秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

思想

1185/「絆」と「縁」の区別、そして「血縁」ー民主党・菅直人と自民党。

 菅直人が首相の頃、自民党の記者発表の場の背景にも「絆(きずな)」という言葉が書かれてあったのでこの欄に記す気を失ったのだったが、当時、菅直人は好きな、または大切な言葉として「絆」をよく口に出していたように思う。あるいはテレビ等でも、大震災の後でもあり、人間の「絆」ということの大切さがしばしば喧伝されていたように思う。
 だが、少なくとも菅直人が使う「絆」については、次のような疑問を持っていた。すなわち、彼がいう「絆」とは主としては自らの意思で選びとった人間関係を指しており、市民団体やNPO内における人間関係や、これらと例えば被災者との間の「絆」のことを主としては意味させようとしているのではないか、と。
 そして、「絆」とは異なる別の貴重な日本語があることも意識していた。それは、「縁」だ。「縁」とはおそらく(辞典類を参照したことはないが)、個人の「意思」とは無関係に、宿命的なまたは偶然に生じた人間関係のことで、例えば、<地縁>、<血縁>などという言葉になって使われる。これらは菅直人が好みそうな「絆」とは違うものではないか。「縁」による人間関係も広義には「絆」なのかもしれないが、後者を狭く、個人の意思による選択の要素が入るものとして用いれば、「絆」と「縁」は別のものなのではないか。
 そして、かなり大胆に言えば、「左翼」はどちらかというと個人の意思の介在した「絆」を好み、血や居住地域による、非合理的な「縁」という人間関係は好まないのではないか、「保守」の人々ははむしろその逆に感じる傾向があるのではないか、と思ってきた。
 さて、被災地において「地縁」関係が重要な意味を持ったし、今後も持つだろうということは明らかだが、戦後日本で一般に「血縁」というものが戦前ほどには重要視されなくなったことは明らかだろう。
 戦前の「家族」制度に対する否定的評価は-それは「悪しき」戦前日本を生んだ温床の一つとされた-「個人の(尊厳の)尊重」と称揚と対比されるものとして幅広く浸透したし、現にしている、と思われる。
 「個人の尊重」は書くが「家族」にはいっさい言及しない日本国憲法のもとで-樋口陽一は現憲法の中で最重要なのは13条の「個人の尊重」だとしばしば書いている-、「血縁」に重要な意味・位置を戦後日本と日本人は与えてこなかったのではないか、広義での「絆」の中に含まれる基礎的なものであるにもかかわらず。
 もちろん、親(父または母)と子の間や「家族」の中の<美しい>人間関係に関する実話も物語も少なくなく紹介されたり、作られたりしている。
 だが、本来、基本的な方向性として言えば、樋口陽一ら<左翼>が最重要視する「個人の(尊厳の)尊重」と「血縁」関係の重要性を説くことは矛盾するものだ。親子・家族の<美しい>人間関係を語ることには、どこかに上の前者と整合しない要素、または<きれいごと>も含まれているのではないか。こんな関心から、さらに何がしかを追記していこう。

1167/佐伯啓思の議論はどのようなもので、どのように評価されるべきか-一部。

 佐伯啓思・日本の宿命(新潮新書)は2013年1月発行で、2012年12月17日付の筆者「あとがき」がある。そのわりには、前日12月16日の衆議院議員選挙の結果にも言及がある(p.3、p.13、p.37等)。

 それはともかく、昨年末総選挙の結果が判明していたと思われる2012年12月17日付で佐伯啓思はこう書いている。
 <自分の大きな関心は「制度論」や「事実論」ではなく「精神のあり方」や「ものの考え方」にある。>(p.222)。

 このように書いてはいるが、佐伯啓思は「構造改革」を中心とする「制度改革」を含む「改革」路線・「改革」ブ-ムを、佐伯のいう「橋下現象」とともに批判視・問題視してきた。また、産経新聞2/15の記事によると「大阪正論懇話会」では<構造改革では米国的な要素を持ち込んで市場競争を強化させてしまったことで、社会的な安定性に関わる部分が崩れてしまった。この過去を整理して、われわれがめざす経済の姿を考えなければならない。国がやるべき仕事は、公共工事や復興支援など安定性の部分をもう一度、立て直すことだ>等々と語った、というのだから、専門分野に包含されるはずの「経済政策」に関する発言も行ってきている。

 したがって、佐伯が「制度論」や「事実論」に関心がないはずはないのであり、あくまで(さらには上の書物でのそれに限られるかもしれないが)「大きな関心」ではない、ということに留意すべきなのだろう。

 ともあれ、佐伯啓思という学者・評論家が「精神のあり方」や「ものの考え方」に大きな関心を持ち、それによって種々の論述をしている、ということは佐伯の著書や文章を評価・分析するための一つのポイントだろう。
 しかして、佐伯自身の「精神のあり方」や「ものの考え方」とはいかなるものか。種々の現象や議論を、それらに潜む「ものの考え方」のレベルで分析し、あるいは批判的に論じることに、むろん意味がないわけではない。
 ただ、もちろんここで簡単に言ってしまうのは不可能だし乱暴でもあるのだが、佐伯自身の「見方」はさほどわかりやすいものではないし、あえて言えば<斜に構えた>視点から、あるいは通常のまたは大勢的な論調とは異なる、ある意味では「意表をついた」視点から、またはそのような論点を提出することによって論述するのが、佐伯啓思の特徴であると言ってよいだろう。少なくとも私は、そのような「印象」を持っている。
 だが、と再び次元の異なる論点を持ち出せば、「精神のあり方」や「ものの考え方」と「事実」や現実の「制度」はそもそもどういう関係に立つのか、という問題もある。
 つまりは、佐伯啓思のいう、または佐伯自身の、「精神のあり方」や「ものの考え方」が、戦後日本の「現実」の中で、それに影響を受けて形成されてきたものではないか、ということだ。
 「現実」の中には-さしあたり佐伯啓思のそれに限れば-佐伯が受けてきた戦後日本の学校教育も、佐伯がその中にいた学界や論壇の風潮も含まれる。そしてまた、東京大学を卒業し京都大学の現役教授であるという佐伯啓思の経歴や所属もまた、佐伯の種々の書物や文章の内容や「書きぶり」と無関係ではないだう。
 佐伯自身も否定はしないだろうように、佐伯自身の「精神のあり方」や「ものの考え方」は佐伯の内部のみから、外部から自由に生成されたものではない、はずだ。
 そして再びやや唐突に書くのだが、佐伯啓思の、<斜に構えた>視点からの、あるいは通常のまたは大勢的な論調とは異なる、ある意味では「意表をついた」論点提出による論述方法は、決して「大衆」が行いうるものではなく、東京大学卒の京都大学教授だからこそなしえているのではないだろうか。書き方を変えれば、無意識にせよ、自らの「位置」についてのそういう自覚を持っているからこそ、佐伯啓思のような諸仕事を佐伯はできているのではないだろうか。それは、あえて単純化はしているのだが、善し悪しは別として、「高踏的」、あるいは場合によっては「第三者的」・「評論家的」になっている。丸山真男ほどではないとしても。

 佐伯啓思が特定の「党派」的、政治実践的な主張を少なくともあからさまにはしていないのは、上のこととと無関係とは思われない。
 この点は、同じ大学・大学院研究科に所属していた中西輝政とは大いに異なる。これは、中西輝政の最近著・賢国への道(致知出版社、2013.01)の「まえがき」等を一瞥するだけでも瞭然としている。
 そして、今日においてわが日本が必要としているのは、佐伯啓思タイプの評論家・論者ではなく、中西輝政タイプのそれではないか、と感じている。
 あれこれと、あるいは「ああでもない、こうでもない」と分析的に論じること、あるいは細かいもしくは「意表をつくような」もしくは「独自の」・「ユニ-ク」な<解釈>をし、あるいは「見方」を提示することは、かりに意義があるとしても、現実的にいかほどの影響力をもつかは疑問だ。
 同じく新潮45(新潮社)の連載をもとにした佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書)は「予想以上に」売れたらしく、結構なことだが、数万部では、また数十万部ですら、新聞の影響力にはかなわないし、ましてやテレビ報道の論調に抗することは客観的には不可能だろう。
 もちろん佐伯啓思の本に限らないが、巨視的には、川の流れに小さなさざ波を立てるだけの書物がほとんどだろう。それでも好ましいさざ波ならよいのだが、悪質なものも少なくはなさそうだ。
 佐伯啓思の著書はすべて好ましいさざ波であるのかは疑問で、少なくとも一部には、日本と日本人のためにはよろしくない、またはほとんど無意味だ、と少なくとも私は感じる部分があることは否定できない。

 以上、佐伯啓思の文章のごく一部から発展させて。

1150/日本は西欧と中国のどちらにより近いのか-佐伯啓思と中西輝政。

 新潮45(新潮社)の今年8月号の佐伯啓思「反・幸福論/20回・空気の支配」の末尾で、佐伯啓思はこう書いている。

 「『日本的なるもの』と『近代民主主義』の結合には何か基本的な難点がある」(p.334)。
 西欧近代(またはヨーロッパ近代)に対する懐疑または批判的分析は佐伯の文章の随所に見られるところで、この人の最も得意とする論点かもしれない。戦後日本の「空気」を支配する基本的な正義となっているとする「民主主義」・「平和主義」、その延長上にあるとする「国際化」・「個人の自由」・「基本的人権」等(p.331-2)の欧米所産の諸原理は「日本的なるもの」と必ずしも容易には結合しないという基本的な趣旨には反対しない(但し、この論考の基本的なテーマは「空気の支配」で、この論点に関する叙述内容にはいくつかの疑問を提示することもできるが、立ち入らない)。
 上の佐伯啓思の一文に興味をひかれたのは、ほぼ同時期に中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2011)をもう一度読み直していて、つぎの文章に出くわしたからだ。

 「法律」・「約束」等に対する「感覚は、日本と西欧がほぼ同じなのに、中国はまったく異なる…。『同じアジア人』という意識を持ってはいけない」
 テーマも文脈も異なる中で単純に対比してはいけないが、面白い論点が示されているように思われる。
 かりに欧米・日本・中国という三つの「文明」があるとして(むろん他にもあるのだが、省略する)、(歴史的にまたは現在において)日本は欧米と中国のいずれの「文明」に<より近い>のか。
 佐伯啓思は欧米「文明」と「日本的なもの」との不整合をあちこちで書いてきている。中国(・共産党)または中華文明に触れていないわけではないが、これらに関する論及は欧米所産の原理・「価値」へのそれと比べて格段に少ないように見える。

 佐伯啓思・反幸福論(PHP新書、2012)の中には「某国のように市民的自由さえ認められない全体主義では困りますが…」という文章があったりするので、「某国」の中に少なくとも現在の中国を含んでいるとすると、-上は一例にすぎないが-中国を好意的・肯定的に評価しているわけではないことは確かだろう。
 それに佐伯啓思は必ずしも明確にまたは強調して叙述しているわけではないが、ナチズムもコミュニズム(共産主義)も、そして「全体主義」も<西欧近代>から産まれたもので、あるいは<西欧近代>の矛盾・限界を解決するために発展的に生じてきたもので、いずれの根っこも<西欧近代>にあると言って過言ではないだろう。
 この点を佐伯は必ずしも明瞭には述べていないように見える。<西欧近代への懐疑>は、同時に、あるいはより強くコミュニズム(共産主義)に対して向けられるべきではないのだろうか。
 <西欧近代>への懐疑、<西欧近代>を基本的に継承した「アメリカニズム」に対する疑問・批判は鋭いし、傾聴すべきだろうが、中国または共産主義に対する疑問・批判が弱いのはいったい何故なのだろうと感じることがある。
 比べて中西輝政は、中国についても共産主義(コミンテルン等々)についても、とりわけ近年、多くのことを(批判的に)語ってきている。中身に言及しないが、読了している中西・迫りくる日中冷戦の時代-日本は大義の旗を掲げよ(PHP新書、2012)もその一つだ。
 もっとも、上で紹介したのは「法律」・「約束」等に対する「感覚」の相違についての文章なので一般化すると誤りになる可能性はあるが、日本文明は「西欧」文明により近く、「中国」文明とはより大きく異なる、と言えるのかどうかは、私自身はよく分からない。
 とりわけ、一般的に「日本と西欧がほぼ同じ」だとは断言できないと思われる。
 但し、明確なのは、現在において、アメリカと中国のどちらを選択すべきかと問われれば、躊躇いなく米国を選ぶべきだろう、ということだ。そのかぎりでは、基本的には反中・親米でなければならない。
 さらに言えば、日米の二国間の問題のみを視野に入れるとすれば、米国依存・米国従属をなくし日本の「自立」性を高めるべきで、そのかぎりでは、ある程度は<反米>でもなければならないことになろう。
 かりに明言していないとしても、現在において実質的にはアメリカに対するよりも中国に親近感を持っている人々・政党や、両国と<等距離>に接すべきと考えている人々・政党は、マスメディアも含めて、早く消滅してほしいものだ。

 文明論と現在の政策論とは同一であってはならないだろうが、混在を自認しつつ、駄文として書いておいた。 

1131/阪本昌成・憲法理論Ⅰ(成文堂)を少し読む。

 〇「ハイエキアン」と自称し、「マルクス主義憲法学者」は反省すべきだ、と指摘したことのある稀有の(現役の)憲法学者が、阪本昌成(1945-)だ。
 政治的・現実的な運動に関与することに積極的ではない人物なのだろうが、このような人を取り込み、論者の一人のできないところに、現在のわが国の<保守>論壇の非力・限界を見る思いがする。
 阪本の憲法理論Ⅰ・Ⅱ(前者の第二版は1997、後者は1993が各第一刷)は、多くの憲法学概説書と異なっているので司法試験受験者は読まないのだろうが、憲法学・法学を超えて、広く読まれてよい文献だろう。
 Ⅰ(第一版)の「序」で阪本昌成は次のようにも書く-「なかでも、H・ハートの法体系理論、F・ハイエクの自由と法の見方、L・ウィトゲンシュタインのルールの見方は、わたしに決定的な知的影響を与えた。本書の知的基盤となっているのは、彼らの思考である」。
 Ⅱの「序」では、こうも書いている-「F・ハイエクは、人びとの嫉妬心を『社会的正義』の名のもとで正当化し、かきたてる学問を嫌ったという。本書の執筆にあたっての基本姿勢は、ハイエクに学んだつもりである」。
 阪本昌成・憲法理論Ⅰ〔第二版〕(成文堂、1997)の特徴の一つは、ふつうの憲法学者・研究者がどのように考え、説明しているのかが明瞭ではないと思われる「国家」そのものへの言及が見られることだ。
 この書の第一部は「国家と憲法の基礎理論」で、その第一章は「国家とその法的把握」、第二章は「国家と法の理論」だ。こういう部分は、ほとんどの憲法学者による書物において見られないものだと思われる。
 〇上の第一章のうち、「第四節・国家の正当化論(なにゆえ各人が国家を承認し、国家に服従するのか)」(p.21-)から、さらに、「国家の正当化を問う理論」に関する部分のみを、要約的に紹介しておく(p.23-26)。
 歴史上、「国家正当化論」として、以下の諸説があった。  ①「宗教的・神学的基礎づけ」 (典型的には王権神授説)。  ②「実力説」。近くは国家を「本質的に被抑圧階級、被搾取階級を抑圧するための機関」と見るマルクスやエンゲルスの論に典型が見られ、G・イェリネックは、この説の実際的帰結は国家の基礎づけではなく、国家の破壊だと批判的に言及した。  ③「家父長説」。G・ヘーゲルが理想とした「人倫国家」論はこれにあたるが、絶対君主制を正当化する特殊な目的をもつものだった。
 ④「契約説」。国家形成への各人の「合意」のゆえに「その国家は正当」だとする「意思中心の理論」。ブラトンにも見られ、ホッブズははじめて「原子論的個人」を「国家」と対峙させた。これ以降の契約論は、「個々人の自由意思による合理的国家の成立」を説明すべく登場した。
 J・ロックは「意思の一致」→契約は遵守されるべき(規範)→「正当な服従義務」という公式を援用したが、曖昧さがあった。
 J・ルソーの「社会契約論」は、「政治的統一体の一般意思に各人の意思が含まれるがゆえに正当であり、各人は自己を強制するだけ」、「一般意思を脅威と感じる必要もない」、とする「楽観論」でもあり、「集団意思中心主義の理論」でもある。
 ルソーの議論は「正当な国家の成立」・「自由保障の必然性」を見事に説いたかのごとくだが、この「社会契約」は「服従契約」でもあった、すなわち市民(個人)は、「契約によって、共同体意思に参加するものの、同時に、臣民として共同体意思に服従する」。ルソーはこれをディレンマとは考えなかった。現実の統治は「一般意思」にではなく「多数」者によって決せられるが、彼は、個々の個人のそれと異なる見解の勝利につき、「わたしが一般意思と思っていたものが、実はそうではなかった、ということを、証明しているにすぎない」と答えるだけ(p.25)。実体のない「集団的意思」・「集団精神」の類の概念の使用は避けるべきなのだ。
 以上の諸説のうち今日まで影響力を持つのは「社会契約論」。この論は「合理的な国家のあり方」を説いた。  しかし、「一度の同意でなぜ人々を恒久的に拘束できるのか、という決定的な疑問が残されている」。  といった欠陥・疑問はあるが、「契約の主体が、主体であることをやめないで、さらに自らを客体となる、と説く」一見、見事な論理で、法思想史上の大きな貢献をした。「契約説は、新しい国民主権論と密接に結合することによって、国家存在の正当化理由、統治権限の淵源、その統治権限を制約する自然権等を、一つの仮説体系のなかで明らかにした」(p.26)。  これはノージックやロールズにも深い影響を与えている。「社会契約論」的思考は、「方法的個人主義」に依りつつ「個々人の意思を超えるルールや秩序」の生成淵源を解明しようとする。
 但し、これまでの「国家正当化論」は「抽象的形而上学的思索の産物」で、これによってしては「現実に存在する、または歴史的に存在してきた国家を全面的に正当化することは不可能である」。現実の国家が果たす「目的」によってのみ国家の存在は正当化される。かくして、「国家目的論」へと考察対象は移行する(p.26)。
 以下の叙述には機会があれば言及する。ともあれ、ルソー(らの)「社会契約論」によって(のみでは)「国家」成立・形成・存在を正当化しようとしていないことは間違いない。
 〇翻って考えるに、日本「国家」は、何ゆえに、何を根拠として、そもそもいつの時点で、形成されたのか?
 かりに大戦後に新しい日本「国家」が形成されたとして(いわゆる「非連続説」に立つとして)、そこにいかなる「社会契約」があったのか? この問題に1947年日本国憲法はどう関係してくるのか?
 外国(とくに欧米)産の種々の「理論」のみを参照して、日本に固有の問題の解決または説明を行うことはできないだろう、という至極当然と思われる感慨に再びたどり着く。

1128/丸山真男の1950年論考と現在の「左翼」・「保守」。

 丸山真男は「自由主義者への手紙」の中で、興味深くかつ重要なことを書いている。これは月刊・世界(岩波)の1950年9月号に発表された。アメリカ、GHQが日本の敗戦後当初と異なり、反共(反ソ)へと政策転換をした後の時期だ。丸山真男全集第4巻(1995)所収、p.313以下。
 丸山がいう「君」とは誰か判然としないが、一定の思想・評論の潮流なのだろう。その「君」は自分=丸山真男に対して次のような不満・批判を吐露・提出している、とまず丸山は述べる。
 「君や僕のようなリベラルな知識人」は「思想を否定する暴力に対して左右いずれを問わず積極的に闘うことが必要」で、そのためには「ファッショに対してと同様、左の全体主義たる共産主義に対しても画然たる一線をひいて」自分の主体的立場を堅持する必要がある。にもかかわらず、「僕みたいな…マルクス主義者ではなく、性格的にはむしろコチコチの『個人主義者』」が「現代の典型的な全体主義たる共産主義に対してもっと決然と闘わない」のは何故か(p.316)。
 同旨の疑問・批判は、より簡単には、次のようにも書かれている。
 「左右いかなる狂熱主義にも本能的に反発する」はずの僕=丸山が、「共産党に対して不当に寛容であるのはおかしい」(p.333)。
 これに対する丸山真男の回答・釈明・反論はこうだ。
 「日本のような社会の、現在の情況において、共産党が社会党と並んで、民主化…に果す役割を認めるから、これを権力で弾圧し、弱体化する方向こそ実質的に全体主義化の危険を包蔵することを強く指摘したい」(p.333)。
 共産党の日本社会の「民主化」への役割を認め、それに<寛容>であることによって、共産党を「弱体化」することによる「全体主義化の危険」を防止したい、と言うのだ。
 同趣旨のことは、「政治的プラグマティズムの立場に立てばこそ」として、次のようにも語られている。
 ①「下からの集団的暴力の危険性」と②「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」、および①「大衆の民主的解放が『過剰になって氾濫する』危険性」と②「それが月足らずで流産する危険性」とをそれぞれ比較して、「前者よりも後者を重しとする判断を下す」(p.333)。
 つまり、上の①よりも②の危険性の方を重視して、②の危険性の方を抑止したい(そのためには日本共産党に対して<寛容>であることが必要だ)というわけだ。
 この論考の発表当時、日本共産党は衆議院に35議席を有するなど勢力を拡張していたが、1950年1月にコミンフォルムによるその「平和革命」論批判(のちに分裂につながる)や同年6月のGHQによる共産党員等の公職追放(レッド・パージ)があった。
 のちの主流派による武力闘争まで丸山真男が支持したかどうかは確認しないが、日本共産党勢力が拡大し、かつ抑圧?を受けつつあったときに、この丸山真男論考は書かれている。
 そういう時代的背景はふまえておく必要があるが、興味深いのは、丸山真男のような<進歩的文化人>のかかる<容共>姿勢というのは、少なくとも日本共産党が「平和」路線(「人民的議会主義」路線)を明確に採って以降の、日本の<左翼>に特徴的な考え方または気分だ、ということだ。
 丸山真男は「民主化」に「しかり西欧的意味での民主化」という注記を施しているが、それはともあれ、丸山は「民主主義」(民主化)対「全体主義」という対立軸を設定している。「共産主義」が「左の全体主義」・「現代の典型的な全体主義」であることを否定していないようであることも目を惹くが、これとは区別されたものとして、日本社会の「全体主義化の危険」・「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」を語っている。
 「民主主義」対「全体主義」という軸設定は今日ではそのままではあまりなされてはいないかもしれない。しかし、後者に代わって、「(日本)軍国主義」とか「戦前のような日本」ということが言われ(ときには「偏狭な(排他的な)ナショナリズム」)、戦前のような社会を復活させるな、「民主主義」を守り、拡充させよう、という論調はしばしば見られる。
 それが「左翼」の主張であり、「何となく左翼(サヨク)」の気分だ。
 このような主張・気分は、丸山真男の上の文章に明確に示されているように、共産主義・日本共産党に対する「寛容」さを内包している。 
 共産主義・日本共産党に完全に同調しないとしても、それよりも「軍国主義」勢力・「保守反動」勢力の拡大による<戦前のような日本>の復活・「戦争ができる」国家の復活の危険を重視し、そのためには日本共産党と闘うどころか「共闘」することすら容認するのが「左翼」・「何となく左翼」だ。
 「左翼」の中核に日本共産党はいる。その周辺に、自覚的・意識ではないにしても、幅広く厚い<容共>層がいるのが、日本の「左翼」陣営の特徴だ。
 かつて自民党政権時代に、『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズム』(1990)というおそらく唯一の研究書を刊行した上野千鶴子は、マルクス主義者または親マルクス主義の立場の者だから当然だろうが、日本共産党を含む野党の対自民党統一戦線の結成を主張していた。
 上野千鶴子ほど明確にではないにしても、岩波や朝日新聞系の知識人・論壇人の中には、日本共産党よりも<保守>政党(従来だと自民党)を嫌う、共産党の力を借りてでも自民党政権を倒したいと考えていた者が多かった、と思われる。
 むろん、マスコミ従事者や一般国民においても<民主主義対全体主場(=保守反動)>という何となくのイメージを持っている者が多いから(それはかつての戦争の性格を含む歴史認識・それに関する教育に深く関係するがここでは触れない)、<反自民党>気分は一気に2009年の民主党内閣の成立に結びついた。
 日本共産党を批判したこともあり、そのゆえに日本共産党から攻撃されたこともある丸山真男だが、上のように、日本共産党を「民主主義」の側に位置づけ、<全体主義・軍国主義>傾向にむしろ重要な危険性を感じるという意識・気分(論者によってはイデオロギー)は、今日でもなお強く残存している。
 丸山真男とはまさに戦後進歩的知識人の代表者であり、「戦後左翼の祖」の一人と言ってよいだろう。
 上のような対立軸をかりに設定するとしても、共産主義・日本共産党を「民主主義」の側に位置づける、という馬鹿なことをやめ(させ)なければならない。
 むしろ、共産主義・日本共産党の「反民主性」・「反自由主義性」こそを強く、いや最大の対立軸として、主張し続けなければならない。
 そのような<反共>を最大・最重要の旗印として掲げるのが、私の理解する言葉の意味での<保守>だ
 こういう意味で<保守>概念が使われないとすれば、別に言葉ごときに拘泥はせず、「平等」教・「共産」教に対する<自由>主義と表現してもよい。
 ともかく、<容共か反共か>、これが今日の最大・最重要の対立軸だ、と考えられる。この対立軸の設定は、決して時代遅れ、あるいは決着済みのものでは全くない。
 この点が明瞭ではない論者、評論家、月刊雑誌等の論壇類は、「保守」概念をめぐっても含めて、混乱するか(あるいは混乱を持ち込むか)、少なくとも現在の日本と日本国民にとって適切な方向・指針を示すことができないだろう。
 

1092/佐伯啓思は「的確な処方箋を提示」しているか。

 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)に、佐伯啓思・現代文明論講義(ちくま新書)の書評が載っている。
 この本を概読したかもしれないが、きちんと憶えていない(憶えられるはずがない)。それはともかく、先崎彰容という1975年生まれの人物は書評の冒頭で、佐伯啓思の「作品の魅力」を次の二つにまとめている。
 一つに「『近代文明』が抱える問題を、その根本にまで遡り解明しようとすること」、二つに「その原理的・根本的な問題意識を携え、現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示しようとする姿勢」(p.175)。
 上の第一点にはほとんど異論はない。そのとおりで、「近代(文明)」を懐疑して、批判的に分析した諸業績(「反西洋」かつ「反左翼」の主張を含んでいるはずだ)は大いに参考になると思われる。
 だが、上の第二は「仲間褒め」の類で、いかに年配者への敬老?精神によるとしても、とても納得できない。
 なるほど「提示しようとする姿勢」が全くないとは言えないが、「現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示」してきたとはとても思えない。
 佐伯啓思は所詮は(といっても侮蔑しているわけではない)「思想家」なのであり、多様な「現代日本の政治・経済・文化」の諸問題を論じているわけではないし、ごく一部を除いて、「的確な処方箋を提示」などはしていない、と思われる。
 憲法改正の方向を論じたことはないだろうし、そもそもが現在の改憲論議に言及することさえほとんどないだろう。<少子化問題>への処方箋を示してはいないし、これと無関係とは思われない<フェミニズム>に論及したことも、ほとんどなかったと思われる。
 「現代日本の政治・経済・文化にたいして的確な処方箋を提示しようとする姿勢」がそもそもあるのかどうか自体を、私は疑問視している。そして、お得意の経済(政策・思想)問題を除けば、佐伯啓思が「現代」について「的確な処方箋を提示」しているとは言えないのではなかろうか。橋下徹警戒論もその一つだ。
 一人の人間にできることには限界がある。怜悧な「思想家」に多様な現代問題を的確に論じることは期待しない方がよいだろう。
 但し、「思想家」としての佐伯啓思に完全に満足し、その主張内容にすべて納得しているわけではない。別の回に、いずれ書くだろう。

1091/西部邁・佐伯啓思グループとは何者たちか?

 前回に、<西部邁・佐伯啓思グループ>または<(隔月刊)表現者グループ>について、「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって…という疑念を捨て切れない、と書いた。
 分かりにくい、矛盾もしていそうな形容表現だが、示唆を得た叙述は、西部邁や佐伯啓思らを念頭に置いたものでは全くないものの、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011)の中にあった。一度は雑誌連載で読んでいたはずのものを、単行本で先月末あたりに読み終えていたのだ。
 竹内洋はおおむね1970年代(ないし1960年代半ば)以降の思想潮流に論及して、「左翼」側の<構造改革>論(江田三郎ら)、「保守」側の「モダニズム保守」または「ニューライト」の登場を語る。そして、後者に関して「マルクス主義と切断された進歩の思想である近代化論」の台頭が背景にあるとする。
 面白く感じたのは、上のことに触れつつ、「保守と革新の変容」と題する<図>(チャート)を示している、その内容だ(p.502)。
 それによると、思想潮流は「左派」対「右派」というかたちで(ヨコ軸で)示される対立のほかに、「近代主義」対「伝統主義」というタテ軸で示される対立もある。二つの軸によって四つの象限ができるが、竹内は左上の「左派・近代主義」を<構造改革派>にあて、右下の「右派・伝統主義」を「オールドライト」と総称する。さらに、以下が興味深いのだが、左下の「左派・伝統主義」を「土着主義左翼」とし、右上の「右派・近代主義」に<ニューライト>をあてている。
 西部邁・佐伯啓思グループとはいったいいかなる性格の、あるいはいかに位置づけられるべきグループなのかという関心をもっていたときに上の図・表を見たために、はたして西部邁・佐伯啓思らはどこに位置するのだろうと考えてしまった。
 反復するが、竹内洋は戦後「進歩的文化人」や近年の「幻想としての大衆」について語ることを主眼としていて、西部邁らに言及しているのではまったくない。
 だが、西部邁や佐伯啓思らは<強いていうと>、竹内のいう後二者の「土着主義左翼」か「ニューライト」に該当するのではないかと感じたのだった。
 「左派」と「右派」はそれぞれ、伝統的にいう「革新」または「左翼」と「保守」または「右翼」に相応するものと理解してよいだろう。この対立に加えて、竹内は<近代主義X伝統主義>という対立軸を加味して理解しようしているのだ。
 さて、西部邁・佐伯啓思グループは、反米を強調し、そのかぎりで「日本的なもの」または「民族性」を強調することになっている点では竹内のいう「伝統主義」の側に立っている、とも言える。
 佐伯啓思は「日本の愛国心」や「日本という価値」を論じており、かつ欧米流「近代」主義をかなり厳しく批判(または批判的に分析)してもいるのだ。竹内は「土着主義左翼」と称しているが、これを少し表現し直したのが、前回に使った、私の「民族的左翼」という言葉だった。<反米>は「保守」のようでもあるが、「左翼」でもありうる。
 日本共産党ら「左翼」も、ある意味では、むろん<反米>だ。
 それに、西部邁らの論考や発言には「左翼」臭を感じることがある。二つだけ、例を挙げておこう。
 ①西部邁=佐伯啓思=富岡幸一郎編・「文明」の宿命(NTT出版、2012)の富岡の「はじめに」が、共産主義・コミュニズム批判を見事に欠落させて「現代文明」を語っていることはすでにこの欄で触れた。
 それとともに、中島岳志や藤井聡も執筆しているこの本では、「現代文明の全般的危機」が一つのキーワードになっていて、西部邁の論考はこれを一節のタイトル(見出し)にまでしている(p.25)。しかして、「…の全般的危機」とは、どこかで聞いたことがあるような、「左翼」またはマルクス主義用語なのだ。
 詳細は知らないが、マルクスらは「資本主義の全般的危機」という用語または概念を使ってきた。現在の日本共産党はこれをそのままでは採用していないようだが、ともあれ「資本主義の全般的危機」とは<左翼>用語だ(った)。
 西部邁らが好んで?用いている「現代文明の全般的危機」とはマルクス主義的な「資本主義の全般的危機」概念・論の影響を受けたものであり、かつ少なくとも部分的には、マルクス主義によるこれに関する議論を参照し、または取り込んだものではないだろうか。
 ②西部邁=佐伯啓思編・危機の思想(NTT出版、2011)の中の西部邁の序論には、「反左翼メディア」あるいは「反左翼人士たち」を批判または揶揄する部分がある(例、p.27、p.36)。その内容には立ち入らないが、「反左翼」を批判・揶揄するということは、常識的または通常の理解からすれば、自らは「反左翼」の立場にいることを表明または示唆しているとも理解できる。
 むろん、西部邁は「私どもの保守思想」とも言っていて(はじめにp.4)、上の意味するところは、その他大勢のエセ「反左翼」=「保守」とは違って、自分たちこそが「真の(本来の)保守」だ、ということなのではあろう。
 だが、その他大勢の?多数派的「保守」とは自分たちは違うのだ、と自分たちを位置づけていることはほとんど間違いはない。
 このことは、多数派的?「保守」からすれば、西部邁らを自分たちとは異なる「左翼」(の少なくとも一派)だと論定しても一概に批判されることではないと、第三者的読み手からすれば、なるだろう。
 要するに、「保守」だとかりにしても、じつに奇妙な、不思議な「保守」であるのだ。
 とりあえず二点挙げただけだが、この西部邁・佐伯啓思グループが、反共・反中国・反北朝鮮の主張を全くかほとんどしていない、コミュニズムや中国等に対して「甘い」、ということは、これまでに何度か指摘してきた。
 さらに叙述し続け、「ニューライト」または私の使った「合理主義的(近代主義的)保守」とも位置づけられるのではないか、という点に及ぶつもりだったが、長くなったので、ここで切る。後者は、「理性主義的=反情緒的保守」、と称してもよいかもしれない。西部邁・佐伯啓思グループには、こうした面もあるようだ。別の回に述べる。

1078/西部邁=佐伯啓思ら編・「文明」の宿命(2012)の富岡幸一郎「はじめに」。

 西部邁=佐伯啓思=富岡幸一郎編・「文明」の宿命(NTT出版、2012.01)の、富岡幸一郎による「はじめに」だけを読了。
 中身についてものちに触れるかもしれないが、著者9人の一人は「雑菌」の中島岳志なので、読者はこの本がまともな「保守」主義による議論・論考をまとめたものだと誤解しない方がよい、と思われる。
 富岡による「はじめに」の前半は、素直に納得しながら読める。
 すでに一九世紀末・第一次大戦前に「西洋の没落」(シュペングラー)は語られていたのであり、「西洋近代を形成してきた進歩史観への警鐘」も発せられていた(はじめにp.2)。
 以下は私の言葉だが、しかるに、日本国憲法は<欧州近代>所産の法思想を疑問がないものとして、アメリカ独立宣言・フランス人権宣言等に遡及可能なものとして、継受してしまった。日本国憲法97条はつぎのように定めるのだが、私はこのような「お説教」を読んで、いつも苦笑を禁じ得ない。日本の今の憲法学者はどうなのかは知らないが。
 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 富岡の文章に戻ると、こう述べられている。
 現代の「文明」社会を深く覆うのは「ニヒリズム」で、すでに一九世紀末にニーチェが語ったものだ。それによると、「人々が生きる意味と目標を失い、よるべない虚無の淵に立たされる危機」のことで、あるいは、<宗教・道徳・理性・精神といった価値が無意味なものと化してしまったあとに出現する「最も気味のわるいもの」>だ(はじめにp.3-4)。
 このあたりまではよいのだが、その後の富岡の叙述には大きな疑問を持たざるをえない。
 富岡は、そのような「最も気味のわるいもの」が二〇世紀以降に生みだしたものを、あれこれと列挙している。まず単語だけを取り出しておこう。
 ・第一次大戦という「全面戦争」、科学技術による大量殺戮兵器、欧州の「血の地獄」化、世界恐慌から第二次大戦へ、核エネルギーの使用(はじめにp.5)
 続いて次のように所産または結果を述べている。
 ・「一九八〇年代後半からの冷戦崩壊によって社会主義体制はついえ去り、資本主義はそのまま生き延び」、九〇年代以降はアメリカ中心の「強欲ともカジノ的ともいわれる金融資本主義へと展開された」(はじめにp.6)。
 ・ニーチェのリヒリズムは二〇世紀には「大量殺戮の悲劇」を生み、二一世紀の今日では「…資本主義のテーモンに体現されている」(p.6)。
 このような時代または「文明」史の叙述には―一瞬はすらっと読んでしまいそうだが―、疑問を禁じ得ない。
 細かなことを言えば、二つの大戦の「外的要因」は「帝国主義の政策による衝突」で「内的要因」は「世界恐慌という経済的危機」だったという叙述(上では省略。はじめにp.6)は教科書的・通俗的で、はたしてこんな理解でよいのか、と感じさせる。これは、「左翼」の描く歴史とまったく同じなのではないか。それに、第二次大戦の前のロシア革命・社会主義ソビエトの成立とその影響にはまったく!言及がないのだ。
 「社会主義」の無視・軽視、これこそが富岡の文章の致命的な欠陥だと思われる。
 富岡は八〇年代後半以降に「社会主義体制はついえ去り」と平気で書き、その前に「冷戦崩壊によって」と簡単に書いてしまっている。だが、冷戦は終わっていない、あるいは新しい冷戦にとって代わっている。また、そもそも、「社会主義体制はついえ去」っていないどころか、この東アジアにおいて、中国、北朝鮮等というれっきとした「社会主義」国家はあるではないか(両国の共産党・労働党の大会において誰の肖像画・写真が大きく掲げられているかを思い出すがよい)。

 また、この日本の現実の中に「社会主義」の(「体制」ではなくとも)<思想>は脈々と残存し続けている。
 富岡幸一郎の書いてきた文章をいっさい否定するつもりはないが、上の点はあまりにヒドい、と思われる。いったい、この人は何を考えているのか?
 さらには、上にも関連するが、富岡によると、現下の最大の「文明」問題は、「資本主義のデーモン」であるようだ。しかし、現在の資本主義に問題がないとは言わないが、アメリカ中心の「強欲ともカジノ的ともいわれる金融資本主義」を批判すること、そのようなものを「現代文明の全般的危機」として把握することともに、あるいはそれ以上に、覇権主義・軍国主義を伴う「社会主義」国家が現存し、かつ「社会主義」イデオロギーが(日本においてこそ顕著に)残存し続けていることを、きちんと、そして深刻に「現代文明」の重要な問題と把握すべきだ。
 このような「社会主義」に対する<甘さ>は、「大量殺戮(の悲劇)」に関する富岡の理解の仕方にも表れている。富岡は明らかに、これを近現代の「科学技術」の所産として(第一次大戦との関係で)語っている。
 しかし、富岡は知らないのだろうか。両大戦の死者(大量殺戮の被害者)の数よりも、ソビエト連邦や共産主義・中国等々における革命・内戦・「粛清」の犠牲者の数の方が多いのだ。
 「大量殺戮(の悲劇)」という語を使いながら、コミュニズムの犠牲者(大量殺戮被害者)をまったく思い浮かべていないようであるのは、少なくとも<保守>派の論者としては、致命的な欠陥がある、と考えざるをえない。
 佐伯啓思や西部邁について、<反米・自立>を説くのはよいが、<反共>または「反中国」の姿勢・文章をもっと示して欲しい旨を書いたことが何回かある。
 西部邁・佐伯啓思グループの一人のようである富岡幸一郎にも、同じような弊があるようだ。

1075/東谷暁・南木隆治・遠藤浩一と橋下徹。

 〇東谷暁は月刊正論2月号(産経)の連載「論壇時評」で、2頁を使って、橋下徹を批判している、または、警戒視している(p.196-)。後半は産経新聞に書いていたのと同じ内容で、<一粒で二度おいしい>(同じことを書いて2回原稿料を稼ぐ)とはこのことを言うのだろう。
 橋下徹を無条件に支持はしないし、彼の勝利はある程度は一種の「ポピュリズム」の結果だとも思うが(なお、対立候補も民放のローカルニュース・キャスターの経歴を持っていた)、有権者は、当選者が一人の場合、候補者が2人の場合は<どちらがよりましか>で、3人以上の場合は<いずれが最もましか>で判断せざるをえない。
 当選者を批判するのはよいが、では対立候補(大阪市の場合は平松某)が当選した方がよかったのか、対立候補だった者(平松某)についてはどう評価し、論評するのか、と東谷暁には問いたいものだ。

 〇同じ月刊正論2月号の南木隆治「橋下前知事が教育改革で見せた凄み」の中に、―この論考全般への言及は省略する―興味深い記述がある。
 ほとんど報道されていないと思うが、これによると、橋下徹は知事辞任直前の2011年10月20日に、「大阪護国神社秋季例大祭」に「公式参拝」している(p.77)。
 福岡政行は隔週刊・サピオ1/11・18号で「次の次の」総選挙に橋下徹は出馬して「橋下政権」が「誕生する可能性さえある」という(p.34)。こんな予測のが当たるかどうかは全く不明だが、万が一(?)橋下徹が首相になったとすれば、この人物は靖国神社「公式参拝」をするのではないか。
 〇再び月刊正論2月号に戻ると、遠藤浩一「維新前夜―英雄の条件」は、次のように橋下徹に言及している。
 「口が達者らしいことを除いて橋下氏について判断材料を持ち合わせていない小生としては、英雄に大化けするかの判断は留保」する(p.55)。
 <英雄に大化け>するかどうかは「英雄」の意味も含めてこの欄の筆者にも分からないが、橋下徹について「口が達者らしいこと」しか知らないとは、(政治)評論家としてはお粗末だろう。但し、おそらくはそれ以上の知識は持ちつつも、(櫻井よしこと同様に?)評価を「逃げて」いる、という方が正確だろう。

 判断材料が乏しいのはこれまでの橋下の経歴からしても仕方がなく、従って確定的な評価をし難いのはやむをえない、とは言える。天皇・憲法(九条)・防衛(・中国)等について、橋下徹は明言したことがないのは確かだ。
 だが、かなりの程度の想像はできる。例えば、朝鮮学校無償化に反対する動きを迅速に見せたのも自治体首長の中では橋下徹だった。上の「護国神社」参拝も一つの材料にはなるだろう。

1019/西尾幹二による樋口陽一批判②。

 前回のつづき。西尾幹二は、「ルソー=ジャコバン型モデルの意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が重要」という部分を含む樋口陽一の文章を20行近く引用したあと次のように批判する。
 ・「まずフランスを上位に据えて、ドイツ、日本の順に上から序列づける図式的思考の典型例」が認められる。「後進国」ドイツ・日本の「劣等感」に根拠があるかのようだった「革命待望の時代にだけ有効な立論」だ。革命は社会の進歩に逆行するという実例は、ロシア・中国で繰り返されたのだ(p.73-74)。
 ・中間団体・共同体を破壊して「個人を…裸の無防備の状態」にしたのが革命の成果だと樋口陽一は考えているが、中間団体・共同体の中には教会も含まれる。そして、王制だけではなく「カトリック教会」をも敵視した「ルソー=ジャコバン型」国家は西欧での「一般的な歴史展開」ではなく、フランスに「独自の展開、一つの特殊で、例外的な現象」だ。イエ・家族を中間団体として敵視するフランス的近代立憲主義は「日本の伝統文化と…不一致」だ(p.74-75)。
 ・日本では「現に樋口陽一氏のようなフランス一辺倒の硬直した頭脳が、国の大元をなす憲法学の中心に座を占め、若い人を動かしつづけている」。「樋口氏の弟子たちが裁判官になり、法制局に入り、…などなどと考えると、…背筋が寒くなる思いがする」(p.75)。
 ・オウム真理教の出現した戦後50年めの椿事は、「『個人』だの『自由』だのに対し無警戒だった戦後文化の行き着いた到達点」で、「解放」を過激に求めつづけた「進歩的憲法学者に煽動の責任がまったくなかったとは言いきれまい」。「解放と自由」は異なる。何ものかへの「帰依」なくして「自我」は成立せず、「信従」なくして「個性」も芽生えない。「共同体」をいっさい壊せば、人間は「贋物の共同体に支配される」(p.75)。
 ・「樋口氏の著作」を読んでいると、「社会を徹底的に『個人』に分解し、アトム化し、その意志をどこまでも追求していく結果、従来の価値規範や秩序と矛盾対立の関係が生じた場合に、『個人』の意志に抑制を求めるのではなく、逆に従来の価値規範や秩序の側に変革を求めるという方向性」が明確だ。「分解され、アトムと化した『個人』の意志をどこまでも絶対視する」結果、「『個人』はさらに分解され、ばらばらのエゴの不毛な集積体と化する」(p.75-76)。
 ・「『個人』の無限の解放は一転して全体主義に変わりかねない。それが現代である。ロベスピエールは現代ではスターリンになる可能性の方が高い」。実際とは異なり「概念操作だけはフランス的で…『個人』を無理やり演出させられていく」ならば、東北アジア人としての「実際の生き方の後ろめたさが陰にこもり、実際が正しければ正しいほど矛盾が大きくなる」、というのが日本の現実のようだ(p.76)。
 以上。法学部出身者または法学者ではない<保守>論客が、特定の「進歩的」憲法学者の議論(の一部)を正面から批判した、珍しいと思われる例として、紹介した。  樋口陽一らの説く「個人主義」こそが、個々の日本人を「ばらばらのエゴの不毛な集積体」にしつつある(またはほんどそうなっている)のではないか。
 本来は、このような批判的分析・検討は、樋口陽一に対してのみならず、古くは宮沢俊義や、新しくは辻村みよ子・浦部法穂や長谷部恭男らの憲法学者の議論・主張に対して、八木秀次・西修・百地章らの憲法学者によってこそ詳細になされるべきものだ。「国の大元をなす憲法学の中心」が<左翼>によって占められ続けているという現実を(そしてむろんその影響はたんに憲法アカデミズム内に限られはしないことを)、そして有効かつ適切な対抗が十分にはできていないことを、少数派に属する<保守>は深刻に受けとめなければならない。

1018/西尾幹二による樋口陽一批判①。

 一 フランス革命やフランス1793年憲法(・ロベスピエール)、さらにはルソーについてはすでに何度か触れた。また、フランスの「ルソー=ジャコバン主義」を称揚して「一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」(自由と国家p.170)とまで主張する樋口陽一(前東京大学・憲法学)の著書を複数読んで、2008年に、この欄で批判的にとり上げたこともある。以下は、その一部だ。
 ・「憲法学者・樋口陽一はデマゴーグ・たぶんその1」
 ・「樋口陽一のデマ2+……」

 ・「憲法デマゴーグ・樋口陽一-その3・個人主義と『家族解体』論」
 ・「樋口陽一のデマ4-『社会主義』は『必要不可欠の貢献』をした」
 ・「憲法学者・樋口陽一の究極のデマ-その6・思想としての『個人』・『個人主義』・『個人の自由』」
 二 西尾幹二全集が今秋から刊行されるらしい。たぶん全巻購入するだろう。
 西尾『皇太子さまへのご忠言』以外はできるだけ西尾の本を購入していたが、西尾幹二『自由の恐怖―宗教から全体主義へ』(文藝春秋、1995)は今年になってから入手した。
 上の本のⅠの二つ目の論考(初出、諸君!1995年10月号)の中に、ほぼ7頁にわたって、樋口陽一批判があることに気づいた(既読だったとすれば、思い出した)。西尾は樋口陽一の『自由と国家』・『憲法』・『近代国民国家の憲法構造』を明記したうえで、以下のように批判している。ほとんど全く異論のないものだ。以下、要約的引用。
 ・「善かれ悪しかれ日本は西欧化されていて、国の基本をきめる憲法は…西欧産、というより西欧のなにかの模造品」だ。法学部学生は「西欧の法学を理想として学んだ教授に学んで、…日本人の生き方の西欧に照らしての不足や欠陥を今でもしきりに教えこまれている。……西欧人に比べて日本人の『個』はまだ不十分で…たち遅れている、といった三十年前に死滅したはずの進歩派の童話を繰り返し、繰り返しリフレインのように耳に注ぎこまれている」(p.70)。
 ・「例えば憲法学者樋口陽一氏にみられる…偏光レンズが『信教の自由』の憲法解釈…などに影響を及ぼすことなしとしないと予想し、私は憂慮する」(同上)。
 ・「樋口氏の文章は難解で読みにくく…符丁や隠語を散りばめた閉鎖的世界で、いくつかの未証明の独断のうえに成り立っている。それでも私は……など〔上記3著-秋月〕、氏の著作を理解しよう」とし、「いくつかの独断の存在に気がついた」(p.71)。
 ・「『日本はまだ市民革命が済んでいない』がその一つ」だ。樋口によると、「日本では『個人』がまだ十分に析出されていない」。「近代立憲主義を確立していくうえで、日本は『個人』の成立を阻むイエとか小家族とか会社とか…があって、今日でもまだ立ち遅れの著しい第一段階にある」。一方、「フランス革命が切り拓いたジャコバン主義的観念は『個人』の成立を妨げるあらゆる中間団体・共同体を否定して、個人と国家の二極のみから成る『ルソー=ジャコバン型』国家を生み出す基礎となった」。近代立憲主義の前提にはかかる「徹底した個人主義」があり、それを革命が示した点に「近代史における『フランスの典型性』」がある。―というようなことを大筋で述べているが、「もとよりこれも未証明の独断である。というより、マルクス主義の退潮以後すっかり信憑性を失った革命観の一つだと思う」(同上)。
 ・フランス本国で「ルソー=ジャコバン型」国家なる概念をどの程度フランス人が理想としているか、「私にははなはだ疑わしい」。「ジャコバン党は敬愛されていない。ロベスピエールの子孫の一族が一族の名を隠して生きたという国だ」。ロベスピエールはスターリンの「先駆」だとする歴史学説も「あると聞く」。それに「市民革命」経ずして「個人」析出不能だとすれば、「革命」を経た数カ国以外に永遠に「個人」が析出される国は出ないだろう。「樋口氏の期待するような革命は二度と起こらないからである」。「市民革命を夢みる時代は終わったのだ」(p.71-72)。
 ・樋口陽一の専門的議論に付き合うつもりはない。だが、「どんな専門的文章にも素人が読んで直覚的に分ることがある。氏の立論は…今述べた二、三の独断のうえに成り立っていて」、その前提を信頼しないで取り払ってしまえば、「立論全体が総崩れになるような性格のもの」だ(p.72)。
 ・樋口陽一「氏を支えているのは学問ではなく、フランス革命に対する単なる信仰である」(同上)。
 まだあるが、長くなったので、別の回に続ける。  

1011/佐伯啓思のリスボン大地震・カント・「近代」への言及を受けて。

 佐伯啓思が1775年にリスボンで大地震があり、カントが影響を受けて著書まで書いた〔『美と崇高の感情の観察』→『判断力批判』)、ということを初めて記したのはおそらく新潮45(新潮社)5月号だ(p.231-)。最近の表現者37号(ジョルダン、2011.07)の座談会「文明内部の危機」でも、同旨のことが語られている(p.39-)。
 佐伯によると、ヴォルテールはアウグスティヌスやライプニッツの<神の創造した世界は最善>とかの「神学的」世界観を疑う契機とした。また、カントは、壮大な自然現象の恐怖・脅威を人間は理性と構想力で克服しようとし、そのような人間は「人格性」をもち、かつ「崇高」だ、と論じた。これは「近代的な理性中心の発想」に連なるもので、「ちょっと極端にいえば」、「リスボン大地震を一つのきっかけ」にして「自然を人間がコントロールできる」、そこに人間の「素晴らしさ、崇高さがある、という近代的なヒューマニズムのようなものが力を得てくる」。要するに、リスボン大地震はそういう(「近代」に向けての)「大きな価値観の転換をもたらした」。そして、佐伯啓思によると、今回の日本の大震災は、かかる「近代的な考え方」が限界を迎えたことを意味する、という(表現者37号p.40)。また、新潮45の5月号では、カントのような欧州近代(またはそれを用意した欧州啓蒙主義)の自然観とは異なるものとして、宮沢賢治の詩に見られる(日本の)自然観・死生観に言及している(p.234-)。
 なかなか興味深いし、別のどこかで誰かが、ルソーの人間不平等起源論の「自然に帰れ」との反文明観の吐露もリスボン大地震の影響があったと書いていたこともついでに思い出す。
 だがむろん、完全に釈然としているわけではない。ヴォルテールとカントだけを持ち出して、「欧州近代」へのリスボン大地震の影響は論証できるのだろうか、という疑問がある。「一つのきっかけ」程度で、リスボン大地震の影響を過大評価してはいけないとの議論もできそうだ。
 また、自然災害を前にして自然と闘おうとする欧米(西洋)「近代」思想と、自然と「共生」しようとする日本的自然観・死生観との対比も上の佐伯啓思の論調には見られるようだが、そもそも「自然」環境そのものが、欧州と日本では異なる、ということが出発点なのではないか、という気もする。すなわち、自然観・死生観が異なるから大地震等々の「自然」現象への対処・対応が異なるのではなく、逆に「自然」環境が異質だからこそ、欧州と日本では自然観・死生観も異なるに至ったのではないだろうか。
 1775年といえば明治維新から100年近く前の江戸時代・安永年間。その頃以降も日本ではいくたびも大地震・津波を経験したのだが、欧州については1775年の大地震まで遡らなければならないということ自体に、自然<大災害>の多寡が示されているようにも見える。
 地域によって違うだろうが、土地の肥沃度では日本の方が総じて豊かなような気もする。しかし、地震、津波、台風といった自然現象による災禍は、古代からして欧州よりも日本の方がはるかに多く、そこから、日本(・日本人)には欧州とは異なる独自の自然観・死生観が育まれてきたのではないだろうか。
 というようなことを考えていると、なかなかに面白い。

0999/アメリカ建国の理念とは-佐々木類(産経新聞)・佐伯啓思・中川八洋における。

 一 A 産経新聞アメリカ支局長・佐々木類は産経1/16付紙面で、「同盟深化に米建国の理念理解を」と題して、米国での銃規制の困難さにも関連させて、こう書いていた。

 「書生っぽいことをいえば、ロックが1676年に『統治二論』で著した社会契約説が、100年後に米国建国という形で具体的な姿を現した。ロックは、人間が自分を守る権利と労働の結果生まれた私有財産は人民の契約に基づいて国家が作られる前からあった『自然権』だとし、国家権力がこれに干渉してはならないと定義した。/この精神を引き継いだ英国の植民地人、つまり、米国人らが、自分たちの意向を無視して証書や新聞などに印紙を貼らす印紙税や茶に課税する英国に対し、『代表なくして課税なし』と立ち上がり、独立戦争に突き進んだのである」。
 B 佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010)は、「アメリカの建国の精神」について、こう書く。

 ・「ジェファーソンの『独立宣言』に見られるように、「生命」「自由」「幸福の追求」を万人に平等に与えられた普遍的価値とみなしている」。
 ・「このアメリカ建国の精神である、強くて自由な個人、民主主義、個人の能力主義と競争原理などの価値へと『復帰』することは、アメリカにおいては『保守主義』ということになる」。
 ・「これは本来のイギリス流の保守主義とかなり異なっている。……アメリカ独立が…イギリスの伝統的国家体制への反逆であり、王権からの分離独立であることに留意すれば、アメリカの建国それ自体が、イギリスからすれば自由主義的な革新的運動であった」。アメリカ建国には「進歩主義」の理念が色濃く、「アメリカ流保守主義」は「いささか倒錯的なことに」すでに「『進歩主義』に染め上げられている」(p.188-9)。
 C 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は、「米国の建国」について、つぎのように言及する。

 ・「サッチャー保守主義の原点」にはバークがあるが、その基底で「ヴィクトリア女王時代の栄光の大英帝国」を崇敬していた。これは、「ジョージ・ワシントンやアレクザンダー・ハミルトンが米国の建国に当たって、エリザベス女王時代の…あとの頃一六〇〇年代初頭の…古き英国をイメージして、理想の新生国家・米国を建設したのと似ている」(p.233)。
 二 さて、米国建設の理念・イメージがかくも異なって叙述されることにまずは止目されるべきだろう。

 中川八洋はアメリカの対英「独立」の理念と一三州統合しての「建国」の理念とは区別すべしと別の著で説いており、上で挙げるハミルトンらは英国「保守主義」と基本的に異ならない「建国」の理念提示者として叙述されていると見られる。

 これに対して佐伯啓思はジェファーソンの名を挙げて対英「独立」の理念に着目しているようだ。

 かかる違いはあるとはいえ、基本的に英国「保守主義」を継承したと捉える中川と、米国の「保守主義」は英国のそれから見ると「進歩主義」だとの見解を示す佐伯啓思とは、やはり同じことを述べているとは、同様に理解されているとは、理解できない。

 アメリカ「建国」の理念も、論者により、あるいは論じられる脈絡との関係により、異なって語られうることは、知的関心を惹く、興味深いことだ。これは、アメリカを理解するうえで、そして<日米同盟>を語る場合の、決して「知的」関心の対象にとどまらない問題でもあろう。

 これに対して、佐々木類の「書生っぽい」叙述は、上の二人の学者とはやはり異なり、通俗的だ。要するに、<欧米近代>を一色で見ている。英米の違いはもちろんのこと、英・仏間にある大きな違いを見ることもしていない。ロックの「社会契約説」を挙げていることからすると、米国独立戦争前のルソーの『社会契約論』(1762)も、米国の国家理念と矛盾していないと理解されているのだろう。

 怖ろしいのは、「書生っぽい」、あるいは高校の社会科教科書を真面目に勉強したような<欧州近代>の理解でもって、欧米諸国(の建国理念・歴史等)を単純に捉えてしまうことだと思われる。

 そこには、今日ではすでに自国ですら疑念が提起されている、かつての通説的な「フランス革命」の(美化的)理解を疑いもしない、かつての「書生っぽい」認識も含まれる。ルソーもフランス革命も、さらには<欧州近代>(ロックを含む)そのものも、日本の<保守派>ならば「懐疑」の対象にしなければならないのではないか。
 ちなみに、中川八洋に全面的に賛同するつもりはないし、評価する資格もないが、中川によるとロックはホッブズ(中川のいう有害な思想家)の影響を強く受けており、ハイエクは英国名誉革命に関するヒュームとロックの議論を対比してヒューム(中川のいう有益な思想家)に軍配を上げた、という。またヒュームは(中川も)ロック、ルソーの「社会契約説」に批判的だ(下掲書p.320-1)。但し、全体としては、中川八洋は、ロックを、モンテスキュー、パスカル、ショーペンハウエル、カントとともに(いずれかに傾斜しているとしつつも)「有益」、「有害」それぞれ31名の思想家リスト(p.384-5)の中には含めず、「双方の中間」と位置づけている(中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)p.388)。

0998/民主党・長妻昭の「無能」さと中川八洋による「子ども手当」批判。

 〇桝添要一は半年ほど前のテレビ番組で、長妻昭(民主党・前厚労大臣)を「無能です」と一口で切って捨てていた。

 長妻昭が大臣時代に、年金切替忘れの専業主婦を「救済」する方針が決定され、課長「通達(通知)」でもって今年から実施された。

 近日において、民主党内閣(細川厚労大臣)はこれを「違法」ではないが「不適切」だったとし、当該課長を官房付に「更迭」したと伝えられる。

 長妻昭は課長「通達」で済ますことの問題性を何ら認識していなかったようだ。ほとんど誰もその点を問題にしなかった旨を他人事のように述べていた。当該課長が「更迭」されるという<行政>的責任をとったとすれば、大臣だった長妻はどう<政治的>責任をとるつもりか?

 日本経済新聞の政治・行政担当の記者の経験もあるらしい長妻昭は、やはり「無能」なのではないか。かつて政治・行政担当の新聞記者であっても、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいか、という問題意識すらなかったようなのだから、行政担当の政治家としては「無能」と断言してよい。長妻に期待を寄せていた者もいるのだろうが、そのような人々も「無能」なのだろう。かつての新聞記者というのはこの程度だ(という者も多い)、ということもよく分かる。
 「違法」か「不適切」かはじつは重大な違いがある。特定範囲の在日外国人に対しても日本国民(国籍保持者)と同様の生活保護措置が執られることは、関係公務員(自治体も当然に含む)なら誰でも知っているだろうが、自民党内閣時代からの、古い、<生活保護法を……に準用する>旨の一片の「通達(通知)」にもとづいているにすぎない。このような例も含めて、国会では、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいかを論議してほしいものだ。

 〇上の「救済」策は、忘却した直接の当事者に対しては、一種の「バラまき」にあたる。

 民主党は少子化対策とか景気浮揚の経済政策とか言っているようだが、<子ども手当>施策には「バラまき」との批判も強い。

 だが、「バラまき」福祉という批判だけではこの施策の本質を見抜いていない、という重要な指摘を中川八洋はしている(中川に限らないだろうが、ここでは中川の文章をとり挙げる)。中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)によると、以下のとおり。

 ・「子ども手当」等の「子育て」支援はマルクス=エンゲルス『共産党宣言』(1848)を教典とするカルト信仰からの思いつきで、「日本人から家族をとりあげ『家族のない社会』に改造する」ためのステップだ。共産党宣言にはこうある-「家族の廃止!……我々は両親の小児に対する搾取を廃止しようとする。〔親による教育の禁止は〕……〔子どもの〕教育を支配階級の影響からひき離すにすぎない」(p.14)。

 ・「子育て支援」とは<国家こそが子育ての主体>、<親は産んだ瞬間に役割を終える>等の狂気のイデオロギーによる共産党の造語だ。かかる施策が立法・行政に闖入したのは「自由社会では日本のたった一カ国」。類似の政策は①レーニンによる家族解体の狂策(但し1936年頃廃止)、②金日成・北朝鮮の「子供の国家管理」の制度化(p.16)。

 ・「子育て支援」施策の異様さは「扶養控除」の廃止と連結していることで分かる。「扶養控除」は<親が子供を育てる>を大前提として、親に対して国家が減税により若干の協力をしようとするもの。一方の「子育て支援」思想は「家族=孤児院」とするイデオロギーだ。子供=孤児、親=孤児院の経営者に見立てている(p.17)。

 ・「子育て支援」の狂気は、ルソー(重度精神分裂症者・孤児)の『人間不平等起源論』・『エミール』を教典とし、それを盗作的に要約したマルクスら『共産党宣言』にもとづき、レーニンが実行したおぞましい歴史を21世紀の日本で再現しようとするもの。民主党のマニフェストの「子ども手当」の背後思想は日本共産党により大量出版された「子育て支援」文献を援用しており、民主党は「共産党のクローン」になっている(p.17-18)。

 まだまだ続くが、ここで止めておく。

 民主党の元来の「子ども手当」の思想は<所得制限>といったものに馴染まない(だからこそ結果としては一貫して所得制限は導入されていない)。両親の収入の多寡に応じた「社会福祉」という国家の<援助>とは異なる。「国家」こそが「子育て」の主体(子どもを家族・両親から早期に切り離す)というイデオロギーに支えられたワン・ステップ(一里塚)と位置づけられている、と考えられる。中川八洋の指摘は決して大げさなものとは思えない。

0994/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント2。

 中川八洋は刺激的な書物を多数刊行しているが、さすがに、全面的または基本的に支持する、とも言い難い。

 細かな紹介は省くが、中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の、例えばp.287の安倍晋三、大前研一、江口克彦、平山郁夫、山内昌之、川勝平太、中西輝政に対する罵倒または特定の党派性の決めつけは、詳しく具体的な根拠が示されているならばともかく、私がこれらの人々を基本的に信頼しているわけでは全くないにしても、にわかには信じ難い。

 つづくp.288には、安倍晋三が「マルキスト中西輝政をブレーンにしたのは、安部の思想軸に、(無意識にであれ)マルクス主義が根強く浸透しているから」だとの叙述もあるが、これに同感できるのはきわめて少数の者に限られるのではないか。もっとも、例えば、戦後<左翼>的「個人主義」・「自由主義」等々が(渡部昇一を含む)いわゆる<保守派>の面々に「無意識にであれ」浸透していないかどうかは、つねに自省・自己批判的克服が必要かと思われるが。

 より基本的な疑問は、中川の「保守主義」観にある。中川の、反共主義(・反極左・反フェミニズム等)、共産主義と闘争することこそ「保守」だとする議論には全面的と言っていいほど賛同する。そして、この点で曖昧さや弱さが日本の現在の<保守>にあるという指摘にも共感を覚えるところがある。この点は、のちにも具体的に論及していきたい。

 しかし、中川八洋の「保守主義」は、マルクス主義が外国産の思想(・イデオロギー)であるように、「英米」のバークやハミルトン等々を範とするやはり外国産のそれをモデルとしている。それを基準として日本の「保守」を論じるまたは批判するのは、自由ではあるものの、唯一の正しいまたは適切な立脚点だとはなおも思えない。

 日本には日本的な「保守主義」があってもよいのではないか。

 中川八洋によると、「保守主義の四哲人」はコーク→ハミルトン・バーク・ハイエクだ(p.310の図)。そして、レーガンはハミルトンとバークの、サッチャーはバークとハイエクの系譜上にある(同)。また、「八名の偉大な哲人や政治家」についても語り、コーク、バーク、ハミルトン、マンネルハイム、チャーチル、昭和天皇、レーガン、サッチャーの八人を挙げる(p.351)。

 昭和天皇は別として、中川の思考・思想の淵源が外国(英米)にあることは明らかであり、なぜ<英米の保守主義>を基礎または基準にしなければならないのかはじつは(私には)よく分からない。学ぶ必要はあるのは確かだろう。だが、中川のいう<英米の保守主義>をモデルにして日本で議論すべきことの不可避性は絶対的なものなのだろうか。

 外国人の名前を挙げてそれらに依拠することなく、中川八洋自身の独自の思想・考え方を展開することで十分ではないのか。その意味では明治期以来の<西洋かぶれ>の弊は中川にもあるように感じられる。

 また、以上と無関係でないだろうが、中川八洋が「保守」はつねに(必ず)「親米」で、「反米」は「(極左・)左翼」の特性だ、と断じる(p.361-2)のも、釈然としない。「親米」の意味の理解にもよるのかもしれないが、<保守>としても(論者によっては<保守>だからこそ?)「反米」的主張をせざるをえないこともあるのではあるまいか。

 このあたりは小泉構造改革の評価にも関連して、じつは現在のいわゆる<保守派>でも曖昧なところがある。また、「反米」よりも<反共>をこそ優先させるべきことは、中川八洋の主張のとおりだが。

 以上のような疑問はあるが、しかし、日本の<保守派>とされる論客、<保守派>とされる新聞や雑誌等は、中川八洋の議論・指摘をもう少しきちんととり上げて、批判を含む議論の俎上に乗せるべきだろう。さもないと、似たようなことをステレオタイプ的に言う、あるいはこう言っておけば(閉鎖的な日本の)<保守>論壇では安心だ、との風潮が、いっそう蔓延しそうに見える(かかる雰囲気があると私には感じられる)。

 中川八洋の主張・指摘の中には貴重な「玉」も多く含まれていて、「石」ばかりではないと思われる。<保守>派だと自認する者たちは、中川八洋とも真摯に向かい合うべきだろう。

0989/「リベラル=寛容=容共」という日本独特?の用法。

 〇欧米を旅していて感じることの一つは、日本ほどに<共産主義>勢力が強くない、ということだ。そのことで、日本にいるときとは違う安堵感、少なくともその点にかぎってはよりまともな環境の中にいるという感覚を味わえる。

 米国、英国、ドイツには共産党または「共産主義者」政党はない(確認しないがカナダ等々にも)。イタリアにはあったが党名変更し、実質も変わった。フランス共産党はかつて社会党とともにミッテラン大統領を誕生させた時代のような力をもたない(当時は、かかる社共共闘を日本の目標だと感じる者もいた)。世界でレーニン型組織原理をもつ共産党で残存しているのは、現存社会主義国家の共産党(労働党等)を除けば、日本とポルトガルだけだと言われている。

 いかに当面の目標は「民主主義」革命、「民主主義」の徹底であってもその先に明確に「社会主義(・共産主義)」を目指すことを謳う政党(日本共産党)が日本にあり、選挙で数百万の票を獲得して国会にも議席を有することは、<欧米基準>からするときわめて異常、異例であることを、日本人はどれほど知っているのだろうか。漠然とした意味であれ<欧米>をモデルにしたい人々は、皮肉っぽくいえば、(日本)共産党の廃絶も目指すべき方向の一つであることを自覚すべきだろう。

 歴史通3月号(ワック)の森口朗=桜井裕子「日教組をゾンビにした真犯人」(p.87-)での森口朗の諸発言は、全面的に賛同・納得はしないが、鋭い指摘を多く含んでいる。以下のような発言だ。

 ・(自民党は「日本型リベラル」だが)民主党・社民党・共産党は「もっと左」で、「座標軸がひどく左に偏っている」。民主党より「左」は、「世界標準からするとすでに破綻したものを信奉している」(p.93)。
 ・自民党よりもっと「右」の<保守政党>があり、それとリベラルな自民党による「二大政党」ならば世界標準に近い。

 ・日本に「共産主義」幻想がまだ残るのは、支える「利権」があるからだ。「知的といわれる学界やメディアが守旧化しているからだ」。「共産主義の間違い」を研究すれば「存在すら」できなくなる(p.94)。

 ・一方、残存する「共産主義」者・容共主義者は対外的に「共産主義者」だと公言できないので「共産主義に極めて寛容なリベラリズムを標榜せざるを得ない」。「共産主義に寛容であることがリベラルだ」という「日本独特のスタンス」が生じている(p.94)。

 この程度にしておく。現在の自民党=「リベラル」論には、「リベラル」の意味も含めて同感しているわけではない。

 「リベラル」には、米国流の主に「社会民主主義」志向という(米国民主党に近い)意味と、「自由主義」志向を強調する欧州的な意味があるともいわれる。英・独だと保守党やキリスト教民主同盟(CDU)の方が労働党や社民党よりも「リベラル」だということになるらしい。

 それはともかく、日本にはアメリカ流「リベラル」概念を輸入し、かつそれに<寛容>(思想の左右にこだわらない)という意味を与える傾向が強いように思われることはたしかだ。そして、自分は「リベラル」だということに誇りを持っているアカデミカー(学者・研究者)やマスメディア人(出版人・編集者を含む)も多いはずだが、その場合の「寛容」は「共産主義」・共産党に対しても「寛容」であること、つまりは結果としては<容共>になっていることを、自覚しておくべきだ。また、周囲の者は、「リベラル」を良い意味で使いたがる人々は「共産主義」者か「容共主義」者であることをきちんと見抜く必要があるだろう。森口の「共産主義に寛容であることがリベラルだ」という「日本独特のスタンス」がある、という指摘はまさにそのとおりだと感じる。

 何度か自己確認したように、読書備忘録という基本的スタンスで、まだしばらくは続けてみよう。

 西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)を今月に入ってかなり読んだ。渡部昇一・知的余生の方法(新潮新書、2010)は先日に夜と翌朝で全読了。いずれもコメントしたいことはあるが、ここに記入する時間的余裕がない。但し、前者にだけは、いつか言及したい。佐伯啓思、中川八洋の本についての言及が中途であることは意識している。

0988/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント1。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)、中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)はいずれも読んでいる。とりわけフランス革命やルソーについては、これらの本の影響を受けているかもしれない。

 これらの本についても感じることは、中川八洋は学術的な研究論文にして詳論すればそれぞれ数十本は書けるだろう、そしてその方が読者にはより説得的によく理解できるような内容を、きわめて簡潔に一冊の本にまとめてしまっている、ということだ。この人は、海外・国内のいずれの文献についても、(外国人の著についてはおそらくは英語のまたは英訳された原書で)すさまじいスピードで読み、理解できる能力をもつ人だと思われる。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)についても、ほぼ同様のことはいえるだろう。中川八洋のすべての本を読んできているならば少しは別かもしれないが、そうでないと、簡潔に言い切られている多数のことが、ふつうの?読者には容易には理解できないように思われる。それは、むろん、すでに紹介したように、「民族派(系)」の江藤淳・渡部昇一・西尾幹二等々は「保守」ではない、控えめに言っても「真正保守」ではない、という、中川ら(?)以外の者にとっては一般的ではない、独特の?見解・立場に立っていることにもよる。

 中川の上の著は「ハイパー・インフレと大増税」という副題をもち、「大不況」というメイン・タイトルをもつことから民主党の経済・財政政策批判の本との印象も生じるが、まるで異なる。「大不況」には「カタストロフィ」というフリガナがついていることからすると、<民主党による日本大崩壊(大破綻)>というのが基本的趣旨で、同時にそのような民主党政権誕生を許した自民党や<民族系>論者を批判することを目的としているように感じられる。その意味では<「民族派」(保守)大批判>というタイトルでも決して内容と大きく矛盾していないと思われる。

 にもかかわらず、実際のタイトルになっているのは、<「民族派」(保守)大批判>では売れない、<民主党批判>本なら売れる、という出版社・編集者の判断に従っているかにも見える。

 上のことはこの本の感想の第一ではまったくないが、中川八洋とて、<出版>そして<売文>業界という世俗と完全に無縁ではいられない、ということを示してもいるだろう。

 さて、中川八洋・民主党大不況(2010)への簡単なコメントはむつかしい。ここで触れられていることは、この欄であれこれと書いてきた多くのことに、あるいはマスメディアや多数の論者が議論してきた多くのことに関係している。

 とりあえずは二点だけ述べる。

 秋月瑛二の私見あるいはこの欄の基本的立場は昨年の7月に「あらためて基本的なこと」と題して書いたとおりだ。
 以下は一部のそのままの引用。 

 ・左右の対立あるいは<左翼>と<保守>の違いは、<容共>か<反共>かにある。<容共>とは、コミュニズムを信奉するか、あるいはそれを容認して、それと闘う気概を持たないことを意味する。<容共>と対立するのがもちろん<反共>で、<保守>とは<反共主義>に立つものでなければならない。コミュニズムを容認または放置してしまうのではなく、積極的に闘う気概をもつ立場こそが<保守>だ。
 ・米国との関係で、自立を説くことは誤ってはいない。<自主>憲法の制定も急がれる。その意味では<反米>ではある。だが、現在の最大の<溝>・<矛盾>は、コミュニズム(共産主義・社会主義)と<自由主義>(・資本主義)との間にある。<反共>をきちんと前提とするあるいは優先した<反米>でなければならない。<反共>を優先すべきであり、そのためには、米国や欧州諸国のほか韓国等の<反共>(・自由主義)諸国とも<手を組む>必要がある。以上のかぎりでは、つまり<反共>の立場を貫くためには、<親米>でもなければならない。
 ・日本と日本人は<反共>のかぎりで<親米>でありつつ、欧米とは異なる日本の独自性も意識しての<反米>(反欧米、反欧米近代)でもなければならない。そのような二重の基本的課題に直面していると現代日本は理解すべきものだ。

 こうした考え方からする中川八洋著に対する第一の感想は、<反共>主義の立場であること、<保守=反共>と完璧に理解すること、が鮮明で、他の多くの<保守>派とふつうは言われている人々の論調に比べて、共感するところ大だ、ということだ。

 述べたことがあるように、佐伯啓思の本は刺激的で思考誘発的で、かつ<西欧近代>への懐疑の必要性について教えられることが多い。だが、佐伯はコミュニズム(・共産主義)との対立は終わった、<社会主義対資本主義>という議論の立て方はもはや古い、というニュアンスが強く、結果として、現実の中国・北朝鮮に対する見方が甘くなっているのではないかという疑問も生じる。上記のような<親米>でも<反米>でもあるという立場は佐伯啓思の論じ方にも影響を受けているが、<反共>と<反米>のどちらをより優先させるべきか、と二者択一を迫られた場合、やはり<反共>(現実には反中国・反北朝鮮等)を選択すべきで、そのためには米国をも利用する(その限りでは<親米>になる)必要があると考えられる。そういう根本的な発想のレベルでは、佐伯啓思にはやや物足りなさも感じている。昨秋の尖閣問題の発生以降の佐伯の産経新聞紙上の論調は何となく元気がないと感じるのは、気のせいだろうか。

 櫻井よしこ渡部昇一がとの程度マルクス(・レーニン)主義を理解しているのかはかなり疑わしい。櫻井よしこはしきりと<反中国>の主張を書いていて、そのかぎりで<反共>だと言えると反論されそうだが、しかし、そのとおりではあるとしても、桜井の文章の中には、見事に、「共産主義」や「社会主義」という言葉が欠落している。

 櫻井よしこに限らず、中国について<中華思想>の国(・地域)だとか、日本と違う<王朝交代>の国(・地域)だとか、その<民族>性自体に対する批判は多く、桜井も含めて中国の帝国主義的(?)、覇権主義的(?)、領土拡張主義的(?)軍事力増大に対する懸念・批判は多く語られてきている。だが、中国の元紙幣には現在でも毛沢東の顔が印刷されているように、中国は毛沢東が初代の指導者であった中国共産党が支配する国家であり続けている。

 そして毛沢東・中国共産党はまぎれもなく、マルクス・レーニン(・スターリン)の思想的系譜をもっていること、中国は<現存する社会主義>国家であることを決して忘れてはいけない。その領土拡張主義的政策に大昔からの<中華思想>等をもって説明するのは本質を却って没却させるおそれなきにしもあらずだ。<中国的>な発展または変容を遂げていることを否定しないが、現在の中国は基本的にはなおもマルクス・レーニン(・スターリン)主義に依拠している国家だからこそ、日本にとっても害悪となる種々の問題を生じさせているのではないか。

 このマルクス主義(・共産主義・社会主義)自体の危険性への洞察・認識が櫻井よしこらにどの程度あるのかは疑わしいと感じている。田久保忠衛についても同じ。

 述べきれないが、以上のようなかぎりで、中川八洋の<民族系>批判は当たっている、と感じられるところがある。

 くり返すが、<ナショナリズム>を、あるいは<よき日本への回帰>を主張し称揚することだけでは<保守>とはいえないだろう。ナショナリスムに対する国際主義(グローバリズム、ボーダーレスの主張)に反対するだけでは<保守>とは言えないだろう。「グローバリズム」、朝日新聞の若宮啓文の好きな「ボーダー・レス」の主張の中に、ひっそりとかつ執拗に「共産主義」思想は生きていることをこそ、しっかりと見抜く必要がある。

 <万国の労働者団結せよ!>とのマルクスらの共産党宣言の末尾は、国家・国境・国籍を超えて<万国>のプロレタリアートは団結せよ、という主張であり、脱国家・ボーダーレスの主張をマルクス主義はもともと内包している。外国人参政権付与論も、上面は美しいかもしれない<多文化(・民族)共生>論もマルクス主義の延長線上にある。

 やや離れかけたが、<反共産主義>の鮮明さ、この点に中川八洋の特徴があり、この点は多くの論者が(ミクロな論点に過度にかかわることなく)共有すべきものだ、と考える。

 といって、中川八洋の主張を全面的に納得して読んだわけでもない。別の機会に書く。

0985/「民主主義」と「自由」の関係についての続き②。

 〇既に言及・紹介したのだったが、いずれも東京大学の教授だった宮沢俊義や横田喜三郎は、戦後当初の1950年代初めに、「自由」も「平等」も「民主主義」から、または「民主主義」と関連させて説明するような叙述をしていた。

 反復になるが、ある程度を再引用する。
 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1950年第1版、1954年改訂版、1973年新版)は結論的にこう書く。

 ・「自由主義も民主主義も、その狙いは同じ」。「いずれも一人一人の人間すべての価値の根底であるという立場に立って、できるだけ各個人の自由と幸福を確保することを理想とする主義」だ。

 これでは両者の差異がまるで分からないが、その前にはこうある。以下のごとく、「自由」保障のために「民主主義」が必要だ、と説明している。

 ・「自由主義」とは「個人の尊厳をみとめ、できるだけ各個人の自由、独立を尊重しようとする主義」あるいは「特に国家の権力が不当に個人の自由を侵すことを抑えようとする主義」のことだが、国家権力による個人の自由の不当な侵害を防止するには、「権力分立主義」のほか、「すべての国民みずからが直接または間接に、国の政治に参加すること」、「国家の権力が直接または間接に、国民の意思にもとづいて運用されること」が必要だ。このように国家が「運用されなければならないという原理」を、「特に、民主主義」という。
 横田喜三郎・民主主義の広い理解のために(河出書房・市民文庫、1951第一版)は、こう書いていた。

 ・「民主主義」とは、「社会的な」面では「すべての人に平等な機会を与え、平等なものとして扱う社会制度を、すべての人に広い言論や思想の自由を認める社会組織を」意味し、「政治的な」分野では、「人民主権」や「人民参政」の政治形態を意味する。もっとも、「人民主権」・「人民参政」は「結局においては、すべての人が平等だという思想」にもとづく。

 ここでは、上の宮沢俊義の叙述以上に、平等・自由・民主主義は(循環論証のごとく)分かち難く結びつけられている(こんな幼稚な?ことを書いていた横田喜三郎は、のちに最高裁判所長官になった)。

 今日までの社会科系教科書がどのように叙述しているかの確認・検討はしないが、日本において、「民主主義」は必ずしも正確または厳密には理解されないで、何らかの「よい価値」を含むようなイメージで使われてきたきらいがあると思われる。一流の(?)<保守派>(とされる)評論家にもそれは表れているわけだ。

 〇何回か(原注も含めて)言及・紹介したハイエクの「民主主義」・「自由主義」に関する叙述は、ハイエク・自由の条件(1960)の第一部・自由の価値の第7章「多数決の原則」の「1.自由主義と民主主義」、「2.民主主義は手段であって目的ではない」の中にある。

 これらに続くのは「3.人民主権」だ。

 余滴として記しておくが、この部分は、「教条的な民主主義者にとって決定的な概念は人民主権の概念」だと述べつつ(p.107)、「教条的民主主義者」の議論を批判している。

 ハイエクによると、例えば、この「人民主権」論によって、民主主義は「新しい恣意的権力を正当化するものになる」(p.107)、「もはや権力は人民の手中にあるのだからこれ以上その権力を制限する必要はない」と主張しはじめたときに「民主主義は煽動主義に堕落する」(p.151)。

 このような叙述は、原注には関係文献は示されていないが、フランス革命時の、辻村みよ子が今日でも選好する「プープル(人民)主権」論や、現実に生じていた<社会主義>国における(つまりレーニンらの)「民主主義」論を批判していると理解することが十分に可能だ。

 また、菅直人が言ったらしい言葉として伝えられている、<いったん議会でもって首相が選任されれば、(多数国民を「民主主義」的に代表する)議会の存続中は首相(→内閣)の<独裁>が保障される>という趣旨の<議院内閣制>の理解をも批判していることになるだろう(菅直人の「民主主義」理解については典拠も明確にしていつか言及したい)。

 ところで、横田喜三郎の書を紹介した上のエントリー(2009年)は、長尾龍一・憲法問題入門(ちくま新書、1997)のp.39~p.41の、こんな文章を紹介していた。

 ・民主主義=正義、非民主制=悪となったのは一九世紀以降の「価値観」で、そうすると「民主主義」というスローガンの奪い合いになる。この混乱を、(とくにロシア革命後の)マルクス主義は助長した。マルクス主義によれば、「封建的・ブルジョア的」意識をもつ民衆の教育・支配・強制が「真の民主主義」だ。未来世代の幸福のための、現在世代を犠牲にする「支配」だ。しかし、「未来社会」が「幻想」ならば、その支配は「幻想を信じる狂信者」による「抑圧」であり、これが「人民民主主義」と称されたものの「正体」だ。
 ・民主主義が「民衆による支配」(demo-cratia)だとすると、「支配」からの自由と対立する。「民衆」が全てを決定すると「自由な余地」はなくなる。レーニンやムッソリーニは、「民衆代表」と称する者による「徹底的な自由抑圧」を「徹底した民主主義」として正当化した。
 反復(再録)になったが、なかなか鋭い指摘ではないか。

 以上で、「民主主義」と「自由」の関係についての論及は終わり。

0984/ハイエク著による「民主主義」と「自由」の続き。

 〇ハイエク・自由の条件(The Constitution of Liberty)の原著初版は1960年に刊行されている。その時点でハイエクは、(この欄の前回に紹介したような)自由主義と民主主義の相違については「広く一致が見られる」と書いている(新版ハイエク全集第5巻p.104)。
 そこでの注(原注)でハイエクはオルテガの著(1937年。有名な、大衆の反逆(1932)ではない)を挙げ、オルテガの次を含む文章を引用している。

 ・「民主主義と自由主義は全く異なった二つの問題に対する二つの解答」だ。民主主義は「誰が公権力を行使すべきか」という問題に対する、自由主義は「公権力の範囲はどうあるべきか」あるいは「公権力…の限界はどうあるべきか」という問題に対する解答だ(p.227-8)。
 ハイエクは前回に引用した文章以外に、次のようにも書いている(p.106)。

 ・「民主主義の一般的擁護論がどれほど強くとも、民主主義は究極的あるいは絶対的価値ではなく、それが何を成し遂げるかによって判断されるべきものである。おそらくそれはある種の目的を達成するには最善の方法ではあろうが、目的それ自体ではない」。

 ここでの注(原注)には、次の二つの文章が引用されている。

 ・メイトランド(1911年)-「民主主義への道を自由への道と考えた人びとは、一時的な手段を究極の目的と誤解した」のだ。
 ・シュンペーター(1942年)-「民主主義は…決定に到達するためのある型の制度的装置であって、…一定の歴史的条件の下でそれが生み出すどんな決定にも関係なく、それ自体では目的となりえないもの」だ。

 民主主義にせよ「自由」にせよ、それら自体の意味についてハイエクを含めての種々の概念理解や議論があるだろうが、少なくとも前者は後者を「基本」とする、というような単純なものではないだろう。

 以上に挙げたのはすべて外国人の文章で、日本には日本的な「民主主義」や「自由」に関する議論や概念用法があってよいことを否定しないが、櫻井よしこのように簡単に記述して済むものではなかろう。
 〇注意を要するのは、戦後日本の当初において、「自由」も「平等」も「民主主義」から、または「民主主義」と関連させて説明するような、分かり易い(?)、一般国民を対象とする本が宮沢俊義や横田喜三郎によって書かれていたことだ。これらについては、すでに言及・紹介したことがある。
 (つづく)

0983/「自由」は「民主主義」の根本か-櫻井よしこ・月刊正論3月号。

 屋山太郎の名も表紙に掲げる月刊正論3月号(産経新聞社)は、第26回正論大賞受賞記念論文と銘打って、櫻井よしこ「国家としての大戦略を確立せよ」を掲載する。

 内容に大きなまたは基本的な異論はないが、インドも同じ立場に立つ「価値観外交」をせよ、そのための「憲法、法制度の改正」を急げ、というのが確立すべき「国家としての大戦略」だとの基本的趣旨のようで、新味はない。

 また、気になる部分もある。以下はその例。

 第一に、「日本人として、中国や韓国では勿論のこと、米国においてさえも時に感じる歴史認識の相違は、インドには存在しない」とある(p.61)。
 インドうんぬんを問題にしたいのではない。「米国においてさえも時に感じる歴史認識の相違」とは、アメリカに対して相当に甘い見方ではなかろうか。

 同じ月刊正論3月号の書評欄にアーミテージ=ナイ・日米同盟vs.中国・北朝鮮(文春新書)が採り上げられているが(この新書は未読)、紹介(・書評)者の島田洋一はこの本の中で、J・S・ナイ(クリントン政権CIA国家情報会議議長・国防次官補、ハーバード大学教授)は「2010年は民主党政権の閣僚は1人も靖国参拝をしていませんね。それはとても良いステップであり、重要だと思います」と述べていると紹介して「余計な」「アドバイス」だ(アーミテージは賢明にも沈黙を保っている)とコメントしている。

 これは一例だと思うが、かの戦争や東京裁判、首相靖国参拝等にかかわる米国と日本の間の「歴史認識の相違」は、少なくとも日本の<ナショリスト派保守>(と中川八洋の「民族派」との語を意識して呼んでおく)にとっては、「米国においてさえも時に感じる」というようなものではなく、より根本的なものがあるのではなかろうか。

 櫻井よしこは民主党閣僚が誰一人として靖国参拝をしなかったことを諒とし、「良いステップ」だと評価する評論家だったのだろうか。アメリカを含む(非中国・反中国の)<価値観外交>の重要性を説きたいがために、ここではアメリカの主流派的「歴史認識」への批判・警戒を薄めすぎているように見える。

 第二に、「民主主義の根本は人間の自由である。言論、思想信条の自由、信教の自由を含む基本的人権の確立である」とある(p.52)。

 中国の「民主主義」の観点からの「異質さ」を語る中で述べられている文章だが、この簡単な叙述には、率直に言って、非常に驚いた。

 「基本的」がつく「基本的人権」という語は欧米にはない日本的なもので同じ<価値観>の欧米諸国に普遍的なものではない(「人権」や「基本権」はある)、田母神俊雄が事実上免職された際に櫻井よしこ(や国家基本問題研究所)は「言論、思想信条の自由」のためにいかなる論陣を張ったのか、「シビリアン・コントロール」という概念の使い方に文句をつけていたが田母神俊雄を擁護しはしなかったのではないか、といった点は細かなこととして、今回はさて措くこととしよう。

 驚いたのは、「民主主義」と「自由」の関係に関する簡単な叙述だ。<「民主主義」の根本は「自由」だ>というように簡単に両者を関係づけるのは、「民主主義」や「自由」というものに対する深い洞察・知見のないことを暴露していると思われる。

 この両概念をどのような意味で用いようと自由勝手だとも言えるが、この両者は別次元のもので、どちらかがどちらかの「根本」にある、というような関係にはないのではないか。正論大賞受賞者ならばいま少し慎重な用語法をもってしてもよかったのではないか。

 より詳しくは(といってもこの欄に書く程度の長さだろうが)、別の機会に述べる。

0981/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」①真正保守と「民族系」。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋。
 ここで中川が書いていることが適切ならば、日本は「ほとんど絶望的」どころか、「絶望的」だ。

 かの戦争の理解についても多くの<保守>論者のそれとは異なる<中川史観>が日本の多数派になることはないだろう。<日本は(侵略戦争という)悪いことした>のではない、という多数派<保守>の歴史観(歴史認識)が日本全体での多数派になることすら疑わしい、と予測しているのだから。かつての歴史理解の差異はさておいても、将来の自主的(自立・武装の)憲法制定くらいでは多数派を形成できないだろうかとささやかに期待している程度にすぎないのだから。

 さっそく脱線しかかったが、中川八洋の主張・見解を基本的なところで支持するにはなお躊躇する。あれこれと苦言を呈してもいるが、多数派<保守>の影響下になおある、つまり中川から見れば誤った<思い込み>があるのかもしれない。しかし、少なくとも部分的には、中川の主張や指摘には首肯できるところがある。

 以下、コメントをできるだけ省く。

 最後の方の図表(p.363)は以下のとおり。

 中川はタテ軸を上の<反共or国家永続主義>と下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義>で分け、ヨコ軸を左の<アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>と右の<反アジア主義(親英米・脱亜)/倫理道徳重視>に分ける。

 四つの象限ができるが、左・かつ下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義+アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>が中川のいう「Ⅱ・極左」だ。中心に近いか端に近いかの差はあるが、文章化しにくいので割愛し、そこで挙げられている人名(固有名詞)は、①林房雄、②福田和也、③保田與重郎、④共産党、⑤近衛文麿、⑥白鳥敏夫、⑦河野洋平、⑧松本健一、⑨村山富市、⑩宮沢喜一〔番号はこの欄の紹介者〕。①~③は、ふつうは<保守派>と理解されているのではなかろうか。

 右・かつ上(反共or国家永続主義+反アジア主義(親英米・脱亜)が中川のいう「Ⅰ・真正保守」で、次の8人のみ(?)が挙げられている。①昭和天皇、②吉田茂、③中川八洋、④殖田俊吉、⑤福田恆存、⑥竹山道雄、⑦林健太郎、⑧磯田光一

 右・かつ下はなく、左・かつ上の<反共or国家永続主義+アジア主義(反英米)>が中川のいう「Ⅲ・民族系」だ。自民党のある議員集団について中川が「容共・ナショナリスト」と断じていた、その一群にあたるだろう。そして、①渡部昇一、②松平永芳、③小堀桂一郎、④江藤淳、⑤西尾幹二、が明示されている。

 このグループはふつう <保守派>とされており、上のごとく(たぶん②を除いて)その「大御所」ばかりだが、中川八洋によれば、「真正保守」ではない。図表によると「反英米」か「親英米」のうち、前者を中川は「真正保守」に反対するものと位置づけていることになる。

 西尾幹二と江藤淳は対立したこともあるが広くは同じグループ。櫻井よしこも、渡部昇一と現在ケンカしている小林よしのりも、おそらくはこの一群の中に位置づけられるのだろう。

 西部邁や佐伯啓思はどう扱われるのだろうか。この二人の<反米>ぶりからして、「真正保守」とは評価されないのだろう。

 佐伯啓思は保田與重郎らの「日本浪漫派(?)」に好意的に言及していたように記憶するので、ひょっとすれば、中川からすると「極左」かもしれない。佐伯は親共産主義をむろん明言してはいないが、「反共」主張の弱いことはたしかだ。その反米性・ナショナリズムは「左翼」と通底するところもある旨をこの欄に書いたこともある(佐伯啓思が自らを「親米」でもある旨を書いていることは紹介している)。

 以上は、冒頭に記したように、中川の整理を支持して紹介したものではない。だが、少なくとも、思考訓練の刺激または素材にはなりそうだ。

 一回で終えるつもりだったが、ある頁の表への論及だけでここまでになった。余裕があれば、さらに続ける。

0980/自民党は「民族系・容共ナショナリズム」-中川八洋・民主党大不況(2010)から③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.300以下の適宜の紹介。逐一のコメントは省く。

 ・細川・村山「左翼」政権は二年半にすぎず、自民党が「保守への回帰」をしておけば「自由社会・日本」の正常路線に戻ることは可能だった。だが、自民党は村山「左翼」路線を継承し、「日本の左傾化・左翼化」は不可逆点を超えた。2009年8月の自民党転落(民主党政権誕生)は、自民党が主導した「日本国民の左傾化」による、同党を支える「保守基盤」の溶解による。「マスメディアの煽動や情報操作も大きい」が、橋本以降の自民党政権自体こそが決定的だった(p.300-1)
 ・自民党内の「真・保守政策研究会」(2007.12設立)には①~⑦〔前回のこの欄に紹介〕の知識がない。①の「マルクス・レーニン主義」すら「非マルクス用語に転換」しているので、知識がなければ見抜けず、民主党が「革命イデオロギーの革命政党」であることの認識すらない(p.312)。
 ・彼ら(同上)が理解できるのは、①外国人参政権、②人権保護法、③夫婦別姓がやっとで、1.①「男女共同参画社会」、②「少子化社会対策」、③「次世代育成」、④「子育て支援」が共産主義(「共産党」)用語であることを知らない。2.「貧困」・「派遣村」キャンペーンの自民党つぶしの「革命」運動性を理解できず、3.過剰なCO2削減規制が、日本の大企業つぶし・その「国有化」狙いであることも理解できず、4.「地方分権」が「日本解体・日本廃絶の革命運動」であることも理解できない(p.312-3)。

 ・彼ら、「民族系自民党議員」は正確には「容共ナショナリスト」で、チャーチル、レーガンらの「反共愛国者」・「保守主義者」とは「一五〇度ほど相違」する。自民党が英国のサッチャー保守党のごとき「真正の保守政党になる日は決してこない」。それは自民党ではなく「日本の悲劇」だ(p.313)。

 今回は以上。西部邁の言葉を借りれば、日本について「ほとんど絶望的になる」。

 中川八洋によれば、安倍晋三の「極左係数」は「98%」で(p.295)、明言はないが、平沼赳夫も「真正保守」ではなく「民族系」に分類されるはずだ。安倍晋三についての評価は厳しすぎるように感じるが、平沼赳夫の-そして「たちあがれ日本」の-主張・見解がけっこう<リベラル>で、<反共>が鮮明でないことを、最近に若干の文献を読んで感じてもいる。

 ナショナリズム(あるいは「ナショナル」なものの強調)だけでは「保守」とは言えない。反共産主義(=反コミュニズム)こそが「保守」主義の神髄であり、第一の基軸だ、という点では中川八洋に共感する。
 さらに、機会をみて、中川八洋の本の紹介等は、続ける。

0979/「透明な共産主義」の蔓延-中川八洋・民主党大不況(2010)による②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は1週間ほど前に全読了。
 第八章の自民党批判(または批判的分析)の中の同党や同党幹部の「極左」扱いにはさすがに首を傾げる。櫻井よしこの「谷垣自民党」と民主党の「同根同類」論または<同質性が高い>論をはるかに超えて、自民党を「リベラル」以上に「左翼」政党視している。だが、同質論を強調しているわけではなく、中川によると、民主党はすっぽり全体が<極左>そのものなのだろう。

 中川八洋によると、「保守主義」とは「全体主義とアナーキズムの極左思想を祖国から排除すべく、剣を抜く戦闘的イデオロギー」だ(p.308)。あるいはまた、具体的には「反マルクス・レーニン主義」・「反ルーマン(社会学)」・「反フェミニズム」・「反ポスト・モダン主義」・「反ポスト・コロニアリズム」だ(p.311)。

 中川の論調にはついて行けないところがあるとはいえ、かかる反共主義・反コミュニズムという立場の鮮明さが、中国やアメリカとの関係での<ナショナリズム>の強調をむしろ主眼としているように読めなくはない<保守派>論者たちと比較しての中川の特長だ。その点は、「共産革命の脅威は、ソ連崩壊とともに日本から消えた」(p.304)と錯覚して、その旨を主張し、誤った幻想をふり撒いているかにも見える論者たちよりも明確に支持されるべきだ。

 中川が言うように、「日本の共産革命勢力」は、ソ連崩壊の頃(1991年末)より、「言葉を変え、まとう衣装を変え、従来のマクロな革命手法を、ミクロ的作戦を多く乱立させる戦術に変えた」のだろうと思われる。中川はこれを「透明な共産主義」と称している(p.304)

 日本共産党の国会獲得議席はたしかに減少し続けている(ついでに社民党もそうだ)。しかし、そのことをもって、「左翼」は弱体化していると見るのは大間違いだ。コミュニズム、マルクス主義あるいは「左翼」は、民主党等に影響を与え、あるいは浸透しているのであり(自民党もその影響の例外ではない)、戦後日本の主流的思潮の<平和と民主主義・合理主義・進歩主義>の中で、執拗かつ強靱にコミュニズム、マルクス主義(共産主義・社会主義)イデオロギーが根を張っている、ということを知っておく必要がある。その点でも、やや大げさに感じなくはなくとも、中川八洋の指摘・主張は基本的には正当と思われ、耳を傾けるべきだ。

 中川は、1992年以降の「共産革命の戦術」を大きく四つに分け、それぞれの具体的政策も挙げている。以下のとおり(p.304-6)。これらは「日本共産党」系のものとされ、他に大きくは二つあるが、今回は省略。

 A・マルクス/エンゲルス/レーニンの家族解体を実践する革命>①夫婦別姓→民法改悪・②子育て支援→少子化対策基本法・次世代育成支援対策推進法・子ども手当の支給・保育園の聖性化など。
 B・子どもの人格を「共産主義的な人間」に改造する革命>①ジェンダー・フリー教育・②性教育。

 C・共産革命にとって最大の障害である日本の伝統と慣習を全面的に破壊する革命>①男女共同参画社会基本法・②女系天皇への皇室典範の改悪。

 D・自由社会の生命で根幹たる「法の支配」を破壊する革命>①裁判員法〔ここは①のみ〕。

 また、中川八洋は、「主要な極左イデオロギー」に次の七つがあるとし、すべてに対して思想闘争をするのが「保守主義」だとする。心ある<保守派>は、けっして次の①のみではないことをしっかりと意識しておく必要がある、と考えられる。なお、→は分化または派生関係を示している。

 ①マルクス・レーニン主義→②ラディカル・フェミニズム、①→③性差破壊のフェミニズム、①→④フランクフルト学派社会学+知識社会学+ルーマン、①→⑤ポスト・モダン思想、⑤→⑥生殖放棄のセックス・サイボーグ化フェミニズム、⑤→⑦ポスト・コロニアリズム
 別の機会に、あらためて、このあたりについては紹介・言及する。
 不思議に思うのは、中川八洋が自らを「たった一人の(日本人)保守主義者」と理解している(p.351~)ことの当否は別としても、産経新聞や月刊正論、月刊WiLL等々の書評欄または新刊書紹介欄等で、中川八洋の本はほとんど無視されているように思われることだ。かりに中川八洋に論考執筆を求めることはしなくとも、この人の本(他にもある)を紹介し、書評くらいしたらどうなのか。

 なるほど、産経新聞やワックの基本的な論調とは異なるところはあるのだろう。しかし、産経新聞的(?)保守、あるいは中川のいう「民族系」論者に対する中川の批判を無視することなく、疑問だと思えばきちんと反論したらどうなのだろうか。

 中川の本からは、間接的に<保守>論壇の奇妙なところも感じさせられる。<保守>論壇が、そこそこの収益をもたらす、自己満足の<売文業界>に堕してはならないだろう。

0963/近代(ブルジョア)民主主義よりも「進歩的」な(はずの)「社会主義国」の民主主義。

 ある程度は知識のあることだが、レーニンの書いたもの(の一部)を読んでいると、マルクス・レーニン主義における「民主主義」論にあらためて関心をもたされる。ギリシャ・ローマ時代の「民主主義」ではない。近代国家(ブルジョア民主主義国家)やレーニンらにおける「革命」との間の、「民主主義」なるものの意味だ。

 レーニン「国家と革命」(1917)の目次からすると、「民主主義」に関するまとまった叙述は以下に限られるようだ(レーニン10巻選集第8巻p.77-80による)。
 ・マルクス「ゴータ綱領批判」(1875)でマルクスは、資本主義社会と社会主義社会の間の「政治上の過渡期」である「プロレタリアートの革命的独裁」について語った。この「独裁」と「民主主義」との関係はいかなるものか? マルクス=エンゲルス「共産党宣言」では、プロレタリアートの支配階級化と「民主主義をたたかいとること」は二つの概念として並置されていたにとどまる。

 ・最も順調に発展した資本主義社会では「民主的共和制」という「多少とも完全な民主主義」があるが、これは、実質的には少数者・「有産階級」・「金持ち」のためだけの「民主主義」だ。「窮乏と貧困」にある住民の多数者は「民主主義どころではなく」、「公共生活、政治生活への参加」から排除されている。

 ・「資本主義的民主主義」・「骨の髄まで偽善的で、いつわりの民主主義」から「ますます広い民主主義」へと単純に発展するわけではない。「プロレタリアートの独裁」を通じてのみ共産主義社会へと発展する。

 ・「プロレタリアートの独裁」は「民主主義の拡大」をもたらすだけではない。それは「金持ちのための民主主義」ではない「人民のための」・「貧乏人のための民主主義」にならせるが、同時に、「抑圧者、搾取者、資本家に対して一連の自由の例外を設ける」。われわれは彼らを「抑圧しなければならず、彼らの反抗を暴力によって打ち砕かなければならない」。
 ・「人民の大多数のための民主主義と、人民の搾取者、抑圧者にたいする暴力による抑圧、すなわち民主主義からのその排除――これが、資本主義から共産主義への過渡にさいして民主主義がこうむる形態変化である」。
 ・資本主義社会にあるのは「制限された、かたわな、にせものの民主主義」・「金持ちだけのため、少数者のためだけの民主主義」だが、「プロレタリアートの独裁」がはじめて、「少数者、搾取者にたいする抑圧」とともに、「人民のため、多数者のための民主主義をもたらすであろう」。「ただひとつ共産主義だけが、ほんとうに完全な民主主義をもたらすことができる」。
 以上、マルクス主義についての知識のある者には常識的なことだが、実際の社会主義国(ソ連、中国、北朝鮮)における民主主義の「実態」は別として、マルクス・レーニン「主義」における「民主主義」は資本主義国家のそれよりも<広い・進んだ・完全な>ものなのだ。

 平野義太郎編・レーニン/国家・法律と革命(大月書店、1967)によると、マルクス・レーニズムにおける「民主主義」論が上よりもより豊富に、多様な概念をともなって語られている。以下、適当に抜粋する。

 ・「ブルジョア民主主義革命」は「プロレタリア的、すなわち社会主義的な革命」へと「成長転化」する。「ソヴェト体制」は一革命が他革命に転化するのを確証するものであり、「労働者と農民のための民主主義の極致である」。同時にそれは、「ブルジョア民主主義との断絶」を意味し、「プロレタリア民主主義、あるいは、プロレタリアートの独裁の発生を意味する」(p.400、1921)。
 ・「権力をソヴェトへ」とは「旧国家機構全体」・「民主主義的なものを、いっさい阻止するこの官僚機構」を、「徹底的に改造する」ことであり、この機構を除去して、「新しい、人民的に真に民主主義的なソヴェト機構に代える」ということだ(p.164、1917)。

 ・こんにちのロシアでは二つの異なる社会戦争が行われている。一つは「民主主義のための」・「人民専制のための全人民的闘争」で、もう一つは「社会主義的社会組織のための、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの階級闘争」だ。社会主義者は、これら二つを同時に行う。「プロレタリアートが民主主義革命に参加する…任務を蔑視して」。「プロレタリアートと農民の革命的民主的独裁というスローガンを避ける」のは「愚か」であり「反動的」だ(p.80、1905)。

 他にもあるが、これくらいにしておく。
 ロシア革命の展開時期によって重点や用語は同一ではないが、大まかにいってつぎのような「理論」または概念用法のあることは明らかだろう。

 コミュニズム(マルクス・レーニン主義)において「民主主義」には二種がある。「ブルジョア民主主義」と「新しい、人民的に真」の「民主主義」または「プロレタリア民主主義」だ。後者こそが「完全な」民主主義だとされる(そして共産主義社会の完成=国家の消滅とともに民主主義も死滅するとされる)。但し、労働者大衆(プロレタリアート)は「ブルジョア民主主義」を目指す「民主主義革命」にも参加し、「革命的民主主義的独裁」=「プロレタリア独裁」を経て「完全な」・「プロレタリア民主主義」をもつ共産主義へと発展する。

 日本共産党が「自由と民主主義」の徹底を主張し、「真の民主主義」という言葉を使うことがあるのは元来のマルクス・レーニン主義と何ら矛盾していない。講座派マルクス主義によれば、日本はまだ「(真の)民主主義革命」を経験しておらず、「民主主義革命」と「社会主義革命」の二つの段階の「革命」を今後経なければならない(なお、「ブロレタリア独裁」は「人民の執権(ディクタトゥーア)」とかに訳語(?)変更しているはずだ)。

 また、旧東ドイツの正式名称、旧北ベトナムの正式名称が<ドイツ民主共和国>、<ベトナム民主共和国>であったのも、北朝鮮の正式名称が<朝鮮民主主義人民共和国>であるのも、不思議ではない。

 「実態」ではなく「理論」・「理念」のレベルでは、社会主義国の「民主主義」は資本主義国の(ブルジョア)民主主義よりも「進んだ」(進歩的な)ものだとされていることに注意しておく必要がある。

 いささか単純化しすぎかもしれないが、辻村みよ子が対比させる「国民(ナシオン)主権」と「人民(プープル)主権」は、<ブルジョア民主主義>と<プープル=人民の民主主義>の対比とほぼ同じなのではないか。辻村みよ子に看取できる<プープル主権>への憧憬は、<社会主義への憧憬>でもあるのではないか?

 さて、最近に紹介したように(12/22エントリー参照)、佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版)は、「冷戦以降」(ソ連崩壊後)の「最も進歩主義的な」国はアメリカ(合衆国)になった、と論定している。これは適切だろうか。

 「社会主義」国がまだ残存しているとすれば、資本主義国・アメリカよりも、あくまでマルクス・レーニン主義によるとだが、その現存「社会主義」国の方が、<より進んだ>・<より進歩的な>国なのではないか。この点でも、佐伯啓思の論定にはにわかに賛同することができない。

 だが、それをアメリカだとしたうえでの佐伯啓思の論述自体は日本の「保守(主義)」にとって興味深いものなので、紹介・コメントはつづける。

0951/日本の社会系学者・研究者を覆う「欧米的進歩主義(・合理主義)」・「社会主義幻想」。

 一 隔月刊の歴史通1月号(ワック)で、北村稔(立命大)がこう発言している。

 「不思議なのは、中国近現代の研究者の多くが、中国を批判的に研究しようとしないこと…。社会主義の中国が好きで中国研究者になったものだから、なんでも好意的に解釈をするし、いまだに社会主義は資本主義より一段高いと思い込んでいるふしがある。そういう社会主義幻想にとり憑かれたスタンスを変えて、…共産党独裁の凄まじい現実を見据えた客観的・批判的な研究をするべきだと思う…が、そういう人が少ない」(p.67)。

 これによると、「中国近現代」の専門的研究者はいるらしいが、「多くは」いまだに「社会主義幻想」に取り憑かれていて客観的・批判的研究をしていない。

 おそるべき「中国近現代(史)」学界の現実だ。

 これでは、中国の<社会主義的市場経済>なるものの、きちんとした経済学的、社会科学的(?)分析はおそらくほとんどないのだろう。

 極論すれば、日本共産党員研究者に、日本共産党それ自体(の歴史)についての、彼等のいう「社会科学」的研究を求めるようなものかもしれない。いつか、日本共産党自体の<科学的社会主義>の観点からする自己分析をせよ、と日本共産党員学者には言ってみたいものだ。いや、そんなものはなされている、各回の党大会報告、中央委員会報告がそれに当たる、と反論されるのだろうか。

 日本の「社会科学」的、歴史的、近現代史研究の対象の大きな欠損は、日本共産党それ自体だ。

 二 なぜか、佐伯啓思西部邁西尾幹二も、日本共産党についての具体的・詳細な批判はしていないようでもある。ついでに、櫻井よしこも。当たり前のことで指摘する必要はないということかもしれないが、日本「共産」党は、日本ではまだ立派な<公党>であり、党員のみならず知的職業者(大学教員等)に対して、なお隠然たる影響力を持っている。

 佐伯啓思は上の隔月刊歴史通1月号(ワック)の書評中で、こう書いている。

 自分のように「社会科学を専攻しており、しかも、その入口でマルクス主義だの戦後進歩主義だのという六〇年代末の思潮的風潮の洗礼を受けたとなると、なかなかひとつの思い込みから脱することは難しい。それは、西欧近代は、中世・封建制を打倒して、人間の普遍的な自由を打ち出したという歴史観…。そして、日本は、…明治に西欧的近代を導入し、…戦後に改めて自由と民主主義を確立した、あるいはアメリカから『配給』された、というものだ」(p.164)。

 佐伯啓思ですらこう書いているのだから、「マルクス主義だの戦後民主主義だのという」思潮の洗礼を受けた「社会科学」専攻者の中には、上にいう「思い込みから脱する」ことができていない者が<いまだに>相当の数にのぼるほどにいることが想定される。

 佐伯は「マルクス主義」・「戦後進歩主義」という語を使っているが、これらは北村のいう(私も使っている)「社会主義幻想」(にとり憑かれること)とほぼ同じか近い意味のはずだ。

 ソ連崩壊後ほぼ20年。日本共産党が後づけでソ連は「真の社会主義国」ではなかったと主張したことが影響しているのかどうか、欧州における冷戦終了・社会主義の敗北の明瞭化のあとでもなお、日本の社会系「学界」はこの有り様なのだ。

 佐伯啓思自身が、上のあとでこう続けている。

 今日ではかかる単純な図式を描いている者は「ほとんどいまい」が、「それでも、大半の研究者は、仮に意識しないとしても、漠然とこのような見取り図を脳裏に隠し持っている」(p.164)。

 こうした、<社会>系研究者を覆っている空気のような意識が(教科書等を通じて)高校・中学の社会系教師たちに影響を与えないはずはなく、彼らの講義を聴いて単位を取って卒業して公務員やマスコミ社員(・出版社員)等々になっていく学生たちに何らかの影響を与えていないはずもなく、かくして、「マルクス主義」・「戦後進歩主義」(→欧米的「自由と民主主義」)・「社会主義幻想」に何となくであれ覆われた日本は、ますます<衰亡していく>。

0928/黒宮一太の「国民」と辻村みよ子の「市民」(外国人参政権付与論)。

 「法的側面からみれば」と限定して言っているが、<ふつうは>、黒宮一太の言うとおり、「国民」とは「国籍保持者」のことを指す。黒宮がより厳密に示す、「国民」とは「近代国家の統治に参与して主権を構成する集団、または主権者によって統治される集団」という説明も、下記の辻村みよ子からすれば「主権」概念の厳密さが問われうる(なぜなら上の説明では「国民」は「主権者」であるとともに「主権者」による被統治者でもあることになる。おかしくはないか? もう少し説明が要るのではないか?)が、大まかにはそのとおりだろう。以上、佐伯啓思=柴山桂太編・現代社会論のキーワード(ナカニシヤ出版、2009)p.91。

 上のことよりも、黒宮の以下の叙述は、よく分かる。

 ・「誰に国籍が付与されるか」を考えると、「多くの場合、諸国家の歴史的・文化的条件が加味されている」。「国民」を「純粋に法的・政治的側面からのみ規定することはできない」。それは「歴史性や文化的特質をともなった共属意識をもつもの」と考えておくべきだ。(上掲書p.91)

 「多くの場合」との限定つきだが、このような「国民」概念に付着しているはずの「諸国家の歴史的・文化的条件」や意識の「歴史性や文化的特質」を無視して、あるいは正確にはそのゆえにこそそれを嫌って、「市民」概念を使い、「国民主権」ではない「市民主権」の可能性を探り、主張しているのが、辻村みよ子・市民主権の可能性―21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー(有信堂、2002。索引等を除き全295頁)だ。

 東北大学教授の辻村は、上の著のかなりの部分を<外国人参政権>問題にあて、いわゆる「許容」説をも超えた「要請」説を主張する。そして、外国人への地方(この人にとっては国もだが)参政権付与の憲法解釈論的根拠をかなり詳細に述べている。

 民主党あるいは社民党の中に多数いると思われる<付与>積極論者の理論的支柱になっているのではないかと思われる。福島みずほや千葉景子等の女性弁護士たち等々の、とくに<女性活動家>たちは、おそらくはこの本を所持して、おそらくは熟読しているだろう。

 辻村みよ子の論旨の特徴は、一口でいって、「国家」という概念が使われていても、<日本>の「歴史的・文化的条件」はまったく無視されていることだ。見事に欠落している。怖ろしいほどだ。

 「日本」の特性あるいはその「歴史的・文化的条件」を考慮することは<ナショナリズム>に傾斜することで、回避しなければならない、という強い<思い込み>(一種の<信仰>に他ならない)があるとしか思えない。

 辻村の憲法解釈によると、日本国憲法15条の「国民」は<国籍保持者>を意味しない。これは一例だが、外国人参政権付与に反対の論者たちは、この辻村みよ子の「理論」または「憲法解釈論」をも、<理屈>の上であるいは「説得の仕方」のレベルで、克服しなければならないだろう。少なくともこの本の議論を凌がないと、外国人参政権付与論は消失しないだろうと思われる。十分に止目しておくべき(危険な)書物だ。

 なお、先だって遠藤浩一の2001の本に依拠して紹介した菅直人の(「国家」観および)「市民」観と辻村みよ子のそれはかなり親近性・近似性がある。

 菅直人は「天皇」は尊敬はするが「ぼくのイメージの中の国家とはまったく別だ」と言い放っていた。「天皇」を無視して日本の歴史・文化を、そして日本「国家」を語りうるのだろうか? また、いわば自然発生的(土着的?)な「日本」への帰属意識とは離れた「思考タイプ」を持つものこそが「市民」だとも言っていた(10/26のエントリー参照)。

 政治学者・松下圭一に限らず、コミュニズムに親近的な、または結局はそれを容認することにつながる「左翼」論者は、しっかりと学界の中に多数いて、社民党や民主党内「左翼」を支え、指導していることを忘れてはならない。

0918/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)は民主党の「日本を外国に売り渡す」政策も語る。

 一 民主党政権になった一年余前、<左翼(=容共)・売国>政権だとこの欄で位置づけた。朝日新聞が嫌いなはずの、鳩山・小沢・輿石三人の「談合」の結果としての菅直人への(総選挙を経ない)政権「たらい回し」ののちには、この欄で<本格的「左翼」政権>誕生、と書いた。

 菅・民主党政権の具体的なことに言及するのは精神衛生に悪いので、極力書かないようにはしている。

 仙石由人官房長官はかつて日韓基本条約(1965年)締結に対する反対運動をしていた社会党系活動家で、のちに社会党から国会議員になった筈だから、社会党の党是、すなわち「社会主義への道」を少なくともかつては信奉していたはずだ。現に(おぞましき)「社会主義」の道を共産党・労働党指導のもとで歩んでいるらしい中華人民共和国や北朝鮮に、仙石が<甘く・優しく>ならないわけがない。

 拘禁後の中国人(船長?)釈放は、菅→仙石(または仙石→菅→仙石)→某法相→最高検総長→那覇地検という<事実上の>上意下達の結果であることはほぼ明らかだ。地検の<自主的な>判断という大嘘は当然に<卑怯だ>(検察一体の原則からして、もともと最高検が諒解していたかその指示によるかのどちらかであることは法制度上少なくとも明確で、那覇地検かぎりでの判断などはありえない)。

 田嶋陽子(かつて国会議員)らと「従軍慰安婦」個人補償法案を提案し、ソウルで韓国人運動家たちとともに日本大使館に向かって拳を突き上げた岡崎トミ子が国家公安委員会委員長(国務大臣)なのだから、呆れて大笑いしたくなるほどの、ブラック・ジョークのような現菅直人内閣だ。

 かかる「左翼・反日」政権とそのもとでの生活への<嫌悪に耐えて>、生きていかねばならないとは…。

 二 佐伯啓思・日本という「価値」(2010、NTT出版)は、民主党政権の<売国(・反日)>性をこの人にしては明瞭に語っている(以下の初出は2010年1月)。

 佐伯いわく-民主党の基本政策は「対米依存からの脱却」、「市場原理主義的な経済自由主義の見直し」、「土建型公共事業による経済成長」から「福祉に軸足を置いた生活中心社会への転換」で、これらに「特に異論はない」。だが一方でこの政権は①「二酸化炭素」25%削減を国際公約にし、②「外国人参政権」を認めようとし、③「夫婦別姓」も打ち出している。/「こうなるとよくわからなくなる」。「対米依存からの脱却」・「新自由主義路線の修正」は「国家の自立性を高める」という意図をもつ筈だが、他方で、「外国人参政権」を唱え、「聞こえのよい国際公約」を行って、「小々大げさにいえば」、「日本を外国に売り渡す」類の政策を促進する。「一体これらがどのような関係にあるのか」、マスメディアを含めて誰も問題にしていない(p.146-7)。

 佐伯は続ける-この「支離滅裂」は「国家や国民の捉え方の曖昧さ」が生んでいる。叙上のような基本政策は結構だが、その種のことを唱えるには、①「日本という国家の防衛をいかに行うのか」、②「経済成長に代わる価値観をどうするのか」、③「日本社会の将来像をどのように描くのか」、という「国家像がなければならない」。しかも、「相当な国民的な結束」が不可欠だ。「国家像」を描き、それを実現するためには「国民の道徳的な力」が必要なのだ。なぜ、「そのことを言わないのか」。言わないがために「政策に厚みがなく、他方で、『日本を外国に売り渡す』類の政策が平然と」行われる。民主党の政策は「ご都合主義的でファッショナブルなものへの追従かその羅列に過ぎない」ように見える。政策の背景にあるのは「幾分のサヨク・リベラル路線」をとっての「世論の流れと時代状況への追従」の「終始」ではないか(p.147-8)。

 佐伯啓思は私よりも民主党の具体的政策をよく知っていそうだから、あえて異は唱えない。おそらくは昨年末に書かれた文章にしては、民主党の<脆うさ>を、適確に指摘していると思われる。

 但し、民主党全体を評価するにしても、「サヨク・リベラル」と性格づけるのは(p.118も)、「リベラル」の意味が問題にはなるが、やや甘いかもしれない。

 にもかかわらず、「新自由主義路線」が<対米依存>でその「見直し」は「国家の自立性を高める」ことを意味するはずだということも含意しての、佐伯啓思による明確な、民主党政権の<売国性>の指摘は重要だろう。佐伯は8月の<菅談話>も一例として挙げるだろうか。

 なお、菅直人内閣についても、櫻井よしこ等の保守論者は「国家観なき…」とか「国家観のない」と(お題目のように?)言って批判することが多いが、彼ら民主党の要人たちにも何らかの「国家観」はあるのであり、ないのは、佐伯が上に指摘するような、具体的な「国家像」だ、と考えられる。

 仙石や菅らは(そして、その他の仲間たち諸々は)、<国家なんて本当はなくてよいのだ>、<国家意識を過分にもつことは危険だ>、等々の「国家観」を持っているように思われる。対立は、<国家観>の有無・存否ではなく、<どのような国家観をもつか(そしてどのように日本の将来像を描くか)、というその内容にある、のではないか。

0914/ルソーの民主主義・「人民主権」と佐伯啓思・表現者32号。

 一 佐伯啓思「『民主党革命』はあったのか」隔月刊・表現者32号(2010.09、ジョルダン)はかなり前にすでに読んだ。

 民主主義・国民主権そしてルソーにつき、関心を惹いた叙述がある。佐伯啓思は、以下のように述べる(p.62-63)。

 ・戦後日本には「民主主義」の誤解、「民主主義」=「国民主権」=「国民の意思が政治に直接反映するもの」という「思い込み」がある。
 ・かかる「おそらくはルソーの人民主権論に由来すると思われる民主主義理解は、実はルソー自身さえも決して支持するものではなく」、ルソーは「主権者」=人民と、政治的意思決定を下す「統治者」を区別しており、後者は「人民そのもの」ではない。
 ・「主権者」と「統治者」を一致させようとすれば「民主制は全体主義へと転化する」。「国民の意思」=「すべての国民に共有された意思」=ルソーにいう「一般意思」なので、「国民主権」のもとで決定されて明示された「国民の意思」に「誰も逆らうことはできない」し、「逆らう者がいるはずがない」からだ。いるとすれば、それは「国民」ではない。

 ・「民主主義」が「政治的たりうる」には「国民主権」との「一定の距離」が必要で、「政治」と「世論」の間の「適切な距離感こそが政治感覚」だ。民主党はこの「距離感を見失った」。いやむしろ、「距離感」を放棄して「政治」を「国民主権」に「寄り添う」ようにさせた。「主権者」と「統治者」をできるだけ一致させようとした。

 このあとの民主党分析・批判も興味深いが、さて措く。

 二 ルソーの真意だったか否かはともかく、ルソーの「プープル(人民)主権」論は社会主義あるいは「全体主義」と親和的だとの批判または分析はこれまでもあった。

 一例がかつてこの欄で言及したことのある、中川八洋・正統の哲学・異端の思想―「人権」・「平等」・「民主」の禍毒(1996、徳間書店)だ。

 中川の叙述を大幅に簡潔化すると、中川によれば、ルソー→<フランス革命>(ロベスピエール)→ヘーゲル→マルクス→レーニン→<ロシア革命>という系譜が語られうる。また、ロベスピエールらのジャコバン党の教義が「マルクス・レーニン主義」の「原型」、ルソーらの思想こそが「フランス革命の暴力/破壊/独裁の源泉」で、「マルクス・レーニン主義」とは「ルソー・ロベスピエール主義」の「二番煎じの模倣」とされる。

 ルソー・社会契約論で示されたらしきいわゆる「プープル(人民)主権」論は、どこかに「全体主義」と通底させる<トリック>を潜ませている、と想定している。上の佐伯啓思論稿は吟味が必要であることを示唆してはいるが。

 抜粋になるが、中川のルソーの文章の一部を使った叙述によると、①「人民主権の政治」とは「人民すべての意思」=「一般意思」と「合致した政治」、②「人民」がすべての権利・自由を「共同体に譲渡する」「社会契約」により個々の「人民の意思」は一致して「一般意思」となる。③「人民の一般意思」を体得した「立法者」はそれを個々の「人民」に「強制する」、④自らの意思=「一般意思」に強制され服従することによってこそ個々の「人民」は<自由>になる(例、中川p.233-237)。
 理解しやすいものではないが、「人民の意思」=「一般意思」にもとづいていると僭称する<独裁者>が出現すれば、ここにいう「人民主権」論は容易に<全体主義(・社会主義)>容認論になるだろう。

 三 日本の憲法学者の中には間接または半代表制の「国民(ナシオン)主権」よりも直接民主制的な「人民(プープル)主権」論を支持する者がいて(例、東北大学現役教授・辻村みよ子)、なぜか「間接民主主義」よりも「直接民主主義」の方が<より進んでいる・より進歩的>と考えているようだ。むろん、ルソーやフランス革命期のジャコバン憲法・ロベスピエールを高く評価する立場でもある。

 こうした議論からすると、民主党あるいは菅直人・鳩山由紀夫等の「民主主義」理解は従来の自民党的なそれよりも肯定的に評価されるのだろう。

 だが、佐伯も指摘するように、彼らの「民主主義」あるいは「国民主権」の理解は皮相すぎる。また、立法・行政の<権力分立>も正しくは理解していない、と考えられる。別の機会で、また触れる。

0912/中西輝政・ウェッジ2010年10月号を読む①。

 WEDGE(ウェッジ)2010年10月号。佐伯啓思の連載の他に、中西輝政「保守結集で政党の宿痾と決別せよ」がある。なかなか<豪華>だ。

 中西輝政はタイトルに即しては、「自立した安全保障政策、経済成長戦略を前面に掲げた保守勢力」による「政界の大再編、保守新党の結成」に「賭ける」しか日本に残された可能性はない、と述べる(p.31)。政界再編への期待は数年前からとくに中西において目立った主張だが、その「再編」への道筋や戦略についての具体的な提言や展望は、この論稿でも示されていない、というのが残念なところだ。中西輝政が期待?しているようには、民主党も自民党も分裂する気配がない…。

 私の印象に残った中西の叙述に以下がある。-「平成日本のように、……にもかかわらず、モラル、責任感、国家意識が大きく劣化した国は、世界の歴史でも珍しい」。その大きな「背景には」、①政治家や官僚のみならず、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまったこと」、②「団塊の世代以降の、学校教育に起因するアナーキーな『民主主義』意識」がある(p.30)。

 それぞれに深い意味があり、諸問題と連関していると思われる。大意に異論はない。

 別の機会でも触れたいが、三島由紀夫が1970年に剔抉していたように、<昭和元禄>などと称して浮かれていた頃からすでに、日本は<腐って>いっていた、のだと考えている。上の表現を借りれば、むろん<大勢として>はとか<基本的には>とかの限定を付すべきだろうが、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまった」のだ。反面としての「精神的な豊かさ」を日本国民は追求しなかったし、むしろそのようなものを蔑視したのではないのではないか、とすら思われる。

 自分と自分の家族(しかも兄弟姉妹・両親とは無関係の、自分・配偶者と子どもだけ)が物質的な面で快適に生活してゆけさえすれば、日本国家(・その将来)も東アジアの軍事情勢等も<関係がない>、というのが大方の国民の意識だったのではないか。

 そこにはむろん、日本国憲法が標榜する<個人主義>(とそれに付随した男女対等主義)が伴っており、「国家」・「公共」への関心や意識はまっとうには形成されなかった。むろん直接には日本列島が「戦場」にならず、これまた日本国憲法が標榜する<平和主義>をおおまかに信じておればよかった、という事情も加わる(<平和ボケ>だ)。

 上は中西のいう①からの連想だが、②にも関連する。日本国憲法の標榜する<自由主義>のもとで、見事に<価値相対主義>が日本で花開いた、と思われる。つまり、絶対的な「価値」、あるいは相対的にでもましな「価値」を否定し、何をしようと、何を考えようと<個人の自由だ、勝手だ>という意識が蔓延した、それは現在も強いままで継続している、と思われる。ちなみに、支持はしないが安易に共産主義政党=日本共産党の存在・存続を<寛大に>認めてしまっていることもまた、<何でもアリ>の戦後の国民意識と無関係ではない。

 中西のいう<アナーキーな民主主義>とはむつかしい概念だが、佐伯啓思も近年の本で論及しているらしい、<ニヒリズム>にも近いだろう。日本人は、<信じることができる>何ものかを喪失しまっているのだ。

 憲法学者・樋口陽一が大好きな、現憲法の最大のツボ(最も重要な条項)らしい<個人の尊重>(個人の尊厳。13条)を利用して何をするか、どのように諸個人が生きるかは<個人の尊重>からは何も解らない。諸<自由>が保障されても、その<自由>を使って何をするか、どのように生きるかは<自由主義>からは何も分からない。同じく、<民主主義>も手段にすぎず、追求すべき実体的「価値」を民主主義が示している筈がないのだ。そしてまた重要なことは、<民主主義>的に決定されたことが(いかに「真の民主主義」などと呼号しようと)最も<正しい・適切な・合理的な>ものである保障は何一つないのだ。

 かくして日本国民とその<世論>は浮遊している。

 この辺りについては、今後も何度も書くだろう。

 中西輝政は言う-「日本の世論の問題点」の背景には「日本人全体に関わる問題があり」、それは「現在の政治」の「これほどの惨状」と「全く無関係ではない」(p.30)。
 このような文章を読んでも何も感じず、能天気に、<まだ1年少し経っただけだ、民主党に任せておけば、「古い」自民党とは違う「新しい」政治をしてくれるだろう>と漫然と夢想している国民がまだ過半ほどはいるのだろう。「国民を超える政治はない」(p.30)。大新聞とテレビだけでしか世の中・政治・国際環境を知らない、知ろうとしない国民が、国家を<溶解>させていっている。

0911/反日声明署名者リストと最高裁の「劣化」?

 〇前々回に掲載した、2010.05.10「韓国併合」100年日韓知識人共同声明/日本側署名者のリストを見ていて、種々の感想がわく(※付きは発起人)。
 大江健三郎鶴見俊輔という、歴史・日韓関係や国際法の専門家でも何でもない者が<日韓併合条約>無効と断じる声明に加わっている。二人は<九条の会>呼びかけ人として共通する。小田実、井上ひさしも、存命であれば加わっていたのだろう。

 東京大学教授・同名誉教授という肩書きが大学教授たちの中では目立つようだ。和田春樹※を始めとして、荒井献(名誉教授・聖書学)、石田雄(名誉教授・政治学)、板垣雄(名誉教授・イスラム学)、姜尚中(教授・政治学)、小森陽一※(教授・日本文学)、坂本義和※(名誉教授・国際政治)、高橋哲哉(教授・哲学)、外村大(准教授・朝鮮史)、宮地正人(名誉教授・日本史)。姜尚中も高橋哲哉もちゃんと(?)いた。大江健三郎等々をはじめ、出身大学を調べれば、東京大学関係者はさらに多いに違いない。

 東京大学所属だから、こういう声明にその<権威>を利用されるのか、それとも、東京大学所属(・出身者)には、他大学に比べて、この声明にも見られるような、一見良心的・「進歩的」な、<左翼・反日>主義者が多いのか?

 新聞・放送関係者で名を出しているのは、さすがに朝日新聞とNHKのみ。今津弘(元朝日新聞論説副主幹)、小田川興※(元朝日新聞編集委員)、山室英男※(元NHK解説委員長)。
 それに、かつて「T・K生」というまるで在韓国の韓国人からの通信文かの如きニセ記事を連載し続けていた岩波書店の「世界」の現役編集長が発起人として堂々と名を出していることも特記されるべきだろう。岡本厚※(雑誌『世界』編集長)。

 その他、佐高信、吉見義明(中央大学教授・日本史)等々の「有名な」者たち。井筒和幸(映画監督)が<左傾>していることは知っていたが、これに名を出すとはエラくなったものだ。

 〇前回に書いたことの、余滴。

 参政権の所在・参政権者の範囲といった国家の基本問題について、司法権の頂点・最高裁判所の憲法「解釈」が誤っていれば、いったいその国家はどうなるのか。現行憲法・法制度上、最も<権威>または<現実的通用力>のある「解釈」を示すことができるのは、最高裁判所だ(日本ではこう呼ばれる。国によっては憲法裁判所)。いくらでも自由に批判し、判例変更を求めることはできるが、現行憲法・法制度上、最高裁の判決には誰も法的には異議申立てができない。否定も含めて変更をできるのは、最高裁判所自ら(但し、大法廷)に限られる(是正するための訴訟・主張方法等をも井上は書いているが省略)。

 井上薫は園部逸夫が関与した平成7年最高裁判決の「第二段落」に対して「裁判史上永遠に残る大失敗」と最大級の批難の言葉を投げつけているが、そのように批判しても、いかに井上らの「禁止説」の方が憲法「解釈」として正当であったとしても、最高裁が採用した「解釈」がいわゆる<有権的>解釈になってしまう。

 政治性をも帯びた重要な問題につき、最高裁が<道を外せば>、是正には相当の、あるいはきわめて厳しい困難さが残ってしまう。裁判所・裁判官の頂点にいる最高裁判所(・裁判官)の<劣化>をも、心ある国民は懸念し、怖れなければならないのではないか。

0904/「共産党ではないが左翼」の社会・人文系学者たちの多さ-月刊正論11月号・竹内洋を読む。

 月刊正論(産経新聞社)連載の竹内洋「革新幻想の戦後史」は月刊諸君!(文藝春秋)から「続」となって月刊正論に移ってしばらくはもたもたしている感もあったが、先月号あたりから再び(私には)面白くなった。
 1.月刊正論11月号の竹内洋・同上は丸山真男批判(の一部。竹内には丸山真男に関する新書一冊がすでにある)。その基本的趣旨自体も興味深く、1970年代以降の丸山真男の「衰え」を再確認させる。
 丸山真男については著書・全集の一部をじかに読んだことがあり、この欄でも言及した。
 このブログサイトでの「丸山真男」を検索してみると、なんと最初から13個までが「秋月瑛二」によるこの欄がヒットした!。もう忘れたが、丸山真男を主題としたものを20回は書いただろう。

 そして、丸山真男を積極的・好意的に評価する本が今日でも新たになお出ていることも思い出して、あらゆる戦線(?)での<左翼の執拗さ>をあらためて感じる。
 2.さて、p.282-3のデータ(資料)はきわめて興味深いもので、私の推測ともほとんど合致している。
 p.282の表は、ごく大まかに一言でいうと、1973年時点の支持政党調査では、「日本人平均」では自民党が一位で二位・社会党の1.5倍ほどの支持率があるのに対して、「大学教師」の支持政党の一位は社会党、二位は民社党、三位は自民党で(「特になし」を除く)、社会党支持が自民党支持の二倍以上ある、ということだ。
 竹内の関心に即して言うと、「大学」の世界では、(1980年代前半の丸山真男による叙述とは異なり)「進歩的文化人」は「多数派」だった、ということが明瞭に判る。

 これは1973年の数字だが、現在でも、「大学」教員の世界では(「進歩的文化人」という語は今日的用語としてはあまり使われなくなっていると見られるが)、「左翼」または「何となく左翼」が(とくに社会・人文系では)<圧倒的多数派>を形成しているのではないか。
 p.283の表が示す数字の方がさらに興味深い。
 1983年時点での「保守・中間・革新」意識の調査結果によると(出典の再引用は上ととともに省略)、「中間」を割愛して「保守」対「革新」の数字だけ示せば、「一般国民」が34対24、「財界」が74対10、「官僚」が56対23であるのに対して、「マスコミ」(人)は34対46、「学者・文化人」は31対51、ついでに「市民運動」(家)は14対81、「学生」は42対46だった、という。
 27年前の数字だが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」における「革新」または<左翼>性向が明瞭に数字化されている。
 そしてまた、今日でも、その傾向は変わらないものと思われる。

 70年代(とくに前半または初頭までの)「革新」ムードは全体としては80年代には消滅または弱体化していたはずだが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」においては異なることが上の資料からは明らかだ。そしてまた、ソ連が解体し北朝鮮や中国の実態がより明らかになってきている現在でもまた、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」の<政治意識>=<左翼・なんとなく左翼>性は(驚くべきことに、また執拗にも)大して変化していないのではなかろうか。
 ここでの「左翼」とは、いつかも書いたように、<容共>志向、換言すると、<反共>の立場に立たない(立てない)政治的意識・主張・見解のことを意味させている。
 3.そういう「左翼」的雰囲気の「学者・文化人」や「マスコミ」(人)の世界において、日本共産党支持またはコミュニズム支持を少なくとも明確に示しはせず、むしろそれとは距離を置きつつも、「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と評されないことが最も<安全で・安心な>態度=処世術なのだろう。
 p.283に引用されている、2009年の某雑誌での伊藤隆(東京大学名誉教授)の次の言葉は、十分に納得がいく。
 竹内洋が使った「共産党員ではないけど、いつも共産党員に気兼ねをしている学者」という表現につなげて、伊藤隆は言う。
 「気兼ね学者は大学の人事を握っていて、リベラルということで良心が満たされる気分になると同時に利益もある…。(一文略-秋月) 学者にとって一番理想なのは、東大教授で、共産党ではないが左翼である。そして、ジャーナリズムにどんどん登場するということでしょう」。

 日本共産党を支持はしないが決して「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と呼ばれたくはない、という気分の多数の(とくに社会・人文系)「学者・文化人」さまには、上のような言葉も傾聴していただきたいものだ。
 また、「共産党ではないが左翼」で、「ジャーナリズムにどんどん登場」して(世間的)知名度も獲得したいという「東大教授」は、現に多数存在するのではないか(それを現実化している「東大教授」の名を具体的に何人かは挙げることができる)。
 くり返せば、「共産党ではないが左翼」で、学界内部でも、共産党そのものに<染まっている>わけではないが決して<反共>の立場に立たない(少なくともそれを明言しない=日本共産党に「気兼ね」する)大学教員たち、そして東京大学教授たちは、世間一般の相場に比べれば著しく多い、と想定される。現在の日本の<異常さ>はこんなところにもある。あるいは、こんなところにも起因している。 

0903/TBSよ、ナショナリズムは悪か-尖閣問題を扱った「サンデー・モーニング」。

 何度か「死んだ」はずのTBSはまだしつこく生きていて、<左翼>信条にそった番組作りをしている。
 最近の朝日新聞の尖閣諸島問題に関する二つの社説は「ナショナリズム」という語を使っていないようだ。これに対して、TBSの9/26の「サンデー・モーニング」は正面から「ナショナリズム」を問題にしてきた。
 コメンテイターの発言はそれぞれニュアンスは異なり、単色のイメージで番組を作ろうとしていたわけではない。
 だが、局(この番組担当者)自体が作成したと見られる「ナショナリズム」に関する説明・コメントは、明らかに<左>に傾いている。つまり、断定的ではないにせよ、「ナショナリズム」=悪、というイメージを撒いている。
 コメンテイター以外に登場させた佐高信は<愛郷心ならよいが、ナショナリズムは「国家」と結びつくと「必ず排他的」になる>と発言した。はたしてそうか。こんなに一般化して言えるのか? ともかくも反「国家」心情がここには示されているだろう。
 コメンテイターの一人・岸井某(毎日新聞政治部記者だったか?)は他にまともなコメントもしていたが、<歴史の教訓からして、ジャーナリズムの責任は、ナショナリズムを煽らないことだ>と発言した。朝日新聞・若宮啓文の、<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>との有名な文章を思い出す。ナショナリズムを刺激せず、沈静化するのがジャーナリズム、マスメディアの義務とでも考えているならば、とんでもない誤りであり、思い上がりだと言うべきだろう。そもそもが、ナショナリズムとの関係をさほどに強く意識していることこそが、戦後のジャーナリズム・マスメディアの奇妙なところだとは思わないのだろうか。
 短い時間の番組に期待しても無理なのだろうが、あるいは、だからこそ、「ナショナリズム」に関する単純な理解にもとづくイメージ作りをしてほしくはないものだ。
 具体的な担当者は、世界で残念ながら(?)現実化していないが<グローパリズム=善、ナショナリズム=悪>という意識・観念をもっていて、賢(さか)しらに(?)、意図をもって、番組自体のナショナリズムに関する説明等を準備したのではないのか。
 加えて、番組自体の説明・コメントとコメンテイター類の発言に共通していたのは、具体的な尖閣問題を具体的に論じることなく、一般的レベルの<ナショナリズム>に関するコメントにほとんど終始していたことだ。これも、上記番組の一種の(気のつきにくい)特徴であり、いやらしいところだった。
 日中関係問題一般に遡及することもまだ一般的抽象的すぎるところがあるが、さらに日中(・日韓)問題を念頭においたような<ナショナリズム>の問題に格上げ(?)することも、本質を覆い隠す役割を果たしている。
 尖閣諸島は日本の領土なのかどうか、その領海で中国人(たんなる船長ではない可能性がある)は何をしたのか、中国政府と日本側(政府・外務省、那覇地検)の主張の内容と対立点はどこにあるのか、等々の具体的なことをおさえずして、<ナショナリズム>の是非等をほとんど一般論レベルで語らせることは、反復するが、問題の本質を視聴者が把握することを困難にさせただろう。
 この番組は必ず観てはいないが、ときにたまたま見ていると、司会の関口宏を筆頭に<戦後教育の影響を強く受けた「何となく左翼」(これが現今の日本の多数派だ)臭>を感じて、辟易することがあった。今回も同様にうんざりするところがあったので、書いておいた。
 TBSや毎日新聞は、朝日新聞と同様に、基本的なところでは、日本(人)のナショナリズムを「刺激」したり「煽動」したりしないような「冷静な」、つまりは<中国をできるだけ批判しない>、結果的には<親中>・<媚中>の報道姿勢をとり続けるのだろう。

0900/あららためて基本的なことー共産主義。

 一 20世紀の重要な事件は二つの世界大戦だったという歴史理解も多いのだろう。
 だが、ロシア革命の勃発(・成功)(と後続する社会主義諸国の成立)とソビエト連邦の解体(ロシア中心地域での「社会主義」の<実験>の失敗の明瞭化)こそが、20世紀の最大の事件・できごとだった、というべきだ。
 そして、この中には、コミュニズム(マルクス主義)によるほぼ一億人の生命の抹殺(「粛清」等のほか政策失敗による餓死等も含む)も含まれる。この数字は、二つの世界大戦による死者数よりも大きい。
 二 左右の対立あるいは<左翼>と<保守>の違いは、私にとっては、単純に、<容共>か<反共>かにある。前者の中核にもちろん(日本では)日本共産党があり、その党員たちや強いシンパ(同調者)たちがいる(学者・研究者、評論家、文筆家も含む)。朝日新聞もまた<容共>だ。
 <容共>とは、コミュニズムを信奉するか、あるいはそれを容認して、それと闘う気概を持たないことを意味する。<容共>と対立するのがもちろん<反共>で、<保守>とは<反共主義>に立つものでなければならない。コミュニズムを容認または放置してしまうのではなく、積極的に闘う気概をもつ立場こそが<保守>だ。
 三 <冷戦後>とか<冷戦終結後>とかいう表現が保守的論壇等も含めてかなり使われているが、かかる時代認識は(日本と日本人にとっては)誤っており、下手をするとコミュニズムのいっそうの浸透を許す(またはそれを阻止できない)原因になりうる。
 なるほど欧州諸国と同諸国民にとっては、ソ連の崩壊によってかつての<冷戦>は過去のものとなったと受け止めてられてもよいのかもしれない。
 しかし、東アジアには北朝鮮はもちろん中国・ベトナム等の<社会主義>国がなおも残存し、中国は盛大化の傾向を見せるなど、東アジアにとっては、<冷戦は終わっておらず、継続したまま>だ。<冷戦>どころか、<ホットな戦争>になる火種すら、あちこちに存在している。
 中国等がかつてのマルクス・レーニン主義あるいはコミュニズムに依拠しているかについては議論の余地があるだろうが、どの現存「社会主義」国家も共産党(またはそれに実質的に該当する)政党・政治組織の独裁体制下にあることは疑いなく、彼ら自身が自分たちをマルクスやレーニンの思想的系譜のうちにあることを自覚しているはずだ(いつか言及したように中国共産党幹部は日本共産党・不破哲三と世界の「社会主義」運動の現在と将来を話題にしており、自分たちが「社会主義」運動の主体の一つであることを前提としていることは明瞭だ)。
 四 日本と日本人は、まずは、中国・北朝鮮・ベトナム等の<社会主義>勢力と断固として闘う必要がある。<間接侵略>も許してはならない。
 だが、領土的にはまだ微小だが、精神的にはかなりの程度、中国による<間接省略>をすでに許してしまっているのが実態だろう。<親中>の朝日新聞、<親中>の若宮啓文や大江健三郎等の人士等々の助けも借りて、それは執拗になされてきている。
 五 米国との関係で、自立を説くことは誤ってはいない。<自主>憲法の制定も急がれる。その意味では<反米>ではある。
 だが、現在の最大の<溝>・<矛盾>はやはり従来と同じく、コミュニズム(共産主義・社会主義)と<自由主義>(・資本主義)との間にあることを没却してはいけない。
 <反共>をきちんと前提とするあるいは優先した<反米>でなければならない。<反共>を優先すべきであり、そのためには、米国や欧州諸国のほか韓国・インド等の<反共>(・自由主義)諸国とも<手を組む>必要がある。そのかぎりで、かつて言われた<価値観外交>は正しく、<日米中正三角形(等距離)外交>などは誤った、中国を利する、<親中>政策の一つだ。
 以上のかぎりでは、つまり<反共>の立場を貫くためには、<親米>でもなければならない。
 日本と日本人は<反共>のかぎりで<親米>でありつつ、欧米とは異なる日本の独自性も意識しての<反米>(反欧米、反欧米近代)でもなければならない。
 そのような二重の基本的課題に直面していると現代日本は理解すべきものだ。
 冷戦は終わったとのたまい、中国に対する警戒心を何らまたは十分には表明することなく<反米>または<欧米的個人主義・自由主義>への懐疑のみを表明するような議論は、下手をすると(<反米>のかぎりで)中国等を利する可能性があり、日本の<左翼>とも共闘?してしまうことになりかねないことに注意すべきだ。
 六 上のような基本的論点に比べれば、経済政策または市場への国家の関与の仕方・程度に関する論点は、まだ些細な問題だ。
 <自由>に傾くか<平等>に傾くか、<競争>か<保護(的介入)>かは、資本主義または自由主義の範囲内で、大いに論ずればよい。<反共>・<反社会主義>をきちんと前提としてあるいは優先して、いわゆる社会民主主義的な政策が、<日本と日本人>の意識と歴史に即した形で導入されることも完全には否定すべきではないと考えられる。
 但し、その「社会民主主義的な政策」が「社会主義」につながっていくような、親社会主義意識を増大させるようなものであれば、排斥される必要がある(自民党は民主党の政策を「社会主義的」と論定していたようだが、そこまでには至っていないのではないか。本当の「社会主義」とはもっと強烈で苛酷なものだと思い知っておくべきだ)。
 七 反復になるが、<親米>かつ<反米>である必要があり、これらは矛盾しない。当然に、<保守>的議論・人士を上面だけで<親米>か<反米>かに分類することは馬鹿げている。

0897/内田樹は高橋哲哉にはついていかない。

 内田樹は「卑しい街の騎士」と題する2005年の文章の中で、1995年の高橋哲哉の文章に言及している。
 高橋哲哉は1995年に簡単にはこう(も)書いたらしい。
 ・<自国の「汚れた死者」(日本人戦死者)の哀悼よりも(アジア諸国への)「汚辱の記憶」を引き受けることが優先されるべき。
 ・「侵略者である自国の死者」への責任とは「哀悼や弔い」でもましてや彼らを「かばう」ことではなく、「彼らとともにまた彼らに代わって」、被侵略者への償い=「謝罪や補償を実行する」ことだ。
 内田樹は、高橋の「理路は正しい」、しかし思想とは「こんなに、鳥肌の立つようなものなのか」とコメントしている。
 「鳥肌の立つような」とは、感動したときにも用いられる、好意的・賛同的な意味での表現でもありうるが、内田によると、「…高橋自身が日々ゆっくりと近づいている『結論』に私の身体が拒否の反応をした」ということを意味するようだ。つまり、拒否的・消極的な反応の表現として使っている。
 つづけて、内田は高橋哲哉・靖国問題(ちくま新書、2005
)に言及する。高橋のこの本は読まないままでどこかに置いているのだが、高橋は、この書の結論部でこう書いているらしい。
 ・国家によるそのために死んだ者(戦死者)の「追悼」は、つねに「尊い犠牲」・「感謝と敬意」のレトリックが作動して、「顕彰」にならざるをえない。
 ・国家は「戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、…戦死の悲哀を名誉に換え、国家を新たな戦争や武力行使に動員していく」 。
 内田樹は次のようにコメントする。
 ・高橋の主張は「正しい」が「正しすぎる」。すなわち、これは「現存するすべての国民国家」等に適用されねばならない。つまり、「靖国神社を非とする以上、世界の共同体における慰霊の儀式の廃絶を論理の経済は要求する」。
 ・だが、中国も韓国もイスラム過激派もアメリカも欧州諸国民も受容しないだろう。それは「倫理的に十分に開明」的でないためかもしれないが、「世界中の全員を倫理的に見下すような立場に孤立」することが政治への実効的なコミットだとは思えない。
 ・「高橋哲哉の論理はそのまま極限までつきつめると、いかなるナショナリズムも認めないところまで行きつく」し、すべての民族等の否定にまで行きつく。例えば、①アジア諸国への日本の謝罪もそれを「外交的得点」とすることをアジア諸国政府に禁じる必要がある。それらの国の「ナショナリズムを亢進」させるから。②謝罪等をすることにより「倫理的に高められた国民主体を立ち上げた」という意識を日本人がもつことも禁じる必要がある。「ナショナルな優越感の表現」に他ならないから。
 高橋哲哉の原文を読んではいないが、なかなか鋭い分析と批判だ。
 だが、むろん、高橋哲哉の見解・主張の「理路は正しい」のか、「正しすぎる」のか、高い<倫理>性をもつものかは、本当にそうなのか、レトリックだけの表現なのか、という疑問が湧く。
 それに、そもそも、上の一部だけ問題にするが、高橋哲哉は本当に「いかなるナショナリズムも認めない」のか否かは検討されてよいだろう。論理的にはそうならそざるをえない、という指摘は重要だが、高橋哲哉がそのことを意識しているかどうかは別問題だとも思われる。
 すなわち、高橋哲哉は、日本国家についてのみ「ナショナリズム」の否定を要求しているのではないか。日本国家についてのみ、戦没者「慰霊」施設の廃絶を要求しているのではないか。それが高橋の本音ではないか(そして朝日新聞の若宮啓文も同様ではないか)。
 その意味で高橋はきわめてご都合主義的であり、きわめて<政治的>なのではないか。さらにいうと、論理・理論の世界に生きているようでいて、じつは(日本とその国家に対する)何らかの怨念・憤懣を基礎にして言論活動をしているのではないか(さらにいえば、それは日本「戦後」のインテリたちの基底にある心情ではないか)。
 以上は、内田樹批判ではない。内田は次のように文章をまとめている。
 「高橋哲哉の説く透明な理説」が一基軸として存在しえ、「思想的には重要」であることは認めるが、「私はこの『案内人』にはついてゆくことができない」。
 前段部分は褒めすぎのように思えるが、内田が結論的に高橋哲哉の議論を支持していないことは明らかだろう。
 内田樹の上記の題の文章は、加藤典洋・敗戦後論(ちくま文庫、2005)の「(文庫)解説」として書かれたもの(p.353-362)。
 内田は、加藤典洋は「熟練の案内人」、「正しい案内人」として肯定的に評価している。そして、高橋哲哉という「『案内人』にはついてゆくことができない」と結んでいるわけだ。
 加藤典洋の書の本体も読みたいものだが、はたして閑があるかどうか。

0889/隔月刊誌・表現者(ジョルダン)連載執筆者かつ週刊金曜日編集委員・中島岳志。

 パール判決を問い直す(講談社現代新書)の共著者である中島岳志と西部邁は親しいようで、西部邁と佐伯啓思の二人が「顧問」をしている隔月刊雑誌・表現者(ジョルダン)の29号・30号に、中島岳志は「私の保守思想①・②」を連載している。
 30号で中島は「私が保守思想に傾斜していく大きなかっかけとなったのは…」などと述べて(p.138)、「保守思想に傾斜して」いるとの自己認識を示し、また、先人から学ぶべきことは「デモクラシーが健全に機能するためには、人間の交際の基盤となる『中間団体』が重要であり、歴史的な『伝統』、そして神や仏といった『絶対者』の存在が前提となる」ということではないか、などと、なるほど<保守的>と感じられる叙述もしている(「神や仏」は「絶対者」なのか、いかなる意味においてかは分からないが、さて措く)。
 いずれにせよ、錚々たる(?)<保守>派執筆者たちに混じって、さほどの違和感を感じさせずにいる。隔月刊雑誌・表現者を<保守的>または<保守派の>雑誌と表現して差し支えないだろうことは、顧問二人(西部邁・佐伯啓思)と西田昌司の三名の共著(半分以上は座談会)・保守誕生(ジョルダン、2010.03)のオビに「真正保守主義が救い出す」という語があることにも示されているだろう。
 興味深いことに、あるいは奇妙なことに、同じ人物・中島岳志は<左翼>週刊誌・週刊金曜日の編集委員を<あの>本多勝一や石坂啓らとともに務めている。この週刊誌の発行人は<あの>佐高信。
 この週刊誌が<左翼的>であることは歴然としてしていて、たとえば、その4/30号(797号)は<反天皇制>の立場を前提として「暮らしにひそむ天皇制」という特集を組んでいる。編集長の北村肇は同号の「編集長後記」で、天皇制はただちに廃止すべきとか昭和天皇の戦争責任を許さないとだけ主張するにとどまる限りは「廃止への道は遠い」と書いて、<天皇制廃止>を目標としていることを明らかにしている。
 思い出せば、2006年11月に教育基本法「改悪」等に反対する集会を主催し、天皇陛下や悠仁親王を「パロディーとしたコント」を演じさせたのは、週刊金曜日だった(本多勝一・佐高信らも出席。のちに、佐高信と北村肇の連名でそっけない、本当に反省しているとは思えない「謝罪」文を発表した)。
 また、「左翼」的運動の集会等の案内で埋め尽くされている頁もあり(p.64-65)、「女性国際戦犯法廷から10年目を迎えて」と題する文章の一部を関係団体の機関紙から転載したりもしている(p.54)。
 こんな週刊誌にも中島岳志は本多勝一らとともに執筆していて、「風速計」とのコラムで「『みんなの党』のデタラメ」と題して、「新自由主義を露骨に振りかざすみんなの党」を批判し、「構造改革ーのNOを突き付けた国民」は「みんなの党のデタラメを見抜かなければならない」と結んでいる(p.9)。
 まったく新種の人間が生まれ、育っているのか、中島岳志は、一方で<西部邁と佐伯啓思>を顧問とする<保守的>隔月刊雑誌・表現者(ジョルダン)に「私の保守思想」を書き、一方では、<本多勝一・佐高信>らとともに<左翼的>週刊誌の編集委員になって自ら執筆してもいる。<西部邁・佐伯啓思>と<本多勝一・佐高信>との間を渡り歩いて行けるという感覚あるいは神経は、私にはほとんど理解できない。
 週刊金曜日のウェブサイト内で中島岳志は「保守リベラルの視点から『週刊金曜日』に新しい風を吹き込みたい」とか語っている。
 「保守リベラル」とはいったいいかなる立場だ!? こんな言葉があるのは初めて知った。そして、上の「みんなの党」批判は社民党的な「左から」の批判なのだろうか、富岡幸一郎や東谷暁らが集うような「右から」の批判なのだろうか(月刊正論6月号には宇田川啓介「みんなの党の正体は”第二民主党”だ」も掲載されていた)、と思ったりする。
 そんな<左・右>などに拘泥しないのが自らの立場だと中島は言うのかもしれないが、そう言って簡単に逃げられるものではないだろう。中島岳志には、一度(いや何度でもよいが)、<天皇(制)・皇室>に関する態度表明をしてもらいたい。そして、<反天皇制>主張が明確で、<天皇制廃止>を明確に意図している編集長のもとでの編集委員として、どのような「新しい風を吹き込」むつもりなのか、知りたいものだ。

0887/西部邁には「現実遊離」傾向はないか②。

 いかなる理由だったのか、中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)をきちんと読まなかったし、この欄でコメントしたこともおそらくない。
 と思っていたが、記憶違いで、概読して、中島岳志の法的無知等について批判的
コメントすら書いていた。  その後、所謂東京裁判法廷のパ-ル判事の<真意>をめぐる東谷暁等と小林よしのりの月刊正論(産経)等での論争を知り、ケルゼン(・「法実証主義」)の理解はパ-ル判事の意見書(所謂パール判決)の理解や評価と関係はない等と書いて、このときは小林よしのりを応援したのだった。
 西部邁が書く上掲の本の「おわりに」(p.197-、計10頁)をあらためて読んで、この人の「法」等に関する考え方、「法律観」はかなり奇妙だと感じざるをえない。
 要約的に紹介しつつ、コメントする。
 ①「近代の社会秩序を方向づけている法哲学は法実証主義だといってさしつかえない」。
 ②「実証主義」は観察・計量可能な社会の規範体系を重視し、それをできめるだけ「(形式的)に合理的に構築」しようとする。規範体系は「慣習法」も含むが、「法実証主義」の「主たる対象」は「いわゆる制定法」になる。(p.198)
 →「法実証主義」が近代「法哲学」を「方向づけ」る、との理解は適切なものか、確信はもてないが、それが、のちにも西部邁が(極端なかたちを想定して)理解するものを意味するとすれば、すでに誤謬または偏見が含まれているだろう。
 ③上のことが「過剰なほどに明確」なのはケルゼン。ケルゼンは、1.「価値相対主義」に立ち、2.「根本規範」が採用する「価値観」は「民主主義的な」「多数決」によって決定されると説き、3.「根本規範」から「合理的に導出され制定され」るのが「実定法の体系」だとする(4.略)(p.199)
 ④ケルゼンの法哲学は「ハイエックの批判した」「設計主義(…)の法哲学」であることは「論を俟たない」。
 ⑤「いささかならず奇怪」なのは、「自称保守派の少なからぬ部分が、社会秩序の維持に拘泥するのあまり、こうした(制定)法至上主義に与している」ことだ。
 →鳩山由紀夫はもともとは「最低でも県外」と言っていたのに、「できるだけ県外」との約束を履行できなくて…と謝罪した。「最低でも」と「できるだけ」では、まったく意味が違う。ごまかしがある。西部邁もまた、「法実証主義」、「主な対象」は「制定法」、という前言を、この⑤では「(制定)法至上主義」と言い換えている。批判したい対象を批判しやすいように(こっそりと)歪めることは論争においてしばしば見られることだが、西部邁も対象の歪曲をすでに行っているのではないか。
 ⑥東京裁判にもかかわる「自称保守派」の「罪刑法定主義の言説」はケルゼンの「もっとも狭い近代主義にすぎない」。<罪刑法定主義>によって「見過ごしにされている」のは、次の二つ。第一に、「制定法はつねに何ほどか抽象的に規定されるほかない」ということ。そして、「法定」 の「実相」は「権力(…)による決定」だということ。第二に、制定法の「解釈と運用」は「根本規範」に「従い切れる」ものではなく、「制定法を基礎づけたり枠づけたりしている法律以外のルール、つまり徳律(モーラル)」やその苗床たる「国民の習俗」やそれが促す「国民の士気」等を参照せざるをえない。(p.200-1)
 →この⑥には、<罪刑法定主義>への偏見と無知がある。
 <罪刑法定主義>といっても「制定法」が「何ほどか抽象的に規定されるほかない」ことは、法学または刑法学の入門書を読んだ学生においてすら常識的なことだ。また、「徳律」・「習俗」・「士気」などとは表現しないが、とくに裁判官が、法律上に明記された文言では不明な部分を何らかの方法によって<補充>して解釈していることも常識的なことだ。
 <罪刑法定主義>は上の二点を「見過ごし」にしている、などという大言壮語は吐かない方がよい。
 ⑦欧州の「慣習法の法哲学」をD・ヒュームも語り、E・バークは、「啓蒙的な自然法」とは区別される「歴史的自然法」が基礎に胚胎する「慣習法体系」を語った。「歴史的自然法」とは「歴史の英知」ともいうべき「国民の規範意識」で、憲法についての国民意識も「政治的に設計され」ず、「歴史的に醸成される」。(p.202-3)
 ⑧「保守思想」は「歴史的自然法の考え方」に「賛意を表する」。
 →「保守」=「歴史的自然法の考え方」、「左翼」または反・非「保守」(「自称保守」の多く)=「法実証主義」と言いたいのであれば、あまりも単純な整理の仕方ではないか?
 ⑨「歴史的自然法」の理解者は多少とも「法実証主義」を批判する。後者は「民主主義の多数決によって何らかの特定の直観を採用する」との見解だ。その「直観の妥当性」を「歴史的英知」、「いいかえると伝統精神」に求めるのが「保守思想における法哲学の基本」だ。
 ⑩「保守思想における法哲学」は「罪刑法定主義」に「もっとも強い疑義」をもつ。「法実証主義」の目標である「精緻な制定法」の「設計」をすれば、社会秩序は「リーガル・アルゴリズム(法律的計算法)」に任されることとなり、「法律的計算法」の支配する社会は「(民主主義という名の)牢獄」にすぎない。(p.203)
 →じつに幼稚な思考だ。たしかに、法律(制定法)の精緻さを高める必要がある場合のほかに、あまりに詳細で厳密な法律(制定法)作りを避けるべき場合もあるだろう。だが、「精緻な制定法」作りによって社会は「(民主主義という名の)牢獄」になるなどと簡単に論定すべきではないだろう。
 また、ここにはほとんど明らかに「制定法(法律)」ニヒリズムとでも言うべきものが看取できる。さらに、現代国家・現代社会につき「法律」によって国民(人民)を監視し管理する「牢獄」に見立てているらしきM・フーコーの言説を想起できさえする(M・フーコーの議論をあらためて確認はしない)。西部邁とは存外に―少なくとも「法律(実定法)」に関する限りでは―「左翼」的心情の持ち主なのではないか。

 ⑪「制定法」中心になるのは「文明の逃れ難い宿命」だろうが、「歴史的自然法」を「考慮」すべしとするのが「保守的な裁判観」だ。

 ⑫所謂東京裁判の「法実証主義・罪刑法定主義」違反に対する批判に終始して当時の「国際慣習や国際歴史(の自然法)に一顧だにしない」のは「法匪のにおいがつきまとう」。
 ⑬「左翼(近代主義)的な法律観」を排すべき。「左翼的」「裁判観」を受容したうえでの「東京裁判批判などは屁のつっぱり程度にしか」ならない
 →所謂東京裁判に関連させてだが、「法実証主義・罪刑法定主義」に立つ者を「法匪のにおいがつきまとう」との表現で罵り、「左翼的」裁判観だと断定している。
 かかる単純な議論には従いていけない。東京裁判を離れてより一般的に言えば、前回に書いたこととほとんど同様になる。つまり、西部邁がこの文章で言っている「歴史的自然法」・「慣習法の法哲学」あるいは「歴史的英知」・「伝統精神」に従った<制定法(法律)>の「解釈運用」や、新しい<制定法(法律)>案の具体例を示していただきたい。
 現実に多数ある政策課題(そして、どのような内容の法律にするかという諸問題)を前にしてみれば、「歴史的自然法」を考慮せよ、と言ってみたところで、ほとんど<寝言に等しい>
 西部邁は自分が毎年払っているだろう(原稿料・印税等の)所得税の計算方法にしても、自分が利用していると思われる公共交通・エネルギー供給事業等々にしても、どのような関係法令があり、どのような具体的定めがあるかをほとんど知ってはいないし、ひょっとすれば関心もないのかもしれない。<現実遊離>を感じる所以だ。
 ついでに。現憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。裁判官が依拠すべきなのは「法律」だけではない。「憲法」も含まれるし、何よりも「良心に従」うべきとされている。
 西部邁が嫌いな現憲法すら、<制定法(法律)至上主義>を採用していない。

0883/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)のメモ。

 佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号、産経)のメモ。
 ・財政再建か景気拡張か、日米関係をどうするか、構造改革を促進するのか否か、消費税をどうするか。自民党は具体的な方向を指示しておらず、民主党も同じ。「その時々の情緒やムードに敏感に反応」する「世論」が「政治を翻弄」していて、真の「二大政党政治からはほど遠い」。  ・自民党=保守、民主党=リベラルと簡単に図式化できない。「福祉重視」派=リベラル、「市場競争」派=「保守」というのは大雑把で「誤った通念」。「構造改革」なる「急進的改革」の推進者が「保守」というのは「いかにも奇妙」で、それに「抑制をかけるものをこそ保守というべき」。また、「過度にならない福祉は保守の理念に含まれる」。自民党は以前は「一種の福祉政策」も行っていた。(以上、p.80-81)  ・「保守」とは、「保守の原点に立ち戻る」とは、いかなる意味なのか。「保守」の困難さの第一は、圧倒的に<改革・変革・チェンジ>ムードの影響下にあること。アメリカの時代→中国の時代、IT革命→環境・エコ革命、テロとの戦い→「核廃絶に向けて」、「自由に能力が発揮できる社会」→「格差を是正する社会」。凄まじい変化だが、現在の「変化が望ましい方向のものだという理由はどこにもない」。  ・「『変化』に振り回されない軸を設定すること」が、「保守」の立場の「政治的課題」だ。  ・第二は、「戦後日本という特殊な空間」の形成にかかわる。「日本の近代化」は①「王政復古」等の「伝統的日本への回帰」と②「西欧列強の制度や価値の模倣もしくは導入」により遂行された。「外発的」近代化、「憧憬」することによる近代化だった。この事情は「戦後」に「さらに著しくも緊張感を欠いた漫然たる」ものとなり、無自覚・無反省な「アメリカ的なものへの傾斜、追従」になった。  ・上に異論はあろうが、「戦後日本人」は「ほとんど無意識のうち」にであれ、「アメリカ的なもの」=「個人的自由、民主主義、物的な豊かさと経済成長、人権思想、市場経済、合理的で科学的・技術的な思考、市民社会など」に「寄りかかった」。これらに対立する「日本的なもの」=「家族的紐帯、地域共同体、社会を構成する権威」、「日本的自然観、美意識、仏教的・儒教的・神道的なものを背景とした宗教意識」などは「ことごとく否定的に理解された」。ここに「戦後日本」の「大きな精神的空洞」がある。(以上、p.82-83)  ・「日本的なもの」を否定的に理解して「アメリカ的なもの」を受け容れる、つまりは「倒錯した価値をしごく当然のごとく受け入れてきた戦後日本」には、「公式的」には「保守」の「居場所はない」。アメリカ的「戦後思想」が「日のあたる場所」を占拠したので、「保守」は戦後日本の「公式」の「重要な価値」の疑問視から始める必要があった。
 ・「軍事力」抜きの「戦前」に戻ればよいということにはならない。「日本の近代化そのもののはらむ問題」だ。「戦後日本」への「根源的な違和感」を前提にしてこそ「保守」という「精神態度」は成立する。ゆえに「戦後憲法の精神は保持したまま」で「保守の原点に戻る」というのは無意味
 ・だが、ここで「困難はいっそう倍加する」。「戦後」を懐疑しても「現憲法や下位の法体系」の下で言論等をしており、「戦後日本」の「外」には出れない。「戦後日本の公式的価値空間」での=「アメリカ的価値観の受容」をしての、「保守」提唱自体が「矛盾をはらんでいるのではないか」。
 ・上の事実に自称「保守主義者」たちは「どこまで自覚的」なのか。立脚点についての「引き裂かれた自覚」がまずは必要。
 ・反「社会主義」の「日米同盟」の強化は、下手をすると日本をますますアメリカの「保護領」にする。だが、誰もが「戦後体制」=「平和憲法と日米安保体制」の下で守られて生きていて、「日米同盟」破棄はできない。「状況そのもの」が「日本を日本でなくする危険に満ちている」。このことを今は「受け入れるほか」はない。この「苦渋に満ちた矛盾と亀裂の只中にいるという自覚」だけが、今日の「保守」に道を開く。このことに無頓着な者は、「親米であれ反米であれ」、真の「保守」たりえない。(以上、p.83-84) 

0882/表現者30号(ジョルダン)の佐伯啓思「民主主義再考」。

 隔月刊・表現者30号(ジョルダン、2010.05)の以下を、とりあえず読了。いずれも短い文章なので。
 A 佐伯啓思「民主主義再考」
 B 富岡幸一郎「『近代』の限界としての民主主義」
 C 宮本光晴「政権交代の議会制度が機能するための条件」
 D 安岡直「われわれは衆愚政治に抗うことが出来るか」
 E 柴山桂太「民主主義が政治を不可能にする」(以上、p.75-95)
 F 西部邁「民主主義という近代の宿痾」(p.196-9)
 以下はAの一部要約または引用。
 A 「民主政治というもののもっている矛盾が、民主党政権において著しい形で露呈している」(p.76)。
 <「民主政治」概念には、「民主主義」を徹底すれば「政治」は不要になり蒸発するという「本質的矛盾」がある、という「決定的な逆説」がある。>(p.76-77)
 <W・バジョットによると、「議院内閣制」の前提は「有能な行政府を選出」できる「有能な立法府(議会)」だが、かかる有能な立法府は「きわめてまれ」。「議院内閣制」での「政府の本当の敵は官僚ではなく〔無能な〕議会の多数党」。「民主党はこの点をまったく理解していない」。>(p.78)
 <W・バジョットによると、「議院内閣制」のよさは、第一に、「議会と政党」が立派=「政党政治家がそれなりの見識」をもつ、第二に、議会選出「内閣」が「優れた統治能力をもって長期的に政治指導」をする、という条件に依存する。><そうして初めて、「議院内閣制」は「大衆的なもの」=「民意」から「距離」を置き、かつ「強力な指導力を発揮できる」。>(p.79)
 <W・バジョットによるとさらに、英国政治体制には「威信」部分と「機能」部分があり、前者を「君主制と貴族院」が担って「大衆を政治に引き付け、政治に威厳と信頼を与え」、後者を「内閣と衆議院」が担当する。両者の分業によってこそ「大衆と政治的指導の関係はかろうじて安定する」。>
 <こう見ると、今日の日本の政治が「著しく不安定で混沌としている理由もわかる」。小沢一郎流「議院内閣制」はそれの「悪用」であり、鳩山由紀夫の「民主主義」観には「威信」部分はなく、「威信」と「機能」は「渾融」してしまった。「威信」部分こそが「演劇的効果」をもつが、それが欠けて「マスメディア」がそれを「発揮して」「大衆を政治に引きつけようとする」ので、政治は文字通りの「演劇的政治」になってしまった。>(p.79)
 なかなか面白い。小沢一郎による参院選の民主党立候補者選び・擁立を見ていると、優れた「政党政治家」から成る「有能な立法府(議会)」ができる筈がない。彼らが当選しても、<投票機械>になるだけのことはほとんど自明だ。かくして「優れた統治能力」を生み出す「議院内閣制」からはますます遠のくだろう。
 屋山太郎はよく読むがよい。「議院内閣制」における「政府の本当の敵は官僚ではなく〔無能な〕議会の多数党」だ。
 もっとも、民主党に限らず、他政党も、<知名人選挙、有名度投票>に持ち込もうとしているようで、日本政治はますます深淵へと嵌っていく…。

0876/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)読了。

 〇4月某日、表現者第29号(ジョルダン、2010.03)の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「市場論-資本主義による国民精神の砂漠化」を読了。
 4月某日、同上の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「議会論-『チルドレン』による『討論の絶滅』」を読了。
 いずれも座談会記録だが、ふつうの論文的文章に比べて、却って読みにくく、理解がし難い面がある。ほとんど未読の、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(ジョルダン、2010.03)もきっとそうだろう。
 〇5月某日、佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」月刊正論6月号(産経、2010.05)を読了。月刊正論のこの号では最初に読んだ。計16頁で長い。
 簡単にまとめられるわけがないが、佐伯啓思の主張・見解のほとんどはよく理解できる。こういう言い方が不遜ならば、とても参考になる。
 「親米」でも「反米」でもあるし、どちらでもない、という表現も(p.94~)、よく分かる。かつて八木秀次は<保守>論者を「親米」と「反米」とに分けた図表を作っていたが(この欄で言及したことがある)、そのように簡単にはグループ化できないだろう(八木は「親米」派のつもりで自分を西尾幹二と区別したかったのかもしれない)。議論は<多層的、複層的>なのだ。「幾層かにわけて論じられねばならない」(p.93)。
 だが第一に、佐伯啓思に限られないが(西部邁も似たことを言っているが)、<冷戦は終わった>という前提で議論されていることには、きわめて大きな疑問をもつ(p.88には「一応の冷戦終結」との表現が一箇所あるが、他の部分では「一応の」という限定はない)。佐伯啓思に関係して、同旨のことは既に書いたことがある。
 なるほど欧州では対ソ連との間の<冷戦>は終わったのかもしれない(それでも拡大されたNATOがあることの意味を日本国民はよく理解すべきだ)。しかし、中国・北朝鮮との間での日本の<冷戦>はまだ続いているし、その真っ只中にある、と考えるべきだ。まだ日本(とアメリカ)は勝利していない。敗北する可能性すらある。
 したがって、佐伯啓思には、アメリカに問題点、批判されるべき(追従すべきではない)点があるのは分かるが、中国(共産党)・北朝鮮(労働党)の現状をもっと批判してほしい。
 第二に、思想家・佐伯啓思に期待しても無理なのだろうが、「まずこのディレンマを自覚すること」との結論(p.95)だけでは、実際には一種の精神論だけで、ほとんど役に立たない可能性もある。
 佐伯啓思の複層的な思考と叙述は魅力的だが、例えば、7月参院選に関してどう行動すべきかは、佐伯啓思の文章をいくら読んでも分からないだろう。
 行動あるいは政治的戦略の前にまずは「保守」の意味・立場・考え方を明確にしておくべきとの前提的主張は、そのとおりではあるのだが、具体的な成果がすぐには出にくいことはたしかだろう。
 それに、私はよく理解できたと書いてしまったが、佐伯啓思の議論に従いていける<知的大衆>はどれほどいるだろうか、という懸念もなくはない。いわゆる<保守>派にも(「左翼」と同様に)狂信的・狂熱的な者たちがいそうだ。そういう人たちは佐伯啓思の本・文章を読もうとしないか、または読んでも(失礼ながら)ほとんど理解できないのではないか。
 2008年2月の佐伯啓思・日本の愛国心-序論的考察(NTT出版)を刊行直後に読んで、何かの賞に値するように思ったが、論壇で大きな話題になることなく終わってしまったようだ。そういう意味では佐伯啓思は不当に扱われており(不遇であり)、もっと多くの人にその著書等は読まれてよいと感じている。それを阻んでいるのが、佐伯啓思の本等を書評欄等で絶対に取り上げたりはしない、朝日新聞等の「左翼」マスメディアであるのだが。

0855/山内昌之・歴史学の名著30におけるレーニン・トロツキーとジャコバン・ルソー・ヘーゲル。

 一 山内昌之・歴史学の名著30(ちくま新書、2007)は、「作品の歴史性そのもの」、「存在感や意義」を考えて、ロシア革命についてはトロツキーを選び、E・H・カーを捨てた、という。
 トロツキー・ロシア革命史(1931)を私は(もちろん)読んでいない。トロツキストの嫌いな日本共産党とその党員にとってはトロツキーの本というだけで<禁書>なのだろうが、そういう理由によるのではない。
 山内の内容紹介にいちいち言及しない。目に止まったのは、次の部分だ。
 山内はトロツキーによる評価・総括を(少なくとも全面的には)支持しておらず、トロツキーが「革命が国の文化の衰退を招いた」との言説に反発するのは賛成できない、とする。いささか理解しにくい文章だが、結局山内は「革命が国の文化の衰退を招いた」という見方を支持していることになろう。推測を混ぜれば、トロツキーはかつての(革命前の)ロシアの文化など大したものではなかった、と考えていたのだろう。
 そのあとに、山内の次の一文が続く。
 革命によって打倒された「文化が、西欧の高度の模範を皮相に模倣した『貴族文化』にすぎないとすれば、ヘーゲルやルソーなど、トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたちが多くを負う思想を含めた西欧文化は行き場所がなくなってしまう」(p.206)。
 これも分かり易い文章ではないが(文章が下手だと批判しているのではない)、一つは、革命前のロシアも「西欧文化」を引き継いでいたこと、二つは、その「西欧文化」の中には「ヘーゲルやルソーなど、トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたちが多くを負う思想」が含まれていること、を少なくとも述べているだろう。
 興味深いのは上の第二点で、山内は、「トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたち」は「ヘーゲルやルソーなど」に負っている(を依拠している、継承している)として、まずは、「トロツキーやレーニンら」を「ジャコバンたち」、つまりフランス革命のジャコバン独裁期のロベスピエールらと同一視または類似視している。
 そして、つぎに、そのような「トロツキーやレーニンら」の源泉・淵源あるいは先輩には「ヘーゲルやルソーなど」がいる、ということを前提として記している。ルソーがいてこそマルクス(そしてレーニン)もあるのだ。
 短い文章の中のものだが、上の二点ともに、私の理解してきたことと同じで、山内昌之という人は、イスラム関係が専門で、ロシア革命やフランス革命、あるいはこれらを含む欧州史・西欧思想の専門家ではないにもかかわらず、よく勉強している、博学の、かつ鋭い人物に違いない、と感じている。
 山内は1947年生まれ。「団塊」世代だ。岩波書店からも書物を刊行しているが、コミュニスト、親コミュニズムの「左翼」学者ではない、と思われる。そして他大学から東京大学に招聘されたようで、東京大学も全体として<左翼>に染まっているわけではないらしい。
 但し、東京大学の文学部(文学研究科)でも法学部(法学研究科)でもなく、大学院「総合文化研究科」の教授。さすがに東京大学は、「歴史学」の<牙城>であるはずの文学研究科の「史学(歴史学)」の講座または科目はこの人に用意しなかったようだ。

0846/佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」と日本国憲法13条。

 一 産経新聞3/15の佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」を読んで、深い感慨に耽らざるをえなかった。
 二 鳩山由紀夫が「幸福度指数」なるものを持ち出していることに刺激を受けてだろう、佐伯は次のように言う。
 A<アメリカ独立宣言は「幸福追求の権利」等を「普遍的価値」と謳ったが、「自由」とともに「幸福追求の権利」はイギリスに対する「抵抗」の思想だったにもかかわらず、それが忘れられ、「誰もが幸福でなければならない、という一種の強迫観念」を生んだ。これに浸かってしまい、「他人が幸福であれば自分も幸福でなければ面白くない。不幸だと感じた途端、自分の人生は失敗だった」と感じてしまう。この強迫観念に捉えられれば「人は決して幸福になれない。それどころか…人をますます不幸にする」。>
 B<日本にはもともとは「かくも利己的で強迫的な幸福追求の理念」はなかっただろう。①「仏教的な無常観」、②「武士的な義務感」、③「儒教的な『分』の思想」、④「神道的な晴明心」、のいずれを持ち出し、いずれに依拠するにせよ、これらはすべて「個人的な幸福追求に背馳する境地をよし」とするものだ。ここに「日本人の死生観や自然観や美意識」が生まれた。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ。「幸福」の指標などと言う前に「日本人の背負ってきた死生観や自然観を学び直す」必要がある。>
 このような佐伯啓思の見解・主張を私はほとんど違和感なく受け容れることができる。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ、との部分も、論争的であるとしても(議論の対象になりうるとしても)、結論的にはそういう他はない、と感じている。
 三 佐伯の一文を読んで深い感慨を覚えた、というのは、佐伯啓思の見解・主張を私個人は十分に納得できるものの、しかし、現在の日本人の多数はむしろ理解できず、あるいは反発するのではないか、という、うんざりとするような気分も同時に湧いたからだ。
 なぜなら、佐伯も言及するアメリカ独立宣言が謳う「自由」や「幸福追求の権利」は現日本国憲法において、まさしく実定法化され(=明文で憲法典にまで書かれており)、少なくとも成文法としては日本国憲法は「最高法規」とされ、それにもとづいて行われた戦後の公教育のための、疑いをもつことが許されないほどの<理念>としてすらされてきた。
 あらためて、現日本国憲法13条を引用しよう。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 第一文でいう「個人の尊厳」(の保障)が樋口陽一をはじめとする<左翼>(かつおそらくは圧倒的に多数の)憲法学者において、現憲法の最重要の基本理念とされていることは、すでにニュアンスを変えつつ、この欄でも何度も言及した。
 この<個人の尊厳(の保障)>=「個人の尊重」とともに「(自由および)幸福追求に対する権利は…国政上最大の尊重を必要とする」と現憲法は謳っているのであり、かかる憲法規定を知り、学んだほとんどの(かつての、も含む)少年・青年たちには、とりわけ、狭く言えば大学の法学部で憲法を勉強した者たちには、さらには司法試験に合格し専門法曹になったような者たちには、<個人が尊重され>、個人がそれぞれ<幸福を追求する権利をもつ>ことは、疑問を微塵も生じさせないだろうような、しごく常識的で、当然のことになってしまっている、と思われるのだ。
 この13条の淵源はアメリカに、ひいては西欧(欧米)の法(人権・)思想にある。そして、佐伯啓思も指摘するように、必ずしも日本人本来の「人間」観・「人生」観とは合致していない、と思われる。
 だが、そのような問題があることを全くかほとんど意識することなく、<個人の尊厳>と<幸福追求権>の保障が存在することを、現在の日本人の多くは当然視しているのではないか。
 佐伯啓思の一文の内容を諒解しつつ、怖ろしいと感じるのは、上のことにある。
 佐伯啓思の考えていることと、日本国憲法に明示されていることにもよる、多数日本人の意識の間の、この大きな乖離。ここに怖ろしく感じる原因はある。
 それぞれの個人が(自由に)<幸福を追求>することができる、ということ自体は当然のようにも思えるが、佐伯も指摘又は示唆するように、個人は<平等に>「自由」・<幸福追求権>をもつと考えられていることから、他人との間の比較意識、<格差>を嫌う、<そねみ・ねたみ>の意識は容易に生じる。もともと日本人にとっての「自由」とは(他人に害悪を及ぼさない限度での)<気まま>・<放恣>・<何でもアリ>の気分に転化してしまっていること(これはほとんど<多様な個性の尊重>という通念に等しいこと)は、あえて長々と書かなくてよいだろう。
 こうした「自由」・<幸福追求権>を支えるかのごとき<個人の尊重(「個人の尊厳」保障)>の理念も元来は欧米に由来するものであることは、代表的な憲法学者だったらしい樋口陽一が、フランス革命期の<ジャコバン型個人主義>を日本人も(もっと?)体験すべき、と主張していることからも明らかだ。そして簡潔に書くが、丸山真男・樋口陽一(・辻村みよ子)らの日本の「左翼」知識人たちは、日本人は(欧米人のように?)自己を確立した<強い個人になれ>と戦後ほぼ一貫して(戦前から?)主張してきたのだ(そこでは自分は欧米的な「個人」として自立しているが日本の
「大衆」はまだ<遅れている>という暗黙の前提があった)。
 このような欧米的思想を継受した日本国憲法のもとで培養された現代日本「国民」の意識は必ずしも佐伯啓思のそれと同じではないと思われる。佐伯を批判しているのではなく、はがゆい思いで、事実の認識として書いている。
 そして、ここにもまた、日本「国民」の間の<国論の分裂>の根っこを感じ取らざるをえない。
 (「家族」に関する規定のない)日本国憲法も描く<自立した強い個人>の<自由(勝手)>な<幸福追求>活動の保障というイメージは、佐伯啓思の指摘するとおり、やはり日本と日本人の本来の意識とは合致しない、合致するはずがないのではないか。
 「日本人の背負ってきた死生観や自然観」に依拠して日本国憲法をも含めて見直すのか、それともかかる「日本人」意識あるいは<ナショナルなもの>は捨てて<普遍的な>「国際人」(地球市民?)になることを目指すのか、人についても国家についても、基本的なところで<国論の分裂>があり、あちこちで火花を散らしている。
 以上、内容としてはじつに幼稚な、新味のない文章になった。 

0827/三島由紀夫全集第35巻の大野明男関連文章(1969)を読む。

 一 ①「大野明男氏の新著にふれて―情緒の底にあるもの」、②「再び大野明男氏に―制度と『文化的』伝統」の二つが、決定版三島由紀夫全集第35巻(新潮社、2003)に収載されている。
 契機となった大野著とは『70年はどうなる-⦅見通し⦆と⦅賭け⦆』で(出版社等不明)、上の三島由紀夫の文章は、毎日新聞1969.08.08夕刊、同1969.08.26夕刊が初出で、いずれも三島・蘭陵王(新潮社、1971)に所収。
 大野明男は当時「全共闘」支持の「左翼」論者だったようで、三島由紀夫がこういう文章を書いて、<保守>の立場での一種の<時事評論>をしていたとは詳しくは知らなかった。小説・戯曲を書いたり、一般的な文化・思想論を展開したりしていただけではなかったのだ。そういえば、<東大全共闘>と討論?し、それを本にしていた。けっこう、現実具体的な問題に介入していたのだ。なるほど、そうでないと、1970年11月の市ヶ谷での一種の<諫死>も理解はできない。
 さて、大野・三島論争?自体に立ち入らない(立ち入れない)。大野の文章全体を正確には知らないから。
 二 興味深い一つは、三島由紀夫の<憲法(とくに日本国憲法)>観が示されていることだ。
 三島によると、大野は「憲法」はその名のためではなく「成立を導いた『革命』のような政治過程の根本理念を表現した」ものであるがゆえに尊く、他に「優越」する、と書いたらしい。この部分を引用したあと、三島は書く。
 「なるほど新憲法に盛込まれた理念はフランス革命の人権宣言の祖述であるが、その自由民権主義はフランスからの直輸入ではなくて、雑然たる異民族の各種各様の伝統と文化理念を、十八世紀の時点における革命思想で統一して、合衆国といふ抽象的国家形態を作り上げたアメリカを経由したものである。しかもアメリカ本国における幻滅を基調にして、武力を背景に、日本におけるその思想的開花を夢みて教育的に移植されたものである。『血みどろの過程を通って』獲得されようが、されまいが、それが一個の歴史的所産であることは否定できない。
 私は新憲法を特におとしめるわけではないが、これも旧憲法と等しく、継受法の本質をもち、同じ継受法でありながら、日本の歴史・文化・伝統のエトスを汲み上げる濃度において、新憲法は旧憲法より薄い、とはっきり言へると思ふ。
 …継受法も一種の歴史的所産であるなら一国民一民族の歴史的文化的伝統との関わり合ひにおいて評価せねばならぬ、というのが私の立場である。憲法に対して客観主義的立場の人がその保持に熱狂し、憲法に対して主観的主体的立場をとらうとする人が必ずしも熱狂的ではない、といふところが面白い」。(全集第35巻p.603-4)。
 三島は1969年に44才(1945年に20才)。東京大学法学部で誰のどのような憲法の講義を受講したのだろうか。美濃部達吉か宮沢俊義か。いや(在学期間を確認すれば判明することだが)新憲法自体が1947.05施行なので、そのときはすでに卒業していて、旧憲法を前提とする講義を聴いたのだろう。
 いずれにせよ、大学教育によって上のような知見に至ったわけではあるまい。そして、日本国憲法についての、その理念は「フランス革命の人権宣言の祖述であるが、その自由民権主義はフランスからの直輸入ではなくて、雑然たる異民族の各種各様の伝統と文化理念を、十八世紀の時点における革命思想で統一して、合衆国といふ抽象的国家形態を作り上げたアメリカを経由したもの」という理解の仕方は正確なもののように思われる。1969年当時の大学法学部のほとんどにおいては、このような日本国憲法の説明は(憲法教育は)なされていなかったと思われるし、今日でもおそらく同様だろう。
 そしてまた、旧憲法も「継受法」だとしつつも、新憲法の方が「日本の歴史・文化・伝統のエトスを汲み上げる濃度」が旧憲法よりも「薄い」と明言して、新憲法に対する違和感・嫌悪感を表明している、と考えられる。
 大野明男は(反体制派「かつ」、あるいは「しかし」)<護憲>派だったようなのだが、新憲法(日本国憲法)に対する親近と嫌悪、これは今日にも続いている国論の分裂の基底的なところにあり、九条二項や「アメリカ」経由の欧米的理念の色濃い現憲法諸規定の<改正=自主憲法制定>に反対するか、積極的に賛成するかは、(公務員制度や政治家・官僚関係に関する議論・対立などよりもはるかに)重要な対立軸であり続けている、と考えられる。
 現憲法に対する態度は、結局は<戦後レジーム>に対する態度・評価の問題にほとんど等しい。これは、公務員制度や政治家・官僚関係に関する議論・対立などよりもはるかに大きな対立軸だ。そして、民主党のほとんどあるいは民主党中心新政権は<戦後レジーム>(現憲法)護持派なのであり、自民党の中には(民主党内に比べてだが)<戦後レジーム>脱却派=自主憲法制定派(改憲派)が多い(党是からは消えていない筈だ)、という違いがあることになろう。
 三 興味深い第二は、三島によると、大野明男は次のように書いたらしい(以下の「」は三島による引用内)。
 「日本の生産的労働階級」は「千余年の間、『天皇』などは知らずに、営々として『日本』を生きてきた…。心を『天皇』に捕えられるのは、つまり三島氏が『国民的メンタリティ』などと…持出しているのは、特殊な『明治以後』的なもの、正確には『日清戦争以後』的な、膨張と侵略の時代のメンタリティにすぎないのである」。
 おそらくは三島が「日本の歴史・文化・伝統のエトス」の中心に「天皇」を置く、又は少なくともそれと不可分の要素として「天皇」を考えているのに対して、大野は、日本の庶民の対「天皇」心情あるいは「天皇」中心イデオロギーは明治時代以降の産物で、「日本の歴史・文化・伝統」ではない、と主張したいのだろう。
 三島は大野の文を引用したのち、「これはよくいはれるルーティンの議論で、別に目新しいものではない」と応じ、<制度>・<感情>・<文化的伝統>等に論及している(上掲p.604-5)。
 この二人の議論と似たような議論が最近にもあったことを思い出す。
 すでに言及したが、隔週刊・サピオ11/11号(小学館)誌上で、小谷野敦のブログによる『天皇論』批判に対して、小林よしのりが反論している部分だ。
 大野明男にあたるのが小谷野敦で、三島のいう「よくいはれるルーティンの議論」をしていることになる。三島にあたるのが小林よしのりで、三島よりも<実証的に>江戸時代にとっくに庶民は「天皇」の存在を知っておりかつ敬慕していた「旨」を明らかにしている(なお「敬慕」の語はここで用いたもので、とくに拘泥したい語でもない。小林よしのりもこの語は用いていなかったかもしれない)。
 「左翼」の教条的な「ルーティンの議論」は40年を経て、なお生き続けていることにもなる。ウソでも100万回つけば…。「左翼」は捏造・歪曲にも執拗だ。

0825/三島由紀夫「文化防衛論」の一部。

 三島由紀夫「文化防衛論」の末尾(最後の一段落)は、つぎのような文章だ。「昭四三、五、五」という執筆年月日が一番最後にある。
 「私がかういうことを言ふのは、東南アジア旅行で、……、共産主義の分極化と土着化の甚だしい実例を見聞してゐるからである。時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言ふまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる。このやうな事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆ーでつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、かうした栄誉大権的内容の復活は、政治的概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのやうな天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。/―昭四三、五、五―」
 (初出-中央公論昭和43年7月号。決定版三島由紀夫全集第35巻p.50-51(新潮社、2003))
 <文化概念としての天皇>なる概念に拘るつもりはない。 
 「象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねない」、という41年前の三島の懸念と予想は現実化しつつあるのではないか。三島の鋭さと今現実にある虞れを、ともに強く感じる(なお、現在の「国民」が「圧倒的多数を以て」「象徴天皇制を支持」していると考えるのは、甘い認識である可能性もある)。
 「〔文化概念としての〕天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だ」、という指摘も適確だと思われる。皇太子妃バッシングに耽り、「小和田王朝」うんぬんと能天気なことを話題にする前に、「天皇」(制度)、そして「日本」の危機こそが深刻に意識されなければならないのではないか。雅子妃殿下こそが「天皇」(制度)と「日本」の危機の一因だなどと喧伝するのは狂気の所業だ。また、皇太子妃の「公務」なるものを平気で語る知識人(らしき者)がいるのにも驚いている。
 「〔文化概念としての天皇が崩壊して、〕もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる」、という指摘も-怖ろしくも-当たっていると思われる。
 
<容共>政権のもとで、米国よりも中国(中国共産党)を選好するような政策が選択されれば、その行き着くところは、<容共>政策のために「利用される」かぎりでの(中国共産党にとって少なくとも邪魔にならない)「天皇」(制度)が残るか、現憲法上の「天皇」条項が国会議員の2/3以上の発議によって国民投票にもとづき削除されるか、ではないか。
 この懸念・憂慮は、まっくの杞憂だとは思えない。心ある日本国民は、現実を深刻に受けとめる必要がある。

0813/竹田恒泰は安易に「真正保守」と語ることなかれ。

 月刊正論11月号(産経新聞社)に竹田恒泰による渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP)の書評がある(p.332-3)。
 この本は未読だし、内容は問題にしない。だが、気になることがある。
 竹田恒泰は、渡部昇一・金美齢・八木秀次という三人の著者(対談者?)のこの本につき、「…真正保守の立場から緻密に検証を加えている」と書く(p.332)。
 「本書は、日本の保守はどのようにあるべきかの指針を与えてくれる」(p.333)というのは過大なリップサービスくらいに理解しておけばよいだろうが、<真正保守>という語を上のように簡単に用いるべきではない。
 竹田恒泰は自らを<真正保守>と考えている(又はそれを志向している)のかもしれないが、その前に、どこかで<真正保守>なるものの意味、似非・不真正の<保守>との違いを明瞭にしておいてもらいたいものだ。
 皇室に関するかつての議論からして、竹田は西尾幹二は<真正保守>だとは見なしていないかもしれない。
 では、三人の一人、八木秀次は<真正保守>なのか?、という疑問がある。八木秀次が<真正保守>であるとして、そのような者が、皇太子妃の宮中祭祀忌避を事実だと断定して(又は強く推定して)、そのことを理由として現皇太子の皇位就任適格を疑問視するような皇室典範の解釈を示したりするのだろうか。
 現皇太子妃を理由として現皇太子の皇位就任適格を疑う者が<真正保守>なのか?
 竹田恒泰は、八木秀次の<保守>論者としての底の浅さに気づいてもいないのではないか? 竹田恒泰のために、余計ながら、かついかほどの効果があるかも自信がないままに、ご助言申し上げる。
 なお、既述だが、渡部昇一がサンフランシスコ講和条約の一部の解釈につき、東京「裁判」ではなく「諸判決」だとまだ繰り返し主張しているのは(櫻井よしこもこれの影響を受けている)、「遵守」対象批判としては必ずしも的確ではなく、有効性に欠ける(なお、文献または記事を明記できないが、坂元一哉も何かの文章の中で私と同様に「裁判」か「諸判決」かの違いを軽視-または無視-していた)。
 また、渡部昇一は日本国憲法「無効」論の影響をうけ、それを支持しているようでもある。
 かりに渡部昇一が<真正保守>だとしても(私はこの人のものを多数は読んでいない)、そのことが、この人のすべての主張・見解の正しさ・適確さを保障するものでは全くない。念のため。

0811/「レーニンから毛まで」。<容共>か<反共=反コミュニズム>かが基本的対立軸。

 産経新聞社の別冊正論あたりに近いだろうか、ドイツの新聞社 Die Zeit〔時代〕 が季刊で「Die Zeit /歴史」という本又は雑誌を発行していて、今年秋号で第18号になったようだ。
 その2009-03号のタイトルは<危機の予言者-カール・マルクス>。内容を紹介するつもりはないし、その能力もない。
 目次を瞥見して興味を惹いたのは、Iring Fetscher(イリング・フェッチャー)という人物が「父の名前において-レーニンから毛まで-マルクスのイデーから生まれたもの」という文章(論文)を書いていて、マルクス-レーニン-毛沢東を一つの系統として捉えていることだ。毛(沢東)の名前が挙がるなら、実質的には「金日成まで」続いていると理解して何ら差し支えないだろう。
 毛沢東と金日成のあと、中国と北朝鮮において、体制の基本的思想において断絶はあったのか。むろん、<市場経済>を一部で導入した中国のように、政策的に重要な変更はある。だが、毛沢東や金日成の後継者たちが両国を支配していることにほとんど誰も異論を挟まないだろう。
 だとすれば、イリング・フェッチャーの言葉を借りれば、<マルクス・レーニンから毛沢東・金日成まで、そして現在の中国・北朝鮮の指導者たちまで>という系列を語ることが可能だ。
 日本共産党のように、マルクスとレーニンまでは「正しく」、スターリンから誤って<真の社会主義>ではなくなった(少なくとも目指す国でなくなった)、などという<寝言>を、ドイツ人を含む欧米人は誰も(一部のマルクス主義者を除き「ほとんど」が正確だろうか)語ってはいないだろう。
 現時点ではまだ政権与党であるドイツ社会民主党も戦後に早々と<反共=反コミュニズム>を明確にし、そのゆえにこそ、政権を担え、首相も出せる<現実的・建設的な>政党になった。
 <反共=反コミュニズム>は、欧米では、諸国民や知識人たちの(ほとんど)<常識>であるに違いない。
 日本ではどうか。<反共=反コミュニズム>は一部の<保守・反動>・<右翼>の心情で、共産主義=コミュニズムに対しても<優しく><リベラルな>のが(つまりは<容共>が)<進歩的>な感性の人間だとの、根拠のない思い込みになお多くの国民が陥っているように見える。はなはだしいのはマスメディアに従事する輩たちであり、大学の人文・社会系の学者たちだ。
 「レーニンから毛まで」と簡単に断言することのできない、曖昧な知識人・マスコミ人士の何と多いことか。
 グローバル化というなら、こういう<反共=反コミュニズム>においても日本は<国際標準>に合わせるべきだ。そこに達していない日本は、欧米に比べて<グロテスクに異様だ>と感じなければならない。
 もともと外国所産の思想に対する<反共=反コミュニズム>を掲げることに反対するために(つまり<容共>のために)、日本に固有・独自の歴史・文化を持ち出す持ち出すことはできない。上のことは何でも欧米の真似をせよ、という主張をしているのではない。
 民主党は全体としては又は多数派は<共産主義・社会主義志向ではない>という了解と安心があったからこそ、有権者の多くは同党に票を投じたのだろう。たしかに、米帝は日中人民共通の敵だと北京で声明した委員長がいたり、日米安保廃棄を唱えつづけてきたかつての日本社会党とは異なるようだ。
 だが、この政党に<旧社会党>一派がいることは周知のことだし、新総理大臣・鳩山がはたしてどこまで<反共=反コミュニズム>意識の持ち主であるかは疑わしい。むしろ<容共>に傾きうるのではないか、という危惧がある。
 こんな曖昧な政党に政治を委ねなければならないとは、憂鬱な事態だ。
 ドイツでは同盟(CDU/CSU)と自由民主党(FDP)の<保守・中道>連立政権が生まれそうだとされているが、かりにドイツで社会民主党(SPD)ほぼ単独の政権ができても、日本の新政権よりはマシなのではないか。ドイツ社会民主党の<反共=反コミュニズム>ははっきりしており、米国等との北大西洋条約機構(NATO)からの離脱を主張するはずもないからだ(もっとも、独社民党はドイツ国内の米軍の核兵器の撤去を要求しているらしい。ということは、現時点で、ドイツには明確に米軍の核兵器がある、ということ、そしてそのことが広く知られている、ということだ)。
 一部であっても<隠れマルクス主義者>や<容共>の者が民主党内で力を持つとすれば、日本は由々しき状況になるだろう。
 かくのごとく、中国・北朝鮮の現況を前提とすると、日本での思想・政治の最も基本的な対立軸は、なお<容共>か<反共=反コミュニズム>だ、と考えている。
 多くのマスコミ人士や学者たちは、<民主主義(の徹底・充実)>か<古い(愛国的・保守的)思考(の存続)>かの対立だと捉えているように見える。こういう対立軸の設定は、<民主主義かファシズム(軍国主義)か>という、戦後昭和<進歩的文化人>、丸山真男らも描いた、戦後当初の思考枠組みをそのままなお引き摺る、じつはアンシャン・レジームの発想だ。
 決して万全の、理想的なイデオロギーでも何でもない(実現すべき実体的価値を何ら示さない)<民主主義>(国民の「皆様」が主人公!)の実現・充実・徹底、という「青い鳥」を<夢想>して、大多数の国民(・マスコミ人士・学者)はこれからも生きていくのだろうか。むろん、その先頭に朝日新聞や岩波書店や某大学等々の学者たちがいる。どこかが大きく間違っている。

0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。

 月刊ヴォイス9月号(PHP)の鳩山由紀夫「私の政治哲学」(p.132-)によると、彼のいう「友愛」は、フランス革命のスローガン中の「博愛」=フラタニティ(fraternite)のことのようだ。言葉だけ似ていて別物かと思っていたら、本人がそう書いている。
 その祖父・鳩山一郎がクーデカホフ・カレルギーの『全体主義国家対人間』を訳したときに(邦題は『自由と人生』)、「フラタニティ」を「友愛」としたらしい。
 鳩山由紀夫も共鳴・共感しているらしいカレルギーの本によると「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」。そして、カレルギーの本は反ヒトラー・反スターリンという、「左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だった」と由紀夫は書いている。
 この「友愛」主義を現代日本にあてはめると、基本的には「市場至上主義」ではない「共生の経済社会の建設」になる。より具体的な政策レベルでは、第一に「地域主権国家」の確立、第二に、「『東アジア共同体』の創造」だ、と述べられる。
 「左右の全体主義」の排斥は結構なことだ。だが、こう言うとき、鳩山由紀夫は、「右」のそれとして、安倍晋三平沼赳夫らを(あるいは「靖国」参拝政治家・国民を)イメージしているのではないか。
 「左の全体主義」とも戦うとすればぎりぎり容認されるのは社民党までで、日本共産党や中国共産党とは対立しなければならないはずだが、はたして中国「社会主義」を鳩山はどう見ているのか。鳩山は「中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい」(p.140)とか書いてはいるが、「『東アジア共同体』の創造」を現時点から国家目標として掲げ(p.139)、「各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創り上げ…」と言うとき、彼の立場はかなり「左」にあり、「共生」と「東アジア共同体」の背後に中国「社会主義」は退いて、「左の全体主義」には相当に甘いようだ。
 もともと鳩山のみの意向で政権が運営されるわけはなく、民主党の中には明瞭な親中国派、親「社会主義」派もいることが留意される必要がある。
 そして、サピオ9/09号(小学館)の巻頭の大原康男「ますます遠くなった首相の靖国神社参拝を憂う」から借りると、民主党現幹事長・岡田克也は、結果的・客観的には中国の主張に応じて「A級戦犯が祀られている限り、日本の首相は参拝に行くべきではない」と明言し(鳩山が同旨のことから別の国立追悼施設設置を主張していることは別の回でも言及した)、<チベット、新疆ウィグル問題>については「中国国内の事柄」で「中国の内政に干渉すべきではない」と明言した、という。
 A級戦犯「合祀を理由とする参拝反対は中国からの内政干渉が発端であるにもかかわらず、…たび重なる残虐な・非道な少数民族迫害・弾圧には内政不干渉の美名の下に容認」している(大原、p.3)わけだ。
 こうして見ると、鳩山由紀夫の二つ又は左右の「全体主義」との戦いという「友愛」主義も、嘘くさい。この人物も、戦後<民主主義・個人主義・自由主義>の優等生で、究極的には、右翼「ファシズム」よりも<左翼全体主義>=社会主義・コミュニズムを選択しそうな、つまり「容共」の考え方・意識の持ち主なのではないか。そして、それはもともとの祖父やクーデカホフ・カレルギーの考え方・意識からは離反しているのではないか。
 (なお、誰かがどこかで書いていたように、民主党政権ができるとすれば、それは<戦後レジーム維持>派の大勝利なのだ。)
 サピオ9/09号に上で言及したが、同号の小林よしのりの連載の最後の頁の欄外上には、「民主党は政権をとったら靖国神社に代わる新たな『国立追悼施設の建設』を本格化させ、『外国人参政権』『非核三原則の法制化』も実現させるつもりだ。……左翼全体主義の時代が近づいている」とある。
 鳩山政権が「左右の全体主義との激しい戦い」をするとは信じられず、むしろ「左翼全体主義」へ接近するように見える。ちなみに、「左翼全体主義(左翼ファシズム)」とは、昨秋の所謂田母神俊雄論文後の政治・社会状況を見て、私が(も)使った概念だった。
  

0795/「正しい戦争」があるならば「不戦の誓い」は行えない。

 〇佐々木類という記者?による8/16発の「まさか日本共産党までブレているとは思いませんが…」と題する長い文章がイザ・ニュース欄にある。そしてなかなか皮肉が効いている。 日本共産党の<二段階革命>論において、当面の第一段階の革命が成就するまでは、第二段階の革命(社会主義革命)においては主張したいことを主張するはずがない。将来について同党が考え想定していることからすれば、日本共産党が現在主張していることは<すべてウソだ>と理解しておいた方がよい。
 〇8/15の戦没者追悼式での麻生太郎首相式辞いわく-「わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛と与えております。国民を代表して、深い反省とともに…。/私たちは、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、…。/本日、ここに、わが国は、不戦の誓いを新たにし…」。
 これまでの同式辞や外交文書・談話と基本的には同じなのだろうが、いわゆる<村山談話>に通じる基幹的部分を、麻生太郎首相もまた継承しているように見える。
 「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛と与え」た「過去を謙虚に振り返り」、「反省」し、「非戦の誓いを新たに」する、と言うのだ。
 いわゆる田母神俊雄論文とは異なると思われるかかる認識は、麻生太郎・自民党議員のほとんどを含めて、とっくに<体制化>している、と理解しておいた方がよいのだろう。政府の中でも外務省は、戦後一貫して、かかる認識と立場でいたものと思われる。
 だが、少数派だろう?とはいえ、上の式辞内容には疑問をもつ。
 過去ではなく近未来についても、そもそも「非戦の誓い」とは何なのか。
 1929年のパリ不戦条約(「戦争抛棄ニ関スル条約」)の締結国が「放棄」を宣言した「戦争」は<すべての>それではなく、「国際紛争解決ノ為戦争」または「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争」であり、かつ、特定の「戦争」がこれらに該当するか否かの認定権が当時の国際連盟(又はその下部機構)にあるとされていたわけでもない。
 日本国憲法九条1項が放棄しているのも、「国際紛争解決の手段として」の「国権の発動たる戦争」にすぎない。これは基本的に<侵略戦争>に限られる。
 なるほど九条2項は「国の交戦権は、これを認めない」と定めているため、結果として<すべての>「交戦」が否認されていることにはなる(通説的解釈)。ここに日本国憲法の世界に独特の特殊性がある。この条項まで意識して、現憲法の(通説的)解釈をふまえて、麻生太郎首相は「非戦の誓い」を語ったのだろうか。
 だが、2項がすぐ前で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めているかぎり、「戦力」なくして「交戦」がありうる筈はなく、「国の交戦権は、これを認めない」という文の意味・存在意義はもともと疑わしいのだ。
 「左翼」新聞社刊行の、元東京大学教授による、筒井若水・違法の戦争、合法の戦争(朝日新聞社・朝日選書、2005)p.224-5あたりでも、「交戦権」=right of belligerency の意味が「国際法上論じられた形跡はない」、「その内容を国際法上確認できない以上、その国際法的意味を求めても詮ないことである」と書いてある。
 法的議論から離れても、「非戦」=<すべての戦争の否定>を誓ってよいのだろうか。
 北朝鮮または中国から<侵略戦争>攻撃を受けた場合の日本の(国家としての)自衛行動は、常識的には<自衛戦争>に他ならない。「戦争」という語をあえて避ければ、憲法も否認はしていない(通説)国家の「自衛権」にもとづく<自衛>のための<武力行使>ということになるが、実質的には<自衛戦争>と称しても何ら誤りではないだろう。
 <予防的先制攻撃>すら理論的には「自衛権」の行使として可能だとされている。
 そういう議論と日本をめぐる環境の中で、なぜわざわざ「非戦の誓い」を語らなければならないのだろう。毎年こんな言葉を聞いて安心し、喜んでいるのは、共産党(・労働党)独裁の中国と北朝鮮(・アメリカ?)なのではないか。謙虚さと自虐とは、行き過ぎると卑屈と莫迦になる。その弊に陥っているのが現在の日本なのではないか。
 宮崎哲弥はかつて、「正しい」戦争はある、と断言したことがある。その宮崎哲弥が産経新聞8/08「米士官学校教科書の『原爆批判』」と題する文章を載せている。
 それによると、米士官学校で使われている教科書の一つ、マイケル・ウォルツァー『正しい戦争と不正な戦争』という本は、ドイツの場合と異なりかつての日本がしたのは「一般的な軍事拡張」で、「無条件降伏などという完膚なきまでの体制打倒は不要だった」としつつ、「必須ではない目的達成のために、非戦闘員の無差別殺戮を遂行することはまったく不当だった」、つまり「原爆投下は不正な戦争行為だった」と明記している、という。
 原爆投下問題はさておき、この本もまた、「正しい」戦争と「不正な(=正しくない)」戦争とがある、ということを前提としていることは疑いえない(なお、この本は4200円もするので素人が購入するにはいささか高価すぎる)。
 情緒的な「戦争反対」を語らない方がよい。無条件に、「戦争は二度としてはいけない」などと語らない方がよい。八月になると日本のテレビ等はそんな(とくに老人の)声・思い出話で溢れるが、では、日清戦争も日ロ戦争も<してはいけなかった戦争>だったのか? 敗戦と被害の甚大さを体験した、1930年代以降の日中戦争+太平洋戦争の経験のみにもとづいて、一般的な「(すべての)戦争反対」論を導いてはいけない。
 こうした誘導を(策略をもって)行っているマスコミ(テレビ、新聞、出版社)を警戒しなくてはならない。
 一般的な「(すべての)戦争反対」論は、政党の中ではおそらく福島瑞穂の社民党の主張に最も近いだろうが、<軍事>に関する議論の忌避、<軍事>問題の検討の回避に結びついてゆく。社民党ほどではないとしても、そうした罠に、(民主党はむろんだが)自民党のかなりの部分も陥っているのではないだろうか。
 「正しい戦争」=やむをえない自衛自存のための国家「防衛戦争」はありうる。こうした考えが少しでもあれば、簡単に「不戦の誓い」などを語れないのではないか。
 〇戦争の記憶を風化させないために、NHK等は、生存者のいるかぎりでその<証言>をできるだけ得て、残していく方針らしい。上記の麻生太郎首相式辞の中にも、「悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかなければなりません」とある。
 しかし、注意しなければならないと思われるのは、<証言>は、つねにその証言の時点での情報や知識によってある意味では歪曲されて行われる、ということだ。<証言>の対象である戦闘行為・戦争被害等々のまさにその時点における発言ではなく、60年ほども過ぎて、従って<戦後民主主義>の風潮と現在の<体制的・大勢的>ムードの影響を受けて、過去の事実が、現代的<解釈>や<評価>を交えて語られる可能性も十分にある、ということだ。
 事実そのものは発掘し、記録・記憶されなければならないものが多いだろう。しかし、それと、その事実の<解釈>・<評価>とは別のものだ。
 <証言>の収集によって現代的<評価>を伴う何らかの「価値」観をNHK等が主張したいとするならば、それは真の歴史探究ではなく、特定の<政治活動>だ。NHKによる<証言>収集とその報道を、そのかぎりで、十分に警戒しておく必要があると思われる。 

0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。

 一 二年前の朝日新聞による安倍晋三(内閣)攻撃のひどさは、月刊正論9月号(産経新聞社)の長谷川三千子「難病としての民主主義/いま日本国民は何を自戒すべきか」では、こう叙述されている。
 「安倍首相に対する朝日新聞の『言葉』は、徹頭徹尾『感情的』であり、ハイエナの群れが、これぞと狙ひをさだめた獲物の、腹といはず足といはず、手あたり次第のところにかじり付き、喰い破ってゆくのを思はせる、『残酷』さにみちていた。そして、それは少しも『無力』ではなかったのであり、朝日新聞の『言葉のチカラ』は、つひに安倍首相の体力・気力を奪ひ去つて、首相の座から追ひ落とすことに成功したのであつた。政権の『投げ出し』だと言って騒ぎたてた、あの時の朝日新聞のはしゃぎぶりはまだ記憶に生々しい」(p.58)。
 なお、ここに触れられているように朝日新聞が一時期喧伝していた<ジャーナリズム宣言>の中の「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを」とのフレーズが、上では意識されている。「言葉のチカラ」によって虚偽でも真実に変えてみせるという朝日新聞の宣言かとも受け取れ、気味悪く感じたものだった。
 また、長谷川は、「もっとも厄介なこと」は「言葉」による「感情的で、残酷」な政府攻撃こそが「民主主義イデオロギーにかなつたことだ」ということだ、ということを指摘する中で上を述べているが、この「デーモクラティア」にかかわる論点には立ち入らない。
 
 二 月刊正論9月号では、編集者が民主党・鳩山由紀夫の「友愛」論と関係づけているのか否かは分からないが、それとは独自に、竹本忠雄「厄災としてのフランス革命/博愛は幻想-ルイ16世の遺書を読み解く」(p.200-)が目を惹く。
 1791年にパリから(ヴァレンヌを経て)オーストリアへ「逃亡」しようとしたが「逮捕」され、1793年に「斬首」されたルイ16世の政治的遺書にあたる「告辞」(1791.06.20付)が発見されたらしい。そして、その内容の概略の紹介や一部の邦訳が載せられている。
 詳細な引用はしかねるが、「革命と共和制の『大義』を誇大に評価する一方、恐怖政治の残虐と、それに対して抵抗する反革命運動の民衆を相手に各地で展開された大虐殺の事実とを、無視または隠蔽しようとする進歩主義史観が、これまで日仏間の言論界を制してきた」(p.204)状況の中で、フランス最後の絶対君主=悪、フランス革命=善という「日本における共和制論者、すなわち進歩主義史観の持主たち」(p.203)の通念を少なくともある程度は揺るがしうる。
 また、王妃アントワネットも「斬首」されたとともに、よく知らなかったが、わずか10歳の長子ルイ17世(カペー・ルイ)も「両親の処刑のあと獄中で革命政府の手により残酷な殺され方をした」(p.201)、「残酷な獄中死」をした(p.204)、「残酷な犠牲者となった」(p.205)、らしい。
 元国王夫妻の処刑やその長子のかかる処遇は<革命>の成就にとってもはや無意味だったと思われる。また、ヴァンデやシュアンの「戦い」に対する弾圧=大虐殺の実態につき、フランスでも、「ナチによるユダヤ人虐殺」のみならず「われわれフランス人もジェノサイドをやった」との事実を認めようとする運動があるらしい(p.205)。
 日本の明治維新の際の<残虐さ>の程度と比較したくもなる。また、竹本忠雄は「フランスでは立憲君主制は一夜にして崩壊し、日本ではいまなお保持されているが、主権在民を基本とする以上、法的に〔な?〕危うさは変わらない。昨今の日本政府の舵取りは奇妙に、フランス革命の初期の一連の出来事とパラレル」だ、と述べて日本の<天皇制度>へも論及していて興味深いが、これ以上は立ち入らないでおこう。

0774/ルソーとフランス革命と「全体主義」。

 1.ルソーは将来の「フランス革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない。マルクスも、将来の「ロシア革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない(それをしたのはレーニンだ)。
 だが、ルソーが「フランス革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を、マルクスが「ロシア革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を提供したからこそ、ルソーとマルクスは後世にまで名を知られ、影響を与えたのだろう。言うまでもなく、「フランス革命」と「ロシア革命」は現実に(とりあえずは)<成功した>革命だったからだ。「フランス革命」と「ロシア革命」が現実に生起していなければ、ルソーもマルクスも、現実に持ったような「思想」的影響力を持たなかったように思われる。
 2.ルソーのいう「社会契約」等が内容的・思想的にフランス革命に影響を与えただろうことは推測がつく。また、『人間不平等起原論』が人間の「本来的平等」論につながるだろうことも判る。だが、ルソーとフランス革命の関係、前者の後者への具体的影響関係は必ずしも(私には)よく分からないところがある。
 前回言及の小林善彦ら訳の本(中公クラシックス)のルソーの年譜に、1778年に死去してパリの「エルムノンヴィル邸」(城館)に面する池の中の「ポプラの島」の埋葬されたが、1794年10月11日に遺骸が「ポプラの島」から「パンテオン」に移されて葬られた、とある。中心部の南又は東南にある「パンテオン」はフランス又はパリの<偉人>たちの墓でもあるらしいので、ロベスピエールの失脚(斬首)のあとの、1794年10月段階の穏健「革命」政府によって積極的に評価された一人だったことは確かだ。
 詳細な人物伝ではないが、中里良二・ルソー(人と思想)(清水書院、1969)という本があり、次のような文章を載せる。
 ・「ルソーの『社会契約論』は、その存命中にはあまり広くは読まれなかったが、かれの死後、革命家たちの福音書になり、デモクラシーの精神を発達させるのに役立った。そして、一七九三年には、ロベスピエールとサン=ジュストは、『社会契約論』を典拠として国民公会憲法をつくったという」(p.24)。この「国民公会憲法」は1793年制定だとすると、これは<プープル(人民)主権>を謳った、しかし施行されなかった、辻村みよ子お気に入りのフランス1793年憲法のことだ。
 ・「ルソーがフランス革命において、ただ一人の先駆者」ではないが、「その一人であるということはできよう」。「一七九一年一二月二九日、デュマールは国民議会でルソーの像を建てることを提案する演説の中で、『諸君はジャン=ジャック=ルソーの中に、この大革命の先駆者をみるだろう』といっている」。
 ・「マラは一七八八年に公共の広場で『社会契約論』を読んでそれを注解し、それを熱心に読んだ聴衆が拍手喝采したという」。
 ・「一七九一年には、モンモランシーに建てられたルソー像には『われわれの憲法の基礎をつくった』と刻まれている」(以上、p.25)。
 このあと、中里良二はこうまとめる。
 「このような例だけによってみても、ルソーのフランス革命への影響がいかに大きかったかがうかがい知られる…」。
 ロベスピエールを<ルソーの子>又はこれと類似に表現する文献を読んだような気がする(中川八洋の本だったかもしれないが、確認の手間を省く)。
 ともあれ、ルソーのとくに『社会契約論』は(他に所謂<啓蒙思想>等もあるが)「フランス革命」の現実の生起に<思想的>影響を与えたことは間違いないようだ。
 なお、松浦義弘「ロベスピエール現象とは何か」世界歴史17・環大西洋革命(岩波講座、1997)p.200によると、ロベスピエールは「ルソーの霊への献辞」と題する文章の中で、「同胞たちの幸福」を求めたという自らの意識が「有徳の士にあたえられる報酬」だ、と書いたらしい。
 3.もっとも、以上は、松浦義弘(1952~)のものを除いて、フランス革命を<進歩的>な<良い>現象と捉えたうえで、ルソーにも当然に肯定的な評価を与えるものなので、その点は割り引いて読む必要がある。
 中里良二(1933~)の本の「はしがき」は次の文章から始まる。
 「ルソーは、今日にもっとも影響を及ぼした一八世紀の思想家の一人である」。
 その「影響」が人類にとって「よい」ものだったか否かはまだ結論を出してはいけないのではなかろうか。
 しかし、小林善彦(1927~)はこうも書いている。
 『社会契約論』は理解困難だった歴史をもつ。「二〇世紀の後半になると、ルソーこそは全体主義の源流だと見なす研究者さえ出てきている。時代背景も著者の生涯も無視して、たんにテクストだけを切り離して読むならば、そう読めないこともないとはいえるが、それならばルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか。やはり素直に読めば、主権者たる市民による民主主義の主張の書として読むのが正しいのではないかと思う」(中公クラシックス・ルソーp.18)。
 ここでは、①「たんにテクストだけを切り離して読むならば」、「ルソーこそは全体主義の源流だ」と「読めないこともないとはいえる」、と認めていることが興味深い。そして、フランス革命時の革命家たちは「テクストだけを切り離して」読んでいたのではないか、と想像できなくもないので、彼らは実質的には<全体主義>者になったと言うことも不可能ではない、ということになりそうなことも興味深い。
 ②疑いなく、「主権者たる市民による民主主義」を、肯定的に理解している。全世界に、少なくとも日本とっても<普遍的に正しい>思想だと理解している。かかる、小林善彦が当然視しているドグマこそ疑ってかかる必要があるのではないか、と特段の理由づけを示すことなく、言えるだろう。佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)という本もあった。
 もっとも、日本の中学や高校の社会系教科書では、圧倒的に、ルソーは小林善彦らの(従来の)通説に従って評価され、叙述されてはいるのだが。
 ③「ルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか」との指摘は<全体主義の源流>論に対する、何の反論にもならない。<二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした「悪い」影響>の可能性を否定できない。ルソー(・フランス革命)はマルクスに影響を与え、従って「ロシア革命」にも影響を与えた。共産主義(コミュニズム)による一億人以上の殺戮に、ルソーは全く無関係なのかどうか。

0773/ルソー・人間不平等起原論(1755)を邦訳(中公クラシックス)で読了。

 先週7/16(木)夜、ルソー・人間不平等起原論(1755)を、中公クラシックスのルソー・人間不平等起原論/社会契約論〔小林善彦・井上幸治訳〕(中央公論新社、2005)を読み終える。前者・人間不平等起原論の訳者は小林善彦。
 1 引用してのコメントはしない。社会契約論とともにルソーの二大著作とされることもあるが、平等「狂」、あるいは少なくとも「平等教」教組の戯言(たわごと)という印象を拭えない。
 現在の時点に立っての論評は不適切で、18世紀の文献として評価すべきだとしても、人間の「不平等」の「起原」についての論考・思考として、あまりにも説得力がなさすぎ、ほとんど「空想」・「妄想」だ。
 ルソーは今でいうと、「文学評論家」的又は「文学者」的「思想家」のようで、文章自体はおそらく、レトリックを多用した、美文又は(平均人は書けない)複雑な構成の文章なのだろう(邦訳なので、感じるだけだが)。そしてまた、倒置、仮定、二重否定、反語等々によって、意味の理解が困難な箇所も多い。
 2 すでに忘れかけているが、コメントをほとんど省略して、印象に残る(決して肯定・同意の趣旨ではない)文章をピック・アップしておこう。
 序文・「人間は一般に認められているように、本来お互いに平等である」(p.23)。
 ・「人間の魂の最初の、そして最も単純な働き」には「理性」に先立つつぎの「二つの原理」がある。①「われわれの安楽と自己保存」に関心を与えるもの、②「感性的存在、主としてほれほれの同胞が、滅び、または苦しむのを見ることに対して、自然の嫌悪を…起こさせるもの」(p.28)。②はのちにいう「同情心」(pitie)だろう。
 本論・人類に「二種類の不平等」がある。①「自然的または肉体的不平等」、②「道徳的または政治的不平等」。前者の源泉は問えない。これら二種の不平等との間の「本質的な関係」を求めることも不可能(p.33-34)。
 ・この論文では、「事物の進歩のなかで、暴力のあとに権利がおこり、自然が法に屈服させられた時を指摘」する等をする(p.34)。
 ・ここでの「探求は、歴史的な真理ではなくて、単に仮説的で条件的な推理」だ(p.36)。
 第一部・「未開人の身体」は彼の唯一の道具で、「生活技術」(<「文明」)は未開人の「力と敏捷さ」を奪う。
 ・ホッブズは「人間は本来大胆で、攻撃し、戦うことしか求めない」と言ったが、誤っている(p.41-42)。
 ・人間が身を守る手段がないのは「生まれながらの病弱と幼少と老衰とあらゆる種類の病気」だ。「はじめの二つ」は「すべての動物」に関係し、「最後のもの」は「主として社会生活をする人間に属する」(p.43)。未開人は「怪我と老衰のほかにほとんど病気を知らない」。未開人には「薬」は不要で、「医者」はなおさら(p.45)。
 ・「われわれの不幸の大部分はわれわれ自身で作ったもの」で、「自然によって命じられた簡素で一様で孤独な生活様式」を守れば避け得た。「思索」は「自然に反し」、「瞑想する人間は堕落」している(p.45)。
 ・「社交的になり、奴隷になると、人間は弱く臆病で卑屈になる」。「女性化した生活様式は、…力と勇気とをすっかり無力」にする(p.47)。
 ・「裸」のままでおらず「衣服と住居」を作ったことは「あまり必要ではない」ことだった(p.47)。
 とっくに、この<狂人>の「仮説的で条件的な推理」には付(従)いていけないのだが、つづけてみよう。
 

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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