秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

朝日新聞

1262/憲法九条2項改正と北岡伸一による朝日新聞の批判的分析。

 一 自民党の憲法改正案において、現憲法九条の全体が削除または改正されるのではなく、現1項はそのまま残されて新9条の全体になるとともに、新たに九条の二を設けて「国防軍」の設置が明記されることになっている。
 現在の第二次案ではなく「自衛軍」としていた第一次案の時期のものだが、自民党本部の担当者だった者による、田村重信・新憲法はこうなる(2006.11、講談社)p.120-1は現1項の趣旨をイタリア・ドイツ等の憲法(・基本法)も有し、「国権の発動たる戦争」とは1928年パリ不戦条約に由来する表現で<侵略戦争>を意味し、それを放棄・禁止するものであっても「自衛権に基づく戦争」を放棄・禁止するものではない、と明確に説明している。
 上の趣旨を理解していないかに思えた産経新聞社説があったので上の点を(そのときは上の田村著を知らなかったが)この欄で指摘し、かつ<「九条を考える会」という呼称はゴマカシだ、正確に<九条2項を考える(護持する)会>と名乗るべきだ>という旨を書いたことがある(2012.03.15)。
 前回にやや厳しい感想を述べた柳本卓治の文章も、上の点を明確に意識して書かれてはおらず、現九条=日本的「平和主義」について、<左翼>がふりまいているデマ宣伝に部分的には屈している印象がある。
 現九条の2項のみの削除・改正を主張しているにもかかわらず九条全体を削除・改正しようとしていると<すりかえ>をして改憲派を反平和主義者・好戦論者のごとく批判するのは、悪質なデマゴギーに他ならない。
 二 12/23に朝日新聞の<慰安婦報道検証・第三者委員会報告書>が公表された。その一部を成すと思われる各委員の個別意見において、北岡伸一は以下のように、適切に朝日新聞を批判している。日本共産党・「九条の会」のみならず、朝日新聞もまた、上のようなデマ宣伝を展開してきたからだ。
 朝日新聞には「言い抜け、すり替えが少なくない。/たとえば憲法9条について、改正論者の多数は、憲法9条1項の戦争放棄は支持するが、2項の戦力不保持は改正すべきだという人である。朝日新聞は、繰り返し、こうした人々に、『戦争を放棄した9条を改正しようとしている』とレッテルを貼ってきた。9条2項改正論を、9条全体の改正論と誇張してきたのである。要するに、他者の言説を歪曲ないし貶める傾向である」。
 北岡は、読売新聞12/26のインタビュー記事でも、「憲法9条についても、1項の『戦争放棄』は支持するが、2項の『戦力不保持』は改正すべきだという人に対し、戦争放棄を改めようとしているとレッテルを貼って批判する」と述べている。
 このような北岡伸一の朝日新聞批判は適切であり、こうして活字になった九条1項と2項をきちんと分けての議論を初めて読んだような気がする。
 <九条を世界遺産に>という運動があった(ある)ようだが、その運動者・活動家はおそらく九条2項を念頭に置いているのだろう。ちなみに、潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(2007.04、PHP)という書物があるが(読了)、正確な趣旨は、「憲法九条2項は諸悪の根源」なのではないか。憲法学者・百地章もかつては憲法九条改正という言い方をしていたかにも見えるが、近年では正確に九条2項改正と記述していることを、この欄でコメントしたことがある。
 三 ところで、北岡伸一の上記朝日新聞紙上の文章は朝日新聞の問題のある傾向の第6点「論点のすりかえ」の例として書かれている。それ以外は、第一・「粗雑な事実の把握」、第二・「キャンペーン体質の過剰」、第三・「物事をもっぱら政府対人民の図式で考える傾向」、第四・「過剰な正義の追求」、第五・「現実的な解決策の提示の欠如」、である。
 北岡に対しては<保守>派からの批判もあるようだが、朝日新聞批判の著・文章は数多くあると見られるところ、北岡の上のような、決して長くはない文章における体系的・総合的な?整理・分析は、的確で、なかなか優れていると感じられる。以上の諸点はすべて、かつての<進歩的文化人>と同様に社会主義・共産主義への憧憬を残した、目的のためならば歪曲・虚報も許されるという心情の「記者」たちによって構成された<政治団体>だからこそ生じている傾向・問題点であるかもしれないが。

1260/朝日新聞12/15夕刊「素粒子」の錯乱等。

 朝日新聞12/15夕刊のコラム「素粒子」はつぎのように書く。
 1.「信を問われても耳を貸さない半数近い人々。得られた民意の薄い地盤に、建てられる国家像の不釣り合いな重さ」。
 衆議院議員選挙における安倍政権・与党の<圧勝>を投票率の低さから見ての「得られた民意の薄い」等々と述べて揶揄し、本当に信任されたわけではないぞ、と言いたいわけだ。
 投票率の低さをもたらした原因の一つは、この選挙には「大義がない」と早々に断言した朝日新聞やそれに近いメディアにもあるのではないか。「大義がない」選挙であれば、投票しなくてもよい、と考えてしまう有権者が生じても不思議ではない。
 もともと、解散・総選挙は、与党の多数議席を減らし、あわよくば半数以下にさせたい野党が要求するはずのものであり、朝日新聞のような、反安倍・反自民党のメディアが2012年総選挙の結果を変えるために主張しても不思議ではないものだった。にもかかわらず、せっかくの総選挙の機会を「大義がない」と評してしまったのだから、投票率の減少や与野党の議席占有率がほとんど変わらなかったことの責任の一端は、朝日新聞自体にもあったことを自覚すべきだろう。安倍首相は朝日の「大義がない」という反応を見て<勝った>と思った、と某評論家がテレビで語っていたが、さもありなん、という気がする。まして、この時期に解散・総選挙をしてよいかとうかを争点にしようとか、総選挙には700億円かかるといった朝日新聞等の報道姿勢こそが、奇妙なものだった。
 もっとも、上に述べた皮肉・批判を、<狂った>朝日新聞のコラムや論説の執筆者たちは理解できないかもしれない。
 2.「意思がはっきり浮かんだ沖縄」。
 沖縄県の4小選挙区では自民党候補が敗北したことを<喜んで>上のように述べているのだが、これには笑って(嗤って)しまった。
 同じ一面にある今回総選挙の投票率によると、沖縄県のそれは52.36%で、全国平均の52.66%よりも0.3%低い。後者から沖縄県を除外すれば、もっと低くなる。
 この数字を見ると、沖縄県での「得られた民意」もまた「薄い地盤」に支えられたものではないか。にもかかわらず、全国平均よりも低い投票率の沖縄では「意思がはっきり浮かんだ」と評するのは、いったいどういう感覚のゆえなのだろう。
 自分たち=朝日新聞にとっての好ましくない結果は「得られた民意の薄い」と論定し、好ましい結果が出た沖縄については「意思がはっきり浮かんだ」と書く。この神経はまっとうなものではなく、<狂って>いる。
 朝日新聞がダブル・スタンダードをもった、<ご都合主義>者の集まりであることはよく知られている。12/15夕刊の「素粒子」もまた、そのことをあらためて明らかにしている。
 もつとも、上に述べた皮肉・批判を、<狂った>朝日新聞のコラムや論説の執筆者たちは理解できないかもしれない。
 朝日新聞12/15の朝刊「社説」は、つぎのように主張している。
 総選挙の結果によって安倍政権は「決して『何でもできる』力を得たことにはならない。憲法に基づく民主主義は、選挙の勝利によって生まれた政権に全権を委任するものではない」。
 これ自体は異議を挿ませないものかもしれないが、しかし、問いたい。2009年8月末総選挙における民主党勝利=政権交代必至の結果を受けて、朝日新聞「社説」は、民主党政権に<白紙委任をしたわけではない>旨を書いたのか?
 朝日新聞はダブル・スタンダードをもった、<ご都合主義>者の集まりであり、それは事実(ファクト)よりも価値(スタンス)を優先する報道機関まがいの政治団体であることによって生じている。朝日新聞が何と釈明しようと、この本質を変えることはないだろう。 

1256/詐話師・吉田清治とは何者なのか。

 一 慰安婦問題について、詐話師・吉田清治の虚言癖はすでに広く知れ渡ったようだが(朝日新聞のそれを信じた「狂」者ぶりも含めて)、この吉田清治がどのような人物で、なぜ平気でウソをつき、なぜ韓国で土下座する等のパフォーマンスをしたのかについては、納得できる報道・記事を見ない。
 8月からの報道等のうちほとんど唯一関心を惹いたのは、吉田清治は1947年頃、下関市議選に日本共産党から立候補した、ということだ。つまり、その時点で、日本共産党の党員だったことはほとんど疑いを容れない。
 その後1980年代までずっと同党に所属していたかは明らかではないし、日本共産党自体にも、47年から60年頃までの間に混乱と「変化」があった。
 しかし、戦後の一時期とはいえ、「共産主義」を夢想していた人物であることは明らかだと思われ、このことはのちの「虚言」と無関係ではないと考えられる。すなわち、そのような<左翼>だからこそ、日本と日本人の名誉と誇りを大きく傷つけるほどに戦時中の日本・日本軍を悪く言ってもかまわない、という精神構造をもっていたかに見える。
 彼にとっては、「日本軍国主義」は悪を為したはずなのであり、過去の日本国家を悪し様に言うことは、いかにそれが「ウソ」であっても、日本国家を傷つけるという目的のために正当化されるものだったのだろうと考えられる。
 共産主義者あるいは「左翼」とは怖ろしいものだ。目的のためにはウソを吐くことくらい、あるいは土下座をしてみせることくらい、何ともないことなのだ。
 そのような精神構造の人物であることを見抜けなかった朝日新聞の関係者もまた、同様の精神構造にあったと言ってよい。
 二 ところで、サクラムック・この国に「朝日新聞」は何をしたのか(2014、笠倉出版社)という初めて見るムック名と出版社名の雑誌によると、「従軍慰安婦」という言葉を最初に用いたのは千田夏光(元毎日新聞記者)であるらしい(さすがに岩波書店というべきだろう、吉見義明はこの言葉をそのままタイトルに用いた岩波新書を出している)。そして、同書によると、千田夏光は、「日本共産党の不破哲三元委員長の『後援会長』」だった(p.17)。
 ここにも日本共産党が顔を出している。作家・元毎日記者という「文化人」であるなら、党籍を隠したまま「後援会長」になっても不思議ではない。すなわち、千田夏光もまた日本共産党員だった可能性がかなり高いだろう。
 日本共産党員だった人物だからこそ平然と「ウソ」をつき、あるいは「意図的な曲解」(同上p.15)をしたのではないか。
 朝日新聞の中の吉田清治持ち上げ記事に関与した記者たちの個人名を明らかにさせての責任追及もなされてよいが、吉田清治や千田夏光についても、その経歴等々について詳細な情報を知りたいものだ。故人にも保護されるべきプライバシーはあるだろうが、現存者よりは狭いと考えられるし、日本の国益・公益に関係する問題でもある。

1255/元朝日新聞幹部の山田厚史・早野透に見る「朝日新聞的なるもの」。

 朝日新聞の記事の一部の同新聞による否定や社長謝罪会見(第一次的には福島原発・吉田「調書」問題)等に合わせて、朝日新聞社記者OBの発言もいくつか見られるが、興味深いのは、最近問題とされた又は朝日新聞か認めたミスをいちおうは批判しつつも、なおも「朝日新聞」的意識・心情を吐露していることだ。二つ例を挙げておく。
 宝島11月号(宝島社)における、元編集委員・山田厚史
 山田厚史は、<朝日は反日>は「陳腐な非難」とか、朝日の上層部には他新聞と同じく「政権とプイプ」があるとか発言しつつ、つぎのように何気なく発言する。
 「野党が弱体化しているいま、政治の暴走を食い止める防波堤は世論です」(上掲p.8)。
 これはいったい何だろう。正確には「政治の暴走」とはいったい何のことだろ。おそらく、特定秘密保護法(12/10施行の旨の政令が2日ほど前に決定)の成立や集団的自衛権行使合憲との内閣解釈決定等を指すのだろうが、これらを「政治の暴走」と感じるのはまさに朝日新聞的な見方によるものであり、決して一般的なものではないとの自覚すらないように見える。
 また、次のようにも言う。①政権には世論が壁になりうるので「リベラルと言われる朝日新聞の信用が失墜すれば政権は楽になるということはある 」、「だからといって政権が朝日に何かしているということではないですよ」、②この20年「中国、韓国に対し、日本が劣後してきた、…ことに対する苛立ちが日本人の中にある。そうした時代状況のなかで傷ついた自尊心がナショナリズムを煽り、朝日新聞が逆風を受けている状況はあると想います」(p.8-9)。
 安倍政権による謀略的朝日新聞攻撃だったらよいのに、とも理解できなくはない①は無視して、②はなかなか面白い。第一に、「中国、韓国に対し、日本が劣後してきた」という時代認識は正しいだろうか。たしかにかつてと比べれば中国や韓国は大きな経済力をもつに至った。しかし、一人あたりGNPも含めて、日本が中国・韓国よりも劣るに至ったというのは、元朝日新聞・山田の願望かもしれないが、事実ではないだろう。こんなふうに何げなく、簡単に表現してしまえる感覚というのは怖ろしい。
 第二に、「苛立ち」を肯定的に評価していない、同じことだが、中国や韓国に対する(何についてかは省略するが)反発を正当なものとは見ていない。まさに朝日新聞的だ。
 第三に、「ナショナリズム」を、偏狭なとも排他的とも限定しないまま、<悪>と見なしている。かつてこの欄で問題にした、山田よりも先輩の若宮敬文の文章と同じだ。<ナショナリズムを煽る>=悪、というのは、まさに朝日新聞の感覚に他ならない。
 第四、そのようなナショナリズムの増大によって、「朝日新聞が逆風を受けている」という認識、あるいは状況把握では、適切な朝日新聞への助言などできるはずはないだろう。近時の朝日新聞批判は日本の<右傾化>を背景・原因とする、という、他にも読んだことがある朝日新聞擁護・弁明論を、山田もまた述べているわけだ。
 つぎに、中央公論11月号(中央公論社)における早野透。 
 単独の論考の中で早野は、詐話師(とはここで秋月が使っているのだが)・吉田清治の証言を訂正するのは1997年が限度だった等とも書きつつ、つぎのように述べる。
 ①「朝日新聞は戦後民主主義とリベラルを自らの信念としてきた」、「右派ジャーナリズムは、…戦後日本の基本的価値観に疑問を呈し、朝日新聞こそその攻撃だった」。かかる「右派ジャーナリズムの隆盛は、ナショナリズムの復活の流れにある」(上掲p.52)。
 まさに朝日新聞の「心情」がかつての編集委員・コラム執筆者によって堂々と披瀝されており、愉快なほどだ。
 やはりナショナリズム=悪であることにはもう言及しないが、「朝日新聞は戦後民主主義とリベラルを自らの信念としてきた」とは、元朝日文筆人・幹部自自身が語っていて、説得力?がある。たしか丸山真男は「戦後民主主義の虚妄に賭ける」とか書いたのだったが、早野透は、「戦後民主主義」をより厳密にはいったいどう理解しているのだろうか、そしてそれとGHQの日本占領方針等との関係はどう理解しているのだろうか。
 なお、「右派ジャーナリズム」=「あっち」=敵、朝日新聞=「こっち」という、日本共産党にも共通する対立・矛盾の認識がうかがわれるのも面白い。この点は、他の朝日新聞関係者の文章で明らかなので、別の機会に-余裕があり、文献を探し出せれば-触れる。
 ②「反日」「売国」「国賊」といった言葉が飛び交うのは「知性の劣化」。「朝日新聞が反日のはずがない。日本の悪かった部分を直視し、反省していくことはむしろ『愛国』だろう」(p.52)。
 こうした叙述からは反論・開き直りの姿勢がうかがえ、朝日新聞(のOB)が反省を何もしていないことがうかがえる。②「反日」「売国」「国賊」といった批判はある程度は効いているのかもしれない。そして、朝日新聞の捏造を含む記事によって日本と日本人の名誉・誇りが世界的に傷つけられたのは客観的に明らかなことだから、朝日新聞をウソ記事を書く「反日」、「売国」の新聞、「国賊」たる新聞と評するのはまったく正しいことだ。
 上の最後の一文は、なぜ次のような文章を含まないのだろうか。-「日本の良かった部分をきちんと指摘し、誇りをもち続けることは、『愛国』だろう」。
 朝日新聞は、あえて「日本の悪かった部分を直視し、反省していく」というスタンス、姿勢を基本に据えて、その基本にそうように<ファクト>を歪曲したり、捏造したりしたのではないか。自国を批判するのも愛国だ、などという、それ自体は一見誤りではないような言辞を吐いて、朝日新聞の本質をごまかすな、逃げるな、と強く言いたい。
 ところで、この早野透は、現在、桜美林大学教授らしい。いかなる著書・論文でもって教授に任用されたのだろう。きっと、桜美林大学とは、いいかげんな大学だ。

1254/朝日新聞社説8/29が示す朝日の戦後史観。

 朝日新聞今年-2014年-8/29の社説はつぎのようなものだ。
 「「私人としてのメッセージ」で済む話ではないだろう。/安倍首相が今年4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に、自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていた。
 「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉職者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」
 送付先は、高野山真言宗の奥の院(和歌山県)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。碑は、連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に20年前に建立された。名前を刻まれている人の中には、東条英機元首相らA級戦犯14人が含まれている。首相は昨年と04年の年次法要にも、自民党総裁、幹事長の役職名で書面を送付していた。
 菅官房長官は会見で、内閣総理大臣としてではなく、私人としての行為との認識を示した。その上で、「A級戦犯については、極東国際軍事裁判所(東京裁判)において、被告人が平和に対する罪を犯したとして有罪判決を受けたことは事実」 「我が国はサンフランシスコ平和(講和)条約で同裁判所の裁判を受諾している」と述べた。
 戦後69年。このような端的な歴史的事実を、いまだに繰り返し国内外に向けて表明しなければならないとは情けない。
 日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた。
 連合国による裁判を「報復」と位置づけ、戦犯として処刑された全員を「昭和殉難者」とする法要にメッセージを送る首相の行為は、国際社会との約束をないがしろにしようとしていると受け取られても仕方ない。いや、何よりも、戦争指導者を「殉難者」とすることは、日本人として受け入れがたい。戦後日本が地道に積み上げてきたものを、いかに深く傷つけているか。自覚すべきである。
 首相の口からぜひ聞きたい。/多大なる犠牲を生み出し、日本を破滅へと導いた戦争指導者が「祖国の礎」であるとは、いったいいかなる意味なのか。あの戦争の責任は、誰がどう取るべきだったと考えているのか。
「英霊」「御霊」などの言葉遣いでものごとをあいまいにするのはやめ、「私人」といった使い分けを排して、「魂を賭して」堂々と、自らの歴史観を語ってほしい。/首相には、その責任がある。」

 8月初旬の慰安婦記事検証記事と9月初旬の原発記事(を第一義とする)社長謝罪会見の間にこんな社説を掲載しているのだから、朝日新聞が決してその<左翼・反日>性を捨てることがないことは明らかだろう。
 安倍晋三憎し=安倍の葬式はウチで出す、という気分の表れでもあるだろう。
 加えて、上の文章における単純な歴史認識・歴史観には呆然とせざるをえない。
 よく読めば、たんにいわゆる「A級戦犯」とされた者のみを念頭に置いているのではない。「A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要」への安倍晋三の哀悼文送付を批判しているのであり、丁寧でも三審制にもとづいてでもなく戦地近くの「裁判」で死刑判決を受け、処刑されたいわゆる「BC級戦犯」者に対する哀惜の念の欠片もない、じつに冷酷な文章だ。
 この社説の執筆者は、藤田まこと主演の映画「明日への遺言」(2007)を観たのだろうか、もっと前のフランキー堺主演のドラマ「私は貝になりたい」の物語を知っているのだろうか。
 この社説は「日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた」と書く。
 日本国家が「戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で」戦後を出発した、とは誤認だろう。日本又は日本人が積極的にそうしたのではない。死刑者以外の「戦犯」の刑の執行するという意味で東京裁判の「遵守」をサ条約でもって約束しなければならなかったのは事実だが、主権回復のためのやむをえざる判断だったと考えられるし、むろん広田弘毅を含む死刑者を選別したのは日本・日本人ではない。
 朝日新聞の社説のように言うならば、死刑者と終身刑者とではもともと微妙な差異しかなかったと見られるところ、サ条約にもとづく関係諸国と同意を得て死刑者(無念ながら元には戻せない)以外の受刑者を解放し、終身刑者の中には賀屋興宣というのちの法務大臣もいたことはどのように説明するのか。
 いわゆる東京裁判史観に立ちそれを絶対視するならば、それによって有罪とされた者の釈放など認めてはならなかったはずだが、朝日新聞は当時それに反対したのか?
 さらに、周知のように1953年には国会で受刑者を犯罪者とは扱わない旨の決議がなされているが、当時、朝日新聞はこれに反対したのか。
 朝日新聞社説は、戦後の歴史の一部、一端だけを取り出して、安倍晋三の<歴史認識>批判という目的のために使っているにすぎない。朝日新聞のような単純素朴な歴史観でもって実際の歴史を認識したり総括することはできない。
 何がクォリティ・ペイパーだ。戦後当初にGHQが植え付けようとした単純な<日本が悪かった>史観をいまだに引き継いでいるだけではないか。むろん、朝日新聞の慰安婦問題捏造記事の根源もここにある。日本軍・日本国家は悪いことをしたはずなのであり、していなければならなかったのだ、朝日新聞にとっては。客観的な報道をするつもりでも、そのような「思い込み」があると、記事は歪み、えてして<捏造>記事になってしまう。このようなおそれが今後の朝日新聞にあるのは、8/29の社説でも明らかだ。

1253/月刊WiLL10月号と週刊現代9/06号ー朝日虚報と青木理ら。

 月刊Will10月号は背表紙「朝日『従軍慰安婦』大誤報」、表表紙に大きく「朝日新聞の『従軍慰安婦』は史上最悪の大誤報だった!/総力大特集120ページ」と朝日問題に大集中。もっとも、朝日がしたのは大きな「誤報」にすぎないのか?、日本国家と先輩同胞を貶めたいがゆえの意図的な(真実性が多少はあれば真実だと確信しての)<虚報>、<捏造>ではないのか、という問題は残る。
 ともあれ、朝日慰安婦検証報道に対する姿勢によって諸雑誌等のメディアの<性格>もかなり明らかになりそうだ。NHKは、この朝日新聞の一部訂正記事を放送したのだっただろうか。2000年に「女性戦犯法廷」での天皇有罪判決というパフォーマンスを一番組にしたのは長井某というNHKの「左翼」ディレクターだったが。
 週刊現代9/06号は「『慰安婦報道』で韓国を増長させた朝日新聞の罪と罰」と題して特集。例のごとく表紙からする印象に比べれば短いが、「識者30名」のアンケート結果は面白い。面白い、というのは、「識者」の中での<左翼>の存在が明確になっているからだ。
 アンケートは①朝日の検証記事は「納得のいく内容」だったか、②朝日「誤報」は「日韓関係悪化の一因」か、③朝日は「誤報の説明責任を果たした」か、の三つで、それぞれについて、いいえ、はい、どちらでもないの回答が用意されているようだ。そして、「識者30名」の選抜の仕方が適切かどうかという問題はさておくとして、30名中21名が、それぞれについて「いいえ、はい、いいえ」と回答している。この回答がふつうの、まともな感覚の持ち主の反応の仕方だと思うが、9名の回答はそうではない。上のいいえではなくはい、及びいいえではなくはいをいずれも-2、どちらでもないを-1としてマイナスを計算すると、次の結果になる。
 ①前田哲男-6、①岡留安則-6、①北原みのり-6、④青木理-5、⑤香山リカ-4、⑥斉藤貴男-2、⑥江川紹子-2、⑥小倉紀蔵-2、⑨服部孝章-1。前田哲男は近年、集団的自衛権や沖縄等、近年に軍事に強いらしき「左翼」としてよく名前を見る。マイナスは少ないが、江川紹子は少なくとももともとは親日本共産党の新聞記者だった。
 これらは明確な「左翼」だろうが、この順位では1位ではない青木理は、週刊誌本文によると、朝日新聞による検証記事の掲載は「歴史修正主義の風潮がかつてなく蔓延」して「反日」的動きに対するバッシングが強くなった状況に「耐え切れず」に「追い込まれた」もので、「日本社会が大きく変質していることを象徴的に示す」「事件」だ、と述べている。簡単には、<右派からの攻撃に耐えきれなかった、という右派増長という時代・社会の反映だ>と考えているようだ。これを読んで、青木理の頭の中の<倒錯>ぶりに(あらためて?)感心せざるをえない。
 かりに朝日新聞の報道が客観的事実を内容とするものだったとすれば、あるいはそのことに自信があれば、<右派からの攻撃に耐えきれない>というほどにナイーヴな神経を朝日新聞(の記者たち)がもっているはずはないだろう。こういうふうに青木理という<倒錯>者は朝日新聞を擁護するのだ。転嫁・曲解・相殺・無視という論法(湯浅博「潔さに欠け、往生際が悪すぎる」、月刊Will10月号p.64以下)による「検証」の仕方にみられる朝日新聞の神経のずぶとさ、厚顔無恥ぶりは何ら変わっておらず、朝日新聞が理由なく<右派からの攻撃に耐えきれず>屈服するはずがない。
 -1にすぎないが、服部孝章も、朝日報道が日韓関係悪化の一因になったことは認めつつ、朝日新聞よりも、「加害責任を明示しない安倍政権サポーターや商業主義に傾いてムードを煽るマスコミ」の方が責任は重い、とコメントしている(週刊現代p.45)。これまた、「商業主義に傾いてムードを煽る」<保守・右派>マスコミに責任を転嫁している(又は朝日よりも重い責任があるとする)ようで、不思議な議論だ。立教大学にはなかなか立派な「教授」がいる。
 今後の、9月上旬あたりまでに刊行される雑誌類の朝日新聞<慰安婦検証記事>への対応にさらに注目したい。すでに多くは明らかになっているのだが、「左翼」論者があぶりだされ、雑誌編集者の「左翼」度=親朝日新聞度が試されるだろう。

1252/朝日新聞を読むとバカになるのではなく「狂う」。

 一 桑原聡ではなく上島嘉郎が編集代表者である別冊正論Extra20(2013.12)は<NHKよ、そんなに日本が憎いのか>と背表紙にも大書する特集を組んでいた。月刊WiLL(ワック)の最新号・9月号の背表紙には<朝日を読むとバカになる>とかかれている。
 こうした、日本国内の「左翼」を批判する特集があるのはよいことだ。月刊正論にせよ、月刊Willにせよ、国内「左翼」批判よりも、中国や韓国を批判する特集を組むことが多かったように見えるからだ。中国や韓国なら安心して?批判できるが、国内「左翼」への批判は反論やクレームがありうるので産経新聞やワック(とくに月刊WiLLの花田紀凱)は中国・韓国批判よりもやや弱腰になっているのではないか、との印象もあるからだ。昔の月刊WiLLを見ていると、2005年11月号の総力特集は<朝日は腐っている!>で、2008年9月号のそれは<朝日新聞の大罪>なので、朝日新聞批判の特集を組んでいないわけではないが、しかし、中国等の特定の<外国>批判よりは取り上げ方が弱いという印象は否定できないように思われる。
 それに、「本丸」と言ってもよい日本共産党については批判的検討の対象とする特集など見たことがないようだ。日本共産党批判は、同党による執拗な反論・反批判や同党員も巻き込んだ<いやがらせ>的抗議を生じさせかねないこともあって、<天下の公党>の一つを取り上げにくいのかもしれない。しかし、中国共産党を問題にするならば、現在の中国共産党と日本共産党の関係はどうなっているのか、日本共産党は北朝鮮(・同労働党)をどう評価しているのかくらいはきちんと報道されてよいのではないか。しかるに、上記の月刊雑誌はもちろん、産経新聞や読売新聞でも十分には取り上げていないはずだ。
 特定の「外国」だけを批判していて、日本国内「左翼」を減少または弱体化できるはずがない。むろん報道機関、一般月刊雑誌の範疇にあるとの意識は日本共産党批判を躊躇させるのかもしれないが、1989年以降のソ連崩壊・解体によって、欧州の各国民には明瞭だった<コミュニズムの敗北>や<社会主義・共産主義の誤り>の現実的例証という指摘が日本ではきわめて少なく、その後も日本共産党がぬくぬくと生き続けているのも、非「左翼」的マスメディアの、明確にコミュニズムを敵視しない「優しい」姿勢と無関係ではないように見える。
 二 さて、<朝日を読むとバカになる>だろうが、「バカになる」だけならば、まだよい。あくまで例だが、月刊WiLL9月号の潮匡人論考のタイトルは「集団的自衛権、朝日の狂信的偏向」であり、月刊正論9月号の佐瀬昌盛の「朝日新聞、『自衛権』報道の惨状」と題する論考の中には、朝日新聞の集団的自衛権関係報道について「企画立案段階で本社編集陣そのものが狂っていた」のではないか、との文章もある。すなわち、「バカ」になるだけではなく、本当の狂人には失礼だが、朝日新聞は<狂って>おり、<朝日を読むと狂う>のだと思われる。昨年末の特定秘密保護法をめぐる報道の仕方、春以降の集団的自衛権に関する報道の仕方は、2007年の<消えた年金>報道を思い起こさせる、またはそれ以上の、反安倍晋三、安倍内閣打倒のための<狂い咲き>としか言いようがない。
 むろんいろいろな政治的主張・見解はあってよいのだが、種々指摘されているように、「集団的自衛権」の理解そのものを誤り、国連憲章にもとづく「集団(的)安全保障」の仕組みとの違いも理解していないようでは、不勉強というよりも、安倍内閣打倒のための意識的な「誤解」に他ならないと考えられる。
 一般読者または一般国民の理解が十分ではない、又はそもそも理解困難なテーマであることを利用して、誤ったイメージをバラまくことに朝日新聞は執心してきた。本当は読者・国民をバカにしているとも言えるのだが、集団的自衛権を認めると「戦争になる」?、「戦争に巻き込まれる」?、あるいは「徴兵制が採られる」?。これらこそ、マスコミの、国民をバカにし狂わせる「狂った」報道の仕方に他ならない。
 長谷部恭男が朝日新聞紙上でも述べたらしい、<立憲主義に反する>という批判も、意味がさっぱり分からない。長谷部論考を読んではいないのだが、立憲主義の基礎になる「憲法」規範の意味内容が明確ではないからこそ「解釈」が必要になるのであり、かつその解釈はいったん採用した特定の内容をいっさい変更してはいけない、というものではない。そもそも、1954年に設立された自衛隊を合憲視する政府解釈そのものも、現憲法施行時点の政府解釈とは異なるものだった。「解釈改憲」として批判するなら、月刊正論9月号の中西輝政論考も指摘しているように、多くの「左翼」が理解しているはずの「自衛隊」は違憲という主張を、一貫して展開すべきなのだ。
 安倍首相が一度言っているのをテレビで観たが、行政権は「行政」を実施するために必要な「憲法解釈」をする権利があるし、義務もある(内閣のそれを補助することを任務の一つとするのが内閣法制局だ)、むろん、憲法上、「行政権」の憲法解釈よりも「司法権」の憲法解釈が優先するが、最高裁を頂点とする「司法権」が示す憲法解釈に違反していなければ、あるいはそれが欠如していれば、何らかの憲法解釈をするのは「行政権」の責務であり義務でもあるだろう。
 1981年の政府解釈が「慣行」として通用してきたにもかかわらず、それを変更するのが立憲主義違反だというのだろうか。一般論としては、かつての解釈が誤っていれば、あるいは国際政治状況の変化等があれば、「変更」もありうる。最高裁の長く通用した「判例」もまた永遠に絶対的なものではなく、大法廷による変更はありうるし、実際にもなされている。それにもともと、1981年の政府解釈(国会答弁書)自体がそれまでの政府解釈を変更したものだったにもかかわらず、朝日新聞はこの点におそらくまったく触れていない。
 三 そもそも論をすれば、「戦争になる」、「戦争に巻き込まれる」、「徴兵制が採られる」あるいは安倍内閣に対する「戦争準備内閣」という<煽動>そのものが、じつは奇妙なのだ。日本国民の、先の大戦経験と伝承により生じた素朴な<反戦争>意識・心情を利用した<デマゴギー>に他ならないと思われる。
 なぜなら、一般論として「戦争」=悪とは言えないからだ。<侵略>戦争を起こされて、つまりは日本の国家と国民の「安全」が危殆な瀕しているという場合に、<自衛戦争>をすることは正当なことで、あるいは抽象的には国民に対する国家の義務とても言えることで、決して「悪」ではない。宮崎哲弥がしばしば指摘しているように<正しい戦争>はあるし、樋口陽一も言うように、結局は<正しい戦争>の可能性を承認するかが分岐点になるのだ。むろん現九条⒉項の存在を考えると、自衛「戦争」ではなく、「軍その他の戦力」ではない実力組織としての自衛隊による「自衛」のための実力措置になるのかもしれないが。
 朝日新聞やその他の「左翼」論者の顕著な特徴は、「軍国主義」国家に他ならない中国や北朝鮮が近くに存在する、そして日本と日本国民の「安全」が脅かされる現実的可能性があるという「現実」に触れないこと、見ようとしないことだ、それが親コミュニズムによるのだとすれば、コミュニズム(社会主義・共産主義)はやはり、人間を<狂わせる>。
 四 率直に言って、「狂」の者とまともな会話・議論が成り立つはずがない。政府は国民の理解が十分になるよう努力しているかという世論調査をして消極的な回答が多いとの報道をしつつ、じつは国民の正確な理解を助ける報道をしていないのが、朝日新聞等であり、NHKだ。表向きは丁重に扱いつつ、実際には「狂」の者の言い分など徹底的に無視する、内心ではそのくらいの姿勢で、安倍内閣は朝日新聞らに対処すべきだろう。
 朝日新聞が「狂」の集団であることは、今月に入ってからの自らの<従軍慰安婦問題検証>報道でも明らかになっている。

1248/オリンピックを<ナショナリズム発揚>と忌避する「左翼」。

 月刊正論(産経新聞社)は編集長・編集部が変わってかなりマシになってきたようだ。
 部員として安藤慶太・上島嘉郎という、信用の措けそうなベテランが入っていることも大きいのかもしれない。
 そろそろ数ヶ月遅れて中古本を読むのはやめようか、という気にもなってきた。
 月刊正論7月号で目に付くのは、元週刊朝日編集長・川村二郎の朝日への「決別」文だ。だが、読んで見るとほとんど朝日新聞社グループ内のもめ事の程度のようだ。すなわち、川村二郎は、朝日新聞社の「左翼」性あるいは「容共」性を日本国家・日本国民の立場から批判しているのでは全くない。せいぜいのところ、論説委員等の文章力への嘆きとか自分に対する処遇のうらみごと程度では、まったく迫力がない。
 それよりも、朝日新聞を毎日読むという精神衛生に良くない習慣のないところ、朝日新聞の昨年10/13付けの曽我豪(当時、政治部長)のコラムが一部引用されていて。その内容に興味を持った。川村によると、2020年東京五輪について曽我はこう書いた、という。
 「国民の和合の礎となる」よう「昇華していけるのか、国威発揚の道具に偏して無用な対立や混沌を生むのか」、これがこの7年の「日本の政治の課題なのだろう」。
 川村の批判に含まれているかもしれないように、二つの選択肢を挙げて、どちらを主張することもなく、「日本の政治の課題」だと言うのは、日本語文としても厳密には奇妙だ。「無用な対立や混沌」なるものの意味もよく分からない。
 そのことよりも、朝日新聞の政治部長がオリンピックについて「国威発揚の道具に偏して無用な対立や混沌を生む」可能性に言及していることが興味深い。明確に書くことなく(例のごとく?)曖昧にはしているが、オリンピックを「国威発揚の道具」に少なくともなりうるものとして批判的に捉える、という朝日新聞らしい感覚が見てとれる。
 オリンピックは、あるいはサッカー・ワールドカップは、客観的には「国威発揚」の場となり、国民「統合」の方向に働くことは否定できないと思われる。いちいち述べないが、やはりかなりの程度は、オリンピックでの成績(メダル数等)は<国力>に比例していることを否定できないと思われる。スポーツをできる余裕のある国民の数やスポーツに財政的にも援助できる金額等々は、国(国家)によって異なり、<格差>のあることはほとんど歴然としていると思われる。
 だが、そのことをもって「国威発揚の道具」視するのは、何についても平等でなければならず、<競争>の嫌いな、従ってまた<国家間の競争>についても批判的・諧謔的に捉えようとする「左翼」のイデオロギーに毒されている、と感じざるをえない。
 国家間の武力衝突・戦争に比べれば、平和的でルールに則った、可愛い「競争」ではないか。
 だが、「日本」代表とかいうように、個別「国家」を意識させざるをえないことが、朝日新聞的「左翼」には不快であるに違いない。
 先日言及した、<共産主義への憧れをやはり持っている>と吐露した人物は、<国威発揚の場となるようなオリンピックはやらない方がよい>と言い切った。あとで、オリンピック一般ではなく「国威発揚のために使われる」それに反対だと言い直していたのだが、趣旨はほとんど変わらないだろう。上述のように、客観的に見て、オリンピック等の「国家」を背負ったスボーツ大会は「国威発揚の場」にもならざるをえないからだ。
 何年かに一度、「日本」代表選手又は選手団の勝敗や成績に関心をもち、応援して一喜一憂する国民が多くいることは悪いことではないと思う。
 「地球」や「世界」ではなく個別の「国家」を意識させざるをえないオリンピック等に朝日新聞的「左翼」はもともと警戒的なのだ。彼ら「左翼」は、むろん日本国民の中にもいる「左翼」は、サッカー・ワールドカップのパプリック・ビューイングとやらに何万人、何千人もの人々が集まることに批判的、警戒的であるかもしれず、あるいは<ナショナリズムを煽られた>現象だと理解するのかもしれない。
 だが、そのように感じる意識こそが、どこか<倒錯>しているのだ。「国家」を意識したくなく、(本来のコミュニストはそうだが)「国家」を否定したい、というのは<異常な>感覚なのだ。「日本」代表を応援するのが<ナショナリズム>だとすれば、それは何ら批判されるものではないし、批判的に見る<反・ナショナリズム>の方がフツーではない。しかし、一部にはそういう者もいて、<大衆は…>などと批判していそうなのだから、異様で、怖ろしい。

1242/「積極的平和主義」を批判する朝日新聞。

 朝日新聞1/15朝刊の「今村優莉、清水大輔」との署名のある<安倍首相の言う「積極的平和主義」って?>というタイトルの記事は、朝日新聞らしくて面白い。
 安倍首相が使っている「積極的平和主義」(に立つ)という表現の仕方はなかなかうまいものだと感じていた。つまり、従来は「平和」は<革新>または<左翼>の標語で、これに対する「戦争」または「好戦」とは<保守>または<右翼>の好むものだというイメ-ジを「左翼」は撒いてきたのが、安倍首相は逆手にとって自らを「積極的平和主義」者と位置づけ、従来の<左翼>の「平和」主義とは「消極的平和主義」、「何もしない平和主義」に他ならないことを皮肉をも込めて?明らかにしているように思えたからだ。
 上のことがどうやら朝日新聞記者には気にくわないらしい。上の記事は安倍の「積極的平和主義」の意味をあえて特定の意味に理解しようとし、そしてそれを批判している。
 その前にこの記事には意味が不明確な概念・語が無前提に使われている。第一に、「平和憲法の改正を目指す安倍氏…」という表現がある。ここでの「平和憲法」とはいったい何を意味しているのか? 朝日新聞または同新聞の愛読者には自明なのかもしれないが、「平和」主義にも非武装平和主義から(例えばスイスのような、徴兵制による正規軍をもつ)武装平和主義まで種々のものがあることを考えても、「平和憲法」という語の意味は自明ではない。おそらくは前者のごとき意味で用いているのだろうが、それのみが「平和憲法」なるものの意味内容であるとは限らないことを知るべきだろう。「平和憲法の改正をめざす」という表現によってすでに、安倍首相は非平和的・好戦的というイメ-ジを提示してしまっているのだ。第二に、坪井主税という平和学専門らしき札幌学院大名誉教授の引用コメントの中に「9条の平和主義」という語があり、これまた厳密には意味不明であるとともに、これを改正すること=悪という前提に立った叙述をしている。自民党の改憲案も9条第一項は残すのであり同条項の「平和主義」を捨てているわけではない。朝日新聞的な論理または単純素朴な護憲派のイメ-ジを全く知らないものにとっては、奇妙な叙述であり、不思議な前提だ。
 上記のことだけでもすでに朝日新聞らしさは十分に出ているが、<積極的平和主義>については以下のごとくイチャモンをつけている。①青井未帆(学習院大教授・憲法学)の、安倍首相は「平和」概念の広さを利用して「狡猾」で、「アメリカのつくる『世界平和のあり方』、つまり軍事力介入をいとわない“平和”を前提」とするものだ、とのコメントを用いる。②都築勉(信州大教授・政治学)の「国際協調主義に基づく積極的平和主義」という意味ならば現行憲法の尊重で足りる、等のコメントを用いる。③坪井主税の、安倍首相国連演説の「積極的-」の英訳は「Proactive」だが、これは「『先攻的にやっつける』という意味にもとれ、日本が9条の平和主義を捨て、自衛隊という軍事力を行使する意志を示したととらえられてもおかしくない」とのコメントを用いる、など。
 結局のところ、第一には、安倍首相の憲法改正志向や「集団的自衛権」の政府解釈や「武器輸出三原則」見直しの志向を批判する、という前提に立って安倍が「平和」という概念を用いることに文句をつけて(矛盾するなどとして)「積極的平和主義」を批判しているのであり、従来かつ現在の朝日新聞の立場を反復するものにすぎない。第二には、安倍首相の「積極的」を「軍事力介入をいとわない」あるいは「先攻的にやっつける」という意味だと分析?して批判しており、ここには批判したさがゆえの歪曲または単純化が見られる。「積極的平和主義」とは「軍事力介入をいとわない」・「先攻的にやっつける」平和主義だ、との解釈は、かなりの特定・限定または歪曲を施した、批判しやすくするための概念理解に他ならないだう。「積極的」=「Proactive」は「先攻的にやっつける」という「意味にもとれ」とは、悪意に満ち満ちた理解だ。
 世界各地に見られる<非平和>状態・地域に関して、あるいは日本もまた直面している「平和」の危機に際して、今村優莉清水大輔はいかなる対応策あるいは政策・戦略を考えているのだろうか。軍事的要素に脊髄反射的な反発をするだけ、という「平和ボケ」の典型的な姿が、この朝日新聞の記事にも見られるようだ。
 ところで、朝日新聞のおそらくはまだ若い方の記者の署名入り記事をときどき読んで思うのだが、朝日新聞の若い記者たちは、若い間に<朝日新聞的>な主張・考え方に添った文章をどれほどうまく書ける能力があるかによって、上司に<勤務評定>されているのだろう。安倍晋三あるいは自民党を批判することは当然のこととして、それをいかに面白い観点からいかに洒落た文章で行えるかが試されているのだと思われる。朝日新聞社内で「出世」するためにこのようなことで競わなければならないとは、特定の政治団体に入ってしまったがための仕方がないこととはいえ、まことに可哀想で気の毒なことだと感じる。

 

1239/朝日新聞による「倒閣」運動としての特定秘密保護法反対キャンペーン。

 〇「政治結社」朝日新聞のヒドさは何度も書いたことで、それは、そもそもこのブログサイト開設の動機の重要な一つだった。
 月刊WiLL2月号(ワック)の山際澄夫「『秘密保護法反対』朝日のデマ報道」は近時の朝日新聞(正確には朝日新聞「等」)の「デマ報道」ぶりを社説等(大野博人の論説を含む)を引用しつつ具体的に指摘しており、資料的価値も高い。いくつか、紹介またはコメントする。
 ・山際も書くように、「一般人が特定秘密であることを知らないで情報を受け取っても処罰されることはない。暴行、脅迫。不法侵入、有線傍受などによって特定秘密を不正に取得した場合に限り、罪になる」(p.248)。しかるに、山際に依拠しておけば、朝日新聞10/26社説は「国民の知る権利」・「報道の自由」を制約し「その影響は市民社会にも広く及ぶ」と、同11/08社説は米軍基地・原発等の情報を得ようと「誰かと話し合っただけでも、一般市民が処罰されかねない」と書いた。
 処罰対象に「特定秘密」を知る(政府から業務委託を受けた会社従業員等の)民間人や上記のような態様でそれを不正に取得した民間人が含まれるのは確かだが、朝日新聞が書くように「影響は市民社会にも広く及ぶ」ことはないし、特定秘密に関心をもった「一般市民」がそれだけで刑罰を課されることはない。
 上のような朝日新聞社説は、意見・主張ではなく「デマ」の撒き散らしに他ならない。
 ・この欄でも既に書いたが、民主党政権時代の尖閣中国船衝突事件のビデオの「公開」に関する意見・姿勢と今次の朝日新聞のそれはまるっきり違う。山際が見出しとするように、「朝日、いつもの二重基準(ダブルスタンダード)」なのだ(p.248)。
 ・朝日新聞12/07社説は(私もデータ保存している可能性があるが山際に従って書くと)、12/06に成立した特定秘密保護法をかつてのドイツの全権委任法や日本の国家総動員法になぞらえ、この法律によって日本が「戦前」に戻るかのごとき主張をしている。
 また、朝日12/08の「天声人語」いわく-「国の行く末がどうなるか、考えるよすがもないまま戦争に駆り立てられる。何の心当たりもないまま罪をでっち上げられる。戦前の日本に逆戻りすることはないか」。これまた、「デマ」の撒き散らしだ。そして、悪質の<被害妄想>症に罹患している。あるいは、このような<被害妄想>をかりに一部でも本当に持っているとすれば、それだけの<やましさ>を朝日新聞が感じているのではないか、と推測することもできる。
 朝日新聞は日本の防衛・安全保障等に関する情報(特定秘密)を取得して、日本のそれらを害するように報道して「公開」したい、そして積極的にか結果としてか、「共産党」中国や北朝鮮に知らせたいのではなかろうか。いちおう疑問形で書いたが、<反日・売国>の政治結社・朝日新聞ならば、これらの疑いは肯定される可能性が十分にある。
 ・上のコラムはまた、この法律は日本版NSC設置と併せ、「その先」の武器輸出三原則の見直し・集団的自衛権行使容認という「安倍政権の野望」が成就すれば、「平和国家という戦後体制(レジーム)は終わる」と書いたようだ。
 「平和国家」なるものの厳密な意味を知りたいところだが、それはともかく、このような基本的な「思想・思考フレーム」は、戦前は悪、日本国憲法九条二項等をもつ「平和と民主主義」の戦後は善、その好ましい「戦後体制」を<保守・反動・好戦>勢力が終わらせ(そして悪しき戦前に逆戻りさせ)ようとしており、その先頭に安倍内閣・安倍晋三首相がいる、という、最近に紹介した刑事法学者・憲法学者等の声明等も抱いている、共通のものだろうと考えられる。
 いいかげんに覚醒せよ、と言いたい。そして、そのような「思想・思考フレーム」の種は元来はアメリカが作ったものであり、今日では客観的には「共産主義」中国の利益になる、あるいは中国共産党が喜ぶものであることを、知らなければならない。日本共産党(員)や朝日新聞社説子のごとき確信者または「嵌まった人々」以外のまだまっとうな「思想フレーム」に立ち戻ることのできる可能性がある人々はじっくりと、自らの現在の基礎的な<思想・思考フレーム>が適切なものであるかを疑ってみてほしいものだ。
 〇月刊WiLL同号の青山繁晴「『秘密保護法』全否定論に欺されるな」(p.76-)にも言及する予定だったが、割愛する。
 なお、青山繁晴が生出演してコメント等をする水曜日夕方の番組は毎回録画している。青山は、今年(2013年)の8月末にはその番組で、特定秘密保護法案の概要を紹介し、コメントしていた。8月末にすでに少なくとも自民党内において原案がほぼ確定していたのだとすると、10月末または11月初めに発売される月刊雑誌12月号において、スパイ防止法の機能もある程度はもちうるこの法律(案)の重要性・必要性について特集を組むか、そうでなくとも詳細な論考を掲載できたのではないか、と思われる。
 しかるに、10月末・11月初めに発売の月刊WiLLや月刊正論(産経新聞社)12月号は(そして翌月の1月号も)秘密保護法についてほとんど何も掲載しなかったのではないか。朝日新聞等による<大騒ぎ>を許し、安倍内閣の支持率を一時にせよ10%ほども減らした原因の一つは、<保守>メディア(および<保守>論者)のだらしなさにもある、と言ったら、言いすぎだろうか。

1234/朝日新聞はますますおかしくなってきた。

 一 随分と久しぶりに、いつのまにか隔週刊から月刊に変わっていたサピオ2014年1月号を買ったのは、「朝日新聞がますますおかしくなってきた」との特集を読みたかったためだ。
 その特集には慰安婦問題にかかる朝日新聞の責任を衝く西岡力、親中・親北朝鮮の問題性を指摘する井沢元彦の論考がまずあり、他に青山昌史が特定秘密保護法に対する朝日新聞の反対には「とにかく政府が何かを秘密にすることは許せない」という「一種の原理主義のような前提」があるなど等と指摘している。たしかに、朝日新聞は問題を<政府が国民に対する秘密をもつことが是か非か>という、「秘密」=悪というイメ-ジを利用しての、単純で抽象的なレベルに矮小化してしまっていた、ともいえる。但し、それは自民党・安倍内閣批判のためであって、同じ又は類似の内容の法案を民主党が提出してきたのだとしたら、間違いなく朝日新聞の対応は変わっていただろう。
 二 上掲誌には「本誌編集部」作成の「朝日新聞誤報』『虚報』ベスト10」が掲載されている(p.101)。以下のとおりで、より詳細な内容や朝日新聞の事後措置に関するコメントの部分は省略して紹介しておく。
 殿堂①1991.08.11大阪朝刊-「思い出すと今も涙/元朝鮮人慰安婦を韓国団体聞き取り、同②1992.01.11朝刊-「慰安所への軍関与示す資料/防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」ほか、1位1989.04.20-「サンゴ汚したK・Yってだれだ」、2位1950.09.27朝刊-「宝塚山中に伊藤律氏/不精ヒゲ、鋭い眼光”潜入の目的は言えぬ”」、3位2005.08.21朝刊・同22朝刊-「郵政反対派『第2新党』が浮上」「追跡/政界流動『郵便局守れだけでは』」、4位1959.12~1960.01-北朝鮮帰還事業に関する一連の報道、5位1984.08.05朝刊-「南京虐殺も現場の心情つづる/元従軍兵の日記、宮崎で発見」、6位1984.10.31朝刊-「『これが毒ガス作戦』と元将校/当時の日本軍内写真を公表」、7位1982.06.26朝刊-「教科書さらに『戦前』復権へ/文部省高校社会中心に検定強化『侵略』表現薄める」、8位2002.06.05朝刊-「ヒデ『最後のW杯』チームに献身」、9位1995.03.29栃木版-「地方分権の時代に逆行/石原前官房副長官に首長や県職員が選別」、10位2009.05.26朝刊-「核拡散北朝鮮の影、常に」記事中、「核兵器をめぐる現状」と題した世界地図〔台湾を中国の一部として色塗り〕、番外編①2012.11.21朝刊-「白川総裁、ゼロ回答/安倍構想『やってはいけない最上位』」、番外編②2013.09.08午前4時5分頃-2020年夏季五輪で「東京落選」。
 『誤報』又は『虚報』ではないのかもしれないが、特定の政治的立場に立った一定期間継続するキャンペーン報道についても、きちんと記録・年表に残しておいてほしいものだ。例えば、①2007年参院選前の反安倍内閣報道(消えた年金、政治事務所経費等)、②2009年総選挙前の「政権交代」煽動、③今次の特定秘密補保護法案反対報道・記事作成。
 三 朝日新聞の読者数を、その影響力を相当に落とさないと、安心して憲法改正、とくに現九条二項削除を、国民投票に委ねることはできないと、関係機関、関係者は心しておくべきだろう。

1230/特定秘密保護法反対の朝日新聞社説10-11月のいくつか。

 朝日新聞は特定秘密保護法の成立まで、ほとんど毎日のように法案に反対する社説を掲載し続け、同法案の問題点等を示唆・指摘する、いったい何事が起きたかと思わせるような「狂った」紙面づくりをしてきた。
 衆院通過後の朝日11/27社説は「国の安全が重要なのは間違いないが、知る権利の基盤があってこそ民主主義が成り立つことへの理解が、全く欠けている」とほざいている。この新聞はそもそも、はたして「国民の知る権利」に奉仕してきたのか?
 必要な情報をきちんと報道しないどころか、種々の「捏造」記事を書いて、日本の国家と国民を欺し、名誉も傷つけてきた。<従軍慰安婦>問題のニセ記事もそうだし、教科書の<近隣諸国条項>誕生のきっかけとなった、<侵略→進出書換え>という捏造報道もそうだった。2005年には本田雅和らが<NHKへの政治家の圧力>報道問題を起こした。尖閣・中国船衝突事件ではビデオを隠す政府側を擁護したことは先日に触れた。
 朝日11/12社説は「何が秘密かの判断を事実上、官僚の手に委ねるのが、法案の特徴だ。そこに恣意的な判断の入り込む余地はないか」と、奇妙なことをほざいている。第一次的には行政「官僚」が判断しないで、いったい誰が、どの機関がそれをするのか? 国会か、裁判所か、それとも朝日新聞社か。首相・内閣の指揮監督・調整をうけつつ関係行政機関の長が補助機関たる「官僚たち」の専門的知見を参照しつつ指定せざるをえないものと思われる。また、「恣意的な判断」についていえば、法律が行政権・行政機関に何らかの「権限」を授権する場合に、その権限の「恣意的」行使あるいは濫用のおそれはつねにあることで、この法律に限ったことではない。
 実質的に行政官僚が判断に相当に支えられつつ政治家でもある担当大臣等が「規制」権限を行使することとしている法律はおそらく千本以上ある。朝日新聞は、上の主張を貫くならば、そうしたすべての法律に反対すべきだ。幼稚なことは書かない方がよい。
 朝日11/26社説は地方公聴会での、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報が適切に公開」されなかった問題を指摘した意見を法案と関係があると擁護している。だが、この問題は、この社説のいうような、「危急の時にあっても行政機関は情報を公開せず、住民の被曝につながった」ということではないだろう。
 「SPEEDIの情報」の「公開」とは何を意味しているのか。朝日新聞が擁護し応援した民主党政権が、政府が<知り得たはずの情報を有効に利用(活用)できなかったことにこそ問題があったのであり、法案とはやはり無関係だったと考えられる。公開・非公開、秘密にするか否かではなく、政府内部で「非公開」でも「秘密」でもなかった情報を民主党政権が適切に利用できなかった、というのというのが問題の本質だっただろう。朝日社説は民主党政権の「責任」につながるような論点であることを回避し、強引に一般国民との関係の問題にスリカエている。
 朝日新聞がまともな新聞ではないことは、今次の報道ぶりでもよく分かる。結局のところ、あれこれの改正・改善がなされたとしても、いわゆる四分野、①防衛、②外交、③スパイ等の「特定有害活動」の防止、④テロ防止、について「特定秘密」を設ける法律は許さない、いかに個々の論点・問題点を指摘して、それらが解明または改善されれば問題がなくなったとしても賛成するつもりは全くない、というのが朝日新聞の最初からの立場だったと思われる。
 国会上程時の10/26朝日社説は「特定秘密保護―この法案に反対する」という見出しになっている。それ以降、報道機関ではなく、政治的運動団体として、その機関紙を毎日(地域によっては毎朝と毎夕)政治ビラのごとく配布してきたわけだ。朝日新聞(会社・記者)はおそらく、自分たちが<スパイ等の「特定有害活動」>という「反日」活動ができにくくなることを本音では怖れているのだろう。
 「反日」と共産主義に反対する政治家たちは、もっと勇気をもって、堂々と朝日新聞と対決し、同新聞を批判してもらいたい。

1227/「政治結社」朝日新聞に「国民の知る権利」を語る資格はない。

 一 特定秘密保護法成立。それにしても、逐一言及しないが、朝日新聞の騒ぎ方、反対の仕方はすごかった。「捏造に次ぐ捏造」がほとんどだったのではないか。秘密指定は行政が勝手に、などと批判していたが、では誰が指定するのか。戦前の治安維持法を想起させるというような記事か意見紹介もあったが、批判の対象を別のものに作り替えておいて批判しやすくするのは、「左翼」メディアには常套の、しかし卑劣な報道の仕方に他ならない。
 この数ヶ月、朝日新聞がこの法案に反対の記事等で紙面を埋めていたのは「狂って」いたかのごとくであり、かつ実質的には政治団体の機関紙だから当然ではあるが、この法案を支持する国民の声・意見をほとんど無視したという点で、じつは「国民の知る権利」を充足させないものだった。
 国会の議席数からして成立するだろうことは容易に予想できた。しかし、朝日新聞の意図は、あわよくばとは思いつつも、結局は安倍内閣に打撃を与えること、そして安倍内閣への支持率を減少させること(そして、次期衆院選挙・参院選挙の結果によって安倍内閣の継続を許さないこと)にあったと思われる。特定秘密保護法案に対する法的な・理屈の上での批判ではなく、相変わらず、<戦争準備>とか<戦前の再来>とかを基調とする紙面作りによって読者国民を欺き、反安倍ムードを醸成することにあったかと思える。
 本日報道されたNHKの1000人余をベースとする世論調査によると、安倍内閣支持率は10%下がり、不支持率は10%上がったとか。あの、朝日新聞の無茶苦茶な「反」ムードを煽る「捏造に次ぐ捏造」報道は、この数字を見るとかなり効いたようで、アホらしくもある。安倍晋三首相は「反省」の言葉も述べていたが、<マスコミの一部は…>という堂々とした批判をしてもよかっただろう。朝日新聞らの報道ぶりやデモに怯んだのか、与党・自民党の閣僚や議員にも朝日新聞らに対する反論をするのにやや消極的な面があったような印象ももつ。
 こんなことでは、いかなる手順によるにせよ、憲法改正(の国民投票)はとてもできない。今回すでに山田洋次や吉永小百合らの「左翼・映画人」が反対声明を出していたが、本番?の憲法改正(とくに現九条二項の削除と「国防軍」の設置)では今回以上に激しい<反対>運動が起こる(日本共産党や朝日新聞社が中心として起こす)ことは間違いない。心ある政治家・国会議員たちは、周到な<左翼・マスメディア>対策を(もっと)用意しておくべきだろう。
 二 朝日新聞は「国民の知る権利」や表現の自由・集会の自由を持ち出して<物言えば唇寒き時代の到来>とかの批判もしていたようだが、安倍内閣を批判することを目的とするレトリックにすぎない。何ら真剣な検討を必要としないものだ。
 朝日新聞が「国民の知る権利」を擁護・尊重する側につねには立たない<ご都合主義>の新聞であることは、以下のことでも明らかだ。
 2010年秋のいわゆる尖閣・中国船衝突事件の衝突の際のVTRは、当時においてかなり多くの海上保安官が観ていたようだが、今次の秘密保護法の「特定秘密」には当たらないと政府は答弁している。当時も、警察・検察当局は公務員法上の「職務上知り得た秘密」漏洩罪で逮捕せず、また起訴しなかった。
 しかし、当時の民主党内閣・仙谷由人官房長官はVTRを公にした一色正春を「犯罪者」扱いし、一色の気持ちは分かるが政府・上級機関の方針にはやはり従うべきだとの世論をある程度は作り出した。そして、一色は懲戒停職1年の行政的制裁をうけ、-この処分にもっと抵抗していてよかったのではないかと思うが-一色は依願退職した(おそらくはそのように余儀なくされた)。
 さて、「国民の権利」を充足させたのは一色正春であり、「中国を刺激したくないという無用な配慮から、一般への公開に後ろ向きだった」(読売新聞2010.11.06社説)のは当時の民主党政権だったのは明らかだと思われる。
 しかるにこの当時、朝日新聞はいったい何と言っていたか。2010.11.06朝日新聞社説はつぎのように書いた(一部)。
 「流出したビデオを単なる捜査資料と考えるのは誤りだ。その取り扱いは、日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な案件である。/それが政府の意に反し、誰でも容易に視聴できる形でネットに流れたことには、驚くほかない。ビデオは先日、短く編集されたものが国会に提出され、一部の与野党議員にのみ公開されたが、未編集の部分を含めて一般公開を求める強い意見が、野党や国民の間にはある。/仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない。/もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである。政府が隠しておきたい情報もネットを通じて世界中に暴露されることが相次ぐ時代でもある。/ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある。警視庁などの国際テロ関連の内部文書が流出したばかりだ。政府は漏洩ルートを徹底解明し、再発防止のため情報管理の態勢を早急に立て直さなければいけない。/流出により、もはやビデオを非公開にしておく意味はないとして、全面公開を求める声が強まる気配もある。/しかし、政府の意思としてビデオを公開することは、意に反する流出とはまったく異なる意味合いを帯びる。短絡的な判断は慎まなければならない」。
 この朝日新聞社説は「短絡的な判断は慎まなければならない」との説教を垂れ、「もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである」と言いつつも、「外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」と書いて、民主党内閣の方針を擁護し、政府の「非公開の方針に批判的な」者が「流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない」と、VTR公開者・情報流出者を批判したのだ。
 かかる当時の朝日新聞の主張は、今次の特定秘密保護法案に対する態度と首尾一貫しているか。「外交や防衛…など特定分野」には「当面秘匿することがやむをえない情報がある」という主張を、ここでいう情報は今次の「特定秘密」よりも広いと解されるが、最近の朝日新聞は述べていただろうか。「政府の意に反し、誰でも容易に視聴できる形でネットに流れたことには、驚くほかない」と上では書いていたのだが、このような「政府の意に反し」た情報の取材・報道が困難になる、不可能になる、今年の秋は狂ったかのごとく騒いでいたのではなかったか。
 別に驚きははしないが、2010年秋には「国民の権利」よりも「政府の意」の方を優先させていたことは明らかだ。この「ご都合主義」はいったい何だろう。政権が民主党にあるか安倍・自民党等にあるかによって使い分けられている、と理解する他はない。
 「国民の権利」も表現・集会の自由も朝日新聞にとっては主張のための「道具」にすぎず、政治状況・政権政党の違いによって適当に異なって使い分けられているのだ。
 以上の理解および批判に朝日新聞の社説執筆者等は反論できるか? <安倍批判(・攻撃そして退陣へ)>を社是とする「政治結社」の朝日新聞にできるはずがない。

1209/五輪東京誘致とテレビ朝日、式年遷宮における「御治定」・「御聴許」。

 〇前回に触れた、五輪誘致東京「敗退」との誤報を放ったのは、当日のライブだったテレビ朝日池上彰の司会の番組もそうだったようだ。

 池上彰に非難が当たっているようでもあるが、池上個人の問題というより、当該番組制作者、つまりテレビ朝日の制作責任者に原因があるように思われる。氏名は明らかではない当該人物は自分の判断で、または朝日新聞社のツイッターを見て、すぐさま、その旨を書いた紙(カンペというのか?)を池上に見せたのではあるまいか。その誘導に乗って池上の発言になったのではなかろうか。
 池上彰を擁護する気持ちはなく、中途半端な人物だと思っているが、池上よりもテレビ朝日のミスならば十分に考えられる。なぜなら、テレビ「朝日」だからだ。上記の「朝日」関係の人物も、東京誘致が失敗すると面白い、と考えていたのではないか。

 ついでながら、NHKのテレビ放送を見ていて、決定後の座談会において、安倍首相の発言への言及がまったくかほとんどか、なかったのは印象的だった。安倍首相のプレゼン発言で決定的になった旨の外国の報道もあったようだが、わがNHKはそんな旨での報道をしなかった。逆に、安倍首相発言は「正確」なのか、という朝日新聞や毎日新聞等(系列テレビを含む)がのちに問題にしている論点にもまったくかほとんど触れていなかったのだが。

 〇9/11のエントリーで式年遷宮に言及した。その中で、つぎのように書いた。

 「遷宮の細かな準備日程は今上天皇の『許可』(正式用語ではない)にもとづいているように、伊伊勢神宮の式年遷宮とは実質的または本質的には天皇家の行事に他ならない。」

 前段の「許可」という用語および後半の意味について付け加える。
 最もあたらしい伊勢神宮のHPは、次のように知らせる。
 「天皇陛下には第62回神宮式年遷宮の遷御を執り行う日時を以下の通り御治定(ごじじょう・お定め)になられましたのでお知らせいたします。/遷御の儀は大御神様に新しい御殿へお遷り願う式年遷宮の中核となる祭典です。
  【 遷 御 】

 皇大神宮    10月2日(水)  午後8時

 豊受大神宮   10月5日(土)  午後8時」

 ここでは「御治定」という言葉が使われている。最終的な「遷御」の日時は今上天皇陛下が定めるのだ。

 また、同HPの2005年1月1日更新は次のように伝えていた。
 「神宮の最大の祭りである式年遷宮の本格的な準備が、平成16年4月5日、天皇陛下の「御聴許」(お聞き届けいただくこと)をいただき、進められています。/神宮における祭祀の主宰者は天皇陛下です。式年遷宮をおこなうにあたっても、その思し召しを体し、神宮大宮司の責任で遷宮の御準備が進められます。平成16年4月5日、陛下から正式にお許しを戴き、その後設置された各界の代表で構成する大宮司の諮問機関「遷宮準備委員会」の答申に基づいて本格的な御準備が進められています。一方、遷宮諸祭については今春(平成17年春)の山口祭(やまぐちさい)・木本祭(このもとさい)にはじまり、9年間に約30回にも及ぶ諸祭行事が行われ、主要な12のお祭りの日時は、天皇陛下のお定め(御治定・ごじじょう)を仰ぐことになっています。」

 遷宮の本格的準備が、ほぼ10年前の2004年4月の今上天皇の「御聴許」にもとづいて進められていた。この「聴許」という用語を先日は思い出せなかった。但し、「主要な12のお祭りの日時」は、「御聴許」ではなく、「御治定」によるようだ。厳密な違いは私は知らないが、対象からして、おおよその違いは分かる。
 より重要に思えたのは、神宮(伊勢神宮)自体が、「神宮における祭祀の主宰者は天皇陛下です」と明言・公言していることだ。
 これからすると、先日のように「実質的または本質的には」と限定を付す必要はなかったようだ。遷宮とは天皇陛下が「主宰」者として行われる神事なのだ。但し、後日に天皇・皇后両陛下が参拝されるが、当日は東京・皇居から定められた時刻に「御遙拝」される。直系で皇位継承第一位の皇太子殿下もそのはずだ。

 一方、その他の皇族の一部の方々は、当日に伊勢の現地で式典に参加されるか、見守る、ということをされるのではないか。曖昧なことは書けないので、より正確な情報ソースを参照していただきたい。
 ところで、天皇陛下のこのような伊勢神宮への強い関与は、<私事>・<私的行為>だからとして許容されていることになっている。このような説明は、先日に書いたように、奇妙だ。

 天皇陛下は憲法で明記された国家の一つの重要な「機関」のいわば担当者に他ならないが、そのような天皇陛下の伊勢神宮への強い関与を、誰も、朝日新聞も、「政教分離」違反とは言わない。「左翼」をけしかけているわけではない。じつに奇妙で不思議なことだと、常々感じているだけだ。 

1208/2020東京五輪-やらせたくなかった朝日新聞と利用したい中国共産党。

 日本時間で9/08の午前5時すぎ、2020年の五輪開催都市が日本の東京に決定した。

 関西テレビの夕方の「スーパーニュース・アンカー」は、青山繁晴出演の水曜だけ録画しているのだが、9/11の青山の発言・指摘は興味深くかつ重要だった。他にもあるが、二点だけ取りあげておく。

 第一。最下位都市除外するための第一回投票において、たまたま第二・第三の得票数の都市が同数であったためその二都市の名だけが公表され、東京の名前が出なかった。私は仕組みを知っていたから、東京が落選したものとは思わなかった。
 だが、東京敗退という誤報を打った報道機関があったらしい。一つは、中国の国営新華社通信、もう一つは朝日新聞社のツイッター。朝日新聞は1分程度のちに訂正はしたらしい。青山繁晴が朝日新聞の関係者に電話するとその者はともかく、朝日新聞社内には、<2020五輪を東京でやらせたくない>雰囲気があった、ようだ

 中国はともあれ、朝日新聞のことは重要だ。なぜ、やらせたくないのか? それは、東京招致の成功は安倍晋三や安倍内閣にプラスに働くからに決まっている。朝日新聞としては、東京敗退=誘致失敗により、安倍首相や(朝日新聞がケチをつけた)高円宮妃殿下のわざわざの南米訪問・プレゼン参加にもかかわらず敗れたと大いに騒いで、安倍政権に打撃を与えたかったのだろうと思われる。

 気分だけではなく、経済・雇用・観光等の面で五輪開催は日本と日本人にとってプラスに働くだろう。それを、そう思わない、歓迎しない、東京で五輪をやらせたくないと考える新聞社はいったいどこの国の、社員の大多数がどの国の国籍をもつ新聞社なのだろう。

 朝日新聞社としては、<安倍晋三の葬式は再びウチで出す>と少なくとも幹部の内心では、考えているに違いない。
 現実化・保守化しているという論評もあるが、信じられない。朝日新聞の報道姿勢が広告主の大幅な減少を導き、経営自体に支障を生じさせかねないという事態になるまでは、彼らはその本質を変えることはないと思われる。テレビに顔を出す星浩らは、東京誘致成功を本心では喜んでいないのだろう。

 第二。中国の尖閣侵略と五輪東京開催との関係の方がより重要だ。中国の政府系環球時報9/09付は、円滑で安全な東京五輪開催を目指す日本政府は日中の「武力衝突を避けるため、低姿勢をとらなければならないだろう」と書いたらしく、日本側にも中国は尖閣侵略(武力による実効支配)を「早めるおそれ」がある、という見方があるらしい。
 要するにこういうことだ。中国は尖閣諸島を中心とする「地域紛争」を発生させる。これが武力や実力衝突を伴うものである場合、東京五輪の準備や開催に支障が出てくる可能性がある。中国が狙っている一つは、日本がアジアで初めて夏期五輪を二度も開催することを妨害したい、東京五輪を中止に追い込むことだ。

 東京五輪が中止にならなくとも、日本政府が同開催のために「低姿勢」になる、つまりは中国による武力行使・実力による実効支配の試みに対して、自衛隊等を使っての「武力」による自衛=領土の防衛に「弱腰」になる。そうすると、円滑に東京五輪を開催したい日本政府の意向を逆手に取って、尖閣諸島を武力行使をして「奪う」ことができる。これが中国が狙っているもう一つだ。

 上のどちらか一方でも達成できれば、中国としては<うまくやった>ことになる。
 以上は、青山発言や番組内容の忠実な紹介ではなく、この欄の私の解釈・理解によって言葉や表現を変えている。但し、基本的な「論理」自体としては、青山は上のような趣旨を述べていた。
 青山繁晴の言っていたことは基本的に適切なのではなかろうか。<対中国危機のもとでの2020東京五輪>と言わなければならないだろう。
 自衛隊の戦力は、尖閣を防衛する日本国民の意識は、そして国防軍設置のための憲法改正は、あるいは「日米同盟」は、2018年頃までに、ということはあと5年しかないが、どうなっているだろうか。むろん、中国内部での変化の可能性もなくはない。
 かつて1988年ソウル五輪の開催を北朝鮮は爆弾を使ってでも妨害しようとし、実行に移した。脳天気で「お人好し」の大多数の日本人が想定できないようなことを考えている国が外国にはある(それに呼応しかねない日本人・日本のマスコミも存在する)、ということを知っておく必要があるし、まともなマスコミは、テロによる妨害を含むあらゆる危険性について、きちんと警鐘を鳴らしておくべきだ。

1178/中国共産党機関紙「人民日報」5/08論文と朝日新聞。

 中国共産党機関紙「人民日報」は5/08に沖縄(琉球)が日本に帰属することを疑問視する論文を掲載したらしい。沖縄は日本が「侵略」して獲得したのだと何かを読むか(NHK番組を?)観て「大発見」をしたかのように感じた「左翼」連中はかかる中国共産党の動きを当然視するのかもしれないが、ケヴィン・メアがしばしばテレビで発言していたように、中国は尖閣諸島などという小さな部分ではなく、いずれは沖縄(本島を含む諸島)を「取り」に来るだろうということの明確な兆候だ。
 予想されていたとはいえ、重要なニュ-スであるに違いなく、遅くとも5/09には各新聞は報道したのだろう。但し、NHKがこの「人民日報」5/08論文の件を報道したかどうかは定かではない。少なくとも重要ニュ-スとしては伝えなかったと思われるが、かりにスル-させたのだとすれば、NHKの決定的な「偏向」・「反日」姿勢を明らかにするものだ。
 さて、5/10の読売新聞・産経新聞の社説はこの論文にうかがえる中国共産党そして中国政府の姿勢を厳しく批判している。
 読売は、「沖縄の『領有権』/中国の主張は誇大妄想気味だ」と題する社説のほか、毛沢東はかつて沖縄は日本領土であることを前提とする発言をしていた旨の別の記事も載せている。
 朝日新聞、毎日新聞はどうだったか。
 朝日5/10社説は「歴史認識-孤立を避けるために」、「裁判員ストレス-証拠の調べ方に配慮を」の二本で、前者は韓国・パク大統領が米国という第三国の首脳の前で日本を批判したことにつき「それほど日本への不信感が強いということだろう」と書いて擁護するとともに「安倍政権の責任は大きい」などと書いてホコ先を安倍内閣に向けている。論文のことを知ってはいるのだろうが、中国の沖縄領有姿勢に対する危惧・懸念など全く示していない。大きな問題ではないと考えているとすれば、その感覚は麻痺しており、相も変わらず中国政府代理新聞・中国エ-ジェント新聞であることを示している。

 毎日新聞の社説は「東アジアFTA-自由貿易圏を広げよう」、「弁護士の不祥事-身内に甘い体質を正せ」の二本で、やはり中国・沖縄問題を扱っていない。第二朝日新聞という位置づけでやはり間違いないのだろう。
 沖縄問題を(沖縄「県民」の立場で)頻繁にとり挙げているくせに、中国共産党が「示唆」している沖縄にかかる、基本的な領土問題を扱わないとは、朝日新聞とともに異様な感覚だろう。
 かくして、憲法問題も参院選挙も、読売・産経対朝日・毎日に象徴される、国論を大きく二分した闘いになるのだろう。前者が勝利しないと(相対的にであれ多数国民に支持されないと)、日本の将来はますます悲観的なものになりそうだ。

1177/日本共産党と朝日新聞の「盟約」関係。

 〇5/09の衆議院憲法審査会で日本共産党の笠井亮は、憲法は国家を<縛る>ものだ(ときどきの政権の都合で変えてはいけない)とか、現96条の要件の緩和は<憲法を法律なみに>するものだとかと述べて、同条の改正に反対したらしい。
 テレビでその部分を観ていて、朝日新聞の社説とほとんどと同じことをほとんど同じ表現で述べていると思った。朝日新聞論説委員・社説子の中にも共産党員や確信的な共産党シンパがいるだろうが、少なくとも憲法改正問題に関して、日朝同盟ならぬ<共・朝盟約>が実質的に成立しているものと思われる(もう一つこれに参加している重要な仲間が、出版界の岩波書店だ)。

 朝日新聞5/09朝刊の二面右上には日本共産党を実質的には「応援」としていると読める記事があった。朝日新聞は日本共産党を<無視>することは決してしないのだ。
 NHKも中立をいちおうは装おうとしながら、憲法(96条)改正に反対の方向で報道することに決めているかに見える。その具体例は逐一挙げないが、5/03の憲法記念日の集会に関するニュ-スでは護憲派(憲法改正反対派)の集会の方を先に取りあげていた。
 この問題が参議院選挙の結果にどのような影響を与えるのかは、私には分からない。だが、朝日新聞やNHKが護憲を明確にしているとなると、改憲派(自民党・日本維新の会・みんなの党)が参院で2/3以上を獲得するのは決して容易ではないと見ておくべきろう。
 なお、私は96条の要件の緩和に反対ではない。まずは96条の改正をしたらどうかという案をこの欄に6年前に記したことすらある。

 但し、改正発議要件の2/3か1/2かという問題は、単純な理屈で決せられるものではないだろう。一義的に是非が判断できる問題ではないと思われる。となれば、96条改正のために2/3以上が獲得できるということは、現9条2項の削除等のためにも2/3以上を獲得できることとたいして変わらず、現行改正規定のままで(むろん両院で2/3以上を獲得して)、一挙に9条2項の削除・国防軍設置等の改正を発議した方がよい、あるいはてっとり早い、ような気もする。
 96条の要件の緩和にあえて反対はしないものの、反面では、例えば現憲法の第一章「天皇」の削除が現在よりも簡単に発議されるような事態が生じることも怖れてはいる(日本共産党は96条改正に反対しているから、現時点では「天皇制度」解体のために国会各議院の議員総数の過半数を獲得する自信を持っていないのだろう。だが、日本共産党が他「左翼」政党とともにそれが可能だと判断するときがくると、96条の要件が緩和されていることは怖いことでもある)。

 〇橋下徹護憲派ほどうさんくさいものはない。護憲派の人たちは、今の憲法が絶対的に正しいと思っている」、「『(憲法に対する異なる)価値観を強要しないで』と言いながら(今の憲法が正しいという価値観を)ばりばり強要している」と護憲派を批判したらしい(5/09記者会見)。

 改憲派である「保守派」の論者の一部の長い文章などよりも、はるかに分かりやすい。

1176/朝日新聞5/3のデマ社説。朝日の「謀略」にご用心。

 6年前の5月初め、第一次安倍内閣のころ、まだ「消えた年金」問題も「事務所経費」問題もマスコミでは大きくはとり挙げられていなかった。現役農水大臣の自殺もまだなかった。
 5月に入ってから、間違いなく7月参院選挙を見越して、「左翼」マスコミは、安倍晋三・自民党に不利になるような報道をし続けた。当時の雰囲気をまだ憶えているが、産経新聞が「何たる選挙戦」と銘打つ連載をするほどの<謀略的>な報道が朝日新聞を筆頭になされた(産経新聞記者の中にも山本雄史のように、選挙後に、自社の報道姿勢に疑問を示し、明らかに当時の主流派マスコミの影響を受けた記者ブログを書いていた者もいた)。
 現時点において、朝日系のマスメディアは何とか安倍晋三又は安倍内閣の問題点を必死に探しているように見える。そして、国内や外交にかかる新内閣の新しい政策運営も、できるだけ<褒めない>・<粗探しをする>、あるいはまだ結果は分からないと<冷笑する>といった姿勢・感覚で対応しているようだ(報道ステ-ションもそういう観点から観る面白い)。

 もとより朝日新聞は「護憲」派・憲法9条2項削除大反対派の代表だが、この憲法問題、正確には安倍・自民党がとりあえず提唱している現憲法96条・憲法改正条項の改正の是非に焦点をあてて、来る参議院選挙の争点化し、この点を強調して少なくとも自民党等の「右派」勢力の伸張を阻止する、という「政治」運動方針を固めたかに見える。もとより、別途のスキャンダル探しは執拗になされると思われるが、この憲法改正条項改正問題に適切に対応しないと、6年前と同様に朝日新聞らの「左翼」マスメディアの<謀略>に負けてしまう怖れなしとしない、という恐さがある。
 朝日新聞の5/3社説「憲法を考える/変えていいこと、悪いこと」は誤り・デマに満ちており、朝日新聞の<謀略的>情報戦略の重要な一つだと思われる。
 あまりにヒドいものなのだが、憲法問題をよく知らない読者を<騙す(ダマす)>可能性が十分にある。以下、しごく当然のことを書いて、ウソ・デマの存在を指摘しておく。
 第一。①冒頭に「国民主権や基本的人権の尊重、平和主義など」は憲法上の「決して変えてはならない」もので、これらの「普遍の原理は守り続けなければならない」、とある。②途中の4段目に同趣旨で、基本的人権の保障のほか「国民主権と平和主義を加えた『三つの原理』の根幹は、改正手続によっても変えられないというのが学界の多数説だ」、ともある。
 朝日新聞の社説子よ、バカも休み休み言いたまえ。

 1.「平和主義」の定義または説明がない。具体的に現憲法のどの条項に表現されているのかをおそらくは意識的に曖昧にしている。

 2.そしてまるで安倍晋三・自民党らの改憲派が「平和主義」を<変えよう>としているかのごとき印象を与えようとしているようだが、そのための正確なまたは実証的な根拠の提示・説明はどこにもない。自民党憲法改正案は現9条1項は現行のままそのまま残そうとしているのであり、そのかぎりで、十分になお「平和主義」を遵守している。改憲派が「平和主義」を壊そうとしている、というのは悪質なデマだ。
 3.そもそもが現憲法の「原理」を上記の三つに整理するというまとめ方自体が決して「学界の多数説」ではないし(そのように単純に書いている樋口陽一の概説書もあるが、彼の著作のすべてに見られるわけでもない)、ましてこの三原理は改正できないというのは(「平和主義」の具体的意味内容を明確にしていない重大な欠陥があることは上記のとおりだが、それを別としても)「学界の多数説」では決してない。これら二点ともにこの欄でかつてかなり詳しく言及したことがある。9条1項だけではなく9条2項もまた「変えてはいけない」、すなわち憲法改正権の限界の一つだとする学説は一部にあるのはたしかだが、決して通説または多数説ではない。朝日新聞社説子は憲法学研究者なのか、そうでなければ一体誰の本を読んで、上のような
「デマ」を平気で堂々と書いているのだろう。
 第二。途中に、「自民党などの改正論」は現96条の「3分の2」を「過半数」に引き下げようというものだが、「これでは一般の法改正と同様に発議でき、権力の歯止めの用をなさない」、とある。
 朝日新聞の社説子よ、バカも休み休み言いたまえ。
 96条が要求している国会議員の「3分の2」以上は国民に対する<発議>の要件であり、(天皇の公布行為を別にすれば)国民投票による国民の「過半数」の承認によって初めて憲法改正が成立する。
 これに対して「一般の法〔法律〕改正」の場合は国会議員の「過半数」のいわば承認だけで「一般の法〔法律〕」として成立してしまう。法律制定や改正の場合は国民投票は必要がない。
 このような重要な決定的な違いをおそらくは意識的に曖昧にしたまま、憲法を法律と同じように扱うものだ、という批判を96条改正派に対して加えているわけで、容易に知りうる違いを無視した、悪質なデマだ。
 なお、付け加えれば、一般的な法律の場合は各議院議員の「出席議員」の過半数の賛成で成立するが、96条による憲法改正「発議」の場合は各議院の「総議員」数が母数になる。
 こんな違いは簡単に分かるものだ。にもかかわらず、朝日新聞社説子は、完全に無視して、改正派は<憲法を法律なみに引き下げようとしている>と論難している。これを<デマ>と言わずして何と言おうか。
 朝日新聞が「政治」結社に他ならないことはとっくに分かっている。そうであったとしても、デマによらず、もう少しはまともな議論をしたらどうか。
 なお、ついでに、朝日新聞5/3の第一面の「座標軸」は欧州では国家「主権」の一部を欧州連合に譲渡しようとしているのに、国家「主権」になおこだわる日本は遅れている、といった趣旨の「論説主幹・大野博人」の文章がある(匿名でない点は「社説」よりはよい)。これは欧州と東アジアの歴史的経緯や文化的背景の差異を無視した謬論だ。
 もともと「国家(主権)」を軽視したい「左翼」朝日新聞論説委員ならではの記述とも言えるが、<自主憲法なくして真の主権回復はない>とする改憲派の主張を批判または揶揄するために欧州の例を持ち出すのは、スジが悪い、あるいは的外れだ。
 以上で今回は終えるが、朝日新聞を筆頭とする「左翼」=親コミュニズム(だからこそ親中国でもある)の、日本を(<右傾化>ではなく)「正常化」、「健全化」しようとする勢力・人々に対する<謀略的>攻撃・<デマ宣伝>にはくれぐれも用心しなければならない。6年前のことを決して忘れてはならない。

1172/中韓御用新聞・朝日。

 朝日新聞4/26社説がやはり奇妙なことを書いている。
 「靖国と政治―静かな参拝のためには」と題して、「閣僚や国会議員が大挙して参拝」したことが遺族や国民の「静かな参拝」の場を奪ったと論難している。
 だが、中学生でも容易に分かる論理だと思うが、「閣僚や国会議員が大挙して参拝」したことではなく、「近隣国」がそれにそれに「反発」したことが「静かな参拝」ではなくした最大の原因なのではないか。あるいは少なくとも、静かではない<騒ぎ>は、双方に原因がある、と見るのが<公平な>評価なのではないか。そうした論理的可能性をまったく無視しているのが、さすがに、日本(とくに朝日新聞のいう「右派」)を悪者扱いし、中国・韓国の<騒ぎ立て>についてはそれを当然と考えているらしき、「左翼」・中韓御用新聞である朝日新聞だ。
 その他、いくつかの主張・叙述にも疑問がある。
 朝日新聞社説は「参拝して近隣国の反発を招いた…」とか過去のことを書いているが、反発をしているのは今回も含めて中国・韓国・北朝鮮であり、かつて日本軍が「侵攻」したフィリピン、ベトナム、タイ、マレ-シア、インドネシア等(の政府)が「反発」したとは聞いたことがない。
 あらためて書くのもバカバカしいが、中国・韓国・北朝鮮の三国を「近隣」諸国等とか称して、アジア全体あるいは世界全体であるかのごとき印象を与えようとしているのは、一種の詐術だ。中国・韓国・北朝鮮の三国「だけが」と正確に書きたまえ。
 つぎに、この社説は「戦前」という語を何度か使っているが、その「戦前」とは明治期を含むものか、昭和の「戦前」に限っているのか判然としない。前者の明治維新以降すべてを含んでいるように解されるものもあれば、昭和に限っているように解されるものもある。「歴史」を語るなら、いま少し正確または厳密な説明をしたうえで「戦前」を語りたまえ。
 「戦前の歴史を正当化」することを非難し、「私たちは社説で、首相や閣僚の靖国参拝に反対してきた。日本が過去の過ちを忘れ、こうした歴史観を後押ししていると国際社会から受け止められかねないからである」とヌケヌケと、あるいは堂々と書いてもいる。こんな新聞が日本国内にあるから、中国・韓国・北朝鮮の三国も安心して<騒ぎ立て>ることができるのだ。あるいは、朝日新聞等が<騒ぎ立て>ることによって、三国の<騒ぎ>を大きくしているのだ。

 さらに、「首相や閣僚による公式参拝は、憲法の政教分離の規定からみても疑義がある」と書いている。

 この欄で再三指摘したことだが、それならば、1月4日ころに民主党政権の首相も行った、そして今年は安倍首相が行った、伊勢神宮参拝も「憲法の政教分離の規定からみて…疑義がある」ことになるはずだ。正月の首相・閣僚の神道・伊勢神宮参拝を批判しないでおいて、神道・靖国神社参拝は「憲法の政教分離の規定からみても疑義がある」とは、よくぞ言えたものだ。バカバカしい。いずれにせよ、朝日新聞社説子の頭の程度はこんなものだとあらためて確認し、まだなお多くの国民がこの新聞を読んでいることに戦慄を覚えざるをえない。

 なお、「静かな参拝」が妨げられたのか自体についても疑問とする余地があるだろう。そのように感じているのは、朝日新聞社説子等の特定「左翼」分子だけである可能性がある。

1169/朝日新聞4/11天声人語の「法的」素養の欠如。

 朝日新聞4/11朝刊の天声人語がエラそうに、じつはアホなことを書いている。
 自民党の憲法改正案を皮肉り、それとの比較で橋下徹の見解を「常識的な見解」と持ち上げる過程で、次のような馬鹿な言辞を吐いている。
 「憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの。向きが逆さになる。」

 このあとこの旨を「憲法99条が象徴的に示している」と続けているのだが、憲法99条のどこに「法律は国家が国民を縛るもの」という趣旨が含まれているのか。
 そもそも「法律は国家が国民を縛るもの」という理解が間違いであり、戯けた言辞だ。
 法律は議会(立法権)が制定し、国家の中の行政権と司法権を拘束する(「縛る」)もので、第一次的機能は「国民を縛る」ものではない。行政権の諸活動や司法権(裁判所)の判決を拘束する(「縛る」)ことこそが、憲法に違反していないかぎりでの法律の本質的な機能だ。行政は「法律を誠実に執行」しなければならず、司法(を担当する裁判官)は憲法と良心のほか「法律」にのみ拘束される。

 天声人語執筆者はそのお好きな日本国憲法の73条1号と76条3項を読んでみたらどうか。

 なるほど法律は直接に特定の又は一定範囲の国民を拘束する(「縛る」)ことがあるが、それはその他のもしくは別の一定範囲の国民の利益を、又は社会公共の利益を守るためのものだ。
 「法律は国家が国民を縛るもの」と書いてしまう天声人語執筆者は、いったい何のために縛っているのか考えたことがあるのか。

 刑法は(特定の、又は特定行為をする)国民を縛っていると言えるかもしれないが、どの刑法入門書にもそれは「個人的」・「社会的」または「国家的」法益を守るためのものだと書いているはずだ。また、罪刑法定主義によって、法律の定めによらない(国家=裁判所による)刑罰の賦課を阻止しようとしている点をとらえれば、刑法という法律は当然に国民を守る重要な機能を持っている。

 民法はどのように、いかなる意味で「国民を縛るもの」なのか。朝日新聞・天声人語執筆者は具体的例を挙げてみるがよい。きっとできないだろう。基本的には、民法は国民相互の権利義務に関する紛争を解決するための、司法権(裁判所)を拘束する裁判規範として機能するものだ。決して単純に「国民を縛るもの」ではない。
 個々の行政法規は、直接に(民法とは違って国民が出訴しなくとも)行政権・行政機関を拘束するものだ。国民を拘束する命令等を行政機関に授権することもあるが、法律がないかぎりで国民を拘束する命令を出せないという意味では、国民を守っている。またそもそも例えば生活保護法という法律のように、国民に「権利」を付与するもので、決して「国民を縛るもの」という性格づけをできない法律も少なくない。
 議会(立法権)は他の二権と違って国民により選出された議員により構成されているので、むしろ議会制定法=法律は、国民代表が司法権と行政権を「縛る」ものだ、と言える。お分かりかな? 朝日新聞、天声人語殿。
 天声人語が「憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの。向きが逆さになる。」などというバカげたことを書いているのは、日本のマスメディアの知識レベルの低劣さを示す典型でもあろう。
 憲法改正に関する議論でも、日本のマスコミが産経新聞も含めて、いかほどに適切な記事や論評を書いたり、議論を展開させることができるのか、はなはだ疑わしいと思っている。何しろ、<よりよい・よりマシな憲法を>という問題意識を欠落させたまま、長い間眠り続けてきた日本人を作りだし、その
先頭に立ってきたのは、朝日新聞を筆頭とする日本のマスメディア(に従事する天声人語子等)に他ならない。
 産経新聞ですら、改憲の必要はしばしば訴えてはいるものの、具体的な諸論点についての「法的」な理解は心もとないところがある。護憲派の朝日新聞・毎日新聞となるとなおさらだ。「法的」素養の欠如は、4/11朝日新聞・天声人語が見事に示してくれている。そもそも朝日新聞・天声人語に、憲法や法律に関する(以上では言及を省略したが)「そもそも」論を述べる資格はない、というべきだろう。

1166/資料・史料ー橋下徹対週刊朝日・朝日新聞再燃?

 週刊朝日の最近号(4/02発売号?)の一記事が再び橋下徹を刺激したようだ。ほとんど「資料・史料」扱いだが、以下に関連橋下徹ツイ-トを全文引用しておく。
 橋下徹には大いに週刊朝日と、そしてとりわけ、背後にいる、昨秋には第三者委員会の見解を紹介しつつ、自らは「深刻に受け止めている」とだけ述べ、厳密には橋下徹に対する「詫び」・「謝罪」の言葉をひとことも語らず、「深刻に受け止め」今後はもっと巧妙に橋下徹を非難・攻撃しますと内心では思っているのではないかと勘ぐることすらできる朝日新聞社と対決し、これらを攻撃してもらいたい。
 ただ、主観的意図を疑問視はしないが、ツイッタ-での表現方法には十分に気をつけてもらいたい。大丈夫だろうとは思うが、校正・推敲しないままで書きなぐっているとみえる文章が思わぬ致命的な誤りや言葉使いを含んでしまう可能性がないとはいえないだろう。
 せっかくの人材・逸材なのだから、つまらないミスで退場しなければならなくなるようなツイッタ-文章にならないように、公人・政治家の橋下は(周囲に人物がいるとすればその人物も)十分に気をつけてほしいものだ。
 2013年04月05日夜ツイ-ト

 「しかし週刊朝日も頭が悪いと言うか常識がないと言うか。こいつらは自分たちがやったことの反省と言うものがないのかね。自分たちは重大な人権侵害をやったにもかかわらず、半年やそこらでもう忘れているようだ。」
 「週刊朝日が僕に対して重大な人権侵害をやったのはつい半年前。そのことで公人チェックを緩める必要はないが、せめてそのような大失態をやったなら、真正面からの政策批判かルール違反行為の追及で攻めて来いよ。それを、こんな人をバカにしたような記事を載せやがって。」
 「5年も知事と市長をやってたら飽きられるのも当然だし、だいたい視聴率とるために知事や市長になったわけではない。自分でやらなきゃならないと思ってやっていることを、メディアが報じているだけだ。飽きられても結構毛だらけ。行列やたかじんのNOマネーに出たことを週刊朝日はちゃかしている。」
 「俺が知事になって今があるのは、行列のおかげだし、たかじんさんのおかげでもある。たかじんさんが復帰したと言うことで番組に伺って何が悪い。週刊朝日な、いい加減にしろよ。重大な人権侵害雑誌よ。こっちも公人だから公人チェックまでは否定しない。それでもやり方ってあるだろ。」
 「重大な人権侵害雑誌の週刊朝日よ、真正面からの政策批判か、ルール違反を追及する記事で勝負しろよ。だいたいお前らの100%親会社の朝日新聞は、日本の過去の歴史についてとにかく謝り続けなさいと、素晴らしい徳性に基づいて主張しているじゃないか。子会社の週刊朝日は社訓になっていないのか?」
 「僕は報道の自由を尊重する。民主主義の根幹だからだ。公人チェックの重要性を承知している。一度人権侵害を受けたからと言って、週刊朝日の僕に対するチェックを否定するつもりはない。それでもやり方ってあるだろ。真正面から来いよ。」
 「だいたい週刊朝日は、僕に対する人権侵害記事で、その号の部数を大幅に伸ばして利益を増やした。重大な人権侵害行為で儲けているんだ。普通だったら贖罪寄付をするが、どうしたんだい、人権侵害週刊朝日よ。まさか従業員の給料に回したんじゃないだろうな。」
 「報道の自由、表現の自由が民主主義の根幹だからと思って黙っていたが、こういう人権侵害週刊誌は、性根が腐っている。黙っていたら調子に乗るばかりだ。公人になってから報道の自由は絶対的に尊重していたが、こりゃダメだ。人権侵害週刊誌の週刊朝日に対して法的手続きを執ります。」
 「今回の茶化し記事についてではないです。過去の人権侵害記事について、民事、刑事の法的手続きを執ります。ほんと週刊朝日もバカだよねえ。」

 2013年04月06日朝ツイ-ト

 「週刊朝日は何を考えているのかね。そしてあの人権侵害記事をどう考えているのか。呆れるばかりだ。週刊朝日から市役所に面会申し入れが来た。誰が会うかバカ。僕はそんな暇人じゃない。報道機関だからと言って調子に乗るな。民主国家のルールで週刊朝日のやったことがどういうことがはっきりさせてやる。」
 「週刊朝日が社長を更迭し、僕に謝罪に来たが、それで僕が呑み込んだと言うことがどういうことが、あのバカ集団は分かっていないらしい。普通なら、慰謝料請求が当たり前だろう。僕は呑み込んだつもりだ。しかし請求権を放棄したわけではない。事実上、黙っていただけ。」
 「週刊朝日も終わっているね。事態が全く分かっていない。週刊朝日がとりあえず反省の姿勢を示したので、公人と言う立場から黙った。週刊朝日は自分の立場が全く分かっていない。報道機関だからと言って特別な地位にあるとでも思っているのか?あれだけのことをやって全てがチャラになると思っているのか。」
 「普通は配慮するだろう。ただ、僕も公人。あのような人権侵害があったからと言って、公人に対する正当なチェックまで否定しようとは思わない。ところが、週刊朝日のバカは、おちょくった記事を書いてきた。社を挙げて、半月前に頭を下げてきたあの日の事をもう忘れたか
 「報道機関だからと言って調子に乗るんじゃない。俺に対する人権侵害の記事で、いつもは売れない週刊朝日が10万部も増刷になったとか聞いた。人権侵害で利益を得たなんて、不法団体そのものだ。こちらの心情も推し量らずに、報道機関と言うことで、特権意識を持ったのか。」
 「週刊朝日よ。お前らがそういう態度なら、こっちもとことん行ってやるぜ。」
 「週刊朝日よ。二度目の面会なんてあるか、バカ。久しぶりに弁護士魂が燃えてきた。余計な仕事を増やしやがって。司法の場で決着を付けようぜ。」
 「週刊朝日だけでなく100%親会社、人材も重なり合う朝日新聞も訴えます。法人格否認の法理でね。週刊朝日と朝日新聞は別だとご気楽なコメントを出していたコメンテーターに何が問題なのか教えてやる。さて弁護士の仕事も一つ増えた。週刊朝日、朝日新聞が人権侵害報道機関であることを明らかにする
 「ツイッター返信で誤解が多い。しょうもない記事を書かれるのは公人だから仕方がない。週刊朝日は、重大な人権侵害行為をやったんだからそこは意識しろってこと。真正面から批判してくるなら良いが、自分たちがやったことをもう忘れたのかってこと。報道機関と言えども一民間企業だ。」
 「こっちは慰謝料は一銭たりとも何も受け取ってない。やつらは人権侵害行為で売り上げ増、利益増収。これはやっぱり公正じゃない。きちんと慰謝料請求する。そして刑事告訴もする。普通なら、こんな記事くらいで目くじら立てない。週刊朝日は過去に重大な人権侵害行為をやった。それを忘れるな。」

1160/安倍新内閣発足翌朝の朝日新聞12/27社説の親中・「左翼」ぶり。

 安倍新内閣発足翌朝の朝日新聞12/27社説「安倍内閣発足―再登板への期待と不安」は、朝日らしく、意味不鮮明で、かつ自己陶酔に満ちている。
 後半になってとくに、何とかいちゃもんをつけておきたい気分が出てきている。しかも中国とまったく同じ立場から。
 朝日社説によると、歴史教科書に関する「近隣諸国条項」を引き継がないとなれば「中韓との関係はさらに悪化する」、らしい。
 それで?、とさらに突っ込みたいところだが、「中韓との関係」の悪化(と朝日が判断するもの)はこの新聞社にとっては、つねに、一般的に「悪」らしい。
 そのあと、「孤立招く歴史見直し」との見出しを掲げて、安倍首相や下村文相、稲田行革担当相の固有名詞を挙げ、歴史認識にかかる「戦後レジームからの脱却」を批判している。
 この点が最も言いたいところであり、朝日新聞は今後も絶えず、ぐちゃぐちゃと問題にし続けるのだろう。「戦後レジーム」の体現者であり、利得者でもあるのは、朝日新聞そのものに他ならないのだから、自己自身の存立基礎を脅かす論点であることを、当然によく理解している。
 そして、最後の一文は、「世界の中で孤立しては、日本の経済も外交も立ちゆかない」、になっている。
 果たして何が言いたいのか。「来夏の参院選までは憲法改正をはじめ『安倍カラー』は封印し、経済政策などに集中する」のが「現実的な選択である」と述べたあとで、「そのうえで、新政権に改めて指摘しておきたい」として、上の一文で締めくくっている。
 もともと改行の多い、「社説」という論説にはとてもなっていない文章なのだが、最後の一文の趣旨とその前段との関係もよく分からない。
 おそらくは、「安倍カラー」を出そうとすると「世界の中で孤立」するぞ、という脅かしであり、「安倍カラー」の中には憲法改正、河野談話・村山談話の見直し、「近隣諸国条項」の見直し等の、中国政府や韓国(の世論の大勢)のいう「右傾化」諸項目が含まれているのだろう。
 だが、その方向で動くことが、なぜ「世界の中で孤立」することになるのか。
 フィリピン政府は(正確には確認しないが)日本の軍事力強化を、東アジアの平和と安定のためにも支持した、らしい。
 朝日社説のいう「世界」とは、中国と韓国、そして北朝鮮だけなのではないか。
 むろん米国の中にも日本の正規の軍隊保持に反対するメディアや論者も存在するのだろうが、古森義久・憲法で日本は亡びる(海龍社、2012)が冒頭に書いているように、かつてほどの影響力はなくなっているようだ。
 朝日社説のいう「世界」とは、中国と韓国、北朝鮮、そしてその他の諸外国の一部「左傾」分子だけなのではないか。
 それを大げさにも「世界」と断じることのできる向こう見ずさとアホさ加減には、あらためて感心せざるをえない。中国共産党のエイジェント新聞ぶりを、見事に示している朝日新聞社説だ。-と朝日新聞について「改めて指摘しておきたい」。

1152/安倍晋三と朝日新聞-小川榮太郎著・阿比留瑠比書評。

 一 今秋は安倍晋三自民党総裁就任、週刊朝日橋下徹攻撃事件、日本維新の会発足、衆議院解散、石原新党設立と維新への合流等々、いろいろなことがあった。
 産経新聞や月刊正論への信頼を落としていることも一因となって、この欄(最初は産経新聞運営だとは知らなかった)に書くのも億劫になり、それぞれについて、逐一言及しないできている。
 それにしても、三年と4月もよく民主党政権下で我慢してきたものだ。いずれ<近いうちに>、3年余前に「左翼・反日」政権とこの欄で評した民主党政権から解放されることになるだうと思うと、精神衛生にはすこぶるよろしい。
 小川榮太郎・約束の日-安倍晋三試論(幻冬舎)は、たぶん安倍晋三がまだ候補のときだっただろう、新刊書を一日で読了した。
 2006-7年の安倍晋三内閣時の朝日新聞のいやらしさ・悪辣さを思い出すとともに、とくに安倍晋三の総裁選当選後には、朝日新聞による批判・攻撃が再び予想される中で、安倍晋三は大変な、過酷な挑戦を行っている、と感じた。
 民主党は「世襲」批判を行って、争点の一つにしたいごとくだが、同党立党の祖?でもある鳩山由紀夫は堂々たる世襲者で、その「お子さま手当」から民主党議員のほとんどが経済的な恩恵を受けたのではないか。世襲批判をよく言えたものだ。
 安倍晋三も世襲者かもしれないが、過酷な挑戦を再び行うには、世襲・血統あるいは「生育環境」が大きく働いているに違いない。上の本を読んでも感じる安倍晋三の(一種孤独で悲壮な)「使命感」的なものは、非世襲のありふれた政治家は会得していないものだろう。
 いずれにせよ、「世襲」一般の是非を主張するのは愚かなことだ。
 二 産経新聞の記者の中では、奇妙なことを書いているとほとんど感じたことのない阿比留瑠比は、産経新聞9/09で、上の小川著の書評を書いている。
 すでによく知られているとは思うが、紹介・引用の部分をここでさらに紹介・引用しておく。
 *安倍晋三内閣当時の朝日新聞幹部の言葉-「安倍の葬式はうちで出す」。
 *三宅久之と朝日新聞・若宮啓文の対話
 三宅「朝日は安倍というといたずらに叩くけど、いいところはきちんと認めるような報道はできないものなのか」

 若宮「できません」

 三宅「何故だ」

 若宮「社是だからです」
 *朝日新聞は「安倍内閣の松岡利勝農水相の政治資金問題の関連記事は125件も掲載した半面、民主党の小沢一郎代表の政治資金問題は14件のみ。安倍が推進した教育基本法改正に関して反対運動の記事70件を掲載したが、賛成派の動きは3件だけ」だったという。
 三 安倍晋三首相の誕生を予想する向きが多い。これは同時に、朝日新聞を先頭とする「左翼」の安倍攻撃が激しくなるだろうことも意味する。その兆しはすでに指摘されているし、「自主憲法」制定という政権公約に関する報道ぶり等には、公平ではないと感じられる報道ぶりもすでにある。
 肝心の安倍晋三または自民党幹部のこの点に関する説明又は発言ぶりは何ら報道しないまま、「危険さ」を指摘する一般国民や識者コメントを紹介しているNHKのニュ-スもあった。
 NHKはいつぞやのたしか火曜日に初めて国政選挙権を行使することとなるドナルド・キ-ンを登場させていたが、安倍・自民党の見解に触れることなく、キ-ンの、<戦争に近づく>ことへの懸念、<平和>願望を語らせていた(語りをそのまま放送していた)。むろん、改憲派は<戦争をしたがっている>のではない。
 NHKですら?こうなのだから、朝日新聞らの報道姿勢は明らかだろう。但し、「経営」に支障を及ぼさないかぎりで、という条件がついているのだから、大阪市顧問の上山信一もツイッタ-で指摘していたように、朝日新聞への広告出稿を停止する企業がもっと多くなれば、朝日新聞の報道姿勢あるいは「社是」も変わるかもしれない。
 若宮啓文ら朝日新聞幹部と、まともに話しても無駄だ。正論、まともな議論が通じるような相手ではない。<兵糧攻め>が一番効くだろう。そのような大きな戦略を立てて実践できる戦略家・戦術家は、<保守>派の中にはいないのか。

1094/朝日新聞を応援する「産経抄」と産経・憲法改正起草委員会。

 一 産経新聞3/20の「産経抄」が、朝日新聞にエールを送っている。
 例の巨人軍契約金問題に触れ、巨人軍の「有望選手を獲得するための、なりふりかまわぬやり口は、野球ファンには常識だ」と断定したあと、「報道のメスは高校野球にも及ぶのか。夏の甲子園大会を主催する、朝日ならではの追及に期待したい」、と締めくくっている。
 読売巨人軍を擁護する気はないし、問題もあるかもしれないが、上のような書き方は、あまりにも一方に偏った、不公正なものだろう。
 朝日新聞が、巨人軍の親会社がライバル社である読売新聞社であるがゆえにこそ、この問題を大きく取り上げたのは、ほとんど明瞭なことなのではないか?
 それに、朝日新聞が執拗な「政治団体」でもあって、例えば2005年には安倍晋三・中川昭一という二人の政治家に打撃を与えるために<NHKへの圧力>という捏造報道を―NHK内の「極左」活動家ディレクターの告発をきっかけとして(ひょっとすればそれを誘導して)し続けた―関係記者・本田雅和は解雇されなかったし、NHKもそのディレクター・長井暁を馘首しなかった―、等々の<デマ>を撒き散らしてきたのは、少なくとも産経新聞の読者には「常識だ」ろう。

 産経抄子は朝日・読売の対決という、どう見ても少なくとも五分五分の言い分はそれぞれにありそうな問題について、何と、あっけらかんと、朝日新聞の側に立つことを明らかにしたのだ。
 呆れる。
 二 上の小記事が原因ではないが、3月末で産経新聞の購読を止めた。
 「よりましな」新聞であることは分かっているが、重要な文章はネット上で無料でコピーできることが大きい。他の新聞に比べて、数年前までの、例えば「正論」や「昭和正論座」その他の論説委員執筆コラム等々がネット上で追いかけられるのは有り難い。
 朝日新聞などは、若宮啓文の重要なコラムを読み逃しても、遅れればネットで(無料では)読めないし、そもそもネット上に掲載していない可能性もある。
 というわけで、3月末と決めていたのだが、産経新聞が<憲法改正起草委員会>を組織したとの報道があって、ややぐらついた。毎日の紙面で、その動向を知っておく必要があるのではないか、と。
 話題を憲法改正案起草に変えれば、「委員」5人の顔ぶれを見て、感じることもある。
 法学者・法学部出身者が多い(全員?)のはよいのだが、79歳、77歳、71歳、69歳、65歳では、あまりにも「年寄り」しすぎではないか?
 しかし、これは現在の法学界、とくに憲法学界の反映かもしれない。50歳代であれば十分に、しっかりした憲法改正論を語れる者がいても不思議ではないのだが、そのような適材がいないのだろう。少なくとも、産経新聞社の求めに応じて「委員」になるような適当な学者がいないのだろう。
 憲法改正に賛成することが、あるいは憲法改正を語ることすら、はばかられるような学界の雰囲気があるに違いない、と思われる。
 産経新聞紙上にもかつての改憲案の作成機関等が紹介されていたが、「憲法学界(学会)」こそがそのような検討をしていたとしても不思議ではないにもかかわらず、そのようなテーマで議論したことは一度もないのだろう。ついでに言うと、日本弁護士連合会(日弁連)もまた<よりよい憲法>を目指した案を作成してもまったく不思議ではない団体だが、日弁連が憲法改正を(それに反対はしても)議論したという話は聞いたことがない。
 (憲法等の)法学界も専門法曹・弁護士会も、憲法改正を一種のタブーにしてきた、という、まことに見苦しく情けない現状がある。それを話題にすること自体が、憲法九条を改正したがっている<保守・反動派>を助けることになる、という意識が、論壇やマスコミ界以上に強いものと思われる。「黒い羊」と断定されれば、就職もできず、あるいはまともな?法学部には就職(・転職)できない、という<経済・生活>にかかわる、サンクションも機能していると思われる(これは「左翼ファシズム」がほとんど成立してしまっている、ということでもある)。
 そのような怖ろしい「部分」・業界?もある中で産経新聞社が憲法改正へと棹さすのは結構なことだ、ととりあえず言っておこう。
 前回に触れたように現九条1項にはそれなりの由来・歴史が伴っているのだが、<侵略戦争はしない>ことはもはや当然のこととして、せいぜい前文で抽象的かつ簡単に触れるくらいにして、現九条1項のような(たしかに紛らわしくはある)条項は残存させないのも、一つの案かもしれない。
 なお、橋下徹・大阪維新の会は憲法改正を「タブー」視していないことは明らかだ。自民党等の中にいるだろう「保守」派は、差異・不明部分のみを強調するのではなく、共通している部分にも目を向けておく必要があるだろう。
 元に戻れば、やはり産経新聞の購読は止めている。したがって、「産経抄」の文章に言及したのは、今回が最初で最後になる可能性が高い。

1047/朝日新聞の9/21社説-「左翼」丸出し・幼稚で単純な「民主主義」観。

 朝日新聞の9/21社説(の第一)を読んで、呆れてモノが言えない、という感じがする。
 9/19の「脱原発集会」を最大限に称える社説だ。
 平然と大江健三郎の名前を出して、その言葉が印象的だなどと書いているが、大江健三郎という名が「左翼」の代名詞となっているほどだとの知識くらいは持っているだろう。同じ「左翼」の朝日新聞(社説子)にとっては、そのような、<特定の>傾向のある人物らが呼びかけた集会であることは、何ら気にならないようだ。ずっぽりと「左翼」丸出しの朝日新聞。
 この社説が説くまたは前提とする「民主主義」観も面白い。
 まず、「民主主義」を善なるものとして、まるで疑っていない。限界、さらには弊害すらあることなど、全く視野に入っていないようだ。怖ろしいことだ。
 「人々が横につながり、意見を表明することは、民主主義の原点である。民主主義とは、ふつうの人々が政治の主人公であるということだ」。
 こういう文章を平気で書ける人物は、よほどの勉強不足の者か、偽善者であるに違いない。
 また、間接民主主義よりも「直接民主主義」の方が優れている、という感覚を持っているようだ。「市民主権」論の憲法学者・辻村みよ子らと同様に。以下のように能天気で書いている。
 「国の場合は、議会制による間接民主主義とならざるを得ないが、重大局面で政治を、そして歴史を動かすのは一人ひとりの力なのだ。/米国の公民権運動を勇気づけたキング牧師の「私には夢がある」という演説と集会。ベルリンの壁を崩した東ドイツの市民たち。直接民主主義の行動が、国の政治を動かすことで、民主主義を豊かにしてきた」。
 「プープル主権」論は間接民主主義よりも直接民主主義に親近的なのだが、その「プープル主権」論の発展型が社会主義国に見られる、あるいはレーニンらが説いた「プロレタリア民主主義」あるいは「人民民主主義」に他ならない。朝日新聞の社説は、じつは(といっても従前からで目新しくもないが)<親社会主義(・共産主義)>の立場を表明していることになるのだ。
 その次に、以下の文章がつづく。
 「日本でも、60年安保では群衆が国会を取り囲んだ。ベトナム反戦を訴える街頭デモも繰り広げられた。それが、いつしか政治的なデモは沖縄を除けば、まれになった。……」
 ここでは、「60年安保」闘争(騒擾) や「ベトナム反戦」運動が、何のためらいもなく、肯定的に捉えられている。
 さすがに朝日新聞と言うべきなのだろう。「60年安保」闘争(騒擾) にしても「ベトナム反戦」運動にしても、このように単純には肯定してはいけない。むしろ、「60年安保」騒擾は、憲法改正(自主憲法の制定)を遅らせた、戦後日本にとって決定的に重要な、消極的に評価されるべき<事件>だった、と考えられる。背後には、いわゆる進歩的知識人がいたが、そのさらに奥には社会主義・ソ連(ソ連共産党)がいて、「60年安保闘争」を支え、操った。そんなことは、朝日新聞社説子には及びも付かないのだろう。
 唖然とするほどに幼稚な「左翼」的、単純「民主主義」論の朝日新聞社説。これが、日本を代表する新聞の一つとされていることに、あらためて茫然とし、戦慄を覚える。

1040/朝日新聞・「政治活動家」集団について久しぶりに。

 〇朝日新聞社の存在を意識すると、この国に住みたくなくなる気分が生じるほどだ。
 こんな社の作る新聞が700万部も発行され、2000万人程度には読まれ、評論家類は必ず目を通し、マスコミ関係者も参照してテレビでもワイドショー類を通じて拡散されていく。恐ろしい現実だ。
 その「左翼・売国」ぶりは相変わらずで、「野田佳彦財務相が、靖国神社に合祀されているA級戦犯について、戦争犯罪人ではないとの見解を示した」ことについて、8/18付朝日新聞社説はさっそくいちゃもんをつけている。そして、「首相になれば過去の歴史を背負い、日本国を代表して発言しなければならない。行動を慎み、言葉を選ぶのが当然だ」などと説教を垂れている。さすがに、「歴史認識」問題に関して、中国・韓国(政府・マスコミ)に対して「ご注進」してきた新聞社だ。
 〇3.11あるいは6.02以降、「政治」的話題に事欠かなかった。
 震災対応への不手際や内閣不信任頓挫等の事象・事件は、自民党(中心)内閣下のものであれば、朝日新聞はもっと大きくとり上げて騒いでいただろう。大震災への「政治」の誤った作為・不作為を問う姿勢に乏しく(むしろ原子力政策を推進したのは自民党内閣だったという自民党への批判が記事作りにも感じられた)、政府にむしろ暖かかったのではないか(他紙に比べて)。
 また、民主党出身議長による菅直人首相への辞職要求発言は客観的には大きな話題とされてよいとてつもない「事件」の筈なのだが、朝日新聞は大きくとり上げた気配がない(他紙も問題の大きさのわりには、話題を大きくしなかった。菅直人の不人気ぶりが極まっていたので、それに埋没した感もある)。
 震災への対応、不信任頓挫事件、参院議長発言等々、これが自民党(中心)内閣下のものであったなら、朝日新聞はまったく異なる報道ぶり・紙面づくりをしていたと思われる。なぜなら、この新聞社は「政治活動家」団体であり、自民党内閣打倒のためならば、いかなる誇張もデマ宣伝まがいのことも平気でしてきた新聞社だからだ。
 〇安倍晋三内閣のもとでの2007年参議院選挙の前後の朝日新聞や「週刊朝日」の報道ぶり・誌面や記事作りは、産経新聞が「何たる選挙戦」との連載記事に含めたほどのヒドい、悪辣なものだった。
 と思いつつ最近の「週刊朝日」の表紙のタイトルを見ていると、面白いことに気づく。3/11以降、一号(6/17号)だけを除き、08/19号の「菅直人が3.11以後のすべてを語る」まで、すべて「政治」性を直接には感じさせないテーマ・タイトルが選ばれている。以下のとおり。
 110812 プロ13人が注目する31銘柄
 110805 あの店の肉は大丈夫?
 110729 社長の年収
 110722 食品から解毒法まで・放射能の疑問に答える
 110715 忍び寄る放射能から家族を守れ!
 110708 放射能・震災からペットを守る!
 110701 食べてはいけない!夏の食材・見分け方
 110624 あなたの街の放射能汚染
 110617 今度の総理はだ~あれ?
 110610 放射能汚染・食べてはいけない見分け方
 110603 放射能から身を守れ!
 110527 浜岡原発停止はフクシマの「罪滅ぼし」
 110520 ビンラディン射殺作戦の全貌
 110506・13 東電が公表しない放射線量データ
 110429 響け!負けないで
 110422 復興への祈り(両陛下)
 110415 福島原発のデス・ロード
 110408 東北振興で始まるニッポン復活のへの道
 110401 日本は必ず復興する!
 110325 東北関東大震災・奇跡の生還
 110318 元「暴」系タニマチが豪語・前原は総理になる<震災以前の発行と思われる>
 2007年の安倍晋三内閣時代との違いは大きい。
 本来は「政治」が好みの朝日新聞が、上のごとく「政治」的話題をできるだけ避けていることは明白だ。「政治」状況が、「歴史的な政権交代」をなしとげた民主党には不利で、それに輪をかけるような報道・記事作りをしたくなかった、というのが本音だろう。
 さすがに、「政治活動家」組織の朝日新聞社だ。この新聞社が消滅するか大きく弱体化しないと、「戦後」は終わらないし、終わらせることもできないだろう。

1024/物理的・事務的に可能ならば衆議院解散・総選挙を急げ。

 遠藤浩一稲田朋美が1カ月前あたりからすでに明確に主張しているように、また産経7/16の自民党・伊吹文明インタビュー記事も前提としているだろうように、総選挙実施が物理的・事務的に可能になった段階で、すみやかに総選挙(その前にいずれかの内閣による衆議院解散)を行えるように準備すべきだ。

 産経7/16社説が明言するように、菅直人の発言は「日本の最高指導者の発言として、あまりに軽く、国の統治を任せることはできない」。「閣僚とも調整せず、唐突にかつ独断で基本政策を変えることは、首相としての資質が欠落していると断じざるを得ない」。
 菅直人の地位の正当性(・正統性)の淵源は2009年総選挙の結果にあるが、それによる衆議院の構成(・民主党の占拠比率等)が現在の<民意>と乖離していることは明々白々だ。表面的・建前的な<民主主義>論を採用してすら、実質的には、すでに菅直人の地位の正統性(・正当性)はなくなっていると見るべきだ。
 朝日新聞の社説子は忘れているか、忘れているフリをしているだろうから、1年前頃の同紙の社説をあらためて引用または紹介しておこう。見事に、<(総選挙を通じた)民意>を重視していたのだ。
 2010年6/02(鳩山由紀夫辞任表明直前)―
 「昨年の政権交代の大義は、…首相の座を『たらい回し』してきた自民党政治との決別」だった。「政治の質を根本的に変える試みの意義は大きい」。「そうした政治の流れから誕生した首相を退陣させようというのなら、早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか。それなしに『たらい回し』に走るのは、民主党の自己否定に等しい」。
 翌日6/03の社説(鳩山辞任表明後)―
 「歴史的な政権交代の意義を無駄にはできない。今回のダブル辞任が『平成維新』の出直しに資するなら、必要な通過点だと考えるべきだろう。/問題はすべてこれからである」。新内閣は「…一定の判断材料を国民に示したうえ、なるべく早く解散・総選挙をし、信を問うのが筋である」。
 上の二つの間にある矛盾とそれを隠蔽しようとする姑息さには一年前に触れたので、もはや繰り返さない。
 上の二つで何とか共通しているのは、<解散・総選挙>の必要性の主張だ。

 上の6/03の社説にいう「なるべく早く」という朝日新聞の主張はその後いったいどうなったのか?という疑問は当然に湧く。いちおうは昨年6月3日にはこう言っておきながら、菅内閣の支持率が(とくに尖閣問題発生の昨秋以降)下落傾向にあったためか?、朝日新聞は再び<解散・総選挙>の必要性を説くことはなくなった。
 皮肉を込めて言うのだが、朝日新聞よ、昨年の6月初めの<原点>に戻って、あらためて<民主主義(民意=総選挙重視)の旗手>ぶりを示してみたらどうか。
 昨日に書いたことも併せてみて、あらためて、朝日新聞の<ご都合主義>、いいかげんさ、首尾一貫性のなさ(自分たちの望む政治情勢を実現するためにならば、論理的な一貫性などは無視する姿勢)を感じて、気持ち悪くなる。この、目的のためならば手段(>論理・主張・概念)はどのようにでも変え、どのようにでも選択する、という感覚は、「左翼」の、そしてコミュニスト(共産主義者)に独特のものでもある。

1023/菅直人と朝日新聞の低劣・卑劣・愚劣ぶり-あらためて。

 何ともヒドイものだ。これほどとは。
 一 菅直人は7/13に、「脱原発」=「将来は原発がない社会を実現する」と記者会見で述べたが、閣僚等から疑問・批判が出ると、7/15に、「私の考え」、「個人的な考え方」だったと釈明?した。
 内閣総理大臣たる者が、英語で「首相」と書かれ、桐の紋まで刻まれた台に自ら積極的に立って行った記者会見(記者発表)での発言を、わずか二日後に「私(個人)」の考えの表明だった(政府方針ではない)と後退させてしまうとは。
 この人は自らの内閣総理大臣たる地位を何と理解しているのだろう。首相としての記者会見(発表)の場で、内閣総理大臣担当者たる立場を離れた「私(個人)」の考えを表明できるはずがないではないか。
 かりにそれが閣内や民主党内で支持されていないこと(または唐突感も含めて疑問視されていること)が判明したとすれば、<私的>だったと逃げるのではなく、首相見解そのものを撤回・変更するというのが、スジというものだろう。
 こんなことが罷り通るのならば、菅直人の中部電力への浜岡原発停止要請はいったい何だったのかと言いたくなる。
 内閣総理大臣による行政指導だったのか、それとも、内閣総理大臣を担当している菅直人個人の<私的>要請(・願望)だったのか? 後者ならば、中部電力はまともに取り上げ、まともに検討する必要はなく、結果として従う必要もなかった。その後に今回のような閣内・民主党内での疑問・批判が出なかったから、たまたま(私的・個人的ではない)内閣総理大臣による要請(行政指導)になったのだとすれば、怖ろしい<政治・行政スタイル>だ。
 思いつきで適当なことを(ウケが良さそうで支持率がアップしそうなことを?)発言しておいて、反対論・疑問論が大きいと見るや、「私(個人)」の考えでしたとして逃げることが可能だとすれば、ヒドい、とんでもない、呆れるほどの<政治・行政スタイル>だ。
 この一点だけを取り上げても、菅直人首相とそれが率いる内閣の不信任に十分に値する。
 産経新聞はほぼ同旨で、7/16社説の大文字の見出しを「首相の即時辞任を求める」と打った。首相が辞任すれば、当然に菅直人内閣は瓦解する。
 産経とともに菅の7/13発言の内容にも疑問を呈していた読売新聞は、7/16社説で、<私的(個人的)>見解への転化をさほど大きくは問題視せず、その代わりに、主としてその発言内容自体をあらためて批判している。
 いわく、「そもそも、退陣を前にした菅首相が、日本の行方を左右するエネルギー政策を、ほぼ独断で明らかにしたこと自体、問題である。閣僚や与党からさえ、反発の声が一斉に噴き出したのは、当然だ」。「その発言は、脱原発への具体的な方策や道筋を示さず、あまりに無責任だった」。「首相は、消費税率引き上げや、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加などを掲げ、実現が危ぶまれると旗を降ろしてきた。同様の手法のようだが、今回は明らかに暴走している」。
 二 何ともヒドイのは、菅直人だけではない。朝日新聞も、(やはり)ひどい。
 菅首相の7/13記者会見の内容につき
、「国策として進めてきた原発を計画的、段階的になくしていくという政策の大転換である」とし、「私たちは13日付の社説特集で、20~30年後をめどに「原発ゼロ社会」をつくろうと呼びかけた。…方向性は同じだ。首相の方針を歓迎し、支持する」と社説で明確に支持し、大歓迎した。
 そして内閣や民主党の全体的支持を得られるかどうかに懸念を示しつつも、最後は
「いまこそ、与野党を問わず、政治全体として脱原発という大目標を共有して、具体化へ走り出そう」と結んでいたのだ。
 とあれば、7/15の<私的(個人的)見解>との釈明後に、この問題をあらためて社説で取り上げて不思議ではないし、むしろ取り上げるべきだろう。
 しかし、朝日新聞は逃げた。トンズラを決め込んだ。7/17社説の見出しは、「福島の被災者―「原発難民」にはしない」と「レアアース―WTOを通じた解決を」の二つで、読売・産経が取り上げた重要な問題をスルーした。
 「いまこそ、…政治全体として脱原発という大目標を共有して、具体化へ走り出そう」と大見得を切ったところが、わずか二日後での(閣内・民主党内事情による)挫折?に、さすがに恥ずかしくなったのだろうか。いやいやそんな純情な朝日新聞ではない。要するに、自分たちに都合の悪いことには触れない。それだけのことだ。

1007/朝日新聞6/08付社説のいいかげんさ。

 朝日新聞6/08付社説は、大阪府の日の丸・君が代起立斉唱条例の成立に関連させて、次のように締めくくる。
 「橋下知事は、自ら設立した政党で議会の過半数を押さえ、首長と第1党が一体となって物事を決めていこうとしている。/だが多数派の首長政党が少数意見に耳を貸さなければ、議会は形骸化する。/多数決主義は民主主義の基本である。一方で、多数を握る側が少数派の声をくみあげ、多くの人が納得できる結論に収斂させていく作業を怠れば、議会制民主主義は成り立たない」。
 「議会制民主主義」のはずの国政については、朝日新聞はこう主張すべきであることになろう。
 <菅直人首相は、自ら設立した政党で議会(衆議院)の過半数を押さえ、首相と第1党が一体となって物事を決めていこうとしている。/だが多数派の民主党が少数意見に耳を貸さなければ、議会は形骸化する。/多数決主義は民主主義の基本である。一方で、多数を握る側が少数派の声をくみあげ、多くの人が納得できる結論に収斂させていく作業を怠れば、議会制民主主義は成り立たない。>
 このような主張を、朝日新聞は国政について行なってきたか?
 相変わらず嗤わせる。
 なお、朝日の上の社説は「地方自治は、予算案の提出や執行権をもつ首長と、チェック機能や議決権をもつ議会がそれぞれの立場で責任を果たす二元代表制をとっている」と書いている。
 「二元代表制」と「議会制民主主義」は矛盾しないかの書きぶりだが、この二つはそうではあるまい。はしなくも、この点でも、朝日新聞社説執筆者の見識の甘さ・いいかげんさを露呈しているようだ。

1002/大地震・大津波後2週間余-風土と思想、朝日新聞と岩波。

 〇レマン湖畔生まれのJ・J・ルソーは地中海や大西洋を見たことがあるだろうか。あったとしても、津波を知らず、大地震を経験したこともなかっただろう。

 マルクス、エンゲルスも同様。彼らに限らず、スコットランドのアダム・スミスもエドマンド・バークも(コウクも)、ドイツのヘーゲルやカントも、オーストリア(出身)のケルゼンもハイエクも、大地震や津波を経験することなく、これらによって不意に多数の人々が生命を喪うことがあることを知らないままで「思考」しただろう。

 農耕民族と狩猟民族という対比のほかに、相対的には日本の方が温暖で、欧州は(イタリア南部等を除いて)日本人な感覚では寒冷地だということも日本と欧州の差異として指摘しうるだろう。この後者は、日本の自然の方が恵まれている、という趣旨でも指摘されてきた。四季があり、美しい山と平地と海とを一箇所からでも望見できることは、日本の誇りでもある(あった)だろう。

 だが、地震と津波をおそらく全く(またはほとんど?)経験することのない欧州人と、何十年かに一度はそうした自然の「襲撃」を受けてきた日本人とでは、寒冷地と温暖地という差異も含めて、自然観、死生観、人間観、そして宗教や「思想」が異なって当たり前だと思える。

 いかに魅力的な?「欧州近代」の思想も理念も、そのままでは絶対に日本に根付くことはないと思われる。「日本化」されて吸収されてこそ、あるいは吸収されたのちに「日本」的な変容をうけてはじめて、日本と日本人のものになる、というべきだろう。
 「風土」は<思想>(や<宗教>)と無関係ではない。それぞれの「風土」ごとに<思想>や<宗教>は成り立つ、というべきだろう。
 というような、当たり前のことかもしれないことを昨今、感じている。欧州産の「思想」を理解した気分になって<偉そうに>日本(・日本人)への適用を説くエセ知識人、日本人ではなくなっている(とくに人文・社会系の)学者・研究者たちを、軽蔑しなければならない。(かつてはマルクスが…、ルソーが…、)ルーマンが…、ハーバーマスが…、レヴィ=ストロースが…などとさかんに言っているような人々は、「日本」と「日本人」をいかほど理解しているのだろうか。日本国憲法もまた「欧州近代」の思想・理念を継受して(によって作られていて)いるが、その憲法を欧米の思想・理念・原理によってのみ理解する日本の憲法学者は、はたして「日本人」だろうか。

 〇大震災・原発問題を表紙とする雑誌・週刊誌類に混じって、「日本破壊計画」と銘打った週刊朝日増刊・朝日ジャーナル2011.03.09号(朝日新聞出版)が書店に並んでいるのを見て、朝日新聞が進めている「日本破壊計画」がまさに実現しているようで、ゾッとする。この時点で、「日本破壊計画」を特集する週刊朝日増刊を出版するとは…。

 むろん偶然ではあろう。「左翼」政治活動家・編集長の山口一臣は巻頭言は、今の日本にある「アンシャン・レジーム」を解体・破壊せよとの旨を書いているが、じつに興味深い倒錯が(やはり)見られる。戦後「平和と民主主義」のもとで日本国憲法を戴きつつ「アンシャン・レジーム」を形成・維持してきた中心にあったのは、朝日新聞(社)そのものではないか。また、「アンシャン・レジーム」というフランス革命時代に愛用された語を使っていることも、山口一臣の「革命」願望を示しているに違いない。

 これまた偶然だろうが、月刊世界の別冊-2011年819号(岩波)も並んでいて、「新冷戦ではなく、共存共生の東アジアを」という大きな見出しを表紙に掲げている。掲載されているシンポジウムのテーマは「2050年のアジア―国家主義を超えて」(日本側の基調報告者は東京大学名誉教授・坂本義和。また東京大学だ)。
 尖閣問題のあとでなお「共存共生の東アジアを」と叫びつづけるとは、さすがに朝日新聞とともに「左翼(・反日)」の軸にある岩波書店、というべきだ。「国家主義」が(厳密にどう定義・理解されているのか読んでいないが)<悪>として描かれているのも、相変わらずの<反ナショナリズム>(「ナショナル」なものの否定)を明瞭にしていてうんざりする。
 大手メディアはきちんとは報道していないようだが、自衛隊とともに在日米軍は被災地で奮闘してくれてくれているようだ。
 一方、「東アジア」の中国が日本に派遣したのは東南アジアの小?国と同程度の15人らしい。これで反米・非米の「共存共生の東アジアを」と叫んでいるのだから、異様な感覚だ。今さら指摘するまでもないのだが。
 〇月刊WiLL5月号(ワック)に掲載の諸氏の「東北関東大震災/私はこう考えた」の文章のうち、(全部読んだわけではないが)最も印象に残ったのは、つぎの西部邁の文章だ(なお、西部邁を<保守>派の第一位と位置づけているわけではない)。
 「この大震災は日本国家の沈没を告げる合図だ、と感じないほうが不思議といってよい」(p.50)。
 そのような「合図」に少なくとも結果としてはなったと、後世の「日本」史学者あるいは世界の歴史家が叙述しない、という保障はまっくないだろう。西部邁はこう続けている-「そのことについての率直な感想が、どのTVのどの番組においても、ただの一言もなかったのである」。
 西尾幹二らも、また別に山際澄夫「国難を延命に利用/菅総理の卑しい魂胆」(p.233-)も縷々指摘していることだが、「戦後」のなれの果ての、「左翼」民主党政権下で大震災を被ってしまったことは、なんという悲痛なことだろう。

0976/民主党は「騙し取った政権を国民に返せ」。かつての朝日新聞社説・月刊WiLL3月号。

 一 昨年(2010年)の6/02と6/28の二回にわたって言及しているが、鳩山由紀夫前首相の退陣表明前の6/02の朝日新聞社説は、次のように主張していた。あえて反復して記録しておく。番号はこの欄の執筆者。
 ①民主党内等にある「首相退陣論」は「目前の参院選を何とか乗り切るために、鳩山由紀夫首相に辞めてもらう。そういう狙いが見え見えである。考え違いというほかない」。この論では「逆風はかわせない」。
 ②「昨年の政権交代の大義は、……首相の座を『たらい回し』してきた自民党政治との決別」だった、「政治の質を根本的に変える試みの意義は大きい」。「そうした政治の流れから誕生した首相を退陣させようというのなら、早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか。それなしに『たらい回し』に走るのは、民主党の自己否定に等しい」。
 朝日新聞社説は、とくに上の②、すなわち総選挙を経ない首相交代=「たらい回し」は「政権交代の大義」と矛盾し、「民主党の自己否定」だ、と主張していた、ということをしっかりと記憶しておくべきだ。
 その6/02(新聞朝刊発行後)に鳩山由紀夫は退陣表明した。ついでに書いておけば、退陣表明前の鳩山・小沢一郎・輿石東の三人の<談合>において、後任は菅直人になるだろうということが想定されていたと見られる。実際に菅直人はすみやかに次期代表選に立候補の意思を表明し、実際にも新代表となり、そして新首相になった。これを「たらい回し」と称して誤りではない。

 さて、6/03の朝日新聞社説はどう書いたか。これまた反復して記録しておく。
 ①「歴史的な政権交代の意義を無駄にはできない。今回のダブル辞任が『平成維新』の出直しに資するなら、必要な通過点だと考えるべきだろう。/問題はすべてこれからである」。
 前日の社説を忘れたかのごとく、「問題はすべてこれからである」と開き直ったのだ。批判・皮肉は繰り返さない。だが、次のように書いていたことも記憶されておくべきだろう。

 ②「…一定の判断材料を国民に示したうえ、なるべく早く解散・総選挙をし、信を問うのが筋である」。

 さて、昨年にも書いたことだが、「なるべく早く」とはいかほどの時期を想定していたのだろうか。
 ともあれ、昨年6月初め、朝日新聞は、「なるべく早く」解散・総選挙をすべし、と主張していたのだ。

 この主張を、年も新たになった現時点で、朝日新聞の社説子(論説委員)はなおも維持しているのか、それともうやむやにしているのか、どこかで(私は気づいていないが)明瞭に否定したのか?
 朝日新聞の節操のなさを詰っても無意味で、カエルの面に何とかだろう。この新聞社の酷さをあらためて確認しておきたい。

 二 月刊WiLL3月号(ワック)に、表紙・目次の最初の方の数本を除いて、かなり目を通した。
 山際澄夫「騙し取った政権を国民に返せ!」(p.218-)が、タイトルも内容も、さしあたり最もしっくりくる(気分に合っている)。

 最後の一段落の文章は次のとおり(そのままの全文引用)。
 「負けることを承知でやる解散だけは避けたいというのが民主党の本音だろうが、これ以上、政権のたらい回しは許されない。民主党政権がやらなければならないことは、国民を欺いて奪い取った政権を国民に返すこと、つまり衆院の解散総選挙に踏み切ることしかない」(p.225)。
 全くの同感だ。
 だが、上にいう「民主党の本音」を実質的に擁護し、結果として解散・総選挙を要求することなく、相変わらず民主党を叱咤激励しているのは屋山太郎だ。屋山は上掲誌巻頭コラムで言う。
 「…総選挙をやって、自民党が政権を取れば、ましな政府ができるのか。…自民党は国民から見離されて大敗し、野党に転落したのである。一年四ヶ月の間に、大いに反省して生まれ変わったという証拠もない。/一方、『解散しろ』という建前論に従って、民主党が大敗必至の総選挙に打って出るわけがない。…」(p.22)。
 前段について言えば、<よりましな>政府にはなるだろうというのが私の理解・見解だ。民主党政権と「谷垣自民党」の<同根同類>論または<同質性が高い>論は、内容的にも、戦略的にも、誤っている、と考える。<左翼・売国>政権をできるだけ早く打倒すべきだ。今回の内閣改造によっても、本質は変わっていない。江田五月らは旧社会党の「左翼」であり、仙谷由人は民主党の代表代行に居座っている。

 後段についていえば、屋山太郎の、総選挙をやって民主党を負けさせたくない(民主党内閣を崩壊させたくない)という感情が混じっているようだ。

 だが、解散・総選挙は、さほどに非現実的なものなのかどうか。大連立(大連合)等よりも解散・総選挙を望む意見の方が多いとの世論調査もいくつか出ているようだ。また、上の山際澄夫「騙し取った政権を国民に返せ!」は、こうも書いている。
 予算は通過しても「予算関連法案の通過は困難」という国会の議席状況にある。「となると、政権はたちまち立ち往生し、総辞職か解散を引き換えに関連法案の通過を認めてもらうといった事態も充分予想される」(p.225)。
 2013年の8月の衆議院議員の任期満了まで(あと2年半余!)、菅直人政権が、あるいは民主党内による「たらい回し」政権が続くはずはないし、続かせてもいけない。

 今年2011年3月ですでに菅直人政権は行き詰まるだろうとの予測も、ほぼ同旨と思われる上の山際のごとく、十分に成り立つ。

 鳩山由紀夫と小沢一郎を「恥を知れ」と罵倒する(上掲誌p.23)資格をもっているのか疑われる屋山太郎が何といおうと、それと関係なく事態は推移するだろう(屋山は「恥を知る」べき予測や主張をしてきている)。

 朝日新聞もまた、多少は正気が残っているならば、あらためて、「なるべく早く解散・総選挙をし、信を問うのが筋」だと主張してみたらどうか。

0954/資料・史料-2010.12.09朝日新聞社説。

 資料・史料 朝日新聞2010年12月09日付社説

 

 離島防衛―「鎧」見せつけるだけでは
 自衛隊と米軍あわせて4万5千人が参加する過去最大規模の日米共同統合演習が、今月3日から九州、沖縄や日本海の周辺で行われている。
 北朝鮮の軍事挑発とともに中国の著しい海洋進出を牽制(けんせい)するのが狙いだ。演習には沖縄本島から与那国島にかけての、いわゆる南西諸島を防衛するための海上・航空作戦が含まれる。
 近年の中国海軍の活動をにらんで、これまで手薄だった離島地域の防衛体制を大幅に見直す。そんな議論が、「防衛計画の大綱」の年内改定に向け政府・与党内で進められている。
 ここは結論を急がず、熟慮してもらいたい。
 この地域の防衛力は現在、沖縄本島の陸上自衛隊約2100人や航空機部隊が中心で、それ以西は宮古島のレーダーサイトだけだ。地理的な制約や住民感情に配慮し、本島に駐留する米軍の抑止力に頼ってきたことが大きい。
 2004年にできた今の防衛大綱は、初めて中国の動向を意識して「島しょ部に対する侵略への対応」を盛り込み、防衛省は冷戦時代の北方重視を改め、「南西シフト」と呼ばれる部隊や訓練の見直しを進めてきた。
 同省は現在、与那国島への陸自配備などを検討している。
 9月の漁船衝突事件もあり、尖閣諸島への自衛隊配備や米海兵隊のような水陸両用部隊の創設を求める意見が、民主党内からも出た。
 とはいえ、日中両国の相互依存関係は深まる一方であり、近い将来、中国が武力侵攻を起こすとは考えにくい。日米の緊密な防衛協力体制がそれを抑止している。米中が正面から軍事的に衝突する展開も、ありそうにない。
 そうした状況で、脅威対応型の発想に傾きすぎるのは得策ではあるまい。かえって、日米中3カ国の安定した政治的枠組みを構築していく地道な作業を妨げることにならないか。
 洋上の移動手段もない陸上部隊を島々においても、中国海軍の艦艇に対する抑止効果は望めない。
 仮に海兵隊のような攻撃力の高い部隊をおけば、それこそ中国側に軍備拡張の格好の口実を与えかねない
 この地域で今後起こりうる危険は、偶発的な海上衝突だろう。それを避けるには、まずは対話を通じ両国間の連絡メカニズムや危険回避のルール作りを急ぐべきだ。
 同時に、これからも続くと見られる中国の民間船や公船との摩擦に備え、海上保安庁の警察機能を充実させ、領海警備をめぐる海自と海保の連携を深めることである。
 万一の場合の備えが必要としても、機動性の高い艦艇や航空機を遠方からでも投入できるよう即応性を高める方が賢明ではないか。「鎧(よろい)」を見せつけるだけが抑止ではあるまい
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 (下線は掲載者)

0948/松本健一著と司馬遼太郎と週刊朝日(編集長・山口一臣)。

 〇松本健一・三島由紀夫と司馬遼太郎―美しい日本をめぐる激突(2010.10、新潮社)を全読了。計237頁。

 司馬遼太郎につき、その(「思想」と言わないでおくが)考え方・歴史観等にいっそうの関心を覚える。「思想」嫌いで、従って反マルクス主義者・反「左翼」教条主義者でもあったはずだが、司馬遼太郎が<天皇>をこれほどに(松本が指摘するように)避けていたとは気づかなかった。それも、1970年の三島由紀夫の死(正確にはたぶん死に方)によって、その後の司馬の作風(?)に大きな影響が生じたとは、例えば<軍神>乃木希典に対する消極的評価もこれに関係しているとは、松本を信頼するかぎりで、はなはだ興味深い。
 〇三島由紀夫の自決直後に、司馬遼太郎の「街道をゆく」の連載が始まっている。朝日新聞本紙に連載することなどはその<主義>からして朝日側も嫌がり、まだ融通のきく媒体だからこそ<週刊朝日>が選ばれた、と何となく感じてきたが、三島由紀夫(の死が発した「思想」)と対抗するためにも、司馬はあえて<左翼>の週刊朝日を選んだのかもしれない、とも思ったりする。この点には、松本健一は言及していない。

 〇その週刊朝日だが、最近は(ますます?)精彩を欠くようだ。

 最近二号の表紙を見てみると、12/03号では最も大きな文字で「紳士服AOKIの怪経営」。12/10号の最大文字は「酒井法子独占インタビュー」。

 朝日の好きな筈の<政治>ものが表紙の最大の見出しになっていない。

 もっとも、<政治>ものを取り上げていないわけではないようで、12/03号にはかなり小さい文字で「裏切りの15カ月/民主党はどこで間違えたのか」とあり、12/10号にはこれまた小さく「…対北朝鮮日本の『迎撃力』」・「…仙石官房長官が狙う『前原擁立』構想」とある。

 昨年2009年に民主党が総選挙で勝利した直後には、この週刊誌は表紙に<民主党革命!>と大書した。

 同じ週刊誌が「裏切りの15カ月/民主党はどこで間違えたのか」を同じように表紙に大書しないのは、その<政治性>=<左翼性>によると考える以外にない。
 一般週刊誌のごとく見られるために現在の民主党に批判的な記事も掲載せざるをえないのだろうが、さすがに民主党支持政治団体である朝日新聞社系出版物としては、「裏切りの15カ月/民主党はどこで間違えたのか」と大書するのを躊躇したのだろう。

 そもそもが、このタイトルは、間違ってもいる。「民主党はどこで間違えたのか」などと問うのは無駄で、<民主党は最初から間違えていた>のだ。鳩山由紀夫が選挙前に月刊ヴォイスに寄せた論文(?)の内容を読んでも、そのことは明らかだった。

 もっとも、編集長・山口一臣は民主党・政府による<非核三原則の見直し(緩和)>の方向に苦言を呈しているのだから、この「政治活動家」編集長によって編まれる週刊誌がまともな内容になるはずはない。朝日ジャーナルはなく月刊・論座もなく、週刊朝日はいつまで発刊され続けるのだろう。

0935/資料・史料-2010.11.06「尖閣ビデオ流出」朝日新聞社説。

 資料・史料-2010.11.06「尖閣ビデオ流出」朝日新聞社説
 平成22年11月06日//朝日新聞社説
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 尖閣ビデオ流出―冷徹、慎重に対処せよ
 政府の情報管理は、たががはずれているのではないか。尖閣諸島近海で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した場面を映したビデオ映像がインターネットの動画投稿サイトに流出した。
 映像は海保が撮影したものとみられる。現在、映像を保管しているのは石垣海上保安部と那覇地検だという。意図的かどうかは別に、出どころが捜査当局であることは間違いあるまい。
 流出したビデオを単なる捜査資料と考えるのは誤りだ。その取り扱いは、日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な案件である。
 それが政府の意に反し、誰でも容易に視聴できる形でネットに流れたことには、驚くほかない。
 ビデオは先日、短く編集されたものが国会に提出され、一部の与野党議員にのみ公開されたが、未編集の部分を含めて一般公開を求める強い意見が、野党や国民の間にはある。
 仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない。
 もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである。政府が隠しておきたい情報もネットを通じて世界中に暴露されることが相次ぐ時代でもある。
 ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある。警視庁などの国際テロ関連の内部文書が流出したばかりだ。政府は漏洩(ろうえい)ルートを徹底解明し、再発防止のため情報管理の態勢を早急に立て直さなければいけない。
 流出により、もはやビデオを非公開にしておく意味はないとして、全面公開を求める声が強まる気配もある。
 しかし、政府の意思としてビデオを公開することは、意に反する流出とはまったく異なる意味合いを帯びる。短絡的な判断は慎まなければならない。
 中国で「巡視船が漁船の進路を妨害した」と報じられていることが中国国民の反感を助長している面はあろう。とはいえ中国政府はそもそも領有権を主張する尖閣周辺で日本政府が警察権を行使すること自体を認めていない。映像を公開し、漁船が故意にぶつけてきた証拠をつきつけたとしても、中国政府が態度を変えることはあるまい。
 日中関係は、菅直人首相と温家宝(ウェン・チアパオ)首相のハノイでの正式な首脳会談が中国側から直前にキャンセルされるなど、緊張をはらむ展開が続く。
 来週は横浜でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議が開かれ、胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の来日が予定されている。日中両政府とも、国内の世論をにらみながら、両国関係をどう管理していくかが問われている。
 ビデオの扱いは、外交上の得失を冷徹に吟味し、慎重に判断すべきだ。
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0932/朝日新聞の二枚舌、大阪大学・鈴木秀美の奇怪な識者コメント。

 〇朝日新聞11/06社説をあらためて読むと、「非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない」と書いている。
 奇妙で滑稽でもあるのは、ここでは「政府や国会の意思に反する行為」だから、ということが理由とされている、ということだ。「国会」というのは、正確には民主党が多数を占める衆議院のことだ。

 はて、自民党(中心)内閣・自民党多数国会だったら、朝日新聞はこんなふうに主張しただろうか。
 自民党(中心)内閣・自民党多数国会が「全面公開しない」=非公開を決定したところで、その方針が気にくわなければ(場合にもよるが朝日新聞だとそういうスタンスを採ることが多かっただろう)、「非公開の方針に批判的な」行政官僚(・「捜査機関」)をむしろ持ち上げ、勇気あるものとして称揚するのではないか。

 そもそも政府の「意思」または与党が実質的に決定した国会の「意思」に反するから「許されない」とは、一般論としても、断じて言えない。政府・与党支配の国会の判断よりも優先されるべきものがある。それこそ、朝日新聞がお好きなはずの日本国憲法が示す諸価値・諸人権であり、そうした理念や<新しい人権>の中に、「透明で開かれた行政」や「(国民の)知る権利」が含まれていたのではなかったのか?

 今回に限らないが、朝日新聞の<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>はひどすぎる。
 この社説は「もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである」と白々しくも書くが、そのあと続けて、「ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」と言う。

 一般論としてはもっともに見えるこの主張を、朝日新聞は自民党(中心)内閣・自民党多数国会時代に貫いてきたのか。あるいは、民主党に変わって、<より保守的な(または朝日の嫌いな「右派」)>政党が国会多数派を占め、<より保守的(「右派」)>政権ができた場合にも、上のようなことを断乎として主張しつづけることができるのか。

 朝日新聞は、そういう政権・国会の場合は、「外交や防衛」についての透明性・情報公開を強く(限度以上に)要求することはほぼ間違いないだろう。

 このいいかげんさ、<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>を、朝日新聞記者たちは自覚しているだろうか。

 幹部「左翼」活動家たち(論説委員の中にも当然にいる)は自覚している可能性はある。自分の新聞社が<左翼政治団体>に他ならないことを知っているからだ。

 以上、朝日社説がなぜかくも簡単に情報流出者を「許せない」と詰る(なじる)ことができるのか、不思議に思って書いた。

 国家公務員法「形式的」違反がただちに刑罰可(有罪)や懲戒処分相当という結論にはつながらない、という論点には、<形式秘>・<実質秘>の区別も含めてここでは立ち入らない。

 ひとことだけ追記すると、「起訴便宜主義」を持ち出して那覇地検の<処分保留・釈放>を「諒」とした仙石由人健忘(?)長官が、尖閣ビデオ流出以降は「流出者」を犯罪者(有罪者)のごとく断定的な言い方をしているのも、大笑いの<ご都合主義・ダブルスタンダード>だ。

 〇毎日新聞11/10朝刊に面白い識者コメントが掲載されている。

 弁護士・阪口徳雄は(本来は「左翼」的と見られる人物だが)、今回の情報流出行為は「公益通報者保護法」の保護の対象外であるとしつつ、「この程度の映像なら秘密にする必要はなかったのでは」と追加発言をしている。なお、NHK等によると、<情報法(学)>の第一人者と見られているかもしれない堀部政男(前一橋大学)は、<国会でも一部公開されているので国家機密=「実質秘」にあたるか疑問。最初から全面公開して国民の議論の対象にした方がよかった>旨を述べているようだ。

 毎日新聞の記事で<面白く>感じたのは、次の鈴木秀美(大阪大学教授・憲法)の「話」だ。以下、記事中の全文引用。

 「不祥事など政府による明らかな違法行為があったり、沖縄密約のように政府が国民に隠し続けた事実を暴くケースとでは情報の質が異なる。政府の高度な政治的判断で非公開としたものを、不満だからと一職員が流したのだとすれば、正当行為だとするのは難しい」。

 こういう場合のコメント(発言)は記者による要約・簡略化が入っているだろうから、このままそっくりを鈴木秀美なる憲法学者が喋ったのではないかもしれないが、「話」の要点だけはおそらく伝えているだろう。そのことを前提として、以下に続ける。

 この鈴木の「話」はどこやら朝日新聞11/06社説の上記部分に似ているところがある。つまり「政府」が「非公開」と決定した情報を「一職員が流した」のだとすれば「正当行為」ではない、と言う。

 本当に憲法学者がこんな趣旨を述べたのか疑いたくなるほどに、憲法感覚のないコメントだ。

 第一に、「政府」の決定に反すれば、なぜ「正当行為」でなくなるのか??

 「高度な政治的判断で」決定したかどうかは問題と関係がない。政府の「高度な政治的判断」の方が誤っている可能性があるからだ。

 第二に、鈴木秀美によると、「沖縄密約のように政府が国民に隠し続けた事実を暴く」のは、許される「正当行為」らしい。

 ここで質問したいものだ。「沖縄密約」なるものは「政府の高度な政治的判断」によって交わされ、「政府の高度な政治的判断」によって<非公開>とされてきたのではなかったのだろうか??

 こちらを「暴く」のは許され、尖閣ビデオという「政府が国民に隠し続けた」情報をオープンにする(「暴く」)のは許されない、とするのはいったい何故なのか。いかなる根拠・基準によるのか。

 鈴木秀美にも、朝日新聞と同様に<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>があることは明らかだ。

 この人にとって見ればおそらく間違いなく、民主党政府に<楯突く>ことは許されず、自民党政府に<楯突く>ことは許される、のだ。そうではないか?? 鈴木秀美よ、答えてみるがよい。

 鈴木秀美という憲法学者らしき者には、民主党政権を何とか擁護したいという心情があることが透けて見えるようだ。そうした心情を<左翼>または<何となく左翼>と称する。

 個人的にどのような心情・信条を持とうと自由だが、憲法学教授という肩書きで、<政治的心情(信条?)>を語るな、と言いたい。
 もっとも、鈴木に限らず、日本の(大学所属の)憲法学者の圧倒的多数が<左翼>または少なくとも<何となく左翼>という異様な状況にあるようなので、特別の驚きはない。自己の政治心情・信条を憲法学的(憲法解釈論的)言語を使って表明している者の何と多いことか。日本国民は、日本の憲法学界の大部分は、<世間的常識・良識>・<まともな論理>をもって生きているわけではないこと(+論文を書いたり講義したりしているわけではないこと)を、あらためて想起しておいてよいだろう。 

0931/中国(中共)御用新聞・朝日の真骨頂=11/06朝日新聞社説。

 11/06の全国紙各紙の社説は興味深い。毎日を除き、いわゆる<尖閣ビデオ>全面公開について触れている。朝日を除いて、要点のみ引用。

 産経-「ビデオ映像は、中国漁船の違法性を証明する証拠として、本来なら政府が率先して一般公開すべきものだった。遅きに失したとはいえ、菅首相は国民に伝えるべき情報を隠蔽した非を率直に認め、一刻も早くビデオ映像すべての公開に踏み切るべきだ」(最末尾)。
 読売-「尖閣ビデオ流出/一般公開避けた政府の責任だ」(タイトル)。「政府または国会の判断で、もっと早く一般公開すべきだった」。「中国人船長の逮捕以降、刑事事件の捜査資料として公開が難しくなった事情は理解できる。だが、船長の釈放で捜査が事実上終結した今となっては、公開を控える理由にはならない。/中国を刺激したくないという無用な配慮から、一般への公開に後ろ向きだった政府・民主党は、今回の事態を招いた責任を重く受け止めるべきだ」。
 日経-「迫られる尖閣ビデオの全面公開」(タイトル)。「政府には、漁船衝突ビデオについて、重要な善後策がある。映像の全面公開である」。「政府は刑事訴訟法の規定を盾に…公開できないとしてきた。しかし同規定の趣旨は、最高裁判例によれば①裁判に不当な影響を与えない、②事件関係者の名誉を傷つけない―の2点にある。/中国人船長がすでに帰国した現在、証拠ビデオを公開しても同規定の趣旨には反しない」。従って「公開しようと思えば、法律的には必ずしも不可能ではなかった。それでも一貫して公開に後ろ向きだったのは、日中関係への配慮という政治判断が働いたからだろう。/結果論からすれば、そうした対応は誤っていた」。

 異彩を放ち、さすがと思わせるのは、朝日新聞社説だ。政府の情報管理に不満を述べたのち、こう書く。

 朝日-「流出したビデオを単なる捜査資料と考えるのは誤りだ。その取り扱いは、日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な案件である」。

 だからどうなのか、次のように続ける。

 「政府の意に反し、…ネットに流れたことには、驚くほかない。/ビデオは先日、短く編集されたものが国会に提出され、一部の与野党議員にのみ公開されたが、未編集の部分を含めて一般公開を求める強い意見が、野党や国民の間にはある」。
 「もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである。政府が隠しておきたい情報もネットを通じて世界中に暴露されることが相次ぐ時代でもある。/ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」。

 「流出により、もはやビデオを非公開にしておく意味はないとして、全面公開を求める声が強まる気配もある。/しかし、政府の意思としてビデオを公開することは、意に反する流出とはまったく異なる意味合いを帯びる。短絡的な判断は慎まなければならない」。

 「ビデオの扱いは、外交上の得失を冷徹に吟味し、慎重に判断すべきだ」(最末尾)。

 なんと、上掲3紙社説と異なり、「全面公開」に消極的であり、有り体にいえば<反対>している。
 朝日社説子によると「仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない」。つまり、漏洩者=流出者は、もちろん<英雄>ではなく、酌量の余地のある公務員法形式的違反者でもなく、れっきとした「許されない」人物なのだ。

 なぜ朝日新聞は「全面公開」に反対なのか。朝日は正当にも(?)<尖閣ビデオ>は単なる「捜査資料」とは理解していない。その取り扱いは「日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な」案件だとし、「外交上の得失」を冷静に吟味せよ、と主張している。

 ここにこの新聞の本音が示されている。

 民主党政府の本音(対中配慮)を的確に把握しつつ、その本音(対中配慮)を支持し、貫け、と主張しているのだ。

 もう少しいえば、民主党・仙石らと同様に、<尖閣ビデオ>の「全面公開」によって「日中外交」が気まずくなること、つまりは中国(政府・共産党)が不満を高めることを怖れているのだ。

 「映像を公開し、漁船が故意にぶつけてきた証拠をつきつけたとしても、中国政府が態度を変えることはあるまい」とまで書いている。「全面公開」してもマイナスの方が大きい(可能性がある)し、「中国政府が態度を変えること」はないから無駄だろうとまで言っている。

 要するに、朝日新聞は、民主党政府はこれまでどおりに、中国(政府・共産党)の意向を配慮せよ、と主張している、ということに尽きる。

 「態度を変え」ようが変えまいが、すべき主張はきちんとしておくべきだと思われるが、相手の顔色を見て主張の仕方を変えよ、言っているに等しい。そのことによって、日本の利益がどうなろうと関係はなさそうだ。それが、朝日のいう「外交上の得失を冷徹に吟味」することなのだ。

 朝日はこういう主張を、どの外国との関係でも行うのではあるまい。上のような主張の中には一般論としては全面的には誤ってはいない部分が含まれてはいるが(その意味でもじつに巧妙だ)、今回の事件が、そして<尖閣ビデオ>が、中国(政府・共産党)を一方当事者とするがゆえにこそ、そのように主張しているに他ならないだろう。

 古くからもつDNAは生きたままだ。日本の有力な新聞の中に、このような、自国(日本)よりも中国(政府・共産党)の利益・意向を優先する新聞がある。

 たんなる政治的見解の相違というよりも、この新聞社(・幹部・論説委員・政治部や国際部の記者たち)は、とっくに中国(政府・共産党)に籠絡されているのだろう。あるいは端的に、事実上は、中国(政府・共産党)の支配下にあると言ってよいのだろう。

 注-「真骨頂(しんこっちょう)」=「そのものの本領(本来の姿)」(新明解国語辞典)。

0921/藤生京子という朝日新聞記者の書いた記事(2010年8月)。

 朝日新聞の今年(2010年)8月23日(と思われる)記事にこんなものがあった。執筆者の朝日新聞記者「藤生京子」は、親マルクス、親コミュニズムのようだ。あるいはマルクス主義に何がしかの<郷愁>を持っていると見える。この新聞社に入社すると、かりにそれまではまともな精神をもっていても、「社風」という<空気>の影響を(可哀想に)受けてしまうのだろう。いかにも朝日新聞らしい記事として、記憶に残されてよいと思う。

 それにしても、冒頭の「…カール・マルクス…が、このところ相次ぐ入門書や解説書、新訳の刊行で、再び注目されている」というのはいかなる<事実>をいうのだろうか。朝日新聞または藤生京子が<注目したい>と主観的に考えている、というだけのことではないのか。

 なお、①「左翼政党の後退は著しい」と書くが、日本の民主党も十分に「左翼」政党であることを読者一般に知らせたくないのかもしれない。日本の「左翼」政党は(少なくとも<左翼>が首脳部に居座る政党は)日本共産党と社会民主党に限られはしない。②途中に出てくる長谷川宏は、今どき丸山真男を<持ち上げる>新書(講談社現代新書)を書いている人物。③途中に出てくる「かもがわ出版」は、北朝鮮拉致被害家族の運動を<政治的に偏向>していると批判して、みずからの<政治的偏向>を明瞭にした蓮池透・拉致-左右の垣根を超えた闘いへ(2009.05)〔この欄で取り上げる暇がなかった〕を出版している、日本共産党系(かつ北朝鮮系?)と見られる出版社。

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 <見出し>今、再びマルクスに光 入門・解説書や新訳、相次ぎ刊行

 <リードと本文> 冷戦終結とともに葬り去られたはずのカール・マルクス(1818~83)が、このところ相次ぐ入門書や解説書、新訳の刊行で、再び注目されている。現実政治への影響力は薄れたが、経済のグローバル化や環境問題、個人の生き方など、21世紀の課題に向き合う思想として新たな光を放ちつつある。

 〇現代の課題に向き合う

 「強靱(きょうじん)な論理でぐいぐい読者を引っぱりながら、瞬間的な目くらましで跳躍する。作家・マルクスのドライブ感あふれる文体について、書きたいと思っていた」

 内田樹(たつる)・神戸女学院大教授(フランス現代思想)が熱を帯びた口調で語る。

 同僚の石川康宏教授(経済理論)との共著『若者よ、マルクスを読もう』(かもがわ出版)を6月に出した。『共産党宣言』『経済学・哲学草稿』などマルクス青年期の著作を往復書簡の形で解説。今後も『資本論』など続編を発表していくという。

 「座標軸をなくした日本社会には、一本筋の通った左翼の存在が必要だと思う。今の若者は左翼アレルギーが強いが、ブルジョアジー出身のマルクスが弱者への友愛から連帯の思想を紡いでいったように、本来の左翼的知性とは熱くて柔軟なものだ」

 とはいえ、礼賛だけの本ではない。「マルクスにどっぷりつかってきた」という石川教授と、違いを認め合いつつ進める対話は、左翼につきものだった党派対立をこえる実践の書としても読める。

 マルクスを呼び戻そうとする思潮は欧州でも目を引く。近著『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書)が話題を集めるスロベニア生まれの思想家ジジェクは、現代社会は環境破壊や遺伝子工学による倫理破壊などによって「世界の終わり」に達していると警告。それはマルクスの指摘した「実質なき主体性」に帰すものだとみる。

 6月に新訳『共産党宣言』(作品社)を発表した的場昭弘・神奈川大教授(経済思想)も確信を込めて言う。「千年、二千年単位で構想されたマルクスの世界観にとって、ソ連・東欧の失敗は序曲にすぎない。共産主義を求める波は今後も繰り返し訪れる」
 新訳は、一文ごとの詳細な解説を含んだ付録資料が400ページに及ぶ。マルクスの著作は実はきちんと読まれてこなかった、と的場教授は考えるからだ。たとえばブルジョアジーが競争と自由をもたらしたことを評価した点。疎外された労働も一方で人々をつなぐ喜びの源だとした点。「マルクスの魅力は、矛盾をはらんだ二重性の豊かさにあるのです」

 「豊かさ」は、6月に『経済学・哲学草稿』の新訳を光文社古典新訳文庫から発表した哲学者、長谷川宏さんが力を込める点でもある。学生運動のあと40年間、私塾で子どもたちに教えるかたわら研究を続けてきた。主著『資本論』よりも、『経済学・哲学草稿』が問題提起する人間と自然、社会との信頼関係のほうが、きわめて今日的なテーマとして身に迫ってきているという。

 「政治解決できる問題など実際には少ない世の中で、一人ひとりがどう生きたらいいのか? マルクスが、人が地べたで生きていること自体に可能性と希望を見た意味は、深いと思う」

 〇思想見極め選ぶ時代に

 左翼政党の後退は著しい。なのにマルクスが読み直される状況について、近く現代書館から『労働者の味方マルクス』(仮題)を出す橋爪大三郎・東工大教授(社会学)は「アナーキーでクレージーな思想家も安全に受け入れられる時代になった」と話す。

 「政権交代が起きたのが象徴的だが、労働者が革命を起こす前提が日本では完全に消滅した。マルクスも、社会改善のヒントを提供する一人になったということだ」

 橋爪教授は、それをある意味での「進歩」と呼ぶ。思想の側に無理やり人々があわせるのではなく、信頼と納得ができる思想かどうかを人々が見極め選ぶ時代がやってきたというのだ。

 「牙を抜かれたマルクスから、また新しい思想が生まれていくと思う」(藤生京子
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0898/朝日新聞社説6/02等と6/03の落差・矛盾を朝日新聞社員は自覚せよ。

 6/02にこの欄で紹介したように、朝日新聞5/29社説は次のように明確に書いていた。
 ・「…旧時代の『政局』的視点から首相の進退を論じるのは惰性的な発想である」。
 ・「鳩山首相が退いても事態が改善されるわけではないし、辞めて済む話でもない。……。そのいばらの道を、首相は歩み続けるしかない」。
 朝日新聞6/02社説は次のようにも明確に主張していた。
 ・「首相退陣論―これで逆風はかわせない 目前の参院選を何とか乗り切るために、鳩山由紀夫首相に辞めてもらう。そういう狙いが見え見えである。考え違いというほかない」。
 ・「昨年の政権交代の大義は、……首相の座を『たらい回し』してきた自民党政治との決別」だった、「政治の質を根本的に変える試みの意義は大きい」。/ 「そうした政治の流れから誕生した首相を退陣させようというのなら、早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか。それなしに『たらい回し』に走るのは、民主党の自己否定に等しい」。
 衆院解散・総選挙なくして衆議院の多数議席を背景に首相の座を「たらい回し」するのは「民主党の自己否定に等しい」と主張していたのだ。
 しかるに、鳩山由紀夫が退陣表明した翌朝6/03の朝日新聞社説は何と書いたか?
 「鳩山首相が退いても事態が改善されるわけではないし、辞めて済む話でもない。……。そのいばらの道を、首相は歩み続けるしかない」(上掲)という立場からの批判はどこにもない。
 「再び政権選択を求める」ことなく「『たらい回し』に走るのは、民主党の自己否定に等しい」と明確かつ偉そうに(?)書いた、その主張はどこへ行ったのか??
 朝日新聞という新聞は、本当に厚顔無恥だ。6/03社説では、掌を返したように、次のように書いた。
 ・「歴史的な政権交代の意義を無駄にはできない。今回のダブル辞任が『平成維新』の出直しに資するなら、必要な通過点だと考えるべきだろう。/問題はすべてこれからである」。
 前の日に「考え違い」、「民主党の自己否定」 と書いておきながら、翌日には、この新聞は、(いちおうの条件つきながら)「必要な通過点だと考えるべきだろう」と、鳩山辞任表明と民主党を擁護したのだ。何という節操のなさ!! 恥ずかしくないのだろうか。
 ぬけぬけと、「問題はすべてこれからである」とも書いた。
 これは、前日までの(上に紹介したような)社説の主張・内容はすべて御破算する、との居直りも含んでいるのだろう。
 また、「再び政権選択を求める」=衆議院解散・総選挙による首相の交代を主張していたはずなのだが、6/03社説は最後に、とってつけたように次のように付記した。
 ・「…一定の判断材料を国民に示したうえ、なるべく早く解散・総選挙をし、信を問うのが筋である」。
 <たらい回し>=民主党の自己否定という見解が、ここではなくなり、、「再び政権選択を求める」のは「なるべく早く」と一気に後退した。
 <なるべく早く>とは、いったいどのくらいの早さなのだろう。民主党に対する、何とやさしい、物わかりのよい、<変調>なのだろう。面白いが如き論調の変化だ。所詮、朝日新聞とはこの程度の新聞なのだ。この<左翼・親中>新聞が2000万ほどの読者を持っているらしいのだから(販売部数×3)、日本が奇妙な方向へと堕しつづけるのも不思議ではない。
 近づく参議院選挙に関するこの新聞の社説や報道ぶりが<客観的>であるはずがない。輿石某が日教組・教員運動について語ったらしいように、<政治的中立性(・客観性)>が、この<政治団体>でもある新聞社にあるはずはない。

0892/朝日新聞社説は早期の「衆院解散・総選挙」を要求せよ。

 鳩山由紀夫首相、退陣表明。
 誰かが書いているだろうが、やはり書いておく。
 朝日新聞5/29社説は「歴史的事件から1年もたたない。政治的な未熟さの克服が急務とはいえ、旧時代の「政局」的視点から首相の進退を論じるのは惰性的な発想である」と書いた。
 また、「鳩山首相が退いても事態が改善されるわけではないし、辞めて済む話でもない。……。そのいばらの道を、首相は歩み続けるしかない。/そのためには民主党が党をあげて、人事も含め意思決定システムの全面的な再構築を図り、政権の態勢を根本から立て直さなければならない」と書いて、「辞めて済む話」ではない、民主党は「政権の態勢を根本から立て直」せ、と叱咤激励(?)していた。
 せっかくの朝日新聞り暖かい?助言も叶わなかったようだ。
 朝日新聞6/02朝刊の社説はさらに興味深い。むろん鳩山の退陣表明の数時間又は十数時間前に書かれたものだ。
 まず第一文。「首相退陣論―これで逆風はかわせない 目前の参院選を何とか乗り切るために、鳩山由紀夫首相に辞めてもらう。そういう狙いが見え見えである。考え違いというほかない」。
 明日の朝日新聞では、「目前の参院選を何とか乗り切るために、鳩山由紀夫首相に辞めてもらう。そういう狙いが見え見えである。考え違いというほかない」とあらためてもう一度しっかりと書いていただきたい。朝日新聞という「政治団体」に関心のある人々は明日の紙面を注視すべきだ。
 また、朝日新聞6/02朝刊社説はこうも書いた。
 「昨年の政権交代の大義は、……首相の座を「たらい回し」してきた自民党政治との決別」だった、「政治の質を根本的に変える試みの意義は大きい」。
 「そうした政治の流れから誕生した首相を退陣させようというのなら、早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか。それなしに「たらい回し」に走るのは、民主党の自己否定に等しい」。
 そのあと、「いま民主党がなすべきは、政権8カ月の失敗から何を学び、どこを改めるのか、猛省すること」だ、とか、「本来の理念や方向性は生かしつつ、公約を少しでも実現可能なものに書き改め、参院選で有権者に投げかける。/それしか失われた政権への信頼を取り戻す道はない」とか書いて、叱咤激励または暖かい?助言をしているのだが、上の段落に引用した文章は朝日新聞社説の歴史的文章として現在も将来も長く記憶される必要がある。
 すなわち、「首相の座」の「たらい回し」を「自民党政治」だとして批判している。そして首相「退陣」を求めるならば、「早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか」と明言している。
 誰が次期首相になるかは分からないが、朝日新聞は、「自民党」的「たらい回し」をするな、と主張し、かつ首相「退陣」要求するならば「早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべき」だと明言したのだから、その論理的帰結は当然に、次期内閣は選挙管理内閣で、次期首相によって「早期に衆院解散・総選挙を実施」することを主張し、要求することになるはずだ。
 はたして、明日(以降)の朝日新聞社説は早期の「衆院解散・総選挙」を要求するかどうか。そうでないとすれば、6/02朝刊の社説の主張はいったい何だったのか、ということになる
 新しい(菅直人?)首相のもとでの内閣の政策等をしばらく見守ろうなどの見解を示すとすれば、やはり朝日新聞は信用の置ける新聞では全くないこと(「左翼・政治」団体であること)が明らかになるだろう。
 新内閣の発足・継続を認め、そのもとでの「衆院解散・総選挙」をすることのない参院選挙の実施を容認するということは、朝日新聞が厳しく批判してきた<「首相の座」の「たらい回し」>そのものではないか??。
 朝日新聞社説は早期の(例えば参院選と同日投票になる)「衆院解散・総選挙」を要求すべきだ。そう主張しないと論理一貫しないはずだ。
 朝日新聞論説委員たちよ、君たちがまともな神経と感覚の持ち主ならば、これまでに書いた趣旨が理解できるだろう。君たちがまともな神経と感覚の持ち主ならば、早期の(例えば参院選と同日投票になる)「衆院解散・総選挙」を要求せよ

0891/朝日新聞は民主党・鳩山内閣の継続を願う。

 朝日新聞はふざけた新聞だ。精神衛生に悪いので継続的にウォッチはしていないが、たまに読むと<あゝやはり>と感じてしまう。
 古いが、5/03の社説は当然に憲法のことを扱っていた。だが、「広範な議会への町民参加」や市民の「参加と協働」を旗印にしているという北海道福島町や三鷹市について好意的に言及しながら、5/18に施行された(5/03の時点では施行予定の)憲法改正手続法についてはひとことの言及もない。そして、同法によって想定されている国会(各議院)の憲法審査会が「現在全く機能していない」(同日の一般記事)ことについても、ひとことの言及もない。
 このようにあえて言及しない、書かれていないことにこそ、朝日新聞の体質・本音がある。憲法改正論議が活発になってとくに9条2項が改廃されることは、戦後<平和・民主主義>路線になおもしがみついている朝日新聞にとっては都合が悪いわけだ。
 したがって、朝日新聞の読者には、憲法改正手続法施行の重要性や憲法審査会の機能不全の奇妙さが伝わらないような社説になっている。彼らから見れば当然の書きぶりなのだろうが、やはり卑劣な「活動家」集団だ。
 比較的最近の5/29社説も面白い。
 この社説も含めて、民主党や鳩山由紀夫首相に対する批判的な記事・コメントや社説も書いてはきている。だが、そのような民主党や鳩山由紀夫代表を支持して<政権交代>を煽った昨年前半の自分たちの紙面作りについての反省の気分は、もちろん示さない。
 5/29社説は最後にいう-「何より考えるべきなのは鳩山政権誕生の歴史的意義である。有権者が総選挙を通じ直接首相を代えたのは、日本近代政治史上初めてのことだ。/政治改革は政権交代のある政治を実現した。永久与党が短命政権をたらい回しする政治からの決別である。選ぶのも退場させるのも一義的には民意であり、選んだらしばらくはやらせてみるのが、政権交代時代の政治である。/歴史的事件から1年もたたない。政治的な未熟さの克服が急務とはいえ、旧時代の「政局」的視点から首相の進退を論じるのは惰性的な発想である。」
 第一に、「有権者が総選挙を通じ直接首相を代えたのは、日本近代政治史上初めてのこと」だなどと2009総選挙を<絶賛>するのはバカげているし、事実にも反する。「…初めて」ではない。これまでも総選挙または参院選挙の結果として当時の首相が<責任>をとり首相が<代わった>ことはある。
 自分たちの<政権交代>に向けての報道ぶりを自賛し、立派なことをしたと改めて思っておきたいのだろう。ここには、自らの報道姿勢に対する反省の気分はどこにもない。
 第二に、「旧時代の『政局』的視点から首相の進退を論じるのは惰性的な発想である」として、「首相の進退」論への言及を避け、かつ論じることを<封印>すべきとの主張をしている。
 ここには、民主党(中心)政権をなお擁護し、このままの継続を願っている朝日新聞の見解・主張が表明されている、と考えられる。
 支持率が20%程度になっている世論調査結果が続いていれば、自民党政権であるならば、朝日新聞は、<民意を問い直せ>、現在の新しい民意を確認するために<解散・総選挙を!>と社説で喚いていた可能性がある。
 <民意>を重視するはずの朝日新聞がなぜこういう主張の片鱗も示さず、「首相の進退」論への言及にすら消極的であるのは、自民党政権ではなく、現在が非・反自民党の民主党(中心)政権であるからに他ならないだろう。
 朝日新聞は「左翼」活動家集団らしく、巧妙に使い分けているのだ(ご都合主義、ダブル・スタンダード)。
 朝日新聞の<政略>はどうやらはっきりしている。世論の動向をふまえて現政権の具体的政策・行動を個別的には批判することがあっても、決して現在よりも<右寄り>・<保守的>方向へと基軸を移した政権に代わらせない、ということだ。
 民主党・鳩山政権を批判しつつも、そうかといって自民党への期待が増えているわけではない、というムードは、ある程度は、マスメディア自身が作ってきている。結果としてはずるずると民主党(中心)政権を継続させたい、というのが「左翼」政治団体・朝日新聞の本音だろう。
 三年前の参院選挙の前はどうだったか。ちょうど5-6月あたりは<消えた年金>でマスコミは大騒ぎをしていた。その問題があることはもっと以前から明らかになっていたにもかかわらず、集中的に朝日新聞等が取り上げるようになったのは5月くらいからだった。
 政治家・国会議員の<事務所経費>問題は、いったい何だったのだろう。<カネ>の問題ではあったが、近年に明らかになっている小沢一郎や鳩山由紀夫の<政治とカネ>の問題に比べれば、じつに瑣末な問題だった。にもかかわらず、マスコミは<なんとか還元水>問題と大騒ぎし、当時の安倍晋三内閣の閣僚・農水大臣は自殺までしてしまった。やはり<事務所経費>問題でターゲットにされた後継の農水大臣は顔の<ばんそうこう>をテレビのワイドショー等の話題にされ、虚仮(こけ)にされた。
 政治家・国会議員のあの当時の<事務所経費>問題は、刑事事件になっていたわけではなく、捜査の対象になっていたわけでもなく、「脱税」問題でもなく、せいぜい政治家の<倫理>程度の問題だった。現在の小沢一郎や鳩山由紀夫の<政治とカネ>の問題とは質的に異なる。
 なぜ三年前、朝日新聞等は<事務所経費>問題で大騒ぎしたのか。そして、なぜ、自民党が<大敗北>した参院選後は、<事務所経費>の話題はピタッと止まってしまったのか(そして現在でも関心は持たれていない)。
 言うまでもなく、朝日新聞等が参院選での自民党(・安倍内閣)の敗北・後退を企図して組んだ(一時的な)「政治的」キャンペーンだったからだ。
 朝日新聞は現政権を批判するかもしれないが、<こうすれば支持は回復するよ>的な、民主党・鳩山由紀夫に好意的な「アドヴァイス」としての「批判」も多分に含まれている。
 再び5/29社説に戻れば、「選んだらしばらくはやらせてみるのが、政権交代時代の政治である。/歴史的事件から1年もたたない。…旧時代の『政局』的視点から首相の進退を論じるのは惰性的な発想である」とは、よくも言えたものだ。
 「選んだらしばらくはやらせてみるのが、政権交代時代の政治である」。この「しばらく」は最低でも一年間くらいは意味していそうだ。かりに将来、非・反民主党の新政権が誕生したときには、朝日新聞のこの文章を、きちんと思い出す必要がある。
 また、「『政局』的視点から首相の進退を論じ」てきたのはかつての朝日新聞こそではないか。自己批判もなく、よくもしゃあしゃあと、と呆れてしまう。
 朝日新聞の基本的路線が現実化するようでは、<日本>と日本国民のためにはならない。
 追記-①「仕分け人」民主党・蓮舫の<事務所経費>問題を週刊誌が昨年末か今年初めにとり挙げたことたがあった。その後、この問題はなぜ話題にならなかったのだろう。
 ②鳩山由紀夫から政治活動費(・選挙運動費)として<カネ>をもらったとの証言があり、出所は母親から提供された潤沢な資金の一部だと想定されたが、なぜマスメディアはその後この問題を追及しなかったのだろう。
 新党さきがけの結成やその後の民主党の結成に際して<鳩山資金>が重要な役割を果たし、そのことによってこそ鳩山由紀夫が要職に就けたということは、ほとんど<常識>的な想定なのではないか。
 当然に鳩山は出所を知っていたし、何に使ったかも(厳密な詳細まではともかくとしても)知っていたと思われる。なぜマスメディアはその後この問題を追及し続けないのだろう。
 <やましい金ではないし、やましい目的のために使ったわけでもない>旨の鳩山由紀夫の釈明は、ウソだと推測される。
 ③中井(ハマグリ?)国家公安委員会委員長の議員宿舎キー渡し問題は、国家の「公安」にかかわる。私的な問題に過剰に立ち入る必要はないとしても、この問題はもっと大きく<騒がれて>よく、中井の大臣としての資質・資格にかかわる問題だったと思われる。
 自民党内閣の閣僚であるならば、朝日新聞と同社グループの写真誌等は連日の如く取り上げ<大騒ぎ>をし、場合によっては、クビが飛んでいたのではないか。
 なぜ、マスメディアはその後この問題を追及し続けなかったのだろう。
 何も調べずに頭に浮かんだだけでも上の三つがある。
 私に言わせれば、マスメディアの民主党・鳩山内閣・鳩山由紀夫に対する態度は、まだまだひどく<甘い>。そこに<戦後体制>の維持という「政治的」意図が隠されていることを、多くの国民は知らなければならない。

0880/朝日新聞5/3の憲法に関する世論調査結果報道。

 一 憲法記念日、5/3の朝日新聞。一面左上に、「憲法について朝日新聞社が実施した全国世論調査」の結果の要点が載っている。
 付されている見出しで最大のものは「9条改正67%反対」、続いて「『平和に役立つ』7割」。
 この見出しの付け方は、世論調査の結果のうち朝日新聞にとって好ましい部分を特記している。これらの見出しの内容自体が調査結果から逸脱しているのではなさそうだ。だが、これらを選ぶこと自体が、朝日新聞の<体質>を表している。一面記事の署名は、「石原宗幸」。「左翼」心情者あるいは九条護憲教の信者なのだろう。
 二 3面に正確な諸データが載っている。
 1.一面に最小の活字で書いてはいるが、<憲法全体についての改正の要否>の問いについては、改正の「必要がある」47%、「必要はない」39%。朝日新聞はこの数字は軽視したいようだ。
 改正必要・改正不要の理由の問いもあり、改憲派の「15%」が「9条に問題があるから」、10%が「自分たちで新しい憲法を作りたいから」。一方、護憲派の「33%」が「9条が変えられるおそれがあるから」。
 これによると、9条護持を理由としての改正不要(護憲)派は、39%×33%で約13%。一方、9条を問題視しての改正必要(改憲)派は47%×15%で約7%になる。これに「自分たちで新しい憲法を作りたいから」も加えると、47%×25%で約12%だ。
 朝日新聞が報道したい見出しからする印象よりも、9条にかかわる憲法改正問題の世論調査において、改正必要(改憲)派はかなり頑張っている(なお多く存在している)と評すべきではなかろうか。
 9条護持のための護憲派13%に対して、9条を問題視する改憲派は7%、「自主」憲法作りを理由とする改憲派をも含めると12%になる。ほぼ拮抗している、とも言える。
 2.「9条改正67%反対」という見出しの根拠になっている数字が出ている問いの文章は、「憲法は9条で『戦争を放棄し、戦力は持たない』と定めています。憲法9条を変える方がよいと思いますか。変えない方がよいと思いますか」。回答は前者24%、後者が(見出しになっている)67%。
 この数字もなお24%というほぼ1/4が9条改正賛成であることを示しており、かなり明確な9条改憲「潮流」はあることを示している、とも読めるだろう。
 上のことよりも気になるのは、朝日新聞の質問が、「憲法は9条で『戦争を放棄し、戦力は持たない』と定めています」という文のようであることだ。戦争についての侵略戦争と防衛(自衛)戦争の区別はなく、9条1項と2項の意味の違いも何ら説明もしていない。
 細かいことを言っても読者(素人)は分からないとバカにしているのかもしれないが、こんな質問文が通用しているがゆえにこそ、9条の1項と2項の意味の違いを知らずに、たんに9条全体が「『戦争を放棄し、戦力は持たない』と定めて」いる、というだけの理解が大多数国民に蔓延しているのだと思われる。
 3.つぎの質問に対する回答結果はかなり興味深い。質問は「いまの憲法9条は、これからの日本の平和や東アジアの安定に、どの程度役立つと思いますか」。回答は、「大いに」16%、「ある程度」54%、「あまり役立たない」19%、「まったく役立たない」3%。
 9条の<平和>貢献度につき、計22%が「あまり」または「まったく」役立たないとしていることも興味深い。ほぼ5人か4人に一人が<クール>に見ている。
 より興味深いのは、一面見出しには「『平和に役立つ』7割」と謳っているにもかかわらず、そのうち「大いに」は16%にすぎないことだ(「ある程度」も含めて「7割」になる)。
 ギリギリ捏造見出しにはならないだろうが、それはともかく、「これからの」ではあれ「日本の平和や東アジアの安定」に9条が「大いに役立つ」とするのは16%にすぎない
 社民党は全体として、共産党や同党員の少なくとも一部は、<9条があったからこそ、日本の平和は守られてきた>と理解し、主張してきたはずだ。この主張・見解をそのままに支持している者は16%程度しか存在しない、ということを意味しているように思われる。国民はけっこうリアルに判断し、感じているのではないか。むろん、こんなことを、朝日新聞は指摘したり、強調したりはしていない。さすがに、「左翼」朝日新聞。
 朝日新聞5/3の記事についてはまだ書きたいことがあるが、別の機会にする。

0872/鳩山由紀夫「ルーピー」首相はやはり鈍感。ついでに朝日新聞。

 1.鳩山由紀夫首相は4/28に、東京検察審査会での小沢一郎「起訴相当」議決のあと、こう言ったらしい。

 政府としては「検察の判断に予断を与えることになるから、私は何もいうべきではない」。(したがって?)小沢氏は幹事長として「引き続き(このまま)頑張っていただきたい」。

 首相が小沢につき「このまま頑張って…」と言うこと自体が、小沢一郎にかかわる刑事問題について何らかのコメントを発している、少なくともそのように受け止められる可能性がある、ということを、この「現実から遊離した(ルーピー)」首相・鳩山由紀夫は分かっているのだろうか。

 もともとその発言ぶり等から、首相としての資質が疑問視されるている人物だが、上の簡単な言葉にもそれは表れているだろう。
 政府としては「検察の判断に予断を与えることになるから」余計なことは言えない(言わない)というつもりならば、同じ会見・コメントの場でつづけて、小沢氏は幹事長として「引き続き(このまま)頑張っていただきたい」ということも言うべきではないのだ。
 この程度のことが分からない人物が首相を務めているのだから、怖ろしい。
 鳩山由紀夫については「病気ではないか」とか「ビョーキ」とかの論評も出てき、また「現実から遊離した」とのまことに適切な形容も出てきた。
 その資質・基本的素養・能力への疑問は昨秋からすでに感じていたことだ。何だったか特定できないが、記者への受け答えを見聞きしていて、この人はどこかおかしいのではないか?、自分の地位・責任をきちんと理解しているのか?と感じてきた。
 だが、それでも、次のように昨秋11月初旬には書かざるを得なかった。

 「だからこそ、鳩山由紀夫のブレ等々にもかかわらず、少なくとも来年の参院選挙くらいまでは、鳩山政権が続きそうだとの予想が出てくる」(注-「だから」とは自民党のだらしなさを指す)。
 これを書いたとき、「来年の参院選挙くらいまで」とすることに、かなりの勇気または思い切りが必要だった。
 鳩山政権が発足して一年くらいは政権(内閣)がつづくだろうことは当時はまだ当然視されていて、衆議院での民主党の多数派ぶりからして3~4年間の継続を想定していた人たちも多かっただろう。したがって、<来年の参院選挙くらいまでは、鳩山政権が続きそうだとの予想>というのは随分と思い切って、少なめに見積もって書いたのだった。個人的には、本当にこの人物が2~4年も首相の任に耐えられるのだろうか、と感じていたからこそ、あえて<来年の参院選挙くらいまでは>という表現を使った。

 ところが現在では、5月末・6月初めまたは遅くとも7月参院選以前での鳩山退陣がかなりの現実性をもって語られている。

 実際にどうなるのか分からないが、昨年の10月・11月頃に比べれば政治状況・世論は大きく変化している(ようだ)。

 2.「無党派層」とは「日和見層」・「流動層」であって、マスメディアによる評価・ムード作りによって、どうにでも転ぶ(または「転びそうな」)人たちのことだ。
 「無党派」などという体裁のよい(?)、または「支持政党なし」層などという中立的な(?)言葉は使わない方がよいと思われる。
 この「日和見層」・「流動層」・<マスメディアによる評価・ムード作りによって、どうにでも転ぶ(転びそうな)人たち>に対して、これから参院選(の投票日)までマスメディアはどういうメッセージを発するだろうか。
 とくに朝日新聞はどういう<政治的戦略>のもとで報道し、記事を書き、紙面を編集するだろうか。「左翼」活動家集団・朝日新聞は、そろそろ基本的な<政治的戦略>を決定しているだろう。

0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。

 中川昭一の死の報に接して書きたいことがあったが、気が重く、書き込めなかった。
 中川は1983~2009年の間、国会(衆議院)議員だった。25年以上も議員として務めてきて、内閣や党内での要職を占めたこともあったのだから、2009年8月衆議院選挙での落選はショックであったに違いない。
 そして、落選していなければ、つまり当選(比例復活であっても)していれば、まだ存命だったのではないか。
 中川は自分は有権者(選挙区民)に必要とされなった(否定された)、との感慨・コメント
を述べたと伝えられる。その結果としての落選の衝撃と失意は、9月に入って議員でない生活を続けている間に、じわじわと精神的にも肉体的にも彼を苦しめただろう。そしてまた、昨年冬の所謂<もうろう会見>が自民党の敗北の原因の一端にはなっただろうと意識もしただろうから、<責任>を感じてもいたに違いない。
 精神・神経の疲労(大雑把にいってストレス)が心筋梗塞等々につながって肉体的な死の原因の一つになることはよく知られていることだ。
 中川昭一は落選したからこそ死んでしまった、と考えている。
 なぜ落選したのか。北海道11区の有権者が対立候補よりも彼に相対的多数票を与えなかったことにある。そしてまた、そのような有権者の投票行動の大きな背景が<反自民・政権交代>ムードを徹底的に盛り上げた朝日新聞や朝日新聞的なテレビ等のマスメディアにあることも間違いない。
 北海道11区・十勝の有権者が、ひいてはマスメディアが、中川昭一を死に至らしめたのだ。むろん刑法上の罪は問えないが、有権者と朝日新聞等が彼を<殺した>のだ。そう思っている。
 朝日系かTBS系か忘れたが(日テレ・フジ系ではなかったと思う)、中川昭一の死を報道するに際して、再びあの<もうろう会見>の映像を流し(泥酔が原因ではなかったともされる)、<死者にムチ打つようですが、あれはやっぱりみっともなかったですね>と(たしか女性の)キャスターに言わせたテレビ局があった。
 このようなマスディアの(特定の政治家に対する)意図的・政治的な冷酷さこそが、中川を苦しめ、死に至らしめたのだ(他にも自殺等々の原因がマスメディアにあると考えられる場合があるが、こでは触れない)。
 加えて、鈴木宗男の名も挙げておく必要があるだろう。鈴木はかつての師の子息である中川昭一の属する党・自民党ではなく民主党と共闘し、北海道でも中川の対立候補を応援した。比例復活ならずの原因も含めて、中川の落選(そして死)の原因の一つは鈴木宗男の判断・行動にもある。
 北海道11区・十勝の有権者は思い知るべきだ。むろんまだ有罪と確定したわけではないが、1月15日に逮捕されたのは、北海道11区で中川昭一に勝って当選した民主党の石川知裕(小沢一郎の元秘書)だ。
 なぜ中川を当選させなかったのか。ぎりぎりでも当選していて国会議員であり続けていけば、おそらく彼はまだ生きている(それだけ落選の精神的衝撃は深刻だったと言うべきだ)。
 悔やんでも仕方がないことではある。マスメディアを批判してもここでの一文は何の意味もないだろう。だが、せめて、北海道11区・十勝の有権者には、(マスコミの造りだしたムードに乗っかって)中川を落選させてよかったのか、石川知裕を当選させてよかったのか、と少しは疑問をもってほしいものだ。
 相当に遅れた記述になる。痛憤の思いは書き尽くせない。よりにもよって中川昭一を殺さなくてもよいではないか…、<神・運命>が存在するとすれば、いったい何のつもりか…。
 

0837/<左翼・容共(親中・隷中を含む)>政権の先導役・朝日新聞。

 一 朝日新聞には感心する。文化・芸能・スポーツ等々、日本共産党の機関紙・赤旗にスポ-ツ欄やテレビ欄があるのと同様に、まるで一般的諸問題を扱い、あるいは高校野球大会(夏の甲子園)の主催者にもなって、まるでふつうの・まともな新聞社・団体であるかに装ってはいるが、その実、見事に<左翼・容共(>親中・隷中)>で、民主党新政権を支持・掩護する政治団体であることを隠そうとする、その巧みさに、だ。しかし、-。
 今月に朝日新聞社系出版社から出た本に、あくまで例えばだが、朝日ジャーナル別冊1989-2009/時代の終焉と新たな幕開け-希望の思想はどこにあるのか?、がある。ここでは2009年の政権交代が「新たな幕開け」と肯定的に理解されていることは間違いない。はたしてそうか。良い方向への「幕開け」だったかどうかを判断するのは、少なくともまだ早すぎる。
 山崎養世・高速道路無料化-新しい日本のつくり方(朝日文庫)というのも、今月に出ている。この本は、「民主党のブレーンでもある著者が、無料化問題を集大成。『無料化こそが日本経済を復活させる』成長戦略であることを明快に説く」ものらしい。朝日新聞が民主党および民主党ブレーンを好んでいることは明らか。
 先月(9月?)には、表紙に「民主党がわかる/民主党衆院議員308人完全データ」等と書かれた、アエラ2009年10月号増刊が書店に並んでいた。選挙直後に、表紙に「民主党革命」と大きく謳ったのは、週刊朝日だった。
 二 最近の社説を見て喫驚したのは、11/23付「外国人選挙権―まちづくりを共に担う」だ。
 これを読むと、朝日新聞は民主党政権を支持し掩護するのみならず、自分たちが好ましいと考える方向へと政権を先導する役割をも果たそうとしているようだ。<左翼・容共(>親中・隷中)>への世論誘導者でもあり、アジテーターでもある。
 むろんかつての(今もある?)「左翼過激派」 活動団体のビラのような、煽情的な書きぶりはしない。紳士的?に書いてはいる。だが、中身はすごい。
 ①「鳩山政権は『多文化共生社会』をめざすという。実現へ踏み出すときではないか」。「…そうした外国人を排除するのではなく、多様な生き方を尊重する社会にしたい」。
 ここでの「多文化共生社会」・「多様な生き方を尊重する社会」とは近年の「左翼」が好んで口にするフレーズであることを読者は知らなければならない。あるいは、こんな情緒的な言葉でもって、外国人(地方)参政権付与の是非を議論してもらっては困る。
 ②「世界を見ても、一定の要件を満たした外国人に参政権を付与する国は、欧州諸国や韓国など40あまりに上る」。
 読者はこれを読んで、世界の傾向などと誤解してはいけない。欧州にはEUの存在などの特有の事情がある。それに、この社説が「一定の要件を満たした外国人に」とだけ書いていることに注目すべきだし、かつその「一定の要件」を朝日新聞社説は明確に書いていないのも杜撰であり、じつは卑劣だ。
 ③反対論の中には、「人々の不安をあおり、排外的な空気を助長する主張」があり、「首をかしげる」、と書く。これは一種のデマゴーグ文章だ。反対論=<排外主義>者(排外的・偏狭なナショナリスト)とのレッテルを貼ろうとしている。
 ④民主党は国交のある国籍の者に限る=北朝鮮国籍者を排除する法案を検討しているらしい。これにも朝日社説は噛みつく。現時点の民主党よりもさらに<左翼(容共)>に位置する主張だ。「左」から民主党を実質的に批判していることになる。
 「しかし、朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない。良き隣人として共に地域社会に参画する制度を作るときに、別の政治的理由で一部の人を除外していいか。議論が必要だろう」。
 「北朝鮮を支持しているわけではない」者を配慮した文になってはいるが、実質的・結果的に親北朝鮮の姿勢であることは明らか。北朝鮮だけを特別扱いするな、と言いたいわけだ。
 また、「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない」ということは、選挙権付与のためのまともな根拠になるのか。つまり熱烈な北朝鮮体制支持者であれば選挙権を付与しなくてもよい、と朝日新聞は主張するつもりなのか。
 もう少しはまともで論理的な議論をし、そのような文章を書いてほしい。
 「良き隣人として共に地域社会に参画する制度」とは、上の①のこともあてはまるが、民主党・鳩山由紀夫と同様の美辞麗句でもある。「必ずしも」、「良き隣人」ばかりではないのではないか、と感じることの方が常識・良識をもつ人間の感覚だろう。ここでは、(特定の)在日外国人(日本国籍をもたない者)はすべてが「良き隣人」だと理解されているようにも読める。「東アジア共同体」構想にも通じるところがあるが、なぜか(いや確信的にだろう)朝日新聞は東アジア諸国には<優しく、甘い>。
 三 他の社説を見てみると、11/22付の「G2が動いて世界が動く」で最後にいう米国と中国についての「二つの大国」という表現は、たんに温室効果ガス排出量一位と二位の国だという意味ではなさそうだ。
 11/21付「たじろがず新成長戦略を」も面白い。
 新政権による「デフレ宣言」による、経済政策・景気対策の観点からの民主党政権批判の増大、支持率低下を怖れてだろう、<助け舟>を出している。
 「いまは、鳩山政権が掲げる「コンクリートから人へ」の大方針に沿った福祉経済化や雇用対策、地球温暖化対策としての「グリーンな経済」づくりを基礎に、民間の投資や消費を引き出すような成長戦略を組み立て、実行に移すことが期待される」。
 「福祉経済化や雇用対策、地球温暖化対策としての『グリーンな経済』づくり」が、民主党の採る経済政策だと言っている。これは民主党の立場に立っての釈明だとも理解できる。
 「来日したOECDのグリア事務総長は今週、日本の課題について、女性の社会進出や環境技術の発展で「新たな成長をめざす必要がある」と指摘した。このエールにこたえたい」とも最後に書く。これは「女性の社会進出や環境技術の発展」による経済成長・景気対策を是として、民主党政権に期待するものだ。
 民主党・現政権を何とか援護したい気分は分かるが、どうせ経済オンチの朝日新聞論説委員のご高言を信頼していたのでは、日本経済は立ちゆかないことは目に見えている。

0819/鳩山由紀夫・民主党政権と朝日新聞(・週刊朝日)・花田紀凱。

 ・「東アジア共同体」につき、鳩山首相は米国を排除しない旨を言い、岡田外相は米国抜きで、インド・豪州等も含むことを想定する旨発言している。
 「東アジア共同体」構想の実現は現政権の重要政策の一つのはずだが、首相と外相でこうもイメージが違っていてよいのか?
 もともと、鳩山由紀夫が(自民党<保守>派と異なる?)親アジア(とくに東アジア)姿勢を示しておきたくて、かなりの程度は幼稚な「思いつき」の域を出ないことを書いたことに、各閣僚のイメージの違いの原因があるのだろう。
 しかし、首相と外相との間の重大な<不一致>ではある。
 重要課題として掲げるテーマの<閣内不一致>を、なぜ、朝日新聞を先頭とするマスメディアは重大視して問題にしないのだろうか?。自民党中心内閣の場合だと、朝日新聞は一面に持ってきて、首相と外相の不一致を大々的に取り上げて、問責するのではないか?
 ・衆院選で近畿比例区で当選した民主党の渡辺義彦は、今年3月に大阪地裁により破産手続開始の決定を受けていた。そのことは選挙中は本人も有権者に公にしていなかった。
 立候補資格の欠如や当選を無効とする効果はないとしても、破産手続の渦中にあるということは、渡辺義彦にとっての、重要な個人的履歴であり(しかも過去のものではない)、そのことを公にしていなかったのは、選挙公報への重大な(消極的意味での)虚偽記載にあたるのではないか。
 ポルノ映画に出演していた以上に、現在に関係する、重要な個人情報であり、有権者に提供されていなければならなかった、と思われる。
 しかるに、なぜ、朝日新聞等のマスメディアはこのことを大きく取り上げないのか?
 ポルノ映画出演の過去もある程度はそうだろうが、破産手続中の者が国会議員として居座っていることを、その国会議員が民主党ではなく自民党所属であれば、朝日新聞を先頭とするメディアは一面でも大々的に取り上げて、少なくとも<道義的>責任を問題にするのではないか。
 ・たまたま二つ挙げたのみだが、建前として朝日新聞がジャーナリズムとして<権力監視・批判>を続けると言った(書いた)ところで、信用することはできない。
 朝日新聞は2006年夏、安倍晋三が自民党総裁になりそうなときに、<福田(康夫)氏よ、対抗馬として立て>旨の社説を書いた。
 2007年春、石原慎太郎の都知事再選が有力視されていた頃、<菅直人よ、対抗馬として立て>旨の社説を書いた。2007年7月参院選の前哨戦として、朝日新聞は都知事選の結果を気にしていたのだ。
 とっくに明らかなことだが、朝日新聞(社)は、<ふつうの>新聞(社)ではなく、<政治団体>に他ならない。なお多くの国民が朝日新聞(社)が<ふつうの>新聞(社)の一つと見なしているようであることにこそ、現代日本の悲劇はある。
 ・そのような朝日新聞(社)が、自分たちに近いか、自分たちと同じ見解・主張・歴史観をもつ内閣を支持しない筈がない。そして、反対や攻撃から新内閣を守ろうとするのはむしろ当然又は自然のことだ。
 朝日新聞(社)や同グループは、今後、再び「右派政権」(かつて安倍内閣を朝日新聞社説が称した言葉)が誕生しないように、懸命の努力をするだろう。
 ・週刊朝日10/16号(朝日新聞出版)は、冒頭に、「国会の質問王・前衆院議員」と紹介して、保阪展人に、「八ツ場ダムの隠された真実」と題する文章を書かせている。
 保阪展人は社民党の前国会議員だったのだが、「社民党」との紹介が一言もないことにも驚く。あえて隠したとしか思えない。
 週刊朝日の記者の文章ではなく本文の全体が保阪展人のもののようで、5頁分の紙面を保阪にまるまる提供していることにも驚く。
 中身は、「八ツ場ダム」建設中止問題についての前原国交相の立場を支持するものだ。
 この問題の賛否に立ち入るつもりも知識もほとんどない。
 だが、明確なのは、朝日新聞(社)とほぼ同一視してよい週刊朝日が、この時期に、客観的に見て、民主党を応援する文章(5頁)を冒頭にもってき、かつ表紙でも大きく宣伝していることだ。
 朝日新聞は、「八ツ場ダム」建設中止問題で民主党のイメージが悪くなるのを懼れた。前原大臣の意向に反対する地元住民や町長・知事等の声がかなりテレビ等で流された。朝日新聞(社)は、この辺りから民主党政権に傷がつき始めることを、さっそく危惧したのではないか。
 10/25には参院補選もある。それに(民主党に不利な)影響が及ぶことを避けようとしたのではないか。
 客観的・中立的に「八ツ場ダム」建設中止問題を扱ったのではないのは明らかだ。朝日新聞(社)・週刊朝日の<政治的>狙いを感じても当然だろう。
 ・だが、朝日新聞(社)はそんな<政治>性を持たないと考えている人物がいるようだ。
 月刊WiLL編集長の花田紀凱
 花田紀凱は産経新聞10/10の「週刊誌ウォッチング」のほとんどを、上の保阪展人の文章(リポート)の紹介にあて、「詳細は是非このリポートをお読みいただきたい」と結んで、反国交省官僚、つまりは民主党の大臣の見解を支持するかのごとき文章を書いている。
 なるほど保阪展人は重要なことを指摘し又は明らかにしているのかもしれない。だが、前社民党国会議員が書き、週刊朝日(朝日新聞出版)が掲載する内容を、花田紀凱のごとく簡単に又は安易に注目し又は<信頼>してよいのか?
 花田紀凱は<保守>系(のはずの)雑誌・月刊WiLLの編集長。いつから、社民党と朝日新聞(・週刊朝日)にこんなに甘くなったのだろう?。
 それとも、民主党批判ではなく国交省の官僚を批判しておくことの方が重要だと考えたのだろうか。
 西尾幹二ーの文章を掲載する週刊朝日に、西尾幹二の皇室論議を支持している花田紀凱は親密感でも持ったのだろうか?
 産経新聞の読者の中にも花田紀凱の文を読んで週刊朝日上掲号を購入した者もいるだろう。かくして、経営的にも花田紀凱は週刊朝日に貢献していることになる。
 不思議で奇妙な構図だ。   

0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。

 〇先日、日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)の日本語部分を全読了。
 
 いくつか「南京大虐殺」否定論・疑問論の本を読んできたが、これが最も簡潔で、わかり易い。
 中身とは直接関係はない問題は、執筆者が必ずしも明瞭でないことだ。日本会議国際広報委員会編というからには「日本会議国際広報委員会」は編者にすぎない。また、表紙に竹本忠雄・大原康男の二人だけの名前が出ていて、本文中にも出てくるが、竹本忠雄は「序言」の、そして大原康男は「結語」だけの執筆者として氏名が記載されているのだろう。そうすると「序言」と「結語」以外の狭い意味での本文は誰が書いたのかが疑問になるが、「編集委員」として、以下の者の氏名が扉裏に記載されている。
 竹本忠雄、大原康男、椛島有三、伊藤哲夫、岡田邦宏、野間健、江崎道明、北川裕子
 おそらくこれらの人々が共同して執筆した、ということなのだろう。だが、最終的な責任者又は執筆代表者(編集代表者)が誰かくらいは特定しておいてほしかったものだ。厳密には、細かな表現まで(論旨・骨子はともあれ)八人が揃って一致するということはありえないと思われる。
 〇いわゆる「南京大虐殺」の責任をとって(とらされて)「A級戦犯」とされ、「東京裁判」の結果として刑死したのが松井石根だった。
 この「東京裁判」については現在まで、種々・多様な議論がある。だが、朝日新聞の社説子はそんなことを知らないか、知っていても無視しているようだ。
 朝日新聞8/19の社説では<無宗教の国立の追悼施設>の設置を、「政権選択選挙という絶好の機会に議論を深め、今度こそ実現させてもらいたい」と明言した。民主党(中心)政権実現のついでに(?)<反靖国>主義も徹底・完成させたい、という執念に満ちた願望をあからさまにしているわけだ。この社説の中に、つぎの文章がある。
 「靖国神社には、東京裁判で日本の侵略戦争の責任を問われたA級戦犯が合祀(ごうし)されている。」
 ここでは「東京裁判」の合法性・正当性等を問題にする姿勢を欠片も感じることができない。「東京裁判」が「侵略戦争」の「責任」を問うたことに疑問を挟まず、「A級戦犯」を(当然のごとく?)「犯罪者」扱いしているわけだ。
 上のように簡単に書いてしまえる朝日新聞の社説執筆者の神経を疑う。<狂っている>のではないか。占領史観・東京裁判史観を本当に100%「信じて」いるのだろうか。
 ついでに、上の文の次には以下の文がつづく。
 「A級戦犯が合祀(ごうし)されている。だからこそ、昭和天皇も現天皇も、その後は参拝していない。」
 敬語がないのも気になるが、このように断定してよいかはなお十分に疑問とする余地がある。いわゆる<富田メモ>が話題になったが、上のように「だからこそ」と確定的に書いてはいけないだろう。朝日新聞による一種の情報操作だ。また、かりに<富田メモ>が昭和天皇に関する真実を伝えるものだったとしても、今上天皇も昭和天皇と同一のご認識であるとの証拠はどこにもないのだ。
 短い上の文章にも、朝日新聞の<いやらしさ>は透けて見える。
 〇民主党(中心)政権誕生が確実ということで、朝日新聞は小躍りし、舞い上がっているのではないか。
 8/24の社説では、横浜市立中学校の約半数で来年春から自由社版の歴史教科書を使うことが決まったことにケチをつけている。
 横浜市で採択されたとしても、育鵬社版を含めても全国的にはまだ1%以下の採択率ではないか。ごく僅少だが、それでも朝日新聞の社説子は気にくわないようだ。
 ナチス・ファシズム、ソ連等・コミュニズム下において、<秘密警察>は猜疑心をもって、ほんの僅かな、又は小さな<反体制>言動でも調査し、弾圧(逮捕等)をした、という。発想において、朝日新聞も<左右の全体主義>も似ているところがあるように見える。
 しかも、上の社説は、特定の人物を批判・攻撃する内容のものだ。ターゲットにされているのは、前教育委員の一人で、現在の教育委員会委員長の今田忠彦。
 この欄のようなブログではない、数千万の読者をもつ新聞の社説が、<(特別職)公務員>にあたるとはいえ、首相でも大臣でも知事・市町村長でもない人物を名指しして、批判しているのだ。
 知事や市町村長ですら、その名前が朝日新聞の社説に登場して批判されることはほとんどなかっただろう。その意味では異様な社説だ。

 「新しい歴史教科書をつくる会」系列の教科書に対する、これまた執念の如き、猜疑心に溢れた、敵愾心が、朝日新聞には宿っているのだろう。

 こんな新聞社に後押しされた政権は怖ろしい。また、朝日新聞よ、慢心するな、と言いたい。

0798/資料・史料-2005.03.27朝日新聞・若宮啓文<風考計>コラム/いっそ竹島を。

 資料・史料-2005.03.27朝日新聞・若宮啓文<風考計>コラム
 平成17年3月27日

 
//竹島と独島-これを「友情島」に…の夢想
 それは、嵐の中に飛び込むようなものだった。島根県が「竹島の日」条例を定めて間もない18日、日本批判が燃えさかる韓国を訪れたのだ。
 大先輩にあたる韓国のジャーナリスト・権五琦(クォン・オギ)さんとの対談で作った『韓国と日本国』(朝日新聞社刊)が韓国語になって出版され、この日にソウルで記念の催しが行われた。そこに降ってわいたのがこの問題だった。
 日の丸が焼かれる。抗議のために指を詰める。「日本人お断り」のゴルフ場が現れる。「竹島の日」に対抗して「対馬の日」を定めようとの自治体まで出てくる。韓国政府は「断固対処」の対日新原則を発表し、やがて盧武鉉大統領は「外交戦争」と言い出す。出版会こそ無事に終わったものの、私の心は晴れないままだ。
     ◇
 いつか見た光景が目にだぶる。
 日本の高校の歴史教科書が「歪曲(わいきょく)」だと問題になり、「反日」旋風が吹き荒れたのは、私がソウルで留学生活を送っていた82年のことだ。新聞もテレビも「日本はけしからん」で明け暮れ、韓国政府は強硬姿勢を譲らない。「克日」の言葉が生まれ、国民の募金で独立記念館ができた。
 だが、あれから23年。サッカーW杯の共催を経て、空前の韓流ブームの中にいる。今年は「日韓友情年」と呼ばれ、NHKの「のど自慢」も6月にソウルで開かれる。『韓国と日本国』では権さんと率直な自国批判を語りあったが、大きな時代の変化を実感すればこそだった。それなのに、これは一体どういうことか。私も大きな戸惑いを禁じ得ない。
     ◇
 韓国が独島と呼ぶこの島に、こだわりが強いのは知っていた。だが、これほどの熱狂を招くとは。いささかあきれながらも、今回思い知ったのは島に寄せる彼らの深い情念だった。
 明治政府が竹島を日本のものとして島根県に編入したのは1905年2月。その秋に韓国が日本に強要されて保護国となり、5年後に併合されてしまう。だから、韓国にとって竹島編入は植民地支配への第一歩と映るのだが、裏を返せば、戦後に韓国が強行した竹島占拠は、植民地解放の象徴ということになる。
 いや、日本が自国領と主張する島の岩肌に「韓国領」と大書し、40人の警備隊員がこれ見よがしに駐留する姿を見ると、ひょっとして、どこかで植民地支配への報復気分を味わっているのかもしれない。日本が独立運動を容赦なく弾圧したように、彼らも「竹島奪還」の動きには過敏に鉄槌(てっつい)を加える。それが今度の騒ぎだといえば、意地が悪すぎようか。
     ◇
 それにしても、にわかに広がった日韓の深い溝は、両国の関係にとどまらない深刻さをはらんでいる。
 まず、北朝鮮との関係だ。核と拉致で「日朝」が最悪になっている折、「日韓」の好転ぶりが救いだと思っていたのに、これでは下手をすると民族と民族の対立になりかねない。
 朝鮮戦争を仕掛けられ、悲惨なテロの犠牲にもなってきたはずの韓国なのに、いまは北朝鮮に寛大だ。むしろ、拉致問題で強硬論があふれる日本に対して「日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを理解しなければ」と盧大統領が注文をつけるのは、南北を超えて同じ血が流れているからに違いない。
 これでは北朝鮮への包囲網どころではない。韓国にも冷静に考えてほしいところだが、日本にはいまも植民地時代の反省を忘れた議論が横行する。それが韓国を刺激し、竹島条例への誤解まであおるという不幸な構図だ。
     ◇
 さらに目を広げれば、日本は周辺国と摩擦ばかりを抱えている。
 中国との間では首相の靖国神社参拝がノドに刺さったトゲだし、尖閣諸島や排他的経済水域の争いも厄介だ。領土争いなら、北方四島がロシアに奪われたまま交渉は一向に進まない。そこに竹島だ。あっちもこっちも、何とまあ「戦線」の広いことか。
 そこで思うのは、せめて日韓をがっちり固められないかということだ。
 例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。
 見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ。周辺の漁業権を将来にわたって日本に認めることを約束、ほかの領土問題では日本を全面的に支持する。FTA交渉も一気にまとめ、日韓連携に弾みをつける――。
 島を放棄と言えば「国賊」批判が目に浮かぶが、いくら威勢がよくても戦争できるわけでなく、島を取り返せる見込みはない。もともと漁業のほかに価値が乏しい無人島だ。元住民が返還を悲願とする北方四島や、戦略価値が高い尖閣諸島とは違う。
 やがて「併合100年」の節目がくる。ここで仰天の度量を見せ、損して得をとる策はないものか。いやいや、そんな芸当のできる国でなし、だからこれは夢想に過ぎないのである。//

 ふたことコメント-①「例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。/見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ」と書いた有名なコラム。②「日本にはいまも植民地時代の反省を忘れた議論が横行する。それが韓国を刺激し、…」とのさりげない?叙述が無条件で語られていることにも注意。

0797/資料・史料-2009.04.24朝日新聞社「報道と人権委員会」見解

 資料・史料-2009.04.24朝日新聞社「報道と人権委員会」見解
 平成21年4月24日

 朝日新聞社報道と人権委員会//元森林組合長からの申し立てに対する見解
 2009年4月24日
 1.事案の概要と審理の経緯
 (1)本事案は、2009年1月11日付朝刊1面と2面に掲載された「ルポにっぽん解雇…そこに共産党」(見出しは東京本社最終版)について、記事に登場する奈良県川上村の元森林組合長が、事実に反する報道によって思想・信条を周囲から誤解され、名誉・信用が著しく傷つけられたとして、記事の訂正を求めて当委員会に救済を申し立てたものである。
 (2)当委員会は、朝日新聞社側(政治グループ)から申し立てに対する釈明を求めたうえ、委員会事務局が2月18、19の両日、現地で元森林組合長(以下、申立人)、その関係者や村民から聞き取り調査をした。さらに記事を執筆した政治グループの高橋純子記者からも聞き取りをした。それらの結果をもとに、3月4日に臨時の委員会を開き、争点を整理して論議したうえ、3月25、26の両日、長谷部恭男委員と事務局が現地に赴いて、申立人や関係者からヒアリングを行うとともに、村民からも再度の聞き取り調査をした。3月31日に第5期第1回報道と人権委員会を開催し、高橋記者のほか、中西豊樹・政治グループ次長、根本清樹・政治グループエディターからヒアリングを行った後、各争点について審議した。
 2.記事掲載までの経緯
 昨年11月下旬、共産党の党勢拡大の背景を取材していた高橋記者(以下、記者)が川上村を訪問し、同村で唯一の共産党所属の村会議員(以下、共産党村議)への取材から、「村の保守の重鎮でありながら、共産党村議とも話をする人格者」として申立人を知った。共産党村議から、次期総選挙では申立人との間で、「選挙区は民主、比例区は共産」という話が進んでいると聞き、共産党村議を通して取材を申し込んだ。かねて、時折訪ねてくる共産党村議と懇意だった申立人は、即座に取材に応じることを約束した。取材は翌日午後、申立人の自宅で共産党村議が同席して行われた。記事は、取材から約1カ月半後に掲載された。
 3.主な記述上の争点と委員会の判断
申立人は、記事に記載されている本人にかかわる内容のほぼすべてについて、事実に反すると主張しており、以下、検討する。
 (1)記事の記述の真実性
 ①「川上村の衆院奈良4区は、次の総選挙で自民と民主の一騎打ちとなる見込みだ。水面下で『選挙区は民主、比例は共産』という『選挙協力』が進む。主導しているのは、村の元森林組合長(85)。」
 (イ)申立人側の主張
 次の総選挙では、川上村出身で民主党から立候補する大西孝典氏を支持している。
 時折村議会の報告などにくる共産党村議とは昨年9月ごろ、「共産党は選挙区では勝てないのだから、民主党候補をよろしく頼む。選挙区で民主党に入れてくれたら、うちはオレと家内の2票あるから、それを比例で共産党に入れてやる」と話した。共産党村議は「共産党は奈良4区には出ない」と言い、話はそれで終わっている。記者にも、この話をしたかも知れないが、家内にも、まして他人にも「比例は共産」などと薦めたことはない。私は1級の視覚障害者で耳も遠く、肺がんにもかかっている。電話もほとんど自分でかけられない。車も手放しており、タクシーを使っての外出は診療所に月1度、散髪に隔月に行く程度だ。訪ねてくる人も少なく、17戸の集落で、妻と余生を静かに暮らしているのに、選挙協力の主導などできるはずがない。
 (ロ)朝日新聞社側(政治グループ、以下同じ)の主張
 記事でいう「選挙協力」は、申立人と共産党村議の間での話のことを指しており、共産党と民主党の間で協力が進んでいて、それに申立人が関与しているという意味ではない。相当数の支持政党が違う者同士が、票のやり取りをすることを「選挙協力」と表現した。その範囲も奈良4区ではなく川上村での話である。
 取材の際、申立人は「共産党とも話をし、個人党は民主、比例は共産党に入れようという話をしている」と言った。記者が「でも皆さんは、本当に共産党に入れてくれますかね」と尋ねると、申立人は「自分が頼めば入れてくれますよ。田舎の政治というのは政策なんかじゃないんですよ」と答えた。これらのやり取りを含め、申立人への取材ではメモもある。
 「主導」という言葉を使ったのは、取材の際に「私が頼めば入れてくれるんですよ」と言ったことや共産党村議から保守の重鎮であると聞いたこと、昨年の村長選で複数の村会議員が相談に来たことなどから、申立人が今でも、地元で政治的影響力を持つ人物であり、他の村会議員などが訪ねてきたときに、「比例は共産」という話をしていると判断したことに基づく。
 (ハ)委員会の判断
 ヒアリング結果から、記者が「選挙協力」に関心を寄せ、これに関する質問をした可能性は高いと思われる。そして、昨年9月に申立人と共産党村議の間で票のやりとりの話があったことなどを背景に、3人の間で「選挙協力」について話が及んだ可能性がある。しかし、共産党村議や申立人に対する取材の際に、いつどこで「選挙協力」の話し合いがなされ、どのように「主導」しているのかなどの「選挙協力」の具体的な内容が詰められていないこと、申立人から取材した後、裏付けのため村で他の人への取材が行われていないことを記者は認めている。
 一方、申立人などへのヒアリング結果からは、申立人と共産党村議の間で、「選挙区は民主、比例は共産」という話をしたのは、昨年9月ごろの1 回だけだったこと、組織的な話ではなく個人的なものであったことが認定できる。
 また、記者や共産党村議が想定した「選挙協力」は、申立人が訪ねてきた人や近くの村民に「比例は共産」と働きかけることだったと見られる。しかしながら、申立人が「比例は共産」と働きかけたり、働きかけようとしたりした事実は、2回の現地調査によっても見いだせなかった。共産党村議も、自身が実践している協力は、支持者に投票について聞かれれば「選挙区は民主に入れる」と言う程度で、積極的に働きかける意思はないことが、調査結果から認められる。
 日常生活についての申立人の主張は、他の村民の話と符合しており、申立人の自宅を村会議員が訪ねてきたのは、村長選のときを除けば共産党村議と縁戚の村議に限られていることがうかがわれる。
 申立人はかつて、村議会議員選挙や村長選挙などで選挙運動に参加していたが、1997年(平成9年)に両目の視力が極端に低下してからは、ほとんど選挙運動に関与していなかったことが、申立人のヒアリングのほか、調査結果から認められる。2008年の村長選(無投票)では現職村長の事務長を務めたものの、これも以前から務めてきたこともあり、村長から名前だけでも貸して欲しいと依頼されたためと判断される。その村長らも、今の申立人の政治的影響力には否定的である。
 今回のように、個人の間で相当数の票を融通し合うことを「選挙協力」と表現することは、一般読者が組織的な票のやりとりが行われていると誤解する可能性があるうえ、文章通りに読めば、川上村だけでなく奈良4区全体で「選挙協力」が行われているとも受け取れる。仮に「選挙協力」を朝日新聞社側が主張する意味に解し、その範囲を川上村に限ったとしても、共産党村議との間で個人的な票のやり取りについて話したことを超えて、申立人が村民に共産党への投票を働きかけている事実を確認できなかったことは先述した通りであり、申立人の身体状況や日常生活からみて、「主導」はほとんど不可能と判断される。申立人は、これからも「比例は共産」と働きかけることのみならず、共産党に投票する意思もまったくないことを明らかにしている。
 以上の理由から、記者が共産党村議の話などから政治的影響力を行使できる人物という印象を持ったことは理解できなくはないが、申立人である元森林組合長が「選挙協力」を「主導」しているとする記述を、事実として認めることはできない。記者の取材や記事の表現に問題があったと言わざるをえない。
 ②「50年来の自民党員だが、郵政民営化を契機に民主党支持に変わった」
 (イ)申立人側の主張
 郵政民営化に反対しているのは事実だが、民主党を応援するようになったのは地元出身の前田武志参院議員が自民党を離党し、その後、民主党が発足した1998年からだ。記者が「郵政民営化に反対して自民党を辞めたのか」と質問するので、「いや、視覚障害者になって自民党支部長を辞めたが、今でも自民党員だ。(昨年の)総裁選でも投票した」と答えた。郵政民営化については、村議会が党派を超えて反対の意見書を採択している。
 (ロ)朝日新聞社側の主張
 申立人は「自民党員でまだ党員証は送られてくるが、5年くらい前から民主党を応援するようになった」と言った。「郵政民営化が民主党支持のきっかけになったのか」という質問に対し、申立人は「そうだ」と答えたうえで、「それと前田先生が民主党へ移ったということも大きい」と話した。自民党総裁選については、「息子は投票したようだが自分は投票していない」と言っていたように思う。
 (ハ)委員会の判断
 申立人が、前田参院議員が自民党に所属していたころからの支持者で、前田議員が民主党に移ってからは、民主党を応援していることは、村民の話と合致している。郵政民営化が争点となった前回の総選挙では、民主党候補を熱心に応援したことは認められるが、「郵政民営化を契機に民主党支持に変わった」との表現は、適切さにおいて疑問が残る。
 なお、取材の席で、申立人が昨年の自民党総裁選で投票したと話したことは、共産党村議も認めている。申立人の長男は当委員会の調査に、自民党の総裁選では投票しなかったと述べており、朝日新聞社側の認識とは異なる。
 ③「共産党に投票することに抵抗感はないという」
 (イ)申立人側の主張
 「共産党に抵抗はありますか」と記者から聞かれたとき、はっきり「共産党は嫌いだ」と言っておけばよかった。舌足らずだった。言えなかったのは、そばに共産党村議がいたからだ。抵抗がないと話したのは、この村議を共産党とは思っていないという趣旨だった。これまで、村会議員選挙も含めて共産党に投票したことはないし、他人に投票を働きかけたこともない。
 (ロ)朝日新聞社側の主張
 「共産党に投票することに抵抗感はないか」と質問したところ、申立人は「それはない」と答え、「庶民のイメージ」「身近に感じている」とも話した。
 (ハ)委員会の判断
 川上村では、申立人が共産党支持を示唆する発言をしたとしても、申立人を知る人のほとんどは、真意とは受け取らないことが、調査結果からうかがわれる。共産党村議は過去の国政選挙で、申立人が近隣住民に共産党への投票を働きかけてくれたと思っているが、近隣住民は申立人からの働きかけを否定している。申立人が「抵抗感はない」という発言をした事実は認めることはできるが、その趣旨は、申立人の主張の通りだった可能性が大きい。
 ④「『自分の考えを持って行動しないと、村も政治もよくならないと思うようになった。それがなかったら、惰性で死ぬまで自民党支持だったかもしれない』」
 (イ)申立人側の主張
 記者に、記事に書いてあるようなことを言ったかどうかはっきりとした記憶がない。
 しかし、言ったとしても、その前に今でも自民党員であることを言っている。記事は真意に反している。
 (ロ)朝日新聞社側の主張
 「惰性で」「死ぬまで」という言葉は非常に強烈な言葉で、強く記憶している。惰性という漢字が思い出せず、取材後、メモに取れなかった部分の記憶をたどりながらメモに書いた。
 (ハ)委員会の判断
 言葉としては、記述のような内容が、申立人の口から出た可能性はある。しかし、「選挙協力」の記述等の検討結果と合わせて考慮したとき、申立人の真意を伝えているかどうか疑問が残る。
 4.匿名性の約束と「元森林組合長(85)」の表現
 (イ)申立人側の主張
 どのような原稿に書くのか、分からなかったが、記者には自分だと分からないように書いてくれ、と言った。記者からは「森林組合長と書いていいですか」という問いはなかった。年齢がなくても「元森林組合長」だけで、村内や知人の間では申立人であることが分かってしまう。
 (ロ)朝日新聞社側の主張
 「実名ではまずいですか」と聞いたら、「名前は出さないでほしい」と言われた。「それでは、元森林組合長ということで」と念を押した。年齢については、「記事の掲載日によって年齢が変わるので、生年月日を教えてください」と説明した。匿名については、社内に明確な規定はない。今回の場合、人物が事実上特定され、その点は申し訳ない。
 (ハ)委員会の判断
 取材での具体的やり取りについては、双方の言い分は違うが、匿名の約束があったことは争いがない。本件の対象記事は申立人の思想信条にかかわる内容を含んでおり、
氏名を匿名にしても、年齢や肩書を記載することで人物が事実上特定される点で、慎重さを欠いた。
 5.結論
 申立人は、本件記事が掲載されたことを家族や共産党村議から聞いて知ってから、食欲が減退し、夜も眠れなくなったうえ、人目を避けて外出を控えるようになったと訴えている。
 他方、調査結果では、申立人をよく知る村民たちは、本件記事にも冷静な反応を示し、申立人に対する評価を変えていないことがうかがえる。
 委員会としては、申立人の救済および読者への説明責任という観点から、この見解で示した判断を踏まえた対応をとることを朝日新聞社に求める。
 朝日新聞社報道と人権委員会
  本林徹
  長谷部恭男
  藤田博司//

 *ふたことコメント-①次期総選挙にも関係する、2009年1月時点での朝日新聞による共産党(および民主党)に有利な(=反自民党)「虚偽(捏造)」報道記事の一例で、朝日新聞社内<報道と人権委員会>は「申立人の救済および読者への説明責任という観点から、この見解で示した判断を踏まえた対応」を求めた。②問題の報道記事の直接の取材・執筆者名は、高橋純子
 *参照-問題の記事は以下のとおり。
 //「川上村の衆院奈良4区は、次の総選挙で自民と民主の一騎打ちとなる見込みだ。水面下で『選挙区は民主、比例は共産』という『選挙協力』が進む。主導しているのは、村の元森林組合長(85)。50年来の自民党員だが、郵政民営化を契機に民主党支持に変わった。『民営化は必ず、地方や弱者の切り捨てにつながる』。共産党に投票することに抵抗感はないという。
 『自分の考えを持って行動しないと、村も政治もよくならないと思うようになった。それがなかったら、惰性で死ぬまで自民党支持だったかもしれない』」//

0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。

 一 二年前の朝日新聞による安倍晋三(内閣)攻撃のひどさは、月刊正論9月号(産経新聞社)の長谷川三千子「難病としての民主主義/いま日本国民は何を自戒すべきか」では、こう叙述されている。
 「安倍首相に対する朝日新聞の『言葉』は、徹頭徹尾『感情的』であり、ハイエナの群れが、これぞと狙ひをさだめた獲物の、腹といはず足といはず、手あたり次第のところにかじり付き、喰い破ってゆくのを思はせる、『残酷』さにみちていた。そして、それは少しも『無力』ではなかったのであり、朝日新聞の『言葉のチカラ』は、つひに安倍首相の体力・気力を奪ひ去つて、首相の座から追ひ落とすことに成功したのであつた。政権の『投げ出し』だと言って騒ぎたてた、あの時の朝日新聞のはしゃぎぶりはまだ記憶に生々しい」(p.58)。
 なお、ここに触れられているように朝日新聞が一時期喧伝していた<ジャーナリズム宣言>の中の「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを」とのフレーズが、上では意識されている。「言葉のチカラ」によって虚偽でも真実に変えてみせるという朝日新聞の宣言かとも受け取れ、気味悪く感じたものだった。
 また、長谷川は、「もっとも厄介なこと」は「言葉」による「感情的で、残酷」な政府攻撃こそが「民主主義イデオロギーにかなつたことだ」ということだ、ということを指摘する中で上を述べているが、この「デーモクラティア」にかかわる論点には立ち入らない。
 
 二 月刊正論9月号では、編集者が民主党・鳩山由紀夫の「友愛」論と関係づけているのか否かは分からないが、それとは独自に、竹本忠雄「厄災としてのフランス革命/博愛は幻想-ルイ16世の遺書を読み解く」(p.200-)が目を惹く。
 1791年にパリから(ヴァレンヌを経て)オーストリアへ「逃亡」しようとしたが「逮捕」され、1793年に「斬首」されたルイ16世の政治的遺書にあたる「告辞」(1791.06.20付)が発見されたらしい。そして、その内容の概略の紹介や一部の邦訳が載せられている。
 詳細な引用はしかねるが、「革命と共和制の『大義』を誇大に評価する一方、恐怖政治の残虐と、それに対して抵抗する反革命運動の民衆を相手に各地で展開された大虐殺の事実とを、無視または隠蔽しようとする進歩主義史観が、これまで日仏間の言論界を制してきた」(p.204)状況の中で、フランス最後の絶対君主=悪、フランス革命=善という「日本における共和制論者、すなわち進歩主義史観の持主たち」(p.203)の通念を少なくともある程度は揺るがしうる。
 また、王妃アントワネットも「斬首」されたとともに、よく知らなかったが、わずか10歳の長子ルイ17世(カペー・ルイ)も「両親の処刑のあと獄中で革命政府の手により残酷な殺され方をした」(p.201)、「残酷な獄中死」をした(p.204)、「残酷な犠牲者となった」(p.205)、らしい。
 元国王夫妻の処刑やその長子のかかる処遇は<革命>の成就にとってもはや無意味だったと思われる。また、ヴァンデやシュアンの「戦い」に対する弾圧=大虐殺の実態につき、フランスでも、「ナチによるユダヤ人虐殺」のみならず「われわれフランス人もジェノサイドをやった」との事実を認めようとする運動があるらしい(p.205)。
 日本の明治維新の際の<残虐さ>の程度と比較したくもなる。また、竹本忠雄は「フランスでは立憲君主制は一夜にして崩壊し、日本ではいまなお保持されているが、主権在民を基本とする以上、法的に〔な?〕危うさは変わらない。昨今の日本政府の舵取りは奇妙に、フランス革命の初期の一連の出来事とパラレル」だ、と述べて日本の<天皇制度>へも論及していて興味深いが、これ以上は立ち入らないでおこう。

0793/朝日新聞を批判した2007.07の古森義久ブログ。

 2007年7月の参院選の際の朝日新聞の報道ぶりは異常で、産経新聞は<何たる選挙戦!>と銘打つ連載をしていたし、古森義久の2007.07.11のブログのタイトルは「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」だった。
 古森義久は2007.07.13のブログでは、「朝日新聞の倒閣キャンペーン社説ーー『前のめり』症候を診る」と題して、本欄で前回に引用・掲載した朝日新聞2007.07.12社説を、かなり詳しく批判的に分析していた。それをそのまま再掲してみよう
 なお、たんなる懐古趣味で二年前を思い出しているのではない。朝日新聞らが誘導した2007参院選での自民党大敗北こそが国会に「ねじれ」をもたらし、与党の政権運営を難しくしてきた。そして、今日がある。
 <四年間に四人もの首相>と批判的に述べられもするが、交替せざるを得なかった大きな背景は参院では野党が多数派だったことにある。また、明瞭に語られることは何故か少ないが、衆議院で与党が有していた2/3以上の多数を利用して再議決しないと、参議院で法律案が否決されてしまえば、いかなる法律も成立せず、法律制定によって政治・行政を行っていくことが困難だった。そしてまた、このことは、衆院2/3以上多数の放棄をほぼ意味する「衆院解散」を歴代首相、とくに麻生太郎首相が躊躇した大きな一因だった、と思われる。
 そして、現在、朝日新聞ら「左翼」が目論んだ<政権交代>が眼前にあるらしい。朝日新聞に二年前ほどの<異様さ>がないかもしれないのは、安倍・福田・麻生内閣時代にずっと、つねに与党を批判する方向で記事を書いてきたからだろう。<政権交代>にとって有利な情報は大きく、それにとって不利な情報は小さく、取り上げてきたのだ。むろん100%の有権者が朝日新聞の報道ぶりに影響を受けることはないが、5~20%の人々の投票行動を一定の方向に誘導することは十分にありうる。10%の票でも当落を決する力がある。
 世論調査の結果や選挙結果が、マスコミの大勢の論調の誘導力をあとで証明するだけ、になるとすれば、何と嘆かわしい現象だろう。
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 古森義久2007.07.13ブログ(全文、/は元来は改行)
 //「朝日新聞の倒閣キャンペーン社説ーー『前のめり』症候を診る
 朝日新聞を続けて論じるのも芸がないとは思うのですが、最新の社説一本を一読しただけで、自分がつい2日前に書いたことが裏づけられる思いに鼓舞されたから、と申しましょうか。/それほど偏向が顕著なのだともいえます。「安倍憎し」の私怨が暴走すれば、その前のめりは方向感覚を失い、閉塞だけが強まり、均衡をなくして、よろよろ、論理さえも薄れていく、ということでしょうか。/情から始まる一点集中傾向は、論理や事実に基づくはずの文章を書く人間の頭脳さえも痺れさせる。もって自戒ともしたい現象です。
 さて論題とする朝日新聞の社説は7月12日付、「参院選告示」「『安倍政治』への審判だ」という見出しでした。
 まず最大の特徴をいえば、看板に偽りあり、「安倍政治」への言及がほとんどないのです。あるのは反安倍勢力が取り上げるトラブル現象ばかりです。/まあ、順番に論評しましょう。社説の全文を紹介するわけにもいかないので、主要部分を順に引用しながら、コメントしていきます。
 <<「宙に浮いたり、消えたり」の年金不信、閣僚に相次いて発覚した「政治とカネ」のスキャンダル、無神経な失言の連発、いわば「逆風3点セット」にきりきり舞いの状態が続くなかで、選挙戦に突入することになった。/首相にとって、この選挙は小泉前首相の時代とは違う「安倍カラー」を前面に掲げ、有権者に問う場になるはずだった。そのためにこそ、国民投票法など対決色の強い法律を、採決強行を連発しながらどんどん通していった。/教育再生や集団的自衛権の解釈などでいくつもの有識者会議をつくり、提言を急がせたりもしている。/首相はテレビ局などを行脚して「この9か月の実績を評価してほしい」と訴えている。だが、逆風3点セットに直撃され、「年金記録信任選挙」(民主党の小沢代表)の様相を呈しているのはさぞかし不本意なことだろう。/むろん、年金の問題などはこの選挙の大きな争点だ。国民の不信や怒りにどう応え、安心できる制度、組織をつくるかを論じる必要がある。>>
 さあ、以上がこの社説の前半のほとんどです。/この部分での主眼はこの参院選挙を「年金選挙」あるいは「逆風3点セット選挙」と特徴づけている点です。見出しでは「安倍政治」全体への審判であるかのようにうたいながら、実際には安倍政権の政策自体からは外れたミスやスキャンダルに重点を置き、そのうえで小沢一郎氏の言をそのまま使って、「年金記録信任選挙」であるべきだという主張を述べているに等しいのです。
 一方、かんじんの「安倍政治」については、この社説は正面からはなにも触れていません。憲法改正という重大なテーマさえも、「国民投票法など対決色の強い法律」という一言ですませるのです。
 「安倍政治」を語るならば、当然、教育基本法の改正、憲法改正を目指しての国民投票法の成立、天下りを規制する公務員制度改革法の成立、防衛庁の省昇格、そして中国や韓国との関係改善、さらにはNATOとの初の首相レベルでの接触、インドやオーストラリアとの「民主主義の共通価値観」に基づく新連携などなどが、少なくとも言及されるべきでしょう。
 ところが、この朝日社説はこれら重要案件のほんの一部の、しかもその末端だけをとらえて、「負」の情緒いっぱいの主観的な表現でけなすだけです。
 「対決色の強い法律を」「採決強行を連発しながら、どんどん」「提言を急がせたり」という表現がそれです。
 そもそも安倍首相が主導した一連の重要法案成立を単に「安倍カラー」という皮相な描写でしか言及していないのも、なんとも情緒的に映ります。その背後に感じさせられる黒い影は、なんとか安倍政権を倒したい、という情念でしょうか。
 だからこの社説は結局は、今回の参院選は「安倍政治」の審判ではなく、「年金」や「逆風3点セット」への審判であり、そうであるべきだ、と主張していることになります。見出しから連想させられる重要政策案件の議論はまったくないのです。だから私は「看板に偽りあり」と評したわけです。
 さてこの社説はちょうど真ん中あたりで、さすがに気が引けたのか、あるいは欠陥に気づいたのか、安倍政権の政策面にも、あらためて触れてみせます。以下のような記述です。
 <<だが同時に、この9か月に安倍政治がやったこと、やらなかったことを、その手法も含めて有権者がしっかりと評価するのが、この選挙の重要な目的であることを忘れてはならない。>>
 さあ、こういう記述が出てくれば、当然、後に続くのは、その「安倍政治」の検証だと思わされます。
 ところがこの社説はそれが皆無なのです。安倍政権の政策の検証どころか、また論題は「逆風3点セット」にもどってしまうのです。/だから一つの「論説」としては構造的に支離滅裂、安倍叩きに没入するあまり、「論」の構成さえもヘナヘナ、朝日新聞が自分たちの気に入らない相手の言動を描写するときに愛用する表現でいえば、まさに「前のめり」のあまり、視力も知力も麻痺したとさえ、思わされます。
 この社説の結び近くでは、安倍政権の政策論に替わって、また以下のような記述が出てきます。読者に対し選挙への態度を呼びかける記述です。
 <<年金をはじめ、赤城農水相の事務所経費で再燃した「政治とカネ」の問題などの3点セットは、どれも大事なテーマである。>>
 やはりこの選挙では「安倍政治」ではなく、「逆風3点セット」をみよ、というアピールだともいえましょう。
 しかし同社説はここでまた気が引けたのか、その直後にいかにも体裁に以下のことを書いています。
 <<そして、これからの日本の政治のあり方をめぐって重要な選択が問われていることを心にとめておこう。>>
 これまた「日本の政治のあり方」や「重要な選択」についてはなんの説明もありません。/そして社説は次のような奇妙な記述で終わっています。
 <<安倍政治がめざす「戦後レジームからの脱却」か、小沢民主党がめざす政権交代可能な二大政党制か--。投票日までの18日間、しっかりと目を凝らしたい。>>
 同社説がここでやっと「戦後レジームからの脱却」をあげたことは評価しましょう。これこそ「安倍政治」の特徴だからです。しかし社説では前述のように、その内容の議論が皆無です。議論は「逆風3点セット」だけなのです。
 しかもこの結びは、「戦後レジームからの脱却」に替わる選択肢として、「政権交代可能な二大政党制」を記しています。この点が奇妙なのです。
 「戦後レジームからの脱却」が一つの選択肢ならば、他の選択肢はまずは「戦後レジームの保持」となるでしょう。そうでなくても、「戦後レジームからの脱却」以外の政策が示されるのが普通です。それがここでは一気に政策の論議や比較をすっ飛ばして、「政権交代」となります。/「政権交代可能な二大政党制」はすでに存在するではないですか。政権交代は衆院選挙で野党が勝てば、いつでも、いくらでも可能なのです。そのための二大政党制の政治メカンズムはすでに存在するのです。
 やはり朝日新聞にとってはこの参議院選挙は「政権交代」こそが目標なのだ、という本音が結びのこんな記述の構成にもあらわれている、と感じた次第でした。// 

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