秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

評論家

2316/西尾幹二批判021—「哲学・思想」②。

 哲学関係もそのようだが、歴史学や法学など、人文社会系学問分野での<講座もの>または<体系もの>を岩波書店が刊行することが多いようだ。自然科学系は違うと期待したいが、<人文・社会>系での<岩波>には権威がかなりあるらしい(とくにアカデミズムの分野では)。
 そして、<岩波>は明確な「反共産主義」の書物を刊行しておらず、ロシア革命を扱っても明確なレーニン主義批判(そして現日本共産党批判)にまでは至らない、というのがこの出版社の特色だ。
 こんなことも知らず?、執筆当時はれっきとしたイギリス共産党の党員が書いたレーニン関係の邦訳書である岩波新書(下の①)をもっぱら参考にして、「レーニンの生い立ち」を叙述していた、江崎道朗というお人好し?の、いや「悲惨な」自称「保守自由主義」者もいた(下の②参照)。 
 ①クリストファー・ヒル〔岡稔訳〕・レーニンとロシア革命(岩波新書、1955)。
 ②江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 →No.1819/2018.06.24
 →No.1826/2018.07.09
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  岩波書店の書物を参照するとき、秋月瑛二でも、多少の警戒はする。岩波刊行書だと、意識しておく必要がある。
 しかし、岩波書店刊行の書物をいっさい読んではならない、などと偏狭な?考え方をしてはいない。
 不破哲三から櫻井よしこ・椛島有三まで(三番目の人には書物はごく少ないが)、一部ではあれ、目を通してきている。櫻井よしこはもういいが、不破哲三が書いたものはまだ検証しておくべき余地が残っている。
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  岩波講座/哲学〔全15巻〕(2008-2009年)、というのもある。
 西尾幹二の1999年『国民の歴史』よりも後の出版だが、西尾・自由とは何か(ちくま新書、2018)より前で、西尾が自分の1999年著には「歴史哲学」があると書いた同全集第17巻全体の「後記」(2018)よりも前だ。
 全15巻の各巻の表題は、以下のとおりだった。「」を付けず、改行もしない。
 01—いま哲学することへ、02—形而上学の現在、03—言語/思考の哲学、04/知識/情報の哲学、05—心/脳の哲学、06—モラル/行為の哲学、07—芸術/創造性の哲学、08—生命/環境の科学、09—科学/技術の哲学、10—社会/公共性の哲学、11—歴史/物語の哲学、12—性/愛の哲学、13—宗教/超越の哲学、14/哲学史の哲学、15—変貌する哲学。
 西尾幹二の心や脳内には存在しないかもしれない「心/脳の哲学」も表題の一つだ。また、西尾の心・脳を占めているのかもしれない「歴史/物語の哲学」というのも巻の一つとなっている。西尾自身は1999 年の自著を「歴史哲学」を示すものとし、かつまた「歴史」と「物語」・「神話」の差異や関係にしきりと関心を示してはいた。
 しかし、岩波書店刊行の著書内の論考などには、いっさい興味がないのかもしれない。2020年著も含めて、こうした各主題に迫ろうという姿勢はまるでない。「歴史学者」でも「哲学者」でもないのだから、やむを得ないのだろう。
 「精神」・「こころ」、そして「言葉」の重要性を表向きは語りながら、西尾幹二の文章の中には、例えば、Wittgenstein は全く出てこないだろう。安本美典は一回だけだが(私の記憶で)、この学者に言及していた。
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  2008-09年刊行の上の<哲学講座>を1985-86年刊行の岩波<新哲学講座>と比較すると、各巻の主題の異同もあるが、編集委員(計12名、井上達夫、野家啓一、村田純一ら)の「はしがき」(各巻全ての冒頭に掲載)が興味深い。
 学界所属者たちがいかほどに「はしがき」の内容と同じ意識・認識だったかは疑わしいとしても、1991年のソ連解体を経ての学界の「雰囲気」らしきものは知ることができる。
 つぎの四点の「現状認識」がある(四点への要約は秋月)。
 第一は、「大哲学者の不在」を含む「中心の喪失」だ。少し引用的に抜粋すると、つぎのようになる。-「20世紀の前半、少なくとも1960年代まで」は、「実存主義・マルクス主義・論理実証主義」の「三派対立の図式」が「イデオロギー的対立も含めて成り立っていた」。20世紀後半にこの図式が崩壊したのちも、「現象学・解釈学・フランクフルト学派、構造主義・ポスト構造主義など大陸哲学の潮流」と「英米圏を中心とする分析哲学やネオ・プラグマティズムの潮流」との間に、「方法論上の対立を孕んだ緊張関係が存在していた」。
 だが現在、「既成の学派や思想潮流の対立図式はすでにその効力を失っている」。
 第二に、「先端医療の進歩や地球環境の危機」によって促進されて、諸問題が顕在化した。
 第四に、「政治や経済の領域におけるグローバル化の奔流」が諸問題を発生させている。
 上でいったん飛ばした第三点が興味深い。全文を引用し、一文ごとに改行する。
 「哲学のアイデンティティをより根底で揺るがしているのは、20世紀後半に飛躍的発展を遂げた生命科学、脳科学、情報科学、認知科学などによってもたらされた科学的知見の深まりである
 かつて『心』や『精神』の領域は、哲学のみが接近を許された聖域であった。
 ところが、現在ではデカルト以来の内省的方法はすでにその耐用期限を過ぎ、最新の脳科学や認知科学の成果を抜きにしては、もはや心や意識の問題を論ずることはできない
 また、道徳規範や文化現象の解明にまで、進化論や行動生物学の知見が援用されていることは周知の通りであろう。
 そうした趨勢に対応して、…、哲学と科学の境界が不分明になるとともに、『哲学の終焉』さえ声高に語られるにまでになっている。」
 以上。
 西尾幹二における「哲学」のはるかな先まで、「哲学」学界は進んでいるのだ。いや、「進んで」いないかもしれず、「終焉」しつつあるのかもしれない。だが、少なくとも西尾が知らない、または意識すらしていない可能性がきわめて高い諸問題を、「はるかに広く」問題にしているのだ。
 西尾はいったいどういう自覚に立って、自分の「歴史哲学」を語り、1999年著での自分の「思想」が理解されなかったのは遺憾だった、などと安易かつ幼稚に書けるのだろうか。
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  不思議なことはいっぱいある。<あってはならない(はずの)こと>が、現実(ここでは言葉で外部に「現に」表現されている想念・意識等を含める)にはある。西尾幹二の文章だけでは、もちろんない。

2308/西尾幹二批判020ー「哲学・思想」。

  1999年(『国民の歴史』出版)の10年以上前に、つぎの<講座もの>が出版されていた。 
 新・岩波講座/哲学〔全16巻〕〔岩波書店、1985-1986)。
 各巻の表題はつつぎのとおり。「」を付けず、改行もしない。
 1/いま哲学とは、2/経験・言語・認識、3/記号・論理・メタファー、4/世界と意味、5/自然とコスモス、6/物質・生命・人間、7/トポス・空間・時間、8/技術・魔術・科学、9/身体・感覚・精神、10/行為・他我・自由、11/社会と歴史、12/文化のダイナミックス、13/超越と創造。14/哲学の原理と発展ー哲学の歴史1、15/哲学の展開ー哲学の歴史2、16/哲学的諸問題の現在ー哲学の歴史3。
 当然のことだろうが、「自由」を扱う巻はあり、論考もある。
 この時期はまだソ連・東欧社会主義諸国が存在し、「マルクス主義」哲学者も(日本では)多かったと見られる。
 これらの点は別として、この講座の編集委員(11名。中村雄二郎、加藤尚武、木田元、村上陽一郎ら)による<まえがき>を一瞥すると、つぎのことが興味深い。
 一つは、「哲学の終焉」の危機感などは全く感じさせない、つぎのような叙述をしている。「学問分野としての哲学は、…、研究者の層が厚い。また、前回…が出版された後、研究動向の多彩な展開がみられると共に若いすぐれた担い手たちも育っている」。
 二つに、つぎのような叙述が冒頭にあることが注目されてよいだろう。一文ごとに改行する。
 「…今日、私たち人類はこれまで経験したことのない状況に直面している。
 エレクトロニクスや分子生物学に代表される科学・技術の発達が人間の生存条件を一片させつつある
 と同時に、文化人類学、精神医学、動物行動学の成果からも、人間とはなにかということ自体が改めて問い直されるに至っている。」
 ここで興味深いのは、30年以上前すでに、「文化人類学、精神医学、動物行動学」の成果を参照しなければならないことが(たぶん)意識されていた、ということだ。
 この講座(全集)の第6巻の表題は上記のように、<物質・生命・人間>、第9巻のそれは<身体・感覚・精神>だった。
  西尾幹二が、「哲学」や「思想」にかかわるものとして、「物質・生命・人間」や「身体・感覚・精神」という主題を1999年に意識していたか、その後に何らかの関心を持ってきたかは、相当に疑わしい。
 また、西尾が、「哲学」や「思想」に、「エレクトロニクスや分子生物学に代表される科学・技術の発達」が関係してくるだろうことを、あるいは「文化人類学、精神医学、動物行動学の成果からも、人間とはなにかということ自体が改めて問い直されるに至っている」ということを、どの程度意識してきたかも、相当に疑わしい。このような問題意識は、1999年時点では、ゼロだったのではないか。
 というのは、例えば2018年の西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書)p.36-p.37でも、こんな間違いおよび幼稚なことを書いているからだ。忠実な引用はしない。何回かこの欄で触れてきたからだ。
 ①教育・居住条件の整備(Libertyに対応)と②教育の内容・生活の質(Freedomに対応)は異なる。後者の②は「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことのできない領域」だ。その扱えない問題というのは、「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の自由という問題」だ。
 この部分の文章は、<知の巨人>、<思想家>であるらしい、そして1999年著(のとくに前半)は「グローバルな文明史的視野を備えていて」、「これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」と自賛している西尾幹二の、記念碑的な、後世へも(かりにこの人への関心が続くならば)伝えられるべき貴重なものだろう。
 ここにおける「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の自由」という表現の奥底にるのは、弱者・愚者を含む「各自」ではない、強者・賢者である「自分(西尾幹二本人)の、ひとつひとつの瞬間の心の自由」を尊重し、高く評価せよ、という強い主張ではないか、と想像している。
 この点はともかく、上の哲学講座の構成やその編集委員の「まえがき」からしても、「ひとつひとつの瞬間の心の自由」が「精神医学、動物行動学」あるいは「分子生物学」と無関係ではないことがとっくに示唆されている。
 現在の脳科学は、「意思の自由」・「自由な意思」の存否またはあるとすればどこ・どの点に、を議論している。
 この欄で言及したように、臨床脳外科医・脳科学者の浅野孝雄も、人間の「こころ」に迫っていて、当然に「自由」性を視野に入れている。
 西尾は、「自由」に関する「哲学」はもちろん、彼には当たり前だが<理系>とされる学問分野における「ひとつひとつの瞬間の心の自由」の研究を全く知らず、関心すらないのだ、と思われる。
  西尾幹二が、「哲学」・「思想」に自分は関係していて、「自由」を論じる資格があるなどと考えること自体が奇妙で、不思議なのではないか。
 同旨を、たぶんもう一回書く。

2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。

 No.1650/2017/07/06の「妄言」とそれへのコメント部分のそのままの再掲。
 記していないが、この発言を聞いている対談相手は、西尾幹二
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 <あほの5人組>の一人、加地伸行。月刊WiLL2016年6月号p.38~より引用。
 「雅子妃は国民や皇室の祭祀よりもご自分のご家族に興味があるようです。公務よりも『わたくし』優先で、自分は病気なのだからそれを治すことのどこが悪い、という発想が感じられます。新しい打開案を採るべきでしょう。」p.38-39。
 *コメント-皇太子妃の「公務」とは何か。それは、どこに定められているのか。
 「皇太子殿下は摂政におなりになって、国事行為の大半をなさればよい。ただし、皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよいと思います。摂政は事実上の天皇です。しかも仕事はご夫妻ではなく一人でなさるわけですから、雅子妃は病気治療に専念できる。秋篠宮殿下が皇太子になれば秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしいのでは。」p.39。
 *コメント-究極のアホ。この人は本当に「アホ」だろう。
 ①「皇太子殿下は摂政におなりにな」る-現皇室典範の「摂政」就任要件のいずれによるのか。
 ②「国事行為の大半をなさればよい」-国事行為をどのように<折半>するのか。そもそも「大半」とその余を区別すること自体が可能なのか。可能ならば、なぜ。
 ③ 「皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよい」-意味が完全に不明。摂政と皇太子位は両立しうる。なぜ、やめる? その根拠は? 皇太子とは直近の皇嗣を意味するはずだが、「皇太子には現秋篠宮殿下」となれば、次期天皇予定者は誰?
 ④「仕事はご夫妻ではなく一人でなさる」-摂政は一人で、皇太子はなぜ一人ではないのか?? 雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-治療専念、皇太子-治療専念不可>、何だ、これは?
 ⑤雅子妃は「秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしい」-意味不明。今上陛下・現皇太子のもとで秋篠宮殿下が皇太子にはなりえないが、かりになったとして「空く」とは何を妄想しているのか。「秋篠宮家」なるものがあったとして、弟宮・文仁親王と紀子妃の婚姻によるもの。埋まっていたり、ときには「空いたり」するものではない。
 「雅子妃には皇太子妃という公人らしさがありません。ルールをわきまえているならば、あそこまで自己を突出できませんよ。」 p.41。
 「雅子妃は外にお出ましになるのではなくて、皇居で一心に祭祀をなさっていただきたい。それが皇室の在りかたなのです。」p.42。
 *コメント-アホ。これが一人で行うものとして、皇太子妃が行う「祭祀」とは、「皇居」のどこで行う具体的にどのようなものか。天皇による「祭祀」があるとして、同席して又は近傍にいて見守ることも「祭祀」なのか。 
 「これだけ雅子妃の公務欠席が多いと、皇室行事や祭祀に雅子妃が出席したかどうかを問われない状況にすべきでしょう。そのためには、…皇太子殿下が摂政になることです。摂政は天皇の代理としての立場だから、お一人で一所懸命なさればいい。摂政ならば、その夫人の出欠を問う必要はまったくありません。」
 *コメント-いやはや。雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-「お一人で一所懸命」、皇太子-「出欠を問う必要」がある>、何だ、これは? 出欠をやたらと問題視しているのは加地伸行らだろう。なお、たしかに「国事行為」は一人でできる。しかし、<公的・象徴的行為>も(憲法・法律が要求していなくとも)「摂政」が代理する場合は、ご夫婦二人でということは、現在そうであるように、十分にありうる。
 以下、p.47とp.49にもあるが、割愛。
 この加地伸行とは、いったい何が専門なのか。素人が、アホなことを発言すると、ますます<保守はアホ>・<やはりアホ>と思われる。日本の<左翼>を喜ばせるだけだ。
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 2021年1月某日、JR九州・長崎駅東側。本文とは全く関係がない。

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2299/西尾幹二批判018—『国民の歴史』⑤。

  西尾幹二・国民の歴史(全集版、2017)の最後の章にあたるのは「34/人は自由に耐えられるか」だ。その最後の節にあたるものの表題は、数字番号を勝手に付せば、「04/ハイデッガーの三つの『退屈』」だ。
 前の節の最後には、西尾らしい、つぎの文章がある。全集18巻p.633。
 「自由というだけでは、人間は自由にはなれない存在だからである。
 言い換えれば、われわれは深く底抜けに『退屈』しているのである。」
 さすがだ。<自由だけでは、自由になれない>、<自由でも自由になれない>、<自由でも自由ではない>。これらにはきっと深遠な意味があるのに違いない。
 もっとも、西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)での「自由」概念や「自由」論からしても、ここでの、または章の表題にすら使われている西尾における「自由」という語・観念の意味は、さっぱり分からないのだが。
 上の点はともかく、表題のとおり、ハイデッガーに言及がある(ハイデッガーを使っている)。そして、この哲学者は「退屈」には三種類あると述べているとし、西尾は三番目のそれに着目しながら、「自由に耐えられない」「人間の悲劇」の前で立ち尽くしてるという「自覚」を記して、この節、この章、そしてこの書物の本文全体を終えている。
  この最終節でのハイデッガーの扱いを見て、ただちにつぎの疑問が生じる。
 ハイデッガーは、「退屈」について叙述した、論述しただけの哲学者なのか? なぜこの部分についてだけハイデッガーを取り上げるのか?
 『国民の歴史』全体を通じて、西尾はほかにハイデッガーには言及していないはずだ。
 上のことが示唆しているのは、西尾幹二はほとんどハイデッガーを読んでいない、ということだ。そして、「退屈」論だけを利用した、ということだ。
 L・コワコフスキの大著等々におけるハイデッガーに関する叙述やナツィスとの関連が問題とされることのあることを知ってはいるが、この欄での紹介等に再度言及はしない。池田信夫もブログで「反啓蒙」主義者として言及していたことがある(→No.2130/2020/01/24参照)。なお、この欄でこれまで言及していないものに、L・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014 )p.217〜p.226の10頁にわたる、難解な内容の論述がある。
 ただ、英国の政治思想学者のジョン・グレイ〔John Gray〕は(反キリスト教・反啓蒙では共通性があるようにも思えるが)よほどハイデッガーをお気に召さないようで、こんなことを書いているので、再度紹介しておく。
 ハイデガーのごとく「哲学者がかくまで自己を主張し、妄想に取り憑かれることはきわめて稀である」。 →No.2077/2019/11/16参照。
 ついでに、グレイによる悪罵は(キリスト教的啓蒙批判ではやはり共通性もあると見られるが)ニーチェに対する方がより強いようで、例えばこう書いている。 
 ニーチェは「人類の歴史」の無意味を「知っていながら承服できなかった」。「最後まで信仰に囚われて」いたので「動物である人間もどうかなるという迷妄を断ち切れず」、「笑止千万な超人の思想を生み出した」。彼は「支離滅裂な人類の夢に、…悪夢を加えるだけで終わった」。同上、参照。
 回り道をしたが、指摘しておきたいのは、西尾幹二における<哲学>の欠如または希薄さだ。
 L・コワコフスキが<…のような意味での哲学者ではない>とニーチェを断じていたことと関係するだろうが、既述のように、西尾は、西欧哲学における、①<認識論>(epistemology, Erkenntnisstheorie) 、②<存在論>(ontology, Ontologie)に関する知識・素養がないのだと思われる。
 そうでなければ、最近にその2020年著の「あとがき」について紹介したような、<哲・史・文>全体によって初めて「外部の全体を見る」ことができる(No.2295/2021/02/19参照)、というような安易な文章は出てこないものと考えられる。
 すなわち、ヒト・人間という<主体>が「外部を見る」、<認識>する、ということの意味を哲学者たちは<思考>してきたのであり、「外部」現象や人間・「個人」・「私」が「ある」・「存在」するということの意味をあれこれと論じてきたのだ。カント、ヘーゲル、そしてマルクスも。
 ハイデッガーもこれらに否定的だとしても、例外ではないだろう。主著に『存在と時間』(1927)がある。
 (ついでながら、茂木健一郎・生きて死ぬ私(ちくま文庫、2006/原書1998第二章「存在と時間」の方が、西尾の文章内容よりもはるかに興味深く、刺激的だ)。)
  以上、多くはかつて指摘したことの反復だ。西尾『国民の歴史』がまるで(その挙げる書の全体を読んで理解したかのごとくして)<ハイデッガーの「退屈」論>だけを取り上げていることの異様さ(・大胆さ?)に刺激されて、記した。

2295/西尾幹二批判015。

 
 つぎの書の存在にようやく?気づき、古書で入手したので、少しばかりコメントをする。
 西尾幹二・歴史の真贋(新潮社、2020)。
  全体を熟読するつもりは、今のところ全くない。賢明な読者は、本棚の端に飾ることはあっても、そんな無駄な作業をしない方がよいだろう。
 書物の体裁(オビを含む)に目を取られて、さぞや立派な内容をもつ本だろうなどと誤魔化されてはいけない。
 新潮社編集部の富澤祥郎の作文だろうか、それとも西尾と富澤が話しあって決めたのだろうか、いずれにせよ、西尾も了解していると見られるオビの文にこうある。
 「…、崖っぷちの日本に 必要なものは何かを 今こそ問う。
 真の保守思想家の集大成的論考
 <保守>とか<真の保守>という形容も気にならなくはないが(保守とは?、「真の保守」とは?)、それらよりも「思想家」と謳っていることが目を惹く。
 1999年の『国民の歴史』について、西尾が2009年に「私の思想が思想としては読まれず、本の意図が意図どおりに理解されないのは遺憾でした」等と書いていたことを知って、最近の02/14=No.2285でこう書いた。
 「もちろん、この人〔西尾幹二〕は「思想家」ではなく、<評論家または時事評論家、端的には、一定の出版業界内部での『文章執筆請負自営業者』>にすぎない」。
 但し、「文章執筆」の対象には何「評論」の他に「随筆」も挙げておくのがより正確かもしれない。
 あるいはまた、2011年に西尾が自ら語った自己認識を付け加えれば、以下のようになる。
 「『私』が主題」である「私小説的な自我のあり方で生きてきた」、そのような「評論家」または「随筆家」であり、端的に言えばそのような<一定の出版業界内部での文章執筆請負自営業者>だ。
 他者から「思想家」と(かつ可能ならば「優れた、偉大な思想家」と)見なしてほしいというのは西尾幹二の最大の?宿願かもしれない(特定の一部少数者からを除いて、叶うことがないのは気の毒ではあるが)。
 その他、いろいろと自分自身について<私はこうだ(であるはずだ、と言われている)>と西尾が思っているその他の様々の属性・形容は、A・ダマシオが論述していると浅野孝雄が紹介・検討する<自伝的自己>に該当するだろう。
 この<自伝的自己>について、ダマシオ・浅野によるつぎの文を参考資料として掲げておこう。やはり、ダマシオ・浅野による。
 「人間の栄光と惨めさ、喜劇と悲劇は、フィクションである自伝的自己への固執から生じる」
 西尾幹二における<栄光と惨めさ、喜劇と悲劇>、<自伝的自己への固執>。さて、この人自身は、どう感じているだろう。
  あらためてつくづく感じるのだが、戦後日本の「文学部」出身者が、「文学部」に帰属した過去に拘泥・執着することを続ければどうなるかを、西尾幹二自身が(そしておそらくこの書物も)示しているだろう。
 こうあらためて感じるのも、上の書の「あとがき」にある文章からによる。
 「あとがき」は文学部は「哲・史・文」だとかつて(高校生時代に?)教えられた、から始まり、つぎの文章で結ばれている。
 「『哲・史・文』という全体によって初めて外の世界の全体が見えるという若い日以来の私の理想とその主張に、あらためて活路を拓きたい」と念じ、この書を上梓する。p.359。
 さて、つぎの二つの感想が生じる。つつしんで?指摘させていただく。
 第一。「哲・史・文」だけでは、決して「外の世界の全体」を見ることはできない。社会、自然、人間(・人体)等に関する教養・知識をふまえてこそ、「外の世界」を全体として、総体として、総合的に「見る」ことができる(秋月はそうできている、という意味ではない。むしろそうした教養・知識の乏しさを私は大いに恥じている)。
 この点は、これまでも書いたし、これからも指摘するだろう。
 第二。「哲・史・文」のいずれについても、西尾幹二は中途半端にしか知らない。まるでこれら全体を知っているか、または少なくともそう努めきた、という書きぶりになっているが、とんでもない<思い上がり>だ、という他はない。
 この点は、これまでも書いたし、これからも指摘するだろう。
 途中に、自分は「ニーチェ研究家」とされているが「正しくない」、こう言うのは「専門家でありたくない、あってはならないという私の原則が働いている」からだ、とある(p.356)。この部分は、西尾自身が何の専門家でもないことを自認しているということを示していて、当然の自認ではあるが一つの意味はあるだろう。
 それよりも、特定の専門領域を持たない「哲・史・文」全体の通暁者?だという<自負>を表現していると見られることの方が重要だろう。そして、その自負は間違いであり、とんでもない<思い上がり>だ。
 そして、何の専門家でないとすれば、「哲・史・文」のいずれの分野・世界についても、西尾幹二はただの<しろうと>(に少し毛が生えた者?)であるはずだ。
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2289/西尾幹二批判013。

 前回に取り上げた遠藤浩一を聞き手とする西尾幹二の発言をあらためて読んでいると、面白い(=興味深い)箇所がある。
 月刊WiLL2011年12月号(ワック)、p.247。
 西尾幹二の他の人物論評の仕方として、別の点も、とり上げてみよう。
  西尾は上で言う。大江健三郎の「文学の根源的なところ」には「私小説的自我の幻想肥大かある」、と33歳のときに書いた、と。
 興味深いのは、つぎだ。
 「幻想的な自我は石原慎太郎氏も同じ」と書いた。
 石原慎太郎はどちらかと言うと<保守>派とされるが、こういう批判・揶揄?は、西尾幹二において<保守>派に対しても向けられていたわけだ。
 ついでの記載ということになるが、「幻想的な自我」をもつという石原慎太郎は、西尾幹二よりもはるかに、注目されるべきで、将来もまた注目されつづけるだろう、と秋月瑛二は評価している。
 石原慎太郎=曽野綾子・死という最後の未来(幻冬社、2020)。
 昨年秋には、この欄で言及していないが、上の曽野綾子との対談書を購入して読んだ。
 石原慎太郎(1932〜)。国会議員、複数の大臣、東京都知事、政党(日本維新の会)代表。
 これだけで西尾幹二とは全く異なる。政治的・社会的「実践」の質・程度は、<つくる会>会長程度の西尾の比ではない。
 さらに加えて、作家・小説家、芥川賞受賞者。これまた、西尾幹二が及びもつかない分野だ。
 さらに、量・数だけではあるいは西尾の方が多いかもしれないが、石原慎太郎には、政治・社会評論もある(全7巻の全集もある)。
 加えて、<宗教>への傾斜を隠しておらず、<法華経>に関する書物まである。読んでいるが、いちいち記さない。
 異なるのは、出身大学・学部のほか、石原慎太郎には、産経新聞・月刊正論グループへの「擦り寄り」など全くない、ということだろう。
 アメリカで西尾は無名だが、石原慎太郎はある程度は知られているだろう。かりに同じ反米自立派だとしても、西尾とは比較にならない。
 石原慎太郎は、全ての広い活動分野について、<左派>側からも含めて、その人物が総合的に研究・論評されるべきだろう。
 ところで、「私小説的自我の幻想肥大」は、西尾幹二に(も?)見られはしないか? 既に見たように、2011年に西尾自ら「私小説的自我のあり方で生きてきた」と明言し、遠藤浩一は「私小説的な自我の表現こそ、西尾幹二という表現者の本質ではないか」、と語ったのだ。
  出典をいちいち探さないので正確な引用はできないが、西尾幹二は、古い順に、明らかに以下の旨を書いた。記憶に間違いはない。
 ①<(この時代は)左翼でないと知識人にはなれなかった、と言われますが、…>。
 ②<保守派のN氏(原文ママ—秋月)は、左翼でないと知識人とは言われなかったのです、と言っていた(言っていましたが、…)。>
 ③<西部邁氏は、左翼でないと知識人とは見なされなかったのです、と言ったことがある
 ③は西部邁の死後に追想を求められて、発言(執筆)したもの。 
 「左翼でないと知識人にはなれなかった」とは西部邁が大学入学直後に日本共産党(当時)に入党し、<左翼>全学連活動家となったことについて西部自身が言っていたことのようだが、西尾幹二に個人的・私的に言ったかどうかは別として(その点も気にはなるが)、のちに<保守>派に転じた?西部邁にとって、少なくともどちらかと言えば、触れられたくはない点だったように推察される。
 そして、彼の生前にはせいぜい「N氏」でとどめていたのを、西尾はその死後に、この発言主の名を明瞭にした、暴露したわけだ。
 これはいったい、西尾の、どのような<心境>・<心もち>のゆえにだろうか。
 西尾は、西部邁、渡部昇三らに対するライバル心を、<左派>論者に対する以上に持っていた、と推測できる。端的に言って、<同じような読者市場>の競争相手になったからだ。そして、その<ライバル心>を、ときに明らかにしているのだ。
 なお、櫻井よしこに対してすら、その<ライバル心>を示していることがある。櫻井よしこ批判には的確なところがあることも否定はできないけれども。
  2019年6月〜7月にこの欄で「西尾幹二著2007年著—『つくる会』問題」と題して何回か「西尾幹二著2007年著」=『国家と謝罪』(徳間書店、2007年)の一部を紹介したのは、明記しなかったが、つぎの理由があつた。
 それはすでに刊行されていた『西尾幹二全集17・歴史教科書問題』(2018年)が、西尾が「つくる会」結成後の会長時代の文章に限って収載していることを奇妙に(批判的に)感じたからで、実質的な分裂やその理由・背景に関するこの人の文章を、とくに『国家と謝罪』の中にまとめられている文章の一部を、この欄に掲載して残しておこうと感じたからだ。
 <個人>全集であるにもかかわらず、設立前から「会長」時代のものに限る、という、西尾個人の<個人編集>の奇妙奇天烈さには、つまり『国家と謝罪』等に収録したものは無視し、実質的分裂の背景・原因にかかる歴史的記録にとなり得るものは除外する、という<個人編集>方針に見られる異常さには、別にまとめて触れなければならない。
 <つくる会>運動については、きちんとした総括が必要であって、西尾は立派なことだけをしました、という『全集』編集方針は、「歴史」関係者の(そのつもりならば)姿勢としても、間違っているだろう。現在の<運動>関係者(とくに実務補助者の方)は気の毒に思っているが、割愛する。
 上のことはともあれ、今回指摘しておきたいのは、八木秀次に対する批判の「仕方」だ。八木秀次の側に立つわけでも、彼を擁護したいわけでもない。
 西尾は、No.1994で引用・紹介のとおり、こう八木を批判する。 
 ①「現代は礼節ある紳士面の悖徳漢が罷り通る時代」だ。「高学歴でもあり、専門職において能力もある人々が」社会的善悪の「区別の基本」を知らない。「自分が自分でなくなるようなことをして、…その自覚がまるでない性格障害者がむしろ増えている」。「直観が言葉に乖離している」。「体験と表現が剥離している」。「直観、ものを正しく見ることと無関係に、言葉だけが勝手にふくれ上って増殖している」。「私が性格障害者と呼ぶのはこうした言葉に支配されて、言葉は達者だが、言葉を失っている人々」だ。
 ・「私は八木秀次氏にも一つの典型を見る」。
 この①は、「性格障害者」という言葉と<レッテル貼り>がひどいが、まだマシかもしれない。では、つぎはどうか。
 ②「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。
 言葉の向こうから語り掛けてくるもの、言葉を超えて、そこにいる人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない。
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す」。
 以上の②のような人物批判「方法」は、特定の人物についての本質分析論かつ本質還元論と言ってもよいもので、<本質的に〜だ>、そして<本質的に〜の人間だから、〜という過ちをおかしている>という批判の「論法」・「方法」だ。
 これではいけないし、八木秀次は、のちの人生を通じて、西尾と「和解」する気には決してならなかっただろう。
 今回に書いたのは、西尾幹二という人間の「本質」、「個性」、「人柄」に垣間見える<異常さ>・<歪み>と言ってもよいものだ。
 そうだから、という論証の仕方を、あるいは<人間本質分析論>かつ<本質還元論>的叙述を一般的にする気はない。但し、一回だけ参考材料とてして紹介しておくことにした。
 ——
 追記しておくと、<右翼的・保守的>だから「敵」(味方)だ、逆に<左派的・リベラル的>だから「敵」(味方)だ、というのは、上に記したよりもはるかに単純または純粋に、徹底して、<本質>あるいは基本的立場(・立ち位置)を理由として(それを見究めたつもりになって)、脊髄反射的に、論評・評価(敵か味方か)・結論を決めてしまうようなもので、アホらしいことだ。
 このような発想・推論しかできない人々が、なぜある程度は生じるのか?
 それは、<自分で考えて立ち入って判断するのは面倒くさい>、<簡単に回答を得たい>、<楽をしたい>という、「脳細胞の劣化」・「自分の脳に負担をかけたくない」という、それなりに合理的な?理由があるものと思われる。
 人間には、少なくともある程度の範囲の人々にとっては、問題・論点にもよるが、<簡単なほどよい>、<少しでも自分自身の判断過程を省略したい>という「本能」が備わっている。

2280/西尾幹二批判010・『国民の歴史』②。

  前回(批判009)の補足。
 西尾が書いているとおり、『国民の歴史』の「14」は表題自体が「『世界史』はモンゴル帝国から始まった」となっていて、最初から19頁め(全集18巻版)に、こうある(p.289)。
 「以上、『モンゴルと中国の関係略史』(一)(二)は岡田英弘氏から直かにご教示いただいて記述したが、文責は私にある」。
 「文責」、つまり文章化・要約・作文は西尾にあるが、計5頁ほどの「内容」は岡田英弘に依っていることを認めている。長々とした一連の文章群の内容は西尾幹二自身によるものではない。
 二 『国民の歴史』の「6 神話と歴史」から、気になる点をさらにいくつか挙げておこう。まず、第一。
 その11「神話の認識は科学の認識とは逆である」p.128(全集版)にこうある。
 「すでに神を感じない社会」に生きる我々が「神々によって宇宙が支えられていると感じる古代社会の言葉と感性と同じはずはない」。
 何となく読み過ごしてしまいそうな文章だが、このような「古代」の人々の「感性」の理解・認識は適切なのだろうか。
 つまり、彼らはほんとうに「神々によって宇宙が支えられていると感じ」ていたのだろうか? 西尾の一見「深遠な」言明は、じつは「適当に」発せられていることが少なくないのではないか。
 古代の人々はどういう「感性」で生きたのだろうと想像することは、私には楽しい。しかし、「神々」の意識・感覚はかなり高度なもので、なかなか発生しないのではないか、と考える。
 生きていること、そのための呼吸と心臓の鼓動を意識し、死とそれが訪れるとやがて身体は腐敗していくことを知っていたに違いない(なお、もっとのちの日本の文献によく出てくる「もがり」は再生・蘇生しないことを確認するための儀式だったように思われる)。
 また毎日昇って消えていく太陽、およそ(今でいう)一月ごとに形の満ち欠けを変えながら「この地」を回っている月、日の出・日の入りの太陽の位置が寒暖の季節ごとに異なりおよそ(今でいう)一年ごとに同じになることを、早くから知っていただろう。
 さらに、むろん、生きていくために「水」・「食料」が必要であることも。「空気」(中の酸素)はひょっとすれば所与のものとして意識しなかったかもしれないが、海中や高山では生き難いことは知っていたはずだ。
 これはヒト・人間をとり巻く「自然」にかかわることであって、いつの時点から「神」なるものを意識したのかは、よく分からないことだ。
 だが少なくともヒト・人間は、縄文時代の人々も、「神々によって宇宙が支えられていると感じ」てはいなかっただろう。「宇宙」=地球全体の感覚はまだないはずだ。「宇宙」=「自然」という意味では「宇宙」を感じていただろうとしても。
 繰り返すが、「神」という意識・感覚の発生はかなり高度の精神作用を必要とするのであって、古代の人々が何となく自然に身につけるようなものではないのではないか。むろん、「必然」ないし「規則・法則」的なことと「偶然」・「事故」的なことの区別くらいのことは当然に意識し、知っていただろうが。
 第二。西尾はもっぱら「言葉」と「文字」の関係一般に着目して、日本文明(縄文原語)と中国文明(漢字)を記述しているように見えるが、私の関心は他にもある。
 日本書記における「年」の表記の仕方には十干十二支を利用したもの、「天皇」の在位年数を利用したもの、年号(大化等)を利用したものの三種あるとされる。最初の<十干十二支>は、令和日本の現在でもなお用いられることがあるが、どのようにして、いつ頃から、日本列島の人々は利用し始めたのだろう。中国からの「輸入」以後でないとすると、それまではいったいどのようにして「年数」を数え、記憶・記録していたのだろうか。
 西尾の著書には、これに関する叙述はないのではないか。のちのちの、<陰陽五行説>についても。これらは、「仏教」・仏教典の一部にあるのではないはずだ 。
 より重要な第三は、以下。
 既述のとおり、「6」章の節名を利用すれば、この章での西尾幹二の出張したいことの重要な一つは、章名とともに以下にあると理解しても決して誤りではない。 
 ・「歴史と神話の等価値」。・「すべての歴史は神話である」
 しかし、この書物(全集版)が刊行された2017年とまさに同じ年に、西尾幹二は、つぎのように明言している。そして、翌年2018年刊行の全集の別の巻(17巻)に収載している。一文ずつ改行する。
 「歴史の根っこをつかまえるのだとして、いきなり『古事記』に立ち還り、その精神を強調する方が最近は目立ちますが、…そのまま信じられるでしょうか。
 神話と歴史は別であります。
 神話は解釈を拒む世界です。
 歴史は諸事実のなかからの選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由をどうしても避けられませんが、神話を前にしてわれわれにはそういう自由はありません。
 神話は不可知な根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません
」。
 西尾幹二全集第17巻・歴史教科書問題(国書刊行会、2018年)p.715、「『新しい歴史教科書をつくる会』創立20周年記念集会(2017年1月29日)での挨拶文」の一部(原出、月刊正論2017年4月号)。
 西尾幹二に真面目に訊ねたいものだ。『国民と歴史』のうちの6章「神話と歴史」に関する叙述と上の「挨拶文」の内容は、矛盾しているのではないか。少なくとも、どういう関係に立っているのか。
 つづけて、第四
 西尾幹二のために、「助け船」を出すことはできる。すなわち、歴史と神話の関係・異同に関する言明は真反対のように見えてもいわば<レトリック>であって、主眼はそれぞれの「解釈」の方法の違いの指摘にあるのだ、と。
 たしかに『国民の歴史』には、こういう文章もある。18巻、p.129。
 「神話を知ることは対象認識ではない。どこまでも科学とは逆の認識の仕方であらねばならぬ」。
 「認識とは、この場合、自分が神の世界と一体となる絶え間ない研鑽にほぼ近い。」
 後者の「自分が神の世界と一体となる」は、前者の「神話」を前にしては<解釈の自由はない>という指摘と似ているとは言える。
 しかし、前者は(西尾によくあることだが)突然に「科学」という言葉・概念を持ち出し、「歴史」=「科学」(の一部)という前提に立っているようだが、「歴史」、「科学」等の概念の丁寧な説明はない。そして「逆の認識の仕方」とだけ述べて、<解釈・選択の自由がある>という旨を明確に語ってもいない。
 少なくとも、同じ2017年の発言と刊行書の内容の間の齟齬・矛盾を指摘しても、何ら厳しすぎることはないだろう。
 なお、<「神話」は解釈を許さない>という言明がなぜ、どのように根拠づけらるのか?
 これは、バカバカしいので、省略する。「神々」の時代も含めて、それ以降についても、日本書記、古事記の種々の「解釈」がなされており、議論があることは、高校生でも知っていることだろう。西尾幹二の「解釈」にはこの人に独自の(ほとんど誰も理解できない我流の)意味があるのだろうか。
 第五。そもそも、日本書記、古事記は、全体として「神話」なのか。
 西尾幹二は上の二つとも「神話」だという前提に立って、中国の「歴史」書との「等価値」性を指摘し、後者も広義では「神話」だとする。
 しかし、そもそも論として、日本書記、古事記のいずれも、全体として「神話」だ、という認識は決定的に誤っているだろう。
 よく知られるように、日本書記は計30巻から成るが、そのうち巻第一は「神代上」、巻第二は「神代下」とされ、巻第三以降・巻三十までが「天皇」を中心とする叙述になっている(神武〜持統)。   
 今日の目で見て、「史実」とは感じられないような叙述があるのだとしても、作者・編纂者は、巻第三以下は真面目に?日本国家の「歴史」書だとして記述したと考えられる。そして、彼らが「神」の時代の「話」=「神話」だと明瞭に意識して記述したのは、巻第一・第二の「神代」だけだ。
 これに関連して、日本書記の今日の「解説」者は、こう記す。
 「巻三以下巻三十まで、すべて天皇名で標題とすることは、明らかに中国史書の『帝紀』に相当するわけで、『日本書記』という書名は『日本書の帝紀』の意であることも首肯できる」。「ただ異なるのは、巻一・二が『神代』となっている点である。中国の史書は『神代』を語ることはないからである」。
 この文は巻第三以下を「人皇代」と称してもいる。
 日本書記・上(小学館日本古典文学全集、1994)「解説」の西宮一民担当部分
 一方、古事記は上つ巻・中つ巻・下つ巻の三部に分かれるが、中つ巻が神武〜応神、下つ巻が仁徳〜推古の各天皇の時代を叙述しており、上つ巻が日本書記の用語では「神代」に当たる。
 こう区別されているところを見ると、また内容から見ても、上つ巻だけは「神たちの時代」と意識されているとしても、それ以下は、作成者の「主観」においては古代の日本「歴史」だった可能性が高いものと思われる。
 このような日本書記、古事記を、例えば仁徳天皇以下も含めて、西尾幹二はすべて「神話」だ、ということから出発しているわけだ。
 全てが「史実」を記述しているとは秋月も考えないが(なお、安本美典は熱心な応神天皇実在論者だ)、「史実」であって、またはそれをかなり反映していて、決して簡単に「神話」だと認定できない部分をいずれも含んでいる、と考えられる。これは、常識ではないか。
 しかるに、西尾幹二は最初からこれらが「神話」だとしている。それから出発している。
 日本書記も古事記も実際には、全くまたはほとんど「読んだことがない」西尾の面目躍如というところだろう。
 西尾幹二はこれらの「歴史」書性をできるだけ否定しようとしする戦後「進歩的」歴史学に、最初から屈服している、とも言える。
  ついでに、ということになるが、上に二の第三で引用した2017年の「挨拶文」の一部は、一部を除き(古事記うんぬんの部分)全く同文で、対談中の発言であるはずの以下でも用いられている。
 実際の対談後の「原稿化」の過程で追加されたように思われる。
 西尾幹二は、一つながりの文章群を<使い回し>ているのだ。一粒で二度おいしい。<古事記>への言及は欠落しており、元来は別の論脈の中での文章だ。
 「神話は歴史と異なります。
 「歴史は…、諸事実の中から事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてはわれわれはそういう自由はありません。
 神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません
」。 
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」月刊WiLL2019年4月号(ワック)
 西尾幹二という人物は、こういう<文章の使い回し>を(こっそりと)平気で行う人物だ、と知らなければならない。言いたいことがたまたま?同じだから、という釈明は成立しない。

2262/池田信夫ブログ020。

 池田信夫ブログマガジン2020年12月7日号の<名著再読/資本論の哲学>の中に、つぎの文章がある。
 池田信夫が扱っている主題のうち、こんな点にだけ注目しているのでは全くないが、興味をそそる。
 「価値自体を否定するポスモダンは、社会に何の影響ももたない文芸評論的なおしゃべりにすぎない。問題は、根拠のないはずの価値がなぜ信じられ、特定のイデオロギーが多くの人々に共有されるのかである」。
 とくに面白いのは、「…は、社会に何の影響ももたない文芸評論的なおしゃべりにすぎない」という表現部分だ。
 「社会に何の影響ももたない文芸評論的なおしゃべり」の何と多いことか。文芸評論の意味・価値を認めないのではなく、人間の精神活動の一つとして、音楽や絵画とともにある詩・戯曲・小説を含む文学活動に付随した、あるいはその一部としての「文芸評論」を評価しないわけではない。
 問題は、文学や文芸評論と銘打つことなく、例えば「創作」としての小説だと明言することもなく、政治評論・社会評論を行う者たちがいて、もともとは<自己>(の名誉・顕名)のための表現活動であるにもかかわらず、社会や国家等について真摯に?思索したもののごとく文章や「作品」を発表していることだ。とりわけ世間的には明確に「文芸評論」家として出発したはずの者たちの文章・書物に著しい(古くは西尾幹二から新しくは小川榮太郎まで?)。
 <歴史>もの、<日本>ものの書物の中には、結局は「社会に何の影響ももたない文芸評論的なおしゃべり」にすぎないようなものも多い。

2245/西尾幹二批判001。

 小分けすると面倒くさいので、まとめる。
 
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018.10)は比較的最近の西尾の<哲学・思想>畑の本だ。
 この書名は編集者(湯原法史)の発案によるらしいとしても、この書名から「自由」が種々に論じられているという期待または幻想は、はかなくも瞬時に破れる。
 既述のように、A・スミスは「経済学者」だから、そこでの「自由」はfreedom ではなくliberty だ、などというとんでもない叙述が最初の方にある。「経済学とはそういう学問です」(p.36)という珍句?まであるのだが、A・スミスもF・ハイエクも(フリードマンも)、「たんなる経済学者」ではなく「哲学者」、少なくとも「経済哲学(思想)」、「社会哲学(思想)」、「歴史哲学(思想)」等にまたがる人物だったことは、むしろ常識に属するだろう。
 西尾幹二が『自由』を問題にしながら、古今東西の「自由」に関する多数の哲学者・思想家・歴史家等々の文献を渉猟して執筆しているわけではないことは、すぐ分かる。
 世に「哲学者」として知られている者の著書のうち、参照しているのはほとんどF・ニーチェだけだろう。後半にルター、エラスムスが出てきているが、「自由」論とのかかわりは未読なのでよく分からない。
 きりがないが、ロックも、ホッブズも、ルソーも、カントもヘーゲルもマルクスも、ベルクソンもフッサールもサルトルも、ハーバマス等々々も、ついでにトニー・ジャットもジョン・グレイもL・コワコフスキも、西尾幹二の頭の中にはない。きっとまともに読書したことがないのだ。また、日本で現在もよく使われる<リベラリズム>も、liberal 系とはいえ、「自由主義」とも訳されて、当然に「自由」に関係するが、この言葉自体が西尾著にはたぶん全く出てこない。
 そんなだからこそ「深み」はまるでなく、「自由」と「平等」との関係をけっこう長々と叙述したあと、こんなふうに締めくくられる(p.154)。
 オバマは「平等」にこだわり、トランプは「自由」にこだわり続けるだろう。二人のページェントが「これから先、何処に赴くかは今のところ誰にも分かりません」。
 ?? 何だ、これは。
 
 西尾幹二は若いときはニーチェ研究者だったようで、おそらくは、ドイツ語・ドイツ文学・ドイツ哲学あたりの<アカデミズム>をこれで通り抜け、あとは<アカデミズム(学界)>にとどまってはいない。
 この<アカデミズム(学界)>からの離脱は多少の痛みは伴いつつも、彼にとっては<自慢>だったかにも見える。自分は狭いアカデミズムの世界の中にいる人間ではない、広く<世間>、<社会>を相手にしているのだ。
 「論壇」に登場する「評論家」というのは、たんなる「~(助)教授」よりは魅力的で<えらい>存在だと彼には思えたのではないか。
 余計な方向に滑りかけたが、ともかく、西尾幹二はニーチェ研究者だった。
 そして、ニーチェを良く知っていること、反面ではそれ以外の哲学者についてはろくに知らないことは、のちのちにまで影響を与えているようだ。
 その証拠資料たる文章があるので、以下に書き写す。表題がむしろ重要だが、次回以降に言及する。
 西尾幹二(聞き手・遠藤浩一)「私の書くものは全て自己物語です」月刊WiLL2011年12月号(ワック、編集長・花田紀凱)p.242以下。
 ・遠藤「先生のニーチェ論を読んでいると、ご自身の自画像をなぞっておられるのでは、との印象を受けることがあるのですが」。
 西尾「実は私を知るある校正者からも『これは先生自身のことを書いているのではないですか』と告げられました(笑)」。
 ・遠藤「『江戸〔のダイナミズム〕』がニーチェの続篇?」
 西尾「私の心のなかではそうです」。
 西尾「『神は死んだ』とニーチェは言いましたが、日本の儒学、シナの清朝考証学は、まさに神の廃絶と神の復権という壮絶なことを試みた学問であると『江戸のダイナミズム』で論じたのです」。
 この直後に「明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」という一文が続く。なんというニーチェ傾倒だろうか。
 おそらくは現在にまで続くニーチェの影響の大きさと、その反面として、その他の種々の「哲学・思想」に、「日本の思想」も含めて取り組んだことがこの人はなかった、ということも、この一文は示していそうだ。
 なお、遠藤浩一はこの欄で論及したこともあったが、故人となった。1958~2014。

2244/宇都宮健児と八幡和郎-2016年。

 2016年の東京都知事選に宇都宮健児はいったん立候補表明をしたが、鳥越俊太郎が民進党・日本共産党・社民党等に推される共同候補となって、宇都宮は立候補しなかった。
 選挙後に、宇都宮は鳥越を応援しなかった理由を明らかにした、という。
 4年前のいきさつや今回(2020年)の選挙のことに触れたいのではない。
 八幡和郎が4年前に<アゴラ>欄に登載した文章が印象に残っており(2016年8月2日付)、そこに垣間見える八幡和郎という人物の<意識・気分>に関心をもつので、以下を書く。また、八幡の文章のタイトルは「宇都宮氏の応援拒絶真相と女性議員の不甲斐なさ」で、私が関心をもつのは、主題全体でもない。
 さて、2016年の選挙(投票)後に宇都宮が明らかにした鳥越を応援しなかった理由は、「女性問題」にあったという。
 その中身や真否に立ち入らない。
 八幡和郎は、その理由をおそらくそのまま詳しく紹介している。ここでは引用しない。
 興味を惹くのは、八幡のつぎの文章だ。
 「まことに法律家として筋の通った論旨である。私も10年余りあとに同じ大学の同じ学部で学んだ者として、我々が学んだ法の精神はこういうものだったと気分が良かった。法学を学ぶと言うことは、法務知識を駆使し正義を無視して自己の利益を図る技術を獲得することではないと教えられたものだ。
 これを見て、この宇都宮氏にこそ知事になって欲しかったという声も高まっているくらいだが、いくら立派な人でもめざす政策が正しいか、経済的な裏付けがあるかなど別の問題だから飛躍は困るが、宇都宮氏のこの意見表明が、こんどの都知事選挙を締めくくる一服の清涼剤となったことは間違いない。」
 上の後段は、宇都宮が知事になって欲しかった、と書いているわけではない。
 しかし、前段に、八幡和郎の<意識・気分>が現れているだろう。
 いわく、「法律家として筋の通った論旨」だ、「私も10年余りあとに同じ大学の同じ学部で学んだ者として、我々が学んだ法の精神はこういうものだったと気分が良かった」、「法学を学ぶということは、」…うんぬん。
 果たして、この部分で、八幡和郎は何を言いたいのか。言いたいというよりも、基礎にある<意識・気分>は何か。
 それは、大雑把には、宇都宮健児は自分が卒業した大学・学部の「先輩」であり、その彼の今回の(2016年の)発言は「気分が良かった」、というものだ。
 宇都宮健児は2020年都知事選挙に立憲民主党・共産党・社民党等に推されて候補者になっている者で、2012年以前にも(いわば「野党」統一候補として)立候補したことがある。
 そのような<政治信条>を無視するわけではないが、しかし、八幡和郎は、宇都宮は自分の「先輩」で「法学」を学んだ者だ(日弁連会長経験者だから当たり前のことだ)、とわざわざ記したかったのだろう。
 些細なことに言及していると感じられるかもしれない。
 「知(知識)」習得の結果としての大学または「学歴」というもののうさん臭さに近年は関心がある。「知」それ自体では、何ものも保障しないし、判断できない。
 また、「自己帰属意識」ないし戦後日本人の<アイデンティティ>というものにも以前から強い関心がある。出身大学・「学部」等々は、いかほどの「自己意識」を形成しており、かつまたその<機能>はどう評価されるべきか。
 あくまで推測になるが、八幡和郎は、場合によっては、自分以外の者の出身大学を他の何らかの要素よりも優先して考慮・配慮するのだろう。そうでないと、上のような文章を書かない。
 また、ここでは立ち入らないが、八幡和郎の「自己意識」を形成していると見られるのは<経済産業省官僚出身者>(かつフランス・ENA留学組)ということだろうと推察される。しかし、これはあくまで<過去>に関するものなので、現在と論理的には直接の関係はない(はずだ。この点、弁護士資格という国家「資格」は永続するのと異なる)。
 国家公務員(かつての)上級職試験合格者という「資格」があるのではない。あっても、数年間だけのはずだ。(特定の?)大学入学試験合格も卒業も、それだけでは、それ自体では、何の意味もないはずだ。何らかの「知識」の学習・修得が証されたとしても、それだけでは、つまりその「知識」を保持するだけでは、利用しなければ、人間社会・現実の社会にって、何の「役にも立たない」。その辺りが、きわめて曖昧になり、かつ異様な方向へと転じている<雰囲気>がある。これは戦後日本がたどり着いた現在の一つの特徴だろう。だが、何らかの「秩序づけ」と「安定」に役立っているかもしれない。しかし、何となくの緩やかな秩序化は、種々の意味と段階でのく既得権者>をも生み、必要な変化と変革を遅らせるだろう。
 余計ながら、何か勘違いをしているのではないか、なぜそんなに大胆かつ傲慢なことを単純に書けるのか、と感じる文筆家業者は多い。八幡和郎だけでは、もちろんない。

2187/西尾幹二の境地-歴史通・WiLL2019年11月号別冊⑤。

  言葉・概念というのは不思議なもので、それなくして一定時期以降の人間の生活は成り立ってこなかっただろう。というよりも、人間の何らかの現実的必要性が「言葉・概念」を生み出した。
 しかし、自然科学や医学上の全世界的に一定しているだろう言葉・概念とは違って(例えば、「脳」の部位の名称、病気の種類等の名称のかなりの部分)、社会・政治・人文系の抽象的な言葉・概念は論者によって使用法・意味させているものが必ず一定しているとは限らないので、注意を要する。
  面白く思っている例えば一つは、(マルクスについてはよく知らないが)レーニンにおける「民主主義」の使い方だ。
 レーニンの「民主主義」概念は多義的、あるいは時期や目的によって多様だと思われる。つまり、「良い」評価を与えている場合とそうでない場合がある。
 素人の印象に過ぎないが、もともとは「民主主義」は「ブルジョア民主主義」と同義のもので、批判的に用いられたかに見える。
 しかし、レーニンとて、-ここが優れた?政治運動家・「革命」家であったところで-「民主主義」が世界的に多くの場合は「良い」意味で用いられていること、あるいはそのような場合が少なくともあること、を十分に意識したに違いない。
 そこで彼または後継者たちが思いついた、または考案したのは、「ブルジョア(市民的)民主主義」と対比される「人民民主主義」あるいは「プロレタリア民主主義」という言葉・概念で、自分たちは前者を目ざす又はそれにとどまるのではなく、後者を追求する、という言い方をした。
 「民主主義」はブルジョア的欺瞞・幻想のはずだったが、「人民民主主義」・「プロレタリア民主主義」(あるいは「ソヴェト型民主主義」)は<進歩的>で<良い>ものになった。
 第二次大戦後には「~民主共和国」と称する<社会主義をめざす>国家が生まれたし、恐ろしくも現在でも「~民主主義人民共和国」と名乗っているらしい国家が存続している。
 似たようなことは「議会主義」という言葉・概念についても言える。
 マルクスやレーニンについては知らない(スターリンについても)。
 しかし、日本共産党の今でも最高幹部の不破哲三は、<人民的議会主義>と言い始めた。
 最近ではなくて、ずいぶん前に以下の著がある。
 不破哲三・人民的議会主義(新日本出版社、1970/新日本新書・1974)。
 「議会」または「議会主義」はブルジョア的欺瞞・幻想として用いられていたかにも思われるが(マルクス主義「伝統」では)、日本共産党が目ざすのは欺瞞的議会主義ではなく「人民的議会主義」だ、ということになった。現在も同党の基本路線のはずだ。
 <民主主義革命・社会主義革命>の区分とか<連続二段階革命>論には立ち入らないし、その十分な資格もない。
 ともあれしかし、そうだ、「たんなる議会主義」ではなく「人民的議会主義」なのだ、と納得した日本共産党員や同党支持者も(今では当たり前?になっているかもしれないが)、1970年頃にはきっといたに違いない。
  しかし、元に戻って感じるのだが、これらは「民主主義」や「議会主義」という言葉・概念を、適当に(政治情勢や目的に合わせて)、あるいは戦術的に使っているだけではないだろうか。
 <反民主主義>とか<議会軽視=暴力>という批判を避けるためには、「人民民主主義」・「人民的議会主義」という言葉・概念が必要なのだ。
 たんに言葉だけの問題ではないことは承知しているが、言葉・概念がもつ<イメージ>あるいは<印象>も、大切だ。
 人間は、それぞれの国や地域で用いられる<言葉・概念>によって操作されることがある。いやむしろ、常時、そういう状態に置かれているかもしれない。
 自明のことを書いているようで、気がひける。
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 四 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通・月刊WiLL11月号別冊(ワック)。
 p.222で、西尾幹二はこう発言する。
 ・「女系天皇を否定し、あくまで男系だという一見不合理な思想が、日本的な科学の精神」だ。「自然科学ではない科学」を蘇生させる必要がある。
 ・日本人が持つ「神話思想」は、「自然科学が絶対に及び届くことのない自然」だ。
 ここで西尾は、「自然科学」(または「科学」)と「日本的な科学(の精神)」を対比させている。
 これは、レーニンとて「民主主義」という語が~と上に記したように、西尾幹二とて?、「科学」という言葉・概念が<良い>印象をもつことを前提として、ふつうの?「自然科学」ではない「日本的な科学」が大切だと主張しているのだろう。
 民主主義または欧米民主主義とは異なる「日本的民主主義」というのならば少しは理解できなくはない。しかし、「自然科学」またはふつうの?「科学」と区別される「日本的な科学」とはいったい何のことか?
 これはどうやら日本の「神話(思想)」を指す、又はそれを含むようなのだが、しかし、このような使用法は、「科学」概念の濫用・悪用または<すり替え>だろう。
 ふつうの民主主義ではない「人民民主主義」、ふつうの議会主義ではない「人民的議会主義」という語の使い方と、同一とは言わないが、相当に類似している。
 五 西尾幹二・決定版国民の歴史/上(文春文庫、2009/原著・1999)。
 これのp.169に、つぎの文章がある。この部分は節の表題になってもいる(p.168)。
 「広い意味で考えればすべての歴史は神話なのである」。
 つまり、「神話」は、<狭義の歴史>ではなくとも<広義の歴史>には含まれる、というわけだ。
 「神話、言語、歴史をめぐる本質論を以下展開する」(p.166)中で語られているのだから、西尾としては重要な主張なのだろう。
 あれこれと論述されていて、単純な議論をしているのではないことはよく分かる。
 しかし、上の部分には典型的に、「神話」と「歴史」の両概念をあえて相対化するという気分が表れていると感じられる。
 つまり、「歴史」概念を曖昧にし、その意味を<ずらして>いるのだ。
 こうした概念論法を意識的に用いる文章を書くことができる人の数は、多いとは思えない。
 言葉・概念・文章で<生業>を立ててきた、西尾幹二らしい文章だ。
 相当に単純化していることを自覚しつつ書いているが、このような言い方を明瞭な形ではなくこっそりと何度でもするとすると、こうなる。
 ああ言えばこういう、何とでも言える、という世界だ。
  <文学>系の人々の文章で、フィクション・「小説」・<物語>と明記されて、あるいはそれを当然の前提として書かれているものならばよい。
 そして、いかに読者が「感動」するか、いかほどに読者の「心を打つか」が、そうした文章または「作品」を評価する<規準>となる、ということも、フィクション・「小説」・<物語>の世界についてならば理解できなくはない。
 しかし、そうではなくノン・フィクションの「学問」的文章であるならば、読者が受けた「感動」の質や量とか、どれだけの読者を獲得したか(売れ行き)の「多寡」が評価の規準になるのではないだろう。
 何となしの<情感>・<情緒>を伝えるのが「学問」的文章であるのではない。
 <文学>系の人々の文章も様々だが、言葉の配列の美しさとか思わぬ論理展開とかがあっても、それらはある程度は文章の「書き手」の巧拙によるのであって、「学問」的著作として評価される理由にはならない。
 これはフィクション・「小説」・<物語>ではない、「文学」つまり「文に関する学」または「文学に関する学」でも同じことだろう。
 何となく<よく出来ている>、<よくまとまっている>、<何となく基本的な趣旨が印象に残る>という程度では、小説・「物語」とどこが異なるのだろうか。
 <文学系>の人々が社会・政治・歴史あるいはヒトとしての人間そのものについて発言する場合の、評価の規準はいったい何なのか。
 長い文章を巧く、「文学的に」?書くか否かが規準ではないはずだろう。
 長谷川三千子もきっとそうだが、西尾幹二もまた、日本の社会・政治、あるいは「人間学」そのものにとっていかほどの貢献をしてきたかは、全く疑わしい、と思っている。今後も、なお書く。
 江崎道朗、倉山満ら、上の二人のレベルにすら達していない者たちが杜撰な本をいくつか出版して(日本の新書類の一部またはある程度は「くず」の山だ)、論理的にも概念的にも訳の分からない文章をまとめ、「その他著書多数」と人物紹介されているのに比べれば、西尾幹二や長谷川三千子はマシかもしれない。
 しかし、学者・「学術」ふうであるだけ、却ってタチが悪い、ということもある。
 <進歩的文化人>ではない<保守的文化人>と自認しているかも知れない論者たちの少なくとも一部のいい加減さ・低劣さも、いまの時代の歴史の特徴の一つとして記録される必要があるだろう。

2165/<売文業者か思想家か>。

 竹内洋・メディアと知識人-清水幾太郎の覇権と忘却(中央公論新社、2012)。
 これの中身も、全部かつて読んだはずだ。清水幾太郎の言論活動を批判的にたどっているのだろう。
 読売・吉野作造賞受賞第一作。
 単行本に付いている上の紹介よりも興味深いのは、オビ上のつぎの言葉だ。
 <売文業者か思想家か>(オモテ)。
 <この私にしても、まあ、一種の芸人なのです。まあ、笑わないで下さい>(ウラ)。
 後者は、確認しないが、清水幾太郎が書いたか発した言葉なのだろう。
 しかし、竹内洋自身は、<売文業者か思想家か>。そのどちらでもない、大学教授なのか。少なくとも「思想家」だとは思えない。大学教授だとしても、江崎道朗の本のいい加減さを指摘できないようでは、頼まれ仕事を良心的に行っているとは思えない。
 故西部邁は、<売文業者か思想家か>。自分自身はきっと<思想家>だと思っていたのだろうが、しかし同時に<売文業者>でもあっただろう。
 西尾幹二は、<売文業者か思想家か>。自分自身はきっと<思想家>のつもりでいるだろう。そう自称はしなくても、そう思われていたい、と思っているに違いない。西部邁も江藤淳も、西尾幹二にとっては、「気になる」<保守派知識人>のライバルで、西尾の文章の中にはこの二人に対する<皮肉・嫌み>もある。そして、いかんせん、読者の反応や売れ行きを気にする<売文業者>でもある。
 江崎道朗、櫻井よしこ。明らかに「思想家」ではない。そして政治目的のための<売文業者>にすぎない。
 八幡和郎? 「思想家」ではないのはもちろん、「知識人」ですらない。
 ***
 なぜ<売文業>が成り立つか? 文章・知識・情報に関する「出版・情報産業」が「業」として成立し得るだけの<市場>が、日本にはあるからだ。
 そのような社会または国家は、世界のどこにでもあるのではない。
 たまたま人口や地域の規模、そしてほとんど「日本語」だけによる情報交換が成り立っている、日本は、そのような社会・国家だからだ。決して、世界に一般的でも、普遍的でもない。
 少なくとも江戸時代・幕末までの日本の「知識人」は、自分または所属団体(藩等)の「功名」のために文章を書き本を出版したかもしれないが、金儲け=生業としての「功利」のためには<思索・思想作業>をほとんど行わなかったように見える。相対的には純粋に、自分は<正しい>と考えていることを書いただろう。偽書、売らんがための面白物語の例が全くなかったとは言わないが。
 現在の日本の<評論・思想>界の低迷または堕落は、それがほぼ完全に「商業」の世界に組み込まれてしまっていることにあるだろう。
 その中でうごめいているのが、雑誌や書籍の「編集者」・「編集担当者」という、あまり広くは名前を知られていない、「情報・出版産業」の有力な従事者だ。
 テレビ番組を含めれば、(とくに報道・情報)番組製作の「ディレクター」類になる。
 雑誌・書籍の「編集者」・「編集担当者」(あるいはテレビ番組の「ディレクター」)。これらによって発注され、請け負っているのが、日本の現在の自営・文筆業者あるいは「評論家」たちだ。大学・研究所に所属して、それからいちおうの安定した収入があるか、江崎道朗、小川榮太郎等のように「独立」・「自営」しているかによっても、「売文」の程度とその中身は異なるに違いない。

2045/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書, 2018)①。

 「自由」について最近に最も考えるのは、「意思は自由か」または「自由な意思はあるか」だ。この問題はもちろん、「意思」とは何で、その他の精神的行為または精神的態様とどう区別されるものなのか、に関係する。
 ヒト・人間の脳内の諸作業・態様の中に、「こころ」あるいは「感情」はどこにあるのか、どうやって成立しているのか、と類似の問題だ。
 「自由」か否かを論じること自体がヒト・人間として<生きている>ことの証左であり、さらに、たんなる覚醒状態・意識の存在だけではなく、より高次の「思考」を必要とするものだ。
 というわけで、たんなる覚醒状態・意識の存在とは次元が質的に異なるが、「自由」か否かを論じること自体が、<生きている>ことを前提にしていることは変わらない。
 上のことはつまり、<死者>には「意識」はなく、自分は「自由」か否かを考えたり、思い巡らしたりすることはできない、ということだ。
 「自由」か否かを論じるのは、<生者>の贅沢な遊びだ、ということにもなる。
 上に述べていることは、ヒト・人間には、<死から逃れる自由>=<死からの自由>は存在しない、という冷厳たる事実を前提にしている。
 さらに言おう。ヒト・人間は、生まれ落ちるときまでに自己の体内に宿していた<遺伝子>から自由なのか。直接には両親から受け継いだ、個性がある程度はある<生物体>としての存在から、ヒト・人間は「自由」なのか。否。
 さらに言えば、ヒト・人間は、生後の社会・環境から<無意識にでも>与えられる影響から、完全に「自由」でおれるのか? 否。
 「あなたは自由か」とずいぶんと<上から目線>の発問をして、書物の表題にまでしている西尾幹二には、まず上のようなことから論じ始めて欲しかったものだ。
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 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この本の、筑摩書房の出版・編集担当者は湯原法史
 上の書は、空気中の酸素を取り込んで炭水化物等を分解してエネルギーにしなければならない人間、酸素を多分に含む血液を脳を含む全身に送る心臓というポンプを必要とする人間、酸素を含む空気を体内に吸い込むための肺臓の存在を必要とする人間、といったものを全く意識させない、<文学的>、<精神主義的>ないし<教養主義的>自由論のようだ。人文(ないし人文・歴史)関係評論家の、典型的な作品かもしれない。
 もっとも、いちおうは精読したのは、全380頁以上のうちの57頁まで(第一章だけ)。
 しかし、上の範囲に限っても、注文を付けたい、または誤りを指摘しておきたい点がある。
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 その前に、さらに私の「自由」論の序説らしきものを、上記に加えて綴ってみよう。
 組織(・団体)や国家の「自由」(これらを主体とする「自由」)は度外視する。
 第一。①何からの「自由」か。英語ではしばしば、free from ~という二語が併せて用いられる。<from ~>の~は重要なことだ。
 ②何についての自由か。
 ア/内心・政治信条・宗教(信仰)・思想等。
 イ/行動。この行動の「自由」を剥奪または制限するのが、刑法上の<自由刑>だ。
 ウ/経済活動。つまり、商品の生産・販売・取引等々。商品には物品のみならず「サービス」を含む。
 これらは、帰属する共同社会または国家により、法的・制度的な<制約>が異なる。
 第二。冒頭に「自由な意思」の存否の問題に言及したが、<身分から契約へ>を標語としたかもしれない「近代」国家・社会は、「個人の自由」について語るときに「個人の自由な意思」の存在を前提としている(正確には、あくまで原則または理念として)。
 <個人の自由意思>の存在を想定することなくして、法秩序は、そして社会秩序は、成立しない(またはきわめて成立し難い)ことになっている。
 以下は、典型的な法条だ。説明は省略する。あくまで一部だ。
 A/刑法38条「①罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
 ②重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
 ③法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。」
 同39条「①心神喪失者の行為は、罰しない。
 ②心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」
 B/民法91条「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う」。
 同93条「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
 同95条「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない」。
 こうした基本的な?法条に、西尾幹二の上掲著は言及していないようだ。きっと関心もないのだろう。
 茂木健一郎・脳とクオリア(日経サイエンス社、1997)、p.282。
 茂木は上の箇所で、「自由意思」の存在が「犯罪者を処罰する」根拠になっている、等と述べて、「自由意志」論(第10章<私は「自由」なのか?>)への導入文章の一つにしている。
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 さて、西尾幹二・上掲書の短い読了部分(第一章)には、大きく二つの論点がある。
 紹介・引用しつつ、感想・コメントを記す。
 全体としてもそうなのだろうが、部分的な論及はあるとしても、そもそも「自由」をどう理解するのか、「自由」をどう定義しておくのか、が叙述されていない。
 たんなる身辺雑記以上の「随筆」でもない、少なくとも人文・歴史関係評論家の作品?としては、これは困ったことだ。基本的概念の意味がほとんど分からないまま、<賢い>西尾幹二が読んだ多数の文献が挿入されながら、あれこれと、あちこちに論点を少しは変えながら記述される長い文章を読んでいくのは、なかなかの苦痛でもある。
 それはともかく、先ずは、<いわゆる保守>評論家には見たことがない指摘または「怖れ」が(第一章)前半に叙述されているのが、気を惹いた。
 その最初は、カー・ナビやサイバー・テロに触れたあとのつぎの文章だ。p.10。
 ・「生活はほとんど便利になりますが、なんだか背筋の寒くなる、不気味な時代が始まりつつあるように思えました」。
 アメリカのエシュロンや「情報戦争」に触れたあとでは、こう書く。p.19。
 ・「私たちは今、これまでに知られていない、新しい不気味な一つの大きな檻の中に閉じ籠められているような異様な生活感覚の中で生き始めているように思えてなりません」。
 こうした部分はどうやら、この著の基本的なテーマらしい。
 つまり、そういうふうに変わってきているのに<あなたはあなたが自由でないことに気がついているか>(オレは気づいているぞ)ということが、書名も含めて、主張したいことらしい。同様のことは、「あとがき」でも述べられている。
 西尾が「不気味」だと感じるのは、「敵の正体が見えない」ことだ。「サイバーテロ」は誰がいつ襲うか、分からない。
 ここで西尾は旧東独の「秘密警察」(STASI)へと話題を広げる。
 「敵」が誰か分からず、スパイは家族や友人たちの中にもいた、という「かつての全体主義社会」の実例は、「いつ襲ってくるのか分からない敵の正体の見えにくさ、自由の不透明さ」において、現代へのヒントになる、と言う。p.20。
 それはそれとして参考になるかもしれないが、つぎの文章に刮目すべきだろう。このように「展開」させていくのだ。p.24。
 ・「旧共産主義体制のことを私はことさらに論(あげつら)っているのではありません。
 西側のコンピュータ社会が旧東側の、"少年少女スパイ育成社会"にある面では似てきているという新しい発見に、私が戦いているということを申し上げておきたい」。
 同じ趣旨は、つぎの文章ではさらに明確になり、強調されている。p.26。
 ・「世界の先端を行くアメリカのコンピュータ社会は、全体主義体制にある面で似てきているということの現れではないでしょうか」。
 ・「…倒錯心理、常識の喪失において、両者はどことなく共通し始めております」。 
 アメリカの<コンピュータ社会>は、「ある面では」、「どことなく」、共産主義諸国と「似てきて」いるのだ。
 この点が、西尾がこの辺りで指摘して強調したい点に他ならないと思われる。
 そして、日本社会もまた同じだと明記されている。
 端的には、こう書かれる。p.28。
 ・「新旧の共産主義体制にも、現代のアメリカ社会にも、そして日本の社会にもどことなく共通している秩序の喪失、異常の出現」がある。
 最後の締めくくりの文章はこうだ。p.28。
 ・「私たちの生きている今の世界は、どこか今までとは異なった異質な歪みを時間とともにますます肥大化させているように思えてなりません」。
 ***
 こうした西尾幹二のこの部分での叙述の特質は、以下の二点の指摘・表明だろう。
 ①<科学技術>の進展に対する不信感や恐怖。
 ②「現代」社会の欠陥・問題は<共産主義諸国>でもアメリカ・日本でも共通している。
 西尾の用いる「ある面では」とか「どことなく」という表現の意味こそが決定的に重要だと思われるが、そこにこの人は立ち入らない。
 あくまで<文学的>、<感覚的>だ。
 翻って西尾のこうした叙述を読むと、つぎの感想が生じる。
 第一に、<いわゆる保守>か「容共・左翼」かという対立には関係がなさそうだ、ということだ。<現代>批判では「左翼」的かもしれないし、アメリカを先頭に立つ「敵」と見立てているようであるのは「ナショナリズム・右翼」的かもしれないが。
 第二に、<科学技術>の進展に対する疑問や恐怖は、外国も含めてすでに多数の哲学者・歴史研究者等が議論してきたことだと思われる。
 ある者たちはそれを「資本主義」の行き着く先と見なし、(疎外労働によって?)「人間」を「非人間」に変えていく、と考えた。フランスの戦後の哲学者には、こんな主張もあっただろう。
 だが、<科学技術>の進展それ自体に<諸悪>の根源を見る、ということはできない。
 <科学技術の進展と人間の「自由」>というのは、より論じられるべき問題だ。
 結局は一つに収斂するかもしれないが、一方にはIT・AI(人工知能)等の言葉で示されるコンピュータ関連技術の発展があり、一方には脳科学・脳神経生理学等の発展が明らかにしつつあるヒト・人間の「本性」の研究がある。
 これらと社会・国家・人間の関係をもっと論じるべきなのだろう。
 しかし、西尾幹二は<怯えて><憂いて>いるだけで、処方箋を提示しない。それは<文学>系の自分の仕事ではない、と考えているのかもしれない。
 L・コワコフスキがフランクフルト学派の一人に放った厳しい一言を思い出す。記憶にだけ頼り、少しは修正する。
 <現代的科学技術の進化に戦き、かつて「知識人」としての特権を味わうことができた古い時代へのノスタルジー(郷愁)を表明しているだけ>だ。
 第三に、アメリカ・日本が「共産主義」・「全体主義」体制と「似て」きた、「共通して」きた、という指摘にも、十分な根拠が提示されていない。そもそもが、西尾幹二は「共産主義」をどう理解しているのだろう。
 このようにして東西陣営の「共通」性・「類似」性を指摘するのは、ソ連解体時に「容共・左翼」論者も行ったことだった(ソ連にもアメリカにも「現代」特有の病弊がある、と)。
 西尾において特段に意識的ではないのかもしれないが、アメリカを中心ないし先頭とする「現代」文明を批判するのは、中国・北朝鮮等の現代「共産主義」諸国を免罪することとなる可能性がある。
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 一回では済まなくなった。もともとは、<茂木著②>の前書きのつもりだったのだが。

2006/「文学」的観念論ノート。

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 古都保存法という法律がある。これは略称または通称で、正確には<古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法>(昭和40年法律1号)という。
 この法律2条1項はこう定める。「この法律において『古都』とは、わが国往時の政治、文化の中心等として歴史上重要な地位を有する京都市、奈良市、鎌倉市及び政令で定めるその他の市町村をいう」。
 京都、奈良、鎌倉各市およびその他の「政令で定める」市町村が、「古都」とされる。
 この政令である<古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法第二条第一項の市町村を定める政令>(昭和41年政令232号)によると、 政令で定める「古都」とはつぎの市町村だとされる。
 「天理市、橿原市、桜井市、奈良県生駒郡斑鳩町、同県高市郡明日香村、逗子市及び大津市」。
 さて、鎌倉のほか天理、逗子各市および斑鳩町にはたぶん、かつて天皇・朝廷の所在地はなかった筈だ。それに、かつて「都」があったはずの大阪市が列挙される中に入っていない。
 とこんなことを議論しても無意味だ。「都」の一種だと概念論理的にはいえる「古都」について、「都」それ自体の意味とは無関係に、上の法律は「わが国往時の政治、文化の中心等として歴史上重要な地位を有する」特定の市町村だと定義しているのだから。
 ***
 <大阪都>構想に関して、竹田恒泰や西尾幹二らは、「都」は一つだけだ、東京とは別に大阪「都」というのは本来?おかしいと、歴史学的に?または文学的に?主張し、または感想を述べているらしい。
 言葉・概念をすぐに<文学的>に解してしまう文学(部)系「知識人」・「評論家」あるいは「物書き」(文章執筆請負業者)の弊害が顕著だ(もっとも竹田は法学部卒のはずだが)。
 現行の地方自治法(昭和22年法律67号)は「普通地方公共団体」の中に都道府県(・市町村)が、「特別地方公共団体」の中に「特別区」等があることを定めているが、都道府県の各意味、いずれが都道府県にあたるのかの特定を行っていない。
 そして、3条1項で「地方公共団体の名称は、従来の名称による」とだけ定める。
 したがって、明治憲法公布時の「府県制」(・「市制」・「町村制」)のほか1943年の東京「都制」という名称の各法律によるものをそのまま継承することとしている。
 特別区というのは戦後・地方自治法上の制度で、同法281条1項は「都の区は、これを特別区という」と定める。
 今日まで「都」の名称を継承したのは(昭和18年以降の)東京だけで、上の「特別区」の区域は実質的には東京都だけにあり、また旧東京市(昭和18年まで)の区域に該当するものだった。
 しかし、どこにも「都」の定義はなく、「都」とは将来的にも「東京都」に限る、という旨の規定はない。
 2012年(平成24年)に、略称<大都市地域特別区設置法>、正式名称<大都市地域における特別区の設置に関する法律>(平成24年法律80号)が公布された。
 この法律によると一定大都市地域での「特別区」の最終設置権限機関は「総務大臣」だ(3条)。住民投票(選挙人の投票)等を経ての関係自治体の<合意>で決定されるのではない。
 また、「特別区の設置」とは、「関係市町村を廃止し、当該関係市町村の区域の全部を分けて定める区域をその区域として、特別区を設けることをいう」(2条3項)。
 そして、「都」という語・制度との関係について、こう定める。第10条。
 「特別区を包括する道府県は、地方自治法その他の法令の規定の適用については、法律又はこれに基づく政令に特別の定めがあるものを除くほか、都とみなす。」
 現在「都」ではない「道府県」も、これにより、法制上は「都」となる(そうみなされる)。
 また、確認しないが、例えば大阪府を大阪都と名称変更することについては、すぐ上の厳密な規定ぶりからして、上掲の地方自治法3条1項「地方公共団体の名称は、従来の名称による」との抵触を回避するために、別の特別法(法律)が総務大臣の最終決定と同時か一定期間経過後に必要になるのかもしれない。
 いずれにせよ、「都」は東京に限られるのではない。
 天皇陛下がおられる、皇居のある東京に限るべきだ、と主張するのも自由勝手だが、そんな議論は現実の政治・行政上は、とっくに否認されている。
 ところで、大阪府下に「特別区」をおくといういわゆる<大阪都構想>が橋下徹・大阪維新の会で唱えられたとき、そんなことは法律を改正するか新法律を制定しないと、つまりは国・中央の立法機関の国会がそれを認めなければ、実質的には政府・与党がそれを了解していなければ実現する可能性はゼロであることは分かっていたので、政策的議論、行政政策・地方制度(とくに大都市制度)としての優劣の議論はさておき、そもそもその現実的な実現可能性について疑問をもったものだ。
 ところが何と、2012年(平成24年)というのは年末に安倍晋三第二次内閣が誕生した年だが、自民党等の賛成を得て、上記の法律が成立してしまったので、驚いてしまった。
 これはたんなる「理論的」、「政策論的」優劣の問題ではない。
 上記のとおり法律成立がただちに<大阪都>容認を意味するのではないが中央政界、とくに自民党の同意を取り付ける、という橋下徹らの<政治力>または<人間力>によるところもすこぶる大きかっただろう。
 現行の、「生きている法制度」を変更する・改正するというだけでも大変なことなのだ。むろん、その新しい法制を利用して、元来の「理念」を現実化するのも大変なことはその後の経緯が示している。
 橋下徹はしばしば、学者先生の<空理空論>を批判し揶揄しているが、その気分はよく分かる。
 東京にだけ「都」という語は使うべきだ、「都」は一つに決まっている、などとのんきに?書いたり、発言しているだけでは、世の中は変わらない。
 ***
 天皇・皇室に関する日本国憲法を含む現行法制を全く無視して、あるいは無視していることも意識しないで、奇妙なことを、例えば加地伸行(1936-)は語りつづける。
 加地伸行「宮中にて祈りの御生活を-新しい天皇陛下にお伝えしたいこと」月刊正論2019年6月号p.255.は、かつての現天皇・現皇后に対する自らの罵詈雑言にはむろん?少なくとも明示的には触れることなく、つぎのように書く。
 「伝統を墨守する」方法は「ただ一つ」、「皇居の中で静かに日々をお暮らしになり、可能なかぎり外部と接触されないこと」。「庶民や世俗を離れ、可能なかぎり皇居奥深く在されること」。「宮中におかれて、専一、祈りの御生活」を。
「国事行為の場合には他者との面会もやむをえないが…」とも書いているが、またもや加地の幼稚な天皇観が表れているだろう。
 「祈り」とは何か。幼稚な彼は「祭祀王」という語を用いず、「祈り」と宗教・神道との関係にも触れることができない。
 加地伸行は一度、「内閣の助言と承認」を必要とする、上にいう「国事行為」の列挙を日本国憲法7条で確認しておく必要がある。
 そして、「可能なかぎり」「外部と接触」せずに「皇居奥深く在され」て「祈って」いただきたい、というのは日本の天皇の歴史全体を通じても現憲法に照らしても、特殊な天皇観だということを知らなければなない。
 さらに書けば、この人物はかつての自らの皇室関係発言を「恥ずかしく」感じてはいないのだろうか。
 なぜ、「新天皇」への言葉の原稿執筆依頼を平然と引き受けることができるのだろうか。何についても語る資格があると思っているらしき「古典的知識人」のつもりらしい「名誉教授さま」の神経は、凡人たる私にはさっぱり分からない。

2002/石原萠記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)②。

 A/石原萠記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)。
 B/石原萠記・続・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、2009)。
 石原萠記、1924-2017。前者は75歳の年、後者は85歳の年の出版。
 この項①で紹介した1972年4月に東京で開催された「国際セミナー/変貌する社会と社会主義」(後援者・日本文化フォーラム(会長・高柳賢三、事務局長・石原萌記))は最終日に①「会議ステートメント」と②「各分科会の総会報告(要旨のみ)」を発表して終了した。
 これらは、いずれ、そのままこの欄に書き写して別に記録しておきたい。両者で、本文2頁余-Aのp.1129-1131。
 既述のように、この東京での会合でRichard Lownthal (独)およびGilles Martinet (仏)と行った以下の題の報告と副報告(またはコメント)が、のちにL・コワコフスキら編の著書の一部となった。
 Richard Lowenthal <独>「先進民主主義諸国での将来の社会主義」。
 Gilles Martinet.<仏>「社会主義の理論とイデオロギー」。
 L・コワコフスキ=S. Hampshire 編・社会主義思想-再評価(New York、1974)。
 Leszek Kolakowski & Stuart Hampshire, ed, The Socialist Idea - A Reappraisal.(New York, 1974).
 この「東京国際セミナー」については、今回冒頭掲記のでも、つぎのように「記録」されている。B、p.285。タイトルはここでは<変貌する社会における社会主義>となっている。
 これによると、「このセミナーは、フジTVが毎夜放送したほか、NHK教育TV、各マスコミが大きく話題視した。各国メンバーは終了後、東京で歌舞伎などを観劇し、関西へ行き、大学・経済人と交流した。」
 正確な期日等は、1972年4月10日~14日、大手町・日経ホール。
 日本経済新聞社が「後援」している。
 外国からの参加者の中に、Aでは「アラン・ブロック(オクスフォード大副総長)」、Bでは「アロン・バロック(オクスフォード大総長)」と記載されている人がいる。
 この人物は、のちにつぎの書物を出版したのと同一人だろう。
 Allan Bullock〔アラン・ブロック〕=鈴木主悦訳・対比列伝/ヒトラーとスターリン(全三巻-草思社、2003/原書1993年)。
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 石原萠記は、どういう人物だったのか。
 75歳の年の上のAには、第11章<生き甲斐を与えてくれた人びと-忘れ難き学者・文化人に学ぶ->と題して、外国人を含む20人以上の人との身近な交流と人物評(・感謝)をつづっている。たんに知っているとか、尊敬しているとかではない、人間的な<接触・交流>のあったことが分かる。p.1155~p.1216(以下の没年記載もこれによる)。
 対象人物は、以下のとおり。肩書き・所属等を簡単に記述することはできないし、原書でもそうしていないが、何もないと分かりづらいかもしれないので、あえて秋月が記した。
 (01)三輪寿壮(日本社会党)、~1956。
 (02)高柳賢三(英米法、成蹊大学総長、憲法調査会会長、日本文化フォーラム会長)、~1967。
 (03)平林たい子(作家)、~1972。
 (04)河上丈太郎(日本社会党右派)。
 (05)中村菊男(政治学、慶応大学、民主社会主義)。
 (06)張俊河<韓国>。
 (07)松前重義(東海大学総長、日本社会党)、~1991。
 (08)江田三郎(日本社会党右派、社会市民連合)、~1977。
 (09)竹山道雄(哲学者、「自由主義」)、~1984。
 (10)福沢一郎(画家)、~1992。
 (11)小島利雄(弁護士)。
 (12)安倍能成(哲学者、学習院総長)。小泉信三(哲学者、慶応大学)。
 (13)中谷宇吉郎(自然科学)。尾高朝雄(法学、日本文化フォーラム初回会合招聘文執筆者・同副会長予定)、~1956。
 (14)福田恆存(評論家)、~1994。村松剛(評論家)。
 (15)木川田一隆(東京電力、経済同友会)。平岩外四(経団連)。
 (16)関嘉彦(東京都立大、民社党国会議員)。
 (17)高橋正雄(日本社会党右派)、~1995。
 (18)金俊燁<韓国>。
 (19)モクタール・ルービス<インドネシア>。
 (20)ハーバート・パッシン<アメリカ、国際文化自由会議>
 (21)E・サイデンステッカー<アメリカ>
 (22)林健太郎(西洋史、東京大学総長)。
 (23)遠山景久(ラジオ日本)。
 (24)松井政吉(日本社会党右派)、~1993。
 以上。

1999/池田信夫のブログ009-朝日・鈴木規雄。

 池田信夫ブログマガジン2019年7月8日号「慰安婦問題の知られざる主役」。
 鈴木規雄(~2006)という名も含めて、知らなかったことが多いので、要約的紹介。
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 1990年まで慰安婦問題はほとんど知られていなかったが、これを日韓の外交問題にしたのは朝日新聞だ。第一報を書いた植村隆は当時33歳の駆け出しで、キャンペーンの責任者は当時大阪社会部デスクの「鈴木規雄」だった。
 1988年、鈴木は千葉支局デスク時代に初めて「日本人慰安婦」証言を記事にしたあと、1991年8月に大阪社会部デスクで「慰安婦の記事を書かせた」。
 1992年1月、宮沢喜一訪韓直前に「軍関与示す資料」トップ記事が出たときの東京社会部デスクは、鈴木規雄だった。
 1997年3月に、信憑性が怪しくなった吉田清治証言の「真偽は確認できない」との曖昧な総括記事取材班の人選をしたのは、当時名古屋社会部長の鈴木規雄だった。
 上の時期の朝日新聞・外報部長は吉田清治を「世に出した」清田治史だった。この人物は「勤務していた大学を辞職し、その後は姿を消している」。
 鈴木規雄が慰安婦問題で力をもったのは社会部「本流」だったからだろう。大阪社会部で頭角を現し、京都・蜷川虎三府政を応援する記事を書いた。
 鈴木規雄は「共産党員(もしくはそのシンパ)だったとみられ」、朝日新聞は「革新」府政の原動力となった。
 大阪のマスコミは営業的にも「在日」・「同和」の読者が重要で、「慰安婦キャンペーン」は「大阪ジャーナリズム」の総集編ともいうべきものだった。
 鈴木規雄が「自分の書かせた特ダネに事実関係に致命的な誤りがあったことに気づかなかった」とは思えず、遅くとも1997年には気づいたはずだ。
 なぜ2014年まで隠蔽されたのか。「朝日新聞は、まだ大きな問題を隠している」。
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 若干の感想・コメント。
 第一。保守・右派や革新・左派の「論壇・評論家・知識人」たちと同様に、あるいはそれら以上に、現実の「知的」雰囲気を作ったのはジャーナリズムで、新聞、テレビ局を含み、さらに広くは<情報産業>全体を、もっと広くは<情報・エンターテイメント産業>を含む。「産業」・「企業体」だ。
 そして、そうした「産業」界の面々は組織・企業の一員として働くので、「論壇・評論家・知識人」たちと違って(「個人営業」をしないので)、個人の固有名詞が世間一般には出てくる頻度がはるかに少ない。
 上の鈴木規雄、清田治史もそうだが、大手新聞社(+共同通信等)の要職者・社説執筆者、最終的構成・校正担当者はもちろん、テレビ番組の制作責任者(・ディレクター)や月刊雑誌・週刊誌等の「編集」担当者、さらに大手出版社の単行本発行に関与する「編集」担当者もそうだ。
 こういう<業界人>たちは、どのような人物なのか。どのような教育を受け、どのような一般的知識をもち、かつどのような<政治的>感覚を基礎的に身につけているのか。
 そのレベルや内容は、社会にも、「政治」にも、そして「投票行動」にも、全体としては無視できない影響を与えることになっているだろう。
 第二。全てを「個人」に還元させることはできない。例えば、朝日新聞社、読売新聞社、産経新聞社のいずれに入社するかで、ある人物の人生は大きく変わるに違いない。組織内で「出世」しようと思えば思うほど、当該新聞社の「主流的」論調に合わせようとするだろうと思われる。
 産経新聞社の主流論調は、<天皇を戴く国のありようを何よりも尊い>と感じることなのだろうか(例、桑原聡)。
 この産経新聞社内にいると、九州・中国地方の、平安期以降に新たに生まれた<神武天皇東遷>の伝承記録も、<神武…は実際にあった>の証拠になるのかもしれない。
 なお、「個人」が直接に特定の<政党>の影響下にあることはもちろんあるだろう。
 朝日新聞社や岩波書店のみならず、新潮社にも講談社にも平凡社にも、れっきとした日本共産党員はいると思われる。
 少なくとも、自分の会社から日本共産党・不破哲三の本を出版させようと考える「容共産党」の編集者はいる(新潮社・平凡社)。提案して、社内での編集会議ないし出版会議を通過させれば、大手出版社の名で出版することは可能だ。
 第三。しかしまた、個々の組織人で成り立つ新聞社等の情報産業界に、政党直接でなくとも、「評論家・知識人」たちが<空気>の有力な一つとして影響を与えていることも確かだろう。もっとも、相対的には後者の力は落ちているようにも思われる。
 <論壇>とか、<言論思想界>なるものは、ごく一部の者がその「存在」を信じているにすぎない「夢想郷」なのではないか。あるいは、存在しても、その現実的影響力は、当事者たちが想定しているよりも遙かに弱く、100分の1、1000分の1ほどなのではないか。
 第四。朝日新聞批判、朝日新聞拒絶は、この欄の発足時で立脚点だったことで(当初のサブ・タイトルは「反朝日新聞・反日本共産党」だった)、近年になってようやく<えせリベラル>などと指摘して批判的立場を明確にするようでは遅すぎる(例、八幡和郎)。そういう意味では、今回紹介の池田信夫の文章も、無意識に想定していた範囲内に十分にある。

1983/池田信夫のブログ006。

 池田信夫ブログマガジン6月17日号「『ブログ経済学』が政治を変えた」。
 池田のおそらく意図ではない箇所で、あるいは意図していない態様で、その文章に「引っかかる」ことが多い。「引っかかる」というのは刺激される、連想を生じさせるという意味なので、ここでは消極的で悪い意味ではない。
 「物理学では学界で認められることがすべてだが、経済理論は政策を実行する政治家や官僚に認められないと意味がないのだ」。
 十分に引っかかる、または面白い。
 後の方には、こんな文章もある。
 「主流経済学者が…といった警告を繰り返しても、政権にとって痛くもかゆくもない。そういう批判を理解できる国民は1%もいないからだ。」
 学校教育の場では各「科目」の性質の差違、学術分野では各「学問・科学」の性質の差違は間違いなくあるだろう。
 理系・文系の区別はいかほどに役立つのか。自然科学・社会科学・人文科学といった三分類はいかほどに有効なのか。
 文系学部廃止とか人文社会系学部・学問の閉塞ぶりの指摘は、何を意味しているのか。
 経済学(・-理論、-政策)に特化しないでいうと、近年に感じるのは、<現実>と<理論・記述>の区別が明確な、または当然のものとして前提とされている学問分野と、<現実>と<理論・記述>のうち前者は遠のいて、<理論・記述>に該当する叙述が「文学」または「物語」化していく学問?分野だ。
 文学部に配置されている諸科目・分野でいうと、地理学・心理学は最初から別論としたい。ついで、歴史学は理系ないし自然科学に関する知見も本来は!必要な、総合的学問分野だろう。<歴史的事実>と<歴史叙述>が一致しないことがある、ということは古文献にせよ、今日の学者・研究者が執筆する文章にせよ、当然のことだろう。
 法学というのは「法規範」と「現実」は合致するわけではないことを当然の前提にしている。規範の意味内容の「解釈」を論じてひいては何がしかの「現実」に影響を与えようとする分野と、法史学とか法社会学とかの、直接には「法解釈」の議論・作業を行うのではない分野の違いはあるけれども。
 池田信夫もおそらく前提とするように、「経済」に関する「理論」とそれが現実に「政策」として政権・国家によって採用されるかは別の問題だ。さらには、特定の「理論」が「経済政策」として採用されても、それが「現実に」社会または国民生活にどういう影響を与えるかは、さらに別の話、別に検証を要する主題だろう。
 なお、日本では法学部内に置かれていることが多い政治学は、少なくとも<法解釈学>よりは経済学に近いような気がする。もちろん、「政治」と「経済」で対象は異なるけれども。よって、「政経学部」という学部があるようであるのも十分に理解できる。
 上に言及したような文学部内の科目・分野を除くと、<現実>と<物語化する記述>が曖昧になってくる傾向があるのは、狭義での「文学」や「哲学(・思想)」の分野だろう。
 そして、こうした分野で学部や大学院で勉強して、大学教授・「名誉教授」として、または種々の評論家として文章を書いたり発言をしたりしている者たちが、戦後日本を「悪く」してきた、というのが、近年の私の持論だ。
 なぜそうなるのだろうか。「事実」ないし「経験」によって論証するという姿勢、「事実」・「現実」にどう関係しているかという問題意識が、もちろん総体的・相対的にかもしれないが、希薄で、<よくできた>、<よくまとまった>、<読者に何らかの感動を与える>まとまりのある文章を作成することを仕事としている人々の基礎的な学修・研究の対象が「文学」だったり哲学者の「哲学書」だったり、本居宣長等々の「作品」だったりして、そしてそれら<著作物>の意味内容の理解や内在的分析(むろん書き手・読み手両方についての「他者」との比較を含む)だったりして、直接には<事実>・<歴史的現実>を問題にしなくとも、あるいはこれらを意識しなくとも仕事ができ(報酬が貰え)、評価もされる、ということにあるだろう。
 適切な例かどうかは怪しいが、「狭義」の文学とはいったいいかなる意味で「学問」なのだろう。
 ある外国(語)の「文学」に関する論考が大学の紀要類に掲載されていて、それを読んだとき、これは「学問」か?と強く感じたことがある。
 その論考は要するに、ある外国(語)の「文学」作品を原外国語で読んで、邦訳し(日本語化し)、そのあとでコメントないし「感想」を記したものだった。
 こんな作業は、中学生・高校生が日本語の「文学」作品について行う「読書感想文」の記述と、本質的にいったいどこが違うのか。
 外国語を日本語に訳すること自体が容易でないことは分かるが、翻訳それだけでは一種の「技術」であり、あるいはせいぜい「知識」であって、とても「学問」とは言い難いのではないか。
 唐突だが、小川榮太郎が産経新聞社系のオピニオン・サイトに昨2018年9月28日に、書いていたことが印象に残った。表題は、「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」。
 毎日新聞に求められて原稿を書いたが、掲載されなかった。その内容は、以下だった、という。以下、引用。一文ずつ改行。
 「署名原稿に出版社が独断で陳謝コメントを出すなど言語道断。
 マイノリティーなるイデオロギー的立場に拝跪するなど文学でも何でもない。
 …に個の立場で立ち向かい人間の悪、業を忌憚なく検討する事も文学の機能だ。
 新潮社よ、『同調圧力に乾杯、全体主義よこんにちは』などという墓碑銘を自ら書くなかれ」。

 この文章は昨年夏の新潮45(新潮社)上の杉田水脈論考をきっかけとし生じた「事件」の当事者によるものだ。
 きわめて違和感をもつのは、どうやら小川榮太郎は自分の「文学」の仕事として、杉田水脈を応援し?、防衛?しようとしたようであることだ。
 杉田水脈論考は国会議員の文章で、「政治的・行政的」なものだ。
 そして、小川榮太郎がこれを支持する、少なくともリベラル派の批判に全面的には賛同しない、という立場を明らかにすることもまた、「政治的」な行動だ。
 執筆して雑誌に掲載されるよりも前にすでに、新潮45編集部からの(一定の意味合いの)執筆依頼を受諾したということ自体が、「政治的」行動だ。
 小川榮太郎は「文学」と「政治」の二つの「論壇」で自分は活動していると思っているらしく、これもまたきわめて怪しい。
 主題がやや別なのだが、「論壇」人とは要するに、少なくとも現在の日本にとくに注目すれば、いくつかの何らかの雑誌類への執筆という注文を受けて、文章という「生産物」を販売し、原稿料というかたちで対価を受け取っている、「文章執筆自営業者」にすぎない。
 大学・研究所その他ら所属していれば、副業かもしれないが、小川榮太郎のような者にとっては、「本業」としての「文章(執筆)請負・販売業」なのだ。
 企業である出版業者が<経営>を考慮するのは当然のことで、新潮社の社長の権限や内部手続の点はよく知らないのでともあれ、小川榮太郎が<表現の自由>の剥奪とか新潮社の<全体主義>化とかと騒いでいるのは、根本的に倒錯している
 元に戻ると、小川榮太郎が新潮45に掲載した論考が彼の「文学」だとは、ほとんど誰も考えなかったのではないか。
 今回に書きたかったことは、強いていえばここにある。つまり、「文学」と「政治」の混同・混淆で、自分の文章を「文学的」に理解しようとしないとは怪しからん、自分の「文学亅を理解していない、などという開き直りの仕方の異様さだ。
 もともと小川榮太郎は「文芸」評論の延長で「政治」評論もしているつもりなのだろう。
だから、文学・政治の両「論壇」で、などと書くにいたっている。
 そして、安倍晋三に関するこの人の「作品」は「文芸」評論の延長で「政治」にも関係した典型のもので、ある種の感動・関心を惹いたのだとしても、その内容は「物語」だ。
 現実・事実を最初から「物語」化してはいけない。あるいは「文学」化してはいけない。
 それらの基礎にある、何らかの「思い込み」、「妄想体系」の<優劣>でもって勝負あるいは<美しさ>、<作品の評価>が決まってしまう、というようなことをしてはいけない。
 それは狭い「文学」の世界では大切なことなのかも知れないが、事実・現実に関係する世界に安易に、あるいは幼稚に持ち込んではならないだろう。
 というわけで、ひいては、「文学」の<学問>性や他人の文章ばかり読んでいる「哲学研究者」なるものの「哲学」性を、ひどく疑っているわけだ。
 池田信夫の文章に関連して、さらに書きたくなること、連想の湧くことは数多いが、今回はここまで。

1896/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」②。

 まず、前回の余録。 
 杉田水脈は語る-「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する」という「旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデル」。
 たしかに、たぶんレーニンではなくスターリンのもとで、子どもに両親(二人またはいずれか)の「ブルジョア」的言動を学校の教師とか党少年団の幹部とかに<告げ口>させるというようなことがあったようだ。
 どの程度徹底されたのかは知らない。しかし、東ドイツでも第二次大戦後に、夫婦のいずれかが片方の言動を国家保安省=シュタージに「報告」=「密告」していることも少なくなかったというのだから、現在日本では<想像を超える>。
 しかし、「ブルジョア」的言動か否かを判断できるのは日本でいうと小学生くらい以上だろうから、「保育所」の児童ではまだそこまでの能力はないのではないか。
 これはそもそも、産まれたヒト・人間を「社会」・「環境」がどの程度「変化」させうるのか、という基本問題にかかわる。だが、ともあれ、「保育所」の児童の「洗脳」を語る場合に、杉田水脈は具体的にどういうことを想定したのだろうか。
 さる大阪府豊中市内の保育園か幼稚園で、子どもたちにそのときの総理大臣に感謝する言葉を一斉に連呼させていた例も平成日本であったようだから、スターリン(様?)に対してか共産党体制に対してか、感謝を捧げ、スターリン・ソ連万歳!と言わせるくらいの「洗脳」はできるだろうが、杉田水脈はそれ以上に、何を想定していたのだろう。
 保育所児童がマルクス=レーニン主義を理解するのはまだ無理で、<歴史的唯物論>はむつかしすぎるのではないか?
 そうだとすると、ソ連が日本でいう小学生程度未満の「子供を家庭から引き離し」た目的は、その母親を労働力として利用するために「家庭」に置かない、「育児」のために「家庭で子どもにかかりきりにさせる」のではなく「外」=社会に出て、男性(子どもにとっての父親を含む)と同様に「労働」力として使うことにあったのではないか、と思われる。
 1917年末の立憲会議選挙(ボルシェヴィキ獲得票24%、招集後に議論なく解散)は男女を含むいわゆる普通選挙で、かつ比例代表制的な「理想」に近いほどの?方式の選挙だったともいわれる。
 したがってもともと、「社会主義」には男女平等の主張は強かったのかもしれないが、その重要な帰結の一つは、「(社会的)労働」も男女が対等に行う、ということだったと考えられる。
 かつまた、当時のソ連の経済状態からして、男性を中心とする「労働」だけでは決定的に足りなかった。囚人たちも「捕虜」たちも、労働に動員しなければならなかった。
 そのような状況では、子どもを生んだ女性たちの力を「家庭内で育児にほとんど費やさせる」余裕など、ソ連にはなかった、と思われる。
 100人の女性が多く見積もって200人の幼児・児童の「子育て」に各家庭で関与するよりも、20人の「保育士」が200人の幼児・児童を世話をする方が、5倍ほども「効率」がよい。-各家庭または母親等の「個性的」子育て・しつけはできないとしても。
 以上のようなことから、「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設」で受け入れる必要がまずあったのであって、「洗脳」は、幼児や保育園児童については二次的、三次的なものでなかっただろうか。
 私はソ連史、ヒトの乳幼児時期や育児論、に詳しくはないし、上の数字も適当なものだ。
 しかし、女性の「労働」環境がソ連と現在の日本とでは出発点から異なることを無視してはいけないように思われる。
 多数の女性が「社会」に進出して?「工場」等で「労働」するようになると、それなりの(女性の特有性に配慮した)「女性福祉」の必要が、ソ連においてすら?必要になる。
 一般的にソ連または社会主義体制は「福祉に厚い(厚かった)」という宣伝を、資本主義諸国の状況と単純に比較して、前者を「讃美」・「称揚」することはできないのだ。-このトリックをいまだに語る日本人は少なくない。
 ともあれ、杉田水脈の「思考」はまだ不足しているのではないか、ということだ。
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 かつて、つぎの本があり、上下二巻を私は面白く読んだ。
 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫 1945-1970/上・下(麗澤大学出版会、2010)。
 文学または文芸分野の著作かにも感じられるが、しかし、著者は法学部出身で政党活動にも関係していたからでもあろう、タイトルの二人の言説の比較、経緯等をときどきの「政治」の世界とその歴史の中で位置づけ、論述していたのが興味深くて、かなり一挙に読み終えた。当時の自分の関心にも適合していたのだろう。
 だが翻って感じるのは、この遠藤浩一(故人)の仕事・著作は、いったいいかなる性格の知的営為であって、無理やり分けるとしていかなる<ジャンル>のものなのだろう、ということだ。
 日本戦後史の一部の「歴史研究」という意図があるいはあったかにも見える。「文芸」も「文芸評論」も作家の「小説」類も、歴史的叙述の対象に、それらを対象に限ったとしても、なりうる。しかし、著者は正面からその旨を謳ってはいなかった。
 むしろ、記憶に残る印象は、二人の文芸・文学「知識人」を素材にした、戦後の「政治」とその歴史の一端についての、遠藤による<物語>または<作品>だった、ということだ。
 最近までも含めて、「歴史」に関する書き物での、いったいいかなるレベルの叙述なのかが曖昧なものがきわめて多いように見える。
 単純に二分すると、歴史「研究」書又は歴史「研究」を基礎にした一般向け書物なのか、それとも歴史に関する「お話」、個人的に思いつきや思い込みを含めて書いた「物語」、あるいは後者を含む意味での、要するに歴史叙述に名を借りた「作品」か。(これらとは、最初から歴史「小説」と明言されているものはー「時代小説」も含めてー、史料を踏まえていても、もちろん区別され、別論だ。)
 むろん、このように単純化はできない。前者を歴史「学界」または「アカデミズム」の一員によるものに限るのもおそらくやや狭すぎる。
 井沢元彦の<歴史研究>をアカデミズムは無視するかもしれないが、単なるマニア、歴史好きのしろうと(私のような)では、この井沢はないだろう。
 しろうとよりは多数の知識をもっていて「専門家」とすら自己認識している可能性すらあるようにも見える八幡和郎は、しかし、日本史の「専門家」では全くないだろう。歴史好きの平均的なしろうと(私のような)よりは「かなりよく知っている」程度にとどまると思われる。
 長々と余計なことを書いているようでもあるが、「歴史」に関する話題に収斂させたいのではない。
 小川榮太郎の文章を読んでいて興味深く思うのは、「文論壇」とか「文・論壇」とかのあまり見たことがない言葉が用いられていて、どうやら「文壇と論壇」を合わせたものを意味させているようであることだ。
 小川はどうも主観的には、「文壇」と「論壇」の両方で活躍??しているつもりらしい。
 先に遠藤浩一の著について感じた、これはいかなる性質の、どの分野の言述なのか、が小川榮太郎についても問題になりうる。
 いかほどに深く、この点を小川榮太郎が思考しているかは、疑わしい。
 <文学的に政治を語る>のは、より正確には<文学・文芸評論家の感覚で政治そのものを論じようとする>のは、そもそも間違っているのではないか。
 いや、小林秀雄も、福田恆存も、あるいは三島由紀夫も、とか小川は言い出すかもしれない。しかし、あくまで現時点での個人的な印象・感覚だが、これら三人は、<文学・文芸>の分限とでもいうべきものを弁えており、<政治そのもの>に没入はしなかった。
 むろん三島由紀夫の自衛隊・市ヶ谷での1970年の行動は、<政治そのもの>であって、<文学・文芸>の分限を超えるものであることを三島自身は深く自覚・意識していたに違いない。このような意味で、同じ人間が時機や特定の言動について、二つの異なる世界を生きることはあるが、同じ人間が同じ時機と同じ言動によって異なる二つの世界を生きることを(三島由紀夫はかりに別論としても)、小林秀雄も福田恆存も慎重に避けていたのではないだろうか。
 小川榮太郎が<文学的に政治を語る>のは、より正確には<文学・文芸評論家の感覚で政治そのものを論じようとする>のは、間違っているのではないか。
 むろん、「文学・文芸評論家」ではなく、「政治評論家」あるいはさらに「政治活動家」として自分は言動している、と言うのであれぱ、それでよい。それで一貫はしている。
 (つづく)

1895/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」①。

 2018年9月の新潮45<騒動>の出発点となったのは杉田水脈の文章で、それを大きくして決着をつけた?のは、小川榮太郎の文章。
 2年近く前の小林よしのり、ちょうど1年前の篠田英朗。タイミングを失して、この欄に書こうと思いつつ果たしていないテーマがある。
 新潮45問題に関して気になっていたことを、ようやく書く。時機に後れていることは、当欄の性格からして、何ら問題ではない。
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 原書・原紙で読んだわけではないが、杉田水脈はこう書いている。ネット上で今でも読める。
 産経新聞2016年7月4日付、杉田・なでしこリポート(8)。
 「保育所を義務化すべきだ」との主張の「背後に潜む大きな危険に誰も気づいていない」。
 「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしている」。
 一部かと思っていたら「数年でここまで一般的な思想に変わってしまう」とは驚きだ。
 「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」。
 「これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援-などの考えを広め、…『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました。…保育所問題もその一環ではないでしょうか」。
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 2018年の「生産性」うんぬんの議論の芽は、ここにすでに見えている。
 この言葉とこれに直接に関係する論脈自体は別として、秋月瑛二は上のような議論の趣旨が分からなくはない。また、一方で、「保守」派はすぐに伝統的「家族」の擁護、<左翼>によるその破壊と言い出す、という<左>の側からの反発がすぐに出るだろうことも知っている。
 戦後日本の男女「対等」等の<平等>観念の肥大を、私は懸念はしている。
 しかし、上のようなかたちでしか国会議員が論述することができないということ自体ですでに、「知的」劣化を感じざるをえない。
 第一に、現在日本での「保育所」問題あるいはとくに女性の労働問題と「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデル」とを、あまりに短絡に結びつけているだろう。
 百歩譲ってこの「直感」が当たっているとしても、その感覚の正当性をもっと論証するためには、幾十倍化の論述が必要だ。旧ソ連の「子育て」・労働法制(または仕組み・イデオロギー)と日本の現下の保育所を含む児童福祉・労働法制等の比較・検討が必要だ。
 そのかぎりで、杉田水脈は一定の「観念」にもとづいて、「思いつき」でこの文章を書いている。
 第二に、唐突に「コミンテルン」が出てくる。これはいったい何のことか。
 杉田水脈が「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」と明記するには、それなりの根拠あるいは参照文献があるに違いない。
 いったい何を読んでいるのだろうか。また、その際の「コミンテルン」とはいかなる意味か。
 「コミンテルン」を表題に使う新書本に、この欄でまだ論及するつもりの、以下があった。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 この本で江崎は戦争中の「コミンテルンの謀略」を描きたかったようだが、そして中西輝政が本当に読んだのかが決定的に疑われるほどに(オビで)絶賛しているが、江崎自身が中で明記しているように、「コミンテルンの謀略」とはつまるところ「共産主義(・マルクス主義)の影響」の意味でしかない。タイトルは不当・不正な表示だ。
 「謀略」としてはせいぜいスパイ・ゾルゲや尾崎秀実の「工作」が挙げられる程度で、江崎自身が、無意識にせよ、客観的にはソ連・共産党を助けることとなった言論等々を含むときちんと?明記している。
 上の本は正式には<共産主義と日本の敗戦>という程度のものだ。しかも、延々と明治期からの叙述、聖徳太子に関する叙述等々があって、コミンテルンを含むソ連の「共産主義者」に関する叙述は三分の一すらない。
 さて、杉田水脈における「コミンテルン」も、何を表示したいのだろうか。
 しかも、これは「弱体化したと思われていた」が「息を吹き返しつつあ」るもので、しかも、「一番のターゲットが日本」なのだとすると、本拠?は日本以外にあり、かつ日本以外にも攻撃対象になっている国はある、ということのようだ。本部は中国・ペキンか、それともロシア・モスクワか。ひょっとしてアメリカ・ニューヨークにあるのか。
 これは、「コミンテルン」=共産主義インターナショナルという言葉に限ると、<デマ>宣伝にすぎない。この人の「頭の中」には存在するのだろう。
 左にも右にもよくある、<陰謀>論もどきだ。
 ロシア革命が「原因」でヒトラー・ナツィスの政権奪取があったとする説がある。なお、レーニン・十月革命(10月蜂起成功)ー1917年、ヒトラー・ミュンヘン蜂起失敗ー1923年。
 両者の<因果関係>は、間違いなくある。ほんの少し立ち入ると、両者をつなぐものとしてリチャード・パイプス(Richard Pipes)もかなり言及していたのは<シオン賢人の議定書>だ。記憶に頼って大まかにしか書けないが、これは当時に刊行のもので、ロシア・十月革命の原因・主導力を「ユダヤの陰謀」に求める。又はそのような解釈を積極的に許す。かつ、その影響を受けたドイツを含む欧州人は「反ユダヤ人」意識を従来以上に強くもつに至り、ヒトラーもこれを利用した、また実践した、とされる(なお、いつぞや目にした中川八洋ブログも、この議定書(プロトコル)に言及していた)。
 理屈・理性ではない感情・情念の力を無視することはできないのであり、中世の<魔女狩り>もまた、理性・理屈を超えた「情念」あるいは「思い込み」の恐ろしさの表れかもしれない。
 現在の日本の悪弊または消極的に評価する点の全てまたは基本的な原因を、存在してはいない「コミンテルン」なるものに求めてはいけない。もっときちんと、背景・原因を、そして戦後日本の政治史と社会史等々を論述すべきだ。
 <左翼>は右翼・ファシスト・軍国主義者の策謀(ときにはアメリカ・CIAも出てくる)を怖れて警戒の言葉を発し、<右翼・保守>は左翼の「陰謀」に原因を求めて警戒と非難の言葉を繰り返す。
 要するに、そういう<保守と左翼>の二項対立的な発想の中で、左翼またはその中の社会主義・共産主義「思想」を代言するものとして、おそらく杉田水脈は(まだ好意的に解釈したとしてだが)、「コミンテルン」が息を吹き返しつつある、などと書いたのだろう。
 産経新聞編集部もまた、これを簡単にスルーしたと思われる。産経新聞社もまた、江崎道朗と同様に?、「コミンテルンの陰謀」史観に立っているとするならば、当然のことだ。
 共産主義あるいはマルクス主義・社会主義に関心を寄せるのは結構なことだが、簡単にこれらを「観念」化、「符号」化してはならない。
 歴史と政治は多様で、その因果関係もまた複雑多岐で、「程度・範囲・濃度」が様々にある。
 幼稚な戦後および現在の「知的」議論の実態を、杉田水脈の文章も、示しているように思われる。

1855/「ポピュリズム」考-神谷匠蔵の一文から②。

 ポピュリズムとは字義からして、人種とか民族には関係がないと漠然と感じてきた。
 神谷匠蔵が2017年に「人種差別」や「排外主義」をも要素とするものだと「左翼」が意味を転倒させたとして嘆き又は批判しているのは、アメリカや欧州(とくにルペンのフランス)を意識してのことだろう。
 おそらく1年以上前にドイツに関する日本での報道特集的なものを見ていたら、ドイツ・メルケルの難民政策に批判的な活動をしている中年男性ドイツ国民を取り上げていて、同時に、その国民の話しかけに対して‘Schweine!’と吐き捨てた若い夫婦らしき二人のうちの男性も映像に捉えていた。
 邦訳されていなかったが、Schweine!とはたぶん、<ブタ野郎!>とかの意味だ。
 ドイツ政府の難民政策の見直し要求・批判をする者を侮蔑する国民も、一方にはいる、ということだ。
 欧米でのポピュリズムなるものが、各国での「難民」政策にかかわっており、したがってそれに関する議論が人種・民族に関連している、ということなのだろう。
 アメリカのトランプ(大統領)やフランスのルペン(この当時に大統領候補)を批判した(している)「左翼」の側が、この人たちを支持し、難民政策の変更または移入制限を求める人々や運動をポピュリズム(・ポピュリスト)とか称したのだろう。
 関連して思い出すのは、NHK等の日本のテレビ・メディアが、フランス・ルペンやドイツの政党・AfD(ドイツのための選択肢)を明瞭に「極右」と表現していたことだ。
 フランス社会党の候補が大統領決戦投票の二人の中に存在しなかったという状況で、二人の候補の一人を「極右」と形容したのは、フランス国民に対して失礼だっただろう。
 共・社・中道左派・中道右派そして「極右」という時代のままの、すでに古くさい図式に日本のメディア関係者は嵌まったままだと感じたものだ。しかも、日本にこそある、日本的な外国人移民・労働政策への真摯な検討の姿勢を新聞も含めた日本のメディアにはあまり感じないような状態であったにもかかわらず。
 ***
 日本でポピュリズムという語を使った批判があることを知ったのは、橋下徹に対する佐伯啓思による批判によってだっただろうか。その後に昨年も小池百合子に対する批判の中で、「ポピュリズムに陥ってはならない」というようなことが説かれていたように思う。
 日本での議論・評論の特徴の一つは(あるいはどの国でもきっとそうなのだろうが)、意味不分明なままで言葉がすでに何らかの評価(ポピュリズムの場合は批判的・蔑視的評価)を持ったものとして使われることだ。
 一年ほど前だろう、天下の読売新聞が「ポピュリズム」についてこれをとくに「大衆迎合主義」と言い換えて、言葉・概念の説明する小さい欄を設けていた。
 これもどとらかと言えば、批判的・消極的な評価を伴うものだったが、違和感を感じた。
 神谷匠蔵によると「大衆の熱狂」の喚起又はその利用がこの言葉の中核要素らしいのだが、そこまで進まない「大衆迎合」くらいは読売新聞社もどの新聞社も行っていることで(そうでないと販売できないだろう)、他人事のごとく大新聞社が「大衆迎合主義」と訳して解説していたのが奇妙で、あるいはむしろ面白かった。
 厳密には違うと訂正されそうでもあるが、民主主義とは民衆主義・大衆主義でもあるのであり、もともと「大衆迎合主義」の要素を含んだ概念ではないのだろうか。Democracy のDemo とは「大衆」であり、あるいは「愚民」のことだろう。
 「大衆迎合」を批判できる民主主義体制など存立し得るのだろうか。
 これは言葉の意味・射程の問題で、少なくとも、決まり切った答えはないだろう。
 しかし、この言葉になおこだわって想念を働かせると、新聞や雑誌の販売部数もテレビ番組の視聴率も、あるいは全ての(物やサービスの)商品の売れ行きも「大衆に迎合」してこそ高くなるのであって、「大衆迎合はけしからん」などとは、ほとんど誰も口にできないのではないか。
 にもかかわらず「大衆」を何となくバカにする、ポピュリズム=「大衆迎合主義」批判はどうも偽善的だ。本音では、販売部数を、視聴率を、販売額等々を読者・視聴者・消費者大衆との関係で「上げたい」はずなのに。
 ***
 ところで、佐伯啓思は2012年かその次の総選挙の際に、<ポピュリズムがどう評価されるか、それが今回の選挙の争点だ>と投票前に何かに書いていた。選挙後にこれについての総括をこの人はたぶん何も行っていなかったはずだ。
 今日に捲っていた本の中で原田伊織が「学者」と「物書き」の区別をしていた。
 佐伯啓思の新聞や雑誌での文章はたぶん学者・研究者の「論文」ではなく評論家という「物書き」の仕事としてのものなのだろう。この人は一年くらいからは「死に方評論家」にもなったらしく、また西部邁逝去後には西部に関連して「右か左かなどはとるに足らない問題だ」とか某雑誌に書いていた。佐伯啓思に全く限りはしないのだが、「学者」の議論は専門家すぎるか全体・大局を見ない議論・主張であることも少なくなく、たぶん「評論家」なるものも含まれるだろう「物書き」は玉石混淆だが「玉」は滅多にいなくて、アホらしくて読めないものがや多い。
 この感想に圧倒的に寄与した大人物は、佐伯啓思ではなく、月刊正論(産経)毎号執筆者・江崎道朗。第三者には理解し難いかもしれないが、とりわけ日本会議系「保守」論者の低レベル、いやそういう高低の評価自体になじまないほどの悲惨さ・無残さには唖然とした。こんなヒドさでも、平気で出版できる日本のアマさ、ユルさは相当の程度に達している。
 あまり意味のない、退屈な文章を書いてしまった。

1837/2018年8月-秋月瑛二の想念③。

 一 「知」的作業は何らかの「価値」をもち得るので、対価を受けることは当然にあり得る。そのこと自体を問題視しているのではない。
 ただ、指摘しておきたいのは、対価という「金」は自分自身や自分に頼る「身内」が食って生きていくための資力そのものなので、<食って生きて>ゆくために「知」的表現内容を微小とも(または大きく?)変えるというのは、十分にあり得る、ということだ。
 この原稿のままでは編集者は「いい顔をしないかもしれない」、この雑誌の読者には支持されそうにない、この新聞の読者層が関心をもってくれるだろうか、反論・批判が山のように編集部に届くとイヤだなあ、等々。
 こういうことを一切考慮しないで、日本の<言論人>・<評論家>たちは「自由」に、「独立」して、「知」的表現活動を行っているだろうか。
 誰でも最低限度<食って生きる>ことを考えるだろうから、このこと自体もまた、一概に非難することはできないだろう。
 しかし、読者としては、そういう考慮もして原稿を書き、「知」の作業をしている論者もいる、ということを意識しておくべきだろう。
 固有名詞は挙げないが、私にはつぎの趣旨の文章の記憶があって、印象に残っている。
 一つ。ある人が、某新聞紙上で<~と私をネットで批判する人がいるが、その当時は、これの他に見解発表媒体はなかったのだから、仕方ないではないか、という旨を書いていた。
 二つ。別のある人が、既発表のものを集めた某単行本の中で、この当時はこれが発表できるギリギリの線でした、という旨を書いていた。
 要するに、発表媒体を何とかして持ちたい「言論人」もいること、「知」的作業の発表内容を雑誌によって<自主規制>している「言論人」も明瞭に存在している、ということだ。
 そうした「言論」の内容が、完全に<自由>なものになっているはずはないだろう。
 関連して、前回に触れた、自己を<差別化>するための言論という例も思い浮かべることができるが、固有名詞を挙げるのがこの稿の目的ではない。
 別に「知」というものの虚像性には触れたい。
 ともあれ、現に世俗の世界で行われている「知識」や「理解」あるいは「評論」の作業は、生きているヒトの行動として、人間・ヒトの本能や限界から全く自由というわけではない。少なくとも、この秋月瑛二の書きものとは違って、「金」=対価や「名誉・顕名」と関係があるかぎりは。
 二 議場での議長席や演壇・演説者台から見るとたしかに、議場の「左翼」と「右翼」(およびその中間)という感覚が先立つだろう。
 だが、前回の述べ方には不十分さがある。すなわち、ヒトは二本脚を持ち、左右の二本の腕を(ふつうは)持つので、そうでなくとも<右と左>の感覚は本能的にあるだろう。
 そして、第一に、脚で地上に立つということ自体、下へと働く強い「引力」とそれがない「上」の区別の意識もまた、本能的に内在させていると思われる。
 第二に、脚で歩くのは「前を向いて」だから、人間の眼が前方しか見えない(真後ろが見えると怪人だろう)結果として、見えない「うしろ」の感覚も、要するに「前と後」を区別するという意識も、本能的に持つものと思われる。
 この第二の点は、重要なことだ。つまり、<前進と後退>、<進歩と退却>という意識は相当に強く人間に根ざしていて、前者をこそ、つまりは<前進>や<進歩>を後者と違って「良い」ものとする思考は、かなり本能に近いように見える。
 「前進」と題する機関紙をもつ政治団体もあるようだし、日本共産党中央委員会の月刊雑誌は「前衛」と題する。
 逸れかかるのかは止めるが、こうなってくると、<進歩>か後退・保守または反動かは、そもそも言葉の上で最初から勝負がついているようなものだ。
 もともと、「前進」は、前へと「進む」のは、ヒト・人間にとって必要不可欠で、「良い」ものにほとんど決まっているのだ。
 元に戻って、さらに続けよう。
 こうして、少なくとも三次元(左右・上下・前後)の意識を人間は本来有しているはずなのに、<右か左か>、<(共産主義を含む又は容認する意味での)民主主義かファシズム・軍国主義か>という左右線的、二項対立的思考がなおも強いように思われるのは、いったいどうしてだろうか。最も単純な「発想」を選びたいのかもしれない。
 <アベ政治を許さない>のか否か、<安倍政権の敵か味方か>(産経新聞社『月刊正論』のある号の目次・冒頭)という発想も全く同じのようなものだ。
 もっとも、月刊正論編集部はたぶん2016年末か2017年初頭に、公式に?四象限からなる「思想」チャートを示したことがあった。ヨコ軸とタテ軸を使う、線的思考ではない、平面的(二次元的)思考での整理だと言える。
 その内容の欠陥にいささか驚いて、私なりの四象限チャートをこの欄に示したこともある。
 それぞれを確認するために、ここで区切ろう。
 別の論脈だが、「自分」と「他者」、「自分たち」と「それ以外」、<内と外>、<味方と敵>。
 これらはかなり本能に根ざしているだろう。しかし、<内と外>や<味方と敵>という二分を狂熱的に意識してしまうと、いったいどうなるだろう。こんなことにも触れたい。

1836/2018年8月-秋月瑛二の想念②。

 一 「知識」や「思考」の作業やそれを発表する作業もまた、<食って生きて>いくことと無関係ではありえない。綺麗事や理念のために「知的」営為が行われてきたとは全く限らない。
 こう前回に書いた。ではこのブログ欄はどうなのかが問題になる。やはり昨年に何度かつぎのように書いていた。
 大海の深底に棲息する小さな貝の一呼吸が生じさせる海水の微少な揺れのようなものだ。
 全ての個人・組織(・団体)から「自由」であり、「自由」とは孤立している、孤独だ、いうことでもある。
 というわけで、かりに「知的」営為だとしても(少なくとも、単にうまい、きれい、かっこいいとだけ何かに反応しているのではない)、私の場合は<食って生きて>いくことと何の関係もない。生業・職業ではないし、何らかの経済的利益を生む副業でもない。誰かに命じられて書き込んで「小遣い銭」をもらっているわけでもない。
 しばしば何のためにこの欄を、と思ってきて、途中で止めようと思って放置したこともあった。せいぜい読書メモとしてでも残していこうかと思って1800回以上の投稿になったのだが、このブログ・サイトというのは自分が感じまたは考えたことを時期とともに記録し、検索可能なほどにうまく整理してくれる便利なトゥールだと徐々に明確に意識したからだろう。
 このような<自分のための>という生物の個体固有のエゴイズム以外に、この「知的」営為の根源はないだろう。
 ときに閲覧者数が数ヶ月にわたってゼロであれば(数字だけはおおよそ分かるが、かなり早くから-日本国憲法「無効」論者から「どアホ!」と貼り付けられてから-、コメント・トラックバックを遮断している)止めようかと思ったりする。それでもしかし、つまり読者ゼロでも、上の便利な機能は生きているので、やはり残して、気がむけば何かを表現しようとし思っている。
 最近はこういう秋月瑛二のような発信者も多いかもしれない。
 しかし、新聞・雑誌に活字になる文章やテレビ等で発言される言葉には「知的」作業そのものだったり、その結果だったりするものの方が多いだろう(政治・社会に直接の関係がなくとも)。
 二 そのような「知識」や「思考」の作業あるいは「知的」営為は、いかなる<情念>あるいは<衝動・駆動>にもとづいてなされているのだろうか。近年は従前よりも、こうしたことに関心を持つ。
 だいぶ前にJ・J・ルソーの<人間不平等起源論>を邦訳書で読み終えて、この人には、自分を評価しない(=冷遇した)ジュネーブ知識人界(・社交界?)への意趣返し、それへの反発・鬱憤があるのではないか、とふと感じたことがあった。
 ついでに思い出すと(この欄で既述)、読んだ邦訳書の訳者か解説者だった「東京大学名誉教授」は、その本の末尾に、「自然に帰れ!」と書いたらしいルソーに着目して、ルソーは自然保護・環境保護運動の始祖かもしれない旨を記していた。「アホ」が極まる(たぶんフランス文学者)。
 戻ると、「知的」文章書き等のエネルギーの多くは、①金か②名誉だろう。
 別の分類をすると、A・自分が帰属する組織(新聞社等)の仕事としてか、またはB・フリーの執筆者として(対価を得て)、「知的」文章書き等をしているのだろう。
 後者には、いわゆる評論家類、「~名誉教授」肩書者、現役大学教授や大手研究所主任等だが本来の仕事とは別に新聞や雑誌等に寄稿している者も含む。
 これらA・Bのいずれの場合でも、①金の出所にはなる(義務的仕事の一部か又は原稿料としてか)。
 また、Aの場合でも、自分が帰属する(何らかの傾向のある)組織の中で目立って社会的にはかりに別としても組織内で「出世」することは、つまるところは金または自分の生活条件を快適にする(良くする)ことにつながるだろう。組織・会社の一員としての文章であっても、<名誉・顕名→金>なのだ。
 Bの場合には、<名誉・顕名→金>という関係にあることは明確だろう。
 そして名誉又は顕名、要するに<名前を売って目立つ>ためには同業他者と比べて自分を<差別化>しなければならない。あるいは<角をつける>必要がある。
 そのような観点から、敢えて人によれば奇矯な、あるいは珍しい主張を文章化する者もいるかもしれない。
 但し、この場合、a文筆が完全に「職業・生業」であるフリーの人と、b別に大学・研究所等に所属していて決まった報酬等を得ているが、随時に新聞・雑誌等に「知的」作業またはその結果を発表している人とでは、分けて考える必要がおそらくあるだろう。
 食って生きる-そのための財貨を得る、ということのために、a文筆が完全に「職業・生業」の人にとっては、原稿等発表の場を得るか、それがどう評価されるかは直接に「生活」にかかわる。なお、おそらく節税対策だろう、この中に含まれる人であっても「-研究所」とかの自分を代表とする法人を作っている場合もある。
 櫻井よしこ、江崎道朗。武田徹、中島岳志の名前が浮かんできた。
 四人ともに、それぞれに、上に書いたことに沿って論じることもできる。
 それぞれについて、書きたいことは異なる。しかし、書き始めると数回はかかるだろう。

1704/谷沢永一・正体見たり社会主義(1998)③など。

 谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998/原1994)。
 メモ書きをつづける。マルクスについて要領のよいと思われる批判が並ぶ。
 「国家なき社会の運営のプラン」はマルクスになく、レーニンにも「何もなかった」。p.164。
 「レーニンは、プロレタリア-トの独裁によって過渡的な形でできる国家は、勝利獲得後、ただちに死滅しはじめると考えた」。
 レーニンは「マルクス主義とアナーキズムには類似性があると認めるところまでいっていた」。「国家の代わり」の「実務のみの社会」は「人間の善意のみで運営」される村役場あるいはバザールで、「極端な復古主義」だ。p.166-7。
 レーニンは当初は「プロレタリア-トの党については、考えていなかった。革命さえ起こせば、すべてが解決する」はずだった。<国家と革命>には「党のことはほとんど触れられていなかった。これは歴然たる事実なのである」。p.168-9。
 上の最後はほとんど同趣旨が、L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1974、英訳1976)の中にある。他の部分も、L・コワコフスキが叙述していることと似たようなことを書いている。
 谷沢はL・コワコフスキ著をある程度知っていたかとも思わせるが、党については、革命直前の<国家と革命>研究書・論評書は多かったりするので、常識的なことなのかもしれない。
 但し、革命前の運動期の<何をなすべきか>では独自の、職業家から成る意識的・純粋な党の像を語り、メンシェヴィキと対立した。革命後の党の役割、国家と党の関係等には熟考のないまま、「革命」=権力剥奪に進み切った(好機があれば逃さなかった)のだろう。権力奪取の後の政治・行政の<付け焼き刃>。
 何が根拠なのか、レーニンに「甘い」部分もある。
 「レーニンが考えた党の独裁とは、合議制による運営」で、「レーニン個人による独裁」でなかった。スターリンがこれを踏みにじった。p.192。
 「独裁」の意味にもよるが、ソヴェトの内部での一党支配、ソヴェト自体からの自立、を経ての国家=一党支配体制におけるレーニンの位置は、<立法・行政>権ともに持ちかつ<司法権>を下部に置く「人民委員会議の議長(首相とも紹介される)」かつ党中央委員会委員長だ。その人民委員会議や中央委員会が「合議制」というのは全くの建前で、レーニンの意思・意向に反することは決められていない。
 但し、スターリンは党内部の政敵・意見対立者を「殺した」が、レーニンはそこまではしなかった(反面では、党「外部」者、例えば左翼エスエル指導者、対しては行なった)。
 スターリンによる<大テロル>(1935-38年又はより短くは1936-38年)は、今日では日本共産党すらが大々的に批判している。
 谷沢p.203によると、1935-38年の4年間に、10月「革命」時の名のある指導者たちの「ほとんど全部が、トロツキストの汚名のもとに逮捕投獄された」。しかも「その多くが」「処刑されていった」。1934年党大会で選出された中央委員・同候補のうち「7割の98人」、同大会代議員の「過半数」が「処刑ないし追放された」。p.203。
 逮捕・拘束-「自白(強要)」-刑法典等による「処刑」もあれば、陰に陽にの「暗殺」=不意打ちの突然の殺戮もあった。スターリンの「意」をうけた殺戮者グループがいた。
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 ところで、この本については、10年以上前に、この欄の前のサイトで言及していた。
 2006年9月下旬にすでに。ぼんやりとある程度読んだ記憶があるだけで、書き込んだことまではすっかり失念していた。こんなことは他にもしばしばあるので、イヤになる。 №--0044・2006年09/23付でこうある。谷沢関係部分の全文。
 「谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998)を2/3ほど読んだ。
 平易な語と文章で解りやすい。この本は同・『嘘ばっかり』で七十年(講談社、1994)の文庫化で、題名どおり日本共産党批判の書だ。
 今でいうと「…八十年」になるだろう。もっとも終戦前10数年は壊滅状態だったので、1945年か、実質的に現綱領・体制になった1961年を起点にするのが適切で、そうすると『嘘ばっかり』の年数は少なくなる。
 それにしても谷沢は日本近代文学専攻なのに社会主義や共産党問題をよく知っている。戦前か50年頃に党員かシンパだったと読んだ記憶があるが、『実体験』こそがかかる書物執筆の動機・エネルギ-ではなかろうか。」
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 谷沢永一の没後、昨年に、二巻選集が刊行された。
 浦安和彦編・谷沢永一・二巻選集/上・精撰文学論(言視舎、2016.01)。
 鷲田小弥太編・谷沢永一・二巻選集/下・精撰人間通(言視舎、2016.09)。
 とくに後者を一瞥したが、鷲田小弥太の解説・解読も読む価値がある。また、谷沢のすさまじい知識ぶりにも感心する。
 もっとも、誤っていると思われる事実認識や論評も散見される。
 こうした「知識人」が存在したことについて、種々、感じることもある。
 ①戦後日本の「大学」というもの、「大学教授」というものの存在。谷沢永一の生活を支え、こうした「自由」な言論ができたのも、「大学(教授)」という制度が存在したからだ。
 ②関西と東京(または首都圏)。中西輝政ですら、京都・関西と東京(首都圏)の言論人・論壇人(?)との<距離>について、何かで語っていた。
 東京集中のメディアと出版業界も関係する。京都よりさらに東京から「遠い」大阪にいたことも、<谷沢永一>を生んだに違いない。
 司馬遼太郎についてもまた、この観点を無視できないだろうと思われる。
 ③上に関係があるのかどうか、谷沢永一は<新しい歴史教科書をつくる会>の教科書を批判した。まだ生ぬるい、あるいは<左翼的・自虐的>だ、というのがおおよその理由だったかと思う。
 日本の<保守>論者、<保守>的言論の歴史も複雑だ。
 ④上の「下」に収載の<日本通史>(別に単行本になっていて、所持している可能性が高い)は、一人でここまで書ける<文学評論家>がいたのかと驚かせる。
 だが、反・非マルクス主義的であるものの、<天皇・皇室>を肯定的な意味で重視したり(なお、「天皇制」という語をマルクス主義概念だとして拒否する)、昭和天皇を称えたりと、ある意味では、1990年代までの(今もつづく?)「左翼・自虐史観」に反対するがゆえだと思われる、明治維新以降に関する歴史叙述があるのも印象的だ。
 この「知識人」もまた、時代の制約から全く「自由」ではなかった、と思われる。
 全く「自由」だった人、全く「自由」な人、はいるのか、と問われると、皆無と答えるしかないのかもしれない。
 個々の人間が、時代環境、所属する国家、思考するために使う言語、成長過程も含めて学校教育あるいは文献読書で入手した知識・情報から「自由」でないはずはない、ということだろう。
 上の③や④は別に触れるかもしれない。

1699/門田隆将8/6ブログの「ファクト」無視と「夢見」ぶり。

 門田隆将は「ファクト」重視の「リアリスト(現実主義者)」か。どの程度に?
 出所の特定が最近はむつかしい。援用、二欄以上にほぼ同時に掲載、などによる。
 門田隆将が8/6のどこかのブログサイトで書いている。
 第一。つぎは、「ファクト」無視だろう。
 いわく。-「森友や加計問題で、“ファクト”がないままの異常なマスコミによる安倍叩きがやっとひといき…」。
 「異常なマスコミによる安倍叩き」があったことは、私も「ファクト」だと思う。
 しかし、「“ファクト”がないままの」と断じるのは、ファクトを無視している。
 何らかの<違法>とか明らかな<裁量権逸脱>のレベルだけが、議論の際に考慮されていた「ファクト」ではないだろう。
 森友にさしあたり限る。門田隆将さん、以下は、「ファクト」ではないのか?
 ①森友の籠池某氏は、「日本会議」の会員か役員だった(現在どうかは別として)。
 ②安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、同首相在任中に、森友関係学校・学園の「名誉校長」だった。
 ③安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、同首相在任中に、森友関係学校・学園で講演をしている。(謝礼受領の有無・金額はともかく)。
 ④安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、籠池某氏の妻(法人役員)と、今年になって、<電子メール>のやりとりを数回した。
 ⑤籠池某氏は、<安倍晋三記念小学校>と命名することを考えていた(安倍晋三が断った、固持したからといって、この事実は消えないだろう)。
 ⑥竹田恒泰は数回、この森友関係学校・学園で講演をした(本人が語った)。
 上は、「ファクト」だろう。もっと他に、このレベルのものはあるに違いない。
 むろん、⑥は安倍晋三とは無関係。しかし、産経新聞派的「保守」派の竹田の行動は、①とともに、籠池某氏の、少なくともかつての、申請時や行政折衝の時代の<政治信条>を推認させうる。もとより<政治信条>によって法廷で裁かれてはならない(法的な「優遇」もいけないが)。
 ②、③、④は、安倍晋三ではなく、安倍昭恵のこと。安倍晋三そのものではない。しかし、そのようには切り離せないことは、門田隆将も理解できるはずだ。安倍晋三は妻・昭恵の行動をどこまで放任、容認、了解していたのか、という疑問が出てきても<やむをえない>。
 以上は、何の犯罪でもないし、補助金適正化等々の違反でもない。
 しかし、「ファクト」ではあるだろう。
 第二。門田隆将は書く。-「用意周到な計算の末に改造され、“リアリズム内閣”となった安倍政権が、対『石破茂』戦争という明確な方針を示し、かつ、憲法改正問題や、都民ファーストとの戦いを念頭に動き出すことで、永田町はこの夏、『新たなステージ』に進んだのである。」
 美しい応援、激励の言葉だ。「リアリズム内閣」は意味やや不明だが、これから明確になるのかもしれない。
 対石破茂論あるいは「『決められない都知事』小池氏は、これまで書いてきたリアリズムの“対極”にいる政治家であろう」という小池百合子観も、まあよいとしよう。産経新聞・「日本会議」派的評価だが。
 しかし、以下は、門田隆将がリアリスト(現実主義者)ではなく、ドリーマー(夢想主義者)であることを示している。「6月に、私は当ブログで『やがて日本は“二大現実政党”の時代を迎える』というタイトルで、民進党の『崩壊』と、自民党に代わる新たな現実政党の『出現』について」書いたとし、民進党や小池新党はそういう現実政党ではない旨を述べたあとで、こう書く。
 いわく-。「しかし、国民は『二大現実政党』時代を志向し、実際に政局がそういう方向に向かっているのも事実である」。
 何だ、これは。最後の「…事実である」という断定は、何を根拠にしているのか。
 国民の声、多数の声なるものを紹介するふりをして自説を主張する、というレトリックはよく見られる。しかし。
 ①「国民は『二大現実政党』時代を志向」しているかは、実証されていない。
 ②「実際に政局ががそういう方向〔=おそらく二大現実政党の方向〕に向かっていることも、実証されていない。
 「ファクト」を大切にするはずの門田隆将にしては、えらく単直な、安易な「断定」だ。
 秋月瑛二は、日本共産党とそれを支持する国民が全有権者、正確には投票者の最高でも5%以下にならないと、絶対に二大政党制にはならないと、確信的に想定している。
 二つのうちの一つの大政党が完全な<容共>政党であれば、そんな二大政党制など形成されてほしくない。
 一方でまた、10%程度、500-600万票も日本共産党が獲得していれば、その票を欲しくなる政党が絶対に出てくる。
 二大政党制を語る前に、日本共産党を国会での議席がせいぜい2-3程度の、零細政党にしてしまわないとダメだ。
 小林よしのりが最近簡単に、二大政党制が日本の「民主制」のためにもよい、民進党頑張れ、との趣旨でつぶやいておられることにも、承服しかねる。
 以上の門田隆将に対する批判的コメントは、上のブログの内容に対するものであり、この人のこれまでの全仕事に対するものでは、当然に、ない。
 ---
 加計問題については、安倍晋三首相は、7/24に国会・委員会で、こう語ったとされる。 
 「友人が関わることですから、疑念の目が向けられるのはもっともなこと。」
 (「今までの答弁でその観点が欠けていた。足らざる点があったことは率直に認めなければならない。」)
 内閣改造の日、8/3の記者会見の冒頭で、安倍晋三首相は、こう言ったとされる。
 「先の国会では、森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設、防衛省の日報問題など、様々な問題が指摘され、国民の皆様から大きな不信を招く結果となりました。/そのことについて、冒頭、まず改めて深く反省し、国民の皆様におわび申し上げたいと思います」。
 これら「発言」があったこと自体は、「ファクト」になっている。
 門田隆将によると、こんな言葉はいっさい不要だったのか? 安倍晋三は心にもないことを「口先」だけで言ったのか?
 門田隆将は、民進党や共産党(+小池・自民党内非安倍)だけを批判しておきたいのか?
 「ファクト」重視の「現実主義」とは、そういう姿勢を意味するか??
 


 

1673/谷沢永一・正体見たり社会主義(1998)②。

 谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998)
 ←原著、谷沢永一・「嘘ばっかり」で七十年(講談社、1994)。
 谷沢永一によるとレーニンの特徴は「徹底した現実主義、機会主義」で、「理論は否定しないが、即応もしない」というもの。そして、①既成理論に囚われず、②目的のためなら手段を選ばず、③「共産主義実現ためならすべてが許される」を方針とする。
 これはネップについても現れていて、「一時的に国内を鎮めるためなら、共産主義からの逸脱も厭わない」という考え方を象徴するものだ、とする。p.184-6。
 ネップ導入=「共産主義からの逸脱」との理解はおそらく適切なものだ。
 L・コワコフスキを参考にしていうと、ネップ導入は共産主義経済政策の失敗の是認だった。
 さらに言うと、「共産主義」経済自体が人間の本性に反するものであって、そもそもが成功する見込みがないものだった。
 食べて生きていく、そのために必要な物をまずは自分(・家族)のために得ようとする、という人間の本性を、「共産主義」は無視している。もともと、理論上・観念上の想定の失敗=非現実性がある。
 人間の本性を、イデオロギーや「独裁」あるいはテロルによって変えることができる、と考えること自体に欠陥があり、恐ろしさがある。
 元に戻ると、谷沢は、ネップについての日本共産党・不破哲三らの立論に言及していない。つまり、<市場経済を通じて社会主義へ>という路線の発見・明確化という(私に言わせれば)歴史の偽造に言及していない。
 また、この本の出版の前にあった1994年日本共産党大会での、<ソ連はスターリン以降は社会主義国ではなかった>論の珍奇極まりない登場についても、触れていない。
 広くよく知ってはいると思うが、継続的な、詳しい、日本共産党ウォッチャーではなかったようだ。マルクス、レーニン、スターリンを知ることも大切だ。日本共産党のときどきの主張や政策について知っておくことも重要だ。

1671/谷沢永一・正体見たり社会主義(1998)。

 原著、谷沢永一・「嘘ばっかり」で七十年(講談社、1994)
 → 谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998)
 読んだ痕跡があった。傍線からすると、間違いなく半分は読み終えている。
 1990年代半ば、まだ「つくる会」発足前。
 一冊全部が、反マルクス主義、反共産主義、そして反日本共産党という書物が刊行されており、そういう書物を一人で執筆できる人がいたのだ。
 谷沢永一、1929-2011。 
 上の「嘘ばっかり」で七十年、というのは、1922年創立の日本共産党が1992年に70年めを迎えたことを指すことは間違いない。
 広く知られてよいと思うので、内容構成をそのまま紹介する。文庫本による。//
 第Ⅰ部・世紀末、政治の転換点で考える。
  第1章・社会党終焉の構図。
  第2章・共産党に見る人間性の研究。
 第Ⅱ部・共産主義に躍らされた二十世紀。
  第3章・マルクスの「情念」。
  第4章・レーニンの「独創」。
  第5章・スターリンの「特性」。
 第Ⅲ部・二十一世紀へ向けての見方・考え方。
  第6章・現実対応の実証主義の時代。
 人間性を見つめて考える。//
 この人は、関西在住で、司馬遼太郎との交友も長かった。司馬や同著に関する書物も多い。
 何よりも、マルクス主義等々について、じつによく知っている。
 産経新聞社取材部編・日本共産党の研究(2016)などは、及びもつかない。
 猪木正道らの先行研究も、読んで踏まえている。
 一般的には常識でないか、知られていない、秋月瑛二が最近に読んだリチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキの本の一部と、まるで同じことをこの書物は書いているところがある。
 だが、「特定保守」あるいは「観念保守」あるいは「保守原理主義」の人たちは、きっと不満だろう。 
 なぜ、不満だろうか。そう、この本には<天皇>が出てこない。
 <天皇>中心主義は反共産主義と同義だと考えたら大間違いだ。
 <天皇>中心主義者は、そのいう観念・理念としての<天皇>を護持できるならば、共産主義者とも仲良くするだろうし、反共産主義の運動の先頭に立つことは決してない。
 その意味で、健全な反共産主義=私のいう「保守」への道筋を妨害している。あるいは、別の方向へと<流し込もう>としている。

1413/日本の保守-正気の青山繁晴・錯乱の渡部昇一。

 多くはないが、正気の、正視している文章を読むと、わずかながらも、安心する。
 月刊Hanada12月号(飛鳥新社)p.200以下の青山繁晴の連載もの。
 昨年末の慰安婦問題日韓合意最終決着なるものについて、p.209。
 「日韓合意はすでに成された。世界に誤解をどんどん、たった今も広めつつある」。
 p.206の以下の文章は、じつに鋭い。最終決着合意なるものについて、こういう。
 「日韓合意のような嘘を嘘と知りつつ認める……のではなくて嘘と知りつつ嘘とは知らない振りをして、嘘をついている相手に反論はしないという、人間のモラルに反する外交合意」。
 青山繁晴は自民党や安倍政権の現状にも、あからさまではないが、相当に不満をもっているようだ。そのような筆致だ。
 できるだけ長く政権(権力)を維持したい、ずっと与党のままでいたい、総選挙等々で当選したい、という心情それら自体を批判するつもりはないが、それらが自己目的、最大限に優先されるべき関心事項になってしまうと、<勝つ>ためならば何でもする、何とでも言う、という、(1917-18年のレーニン・ボルシェヴィキもそうだったが)「理念」も「理想」も忘れた、かつ日本国家や日本人の「名誉」に対して鈍感な政治家や政党になってしまうだろう。
 今年のいくつかの選挙で見られるように、自民党もまた<選挙用・議員等当選用>の政党で、国会議員レベルですらいかほどに<歴史認識>や<外交姿勢>あるいは<反共産主義意識>が一致しているのか、はなはだ疑わしい。
 二 月刊正論2016年3月号(産経)の対談中の阿比留瑠比発言(p.100)、「今回の合意」は「河野談話」よりマシだ旨は、全体の読解を誤っている。産経新聞主流派の政治的立ち位置をも推察させるものだ。
 三 すでに書いたことだが、昨年末の日韓最終合意なるものを支持することを明言し、「国家の名誉」という国益より優先されてよいものがあると述べたのが渡部昇一だった。
 同じ花田紀凱編集長による、月刊WiLL4月号(ワック)p.32以下。
 この渡部昇一の文章は、他にも奇妙なことを述べていた。
渡部昇一によると、かつての「対立軸」は<共産主義か反共産主義か>だったが、1991年のソ連解体により対立軸が「鮮明ではなくなり」、中国も「改革開放」によって「共産主義の理想」体現者でなくなり、「共産主義の夢は瓦解した」。
 このように書かれて喜ぶのは、日本共産党(そして中国共産党と共産チャイナ)だ。ソ連解体や中国の「改革開放」政策への変化により<共産主義はこわくなくなった。警戒しなくてよい> と言ってくれているようなものだからだ。
 長々とは書かない。基本的な歴史観、日本をめぐる国際状況の認識それ自体が、この人においては錯乱している。一方には<100年冷戦史観>を説いて、現在もなお十分に「共産主義」を意識していると見られる論者もいるのだが(西岡力、江崎道朗ら。なお、<100年冷戦史観>は<100年以上も継続する冷戦>史観の方が正確だろう)。
 また、渡部昇一が<共産主義か反共産主義か>に代わる対立軸だと主張しているのが、「東京裁判史観を認めるか否か」だ(p.37)。
 これはしかし、根幹的な「対立軸」にはならない、と秋月瑛二は考える。
 「東京裁判史観」問題が重要なのはたしかだ。根幹的な対立の現われだろう。しかし、「歴史認識」いかんは、最大の政治的な「対立軸」にはならない。
 日本の有権者のいかほどが「東京裁判」を意識して投票行動をしているのか。「歴史認識」は、最大の政治的争点にはならない。議員・候補者にとって「歴史」だけでは<票にならない>。
 ついでにいえば、重要ではあるが、「保守」論壇が好む憲法改正問題も天皇・皇室問題も、最大の又は根幹的な「対立軸」ではない、と考えられる。いずれまた書く。
 渡部昇一に戻ると、上記のように、渡部は「東京裁判史観を認めるか否か」が今や鮮明になってきた対立軸だとする。
 しかし、そもそも渡部昇一は、昨年の安倍戦後70年談話を「100点満点」と高く評価することによって、つまり「東京裁判史観」を基本的に継承している安倍談話を支持することによって、「東京裁判史観」への屈服をすでに表明していた者ではないか。
 上の月刊WiLL4月号の文章の最後にこうある。
 「特に保守派は日韓合意などにうろたえることはない」。「東京裁判史観の払拭」という「より大きな課題に」取り組む必要がある。「戦う相手を間違えてはならない」。
  ? ? ーほとんど意味不明だ。渡部昇一は、戦うべきとき、批判すべきときに、「戦う相手を間違えて」安倍70年談話を肯定してしまった。その同じ人物が、「東京裁判史観の払拭」という「より大きな課題に」取り組もう、などとよくぞ言えるものだ。ほとんど発狂している。
 四 天皇譲位問題でも、憲法改正問題でも、渡部昇一の錯乱は継続中だ。
 後者についていうと、月刊正論2016年4月号(産経)上の「識者58人に聞く」というまず改正すべき条項等のアンケート調査に、ただ一人、現憲法無効宣言・いったん明治憲法に戻すとのユニークな回答を寄せていたのが、渡部昇一だった(この回答集は興味深く、例えば、三浦瑠麗が「たたき台」を自民党2012年改憲案ではなく同2005年改憲案に戻すべきと主張していることも、「保守」派の憲法又は改憲通 ?の人ならば知っておくべきだろう。2005年案の原案作成機関の長だったのは桝添要一。桝添の関連する新書も秋月は読んだ)。
 探し出せなかったのでつい最近のものについてはあまり立ち入れないが、つい最近も渡部昇一は、たしか①改正案を準備しておく、②首相が現憲法の「無効宣言」をする、③改正案を明治憲法の改正手続によって成立させ、新憲法とする(②と③は同日中に行う)、というようなことを書いていた。同じようなことをこの人物は何度も書いており、この欄で何度も批判したことがある。
 また書いておこう。①誰が、どうやって「改正案」を作成・確定するのか、②今の首相に(国会でも同じだが)、現在の憲法の「無効」宣言をする権限・権能はあるのか。
 渡部昇一や倉山満など、「憲法改正」ではなく(一時的であれ)<大日本帝国憲法(明治憲法)の復活>を主張するものは、現実を正視できない、保守・「観念」論者だ。真剣であること・根性があることと<幻想>を抱くこととはまるで異なる。
 この人たちが、日本の「保守」を劣化させ、概念や論理の正確さ・緻密さを重んじないのが「保守」だという印象を与えてきている。

1377/日本の「左翼」-青木理。

 何日か前に<民主主義対ファシズム>等の図式の「観念世界に生きている」朝日新聞や大江健三郎の名を挙げるついでに、青木理の名前も出した。
 その青木理が7/24夜のテレビ番組(全国ネット)に出ているのをたまたま見て、さすがに正面からは「左翼」的言辞は吐かないだろうのだろうと思っていたら、最後の方で「歪んだ民主主義からファシズムは生まれるとか言いますからね」とか言い放った。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。テレビの生番組(たぶん)に出て、<民主主義対ファシズム>史観の持ち主、民主主義=反ファシズムという図式に嵌まっている者、であることを白状していた。その旨を明確に語ったわけではないが、「左翼」特有の論じ方・対立軸の立て方を知っている者にはすぐに分かった。
 その青木理は、毎日新聞7/25夕刊(東京版)にも登場していた。
 同紙第2面によれば、青木は、今次の東京都知事選に関して、鳥越俊太郎の元に「野党4党が結集したことが、どういう結果をもたらすか」、「一強状態の安倍政権と対峙するための橋頭堡を首都に築けるか、否か」という「視点でもこの選挙を見ています」と言ったとされる。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。野党4党の結集が「結果」をもたらしてほしい、「安倍政権と対峙するための橋頭堡を首都に築」いてほしい、と青木が思っていることがミエミエだ。
 青木理の名前は、月刊Hanada2016年9月号(飛鳥新社)誌上の青山繁晴の連載のp.209にも出てくる。
 青山によれば、6/30発売の週刊文春7/07号の中で青木理が「元共同通信社会部記者」と紹介されつつ、青山を「中傷」しているらしい(週刊文春は購読せず、原則として読まないので、直接の引用はできない)。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。青山繁晴の考え方・主張を知っているだろうし、青山が自民党から参議院議員選挙に立候補したとなれば、ますます批判したくなったとしても不思議ではない。
 青山によれば、青木は「朝日新聞の慰安婦報道を擁護する本」を出しているらしい。これを買って読んだ記憶はまるでないことからすると、私の青木理=「左翼」という判断は、その本の刊行以前に生じていたようだ。
 青木理は<日本会議>に関する本も最近に出したようだ。菅野完の扶桑社新書も気持ち悪いが(産経新聞の関連会社で育鵬社の親会社の扶桑社がこういう内容の新書を刊行することにも、日本の「保守」派の退嬰が現れている)、青木理による<日本会議>本がもっと気持ちが悪く、「左翼」丸出しの本になっているだろうことは、想像に難くない。


1364/日本の「保守」-水島総という勇気ある人、月刊正論(産経)誌上で。

 中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」歴史通2016年5月号(ワック)から再び引用する。
 ・「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」(p.97)。
 ・「心ある日本の保守派」が、「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして」、意味ある批判・反論をしないことに「大きな衝撃を受けた」(p.109)。
 こうした中で、水島総という人物は、勇気がある。
 月刊正論(産経)3月号p.106で水島は言う。「時が経つにつれ、安倍政権が歴史的大愚行を犯してしまったことが明らかになりつつある」。
 このあと2007年のアメリカ下院決議に当時の第一次安倍晋三政権は「反論も抗議も」せず、安倍総理も「残念」だとしたにとどまるという経緯等を、批判的に述べている。
 この2007年7月米国下院決議については、秋月も当時、警戒しなくてよいのか、放置してよいのか等を(たぶん直前に)記していた。その過程で、岡崎久彦が<じっと我慢するしかない>旨を書いていることを知って(正確な文章は最近の中西輝政論考の中にある)、改めて確認しないが、当時、そんなことでよいのか旨の疑問を示したこともあった(はずだ)。
 また、水島総は、2015.12の日韓慰安婦問題「合意は、我が国の安全保障体制にも重大な痛手を与える可能性がある」として、「人心」・「自衛隊員の士気」への影響等に論及している(p.108-9。異なる観点からの安全保障の観点からの疑問・批判は、後出の西尾幹二論考にもある)。
 そして水島総は、安倍政権「打倒」は主張しないが、安倍政権「不支持」を宣言する(p.110-1)。
 同じ3月号の西尾幹二「日韓合意、早くも到来した悪夢」は、最後にこう述べていた(p.81)。
 「日本人の名誉と運命を犠牲にしてこのような決断をあっという間にしたことが成功だったと言えるかどうかは、本当のところまったく分からない」。
 「言論界はいま、この問題で政治的外交的に過度に配慮する必要はなにもない。日本人の名誉を守るために、単純にノーと言えばよい」。
 「政治と言論、政治家と思想界とは立場が違うのだ。…。こちらから政治家に歩み寄るのはもってのほかである。安倍シンパの協力者たちには、そうあえて苦言を呈したい」。
 この言からすれば、水島総は同時期に、西尾幹二の言うような姿勢を示していたことになる。
 一方、別の雑誌の翌4月号で、2015.12日韓慰安婦問題「合意」を擁護、支持していた<保守>派らしき者もいたわけだ。この人物はいつから<安全保障・軍事>評論家になったのだろう。この分野の専門知識はほとんどないはずだが。また、いつから「政治評論家」になったのだろう。
 水島総月刊正論2016年8月号(産経)では、いわゆるヘイトスピーチ法に反対して、「だから言ったじゃないか、一体なぜ…こんな思いを第二次安倍政権樹立以来、もう何度も味わってきた。ざっと思い出しても、…」と書き始める(p.274)。そして言う。
 「『左ウィング』を拡げようとしたとき、安倍政権の根幹が崩壊する」(p.279)。
 成立してしまったこの法律に秋月も反対だ。この法律が責務法・理念法としてあるならば、在日本の「本邦外出身者に対する」<不当な優遇>を解消するための基本法があってもよいだろう。ここでまた?「歴史」とか「謝罪」を持ち出してはならない。
 それはさておき、上のような水島総の主張も、勇気がある。この論点を、産経新聞や月刊正論(産経)はいかほどに取り上げてきたのだろうか。
また、水島総は、上の法律の背景に<外国>があることを指摘しつつ、つぎのように締めくくる。p.279-280。
 「冷戦終結で、ソ連共産党は消失したが、共産主義は依然として、形を変えて生き残り続けている。それを私たちは夢々忘れてはならない。その中心が中国共産党である」。安倍政権を打倒したいのは、「国内の野党勢力だけではない」、「中国共産党政府」だ。「スパイ天国と言われる我が国に、様々な国際共産主義謀略工作組織が深く広く浸透しているのは公然の秘密である」。
 秋月は<保守派>の中でもごく少数派に属していると自覚しているのだが、このような、 (中西輝政、西岡力、江崎道朗らと同様の)明確な<反・共産主義>の主張を読むと、少しは安心する。もっとも、「様々な国際共産主義謀略工作組織が深く広く浸透している」としても、それは決して「公然の秘密」と言われるほどにはなっていないように見える。具体的な指摘と具体的な<暴露>が必要だ。
 なお、以上は、2016年参院選における投票行動をまったく意識しないで書かれている。
 そう言えば、ネット上で、安倍晋三の実際の言葉かどうかは確認していないが、つぎの面白い表現を見かけた。
 <いいですか、皆さん。民進党には、必ず共産党が付いてくるんですよ。

1308/中西輝政の憲法<改正>論。

 中西輝政・中国外交の大失敗 (PHP新書、2014.12) の最終の第八章のタイトルは「憲法改正が日中に真の安定をもたらす」であり、その最終節の見出しは「九条改正にはもはや一刻の猶予もならない」だ。そして、「九条改正という大事の前では、集団的自衛権の容認など、取るに足らない小事」で憲法九条を改正すれば「集団的自衛権の是非などそもそも問題にはなりえない」等ののち、「日本人はいまこそ一つの覚悟を固めて」、「日本国憲法の改正、とりわけ第九条の改正」にむけて「立ち上がらなければならない」等と述べて締めくくられている。
 このように中西輝政は憲法「改正」論者であり、<改正というべきではない、廃棄だ>とか<明治憲法に立ち戻ってその改正を>とか主張している<保守原理主義>者あるいは<保守観念主義(観念的保守主義)>者ではない。
 ではどのような憲法改正、とくに九条改正を、中西は構想または展望しているのだろうか。中西輝政編・憲法改正(中央公論新社、2000)の中の中西輝政「『自己決定』の回復」の中に、ある程度具体的な内容が示されている。
 すなわち、「九条の二項を削除し代わりに、自衛のための軍隊の保有と交戦権の明示、シビリアン・コントロールの原則と国際秩序への積極的関与に、それぞれ一項を立てる、というのが私の提案である。そして慎ましい『私の夢』である」(p.98)。
 そして、このような「九条二項の逐条改正を『最小限目標』とすべきである」ともされている(p.96)。
 この中西の案はいわば九条1項存置型で、同2項削除後の追加条項も含めて、基本的には、自民党改正案(第二次)や読売新聞社案とまったくか又はほとんど同じもののようだ。
 注目されてよいのはまた、「一括改憲」か「逐条改憲」かという問題にも言及があることで、「戦略」的な「現実の改憲」の容易性(入りやすさ)が意識されている。
 中西によれば、私学助成、環境権、プライバシー権など(の追加による逐条改憲)は「入りやすく」とも「『自己決定』の回復」とは到底いえず、一方、一括改憲は「改憲陣営の分裂を生じさせる」可能性があり、「何よりも時間がかかる」(p.96)。
 昨年末に田久保忠衛の論考(月刊正論(産経)所収)を読んで、ただ憲法改正を叫ぶだけではダメで、どの条項から、どういう具体的内容へと改正するのかを論じる必要がある、<保守派の怠惰>だと書いたのだった。しかし、中西輝政はさすがによく考えていると言うべきで、上のような議論を知ると、中西輝政を含めた<保守派>全体にあてはまる指摘ではなかったようだ(この中西編の著も読んだ形跡があるのだが、少なくともこの欄で取り上げたことはなく、-よくあることだが-中西論考の内容も忘れていた)。
 なお、上の2000年の中西論考は、中西輝政・いま本当の危機が始まった(集英社、2001)p.214以下、およびその文庫版(文春文庫、2004)p.196以下にも収載されている。
 とくに中西輝政と西尾幹二の諸文献、諸論文を、読む又はあらためて読み直すことをするように努めている。この稿はその過程でしたためることになった。

1291/幻想・妄想と正気-門田隆将・西尾幹二。

 一 もう1カ月以上前になったが、産経新聞4/19付の門田隆将「新聞に喝!/本当に『右傾化』か、いまだ左右対立をいう朝日」はほとんどそのとおりだと感じさせ、かつ示唆に富むものだった。
 統一地方選の結果を受けての朝日新聞4/13社説を素材にしているが、今日(現在・現代)についての一般論的叙述でもある。
 門田によれば、もはや「左右対立」の時代ではない、対立しているのは「空想と現実」だ。あるいは、「空想家、夢想家(dreamer)」と「現実主義者(realist)」の対立だ。
 したがって朝日新聞がいまだに「右傾化」という論評の仕方をするのは、「時代の変化に取り残され」ている、という趣旨でまとめられている。
 門田が「1989年のベルリンの壁崩壊以降、左右の対立は、世界史的にも、また日本でも、とっくに決着がついている」とか、自社両党による「55年体制」的思考の時代ではもはやない(旨)とか書いているのは、とくに前者はそのままでは支持できないことは何度も書いた。
 しかし、対立は<左右>あるいは<左翼と保守>といった「思想」または「イデオロギー」にあるのではない、という基本的な趣旨は、最近はとくに共感するところがある。
 門田が「空想家、夢想家」と「現実主義者」の対立を“DR戦争”とも言えるとしているのは、熟していない概念・用語だ。それはともかく、現在の日本での議論の基本的な対立は、かなりの部分、<考え方によっていろいろ>、と割り切れる又は理解してよいものではなく、「空想・夢想」と「現実(直視)」の違いが表れているものだ、と理解して差し支えないように思われる。
 「空想・夢想」は、ここでは<幻想・妄想>と表現したい。一方、「現実(直視)」あるいは「現実主義」は、他に適切な語はないだろうかと感じられる。最終決定?ではないが、とりあえず、<正気>とでも表現しておこう。となると、<幻想と妄想>=<狂気>と<正気>の対立になってしまい、陳腐な用語法ではある。しかし、<狂気>と<正気>の違いという把握の仕方は、存外、本質を衝いているようにも思われる。
 集団的自衛権行使容認の政府解釈に反対する憲法学者たちの声明を読んで、私は<幻想と妄想>に陥ったままである、と感じる。学者さまたちだからより丁寧に言えば、<正しさが論証されていない観念に嵌まったまま>だ、と感じる。そして、言葉はきついが、<幻想と妄想>を抱いたままの人たちは、<狂気>の持ち主である、と表現することができる。すでにこの声明はこの欄で紹介しているが、批判的コメントは別に記述する予定だ。
 二 <左右>あるいは<左翼と保守>といった「思想」または「イデオロギー」の問題ではない、というイメージを形成したきっかけは、どうやら、西尾幹二全集第14巻(2014、国書刊行会)を一瞥したことにあるようだ。
 <保守>の論客としての政治的・文化的な書物や論考に接してきたのだったが、上の本の内容におそらく明確に示されているように、西尾幹二は<左右>・<左翼と保守>とかの「イデオロギー」を<超えた>人物だ。そのことに初めて気づいたような気がした。西尾幹二のものはかなり読んできたようにも思っていたのだが、そして全集もすべて購入はしてきたのだが、全集の中を丁寧に読んでみる時間的余裕がなかった。
 上の著の全体は簡単に「人生論集」と題されているが、そこで種々に語られている、人生や人間についての洞察は、(あくまで凡人による論評ではあるが)深く、鋭い。その内容は直接には政治にも<左右対立>にも関係しておらず、基礎的でかなり普遍的だ。
 これまでこの欄に記してきたようなこととは性格をかなり異にするので、西尾幹二「人生論」の内容への言及はこの程度にする。
 西尾幹二の名前を知っている「左翼」は、すぐに「右派」、あるいは「右翼」の評論家というイメージと評価をしてしまうのかもしれない。だが、上に言及した「左翼」憲法学者たちも含めて、「左翼」論者たちは(但し、教条的日本共産党員を除く)、自らの考え方に自信を持っているならば、西尾幹二の上の著も読んで自らの感覚と思考方法の適切さを試してみよ、と言いたい。
 念のために付記しておくと、かつての<雅子皇太子妃問題>をめぐる議論でも示したように、西尾幹二の諸主張・見解のすべてに同意してきたわけではない。この問題については、西尾幹二を批判し、竹田恒泰に基本的には同調していた(「東宮擁護派」というレッテルを貼られたこともあった)。原発問題も、率直にいってよくは分からない。とはいえ、上に記した西尾著についての感想等を変えるつもりはない。
  

1280/倉山満は「憲法改正」を「恥の上塗り」等と批判する。

 〇 渡部昇一が日本国憲法無効論者であることはすでに触れてきたし、彼が依拠している書物のいくつかにもすでにこの欄で言及して批判してきた。
 あらためて、渡部の主張を、渡部・「戦後」混迷の時代に-日本の歴史7・戦後篇(ワック、2010)から引用して、確認しておこう。
 ・「…帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」との昭和天皇の上諭は、連合国軍総司令部長官に「嘘を言わされた」ものだ(p.118)。
 ・日本政府は独立時に「日本国憲法を失効とし、普通の憲法の制定か、明治憲法に復帰を宣言し、それと同時に、その手続に基づき明治憲法の改正をしなければならなかった」。
 ・「…日本国憲法をずるずると崇め、またそれを改正していくということをすべきではないのである」。
 ・新憲法の中身は日本国憲法と同じでもいいが、「今の憲法は一度失効させなければならない」(以上、p.119)。
 ・日本国憲法96条の「改正条項だけで日本をあげて何年も議論している」のは「滑稽極まりない」(p.119-120)。
  <失効>させる方法(手続)・権限機関への言及は上にはない。ともあれ、渡部昇一が憲法「改正」反対論者であることは間違いない。彼が、美しい日本の憲法をつくる国民の会の「代表発起人」等の役員になっていないのは、上のような見解・主張からして当然のことだろう。
 〇 最近に名前を知った倉山満は、いかなる見解のもち主なのか。先月に、田久保忠衛が起草委員会委員長だった産経新聞社案「国民の憲法」に対するコメントをする中で、日本国憲法無効論の影響をうけているのではないかという疑問を記し、倉山満の考え方をつぎのように紹介した。勝谷誠彦=倉山満・がんばれ!瀕死の朝日新聞(アスペクト、2014)の中で語られている。
 「日本国憲法の廃止」を「本当にできるなら」それが一番よい。そして、それをするのは「天皇陛下」のみだ。議会には廃止権限はない。憲法を廃止するとすれば「一度天皇陛下に大政奉還するしかない」、「本来はそれが筋」。日本国憲法改正手続によって「帝国憲法を復活」することは「論理的には可能」だ。
 「論理的には」とか「本来は」とかの条件又は限定が付いていたし、その他の倉山の著を読んでいなかったので最終的なコメントは省略していたのだが、彼の見解をほぼ知ることができたと思うので、以下に紹介しつつ批判しておく。
 まず、上ですでに語られている「天皇陛下」による日本国憲法の「廃止」は、「政府」あるいは「国会」による<無効>・<失効>・<廃止>決議・宣言を主張する考え方に比べて目新しいし、少しはましなようにも思われる。しかし、残念ながら論理的にも現実的にも成立せず、かつ現実的にも可能であるとは言えない。
 倉山が「天皇陛下」という場合の天皇とは、日本国憲法を「公布せしめ」た、日本国憲法制定時(・明治憲法「改正」時)の昭和天皇であられるはずだ。自らの名において御璽とともに現憲法を「裁可」されたのは昭和天皇に他ならない。そして、その当時の「天皇陛下」である昭和天皇が、渡部昇一の言うように「嘘を言わされた」ものでご本意ではなかったとして、主権回復時に<無効>・<失効>・<廃止>の旨を宣言されることは論理的にはありえないわけではなかったと思われる。しかし、昭和天皇は薨去され、今上陛下が天皇位に就いておられる。今上陛下が(血統のゆえに?)昭和天皇とまったく同じ権能・立場を有しておられるかについては議論が必要だろう。また、今上天皇は天皇就位の際、明らかに「日本国憲法にのっとり」と明言されている(「日本国憲法に基づき」だったかもしれないが、意味は同じだ)。天皇位はたんに憲法上のものではない、憲法や法律とは無関係の歴史的・伝統的なものだという議論は十分に理解できる。しかし、今上天皇に、現憲法を<無効・失効・廃止>と宣言されるご意向はまったくない、と拝察される。渡部昇一は、あるいは倉山満も、今上天皇も<騙された>ままなのだ、と主張するのだろうか。
 さて、日本国憲法<無効>論者によると、現憲法に対する姿勢は、<無効>と見なすか、<有効>であることを前提とするかによって、まず大きく二分される。こちらの方が大きな対立だと見なされる。ついで、<有効>論の中に「改正」=改憲論と「改正反対」=護憲論の二つがあることになる。後者の二つは<有効>論の中での<内部対立>にすぎないことになる。倉山満は、どの立場なのか?
 倉山満・間違いだらけの憲法改正論議(イースト新書、2013.10)は、以下のように述べている。
 ・安倍晋三内閣の政治を支持するが、「憲法論だけは絶対に反対」だ。自民党の改憲案は「しょせんは日本国憲法の焼き直しにすぎない」のだから「戦後レジームそのもの」だ(p.239)。
 ・日本国憲法「無効」論は、「法理論的には、間違いなく…正しい」。これによると、日本国憲法を「唯々諾々と押し戴いていることが恥なら、その条文を改正することは恥の上塗り」だ(p.244)。
 ・講和条約発効時に「無効宣言をしておけば、なんの問題もなかった」のだが、:現在の国会議員や裁判官は現憲法のもとで選出されているので、(これらが)「いまさら無効を宣言しようにも自己否定になるだけ」だ(p.244-5)。
 ・「天皇陛下が王政復古の大号令を起こす」か、「国民が暴力革命」を起こして現憲法を「否定するしかなくなる」が、いずれも「現実的」ではない(p.245)。
 このように「法理論」と「現実」の狭間で揺れつつ?、倉山はつぎのように問題設定する。
 「本来なら無効の当用憲法〔日本国憲法〕を合法的に改正するにはどのような手続きが妥当なのか」。
 論の運びからするとしごくもっともな問題をこのように設定したのち、倉山は「本書での回答は、もう少しあと」で述べる、としている(p.245)。
 だが、「どのような手続きが妥当なのか」という問題に答えている部分は、いくら探しても見つからない。
 むしろ、「憲法改正」は現実には不可能だ旨の、つぎの叙述が目を惹く。
 ・護憲勢力が一定以上存在するので、「憲法改正は戦争や革命でも起こらないかぎり、不可能」だ。いまの状況で「憲法の条文だけ変えても、余計に悪くなるだけでしょう」。「死ぬまでに…憲法改正を見たい」と「実現不可能な夢を見ても労力のムダ」だ(p.259)。
 そして、つぎの三点を「憲法典の条文を変える」ために不可欠の重要なこと、憲法の条文より大事なこと、として指摘してこの書を終えている(p.260-2)。これらは「手続」というよりも、憲法についての<ものの見方>あるいは<重要論点>だ。すなわち、「憲法観の合意」、「憲法附属法」(の内容の整備-「憲法典の条文だけ変えても無意味」だ)、「憲法習律」(運用・憲法慣行)。
 上の三つは、第一のものを除けば憲法改正に直接の関係はない。むしろ、憲法改正をしないでよりマシな法状態を形成するための論点の提示にとどまると思われる。
 つぎに、倉山満・保守の心得(扶桑社新書、2014.03)は上の書よりも新しいもので、倉山が日本国憲法の「改正」を批判し、それを揶揄する立場にあることを明確に述べている。以下のとおりだ。
 ・「自民党案も産経新聞案も、戦後の敗戦体制をよしとするならばよくできた案」だが、「戦後七十年間の歴史・文化・伝統しか見ていない」という問題点をもつ(p.179)。
 ・「日本の歴史・文化・伝統に正しく則っているのは、日本国憲法ではなく大日本帝国憲法」だ。
 ・「私の立場」は、「改憲するならば、日本国憲法ではなく帝国憲法をベースにすべきだ」にある。
 ・「少なくとも、…〔日本国憲法という〕ゲテモノの手直しなど、何の意味があるのでしょうか」。「恥の上塗り」だ(以上、p.180)。
 上掲の2013年の書では「無効」論に立てば現憲法改正は「恥の上塗り」だとしていたが、ここでは明確に自らの見解として同旨のことを述べている。
 上のあと、「実際に生きた憲法を作る」ために必要なものと表現を変えて、先の著でも触れていた「憲法観の合意」・「憲法習律」・「憲法附属法」の三つを挙げて、前著よりは詳しく説明している。
 憲法改正との関係では、「憲法観の合意」のところで次のように主張しているのが注目される。
 ・「まず、日本国憲法を改正するという発想を捨てる」。「もう一度、帝国憲法がいかに成立したかを問い直す」。「これが出発点」だ。
 ・「強硬派は日本国憲法を破棄せよとか、無効宣言をしろという論者もいますが、実現不可能にして自己満足の言論」だ。
 ・護憲派が衆参両院のいずれかにつねに1/3以上いたが、「今後、それを変えられる可能性がどれくらいあるの」か。「マッカーサーの落書きを手直ししたようなものを作ったところで、何かいいことがあるの」か。
 ・「日本という国を考えて」制定されたのは「帝国憲法」だ。「なぜ国益を損なう日本国憲法をご丁寧に改正する必要があるの」か(以上、p.182-6)。
 以上で、倉山満という人物の考え方はほぼ明らかだろう。とはいえ、先に示した分類でいうと、この人の立場はいったいどこにあるのかという疑問が当然に生じる。
 上記の紹介・引用のとおり、単純な日本国憲法「無効」論ではない。では憲法改正を主張しているかと言うとそうではなく、「恥の上塗り」等として批判し、(客観的には)<揶揄・罵倒>している。そして、憲法改正は現実には不可能だとの諦念すら示す。かといって、現憲法護持派に立っているわけでもない。
 じつに奇妙な<ヌエ>的な見解だ。
 「強硬な」<無効・破棄>論は「実現不可能にして自己満足の言論」だと倉山は言っているが、では倉山のいう「憲法観の合意」は容易に達成できるのだろうか。日本国憲法の改正ではなく明治憲法の改正という発想から出発すべきだという主張は、それこそ「実現不可能にして自己満足」の議論ではないか。
 また、憲法改正は現実には不可能だと想定しているのは、憲法改正運動に水をかける<敗北主義>に陥っていると言わざるをえない。この人物は、この点でも、地道な「憲法改正」の努力をしたくないのであり、現在の最も重要だとも考えられる戦線から、最初から逃亡しているのだ。
 倉山満とは、護憲派が「左翼」から憲法改正運動に抵抗しているのに対して、「右翼」からそれを妨害しようとしている人物だ、といって過言ではない。
 読んでいないが、倉山は産経新聞の「正論」欄にも登場したことがあるらしい。そこで、上に紹介したような見解・主張を明確にはしていないとすれば、原稿依頼者の意向に添うことを意識した<二枚舌>のもち主だろう。
 むろん、倉山満の<気分>を理解できる部分は多々ある。しかし、その主張の現実的な役割・機能を考えると等閑視するわけにはいかない。<保守派>らしい、ということだけで、警戒を怠ることがあってはならない、と断言しておく。

1241/宮崎哲弥が「リベラル保守」という偽装保守「左翼」を批判する。

 宮崎哲弥が週刊文春1/16号(文藝春秋)で「リベラル保守」を批判している。正確には、以下のとおり。
 「最近、実態は紛う方なき左翼のくせに『保守派』を偽装する卑怯者が言論界を徘徊している」。「左派であることが直ちに悪いわけではな」く、「許し難い」のは、「『リベラル保守』などと騙って保守派を装う性根」だ(p.117)。
 宮崎は固有名詞を明記していないが、この批判の対象になっていることがほぼ明らかなのは、中島岳志(北海道大学)だろうと思われる。
 中島岳志は自ら「保守リベラル」と称して朝日新聞の書評欄を担当したりしつつ、「保守」の立場から憲法改正に反対すると明言し、特定秘密保護法についてはテレビ朝日の報道ステ-ションに登場して反対論を述べた。明らかに「左派」だと思われるのだが、西部邁・佐伯啓思の<表現者>グル-プの一員として遇されているようでもあり、また西部邁との共著もあったりして、立場・思想の位置づけを不明瞭にもしてきた。だが、「左翼」だと判断できるので、西部邁らに対して、中島岳志を「飼う」のをやめよという旨をこの欄に記したこともあった。
 「リベラル保守」または「保守リベラル」と自称している者は中島岳志しかいないので、宮崎の批判は、少なくとも中島岳志に対しては向けられているだろう。
 適菜収も、維新の会の協力による憲法改正に反対すると明言し、安倍晋三を批判しているので、月刊正論(産経)の執筆者であるにもかかわらず、「実態は紛う方なき左翼」である可能性がある。但し、宮崎哲弥の上の文章が適菜収をも念頭においているかは明らかではない。なお、産経新聞「正論」欄執筆者でありながら、その「保守」性に疑問符がつく政治学者に、桜田淳がいる。「保守」的という点では、さらに若い岩田温の方にむしろ期待がもてる。
 ところで、宮崎哲弥は「自らのポリティカルな立ち位置」を明確にするために、「リベラル保守」を批判しており、自らは「保守主義者」を自任したことはなく、「あえていえばリベラル右派」だと述べている。そして、安倍政権を全面的に支持するわけでは全くないが、特定秘密保護法に対する(一定の原理的な)「反対論には到底賛同できない」とする。単純素朴または教条的な?「保守」派論者よりは自分の頭で適確によく考えているという印象を持ってきたところでもあり、自称「保守主義者」でなくとも好感はもてる。また、「仏教」・宗教に詳しいのも宮崎の悪くない特徴だ。もっとも、彼のいう「リベラル」の意味を必ずしも明確には理解してはいないのだが。
 同じ「リベラル」派としてだろう、宮崎は護憲派でありながら特定秘密保護法に賛成した(反対しなかった)長谷部恭男(東京大学法学部現役教授)に言及している。この欄で長谷部は「志の低い」護憲論者(改憲反対論者)としてとり上げたことがある。長谷部が特定秘密保護法反対派に組みしなかったのは、この人が日本共産党員または共産党シンパではない、非共産党「左翼」だと感じてきたことと大きく矛盾はしない。長谷部恭男が特定秘密保護法に反対しなかったことは、憲法学界で主流的と思われる日本共産党系学者からは(内心では)毛嫌いされることとなっている可能性がある。その意味では勇気ある判断・意見表明だったと評価しておいてよい。
 宮崎哲弥が長谷部恭男の諸議論をすべてまたは基本的に若しくは大部分支持しているかどうかは明らかではない。
 ヌエ的な中島岳志を気味悪く感じていたことが、この一文のきっかけになった。

1173/スメタナ「わが祖国」と新保祐司と私・秋月瑛二。

 「新憲法が『歴史的かなづかひ』で書かれ、建国記念の日に発布されれば、それだけでも新憲法の精神の核心は発揮されている」(産経新聞昨年5/08「正論」)というユニ-クな新憲法論(憲法改正論)を、戦前の条文のままだった刑法典や民法典(の財産法部分=家族法部分以外)が近年に「歴史的かなづかひ」を捨てていわゆる平文化されていることを知らず、従ってそれらの法律改正作業に反対しないままで書いていたはずの新保祐司は、産経新聞昨年3/29の「正論」欄では次のように述べていた。
 「スメタナの連作交響詩『わが祖国』は、とても好きな曲で」、「祖国愛というものに思いを致すとき、この曲はますます深い感動を与える」。
 私はウィ-ン(南駅)からプラハ本駅までの「スメタナ」号と冠した特急電車の中の後半に、スメタナ「わが祖国」を携帯プレイヤ-とイアフォンで聴きながら、外の景色を観ていた経験を持っている。

 新保祐司はなかなか想像力が豊かだ。私はチェコのまっただ中でスメタナの曲を聴きながらも(この曲はチェコ国民にとって重要で、一年に一度の記念式典でも演奏されるという知識は有していたが)、「祖国愛」には思い至らず、チェコと日本の違いをむしろ強く感じていた。
 スメタナ「わが祖国」が嫌いなわけではないし、その中の「モルダウ」(ヴルタバ。ドイツのエルベ河の上流)は河川のさざ波をも感じさせる美しい、いい曲でもある。
 だが、海を持たず、モルダウという大河一本に基本的には貫かれ、日本のそれとは異なりなだらかな山々の麓にボヘミア高原が広がる、という、日本と異なる、かつ日本と比べれば変化・多様性に乏しいチェコの自然環境をむしろよく表している音楽だと感じていた。
 国家の、あるいは国民・民族の代表的な曲も、自然や民族性の差異によって異なるものだ、という印象を強く持ちながら、プラハ本駅に到着するまでに最後の直前までを聴いていた。
 とりたてての主張があるわけでもない、新保祐司とは異なる、スメタナの曲についての感想だ。

1127/文芸批評家・新保祐司のユニークな憲法改正(新憲法制定)論。

 〇産経新聞5/08の「正論」欄で「文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司」の「憲法と私/日本人の精神的欺瞞を問いたい」を読んで、かつて文章のヒドさを指摘したことのある文芸評論家兼大学教授らしき者がいたが、誰だったのだろうと思い返した。1000回以上も書いていると、自分の文章であっても少なくとも詳細・細目は忘れてしまっているのがほとんどだ。
 調べてみると、やはり、批判した文章(「正論」欄)は新保祐司のものだった。
 1年も経っていない、昨年の8/09に、新保の産経新聞7/05の文章を批判し、8/17に簡単にポイントを再述している。
 後者によると、こうだ。引用する。  「新保祐司の産経7/05『正論』欄は、『戦後体制』または『戦後民主主義』を『A』と略記して簡潔にいえば、大震災を機に①Aは終わった、②Aはまだ続いている、③Aは終わるだろう(終わるのは「間違いない」)、④Aを終わらせるべきだ、ということを同時に書いている。レトリックの問題だなどと釈明することはできない、『論理』・『論旨』の破綻を看取すべきだ(私は看取する)」。
 こういう批判を受けながらも、大学教授先生、文芸評論家様は、依然として、産経新聞で「正論」をぶっていたようだ。あるいは、産経新聞は、そのような機会を、よく読めば訳の分からないことを書いている人物に与えていたようだ。
 〇今年5/08の上記の新保の「正論」には、文章ではなく、内容的な疑問を大いに持つ。
 新保の主張の要点は、新憲法の「本質を左右する根本的な」のは「形式に関わる問題」で、①新憲法は「歴史的かなづかひ」で書かれるべき、②新憲法は2/11の紀元節(建国記念日)に発布されるべき、ということだ。
 上の②にとくに反対はしないが、強く拘泥する問題でもないだろうと私は考えている。なお、現憲法は昭和天皇によって「公布せしめ」られたものであり、現憲法7条1号によれば、憲法改正は天皇によって「公布」される。新憲法制定が現憲法改正のかたちをとるかぎりは(その可能性がきわめて高いだろう)、「発布」ではなく「公布」という語が選ばれるだろう。これくらいのことは、知っておいた方がよい。
 問題なのは上の①だ。この点にこだわり、「歴史的かなづかひ」の条文でないと憲法改正または新憲法制定を許さない、という主張を貫徹するとすれば、憲法改正・新憲法制定はおそらく不可能になるだろう。なぜなら、もはやほとんどの国民が「歴史的かなづかひ」を読めないか理解できない可能性が高いからだ。いわゆる現代かなづかいの新憲法案と「歴史的かなづかひ」の同案を同時に示されれば、条文内容が同じであれば、ほとんどの国民が現代かなづかいの方を選択するのではないか。
 それではだめなのだ、ということを新保は主張したいのだろうが、その主張を貫きたければ、何年先の将来になるのか分からないが、新保には、現代仮名遣いの憲法改正・新憲法制定案に、その点を根拠とする「反対」の清き一票を投じていただく他はないだろう。
 新保の主張はもはや時代錯誤的で、現代仮名遣いによる教育が半世紀以上続いた、という現実を(頭の中で)無視している。頭の中・観念のレベルではいくらでも<元に戻せる>が、現実はそう旨くはいかない。
 それに、最近に自民党の新憲法改正案等が出され、いずれの案も「現代かなづかい」によっていることは、新保も知っている筈だ。上の文章を書くに際して、何故、自民党等の案が「歴史的かなづかひ」によっていないことを、強く批判しないのか
 また、「歴史的かなづかひ」が学校教育で教えられておらず、学んでいない国民が今やほとんどだという現実を、新保も知っている筈だ。新保は何故、学校教育(>義務教育)における「歴史的かなづかひ」教育導入の必要性や成人に対する「歴史的かなづかひ」教育(・研修?)の必要性を、具体的に強く主張しないのか
 ただ自己満足的に言っておきたいだけで、現実に少しでも影響を与えるつもりがないのならば、わざわざ「正論」欄に書くな、と言いたい。
 もともと興味深いのは、新憲法(憲法改正)の内容よりも、新保は「形式」が重要だ、と主張していることだ。より正確には、新保は最後にこう書いている-「逆にいえば、新憲法が『歴史的かなづかひ』で書かれ、建国記念の日に発布されれば、それだけでも新憲法の精神の核心は発揮されているというべきである」。
 きわめてユニークな主張だ。
 <「戦後民主主義」という「日本人の精神的欺瞞」こそまずは徹底的に問われるべきで、その厳しい過程を経ない限り、憲法の自主制定はできない。「議論百出の果てに、せいぜい、現行憲法の一部(例えば9条とか)の改正にとどまってしまうのではないか」>という観点から、「精神的欺瞞」を克服して新しく「内発的」に新憲法の制定をするためにも、上の二つの「形式」が重要だ、と新保は言う。
 気分・情緒は理解できなくはないが、この主張を推し進めると、例えば、現憲法九条二項の削除・国防軍の設置といった現九条の改正がなくとも、新保のいう二つの「形式」さえ満たせば、「それだけでも新憲法の精神の核心は発揮されている」ということになってしまう。
 上の①は現実的には不可能と見られる(実現されそうにない)主張なのだが、それをさておいても、いかなる内容の改正(新憲法制定)かを問題にしない憲法改正・新憲法制定議論は、今日的にはほとんど無意味だと思われる。
 新保祐司にどのような「文芸評論家」としての実績があるのかを全く知らないのだが、さすがに「文芸」畑の人は、面白い憲法論を(まじめに)展開するなぁ、というのが率直な感想だ。

1116/憲法・「勤労の義務」と自民党憲法改正草案。

 〇憲法や諸法律の<性格>について、必ずしも多くの人が、適確な素養・知識をもっているわけではない。
 憲法についての、「最高法規」あるいは<最も重要な法>・<成文法のうち国家にとって重要な事項を定めたもの>といった理解は、例えばだが、必ずしも適切なものではない。
 また、憲法に違反する法律や国家行為はただちに無効とは必ずしもいえない(そのように表向きは書いてある現憲法の規定もあるが)。そして、国民間(民間内部)の紛争・問題について、憲法が直接に適用されるわけでも必ずしもない。これらのことは、おそらく国民の一般教養にはなっていないだろう。
 塩野七生・日本人へ/リーダー篇(文春新書、2010)は「法律と律法」について語り(p.42-)、憲法はこれらのうちいずれと位置づけるのかといった議論をしているが、ボイントを衝いてはいないように思われる。失礼ながら、素人の悲しさ、というものがある。
 保守系の論者の中に、現憲法は国民の権利や自由に関する条項が多すぎ、それに比べて「義務」(・責務)に関する規定が少なすぎる、との感想・意見を述べる者もいる。櫻井よしこもたしか、そのような旨をどこかに書いていた。
 宮崎哲弥週刊文春5/17号の連載コラムの中で、「憲法の眼目は政府や地方自治体など統治権力の制限にあり、従って一般国民に憲法に守る義務はない」と一〇年近く主張してきたと書いている。この主張は基本的な部分では適切だ。
 もっとも、憲法の拘束をうける「統治権力」の範囲は、少なくとも一部は、実質的には「民間」部門へも拡大されていて、その境界が問題になっている(直接適用か間接適用かが相対的になっている)。
 上の点はともあれ、国家(統治権力)を拘束することが憲法の「眼目」であるかぎり、<国民の義務>が憲法の主要な関心にはならないことは自明のことで、「義務」条項が少なすぎるとの現憲法に対する疑問・批判は、当たっているようでいて、じつは憲法の基本的な性格の理解が不十分な部分があると言えるだろう。
 〇その宮崎哲弥の文章の中に、面白い指摘がある。この欄ですでに言及した可能性がひょっとしてなくはないが、宮崎は、現憲法27条の国民の「勤労の権利」と「勤労の義務」の規定はいかがわしく、「近代憲法から逸脱した、むしろ社会主義的憲法に近い」と指摘している。宮崎によると、八木秀次は27条を「スターリン憲法に倣ったもの」と断じているらしい(p.135)。
 現憲法24条あたりには、「個人」と「両性の平等」はあるが「家族」という語はない。上の27条とともに、現憲法の規定の中には、自由主義(資本主義)諸国の憲法としては<行きすぎた>部分があることに十分に留意すべきだろう。
 自民党の憲法改正草案の現憲法27条対応条項を見てみると(同じく27条)、何と「義務を負ふ」が「義務を負う」に改められているだけで、ちゃんと「勤労の義務」を残している(同条1項)。
 もともとこの憲法上の「勤労の権利・義務」規定がいかなる具体的な法的意味をもちうるかは問題だが、<社会主義>的だったり、<スターリン憲法>的だとすれば、このような条項は削除するのが望ましいのではないか。
 旧ソ連や北朝鮮のように<労働の義務>が国家によって課され、国家インフラ等の建設等のための労働力の無償提供が、こんな憲法条項によって正当化されては困る(具体化する法律が制定されるだろうが、そのような法律の基本理念などとして持ち出されては困る)。また、女性の子育て放棄を伴う<外で働け(働きたい)症候群>がさらに蔓延するのも―この点は議論があるだろうが―困る。
 自民党の憲法改正意欲は、九条関係部分や前文等を別とすれば、なお相当に微温的だ。<親社会主義>な部分、<非・日本>的部分は、憲法改正に際して、すっぱりと削除しておいた方がよい。

1092/佐伯啓思は「的確な処方箋を提示」しているか。

 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)に、佐伯啓思・現代文明論講義(ちくま新書)の書評が載っている。
 この本を概読したかもしれないが、きちんと憶えていない(憶えられるはずがない)。それはともかく、先崎彰容という1975年生まれの人物は書評の冒頭で、佐伯啓思の「作品の魅力」を次の二つにまとめている。
 一つに「『近代文明』が抱える問題を、その根本にまで遡り解明しようとすること」、二つに「その原理的・根本的な問題意識を携え、現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示しようとする姿勢」(p.175)。
 上の第一点にはほとんど異論はない。そのとおりで、「近代(文明)」を懐疑して、批判的に分析した諸業績(「反西洋」かつ「反左翼」の主張を含んでいるはずだ)は大いに参考になると思われる。
 だが、上の第二は「仲間褒め」の類で、いかに年配者への敬老?精神によるとしても、とても納得できない。
 なるほど「提示しようとする姿勢」が全くないとは言えないが、「現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示」してきたとはとても思えない。
 佐伯啓思は所詮は(といっても侮蔑しているわけではない)「思想家」なのであり、多様な「現代日本の政治・経済・文化」の諸問題を論じているわけではないし、ごく一部を除いて、「的確な処方箋を提示」などはしていない、と思われる。
 憲法改正の方向を論じたことはないだろうし、そもそもが現在の改憲論議に言及することさえほとんどないだろう。<少子化問題>への処方箋を示してはいないし、これと無関係とは思われない<フェミニズム>に論及したことも、ほとんどなかったと思われる。
 「現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示しようとする姿勢」がそもそもあるのかどうか自体を、私は疑問視している。そして、お得意の経済(政策・思想)問題を除けば、佐伯啓思が「現代」について「的確な処方箋を提示」しているとは言えないのではなかろうか。橋下徹警戒論もその一つだ。
 一人の人間にできることには限界がある。怜悧な「思想家」に多様な現代問題を的確に論じることは期待しない方がよいだろう。
 但し、「思想家」としての佐伯啓思に完全に満足し、その主張内容にすべて納得しているわけではない。別の回に、いずれ書くだろう。

1079/藤井聡と加地伸行と「西部邁・佐伯啓思グループ」。

 〇産経新聞1/24の「正論」欄、藤井聡「中央集権語ること恐るべからず」は、大阪維新の会・橋下徹・上山信一を批判している。
 だが、揚げ足取りと感じられる部分、橋下らの真意を確定する作業をしないままで批判しやすいように対象を変えている部分が見られ、まともなことを書いている部分が多いにもかかわらず、後味が悪い。
 藤井は「『中央政治をぶっ壊す』とはいかがなものか」として上記のタイトルの旨を指摘し、『』内の上山の記述に依拠しているという大阪維新の会や橋下徹の主張を疑問視している。
 上山の著を読んではいないが、藤井の文章中に「現状」という語があるように、一般論として中央政府の破壊・解体を主張しているのではなく、<現在の日本の>中央政府(中央政治)を上山・橋下が問題にしているのは明らかなことだろう。
 また、藤井は、中央(政府・政治)の重要性や中央・地方の相互補完・適正な協調を主張しているものの、その主張・指摘はそのとおりではあるとしても、上山らにおける「ぶっ壊す」が中央(政治・政府)全面的な破壊を意味していることが何ら論証されていないかぎり、橋下徹らに対する有効な批判になっているとは思えない。「ぶっ壊す」とは大きな改革または変革を意味しているだけで(実質的にはそのような趣旨で)、これを「全面的破壊」を意味していると藤井が理解しているとすれば、ひょっとすれば、悪意が素地にあるのではないか。あるいは、批判してやろうという感情の方を優先させている可能性があるのではないか。
 上山信一の著が正しく読まれているとすれば、藤井の、「現下の喫緊の政治課題は教育、医療、福祉の充実だけではない」以下の叙述にはほぼ同感だ。但し、上山が地方政治・地方行政に焦点をあてて「日本における政治の課題は今や社会問題の解決、つまり教育・医療・福祉の充実が最大のテーマ」である、と書いているのだとすると、上山には、藤井のような批判には反論または釈明したいところがあるに違いないと思われる。常識的にいって、災害対応・外交・軍事等における「国」(中央)の役割を否定する公共政策学・行政学等の「総合政策」学部所属の学者がいるはずはないのではないか(上山信一は国家公務員試験を経た運輸省官僚でもあった)。
 というようなわけで、藤井は国・地方関係等についてとくに奇妙なことを書いているわけではないが、それを大阪維新の会・橋下徹らに対する批判として用いるのは疑問で、その点に奇妙さ・不思議さを感じる。
 産経新聞1/29の連載コラム中の加地伸行のタイトルは「『破壊的改善』望んだ民意」で、橋下徹に好意的だ。
 例えば、加地伸行いわく-「橋下市長は偽悪的に<破壊>と言うが、それが実は<改善>であることを大阪府民は百も承知。あえて言えば<破壊的改善>であろう」。
 同じ「破壊」あるいは「ぶっ壊す」についても、このように、つまり藤井聡と加地伸行のように、理解または寛容性?が異なるのは面白い。
 前々回と同じ表現を使えば、こういう違いが同じ産経新聞紙上で見られるのは興味深いことだ。そして、加地伸行の感覚の方が、私はまっとうだと思っている。
 〇ところで、さらに興味深いことがある。
 藤井聡とは、<西部邁・佐伯啓思グループ>(雑誌・表現者の編集顧問はこの二人とされているので、こう称して誤っていないと思われる)の一員と見られ、前回に言及した書物(NTT出版・「文明」の宿命)においても9人の執筆者の一人だということだ。
 この書物の9人の著者のうち(編者は西部邁・佐伯啓思ら三人)、これで、中島岳志、東谷暁、藤井聡と、じつに3人が、橋下徹(維新の会)を批判的に見ていることを明らかにしていることになる(中島岳志は「批判的」どころか真正面から攻撃している)。
 じつに興味深いことだ。再び、西部邁らは本当に「保守」派なのか、という疑問が首をもたげてくる。
 橋下徹を厳しく批判・攻撃している上野千鶴子、(先日某テレビ番組の中で中島岳志らとともに「現場・現実を知らない学者」と橋下徹に揶揄されていた)山口二郎香山リカ野田正彰、日教組、自治労そして日本共産党等が「左翼」だとすれば、藤井聡をも含む<西部邁・佐伯啓思グループ>は、じつは、少なくとも「左翼」と通底しているのではないか? 極端にあえていえば、「保守」のふりをした「左翼」、あるいは「左翼」心情をもった「保守」なのではあるまいか。
 西部邁、佐伯啓思、そして上記グループの全体について断定することはむろん避けるが、そのように指摘したい人物(「雑菌」)が含まれているのは、ほとんど間違いのないことのように思われる。
 このように指摘して愉快がっているのではない。深刻に憂慮しているのだ。 

1070/花田紀凱・橋下徹・東谷暁・西部邁(「表現者」)。

 〇前回に続いて花田紀凱の産経新聞連載「週刊誌ウォッチング」に触れると、12/17付(341回)は2011年前半の各月平均雑誌販売部数を紹介している。それによると、以下(100以下四捨五入)。
 ①週刊文春47.7万、②週刊現代38.4万、③週刊新潮38.4万、④週刊ポスト30.3万。
 私は週刊文春よりも同新潮派だったし、週刊現代よりも同ポスト派だったので、世間相場からすると<少数派>であることをあらためて(?)実感する。
 その他では、⑦週刊朝日15.1万、⑨アエラ9.5万、⑩サンデー毎日7.7万。
 これらの中間で経済誌が奮闘?していて、①日経ビジネス23.5万、②プレジデント17.5万、③週刊ダイヤモンド10.5万、④週刊東洋経済7.5万、らしい。
 月刊誌では月刊文藝春秋が42.1万とされる。
 なお、この欄の10/26で触れたが、撃論3号は、月刊WiLLは19万、月刊正論(産経)は実売2万以下、としている。

 〇人口あたりの読者数でいうと、大阪府や大阪市では週刊文春や週刊新潮は全国平均よりは多く読まれたとは思うが、これら二誌の橋下徹批判は選挙結果(当選者)に影響を与えなかった。

 だが、例えば大阪市長選での対立候補は前回よりも絶対得票数は増加させたらしいので、これら二誌の記事や日本共産党を筆頭とする「独裁」批判(あるいは自・民・共の共闘)は、ある程度は効を奏したというべきだろう。換言すれば、これらがなければ、橋下徹と平松某の得票数との間には、もっと差がついていたことになる。
 阿比留瑠比の最近の11/27の
文章(新聞記事に世論・社会を誘導する力はなく、逆に世論・社会の動向が新聞記事に反映されるとかの旨)にもかかわらず、マス・メディアの力を無視・軽視してはいけないと考えられる。書店・キオスク等で並ぶ週刊誌・新聞の表紙・一面等の見出しだけでも<雰囲気>・<イメージ>はある程度は変わる、と言うべきだ。
 〇橋下徹・大阪維新の会の主張・政策を無条件に支持しているわけでは、むろんない。
 <大阪都>構想自体曖昧なところがあるし、また曖昧ではなかったとしても議論・検討の余地は十分にあるものと思われる。<大阪都構想>という語自体にミス・リーディングを生むところがあり、より正確には<新大阪府・市関係構想>(全国一般論でいうと<新都道府県・政令市関係構想>)とでも言うべきなのだろうと思われる。
 また、すでに指摘があるように、大阪都構想は現在の都道府県制度を一つの前提にしているはずなのだが、橋下徹が次の総選挙の争点は<道州制>だ、というのも趣旨がはっきりしない。広域自治体としての都道府県制度を道州制に変えることを目指しているのだとすれば、<大阪都構想>とは矛盾していることになるだろう。
 もっとも、<大阪都構想>を実現したあとで<道州制>を、という時系列的な差異がイメージされているのだとすると、両立しないわけではない。
 だが、ともあれ、橋下徹を公務員労働組合や日教組・全教(教員の職員団体)がそろって攻撃し、労組(・連合)の支持を受けた民主党幹部(の例えば平野博文や輿石東)の橋下対応が他の政党幹部に比べて冷たかった、と報じられているように、橋下徹が反「左翼」の人物・政治家であることは疑いえない。そのことは、訪問先に社民党や日本共産党を選択していないことでも明らかだ。
 また、<地方主権>を謳っていた民主党支持を表明したことがあったり、民主党・小沢一郎と親しそうに?対談をするなど、教条的な<反左翼>主義者でもない柔軟さを持ち合わせていることも肯定的に評価されてよいものだろう(最後の点は無節操・融通無碍と批判する者もいるかもしれないが)。
 〇東谷暁は産経新聞12/14付で「地域独裁がもたらす脅威」と題して、実質的に橋下徹を批判している。あるいは、橋下徹を危険視して警戒すべき旨を書いている。
 東谷暁は、文藝春秋の「坂の上の雲」関係の臨時増刊号で年表作りを「監修」しているなど、器用?な人物だ。
 だが、そのことよりも興味深いのは、東谷暁とは、中島岳志と同じく、西部邁らを顧問とし、西部邁事務所が編集している隔月刊・表現者(ジョルダン)にしばしば登場して執筆している、「西部邁グループ」の一人だと目される、ということだ。
 中島岳志が(一面では朝日新聞・週刊金曜日と関係をもちつつ、「保守」の立場からとして)橋下徹を批判していたことはすでに言及した。
 この中島岳志という得体の知れない人物と同じく、東谷暁もまた橋下徹を(少なくとも)支持・歓迎できないことを明瞭に述べているわけだ。
 雑誌「表現者」または「西部邁グループ」は<保守か?>と題した文章を書いたことがたぶん数回あるだろう。
 あらためて思わざるをえない。雑誌「表現者」グループは(佐伯啓思も一員のようだが)はたして<保守なのか?>、と。
 西部邁はかつて共産党宣言を読むこともなく、東京大学入学後にすみやかに日本共産党入党を申込みに行ったらしい。
 そんなことは関係がないとしても、一般論として言うのだが、「保守主義」に関する知識を十分にもち、「保守」思想を上手に語れる<左翼>もいる、と考えておかねばならない。
 かつてコミンテルンのスパイだった者、あるいは二重スパイと言われたような者たちは、コミュニズムを信奉しつつも、その他の種々の思想・主義・考え方にも通暁していたものと思われる。
 だからこそ、相手にコミュニスト(共産主義者)だと微塵も気づかれることなく接近し、信頼を獲得でき、情報を入手・収集できたのだ。
 似たようなことは、現代の日本でも生じている、行われているはずだ。西部邁グループについて断定するつもりはないが、警戒・用心しておくにこしたことはない。

1065/竹内洋・大学の下流化(2011)を半分程度読む。

 竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社)は加筆・補筆があるようだが、雑誌上で一度は呼んでいるので、未読だった、竹内洋・大学の下流化(NTT出版、2011.04)を<ウシロから>読み始める。小文をまとめたものなので、これでも差し支えないはずだ。
 ・大学の「下流化」は、用語法はともあれ、間違いないだろう。50%ほどの大学進学率があり、「一八万四千人」も大学教授がいれば(p.251。准教授・講師は除いた数字か?)、かつてと比べて「落ちる」のは自然だ。
 竹内によると、たんにこれらだけではなく、現代日本の「大衆化」圧力(正確には「フラット化」圧力)と、「ポピュリズム」かつ「官僚主義的」大学改革がこれを加速している(p.252)。
 ・詳細な紹介はしないが、「あの戦争へののめりこみ」についてのp.218のような理解・感想は単純すぎるのではないか、と気になる。

 東条英機に関する書物の「読書日記」中だ。他に正規の「書評」欄に書かれた書評・感想も掲載されているが、たいていこの種の小文は、「持ち上げ」がほとんどで、かりに感じていても、消極的・批判的な論評・感想は書かないものだろう。この点は読者としても留意が必要だ(と思いながら読む)。
 ・竹内は、「一九八〇年代」の滞英中に、「封建制=諸悪の根源」との理解(思い込み)に疑問をもつようになった、という(p.205)。
 1942年生まれのこの人は1961年に京都大学に入学して「社会科学系の講義」や「たくさんの本」に接したらしい。
 とすると、1980年代というのは、ほぼ40歳代前半になる。この年代の頃までは「封建制は悪の元凶」というイメージをもち続けていたことになる。
 批判するつもりはないし、よくありそうなことだが、しかし、興味深い。それまではおそらく、専門の「教育学」または「教育社会学」の研究のために、広い?視野を持てなかったのだろう。
 関連して、「四十代半ばくらいから、新聞などに寄稿する機会が増えてき」て、「愉快になった」との文章もある(p.220)。
 ・菅直人民主党内閣の参与だった松本健一の本の書評中で、「民主」は西洋近代の理念だがアジアこそ「共生」理念を作り出せるとの指摘に「目から鱗が落ちる」、と書いている(p.202)。
 アジアこそ「共生」理念を作り出せるとは、いったいいかなる意味で、どの程度の現実性があるのだろう。欧米をモデルにする必要はない程度ならば理解できるが、「目から鱗が落ちる」とまで表現するのは、いささか甘いのではなかろうか。
 ・今のところp.136までしか遡っておらず、ほぼ半分の読了にすぎない。
 その範囲内では、清水幾太郎に関する文(p.153-158)のほか、「うけねらい」という表現(p.204)が面白い。
 「うけねらい」とはかなり一般的に使える表現だ。その点で、記憶に残った。
 学者の中にだって、「うけねらい」で、目新しい<概念>や<命題>や<理論>を考え出している者もいるのではなかろうか。
 ニュー・アカとか言われた連中や、最近の内田樹(「日本辺境論」)などは、これにあたりそうな気がする。ついでに、内田樹は、珍奇な憲法九条護持論者。
 マスメディアもつまるところは「うけねらい」産業ではなかろうか。
 テレビの「視聴率」とは、どれだけ「うけ」たか、の指標だろう。それと、善悪・正邪などはまったくの関係がない。
 週刊誌記者・新聞記者もまた、(「特オチ」怖れに次いで)どれだけ<話題>になったか、を競っているのではないか。
 話題になればなるほど嬉しいという心情は、換言すると「うけて」くれると嬉しいという感情でもあろうが、そこには、善悪や正邪や、そして日本の将来にとってどのような意味をもつか等の観点はほとんど欠落しがちだ。
 週刊誌記者にとっては、「話題」になること、そして「売れる」ことがおそらくは最大の喜びなのだろう。読者が善悪や正邪・日本の行く末とは無関係の関心または好奇心でもって週刊誌を読む(買う)とすれば、そんなこととは無関係に「うけ」るかどうかも決まってしまう。読者大衆の下劣なあるいは醜い(と言えなくもない)関心・好奇心に対応しようとしているのが週刊誌だとすると、週刊誌も、週刊誌記事執筆記者も、とても立派な雑誌・人物とは言えない。その程度の自覚は、ひょっとすれば、怖ろしいことに、ほとんどの週刊誌関係者がすでにもっているのかもしれない(同じことは「テレビ局」関係者についても、もちろん言える)。
 この本については、機会があればまた続ける。
 

1043/屋山太郎は「恥を知れ」と指弾されるべき。

 民主党「たらい回し」野田政権成立にかかわって書きたいことも多いが、とりあえず書きやすいテーマでごぶさたを埋めておこう。
 産経新聞9/02の「正論」欄で岡崎久彦は「官僚を使えなかった教訓学ぶ」という見出しを立てて、こう書いている。
 「官僚の使い方を知らなかったことに気付いたということも大きい。〔中略〕/日本人は誰も任務をサボろうなどとはしない。そんな時に上から、思い付きで、チョロチョロ小知恵を出すのが一番いけない。政治家の決断は必要であるが、決断の必要は、緊急事態ほど、応接に遑ないほど後から後から、下から上がって来る。その都度、果断な決断を下し、その責任を取るのが上に立つ人の任務である。/事件が起きてから有識者の意見を求めるなどは本末転倒である。意見は普段からよく聞き、有事には決断しなければならない。忙しい時に有識者会議など人選して招集するなどは、部下に余計な事務の負担を強いることになる。/その点、今や全て反省されている。民主党政権ができて以来、現在までに国民が被った損害、負担は少なからぬものがあるが、それで教訓を得たというならば、将来の二大政党体制にとってはプラスとなったといえよう」。
 同じく産経新聞8/24に但木敬一(元検事総長)はこう書いていた。
 「わが国の危機を深めたのは、政治主導という無意味なスローガンによって官僚機能を破壊してしまったことである。憲法上も法律上も、行政権は内閣に属しており、各省の権限は大臣に集中している。政治主導はわが国の基本的システムであり、これをことさらに提唱することは、自らの統治能力のなさを独白するに等しい。/それによって何が起こっているか。大臣が壁となった省庁間の情報の切断と省庁を超えた官僚による解決策の模索の放棄である。極端な大臣は、省の重要な政策決定の場から官僚を排除し、副大臣、政務官とだけ協議するという手法を用いた。そこで決断できないときは、いわゆる有識者の意見で政策を決定することになった。官僚たちは、官僚の出すぎと叱責されることを嫌い、以前にも増してリスクをとることを避け、自主的に判断することを躊躇し、待ちに徹することになる。行政の意思決定は明らかに遅くなり、外交・内政を問わず、頓珍漢な大臣コメントが出され、朝令暮改されるケースも珍しくなくなった」。
 岡崎久彦のように将来のための良い教訓になったと楽観的に?見てよいかは疑問なしとしないが、民主党政権のもとで、<政治主導>(=官僚支配の打破)のかけ声の下で生じたことを、上の二人は、適確に述べていると思われる。外務・検察官僚OBで、より一般的な官僚OBではないが、さすがに事態を適切に把握している。
 一言でいえば、民主党内閣は、行政公務員を(行政官僚を)うまく使いこなすことができなかったのだ。それは自らの行政(・関係行政法令)に関する知識の足りなさを自覚することなく、議員出身というだけで行政官僚よりも<すぐれた>知見を持っている、というとんでもない「思い上がり」によるところが大きかっただろう。そんな、行政官僚に実質的には軽視・侮蔑される副大臣や政務官が何人いたところで、適切に行政(多くは法令の執行)がなされるはずはない。
 ところで、再述になるが、「政治主導の確立と官僚主導の排除」の問題を「公務員制度改革」の問題へと次元を小さくし、さらに<天下り禁止>の問題に矮小化しているのが、屋山太郎と櫻井よしこだ。
 最近に書いたように、屋山太郎の意見を紹介しつつ、櫻井は、菅政権のもとで<以前よりも官僚が強くなった(以前よりも「勝手を許」した)>のが問題だ、という事態の把握をしている。
 屋山太郎は産経新聞8/16の「正論」欄でこう書いていた。
 2009総選挙の際に(民主党が)「最も人心を捕らえたのは『天下り根絶』の公約だっただろう。〔中略〕/民主党は『天下り根絶』と『わたり禁止』を標榜(ひょうぼう)した。天下りをなくすということは肩たたきという役所の慣行を変えることである」。
 これが実践されなかったと嘆いた?のち屋山は、「『天下り根絶』の旗降ろすな」という見出しを立てて、こう続ける。
 「代表選に当たって、民主党はあくまで、『天下り根絶』の意思があるかどうかを争点にすべきだ。/公務員制度を改革し、政治主導の司令塔としての国家戦略局、独法潰しのための行政刷新会議を設置(立法化)できるかどうかで、民主党の真価が決まるだろう」。
 この屋山太郎という人物によると、現今の政治課題で最重要なのは、行政官僚の<天下り禁止>を実現するか否か、にあるようだ。
 同じようなことを月刊WiLL等々でも書いている。
 どこかズレているか、同じことだが焦点の合わせ方が違っているか、政治課題全体を広く捉えることができていないことは明らかだ。
 この人物によると<天下り禁止>さえできれば世の中はバラ色になるが如きだ。
 <政治主導>〔官僚支配の打破)なるかけ声の問題性は、上の二人が述べているように、<天下り禁止>の問題に矮小化されるようなものではない。
 やや離れるが、上の産経新聞「正論」で屋山太郎は「蠢く『小鳩』よ、恥を知れ」という見出しで小沢一郎らを批判している。しかし、屋山太郎こそ「恥を知れ」と言われなければならないだろう。
 2009年総選挙の結果について<大衆は賢明な選択をした>と明言し、自民党を批判しつつ民主党に期待したのは他ならぬ屋山太郎だったことを忘れてはならない(この点は当時に正確に引用したことがある)。
 そのような民主党への期待が幻想にすぎなかったことはほぼ明確になっているが、二年前の自らの期待・評価・判断が誤っていたということに一言も触れず、読者等を民主党支持に煽った責任があることについて一言も詫びの言葉を述べていないのが、屋山太郎だ。
 屋山は自らを恥ずかしいと思っていないのか? 無責任だと思わないのか? こんな人物が「保守」派面をして産経新聞等々の「保守」派らしき新聞・雑誌に登場しているのだから、日本の「保守」派もレベルは低いと言わざるをえない。
 政府の審議会の委員を何年か務めたくらいで、政治・行政、政権・行政官僚関係をわかったような気がしているとすれば大間違いだろう。冒頭の二人のように(佐々淳行もそうだが)、実務経験の長かった行政官僚OBの方が、はるかに、政治と行政公務員の関係をよく理解し、適切に問題把握している、と見て間違いはない。

0990/<保守派>論客を出自・元来の専門分野から見ると…。

 〇西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)という本は、その構成・編集の仕方が分かりにくい。渡辺望という目慣れない人の「はじめに」が延々と27頁も続くが、この本の趣旨・成り立ち等を西尾に代わって書いているわけではない。冒頭に、いわば<西尾幹二論>があるのだ。最後の方に唐突に「ブログ管理人/長谷川真美」による西尾幹二のブログの「歴史」が語られたりする。残りは西尾幹二のブログ(インターネット日記)の内容だとは推測されるところだが、ブログ内容に対する読者または知名人の感想等が挿入されていたり、西尾自身の出版直前のコメント等が挿入されていたりするので、いつの時点の文章のなのかもすこぶる分かりにくい。

 それでも、内容自体は興味深いテーマを扱っているので、読む人は読むだろうが、それにしても読者には不親切だ。関係する文章を時系列に関係なく、本文と解説等に分けることもなくごったにしてホッチキスで止めたような感じ。こんな本も珍しい。売れるとすれば、西尾幹二の名前によるところがほとんどではないか。

 〇上の渡辺望「はじめに」は、西部邁についてこう書いている。

 「福田恆存、江藤淳、竹山道雄、林健太郎、渡部昇一」らが「保守派」の論壇に存在していたが、「保守」という言葉を「現代日本に定着させた」のは西部邁の「論壇的功績」で、西部邁の1980年代の登場以降、「保守」という言葉を多くの人が使うようになった(p.19-20)。

 この西部邁論について大きな関心はないし、論評できる能力もない。興味を惹いたのは、そこで挙げられている「保守派」の論客の<出自>あるいは<(元来の)専門分野>だ。

 西部邁は経済学(・思想・歴史)だが、上の5人のうち林健太郎は歴史学・西洋史(とくにドイツ)で、あとの4人はいずれも<文学>畑だ。正確に確認しないが、渡部昇一は英語・英文学、そして西尾幹二もまた独語・独文学(・ドイツ思想・ドイツ哲学)という具合だ。

 福田恆存は英文学科卒、竹山道雄は独文学科卒、江藤淳は文学科英米文学専攻卒。

 このような<文学畑>または<文学部出身者(この場合は「歴史学」も含まれる)>によって<保守派>の論壇が形成されてきた、ということは、日本の<保守論壇>に独特の雰囲気・発想をもたらしているようにも見える。そしてそれは、必ずしもよいものばかりではないように見える。

 経済学部出身の西部邁、佐伯啓思、法学部(但し政治学系)出身の中西輝政あたりはむしろ少数派で、上記のような<文学畑>がなおも多数を占めているのではないか。櫻井よしこはハワイ大学で「歴史」を専攻したはずで、日本の大学でいうと文学部出身になる。

 どのような独特さをもたらしているかについて多少は書きたいこともあるが、ややこしいので別の機会にしよう。いつか言及した三島由紀夫と福田恆存の対談の中にも法学部出身者と文学部英文学科出身者の違いを感じさせる部分があった。

 <保守派>とはいえない屋山太郎は政治・行政に口を出しているので法学部出身かと思っていたら、文学部出身。経済についても法制についても<ドしろうと>なわけで、信頼できないことを書いている理由の一端も理解できる。政府の審議会委員をしていて見聞きして経験したことくらいで、政治・行政を「分かって」いると思っているとすれば、とんでもない勘違いだ。この人はまだ、民主党を1年半前に支持した不明を恥じる言葉を書いていない。

 〇先日の夜と翌朝にかけて、竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を全読了。2/26~27に月刊WiLL4月号(ワック)の中のいくつかをすでに読了。

0978/西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号)を読む②。

 西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号、ワック)から、のつづき。
 ・規制緩和あるいは「秩序からの解放とか、規制からの解放」→市場「活力」、というのは「エコノミストたちの…ひょっとすると戦後六十五年に及ぶ」大誤解だ。これは「戦後始まった歴史感覚乏しきアメリカニズム」の結果。「秩序を作る活力を持たずに、競争の活力がつくわけもない」(p.232-3)。
 -なるほど。だが、前回に紹介したように、西部邁によると規制と保護の間には<絶妙なバランス>が必要で、一方に偏してはいけないのだ。
 ・日本人が平成の22年余「毎日叫んでいた構造改革がもしも必要だとしても」、歴史を忘れた「合理主義」に舞い上がり、「抜本改革だ、構造改革だ、急進改革だ」などと叫んではいけない。このことは「保守思想の見つけ出した知恵」だ。

 -なるほど。だが「構造改革」一般を否認しているわけでもない。その具体的内容、規制と保護の間の<絶妙なバランス>の問題なのだろう。

 ・世代交代により戦前を知っていた、「歴史の知恵を少々は身につけていた」者たちが消え、敗戦後に育った世代が平成に入って以降、「一斉に各界の最前線に立ち改革を唱え始めた」。その「最大の犠牲者」でもあるのが「今の民主党にいる東大出の高級役人であり、弁護士であり、松下政経塾出身者であり、労働組合の幹部出身者たち」だ。その意味で民主党を「クソミソ」に言う気はない(p.234-5)。

 -戦前・戦中の実際を知っていて単純に<日本は(侵略戦争という)悪いことをした>のではないと実感として知っていた者たちがいなくなり(あるいはきわめて少なくなり)、占領下のいわゆるGHG史観・自虐史観の教育を受け、素朴に<平和と民主主義>教育を受けてきた世代が政界でも「最前線」に立つようになった。鳩山由紀夫、仙谷由人、菅直人、みんなそうだ。このほぼ<団塊の世代>は1930年代前半生まれの「特有の世代」の教師あるいは先輩によって、教育・指導されてきた。その結果が現在だ、という趣旨だと理解して、異論はない。

 なお、「東大出」ととくに指摘しているのは、月刊WiLL3月号の巻頭の中西輝政「日本を蝕む中国認識『四つの呪縛』」の一部(p.36、p.39)とも共通する。中西輝政は<団塊>世代に限定しておらず、固有名詞では、藤井裕久、与謝野馨、加藤紘一、谷垣禎一、仙谷由人らを挙げている。

 ・「民主党のような人間たちを作り出したのは、ほかならぬ戦後の日本」だ。月刊WiLL・週刊新潮・産経新聞に寄稿する「保守派のジャーナリストのように、単に民主党の悪口を言って」いて済むものではない(p.235)。

 -上の第一文はそのとおりで、そのような意味で、民主党内閣の誕生は戦後日本の<なれの果て>、あるいは戦後<平和と民主主義(・進歩主義・合理主義)>教育の成果だと思われる。従って、民主党政権の誕生は戦後日本の歴史の延長線上にあり、大きな<断絶(・「革命」)>をもたらしたものではない、というのが私の理解でもある。また、上の趣旨は、「民主党のような人間たち」のみならず、民主党を「支持した」人間たち、民主党政権誕生を「歓迎した」人間たちにもあてはまるだろう。そういう人々を「ほかならぬ戦後の日本」が作ってしまった。

 上の第二文はそこでの雑誌類に頻繁に登場する「保守派」論者たちへの皮肉だ。櫻井よしこを明らかに含んでいるだろう。渡部昇一佐伯啓思まで含めているのかどうか、このあたりにまで踏み込んでもらうと、もっと興味深かったが。
 ・民主党の「大、大、大挫折」は日本人が戦後65年間、「民族国民として、緩やかな集団自殺行為をやっていたことの見事なまでの証拠」だ(p.233)。
 -そのとおりだと思うが、この点を自覚・意識している者は、到底過半に達してはいない。

 ・今や「ほとんどすべての知識人が専門人」となり、「局所」・「小さな分野」にしか関心・知識のない人間が「膨大に生まれている」。新聞記者、雑誌記者、テレビマン、みんな「その手合い」で、民主党の醜態と併せて考えて、「ほとんど絶望的になる」(p.235)。
 -昨今の気持ちとほとんど同じだ。なんとまぁヒドい時代に生きている、という感覚を持っている。西部邁はこのあとで、退屈な老人にとって「絶望ほど面白いものはない」、「民主党さんありがとう」と言いたい、と書いているが、どの程度本気なのかどうか。一種のレトリック、諧謔だろう。ひどい時代を生きてきたし、生きている。マスメディアのみならず、「その手合い」に毒され、瞞されている有権者日本人に対しても、「ほとんど絶望的になる」。この欄にあれこれと書いてはいるが、ほとんど<暇つぶし>のようなものだ。あるいは、時代への嫌悪にじっと耐えて生きている証しのようなものだ。

0974/屋山太郎のいかがわしさ、再び。

 櫻井よしこの、週刊ダイヤモンド2009年7/25号、つまり2009年8月末総選挙の一ヶ月余前に出された週刊誌の連載をあらためて読んで見ると興味深い。
 とりあえずは、櫻井よしこが、総選挙の日程が決まって「自民党政権の終焉と民主党政権の誕生の間近さが予定調和のように示された」等としつつ、民主党の政策の明確化を望む、ということを基本的な主張としている、ということに目が向く。
 最初の方で、「民主党政権誕生を前にして気になるのが同党の政策である。党内の考え方は多くの点、特に外交・安保問題で統一されていない」と述べ、最後のまとめの文は、「こうして見ると、民主党の政策は本当に見えてこない。もはや自民党への反対だけではすまないのは明らかだ。政権を取ってどんな政策を実施するのか。選挙までの日々にマニフェストの発表を望むものだ」となっている。
 民主党への懸念は示されているが、批判はない、と理解して誤りではないだろう。むろん、<民主党(中心)政権断固阻止>という気概は全く示されていない。

 上のこととともに興味深いのは、櫻井よしこが紹介している、国家基本問題研究所理事の屋山太郎の(当時の)考え方だ。
 櫻井よしこは、屋山太郎の言葉を次のように紹介している。-以下の内容に誤りまたは不備があれば櫻井よしこの文章に原因がある。そうであれば、屋山は桜井にクレームをつけられたし(といっても一年半ほど前の古い文章だが)。
 ①「民主党政権が誕生するとして」、重要政策に党内一致がなく、憲法改正への姿勢も不明瞭だが、「政治評論家で民主党事情に詳しい屋山太郎氏は、しかし、楽観的である」。/「大胆に安全運転、これが政権奪取時の民主党の基本でしょう。外交・安保問題についても、従来の政策から大きくはずれることはないと思います。極論に走り、国民の信を失うような選択をするはずがないのです」。
 ②「屋山氏は、民主党と自公の最大の違いは外交・安保問題ではなく、国内政策に表れると予測する」。/「自公政権は公務員制度改革を事実上葬りましたが、民主党は本気です。国家公務員33万人、ブロック局など地方に21万人。彼らの権益擁護のために政治が歪められ、国民の利益が失われてきました。〔一文略〕麻生政権の終焉で同法案が廃案になるのは、むしろ、歓迎すべきです。民主党が真っ当な改革をするでしょう」。
 ③「屋山氏はさらに強調する」。/「教育についても、民主党政権下で日教組路線が強まると心配する声があります。輿石東参議院議員会長が山梨日教組出身だから、そう思われるのでしょう。しかし、民主党の教育基本法改正案は自民党案よりまともでした。加えて、教育では首長の影響が非常に大きい。民主党政権イコール教育のねじ曲げではないと思います」。
 このような予測が正鵠を射ていたかどうか、屋山太郎はもちろんだが、櫻井よしこもまた紹介者として<反省>し、屋山の見識に疑問を持つべきではなかろうか。

 普天間基地問題、尖閣諸島問題等々、民主党政権は<外交・安保問題>について実際に「従来の政策から大きくはずれることはな」かったのか? 「公務員制度改革」なるものを民主党政権は「本気」で「真っ当に」行ったのか、あるいは行おうとしているのか(「公務員制度改革」の内容自体も問題だが)?
 いちいちこの欄で取り上げていないが、屋山太郎の主な論説類はフォローしてきている。
 2009年7月段階のみならず、その後も一貫して、屋山太郎は、<自民党が再び政権を手にすることはない>旨を断言しつつ、民主党を支持・擁護してきている。批判的にコメントをすることがあっても、朝日新聞とほとんど同様に、こうすれば支持(率)が高まるよ、といった<叱咤激励>がほとんどだ(最近では<仙石由人切り>を勧告?していた)。

 民主党が「左翼」政権だとすると、屋山太郎もまた「左翼」論者(・「評論家」)だ。そのような者が産経新聞の「正論メンバー」なのだから、産経新聞の<品格>に傷をつけているのではないか?

 もっとも、櫻田淳が産経新聞「正論メンバー」であるとももに朝日新聞の<ウェブ論座>とやらの執筆者でもあるのだから、屋山太郎は櫻田淳とともに、<産経新聞はいうほど「右翼」・「保守(・反動)」ではありませんよ。安心して読んで(購読して)下さい>というための広告塔として用いられているのかもしれない。
 屋山が国家基本問題研究所の理事を務めているという不思議さ及びこの研究所自体について生じる疑問はいつか述べたので、今回は省略。

0897/内田樹は高橋哲哉にはついていかない。

 内田樹は「卑しい街の騎士」と題する2005年の文章の中で、1995年の高橋哲哉の文章に言及している。
 高橋哲哉は1995年に簡単にはこう(も)書いたらしい。
 ・<自国の「汚れた死者」(日本人戦死者)の哀悼よりも(アジア諸国への)「汚辱の記憶」を引き受けることが優先されるべき。
 ・「侵略者である自国の死者」への責任とは「哀悼や弔い」でもましてや彼らを「かばう」ことではなく、「彼らとともにまた彼らに代わって」、被侵略者への償い=「謝罪や補償を実行する」ことだ。
 内田樹は、高橋の「理路は正しい」、しかし思想とは「こんなに、鳥肌の立つようなものなのか」とコメントしている。
 「鳥肌の立つような」とは、感動したときにも用いられる、好意的・賛同的な意味での表現でもありうるが、内田によると、「…高橋自身が日々ゆっくりと近づいている『結論』に私の身体が拒否の反応をした」ということを意味するようだ。つまり、拒否的・消極的な反応の表現として使っている。
 つづけて、内田は高橋哲哉・靖国問題(ちくま新書、2005
)に言及する。高橋のこの本は読まないままでどこかに置いているのだが、高橋は、この書の結論部でこう書いているらしい。
 ・国家によるそのために死んだ者(戦死者)の「追悼」は、つねに「尊い犠牲」・「感謝と敬意」のレトリックが作動して、「顕彰」にならざるをえない。
 ・国家は「戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、…戦死の悲哀を名誉に換え、国家を新たな戦争や武力行使に動員していく」 。
 内田樹は次のようにコメントする。
 ・高橋の主張は「正しい」が「正しすぎる」。すなわち、これは「現存するすべての国民国家」等に適用されねばならない。つまり、「靖国神社を非とする以上、世界の共同体における慰霊の儀式の廃絶を論理の経済は要求する」。
 ・だが、中国も韓国もイスラム過激派もアメリカも欧州諸国民も受容しないだろう。それは「倫理的に十分に開明」的でないためかもしれないが、「世界中の全員を倫理的に見下すような立場に孤立」することが政治への実効的なコミットだとは思えない。
 ・「高橋哲哉の論理はそのまま極限までつきつめると、いかなるナショナリズムも認めないところまで行きつく」し、すべての民族等の否定にまで行きつく。例えば、①アジア諸国への日本の謝罪もそれを「外交的得点」とすることをアジア諸国政府に禁じる必要がある。それらの国の「ナショナリズムを亢進」させるから。②謝罪等をすることにより「倫理的に高められた国民主体を立ち上げた」という意識を日本人がもつことも禁じる必要がある。「ナショナルな優越感の表現」に他ならないから。
 高橋哲哉の原文を読んではいないが、なかなか鋭い分析と批判だ。
 だが、むろん、高橋哲哉の見解・主張の「理路は正しい」のか、「正しすぎる」のか、高い<倫理>性をもつものかは、本当にそうなのか、レトリックだけの表現なのか、という疑問が湧く。
 それに、そもそも、上の一部だけ問題にするが、高橋哲哉は本当に「いかなるナショナリズムも認めない」のか否かは検討されてよいだろう。論理的にはそうならそざるをえない、という指摘は重要だが、高橋哲哉がそのことを意識しているかどうかは別問題だとも思われる。
 すなわち、高橋哲哉は、日本国家についてのみ「ナショナリズム」の否定を要求しているのではないか。日本国家についてのみ、戦没者「慰霊」施設の廃絶を要求しているのではないか。それが高橋の本音ではないか(そして朝日新聞の若宮啓文も同様ではないか)。
 その意味で高橋はきわめてご都合主義的であり、きわめて<政治的>なのではないか。さらにいうと、論理・理論の世界に生きているようでいて、じつは(日本とその国家に対する)何らかの怨念・憤懣を基礎にして言論活動をしているのではないか(さらにいえば、それは日本「戦後」のインテリたちの基底にある心情ではないか)。
 以上は、内田樹批判ではない。内田は次のように文章をまとめている。
 「高橋哲哉の説く透明な理説」が一基軸として存在しえ、「思想的には重要」であることは認めるが、「私はこの『案内人』にはついてゆくことができない」。
 前段部分は褒めすぎのように思えるが、内田が結論的に高橋哲哉の議論を支持していないことは明らかだろう。
 内田樹の上記の題の文章は、加藤典洋・敗戦後論(ちくま文庫、2005)の「(文庫)解説」として書かれたもの(p.353-362)。
 内田は、加藤典洋は「熟練の案内人」、「正しい案内人」として肯定的に評価している。そして、高橋哲哉という「『案内人』にはついてゆくことができない」と結んでいるわけだ。
 加藤典洋の書の本体も読みたいものだが、はたして閑があるかどうか。

0870/山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)。

 山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)は、著者の各種書評類をまとめたもの。
 新聞や週刊誌等の書評欄という性格にもよるのか、批判的コメント、辛口の言及がないことが特徴の一つのように読める。

 1.寺島実郎・二〇世紀から何を学ぶか(新潮選書、2007)は民主党のブレインとも言われる寺島の本だが、好意的・肯定的に紹介している(p.63-64)。これを私は読んでいないし、寺島の別の本に感心したこともあったので、まぁよいとしよう。

 2.関川夏央・「坂の上の雲」と日本人(文藝春秋、2006)については、「楽天的な評論」と形容し、「プロの歴史家たる者」は関川の「司馬ワールドの解析」を「余裕をもって」眺めればよいと書いて、おそらくは「プロの歴史家」の立場からすると疑問視できる叙述もある旨を皮肉含みで示唆している。だが、全体としては好意的な評価で抑えており、これもまぁよいとしよう。
 3.だが、中島岳志・パール判事(白水社、2007)について、この書の基本的趣旨らしきものを全面的に肯定しているように読めるが(p.180-1)、小林よしのりの影響によるかもしれないが、この評価はいかがなものだろう、と感じる。いずれ、所持だけはしている中島著を読む必要があるとあらためて感じた(こんな短い、字数の少ない、研究書とはいえないイメージの本でよく「賞」が取れたなという印象なのだが)。

 4.渡邉恒雄=若宮啓文・「靖国」と小泉首相(朝日新聞社、2006)の書評部分には驚いた。

 山内昌之自身の言葉で、次のように書く。
 「…分祀は不可能と断定し日本の政治・外交を混迷させる現在の靖国神社の姿には、大きな疑問を感じざるをえない」(p.182)。

 以下もすべて、山内昌之自身の考えを示す文章だ。

 靖国神社に「戦争の責任者(A級戦犯)と戦死した将兵が一緒に祀られている。これは奇妙な現象というほかない。…兵士を特攻や玉砕に追いやったA級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」。
 小泉首相の靖国参拝は「近隣諸国から抗議を受けるから」ではなく「日本人による歴史の総括やけじめにかかわるからこそ問題」なのだ(p.182)。

 このような自身の考え方から、渡邉恒雄と若宮啓文の二人の主張・見解を好意的・肯定的に引用または紹介している。

 山内は<神道はもっと大らかに>との旨の若宮啓文の発言に神道関係者はもっと耳を傾注してよいとし、二人の「新しい国立追悼施設施設」建設案を、批判することなく紹介する(p.182)。さらには次のようにすら書く。

 「良質なジャーナリズムの議論として、日本の進路とアジア外交の近未来を危惧する人に読んでほしい書物」だ(p.183)。

 何と、渡邉恒雄と若宮啓文の二人が「良質なジャーナリズムの議論」をしていると評価している。

 前者はうさん臭いし、後者は日本のナショナリズムには反対し、中国や韓国のナショナリズムには目をつぶる(又はむしろ煽る)典型的な日本の戦後「左翼」活動家だろう。

 この書評は毎日新聞(2006.04.23)に掲載されたもののようだ。まさか毎日新聞社と読売・朝日新聞におもねったわけではないだろう、と思いたいが。

 また、そもそも、「A級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」との言葉は、いったい何を言いたいのだろうか。

 第一に、山内昌之も知るとおり、東京裁判が「日本人による歴史の総括やけじめ」ではない。A級戦犯を指定したのは旧連合国、とくに米国だ。かつ、とくに死刑判決を受けた7名の選択と指定が適切だったという保障はどこにもない。山内昌之は「戦争指導」者は「A級戦犯」死刑者7名、またはA級戦犯として処罰された者(のちに大臣になった者が2名いる)に限られ、それ以外にはいないと理解しているのだろうか。かりにそうならば、東京裁判法廷の考え方をなぜそのまま支持するのかを説明する義務があろう。

 そうではなくもっと多数いるというならば、山内がいう「開戦や敗戦の責任」をとるべき「戦争指導」者の範囲は、山内においてどういう基準で決せられるのだろうか。その基準と具体的適用結果としての特定の人名を列挙していただきたいものだ。
 これは日本国内での戦争<加害者>と<被害者>(山内によると一般「兵士」はこちらに属するらしい)の区別の問題でもある。両者は簡単にあるいは明瞭に区別できるのだろうか? 朝日新聞社等の当時のマスコミには山内のいう「責任」はあるのか、ないのか?、と問うてみたい。また、<日本軍国主義>と<一般国民>とを区別する某国共産党の論と似ているようでもあるが、某国共産党の議論を山内は支持しているのだろうか?

 第二に、「A級戦犯」とされた者は「開戦や敗戦の責任」を東京裁判において問われたのか? この点も問題だが、かりにそうだとすると、「A級戦犯」全員について、とくに絞首刑を受けた7名について、各人が「開戦」と「敗戦」のそれぞれについてどのような「責任」を負うべきなのか、を明らかにすべきだ。「開戦」と「敗戦」とを分けて、丁寧に説明していただきたい。

 新聞紙上で公にし、書物で再度活字にした文章を書いた者として、その程度の人格的(学者・文筆人としての)<責務>があるだろう。

 第三に、山内昌之は「責任」という言葉・概念をいかなる意味で用いているのか? 何の説明もなく、先の戦争にかかわってこの語を安易に用いるべきではあるまい。

 ともあれ、山内昌之は「靖国神社A級戦犯合祀」(そして首相の靖国参拝)に反対していることはほとんど明らかで、どうやら「新しい国立追悼施設施設」建設に賛成のようだ。

 5.山内昌之といえば、昨年あたりから、産経新聞紙上でよく名前を目にする。

 産経新聞紙上にとくに連載ものの文章を掲載するということは周囲に対して(および一般読者に)一定の政治信条的傾向・立場に立つことを明らかにすることになる可能性が高く、その意味では<勇気>のある行動でもある。

 だが、上のような文章を読むと、確固たる<保守>論客では全くないようで、各紙・各誌を渡り歩いて売文し知識を披露している、ごくふつうの学者のように(も)思えてきた。

 1947年生まれだと今年度あたりで東京大学を定年退職。そのような時期に接近したので(=学界でイヤがらせを受けない立場になりそうだから)、安心して(?)産経新聞にも原稿を寄せているのではないか、との皮肉も書きたくなる。

0859/筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。

 筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。
 目次等でわかる共産党員の悩み事・相談事は「赤旗」拡大の悩みとか党中央文書を読む必要性とかで、すでに共産党員ではなくなっている筆坂に尋ねても、また筆坂が回答しても無意味のようなものばかりだ。
 ただ、―筆坂・日本共産党(新潮新書)は発刊後すみやかに全読了しているが―彼が除籍される直前( 2004年頃)までの日本共産党内部の実態は改めてよく分かるところもあり、興味深い部分もある(今回は省略)。
 そもそも日本共産党員が悩むべきなのは、日本共産党という政党の存在意義、換言すれば、「社会主義」(→共産主義)を目指すという目標を設定することが<正しい>のか、だろう。コミュニズム、マルクス主義または日本共産党のいう「科学的社会主義」は<正しい>のか、でもよい。
 とりわけ、冷戦終結(と私は考えていないが)をもたらしたとされるソ連共産党・ソ連の解体・崩壊は「社会主義」理論に、および「社会主義」運動に、いかなる影響または意味をもつかを、誠実な日本共産党員であれば、深刻に<悩み>、思考するのが自然だろう。
 そのような「悩み」事は筆坂には寄せられなかったようだが、<「共産党」という名前に拘泥する必要はないのでは?>という趣旨の「相談」に対して、筆坂は相当に興味深い、思い切ったことを書いている。以下のごとし(p.184-187)。
 ①党指導部に「党名を変えろ」と主張するより、「もっと本質的な問いかけをすべき」だ。つまり、「マルクスから離れることは決定的な間違いなのか」、だ。
 ②日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言う。
 だが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られました」。「大きく道を踏み外す」、その「淵源は、マルクス、エンゲルスにもあった」。
 「すべてをスターリンの責に帰す議論は、まったく公正ではありません」。
 ③「しかも」、日本共産党自身が「スターリン時代のソ連」を「社会主義だと規定」してきた。「計画経済や国有化、集団化に社会主義の姿を見てきたからこそ」のはずだ。
 そういう「規定」を「そうではなかった」と「覆したのは、ソ連とソ連共産党が崩壊してから」だ。
 「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか。人権抑圧も大量弾圧も、大国主義・覇権主義も、官僚主義も、ソ連崩壊以前から周知のことでした」。
 ④そういう理由で(「真の社会主義」ではなかったとして)「旧ソ連を切って捨てたのであれば、なぜいまの中国を日本共産党は批判しないのでしょうか。一党独裁、チベットなどへの侵略、人権弾圧、政治的民主主義の抑圧、大国主義など、その体制は旧ソ連と何ら変わりません」。
 それなのに日本共産党は、「何一つ批判しないどころか」、「中国共産党はマルクス主義の立場を真面目に追求している」と「評価さえ」している。
 ⑤「科学的社会主義」と言ったところで「実態は単なるご都合主義」だ。資本主義→社会主義は「歴史的必然」という論も「現実を見れば仮説でしかなかったことは明瞭でしょう」。マルクス主義から「離れる」ことで「良い社会」ができればいいのではないか。それを日本共産党ができれば、「政党名云々などは瑣末な問題にすぎません」。
 筆坂がどの程度正確に日本共産党の主張・見解を紹介しているかは、厳密には疑っておいてよい。例えば、日本共産党は、ソ連の「大国主義・覇権主義」に対する批判はソ連共産党・ソ連の解体・崩壊前から行っていた、と反論するかもしれない。
 しかし、気になる点はないことはないが、上の②と③は私がこの欄に書いてきたことと基本的趣旨に変わりはなく、まことに堂々と筆坂は日本共産党を批判している、と感じる。
 日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言うが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られ」たのではないのか?、「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか」?と、心ある、まともな神経のある日本共産党員ならば<悩む>べきだ。そして、党中央の主張・見解を疑い、可能ならばすみやかに離党すべきだ。一度しかない人生、大ボラの体系の、一種の<宗教>の信者として過ごすのは一刻も早く、止めた方がよい。
 上の④は、強くは意識していなかったが、なるほどと思わせる。
 日本共産党は中国共産党との関係の再修復を歓迎し、それを党中央の「成果」だと評価している。そして、現在の世界情勢を語る場合、大人口をもつ中国も含めて(その他、ベトナムやキューバ等を加えて)、社会主義または親社会主義の国々は世界の1/3か1/4を占めている(日本共産党の文献で確認することを省く)と「豪語」して、<社会主義>勢力が衰退していないことの証拠としている。
 日本共産党は<自主・独立>の党のはずだが、今や、中国共産党とその支配する中華人民共和国は、その存在・存続自身が、日本共産党の存在にとっても不可欠になっているようだ。
 ソ連が崩壊し、中国まで共産党支配国でなくなってしまったら、いくら再び<毛沢東(あるいは鄧小平?)以来ずっと、中国は「真」の社会主義を目指す国ではなくなっていた。日本共産党だけは「正しい」社会主義を追求する>などと後から言ったところで、党員も含めて誰も(一部の幹部を除いて?)信じないだろう。
 こうした状況では、筆坂が指摘するように、日本共産党は中国(共産党)の悪い側面を指摘・批判することができないようだ。そういう面を知ってはいても、とりわけ中国の<社会主義的市場経済>の進展・発展ぶりに期待する文章を志位和夫か不破哲三が書いていたのを読んだことがある。
 <屈中・媚中・親中>は、日本共産党にも(日本共産党こそが?)あてはまる。
 その意味では、上のように書く筆坂は、小沢一郎や鳩山由紀夫、民主党よりも、まっとうな感覚を持っている。チベット問題は「内政」問題だとしてコメントを避ける岡田外相よりも優れている。
 筆坂が離党したのは2005年7月で(57才になる年で)、それまでは、日本共産党と「科学的社会主義」の諸文献を読んで生きてきたに違いない。したがってそれまでは、<日本>という国家の特性、<日本>の歴史・文化・伝統等に関心をもったことはほとんどなかっただろう。
 したがって、筆坂が天皇・皇室に関して、どういう考えを持っているかも知ることはできない。離党してから、小泉信三「共産主義批判の常識」(p.181~で言及)以外にどんな本を読んだだろうか。
 だが、私とほとんど同い年で、長くはないがまだ<人生>はあるだろう。たくさんの本に目を通しつつ、日本共産党員であり続けていれば不可能だったように、彩りと潤いと、美しさと静穏さと、様々なものを感受しながら、残りの人生を全うしてしていただきたいものだ。

0858/週刊現代4/10号の山内・立花の対談と青木理の「歪狭」な論。

 週刊現代4/10号(講談社)。表紙に「小沢は害毒である」、「何をしてんだか、民主党。」とあって、前号よりも<反民主党>的だ。
 表紙の前者と「ソ連共産党と化した民主党政権。この国はいま危ういところにいる」を見出しにつけた、立花隆=山内昌之の対談がある(p.36以下)。
 ソ連共産党うんぬんは、山内昌之の次の発言から取っているようだ。
 思い浮かぶのは「ソ連共産党」。「民主集中制のソ連共産党、つまりボリシェビキ最大の特徴は、書記長に全権が集中するシステム…」。「スターリンの権限が集中した書記局のアパラチキ(機関員)が、歯車のように決定をふりかざして…新参ボリシェビキを完全支配する」。これが「スターリン支配政治体制を成立させる土壌」にもなった。民主党幹事長室・周辺議員は「民主党を変質させるアパラチキのように見えて仕方がない」(p.39)。
 民主党の権力構造、そして国家全体の政治構造が一党独裁の「社会主義」国に似ているところがあるのは、私もかつて指摘したとおり。だが、本当の「民主集中性」・「共産党一党独裁」は今の民主党のような程度ではないことも言うまでもないだろう。前原や枝野はまだ小沢批判的な発言を公にできている。本当の「社会主義」だと、かつてのソ連共産党だと、そんな自由はなく、前原らは地位を失うか、<粛清(流刑または殺戮)>されている。
 この対談で立花隆は、「民主党が官僚をうまく使わないことが国家を危うくしている」(p.41)、「政治家主導のお題目は唱えるが、官僚を主導できるだけの政治家が少なすぎる…」、「司を動かせば官僚機構は動くのに、事務次官なんかいらないみたいなことを言うから…国家機構全体が糸が切れたタコ状態になっている」、「財政破綻もひどいが、官僚無視による国家のシステム破壊、アイデンティティ破綻の方がずっとずっとひどい」(p.42)と、まともなことを言っている。<護憲・左翼>の立花隆にしてすでにそうだ。
 国家基本問題研究所理事・屋山太郎は、<官僚主導>か<議会制民主主義>かなどを先の総選挙の最大の争点に見立てて、民主党を応援し、その政権誕生を歓迎し、何度でも書くが、<大衆は賢明な選択をした>とまでのたまった。
 2010年4月時点でもそう思っているのかどうか、どこかで書いてほしいものだ。なおも<政治家主導>第一主義は正しいと考えているならば、上記の理事はやめた方がよい。あるいは、櫻井よしこらは屋山を理事から<解任>すべきだ。
 対談は全体としては、山内昌之のペースで、こちらの口数の方が多い。ほとんどかつての蓄積にのっかっただけの立花隆の老いをやはりある程度は感じる。
 そういう週刊現代だが、4/03・4/10号によると、魚住昭、森功、岩瀬達哉、青木理によるリレー連載欄があり、日垣隆の連載があり、斎藤美奈子が登場し、井筒和幸の映画批評があったりで、明確な<左翼>な分子を含む売文業者等をたくさん抱えているのが分かる。
 4/10号で、青木理は、高校授業料無償化に関する「朝鮮学校外し」を、次のように批判している。
 「酷い感情論だ。いや、…社会が最低限守るべき理念を根本から腐らせる、単なるレイシズムではないのか」、「これほどに歪狭な愚論がもっともらしく語られてしまう日本のムードも、酷い憂鬱を禁じ得ない」(p.61)。
 何とも「酷い」、凝固した「左翼」が、こんな<感情論>をそのまま活字にできる<日本のムード>に「酷い憂鬱を禁じ得ない」。
 週刊現代・講談社の編集部の心底を見た思いもする。<反民主党>で今は売れる、と全体としては判断しているのだろう。しかし、青木理のような文章もちゃんと載せておく、ということを忘れない。
 青木理は「現在、国公立大学のほとんどが朝鮮学校出身者の受験資格を認めている」ことを根拠の一つとしている。
 だが、このこと自体に問題があることを想像はしないのだろうか。国公立大学(私立も基本的には同様だが)の受験・入学資格は基本的・原則的に日本の高校卒業者(・予定者)に限られる。おそらくは<その他、日本の高校卒業と同等程度の学力をもつと認められる者>という例外があり、これをタテにとった朝鮮(高級)学校側の運動と圧力(?)によって、個別的にではなく概括的に、朝鮮(高級)学校卒業(・予定)者の受験資格を認めてきているのだろう。ここには、面倒なことは避けたい、とか、あるいはひょっとして北朝鮮に「寛大」な措置をして「友好」的・「進歩」的に見られたいとかの、日本の国公立大学の弱さ・甘さが看取されるように思われる。
 彼ら朝鮮(高級)学校卒業(・予定)者はいわゆる<大検>に合格しているわけではない。とすると、本当は事前に個別に試験をして、受験資格があるかどうかを見極める必要があると思われる。しかるに、「朝鮮学校出身」というだけで例外的な受験資格を認めていることの方こそが本当は問題にされてよいように思われる。
 下らないことを書く「左翼」分子に、講談社は原稿料(これはひいては読者・購入者も負担する)を支払うな、と言いたい。 

0857/週刊現代4/03号(講談社)の山口二郎の言葉。

 サピオ=小学館=週刊ポスト、かつての月刊現代=講談社=週刊現代、という対比もあって、週刊ポストよりも週刊現代の方がより「左翼的」という印象があった。だが、最近は、表紙からの印象のかぎりでは、週刊現代の方が<反民主党>・<民主党批判>の立場を強く出しているようだ。
 もっとも、NHKを含むマスメディアの<体制派>は、民主党を批判しても、決してかつての自民党政権時代には戻らせない(とくに安倍晋三「右派」政権の復活は許さない)という強い信念・姿勢をもって報道しているように見える。
 上の点は別にまた書くとして、週刊現代4/03号(講談社)。
 山口二郎「私は悲しい。鳩山さん、あなたは何がしたかったのですか」(p.40以下)がある。
 「民主党政権・生みの親」とされる北海道大学教授が民主党・鳩山政権を辛口で批判している。
 批判はよいが、「…25%削減を打ち出した温暖化対策は鮮烈だったし、八ツ場ダムの凍結も画期的でした」(p.41)、通常国会冒頭の鳩山の「施政方針演説は、まことに立派なものでした。官僚の作文ではない、血の通った言葉だった」(p.43)とか書いているのだから、山口二郎はまだ大甘の、頭のピントが外れた人だと思われる。「小沢さんは日本政治を最大の功労者の一人であると、今でも信じています」とも言う(p.42)。
 「八ツ場ダムの凍結」はたまたま民主党の選挙用「マニフェスト」に具体名が挙げられていただけのことで、特定の案件について、いかなる基準で公共工事の凍結・継続が決められたか、およびその判断過程は明らかにされていない、と思われる。そのどこが「画期的」なのか?
 「最初の民主党ができた頃から、民主党政権を作ることが夢でした」と真面目に(?)語っている山口の心理・精神構造には関心が湧く。こんな人がいるからこそ、マスメディア(のほとんど)も安心して自民党叩き・民主党称揚の報道をしたのだろう。
 山口二郎は、北海道大学関係者にとって、<恥>なのか、それとも<誇り>なのか。
 その山口も、まともなことも言っている。
 ・民主党の「政治主導」の諸措置により「政務三役だけやたらと忙しく、他の議員はヒマ…」、「格好だけ政治家が前へ出て…その実、まともな政策論議ができていない」(p.41)。
 ・小沢一郎が「幹事長室に陣取って……自民党的な利益誘導政治をしている」(p.42)。
 これらは、<保守>派評論家とされ、国家基本問題研究所理事の屋山太郎よりもまっとうだ。屋山の判断力が、山口二郎・旧社会党ブレインよりも劣っているとは、情けない。

0849/生業(なりわい)としての「保守」派。いや、「保守」派ではない「売文業者」-屋山太郎。

 屋山太郎の文章について、好意的・肯定的に言及したこともあった。
 2007.06.26付「社保庁職員の自爆戦術-屋山太郎の二つの文」。
 だが、昨年の総選挙前あたりから、屋山の主張・見解を疑問視し、選挙後の論評を読んで、この人は決して<保守>派ではない、と感じている。以下の3つを書いた。
 ①2009.08.06「屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙」。
 ②2009.09.21「屋山太郎が民主党を応援し『官僚内閣制』の『終焉』を歓迎する」。
 ③2009.10.31「屋山太郎は大局を観ていない。これが『保守』評論家か」。
 この③では屋山の1.産経新聞8/27付「正論」、2.月刊WiLL10月号(ワック)p.24-25、3. 産経新聞9/17付「正論」、4.月刊WiLL12月号(ワック)p.22-23の4つに言及し、「価値序列、重要性の度合いの判断に誤りがある」、「かりに<議会制民主主義>に論点を絞るとしてすら、屋山太郎は大局を観ていない」等々とコメント(批判)した。
 何と言っても、屋山太郎は昨年の総選挙の結果につき、「大衆は賢明だったというべきだ」(上記月刊WiLL12月号)と明記した人物だということを銘記しておく必要がある。自分自身は「大衆」に含まれているのか、それとも「大衆」とは次元の異なる世界に住む<エリート>だと自己意識しているのかは知らないが。
 その後、屋山太郎は民主党政権(鳩山由紀夫・小澤を含む)につき批判的なことも書いている。
 だが、そのような民主党(中心)政権の誕生を応援しかつ歓迎したことについての自己反省・自己批判の言葉は、その後いちども目にしたことがない(屋山太郎の文章のすべてを読んでいるわけではないので見落としのある可能性はある。だが、おそらくそのような言葉を公にはしていないのではないか)。
 屋山太郎が誠実でまともな感覚の持ち主だったら、<見通しが甘かった>、<こんな筈ではなかった(のに)>くらいのことは書いたらどうか。
 逆に、1月末発売だから昨年末か今年初めに執筆されたと思われる月刊WiLL3月号(ワック)p.22-23では、屋山はまだ性懲りもなく、こんなことを書いていた。
 ①昨夏の「総選挙」は「官僚内閣制」から「議会制民主主義」に「体制」を変えた選挙で、「今、議会制民主主義にふさわしい体制変革が進行」しており、「次の総選挙」こそが「政権交代」選挙になる。
 ②「日本の(議会制)民主主義」はおかしい、「実はニセモノ」だと感じてきた。「民主党政権四年の間には『議会制民主主義』が定着するだろう」。
 -そして、以下の諸点を肯定的に評価している。
 ③A「官僚の政治家への接触を禁止」、B「官僚の国会答弁を禁止」、C「省の方針」の「政務三役」による決定、D「事務次官会議を廃止」。E「陳情を幹事長室に一元化するのも、政治家と業界の癒着防止のためだろう」。
 最後に、こんな文章もある。
 ④「体制変革」の方向〔「官僚内閣制」から「議会制民主主義」へ〕は「間違えていない」。「この『変革』は、民主主義体制確立のためには不可欠」だ。
 唖然、呆然とせざるをえない。これが少なくともかつては<保守>評論家と位置づけられた者の書くことか?
 逐一詳細なコメントはしないが、上の③のAは一概には評価できないもの、Bはむしろ国会による行政(行政官僚)監視・統制のためには必要な場合もあるもの、Dも一概には評価できず、
「事務次官会議」による閣議案件の実質的決定はたしかに問題だが、それによる各省間の<調整>のために必要または有益な場合もありうるもの、と思われる。
 ③のEに至っては笑止千万。それほどまでに民主党(・小沢一郎)を応援したいのか。昨年末にはすでに、「社会主義」国における共産党第一書記(または書記長)による政治(・立法)・行政の一元的「支配」または「独裁」体制に似ている、という鳩山政権の実態に対する批判は出ていたはずなのだが。
 私も2009.11.29に、「そこまで大げさな話にしなくてもよいが」と遠慮がちに(?)付記しつつ、次のように書いた。
 「国会(議会)・行政権の一体化と、それらを背後で実質的に制御する政党(共産党)、というのが、今もかつても、<社会主義>国の実態だった」。
 (「『行政刷新会議』なるものによる『事業仕分け』なるものの不思議さと危うさ」) 
 すでに書いたことだが、「政治(家)主導=官僚排除」と<議会制民主主義>の確立・充実は同義ではない。また、屋山太郎があまりにも単純に「議会制民主主義」や「民主主義」を素晴らしい、美しいものとして想定しているようであることにも驚く。
 どうやらこの人も占領下の「民主主義」教育に洗脳された人々のうちの一人らしい。
 このように「(議会制)民主主義」の徹底・確立を説くのは、こちらは<とりあえず>だけにせよ、日本共産党の主張と全く同じではないか。屋山太郎は、重要な点でいつから日本共産党と同様の主張をするようになったのか。
 屋山太郎の近視眼さ、視野の狭さもすでに指摘したことがある(上記の書き込み参照)。
 佐伯啓思は隔月刊・表現者28号(2010年1月号、ジョルダン)で、端的にこう書いている(p.55)。
 <民主党のほか、自民党・マスコミを含む「今日の日本の政治的関心」にとっての「もっとも重要な課題」は「民主主義の実現」とされている。「政治主導」とは官僚から国民に政治を取り戻す「民主政治の実現」であり、「民主政治の進展こそが、民主党政権の存在意味」なのだった。
 「しかし、状況はもっと危機的であることを認識すべきである。この十数年の間に日本がおかれた状況は、脱官僚政治、というような議論で片付くようなものではない」。> 
 また、佐伯啓思は民主党について次のように書くが(p.56-57)、私は屋山太郎にも同じ言葉を向けたいと思う。
 <民主党の「あまりに浅薄で聞こえの良い政治理解・民主主義理解に虫酸が走る」。>
 それにしても、ウェブ情報によると、櫻井よしこを理事長とする国家基本問題研究所は理事長・副理事長に次ぐ(と思われる)「理事」13名の中の一人として、なおも「屋山太郎」を選任(?)し続けている。
 屋山太郎が「理事」をしているような団体は、少なくともまともな「保守」派の団体ではなさそうに見える。櫻井よしこ・田久保忠衛や評議員等を含めて、少なくとも大きな疑問を感じる人物はいないのに(各人の主張内容を詳しく知っているわけではない)、屋山太郎だけは今や別だ。
 何が「保守」かはここでは議論しない(上記の隔月刊・表現者28号(2010年1月号、ジョルダン)には、具体的論点については本当に「保守」派なのかと疑われる中島岳志が「私の保守思想1-人間の不完全性」というのを書いているが(p.132以下)、そこでの「保守」の意味内容はなおも基本的、常識的すぎる)。
 明らかなのは、屋山太郎は「保守」派あるいは「保守(主義)」思想に依拠している人物ではない、ということだ。他にもいそうだが、「保守」派(的)と一般的にはいわれている雑誌や新聞に文章を書くことを「生業(なりわい)」にして糊口を凌いできている「売文業者」にすぎないのではないか。

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  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
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  • 2095/西尾幹二の境地・歴史通11月号②。
  • 2092/佐伯智広・中世の皇位継承(2019)-女性天皇。
  • 2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。
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  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
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  • 2081/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)②。
  • 2080/宇宙とヒトと「男系」-理系・自然科学系と<神話>系。
  • 2066/J・グレイ・わらの犬「序」(2003)②。
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