秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

思想

0728/ルソーの「人生」を小林善彦は適切に叙述しているか。

 <有名な>思想家、フランスのルソー(1712~1778)について、「思想」どころか、その「人生」についても、叙述又は見方が異なる。
 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000)の谷沢によると、ルソーは、①「生まれてすぐに母に死なれ、10歳のときに父に棄てられた」、②「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、③「子どもが五人いた」が、「全員を棄ててしまった」(p.218)。
 中央公論新社の中公クラシックスの中のルソー・人間不平等起源論/社会契約論(2005)の訳者の一人・小林善彦は、この著のはじめに「テクストを読む前に」と題する文章を書いて、ルソーの「人生」をたどっている。
 小林は、上の①のうち母の死亡については、「生まれて十日後にシュザンヌ〔母親〕が死ぬと…」と言及する(p.3)。触れてはいるが、父親の行動に関する一文に付随させているだけで、成育のための「家庭」環境とは結びつけていない。この文章の最初の見出しは「成育環境」だが、まず小林が語っているのは、両親ともに「市民の階級の人」であり、これが「ルソーの思想形成にひじょうに大きな影響を及ぼしたと思われる」、ということだ(p.2)。少なくとも、生後10日後に死去した「市民の階級の」母親がルソーの「思想」に直接に影響を与えることはできなかったことは明らかなのだが。
 上の①のうち「一〇歳のときに父に棄てられた」については、明確な言及はない。もっとも、巻末の「年譜」には、1722年に父親が(ルソーの生地)ジュネーヴを「出奔」し、ルソーが伯父、次いで「新教の牧師」に「預けられた」、とあるので(p.413-4)、父親と生別していることは分かる。
 小林善彦は、父親は仕事(時計職人)に熱心ではなかったが、「ジュネーヴの時計職人」は特権的職業で比較的に余暇もあり「しばしば教養があって」市政等に関心をもち、蔵書も多かった、という。これは「ジュネーヴの時計職人」の話のはずだが、小林は「というわけで、幼い…ルソーは父親から本を読むことを習った」と書く(p.4-5)。これが事実であるとしても、明記はされていないが、父親が「出奔」するルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。
 上の②の「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、というのは事実だろうと考えられる。しかし、小林善彦はこれを明記はしておらず、上記のように「教養ある」「市民」の一人に「本を読むことを習った」という叙述の仕方をしている。さらに、「われわれにはおどろきであるが、小説を全部読んでしまうと、ルソー父子は堅い内容の本にとりかかった。それは…新教の牧師の蔵書」だった、とも書いている(p.5)。だが、上記のとおり、これもあくまでルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。教育熱心の父親が、10歳の男児と離れて(-を残して)別の都市へ「出奔」するだろうか、とも思うが。10歳のときまでに「新教の牧師の蔵書」を一部にせよ読んでいたのが事実だとすると、たしかに「われわれにはおどろき」かもしれない。
 上の③の<子棄て>および彼らの母親である妻又は愛人を<棄てた>ことについては、これらを別の何かで読んだことはあるが、小林善彦は一切触れていない
 小林善彦はルソーの人間不平等起源論・社会契約論について肯定的・積極的に評価することも書いている。そして、そしてルソーの「人生」についても、あえて<悪い>(少なくともその印象を与える)事柄は知っていても、書かなかったのではないか。
 小林も(表現の仕方は別として)事実としては否定しないだろうと思われる、「生まれてすぐに母に死なれ、一〇歳のときに父に棄てられた」、「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、ということは、谷沢永一も指摘するように、ルソーのその後の「思想」と無関係ではないのではないか。
 小林善彦は1927年生、東京大学文学部仏文科卒、東京大学教養学部教授等歴任。ルソーに関する<権威>の一人とされているかもしれない。そして、こういう人に、同じ学界の者またはルソー研究者が、ここで書いたような程度の<皮肉>を加えることすら困難なのかもしれない。
 アカデミズム(大学世界)が<真実>・<正義>を追求しているいうのは、少なくとも社会系・人文系については、真っ赤なウソだ。あるいは、彼らに独特の(彼らにのみ通用する)<正義>の追求はしているかもしれないが。

0709/佐伯啓思「『現代の危機』の本質」(表現者2009.05号)を読む。

 表現者24号(2009年5月号、ジョルダン)。まずは佐伯啓思「『現代の危機』の本質」(p.68-71)を読む。以下は要約的紹介。
 ・2008秋以降の世界経済危機の現象の表面だけからは、「景気を支えることだけがすべて」になる。だが、本当に怖ろしいのは、そのようにしか事態を把握できない「われわれの視野狭窄」だ。仮に今年後半に景気上昇があったとしても、「危機を回避する景気刺激政策は事態の深刻さただ先送りするだけ」で、「もっと恐ろしい」のは「今回の事態の意味するところ」が隠されることだ。
 ・今回の経済危機は、三つの観点から理解できる。①ブッシュの経済・対テロ戦争政策の失敗、②「グローバリズムと新自由主義的な市場中心イデオロギー」の帰結、③「二十世紀のアメリカ型の産業主義文明」の限界
 ・長期的で深刻な「文明的な位相」をもつ危機だと私(佐伯)は理解したい。今回の危機はしばしば「三〇年代の大恐慌」と類比されるが、「二〇年代から三〇年代」は、「西洋文明そのものの『危機』として意識されていた」のだ。
 ・シュペングラーの書が象徴する如く、両大戦間は「西洋文明の没落」が強く意識された。新しい文明たる「アメリカ」と「社会主義思想」の勃興を目の当たりにしてこそだった。
 ・シュペングラーは「西洋文明」を「人類が生み出したもっとも高度な文明」と見た。だが、その「西洋文明」が「文化のひとつ」になりつつ「形式的に普遍化され、内容空疎な『世界文明』へと変形」される。別言すると、西洋文化も多様な世界文化の一つとにすぎないと認めざるを得なくなりつつも、それは「科学、技術、貨幣」といった「普遍的」・「形式的」・「抽象的」手段によって、「世界的なもの」へと変形される。これをシュペングラーは「西洋文明の没落」と呼んだ。この「西洋文明の没落」を軽視してはならない。文明としては「最後の没落」だからだ。
 ・レオ・シュトラウスは1963年に、「西洋の危機」は、目的に確信を持てなくなったことにある、目的とは「平等な諸国民」・「自由で平等な男女」から成る社会、各国民が「科学の恩恵を被って自らの生産力について十分に発展」している社会(の維持・建設)=「近代のプロジェクト」だ、と述べた。「西洋の没落」とはかかる「確信の喪失」なのだ。
 ・何が「確信の喪失」を生んだのか。シュトラウスによると、危機の本質には<「哲学」と「科学」の分離>がある。「哲学」は当為=「すべき」に関係し、「科学」は事実=「である」の記述で「価値には関与しない」。そして、「いかなる価値の妥当性についての合理的判断も不可能」との前提に立つ、「哲学」=当為と「科学」=事実の分離こそが「確信の喪失」を生じさせた。
 ・換言すれば、「近代のプロジェクト」は<「哲学」と「科学」の分離>、さらには「哲学」の殺戮によって「いっさいの価値判断の基準」を見失った。
  ・この「ニヒリズム」こそが「二〇年代から三〇年代」の状況で、ニヒリズムを克服せんとする試みもまた「深いニヒリズム」を胚胎していた。「『血と大地』という土着的文化の特権化へと向かったナチズム」も、「『完全に平等で幸福な社会』の建設に向かった社会主義」も、ともに「いっそう深いニヒリズム」に落ち込んだ。ここで「いっそう深いニヒリズム」とは結局「『権力への意思』以外の何物をも信じることができない」ことを意味する。
 ・残ったのが「アメリカ」だった。だがこの文明も、「自由や民主主義理念の普遍的形式化」・「貨幣的富の獲得」で「幸福を『買う』」ことが可能との信念、全問題が「技術主義的に解決」可能との信念等、大いにニヒリズムに「傾斜」している。
 ・アメリカは「近代のプロジェクト」の自己矛盾の露呈の延長上で依然として「近代のプロジェクト」を遂行しようとしている。だが、「近代のプロジェクト」自体がその「正当性を合理的に論証できない」という矛盾を孕む。
 ・だとすると、「近代のプロジェクト」を「権力への意思」へと、つまり「力づくで世界に推し進め既成事実を作りだしてゆく」という「覇権主義」へとすり替える他はあるまい。これまた、「もうひとつのニヒリズム」なのだが。
 ・「今回の金融危機」が表現するのは、「近代のプロジェクト」の「断末魔」というべきだ。「アメリカ中心のグローバリズム、金融工学に示された技術主義的なリスク管理、無限に富を生み出す金融市場」という「近代のプロジェクト」が「音を立てて崩壊してゆく様」を「われわれは目撃している」。その意味でこそ、「三〇年代の『西洋の没落』の再来」というべきなのだ。
 以上。佐伯啓思の著作権を侵害するつもりはないので、関心のある方は、雑誌の原文章を読んでいただきたい。
 冗文を追加。<ヨーロッパ近代>はすでに疑問視され、そのゆえにこそ「ナチズム」も「社会主義」(コミュニズム)も生じたが、のちの(時期は違うが)「ナチズム」・「社会主義」の崩壊・敗北によって、かえって<ヨーロッパ近代>のもつ問題点は洗い流され、再び日本(国家・国民)の上に<普遍的>なものとして君臨するに至った。<アメリカ>とは<ヨーロッパ近代>の亜種だ。
 さらには、少なくとも一時期、「社会主義」(コミュニズム)は<ヨーロッパ近代>の「鬼胎」ではなく正嫡(発展形態)だと考えられた(マルクス主義者、親マルクス主義者、その他の親「社会主義者」によって)という事情が、日本にはとくに加わる。<ヨーロッパ近代>+<コミュニズム>という、いずれにしても外国産の「思想」が、ユーラシア大陸の東端に沿う日本(国家・国民)を表面的には大きく捉えてしまった。完全にとは、完膚無きまでとは、心底に至るまでとは、言えないし、言いたくもないけれども。

0706/ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックス他)は「亡国の書」・「狂気の哲学」。

 谷沢永一=中川八洋・「名著」の解読-興国の著・亡国の著-(徳間書店、1998)という本がある。
 和洋5冊ずつ計10冊の著書が採り上げられている。もともとは「名著」だけのつもりだったようだが、結果としては副題のように「興国の著」のほかに「亡国の著」が和洋1冊ずつ計2冊、対象とされている。
 「亡国の著」(悪書)は、丸山真男・現代政治の思想と行動(未来社)と、ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックスほか)。
 ついでに「興国の著」(良書)とされているあと8冊(和洋四冊ずつ)を紹介しておくと、日本-①林達夫・共産主義的人間、②福田恆存・平和論に対する疑問、③新渡戸稲造・武士道、④三島由紀夫・文化防衛論。外国-①マンドヴィル・蜂の寓話、②ハイエク・隷従への道、③B・フランクリン・自伝、④バーク・フランス革命の省察
 それぞれについて面白い対談がなされているが、丸山真男とルソーの著は、それこそ<ボロクソ>に非難・揶揄されている。ルソーは文字通り<狂人>扱い。
 思想家・哲学者なるものの全てがそれぞれそれなりに<偉く>もなんでもないことは、年を重ねるにつれ、確信にまでなっている。
 異常で<狂気>をもつ<変人>だからこそ、奇矯な(あるいは良くいえばユニークな)、そして読者に「解釈」を求める、つまりは理解し難い著書を数多く執筆し、刊行できた、ということは十分にありうる。
 長い、何やらむつかしそうな文章で詰まった本の著者というだけで<偉い>わけではない。そうした本の中には、明らかに、人間・人類に対して<悪い影響>を与えたものがある。
 人間というのはたまたま言葉と論理を知ったがゆえに、過度に、<新奇(珍奇)な>言説・論理に惑わされ、誘導されてきたのではないだろうか。
 人の本性・自然と自生的「秩序」から離れた<知的空間>には、危険な「思想」がいつの時代でも蔓延してきたし、国家・社会の<主流>になっていることすらある。ルソー「的」・マルクス「的」な「思想」は、日本が戦後、もともとは西欧「思想」の影響下にあったアメリカの影響を受けたために、そして(欧米的)「民主主義」=善、(日本的)「軍国主義」=悪という<刷り込み>をされてしまったために、<主流派>西欧思想がなおも日本人の意識の中では、正確には大学を含む学校教育やマスコミ等の<公的>空間に表れている意識の中では、<主流派>のままだと考えられる(土着的な又は深層レベルでの意識においてはなお「日本」的なそれは残存している筈だが)。
 <主流派>西欧思想としてホッブズ、ロック、ルソーらが挙げられようが、決してこれらは(佐伯啓思の言葉を借用すれば)西欧においてすら<普遍的>ではなかった。
 日本の社会系・人文系学問・学者の世界はおそらく<主流派>西欧思想(戦後はアメリカのそれを含む)が支配している。
 日本国憲法自体が<主流派>西欧思想の系譜に属すると見られるのだから、この拘束・制約は相当に重く、解け難いものと見ておかねばなるまい。
 憲法学者のほとんどが「左翼」(←<主流派>西欧思想)であるのも不思議では全くない。そして、辻村みよ子もまた、その憲法教科書で、当然のごとく、ルソーの「思想」に、善あるいは<進歩的>なものとして少なからず言及している。
 上の本での中川らの評価と辻村みよ子の本によるルソーの参照の仕方を、対比させてみたいものだ。

0702/辻村みよ子・憲法/第三版(日本評論社、2008)を読む・その4。

 〇 しばらくぶりに、辻村みよ子・憲法/第三版(日本評論社、2008)。
 事項索引に依ってフランス1793年憲法に言及する部分を(この欄で数回に分けて)読んでみた。実質的にこれに関係する「国民主権」の部分は別の機会に委ねて、事項索引中に「ロベスピエール」が一箇所示されているので、紹介してみよう。自由権/経済的自由権/「財産権」の最初の「一・意義」のところで、次のようにロベスピエールに言及している(p.264-5)。
 ・1789年フランス人権宣言、アメリカ憲法第5修正は「所有」を「自然権」又は「神聖かつ不可侵の権利」として掲げた。かかる所有権絶対視の「近代的人権」思想は「ブルジョアジー」の経済活動の正当化・自由確保をして、「資本主義経済を推進するために重要な歴史的意義」を担った。
 ・その後「資本主義の弊害による社会・経済的不平等」の発生により所有権の公的制限の必要が生じ、ドイツ・ワイマール憲法は153条で「絶対不可侵性」を否定して、「所有権は義務を伴う」と謳った。かかる考え方は、フランス革命時の、所有権を「社会的制度」と捉えたロベスピエールや、「財産の共有から私的所有の禁止」へと到達したバブーフにも思想的淵源をもつ。
 ・上記のことの先駆的な意義は第二次大戦後に明らかになり、イタリア等も含めて「社会国家」思想のもとでの「現代型の財産権論」が定着した。日本国憲法29条1項もこの系譜に連なる。
 ・この29条1項につき、「通説・判例」は、個人の財産権を保障するとともに「私有財産制」をも保障するものと解釈する。この説によると、この条項による「制度保障」の核心は「生産手段の私有制」であり、「社会主義へ移行するためには憲法改正が必要」である。
 ・一方、「議会を通じて一定の社会化を達成する」ことは憲法改正を必要としないとする学説もあった(今村成和)。
 ・「資本主義と社会主義の要件」が「変容」し、「区別の基準が不明確になっている」今日では、従来の「多数説を維持することは困難」だ。そこで「個人の自律的な生活を保障することを目的とする制度的保障の理解」が求められている。
 以上。
 上に出てくる「社会国家」とは「社会主義国家」の意味ではなく、英米的には「福祉国家」にほぼあたるものと思われる。また、今村成和説らしい「一定の社会化」可能論は、辻村の叙述だと誤解を与えうるが、<社会主義化>可能論とは異なるものだろう。これらの点はともかく、興味深いのは次の三点だ。
 第一に、戦後又は「現代」の財産権(所有権)制限思想の淵源として、ロベスピエールとアナーキスト(=無政府主義者)のバブーフの二人をあえて挙げていることだ。アナーキズム(無政府主義)もマルクス主義につながる「思想」の一つだった。私的所有廃止・国家不要(死滅)論はマルクス主義と異ならない。
 第二に、「社会主義」の存在意義自体が問われる今日においてなお、「社会主義へ移行するためには憲法改正が必要」=現憲法のままでは日本は「社会主義」国家になれない、と解釈するのが「通説・判例」だと、わざわざ述べていることだ。推測にすぎないが、きっとこの人はかつて、日本国憲法のもとでの日本の「社会主義国家」化の可能性を関心をもって思い巡らしただろう。
 第三に、辻村は、今日では「資本主義と社会主義の要件」が「変容」し、「区別の基準が不明確になっている」と断定的に明記している。
 はたしてそうなのだろうか。中国・北朝鮮・キューバ等を日本等とは基本的<体制>の異なる「社会主義」国家(又はそれを志向している国家)と理解するのは「今日」では誤り又は不適切なのだろうか。概念用法の問題は多少はあるかもしれないが、かかる基本的<体制>の区別は、なおも基本的レベルで重要な意味がある、と考えられる。辻村の書いていることは、ソ連「社会主義」国家解体後の、<資本主義と社会主義の相対化論>と軌を一にしているように思われる。
 以上の三点はいずれも、「ブルジョアジー」という語を平然と使っていることも含めて、辻村みよ子の<思想>の「左翼」(おそらく、ほぼマルクス主義)性をほぼ明瞭に示しているだろう。
 ついでに、「個人の自律的な生活を保障することを目的とする制度的保障の理解」なるものはほとんど意味不明だ。二つほどこの考え方らしき文献が参照要求されているが、観念的・空想的作文の類の議論ではあるまいか。
 〇 NHKについて関心を少し増やしたことの結果として、池田信夫・電波利権(新潮新書、2006)を昨日か一昨日、一気に読了。この分野でもアメリカの政策が日本の政府・産業界に多大の影響を与えていること等をあらためて知る。

0697/関岡英之=イースト・プレス特別取材班編・アメリカの日本改造計画(2006)を一部読む。

 〇1.関岡英之=イースト・プレス特別取材班編・アメリカの日本改造計画(イーストプレス、2006)の関岡と小林よしのり・佐藤優の各対談および佐伯啓思「近代主義の堕落と『魂の復興』」まで、すなわちp.79までを読む。
 2.小林よしのりとの対談中の図1・日本の諸思想(思潮)の4分類(4象限化)はなかなか面白く役立ちそうだ(p.19)。
 まず「固有の価値(日本の伝統)」重視か「普遍的価値(個人の自由)」重視かで上下に二分され(前者が①②象限、後者が③④象限)、ついで「政府」重視(=規制擁護・「大きな政府」論と見られる)か「市場」重視(=規制緩和・民営化・「小さな政府」論と見られる)で左右に二分される(左側が②③象限、右側が①④象限)。そして、かかる分類によると①象限(「固有の価値+規制擁護」派)に平沼赳夫・国民新党が、④象限(「普遍的価値+規制擁護」派)に社民党・共産党が、③象限(「普遍的価値+市場重視」派)に小泉純一郞・竹中平蔵が位置づけられる。暫定的だが、民主党は③・④の中間に、安倍晋三は小泉継承の立場だったためか、②象限(「固有の価値++規制擁護」派)に位置づけられているようだ。
 この分類は、かつて八木秀次が何かの雑誌で試みていたテレビ・キャスター類の「思想傾向」分類のチャートよりも適切だと思える。八木は親米(国際的)か反米(閉鎖的?)かを重要な分類軸にしていたが、これは二つのうちの一つに挙げられるほどの分類軸とは思えない。
 上の関岡等編著での関岡による分類のうち「普遍的価値(個人の自由)」重視か否かは親米か反米かの区別のようでもあるが、この後者(「普遍的価値」重視派)の中に社民党・共産党が挙げられているように、「普遍的価値(個人の自由)」派とはより正確には「国際関係重視・グローバリズム」派と表現し直してもよいと思う。
 そうだとすると、①②と③④の対立は反米か親米かではなく、<日本に固有の価値の重視>派と親中国派と親米派のいずれをも含む<国際関係重視派>の対立と理解してよいだろう。
 親中国派と親米派は「左翼」と「保守」の対立のようでもあるが、しかし、<日本に固有の価値>を軽視し、外国に媚び諂(へつらう)うという点では共通性があるのだ。
 上の佐伯啓思の論考も、上の点、グローバリズム(「新自由主義」)擁護の「保守」(上の③象限に当たるだろう)と「左翼進歩派」(上の④象限に当たる)の共通性をやはり指摘し、それらに共通の敵は「ナショナリスト」だ(上では①②にほぼ該当するだろう)と、次のように述べている。
 「彼らのいう保守主義=新自由主義」に即して冷戦以降の世界を「自由な市場経済」時代だとして「改革」論を唱えた。そこでの標語は、グローバリズム、個人的自由、透明な政治、小さな政府。敵対する者は「遅れた日本的システムや日本的官僚政治」に固執する「日本主義者」と見なされた。
 一方、「左翼進歩派」も冷戦以降を「市民主義的なグローバリズム化の時代」だとし、個人主義、人権主義、透明な政治を擁護し、「遅れた官僚制国家日本」に固執する「日本主義者」がやはり最大の敵対者になる。
 かくして、「保守派にとっても進歩派にとっても、…『ナショナリスト』こそが冷戦以降の『反動』のシンボルとなった」。「ナショナリスト」という「共通の敵」こそが「保守派と進歩派の奇妙な野合を可能にした」(p.71)。
 最近、朝日新聞は郵政民営化・「小泉改革」に好意的だったようだとこの欄に書いたが、その訳が、そして朝日新聞が安倍晋三内閣を執拗に攻撃した理由が、あらためて納得できそうだ。
 3.ところで、佐伯啓思「近代主義の堕落と『魂の復興』」(p.68-79)は、2006年の執筆ではなく、初出は月刊正論2000年6月号らしい。そして、最後の「武士道」関係のやや細かな叙述を除いて、その頃以降の佐伯啓思の主張・見解のエッセンスが展開されている。その意味で、さして長くはないので(といっても三段組12頁なので新書版に印刷し直すと20-30頁になるだろうか)何度も読まれてよいように思われる。少しだけ要約的に引用してみる。
 ・冷戦以降につき、F・フクヤマのアメリカ中心の「西欧的なリベラル・デモクラシー」の世界化論、S・ハンチントンの「文明の衝突」論が対立している。但し、日本の戦後「平和主義」の如き「情緒的イデオロギー」による図式化は警戒する必要がある。
 ・「われわれ」の世界解釈の図式は基本的にはフクヤマ的で、地域紛争・民族主義・ナショナリズム等はおおむね「反動的」傾向として危険視される。時代「順行」的なのは、グローバル化、個人の自立、人権の普遍化、抑圧からの解放と「脱国家化」だった。
 ・かくして「進歩」思想は当然視され、IT革命との技術進歩への期待とともにどっぷりと「進歩」たる観念に浸かっている。
 ・この10年の日本の表層を覆ったのは諸「改革」論だった。この論が一貫して問題視し批判したのは「日本型」というシステムで、「西欧的な」あるいは「普遍的な」「世界標準」に改めよと主張された。「日本型特殊性」の経済は「非民主的で後進的」であり、「西欧的(アメリカ的)普遍性」をもつ、「公正、透明、自由な市場」への変革こそが「進歩」だとされた。
 ・「日本型特殊性=後進性」、「西欧的普遍性=先進性」という粗雑な対比の意味に確かな議論はなかったが、「単純化された図式がほぼ暗黙裡に作用した」。
 〔このあと、上で紹介の、「ナショナリスト」を共通の敵とする「保守派と進歩派」の「奇妙な野合」に関する文章がつづく。〕
 ・資本主義か社会主義かは保守派と進歩派を分かつ論点にはもはやならない。保守派の「透明で公正で個人責任に基づいた資本主義」に進歩派も基本的には同調せざるをえず、資本主義競争からの脱落者を救済していたのが「共同体」的「日本型システム」だったとすれば、進歩派もこの道を採らない。そこで、「保守派の改革主義」と「進歩派の市民主義」をつなぐのは「セーフティ・ネット」なるものになっている。
 ・かくして、冷戦以降の言説空間は「保守派からの改革論と進歩派の市民論」の「緩やかな結合」になっており、両者いずれも、守旧的な「日本」に固執する「ナショナリスト」を批判する。そして、広義の改革論的国際派とナショナリストとの対立が構成され、もはや「保守派と進歩派」の対立は「意味をもたない」。実際、何が「保守」か「進歩」かの識別は不可能になっている。
 ・だが、「ナショナリスト」とは何か。確かな意味内容の定義もなく、否定的な物としてのレッテル貼りによって言葉が流通している。「開明的・啓蒙的な国際主義」に対立する「反動的」動向をイメージさせる表象が「ナショナリスト」なのだ。そして、その背後には、戦後の(いや明治以降の?)<先進的西欧・後進的日本>という図式が依然としてある。
 ・保守派改革主義者は「公正な市場」・「個人責任」は「西欧的」ではなく「普遍的」だと、市民主義者は「民主主義」・「人権」は「西欧的」ではなく「普遍的」だと、主張するだろう。しかし、「普遍的」とはいったい何か。市場・個人主義・民主主義・人権のいすれにせよ「多くの欠陥」を持つことは西欧思想においてすら何度も自省されてきた。また、「普遍的」な方向を目指すということ自体が、まだ「普遍的」ではないことを自認しているのだ。
 ・「保守派も進歩派も」、問題設定に失敗している、と私(佐伯)は考える。グローバリズム=進歩、ナショナリズム=反動、という対抗ではなく、問題は「もう少し違ったところ」にある。
 ・「失われた10年」と言うが、失われたのは経済・技術ではなく「もっと根底的なもの」だ。それは「魂の問題」で、「魂」をすっかり奪い取られたのだ。
 ・「魂」・「エートス」は多義的だが、「倫理的な規範意識を持って物事(行動)に対して自己を結びつける精神のあり方を示す」言葉として、また西欧的「エートス」を実質化するものとして、「魂」を用いる。
 ここで止めておくが、このあと佐伯は、日本における倫理・徳・美徳・美意識・「心」、あるいは「価値」の喪失を指摘し、これが「民主主義」・「個人的自由主義」という戦後の公式的・絶対的価値観に由来することを述べている。まさしく同感するところなのだが、「価値や倫理」の問題が、個人的な「好悪」の問題にされてしまっているのだ。善悪・正邪の問題が「好き嫌い」の問題に堕しているのだ。佐伯啓思の指摘するとおり、現在の日本は、「魂を失った人間」で充ち満ちている。「戦後」が、そうした人間を続々と創り出してきた。
 この佐伯啓思論考を読むと、その後にすでに読んだ諸論考や佐伯・日本の愛国心(NTT出版)、佐伯・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書)が書かれていることとその背景がさらによく分かる。その意味で無駄ではない読書時間だった。
 〇 田母神俊雄・田母神塾-これが誇りある日本の教科書だ(双葉社、2009)、田母神俊雄=潮匡人・自衛隊はどこまで強いのか(講談社+α新書、2009)を、平行して読書中。

0675/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)を読む-その2

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)には、この欄の1/29に「自由主義・『個人』主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1 」と題して、p.57-60あたりに言及した。その後、佐伯・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)へと回ったので、間隔が空いたが、「その2」を続けてみよう。
 1 ・「通俗的リベラリズム、すなわち抽象的な個人、本来何物にも拘束されない個人から出発すると、国家はもっぱら個人の自由の対立物と見なされる」。だが、個人が「伝統負荷的」だとは「国家負荷的」でもあるということだ。国家の解体・衰弱は「個人」も空中分解させる(p.61)。
 ・80年代以降の「個人」と「国家」の矛盾を「やり繰り」するためには、「何物にも拘束されない個人の自由」から「話を始めることをやめなければならない」。かかる「近代主義から決別しなければならない」(p.65)。
 論点は異なるが、もともと「国家」とは「個人」を含む概念かどうかという問題がある。両者を対峙させ、後者の前者からの「自由」、前者の後者(の生命・財産)を「保護する責任」を説くという用法もかなり広く見られる。だが、もともと、主権・領土・国民という三要素を持つとされる「国家」の場合は、その一部・一要素として「国民」を含み込んでいる。とくに社会系学問分野において、この「国家」概念自体が明確にされて議論されているのかどうか。場合によっては、「国家」と「統治(政治)権力」とはきちんと区別して論じる必要がある。但し、主権は「国民」にあるとし、「統治(政治)権力」者は最終的には「国民」だと説明し始めると、またややこしくなる。とすると、「…権力」はやめて、国家と区別される「統治機構(担当者)」と語るべきか。簡単には「政府」という言葉も使われている。だが、この「政府」概念は、<地方政府>=地方自治体を含みがたいという難点があると思われる。そもそも現在の地方自治体は<(地方)政府>といえるほどの実体があるのか、という問題も含めて。だが、地方自治体も「統治機構(担当者)」ではあるだろう。
 2 ・冷戦終結以降の一般的認識はイデオロギー・思想の時代は終わったというもので、代わって「その場しのぎの現実主義」、ほぼその自動的結果としての「大衆迎合主義」が登場している。1993年以降の二つの連立政権(非自民細川・自社さ)も「依然として、慣れ合いと大衆迎合に基礎」をもつ、「大衆迎合的現実主義」の産物で、「五五年体制から一歩も出ていない」(p.66-67)。
 ・「生活者重視」たるキーワードは、元来は「経済的自由主義」・「消費者主権」という陳腐な、だが「決して自明なものとして流通」できない概念の言い換えなのだろう。だが、「生活者」との語によって、「経済的自由主義」・「消費者主権」概念の問題・「まやかし」が隠蔽されている。「場当たり的現実主義」が、「思想的課題」を排除している(p.68)。
 ・政治家のみならず、「おおかたの」学者・ジャーナリスト等の「知識人」も「確かな見通し」をもてない。自国(国益)中心の経済的枠組みを作る必要があるのに「経済的自由主義」を、「民族主義」の噴出にかかわらず「グローバルなデモクラシー」を、建前とせざるをえない、という「思想的混乱」が現出している(p.70)。
 この本は1996年刊なのだが、上のような諸指摘は2009年の日本についても、なおそのまま妥当しているのではないか。

0671/福田恆存に関する二つの連載もの(竹内洋・遠藤浩一)と再び櫻田淳。

 一 偶然なのかどうか、福田恆存に論及する連載ものが二つの雑誌で数ヶ月続いている。月刊諸君!(文藝春秋)の竹内洋「革新幻想の戦後史」(4月号は17回「『解ってたまるか!』と福田恆存」)と月刊正論(産経新聞社)の遠藤浩一「福田恆存と三島由紀夫の『戦後』」(4月号で31回)だ。
 前者の4月号も面白い。①金嬉老事件(1968)にかかわっての、中嶋嶺雄、鈴木道彦、日高六郎、中野好夫、金達寿、伊藤成彦ら(当時の)「進歩的文化人」の<右往左往>も、その一つ。
 ②朝日新聞の顕著な<傾向>を示す次の叙述も。-福田恆存が発表した論文が朝日新聞「論断時評」欄でどう扱われたか。「昭和四一年まで」は比較的多く言及されたが、昭和26年~昭和55年の間での「肯定的言及」数は福田恆存は28位で肯定的言及数でいうと中野好夫・小田実・清水幾太郎の「半分にも達していない」。一方、総言及数のうち「否定的言及」数は福田恆存の場合31%で、林健太郎(21%)、清水幾太郎(15%)を上回り、三一名中のトップ。「昭和四二年あたりから」は、福田恆存論文への言及そのものが「ほとんどなくなる」(p.234。竹内は辻村明の論考を参考にして書いている)。朝日新聞「論断時評」欄のこの偏り・政治性は、今も続いているだろう。
 なお、月刊WiLL4月号(ワック)の深澤成壽「文藝春秋/福田恆存『剽窃疑惑』の怪」(p.236~)は「左傾」?メディアの一つ・文藝春秋批判という位置づけなのか、この竹内連載中の福田恆存・清水幾太郎「剽窃」問題のとり挙げ方を批判している。そうまで目くじらを立てるほどではあるまいと感じたが、当方の読みが浅いのかもしれない。
 一方、後者(月刊正論の遠藤浩一)の4月号では、文学座の杉村春子の暴走、「女の一生」の中国迎合改作(改演)の叙述(p.269-273)が興味深い。演劇界にも戦後<進歩主義・対中贖罪意識>は蔓延したようで、「札付きの左翼劇団」だった民芸や俳優座だけでなく、政治と一線を画してきた文学座も「昭和三十代」に入ると「反安保」・「日中友好」を通じて「左翼観念主義」・「左翼便宜主義」に取り憑かれた(p.269)。
 滝沢修も日本共産党員らしき者(少なくとも70年代に「支持者」以上)だったが、どの劇団だったか、すぐには思い出せない。仲代達矢もそうした傾向の劇団を経ていたのかもしれないが(「左翼」五味川原作の「人間の条件」の主役もした)、そうした<傾き>をほとんどか全く感じられないのは(実際にも<傾き>がないのかもしれないが)好印象をもつ。
 杉村春子(1906-97)といえば、意外に知られていないかもしれないが、大江健三郎が受賞を拒否した翌年に文化勲章受章をやはり拒否した人物でもある。こじつけ理由の差異はともあれ、少なくとも拒否の点では、大江健三郎のエピゴーネン。
 二 ところで、櫻田淳は福田恆存につき、戦前の「古き良き日本」を思慕した言説主だとの前提に立っているようだ(月刊諸君!4月号p.52-53)。そうした面はあっただろうが、はたしてそう単純に福田恆存を概括してよいのだろうか。杉村に対する福田恆存の「助言」を読んでも、<昔(戦前)は良かった>を骨子とする<保守・反動>ではないことは明らかだ。
 櫻田には三島由紀夫や福田恆存の世代とは異なるんだという意識が透いて見える。それはよいとしても、-前回に記し忘れているが「戦後の実績」を「明確に肯定する」ことを前提にしてこそ「保守・右翼」言説は「拡がりを持つ」だろうとの指摘(p.53)には唖然とした。これは、「保守・右翼」言説の<左傾化>を推奨しているようなものだ。<左傾化>すれば「拡がり」を持つだろうが、もはや「保守」言説でなくなっている可能性が大だ。
 むろん、何が「戦後の実績」かという問題はある。<日本国憲法体制>あるいはGHQ史観・東京裁判史観の(基本的に)肯定的な評価までも含意させているとすれば、この人は「真正保守」どころか、「保守」だとも思われない(なお<日本国憲法体制>=1947年体制への私の疑問・批判は、同憲法無効論を前提としてはいない)。
 三 さらに前回記し忘れたことだが、産経新聞2/26「正論」欄の櫻田淳「『現在進行形の努力』と保守」の中には、一部、大きな過ちがある。すなわち、櫻田は、「定額給付金」は減税の一種だと理解し、<定額か定率か>つまり<定額減税か定率減税か>が問題だったはず、等と述べている。
 「定額給付金」は減税ではなく、所得税・住民税の非課税者(減税があっても利益にはならない人たち)にも給付される。このことは常識だと思っていたが、櫻田は理解できていない。まさに「右か左かはどうでもいい」(月刊諸君!4月号、櫻田p.55)基礎的知識レベルの問題なのだが。この人は信頼してはいけないように思える。

0670/櫻田淳は「真正保守」主義者か?等。

 〇一週間前に出した名前の小牧薫、高嶋伸欣でネット検索してみると、この二人がただの某裁判支援事務局長、名誉教授ではないことがよくわかった。逐一資料は挙げないが、れっきとした「左翼」組織員だ。日本共産党員である可能性もある。小牧薫は大江健三郎の本につき、「一定の」批判はある、と発言していたが、この「一定」(ある程度又はある側面)という表現の仕方は、日本共産党活動家に特有なものだ。あるいは、「左翼」活動家に広く使われている独特の表現方法・語彙の使い方かもしれない。
 〇産経新聞3/02の「正論」欄で、大原康男「保守派は『正念場』を迎えた」と書いている。
 政権交代が現実味を帯びており、民主党中心政権が誕生すると、①選択的夫婦別姓法案、②「戦時性的強制被害者問題解決」法案、③<定住外国人への地方参政権付与>法案、④<靖国神社に代わる国立追悼施設設置>法案などが成立する可能性がある。「保守派はこれまでにない難局に直面し、まさに正念場を迎えることになるだろう」。……
 そして大原は言う。-政治家だけではなく「民間の実力・器量も問われる」、「…党派を超えて真正保守の政と民が今まで以上に緊密かつ強力な戦線を構築することが望まれる」。
 大原に積極的に反対するつもりはないし、むしろきっとそうだろうとは思う。だがやはり、上の「真正保守」とはどういう考え方又はそれにもとづく団体・組織なのかは、不明瞭なままだろう。
 同じく産経新聞「正論」欄に登場し、「保守」派らしい月刊諸君!4月号(文藝春秋)に「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」を書いている櫻田淳は自らを「保守」主義者だと疑っていないようだが、大原のいう(いや誰が言ってもよい)「真正保守」の立場にあるのだろうか。
 櫻田によると、現在「保守」言論は「敗北」し、それは自らの「堕落」の帰結だ。櫻田は必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない「福祉価値」と「威信価値」の二つを持ち出して、昨今の「保守・右翼」言説の特徴は後者の価値への「過度の傾斜」だとし、例として(日本)核武装論を挙げる。そして、この論は「核」廃絶による平和実現を説いた昔日の「進歩・左翼」言説と「何ら質的な差を見出せない」とする(諸君!4月号p.46-48)。
 さらに注目されることには又は驚かされることには、次のようにも言う。
 「村山談話」は、「現時点では日本の国益に資する『盾』や『共感の縁』としての効果を持つに至っていると評価している」。「村山談話」を、2005.04に小泉純一郎首相はバンドン演説で「対日批判」に対する「盾」として転用し、その演説は中韓以外のアジア・アフリカ諸国との「共感の縁」としても作用した(p.48-49)。
 こうした櫻田の主張は「保守」ではないのではないか。「盾」として転用せざるを得なかった?中韓の「反日」姿勢に対する批判的・警戒的な言葉はどこにもない。
 櫻田はつぎのようにも言う。-「村山談話」発表が世界での日本の「声望」への著しい害悪を及ぼしたのならば再考・破棄を提起したいが、「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」(p.50)。
 かかる認識もまた(「保守派」としては)異様なのではないか。「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」などと暢気に言っておれる神経が理解できない。また、論理的には、<日本の「声望」への著しい害悪>があったか否かが第一次的に重要なのではなく、「村山談話」の内容そのものの適否こそをまずは問題にしなければならないのではないか。
 櫻田は「保守・右翼」知識層の言説に種々の状況判断をふまえての<政治性>を求めているようだ。かかる姿勢は、不可避的に現状追認、過度の?摩擦・軋轢の回避の方向に親和的だ。それは、どこかで誰かが、あるいは広く朝日新聞等の「左翼」も含めて主張している、対中国・対韓国(・北朝鮮)関係は<できるだけ穏便に>・<不必要に刺激しないように>という、首を出すのを恐れるかたつむりか亀のような意識・神経をもて、という主張に近いように思われる。
 櫻田によると、高坂正嶤やかつての自民党は「福祉価値」を重視し、それの着実な充足によって多くの日本人の支持を得た。戦後生まれの者が三島由紀夫や福田恆存のように戦前の「古き良き」日本を思慕するのならば、それは「共産主義」社会を夢想した「進歩・左翼」の観念論に似た趣きをもつ。この「観念論の趣きこそが」、「保守」言論の「堕落」を招いている一因だ(p.51-53)。
 紹介は面倒なのでこのくらいにしたいが、まず第一に、「必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない」とすでに上で記したが、櫻田が何やら新味を提出していると思っているらしい「福祉価値」と「威信価値」の区別は、多少の説明はあるが、また別の本か何かで書いているのかもしれないが、その意味・重大性の程度がきわめて曖昧だ。
 第二に、櫻田は「保守・右翼」言論が「進歩・左翼」のごとき「観念論の趣き」を持つと批判しているが、櫻田淳のこの論考自体が、私がこれまで読んできた「保守・右翼」言論の多くよりもはるかに「観念論」的だ。要するに、観念・言葉の<遊び>が多すぎる。日本の現実、日本をとり巻く国際情勢の現実を、この人は<リアル>に見ているのか。それよりも、「保守・右翼」言論の<方法・観点>を批判してやろうという主観的意図(これを一概に批判するわけではない)を、優先させているとしか思えない。
 このような櫻田淳は「真正保守」か?
 月刊正論4月号(産経新聞社)には潮匡人の「リベラルな俗物たち」の連載が続いている(今回の対象は、保阪正康という「軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家」)。櫻田が「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」というときの「リベラル」と潮匡人の「リベラル」とは意味が違っているに違いない。違っていないとすれば、櫻田淳もまた客観的には「リベラルな俗物たち」の一人である可能性がある。
 「真正保守」・「リベラル」についての自らの見解を提示していないことは承知している。ただ<保守>論壇らしきものの危うさを懸念して、以上を書きたくなった。

0665/遅れて月刊諸君!2月号(文藝春秋)の一部。

 諸君!2月号(文藝春秋)を遅れて入手。
 一 田母神俊雄論文に関する編集の仕方は、さすがに(株)文藝春秋らしい(褒めているのではない)。
 二 竹内洋「革新幻想の戦後史15/『進歩的文化人』と『保守反動』」p.272以下を併せて読むと要するに、福田恆存「平和論の進め方についての疑問」(中央公論1954.12号)は清水幾太郎の剽窃(的)だと大熊信行は論評したが、事実は逆で、清水が福田の真似をした、ということのようだ。
 京都市立旭丘中学校事件のことをほとんど知らないので、興味深い。また遡って、未購入の1月号を入手しようか。
 同事件に関連して懲戒処分を受けた「左翼」教員側は、寺島洋之助、山本正行、北小路昴(北小路敏の父)ら。最高裁判決1974.12.10で懲戒免職処分は適法視された。これら教員側を応援した「進歩的」文化人・学者は、太田嶤(東京大学)、末川博(立命館)。市教委を支持して「左翼」側を批判したのは、臼井吉見(評論家)、坂田期雄(京都大学)。
 このあと、竹内洋はじつに興味深いことを書いている。
 坂田期雄が「進歩的」京都文化人等と対立したのは「かなり勇気のいる」ことだった。そして、この事件以来、坂田は「保守反動のレッテル」を貼られ、その「禍はその弟子」に及び、「有名国立大学」に転出する話が出ていた弟子(助手)の人事が「流れて」しまい、その弟子は結局は京都の某私立大学に就職した。坂田は、自分がレッテル貼りされたことは甘受するとしても、「弟子の就職の邪魔をした」ことになり慚愧に堪えないと語っていたとか(p.269-270)。
 政治学の分野で、<保守反動>の指導教授は大学院生たちを早く又はより有利に就職させられない状況にあったことを、中西輝政がたぶんほぼ2年前のやはり諸君!の座談会で語っていた(指導教授は高坂正嶤)。坂田期雄は当時京都大学人文研究所所属で専攻は日本史だが、広く思想史や政治学の「弟子」もいたようだ。
 中西輝政や竹内洋の証言?にかかる時代はだいぶ前だが、歴史学、教育学、政治学、法学、経済学等々の社会・人文系分野では、似たようなことが現在でも程度の差はあれあるのではないか。「左翼」的=学界<体制派>でないと、就職がむつかしいか、<よい>大学等には就職できないのではないか。逆に、平均的な業績があれば、例えば日本共産党員であるということは就職や転任にとって決定的に有利な要因になるような学問分野、科目、大学や特定の学部もあるのではないか。<大学の自治>、<学問の自由>の名のもとで、世間相場よりも多くの<左翼>たちが、そして日本共産党員を含む多くの左翼<組織員>たちが、大学には(社会系・人文系学部では)今なお棲息しているのではないかと思われる。そういう者たちの圧倒的な影響のもとで、学生たちは公務員(官僚)やマスコミ社員等となるべく卒業してきたことに、あらためて瞠目しておくべきだろう。
 三 中西輝政「日本自立元年」は巻頭の計13頁ぶん。ふつうならこの中西論考を読むだけでも購入するに値しただろうが、田母神俊雄論文に関する唯一の企画である対談の一人が保阪正康だと知って買わなかったのだった。
 2007年秋には中西はすでに「政界再編」への期待を語っていたと記憶する。この論考でも、最後の部分はこうだ。
 「日本生存のためには、どうしても劇的な政界再編を経て、真の保守勢力が結集されなければならない」。次の総選挙は「その第一歩となるはず」で、「そうならなければ、日本の明日はない」(p.36)。
 「真の保守勢力」の意味や核となるべき政治家集団が必ずしも明確になってはいないと思うが、かかる主張に反対するつもりはない。
 ただ、その現実的可能性を楽観視はできないと感じる。また、「そうならなければ」という条件つきの「日本の明日はない」との表現は、そうならないことがあれば文字通り「日本の明日はない」との意味で、じつはかなり悲壮な訴えかけなのではないか。

0664/佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を読む・その3。

 一 佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)は、丸山真男にも言及する(つづき)。
 p.176以下。1970年前後に全共闘学生の攻撃対象になったのは丸山真男のような「穏健左翼」で、「最高の権威に守られた安全な場所」での「民主主義こそ大事」論は「左翼の偽装」・「欺瞞」だとされた。この時期以降、丸山は東京大学を辞職し「社会的に発言」しなくなる。
 上の点はともかく、丸山真男によると、日本が近代国家でなかった最大の証拠は「天皇が、政治的主権者であると同時に宗教者である」ことにあった。「西洋近代国家」の主権者の「価値に対して中立的」という「最大の要件」を充たしていない。あの戦争の開始も天皇主権(・民主主義の不在)と無関係ではない。「民主主義と天皇主権国家は両立」せず、「戦後日本」が「民主主義に生まれ変わったことはすばらしい」。従って、つねに「八・一五」に立ち返るべきだ。民主主義が成熟すれば日本はもう戦争を起こさないだろう。
 かかる趣旨の丸山真男論文(「超国家主義の論理と心理」)は「戦後民主主義の理論的支柱」となり、「弟子の政治学者」や「大江健三郎」らを含めた「進歩的文化人」を生み出した。
 だが、と佐伯啓思は続けるが、相当に省略する。佐伯は吉田満(・戦艦大和の最期)に言及しつつ、丸山真男は公式的「戦後民主主義、平和主義」の立場からの「悔恨の共同体」論だったのに対して、吉田満が示したのは、戦争の善悪はともあれ、「死んでいった若者たちに、われわれは非常に多くの何かを負っている」という「負い目の共同体」という考え方だ、とも述べる。
 ちなみに、今回の冒頭にいう「穏健左翼」の中には、日本共産党(員)も、丸山真男が支持していたと見られる日本社会党も入っていた。丸山の「悔恨の共同体」論からすると、戦死した若者たちは間違った戦前の<(騙された)無意味な犠牲者>になるのだろう。また、佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)は、もう少し専門的に?より詳しく丸山真男に論及している。いつかの機会に紹介する。
 二 佐伯啓思は「八・一五」(こういう言い方を彼はしないが)前後の歴史にも言及している。そして、言い古されたものもあるが、また議論がなお必要な論点もあるだろうが、佐伯自身の文章で書かれていることに、やはり注目しておきたい。
 ・アメリカはポツダム宣言や初期の対日占領政策文書では「日本国民の自由意思」に日本の最終政治形態は委ねるとしつつ、降伏文書では日本の主権はGHQに属する(subject to)とする。この二重性は日本国憲法にも表れており、形式的には明治憲法の改正手続によりつつ(日本国民の意思によると見せかけつつ)、「実質的には、GHQがつくり上げたものに」 なった(p.198)。
 ・そもそも「根本的に問題」なのは、主権を制限された国家が「いずれの形であれ憲法を持つことができるのか」、だ(p.197)。
 ・東京裁判の法的根拠は「マッカーサーの指令」にあり、「東京裁判そのものが占領政策の一環」だった。
 ・さらに厄介なのは日本が講和条約で「アメリカの歴史観を受け入れたとみなされている」ことだ。同条約11条の「…を受諾し」は、「諸判決」の「履行まで義務づけ」る(=拘禁刑受刑者をただちには解放しない)という意味で、「東京裁判の全体なり、東京裁判を支えている歴史観を受け入れたわけでは、毛頭ない」。にもかかわらず、日本は「アメリカの歴史観」を認めたことに、諸外国がそう見なしただけでなく、「何となく」、「日本自らも…みなしてしまった」(p.202-3)。
 ・上のことが「現在に至るまで、様々な問題を引き起こしている」。主権回復後、憲法改正も再度の裁判も可能だったのに、しなかった。日本人なりに「あの戦争の意味づけや解釈や批判的な検討もすべきだった」のに、しなかった。「占領期という特異な期間をそのまま承認」し、「その特異な産物である憲法もそのまま認めてしまった」。それどころか、「進歩的知識人も、保守系の政治家も」「日本は民主的な平和国家に生まれ変わった」、と言い出した。「自分たちでそうだと思い込んでしまった」、「そのことが現在でもわれわれの上に、非常に重たくのしかかっている」(p.204-5)。
 以上の文章を読んで、あらためて慨嘆する。ほとんど同じ世代の佐伯啓思にも私にも、そして「団塊」世代にも、実質的な<責任>は全くない。やや広く1946~1951年生まれを「団塊世代」というとしても、彼らが(我々が)成人を迎えた=有権者たる20歳になったのは、早くて1966年であり、占領期、同時期内での日本国憲法の制定、同じく東京裁判、サンフランシスコ平和(講和)条約、「戦力」ではない「自衛隊」発足、さらには所謂55年体制の成立、「60年安保」、1965年の日韓基本条約締結等に、実質的には(意見表明・選挙権行使等によって)関与することを全くしていない(なお、田母神俊雄は1948年生まれで狭義でも「団塊」世代)。
 すべてが、じつは明治後半から大正時代生まれの者たちによってなされた(昭和元年生まれの者でも敗戦の年にようやく20歳だ)。日本人先輩はそれぞれに苦労したのだとは思うが、敗戦後60年を経ても残っている課題があり、それらについて現在でも「国論」が分裂しているのは、到底正常な事態だとは思われない。せめて、自主的な憲法制定(・日本軍の正式認知)でも1960年代の前半までにしておいてくれれば、その後の政治の様相は大きく異なったに違いない。そして、だからこそ、日本社会党は過半数の議席を取れなかったが、憲法改正阻止のためには必要な1/3以上の議席を日本社会党(等の「護憲」政党)に与え続ける、その理論的支柱となり又は大衆的雰囲気を提供した<左翼・進歩的知識人>(多くの大学教授を含む)や朝日新聞等の<左翼・進歩的>マスコミの果たした役割は歴史的に見ても<きわめて犯罪的だった>とあらためて思う。
 三 最近関心を持つのは、論者たちが現在の日本に続く近未来の日本をどう予想しているか、だ。佐伯啓思はこの本の本文を、次のように述べて終えている。
 「日本の愛国心」とも言える「近代日本が宿命づけられた悲劇の感覚」を「絶えず想起する」ことはできるし、想起する想像力をもつ必要がある。「それさえあれば」、まだ「日本の愛国心」は「か細くも脈々と受け継がれていくように思われる」(p.224)。
 「それさえあれば」という条件つきの、「か細くも(脈々と)」とは、かなり悲観的な表現ではなかろうか。
 潮匡人・やがて日本は世界で「80番目」の国に堕ちる(PHP、2008.12)の最後の文章はこうだ。なお、日本は戦後の国連に80番目に加盟した。
 「日本は今後『衰退の一途を辿る』。やがて世界で八〇番目の国に堕ちる」。田母神俊雄が「暗黒の時代」の到来を身をもって示した如く、田母神論文の主張の正しさを「日本は身をもって示すに違いない」(p.221)。
 ここで言及されている昨秋の田母神俊雄論文の最後の二文はこうだった。
 「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」(田母神俊雄・自らの身は顧みず(ワック、2008)所収p.228)。
 潮匡人が悲観的又は絶望的な一文で終えているコラム的文章を二つほどは読んだような気がするが、上の本の末尾でも、楽観的な部分は全くない。
 他の論者については別途触れることがあるかもしれない。
 ともあれ、このような鬱陶しい時代状況の下で<老後>に入っていくとは想像していなかった。個人的にもひどく鬱陶しい。

0663/佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を読む・その2。

 たぶん2/05か2/06に佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を全読了。
 1 何となく感じていたこと又は他の人も書いているようなことを、佐伯自身の文章で読むと、新鮮な感がするところがある。
 p.142以下。21世紀は各国の争い・闘いの時代(ジョン・グレイの言う「帝国主義」時代)だ。日本の立場・国力・意思・価値観が問われる。「国力」にとって最も重要なのは「文化・価値の力」だ。
 しかし、「日本特有の事情」により、日本の「価値」は「今のわれわれ」には見失われている。「日本特有の事情」とは、「戦後の日本の、事実上のアメリカへの追従」だ。
 あの戦争でただ負けたのではなく「価値観の上で負けた」、負けたのは「道徳的に間違っていたから」だ、というのが「公式」的理解になった。「左翼進歩派」のみならず「戦後の日本政府」も基本的にはこの理解だった。
 「自主的な」戦後の構築を日本はせず、日本の「戦後政治」は「アメリカの占領政策の基本構造」の受容から始まる。「あの戦争についての、押しつけられた歴史観に抵抗して、自国の立場を主張することなく、…エネルギーを経済に振り向け、…奇跡的な経済成長を遂げた」。日本人の生活のほとんどはなおも「日本的な」習慣によるが、「根本的なところは、アメリカによって『骨抜き』にされてしまっている」。かつての価値が否定され、「精神的な空白」が生じ、「アメリカ的なもの」への「精神的従属」が生まれた。
 2 日本の独自性・「愛国心」 に触れつつ、次のことも明言している。
 p.164以下。「実際、今日の日本は、ある種の崩壊と言ってよいような、すさまじい過程に入っている気がする」。
 「今、日本の政治はまったくの機能不全に陥って」いる。今の日本には「国民の意思」がほとんど確かなものとしては存在しない。
 近年の選挙で示されたのは、「まともな民主主義」とは言えない。民主主義の機能のためには国民に「自国に対する責任」感、広義での「愛国心」が必要だが、今の国民には見あたらない。某調査によると自国に「誇り」もつ国民の割合は日本は74国中71位、戦争への参加は59国中「圧倒的に最下位」で日本は15%(中国90%、韓国75%、アメリカ64%)。
 3 姜尚中のナショナリズム・パトリオティズム概念の曖昧さを指摘したのちの、丸山真男への言及が新書本にしてはやや長い。
 p.175以下。「ナショナリズム、愛国心」対「自由、民主主義、平和」という構図を典型的に表明したのが、丸山真男の戦後の諸論文だった。アカデミズムの「権威」を背景にジャーナリスティックな場でも活動した「左翼系オピニオンリーダー」、「左翼思想におけるカリスマ的な人物」。丸山の民主主義論等は「権威主義」を排除するものの筈だが、「丸山門下や丸山信者は、丸山さんを絶対的な権威にしてしまっているのが、面白い」。
 途中だが、もう一回つづける。

0660/長尾龍一・憲法問題入門(ちくま新書)と横田喜三郎の1951年本(河出)における「民主主義」。

 一 長尾龍一・憲法問題入門(ちくま新書、1997)のp.39~p.41にこんな文章がある。
 ・民主主義=Democracy とは「デーモス(民衆)の支配」の意味で、「デーモス」は下層・中層自由民を意味した。
 「民衆のための支配」という標語は、「何が民衆のためか」の認定権を少数者が持てば、「独裁制の正当化」になる可能性がある。
 十分で正確な情報にもとづかない「デーモス」の決定は「極めて不合理」になりうることは容易に想像がつく。従って当時は、無条件に Democracy を賛美する者など存在せず、有識者の多くは「反民主主義者」だった。この時代、民主主義は「価値判断ぬき」の「一つの制度」で、その長短を冷静に議論できた。
 民主主義=正義、非民主性=悪となったのは一九世紀以降の「価値観」で、そうすると「民主主義」というスローガンの奪い合いになる。この混乱を、(とくにロシア革命後の)マルクス主義は助長した。マルクス主義によれば、「封建的・ブルジョア的」意識をもつ民衆の教育・支配・強制が「真の民主主義」だ。未来世代の幸福のための、現在世代を犠牲にする「支配」なのだが、「未来社会」が「幻想」ならば、その支配は「幻想を信じる狂信者」による「抑圧」であり、これが「人民民主主義」と称されたものの「正体」だ。
 ・民主主義が「民衆による支配」 だとすると、「支配」からの自由と対立する。「民衆」が全てを決定すると「自由な余地」はなくなる。レーニンやムッソリーニは、「民衆代表」と称する者による「徹底的な自由抑圧」を「徹底した民主主義」として正当化した。
 一方、、「支配からの自由」を徹底すれば「民衆による支配」もなくなり、「アナーキー」になる。以下省略。
 長尾龍一は1938~。東京大学法学部卒だが、同学部・大学院ではなく、東京大学大学院総合文化研究科教授(上の本の著者紹介による)。
 二 横田喜三郎・民主主義の広い理解のために(河出書房・市民文庫、1951第一版)はGHQ占領下の時期のものだ。
 既に紹介のとおり、宮沢俊義もまた、<何でも民主主義>とでも言うべき、自由・平等・個人主義等をすべて「民主主義」から、又はそれとの関連のもとで説明する文章を書いていたが(「民主主義=(何でも出てくる)玉手箱」論とでも言おうか)、この横田の本も似ているところがある。
 p.11にはこんな文章がある。
 ・「民主主義」とは、「精神的な、思想的な」方面では、「すべての人にひとしく人格を認め、これを尊重し、すべての人の利益と意見を同様に尊重するという精神・心持・態度を意味する」。
 ・「民主主義」とは、「社会的な」面では、「すべての人に平等な機会を与え、平等なものとして扱う社会制度を、すべての人に広い言論や思想の自由を認める社会組織を」意味する。
 ・「民主主義」は、「政治的な」分野でも同様で、「人民主権」や「人民参政」の政治形態を意味する。もっとも、「人民主権」・「人民参政」は「結局においては、すべての人が平等だという思想」にもとづく。「人民主権」は「君主主権」と対立する。
 以上の横田喜三郎の文章において、「民主主義」と「平等」とは、あるいは「民主主義」と「自由」や「個人主義」は(関係するところがあるかもしれないとしても)明瞭に別の観念として説明されているだろうか。ここにも、<何でも民主主義>論、「民主主義=(何でも出てくる)玉手箱」論が見られるようだ(なお、別の箇所では民主主義=自由主義ではないこと等を論じてはいる)。
 このようなことを、「市民」向けにであれ書いていた人が当時東京大学の国際法担当教授であり、のちに最高裁判所長官になったのだから、日本の戦後の出発は、あるいは「戦後民主主義」の始まりは、「民主主義」についての、ヒドい誤りを含んだままの、冷静な理解を欠く状態でなされた、と感じざるをえない。
 ポツダム宣言は、「軍国主義」と「民主主義」とを対置して、「民主主義」的傾向に対する障碍の除去を謳っていた。また、あの戦争は<民主主義対ファシズム>の闘いだったとの「歴史認識」も、GHQのそれを基礎にして宣伝され、教育された。
 宮沢俊義や横田喜三郎の「広い民主主義」観又は「民主主義」概念の「広い」用法は、このポツダム宣言やGHQの「歴史認識」に影響を受けたものだ、あるいはこれらに<追慫>したものだ、というのが成り立ちうる一つの仮説だと考えられる。

0659/自由主義・「個人」主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1

 一 <民主主義>とは「国民」又は「人民」の意向・意思に(できるだけ)即して行うという考え方、というだけの意味で(「民主政治」・「民主政」はそのような「政治」というだけのこと)で、「国民」・「人民」の意思の内容・その価値判断を問わない。従って、「国民」・「人民」の意思にもとづいて<悪い>又は<間違った>又は<不合理な>決定が行われることはありえ、そのような「政治」もありうる。民主主義にのっとった決定が最も「正しい」とか「合理的」だとは、全く言えない。
 また、「国民」・「人民」の意思だと僭称するか(各国共産党はこれをしてきたし、しているようだ)、しなくとも実際に多数「国民」・「人民」の支持・承認を受けることによって、ドイツ・ワイマール民主主義のもとでのナチス・ヒトラー独裁のように、民主主義から<独裁>も生じうる。また、民主主義の徹底化を通じた<社会主義・共産主義>への展望も、かつては有力に語られた。
 <民主主義>に幻想を持ちすぎてはいけない。
 <自由>が国家(・および「因習」等)による拘束からの自由を意味するとして、それは重要なことかもしれないが、このような<自由>な個人・人間が目指すべき目標・価値を、あるいは採るべき行動・措置を、何ら指し示すものではない。<自由>を活用して一体何をするか、何を獲得するかは、<自由>それ自体からは何も明らかにならない。
 とくに<経済的自由主義>はコミュニズムに対抗する意味でも重要なことだろうが(むろん「自由」にも幅があるので又は内在的制約があるので、<規律ある自由>とかが近時は強調されることもある)、しかし、「自由主義」に幻想を持ちすぎてもいけない。
 <個人主義>も同様だ。人間が「個人として尊重」されるのはよいし、その個人の「生命、自由及び幸福追求に対する…権利」が尊重されるのもよいが(日本国憲法13条)、「生命、自由及び幸福追求」というだけでは、「自由な」尊重されるべき「個人」が、一体何を目指し、何を獲得すべきか、いかなる行動を執るべきか、いかなる具体的価値を大切にすべきか、等々を語るには、なおも抽象的すぎる。要するに、各個人の「自由な」又は勝手気侭な選択はできるだけ尊重されるべし、というだけのことだ。
 <平等>主義も重要だろうが、これまた具体的<価値>とは無関係だ。適法性を前提としても(法の下の平等)、平等な貧困もあるし、平等に国家的・社会的規制を受けることがあるし、平等に「弾圧・抑圧」されることもありうる。<平等>原理だけでは、特定の<価値>を守り又は獲得する手がかりには全くならない。
 二 というようなことを思いつつ、佐伯啓思のいくつかの本を見ていると、なるほどと感じさせる文章に遭遇する。
 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の、80年代アメリカ経済学・「グローバリズム」・「新自由主義」批判は省略。
 ①「リベラリズム」(自由主義)の「基礎を組み立てている」のは「消費者」ではなく、しいて名付ければ「市民」だとしたあと(上掲書p.56)、次のように書く。
 ・「市民」はその原語(ブルジョアジー)の定義が示すように何よりも「財産主」であり、「財産主」であることを守るためには「安定した社会秩序」を必要とした。さらに「社会秩序」の維持のためには「公共の事柄に対する義務と責任」を負い、この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」・「日々の経験」・「人々との会話」・「読書」・「芸術」によって培われる。
 ・「公共の事柄に対する義務と責任」を負うために必要な「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を、人は、「いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として」身に付けることはできない。人は「近隣、家族、友人たち、教会、それに国家」、こうした「様々なレベルでの」「広義の『共同体』」と一切無関係に「価値や判断力」を獲得できない。
 ・「近代社会」による「封建的共同体からの個人の解放」は「個人主義」の成立・「近代リベラリズムの条件」だと理解されている。しかし、これは「基本的な誤解」か、「すくなくとも事態の半面を見ているにすぎない」。「一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえない」。仮にありえたとして、彼はいかにして、「社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在」を学ぶのか。
 ・「通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の権利をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」。(以上、p.57-58)。
 昨年に憲法学者・樋口陽一の「個人」の尊重・「個人主義」観をこの欄で批判的に取り上げたことがある。樋口陽一や多くの憲法学者の理解している又はイメージしている「個人」とは、佐伯啓思は「ロックなどの社会契約論が思想の端緒を開き…」と書いているが、ロック・ルソーらの(全く同じ議論でないにせよ)社会契約論が想定しているようなものであり、それは「誤り」を含む「通俗的な近代リベラリズム」のそれなのではないか。
 ②次のような文章もある。
 ・80年代に「リベラリズム批判」と称される四著がアメリカで出版され、話題になった(4名は、ニスベット、マッキンタイアー、ベラー、サンデル)。これらに共通するのは、「支配的なリベラリズム」が想定する「何物にも拘束されない自由な個人という抽象的な出発点」は「無意味な虚構だ」として排斥することだ。「抽象的に自由な個人」、サンデルのいう「何物にも負荷されない個人」という前提を斥けると「個人とは何なのか」。マッキンタイアーが明言するように、「何らかの『伝統』の文脈と不可分な」ものだ。
 ・人は「書物や頭の中で考えたこと」によって「価値」・「行動基準」を学習・入手するのではなく、「日々の経験や実践」の中で学ぶ。ここでの「実践」も抽象的なものではなく、それは「必ず歴史や社会の個別性の中で形成される」。つまり、「実践」は必ず「伝統」によって負荷されている。従って、「実践」とは先輩・先人・先祖との関係に入ることも意味する。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、残るのは「極めて貧困な実践」であり、そこから「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ(以上、p.58-59)。
 ・まとめ的にいうと、「確かに、リベラリズムは…、かけがえのない個人という価値に固執する」。「個人的自由」はリベラリズムの「基底」にある。しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえない」。つまり、「特定の『実践』や『伝統』から無縁ではありえない」(p.60)。
 今回の紹介は以上。
 上の一部にあった、「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ、ということは、わが国の戦後に実際に起こったことではないか。
 日本の戦前との断絶を強調し(八月革命説もそのような機能をもつ)、戦前までにあった日本的「伝統」・「価値」 を過剰に排斥又は否定した結果として、「伝統」・「歴史」の負荷を受けて成長すべき、戦後に教育を受けた又は戦後に社会的経験・「実践」をした者たちは(現在日本に生きている者のほとんどになるだろう)、まっとうな感覚をもつ「豊かな個人」として成長することに失敗したのではないか(私もその一人かも)。そのような「個人」が構成する社会が、そのような「個人」の総体「国民」が「主権」者である国家が、まともなものでなくなっていくのは(<溶解>していくのは)、自然の成り行きのような気もする。

0614/佐伯啓思・国家についての考察(2001)p.25-全体主義に対立するのは民主主義よりも保守主義。

 一 佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)も佐伯の本の中でじくりと味わうべきものの一つだろう。
 全体の詳細な紹介、要約的言及の余裕はない。
 p.23からの数頁は「保守的であること」との見出しが付いている。そして、「保守的である」という気持ちのもち様、態度についての興味深い叙述があり、こうした「態度の背景」には、「人間の理性的能力への過信に対する防御」、「理性万能主義(設計主義)への深い疑問」等がある、とする。
 今回紹介したいのはその次の辺りの文章だ。佐伯啓思は言う(p.25)。
 ・「保守主義が明瞭に対立するのは社会主義にせよ、ファシズムにせよ、社会全体を管理できるとする全体主義に他ならない」。
 ・「理念としていえば民主主義などよりも保守主義の方が全体主義に対立する」。
 ・上のことは、「保守主義の生みの親とも目されるエドモンド・バーク」がその「保守的思考」を、「ジャコバン独裁をもたらすことになるフランス革命批判から生み出した」ことからも「すぐにわかるだろう」。
 二 宮沢俊義をはじめとする戦後・進歩的知識人のみならず日本国民の多くにも、先の大戦は<民主主義対ファシズム>の闘いであり、理論的・価値的にも優れた?前者が勝利した、という認識又は理解が、空気の如く蔓延した(蔓延しつづけている?)ようでもある。
 だが、既述の如くソ連を「民主主義」陣営の一者と位置づけることは、<人民民主主義>という概念などによってかつては誤魔化すことができたかもしれないが、いまや殆ど笑い話に近いほどに、正しくはない。
 また、ヒトラー独裁・ドイツファシズムが<ワイマール民主主義>の中から<合法的に>出現したことをどう説明するか、という問題もある。なお、<日本軍国主義>体制も(そのようなものがあるとして)法的には合憲的・合法的に成立したといわざるをえないだろう。

 つまり、<民主主義対ファシズム>の闘いだったと先の大戦を把握することは歴史の基本を捏造するものだ。従ってまた、今日までずっと<軍国主義・ファシズムの復活を阻止するために、民主主義を守り・徹底する>という目的を掲げてきている又は何となくそういう図式・イメージをもっている者たちもまた、歴史の基本的なところの理解を誤って国家・社会の動向を観察していることになる。
 「左翼」にとっては、とくに日本共産党員をはじめとするコミュニストにとっては、上の佐伯の叙述のように「社会主義」と「ファシズム」を「全体主義」という概念で包括するのは我慢できないことだろうが、社会「全体」の管理可能性を信じる点で、両者にはやはり共通性がある。
 また、この「全体主義」に対立するのはむしろ「個人主義」又は「自由主義」と言うべきであり、「民主主義」は別の次元の主義・理念だろう。
 そしてまた、フランス革命期における<急進的な(又は直接的)民主主義>(ルソー的「人民主権」論の現実化=「ジャコバン独裁」)を警戒したのは、叙上のように、イギリスの「保守主義」者・バークだった。
 佐伯啓思があえて言及しているように、今日において民主主義、さらにはコミュニズム(社会主義・共産主義)を論じる場合において、フランス革命期の「ジャコバン独裁」(ロベスピエールらによる)をどう評価し、どう理解しておくべきかは、不可欠の論点なのだ、と思う。「人民主権」(プープル主権)論の評価についても同じことがいえる。
 フランス革命や「ジャコバン独裁」・「人民(プープル)主権」論に言及してきたし、これからも言及するだろう理由は、まさに上のことにある。

0612/宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1993)を一部読む。

 一 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房)を見ていると、唖然とし、驚愕する。
 この本は1950年第一版、1954年改訂版、1973年新版で、深瀬忠一(元北海道大学)補訂の新版補訂は1993年が第一刷。長きにわたって出版されたものだ。補訂は「最少限の補正」にとどまる(p.2、深瀬)とのことなので、以下すべて、宮沢俊義自身の考えが述べられていると理解して紹介する。
 ①民主主義と自由主義-「自由主義」とは、「個人の尊厳をみとめ、できるだけ各個人の自由、独立を尊重しようとする主義」。「特に国家の権力が不当に個人の自由を侵すことを抑えようとする主義」。
 国家権力による個人の自由の不当な侵害を防止するには、「権力分立主義」採用のほか、「すべての国民みずからが直接または間接に、国の政治に参加すること」が必要。すなわち、「国家の権力が直接または間接に、国民の意思にもとづいて運用されること」が必要。このように国家が「運用されなければならないという原理」を、「特に、民主主義」という。
 「つまり、自由主義も民主主義も、その狙いは同じ」。「いずれも一人一人の人間すべての価値の根底であるという立場に立って、できるだけ各個人の自由と幸福を確保することを理想とする主義」。
 「消極的」な国家権力の不当な干渉の排除の側面が「自由主義」で、「積極的」な個人の国政参加の主張の側面が「民主主義」。
 「両方をひっくるめて、ひろく民主主義といっても、さしつかえありません。ふつう世間で民主主義という場合は、このひろい意味です」。
 以上、p.11-12。
 ここでは、まず「自由主義」と「個人主義(個人の尊厳)」が同義のごとく語られ、これに仕えるのが「民主主義」だとの理解も示される。そして、消極的・積極的と区別できるが、「民主主義」と「自由主義」は「狙いは同じ」で、一括して「民主主義」と言って差し支えない、とされる。
 呆れるほどに、<自由主義・個人主義・民主主義>は渾然一体のものとして説明されている、と評してよいだろう。
 ②民主主義と平和主義-「平和主義というものは、結局は、民主主義の外に対するあらわれにすぎませんから、これを、民主主義とまとめて、いってもいいでしょう」。
 これは、p.88。宮沢において、「平和主義」も「民主主義」の一種又は顕れの一つなのだ。
 ③民主主義と平等-「民主主義」は「人間の自由」・「人間の個性」を尊重する。「民主主義」は大勢の「人間を、みな同じように尊重」する。「民主主義が、平等を原理とするというのはこれです」。
 これは、p.89-90。ここでは、「平等」原理も「民主主義」によって説明されている、と言ってよい。「平等」原理自体が、「民主主義」の内容の一つなのだ。
 かくして、以下の叙述も出てくる。
 ④「民主主義」は「自由および平等の二つの原理にもとづく」結果として、「民主主義における自由」は「わがまま」・「放縦」を意味しない。「民主主義」はすべての人間が「平等な価値」をもつものと考えるので、「人間の自由は、他の人間の自由において、限界をもっている」。p.90。
 「民主主義における自由」という語も奇妙だとは思うが、「民主主義」・「自由」・「平等」の三者がほとんど一体のものとして説明されている。
 二 諸「理念」又は諸「主義」をそれぞれ関連づけあいながら説明すること一般を否定・批判しはしないが、上のような宮沢俊義の叙述は、いささか、いや過分にそれが酷(ひど)すぎるのではないだろうか。
 以上のような説明では、民主主義・自由主義・平等主義・平和主義の違いは明瞭にならないのではないか。
 それそれが循環論証的関係にあるか、又は結局は「民主主義」がその他のものを内包している関係にあると理解されているようだ。
 「ふつう世間で民主主義という場合は、このひろい意味」、すなわち「民主主義」と「自由主義」を一括したものだ(p.12)という説明の仕方が典型的だろう。
 法学部生向けの教科書ではなく一般国民むけの「入門書」だからといって、このようなヒドさは看過できないはずだったものと思われる。
 そして、このような内容の本が当時は現役の東京大学法学部の憲法担当教授によって書かれていたということに唖然とさせられる。この人は、東京大学所属の憲法研究者でありながら、諸概念を厳格に定義することのできていた人なのだろうか。
 また、大江健三郎が自分は「戦後民主主義」者だという理由で、昭和天皇名による叙勲を拒否したことにも何となく納得がいく。これの決定的な理由は(既述のように)大江は昭和天皇の前に立つ度量・勇気がなかったということだと思うが、大江における「戦後民主主義」とは、「自由主義」・「個人主義」・「平等」原理・「平和主義」をすべて含んだものだったのだろう。私が理解している「民主主義」とは異なる。そして、それらすべてと矛盾するかに彼には思えた天皇の存在・天皇制度の存続自体が彼には許されなかったのだろう(自衛隊もそうだろうが)。
 東京大学教授・宮沢俊義の単純・素朴な叙述から同大学出身の「高名な」作家・大江健三郎に思いを馳せてしまった。

0586/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その4

 四 佐伯啓思・アダム・スミスの誤算-幻想のグローバル資本主義(上)(PHP新書、1999)より。
 本筋の中の枝葉的記述の中で佐伯啓思は「個人」に触れている。ヨーロッパ的と限るにせよ、ルソー的「個人」像を、ましてやルソー=ジャコバン型「個人」を理念又は典型としてであれ<ヨーロッパ近代に普遍的>なものと理解するのは危険であり、むしろ誤謬かと思われる。
 「スミスにとっては、たとえばカントが想定したような『確かな主体』としての個人というようなものは存在しない」。「確かな」というのは「自らのうちに普遍的な道徳的基準をもち、個人として自立し完結した存在としての」個人という意味だが、かかる「主体としての個人」が存在すれば「社会はただ個人の集まりにすぎなくなる」。「だが、実際にはそうではない」。「個人が決して自立した『確かな存在』ではありえないからだ」。/
 「自立した責任をもつ個人などという観念は、せいぜい近代的主体という虚構の内に蜃気楼のように浮かび上がったものにすぎないのであって、それは永遠の錯覚にしかすぎないだろう。だが、だからこそ、つまり…、個人がきわめて不確かなものだからこそ社会が意味をもってくるのだ」。/(以上、p.68)
 スミスの友人・「ヒュームが的確に述べたように、『わたし』というような確かなものは存在しない」。「わたし」は、絶えずさまざまなものを「知覚し、経験し、ある種の情念をも」つことを「繰り返している何か」にすぎない。われわれは外界から種々の「刺激をえ、それを一定の知覚にまとめる」のだが、それは「次々と継続的に起こること」で、「この知覚に前もって確かな『自我』というものがあるわけではない」。/(p.69)
 以上。樋口陽一およびその他の多くの憲法学者のもつ「個人」像、憲法が前提とし、最大の尊重の対象としていると説かれる「個人」なるものは、「近代的主体という虚構の内に蜃気楼のように浮かび上がったものにすぎない」、そして「永遠の錯覚にしかすぎない」のではないか。錯覚とは<妄想>と言い換えてもよい。
 イギリス(・スコットランド)のコーク、スミス、ヒュームらを無視して<ヨーロッパ近代に普遍的な>「個人」像を語ることができるのか、語ってよいのか、という問題もある。樋口陽一は(少なくともほとんど)無視しているからだ。

0585/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その3

  三 ふたたび、佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)から。
 「『何にも負荷されない個人』という前提をしりぞけると、個人とは何なのか。実際には、個人は…、何らかの『伝統』の文脈と不可分」だ。「人は、ただ書物や頭の中で考えたことによって価値を学び、行動の基準を手に入れるのではな」く、「日々の経験や実践の中で学んでゆく」。「『個人』と同様、…抽象的で一般的な『実践』などというものを想定」はできず、「『実践』は必ず歴史や社会の個別性の中で」形成され、「必ず『伝統』によって」負荷されている。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出すなどということを期待することを不可能」だ。/(p.59)
 西洋史の中に「古典ギリシャ的伝統、中世的・キリスト教的伝統それに近代的伝統」の三者を区別する者もいるように、西洋人ですら「いくつかの伝統の折り重なりあいの中に生きている」。人間は「伝統負荷的な存在」であり、「『共同の偏見』をとりあえずは引き受けざるをえない」。「リベラリズムは、あくまで、かけがえのない個人という価値に固執する」が、しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえないのである」。/(p.60)
 「リベラリズムは個人という価値にこだわるからこそ、…ある社会の『伝統』にもこだわらなければならない」。「伝統」とは「われわれをほとんど無意識のレベルで拘束し枠づけている思考形式、価値判断の母体」だ。この「伝統」の中には「国家」も含まれ、従って、「『国家』と『個人』の関係について…もう一度考え直さなければならない」。/(p.60-61)
 「通俗的なリベラリズム、すなわち抽象的な個人、本来何物にも拘束されない個人から出発すると、国家はもっぱら個人の自由の対立物とみなされる」。しかし、「個人が『伝統負荷的』であるということは、個人が『国家負荷的』でもあるということだ」。「有り体に言えば、日本人は、とりあえず、日本人であることの宿命を引き受けざるをえない」ということだ。「国家が解体したり衰退すれば、個人も空中分解してしまう」。このことのロジカルな帰結は、「個人は個人を保守するためにも国家を保守しなければならない」ということ。つまり、「私」は同時に「公的」な存在でもある必要がある。「『公的な』(国家的な)存在としてのわたしがあって初めて『私的な』存在としてのわたしが生ずる」のだ。/(p.61-62)
 以上。佐伯啓思は「個人」・「個人主義」を直接に論じているのではなく「リベラリズム」に関する議論の中でおそらくは不可避のこととして論及している。憲法学者・樋口陽一の「思考」・「観念」と比べて、どちらがより真実に近く、どちらがより適切だろうか。

0584/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その2

 二 月刊正論8月号(2008、産経新聞社)の小浜逸郎「死に急ぐ二十代女性の見る『世界』」は若い女性の自殺率の高まりの原因等を分析するものだが、最後の文章は次のとおり(p.285)。
 「人間は一人では生きられない。戦後、日本人は欧米との戦争の敗北をふまえて、『欧米並みの近代的な個の確立』という課題をやかましく叫んできた。しかし、気づいてみると、そういう心構えの問題を通り越して、社会(ことに企業社会)の構造そのものが、ばらばらな個として生きることを強いるようになってしまった。若い女性の一部にそのことの無理を示す兆候が顕著になってきた」のかもしれない。/
 そうだとすれば、「私たちは、個の単なる集合として社会を捉えるのではなく、あくまでもネットワークとしてこの社会が成り立っているのだということを、もう一度根底から捉え直す必要があるのではないのだろうか」。以上。
 <欧米並みの近代的な個の確立>を説く樋口陽一において、企業・法人は国家とともに「個人」を抑圧するものとして位置づけられていた。
 しかるに小浜逸郎は「企業社会」の「構造そのものが、ばらばらな個として生きることを強いるようになってしまった」という。これを樋口陽一は当然視して歓迎しても不思議ではないのだが、樋口本人はどう理解・評価するのか。
 いずれにせよ、<欧米並みの近代的な個の確立>などという(日本の進歩的文化人・「左翼」知識人が唱えてきた)お説教が日本と日本人にとって適切なものだったかどうか自体を、小浜の指摘のとおり、「根底から捉え直す必要がある」だろう。<欧州近代>を普遍的なもの(どの国も経る必要があり、かつ経るはずの段階)と理解する必要があるか否か、という問題でもある。
 また、自信をなくしての自殺も自尊心を損なっての行きずり(無差別)殺人も、戦後日本の<個人(の自由)主義>の強調・重視と無関係ではない、と感じている(仮説で、面倒な検証と議論が必要だろうが)。
 (この項、つづく。)

0583/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ―その6・思想としての「個人」・「個人主義」・「個人の自由」

 樋口陽一の文章をあらためていつか再引用してもよいが、樋口陽一その他大勢の憲法学者の「人権」 論の基礎にはその主体としての(自由なかつ自律した)「個人」があり、それを(又はその「尊厳」を)尊重するということが憲法の最も枢要な原理とされる。だが、そのような、個々の自然人たる(アトムとしての)「個人」が(社会)契約によって国家を構成しそれと対峙する、というイメージ自体が、一つの「思想」であり、一つのイデオロギーだろう。
 以下、何回か、<個人主義>を批判又は疑問視する文章の引用のみを続ける。
 一 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)。
 欧州の元来の定義「ブルジョアジー」がそうであるように「市民」は「まず財産主」であり、それを守るための「安定した社会秩序」を必要とし、「社会秩序の維持」のためには「公共の事柄」への義務・責任を負った。この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」、「日々の経験」、「人々との会話」、「読書」、「芸術」が与えた。/
 「人は、こうしたものを、いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として、身につけることはできない。近隣、家族、友人たち、教会、それに国家、それらを広義の『共同体』と呼んでおくと、様々なレベルでの『共同体』と一切無縁に、人は価値や判断力を身につけることはできない」。/
 近代社会は「封建的」共同体からの「個人の解放」を促し、「通俗的には、共同体からの個人の解放こそが『個人主義』の成立であり、それこそが近代リベラリズムの条件だ」と理解されている。「しかし、これは基本的な誤解であるか、あるいは少なくとも事態の半面を見ているにすぎない。事実上、一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえないし、また仮にありえたとしても、彼は、どのようにして、社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在を学ぶのだろうか。通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の『権利』をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」/
 「しかし、ロジカルにいっても、何の価値や判断力も、さらには恐らく理性さえまだ学んでいない、『無』の個人からどのようにして権利をもち、社会のルールについて判断力をもった個人が生まれるというのだろうか」。
 以上、上掲書p.57-58。
 樋口陽一における<視野狭窄>性・<観念>性・<通俗>性の指摘は、ほとんど上で尽きている。
 (この項、つづく。)

0568/古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007)より-マルクス主義と戦後「左翼」インテリ。

 古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007.10)の最初の方からの一部引用。
 ①「要は反体制ならばハイカラで格好良いという軽薄さは、今日の左翼インテリまで脈々と繋がっており、ソビエトが解体し、中国が転向し、北朝鮮が没落してもなお、資本主義国家に対抗することこそがインテリの本分だと解している向きが跡を絶たない。/『天皇制』を絶対王政に比すの論はさすがに影を潜めているが、『天皇制打倒』の心性はいまだに引き継がれており、日本の左翼人士は『天皇制』が日本の後進性であり、日本人の主体的な自立を妨げてきたのではないかという議論をずっと続けてきた」(p.35)。
 ②1.2000年以降「マルクス主義に対する信仰」は着実に壊れた。大学の科目から「マルクス経済学」に関するものは次第になくなり「日本のインテリ層が徐々に呪縛から解き放たれていった」。
 2.「しかし何という壮大なる洗脳機構だったのだろうか 。価値・史観・階級の論を柱とし、それらが複雑に絡み合うさまは天上の大神殿を思わせた」。
 3.「今日ではすべて塵と化した大社会科学者たちの生涯の業績は、ひたすらその祭司たらんとする献身の理想に満ちあふれていた。だが、その神殿の柱は今やぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。なぜこのような無駄をし、屑のごとき書物を図書館に積み上げていったのだろうか。日本のインテりは一体何をやっていたのだろうか。結局、慨嘆が残っただけではなかったのか」(p.40)。
 ③韓国人や中国人は日韓基本条約・日中友好条約のときに「日本からの援助が欲しかっただけ」で、当時は「嫉妬も押し隠して笑顔を向けた」が、その「微笑みが本物でないことは、やがて露わになっていった」。/「そして戦後からずっと、『東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えばわかる』といい続けたのは、実は共産主義者であり、社会民主主義者であり、進歩的文化人であり、良心的な知識人たちであった。伝統的なことには、右も左もない。日本では『伝統的な善人』や『国際的な正義派』がいつも国を過つのである」(p.45)。
 以上。上の②2.の「祭司」たらんとした者は、歴史学、経済学、法学等々の分野に雲霞のごとく存在した。非日本共産党系研究者でも、大塚久雄、井上清は入るし、丸山真男も立派な「祭司」だった。法学分野では日本共産党系の渡辺洋三、長谷川正安を挙げうる。だが、こうした者たちが築いた「神殿の柱は今やぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。なぜこのような無駄をし、屑のごとき書物を図書館に積み上げていったのだろうか。…結局、慨嘆が残っただけではなかったのか」。
 だがなお、マルクス主義の影響を受けた<左翼>インテリは数多い。例えば、樋口陽一よ、かつては「献身の理想に満ちあふれて」仕事をしていたかもしれないが、フランス革命が「理想」・「範型」ではなくなり、社会主義(・共産主義)社会への展望が見出せなくなった現在、かつての仕事は「廃墟の荒涼を白日の下に曝」している筈なのに、(ソビエト「社会主義」崩壊の理論的影響が出にくい法学界であるがゆえに)巧妙にシラを切って、惰性的に似たようなことを反復しているだけではないのか。そういう者たちを指導者として、さらに若い世代に<左翼>インテリが性懲りもなく再生産されていく。壮大な社会的無駄だし、害悪でもある。個人的に見ても、一度しかない人生なのに、せっかくの相対的には優れた基礎的能力をもちながら、気の毒に…。

0527/樋口陽一・自由と国家(1989)は憲法学者に<日本人>たる「アイデンティティ」を捨てよと主張。

 一 樋口陽一の著書には再三言及してきた。振り返ってみると、以下のものに、この欄で触れている(自分のことながら見落としがあるかもしれない)。
 憲法再生フォーラム編・改憲は必要か(岩波新書、2004)の中の樋口論稿
 伊藤正己=尾吹善人=樋口陽一=戸松秀典・注釈憲法〔新版〕(有斐閣新書、1983)の樋口執筆部分
 樋口陽一・憲法/第三版(創文社、2007)
 樋口陽一・「日本国憲法」-まっとうに議論するために(みすず書房、2006)
 樋口陽一・比較の中の日本国憲法(岩波新書、1979)
 樋口陽一「フランス革命と法/第一節・フランス革命と近代憲法」長谷川正安=渡辺洋三=藤田勇編・講座・革命と法/第一巻
 樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)
 これらはいずれも、体系的・総合的な分析を意図したわけではなく、基本的に<気儘な>読書の覚え書であり、かつそれでこの欄・ブログの趣旨に合致している。
 二 上の一文の趣旨を前提に、もう一度、樋口・自由と国家(上記)に立ち入ってみよう。この本は、ソ連・東欧「社会主義」の崩壊以前に書かれていることを留意しておくべきだ。以下、(これまでに書いていないことで)いくつか気についた点のみ。
 ①フランスの1789年と1793年の関係につき三説がある(p.110)、という部分はすでに紹介したが、同じ問題に触れている箇所がある。そこ(p.12)では、1.「八九年=理性=光」に対する「九三年=恐怖政治=闇」という「通俗的」歴史観と、憲法学界でも「常識的」だった、「八九年〔人権〕宣言・九一年憲法」=「正統」、「九三年憲法」=「逸脱」(但し、この中にもそれの「忌避」と逆の「賞賛」とがある)、との捉え方、に対して、2.「マルクス主義社会経済史学が、封建制諸特権の無償廃棄=『九三年』こそを『ブルジョア革命の深化』としてとらえる批判的見地」を提出していた、と記して、この2.に樋口は同調的・親近的であり、かつ3.「近年の『修正派』の優位」はかつての通俗的歴史観等(1.)への「一種の先祖帰り」だ、と皮肉って(?)いる。
 ②上にも「封建制諸特権」との言葉があるが、樋口は自らの言葉として、「封建制生産様式」・「資本制的生産様式」、「寄生的な性格をもたざるをえない前期資本」・「自生的性格の産業資本」、「自由な独立自営農民層」等の<社会経済史学>上のかつ<マルクス主義>的な用語を用いている(p.110、p.112)。むろん、(高橋幸八郎らの?)「マルクス主義社会経済史学」を参照しているのだろうが、引用ではなく、自らの用語・概念として使っていることに注目しておきたい。
 ③フランス社会党員らしいマックス・ガローの、「個人・自由・人権。これこそヨーロッパ文明の貴重な特徴であり」「社会主義は何より個人主義だ」との言葉を肯定的に引用している(p.160)。フランス社会党における「社会主義」とはマルクス主義(共産主義)とは異なる<社会民主主義>である可能性もあるが、樋口がここでの「社会主義」という言葉にいかなる限定も注記も施していないことが注意されてよいと思われる。
 ④1791年のル・シャプリエ法は「結社の自由」の保障を欠く憲法のもとで使用者・労働者の「結社」=「団結」を禁止するもので、のちにマルクスは『資本論』の中で労働者弾圧法として批判したらしいが、樋口は「結社から自由な」「個人」を「力ずくでつくり出す歴史過程」をえがき出したものとして「再読されるべき」だ、とマルクス(・資本論)の叙述を擁護(又はマルクスのために釈明?)している(p.185、同旨-樋口陽一・一語の辞典/人権(三省堂、1996)p.43)。
 ⑤樋口は1989年9月のシンポ報告の最後にこう述べたらしい。まず、そのまま引用する。
 「憲法研究者=立憲主義者は、おそるべき、しかし高貴な任務を課されている。その名に値しようとする憲法研究者=立憲主義者は、立憲主義―その起源は西欧にあるが、しかし、くり返すが、その価値は普遍的である―を擁護するためには、彼の、あるいは彼女のナショナル・アイデンティティから自分自身を切りはなすだけの、勇気とヴィジョンを持たなければならない」。
 「立憲主義」なるものの「普遍」性も重大な問題だが、それよりも、「普遍的」な「立憲主義」を擁護するために、憲法学者は、自らの「ナショナル・アイデンティティ」を捨てる(「自分自身から切りはなす」)「勇気とヴィジョン」をもつ必要がある、と樋口は主張している。
 これは、最近に触れた「ルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験」せよとの主張とともに、「おそるべき」主張だ。
 日本人研究者の場合、日本国籍を捨ててフランスにでも帰化せよということでは勿論なく、形式上は日本国民であっても<日本人>たる「アイデンティティ」を捨てよ、と樋口は主張しているのだ。「立憲主義」をまだ実現できない日本と日本人を徹底的に批判し続けるためには、「日本」国民意識又は「日本人」意識は邪魔になる、ということだろうか。
 なるほどこのようにして、朝日新聞のような<無国籍>新聞が生まれてくるのか、と思う。また、先の大戦下において心の祖国・ソヴィエトのために日本の敗戦を祈った形式上の「日本」人(当時の日本共産党員や尾崎秀実ら)がいたことも思い出すし、また、かかる思考経路は、西欧近代から継承した普遍的な?「戦後民主主義」を理由に日本の天皇からの(又は通じての)文化勲章受章を拒みつつ、他国の国王からはノーベル賞を受け取り、日本を批判する受賞講演をした大江健三郎のそれときわめて類似しているとも思う。
 この発言も、樋口陽一の<歴史的>発言として、永く記憶されるべきだろう。
 さて、樋口陽一はソ連・東欧諸国の解体後は微妙にかつ巧妙に叙述を変えたり(1991年以降の彼の本の中に「ルソー=ジャコバン型」という語は出てくるのだろうか?)、本質を衝けない論述をしているようだ。さらに回をあらためる。

0525/フュレ・フランス革命を考える(岩波、1989)を少し読む-主流派はマルクス主義。

 外国人の本は、翻訳という作業を媒介とするために、読みにくい、理解し難いところがあるものだ。という思いをあらためてもちつつ、フランス革命<解釈>に関する、フランスの「修正主義」派の代表者の一人の本、フランソワ・フュレ(大津真作訳)・フランス革命を考える(岩波、1989)を少しだけ読んでみた。
 日本に比べて、フランスでは自国の歴史(の見方)についての対立は少ないのだろうという何となくの想定があったが、実際にはそうではなく、フランス革命の位置づけ・性格づけも含めてかなりの対立・議論があるようであることは興味深い。かかる一般的な感想を生じさせる部分は省略して、すでにいくつか、興味を惹く文章がある。以下の引用は、フュレの上記の本。
 ①「フランス革命の歴史家たち〔従来の主流派-秋月〕は、自分たちの一九一七年にたいする感情とか判断とかを過去にも投影し、第二の革命を予告し予示すると見なされるものを、第一の革命のなかで特権的な地位にまで高める方向に傾いた」(p.11)。
 面白い指摘だ。「一九一七年」とはロシア革命、第二の革命とは「社会主義」革命のこと。つまり、従来の主流派のフランス革命「解釈」は、フランス革命の過程の中で将来の「社会主義」革命を「予告し予示する」と見なしたものを重視した(「特権」化した)、という。そして、将来の「社会主義」革命を「予告し予示する」ものとは、まさに<ジャコバン独裁>期(ジャコバン主義が支配した「革命政府」期)に他ならない。
 「一九一七年」=ロシア革命に関する「感情とか判断」は、むろん肯定的評価を意味する。そして、そういう<感情・判断>からすると、ロシア革命のような「社会主義」革命を「予告し予示する」<ジャコバン独裁>期はとくに重視される、という意味になる。
 むろんこれは、フュレの従来の主流派に対する批判であり、皮肉だ。つぎの②も主流派的フランス革命「解釈」への批判・皮肉。
 ②「二つの革命にかんする歴史学の弁舌はおたがいにのりこみあい、汚染しあう。ボリシェヴィキはジャコバン派を先祖とし、ジャコバン派は共産主義の予想図をもった」(p.11-12)。
 フランス革命(ジャコバン派)とロシア革命(ボリシェヴィキ)の二つをこのように明確に関係づける、このようなフランス人の(邦訳された)文章を読むと、新鮮な感動すら生じる。まさに<フランス革命(ジャコバン派)がなければロシア革命(ボリシェヴィキ)もなかった>、と言えるのだ。
 ③私たち〔フュレとドゥニ・リシュ-秋月〕の本(1965-66)は「アルベール・ソブールとその門下が採用したマルクス主義的解釈のひとつに背いているとの疑いを受けている」。二人は「『ブルジョワ・イデオロギー』のために利敵行為を働いている、と非難されている」(以上、p.156)。
 つまり、従来の主流派とはフランスの<マルクス主義歴史学>(の一つ)だという旨が、これらによって明言されている。すでに、上の①や②からでも容易に明らかになることだが。
 ④従来の主流派の一人であるクロード・マゾリクは(フュレらが)「ジャコバン的拡張主義にたいして煮え切らない態度をとっている」と疑っているが、長い叙述のあげく、次のように述べて「彼の明敏さの秘密」を暴露した。「歴史家の方法は、レーニン主義的労働者党の方法と理論的には同一のものである」(p.156-7)。
 上の最後の「」はフュレではなく従来の主流派の一人(マゾリク)の文章の引用。
 このくらいにしておくが(なお、以上はすべて、1991年=ソ連解体前の文章)、以上で明らかなのは、フランス革命を典型的「ブルジョア革命」と捉え、かつ<ジャコバン独裁>期を不可欠のものとして重視する<従来の主流派>とは、<マルクス主義(歴史学)>者たちだ、ということだ。従って、単純に言って、<修正主義>派とは反・マルクス主義(=反・共産主義)者たちだ、ということになる。
 高橋幸八郎大塚久雄らが自らの立場をどのように<正直に>語っていたかは知らないが、日本の<主流派>的なフランス革命「解釈」もまた、マルクス主義又は少なくとも親マルクス主義のそれだ、と言ってよい。ということは、樋口陽一のフランス革命「解釈」もまた、それを当然に継承している、ということになる。前回又は前々回に触れたように「一九一七年」=ロシア革命に対する批判的意識・感覚が樋口陽一には欠落しているようであることも、このことを証明又は示唆しているだろう。
 今後もこのフランス革命・<ジャコバン独裁>問題に言及するが、樋口陽一一人にかかわりたいためでは勿論ない。樋口陽一のような人々、樋口陽一(のような人々)の「教育」を受けた人々、樋口陽一(のような人々)の「指導」を受けた現在の大学教授たち(例えば、直接の指導教授は樋口陽一ではなくすでに「マルクス主義」憲法学者としてこの欄で論及した杉原泰雄ではないかと思われるが、現在は東北大学教授の辻村みよ子)が多数おり、「マルクス主義」的なフランス革命「観」を日本人に撒き散らしている、と思われるからだ。

0511/<左翼>は気味が悪く、かつ執拗だ-「ネット戦略」。

 やや古いが、月刊Will4月号(ワック)の那須陽一「保守陣営のネット戦闘力を高めよ」(p.210~)は、あまり扱われないが、しかし重要な問題を提起している。私に責任の一端があろう筈もないことなのだが…。
 この那須論稿は、「保守陣営」のコンセンサスを形成して「ネット上での『戦闘力』を高め」る必要性を、かなりの切迫感をもって主張している。
 例として「集団自決」・「南京大虐殺」をネット検索して見ると上位に<左翼>のサイト等がずらりと並ぶ、保守系学者(人名)を検索すると批判的・揶揄的サイトが上位に出てくる、保守系学者の本に関する某通信販売大手サイトの書評欄には「人格批判」も含む批判的・消極的評価が書き込まれている……、という状況を憂いているわけだ。
 私も同様の経験をしたことがある。
 Wikipediaだって、信用が置けるとは限らない。ついさっき覗いてみたら、かつてと違って大幅に削除されていたが、かつて見たときは、長谷川正安らとともに「マルクス主義法学講座」(日本評論社)の編者でほぼ間違いなく日本共産党員と見られる<渡辺洋三>について、「リベラルな学風…」とか書いてあった。何が「リベラル」だ、マルクス主義者そのものではないか!、と感じたものだった。
 また、某通信販売大手サイトの書評欄についてはつい先日も、上に書かれてあるのと同様のことを経験した。
 書き込みばかりとは限らない。具体的に何の事項だったか忘れたが、ネット上でも閲覧可能な「Microsoft エンカルタ総合大百科」で調べていて、どうも<左翼的>な記述だと感じたことがあった。いや正確には、Microsoftの出自からして<アメリカ史観>にもとづく記述だったかもしれない。つまり、アメリカに都合が悪いような叙述・説明はしていない、と考えられるのだ。
 広げれば、何気なく使われている国語・日本語辞典類だって、歴史的又は政治的な言葉については何らかの<偏向>がある可能性がある。
 また、現在隔週刊行中の、デアゴスティーニ・ジャパンによる『昭和タイムズ』だってそうだ。細かい事実の確認には役立つと思えるが、個々の事件の位置づけや評価には首を傾げることがある。
 例えば、①1970年(昭和45年)号の11/25<三島由紀夫自殺>の項。上の隔週ムック?は「奇行か英雄的行為か…クーデター失敗で天才作家自決!」という見出しを立て、防衛庁長官のほか「新聞も『時代錯誤のピエロ役』と一様に冷静な反応」、米紙は「…『ハラキリをする』と一面で掲載し」、ソ連紙は「『日本は軍国主義の道を歩みつつある』と強い懸念を表明した」、で終えている。
 三島由紀夫自決事件について種々の見方はあるだろうが、これは些かヒドいのではないか。三島の当日の<檄>の内容は全く無視し、「新聞も『時代錯誤のピエロ役』と一様に冷静」、等とは。また、扱う分量も写真を含めて1頁の1/3程度にすぎない(他に表紙を除く第1頁に頁の1/6ほどの当日の三島由紀夫の写真)。
 ②1949年(昭和24年)の号。詳しくは書かないが、この年の事件・事象のうち日本共産党に関係があるものについて、同党に<優しすぎる>。例、6/27「労働者の誇りを胸に・『赤い引揚者』がシベリアから帰国」(1頁の1/4)は見出しからして好意的、4/04「レッドパージ」については日本共産党に同情的又は同党は被害者的ニュアンス、国鉄関係三大鉄道怪事件について、少なくとも日本共産党に批判的ではない4頁分の長い記述。
 デアゴスティーニの母国法人はどの国なのか知らないが、こういう一般国民向けの「歴史」関係冊子においても、当然ながら<無国籍>ぶりは顕著で、戦後日本又は「戦後民主主義・平和主義」を反映してか、ときに<左翼的>・<反・保守的>だ。それに、文章の最終責任者の個人名、個々の記述の文責者名が明らかにされていないのは、いささか<気味が悪い>。
 ネット関連に戻ると、那須陽一いわく-「サヨク勢力・反日勢力は日夜必死でマスメディア戦略やネット戦略を展開している」(p.216)。夜な夜な、保守系論壇人の新刊本の悪口を(ロクに読みもしないで)書き込んでいる様子を想像すると気味が悪い。<左翼>というのは気味が悪く、執拗なものだ。もっとも、気味が悪い、又は恫喝的なのは、<右翼>にもいるようだが。

0510/松本健一による丸山真男「歴史意識の『古層』」批判等。

 大学生の頃、丸山真男はすでに過去の人というイメージで、1970年前後に重要な発言・主張をした、又は論文を発表した、という記憶はない。したがって、1996年の死後再び丸山に注目が集まってきたようでもあることを奇異に感じている。
 また、1970年前後以降はまともな又は大きな仕事をしなかった(と勝手に判断している)ことについて、丸山自身が、かつての自己の言説が<適切な>ものではなかったことを意識(・反省・後悔)するようになったからではないか、との<仮説>を勝手に立てている。
 それはともかく、松本健一・丸山真男八・一五革命伝説(河出書房新社、2003)によると、丸山は1972年に「歴史意識の『古層』」という論文(?)を発表している。丸山真男集第十巻(岩波、1996)の冒頭に収載されているもので、筑摩書房『日本の思想6・歴史思想集』(1972.11)が初出の公表のようだ。
 さて、松本健一の上掲書はこの丸山の論文を論評した1973年の松本の論文をそのまま収載している(p.194~)。そして、松本と丸山の個人的関係?を考慮すると、じつに厳しい、罵倒とでもいうべき、丸山真男批判を展開していることがとても興味深い。
 むろん罵詈雑言が列挙されているわけではなく、丸山「歴史意識の『古層』」が俎上に乗せられ、その内容の限界、かつて丸山真男が書いていたこととの矛盾等が丁寧に指摘されている。
 逐一紹介する余裕はない。内容に立ち入らず批判的言葉だけを最後から逆順に取り出せば、以下のごとし。-①「無数の大衆たちのことは何一つ扱われておらない」、②「歴史意識の『古層』」として「摘出」したのは「知識人たちが己の主体的作為では状況を切り拓けないと悟り、歴史に瞳をこらして、…自己を救済する途を模索した結果辿りついた史観」だ(以上、p.228)、③「歴史意識の『古層』」を探る作業は「この文字の背後にある広大な闇を無視してしか成立しえなかった、…知らなかったのではない。知っていて敢えて無視した」(p.227)、④丸山らが「日本人の意識構造の基底に『なる・なりゆく』史観を視るとき、…日本人からは知識人以外の民衆がほとんど欠け落ちてしまっている」(p.225)、⑤丸山は「つねに『書かれた歴史』『言葉に現れた思想』しか問題にしなかった。そこでは…エートス、……パトスとして噴出せざるをえなかった行動、等々…を掬いあげることは不可能なのではないか」(p.220-1)、⑥丸山は「知識人の辿り着く意識構造を分析し…、わがくにびとの意識構造一般を解析したわけではなかった」(p.219-220)、⑦「近代主義の、…その主導たるべき主体的作為の挫折したところに、なりゆく史観は忍びこんだのだ」(p.217)、⑧「かくして、丸山は己をふくめた日本の知識人たちに、その知性がついに辿りつくべき墓場を指し示した」(p.216)、⑨丸山が記紀が「古代社会(大和朝廷)の正統化」という意味をもつことを「無視」して「古事記から『古層』の基底範疇を導き出し、しかもそれを、歴史に自己救済(自己正当化)を求める知識人たちの証言で重複的に立証しようとしたことは、かれ自身が己の自己救済(自己正当化)を図ろうとしていたことの証しではないか」(p.215-6)、⑩丸山は「己がその日本の情景にふくまれるかどうか、という問いを隠した」(p.211)。
 これくらいにしよう。1914年3月生れの丸山は1972年11月には満58歳、老境に入りかけているが、まだ現役の東京大学教授だった。その丸山の論文に対する、翌年のこのような批判はなかなかスゴい。
 松本健一のこの論評(論文)に関して興味を惹いたことはまだ二つほどある。
 一つは、丸山真男が50歳代後半に記紀、とくに古事記に関心を持って熟読した、と見られることだ。彼の「日本的なるもの」への反発的関心?が記紀に向けられたということは、50歳代後半という年齢と無関係ではなかったのではないか。
 二つは、松本健一が、1970年頃に(松本は年月日を特定していない。別途調査すれば判明する筈だが労を厭う)「全共闘の学生たちが丸山真男の研究室に乱入し、怒号にちかい言葉でかれをつるしあげた」ことを、「学問上の師父」・「戦後民主主義の生みの親」に対する、「己の前身そのその」に対する、<父への憎悪>にもとづく、<父親殺し>と位置づけていることだ(p.196~202)。
 この二点めも面白い。しかし、「全共闘の学生たち」は「戦後民主主義」の嫡出子なのか鬼子なのか、「全共闘」学生(又はじつは卒業生)の中には丸山真男などより遙かにラディカルな(中核、革マルとか呼ばれた)職業的?活動家もいたのであり、単純に「父-子」関係と言えないのではないか、等の疑問が出てきて、にわかに賛同することはできない。そもそも「全共闘の学生たち」の思想・主義とは何だったのだろうか。簡単に一括して論じられはしないだろう。
 というわけで、またまた丸山真男批判の本を読んでしまった。もう丸山にはかかわりたくない気分がする。たまたま東京大学助教授・教授だったために、等身大以上に論評され、評価されている(つまり<虚像>部分を多分に含む)人物(・学者さま)ではないか。
 なお、一年ほど前に丸山真男の1953年のわずか3頁の小文「選挙に感じたこと」を<全集第5巻>の中で読んだことがある。そして、学者・研究者のものとはとても思えない、当時の<左派社会党>を応援する、<政治活動家>又はせいぜい直近にいる<ブレイン>が書いた文章だ、という感想をもった。

0509/丸山真男は「反日」=日本「解体」論者の元祖-松本健一の本。

 松本健一・丸山真男八・一五革命伝説(河出書房新社、2003)を数日前に全読了(計247頁)。
 この人の単著を全部読んだのは初めてかもしれない。東京大学経済学部出身。他学部の聴講可能性が拡大された時期に法学部の丸山真男の講義も聴いた。手紙のやりとりをするくらい親しく?、本人は否定しているが丸山の「弟子」と言われたこともある。だが、この本は既述のように、全体として、丸山真男批判の著であり、部分的には告発・糾弾の著でもある(と理解した)。
 全体を紹介する余裕はない(最初の方の詳細はもう忘却している)。まず、一点だけ言及する。
 丸山の「超国家主義の論理と心理」を素材としていると見られる叙述の中で、丸山の論理の中に「戦後の反日イデオロギー」の源泉を見出している(p.147-157)。以下、松本が丸山の論理を辿る文章を要約する。
 丸山にとっては「八・一五革命」により日本は近代国民国家に普遍的な「ナショナリズム」に立ち戻った、換言すれば、「国民主権」思想に立脚できた。ナショナリズムは近代国家の「本質的属性」だが、戦前日本は「質的な相違」のある「真にウルトラ的性格」のそれを帯びた。しかして、西欧近代国家は価値に対して「中立」的な「中性国家」だったが、戦前日本=明治国家は「天皇」という「内容的価値の実体」に根拠をもった。これが「国体イデオロギー」だ。この「イデオロギーは、…日本の国家構造そのものに内在」するもので、かつ重要なことに、明治国家に限られず、「無限の古にさかのぼる伝統の権威を背負っている」、「皇祖皇宗もろとも一体となった」「内容的価値の絶対的体現」だった。反復すれば、明治国家に限られた「国体イデオロギー」なのではなく、「日本の国家構造そのものに内在」するものだ。となれば、天皇制=「国体イデオロギー」を否定するためには「日本そのものを解体しなければならない」という「戦後の反日イデオロギー」が帰結として派生してくる
 以上の「」は、松本の語と丸山の語の場合の両方がある。上の丸山真男における最後の部分、天皇制=「国体イデオロギー」は「日本の国家構造そのものに内在」する、という文章は、丸山真男・新装版/現代思想の政治と行動(未来社、2006)だと、p.16にある。
 今どき、丸山真男の言説など、無視しておけばよいのかもしれない。だが、上の松本の指摘は面白い(interesting=興味を惹く)。
 丸山真男にとっては、「象徴」天皇制度が残った「国民主権」国家とはきっと中途半端なものだったに違いない。彼の気嫌う非合理的な価値の源泉が残り、それが「再び」巨大化して復活することを恐怖したかもしれない。「超国家主義の論理と心理」は1946年に書かれているが、丸山・現代思想の政治と行動「増補版への後記」の中で、「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に賭ける」(上掲書p.585)と書いたとき(1964年)、そこには<天皇制度>を否定したい気分が明瞭にまだ残っていたかに見える。
 松本の揚げ足を取るようだが、天皇制=「国体イデオロギー」を否定するためには「日本そのものを解体しなければならない」わけではなく、厳密には又は正確には<天皇制度>の解体・否定で十分ではなかったのだろうか。「天壌無窮の皇運」に担保された「国体イデオロギー」が解体・否定されれば十分だったのではないか。すなわち、新憲法で<天皇制度>を否定し、天皇・皇室も、古事記・日本書紀等の皇室関連「物語」も一切否定して、それこそ(真の「国民主権」制又は「共和制」国家として)「新しく再出発」していれば、丸山真男の鬱屈もなかったのではあるまいか。だが、そのような現実、そのような国家が「日本」と言えるかを、丸山は心底では想定できなかったのかもしれない。松本は丸山は「外在的」に「日本」又は「日本ファシズム」を批判したとか記述しているが(p.234等)、丸山真男も自らが<日本人>であることまでを否定できなかったようにも見えなくはない。
 だが、ともかく、今に続く日本人の「反日」意識、<反「日本」国家>意識の源が戦後直後の(しかも少なくとも知識人にはよく読まれたらしい)丸山真男論文に(も)ある、というのは興味深い。「反日」意識の根源又は中核は、<反・天皇>意識・<反・皇室>感情だろう。そして(日本共産党は当然だが)週刊金曜日の編集人の佐高信・石坂啓・筑紫哲也・本多勝一らを代表とする<進歩的・左翼>の人たちは、スッキリしない・非合理的なものとして<天皇・皇室>制度の解体を本音では望み、主張している筈だ。丸山真男の継承者・追随者は現在でも多数いる。
 長くなったので、別の点は別の回に。

0505/日本の<保守派>内の対立は「思想」・「理論」次元では解消不能か?

  ①サピオ5/28号(小学館)で小林よしのりがこんなことを言っている。
 <「言論の自由」が保障された国に長く住んでいると、国際社会の中国への眼差しも分かってくる。「中共の洗脳」が解け、「自由や民主主義」の意味も知るような中国人が海外でもっと増えてもよいが、圧倒的に少ない。>(p.56)
 ここでは、「言論の自由」・「自由や民主主義」は、「中共」の支配する中国には欠落しているか極めて不十分なものとして、中国を批判するために用いられている、と理解してよいだろう。
 ②櫻井よしこ産経新聞5/08のコラムで「民主化」・「人権など普遍的価値観の尊重」等を中国の現状とは矛盾するものとして、中国を批判するために用いている。
 ③櫻井よしこ・田久保忠衛連名の「国家基本問題研究所」の意見広告「内閣総理大臣・福田康夫様」(産経5/06)には、こんなくだりがある。
 「自由、基本的人権、法の支配、民主主義。わが国と国際社会が依って立つこれらの価値観を踏みにじる中国共産党に、いま毅然としてものを言うことが、首相の責任です」。
 ④5/07の「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」(福田康夫・胡錦涛)の中には、こんな文章があった。
 「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力する…〔以下は、…とともに、長い交流の中で互いに培い、共有してきた文化について改めて理解を深める〕」。
 ここでの「基本的かつ普遍的価値」を中国・中国共産党・胡錦涛がどのように理解・認識しているかは問題だが、口先又は言葉の上では中国も「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値」が存在することを認め、かつその追求等のために「協力」すると、外交文書で<公言>したわけだ。
  数日前に、佐伯啓思・学問の力(NTT出版、2006)を全て読了。同・日本の愛国心(NTT出版)等を読んで既に書いたことの同旨だが、佐伯はこんなことを指摘している。
 ①「自由や民主主義という戦後的な価値」による日本再建という考え自体が「きわめてアメリカ的な考え方」で、かつ「本来の保守主義」とは異なる「きわめて進歩主義的な考え方」だ(p.166~168)。
 ②「自由、平等、平和と大きく書いた」所から戦後日本は出発した。これは「自民党」も「保守系の知識人」も同じで、「すべからく本当の意味での保守主義ではなかった」(p.173~174)。
 このように、「自由や民主主義」は<普遍的>ではなく、<普遍>を装うアメリカに独特の<進歩主義(左翼)>思想だ、これを支持・主張するのは「本当の意味での保守主義」ではない、とこの本でも述べている(同・日本の愛国心の方がより詳しかったかもしれない)。
 そして、この本では、「冷戦は基本的には終わっています」と述べたのち、北朝鮮と中国について、次の文章を示す。
 「北朝鮮の崩壊はいずれ時間の問題でしょう。中国は共産党政権ですが、なし崩し的にグローバル資本主義のなかへ入ってきています」(p.174)。
 この本の中で、北朝鮮と中国に言及のあるのはこれだけだ(同・日本の愛国心には、かかる文章すらなかったと思う)。
 また、靖国神社・東京裁判問題に関連して、<親米保守>と位置づけられると思われる岡崎久彦を名指しで、実質的には厳しく批判している。論点の拡大・拡散を避けるために詳細には紹介しないが、次の如く言う-「アメリカの価値観」・「歴史観」を認めるということは占領政策や「東京裁判を認めることに等しい」。だが岡崎久彦らの「日本の保守派」が東京裁判を批判しているのは、「私には矛盾しているとしか思えない」(p.246~247)。
  さて、一で言及した小林よしのり櫻井よしこ等も<保守派>とされている筈だが、佐伯啓思によると、アメリカ的価値観を<普遍的>と誤解しており、「本当の意味での保守主義」者ではない、ということになりそうだ。佐伯啓思も<保守派>と自己規定している筈で、同じ<保守派らしき>者たちの間にあるかかる対立を、どう整理し、どう理解すればよいのだろうか。
 すでに書いたのは、<冷戦>は東アジアではまだ現実には続いており、「思想的」・「理論的」にはともかく、<外交・政治>の上では、中国・北朝鮮には欠如している「自由と民主主義」等の「価値観」を掲げて、これらの近隣諸国に批判的に対峙することは当然だし、戦略的にも意味がある、ということだった(「価値観外交」・「自由の弧・構想」の肯定)。
 今もこれに変わりはないが、「思想」・「理論」レベルでも佐伯啓思と櫻井よしこ・岡崎久彦らとの間には懸隔が横たわるだけなのだろうか。佐伯はあまりにも「自由と民主主義」等が西欧「左翼」から出自していること、アメリカが<普遍的>と自称する「価値観」であること、を強調又は重視しすぎるのではないだろうか。また、あまりに中国・北朝鮮への関心が乏しいのではなかろうか(「思想」的・「理論」的には勝負はついた、だけではまだ済まないのではないか)。
 一方、櫻井よしこ・岡崎久彦(・小林よしのり?)らは、あまりにも無条件に「自由と民主主義」等を<信奉>する旨を語りすぎているのだろうか(日本の「自由と民主主義」に全く問題がないとは考えていない筈だが…)。この点、佐伯啓思の論旨はなかなか鋭いところがあることも認めざるをえないのだが…。
 というわけで、少々当惑している。佐伯啓思の本が知的刺激に富むのはいつもながらで、それは結構なことではある。

0503/松本健一・丸山真男八・一五革命伝説(河出書房新社)は丸山真男批判、等。

 〇記していなかったが、たぶん3月から松本健一・丸山真男八・一五革命伝説(河出書房新社、2003)を読んでいて、5/11夜に少し増えてp.125まで、半分強を読了した。この本の帯には「…研究者の軌跡!」とか「丸山真男の軌跡!」とか(売らんがために?)書いているが、この本は、丸山真男批判の書物だ。
 丸山真男を<進歩的文化人>として尊敬している、又は<幻想>を持っている<左翼的>な人々は、この本や、たぶん既述の、竹内洋・丸山真男の時代(中公新書、2005)、水谷三公・丸山真男―ある時代の肖像(ちくま新書、1999)あたりを読むとよい。
 〇飯田経夫・日本の反省(PHP新書、1996)の第六章「『飽食のハードル』への挑戦」、第七章「真の『豊かさ』とは何か」(と「あとがき」)を5/11に読んだ。第三章と合わせて全体の1/3くらいを読了か。著者の意図はともかく、あまり元気が出てくる、将来展望が湧き出てくる話ではない。1996年の本だが、脈絡を無視して引用すれば、こんな言葉がある。
 ・「要するに人びとは、現状に満足し、『これでいい』と言っているのである。そして、現状を変更したくはないのではないか」(p.170)。
 ・「ある社会がピークに到達し、それを通りすぎた後には、『社会のレベル』の低下が、万人の予想を裏切るほどだという事実が、どうやらある…」(p.176)。
 ・「まさに戦争に敗れたという事実そのものが、日本人から魂を抜き去り、…私たちを腑抜けにしてしまったのかもしれない」(p.185-6)。
 以下は、「個人の解放」(個人の尊重)が<究極の価値>だと明言していた憲法学者・樋口陽一に読んでもらいたい。
 ・「それ〔日本的経営の人間関係〕は、…個人主義ではない。だが、はたして個人ないし『個』が、それほど絶対の存在であろうか。それを絶対と信じるアメリカ人は、はたして『よき社会』をつくることに成功しただろうか。また、はたして個人のひとりひとりが、とくに幸せであろうか」(p.179)。
 樋口陽一に限らず、殆どの憲法学者がいう「個人主義」・「個人的自由」は、戦前の<国家主義>又は「個人的自由」の制限に対する反省又は反発を、過度にかつ時代錯誤的に<引き摺り>すぎている、と思う。
 〇佐伯啓思・学問の力(NTT出版)はたぶん5/10にp.260まで読んで、あとわずか20頁ほどになった。この本についても、感想は多い。
 〇他に、まだ読みかけの本や、月刊雑誌を買ったが読んでいない収載論考があるはずだが、ただちに思い出せない。今、浅羽通明・昭和三十年代主義―もう成長しない日本(幻冬舎、2008)を思い出した。少しは頁数を延ばしている。
 阪本昌成・法の支配-オーストリア学派の自由論と国家論(勁草書房、2006)と佐伯啓思・隠された思考―市場経済のメタフィジックス(筑摩書房、1985)は、途中で止まったきりだ……。

0485/佐伯啓思・学問の力(NTT出版、2006)におけるフーコーと桜井哲夫・武田徹。

 「昭和の日」はただ何となく過ごしてしまった。平成も20年めになるが、自分はやはり<昭和(戦後生まれ)世代>だとの自覚しかもてないだろう。
 フーコーに関して書いたあと、たまたまp.30余までで読みかけだった佐伯啓思・学問の力(NTT出版、2006)の続きを見ていると、フーコーが出てきたので驚いた。
 佐伯著も参考にして前回書いたことを多少は修正する必要はあるだろうが、それでも基本的には的外れのことを書いていない、と感じた。
 佐伯の上の本は、学問の<専門化>によってその「力」が落ちていること、知識人と「専門家」の違い、後者が前者ぶることの(滑稽さを含む)危険性等を述べたあと、この<専門主義>とともに、今日の(日本の)学問<態度>の特徴は<ポスト・モダン>からも出ている、とする。
 そして<ポスト・モダン>について、初めて知ることの多い知見を得たが、要約的な紹介も避ける。知っている人物名が出てくる箇所を中心に、以下に思い切った要約しておく。
 ・中沢新一は「われわれは芸人だ」と言った(p.38)。<ポスト・モダン>は表面的には「思想」又は「大きな物語」を否定・放棄し、「真理」もないものとし、「知の芸能化」・「知のパフォーマンス」化を進める。そこでの評価基準は「真理」との近さ等ではなく<面白い-つまらない>というものになる。
 ・<ポスト・モダン>も、しかし「隠された思想」をもつが、その自覚がないために「不健全で変則的」な「思想」になっている。彼らが肯定的に評価するのは「解放」・「平等」・「多様性」・「自由」・「個人」批判するのは「規律」・「道徳」・「国家」(p.40)。
 ・<ポスト・モダニスト>は前近代・近代・近代以降と近代を基軸に歴史を捉える、「近代に満足できない近代主義者」。そして、「歴史の進歩」を無条件に信じるのが「左翼」だとすれば、<ポスト・モダン>は「基本的には左翼思想」だ(p.40-41)。
 ・従って、90年代には「わりと平板な左翼へと回帰していった」。柄谷行人しかり、浅田彰しかり。また、デリダ主義者・高橋哲哉は「きわめてオーソドックスな左翼進歩主義」を唱えている(p.41)。
 こうした<ポスト・モダン>との関連で、佐伯はとくにフーコーに言及している。これまた大胆に要約すると、以下のとおり。
 ・ミシェル・フーコーは<ポスト・モダン>の代表とも言われるが、70年代には構造主義者(本質的に「近代」的)として日本に紹介された。その後のフーコーはまず、「構造主義からポスト構造主義、つまりポスト・モダンへと橋渡しをした思想家」になった。だが、彼も「大きな物語」を捨て切れなかった(p.44-47)。
 ・後期のフーコーは「言説作用」もすでに他者を支配したいという「権力」だとした。しかし、これでは言語を用いざるをえない人間は「どこにも抜け道がなくなって」しまう。また、最晩年のフーコーは「古代ギリシャ」に戻り「身体的な動きや技法」に生きる意味を見出そうとした。しかし、これでは「思想としてのポスト・モダンは論理的に行き詰まる」(p.50)。
 ・フーコーの「偉大さ」は、「ポスト・モダンを突き詰めると、そもそも思想的営為は成り立たないということを、身をもって証明したことにある」。「ほとんどの社会学者」はそうは言わず、フーコーによって「何か新しい思想が始まった」と考えている。しかし、「何が始まったのか、よく分からない、むしろ何かが終わった」のだ。
 以上。以下は、私なりのコメント・感想だ。
 ①前回に言及していないが(そして桜井哲夫の本やフーコーの邦訳本で確認しないで書くが)、フーコーの「権力」概念は独特で(佐伯は「言説」作用を採り上げているが)、学校・企業はもちろんあらゆる社会的<しくみ>・<制度>、あらゆる人間「関係」の中にも「権力」関係を見出す。概念は自由に使ってもよいのだが、しかし、「権力」=悪という前提がおかれているとすると、これでは人間は自殺するか、(同性愛でも何でもよいが)刹那的享楽を生きがいにして(表明的にのみ「自由に」)生きるしかなくなるのではないか、との感想めいたものをもった。佐伯啓思は、上記のとおり、これでは「どこにも抜け道がなくなって」しまうと明記して同旨のことを述べてくれている。
 なお、佐伯がフーコーを「偉大」と形容する箇所があるが、これは諧謔・皮肉あるいは反語だろう。文字通りの意味だとしても、佐伯がフーコーを<尊敬>・<尊重>しているわけではないことは明らかだ。
 ②佐伯のいう「ほとんどの社会学者」の一人と思われる桜井哲夫は、フーコーの「分析用具」を「改変」して日本の現実や歴史の「分析」や「書き換え」る「知的努力」の意味を説いているが、上の佐伯による評価からしても、こうした「知的努力」の傾注は徒労に終わり、桜井の人生も無駄になるに違いない。日本の現実や歴史に関する「大きな物語」が構成される筈はなく、せいぜい断片的な、かつ<面白おかしい>指摘ができる程度だろう。
 ③前回に、フーコーは<つねに新しい>というだけでは、そこから生じる可能性が人間・社会・歴史にとって<よい>ものであることを保障しない、と批判したのだったが、<ポスト・モダン>に関する佐伯の説明・分析によると、(些か単純化して書くが)この主義者は、<よい-悪い>という価値観を否定し<面白い-つまらない>という基準を採用するのだから、桜井が<新しい>ものはすべて積極的に肯定されるというニュアンスで書いているのも、なるほど、と思った。彼および彼らにとって、人間・社会・歴史にとって<よい>か否かなどは関心の対象ではない、あるいは、そんな当否はそもそも分からない、のだ。<新奇な>もの(とくに従前の一般的理解・社会通念を否定・破壊するもの)はそれだけで有意味性をもつのだ、と考えられていると思われる。したがって、そもそもの前提が異なる批判の仕方を前回はしたことになりそうだ。
 ④前回も今回も、産経新聞に少なくとも二度、奇妙な内容の論稿を載せていた武田徹を思い出していた(佐伯著には残念ながら今のところ武田徹の名前はないが)。「フーコーの言説を引用できる」として肯定的に評価するかの如き発言を載せる本もあったからだ。だが、こうして異なる二人の本(の一部)を通じてフーコーの概略を知ってみると、(武田がフーコーにのみ影響を受けているわけでは全くないにしても)武田徹もやはり<奇矯な>・「左翼」の、新奇・珍奇な指摘・主張をすることで自己満足するような<ポスト・モダン>のジャーナリストだろう、と納得できる気がした。佐伯は、<ポスト・モダン>は「隠された思想」を公言できないために「技術主義」(IT革命等の情報技術の展開に<ポスト・モダン>の意味を求める)へと逃げ込んでいる旨の指摘も行っているが(p.42)、武田徹には、この「技術主義」の匂いも十分にある。いずれにせよ、変わら(れ)ないとすれば、可哀想なことだ。

0484/フーコー、狂人と言わなくとも「奇矯な」<左翼>思想家、と桜井哲夫。

 桜井哲夫・フーコー―知と権力/現代思想の冒険者たちSelect(講談社、2003)のある程度の範囲を概読した(学習するが如く熟読するつもりはない)。
 フーコー(1926~1984)は勿論のこと「現代思想」に詳しいとは自分を思っていないので当然に専門家に伍した議論はできないだろうが、それでもフーコー(の「思想」)の概略は把握できる。
 別の回でも言及する可能性があるので記しておくが、この本には、Aフーコーの言説をそのまま(又はほとんどそのまま)直訳又は引用している部分、B著者(桜井)がフーコーの言説を要約してまとめて紹介している部分、C引用・紹介ではなく、著者(桜井)自身のフーコーの分析・論評が書かれている部分がある。そして、BとCは区別がつきにくいと感じる場合もないではない。
 さて、 フーコーは「かつて共産党に所属」していた(フーコー自身の言葉、p.181)。
 「フーコーの師のひとり」のアルチュセールはフランス共産党の党員で(まえがき、p.214)、アルチュセールの某論文を「骨格」とした本をフーコーは著した。桜井によると前者の「国家のイデオロギー装置」はフーコーの「真理の志というシステム」のことだ(p.214-5)。
 フーコーと「二十数年にわたって同居」したダニエル・ドゥフェール(男性)は「元毛沢東派活動家」だった(p.16-17、p.214)。
 フーコーはサルトルを批判しもしたが、1969年の騒乱?後のソルボンヌ大学学生の退学や起訴に対してサルトルと並んで抗議のデモ行進をした(p.199-200)。
 以上のことからでも、フーコーが(精神的に)馴染んでいた「空気」を推察することはできる。党派的にいうと、フランス<左翼>思想家と位置づけられることは間違いないだろう。最終的にはフランス共産党か社会党かはよく分からないが、そのどちらでもなく、日本の1960年代末以降1970年代半ばくらいまでに頻繁に言われた「新左翼」なるものに最も近いのかもしれない。
 教条的又はスターリニスト的マルクス信奉者ではなかったようだが、マルクスからの「解放」のあとのマルクスの「読み直し」や「よみがえり」もフーコーについて桜井は言及しており(仔細省略、p.146-、p.162-、p.188-等々)、マルクスに起源をもつ<マルクス主義の変種>の思想家と評しても大きくは誤っていないものと思われる。
 フーコーの性的嗜好や死の原因(桜井は断定的書き方をしている)にはあえて触れないでおくが、「性」や「肉体」にかなりの関心を向けていたフーコーの本は、<多様なライフスタイルが選択できるように>などとも主張している日本のフェミニスト、少なくとも「左派」フェミニストに好んで読まれている可能性がある。桜井によると、「フーコーは『ジェンダー』についてフェミニストの研究者たちがおこなった業績を、『性』に関して打ち立てたのだといえるだろう」(p.287)。桜井は「ジェンダー」概念がまともなものではないことを知らないかの如き書き方をしているが、立ち入らない。
  「思想」(・哲学)について著書をものにし多数に読まれた思想家(・哲学者)は誰でも<偉大>だ、と評価することはむろんできない。何やらむつかしそうな、凡人には理解出来そうにないことを書いていることが<尊敬>の対象になるわけでもない。むろん人(主体としてであれ対象としてであれ)によって評価は分かれるのだが、社会・人間・歴史に対して<悪い>影響を与えた・与えている(と評価されるべき)思想家(・哲学者)もいることは当然のことだ。
 読み囓りではあるが、そして別途フーコーの本の邦訳書も所持しているので、私もまた武田徹と同様に「フーコーの言説を引用」できる状態にはあるのだが(面倒くさいのでここには引用しない)、フーコーは、狂人とは言わないが、<奇矯な>思想家だ、というのが、最も簡潔な印象だ。
 桜井哲夫(1949~)が、専門というタコ壺に入りきらないフーコーに接して感動したというのは解らなくはないし、「一人一人の内面の探求からこそ」いかなる学問研究も始まるのだと大言壮語する(p.298)のも<気分>としては理解できそうだ。
 しかし、「フーコーの道具箱」を「さらに有効な分析装置に改変」して、「日本の現実」を分析したり「日本の歴史」を「従来のイデオロギーの呪縛から解き放って書き換える」べく「知的努力」を傾ける(のが「われわれに必要」だ)(p.298)などと言わない方がよい。いくら「フーコーの道具箱」を「さらに有効な分析装置に改変」しても適切な結果をもたらすとは思えない。桜井が自ら上の如き「知的努力」を傾けて、日本の現実や歴史を実際に「分析」する又は「書き換え」る作業をしてみたらどうか(自分の言葉には自分で責任をとれ、と言いたい)。
 そのような桜井哲夫が書く「まえがき」自体に、素人の私でも容易に指摘できる奇妙さが含まれている。桜井は述べる。
 ・「フーコーの仕事は、つねに新しいといわざるをえない」。「つねに既存の枠組みへの挑戦であり続けたから」。
 ・「新しい」とは「時代に迎合」せず、「時代に」「『否』を突きつける営為」で、そうした「知的努力」こそが「世界に新たな可能性を生み出してきた」。
 ・「フーコーの仕事を吟味すること」は、「新しい知的可能性を生み出す第一歩でなくてはならない」。
 自らの仕事の積極的な意味・意義を何とか見出したいという<気持ち>は解るとしても、以上の叙述は奇妙だ。
 すなわち、「新しい」ものであれば、あるいは時代に「否」を突きつける行為であれば、なぜそれらすべてが肯定的に評価されるのか?「世界に新たな可能性」とか「新しい知的可能性」とか言っているが、その<新しい可能性>が、人間・社会・歴史にとって<よい>ものである保障はどこにあるのか? たんに「時代」・「世界」・「知」を掻き混ぜて混乱させるだけのものもあるだろうし、決定的に<悪い>方向へと(「新しく」)導く「知的努力」又は「営為」もあるのだ(余計ながらマルクスもレーニンも毛沢東も金日成も、それぞれに独特の「新しさ」をもっていた)。
 「新しけりゃよい」なんてものではないことは、<伝来的なもの>(伝統的・歴史的に今日まで継承されている事物・精神)の中にも大切なものはありうる、と考えるだけでも分かる。
 こんなことくらい大学教授、社会学者、近現代歴史・社会・文化評論家(著者紹介による)ならば容易に理解できる筈だと思われる。フーコーは「つねに新しい」、ということは(それが正しい理解だとしても)、彼を積極的に「吟味」することの意味・必要性を肯定する根拠には全くならない。
 <新奇>あるいは<珍奇>な言説や思想らしきものは絶えず生じてくる。それらの中から、貴重な<宝石>を発見し吟味する必要はあるだろう。フーコーがそれである(あった)とは、とても思えない。

0479/佐伯啓思・諸君!5月号における「社会主義」・「共産主義」。

 某の連載があることを理由に諸君!(文藝春秋)の購入をやめていたが、佐伯啓思の最新の文章が読みたくなって、20日ほど遅れて同・5月号を買った。
 佐伯啓思「アメリカ文明の落日と『世界史の哲学』の構築」(p.26~44)。新聞のコラムと比較するのは無理があろうが、朝日新聞の若宮啓文の駄文を読んだあとでは、知的刺激を感じる、豪奢な食事の如き論稿だ。
 佐伯啓思・日本の愛国主義(NTT出版、2008)についてと同様に、筆者(佐伯)の主題とは異なる(佐伯にとっては)瑣末であろう事項・問題についての叙述を要約的に記しておく。すなわち、「社会主義」あるいは「共産主義」について。
 ・<「冷戦の主役である社会主義という実験」も「西欧近代主義の極限的な形態」だった。20世紀初頭の「西欧知識人たち」は「新たな価値創造」に賭けるとすれば、「ファシズムかボルシェビズムかという選択に迫られた」。>
 ・<「社会主義という人間理性の極端なまでの過信」と「歴史を導く正義という理念への過剰な期待」は、「あまりに独断的な価値創出」で、「世俗化された疑似宗教というべきもの」だった。>
 ・<20世紀「西欧社会」の「ニヒリズム的状況」を「不透明に覆い隠した」のは、「ナチズムとスターリニズムの蛮行」だった。「ナチスによるユダヤ人虐殺とスターリンによるおそるべき粛清、さらに共産主義による驚くべき虐殺」は、「自由・民主主義、ヒューマニズム、人権などの近代主義の理想をもう一度、呼び覚ますに十分」だった。>(以上、p.38)
 「社会主義」・「共産主義」に言及があるのはこの部分だけだと思われる。そして、以上の諸点に反対はしないし、逆に基本的にはそのとおりだろうと相槌を打つ。
 但し、上の最後の文は、そのために「自由・民主主義」あるいはアメリカの「歴史観」や「価値観」が検討されずに「聖域」化された、という論旨につながっていき、全体としてアメリカニズム(「アメリカ文明」)の問題点・限界を指摘することが主題になっている(その帰結として、最後に「日本の精神」の再発見の必要を説いているが)。
 そして、(上のカッコ内を除いて)どこか違う、「思想的」にはともかく「現実的」には、日本の現在の焦眉の論点ではないのではないか、という感想をもってしまった。別の機会に少しはより詳しく書こう。

0467/共産主義との闘い-人間が人間らしく生きるために。

 「なぜ1917年に出現した現代共産主義は、ほとんど瞬時に血なまぐさい独裁制をうちたて、ついで犯罪的な体制に変貌することになったのだろうか。…この犯罪が共産主義勢力によって、平凡で当たり前の施策と認識され実践されてきたことをどう説明できるのだろうか」。
 これはクルトワ等共産主義黒書コミンテルン・アジア篇(恵雅堂出版、2006)p.334の文章だ。「犯罪」はむろん粛清=大量殺戮を含む。
 この本はフランス人によるだけにフランス革命後のロベスピエール等によるギロチン等による死刑とテロルの大量さとの関連性にも言及しているのが興味深いが、この文章の「現代共産主義」は殆どソ連のみを意味する。だが、「現代共産主義」は欧州では無力になったとしても、東アジアではまだ「生きている」。アジア的・儒教的とか形容が追加されることもある、中国・北朝鮮(・ベトナム)だ。中国との「闘い」に勝てるかどうかが、これらの国を「共産主義」から解放できるかどうかが、大袈裟かつ大雑把な言い方だが、日本の将来を分ける。下手をすると(チベットのように<侵略>されて)中華人民共和国日本州になっている、あるいは日中軍事同盟の下で事実上の中国傀儡政権が東京に成立しているかもしれない。そうした事態へと推移していく可能性が全くないとはいえないことを意識して、そうならないように国と全国民が「闘う」意思を持続させる必要がある、と強く感じている。むろん「闘い」は武力に限らず、言論・外交等々によるものを含む。
 といって、現在の北朝鮮・中国情勢に関して日本「国家」が採るべき方策の具体的かつ詳細な案が自分にあるわけではない。だが、中国・北朝鮮対応は共産主義との闘いという大きな歴史的流れの中で捉えられるべきだし、将来振り返ってそのように位置づけられるはずのものだ、と考えている。
 近現代日本史も「共産主義」との関係を軸にして整理し直すことができるし、そうなされるべきだろう。共産主義がロシアにおいて実体化されなかったら、日本共産党(国際共産党日本支部)は設立されず、治安維持法も制定されなかった。コミンテルンはなく、その指導にもとづく中国共産党の対日本政策もなく、支那は毛沢東に支配されることもなかった。米ルーズベルト政権への共産主義の影響もなく、アメリカが支那諸政府よりも日本を警戒するという「倒錯」は生じなかった。悪魔の思想=コミュニズムがなかったら、一億の人間が無慈悲に殺戮される又は非人間的に死亡することはなかったとともに、今のような東アジアの状態もなかった。

0455/佐伯啓思の一部の議論を疑問視する。

 佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008)を4/07夜までにp.245まで読み、あとは第六章のみ。全体の約3/4を了えた。
 この本の読書ばかりしている訳ではないので(仕事もある)、最初の方はもう忘れかけている。丸山真男に対する厳しいかつ明晰な批判は別の機会に触れよう。
 4/07に鷲田小彌太・「戦後思想」まるごと総決算(彩流社、2005)というのを買って第一部の3の最後、p.64まで(4の「天皇制、あるいはその政治と倫理」の前まで)一気に読んだ。佐伯著とともに戦後(思想)史を(も)扱う点で共通する部分があるが、鷲田著は直球一本の短い・断定的文章が連続している感じで、佐伯の文章、論理展開が直球・カーブ・シンカーあり、たまには捕手との相談あり、たまにはマウンドでの沈思黙考あり、という印象であるのと比べると、失礼ながら(比較する相手が悪いのか)相当に<粗い>。鷲田小彌太は決して嫌いな書き手ではないが。
 さて、佐伯啓思の上の本のほとんどは何と無く納得して読めるが、一点だけ気になることがある。それは、瑣末なことでもなさそうだ。
 p.19にこうある。「冷戦の崩壊は、社会主義に対して蜃気楼のような漠然たる希望を託した左翼の幻想を一晩で吹き飛ばした」。<左翼の幻想>はまだ残っていないかと問いたくなるが、この文はとりあえずまぁよいとしておこう。
 p.80の次の文章(要約)はどうだろうか。
 <「アメリカの歴史観」には「典型的な啓蒙主義的理念」、「西欧近代の進歩主義を代表する理念」がある。これは「左翼的思想」と言ってよく、少なくとも「無条件の進歩を疑うという西欧保守主義とは全く異なった思想」だ。そして、ソ連崩壊後はこの「左翼的思想」を掲げた国はアメリカになった。その「左翼的国家」との同盟に「国益を全面的に委ねる」日本の「保守派」は日米間で「価値を共有する」とまでいうが、これでは「何が保守なのか」分からなくなってしまう。>
 上の文章は気になりつつも読み続けていたら、p.239辺り以下(~p.243)にもこういう文章(要約)があった。
 <アメリカの「ネオコンの価値観」は「自由・民主主義」・「市場経済」・「隠されたユダヤ・キリスト教」。これらを日本人は「共有」していない。日本はアメリカの「啓蒙主義的なメシアニズムという進歩的歴史観」を「信奉」してもいない。にもかかわらず、小泉・安倍両首相は「価値観を共有している」ことを根拠として「日米関係」の「緊密化」を唱え、「保守主義者」がアメリカ的歴史観を支持するとは「何とも奇妙な光景」だ。アメリカ的歴史観は「東京裁判」に現れているが、その「東京裁判史観」を否定してきた「保守派」が「安易に、日米は価値観を共有している、などというべきではない」。>
 なかなか興味深い論点が提示されている。佐伯啓思が<グローバリズム>追従を批判する、<反米・非米>の保守主義者であることをここで問題視するつもりはない。かかる批判(矛盾・逆説の指摘)は<親米>保守派に向けられているのだろう(そういえば八木秀次は<親米>保守派を「現実的」保守とか称していた)。
 だが、日米間の<価値の共有>をこうまであっさりと切って捨ててしまうのはいかがなものか。
 佐伯啓思について気になるのは、ソ連崩壊によって社会主義・マルクス主義は「崩壊」してしまった、という強固な認識に立っているように見えることだ。p.243には、「マルクスが失権した後」、最「左」は「ヘーゲル」になり、この「ヘーゲルとコジェーブの進歩史観にもっとも忠実なのがネオコンのアメリカという事態」になった、とある。かかる「左」=「進歩主義」(のはずのもの)を日本の<左派>が批判し、<保守>が支持している、という「奇妙な光景」がある、というわけだ。
 いくどか書いたことがあるが、アジアには中国・北朝鮮という「社会主義」(←マルクス主義)を標榜する国々があり、「冷戦」は終わっていない。ソ連・東欧「社会主義」の崩壊により終焉したのは欧州(又は欧米)内での「冷戦」だ。日本には「日本共産党」という社会主義・共産主義社会を目指すことを綱領に明記する政党が国会内に議席を占め、佐伯啓思が所属する大学にも京都府委員会直属の日本共産党の「大学支部」がちゃんと?まだ残っている筈だ。
 日本は近隣に中国・北朝鮮という国々を置いて生きていかなければならない。その際に、中国・北朝鮮と欧米と、<価値観>が(相対的に)より近いのはどちらなのだろうか。
 むろん、佐伯が強調するように、アメリカ(や欧州)と日本は「価値観」が全く同じではなく、全く同じにすることもできない、ということはよく分かる。平均的日本人以上に、その点は私も強く感じるに至っている。アメリカ産の<戦後民主主義の虚妄に賭ける>とか書いたらしい丸山真男はバカに違いない、と考えている。
 だが、日本の政治家が近隣の「社会主義」国家(<侵略>国家・<拉致>国家だ)の存在を意識し、とくに<正規の軍隊>を持てないという憲法上の制約の中で、(中国・北朝鮮と比べての)アメリカとの<価値観の近さ>を強調し、<価値観外交>を展開する、あるいはインド等をも含めた<自由の弧>構想を描く(麻生太郎元外相)ということが、なぜ上のように厳しく批判されなければならないのか。
 政治・外交は戦略であり方便だ。全く同じ価値を共有していなくとも、アメリカと100%完全に異質の文化・価値を持っているわけでもなかろう。その場合に、中国・北朝鮮に対抗するために<価値観の共通性>を(むろん厳密な学者の議論としては問題があるかもしれないが)強調して、何が悪いのか。
 <戦後レジーム>の問題性・限界を意識していた筈の安倍晋三が、日本(人)はアメリカとべったり全く同じ価値観をもつ国(人)だなどと考えていたとは思われない。麻生太郎も同様。
 佐伯啓思の論理それ自体はよく理解できる(つもりだ)。西欧近代(進歩主義)の一方の鬼子のソ連が消滅して、もう一方の鬼子のアメリカが(かつてはソ連に隠れて分からなかった)進歩主義=「左翼」国家として登場している、という。
 上のこと自体はかりにそれでよいとして、しかし、佐伯啓思の眼(頭)には、アジアに厳然として残る「社会主義」国家、マルクス主義の思想潮流はどの程度の大きさをもって映っているのだろうか。<西欧近代>又は<自由・民主主義>の限界の露出のみが現代の(国家および思想の)状況だとは思われない。まだマルクス主義・「社会主義」との闘いは続いている。マルクス主義者・「社会主義」者は、<親>・<シンパ=共感者>も含めて、しぶとくまだ生き残っている、と私は考えている。彼らのいう<自由・民主主義>の欺瞞を暴くことも、また中国・北朝鮮における<自由・民主主義>の欠如を衝くことも、戦略的には何ら責められないのではないか。
 <西欧近代>に淵源をもつ本来は非日本的な<自由・民主主義>価値観の欺罔を批判することも大切だろうが、やはり<西欧近代>に発する<社会主義>的価値観と闘うことも依然として重要ではないか。究極的には、日本も属する<自由主義>を採るか、中国・北朝鮮が立脚する<社会主義(共産主義)>を採るか、であり、この対立は、反米か親米かよりもより重要な、より大きな矛盾なのではないか。
 とこう書いている私は「進歩主義」に毒されているだろうか。そうとは自覚していない。問題は、上の方で引用した言葉を使えば、ソ連の崩壊は「左翼の幻想を一晩で吹き飛ばした」と簡単に言い切れるかどうか、だ。この点の認識の違いが、佐伯啓思の一部の論理に違和感を覚えた理由だろう。
 追-二カ所、校正ミスを発見している。
 ①p.138-「共産主義ルネサンス」→正しくは「共和主義ルネサンス」。②p.170後から5行め-「傷づけられた」→正しくは「傷つけられた」。

0452/佐伯啓思=大澤真幸・テロの社会学(新書館、2005)のごく一部・「保守反動」。

 佐伯啓思=大澤真幸・テロの社会学(新書館、2005)を入手して、「語り下ろし」の第三章・ポストモダンの行方(p.126-)を何となく見ていたら、冒頭で佐伯啓思が次のように発言する。
 「あえて一言でレッテルをはれば、大澤さんはポストモダン派左翼、ぼくは保守反動ということになっています」。
 大澤某のことは全く知らないが、佐伯が自らを「保守反動ということになっています」と(本気かどうかは別として)語っているのを読んで、微苦笑をした。そのあとで、心の中でハッハッハと笑ってしまった。今のところ私は佐伯啓思の愛読者なので、私も「保守反動」なのだ、きっと(ワッハッハ)。
 以上だけだと短かすぎるので、その後の大澤真幸発言だけ要約しておく。
 <保守主義・リベラリズムの対立において、佐伯さんは、「リベラリズムがヘゲモニーを握っているという状況認識」を前提にし、「真の保守主義」が必要とし、「伝統であるとか保守の重要性に気づいている論者のほうから抜けていこう」とする。私は、現代日本の論壇では明確な「保守主義」でなくとも「保守的論調」がアピールしていると見ており、「保守が論壇でヘゲモニーを握ろうとしている」今こそ、「いままでのリペラルとは違うほんとうのリベラルが必要」と考え、「ポストモダンに批判的ではあるけれども、その方向性をもっと突き詰めたときに出口がある」と思っている。対立を「別のように眺め、別の方向を目指している」。「右から抜けるか左から抜けるかというシンメトリーがある」。(p.128~p.130)
 「真の保守主義」か「ほんとうのリベラル」か!?
 <ポストモダン>思想なるものに疎いこともあって論評しにくいが(<新奇だが、何となくいかがわしく珍奇だ>との予断をもっている)、上のまとめ方(二分)でいうと佐伯啓思の状況認識の方に私は親近的だ。もっとも、<保守主義>・<リベラリズム(リベラル)>の両概念の意味が(上の部分だけでは)正確には分からないので、これについて両人に一致があるのかも含めて、きちんと読まなければならないだろう。
 今日、明日から読み始める気はないが。

0446/佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008.03)を半分近く読了。

 佐伯啓思・日本の愛国心-序論的考察(NTT出版、2008.03)をたぶん4/01から読み始めて、p.152まで、数回に分けて一気に読んだ。「あとがき」も読了しているので、すでに半分近い。
 佐伯の本には読み残しが多いが、「愛国心」は今日的テーマでもあり、最新の彼の本でもあるので、これを次に片付ける。
 内容をフォローしないが、1.「ナショナリズム」、「国民」および「愛国心」に関する概念の分析は、シェーマ的すぎると感じるほどに、かつ唖然とするほどに、見事という他はない(p.92、93、p.107参照)。
 朝日新聞コラムニストの若宮啓文は「ナショナリズム」概念について、きちんと何かを理解した上で<ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではない>と書いたのだろうか。佐伯著をじっくり読んで理解できる能力が若宮啓文にあるかどうか。
 2.佐伯は日本人の固有名詞を出して批判することが全くか殆どなかったように思うが、この本の第一章のうち30頁くらいは明確に丸山真男の名を出してのその論理・概念・理論の批判だ。その内容にも納得がいく。
 あらためてこんな学者=丸山真男に「呪縛」された「知識人」たちを罪深いと感じるし、こんな学者の全集や書簡集等が今だに刊行されていることを異様だとも思う。
 3.ホッブズ、ルソー、フランス革命、アメリカ革命等に関する話が(私には再び)出てくる。何度も読んだような、しかし新しい別のことも教えてくれているようだ。
 余裕があればいつか、内容の一部を紹介・要約する。疑問点もある。

0442/読書メモ2008年3/30(日)-その1。

 〇川崎修・アレント-公共性の復権(現代思想の冒険者たちSelect)(講談社、2005)のプロローグ(p.35まで)だけ読了。外国「思想家」の文献の翻訳ものを多く読んでいく時間はないと考えているので、要領のよいかつ<基本的に間違っていない>紹介をしている日本人の本をむしろ読みたい。この講談社のシリーズがはたしてかかる要求に応えてくれるかどうか。
 ハンナ・アレントの本の訳書は三つ所持しているが、この本の前篇が扱う『全体主義の起源』の訳書は高価すぎて入手していないことも、この本を購入してみた動機だ。
 〇佐伯啓思・隠された思考(筑摩書房、1985)はp.112(第三章の途中)まで読了。ほんの少し増えた筈だ。
 〇週刊新潮4/03号の「…光市「母子殺害事件」弁護士たちの〔鬼畜発言録〕」(p.50-)。とくに驚きもしなかったのだが、産経新聞3/29花田紀凱の「週刊誌ウォッチング」で花田が「これはひど過ぎる」と全文の約8割を使ってとくに取り上げている。私の感度が鈍っているのかもしれない。しかし、光市「母子殺害事件」弁護士たちに限らず、ヒドい弁護士は多いと感じている。その中には、戦後民主主義教育の(最)優等生らしく(←そうでないと「司法試験」に合格できない)、「左翼」・「反権力」活動に邁進している者もいる。光市事件被告人の弁護人たちもたぶんこの傾向の「活動家」たちだろう。
 他にも途中(読みかけ)のものがある筈だ。

0441/佐伯啓思・20世紀とは何だったのか-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)全読了。

 佐伯啓思・20世紀とは何だったのか・「西欧近代」の帰結-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)を全読了。
 最終章(第七章)は「アメリカ文明の終着点」で、筆者はアメリカ文明への「警戒」、自由主義・民主主義・グローバリズム・情報革命への「懐疑」を呼びかけ、ニヒリズムを基調とする「現代文明というものの本質」を「認識」することから始める他はない、とこの書物全体を結んでいる(p.238)。
 あまり夢の湧いてこない、建設的・積極的とは必ずしも言えない終わり方だ。もっとも、佐伯啓思は、この半年間には「義」というものについて書いたり、同・日本の愛国心(NTT出版、2008.03)を出版したりしているので、それらでは少しは「明るい」話を読めるのかもしれない。
 西部邁と佐伯啓思の2名は隔月刊の雑誌・表現者(イプシロン出版企画)の「顧問」のようで、かつこの雑誌の編集部(株・西部邁事務所)は「親米保守が分裂病…」と述べており(17号編集後記)、この雑誌は<反・親米保守>の基本的立場のようだ。
 佐伯啓思のアメリカニズム・グローバリズム批判等からして、佐伯が単純な<親米保守>でないことは分かるが、では<親中国>か<親米>かと問われるとまさか前者だとは答えないだろう。
 中国「文明」に日本が席巻・蹂躙されてはならないのと同様にアメリカ「文明」のよくできた子供になっても困る、ということならば、自信をもって支持できるのだが。
 元に戻って、佐伯啓思・現代文明論・下>は「西欧近代」の帰結の「歴史的で文明論的な見取り図」(p.5)を叙述するもので、たぶん種々の疑問・批判もあるのだろうが、「視覚」・「見通し(概観)」という点でおおいに参考になった。<現代文明論・上>と同様に、ときどき、一部でも要約的に引用・紹介したい。
 さっそくだが、「大衆民主主義」の「危うさ」と「恐ろし」さに関して、次のような文章がある(「」の引用以外は要約)。
 ・「大衆民主主義」とは「大衆の意見がそのまま政治に反映されるべき」との「政治システム」だとすると、大衆が「政治の主役」で「世界(社会)は大衆によって動かされる」ことを意味する。これは「政治を動かす者は、優れた指導者」、「知識や判断力をもったエリート層」だとした一九世紀ヨーロッパと基本的に異なる。「大衆社会は政治の基本的なあり方を変え」た。かつまた、「集団としての大衆」が「それなりの合理性や判断力とはまったく違った次元」で動くとすれば「恐ろしいことだ」。大衆の描く「世界(社会)」とは「みずからの欲望や野望や情念やら偏見やらを動員して、みずからに都合よく定義した」ものなのだ。(p.152-3)
 ・それなりの「能力や見識や、さらには時間」をもつ人でないと「政治にかかわる」のは無理だ。だが「大衆」は、「平凡で平均的な者の、平均的な感覚や思いつき」、「平凡な人間」の「凡庸な考え」が「政治を動かす」あるいは「政治の場に反映されるべき」と考えている。「政治的権利」をもつ者は「その権利に値するだけの優れた人間」との「自覚と努力」が必要だった筈だが、現今の「大衆」はそうではない。「大衆の本来のあり方」に反逆しているのであり、これ=「大衆の本質に対する反逆」こそが、オルテガのいう<大衆の反逆>だ。(p.158-161)。
 以上。

0437/佐伯啓思・<現代文明論・上>のメモのつづき。

 佐伯啓思・<現代文明論・上>(PHP新書、2003)からの要約的引用のつづき。
 ・フランス革命の同時代の英国人、「保守主義の生みの親」とされるエドマンド・バークは1790年の著で、国家権力・「政府」は「社会契約などという合理主義でつくり出すことはできない」と述べ、フランス国王・王妃殺害の前、むろん「ジャコバン独裁」とその崩壊の前に、フランス革命は「大混乱に陥るだろうと予測した」。(p.162-3)
 ・バークによれば、フランス革命の「誤り」は「抽象的で普遍的な」「人間の権利」を掲げた点にある。「人間が生まれながらに自然に普遍的にもっている」人権などは「存在しない」、存在するのは抽象的な「人間の権利」ではなく、「イギリス人の権利」や「フランス人の権利」であり、これらは英国やフランスの「歴史伝統と切り離すことはできない」として、まさにフランス「人権宣言が出された直後に『人権』観念を批判した」。(p.166)
 ・バークによれば、「緩やかな特権の中にこそ、統治の知恵や社会の秩序をつくる秘訣がある」。彼は、「特権、伝統、偏見」、これらの「合理的でないもの」には「先人の経験が蓄積されている」ので、「合理的でない」という理由で「破壊、排除すべきではない」。それを敢行したフランス革命は「大混乱と残虐に陥るだろう」と述べた。(p.167-8)
 今回は以上。
 「合理的でないもの」として、世襲を当然視する日本の「天皇」制度がある。これを「破壊、排除すべきではない」、と援用したくなった。
 それよりも、<ヨーロッパ近代>といっても決して唯一の大きなかつ「普遍的な」思想潮流があったわけではない、ということを、あらためて想起する。
 しかるに、日本国憲法はこう書いていることに注意しておいてよい。
 前文「……<前略>。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
 第97条「……基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、…、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
 もちろん、客観的に「普遍の原理」にもとづいているのではなく(正確には、そんなものはなかったと思われる)、<制定者が「普遍的」だと主観的には理解した>原理が採用されている、と理解しなければならない。「生まれながらの」(生来の)とか「自然的な」自由・権利という表現の仕方も、一種のイデオロギーだろう。
 話題を変える。月刊WiLL5月号の山際澄夫論稿(前回に触れた)の中に、「(朝日新聞にそういうことを求めるのは)八百屋で魚を求める類であろうか」との表現がある(p.213)。
 上掲誌上の潮匡人「小沢民主党の暴走が止まらない!」を読んでいたら、(民主党のガセネタ騒動の後に生じたことは)「木の葉が沈み、石が浮くような話ではないか」との表現があった。
 さすがに文筆家は(全員ではないにせよ)巧い表現、修辞方法を知っている、と妙な点に(も)感心した。潮匡人は兵頭二十八よりも信頼できるが、本来の内容には立ち入らない。民主党や現在の政治状況について書いているとキリがないし、虚しくなりそうだから。

0431/佐伯啓思・<現代文明論・上>のメモ。

 佐伯啓思・<現代文明論・上>(PHP新書、2003)からの要約的引用のつづき。
 ・フランスにはアメリカと違い「きわめて貧しい」「市民階級」があり、「貧民市民層」の支配層(王・宮廷貴族・官僚・僧侶)への「恨み」・「怒り」=「ルサンチマンに彩られた自己意識、…被害者意識」がフランス革命を導いた「人々の心理」だった。革命は「権力の創出」(アメリカ)ではなく、「権力の破壊」に向けられた。(p.156-7)
 ・フランスでの「人民主権、…民主主義は、まずは反権力闘争として提示された」。フランス革命が生んだ「近代民主主義」は古典古代の如き「有徳の市民による政治参加」ではなく、「恨みと怒りに突き動かされた無産階級の、財産階級への闘争だった」。この意味で、「近代民主主義は、本質的に反権力的で、つねに権力を破壊しようとの衝動を伴っている」。(p.157)
 ・ロベスピエールはルソーを通して古代「共和主義」に共鳴して「徳の共和国」を作ろうとしたが、その「徳」は「貧者への同情に変形され」、その結果、フランス革命の「徳の共和国」は「徳のテロル」に変わった。(p.160)
 ・「ルソーの民主主義論」の二側面のうち「古典古代的な共和主義」・「市民的美徳」の再構成は「アメリカに受け継がれた」。また、アメリカ独立革命の指導者たちは「ルソー的な直接民主主義を完全に放棄」し、「連邦制という新たなシステム」を創出した。(p.161)
 ・もう一つの側面=「社会契約論を徹底した根源的な人民主権」は、「フランス革命に受け継がれた」。「古典的な共和主義や古典的市民の観念を失った近代民主主義は、フランス革命において凄惨な帰結をもたら」した。(p.162)
 以上。

0430/佐伯啓思「現代文明論・下」を読む。「現代文明論・上」メモ。

 佐伯啓思・20世紀とは何だったのか-「西欧近代」の帰結-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)の第二章まで、p.74まで、を3/22の夜に読んだ。
 佐伯啓思に社会主義ないしマルクス主義に関する叙述は少ないと思っているが、佐伯啓思・「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理(講談社現代新書、1993)の第一章(計25頁)が「社会主義はなぜ崩壊したのか」で、読んだ形跡があった(一昨年か昨年)。但し、主として社会主義「経済」を問題にしており、マルクス主義全体を対象にしているのではないようだ(なお、この本はこの第一章しか目を通していないと見られる)。
 既述のとおり、佐伯・<現代文明論・>(PHP新書、2003)には、引用して書き残しておきたい文章が多い。以下は、その一部。断片的に。要約も適宜行う。
 ・ルソー主義者は現実の政治の場でも「主権」=「一般意思」は貫徹されるべきで、「統治者」は「主権者」そのものの必要があると読んだ。「その帰結はというと、全体主義へと陥った」。(p.136)
 ・ルソーの「市民」とは、「私心」を捨てて「公共的なもの」を考える、「市民的美徳」をもつ「徳の高い公共心に富んだ」、「古典古代」的「市民」で、「共和主義」ともおおよそ重なる(p.140-2)。しかし、「近代民主主義」はルソーが復活を意図した「共和主義が、実際には大きな変質を受けて誕生した」。ルソーにおいて「古典的な市民による共和主義が、人民主権の民主主義を支えていたはず」だったが、実際には、「近代民主主義」における「市民」とは、「単なる個人の集まりで、自分の利益、権利にもっぱら関心をもつような個人」だった。そして、かかる「近代的市民」が「近代民主主義」の主役になった。(p.146-7)
 ・「民主主義を徹底して…人民主権を実現しようとすると、無理にでも民衆の一致した意思をつくり出す」必要があり、そのために「一般意思」という「フィクションを民主主義は必要とする」。「このフィクションが…『国民主権』や『国民の意思』という概念」だ。かかる「国民の意思」を「仮構せざるをえないところに近代民主主義の逆説がある」。(p.147-8)
 ・上の「考え方を徹底すると」、自分が「国民の意思」を表現しているとする「究極の代表者」=「独裁者」が現れる。「一種の全体主義の登場」だ。もっとも、「全体主義」は「目に見えない」「国民の意思」によって動かされることもある。「世論万能の政治」は「変形された全体主義」だ。「ルソーの考えたような民主主義を徹底すれば、ほぼ間違いなく全体主義へと行き着いてしまう」。(p.148)
 ・民主主義のなかには、あらかじめ何か全体主義的なものが含まれてしまっている」。「ルソーが示したものは、よくいわれるように、近代的民主主義の理論的な基礎」のみでなく、「同時に…全体主義的なものに変形されてしまう危険性でもあった」。(p.149)
 ・「われわれ」〔現代の日本人〕の考える「自由」は「公的なものと対立するもので、もっぱら『私』のみにかかわる」。一方、「アメリカの独立の指導者」たちにとって、「自由」とは、「もっと積極的に、人々との共同作業を行い、共同で何かをつくり出してゆく活動」にこそあった。「そのなかで、自己の能力を発揮し、他者から敬意を得る、こうした意味での自己実現こそが自由だということ」だった。(p.155-6)
 つづき、又は別の箇所への言及は別の機会に。 

0425/佐伯啓思・人間は進歩してきたのか(PHP新書、2003)全読了。

 このサイトに参加して以来一年が経過した。
 昨夜、佐伯啓思・人間は進歩してきたのか-「西欧近代」再考(PHP新書、2003)を最後まで一気に読了。面白かった。(前夜読んだ範囲内では)ウェーバー、フロイト、フーコー、ニーチェ等を登場させてこのように「西欧近代」という「物語」(p.265)を「描き出」せる人は日本にはなかなか存在しないのではないか。
 部分的にでも引用したい文章は多くありすぎる。別の機会におりに触れて、適当に使ってみよう。
 ニーチェ死去のちょうど1900年辺りを区切りにしているためか、ロシア革命への言及はない。この本の続編にあたる同・20世紀とは何だったのか-「西欧近代」の帰結<現代文明論・下>(PHP新書、2004)の目次を見たかぎりでも、ロシア革命への論及は少ない。
 それにマルクスらの『共産党宣言』は1848年刊だから、「西欧近代」再考の前著でマルクス主義・社会主義(「空想的社会主義」も場合によっては含めて)叙述してもよかった筈だが、言及がいっさいない。
 このことは、佐伯がマルクス主義を<相手にしていない>、マルクス主義に<関心自体をよせていない>(つまり、これらに値するものとは考えていない)ということを意味するのだろうか。
 この点、マルクス主義やロシア革命との関係で各思想家(哲学者)を位置づけていたと見られる中川八洋とは異なるようだ。
 だが、マルクス主義(→ロシア革命)もまた「西欧近代」の所産(それが「鬼殆」・「鬼子」であろうとも)だとすれば、少しは言及があってもよかったように思える。このブログ欄が、明確に反コミュニズム(共産主義>日本共産党)を謳っている(つもり)だからかもしれないが。
 さて、次は上記の<現代文明論・下>にしようか。中途で停止中の佐伯・隠された思考(筑摩)にしようか。それとも、しばらく忘れている阪本昌成・法の支配(勁草)にしようか。自由な時間が欲しい。

0424/大月隆寛、辻村みよ子、保阪正康。

 1.産経新聞3/19の「断」というコラムで、大月隆寛が、福田康夫首相も用いた「生活者」という言葉に(「オルタナティブ」や「自立」と同様に)警戒する必要がある旨を書いている。<生活者(市民)の目線で>などと言っている政治家は信用できない旨をこの欄で書いたことがあり、大月には全く同感だ(大月の文章は愉快でもある)。
 大月は「プロ市民系のお札みたい」な言葉の筈なのに福田首相までが何故?、という叙述をしていたので、「市民」という言葉自体が「プロ市民系」の用語であることがあることを思い出した。いわく<市民運動>・<市民参加>・……。
 2.ここでさらに連想したのだが、憲法学者・辻村みよ子(現在、東北大学)は2002年に『市民主権の可能性-21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー』という著書を刊行している(有信堂高文社)。「デモクラシー・ジェンダー」という概念の並び、すでにマルクス主義(但し、非共産党系と見られる)憲法学者としてその本の一部に言及した杉原泰雄(元一橋大)が指導教授だったらしいこと、と併せて推測すると、この「市民主権の可能性」というタイトル自体が、「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」(大月の上のコラム内の言葉)の概念である可能性があるだろう。
 安い古本が出れば、この辻村の本を読んでみたい。なお、
辻村みよ子には(これまた所持しておらず安い古本待ちだが)『人権の普遍性と歴史性―フランス人権宣言と現代憲法 』(1992)という本もある。ルソー・フランス革命・「人権宣言」に親近的な者であることにたぶん間違いない(かりに「賛美者」とは言えなくとも)。
 ついでにさらにいうと、辻村みよ子は小森陽一と岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)を書いてもいる。「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」の精神世界に居住する(と見られる)れっきとした憲法学者が国立大学(法人)に現にいらっしゃることを忘れてはならない。
 3.言葉、ということでさらに連想したのだが、かつては「左翼」又は進歩的文化人・知識人に馴染みだった筈の言葉に、<ファシズム>がある。この言葉自体はよいとしても(つまりドイツやイタリアについては使えるとしても)、少なくともかつては、日本も戦前(・戦中)は「ファシズム」国家だったという認識が、意識的に又は暗黙裡に表明されていたと思われる。何といっても、先の大戦は、<民主主義対ファシズム>の戦争で、道義的・倫理的にも優る前者が勝利した、と(GHQ史観の影響も受けて)語られてきたのだ。
 しかるに、丸山真男が典型だったが、戦前日本をファシズムと規定するかかる用語法は近年はあまり用いられなくなった、と思われる。
 ところが、この語を2006年の夏に平然と用いていた者に、評論家・保阪正康がいる。以下の記事にはこれまでも別の角度から言及したことがあるが、保阪正康は2006年8月の朝日新聞紙上で、次のように明記した。
 「…昭和10年代の日本は極端にバランスを欠いたファシズム体制だった…」、「無機質なファシズム体制」が2006年08.15に宿っていたとは言われたくない(「ひたすらそう叫びたい」)。
 さて、保阪正康は具体的には又は正確には「ファシズム(体制)」をどのようなものと理解し又は定義したうえで、日本はかつてその「体制」にあり、その再来を憂える、と主張しているのか。歴史家又は歴史評論家(とくに昭和日本に関する)を自認するのなら、この点を揺るがせにすることはできない筈だ。どこか別の本か何かに書いているのかもしれないが、かりに平然と又は安易に戦前日本=ファシズムというかつての(左翼に主流の)図式に現在ものっかっているだけならば、昭和日本に関する歴史家又は歴史評論家と自称するのはやめた方がよい。かりに「作家」の資格で文章を書いているとしても、かつての「プロ市民系」、<社会党共産党界隈>の概念を、その意味を曖昧にしたままで安易に用いるべきではなかろう。

0423/佐伯啓思・人間は進歩してきたのか(PHP新書)を半分以上読んだ。

 先週のいつ頃からだったか、二夜ほどで、佐伯啓思・人間は進歩してきたのか-「西欧近代」再考<現代文明論・上>(PHP新書、2003)の最初からp.168までを一気に読んだ。
 広いスパンだけに、むつかしくはない。だが、これは大学の全学共通科目(私の時代では「教養」科目)の講義を元にしてできた本のようで、当該科目を受講できた学生たちが羨ましい。自分も20歳前後にこんな内容の講義を(まじめに)聴いていれば、人生が変わったかも、と思ったりする。
 とりあえず、二点が印象に残る。
 第一に、何をもって、またいつ頃からを「近代」というかは問題だが、佐伯によると、中世=封建時代からただちに近代=自由・民主主義の時代に<発展>したわけではなく(ルネッサンス・「絶対王政」の時期が挟まる)、些か安易に一文だけ抜き出せば、「宗教改革という名のキリスト教の原理主義的回帰から、宗教から自立した近代的国家が成立し、世俗の領域が確立した」(p.81)。あえてさらに短縮すれば、宗教(神)から自立した世俗的国家・社会の成立こそが「近代」なのだ。
 これはむろん<ヨーロッパ(西欧)近代>のことで、かつ西欧でもフランス、イギリス、ドイツで異なる歴史的展開があったのだとすれば、<(ヨーロッパ)近代>の萌芽・成立・その後の「変化」を日本に当てはめるのは、キリスト教という宗教と<世俗>世界の対立・抗争に類似のものを日本は持たないことだけでも、もともと(よほどひどく単純化・抽象化しないかぎりは)不可能なことだろう。<進んでいる・遅れている>を論じても、-欧州「進歩」思想に全面的に同調しないかぎりは-無意味なのではないか。
 第二は、前回書いたことにかかわり、前回にすでに意識はしていたことなのだが、ルソーについてだ。
 ルソーについては前回も触れたが、中川八洋や阪本昌成の著書を参照しつつ、何度かその思想の中身に言及してきた。
 かつて自分がこの欄に書き記したことをほぼ失念しているが、佐伯啓思もほぼ同旨のことを(も)述べているように思う。以下、適当に要約的に引用する。
 ①万人が争う「自然状態」をなくして「自己の保存」(個人の生命・財産の安全確保)のために<契約>して「国家」ができるとするホッブズの矛盾・弱点-個人・市民と主権者・国家が乖離し後者が前者を抑圧するという可能性-を「論理的に解決」する考え方を示したのがルソーだ(p.115-6、p.119)。
 ②「近代」社会の合理性・理性主義を肯定し、「自由や平等に向けた社会改革」を支持するのが「啓蒙思想」だとすると、ルソーは(啓蒙主義者・啓蒙思想家としばしば称されるが)「啓蒙主義に対する敵対者」だった(p.119)。
 ③ルソーを啓蒙主義者の代表者にしたのは彼の著書『社会契約論』だが、この本の理解は容易でない。
 1.ホッブズと同様、「生命・財産の安全を確保するための契約」を結ぶ。但し、ホッブズの「契約」だと市民は国家・主権者に「結局、…服従」してしまうので、人間が「本来自然状態でもっていた基本的な自由」を失わず、「自分が何者かに決して従属しない」契約にする必要がある(とルソーは説く)。
 2.どうすればよいのか。「唯一の答えは、すべての人が主権者になるような契約」を行うことだ。これは、換言すると、「すべての者が従属者」でもある、ということ。この部分のルソーの叙述はわかりにくい。
 3.このわかりにくさの解消のために持ち出した「非常に重要な概念」が「一般意思」(p.121-3)。
 ④1.「一般意思」とは「すべての人が共通にもっているような意思(あるいは利害・関心)」。かかる「意思」を軸にして全ての人が結合でき、一つの「共同社会」ができる。この共同体は「すべての人が共通にもっている利害や関心を実現し、またそれを焦点にすることで形成される」。
 2.とすると、「共同体の意思」と「一人ひとりの人間」の「意思」は「同じはず」。「一般意思」による「共同体」形成により「個人の意思、利益、関心と社会の意思、利益、関心とは完全に一致する」。
 3.人はたしかに「共同体にすべて委ねてしまう」が、共同体に「従属」しはせず、むしろ「委ねる」ことにより自分の意思・利益を「いっそう有効に実現」できる。
 くり返せば、人がその生命・身体・全ての力を「共同体に委ね」、身体・全ての力を「共同のものとして、一般意思の最高の指導のもとに置く」。「自分自身を共同体に委ねてしまうことによって、逆に共同体の全体の力を、自分自身のものとして受け取ることができる」(p.123-4)。
 以上が、人は「自らが主権者であり、また服従者だ」ということの意味。 
 ⑤1.「一般意思」とは、個人の個々の関心の調整で生じるのではない、「もっと崇高」で「もっと根源的なもの」。
 もっとも基本的なものは「共同防衛」、「共同で自分たちの生命・財産を防衛すること」。
 2.共同防衛が「一般意思」ならば、人は「一度、全面的に一般意思に服」する必要がある。ルソーいわく、「共同体の構成員は…自己を共同体に与える。…彼自身と…彼のすべての力を、現にあるがままの状態で与える」。
 3.(佐伯は言う)「これはたいへんな話です」。「一般意思の実現のためには共同体に命を預けなければならない」。
 ルソーいわく、<統治者が国家のために死ねと言えば、市民は死ななければならない>。
 4.(佐伯は言う)上の2.3.のような面は「従来の政治思想史のなかでは…故意に触れられずにき」た。だが、かかる重要な点を欠いては、ルソーの社会契約論、つまり、「人々が契約によって社会状態に入り、なおかつ主権を維持するという論理は生まれえない」(p.125-8)。
 (以下にこそ本当は引用したかった部分が続くのだが、長くなりそうなので(すでに長いので)、結論的な叙述のみ引用しておく。)
 ⑥1.「一般意思」は事実上「人民(又は国民)の意思」に置換される。「『人民の意思』を名乗った者はすべてが許されます。彼に反対する者は『人民の敵』となるわけで、『人民の敵』という名のもとに反対者はすべて抹殺されてしまう」。「代表者に敵対する者は一般意思に対する裏切り者」で「共同社会に対する裏切り者」となる。「これは、独裁政治であり全体主義です」。
 2.「つまり、ルソーの論理を具体的なかたちで突き詰め現実化すると、まず間違いなく独裁政治、全体主義へと行き着かざるをえない。根源的民主主義は、それを現実化しようとすると、全体主義へと帰着してしまう」。
 3.「現にそれをやったのがフランス革命でした。フランス革命は。…ルソーの考え方をモデルにして行われた…。ルソーの最大の賛美者であり、徹底したロベスピエールは、まさに、自らが『人民の意思』を代表すると考え、人民の敵…といわれる者をすべて抹殺していく。いわゆるジャコバン独裁、恐怖政治に陥る」(p.134-5)。
 とりあえず以上。ルソーはフランス革命そして「近代」や「民主主義」の父などというよりも、ファシズムや社会主義(・共産主義)を用意した理論・思想を自らのうちに胚胎させていたのではなかろうか。
 ルソーがいなければマルクスも(そしてマルクスがいなければレーニンも)いなかった。中川八洋も同旨のことを繰り返し述べていたように記憶する。
 このように見ると、フランス革命を「学んだ」ポル・ポトらが「社会主義」の名のもとで自国民の大量虐殺を行ったのも何ら不思議ではない。と述べて、前回からのつなぎの意味も込めておく。

0417/丸山真男全集の一部を読む-欧州「啓蒙主義」追随者・「進歩」主義者の<自認>。

 「保守主義」と「進歩主義」の差違・対比について佐伯啓思が述べている部分を先日に要約した。
 これとの関係で、丸山真男が次のように明確に述べているのは興味深い。丸山真男集・第12巻(1996.08)所収の「『現代政治の思想と行動』英語版への著者序文」にある文章で、これは基本的には1962年に英文で丸山が書いたものを1982年に一部手直しをしつつ日本語化したもののようだ。
 すなわち、「私は自分が十八世紀啓蒙主義の追随者であって、人間の進歩という『陳腐な』観念を依然として固守するものであることをよろこんで自認する」(全集12巻p.48)。
 何ともあっけらかんとしたものだ。これで済ますことができた時代の学者・知識人は<楽>だったに違いない。
 全集のこの巻(1982~1987)には丸山真男とマルクス主義との関連、丸山の思想的背景等を示す文章が収録されていて、資料的価値は高いだろう。
 なお、樋口陽一は、全集第10巻(1996.06)の月報に登場して、丸山真男を「先生」と呼び、丸山のある文章の慧眼ぶりを敬意をもって記す文章を載せている。さすがに<進歩的知識人>の衣鉢を継いだ者というべきだろう。
 ついでに、全集第8巻(1996.02)の月報の執筆者は、日高六郎、三木睦子、筑紫哲也の三名だ。全部を見たわけではないが、岩波が依頼したはずの月報執筆者は、全員がいわゆる「左翼」のオン・パレードではないか。

0412/佐伯啓思における4種の「リベラリズム」=<市場経済>の見方。

 佐伯啓思・自由とは何か(講談社新書)からの確認的メモのつづき。
 「リベラリズム」は「自由主義」と言い換えてもよいが、前回紹介の「自由」や「現代のリベラリズム」は、佐伯が自ら述べるように、「拘束」・「抑圧」からの解放という「近代の入り口」での「自由」とはかなり性格を異にしている。かつ、あくまで「今日の代表的な立場」における「自由」観で、「アメリカ的」又は「アングロサクソン的」と限定をつけてもよい、とも言う(p.160)。
 また、佐伯によると、「拘束」・「抑圧」からの自由がおおよそ実現し、「自由」の内実が「多様な主観的価値の共存のための条件」になってしまった結果、「自由」には「それほどの切迫さも切実さも」なくなった(p.161)。
 上にも見られるように、佐伯は「現代のリベラリズム」を説明・分析しているだけで、それを自らの価値として主張しているわけではない。<価値相対主義>(「価値」に関する「主観主義」)についても、「価値」による行動は社会的「妥当性」を要求するので、「価値」は本質的に個人の「主観を超えた次元」にある(「嗜好」や「趣味」とは異なる)、と疑問視する。かかる立場からすると、例えば<援助交際>は「特定の行為に示された価値の問題」、「本質的に社会的な問題」、「社会的普遍化、妥当性要求をはらんだ問題」で、「主観の問題」ではなく、「それは個人の自由であり、自己責任だ」で済ますことはできない(p.162-163)。
 もともと予定していなかった部分の要約はこれくらいにする。確認的にメモしておきたかったのは以下だ。佐伯は、「市場経済」(「市場競争」)について四つのタイプの議論があり、それぞれに対応して、「四つのリベラリズム」がある、とする(p.187以下)。この部分はなかなか参考になる。
 第一、「市場中心主義」。共通の透明なルールのもとで人々が「自己利益を最大化」せんとするのは当然で、たとえ報酬格差が数百倍に開こうと受け容れるべきだ。
 第二、「能力主義」。人の「能力や努力」に対して報酬を付与するのは市場競争でも同じ。但し、例えば「莫大な遺産」による「不労所得」は市場の結果であっても修正されるべき。「投機的利益」への課税等も同旨。「古典的な」「プロテスタント風の倫理精神」やロックの「財産保有と労働」に基づく市場を擁護する。
 第三、「福祉主義」。市場競争により勝者・敗者が発生するが、敗者は「たまたま市場経済のなかでうまくいかなかっただけ」で、それで「彼の人格や生活のすべて」を左右すべきでない。競争が「結果としてもたらす不平等」を、敗者=弱者に対する福祉給付・所得再配分によって政府が是正すべき。敗者も「そこそこ幸福な人生を送る権利」をもつ。
 第四、「是正主義」。勝者・敗者という「不平等」は多くの場合は「ある種の人々が構造的に不利な立場」にあることから生じるので、彼らの救済には事後的な福祉給付では不適切で、「初期条件をできるだけ平等化」すべき。アファーマティブ・アクション、自立支援プログラム等によって。
 こうした分類を前提にすると、佐伯によると、第一の論者としてはミルトン・フリードマンハイエク、第二はロバート・ノージック(第一に近いかもとの注記あり)、第三は「いうまでもなく」ジョン・ロールズ、第四はロナルド・ドゥウォーキンアマルティア・センを想起できる。
 さらに佐伯はこう述べる。第一、第二は「個人主義的な側面を濃厚に持った自由主義」で、とくに第一は、しばしば「リバータリアニズム」と呼ばれる。これらは「最小国家観、夜警国家観」に立ち、国家は「特定の価値を含まない」(→中立的国家)。
 第三、第四は「どちらかといえば」、「平等性に傾いた平等主義的な自由主義」で、「狭い意味」ではこれらをとくに「リベラリズム」と呼ぶことが多い。これらは「介入主義的国家」観に立つともいえるが、介入は基本的には「個人の権利を保障するための平等化政策」で、それ以上のことを目指さない(→やはり中立的国家)。
 説明は続く。第一において、市場競争への「参加の権利」の付与が重要で、結果は特に問題視しない。第二も同じだが、「人の能力の帰結としての財産への権限」を決定的に重要視する。「能力と努力が権利を生み出す」のだ。
 第三では、福祉給付により実現される「人間として最低限の生活をなすという権利」が唱えられる。第四は弱者・構造的被差別者にも「平等な機会へアクセスする権利」が保障されるべきだとする。
 以上の論述を前提にして佐伯啓思自身による議論が続いていくが省略する。
 上にみたように、「リベラリズム」とはさしあたりは広義に、市場経済=資本主義(=広義の「自由主義」)に立つ、非・反社会主義(・共産主義)とほとんど同義に用いられているようだ(なお、佐伯は「コミュニズム」あるいは「マルクス主義」を殆ど無視している。議論の俎上に乗せる意味自体を否定しているように見える)。その上で、上記の如く「狭い意味」での、<社会民主主義>にかなり近いかもしれない「リベラリズム」概念も用いられている。
 さて、かりに上記の如き整理が適切だとして、われわれはいずれの立場・考え方を支持すべきか? こうした基底的?レベルでの思考と選択をひとまずは誰でもしておくべきではなかろうか。こうした思考と選択は、「人間」観や「人生」観にもかかわる、けっこう現実的で、その意味では<生臭い>、重要な問題だと思える。

0411/佐伯啓思における「自由」又は「現代のリベラリズム」の三本柱。

 佐伯啓思・自由とは何か(講談社現代新書)には、論理の展開が知的刺激を与えるというよりも、論理展開の途中で又は結果として、頭の整理に便利な叙述も含まれている。確認的に記しておく。
 二つ記したいが、まず、「自由」が依って立つ「基本的な柱」は彼によると次の三点だ(p.151以下)。
 第一は、「価値についての主観主義」あるいは「価値の相対主義」。これは近代「合理主義」の帰結。すなわち、論理整合性・事実との符合によって「合理的に判断」できる命題とかかる「検証」のできない命題に分ける、その上で、「実証的に検討できる客観的な事実命題」とそれができない「価値命題」を峻別する。そして、「価値」判断は人により異なる「主観的」なもので、「客観的で普遍的な」ものは存在しない(←「実証主義」)、という考え方。
 ロールズにおける「正義」は、「価値」あるいは「善」の内実いかんにではなく、いかなる「価値」・「善」を選択する「自由」は保障されるべき、ということにある(「善に対する正義の優位」、「善に対する権利の優位」)。
 第二は、「中立的国家」。つまり「価値の領域に対しては国家は介入しない」ということ。自由・民主主義等の近代的「価値」を掲げ、人々の「生命・財産の尊重」を決定的価値とする「近代国家」が「価値中立的」ではあり得ないが、「正義」(>「自由への平等な権利」)ではなく多様な「善」について国家は「中立的」とされる。さらに、種々の「政策」選択をする国家は決して「価値中立的」ではないが、「政策」決定の最終的判断者は「国民」であり、国家は特定の「政策」=「価値」=「善」を予め想定して掲げたりはしない、ということを意味するとされる。
 第三は、「自発的交換」。つまり、「個人の社会的活動は、基本的に個人と個人の間の自発的な相互作用としてなされるべき」、という考え方(秋月注-「自発的」とは、個人の「自由意思」にもとづく、と換言してよいだろう)。これを典型的に実現するのが「市場経済」だ(秋月注-ある個人と他の個人との間の「自由意思」の合致=契約にもとづく相互の権利・義務の形成・変動、と言っても大きくは離れていないだろう)。
 以上、要点のみ。佐伯は、これら三点が、やや表現を変えて、「現代のリベラリズム」の「柱」だ、とも述べ、次のようにまとめている(p.159-160)。
 「現代のリベラリズムの立場は、基本的に個人の価値の多様性を認め、それを尊重する、そのためには、『自由への平等な権利』という正義の原則がまずは確立していなければならない、そのもとで、国家は中立性を守るべきであり、また諸個人の主要な社会的行為は個人の自発的な交換としてなされるべきだというのである」。
 もう一つは次回に。

0410/佐伯啓思・自由とは何か(講談社新書)を全読了。

 佐伯啓思・自由とは何か(講談社現代新書)を全読了。
 最終章的または小括的な「おわりに」にも印象的な文章がある。一部についてのみかなり引用するのはバランスを欠くが、通覧してみる。
 ①<「自由」の意味は「抑圧や圧制」からどう「渇望し…実現」するかではなく、逆に「自由」の「現代的ありよう」が…「さまざまな問題を生み出してしまっている」。>(p.270)
 ②<「自由」を「至高の価値」としてそれを成立させている「何か」に不分明ならば、「誤ったイデオロギー」になる。「何か」を見ないと「個人の自立」・「選択の自由」・「諸個人の多様性」等は「混乱」の原因になる。>(同上)
 ③オルテガは、<我々は「多様な価値の間で選択を余儀なくされている、つまり自由へ向けて強制されている」旨論じた。カストリアディスは<「現代資本主義」の下で「自由」は「個人的な«享楽»を最大限」にするための「補助道具」になっている、と主張した。これらは「決して見当はずれではない」。(p.271-272)
 ④<「自由」(「個人の価値選択の主観性や多様性」→「選択の自由や自立的な幸福追求」)を保障するのは「市場経済」・「中立的国家」・「人間の基本的な権利の保障」という制度をもつ広義での「市場社会」だが、そこで生じているのは、「それぞれの」「享楽」(「富」・「消費物資」・「刹那の快楽」等)を「最大限手に入れようとするいわば『欲望資本主義』だ」。ここでの「それぞれの」は「個人の主体性」を前提にしている。>(p.272-273)
 ⑤<「消費物資や富に自己を預け、自己満足の基準を市場の評価に依存した」「自由」、「メディアやメディア的装置にしたがって自分を著名人にしたり、著名人に近づくことで富を得るチャンスを拡大する自由」は、いかに「個人主義」的選択に基づくと言っても「自立」しておらず、「本来の意味で個人主義的でもない」。>(p.273)
 ⑥<「個人の主体的な自立や自由な選択という概念によって『自由』を論じることができるのか」。(p.274)換言すれば、「現代の個人の自由」とは「先進国の市場経済というある特定の体制」の下でしか成立不可能なもので、「市場や金銭的評価や富と結びついた名声やメディアが生み出す有名性といった特有の現象に随伴」してしか発現できないのでないか。「個人の自立」などは「最初からあり得ず」、「個人の自立した選択」とは「市場経済に依存した見せかけの自立」にすぎないのではないか。「この種の疑問はしごくもっともだ」。>(p.275)
 ⑦<かかる議論・疑問自体が「個人の主体性、その多様性、自由な選択」等の「現代の自由の観念」によって生じている。「個人の自立」は「市場経済体制」ではあり得ないと言っても、その「市場経済体制」を拡大してきたのは「個人の主体性、多様性、自由な選択」という「自由」の観念だ。「自由な選択」がせいぜい「享楽の最大化」だとしても、そのような状況を生み出したのは「現代の『自由』の観念」で、ここに「現代」の「自由のパラドックス」がある。>(p.275-276)
 ⑧<「自由のパラドックス」は、「自由」を「個人の主体性、主観性、多様性」といった観念で特徴づけたことに「理由」がある。「現代の自由」とは「端的」には「個人の選択の自由」だが、かかる特徴づけ・定式化が「あまりに偏狭」だから、つまり「自由」に「実際上、意味を与えている条件、それを支えている条件に目を向けていない」ために「自由のパラドックス」が生じた。>(p.276-277)
 ⑨<そこで、「個人の平等な選択の自由」の背後に「もっと重要な『何か』があるのではないか」と「多層的」に「考察」する必要がある。例えば「自由」と対立的に捉えられがちな「規範」の両者は、後者が「道徳的ニュアンス」・「正義」という観念・「価値」を前提にしているかぎり、切り離すことはできない。>(p.276)
 ⑩<「もっと重要な『何か』」の第一の次元は「善」だろう。「善」とみなすか否かは「共同体」の評価だ。「ある程度共有された価値を持った共同社会がなければ、事実上『自由な選択』などというものはない」。>(p.278-279)
 「もっと重要な」ものは、「多様なレベルの共同体の規範を超えたいっそう超越的な規範への自発的な従属」だ。これをかりに「義」と呼んだ(カントにおける「定言命法」、天、道、儒教上の五倫、仏教上の六度)。(p.279)
 樋口陽一・憲法/第三版p.44(創文社、2007)にはこんな文章がある。「本書は、近代立憲主義にとって、権利保障と権力分立のさらに核心にあるのが個人の解放という究極的価値である、ということを何より重視する見地に立っている」。
 この憲法概説書の中では詳しい方の本は2007年刊。上に見てきた佐伯啓思の本は2004年刊。「個人の解放という究極的価値である、ということを何より重視する」と有力な憲法学者がなお書いている以前に、佐伯は現代の「個人の平等な選択の自由」のパラドクスとその原因、「個人の平等な選択の自由」の背後にあるはずの<もっと重要な「何か」>を論じていたのだ。
 佐伯が特段に優れているというよりも、憲法学者のあまりの<時代錯誤的な遅れ>こそが指摘されるべきだろう。こうした違いは、憲法学が法学の一種として主として<規範>を対象とする(かつ主として<規範解釈>をする)という特質をもつことだけからは説明できないだろう。憲法思想(論)もまた社会思想・政治思想をふまえ、少なくとも参照する必要があるのではないか。問題は、<個人に平等に享受されるべき「自由」>という憲法論(解釈論を含む)上の基礎的・骨格的概念にかかわっているのだから。

0408/佐伯啓思・隠された思考、同・自由とは何か、を読み続ける。

 佐伯啓思・隠された思考-市場経済のメタフィジックス(筑摩)の第二章のⅡ・「<遊び>としての交換」(p.79~95)は、先週末に読んだ。市場での<交換>と「遊び」<「ゲーム」、歴史・人間の奥底にある<交換>=<相互(関係)性>等々。
 同・自由とは何か(講談社新書)の第六章はp.263まで読んで、全読了まであと20頁。「自由」の再定義を試み、かつそれが通常の用法と違うので「義」という語で呼びたくなる、と書いている辺りまで。
 詳しい紹介はしないが、この本は面白く(イラク問題、援助交際、子供殺し事件等々にも言及がある)、座右に置いておきたい。面白く読めるのは、この本の内容は、コミュニズムはもちろん朝日新聞が代表するような<リベラル左派>に対する批判、<個人の「自由」(の尊重・尊厳)>を最高価値とでも理解しているようにも見える日本の憲法学の大勢への批判、に実質的、客観的にはなっていると思えるからでもある。
 数多いる憲法学者の中で阪本昌成は思考が広くかつ深いと思うが、経済学畑出身の佐伯啓思の思索はさらに広く深いのではなかろうか。
 広く社会を対象とする学問も、「人間」そのものを適切に(現実的にかつ生き生きと)洞察しないと、言語遊び、観念遊戯、概念・論理の瑣末な分析や整理に終わってしまいかねない、という感慨が、佐伯啓思らの文章を読んで、生じている。 

0406/佐伯啓思・自由とは何か-「自己責任論」から「理由なき殺人」まで(講談社)の120頁を読む。

 佐伯啓思・自由とは何か「自己責任論」から「理由なき殺人」まで(講談社現代新書、2004.11)を偶々見つけて中を見ると、第1章・ディレンマに陥る「自由」と第2章・「なぜ人を殺してはならないのか」という問い(~p.100)は既に読んだ形跡があった。一部だけを読んでまた別の本に向かってしまうという傾向がたしかにある(それだけ読みたい本が多いからでもある)。
 区切りをつけておこうと、佐伯啓思・上掲書を第4章・援助交際と現代リベラリズム、第5章・リベラリズムの語られない前提、第3章・ケンブリッジ・サークルと現代の「自由」の順で昨夜一気に読んだ(p.101~p.222)。あと、第6章のみが残っている。
 面白い。<戦後民主主義の虚妄>を佐伯は衝いたようだが、たしかに<戦後民主主義>が前提とする個人的「自由」の脆うさ・生気のなさの不可避性が理解できる気がする。現代日本について感じる「骨格」のなさや「規範意識」の欠如についても。
 引用しながらの紹介は避ける。<戦後民主主義>を<右から>の攻撃から「保守」しようという<情緒>で凝り固まっている人々は、佐伯の「自由」(・リベラリズム)論に関心はもてず、あるいはそもそも理解できないのではないかと思われる。

0404/佐伯啓思・隠された思考を読む-第4回め。

 佐伯啓思・隠された思考(筑摩、1985)の第一章のⅣ「経済と<持続するもの>」と第二章・ルードゥスとしての経済―公正経済についてのⅠ「公正のプロブレーマ」を読んだ(p.58~p.79)。
 この部分に限らないが、佐伯の最初の単著かもしれず(35-36歳)、表現・叙述方法も含めて、力が入っていることは分かる。
 論旨を追うことはしない。印象的な文章は数多い。
 ・<ウェブリンにおいて、現代資本主義の特徴たる「金銭的見栄」の背後には「制作者本能」が、「営利の精神」の背後には「産業の精神」が潜んでいる。>(p.63)
 ・<ウェブリンは、「現代の大衆消費社会」は「記号の理性」を超え、「ハイパー・リアリティ」の抽象性の中に「蜃気楼のように浮かんで」いて「制作者本能」も「産業の精神」も死滅していると見えるが、「野蛮侵略文化」→「現代の金銭的文化」の中で「汚染され奇形化され、あるいは隠され」ても、それらは「文化の奥深く沈潜し持続している」、と主張する。>
 ・<ウェブリンの在来経済学批判は「差異化するもの」と「持続するもの」の二元的対立を前提とする。社会科学の「最も基本的に二元論」。>(p.64。以上、第一章Ⅳ)
 ・<「公正や正義」は人がもつ「観念や感情」に根差し、科学はそれらを「素通りし」、「人間的なもの」に「わずらわしさ」を感じるので、社会科学が「公正や正義」を欠落させるのはある意味では当然だ。>(p.68) ・<「市場社会」に「倫理などという野暮ったい観念」に何かを提供する場があるのかとの「合理主義者」の言い分にも尤もな所はある。>(p.69)
 ・<上のことは市場社会(論)への「倫理的堡塁を準拠点」にした「外在的」批判につながる。「分配の公正」・「経済的安定の確保」は究極的には「生存の安定」という「倫理的観点」を認めるか否かに依るからだ。>(p.69)
 ・<だが、「市場経済」への「はるかに根底的な批判」は、「市場的生活」・「市場的精神」自体に(内在的に)向けられるのではないか。>(p.69)
 ・<プラトンを参照すれば、「金銭」への愛が「知」や「勝利」への愛と混同されてはならぬ。「金銭的関心が知識や政治の領分を…闊歩し始めれば、正義は快楽と同一視され、社会の秩序は…瓦解する」から。>(p.69-70)
 ・<社会・人間関係の中に「何か崇高な理想的なもの」があるとの「ロマンティック」な又は「神秘的」思考こそが、「近代合理主義」を「単なる市場主義」や「快楽主義」から救う良心で、「自由主義を生気あるものとする気付薬」でもあったはず。>(p.70)
 ・「いかなる自由主義者といえども、選択の自由の世界だけに生きているわけではない」。「われわれの生は不可逆性の上に、つまり過去の選択の上に乗っているのであり、選択は、常に、選択しえないものに基づく選択である以外にない」。(p.71)
 以上、この程度で(つづきは次回に補充)。上の最後の指摘は、単純な「個人主義」・<「個人的自由」尊重主義>への基本的な批判でもあるのではないか。

0403/佐伯啓思・隠された思考を読む-第3回め。

 佐伯啓思・隠された思考(筑摩、1985)の第一章のⅢ「差異と持続」(p.42~p.58)を読んだ。
 ソシュール、パース、ウィトゲンシュタインが出てきて、読みやすくはないが、最後の方に印象に残る表現が続いている。適宜、一部引用する。
 ・<語り得ないことが「言語」の背後にあり、それによってこそ「言語(記号)世界」は「生きた」意味をもつ。さもなくば、「薄っぺらな記号が漂うだけの世界は…まがいもののアナーキー」で、「記号表現と記号内容の関係をズラすという意図的な工作」はいずれ「単なる騒音を生み出す」。「言葉は、背後に沈黙の影を引きずっているときにだけ生きたものになる」。>(p.56)
 ・<語り得ないことは「潜在的記憶」として「時間の底をゆっくりと流れてゆく」。「伝統とか慣習」は過去・死者たちが沈黙から発する声でかつ「生き続けた物語」だが、「巨大な偏見の塊」であるものの「深遠宏大な叡智を内包した偏見」(バーク)でもある。「歴史」は「死者と生者の交わり」。伝統・慣習の中の「共同体的」「暗黙知」は、「真理を含んだ偏見」、「事実と形而上学の混融」、「科学と神話のアマルガム」だ。>(p.56-p.57)
 ・「真理は常に偏見に縁どられ、その中に包み込まれている。だからといって偏見を切りきざめば、真理も傷つけられる」だろう。(p.57)
 ・<人は「伝統や慣習」に「真の神話を、形而上学を」見出そうとしてきた。これらを「自己のものとして解釈」することで、人は「時間と共にあり、持続の中に自己を象徴的に定位できる」。「自己同一性」の確保とは、「記号世界」と「沈黙世界」の、つまり「顕在化した生と沈潜した生」の、あるいは「生と死」、「瞬時性(状況)と連続性(歴史)」の間の架橋が「過不足ない均衡を保つ」ということだ。>(p.57)
 ・「人間の事象」には一方で「記号表現の過剰」があり、他方で「記号表現は記号内容に対し過少でもあるというべきだろう」。(p.57)
 ・<「記号の表現系列と内容系列」が、「過剰と過少」が均衡を保つ「不動の…地平」が作る「安定的な象徴秩序」が反復され「記憶の中に受け継がれる限り、人は、生の現実性が実働性と重なり合う、確かなものという手ごたえ」を決して「忘れ去り」はしないだろう。>(p.58)
 以上。<保守>主義の基礎が結果的には述べられているような気もする。少なくとも、マルクス主義者(コミュニスト・共産主義者)が思考もせず、関心も持たないテーマだろう。マルクス主義者はマルクス主義の「言葉」・概念の<呪術>を真理又は「社会科学」と<錯覚>して<取り憑かれている>、可哀想な、単細胞の人々だからだ。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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