秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

憲法九条

0218/映画人九条の会というのもある。山田洋次は呼びかけ人。

 映画人九条の会というのもある。2004年10月20日に発せられた「結成と参加」の呼びかけ人は、次の11人だった(あいうえお順)。
 大澤豊(映画監督)、小山内美江子(脚本家)、黒木和雄(映画監督)、神山征二郎(映画監督)、高畑勲(アニメーション映画監督)、高村倉太郎(日本映画撮影監督協会名誉会長)、羽田澄子(記録映画作家)、降旗康男(映画監督)、掘北昌子(日本映画・テレビスクリプター協会理事長)、山内久(脚本家・日本シナリオ作家協会理事長)、山田和夫(日本映画復興会議代表委員)、山田洋次(映画監督)。
 山田洋次とは言わずと知れた男はつらいよ(寅さん)シリーズの監督だ。一般には知られていないかもしれないが、1970年代から日本共産党の支持者として選挙パンフ等に名前を出していた。党員である可能性もある、と私は思っている。
 妹・さくらの夫の博の本棚に雑誌・世界(岩波)が挟まっていたことを目敏く見つけた知人もいた。
 映画自体は私は嫌いではなく、日本的家族関係や「地方」の風景は残すに値するものがある。
 しかし、監督が日本共産党支持者だということを知って観ると、本当は「寅さん」がまともで、スーツ姿の世俗的にはふつうの筈の人びとが異常だとして嘲笑・冷笑又は皮肉の対象としているかのごとき部分が少なくとも一部にはあるのは間違いなく、その限りではある種の<倒錯>のあることは否定できない、と感じる。
 角川から出ている世界シネマ全集(映画DVD枚つき)のうち12巻・山田洋次監督セルフセレクションだけは購入しなかったのは、同監督に対する不信があるからだ。
 男はつらいよ(寅さん)にしても他の作品にしてもその人気は俳優(役者)の個性によるところが大きいだろう。加えて、「左翼」シンパの人達が大衆的に動員した可能性も否定できない。
 映画人九条の会のサイトには多数の賛同者の氏名も掲載されている(俳優等の映画出演者はたぶんおらず、ここではコピーしない)。
 詳しくは知らないが、もともと、映画人という<表現人>・<文化人>そして自己認識としての<自由人>は、杉村春子・滝沢修らの演劇運動等と同様に、「左翼」的で<反権力的>な体質をもってはいるのだろう。

 

0208/「九条の会」に賛同する関西歴史研究者の会、というのもある。

 西尾幹二が何かの本で(多すぎてそのときに何かにメモしないと憶えられないが、いちいちメモしていると読めない)西洋史学者(研究者)の八割はまだマルキストだ旨を書いていた。
 世間相場と大きく違うが、日本史中心の「「九条の会」に賛同する関西歴史研究者の会」についても西洋史と同様のことがたぶん言える。その呼びかけ人は昨年10月上旬のWeb上では次のとおりだった。
 赤澤史朗(立命館大)、猪飼隆明(大阪大)、井上浩一(大阪市大)、上野輝将(神戸女学院大)、梅村喬(大阪大)、大山喬平(立命館大)、奥村弘(神戸大)、長志珠絵(神戸市外国語大)、小西瑞恵(大阪樟蔭女子大)、小林啓治(大阪府立大)、小山靖憲(元和歌山大、2005年没)、末川清(愛知学院大・元立命館大)、鈴木良(元立命館大)、曽根ひろみ(神戸大)、高久嶺之介(同志社大)、武田佐知子(大阪外国語大)、塚田孝(大阪市大)、広川禎秀(大阪市大)、薮田貫(関西大)、山尾幸久(元立命館大)、横田冬彦(京都橘大)、渡辺信一郎だ。
 京都大学を除く関西の主だった大学は全て含んでいる。これらの人々の仲間や「弟子」はきっと多いだろう。
 上の「会」のHPには、昨年12月の教育基本法「改正」に反対する歴史関係者緊急集会に関する記事もある。この集会の「呼びかけ人」は次のとおりだ。所属の記載はないが、上と同じ人物もむろんいらっしゃる(下線つきの人)。
 浅井義弘、家長隆、猪飼隆明、井口和起、上野輝将、倉持祐二、小林啓治、小牧薫、鈴木良塚田孝、中塚明、広川禎秀、藤井譲治

0200/岡崎久彦著等による現憲法制定過程と説得力なき古関彰一・九条護持論。

 主として岡崎久彦・吉田茂とその時代に依りつつ、他の文献にも言及しながら、憲法制定過程への論及を続ける。
 岡崎著p.151は1946年2月頃の幣原喜重郎について言う-「大筋として、今後必ず平和主義憲法をつくり、そしてそれは占領軍の強制ではなく、日本側の発意だったとすることを約束する以外になかったのである」。
 前回言及の古関彰一の冊子p.19以下は同年3/06の閣議後の新憲法案要綱発表に際しての天皇「勅語」にはGHQ作成の原文があった旨を示す点で新味があるが、幣原又は吉田茂は現九条の内容を発案してはいないとする点では岡崎等の研究と同じだ。
 孫引きだが、憲法学者・元北海道大学教授の深瀬忠一は「戦争放棄の発想の起源は幣原首相」だ、「幣原提言なくして、第九条が生まれたか疑問」としていた(古関・前掲書p.8参照)。九条は「押しつけられた」又は「与えられた」のではなく日本人の発案だと主張したいのだろう。
 古関も引用し、私も購入している元東京大学教授・芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.55は幣原首相の発案らしき事実を信頼して九条は「日米の合作とも言われる」等と書く。憲法学界ではかかる理解が有力であるかに見える。
 だが、再び孫引きをするが、五百旗頭真によれば、のちにマッカーサーが書いたように「幣原首相のほうから憲法に戦争放棄と戦力不保持の規定を入れることを提案したと信ずる研究者は皆無に等しい」(岡崎・前掲書p.136)。
 少なくとも古関の冊子は別のようだが、「皆無に等しい」はずの研究者が憲法学界には多数いるようであるのは、日本の憲法学界の「異様さ」を、先走って言えば「政治性」を示してはいないか。
 今回の冒頭に紹介した岡崎の文と類似のことを古関p.27-p.28もGHQと昭和天皇について言う-GHQの米政府宛報告書が天皇は「幣原に、最も徹底的な改革を…全面的に支持すると勧告された」と記したのは、「昭和天皇は、明治天皇下の昭和天皇とはまったく異なり、…平和と人権の擁護者として、日本国憲法の制定に積極的にかかわったことを米国はじめ連合国に示す必要があった」からだ。
 こうして見ると岡崎と古関は九条制定史につき同様の理解に立つといえる。しかし、古関が「岩波」の冊子に書いているように、彼は不思議なことに?九条改正反対論者だ。その論理を辿ってみると、結局は九条は日本国民に支持された、受け入れられた、ということを根拠にしているに過ぎず、かつ―立ち入らないが―相当に杜撰な論理展開だ。また、「九条は、単に日本が戦争をしないというだけではなく、…二度と戦争をしないということを連合国、あるいはアジアの戦争被害国にたいして誓った誓約書でもある」等としめ括るが(p.47)、九条はGHQ又はマッカーサーの「戦略」の所産だったという前半での叙述と整合しているのか、不思議極まりない
 古関・岩波冊子の九条改正反対論の根拠は何か。これを直接の主題にしていないため解りにくいが、結局はほぽ、日本国民に支持されたということを述べるにとどまる。世論調査を援用して1954年頃には護憲論が改憲論を上回り97年頃まで続いたとする(p.43-45)。世論調査結果をどの程度議論に援用できるかは慎重な考慮が必要と思うが、それは別としても、事実上改憲の是非が争点になったという1956年の総選挙で護憲政党が議席の1/3以上を獲得して改憲が阻止されたことを世論上護憲論が優勢だったとの流れの中に位置づけるのは(p.44)殆ど詭弁だろう。
 たしかに1/3以上の改憲反対勢力が国会を占有し続けたことは重要なことだが、あくまで1/3~1/2であり、旧社会党等の「革新」勢力が多数派を形勢したことは一度もない(90年代半ば以降の複雑な展開は捨象する)。1/3以上と過半数とを混同してはいけない。過半数で改正発議可能との憲法条項であったなら、自民党も改憲を諦念せず、既に「自主」憲法に変わっていた可能性の方が高い。
 国民世論を根拠にするならば、古関自身がいう97年以降は改憲やむなしという結論になるのが自然だが、その論法を彼は採らない。ということは、世論調査結果を援用したのも所謂「ご都合主義」、有利な材料は何でも使えの類の議論であり、九条は維持すべきとの彼自身の根拠が別にあることになる。
 その根拠を探ってみると、1.前回引用した九条は世界への「戦争しないとの誓約書」との理解、2.「刀狩り」以降の武力による紛争解決を好まない日本人の心性、3.「軍備を持ち、戦争のできる国になったら高枕で寝ていられる」のか、「むしろ、近隣諸国を刺激することによって、軍備競争を加速化する…」、をさしあたり挙げうる。
 これらのうち3.となると、もはや議論は噛み合わない。この古関某という人は九条さえあれば「戦争」に巻き込まれないと本当に考えているのだろうか。九条があっても「戦争」(他国からの他国領土内への武力攻撃と理解しておく)を仕掛けられれば、現状でも自衛隊等による自衛権の発動をせざるをえないのではないか(米軍の行動も加わるがとりあえず省略)。
 すでにいつか書いたが九条があれば戦争は起きない、九条がなくなれば戦争をする国になる、というのは大変なデマだ。九条と無関係に「戦争」は起こりうるし、九条のもとでも日本には自衛隊という九条二項の「戦力」ではないとされる「武力」はある。九条を変えて日本を「戦争のできる」国にしようとしているという護憲論者の主張(p.41も参照)は大ウソだ。
 丁寧な歴史分析の能力をある程度もつかに見える人でも現実問題となると「九条教」・「九条言霊主義」に陥るのは、日本にあるいくつかの不思議の最たるものの一つだろう。

0176/1956年3月衆議院内閣委員会での神川彦松公述人と石橋政嗣委員の質疑。

 50年前の憲法大論争(講談社現代新書)に1956年3月の衆議院内閣委員会での公述人・神川彦松と委員(議員)石橋政嗣(日本社会党、のち書記長・委員長)のやりとりが掲載されていて、興味を惹く。
 神川彦松は他の二人の公述人(中村哲・戒能通孝)と違って「日本国憲法」を占領下憲法・マッカーサー憲法とか称して、制定過程・日本人の民主憲法ではないことを問題にする「公述」をした。
 これに対して、石橋政嗣は、「民主主義と平和主義と基本的人権尊重主義の三つの偉大なる原則」をもつことを「自民党諸君」も不可とはしていない、「現行憲法の三大原則-これが生命であります。これを是認しておる」ということは、「どのような成立の経過を経ようとも、りっぱなものではないか」、とまず言う(p.89-90)。
 ここで、1956時点でとっくに、1.「民主主義と平和主義と基本的人権尊重主義」という「三大原則」が語られていること、2.内容がよければ「どのような成立の経過を経ようとも」よいではないかとの考え方が示されている、ということが興味深い。
 以上のあと、石橋は神川に対して、内容は立派でも「制定の由来」からして「無効」と考えているのか、と問うている。そして、1.占領下だったからというなら独立と同時に「無効宣言」してもいいのに「自民党の諸君」がそれをする勇気がないのはおかしい、2.明治憲法の改正手続によっているので「無効」というなら了解もできる、とまで付け加えている。
 神川彦松の答えはこうだ。1.国際法上は占領終了と同時に「日本国憲法」は「失効」している。2.しかし、国内法上は「失効させるだけの手続」が必要だ。いくつか方法はあるが、「ひとつの方法は…、国会において…国際法上無効であるから失効すると宣言をしてよろしい」。
 国際法と国内法の関係は単純にそうなのか(国際法上無効→憲法も国内法上無効?)はよく解らないが、この1.2.はいちおうは理解の範囲内に収めることができる。だが、次の3.4.がややこしい。そのままの引用では相当に意味不明なのではなかろうか。
 3.「マッカーサー…ですらあれだけ驚くべきことを断行」しながら「明治憲法の七十三条」を利用したのだから、「われわれもマッカーサーの故知にならいまして…憲法九十六条の手続に従ってやったほうが穏当」。
 4.だが、「法理」的には「日本の憲法制定権を代表している日本の国会が無効の宣言をし、…続いて国民投票についていちおう念のためにやってみて、…大多数が大賛成と言えば…私はよろしい、こう思う」(p.100-1)。
 この神川の発言に対して、石橋政嗣は、最初に「理論の矛盾をみずから露呈」したと指摘し、「帝国憲法の七十三条の手続きを踏んでいるんだから無効を宣することはできないということは、…実質的に現憲法をお認めになっている」、これは「理論が一貫しておらない」と述べている(p.102)。
 以上は神川・石橋<論争>のごく一部にすぎないが、私には、噛み合っていないと思える。
 すなわち、解説者・保阪某は何ら言及していないのだが、石橋は神川意見を<明治憲法の改正手続によっているので無効宣言できない>旨理解しているが、その理解は正しくはないのでないか。
 神川は上の2.4.で明らかに国会による無効確認又は無効宣言が可能である旨を述べている。問題は3.だが、その趣旨は、マッカーサーは国民主権原理の憲法を明治欽定憲法の改正手続で<作らせた>くらいだから、「日本国憲法」の改正条項(96条)を利用して実質的には「改正」ではない(「日本国憲法」の無効を前提とする)新憲法を制定するくらいの<巧緻>さがあってもよい、ということではないか、と思われる。上の限定された部分だけをとっても、国会が無効宣言をできないとは一言も言っていないのだ。
 細かなことだが、こんなふうに論旨が噛み合っていない、相手の趣旨を正確に理解しないままでの議論のやりとりが明瞭に見られるのは、個人的には、又は<頭の体操>的には、相当に<面白い>。
 そんなことよりも、つぎの点の方が、憲法改正に関する議論にとっては重要かもしれない。
 第一に、神川は上の4.で「国会が国民の憲法制定権を代表」していると言っているが、「日本国憲法」の無効宣言はできるがそれまでは有効なので憲法制定権は「日本国憲法」により国民に移ったと理解しているようだ。実質的・本質的に「無効」ならば明治憲法の効力がなお残る余地がありそうで、その点は少なくとも議論の対象にはなりそうだが、こんなに簡単に、自らが国際法は「無効」で国内法的にも「無効宣言」できるとする「日本国憲法」の新原理を承認してしまっていいのだろうか。
 一方、「国民投票」は「念のために」するもので不可欠のものではないようだが、「国民の憲法制定権」を語るなら、1947年憲法に即して、「国民投票」は法的に必要なのではないか。むしろここに<論理一貫性>のなさを私は感じる。
 なお、既述のことだが、以下でも言及する現在の日本国憲法「無効」論者・小山常実の本は、「無効確認」に国会が関与することを法的に必要なものとは見ていない。
 第二に、上で<巧緻>という言葉を用いたのは私だが、神川が3.で「法理」的には厳密でなくとも、、「日本国憲法」の改正条項(96条)を利用して実質的には「改正」ではない(「日本国憲法」の無効を前提とする)「新」憲法を制定してもよい、と主張した(と思われる)のは興味深い。「法理」的にはともかく、その方が「穏便」だとの旨も述べている。
 この点は、現在の日本国憲法「無効」論者の方々に注目していただきたいものだ。
 大目的が<占領憲法>(日本国憲法)を廃止して<自主憲法>を制定することにあるならば、日本国憲法「無効確認」・明治憲法復原確認→明治憲法の殆どの効力停止→「日本国憲法」の殆どの条項を内容とする臨時措置法(法律)による自衛軍の創設→明治憲法の改正条項の改正等々という複雑な手続(小山常実・憲法無効論とは何かp.139以下による)をとることを要求することなく、(むろん相応しい内容に関する議論は必要だが)端的に現憲法96条を「利用」して実質的には「新しい」自主憲法を制定すればいいのではないか(かりに万が一、現憲法が「無効確認」できるような性格のものだったとしても、そのような純粋な「法理」を貫くことは決して<最高の価値>ではないのではないか。専門的法律家はあまり言わないだろうが、「法理」よりも大切なものはある)。
 これと同様のことをかつて、神川彦松は、少なくとも示唆していた、と理解できるのだ。神川の発言の中では、むしろこの点に着目したい。

0175/50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007)に寄せて。

 昨年8/26の朝日新聞に小泉前首相靖国参拝をうけて<「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」>と訳のわからないことを書いていた保阪正康の本を買う気はもはや全くないのだが、同氏の監修・解説にすぎず資料的価値があると判断して、50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007.04)を購入した。
 憲法調査会法案(のちに成立して1956.06.11施行)の審議中の衆議院内閣委員会公聴会の記録がこの本の中身の殆どで、今読んでも(全部はまだ読んでいないが)興味深く、資料的価値は高い。
 この時代を振り返っての基本的な感想又は感慨は次のとおりだ。
 上の法案は1955年6月に国会に提出された。当時の首相は鳩山一郎で、彼は「自主憲法」制定を目指していた。鳩山は民主党で、同党と自由党(緒方竹虎総裁)が合同して自民党(自由民主党)となったのは、1955年11月だった(衆議院299・参議院118の議員数)。
 上の本の解説等をきちんと読んではいないが、憲法調査会法案が近い将来の憲法改正(自主憲法制定)を視野に入れてのものだつたことは疑いえない(収載されている清瀬一郎等の提案理由からも分かる)。
 法案提出前の総選挙(1955年2月)での獲得議席数は、民主185、自由112、左派社会党89、右派社会党67、労農4、共産2で、じつは民主と自由を合わせても2/3以上ではなかった。
 従って、改憲(自主憲法制定)を実現するためには、憲法調査会法にもとづく調査等を経て改正の発議をしようとする時点で改憲(自主憲法制定)派が2/3以上を占めておく必要があった。
 しかし、1956年7月の参院選では、自民61、社会49、緑風5、共産2、その他10で、自民は2/3以上(のたぶん85)を獲得できず、1958年の総選挙(衆議院)でも、自民287、社会166、共産1、その他13で自民は2/3(のたぶん312)以上を獲得できなかった(社会党は戦後の最高水準)。
 ようやく基本的な感想・感慨を書くに至ったが、これらの選挙で改憲(自主憲法制定)派が2/3以上の多数を占め、防衛軍又は国軍を保持することを明記していれば(1954年に法律により自衛隊は発足していた)、現在問題になっていることの多くは議論しなくても済んだ
 また、1952年の主権回復・再独立からすぐにではないにせよ10年以内に(現在までの憲法に対する)外国人の関与がない、日本人のみによる新憲法が制定されていたことになるので、現在までの憲法を「無効」とする議論が現在まで残ることはありえなかった。
 なぜ1950年代後半に改憲(自主憲法制定)できなかったのか。自民党の責任もむろんあるのだが、第二党の社会党(1955年10月に左右合同)が反対し続けたからだ。同党は1947年施行憲法(現憲法)「押しつけ」論や「無効」論に強硬に反駁しており、かつ(今の共産党等と同様に)米国の戦争に巻き込まれる、日本軍も戦争をすることになる、戦前の過ちを繰り返すな、という論陣を張り、1/3を上回る議席数を獲得し続けたのだ。
 短い石橋湛山内閣のあとを継いだ岸信介首相も改憲(自主憲法制定)をしたかった、と思われる。だが、発議のための議席数がないとなればいかんともし難く、池田首相以降、自民党は改憲(自主憲法制定)を現実の政治的課題とはしなくなる(これを改めたのが小泉前首相・安倍首相だ)。
 再びいえば、当時の日本社会党(+若干の「革新」政党)の態度こそが、重要な問題を未解決にしたまま約60年が経過したこと、自衛隊が「軍隊その他戦力」ではないとの大ウソが政府・自民党によっても語られ続けた(かつ野党もまたそれで満足していた)こと等の原因なのだ。
 すぐのちの所謂60年安保闘争についてもそうだが(さらに解党するまでずっと継続したとも言えるが)、日本社会党(1961年以降は加えて日本共産党)に理論的・イデオロギー的根拠を与え(客観的にはソ連等の「社会主義」への幻想を前提とするものだった)、指導し、応援し、支持した、大学教員だった者を含む「進歩的」・「革新的」文化人・知識人の責任は(いつかも書いたが)頗る大きい、と言わなければならない、と思う。彼らを、氏名を列挙して、歴史的に「断罪」すべきだ、と考えている。
 そのような一人が、上記の衆議院内閣委員会公聴会の3人の「公述人」の一人だった中村哲だ(1912-2003。政治学者、法政大学教授・のち総長)。
 彼は憲法調査会法案に反対して、「憲法改正のための調査会を作るとすれば、末代までその恥を残すことになると思います」と述べている(p.69)。末代までその恥を残す」ことになった一人は、日本社会党の支援者だった中村哲氏その人ではないか、と私は思っている。
 もともとはこの本に即してもっと細かいことを書こうと思っていたのだが、当初の想定というのは外れやすいものだ。

0160/ジュリスト1334号巻頭座談会を読む-蟻川恒正に学者の資格はない。

 5/18の午前中に自分で予告したことに拘束される謂われはないのだが、面倒と思いつつも、ジュリスト1334号・特集日本国憲法60年(有斐閣)の冒頭の、佐藤幸治・高橋和之・棟居快行・蟻川恒正の座談会記事を読み終えた。
 「憲法60年」を実質的に1990年代以降に限っても結構だが、「憲法」の「現状と課題」ではなく、(1990年代以降の)「憲法学」の「現状と課題」を話題にしてほしかったものだ。その観点からは、きわめて物足りない。
 また、私自身がよく分からず退屈を感じるところもあるのだが、「憲法」の「現状と課題」というテーマであるとしても、まとまりが悪い。
 せっかく佐藤や高橋が<批判のみならず構築も>という話をしているのに、蟻川が佐藤の説に関連して刑事・裁判員制度への疑問というスジ違いと思われる発言をしたり、高橋和之の主張らしい「国民内閣制」の議論への疑問をやはり蟻川が述べたりして論点を拡散させており、前半のまとまりの悪さは主として蟻川恒正の責任だろう。
 また、佐藤幸治(元京都大学)は橋本内閣の行政改革会議や小泉内閣の司法制度改革審議会の委員の経験があるのに対して他の3名はもっぱら書斎派?のようで、「迫力」又は「格」で見劣りがする(但し、佐藤も自らの経験を語りすぎているきらいがある)。
 そして、<構築>も大切とする高橋和之の「国民内閣制」論はたんなる批判ではないと自負されており、他の者もそれを否定していないようだが、もともとその議論の内容を私が知らないためか、いかほどに現実に影響を与えたかはさっぱり解らない(結局は学者が何か言っただけ、に終わっているのではないか)。
 高橋和之はなおかつ、最後にこうも言う。-「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」。(p.36)
 私はこの発言をやや奇異に感じた。批判の対象は実際の「憲法状況」(憲法現実)なのだろう。そして、憲法学者・研究者が「憲法現実」との間に緊張関係を持っているべきだ、との程度なら理解できなくはない。しかし、社会系の学者・研究者の姿勢は一般に現実への<批判が出発点>なのかどうか。<批判が出発点>という考え方自体がすでに一つの<政治的>立場なのではないか。つまり、むろん個々の憲法状況・憲法現実によって異なりうるのだが、「現実」の動向を<支持し又は促進>しようとするのも、すでにそれも一つの<政治的>立場あるとしても、一般論としてはとってよい学者・研究者の姿勢なのではないか。
 何げなく語られる、この前東京大学教授の言葉に、影響力が強い筈のこの人を含む憲法学界の雰囲気の一端を感じた。
 この高橋は芦部信喜・憲法(岩波書店)の補訂者として名を出しているので、故芦部信喜が指導教授だったものと思われる。芦部信喜のこの概説書の憲法制定過程や九条に関する叙述を見ると、少なくとも体制側・政府側・権力者側には「批判的」だ。これらの側が作りだした(作りだしている)「憲法現実」に対して、高橋が「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」と言うのも、芦部「門下生」ならば当然だと納得しはする(賛成はしない)。
 もっとも、芦部や高橋が旧ソ連等の社会主義体制の「憲法現実」(そしてマルクス主義)に「批判」的だったかどうかは分からないが。
 すでに、樋口陽一を指導教授とする蟻川恒正が「護憲」派で親フェミニストらしいことは記したが、この推測(とくに前者)が当たっていることを、蟻川の次の発言は明瞭に示している。
 「安保と9条を共存させ続けていく」のは「すっきりしない態度」に見えるが、「すっきりしない曖昧さをどちらかに振り切ってしまうのではなく、すっきりしないけれども複雑なものを抱えて、時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家ではないか」。「曖昧さに耐えることができる者としての法律家が、今の時代、ますます必要なのではないか」。
 東京大学の長谷部恭男の説との類似性を感じさせるこの発言の背景には、憲法九条は「軍隊その他の戦力」の保持を禁止しているが軍隊もどきの自衛隊が現実にはあり、れっきとした軍隊(外国の)が日本国内に駐留しているという現実を容認したまま、かつ憲法九条の改正にも反対するという<苦衷>があるようにも見える。
 かりにそうならば、同情に値するが?、しかし、「時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家」だとはよく言ったものだ。同じことだが、「曖昧さに耐えることができる者としての法律家」
がますます必要とは、よく言ったものだ。
 私に言わせれば、この蟻川恒正は法律家「失格」だ。一般的に言っても複雑な事案から「曖昧さ」を抜き取り、法的に「すっきり
」させるのが、専門家としての法律家の仕事ではないのか。あるいは、複雑な込み入った種々の議論を論文等によって整理・分析して「曖昧さ」をなくして論点・争点を(場合によっては結論も)「すっきり」させるのが、法律に関する学者・研究者の仕事ではないのか。この人は何と<寝呆けた>ことを言っているのだろう。これで現役の東京大学教授とは、驚き、呆れる(先日の事件で東京大学法学部又は法学研究科がどういう処置をしたかは知らない)。
 この座談会は今年2/06に行われたようで、東京都国家伴奏拒否音楽教師事件の最高裁判決(2/27)の前なのだが、蟻川恒正は、日教組等の主張と同様に、通達・職務命令による学校教師に対する国歌の起立斉唱の「強制」(反対教師の処分)にも反対する発言もしている(引用しない。p.26-27)。
 その際に、「命令し制裁する権力から、調査し評価する権力へ、という形で、権力の在り方の変質を指摘できるのではないか」と、ひょっとして自分自身はシャレたことを言ったつもりかもしれないことを、述べている。
 こんな変質論は当たっていない。一般論として見ても、「権力」はとっくに、「命令し制裁」しもするし、「調査し評価」もしてきている。あるいはどちらの「権力」の契機又は要素もとっくに見出すことができる。この人は、1990年代以降の「教育」行政に関してのみしか知識がないのだろうか。
 というわけで、全体として面白く有意義な座談会では全くない。4名の責任だけでもないだろうが、日本の憲法学界の貧困さを改めて感じる。
 但し、4名のうち、棟居快行の発言はなかなか面白い。90年代以降の時代の変化の「認識」は、この人が最も鋭いと思われる。佐藤・高橋の「時代認識」はよく聞く、かなりありきたりのもので、蟻川となると、年齢が若いためか「時代認識」すらないようだ。
 それに、棟居快行は、私の問題関心に応えるような、次の発言もしている。
 「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」。
 これは重要な指摘で、よく分からないが、憲法学界全体が「危機感」を持つ必要があるのではないか。
 また、じつは私にはさっぱり意味が判らないのだが、棟居(むねすえ)にはこんな発言もある。
 議会重視・強化論は既に破綻した構想でないかとの高橋和之発言を受けて<一度もしていないので破綻もしていないのでないか>旨述べたあとで、こう言う。
 「むしろルソー的なものに対する憲法学全体のアレルギーがあるわけで、ルソー的なるものをシュミット的なものにすぐにつなげてしまって、それに対して我々の一種の恐怖心のようなものがあって封印している。そのぐらいなら護送船団的、調整的、多元的なケルゼン的というのか、そちらの方が安全牌だということでしょう」。
 ???で憲法学界は本当に「ルソー的なもの」への「アレルギー」があるのだろうか、カール・シュミットやケルゼンについての上のような言及の仕方は適切なのだろうかと思うのだが、しかし、阪本昌成と同様に(どう「同様」かは分からないが)憲法に関連する基本的「思想」・「主義」に関心をもち、知識もある憲法研究者がここにもいる、と知って喜ばしく思った。棟居快行(1955-)はネット情報によると、東京大学出身、神戸大学→成城大学→北海道大学→現在は大阪大学と、神戸大学時代にすでに「教授」であった後、渡り歩いて?いる。
 蟻川恒正の<素性>を確認できたことのほか、この棟居を発見?したのが、今回の読書の成果だった、と言っておこう。

0159/阪本昌成の憲法九条論の一端-ジュリスト1334号。

 ジュリスト1334号(有斐閣)における阪本昌成の「武力行使違法視原則のなかの九条論」を要約又は抜粋するのは論文の性質上困難だが、最後に結論ふうに述べられているのは、つぎのようなことだ。
 すなわち、<「1.国家として「自衛権」をもつこと、そして、2.国際紛争の緊急時・異常時には、当面、国家として「自衛の措置」を採り得ること」の二つは、法理論的かつ実践的にも「直結し得る命題」で、「確立された国際法規」にもなっている。これら二つと「3.異常時・緊急時に備えて、国家としてどの程度の戦力または実力部隊をもつべきか」の「政治的決断」は「各主権国家の憲法及び法律によって定められるべき事項」で、1.や2.と「論理必然の関係にはない」。
 しかるに、3.に関する「憲法解釈」が1.2.と「関連付けられてきた」、例えば、「国際法上の法理が、国内法における戦力または実力部隊の在り方を左右する」かの如く説くのは問題だ
 「”自衛隊は、国際法上主権国に法認されている自衛のための実力であって、戦力ではない”というロジック」は、「国際法」上の合法性を基準に「憲法」上の限界を説く強弁だ
。>(p.58)
 
必ずしも理解しやすい内容ではないが、九条をめぐる従来の通例の?議論の仕方を批判すること、つまり国際法上の問題と日本国家の問題である「憲法」上の議論とを単純に結合させるな、という趣旨だろうと思われる。
 とすると、憲法のみならず国連憲章等の国際法に関する標準的な知識と素養が必要なわけで、課題がまた増えたような気がしてやや鬱陶しい。
 それはともかく、上の結論ふうの部分からは阪本の現九条についての評価を窺えないが、次のような部分は多少は関係しているだろう。理解しやすい二部分のみを抜粋的に紹介して、終えておく。
 1.<
「平和主義」ではなく「国家の安全保障体制」と表現すべき。九条は「主義・思想」ではなく国防・安全保障体制に関する規定だからだ(p.50)。
 「平和主義」という語は「結論先取りの議論を誘発」するが、「平和主義」はじつは「絶対平和主義」から「武力による平和主義」まで多様だ。

 ここで阪本昌成は「非武装による平和主義」を自分は「9条ロマンティシズム」と呼んでいると注記している。これは、「非武装による平和主義」に対する皮肉だと思われる。吉永小百合様や「日本国憲法2.0開発部」には心して読んでいただきたい。
 2.<九条は私人(国民)が何をなすべきか、なし得るかを何ら定めておらず、「自衛権」の行使につき「私人の抵抗活動」まで含める解釈は「無謀」だ。なぜなら、国際法は自衛権の行使主体として私人を想定しておらず、私人の主体性を認めれば私人(一般国民)を他国による「攻撃対象」としてよいことを承認することに等しく、また、私人に「ゲリラ戦や郡民蜂起」を要請又は期待することは「過酷」で国家として無責任だ。
 ここで阪本はカール・シュミットの次の文章等を注で引用して「絶対平和主義者」を実質的には批判している。
 <「個々の国民が、全世界に友好宣言」し又は「武装解除」することで「友・敵区別を除去」できると考えるのは「誤り」。「無防備の国民には友だけがいると考えるのは、馬鹿げた」ことで、「無抵抗」が敵の「心を動か」すと考えるのは「ずさんきわまる胸算用」だ。
 カール・シュミットという人の議論を一般的に信用してよいかという問題はあると思うが、上の部分は適切だろう。吉永小百合様、「日本国憲法2.0開発部」、そして社会民主党の皆様には心して読んでいただきたい。

0117/NHK「憲法九条-平和への闘争/護憲と改憲」の偏向=放送法違反。

 NHKが5/02に放映した「その時歴史は動いた」は憲法九条や60年安保がテーマだった。
 占領終了から60年安保、池田内閣発足あたりまでの歴史を振り返るとき、この番組を生で部分的に、録画を早回しで観てもそうだったが、二つのことを強く感じる。
 第一。占領終了=主権回復後すみやかにではないにせよ、保守勢力は自主憲法制定を目標に掲げたにもかかわらず、日本社会党等の反対勢力が国会各院で1/3以上を占め続けたために、憲法改正=日本人だけの手による自主的な憲法制定ができなかった。この責任の過半は、日本社会党等の反対勢力、所謂「革新」勢力にあり、多数講和論ではなく全面講和論の主張に続いて憲法改正阻止を主張し、日本社会党等を指導・支援した「進歩的知識人」たちの責任は頗る大きい。<60年安保>闘争を煽った人たちも同罪だ。
 1950年代遅くにでも憲法が改正され自衛隊が正規の防衛軍と認知されていれば(自由民主党結成は1955年)、常識的にみて「…軍その他戦力」に他ならない自衛隊を、核兵器を持たないことを除けば世界有数の兵力があるらしい日本の自衛隊を「戦力」とは見ないなどという「大ウソ」をその後50年も継続して吐きつづける必要はなかった。
 「解釈改憲」という名の「大ウソ」なのだが、国家の基本問題についてこんな「大ウソ」をついておいて、まともな国家とは見られないし(東アジア諸国の考えはまた別だろうが省略)、そんな「大ウソ」つきの大人たちを子どもたちが信用して成長する筈がない。若い人たちについて指摘されることのある道徳規範の希薄さ等を、大人たちは批判する資格はないのではないか。
 第二。国会で2/3以上の議席を占める可能性はないと予想したのか、改憲を実質的に諦め、九条のもとで自衛隊の兵力の「近代化」を進めつつも、「大ウソ」をつき続けた自民党、とくに池田勇人内閣の情けなさ。
 その代わりに、種々の弊害・反作用を撒き散らしつつ、「高度経済成長」政策に邁進したのだ。
 次に、それにしても、NHKのこの番組制作者の歴史理解は相当に狂っているのではないか。深夜にある視聴率が低そうなニュース解説で奇妙なことを大真面目で言っていることがあるが、この番組はけっこうな人気番組の一つだろう。そんな番組が奇妙な立場と見解にもとづくものであっては困る。
 明瞭ではないが、「憲法九条-平和への闘争」とのタイトル自体が「憲法九条を守ろうとする闘い」は「平和への闘争」だったということを十分に示唆していそうだった。
 私もまた「平和主義」者であり、「平和」を愛するが、問題は、どうやって現実に「平和」(と安全)を確保するかにある。平和主義と戦争主義などという対立はありえない(侵略された時の非武装無抵抗主義と自衛戦争主義の対立はありうる)。
 九条を守ることのみが平和につながるが如きタイトルは、それ自体が国民を欺瞞するもので許せない。中立的に考えても、保安隊、自衛隊の設置等もまた、日本の「平和」(と安全)を確保するための措置であった、との見方は十分に成り立つ筈で(当時の政府はそう考えていた筈だ)、これを(侵略)戦争と結びつけるのは公平さを欠いている。
 今改めて観てみると、開始後45分辺りで「国民の多くが岸(信介)の政策は九条一項の精神に反し、戦争に向かっていると感じたのです」と松平定知にナレーションで語らせている。
 九条一項のうち自衛戦争の余地を(同項自体は)残している根拠とされる「国際紛争を解決する手段としては」の部分を省略して同条項の内容を紹介している。意識的であれば犯罪的だし、無意識であれば無知も甚だしい。
 岸の政策とは日米安保の60年改定を意味するが、これが戦争につながるのではなく、日米を対等化し、米国に日本を防衛する義務を負わせることで日本の「平和」(と安全)をより確保しようとするものだったことは、<60年安保闘争>参加者の一人だった田原総一朗も同・日本の戦後上-私たちは間違っていたか(講談社、2003)の中で認めている。しかるに、NHKのこの番組は、そういう異なる見解を紹介もしておらず、不公平で<偏向>している。
 それに、「国民の多く」が岸内閣の政策に反対していたなら、1960年の後半にあった総選挙で何故、岸が属していた自民党は第一党のままで、日本社会党は政権を取れなかったのか。NHKの制作担当者はいい加減な言葉を使うな、と言いたい。
 どの程度<60年安保闘争>のことが触れられたかをきちんと観てはいないが、これもまた「平和への闘争」でないことは明らかだ。中心は日本社会党・日本共産党・共産党を離党して共産主義者同盟(ブント)に結集した多数派「全学連」の学生たちで、「平和への闘争」という美しいものでは全くなく、反米・親社会主義国の闘争だった。資本家階級(日本独占資本)に支持されるとする岸政権(すでに日本帝国主義?)と米国(アメリカ帝国主義)に反対して、混乱を生じさせ、あわよくば日本社会党を中心とする政権の樹立を目指した、<社会主義への闘争>だった、というのが本質に近いだろう。
 60年当時日本社会党委員長の浅沼稲次郎(1898-1960)の顔がこの番組に頻繁に出ていたが、この人物は1959年3月の書記長時代に、中国で<アメリカ帝国主義は日中両国人民の共通の敵である>と、彼のいう「毛沢東先生」の前で演説した。
 <60年安保闘争>をどう評価するかについてすでに大きな対立があるのだろう。この<闘争>に参加した(要するにデモに参加という意味だが)立花隆・滅びゆく国家(日経BP、2006)はこれを肯定的に捉えている。私は消極的に評価する。余計なことだが、この<60年安保闘争>のおかげで貴重な青春を犠牲にした多くの青年男女がいた(樺美智子の死はその究極だろう)。
 反米や戦争反対だけならまだよいが、客観的に見てソ連や中国に利することとなる<闘争>など、決して行ってはならなかったのだ。
 NHKは他局以上に、例えば8月には、戦争や安全保障に関する番組を放送することが多いだろう。偶々気がついた番組が以上までに述べたようなものだったので、些か、げんなり、又はうんざりせざるを得ない。NHKの中にも朝日新聞と同様の考え方をもつ者が多いようで、要注意だ。
 ところで、2年前に泣きながら記者会見し、上司が政治家の圧力を受けた「らしい」と語った長井暁は、当然にNHKを辞めているはずだが、まさか居座っていないだろうね。

0105/潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)の渡部昇一による書評。

 産経新聞4/29に、渡部昇一による潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)の書評(紹介)が載っている。
 結論的に、「戦後の日本の平和が日米安保条約のおかげでなく、憲法九条のおかげだと言うのは誰にも分かる嘘である」、こうした「嘘を直視することのできる本書の出版を喜びたい」と評している。
 「誰にも分かる嘘」でありながら、立花隆呉智英はそれを信じているらしいことはすでに触れた。呉智英は、別冊正論Extra.06(産経新聞社、2007)に、「自衛隊、安保条約が平和を護ったのだと主張する人もいる。それも一理あるが、やはり中心にあるのは第九条である」と明言しつつ(p.190)、情報戦・謀略戦の重要性を説く、やや意味不明の一文を寄せている。
 それはともかく、渡部はこの潮の本を肯定的に評価していることは明らかだ。しかし、潮の本は、当然のこととして敢えて言及してもいないようだが、九条を含む現憲法が憲法として有効であること、「現行」憲法であることを前提にしている。
 一方、渡部はどうやら日本国憲法「無効」論を支持しているようで、この書評文の中でも、こう書く。
 「日本の常識が世界の常識からずれてしまった」のは「新憲法と呼ばれる占領軍政策の占領基本法を日本人が「憲法」であると考えるようになったから」だ、「憲法制定が、主権が失われた状態でできるわれがないという明白な事実を、当時の日本人はごまかし」、「そのごまかしは今まで続いている」。
 明瞭ではないが、<占領基本法を「憲法」と考えるごまかし>という表現の仕方は、私が多少の知識を得た日本国憲法「無効」論に適合的だ。
 かかる九条を含む現「憲法」無効論と九条を有効な憲法規範としたうえでそれを「諸悪の根源」とする本の「出版を喜びたい」とする評価は、両立するのだろうか。無効論・有効論に立ち入らずに、憲法としては本来は無効でも現実には通用しているかぎりで、九条が「諸悪の根源」と評価をすることもできるのだろうか。あるいは、渡部はそんな理屈あるいは疑問などを全く想定していないで書評しているのだろうか。
 というわけで、やや不思議な気がした書評文だった。
 潮匡人の本自体は、憲法制定過程には言及していないが、「憲法九条は諸悪の根源」であることを相当十分に論じており、何人かの九条護持論者を名指しで批判し、「戦後レジームからの脱却」のために(「日本の戦後」を終わらせるために)、「名実ともに、自衛隊を軍隊にすべきである」と最後に主張する、軍事問題に詳しい人の書いた、読みやすい好著だと思う。そうした「本書の出版を喜びたい」。 

0095/日本国憲法は三大原則か六大原則か。

 もはや古い本だなと思いつつ、渡部昇一=小林節・そろそろ憲法を変えてみようか(致知出版社、2001)を何気なく捲っていたら、渡部のこんな発言が目に入った。
 「改悪にならないようにするために…日本国憲法の三大原理である国民主権主義と平和主義と基本的人権の尊重を強化し、私たちの幸福を増進させる方向性の改憲を改正と呼ぶ」と訴え続ける必要がある(p.222)。
 この部分は渡部昇一にしては(いや彼だからこそ?)不用意な発言だ。平和主義の中には現憲法九条二項も含まれてしまう可能性がある。また、憲法学者の小林がこの本のもっと前で話したことをふまえているのかもしれないが、日本国憲法の「三大原理」として国民主権主義・平和主義・基本的人権の尊重を挙げるのは陳腐すぎ、かつ疑問視もできるものだ。
 こんな基本的なことを話題にするつもりはなかったのだが、八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書、2003)によると、高校までの社会科の教科書ではたしかに上の3つが憲法の三大原則と書かれている、しかし、1947年に政府が作った、あたらしい憲法の話(中学校副読本)では、憲法前文が示す原則として民主主義・国際平和主義・主権在民主義の3つを挙げ(基本的人権の尊重は入っていない)、本文の項目では、民主主義・国際平和主義・主権在民主義・天皇陛下(象徴天皇制)・戦争の放棄・基本的人権の6つが同格で説明されている(いわば六大原則)、大学生向けの憲法の教科書では必ずしも一致はない。
 そして、八木によるとこうだ。1954年に成立した鳩山一郎内閣が自主憲法制定(憲法改正)を提唱したことに危機感をもった「護憲派勢力」が、かりに改憲されるとしても改正できない原則として、上記の三大原則を「打ち出した」のであり、その意味で「政治的主張という色彩が強い」(象徴天皇制は原則とはされないので、天皇制度自体の廃止は可能とのニュアンスを含む)。
 自称ハイエキアンで憲法学界の中では少数派ではないかと勝手に想像している阪本昌成(現在、九州大学教授)の広島大学時代の初学者向けの本に、同編・これでわかる!?憲法(有信堂、1998)がある。
 この本の阪本昌成執筆部分なのだが、八木の叙述とはやや異なり、「教科書も新聞も、大学生向けの憲法の教科書も」上記の三大原則を挙げる、とする(p.35)。
 上の部分の見出しがすでに「インチキ臭い「3大原則」」なのだが、彼は、「日本国憲法の基本原則は、「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」といった簡単なものではな」く、次の6つの「組み合わせ」となっている、とする(p.37-38。()内は秋月)。
 1.「代議制によって政治を行う」(代議制・間接民主主義)、2.「自由という基本的人権を尊重する」(自由権的基本権の尊重)、3.「国民主権を宣言することによって君主制をやめて象徴天皇制にする」(国民主権・象徴天皇制)、4.「憲法は最高法規であること(そのための司法審査制)を確認し、そして、「よくない意味での法律の留保」を否定する」(法律に対する憲法の優位・対法律違憲審査制)、5.「国際協調に徹する安全保障をとる」(国際協調的安全保障)、6.「権力分立制度の採用」(権力分立制)。
 単純な三大原則よりは、より詳細で正確なような気がするではないか(?)。それに、単純な「民主主義」というだけの概念が使われていないのもよい。また、たんに「基本的人権」の尊重ではなく「自由という基本的人権」とするのがきっと阪本昌成的なのだろう。
 なお、日本国憲法の「原則」をどう理解するかは、それが、-八木が示唆しているように-憲法改正の「限界」論(憲法改正手続によっても改正できない事項はあるのか、あるとすればいかなる事項又は「原理」か)と無関係である限りは、さして重要な法的意味があるわけではない。そして、通常は、3つであれ6つであれ、憲法改正の「限界」とは無関係に語られているのではないかと思われる(あくまで私の理解だが)。
 憲法の問題は関係文献に逐一触れていると切りがないところがあるのだが、重複を怖れず、ときどきは言及することにする。

0075/樋口陽一、宮崎哲弥らとともに「正しい戦争」を考える-憲法改正のためにも。

 かつては、とくに九条を念頭に置いての憲法改正反対論者=護憲論者は、<規範を変えて現実に合わせるのではなく、規範に適合するように現実を変えるべきだ>、という考え方に立っている、と思ってきた。「護憲」、とりわけ九条維持の考え方をこのように理解するのは全面的に誤ってはいないだろう。
 とすると、護憲論者は、憲法違反の自衛隊の廃止か、憲法9条2項が許容する「戦力」の範囲内にとどめるための自衛隊の(装備等を含めて)編成換え又は縮小を主張して当然だと考えられる。しかし、そういう主張は、必ずしも頻繁には又は大きくは聞こえてこない。この点は不思議に感じていたところだ。
 だが、憲法再生フォーラム編・改憲は必要か(岩波新書、2004)の中の樋口陽一氏の論稿を読んで、吃驚するとともに、上の点についての疑問もかなり解けた。つまり、護憲論者の中には-樋口陽一氏もその代表者と見て差し支えないと思うが-自衛隊の廃止・縮小を主張しないで現状を維持することを基本的に支持しつつ、現在よりも<悪くなる>改憲だけは阻止したい、と考えている論者もいるようなのだ。
 樋口氏は、上の新書の中で最後に、「正しい戦争」をするための九条改憲論と「正しい戦争」自体を否認する護憲論の対立と論争を整理すべき旨を述べたのち、そのような選択肢がきちんと用意される「それまでは」として、次のように述べている。「それまでは、九条のもとで現にある「現実」を維持してゆくのが、それこそ「現実的」な知慧というべきです」、改憲反対論は「そうした「現実的」な責任意識からくるメッセージとして受けとめるべき」だ(p.23-24)。
 これは私には吃驚すべき内容だった。護憲論者が、「九条のもとで現にある「現実」を維持してゆく」ことを「現実的な知慧」として支持しているのだ。おそらく、改憲(条文改正)してしまうよりは、現行条文を維持しつづける方がまだマシだ、と言っていると理解する他はない。
 ここではもはや、<規範と現実の間にある緊張関係>の認識は希薄だ。そして、「九条のもとで現にある「現実」」を擁護するということは、「現実」は九条に違反していないと「現実的」に述べているに等しく、政府の所謂「解釈改憲」を容認していることにもなる筈なのだ。
 以上を一区切りとして、次に「正しい戦争」の問題にさらに立ち入ると、樋口氏は、現九条は「正しい戦争はない、という立場に立って」一切の戦争を(二項で)否定しており、九条改正を主張する改憲論は「正しい戦争がありうるという立場を、前提としている」、とする(p.13)。的確な整理だろう。また、前者の考え方は「普通の立憲主義をぬけ出る理念」の採用、「立憲主義展開史のなかでの断絶」を画するものだと捉えている。現憲法九条はやはり世界的にも「特殊な」条項なのだ。その上で同氏は、かつての「昭和戦争」や「イラク戦争」を例として、「正しい」戦争か否かを識別する議論の困難さも指摘している。たしかに、かつて日本共産党・野坂参三の質問に吉田茂が答えたように「侵略」を呼号して開始される戦争はないだろう。
 結論はともかくとして、「正しい戦争」を可能にするための「九条改憲」論と「正しい戦争」という考え方自体を否定する「護憲論」との対立として整理し、議論すべき旨の指摘は(p.23)、的確かつ適切なものと思われる。
 そこで次に、「正しい戦争」はあるか、という問題になるのだが、宮崎哲弥・1冊で1000冊(新潮社、2006)p.106は、戦争観には3種あるとして加藤尚武・戦争倫理学(ちくま新書)を紹介しつつ、正しい戦争と不正な戦争が可分との前提に立ち、「倫理的に正しい戦争は断固あり得る、といわねばならない」と明確に断じている。そして、かかる「正戦」の要件は、1.「急迫不正の侵略行為に対する自衛戦争か、それに準じ」たもの、2.「非戦闘員の殺傷を避けるか、最小限度に留めること」だ、とする。
 このような議論は極めて重要だ。何故ならば、戦後の日本には戦争は全て悪いものとして、「戦争」という言葉すら毛嫌う風潮が有力にあり(昨夜論及した「2.0開発部」もこの風潮の中にある)、そのような戦争絶対悪主義=絶対平和主義は、安倍内閣に関する「戦争準備」内閣とか、改憲して「戦争のできる国」にするな、とかいった表現で、今日でも何気なく有力に説かれているからだ。また、現憲法九条の解釈や改憲の基礎的考え方にも関係するからだ。
 1946年の新憲法制定の国会審議で日本共産党は「正しい戦争」もあるという立場から現九条の政府解釈を問うていた。所謂芦田修正の文理解釈をして採用すれば、現憲法下でも<自衛>目的の「正しい」戦争を行うことを想定した「戦力」=軍隊も保持し得る。
 この芦田修正問題はさておき、そして憲法解釈論又は憲法改正論との関係はさておき、やはり「防衛(自衛)戦争」はありえ、それは決して「悪」・「非難されるべきもの」でなく「正しい」ものだ、という認識を多数国民がもつ必要がある、と考える。
 「戦争」イメージと安倍内閣を結びつける社民党(共産党も?)の戦略は戦争一般=「悪」の立場で、適切な「戦争」観とは出発点自体が異なる、と整理しておく必要がある。この社民党的立場だと、「戦争」を仕掛けられても「戦力」=軍隊による反撃はできず、諸手を挙げての「降伏」となり(ちなみに、これが「2.0開発部」改正案の本来の趣旨だった筈なのだ)、攻撃国又はその同盟国に「占領」され、のちにかつての東欧諸国政府の如く外国が実質支配する傀儡政府ができる等々の「悪夢」に繋がるだろう。
 繰り返せば、「正しい戦争」はあり得る。「「正しい戦争」という考え方そのものを否定」するのは、表向きは理想的・人道的でインテリ?又は自らを「平和」主義者と考えたい人好みかもしれないが、外国による軍事攻撃を前にした日本の国家と国民を無抵抗化し(その過程で大量の生命・身体・財産が奪われ)、日本を外国の属国・属州化するのに寄与する、と考える。
 社民党の福島瑞穂は北朝鮮の核実験実施を米国との対話を求めるものと捉えているくらいだから、日本が「正しくない」戦争を仕掛けられる可能性はなく、それに反撃する「正しい戦争」をする必要性など想定すらしていないのだろう。これには的確な言葉がある-「社会主義幻想」と「平和ボケ」。
 これに対して日本共産党はきっともう少し戦略的だろう。かつて野坂参三が言ったように「正当な戦争」がありうることをこの党は肯定しているはずだ。だが、この党にとって「正当な戦争」とは少なくともかつてはソ連・中国等の「社会主義」国を米国等から防衛するための戦争だった。「正しくない」戦争を「社会主義」国がするはずがなく、仕掛けるのは米国・日本等の「帝国主義」国又は資本主義国というドグマを持っていたはずだ。かかるドグマを多少とも残しているかぎり、「九条の会」を背後で操り、全ての戦争に反対の如き主張をさせているのも、党勢拡大のための一時的な「戦略」=方便にすぎないと考えられる。
 なお、宮崎哲弥の上掲書には、個別の辛辣な短評をそのまま支持したい箇所がある。例えば、愛敬浩二・改憲問題(ちくま新書)につき-「誤った危機感に駆られ、粗笨(そほん-秋月)極まりない議論を展開している」、「現行憲法制定時の日本に言論の自由があったって?、…9条改定で日本が「普通でない国家」になるだって? もう、突っ込みどころ満載」(p.282-3)。ちなみに愛敬氏は名古屋大学法学部教授。
 いつぞや言及した水島朝穂氏等執筆の、憲法再生フォーラム編・有事法制批判(岩波新書)につき-「最悪の例。徹頭徹尾「有事法制の確立が戦争国家への道を開く」という妄想的図式に貫かれている。進歩派学者の有害さだけが目立つ書」(p.105)。私は水島朝穂氏につき「妄想的図式」とまでは評しなかったように思うが…?。同氏の属する早稲田大法学部には他にも「進歩派学者」が多そうだ。
 私は未読だが、全国憲法研究会編・憲法と有事法制(日本評論社)につき-「理念先行型の反対論が主で、実効性、戦略性を欠いている」(p.105)。さらに、戒能通厚監修・みんなで考えよう司法改革(日本評論社)につき-「古色蒼然たるイデオロギーと既得権益維持の欲望に塗り潰された代物」(p.103)。これら二つともに日本評論社刊。この出版社の「傾向」が解ろうというもの。後者の戒能氏は愛敬氏と同じく名古屋大学法学部教授だ。
 宮崎哲弥という人物は私より10歳は若い筈だが、なかなか(いや、きわめて?)博識で公平で論理的だ。宮崎哲弥本をもっと読む必要がある。
 (余計ながら、「日本国憲法2.0開発部」の基本的発想と宮崎哲弥や私のそれとが大きく異なるのは、以上の叙述でもわかるだろう。また「2.0」の人々は勉強不足で、樋口陽一氏の代表的な著書又は論稿すら読んでいないと思われる。きちんと読んでいればあんな「案」になる筈はない。)

0053/憲法再生フォーラムの岩波新書2冊での憲法学者・水島朝穂の「妄想」。

 憲法再生フォーラムというのは2001.09に発足した団体で2003.01に会員35名、代表は小林直樹・高橋哲哉(以上2名、東京大法)・暉峻淑子事務局長・小森陽一(東京大文)だったようだが、同編・有事法制批判を岩波新書として出したものの(2003.02)、力及ばず?、いわゆる有事法制(「武力事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」等々)は2003~04年に成立・施行された。次は憲法改正を阻止しようということらしく、やはり岩波新書で同編・改憲は必要か(2004.10)を刊行している。この後者の本によると、05.06現在会員39名、代表は辻井喬・桂敬一・水島朝穂(早稲田大法)、事務局長・水島朝穂(兼務)、のようだ。
 さて、いわゆる有事法制成立前の憲法再生フォーラム編・有事法制批判(岩波新書、2003.02)の、上にも名が出ている水島朝穂という憲法学者の執筆部分を読んでみた。結論的に言って、違和感を覚える所が頗る多い。
 1.憲法は「民主主義や人権を圧殺するものに対する断固たる姿勢をとっている」(p.190)と言うが、アメリカの「悪の枢軸」論とは「断固一線を画して」いるとのみされ、北朝鮮・中国の「民主主義や人権」状況への言及は欠落している。むしろ北朝鮮については宥和的で、太陽政策を継承する盧武鉉の当選は「平和的方向への追い風」と明言する(p.203-4)。「断固たる姿勢」はアメリカに対してのみ見られ、北朝鮮には大甘だ。
 2.軍備を強化すると「それを使ってみたくなるのが人間」と言うが、そのあと懸念の対象として語られるのはブッシュ政権で、「軍備」をもつ北朝鮮でも中国でもない(p.194)。
 3.市民が国家によって守ってもらうのではなく、「市民が国境を超えた連隊によって、お互いの安全を守っていく」べきと言うが、日本の「市民」がどのようにして他国「市民」と連帯しどのように「お互いの安全」を守るかの説明はない(p.200)。北朝鮮・中国からの攻撃に対してこれら両国の「市民」と連帯するのか(そういう事態の際に連帯可能な「市民」はいるのか)、それとも米軍の「暴発」の際に北朝鮮・中国等の「市民」との連帯を<夢想>しているのか、よくわからない。
 4.「北朝鮮の脅威や中国海軍の脅威」はかつての「ソ連脅威論」と同じで、むしろ日本が「後方支援」をして米軍が「他国を攻めてしまったらという蓋然性の方がリアリティを増している」(p.192-3)と十分な根拠もなく述べる。
 これらに見られるのは異常と思えるほどのかつ執拗な、アメリカ(とそれに追随する日本政府?)に対する不信だ。
 一方で、北朝鮮・中国の危険性をできるだけ無視しようとする、これまた私には不可解な心性だ。これらがなぜ生じているのかは興味ある問題だが、戦後教育の影響、社会主義幻想の残存、米・日を二つの「敵」とする日本共産党理論の影響、等が考えられる。
 といったことを感じたあとで、憲法再生フォーラム編・改憲は必要か(2004.10)の中の、やはり水島朝穂氏執筆部分を読んでみた。
 同氏は、「現実に合わせて規範を変更する」のでなく「違憲の現実を規範の方向に…近づけていく」努力が必要と明言するが(p.151)、違憲と判断しているはずの「現実」の自衛隊をどのように改編・縮小すれば合憲となるかの具体的方策・基準を語ることは諦めているようである(p.160参照)。そしてたんに、「自衛隊を違憲でない方向に「漸進的」に転換していくことは、長期にわたるプロセスになります」と抽象的に述べるにとどまる(p.176)。かりに改憲反対論=自衛隊違憲論と理解するとすれば、呆気ないほど、「現実」の「違憲」の自衛隊に対して<優しい>論述だ。
 その代わりにこの人が強調するのは、集団的自衛権行使を伴う可能性を残した日米軍事同盟の強化(そのための改憲)ではなく、国連中心主義、「国際協調主義」の方向に向かうべきということだ。
 しかし、常任安保理に中・露が含まれていて決議すら容易ではない(昨年10月に見られたように5国一致の制裁決議があれば大きなニュースとなるほどの)国連の「集団安全保障体制」はどの程度、日本の安全に「現実的」に役立ってくれるのだろうかという疑問があるし、「日米同盟一辺倒」の外交から、全欧安保協力機構(OSCE)のような地域的安全保障機構をアジア地域でも立ち上げる方向に「軸足を移すべき」と主張するに至っては(p.171)<空想的>と断じざるを得ない。中国・北朝鮮という基本的価値観を共有しない国々を含めてどうやって「アジア」の「地域的安全保障機構」を作るのか。
 また、上に書いたように、水島氏には「異常と思えるほどのかつ執拗な、アメリカに対する不信」があると思われるのだが、この本でも、「いま、世界の平和や安全保障にとって「いま、そこにある危機」は…でも「ならず者国家」でもなく、じつは「対テロ戦争」以降の米国の先制攻撃戦略とそれが世界にもたらす影響」だ(p.169)、と迷うことなく?書いている。
 米国全面賛美のつもりは私にも全くないが、この人は北朝鮮や中国の軍事的危険性については一片も言及していない。北朝鮮や中国の兵士たちは「平和を愛する諸国民」(憲法前文)と考えているのか(信じ難いが)。日本にとって「いま、そこにある危機」は北朝鮮という「ならず者国家」のミサイル・核の実験・開発、および中国共産党支配の中国の軍備増強ではないのか。この本は2004.10の出版だが、その時点ですでに北朝鮮の「異常さ」・危険性は分かっていたはずなのだ。北朝鮮(・中国)に警戒と批判の目を向けず、批判の矛先をもっぱら米国(と追随する?日本政府)に向けるこの憲法学者が、まさか日本の憲法学界を代表しているとは思いたくない。
 この水島朝穂氏と議論してもおそらく噛み合わないだろう。だが、大多数の日本国民は「九条の会」の理論的中核かもしれぬ「憲法再生フォーラム」の(紹介したのは今のところ水島朝穂氏のみだが)「妄言」ぶりを知っておいてよいと思われる。

0028/潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(2007.04)のごく一部を読む。

 昨夜、潮匡人の呉智英批判に触れているうちに潮の近著に言及し、さらにその中で吉永小百合様に関する記述があるらしいことからの連想で、吉永小百合様うんぬん、の別の文章を書いてしまった。
 潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007.04)を購入して、さっそく一部を読んだ。
 まず、吉永小百合様の一文を含む井筒和幸ほか・憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の提言(岩波、2005.08)という冊子につき、別の本を引用しつつ、次の旨を言う。(この冊子は私も無論持っていて計64頁、定価500円なのだが、)この薄い本(冊子)のために岩波は、2005年8/04に朝日、毎日、読売、東京、翌8/05に日経、産経に、いずれも一面全体を使った広告、いや広告というよりも「九条を守ろう」との意見広告、を出した。一面全面広告には「億単位の広告料がかかるら。…護憲派は潤沢な資金源に恵まれているようだ」。
 引用されているのは私も所持している自民党政務調査会主席専門員の田村重信・新憲法はこうなる(講談社、2006.11)で、該当頁のp.164-5にはたしかに上の前半の事実が書かれている。その上で田村は言っている-18人は「左派系の学者や文化人」で、「背後には、2004年6月に発足した「九条の会」の存在があり、それを陰で操っているのは共産党です」。
 九条の会の呼びかけ人自体は井上ひさし・奥平康弘を除いて必ずしも日本共産党直系とは言えないが、各地域・各職域等に今や5000あるらしい「九条の会」の実権を握っているのは日本共産党のようだと諸情報から判断していたが、上の田村は、あっさりとそのことを「操っている」という言葉を使って認めている。私の推測は誤っていないだろう。
 つぎに、吉永小百合様批判の部分のみを紹介しておく。彼女は「もう一人の女優、渡辺えり子さん」とともに「女優の虚言や戯言はともかく…」とまともに扱われていないふうなのだが、潮は具体的には次の如く反論又は説明している(p.165以下)。-1.吉永は憲法九条は「コスタリカを始めとして、多くの国の人たちから賞賛されています」と書くが、コスタリカ以外のどの国が賞賛しているのか。外国の人は憲法九条の存在すら知らず、かりに知れば最新鋭の戦闘機やイージス艦を(「自衛隊」が)保有しているのを疑問に感じるだろう。また、「コスタリカ憲法は常備軍を廃止しただけで、有事には徴兵し軍隊を編成できる」し、「武装した国家警備隊」も持ち、米国との間に「集団自衛権行使」を含む軍事同盟関係にある。さらに、反共産主義を貫いていて中国と国交を結んでいない。
 コスタリカは護憲論者がよく引き合いに出す国だが、このような状況だとは知らなかった。
 2.吉永は「人間は、『言葉』という素晴らしい道具を持っています」と書き、「武器ではなく、憲法九条こそが、私たちを守ってくれます」とも書くが、後者は「いくら何でも言い過ぎではないか」、「あまりに低レベルな反論だが、相手の土俵に乗ろう。彼女は、自宅の門に憲法九条を掲げ、鍵も掛けずに眠るのであろう」。
 この潮匡人の本は「護憲派」の主張・言い分にも触れつつ多様な論点を扱っている。いずれまた、憲法九条論や憲法改正論に関連して言及したい。

0026/吉永小百合様、美しい「言葉」の力で金正日と「粘り強く話し合い」して下さい。

 「団塊」世代のマドンナと称されているかもしれない、あの吉永小百合様が岩波ブックレット・憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005.08)の中で、次のように書いておられる。-「人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。その道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく――報復ではなく、半歩でも一歩でも歩み寄ることが「言葉」を持つ私たちの使命だと思います」(p.18)。
 「言葉」という「道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく」ことができれば、それに越したことはない。「粘り強く話し合」っても何ら誠意をもって対応せず、言葉と矛盾する行動を平気で行う人や国家が存在するからこそ問題なのであり、経済的・軍事的「圧力」も必要になるのだ。吉永小百合には是非、朝鮮半島の北半分にいる将軍様(ウンサンニム)に「『言葉』という素晴らしい道具」で話しかけ、「粘り強く話し合」っていただきたいものだ。
 美しい心の小百合様には、国民を餓死させ、開発凍結と言っておいて平気で核実験実施をする国家の存在を想像すらできないのだろう。
 彼女はまた、「命を大切にすることは、憲法9条を大切にすること。国際紛争を解決する手段として、武力行使は永久にしないと定めた憲法は、人間の命を尊ぶ、素晴らしいものです」と憲法九条を讃える。
 だが、残念ながら小百合様には憲法に関する基礎的素養がなさそうだ。9条1項が規定している「国際紛争を解決する手段」としての武力行使の禁止は、少なくとも憲法学説上の多数見解および政府見解によれば、「侵略」戦争の放棄の意味だ。9条1項は「防衛」又は「自衛」戦争をも放棄(禁止)してはいない。そしてこのことは日本国憲法に限らず、今日の世界においては当然のことなのだ。
 憲法改正に際しての焦点は、「戦力」不保持、「交戦権」否認の9条2項をどうするかにある。1項によって「自衛」戦争が禁止されていないとしても、2項で「戦力」保持・「交戦権」が否定されているために、結果として「自衛」のための「戦争」もできなくなる、というのが多数見解による9条の条文の読み方なのだ。ここで「戦争」や「戦力」・「交戦権」の厳密な意味が問題になるが、そこに立ち入らないとしても、「戦力」不保持・「交戦権」否認の憲法9条2項があるがゆえにこそ外国からの攻撃によって日本国民の生命が奪われることを有効に防止できないとすれば、「憲法9条を大切にすること」は日本国民の「命を大切に」しないこと、を意味することになる。
 かくの如く、小百合様の文章は美しいが、<戦争反対という情緒>(これ自体を悪いとか誤っているとかは言わない)が書かせたものにすぎない。
 朝日新聞社が<私たちは「言葉」の力を信じます>とかのコピーで宣伝していたが、小百合様の上の文章にヒントを得たのではなかろうか。それはともかく、朝日は、事実を否定し又は存在しない事実を作り出す(「捏造」)ために「言葉」を用いた、あるいは「言葉」の力によって虚報をさも真実のごとく装ったことがある。当然ながら「言葉」の力は良い方向にも逆の方向にも働きうる。それが明確でないコピーは「言葉」の力でウソを真実に変えますと言っているようで、じつに気持ちが悪い。
 続けて記せば、吉永小百合様は、昨年の毎日か日経のインタビュー記事中で、広島・長崎に原爆を投下されたのは、当時の日本政府の<ポツダム宣言受諾が遅れたためだ>ということのみを語り、あたかも責任はすべて日本政府にあったかの如き旨を語っていた。表現・記述不足ということも考えられるが、当時の国際法上も違法だった可能性が高い非戦闘員・一般市民の大量殺戮を行った米国に対する批判的視点が全くないとすれば、由々しき「歴史認識」をお持ちだ。小百合様にとっては、広島・平和公園内の「過ちは繰り返しませんから」との碑の主語は、おそらく間違いなく日本、あるいは日本政府・日本軍なのだろう。ということは、彼女が生まれる直前の東京大空襲による非戦闘員・一般市民の大量殺戮も、決して米国に責任はなく、そのような反撃を招くような戦争に至らしめた日本政府・日本軍に責任があると考えておられる可能性もある。そのような「歴史認識」でおよろしいのかどうか。
 「九条を考える会」のアピールに賛同しておられる(賛同人名簿に載っている)吉永小百合様の個人的な「歴史認識」はもうお変わりにならないかもしれない。だが、実質的には日本共産党が実働部隊となり主導権を握って運動していく可能性が高い「九条の会」に政治的に利用なされることないよう願っている。

0025/潮匡人、産経上で「現実的平和」を支えたのは日米同盟と呉智英を正しく批判。

 3/21に憲法九条が経済的繁栄を支えた等々の呉智英の謬見を批判した。産経新聞3/28の同じ「断」というコラムで、今回は潮匡人が呉智英をきちんと簡潔に批判している。
 いわく-「『現実的平和』を支えてきたのは九条ではなく日米同盟である。『間違いなく』自衛隊と米軍の抑止力である」。かかる「功利的」観点からも「断固、九条は擁護できない」。
 このとおりだ。九条があったおかげで戦争に巻き込まれなくて済んだとか、軍事費に金をかけなかったおかげで経済活動に集中できた、とかの耳に入りやすい俗論はきっぱりと排斥する必要がある。
 潮匡人の本はじつは読んだことがない(たぶん。雑誌中ならある)。彼が最近、憲法九条は諸悪の根源(PHP)との本を出したらしいので、是非読んでみよう。新聞広告によると、吉永小百合批判も含まれているようで、その内容にも興味がある。

0007/呉智英の謬見は中西輝政がすでに指摘している。

 二度めだ。呉智英の提案はいわば奇を衒った、あるいはウケ狙いの氏独特の主張の仕方と思い、それまでの途中の文章をまじめに読んでいなかったのだが、よく読むと、「私は第九条基本的支持だ。戦力放棄を完全非武装ととるか専守防衛と解するかなど、さまざまな議論があるが、今そこには立ち入らない。ともあれ、戦後六十余年の日本の経済的繁栄と戦死者ゼロという「現実的平和」は間違いなく第九条に支えられてきた。そのような功利的観点から、私は第九条を支持したい。」という文があり、どうやら本気で九条を擁護し、前文のみの改正(削除)の主張も本気のようなのだ。
 呉の他の主張も知っていたし、産経紙上であったこともあって油断していた。そして、呉智英には、心底、失望した
 私の言葉で反駁してもよいが、中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2006)を引用して代えることにする。呉智英は実際にこの本を読んで、学ぶことなくなお反論するなら(別に逃げるのではないが)中西に対してして貰いたい。
 同書p.41以下はいう。憲法九条からは軍を自衛隊と戦車を特車言い換える等の無数の嘘が生じ、「嘘の上に嘘を上塗りする」傾向が続くが、その大嘘の「最たるものが、『憲法九条があったから日本は平和を維持できた』という戦後神話」だ。これは「明らかな倒錯した言説」で、なぜなら、第一に、憲法九条の如き条項をもつ国は(コスタリカはそうらしいが一部の小国を除いて-秋月)存在しなかったのに二次大戦後は世界大戦が回避された。日本の憲法九条とは無関係に「世界の大部分の国は日本同様、平和を維持してきた」。日本と異なる憲法をもつ(そして正規の国軍を持つ)国も、「大半の国が60年の平和を享受しえた」。九条を平和と関係づける言説は、実は特殊な宣伝目的の(つまり中国・ソ連が米国よりも不利にならないための「社会主義支持の目的」の)「いわば詐欺的言辞」だった。
 第二に、ではなぜ世界平和が維持されたかというと、「米ソ両大国が核兵器を持ってにらみ合う冷戦体制があったから」に他ならない。
 第三に、日本に限定した話としても、「日米安保こそが戦後日本の平和を支えた」のだ。日米安保がなかったら、九条があろうとなかろうと、「戦後日本はもっと早い時期にソ連の侵略を受けたか、あるいは、いわゆる間接侵略を受け、国内に社会主義革命、暴力革命が起こっていた」だろう。60年安保が「安保騒動」の程度ですんだのは「警察力の背後に自衛隊があり、その背後には米軍がいるということが、当時の日本の革命勢力、あるいはその背後にいた中国・ソ連にはわかっていたから」だ。
 もう一点、呉智英は「戦後六十余年の日本の経済的繁栄」を支えたのも九条だという。この点についても、中西輝政は、九条のおかげで平和だったとまでは言わなくとも「戦後の民主化が高度経済成長を促した」という大嘘があるとして、言及している。p.45以下は言う。
 戦後改革による「民主化」や「平等化」は高度成長とは何の関係もない。占領軍の民主化を経験していない戦前の日本も高度経済成長をしていたし、平等化が経済成長を促進すると言うならばソ連等の崩壊はありえなかった筈だ。そこで(九条もあって)「軍事支出を極端に少なくしたこと」も経済成長に役立ったとの議論が必ず出てくるが、これも「間違った見方」だ。「社会の「民主化」や「軍事費削減」が経済成長の必須要因だとしたら、韓国や台湾、ASEAN諸国の経済成長や、まして現在の中国の経済成長」を説明できない。
 この程度にしておくが、最後の部分に私の言葉を追加すれば、韓国もドイツも九条のような条項を憲法に持たないが、「経済的繁栄」をしているのではないか。日本のような「繁栄」ではないと反論するだろうか。しかし、同じ九条のもとで、日本の経済成長の程度も、大きく伸びたり逆に下がったことも現にあるのであり、日本ですら「戦後六十余年の日本の経済的繁栄」と大仰に表現できるような状況ではなかったと思われる。少なくとも、九条のような条項が憲法にあるか否かによって、日本とその他の国々、米国、ドイツ、韓国等々の経済伸展の程度を有意に区別できるはずはない。だが、九条があるために何か経済の状態に違いがあったとでも言いたいのが呉智英のようだ。
 反復するが呉智英には失望した。もうこの人の文章は読まないことにしたい。

-0035/「九条の会」アピ-ル文の無知と大谷昭宏・有田芳生。

 憲法改正の意図は<日本を戦争をする国に変える>ことにあるとの「九条の会」の言明は、二重の意味で無知かつ欺瞞的だ。
 第一に、憲法改正>九条改正により日本が<戦争をする国>になるとは具体的にどういう意味かの説明がないが、とくに何故<戦争をする国>になるのかの論理的・理由付け的説明がない。
 第二に、既述のように「自衛戦争」をする権利を九条一項は否定していないにもかかわらず、「戦争」=悪という一般的前提に立っていると見られる。「戦争」一般を悪と見る考え方は戦後日本にのみみられる特殊な「平和教」と言ってよいものだ。
 それに、九条二項の「前項の目的を…」を生かして、同項により禁止されるのは「侵略」のための「戦力」・「交戦権」に限られる(「防衛」目的のそれらは許容される)との政府・多数学説は採用していない有力学説もあるようなのだが、アピ-ル文はそんなことに思いを巡らしていない。
 ともあれ、九条改正により日本が<戦争をする国>になるとの論証されていないウソを書き、<戦争をする>ことが自衛戦争であっても悪であるかのごとき誤ったバカな考え方を前提に書かれているのが「九条の会」アピ-ルだ。
 保守派・右派は中国等特定アジア諸国、靖国問題、皇室典範問題等に筆を割くことが多いが、憲法改正阻止に焦点を合わせて「闘い」を準備している、又は開始している左派の存在をもっと意識して反撃すべきではなかろうか。
 昨日触れたことに関連するが、中国は戦後、米等の国連軍、ソ連、ベトナムと実際に「戦争」をした国、カンボジア内戦を応援した国、日本・台湾にミサイルの照準を合わせている国であって、軍事費を増強している。そんな国に日本を「軍国主義化」などと批判する資格はない。しかるに「右旋回」、「復古調」と基本的に中国と同様の認識を示す人々が日本国内にいるのだから、嘆かわしい。
 大谷昭宏はスポ-ツ新聞に「改憲を叫ぶ男に託していいのか」と安倍晋三を批判した。
 有田芳生は立花隆への特別の敬愛心でもあるだろうか、「安倍が総理となり戦後民主主義の枠組みを破壊するために闘うというなら、わたしもまたその安倍的『思想』と闘うしかない」、を含む文の題を「安倍晋三への宣戦布告」としている。ああ、やれやれ、昔ながらの発想だ。

-0034/九条を改正すれば日本は「戦争をする国」になるか。

 映画監督・山田洋次は70年代には日本共産党のパンフ類に共産党を「支持します」と出ていたので、その後も変わらず「九条の会」のごとき会に関係しても不思議ではない(変わっていても不思議ではないが)。知人某が10年以上前、映画「男はつらいよ」のいずれかの中でさくらの夫=博の本棚に雑誌「世界」があったのを見たと言っていた。私は雑誌「前衛」でなかったか?と尋ねたが。
 鳥越俊太郎の名がある。彼は最近OhmyNewsとやらで頑張っているらしいが、はたして「中立」的ニュ-スサイトは可能かどうか。彼自身がすでに「政治」的な<色>を自らに付けているので、「中立」的又はそれと同義の宣伝をOhmyNewsについてしていれば、虚偽広告になりはしないか。
 同じくコメンテイタ-としてテレビに登場している(たぶん元朝日の)大谷昭宏の名もある。
 いかなる主張・見解も自由だが、さも中立的・客観的な見解のごとき装いをとって視聴者を欺瞞的に誘導しないでほしい。鳥越もだが。
  「九条の会」アピ-ルを検討するためには、1.国際とくに東アジア情勢の認識、2.現九条の解釈論議をふまえる必要があるのだが、アピ-ル自体がこれらをきちんと認識し勉強しているとは思えない。
 北朝鮮のノドン一発で東京は壊滅し、中国の核弾頭は何本も日本に向けられているという現実の深刻さが彼らの文からはまるで伝わらない。武力攻撃という「危険」行為の可能性があるのは北朝鮮でも中国でもなく日米の側=自衛隊か在日米軍(「アメリカとの軍事同盟」)という倒錯し誤った認識に立っているとしか思えない。
 第二次大戦から「世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」を導いたと最初の方にあるが、「国際紛争の解決のため」の戦争とは侵略戦争の意味であり、現9条1項のみからは自衛権と自衛戦争の否定は出てこない、ということは常識のはずなのに(奥平康弘がいながら)、常識的語法に無知の文だ。
 つづいて言う。「九条を中心に日本国憲法を『改正』しようとする動き」の「意図は、日本を、アメリカに従って『戦争をする国』に変えるところにあります」。
 ここに「九条の会」アピ-ルの策略と欺瞞性が象徴的に現れている。
 批判対象を批判しやすいように勝手に改めたうえで非難するという、議論の際よくみられる論法を使っている。
 さらにつづける。

-0033/左翼・平和教信者は「九条の会」に陸続と集結しつつある!

 中央公論新社の<日本の近代>は通史の8巻まで既に揃った。坂本多加雄氏による2巻は冒頭だけでも価値がある。講談社の<日本の歴史>の明治以降の通史5巻ほども。三省堂・戦後史大事典1945~2004も毎日新聞社の昭和史全記録1926~1989もある。個別テーマ関する文献も安い新書・文庫を中心にかなり買ったので、自分史叙述と憲法改正論の検討に役立てよう。
 朝日新聞(本田雅和記者等)は昨年に安倍氏の政治生命にかかわる虚報をしかつ一言の訂正・謝罪もしないで(教科書書換え、従軍慰安婦問題でも同じ)、よくも平然と安倍いじめを続けられるものだ。安倍氏はいつか内閣総理大臣として多数のテレビカメラの前で朝日を名指しにした厳しい批判をしてほしい(朝日はきっと虚報を含む何かの失態をするだろうから)。
 憲法改正の可否がいずれ日本の国論を二分し、日本の運命を決めるだろう。すでに9条改正反対で動いている「九条の会」の呼びかけ人は井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の9名(2004.06)。「昔の名前で…」という人もいて、平均年齢はたぶん70歳を超す。
 同会のサイトには「賛同者」名簿と「講師団」名簿も公表されている。共産党員とそのシンパ、社民党員とそのシンパがほとんどと見られ、結局は両党組織が動くのだろう。
 「映画人九条の会」も大澤豊、小山内美江子、黒木和雄、神山征二郎、高畑勲、高村倉太郎、羽田澄子、降旗康男、掘北昌子、山内久、山田和夫、山田洋次の12名を呼びかけ人に設立され、「マスコミ九条の会」の呼びかけ人は秋山ちえ子、新崎盛暉、飯部紀昭、石川文洋、石坂啓、池辺晋一郎、井出孫六、猪田昇、岩井善昭、内橋克人、梅田正己、大岡信、大谷昭宏、大橋巨泉、岡本厚、小沢昭一、恩地日出夫、桂敬一、鎌田慧、川崎泰資、北村肇、小中陽太郎、斎藤貴男、佐藤博文、佐野洋、ジェ-ムス三木、柴田鉄治、須藤春夫、隅井孝雄、関千枝子、せんぼんよしこ、高嶺朝一、谷口源太郎、田沼武能、俵義文、仲築間卓蔵、茶本繁正、塚本三夫、辻井喬、坪井主税、栃久保程二、鳥越俊太郎、中村梧郎、橋本進、ばばこういち、原壽雄、平岡敬、広河隆一、前泊博盛、増田れい子、箕輪登、宮崎絢子、三善晃、守屋龍一、門奈直樹、山田和夫、湯川れい子、吉田ルイ子、吉永春子、若杉光夫。
 次回は若干の人物コメント、「九条の会」アピ-ルの論評・感想の予定だ。
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