秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

保守

1091/西部邁・佐伯啓思グループとは何者たちか?

 前回に、<西部邁・佐伯啓思グループ>または<(隔月刊)表現者グループ>について、「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって…という疑念を捨て切れない、と書いた。
 分かりにくい、矛盾もしていそうな形容表現だが、示唆を得た叙述は、西部邁や佐伯啓思らを念頭に置いたものでは全くないものの、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011)の中にあった。一度は雑誌連載で読んでいたはずのものを、単行本で先月末あたりに読み終えていたのだ。
 竹内洋はおおむね1970年代(ないし1960年代半ば)以降の思想潮流に論及して、「左翼」側の<構造改革>論(江田三郎ら)、「保守」側の「モダニズム保守」または「ニューライト」の登場を語る。そして、後者に関して「マルクス主義と切断された進歩の思想である近代化論」の台頭が背景にあるとする。
 面白く感じたのは、上のことに触れつつ、「保守と革新の変容」と題する<図>(チャート)を示している、その内容だ(p.502)。
 それによると、思想潮流は「左派」対「右派」というかたちで(ヨコ軸で)示される対立のほかに、「近代主義」対「伝統主義」というタテ軸で示される対立もある。二つの軸によって四つの象限ができるが、竹内は左上の「左派・近代主義」を<構造改革派>にあて、右下の「右派・伝統主義」を「オールドライト」と総称する。さらに、以下が興味深いのだが、左下の「左派・伝統主義」を「土着主義左翼」とし、右上の「右派・近代主義」に<ニューライト>をあてている。
 西部邁・佐伯啓思グループとはいったいいかなる性格の、あるいはいかに位置づけられるべきグループなのかという関心をもっていたときに上の図・表を見たために、はたして西部邁・佐伯啓思らはどこに位置するのだろうと考えてしまった。
 反復するが、竹内洋は戦後「進歩的文化人」や近年の「幻想としての大衆」について語ることを主眼としていて、西部邁らに言及しているのではまったくない。
 だが、西部邁や佐伯啓思らは<強いていうと>、竹内のいう後二者の「土着主義左翼」か「ニューライト」に該当するのではないかと感じたのだった。
 「左派」と「右派」はそれぞれ、伝統的にいう「革新」または「左翼」と「保守」または「右翼」に相応するものと理解してよいだろう。この対立に加えて、竹内は<近代主義X伝統主義>という対立軸を加味して理解しようしているのだ。
 さて、西部邁・佐伯啓思グループは、反米を強調し、そのかぎりで「日本的なもの」または「民族性」を強調することになっている点では竹内のいう「伝統主義」の側に立っている、とも言える。
 佐伯啓思は「日本の愛国心」や「日本という価値」を論じており、かつ欧米流「近代」主義をかなり厳しく批判(または批判的に分析)してもいるのだ。竹内は「土着主義左翼」と称しているが、これを少し表現し直したのが、前回に使った、私の「民族的左翼」という言葉だった。<反米>は「保守」のようでもあるが、「左翼」でもありうる。
 日本共産党ら「左翼」も、ある意味では、むろん<反米>だ。
 それに、西部邁らの論考や発言には「左翼」臭を感じることがある。二つだけ、例を挙げておこう。
 ①西部邁=佐伯啓思=富岡幸一郎編・「文明」の宿命(NTT出版、2012)の富岡の「はじめに」が、共産主義・コミュニズム批判を見事に欠落させて「現代文明」を語っていることはすでにこの欄で触れた。
 それとともに、中島岳志や藤井聡も執筆しているこの本では、「現代文明の全般的危機」が一つのキーワードになっていて、西部邁の論考はこれを一節のタイトル(見出し)にまでしている(p.25)。しかして、「…の全般的危機」とは、どこかで聞いたことがあるような、「左翼」またはマルクス主義用語なのだ。
 詳細は知らないが、マルクスらは「資本主義の全般的危機」という用語または概念を使ってきた。現在の日本共産党はこれをそのままでは採用していないようだが、ともあれ「資本主義の全般的危機」とは<左翼>用語だ(った)。
 西部邁らが好んで?用いている「現代文明の全般的危機」とはマルクス主義的な「資本主義の全般的危機」概念・論の影響を受けたものであり、かつ少なくとも部分的には、マルクス主義によるこれに関する議論を参照し、または取り込んだものではないだろうか。
 ②西部邁=佐伯啓思編・危機の思想(NTT出版、2011)の中の西部邁の序論には、「反左翼メディア」あるいは「反左翼人士たち」を批判または揶揄する部分がある(例、p.27、p.36)。その内容には立ち入らないが、「反左翼」を批判・揶揄するということは、常識的または通常の理解からすれば、自らは「反左翼」の立場にいることを表明または示唆しているとも理解できる。
 むろん、西部邁は「私どもの保守思想」とも言っていて(はじめにp.4)、上の意味するところは、その他大勢のエセ「反左翼」=「保守」とは違って、自分たちこそが「真の(本来の)保守」だ、ということなのではあろう。
 だが、その他大勢の?多数派的「保守」とは自分たちは違うのだ、と自分たちを位置づけていることはほとんど間違いはない。
 このことは、多数派的?「保守」からすれば、西部邁らを自分たちとは異なる「左翼」(の少なくとも一派)だと論定しても一概に批判されることではないと、第三者的読み手からすれば、なるだろう。
 要するに、「保守」だとかりにしても、じつに奇妙な、不思議な「保守」であるのだ。
 とりあえず二点挙げただけだが、この西部邁・佐伯啓思グループが、反共・反中国・反北朝鮮の主張を全くかほとんどしていない、コミュニズムや中国等に対して「甘い」、ということは、これまでに何度か指摘してきた。
 さらに叙述し続け、「ニューライト」または私の使った「合理主義的(近代主義的)保守」とも位置づけられるのではないか、という点に及ぶつもりだったが、長くなったので、ここで切る。後者は、「理性主義的=反情緒的保守」、と称してもよいかもしれない。西部邁・佐伯啓思グループには、こうした面もあるようだ。別の回に述べる。

1056/赤か自由か、反米か反共(反中国)か。

 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)の冒頭近くの西部邁の文章に、以下のようなものがある。

 ・韓国の「靖国と教科書」に関する「内政干渉」に対して「自称保守」は反発するが、アメリカによる日本の外交・内政への休みのない干渉があるにもかかわらず、それを「甘受」し、対米屈従を「日米同盟」と称して「アメリカの属国」化を「喜んできた戦後日本」が、「いかなる面子」を張って韓国・中国に対抗しようというのか。「自称保守は一言もない」。
 同旨のことは、在日韓国・朝鮮人の「地方参政権」要求に反発しても、アメリカは日本の国会や政府への「参政権を(実質的に)確立」しているのではないか、というかたちでも語られている(以上、p.18-19)。
 いわゆる<親米保守>に対する批判のようで、日本の対米従属性を(日本共産党と同じように?)指摘し、対米自立の必要を説くものと言えよう。
 <保守>に反米と親米があってもかまわないと思うし、いつか佐伯啓思の論考に触れて、両者は究極的には矛盾・対立するものではなく、同時に両者でありうる旨を記したこともある。
 上の西部邁の文章を読んで、あらためて考えさせられるところがあるのだが、ふと、以下のようなことを思いついた。
 かつての東欧諸国は形式的には国家主権を持った独立国だったが、実質的には程度の強弱はある程度はあれ(離反の度合い=自主性の高かったルーマニア共産党を、日本共産党は東欧諸国の共産党の中で肯定的に評価していた)、ソ連(・ソ連共産党)に従属した<傀儡>国家であり、各国の共産党は<傀儡>の共産党だった、と言えた。
 そのような形式的な独立・主権保持と実質的なソ連共産党への従属よりも、例えばチェコ(またはチェコスロバキア)を例にとれば、オーストリアまたは旧西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と<合邦>し、あるいはそれら連邦国家の中の一つの州となって、チェコの言語等の文化と<自治>を保障されながら生きていく方が、チェコ(チェコスロバキア)にとっては良かった(あるいは幸福だった)のではないか。
 公用語として独墺語を(も)使わなければならなかったり、連邦制度による制約をうけただろうが、それよりも、秘密警察が存在したりして基本的に政治的「自由」がなく、また「自由な市場」がなく国家によって経済が統制された共産党政権国家よりはまだ良かった(幸福だった)、マシだったのではあるまいか。
 問題は、一般的な<実質的な従属>の是非にあるのではなく、かりに従属があるとしても、いったい何に、あるいはいかなる国に<実質的に従属>するか、にある、のではあるまいか。
 西部邁の文章の趣旨は分かるし、肯定したい気分もある。しかし、<対米従属>性を認識・自覚し、実質的独立・自立を勝ち取ったように見えたとしても、別の国、例えば中華人民共和国への<新しい従属>の始まりであったとすれば、いったい何のための<対米従属>性批判だったのか、ということになるだろう。
 対米自立を主張する者たちの中には、おそらくは鳩山由紀夫がそうだったように、アメリカからより自立した、<東アジア共同体>という、中国を盟主とするグループないし「共同体」に属することを構想する者もあったのだ。
 反米的気分からする日本自立というそれ自体はまっとうな主張が、新しい、共産党国家への従属の方向に結果的につながってしまえば、元も子もない。
 西部邁および同グループの主張には、そのような危険性はまったくないのだろうか。
 つまるところは、反共と反米のどちらを優先させるかにある、といつも感じている。
 反米(反米保守)も結構だが、それが<反共>を忘れさせるようなものであっては困る。
 (中国に属する一つの州になってしまうことはもちろん)形式的な独立を保った中国共産党傀儡容共政権のもとでの生活よりは、まだアメリカ<従属>国家・政権のもとでの生活の方がましだ。
 <赤(コミュニズム)か自由か>。基本的にはこの対立・矛盾の中において、世の中の諸問題は理解され、考察されなければならない、と思っている。

1053/雑誌・表現者(ジョルダン)や中島岳志は「保守」派か??

 一 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)には西部邁や佐伯啓思らが参加する「保守思想から見た原発問題」との座談会があり、何カ所かに「保守放談」と題するコラム(小文)があったりもするので、紛うことなき<保守>派の雑誌らしい。少なくとも発行者や執筆者たちはそのように自己規定しているようだ。
 しかし、客観的に<保守>派かどうかは別途論じられてよい。
 西部邁もまた「自称保守」や「保守を自称する人々」を批判するところがあり(p.18-)、「保守」との自称がその「保守」派性を証明するわけではないことを当然の前提にしている。
 「反左翼」=「保守」だとかりにすれば、西部邁は「反左翼」を批判している部分もあり(p.26など)、彼が「保守」または「反左翼」の少なくとも一部に対して懐疑的であることも分かる。
 同じ思考は、西部邁らの(西部邁と佐伯啓思を「顧問」とする)表現者という雑誌についても向けられてよいだろう。この雑誌に執筆している者たちは「保守」なのか?、「自称保守」にすぎないのではないか?、という疑問をもっても、その思考方法自体については、西部邁も反対できないだろう。
 この雑誌・上掲号の冒頭近くの三浦小太郎の「保守人権派宣言」と題する連載ものらしい二頁の文章の最後は、ソルジェニーツィンが「資本主義も共産主義も同根の…危険性を持っていたことを見抜いていた」ことを肯定的に評価しているようで、ソルジェニーツィンの地点まで「思想的に深め」られれば、「現代日本への根源的な批判となりうるはずだ」という(p.15)。
 趣旨は分からなくはないが、しかし、「資本主義も共産主義も」という両者の同列視・同質視ははたして「保守」派の思想なのか、という疑問も生じる。反共産主義・反コミュニズムこそが(コミュニズム誕生以降の)<保守>思想の中核だと私は理解しているからだ。

 むろん<保守>はいろいろに定義または理解できるのだが、この西部邁グループのいう「保守」がいかなる意味で使われているのかは、参加者において一致しているとは思えないし、雑誌自体がきちんとした定義をしているとも思えない。「保守」、「保守」とこの概念を多用する前に、この雑誌は一度、現在の日本における「保守」派ないし「保守」思想とは何かについての詳細な座談会を組んでみたらどうか。

 なお、今年6月にこの欄に、「西部邁・中島岳志ら『表現者』グループは『保守』か?」と題する文章を私は書いている。

 二 すでに感じていた疑問または関心からも興味を惹くのは、とくに、中島岳志の「橋下徹大阪府知事こそ保守派の敵である」と題する文章だ(p.114-120)。

 中島岳志はこの文章では自らを「保守派」と明確に位置づけている(p.114)。ここですでに、中島は別のところでは(朝日新聞では)自らを(じつに奇妙な形容の)「保守リベラルの立場」と書いたのではないか、「保守派」と「保守リベラル」は同じなのか、と突っ込みたくなる。
 上はさておき、この文章はタイトル通り、橋下徹に対する「保守」派(自称)からの批判であり、「保守派」は橋下徹を支持してはならない、という警告?になっている。
 しかし、賛同することはできない。いくつかの論理の飛躍、都合のよいように(批判しやすいように)対象を歪曲しての批判、が見られる。
 詳しくは述べない(長くなりすぎる)。だが、橋下は「保守的どころか、反保守的と言わざるを得ない側面がほとんどである」という結論(p.114)には十分な説得力がない。
 中島によると、橋下は伝統・慣習よりも「法というルール」を「絶対視する傾向」がある(p.15)、橋下にとっては道徳・倫理ではなく「明文化されたルール」等に価値がある(p.117)。
 また、中島は、「大阪市の解体」を「一気に進める」べきとの橋下の主張は「ラディカリズム」あるいは「急進的な設計主義と伝統的価値観の否定」だとする。橋下の「ラディカルな改革熱」とともに、かかる「ラディカルな合理主義」に対して、「保守思想」は「懐疑的立場」をとるのだそうだ(p.118)。したがってまた、中島は「中央政治をぶっ壊す」との橋下のブレインとされる上山信一の文章にも噛みついている(p.119-)。
 中島のような断定的結論を導くには、中島が例として挙げる橋下徹の文章・発言は少なすぎる。それらは中島岳志のようには解釈できない可能性は残る。また。中島は自己が想定する「保守」思想とは矛盾するまたは対立する「反保守」の思想をあらかじめ想定して、その中に橋下の文章・発言を(慎重さの必要に配慮することなく)位置づけている可能性が高い。
 また、橋下の文章・発言等はむろん何らかの事案・問題との関係性を持っているので、単純に、中島の言うような、<伝統・慣習>か<法的ルール>か、(漸進的な改革ではない)<ラディカルな(急進的な)改革>の是非、といった一般論でその是非を判断することはできないように思われる。

 橋下が言っているわけではないが、<今こそ憲法改正を>とか<今こそ日本も核武装を>という主張は「急進的な変化」を追求するもので、「保守」思想から外れるものなのだろうか(かかる主張自体の現実的当否をここで述べているのではない)。
 あるいはまた、<戦後体制・戦後民主主義>からの脱却にはかなり思い切った覚悟と勇気が必要であって、ある意味ではラディカルな=急進的な主張や実践的運動にならざるをえないところがあるように思えるが、中島はそのような「ラディカルさ」をいっさいの場合について非難するつもりなのだろうか。
 中島は<大阪市の一気な解体>という主張のラディカルさを批判しているが、問題はそこにあるのではなく、「大阪市の解体」という主張の当否にあるはずだ。しかも、そもそもが、現行法制上(中島は「法」がお嫌いのようだが)、大阪市を簡単に(一気に)解体することなど不可能なのだ。横浜市、名古屋市らとまったく無関係に、大阪市だけの解体などがありうるはずがない。
 中島は最後の方であらためて、橋下徹を「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」と性格づけ、「保守が支持してよいのでしょうか」と警告?している。
 「大阪市の解体」については上でも言及したが、中島は、その議論に対する詳しい反論(大阪市存続論)を叙述しているわけでもない。
 「国家まで解体しようとする」となるとますます怪しい。
 この部分に対応するのは、上山信一の「中央政府をぶっ壊す」との表現だろうと思われる。だが、後者の「ぶっ壊す」は「廃棄」=<消滅させること>ではなく現状を大きく変える程度の意味だろう。また、そもそも、「中央政府」と「国家」は同じ意味ではない。
 しかるに、中島岳志の頭の中では、上の表現が<国家の解体>を意味するものと読み替えられているのだ。
 これはフェアな批判ではなく、自己の主張に都合のよいように対象を変化させたうえでの<卑劣な>方法による批判にすぎない。そして、中島岳志という人物の頭の<幼稚さ>を示してもいるだろう。
 ところで、注目されてよいのは、橋下徹が大阪府知事を辞任して大阪市長選挙に立候補するという時期に、中島岳志は上の文章を公にしている、ということだ。
 前回に書いたように、この中島岳志という人物は、香山リカらととともに、大阪で<反ハシズム>集会に参加して喋っている。
 ひょっとすれば、この集会は、大阪府の(橋下らの会派が提案した)職員・教育に関する条例を批判するための集会だった(橋下徹を一般に批判したわけではない)と釈明?するかもしれないが、10月下旬という時期に橋下徹を批判することが、対立候補となることが想定された(そして現実にもそうなった)民主党・平松某を助けることとなる政治的機能を果たすことは容易に考えられえたはずだった。
 そして、今回とり挙げている雑誌・表現者において、たんに特定の条例に対する批判ではなく、一般的な橋下徹批判を中島は展開しているわけだ。
 従って、たんなる反橋下集会への参加・発言を捉えてではなく、一般的に、以下のように言うことができる。
 中島は橋下徹を「反保守」として批判・罵倒するが、では民主党・平松某をいったいどのように評価しているのか??
 選挙・投票を前にした時期に一方だけを批判することは、そうではない片方を支持・擁護し、その片方の当選・勝利へと導こうとする意図を持っているとしか考えられない。
 なぜ、中島岳志の文章には、「民主党」もその擁立する「対立候補(平松某)」もひとことも出てこないのか。
 結局のところ、橋下徹を批判することによって、少なくとも客観的な機能としては、民主党・平松某を支持していることにしかならないと思われる。しかして、現時点において、相対的には民主党・平松を擁護することになる文章を公にするような人物はまっとうな「保守派」なのか??
 橋下徹を批判することが結果として(少なくとも大阪の、そしてひいては国政上の)民主党を「持ち上げる」関係になることは明らかだ。
 中島岳志は実質的には、大阪の選挙における民主党支持を表明していることは明らかだ。少なくとも大阪市長選挙においては、民主党・平松某と橋下徹(大阪維新の会)が対抗しているのであり、橋下徹よりも「保守」的な候補はいない。
 もう一度言っておこう。かかる構図の中で、民主党の候補を支持することとなる文章を書く者は「保守」なのか??
 三 中島岳志という人物を「飼っている」表現者グループないし西部邁グループの「いかがわしさ」は、表現者39号でも明らかになった、と思われる。
 寺脇研もこのグループの一人らしく、かつ大阪で橋下徹の教育・教員政策を批判していること、中島岳志は「ラディカル」な改革とともに、野田佳彦首相が唱えているらしき「中庸」もまた批判していること(p.148-)との関係の曖昧さ・不思議さ、についても気にかかるが、さしあたり省略する。

1051/月刊WiLLと屋山太郎は「保守」か?

 〇先の日曜日(10/23)に手に入れた撃論第3号(オークラ出版、発行日付は2011.11.18)は、背表紙に「月刊誌『WiLL』は日本の国益に合致するか」とあって、凄まじい。
 但し、この背表紙に明らかに即した論考は、月刊WiLL誌上等で「脱原発」を主張する西尾幹二を批判する中川八洋のものくらい(p.86-)で、「月刊誌『WiLL』は、日本の国益に合致するか」と題する二頁の「編集部」の文章が最も即している(p.74-75)。この雑誌の編集人は「三田浩生」となっている(奥付p.184)。
 この文章によると、①月刊WiLLが「国益」を度外視した「商売至上主義の雑誌だとすれば」、「保守」でない。②月刊WiLLは「民族系の読者層をターゲットに絞っているだけ」でないか。③月刊WiLLは、菅直人・孫正義らの「脱原発」路線に編集方針をシフトさせ、「悪魔の脱原発」を批難しない。例として、西尾幹二・小林よしのりの論考・漫画の掲載、「マルキスト武田邦彦」の議論の「絶賛」、太陽光発電の欠陥を理解しない「超バカ」辛坊治郎の「もちあげ」等。④月刊WiLLは「反左翼イデオロギー」を持たない「日本の民族系」の欠陥に着目して(国家解体・亡国の)「アナーキズム」へと「巧みに誘導」している(p.74-75)。
 この文章の基本的主張およびこの雑誌の編集方針は「原発の推進」による「安定的で潤沢な電力供給」(→日本経済の発展・成長)のようだ。そしてこの観点から、菅直人・武田邦彦らを批判している高田純の論考(p.76-)も、<反月刊WiLL>特集?の一環と位置づけられているらしい。
 原発問題は私には「分からない」としか言いようがなく、従って脱原発=非保守とはただちに断じ難い。また、月刊WiLLが全体として「反左翼」性のない、非「保守」の雑誌だとは感じていない。
 だが、月刊WiLLに何やらいかがわしい部分、あるいは「非保守=左翼」的部分を感じてきたことはある。
 月刊WiLLだけではないが、反雅子皇太子妃の西尾幹二らの文章を掲載して大きく宣伝したのは月刊WiLLだった。小林よしのりを近年登場させているが、彼の最近の主張内容は「保守」か否か以前のレベルにあるように思える。
 何よりも、2009年に民主党支持を明確にしていた屋山太郎の文章を依然として巻頭コラムの一つとして使い続けているのは、きわめて疑問だ。月刊WiLL誌上で相も変わらず「天下り根絶」と叫び続けている屋山太郎は、もはや客観的状況の全体を見ることのできない、「非・保守」の論?者だと思われる。
 また、勝谷誠彦もそうなのだが、元文藝春秋グループの一人・花田紀凱(月刊WiLL編集長)は、「ジャーナリスティックな」勘は鋭いが、主義と商売とどちらを大切にするのだろうと不安にさせるところがある。商売上手、話題作りの巧さは「保守」派にも必要だが、商売上手・話題作りの巧さが「保守」性を証明するわけではむろんない。
 ところで、撃論「編集部」の上の文章によると、月刊WiLLの販売部数は月平均約10万部、産経新聞社の月刊正論は実売2万部以下、らしい。「保守」派雑誌の代表らしき月刊正論よりも5倍も売れているとは驚いた(事実とすればだが)。産経新聞社・月刊正論は、執筆者の選考等を再検討してみる必要があるのではないか。
 むろん、前回に書いたように40万部ですら有権者の1%程度にしか読まれていないのだから、10万や2万程度で、社会・政治全体が大きく変わることはありえない(これらの雑誌の全国紙への見出し等の大きな宣伝広告の方が影響力があるかもしれないとすら思う)。
 これは月刊WiLLについても同じだが、月刊正論の常連の執筆者だからといって、「保守」の世界での有名人だなどと威張っている者がいるとすれば、バカだ。
 〇櫻井よしこ代表の国家基本問題研究所は、依然として屋山太郎を「理事」として遇し続けている。この人物を「つまみ出す」ことができないような団体は、もはや<保守>派とは言えないのではないか。
 産経新聞は代表・櫻井よしこを重用し、「正論」執筆者グループの中に田久保忠衛(副理事長)や屋山太郎も加えている。産経新聞自体、その「保守」性は完全なものではない。広く「保守」を結集する(させる)のはよいが(西尾幹二も産経にときどき書いている)、屋山太郎の起用だけは大いに疑問だ。遅くとも2009年以降、自民党よりも(「左翼・反日」の)民主党を支持し続けている人物が「保守」と言えるのか?
 3/11以降の「正論」欄に憲法改正の必要性を(たぶん非常事態対処との関連で)主張する文章が載っていたが、いかほどの「現実」感覚があるのか、疑わしい。憲法改正の必要性は百も承知だが、それが可能な「現実」的政治状態(要するに国会内の状況)であるのか、そしてまた、憲法改正の必要性を論じるのではなく、重要なのは、いかにして国会内に2/3以上の憲法改正賛同勢力を創り出すか、だろう。その課題・戦略に触れない憲法改正必要論など、ほとんど無意味だと思われる。

 ところで、中山成彬を会長とする「国想う在野議員の会」のウェブサイトを見ていると、「文化人及び有識者の応援団」((2010年4月20日現在)として、青山繁晴、潮匡人、田母神俊雄、百地章、国家基本問題研究所の理事を辞めている中西輝政ら28人の名があった。
 屋山太郎が除かれているのは結構なことだ。但し、田久保忠衛と花田紀凱の名もある。とくに後者にやや驚く。花田紀凱とは、さほどに政治的・実践的な関与のできる人物なのか、と。花田が28名の中で違和感なく存在しているとすれば、月刊WiLLは「基本的には」、「保守」派の雑誌だと思うのだが、これは(撃論編集部に非難される)買いかぶりだろうか。
 八木秀次・渡部昇一の名もあり、やや気になるが、この二人については今回は省略する。 

1048/「保守」派の言論活動の意味?

 〇中西輝政は、<教育・マスコミ・論壇>という「日本左派」の「鉄の三角地帯」について語っている(同・強い日本をめざす道p.173(PHP、2011))。
 この教育・マスコミ・論壇という<三角地帯>のいずれにおいても、「左翼」が強固であり、「保守」は敗北している旨を語っている。
 おそらくそのとおりで、「保守」派を自認する者は、まずは上の事実のしっかりとした自覚をする必要があるだろう。中西の表現によると、「日本の保守は、自分たちが敗者であることを『徹底的に』認め…」なければならない(同上p.173-4)。
 「左翼」の中にもいるが、「保守」の中にも、(保守の場合は保守的な)マスコミ・論壇の中である程度の位置を占め、ある程度の「名声?」を獲得し、あるいは「そこそこに」経済的利益を得て、それでとりあえず満足してしまっている者も少なくないのではあるまいか。
 現状をいかほどに深刻に憂えて言論活動を行っているのだろうか。高年齢の人もいるのだが、晩年の「名前?」の維持、小遣い稼ぎの程度の感覚で文章を執筆している者もいるのではないか(ちなみに、産経新聞の「正論」欄は、執筆者の平均年齢が高すぎる)。
 「保守」派とされる産経新聞だが、そしてそれだけで朝日新聞や毎日新聞よりはマシなのだが、しかし、産経新聞社も企業体として利潤を得る必要がある。そこから、「そこそこに」利益を上げればいい、勝利・敗北などは直接の関係がない、世の中がどうなろうが「そこそこに」売れて、儲かればよい、という感覚が、論説委員・編集者や記者たちに生じてはいないだろうか。
 〇中西輝政は、「正直いって個人的には耐え難いほどの無力感を感じている」と書いてもいる(同上p.4)。これは正直で率直な感覚だと思う。
 一方で中西は、「個人的な感慨を乗り越えて、人々の奮起を促すことも、…大切な責務だと自らに言い聞かせている」とも書く(同)。
 この後者は考えさせるところがある。つまり、<政治的>要素を含む言論活動とは、いったいいかなる種類・性格の営為なのか、ということを考えさせる。
 中西輝政は「個人的な感慨を乗り越えて」と書くが、後者の意味するところは、個人的には感じる客観的な想定・予測よりも、読者の「奮起を促す」ための(客観性がより乏しい)「煽動」文書を書く必要もある、ということではないか。是非・善悪を問題にしているのではなく、むしろそのような言論活動も当然にありうるものと承知したい。
 いろいろな論者があれこれの言論を行っているが、いったいそれはいかなる種類・性格のものなのか。
 「客観的」事実を叙述して、積極的または消極的に、あるいは期待的または警告的にコメントするなどして、自らの(実践的な)立場・見解を述べる、というのが相場だろう。こうした作業は重要ではあるが、しかし、論点によっては、あるいは媒体メディア(雑誌を含む)によっては、また言っている、という「保守」派の世界では当然視される、つまりは批判を受けずに安心しておられる、安全な作業である場合もあるだろう。
 「客観的」で詳細な事実の叙述が長くて、そのこと自体が重要な価値を持つこともあれば、執筆者の主張・見解がいま一つはっきりしない、という論考もときにはある。
 唐突にやや離れるが、「保守」派とも言われる(但し、中川八洋は厳しく論難している)福田和也の毎週または毎月の多数の連載は、いったい何を目的にしているのだろう、何を主張したいのだろう、と感じさせるところがある(一冊の本にまとめられて初めてそれが分かるのかもしれないが)。
 〇すでにいつか言及したはずだが、西尾幹二が、何かの彼の本の中で<言論の無力さ>を痛感する旨を書いていた。中西輝政の上記の本の中にも同旨は見られる。西尾幹二や中西輝政ですらそうなのだから、秋月瑛二が無力感を感じても当然だ。一銭にもならない、所詮は自己満足の作業なのだが、無償でもときに無性に(?)何か書きたくなることはあるので、この欄を閉じてしまうのはやめておこう。

1021/西尾幹二は渡部昇一『昭和史』を批判する。

 一 渡部昇一は<保守>の大物?らしいのだが、①1951年講和条約中の一文言は「裁判」ではなく「(諸)判決」だということにかなり無意味に(=決定的意味を持たないのに)拘泥していること、②日本国憲法<無効論>に引きずられて自らもその旨を述べていることで、私自身はさほどに信頼してこなかった。産経新聞・ワック系の雑誌等に渡部昇一はなぜこんなに頻繁に登場するのだろうと不思議にも感じてきた。
 二 ジャパニズム02号(青林堂、2011.06)の座談会の中で、西尾幹二が渡部昇一の『昭和史』(ワック)を批判している。
 西尾は、戦前の日本についての「内向き」の、「失敗」・「愚か」話ばかりの歴史叙述を批判し、渡部昇一も「昭和史」と称して「統帥権の失敗と暴走」という「たった一本でずっと」(それを「中心のテーマ」として)書いている、とする。そして、渡部昇一は「日本はリーダーなき暴走をした」、「日本には主体性がなかった」と、丸山真男ばりのまとめ方をしている旨を指摘し、「渡部さんの方は最後には、日本の迷走を食いとめたのは、広島、長崎の原爆であったとかいてある」とも発言している(そのあとに「(笑)」とある)(p.105-6)。
 渡部昇一の『昭和史』を読む気になれず、かつ読んでいないので西尾幹二(ら)の批判の適切さを確認することはできないが、さもありなんという気はする。渡部昇一は、<保守>の大立者として信頼し尊敬するに値するような人物なのだろうか。
 なお、古田博司が、丸山真男や加藤周一らの「日本の文化ダメ、日本人バカ」論が続いてきたと述べたのち、その流れにある者として西尾幹二は、半藤一利、保阪正康、加藤陽子、秦郁彦、福田和也の名を挙げている。
 これまたこれら5人すべての著書類を読んでいないので適切な反応をしにくいが、渡部昇一の場合以上に、あたっているだろうと思われる(とくに、半藤と保阪については)。ついでながら、先日、NHKは加藤陽子を登場させて語らせて、<さかのぼる日本史>とかの一回分の番組ままるまるを作って放送していた。特定の日本史学者の考え方にそって日本の(昭和戦前の)歴史を語るということの(よく言えば?)大胆不敵さあるいは公平さ・客観性の欠如(偏向性)をほとんど意識していないようなのだから、怖ろしい放送局もあるものだ。今年もまた、8/15に向けて、戦争は悲惨だ、日本は悪い事をした、という「ドキュメンタリー」?類を垂れ流すのだろう。
 三 中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒―悪魔の女系論はどうつくられたか―(オークラ出版、2011.07)はタイトルのとおり、小林よしのり(+高森明勅)と、他に「民族派・男系論者」を批判する本のようだ。
 中川は戦前の平泉澄・戦後の小堀桂一郎も罵倒しているが、ヘレン・ミヤーズとその著を『国民の歴史』の中で「礼賛」しているとして、ミヤーズの肯定的評価について、小堀ととともに西尾幹二をも批判している(p.287、p.310)。
 中川のこの本については別の機会に言及するし、ミヤーズについて適切に評価する資格はない。
 ただ第三者的に面白いと思うのは(失礼ながら)、これで渡部昇一が中川八洋を批判していれば、渡部昇一←西尾幹二←中川八洋←渡部昇一←……という循環的相互批判が成り立つなぁ、ということだ。やれやれ…、という気もするが。

1017/<保守>は「少子化」と闘ったか?-藤原正彦著を契機として。

 一 最近この欄で言及した二つの雑誌よりも先に読み始めていたのは藤原正彦・日本人の誇り(文春新書、2011.04)で、少なくともp.175までは読み終えた形跡がある(全249頁)。
 藤原が第一章の二つ目のゴチ見出し(節名)以降で記しているのは、現在の日本の問題点・危機だと理解できる。
 ①「対中外交はなぜ弱腰か」、②「アメリカの内政干渉を拒めない」、③「劣化する政治家の質」、④「少子化という歪み」、⑤「大人から子供まで低下するモラル」、⑥「しつけも勉強もできない」(p.11-25。番号はこの欄の筆者)。
 上のうち<保守>論壇・評論家が主として議論してきたのは①・②の中国問題・対米問題で、③の「政治家の質」とそれにかかわる国内政治や政局が加えられた程度だろう。
 つまり、上の④・⑤・⑥については、主流の<保守>論壇・評論家の議論は、きわめて少なかったと思われる(全くなかったわけではない)。
 藤原正彦とともに、「政治、経済の崩壊からはじまりモラル、教育、家族、社会の崩壊と、今、日本は全面的な崩壊に瀕しています」(p.22)という認識をもっと共有しなければならないだろう。
 二 例えばだが、<少子化>が日本崩壊傾向の有力な原因になっていること、そしてその<少子化>をもたらした原因(基本的には歪んだ戦後「個人主義」・男女平等主義にある)について、櫻井よしこは、あるいは西部邁は(ついでに中島岳志は)どのように認識し、どのように論じてきたのだろうか。
 p.175よりも後だが、藤原は、「少子化の根本原因」は「家や近隣や仲間などとのつながり」を失ったことにある、出産・子育てへのエネルギー消費よりも<自己の幸福追求>・社会への報恩よりは「自己実現」になっている、「個の尊重」・「個を大切に」と「子供の頃から吹き込まれているからすぐにそうな」る、とまことに的確に指摘している(p.241)。
 このような議論がはたして、<保守派>において十分になされてきたのか。中島岳志をはじめ?、戦後<個人主義>に染まったまま<保守>の顔をしている論者が少なくないのではなかろうか。
 <少子化>の原因の究極は歪んだ戦後「個人主義」・男女平等主義にあり、これらを称揚した<進歩的>憲法学者等々の責任は大きいと思うが、中間的にはむろん、それらによるところの晩婚化・非婚化があり、さらに<性道徳>の変化もあると考えられる。

 中川八洋・国が滅びる―教育・家族・国家の自壊―(徳間書店、1997)によると、マルクスらの共産党宣言(1848)は「共産主義者は…公然たる婦人の共有をとり入れようとする」と書いているらしく、婚姻制度・女性の貞操を是とする道徳を破壊し、「売春婦と一般婦女子の垣根」を曖昧にするのがマルクス主義の目指したものだ、という。そして、中川は、女子中高生の「援助交際」(売春)擁護論(宮台真司ら)には「過激なマルクス主義の臭気」がある、とする(p.22-)。
 また、今手元にはないが別の最近の本で中川八洋は、堕胎=人工中絶という将来の生命(日本人)の剥奪の恐るべき多さも、(当然ながら)少子化の一因だとしていた(なお、堕胎=人工中絶の多さは、<過激な性教育>をも一因とする、妊娠しても出産・子育てする気持ちのない乱れた?性行動の多さにもよるだろう)。
 私の言葉でさらに追記すれば、戦後の公教育は、「男女平等」教育という美名のもとで、
女性は(そして男ではなく女だけが)妊娠し出産することができる、という重要でかつ崇高な責務を持っている、ということを、いっさい教えてこなかったのだ。そのような教育のもとで、妊娠や出産を男に比べての<不平等・不利・ハンディ>と感じる女性が増えないはずがない。そして、<少子化>が進まないわけがない。妊娠・出産に関する男女の差異は本来的・本質的・自然的なもので、<平等>思想などによって崩されてはならないし、崩れるはずもないものだ。しかし、意識・観念の上では、戦後<個人主義>・<男女対等主義>は女性の妊娠・出産を、女性たちが<男にはない(不平等な)負担>と感じるように仕向けている。上野千鶴子や田嶋陽子は、間違いなくそう感じていただろう。

 上のような少子化、人工中絶等々について、<保守>派は正面からきちんと論じてきたのだろうか?
 これらは、マルクス主義→「個人主義」・平等思想の策略的現象と見るべきものと思われるにもかかわらず、<保守派>はきちんとこれと闘ってきたのだろうか?
 現実の少子化、そして人口減少の徴候・現象は、この戦いにすでに敗北してしまっていることを示しているように思われる。
 このことを深刻に受けとめない者は、<保守>派、<保守>主義者ではない、と考える。 

0990/<保守派>論客を出自・元来の専門分野から見ると…。

 〇西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)という本は、その構成・編集の仕方が分かりにくい。渡辺望という目慣れない人の「はじめに」が延々と27頁も続くが、この本の趣旨・成り立ち等を西尾に代わって書いているわけではない。冒頭に、いわば<西尾幹二論>があるのだ。最後の方に唐突に「ブログ管理人/長谷川真美」による西尾幹二のブログの「歴史」が語られたりする。残りは西尾幹二のブログ(インターネット日記)の内容だとは推測されるところだが、ブログ内容に対する読者または知名人の感想等が挿入されていたり、西尾自身の出版直前のコメント等が挿入されていたりするので、いつの時点の文章のなのかもすこぶる分かりにくい。

 それでも、内容自体は興味深いテーマを扱っているので、読む人は読むだろうが、それにしても読者には不親切だ。関係する文章を時系列に関係なく、本文と解説等に分けることもなくごったにしてホッチキスで止めたような感じ。こんな本も珍しい。売れるとすれば、西尾幹二の名前によるところがほとんどではないか。

 〇上の渡辺望「はじめに」は、西部邁についてこう書いている。

 「福田恆存、江藤淳、竹山道雄、林健太郎、渡部昇一」らが「保守派」の論壇に存在していたが、「保守」という言葉を「現代日本に定着させた」のは西部邁の「論壇的功績」で、西部邁の1980年代の登場以降、「保守」という言葉を多くの人が使うようになった(p.19-20)。

 この西部邁論について大きな関心はないし、論評できる能力もない。興味を惹いたのは、そこで挙げられている「保守派」の論客の<出自>あるいは<(元来の)専門分野>だ。

 西部邁は経済学(・思想・歴史)だが、上の5人のうち林健太郎は歴史学・西洋史(とくにドイツ)で、あとの4人はいずれも<文学>畑だ。正確に確認しないが、渡部昇一は英語・英文学、そして西尾幹二もまた独語・独文学(・ドイツ思想・ドイツ哲学)という具合だ。

 福田恆存は英文学科卒、竹山道雄は独文学科卒、江藤淳は文学科英米文学専攻卒。

 このような<文学畑>または<文学部出身者(この場合は「歴史学」も含まれる)>によって<保守派>の論壇が形成されてきた、ということは、日本の<保守論壇>に独特の雰囲気・発想をもたらしているようにも見える。そしてそれは、必ずしもよいものばかりではないように見える。

 経済学部出身の西部邁、佐伯啓思、法学部(但し政治学系)出身の中西輝政あたりはむしろ少数派で、上記のような<文学畑>がなおも多数を占めているのではないか。櫻井よしこはハワイ大学で「歴史」を専攻したはずで、日本の大学でいうと文学部出身になる。

 どのような独特さをもたらしているかについて多少は書きたいこともあるが、ややこしいので別の機会にしよう。いつか言及した三島由紀夫と福田恆存の対談の中にも法学部出身者と文学部英文学科出身者の違いを感じさせる部分があった。

 <保守派>とはいえない屋山太郎は政治・行政に口を出しているので法学部出身かと思っていたら、文学部出身。経済についても法制についても<ドしろうと>なわけで、信頼できないことを書いている理由の一端も理解できる。政府の審議会委員をしていて見聞きして経験したことくらいで、政治・行政を「分かって」いると思っているとすれば、とんでもない勘違いだ。この人はまだ、民主党を1年半前に支持した不明を恥じる言葉を書いていない。

 〇先日の夜と翌朝にかけて、竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を全読了。2/26~27に月刊WiLL4月号(ワック)の中のいくつかをすでに読了。

0982/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」を読む②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋-その2-。
 ・日本には「保守主義の知識人」が「ほとんど存在しない」。明治期には井上毅がおり、武士階級の子弟が「家」制度の存在とともに結果として日本を「保守主義」で導いたが、1910年以降、①「ルソー系の平等思想」と②「マルクス主義」が台頭し、1917年以降、「マルクス・レーニン主義」が燃えさかった。この火は大東亜戦争を生み、戦後日本を決定づけ、いまは日本全体に浸透し日本人を「洗脳」している。
 ・「保守」は戦後の新語で、社会党・共産党ら「革新」に対する「親米/日米同盟支持」勢力を指し、もともと「思想やイデオロギーが弱く、ほとんど無い」。英米の、バーク、ワシントン、ハミルトンらの「保守主義」は「全体主義とアナーキズムの極左思想」の排撃を目的とする「人類史に燦然と輝く最高級の知で武装された戦闘的イデオロギー」だ。

 ・「ないよりまし」だった「日本の保守」すら、1991年末のソ連崩壊によって「壊滅的に瀕死」の状態になった。「革新」に対する「保守」はもはや不要だと、自ら棄てる、「愚昧な選択」をした。私(中川八洋)はソ連崩壊により「国防の軽視ばかりか、コミュニズムが日本の隅々まで浸透し支配する」と予見したが、それは「完全な正確さで」的中した。
 ・予見した日本の「新型コミュニズム革命」は、想像をはるかに超えて大掛かりとなり、翌1992年に本格化した。「政治改革」キャンペーンは「新型共産主義革命」のための「新体制」づくりだった。「民族系論者」にも<反「政治改革」>を協力要請したが、「だれ一人として」相手にしてくれなかった。彼らは、翌年の1993年政変=細川政権誕生の意味を理解できず、「極左イデオロギー」は「変幻自在に衣装を変え色を変え信仰され続」いて「永遠に死滅しない」ことも知らない。(以上、p.351-355)

 ・1994年1月の選挙区制の改悪と同時に「極左イデオロギー一色の新型共産革命」が列島全体を覆った。1990年代半ばの「夫婦別姓」運動の盛り上がりはその一つ。1999年には、男女共同参画基本法という「伝統と慣習を破壊するマルクス・レーニン主義」そのものの「日本共産革命法」が制定された。その他、①ブルセラ/援助交際の奨励による道徳破壊、②フェミニズムやジェンダー・フリーによる日本男性の「夢遊病患者」化と日本女性の「動物」化という「人格改造革命」、③ポスト・コロニアリズムによる国家解体、等々の「大規模で組織的な」革命が日本を襲っていることを自覚する知識人は「ほとんどいなかった」。「正しい保守」は「日本から完全に消えた」。自民党の民族系国会議員は「新型共産革命」を傍観するばかりか「積極的に協力した」。日本の「民族系政治家の無教養ぶり」は「教育不可能な絶望のレベル」だ(p.356)。

 ・1960代までの日本の「保守」には吉田茂などの「保守主義」の匂いが残存した。バークやハミルトンが検閲されて「焚書」状態の中で、ベルジャーエフとクリストファ・ドウソンが「真正保守」を代用していた。
 ・「日本の保守」=「反共」人士は、1970年代に入ってから「激減」した。偶然にか、この劣化・消滅は核武装支持者の大衰退の傾向と合致する。核拡散防止条約加盟・批准(1970.02、1976.06)を境に、日本の核武装支持者は急激に下向した。上の加盟と批准の間に、1972.09の日中国交回復があった。これこそは、日本から「反共」を撲滅する「劇薬的な除染液」となった。「反・中共」路線が、「保守」であるべき自民党政権によって行われたことは、ブーメラン的に日本の「反共=真正保守」を撃破した。
 ・「反共」の文藝春秋社社長・池島信平が月刊誌・諸君!を創刊したのが「保守」衰退開始の1969年だったのは皮肉だ。諸君!は21世紀に入ると、「保守つぶし」の一翼を担った。諸君!は1990年代には「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」の「民族系論客」や「反米一辺倒(極左)アナーキスト」を主執筆者に据えたため、「保守=民族系」との「大錯覚」が読者「保守」層に蔓延し、「保守偽装の極左=保守」という狂気の「逆立ち錯誤」すら90年代後半以降広く蔓延した。

 ・「民族系」は「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」という「左翼思想」を基盤とするもので、「反共」の「真正保守」とは根源的に対立する。彼らは、日本国内でのコミュニズムの浸透・偽装・変身を見抜けない。たまには「左翼批判ごっこ」はするが、「左翼イデオロギー」に関する知識欠如のために「左翼運動や左翼言説」に「致命傷」を与えず、「必ず不毛に終わる」。(以上、p.357-359)
 まだ中途。余裕があれば、なお続ける。

0981/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」①真正保守と「民族系」。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋。
 ここで中川が書いていることが適切ならば、日本は「ほとんど絶望的」どころか、「絶望的」だ。

 かの戦争の理解についても多くの<保守>論者のそれとは異なる<中川史観>が日本の多数派になることはないだろう。<日本は(侵略戦争という)悪いことした>のではない、という多数派<保守>の歴史観(歴史認識)が日本全体での多数派になることすら疑わしい、と予測しているのだから。かつての歴史理解の差異はさておいても、将来の自主的(自立・武装の)憲法制定くらいでは多数派を形成できないだろうかとささやかに期待している程度にすぎないのだから。

 さっそく脱線しかかったが、中川八洋の主張・見解を基本的なところで支持するにはなお躊躇する。あれこれと苦言を呈してもいるが、多数派<保守>の影響下になおある、つまり中川から見れば誤った<思い込み>があるのかもしれない。しかし、少なくとも部分的には、中川の主張や指摘には首肯できるところがある。

 以下、コメントをできるだけ省く。

 最後の方の図表(p.363)は以下のとおり。

 中川はタテ軸を上の<反共or国家永続主義>と下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義>で分け、ヨコ軸を左の<アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>と右の<反アジア主義(親英米・脱亜)/倫理道徳重視>に分ける。

 四つの象限ができるが、左・かつ下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義+アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>が中川のいう「Ⅱ・極左」だ。中心に近いか端に近いかの差はあるが、文章化しにくいので割愛し、そこで挙げられている人名(固有名詞)は、①林房雄、②福田和也、③保田與重郎、④共産党、⑤近衛文麿、⑥白鳥敏夫、⑦河野洋平、⑧松本健一、⑨村山富市、⑩宮沢喜一〔番号はこの欄の紹介者〕。①~③は、ふつうは<保守派>と理解されているのではなかろうか。

 右・かつ上(反共or国家永続主義+反アジア主義(親英米・脱亜)が中川のいう「Ⅰ・真正保守」で、次の8人のみ(?)が挙げられている。①昭和天皇、②吉田茂、③中川八洋、④殖田俊吉、⑤福田恆存、⑥竹山道雄、⑦林健太郎、⑧磯田光一

 右・かつ下はなく、左・かつ上の<反共or国家永続主義+アジア主義(反英米)>が中川のいう「Ⅲ・民族系」だ。自民党のある議員集団について中川が「容共・ナショナリスト」と断じていた、その一群にあたるだろう。そして、①渡部昇一、②松平永芳、③小堀桂一郎、④江藤淳、⑤西尾幹二、が明示されている。

 このグループはふつう <保守派>とされており、上のごとく(たぶん②を除いて)その「大御所」ばかりだが、中川八洋によれば、「真正保守」ではない。図表によると「反英米」か「親英米」のうち、前者を中川は「真正保守」に反対するものと位置づけていることになる。

 西尾幹二と江藤淳は対立したこともあるが広くは同じグループ。櫻井よしこも、渡部昇一と現在ケンカしている小林よしのりも、おそらくはこの一群の中に位置づけられるのだろう。

 西部邁や佐伯啓思はどう扱われるのだろうか。この二人の<反米>ぶりからして、「真正保守」とは評価されないのだろう。

 佐伯啓思は保田與重郎らの「日本浪漫派(?)」に好意的に言及していたように記憶するので、ひょっとすれば、中川からすると「極左」かもしれない。佐伯は親共産主義をむろん明言してはいないが、「反共」主張の弱いことはたしかだ。その反米性・ナショナリズムは「左翼」と通底するところもある旨をこの欄に書いたこともある(佐伯啓思が自らを「親米」でもある旨を書いていることは紹介している)。

 以上は、冒頭に記したように、中川の整理を支持して紹介したものではない。だが、少なくとも、思考訓練の刺激または素材にはなりそうだ。

 一回で終えるつもりだったが、ある頁の表への論及だけでここまでになった。余裕があれば、さらに続ける。

0957/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」。

 一 佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010.08)の第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」は、月刊正論2010年6月号(産経新聞社)の「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」に「多少の加筆修正」をしたもの。

 月刊正論の原論考ついては、この欄の5/07、5/17、5/18の三回ですでに紹介・言及している。不十分なコメントしかできていないが、単行本の一部となって読み直しても、<保守派>志向の者にとって、無視できない、重要な論点・問題を提起しているようだ。

 日本の「国民精神」は「西欧的なもの」と「日本的なもの」の間の、「もはや深刻なディレンマとして受け止めることができなくなってしまった」ディレンマとして表象されてきた。この「葛藤を引きうけること」によるしか「精神の活力もバランスもえることはできない」ので、「保守の立場とは、まずはこのディレンマを自覚的に引き受けるということから始めるほかない」(p.202-3)。

 日本の保守派(志向者)ははたして、「このディレンマを自覚的に引き受けるということから始める」ことをしているのだろうか? そしてまた、なぜ、この佐伯啓思論考を手がかりにしたような議論や論争が<保守論壇>で起きないのか?

 二 あらためて、この論考を最初から、メモをしながら読み直す。なお、今年2010年の4月頃に初出論文は執筆されたと見られることは留意されてよいかもしれない(まだ鳩山由紀夫首相で、まだ2010参院選民主党敗北も明らかでなかった。むろん尖閣問題も起きていない)。

 ・鳩山政権の支持率は下がっているが、自民党への期待が高まってもいない。その理由は「この政党の依って立つ軸のありかが全くもって不明な点」にある。但し、民主党も「同じ」で、「経済政策や外交政策の基本的な立場が見えない」(p.178)。

 ・民主党=リベラル、自民党=保守との図式ぱありうるが、「リベラル」・「保守」の意味自体が明快ではない。福祉重視=リベラル、市場競争重視=保守という「何とも大ざっぱで、しかも誤った通念」が流通した。これによると、「構造改革」をした自民党は保守、民主党は「その反動でリベラル」ということになる。だが、「構造改革」という「急進的改革」者を保守と称するのは奇妙で、それに「抑制をかける」ものこそを「保守」というべきだ。また、「過度にならない福祉」は「保守」の理念に含まれているはずだ(p.179-180)。

 ・下野した自民党の一部で「保守の原点」、「保守の再定義」、「真正の保守」等が語られているのは結構なことだ。では、「保守の原点に立ち戻る」とはどういうことなのか?(p.180)

 ・「保守」の立場の困難さの一つは、「改革」・「チェインジ」の風潮と現実のもとにあることだ。だが、現在の「変化が望ましい方向のものだという理由はどこにもない」。「変化」の意味を見極め、「変転著しい」「変化」に「振り回されない軸を設定する」ことこそが今日の政治の課題=「保守」という立場、だ(p.180-1)。

 とりあえず、以上(つづく)。

0849/生業(なりわい)としての「保守」派。いや、「保守」派ではない「売文業者」-屋山太郎。

 屋山太郎の文章について、好意的・肯定的に言及したこともあった。
 2007.06.26付「社保庁職員の自爆戦術-屋山太郎の二つの文」。
 だが、昨年の総選挙前あたりから、屋山の主張・見解を疑問視し、選挙後の論評を読んで、この人は決して<保守>派ではない、と感じている。以下の3つを書いた。
 ①2009.08.06「屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙」。
 ②2009.09.21「屋山太郎が民主党を応援し『官僚内閣制』の『終焉』を歓迎する」。
 ③2009.10.31「屋山太郎は大局を観ていない。これが『保守』評論家か」。
 この③では屋山の1.産経新聞8/27付「正論」、2.月刊WiLL10月号(ワック)p.24-25、3. 産経新聞9/17付「正論」、4.月刊WiLL12月号(ワック)p.22-23の4つに言及し、「価値序列、重要性の度合いの判断に誤りがある」、「かりに<議会制民主主義>に論点を絞るとしてすら、屋山太郎は大局を観ていない」等々とコメント(批判)した。
 何と言っても、屋山太郎は昨年の総選挙の結果につき、「大衆は賢明だったというべきだ」(上記月刊WiLL12月号)と明記した人物だということを銘記しておく必要がある。自分自身は「大衆」に含まれているのか、それとも「大衆」とは次元の異なる世界に住む<エリート>だと自己意識しているのかは知らないが。
 その後、屋山太郎は民主党政権(鳩山由紀夫・小澤を含む)につき批判的なことも書いている。
 だが、そのような民主党(中心)政権の誕生を応援しかつ歓迎したことについての自己反省・自己批判の言葉は、その後いちども目にしたことがない(屋山太郎の文章のすべてを読んでいるわけではないので見落としのある可能性はある。だが、おそらくそのような言葉を公にはしていないのではないか)。
 屋山太郎が誠実でまともな感覚の持ち主だったら、<見通しが甘かった>、<こんな筈ではなかった(のに)>くらいのことは書いたらどうか。
 逆に、1月末発売だから昨年末か今年初めに執筆されたと思われる月刊WiLL3月号(ワック)p.22-23では、屋山はまだ性懲りもなく、こんなことを書いていた。
 ①昨夏の「総選挙」は「官僚内閣制」から「議会制民主主義」に「体制」を変えた選挙で、「今、議会制民主主義にふさわしい体制変革が進行」しており、「次の総選挙」こそが「政権交代」選挙になる。
 ②「日本の(議会制)民主主義」はおかしい、「実はニセモノ」だと感じてきた。「民主党政権四年の間には『議会制民主主義』が定着するだろう」。
 -そして、以下の諸点を肯定的に評価している。
 ③A「官僚の政治家への接触を禁止」、B「官僚の国会答弁を禁止」、C「省の方針」の「政務三役」による決定、D「事務次官会議を廃止」。E「陳情を幹事長室に一元化するのも、政治家と業界の癒着防止のためだろう」。
 最後に、こんな文章もある。
 ④「体制変革」の方向〔「官僚内閣制」から「議会制民主主義」へ〕は「間違えていない」。「この『変革』は、民主主義体制確立のためには不可欠」だ。
 唖然、呆然とせざるをえない。これが少なくともかつては<保守>評論家と位置づけられた者の書くことか?
 逐一詳細なコメントはしないが、上の③のAは一概には評価できないもの、Bはむしろ国会による行政(行政官僚)監視・統制のためには必要な場合もあるもの、Dも一概には評価できず、
「事務次官会議」による閣議案件の実質的決定はたしかに問題だが、それによる各省間の<調整>のために必要または有益な場合もありうるもの、と思われる。
 ③のEに至っては笑止千万。それほどまでに民主党(・小沢一郎)を応援したいのか。昨年末にはすでに、「社会主義」国における共産党第一書記(または書記長)による政治(・立法)・行政の一元的「支配」または「独裁」体制に似ている、という鳩山政権の実態に対する批判は出ていたはずなのだが。
 私も2009.11.29に、「そこまで大げさな話にしなくてもよいが」と遠慮がちに(?)付記しつつ、次のように書いた。
 「国会(議会)・行政権の一体化と、それらを背後で実質的に制御する政党(共産党)、というのが、今もかつても、<社会主義>国の実態だった」。
 (「『行政刷新会議』なるものによる『事業仕分け』なるものの不思議さと危うさ」) 
 すでに書いたことだが、「政治(家)主導=官僚排除」と<議会制民主主義>の確立・充実は同義ではない。また、屋山太郎があまりにも単純に「議会制民主主義」や「民主主義」を素晴らしい、美しいものとして想定しているようであることにも驚く。
 どうやらこの人も占領下の「民主主義」教育に洗脳された人々のうちの一人らしい。
 このように「(議会制)民主主義」の徹底・確立を説くのは、こちらは<とりあえず>だけにせよ、日本共産党の主張と全く同じではないか。屋山太郎は、重要な点でいつから日本共産党と同様の主張をするようになったのか。
 屋山太郎の近視眼さ、視野の狭さもすでに指摘したことがある(上記の書き込み参照)。
 佐伯啓思は隔月刊・表現者28号(2010年1月号、ジョルダン)で、端的にこう書いている(p.55)。
 <民主党のほか、自民党・マスコミを含む「今日の日本の政治的関心」にとっての「もっとも重要な課題」は「民主主義の実現」とされている。「政治主導」とは官僚から国民に政治を取り戻す「民主政治の実現」であり、「民主政治の進展こそが、民主党政権の存在意味」なのだった。
 「しかし、状況はもっと危機的であることを認識すべきである。この十数年の間に日本がおかれた状況は、脱官僚政治、というような議論で片付くようなものではない」。> 
 また、佐伯啓思は民主党について次のように書くが(p.56-57)、私は屋山太郎にも同じ言葉を向けたいと思う。
 <民主党の「あまりに浅薄で聞こえの良い政治理解・民主主義理解に虫酸が走る」。>
 それにしても、ウェブ情報によると、櫻井よしこを理事長とする国家基本問題研究所は理事長・副理事長に次ぐ(と思われる)「理事」13名の中の一人として、なおも「屋山太郎」を選任(?)し続けている。
 屋山太郎が「理事」をしているような団体は、少なくともまともな「保守」派の団体ではなさそうに見える。櫻井よしこ・田久保忠衛や評議員等を含めて、少なくとも大きな疑問を感じる人物はいないのに(各人の主張内容を詳しく知っているわけではない)、屋山太郎だけは今や別だ。
 何が「保守」かはここでは議論しない(上記の隔月刊・表現者28号(2010年1月号、ジョルダン)には、具体的論点については本当に「保守」派なのかと疑われる中島岳志が「私の保守思想1-人間の不完全性」というのを書いているが(p.132以下)、そこでの「保守」の意味内容はなおも基本的、常識的すぎる)。
 明らかなのは、屋山太郎は「保守」派あるいは「保守(主義)」思想に依拠している人物ではない、ということだ。他にもいそうだが、「保守」派(的)と一般的にはいわれている雑誌や新聞に文章を書くことを「生業(なりわい)」にして糊口を凌いできている「売文業者」にすぎないのではないか。

0831/<保守>言論人・<保守>論壇の不活発さも深刻だ。

 一 民主党政権の成立による<左翼・売国>政策実施の現実化の可能性が高いことは、じつに深刻な事態だ。
 とこれまでも書いたが、深刻な事態の第二は、あるいはさらに深刻なのは、朝日新聞やテレビ朝日等の報道ぶりにもよるのだろう、多くの国民が現政権の「危険性」を理解していないことだ。
 先日、たしか10/31の夜のNHKスペシャルの中で、御厨貴・東京大学教授は、古い55年体制を打破しようと小沢一郎は1993年に行動を起こしたが、当時は多くの者が小沢のスピード感に従いていけず、細川政権崩壊・自社連立政権成立を許したが、自社両党は55年体制の利得者だったところ、ようやく時代に即応しない55年体制が2009年総選挙で崩壊した旨をのたまい、もともとは日本社会党のブレインだった山口二郎・北海道大学教授も反論していなかった。
 NHKが収集した各「証言」自体は興味深いものもあったが、上のような御厨貴の簡単な総括でぶち壊しになった。1993年・1994年政変と2009年「政変」(政権交代)を上のようにしかまとめられない御厨貴は政治学者か、しかも東京大学所属の政治学研究者か、と問いたい。
 民主党御用学者ぶりはいい加減にしてもらいたい。また、小沢一郎の1993年の行動を素晴らしいものと積極的に評価しているが、小沢らの離党は、自民党内部、とくに旧田中派内部での「私憤」にすぎないとの見方があるくらい、政治学者ならば知っているだろう。田中-金丸の「金権」体質を継承しつつ、のちには彼の「自由党」は自民党と連立したという事実もまた、政治学者ならば記憶しているだろう。小沢が1993年以降は終始一貫して<古い55年体制>との闘争者だったなどとは、とんでもない話だ。
 今や明瞭な「左翼」の立花隆ですら、小沢離党・新生党設立の際に、小沢が<改革(・清潔)>派ぶるのは「ちゃんちゃらおかしい」と朝日新聞に書いた。理念なき選挙・政局好みこそ小沢の体質・政治感覚だろう。御厨貴はいったい何を観ているのか。それこそ「ちゃんちゃらおかしい」。
 こんな人物にまとめらしき発言をさせるのも、NHKらしいとも言える。
 二 深刻な第三、あるいはさらに深刻なのは、民主党<左翼・売国>政権にとって代わるべき政党が存在するかが疑わしいことだ。
 自民党に期待できそうにない。衆議院の予算委員会(第一日め)での質問者に、党内<リベラル左派>で有名な、安倍政権を(「右寄り」で)「危ない」とマスコミを前に語った加藤紘一や、同じ傾向の、<日本国憲法のどこが悪いんだ>とやはりマスコミの前で公言した後藤田正純を起用するようでは、まともな「保守」政党ではない。だからこそ、鳩山由紀夫のブレ等々にもかかわらず、少なくとも来年の参院選挙くらいまでは、鳩山政権が続きそうだとの予想が出てくる。
 現政権もダメ、自民党にも大きな期待をとてもかけられないそうにない、ということこそ、じつに深刻な事態だと認識すべきだろう。
 三 深刻な第四、あるいはさらに深刻なのは、<保守>言論人または<保守>論壇において、現状を打破するための建設的で具体的な議論が、ほとんどか全く、存在しないようにみえることだ。
 自民党が頼りなくとも、しっかりとした言論が小さくとも存在していれば、それを手がかりにして、多少は明るい未来を展望できそうなものだが、それもなさそうであることが、じつに深刻だと思われる。
 ①隔月刊・表現者27号(ジョルダン)、佐伯啓思「『民主主義の進展』による『政治の崩壊』」(p.52-)。
 「民主党を批判することはきわめて容易」、自民党に<保守>再生能力があるとは言えない(p.53)、等々、佐伯啓思の主張の趣旨はよく分かる。
 だが、ではどうすればよいのか。佐伯は、「プラトンの政治論に立ち返るのが適切」だとし、「善き国家」=市民が「善き生」を送れる国家の実現を説き、かかる国家は「民主」政では生まれない旨を書く。民主主義は目ざすべき「価値」とは無関係との旨は佐伯が繰り返し書いてきている。
 しかし、「われわれは、仮に民主主義者でなくとも、民主政治の社会秩序のもとで生活していることは事実である。とすれば、…できることはと言えば、あのプラトンの言葉の危惧を絶えず思い起こすことであろう。保守とは古典の精神に学ぶことにほかならないからである」、との文章だけで結ばれたのでは、何の慰めにもならず、何の建設的で具体的な展望も出てこないだろう。
 なぜプラトンかとの疑問はさて措くとしても、「あのプラトンの言葉の危惧を絶えず思い起こすこと」をしていれば、民主党政権を打倒することができ、「保守」再生政権を生み出すことが可能になるのか。この程度の抽象性の高い主張では、ほとんど何の役にも立たないと思われる。<思想家>・佐伯啓思に期待しても無理なのかもしれないが。
 なお、上掲誌同号の諸論考は(西部邁「保守思想の辞典/役人」も含めて)、民主党批判と現状分析が中心で、<保守>派の現在と今後の具体的あり方については説き及ぶところがほとんどないようだ。
 ②月刊・文藝春秋11月号(文藝春秋)、中西輝政「英国『政権交代』失敗の教訓」(p.94-)。
 1994年の自社さ連立内閣以降の自民党は「政権にしがみつくこと自体」を自己目的化した、という御厨貴に近いニュアンスの批判(p.96)はまぁよいとしよう、また、鳩山・菅直人「団塊世代」の対米屈折心理の存在の指摘(p.98)やフランス・イギリスを例にしての、<脱官僚>等の民主党政権への懸念・不安もそれぞれに参考にはなる。
 だが、それらは民主党政権継続を前提とする議論だ。そして、「民主党による政権奪取は、より大きな日本政治の大移行期の『第一幕』に過ぎないのかもしれない。今後十年、いやもっと長いスパンでの日本の命運が、そこにかかっている…」(p.103)という結びだけでは、建設的で具体的な展望は何も出てこない。「今後十年、いやもっと長いスパンでの日本の命運」がかかっているとは、すべての(基本的な?)政治事象について言えることではないのか?
 執筆を依頼されたテーマが「日本政治の大移行期」の具体的な展開内容の想定・予想あるいは<あるべき移行の姿>ではなかったためかもしれないが。
 なお、文藝春秋同号の立花隆の文章(p.104-)はこれまでとほとんど同じ内容の小沢一郎批判で、御厨貴よりもマシかもしれないが、新味に乏しい。立花隆、ますます老いたり、の感がますます強い。
 ③西村幸祐責任編集・撃論ムック/迷走日本の行方(オークラ出版)の中の、西村幸祐=三橋貴明=小林よしのり=城内実(座談会)「STOP!日本解体計画―抵抗の拠点をどこに置くのか」(p.6-)。
 これの方がまだ将来の具体的なことを語り合っている。
 しかし、小林よしのりが「『伝統保守』という理念の再生」の必要を語りつつ、「地道なやり方をつなげていって、大きな流れにするしかない…。一人二人が四人五人になる。そういう核が全国各地でいくつもできて、それがやがて大きなうねりになる。…」と(p.23)、日本共産党・民青同盟の拡大あるいは「九条の会」会員拡大の際してと似たような話ではないかと思われる程度の発言しかできていないのは、やはりなお大きな限界と歯がゆさを感じる。
 むろん抽象的には上のとおりかもしれないし、小林よしのりは一人で「『伝統保守』という理念の再生」のために数十(数百?)人以上の仕事をしているので、引き続いての健闘を彼には期待しておくので足りるとは思われるのだが。
 この座談会で城内実は、将来はA「日本の国益と伝統を大事にする保守主義の政党」、B「個人主義や新自由主義を打ち出す自由主義政党」、C「平和主義のリベラル政党」に「分かれていくのではないか」と発言している(p.21-22)。
 これ以上の詳細な展開はないが、この辺りを、その具体的な過程・方策も含めて、<保守>言論人または<保守>論壇には論じてもらいたいものだ。
 他人のことをとやかくいう資格はないかもしれないが、民主党(政権)を(厳しく?)批判しつつ、将来については何となく<様子見>の議論が多すぎるような気がする。その意味では、<保守>言論人・<保守>論壇にも大きく失望するところがある。  

0829/屋山太郎は大局を観ていない。これが「保守」評論家か。

 一 屋山太郎の発言を記録に残しておく。
 8/30総選挙の投票日前、産経新聞8/27付「正論」で次のように書いた。
 ①「今回の総選挙の意義は官僚が政治を主導してきた『官僚内閣制』から、政治家が政治を主導する『議会制民主主義』に変われるかどうかに尽きる」。「…より熱心に脱官僚政治、天下りの根絶を主張している民主党が政権をとったときの方が期待できる、と私は考えていた」。「民主党の掲げる政策をあげつらえば、外交・安保も含めて内政面でも多々ある。しかし肝要なことは日本が先ず議会制民主主義の本道に立つことである」。
 同じく投票日直前発行の月刊WiLL10月号(ワック)p.24-25でこう書いた。
 ②「今回の選挙の最大のテーマはこれまでの官僚内閣制をやめて、正真正銘の議院内閣制を確立できるかどうかである。重ねていうが、官僚内閣制の存続を許すかどうか、議院内閣制を選ぶかの『体制選挙』なのである」。「『体制選択』のバロメーターは『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心かである」。
 民主党政権成立後の産経新聞9/17付「正論」欄でこう書いた。
 ③「民主党政権誕生によって、明治以来続いてきた『官僚内閣制』がいよいよ終わろうとしている。官僚内閣制は官僚が良かれと思う政治が行われることで、民意を反映した民主主義とは根本的に異なる。民意を汲み上げることを日本ではポピュリズムと非難する。しかし民意とほとんど無関係に政治が行われていることを国民が実感したからこそ、自民大敗、民主圧勝の答えを出したのではないか」。「民主党の『官僚内閣制』から『議会制民主主義』へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている」。「日本の民主主義は官僚にスポイルされていたのだ」。
 同じく、月刊WiLL12月号(ワック)p.22-23でこう書く。
 ④「鳩山政権誕生とともに…事務次官等会議が廃廃止された」。「明治の『官僚内閣制』を象徴するシステム」の存続は「日本は純然たる民主主義国ではなかったこと」を意味する。「自民党支持者のほとんどはそもそも国家経営の基本が間違っているという自覚がなかった。大衆は賢明だったというべきだ」。
 

 二 屋山は、総選挙の最大争点は(平たくは)「『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心か」だと書き、あるいは「官僚内閣制」か「議会制民主主義」かだ、と主張してきた。そして、民主党勝利・民主党政権誕生を歓迎し又は当然視し、「大衆は賢明だったというべきだ」とする。
 この近視眼的な争点設定・評価に対する批判はすでに書いた。
 あらためて別の書き方をすると、第一に、この人は、「政治」の一端には詳しくても<政治思想・哲学>・<社会・経済思想>に関する教養・知識は乏しいのではないか。第二に、そもそも、コミュニズム(共産主義・社会主義)あるいは中国・北朝鮮(の存在)をどう評価しているのか、不明だ。そして、第三に、この人が現在目指す最大の価値は「民主主義」になっていると見られる。それでよいのか。
 屋山において、価値序列、重要性の度合いの判断に誤りがある、と感じる。
 屋山は、だが、こう書いていた。-「民主党の掲げる政策をあげつらえば、外交・安保も含めて内政面でも多々ある。しかし肝要なことは日本が先ず議会制民主主義の本道に立つことである」。
 民主党の政策には「外交・安保」等々多くの問題があるが、最優先されるべきは、「議会制民主主義」の確立だ、と言うのだ。
 以下、この点に論及する。
 三 民主党(政権)が自民党(政権)と異なり、「議会制民主主義」の確立に向かう、と観るのは、幻想だと思われる。
 第一。この概念は議会(国会)と政治・行政の関係に関するものだ。したがって、<政治・行政>の内部でいかに「政治(家)主導=官僚排除」となっても、それは議会制民主主義の基本問題ではない。副大臣・政務官は、国会議員が同時に広義の<行政官僚>になった、と理解すべきものだ。 
 「政治(家)主導=官僚排除」と<議会制民主主義>の確立・充実は同義ではない
 第二。民主党政権下における<議会制民主主義>の軽視・無視の徴候はすでに見られる。
 ①「議員立法」を(民主党議員については)廃止するとか。これは、憲法に違反すると解される。
 ②衆議院では(参議院でも)民主党は政府に対する「代表質問」をしなかった(参議院では与党社民党の質問はあった)。これは、政治・行政(=広義の「行政)」の中に民主党議員(政治家)が入っているので無意味という趣旨なのだろうが、国会と政府(政治・行政)間の良好な緊張関係をなくすもので、国会軽視だと考えられる。
 その他、<議会制民主主義>の問題ではなく、「政治(家)主導=官僚排除(脱官僚)」の問題だが、次の現象も―周知のとおり―生じている。
 すなわち、屋山太郎は争点は「『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心か」だと説いたが、日本郵政(株)の社長人事は、「天下り」した元(財務省)官僚の「渡り」そのものではないか
 屋山に問いたいものだ。
 ①「天下り」・「渡り」禁止は退官後いつまで通用するのか。まだ5年では禁止され、15年経っているともう適用されないのか?
 ②退官後の期間の長短にかかわらず「有能」で「適材適所」ならよいのか。客観的資料(報道)を引用できないが、鳩山由紀夫(首相)か平野博文(内閣官房長官)は「民主党の政策を支持する(=~に服従する)」元官僚ならばよい、とも述べていた。これでは、せっかくの<「天下り」・「渡り」禁止>も泣く。実質的な基本政策放棄だろう。
 ③日本郵政(株)はかつての公社・公団等、今日の独立行政法人等々に比べて<公的>性格の弱い会社だから、今回の人事は許されるのか? だが、民営化方針を見直し、今後は<公的>性格を高めるというのだから、この理由は成立し難いのではないか。
 おそらくは、屋山太郎の期待・願望に反する事態がこれからも発生してくるだろう。
 <「天下り」・「渡り」禁止>問題自体になお議論すべき余地があるが、この問題はいずれにせよ、まだマイナーな問題だ。
 四 民主党政権下で生じそうなのは、<議会制民主主義>の確立・充実ではなく、国会と政府の一体化、つまりは、ますますの<行政国家>化ではないかと思われる。「行政国家」概念を屋山が知らなければ、政治学・行政学の辞典・教科書でも参照されたい。この現象は、(あいまいな言葉だが)民主党(小沢?)「独裁」につながっていく可能性がある。
 あるいは、鳩山由紀夫(首相)は<市民参加>を肯定的に評価し、推進したい旨を喋っているが、これは議院内閣制=議会制民主主義=代表制民主主義とは矛盾しうる、<直接民主主義>の要素の拡大を肯定することでもある。
 かりに<議会制民主主義>に論点を絞るとしてすら、屋山太郎は大局を観ていない。

0818/<左翼・売国>政権の成立と<保守>系メディア・論者等。

 一 2009年8月末総選挙の結果は、産経新聞、月刊正論(産経)、月刊WiLL(ワック)等々の<保守>系と見られているマスメディアがいかに<大衆的>影響力を持っていないか、を如実に明らかにした、と思われる。
 産経新聞200万程度の発行部数では、あるいは遙かにそれを下回る発行部数の雑誌等では、民主党に300議席超を与えるような有権者の投票行動を阻止できなかったわけだ。
 だが、<保守>系メディアはいちおうは民主党批判で一致していたとしても、<自民党へ>の投票行動を促すこととなるような報道や論調であったかというと、そうとは必ずしも言えないだろう。
 国家基本問題研究所の理事である屋山太郎がむしろ民主党支持の文章を産経新聞に掲載していたのはかりに極めて例外的であるとしても、選挙前の<保守>系メディアにおいても自民党批判はけっこう見られた。
 麻生太郎前首相・内閣が<集団的自衛権行使>の容認に踏み切らなかったこと、靖国神社参拝をしなかったこと等は、<保守>系メディアや<保守>系論者・評論家等によって批判されてもいた。
 選挙前ではないが、昨秋に田母神俊雄論文問題が発生したとき、<保守>系メディア・論者・評論家等の論調は分かれた。
 麻生太郎前首相・内閣の側を批判する者もいたが、明確に立場表明しない者や産経新聞上ですらむしろ田母神俊雄を批判する(論文内容そのものの他に発表方法等も含めて)者もいた。
 櫻井よしこが理事長である国家基本問題研究所は田母神を擁護するか否かの立場を明確にしなかった、と記憶する。そして、もっぱら、(田母神批判者側が用いた)<文民統制>という概念の用法・理解を問題にしていた。
 二 やや脇にそれたが、<保守>系メディア・論者・評論家等において<自民党(中心)政権>に対する評価は必ずしも一致していないことがあり、かつ、問題によっては強く麻生・自民党(中心)政権を批判する論調もあった。
 麻生・自民党(中心)政権は、朝日新聞を先頭とする<左派>からはもちろん、<保守>の側からも批判されていたのだ。あるいは少なくとも、<保守>系メディア・論者・評論家等は積極的に自民党を支持し、同党への投票行為を促すような発言をすることに、かなり又はきわめて消極的だった、と言えるだろう。
 これでは自民党が勝てるわけがない。民主党が大勝利して当然の事前の、<保守>系メディアを含めての、マスメディアの雰囲気だっただろう。簡単にいうと、自民党は<左>からも<右>からも批判されたのだ。<右>からも、かなりの程度は見放されたのだ。
 産経新聞を含む<保守>系メディア・論者・評論家等の記事や発言があったからこそ、民主党は308にとどまり、自民党は100以上の議席を確保できた、という見方もあるだろう(なお、今回のこの文章では、冒頭から、候補者個人の個性・能力・知名度等の問題は度外視している)。
 だが、自民党の100以上の議席の多くが<保守>系メディア等の力によるとはおそらく言えないだろう。
 むしろ、朝日新聞等の<左派>系メディア等の影響を何ら受けないで投票行動をしたという有権者がまだある程度はいた、ということであり、産経新聞や月刊正論・月刊WiLLの力はごく僅かにすぎないのではなかろうか。
 明瞭であるのは、産経新聞等ではかりに<社会>動向のポイントを他新聞よりも正確に認識できても、その<社会>動向を一般国民がどう認識し評価しているかは、ほとんど分からない、ということだ。むろん、<世論>の大勢や時代の「空気」・「風」など気にする必要はないとして、超然としていることはできるし、そのような態度を非難することはできないだろうとしても。
  三 選挙で投票をするからには、絶対的に理想的な政党がある筈はなく、相対的に<よりましな>・<より悪くない>政党を選択するしかなかった、と思われる。
 その意味ではいかに「正論」ではあっても、とくに選挙前に<よりましな>・<より悪くない>政党を批判することがどういう実際的・政治的効果をもつかを<保守>系メディア・論者・評論家等は考慮すべきだった、と思われる。
 真っ当な「保守」言論家として正しく自民党・麻生内閣を批判した、というだけで済ませてはいけないのではないか。
 国家基本問題研究所は今年8/05に講演会・月例会を開催しているが(以下も含めて同研究所のウェブサイトによる)、民主党に対する批判がより強いが、自民党批判も当然に見られる。
 櫻井よしこはシンポ全体の最後で、「民主党は…。国家とは何かをわきまえていません。自民党もわきまえていないが、より悪くない方を選ぶしかないのかもしれません」と発言し、これが最後の言葉になっている。
 屋山太郎等を理事に抱える同研究所の理事長たる立場もあるのかもしれないが、「より悪くない方を選ぶしかないのかもしれません」では、あまりにも弱いメッセージだろう。「より悪くない方を選ぶしかありません。従って、(問題はありますが)自民党を選びましょう」となぜ発言できなかったのか。
 櫻井よしこに限られるわけではないが、民主党内閣の成立可能性を低く見ていたのだろうか。そうだとすると少なくとも結果としては、その判断は甘かった。
 あるいは、これも櫻井よしこに限らない<保守>系メディア・論者・評論家等についていえることだが、民主党内閣ができてもさほど「左翼的(>容共的)」政策を実現しようとはしないだろうとでも考えていたのだろうか。かりにそうだとすると、その判断も甘い。
 実際には民主党(中心)政権が成立し「左翼的(>容共的」政策を実施しようとしているし、すでに実施しているものもある。
 今さら、もう少し自民党に肩入れしておけば、と思っても、もう遅い
 <左翼・売国>政権の成立を、<保守>系メディア・論者・評論家等は深刻に受け止めるべきだ。そして、自分たちの<大衆的>影響力の乏しさについても、深刻に自覚すべきだ。
 四 櫻井よしこは、産経新聞10/08の一面の文章の冒頭でこう書いている。
 「…鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」。
 なんと、すでに10月になって、文字通りには、「期待」を50%もち、「懸念」を50%もつ、と言っているのだ。
 「期待」 は「…官僚制度を、本来の国益追求に向かわせるための立て直し」だ、という。
 屋山太郎の影響を受けすぎているのではないか。「懸念は、外交、国防政策全般に及ぶ」らしいが、「外交、国防政策全般」が「本来の国益追求に」向かう「官僚制度」によって支えられればかなり問題は少なくなるのであり、上の二つは決して異なる次元の問題ではないのではないか。
 民主党(・社民党等)の政治(家)主導によって、「官僚制度」が「本来の国益追求に向かわ」ないことこそ深刻に心配・懸念しなければならないのではないか。
 かりに10年後、20年後に「本来の国益追求に」向かう「官僚制度」ができ上がった、としよう(1年やそこらで「官僚制度」が大変換するとは考えられない)。しかし、10年後、20年後までに日本国家そのものがさらに「左翼」化し、親中どころか屈中・隷中になり、「人権擁護」委員会が例えば中国人・韓国人批判の言論を<民族差別的>(「東アジア共同体」構想の理念に反する)として抑圧し、発言者を取り調べ<糾弾し>・<反省を求める>ような決定・勧告文書を発するような国家になっていたら、いったいどうなるのか。
 「外交、国防政策全般」に懸念をもちつつ、一方で「本来の国益追求に」向かうための「官僚制度」の立て直しに期待する、というのは、じつは矛盾した、論理整合性を欠く文章・論述なのだ。
 既述のように「外交、国防政策全般」等の具体的政策内容をまず第一に問題にすべきであり、公務員(官僚)制度改革うんぬんは、そうした政策内容実施のためのシステム・手段にすぎない。
 前者が悪くて、後者はよい、ということはあり得ない。
 むろん櫻井よしこが「本意」をそのまま書いて書いているとは限らないが、<保守>言論人が民主党(中心)政権に幻想をもっていると解さざるを得ない文章を公にしているとは、ますます日本の将来が思いやられる。じつに、泣きたいほどに、深刻な事態だ。
 五 ついでに書いておくが、自民党を全面的に、あるいは70%以上も、支持はしていない。田母神俊雄の「言論の自由」を石破茂や麻生太郎が守ろうとしなかったことには大いに失望したし、谷垣禎一や河野太郎あたりしか総裁選挙に出てこないようでは、この政党に未来はあるのだろうか、と感じてもいる。
 せめて80議席をもつのでよいから、自民党が壊れてもきちんとした<保守>政党ができればよいとも思っている(本当は民主党主導の憲法改正を避けるために、1/3以上の180(総議席数が民主党案のとおり400になると134)議席が欲しいが)。
 ともあれ、「正しい」ことは言った、しかし「負けた」、で済ませることはできないだろう。むろん、現実・実際がつねに「正しい」わけではまったくない。
 だが、日本共産党の選挙後のいつもの発言のごとく、「正しい」ことは主張した、しかし力足らずで現実にはほとんど受け容れられなかった、と釈明し、狭い空間に閉じ籠もっていてよいのかと、<保守>系メディア・論者・評論家たちには強く問いかけたいものだ。

0813/竹田恒泰は安易に「真正保守」と語ることなかれ。

 月刊正論11月号(産経新聞社)に竹田恒泰による渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP)の書評がある(p.332-3)。
 この本は未読だし、内容は問題にしない。だが、気になることがある。
 竹田恒泰は、渡部昇一・金美齢・八木秀次という三人の著者(対談者?)のこの本につき、「…真正保守の立場から緻密に検証を加えている」と書く(p.332)。
 「本書は、日本の保守はどのようにあるべきかの指針を与えてくれる」(p.333)というのは過大なリップサービスくらいに理解しておけばよいだろうが、<真正保守>という語を上のように簡単に用いるべきではない。
 竹田恒泰は自らを<真正保守>と考えている(又はそれを志向している)のかもしれないが、その前に、どこかで<真正保守>なるものの意味、似非・不真正の<保守>との違いを明瞭にしておいてもらいたいものだ。
 皇室に関するかつての議論からして、竹田は西尾幹二は<真正保守>だとは見なしていないかもしれない。
 では、三人の一人、八木秀次は<真正保守>なのか?、という疑問がある。八木秀次が<真正保守>であるとして、そのような者が、皇太子妃の宮中祭祀忌避を事実だと断定して(又は強く推定して)、そのことを理由として現皇太子の皇位就任適格を疑問視するような皇室典範の解釈を示したりするのだろうか。
 現皇太子妃を理由として現皇太子の皇位就任適格を疑う者が<真正保守>なのか?
 竹田恒泰は、八木秀次の<保守>論者としての底の浅さに気づいてもいないのではないか? 竹田恒泰のために、余計ながら、かついかほどの効果があるかも自信がないままに、ご助言申し上げる。
 なお、既述だが、渡部昇一がサンフランシスコ講和条約の一部の解釈につき、東京「裁判」ではなく「諸判決」だとまだ繰り返し主張しているのは(櫻井よしこもこれの影響を受けている)、「遵守」対象批判としては必ずしも的確ではなく、有効性に欠ける(なお、文献または記事を明記できないが、坂元一哉も何かの文章の中で私と同様に「裁判」か「諸判決」かの違いを軽視-または無視-していた)。
 また、渡部昇一は日本国憲法「無効」論の影響をうけ、それを支持しているようでもある。
 かりに渡部昇一が<真正保守>だとしても(私はこの人のものを多数は読んでいない)、そのことが、この人のすべての主張・見解の正しさ・適確さを保障するものでは全くない。念のため。

0737/自由社・日本人の歴史教科書(2009)を一瞥-「市民革命」・「全体主義」。

 藤岡信勝編集代表・日本人の歴史教科書(自由社、2009.05)に収録されている最新版<新しい歴史教科書>(中学校用)の近現代部分を概読して、とりあえず印象に残ったことが二つあった。
 一つは、「市民革命」に関する叙述が、従来のもの、つまり私が学習した頃と何ら異ならないようであることだ。
 上の教科書では、17世紀後半から約100年間に欧州政治に新しい動きが起こったとし、イギリス、アメリカ、フランスについて述べたあとこう書く。「これら国々の政治の動きは、王や貴族の政治独占を認めず、人々が平等な市民(国民)として活動する社会をめざし、近代国家を生み出したので、市民革命とよばれている」(p.130、太字はママ。執筆者不明)。
 ここには「フランス革命」は「革命」ではなく支配層の中での権力の移動だった等々の<修正主義>の影響はない。のちのロシア革命(暴力革命)と共産党独裁につながるような「フランス革命」の一時期の<怖さ>、「フランス革命」の<影>の部分への言及又は示唆もない(のちのロシア革命についてはある)。
 アメリカの独立と合邦との間の理念の違いへの言及もなく、アメリカ「革命」とフランス「革命」が異なる性質のものだったとの言及・示唆もない。
 「市民革命」の「市民」の意味の詳しい説明はない。また、上の三国にのみ「市民革命」は起こったのか(そうだとすれば何故か)、他の国々も「市民革命」はあったのか=普遍的なのか(そうだとすれば、例えばドイツ・イタリア・日本はいつが「市民革命」だったのか)、といった疑問に答えてくれるところはなさそうだ。
 中学生用の簡潔な叙述なので、やむをえない、と言えるのだろうか。少なくとも、イギリス、アメリカ、フランスを例として「市民革命」を語るのは、何ら「新しい」ものではなく、かつ従来のマルクス主義的歴史学による理解・叙述と何ら矛盾していない。
 もう一つは、欧州で生まれた二つの政治思想が1920~30年代に台頭して世界に広まったとし、その二つとして①「共産主義」と②「ファシズム」を挙げて、「どちらも全体主義の一種」だと明記していることだ。その部分の項の見出しは「二つの全体主義」で、左欄には「20世紀の歴史を動かした共産主義とファシズムにはどのような特徴と共通点があったのだろうか」という文章もある(p.192)。
 このように①「共産主義」と②「ファシズム」が同種のものとして明記されていることに、よい意味で驚いた。かかる理解は、必ずしも日本人の「通念」になっているとは思えないからだ。
 かつて民社党は左翼全体主義(=共産主義)・右翼全体主義(=ファシズム)という言い方をしていたと思われる。だが、日本の戦後「思想」界・「歴史学」界等々で、かかる理解は少数派ではなかったかと思われる。
 外国では、ハイエクやハンナ・アレントなど、「共産主義」と「ファシズム(とくにナチズム)」を同列のものと扱う傾向が日本におけるよりも強かっただろう。
 日本では、例えば丸山真男は(あるいは「戦後民主主義」者のほとんど全てが)「民主主義」と「ファシズム(・日本軍国主義)」を対置させたが、その際、「民主主義」の中に、「人民民主主義」という言葉が今でも残るように、「民主主義」の徹底した形態又は発展形態としての「社会主義(・共産主義)」を含めていたように解される。
 そのような日本の戦後<進歩的文化人>にとって、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」が「どちらも全体主義の一種」などという理解は耐えられるものではなく、「全体主義」という語を使うとしても、「ファシズム(・日本軍国主義)」のみを意味させたものと思われる。
 そして、彼らにとっては、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」は両極にあって対立しているものであった。後者の<復活の阻止>こそが最大目標だった(そして「民主主義」の擁護・徹底による日本の「社会主義(・共産主義)」化こそが<隠された>目標だった)のだ。
 丸山真男に対して、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」のどちらを選ぶかという<究極の>選択を要求すれば、丸山真男は間違いなく後者ではなく前者を選んだと思われる。丸山には、「社会主義(・共産主義)」も「ファシズム(・日本軍国主義)」も<同じ全体主義>などという考えは、露も浮かばなかったのではないか。
 「民主主義」対「ファシズム(・日本軍国主義)」というあの戦争の把握の仕方はアメリカ・GHQのものであり、丸山真男および戦後<進歩的文化人>は占領期当初のアメリカ・GHQの「歴史認識」あるいは<パラダイム>に少なくとも客観的には<迎合>していたと考えられるが、この点は別の回でもあらためて触れる。
 ともあれ、「二つの全体主義」とかつて学習した記憶はなく、「新し」さを感じさせた。これで教科書検定を合格するのだから、決して悪い方向にばかり動いてはいない、という感もする。
 ところで、上掲書には教科書部分のほか、寛仁親王殿下のほかに、櫻井よしこ・加瀬英明・高山正之・黄文雄・西尾幹二・中西輝政・石平等々の15名の2頁ずつの文章を収載している。
 <新しい教科書をつくる会>分裂騒ぎに関する知識も大きな関心もないが、「自由社」版の他に産経新聞社グループの「扶桑社」の子会社「育鵬社」版の、殆んどか全くか同じの教科書も刊行されているらしい。
 上の15名の名前を見ていると、八木秀次、渡部昇一、岡崎久彦あたりの名前がないことに気づく。西尾幹二と八木秀次の間に確執があるのは知っているので、どうやら八木秀次らが「育鵬社」グループらしい(屋山太郎は?)。
 だが、15名の名前の連なりはなかなか重厚だ。いわゆる<保守派>というのがあるとすれば、八木秀次らのグループはその中の少数派なのではないか。そうだとすると、八木秀次と渡部昇一の二人への信頼度は私には相対的には上の15名の平均よりずっと低いので、悪い印象ではない。些末なことながら。

0716/西尾幹二「日本の分水嶺―危機に立つ保守」(月刊正論6月号)を読む-1。

 月刊正論6月号(産経)の西尾幹二「日本の分水嶺―危機に立つ保守」(p.96-)は、NHKスベシャル「JAPANデビュー/第一回」にもさっそく言及している。
 具体的批判内容はともあれ、西尾のユニークなのは、こんな番組が罷り通る<背景>を洞察していることだ(とりあえず結論的にはp.101-2)。
 少し遡れば(p.100-1)、NHKの中枢にはどういう人物がいて「何が起こっているの」か、と西尾は問い、「共産主義イデオロギー」になおしがみつく者たちと「今の時局に便乗し、中国のために(あるいはアメリカのために)日本を押さえ込む再占領政策を意識的に」推進せんとする者たちの二種が「重なり合い、不分明に混ざり合っているケースが考えられ」る、とする。
 前者は日本(資本主義・自由主義)「国家」を敵視し、貶めて弱体化を目指すので、もともと後者と共通する基盤があると言える。そして西尾も言うように、「自国破壊に道徳感や清浄感」を覚える「不思議な心理」に陥っている者たちは、朝日新聞・NHKに限らず、「官界にも、司法界にも、学界や教育界にも、いたる処に蟠踞している」(p.101)。
 だが、と西尾は続ける。中核は「共産主義イデオロギー」で、欧米では共産主義と「何度かに分けて…ケジメをつけて」きたにもかかわらず、日本では、大学のマルクス主義系歴史や経済学や哲学の教授たちは九〇年代前半こそ「穏和しく」していたが、その後は「環境学だの平和学など女性学だのといった新分野の衣装を纏って」、政府審議会委員等になったり大学人事を占拠している。かかる状態等を「マスメディア」が問題にすることはない。「メディアを支配しているのは依然として旧党員、ないしはそのシンパだから」だ。
 以上のことに、全くと言ってよいほど異論はない(他分野ほどは目立たないかもしれないが、歴史学・経済学・哲学のほかにマルクス主義系「教育学」と「法学」も加えてよい)。日本は、(日本人が何かと参考にしたがる)欧米に比べて、「共産主義イデオロギー」が占める比重が<異様に>大きいのだ。NHKの最近の問題番組もかかる状況の中に位置づけうる。

 このあとの西尾の指摘が、まずは興味深い。
 「あからさまウソ」を「ためらいなく」放送するNHKの「自信は何か」。田母神俊雄論文問題で月刊WiLLと月刊正論を除く「すべての言論界を蔽った同一音調」=「田母神叩き」は、「どこかに司令塔があるのではと思わせるほど不自然」で「言論ファシズムの匂い」がある。「ウソを声高に語るNHKの今度のシリーズ」にも「同じ匂い」がある(p.101-2)。
 とりあえずは、<鋭い嗅覚>と言うべきではないか。
 だが、「どこかに司令塔があるのではと思わせる」という関心から導かれる最終的な西尾の推測は、考えさせはするものの、はてはてという感じで、なおも説得力が十分ではない。
 西尾の推測に至る論述はこうだ(p.102-3)。
 1.東欧の「自由化」と全く同様のことは東アジアでは起こらず、親中(・親韓)派はむしろ強く生き延び、「教科書、拉致、靖国のいわば歴史問題」は解決していない。「南京、慰安婦、竹島、尖閣、チベット、核問題」も加えて、困難の度は増している。
 2.安倍晋三首相は中国・韓国、とくに前者との「関係修復」を率先したが、「どこか外から(恐らく米国と中国の両方から、そして日本の財界から)強い要請を受けて企てられた気配」がある。2007年4月に靖国参拝を済ませていたが、「不思議なのは中国が騒がなかったこと」だ。その後の福田・麻生首相も「民族問題にはほぼ完全に背を向け、安倍氏の敷いた路線」を歩んでいる。
 3.安倍も麻生も「村山談話や河野談話」を振り捨てられないのは、「米中」による「再占領政策」の「轍の中にはめこまれて」しまったからだ。NHKのスペシャル番組は、見事に、「米国と中国という旧戦勝国の要請に応え」、日本国民にあらためて「罪の意識」を植え付けようとしている。
 つぎが、結論的推測。
 4.上の米中の「再占領」政策の「大筋に日本で最初に着手したのは安倍晋三」。「背後で支えているのは恐らく…中曽根康弘」。NHKは「必ずしも左翼だけ」ではなく、「日本の保守の方針」に忠実
でもあるのだろう。
 こう書かれると、<左翼>・<保守>の概念もますます混乱してくる。結局は、日本のかつての<保守>は「左翼」化して「民族」問題を放棄し=ナショナリストでなくなり、「米中」による「再占領政策」に追随している、という趣旨なのだろう。そして、その文脈の中で、安倍晋三、(福田、麻生、そして)中曽根康弘の名前が出てくる。
 上記のとおり、この推測は俄には納得し難い。安倍晋三は<戦後レジームからの脱却>を掲げ、(対中は勿論)対米「自立」を目指したのではなかったのだろうか。むしろ、その点は、アメリカ(の少なくとも一部)に警戒感を与えたのではなかったのだろうか。そのかぎりで、アメリカは、渡辺恒雄=読売新聞もそうだったと勝手に推測しているが、2007年参院選での安倍晋三=自民党の<後退>をむしろ望んでいたとも推測される。そのかぎりでは、心情的には朝日新聞と同様の立場にあったアメリカの有力政治家・学者もいたと思われるのだが。
 というわけで、西尾幹二の主張は真面目に考えると、じつに大きな問題提起・論争提起だ。だが、繰り返すが、あれあれ、はてはて、ととりあえずは感じる他はない。
 上記の西尾幹二論考は、ご成婚50年会見の際の天皇(・皇后)陛下のご発言に関連して、八木秀次とは異なる、将来の天皇(・皇室)制度論にも言及している。別の回にしよう。

0670/櫻田淳は「真正保守」主義者か?等。

 〇一週間前に出した名前の小牧薫、高嶋伸欣でネット検索してみると、この二人がただの某裁判支援事務局長、名誉教授ではないことがよくわかった。逐一資料は挙げないが、れっきとした「左翼」組織員だ。日本共産党員である可能性もある。小牧薫は大江健三郎の本につき、「一定の」批判はある、と発言していたが、この「一定」(ある程度又はある側面)という表現の仕方は、日本共産党活動家に特有なものだ。あるいは、「左翼」活動家に広く使われている独特の表現方法・語彙の使い方かもしれない。
 〇産経新聞3/02の「正論」欄で、大原康男「保守派は『正念場』を迎えた」と書いている。
 政権交代が現実味を帯びており、民主党中心政権が誕生すると、①選択的夫婦別姓法案、②「戦時性的強制被害者問題解決」法案、③<定住外国人への地方参政権付与>法案、④<靖国神社に代わる国立追悼施設設置>法案などが成立する可能性がある。「保守派はこれまでにない難局に直面し、まさに正念場を迎えることになるだろう」。……
 そして大原は言う。-政治家だけではなく「民間の実力・器量も問われる」、「…党派を超えて真正保守の政と民が今まで以上に緊密かつ強力な戦線を構築することが望まれる」。
 大原に積極的に反対するつもりはないし、むしろきっとそうだろうとは思う。だがやはり、上の「真正保守」とはどういう考え方又はそれにもとづく団体・組織なのかは、不明瞭なままだろう。
 同じく産経新聞「正論」欄に登場し、「保守」派らしい月刊諸君!4月号(文藝春秋)に「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」を書いている櫻田淳は自らを「保守」主義者だと疑っていないようだが、大原のいう(いや誰が言ってもよい)「真正保守」の立場にあるのだろうか。
 櫻田によると、現在「保守」言論は「敗北」し、それは自らの「堕落」の帰結だ。櫻田は必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない「福祉価値」と「威信価値」の二つを持ち出して、昨今の「保守・右翼」言説の特徴は後者の価値への「過度の傾斜」だとし、例として(日本)核武装論を挙げる。そして、この論は「核」廃絶による平和実現を説いた昔日の「進歩・左翼」言説と「何ら質的な差を見出せない」とする(諸君!4月号p.46-48)。
 さらに注目されることには又は驚かされることには、次のようにも言う。
 「村山談話」は、「現時点では日本の国益に資する『盾』や『共感の縁』としての効果を持つに至っていると評価している」。「村山談話」を、2005.04に小泉純一郎首相はバンドン演説で「対日批判」に対する「盾」として転用し、その演説は中韓以外のアジア・アフリカ諸国との「共感の縁」としても作用した(p.48-49)。
 こうした櫻田の主張は「保守」ではないのではないか。「盾」として転用せざるを得なかった?中韓の「反日」姿勢に対する批判的・警戒的な言葉はどこにもない。
 櫻田はつぎのようにも言う。-「村山談話」発表が世界での日本の「声望」への著しい害悪を及ぼしたのならば再考・破棄を提起したいが、「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」(p.50)。
 かかる認識もまた(「保守派」としては)異様なのではないか。「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」などと暢気に言っておれる神経が理解できない。また、論理的には、<日本の「声望」への著しい害悪>があったか否かが第一次的に重要なのではなく、「村山談話」の内容そのものの適否こそをまずは問題にしなければならないのではないか。
 櫻田は「保守・右翼」知識層の言説に種々の状況判断をふまえての<政治性>を求めているようだ。かかる姿勢は、不可避的に現状追認、過度の?摩擦・軋轢の回避の方向に親和的だ。それは、どこかで誰かが、あるいは広く朝日新聞等の「左翼」も含めて主張している、対中国・対韓国(・北朝鮮)関係は<できるだけ穏便に>・<不必要に刺激しないように>という、首を出すのを恐れるかたつむりか亀のような意識・神経をもて、という主張に近いように思われる。
 櫻田によると、高坂正嶤やかつての自民党は「福祉価値」を重視し、それの着実な充足によって多くの日本人の支持を得た。戦後生まれの者が三島由紀夫や福田恆存のように戦前の「古き良き」日本を思慕するのならば、それは「共産主義」社会を夢想した「進歩・左翼」の観念論に似た趣きをもつ。この「観念論の趣きこそが」、「保守」言論の「堕落」を招いている一因だ(p.51-53)。
 紹介は面倒なのでこのくらいにしたいが、まず第一に、「必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない」とすでに上で記したが、櫻田が何やら新味を提出していると思っているらしい「福祉価値」と「威信価値」の区別は、多少の説明はあるが、また別の本か何かで書いているのかもしれないが、その意味・重大性の程度がきわめて曖昧だ。
 第二に、櫻田は「保守・右翼」言論が「進歩・左翼」のごとき「観念論の趣き」を持つと批判しているが、櫻田淳のこの論考自体が、私がこれまで読んできた「保守・右翼」言論の多くよりもはるかに「観念論」的だ。要するに、観念・言葉の<遊び>が多すぎる。日本の現実、日本をとり巻く国際情勢の現実を、この人は<リアル>に見ているのか。それよりも、「保守・右翼」言論の<方法・観点>を批判してやろうという主観的意図(これを一概に批判するわけではない)を、優先させているとしか思えない。
 このような櫻田淳は「真正保守」か?
 月刊正論4月号(産経新聞社)には潮匡人の「リベラルな俗物たち」の連載が続いている(今回の対象は、保阪正康という「軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家」)。櫻田が「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」というときの「リベラル」と潮匡人の「リベラル」とは意味が違っているに違いない。違っていないとすれば、櫻田淳もまた客観的には「リベラルな俗物たち」の一人である可能性がある。
 「真正保守」・「リベラル」についての自らの見解を提示していないことは承知している。ただ<保守>論壇らしきものの危うさを懸念して、以上を書きたくなった。

0648/天皇・皇室論-サピオの小林よしのりと産経新聞の加地伸行。後者はヒドい。

 〇サピオ1/28号(小学館)の小林よしのり「天皇論」の第二回。
 とくに大きな異存はないし、美智子皇后陛下の失語症前後のいきさつなど、知らなかった情報もある。
 最後の方で、1300年以上続いた「天皇の伝統」の力に約200年の「近代合理主義」は到底及ばないとしたあと(p.81)、「奇妙」なのは「雅子妃は祭祀に熱心でないと非難する保守派の者たちが、祈りの奇跡を信じていない合理主義者であることだ」、「皇室にだけ非合理を要求する」な、という旨の言葉がある(p.82)。
 この辺りはややむつかしい。「雅子妃」批判者が「合理主義者」だということの意味と適切さは必ずしもよく分からないところがある。西尾幹二は「(近代)合理主義者」として皇太子殿下ご夫妻を批判しているのか?
 それに、「祈りの奇跡を信じていない合理主義者」という表現からすると、「非合理性」に充ちた<天皇制>の支持者は、「祈りの奇跡を信じ」る者たちだ、と主張しているようでもある。
 たしかに、昭和天皇に限らず、天皇には(合理的に説明できない)不思議な力があったに違いない(だからこそ、古代に<天皇制>が成立したとも言える。皇室の先祖・天照大御神=卑弥呼だと考えなくとも、古代の天皇たちは優れた祈祷者であった可能性も高い)。
 だが、私は<天皇制>支持者だが、「祈りの奇跡」を100%信じるものではない。明治以降でも各天皇は種々の<祈り>をされたはずだが、全てが叶った=実現したわけではないだろう。
 一方、私は、国家や国民のために<祈る>という心情・姿勢自体は強く肯定するものだ。天皇や皇族に限られない。非合理であっても(=合理的とは言えない)何かを<祈る>ことをする「日本人」の心を尊いと思う。<奇跡>が実際に生じなくとも、その発生を願って<祈る>心こそが美しいと思う。
 〇産経新聞1/06「正論」欄加地伸行論考。
 この人は、昨年の正論大賞受賞者だったと思うが、教授(立命館大学)・名誉教授(大阪大学)という肩書きを付けて、よくぞこんな奇妙な文章を書けたものだ。
 まず、西尾幹二に始まる「現在の皇室」についての「論争」の「詳細は十分には心得ないと自ら書いて(告白して)いる。そのような状況で、いかほどの内容の文章を書ける資格と能力があるのか。読者を馬鹿にするな、と言いたい。
 ①最後にこう書く-「陛下御不例が伝聞される今日、皇太子殿下の責任―<無>の世界の自覚が重要である。もしそれに耐えられないとすれば、残る道は潔い一つしかない」。
 皇位に就くことの辞退でも意味するのかと思ったら、続きの最後の一文は、「諫言者」が「七人有れば…天下を失わず」、だ。どうやら皇太子に対する多数の(七人の?)「諫言者」が必要、という趣旨らしい(この点自体も曖昧だが)。結果として、前半にも見られるが、西尾幹二に親近的な論考になっている。
 だが、そもそも(皇太子殿下が)「もしそれに耐えられないとすれば」という文章の意味と根拠は何なのだろう。加地のいう天皇の本質は<無>だというのが正しい又は適切だとして(この点を大した説明もなく折口信夫に依って簡単に断定しているのも気になるが)、皇太子殿下が「それに耐えられない」可能性のあることを十分に肯定している表現だ。
 そのような(現実的)可能性のあることの根拠を、加地は何一つ記していない。これで正論大賞受賞者、教授・名誉教授なのか。
 ②加地によると、西尾幹二に対する批判には次の二傾向がある。一つは「皇室無謬派(皇室は常に正しいとするいわゆるウヨク)」、二つは「皇室マイホーム派(いわゆるリベラルやサヨク)」。そして、いずれも「皇室を誤らせる」と加地は批判している(つまり西尾幹二批判を全体として批判していることに論理的にはなる)。
 だが、私は西尾幹二の昨年の皇室論、とくに皇太子妃殿下攻撃に対して批判的だが、上の二つの「傾向」のいずれでもない。やや意味不明だが皇室は「無謬」だとは思わない。ちなみに、「いわゆるウヨク」の中に西尾幹二の同調者もいたように思う。
 よくぞ簡単に上のように整理?できたものだ。また、この人は中国文学(しかも古代の?)専門の筈だったと思うが、「いわゆるウヨク」や「いわゆるリベラルやサヨク」の主義・主張についていかほどの学識と知見を持っているのだろうか。
 専門外のことに余り口を突っ込むことは、少なくとも新聞紙上で公になる文章を書くことは、やめた方がよい、とたぶん失礼だろうが、言わせていただく。
 正論大賞受賞者、教授・名誉教授の肩書きなら誰でも(かなりの程度は)感心して読んでくれると思っているとすれば(その現実的可能性がある)、大間違いだ。
 こんな文章が産経新聞の目立つところに出るのだから、日本は大変な時代に入っている、とつくづく思う。

0596/八木秀次は卑劣だ2-まっとうな「学者・研究者」なのか。

 竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)における八木秀次の西尾幹二批判は、その<仕方>も<内容>も、適切ではないところがある。
 長くは書かない。第一に、批判するためには相手の発言・執筆内容を正確に理解したうえで行う必要があるが、八木秀次は西尾幹二の主張内容を、批判しやすいように歪めているところがある。
 基本は日本語の文章、テキストの理解だ。それをいい加減にしてしまうと、どんな批判もそれらしき正当性をもっているかのごとき印象を与える。
 第二に、自分自身が発言・執筆していることとの関係で、そんな批判を西尾幹二に対してする資格が八木秀次にあるのか、と感じるところがある。
 目につく点から、以下、簡単に指摘する。
 第一に、竹田恒泰=八木秀次・皇統保守p.150の見出しは太ゴチで「『天皇制度の廃棄』を説いた『WiLL』西尾論文」となっている。そして、八木は、「西尾は『天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない』と明記しています」、西尾のように『天皇制度の廃棄に賛成する』とまで書くのは、どう考えても言いすぎです」と書いている。

 西尾幹二の言説内容を、いつのまにか天皇制度廃棄に「賛成するかもしれない」から「賛成する」に変えている。この点も無視できないが、より重要なのは次の点だ。
 月刊WiLL5月号で西尾幹二は、たしかに「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」と明言しているが、この語句を含む一文の冒頭には「皇室がそうなった暁には…」との語句がある(p.43。「そうなった暁」の意味も書かれているが省略)。つまり、もし…ならば…かもしれない、というのが西尾幹二の原文に即した彼の主張・意見だ。
 上の八木において、<もし…ならば…かもしれない>は、<…だ>へ変更されている。批判相手の言説内容(テキスト)のこのような<改竄>は議論の仕方として許されるのだろうか。批判しやすいように、八木にとって都合よいように(意図的か無意識的にか)、改竄(=一種の捏造)をしているとしか思えない。

 八木秀次は「『ときすでに遅いのかもしれない』と言い、結論として皇室の『廃棄』まで言う…」と西尾の主張をまとめている(上掲p.151)。
 たしかに西尾は「ときすでに遅いのかもしれない」と最後に述べているが、掲載は月刊WiLL5月号ではなく6月号(p.77)。何が「すでに遅い」のか何となくは判るが、天皇制度廃棄との関係はさほど明瞭に述べられているわけではない。
 八木は何とかして、西尾を単純な<天皇制度廃棄>論者にしたいのではないか。西尾幹二の主張の内容に私は全面的に賛成しているわけではない。むしろ相当に批判的だ。だが、その西尾幹二の主張についての八木秀次の紹介の仕方は、あるいは前提としての理解の仕方は、ほんの少し立ち入っただけでも、正確だとは思えない。これでは議論は成立しない。これでは批判の正当性にも疑問符がついてしまう。
 第二に、八木秀次は、「『WiLL』を含めマスコミ全体で皇太子妃殿下を血祭りにあげている感じがします」(p.156)と書く。
 これはまさしく、<よくぞヌケヌケと>形容してよい文章だ。この問題についての前回(9/06)に紹介したように、八木自身が諸君!7月号(文藝春秋)誌上で、「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである」と明記しているのだ。「問題は深刻である。遠からぬ将来に…少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后…」という部分だけでも注目されてよい。
 八木はこれにつき「皇太子妃殿下を血祭りにあげている」のではないと反論するかもしれないが、祭祀同席に消極的だとされる皇太子妃殿下について、皇后位継承を想定しつつ、「問題は深刻である」と言い切っているのだ。「血祭りにあげている」のと五十歩百歩と言うべきだ。
 第三に、八木秀次は、西尾幹二は解決策を示していない、そして必ずしも明確ではないが、自分は「解決」策を考えている又は主張している、と言っているようだ。
 ①「われわれは『…どう解決するか』を考えるべきでしょう」(p.150)。
 ②「解決のための言論であればけっこうなのですが、西尾論文は『ときすでに遅いのかもしれない』と、すでに手遅れだという主張です。手遅れだから『天皇制度の廃棄』だと言うわけです」(p.157)。

 ③「単に批判するだけ。天皇制度を『廃棄』した方がいいというだけ」。西尾や久保紘之の「解決方法は『廃棄』だけです」(p.172)。

 すでに触れたことだが、上の②③も西尾幹二=単純な「天皇制度廃棄」論者に仕立てている。<左翼>ですら表立っては言いにくいような主張を西尾幹二はしているのだろうか。八木が理解する(理解したい)ほどには単純ではない、と私は西尾幹二の文章を読んでいる。
 それはともかく、西尾幹二は「解決」方法に(「廃棄」以外に)言及していないだろうか。
 西尾は月刊WiLL5月号で、「勤めを果たせないのなら〔小和田家が〕引き取るのが筋です」という週刊誌上の宮内庁関係者の言葉を引用して、「私も同じ考えである」と明記している(p.39-40)。この辺りの部分の見出しは「引き取るのが筋」となっている(p.39)。
 <小和田家が引き取る>とは、常識的には、皇太子妃殿下の皇室からの離脱、つまりは現皇太子殿下との離婚を意味しているのだろう(こんなこと書きたくないが……)。
 つまり、西尾は「解決」方法に触れていないわけではないのだ。たんに天皇制度「廃棄」だけを書いているのではないのだ。
 一方、八木秀次自身がもつ「解決」方法とは何か。八木はこう書く。
 「あくまで最悪の事態を想定して」、「皇位継承順位の変更や離婚の可能性も考えておくべきだ」(p.196)。
 ここで八木は「離婚の可能性」に言及しているが、上記のように、この点は西尾と何ら異ならない
 西尾幹二と異なるのは、西尾幹二は全く明示的には触れていないのに、また中西輝政も現皇太子妃殿下の「皇后位継承」適格についてのみ言及したのに対して、上に「皇位継承順位の変更」と言っているように、現皇太子の天皇位継承適格をも具体的に疑っている、ということだ。
 このように見ると、解決方法の用意のある・なしで八木と西尾を区別することはできない、と考えられる。また、八木が明記する解決方法の一つは、現皇太子殿下の天皇位継承適格を直接に問題視すること(の可能性を少なくとも肯定すること)でもある。

 西尾において廃棄に「賛成するかもしれない」との文章の内容の中には現皇太子の皇位継承否定の意味も含まれているかもしれないが、この論点について八木はむしろ明記している。
 この程度にしておく。
 八木秀次は高崎経済大学教授だという。学生のコピペのレポートを叱ることがあるかもしれない。だが、コピペ以下の西尾幹二の主張の単純化・歪曲があるなら、論文を読み、執筆するという、学者・研究者としての最低限のレベルまでも達してはいないのではなかろうか。
 竹田恒泰は八木秀次にあまり引っぱられない方がよい。

 別の回に、上の対談本に関する新田均の書評(月刊正論10月号)への感想を書く。

0592/八木秀次は不誠実、というより卑劣だ-その1。隠蔽と二枚舌と。

 一 あらためて引用しておくが、諸君!2008年7月号(文藝春秋)p.262で、八木秀次はつぎのように書いた。
 「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
 中西輝政の「同妃〔現皇太子妃-秋月〕の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」との一文(上掲誌p.239-240)とともに、100年後も200年後も活字として残るはずの、<歴史的な>文章だ。
 上の文章は「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」蓋然性又は現実的可能性に言及して、皇室典範上の「皇位継承順序を変えることができる」要件の解釈を示している。字数の制約のためもあるかもしれないが、論理・意味ともに不可解又は曖昧なところもある。しかし、既述のことだが、間違いないのは、上において、八木秀次は、現皇太子妃殿下の現況を理由として(あるいは援用、これに論及、言及して)現皇太子の皇位(天皇たる地位)継承資格を(明確に否定はしていなくとも)疑問視している、ということだ。そうでないと、皇室典範三条に言及し、その一部の文言に関する解釈をとくに示しておくことの意味はないだろう。
 上の文章を含む雑誌は6月初めに出版されているので、執筆は4月末から5月半ばあたりだったのだろうと推察される(雑誌の出版実務に詳しくはない)。
 二 先月・8月に竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)という対談本が出ている(竹田恒泰の月刊WiLL上の西尾幹二批判論文も転載されている)。八木の「あとがき」の期日は7月15日になっている。
 その中で二人で西尾幹二を批判している部分があるが、八木秀次の諸発言を読んで、唖然とせざるをえなかった。
 まず基本的なことをいえば、この本が内容とする対談は上記の諸君!(文藝春秋)の発売やそのための八木の執筆の時期よりも後である筈であるにもかかわらず、自らが上のように近い過去に明言した、ということ、をその内容も含めて、この本の中でいっさい述べていない(!)ということだ。
 まるで竹田恒泰に相当に同調しているような発言の仕方をしている(完全に同じだとは言わない)。八木秀次という人は、適当に(自分の本意を隠して)対談相手に合わせることができる人なのだろう(すでに言及した中西輝政との対談本(PHP)でもそれを感じることがあった)。
 結論的なところを推測するに、私は詳しくない「つくる会」分裂・変容の過程で生じた(原因か結果かは知らないしそれがここで述べていることと直接の関係はない)反西尾幹二感情を基礎にして、皇太子妃殿下問題を中心とする<皇室>問題では反西尾幹二で<共闘>できる竹田恒泰を対談相手として選んだのだろう。
 後述するが、新田均も月刊正論10月号(産経新聞社)で明示的に認めるように、竹田恒泰と八木秀次では皇太子妃殿下(→皇太子・皇位継承)問題に関する考え方は同じではない。というより、むしろ明確に対立する立場にあるとすら言える。そうした二人が連名で本を出すのだから、その共通性は<反西尾幹二>意識にある、としか考えられない。
 三 <反西尾幹二>意識が八木自身のこれまでの発言等とも照らして正当なものであれば、批判することはできない。
 だが、八木の西尾幹二に対する批判は、公平に見て、その<仕方>も内容も、適切ではないところがある。<反西尾幹二>感情の過多が原因ではないか。
 一円の収入にもならない文章を懸命に書いてもほとんど無意味だと感じてきているので、一気に書いてしまわないで次回に委ねる。

0587/天皇制度・皇室をめぐる<保守派>の分裂―新田均・月刊正論9月号の西尾幹二批判。

 月刊正論8月号(産経新聞社)には斎藤吉久「皇室伝統を蔑ろにする宮内官僚を糾す」(p.150~)というのが載っていて、特定の皇族個人を問題にするよりも、戦後教育と戦後政治の影響を受けている国家公務員・宮内庁官僚をこそ、より問題視し、批判する必要があるのではないか、と感じたことだった。
 月刊正論9月号(同)では、神社神道系と思われる<保守派>の新田均による「皇太子さま『御忠言』の前に考える・君と臣の分限について-それは本当に皇室と日本の弥栄を願ってのものだろうか」(p.120~)が、田中卓や葦津珍彦の論を援用しながら、西尾幹二を実質的には相当に厳しく批判している。
 田中卓が月刊日本7月号に書いたところによれば(私は未読)、西尾幹二は皇室の中に彼にとって不適当と思う人物がいれば放逐させ、天皇制度自体の「廃棄」も辞さない、「天皇抜きのナショナリズム」論者らしい。
 私は西尾幹二を八木秀次などに比べてはるかに尊敬できる<思想家>だと思っているが(「保守」と冠するかどうかは自信がなくなってきた)、これまた孫引きになるが、新田均によると、西尾幹二はかつて次のように書いたことがあるらしい。
 ・自分(西尾)は天皇については「怨恨もなければ、なんら愛情もないという無関心な感情」で、「天皇制に対する感情は希薄」だ(論争ジャーナル、1967年12月号)。
 ・「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」(撃論ムック217(号?))。
 これにはいささか驚いた。
 後者は西村幸祐責任編集・撃論ムック217号・中国の日本解体シナリオp.139-141(オークラ出版、2008.07)で、より長く引用しておくと、次のとおり。
 「私〔西尾〕は…天皇問題に関心の強いほうでは」ない。「日ごろ無関心なのが、むしろ保守の証しだと言っておきたい」。「現実に私は天皇と聞いて感涙にむせぶ種類の人間」でも「政治的反発を覚える者」でもない。「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」。だが、「…天皇制度はつねにわたしたちの歴史意識に触れてくる重大な問題の一つ」で、「突如として人に薦められて」、「皇太子ご夫妻の問題について危機を感じていた」こともあって「皇室問題について論じることになった」。日本では西洋や中国とは異なり「王権が権力を一切もたない代わりに、静かなる宗教、神としての信仰の対象にもなっている」。この点について「比較王権論という視点から」「一つの仮説」を出したのが「最大の目的」だった。
 新田均の紹介するほど単純ではないが、しかしやはり…、というところだろうか。
 西尾幹二は月刊WiLL9月でも「もう一度だけ(これで最後)」の発言をしている。当初の厳しい、そしていくぶん奇矯な、皇太子妃殿下批判からすれば、天皇制度・皇族一般の話へと変わってきており、皇太子殿下はどうかご留意を、というニュアンスが強くなっていると感じている。だが、上のような意識が基底にあるのだとすると、年齢上は年下になる皇太子ご夫妻に対する、西尾の<対等な>又は<教え諭すような>物言いの仕方も不思議ではないと思えてくる。そして、西尾幹二に対してすら、戦後の<合理的>教育にもとづく思考方法、<天皇制度>に関する教育や社会風潮の影響が及んでいる、と深く慨嘆せざるをえない。
 近年の皇室問題、率直に言って<皇太子妃殿下問題>については、西尾幹二と八木秀次・中西輝政は、月刊諸君!7月号(文藝春秋)上の記述では、<共闘>又は<統一戦線>を組んでいるようでもある。
 だが、二年ほど前の(一年半前?)新しい教科書をつくる会問題では、西尾幹二と八木秀次・中西輝政はそれぞれ対立するグループに属するようだ。何をやっているのだろうねぇ。<保守派>のおエライさんたちは?!。イヤ、八木秀次は<保守派>のおエライさんたちの一人とは決して考えてはいない(そして、いけない)。
 元に戻ると、西尾幹二に数回(4回?)も皇室問題に関して執筆させ、福田和也が皇太子・皇太子妃両殿下の将来を楽観視しているのを産経新聞紙上のコラム(週刊誌ウォッチング)で疑問視していた月刊WiLLの編集長・花田紀凱もまた、まさしく戦後の教育と社会風潮のもとで、「畏敬心」を微塵も感じない、ジャーナリスティックな<天皇(制度)>観又は<皇室>観をはぐくんできた一人に間違いないように思える。この人による月刊WiLL(ワック)よりも(西尾幹二も八木秀次も登場するが西尾批判をする新田均も出ている)月刊正論の方がまだマシで、多面的で多様だ。
 西尾幹二は上掲の撃論ムックの中で、「突如として人に薦められて」とか「雑誌WiLLの話に乗り」とか書いている。昨今の皇室・皇太子ご夫妻問題にかかわる<騒ぎ>に、この花田紀凱が棹さしているのは確かなようだ。
 日本も、日本の<保守>派も、崩壊しかかっている、溶解しはじめている、という恐怖(・懸念)をもつ者は私一人ではないのではないか。

0544/天皇・皇室を大切にする<保守>の八木秀次に尋ねてみたい。

 一 産経新聞「正論」欄6/05八木秀次「宮中祭祀廃止論に反駁する」は基本的趣旨に反対ではないし、月刊・諸君!7月号でも奇妙な言説を吐いている原武史については、別に批判的コメントを書く。
 但し、八木秀次の主張はどの程度の正確な理解をもって、厳密な言葉遣いでなされているのか、疑問とする余地がある。
 他の本や雑誌原稿と同様かもしれないが、八木は、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」と書く。「宮中祭祀」をしない「皇室」は「皇室」でなくなる、という具合に。
 だが、そうなのか(天皇と皇室は同じではない)。また、「皇室」という語によってどこまでの皇族を指しているつもりなのか。この後者の点は明確にしていただかないと、趣旨が正確には伝わらないと思われる。
 どうやら、「皇室」の中に皇太子・皇太子妃を含めていることは明らかなようだ。では、秋篠宮と同妃は「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という場合の「皇室」に含めているのか。また、成人して未婚の場合の眞子・佳子各内親王は「皇室」に入るのか。さらに、常陸宮と同妃の問題もあるが、寛仁親王(ヒゲ殿下)・同妃や成人後に未婚の場合の彬子・瑤子各女王は含められているのかどうか。
 二 皇室典範に「皇室」という言葉はないが、「皇族」という概念はあり、その範囲が決められている。皇室典範5条によると「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王」が「皇族」と定められている(皇太子は親王のうちのお一人、皇太子妃は親王妃のうちのお一人だと考えられる)。
 天皇とこのような「皇族」を合わせたものが「皇室」なのだとすると、かつ八木秀次が「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」として「宮中祭祀」に「皇室」(「皇族」)全員の列席を求めているのだとすると(少なくとも「宮中祭祀」に違和感を持ってもらっては困ると考えているのだとすると-以下同じ)、常陸宮・同妃(華子妃殿下)、秋篠宮同妃(紀子妃殿下)はもちろん、寛仁親王(ヒゲ殿下)・同妃はもちろん成人後の(婚姻するまでの)眞子・佳子各内親王、彬子・瑤子各女王までもが「宮中祭祀」の参加・列席を求められていることになる(なお、<成人後>と限定しているのは、幼児時代にまで求められはしないだろうという常識的発想からする、私の勝手な推測にすぎない)。
 はたして今日の実際の宮中祭祀に、これらの人びとは(皇太子妃を除いて?)参加・列席されているのか?
 特定皇族の「宮中祭祀への違和感」を八木秀次は憂慮し(かつ批判?)しているようだが、その「皇族」又は「皇室」の範囲を明確にし、かつ彼が問題にしている人物以外の方々は宮中祭祀に参加・列席しているのかくらいはきちんと調べたうえで議論してほしいものだ。
 三 皇室典範による「皇族」の範囲の定め方とは別に、「内廷皇族」と「内廷外皇族」という区別もある。
 皇室経済法4条1項によると、「内廷費は、天皇並びに皇后、、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし、別に法律で定める定額を、毎年支出するものとする」。

 この規定は「内廷費」に関する定めだが、ここに列挙されている、いわば天皇陛下の直系の家族が<内廷皇族>だ(妃を含み、婚姻した旧内親王や皇太子以外の旧親王は含まないものと思われる)。
 一方、条文は省略するが、「内廷費」ではなく「皇族費」が支出されている皇族を<内廷外皇族>という。<宮家皇族>とも言うらしい(園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007等々)。誤っていれば失礼だが、婚姻して独立の宮家を立てられた秋篠宮と同妃・お子さまたちは、上の条文の内容からすると<内廷外皇族>に当たるものと考えられる。皇族がいらしゃる場合の秩父宮家・高松宮家・三笠宮家の人びとの場合は勿論こちらになる。
 さて、八木秀次が「皇室」というとき、<内廷皇族>のみを指しているのかどうか。もしそうならば、その旨を明記しておくべきだろう。そして老齢で病気の可能性もある太皇太后、皇太后やまだ幼年である場合の「皇太孫」や「内廷にあるその他の皇族」に対しても、、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という理由で宮中祭祀への参加・列席を求める趣旨なのかどうかを知りたいものだ。
 四 八木秀次は月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の文章の最後に皇室典範三条を持ち出して、「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当たるだろう」、という<法解釈>を早々と示した(p.262)。
 皇室典範3条は次のとおり。-「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。
 この規定は明らかに「皇嗣」に関する定めだ。そして(言葉からして容易に判るが)「皇嗣」の意味に関する規定に次のものがある。
 皇室典範8条皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。」
 この定めでも明確なように、現在において「皇嗣」とは皇太子殿下お一人であり、同妃は「皇嗣」では全くない。
 しかるに何故、八木秀次は「皇嗣」に関する上の条文に言及して、「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当たるだろう」と書き記したのか?
 何らかの誤解をしているか、皇太子妃殿下ではなく現在の「皇嗣」=皇太子=将来の天皇が「祭祀をしない」ことを想定して、上のような<法解釈>論を展開しているとしか考えられない。
 ではいっいたどこに(妃殿下ではなく)皇太子が将来において「祭祀をしない」こととなる兆候がある、というのだろうか。また同じことだが、皇太子殿下は「宮中祭祀への違和感」をお持ちになっているのだろうか。そう推測(憶測)しているのだとすれば、その根拠はいったい何か。
 上に述べたことの充分な根拠もなく、「重大な事故があるとき」に該当するものとして「皇位継承の順序を変えること」まで八木秀次は提案している。これはじつに<怖ろしい>ことだ。一介の一国民が「皇嗣」たる皇太子殿下について「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当た」るので、「皇位継承の順序を変えること」ができるのですよ、と言っているのだ。おそらくは充分な根拠もなく「皇位継承」の順序についてまで口を出しているのだ。
 以上。述べたかったことは基本的には二点。第一、八木秀次は平均的国民よりも天皇・皇室制度について詳しいはずだが(天皇(制度)について八木は前回触れた中西輝政との対談本・保守は何をすべきか(PHP、2008)でも何度も触れている)、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という場合の「皇室」の意味・範囲が明らかにされていない。
 第二、八木秀次は皇太子=皇太子妃という(学者、いや普通人でもしないような)混同をしているのではないか、そうとでも考えないと、今の時期に「祭祀をしない」ことによる「皇位継承の順序」変更の(少なくとも可能性の)主張をできるはずがない。
 かつまた、このような主張は非礼であり、少なくとも時期的に早まりすぎている。
 これらは、研究者・学者という一面ももつ八木秀次ならば容易に(論理的にも概念的にも)理解できる筈だ。単純な活動家・運動家に堕していないかぎりは。
 今回に書いたことを含めても、書いている趣旨の不明瞭な、かつ天皇・皇室にかかわる正確な知識がないと見られる八木秀次は<保守>のリーダーには(リーダーの一人にも)絶対になれない、ということは明瞭だ。傲慢にならない方がよい、と感じる。

0543/中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP)と諸君!7月号でのこの二人の文章。

 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人びと(PHP、2008.06)につづいて中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008.06)も入手して、読む時間が足りない。また、書く時間があればこれらを読んでしまいたい。だが、いずれも途中まで読んだだけだが(座談なので、すぱやく読めてしまう)、後者から一部抜き出して、関連するコメントを書いておこう。いちおう、後者についての第一回になる。
 上の中西輝政と八木秀次の対談本の大切なポイントではないかもしれないが、<進歩(革新)派>から<保守派>への「改宗派」や所謂「すべて派」〔説明省略〕に対する皮肉らしきものを述べたあと、中西輝政は言う-「非常に過度な攻撃性を示してしまうというのは、まだ本来の保守になりきれず、『反左翼』『反リベラル』にとどまっている」。また、八木秀次も続ける-「本来保守というものは、ふくよかなものであるはずです」(p.105)。
 別の箇所で、中西輝政はこうも言う-保守とは思想ではなく感覚・心。「だから賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度にすると、かえって保守から離れるという側面」がある(p.131)。そして、八木秀次は「保守思想」の「理論化、体系化をすべき時期」ではないか(p.131)、「底の浅い保守思想」の淘汰(p.134)、「保守思想」の整備(p.135)等と言及しつつ、本来は「保守から離れる」ことになるかもしれないが(p.131)、などとも言っている。
 これらのやりとりにとくに反対するつもりはない。却って、むろん二人が意識している筈もないが、このブログ欄が<反朝日新聞・反日本共産党>とのみ語って「保守」という語を使っていないことや、樋口陽一らを「賢(さか)しらに論(あげつら)う」ということをしてきたようで、やや耳に痛い気もする。
 だが、この二人が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思う。また、八木秀次が発言していることの中には私には彼には荷が重すぎると感じることもあるが、この点は別の回に書く。
 思い出すのは、月刊・諸君!7月号の特集「われらの天皇家、かくあれかし」の中に計56あった文章の中の、中西輝政と八木秀次のものの内容だ。
 全員のものをまだ読み終えていないが、西尾幹二が別の雑誌で述べていた結論的なことと、表現は違っても、同趣旨のことを述べていたのがまさにこの二人だった。
 そして、竹田恒泰を信頼するかぎりは、この二人の文章は、現時点では、率直に言って<妄言だ>。よくぞ、「神道と皇室に対してどういう態度をとるのか」、この点を「素通りして日本の保守はない」(中西輝政。上の対談本p.135)と言えるものだ、という気がしている。
 この問題に前回に触れて述べたようなことに対して、<では皇室(の重要部分)が「左翼」に乗っ取られてよいのか、「左翼」の浸透を許してよいのか>という反論があるかもしれない。それを想定して、いちおう再反論しておこう。
 竹田恒泰の言を信じれば、皇太子妃が宮中祭祀に列席されようとされまいと宮中祭祀の本質に変化はない。天皇(と将来の天皇・皇太子)こそが大切なのだ天皇陛下が「左翼」に乗っ取られない限り、<天皇制度>はまだ生きており、「日本」も存続している
 私には事実関係の確定のための資料も能力もないが、―以下、本来は書きたくないことに入ってしまうが―万が一、皇太子妃が(祭祀の意義を認めることのできないような)「左翼」心情の持ち主なのだとすれば、もう遅いのではないか。それを阻止するためには、皇太子のご婚姻前の段階ですでに警告・警戒の発言を八木や中西は(西尾幹二も)しておくべきだった、と思う。今では、一国民としては(憂慮しつつも?)「静かに見守る」他はないのではないか。
 また、皇室の<外>からの<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)の圧力で、皇太子妃たる地位の適格性を論じ、あまつさえ変更の趣旨を含む意見を述べるというのは、きわめて不謹慎なことだ、と思う。このことは、たんに皇室への敬意という心構えのみの問題ではなく、<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)という圧力によって皇族の地位が変動されることがありうるという先例を作ってしまえば、逆に<左翼的世論>が皇室内の問題・皇族の地位に具体的に介入してくることは目に見えている、という趣旨の方をむしろ多く含んでいる。
 上のことくらい、中西輝政、八木秀次、西尾幹二は理解できないのだろうか。じつに嘆かわしいことだ、と私は感じている。「賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度に」行っていることにはならないのだろうか。
 
ということもあって、中西輝政と八木秀次が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思っている。もっとも、彼らが上掲の本で語っていることの80%は理解できるし、かつそのうち90%くらいは支持できる(読んだ限りでは皇太子妃問題に言及していない)、ということも追記しておこう。

0508/戦後日本の「保守」主義成立の困難さ-佐伯啓思による。

 佐伯啓思・学問の力(NTT出版、2006)p.172-3によると、戦後日本に「保守という思想」がありうるのか、ということから考察する必要がある(それは成立し難いということを(多分に)含意させているようだ)。
 その理由の第一は、佐伯によると以下のことにある。
 「いわゆる保守派」はアメリカの保守思想を手本にしたため、「本当の意味でのヨーロッパの保守主義(とくにイギリスの保守主義)」が日本にうまく「根づかなかった」。
 ヨーロッパ思想も導入されたが、「ほとんどは、いわゆる左翼進歩主義的」なものだった。すなわち、「戦後の思想のスター」は、ルソー、ヘーゲル、マルクス、ウェーバー、ロック、ミル、ハーバーマス、アドルノ、サルトル、「フランス現代思想系の人たち」〔デリダやフーコーらか?-秋月〕だった。一方、エドマンド・バーク、コーク、ブラックストーン、ヒューム、カーライル、バジョット、オークショットらは紹介されなかったか、殆ど無視された。
 前回に続いて、かかるリストアップ、とくに後者の<保守主義>又は<反・左翼>の人名のそれ、をしておきたい気持ちも強くて、紹介した。「イギリスの保守主義」とは、ときに「スコットランド(学派)の保守主義」と称されるものを重要なものとして含んでいるだろう。ともあれ、日本の研究者による外国の思想(家)の紹介や分析が、公平・中立あるいは客観的に行われているわけでは全くない、ということは明らかだ。  日本の思想・政治・文化等の状況に応じて、指導教授や<仲間たち(同業者)>の意向・動向をも気にしつつ、研究者個人がどう「価値」判断するかを直接には契機として、<外国研究>は行われているわけだ。このことは、思想・哲学に限らず、人文・社会系の全ての学問分野にあてはまるものと思われる。
 上に関する理由の第二として、佐伯は丸山真男に次のように論及する。
 「保守」はその国の「歴史や伝統」から出発するが、戦後日本はGHQのもとで「日本の伝統」という「因習的で封建的な」ものを「ほとんど切り捨て」た。東京大学の憲法学者・宮沢俊義も「八月革命説」を唱え、丸山真男は「革命」の起きた八・一五という原点に立ち戻れと繰り返し説いた。となると、「革命」により「生まれ変わった」日本には、「伝統や慣習」を大切になどとの発想がでてくる筈はない。
 以上で要約的紹介の今回分は終わりだが、かかる、丸山真男を典型とする、戦前日本の、そしてまた日本の「歴史や伝統」の(少なくともタテマエとしての)全否定が、「本当の」<保守思想>成立を困難にした、というわけだ。そのような風潮に、所謂<進歩的知識人・文化人>は乗っかり、又はそれを拡大した、ということになる。その影響は今日まで根強く残っているものと思われる。(「外」の力によってであれ)望ましい「革命」があったとするなら、神道や日本化された仏教という<歴史的・伝統的な>ものに関する知識やそれらへの関心が大きく低下したのもしごく当然のことだ。
 「八月革命説」と昭和天皇の現憲法公布文(「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」)はどういう関係に立つのか(立たないのか)、および丸山真男の議論の具体的内容については、いずれまた言及することがあるだろう。

0505/日本の<保守派>内の対立は「思想」・「理論」次元では解消不能か?

  ①サピオ5/28号(小学館)で小林よしのりがこんなことを言っている。
 <「言論の自由」が保障された国に長く住んでいると、国際社会の中国への眼差しも分かってくる。「中共の洗脳」が解け、「自由や民主主義」の意味も知るような中国人が海外でもっと増えてもよいが、圧倒的に少ない。>(p.56)
 ここでは、「言論の自由」・「自由や民主主義」は、「中共」の支配する中国には欠落しているか極めて不十分なものとして、中国を批判するために用いられている、と理解してよいだろう。
 ②櫻井よしこ産経新聞5/08のコラムで「民主化」・「人権など普遍的価値観の尊重」等を中国の現状とは矛盾するものとして、中国を批判するために用いている。
 ③櫻井よしこ・田久保忠衛連名の「国家基本問題研究所」の意見広告「内閣総理大臣・福田康夫様」(産経5/06)には、こんなくだりがある。
 「自由、基本的人権、法の支配、民主主義。わが国と国際社会が依って立つこれらの価値観を踏みにじる中国共産党に、いま毅然としてものを言うことが、首相の責任です」。
 ④5/07の「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」(福田康夫・胡錦涛)の中には、こんな文章があった。
 「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力する…〔以下は、…とともに、長い交流の中で互いに培い、共有してきた文化について改めて理解を深める〕」。
 ここでの「基本的かつ普遍的価値」を中国・中国共産党・胡錦涛がどのように理解・認識しているかは問題だが、口先又は言葉の上では中国も「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値」が存在することを認め、かつその追求等のために「協力」すると、外交文書で<公言>したわけだ。
  数日前に、佐伯啓思・学問の力(NTT出版、2006)を全て読了。同・日本の愛国心(NTT出版)等を読んで既に書いたことの同旨だが、佐伯はこんなことを指摘している。
 ①「自由や民主主義という戦後的な価値」による日本再建という考え自体が「きわめてアメリカ的な考え方」で、かつ「本来の保守主義」とは異なる「きわめて進歩主義的な考え方」だ(p.166~168)。
 ②「自由、平等、平和と大きく書いた」所から戦後日本は出発した。これは「自民党」も「保守系の知識人」も同じで、「すべからく本当の意味での保守主義ではなかった」(p.173~174)。
 このように、「自由や民主主義」は<普遍的>ではなく、<普遍>を装うアメリカに独特の<進歩主義(左翼)>思想だ、これを支持・主張するのは「本当の意味での保守主義」ではない、とこの本でも述べている(同・日本の愛国心の方がより詳しかったかもしれない)。
 そして、この本では、「冷戦は基本的には終わっています」と述べたのち、北朝鮮と中国について、次の文章を示す。
 「北朝鮮の崩壊はいずれ時間の問題でしょう。中国は共産党政権ですが、なし崩し的にグローバル資本主義のなかへ入ってきています」(p.174)。
 この本の中で、北朝鮮と中国に言及のあるのはこれだけだ(同・日本の愛国心には、かかる文章すらなかったと思う)。
 また、靖国神社・東京裁判問題に関連して、<親米保守>と位置づけられると思われる岡崎久彦を名指しで、実質的には厳しく批判している。論点の拡大・拡散を避けるために詳細には紹介しないが、次の如く言う-「アメリカの価値観」・「歴史観」を認めるということは占領政策や「東京裁判を認めることに等しい」。だが岡崎久彦らの「日本の保守派」が東京裁判を批判しているのは、「私には矛盾しているとしか思えない」(p.246~247)。
  さて、一で言及した小林よしのり櫻井よしこ等も<保守派>とされている筈だが、佐伯啓思によると、アメリカ的価値観を<普遍的>と誤解しており、「本当の意味での保守主義」者ではない、ということになりそうだ。佐伯啓思も<保守派>と自己規定している筈で、同じ<保守派らしき>者たちの間にあるかかる対立を、どう整理し、どう理解すればよいのだろうか。
 すでに書いたのは、<冷戦>は東アジアではまだ現実には続いており、「思想的」・「理論的」にはともかく、<外交・政治>の上では、中国・北朝鮮には欠如している「自由と民主主義」等の「価値観」を掲げて、これらの近隣諸国に批判的に対峙することは当然だし、戦略的にも意味がある、ということだった(「価値観外交」・「自由の弧・構想」の肯定)。
 今もこれに変わりはないが、「思想」・「理論」レベルでも佐伯啓思と櫻井よしこ・岡崎久彦らとの間には懸隔が横たわるだけなのだろうか。佐伯はあまりにも「自由と民主主義」等が西欧「左翼」から出自していること、アメリカが<普遍的>と自称する「価値観」であること、を強調又は重視しすぎるのではないだろうか。また、あまりに中国・北朝鮮への関心が乏しいのではなかろうか(「思想」的・「理論」的には勝負はついた、だけではまだ済まないのではないか)。
 一方、櫻井よしこ・岡崎久彦(・小林よしのり?)らは、あまりにも無条件に「自由と民主主義」等を<信奉>する旨を語りすぎているのだろうか(日本の「自由と民主主義」に全く問題がないとは考えていない筈だが…)。この点、佐伯啓思の論旨はなかなか鋭いところがあることも認めざるをえないのだが…。
 というわけで、少々当惑している。佐伯啓思の本が知的刺激に富むのはいつもながらで、それは結構なことではある。

0482/長部日出雄の「神道」論(諸君!5月号)と石原慎太郎「伊勢の永遠性」。

 昨年10月に、長部日出雄・邦画の昭和史(新潮新書、2007.07)p.33-34が、60年安保闘争については「否定論」が「圧倒的に多いだろう」が、自分は、<あの…未曾有の大衆行動の広がりと高まりが、…憲法改正と本格的な再軍備を…無理だ、という判断を日米双方の政府に固めさせ、…ベトナム戦争にわが国が直接的に介入するのを防ぎ止めた>と考える、と書いていることを紹介して、批判的にコメントした。
 したがって、長部日出雄という人は単純素朴で政治をあまり判っていないと感じたのだが、60年安保闘争絡みではなく、神道・「カミ」に関しては、諸君!5月号(文藝春秋)の「作家が読む『古事記』/最終回」で共感できることを書いている。
 長部は本居宣長の叙述を肯定的に引用している。別の誰かの本(井沢元彦?)でも読んだ気がするが、宣長によると、日本の「迦微(カミ)」とは「天地のもろもろの神をはじめ…尋常でないすぐれた徳があって、可畏き(かしこき)ものの総称」だ。そして、宣長は「小さな人智で測り知れ」ない「迦微(カミ)」はただ「可畏きを畏(カシコ)みてぞあるべき」と書いた、という(p.226-7)。
 そして、長部は、「物のあわれを知らない」「心なき人」が増えたことと、上のような「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念を失ってしまった」ことが、「いまの日本がおかしくなっている」原因だ旨を記している(p.227)。
 他にも共感できる叙述はあるが省略。「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念」を年少者に教育するのはどうすればよいのかと考えるとハタと困るが、<宗教>教育的あるいは<道徳>・<情操>教育的なものが公教育でも何らかの形で必要だろう。長部が自らの経験を語るような<集落の神社の森や境内>に接する機会が多くの子どもたちにあるとよいのだが(私には幸いまだあった)。
 なお、長部のこの論稿は、GHQの1945.12.15<神道指令>の正式名称と七項目の(おそらく)全文を掲載している(p.229-230)。そして長部は言う。-<寛容・融通無碍な信仰心の日本人は「神道指令」を「宗教弾圧」だとは「まるで考えもしなかった」。「神道指令」は「日本人の草の根の信仰心」を「根こそぎにした」。>
 石原慎太郎「伊勢の永遠性」日本の古社・伊勢神宮(淡交社、2003)は、「悠遠」を感じ体現しようとするのは人間だけで「伊勢」神宮はその象徴だ、旨から始めて、途中では、「人間はどのように強い意思や独善の発想を抱こうとも、結局、絶対に自然を超えることはできないし、そう知るが故にも…自然を畏敬することが出来る」等と書いている。
 こういう、神道あるいは(伊勢)神宮に関する文章を読むのは精神衛生にもなかなかよいものだ。狂信的に<保守>・<反左翼>を叫ぶのではなく、じっくりと構える他はない-それが<保守主義>であって<保守革命>などの語は概念矛盾だろう-というような想いもまた湧いてくる。

0441/佐伯啓思・20世紀とは何だったのか-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)全読了。

 佐伯啓思・20世紀とは何だったのか・「西欧近代」の帰結-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)を全読了。
 最終章(第七章)は「アメリカ文明の終着点」で、筆者はアメリカ文明への「警戒」、自由主義・民主主義・グローバリズム・情報革命への「懐疑」を呼びかけ、ニヒリズムを基調とする「現代文明というものの本質」を「認識」することから始める他はない、とこの書物全体を結んでいる(p.238)。
 あまり夢の湧いてこない、建設的・積極的とは必ずしも言えない終わり方だ。もっとも、佐伯啓思は、この半年間には「義」というものについて書いたり、同・日本の愛国心(NTT出版、2008.03)を出版したりしているので、それらでは少しは「明るい」話を読めるのかもしれない。
 西部邁と佐伯啓思の2名は隔月刊の雑誌・表現者(イプシロン出版企画)の「顧問」のようで、かつこの雑誌の編集部(株・西部邁事務所)は「親米保守が分裂病…」と述べており(17号編集後記)、この雑誌は<反・親米保守>の基本的立場のようだ。
 佐伯啓思のアメリカニズム・グローバリズム批判等からして、佐伯が単純な<親米保守>でないことは分かるが、では<親中国>か<親米>かと問われるとまさか前者だとは答えないだろう。
 中国「文明」に日本が席巻・蹂躙されてはならないのと同様にアメリカ「文明」のよくできた子供になっても困る、ということならば、自信をもって支持できるのだが。
 元に戻って、佐伯啓思・現代文明論・下>は「西欧近代」の帰結の「歴史的で文明論的な見取り図」(p.5)を叙述するもので、たぶん種々の疑問・批判もあるのだろうが、「視覚」・「見通し(概観)」という点でおおいに参考になった。<現代文明論・上>と同様に、ときどき、一部でも要約的に引用・紹介したい。
 さっそくだが、「大衆民主主義」の「危うさ」と「恐ろし」さに関して、次のような文章がある(「」の引用以外は要約)。
 ・「大衆民主主義」とは「大衆の意見がそのまま政治に反映されるべき」との「政治システム」だとすると、大衆が「政治の主役」で「世界(社会)は大衆によって動かされる」ことを意味する。これは「政治を動かす者は、優れた指導者」、「知識や判断力をもったエリート層」だとした一九世紀ヨーロッパと基本的に異なる。「大衆社会は政治の基本的なあり方を変え」た。かつまた、「集団としての大衆」が「それなりの合理性や判断力とはまったく違った次元」で動くとすれば「恐ろしいことだ」。大衆の描く「世界(社会)」とは「みずからの欲望や野望や情念やら偏見やらを動員して、みずからに都合よく定義した」ものなのだ。(p.152-3)
 ・それなりの「能力や見識や、さらには時間」をもつ人でないと「政治にかかわる」のは無理だ。だが「大衆」は、「平凡で平均的な者の、平均的な感覚や思いつき」、「平凡な人間」の「凡庸な考え」が「政治を動かす」あるいは「政治の場に反映されるべき」と考えている。「政治的権利」をもつ者は「その権利に値するだけの優れた人間」との「自覚と努力」が必要だった筈だが、現今の「大衆」はそうではない。「大衆の本来のあり方」に反逆しているのであり、これ=「大衆の本質に対する反逆」こそが、オルテガのいう<大衆の反逆>だ。(p.158-161)。
 以上。

0415/「保守主義」と「進歩主義」の対比-佐伯啓思・現代日本のイデオロギー。

 「保守主義」なるものについてはこれまでも触れたことがある。
 全読了した佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の最後から二つめの項目(「保守主義にとってなぜ国家なのか」)の基本的主題は「国家」だが、その中で、「保守主義」と「進歩主義」の差違が対比されて述べられている。要約的になるが、以下のごとし(p.263-266)。「保守主義」を<保守>、「進歩主義」を<進歩>と略記する。
 なお、これら二概念を「政治的」に「通俗化」しないで理解すべき、と佐伯は念を押している。
 1.<進歩>とは「歴史を、人間および人間社会の進歩として見ることができるとする発想」。歴史・文明の「進歩の観念」を生み出したヨーロッパ「啓蒙主義」に由来するので、この主義者の多くは「西欧の近代」を参照し、「範型を求める」。
 <保守>とは、「進歩する歴史の観念を拒否」する、あるいは「人間の理性に対してそれほど強固な信頼をおかない」。そり代わりに「歴史」=「人間の経験の堆積」の中の「比較的変わらないもの、絶えず維持されるもの、繰り返し現れるもの」に学び、「信をおこう」とする。
 2.<進歩>は「未来を構想する」。<保守>は「過去に思いをよせる」。前者は「未来にユートピアを想定し」、後者は「過去に、あらかじめ失われたユートピアを設定」する、と言えるかも。
 3.カントに対してヘルダーやヴィーコーが、フランス革命に対してバークが異議を唱えたように、<保守>は<進歩>に対する批判として、とくに「啓蒙主義」(>「普遍主義」・「理性主義」)批判として出現した。
 <保守>にとって重要なのは、第一に、「普遍史」ではなく「各国史」・「各国の国民性ないし国民精神のありか」。第二に、古代→封建→近代という「発展」と「歴史」を捉えない。<進歩>においては「進歩する歴史」ならば、<保守>においては「重層する歴史」。「歴史」の底には「微動だにしない層」や「比較的変化のない層」があるとともに「表層」では「さまざまな変化」が生じている、という「歴史観」だ。
 4.両者の対立は、「普遍主義」と「個別主義」、「理性主義」と「経験主義」の各対立とも言える。
 以上は、反復するが、佐伯の論じたい主題そのものではない。しかし、なかなか参考になる整理・分析の仕方ではないか。
 若いとき、私は明らかに「進歩主義」者、そして「合理(理性)主義」者だったと回想できる。しかし、今では、上のように説明される二主義のうち、「保守主義」に強く傾いている。
 加齢のせいもある。加齢とは、つまりある程度長く「生きてきた」ということとは、世の中は「建前」・「理念」や「綺麗事」だけで動いていない、社会に関しても人間に関しても(ついでに医学にかかわる「人体」の諸現象についても)「人知」の及ばない(その意味で「偶然的」な)、あるいは「人知」(=理性)ではどうしようもできない、どう説明もできない(その意味で「宿命的」・「運命的」な)事柄がある、ということが(若いときに比べて)より理解できるようになった、ということを(も)意味しているだろう。かかる理解は、<近代的「個人」>の「理性」というよりも、過去からの「歴史」の堆積の中にある「慣行」・「伝統」にもとづいて社会や人間は動く場合が少なくない(そしてその方が「理性」による「変革」にもとづくよりも首尾良いことが少なくない)、ということを認めることにつながるだろう。このような認識は、佐伯啓思が意味させる「保守主義」に親近的だと思われる。
 付記する。佐伯は「進歩主義」は政治的な「左翼」と同義ではないと強調しつつ、別の箇所では日本について次のようなことも言っている(p.269-p.270)。
 1.「社会主義の崩壊」により「左翼進歩的陣営」も崩壊したと見るのは「まちがっている」。<歴史の進歩主義>はなお根強く、「これほどまでに、進歩主義が社会の全面を覆った時代はめずらしい」。
 2.<歴史の進歩主義>の中には、①「薄められた『サヨク』としての進歩主義」の他に②「いわば旧保守派の進歩主義という奇妙なもの」もある。これらはA「グローバルなリベラル・デモクラシー」とB「グローバルなキャピタリズム」の勝利を全面的に認める、という「進歩主義」だ。一方の極にはa「市民主義や朝日新聞」が在り、他極にはb「経団連や日経新聞」が在る。aは「人権+デモクラシー」で、bは「経済的自由主義+デモクラシー」だ。そしてともに「ヨーロッパの啓蒙主義」が生んだ、これの「ある種の後継者」だ。
 そして言う-3.「いまや圧倒的に苦境に立たされているのは保守主義なのである」。
 上の2.には具体的には異論があるかもしれない。但し、読売新聞が決して「保守的」ではなく、朝日・日経とANY連合を組んだことも(かなり飛躍するようでもあるが)理解できそうな気がする。
 あとの一般的な1.と3.はこの指摘のとおりではなかろうか(10年前の本の指摘だが現在でも)。「進歩主義」による皮相な諸現象についての言及も佐伯の本には多いのだが、いちいち紹介する時間的余裕がない。
 ようやく一つの区切りがついた。再びこの本に言及し、又は引用する機会がきっとあるだろう。

0167/日本国憲法「無効」論とはいかなる議論か-たぶんその3。

 再び、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)に言及する。
 .こう主張する(p.131)。「失効・無効の確認がなされるまでは、本来無効な「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける」。
 <一応有効であるとの推定を受ける>という表現は、とくに「推定を受ける」は厳密にいうとややキツいだろう。
 より正しくは、<事実上、有効なものとして通用する>ではないかと思われる。その事実上の<通用力>のあることを認め、従うべきことが要求されている、ということではないか。
 どちらでもいいような細かなことだが、<有効性の推定>という表現はやや気になる。
 .「無効確認」の意味・効力につき、こう主張する。「無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生するのであり、過去に遡ることはない」(p.141)。
 こうした「無効」または「無効確認」という語の使用法は通例の「無効」概念とは違うのではないか、ということをすでにたぶん4/28に次のように書いた。
 このように<「無効」という言葉を使うのは法律学上通常の「無効」とは異なる新奇の「無効」概念であり、用語法に混乱を招くように思われる。/無効とは、契約でも法的効果のある一方的な国家行為でもよいが、当初(行為時又は成立時)に遡って効力がない(=有効ではない)ことを意味する。無効確認によって当初から効力がなかったこと(無効だったこと)が「確認」され、その行為を不可欠の前提とする事後の全ての行為も無効となる。と、このように理解して用いられているのが「無効」概念ではなかろうか。
 こうした感想は今でも変わらない。「無効確認」がなされるまではそうではないが、「無効確認」が正規になされれば(その主体・手続につき議論がありうることは既述)、当初に遡って効力がなくなり、それを前提としていた全ての行為の有効性もなくなる(無効となる=法的にはなかったことになる)、というのが「無効確認」の意味であり、そういう意味があるからこそ「無効確認」決定をする必要もあるのだ、というのが通例の用語法だろう。民事訴訟(行政訴訟を含む)において問題になる(使われる)「無効」とは、このような意味なのではないか。
 異なる意味で用いると言うのならば、それを明確にしておけば問題はない、ともいえる。ただ、やはり新奇の「無効」概念だと私には思える。
 .上のように「無効」という語が使われるので、「違法確認」との区別がないか、少なくとも不明瞭だ、と感じる。
 著者も前提としておられるだろうように、違法な又は瑕疵ある国家行為がそのゆえにただちに「無効」となるわけでもないし、「無効確認」の要件が満たされるわけでもない。
 違法な又は瑕疵ある国家行為であっても有効なことはあるし、また正規の「無効」確認がなされるまでは有効との外観を呈することもある。だが、「無効」と判断できるだけの強い違法性又は瑕疵があれば「無効」確認をして、無効=効力が最初からなかったものとして扱うことができることは、上でも述べた。
 だが、将来においてのみ効力をなくすというのであれば、正規の「違法確認」行為がなされた場合とどう違うのだろう。違法→無効ではないことは上述のとおりだが、手続的に正規の「違法確認」行為・決定がなされれば、違法=少なくとも将来に向かっては効力がなくなる(という意味での「無効」)とするのが原則であり、それが(法の支配又は)法治主義の要請するところだろう。
 現在において「違法確認」することは、その行為の過去の効力に影響を与えない筈だ。とすると、主張されている「無効」論は「違法」論とどう違うのだろう。
 読解不足、私の知識不足かもしれないが、どうもよく分からない。
 .将来に向かってのみ「日本国憲法」の効力を否定することの意味・意義はそもそもどこにあるのだろう。
 著者によれば、新憲法制定までの<手続>・<段階>はこうだ。
 第一に「無効確認」と(ほぼ)同時に明治憲法の復原の確認がなされる。第二に、新憲法制定までの間は改正規定(明治憲法73条)以外の明治憲法の諸規定の「効力を停止し」、臨時措置法を制定する。この臨時措置法の内容は、前文・九条・改正手続規定(96条)以外は「日本国憲法」の条文を「基本的に採用する」。5-10年後に、第三に、明治憲法73条にもとづいて明治憲法を改正する新憲法制定に移るのだが、まずは改正手続規定である明治憲法73条を改正し「日本国憲法」96条のような規定にする。その上で、第四に、実質的には「日本国憲法」96条を内容とすることとなった明治憲法73条により国会の発議・国民の承認という手続で(明治憲法の改正による正当な)新憲法を制定する。
 何とも複雑な手続で容易には解りにくく(私は何とか理解できたが)、まさに<アクロバティック>な手続を経る必要があることになる。
 日本国憲法「無効」論のほとんど不可欠の帰結であるらしいこのような手続と、現在の日本が「現実」に置かれている状況と比較すると、今の現実は、上の第三までは終わっており、第四の段階に移ろうとしている段階にある。
 ということは、「現実」と比較すると、日本国憲法「無効」論とは、上の第一~第三の「段階」を余計に踏ませるための議論なのだ、と言い得る。
 むろん、日本国憲法が「無効」なのだからそうしないと「正統な」憲法は生まれない、ということなのだろうが、それにしても解りにくく複雑だ。また、日本国憲法を無効と考えていない者にとっては、<全く不要で余計な、かつ複雑な>行為の連鎖を要求していることにもなる。
 この説に従うと、(もともと議会による無効確認決議、天皇の裁可等の「現実」的可能性はほぼゼロだと思うがその点は別としても)現憲法の改正は「現実」よりもかなり遅れるだろう。現憲法九条は、臨時措置法の制定によってとりあえず削除されるようだが、日本国憲法無効確認と明治憲法の復原確認の後になることには変わりはなく、「現実」が進もうとしている時期よりも遅くなることは間違いないだろう。
 この議論の「現実」的通用性は別として論理的に言っても、<日本の現実は、そんなに悠長なことを言っておれる状況なのだろうか?>
 .著者のいう日本国憲法の「無効」事由には立ち入らない。説得的なものもあれば、首を傾げるものもある。
 芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.29がのどかにも?「完全な普通選挙により憲法改正案を審議するための特別議会が国民によって直接選挙され、審議の自由に対する法的な拘束のない状況の下で草案が審議され可決されたこと」を現憲法の制定過程は「不十分ながらも自律性の原則に反しない」ということの根拠の一つに挙げていることに比べれば、より現実に即していると思える部分もある。
 .だが、もう端的に結論だけ示しておきたいが、今頃になって日本国憲法の「無効」を主張するのは遅すぎる。主権回復後早々に同様の主張がなされて(明治憲法の改正手続を利用するか、制憲議会の設立・国民投票を特別に行うか等の問題は残るが)日本人のみによる「正統」な憲法制定がなされればまだ良かったかもしれない(「無効」論に全面的に組みしている訳ではない)。
 だが、憲法施行後60年も経った主権回復後でも55年も経った。<憲法学者等に騙されてきたのだ>と主張されるのかもしれないが、その55-60年の間、圧倒的多数の国民が、政府関係者、裁判所関係者、そしておそらくは昭和天皇も今上(明仁)天皇も、日本国憲法は「有効」な憲法だと信じて国政を運営し、生活を営み、現憲法を前提として皇位の継承も行われたのだ(正確な記録は持っていないが、昭和天皇も今上(明仁)天皇も何度も「日本国憲法に則り」とか「日本国憲法に基づき」とかの言葉を用いられた筈だ)。
 議論のために天皇陛下の主観を利用するつもりはない。再述すれば、天皇や皇室はかりに別としても、圧倒的多数の国民は日本国憲法は「有効」な憲法だと考えてきたのだ(そのことは現在の国会議員の全員が有効性を前提としていることでも証されるだろう)。
 それを今頃になって「無効」と主張し、「無効確認」を国家機関にさせようと主張するのは、第一に、民法でいう「権利濫用」にあたる、国家機関による<権限濫用>をそそのかしている疑いがある。関連して第二に、民法でいう「信義則」にあたる、国家行為への国民の<信頼の保護>原則を大きく損なう可能性がある。
 いちおう分けたが、国家行為への国民の<信頼の保護>を大きく損なうがゆえにこそ、無効確認行為は国家機関による<権限濫用>になる可能性が極めて高い、と言い換えてもよい。
 著者が言及している論点だけが、この問題に関係する論点なのではない。国家の<権限濫用>も国民の<信頼保護>も視野に入れるべきだ。
 さらに、法原理の中には、抽象的・究極的ではあれ、<法的安定性の維持・確保>という要請もある。違法又は無効の国家行為についてこの一般原理を濫りに使うべきではないのはいうまでもないが、しかし、55-60年という長期間の経過を考えると、<法的安定性の維持・確保>も視野に入れるべきだ。視野に入れているからこそ「無効確認」の効力は将来にのみ及ぶと主張していると反論されるかもしれないが、無効確認、そして明治憲法の復原確認という行為そのものが<法的安定性>を十分に害する、と考える。
 日本国憲法「無効」論は、現憲法の制定過程の<いかがわしさ>を明らかにし、現憲法を(当然に同96条と最近成立した憲法改正手続法に基づいて)改正して、日本人(のみ)による新憲法の制定=改憲をするために有利な議論として、個人的には利用させていただきたい、と考えている。

0116/小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)を少し読む。

 日本国憲法「無効」論について、小山常実の別冊正論Extra.06上の「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」を読んで、過日簡単に疑問を書いた。主として、1.「無効」の意味・この概念の使い方、2.「無効確認」主体、の問題だったかと思う。
 この2.については十分な説明がなく憲法学界が無効確認などできる筈がないなどの頓珍漢な指摘もしたのだが、別の方から、国会で可能だ旨の情報も提供していただいたものの、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)によると、正確にはこうだ。この点にかかわる問題のみを今回は主として扱う。なお、小山・「日本国憲法」無効論(草思社、2002年)も所持しているので、「第一書」としてp.数だけを示しておく。
 新憲法制定のための「第一段階の第一作業」は、日本国憲法の「無効と明治憲法の復原を確認すること」で、「法的にいえば、首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が無効・復原確認を行えば十分である」(p.140。第一書、p.248)。
 答えは、天皇なのだ。そして、現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは天皇であり、施行文後の御名御璽の後に「副署」したのは当時の首相他の閣僚なので、いちおう-後述の疑問はあるが-論理一貫している。但し、次の文は、いけない。
 「ただし、政治的には国会による決議がなければ立ち行かないだろう。それゆえ、国会による決議を経て、内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為を行う形がよい」(p.140。第一書にはないようだ)。
 これは一体何だろう。「政治的には」とは一体何だろう。法的議論をしている筈なのに、「政治的」又は「現実的」な議論を混淆させている。それに「政治的には、国会による決議がなければ立ち行かないだろう」というのも奇妙なことで、法的に全く問題がなければ、「首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が」行うので、それこそ「十分」な筈なのではなかろうか。
 こんな疑問がまず生じるが、できるだけ国民の総意でという形をとるために国民代表で構成される「
国会による決議」を経た方が望ましい、という趣旨だと理解することはできる。
 だが上にいう「国会」とは何だろうか。日本国憲法制定時には国会は衆議院と貴族院で構成されており、貴族院議員も審議に参加していた。ここでの「国会」とは衆議院なのか、それとも貴族院を復活させるのか(無効確認の段階ではまだ復活していない?)、いや参議院を含めるのか、が明らかではないようだ。
 但し、無効・復原確認後の明治憲法改正=真正な新憲法制定については、次のように書いている。
 「明治憲法第七三条によれば、天皇が発議して、貴族院と衆議院で可決されて憲法改正が行われる。貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」(p.144。第一書、p.248)。
 何とここではあっさりと、参議院をもって貴族院に「代替」させるのがよい、と明記している。しかし、貴族院と参議院とは、第二院という点では共通性はあるかもしれないが、選出方法・構成はまるで異なっている。第二衆議院とか衆議院のカーボンコピーと言われることもある参議院に貴族院の「代わり」をさせるのは、明治憲法七三条の趣旨に適合的なのだろうか。少なくとも、復原した明治憲法の下での議論としては、「貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」などと簡単に言い切ってはいけないのではなかろうか(明治憲法が復活したとすれば「貴族院」をいったん復活させて新「貴族院」を設置し(議員の選出・構成は難問だが)、憲法改正だけの任を与えることも考えられよう)。
 以上の他、次のような疑問もある。日本国憲法「無効」論が絶対に「正しく」、関係機関又はその担当者は全員がこの考え方を支持してくれる筈だ、という前提に立たないかぎり、当然に生じる疑問だと思われる。
 第一に、国会(この意味が不明なことは既述)が日本国憲法を「無効」と考えず、「無効」という「国会による決議
」ができないことも想定できる。この場合はどうなるのか。
 もっとも、「国会による決議」は「政治的には」
あった方が望ましいものであるならば、これを欠いても、無効・復原が確認できないわけではないということになるのだろう。
 では第二に、かりに天皇陛下は「無効」と考えられても、「首相他内閣を構成する国務大臣」
はそう判断せず、副署もしない場合はどうなるのだろうか。終戦詔勅の場合と同様に首相等の国務大臣は唯々諾々と服従するのだろうか。
 逆に、かりに首相等の国務大臣は一致して「無効」と考えても、天皇陛下はそうはお考えにならない場合はどうなるのだろうか。
 そんなことはあり得ないということを前提として立論されているのだろうとは思うが、しかし、現実的には、こういう場合も想定しての「法的」議論も用意しておかなければならないのではなかろうか(そういう場合は無効確認ができないだけ、という結論になるのだろうか。それなら簡単だが)。
 第三に、より現実的な疑問がある。現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは昭和天皇であり、今上天皇ではなかった。「副署」したのは当時の首相等の国務大臣であり現在の首相等ではなかった。
 当時の天皇陛下や首相等の「本心」・「内心」というものが明瞭に分かる資料は恐らく存在しないのだが、昭和天皇は、こんな明治憲法改正・日本国憲法は「無効」だと思われつつも不本意に<裁可し、公布せしめ>たのだろうか。吉田首相等も、こんな日本国憲法は「無効」だと思いつつ不本意にも「副署」したのだろうか。
 むろん、天皇も首相等も国家機関の一種であり、担当者(?)が変われば異なる意思を持ちうる、という理屈は成り立つ。従って、「
内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが法的にも事実的にもできなくはない、と考える。
 しかし、現実論としては、昭和天皇等が「無効」だと感じつつやむを得ず「裁可」し「副署」したという事情が明瞭に伝えられていないかぎり、今上天皇等が「無効」との判断に至る可能性は極めて乏しく、現実的可能性は0.1%もないものと思われる。それよりは、天皇と首相以下の国務大臣との間で見解が齟齬する現実的可能性の方がほんの少し高いだろう。
 むろん、上のような事情は日本国憲法制定・施行後60年の「欺瞞」によるのだ、「大ウソ」の教育・報道等によるのだ、と主張したい(であろう)ことはよく理解できる。だがいかに「正しい」理論でも支持者が微少であれば、現実的な「力」をもちえない。「正しい」理論であれば大多数の者によって支持される筈だ、というのは理想かもしれないが、現実は必ずしもそうはならない。
 現在の国会議員にしろ、2005年の両院の憲法調査報告書はおそらく日本国憲法「無効」論に殆ど又は全く言及しておらず、有効論に立っての諸意見を記載しているものと推察される。近年の各政党の有力者の発言を聞いても、日本国憲法「無効」論に立つ発言は一つもない筈だ(日本共産党と社会民主党が現憲法の有効性を前提として、九条墨守論を主張しているのも明瞭なことだ)。
 昨5月3日に護憲・改憲両派を「無効」論に立って批判する集会等もあったのかもしれないが、残念ながら(おそらく)一切報道されていないようだ。
 このような状況を現内閣構成者は勿論、今上天皇陛下もご存知の筈だ。
 日本国憲法「無効」論者にとって、一般国民はまだしも、天皇陛下の支持を獲得することは決定的に重要なことだが、今上(明仁)天皇は日本国憲法を憲法としては「無効」と考えておられるのか。
 以上、要するに、法的にも事実的にも、「内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが不可能だとは思わない。だが、その現実的可能性は極めて乏しく、ほぼ(絶対に近いほどに)絶望的だ、と考えられる。
 以上のような判断には、そもそも日本国憲法が「無効」とする論拠が必ずしも説得的ではないという理由づけが付着しているのだが、この問題は今回は省略する。
 この機会に別の、誤りだと思う点を指摘させていただく。小山・上掲書p.142はこう書いている。
 旧西独は「半年かけてドイツ人自身が起草した「ボン基本法」のことを、占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から、占領下の暫定的な基本法または暫定憲法にすぎないと位置づけた」/「…旧西ドイツは、占領中は少なくとも永久憲法を作ることは出来ないという立場を明確にした」。
 私は憲法学者ではないが、次のことくらいは知っている。端的にいえば、
「ボン基本法」が「暫定憲法」として位置づけられたのは、「占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から」では全くなく、国土・国民が二つに分裂していたからだ(p.141の条項にいう「ドイツ人民」には東独領域のドイツ人を含むのだ)。
 
「暫定」ということの意味は、「占領」期間に限ってという意味ではなく、将来東西のドイツが統一するまでの「暫定
」、という意味なのだ(首都もフランクフルトにすると永続的印象を与えかねないということであえて小都市・ボンが選ばれた)。
 たしかに1949年9月の西独=ドイツ連邦共和国発足前の「占領」中の同年5月に「ボン基本法」(「ドイツ連邦共和国のための基本法律」)は制定・施行されているが、僅か4ケ月というタイムラグを考えても、「ボン基本法」は西独という一国家にとっての正式の憲法的意味あいを持つ法(正確には特別の性格をもつ法律)として施行されたのであり、西独の発足時にいったん「無効」とされたりはしていない。占領中に施行された憲法(・基本法)が無効なら、その改正も全て「無効」となる筈だが、西ドイツは頻繁に「ボン基本法」を改正してきた。
 従って、西ドイツの例は、日本国憲法「無効」論のために有利には利用できない。
 (なお、東独を吸収・統一して統一国家のための新「憲法」制定となるのかと思ったが、現実的発想というべきか、「ボン基本法」の一条項を利用して東独を併合し、むろん多少の改正をしたうえで「ボン基本法」(正式名称は上記)の名称を改めることなくそのまま旧東ドイツ領域にも適用している。)
 ところで、過日、日本国憲法「無効」論に多少の疑問を示す文章を書いたら、すみやかに「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)と色付きで大書した一頁をもつブログ等がTBで貼り付けられた。「ドアホ!」という大きな字を見るのは不快なのでTB不許可の設定にしたら、今度は、同じハンドルネームの人から<TB不許可か、「よくやるね」>とのコメントが送られてきた。
 これも気持ちが悪いので、もっぱらこの人に対する防御を目的として、今のところTBもコメントも不許可にしている。どうかご容赦願いたい
 小山常実は上の著で、「党派を問わず、「日本国憲法」を憲法と認められない全ての方には、…加わっていただきたい」と書いておられる(p.161)。
 私は小山の二つの本を所持し部分的には読み、渡部昇一=南出喜久治の共著も(未読だが)所持している。珍しい、奇特な人間の一人ではないかと思っているが、「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)との色付きの大きな字等を貼り付けるなどというのは(色は忘れたし、確認する気もない)、支持者を増やすのを却って妨げることになるのではなかろうか。
 議論は好んでするが、従うか・従わないかと詰問されるような雰囲気は、好みではない。

0110/保守すべき日本の<歴史や文化や習慣>とは具体的には何か。

 産経5/1のコラム欄で河村直哉が「保守」について、「保ち守るべきものは歴史や文化や習慣に根ざした日本という国のたたずまいだと、まずは確認したい」と述べている。
 こうした理解に反対する気はない。だが-このコラムの主題ではないのだが-、問題なのは、<歴史や文化や習慣に根ざした日本という国のたたずまい>とは具体的に一体いかなるものを意味するのか、だと思うのだ。
 あるいは常識的には、戦前にあり戦後に失われてしまった、又は失われつつある日本的な<精神>又は<道徳規範>といったものを含むのかもしれない。
 しかし、戦後すでに60年以上経過した。前回使った語をここでも用いれば、戦後の<平等・民主主義・平和・無国籍>教育のもとで培われてきた平等観・民主主義観・平和(戦争)観・国家観等は、すでに多くの日本人にとっての「歴史や文化や習慣」として根付いてきている、あるいは「歴史や文化や習慣」の重要な部分そのものになってきている、と言えないだろうか。
 そういう現象を肯定しているのではない。むしろそういう現象に伴う日本国家の「溶解」を強く危惧している。ただ、60年も経過すれば、すでに既成事実として、新しい「歴史」等が発生してしまっているのではないか、と言いたいのだ。
 結局のところ、「保守」主義という考え方において「保守」すべきものは具体的には一体何か、という問題に立ち戻る必要がある。
 冒頭に言及したコラムにおける「保守」の反米と親米の区別(あるいはその相対化)の関係でいえば、抽象的だが、何らかの日本的価値の「保守」(そのためには国家としての「自立」が相当程度の前提になる)と現在のスーパーパワー・米国との関係を(その中にはまず軍事問題が含まれ、その次が経済問題かと思える)どう折り合わせるかという問題だと思われる。そして、二項対立的な議論によって決せられるものではなく、様々のバリエーションの中から、そのときどきの条件・事情のもとでいずれかの「中間」的な選択がなされるのだろう。

0096/渡部昇一は日本国憲法改正に反対している!

 渡部昇一(1930-)という人は不思議な人だ。つい前回、2001年の本では、日本国憲法の三大原則を守ってより良くする改正を、と発言していた、と書いた。
 月刊WiLL(ワック)の2007年6月号の彼の戦後史連載講座5回目は日本国憲法を扱っているが、そのタイトルは「新憲法は「占領政策基本法」だ」で、次のように書く(p.239)。
 「日本国憲法は条約憲法で、ふつうの憲法ではない…。正確に言えば、占領政策基本法でしょう」。/「日本政府は独立回復時に日本国憲法を失効とし、…ふつうの憲法の制定か、明治憲法の改正をしなければならなかった。日本国憲法をずるずると崇め、またそれを改正していくということをすべきではないのです」。
 渡部氏は最近、南出喜久治という人との共著・日本国憲法無効論(ビジネス社、2007.04)を刊行している(私は未読)。この南出の影響を受けたのか、上で語られているのは、明らかに日本国憲法改正反対論だ。十分に丁寧には説明していないが、有効な憲法ではなく占領政策基本法にすぎないのだから、それを改正しても憲法改正にはならない、「日本国憲法」が有効な憲法とのウソを更に上塗りすることになる、という趣旨だろう。
 渡部昇一という人は「保守派」の著名な論客だが、対談する、又は一緒に仕事をする人の考え方の影響を受けやすいのだろうか。今頃は改憲の主張を頻繁にしている方がむしろ自然に思えるのに、何と、日本国憲法無効論の影響をうけて(であろう)、2001年の本とは逆に、改憲に反対しているのだ。2001年の本以外にも彼は、現憲法9条2項の改正を主張する等の論稿・発言をこれまで頻繁に公にしてきたのではなかったのか。
 考え方が変わる、ということはありうる。だが、70歳を過ぎて基本的な問題に関する考えを変えるとは珍しい。また、改憲に反対とは、そのかぎりで、渡部昇一という人は大江健三郎や佐高信と同意見であることを意味する。客観的には、大江や佐高、そして朝日新聞等々を喜ばせる主張を、彼は月刊WiLL誌上で行っているのだ。
 西尾幹二等と比べれば、軽い(噛みごたえの少ない)文章を書く人という印象はあったが、渡部はもはや、かなりの程度、信用できない人のグループに入りそうだ。
 ところで、渡部は、「すべての根元はこの〔八月革命説を唱えた〕宮沢俊義東大名誉教授とその門下生です。病的な平和論者に芦部信喜東京大学教授、樋口陽一名誉教授がいます」と書き、「百地章さんや西修さん」は「まっとうな憲法学者」だとする(p.243、p.244)。
 渡部がじっくりと各氏の(論文は勿論)教科書類を読んだとは思えないのだが、とくに前半は、はたして、どなたから得た情報又は知識だろうか(なお、上半分のうち、宮沢、芦部両氏は故人の筈で、肩書きに一貫性がない。これは、潮匡人・憲法九条は諸悪の根源p.252-3を参照したからではないか、と推測する)。

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