秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

思想

0988/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント1。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)、中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)はいずれも読んでいる。とりわけフランス革命やルソーについては、これらの本の影響を受けているかもしれない。

 これらの本についても感じることは、中川八洋は学術的な研究論文にして詳論すればそれぞれ数十本は書けるだろう、そしてその方が読者にはより説得的によく理解できるような内容を、きわめて簡潔に一冊の本にまとめてしまっている、ということだ。この人は、海外・国内のいずれの文献についても、(外国人の著についてはおそらくは英語のまたは英訳された原書で)すさまじいスピードで読み、理解できる能力をもつ人だと思われる。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)についても、ほぼ同様のことはいえるだろう。中川八洋のすべての本を読んできているならば少しは別かもしれないが、そうでないと、簡潔に言い切られている多数のことが、ふつうの?読者には容易には理解できないように思われる。それは、むろん、すでに紹介したように、「民族派(系)」の江藤淳・渡部昇一・西尾幹二等々は「保守」ではない、控えめに言っても「真正保守」ではない、という、中川ら(?)以外の者にとっては一般的ではない、独特の?見解・立場に立っていることにもよる。

 中川の上の著は「ハイパー・インフレと大増税」という副題をもち、「大不況」というメイン・タイトルをもつことから民主党の経済・財政政策批判の本との印象も生じるが、まるで異なる。「大不況」には「カタストロフィ」というフリガナがついていることからすると、<民主党による日本大崩壊(大破綻)>というのが基本的趣旨で、同時にそのような民主党政権誕生を許した自民党や<民族系>論者を批判することを目的としているように感じられる。その意味では<「民族派」(保守)大批判>というタイトルでも決して内容と大きく矛盾していないと思われる。

 にもかかわらず、実際のタイトルになっているのは、<「民族派」(保守)大批判>では売れない、<民主党批判>本なら売れる、という出版社・編集者の判断に従っているかにも見える。

 上のことはこの本の感想の第一ではまったくないが、中川八洋とて、<出版>そして<売文>業界という世俗と完全に無縁ではいられない、ということを示してもいるだろう。

 さて、中川八洋・民主党大不況(2010)への簡単なコメントはむつかしい。ここで触れられていることは、この欄であれこれと書いてきた多くのことに、あるいはマスメディアや多数の論者が議論してきた多くのことに関係している。

 とりあえずは二点だけ述べる。

 秋月瑛二の私見あるいはこの欄の基本的立場は昨年の7月に「あらためて基本的なこと」と題して書いたとおりだ。
 以下は一部のそのままの引用。 

 ・左右の対立あるいは<左翼>と<保守>の違いは、<容共>か<反共>かにある。<容共>とは、コミュニズムを信奉するか、あるいはそれを容認して、それと闘う気概を持たないことを意味する。<容共>と対立するのがもちろん<反共>で、<保守>とは<反共主義>に立つものでなければならない。コミュニズムを容認または放置してしまうのではなく、積極的に闘う気概をもつ立場こそが<保守>だ。
 ・米国との関係で、自立を説くことは誤ってはいない。<自主>憲法の制定も急がれる。その意味では<反米>ではある。だが、現在の最大の<溝>・<矛盾>は、コミュニズム(共産主義・社会主義)と<自由主義>(・資本主義)との間にある。<反共>をきちんと前提とするあるいは優先した<反米>でなければならない。<反共>を優先すべきであり、そのためには、米国や欧州諸国のほか韓国等の<反共>(・自由主義)諸国とも<手を組む>必要がある。以上のかぎりでは、つまり<反共>の立場を貫くためには、<親米>でもなければならない。
 ・日本と日本人は<反共>のかぎりで<親米>でありつつ、欧米とは異なる日本の独自性も意識しての<反米>(反欧米、反欧米近代)でもなければならない。そのような二重の基本的課題に直面していると現代日本は理解すべきものだ。

 こうした考え方からする中川八洋著に対する第一の感想は、<反共>主義の立場であること、<保守=反共>と完璧に理解すること、が鮮明で、他の多くの<保守>派とふつうは言われている人々の論調に比べて、共感するところ大だ、ということだ。

 述べたことがあるように、佐伯啓思の本は刺激的で思考誘発的で、かつ<西欧近代>への懐疑の必要性について教えられることが多い。だが、佐伯はコミュニズム(・共産主義)との対立は終わった、<社会主義対資本主義>という議論の立て方はもはや古い、というニュアンスが強く、結果として、現実の中国・北朝鮮に対する見方が甘くなっているのではないかという疑問も生じる。上記のような<親米>でも<反米>でもあるという立場は佐伯啓思の論じ方にも影響を受けているが、<反共>と<反米>のどちらをより優先させるべきか、と二者択一を迫られた場合、やはり<反共>(現実には反中国・反北朝鮮等)を選択すべきで、そのためには米国をも利用する(その限りでは<親米>になる)必要があると考えられる。そういう根本的な発想のレベルでは、佐伯啓思にはやや物足りなさも感じている。昨秋の尖閣問題の発生以降の佐伯の産経新聞紙上の論調は何となく元気がないと感じるのは、気のせいだろうか。

 櫻井よしこ渡部昇一がとの程度マルクス(・レーニン)主義を理解しているのかはかなり疑わしい。櫻井よしこはしきりと<反中国>の主張を書いていて、そのかぎりで<反共>だと言えると反論されそうだが、しかし、そのとおりではあるとしても、桜井の文章の中には、見事に、「共産主義」や「社会主義」という言葉が欠落している。

 櫻井よしこに限らず、中国について<中華思想>の国(・地域)だとか、日本と違う<王朝交代>の国(・地域)だとか、その<民族>性自体に対する批判は多く、桜井も含めて中国の帝国主義的(?)、覇権主義的(?)、領土拡張主義的(?)軍事力増大に対する懸念・批判は多く語られてきている。だが、中国の元紙幣には現在でも毛沢東の顔が印刷されているように、中国は毛沢東が初代の指導者であった中国共産党が支配する国家であり続けている。

 そして毛沢東・中国共産党はまぎれもなく、マルクス・レーニン(・スターリン)の思想的系譜をもっていること、中国は<現存する社会主義>国家であることを決して忘れてはいけない。その領土拡張主義的政策に大昔からの<中華思想>等をもって説明するのは本質を却って没却させるおそれなきにしもあらずだ。<中国的>な発展または変容を遂げていることを否定しないが、現在の中国は基本的にはなおもマルクス・レーニン(・スターリン)主義に依拠している国家だからこそ、日本にとっても害悪となる種々の問題を生じさせているのではないか。

 このマルクス主義(・共産主義・社会主義)自体の危険性への洞察・認識が櫻井よしこらにどの程度あるのかは疑わしいと感じている。田久保忠衛についても同じ。

 述べきれないが、以上のようなかぎりで、中川八洋の<民族系>批判は当たっている、と感じられるところがある。

 くり返すが、<ナショナリズム>を、あるいは<よき日本への回帰>を主張し称揚することだけでは<保守>とはいえないだろう。ナショナリスムに対する国際主義(グローバリズム、ボーダーレスの主張)に反対するだけでは<保守>とは言えないだろう。「グローバリズム」、朝日新聞の若宮啓文の好きな「ボーダー・レス」の主張の中に、ひっそりとかつ執拗に「共産主義」思想は生きていることをこそ、しっかりと見抜く必要がある。

 <万国の労働者団結せよ!>とのマルクスらの共産党宣言の末尾は、国家・国境・国籍を超えて<万国>のプロレタリアートは団結せよ、という主張であり、脱国家・ボーダーレスの主張をマルクス主義はもともと内包している。外国人参政権付与論も、上面は美しいかもしれない<多文化(・民族)共生>論もマルクス主義の延長線上にある。

 やや離れかけたが、<反共産主義>の鮮明さ、この点に中川八洋の特徴があり、この点は多くの論者が(ミクロな論点に過度にかかわることなく)共有すべきものだ、と考える。

 といって、中川八洋の主張を全面的に納得して読んだわけでもない。別の機会に書く。

0985/「民主主義」と「自由」の関係についての続き②。

 〇既に言及・紹介したのだったが、いずれも東京大学の教授だった宮沢俊義や横田喜三郎は、戦後当初の1950年代初めに、「自由」も「平等」も「民主主義」から、または「民主主義」と関連させて説明するような叙述をしていた。

 反復になるが、ある程度を再引用する。
 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1950年第1版、1954年改訂版、1973年新版)は結論的にこう書く。

 ・「自由主義も民主主義も、その狙いは同じ」。「いずれも一人一人の人間すべての価値の根底であるという立場に立って、できるだけ各個人の自由と幸福を確保することを理想とする主義」だ。

 これでは両者の差異がまるで分からないが、その前にはこうある。以下のごとく、「自由」保障のために「民主主義」が必要だ、と説明している。

 ・「自由主義」とは「個人の尊厳をみとめ、できるだけ各個人の自由、独立を尊重しようとする主義」あるいは「特に国家の権力が不当に個人の自由を侵すことを抑えようとする主義」のことだが、国家権力による個人の自由の不当な侵害を防止するには、「権力分立主義」のほか、「すべての国民みずからが直接または間接に、国の政治に参加すること」、「国家の権力が直接または間接に、国民の意思にもとづいて運用されること」が必要だ。このように国家が「運用されなければならないという原理」を、「特に、民主主義」という。
 横田喜三郎・民主主義の広い理解のために(河出書房・市民文庫、1951第一版)は、こう書いていた。

 ・「民主主義」とは、「社会的な」面では「すべての人に平等な機会を与え、平等なものとして扱う社会制度を、すべての人に広い言論や思想の自由を認める社会組織を」意味し、「政治的な」分野では、「人民主権」や「人民参政」の政治形態を意味する。もっとも、「人民主権」・「人民参政」は「結局においては、すべての人が平等だという思想」にもとづく。

 ここでは、上の宮沢俊義の叙述以上に、平等・自由・民主主義は(循環論証のごとく)分かち難く結びつけられている(こんな幼稚な?ことを書いていた横田喜三郎は、のちに最高裁判所長官になった)。

 今日までの社会科系教科書がどのように叙述しているかの確認・検討はしないが、日本において、「民主主義」は必ずしも正確または厳密には理解されないで、何らかの「よい価値」を含むようなイメージで使われてきたきらいがあると思われる。一流の(?)<保守派>(とされる)評論家にもそれは表れているわけだ。

 〇何回か(原注も含めて)言及・紹介したハイエクの「民主主義」・「自由主義」に関する叙述は、ハイエク・自由の条件(1960)の第一部・自由の価値の第7章「多数決の原則」の「1.自由主義と民主主義」、「2.民主主義は手段であって目的ではない」の中にある。

 これらに続くのは「3.人民主権」だ。

 余滴として記しておくが、この部分は、「教条的な民主主義者にとって決定的な概念は人民主権の概念」だと述べつつ(p.107)、「教条的民主主義者」の議論を批判している。

 ハイエクによると、例えば、この「人民主権」論によって、民主主義は「新しい恣意的権力を正当化するものになる」(p.107)、「もはや権力は人民の手中にあるのだからこれ以上その権力を制限する必要はない」と主張しはじめたときに「民主主義は煽動主義に堕落する」(p.151)。

 このような叙述は、原注には関係文献は示されていないが、フランス革命時の、辻村みよ子が今日でも選好する「プープル(人民)主権」論や、現実に生じていた<社会主義>国における(つまりレーニンらの)「民主主義」論を批判していると理解することが十分に可能だ。

 また、菅直人が言ったらしい言葉として伝えられている、<いったん議会でもって首相が選任されれば、(多数国民を「民主主義」的に代表する)議会の存続中は首相(→内閣)の<独裁>が保障される>という趣旨の<議院内閣制>の理解をも批判していることになるだろう(菅直人の「民主主義」理解については典拠も明確にしていつか言及したい)。

 ところで、横田喜三郎の書を紹介した上のエントリー(2009年)は、長尾龍一・憲法問題入門(ちくま新書、1997)のp.39~p.41の、こんな文章を紹介していた。

 ・民主主義=正義、非民主制=悪となったのは一九世紀以降の「価値観」で、そうすると「民主主義」というスローガンの奪い合いになる。この混乱を、(とくにロシア革命後の)マルクス主義は助長した。マルクス主義によれば、「封建的・ブルジョア的」意識をもつ民衆の教育・支配・強制が「真の民主主義」だ。未来世代の幸福のための、現在世代を犠牲にする「支配」だ。しかし、「未来社会」が「幻想」ならば、その支配は「幻想を信じる狂信者」による「抑圧」であり、これが「人民民主主義」と称されたものの「正体」だ。
 ・民主主義が「民衆による支配」(demo-cratia)だとすると、「支配」からの自由と対立する。「民衆」が全てを決定すると「自由な余地」はなくなる。レーニンやムッソリーニは、「民衆代表」と称する者による「徹底的な自由抑圧」を「徹底した民主主義」として正当化した。
 反復(再録)になったが、なかなか鋭い指摘ではないか。

 以上で、「民主主義」と「自由」の関係についての論及は終わり。

0984/ハイエク著による「民主主義」と「自由」の続き。

 〇ハイエク・自由の条件(The Constitution of Liberty)の原著初版は1960年に刊行されている。その時点でハイエクは、(この欄の前回に紹介したような)自由主義と民主主義の相違については「広く一致が見られる」と書いている(新版ハイエク全集第5巻p.104)。
 そこでの注(原注)でハイエクはオルテガの著(1937年。有名な、大衆の反逆(1932)ではない)を挙げ、オルテガの次を含む文章を引用している。

 ・「民主主義と自由主義は全く異なった二つの問題に対する二つの解答」だ。民主主義は「誰が公権力を行使すべきか」という問題に対する、自由主義は「公権力の範囲はどうあるべきか」あるいは「公権力…の限界はどうあるべきか」という問題に対する解答だ(p.227-8)。
 ハイエクは前回に引用した文章以外に、次のようにも書いている(p.106)。

 ・「民主主義の一般的擁護論がどれほど強くとも、民主主義は究極的あるいは絶対的価値ではなく、それが何を成し遂げるかによって判断されるべきものである。おそらくそれはある種の目的を達成するには最善の方法ではあろうが、目的それ自体ではない」。

 ここでの注(原注)には、次の二つの文章が引用されている。

 ・メイトランド(1911年)-「民主主義への道を自由への道と考えた人びとは、一時的な手段を究極の目的と誤解した」のだ。
 ・シュンペーター(1942年)-「民主主義は…決定に到達するためのある型の制度的装置であって、…一定の歴史的条件の下でそれが生み出すどんな決定にも関係なく、それ自体では目的となりえないもの」だ。

 民主主義にせよ「自由」にせよ、それら自体の意味についてハイエクを含めての種々の概念理解や議論があるだろうが、少なくとも前者は後者を「基本」とする、というような単純なものではないだろう。

 以上に挙げたのはすべて外国人の文章で、日本には日本的な「民主主義」や「自由」に関する議論や概念用法があってよいことを否定しないが、櫻井よしこのように簡単に記述して済むものではなかろう。
 〇注意を要するのは、戦後日本の当初において、「自由」も「平等」も「民主主義」から、または「民主主義」と関連させて説明するような、分かり易い(?)、一般国民を対象とする本が宮沢俊義や横田喜三郎によって書かれていたことだ。これらについては、すでに言及・紹介したことがある。
 (つづく)

0983/「自由」は「民主主義」の根本か-櫻井よしこ・月刊正論3月号。

 屋山太郎の名も表紙に掲げる月刊正論3月号(産経新聞社)は、第26回正論大賞受賞記念論文と銘打って、櫻井よしこ「国家としての大戦略を確立せよ」を掲載する。

 内容に大きなまたは基本的な異論はないが、インドも同じ立場に立つ「価値観外交」をせよ、そのための「憲法、法制度の改正」を急げ、というのが確立すべき「国家としての大戦略」だとの基本的趣旨のようで、新味はない。

 また、気になる部分もある。以下はその例。

 第一に、「日本人として、中国や韓国では勿論のこと、米国においてさえも時に感じる歴史認識の相違は、インドには存在しない」とある(p.61)。
 インドうんぬんを問題にしたいのではない。「米国においてさえも時に感じる歴史認識の相違」とは、アメリカに対して相当に甘い見方ではなかろうか。

 同じ月刊正論3月号の書評欄にアーミテージ=ナイ・日米同盟vs.中国・北朝鮮(文春新書)が採り上げられているが(この新書は未読)、紹介(・書評)者の島田洋一はこの本の中で、J・S・ナイ(クリントン政権CIA国家情報会議議長・国防次官補、ハーバード大学教授)は「2010年は民主党政権の閣僚は1人も靖国参拝をしていませんね。それはとても良いステップであり、重要だと思います」と述べていると紹介して「余計な」「アドバイス」だ(アーミテージは賢明にも沈黙を保っている)とコメントしている。

 これは一例だと思うが、かの戦争や東京裁判、首相靖国参拝等にかかわる米国と日本の間の「歴史認識の相違」は、少なくとも日本の<ナショリスト派保守>(と中川八洋の「民族派」との語を意識して呼んでおく)にとっては、「米国においてさえも時に感じる」というようなものではなく、より根本的なものがあるのではなかろうか。

 櫻井よしこは民主党閣僚が誰一人として靖国参拝をしなかったことを諒とし、「良いステップ」だと評価する評論家だったのだろうか。アメリカを含む(非中国・反中国の)<価値観外交>の重要性を説きたいがために、ここではアメリカの主流派的「歴史認識」への批判・警戒を薄めすぎているように見える。

 第二に、「民主主義の根本は人間の自由である。言論、思想信条の自由、信教の自由を含む基本的人権の確立である」とある(p.52)。

 中国の「民主主義」の観点からの「異質さ」を語る中で述べられている文章だが、この簡単な叙述には、率直に言って、非常に驚いた。

 「基本的」がつく「基本的人権」という語は欧米にはない日本的なもので同じ<価値観>の欧米諸国に普遍的なものではない(「人権」や「基本権」はある)、田母神俊雄が事実上免職された際に櫻井よしこ(や国家基本問題研究所)は「言論、思想信条の自由」のためにいかなる論陣を張ったのか、「シビリアン・コントロール」という概念の使い方に文句をつけていたが田母神俊雄を擁護しはしなかったのではないか、といった点は細かなこととして、今回はさて措くこととしよう。

 驚いたのは、「民主主義」と「自由」の関係に関する簡単な叙述だ。<「民主主義」の根本は「自由」だ>というように簡単に両者を関係づけるのは、「民主主義」や「自由」というものに対する深い洞察・知見のないことを暴露していると思われる。

 この両概念をどのような意味で用いようと自由勝手だとも言えるが、この両者は別次元のもので、どちらかがどちらかの「根本」にある、というような関係にはないのではないか。正論大賞受賞者ならばいま少し慎重な用語法をもってしてもよかったのではないか。

 より詳しくは(といってもこの欄に書く程度の長さだろうが)、別の機会に述べる。

0981/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」①真正保守と「民族系」。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋。
 ここで中川が書いていることが適切ならば、日本は「ほとんど絶望的」どころか、「絶望的」だ。

 かの戦争の理解についても多くの<保守>論者のそれとは異なる<中川史観>が日本の多数派になることはないだろう。<日本は(侵略戦争という)悪いことした>のではない、という多数派<保守>の歴史観(歴史認識)が日本全体での多数派になることすら疑わしい、と予測しているのだから。かつての歴史理解の差異はさておいても、将来の自主的(自立・武装の)憲法制定くらいでは多数派を形成できないだろうかとささやかに期待している程度にすぎないのだから。

 さっそく脱線しかかったが、中川八洋の主張・見解を基本的なところで支持するにはなお躊躇する。あれこれと苦言を呈してもいるが、多数派<保守>の影響下になおある、つまり中川から見れば誤った<思い込み>があるのかもしれない。しかし、少なくとも部分的には、中川の主張や指摘には首肯できるところがある。

 以下、コメントをできるだけ省く。

 最後の方の図表(p.363)は以下のとおり。

 中川はタテ軸を上の<反共or国家永続主義>と下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義>で分け、ヨコ軸を左の<アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>と右の<反アジア主義(親英米・脱亜)/倫理道徳重視>に分ける。

 四つの象限ができるが、左・かつ下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義+アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>が中川のいう「Ⅱ・極左」だ。中心に近いか端に近いかの差はあるが、文章化しにくいので割愛し、そこで挙げられている人名(固有名詞)は、①林房雄、②福田和也、③保田與重郎、④共産党、⑤近衛文麿、⑥白鳥敏夫、⑦河野洋平、⑧松本健一、⑨村山富市、⑩宮沢喜一〔番号はこの欄の紹介者〕。①~③は、ふつうは<保守派>と理解されているのではなかろうか。

 右・かつ上(反共or国家永続主義+反アジア主義(親英米・脱亜)が中川のいう「Ⅰ・真正保守」で、次の8人のみ(?)が挙げられている。①昭和天皇、②吉田茂、③中川八洋、④殖田俊吉、⑤福田恆存、⑥竹山道雄、⑦林健太郎、⑧磯田光一

 右・かつ下はなく、左・かつ上の<反共or国家永続主義+アジア主義(反英米)>が中川のいう「Ⅲ・民族系」だ。自民党のある議員集団について中川が「容共・ナショナリスト」と断じていた、その一群にあたるだろう。そして、①渡部昇一、②松平永芳、③小堀桂一郎、④江藤淳、⑤西尾幹二、が明示されている。

 このグループはふつう <保守派>とされており、上のごとく(たぶん②を除いて)その「大御所」ばかりだが、中川八洋によれば、「真正保守」ではない。図表によると「反英米」か「親英米」のうち、前者を中川は「真正保守」に反対するものと位置づけていることになる。

 西尾幹二と江藤淳は対立したこともあるが広くは同じグループ。櫻井よしこも、渡部昇一と現在ケンカしている小林よしのりも、おそらくはこの一群の中に位置づけられるのだろう。

 西部邁や佐伯啓思はどう扱われるのだろうか。この二人の<反米>ぶりからして、「真正保守」とは評価されないのだろう。

 佐伯啓思は保田與重郎らの「日本浪漫派(?)」に好意的に言及していたように記憶するので、ひょっとすれば、中川からすると「極左」かもしれない。佐伯は親共産主義をむろん明言してはいないが、「反共」主張の弱いことはたしかだ。その反米性・ナショナリズムは「左翼」と通底するところもある旨をこの欄に書いたこともある(佐伯啓思が自らを「親米」でもある旨を書いていることは紹介している)。

 以上は、冒頭に記したように、中川の整理を支持して紹介したものではない。だが、少なくとも、思考訓練の刺激または素材にはなりそうだ。

 一回で終えるつもりだったが、ある頁の表への論及だけでここまでになった。余裕があれば、さらに続ける。

0980/自民党は「民族系・容共ナショナリズム」-中川八洋・民主党大不況(2010)から③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.300以下の適宜の紹介。逐一のコメントは省く。

 ・細川・村山「左翼」政権は二年半にすぎず、自民党が「保守への回帰」をしておけば「自由社会・日本」の正常路線に戻ることは可能だった。だが、自民党は村山「左翼」路線を継承し、「日本の左傾化・左翼化」は不可逆点を超えた。2009年8月の自民党転落(民主党政権誕生)は、自民党が主導した「日本国民の左傾化」による、同党を支える「保守基盤」の溶解による。「マスメディアの煽動や情報操作も大きい」が、橋本以降の自民党政権自体こそが決定的だった(p.300-1)
 ・自民党内の「真・保守政策研究会」(2007.12設立)には①~⑦〔前回のこの欄に紹介〕の知識がない。①の「マルクス・レーニン主義」すら「非マルクス用語に転換」しているので、知識がなければ見抜けず、民主党が「革命イデオロギーの革命政党」であることの認識すらない(p.312)。
 ・彼ら(同上)が理解できるのは、①外国人参政権、②人権保護法、③夫婦別姓がやっとで、1.①「男女共同参画社会」、②「少子化社会対策」、③「次世代育成」、④「子育て支援」が共産主義(「共産党」)用語であることを知らない。2.「貧困」・「派遣村」キャンペーンの自民党つぶしの「革命」運動性を理解できず、3.過剰なCO2削減規制が、日本の大企業つぶし・その「国有化」狙いであることも理解できず、4.「地方分権」が「日本解体・日本廃絶の革命運動」であることも理解できない(p.312-3)。

 ・彼ら、「民族系自民党議員」は正確には「容共ナショナリスト」で、チャーチル、レーガンらの「反共愛国者」・「保守主義者」とは「一五〇度ほど相違」する。自民党が英国のサッチャー保守党のごとき「真正の保守政党になる日は決してこない」。それは自民党ではなく「日本の悲劇」だ(p.313)。

 今回は以上。西部邁の言葉を借りれば、日本について「ほとんど絶望的になる」。

 中川八洋によれば、安倍晋三の「極左係数」は「98%」で(p.295)、明言はないが、平沼赳夫も「真正保守」ではなく「民族系」に分類されるはずだ。安倍晋三についての評価は厳しすぎるように感じるが、平沼赳夫の-そして「たちあがれ日本」の-主張・見解がけっこう<リベラル>で、<反共>が鮮明でないことを、最近に若干の文献を読んで感じてもいる。

 ナショナリズム(あるいは「ナショナル」なものの強調)だけでは「保守」とは言えない。反共産主義(=反コミュニズム)こそが「保守」主義の神髄であり、第一の基軸だ、という点では中川八洋に共感する。
 さらに、機会をみて、中川八洋の本の紹介等は、続ける。

0979/「透明な共産主義」の蔓延-中川八洋・民主党大不況(2010)による②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は1週間ほど前に全読了。
 第八章の自民党批判(または批判的分析)の中の同党や同党幹部の「極左」扱いにはさすがに首を傾げる。櫻井よしこの「谷垣自民党」と民主党の「同根同類」論または<同質性が高い>論をはるかに超えて、自民党を「リベラル」以上に「左翼」政党視している。だが、同質論を強調しているわけではなく、中川によると、民主党はすっぽり全体が<極左>そのものなのだろう。

 中川八洋によると、「保守主義」とは「全体主義とアナーキズムの極左思想を祖国から排除すべく、剣を抜く戦闘的イデオロギー」だ(p.308)。あるいはまた、具体的には「反マルクス・レーニン主義」・「反ルーマン(社会学)」・「反フェミニズム」・「反ポスト・モダン主義」・「反ポスト・コロニアリズム」だ(p.311)。

 中川の論調にはついて行けないところがあるとはいえ、かかる反共主義・反コミュニズムという立場の鮮明さが、中国やアメリカとの関係での<ナショナリズム>の強調をむしろ主眼としているように読めなくはない<保守派>論者たちと比較しての中川の特長だ。その点は、「共産革命の脅威は、ソ連崩壊とともに日本から消えた」(p.304)と錯覚して、その旨を主張し、誤った幻想をふり撒いているかにも見える論者たちよりも明確に支持されるべきだ。

 中川が言うように、「日本の共産革命勢力」は、ソ連崩壊の頃(1991年末)より、「言葉を変え、まとう衣装を変え、従来のマクロな革命手法を、ミクロ的作戦を多く乱立させる戦術に変えた」のだろうと思われる。中川はこれを「透明な共産主義」と称している(p.304)

 日本共産党の国会獲得議席はたしかに減少し続けている(ついでに社民党もそうだ)。しかし、そのことをもって、「左翼」は弱体化していると見るのは大間違いだ。コミュニズム、マルクス主義あるいは「左翼」は、民主党等に影響を与え、あるいは浸透しているのであり(自民党もその影響の例外ではない)、戦後日本の主流的思潮の<平和と民主主義・合理主義・進歩主義>の中で、執拗かつ強靱にコミュニズム、マルクス主義(共産主義・社会主義)イデオロギーが根を張っている、ということを知っておく必要がある。その点でも、やや大げさに感じなくはなくとも、中川八洋の指摘・主張は基本的には正当と思われ、耳を傾けるべきだ。

 中川は、1992年以降の「共産革命の戦術」を大きく四つに分け、それぞれの具体的政策も挙げている。以下のとおり(p.304-6)。これらは「日本共産党」系のものとされ、他に大きくは二つあるが、今回は省略。

 A・マルクス/エンゲルス/レーニンの家族解体を実践する革命>①夫婦別姓→民法改悪・②子育て支援→少子化対策基本法・次世代育成支援対策推進法・子ども手当の支給・保育園の聖性化など。
 B・子どもの人格を「共産主義的な人間」に改造する革命>①ジェンダー・フリー教育・②性教育。

 C・共産革命にとって最大の障害である日本の伝統と慣習を全面的に破壊する革命>①男女共同参画社会基本法・②女系天皇への皇室典範の改悪。

 D・自由社会の生命で根幹たる「法の支配」を破壊する革命>①裁判員法〔ここは①のみ〕。

 また、中川八洋は、「主要な極左イデオロギー」に次の七つがあるとし、すべてに対して思想闘争をするのが「保守主義」だとする。心ある<保守派>は、けっして次の①のみではないことをしっかりと意識しておく必要がある、と考えられる。なお、→は分化または派生関係を示している。

 ①マルクス・レーニン主義→②ラディカル・フェミニズム、①→③性差破壊のフェミニズム、①→④フランクフルト学派社会学+知識社会学+ルーマン、①→⑤ポスト・モダン思想、⑤→⑥生殖放棄のセックス・サイボーグ化フェミニズム、⑤→⑦ポスト・コロニアリズム
 別の機会に、あらためて、このあたりについては紹介・言及する。
 不思議に思うのは、中川八洋が自らを「たった一人の(日本人)保守主義者」と理解している(p.351~)ことの当否は別としても、産経新聞や月刊正論、月刊WiLL等々の書評欄または新刊書紹介欄等で、中川八洋の本はほとんど無視されているように思われることだ。かりに中川八洋に論考執筆を求めることはしなくとも、この人の本(他にもある)を紹介し、書評くらいしたらどうなのか。

 なるほど、産経新聞やワックの基本的な論調とは異なるところはあるのだろう。しかし、産経新聞的(?)保守、あるいは中川のいう「民族系」論者に対する中川の批判を無視することなく、疑問だと思えばきちんと反論したらどうなのだろうか。

 中川の本からは、間接的に<保守>論壇の奇妙なところも感じさせられる。<保守>論壇が、そこそこの収益をもたらす、自己満足の<売文業界>に堕してはならないだろう。

0963/近代(ブルジョア)民主主義よりも「進歩的」な(はずの)「社会主義国」の民主主義。

 ある程度は知識のあることだが、レーニンの書いたもの(の一部)を読んでいると、マルクス・レーニン主義における「民主主義」論にあらためて関心をもたされる。ギリシャ・ローマ時代の「民主主義」ではない。近代国家(ブルジョア民主主義国家)やレーニンらにおける「革命」との間の、「民主主義」なるものの意味だ。

 レーニン「国家と革命」(1917)の目次からすると、「民主主義」に関するまとまった叙述は以下に限られるようだ(レーニン10巻選集第8巻p.77-80による)。
 ・マルクス「ゴータ綱領批判」(1875)でマルクスは、資本主義社会と社会主義社会の間の「政治上の過渡期」である「プロレタリアートの革命的独裁」について語った。この「独裁」と「民主主義」との関係はいかなるものか? マルクス=エンゲルス「共産党宣言」では、プロレタリアートの支配階級化と「民主主義をたたかいとること」は二つの概念として並置されていたにとどまる。

 ・最も順調に発展した資本主義社会では「民主的共和制」という「多少とも完全な民主主義」があるが、これは、実質的には少数者・「有産階級」・「金持ち」のためだけの「民主主義」だ。「窮乏と貧困」にある住民の多数者は「民主主義どころではなく」、「公共生活、政治生活への参加」から排除されている。

 ・「資本主義的民主主義」・「骨の髄まで偽善的で、いつわりの民主主義」から「ますます広い民主主義」へと単純に発展するわけではない。「プロレタリアートの独裁」を通じてのみ共産主義社会へと発展する。

 ・「プロレタリアートの独裁」は「民主主義の拡大」をもたらすだけではない。それは「金持ちのための民主主義」ではない「人民のための」・「貧乏人のための民主主義」にならせるが、同時に、「抑圧者、搾取者、資本家に対して一連の自由の例外を設ける」。われわれは彼らを「抑圧しなければならず、彼らの反抗を暴力によって打ち砕かなければならない」。
 ・「人民の大多数のための民主主義と、人民の搾取者、抑圧者にたいする暴力による抑圧、すなわち民主主義からのその排除――これが、資本主義から共産主義への過渡にさいして民主主義がこうむる形態変化である」。
 ・資本主義社会にあるのは「制限された、かたわな、にせものの民主主義」・「金持ちだけのため、少数者のためだけの民主主義」だが、「プロレタリアートの独裁」がはじめて、「少数者、搾取者にたいする抑圧」とともに、「人民のため、多数者のための民主主義をもたらすであろう」。「ただひとつ共産主義だけが、ほんとうに完全な民主主義をもたらすことができる」。
 以上、マルクス主義についての知識のある者には常識的なことだが、実際の社会主義国(ソ連、中国、北朝鮮)における民主主義の「実態」は別として、マルクス・レーニン「主義」における「民主主義」は資本主義国家のそれよりも<広い・進んだ・完全な>ものなのだ。

 平野義太郎編・レーニン/国家・法律と革命(大月書店、1967)によると、マルクス・レーニズムにおける「民主主義」論が上よりもより豊富に、多様な概念をともなって語られている。以下、適当に抜粋する。

 ・「ブルジョア民主主義革命」は「プロレタリア的、すなわち社会主義的な革命」へと「成長転化」する。「ソヴェト体制」は一革命が他革命に転化するのを確証するものであり、「労働者と農民のための民主主義の極致である」。同時にそれは、「ブルジョア民主主義との断絶」を意味し、「プロレタリア民主主義、あるいは、プロレタリアートの独裁の発生を意味する」(p.400、1921)。
 ・「権力をソヴェトへ」とは「旧国家機構全体」・「民主主義的なものを、いっさい阻止するこの官僚機構」を、「徹底的に改造する」ことであり、この機構を除去して、「新しい、人民的に真に民主主義的なソヴェト機構に代える」ということだ(p.164、1917)。

 ・こんにちのロシアでは二つの異なる社会戦争が行われている。一つは「民主主義のための」・「人民専制のための全人民的闘争」で、もう一つは「社会主義的社会組織のための、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの階級闘争」だ。社会主義者は、これら二つを同時に行う。「プロレタリアートが民主主義革命に参加する…任務を蔑視して」。「プロレタリアートと農民の革命的民主的独裁というスローガンを避ける」のは「愚か」であり「反動的」だ(p.80、1905)。

 他にもあるが、これくらいにしておく。
 ロシア革命の展開時期によって重点や用語は同一ではないが、大まかにいってつぎのような「理論」または概念用法のあることは明らかだろう。

 コミュニズム(マルクス・レーニン主義)において「民主主義」には二種がある。「ブルジョア民主主義」と「新しい、人民的に真」の「民主主義」または「プロレタリア民主主義」だ。後者こそが「完全な」民主主義だとされる(そして共産主義社会の完成=国家の消滅とともに民主主義も死滅するとされる)。但し、労働者大衆(プロレタリアート)は「ブルジョア民主主義」を目指す「民主主義革命」にも参加し、「革命的民主主義的独裁」=「プロレタリア独裁」を経て「完全な」・「プロレタリア民主主義」をもつ共産主義へと発展する。

 日本共産党が「自由と民主主義」の徹底を主張し、「真の民主主義」という言葉を使うことがあるのは元来のマルクス・レーニン主義と何ら矛盾していない。講座派マルクス主義によれば、日本はまだ「(真の)民主主義革命」を経験しておらず、「民主主義革命」と「社会主義革命」の二つの段階の「革命」を今後経なければならない(なお、「ブロレタリア独裁」は「人民の執権(ディクタトゥーア)」とかに訳語(?)変更しているはずだ)。

 また、旧東ドイツの正式名称、旧北ベトナムの正式名称が<ドイツ民主共和国>、<ベトナム民主共和国>であったのも、北朝鮮の正式名称が<朝鮮民主主義人民共和国>であるのも、不思議ではない。

 「実態」ではなく「理論」・「理念」のレベルでは、社会主義国の「民主主義」は資本主義国の(ブルジョア)民主主義よりも「進んだ」(進歩的な)ものだとされていることに注意しておく必要がある。

 いささか単純化しすぎかもしれないが、辻村みよ子が対比させる「国民(ナシオン)主権」と「人民(プープル)主権」は、<ブルジョア民主主義>と<プープル=人民の民主主義>の対比とほぼ同じなのではないか。辻村みよ子に看取できる<プープル主権>への憧憬は、<社会主義への憧憬>でもあるのではないか?

 さて、最近に紹介したように(12/22エントリー参照)、佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版)は、「冷戦以降」(ソ連崩壊後)の「最も進歩主義的な」国はアメリカ(合衆国)になった、と論定している。これは適切だろうか。

 「社会主義」国がまだ残存しているとすれば、資本主義国・アメリカよりも、あくまでマルクス・レーニン主義によるとだが、その現存「社会主義」国の方が、<より進んだ>・<より進歩的な>国なのではないか。この点でも、佐伯啓思の論定にはにわかに賛同することができない。

 だが、それをアメリカだとしたうえでの佐伯啓思の論述自体は日本の「保守(主義)」にとって興味深いものなので、紹介・コメントはつづける。

0951/日本の社会系学者・研究者を覆う「欧米的進歩主義(・合理主義)」・「社会主義幻想」。

 一 隔月刊の歴史通1月号(ワック)で、北村稔(立命大)がこう発言している。

 「不思議なのは、中国近現代の研究者の多くが、中国を批判的に研究しようとしないこと…。社会主義の中国が好きで中国研究者になったものだから、なんでも好意的に解釈をするし、いまだに社会主義は資本主義より一段高いと思い込んでいるふしがある。そういう社会主義幻想にとり憑かれたスタンスを変えて、…共産党独裁の凄まじい現実を見据えた客観的・批判的な研究をするべきだと思う…が、そういう人が少ない」(p.67)。

 これによると、「中国近現代」の専門的研究者はいるらしいが、「多くは」いまだに「社会主義幻想」に取り憑かれていて客観的・批判的研究をしていない。

 おそるべき「中国近現代(史)」学界の現実だ。

 これでは、中国の<社会主義的市場経済>なるものの、きちんとした経済学的、社会科学的(?)分析はおそらくほとんどないのだろう。

 極論すれば、日本共産党員研究者に、日本共産党それ自体(の歴史)についての、彼等のいう「社会科学」的研究を求めるようなものかもしれない。いつか、日本共産党自体の<科学的社会主義>の観点からする自己分析をせよ、と日本共産党員学者には言ってみたいものだ。いや、そんなものはなされている、各回の党大会報告、中央委員会報告がそれに当たる、と反論されるのだろうか。

 日本の「社会科学」的、歴史的、近現代史研究の対象の大きな欠損は、日本共産党それ自体だ。

 二 なぜか、佐伯啓思西部邁西尾幹二も、日本共産党についての具体的・詳細な批判はしていないようでもある。ついでに、櫻井よしこも。当たり前のことで指摘する必要はないということかもしれないが、日本「共産」党は、日本ではまだ立派な<公党>であり、党員のみならず知的職業者(大学教員等)に対して、なお隠然たる影響力を持っている。

 佐伯啓思は上の隔月刊歴史通1月号(ワック)の書評中で、こう書いている。

 自分のように「社会科学を専攻しており、しかも、その入口でマルクス主義だの戦後進歩主義だのという六〇年代末の思潮的風潮の洗礼を受けたとなると、なかなかひとつの思い込みから脱することは難しい。それは、西欧近代は、中世・封建制を打倒して、人間の普遍的な自由を打ち出したという歴史観…。そして、日本は、…明治に西欧的近代を導入し、…戦後に改めて自由と民主主義を確立した、あるいはアメリカから『配給』された、というものだ」(p.164)。

 佐伯啓思ですらこう書いているのだから、「マルクス主義だの戦後民主主義だのという」思潮の洗礼を受けた「社会科学」専攻者の中には、上にいう「思い込みから脱する」ことができていない者が<いまだに>相当の数にのぼるほどにいることが想定される。

 佐伯は「マルクス主義」・「戦後進歩主義」という語を使っているが、これらは北村のいう(私も使っている)「社会主義幻想」(にとり憑かれること)とほぼ同じか近い意味のはずだ。

 ソ連崩壊後ほぼ20年。日本共産党が後づけでソ連は「真の社会主義国」ではなかったと主張したことが影響しているのかどうか、欧州における冷戦終了・社会主義の敗北の明瞭化のあとでもなお、日本の社会系「学界」はこの有り様なのだ。

 佐伯啓思自身が、上のあとでこう続けている。

 今日ではかかる単純な図式を描いている者は「ほとんどいまい」が、「それでも、大半の研究者は、仮に意識しないとしても、漠然とこのような見取り図を脳裏に隠し持っている」(p.164)。

 こうした、<社会>系研究者を覆っている空気のような意識が(教科書等を通じて)高校・中学の社会系教師たちに影響を与えないはずはなく、彼らの講義を聴いて単位を取って卒業して公務員やマスコミ社員(・出版社員)等々になっていく学生たちに何らかの影響を与えていないはずもなく、かくして、「マルクス主義」・「戦後進歩主義」(→欧米的「自由と民主主義」)・「社会主義幻想」に何となくであれ覆われた日本は、ますます<衰亡していく>。

0928/黒宮一太の「国民」と辻村みよ子の「市民」(外国人参政権付与論)。

 「法的側面からみれば」と限定して言っているが、<ふつうは>、黒宮一太の言うとおり、「国民」とは「国籍保持者」のことを指す。黒宮がより厳密に示す、「国民」とは「近代国家の統治に参与して主権を構成する集団、または主権者によって統治される集団」という説明も、下記の辻村みよ子からすれば「主権」概念の厳密さが問われうる(なぜなら上の説明では「国民」は「主権者」であるとともに「主権者」による被統治者でもあることになる。おかしくはないか? もう少し説明が要るのではないか?)が、大まかにはそのとおりだろう。以上、佐伯啓思=柴山桂太編・現代社会論のキーワード(ナカニシヤ出版、2009)p.91。

 上のことよりも、黒宮の以下の叙述は、よく分かる。

 ・「誰に国籍が付与されるか」を考えると、「多くの場合、諸国家の歴史的・文化的条件が加味されている」。「国民」を「純粋に法的・政治的側面からのみ規定することはできない」。それは「歴史性や文化的特質をともなった共属意識をもつもの」と考えておくべきだ。(上掲書p.91)

 「多くの場合」との限定つきだが、このような「国民」概念に付着しているはずの「諸国家の歴史的・文化的条件」や意識の「歴史性や文化的特質」を無視して、あるいは正確にはそのゆえにこそそれを嫌って、「市民」概念を使い、「国民主権」ではない「市民主権」の可能性を探り、主張しているのが、辻村みよ子・市民主権の可能性―21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー(有信堂、2002。索引等を除き全295頁)だ。

 東北大学教授の辻村は、上の著のかなりの部分を<外国人参政権>問題にあて、いわゆる「許容」説をも超えた「要請」説を主張する。そして、外国人への地方(この人にとっては国もだが)参政権付与の憲法解釈論的根拠をかなり詳細に述べている。

 民主党あるいは社民党の中に多数いると思われる<付与>積極論者の理論的支柱になっているのではないかと思われる。福島みずほや千葉景子等の女性弁護士たち等々の、とくに<女性活動家>たちは、おそらくはこの本を所持して、おそらくは熟読しているだろう。

 辻村みよ子の論旨の特徴は、一口でいって、「国家」という概念が使われていても、<日本>の「歴史的・文化的条件」はまったく無視されていることだ。見事に欠落している。怖ろしいほどだ。

 「日本」の特性あるいはその「歴史的・文化的条件」を考慮することは<ナショナリズム>に傾斜することで、回避しなければならない、という強い<思い込み>(一種の<信仰>に他ならない)があるとしか思えない。

 辻村の憲法解釈によると、日本国憲法15条の「国民」は<国籍保持者>を意味しない。これは一例だが、外国人参政権付与に反対の論者たちは、この辻村みよ子の「理論」または「憲法解釈論」をも、<理屈>の上であるいは「説得の仕方」のレベルで、克服しなければならないだろう。少なくともこの本の議論を凌がないと、外国人参政権付与論は消失しないだろうと思われる。十分に止目しておくべき(危険な)書物だ。

 なお、先だって遠藤浩一の2001の本に依拠して紹介した菅直人の(「国家」観および)「市民」観と辻村みよ子のそれはかなり親近性・近似性がある。

 菅直人は「天皇」は尊敬はするが「ぼくのイメージの中の国家とはまったく別だ」と言い放っていた。「天皇」を無視して日本の歴史・文化を、そして日本「国家」を語りうるのだろうか? また、いわば自然発生的(土着的?)な「日本」への帰属意識とは離れた「思考タイプ」を持つものこそが「市民」だとも言っていた(10/26のエントリー参照)。

 政治学者・松下圭一に限らず、コミュニズムに親近的な、または結局はそれを容認することにつながる「左翼」論者は、しっかりと学界の中に多数いて、社民党や民主党内「左翼」を支え、指導していることを忘れてはならない。

0918/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)は民主党の「日本を外国に売り渡す」政策も語る。

 一 民主党政権になった一年余前、<左翼(=容共)・売国>政権だとこの欄で位置づけた。朝日新聞が嫌いなはずの、鳩山・小沢・輿石三人の「談合」の結果としての菅直人への(総選挙を経ない)政権「たらい回し」ののちには、この欄で<本格的「左翼」政権>誕生、と書いた。

 菅・民主党政権の具体的なことに言及するのは精神衛生に悪いので、極力書かないようにはしている。

 仙石由人官房長官はかつて日韓基本条約(1965年)締結に対する反対運動をしていた社会党系活動家で、のちに社会党から国会議員になった筈だから、社会党の党是、すなわち「社会主義への道」を少なくともかつては信奉していたはずだ。現に(おぞましき)「社会主義」の道を共産党・労働党指導のもとで歩んでいるらしい中華人民共和国や北朝鮮に、仙石が<甘く・優しく>ならないわけがない。

 拘禁後の中国人(船長?)釈放は、菅→仙石(または仙石→菅→仙石)→某法相→最高検総長→那覇地検という<事実上の>上意下達の結果であることはほぼ明らかだ。地検の<自主的な>判断という大嘘は当然に<卑怯だ>(検察一体の原則からして、もともと最高検が諒解していたかその指示によるかのどちらかであることは法制度上少なくとも明確で、那覇地検かぎりでの判断などはありえない)。

 田嶋陽子(かつて国会議員)らと「従軍慰安婦」個人補償法案を提案し、ソウルで韓国人運動家たちとともに日本大使館に向かって拳を突き上げた岡崎トミ子が国家公安委員会委員長(国務大臣)なのだから、呆れて大笑いしたくなるほどの、ブラック・ジョークのような現菅直人内閣だ。

 かかる「左翼・反日」政権とそのもとでの生活への<嫌悪に耐えて>、生きていかねばならないとは…。

 二 佐伯啓思・日本という「価値」(2010、NTT出版)は、民主党政権の<売国(・反日)>性をこの人にしては明瞭に語っている(以下の初出は2010年1月)。

 佐伯いわく-民主党の基本政策は「対米依存からの脱却」、「市場原理主義的な経済自由主義の見直し」、「土建型公共事業による経済成長」から「福祉に軸足を置いた生活中心社会への転換」で、これらに「特に異論はない」。だが一方でこの政権は①「二酸化炭素」25%削減を国際公約にし、②「外国人参政権」を認めようとし、③「夫婦別姓」も打ち出している。/「こうなるとよくわからなくなる」。「対米依存からの脱却」・「新自由主義路線の修正」は「国家の自立性を高める」という意図をもつ筈だが、他方で、「外国人参政権」を唱え、「聞こえのよい国際公約」を行って、「小々大げさにいえば」、「日本を外国に売り渡す」類の政策を促進する。「一体これらがどのような関係にあるのか」、マスメディアを含めて誰も問題にしていない(p.146-7)。

 佐伯は続ける-この「支離滅裂」は「国家や国民の捉え方の曖昧さ」が生んでいる。叙上のような基本政策は結構だが、その種のことを唱えるには、①「日本という国家の防衛をいかに行うのか」、②「経済成長に代わる価値観をどうするのか」、③「日本社会の将来像をどのように描くのか」、という「国家像がなければならない」。しかも、「相当な国民的な結束」が不可欠だ。「国家像」を描き、それを実現するためには「国民の道徳的な力」が必要なのだ。なぜ、「そのことを言わないのか」。言わないがために「政策に厚みがなく、他方で、『日本を外国に売り渡す』類の政策が平然と」行われる。民主党の政策は「ご都合主義的でファッショナブルなものへの追従かその羅列に過ぎない」ように見える。政策の背景にあるのは「幾分のサヨク・リベラル路線」をとっての「世論の流れと時代状況への追従」の「終始」ではないか(p.147-8)。

 佐伯啓思は私よりも民主党の具体的政策をよく知っていそうだから、あえて異は唱えない。おそらくは昨年末に書かれた文章にしては、民主党の<脆うさ>を、適確に指摘していると思われる。

 但し、民主党全体を評価するにしても、「サヨク・リベラル」と性格づけるのは(p.118も)、「リベラル」の意味が問題にはなるが、やや甘いかもしれない。

 にもかかわらず、「新自由主義路線」が<対米依存>でその「見直し」は「国家の自立性を高める」ことを意味するはずだということも含意しての、佐伯啓思による明確な、民主党政権の<売国性>の指摘は重要だろう。佐伯は8月の<菅談話>も一例として挙げるだろうか。

 なお、菅直人内閣についても、櫻井よしこ等の保守論者は「国家観なき…」とか「国家観のない」と(お題目のように?)言って批判することが多いが、彼ら民主党の要人たちにも何らかの「国家観」はあるのであり、ないのは、佐伯が上に指摘するような、具体的な「国家像」だ、と考えられる。

 仙石や菅らは(そして、その他の仲間たち諸々は)、<国家なんて本当はなくてよいのだ>、<国家意識を過分にもつことは危険だ>、等々の「国家観」を持っているように思われる。対立は、<国家観>の有無・存否ではなく、<どのような国家観をもつか(そしてどのように日本の将来像を描くか)、というその内容にある、のではないか。

0914/ルソーの民主主義・「人民主権」と佐伯啓思・表現者32号。

 一 佐伯啓思「『民主党革命』はあったのか」隔月刊・表現者32号(2010.09、ジョルダン)はかなり前にすでに読んだ。

 民主主義・国民主権そしてルソーにつき、関心を惹いた叙述がある。佐伯啓思は、以下のように述べる(p.62-63)。

 ・戦後日本には「民主主義」の誤解、「民主主義」=「国民主権」=「国民の意思が政治に直接反映するもの」という「思い込み」がある。
 ・かかる「おそらくはルソーの人民主権論に由来すると思われる民主主義理解は、実はルソー自身さえも決して支持するものではなく」、ルソーは「主権者」=人民と、政治的意思決定を下す「統治者」を区別しており、後者は「人民そのもの」ではない。
 ・「主権者」と「統治者」を一致させようとすれば「民主制は全体主義へと転化する」。「国民の意思」=「すべての国民に共有された意思」=ルソーにいう「一般意思」なので、「国民主権」のもとで決定されて明示された「国民の意思」に「誰も逆らうことはできない」し、「逆らう者がいるはずがない」からだ。いるとすれば、それは「国民」ではない。

 ・「民主主義」が「政治的たりうる」には「国民主権」との「一定の距離」が必要で、「政治」と「世論」の間の「適切な距離感こそが政治感覚」だ。民主党はこの「距離感を見失った」。いやむしろ、「距離感」を放棄して「政治」を「国民主権」に「寄り添う」ようにさせた。「主権者」と「統治者」をできるだけ一致させようとした。

 このあとの民主党分析・批判も興味深いが、さて措く。

 二 ルソーの真意だったか否かはともかく、ルソーの「プープル(人民)主権」論は社会主義あるいは「全体主義」と親和的だとの批判または分析はこれまでもあった。

 一例がかつてこの欄で言及したことのある、中川八洋・正統の哲学・異端の思想―「人権」・「平等」・「民主」の禍毒(1996、徳間書店)だ。

 中川の叙述を大幅に簡潔化すると、中川によれば、ルソー→<フランス革命>(ロベスピエール)→ヘーゲル→マルクス→レーニン→<ロシア革命>という系譜が語られうる。また、ロベスピエールらのジャコバン党の教義が「マルクス・レーニン主義」の「原型」、ルソーらの思想こそが「フランス革命の暴力/破壊/独裁の源泉」で、「マルクス・レーニン主義」とは「ルソー・ロベスピエール主義」の「二番煎じの模倣」とされる。

 ルソー・社会契約論で示されたらしきいわゆる「プープル(人民)主権」論は、どこかに「全体主義」と通底させる<トリック>を潜ませている、と想定している。上の佐伯啓思論稿は吟味が必要であることを示唆してはいるが。

 抜粋になるが、中川のルソーの文章の一部を使った叙述によると、①「人民主権の政治」とは「人民すべての意思」=「一般意思」と「合致した政治」、②「人民」がすべての権利・自由を「共同体に譲渡する」「社会契約」により個々の「人民の意思」は一致して「一般意思」となる。③「人民の一般意思」を体得した「立法者」はそれを個々の「人民」に「強制する」、④自らの意思=「一般意思」に強制され服従することによってこそ個々の「人民」は<自由>になる(例、中川p.233-237)。
 理解しやすいものではないが、「人民の意思」=「一般意思」にもとづいていると僭称する<独裁者>が出現すれば、ここにいう「人民主権」論は容易に<全体主義(・社会主義)>容認論になるだろう。

 三 日本の憲法学者の中には間接または半代表制の「国民(ナシオン)主権」よりも直接民主制的な「人民(プープル)主権」論を支持する者がいて(例、東北大学現役教授・辻村みよ子)、なぜか「間接民主主義」よりも「直接民主主義」の方が<より進んでいる・より進歩的>と考えているようだ。むろん、ルソーやフランス革命期のジャコバン憲法・ロベスピエールを高く評価する立場でもある。

 こうした議論からすると、民主党あるいは菅直人・鳩山由紀夫等の「民主主義」理解は従来の自民党的なそれよりも肯定的に評価されるのだろう。

 だが、佐伯も指摘するように、彼らの「民主主義」あるいは「国民主権」の理解は皮相すぎる。また、立法・行政の<権力分立>も正しくは理解していない、と考えられる。別の機会で、また触れる。

0912/中西輝政・ウェッジ2010年10月号を読む①。

 WEDGE(ウェッジ)2010年10月号。佐伯啓思の連載の他に、中西輝政「保守結集で政党の宿痾と決別せよ」がある。なかなか<豪華>だ。

 中西輝政はタイトルに即しては、「自立した安全保障政策、経済成長戦略を前面に掲げた保守勢力」による「政界の大再編、保守新党の結成」に「賭ける」しか日本に残された可能性はない、と述べる(p.31)。政界再編への期待は数年前からとくに中西において目立った主張だが、その「再編」への道筋や戦略についての具体的な提言や展望は、この論稿でも示されていない、というのが残念なところだ。中西輝政が期待?しているようには、民主党も自民党も分裂する気配がない…。

 私の印象に残った中西の叙述に以下がある。-「平成日本のように、……にもかかわらず、モラル、責任感、国家意識が大きく劣化した国は、世界の歴史でも珍しい」。その大きな「背景には」、①政治家や官僚のみならず、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまったこと」、②「団塊の世代以降の、学校教育に起因するアナーキーな『民主主義』意識」がある(p.30)。

 それぞれに深い意味があり、諸問題と連関していると思われる。大意に異論はない。

 別の機会でも触れたいが、三島由紀夫が1970年に剔抉していたように、<昭和元禄>などと称して浮かれていた頃からすでに、日本は<腐って>いっていた、のだと考えている。上の表現を借りれば、むろん<大勢として>はとか<基本的には>とかの限定を付すべきだろうが、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまった」のだ。反面としての「精神的な豊かさ」を日本国民は追求しなかったし、むしろそのようなものを蔑視したのではないのではないか、とすら思われる。

 自分と自分の家族(しかも兄弟姉妹・両親とは無関係の、自分・配偶者と子どもだけ)が物質的な面で快適に生活してゆけさえすれば、日本国家(・その将来)も東アジアの軍事情勢等も<関係がない>、というのが大方の国民の意識だったのではないか。

 そこにはむろん、日本国憲法が標榜する<個人主義>(とそれに付随した男女対等主義)が伴っており、「国家」・「公共」への関心や意識はまっとうには形成されなかった。むろん直接には日本列島が「戦場」にならず、これまた日本国憲法が標榜する<平和主義>をおおまかに信じておればよかった、という事情も加わる(<平和ボケ>だ)。

 上は中西のいう①からの連想だが、②にも関連する。日本国憲法の標榜する<自由主義>のもとで、見事に<価値相対主義>が日本で花開いた、と思われる。つまり、絶対的な「価値」、あるいは相対的にでもましな「価値」を否定し、何をしようと、何を考えようと<個人の自由だ、勝手だ>という意識が蔓延した、それは現在も強いままで継続している、と思われる。ちなみに、支持はしないが安易に共産主義政党=日本共産党の存在・存続を<寛大に>認めてしまっていることもまた、<何でもアリ>の戦後の国民意識と無関係ではない。

 中西のいう<アナーキーな民主主義>とはむつかしい概念だが、佐伯啓思も近年の本で論及しているらしい、<ニヒリズム>にも近いだろう。日本人は、<信じることができる>何ものかを喪失しまっているのだ。

 憲法学者・樋口陽一が大好きな、現憲法の最大のツボ(最も重要な条項)らしい<個人の尊重>(個人の尊厳。13条)を利用して何をするか、どのように諸個人が生きるかは<個人の尊重>からは何も解らない。諸<自由>が保障されても、その<自由>を使って何をするか、どのように生きるかは<自由主義>からは何も分からない。同じく、<民主主義>も手段にすぎず、追求すべき実体的「価値」を民主主義が示している筈がないのだ。そしてまた重要なことは、<民主主義>的に決定されたことが(いかに「真の民主主義」などと呼号しようと)最も<正しい・適切な・合理的な>ものである保障は何一つないのだ。

 かくして日本国民とその<世論>は浮遊している。

 この辺りについては、今後も何度も書くだろう。

 中西輝政は言う-「日本の世論の問題点」の背景には「日本人全体に関わる問題があり」、それは「現在の政治」の「これほどの惨状」と「全く無関係ではない」(p.30)。
 このような文章を読んでも何も感じず、能天気に、<まだ1年少し経っただけだ、民主党に任せておけば、「古い」自民党とは違う「新しい」政治をしてくれるだろう>と漫然と夢想している国民がまだ過半ほどはいるのだろう。「国民を超える政治はない」(p.30)。大新聞とテレビだけでしか世の中・政治・国際環境を知らない、知ろうとしない国民が、国家を<溶解>させていっている。

0911/反日声明署名者リストと最高裁の「劣化」?

 〇前々回に掲載した、2010.05.10「韓国併合」100年日韓知識人共同声明/日本側署名者のリストを見ていて、種々の感想がわく(※付きは発起人)。
 大江健三郎鶴見俊輔という、歴史・日韓関係や国際法の専門家でも何でもない者が<日韓併合条約>無効と断じる声明に加わっている。二人は<九条の会>呼びかけ人として共通する。小田実、井上ひさしも、存命であれば加わっていたのだろう。

 東京大学教授・同名誉教授という肩書きが大学教授たちの中では目立つようだ。和田春樹※を始めとして、荒井献(名誉教授・聖書学)、石田雄(名誉教授・政治学)、板垣雄(名誉教授・イスラム学)、姜尚中(教授・政治学)、小森陽一※(教授・日本文学)、坂本義和※(名誉教授・国際政治)、高橋哲哉(教授・哲学)、外村大(准教授・朝鮮史)、宮地正人(名誉教授・日本史)。姜尚中も高橋哲哉もちゃんと(?)いた。大江健三郎等々をはじめ、出身大学を調べれば、東京大学関係者はさらに多いに違いない。

 東京大学所属だから、こういう声明にその<権威>を利用されるのか、それとも、東京大学所属(・出身者)には、他大学に比べて、この声明にも見られるような、一見良心的・「進歩的」な、<左翼・反日>主義者が多いのか?

 新聞・放送関係者で名を出しているのは、さすがに朝日新聞とNHKのみ。今津弘(元朝日新聞論説副主幹)、小田川興※(元朝日新聞編集委員)、山室英男※(元NHK解説委員長)。
 それに、かつて「T・K生」というまるで在韓国の韓国人からの通信文かの如きニセ記事を連載し続けていた岩波書店の「世界」の現役編集長が発起人として堂々と名を出していることも特記されるべきだろう。岡本厚※(雑誌『世界』編集長)。

 その他、佐高信、吉見義明(中央大学教授・日本史)等々の「有名な」者たち。井筒和幸(映画監督)が<左傾>していることは知っていたが、これに名を出すとはエラくなったものだ。

 〇前回に書いたことの、余滴。

 参政権の所在・参政権者の範囲といった国家の基本問題について、司法権の頂点・最高裁判所の憲法「解釈」が誤っていれば、いったいその国家はどうなるのか。現行憲法・法制度上、最も<権威>または<現実的通用力>のある「解釈」を示すことができるのは、最高裁判所だ(日本ではこう呼ばれる。国によっては憲法裁判所)。いくらでも自由に批判し、判例変更を求めることはできるが、現行憲法・法制度上、最高裁の判決には誰も法的には異議申立てができない。否定も含めて変更をできるのは、最高裁判所自ら(但し、大法廷)に限られる(是正するための訴訟・主張方法等をも井上は書いているが省略)。

 井上薫は園部逸夫が関与した平成7年最高裁判決の「第二段落」に対して「裁判史上永遠に残る大失敗」と最大級の批難の言葉を投げつけているが、そのように批判しても、いかに井上らの「禁止説」の方が憲法「解釈」として正当であったとしても、最高裁が採用した「解釈」がいわゆる<有権的>解釈になってしまう。

 政治性をも帯びた重要な問題につき、最高裁が<道を外せば>、是正には相当の、あるいはきわめて厳しい困難さが残ってしまう。裁判所・裁判官の頂点にいる最高裁判所(・裁判官)の<劣化>をも、心ある国民は懸念し、怖れなければならないのではないか。

0904/「共産党ではないが左翼」の社会・人文系学者たちの多さ-月刊正論11月号・竹内洋を読む。

 月刊正論(産経新聞社)連載の竹内洋「革新幻想の戦後史」は月刊諸君!(文藝春秋)から「続」となって月刊正論に移ってしばらくはもたもたしている感もあったが、先月号あたりから再び(私には)面白くなった。
 1.月刊正論11月号の竹内洋・同上は丸山真男批判(の一部。竹内には丸山真男に関する新書一冊がすでにある)。その基本的趣旨自体も興味深く、1970年代以降の丸山真男の「衰え」を再確認させる。
 丸山真男については著書・全集の一部をじかに読んだことがあり、この欄でも言及した。
 このブログサイトでの「丸山真男」を検索してみると、なんと最初から13個までが「秋月瑛二」によるこの欄がヒットした!。もう忘れたが、丸山真男を主題としたものを20回は書いただろう。

 そして、丸山真男を積極的・好意的に評価する本が今日でも新たになお出ていることも思い出して、あらゆる戦線(?)での<左翼の執拗さ>をあらためて感じる。
 2.さて、p.282-3のデータ(資料)はきわめて興味深いもので、私の推測ともほとんど合致している。
 p.282の表は、ごく大まかに一言でいうと、1973年時点の支持政党調査では、「日本人平均」では自民党が一位で二位・社会党の1.5倍ほどの支持率があるのに対して、「大学教師」の支持政党の一位は社会党、二位は民社党、三位は自民党で(「特になし」を除く)、社会党支持が自民党支持の二倍以上ある、ということだ。
 竹内の関心に即して言うと、「大学」の世界では、(1980年代前半の丸山真男による叙述とは異なり)「進歩的文化人」は「多数派」だった、ということが明瞭に判る。

 これは1973年の数字だが、現在でも、「大学」教員の世界では(「進歩的文化人」という語は今日的用語としてはあまり使われなくなっていると見られるが)、「左翼」または「何となく左翼」が(とくに社会・人文系では)<圧倒的多数派>を形成しているのではないか。
 p.283の表が示す数字の方がさらに興味深い。
 1983年時点での「保守・中間・革新」意識の調査結果によると(出典の再引用は上ととともに省略)、「中間」を割愛して「保守」対「革新」の数字だけ示せば、「一般国民」が34対24、「財界」が74対10、「官僚」が56対23であるのに対して、「マスコミ」(人)は34対46、「学者・文化人」は31対51、ついでに「市民運動」(家)は14対81、「学生」は42対46だった、という。
 27年前の数字だが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」における「革新」または<左翼>性向が明瞭に数字化されている。
 そしてまた、今日でも、その傾向は変わらないものと思われる。

 70年代(とくに前半または初頭までの)「革新」ムードは全体としては80年代には消滅または弱体化していたはずだが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」においては異なることが上の資料からは明らかだ。そしてまた、ソ連が解体し北朝鮮や中国の実態がより明らかになってきている現在でもまた、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」の<政治意識>=<左翼・なんとなく左翼>性は(驚くべきことに、また執拗にも)大して変化していないのではなかろうか。
 ここでの「左翼」とは、いつかも書いたように、<容共>志向、換言すると、<反共>の立場に立たない(立てない)政治的意識・主張・見解のことを意味させている。
 3.そういう「左翼」的雰囲気の「学者・文化人」や「マスコミ」(人)の世界において、日本共産党支持またはコミュニズム支持を少なくとも明確に示しはせず、むしろそれとは距離を置きつつも、「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と評されないことが最も<安全で・安心な>態度=処世術なのだろう。
 p.283に引用されている、2009年の某雑誌での伊藤隆(東京大学名誉教授)の次の言葉は、十分に納得がいく。
 竹内洋が使った「共産党員ではないけど、いつも共産党員に気兼ねをしている学者」という表現につなげて、伊藤隆は言う。
 「気兼ね学者は大学の人事を握っていて、リベラルということで良心が満たされる気分になると同時に利益もある…。(一文略-秋月) 学者にとって一番理想なのは、東大教授で、共産党ではないが左翼である。そして、ジャーナリズムにどんどん登場するということでしょう」。

 日本共産党を支持はしないが決して「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と呼ばれたくはない、という気分の多数の(とくに社会・人文系)「学者・文化人」さまには、上のような言葉も傾聴していただきたいものだ。
 また、「共産党ではないが左翼」で、「ジャーナリズムにどんどん登場」して(世間的)知名度も獲得したいという「東大教授」は、現に多数存在するのではないか(それを現実化している「東大教授」の名を具体的に何人かは挙げることができる)。
 くり返せば、「共産党ではないが左翼」で、学界内部でも、共産党そのものに<染まっている>わけではないが決して<反共>の立場に立たない(少なくともそれを明言しない=日本共産党に「気兼ね」する)大学教員たち、そして東京大学教授たちは、世間一般の相場に比べれば著しく多い、と想定される。現在の日本の<異常さ>はこんなところにもある。あるいは、こんなところにも起因している。 

0903/TBSよ、ナショナリズムは悪か-尖閣問題を扱った「サンデー・モーニング」。

 何度か「死んだ」はずのTBSはまだしつこく生きていて、<左翼>信条にそった番組作りをしている。
 最近の朝日新聞の尖閣諸島問題に関する二つの社説は「ナショナリズム」という語を使っていないようだ。これに対して、TBSの9/26の「サンデー・モーニング」は正面から「ナショナリズム」を問題にしてきた。
 コメンテイターの発言はそれぞれニュアンスは異なり、単色のイメージで番組を作ろうとしていたわけではない。
 だが、局(この番組担当者)自体が作成したと見られる「ナショナリズム」に関する説明・コメントは、明らかに<左>に傾いている。つまり、断定的ではないにせよ、「ナショナリズム」=悪、というイメージを撒いている。
 コメンテイター以外に登場させた佐高信は<愛郷心ならよいが、ナショナリズムは「国家」と結びつくと「必ず排他的」になる>と発言した。はたしてそうか。こんなに一般化して言えるのか? ともかくも反「国家」心情がここには示されているだろう。
 コメンテイターの一人・岸井某(毎日新聞政治部記者だったか?)は他にまともなコメントもしていたが、<歴史の教訓からして、ジャーナリズムの責任は、ナショナリズムを煽らないことだ>と発言した。朝日新聞・若宮啓文の、<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>との有名な文章を思い出す。ナショナリズムを刺激せず、沈静化するのがジャーナリズム、マスメディアの義務とでも考えているならば、とんでもない誤りであり、思い上がりだと言うべきだろう。そもそもが、ナショナリズムとの関係をさほどに強く意識していることこそが、戦後のジャーナリズム・マスメディアの奇妙なところだとは思わないのだろうか。
 短い時間の番組に期待しても無理なのだろうが、あるいは、だからこそ、「ナショナリズム」に関する単純な理解にもとづくイメージ作りをしてほしくはないものだ。
 具体的な担当者は、世界で残念ながら(?)現実化していないが<グローパリズム=善、ナショナリズム=悪>という意識・観念をもっていて、賢(さか)しらに(?)、意図をもって、番組自体のナショナリズムに関する説明等を準備したのではないのか。
 加えて、番組自体の説明・コメントとコメンテイター類の発言に共通していたのは、具体的な尖閣問題を具体的に論じることなく、一般的レベルの<ナショナリズム>に関するコメントにほとんど終始していたことだ。これも、上記番組の一種の(気のつきにくい)特徴であり、いやらしいところだった。
 日中関係問題一般に遡及することもまだ一般的抽象的すぎるところがあるが、さらに日中(・日韓)問題を念頭においたような<ナショナリズム>の問題に格上げ(?)することも、本質を覆い隠す役割を果たしている。
 尖閣諸島は日本の領土なのかどうか、その領海で中国人(たんなる船長ではない可能性がある)は何をしたのか、中国政府と日本側(政府・外務省、那覇地検)の主張の内容と対立点はどこにあるのか、等々の具体的なことをおさえずして、<ナショナリズム>の是非等をほとんど一般論レベルで語らせることは、反復するが、問題の本質を視聴者が把握することを困難にさせただろう。
 この番組は必ず観てはいないが、ときにたまたま見ていると、司会の関口宏を筆頭に<戦後教育の影響を強く受けた「何となく左翼」(これが現今の日本の多数派だ)臭>を感じて、辟易することがあった。今回も同様にうんざりするところがあったので、書いておいた。
 TBSや毎日新聞は、朝日新聞と同様に、基本的なところでは、日本(人)のナショナリズムを「刺激」したり「煽動」したりしないような「冷静な」、つまりは<中国をできるだけ批判しない>、結果的には<親中>・<媚中>の報道姿勢をとり続けるのだろう。

0900/あららためて基本的なことー共産主義。

 一 20世紀の重要な事件は二つの世界大戦だったという歴史理解も多いのだろう。
 だが、ロシア革命の勃発(・成功)(と後続する社会主義諸国の成立)とソビエト連邦の解体(ロシア中心地域での「社会主義」の<実験>の失敗の明瞭化)こそが、20世紀の最大の事件・できごとだった、というべきだ。
 そして、この中には、コミュニズム(マルクス主義)によるほぼ一億人の生命の抹殺(「粛清」等のほか政策失敗による餓死等も含む)も含まれる。この数字は、二つの世界大戦による死者数よりも大きい。
 二 左右の対立あるいは<左翼>と<保守>の違いは、私にとっては、単純に、<容共>か<反共>かにある。前者の中核にもちろん(日本では)日本共産党があり、その党員たちや強いシンパ(同調者)たちがいる(学者・研究者、評論家、文筆家も含む)。朝日新聞もまた<容共>だ。
 <容共>とは、コミュニズムを信奉するか、あるいはそれを容認して、それと闘う気概を持たないことを意味する。<容共>と対立するのがもちろん<反共>で、<保守>とは<反共主義>に立つものでなければならない。コミュニズムを容認または放置してしまうのではなく、積極的に闘う気概をもつ立場こそが<保守>だ。
 三 <冷戦後>とか<冷戦終結後>とかいう表現が保守的論壇等も含めてかなり使われているが、かかる時代認識は(日本と日本人にとっては)誤っており、下手をするとコミュニズムのいっそうの浸透を許す(またはそれを阻止できない)原因になりうる。
 なるほど欧州諸国と同諸国民にとっては、ソ連の崩壊によってかつての<冷戦>は過去のものとなったと受け止めてられてもよいのかもしれない。
 しかし、東アジアには北朝鮮はもちろん中国・ベトナム等の<社会主義>国がなおも残存し、中国は盛大化の傾向を見せるなど、東アジアにとっては、<冷戦は終わっておらず、継続したまま>だ。<冷戦>どころか、<ホットな戦争>になる火種すら、あちこちに存在している。
 中国等がかつてのマルクス・レーニン主義あるいはコミュニズムに依拠しているかについては議論の余地があるだろうが、どの現存「社会主義」国家も共産党(またはそれに実質的に該当する)政党・政治組織の独裁体制下にあることは疑いなく、彼ら自身が自分たちをマルクスやレーニンの思想的系譜のうちにあることを自覚しているはずだ(いつか言及したように中国共産党幹部は日本共産党・不破哲三と世界の「社会主義」運動の現在と将来を話題にしており、自分たちが「社会主義」運動の主体の一つであることを前提としていることは明瞭だ)。
 四 日本と日本人は、まずは、中国・北朝鮮・ベトナム等の<社会主義>勢力と断固として闘う必要がある。<間接侵略>も許してはならない。
 だが、領土的にはまだ微小だが、精神的にはかなりの程度、中国による<間接省略>をすでに許してしまっているのが実態だろう。<親中>の朝日新聞、<親中>の若宮啓文や大江健三郎等の人士等々の助けも借りて、それは執拗になされてきている。
 五 米国との関係で、自立を説くことは誤ってはいない。<自主>憲法の制定も急がれる。その意味では<反米>ではある。
 だが、現在の最大の<溝>・<矛盾>はやはり従来と同じく、コミュニズム(共産主義・社会主義)と<自由主義>(・資本主義)との間にあることを没却してはいけない。
 <反共>をきちんと前提とするあるいは優先した<反米>でなければならない。<反共>を優先すべきであり、そのためには、米国や欧州諸国のほか韓国・インド等の<反共>(・自由主義)諸国とも<手を組む>必要がある。そのかぎりで、かつて言われた<価値観外交>は正しく、<日米中正三角形(等距離)外交>などは誤った、中国を利する、<親中>政策の一つだ。
 以上のかぎりでは、つまり<反共>の立場を貫くためには、<親米>でもなければならない。
 日本と日本人は<反共>のかぎりで<親米>でありつつ、欧米とは異なる日本の独自性も意識しての<反米>(反欧米、反欧米近代)でもなければならない。
 そのような二重の基本的課題に直面していると現代日本は理解すべきものだ。
 冷戦は終わったとのたまい、中国に対する警戒心を何らまたは十分には表明することなく<反米>または<欧米的個人主義・自由主義>への懐疑のみを表明するような議論は、下手をすると(<反米>のかぎりで)中国等を利する可能性があり、日本の<左翼>とも共闘?してしまうことになりかねないことに注意すべきだ。
 六 上のような基本的論点に比べれば、経済政策または市場への国家の関与の仕方・程度に関する論点は、まだ些細な問題だ。
 <自由>に傾くか<平等>に傾くか、<競争>か<保護(的介入)>かは、資本主義または自由主義の範囲内で、大いに論ずればよい。<反共>・<反社会主義>をきちんと前提としてあるいは優先して、いわゆる社会民主主義的な政策が、<日本と日本人>の意識と歴史に即した形で導入されることも完全には否定すべきではないと考えられる。
 但し、その「社会民主主義的な政策」が「社会主義」につながっていくような、親社会主義意識を増大させるようなものであれば、排斥される必要がある(自民党は民主党の政策を「社会主義的」と論定していたようだが、そこまでには至っていないのではないか。本当の「社会主義」とはもっと強烈で苛酷なものだと思い知っておくべきだ)。
 七 反復になるが、<親米>かつ<反米>である必要があり、これらは矛盾しない。当然に、<保守>的議論・人士を上面だけで<親米>か<反米>かに分類することは馬鹿げている。

0897/内田樹は高橋哲哉にはついていかない。

 内田樹は「卑しい街の騎士」と題する2005年の文章の中で、1995年の高橋哲哉の文章に言及している。
 高橋哲哉は1995年に簡単にはこう(も)書いたらしい。
 ・<自国の「汚れた死者」(日本人戦死者)の哀悼よりも(アジア諸国への)「汚辱の記憶」を引き受けることが優先されるべき。
 ・「侵略者である自国の死者」への責任とは「哀悼や弔い」でもましてや彼らを「かばう」ことではなく、「彼らとともにまた彼らに代わって」、被侵略者への償い=「謝罪や補償を実行する」ことだ。
 内田樹は、高橋の「理路は正しい」、しかし思想とは「こんなに、鳥肌の立つようなものなのか」とコメントしている。
 「鳥肌の立つような」とは、感動したときにも用いられる、好意的・賛同的な意味での表現でもありうるが、内田によると、「…高橋自身が日々ゆっくりと近づいている『結論』に私の身体が拒否の反応をした」ということを意味するようだ。つまり、拒否的・消極的な反応の表現として使っている。
 つづけて、内田は高橋哲哉・靖国問題(ちくま新書、2005
)に言及する。高橋のこの本は読まないままでどこかに置いているのだが、高橋は、この書の結論部でこう書いているらしい。
 ・国家によるそのために死んだ者(戦死者)の「追悼」は、つねに「尊い犠牲」・「感謝と敬意」のレトリックが作動して、「顕彰」にならざるをえない。
 ・国家は「戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、…戦死の悲哀を名誉に換え、国家を新たな戦争や武力行使に動員していく」 。
 内田樹は次のようにコメントする。
 ・高橋の主張は「正しい」が「正しすぎる」。すなわち、これは「現存するすべての国民国家」等に適用されねばならない。つまり、「靖国神社を非とする以上、世界の共同体における慰霊の儀式の廃絶を論理の経済は要求する」。
 ・だが、中国も韓国もイスラム過激派もアメリカも欧州諸国民も受容しないだろう。それは「倫理的に十分に開明」的でないためかもしれないが、「世界中の全員を倫理的に見下すような立場に孤立」することが政治への実効的なコミットだとは思えない。
 ・「高橋哲哉の論理はそのまま極限までつきつめると、いかなるナショナリズムも認めないところまで行きつく」し、すべての民族等の否定にまで行きつく。例えば、①アジア諸国への日本の謝罪もそれを「外交的得点」とすることをアジア諸国政府に禁じる必要がある。それらの国の「ナショナリズムを亢進」させるから。②謝罪等をすることにより「倫理的に高められた国民主体を立ち上げた」という意識を日本人がもつことも禁じる必要がある。「ナショナルな優越感の表現」に他ならないから。
 高橋哲哉の原文を読んではいないが、なかなか鋭い分析と批判だ。
 だが、むろん、高橋哲哉の見解・主張の「理路は正しい」のか、「正しすぎる」のか、高い<倫理>性をもつものかは、本当にそうなのか、レトリックだけの表現なのか、という疑問が湧く。
 それに、そもそも、上の一部だけ問題にするが、高橋哲哉は本当に「いかなるナショナリズムも認めない」のか否かは検討されてよいだろう。論理的にはそうならそざるをえない、という指摘は重要だが、高橋哲哉がそのことを意識しているかどうかは別問題だとも思われる。
 すなわち、高橋哲哉は、日本国家についてのみ「ナショナリズム」の否定を要求しているのではないか。日本国家についてのみ、戦没者「慰霊」施設の廃絶を要求しているのではないか。それが高橋の本音ではないか(そして朝日新聞の若宮啓文も同様ではないか)。
 その意味で高橋はきわめてご都合主義的であり、きわめて<政治的>なのではないか。さらにいうと、論理・理論の世界に生きているようでいて、じつは(日本とその国家に対する)何らかの怨念・憤懣を基礎にして言論活動をしているのではないか(さらにいえば、それは日本「戦後」のインテリたちの基底にある心情ではないか)。
 以上は、内田樹批判ではない。内田は次のように文章をまとめている。
 「高橋哲哉の説く透明な理説」が一基軸として存在しえ、「思想的には重要」であることは認めるが、「私はこの『案内人』にはついてゆくことができない」。
 前段部分は褒めすぎのように思えるが、内田が結論的に高橋哲哉の議論を支持していないことは明らかだろう。
 内田樹の上記の題の文章は、加藤典洋・敗戦後論(ちくま文庫、2005)の「(文庫)解説」として書かれたもの(p.353-362)。
 内田は、加藤典洋は「熟練の案内人」、「正しい案内人」として肯定的に評価している。そして、高橋哲哉という「『案内人』にはついてゆくことができない」と結んでいるわけだ。
 加藤典洋の書の本体も読みたいものだが、はたして閑があるかどうか。

0889/隔月刊誌・表現者(ジョルダン)連載執筆者かつ週刊金曜日編集委員・中島岳志。

 パール判決を問い直す(講談社現代新書)の共著者である中島岳志と西部邁は親しいようで、西部邁と佐伯啓思の二人が「顧問」をしている隔月刊雑誌・表現者(ジョルダン)の29号・30号に、中島岳志は「私の保守思想①・②」を連載している。
 30号で中島は「私が保守思想に傾斜していく大きなかっかけとなったのは…」などと述べて(p.138)、「保守思想に傾斜して」いるとの自己認識を示し、また、先人から学ぶべきことは「デモクラシーが健全に機能するためには、人間の交際の基盤となる『中間団体』が重要であり、歴史的な『伝統』、そして神や仏といった『絶対者』の存在が前提となる」ということではないか、などと、なるほど<保守的>と感じられる叙述もしている(「神や仏」は「絶対者」なのか、いかなる意味においてかは分からないが、さて措く)。
 いずれにせよ、錚々たる(?)<保守>派執筆者たちに混じって、さほどの違和感を感じさせずにいる。隔月刊雑誌・表現者を<保守的>または<保守派の>雑誌と表現して差し支えないだろうことは、顧問二人(西部邁・佐伯啓思)と西田昌司の三名の共著(半分以上は座談会)・保守誕生(ジョルダン、2010.03)のオビに「真正保守主義が救い出す」という語があることにも示されているだろう。
 興味深いことに、あるいは奇妙なことに、同じ人物・中島岳志は<左翼>週刊誌・週刊金曜日の編集委員を<あの>本多勝一や石坂啓らとともに務めている。この週刊誌の発行人は<あの>佐高信。
 この週刊誌が<左翼的>であることは歴然としてしていて、たとえば、その4/30号(797号)は<反天皇制>の立場を前提として「暮らしにひそむ天皇制」という特集を組んでいる。編集長の北村肇は同号の「編集長後記」で、天皇制はただちに廃止すべきとか昭和天皇の戦争責任を許さないとだけ主張するにとどまる限りは「廃止への道は遠い」と書いて、<天皇制廃止>を目標としていることを明らかにしている。
 思い出せば、2006年11月に教育基本法「改悪」等に反対する集会を主催し、天皇陛下や悠仁親王を「パロディーとしたコント」を演じさせたのは、週刊金曜日だった(本多勝一・佐高信らも出席。のちに、佐高信と北村肇の連名でそっけない、本当に反省しているとは思えない「謝罪」文を発表した)。
 また、「左翼」的運動の集会等の案内で埋め尽くされている頁もあり(p.64-65)、「女性国際戦犯法廷から10年目を迎えて」と題する文章の一部を関係団体の機関紙から転載したりもしている(p.54)。
 こんな週刊誌にも中島岳志は本多勝一らとともに執筆していて、「風速計」とのコラムで「『みんなの党』のデタラメ」と題して、「新自由主義を露骨に振りかざすみんなの党」を批判し、「構造改革ーのNOを突き付けた国民」は「みんなの党のデタラメを見抜かなければならない」と結んでいる(p.9)。
 まったく新種の人間が生まれ、育っているのか、中島岳志は、一方で<西部邁と佐伯啓思>を顧問とする<保守的>隔月刊雑誌・表現者(ジョルダン)に「私の保守思想」を書き、一方では、<本多勝一・佐高信>らとともに<左翼的>週刊誌の編集委員になって自ら執筆してもいる。<西部邁・佐伯啓思>と<本多勝一・佐高信>との間を渡り歩いて行けるという感覚あるいは神経は、私にはほとんど理解できない。
 週刊金曜日のウェブサイト内で中島岳志は「保守リベラルの視点から『週刊金曜日』に新しい風を吹き込みたい」とか語っている。
 「保守リベラル」とはいったいいかなる立場だ!? こんな言葉があるのは初めて知った。そして、上の「みんなの党」批判は社民党的な「左から」の批判なのだろうか、富岡幸一郎や東谷暁らが集うような「右から」の批判なのだろうか(月刊正論6月号には宇田川啓介「みんなの党の正体は”第二民主党”だ」も掲載されていた)、と思ったりする。
 そんな<左・右>などに拘泥しないのが自らの立場だと中島は言うのかもしれないが、そう言って簡単に逃げられるものではないだろう。中島岳志には、一度(いや何度でもよいが)、<天皇(制)・皇室>に関する態度表明をしてもらいたい。そして、<反天皇制>主張が明確で、<天皇制廃止>を明確に意図している編集長のもとでの編集委員として、どのような「新しい風を吹き込」むつもりなのか、知りたいものだ。

0887/西部邁には「現実遊離」傾向はないか②。

 いかなる理由だったのか、中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)をきちんと読まなかったし、この欄でコメントしたこともおそらくない。
 と思っていたが、記憶違いで、概読して、中島岳志の法的無知等について批判的
コメントすら書いていた。  その後、所謂東京裁判法廷のパ-ル判事の<真意>をめぐる東谷暁等と小林よしのりの月刊正論(産経)等での論争を知り、ケルゼン(・「法実証主義」)の理解はパ-ル判事の意見書(所謂パール判決)の理解や評価と関係はない等と書いて、このときは小林よしのりを応援したのだった。
 西部邁が書く上掲の本の「おわりに」(p.197-、計10頁)をあらためて読んで、この人の「法」等に関する考え方、「法律観」はかなり奇妙だと感じざるをえない。
 要約的に紹介しつつ、コメントする。
 ①「近代の社会秩序を方向づけている法哲学は法実証主義だといってさしつかえない」。
 ②「実証主義」は観察・計量可能な社会の規範体系を重視し、それをできめるだけ「(形式的)に合理的に構築」しようとする。規範体系は「慣習法」も含むが、「法実証主義」の「主たる対象」は「いわゆる制定法」になる。(p.198)
 →「法実証主義」が近代「法哲学」を「方向づけ」る、との理解は適切なものか、確信はもてないが、それが、のちにも西部邁が(極端なかたちを想定して)理解するものを意味するとすれば、すでに誤謬または偏見が含まれているだろう。
 ③上のことが「過剰なほどに明確」なのはケルゼン。ケルゼンは、1.「価値相対主義」に立ち、2.「根本規範」が採用する「価値観」は「民主主義的な」「多数決」によって決定されると説き、3.「根本規範」から「合理的に導出され制定され」るのが「実定法の体系」だとする(4.略)(p.199)
 ④ケルゼンの法哲学は「ハイエックの批判した」「設計主義(…)の法哲学」であることは「論を俟たない」。
 ⑤「いささかならず奇怪」なのは、「自称保守派の少なからぬ部分が、社会秩序の維持に拘泥するのあまり、こうした(制定)法至上主義に与している」ことだ。
 →鳩山由紀夫はもともとは「最低でも県外」と言っていたのに、「できるだけ県外」との約束を履行できなくて…と謝罪した。「最低でも」と「できるだけ」では、まったく意味が違う。ごまかしがある。西部邁もまた、「法実証主義」、「主な対象」は「制定法」、という前言を、この⑤では「(制定)法至上主義」と言い換えている。批判したい対象を批判しやすいように(こっそりと)歪めることは論争においてしばしば見られることだが、西部邁も対象の歪曲をすでに行っているのではないか。
 ⑥東京裁判にもかかわる「自称保守派」の「罪刑法定主義の言説」はケルゼンの「もっとも狭い近代主義にすぎない」。<罪刑法定主義>によって「見過ごしにされている」のは、次の二つ。第一に、「制定法はつねに何ほどか抽象的に規定されるほかない」ということ。そして、「法定」 の「実相」は「権力(…)による決定」だということ。第二に、制定法の「解釈と運用」は「根本規範」に「従い切れる」ものではなく、「制定法を基礎づけたり枠づけたりしている法律以外のルール、つまり徳律(モーラル)」やその苗床たる「国民の習俗」やそれが促す「国民の士気」等を参照せざるをえない。(p.200-1)
 →この⑥には、<罪刑法定主義>への偏見と無知がある。
 <罪刑法定主義>といっても「制定法」が「何ほどか抽象的に規定されるほかない」ことは、法学または刑法学の入門書を読んだ学生においてすら常識的なことだ。また、「徳律」・「習俗」・「士気」などとは表現しないが、とくに裁判官が、法律上に明記された文言では不明な部分を何らかの方法によって<補充>して解釈していることも常識的なことだ。
 <罪刑法定主義>は上の二点を「見過ごし」にしている、などという大言壮語は吐かない方がよい。
 ⑦欧州の「慣習法の法哲学」をD・ヒュームも語り、E・バークは、「啓蒙的な自然法」とは区別される「歴史的自然法」が基礎に胚胎する「慣習法体系」を語った。「歴史的自然法」とは「歴史の英知」ともいうべき「国民の規範意識」で、憲法についての国民意識も「政治的に設計され」ず、「歴史的に醸成される」。(p.202-3)
 ⑧「保守思想」は「歴史的自然法の考え方」に「賛意を表する」。
 →「保守」=「歴史的自然法の考え方」、「左翼」または反・非「保守」(「自称保守」の多く)=「法実証主義」と言いたいのであれば、あまりも単純な整理の仕方ではないか?
 ⑨「歴史的自然法」の理解者は多少とも「法実証主義」を批判する。後者は「民主主義の多数決によって何らかの特定の直観を採用する」との見解だ。その「直観の妥当性」を「歴史的英知」、「いいかえると伝統精神」に求めるのが「保守思想における法哲学の基本」だ。
 ⑩「保守思想における法哲学」は「罪刑法定主義」に「もっとも強い疑義」をもつ。「法実証主義」の目標である「精緻な制定法」の「設計」をすれば、社会秩序は「リーガル・アルゴリズム(法律的計算法)」に任されることとなり、「法律的計算法」の支配する社会は「(民主主義という名の)牢獄」にすぎない。(p.203)
 →じつに幼稚な思考だ。たしかに、法律(制定法)の精緻さを高める必要がある場合のほかに、あまりに詳細で厳密な法律(制定法)作りを避けるべき場合もあるだろう。だが、「精緻な制定法」作りによって社会は「(民主主義という名の)牢獄」になるなどと簡単に論定すべきではないだろう。
 また、ここにはほとんど明らかに「制定法(法律)」ニヒリズムとでも言うべきものが看取できる。さらに、現代国家・現代社会につき「法律」によって国民(人民)を監視し管理する「牢獄」に見立てているらしきM・フーコーの言説を想起できさえする(M・フーコーの議論をあらためて確認はしない)。西部邁とは存外に―少なくとも「法律(実定法)」に関する限りでは―「左翼」的心情の持ち主なのではないか。

 ⑪「制定法」中心になるのは「文明の逃れ難い宿命」だろうが、「歴史的自然法」を「考慮」すべしとするのが「保守的な裁判観」だ。

 ⑫所謂東京裁判の「法実証主義・罪刑法定主義」違反に対する批判に終始して当時の「国際慣習や国際歴史(の自然法)に一顧だにしない」のは「法匪のにおいがつきまとう」。
 ⑬「左翼(近代主義)的な法律観」を排すべき。「左翼的」「裁判観」を受容したうえでの「東京裁判批判などは屁のつっぱり程度にしか」ならない
 →所謂東京裁判に関連させてだが、「法実証主義・罪刑法定主義」に立つ者を「法匪のにおいがつきまとう」との表現で罵り、「左翼的」裁判観だと断定している。
 かかる単純な議論には従いていけない。東京裁判を離れてより一般的に言えば、前回に書いたこととほとんど同様になる。つまり、西部邁がこの文章で言っている「歴史的自然法」・「慣習法の法哲学」あるいは「歴史的英知」・「伝統精神」に従った<制定法(法律)>の「解釈運用」や、新しい<制定法(法律)>案の具体例を示していただきたい。
 現実に多数ある政策課題(そして、どのような内容の法律にするかという諸問題)を前にしてみれば、「歴史的自然法」を考慮せよ、と言ってみたところで、ほとんど<寝言に等しい>
 西部邁は自分が毎年払っているだろう(原稿料・印税等の)所得税の計算方法にしても、自分が利用していると思われる公共交通・エネルギー供給事業等々にしても、どのような関係法令があり、どのような具体的定めがあるかをほとんど知ってはいないし、ひょっとすれば関心もないのかもしれない。<現実遊離>を感じる所以だ。
 ついでに。現憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。裁判官が依拠すべきなのは「法律」だけではない。「憲法」も含まれるし、何よりも「良心に従」うべきとされている。
 西部邁が嫌いな現憲法すら、<制定法(法律)至上主義>を採用していない。

0883/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)のメモ。

 佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号、産経)のメモ。
 ・財政再建か景気拡張か、日米関係をどうするか、構造改革を促進するのか否か、消費税をどうするか。自民党は具体的な方向を指示しておらず、民主党も同じ。「その時々の情緒やムードに敏感に反応」する「世論」が「政治を翻弄」していて、真の「二大政党政治からはほど遠い」。  ・自民党=保守、民主党=リベラルと簡単に図式化できない。「福祉重視」派=リベラル、「市場競争」派=「保守」というのは大雑把で「誤った通念」。「構造改革」なる「急進的改革」の推進者が「保守」というのは「いかにも奇妙」で、それに「抑制をかけるものをこそ保守というべき」。また、「過度にならない福祉は保守の理念に含まれる」。自民党は以前は「一種の福祉政策」も行っていた。(以上、p.80-81)  ・「保守」とは、「保守の原点に立ち戻る」とは、いかなる意味なのか。「保守」の困難さの第一は、圧倒的に<改革・変革・チェンジ>ムードの影響下にあること。アメリカの時代→中国の時代、IT革命→環境・エコ革命、テロとの戦い→「核廃絶に向けて」、「自由に能力が発揮できる社会」→「格差を是正する社会」。凄まじい変化だが、現在の「変化が望ましい方向のものだという理由はどこにもない」。  ・「『変化』に振り回されない軸を設定すること」が、「保守」の立場の「政治的課題」だ。  ・第二は、「戦後日本という特殊な空間」の形成にかかわる。「日本の近代化」は①「王政復古」等の「伝統的日本への回帰」と②「西欧列強の制度や価値の模倣もしくは導入」により遂行された。「外発的」近代化、「憧憬」することによる近代化だった。この事情は「戦後」に「さらに著しくも緊張感を欠いた漫然たる」ものとなり、無自覚・無反省な「アメリカ的なものへの傾斜、追従」になった。  ・上に異論はあろうが、「戦後日本人」は「ほとんど無意識のうち」にであれ、「アメリカ的なもの」=「個人的自由、民主主義、物的な豊かさと経済成長、人権思想、市場経済、合理的で科学的・技術的な思考、市民社会など」に「寄りかかった」。これらに対立する「日本的なもの」=「家族的紐帯、地域共同体、社会を構成する権威」、「日本的自然観、美意識、仏教的・儒教的・神道的なものを背景とした宗教意識」などは「ことごとく否定的に理解された」。ここに「戦後日本」の「大きな精神的空洞」がある。(以上、p.82-83)  ・「日本的なもの」を否定的に理解して「アメリカ的なもの」を受け容れる、つまりは「倒錯した価値をしごく当然のごとく受け入れてきた戦後日本」には、「公式的」には「保守」の「居場所はない」。アメリカ的「戦後思想」が「日のあたる場所」を占拠したので、「保守」は戦後日本の「公式」の「重要な価値」の疑問視から始める必要があった。
 ・「軍事力」抜きの「戦前」に戻ればよいということにはならない。「日本の近代化そのもののはらむ問題」だ。「戦後日本」への「根源的な違和感」を前提にしてこそ「保守」という「精神態度」は成立する。ゆえに「戦後憲法の精神は保持したまま」で「保守の原点に戻る」というのは無意味
 ・だが、ここで「困難はいっそう倍加する」。「戦後」を懐疑しても「現憲法や下位の法体系」の下で言論等をしており、「戦後日本」の「外」には出れない。「戦後日本の公式的価値空間」での=「アメリカ的価値観の受容」をしての、「保守」提唱自体が「矛盾をはらんでいるのではないか」。
 ・上の事実に自称「保守主義者」たちは「どこまで自覚的」なのか。立脚点についての「引き裂かれた自覚」がまずは必要。
 ・反「社会主義」の「日米同盟」の強化は、下手をすると日本をますますアメリカの「保護領」にする。だが、誰もが「戦後体制」=「平和憲法と日米安保体制」の下で守られて生きていて、「日米同盟」破棄はできない。「状況そのもの」が「日本を日本でなくする危険に満ちている」。このことを今は「受け入れるほか」はない。この「苦渋に満ちた矛盾と亀裂の只中にいるという自覚」だけが、今日の「保守」に道を開く。このことに無頓着な者は、「親米であれ反米であれ」、真の「保守」たりえない。(以上、p.83-84) 

0882/表現者30号(ジョルダン)の佐伯啓思「民主主義再考」。

 隔月刊・表現者30号(ジョルダン、2010.05)の以下を、とりあえず読了。いずれも短い文章なので。
 A 佐伯啓思「民主主義再考」
 B 富岡幸一郎「『近代』の限界としての民主主義」
 C 宮本光晴「政権交代の議会制度が機能するための条件」
 D 安岡直「われわれは衆愚政治に抗うことが出来るか」
 E 柴山桂太「民主主義が政治を不可能にする」(以上、p.75-95)
 F 西部邁「民主主義という近代の宿痾」(p.196-9)
 以下はAの一部要約または引用。
 A 「民主政治というもののもっている矛盾が、民主党政権において著しい形で露呈している」(p.76)。
 <「民主政治」概念には、「民主主義」を徹底すれば「政治」は不要になり蒸発するという「本質的矛盾」がある、という「決定的な逆説」がある。>(p.76-77)
 <W・バジョットによると、「議院内閣制」の前提は「有能な行政府を選出」できる「有能な立法府(議会)」だが、かかる有能な立法府は「きわめてまれ」。「議院内閣制」での「政府の本当の敵は官僚ではなく〔無能な〕議会の多数党」。「民主党はこの点をまったく理解していない」。>(p.78)
 <W・バジョットによると、「議院内閣制」のよさは、第一に、「議会と政党」が立派=「政党政治家がそれなりの見識」をもつ、第二に、議会選出「内閣」が「優れた統治能力をもって長期的に政治指導」をする、という条件に依存する。><そうして初めて、「議院内閣制」は「大衆的なもの」=「民意」から「距離」を置き、かつ「強力な指導力を発揮できる」。>(p.79)
 <W・バジョットによるとさらに、英国政治体制には「威信」部分と「機能」部分があり、前者を「君主制と貴族院」が担って「大衆を政治に引き付け、政治に威厳と信頼を与え」、後者を「内閣と衆議院」が担当する。両者の分業によってこそ「大衆と政治的指導の関係はかろうじて安定する」。>
 <こう見ると、今日の日本の政治が「著しく不安定で混沌としている理由もわかる」。小沢一郎流「議院内閣制」はそれの「悪用」であり、鳩山由紀夫の「民主主義」観には「威信」部分はなく、「威信」と「機能」は「渾融」してしまった。「威信」部分こそが「演劇的効果」をもつが、それが欠けて「マスメディア」がそれを「発揮して」「大衆を政治に引きつけようとする」ので、政治は文字通りの「演劇的政治」になってしまった。>(p.79)
 なかなか面白い。小沢一郎による参院選の民主党立候補者選び・擁立を見ていると、優れた「政党政治家」から成る「有能な立法府(議会)」ができる筈がない。彼らが当選しても、<投票機械>になるだけのことはほとんど自明だ。かくして「優れた統治能力」を生み出す「議院内閣制」からはますます遠のくだろう。
 屋山太郎はよく読むがよい。「議院内閣制」における「政府の本当の敵は官僚ではなく〔無能な〕議会の多数党」だ。
 もっとも、民主党に限らず、他政党も、<知名人選挙、有名度投票>に持ち込もうとしているようで、日本政治はますます深淵へと嵌っていく…。

0876/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)読了。

 〇4月某日、表現者第29号(ジョルダン、2010.03)の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「市場論-資本主義による国民精神の砂漠化」を読了。
 4月某日、同上の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「議会論-『チルドレン』による『討論の絶滅』」を読了。
 いずれも座談会記録だが、ふつうの論文的文章に比べて、却って読みにくく、理解がし難い面がある。ほとんど未読の、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(ジョルダン、2010.03)もきっとそうだろう。
 〇5月某日、佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」月刊正論6月号(産経、2010.05)を読了。月刊正論のこの号では最初に読んだ。計16頁で長い。
 簡単にまとめられるわけがないが、佐伯啓思の主張・見解のほとんどはよく理解できる。こういう言い方が不遜ならば、とても参考になる。
 「親米」でも「反米」でもあるし、どちらでもない、という表現も(p.94~)、よく分かる。かつて八木秀次は<保守>論者を「親米」と「反米」とに分けた図表を作っていたが(この欄で言及したことがある)、そのように簡単にはグループ化できないだろう(八木は「親米」派のつもりで自分を西尾幹二と区別したかったのかもしれない)。議論は<多層的、複層的>なのだ。「幾層かにわけて論じられねばならない」(p.93)。
 だが第一に、佐伯啓思に限られないが(西部邁も似たことを言っているが)、<冷戦は終わった>という前提で議論されていることには、きわめて大きな疑問をもつ(p.88には「一応の冷戦終結」との表現が一箇所あるが、他の部分では「一応の」という限定はない)。佐伯啓思に関係して、同旨のことは既に書いたことがある。
 なるほど欧州では対ソ連との間の<冷戦>は終わったのかもしれない(それでも拡大されたNATOがあることの意味を日本国民はよく理解すべきだ)。しかし、中国・北朝鮮との間での日本の<冷戦>はまだ続いているし、その真っ只中にある、と考えるべきだ。まだ日本(とアメリカ)は勝利していない。敗北する可能性すらある。
 したがって、佐伯啓思には、アメリカに問題点、批判されるべき(追従すべきではない)点があるのは分かるが、中国(共産党)・北朝鮮(労働党)の現状をもっと批判してほしい。
 第二に、思想家・佐伯啓思に期待しても無理なのだろうが、「まずこのディレンマを自覚すること」との結論(p.95)だけでは、実際には一種の精神論だけで、ほとんど役に立たない可能性もある。
 佐伯啓思の複層的な思考と叙述は魅力的だが、例えば、7月参院選に関してどう行動すべきかは、佐伯啓思の文章をいくら読んでも分からないだろう。
 行動あるいは政治的戦略の前にまずは「保守」の意味・立場・考え方を明確にしておくべきとの前提的主張は、そのとおりではあるのだが、具体的な成果がすぐには出にくいことはたしかだろう。
 それに、私はよく理解できたと書いてしまったが、佐伯啓思の議論に従いていける<知的大衆>はどれほどいるだろうか、という懸念もなくはない。いわゆる<保守>派にも(「左翼」と同様に)狂信的・狂熱的な者たちがいそうだ。そういう人たちは佐伯啓思の本・文章を読もうとしないか、または読んでも(失礼ながら)ほとんど理解できないのではないか。
 2008年2月の佐伯啓思・日本の愛国心-序論的考察(NTT出版)を刊行直後に読んで、何かの賞に値するように思ったが、論壇で大きな話題になることなく終わってしまったようだ。そういう意味では佐伯啓思は不当に扱われており(不遇であり)、もっと多くの人にその著書等は読まれてよいと感じている。それを阻んでいるのが、佐伯啓思の本等を書評欄等で絶対に取り上げたりはしない、朝日新聞等の「左翼」マスメディアであるのだが。

0855/山内昌之・歴史学の名著30におけるレーニン・トロツキーとジャコバン・ルソー・ヘーゲル。

 一 山内昌之・歴史学の名著30(ちくま新書、2007)は、「作品の歴史性そのもの」、「存在感や意義」を考えて、ロシア革命についてはトロツキーを選び、E・H・カーを捨てた、という。
 トロツキー・ロシア革命史(1931)を私は(もちろん)読んでいない。トロツキストの嫌いな日本共産党とその党員にとってはトロツキーの本というだけで<禁書>なのだろうが、そういう理由によるのではない。
 山内の内容紹介にいちいち言及しない。目に止まったのは、次の部分だ。
 山内はトロツキーによる評価・総括を(少なくとも全面的には)支持しておらず、トロツキーが「革命が国の文化の衰退を招いた」との言説に反発するのは賛成できない、とする。いささか理解しにくい文章だが、結局山内は「革命が国の文化の衰退を招いた」という見方を支持していることになろう。推測を混ぜれば、トロツキーはかつての(革命前の)ロシアの文化など大したものではなかった、と考えていたのだろう。
 そのあとに、山内の次の一文が続く。
 革命によって打倒された「文化が、西欧の高度の模範を皮相に模倣した『貴族文化』にすぎないとすれば、ヘーゲルやルソーなど、トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたちが多くを負う思想を含めた西欧文化は行き場所がなくなってしまう」(p.206)。
 これも分かり易い文章ではないが(文章が下手だと批判しているのではない)、一つは、革命前のロシアも「西欧文化」を引き継いでいたこと、二つは、その「西欧文化」の中には「ヘーゲルやルソーなど、トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたちが多くを負う思想」が含まれていること、を少なくとも述べているだろう。
 興味深いのは上の第二点で、山内は、「トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたち」は「ヘーゲルやルソーなど」に負っている(を依拠している、継承している)として、まずは、「トロツキーやレーニンら」を「ジャコバンたち」、つまりフランス革命のジャコバン独裁期のロベスピエールらと同一視または類似視している。
 そして、つぎに、そのような「トロツキーやレーニンら」の源泉・淵源あるいは先輩には「ヘーゲルやルソーなど」がいる、ということを前提として記している。ルソーがいてこそマルクス(そしてレーニン)もあるのだ。
 短い文章の中のものだが、上の二点ともに、私の理解してきたことと同じで、山内昌之という人は、イスラム関係が専門で、ロシア革命やフランス革命、あるいはこれらを含む欧州史・西欧思想の専門家ではないにもかかわらず、よく勉強している、博学の、かつ鋭い人物に違いない、と感じている。
 山内は1947年生まれ。「団塊」世代だ。岩波書店からも書物を刊行しているが、コミュニスト、親コミュニズムの「左翼」学者ではない、と思われる。そして他大学から東京大学に招聘されたようで、東京大学も全体として<左翼>に染まっているわけではないらしい。
 但し、東京大学の文学部(文学研究科)でも法学部(法学研究科)でもなく、大学院「総合文化研究科」の教授。さすがに東京大学は、「歴史学」の<牙城>であるはずの文学研究科の「史学(歴史学)」の講座または科目はこの人に用意しなかったようだ。

0846/佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」と日本国憲法13条。

 一 産経新聞3/15の佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」を読んで、深い感慨に耽らざるをえなかった。
 二 鳩山由紀夫が「幸福度指数」なるものを持ち出していることに刺激を受けてだろう、佐伯は次のように言う。
 A<アメリカ独立宣言は「幸福追求の権利」等を「普遍的価値」と謳ったが、「自由」とともに「幸福追求の権利」はイギリスに対する「抵抗」の思想だったにもかかわらず、それが忘れられ、「誰もが幸福でなければならない、という一種の強迫観念」を生んだ。これに浸かってしまい、「他人が幸福であれば自分も幸福でなければ面白くない。不幸だと感じた途端、自分の人生は失敗だった」と感じてしまう。この強迫観念に捉えられれば「人は決して幸福になれない。それどころか…人をますます不幸にする」。>
 B<日本にはもともとは「かくも利己的で強迫的な幸福追求の理念」はなかっただろう。①「仏教的な無常観」、②「武士的な義務感」、③「儒教的な『分』の思想」、④「神道的な晴明心」、のいずれを持ち出し、いずれに依拠するにせよ、これらはすべて「個人的な幸福追求に背馳する境地をよし」とするものだ。ここに「日本人の死生観や自然観や美意識」が生まれた。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ。「幸福」の指標などと言う前に「日本人の背負ってきた死生観や自然観を学び直す」必要がある。>
 このような佐伯啓思の見解・主張を私はほとんど違和感なく受け容れることができる。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ、との部分も、論争的であるとしても(議論の対象になりうるとしても)、結論的にはそういう他はない、と感じている。
 三 佐伯の一文を読んで深い感慨を覚えた、というのは、佐伯啓思の見解・主張を私個人は十分に納得できるものの、しかし、現在の日本人の多数はむしろ理解できず、あるいは反発するのではないか、という、うんざりとするような気分も同時に湧いたからだ。
 なぜなら、佐伯も言及するアメリカ独立宣言が謳う「自由」や「幸福追求の権利」は現日本国憲法において、まさしく実定法化され(=明文で憲法典にまで書かれており)、少なくとも成文法としては日本国憲法は「最高法規」とされ、それにもとづいて行われた戦後の公教育のための、疑いをもつことが許されないほどの<理念>としてすらされてきた。
 あらためて、現日本国憲法13条を引用しよう。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 第一文でいう「個人の尊厳」(の保障)が樋口陽一をはじめとする<左翼>(かつおそらくは圧倒的に多数の)憲法学者において、現憲法の最重要の基本理念とされていることは、すでにニュアンスを変えつつ、この欄でも何度も言及した。
 この<個人の尊厳(の保障)>=「個人の尊重」とともに「(自由および)幸福追求に対する権利は…国政上最大の尊重を必要とする」と現憲法は謳っているのであり、かかる憲法規定を知り、学んだほとんどの(かつての、も含む)少年・青年たちには、とりわけ、狭く言えば大学の法学部で憲法を勉強した者たちには、さらには司法試験に合格し専門法曹になったような者たちには、<個人が尊重され>、個人がそれぞれ<幸福を追求する権利をもつ>ことは、疑問を微塵も生じさせないだろうような、しごく常識的で、当然のことになってしまっている、と思われるのだ。
 この13条の淵源はアメリカに、ひいては西欧(欧米)の法(人権・)思想にある。そして、佐伯啓思も指摘するように、必ずしも日本人本来の「人間」観・「人生」観とは合致していない、と思われる。
 だが、そのような問題があることを全くかほとんど意識することなく、<個人の尊厳>と<幸福追求権>の保障が存在することを、現在の日本人の多くは当然視しているのではないか。
 佐伯啓思の一文の内容を諒解しつつ、怖ろしいと感じるのは、上のことにある。
 佐伯啓思の考えていることと、日本国憲法に明示されていることにもよる、多数日本人の意識の間の、この大きな乖離。ここに怖ろしく感じる原因はある。
 それぞれの個人が(自由に)<幸福を追求>することができる、ということ自体は当然のようにも思えるが、佐伯も指摘又は示唆するように、個人は<平等に>「自由」・<幸福追求権>をもつと考えられていることから、他人との間の比較意識、<格差>を嫌う、<そねみ・ねたみ>の意識は容易に生じる。もともと日本人にとっての「自由」とは(他人に害悪を及ぼさない限度での)<気まま>・<放恣>・<何でもアリ>の気分に転化してしまっていること(これはほとんど<多様な個性の尊重>という通念に等しいこと)は、あえて長々と書かなくてよいだろう。
 こうした「自由」・<幸福追求権>を支えるかのごとき<個人の尊重(「個人の尊厳」保障)>の理念も元来は欧米に由来するものであることは、代表的な憲法学者だったらしい樋口陽一が、フランス革命期の<ジャコバン型個人主義>を日本人も(もっと?)体験すべき、と主張していることからも明らかだ。そして簡潔に書くが、丸山真男・樋口陽一(・辻村みよ子)らの日本の「左翼」知識人たちは、日本人は(欧米人のように?)自己を確立した<強い個人になれ>と戦後ほぼ一貫して(戦前から?)主張してきたのだ(そこでは自分は欧米的な「個人」として自立しているが日本の
「大衆」はまだ<遅れている>という暗黙の前提があった)。
 このような欧米的思想を継受した日本国憲法のもとで培養された現代日本「国民」の意識は必ずしも佐伯啓思のそれと同じではないと思われる。佐伯を批判しているのではなく、はがゆい思いで、事実の認識として書いている。
 そして、ここにもまた、日本「国民」の間の<国論の分裂>の根っこを感じ取らざるをえない。
 (「家族」に関する規定のない)日本国憲法も描く<自立した強い個人>の<自由(勝手)>な<幸福追求>活動の保障というイメージは、佐伯啓思の指摘するとおり、やはり日本と日本人の本来の意識とは合致しない、合致するはずがないのではないか。
 「日本人の背負ってきた死生観や自然観」に依拠して日本国憲法をも含めて見直すのか、それともかかる「日本人」意識あるいは<ナショナルなもの>は捨てて<普遍的な>「国際人」(地球市民?)になることを目指すのか、人についても国家についても、基本的なところで<国論の分裂>があり、あちこちで火花を散らしている。
 以上、内容としてはじつに幼稚な、新味のない文章になった。 

0827/三島由紀夫全集第35巻の大野明男関連文章(1969)を読む。

 一 ①「大野明男氏の新著にふれて―情緒の底にあるもの」、②「再び大野明男氏に―制度と『文化的』伝統」の二つが、決定版三島由紀夫全集第35巻(新潮社、2003)に収載されている。
 契機となった大野著とは『70年はどうなる-⦅見通し⦆と⦅賭け⦆』で(出版社等不明)、上の三島由紀夫の文章は、毎日新聞1969.08.08夕刊、同1969.08.26夕刊が初出で、いずれも三島・蘭陵王(新潮社、1971)に所収。
 大野明男は当時「全共闘」支持の「左翼」論者だったようで、三島由紀夫がこういう文章を書いて、<保守>の立場での一種の<時事評論>をしていたとは詳しくは知らなかった。小説・戯曲を書いたり、一般的な文化・思想論を展開したりしていただけではなかったのだ。そういえば、<東大全共闘>と討論?し、それを本にしていた。けっこう、現実具体的な問題に介入していたのだ。なるほど、そうでないと、1970年11月の市ヶ谷での一種の<諫死>も理解はできない。
 さて、大野・三島論争?自体に立ち入らない(立ち入れない)。大野の文章全体を正確には知らないから。
 二 興味深い一つは、三島由紀夫の<憲法(とくに日本国憲法)>観が示されていることだ。
 三島によると、大野は「憲法」はその名のためではなく「成立を導いた『革命』のような政治過程の根本理念を表現した」ものであるがゆえに尊く、他に「優越」する、と書いたらしい。この部分を引用したあと、三島は書く。
 「なるほど新憲法に盛込まれた理念はフランス革命の人権宣言の祖述であるが、その自由民権主義はフランスからの直輸入ではなくて、雑然たる異民族の各種各様の伝統と文化理念を、十八世紀の時点における革命思想で統一して、合衆国といふ抽象的国家形態を作り上げたアメリカを経由したものである。しかもアメリカ本国における幻滅を基調にして、武力を背景に、日本におけるその思想的開花を夢みて教育的に移植されたものである。『血みどろの過程を通って』獲得されようが、されまいが、それが一個の歴史的所産であることは否定できない。
 私は新憲法を特におとしめるわけではないが、これも旧憲法と等しく、継受法の本質をもち、同じ継受法でありながら、日本の歴史・文化・伝統のエトスを汲み上げる濃度において、新憲法は旧憲法より薄い、とはっきり言へると思ふ。
 …継受法も一種の歴史的所産であるなら一国民一民族の歴史的文化的伝統との関わり合ひにおいて評価せねばならぬ、というのが私の立場である。憲法に対して客観主義的立場の人がその保持に熱狂し、憲法に対して主観的主体的立場をとらうとする人が必ずしも熱狂的ではない、といふところが面白い」。(全集第35巻p.603-4)。
 三島は1969年に44才(1945年に20才)。東京大学法学部で誰のどのような憲法の講義を受講したのだろうか。美濃部達吉か宮沢俊義か。いや(在学期間を確認すれば判明することだが)新憲法自体が1947.05施行なので、そのときはすでに卒業していて、旧憲法を前提とする講義を聴いたのだろう。
 いずれにせよ、大学教育によって上のような知見に至ったわけではあるまい。そして、日本国憲法についての、その理念は「フランス革命の人権宣言の祖述であるが、その自由民権主義はフランスからの直輸入ではなくて、雑然たる異民族の各種各様の伝統と文化理念を、十八世紀の時点における革命思想で統一して、合衆国といふ抽象的国家形態を作り上げたアメリカを経由したもの」という理解の仕方は正確なもののように思われる。1969年当時の大学法学部のほとんどにおいては、このような日本国憲法の説明は(憲法教育は)なされていなかったと思われるし、今日でもおそらく同様だろう。
 そしてまた、旧憲法も「継受法」だとしつつも、新憲法の方が「日本の歴史・文化・伝統のエトスを汲み上げる濃度」が旧憲法よりも「薄い」と明言して、新憲法に対する違和感・嫌悪感を表明している、と考えられる。
 大野明男は(反体制派「かつ」、あるいは「しかし」)<護憲>派だったようなのだが、新憲法(日本国憲法)に対する親近と嫌悪、これは今日にも続いている国論の分裂の基底的なところにあり、九条二項や「アメリカ」経由の欧米的理念の色濃い現憲法諸規定の<改正=自主憲法制定>に反対するか、積極的に賛成するかは、(公務員制度や政治家・官僚関係に関する議論・対立などよりもはるかに)重要な対立軸であり続けている、と考えられる。
 現憲法に対する態度は、結局は<戦後レジーム>に対する態度・評価の問題にほとんど等しい。これは、公務員制度や政治家・官僚関係に関する議論・対立などよりもはるかに大きな対立軸だ。そして、民主党のほとんどあるいは民主党中心新政権は<戦後レジーム>(現憲法)護持派なのであり、自民党の中には(民主党内に比べてだが)<戦後レジーム>脱却派=自主憲法制定派(改憲派)が多い(党是からは消えていない筈だ)、という違いがあることになろう。
 三 興味深い第二は、三島によると、大野明男は次のように書いたらしい(以下の「」は三島による引用内)。
 「日本の生産的労働階級」は「千余年の間、『天皇』などは知らずに、営々として『日本』を生きてきた…。心を『天皇』に捕えられるのは、つまり三島氏が『国民的メンタリティ』などと…持出しているのは、特殊な『明治以後』的なもの、正確には『日清戦争以後』的な、膨張と侵略の時代のメンタリティにすぎないのである」。
 おそらくは三島が「日本の歴史・文化・伝統のエトス」の中心に「天皇」を置く、又は少なくともそれと不可分の要素として「天皇」を考えているのに対して、大野は、日本の庶民の対「天皇」心情あるいは「天皇」中心イデオロギーは明治時代以降の産物で、「日本の歴史・文化・伝統」ではない、と主張したいのだろう。
 三島は大野の文を引用したのち、「これはよくいはれるルーティンの議論で、別に目新しいものではない」と応じ、<制度>・<感情>・<文化的伝統>等に論及している(上掲p.604-5)。
 この二人の議論と似たような議論が最近にもあったことを思い出す。
 すでに言及したが、隔週刊・サピオ11/11号(小学館)誌上で、小谷野敦のブログによる『天皇論』批判に対して、小林よしのりが反論している部分だ。
 大野明男にあたるのが小谷野敦で、三島のいう「よくいはれるルーティンの議論」をしていることになる。三島にあたるのが小林よしのりで、三島よりも<実証的に>江戸時代にとっくに庶民は「天皇」の存在を知っておりかつ敬慕していた「旨」を明らかにしている(なお「敬慕」の語はここで用いたもので、とくに拘泥したい語でもない。小林よしのりもこの語は用いていなかったかもしれない)。
 「左翼」の教条的な「ルーティンの議論」は40年を経て、なお生き続けていることにもなる。ウソでも100万回つけば…。「左翼」は捏造・歪曲にも執拗だ。

0825/三島由紀夫「文化防衛論」の一部。

 三島由紀夫「文化防衛論」の末尾(最後の一段落)は、つぎのような文章だ。「昭四三、五、五」という執筆年月日が一番最後にある。
 「私がかういうことを言ふのは、東南アジア旅行で、……、共産主義の分極化と土着化の甚だしい実例を見聞してゐるからである。時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言ふまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる。このやうな事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆ーでつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、かうした栄誉大権的内容の復活は、政治的概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのやうな天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。/―昭四三、五、五―」
 (初出-中央公論昭和43年7月号。決定版三島由紀夫全集第35巻p.50-51(新潮社、2003))
 <文化概念としての天皇>なる概念に拘るつもりはない。 
 「象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねない」、という41年前の三島の懸念と予想は現実化しつつあるのではないか。三島の鋭さと今現実にある虞れを、ともに強く感じる(なお、現在の「国民」が「圧倒的多数を以て」「象徴天皇制を支持」していると考えるのは、甘い認識である可能性もある)。
 「〔文化概念としての〕天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だ」、という指摘も適確だと思われる。皇太子妃バッシングに耽り、「小和田王朝」うんぬんと能天気なことを話題にする前に、「天皇」(制度)、そして「日本」の危機こそが深刻に意識されなければならないのではないか。雅子妃殿下こそが「天皇」(制度)と「日本」の危機の一因だなどと喧伝するのは狂気の所業だ。また、皇太子妃の「公務」なるものを平気で語る知識人(らしき者)がいるのにも驚いている。
 「〔文化概念としての天皇が崩壊して、〕もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる」、という指摘も-怖ろしくも-当たっていると思われる。
 
<容共>政権のもとで、米国よりも中国(中国共産党)を選好するような政策が選択されれば、その行き着くところは、<容共>政策のために「利用される」かぎりでの(中国共産党にとって少なくとも邪魔にならない)「天皇」(制度)が残るか、現憲法上の「天皇」条項が国会議員の2/3以上の発議によって国民投票にもとづき削除されるか、ではないか。
 この懸念・憂慮は、まっくの杞憂だとは思えない。心ある日本国民は、現実を深刻に受けとめる必要がある。

0813/竹田恒泰は安易に「真正保守」と語ることなかれ。

 月刊正論11月号(産経新聞社)に竹田恒泰による渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP)の書評がある(p.332-3)。
 この本は未読だし、内容は問題にしない。だが、気になることがある。
 竹田恒泰は、渡部昇一・金美齢・八木秀次という三人の著者(対談者?)のこの本につき、「…真正保守の立場から緻密に検証を加えている」と書く(p.332)。
 「本書は、日本の保守はどのようにあるべきかの指針を与えてくれる」(p.333)というのは過大なリップサービスくらいに理解しておけばよいだろうが、<真正保守>という語を上のように簡単に用いるべきではない。
 竹田恒泰は自らを<真正保守>と考えている(又はそれを志向している)のかもしれないが、その前に、どこかで<真正保守>なるものの意味、似非・不真正の<保守>との違いを明瞭にしておいてもらいたいものだ。
 皇室に関するかつての議論からして、竹田は西尾幹二は<真正保守>だとは見なしていないかもしれない。
 では、三人の一人、八木秀次は<真正保守>なのか?、という疑問がある。八木秀次が<真正保守>であるとして、そのような者が、皇太子妃の宮中祭祀忌避を事実だと断定して(又は強く推定して)、そのことを理由として現皇太子の皇位就任適格を疑問視するような皇室典範の解釈を示したりするのだろうか。
 現皇太子妃を理由として現皇太子の皇位就任適格を疑う者が<真正保守>なのか?
 竹田恒泰は、八木秀次の<保守>論者としての底の浅さに気づいてもいないのではないか? 竹田恒泰のために、余計ながら、かついかほどの効果があるかも自信がないままに、ご助言申し上げる。
 なお、既述だが、渡部昇一がサンフランシスコ講和条約の一部の解釈につき、東京「裁判」ではなく「諸判決」だとまだ繰り返し主張しているのは(櫻井よしこもこれの影響を受けている)、「遵守」対象批判としては必ずしも的確ではなく、有効性に欠ける(なお、文献または記事を明記できないが、坂元一哉も何かの文章の中で私と同様に「裁判」か「諸判決」かの違いを軽視-または無視-していた)。
 また、渡部昇一は日本国憲法「無効」論の影響をうけ、それを支持しているようでもある。
 かりに渡部昇一が<真正保守>だとしても(私はこの人のものを多数は読んでいない)、そのことが、この人のすべての主張・見解の正しさ・適確さを保障するものでは全くない。念のため。

0811/「レーニンから毛まで」。<容共>か<反共=反コミュニズム>かが基本的対立軸。

 産経新聞社の別冊正論あたりに近いだろうか、ドイツの新聞社 Die Zeit〔時代〕 が季刊で「Die Zeit /歴史」という本又は雑誌を発行していて、今年秋号で第18号になったようだ。
 その2009-03号のタイトルは<危機の予言者-カール・マルクス>。内容を紹介するつもりはないし、その能力もない。
 目次を瞥見して興味を惹いたのは、Iring Fetscher(イリング・フェッチャー)という人物が「父の名前において-レーニンから毛まで-マルクスのイデーから生まれたもの」という文章(論文)を書いていて、マルクス-レーニン-毛沢東を一つの系統として捉えていることだ。毛(沢東)の名前が挙がるなら、実質的には「金日成まで」続いていると理解して何ら差し支えないだろう。
 毛沢東と金日成のあと、中国と北朝鮮において、体制の基本的思想において断絶はあったのか。むろん、<市場経済>を一部で導入した中国のように、政策的に重要な変更はある。だが、毛沢東や金日成の後継者たちが両国を支配していることにほとんど誰も異論を挟まないだろう。
 だとすれば、イリング・フェッチャーの言葉を借りれば、<マルクス・レーニンから毛沢東・金日成まで、そして現在の中国・北朝鮮の指導者たちまで>という系列を語ることが可能だ。
 日本共産党のように、マルクスとレーニンまでは「正しく」、スターリンから誤って<真の社会主義>ではなくなった(少なくとも目指す国でなくなった)、などという<寝言>を、ドイツ人を含む欧米人は誰も(一部のマルクス主義者を除き「ほとんど」が正確だろうか)語ってはいないだろう。
 現時点ではまだ政権与党であるドイツ社会民主党も戦後に早々と<反共=反コミュニズム>を明確にし、そのゆえにこそ、政権を担え、首相も出せる<現実的・建設的な>政党になった。
 <反共=反コミュニズム>は、欧米では、諸国民や知識人たちの(ほとんど)<常識>であるに違いない。
 日本ではどうか。<反共=反コミュニズム>は一部の<保守・反動>・<右翼>の心情で、共産主義=コミュニズムに対しても<優しく><リベラルな>のが(つまりは<容共>が)<進歩的>な感性の人間だとの、根拠のない思い込みになお多くの国民が陥っているように見える。はなはだしいのはマスメディアに従事する輩たちであり、大学の人文・社会系の学者たちだ。
 「レーニンから毛まで」と簡単に断言することのできない、曖昧な知識人・マスコミ人士の何と多いことか。
 グローバル化というなら、こういう<反共=反コミュニズム>においても日本は<国際標準>に合わせるべきだ。そこに達していない日本は、欧米に比べて<グロテスクに異様だ>と感じなければならない。
 もともと外国所産の思想に対する<反共=反コミュニズム>を掲げることに反対するために(つまり<容共>のために)、日本に固有・独自の歴史・文化を持ち出す持ち出すことはできない。上のことは何でも欧米の真似をせよ、という主張をしているのではない。
 民主党は全体としては又は多数派は<共産主義・社会主義志向ではない>という了解と安心があったからこそ、有権者の多くは同党に票を投じたのだろう。たしかに、米帝は日中人民共通の敵だと北京で声明した委員長がいたり、日米安保廃棄を唱えつづけてきたかつての日本社会党とは異なるようだ。
 だが、この政党に<旧社会党>一派がいることは周知のことだし、新総理大臣・鳩山がはたしてどこまで<反共=反コミュニズム>意識の持ち主であるかは疑わしい。むしろ<容共>に傾きうるのではないか、という危惧がある。
 こんな曖昧な政党に政治を委ねなければならないとは、憂鬱な事態だ。
 ドイツでは同盟(CDU/CSU)と自由民主党(FDP)の<保守・中道>連立政権が生まれそうだとされているが、かりにドイツで社会民主党(SPD)ほぼ単独の政権ができても、日本の新政権よりはマシなのではないか。ドイツ社会民主党の<反共=反コミュニズム>ははっきりしており、米国等との北大西洋条約機構(NATO)からの離脱を主張するはずもないからだ(もっとも、独社民党はドイツ国内の米軍の核兵器の撤去を要求しているらしい。ということは、現時点で、ドイツには明確に米軍の核兵器がある、ということ、そしてそのことが広く知られている、ということだ)。
 一部であっても<隠れマルクス主義者>や<容共>の者が民主党内で力を持つとすれば、日本は由々しき状況になるだろう。
 かくのごとく、中国・北朝鮮の現況を前提とすると、日本での思想・政治の最も基本的な対立軸は、なお<容共>か<反共=反コミュニズム>だ、と考えている。
 多くのマスコミ人士や学者たちは、<民主主義(の徹底・充実)>か<古い(愛国的・保守的)思考(の存続)>かの対立だと捉えているように見える。こういう対立軸の設定は、<民主主義かファシズム(軍国主義)か>という、戦後昭和<進歩的文化人>、丸山真男らも描いた、戦後当初の思考枠組みをそのままなお引き摺る、じつはアンシャン・レジームの発想だ。
 決して万全の、理想的なイデオロギーでも何でもない(実現すべき実体的価値を何ら示さない)<民主主義>(国民の「皆様」が主人公!)の実現・充実・徹底、という「青い鳥」を<夢想>して、大多数の国民(・マスコミ人士・学者)はこれからも生きていくのだろうか。むろん、その先頭に朝日新聞や岩波書店や某大学等々の学者たちがいる。どこかが大きく間違っている。

0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。

 月刊ヴォイス9月号(PHP)の鳩山由紀夫「私の政治哲学」(p.132-)によると、彼のいう「友愛」は、フランス革命のスローガン中の「博愛」=フラタニティ(fraternite)のことのようだ。言葉だけ似ていて別物かと思っていたら、本人がそう書いている。
 その祖父・鳩山一郎がクーデカホフ・カレルギーの『全体主義国家対人間』を訳したときに(邦題は『自由と人生』)、「フラタニティ」を「友愛」としたらしい。
 鳩山由紀夫も共鳴・共感しているらしいカレルギーの本によると「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」。そして、カレルギーの本は反ヒトラー・反スターリンという、「左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だった」と由紀夫は書いている。
 この「友愛」主義を現代日本にあてはめると、基本的には「市場至上主義」ではない「共生の経済社会の建設」になる。より具体的な政策レベルでは、第一に「地域主権国家」の確立、第二に、「『東アジア共同体』の創造」だ、と述べられる。
 「左右の全体主義」の排斥は結構なことだ。だが、こう言うとき、鳩山由紀夫は、「右」のそれとして、安倍晋三平沼赳夫らを(あるいは「靖国」参拝政治家・国民を)イメージしているのではないか。
 「左の全体主義」とも戦うとすればぎりぎり容認されるのは社民党までで、日本共産党や中国共産党とは対立しなければならないはずだが、はたして中国「社会主義」を鳩山はどう見ているのか。鳩山は「中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい」(p.140)とか書いてはいるが、「『東アジア共同体』の創造」を現時点から国家目標として掲げ(p.139)、「各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創り上げ…」と言うとき、彼の立場はかなり「左」にあり、「共生」と「東アジア共同体」の背後に中国「社会主義」は退いて、「左の全体主義」には相当に甘いようだ。
 もともと鳩山のみの意向で政権が運営されるわけはなく、民主党の中には明瞭な親中国派、親「社会主義」派もいることが留意される必要がある。
 そして、サピオ9/09号(小学館)の巻頭の大原康男「ますます遠くなった首相の靖国神社参拝を憂う」から借りると、民主党現幹事長・岡田克也は、結果的・客観的には中国の主張に応じて「A級戦犯が祀られている限り、日本の首相は参拝に行くべきではない」と明言し(鳩山が同旨のことから別の国立追悼施設設置を主張していることは別の回でも言及した)、<チベット、新疆ウィグル問題>については「中国国内の事柄」で「中国の内政に干渉すべきではない」と明言した、という。
 A級戦犯「合祀を理由とする参拝反対は中国からの内政干渉が発端であるにもかかわらず、…たび重なる残虐な・非道な少数民族迫害・弾圧には内政不干渉の美名の下に容認」している(大原、p.3)わけだ。
 こうして見ると、鳩山由紀夫の二つ又は左右の「全体主義」との戦いという「友愛」主義も、嘘くさい。この人物も、戦後<民主主義・個人主義・自由主義>の優等生で、究極的には、右翼「ファシズム」よりも<左翼全体主義>=社会主義・コミュニズムを選択しそうな、つまり「容共」の考え方・意識の持ち主なのではないか。そして、それはもともとの祖父やクーデカホフ・カレルギーの考え方・意識からは離反しているのではないか。
 (なお、誰かがどこかで書いていたように、民主党政権ができるとすれば、それは<戦後レジーム維持>派の大勝利なのだ。)
 サピオ9/09号に上で言及したが、同号の小林よしのりの連載の最後の頁の欄外上には、「民主党は政権をとったら靖国神社に代わる新たな『国立追悼施設の建設』を本格化させ、『外国人参政権』『非核三原則の法制化』も実現させるつもりだ。……左翼全体主義の時代が近づいている」とある。
 鳩山政権が「左右の全体主義との激しい戦い」をするとは信じられず、むしろ「左翼全体主義」へ接近するように見える。ちなみに、「左翼全体主義(左翼ファシズム)」とは、昨秋の所謂田母神俊雄論文後の政治・社会状況を見て、私が(も)使った概念だった。
  

0795/「正しい戦争」があるならば「不戦の誓い」は行えない。

 〇佐々木類という記者?による8/16発の「まさか日本共産党までブレているとは思いませんが…」と題する長い文章がイザ・ニュース欄にある。そしてなかなか皮肉が効いている。 日本共産党の<二段階革命>論において、当面の第一段階の革命が成就するまでは、第二段階の革命(社会主義革命)においては主張したいことを主張するはずがない。将来について同党が考え想定していることからすれば、日本共産党が現在主張していることは<すべてウソだ>と理解しておいた方がよい。
 〇8/15の戦没者追悼式での麻生太郎首相式辞いわく-「わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛と与えております。国民を代表して、深い反省とともに…。/私たちは、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、…。/本日、ここに、わが国は、不戦の誓いを新たにし…」。
 これまでの同式辞や外交文書・談話と基本的には同じなのだろうが、いわゆる<村山談話>に通じる基幹的部分を、麻生太郎首相もまた継承しているように見える。
 「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛と与え」た「過去を謙虚に振り返り」、「反省」し、「非戦の誓いを新たに」する、と言うのだ。
 いわゆる田母神俊雄論文とは異なると思われるかかる認識は、麻生太郎・自民党議員のほとんどを含めて、とっくに<体制化>している、と理解しておいた方がよいのだろう。政府の中でも外務省は、戦後一貫して、かかる認識と立場でいたものと思われる。
 だが、少数派だろう?とはいえ、上の式辞内容には疑問をもつ。
 過去ではなく近未来についても、そもそも「非戦の誓い」とは何なのか。
 1929年のパリ不戦条約(「戦争抛棄ニ関スル条約」)の締結国が「放棄」を宣言した「戦争」は<すべての>それではなく、「国際紛争解決ノ為戦争」または「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争」であり、かつ、特定の「戦争」がこれらに該当するか否かの認定権が当時の国際連盟(又はその下部機構)にあるとされていたわけでもない。
 日本国憲法九条1項が放棄しているのも、「国際紛争解決の手段として」の「国権の発動たる戦争」にすぎない。これは基本的に<侵略戦争>に限られる。
 なるほど九条2項は「国の交戦権は、これを認めない」と定めているため、結果として<すべての>「交戦」が否認されていることにはなる(通説的解釈)。ここに日本国憲法の世界に独特の特殊性がある。この条項まで意識して、現憲法の(通説的)解釈をふまえて、麻生太郎首相は「非戦の誓い」を語ったのだろうか。
 だが、2項がすぐ前で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めているかぎり、「戦力」なくして「交戦」がありうる筈はなく、「国の交戦権は、これを認めない」という文の意味・存在意義はもともと疑わしいのだ。
 「左翼」新聞社刊行の、元東京大学教授による、筒井若水・違法の戦争、合法の戦争(朝日新聞社・朝日選書、2005)p.224-5あたりでも、「交戦権」=right of belligerency の意味が「国際法上論じられた形跡はない」、「その内容を国際法上確認できない以上、その国際法的意味を求めても詮ないことである」と書いてある。
 法的議論から離れても、「非戦」=<すべての戦争の否定>を誓ってよいのだろうか。
 北朝鮮または中国から<侵略戦争>攻撃を受けた場合の日本の(国家としての)自衛行動は、常識的には<自衛戦争>に他ならない。「戦争」という語をあえて避ければ、憲法も否認はしていない(通説)国家の「自衛権」にもとづく<自衛>のための<武力行使>ということになるが、実質的には<自衛戦争>と称しても何ら誤りではないだろう。
 <予防的先制攻撃>すら理論的には「自衛権」の行使として可能だとされている。
 そういう議論と日本をめぐる環境の中で、なぜわざわざ「非戦の誓い」を語らなければならないのだろう。毎年こんな言葉を聞いて安心し、喜んでいるのは、共産党(・労働党)独裁の中国と北朝鮮(・アメリカ?)なのではないか。謙虚さと自虐とは、行き過ぎると卑屈と莫迦になる。その弊に陥っているのが現在の日本なのではないか。
 宮崎哲弥はかつて、「正しい」戦争はある、と断言したことがある。その宮崎哲弥が産経新聞8/08「米士官学校教科書の『原爆批判』」と題する文章を載せている。
 それによると、米士官学校で使われている教科書の一つ、マイケル・ウォルツァー『正しい戦争と不正な戦争』という本は、ドイツの場合と異なりかつての日本がしたのは「一般的な軍事拡張」で、「無条件降伏などという完膚なきまでの体制打倒は不要だった」としつつ、「必須ではない目的達成のために、非戦闘員の無差別殺戮を遂行することはまったく不当だった」、つまり「原爆投下は不正な戦争行為だった」と明記している、という。
 原爆投下問題はさておき、この本もまた、「正しい」戦争と「不正な(=正しくない)」戦争とがある、ということを前提としていることは疑いえない(なお、この本は4200円もするので素人が購入するにはいささか高価すぎる)。
 情緒的な「戦争反対」を語らない方がよい。無条件に、「戦争は二度としてはいけない」などと語らない方がよい。八月になると日本のテレビ等はそんな(とくに老人の)声・思い出話で溢れるが、では、日清戦争も日ロ戦争も<してはいけなかった戦争>だったのか? 敗戦と被害の甚大さを体験した、1930年代以降の日中戦争+太平洋戦争の経験のみにもとづいて、一般的な「(すべての)戦争反対」論を導いてはいけない。
 こうした誘導を(策略をもって)行っているマスコミ(テレビ、新聞、出版社)を警戒しなくてはならない。
 一般的な「(すべての)戦争反対」論は、政党の中ではおそらく福島瑞穂の社民党の主張に最も近いだろうが、<軍事>に関する議論の忌避、<軍事>問題の検討の回避に結びついてゆく。社民党ほどではないとしても、そうした罠に、(民主党はむろんだが)自民党のかなりの部分も陥っているのではないだろうか。
 「正しい戦争」=やむをえない自衛自存のための国家「防衛戦争」はありうる。こうした考えが少しでもあれば、簡単に「不戦の誓い」などを語れないのではないか。
 〇戦争の記憶を風化させないために、NHK等は、生存者のいるかぎりでその<証言>をできるだけ得て、残していく方針らしい。上記の麻生太郎首相式辞の中にも、「悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかなければなりません」とある。
 しかし、注意しなければならないと思われるのは、<証言>は、つねにその証言の時点での情報や知識によってある意味では歪曲されて行われる、ということだ。<証言>の対象である戦闘行為・戦争被害等々のまさにその時点における発言ではなく、60年ほども過ぎて、従って<戦後民主主義>の風潮と現在の<体制的・大勢的>ムードの影響を受けて、過去の事実が、現代的<解釈>や<評価>を交えて語られる可能性も十分にある、ということだ。
 事実そのものは発掘し、記録・記憶されなければならないものが多いだろう。しかし、それと、その事実の<解釈>・<評価>とは別のものだ。
 <証言>の収集によって現代的<評価>を伴う何らかの「価値」観をNHK等が主張したいとするならば、それは真の歴史探究ではなく、特定の<政治活動>だ。NHKによる<証言>収集とその報道を、そのかぎりで、十分に警戒しておく必要があると思われる。 

0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。

 一 二年前の朝日新聞による安倍晋三(内閣)攻撃のひどさは、月刊正論9月号(産経新聞社)の長谷川三千子「難病としての民主主義/いま日本国民は何を自戒すべきか」では、こう叙述されている。
 「安倍首相に対する朝日新聞の『言葉』は、徹頭徹尾『感情的』であり、ハイエナの群れが、これぞと狙ひをさだめた獲物の、腹といはず足といはず、手あたり次第のところにかじり付き、喰い破ってゆくのを思はせる、『残酷』さにみちていた。そして、それは少しも『無力』ではなかったのであり、朝日新聞の『言葉のチカラ』は、つひに安倍首相の体力・気力を奪ひ去つて、首相の座から追ひ落とすことに成功したのであつた。政権の『投げ出し』だと言って騒ぎたてた、あの時の朝日新聞のはしゃぎぶりはまだ記憶に生々しい」(p.58)。
 なお、ここに触れられているように朝日新聞が一時期喧伝していた<ジャーナリズム宣言>の中の「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを」とのフレーズが、上では意識されている。「言葉のチカラ」によって虚偽でも真実に変えてみせるという朝日新聞の宣言かとも受け取れ、気味悪く感じたものだった。
 また、長谷川は、「もっとも厄介なこと」は「言葉」による「感情的で、残酷」な政府攻撃こそが「民主主義イデオロギーにかなつたことだ」ということだ、ということを指摘する中で上を述べているが、この「デーモクラティア」にかかわる論点には立ち入らない。
 
 二 月刊正論9月号では、編集者が民主党・鳩山由紀夫の「友愛」論と関係づけているのか否かは分からないが、それとは独自に、竹本忠雄「厄災としてのフランス革命/博愛は幻想-ルイ16世の遺書を読み解く」(p.200-)が目を惹く。
 1791年にパリから(ヴァレンヌを経て)オーストリアへ「逃亡」しようとしたが「逮捕」され、1793年に「斬首」されたルイ16世の政治的遺書にあたる「告辞」(1791.06.20付)が発見されたらしい。そして、その内容の概略の紹介や一部の邦訳が載せられている。
 詳細な引用はしかねるが、「革命と共和制の『大義』を誇大に評価する一方、恐怖政治の残虐と、それに対して抵抗する反革命運動の民衆を相手に各地で展開された大虐殺の事実とを、無視または隠蔽しようとする進歩主義史観が、これまで日仏間の言論界を制してきた」(p.204)状況の中で、フランス最後の絶対君主=悪、フランス革命=善という「日本における共和制論者、すなわち進歩主義史観の持主たち」(p.203)の通念を少なくともある程度は揺るがしうる。
 また、王妃アントワネットも「斬首」されたとともに、よく知らなかったが、わずか10歳の長子ルイ17世(カペー・ルイ)も「両親の処刑のあと獄中で革命政府の手により残酷な殺され方をした」(p.201)、「残酷な獄中死」をした(p.204)、「残酷な犠牲者となった」(p.205)、らしい。
 元国王夫妻の処刑やその長子のかかる処遇は<革命>の成就にとってもはや無意味だったと思われる。また、ヴァンデやシュアンの「戦い」に対する弾圧=大虐殺の実態につき、フランスでも、「ナチによるユダヤ人虐殺」のみならず「われわれフランス人もジェノサイドをやった」との事実を認めようとする運動があるらしい(p.205)。
 日本の明治維新の際の<残虐さ>の程度と比較したくもなる。また、竹本忠雄は「フランスでは立憲君主制は一夜にして崩壊し、日本ではいまなお保持されているが、主権在民を基本とする以上、法的に〔な?〕危うさは変わらない。昨今の日本政府の舵取りは奇妙に、フランス革命の初期の一連の出来事とパラレル」だ、と述べて日本の<天皇制度>へも論及していて興味深いが、これ以上は立ち入らないでおこう。

0774/ルソーとフランス革命と「全体主義」。

 1.ルソーは将来の「フランス革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない。マルクスも、将来の「ロシア革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない(それをしたのはレーニンだ)。
 だが、ルソーが「フランス革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を、マルクスが「ロシア革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を提供したからこそ、ルソーとマルクスは後世にまで名を知られ、影響を与えたのだろう。言うまでもなく、「フランス革命」と「ロシア革命」は現実に(とりあえずは)<成功した>革命だったからだ。「フランス革命」と「ロシア革命」が現実に生起していなければ、ルソーもマルクスも、現実に持ったような「思想」的影響力を持たなかったように思われる。
 2.ルソーのいう「社会契約」等が内容的・思想的にフランス革命に影響を与えただろうことは推測がつく。また、『人間不平等起原論』が人間の「本来的平等」論につながるだろうことも判る。だが、ルソーとフランス革命の関係、前者の後者への具体的影響関係は必ずしも(私には)よく分からないところがある。
 前回言及の小林善彦ら訳の本(中公クラシックス)のルソーの年譜に、1778年に死去してパリの「エルムノンヴィル邸」(城館)に面する池の中の「ポプラの島」の埋葬されたが、1794年10月11日に遺骸が「ポプラの島」から「パンテオン」に移されて葬られた、とある。中心部の南又は東南にある「パンテオン」はフランス又はパリの<偉人>たちの墓でもあるらしいので、ロベスピエールの失脚(斬首)のあとの、1794年10月段階の穏健「革命」政府によって積極的に評価された一人だったことは確かだ。
 詳細な人物伝ではないが、中里良二・ルソー(人と思想)(清水書院、1969)という本があり、次のような文章を載せる。
 ・「ルソーの『社会契約論』は、その存命中にはあまり広くは読まれなかったが、かれの死後、革命家たちの福音書になり、デモクラシーの精神を発達させるのに役立った。そして、一七九三年には、ロベスピエールとサン=ジュストは、『社会契約論』を典拠として国民公会憲法をつくったという」(p.24)。この「国民公会憲法」は1793年制定だとすると、これは<プープル(人民)主権>を謳った、しかし施行されなかった、辻村みよ子お気に入りのフランス1793年憲法のことだ。
 ・「ルソーがフランス革命において、ただ一人の先駆者」ではないが、「その一人であるということはできよう」。「一七九一年一二月二九日、デュマールは国民議会でルソーの像を建てることを提案する演説の中で、『諸君はジャン=ジャック=ルソーの中に、この大革命の先駆者をみるだろう』といっている」。
 ・「マラは一七八八年に公共の広場で『社会契約論』を読んでそれを注解し、それを熱心に読んだ聴衆が拍手喝采したという」。
 ・「一七九一年には、モンモランシーに建てられたルソー像には『われわれの憲法の基礎をつくった』と刻まれている」(以上、p.25)。
 このあと、中里良二はこうまとめる。
 「このような例だけによってみても、ルソーのフランス革命への影響がいかに大きかったかがうかがい知られる…」。
 ロベスピエールを<ルソーの子>又はこれと類似に表現する文献を読んだような気がする(中川八洋の本だったかもしれないが、確認の手間を省く)。
 ともあれ、ルソーのとくに『社会契約論』は(他に所謂<啓蒙思想>等もあるが)「フランス革命」の現実の生起に<思想的>影響を与えたことは間違いないようだ。
 なお、松浦義弘「ロベスピエール現象とは何か」世界歴史17・環大西洋革命(岩波講座、1997)p.200によると、ロベスピエールは「ルソーの霊への献辞」と題する文章の中で、「同胞たちの幸福」を求めたという自らの意識が「有徳の士にあたえられる報酬」だ、と書いたらしい。
 3.もっとも、以上は、松浦義弘(1952~)のものを除いて、フランス革命を<進歩的>な<良い>現象と捉えたうえで、ルソーにも当然に肯定的な評価を与えるものなので、その点は割り引いて読む必要がある。
 中里良二(1933~)の本の「はしがき」は次の文章から始まる。
 「ルソーは、今日にもっとも影響を及ぼした一八世紀の思想家の一人である」。
 その「影響」が人類にとって「よい」ものだったか否かはまだ結論を出してはいけないのではなかろうか。
 しかし、小林善彦(1927~)はこうも書いている。
 『社会契約論』は理解困難だった歴史をもつ。「二〇世紀の後半になると、ルソーこそは全体主義の源流だと見なす研究者さえ出てきている。時代背景も著者の生涯も無視して、たんにテクストだけを切り離して読むならば、そう読めないこともないとはいえるが、それならばルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか。やはり素直に読めば、主権者たる市民による民主主義の主張の書として読むのが正しいのではないかと思う」(中公クラシックス・ルソーp.18)。
 ここでは、①「たんにテクストだけを切り離して読むならば」、「ルソーこそは全体主義の源流だ」と「読めないこともないとはいえる」、と認めていることが興味深い。そして、フランス革命時の革命家たちは「テクストだけを切り離して」読んでいたのではないか、と想像できなくもないので、彼らは実質的には<全体主義>者になったと言うことも不可能ではない、ということになりそうなことも興味深い。
 ②疑いなく、「主権者たる市民による民主主義」を、肯定的に理解している。全世界に、少なくとも日本とっても<普遍的に正しい>思想だと理解している。かかる、小林善彦が当然視しているドグマこそ疑ってかかる必要があるのではないか、と特段の理由づけを示すことなく、言えるだろう。佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)という本もあった。
 もっとも、日本の中学や高校の社会系教科書では、圧倒的に、ルソーは小林善彦らの(従来の)通説に従って評価され、叙述されてはいるのだが。
 ③「ルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか」との指摘は<全体主義の源流>論に対する、何の反論にもならない。<二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした「悪い」影響>の可能性を否定できない。ルソー(・フランス革命)はマルクスに影響を与え、従って「ロシア革命」にも影響を与えた。共産主義(コミュニズム)による一億人以上の殺戮に、ルソーは全く無関係なのかどうか。

0773/ルソー・人間不平等起原論(1755)を邦訳(中公クラシックス)で読了。

 先週7/16(木)夜、ルソー・人間不平等起原論(1755)を、中公クラシックスのルソー・人間不平等起原論/社会契約論〔小林善彦・井上幸治訳〕(中央公論新社、2005)を読み終える。前者・人間不平等起原論の訳者は小林善彦。
 1 引用してのコメントはしない。社会契約論とともにルソーの二大著作とされることもあるが、平等「狂」、あるいは少なくとも「平等教」教組の戯言(たわごと)という印象を拭えない。
 現在の時点に立っての論評は不適切で、18世紀の文献として評価すべきだとしても、人間の「不平等」の「起原」についての論考・思考として、あまりにも説得力がなさすぎ、ほとんど「空想」・「妄想」だ。
 ルソーは今でいうと、「文学評論家」的又は「文学者」的「思想家」のようで、文章自体はおそらく、レトリックを多用した、美文又は(平均人は書けない)複雑な構成の文章なのだろう(邦訳なので、感じるだけだが)。そしてまた、倒置、仮定、二重否定、反語等々によって、意味の理解が困難な箇所も多い。
 2 すでに忘れかけているが、コメントをほとんど省略して、印象に残る(決して肯定・同意の趣旨ではない)文章をピック・アップしておこう。
 序文・「人間は一般に認められているように、本来お互いに平等である」(p.23)。
 ・「人間の魂の最初の、そして最も単純な働き」には「理性」に先立つつぎの「二つの原理」がある。①「われわれの安楽と自己保存」に関心を与えるもの、②「感性的存在、主としてほれほれの同胞が、滅び、または苦しむのを見ることに対して、自然の嫌悪を…起こさせるもの」(p.28)。②はのちにいう「同情心」(pitie)だろう。
 本論・人類に「二種類の不平等」がある。①「自然的または肉体的不平等」、②「道徳的または政治的不平等」。前者の源泉は問えない。これら二種の不平等との間の「本質的な関係」を求めることも不可能(p.33-34)。
 ・この論文では、「事物の進歩のなかで、暴力のあとに権利がおこり、自然が法に屈服させられた時を指摘」する等をする(p.34)。
 ・ここでの「探求は、歴史的な真理ではなくて、単に仮説的で条件的な推理」だ(p.36)。
 第一部・「未開人の身体」は彼の唯一の道具で、「生活技術」(<「文明」)は未開人の「力と敏捷さ」を奪う。
 ・ホッブズは「人間は本来大胆で、攻撃し、戦うことしか求めない」と言ったが、誤っている(p.41-42)。
 ・人間が身を守る手段がないのは「生まれながらの病弱と幼少と老衰とあらゆる種類の病気」だ。「はじめの二つ」は「すべての動物」に関係し、「最後のもの」は「主として社会生活をする人間に属する」(p.43)。未開人は「怪我と老衰のほかにほとんど病気を知らない」。未開人には「薬」は不要で、「医者」はなおさら(p.45)。
 ・「われわれの不幸の大部分はわれわれ自身で作ったもの」で、「自然によって命じられた簡素で一様で孤独な生活様式」を守れば避け得た。「思索」は「自然に反し」、「瞑想する人間は堕落」している(p.45)。
 ・「社交的になり、奴隷になると、人間は弱く臆病で卑屈になる」。「女性化した生活様式は、…力と勇気とをすっかり無力」にする(p.47)。
 ・「裸」のままでおらず「衣服と住居」を作ったことは「あまり必要ではない」ことだった(p.47)。
 とっくに、この<狂人>の「仮説的で条件的な推理」には付(従)いていけないのだが、つづけてみよう。
 

0767/阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(2008)におけるフランス革命-5。

  阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(2008)-5。
 第Ⅱ部・第6章
 
〔2〕「近代の鬼子? フランス革命
 D(p.194~)
 私(阪本)のフランス革命の見方は、辻村みよ子らのフランス憲法専門家等から以下の如き批判を受けるだろう。
 ①フランス革命のいつの時期・どの要素を捉えているのか。91年までの過程重視派と93年の過程重視派があるはず。
 ②近代立憲主義のモデル探索の目的にとって、91年憲法重視か93年憲法重視かは決定的に重要だ。
 ③91年派と93年派が対立していても、「近代市民社会と憲法」という基礎観念を生んだ1789年が重要ということにはコンセンサスがあるはず。
 全面的論争のつもりはないが、以下が素人的「感想」。
 1.フランス「人権宣言」(89年)が最重要との前提で91年憲法か93年憲法かを論じるのは、「枠組み自体が狭すぎる」。フランス革命の成否は、より「長期的なタイム・スパン」で評価されるべき。振り返ってみて、「1789年以降の諸憲法がどれほどの自由を人びとにもたらした」というのか?

 2.既述の如く、フランス「人権宣言」は体系性ある法文書ではなく「政治的なPR文書」だ。
 3.91年憲法も93年憲法も「人為的作文」(法学者が「頭の中で考えたデッサン」)だ。ナシオン主権かプープル主権かというフランス憲法史でお馴染みの論争はその典型で、前者=間接民主制、後者=直接民主制とのロジックは、「それらのタームの中に結論を誘導する仕掛けを用意しているからこそ成立」するにすぎない。
 4.「一度も施行されなかった93年憲法は、どのようにでも語りうる」。

 
 <91年憲法か93年憲法か>という論争は「統治がどれほど民主化されているか」にかかかわるようだが、評価基準は「ある憲法が、実際、どれだけの自由保障に貢献したか」に置かれるべきだ。
 (Dがさらにつづく)

0766/ハンナ・アレント・革命について(ちくま学芸文庫、志水速雄訳)におけるフランス革命1。

 ハンナ・アレント・革命について(ちくま学芸文庫、志水速雄、1995、初出1975)から、フランス革命について言及するところを引用して紹介。阪本昌成の本が前回紹介した部分で参照要求している箇所とは異なる。p.242-243。
 別に扱いたいルソーの<社会契約論>・「一般意思」に言及する部分(②)もあるが、一連の叙述なので、この回で引用しておく。
 ①「歴史的にいえば、アメリカ革命とフランス革命のもっとも明白で、もっとも決定的な相違は、アメリカ革命の受け継いだ歴史的遺産が『制限君主制』であったのに対して、フランス革命のそれは、明らかに、われわれの時代の最初の数世紀とローマ帝国の最後の数世紀にまで遠くさかのぼる絶対主義だったということ」だ。
 「新しい絶対者たる絶対革命を、それに先行する絶対君主制によって説明し、旧支配者が絶対的であればあるほど、それにとって代わる革命も絶対的となるという結論をくだすことくらい真実らしく思われることはない」。
 「十八世紀のフランス革命と、それをモデルにした二十世紀のロシア革命は、この真実らしさの一連の表現であると考えることは容易であろう」。
 ②「ルソーの一般意思の観念は、…、国民が複数の人間から成るのではなく、あたかも実際に一人の人間から成るように扱っている。…この一般意思の観念がフランス革命のすべての党派にとって公理となったのは、それがこのように、実際、絶対君主の主権意思の理論的置きかえであったため」だ。「問題の核心は、憲法によって制限された国王と異なり、絶対君主は、国民の潜在的に永遠の生命を代表していたということ」だ。
 上の②は、阪本昌成が1793年憲法(ジャコバン独裁=ロベスピエール)がいう「プープル(人民)主権論」は「全体主義の母胎」になったと指摘していた(前回紹介参照)のと実質的には同趣旨だと解される。
 なお、かかるアレントのフランス革命理解は日本の学校教育におけるフランス革命の叙述にほとんど生かされてはいないようだ。また、岩波書店はハンナ・アレントの著作の文庫化を全くしていないことも興味深い。これは、岩波書店が、<古今東西の>「社会」・「人文」系の重要な文献を<広く>出版しているのでは全くなく、岩波の<思想>に合わせて取捨選択して出版している証左の一つだ。

0765/阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(成文堂、2008)におけるフランス革命-4。

  阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(2008)-4。
 第Ⅱ部・第6章
 〔2〕「近代の鬼子? 
フランス革命
 C(p.191~)
 高橋幸八郎を代表とする日本の歴史学者の定説はフランス革命を<民衆の支持を得たブルジョア革命>と見た。それは「ジャコバン主義的な革命解釈」で、「一貫した構造的展開」があったとする「歴史主義的な理解」でもある。
 私(阪本)のような素人には「構造的展開」があったとは思えない。①急いで起草され一貫性のない「人権宣言」という思弁的文書、②その後の一貫性のない多数の成文憲法、③「ジャコバン独裁」、④サン=キュロット運動、⑤「テルミドールの反乱」、⑥ナポレオン、そして⑦王政復古-こうした経緯のどこに「構造的展開」があるのか。「フランス革命は民主主義革命でもなければ、下部構造の変化に対応する社会法則」の「体現」でもない。
 フランス革命が後世に教示したのは、「自由と平等、自由と民主主義とを同時に達成しようとする政治体制の苛酷さ」だ。ヘーゲルはこれを見抜いていた。
 革命時の「憲法制定権力」概念も「独裁=苛酷な政治体制を正当化するための論拠」だった。とくに「プープルという公民の総体が主権者」だとする「人民(プープル)主権論」こそが、「代表制民主主義」を欠落させたために、「全体主義の母胎となった」。
 <1791年体制は93年体制により完成したか>との論議には加わらない。1793年〔ジャコバン独裁の開始〕がフランス革命の「深化」と「逸脱」のいずれであれ、1789年以降の「全体のプロセス」は「立憲主義のモデル」とは言えない、と指摘したいだけ。
 フランス革命の全過程は「個人・国家の二極構造のもとで中央集権国家」を構築するもの。この二極構造を強調する政治理論はつねに「独裁」につながり、フランス革命もその例だった。<個人の解放>と<個人による自由獲得>とは同義ではなかった。この点をハンナ・アレントも見事に指摘している(『革命について』ちくま学芸文庫・志水速雄訳、p.211)。トクヴィルも言う-フランス革命は「自由に反する多くの制度・理念・修正を破壊した」が、他方では「自由のためにどうしても必要な多くのものも廃止した」等々(『アンシャン・レジームと革命』既出、p.367)。
 (Cは終わり。Dにつづく)
 

0754/広島市長・秋葉忠利は憲法違反の「人権」侵害行為を謝罪せよ。

 広島市長・秋葉忠利による田母神俊雄らに対する講演(会)の日程変更「要請」は、重大な憲法問題を孕む。
 私人の表現(・集会)の自由に対する、<権力>による事前関与であり、朝日新聞高嶋伸欣も断乎として批判すべきものだ。かつて櫻井よしこを講師とすることを民間団体が「左翼」の圧力に屈して取り止めたのとは次元が異なる、由々しき事態だ。
 表現(・集会)の自由が、その予定日が何かによって制限されることはありえず、<原爆死没者慰霊のため>などという目的のために引っ込まなければならないはずはない。
 もともと田母神俊雄の講演が戦没者慰霊の趣旨に反するとは思えない、という大問題があるが、かりにそれを別に措くとしても。
 田母神俊雄の講演会が広島市立の施設(市民会館等)で行われる予定で、会場の使用許可権者が広島市長だったとしても、使用許可権者・広島市長が講演会(・集会)の目的・演題等を勘案して使用を許可しないことは、憲法や地方自治法に違反し、違憲・違法になる。不許可という公式の権力行使ではなく、「要請」という柔らかいかたちであっても、権力主体である広島市長の行為に他ならず、憲法・地方自治法の趣旨による制限を受ける。
 建国記念日(2/11)の<「反」建国記念日>の集会につき、内閣総理大臣は<自粛>・<日程変更>を、祝日設定の趣旨を根拠に<要請>できるのか? そんなことをすれば、建国記念日に反対の「左翼」は大騒ぎするだろう。
 新天皇による大嘗祭挙行の日に行われる国又は自治体の施設を使っての「大嘗祭反対」の集会につき、内閣総理大臣(・関係大臣)又は自治体の長は、大嘗祭挙行の日であることを根拠として使用を不許可にできるのか、あるいは<自粛>・<日程変更>を<要請>できるのか? そんなことをすれば、天皇制度反対の「左翼」は大騒ぎするだろう。
 同じことが広島市で起きている。
 何となく感じられている以上に、重大な問題を含む。広島市長・秋葉忠利の行為は徹底的に糾弾されるべきだ。秋葉忠利は要請を取消し又は撤回し、田母神俊雄らに公式に謝罪すべきだ。

0751/全体主義者・高嶋伸欣-週刊金曜日6/19号、NHK番組に関して。

 週刊金曜日6/19号、p.47。
 長いタイトルの、高嶋伸欣「看過できないTV番組介入の議員連盟発足/厳しさが足りない身分を保障された者への監視姿勢」。
 高嶋伸欣は琉球大学名誉教授との肩書きで、いつぞやの日曜午後のTV番組「…言って委員会」で<左翼教条>発言をしていた。
 上の文章も面白く読ませる。嗤ってしまうのだが。
 NHK4/05の台湾統治に関する「NHKスペシャル」を契機に「公共放送のあり方に関する議員連盟」が発足したことにつき、「明らかに政治家による番組内容への介入」、「組織的にやろうというのは悪質」と批判。
 また、産経・朝日がこの議連発足をベタ記事でしか報道しなかったことにつき、「本来ならば社説で厳しく批判して当然な程の言論界の大問題」だと批判。
 さらに、読売がNHKは「政治家の介入を招くスキを自ら」作った等の識者コメントをのせたことを「NHK批判」だとし、「スキがあろうとなかろうと、政治家の介入は不当とするのが、メディアの立場だろう」と批判。
 高嶋によると、メディアは「憲法感覚から迫る姿勢を失って久し」い。そして、「違憲違法の議員連盟を客観視の名目で黙認するのか」と最後を締め括る。
 さて、第一に、古屋圭司・安倍晋三らの「公共放送のあり方に関する議員連盟」の発足のどこに<違憲・違法>性があるのか。「憲法感覚」を語るわりには、高嶋は何も解っていないのだろう。具体的にどの憲法条項違反かを高嶋は語らない。
 放送法というNHKの設立根拠法でもある法律が適正に執行されているかを監視することは、むしろ国会議員の義務・責務だ。
 第二に、高嶋の頭の中には、NHKの<表現の自由>対自民党国会議員(政治家)・<権力>の介入という構図が描かれているのかもしれない。この構図に立たないで後者を「社説」で「厳しく批判」しないのは怪しからんと怒っているわけだ。
 上の構図しか描けないことこそ「左翼教条」の高嶋らしい。<表現の自由>はNHKのみならず、国会議員・政治家にもある。特定の番組についてであれ、国会議員・政治家が批判的にコメントすれば<不当な政治家による介入>と捉えられるのだとすると、国会議員・政治家はマスメディアについて何も発言できなくなる。
 第三にそもそも、高嶋はNHKの番組の内容とそれ問題視する側の見解についてほとんど何も語っていないし(「日本の台湾支配を悪く描きすぎているとのバッシング」というだけ)、かつそれらに関する自らの見解は何も語っていない
 問題は、<表現の自由と「権力」>ではない。NHKが行使した「表現の自由」の結果・具体的内容の当否なのだ。それについて、種々の議論があることこそが、「表現の自由」の保障のもとでは当然のことなのだ。NHKが放送法等による規制を受ける、一般の民間放送会社とも異なる「公共放送」だとすれば、一方の「表現の自由」を国会議員が行使するのはますます当然のことだ。
 高嶋伸欣においては、おそらく明瞭なダブル・スタンダード=「ご都合主義」があるのだろう。
 すなわち、かりにNHKが高嶋の気にくわない<保守・反動的>番組を作り、それを例えば日本共産党(社民党でもよい)が問題視する質問を国会(・委員会)で行ったとする場合、高嶋は上の文章の如く、<政治家による不当な介入>と批判するだろうか。
 国民の代表者・国会議員は国民主権のもと、NHK(の「保守反動」性)を厳しく監視すべきだ、とでも主張するのではないか
 高嶋伸欣にとっては、自分に都合のよい(自分の思想・歴史認識・考え方と同じか近い)マスメディアの番組・報道は<表現の自由>として「憲法」上守られなければならず、自分に都合の悪い(自分の思想・歴史認識・考え方と異なるか対立する)マスメディアの番組・報道は<表現の自由>の保障に値せず、封殺されるべきものなのだ
 そういう本音を隠したまま、あるいはそういう矛盾が自らのうちにあるのを(「左翼教条」のゆえに)自覚すらしないままで、上のような文章を高嶋は書いたのだろう。
 隔週刊・サピオ7/08号(小学館)で小林よしのりは、月刊・世界6月号(岩波)で古木杜恵(男性)が結局は「小林よしのりは差別者だ!」「こんな奴に発言させるな!」とだけ主張していることを捉えて、「全体主義」と称している。
 この回のタイトルは「『世界』に暗躍する全体主義者」で(p.55)で、「左翼の本質そのものが全体主義だから、左翼は無意識のうちに全体主義の言動をとってしまう!」、「左翼の本質・本能をなめてはいけない! 彼らは言論の自由が大っ嫌いなのだ!」とも書いている(p.62)。

 週刊金曜日6/19号を読んだのが先だったが、高嶋伸欣の文章・主張に私は「(左翼)全体主義」を感じた。
 <表現の自由>どおしの闘い=議論・討論をしようとする姿勢を全く示さず(=NHKの番組の内容的評価には何も触れず)、一方の側(国会議員)の<言論の自由>(「政治活動の自由」でもあるかもしれない)を封殺しようとし、そうしようとしない新聞を批判しているからだ。
 さらに言えば、まだ<言論の自由>(「政治活動の自由」)の行使には至っていない段階かもしれない。「議員連盟」が設立されただけ、なのかもしれない。それでも、その「議員連盟」の言論・諸活動を、高嶋伸欣は事前に封殺しようとしているのだ。
 これは考え方の出発点において、「全体主義」だ。<言論>・<思想・信条>の中身いかんによって保護したり抑圧したりするのは、「全体主義」だ。
 高嶋伸欣よ。よく自覚するがよい。小林よしのりが対象としているのは別の人物だが、あなたも「全体主義」者だ。「左翼の本質そのものが全体主義だから、左翼は無意識のうちに全体主義の言動をとってしまう」のだろう。また、ここ
にも、マルクス主義の痛ましい犠牲者がいるのかもしれない。
 なお、週刊新潮7/02号(新潮社)p.163は、水島総らが上に言及のNHK番組を理由に民事の「大訴訟」を検討中と伝える。この問題関係の訴訟の法的な勝算・コストパフォーマンスには疑問全くなしとしないが、同じ週刊誌でも週刊金曜日とは大きな違いがある。

0750/週刊金曜日を読む愉しさ。

 週刊金曜日(編集人・北村肇、発行人・佐高信)をたまに読むのも精神衛生によいかもしれない。
 一 6/19号によると、現在の編集委員は、雨宮処凜・石坂啓・宇都宮健児・落合恵子・佐高信・田中優子・中島岳志・本多勝一
 このうち宇都宮健児はときにテレビに出る弁護士だったか? 他に知らないのは、田中優子。
 パール判事論争の当事者・中島岳志の名がある。
 中島岳志はこの論争の縁で西部邁=中島岳志・保守問答(講談社、2008)という対談本を出し、戦後保守思想家のビッグ2は福田恆存と西部邁だと述べ、「保守思想の原点に返って…。…保守思想そのものを理論的に考察する」のが必要とか語っていた(p.4)。
 <週刊金曜日>が「左翼」色丸出しの週刊誌?だとしても、西部邁が編集顧問であるらしい<月刊・発言者>は、中島岳志と西部邁を通じて、ひょっとして<週刊金曜日>と<姉妹誌>なのかもしれない(?)。
 二 週刊金曜日のp.43に東京経済大学「教員」との肩書きの本橋哲也による書評。前田朗・非国民がやってきた!(耕文社)を対象にしていて「私たちの日常をむしばんでいる生活保守主義と監視社会の現状を分析し…」と肯定的に紹介。 
 <生活保守主義>は「左翼」の好きな「個人主義」・「個人の尊重」の帰結でもある。
 現在の日本を「監視社会」とは。フーコーかそれともサルトルあたりの影響か。万が一監視されていても好き放題に書け、出版できる日本にいると、言葉・発言自体で逮捕され収容所等に送り込まれる国家のあることを想像もできないのだろう。
 また、<「市民的不服従」の系譜>を「…根津公子…とたどる」とも紹介。
 根津公子といえば、国歌斉唱時不起立・同呼びかけ・国旗下ろし等で懲戒処分等を受けて多数の訴訟を起している東京都下中学校の教員だ(元になったか?)。この根津が<「市民的不服従」の系譜>に位置づけられるのだから、根津が自分は<英雄>だと勘違いするのもわかる。究極的には、マルクス主義の犠牲者の一人がここにもいる、という感じ。
 本橋哲也は自分の言葉として、以下を書く。
 「オリンピックから『テロとの戦争』まで、『コクミン』の雄叫びが巷に渦巻く現在、私たちにとって今しばらくは『非国民の思想』を実践する、それ以外の選択肢はない」。
 「国家」・「国民」憎しがここまできている人が実際に存在するのを知って感激?する。「非国民」とは名誉な称号なのだ。
 ではどうなればこの人は「非国民の思想」の実践を止めるのだろうか。
 民主党中心政権の誕生時?、社民党中心政権の誕生時?、それとも日本共産党中心政権誕生時?、あるいは日本が「社会主義」国になったとき又は中国「社会主義」国の一州になったとき??

0745/「社会契約説」等、なぜ外来思想が必要なのか、等。

 一 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七七名が表紙に明記されている「執筆・編修」者(全て大学教授又は名誉教授)である実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)p.8以下は、「民主政治」のもとになる理念は「社会契約説」で、その代表的な思想家はホッブズ、ロック、ルソーだとし、「とくに市民革命による民主政治の誕生」に影響を与えたのはロックとルソーだとする。
 この「民主政治」(又は「近代民主主義」)の考え方は日本国憲法に採用され、日本にも基本的に妥当する、と考えられていると思われる。
 だが、かねて感じてきたのだが、「近代」国家にせよ、国家一般にせよ、その成り立ちを「社会契約説」によって説明するのは、日本には馴染まないのではないか。
 言語の異なる多「種族」又は「民族」がいてかつ地続きだった欧州諸国を風土的前提とする「社会契約説」は、ほぼ単一民族で方言はあってもほぼ同じ言語をもつ人々が集団で生きていた島国・日本の「国家」の成り立ちにはあてはまらないのではないか。
 さらにいうと、「社会契約説」などを説かなくとも、日本「国家」は(天皇とともに)古くから存在しており、人々にとって、「国家」の存在は、論じるまでもない所与の前提だったのではないか。
 マルクス主義も含めて、「国家」を外国・外来の<思想>で語る必要はないのではないか。

 二 高坂節三・経済人からみた日本国憲法(PHP新書、2008)には、全部を読んでいないが、興味深い指摘がある。
 1.孫引きになるが、法哲学者・長尾龍一は、日本国憲法につき、「上半身は啓蒙期自然法論、下半身は功利主義」だと表現した。<啓蒙期自然法論>の中にルソーらの社会契約論も入ってくる。
 著者・高坂節三(正顕の子、正嶤の弟)は「現在の国民感情は、上半身がぴったり収まらず、下半身が異常に発達した結果」ではないか、とする(p.224)。
 少なくとも<啓蒙期自然法論>のみで説明するのは無理がある。それを試みるのは、一種の<大嘘>か<偽善>だと思われる。
 2.孫引きになるが、岡崎久彦は某著の中で、クロムウェル時代の英蘭戦争の前の時期の<オランダは「平和主義の国」で、グロティウスを生み、画家たちも「戦争を呪い、戦争の悲惨さを訴える絵画」を描いた。「問題はオランダが、その国是ともいうべき平和主義のために戦争の危険に直面しようとせず、迫る危険に眼をつぶっていたことである」>と書いた(p.219)。
 社民党の福島瑞穂、「戦争の悲惨さを訴える」番組作りに熱心なNHKの関係者等々に読んでもらいたい。

0739/佐伯啓思・大転換(NTT出版、2009)におけるハイエク。

 すでに多少は触れたが、佐伯啓思・大転換(NTT出版)における、日本の「構造改革」とハイエクとの関係等についての叙述。
 ・「ハイエクの基本的考え方と、シカゴ学派のアメリカ経済学の間には、実は大きな開きがある」。
 ・たしかに「ハイエクは市場競争の重要性を説いた」。その理由は「市場は資源配分上効率的」、「消費者の満足を高める」、ではない。
 ・理由の第一は、「市場制度は…自然発生的に生成し、自生的に成長していく…。だからそれを政府が無理にコントロールしたり、造り替えたりすることはできない」ということ。市場は「自生的に成長する」ために「耐久力をもち、安全性を備えている」。この点で「市場は優れている」というのがハイエクの一つの論点だった。
 ・市場はただ人々の自己利益追求の交換場所ではなく「法や慣習といったルールに守られた制度」で、「人々が信頼できるだけの安定性」をもつ。「公正価格」・「適正価格」という「社会的・慣行的」なものも「制度」に含まれる。従って政府が市場を「意のままにコントロール」したり「急激に改変」しようとすれば背後の「制度や慣行」にまで手をつけざるをえない。それは「市場経済を不安定化」する。政府は市場への「無理な介入」をすべきではない。
 ・要するにハイエクの「市場経済擁護論」は「市場経済は長持ちのする信頼に足る制度」だとの主張で、それを「自生的秩序」と呼んだ。ハイエクのいう「市場」とは「市場競争システム」ではなく「市場秩序」だった。
 ・第二の理由は、「市場秩序」は「社会全体についての情報を必要としない」ことだ。人々は本質的に限られた情報しか持てず「社会全体や経済全体」の情報を持たないし関心もない。従っていかに「合理的」に行動しても「合理性」の程度には限界がある。
 ・市場は「自分にしか」関心がない者が集まっても「何とかうまくゆくようにできている」。「ルールや制度も含めて」「慣性的な安定性」をもち、特定の人間・グループが「市場を大きく動かす」ことはない。
 ・人々は「自分にかかわる」知識・情報をもち「非合理的に行動」してよい。「システム全体についての合理的な知識」は不要で、「多少誤ってもよい」「局所的知識」で十分だ。
 ・要するに、市場は「いささか非合理的で誤りうる人間」が活動しても「決してゆらぎはしない」。それは、「人々の情報や知識が限定」され「間違うかもしれない」との前提に立つ。これも「市場秩序」が優れている理由だ。
 ・以上がハイエクの「市場擁護論」で、フリードマンらの論と「かなり違っている」。
 ・経済学者は通常、「資源配分上、効率的」、「消費者の効用を最大限」化する、その場合人々は「合理的に行動し」「システム全体についての合理的な知識」すら持つに至る、と「市場を擁護する」。ハイエクはそうは言わない。彼にとって「市場秩序が優れている」のは信頼できる「自生的秩序」として「安定している」からだ。「自生的秩序」としての市場は、人々の誤りや非合理性からの「ゆらぎ」を「うまく吸収」してしまう「安定性」を持つ、とするのだ。
 ・だからハイエクは、「自然に歴史的に生成してきた秩序」を破壊し「新たにシステムを設計」できるとの「設計主義」(constructivism)を「痛烈に批判する」。その際にハイエクは「社会主義のような計画経済」を想定したが、「構造改革」も、ハイエクからすれば「一種の設計主義」だろう。
 ・「経済的利益追求」の背後には「広い意味でのルールの体系、…制度や法や慣行」があり、人々はじつはそれを「頼りに行動」している。これこそがハイエクにとっての「重要な点」だ。従って、既成の「制度や慣行をいきなり変更する」ことは「自生的秩序」を破壊することで、システムの合理的設計という「設計主義」と同じだ。それは「市場秩序への人々の信頼感を損なう」と、かかる「理性万能主義」をハイエクは攻撃した。
 ・とすると、「ある国の経済制度や慣行を一気に破壊して、合理的な経済システムに変更」すべきとの「構造改革」は「ハイエクの精神」と対立している。かかる「合理的な設計的態度こそ」ハイエクが嫌悪したものだ。
 ・シカゴ学派経済学とハイエクは「基本的なところでまったく違っている」。「フリードマンとハイエクを同列に置くことはできない」。
 以上、p.185-8。
 「意のままにコントロール」、「急激に改変」、「いきなり変更」、「一気に破壊」という場合の「意のままに」、「急激に」、「いきなり」又は「一気に」か否かは容易に判別できるのか、という疑問も生じるが、とりあえず、趣旨は理解できる。

0736/ハイエク・隷属への道(春秋社、原著1944)へのミルトン・フリードマンの「序文」2

 ハイエク・隷属への道(春秋社、全集Ⅰ別巻。原著1944)へのミルトン・フリードマンの「序文」のつづき。
 2(1994年版)・独語版(1971)への序文の一部はもはや完全には正しくない。「マルクス主義型の集産主義に対する擁護者は、西欧諸国の諸大学に集中的に存在する小さく頑迷な集団」へと後退した。今日では「社会主義は失敗」し「資本主義が成功」したという点に「広範な意見の一致」がある。
 しかし、「インテリの共同体」のハイエク的見解への「転向」は「見かけの上」のことで、「実体を伴ってはいない」。
 「インテリの共同体の大半」は、「個人」の「大型の悪質な諸企業」からの保護、「貧困者」の救済、「環境保護」、「平等化」の推進等のためと宣伝される「政府の権力の拡大」にほとんど自動的に賛成してしまう。
 初版時(1944)、「知的風潮」は本書をはるかに「敵視」していたが、「実践の面」でははるかにハイエク説に「順応」していた。しかし、今や逆になっている。
 レーガン時代を経ても、米国の対国民所得政府部門支出は1950年の25%から1993年には45%近くになった。サッチャー首相の英国は「企業の国営化と運営の規模」を削減させたが、対国民所得政府部門支出は50%を超え、「民間部門」への「政府の介入」は1950年時よりもはるかに増えている。
 ・アメリカとイギリスは「個人主義と資本主義」を唱えながら、「実行」面では「社会主義を実践している」と言っても「必ずしも言い過ぎではない」。「ゆえに今こそが、『隷属への道』を読むのに、ふさわしい時」だ。
 以上、終わり。
 1944年、1971年、1994年。現在と同じような問題がとっくに存在していた。19世紀末から20世紀初頭でもそうだったのかもしれない。

0735/ハイエク・隷属への道(1944)の1971年独語版へのM・フリードマンの「序文」。

 フリートリヒ・A・ハイエク・隷属への道〔西山千明・訳〕(春秋社、2008.12新版、全集I別巻。原著は1944年刊)の最初にある、ミルトン・フリードマンの「序文」の中には、興味深い文章がある。これは同書1994年版(英文)への序文で、その中に1971年版(独文)への序文も含めている。以下、適当に抜粋。なお、近年の経済政策に関する「新自由主義」うんぬんの議論とは直接には無関係に関心を持ったので、とり上げる。
 ハイエクと同様に「集産主義」(collectivism)という語を用いているが、これは、社会主義(・共産主義)とナチズム(ファシズム)の他に、自由主義(資本主義)の枠内での<計画経済>志向主義も含むもののようだ。
 1(1971年版)・「個人主義」者に対して「集産主義」からどうして離脱したかを訊ねてきたが、ハイエク著・隷属への道のおかげだ、としばしば答えられた。
 ・ハイエクは「集産主義」者の特有な用語を進んで用いたが、それらは読者が慣れ親しんだものだったので、親近感を与えた。
 ・「集産主義」者の誤った主張は今日でもなされ、増加しさえしているが、直接的争点はかつてと異なり、特殊な用語の意味も異なってきている。
 例えば、「中央集権的計画」・「使用のための生産」・「意図的な管理」はほとんど耳にしない。代わっての論争点は、「都市の危機」、「環境の危機」、「消費者の危機」、「福祉ないし貧困の危機」だ。
 ・かつてと同じく、「個人主義」的諸価値も公言され、これと結びついて「集産主義」の推進が主張されている。「既存の権力組織に対する広範な異議申立て」がなされ、「参加的民主主義」のため、「各個人の個人的ライフスタイル」に沿って「各個人が思い通りする」自由への「広範な要求」が社会に出現している。「集産主義」は後退し、「個人主義」の波が再び高まっていると誤解しそうだ。
 ・しかし、ハイエクが説明したように、「個人主義的な諸価値が樹立されるためには、個人主義的な社会をまずもって築かなければならない」。この社会は「自由主義的秩序」のもとでのみ建設可能だ。そこでは、「政府の活動は…、自由に活動して良い枠組みを限定することに主として限られる」。なぜなら、「自由市場」こそが真に「参加的民主主義」を達成するための「唯一のメカニズム」だから。
 ・「個人主義的な諸目的」の大半を支持する多くの者たちが、「集産主義的手段」によることを支持しているのは、「大きな誤解」だ。「善良な人々」が権力を行使すれば全てうまくいくと信じるのは「心をそそる考え方」だが、「邪悪を生み出すのは権力の座にある『善い』人々」だ。これを理解するためには感情を理性的機能力に従属させねばならない。そうすれば、「集産主義がその実際の歴史において暴政と貧困しか生みだしてこなかった」にもかかわらず「個人主義よりも優れている」と広く考えられている「謎」も解き明かされる。「集産主義のためのどんな議論も、虚偽をこねまわした主義でなければ、きわめて単純な主張でしかない。…それは直接に感情に対して訴えるだけの議論でしかない」。
 ・「個人主義」と「集産主義」の闘いのうち、<現実の>世界では、「集産主義の徴候」は「ほんの少しばかり」だった。英・仏・米では「国による活動拡大の動き」はさほど伸びなかった。
 その要因は第一に、「中央集権的計画に対する個人主義による闘争」(ハイエクのテーマ)が明白になったこと、第二に、「集産主義」が「官僚主義的混乱とその非効率性という泥沼」にはまり込んだこと、だった。
 ・しかるに、「政府のさらなる拡大」は阻止されず、「異なった経路へと向けて転換」され、促進された。「直接に生産活動を管理運営する」のではない、「民間の諸企業に対して間接的な規制をする」ことや「所得移転という政策」に変化したのだ。「平等と貧困の根絶」のためとの名目の「社会福祉政策」は原理原則を欠き、諸補助金を「各種の特殊利益グループ」に与えているにすぎず、その結果、「政府部門によって消費される国民所得の割合は、巨大化していくばかり」だ。
 ・「個人主義」と「集産主義」の闘いのうち、<思想の世界>では、「個人主義」者にとって「幾分か劣った」にすぎず、この事態は驚くべきことだ。
 1944年以降の25年間の「現実」はハイエクの「中心的洞察を強く確証してきた」。①人々の諸活動を「中央集権的命令によって相互に整合させながら統合する道」は「隷属への道」・「貧困への道」へ、②「人々自身の自発的な協同によって、相互に調整し総合的に発展させる道」は「豊かさへの道」へと導いた。
 しかし、欧米の「知的風潮」は「自由に関する諸価値が再生する徴候」を短期に示したものの、「自由な企業体制や市場における競争や個人の財産権や限定された政府体制」に「強く敵対する」方向へと再び動き始めた。従って、ハイエクによる知識人の描写は「時代遅れ」ではなく、ハイエク理論は10年程前から「改めて世相に適切な根拠を与える
ものとして鳴り響いている。
 ・「どうして世界のいたるところで、知的階層はほとんど自動的に集産主義の側に味方するのだろうか」。「集産主義」に賛同する際に「個人主義」的スローガンを用いているのに、「どうして、資本主義を罵り、これに対する罵詈雑言をあびせかけているのだろうか」。「どうして、マス・メディアはほとんどすべての国」で、かかる見解に「支配」されているのだろうか。
 ・「集産主義に対する知的支持が増大」という事実はハイエクのこの著が「今日においても、実にふさわしい書」であることを示す。
 ・「自由のための闘いは、いくどでも勝利を重ねなければならない」。「各国の社会主義者たちは、この書によって説得されるか敗北させられなければならない」。さもなければ、われわれは「自由な人間になることができない」。
 <以上で1(1971年版)は終わり。続きは別の回に。>

0728/ルソーの「人生」を小林善彦は適切に叙述しているか。

 <有名な>思想家、フランスのルソー(1712~1778)について、「思想」どころか、その「人生」についても、叙述又は見方が異なる。
 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000)の谷沢によると、ルソーは、①「生まれてすぐに母に死なれ、10歳のときに父に棄てられた」、②「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、③「子どもが五人いた」が、「全員を棄ててしまった」(p.218)。
 中央公論新社の中公クラシックスの中のルソー・人間不平等起源論/社会契約論(2005)の訳者の一人・小林善彦は、この著のはじめに「テクストを読む前に」と題する文章を書いて、ルソーの「人生」をたどっている。
 小林は、上の①のうち母の死亡については、「生まれて十日後にシュザンヌ〔母親〕が死ぬと…」と言及する(p.3)。触れてはいるが、父親の行動に関する一文に付随させているだけで、成育のための「家庭」環境とは結びつけていない。この文章の最初の見出しは「成育環境」だが、まず小林が語っているのは、両親ともに「市民の階級の人」であり、これが「ルソーの思想形成にひじょうに大きな影響を及ぼしたと思われる」、ということだ(p.2)。少なくとも、生後10日後に死去した「市民の階級の」母親がルソーの「思想」に直接に影響を与えることはできなかったことは明らかなのだが。
 上の①のうち「一〇歳のときに父に棄てられた」については、明確な言及はない。もっとも、巻末の「年譜」には、1722年に父親が(ルソーの生地)ジュネーヴを「出奔」し、ルソーが伯父、次いで「新教の牧師」に「預けられた」、とあるので(p.413-4)、父親と生別していることは分かる。
 小林善彦は、父親は仕事(時計職人)に熱心ではなかったが、「ジュネーヴの時計職人」は特権的職業で比較的に余暇もあり「しばしば教養があって」市政等に関心をもち、蔵書も多かった、という。これは「ジュネーヴの時計職人」の話のはずだが、小林は「というわけで、幼い…ルソーは父親から本を読むことを習った」と書く(p.4-5)。これが事実であるとしても、明記はされていないが、父親が「出奔」するルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。
 上の②の「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、というのは事実だろうと考えられる。しかし、小林善彦はこれを明記はしておらず、上記のように「教養ある」「市民」の一人に「本を読むことを習った」という叙述の仕方をしている。さらに、「われわれにはおどろきであるが、小説を全部読んでしまうと、ルソー父子は堅い内容の本にとりかかった。それは…新教の牧師の蔵書」だった、とも書いている(p.5)。だが、上記のとおり、これもあくまでルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。教育熱心の父親が、10歳の男児と離れて(-を残して)別の都市へ「出奔」するだろうか、とも思うが。10歳のときまでに「新教の牧師の蔵書」を一部にせよ読んでいたのが事実だとすると、たしかに「われわれにはおどろき」かもしれない。
 上の③の<子棄て>および彼らの母親である妻又は愛人を<棄てた>ことについては、これらを別の何かで読んだことはあるが、小林善彦は一切触れていない
 小林善彦はルソーの人間不平等起源論・社会契約論について肯定的・積極的に評価することも書いている。そして、そしてルソーの「人生」についても、あえて<悪い>(少なくともその印象を与える)事柄は知っていても、書かなかったのではないか。
 小林も(表現の仕方は別として)事実としては否定しないだろうと思われる、「生まれてすぐに母に死なれ、一〇歳のときに父に棄てられた」、「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、ということは、谷沢永一も指摘するように、ルソーのその後の「思想」と無関係ではないのではないか。
 小林善彦は1927年生、東京大学文学部仏文科卒、東京大学教養学部教授等歴任。ルソーに関する<権威>の一人とされているかもしれない。そして、こういう人に、同じ学界の者またはルソー研究者が、ここで書いたような程度の<皮肉>を加えることすら困難なのかもしれない。
 アカデミズム(大学世界)が<真実>・<正義>を追求しているいうのは、少なくとも社会系・人文系については、真っ赤なウソだ。あるいは、彼らに独特の(彼らにのみ通用する)<正義>の追求はしているかもしれないが。

0727/安藤昌益、佐藤信淵、そしてルソー(さしあたり辻村みよ子における)。

 一 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000。単行本初版1997)の第六章によると、日本の中学歴史教科書に江戸時代の安藤昌益が取り上げられるのは、E・H・ノーマンの忘れられた思想家(岩波新書、1950)の影響が大きいらしい。ノーマンはマルクス主義者で、米国でのマッカーシーイズム高揚時に米国から逃亡したが、エジプトで自殺した。
 安藤昌益は、谷沢によると、人間は平等に全員が「直耕」、すなわち農作に従事していれば「徳」を持った「上」(独裁権力者・超絶対権力者)が現れて社会をうまく治めてくれる、と説いたらしい。平等主義と独裁権力者(超絶対権力者)への期待が安藤「思想」のポイントのようだ。他に、農業のみを論じて商業・金融・流通等の<経済>は無視した(考慮外とした)こと。
 同様に、江戸時代の佐藤信淵が取り上げられるのは、マルクス主義歴史学者による羽仁五郎・佐藤信淵に関する基礎的研究(1929)の影響によるところらしい。谷沢によると、この佐藤も「絶対権力者崇拝」。かつ、佐藤信淵という人物と仕事(著作物)には不明瞭なことが多く、森銑三・佐藤信淵―疑惑の人物(1942)は「彼の業績を示すものは何もない」ことを明らかにした、という。
 にもかかわらず、岩波の日本思想体系のうち一巻は安藤昌益と佐藤信淵の二人の「思想」にあてられ、佐藤に関する森銑三の研究業績はほとんど無視されている、という。
 これらが適切な叙述であるとすると怖ろしいことで、戦後「左翼」教育の一端を示していることにもなるし、それに対するマルクス主義者(共産主義者・親共産主義者)の強い影響力も見てとれるし、さらに、世俗的には<偉い>「思想家」(の一人)と見られているような人物であっても、じつは荒唐無稽の、「狂人」のような考え方の持ち主でありうる、ということも示している。
 この二人への言及ののち、渡部昇一は「この教科書〔教育出版、1997年時点のもの〕は『平等大好き、絶対的権力者大好き』という考えの持ち主」で、とつなげていくが、「自分の嫉妬心を理屈で捏ね上げたのが、平等論」(渡部)、「平等主義とは要するに、一番下のレベルに揃えようという発想」(谷沢)と各々述べたのち、「嫉妬心を平等心と言い換えるという悪魔的な知恵」を捻り出した人間を二人の対談の俎上に載せる。<J・J・ルソー>だ。
 二 辻村みよ子・憲法(第三版)(日本評論社、2008)は、索引を手がかりにすると、以下のように六箇所で、J・J・ルソーに言及している。
 ①社会契約論(1762)の著者で「フランス革命にも多大な影響を与えた」。「人民の主権行使を徹底させて民主的な立法(一般意思形成)手続を確立することにより、人民主権の理論を導いた」(p.9)。
 ②フランスの「人民(プープル)主権」論は「代表制を否定し直接制の可能性を追求したルソー等」の理論に依拠している(p.70)。
 ③ロックやルソー等は「自然状態における人間の平等を前提にして、人間は生まれながらに自由であり平等であるという考えを理論化」した。これに従い、1776アメリカ独立宣言、1789フランス人権宣言は「平等」を謳った(p.180)。
 ④1.人権保障のあり方、2.国民主権・統治のあり方、の二点につき、「西欧の憲法伝統」は大まかには「英米流」と「フランス的」の二つに分かれる。2.の「統治の民主的手続のあり方」についても、英米とフランスの区別を「ロックとルソーの対抗」として理解する向きがあり、また、「トクヴィル・アメリカ型」(多元主義モデル)と「ルソー・ジャコバン型」(中央集権型「一般意思モデル)を対置させる見方もある(これが辻村も明記するように、この欄でも紹介したことのある樋口陽一の捉え方だ)(p.356)。
 ⑤ルソーはイギリスの「近代議会における代表制」を批判した。「自由なのは、…選挙する間だけ」だと。かかる古典的代表制はフランスでは1791年憲法の「国民(ナシオン)主権」と結びついた。これに対抗する「人民(プープル)主権」論というもう一つの系列も存在した(p.363)。
 ⑥違憲立法審査制は、「法律を主権者の一般意思の表明とみなすルソー的な議会中心主義が確立していた第三共和制期には、明確に…否定されていた」(p.474)。
 三 辻村みよ子は「人民(プープル)主権」説を少なくともベースにして日本国憲法の解釈やあるべき運用を論じているので、当然のごとく、J・J・ルソーに<親近的>だ(と言い切ってよいだろう)。「平等」主義の(重要な)淵源をルソーに求めてもいる。
 一方、渡部昇一=谷沢永一の上掲書が言及するように(p.216)、そしてこの欄でも紹介したことがあるように、ルソーの「思想」を「異端の思想」・「悪魔の思想」と断じる中川八洋のような者もいる。渡部昇一と谷沢永一も反ルソーだ。
 同じ人物の考え方(「思想」)について、どうしてこう正反対の評価・論評が出てくるのだろう。いま少し、J・J・ルソーの「思想」に立ち入る。

0723/カール・ポランニー「ファシズムの本質」等、佐伯啓思。

 〇 週刊エコノミスト5/5・12合併号(毎日新聞社)で、佐伯啓思がインタビューに答えて、同・大転換-脱成長社会へ(NTT出版)の要旨のようなことを述べている。最近に言及した読売新聞の記事より詳しい。
 全く余計だが、同誌同号の巻頭の斉藤貴男のコラムは東京都の五輪誘致活動につき石原都政が「切り捨てた福祉や教育、小児医療等」の予算を財源とする「許されざるカネ儲けの典型」と批判。さらに、石原慎太郎は「何かと言えば戦争だ戦争だと喚き立て、女性や在日外国人や障害者や、社会的弱者に罵詈雑言を浴びせては居直った」等とそれこそ<罵詈雑言>を浴びせている。九条2項護持派・「左翼」は石原慎太郎のやることはみんな憎いのだろう。毎日新聞は朝日新聞の亜流、第二朝日新聞なのかもしれないが、その発行する雑誌の巻頭には、もう少しはまともな神経の持ち主の、上品な文章を掲載してほしいものだ。
 〇 佐伯啓思・大転換(NTT出版)の書名が、カール・ポランニー(1886~1964)の『大転換』に倣っている又はヒントを得ていることは、佐伯も記している。
 その『大転換』ではなくカール・ポランニー・経済の文明史(ちくま学芸文庫、2003。初出単行本は1975)の訳者・平野健一郎「あとがき」によると、ポランニーは「社会主義者」だっともされるが大学卒業後にハンガリー急進党書記長を務めたほかは「非政治的」だった(p.416)。但し、ソ連のフシチョフに「人間的社会主義」を見い出して「平和共存」のための理論誌の創刊を複数の者とともに企図した(没後刊行)とされる(p.418)。『大転換』の刊行は在米中の1944年。
 上掲書の解説者・佐藤光「解説/ポランニー思想の今日的意義」によると、ポランニーは「社会主義者であった」ともされるが(p.432)、彼へのマルクスの影響は「元来限定的なもので」、『大転換』における資本主義批判は「マルクス主義的」というよりも「ユダヤ=キリスト教的」なものだった(p.434)。また、晩年の著作には、「人間的自由の全面的な実現を過激に求めて失敗したロシアのボルシェビズムをはじめとする思想や運動への、そして、それを支持したかつての自分自身への、苦い反省の思いが込められている」、という(p.440)。そして、上掲書所収の一論文は、「キリスト教にまで行き着く」、「西欧世界に伝統的な個人主義
」を基調として、ファシズムはそれを「踏みにじり」、「社会主義こそがその理想を…実現する」と強調するが、晩年にはそのような「個人主義的理想の事実上の放棄」を説くはずだった、しかし、「愚かさ」を自他に語りつつ「近代的個人主義の理想」は「理想」であり続けたのではないか、とされる(p.440-1)。
 単純ではないポランニーの「思想」が、ある程度は、何となく、わかるような気もする。
 〇 上の上掲書所収の一論文とは「ファシズムの本質」(1935)で、少なくともその一部には、興味深い叙述がある。以下は、翻訳を通じてだが、ポランニーの一部の文章のかなり思い切った(従って厳密さを欠く)要旨又は抜粋。
 ファシズムの「哲学大系」をウィーンのオトマール・シュパンはある程度は作りだしており、その体系の基礎には「反個人主義の観念」がある。「普遍主義」を採るシュパンによると、ボルシェヴィズム(共産主義)は「個人主義」の理念を政治から経済領域へと拡張したもので、マルクスは「完全に個人主義者」・「無政府主義的ユートピアニズムとさえいえるまでに、個人主義的」だ。「歴史的にみれば、民主主義と自由主義を経過して、個人主義はボルシェヴィズムへと到達する」(p.172-3)。
 エルンスト・クリークも、「社会主義」への諸力は「個人主義」的性格をもつとしつつ、一八世紀の個人主義と「社会主義に具現される」個人主義の二段階を語る。クリークによると、社会主義においては個人主義にかかる「重点の移動」が生じるだけだ。そして、「社会主義」は「民主主義」の中で用意されており、「個人主義にほかならない」(p.174-5)。
 ヒトラーも、「西欧民主主義はマルクス主義の先駆」
で、前者なくして後者はない、と言った。ローゼンベルクによっても、「民主主義運動もマルクス主義運動」も「個人の幸福」に立脚する(p.176)。
 ボルシェヴィズムは個人主義の封殺、「個性の終末」とするのがこれまでの社会主義(・共産主義)に対する批判の仕方だったが、ファシズムはかかる「単純な批判派」との連合を拒否し、「社会主義は個人主義を継ぐもの」、「個人主義の実質を保存しうる唯一の経済体制」だと主張して批判する(p.176)。
 「社会主義と資本主義」はいずれも「個人主義の共通の所産」だと非難して、ファシズムはこれら二つの「不倶戴天の敵の姿を装う」(p.179)。
 だが、「社会主義」が拠り所とする「個人主義」と、シュパンが実際に議論の対象とした「個人主義」は全く異なったものだ。そしてたまたま、彼のおかげで、「社会主義とキリスト教が共通にもつ個人主義の意味」が明晰になってくる(p.180)。
 シュパンが主観的には批判しようとするのは「社会主義の内容としての個人主義」で、これは「本質的にキリスト教的」だ。だが、彼が実際に批判しているのは「無神論的な個人主義」だ。「絶対者」との関係を前者は肯定し、後者は否定する。これらを混同すると「有効な」結論には達しない(p.181)。
 「キリスト教的個人主義」と「無神論的個人主義」はまったく反対だ。前者は「神」の存在のゆえに「個々の人格は無限の価値」をもつ、「人間みな同胞」という考え方で、「共同体」の外では「個人の人格」は現実化しない、とする。これ(キリスト教的個人主義)は<社会主義(・共産主義)>と親和的であるのに対して、ファシズムが闘っているのは「人間と社会に関するキリスト教の観念全体」で、「キリスト教とファシズムはまったく両立しない」(p.183-4)。
 以上の程度にしておく。
 ドイツ・ファシズム(ナチス)がまだ敗北していない(そしてソ連「社会主義」は現存した)時代の論文だけに、理解し難い面もある。
 だが、骨格だけを抜き出せば、①ファシズム(ファシスト)は、より一般的な批判の仕方とは違って、「社会主義」は「個人主義」の発展型だと批判する、②たしかに「社会主義」は「個人主義」と親和的だ。③しかし、その場合の「個人主義」は「キリスト教的個人主義」であって、その反対の、ファシズムに親和的な「無神論的個人主義」ではない、ということになろう。
 上記の解説等によるとポランニーは親社会主義的で、ここではファシズムによる批判から社会主義(「ボルシェヴィズム」)を守ろうとしているようだ。その際の決め手は「キリスト教的個人主義」であり、ファシズムはこれに敵対的だとみている。
 さてさて、種々の議論があったものだと、人間の知的営為の蓄積にあらためて感心する。
 そして、まだソ連「社会主義」の実態が明らかになっていない段階で、反資本主義意識のあったポランニーはその「理想」を「社会主義」に求めたかにも見える。だが実際の「社会主義」はキリスト教を含む「宗教」に対して苛酷な態度をとり、かつ実質的には「個人主義」あるいは「個人の尊重」の理念を無視するものだったのではないか。
 また、ファシズムの側が、「近代」への幻滅・批判を前提としてだが、「社会主義」を「近代」個人主義・民主主義を継承するものとして捉えた(そして批判した)という点も、マルクスやレーニンによるルソーやロベスピエールへの肯定的評価を併せ
観ると、一面では的確な見方をしていると考えられ(じつはさらに奥底ではルソー・ロベスピエールの「全体主義」性を継承し発展させたのが「社会主義」だと捉えていたとも理解できる)、この点も興味深いところがある。ポランニー自身も、この1935年の論文では、「社会主義」は近代の「(キリスト教的)個人主義」を継承するものと見ていたのだ。
 「キリスト教」が理解できていないと、欧米の、こうした(社会・政治・経済の)文献は理解し難い面があることもあらためて感じる。

0716/西尾幹二「日本の分水嶺―危機に立つ保守」(月刊正論6月号)を読む-1。

 月刊正論6月号(産経)の西尾幹二「日本の分水嶺―危機に立つ保守」(p.96-)は、NHKスベシャル「JAPANデビュー/第一回」にもさっそく言及している。
 具体的批判内容はともあれ、西尾のユニークなのは、こんな番組が罷り通る<背景>を洞察していることだ(とりあえず結論的にはp.101-2)。
 少し遡れば(p.100-1)、NHKの中枢にはどういう人物がいて「何が起こっているの」か、と西尾は問い、「共産主義イデオロギー」になおしがみつく者たちと「今の時局に便乗し、中国のために(あるいはアメリカのために)日本を押さえ込む再占領政策を意識的に」推進せんとする者たちの二種が「重なり合い、不分明に混ざり合っているケースが考えられ」る、とする。
 前者は日本(資本主義・自由主義)「国家」を敵視し、貶めて弱体化を目指すので、もともと後者と共通する基盤があると言える。そして西尾も言うように、「自国破壊に道徳感や清浄感」を覚える「不思議な心理」に陥っている者たちは、朝日新聞・NHKに限らず、「官界にも、司法界にも、学界や教育界にも、いたる処に蟠踞している」(p.101)。
 だが、と西尾は続ける。中核は「共産主義イデオロギー」で、欧米では共産主義と「何度かに分けて…ケジメをつけて」きたにもかかわらず、日本では、大学のマルクス主義系歴史や経済学や哲学の教授たちは九〇年代前半こそ「穏和しく」していたが、その後は「環境学だの平和学など女性学だのといった新分野の衣装を纏って」、政府審議会委員等になったり大学人事を占拠している。かかる状態等を「マスメディア」が問題にすることはない。「メディアを支配しているのは依然として旧党員、ないしはそのシンパだから」だ。
 以上のことに、全くと言ってよいほど異論はない(他分野ほどは目立たないかもしれないが、歴史学・経済学・哲学のほかにマルクス主義系「教育学」と「法学」も加えてよい)。日本は、(日本人が何かと参考にしたがる)欧米に比べて、「共産主義イデオロギー」が占める比重が<異様に>大きいのだ。NHKの最近の問題番組もかかる状況の中に位置づけうる。

 このあとの西尾の指摘が、まずは興味深い。
 「あからさまウソ」を「ためらいなく」放送するNHKの「自信は何か」。田母神俊雄論文問題で月刊WiLLと月刊正論を除く「すべての言論界を蔽った同一音調」=「田母神叩き」は、「どこかに司令塔があるのではと思わせるほど不自然」で「言論ファシズムの匂い」がある。「ウソを声高に語るNHKの今度のシリーズ」にも「同じ匂い」がある(p.101-2)。
 とりあえずは、<鋭い嗅覚>と言うべきではないか。
 だが、「どこかに司令塔があるのではと思わせる」という関心から導かれる最終的な西尾の推測は、考えさせはするものの、はてはてという感じで、なおも説得力が十分ではない。
 西尾の推測に至る論述はこうだ(p.102-3)。
 1.東欧の「自由化」と全く同様のことは東アジアでは起こらず、親中(・親韓)派はむしろ強く生き延び、「教科書、拉致、靖国のいわば歴史問題」は解決していない。「南京、慰安婦、竹島、尖閣、チベット、核問題」も加えて、困難の度は増している。
 2.安倍晋三首相は中国・韓国、とくに前者との「関係修復」を率先したが、「どこか外から(恐らく米国と中国の両方から、そして日本の財界から)強い要請を受けて企てられた気配」がある。2007年4月に靖国参拝を済ませていたが、「不思議なのは中国が騒がなかったこと」だ。その後の福田・麻生首相も「民族問題にはほぼ完全に背を向け、安倍氏の敷いた路線」を歩んでいる。
 3.安倍も麻生も「村山談話や河野談話」を振り捨てられないのは、「米中」による「再占領政策」の「轍の中にはめこまれて」しまったからだ。NHKのスペシャル番組は、見事に、「米国と中国という旧戦勝国の要請に応え」、日本国民にあらためて「罪の意識」を植え付けようとしている。
 つぎが、結論的推測。
 4.上の米中の「再占領」政策の「大筋に日本で最初に着手したのは安倍晋三」。「背後で支えているのは恐らく…中曽根康弘」。NHKは「必ずしも左翼だけ」ではなく、「日本の保守の方針」に忠実
でもあるのだろう。
 こう書かれると、<左翼>・<保守>の概念もますます混乱してくる。結局は、日本のかつての<保守>は「左翼」化して「民族」問題を放棄し=ナショナリストでなくなり、「米中」による「再占領政策」に追随している、という趣旨なのだろう。そして、その文脈の中で、安倍晋三、(福田、麻生、そして)中曽根康弘の名前が出てくる。
 上記のとおり、この推測は俄には納得し難い。安倍晋三は<戦後レジームからの脱却>を掲げ、(対中は勿論)対米「自立」を目指したのではなかったのだろうか。むしろ、その点は、アメリカ(の少なくとも一部)に警戒感を与えたのではなかったのだろうか。そのかぎりで、アメリカは、渡辺恒雄=読売新聞もそうだったと勝手に推測しているが、2007年参院選での安倍晋三=自民党の<後退>をむしろ望んでいたとも推測される。そのかぎりでは、心情的には朝日新聞と同様の立場にあったアメリカの有力政治家・学者もいたと思われるのだが。
 というわけで、西尾幹二の主張は真面目に考えると、じつに大きな問題提起・論争提起だ。だが、繰り返すが、あれあれ、はてはて、ととりあえずは感じる他はない。
 上記の西尾幹二論考は、ご成婚50年会見の際の天皇(・皇后)陛下のご発言に関連して、八木秀次とは異なる、将来の天皇(・皇室)制度論にも言及している。別の回にしよう。

0709/佐伯啓思「『現代の危機』の本質」(表現者2009.05号)を読む。

 表現者24号(2009年5月号、ジョルダン)。まずは佐伯啓思「『現代の危機』の本質」(p.68-71)を読む。以下は要約的紹介。
 ・2008秋以降の世界経済危機の現象の表面だけからは、「景気を支えることだけがすべて」になる。だが、本当に怖ろしいのは、そのようにしか事態を把握できない「われわれの視野狭窄」だ。仮に今年後半に景気上昇があったとしても、「危機を回避する景気刺激政策は事態の深刻さただ先送りするだけ」で、「もっと恐ろしい」のは「今回の事態の意味するところ」が隠されることだ。
 ・今回の経済危機は、三つの観点から理解できる。①ブッシュの経済・対テロ戦争政策の失敗、②「グローバリズムと新自由主義的な市場中心イデオロギー」の帰結、③「二十世紀のアメリカ型の産業主義文明」の限界
 ・長期的で深刻な「文明的な位相」をもつ危機だと私(佐伯)は理解したい。今回の危機はしばしば「三〇年代の大恐慌」と類比されるが、「二〇年代から三〇年代」は、「西洋文明そのものの『危機』として意識されていた」のだ。
 ・シュペングラーの書が象徴する如く、両大戦間は「西洋文明の没落」が強く意識された。新しい文明たる「アメリカ」と「社会主義思想」の勃興を目の当たりにしてこそだった。
 ・シュペングラーは「西洋文明」を「人類が生み出したもっとも高度な文明」と見た。だが、その「西洋文明」が「文化のひとつ」になりつつ「形式的に普遍化され、内容空疎な『世界文明』へと変形」される。別言すると、西洋文化も多様な世界文化の一つとにすぎないと認めざるを得なくなりつつも、それは「科学、技術、貨幣」といった「普遍的」・「形式的」・「抽象的」手段によって、「世界的なもの」へと変形される。これをシュペングラーは「西洋文明の没落」と呼んだ。この「西洋文明の没落」を軽視してはならない。文明としては「最後の没落」だからだ。
 ・レオ・シュトラウスは1963年に、「西洋の危機」は、目的に確信を持てなくなったことにある、目的とは「平等な諸国民」・「自由で平等な男女」から成る社会、各国民が「科学の恩恵を被って自らの生産力について十分に発展」している社会(の維持・建設)=「近代のプロジェクト」だ、と述べた。「西洋の没落」とはかかる「確信の喪失」なのだ。
 ・何が「確信の喪失」を生んだのか。シュトラウスによると、危機の本質には<「哲学」と「科学」の分離>がある。「哲学」は当為=「すべき」に関係し、「科学」は事実=「である」の記述で「価値には関与しない」。そして、「いかなる価値の妥当性についての合理的判断も不可能」との前提に立つ、「哲学」=当為と「科学」=事実の分離こそが「確信の喪失」を生じさせた。
 ・換言すれば、「近代のプロジェクト」は<「哲学」と「科学」の分離>、さらには「哲学」の殺戮によって「いっさいの価値判断の基準」を見失った。
  ・この「ニヒリズム」こそが「二〇年代から三〇年代」の状況で、ニヒリズムを克服せんとする試みもまた「深いニヒリズム」を胚胎していた。「『血と大地』という土着的文化の特権化へと向かったナチズム」も、「『完全に平等で幸福な社会』の建設に向かった社会主義」も、ともに「いっそう深いニヒリズム」に落ち込んだ。ここで「いっそう深いニヒリズム」とは結局「『権力への意思』以外の何物をも信じることができない」ことを意味する。
 ・残ったのが「アメリカ」だった。だがこの文明も、「自由や民主主義理念の普遍的形式化」・「貨幣的富の獲得」で「幸福を『買う』」ことが可能との信念、全問題が「技術主義的に解決」可能との信念等、大いにニヒリズムに「傾斜」している。
 ・アメリカは「近代のプロジェクト」の自己矛盾の露呈の延長上で依然として「近代のプロジェクト」を遂行しようとしている。だが、「近代のプロジェクト」自体がその「正当性を合理的に論証できない」という矛盾を孕む。
 ・だとすると、「近代のプロジェクト」を「権力への意思」へと、つまり「力づくで世界に推し進め既成事実を作りだしてゆく」という「覇権主義」へとすり替える他はあるまい。これまた、「もうひとつのニヒリズム」なのだが。
 ・「今回の金融危機」が表現するのは、「近代のプロジェクト」の「断末魔」というべきだ。「アメリカ中心のグローバリズム、金融工学に示された技術主義的なリスク管理、無限に富を生み出す金融市場」という「近代のプロジェクト」が「音を立てて崩壊してゆく様」を「われわれは目撃している」。その意味でこそ、「三〇年代の『西洋の没落』の再来」というべきなのだ。
 以上。佐伯啓思の著作権を侵害するつもりはないので、関心のある方は、雑誌の原文章を読んでいただきたい。
 冗文を追加。<ヨーロッパ近代>はすでに疑問視され、そのゆえにこそ「ナチズム」も「社会主義」(コミュニズム)も生じたが、のちの(時期は違うが)「ナチズム」・「社会主義」の崩壊・敗北によって、かえって<ヨーロッパ近代>のもつ問題点は洗い流され、再び日本(国家・国民)の上に<普遍的>なものとして君臨するに至った。<アメリカ>とは<ヨーロッパ近代>の亜種だ。
 さらには、少なくとも一時期、「社会主義」(コミュニズム)は<ヨーロッパ近代>の「鬼胎」ではなく正嫡(発展形態)だと考えられた(マルクス主義者、親マルクス主義者、その他の親「社会主義者」によって)という事情が、日本にはとくに加わる。<ヨーロッパ近代>+<コミュニズム>という、いずれにしても外国産の「思想」が、ユーラシア大陸の東端に沿う日本(国家・国民)を表面的には大きく捉えてしまった。完全にとは、完膚無きまでとは、心底に至るまでとは、言えないし、言いたくもないけれども。

0706/ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックス他)は「亡国の書」・「狂気の哲学」。

 谷沢永一=中川八洋・「名著」の解読-興国の著・亡国の著-(徳間書店、1998)という本がある。
 和洋5冊ずつ計10冊の著書が採り上げられている。もともとは「名著」だけのつもりだったようだが、結果としては副題のように「興国の著」のほかに「亡国の著」が和洋1冊ずつ計2冊、対象とされている。
 「亡国の著」(悪書)は、丸山真男・現代政治の思想と行動(未来社)と、ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックスほか)。
 ついでに「興国の著」(良書)とされているあと8冊(和洋四冊ずつ)を紹介しておくと、日本-①林達夫・共産主義的人間、②福田恆存・平和論に対する疑問、③新渡戸稲造・武士道、④三島由紀夫・文化防衛論。外国-①マンドヴィル・蜂の寓話、②ハイエク・隷従への道、③B・フランクリン・自伝、④バーク・フランス革命の省察
 それぞれについて面白い対談がなされているが、丸山真男とルソーの著は、それこそ<ボロクソ>に非難・揶揄されている。ルソーは文字通り<狂人>扱い。
 思想家・哲学者なるものの全てがそれぞれそれなりに<偉く>もなんでもないことは、年を重ねるにつれ、確信にまでなっている。
 異常で<狂気>をもつ<変人>だからこそ、奇矯な(あるいは良くいえばユニークな)、そして読者に「解釈」を求める、つまりは理解し難い著書を数多く執筆し、刊行できた、ということは十分にありうる。
 長い、何やらむつかしそうな文章で詰まった本の著者というだけで<偉い>わけではない。そうした本の中には、明らかに、人間・人類に対して<悪い影響>を与えたものがある。
 人間というのはたまたま言葉と論理を知ったがゆえに、過度に、<新奇(珍奇)な>言説・論理に惑わされ、誘導されてきたのではないだろうか。
 人の本性・自然と自生的「秩序」から離れた<知的空間>には、危険な「思想」がいつの時代でも蔓延してきたし、国家・社会の<主流>になっていることすらある。ルソー「的」・マルクス「的」な「思想」は、日本が戦後、もともとは西欧「思想」の影響下にあったアメリカの影響を受けたために、そして(欧米的)「民主主義」=善、(日本的)「軍国主義」=悪という<刷り込み>をされてしまったために、<主流派>西欧思想がなおも日本人の意識の中では、正確には大学を含む学校教育やマスコミ等の<公的>空間に表れている意識の中では、<主流派>のままだと考えられる(土着的な又は深層レベルでの意識においてはなお「日本」的なそれは残存している筈だが)。
 <主流派>西欧思想としてホッブズ、ロック、ルソーらが挙げられようが、決してこれらは(佐伯啓思の言葉を借用すれば)西欧においてすら<普遍的>ではなかった。
 日本の社会系・人文系学問・学者の世界はおそらく<主流派>西欧思想(戦後はアメリカのそれを含む)が支配している。
 日本国憲法自体が<主流派>西欧思想の系譜に属すると見られるのだから、この拘束・制約は相当に重く、解け難いものと見ておかねばなるまい。
 憲法学者のほとんどが「左翼」(←<主流派>西欧思想)であるのも不思議では全くない。そして、辻村みよ子もまた、その憲法教科書で、当然のごとく、ルソーの「思想」に、善あるいは<進歩的>なものとして少なからず言及している。
 上の本での中川らの評価と辻村みよ子の本によるルソーの参照の仕方を、対比させてみたいものだ。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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