秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

東アジア諸国

北村稔・第一次国共合作の研究(1998)の一部など。

 一 北村稔(1948~)の書物は、文春新書の<南京事件>に関するものが読んだ最初で、韓国・北朝鮮について詳しい西岡力らとともに、それぞれ中国や韓国(・朝鮮半島)についての専門家だと思っていた。
 しかし、北村稔の中国に関する別の書物を一読して、この人はマルクス主義あるいは共産主義についてもよく理解している人ではないか、と感じた。
 同じことは西岡力についてもいえ、2016年の中西輝政との共著(対談)を読んで、反共産主義のしっかりした人だろうと感じた。*中西輝政=西岡力・なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか(日本実業出版社、2016)。
 中国や韓国に対する<民族的>批判・蔑視を基礎にしたような本もあることから中国・韓国本読みを少しは敬遠していたのだが、北村や西岡の本は、これからもっとじっくりと読む必要があると思っている(この二人のほとんどの公刊書物をおそらく所持はしている)。
 北村稔や西岡力は、おそらくこれまでのかつ現在の日本共産党について、当然に知識をもち、何らかの見解・意見をもっているだろう。にもかかわらずそれがおそらく公言されていない理由の一つは、この人たちが現在なお<(特定の大学の)大学教授>という肩書きをもち、それぞれの専門分野があり、専門分野外に口出すのを避ける、という気持ちがあることにある、とも思われる。西岡の中西輝政との対談本は、大きな例外なのではないか。
 <容共左翼>学者の中には、山口二郎とか中島岳志とか、同志社大学の浜矩子とか、他にも多数、国公立大学在職者も含めて、平気で<政治的・党派的>発言をしているものもいるのに、<保守>派らしき学者・研究者たちは、何と奥ゆかしい ?ことだろう。
 上は、北村稔と西岡力を同列に並べるものではない。同じグループに括ってしまうものではない。
 二 さて、北村稔・第一次国共合作の研究-現代中国を形成した二大勢力の出現-(岩波、1998)。
 その本文の冒頭近くに、ロシア共産党を主語としたつぎの文章がある。p.3。
 「ロシア共産党」は1919年にコミンテルンを作って「世界共産主義運動の中央機関とした」。「ロシア共産党は中国内の親ソ勢力の獲得にも努力し、中国国民党に着目してコミンテルン指揮下の中国共産党との合作を推進し、第一次国共合作を成立に導く」。
 さらに続けていう。p.3-4。
 「第一次国共合作は、…ロシア共産党支配下のコミンテルンおよびソ連政府の極東戦略と、…中国国民党の政治政略の合体であった」。「コミンテルン指揮下の中国共産党員たちは、独自の展開を志向しつつもコミンテルンとソ連政府の極東戦略のもとに行動する」。 
 とくに目新しいことはないが、あらためて、複数の国共合作を経ての中国共産党の勝利、毛沢東の権力奪取、1949年の共産中国成立は、コミンテルン、そしてロシア共産党の存在がなければ生じなかっただろうことを確認したい。
 そして、ロシア共産党(ボルシヴィキ)の勝利とコミンテルン創設は、まさしくレーニンが主導したもので、レーニンが最高指導者の「陰謀家」集団によるロシア「10月革命」の勃発とロシア共産党の権力掌握・維持がなければ発生しなかっただろうことも、歴史的にみて明らかだと思われることも確認したい。
 ロシア「革命」がなければ、中国「革命」・<社会主義>中国もなかったのだ。
 中国共産党も日本共産党も「その祖」は間違いなく、レーニン・ロシア共産党そしてコミンテルンにある。そして、現在もなお、<現実>に、大小の違いはあれ、影響を与えている。理論的には、あくまでもレーニンを経由してマルクスに行き着くのだと思われる(但し、日本共産党・不破哲三は直接のマルクス回帰も試みているようだ)。
 両党は、1998年に、<友党>関係を回復した。
 三 ロシア革命期からレーニンのネップ期までの具体的イメージを作りつつ、日本共産党の<大ウソ>連載を終えてしまいたいのだが、大幅に遅れている。
 ロシア「革命」のあとは中国「革命」のできるだけ詳細な過程を知ろうと思っており、上記の北村稔著も熟読したいのだが、さしあたりは積んでおく、あるいは広大な書庫(冗談だ)の中に紛れないように置いておかねばならない。
 *参照、北村稔・「南京事件」の探求(文春新書、2001)、北村稔・中国は社会主義で幸せになったのか(PHP新書、2005)、北村稔・中国の正体(PHP文庫、2015)。

資料・史料/2015.12.28「慰安婦問題」日韓合意

 日韓「慰安婦問題」外相合意 2015年12月28日
  <出所、(日本)外務省HP>
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 12月28日午後2時から3時20分頃まで,岸田文雄外務大臣は,尹炳世(ユン・ビョンセ)韓国外交部長官と日韓外相会談を行い,直後の共同記者発表において,慰安婦問題について以下のとおり 発表した。
 1
 (1)岸田外務大臣による発表は,以下のとおり。
 日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。
  ア 慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。
  イ 日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。
  ウ 日本政府は上記を表明するとともに,上記(イ)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。
 あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。
 (2)尹外交部長官による発表は,以下のとおり。
 韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,韓国政府として,以下を申し述べる。
  ア 韓国政府は,日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し,日本政府が上記1.(1)(イ)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は,日本政府の実施する措置に協力する。
  イ 韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。
ウ 韓国政府は,今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で,日本政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。
 2 なお,岸田大臣より,前述の予算措置の規模について,概ね10億円程度と表明した。
 3 また,双方は,安保協力を始めとする日韓協力やその他の日韓間の懸案等についても短時間意見交換を行った。
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 秋月注記-以下の①~③の、公式の英語訳文はつぎのとおり。<出所、(日本)外務省HP>
 ①「慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」
 =the issue of comfort women, with an involvement of the Japanese military authorities at that time(, was --)
 ②「日本政府は責任を痛感している」
 =the Government of Japan is painfully aware of responsibilities
 ③「安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて、…、心からおわびと反省の気持ちを表明する」
 =as Prime Minister of Japan, Prime Minister Abe expresses anew his most sincere apologies and remorse

1215/ジャパニズム14号の井上太郎「ヘイトスピーチと在日特権」。

 一 「ヘイトスピーチ」なるものに前回触れたのだったが、関連する文章に、井上太郎「ヘイトトピーチと在日特権」ジャパニズム14号(2013年8月号、青林堂)p.108以下があった。

 井上は言う-「日本でのヘイトスピーチは批判するが、南朝鮮の国家レベルの無礼な反日活動はスルーするマスコミの存在…」。「南朝鮮や在日朝鮮人に対し一切批判を行ってこなかった日本のマスコミにも、在日問題に関し責任は全くないといえるの」か。「ヘイトスピーチを生み出しているのは、日本だけを悪者にするダブルスタンダードのマスコミの存在と在日自身にもあるというのは間違った意見」なのか。

 韓国・韓国人等は日本・日本人に対して立派な「ヘイトスピーチ(+ビヘイビア)」をしているではないか、特定の(非左翼の)日本人だけを批判して一部の近隣諸国(国民も含む)を批判していないとすれば、NHKは偏向しており、「自虐的」なままだ、というのは前回に書いたことだったが、同旨の指摘が「日本のマスコミ」について発せられていることになる。

 また、日本のマスコミが「在日特権」を問題にせず、「在日」に甘いがゆえにこそ「ヘイトスピーチ」が生じているのではないかという論理も、私には思いつかなかったが、成り立ちうるもので、よく分かる。

 二 井上が上の論考で三段組み2頁以上にわたって列挙している「在日特権」はたしかにすさまじいものだ。

 「自治体」の裁量と書いているが(p.109)、生活保護は実施主体は地方公共団体であっても国の法令と「通達」等に依っているとみられ、特定範囲の「在日」には日本国籍はなくとも日本国民を対象とする生活保護法という法律を「準用する」という、国のかつての厚生大臣か局長かの一片の「通達」にもとづいて日本人に対するのとと同じ生活保護がなされているにすぎない。「全てに法的根拠はなく」という叙述は正しいと考えられる。

 詳細には知らないが、他にも法律上の根拠なくなされている「在日」優遇は多いようだ。これは「法治行政」の中に政治的・外交的・裁量的判断を持ち込むもので、一般的な行政スタイルとしても問題がある。

 民主党・小宮山厚労相の命令により、生活保護を受けている「在日」は申請しさえすれば国民保険料が免除され、「満額の国民年金」を受け取れるようになった、らしい(p.111)。これはベラボーな話ではないか。ただでさえ年金財政は苦しいというのに、こんな「在日」優遇は認められるべきではなかろう。憲法25条がプログラム規定としてであれ最低限度の文化的生活をする権利を認めているのは「国民」であり、生活保護のみならずその他の福祉行政についても国籍の有無で「区別」するのは、何ら憲法違反ではないし、かつ法律レベルの政策判断としても不合理なものではまったくない。

 「在日」を差別する(不当・不合理に区別する)必要はないし、そうしてはいけないだろうが、<国籍の有無による差別はいけない>とか<要求または抗議が激しいので穏便に>などという誤ったかつ事なかれ主義の発想で行政はされてはならないだろう。

 表現方法や言葉遣いが問題だ、「レイシズム」だ、などと論難する前に、NHKは「在日特権(優遇)」の実態をきちんと調査して、大越健介演番組でなくとも国谷裕子の7時半からの番組でもよいから、報道し検証してみたらどうか。という期待は、きっと甘すぎるかもしれないが。

1214/NHKは日本と日本人に対する「ヘイト・スピーチ(+ビヘイビア)」を厳しく批判しているか。

 9/23だっただろうか、NHKの九時からのニュースは、<またやったか>と感じさせるところがあった。

 「ヘイト・スピーチ」に反対する集会・デモが東京で行われたというもので、「ヘイト・スピーチ」反対の集会・デモを、NHK、そして大越健介は肯定的・好意的に報道した。前提には、「ヘイト・スピーチ」をする集会・デモは「悪」だ、という価値判断があったようだ。

 なるほど「特定の人種や民族に対して差別や憎しみをあおったり、おとしめたりする言動」はよろしくないだろう。だが、「あおる」とか「おとしめる」にはすでに何がしかの価値評価が入っている。「あおる」ものか否か、「おとしめる」ものか否かの客観的基準を、NHK、そして大越健介、正確にはこの番組制作者・ディレクターかもしれないが、有しているのだろうか。

 <在特会>とやらの集会・デモについての知識が私にはないし、またNHK自体も「ヘイト・スピーチ」集会・デモを詳細にまたは頻繁に取りあげて報道してきたわけではないから、先日の報道は分かりにくく、やや唐突の観があった。

 そして何よりも、一定の価値評価、<善悪>の評価を簡単に下してしまったうえでの報道はいかがなものか、という疑問が残った。

 「ヘイト・スピーチ」に反対する集会・デモは表向きはまともなようであっても、特定の「ヘイト・スピーチ」をしているらしき人々に対する「差別」を<あおり>、<おとしめる>意図を持つものとも言えるのではないか。

 それにまた、中国や韓国では、日本や日本人に対する「ヘイト・スピーチ」がいくらでもあるのではないか。NHKはそれらをきちんと批判してきたのか?

 「小日本」とか「日本鬼子」という言葉自体が日本と日本人を馬鹿にしている。「慰安婦像」とやらを在韓国日本大使館の前に建てるのは<ヘイト・スピーチ>ならぬ<ヘイト・ビヘイビア(行動)>そのものではないのか。しかもまた、これらは、中国政府や韓国政府自体が行い、または少なくともそれらの事実上容認のもとで行われている。

 NHK、そして大越健介よ、かりに「ヘイト・スピーチ」はよろしくないと自信を持って報道するのならば、国家ぐるみで行われている、と言ってよい、<ヘイト・スピーチ>・<ヘイト・ビヘイビア(行動)>を厳しく批判し、これらに抗議しないと、公平ではないのではないか?

 それにまたNHKは主としては日本人からなる「日本」放送協会のはずだ。「ヘイト・スピーチ」集会・デモをする日本人はけしからんというのならば、より厳しく、中国や韓国での<ヘイト・スピーチ>・<ヘイト・ビヘイビア>批判して不思議ではないが、そのような報道の仕方をしてきたのか?

 内に厳しく特定の外国には甘いのだとすれば、公平感あるいはまともな感覚を失っている。日本人に対しては厳しく、「近隣諸国」(国民も含む)には寛容だとすれば、まさに(戦後に継続した)<自虐>意識そのままだろう。

 中国が尖閣諸島への接近を明らかに強め始めた頃、大越健介は<毅然とかつ冷静に>とかくり返して、<冷静>な反応を求めていた。「ヘイト・スピーチ」に反対する集会・デモに対する報道の仕方はこの「冷静さ」を維持しているか?

 「ヘイト・スピーチ」に反対する集会・デモをテレビ局で取りあげたのはNHKだけだったのではないか。朝日新聞らがその後に追随しているようだが、NHKだけが何故か突出している。
 このような放送団体との契約締結義務を課す現行放送法は、戦後の一定の時期まではともかく、現在では憲法違反(国民に対する契約締結「強制」)の疑いが濃いように思われる。

 ともあれ、NHKのニュース番組の中でも、夜九時からのものが最も「偽善的」で、最も多く「気持ちが悪い」部分を含んでいる。

1211/在米「世界抗日連合」と中国共産党政府による「反日」運動-江崎道朗著の2。

 前回のつづき(江崎道朗著p.22-)。在米の「世界抗日連合」は南京「大虐殺」目撃とのドイツ人・ラーベの日記を発掘、南京「大虐殺」否定の石原慎太郎衆院議員(当時)への抗議意見広告をニューヨークタイムズに掲載、訪米中の天皇陛下への抗議デモを展開。米国の元捕虜グループには対日賠償請求を、韓国系アメリカ人には「慰安婦」問題での共闘を、呼びかけた。

 1990年に韓国で「韓国挺身隊問題対策協議会」が結成されていた。このアメリカ支部として韓国・北朝鮮系アメリカ人が1992年12月に「慰安婦問題ワシントン連合」を結成するやただちに提携を申し入れ、1993年3月の<日本の常任安保理国入り反対>などのデモ等の共同行動をしている。なお、ユダヤ系「サイモン・ウィーゼンタール・センター」とも一時期に連携した。これは文藝春秋刊「マルコポーロ」を廃刊に追い込んだ団体。

 在米反日ネットワークと中国共産党とはいかなる関係か。
 1950年結成の「日中友好協会」(初代会長・松本治一郎)は中国人遺骨送還・中国人殉難碑建設等をし、機関紙は日本の中国「侵略」批判を続けてきた。「中国帰還者連絡会」、中国で「洗脳」された元日本軍人組織、のメンバーは、「三光作戦」等の日本軍の「残虐行為」を「証言」して、「侵略史観」の形成を助けた。

 中国共産党政府は1963年に「中日友好協会」を設立し、併せて中国共産党中央委員会に「対日工作委員会」を設置、その上部組織として「党政治局」に「日本ビューロー」を設けた。

 中国政府は1982年の<教科書書換え誤報>事件に関して日本政府の検定を「内政干渉」だと一蹴されるかと「内心思いながら抗議」したところ、日本政府・宮沢喜一官房長官は結果として中国政府による日本の教科書内容への中国政府の容喙を認め、「教育に関する主権侵害」を容認する談話を8/26に発表した。中国政府は「驚き、そして喝采を叫んだに違いない」。その後、日中共同声明や宮沢談話を利用して「過去」を持ち出しては日本に譲歩を迫るに至る。1985年の「南京大虐殺記念館」建設を皮切りに、「東京裁判史観」に異を挟む日本の閣僚を遠慮なく非難するなどをする(その結果としての藤尾正行文部大臣辞任)。

 1989年天安門事件、1990年ベルリンの壁崩壊につづくソ連解体等の新しい状況のもとで対日本政策が問題になり、「アジアにおける中国の覇権」確立のための「日本の政治大国化」阻止、そのための「過去の謝罪問題」の取り上げとのシンクタンク意見に沿って、1993年には中国政府は「敵国日本」を追い落とす手段として「歴史カード」を使うという「対日戦略」を決定した

 アメリカでの1994年の在米中国人による「世界抗日連合」結成も上の中国共産党政府の戦略と無関係ではない。1995年、中国政府は「軍国主義・日本」・「その日本と戦った解放の旗手・中国」というイメージ宣伝に努めた。そのキャンペーン真最中の8/15に出たのが、いわゆる「村山談話」。「侵略と植民地支配」をしましたと述べて、中国の宣伝を「追認」した。この時点ですでに、日本国内の「左翼」の運動とも相俟って、「慰安婦という性奴隷制度をもった最悪の戦争犯罪国家・日本」というイメージが国際社会に定着した。

 中国政府は1996年の日米安保共同宣言(橋本龍太郎首相)を批判し、アメリカの「対日世論を悪化させて日米分断」を狙った。これに対応して12月に「世界抗日連合」後援の大戦中の「残虐行為についての日本の責任」と題するシンポジウムを開催、12/12にアイリス・チャンと記者会見して「ラーベ日記」存在を公表、「南京大虐殺」による大「反日キャンペーン」が始まった。アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」が発刊されたのは、1997年11月だった。

 第一節の終わりまであと10頁余もあるが、予定を変更して、ここまでであとは省略する。

 中国共産党・同政府にとって、「南京大虐殺」も「慰安婦強制連行=性奴隷」も(他にもあるが)、日本に<勝つ>ための大きな情報戦略の一つであることに変わりはない。彼らはすでに<戦争をしている>つもりであるに違いない。

 今はなきコミンテルンもそうだったが、表で裏で、陰に陽に、公式・非公式に、種々のネットワークを使って執拗に目的を達成しようとする<共産主義者たち>の骨髄は、中国共産党にも継承されているようだ。
 脳天気で善良な、「お人好し」の日本国民は、簡単に<洗脳>されてしまいそうだ。一般国民のみならず、日本の政治家の中にだって主観的には「歴史と過去にきちんと向かい合える」という<親中国>人士は少なからずいる。日本共産党のように、真偽はともかくとしても自党の存続・勢力拡大のために中国の「宣伝」を利用している者たちもいる。マスメディアとなると、朝日新聞を筆頭に…。朝日新聞の社説や記事の中にはもあるいは「左翼」人士の発言の中には「歴史・過去ときちんと向かい合う」ことの大切さを説いたり、それをできないとして自民党「保守派」政治家を批判したりする者がいるが、そのような言い方をする記事や発言は、日本社会党委員長だった村山富市と同様に、すでに中国共産党の<宣伝工作>に屈してしまっている、と言わなければならない。歴史をきちんと振り返るのは一般論としては誤りではないが、上のようにいう場合に想定されているのは、<日本(軍)の悪行>という特定の価値評価を伴った「過去」または「歴史」なのだ。

1210/江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)の第一章・第一節の1。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾/迫り来る反日包囲網の正体を暴く(展転社、2012)の「第一章・知られざる反日国際ネットワークの実態」の「第一節・中国共産党と国際反日ネットワーク」(p.14-47)を要約的に紹介する。この本は先月末か今月初めに読了している。

 アメリカでの慰安婦問題を利用した「反日」運動については、古森義久が産経新聞8/31付の「緯度経度」欄で、「米国にいる日本攻撃の主役」と題して、基本的なことは明らかにしている。
 古森の文章によると、「韓国ロビー」→「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム(KAFC)」のような新参団体が表面に出るだけだったが、「真の主役」は、「中国系在米反日組織の『世界抗日戦争史実維護連合会』(抗日連合会)」だった。米国各地での「慰安婦像」設置を「今後も推進する」と宣言しているらしい。また、「抗日連合会の創設者で現副会長のイグナシアス・ディン氏」は、「慰安婦像に関する中国共産党直轄の英字紙『チャイナ・デーリー』の長文記事で、設置運動の最高責任者のように描かれていた」。「米国下院の2007年の慰安婦決議も抗日連合会が最初から最後まで最大の推進役だった」、等々。

 上記団体は中国共産党と親近的な関係にあるらしいことが重要だろう。

 さて、江崎道朗著の上記部分は月刊正論2005年7月号掲載論考の改題・大幅加筆修正らしいが、古森のものよりも詳しい。

 「日本の戦争責任」をむし返し、「日本に謝罪と補償を求める」在米中国人グループは1987年に「対日索賠中華同胞会」準備会を結成し、1991年3月に正式結成した。主目的は「対日賠償請求運動」の盛り上げだったが、同月に「南京大虐殺」に絞った政治団体・「紀念南京大屠殺受難同胞連合会」も結成した。

 上はニューヨークを中心にしていたが、中国系が多いカリフォルニアにも飛び火し、1992年5月に(古森義久が上記記事で言及していた)「抗日戦争史実維護会」が結成された。その目的は江崎が「」付きで引用しているところによると、つぎのとおり。

 「大戦中の近隣諸国に対する日本の残酷な暴行の事実を日本政府に認めさせ、中国人民に謝罪し、その犠牲者と家族にふさわしい補償を実施させる。更にまた、日本が再び不当な侵略行動を開始することを阻止するために、アメリカ、中国、日本その他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう国際世論を喚起すること」。

 この「抗日戦争史実維護会」は1994年6月に他7団体とともに「全米華人の天皇への抗議と賠償請求公開書簡」を発表した(内容はここでは省略)。江崎の表現によると、彼らの「日中友好」とは、「日本が一方的に譲歩して賠償」をし、「日本の侵略を伝える歴史資料館を建て、今後、永久に中国の属国であり続けることを、日本が中国に誓う」ことを意味する。

 上の公開書簡以来中国系反日団体は統一行動をとるようになり、1994年9月にはワシントン・スミソニアン博物館の原爆展計画に対して、日本が被害者であることだけが強調されているとして、「日本侵略史観に基づく原爆投下容認論」を議会請願し、「抗日戦争史実維護会」のメンバーの一人は元米国軍人の力も借りて、上記博物館の「企画展示委員」に選ばれた。

 香港でも1988年に「香港紀念抗日受難同胞連会」が結成され、近年のそのHPは「日本軍国主義による尖閣侵略」を非難している。この団体を母体に2003年、尖閣問題に特化した「保釣行動委員会」が設立され、2012年6月には「世界華人保釣連盟」を結成した。2012年8月に尖閣に上陸を強行した中国人はこの団体の中心的活動家。

 カナダでも中国系カナダ人を中心に「第二次大戦史実教育擁護協会」が結成された。この団体は1997年6月、韓国系・フィリピン系等のカナダ在住者団体とともに、「日本政府による歴史歪曲と検閲に対抗して戦っている家永教科書裁判に対する支援キャンペーン」を実施した。

 世界の30ほどの中国系・韓国系・日系団体が結集して1994年12月に(古森義久が上記記事で「主役」とした)「世界抗日戦争史実維護連合会」が結成された。この団体は、カリフォルニアでの1994年12月の「『南京大虐殺』五十七周年世界記念会議」を後援した。この会議には「活動家」である大学教授・ジャーナリスト・作家なと300人が参加した。そして、「日本人および日本政府への宣言」を採択した。その要求内容は少なくとも次の5項目。
 ①中国人民への公式謝罪の声明と(中国共産党・台湾両政府への)文書提出、②日本の歴史教科書の誤りを正す、③中国・日本に慰霊の記念碑を建て、事実を刻む、④全被害者への合理的補償、⑤関連公文書公開・「過去の日本軍閥の罪行を天下に明らかにする」。

 ようやく第一節の約半分に達した。こういう団体が、在米韓国人団体が表面には出るかもしれない「慰安婦像」設置運動を支持すること、実質的に「主役」になってしまうことは論を俟たないだろう。
 なお、たしか青山繁晴がテレビで述べていたと思うが、カリフォルニア州のサンフランシスコ市長とオークランド市長は、いずれも中国系らしい。
 後半についてはなおも続ける。<歴史をめぐる情報戦争>の真っ最中だという自覚・意識が日本人には必要だ(もちろん日本政府にも)。

1208/2020東京五輪-やらせたくなかった朝日新聞と利用したい中国共産党。

 日本時間で9/08の午前5時すぎ、2020年の五輪開催都市が日本の東京に決定した。

 関西テレビの夕方の「スーパーニュース・アンカー」は、青山繁晴出演の水曜だけ録画しているのだが、9/11の青山の発言・指摘は興味深くかつ重要だった。他にもあるが、二点だけ取りあげておく。

 第一。最下位都市除外するための第一回投票において、たまたま第二・第三の得票数の都市が同数であったためその二都市の名だけが公表され、東京の名前が出なかった。私は仕組みを知っていたから、東京が落選したものとは思わなかった。
 だが、東京敗退という誤報を打った報道機関があったらしい。一つは、中国の国営新華社通信、もう一つは朝日新聞社のツイッター。朝日新聞は1分程度のちに訂正はしたらしい。青山繁晴が朝日新聞の関係者に電話するとその者はともかく、朝日新聞社内には、<2020五輪を東京でやらせたくない>雰囲気があった、ようだ

 中国はともあれ、朝日新聞のことは重要だ。なぜ、やらせたくないのか? それは、東京招致の成功は安倍晋三や安倍内閣にプラスに働くからに決まっている。朝日新聞としては、東京敗退=誘致失敗により、安倍首相や(朝日新聞がケチをつけた)高円宮妃殿下のわざわざの南米訪問・プレゼン参加にもかかわらず敗れたと大いに騒いで、安倍政権に打撃を与えたかったのだろうと思われる。

 気分だけではなく、経済・雇用・観光等の面で五輪開催は日本と日本人にとってプラスに働くだろう。それを、そう思わない、歓迎しない、東京で五輪をやらせたくないと考える新聞社はいったいどこの国の、社員の大多数がどの国の国籍をもつ新聞社なのだろう。

 朝日新聞社としては、<安倍晋三の葬式は再びウチで出す>と少なくとも幹部の内心では、考えているに違いない。
 現実化・保守化しているという論評もあるが、信じられない。朝日新聞の報道姿勢が広告主の大幅な減少を導き、経営自体に支障を生じさせかねないという事態になるまでは、彼らはその本質を変えることはないと思われる。テレビに顔を出す星浩らは、東京誘致成功を本心では喜んでいないのだろう。

 第二。中国の尖閣侵略と五輪東京開催との関係の方がより重要だ。中国の政府系環球時報9/09付は、円滑で安全な東京五輪開催を目指す日本政府は日中の「武力衝突を避けるため、低姿勢をとらなければならないだろう」と書いたらしく、日本側にも中国は尖閣侵略(武力による実効支配)を「早めるおそれ」がある、という見方があるらしい。
 要するにこういうことだ。中国は尖閣諸島を中心とする「地域紛争」を発生させる。これが武力や実力衝突を伴うものである場合、東京五輪の準備や開催に支障が出てくる可能性がある。中国が狙っている一つは、日本がアジアで初めて夏期五輪を二度も開催することを妨害したい、東京五輪を中止に追い込むことだ。

 東京五輪が中止にならなくとも、日本政府が同開催のために「低姿勢」になる、つまりは中国による武力行使・実力による実効支配の試みに対して、自衛隊等を使っての「武力」による自衛=領土の防衛に「弱腰」になる。そうすると、円滑に東京五輪を開催したい日本政府の意向を逆手に取って、尖閣諸島を武力行使をして「奪う」ことができる。これが中国が狙っているもう一つだ。

 上のどちらか一方でも達成できれば、中国としては<うまくやった>ことになる。
 以上は、青山発言や番組内容の忠実な紹介ではなく、この欄の私の解釈・理解によって言葉や表現を変えている。但し、基本的な「論理」自体としては、青山は上のような趣旨を述べていた。
 青山繁晴の言っていたことは基本的に適切なのではなかろうか。<対中国危機のもとでの2020東京五輪>と言わなければならないだろう。
 自衛隊の戦力は、尖閣を防衛する日本国民の意識は、そして国防軍設置のための憲法改正は、あるいは「日米同盟」は、2018年頃までに、ということはあと5年しかないが、どうなっているだろうか。むろん、中国内部での変化の可能性もなくはない。
 かつて1988年ソウル五輪の開催を北朝鮮は爆弾を使ってでも妨害しようとし、実行に移した。脳天気で「お人好し」の大多数の日本人が想定できないようなことを考えている国が外国にはある(それに呼応しかねない日本人・日本のマスコミも存在する)、ということを知っておく必要があるし、まともなマスコミは、テロによる妨害を含むあらゆる危険性について、きちんと警鐘を鳴らしておくべきだ。

1178/中国共産党機関紙「人民日報」5/08論文と朝日新聞。

 中国共産党機関紙「人民日報」は5/08に沖縄(琉球)が日本に帰属することを疑問視する論文を掲載したらしい。沖縄は日本が「侵略」して獲得したのだと何かを読むか(NHK番組を?)観て「大発見」をしたかのように感じた「左翼」連中はかかる中国共産党の動きを当然視するのかもしれないが、ケヴィン・メアがしばしばテレビで発言していたように、中国は尖閣諸島などという小さな部分ではなく、いずれは沖縄(本島を含む諸島)を「取り」に来るだろうということの明確な兆候だ。
 予想されていたとはいえ、重要なニュ-スであるに違いなく、遅くとも5/09には各新聞は報道したのだろう。但し、NHKがこの「人民日報」5/08論文の件を報道したかどうかは定かではない。少なくとも重要ニュ-スとしては伝えなかったと思われるが、かりにスル-させたのだとすれば、NHKの決定的な「偏向」・「反日」姿勢を明らかにするものだ。
 さて、5/10の読売新聞・産経新聞の社説はこの論文にうかがえる中国共産党そして中国政府の姿勢を厳しく批判している。
 読売は、「沖縄の『領有権』/中国の主張は誇大妄想気味だ」と題する社説のほか、毛沢東はかつて沖縄は日本領土であることを前提とする発言をしていた旨の別の記事も載せている。
 朝日新聞、毎日新聞はどうだったか。
 朝日5/10社説は「歴史認識-孤立を避けるために」、「裁判員ストレス-証拠の調べ方に配慮を」の二本で、前者は韓国・パク大統領が米国という第三国の首脳の前で日本を批判したことにつき「それほど日本への不信感が強いということだろう」と書いて擁護するとともに「安倍政権の責任は大きい」などと書いてホコ先を安倍内閣に向けている。論文のことを知ってはいるのだろうが、中国の沖縄領有姿勢に対する危惧・懸念など全く示していない。大きな問題ではないと考えているとすれば、その感覚は麻痺しており、相も変わらず中国政府代理新聞・中国エ-ジェント新聞であることを示している。

 毎日新聞の社説は「東アジアFTA-自由貿易圏を広げよう」、「弁護士の不祥事-身内に甘い体質を正せ」の二本で、やはり中国・沖縄問題を扱っていない。第二朝日新聞という位置づけでやはり間違いないのだろう。
 沖縄問題を(沖縄「県民」の立場で)頻繁にとり挙げているくせに、中国共産党が「示唆」している沖縄にかかる、基本的な領土問題を扱わないとは、朝日新聞とともに異様な感覚だろう。
 かくして、憲法問題も参院選挙も、読売・産経対朝日・毎日に象徴される、国論を大きく二分した闘いになるのだろう。前者が勝利しないと(相対的にであれ多数国民に支持されないと)、日本の将来はますます悲観的なものになりそうだ。

1172/中韓御用新聞・朝日。

 朝日新聞4/26社説がやはり奇妙なことを書いている。
 「靖国と政治―静かな参拝のためには」と題して、「閣僚や国会議員が大挙して参拝」したことが遺族や国民の「静かな参拝」の場を奪ったと論難している。
 だが、中学生でも容易に分かる論理だと思うが、「閣僚や国会議員が大挙して参拝」したことではなく、「近隣国」がそれにそれに「反発」したことが「静かな参拝」ではなくした最大の原因なのではないか。あるいは少なくとも、静かではない<騒ぎ>は、双方に原因がある、と見るのが<公平な>評価なのではないか。そうした論理的可能性をまったく無視しているのが、さすがに、日本(とくに朝日新聞のいう「右派」)を悪者扱いし、中国・韓国の<騒ぎ立て>についてはそれを当然と考えているらしき、「左翼」・中韓御用新聞である朝日新聞だ。
 その他、いくつかの主張・叙述にも疑問がある。
 朝日新聞社説は「参拝して近隣国の反発を招いた…」とか過去のことを書いているが、反発をしているのは今回も含めて中国・韓国・北朝鮮であり、かつて日本軍が「侵攻」したフィリピン、ベトナム、タイ、マレ-シア、インドネシア等(の政府)が「反発」したとは聞いたことがない。
 あらためて書くのもバカバカしいが、中国・韓国・北朝鮮の三国を「近隣」諸国等とか称して、アジア全体あるいは世界全体であるかのごとき印象を与えようとしているのは、一種の詐術だ。中国・韓国・北朝鮮の三国「だけが」と正確に書きたまえ。
 つぎに、この社説は「戦前」という語を何度か使っているが、その「戦前」とは明治期を含むものか、昭和の「戦前」に限っているのか判然としない。前者の明治維新以降すべてを含んでいるように解されるものもあれば、昭和に限っているように解されるものもある。「歴史」を語るなら、いま少し正確または厳密な説明をしたうえで「戦前」を語りたまえ。
 「戦前の歴史を正当化」することを非難し、「私たちは社説で、首相や閣僚の靖国参拝に反対してきた。日本が過去の過ちを忘れ、こうした歴史観を後押ししていると国際社会から受け止められかねないからである」とヌケヌケと、あるいは堂々と書いてもいる。こんな新聞が日本国内にあるから、中国・韓国・北朝鮮の三国も安心して<騒ぎ立て>ることができるのだ。あるいは、朝日新聞等が<騒ぎ立て>ることによって、三国の<騒ぎ>を大きくしているのだ。

 さらに、「首相や閣僚による公式参拝は、憲法の政教分離の規定からみても疑義がある」と書いている。

 この欄で再三指摘したことだが、それならば、1月4日ころに民主党政権の首相も行った、そして今年は安倍首相が行った、伊勢神宮参拝も「憲法の政教分離の規定からみて…疑義がある」ことになるはずだ。正月の首相・閣僚の神道・伊勢神宮参拝を批判しないでおいて、神道・靖国神社参拝は「憲法の政教分離の規定からみても疑義がある」とは、よくぞ言えたものだ。バカバカしい。いずれにせよ、朝日新聞社説子の頭の程度はこんなものだとあらためて確認し、まだなお多くの国民がこの新聞を読んでいることに戦慄を覚えざるをえない。

 なお、「静かな参拝」が妨げられたのか自体についても疑問とする余地があるだろう。そのように感じているのは、朝日新聞社説子等の特定「左翼」分子だけである可能性がある。

1160/安倍新内閣発足翌朝の朝日新聞12/27社説の親中・「左翼」ぶり。

 安倍新内閣発足翌朝の朝日新聞12/27社説「安倍内閣発足―再登板への期待と不安」は、朝日らしく、意味不鮮明で、かつ自己陶酔に満ちている。
 後半になってとくに、何とかいちゃもんをつけておきたい気分が出てきている。しかも中国とまったく同じ立場から。
 朝日社説によると、歴史教科書に関する「近隣諸国条項」を引き継がないとなれば「中韓との関係はさらに悪化する」、らしい。
 それで?、とさらに突っ込みたいところだが、「中韓との関係」の悪化(と朝日が判断するもの)はこの新聞社にとっては、つねに、一般的に「悪」らしい。
 そのあと、「孤立招く歴史見直し」との見出しを掲げて、安倍首相や下村文相、稲田行革担当相の固有名詞を挙げ、歴史認識にかかる「戦後レジームからの脱却」を批判している。
 この点が最も言いたいところであり、朝日新聞は今後も絶えず、ぐちゃぐちゃと問題にし続けるのだろう。「戦後レジーム」の体現者であり、利得者でもあるのは、朝日新聞そのものに他ならないのだから、自己自身の存立基礎を脅かす論点であることを、当然によく理解している。
 そして、最後の一文は、「世界の中で孤立しては、日本の経済も外交も立ちゆかない」、になっている。
 果たして何が言いたいのか。「来夏の参院選までは憲法改正をはじめ『安倍カラー』は封印し、経済政策などに集中する」のが「現実的な選択である」と述べたあとで、「そのうえで、新政権に改めて指摘しておきたい」として、上の一文で締めくくっている。
 もともと改行の多い、「社説」という論説にはとてもなっていない文章なのだが、最後の一文の趣旨とその前段との関係もよく分からない。
 おそらくは、「安倍カラー」を出そうとすると「世界の中で孤立」するぞ、という脅かしであり、「安倍カラー」の中には憲法改正、河野談話・村山談話の見直し、「近隣諸国条項」の見直し等の、中国政府や韓国(の世論の大勢)のいう「右傾化」諸項目が含まれているのだろう。
 だが、その方向で動くことが、なぜ「世界の中で孤立」することになるのか。
 フィリピン政府は(正確には確認しないが)日本の軍事力強化を、東アジアの平和と安定のためにも支持した、らしい。
 朝日社説のいう「世界」とは、中国と韓国、そして北朝鮮だけなのではないか。
 むろん米国の中にも日本の正規の軍隊保持に反対するメディアや論者も存在するのだろうが、古森義久・憲法で日本は亡びる(海龍社、2012)が冒頭に書いているように、かつてほどの影響力はなくなっているようだ。
 朝日社説のいう「世界」とは、中国と韓国、北朝鮮、そしてその他の諸外国の一部「左傾」分子だけなのではないか。
 それを大げさにも「世界」と断じることのできる向こう見ずさとアホさ加減には、あらためて感心せざるをえない。中国共産党のエイジェント新聞ぶりを、見事に示している朝日新聞社説だ。-と朝日新聞について「改めて指摘しておきたい」。

1096/西村幸祐・「反日」の構造(文芸社文庫)と大手メディア。

 西村幸祐・「反日」の構造(文芸社文庫、2012.02)は同名の単行本(PHP)の文庫版だ。
 この人の書いていることには、<「反日」主義>なる概念がどの程度厳密なものとして通用するだろうか等の疑問はあるが(p.6-「反日というシステム」、p.25-「反日メカニズム」)、ほとんど違和感を覚えたことがない。
 文庫版のまえがき中の、「岩波書店、朝日新聞という戦後サヨクの牙城」、「NHKの偏向番組は非常に巧妙に作られて…」などの表現は、真似して使ってみたい。
 新たな「書き下ろし」とされる第一章中の、「共産主義」という「ヨーロッパの妖怪は完全に絶滅ししたわけではなく、まだ余命があったアジアの妖怪に転生し、乗り移っ」た、「アジアの妖怪たちは変異し獰猛に生き続け、北東アジアだけが二十世紀の遺物である冷戦構造に捉われることになってしまった」(p.21-22)、という文章は、まさに正しい認識を示すもので、多くの人々に共有されなければならない、と思われる。イデオロギーを軸にした保守対革新、左翼対右翼の時代ではもはやなくなったと、さかしらに言う者が少なくないが
(当然に、相対的には「左翼」の側に多い)、完璧に誤っている。
 自民党の森喜朗なども、冷戦終結・今や新時代という認識を持っているような感じだ。日本社会党に政権担当を期待できず、自民党が社会民主主義的政策をも採用せざるをえなかった、という日本特有の事情はあるが、本来の自民党等の<保守>=「反共」勢力は、1981-1991年の後に、徹底して「反共」攻撃をして、日本に執拗に残存していた、コミュニズム(共産主義)・および親コミュニズム(=「容共」)を潰しておくべきだったと思われる。にもかかわらず、もはや共産主義の敗北は誰にも明白だとでもいうふうに安心したのか、逆に油断してしまったかに見える。
 書いたことがあるように、また誰かも指摘していたように、共産主義・「容共」勢力<「左翼」が、昔ながらの公式的・教条的なマルクス主義またはマルクス・レーニン主義の用語を使って活動しているわけではない。もともと日本共産党自体が、「自由と民主主義」あるいは「平和と人権」を表向きは肯定し、その中に本来のコミュニズムを隠してきた(およそ1955年、1961年以降)。
 今日では、フェミニズム(「男女共同参画」)や<環境保護>派等々にかたちをかえ、さらに<反核>を継承した、大江健三郎らの<反原発>運動などへと「転生」している。
 そしてなるほど、彼ら「左翼」に共通しているのは、かつて日本はとくに(現在の)北東アジア諸国に道義的に悪いことをした、彼らの「反日」を非難するのは、<歴史を直視しようとしない>、偏狭なナショナリズムだ、とかの「反日迎合」主義かもしれない。
 西村幸祐はGHQ史観からの離脱をさせまいとする「オートマティカルな自己検閲機能」・「自己検閲」システムが日本のメディアに存在してきたことを指摘しつつ、次のように書く。基本的に同感だ。
 「六十年以上継続する検閲システムは、七〇年代までマルクス主義に補強され、八〇年代から新たな反日主義によってバージョンアップしたものだった」(p.32)。
 そして、「本来の<リベラル>な言論、思想をなりふりかまわず組織的に抑圧し、弾圧する<反日ファシズム>」が「左翼勢力によって形成されてきた」、とする(p.33)。
 そんなに大げさにあるいは深刻に考えなくとも、という能天気の人々も多いのだろうが、この指摘も(概念の厳密さは別として)正しいと思われる。
 能天気な人々は、基本的に<反日ファシズム>に支配された大手マスメディアによって「マインド・コントロール」をされているにすぎないだろう。
 前回に言及した、撃論+(プラス)の中の水島総の論考(「なぜチベット尼僧焼身抗議は報じられなかったのか)」は、そのタイトル通り、35歳のチベット尼僧の焼身抗議自殺を日本のメディアはほとんど報道しなかった(大きく取り上げたのは皆無だった)ということから書き始めている。
 NHKは最近、PAC3沖縄配備に反対する「百余名」の沖縄でのデモをニュースで取り上げたようだし、少し前には、アメリカでの「格差」反対デモを大きく紹介していた。しかし、自らを被告とする台湾人等の訴訟がらみの大規模なデモ行進を報道しないのはひょっとすれば当然かもしれないとしても、渋谷近辺で行われた日本国民等<数千名>による、尖閣問題・事件を契機とする<反中国>の集会・デモについては一回めはいっさい報道せず、二回目のそれは7時台ではなく9時台のそれで簡単に触れたにすぎなかった(2010年秋)。
 NHK自体が、すでに腐っている。ましてや民間テレビ局をや、だろう。さらに言えば、地方テレビ局は中央キー局が作った番組を垂れ流しているだけだ(ごく一部のローカルニュースを除いて)。
 西村幸祐の指摘の紹介も民間テレビ放送局批判もさらに続けたいが、今回はとりあえず、ここまで。

1074/中西輝政「米中対峙最前線という決断―米軍が日本から消える日」(月刊正論)と産経。

 〇月刊正論2月号(産経)の中西輝政「米中対峙最前線という決断―米軍が日本から消える日」(p.86-98)は、米オバマ大統領の2011.11演説によるアメリカの対中強硬政策への明示的な転換、その具体的内容を軍事面を中心に月刊WiLL上よりも詳細に述べている。その代わり、日本自体についての言及は少ない。
 印象に残る部分二つのみを、以下に紹介。
 ・「中国が共産党一党独裁のまま市場経済に移行すれば国際社会にとってかつてない深刻な脅威となる」という二〇年前に生じた懸念は脳裏から離れず、国際社会や日本はいつそれに気づくのかと訴え続けてきた。「ようやくアメリカがそのことに気付」いたが、遅すぎたかもという懸念もある。中国が持ってしまった力を思えばこそだが、「責任はひとえに”日中友好”に浮かれ、何の国家戦略も持たずに中国をここまで強大化させてきた日本人の側にある」(p.87-88)。
 ・「アメリカの戦略転換」に対する中国の「巻き返し戦略」に日本はどう対処すべきか。「現状では殆どその能力を欠いている」。「対日工作に対する日本の政治と世論の抵抗力は極めて脆弱」で、「政治の決断」、「防衛力の顕著な増強」が不可欠だ。もう遅いかもしれないが、緊急性が高いのは「財政危機よりも社会保障よりも」「防衛力の増強」だ。併せて、集団的自衛権行使・憲法改正という体制・精神の整備をしての「国家戦略の大転換」が必要だ(p.98)。
 このあと、月刊WiLLで書いていたような条件つきの「楽観」的文章で終わっている。
 〇ところで、月刊正論2月号の表紙の最大の見出しは石原慎太郎の立川談志に関する文章で、中西輝政の上の論考名もあるが、屋山太郎(!)の文章のタイトルの下に小さく?書かれている。また、目次欄でも、リーダー・英雄論を主テーマ(特集)するかのような記載がされている(実際にそのような扱いだ)。
 石原慎太郎や立川談志を蔑視するわけでは全くないが、この二人に関係するものを最も大きく目立たせるとは、月刊正論の編集部はセンスがない。それとも、<お堅い>政治・社会論壇誌とのイメージを払拭したいのだろうか。また、「英雄」・「リーダー」特集も、あまり面白くない。
 産経新聞(社)や月刊正論は「保守」の側に立つ最大の、または少なくとも重要なメディアのはずなのだが、経営的にも岩波書店や朝日新聞社の方が安定しているだろうし、堅い芯と執拗さという点でも岩波や朝日新聞には劣っていそうだ。そして、的確に政治状況を把握しての的確な編集のセンスという点でも「左翼」メディアに負けているのではないだろうか。
 「保守」は相対的な少数派であり、今後も<勝てそうにない>のでないか、という悲観的見通しを持たざるをえないのも、(産経の個々の社員を論難はしないが)「保守的」雑誌・新聞等々の有力なまたは中心的な戦略・司令塔のような媒体が存在していないことにある。むろん、ゲリラ的なもの(?)を含む多数の「保守」系雑誌等のあることは知っているが、おそらくは(「大衆的」な)広がりに乏しい。
 中西輝政論考を冒頭に持ってき、また、<解散・総選挙>の実施を煽るような編集方針でないと、(本来は)いけないのではないだろうか。ないものねだりかもしれないような期待を、産経新聞(社)に寄せつつ(1/4記)。

1072/米中冷戦時代への突入-中西輝政論考。

 〇大した数を読んではいないが、昨年末に読んだ論壇誌類中の論考の白眉は、月刊WiLL2月号(ワック)の中西輝政「二〇二〇年は日本の時代」(p.30-47)だろう。実質的に巻頭論文であり、表紙でもこのタイトルが最右翼に掲示されている。もっとも、産経新聞を含む大手メディアは無視または軽視するかもしれない。
 「二〇二〇年は日本の時代」は文末の(条件つきの)楽観的予測から取ったものだろうが、内容的には、中西輝政が類似のことも指摘・主張している、月刊正論2月号(産経)中の、「米中対峙最前線という決断」(p.86-)というタイトルの方がよいかもしれない。
 以下は、月刊WiLLの方の要約的紹介。
 ・「非常に優れた保守の論客」との会話で中国の脅威を軽視しているのに驚き、日本の「保守の分岐点」はここにある、と感じた。「中国の脅威をどう考えるか」で保守の立ち位置も極北・極南ほどに離れる(p.30)。
 ・アメリカが日本に及ぼす害悪は日本「文明」に対するものである一方、中国のそれは、日本「国家」の存立を劇的に脅かしている。また、深刻度は同じでも切迫度に大きな差がある。日本の「保守」は「国家の危機」にこそ敏感になるべきだ(p.31)。
 ・近年の中国の軍事・外交動向に欧米諸国は「あらたな国家モデル」の提示と「世界覇権」への意図を感じ取った。多くの途上国は前者に影響を受けている。リビアも「中国モデル」継承者だったが、この国に介入した英米軍等にはそのモデルは「許さない」との意志があった。これは<米中新冷戦>構図の北アフリカ版で、「世界秩序」は歴史的に重大なとば口に立っている。この「中国の脅威」に「世界中で一番鈍感なのは、日本人」だ(p.32-33)。

 ・尖閣事件等々は中国の本質を分からせるに十分だった。「軍部による中国の国家支配がはじまっている」。アメリカ・オバマ大統領の2011.11.16演説は東シナ海・インド洋へと広がる「中国の動きを軍事的に牽制するため」のもの。かかる変化は遅すぎるものだが、「アメリカが中国との対峙を明言」したことは、それだけ「中国の脅威が増した」ことを意味する。「米中は間違いなく、冷戦時代に突入した」(p.34-35)。

 ・日本の政治家・官僚・国民はかかる「歴史の転換」を「正しく感じ取って」いるか。与野党もマスコミも「自らの生活が第一」と、「現状にしがみついて」いるのではないか(p.35-36)。
 ・日本が現状のままで2015年まで推移すれば、日本「国家」の存立自体が「非常に困難な状況に陥る」=「破局が到来する」可能性が大きい。理由はつぎの三つ。  ①財政・経済問題。経済力、世界競争力は凋落したまま。  ②安保・外交。遅くとも2020年代頃に尖閣は中国に奪われているだろう。現状を客観的に見れば、すでに尖閣の実効的支配権は中国が持っているとも言える。現状はすでに「平時」ではないが、日本政府の動きは鈍い。中国を囲むロシアも韓国もアジア諸国も軍備増強させている中で、「中国包囲網」の「もっとも弱い環」は日本だ。中国は当然に日本をターゲットにして包囲網打破を図るが、それは「軍事だけではなく、政治工作や世論工作など、あらゆる手段」を使ったものになろう。  ③「政党構造が融解し、国内政治がまったく機能していないこと」。これの最大の原因は政治家を含む国民全体が「生活が第一」と、「腐敗した個人主義の暴走に身を委ね、民主主義がまったく機能していない」ことだ。
 これで2/3くらいまで。

 〇反米=自立の主張はあってよいが、対中国を含む「反共」を無視・軽視してはならず、むしろ後者をこそ優先すべき旨は、これまで何度も書いてきた。  佐伯啓思の冴えた分析に感心しながらも(最近も読んではいるがこの欄で言及するのは少なくなっている)、なぜこの人は(アメリカまたは近代欧米思想を批判的に語るのに)コミュニズム・共産主義批判または(現存する社会主義国である)中国に対する批判的叙述が乏しいのだろうとも感じてきた。
 反米・自立が達成されたとしても、同時に別の国(中国)に従属した形式的「自立」に変わったのでは元も子もなくなる、とも最近に書いた。
 アメリカは防衛線を東南方向へと移し、朝鮮半島と日本は中国に任せる、従って日米安保条約は廃止される(日本が対中国防衛をするためには自主軍備によることが必要になる)との情報または予測も語られている。
 日々の生活に、それなりの既得権益の維持に、それぞれの国民やマスコミを含む会社・団体が汲々としている間に、日本「国家」自体が消滅する(これは日本の中国の一州・自治州化か北朝鮮の如き中国傀儡政権の日本における誕生を意味する)危機にあるのではないか。
 そのような中国「共産主義」国家の脅威を、中西輝政のように語る論者がもっと増えなければならない。親中・媚中・屈中の朝日新聞や同新聞御用達の大学教授・評論家等に期待できないことだけははっきりしているが。
 中国は「社会主義的市場経済」の国で共産主義国家でもそれを目指す国家でもない、という認識があるとすれば、それは根本的に間違っている。日本共産党・不破哲三が中国を「現存する社会主義国」と見なして中国の今後に期待していること(この欄でいつか触れた)は一つの例証ではあるだろう。
 上の続きの紹介は別の回で試みる。

1057/竹内洋・革新幻想の戦後史(2011)と「進歩的大衆」。

 〇二つの雑誌での連載をまとめた(大幅に加筆・補筆した-p.513)、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011.10)が刊行されている。
 その「はじめに」の中に以下。
 ・「『進歩的文化人』という用語は死語になったが、『進歩的大衆人』は増えているのではないか。や昔日の進歩的文化人はコメンテイターやニュースキャスターの姿で跋扈している」。
 「戦後」は終わったなどという妄言を吐いている東京大学の現役教授もいるようだが、<革新幻想の戦後史>は、現在もまだ続いている。著者・竹内もそのように理解していると思われる。
 親社会主義・<進歩>主義・<合理>主義を「知的」で「良心的」と感じる体制的雰囲気あるいは「空気」は、月刊WiLL(ワック)や月刊正論(産経)等の存在と奮闘?にもかかわらず、ましてや隔月刊・表現者(ジョルダン)という雑誌上でのおしゃべりにもかかわらず、決して弱くなっていないだろう。
 竹内洋の上掲書の終章の最後の文章は以下。
 ・「繁栄の極みにあった国が衰退し没落する例」をローマ帝国に見たが、「その再現がいま極東の涯のこの地で起こりかけていまいか。……『幻想としての大衆』に引きずられ劣化する大衆社会によって…。」(p.512)

 いかに問題があっても「日本」がなくなるわけがない、「日本」国家とその文化が消滅するわけがないと多くの人は無意識にでも感じているのだろう。しかし、歴史的には、消滅した国家、消滅した民族、消滅した文化というのはいくらでもある。緩慢にでも、そのような方向に紛れもなく向かっている、というのが筆者の決して明瞭で決定的な根拠があるわけでもない、近年の感覚だ。
 竹内によると、そのような「衰退と没落」は増大している<幻想としての・進歩的大衆>によって引き起こされる。
 〇最近、知人から、「在日」韓国・朝鮮人問題や日本のかつての歴史に関することを話題にしている、ある程度閉じられているらしい投稿サイトの関係部分のコピーを送ってもらった。
 元いわゆる「在日」で今は日本でも韓国でもない外国で仕事をしているらしき人物は、かつて(「併合」時代の)日本政府は「当時韓国でハングルの使用(読み書き話す)を禁止した」、という<歴史認識>を有している。
 この点もいつか問題にしてみたいが、とりあえず今回は省略する。
 興味深いのは、かつての朝鮮半島「併合」やかつての日本を当事者とする(大陸での)戦争に関するやりとりの中で、第三者にあたる人物が、つぎのように記していることだ。
 元「在日」の人物に対する純粋の?日本人をAをしておこう。女性らしき、「seko」または「せこ」をハンドル・ネームにしている人物は、次のように書いている。
 「A君の歴史的認識には納得できません。…。いろいろなブログで勉強しているそうですが、なんでも鵜呑みにしないで事実確認をして書き込んでほしいです。日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで年に7,8回行っていますが、反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見ています。最近、韓国ドラマが日本でもたくさん放映されていますので、A君もよかったら見てください。特に歴史ドラマは男性にはお薦めです。」 

 「私たちが生まれる前の出来事でしたが、日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実です。反日感情が大きいのも納得できますし、私たちが謝ってすむ問題でもありません。でも謝りたいです。大好きな韓国と仲良くしたいから・・・申し訳ありません。」
 こんな内容の書き込みは、私は全くといってよいほど閲覧してしていないが、このイザ!のサイトにもいくらでもあるのだろう。
 ただ、より<大衆レベル>のサイトで、今日の日本の多数派を占めるようにも思われる<大衆>の意識が示されているようで、興味をもち、引用してしまった。
 この女性は(紹介・引用をしていないが)Aの「歴史的認識」は誤っている旨を断言し、ほぼ同じことだが、「日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実」だと断言している。
 このような断定的叙述はいったいどこから生じているのか?
 村山談話(1995)、菅談話(2010)、NHKの戦争「歴史」番組等々からすると、これこそが体制的・公式的な、そして時代の「空気」を表現している見解・「歴史認識」なのだろう。
 そして、上に見られるように、生まれる前のことだが「謝りたい」とも明言している。
 これこそ、「左翼的」・「進歩的」な歴史認識そのものであり、そして過去の日本の「責任」を詫びて「謝る」のが「進歩的」で「良心的」な日本人だ(そして自分もその一人だ)、という言明がなされているわけである。いわゆる「贖罪」意識と「贖罪」史観が示されている、とも言える。
 そしてまたこれこそが、「進歩的文化人」はなくなったとしても増え続けている、竹内洋のいう「進歩的大衆人」の言葉に他ならない、と思われる。
 このような意識・認識・見解を持っている「進歩的大衆」は、どのようにすれば歴史に関する異なる見方へと<覚醒し>、<目覚める>ことができるのだろうか。
 上の人物が専門書や諸雑誌をしっかりと読んで、上のような「歴史的認識」と「謝り」の表明に至ったわけではないだろう。上で少しは触れたように、時代の「空気」、体制的な「雰囲気」なのだ。
 この人物とて、新聞広告や書店で、自らの「感覚」とは異なる見解・考え方をもつ者の本等もあることくらいは知っているだろう。
 しかし、<思い込んで>いる者は、<歴史に謙虚に向かい合わない>「右翼」がまだいる、日本人はもっともっと<反省>し、過去の「歴史」を繰り返してはならない、などと思って、そのような本や雑誌を手にしようとする気持ちを抱く可能性はまるでないのではあるまいか。
 月刊WiLL、月刊正論等々、あるいは産経新聞がいくら頑張っても届かない、<進歩的大衆人>が広汎に存在している。
 <保守>論壇や<保守>的マスコミの中にいて、仔細にわたると対立がないわけではないにしても、<閉鎖的>な世界の中であれこれと言論活動をしている人々は、<井の中の蛙>の中にならないようにしなければならない。自分たちは「進歩的大衆人」に囲まれた<少数派>であることをしかと認識しておく必要があるだろう。むろん、櫻井よしこに対しても、このことは言える。
 なお、上の女性(らしき、「seko」という人物)は「日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで…反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見てい」る、と書いて、自らの「歴史的認識」の妥当性を補強しているようでもある。
 だが、むろん、現在の韓国が、あるいは現在の日韓関係がどうであるかということの認識・見解と、かつての日本の行動の「歴史的」評価とはまるで関係がない。多少とも関連させているとすれば、「お笑い」だ。

1054/三橋貴明・大マスコミ/疑惑の報道(2011.09)より。

 何らかの雑誌論考・新聞記事・単行本等の内容を素材にして何らかのコメントを書いてきているが、読書録的な利用を意図すると言いつつも、コメントの内容がある程度はイメージできてからでないと、この欄に書き込もうとはしなかった。
 コメントの文章化にはある程度の時間とエネルギーを要するので、コメントがいっさいない、紹介だけのエントリーもすることにした。
 コメントしたくなるのは、多くは批判的・消極的な感想を持った場合なので、コメントを全くしないのは、多くの場合、肯定的・積極的に評価している文章等だ、ということになるだろう。
 〇三橋貴明・大マスコミ/疑惑の報道(飛鳥新社、2011.09)より。
 ・田母神俊雄が会長の…は、昨年9月7日の尖閣衝突事件への抗議行動として「一〇月一六日に東京都内で反中国の大規模デモを実施した」。主催者発表で3000人超の国民が参加したが、「読売新聞、毎日新聞、日経新聞は一切報じなかった」。
 上の三紙は、この集会・デモに対する「『中国外務省の懸念』のみを報じた」。
 「国内の報道機関が『国内の事件』についてまともに報じず、それを『外国人』の発言により知る。これは、報道統制が行われていた、かつてのソ連や東欧の状況そのままである」。

 「かつての共産独裁国家と同じ状況が、……日本で生まれてしまった。……政府に命じられたためではない。マスコミ自ら、共産独裁国家と同様の報道統制を行ったわけだ」。(以上、p.23-26)。
 ・「日本の新聞各社は『新聞特殊指定』という政府の規制により守られている。…マスコミ式『護送船団方式』というわけである」。金融機関のそれを散々に批判していたが、「そういう自らも政府におんぶ抱っこで生き残りを図っているわけである」。
 だが、「護送船団方式という意味では、新聞産業よりもテレビ産業の方が凄まじい」。放送免許という「規制」により保護され「既得権の電波を利用して収益を上げているテレビ局」が報道番組で、日本は市場競争不足、政治家の既得権つぶせ等と論じているのだから、「もはや笑うしかない」。「日本国内で最も『国家の保護』を受けている産業は、間違いなくマスコミなのである」。(以上、p.43-44)。

1046/親北朝鮮・酒井剛の「市民の党」と菅直人・民主党。

 菅直人が存外にあっさりと首相を辞任したのは、北朝鮮と関係の深い団体への献金問題が明るみに出て、この問題が広く騒がれ出すと「もうもたない」と判断したかにも見える。もう少しは「粘る」=しがみつく可能性があると思っていた。
 その献金問題につき、隔月刊・ジャパニズム第03号(青林堂)に、野村旗守「菅直人/謀略の正体-亡国首相の原点を読み解く」、西岡力「菅直人首相の北朝鮮関連献金問題の本質」がある。
 両者から事実を確認しておくと、菅直人事務所と菅直人代表・民主党東京都連は2007-2009の三年間に、「市民の党」(後記)の「派生団体」(西岡p.146)である「政権交代をめざす市民の会」に6850万円の献金をした。また、鳩山由紀夫・小宮山洋子等の民主党国会議員の政治団体も計8740万円の献金をした。「市民の党」自体へも、上記三年間に小宮山洋子等の政治団体から計1693万円の献金があった。これらを合計すると、6850+8740+1693で、1億7283万円になる。野村p.70は「民主党関係団体」から三年間で「計2億5000万円も」と書いている。
 「市民の党」 は本名・酒井剛、通称?・斎藤まさしを代表とする。この男は除籍前の上智大学で「ブント系ノンセクト」ラジカル、退学後に「日本学生戦線」を結成、逮捕された1977年に社会市民連合の江田三郎(・のち江田五月)の選挙を手伝う。1979年に毛沢東主義を標榜する「立志社」を設立しカンボジアのポル・ポト派支援運動を展開、同年に社市連と社会クラブが合同した社会民主連合の初代代表・田英夫の娘と結婚する。1983年、田英夫・横路孝弘らと「MPD・平和と民主運動」を結成。野村によると、「過激派学生組織と市民派左翼政党の合体」だった(p.71)。
 MPD→「大衆党」→「新党護憲リベラル」のあと、1996年に酒井(斎藤)は「市民の党」を結成、1999年の広島市長・秋葉忠利、2001年の千葉県知事・堂本暁子、2006年の滋賀県知事・嘉田由紀子、2007年の参議院議員・川田龍平らの選挙を「勝手に応援」して結果としてすべて当選させた。
 「市民の党」機関紙は1988年に北朝鮮にいた田宮高麿のインタビュー記事を掲載したりしていたが、2011年4月の三鷹市議選候補として、田宮高麿と森順子(松本薫・石岡亮両名を欧州で拉致)を父母とする、2004年に日本帰国の森大志を擁立(落選)。
 かかる政治団体に対して民主党が三年間で1億円以上を、菅直人(都連を含む)がその「派生団体」に約7000万円を献金していたとは、相当に「いかがわしい」。また、そのような献金をする人物が日本国家の首相だったという歴然とした事実に、愕然とせざるをえない。まがうことなく、日本は「左翼」に乗っ取られていたのだ。
 江田五月は衆院議長・法相を経験し、横路孝弘は現在の衆院議長だ。酒井(斎藤)という「いかがわしい」人物は<権力>の側にいて、議会・選挙を通じた「革命」を展望しているらしい。あらためて戦慄する。
 恐ろしいのは、菅直人ら民主党による「市民の党」への献金問題は(それ自体は違法性が明瞭ではないためか?)、産経新聞・関西テレビの某番組とチャンネル桜しか報道していない(野村p.71)ということだろう。違法ではなくとも、菅直人や民主党の「左翼」性または親北朝鮮ぶりを明確に示すもので、ニュース価値はあると思うが、日本の主流派マスメディアは、自らが「左翼」的だからだろう、民主党には甘い。
 この問題を月刊正論はどう取り扱っているかと見てみると、10月号(産経新聞社)に、野村旗守「市民の党代表『斎藤まさし』の正体と民主党」、西岡力「拉致と『自主革命党』、そして『市民の党』の深い闇」と、同じ二人の論考が載っていた。ひょっとすれば、こちらを先に見ていたかもしれない(なお、北朝鮮の「自主革命党」に森大志は所属していた(いる)とされる。ジャパニズム上掲・西岡p.149-150におぞましい「綱領」?が紹介されている)。
 ところで、ジャパニズム第03号には、毎日新聞にも定期的に寄稿している西部邁の連載ものもある。さすがに「左翼」の文章ではないし、「民主主義を振りかざしてきた戦後日本は、多数制原則という民主主義のギロチンによって、おのれの首を刎ねようとしている」(p.168)という表現の仕方も面白い。
 但し、末尾にある「菅直人」の名前をもじった文章などは、言葉遊び的な要素の方が強い感じで、とても好感はもてない。

0943/中国は「共産主義を全面的に捨てた」のか-西尾幹二=青木直人・尖閣戦争(祥伝社新書)より。

  西尾幹二=青木直人・尖閣戦争―米中はさみ撃ちにあった日本―(祥伝社新書、2010.11)で、西尾幹二は「中国は共産主義からの体制変換を宣言していません」と述べる(p.70)。

 西尾はまた、中国は、①古代専制国家、②共産主義・独裁国家、③似非金融資本主義国家、の三つの「蛇頭」をもち、さらに④「全体主義的ファシズム体制」の特徴が色濃くなっている、という(p.240-1)。

 上の②と④は同じことの別表現ではないかと思うが、西尾は、月刊正論12月号(産経新聞社)の「日本よ、不安と恐怖におののけ」でも同旨のことを述べていた(4点を挙げる、月刊正論p.75)。
 西尾幹二はまた、「東アジアには冷戦がつづいていた」ということを付随的に書く(上掲書p.70)。この点は、「冷戦は終わった」ことを前提として叙述する佐伯啓思とは異なる。

 だが、その佐伯啓思も、某誌11月号では、次のように書いて、中国は「共産主義」国であることを認めている。

 <「冷戦時代」の世界の構図は分かりやすかった。「中国は独特の共産主義国ですが」、基本的には東西対立で世界を理解できた。だが、「冷戦が終わって以降」、単純ではなくなった。(中略)九〇年の「社会主義陣営」崩壊後に「一番経済が発展したのが共産主義の中国」だ。これは「皮肉なことで、ほとんど漫画みたいな話」だ(p.7)>。

 「社会主義」と「共産主義」とを厳密に使い分けているとは思えない。佐伯においても、中国は「共産主義(社会主義)」の国なのだ。

 だが、興味深く、また検討を要するとも思うのは、西尾幹二との共著(対談著)である上掲の本で、青木直人は、中国は「共産主義」国ではない旨を述べていることだ。青木によると、以下。

 1989年の天安門事件頃、保守派(李鵬ら)と「市場経済」派(趙紫陽ら)の対立があった。湾岸戦争、ソ連崩壊を経て鄧小平が担ぎ出されたが、鄧小平は「趙紫陽やかつての自分たち」の主張した「経済開放政策、経済特区策」は正しかったと大演説をした。彼は<社会主義・資本主義>論争を非生産的とし、最晩年には「もはや社会主義は終わった。歴史的運命を終えた」と宣言した。「このとき、共産党は共産主義を全面的に捨てたのです」。1992年以後の人民日報社説ではかつてのターム「プロレタリア国際主義」が姿を消し、代わりに「中国愛国主義」が急増する(以上、p.84-88)。

 青木直人はより細かいまたは具体的なレベルで中国の政策・主張の変容を分析しているので、同じ「共産主義」という概念でも、厳密または純粋なそれを意味させているのかもしれない。

 しかし、釈然としないことはたしかで、なるほど<社会主義的市場経済>とはいったい何か、それも共産党一党独裁下での<市場経済>とは何か、といったことを十分には理解できていないようであることをも自覚する。

 青木には、「共産主義が全面的に捨て」られているとすれば、いったい何が採用されているのか、さらに詳述してほしいものだ(他の自著で書いているのかもしれない)。

 また、<中国経済>の専門家もいると思うが、この国の<経済>の仕組みを分かり易く解きほどいて説明しておいてほしいものだ。理論的・厳密な研究対象にできるだけの、信頼できる統計・資料等が乏しいのかもしれないのだが。

 二 ついでに、あと二点。西尾幹二は上の共著でつぎのように主張している。

 第一に、<すべて欧米基準にする必要はないが、日本は「民主主義国家ですよ、自由が存在する国ですよ、中国とはまったく違いますよ」ということをきちんと主張することが大切だ>(p.122)。

 これは月刊正論12月号での中西輝政の主張とほとんど同じで、また、佐伯啓思ならばこういう書き方はしないだろうように推測されて、興味深い。

 第二に、総選挙実施の主張だ。<尖閣事変は中国による「民主党の売国シグナルの真意を試す」行動で、中国には好ましいデータが揃っただろう。「この忌々しい状況を覆すには、マスコミの伝えない支那の恐ろしさを国民に知らしめ、売国民主党の支持率を下げさせて一刻も早く民主崩壊に導き、総選挙体制に持ち込むこと」だ(p.236)。

 この点はまったくの同感だ。例えば、現在の議席配分のままだと、公明党・社民党・日本共産党の賛成によって、上程されれば、参議院ですら外国人地方参政権付与法案は通過してしまう。

 佐伯啓思はややニュアンスの異なる主張をしているが、別の機会に言及したい。

0942/「戦後」とは何か④-西尾幹二ら・尖閣戦争(祥伝社新書)より。

 西尾幹二=青木直人・尖閣戦争―米中はさみ撃ちにあった日本―(祥伝社新書、2010.11)を、11/19に、全読了。

 構成は、序章・尖閣事件が教えてくれたこと、一章・日米安保の正体、二章・「米中同盟」下の日本、三章・妄想の東アジア共同体、四章・来るべき尖閣戦争にどう対処するか。計251頁。
 逐一の感想やコメントは書かない(時間がなくて書けない)。

 本題からはやや外れるだろうが、次の言葉は印象的だ。

 西尾幹二いまだに中国が共産主義の国であるということすら、しっかり認識していないし、五〇〇〇年の歴史を持った普通の国みたいに思っている人が多い。ちっともわかっていない」(p.29)。

 多数の<中国本>にもかかわらず、こういう状態だった、またはこういう状態のままの日本国民は多いだろう。

 菅直人は、先日の胡錦濤との「交談」で、両国は「一衣帯水」の関係にあり、とか何とかメモを見ながら冒頭で述べていた。五〇〇〇年(4000年?)の長い歴史を持ち、種々の文化を日本に伝えてくれた、というイメージも強いのだろう。

 だが、19世紀以降に日本から「学んだ」のは中国の側だ。古代を除き、その後いったい何を恵んでくれたのか。

 蒙古人、満州族による支配(王朝)があったことは知識としては常識的なことで、現在のような漢民族中心の国家が長々と続いてきたわけではない。中国という「国家」があって、連綿と続いているわけではない(現在は、毛王朝とか共産党王朝とか表現できる)。この点、日本とは決定的に異なる(<戦国時代>に統一国家=中央政府があったかはかなり疑わしいが)。

 にもかかわらず、上のような印象・イメージが日本人にあるのはなぜなのだろうか?

 中学校・高校時代に、中国または中華人民共和国についての正確な知識が教えられていないことがまずは大きい。きちんと「共産主義」なるものが教育されなければならない。

 ということは、中国に関係する教科書の問題になり、そして、中国に関係する教科書をどのような人々が執筆しているのか、という問題に行き着くだろう。

 そして、歴史・政治・経済・現代社会等々の教科書を執筆している大学教授たち等が<社会主義幻想>を持っていて、<親中国>の立場にいたら、どうなるのか? どういう中国に関する叙述になるだろうか? これが日本人の一般的意識に何を生じさせているかの根源かもしれない。

 そのような教育を受けた者が行政官僚・司法官(+弁護士)・マスコミ社員等々になっていく。中国(中国共産党)を批判する者はナショナリストで「右翼」だ、的なイメージが片方では作られている。

 そのような状況は、今回の事件で少しは変わっただろうか?

 いつか、朝日新聞について、すでに中国に<籠絡され>ているのではないか、という表現を使ったが、これはたんに親中・媚中の意識を持っているということにとどまらず、少なくとも実質的には、中国(中国共産党)の<エージェント>になっている幹部社員や記者等も朝日新聞にはいるのではないか、という疑いを持っているからだ。

 いかにして<エージェント>になるかは様々な方法・過程があるだろう。教育それ自体に問題があるところに、そしてそれは<左傾化した>(社会主義幻想をなお持つ)大学教授らに依るところが大きいと見られるところに、個々具体的な<策略>が種々に仕掛けられている、と見ておいた方がよい、とあらためて感じる。

 この、日本人になお残る、社会主義(共産主義)国に対する<甘さ>(警戒心の欠如)は、<戦後>というものの基本的な一内容でもある、と考えている。

0927/<左翼・売国>政権打倒のための総選挙実施を-月刊正論12月号一読後に。

 1.月刊正論12月号(産経新聞社)内をいくつか読んでいて、とくに中西輝政論考によってだろうか、尖閣諸島に非正規の中国実力部隊とともに多数中国人が上陸し始める、海上保安庁は、あるいは自衛隊は何をできるか、中国の正規軍(・軍艦)が(中国にとっての領海内に)入ってくる、という事態や問題が現実になりうるようで、いくぶんかの戦慄を感じざるをえない。

 2.月刊正論12月号は西部邁、中西輝政、西尾幹二、櫻井よしこの4人揃い組。これに渡部昇一、佐伯啓思あたりも加わっていれば、<保守>論者の大御所のオン・バレードだ。多少は皮肉も含まれており、似たような名前がいつも出てくるなぁ、と思いもする。

 <左翼>の側には、いろいろな戦線・分野で、いろいろな幅をもって、もっと多様な書き手、論者がいるのではないか。どうも心許ない。

 といったことを書いている余裕は本当はないのかもしれない。

 3.よく見る名前だが、<尖閣>または<9・24>をテーマとする論考に、主張内容の違いがあるのが分かる。むろん、基本的なところでは(対中国、対民主党政府等)、一致があるのだろう。だが、現在において何に重点を置いて主張したいかが論者によって同じではない。
 頁の順に、巻頭の西部邁「核武装以外に独立の方途なし」(p.33)は、タイトルに主眼があり、アメリカへの不信感を述べつつ、「自分らの国家を核武装させ、…他国への屈従から逃れてみせるしかない」と主張する。その過程で、「日米同盟の強化なしには尖閣の保守もなし」と唱える言説は、「いわゆる親米保守派」のそれで、「本当の噴飯沙汰」と明記している(p.36)。
 中西輝政「対中冷戦最前線、『その時』に備えはあるか」(p.48~)は、中国による「実際の軍事力の行使」=「危機の本番」は「年末から年明けにも」と予想する(p.50)。詳細には触れないが、具体的な想定等には、冒頭に記したように、戦慄と恐怖を覚えるところがある。

 中西によると、「日本人の精神の目覚め」を阻止するための、中国による「対日世論工作」が今後、活発化する。より具体的には、①「反米基地闘争」の「さらなる高揚」による「日米同盟」関係の「離間」、②「日本の言論界そのものに対する統制」、③与党・民主党に「親中利権派議員」を大量に作ること、だ(p.54-55)。

 ①~③のすべてがすでにある程度は、②に至ってはすでに相当程度に、奏功しているのではないか。

 中西輝政がまとめ・最後に述べるのは、次のようなことだ。

 <「民主主義」や「人権」は中国(・共産党)の「最大の弱点」なので、「同じ民主主義体制の国々」とともに中国にこれらの重視を対中政策の第一とすべき。「中国の民主化」という「人類社会」の「大義」に向かって協力するのが重要で、それは「大きな武器」になる。>(p.56)

 西部邁のいう「親米保守」派に中西輝政が入っているのかどうかは知らないが、中西輝政も憲法改正や核武装論に反対ではないだろうにせよ(むしろ積極的だ)、西部邁と中西輝政では、同じ状況・時期における具体的な主張は同じではない、と理解せざるをえないだろう。

 西尾幹二「日本よ、不安と恐怖におののけ」(p.74-)は、中国の分析、日本のマスメディア批判のあと、日本人の精神の対米従属性(+アメリカは本気で尖閣を守る気はない)を嘆いて終わっている。いわく-「この期に及んで自分で自分の始末をつけられない日本国民」をアメリカ人は「三流民族」だと見ているだろう、「否、…私も、日本国民は三流民族だとつくづく思い、近頃は天を仰いで嘆息しているのである」(p.81)。

 西尾のものは、同感するところなきにしもあらずだが、一種の精神論のごときで、最もリアリスティックなのは中西輝政の論考だ。西部邁は<核武装>に至る、または<核武装論>を議論するに至る、必要不可欠の過程を具体的に示してもらいたい。今どきのこの主張は、正しくとも、時宜にはかなっていない<空論>になるおそれが高そうに見える。

 もっとも、佐伯啓思ならば決して書きそうにない中西輝政の最後の主張も、正しくとも、やや綺麗事にすぎる、あるいは、米国も欧州諸国もそれぞれの国益を最優先するとすれば、多少は非現実的なところがあるかもしれない。「民主主義」と「人権」の主張の有用性・有効性を否定はしないが、はたして現実に<自由主義>諸国はそのように協力してくれるだろうか。

 中西輝政論考のポイントはむしろ、究極的(最終的)には<自衛隊の「超法規的」な軍事行動に期待するしかない>という想定または主張にあるように思われる(p.53-54)。

 4.上の三人ともに現民主党政府に批判的だろうが、誰もひとことも書いていないことがある。

 それは民主党(菅直人)政権を変えて<よりましな>内閣を作る、という、核武装や憲法改正よりも、現実的な論点・課題だ。

 朝日新聞の社説ですら、菅直人への首相交代時に<できるだけ早く>国民の信を問う(=総選挙する)必要性を(いちおうは)書いていた。

 尖閣問題への対応を見ても、この内閣が<左翼・売国>性をもつことは、ますます明瞭になっている。

 参加しないで言うだけするのも気が引けるが、10/02と10/16の二回の集会・デモのスローガンはいったい何だったのだろう。その中に<菅内閣打倒!>・<売国政権打倒!>・<即時総選挙実施!>などは入っていたのだろうか。

 現実的には、対中「弱腰」以上の、「親中」・「媚中」以上の<屈中>政権をこれ以上継続させず、外務大臣も官房長官も代えることの方が具体的な<戦略>だと思われる。そのためには、総選挙を!というムードをもっと盛り上げていく必要があるのではないか。

 いわゆる<政権交代>からもう一年以上経った。今の内閣が現在の<民意>に添ってはいないこともほぼ明らかだ。マスコミの主流は現内閣の困惑と混迷ぶりばかり報道しているようで、かつ産経新聞も含めて、<あらためて民意を問う>必要性を何ら主張していないのではないか。非現実的なのかもしれないし、上記の三人もそのように考えているのかもしれない。しかし、重要なこと、より現実的に必要なことは、やはり(憲法改正等と同等に)主張し続けなければならない、と考える。

 <左翼・売国>政権打倒!という表現では過半の支持は得にくいかもしれないが、形容・表現は極端に言えば何でもよい、現在の民主党政権を一日でも早くストップさせ、<よりましな>政権に変える、このことがとりあえずは日本の将来と現在の国益に合致している(もちろん国民の利益でもある)、と考えるべきだ。

0922/グーグルは<反米>書籍も電子化して自由に閲覧させる(または販売する)か。

 一 産経のウェブ・ニュースをたどると、今年1/18に、「米インターネット検索最大手のグーグルが12日、中国当局の統制をこれ以上容認できないとして、中国からの全面撤退も辞さないと宣言した」等々と報道している。同記事は、イギリス某紙の「グーグルは2006年以来、マイクロソフトやヤフーと同様、中国が求める検閲基準に配慮したサイト運営をしてきた」等を含む社説も伝えている。
 さらに、同1/13によれば、「グーグルは12日、昨年末に中国を発信源とする大規模なサイバー攻撃を受けていたこと」を明らかにするとともに、「われわれはこれ以上、検閲を容認し続けることはしないと決断」したとし、「今後中国政府との交渉に入る」、らしい。
 その後の成り行きは知らないが、当時、グーグルの<勇気>を称揚するかのような雰囲気の報道ぶりが多かったように思い出す。

 しかし、「中国当局の統制をこれ以上容認できない」とか「これ以上検閲を容認し続けることはしない」とかいうことはすなわち、それまでは中国政府の「統制」または「検閲」を<容認>してきた、ということを意味する。経済的利益(利潤)稼ぎのために、(中国内での)情報の<自由な流通>の方を犠牲にしてきたのだ。

 マイクロソフト等も同様らしいのだが、<自由と民主主義>の国で生まれたグーグルも、大きな顔をできない=偉そうなことを言えない。

 二 いろいろな検索ソフト(・サイト)があるが、「秋月瑛二」で検索してみて、最も<悪意がある>と感じられるのは、グーグル(Google)のそれだ。具体的に紹介するのは省略するが、ここ(およびこれに依存した検索サイト)の検索結果だけが異様で、グーグルは「秋月瑛二」の書いている内容・論調が気にくわないのではないか、と思ってしまう(邪推なのかどうか)。

 三 グーグル・エディションとかによる電子化された書籍の閲覧や販売事業が今後進められていくらしい。

 無視はできない<グローバルな>趨勢なのだろうが、<自由と民主主義>の国で生まれたグーグルも、中国ではその<自由・公正>な精神を貫徹できていない(いなかった)のだから、世界各国において、例えば、<反アメリカ>主義・傾向の書籍をも他の書籍と同様に扱うかどうかは怪しいものだ、と訝(いぶか)っている。

 ついでに言えば、朝日新聞・ソニー・凸版印刷・KDDIは電子書籍配信の新会社を作る構想を発表しているが、朝日新聞が加わる会社が、例えば、朝日新聞の<社風>または<社論>に明らかに反する書籍を、少なくとも優先的に電子化して配信するとは考え難い。グーグルに対して抱く危惧は、朝日新聞についてもあてはまる。<朝日新聞批判>をタイトルにまでした書籍もあるが、そうした書籍まで電子化の網を広げるだろうか?

 <自由と民主主義>は<左翼>の温床でもある。電子化またはIT化の流れの中で、巧妙に<情報操作>・<情報工作>あるいは一種の<(電子情報関係企業による自主的な)検閲>が行われる危険を何とかして阻止する必要があろう。

 なお、グーグルの尖閣諸島関係マップについて、議論があるようだ。

0913/中西輝政・ウェッジ2010年10月号を読む②。

 中西輝政・ウェッジ2010年10月号論稿は「危機が現実化し本当の破局に立ち至」ってようやく国民が気づいて「政治が大転換する」、という「破局シナリオ」を語る。

 中西によると「教育やモラル、社会の劣化」は国家の「全面崩壊」の状況を「はっきりと見せる」ものではなく、「安全保障問題の破局が先に来る」とする。そして、最も可能性があるのは、「中国に実質的な外交権を委ねて生きるしかないという、いわば『日本族自治区』のごとき状況を招くという破局」だ、という(p.31)。
 日本が、中華人民共和国日本省または中華人民共和国日本族自治区(あるいは日本の東西でそれらに二分)になる可能性(=危険性)が語られてきているが、中西輝政もまたそれを明示しているのが注目される(見出しにも使っている。p.31)。

 だが、中西も言うように、上の可能性(=危険性)はないとは「誰にも言えない」にもかかわらず、日本国民の多くは、そのように(危険性はないと)「信じている」。ここに本当の恐ろしさがあるだろう。マスメディアの主流によって、そのような可能性(=危険性)はあっても極小なものだとのデマ的空気が撒き散らされている。何も積極的には知ろうとはせず、情報ソースを一般新聞とテレビだけに頼っている多くの国民は、相変わらず、能天気のままで、(本当は)<朦朧としながら>生活している。

 中国の<覇権>はまずは台湾に及び、続いて尖閣諸島から始まって沖縄全体に及ぶと見るのが常識的だろうが、<日本は沖縄を「侵略」して併合した>などという歴史認識をもっている「何となく左翼」も沖縄県民も含めて少なくはないようなので、沖縄の日本からの自立・独立を中国はさしあたり狙うかもしれない。

 先日言及した関口宏司会の番組で、中国人船長(ではなくおそらく兵士又は工作員)釈放について何人かの日本人の街角コメントを紹介したあと、関口宏は「冷静な見方もあるようですが」と述べて、中国(と弱腰の日本政府側)に憤慨するのではなく<冷静な>対応が望ましいかのごとき反応を示した。

 中国・共産党独裁国家と闘わないと日本は生きていけない(日本列島は残っても「日本」は消滅する)ことは明らかだと思われるのだが、ナショナリズムを刺激しそれを発揚することを回避・抑制しようとするマスメディアの姿勢は、必ずや日本の「亡国」に導くように思われる。<左翼>人士・メディアは、<戦争をしたがっている保守・反動・右翼が騒いでいる>との合唱をし始めるだろうから、バカは死ななきゃ直らない、と言う他はないだろう。

 中西が上に書くような「破局」がいったん起これば、立ち戻ることはもうできないのではないか。「もはや中国の脅威に抗しえない」という状況(p.31)の発生自体を阻止する必要がある。今の民主党政権にそのような力は、意思自体すら、ないことは明らかなのだが。

0905/月刊正論11月号・中西輝政論文等-冷戦。

 一 月刊正論11月号(産経、2010)の巻頭、中西輝政「中国の無法を阻止する戦略はあるか」
 巻頭言にしては長い。p.33-44の二段組み、計12頁。
 「東アジア全体が、…『冷戦』に突入しているのである。今回の新たな冷戦では、東西冷戦とは異なり、日本が否応なくその最前線に立たされる。…」(p.41)

 欧州ではともかくとしても、日本ではソ連崩壊後も<冷戦は継続している>ということは、近時の主張しておきたいところだった。
 同上誌のp.316で水島総は「既に世界は変わり、ポスト冷戦から、ポストポスト冷戦に様変わりした」、と書く。
 ニュアンス、厳密な意味は同一ではなさそうだが、現在の日本が「冷戦」の真っ只中にあるという認識では共通しているだろう。
 水島が言っているだろうように、ソ連崩壊によって「資本主義」あるいは「保守(・自由主義)」が勝利した、と単純に考えている「戦後保守」がいるとすれば、とんでもない間違いだ(但し、この人のこの号の叙述には感覚的に合わないところもある)。
 いずれにせよ、「保守」の側はともかくとしても、中国・北朝鮮(論じ方によっては韓国も)という近隣諸国に断固として立ち向かう必要がある、と漠然としてであれ考えている国民が多数派ではないようであることが、現在の日本の怖ろしいところだ。

 新憲法によって日本は平和で自由なよい国になった、それは基本的には今日までずっと継続している、と何となく考えている(私に言わせれば勉強不足の、あるいは主流派的マスコミに騙されたままの)国民はまだけっこう多いのではないか。

 そのような人々は、中国等の脅威(・異様さ)を正当に指摘し、例えば日本の「ナショナルなもの」の保持の必要性を語るような議論を、<偏っている>とか<右翼・民族派>とか言って無視するか軽蔑しがちだ。
 説明する必要もないほどだが、そのような人々とはもはや「口をきく気にもなれなくなっている」。

0899/平川祐弘・日本語は生き延びるか(河出ブックス、2010)の冒頭の問題設定。

 6/11に「平川祐弘・日本語は生き延びるか(河出ブックス、2010)の冒頭にある、戦慄を伴う問題設定」とだけ言及した。
 もう少しは詳しく引用しておく。
 平川祐弘・上掲著は、「はじめに」で、「二十二世紀に日本列島に住む人々は、はたして何語を話しているだろうか」と問題設定する。そして、「可能性として五つの場合が想定される」という。
 五つのうち、人類の消滅と優秀な翻訳機器の開発による言語問題の解消という二つの想定(第一・第四)は別として、第五も愉しい想定ではないが、とくに次の、第二、第三の「想定」は、可能性を否定しきれないところに「戦慄」が伴う。
 「二、他文化の強力な影響下、日本人の大部分はバイリンガル(日本語と英語、あるいは日本語と中国語)になって、外では世界の標準語を、内では日本語という地方語を使い分けて話している」。
 「三、日本人の多くは非日本人ないしは非日本語系日本人と結婚して(あるいは結婚を余儀なされて)しまっており、その二世以下の子孫はもはや日本語を話さない。元は日本語人だった一世も、周囲の社会の言葉を使って生活するようになっている。そこで新しい言語を使いこなせない日本語系日本人の多くは落伍者、いわゆる文化的な『もてない男』となっており、その劣等的状況むに憤懣を抱く者の中にはテロリストとなって暴発する者も出る」。
 「二十二世紀」とされているところが、まだしも微かな救いだろうか。 

0824/資料・史料-2009.10.09日韓首脳共同記者会見。

 資料・史料-2009.10.09日韓首脳共同記者会見における鳩山由紀夫首相発言

 <冒頭発言>
 鳩山総理
 (1)本日、李大統領夫妻が私ども夫妻をソウルに招待してくださったことに心から感謝申し上げる。私どもは韓国の社会や文化が大好きであり、ほとんどの日本国民が同じ気持ちではないかとの思いをお伝えしたいと常々思っている。李大統領も記者会見の冒頭に述べられたとおり、総選挙直前の6月に、私は李大統領を往訪した。今回の訪韓は、総理就任後3週間、初めての海外訪問先として韓国を選んだのはまさにこの思いからであり、日韓両国が「近くて近い」関係になるようにとの思いを、本日の会談で李大統領と共有することが出来たことを嬉しく思う。日韓両国は、価値観を共有する重要な隣国関係であり、アジア外交の核となるものである。更に多くの分野で協力を深めることにより、東アジア共同体構想の実現に一歩踏み出すことが出来るものと考える。この点についても李大統領と考えを共有できたことを嬉しく思う。
 当然、韓国と日本との間にはいろいろな懸案があるが、新政権は歴史をまっすぐ正しく見つめる勇気を持った政権である。ただし、何でも解決できるわけではなく、時間的な猶予が必要である。未来志向で日韓関係を良好に発展させていくことは、アジアのみならず、世界の経済及び平和にとって重要であり、この点につき大統領からも共感が示された。

 (2)本日の会談では、東アジア共同体構想や北朝鮮問題について話し合うことができた。北朝鮮問題については、李大統領が提唱する「グランド・バーゲン」は極めて正しい考えであると思う。北朝鮮の核及び弾道ミサイルといった問題を包括的に位置づけ、北朝鮮による具体的な行動や意思が示されなければ、経済協力を行うべきではない、むしろ、経済協力の前提として意思が示されることが必要である、という誠に正しい考え方であると思う。拉致問題の解決について、韓国にとっても同種の人権問題がある旨指摘したところ、李大統領からは当然、拉致(問題の解決)も、この包括的なパッケージの中に入っているとの発言があり、大変ありがたく感じた次第である。このように、日韓間の協力、又、米国及び中国との協力を通じ、北朝鮮を六者会合の舞台に戻すべく、引き続き協力していくことをお互いに確認した。

 (3)拡大会合の中では、日韓両国で中小企業が苦しんでいる中、悩みや関心を共有しつつ、金融危機で経済が厳しい状況の中で、「逆見本市」の成功のほか、更に、さまざまなレベルで協力していくことを確認した。また、若い世代による文化交流及び大学間交流を拡充していくことで一致した。李大統領からは、私の妻(幸夫人)が、韓流ブームに乗って韓国人スターに強い関心を有していること、又、先日東京で行われた「おまつり」に参加したことを褒めていただき、嬉しく思った。李大統領とは、若い世代が心の通う交流を積み重ねれば、政治的懸案も解消していくのではないかとの思いを共有した。
 今回の首脳会談は短い時間であったが、極めて有意義な意見交換であり、このような機会を設けていただいた李大統領の厚意に感謝したい。日韓関係が大きく発展することに希望を抱いた。ありがとう。カムサハムニダ。
 <質疑応答>
 ((問)質問が重なるものの、北朝鮮について伺いたい。先ほど総理が会見でも述べていたが、核開発や拉致問題について包括的に解決していくことで一致したということであるが、六者会合再開に向けた具体的な手法をどのようにとっていくかなど、突っ込んだ意見交換は行われたのか。)

 鳩山総理
 どこまでを突っ込んだ意見交換と言えるのかは分からないが、私が申し上げることができるのは、私の方からは、まず、中国の温家宝総理が金正日国防委員長と会談をした、そこでかなり突っ込んだ議論がなされたのは事実だと思う。その中でも六者会合の可能性も言及されているように仄聞している。また、米朝会談が行われる見通しになっているが、私は先般ニューヨークに行った時にオバマ大統領との首脳会談の中で、私は米朝会談を支持する、ただ、支持する前提として、六者会合に是非導いていただきたいということを申し上げ、そのところでも、拉致問題の必要性も言及申し上げたところである。オバマ大統領もそのことを十分に理解する中で米朝協議に臨むという姿勢を示したと私は理解している。
 このように、中国、あるいは米国が先行して北朝鮮との交渉を進めているところだが、それはあくまでもその先に北朝鮮が六者会合に復帰する、その復帰をした中で李明博大統領が提唱されているように、完全に具体的な北朝鮮のメッセージとして、すなわち意思表示、具体的行動として核を廃棄する、あるいは我々からすれば拉致問題の解決を尽くすというようなことをパッケージとして示していく、その時に必要なことは、六者会合の中の五者がお互いに共同歩調をとるということだと理解している。共同歩調をとることができれば、その先に大きな光明を見出すことできる。
 私たちはそのような思いを今日の首脳会談の中で見出した。

 ((問)鳩山総理は、本日も韓日の歴史問題に対し、前向きな立場を明らかにした。若干の時間的な余裕を置きたいと述べていたが、もう少し、歴史問題に対する具体的な構想を伺いたい。特に李大統領は、来年の韓日併合100年を迎え、天皇が韓国を訪問するならば、両国関係の大きな転換点となることを期待し、訪韓を招請する意思を明らかにした。これに対し、日本側ではどのような、そしてどれほどの関心を持っているのか、また、実現する可能性はどれほどあるかを伺いたい。併せて、在日韓国人の地方参政権問題について、鳩山総理の意見を伺いたい。)
 鳩山総理
 私は常に、歴史に対して前向きに、常に正しく歴史を見つめる勇気を持たなければならないと申し上げてきたところであり、そのことを新しい政権の中でも大変重要な考え方として位置づけていきたい。すなわち言うまでもないが、かつてのいわゆる村山談話、その思いを一人一人の政府あるいは国民が大変重要な考え方だと理解することがまず非常に重要なことだと考える。これは日韓関係に関わることであり、ややもすると感情的になりやすい部分を押さえていかなければならないため、国民の皆様に理解いただくには若干時間がかかるということを申し上げたところであり、ぜひ御理解願いたい。
 そして、その問題(歴史認識の問題)の一つとして、いわゆる在日韓国人の皆様の地方参政権の問題もその中に入っている議論だと思っている。私個人の意見は皆様もあるいは既に御存知かとも思うが、私はこの問題について前向きに結論を出していきたいと心の中ではそう思っている。ただ、この問題についても、今申し上げたとおり、国民の皆様の感情、あるいは思いがまだ必ずしも統一されていない。そのことのために、これからしっかりと内閣としても議論を重ね、政府として結論を見出していきたいと思っており、このことに関しても時間というファクターを御理解願いたい。
 また、天皇陛下の訪韓に関しては、私は天皇陛下御自身もその思いを強く持っておられると理解している。ただ御高齢のこともあり、また、日程的なこともあり、更には、総理大臣がどこまでこのことに関して関われるかという問題もある。したがって、私からはこれ以上のことを申し上げることはできないが、(先般)李明博大統領からそのような御示唆をいただいたことに関しては感謝申し上げたい。この問題に関して簡単に分かったということを今申し上げることができない環境であることもぜひ御了承願いたい。
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<下線・太字は掲載者。出所-官邸HP>

0809/鳩山由紀夫新内閣における「東アジア共同体」。

 9/16新内閣発足。美辞麗句(だけ?)の「お坊ちゃん」首班内閣。
 鳩山由紀夫、1947年生まれ。初の「団塊」世代首相。「団塊」世代生まれはけっこうなことだが、「団塊」世代の中の優等生らしく、<(戦後)平和と民主主義>教育をきちんと受けて、そこから基礎的理念も得ているようだ。
 <東アジア共同体>の構築を、中国共産党の一党独裁、中国の他民族弾圧、同国の対台湾姿勢、尖閣諸島・ガス田問題、朝鮮労働党の一党独裁、同国による日本人拉致問題に一言も言及することなく、「目標」として掲げるとは<狂っている>としか思えない。
 三党連立合意文書の中にも「東アジア共同体(仮称)の構築…」が出てくる。最長で4年間しかないこの内閣で、「東アジア共同体(仮称)の実現」に向けていったい何をしようというのか。
 以下、主として資料。
 一 鳩山由紀夫「私の政治哲学」月刊ボイス9月号(PHP、2009)より
 「友愛」が導く大きな「国家目標」の二つのうちなんと一つとして「『東アジア共同体』の創造」を挙げ、「ナショナリズムを抑える東アジア共同体」との見出しを掲げる(p.139)。以下、抜粋的引用。
 「新たな時代認識に立つとき、われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすなかで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創り上げていく道を進むべきであろう。…この地域〔東アジア〕に、経済的な統合を実現することは一朝一夕にできることではない。しかし、…延長線上には、やはり地域的な通貨統合、『アジア共通通貨』の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない」。
 「軍事力増強問題、領土問題など地域的統合を阻害している諸問題は、それ自体を日中、日韓などの二国間で交渉しても不可能なものであり、二国間で話し合おうとすればするほど双方の国民感情を刺激し、ナショナリズムの激化を招きかねないものなのである。地域的統合を阻害している問題は、じつは地域的統合の度合いを進める中でしか解決しないという逆説に立っている。たとえば地域的統合が領土問題を風化させるのはEUの経験で明かなところだ」。
 私は「世界、とりわけアジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力及び集団的安全保障制度」の確立に向けて努力することが「日本国憲法の理想とした平和主義、国際協調主義を実践していく道であるとともに、米中両大国のあいだで、わが国の政治的経済的自立を守り、国益に資する道である、と信じる。またそれは、かつてカレルギーが主張した『友愛革命』の現代的展開でもあるのだ」。
 「こうした方向感覚からは、たとえば今回の世界金融危機後の…、…将来のアジア共通通貨の実現を視野に入れた対応が導かれるはずだ」。
 「アジア共通通貨の実現には今後十年以上の歳月を要するだろう。それが政治的統合をもたらすまでには、さらなる歳月が必要であろう。…迂遠な議論と思う人もいるかもしれない。しかし、…政治は、高く大きな目標を掲げて国民を導いていかなければならない」。
 「『EUの父』…カレルギーは、…言った。/『すべての偉大な歴史的出来事はユートピアとして始まり、現実として終わった』、『…ユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている』」。
 ・そもそもが、「EU」という発想を東アジアに持ち込むこと、カレルギーの「理想」を東アジアにも適用しようとすることに、思考上の方法論的疑問がある。(「欧州」と同様の歴史的・文化的基盤は東アジアにはない、と私は思っている。)
 ・鳩山は遠い将来の東アジア地域の「政治的統合」を構想し、その前の「アジア共通通貨の実現」を構想するが、これらが、とくに前者が望ましい国家「目標」なのか自体を吟味しなければならない。中国共産党・朝鮮労働党の解体に一言も触れない東アジア地域の「政治的統合」とはいったい何なのか?!
 ・「軍事力増強問題、領土問題など地域的統合を阻害している諸問題は、それ自体を日中、日韓などの二国間で交渉しても不可能」だとの断言は、尖閣・ガス田や竹島問題を、対中・対韓では持ち出さない、外交の場で言及しない(しても無駄)、外務省にも何も言わせない、という趣旨なのか? そうだとすれば、ひどい<土下座>外交ではないか。
 「地域的統合を阻害している問題は、…地域的統合の度合いを進める中でしか解決しないという逆説」とはいったいどういう趣旨か。「地域的統合の度合いを進める」とはいったい何の意だろう。
 ・鳩山由紀夫の頭の中には常人には理解できない(=狂った)「夢想」が宿っているようだ。主観的な<善意>が好ましい現実的効果・結果を生み出すとは、全く限らない。<ファシズム>は美辞麗句・ユートピア的言辞とともにやって来うる(ナチスは正確には国家「社会主義」「労働者」党だった)。
 ・16日に鳩山は「東アジア共同体」に関する質問に対して、「米国を除外するつもりはない。その先にアジア太平洋共同体を構想すべき…」などと述べたらしい。米国が「東アジア」に入るはずはなく、前者はその場かぎりでのウソか、せいぜい<大ブレ>。「先にアジア太平洋共同体を構想すべき」と主張するなら、この論考で述べておくべきだし、そもそも、<アジア太平洋共同体>とはいったい何か? 訳のわからないことを言う新首相。
 二 民主党の政権政策マニフェスト(2009年7月27日)
 「政策各論/7外交/
 52.東アジア共同体の構築をめざし、アジア外交を強化する
 ○中国、韓国をはじめ、アジア諸国との信頼関係の構築に全力を挙げる。
 ○通商、金融、エネルギー、環境、災害救援、感染症対策等の分野において、アジア・太平洋地域の域内協力体制を確立する。
 ○アジア・太平洋諸国をはじめとして、世界の国々との投資・労働や知的財産など広い分野を含む経済連携協定(EPA)、自由貿易協定(FTA)の交渉を積極的に推進する。その際、食の安全・安定供給、食料自給率の向上、国内農業・農村の振興などを損なうことは行わない。」
 三 
「連立政権樹立に当たっての政策合意」(民主党・社会民主党・国民新党、2009年9月9日)
 「9、自立した外交で、世界に貢献/

 ○中国、韓国をはじめ、アジア・太平洋地域の信頼関係と協力体制を確立し、東アジア共同体(仮称)の構築をめざす。」

0757/NHK「売国反日プロデューサー」列伝-長井暁・濱崎憲一ら。


 西村幸祐責任編集・撃論ムック/NHKの正体(オークラ出版、2009.07)p.150-1による、「NHK売国反日プロデューサー列伝」。執筆主体は「本誌『NHKデビュー』取材班」。
 ・長井暁 所謂「女性国際戦犯法廷」を取り上げた番組「問われる戦時性暴力」のチーフ・プロデューサー。2005年01月〔13日〕、「涙」の会見。2009年退職〔この退職を親友あるいは同志の朝日新聞はわざわざ報道した〕。東京学芸大学出身。同大学「史学会」所属。同会は「反君が代・日の丸・反つくる会教科書」を会是とし、中心教授は君島和彦
 ・池田理代子 「問われる戦時性暴力」を実質的に仕切った。早稲田大学出身。上記「法廷」を仕掛けたバウ・ネット(VAWW・NET)の運営委員
 ・塩田純 NHKスペシャル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したか」で名を馳せた。2005年に海老沢会長辞任に触れて「これで作りたい番組が作れる環境になった」と発言。
 ・濱崎憲一 <JAPANデビー>チーフ・ディレクター。1992年入局。「血も涙もないNHKディレクター」とも評される(p.25、林建良)。
 <JAPANデビー>第一回に関する日本李登輝友の会等からの質問状に対して「被取材者からクレームはきていない」と嘘をつく柯徳三(台湾)は放送直後に電話で濱崎にこう言ったという-「私は濱崎さんに言うたんだ。あんた、中共の息がかかっているんだろう。私が聞くところによると、朝日新聞とNHKは、北京に呼ばれてチヤホヤされて、貢物を持って行ったんだろう!」(p.34、井上和彦)。上の柯徳三の抗議に対して濱崎は番組を支持する視聴者のコメント(のみ)をファクスで柯に送ったが、濱崎は「ファクスを送ったことは内緒に」と頼んだ(p.26、林建良)。別の文章によると、濱崎は柯への電話で「さっきのFAXは、柯さんだけに留めてほしい」と「泣きついてきた」(p.32、井上和彦)。
 顔だけの印象では殆ど何も言えないだろうが、少なくとも、思慮深い、聡明な、という印象は、全くない。この程度の人物が
 ・高橋昌廣 ハングル講座プロデューサー。民団・総連との関わりも「噂されている」。
 本名(戸籍名)は上田昌廣。2005年に「団体職員・上田昌弘(53)」の名で娘「Sちゃん」渡米手術費用の寄付を国民に呼びかけ、二億円を集める。妻もNHKディレクターで夫婦で年収4千万円。
 「Sちゃんを救う会」メンバーには、例えば以下も含めて、NHK「エリート職員」も多数いた。
 ①永田恒三(会代表、長井暁とともに「女性国際戦犯法廷」問題に関与)、②倉森京子(「新日曜美術館」プロデューサーで、姜尚中を司会者とした)、③塩田純(前掲)、④濱崎憲一(前掲)。
 〔なお、サンデー・ブロジェクト(朝日系)を観るのを止めたあと、「新日曜美術館」をしばしば観ていたのだが(壇ふみ司会の時代)、今年たぶん4月から姜尚中(と局アナ)に代わって、完全に止めた。姜尚中起用は上の倉森京子の「意向」のようだ
〕。

0674/福田恆存「平和論に対する疑問」・「芸術と政治―安保訪中公演をめぐって」を読む。

 一 清水幾太郎の剽窃ではないかと疑った者もいたらしい福田恆存「平和論に対する疑問」は中央公論1954年12月号公刊で、(再?)刊行中の福田恆存評論集の第三巻(麗澤大学出版会、2008.05)に収載されている(p.135-155)。
 現時点で読むと特段に斬新なことが書かれているわけではなく、こんな論考が当時では話題になるほどの(進歩的)「文化人」の意識状況だったということに、感慨をもって驚かされる。
 福田恆存は「平和論に対する疑問」を5点挙げている(p.149-。おそらく本意には反するだろうが、原文の旧字体等は改めている)。
 ①「二つの世界の平和的共存」を「どういう根拠で…信じられるのか」。日本の「平和論」は世界的には力はなく、「知っているのは、おそらく共産圏の指導者たちだけ」。それは、「若い青年たち」を「平和か無か」という「極端な思考と生活態度に駆りやる作用」をもっている。
 ②「平和か無か」は「共産主義か資本主義か」の問題につながることを承知しているのか。「平和論者」はこんな問いを発しないし反対の印象すら与え、「ただちに共産主義との間に二者択一を迫る」ようには見えない。だが、「平和論」をまじめに受け取ると、「資本主義国はすべて悪玉」に映じてくる。
 ③「平和論者たち」は本当にイギリスを信頼しインドに範を仰ぎ「スイスに羨望」しているのだろうか、等々。
 ④「平和論者たちは、ソ連が二つの世界の平和的共存を信じ、その努力をしていると信じているのでありましょうか」。
 ⑤「インドのネールへの憧憬の正体」が分からない。「ほんとうにネールのような政治家を、日本の指導者としてもちたいのでしょうか」。
 二 杉村春子「女の一生」中国迎合「改作」問題に直接にかかわる(杉村への手紙ではない)論考は「芸術と政治―安保訪中公演をめぐって」というタイトルで芸術新潮1960年10月号に発表され、福田恆存評論集の第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)に収載されている(p.102-125)。
 「政治的な、あまりに政治的な」と題する節の中で紹介されている「改作」の具体的例(一部のみ引用)。
 「清国へ渡って馬賊になろうと…」→「中国へ渡ってあの広い大地で労働をしたいと…」。
 原作にはない追加。-「…。世界は金持と貧乏人に分けられるってことは言うまでもない。…」、「…いい世の中になるために、幸福な生活になるために、貧乏人も金持もない世の中をつくること、そういうことを考えている…」。
 終幕部分の全面改定(ほとんど追加)。-「…そういう連中が、まるで気違いのように戦争を呼び起こし、そして戦争は彼等を罰しました。…」、「…ほんとうにはずかしいことだと思います。多くの戦争犠牲者に、とりわけ私達の家に最も縁の深い中国の人民の方達に、心からお詫びをいいたいと思います。…」
 こういう「改訂」(改作)は、日本での60年安保闘争を背景にして、中国(共産党)当局の<示唆>によって、文学座(杉村春子)側が「自発的」に行ったらしい。
 村山富市、社民党、週刊金曜日編集人たち、戦時「性犯罪」補償法案提出者たち、そして朝日新聞社内の多数派「左翼」等々の先輩たちは、むろん1960年段階ですでに立派に育っていたのだ。今まで続く対中<贖罪>意識、ひどいものだ。これも、GHQ史観の教育・宣伝の怖ろしい効果。

0656/週刊新潮1/15号。中国(中国共産党)に日本はきちんと対抗できるか。

 遅いが、週刊新潮1/15号。 
 p.128によると、朝日新聞の2008年9月中間期の決算は売り上げが「前年同期比7.7%減の1715億円」で、営業利益は「32億3000万円の赤字」。紙面40頁が32頁になることも多くなるとか。
 p.142の高山正之コラムのタイトルは「沈む朝日と」。
 上のような情報はけっこうなことだが、p.140-1の櫻井よしこのコラムを読むと、やはり日本は容易ならざる時代に生きていると感じざるをえない。
 東シナ海のガス田「樫」の掘削は中国固有の主権行使と主張、東シナ海の「実効支配」のため同海域の「管轄を強化」と発表、初の中国産空母建造を本格化、等々。
 この週刊誌を読んで初めて感じたことではないが、尖閣諸島に中国軍が上陸し「実効支配」をしようとしたとする場合、日本(政府)はどういう対応をする(又はできる)のだろうか。竹島の韓国による「実効支配」は継続している。これは<侵略>そのものではないのか。この竹島に関する日本政府・外務省、そして大半のマスメディアの対応を見ていると、<穏便に>・<平和的外交で>・<却って刺戟しないように>などという理屈でもって、結果として尖閣諸島の「実効支配」とその継続を許容してしまいそうな気がする。それでよいのか?!
 皇室が自壊するとは思わないし、現皇太子殿下がその方向で動かれるとは想定しない。だが、日本国内には本心では天皇制度廃止を目論んでいる政党・団体・個人がいることに間違いはなく、実質的には無関心(どうでもよい、大勢順応)の国民も少なくはないと思われる。そして、中国が日本全体を実質的に支配する、そこまで行かなくとも日本に強い影響力を与えるために、中国にとって邪魔な最大のものは、日本という国家・社会・国民の「統合」のシンボルであり、「日本」の歴史・文化が堆積した<天皇>制度だろう。彼ら(中国共産党)もまた当然に、日本の天皇制度を可能ならばなくしたいと考えている筈だ。天皇制度廃止を目論んでいる日本国内の政党・団体・個人自体が、中国(共産党)の影響を受けている可能性もある。政党・団体・個人によって異なるだろうが、朝日新聞は明らかに中国共産党の影響下にあると見ておいた方がよい。
 民主党(日本)の中にも天皇制度廃止論者はいる。民主党(を少なくとも中心とする)政権が誕生し継続した場合、皇室典範等に手をつけ、実質的に天皇制度が解体しやすくなる方向での政策をとる可能性がある。
 日本国憲法の改正によって、第一章の天皇諸条項が削除されたとする場合、国家の仕組み、公的な制度としての「天皇」(制度)はなくなる。かりに例えば神道の宗家としての天皇「家」の<私的な>存続が辛うじて認められたとしても、「天皇制度」は公的に(国民の意思の名目で)廃止される。それはおそらく、「日本」の解体・崩壊・消滅と同じことだろう。
 親中国の日本政府のもとで、実質的に「日本」を解体・崩壊・消滅される政策がとられること、その明瞭で最終的な徴表は憲法改正による天皇諸条項削除だと思われるが、かかる<悪夢>は、全く杞憂とは言えないように感じられる。恐ろしいことだ。

0649/天皇・皇室と伊勢神宮をあらためて考える-たぶん・その1。

 一 ある本(冊子)を読んで、神宮(=伊勢神宮)に関して又は当地を奉参されて天皇陛下がお詠みになった歌のいくつかを知り、いささかの感動を覚えた。他にもメモしておきたい事項を多く含む本(冊子)だが、まずは、天皇陛下御製を紹介しておく。<左翼>や神宮(=伊勢神宮)参拝の経験のない人には何の感慨も湧かないかもしれないのだが。
 明治天皇
 「とこしへに民やすかれといのるなるわが世をまもれ伊勢の大神」
 明治天皇(日ロ戦争勝利後のポーツマス条約締結後、1905年)
 「久方のあめにのぼれるここちしていすずの宮にまゐるけふかな」
 大正天皇(皇太子時代のご結婚の報告の際、漢詩、1901年)
 「納妃祇告げて神宮を謁す/一路車を馳す雨後の風
 継述敢て忘れんや天祖の勅/但菲徳を漸ぢ窮り無し」(訓みは木下彪)
 昭和天皇(1980年5月、三重県での全国植樹祭の前)
 「五月晴内外の宮にいのりけり人びとのさちと世のたひらぎを」
 昭和天皇
 「わが庭の初穂ささげて来む年のみのりいのりつ五十鈴の宮に」
 今上天皇(皇太子時代、ご結婚報告の際)
 「木にかげる参道を来て垣内なり新しき宮に朝日かがやく」
 今上天皇(1993年の式年遷宮の翌春、1994年=平成6年)
 「白石を踏み進みゆく我が前に光に映えて新宮は立つ」(以上、p.42-44)
 二 この本(冊子)によると、天皇の神宮(伊勢神宮)ご親拝の回数は次のとおり。
 明治天皇-3、大正天皇-5(うち皇太子時代4)、昭和天皇-11(別に皇太子時代に7回)、今上陛下-3(別に皇太子時代に8回)。
 皇后の、天皇とご一緒ではないお一人でのご参拝の場合を含む回数(皇太子妃時代を含む)
 昭憲皇太后(明治天皇妃)-1、貞明皇后(大正天皇妃)-4、香淳皇后-8、美智子皇后陛下-8(以上、p.41-42)。
 三 ある本(冊子)とは、大原康男・戦後の神宮と国民奉賛(伊勢神宮崇敬会〔叢書10〕、2005年11月、400円)だ。本文、計54頁。
 伊勢神宮や天皇とは直接の関係はないが、いわゆる<村山談話>の「空虚」性、それが公的にも絶対的なものではないことは、大原康男産経新聞12/16の「正論」欄の文章がとりあえずは最もしっかりと書いていたように思う。
 四 上につづける。月刊正論2月号(産経新聞社)の安倍晋三=山谷えり子対談の中で安倍晋三は、①「侵略」概念を使った最初の首相は細川護煕、②その次の首相の<村山談話>以降、これを継承するかが(マスコミの)「踏み絵」になった。③換わる<安倍談話>を出そうとしたが、(橋本首相→小渕首相の)1998年の日中共同宣言でいわゆる「村山談話」の「遵守」を明記していることを知り、一方的に破棄できにくくなった。④国会では「継承」を表明しつつ、<政治は歴史認識を確定できない。歴史分析は歴史家の役割だ>と答弁し、野党から実質的には「継承」でないとの批判を受けた、といった苦労?話を述べている。日中共同宣言における<村山談話>(正式名称はもっと長い)の「遵守」という文言は、外務省の官僚が下準備をし、無神経になっている当時の内閣(・総理大臣)が無意識に・無自覚に了承したのではないか。
 散漫になったが、今回は以上。

0636/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-「朝日新聞」の「大きな欺瞞」。

 一 佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)p.76以下は「『他国への配慮』と国益」との節名で、前回紹介したようなことを、再述又は別論している(この本全部は、12/15に読了した)。
 7 ①「国益」観念が背後にない「他国への配慮」・「国際的友好」は無意味だ。そして「国益」が意義あるためにはその国の「正義」あるいは「共有価値」で支えられている必要がある。「正義」・「共有価値」は「生活上の習慣や文化的様式の中に暗黙のうちに表出」されるものだろう。
 しかし、「今日の日本」のように「暗黙裡」のものであれ「正義」あるいは「共有価値」の「存在そのものが怪しくなっている」場合には、「ナショナル・アデンティティ」の名のもとに「日本という国家を構成する精神的基盤について論議するのは当然のこと」だ(p.76)。
 ②「他国への配慮」・「国際的友好」を唱える者たちもかかるナショナリズムを前提としている筈だが、この「進歩主義的立場に立つ国際主義者」は「反国家主義」を標榜し「インターナショナリズムをナショナリズムと対立させる」ために自らの「インターナショナリズム」を骨抜きにしている。「国益」・「ナショナル・アデンティティ」を排除した「国際主義」は「ただ空疎な美辞麗句」にすぎない。
 彼らの「国際主義」は「反ナショナリズム」から発しているがゆえに、その「国際主義」自体が「『自己陶酔的で排他的な』ナショナリズムの単なる裏返し」となり、「『自己卑下的で追従的な』インターナショナリズムへと転化」している。その対中国姿勢、対国旗・国歌法姿勢等こそ、「まさに『自己陶酔的で排他的』なナショナリズムをただ裏返しただけに過ぎない」(p.76-77)。
 ③彼らの「友好」・「配慮」は「きわめて独善的」で「一国主義的」でもある。「ナショナル・アデンティティ」を排除した「国際主義」は「真の意味での国際主義=国家間主義(インターナショナリズム)とはなりえない」。「友好」・「配慮」は、「奇妙なことに『自己卑下的で追従的な』国際主義を『排他的で自己陶酔的に』追求するという結果となりかねない」(p.77)。
 ④「朝日新聞」社説が「ナショナリズム」や「ナショナル・アデンティティ」を「根本から否定」しているとは思わないが、それを語ることを「躊躇」しているために、五輪ナショナリズムはよいが「現実のナショナリズムは危険」だなどという「トンチンカン」な論説を展開している。「過激なナショナリズムを高揚させるほどの国家への切迫した思いも一体感も現代の日本人は持ってはいない」。五輪ナショナリズムは過激だが「国家意識は低調」ということは「通常は考えにくい」(p.78)。
 ⑤既述のように「朝日新聞」社説の「反ナショナリズム」は「裏返された」ナショナリズムで「隠された」ナショナリズムを背後にもつ。ナショナリズムあるいは「国家という『主体』」なくして「他国への配慮」・「国際的友好」を語り得ないのは自明のことで、朝日新聞」社説も「戦後進歩主義者」もこれを前提とせざるをえない筈だ(p.78-79)。
 ⑥しかし、「今日の日本」ではこの「国家という『主体』」という「自明性が見えなくなってしまっている」。小林よしのりの本も新しい教科書の会の運動も「戦前復古ではなく、現在の『主体』をいかに構成するかという関心」に導かれていると考える。
 「朝日新聞」社説もかかる「主体」の必要性を前提とする筈だが、しかし、「この『主体』がほとんど崩壊、もしくは溶解しつつあるとき、その主体の構成を図るための議論をナショナリズムと規定して排斥するのは一体なぜなのか?
 「ナショナリズムを隠蔽した反ナショナリズム」、「反ナショナリズムの内に潜むナショナリズム」、「この奇妙な二重構造」・「顕揚と隠蔽」あるいは「無意識の検閲」、「ここに大きな欺瞞があるのではないか?」 そしてそれこそが「『戦後的なもの』を内側から溶解させてしまった根本」要因ではないか?(p.79-80)。
 ⑦この「二重性」・「無意識の検閲」は後述もするが、そもそも「反ナショナリズムの思想的拠点は何」なのか。次にこれを扱う(p.80)。
 二 以上でp.57-80のメモは終わり。この部分は、この著の序章「なぜ『国家』を論じるのか」の次の第一章「現代日本の国家意識」の1「『戦後的なもの』の溶解」の後半ほぼ3/4にあたる。
 このあと、2「『世界市民主義』とは何か」、3「逆立ちした国家意識」とつづき、第二章「『二重言説』の戦後日本」以降へと移っていく。いずれも<朝日新聞>と無関係ではないが、覚書的紹介はとりあえずここでやめる。
 のちに丸山真男宮沢俊義(・日本国憲法)に触れるところや佐伯自身の「国家」観・論の展開が見られるところがあるので、別の機会にこの欄で言及したい。
 三 それにしても、朝日新聞、そして若宮啓文は、上のような朝日新聞的「反ナショナリズム」批判(又は批判的分析)にどう反応する(又は反応した)のだろうか。若宮啓文が佐伯啓思のこの著を一顧だにすることなく単純な「ナショナリズム」批判をしている(した)ことは明瞭だ。彼らがしていることは本能的・感覚的な「ナショナリズム」嫌悪感の表明にすぎないだろう。朝日新聞の社説執筆者やその一人だった若宮啓文の思考の<驚くべき底浅さ>は、佐伯啓思の丁寧な(そしてこの人にしては珍しく朝日新聞と明示しての大胆な?批判を含む)論述と比べると、きわめてよく分かる。
 若宮啓文はもう遅いかもしれないが、より若い世代の「戦後進歩主義者」は、佐伯啓思の上掲書を一度きちんと読んでみたらどうか。

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