教の自由と政教分離の確立
 靖国神社の閣僚公式参拝や国家護持の動きなど、権力による宗教統制・利用に反対し信教の自由を守る。 宗教の側からの政治権力の利用に反対し、政教分離の原則を訴える。
 ②核兵器の使用禁止と廃絶
 核兵器禁止の国際条約の締結を要求し、全ての核兵器の廃絶を求める。

 ③軍事基地の撤去と軍事条約の撤廃
 憲法違反の自衛隊に反対し、沖縄をはじめとする日本国内の米軍基地の撤去と日米安保条約の緒廃棄を求める。

 ④日本国憲法の擁護
日本国憲法を擁護し、平和・民主主義の原則を守り発展させる。

 ⑤環境の保全と回復
 「自然と共に生き、自然の中に生かされている」ことを自覚し、環境の破壊を許さず、保全と回復につとめる。

 ⑥宗教者の国際連帯の強化
 平和五原則に基づく国際友好をすすめ、平和のための宗教者の国際連帯と相互支援を前進させる。」

 これらのうち、とくに①~④は現在の日本共産党の主張と同じだ(または、それよりも率直だ)。③では、自衛隊を「憲法違反」と明記し、国内の「米軍基地の撤去」、「日米安保条約の廃棄」をはっはりと謳っている(「緒廃棄」は原文ママだが、「諸廃棄」でも意味は通じないので、「即時廃棄」の入力ミスだろうか)。

 この団体は、次のアピールを出している。
 「2000/08/31 防衛庁長官と東京都知事に「防災演習」についての抗議と要請
  2000/06/10 森首相の「国体」発言を厳しく糾弾する
  2000/05/16 森首相の「神の国」発言に断固抗議する。
  1999/07/01 盗聴法案(組織的犯罪対策法案)廃案を求めます
  1999/06/15 「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とする法制化に強く反対します。
  1999/05/25 新ガイドライン関連法案の強行採決に抗議する
  1999/04/20 NATOのユーゴ空爆を即時停止し、紛争当事者による平和交渉の再開と、関係諸国に平和的解決を要請する
 1999/01/06 中村法相の罷免と国会の解散を要求する」

 最も上の2000/08のものは「防衛庁・自衛隊と東京都」が予定する「平成一二年度自衛隊統合防災演習」は「防衛庁・自衛隊の統合幕僚会議議長の指揮の下に大量の自衛隊員を首都へ移動させるなど、治安出動のための演習といわざるをえない」とし、「治安維持を自衛隊に期待する石原東京都知事の発言や、新ガイドライン成立によるあらたな自衛隊の『治安出動』のための法『改正』を狙う政府・自民党の策動からも裏付けられ」ると述べる。

 その下の森首相発言への抗議も含めて、→
http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/apnisyu2.htm#bousai

 一番下の中村法相うんぬんは「去る四日、中村法相が法務省内での新年集会において、『日本人は、連合国からいただいた、国の交戦権は認めない、自衛もできない、軍隊ももてないような憲法を作られて、それが改正できないというなかでもがいている』と発言したことは、歴史の事実に反し、憲法に違反し人類の進歩に逆行し、憲法改悪、『有事』参戦への布石として重大な問題を孕んでおり、何よりも憲法遵守の義務を負う法務大臣の資質の欠落を露呈したものであり黙過することはできません」と始まる。そして、「わが国の憲法は連合国から試案を提示されましたが、戦争放棄はまさに幣原首相の独創であったことをマッカサー総司令官自身が認めています」と、面白い(?)ことも断定的に書いている。

 これも含めて、下の4つの全文は、→

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/ap-nisyu.html#naka

 機関紙「宗教と平和」というのを発行しているようで、そこに示された「日本宗教者平和協議会」の(事務所・事務局の)所在地は次のとおり。

 「〒113-0003 東京都文京区湯島3-37-12 TS第7ビル502号」

 二 「日本宗教者平和協議会への加盟および平和諸団体との提携協力」を規約上の「目的」の一つとする地域的団体の一つに「奈良宗教者平和協議会(略称・奈良宗平協)」というのがある。

 ウェブサイトによると、この団体は、日本宗教者平和協議会とは別に、以下のアピールを発している。

 「2003/12/09 憲法違反のイラクへの自衛隊派兵『基本計画』決定に抗議する
 2003/03/17 イラクへの武力行使に反対する
 1998/05/20 インドの核実験に抗議する
 1996/07/27 史実に反する『従軍慰安婦発言』を繰り返す奥野誠亮衆議院に抗議し、議員辞職を要求する
 1996/06/10 中国の核実験に抗議する
 1995/11/14 フランス・中国の核実験中止と核実験全面禁止条約の締結を求める
 1995/05 ~終戦・被爆五〇年にあたって~核廃絶を呼びかける奈良県宗教者のアピール
 1994/07/24 核兵器廃絶の先頭に立ち、日本国憲法の平和的民主的原則を遵守せよ。-村山首相への抗議と要請
 1993/10 小選挙区制の導入に反対するアピール」

 ・奈良市中心部より東北の般若寺(はんにゃじ)には「原爆の恐ろしさと平和の大切さを後世に伝えるため」の「平和の火」をともす「平和の塔」というのが建っている。

 ・奈良市中心部より東南の白毫寺(びゃくごうじ)の境内には、「奈良宗教者平和協議会」と書かれた木板が入口に掛かる建物がある。

 宗教法人としての寺院そのものではなくとも、この二つの寺院の代表者または有力者が「奈良宗平協」に加入している(そして有力な構成員である)ことは間違いない。

 実際にも、上掲のアピールの最上の<イラク派兵反対>は、「奈良宗教者平和協議会 代表理事 工藤良任(般若寺住職) 宮崎快堯(白毫寺住職)」という名義で出されている。→

http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/appeal.htm

 なお、上の二つの寺院はいずれも関西に25しかない、<関西花の寺二五カ所>の番所(札所)。

 三 大阪にも「大阪宗教者平和協議会」というのがあるらしい。

 「大阪宗平協ニュース」というのを発行していて、ウェブサイトによると、最新号は2009/11/24付。

 そのニュースには12/08の「第19回定期総会」と同日の記念講演(会)の案内が掲載されている。

 「民主党政権下での『反核平和』」とのテーマで講演する(した)のは中田進という人物で、同ニュースに記載の経歴によると、「1937年生まれ」の「関西勤労者教育教会講師」で、<学習の友社>や<新日本出版社>から本を出している。この二つの出版社は実質的には日本共産党とほとんど同一。

 「大阪宗平協」の事務所(事務局)は、同ニュースの発行元の記載によると、次のようだ。

 「大阪市東住吉区今川2-8-5 正念寺内」

 四 以上のようなことに加えて、「奈良宗平協」のウェブサイトからリンクを張っている諸団体等のうち「反核平和運動・被爆者団体・個人のHP」のトップ2つは「原水爆禁止日本協議会」と「日本被爆者団体協議会」であること、いくつかの県の「~平和委員会」も含まれていること、その他の「団体」のうちトップは「自由法曹団」であること、等を加味しても、「宗教者平和協議会(宗平協)」という団体は明確に日本共産党系だ。

 より正確にいえば、日本共産党員が宗教法人内に<フラクション>を形成して活動している、というのがむしろ実態に近いかもしれない。
 代表者・有力者がこの「宗教者平和協議会(宗平協)」に加入しているような寺社への拝観料・入山料等々は、いったいどこに消えるのか、何のために使われるのか。警戒しておいても悪くはない。

0828/鳩山由紀夫「私の政治哲学」に見るアメリカ・「経済」観等。

 一 有名になった鳩山由紀夫「私の政治哲学」月刊ボイス9月号(PHP、2009)に、この欄で8/28と9/18に既に二回言及した。
 → 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/1192822/
 → 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/1227260/
 前者では、鳩山が紹介するカレルギーの「友愛」理念のように、鳩山は「左右の全体主義との激しい戦い」(p.133)をする気が本当にあるのかを疑問視し、後者では「東アジア共同体」構想を疑問視した。
 これらとは別の論点に触れる。鳩山は上掲の文章で次のように書く。
 「友愛」は「グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われた国民経済との調整をめざす理念」で、「それは、市場至上主義から国民の生活や安全をめぐる政策に転換し、共生の経済社会を建設すること」を意味する。
 「いうまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終了後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされた」。「米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、…グローバリズムとか呼ばれた」。
 「米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的…であり、諸国は…経済社会の構造をグローバルスタンタード(じつはアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった」。
 「日本の国内でも、…、これを積極的に受け入れ、すべてを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうとする人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった」。
 「グローバリズムは、…経済外的諸価値や環境問題や資源制約などをいっさい無視して進行した」。
 「冷戦後…の日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を圧迫し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言ではないであろう。郵政民営化は、…をあまりにも軽んじ、…、郵便局のもつ経済外的価値や共同体的価値を無視し、市場の論理によって一刀両断にしてしまったのだ」(p.136)。
 <郵政民営化>問題に立ち入らない(立ち入れない)。
 上の文を読んで感じる一つは、この鳩山<論文(?)>がどのように要約されて英訳されたのかは知らないが、明瞭に<反米>的なことだ(なお、鳩山の上掲の文章に<反中国>的言辞はない)。
 「アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義」=「グローバリズム」=「市場至上主義」が日本を含む諸国の国民経済を「圧迫し」、社会を「破壊し」てきた、と明確に論難している。これは明らかにアメリカ(の経済政策)批判だ。当否はさて措くとしても、<反米>的だと受け止められても仕方がない。
 第二の感想は、近年のアメリカの経済政策あるいはその「資本主義」を、「市場至上主義」・「市場原理主義」などという概念で簡単に理解して(しまったつもりになって)よいのか、ということだ。また、「小泉政権以来の自民党」は「すべてを市場に委ねる行き方を良しとする人たち」だった、と簡単に言ってしまってよいのか。「すべてを市場に委ねる行き方」とは、いくら何でもいい過ぎだろう。
 ついでにいえば、鳩山自身あるいは「私たち民主党はどちらかというと」上とは違う、「社会的な安全網の充実や国民経済的な伝統を守ろうとする」立場だったとするが、これはマスメディアが騒いだ<格差拡大>等々の<小泉(構造)改革>の結果らしきもの(いかほどに証明されているのか?)を受けての<後づけ>的なものである疑いが強い。
 この文の中心的テーマにしないが、鳩山由紀夫や民主党は<小泉(構造)改革>のための法律案に<すべて>反対してきたのか? 派遣業法の改正等々に賛成したのではなかったのか?
 さらに離れて言えば、現在民主党(鳩山政権)を支持し擁護している朝日新聞は、<自民党をぶっ壊す>と叫んだ小泉を、<郵政民営化>が争点とされた2005年総選挙での小泉(自民党)をむしろ支持し、少なくとものちの安倍晋三内閣に対する態度とは全く異なる好意的評価をしていたのではないか。
 二 共生」の経済社会論とか、最近に国会で鳩山由紀夫が強調している<NPO・市民の方々の(国政)参加>の積極的推進論は、従来からの<左翼>の主張であり、また彼らが好む言葉・概念だ。この点にも、鳩山由紀夫の「左翼」性は露見している。これを自覚していないとすれば、よほどの勉強不足か、もともと「左翼」的(=容共的)心情の人物なのだろう。
 三 上の点は再び触れることがあるだろう。
 上の一で言及した、「市場至上主義」・「市場原理主義」などという概念で簡単に理解して(しまったつもりになって)よいのか、という疑問(・批判)に関連して、根井雅弘・市場主義のたそがれ(中公新書、2009.06)の以下の指摘は興味深い。鳩山由紀夫は読んでいないだろう。以下、要約又は抜粋的引用。
 〇<ソ連・東欧社会主義国崩壊後に「資本主義」の勝利が「市場メカニズム」の勝利とされ、「市場主義」・「市場原理主義」との言葉が頻繁に使われ始めたが、これらは「厳密な学術用語」ではない。伊藤元重(東京大学教授)は『市場主義』との本を出したが(1996年)、「市場メカニズム」を「軽視してきたようにみえる日本の経済システムに活を入れる意図」なのだろう。伊藤は決して「市場万能論者」ではない。>(p.92-93)
 〇<フリードマンは「ほとんど『自由市場至上主義』に近い立場」から「市場の失敗」よりも「政府の失敗」をはるかに「深刻」視した。この点では、「独自の知識論」にもとづき、「市場メカニズム」(ハイエクのいう「価格システム」)を排した「計画経済は必ずつまづくだろう」と社会主義批判をしたハイエクの方が「本質を突いていた」のではないか。>(p.94-95)
 〇<ケインズの受容以降、「純粋な『資本主義』・『市場』」なるものは存在せず、「各国は、程度の差こそあれ、『混合経済』になっている」ことを等閑視すべきではない。サミュエルソン教科書の読者なら容易に分かるだろう。にもかかわらず、「市場メカニズム」・「市場主義」・「市場経済」
等々の「大合唱」が生じた。>(p.95-96)
 以下、長くなるので省略。または別の回に書く。
 根井雅弘著を論評する気はない。要するに、鳩山由紀夫は、「市場至上主義」・「市場原理主義」等をいかなる意味で用いているつもりなのかという疑問をもつし、これらの意味を十分に理解したうえで書いているのか、という批判をしたい。同じことは、<新自由主義>という、日本共産党系の学者・評論家等を含む「左翼」が(かつ経済学の専門家でも何でもない者たちが)、批判するために近年しばしば用いてきている言葉・概念についても言える。
 「混合経済」というか否かは別として(経済学者に任せるとして)、「市場」も「政府」(計画)のいずれも万能ではないことは常識的なことだ。<自由と(公的)規制>の間の具体的な調整こそが<現代国家(自由主義国家・資本主義国家)>の基本的な役割だろう。国と時期によって、どちらにどのように傾斜するかは異なりうる。「市場原理主義」なるものを今は批判している者が、いつかは<政府(公的介入)の失敗>を慨嘆することにならなければよいのだが。

0736/ハイエク・隷属への道(春秋社、原著1944)へのミルトン・フリードマンの「序文」2

 ハイエク・隷属への道(春秋社、全集Ⅰ別巻。原著1944)へのミルトン・フリードマンの「序文」のつづき。
 2(1994年版)・独語版(1971)への序文の一部はもはや完全には正しくない。「マルクス主義型の集産主義に対する擁護者は、西欧諸国の諸大学に集中的に存在する小さく頑迷な集団」へと後退した。今日では「社会主義は失敗」し「資本主義が成功」したという点に「広範な意見の一致」がある。
 しかし、「インテリの共同体」のハイエク的見解への「転向」は「見かけの上」のことで、「実体を伴ってはいない」。
 「インテリの共同体の大半」は、「個人」の「大型の悪質な諸企業」からの保護、「貧困者」の救済、「環境保護」、「平等化」の推進等のためと宣伝される「政府の権力の拡大」にほとんど自動的に賛成してしまう。
 初版時(1944)、「知的風潮」は本書をはるかに「敵視」していたが、「実践の面」でははるかにハイエク説に「順応」していた。しかし、今や逆になっている。
 レーガン時代を経ても、米国の対国民所得政府部門支出は1950年の25%から1993年には45%近くになった。サッチャー首相の英国は「企業の国営化と運営の規模」を削減させたが、対国民所得政府部門支出は50%を超え、「民間部門」への「政府の介入」は1950年時よりもはるかに増えている。
 ・アメリカとイギリスは「個人主義と資本主義」を唱えながら、「実行」面では「社会主義を実践している」と言っても「必ずしも言い過ぎではない」。「ゆえに今こそが、『隷属への道』を読むのに、ふさわしい時」だ。
 以上、終わり。
 1944年、1971年、1994年。現在と同じような問題がとっくに存在していた。19世紀末から20世紀初頭でもそうだったのかもしれない。

0735/ハイエク・隷属への道(1944)の1971年独語版へのM・フリードマンの「序文」。

 フリートリヒ・A・ハイエク・隷属への道〔西山千明・訳〕(春秋社、2008.12新版、全集I別巻。原著は1944年刊)の最初にある、ミルトン・フリードマンの「序文」の中には、興味深い文章がある。これは同書1994年版(英文)への序文で、その中に1971年版(独文)への序文も含めている。以下、適当に抜粋。なお、近年の経済政策に関する「新自由主義」うんぬんの議論とは直接には無関係に関心を持ったので、とり上げる。
 ハイエクと同様に「集産主義」(collectivism)という語を用いているが、これは、社会主義(・共産主義)とナチズム(ファシズム)の他に、自由主義(資本主義)の枠内での<計画経済>志向主義も含むもののようだ。
 1(1971年版)・「個人主義」者に対して「集産主義」からどうして離脱したかを訊ねてきたが、ハイエク著・隷属への道のおかげだ、としばしば答えられた。
 ・ハイエクは「集産主義」者の特有な用語を進んで用いたが、それらは読者が慣れ親しんだものだったので、親近感を与えた。
 ・「集産主義」者の誤った主張は今日でもなされ、増加しさえしているが、直接的争点はかつてと異なり、特殊な用語の意味も異なってきている。
 例えば、「中央集権的計画」・「使用のための生産」・「意図的な管理」はほとんど耳にしない。代わっての論争点は、「都市の危機」、「環境の危機」、「消費者の危機」、「福祉ないし貧困の危機」だ。
 ・かつてと同じく、「個人主義」的諸価値も公言され、これと結びついて「集産主義」の推進が主張されている。「既存の権力組織に対する広範な異議申立て」がなされ、「参加的民主主義」のため、「各個人の個人的ライフスタイル」に沿って「各個人が思い通りする」自由への「広範な要求」が社会に出現している。「集産主義」は後退し、「個人主義」の波が再び高まっていると誤解しそうだ。
 ・しかし、ハイエクが説明したように、「個人主義的な諸価値が樹立されるためには、個人主義的な社会をまずもって築かなければならない」。この社会は「自由主義的秩序」のもとでのみ建設可能だ。そこでは、「政府の活動は…、自由に活動して良い枠組みを限定することに主として限られる」。なぜなら、「自由市場」こそが真に「参加的民主主義」を達成するための「唯一のメカニズム」だから。
 ・「個人主義的な諸目的」の大半を支持する多くの者たちが、「集産主義的手段」によることを支持しているのは、「大きな誤解」だ。「善良な人々」が権力を行使すれば全てうまくいくと信じるのは「心をそそる考え方」だが、「邪悪を生み出すのは権力の座にある『善い』人々」だ。これを理解するためには感情を理性的機能力に従属させねばならない。そうすれば、「集産主義がその実際の歴史において暴政と貧困しか生みだしてこなかった」にもかかわらず「個人主義よりも優れている」と広く考えられている「謎」も解き明かされる。「集産主義のためのどんな議論も、虚偽をこねまわした主義でなければ、きわめて単純な主張でしかない。…それは直接に感情に対して訴えるだけの議論でしかない」。
 ・「個人主義」と「集産主義」の闘いのうち、<現実の>世界では、「集産主義の徴候」は「ほんの少しばかり」だった。英・仏・米では「国による活動拡大の動き」はさほど伸びなかった。
 その要因は第一に、「中央集権的計画に対する個人主義による闘争」(ハイエクのテーマ)が明白になったこと、第二に、「集産主義」が「官僚主義的混乱とその非効率性という泥沼」にはまり込んだこと、だった。
 ・しかるに、「政府のさらなる拡大」は阻止されず、「異なった経路へと向けて転換」され、促進された。「直接に生産活動を管理運営する」のではない、「民間の諸企業に対して間接的な規制をする」ことや「所得移転という政策」に変化したのだ。「平等と貧困の根絶」のためとの名目の「社会福祉政策」は原理原則を欠き、諸補助金を「各種の特殊利益グループ」に与えているにすぎず、その結果、「政府部門によって消費される国民所得の割合は、巨大化していくばかり」だ。
 ・「個人主義」と「集産主義」の闘いのうち、<思想の世界>では、「個人主義」者にとって「幾分か劣った」にすぎず、この事態は驚くべきことだ。
 1944年以降の25年間の「現実」はハイエクの「中心的洞察を強く確証してきた」。①人々の諸活動を「中央集権的命令によって相互に整合させながら統合する道」は「隷属への道」・「貧困への道」へ、②「人々自身の自発的な協同によって、相互に調整し総合的に発展させる道」は「豊かさへの道」へと導いた。
 しかし、欧米の「知的風潮」は「自由に関する諸価値が再生する徴候」を短期に示したものの、「自由な企業体制や市場における競争や個人の財産権や限定された政府体制」に「強く敵対する」方向へと再び動き始めた。従って、ハイエクによる知識人の描写は「時代遅れ」ではなく、ハイエク理論は10年程前から「改めて世相に適切な根拠を与える
ものとして鳴り響いている。
 ・「どうして世界のいたるところで、知的階層はほとんど自動的に集産主義の側に味方するのだろうか」。「集産主義」に賛同する際に「個人主義」的スローガンを用いているのに、「どうして、資本主義を罵り、これに対する罵詈雑言をあびせかけているのだろうか」。「どうして、マス・メディアはほとんどすべての国」で、かかる見解に「支配」されているのだろうか。
 ・「集産主義に対する知的支持が増大」という事実はハイエクのこの著が「今日においても、実にふさわしい書」であることを示す。
 ・「自由のための闘いは、いくどでも勝利を重ねなければならない」。「各国の社会主義者たちは、この書によって説得されるか敗北させられなければならない」。さもなければ、われわれは「自由な人間になることができない」。
 <以上で1(1971年版)は終わり。続きは別の回に。>

0733/週刊東洋経済6/06号(東洋経済新報社)で野口悠紀雄が書くこと-経済思潮ではなく「技術」?

 週刊東洋経済6/06号(東洋経済新報社)には、野口悠紀雄の<変貌をとげた世界経済/変われなかったニッポン>との連載がある。
 1.このタイトル自体が、「世界経済」に対する「日本」の拙劣さを示唆しているようだが、それで適切なのかどうか。
 2.上の号で野口悠紀雄は、80年代、90年代につき、次のように簡単にまとめる(p.107)。
 <80年代、「経済思潮上の大きな変化」があり、イギリスでサッチャーが、アメリカでレーガンが「国営企業の民営化、規制緩和、税制改革」をし、日本でも「民営化」がなされた。「社会主義経済」が崩壊し「市場経済への道」を進んだ。『新自由主義』との考えがそれまでの「福祉国家」・「ケインズ主義」・「社会主義」等に取って代わった。
 このことが、①「90年代の繁栄の原因」であり、かつ②「いま生じている経済危機はその路線の破綻」による、とされている。
 たしかに変化の「大きな原因」になっただろうが、それだけではなく、主としてITの面で生じたもあった。
 「技術上の変化」と「経済政策の思潮上の変化」とどちらが重要だったか? 私(野口)は「技術」だと思う。但し、新しい「情報技術」は「分権」・「自由」と密接に結びつき、さらに「アメリカ社会の成り立ち」とも密接に関連している。>
 ネオリベ・ネオコンといった経済政策(・政治)上の「思潮」ではなく、野口は<IT等の「情報技術」の変化・革新>を重視している。
 はてはて、この議論はどの程度的適切なのだろうか。
 3 野口はこうも書いている。-「日本では、『進歩=マルクス主義、保守=自由主義』という枠組みが80年代にもまだ強固に残っていた」。「マルクス経済学者の力は、大学の人文系学部では圧倒的に強かったし、論壇も『進歩的文化人』に支配されていた」。「しかし、…。日本社会党が消滅し、マルクス主義者の影響力は、大学でも論壇でも顕著に低下した」(p.106)。
 野口悠紀雄が例えばいずれかの政治組織に属しているようなマルクス主義者でないことはほぼ明らかで、その野口が上のような<変化>を1980年代(末?)に求めていることに止目しておきたい。その後、つまりほぼ1990年代から今日まで、かつての<マルクス経済学者たちは何をしてきたのだろう、あるいは何をしているのだろう。

0730/吉川元忠=関岡英之・国富消尽(PHP、2006)の中の関岡発言は正確か。

 〇吉川元忠=関岡英之・国富消尽-対米隷従の果てに(PHP、2006)はp.174まで進んでいる。
 佐伯啓思・大転換(NTT出版、2009)もまた、日本の(小泉・竹中)「構造改革の失敗」について語る。その事例として、「所得格差」・「労働の不安定さ」・「金融市場の不安定化」・「食料・資源価格の不安定化」・「IT革命という虚妄」といった「今日の事態」を挙げている(p.195)。
 たが、その「失敗」又は「誤り」の原因を基本的に<対米隷従>に求めることは適切か、という問題がある。吉川元忠=関岡英之の上掲書よりも、佐伯啓思の上掲書の方が、より複合的・総合的に考察しているように見える。
 上掲書の中で、関岡英之は次のように言う(p.123)。
 <民にできることは民で・官から民へ>は「歴史的必然」でも「唯一絶対の真理」でもない、むしろ「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」にすぎない。「それはアダム・スミスを源流とし、ハイエクやフリードマンが復活させ、レーガンやサッチャーが国是としたアンクグロ・サクソン流のいわゆる市場原理主義」だ。
 「いわゆる市場原理主義」と称するのは仮によいとしても、「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」の先頭にアダム・スミスを持ってくるのはいかがなものか。また、アダム・スミスからレーガン・サッチャーまでを一括りにして「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」と見るのは適切なのか。
 小泉・竹中(近年の自民党)「構造改革」路線を批判する「左翼」ならばともかく、あるいは「市場原理主義」に「社会主義」を対置させる社会主義者(・共産主義者)ならばともかく、上のように簡単には言うべきではないのではないか。
 関岡はまた、「いわゆる市場原理主義」をこう説明する。
 「『小さな政府』とマーケット・メカニズムの絶対視、政府の役割を否定して、民間企業の経済活動を自由放任し、市場の見えざる手に委ねるべきだというドグマ」。これは「米国の民間企業の利益、ひいては米国の国益を極大化する戦略にも直結している」。
 「米国の国益を極大化する戦略」に賛成するつもりはない。だが、「いわゆる市場原理主義」なるものに関する上の説明が正しいとすると「市場原理主義」自体をやはり問題視しなければならないことになるだろう。
 またそもそも日本政府(小泉・竹中「構造改革」路線)はかかる「主義」を採用して「政策」化・現実化してきたかというと、きわめて疑問だ。
 <規制緩和>の方向にあったことは間違いないように思われる。だが、日本政府はかつて、「政府の役割を否定」したことがあっただろうか。「小さな政府」とマーケット・メカニズムを「絶対視」しただろうか。「民間企業の経済活動を自由放任」しただろうか。
 例えば、現実には諸銀行に対して税金が投入された。合併への<誘導>もなされた。郵政「民営化」と言ってもまだ政府が全資本をもち社長の人事権(認可権)を総務大臣がもっていることは周知のとおり。「民間企業の経済活動」の規制にかかわる金融庁・証券取引委員会等の新しい行政機関もでき、かつ「経済活動」を「自由放任」にはしていない関係法律はいくらでもある。
 一種のレトリックだと釈明・反論されるかもしれないが、物事は単純にではなく、もう少し厳密に語るべきだと思われる。現象あるいは問題は、つまるところは、<公・私>・<官・民>・<国家と市場>の役割分担の<程度>・<あり方>であり、かつそれらは、<部門・分野ごとに>別々に論じられなければならないと思われる。

 関岡は「アダム・スミスを源流とし、ハイエクやフリードマンが復活させ…」というが、上記のとおり、アダム・スミスまで批判すると、「国家(計画)経済主義」(=社会主義)に対する市場経済主義(=資本主義)自体を批判することになりかねない。
 また、佐伯啓思によると、「構造改革」論者はミルトン・フリードマンとともにその師・フリートリッヒ・ハイエクの名を挙げることが多いが、たしかにハイエクの「思想」は「新自由主義」(注・佐伯が使っている語。「市場原理主義」でも「市場万能主義」でもない)の「教義」の「もと」になり、そしてアメリカ経済学の中心・シカゴ学派もハイエクの大きな影響を受けてはいる。しかし、「ハイエクの基本的考え方と、シカゴ学派のアメリカ経済学の間には、実は大きな開きがある」。ともに「市場競争を擁護」したが、「基本的な論理は、ある意味では、まったく違っている」。
 (このあとのより詳しい説明は省略。p.185-188とけっこう長い。)
 長い研究歴のある経済(・社会)思想の<専門家>と法学部出身の関岡とでは、前者の佐伯啓思を信頼しておいた方が無難だろう。<ハイエク→(アメリカ)→日本政府の政策>という二つの右矢印が適切かどうかも-少なくとも100%の影響力を示すとすれば-きわめて疑問なのだが、左端に「ハイエク」がくるかどうか自体も疑問なのだ。

 〇ルソー(・フランス革命)・辻村みよ子について中途休憩?している間に、阪本昌成・新・近代立憲主義を読み直す(成文堂、2008)の中に、ルソーについてかなりの(批判的な)叙述があるのに気づいた。最初と最後(「はしがき」と「あとがき」)はいずれもルソー・人間不平等起源論の引用から始まっている。
 いずれこの本にも言及したいが、この本は「新」版で(かなり書き直したようだが)、旧版はすでに読了しており、2年前にこの欄で少なくとも5回は言及していた(以下を参照)。あらためて似たようなことをルソーについて指摘するかもしれない。

0695/関岡英之・奪われる日本(講談社現代新書、2006)も全読了

 〇 刊行順ではないが、関岡英之・奪われる日本(講談社現代新書、2006.08)を全読了。反小泉「構造改革」(=米国の国益のための日本の国益の毀損・「日本的」伝統・よき慣行の否定)という主張において、基本的には同じ。
 関岡・目覚める日本(PHP、2009.02)に書いてあったことだが、p.31-「『大きな政府』と『小さな政府』、どちらが絶対的に正しいのではなく、要はバランスの問題なのです」(p.31)。
 関岡は「間接金融と直接金融」もどちららかが100%正しいのではなく「要はバランスの問題なのです」(p.39)、とも書く。
 『大きな政府』と『小さな政府』は、あくまで資本主義市場経済を前提としての「自由原理主義」・「新自由主義」と「社会民主主義?」との対立とも見られるが、こんな簡単な概念のレベルで議論しても意味がない。単純に「自由原理主義」・「新自由主義」を批判しても、それだけでは意味がないと考えられる。関岡の言うとおり、「要はバランスの問題」なのだ。しかもそれは、経済政策(実質的には国政一般に等しいほどに範囲・影響力は大きい)の個々の論点ごとに議論されなければならない。
 関岡・奪われる日本(講談社現代新書)でも強調されている一つは、日本のマスメディアのひどさ。
 関岡によると、2005年総選挙の際に朝日新聞は小泉礼賛の社説を書き、アメリカの年次改革要望書の検証・報道をすることなく<郵政民営化>反対議員たちを「族議員」・「守旧派」扱いしたらしい(p.52)。城内実、古屋圭司、衛藤晟一、古川禎久、平沼赳夫、小泉龍司ら。
 2007年参院選前の安倍晋三内閣に対する態度とは大違いだ。
 朝日新聞(の論説委員たち)は、<構造改革>の経緯と内容をどれほど分かっていたのだろうか。ある程度は理解していながら、日本政府が対米関係で苦しみ、かつある程度は米国政府の要求が通っていったことを、肯定的に(問題視しないで)理解していた可能性もありそうだ。日本政府が苦しむ、日本社会が変化していく、「日本的」なものを失ってゆくことを心底では無意識にせよ、歓迎していたのかもしれない。彼ら朝日新聞は、<自虐>意識の、日本が責められて喜ぶタイプの論説委員たちで成り立っていると思えるからだ。
 <構造改革>の少なくとも影の面を当時にきちんと批判しておかないで、今頃になって<派遣切り>を問題視したりするのは<偽善>だ。それにしても、関岡によって、あらためて、日本のマスメディアのレベルの低さを思い知らされた感もある。外国(米国)資本の保険会社等の広告費によって、現今の新聞・テレビ等々は経済的に潤ってもいるのだ。
 関岡・奪われる日本には「皇室の伝統をまもれ」と一括されている二つの文章もある。女系天皇否定、元宮様の皇籍復帰を主張する珍しくもない短い文だが、「そもそも総理大臣の臣は臣下の臣である」(p.176)との何気ない文が気を惹いた。
 たしかに「臣」とは主人(日本の場合、究極的には「天皇」)に使える従僕というのが元来の意味だ。はろけき遠くの昔に始まった律令制上の「大臣」という言葉が現日本国憲法でもなお用いられている。
 「大臣」という言葉が「君主」=「天皇」をこそ前提としているとすれば、民主主義・「国民主権」や「平等」原則は現憲法の天皇制度条項に上回るとか、後者は前者らに適合的に解釈されなければならぬとか主張している、天皇制度廃止・解体論の「左翼」憲法学者たちは、辻村みよ子や浦部法穂も含めて、まずは、「大臣」という用語を使わないように憲法改正を提言すべきではないか。
 〇佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)は三月中に全読了。もっとも、この本は数年前にすでにかなり読み終えていた可能性がある。

0694/関岡英之・目覚める日本-泰平の世は終わった(PHP、2009.02)全読了。

 関岡英之・目覚める日本-泰平の世は終わった(PHP、2009.02)を、4/05に全読了。この人の本は所持していても読むのは初めて。すこぶる面白く、lehrreich だった。
 いちいちの紹介はしない。関岡によると、「日本の保守政治」はつぎの「三つの極」に収斂しようとしている。p.97-98(初出、Voice/2008.07号)。
 一つは、小泉純一郞、小池百合子、前原誠司など、「アメリカ的な市場原理を信奉する新自由主義派」。塩崎恭久渡辺喜美も「イデオロギー的に近い」。「アメリカの軍事力と資本力に頼ろうとする」傾向があり、この点で次の第二のグループとは「違いがない」。関岡は、渡辺喜美には「日本の国益より外国の利益を優先する姿勢」がある(p.46)、などとして厳しい。
 二つは、加藤紘一、山崎拓、仙谷由人など。「親中リベラル」という点で、古賀誠、二階俊博、公明党も「近い」。「中国、韓国・北朝鮮との結びつきやそのマンパワーに頼ろう」とする傾向が感じられる。第一とイデオロギー的には「反対」だが、「日本の自立を志向する」のではなく「外国頼み」という点では「違いがない」。
 三つは、「日本の主権と伝統を重んじる」、平沼赳夫、麻生太郎、中川昭一、安倍晋三
 関岡は第三の極を「日本を再生してくれる真の保守政治家として」支持しているようだ。

0689/中谷巌、野口悠紀夫の最近の論述の一部-週刊ダイアモンド・週刊東洋経済。

 〇中谷巌は、同・資本主義はなぜ自壊したのか(集英社)で、「新自由主義」は「間違っていた」と自己批判して注目されているらしい(未読)。
 まだ「自壊した」とは言えないと思うが、それはともあれ、週刊ダイアモンド3/21号(ダイアモンド社、2009)で中谷はこんなことを語っている。p.65。
 ・「非正規」も含めて人材は切るべきでない。貧困層を切り捨てるのが「欧米型」で、「みんなで痛みを分けて乗り切ろう」というのが日本型。
 ・「明治維新以降、日本は必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきたが、そろそろ間違いに気づくべきだ」。
 「談」らしいので厳密には語っていないことを割り引いても、前者のような対比は単純過ぎるような気がする。何よりも、後者の言い分には驚いた。「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」という「間違いに気づくべきだ」と言う。明示的ではないが、ひょっとして、「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」意識を持っていたのは中谷巌本人なのではないか。「そろそろ…気づくべきだ」という文からは多くの他人はまだ気づいていないかの如きだが、はたしてそうなのだろうか。
 中谷巌が属している経済学を含む大学、あるいは(戦後)日本のアカデミズムの世界こそ、「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」という「間違い」を継続してきたのではなかろうか。
 〇同じ週刊ダイアモンド3/21号の連載欄では、野口悠紀夫が以下のようなことを語る。p.140-1。
 日本で行われた「半国有状態での銀行への資本注入」も、「…金融システムを防止」したと肯定的に評価されているが、(アメリカの近時のそれと同じく)「レモン社会主義」で、問題にされるべきだった。戦後日本の金融行政(護送船団方式)自体も「弱い銀行を守るという建前に隠れて、強い銀行が利益を得る」という意味で「レモン社会主義」だった。
 ここで「レモン」とは、<腐っていても外からは見えない>の意で、本当に救済できるか判らないままの企業(銀行)の経営実態を指すものと思われる。そして、アメリカでは、国有化と半国有化は納税者から見ると、失敗したときに負担をかぶる点では共通するが、成功したときには「現在の株主」のみが利益を得る、という点で異なる、そこで銀行への公的資金投入に対して共和党は「納税者負担」の観点から反対し、「リベラル」も「株主〔のみ〕が再建の利益を得る可能性がある」から反対している、と野口は言う。
 以上のあとで、野口はこう述べる。
 ・「今から考えれば、日本の議論は(私のも含めて)底が浅かった」。「銀行が破綻すると混乱が起こるから…救済する必要」ありとの議論と、「納税者の負担になるから望ましくない」との議論しかなかった。
 ・「リベラル」自任者は、「国有化しない銀行に対する資本注入は、資本家に不当に有利」という議論をすべきだった。
 ・「アメリカ型資本主義はダメ」という議論では、「浅さは変わらない」。
 ・アメリカは日本がしたこと(半国有化方式)をするだろうが、「レモン」であることを認識している点で、日本とは異なる。
 ・昔から日米の違いは「政治と大学」だと思ってきた。「今金融危機をめぐる議論を見て、その観を強くする。これは深い敗北感である」。
 以上、野口が「私のも含めて」日本の議論は「浅かった」とし、アメリカと比べての「深い敗北感」を覚える、と明言しているのは、興味深いし、メモしておくに値するだろう。
 〇野口悠紀夫は、週刊東洋経済3/21号(東洋経済新報社、2009)ではこんなことを書く。連載ものの大きなタイトルは「変貌をとげた世界経済/変われなかったニッポン」で、「世界」に比べて「変化」又は「改革」が日本には足りないとの旨が含まれていそうだ。この回(第22回)のタイトルは「サッチャーとレーガンの経済改革が世界を変えた」。
 ・サッチャー改革は、抽象的には「大きな政府」・「福祉国家」・「ケインズ主義」の「見直し、ないしは否定」。評価は異なっても、この改革が「現実を大きく変えた」ことは否定できない。
 ・「今、その行き過ぎに対する批判が生じている」。ではサッチャー以前に戻ろうとするのか? 結論的には、イギリス、アメリカ、アイルランドは「進みすぎ」、日本、ドイツは「変わらなさすぎた」。問題はどちらにもあった。
 ・「小泉郵政改革」は「サッチャー、レーガンの延長線上のもの」とは「私には…思われない」。小泉以前に郵政は公社化されていて、公社を会社形態にしただけ。財政投融資制度にかかわる「カネ」の流れの変化も「小泉改革」の以前から。
 このあと英米の「改革」に関する叙述があるが、日本の、とくに「小泉改革」又は「構造改革」の分析等?はたぶん次号以降になりそうだ。
 さて、朝日新聞、産経新聞等のマスメディア、とくに民主党・社民党といった野党政党、そして評論家(論壇人?)たちは、小泉純一郎首相時代(その前の森・小渕・橋本まで遡ってもよいが)、むろん個別論点ごとでよいのだが、政府の<経済(・金融)政策>に―財政が絡むと<福祉>を含む政策全般になる―どのような主張をしてきたのだったのだろうか。当時にしていない主張を今になってしている、当時主張していたことと真逆のことを今は主張している、ということはないだろうか。

0688/鷲田小彌太・日本とはどういう国か(五月書房、2002)の一部と「新自由主義」。

 鷲田小彌太・日本とはどういう国か(五月書房、2002)。
 一 ・マルクス主義文献の研究・著作(「マルクス主義学」)で日本は世界一。経済学-河上肇、猪俣都南雄、宇野弘蔵、歴史学-服部之総、石母田正、網野善彦、哲学-福本和夫、三木清、戸坂潤、廣松渉。
 ・しかし、日本には社会主義革命は起こらなかった。すでに日本は「社会主義」だからだ。「隠れマルクス主義者の手で、社会主義者が権力を握り、社会主義になっていた」。
 ・「戦後社会主義日本」の「徹底した民主化」を主張したのが、「丸山真男(政治学)、川島武宜(法社会学)、内田義彦(経済学)ら」で、これらも「隠れマルクス主義者」。
 ・社会主義崩壊・マルクス主義者大没落後も「隠れマルクス主義者」は健在で「不断に社会主義的意識と行動が再生産されている」。(以上、p.328-330)。
 谷沢永一を最後の「師」とする鷲田小彌 8太だから、冗談か遊びかもしれないが、上の二つ目の・のごとく、日本は「社会主義」国だ、と簡単に書いてもらっては困る。松下幸之助の言とやらもあるが、まさか「社会主義」概念を通例のそれとは異なる意味で使っているのではあるまい。
 二 上につづく以下の叙述の方がじつは興味深い(p.331-2)。
 ・20世紀後半、アメリカが世界の文化の中心になった。この傾向は冷戦構造崩壊後にはますます顕著に。
 ・日本はアメリカを追い、「かなりの部門で…追い越した」。これを「アメリカニズムの追従」というなら、「それはベターなことだ」。「脱欧入米」の気分に日本はようやくなったではないか。
 ・「アメリカニズムへの拝跪」と観る者もいるらしい。だが、自国より優れたものをコピーし独自のものに磨き上げるのこそ「日本式(ジャパニズム)」ではないか。アメリカ一般がよいというのでくなく、アメリカ方式の最先端は「コピーするのに足る」。それは「アメリカ方式がグローバルスタンダードになっているもの」だ。
 ・日本の進化も「世界スタンダードをコピーし、それを自家薬籠中にする」努力によるのではないか。「アメリカ文化に対しても同じ態度をとってどこが悪いのか?」。
 ・コピーと「阿諛追従」は違う。(アメリカニズムとは同じではない)グローバルスタンダードを採用すれば「日本の歴史的伝統が破壊されると考えることこそ、日本の文化的伝統に則さない考えではないだろうか?」
 ・「アメリカニズムのコピーはアメリカへの拝跪」で「日本の固有性の放棄」だとの主張は、「攘夷」思想の「現代版」でなければよい、というのが「私の率直な気持ちだ」。
 ・「アメリカニズム=グローバルスタンダードを受け入れることは、自国滅亡への道だ」との説は、「実のところ、日米開戦からはじまり、いまや構造改革の下で崩壊の危機にさらされている日本的国家社会主義の再構築をめざす主張ではないのか?
 以上の鷲田の文章には素朴で楽観的な<親米保守>の匂いがすこぶる強い。むろん書かれた(公刊された)のが2002年だということは考慮しなければならないが、<アメリカニズムの終焉>を語っていた佐伯啓思や、小泉純一郎を「狂気の首相」と称した西尾幹二とは(かりに「保守」で括れても)対極にある。また、サッチャーやレーガンを「保守」の<再興>者の如く称えていた八木秀次に近いと思われる。
 もともと単純な標語的概念で指し示される現実的具体的意味内容のレベルで議論しないと建設的ではない<空中戦>になるのは分かっていることだが、アメリカ産の<新自由主義>(・「新保守主義」)―「反米」になりやすい「左翼」は<ネオリベ>とか<ネオコン>とかとの蔑称?を作っていた―なるものの評価・総括は、日本ではこれらの概念ではなく上に鷲田が用いている「構造改革」とか、「規制緩和」・「民でできるものは民で」とかの標語で示された日本での<改革>の評価・総括ということになるが、重要だし、(とくに「保守系」の)諸論者がどういう立場に立つか、どういう見解をもつか、には関心を持たざるをえない。
 2009年春の現時点では、鷲田小彌太も上のようには書かないのではなかろうか。また、もともと「グローバルスタンダード」か否かとそれが世界各国にとって「最良」か否かとは別の問題だ、という論理的欠陥を鷲田の上の所論は含むようにも見える。
 鷲田は、ひょっとして(あくまで推測で、あるいは結果的にはだが)野口悠紀夫・一九四〇年体制(東洋経済新報社、初版1995)の影響を受けていたのかもしれない。ともあれ、「構造改革」と「日本的国家社会主義(の再構築)」とを鷲田が2002年に対比させていたのは、あまりにも単純だったのではないか。多数の著書を出版しているわりには、必ずしも<学ぶ>対象という意識を持てなかった原因は、こうした点にもあったようだ。このあたりの、つまり<経済政策>の問題についても関心をもって本や論考を読んでいる。

0499/大衆民主主義とマスコミ-飯田経夫・日本の反省(PHP新書)等。

 飯田経夫・日本の反省-「豊かさ」は終わったのか(PHP新書、1996)の第三章「ケインズ経済の落とし穴」(p.63~95)だけを読了。
 まず、1950年頃の「成長」論争に関して、(おそらくはマルクス経済学主流の)<日本(経済)はダメだ>との「日本の知識人に固有なマゾヒズム」に対して、政府の需要抑制策は不要とし高度成長を予測した「下村治理論」が「ひとつの強力なアンチテーゼ」で、事実は後者のとおりになった、との叙述が興味深い。
 つぎに、経済(財政・金融)政策につき「(大衆)民主主義」との関連を
述べるところがきわめて面白い。
 ・大衆=「選挙民」は「つねに近視眼的」で「遠い未来」よりは「目先のこと」を重視するので、財政支出の増加・減少については前者を歓迎し後者を忌避する、増税・減税については前者を忌避し後者を歓迎する。かくして「財政支出はとかく膨らみがち」で「税収はとかく不足がち」になる。
 ・これは「民主主義政治の永遠のディレンマ」で、①「福祉国家」論と②財政による介入を是認するケインズ経済学という「悪条件」がさらに加わった。
 ・国民は「受益」の最大化と「負担」の極小化を望む。これは換言すれば「ただ乗り」・政府からの「タカリ」を指向することだ。
 ・「(大衆)民主主義を否定するつもりは毛頭ないが、それにもかかわらず、(大衆)民主主義とは、ほんとうに困ったもの、ひどいものだと思う。この認識を片時も忘れないことが、現代の理解にとって必須」だ。
 以上、しごく当然の指摘だ。(大衆)民主主義のもとで国会議員が選出されるとなれば、財政負担についての<正しい>理論・政策の主張者よりも「つねに近視眼的」で「遠い未来」よりは「目先のこと」を重視した<財政支出(給付)の増大・負担の減少(減税)>政策の主張者の方がより容易に当選することとなり、そうした国会議員が政府の経済政策を決定する(又は決定的な影響を与える)のだ。
 短い文章だが、選挙の結果=<民意>を最大限の価値をもつものとし、<誤っていても尊重すべき>等と堂々と?主張していた、<単純・素朴・幼稚な民主主義者>には是非読んでほしいものだ。
 また、福田内閣の支持率低下の原因が<もっぱら>ガソリン代再値上げという目に見える(分かりやすい)金銭的負担の増大にあるのではないこと、民主党の支持率が上がっている(とすれば)、その原因が<もっぱら>財源・負担に言及しないで<(ばらまき)給付=財政支出>政策を主張していることにあるのではないこと、を願うばかりだ。現在は民主党の小沢一郎は、有権者の<劣情>を刺激して<支持率>を高め、<票>を掠め取る戦術に長けているように見えるから。
 1989年参議院選挙で日本社会党が躍進し(これは今日の参院構成にも影響を与えている)、土井たか子が<ダメなものはダメ>・<山が動いた>とか言ったのは、<消費税導入反対>の主張によっていた、ということも思い出した。
 飯田経夫はまた、「失業と餓えの恐怖」がなくなったために「不平不満・うらみつらみ」を述べ、吐き出す「余裕」が出てきた旨も書いている。明瞭に述べてはいないが、<より豊かな者>・<より力をもつ者>に対する(戦後教育も助長したと見られる)「平等主義」の観点からの「不平不満・うらみつらみ」は、容易に選挙の際の<投票>行動へと結実もしただろう。
 「不平不満・うらみつらみ」に支えられた<大衆民主主義>。まさに、飯田とともに、「否定するつもりは毛頭ないが、ほんとうに困ったもの、ひどいものだと思う」。
 さて、かかる大衆民主主義において大衆の「不平不満・うらみつらみ」を高めたり煽ったりするのは、決定的に、マスメディア、とりわけテレビと一般新聞だろう。1年前の政治家「事務所経費」問題は、いったい何の騒ぎだったのか?
 <国民主権>の国家ならば、政府や官僚に失態・失策があったとしてもその最終的な責任を負うべきは<国民>の筈だ。「ねじれ国会」が国家・国民のためになっていないとすれば、その最終的責任は「ねじれ国会」を現出させた<国民>自体にある。より正確には、2005年衆院選挙と2007年参院選挙とで異なる投票行動をとった、多くても数十%の有権者国民にある(余計ながら、新しいほど「民意」に近いとは実際上は言えないと思われる)。
 マスコミがそうした「国民」の側に立つことをしばしば明言し、「国家」・「政府」を監視することを役目と考えているならば、政府や官僚の失態・失策についてもマスコミ自身が<責任>を感じなければならないのは当然だ。<国民>の世論を適切に誘導・形成することに失敗すれば、あるいは政府や官僚の失態・失策を防止できなかったとすれば、そのかなりの部分の責任はマスコミ(とくに大マスコミ、テレビ局・有力一般新聞)にこそある。そのような自覚と責任感を現代日本のマスコミ関係者はもっているだろうか。
 この点でも、産経新聞5/08阿川尚之「正論-『マスコミの常識』は非常識」は、ほとんど首肯できる。
 「特ダネ、視聴率、締切といったことばかりにエネルギーを注ぎがち」。「不祥事の疑いがあるだげで、会社や役所の責任者に記者会見で居丈高な物言いをする」。「テレビのワイドショーやニュースで、無責任かつ根拠のないコメントをする」。「誤報を流しても簡単な訂正で済ませる」(この最後のものは、<誤報を流しても、訂正しないで開き直ることもある>の方がより正確だろう)。
 「報道ステーションの某など、基本的知識の欠如、大仰な言葉や身振りばかり目立ち、見るに堪えない。横に坐るジャーナリストは恥ずかしくないだろうか」(恥ずかしいという感覚は朝日新聞の者にはない。某と同レベルではないか)。
 「マスコミは…非常識を衝くのを商売にしていながら、自らの非常識が問われることが少ない」。
 マスコミ関係者は自分たちの影響力を自覚していないふうに思えるときもあるが、その<力>に、身の震える想いをもって仕事をすべきだろう。また、阿川が指摘するように、「内容など気にせず、広告の効果のみを基準に番組を提供する企業の責任は重い」。 

0402/野口悠紀夫・戦後日本経済史(新潮選書)等。

 書き記していなかったが(意識的にではない)、先週(2/17~)に、週刊新潮1/31号野口悠紀夫の4頁分の文章(「日本経済の『円安バブル』は崩壊した」)を読んだことをきっかけにして同・戦後日本経済史(新潮選書、2008)の「はじめに」と最終章の「第9章・未来に向けて」を読んだ。この人の『一九四〇年体制』は旧・新版ともに当然に所持していて、基本的な趣旨は記憶している。
 適当に一部引用する。1.野口は上の週刊新潮誌上でいわく-<戦時期の要請から支配的になった「アンチ市場主義」が現在まで続いている。…「90年代以降の日本経済では、口先だけの『改革』は叫ばれたものの、金融緩和と円安政策に依存して本当の改革を怠った>。
 <市場主義>の徹底への「改革」の必要性を説いている。
 産経の2/21の記事によると、自民党の園田博之・小坂憲次・与謝野馨らの<財政再建派>の「勉強会」の後、園田は、「行き過ぎた市場原理主義に注意する必要がある」と述べたとか。
 「行き過ぎた」という形容は既に否定的評価を含んでいるし「原理主義」という言い方もそのような気配がなきにしもあらずだ。それはともかく、はて、どこまで、どの程度「市場」に委ねて国家介入・関与を避けるべきなのか。グローバリゼーションへの適合と国益保持との間の調整点はどこに。 自民党議員等の主張している「改革」とはそもそもこの問題をどう考えているものなのか(安倍前首相も主張していたが)。
 具体的には例えば、関西国際空港(株)への外資の出資規制の是非は? はてはて。分かりにくい。
 同じく産経の2/21の正論欄で屋山太郎は外資規制は国土交通省等官僚の「天下り」温存策だとして反対論。同じ日の別の記事に元通産審議官・坂本吉弘が登場して、本質は<国益・公共の利益>をどう守るかだとして賛成論。はてはてはて(野口悠紀夫の議論だと、反対論になるのだろうか)?。
 元に戻って、2.野口は同・戦後日本経済史の本文を次の文章で終えている-「しかし、…古い制度や思想との摩擦は、さらに大きくなるだろう。われわれは、長い混迷の時代を覚悟しなければならない」。
 最近とくに感じる憂鬱感、鬱陶しさをさらに増幅させる内容の文章だ(野口が悪いわけではないが)。憂色は濃い。日本と日本人についての多少は明るい展望をしっかりと感じつつ、老化し、死んでいきたいものだ。

0184/金融機関不良債権処理に約49兆円の国民負担-野口悠紀夫による。

 すでに新週号が出ているが、週刊新潮5/31の野口悠紀夫連載コラム「戦時体制いまだ終わらず」によると、所謂バブル崩壊後の後始末につき、金融機関への公金支出は10.4326兆円、不良債権の一定部分の損金扱い肯定による税収減額38.7031兆円、合計で約49兆円。これがすべて、<金融秩序の安定>とかの<公共>目的のために、最終的には国民の負担になった。一人当たり38.5万円。納税額が多い人なら間違いなく1000万円台。
 こんな話を日本の国会ではきちんと議論してくれたのだろうか。政府・財務省(大蔵省)主導の政策決定に民主党等はどう関与したのか。
 それにしても、バブル崩壊の後始末、金融機関の不良債権処理に限らず、日本国家はあまりに金融機関等の<産業界>に介入しすぎた、又はそれと<癒着>しすぎたのだろう。
 政官業の緊密なトライアングルがあったからこそ日本の<高度経済成長>もあったのだろうが、贅沢を言うなと言われそうだが、あれほどの急速度ではなく、都市づくりや自然環境保護も考慮しつつ、もう少しゆっくりと慎重に<堂々と>経済成長ができなかったものか。
 <高度経済成長>の光と影という語が使われる。<高度経済成長>の過程で日本は大切なものを無くしていったと見られることも<影>だろう。経済成長を担った工場群をもつ大都市圏は勿論だが、<故郷なるもの>・<家族関係>・<友人関係>は大きく変わった、と思う。
 佐藤内閣終了のあたりで巧くカジ取りを切り直すことができた可能性はあっただろう。だが、後継首相は田中角栄だった。直感にすぎないが、日本の財政が<借金づくし>になっていく始まりの田中角栄内閣でなければ(すなわち佐藤栄作の思惑だっともされるとおりに福田赳夫が後継していれば)、少しは後の日本経済・財政の、ひいては日本全体の歴史も変わったのではないか。首相が誰でも変更できないほどの<時代の雰囲気>があったのかどうか。

0076/産経4/10、佐伯啓思の「土地の度を過ごした市場化」批判論によせて。

 司馬遼太郎がその晩年、土地の投機的取引あるいは土地の「商品」化を憂慮し、強い警告を発していたことはよく知られている。
 昨年に読んだ本なので言及したことはなかったが、いずれも1997年刊の佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス)、同・「市民」とは誰か-戦後民主主義を問い直す(PHP新書)は「戦後」・「民主主義」を考えさせてくれる知的刺激に満ちた本だった。その佐伯啓思が、やや古いが産経新聞4/10の「正論」欄で、土地等の「土地の度を過ごした市場化」等を批判又は警戒している。
 私はいまだによく分かっていないのだが、小泉「構造改革」とは厳密には何を意味したのだろう。今でも自民党は「改革の続行」とか主張しているが、靖国や慰安婦問題等とは無関係の経済・社会分野での「改革」とはいかなる意味と目的をもつ「改革」なのだろう。
 佐伯は、都市圏の特定地域で「不動産バブル」が今起きているのは「構造改革の帰結だとは断じないが、そのひとつの産物ではあろう」としつつ、「資本」・「労働」・「土地」は「もともと通常の商品のように市場化できるものではな」く、規制と管理がなされてきたが、その規制がとり外され、これらの「市場を著しく不安定化し、また格差をうみだすこととなる」と言う。
 また、もともと「パトリ」とは「祖先伝来の土地」を意味するローマ起源の言葉で、パトリオット(愛国者)の「愛国心」は「自分の住んでいる場所への愛着から始まる」とし、土地は公共性と愛着・記憶の基礎なのに、「度を過ごした市場化、ましてや投機的利益を生み出すための土地バブル」は「「パトリの破壊」、「亡国」への愚行以外の何ものでもない」と結んでいる。
 土地バブル(「泡」)とその霧散によって、平均的国民にとっての土地・住宅取得の困難化、金融機関に残った厖大な不良債権、国税の投入による救済、金融機関の統廃合等々、日本の関係者は1985年以降の経緯から貴重な教訓を得た筈なのだが、似たようなことを繰り返すようであれば、日本人(国家・行政の関係者を含む)はあまり「賢くない」と評されても仕方がないだろう。
 それにしても、農地売買に(とくに市街化区域以外では)強い規制がかかったりしているとしても、現行制度は(恐らく憲法も)、たしか1990年に土地基本法という法律ができて土地に関する「公共」性等が語られてはいるが、「土地」もまた私的所有権の対象であり、自由な処分(売買)が可能であることを前提としている。私もまた「度を過ごした市場化」には反対であり、例えば、佐伯が言及しているわけではないが、大都市圏内の都心部の「商業地域」の高い容積率を利用した高層マンションの林立(という程ではないかもしれないが)には-その前提には当然に従前の、長年かもしれない所有者との「土地」取引がある-、本来の都市計画構想や都市景観等、総じて所謂「街づくり」の観点からの問題があると思うのだが、土地の全面的国公有化があり得ない以上、完全な(無規制の)「市場化」との間のどこかに、適切な「解」を求めなければならない。
 土地(取引・利用)の規制の問題に限らないが、いつか簡単に触れたように、許容される、又は要請される、公権力による「自由」の統制・「自由」への介入の程度態様の問題は、「自由主義」国家の<永遠の>課題・論点なのだろう。ここでの「自由」とは個人・法人という主体の区別を問わないし、<政治的・精神的>自由と<経済的>自由の両者を、相対的に上の「程度」の差異が語られうるとしても、ともに含む。
 えらく一般的な話になっているのだが、本来は、上の基本的問題を意識しての政策的議論が、国会で、議員たちによって<建設的に>なされるべきなのだ。だが、そうした議論の共通の土俵を築けない、日本共産党、社会民主党という政党や民主党の一部の議員の存在は、不毛な、あるいは「神学的」とも称されてきた議論を生じさせており、大多数の日本国民にとっては不幸なことだ。
 軍事・安全保障政策での与野党の基本的一致を(独・仏・英国のように)前提として、具体的な政策論議を、具体的な法制度的議論を、本当はしてほしいものだ。
 少し離れるが、議席数では自民党の1/10に満たない小政党がテレビの討論会等で自民党や民主党と対等の人数を与えられ(つまり各党一人ずつ)、堂々と(生意気に?)喋っているのを観ているとき、形式的平等は小政党に有利で不合理だと思うとともに、基本的な所では咬み合わない非生産的な議論をしている、と感じることがある。何とかならないものか(考え方が違っても「建設的」・「生産的」議論の可能な政党ばかりになるのが解決策なのだが…)。

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