秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

保守

0829/屋山太郎は大局を観ていない。これが「保守」評論家か。

 一 屋山太郎の発言を記録に残しておく。
 8/30総選挙の投票日前、産経新聞8/27付「正論」で次のように書いた。
 ①「今回の総選挙の意義は官僚が政治を主導してきた『官僚内閣制』から、政治家が政治を主導する『議会制民主主義』に変われるかどうかに尽きる」。「…より熱心に脱官僚政治、天下りの根絶を主張している民主党が政権をとったときの方が期待できる、と私は考えていた」。「民主党の掲げる政策をあげつらえば、外交・安保も含めて内政面でも多々ある。しかし肝要なことは日本が先ず議会制民主主義の本道に立つことである」。
 同じく投票日直前発行の月刊WiLL10月号(ワック)p.24-25でこう書いた。
 ②「今回の選挙の最大のテーマはこれまでの官僚内閣制をやめて、正真正銘の議院内閣制を確立できるかどうかである。重ねていうが、官僚内閣制の存続を許すかどうか、議院内閣制を選ぶかの『体制選挙』なのである」。「『体制選択』のバロメーターは『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心かである」。
 民主党政権成立後の産経新聞9/17付「正論」欄でこう書いた。
 ③「民主党政権誕生によって、明治以来続いてきた『官僚内閣制』がいよいよ終わろうとしている。官僚内閣制は官僚が良かれと思う政治が行われることで、民意を反映した民主主義とは根本的に異なる。民意を汲み上げることを日本ではポピュリズムと非難する。しかし民意とほとんど無関係に政治が行われていることを国民が実感したからこそ、自民大敗、民主圧勝の答えを出したのではないか」。「民主党の『官僚内閣制』から『議会制民主主義』へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている」。「日本の民主主義は官僚にスポイルされていたのだ」。
 同じく、月刊WiLL12月号(ワック)p.22-23でこう書く。
 ④「鳩山政権誕生とともに…事務次官等会議が廃廃止された」。「明治の『官僚内閣制』を象徴するシステム」の存続は「日本は純然たる民主主義国ではなかったこと」を意味する。「自民党支持者のほとんどはそもそも国家経営の基本が間違っているという自覚がなかった。大衆は賢明だったというべきだ」。
 

 二 屋山は、総選挙の最大争点は(平たくは)「『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心か」だと書き、あるいは「官僚内閣制」か「議会制民主主義」かだ、と主張してきた。そして、民主党勝利・民主党政権誕生を歓迎し又は当然視し、「大衆は賢明だったというべきだ」とする。
 この近視眼的な争点設定・評価に対する批判はすでに書いた。
 あらためて別の書き方をすると、第一に、この人は、「政治」の一端には詳しくても<政治思想・哲学>・<社会・経済思想>に関する教養・知識は乏しいのではないか。第二に、そもそも、コミュニズム(共産主義・社会主義)あるいは中国・北朝鮮(の存在)をどう評価しているのか、不明だ。そして、第三に、この人が現在目指す最大の価値は「民主主義」になっていると見られる。それでよいのか。
 屋山において、価値序列、重要性の度合いの判断に誤りがある、と感じる。
 屋山は、だが、こう書いていた。-「民主党の掲げる政策をあげつらえば、外交・安保も含めて内政面でも多々ある。しかし肝要なことは日本が先ず議会制民主主義の本道に立つことである」。
 民主党の政策には「外交・安保」等々多くの問題があるが、最優先されるべきは、「議会制民主主義」の確立だ、と言うのだ。
 以下、この点に論及する。
 三 民主党(政権)が自民党(政権)と異なり、「議会制民主主義」の確立に向かう、と観るのは、幻想だと思われる。
 第一。この概念は議会(国会)と政治・行政の関係に関するものだ。したがって、<政治・行政>の内部でいかに「政治(家)主導=官僚排除」となっても、それは議会制民主主義の基本問題ではない。副大臣・政務官は、国会議員が同時に広義の<行政官僚>になった、と理解すべきものだ。 
 「政治(家)主導=官僚排除」と<議会制民主主義>の確立・充実は同義ではない
 第二。民主党政権下における<議会制民主主義>の軽視・無視の徴候はすでに見られる。
 ①「議員立法」を(民主党議員については)廃止するとか。これは、憲法に違反すると解される。
 ②衆議院では(参議院でも)民主党は政府に対する「代表質問」をしなかった(参議院では与党社民党の質問はあった)。これは、政治・行政(=広義の「行政)」の中に民主党議員(政治家)が入っているので無意味という趣旨なのだろうが、国会と政府(政治・行政)間の良好な緊張関係をなくすもので、国会軽視だと考えられる。
 その他、<議会制民主主義>の問題ではなく、「政治(家)主導=官僚排除(脱官僚)」の問題だが、次の現象も―周知のとおり―生じている。
 すなわち、屋山太郎は争点は「『天下り』『渡り』禁止にどれくらい熱心か」だと説いたが、日本郵政(株)の社長人事は、「天下り」した元(財務省)官僚の「渡り」そのものではないか
 屋山に問いたいものだ。
 ①「天下り」・「渡り」禁止は退官後いつまで通用するのか。まだ5年では禁止され、15年経っているともう適用されないのか?
 ②退官後の期間の長短にかかわらず「有能」で「適材適所」ならよいのか。客観的資料(報道)を引用できないが、鳩山由紀夫(首相)か平野博文(内閣官房長官)は「民主党の政策を支持する(=~に服従する)」元官僚ならばよい、とも述べていた。これでは、せっかくの<「天下り」・「渡り」禁止>も泣く。実質的な基本政策放棄だろう。
 ③日本郵政(株)はかつての公社・公団等、今日の独立行政法人等々に比べて<公的>性格の弱い会社だから、今回の人事は許されるのか? だが、民営化方針を見直し、今後は<公的>性格を高めるというのだから、この理由は成立し難いのではないか。
 おそらくは、屋山太郎の期待・願望に反する事態がこれからも発生してくるだろう。
 <「天下り」・「渡り」禁止>問題自体になお議論すべき余地があるが、この問題はいずれにせよ、まだマイナーな問題だ。
 四 民主党政権下で生じそうなのは、<議会制民主主義>の確立・充実ではなく、国会と政府の一体化、つまりは、ますますの<行政国家>化ではないかと思われる。「行政国家」概念を屋山が知らなければ、政治学・行政学の辞典・教科書でも参照されたい。この現象は、(あいまいな言葉だが)民主党(小沢?)「独裁」につながっていく可能性がある。
 あるいは、鳩山由紀夫(首相)は<市民参加>を肯定的に評価し、推進したい旨を喋っているが、これは議院内閣制=議会制民主主義=代表制民主主義とは矛盾しうる、<直接民主主義>の要素の拡大を肯定することでもある。
 かりに<議会制民主主義>に論点を絞るとしてすら、屋山太郎は大局を観ていない。

0818/<左翼・売国>政権の成立と<保守>系メディア・論者等。

 一 2009年8月末総選挙の結果は、産経新聞、月刊正論(産経)、月刊WiLL(ワック)等々の<保守>系と見られているマスメディアがいかに<大衆的>影響力を持っていないか、を如実に明らかにした、と思われる。
 産経新聞200万程度の発行部数では、あるいは遙かにそれを下回る発行部数の雑誌等では、民主党に300議席超を与えるような有権者の投票行動を阻止できなかったわけだ。
 だが、<保守>系メディアはいちおうは民主党批判で一致していたとしても、<自民党へ>の投票行動を促すこととなるような報道や論調であったかというと、そうとは必ずしも言えないだろう。
 国家基本問題研究所の理事である屋山太郎がむしろ民主党支持の文章を産経新聞に掲載していたのはかりに極めて例外的であるとしても、選挙前の<保守>系メディアにおいても自民党批判はけっこう見られた。
 麻生太郎前首相・内閣が<集団的自衛権行使>の容認に踏み切らなかったこと、靖国神社参拝をしなかったこと等は、<保守>系メディアや<保守>系論者・評論家等によって批判されてもいた。
 選挙前ではないが、昨秋に田母神俊雄論文問題が発生したとき、<保守>系メディア・論者・評論家等の論調は分かれた。
 麻生太郎前首相・内閣の側を批判する者もいたが、明確に立場表明しない者や産経新聞上ですらむしろ田母神俊雄を批判する(論文内容そのものの他に発表方法等も含めて)者もいた。
 櫻井よしこが理事長である国家基本問題研究所は田母神を擁護するか否かの立場を明確にしなかった、と記憶する。そして、もっぱら、(田母神批判者側が用いた)<文民統制>という概念の用法・理解を問題にしていた。
 二 やや脇にそれたが、<保守>系メディア・論者・評論家等において<自民党(中心)政権>に対する評価は必ずしも一致していないことがあり、かつ、問題によっては強く麻生・自民党(中心)政権を批判する論調もあった。
 麻生・自民党(中心)政権は、朝日新聞を先頭とする<左派>からはもちろん、<保守>の側からも批判されていたのだ。あるいは少なくとも、<保守>系メディア・論者・評論家等は積極的に自民党を支持し、同党への投票行為を促すような発言をすることに、かなり又はきわめて消極的だった、と言えるだろう。
 これでは自民党が勝てるわけがない。民主党が大勝利して当然の事前の、<保守>系メディアを含めての、マスメディアの雰囲気だっただろう。簡単にいうと、自民党は<左>からも<右>からも批判されたのだ。<右>からも、かなりの程度は見放されたのだ。
 産経新聞を含む<保守>系メディア・論者・評論家等の記事や発言があったからこそ、民主党は308にとどまり、自民党は100以上の議席を確保できた、という見方もあるだろう(なお、今回のこの文章では、冒頭から、候補者個人の個性・能力・知名度等の問題は度外視している)。
 だが、自民党の100以上の議席の多くが<保守>系メディア等の力によるとはおそらく言えないだろう。
 むしろ、朝日新聞等の<左派>系メディア等の影響を何ら受けないで投票行動をしたという有権者がまだある程度はいた、ということであり、産経新聞や月刊正論・月刊WiLLの力はごく僅かにすぎないのではなかろうか。
 明瞭であるのは、産経新聞等ではかりに<社会>動向のポイントを他新聞よりも正確に認識できても、その<社会>動向を一般国民がどう認識し評価しているかは、ほとんど分からない、ということだ。むろん、<世論>の大勢や時代の「空気」・「風」など気にする必要はないとして、超然としていることはできるし、そのような態度を非難することはできないだろうとしても。
  三 選挙で投票をするからには、絶対的に理想的な政党がある筈はなく、相対的に<よりましな>・<より悪くない>政党を選択するしかなかった、と思われる。
 その意味ではいかに「正論」ではあっても、とくに選挙前に<よりましな>・<より悪くない>政党を批判することがどういう実際的・政治的効果をもつかを<保守>系メディア・論者・評論家等は考慮すべきだった、と思われる。
 真っ当な「保守」言論家として正しく自民党・麻生内閣を批判した、というだけで済ませてはいけないのではないか。
 国家基本問題研究所は今年8/05に講演会・月例会を開催しているが(以下も含めて同研究所のウェブサイトによる)、民主党に対する批判がより強いが、自民党批判も当然に見られる。
 櫻井よしこはシンポ全体の最後で、「民主党は…。国家とは何かをわきまえていません。自民党もわきまえていないが、より悪くない方を選ぶしかないのかもしれません」と発言し、これが最後の言葉になっている。
 屋山太郎等を理事に抱える同研究所の理事長たる立場もあるのかもしれないが、「より悪くない方を選ぶしかないのかもしれません」では、あまりにも弱いメッセージだろう。「より悪くない方を選ぶしかありません。従って、(問題はありますが)自民党を選びましょう」となぜ発言できなかったのか。
 櫻井よしこに限られるわけではないが、民主党内閣の成立可能性を低く見ていたのだろうか。そうだとすると少なくとも結果としては、その判断は甘かった。
 あるいは、これも櫻井よしこに限らない<保守>系メディア・論者・評論家等についていえることだが、民主党内閣ができてもさほど「左翼的(>容共的)」政策を実現しようとはしないだろうとでも考えていたのだろうか。かりにそうだとすると、その判断も甘い。
 実際には民主党(中心)政権が成立し「左翼的(>容共的」政策を実施しようとしているし、すでに実施しているものもある。
 今さら、もう少し自民党に肩入れしておけば、と思っても、もう遅い
 <左翼・売国>政権の成立を、<保守>系メディア・論者・評論家等は深刻に受け止めるべきだ。そして、自分たちの<大衆的>影響力の乏しさについても、深刻に自覚すべきだ。
 四 櫻井よしこは、産経新聞10/08の一面の文章の冒頭でこう書いている。
 「…鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」。
 なんと、すでに10月になって、文字通りには、「期待」を50%もち、「懸念」を50%もつ、と言っているのだ。
 「期待」 は「…官僚制度を、本来の国益追求に向かわせるための立て直し」だ、という。
 屋山太郎の影響を受けすぎているのではないか。「懸念は、外交、国防政策全般に及ぶ」らしいが、「外交、国防政策全般」が「本来の国益追求に」向かう「官僚制度」によって支えられればかなり問題は少なくなるのであり、上の二つは決して異なる次元の問題ではないのではないか。
 民主党(・社民党等)の政治(家)主導によって、「官僚制度」が「本来の国益追求に向かわ」ないことこそ深刻に心配・懸念しなければならないのではないか。
 かりに10年後、20年後に「本来の国益追求に」向かう「官僚制度」ができ上がった、としよう(1年やそこらで「官僚制度」が大変換するとは考えられない)。しかし、10年後、20年後までに日本国家そのものがさらに「左翼」化し、親中どころか屈中・隷中になり、「人権擁護」委員会が例えば中国人・韓国人批判の言論を<民族差別的>(「東アジア共同体」構想の理念に反する)として抑圧し、発言者を取り調べ<糾弾し>・<反省を求める>ような決定・勧告文書を発するような国家になっていたら、いったいどうなるのか。
 「外交、国防政策全般」に懸念をもちつつ、一方で「本来の国益追求に」向かうための「官僚制度」の立て直しに期待する、というのは、じつは矛盾した、論理整合性を欠く文章・論述なのだ。
 既述のように「外交、国防政策全般」等の具体的政策内容をまず第一に問題にすべきであり、公務員(官僚)制度改革うんぬんは、そうした政策内容実施のためのシステム・手段にすぎない。
 前者が悪くて、後者はよい、ということはあり得ない。
 むろん櫻井よしこが「本意」をそのまま書いて書いているとは限らないが、<保守>言論人が民主党(中心)政権に幻想をもっていると解さざるを得ない文章を公にしているとは、ますます日本の将来が思いやられる。じつに、泣きたいほどに、深刻な事態だ。
 五 ついでに書いておくが、自民党を全面的に、あるいは70%以上も、支持はしていない。田母神俊雄の「言論の自由」を石破茂や麻生太郎が守ろうとしなかったことには大いに失望したし、谷垣禎一や河野太郎あたりしか総裁選挙に出てこないようでは、この政党に未来はあるのだろうか、と感じてもいる。
 せめて80議席をもつのでよいから、自民党が壊れてもきちんとした<保守>政党ができればよいとも思っている(本当は民主党主導の憲法改正を避けるために、1/3以上の180(総議席数が民主党案のとおり400になると134)議席が欲しいが)。
 ともあれ、「正しい」ことは言った、しかし「負けた」、で済ませることはできないだろう。むろん、現実・実際がつねに「正しい」わけではまったくない。
 だが、日本共産党の選挙後のいつもの発言のごとく、「正しい」ことは主張した、しかし力足らずで現実にはほとんど受け容れられなかった、と釈明し、狭い空間に閉じ籠もっていてよいのかと、<保守>系メディア・論者・評論家たちには強く問いかけたいものだ。

0813/竹田恒泰は安易に「真正保守」と語ることなかれ。

 月刊正論11月号(産経新聞社)に竹田恒泰による渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP)の書評がある(p.332-3)。
 この本は未読だし、内容は問題にしない。だが、気になることがある。
 竹田恒泰は、渡部昇一・金美齢・八木秀次という三人の著者(対談者?)のこの本につき、「…真正保守の立場から緻密に検証を加えている」と書く(p.332)。
 「本書は、日本の保守はどのようにあるべきかの指針を与えてくれる」(p.333)というのは過大なリップサービスくらいに理解しておけばよいだろうが、<真正保守>という語を上のように簡単に用いるべきではない。
 竹田恒泰は自らを<真正保守>と考えている(又はそれを志向している)のかもしれないが、その前に、どこかで<真正保守>なるものの意味、似非・不真正の<保守>との違いを明瞭にしておいてもらいたいものだ。
 皇室に関するかつての議論からして、竹田は西尾幹二は<真正保守>だとは見なしていないかもしれない。
 では、三人の一人、八木秀次は<真正保守>なのか?、という疑問がある。八木秀次が<真正保守>であるとして、そのような者が、皇太子妃の宮中祭祀忌避を事実だと断定して(又は強く推定して)、そのことを理由として現皇太子の皇位就任適格を疑問視するような皇室典範の解釈を示したりするのだろうか。
 現皇太子妃を理由として現皇太子の皇位就任適格を疑う者が<真正保守>なのか?
 竹田恒泰は、八木秀次の<保守>論者としての底の浅さに気づいてもいないのではないか? 竹田恒泰のために、余計ながら、かついかほどの効果があるかも自信がないままに、ご助言申し上げる。
 なお、既述だが、渡部昇一がサンフランシスコ講和条約の一部の解釈につき、東京「裁判」ではなく「諸判決」だとまだ繰り返し主張しているのは(櫻井よしこもこれの影響を受けている)、「遵守」対象批判としては必ずしも的確ではなく、有効性に欠ける(なお、文献または記事を明記できないが、坂元一哉も何かの文章の中で私と同様に「裁判」か「諸判決」かの違いを軽視-または無視-していた)。
 また、渡部昇一は日本国憲法「無効」論の影響をうけ、それを支持しているようでもある。
 かりに渡部昇一が<真正保守>だとしても(私はこの人のものを多数は読んでいない)、そのことが、この人のすべての主張・見解の正しさ・適確さを保障するものでは全くない。念のため。

0737/自由社・日本人の歴史教科書(2009)を一瞥-「市民革命」・「全体主義」。

 藤岡信勝編集代表・日本人の歴史教科書(自由社、2009.05)に収録されている最新版<新しい歴史教科書>(中学校用)の近現代部分を概読して、とりあえず印象に残ったことが二つあった。
 一つは、「市民革命」に関する叙述が、従来のもの、つまり私が学習した頃と何ら異ならないようであることだ。
 上の教科書では、17世紀後半から約100年間に欧州政治に新しい動きが起こったとし、イギリス、アメリカ、フランスについて述べたあとこう書く。「これら国々の政治の動きは、王や貴族の政治独占を認めず、人々が平等な市民(国民)として活動する社会をめざし、近代国家を生み出したので、市民革命とよばれている」(p.130、太字はママ。執筆者不明)。
 ここには「フランス革命」は「革命」ではなく支配層の中での権力の移動だった等々の<修正主義>の影響はない。のちのロシア革命(暴力革命)と共産党独裁につながるような「フランス革命」の一時期の<怖さ>、「フランス革命」の<影>の部分への言及又は示唆もない(のちのロシア革命についてはある)。
 アメリカの独立と合邦との間の理念の違いへの言及もなく、アメリカ「革命」とフランス「革命」が異なる性質のものだったとの言及・示唆もない。
 「市民革命」の「市民」の意味の詳しい説明はない。また、上の三国にのみ「市民革命」は起こったのか(そうだとすれば何故か)、他の国々も「市民革命」はあったのか=普遍的なのか(そうだとすれば、例えばドイツ・イタリア・日本はいつが「市民革命」だったのか)、といった疑問に答えてくれるところはなさそうだ。
 中学生用の簡潔な叙述なので、やむをえない、と言えるのだろうか。少なくとも、イギリス、アメリカ、フランスを例として「市民革命」を語るのは、何ら「新しい」ものではなく、かつ従来のマルクス主義的歴史学による理解・叙述と何ら矛盾していない。
 もう一つは、欧州で生まれた二つの政治思想が1920~30年代に台頭して世界に広まったとし、その二つとして①「共産主義」と②「ファシズム」を挙げて、「どちらも全体主義の一種」だと明記していることだ。その部分の項の見出しは「二つの全体主義」で、左欄には「20世紀の歴史を動かした共産主義とファシズムにはどのような特徴と共通点があったのだろうか」という文章もある(p.192)。
 このように①「共産主義」と②「ファシズム」が同種のものとして明記されていることに、よい意味で驚いた。かかる理解は、必ずしも日本人の「通念」になっているとは思えないからだ。
 かつて民社党は左翼全体主義(=共産主義)・右翼全体主義(=ファシズム)という言い方をしていたと思われる。だが、日本の戦後「思想」界・「歴史学」界等々で、かかる理解は少数派ではなかったかと思われる。
 外国では、ハイエクやハンナ・アレントなど、「共産主義」と「ファシズム(とくにナチズム)」を同列のものと扱う傾向が日本におけるよりも強かっただろう。
 日本では、例えば丸山真男は(あるいは「戦後民主主義」者のほとんど全てが)「民主主義」と「ファシズム(・日本軍国主義)」を対置させたが、その際、「民主主義」の中に、「人民民主主義」という言葉が今でも残るように、「民主主義」の徹底した形態又は発展形態としての「社会主義(・共産主義)」を含めていたように解される。
 そのような日本の戦後<進歩的文化人>にとって、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」が「どちらも全体主義の一種」などという理解は耐えられるものではなく、「全体主義」という語を使うとしても、「ファシズム(・日本軍国主義)」のみを意味させたものと思われる。
 そして、彼らにとっては、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」は両極にあって対立しているものであった。後者の<復活の阻止>こそが最大目標だった(そして「民主主義」の擁護・徹底による日本の「社会主義(・共産主義)」化こそが<隠された>目標だった)のだ。
 丸山真男に対して、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」のどちらを選ぶかという<究極の>選択を要求すれば、丸山真男は間違いなく後者ではなく前者を選んだと思われる。丸山には、「社会主義(・共産主義)」も「ファシズム(・日本軍国主義)」も<同じ全体主義>などという考えは、露も浮かばなかったのではないか。
 「民主主義」対「ファシズム(・日本軍国主義)」というあの戦争の把握の仕方はアメリカ・GHQのものであり、丸山真男および戦後<進歩的文化人>は占領期当初のアメリカ・GHQの「歴史認識」あるいは<パラダイム>に少なくとも客観的には<迎合>していたと考えられるが、この点は別の回でもあらためて触れる。
 ともあれ、「二つの全体主義」とかつて学習した記憶はなく、「新し」さを感じさせた。これで教科書検定を合格するのだから、決して悪い方向にばかり動いてはいない、という感もする。
 ところで、上掲書には教科書部分のほか、寛仁親王殿下のほかに、櫻井よしこ・加瀬英明・高山正之・黄文雄・西尾幹二・中西輝政・石平等々の15名の2頁ずつの文章を収載している。
 <新しい教科書をつくる会>分裂騒ぎに関する知識も大きな関心もないが、「自由社」版の他に産経新聞社グループの「扶桑社」の子会社「育鵬社」版の、殆んどか全くか同じの教科書も刊行されているらしい。
 上の15名の名前を見ていると、八木秀次、渡部昇一、岡崎久彦あたりの名前がないことに気づく。西尾幹二と八木秀次の間に確執があるのは知っているので、どうやら八木秀次らが「育鵬社」グループらしい(屋山太郎は?)。
 だが、15名の名前の連なりはなかなか重厚だ。いわゆる<保守派>というのがあるとすれば、八木秀次らのグループはその中の少数派なのではないか。そうだとすると、八木秀次と渡部昇一の二人への信頼度は私には相対的には上の15名の平均よりずっと低いので、悪い印象ではない。些末なことながら。

0716/西尾幹二「日本の分水嶺―危機に立つ保守」(月刊正論6月号)を読む-1。

 月刊正論6月号(産経)の西尾幹二「日本の分水嶺―危機に立つ保守」(p.96-)は、NHKスベシャル「JAPANデビュー/第一回」にもさっそく言及している。
 具体的批判内容はともあれ、西尾のユニークなのは、こんな番組が罷り通る<背景>を洞察していることだ(とりあえず結論的にはp.101-2)。
 少し遡れば(p.100-1)、NHKの中枢にはどういう人物がいて「何が起こっているの」か、と西尾は問い、「共産主義イデオロギー」になおしがみつく者たちと「今の時局に便乗し、中国のために(あるいはアメリカのために)日本を押さえ込む再占領政策を意識的に」推進せんとする者たちの二種が「重なり合い、不分明に混ざり合っているケースが考えられ」る、とする。
 前者は日本(資本主義・自由主義)「国家」を敵視し、貶めて弱体化を目指すので、もともと後者と共通する基盤があると言える。そして西尾も言うように、「自国破壊に道徳感や清浄感」を覚える「不思議な心理」に陥っている者たちは、朝日新聞・NHKに限らず、「官界にも、司法界にも、学界や教育界にも、いたる処に蟠踞している」(p.101)。
 だが、と西尾は続ける。中核は「共産主義イデオロギー」で、欧米では共産主義と「何度かに分けて…ケジメをつけて」きたにもかかわらず、日本では、大学のマルクス主義系歴史や経済学や哲学の教授たちは九〇年代前半こそ「穏和しく」していたが、その後は「環境学だの平和学など女性学だのといった新分野の衣装を纏って」、政府審議会委員等になったり大学人事を占拠している。かかる状態等を「マスメディア」が問題にすることはない。「メディアを支配しているのは依然として旧党員、ないしはそのシンパだから」だ。
 以上のことに、全くと言ってよいほど異論はない(他分野ほどは目立たないかもしれないが、歴史学・経済学・哲学のほかにマルクス主義系「教育学」と「法学」も加えてよい)。日本は、(日本人が何かと参考にしたがる)欧米に比べて、「共産主義イデオロギー」が占める比重が<異様に>大きいのだ。NHKの最近の問題番組もかかる状況の中に位置づけうる。

 このあとの西尾の指摘が、まずは興味深い。
 「あからさまウソ」を「ためらいなく」放送するNHKの「自信は何か」。田母神俊雄論文問題で月刊WiLLと月刊正論を除く「すべての言論界を蔽った同一音調」=「田母神叩き」は、「どこかに司令塔があるのではと思わせるほど不自然」で「言論ファシズムの匂い」がある。「ウソを声高に語るNHKの今度のシリーズ」にも「同じ匂い」がある(p.101-2)。
 とりあえずは、<鋭い嗅覚>と言うべきではないか。
 だが、「どこかに司令塔があるのではと思わせる」という関心から導かれる最終的な西尾の推測は、考えさせはするものの、はてはてという感じで、なおも説得力が十分ではない。
 西尾の推測に至る論述はこうだ(p.102-3)。
 1.東欧の「自由化」と全く同様のことは東アジアでは起こらず、親中(・親韓)派はむしろ強く生き延び、「教科書、拉致、靖国のいわば歴史問題」は解決していない。「南京、慰安婦、竹島、尖閣、チベット、核問題」も加えて、困難の度は増している。
 2.安倍晋三首相は中国・韓国、とくに前者との「関係修復」を率先したが、「どこか外から(恐らく米国と中国の両方から、そして日本の財界から)強い要請を受けて企てられた気配」がある。2007年4月に靖国参拝を済ませていたが、「不思議なのは中国が騒がなかったこと」だ。その後の福田・麻生首相も「民族問題にはほぼ完全に背を向け、安倍氏の敷いた路線」を歩んでいる。
 3.安倍も麻生も「村山談話や河野談話」を振り捨てられないのは、「米中」による「再占領政策」の「轍の中にはめこまれて」しまったからだ。NHKのスペシャル番組は、見事に、「米国と中国という旧戦勝国の要請に応え」、日本国民にあらためて「罪の意識」を植え付けようとしている。
 つぎが、結論的推測。
 4.上の米中の「再占領」政策の「大筋に日本で最初に着手したのは安倍晋三」。「背後で支えているのは恐らく…中曽根康弘」。NHKは「必ずしも左翼だけ」ではなく、「日本の保守の方針」に忠実
でもあるのだろう。
 こう書かれると、<左翼>・<保守>の概念もますます混乱してくる。結局は、日本のかつての<保守>は「左翼」化して「民族」問題を放棄し=ナショナリストでなくなり、「米中」による「再占領政策」に追随している、という趣旨なのだろう。そして、その文脈の中で、安倍晋三、(福田、麻生、そして)中曽根康弘の名前が出てくる。
 上記のとおり、この推測は俄には納得し難い。安倍晋三は<戦後レジームからの脱却>を掲げ、(対中は勿論)対米「自立」を目指したのではなかったのだろうか。むしろ、その点は、アメリカ(の少なくとも一部)に警戒感を与えたのではなかったのだろうか。そのかぎりで、アメリカは、渡辺恒雄=読売新聞もそうだったと勝手に推測しているが、2007年参院選での安倍晋三=自民党の<後退>をむしろ望んでいたとも推測される。そのかぎりでは、心情的には朝日新聞と同様の立場にあったアメリカの有力政治家・学者もいたと思われるのだが。
 というわけで、西尾幹二の主張は真面目に考えると、じつに大きな問題提起・論争提起だ。だが、繰り返すが、あれあれ、はてはて、ととりあえずは感じる他はない。
 上記の西尾幹二論考は、ご成婚50年会見の際の天皇(・皇后)陛下のご発言に関連して、八木秀次とは異なる、将来の天皇(・皇室)制度論にも言及している。別の回にしよう。

0670/櫻田淳は「真正保守」主義者か?等。

 〇一週間前に出した名前の小牧薫、高嶋伸欣でネット検索してみると、この二人がただの某裁判支援事務局長、名誉教授ではないことがよくわかった。逐一資料は挙げないが、れっきとした「左翼」組織員だ。日本共産党員である可能性もある。小牧薫は大江健三郎の本につき、「一定の」批判はある、と発言していたが、この「一定」(ある程度又はある側面)という表現の仕方は、日本共産党活動家に特有なものだ。あるいは、「左翼」活動家に広く使われている独特の表現方法・語彙の使い方かもしれない。
 〇産経新聞3/02の「正論」欄で、大原康男「保守派は『正念場』を迎えた」と書いている。
 政権交代が現実味を帯びており、民主党中心政権が誕生すると、①選択的夫婦別姓法案、②「戦時性的強制被害者問題解決」法案、③<定住外国人への地方参政権付与>法案、④<靖国神社に代わる国立追悼施設設置>法案などが成立する可能性がある。「保守派はこれまでにない難局に直面し、まさに正念場を迎えることになるだろう」。……
 そして大原は言う。-政治家だけではなく「民間の実力・器量も問われる」、「…党派を超えて真正保守の政と民が今まで以上に緊密かつ強力な戦線を構築することが望まれる」。
 大原に積極的に反対するつもりはないし、むしろきっとそうだろうとは思う。だがやはり、上の「真正保守」とはどういう考え方又はそれにもとづく団体・組織なのかは、不明瞭なままだろう。
 同じく産経新聞「正論」欄に登場し、「保守」派らしい月刊諸君!4月号(文藝春秋)に「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」を書いている櫻田淳は自らを「保守」主義者だと疑っていないようだが、大原のいう(いや誰が言ってもよい)「真正保守」の立場にあるのだろうか。
 櫻田によると、現在「保守」言論は「敗北」し、それは自らの「堕落」の帰結だ。櫻田は必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない「福祉価値」と「威信価値」の二つを持ち出して、昨今の「保守・右翼」言説の特徴は後者の価値への「過度の傾斜」だとし、例として(日本)核武装論を挙げる。そして、この論は「核」廃絶による平和実現を説いた昔日の「進歩・左翼」言説と「何ら質的な差を見出せない」とする(諸君!4月号p.46-48)。
 さらに注目されることには又は驚かされることには、次のようにも言う。
 「村山談話」は、「現時点では日本の国益に資する『盾』や『共感の縁』としての効果を持つに至っていると評価している」。「村山談話」を、2005.04に小泉純一郎首相はバンドン演説で「対日批判」に対する「盾」として転用し、その演説は中韓以外のアジア・アフリカ諸国との「共感の縁」としても作用した(p.48-49)。
 こうした櫻田の主張は「保守」ではないのではないか。「盾」として転用せざるを得なかった?中韓の「反日」姿勢に対する批判的・警戒的な言葉はどこにもない。
 櫻田はつぎのようにも言う。-「村山談話」発表が世界での日本の「声望」への著しい害悪を及ぼしたのならば再考・破棄を提起したいが、「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」(p.50)。
 かかる認識もまた(「保守派」としては)異様なのではないか。「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」などと暢気に言っておれる神経が理解できない。また、論理的には、<日本の「声望」への著しい害悪>があったか否かが第一次的に重要なのではなく、「村山談話」の内容そのものの適否こそをまずは問題にしなければならないのではないか。
 櫻田は「保守・右翼」知識層の言説に種々の状況判断をふまえての<政治性>を求めているようだ。かかる姿勢は、不可避的に現状追認、過度の?摩擦・軋轢の回避の方向に親和的だ。それは、どこかで誰かが、あるいは広く朝日新聞等の「左翼」も含めて主張している、対中国・対韓国(・北朝鮮)関係は<できるだけ穏便に>・<不必要に刺激しないように>という、首を出すのを恐れるかたつむりか亀のような意識・神経をもて、という主張に近いように思われる。
 櫻田によると、高坂正嶤やかつての自民党は「福祉価値」を重視し、それの着実な充足によって多くの日本人の支持を得た。戦後生まれの者が三島由紀夫や福田恆存のように戦前の「古き良き」日本を思慕するのならば、それは「共産主義」社会を夢想した「進歩・左翼」の観念論に似た趣きをもつ。この「観念論の趣きこそが」、「保守」言論の「堕落」を招いている一因だ(p.51-53)。
 紹介は面倒なのでこのくらいにしたいが、まず第一に、「必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない」とすでに上で記したが、櫻田が何やら新味を提出していると思っているらしい「福祉価値」と「威信価値」の区別は、多少の説明はあるが、また別の本か何かで書いているのかもしれないが、その意味・重大性の程度がきわめて曖昧だ。
 第二に、櫻田は「保守・右翼」言論が「進歩・左翼」のごとき「観念論の趣き」を持つと批判しているが、櫻田淳のこの論考自体が、私がこれまで読んできた「保守・右翼」言論の多くよりもはるかに「観念論」的だ。要するに、観念・言葉の<遊び>が多すぎる。日本の現実、日本をとり巻く国際情勢の現実を、この人は<リアル>に見ているのか。それよりも、「保守・右翼」言論の<方法・観点>を批判してやろうという主観的意図(これを一概に批判するわけではない)を、優先させているとしか思えない。
 このような櫻田淳は「真正保守」か?
 月刊正論4月号(産経新聞社)には潮匡人の「リベラルな俗物たち」の連載が続いている(今回の対象は、保阪正康という「軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家」)。櫻田が「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」というときの「リベラル」と潮匡人の「リベラル」とは意味が違っているに違いない。違っていないとすれば、櫻田淳もまた客観的には「リベラルな俗物たち」の一人である可能性がある。
 「真正保守」・「リベラル」についての自らの見解を提示していないことは承知している。ただ<保守>論壇らしきものの危うさを懸念して、以上を書きたくなった。

0648/天皇・皇室論-サピオの小林よしのりと産経新聞の加地伸行。後者はヒドい。

 〇サピオ1/28号(小学館)の小林よしのり「天皇論」の第二回。
 とくに大きな異存はないし、美智子皇后陛下の失語症前後のいきさつなど、知らなかった情報もある。
 最後の方で、1300年以上続いた「天皇の伝統」の力に約200年の「近代合理主義」は到底及ばないとしたあと(p.81)、「奇妙」なのは「雅子妃は祭祀に熱心でないと非難する保守派の者たちが、祈りの奇跡を信じていない合理主義者であることだ」、「皇室にだけ非合理を要求する」な、という旨の言葉がある(p.82)。
 この辺りはややむつかしい。「雅子妃」批判者が「合理主義者」だということの意味と適切さは必ずしもよく分からないところがある。西尾幹二は「(近代)合理主義者」として皇太子殿下ご夫妻を批判しているのか?
 それに、「祈りの奇跡を信じていない合理主義者」という表現からすると、「非合理性」に充ちた<天皇制>の支持者は、「祈りの奇跡を信じ」る者たちだ、と主張しているようでもある。
 たしかに、昭和天皇に限らず、天皇には(合理的に説明できない)不思議な力があったに違いない(だからこそ、古代に<天皇制>が成立したとも言える。皇室の先祖・天照大御神=卑弥呼だと考えなくとも、古代の天皇たちは優れた祈祷者であった可能性も高い)。
 だが、私は<天皇制>支持者だが、「祈りの奇跡」を100%信じるものではない。明治以降でも各天皇は種々の<祈り>をされたはずだが、全てが叶った=実現したわけではないだろう。
 一方、私は、国家や国民のために<祈る>という心情・姿勢自体は強く肯定するものだ。天皇や皇族に限られない。非合理であっても(=合理的とは言えない)何かを<祈る>ことをする「日本人」の心を尊いと思う。<奇跡>が実際に生じなくとも、その発生を願って<祈る>心こそが美しいと思う。
 〇産経新聞1/06「正論」欄加地伸行論考。
 この人は、昨年の正論大賞受賞者だったと思うが、教授(立命館大学)・名誉教授(大阪大学)という肩書きを付けて、よくぞこんな奇妙な文章を書けたものだ。
 まず、西尾幹二に始まる「現在の皇室」についての「論争」の「詳細は十分には心得ないと自ら書いて(告白して)いる。そのような状況で、いかほどの内容の文章を書ける資格と能力があるのか。読者を馬鹿にするな、と言いたい。
 ①最後にこう書く-「陛下御不例が伝聞される今日、皇太子殿下の責任―<無>の世界の自覚が重要である。もしそれに耐えられないとすれば、残る道は潔い一つしかない」。
 皇位に就くことの辞退でも意味するのかと思ったら、続きの最後の一文は、「諫言者」が「七人有れば…天下を失わず」、だ。どうやら皇太子に対する多数の(七人の?)「諫言者」が必要、という趣旨らしい(この点自体も曖昧だが)。結果として、前半にも見られるが、西尾幹二に親近的な論考になっている。
 だが、そもそも(皇太子殿下が)「もしそれに耐えられないとすれば」という文章の意味と根拠は何なのだろう。加地のいう天皇の本質は<無>だというのが正しい又は適切だとして(この点を大した説明もなく折口信夫に依って簡単に断定しているのも気になるが)、皇太子殿下が「それに耐えられない」可能性のあることを十分に肯定している表現だ。
 そのような(現実的)可能性のあることの根拠を、加地は何一つ記していない。これで正論大賞受賞者、教授・名誉教授なのか。
 ②加地によると、西尾幹二に対する批判には次の二傾向がある。一つは「皇室無謬派(皇室は常に正しいとするいわゆるウヨク)」、二つは「皇室マイホーム派(いわゆるリベラルやサヨク)」。そして、いずれも「皇室を誤らせる」と加地は批判している(つまり西尾幹二批判を全体として批判していることに論理的にはなる)。
 だが、私は西尾幹二の昨年の皇室論、とくに皇太子妃殿下攻撃に対して批判的だが、上の二つの「傾向」のいずれでもない。やや意味不明だが皇室は「無謬」だとは思わない。ちなみに、「いわゆるウヨク」の中に西尾幹二の同調者もいたように思う。
 よくぞ簡単に上のように整理?できたものだ。また、この人は中国文学(しかも古代の?)専門の筈だったと思うが、「いわゆるウヨク」や「いわゆるリベラルやサヨク」の主義・主張についていかほどの学識と知見を持っているのだろうか。
 専門外のことに余り口を突っ込むことは、少なくとも新聞紙上で公になる文章を書くことは、やめた方がよい、とたぶん失礼だろうが、言わせていただく。
 正論大賞受賞者、教授・名誉教授の肩書きなら誰でも(かなりの程度は)感心して読んでくれると思っているとすれば(その現実的可能性がある)、大間違いだ。
 こんな文章が産経新聞の目立つところに出るのだから、日本は大変な時代に入っている、とつくづく思う。

0596/八木秀次は卑劣だ2-まっとうな「学者・研究者」なのか。

 竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)における八木秀次の西尾幹二批判は、その<仕方>も<内容>も、適切ではないところがある。
 長くは書かない。第一に、批判するためには相手の発言・執筆内容を正確に理解したうえで行う必要があるが、八木秀次は西尾幹二の主張内容を、批判しやすいように歪めているところがある。
 基本は日本語の文章、テキストの理解だ。それをいい加減にしてしまうと、どんな批判もそれらしき正当性をもっているかのごとき印象を与える。
 第二に、自分自身が発言・執筆していることとの関係で、そんな批判を西尾幹二に対してする資格が八木秀次にあるのか、と感じるところがある。
 目につく点から、以下、簡単に指摘する。
 第一に、竹田恒泰=八木秀次・皇統保守p.150の見出しは太ゴチで「『天皇制度の廃棄』を説いた『WiLL』西尾論文」となっている。そして、八木は、「西尾は『天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない』と明記しています」、西尾のように『天皇制度の廃棄に賛成する』とまで書くのは、どう考えても言いすぎです」と書いている。

 西尾幹二の言説内容を、いつのまにか天皇制度廃棄に「賛成するかもしれない」から「賛成する」に変えている。この点も無視できないが、より重要なのは次の点だ。
 月刊WiLL5月号で西尾幹二は、たしかに「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」と明言しているが、この語句を含む一文の冒頭には「皇室がそうなった暁には…」との語句がある(p.43。「そうなった暁」の意味も書かれているが省略)。つまり、もし…ならば…かもしれない、というのが西尾幹二の原文に即した彼の主張・意見だ。
 上の八木において、<もし…ならば…かもしれない>は、<…だ>へ変更されている。批判相手の言説内容(テキスト)のこのような<改竄>は議論の仕方として許されるのだろうか。批判しやすいように、八木にとって都合よいように(意図的か無意識的にか)、改竄(=一種の捏造)をしているとしか思えない。

 八木秀次は「『ときすでに遅いのかもしれない』と言い、結論として皇室の『廃棄』まで言う…」と西尾の主張をまとめている(上掲p.151)。
 たしかに西尾は「ときすでに遅いのかもしれない」と最後に述べているが、掲載は月刊WiLL5月号ではなく6月号(p.77)。何が「すでに遅い」のか何となくは判るが、天皇制度廃棄との関係はさほど明瞭に述べられているわけではない。
 八木は何とかして、西尾を単純な<天皇制度廃棄>論者にしたいのではないか。西尾幹二の主張の内容に私は全面的に賛成しているわけではない。むしろ相当に批判的だ。だが、その西尾幹二の主張についての八木秀次の紹介の仕方は、あるいは前提としての理解の仕方は、ほんの少し立ち入っただけでも、正確だとは思えない。これでは議論は成立しない。これでは批判の正当性にも疑問符がついてしまう。
 第二に、八木秀次は、「『WiLL』を含めマスコミ全体で皇太子妃殿下を血祭りにあげている感じがします」(p.156)と書く。
 これはまさしく、<よくぞヌケヌケと>形容してよい文章だ。この問題についての前回(9/06)に紹介したように、八木自身が諸君!7月号(文藝春秋)誌上で、「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである」と明記しているのだ。「問題は深刻である。遠からぬ将来に…少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后…」という部分だけでも注目されてよい。
 八木はこれにつき「皇太子妃殿下を血祭りにあげている」のではないと反論するかもしれないが、祭祀同席に消極的だとされる皇太子妃殿下について、皇后位継承を想定しつつ、「問題は深刻である」と言い切っているのだ。「血祭りにあげている」のと五十歩百歩と言うべきだ。
 第三に、八木秀次は、西尾幹二は解決策を示していない、そして必ずしも明確ではないが、自分は「解決」策を考えている又は主張している、と言っているようだ。
 ①「われわれは『…どう解決するか』を考えるべきでしょう」(p.150)。
 ②「解決のための言論であればけっこうなのですが、西尾論文は『ときすでに遅いのかもしれない』と、すでに手遅れだという主張です。手遅れだから『天皇制度の廃棄』だと言うわけです」(p.157)。

 ③「単に批判するだけ。天皇制度を『廃棄』した方がいいというだけ」。西尾や久保紘之の「解決方法は『廃棄』だけです」(p.172)。

 すでに触れたことだが、上の②③も西尾幹二=単純な「天皇制度廃棄」論者に仕立てている。<左翼>ですら表立っては言いにくいような主張を西尾幹二はしているのだろうか。八木が理解する(理解したい)ほどには単純ではない、と私は西尾幹二の文章を読んでいる。
 それはともかく、西尾幹二は「解決」方法に(「廃棄」以外に)言及していないだろうか。
 西尾は月刊WiLL5月号で、「勤めを果たせないのなら〔小和田家が〕引き取るのが筋です」という週刊誌上の宮内庁関係者の言葉を引用して、「私も同じ考えである」と明記している(p.39-40)。この辺りの部分の見出しは「引き取るのが筋」となっている(p.39)。
 <小和田家が引き取る>とは、常識的には、皇太子妃殿下の皇室からの離脱、つまりは現皇太子殿下との離婚を意味しているのだろう(こんなこと書きたくないが……)。
 つまり、西尾は「解決」方法に触れていないわけではないのだ。たんに天皇制度「廃棄」だけを書いているのではないのだ。
 一方、八木秀次自身がもつ「解決」方法とは何か。八木はこう書く。
 「あくまで最悪の事態を想定して」、「皇位継承順位の変更や離婚の可能性も考えておくべきだ」(p.196)。
 ここで八木は「離婚の可能性」に言及しているが、上記のように、この点は西尾と何ら異ならない
 西尾幹二と異なるのは、西尾幹二は全く明示的には触れていないのに、また中西輝政も現皇太子妃殿下の「皇后位継承」適格についてのみ言及したのに対して、上に「皇位継承順位の変更」と言っているように、現皇太子の天皇位継承適格をも具体的に疑っている、ということだ。
 このように見ると、解決方法の用意のある・なしで八木と西尾を区別することはできない、と考えられる。また、八木が明記する解決方法の一つは、現皇太子殿下の天皇位継承適格を直接に問題視すること(の可能性を少なくとも肯定すること)でもある。

 西尾において廃棄に「賛成するかもしれない」との文章の内容の中には現皇太子の皇位継承否定の意味も含まれているかもしれないが、この論点について八木はむしろ明記している。
 この程度にしておく。
 八木秀次は高崎経済大学教授だという。学生のコピペのレポートを叱ることがあるかもしれない。だが、コピペ以下の西尾幹二の主張の単純化・歪曲があるなら、論文を読み、執筆するという、学者・研究者としての最低限のレベルまでも達してはいないのではなかろうか。
 竹田恒泰は八木秀次にあまり引っぱられない方がよい。

 別の回に、上の対談本に関する新田均の書評(月刊正論10月号)への感想を書く。

0592/八木秀次は不誠実、というより卑劣だ-その1。隠蔽と二枚舌と。

 一 あらためて引用しておくが、諸君!2008年7月号(文藝春秋)p.262で、八木秀次はつぎのように書いた。
 「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
 中西輝政の「同妃〔現皇太子妃-秋月〕の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」との一文(上掲誌p.239-240)とともに、100年後も200年後も活字として残るはずの、<歴史的な>文章だ。
 上の文章は「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」蓋然性又は現実的可能性に言及して、皇室典範上の「皇位継承順序を変えることができる」要件の解釈を示している。字数の制約のためもあるかもしれないが、論理・意味ともに不可解又は曖昧なところもある。しかし、既述のことだが、間違いないのは、上において、八木秀次は、現皇太子妃殿下の現況を理由として(あるいは援用、これに論及、言及して)現皇太子の皇位(天皇たる地位)継承資格を(明確に否定はしていなくとも)疑問視している、ということだ。そうでないと、皇室典範三条に言及し、その一部の文言に関する解釈をとくに示しておくことの意味はないだろう。
 上の文章を含む雑誌は6月初めに出版されているので、執筆は4月末から5月半ばあたりだったのだろうと推察される(雑誌の出版実務に詳しくはない)。
 二 先月・8月に竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)という対談本が出ている(竹田恒泰の月刊WiLL上の西尾幹二批判論文も転載されている)。八木の「あとがき」の期日は7月15日になっている。
 その中で二人で西尾幹二を批判している部分があるが、八木秀次の諸発言を読んで、唖然とせざるをえなかった。
 まず基本的なことをいえば、この本が内容とする対談は上記の諸君!(文藝春秋)の発売やそのための八木の執筆の時期よりも後である筈であるにもかかわらず、自らが上のように近い過去に明言した、ということ、をその内容も含めて、この本の中でいっさい述べていない(!)ということだ。
 まるで竹田恒泰に相当に同調しているような発言の仕方をしている(完全に同じだとは言わない)。八木秀次という人は、適当に(自分の本意を隠して)対談相手に合わせることができる人なのだろう(すでに言及した中西輝政との対談本(PHP)でもそれを感じることがあった)。
 結論的なところを推測するに、私は詳しくない「つくる会」分裂・変容の過程で生じた(原因か結果かは知らないしそれがここで述べていることと直接の関係はない)反西尾幹二感情を基礎にして、皇太子妃殿下問題を中心とする<皇室>問題では反西尾幹二で<共闘>できる竹田恒泰を対談相手として選んだのだろう。
 後述するが、新田均も月刊正論10月号(産経新聞社)で明示的に認めるように、竹田恒泰と八木秀次では皇太子妃殿下(→皇太子・皇位継承)問題に関する考え方は同じではない。というより、むしろ明確に対立する立場にあるとすら言える。そうした二人が連名で本を出すのだから、その共通性は<反西尾幹二>意識にある、としか考えられない。
 三 <反西尾幹二>意識が八木自身のこれまでの発言等とも照らして正当なものであれば、批判することはできない。
 だが、八木の西尾幹二に対する批判は、公平に見て、その<仕方>も内容も、適切ではないところがある。<反西尾幹二>感情の過多が原因ではないか。
 一円の収入にもならない文章を懸命に書いてもほとんど無意味だと感じてきているので、一気に書いてしまわないで次回に委ねる。

0587/天皇制度・皇室をめぐる<保守派>の分裂―新田均・月刊正論9月号の西尾幹二批判。

 月刊正論8月号(産経新聞社)には斎藤吉久「皇室伝統を蔑ろにする宮内官僚を糾す」(p.150~)というのが載っていて、特定の皇族個人を問題にするよりも、戦後教育と戦後政治の影響を受けている国家公務員・宮内庁官僚をこそ、より問題視し、批判する必要があるのではないか、と感じたことだった。
 月刊正論9月号(同)では、神社神道系と思われる<保守派>の新田均による「皇太子さま『御忠言』の前に考える・君と臣の分限について-それは本当に皇室と日本の弥栄を願ってのものだろうか」(p.120~)が、田中卓や葦津珍彦の論を援用しながら、西尾幹二を実質的には相当に厳しく批判している。
 田中卓が月刊日本7月号に書いたところによれば(私は未読)、西尾幹二は皇室の中に彼にとって不適当と思う人物がいれば放逐させ、天皇制度自体の「廃棄」も辞さない、「天皇抜きのナショナリズム」論者らしい。
 私は西尾幹二を八木秀次などに比べてはるかに尊敬できる<思想家>だと思っているが(「保守」と冠するかどうかは自信がなくなってきた)、これまた孫引きになるが、新田均によると、西尾幹二はかつて次のように書いたことがあるらしい。
 ・自分(西尾)は天皇については「怨恨もなければ、なんら愛情もないという無関心な感情」で、「天皇制に対する感情は希薄」だ(論争ジャーナル、1967年12月号)。
 ・「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」(撃論ムック217(号?))。
 これにはいささか驚いた。
 後者は西村幸祐責任編集・撃論ムック217号・中国の日本解体シナリオp.139-141(オークラ出版、2008.07)で、より長く引用しておくと、次のとおり。
 「私〔西尾〕は…天皇問題に関心の強いほうでは」ない。「日ごろ無関心なのが、むしろ保守の証しだと言っておきたい」。「現実に私は天皇と聞いて感涙にむせぶ種類の人間」でも「政治的反発を覚える者」でもない。「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」。だが、「…天皇制度はつねにわたしたちの歴史意識に触れてくる重大な問題の一つ」で、「突如として人に薦められて」、「皇太子ご夫妻の問題について危機を感じていた」こともあって「皇室問題について論じることになった」。日本では西洋や中国とは異なり「王権が権力を一切もたない代わりに、静かなる宗教、神としての信仰の対象にもなっている」。この点について「比較王権論という視点から」「一つの仮説」を出したのが「最大の目的」だった。
 新田均の紹介するほど単純ではないが、しかしやはり…、というところだろうか。
 西尾幹二は月刊WiLL9月でも「もう一度だけ(これで最後)」の発言をしている。当初の厳しい、そしていくぶん奇矯な、皇太子妃殿下批判からすれば、天皇制度・皇族一般の話へと変わってきており、皇太子殿下はどうかご留意を、というニュアンスが強くなっていると感じている。だが、上のような意識が基底にあるのだとすると、年齢上は年下になる皇太子ご夫妻に対する、西尾の<対等な>又は<教え諭すような>物言いの仕方も不思議ではないと思えてくる。そして、西尾幹二に対してすら、戦後の<合理的>教育にもとづく思考方法、<天皇制度>に関する教育や社会風潮の影響が及んでいる、と深く慨嘆せざるをえない。
 近年の皇室問題、率直に言って<皇太子妃殿下問題>については、西尾幹二と八木秀次・中西輝政は、月刊諸君!7月号(文藝春秋)上の記述では、<共闘>又は<統一戦線>を組んでいるようでもある。
 だが、二年ほど前の(一年半前?)新しい教科書をつくる会問題では、西尾幹二と八木秀次・中西輝政はそれぞれ対立するグループに属するようだ。何をやっているのだろうねぇ。<保守派>のおエライさんたちは?!。イヤ、八木秀次は<保守派>のおエライさんたちの一人とは決して考えてはいない(そして、いけない)。
 元に戻ると、西尾幹二に数回(4回?)も皇室問題に関して執筆させ、福田和也が皇太子・皇太子妃両殿下の将来を楽観視しているのを産経新聞紙上のコラム(週刊誌ウォッチング)で疑問視していた月刊WiLLの編集長・花田紀凱もまた、まさしく戦後の教育と社会風潮のもとで、「畏敬心」を微塵も感じない、ジャーナリスティックな<天皇(制度)>観又は<皇室>観をはぐくんできた一人に間違いないように思える。この人による月刊WiLL(ワック)よりも(西尾幹二も八木秀次も登場するが西尾批判をする新田均も出ている)月刊正論の方がまだマシで、多面的で多様だ。
 西尾幹二は上掲の撃論ムックの中で、「突如として人に薦められて」とか「雑誌WiLLの話に乗り」とか書いている。昨今の皇室・皇太子ご夫妻問題にかかわる<騒ぎ>に、この花田紀凱が棹さしているのは確かなようだ。
 日本も、日本の<保守>派も、崩壊しかかっている、溶解しはじめている、という恐怖(・懸念)をもつ者は私一人ではないのではないか。

0544/天皇・皇室を大切にする<保守>の八木秀次に尋ねてみたい。

 一 産経新聞「正論」欄6/05八木秀次「宮中祭祀廃止論に反駁する」は基本的趣旨に反対ではないし、月刊・諸君!7月号でも奇妙な言説を吐いている原武史については、別に批判的コメントを書く。
 但し、八木秀次の主張はどの程度の正確な理解をもって、厳密な言葉遣いでなされているのか、疑問とする余地がある。
 他の本や雑誌原稿と同様かもしれないが、八木は、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」と書く。「宮中祭祀」をしない「皇室」は「皇室」でなくなる、という具合に。
 だが、そうなのか(天皇と皇室は同じではない)。また、「皇室」という語によってどこまでの皇族を指しているつもりなのか。この後者の点は明確にしていただかないと、趣旨が正確には伝わらないと思われる。
 どうやら、「皇室」の中に皇太子・皇太子妃を含めていることは明らかなようだ。では、秋篠宮と同妃は「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という場合の「皇室」に含めているのか。また、成人して未婚の場合の眞子・佳子各内親王は「皇室」に入るのか。さらに、常陸宮と同妃の問題もあるが、寛仁親王(ヒゲ殿下)・同妃や成人後に未婚の場合の彬子・瑤子各女王は含められているのかどうか。
 二 皇室典範に「皇室」という言葉はないが、「皇族」という概念はあり、その範囲が決められている。皇室典範5条によると「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王」が「皇族」と定められている(皇太子は親王のうちのお一人、皇太子妃は親王妃のうちのお一人だと考えられる)。
 天皇とこのような「皇族」を合わせたものが「皇室」なのだとすると、かつ八木秀次が「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」として「宮中祭祀」に「皇室」(「皇族」)全員の列席を求めているのだとすると(少なくとも「宮中祭祀」に違和感を持ってもらっては困ると考えているのだとすると-以下同じ)、常陸宮・同妃(華子妃殿下)、秋篠宮同妃(紀子妃殿下)はもちろん、寛仁親王(ヒゲ殿下)・同妃はもちろん成人後の(婚姻するまでの)眞子・佳子各内親王、彬子・瑤子各女王までもが「宮中祭祀」の参加・列席を求められていることになる(なお、<成人後>と限定しているのは、幼児時代にまで求められはしないだろうという常識的発想からする、私の勝手な推測にすぎない)。
 はたして今日の実際の宮中祭祀に、これらの人びとは(皇太子妃を除いて?)参加・列席されているのか?
 特定皇族の「宮中祭祀への違和感」を八木秀次は憂慮し(かつ批判?)しているようだが、その「皇族」又は「皇室」の範囲を明確にし、かつ彼が問題にしている人物以外の方々は宮中祭祀に参加・列席しているのかくらいはきちんと調べたうえで議論してほしいものだ。
 三 皇室典範による「皇族」の範囲の定め方とは別に、「内廷皇族」と「内廷外皇族」という区別もある。
 皇室経済法4条1項によると、「内廷費は、天皇並びに皇后、、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし、別に法律で定める定額を、毎年支出するものとする」。

 この規定は「内廷費」に関する定めだが、ここに列挙されている、いわば天皇陛下の直系の家族が<内廷皇族>だ(妃を含み、婚姻した旧内親王や皇太子以外の旧親王は含まないものと思われる)。
 一方、条文は省略するが、「内廷費」ではなく「皇族費」が支出されている皇族を<内廷外皇族>という。<宮家皇族>とも言うらしい(園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007等々)。誤っていれば失礼だが、婚姻して独立の宮家を立てられた秋篠宮と同妃・お子さまたちは、上の条文の内容からすると<内廷外皇族>に当たるものと考えられる。皇族がいらしゃる場合の秩父宮家・高松宮家・三笠宮家の人びとの場合は勿論こちらになる。
 さて、八木秀次が「皇室」というとき、<内廷皇族>のみを指しているのかどうか。もしそうならば、その旨を明記しておくべきだろう。そして老齢で病気の可能性もある太皇太后、皇太后やまだ幼年である場合の「皇太孫」や「内廷にあるその他の皇族」に対しても、、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という理由で宮中祭祀への参加・列席を求める趣旨なのかどうかを知りたいものだ。
 四 八木秀次は月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の文章の最後に皇室典範三条を持ち出して、「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当たるだろう」、という<法解釈>を早々と示した(p.262)。
 皇室典範3条は次のとおり。-「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。
 この規定は明らかに「皇嗣」に関する定めだ。そして(言葉からして容易に判るが)「皇嗣」の意味に関する規定に次のものがある。
 皇室典範8条皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。」
 この定めでも明確なように、現在において「皇嗣」とは皇太子殿下お一人であり、同妃は「皇嗣」では全くない。
 しかるに何故、八木秀次は「皇嗣」に関する上の条文に言及して、「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当たるだろう」と書き記したのか?
 何らかの誤解をしているか、皇太子妃殿下ではなく現在の「皇嗣」=皇太子=将来の天皇が「祭祀をしない」ことを想定して、上のような<法解釈>論を展開しているとしか考えられない。
 ではいっいたどこに(妃殿下ではなく)皇太子が将来において「祭祀をしない」こととなる兆候がある、というのだろうか。また同じことだが、皇太子殿下は「宮中祭祀への違和感」をお持ちになっているのだろうか。そう推測(憶測)しているのだとすれば、その根拠はいったい何か。
 上に述べたことの充分な根拠もなく、「重大な事故があるとき」に該当するものとして「皇位継承の順序を変えること」まで八木秀次は提案している。これはじつに<怖ろしい>ことだ。一介の一国民が「皇嗣」たる皇太子殿下について「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当た」るので、「皇位継承の順序を変えること」ができるのですよ、と言っているのだ。おそらくは充分な根拠もなく「皇位継承」の順序についてまで口を出しているのだ。
 以上。述べたかったことは基本的には二点。第一、八木秀次は平均的国民よりも天皇・皇室制度について詳しいはずだが(天皇(制度)について八木は前回触れた中西輝政との対談本・保守は何をすべきか(PHP、2008)でも何度も触れている)、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という場合の「皇室」の意味・範囲が明らかにされていない。
 第二、八木秀次は皇太子=皇太子妃という(学者、いや普通人でもしないような)混同をしているのではないか、そうとでも考えないと、今の時期に「祭祀をしない」ことによる「皇位継承の順序」変更の(少なくとも可能性の)主張をできるはずがない。
 かつまた、このような主張は非礼であり、少なくとも時期的に早まりすぎている。
 これらは、研究者・学者という一面ももつ八木秀次ならば容易に(論理的にも概念的にも)理解できる筈だ。単純な活動家・運動家に堕していないかぎりは。
 今回に書いたことを含めても、書いている趣旨の不明瞭な、かつ天皇・皇室にかかわる正確な知識がないと見られる八木秀次は<保守>のリーダーには(リーダーの一人にも)絶対になれない、ということは明瞭だ。傲慢にならない方がよい、と感じる。

0543/中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP)と諸君!7月号でのこの二人の文章。

 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人びと(PHP、2008.06)につづいて中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008.06)も入手して、読む時間が足りない。また、書く時間があればこれらを読んでしまいたい。だが、いずれも途中まで読んだだけだが(座談なので、すぱやく読めてしまう)、後者から一部抜き出して、関連するコメントを書いておこう。いちおう、後者についての第一回になる。
 上の中西輝政と八木秀次の対談本の大切なポイントではないかもしれないが、<進歩(革新)派>から<保守派>への「改宗派」や所謂「すべて派」〔説明省略〕に対する皮肉らしきものを述べたあと、中西輝政は言う-「非常に過度な攻撃性を示してしまうというのは、まだ本来の保守になりきれず、『反左翼』『反リベラル』にとどまっている」。また、八木秀次も続ける-「本来保守というものは、ふくよかなものであるはずです」(p.105)。
 別の箇所で、中西輝政はこうも言う-保守とは思想ではなく感覚・心。「だから賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度にすると、かえって保守から離れるという側面」がある(p.131)。そして、八木秀次は「保守思想」の「理論化、体系化をすべき時期」ではないか(p.131)、「底の浅い保守思想」の淘汰(p.134)、「保守思想」の整備(p.135)等と言及しつつ、本来は「保守から離れる」ことになるかもしれないが(p.131)、などとも言っている。
 これらのやりとりにとくに反対するつもりはない。却って、むろん二人が意識している筈もないが、このブログ欄が<反朝日新聞・反日本共産党>とのみ語って「保守」という語を使っていないことや、樋口陽一らを「賢(さか)しらに論(あげつら)う」ということをしてきたようで、やや耳に痛い気もする。
 だが、この二人が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思う。また、八木秀次が発言していることの中には私には彼には荷が重すぎると感じることもあるが、この点は別の回に書く。
 思い出すのは、月刊・諸君!7月号の特集「われらの天皇家、かくあれかし」の中に計56あった文章の中の、中西輝政と八木秀次のものの内容だ。
 全員のものをまだ読み終えていないが、西尾幹二が別の雑誌で述べていた結論的なことと、表現は違っても、同趣旨のことを述べていたのがまさにこの二人だった。
 そして、竹田恒泰を信頼するかぎりは、この二人の文章は、現時点では、率直に言って<妄言だ>。よくぞ、「神道と皇室に対してどういう態度をとるのか」、この点を「素通りして日本の保守はない」(中西輝政。上の対談本p.135)と言えるものだ、という気がしている。
 この問題に前回に触れて述べたようなことに対して、<では皇室(の重要部分)が「左翼」に乗っ取られてよいのか、「左翼」の浸透を許してよいのか>という反論があるかもしれない。それを想定して、いちおう再反論しておこう。
 竹田恒泰の言を信じれば、皇太子妃が宮中祭祀に列席されようとされまいと宮中祭祀の本質に変化はない。天皇(と将来の天皇・皇太子)こそが大切なのだ天皇陛下が「左翼」に乗っ取られない限り、<天皇制度>はまだ生きており、「日本」も存続している
 私には事実関係の確定のための資料も能力もないが、―以下、本来は書きたくないことに入ってしまうが―万が一、皇太子妃が(祭祀の意義を認めることのできないような)「左翼」心情の持ち主なのだとすれば、もう遅いのではないか。それを阻止するためには、皇太子のご婚姻前の段階ですでに警告・警戒の発言を八木や中西は(西尾幹二も)しておくべきだった、と思う。今では、一国民としては(憂慮しつつも?)「静かに見守る」他はないのではないか。
 また、皇室の<外>からの<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)の圧力で、皇太子妃たる地位の適格性を論じ、あまつさえ変更の趣旨を含む意見を述べるというのは、きわめて不謹慎なことだ、と思う。このことは、たんに皇室への敬意という心構えのみの問題ではなく、<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)という圧力によって皇族の地位が変動されることがありうるという先例を作ってしまえば、逆に<左翼的世論>が皇室内の問題・皇族の地位に具体的に介入してくることは目に見えている、という趣旨の方をむしろ多く含んでいる。
 上のことくらい、中西輝政、八木秀次、西尾幹二は理解できないのだろうか。じつに嘆かわしいことだ、と私は感じている。「賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度に」行っていることにはならないのだろうか。
 
ということもあって、中西輝政と八木秀次が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思っている。もっとも、彼らが上掲の本で語っていることの80%は理解できるし、かつそのうち90%くらいは支持できる(読んだ限りでは皇太子妃問題に言及していない)、ということも追記しておこう。

0508/戦後日本の「保守」主義成立の困難さ-佐伯啓思による。

 佐伯啓思・学問の力(NTT出版、2006)p.172-3によると、戦後日本に「保守という思想」がありうるのか、ということから考察する必要がある(それは成立し難いということを(多分に)含意させているようだ)。
 その理由の第一は、佐伯によると以下のことにある。
 「いわゆる保守派」はアメリカの保守思想を手本にしたため、「本当の意味でのヨーロッパの保守主義(とくにイギリスの保守主義)」が日本にうまく「根づかなかった」。
 ヨーロッパ思想も導入されたが、「ほとんどは、いわゆる左翼進歩主義的」なものだった。すなわち、「戦後の思想のスター」は、ルソー、ヘーゲル、マルクス、ウェーバー、ロック、ミル、ハーバーマス、アドルノ、サルトル、「フランス現代思想系の人たち」〔デリダやフーコーらか?-秋月〕だった。一方、エドマンド・バーク、コーク、ブラックストーン、ヒューム、カーライル、バジョット、オークショットらは紹介されなかったか、殆ど無視された。
 前回に続いて、かかるリストアップ、とくに後者の<保守主義>又は<反・左翼>の人名のそれ、をしておきたい気持ちも強くて、紹介した。「イギリスの保守主義」とは、ときに「スコットランド(学派)の保守主義」と称されるものを重要なものとして含んでいるだろう。ともあれ、日本の研究者による外国の思想(家)の紹介や分析が、公平・中立あるいは客観的に行われているわけでは全くない、ということは明らかだ。  日本の思想・政治・文化等の状況に応じて、指導教授や<仲間たち(同業者)>の意向・動向をも気にしつつ、研究者個人がどう「価値」判断するかを直接には契機として、<外国研究>は行われているわけだ。このことは、思想・哲学に限らず、人文・社会系の全ての学問分野にあてはまるものと思われる。
 上に関する理由の第二として、佐伯は丸山真男に次のように論及する。
 「保守」はその国の「歴史や伝統」から出発するが、戦後日本はGHQのもとで「日本の伝統」という「因習的で封建的な」ものを「ほとんど切り捨て」た。東京大学の憲法学者・宮沢俊義も「八月革命説」を唱え、丸山真男は「革命」の起きた八・一五という原点に立ち戻れと繰り返し説いた。となると、「革命」により「生まれ変わった」日本には、「伝統や慣習」を大切になどとの発想がでてくる筈はない。
 以上で要約的紹介の今回分は終わりだが、かかる、丸山真男を典型とする、戦前日本の、そしてまた日本の「歴史や伝統」の(少なくともタテマエとしての)全否定が、「本当の」<保守思想>成立を困難にした、というわけだ。そのような風潮に、所謂<進歩的知識人・文化人>は乗っかり、又はそれを拡大した、ということになる。その影響は今日まで根強く残っているものと思われる。(「外」の力によってであれ)望ましい「革命」があったとするなら、神道や日本化された仏教という<歴史的・伝統的な>ものに関する知識やそれらへの関心が大きく低下したのもしごく当然のことだ。
 「八月革命説」と昭和天皇の現憲法公布文(「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」)はどういう関係に立つのか(立たないのか)、および丸山真男の議論の具体的内容については、いずれまた言及することがあるだろう。

0505/日本の<保守派>内の対立は「思想」・「理論」次元では解消不能か?

  ①サピオ5/28号(小学館)で小林よしのりがこんなことを言っている。
 <「言論の自由」が保障された国に長く住んでいると、国際社会の中国への眼差しも分かってくる。「中共の洗脳」が解け、「自由や民主主義」の意味も知るような中国人が海外でもっと増えてもよいが、圧倒的に少ない。>(p.56)
 ここでは、「言論の自由」・「自由や民主主義」は、「中共」の支配する中国には欠落しているか極めて不十分なものとして、中国を批判するために用いられている、と理解してよいだろう。
 ②櫻井よしこ産経新聞5/08のコラムで「民主化」・「人権など普遍的価値観の尊重」等を中国の現状とは矛盾するものとして、中国を批判するために用いている。
 ③櫻井よしこ・田久保忠衛連名の「国家基本問題研究所」の意見広告「内閣総理大臣・福田康夫様」(産経5/06)には、こんなくだりがある。
 「自由、基本的人権、法の支配、民主主義。わが国と国際社会が依って立つこれらの価値観を踏みにじる中国共産党に、いま毅然としてものを言うことが、首相の責任です」。
 ④5/07の「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」(福田康夫・胡錦涛)の中には、こんな文章があった。
 「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力する…〔以下は、…とともに、長い交流の中で互いに培い、共有してきた文化について改めて理解を深める〕」。
 ここでの「基本的かつ普遍的価値」を中国・中国共産党・胡錦涛がどのように理解・認識しているかは問題だが、口先又は言葉の上では中国も「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値」が存在することを認め、かつその追求等のために「協力」すると、外交文書で<公言>したわけだ。
  数日前に、佐伯啓思・学問の力(NTT出版、2006)を全て読了。同・日本の愛国心(NTT出版)等を読んで既に書いたことの同旨だが、佐伯はこんなことを指摘している。
 ①「自由や民主主義という戦後的な価値」による日本再建という考え自体が「きわめてアメリカ的な考え方」で、かつ「本来の保守主義」とは異なる「きわめて進歩主義的な考え方」だ(p.166~168)。
 ②「自由、平等、平和と大きく書いた」所から戦後日本は出発した。これは「自民党」も「保守系の知識人」も同じで、「すべからく本当の意味での保守主義ではなかった」(p.173~174)。
 このように、「自由や民主主義」は<普遍的>ではなく、<普遍>を装うアメリカに独特の<進歩主義(左翼)>思想だ、これを支持・主張するのは「本当の意味での保守主義」ではない、とこの本でも述べている(同・日本の愛国心の方がより詳しかったかもしれない)。
 そして、この本では、「冷戦は基本的には終わっています」と述べたのち、北朝鮮と中国について、次の文章を示す。
 「北朝鮮の崩壊はいずれ時間の問題でしょう。中国は共産党政権ですが、なし崩し的にグローバル資本主義のなかへ入ってきています」(p.174)。
 この本の中で、北朝鮮と中国に言及のあるのはこれだけだ(同・日本の愛国心には、かかる文章すらなかったと思う)。
 また、靖国神社・東京裁判問題に関連して、<親米保守>と位置づけられると思われる岡崎久彦を名指しで、実質的には厳しく批判している。論点の拡大・拡散を避けるために詳細には紹介しないが、次の如く言う-「アメリカの価値観」・「歴史観」を認めるということは占領政策や「東京裁判を認めることに等しい」。だが岡崎久彦らの「日本の保守派」が東京裁判を批判しているのは、「私には矛盾しているとしか思えない」(p.246~247)。
  さて、一で言及した小林よしのり櫻井よしこ等も<保守派>とされている筈だが、佐伯啓思によると、アメリカ的価値観を<普遍的>と誤解しており、「本当の意味での保守主義」者ではない、ということになりそうだ。佐伯啓思も<保守派>と自己規定している筈で、同じ<保守派らしき>者たちの間にあるかかる対立を、どう整理し、どう理解すればよいのだろうか。
 すでに書いたのは、<冷戦>は東アジアではまだ現実には続いており、「思想的」・「理論的」にはともかく、<外交・政治>の上では、中国・北朝鮮には欠如している「自由と民主主義」等の「価値観」を掲げて、これらの近隣諸国に批判的に対峙することは当然だし、戦略的にも意味がある、ということだった(「価値観外交」・「自由の弧・構想」の肯定)。
 今もこれに変わりはないが、「思想」・「理論」レベルでも佐伯啓思と櫻井よしこ・岡崎久彦らとの間には懸隔が横たわるだけなのだろうか。佐伯はあまりにも「自由と民主主義」等が西欧「左翼」から出自していること、アメリカが<普遍的>と自称する「価値観」であること、を強調又は重視しすぎるのではないだろうか。また、あまりに中国・北朝鮮への関心が乏しいのではなかろうか(「思想」的・「理論」的には勝負はついた、だけではまだ済まないのではないか)。
 一方、櫻井よしこ・岡崎久彦(・小林よしのり?)らは、あまりにも無条件に「自由と民主主義」等を<信奉>する旨を語りすぎているのだろうか(日本の「自由と民主主義」に全く問題がないとは考えていない筈だが…)。この点、佐伯啓思の論旨はなかなか鋭いところがあることも認めざるをえないのだが…。
 というわけで、少々当惑している。佐伯啓思の本が知的刺激に富むのはいつもながらで、それは結構なことではある。

0482/長部日出雄の「神道」論(諸君!5月号)と石原慎太郎「伊勢の永遠性」。

 昨年10月に、長部日出雄・邦画の昭和史(新潮新書、2007.07)p.33-34が、60年安保闘争については「否定論」が「圧倒的に多いだろう」が、自分は、<あの…未曾有の大衆行動の広がりと高まりが、…憲法改正と本格的な再軍備を…無理だ、という判断を日米双方の政府に固めさせ、…ベトナム戦争にわが国が直接的に介入するのを防ぎ止めた>と考える、と書いていることを紹介して、批判的にコメントした。
 したがって、長部日出雄という人は単純素朴で政治をあまり判っていないと感じたのだが、60年安保闘争絡みではなく、神道・「カミ」に関しては、諸君!5月号(文藝春秋)の「作家が読む『古事記』/最終回」で共感できることを書いている。
 長部は本居宣長の叙述を肯定的に引用している。別の誰かの本(井沢元彦?)でも読んだ気がするが、宣長によると、日本の「迦微(カミ)」とは「天地のもろもろの神をはじめ…尋常でないすぐれた徳があって、可畏き(かしこき)ものの総称」だ。そして、宣長は「小さな人智で測り知れ」ない「迦微(カミ)」はただ「可畏きを畏(カシコ)みてぞあるべき」と書いた、という(p.226-7)。
 そして、長部は、「物のあわれを知らない」「心なき人」が増えたことと、上のような「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念を失ってしまった」ことが、「いまの日本がおかしくなっている」原因だ旨を記している(p.227)。
 他にも共感できる叙述はあるが省略。「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念」を年少者に教育するのはどうすればよいのかと考えるとハタと困るが、<宗教>教育的あるいは<道徳>・<情操>教育的なものが公教育でも何らかの形で必要だろう。長部が自らの経験を語るような<集落の神社の森や境内>に接する機会が多くの子どもたちにあるとよいのだが(私には幸いまだあった)。
 なお、長部のこの論稿は、GHQの1945.12.15<神道指令>の正式名称と七項目の(おそらく)全文を掲載している(p.229-230)。そして長部は言う。-<寛容・融通無碍な信仰心の日本人は「神道指令」を「宗教弾圧」だとは「まるで考えもしなかった」。「神道指令」は「日本人の草の根の信仰心」を「根こそぎにした」。>
 石原慎太郎「伊勢の永遠性」日本の古社・伊勢神宮(淡交社、2003)は、「悠遠」を感じ体現しようとするのは人間だけで「伊勢」神宮はその象徴だ、旨から始めて、途中では、「人間はどのように強い意思や独善の発想を抱こうとも、結局、絶対に自然を超えることはできないし、そう知るが故にも…自然を畏敬することが出来る」等と書いている。
 こういう、神道あるいは(伊勢)神宮に関する文章を読むのは精神衛生にもなかなかよいものだ。狂信的に<保守>・<反左翼>を叫ぶのではなく、じっくりと構える他はない-それが<保守主義>であって<保守革命>などの語は概念矛盾だろう-というような想いもまた湧いてくる。

0441/佐伯啓思・20世紀とは何だったのか-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)全読了。

 佐伯啓思・20世紀とは何だったのか・「西欧近代」の帰結-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)を全読了。
 最終章(第七章)は「アメリカ文明の終着点」で、筆者はアメリカ文明への「警戒」、自由主義・民主主義・グローバリズム・情報革命への「懐疑」を呼びかけ、ニヒリズムを基調とする「現代文明というものの本質」を「認識」することから始める他はない、とこの書物全体を結んでいる(p.238)。
 あまり夢の湧いてこない、建設的・積極的とは必ずしも言えない終わり方だ。もっとも、佐伯啓思は、この半年間には「義」というものについて書いたり、同・日本の愛国心(NTT出版、2008.03)を出版したりしているので、それらでは少しは「明るい」話を読めるのかもしれない。
 西部邁と佐伯啓思の2名は隔月刊の雑誌・表現者(イプシロン出版企画)の「顧問」のようで、かつこの雑誌の編集部(株・西部邁事務所)は「親米保守が分裂病…」と述べており(17号編集後記)、この雑誌は<反・親米保守>の基本的立場のようだ。
 佐伯啓思のアメリカニズム・グローバリズム批判等からして、佐伯が単純な<親米保守>でないことは分かるが、では<親中国>か<親米>かと問われるとまさか前者だとは答えないだろう。
 中国「文明」に日本が席巻・蹂躙されてはならないのと同様にアメリカ「文明」のよくできた子供になっても困る、ということならば、自信をもって支持できるのだが。
 元に戻って、佐伯啓思・現代文明論・下>は「西欧近代」の帰結の「歴史的で文明論的な見取り図」(p.5)を叙述するもので、たぶん種々の疑問・批判もあるのだろうが、「視覚」・「見通し(概観)」という点でおおいに参考になった。<現代文明論・上>と同様に、ときどき、一部でも要約的に引用・紹介したい。
 さっそくだが、「大衆民主主義」の「危うさ」と「恐ろし」さに関して、次のような文章がある(「」の引用以外は要約)。
 ・「大衆民主主義」とは「大衆の意見がそのまま政治に反映されるべき」との「政治システム」だとすると、大衆が「政治の主役」で「世界(社会)は大衆によって動かされる」ことを意味する。これは「政治を動かす者は、優れた指導者」、「知識や判断力をもったエリート層」だとした一九世紀ヨーロッパと基本的に異なる。「大衆社会は政治の基本的なあり方を変え」た。かつまた、「集団としての大衆」が「それなりの合理性や判断力とはまったく違った次元」で動くとすれば「恐ろしいことだ」。大衆の描く「世界(社会)」とは「みずからの欲望や野望や情念やら偏見やらを動員して、みずからに都合よく定義した」ものなのだ。(p.152-3)
 ・それなりの「能力や見識や、さらには時間」をもつ人でないと「政治にかかわる」のは無理だ。だが「大衆」は、「平凡で平均的な者の、平均的な感覚や思いつき」、「平凡な人間」の「凡庸な考え」が「政治を動かす」あるいは「政治の場に反映されるべき」と考えている。「政治的権利」をもつ者は「その権利に値するだけの優れた人間」との「自覚と努力」が必要だった筈だが、現今の「大衆」はそうではない。「大衆の本来のあり方」に反逆しているのであり、これ=「大衆の本質に対する反逆」こそが、オルテガのいう<大衆の反逆>だ。(p.158-161)。
 以上。

0415/「保守主義」と「進歩主義」の対比-佐伯啓思・現代日本のイデオロギー。

 「保守主義」なるものについてはこれまでも触れたことがある。
 全読了した佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の最後から二つめの項目(「保守主義にとってなぜ国家なのか」)の基本的主題は「国家」だが、その中で、「保守主義」と「進歩主義」の差違が対比されて述べられている。要約的になるが、以下のごとし(p.263-266)。「保守主義」を<保守>、「進歩主義」を<進歩>と略記する。
 なお、これら二概念を「政治的」に「通俗化」しないで理解すべき、と佐伯は念を押している。
 1.<進歩>とは「歴史を、人間および人間社会の進歩として見ることができるとする発想」。歴史・文明の「進歩の観念」を生み出したヨーロッパ「啓蒙主義」に由来するので、この主義者の多くは「西欧の近代」を参照し、「範型を求める」。
 <保守>とは、「進歩する歴史の観念を拒否」する、あるいは「人間の理性に対してそれほど強固な信頼をおかない」。そり代わりに「歴史」=「人間の経験の堆積」の中の「比較的変わらないもの、絶えず維持されるもの、繰り返し現れるもの」に学び、「信をおこう」とする。
 2.<進歩>は「未来を構想する」。<保守>は「過去に思いをよせる」。前者は「未来にユートピアを想定し」、後者は「過去に、あらかじめ失われたユートピアを設定」する、と言えるかも。
 3.カントに対してヘルダーやヴィーコーが、フランス革命に対してバークが異議を唱えたように、<保守>は<進歩>に対する批判として、とくに「啓蒙主義」(>「普遍主義」・「理性主義」)批判として出現した。
 <保守>にとって重要なのは、第一に、「普遍史」ではなく「各国史」・「各国の国民性ないし国民精神のありか」。第二に、古代→封建→近代という「発展」と「歴史」を捉えない。<進歩>においては「進歩する歴史」ならば、<保守>においては「重層する歴史」。「歴史」の底には「微動だにしない層」や「比較的変化のない層」があるとともに「表層」では「さまざまな変化」が生じている、という「歴史観」だ。
 4.両者の対立は、「普遍主義」と「個別主義」、「理性主義」と「経験主義」の各対立とも言える。
 以上は、反復するが、佐伯の論じたい主題そのものではない。しかし、なかなか参考になる整理・分析の仕方ではないか。
 若いとき、私は明らかに「進歩主義」者、そして「合理(理性)主義」者だったと回想できる。しかし、今では、上のように説明される二主義のうち、「保守主義」に強く傾いている。
 加齢のせいもある。加齢とは、つまりある程度長く「生きてきた」ということとは、世の中は「建前」・「理念」や「綺麗事」だけで動いていない、社会に関しても人間に関しても(ついでに医学にかかわる「人体」の諸現象についても)「人知」の及ばない(その意味で「偶然的」な)、あるいは「人知」(=理性)ではどうしようもできない、どう説明もできない(その意味で「宿命的」・「運命的」な)事柄がある、ということが(若いときに比べて)より理解できるようになった、ということを(も)意味しているだろう。かかる理解は、<近代的「個人」>の「理性」というよりも、過去からの「歴史」の堆積の中にある「慣行」・「伝統」にもとづいて社会や人間は動く場合が少なくない(そしてその方が「理性」による「変革」にもとづくよりも首尾良いことが少なくない)、ということを認めることにつながるだろう。このような認識は、佐伯啓思が意味させる「保守主義」に親近的だと思われる。
 付記する。佐伯は「進歩主義」は政治的な「左翼」と同義ではないと強調しつつ、別の箇所では日本について次のようなことも言っている(p.269-p.270)。
 1.「社会主義の崩壊」により「左翼進歩的陣営」も崩壊したと見るのは「まちがっている」。<歴史の進歩主義>はなお根強く、「これほどまでに、進歩主義が社会の全面を覆った時代はめずらしい」。
 2.<歴史の進歩主義>の中には、①「薄められた『サヨク』としての進歩主義」の他に②「いわば旧保守派の進歩主義という奇妙なもの」もある。これらはA「グローバルなリベラル・デモクラシー」とB「グローバルなキャピタリズム」の勝利を全面的に認める、という「進歩主義」だ。一方の極にはa「市民主義や朝日新聞」が在り、他極にはb「経団連や日経新聞」が在る。aは「人権+デモクラシー」で、bは「経済的自由主義+デモクラシー」だ。そしてともに「ヨーロッパの啓蒙主義」が生んだ、これの「ある種の後継者」だ。
 そして言う-3.「いまや圧倒的に苦境に立たされているのは保守主義なのである」。
 上の2.には具体的には異論があるかもしれない。但し、読売新聞が決して「保守的」ではなく、朝日・日経とANY連合を組んだことも(かなり飛躍するようでもあるが)理解できそうな気がする。
 あとの一般的な1.と3.はこの指摘のとおりではなかろうか(10年前の本の指摘だが現在でも)。「進歩主義」による皮相な諸現象についての言及も佐伯の本には多いのだが、いちいち紹介する時間的余裕がない。
 ようやく一つの区切りがついた。再びこの本に言及し、又は引用する機会がきっとあるだろう。

0167/日本国憲法「無効」論とはいかなる議論か-たぶんその3。

 再び、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)に言及する。
 .こう主張する(p.131)。「失効・無効の確認がなされるまでは、本来無効な「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける」。
 <一応有効であるとの推定を受ける>という表現は、とくに「推定を受ける」は厳密にいうとややキツいだろう。
 より正しくは、<事実上、有効なものとして通用する>ではないかと思われる。その事実上の<通用力>のあることを認め、従うべきことが要求されている、ということではないか。
 どちらでもいいような細かなことだが、<有効性の推定>という表現はやや気になる。
 .「無効確認」の意味・効力につき、こう主張する。「無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生するのであり、過去に遡ることはない」(p.141)。
 こうした「無効」または「無効確認」という語の使用法は通例の「無効」概念とは違うのではないか、ということをすでにたぶん4/28に次のように書いた。
 このように<「無効」という言葉を使うのは法律学上通常の「無効」とは異なる新奇の「無効」概念であり、用語法に混乱を招くように思われる。/無効とは、契約でも法的効果のある一方的な国家行為でもよいが、当初(行為時又は成立時)に遡って効力がない(=有効ではない)ことを意味する。無効確認によって当初から効力がなかったこと(無効だったこと)が「確認」され、その行為を不可欠の前提とする事後の全ての行為も無効となる。と、このように理解して用いられているのが「無効」概念ではなかろうか。
 こうした感想は今でも変わらない。「無効確認」がなされるまではそうではないが、「無効確認」が正規になされれば(その主体・手続につき議論がありうることは既述)、当初に遡って効力がなくなり、それを前提としていた全ての行為の有効性もなくなる(無効となる=法的にはなかったことになる)、というのが「無効確認」の意味であり、そういう意味があるからこそ「無効確認」決定をする必要もあるのだ、というのが通例の用語法だろう。民事訴訟(行政訴訟を含む)において問題になる(使われる)「無効」とは、このような意味なのではないか。
 異なる意味で用いると言うのならば、それを明確にしておけば問題はない、ともいえる。ただ、やはり新奇の「無効」概念だと私には思える。
 .上のように「無効」という語が使われるので、「違法確認」との区別がないか、少なくとも不明瞭だ、と感じる。
 著者も前提としておられるだろうように、違法な又は瑕疵ある国家行為がそのゆえにただちに「無効」となるわけでもないし、「無効確認」の要件が満たされるわけでもない。
 違法な又は瑕疵ある国家行為であっても有効なことはあるし、また正規の「無効」確認がなされるまでは有効との外観を呈することもある。だが、「無効」と判断できるだけの強い違法性又は瑕疵があれば「無効」確認をして、無効=効力が最初からなかったものとして扱うことができることは、上でも述べた。
 だが、将来においてのみ効力をなくすというのであれば、正規の「違法確認」行為がなされた場合とどう違うのだろう。違法→無効ではないことは上述のとおりだが、手続的に正規の「違法確認」行為・決定がなされれば、違法=少なくとも将来に向かっては効力がなくなる(という意味での「無効」)とするのが原則であり、それが(法の支配又は)法治主義の要請するところだろう。
 現在において「違法確認」することは、その行為の過去の効力に影響を与えない筈だ。とすると、主張されている「無効」論は「違法」論とどう違うのだろう。
 読解不足、私の知識不足かもしれないが、どうもよく分からない。
 .将来に向かってのみ「日本国憲法」の効力を否定することの意味・意義はそもそもどこにあるのだろう。
 著者によれば、新憲法制定までの<手続>・<段階>はこうだ。
 第一に「無効確認」と(ほぼ)同時に明治憲法の復原の確認がなされる。第二に、新憲法制定までの間は改正規定(明治憲法73条)以外の明治憲法の諸規定の「効力を停止し」、臨時措置法を制定する。この臨時措置法の内容は、前文・九条・改正手続規定(96条)以外は「日本国憲法」の条文を「基本的に採用する」。5-10年後に、第三に、明治憲法73条にもとづいて明治憲法を改正する新憲法制定に移るのだが、まずは改正手続規定である明治憲法73条を改正し「日本国憲法」96条のような規定にする。その上で、第四に、実質的には「日本国憲法」96条を内容とすることとなった明治憲法73条により国会の発議・国民の承認という手続で(明治憲法の改正による正当な)新憲法を制定する。
 何とも複雑な手続で容易には解りにくく(私は何とか理解できたが)、まさに<アクロバティック>な手続を経る必要があることになる。
 日本国憲法「無効」論のほとんど不可欠の帰結であるらしいこのような手続と、現在の日本が「現実」に置かれている状況と比較すると、今の現実は、上の第三までは終わっており、第四の段階に移ろうとしている段階にある。
 ということは、「現実」と比較すると、日本国憲法「無効」論とは、上の第一~第三の「段階」を余計に踏ませるための議論なのだ、と言い得る。
 むろん、日本国憲法が「無効」なのだからそうしないと「正統な」憲法は生まれない、ということなのだろうが、それにしても解りにくく複雑だ。また、日本国憲法を無効と考えていない者にとっては、<全く不要で余計な、かつ複雑な>行為の連鎖を要求していることにもなる。
 この説に従うと、(もともと議会による無効確認決議、天皇の裁可等の「現実」的可能性はほぼゼロだと思うがその点は別としても)現憲法の改正は「現実」よりもかなり遅れるだろう。現憲法九条は、臨時措置法の制定によってとりあえず削除されるようだが、日本国憲法無効確認と明治憲法の復原確認の後になることには変わりはなく、「現実」が進もうとしている時期よりも遅くなることは間違いないだろう。
 この議論の「現実」的通用性は別として論理的に言っても、<日本の現実は、そんなに悠長なことを言っておれる状況なのだろうか?>
 .著者のいう日本国憲法の「無効」事由には立ち入らない。説得的なものもあれば、首を傾げるものもある。
 芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.29がのどかにも?「完全な普通選挙により憲法改正案を審議するための特別議会が国民によって直接選挙され、審議の自由に対する法的な拘束のない状況の下で草案が審議され可決されたこと」を現憲法の制定過程は「不十分ながらも自律性の原則に反しない」ということの根拠の一つに挙げていることに比べれば、より現実に即していると思える部分もある。
 .だが、もう端的に結論だけ示しておきたいが、今頃になって日本国憲法の「無効」を主張するのは遅すぎる。主権回復後早々に同様の主張がなされて(明治憲法の改正手続を利用するか、制憲議会の設立・国民投票を特別に行うか等の問題は残るが)日本人のみによる「正統」な憲法制定がなされればまだ良かったかもしれない(「無効」論に全面的に組みしている訳ではない)。
 だが、憲法施行後60年も経った主権回復後でも55年も経った。<憲法学者等に騙されてきたのだ>と主張されるのかもしれないが、その55-60年の間、圧倒的多数の国民が、政府関係者、裁判所関係者、そしておそらくは昭和天皇も今上(明仁)天皇も、日本国憲法は「有効」な憲法だと信じて国政を運営し、生活を営み、現憲法を前提として皇位の継承も行われたのだ(正確な記録は持っていないが、昭和天皇も今上(明仁)天皇も何度も「日本国憲法に則り」とか「日本国憲法に基づき」とかの言葉を用いられた筈だ)。
 議論のために天皇陛下の主観を利用するつもりはない。再述すれば、天皇や皇室はかりに別としても、圧倒的多数の国民は日本国憲法は「有効」な憲法だと考えてきたのだ(そのことは現在の国会議員の全員が有効性を前提としていることでも証されるだろう)。
 それを今頃になって「無効」と主張し、「無効確認」を国家機関にさせようと主張するのは、第一に、民法でいう「権利濫用」にあたる、国家機関による<権限濫用>をそそのかしている疑いがある。関連して第二に、民法でいう「信義則」にあたる、国家行為への国民の<信頼の保護>原則を大きく損なう可能性がある。
 いちおう分けたが、国家行為への国民の<信頼の保護>を大きく損なうがゆえにこそ、無効確認行為は国家機関による<権限濫用>になる可能性が極めて高い、と言い換えてもよい。
 著者が言及している論点だけが、この問題に関係する論点なのではない。国家の<権限濫用>も国民の<信頼保護>も視野に入れるべきだ。
 さらに、法原理の中には、抽象的・究極的ではあれ、<法的安定性の維持・確保>という要請もある。違法又は無効の国家行為についてこの一般原理を濫りに使うべきではないのはいうまでもないが、しかし、55-60年という長期間の経過を考えると、<法的安定性の維持・確保>も視野に入れるべきだ。視野に入れているからこそ「無効確認」の効力は将来にのみ及ぶと主張していると反論されるかもしれないが、無効確認、そして明治憲法の復原確認という行為そのものが<法的安定性>を十分に害する、と考える。
 日本国憲法「無効」論は、現憲法の制定過程の<いかがわしさ>を明らかにし、現憲法を(当然に同96条と最近成立した憲法改正手続法に基づいて)改正して、日本人(のみ)による新憲法の制定=改憲をするために有利な議論として、個人的には利用させていただきたい、と考えている。

0116/小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)を少し読む。

 日本国憲法「無効」論について、小山常実の別冊正論Extra.06上の「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」を読んで、過日簡単に疑問を書いた。主として、1.「無効」の意味・この概念の使い方、2.「無効確認」主体、の問題だったかと思う。
 この2.については十分な説明がなく憲法学界が無効確認などできる筈がないなどの頓珍漢な指摘もしたのだが、別の方から、国会で可能だ旨の情報も提供していただいたものの、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)によると、正確にはこうだ。この点にかかわる問題のみを今回は主として扱う。なお、小山・「日本国憲法」無効論(草思社、2002年)も所持しているので、「第一書」としてp.数だけを示しておく。
 新憲法制定のための「第一段階の第一作業」は、日本国憲法の「無効と明治憲法の復原を確認すること」で、「法的にいえば、首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が無効・復原確認を行えば十分である」(p.140。第一書、p.248)。
 答えは、天皇なのだ。そして、現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは天皇であり、施行文後の御名御璽の後に「副署」したのは当時の首相他の閣僚なので、いちおう-後述の疑問はあるが-論理一貫している。但し、次の文は、いけない。
 「ただし、政治的には国会による決議がなければ立ち行かないだろう。それゆえ、国会による決議を経て、内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為を行う形がよい」(p.140。第一書にはないようだ)。
 これは一体何だろう。「政治的には」とは一体何だろう。法的議論をしている筈なのに、「政治的」又は「現実的」な議論を混淆させている。それに「政治的には、国会による決議がなければ立ち行かないだろう」というのも奇妙なことで、法的に全く問題がなければ、「首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が」行うので、それこそ「十分」な筈なのではなかろうか。
 こんな疑問がまず生じるが、できるだけ国民の総意でという形をとるために国民代表で構成される「
国会による決議」を経た方が望ましい、という趣旨だと理解することはできる。
 だが上にいう「国会」とは何だろうか。日本国憲法制定時には国会は衆議院と貴族院で構成されており、貴族院議員も審議に参加していた。ここでの「国会」とは衆議院なのか、それとも貴族院を復活させるのか(無効確認の段階ではまだ復活していない?)、いや参議院を含めるのか、が明らかではないようだ。
 但し、無効・復原確認後の明治憲法改正=真正な新憲法制定については、次のように書いている。
 「明治憲法第七三条によれば、天皇が発議して、貴族院と衆議院で可決されて憲法改正が行われる。貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」(p.144。第一書、p.248)。
 何とここではあっさりと、参議院をもって貴族院に「代替」させるのがよい、と明記している。しかし、貴族院と参議院とは、第二院という点では共通性はあるかもしれないが、選出方法・構成はまるで異なっている。第二衆議院とか衆議院のカーボンコピーと言われることもある参議院に貴族院の「代わり」をさせるのは、明治憲法七三条の趣旨に適合的なのだろうか。少なくとも、復原した明治憲法の下での議論としては、「貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」などと簡単に言い切ってはいけないのではなかろうか(明治憲法が復活したとすれば「貴族院」をいったん復活させて新「貴族院」を設置し(議員の選出・構成は難問だが)、憲法改正だけの任を与えることも考えられよう)。
 以上の他、次のような疑問もある。日本国憲法「無効」論が絶対に「正しく」、関係機関又はその担当者は全員がこの考え方を支持してくれる筈だ、という前提に立たないかぎり、当然に生じる疑問だと思われる。
 第一に、国会(この意味が不明なことは既述)が日本国憲法を「無効」と考えず、「無効」という「国会による決議
」ができないことも想定できる。この場合はどうなるのか。
 もっとも、「国会による決議」は「政治的には」
あった方が望ましいものであるならば、これを欠いても、無効・復原が確認できないわけではないということになるのだろう。
 では第二に、かりに天皇陛下は「無効」と考えられても、「首相他内閣を構成する国務大臣」
はそう判断せず、副署もしない場合はどうなるのだろうか。終戦詔勅の場合と同様に首相等の国務大臣は唯々諾々と服従するのだろうか。
 逆に、かりに首相等の国務大臣は一致して「無効」と考えても、天皇陛下はそうはお考えにならない場合はどうなるのだろうか。
 そんなことはあり得ないということを前提として立論されているのだろうとは思うが、しかし、現実的には、こういう場合も想定しての「法的」議論も用意しておかなければならないのではなかろうか(そういう場合は無効確認ができないだけ、という結論になるのだろうか。それなら簡単だが)。
 第三に、より現実的な疑問がある。現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは昭和天皇であり、今上天皇ではなかった。「副署」したのは当時の首相等の国務大臣であり現在の首相等ではなかった。
 当時の天皇陛下や首相等の「本心」・「内心」というものが明瞭に分かる資料は恐らく存在しないのだが、昭和天皇は、こんな明治憲法改正・日本国憲法は「無効」だと思われつつも不本意に<裁可し、公布せしめ>たのだろうか。吉田首相等も、こんな日本国憲法は「無効」だと思いつつ不本意にも「副署」したのだろうか。
 むろん、天皇も首相等も国家機関の一種であり、担当者(?)が変われば異なる意思を持ちうる、という理屈は成り立つ。従って、「
内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが法的にも事実的にもできなくはない、と考える。
 しかし、現実論としては、昭和天皇等が「無効」だと感じつつやむを得ず「裁可」し「副署」したという事情が明瞭に伝えられていないかぎり、今上天皇等が「無効」との判断に至る可能性は極めて乏しく、現実的可能性は0.1%もないものと思われる。それよりは、天皇と首相以下の国務大臣との間で見解が齟齬する現実的可能性の方がほんの少し高いだろう。
 むろん、上のような事情は日本国憲法制定・施行後60年の「欺瞞」によるのだ、「大ウソ」の教育・報道等によるのだ、と主張したい(であろう)ことはよく理解できる。だがいかに「正しい」理論でも支持者が微少であれば、現実的な「力」をもちえない。「正しい」理論であれば大多数の者によって支持される筈だ、というのは理想かもしれないが、現実は必ずしもそうはならない。
 現在の国会議員にしろ、2005年の両院の憲法調査報告書はおそらく日本国憲法「無効」論に殆ど又は全く言及しておらず、有効論に立っての諸意見を記載しているものと推察される。近年の各政党の有力者の発言を聞いても、日本国憲法「無効」論に立つ発言は一つもない筈だ(日本共産党と社会民主党が現憲法の有効性を前提として、九条墨守論を主張しているのも明瞭なことだ)。
 昨5月3日に護憲・改憲両派を「無効」論に立って批判する集会等もあったのかもしれないが、残念ながら(おそらく)一切報道されていないようだ。
 このような状況を現内閣構成者は勿論、今上天皇陛下もご存知の筈だ。
 日本国憲法「無効」論者にとって、一般国民はまだしも、天皇陛下の支持を獲得することは決定的に重要なことだが、今上(明仁)天皇は日本国憲法を憲法としては「無効」と考えておられるのか。
 以上、要するに、法的にも事実的にも、「内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが不可能だとは思わない。だが、その現実的可能性は極めて乏しく、ほぼ(絶対に近いほどに)絶望的だ、と考えられる。
 以上のような判断には、そもそも日本国憲法が「無効」とする論拠が必ずしも説得的ではないという理由づけが付着しているのだが、この問題は今回は省略する。
 この機会に別の、誤りだと思う点を指摘させていただく。小山・上掲書p.142はこう書いている。
 旧西独は「半年かけてドイツ人自身が起草した「ボン基本法」のことを、占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から、占領下の暫定的な基本法または暫定憲法にすぎないと位置づけた」/「…旧西ドイツは、占領中は少なくとも永久憲法を作ることは出来ないという立場を明確にした」。
 私は憲法学者ではないが、次のことくらいは知っている。端的にいえば、
「ボン基本法」が「暫定憲法」として位置づけられたのは、「占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から」では全くなく、国土・国民が二つに分裂していたからだ(p.141の条項にいう「ドイツ人民」には東独領域のドイツ人を含むのだ)。
 
「暫定」ということの意味は、「占領」期間に限ってという意味ではなく、将来東西のドイツが統一するまでの「暫定
」、という意味なのだ(首都もフランクフルトにすると永続的印象を与えかねないということであえて小都市・ボンが選ばれた)。
 たしかに1949年9月の西独=ドイツ連邦共和国発足前の「占領」中の同年5月に「ボン基本法」(「ドイツ連邦共和国のための基本法律」)は制定・施行されているが、僅か4ケ月というタイムラグを考えても、「ボン基本法」は西独という一国家にとっての正式の憲法的意味あいを持つ法(正確には特別の性格をもつ法律)として施行されたのであり、西独の発足時にいったん「無効」とされたりはしていない。占領中に施行された憲法(・基本法)が無効なら、その改正も全て「無効」となる筈だが、西ドイツは頻繁に「ボン基本法」を改正してきた。
 従って、西ドイツの例は、日本国憲法「無効」論のために有利には利用できない。
 (なお、東独を吸収・統一して統一国家のための新「憲法」制定となるのかと思ったが、現実的発想というべきか、「ボン基本法」の一条項を利用して東独を併合し、むろん多少の改正をしたうえで「ボン基本法」(正式名称は上記)の名称を改めることなくそのまま旧東ドイツ領域にも適用している。)
 ところで、過日、日本国憲法「無効」論に多少の疑問を示す文章を書いたら、すみやかに「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)と色付きで大書した一頁をもつブログ等がTBで貼り付けられた。「ドアホ!」という大きな字を見るのは不快なのでTB不許可の設定にしたら、今度は、同じハンドルネームの人から<TB不許可か、「よくやるね」>とのコメントが送られてきた。
 これも気持ちが悪いので、もっぱらこの人に対する防御を目的として、今のところTBもコメントも不許可にしている。どうかご容赦願いたい
 小山常実は上の著で、「党派を問わず、「日本国憲法」を憲法と認められない全ての方には、…加わっていただきたい」と書いておられる(p.161)。
 私は小山の二つの本を所持し部分的には読み、渡部昇一=南出喜久治の共著も(未読だが)所持している。珍しい、奇特な人間の一人ではないかと思っているが、「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)との色付きの大きな字等を貼り付けるなどというのは(色は忘れたし、確認する気もない)、支持者を増やすのを却って妨げることになるのではなかろうか。
 議論は好んでするが、従うか・従わないかと詰問されるような雰囲気は、好みではない。

0110/保守すべき日本の<歴史や文化や習慣>とは具体的には何か。

 産経5/1のコラム欄で河村直哉が「保守」について、「保ち守るべきものは歴史や文化や習慣に根ざした日本という国のたたずまいだと、まずは確認したい」と述べている。
 こうした理解に反対する気はない。だが-このコラムの主題ではないのだが-、問題なのは、<歴史や文化や習慣に根ざした日本という国のたたずまい>とは具体的に一体いかなるものを意味するのか、だと思うのだ。
 あるいは常識的には、戦前にあり戦後に失われてしまった、又は失われつつある日本的な<精神>又は<道徳規範>といったものを含むのかもしれない。
 しかし、戦後すでに60年以上経過した。前回使った語をここでも用いれば、戦後の<平等・民主主義・平和・無国籍>教育のもとで培われてきた平等観・民主主義観・平和(戦争)観・国家観等は、すでに多くの日本人にとっての「歴史や文化や習慣」として根付いてきている、あるいは「歴史や文化や習慣」の重要な部分そのものになってきている、と言えないだろうか。
 そういう現象を肯定しているのではない。むしろそういう現象に伴う日本国家の「溶解」を強く危惧している。ただ、60年も経過すれば、すでに既成事実として、新しい「歴史」等が発生してしまっているのではないか、と言いたいのだ。
 結局のところ、「保守」主義という考え方において「保守」すべきものは具体的には一体何か、という問題に立ち戻る必要がある。
 冒頭に言及したコラムにおける「保守」の反米と親米の区別(あるいはその相対化)の関係でいえば、抽象的だが、何らかの日本的価値の「保守」(そのためには国家としての「自立」が相当程度の前提になる)と現在のスーパーパワー・米国との関係を(その中にはまず軍事問題が含まれ、その次が経済問題かと思える)どう折り合わせるかという問題だと思われる。そして、二項対立的な議論によって決せられるものではなく、様々のバリエーションの中から、そのときどきの条件・事情のもとでいずれかの「中間」的な選択がなされるのだろう。

0096/渡部昇一は日本国憲法改正に反対している!

 渡部昇一(1930-)という人は不思議な人だ。つい前回、2001年の本では、日本国憲法の三大原則を守ってより良くする改正を、と発言していた、と書いた。
 月刊WiLL(ワック)の2007年6月号の彼の戦後史連載講座5回目は日本国憲法を扱っているが、そのタイトルは「新憲法は「占領政策基本法」だ」で、次のように書く(p.239)。
 「日本国憲法は条約憲法で、ふつうの憲法ではない…。正確に言えば、占領政策基本法でしょう」。/「日本政府は独立回復時に日本国憲法を失効とし、…ふつうの憲法の制定か、明治憲法の改正をしなければならなかった。日本国憲法をずるずると崇め、またそれを改正していくということをすべきではないのです」。
 渡部氏は最近、南出喜久治という人との共著・日本国憲法無効論(ビジネス社、2007.04)を刊行している(私は未読)。この南出の影響を受けたのか、上で語られているのは、明らかに日本国憲法改正反対論だ。十分に丁寧には説明していないが、有効な憲法ではなく占領政策基本法にすぎないのだから、それを改正しても憲法改正にはならない、「日本国憲法」が有効な憲法とのウソを更に上塗りすることになる、という趣旨だろう。
 渡部昇一という人は「保守派」の著名な論客だが、対談する、又は一緒に仕事をする人の考え方の影響を受けやすいのだろうか。今頃は改憲の主張を頻繁にしている方がむしろ自然に思えるのに、何と、日本国憲法無効論の影響をうけて(であろう)、2001年の本とは逆に、改憲に反対しているのだ。2001年の本以外にも彼は、現憲法9条2項の改正を主張する等の論稿・発言をこれまで頻繁に公にしてきたのではなかったのか。
 考え方が変わる、ということはありうる。だが、70歳を過ぎて基本的な問題に関する考えを変えるとは珍しい。また、改憲に反対とは、そのかぎりで、渡部昇一という人は大江健三郎や佐高信と同意見であることを意味する。客観的には、大江や佐高、そして朝日新聞等々を喜ばせる主張を、彼は月刊WiLL誌上で行っているのだ。
 西尾幹二等と比べれば、軽い(噛みごたえの少ない)文章を書く人という印象はあったが、渡部はもはや、かなりの程度、信用できない人のグループに入りそうだ。
 ところで、渡部は、「すべての根元はこの〔八月革命説を唱えた〕宮沢俊義東大名誉教授とその門下生です。病的な平和論者に芦部信喜東京大学教授、樋口陽一名誉教授がいます」と書き、「百地章さんや西修さん」は「まっとうな憲法学者」だとする(p.243、p.244)。
 渡部がじっくりと各氏の(論文は勿論)教科書類を読んだとは思えないのだが、とくに前半は、はたして、どなたから得た情報又は知識だろうか(なお、上半分のうち、宮沢、芦部両氏は故人の筈で、肩書きに一貫性がない。これは、潮匡人・憲法九条は諸悪の根源p.252-3を参照したからではないか、と推測する)。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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