秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

保守

1600/『自由と反共産主義』考⑦。

 1) 「民主主義対ファシズム」という虚偽宣伝(デマ)。
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」。
 3) 反 Liberal Democracy-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。 
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 反共産主義というだけでは~に反対しているというだけで、それに代わる内実または価値がない。
 そこで従来から、「自由」というものを考えてきた。
 社会主義経済に対する「自由主義」経済という言葉は、よく使われるのではないか。
 あるいは社会主義国に対する「自由主義」国。
 藤岡信勝が、かつて「自由主義史観研究会」とかを組織していた。これがマルクス主義(・共産主義)史観に対抗するものとしての表現だったとすれば、適切だったと思われる。
 かつて現実に影響を与えた(与えている)「思想」類のうちで最も非人間的で人を殺戮するのを正当化するそれは、マルクス主義・共産主義だった(である)。
 これに対抗する内実、価値というのは、むろん「自由」ということなのだが、これだけでは分かりにくい。
 人間の本性に即した、人間らしい<価値観>でなければならない。
 その際の人間の本性・本質とはいったい何だろうか。こうしたことから、そもそもは発想されなければならないのだと思われる。
 「これまでの人類の歴史は全て、階級闘争の歴史だった」などということから出発して発想したのでは、ろくなことにならない。
 人間の本性・本質とは、まずは当たり前だが、生まれて死ぬ、生物の個体だということだ。個々の人間は永遠には生きられない、存続できない、というが前提になる。
 しかし人間は、生きているかぎりは、何とか生きていこうとする。
 個々の人間の生存本能、これはどの生物にもあるのだろうが、人間もまた同じだ。
 人間の個体というものは、その細胞も神経も、本能的に何とか「生きよう」としている。これはじつに不思議なことだ。
 高尚な?論壇者も評論家も、秋月瑛二のような凡人でも、変わりはない。
 意識しなくても、正常であれば、健康であれば、自然に呼吸し、自然に心臓は拍動していて、血液は流れている。空腹になれば、自然に食を欲する。
 この個々の人間が誰でももつ、最低限の生存本能を外部から意図的に剥奪することを許すような「思想」があってはならないし、そのような考え方は断固として排せられなければならない。
 人間には親があり、かなり多くの場合は子もいる。
 親と子、その子と孫、言うまでもなく生物・人間としての「血」の関係だ。
 これらの間に自然に何らかの内実ある関係がただちに生じるのではないかもしれない。
 だが、一時期であれ、また二世代なのか三世代なのかさまざまであれ、<ともに生活>することによって、何らかの<一体性>が生じるはずだ。
 生まれてからある程度大きくなるまで、子にとっての養育者の力は甚大だ。また、養育者は、自分たちを不可欠とする生き物としての子らを守ろうとする。養育者は「親」であることが多い。
 子の親に対する、親の子に対する心情というものが、どの程度自然で「本能的」であるかについて、詳細な研究結果については知らない。
 このあたりですでに社会制度や社会の設計論にかかわってくるのだろうが、父・母・子(兄弟姉妹)という「核」は、たいていの人間たちにとって、あるいはたいていの時代において、基礎的単位として措定してもよいように思える。
 まずは「自分」を中心とするのが生存本能だが、自分と自分以外の「家族」のどちらの「生存」を優先するかというギリギリの選択に迫られることもある。
 歴史上は、自分が「食」するための子棄て・親棄てもかなりあった。大飢饉になれば、自分だけでも生きたいとするのが本能で、子棄て・親棄てを<責める>ことのできない場合もありうる。
 そういう悲劇的な事態にならないかぎりはしかし、「家族」を核とする「自分たち」という観念は比較的自然に発生したものと思われる。それを広げれば、一族・血統という、より社会的広がりになってくる。さらには、居住地または耕作地・狩猟地の近さから、<村落>あるいはマチ・ムラの観念もかなり古くからできただろう。
 「自分」や「自分たち」は<食べて>いかないと生存できない、というのが根本の出発点だ。
 そのあたりの部分はどっぷりと現実の体制や政治世界あるいは経済システムの中でそれらを実にうまく利用してながら、頭・観念の中だけで<綺麗事>を述べている人は多い。いや、論壇者・評論家類の全員がそうかもしれない。
 さらには、小賢しく<綺麗事>を述べることを生業にして、それで金を得て<食べて生きて>いる人も多い。いや、論壇者・評論家類の全員がそうかもしれない。
 そしてまた、よりよく<食べて生きて>いくために、<綺麗事>の内容を需要者に合わせて、場合によっては巧妙に変遷させている、かつ自らはそれに気づいていないかもしれない者も多い。
 <綺麗事>の内容、つまりは精神世界のことと、そうではないドロドロとした<食べて生きて>いく世界のことと、いったいどちらを優先しているのか、と疑問に思う論壇者・評論家類もいる。
 ドロドロとした<食べて生きて>いく世界の方を優先するのが人間の本性なのかもしれない。それは、それでよい。そのことを自分で意識していれば、なおよい。
 しかし、そうであるならば当然に、<綺麗事>の内容だけでその人の主張・議論を評価しては決していけない、ということになるはずだ。
 ともあれ、人間の本性・本質から出発する。マルクス主義(・共産主義)は人間の本性・本質に即しておらず、そのゆえにこそ現実化すれば危険な「思想」なのだ、ということを見抜く必要がある。
 安本美典はたしか正当にも、<体系的なホラ話>という形容をマルクス主義(歴史観)に対して行っていた。
 見かけ上の<美麗さ・壮麗さ・論旨一貫性・簡素明快さ>などは、付随的な、第二次・第三次的な事柄だ。人間性と現実に即していなければ、何にもならない。宗教も含めて、<砂上の楼閣>はいっぱいある。
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 上の話はさらに別途続ける。
 反共産主義者は何を、どういう内実・価値を追求すべきか。
 レシェク・コワコフスキの考え方を、詳しく正確に知っているわけではない。
 ただこの人が、この欄ではあえて「左翼の君へ」と題して試訳を紹介した、実在の「新左翼」学者・評論家に対する批判的論評の中で、あっさりと、おそらくは以下の価値を維持すべき又は追求すべき価値だと語っていたように思う。
 「平等、自由および効率性」、の三つだ。さらにこう続けている。
 これらの「諸価値は相互に制限し合い、それらは妥協を通じてのみ充たされうる」。
 「全ての諸制度の変更は、全体としてこれら三つの価値に奉仕する手段だと見なさなければならず、それら自体に目的があると考えてはいけない」。
 以上、この欄の今年の5/13付・№1540=「左翼の君へ⑧完」。原論考、1974年。
 Leszek Kolakowski, My Correct View on Everything (1974), in : Is God Happy ? -Selected Essays (2012).
 もちろん、欧米系の学者・哲学者のいっていることだ。何と陳腐かとも思われるかもしれない。当然に、「平等」・「自由」・「効率性」の意味、相互関連は問題になる。
 だがしかし、ソヴィエト・スターリン時代をソ連とポーランドで実体験したうえでマルクス主義に関する長い研究書を書いた人物の発言として、何気なく書かれているが、注意されてよい。
 ろくに読んでいないが、リチャード・パイプスには、つぎの書物もある。
 Richard Pipes, Rroperty and Freedom (1999).〔私的所有(財産)と自由、およそ330頁〕
 断固たる反共産主義者だと知っているからこそ推測していうのだが、R・パイプスは「私的所有(財産)と自由」を、かけがえない価値だと、そして最大限にこれを侵犯するものが共産主義だと考えているのではないだろうか。
 L・コワコフスキもR・パイプスもじつは「自由」を重要な<価値>としている。
 この場合の自由は、Liberty ではなく Feedom だと見られる。
 そしてこの自由の根源は、自分を自分自身にしてもらう自由、自分の領域に介入されないという意味での自由、そしてまた<自分のもの>=私的所有・財産に対する(消極的・積極的の両義での)自由ではないか、と考えられる。
 自分(・自分たち)が「食べて」生きていくためには、最低限度、自分の肉体と肉体を支える「もの」、食べ物とそれを獲得するための手段(例えば、土地)を「自由」にしてもらえること、「自由」にできること、は不可欠だろう。
 <私的所有とその私的所有への自由>、これが断固として維持されるべきまたは追求されるべき価値だ。
 共産主義は、これを認めない「思想」だ。だからこそ、人間の本性に合致せず、つねに「失敗する」運命にある。
 日本共産党は最小限度の<私的財産権>は認めると言っているが、原理的には、マルクス主義・共産主義は全ての「私有財産」を廃止しようとする。また、<最小限度の小さな私的財産権>の範囲内か否かは、じつは理論上明確になるわけではない。個人所有の小さな土地の上での工場の経営(、販売・取引--)という「私的財産」の「自由」を想定しても分かる。かりに個人的居住だけに限られる土地所有なのだとすれば、それが土地所有の「権利」あるいは「自由」と言えるのかどうか、原理的に疑問だ。
 当たり前のことを述べているようでもある。
 当たり前のようなことを、つぎのように語る、日本の経済学者もいる。 
 猪木武徳・自由と秩序-競争社会の二つの顔(中央公論新社・中公文庫、2015。原書・中公叢書、2001)、p.269。
 「求められるのは、この市場や民主制のもつ欠陥や難点を補正したり、補強作業を行ったりすることによって、なんとか使いこなしていくこと」だ。
 この書の解説者・宇野重規は、「市場と民主主義を何とか使いこなす」という小見出しをつけている。p.288。市場とは当然に「自由」を前提にする。ほとんど同義で、「自由な経済(取引)」こそが「市場」だ。
 佐伯啓思の『さらば、民主主義』(朝日新書)でも、同『反民主主義論』(新潮新書)、同『自由と民主主義をもうやめる』(幻冬舎新書)でもない。
 「民主主義」の価値性については(上記の猪木とも違って)、疑問がある。これと「自由」をごった混ぜにしてはいけないだろう。
 反共産主義を鮮明にしないままで「自由と民主主義をもうやめる」と主張するのは、<ブルジョア>的「自由・民主主義」に対するマルクスやレーニンの批判と、これらの欺瞞性・形式性を暴露しようとするマルクス主義・共産主義者による批判と、変わらない、と敢えて言うべきだ。
 市場(market)にも「自由」にも(あるいは「民主主義」にも)当然に問題はある。
 「民主主義」は左翼の標語だとこの欄に書いたこともある。
 これはあくまで<手段>の態様を示す概念で、追求すべき「価値」とは異なる次元の概念だと考えている。
 これはさしあたり措いても、近代的(欧米的)「自由」はなおも、日本でも、日本人にとっても、追求・維持すべき価値だろう。
 そこに「日本的自由」が加わると、なおよい。
 できるだけ自分の言葉で書く。重要なので、このテーマでさらに続ける。
 問題は、<私的所有・自由>と権力または「国家」との関係にこそある。
 共産主義者または「左翼」ではない者(=<保守>)こそが、こういう基本設定をしておくべきなのだ。
 こういう基本的な問題設定が曖昧な議論、文章というのは、どうも本質的に理解しづらい。

1599/読売新聞6/22朝刊と櫻井よしこの<革命>容認論。

 読売新聞6月22日朝刊13面。「調査研究本部主任研究員・舟槻格致」による憲法改正論議に関する解説は、穏当だ。
 基礎知識に誤りはないと思うし、今後について特定の方向へと偏ってもいない。
 憲法現九条1・2項を残したままでの自衛隊明記は、あり得る。
 これはこの上記の読売記事で大石眞(京都大学名誉教授)が「あり得る選択肢」と語っている(らしい)ことと同旨で、憲法・法的に見て疑いはない。
 くり返せば、2015年成立の平和安全法制が合憲であるならば、自衛隊の存在を前提とするその法制の基礎的解釈部分を憲法上に明記しても、2015年時点で合憲だったのだから、憲法現九条1・2項と矛盾するはずはない。
 櫻井よしこらの愚見・無知、かつ多大の危険性は、のちに触れる。
 憲法九条に関する議論を少しでも熟知しているならば、当然に、上の大石眞のようなコメントになる。
 むろん、どういう内容の条文にするのかの問題は、大きく残る。
 また、九条3項、九条の二、のいずれにするか、という問題も残る。
 上の読売解説記事は、「法的に大きな差違は生じないとみられるが、政治的には後者の方が」現九条には一切触れなかった「と説明できる長所がある」と、ほとんど適切に記述している。
 安倍晋三発言の内容を正確には知らないままでこの欄ですでに数度言及したが、安倍晋三はこの点にまで言及したのではなかったようだ(たしかに、読売が伝えていたように、橋下徹は後者を支持していた)。
 上の選択にかかわる<メッセージ性>についても、すでにこの欄で記した。
 上記解説記事が正確なのは、いわゆる<芦田修正>、または九条二項冒頭の「前項の目的」うんぬんの追加に関して、つぎのようにしっかりと書いていることだ。
 「政府は、自衛隊が認められてきた根拠は『芦田修正論』ではないとの立場だ」。
 これが政府・実務解釈だ。
 この冒頭の文言を使い、<文民>条項の追加導入等を根拠にして、あるいは九条の立案・制定過程を調べて<自衛>目的の「軍その他戦力」は二項によって禁止されていないと解釈する<保守派>憲法学者もいるが、それは成り立ちうる解釈ではあるものの、政府・実務解釈ではない(私的解釈にすぎない)。
 産経新聞関係者、月刊正論関係者あるいは「特定保守」論者には無知による混乱があるかもしれないが、上の点はきちんと理解しておく必要がある。
 自衛隊は、そもそも、「軍その他戦力」ではないがゆえに、設立当初から、九条二項違反=憲法違反ではない、と政府・法制局実務によって解釈されてきたのだ。
 すでに月刊Hanada7月上の櫻井よしこ冒頭論考について呆れてコメントした。
 櫻井よしこは、週刊ダイヤモンド2017年5月27日号でも「アホ」を繰り返している。また、きわめて危険なこともじつは述べている。
 いわく、「『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』と定めた2項を維持したままで、いかにして軍隊としての自衛隊の存在を憲法上正当化し得るのかという疑問を、誰しもが抱くだろう」。
 この部分は、月刊Hanada7月号と同じ。文章・原稿の<使い回し>だと思われる。
 また安倍晋三についていわく、「少々の矛盾は大目的の前には呑み込むのが政治家であり、大目的を達成することが何よりも大事なのだという現実主義が際立つ」。
 「少々の矛盾」が現九条と安倍晋三発言内容との間にあったのでは、憲法上または法的には、絶対にいけない。安倍晋三も、法論理上の矛盾はないことを理解している。
 しかし、この櫻井よしこの文章は、「少々」は憲法上問題があっても、つまり違憲でも(「2項を維持したままでいかにして…自衛隊の存在を憲法上正当化し得るのかという疑問を誰しもが抱く」)、「大目的を達成する」ための「現実主義」を優先させようとするものだ。
 また最後に櫻井よしこいわく、「自衛隊を違憲の存在として放置し続けるのは決して国民の安全に資することではない。今、改正に取り組みたいものだ」。
 こうして読むと、既に記したことだが、櫻井よしこは今のままでは「自衛隊を違憲の存在として放置し続ける」ことになる、と考えている。これは、長谷部恭男らも採用していないところの、日本共産党および同党員憲法学者の憲法九条二項の解釈と全く同じだ。その根拠は、たぶん、<自衛隊って、軍隊でしょ>という中学生のような単純な理解だ。
 そのうえで、つまり現二項と自衛隊は矛盾している(自衛隊は二項違反)との前提のうえで、現二項と「少々の矛盾」があっても、「自衛隊の存在」を肯定するという「大目的」のために、「現実主義」を優先して、「改正に取り組みたい」、と櫻井は主張している。
 強固かつ執拗な、安倍晋三擁護の姿勢はさておく。
 このような主張がきわめて危険であるのは、<多少の憲法違反>よりも<現実主義>を優先させてよい、としていることだ。
 これは、安倍晋三の考えでもない。
 危険な、<憲法否定>、<立憲主義否定>の論理だ。
 憲法よりも国家、憲法よりも歴史、法よりも現実、これはすでに一つの<思想>であって、いちおうは日本国憲法のもとでの法的枠内で憲法改正運動を含む諸活動をしているはずの者たちが採るべきものではない。
 これは、法的非連続性を承認する、または前提とする<革命>を容認する思想だ
 <櫻井よしこによると憲法違反の存在である自衛隊の存在>を、憲法上の「少々の矛盾」を無視して、いわば超憲法的な<現実主義>に立って正当化しようとするもので、<極右または極左>または<極右かつ極左>の<革命>擁護論を胚胎させている。
 きわめて危険な発想だ。こんなことを主張する者がいるから、それこそ<反立憲主義>という主張が、<保守>派に対して投げかけられる。
 決して安倍晋三は、そんなことを主張してはいない。
 繰り返すが、自衛隊設置を前提とする限定的集団的自衛権行使は現憲法九条(一項・二項)に違反していない、とするのが、現在の国会議員が構成する国会の憲法解釈だ。
 自衛隊そのものが現憲法九条二項に違反すると現国会が憲法解釈しているはずはない。
 上のような<危険>思想にたどりつこうとするのも、ひとえに櫻井よしこの無知と無恥によるものと、(まだ好意的に)せめては理解しておきたいものだ。
 なお、以下、念のために追記する。
 現九条二項を削除して、新二項以下でまたは新九条の二以降で、自衛軍・国防軍・国軍の設置等を明記する憲法改正も、当然に「あり得る」。
 憲法改正の限界内の憲法改正は現憲法も許容しており、このような憲法改正が憲法に違反することにならないのは当然のことだ。このような意見が自民党内にあることも、各種報道は伝えている。 

1567/「日本会議」事務総長・椛島有三著の研究①。

 「研究」というのは、おこがましい。感想、コメント程度を書く。
 今はやりの「日本会議」研究本?は、<民主主義対ファシズム>程度の感覚の単一層・単一面の素朴で単純な意識によるものが多いと見られ、どの程度に総合的で客観的な叙述になっているかは、相当に疑問だ(しかし、日本共産党中央からの「指令」にもとづいているものも間違いなくあると見られる)。
 「日本会議」自体を扱うつもりはないし、椛島有三「個人」を「研究」するのでもない。
 櫻井よしこの悲惨・悲痛の原因をつきとめてみたい、という気持ちが強い。
 きっと、「日本会議」事務総長の方の著書ならば、ヒントがあるだろう。
 少し迂回する。
 月刊正論(産経)の三年前の三冊の背表紙には、こう、目立つように書かれていた。この当時の「編集人」は、小島新一
 2014年4月号/激化する歴史戦争に立ち向かえ。
 2014年5月号/慰安婦・歴史戦争、我らの反撃。
 2014年6月号/歴史戦争、勝利への橋頭堡。
 名もなき多くの日本の<保守的>読者が、熱心に読んで頷き、心強く感じていたかもしれない。
 あれれ? しかし、この「歴史戦争」はいま、いったいどうなったのか?
 続いているのか、どのように続いているのか。それとも、勝ったのか、負けたのか?
 月刊正論編集部は「編集代表」・編集部が交替したなどと言わずに教えてほしいものだ(いや、この当時の編集部にちゃんと「菅原慎太郎」の名もある)。
 あるいはたかが月刊雑誌編集部では適切にな判断ができないなら、よく知らないが、産経新聞内の月刊正論等の雑誌統括部局の長、あるいは産経新聞社の社長でもよい、きちんと答えていただきたいものだ。
 それとも、上に書いたのは眼が悪くなった私の幻影なのか?
 そんなことはない。ちゃんと、書かれている。
 真面目に上のように月刊正論の背表紙に書いたのだから、それなりの意思・気持ちがあったのだろう。
 その後は、いったいどうなったのか? その年の夏に朝日新聞社が大騒ぎして、月刊正論も勝ち誇っているように見えたが、あれはいったい何だったのだろうか?。あれも幻像だったのか、はて?
 かつての一読者あるいは国民として、このような疑問を持って、当然なのではないか。
 このような疑問を発する「権利」が、我々にはあるのではないか。
 奇妙なことは、月刊正論(産経)にもよく登場する、同編集部が別冊<一冊まるごと…>をすら発行したらしい、櫻井よしこについてもある。
 立ち入らない。櫻井よしこの、時期の異なるつぎの三つの文章をきちんと比べて読んで見れば、この人の最初の感覚とその後の<ひどい(悲痛な)詭弁>がよく分かる。安倍内閣戦後70年談話についてだ。
 ①櫻井よしこ・週刊新潮2015年8/27号=同ウェブサイトにあり。
 ②櫻井よしこ・日本の未来(新潮社、2016.05)p.192の「追記」。
 ③櫻井よしこ「安倍総理は…」月刊Hanada2017年7月号(飛鳥新社、発行人・編集長/花田紀凱)p.38~p.39。
 さて、椛島有三・米ソのアジア戦略と大東亜戦争(明成社、2007.04)。
 この2007年4月というのが、どういう時期だったかは別に触れるだろう。
 1997年5月30日が「日本会議」設立宣言日なので、事務総長としてほぼ10年経ったあとの書物になる。
 本人の「あとがき」を除くと第5章までと「補論」がある。タイトルは、つぎのとおり。
 第1章・昭和天皇のご見解-大東亜戦争の原因について。
 第2章・アメリカのアジア戦略について-アメリカのアジア戦略の原点は満州獲得だった。
 第3章・満州事変の背景-米ソによるアジアのヤルタ体制の第一歩は満州で始まった。
 第4章・アジアにおけるヤルタ体制の誕生-米ソがもたらした志那事変の勃発と泥沼化。
 第5章・大東亜戦争の真相に迫る-すでに戦争は始まっていた。
 補論・朝鮮戦争を通じ初めて日本の立場を理解した米国。
 全行にわたって熟読したわけではないが、対象・内容はおよそ満州事変以降の「大東亜戦争」で、この時期の日本国家の立場を擁護し、主としてアメリカを批判していることが明らかだ。つぎのような「節名」もある。
 「国際的に認められ、正当性をもった日本の中国大陸における権益」。p.46。
 「満州事変はなぜ起こったか-①日本人居留民の被害、②絶対絶命のなかで起きた満州事変」p.80。
 「日本は自衛戦争を戦った」p.117。
 「アメリカによる徹底した日本の封じ込め」p.172。
 「生存をかけた日本の戦い」p.181。
 重大な関心事は、このような内容の書物を「日本会議」事務総長名を明らかにして刊行していた椛島有三は、2015年夏の安倍内閣戦後70年談話における「満州事変」以降の日本に関する叙述を、どのように聞いたか、だ。
 安倍談話は必ずしも明瞭ではないところはあるが、根本趣旨を理解できないような日本語文ではない。また、1995年村山談話と同様に、内閣としての<政治文書・政治談話>であることは、あえて記すほどのことではない。これを「学究的、研究論文」ではないからよいなどと論評するのは(櫻井よしこ)、一部の厚顔無恥の、悲惨な「頭内」状態の人に限られるだろう。
 明らかに、椛島有三の歴史認識又は歴史叙述と安倍内閣の2015夏時点での歴史認識・歴史叙述は異なっている。かりに100%とはいわなくとも、きっと75%くらいは異なっている。
 椛島有三は、この談話に対して、どう反応したのだろうか。
 椛島有三は補論でジョージ・ケナン(George F. Kennan)等の言を持ち出して、朝鮮戦争を通じてアメリカは、かつての敵国までもが、かつての「日本の立場」を分かってくれた、と書いているが、その「日本の立場」を、安倍内閣戦後70年談話は、きちんと述べたのだろうか。
 そうでないとすれば、椛島有三は安倍談話を批判して当然だった。
 「日本会議」は、2017年夏の安倍内閣戦後70年談話について、どういう公式態度を表明したのだったのだろうか。よく知らない。少しは、調べてはみる。
 つづく。

1561/『自由と反共産主義』者の三層等の闘い⑤ー「日本会議」とは何か。

 1) 「民主主義対ファシズム」という虚偽宣伝(デマ)。
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」
 3) 反 Liberal Democracy-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
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 1) の点にしか関心を持たない人々はまだ多い。
 <民主主義対ファシズム>は、<民主主義対日本軍国主義(の再来)>でもよいし、<ふつうの人対右翼・反動>でもよい。
 こう二項対立的にだけ捉えて、上の文字対比もそうだが、<右側>にさえ進行させなければ日本は助かる、と思っている人々だ。
 <右翼>にだけは進ませてはならない、それを代表するのは安倍晋三であり、橋下徹であり、自民党の背後にいる「日本会議」ら<極右>団体だ、と警戒する。
 <左側>には誰がいるのか ? 日本共産党という「左翼」もいるが、この政党は温和しくて「平和的」そうだし、われわれの戦いの力強い味方になってもくれそうだ、とまるで警戒しない。
 そういう、<真ん中ふうの>、良心派・良識派だと自分を位置づけている人は、少なくはないだろう。
 <保守>の側からすれば、<民主主義対ファシズム>という定式自体が、誤謬へと導くもので、悪質な虚偽宣伝図式だ。なぜならば、ファシズムといってもそれと同じ又はきわめて類似した「コミュニズム(共産主義)」もあるのであり、「民主主義」と対抗させるならば、ファシズムと共産主義とを合わせた「全体主義( the totalitarianism, die totale Herrschaft)」を挙げるべきだ。
 そして、元来の<民主主義対ファシズム>とは、第二次大戦での対独伊(・日)での対立軸とされ、<民主主義>の中にソヴィエト連邦も含んでいたという欺瞞があると、まともな<保守>は考える。
 英米仏・ソ連-対ー日独伊、という対立図式を語るのは、<連合国史観>だ。
 今日に「民主主義対ファシズム」という対立図式を維持しようとする無邪気な人々は、この決定的に重要なことを忘れている。
 ソ連は、いかなる意味で「民主主義」国だったのか ?
 戦後の東欧諸国等も含めて、「人民民主主義」あるいは「プロレタリア民主主義」の国だったのか。英米仏の(ふつうの ?)民主主義とどう違うのか。
 ここまですら立ち入らないで、<民主主義対ファシズム>という図式で思考したい無邪気な人々はまだ多いかもしれない。
 この対立図式を喜ぶのは、かつて日独伊を敵にして戦った(とされる)国の一つ、ソ連の公式イデオロギーだったマルクス主義・共産主義をなおも支持し、基礎にしている、国家(例えば共産中国)や政党だ(例えば日本共産党)だ。
 巧妙に、自分たちを「民主主義」陣営の中に隠してしまう。
 だがそれはじつは、例えば日本共産党にとっての「革命戦術」でもある。つまり、「民主主義革命」-「社会主義革命」という<二段階革命>論を採ることを明記・明言する日本共産党にとって、当面は「民主主義(の徹底)」を擁護し、周囲に「民主主義」を警戒しない国民たちを引きつけるのは、重要な戦略であり、当面の目標ですらある。
 <保守>の側には、「東京裁判史観」の拒否を主張する、唱道する人々が多いようだ。
 しかし、「東京裁判史観」という語は必ずしも適切ではない。
 つまり、アメリカの単独軍事占領途上のこの「東京裁判」の主体はアメリカだった、正確にはアメリカのみだった、という印象を与えかねない。
 時期的にもむしろ、アメリカの対戦争観は日本占領時に形成されたのではなく、戦時中からあったと見るべきで、それはとっくに<戦後処理>のための諸会談等に現れていた。
 したがって、<連合国史観>とでも呼ぶべきだろう。
 <東京裁判史観>という語は、戦後直後のある一時期にのみ焦点、関心を集めてしまう、そして「敵」をアメリカにのみ求めがちになりやすい、という難点があるだろう。
 間に「東京裁判」の語について挿んだが、元に戻ると、<民主主義対ファシズム>という幻想・虚偽宣伝を打破するためには、やはり2)の<反共産主義>の意識化、明確化が同時に必要だ。単層、一面だけの思考をしてはいけない。
 すでに述べた<民主主義対ファシズム>意識者は、一面・一相・一層でしか物事の基本的事項を理解できない人たちだ。これに反対する<保守>は、多面的・多構造・多様相の、総合的・立体的な思考をしなければならない。
 時代的かつ論理的には 1)の基本論点が先行するようにも思えるが、1) と2) は厳密に分けることができない。
 したがってまた、「反共産主義」を明確にできない、正面から掲げない<保守>は、決して、<民主主義対ファシズム>という幻想・虚偽宣伝を打倒することはできないだろう。
 そのような<保守>は、逆に、<ファシズム>の側に追いやられて、相変わらずの ?「右翼だけはダメだ」という単純な思考に負けてしまう可能性が高い。最終的に勝利することは、おそらくないだろう。
 <反共産主義>を主張しない、あるいはそもそもコミュニズムという思想とそれがもたらした(もたらしている)凄絶な現実に対する関心・興味を示していないと見える櫻井よしこや、あるいは椛島有三ら「日本会議」派は、この基本的な論争点・軸の視点について、大きな欠陥を抱えている。欠陥というよりも、欠如しているごとくで、話にならないのだ。例えば、「日本会議」ウェブサイトで「マルクス主義」や「冷戦」がどう語られているかを見てみたまえ。
 もっとも、そのような、つまり<反共産主義>を具体的・明確に説かない<保守>論者は、櫻井よしこ等々または「日本会議」系以外にも多い。これが、日本のじつに憂うべき点だ。例えば、佐伯啓思には<反共産主義>が全くかほとんどない。「自由と民主主義はもうやめる」だけではダメだ。西尾幹二においても不足している。
 1) と2) は、論理的に不可分だが、勝利すればよいし、それは不可能とはいえない。
 しかし、3) は、そうではない。つまり、近代的または欧米的 Liberal Democracy は、われわれ日本と日本人の一部にすでになってしまっている。
 明治以降の歴史の現実によって、そうなってしまっている。戦後に特有な現象ではない。むしろ戦前・戦中の方が、日本<独自>性の意識は強かったかもしれない。
 したがって、<切り分け>が必要だ。
 近代的または欧米的 Liberal Democracy とは、現日本国憲法の「思想・理念」でもある。今の日本は、<1947年憲法>体制の時代だ。
 3) をくぐり抜けるには、この憲法との大きな戦いが必要でありかつ、擁護すべき所は擁護する必要がある。
 自衛隊にかかる九条問題や緊急事態条項などは、理論的・歴史的には、じつは些細な問題で、九条に特化したような<護憲対改憲>の対立が大きな根本的対立軸になっているのは、一種の<幻影>だろう。あるいは、そのように、<平和・軍事>問題に関心を集中させたい勢力があるのだろう。
 現九条二項は、近代的・欧米的 Liberal Democracy と何の関係もない。
 現九条二項護持論者は、じつは全くの<日本独自>論者で、偏狭なナショナリズムの持ち主だ。あるいは、「社会主義(共産主義)」国に対する武力を日本に持たせたくない、又は自分たち「共産主義」者に武力が向けられるのを怖れている「共産主義」者たち、つまり日本共産党等だ。
 近代的・欧米的 Liberal Democracy との闘いという意識は、西尾幹二や佐伯啓思らにはきっとあるだろう。
 しかし、この点でも決定的な欠陥をもつのは、櫻井よしこらおよび椛島有三ら「日本会議」系の<保守>だ。
 <天皇・皇室>は、これだけでは「価値」にならない。
 <日本>を語るのはよいが、その具体像に踏み込まなければいけない。日本の<歴史と伝統>だけではほとんど全く意味がない。
 この人たちは、何を追求しているのか、「訳が分からない」人々だ。
 現憲法のどれを基本的には残してどの部分は「改正」するのか、という議論が本当は必要だ。
 明治憲法にいったん戻って、そのあとどうするのか? まさかそのままでいくわけにはいかないのでは?
 三権分立-最高裁判所等は維持するのか? 「国家」と「国民」との基本的な関係をどう築くのか(いわゆる<公共>と<人権>の問題)?
 じつは重要な将来の課題はいっぱいあるのだ。
 中央国家(この場合は国会と裁判所機構を含む)-都道府県-市町村という(東京都区部を除く)三層構造は憲法の問題か法律の問題か?
 最高裁判所とは別に「憲法裁判所」を、ドイツや韓国のように、設置するという議論はどうなのか? 今のような「参議院」でよいのか? そもそも現在のような国会-内閣の基本的関係を維持するのか(議院内閣制か大統領制か。これは上の三権分立に関係する話でもある)。
 真面目に思考する人はほとんどいない。
 <保守>を商売にしている人が多すぎる。<左翼>を生業としている人々は、さらにもっと多い。いいかげんにして死んでしまわないと、精神の健康さを保てないようにすら思える。

1546/櫻井よしこを取り巻く人々-月刊正論編集部とその仲間たち。

 月刊正論編集部が今年3月に、その別冊29号として、<一冊まるごと櫻井よしこさん>という雑誌(一冊の書物のような)を発行している。
 これを私が購入するはずがない。同誌の通常の6月号末尾によると、編集部を構成するのは、以下のとおり。
 (代表・編集人)菅原慎太郎、(編集部)安藤慶太・溝上健良・内藤慎二・八並朋晶
  <一冊まるごと櫻井よしこさん>を発行するくらいだから、よほど櫻井よしこに傾倒している(または「商売」のために最大限に利用している)人々なのだろう。
 菅原慎太郎は、編集人(編集長)としての最初の編集後記(「操舵室から」)に、月刊正論に異動することとなりE・バークを思い出して読もうと思ったが結局読めなかった、というようなことを書いていた。
 すでにこれだけでも、菅原慎太郎の「水準」が分かる。
 第一、エドマンド・バークという「保守」主義者の名前を知っている。しかし、「保守」的というだけでこれを思い出すというのは、それまではそんなことを感じずに済む産経新聞社内の部署にいたということを示す。
 第二に、読まなかったのにわざわざ上のことを書くというのは、私もE・バークの名くらいは知っているのですよ、と言いたかったに違いない。
 そうでなければ、わざわざ書かないはずだ。
 月刊正論の編集代表者が、かりに万が一事実でも、レーニン全集を全巻揃えて自宅に所持しています、とは書かないだろう。
 ネット上で分かる、櫻井よしこが「理事長」の国家基本問題研究所の「役員」名簿(「役員紹介」欄)を見ると、興味深い。 
 いろいろな人がいる。つぎの二人も、「評議員」だ。
 ・立林昭彦/月刊WiLL編集長。 ・花田紀凱/月刊Hanada編集長。
 あれあれ、今年になってたぶん1月に<保守系>三誌は「同人誌」のごとくになっていると書いたのだったが、月刊正論編集部は上記のとおりだとして、あとの二雑誌の編集長もまた、櫻井よしこを理事長として戴く「国家基本問題研究所」の「評議員」なのだった(2月頃に気づいていた)。
 こうなると、<保守系>三誌に繰り返して、頻繁に<櫻井よしことその仲間たち>が登場していることは、謎でも何でもない。
 興味深い氏名は、他にもある。副理事長の田久保忠衛の名前は、もう書いた。
 平川祐弘/理事、屋山太郎/理事、加地伸行/評議員。
 「研究顧問」4名のうち2名-加地伸行・平川祐弘
 ついでに、「客員研究員」の1人-藤井聡
 以上の人々を全くかほとんどか、あるいはひどくか、信用していない。
 屋山太郎、田久保忠衛について、何度か触れた。
 あえて記しておきたいのは、天皇譲位問題について<アホの4人組>とこの欄で称した4人のうち2人が(櫻井よしこを含めて)この研究所の役員であり、加地伸行を加えて(ヒアリング対象になれば平川祐弘らと似たことを言っただろうという意味で)<アホの5人組>と称した5人のうち3人が、この研究所の役員だ、ということだ。
 さらには何と、この研究所の「研究顧問」4名のうち2名は、<アホ>仲間(加地伸行・平川祐弘)だ
 以上に明記した人々は、もうどうしようもないだろう。
 一方、どうしてこの研究所の役員なのだろうかと感じる人々もいる。
 そのような人々には、とくに言いたい。
 国家基本問題研究所の「役員」をしていて、正確には櫻井よしこを「理事長」とするような「研究」所の「役員」の肩書きを付けていて、恥ずかしくないのですか、と。

1530/櫻井よしこ・憲法とはなにか(2000)批判のつづき。

 ○ 櫻井よしこは、前回に言及した2000年刊行の本で、日本の「憲法」の最初は聖徳太子の「十七条の憲法」だとし、その二条についてつぎのように述べる。
 原文は「二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。」で、<二に日す、篤く三宝を敬え。三宝とは、仏、法、僧なり。…>という現代語訳になる。
 櫻井いわく。これを仏教だけのことしか書いていないと批判する神道等他宗教の人もいるようだが、長谷川三千子の指摘等によると「仏法」とは「もっと普遍的な価値観」だったのかもしれない。/「太子自身も仏道に励み、斑鳩寺を私寺として建てたことや、天皇をも仏法に導いたことは、恐らく読者の皆さんも高校や中学の歴史で学んだことでしょう」。p.191-2。
 仏法の普遍的意味に立ちいらなくとも、なんと、ここでは櫻井は、聖徳太子と「仏教(仏法)」の密接な関係を認め、「高校や中学の歴史で学んだ」だろう、とまで言う。
 今年2017年に週刊新潮で聖徳太子に言及した場合の、櫻井よしことは大違いだ。
 一貫性のなさ。櫻井よしこはこれで一貫している。また、考え方、理解の仕方が変わったのならば、きちんと説明すべきだろう。
 ○ ところで、井沢元彦の逆説の日本史シリーズ(週刊ポスト連載)の内容は相当に「血肉」のようになっていて、だいぶ前に読んだのと該当巻・頁を特定するのが面倒で却ってこの欄で明記することが少ない。
 聖徳太子等に関する第二巻ではなく、第一巻に、興味深いことが書いてある。
 井沢元彦・逆説の日本史/古代黎明編・封印された「倭」の謎(小学館、1993/のち文庫化)
 <雲太、和二、京三>というのは平安時代にできた言葉(p.144)だ。
 そして、第一位・出雲(出雲大社)、第二位・大和(東大寺)、第三位・京(御所)と、建物の規模の大きいもの順の意味らしい(そのように理解するのが通常らしい)。
 井沢元彦p.149. によると、これはまた、聖徳太子・十七条の憲法の第一・第二・第三という各条の重要性の順序に合致する、という。
 これは、少しは意表を衝くのではないだろうか。(出雲大社がかつて本当に現在の二~三倍ほどの高さを持っていた、との考古学資料も出たことについては割愛)。
 第一・「和の精神」/出雲の平和的な「国譲り」伝説-跡地での出雲大社。
 第二・仏教/東大寺(大仏ではなく、それを包含する建物・大仏殿のとくに高さ)。
 第三・天皇/御所。「承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。」-<天皇の命令を受ければ必ず謹んで従いなさい。君はすなわち天であり、臣はすなわち地である。> 
 そして井沢は、「和」の精神こそ、天皇よりも仏教よりも大切な「日本」の精神だと強調する。その是非はともかく、聖徳太子は「和」のつぎの第二として「仏教・仏法」を挙げていた、ということに注目せざるをえない。
 これは、櫻井の現在の感覚とは相当に異なるだろう。
 ○ 櫻井よしこの本に戻る。
 櫻井は明治憲法制定過程に言及する中で長谷川正安の本を使い(p.197-8)、それに間違いなく従って、「憲法思想」は「政府的立場」と「民間的立場」、憲法論議は「神勅にもとづいた神権国家説」と「天皇もまた法の下の支配者であるという法治国家説」の二つの大きな流れに収斂された、と書く(p.198)。
 憲法制定史を概観し整理しておくには、重要な二分であるような印象がある。しかし、櫻井よしこはこの二つの立場・国家観の対立がその後にどうなったかにいっさい言及しない。
 たぶんこの辺りの文章を書いていたときは長谷川正安の本を手元において見ていたが、そのうちに忘れたか、読みやすい又は理解しやすい別の文献を見つけて、そちらに関心が移ってしまったのだ。
 週刊誌二頁くらいだと分からないが、それをまとめて一冊にしたような場合には(櫻井・憲法とはなにか(小学館)も似たようなものだ)、そういった仕掛け・楽屋裏がバレてしまう。
 さらに、櫻井よしこは何のこだわりもなくいったん引用、言及したようだが、長谷川正安とは、憲法に関して岩波新書をいく冊も出版していた、著名な、日本共産党の党員学者だった(当時/名古屋大学)。
 日本共産党・同党員の本だからいっさい引用・言及してはいけない、とは言っていない。
 しかし、上のような<二分>自体にじつは、単純な<権力・民衆>や<神権・民権>の各対立という共産党学者的な見方がすでに出ている、ということに気づくべきだろう。
 櫻井よしこの「無知」は、たとえばこういった点にも見られる。
 また、いったん言及した根拠文献がいつのまにか消失してしまっている、ということもあるわけだ。
 国家基本問題研究所の役員たちは、こんな櫻井よしこが「所長」でいることを、恥ずかしいとは感じないのだろうか。

1529/憲法九条改正と櫻井よしこの「自衛隊・違憲」論。

 ○ 日本国憲法「改正」問題については、「改正」論を嘲笑し唾棄すべきものとする同廃棄論・同無効論についても含めて、この欄でたびたび触れた。
 憲法現九条の問題についても同じ。したがって、新たに述べたいことはほとんどない。
 ○ 先日に安倍晋三・自民党総裁(首相)が、憲法九条三項の追加による自衛隊の合憲性の明確化を提唱したようだ。
 現在の自民党改憲案では現九条二項を削除し、新たに「九条の二」を設ける(これは「九条二項」の意味ではない)こととしているので、同じではない。
 総裁が党の案と違うことを明言するのも自民党らしいし、また現改憲案とはその程度の位置づけなのかとも思う。が、ともあれ、たった一人で思いついたわけではないだろうし、かつまた、法技術的に見て、上のような案も成立しうる。想定していなかった解釈問題が多少は、生じるだろうが。
 それよりも、テレビ報道のかぎりでは、安倍晋三のビデオ・メッセージが伝えられたというその場で、その後なのか前なのか、櫻井よしこが<緊急事態条項の追加を!>という、安倍晋三のメッセージとは異なる、<あっち向いてホイ>ふうのことを大きく喋っていたのが記憶に残った。
 とくにビデオ放映の後だとすると、何とトンマな人だろうと思う。櫻井よしことは。
 むろん、自民党も含めた憲法改正賛成派の中で、改正の優先順位に関する議論にまるで一致がない、という問題がある。
 改正手続の改正(現96条。過半数でま発議を可とする改正)からという話も、安倍政権のもとであった。法技術的な議論の検討を別とすれば、憲法九条の問題が、観測気球ではなく、かなりの本気度をもって提言されているとすると、歓迎する。憲法改正のためにも、橋下徹・維新の会を大切にすべきとの、秋月のこの欄でのだいぶ前での主張・予見は、適切だったことが証されそうな気もする(元月刊正論編集部・桑原聡や、橋下について<ロベスピエールの再来>の危険があるとした佐伯啓思大先生は、その後、どう思っているのか ?)。
 但し、重要なのは、憲法改正による自衛隊合憲化(又は自衛軍・国防軍の明記)は現憲法の一部、軍事問題についての一定の「改正」にすぎず、かりにそれが成されたからといって、<保守革命>が起きたかのごとく歓ぶことになるのでは全くない、ということだ。
 一部だけでも改正する実績ができることは、戦後史の大きな転換ではある。しかし、自衛隊合憲性明記がいかほどの<変革>になるかは、じつは相当に疑わしい。現憲法、現条項のもとでも(さらには「前文」を変えなくとも)、2015年の平和安全法制程度の諸法律等を制定するのは不可能ではなくなっていたのだから。この程度にしておく。
 ○ 櫻井よしこは、改憲民間団体の共同代表でもあるらしい。
 しかし、この人物はかつて2000年に、どう言っていたか。以下による。
 櫻井よしこ・憲法とはなにか(小学館、2000)、p.226-。
 櫻井は、「『自衛隊は違憲』から出発しよう」と節の見出しをつけ、このとおりのことを述べている。p.228。
 現九条二項は「あまりにも明確に自衛隊の存在を違憲だとする文言です」。
 「自衛隊は現行憲法においてはもはや違憲の存在であるという視点でもう一回憲法を見て」みると「ストンと納得がいく」、「憲法がわかりやすくなって」くる。
 社会党は村山内閣で自衛隊合憲論へと変化したが、「皮肉なことに自衛隊は合憲か違憲かという点については」、「以前の社会党の主張が正しかったとも思えるのです」。
 この叙述の意味を再述しはしない。
 櫻井よしこの憲法論(あるとすれば)に特徴的なのは、形式的な「文言重視」主義で、不文憲法や不文法原理というものの存在を想定していないことだろう。
 したがって、じつに幼稚な、中学生・高校生レベルの認識・議論をしている(そのレベルのものは、他の論点にもこの人には多々ある)。
 そしてまた、自衛隊=「違憲」ということは、自衛隊法という法律を含めて、自衛隊の活動に関するすべての関連法律諸条項は「違憲=無効」となって<法的>には過去も現在もあってはならないことになる、という帰結となることも、おそらく櫻井よしこは理解していないと思われる。
 文章には<規範・希望・予測>等の<観念>を叙述するものと、<事実>を叙述する(少なくともそのつもりの)ものがある、という区別自体が、この人には存在していないのではないか、と強く疑っている。
 なお、二項の冒頭の「前項の目的を達するため」との文言に着目して政府側が合憲視していたかの理解は、誤り。
 日本側の幣原喜重郎による九条提言説を江藤淳の書のみを使って却下しているようなのも、きわめて不十分。
 この本も、他にもあるが、この人が「勉強」した(つまり情報収集に使った)本を引用したり、抜粋要約したりして、他者のものを結果として<なぞっている>だけだ。櫻井よしこの独自性はどこにあるのか ?
 ○ 櫻井よしこは、九条関係の諸議論を、おそらく全く分かっていない。
 近年は、九条一項は維持して九条二項を改正すべきと、櫻井は主張しているようだ。
 主張・見解を変更すること自体を批判できないだろう。
 だが、2000年時点で<自衛隊・違憲>論を明確に主張していたことは、上記のとおり間違いない。
 現在の立論へとどのように変化したのか、あるいは違憲のものを合憲にしたいだけで変わっていないと主張するのか(この立場だと2015年平和安全法制も違憲だ)。
 いずれにせよ、櫻井よしこはきちんと説明する責任があるだろう。民間憲法改正運動の代表者、国家基本問題研究所の所長という肩書きを付けていることを認めるのならば。

1523/日本の保守-「宗教と神道」・櫻井よしこ批判④05。

 ○ 櫻井よしこは、日本の一般国民の日常的な神仏の感覚を侮蔑してはいけない。
 神仏の区別の曖昧さ、または神仏混淆・習合、についてつづける。
 一回だけ、本堂か本殿かの前に立って、手を合わせ始めて、一瞬か数秒か、ここは神社だったか寺院だったかが分からなくなっていたことがあった。両掌で叩いてしまっては、仏教寺院ではたぶんいけない。
 それは奈良県桜井市の「談山神社」(中大兄皇子・中臣鎌足の「談」の地とされ、後者を神として祀る)で、こう書くと神道「神社」であることが明らかだが、山の斜面の広い境内や一三重の塔などには、仏教寺院であっても不思議ではない雰囲気がある。
 この神社の建築物もきっと、仏教の影響を受けているか、かつては仏教寺院そのものだったのだろう。
 神道神社の本殿・正殿であっても、千木や鰹木類は全くない、寺院の本堂だと言われても納得してしまうようなものは数多くあるのではないか。拝殿も同様だ。
 神仏の分かち難さは、いわゆる<七福神>信仰でも分かる。
 この七福神は、それぞれの一つずつについても、神と仏の区別が明確にはなされていないように見える。「えびす(恵比寿)」だけはどうやら神道上の神のような気がする。
 しかし、江ノ島神社について、江島「弁財天」と言ったりするが、「弁財天」は神道の神なのか。 
 また、混淆しているわけではないが、新しく10年ほど前から関西には寺院90・神社60の計150寺社からなる<神仏霊場会>なるものがあり、専用の朱印帳も販売している。神道神社と仏教寺院が同じ一列に並んでいる。
 <神道は日本の宗教です>と意を決したように( ?)語る櫻井よしこには、このような現実は見えているのだろうか。
 ○ ついでに言うと、仏教もさまざまだ。ほとんど表面的な外観のみでいうと、長崎市の崇福寺・興福寺は赤色が目立って異国の中国ふうに感じ、宇治市の万福寺(隠元・黄檗宗)もまた日本的でない厳しさと古さを感じる。
 これらの<異国>を感じる仏教寺院に比べれば、他の日本の寺院はすっかり日本化しているようだ。例えば、東京・浅草寺、成田・新勝寺や京都・清水寺は、あるいは奈良・興福寺は、すっかり日本の景色になってしまっているだろう。
 おそらく宗教・仏教の経典解釈も、昔のインドまたは中国のそれとは異なってきているに違いない。
 もっとも、巨大な仏像(東大寺、鎌倉・高徳院等)や大きな石仏は、少なくともかつての日本人には異国を感じさせたものではなかったかと想像する。
 また例えば、奈良県高取町・南法華寺(壺坂寺)の本尊仏の正面に向けた「眼」の大きさは、インドかまたはそれよりも西方の地域を想像させもする。日本の仏像のかなり多くは、正面向きであれ、斜め下向きであれ、眼は細長いように見えるからだ。
 そしてまた、仏教建築・仏教美術も、とっくに日本のものに、日本の「伝統」になっているだろう。鎌倉時代以降だっただろうか、運慶・快慶ら制作の仏像・金剛力士像等々の存在、その他今に残る仏教「絵画」等々、さらには<禅庭>、を抜きにして、日本の「文化」を語ることはできないだろう。
 神道・神社よりも仏教・寺院の方が大切だなどとは、一言も主張していない。
 櫻井よしこは、国民・一般庶民でも感知できる日本の歴史や文化にとっての仏教や寺院の存在の大きさを、いかほど認識しているのか、きわめて疑わしい、と指摘している。
 櫻井よしこは、国民一般の庶民感覚を侮蔑しているのではないか。
 ○ 天皇や皇族の<陵墓>のテーマに移る(戻る)。
 櫻井よしこは、聖徳太子に論及する際に、神道によって「寛容に」導入された、という意味でしか「仏教」に触れなかった。
 しかし、櫻井よしこは知っているだろうか。聖徳太子とその母親・(最後の)妻は、少なくとも明治期に入るまで、<仏教>式で祭事が行われ、その陵墓は仏教寺院によって管理されてきた。
 根拠文献は手元に一つもないが、大阪府・叡福寺の現地を訪れてみれば、すぐに分かる。
 石段を上がってこの寺の山門をくぐると、真正面の北方向に、聖徳太子らの陵墓はある。本堂や多宝塔はこの南北の中心線よりも西側にあり、寺務所は東側にある。陵墓へ直線で進めるように中心線部分は空いている。感覚としては、寺の境内の中、少なくとも中央の奥に、陵墓がある。
 現在の管理の仕方はのちに言及するが、江戸時代末期まで、法形式にはともあれ、この寺が聖徳太子のいわば菩提寺であり、法要や墓の維持・管理がこの寺によって行われてきたことはほとんど間違いがないだろう。
 それにまた、この寺のある町は、大阪府南河内郡「太子(たいし)町」という。
 なお、同じ町内には敏達天皇(即位572-)、父親の用明天皇(同585-)、孝徳天皇(同645-)の陵墓(とされるもの)もある。
 今回は以下を参照している。即位年は後者による(争いはあるのかもしれない)。
 藤井利章・天皇の御陵を知る辞典(日本文芸社、1990)。
 別冊歴史読本/図説天皇陵-天皇陵を空から訪ねる(新人物往来社、2003)。
 
聖徳太子については非実在説もあるし、(歴史教科書中への)厩戸皇子への名称変更説もあるらしいが、伝統的な理解によると、日本の初の仏教寺院だとされる大阪市・四天王寺は聖徳太子ゆかりだった。また、世界遺産・法隆寺(奈良・斑鳩町)もまた聖徳太子に最も関係がある。その西方にあって法隆寺とも縁があるかに思える古墳は、暗殺された、母方の叔父にあたる崇峻天皇の(本当の)墓ではないかとの説もある。
 梅原猛は以下の本で、法隆寺は聖徳太子の「怨霊」を封じ込めるための仏教施設ではないか、とした。たしかに、南大門の柱の本数は奇数で、真ん中は(中から外へも)出にくくなっている。
 梅原猛・隠された十字架-法隆寺論(新潮社、1972/新潮文庫1981)。
 ともあれ、聖徳太子といえば、すぐに<仏教>を連想させるほどの、仏教または寺院と関係の深い、日本最初の人物だ。
 櫻井よしこは、この点を、完全に無視しようとしている。
 「無知」であるか、何らかの<政治的動機>があるかのどちらかだろう。
 ○ R・パイプスと櫻井よしこを比べてしまって、恥ずかしいことをした。
 L・コラコフスキーと関連づけてしまうのは、狂気の沙汰だ。
 歴史と思想に関する豊かな知見、それらへの深い思索と洞察、かつ鋭く適確な政治的感覚をもった人物またはリーダーは、日本の<保守>界の中には、いないのだろうか。
 日本会議会長・田久保忠衛、国家基本問題研究所理事長・櫻井よしこ。
 
こう書いて、ぞっと戦慄が走る。

1521/L・コワコフスキのいうマルクス主義と櫻井よしこ。

 レシェク・コワコフスキ(Lesek Kolakowski)は、ネット情報によらず、1967年刊行の下掲書の「訳者あとがき」によると、こう紹介されている。
 L・コワコフスキ(小森潔=古田耕作訳)・責任と歴史-知識人とマルクス主義(勁草書房、1967)
 1927年、ポーランド生まれ。
 第二次大戦後、ソ連・モスクワ大学留学。スターリン体制のもと。
 1954年以降、ワルシャワ大学などで教師。
 1955年、若い知識人党員(ポーランド統一労働者党)向け雑誌を編集。/28歳。
 1957年、ポーランド統一労働者党〔=共産党〔秋月〕〕の「官僚制を批判しすぎ」て、上の雑誌は廃刊。
 1957年~1年間、オランダとフランス・パリに留学。
 1964年、最初の出版(1957年完成、ワルシャワ「国立出版所」でおさえられていた。1965年、ドイツ語訳出版)。
 1966年、ポーランド統一労働者党から除名される。
 1967年の時点で、ポーランド・ワルシャワ大学教授(哲学)。/40歳。
 以上。
 Lesek Kolakowski, Main Currents of Marxism (初1976) -49歳に、この欄で少し言及した。
 この『マルクス主義の主要な潮流』には、なぜか、邦訳書がない。
 上掲邦訳書では自らを「マルクス主義者」の一人と位置づけている。例えば、p.228。
 しかしながら、上記の履歴でも一端は分かるが、この人は、現実にいた「マルクス主義者」-とくにスターリンだと思われる-を厳しく批判する。
 もちろん、スターリンからソ連・マルクス主義はダメになった、という(日本共産党・不破哲三的な)理解をしているわけでは全くないと思われる。W・ルーゲもそうだったように、レーニンについては実感がなくとも、この人もまた、スターリンが生きている間に、その同じソ連・モスクワで生きていたのだ。
 上掲邦訳書に収載されたコラコフスキーの満29歳のときの一論考(1957年1月)の一部は、つぎのように書いている。邦訳書から引用して紹介する。但し、一部、日本語の意味を変えないように、表現を変えた。/は本来の改行箇所ではない。
 ①「『マルクス主義』という概念は、その内容を知性が決定するのではなく機関が決定する概念となった-<略>。『マルクス主義』という言葉は、世界に関して、ある内容的に明確な見解を抱く人間を示さないで、特定の心構えの人間を示す。/
 この心構えの特徴は、最高決定機関の指示する見解を従順に受け入れることである。/ こういう視点に立てば、マルクス主義がどんな現実的内容を持っているかの問題は、意味がない。/
 最高決定機関が示す内容を、そのつどよろこんで受け入れます、と言明すればマルクス主義者になれる。//〔改行〕
 だから1956年2月〔フルシチョフによるスターリン批判・秘密報告。昭和31年-秋月〕までは実際に、社会主義を建設する手段は革命的暴力しかないという見解の持ち主だけがマルクス主義者(したがって改革主義者、形而上学論者、観念論者)であった。/
 ところが周知のように、1956年2月以来、話は逆になった。/
 つまり、いくつかの国における社会主義への平和的移行の可能性を認める人だけがマルクス主義者である。/
 こういう諸問題で誰が一年間マルクス主義者として通用し続けるのか-これを正確に予見するのはむつかしい。/
 とにかくー、それを決定するのは私たちの任務なのではなく、最高決定機関の任務なのである。//
 まさにこの理由から-これこそマルクス主義の機関決定的性格、その非知性的性格を示すものだが-、本物のマルクス主義者は、いろんな信条を公言しても、そういう見解の内容は理解しなくてもよい。<二文略>/
 マルクス主義の内容は、最高決定機関によって確定されていたのだから。」(p.5-6)
 ここまでの二倍以上の同旨が続いたのち、こうある。
 ②「科学の進歩によって、手元の諸概念と研究方法の数が、マルクスの著作で適用されているよりも、もっと増やす必要が生じただけでなく、マルクスの見解のいくつかを修正したり、疑ってみる必要も生じてきた。/
 ひところ『最高決定機関』みずからが、国家の発生に関するエンゲルスの幾つかのテーゼは誤りである、と告示した。/
 こういう修正の理由説明をこの機関は別段やろうとしなかったが、これはこの機関の活動の、一般原則どおりである。<一文略>/
 また最高決定機関は、孤立した一国における社会主義社会の建設は不可能だというマルクスのテーゼを否認した。/
 スターリンが『一国だけの社会主義』という国家観をもって登場したとき、トロツキーは正統な古典的マルクス主義者として、マルクス主義の根本原則からの逸脱だとして彼を非難し、その仕返しにスターリンから、反マルクス主義と宣告されたのである。//
 …、とにかく、こういうふうになされた論争のスコラ的不毛さは容易に認識できる。/
 国際状勢がマルクスの頃とは違ってきたし、マルクス自身が、社会主義の見通しを国際的規模での、そのつどの階級構造に依存させて考察するように奨めたのだと、-スターリンの言うがごとく-主張される場合、マルクスが用いた一つの思考方法がたしかに参照されてはいるが、あいにくこの一つの思考方法たるや、あまりにも一般論的であり、現実を合理的に考え抜こうとする人ならば誰でもしなければならないことなので、『マルクス主義的』思考の独特なところを少しも示していないのだ。」(p.9) 
 まだずっと続くが、この程度にする。
 1957年(昭和32年)初頭にこのように書いていた人が、ポーランドにはいた(ちなみに、Z・ブレジンスキーもR・パイプスも、もともとはポーランド人)。
 29歳のコワコフスキが「教条的」ではなく「自由」である(教条的でないという意味では)ことは明確だ。
 「最高決定機関」の歴史記述や理論・概念等を「従順に受け入れる」ことをしている日本共産党の党員がいるとすれば、そのような人々に読んでいただきたい。コラコフスキーの皮肉は相当に辛辣だ(反面、この程度の<自由>は、当時のポーランドにはあったとも言えるかもしれない)。
 また、マルクス主義者とは「特定の心構えの人間」を示す、という叙述は、日本の現在の<保守>の一部の人々・雑誌読者にも、読んでいただきたい。
 櫻井よしこのいう<保守の気概>をもち、<保守の真髄だ>という観念的主張部分を「従順に受け入れる」「心構え」をもった人たちが<保守>派なのでは全くない。むしろそういう、自分の主張する<保守>観念に従えふうの文章を書いている人物は、「教条的」共産主義者とともに(共産主義者とはたいてい観念主義者だが)、きわめて危険だ。

1514/日本の保守-「宗教と神道」・櫻井よしこ批判④03。

 ○ 桜の季節なので、ふと西行の作だとされる歌を思い出す。
 「願わくば、花の下にて春死なん、その如月の望月のころ」。
 西行とされる歌にはこんなのもあった。
 「何ごとの、おわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」。
 これは伊勢神宮に関する歌だとされる。
 西行は(今の分け方でいうと)仏僧で、大阪・河南町の弘川寺(ひろかわ-)で没したとされ、そこに墓もある。訪れたことがあるので、知っている。
 弘川寺といえばむろん仏教寺院で、仏僧・西行は…、と考えると、伊勢神宮にかかわる歌というのが奇妙に思えてもくる。
 櫻井よしこ批判に、すでに入っているかもしれない。
 伊勢神宮は(たぶん当時も、仏教ではない)神道施設だったはずだが、神道は日本人にとって仏教の上に立つ、上位の包括的宗教なのだろうか。
 いや、神も仏も当時は明確に区別されておらず、それぞれが並立して、それぞれの役割を同時にともに果たしていたのではないだろうか。
 日本文明を「神道」に純化させようとするのは、はなはだ危険なことではないか。
 ○ 櫻井よしこの書いたものや語ったものを読むと、以下多少は誇張するが、まず、この人物自身の認識・見解・論評はどこまでなのか、どこが第三者・他人のそれらなのかが明確ではない、ということに気づく。
 週刊新潮や同ダイヤモンドとかの連載ものが典型だ。
 光格天皇に関する話題は、産経新聞にこの天皇の記事が載る-少し調べて藤田覚の書にも<皇威>高揚の旨が書いてあったのでこれをテーマとして選ぶ-さっそく藤田著にしたがって長々と紹介して、立派な天皇だった、と結ぶ。
 いささか簡潔化しすぎたかもしれないが、要するに、内容のほとんどは、藤田覚の(しかも一冊の)本に依存している。
 その本を見ていて、その孫の孝明天皇の存在にも気づいたに違いない。
 そこで、つぎの回に孝明天皇を取り上げたが、この天皇は<皇威>はともかくも、旧幕府側の天皇だったことを知って、単純には美化できない、と分かる。かくして、藤田著とは別の本も参照して、<譲位は最後の武器>という話にまとめ、現今に譲位問題があるので考えさせられる、と締め括る。孝明天皇は脅かし ?つつも、結局は譲位などしていないのだが。
 ざっと、こんな思考経路だろう。二回目も、ほとんど二つの本のみに拠っている。
 「」付き引用だと第三者の文章だと読者も分かるが、そうではなく抜粋的に要約すると(「パラフレイズ」すると)、第三者・他人の文献を参照していながらも、読者にはまるで著者自身が生み出した文章のように思えてしまう。
 これは「ジャーナリスト」が得意なトリックだ。情報を収集し(input)、要領よくまとめて発表する(output)。情報量の多寡とともに<要領よくまとめる>ことが彼ら・彼女らにとって重要で、決してその人たち自身が作り出した新鮮な情報(事実・思考・評価等々)では全くない。  
 週刊新潮の3/09の聖徳太子に関する文章もほぼ似たようなものだろう。
 聖徳太子といえば強く「仏教」に関連づけても不思議でないが、そうはしない、という結論めいたものが櫻井よしこにはある。あくまで神道の寛容性との関係でのみ仏教に言及する。
 そう決めれば、あとはほとんど、教科書的な説明と、情報として知った文部省の言い分や、「山田氏が語った」で始まる、国会議員・山田宏の言葉の長々とした引用または要約だ。
 簡単に5行程度で済ませることのできる主題を、オープンになっている情報によってあれこれと加工し、つなぎ合わせて、二頁ぶんにしているにすきないだろう。
 櫻井よしこの独創性はどこにあるのか。たんに「ジャーナリスト」ならばそれでよいのかもしれない。なぜならば、ジャーナリストの「心髄」は、上のような<技能>にあるからだ。
 ジャーナリストとはその程度のものだと思っている。筑紫哲也も、若宮啓文も、鳥越俊太郎も同じく「ジャーナリスト」だった。
 しかし、「研究」所理事長となると、そうはいかないだろう。
 櫻井よしこについて論及するたびに、<国家基本問題研究所>の(うちの「アホ」の先生方以外の)役員たちに対して、この人物を長とする団体の役員でいて「恥ずかしくないのですか」と問い質したく思っている。
 ○ もう一つ櫻井よしこの文章を読んで感じるのは、この人は、専門的研究者を侮蔑しているのではないか、多少は知識・教養のある読者を侮蔑しているのではないか、そして日本人一般の庶民感覚を侮蔑しているのではないか、ということだ。
 前後するが、昨年11月の天皇関連会議での櫻井よしこの発言内容は、あらためて読んでも<悲痛>だ。
 つまり、悲しくて、痛々しいほどだ。自分自身で情けないと感じないのだろうか。上記研究所の平川祐弘・加地伸行ら「アホ」以外の役員先生、いや「研究」者の方々は、自分たちの長として<恥ずかしい>とは感じないのだろうか。
 戻る。つまり、櫻井よしこは、重要なことであっても、少しは厳密に語らなければならない主題であっても、あっけらかんと単純かつ観念的に書いたり、語ったりしている、と感じる。
 ○ 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-。
 この論考について、1/30のこの欄で、すでにこう書いた。
 「『観念保守/ナショナル』丸出し。櫻井よしこが保守論壇の(オピニオン・)リーダーだとされることがあるのは、恥ずかしく、情けない。かつまた、恐ろしい」。
 したがって無視してしまいたいが、この人物を<保守>の代表格と見ている者が<右にも左にも>多いような気もするので、あえて(本来は精神衛生上避けたいが)関与する。
 計6頁と短いからと釈明することはできない。日本文明について(あるいは「保守の真骨頂」について)語りながら、「仏教」にはいっさい言及しない。そして、古事記は「日本が独特の文明を有することや、日本の宗教である神道の特徴を明確に示して」いる、「神道は紛れもなく日本人の宗教です」と書く(p.85)。
 恐るべき単純化だろう。
 もともとは天皇陵墓と関連させて天皇家と「仏教」との間の、明治維新時以降現在までの年月よりも長い関係について、叙述する予定だった。これは先に回す。
 それよりも、そもそも櫻井よしこは「神道」をどう、何と理解しているのか、という問題もあるのだった。
 上の文章や、読んだことのある櫻井のものからは、神道または日本の宗教に関する深い蘊蓄 ?、「研究」成果を感じたことはまるでない。
 ひょっとして櫻井よしこは、神道を、<単色・一定>のものと理解しているのではないか
 そうでなければ、<神道は日本の宗教です>という簡単な一文になぜなってしまうのだろうか。
 ここにも、櫻井よしこに対する、強い疑いがある。
 余計なことでなければよいが、秋月瑛二が「感じて知って」いることを以下に書いておこう。
 ○ 神道と言ってもさまざまだ。「八百万(やおろず)の神」とかいうが、全ての神社が無数の神々を祀っているわけではない。
 常識的に、神社本庁を包括法人とするいわゆる神社神道と、<教派神道>に分けられる。
 但し、前者に入るか否かはときによって異なりうる。靖国神社も梨木神社(京都、三条実美)もそうだ。
 前者のいわゆる<神社>としては、「八幡」(応神天皇)、「天神(天満)」(菅原道真)、「稲荷」系などが有名かつ多数で、決して、櫻井よしこが想定しているかもしれないような、天照大神(-天皇・皇室)系だけではない。これはむしろ、数の上では少数派だ。
 天皇・皇室系に、明治神宮、平安神宮、近江神宮(大津市、天智天皇)などがあって規模の大きいものもあるが、上に挙げたのは(古そうでも)全て、明治期以降に設置されている。
 意外に知られていないと思えるのは、一つは、素戔嗚尊-大国主命系の神社だ。
 この系列の神社が現存しているのは、日本国家または「大和朝廷」の成立にかかわる、古くかつ強い伝承が残ってきたからだと思われる。出雲大社が代表だが、祭神を多少とも気にして参拝しているかぎりでは、他にも少なくとも数十はあると思われる。この系列の神々は、日本書紀・古事記の上でも現在の天皇・皇室につながっていない(はずだ)。
 もう一つは、いわゆる<南朝>系、後醍醐天皇・楠木正成らを祭神とする神社だ。
 湊川神社(神戸市)がよく知られるかもしれないが、吉野神宮(奈良県)その他の吉野地域にある神社、その他いくつかある。
 ともかく、究極的にはすべて(菅原道真も含めて)天皇・皇室につながるのだ、と櫻井よしこは理解しているのかもしれないが、強引すぎるし、実態は決してそうではないと思われる。
 天照系でない神々や、徳川家康、豊臣秀吉を神として祀る神社もある。決して、これらは<教派神道>系ではない。
 櫻井よしこは、<教派神道>を除くとしても、それ以外の神道・神社を<単色>で見ているのではないだろうか。
 また、追記すれば、教義がないように一見感じるが(櫻井よしこもそんなことを書いていた)、しかし、<吉田神道(吉田神社、京都)>などのいくつかの<~神道>があり、理論 ?的にも、いくつかの分かれがあるように、<しろうと>には感じられる。
 ○ それにもう少し学問研究的な ?話をすれば、いわゆる<国家神道>の時代、神社神道は、制度的・行政的には「宗教」として取り扱われなかった、という、「宗教」概念にかかわる、根本問題がある。
 戦前の文部省は、神社神道以外の<教派神道、仏教、キリスト教>等を管轄していたとされる。そして、神社神道の「宗教」性はむしろ曖昧にされた、あるいは明治期又は明治憲法のもとでは、神社神道は「宗教」ではなかった、ないし少なくとも、上記のような平凡かつ世俗的な ?宗教とは区別される、それだけ「聖なる」ものだった、という指摘や研究もある。
 櫻井よしこは、平気でかつ単純に<神道は宗教だ>と語る。しかし、例えば、現憲法上の<国家と宗教>関係条項から見ると、神社神道(靖国神社も今は神社本庁下にある)は「宗教」ではないと理解・解釈した方が、天皇陛下ら皇族も内閣総理大臣も、安心して、靖国神社に参拝することができるのではないか ? なぜなら、靖国神社には「宗教」性はないことになるからだ
 論理的・概念的にはこのように帰結されることを知ったうえで、櫻井よしこは、<神道は宗教>だと書いているのだろうか。
 以上、①神道は、かりに神社神道に限っても多様、多彩であって<単色>ではない、②神道(神社神道)の「宗教」性自体について、日本のかつての歴史も含めての考察が必要だ。
 櫻井よしこは、前者をどう理解しているのか。上の後者の作業をしているのか、してきたのか ? きわめて疑わしい。
 櫻井よしこを念頭に置いてではなく、一般論として書いておくが、賢明な日本国民は、<狂信的扇動家>にダマされてはいけない。
 冷静な<理論的指導者(たち)>が必要だ。
 国家基本問題研究所の自称<研究>者たちは、本当に「国家基本問題」を<研究>しているのだろうか。理事長を見ていると、すこぶる疑わしい。

1508/日本の保守-「宗教観念」・櫻井よしこ批判④。

 ○ 西尾幹二・維新の源流としての水戸学/GHQ焚書図書開封第11巻(徳間書店、2015)に、つぎの旨の叙述がある。p.41-70、p.78-、p.95-101、p.167など。(以下、必ずしも厳密でない再述がありうる。但し、大きくは誤っていない)
 水戸光圀・大日本史の編纂にあたって論争点になった三つの「難問」があった。
 ①南朝(後醍醐)は正統か-楠木正成は逆賊でないのか、のほか、
 ②大友皇子(天智の子)は天皇としてよいか、②神功皇后を皇統の一代に数えるべきか。
 これらは、明治維新後の新政府の「歴史」理解の問題ともなり、「水戸学」・大日本史と同じ結論が維持された。
 ①南北朝のうち南朝が正統、②大友皇子は天皇に即位していた(弘文天皇と追号)、③神功皇后(=応神天皇の母)は天皇と同様には扱わない(天皇のように一代とは数えない)。
 以下は、内容も秋月の文になる。
 日本書紀は天武天皇とそれ以降の天武系の天皇のもとで編纂されたので、天智の子・大友皇子(母は伊賀采女)を天皇扱いにしているはずがない(当然だと思うので、確認しない)。大友が天皇に即位していたことを認めてしまえば、<壬申の乱>で天武は天皇を弑逆したことになるからだ。天皇から皇位を奪い取ったことになるからだ。
 大友が即位していなければ、辛うじて、天智天皇の死のあとの弟と子(天武からいうと甥)の間の<皇位継承の争い>という説明ができる。
 明治になって公式に大友皇子=弘文天皇とされたので、当然だが、その一代だけとっても(天智より後は)、日本書紀と今日の理解での各天皇の代数は、少なくとも一つずつ異なる
 <保守>の人々はときに、例えば櫻井よしこも、平気で<~代までつづく>と今日までの代数を示すが、これは明治期以降に「確定」 ?したものだ。
 ○ 同じく、西尾幹二・維新の源流としての水戸学/GHQ焚書図書開封第11巻(徳間書店、2015)は、西尾自身の言葉として、つぎのことを主張している。同旨は多々あるようだが、つぎの一箇所に限る。p.40。
 明治新政府の「廃仏毀釈というのは善い意味でも悪い意味でも非常に影響の大きい運動」でした。「『国家神道』が唱道され、仏教を廃し神道を重んじる」ことになった。「それが天皇家の復活に寄与したという一面がある」。
 「しかし長い目で見ると、仏教を否定したのは精神史上マイナスであったといわざるをえません。仏教に篤い心を持つ天皇も歴史上少なくありませんでした」。
 神道の重視は「天皇家の復活には役立った」。「しかし、その結果、日本人の宗教を痩せ衰えさせてしまったという面があるのです」。
 秋月瑛二も、この辺りの理解に賛同したい。私は、神社も寺院もたいていは好きで(レーニンやロシア革命にだけ関心があるのではない)、全国のかなり各地を回っているが、神社・神道と寺院・仏教の違いや類似性、日本化した(おそらく神道の影響を受けた、強いて今日的に分類すれば)仏教・寺院の存在を、肌感覚で感知することがある。
 ○ 櫻井よしこの、以下の論考は、その<保守(主義)宣言>と理解して、今後も複数回とり挙げる。
 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-。
 この中に、つぎの一節がある。
 「古事記は」、「日本が独特の文明を有することや、日本の宗教である神道の特徴を明確に示して」いる。
 「神道は紛れもなく日本人の宗教です」。p.85。
 このあと段落すら変えないで(改行することなく)、櫻井は古事記の話に入り、「自然が神々であり、それらはやがて人間になり、天皇と皇室が生まれたわけです」と、段落を結ぶ。p.85-86。 
 先に最後の部分に触れると、櫻井よしこは竹田恒泰の著を参照文献のごとく括弧内で挙げている。しかし、竹田恒泰もさすがに自然・神々・人間・天皇の関係を(永遠の自然史の流れとしてはともあれ)「事実」として主張しているのではなく、あくまで古事記に記述された<物語>の内容を説明しているだけだと思われる。
 しかるに、この櫻井よしこの書き方では、まるで天皇とは「現人神」だ。
 そのように「観念」するのはまだよいが、「神」と「天皇」・人間を同一視するかの叙述を「事実」のごとく叙述すべきではないだろう。
 そもそもはこのあたりにすでに、<観念・意識・精神>と<現実・事実>の境界の不分明な櫻井よしこの叙述の特徴が出ている。
 ○ 本来言及したいのは、上の点ではない。
 神道は日本の宗教である、というとき、二つの基本的な論点がある。
 一つは、そもそも「宗教」とは何かだ。明治期には、むしろ特定の<宗教>もどきのものとは神道は扱われなかったという逆説的な理解も可能だ。
 つまり、日本の神道は「宗教」ではなく、「伝統的習俗」類であって、例えば現在の憲法がいう「宗教」とは異なる、という理解も不可能ではないのだ。
 二つは、では、「仏教」は、日本の宗教ではないのか、という問題だ。
 上の引用部分では明らかではないが、櫻井よしこは明らかに、仏教よりも神道を重視している。一つだけとすれば、間違いなく、躊躇することなく、神道を挙げるに違いない。
 一つだけ取り上げる、又は最重視する「宗教」を敢えて名指しする、という考え方は、日本の<保守>あるいは日本国家や日本人にとって、望ましいことなのだろうか。
 ここで再び、冒頭近くに紹介した西尾幹二の主張・叙述に、目を向けるべきではないだろうか。
 櫻井よしこの「頭」は、観念的・単純で、偏狭なのだ。もともと関心があるテーマなので、つづける。

1494/日本の保守-歴史認識を愚弄する櫻井よしこ③02。

 ○ 前回書いたものを読み直して、気づいて苦笑した。
 田久保忠衛について、某「研究」所の副理事長に「おさまっている」ことを皮肉的に記した。
 しかし、田久保忠衛とは、今をときめく?<日本会議>の現会長なのだった。ワッハッハ。
 書き過ぎると櫻井よしこに戻れなくなりそうなので、短くする。
 田久保は櫻井よしこらとともに<美しい日本の憲法をつくる国民の会>の共同代表だ。
 しかるに、田久保が産経新聞社の新憲法案作成の委員長をしていたときの現九条に関する主張と、この会の九条に関する主張(と間違いなく考えられるもの)とは、一致していない。
 些細な問題ではない。九条にかかわる問題であり、かつ現九条一項をどうするのか、という問題についての重要な違いだ(2014冬~2015年春あたりのこの欄で指摘している)。
 この人物はどれほど首尾一貫性をもつ人なのか、それ以来とくに、疑わしく思っている。憲法に関する書物も熟読させていただいたが、深い思索や詳細な知識はない。
 どこかの「名誉教授」との肩書きだが、元「ジャーナリスト」。
 ジャーナリスト・かつ朝日新聞系となると最悪の予断を持ってしまうが、後者は違うようだ(しかし、共同通信や時事通信は?)。
 また、以下の櫻井よしこの文章の中にも出てきて、櫻井を誘導している。
 ○ 2015年末の日韓慰安婦最終決着両外務大臣文書について、櫻井よしこは何と論評していたか。すでにこの欄に記載のかぎりでは、渡部昇一×(西尾幹二+水島総+青山繁晴)、という対立があった。
 櫻井よしこは、産経新聞2016年2/16付「美しき勁き国へ」でこの問題に論及したが、つぎのような結論的評価を下している。
 「昨年暮れの日韓合意は確かに両国関係を改善し、日米韓の協力を容易にした。しかし、それは短期的外交勝利にすぎない」。消極的記述の中ではあるが、しかし、「短期的」な「外交勝利」だと論評していることに間違いはない。続けて言う。
 「『…安倍晋三首相さえも強制連行や性奴隷を認めた』と逆に解釈され、歴史問題に関する国際社会の日本批判の厳しさは変わっていない。」
 「逆に解釈され」?
 そんなことはない。あの文書は、明言はしていないが、河野談話と同じ表現で、「強制連行や性奴隷を認めた」と各国・国際世論素直に?解釈されても仕方がない文書になっている。
 櫻井は、日本語文章をきちんと読めていないし、河野談話を正確に記憶していないかにも見える。
 英訳公文の方がより明確だ。日本語文では「関与のもとに」だが、英語文では「関与した…の問題」になっている。
 つぎの論点も含めて言えるのは、櫻井よしこには、<安倍内閣、とくに安倍晋三を絶対に批判してはいけない、安倍内閣・安倍晋三を絶対に守らなければならない>という強い思い込み、あるいは確固たる?<政治戦略>がある、ということだろう
 したがって、この日韓問題についても、櫻井は決して安倍首相を批判することはない。批判の刃を向けているのは<外務省>だ(そして保守系月刊雑誌にも、安倍内閣ではなく「外務省」批判論考がしばらくして登場した)。
 安倍首相-岸田外相-外務省。岸田や安倍を、なぜ批判しないのだろうか。
 ○ こう書いて奇妙にも思うのは、結果として安倍内閣・自民党の方針には反することとなった今上天皇譲位反対・摂政制度活用論を、櫻井よしこは(渡部昇一らとともに)なぜ執拗に主張とたのか、だ。
 これ自体で一回の主題になりうる。
 憶測になるが、背景の一つは、今上陛下の「お言葉」の段階では、自民党・安倍内閣の基本方針はまだ形成されていない、と判断又は誤解していたことではないか。だからこそ渡部昇一は、安倍晋三が一言たしなめれば済む話だなどと傲慢にも語った、とも思われる。
 しかし、テレビ放送があることくらいは安倍晋三か菅義偉あたりの政権中枢は知っていた、と推察できる。それがなければ、つまり暗黙のうちにでも<了解>がなければ、NHKの放映にならないだろうと思われる。
 実際に、そののちの記者会見で陛下により、「内閣の助言にもとづいて」お言葉を発した旨が語られた。ふつうの国民ですら、それくらいには気づいている。
 ついでに言うと、この問題の各議院や各政党の調整結果についても、高村正彦・自民党副総裁は、同総裁・安倍晋三の了解を得て、事実上の最終決着にしている。ふつうの国民ですら、それに気づいている。
 特例法制定・少なくとも形式上の皇室典範改正に、安倍首相は何ら反対していない。
 櫻井よしこら一部の「日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか」。保守の一部の「言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」(西尾幹二2016年、前回から再引用)。
 ○ つぎに、2015年8月・戦後70年安倍内閣談話を、櫻井よしこはどう論評したか。
 櫻井よしこはまず、週刊ダイヤモンド2015年8月29日号で、「国内では『朝日新聞』社説が批判したが、世論はおおむね好意的だった」と世相・世論を眺めたうえで、「…談話は極めてバランスが取れており、私は高く評価する」と断じた。
 そのあとは例のごとく、鄭大均編・日韓併合期/…(ちくま文庫)の長々とした紹介がつづいて、推奨して終わり。
 読者は、櫻井がほとんどを自分の文章として書いていると理解してはいけない。他人の文章の、一部は「」つきのそのままの引用で、あとは抜粋的要約なのだ。
 これは、櫻井よしこの週刊誌連載ものを読んでいると、イヤでも感じる。この人のナマの思考、独自の論評はどこにあるのだろうとすぐに感じる。むろん、何らかの主張やコメントはあるが、他人が考えたこと、他人の文章のうち自分に合いそうなものを見つけて(その場合に広く調査・情報収集をしているというわけでもない)、適当にあるいは要領よく「ジャーナリスト」らしく<まとめて>いるのだ(基礎には「コピー・ペイスト」的作業があるに違いない)。
 つぎに、詳細に述べたのは、週刊新潮2015年8月27日号うちの連載ものの「私はこう読んだ終戦70年『安倍談話』」だった。
 櫻井よしこはいきなりこう書いていて、驚かせる。
 ・この談話には、「安倍晋三首相の真髄」が、「大方の予想をはるかに超える深い思索に支えられた歴史観」が示されている。
 ここに、「ひたすら沈黙を守る」だけではなく「逆に称賛までして」しまう、「日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」(中西輝政2015、前回から再引用)、の典型がいる。
 より個別的に見ても、日本語文章の理解の仕方が無茶苦茶だ。よほどの「思い込み」または「政治的」偏向がないと、櫻井のようには解釈できない。
 ①有識者会議「21世紀構想懇談会」の「歴史観を拒絶した」。
 そんなことは全くない。完全に逆だ。この懇談会の歴史見解をふまえているからこそ、委員だった中西輝政は<怒った>のだ。「さらば、安倍晋三」とまで言ったのだ。
 ②「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」との下りは、「田久保忠衛氏が喝破した」ように、「国際間の取り決めに込められた普遍的原理をわが国も守ると一般論として語っただけ」だ。
 そんなことは全くない。
 「二度と用いてはならない」と、なぜ「二度と」が挿入されているのだろう。
 日本を含む当時の戦争当事者諸国について言っているのだろうか。
 そのあとにやや離れて、つぎのようにある。
 「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」
 「そう」の中には、上の「二度と用いてはならない」も含まれている。そのような「誓い」を述べたのは「我が国」なのだ。
 このように解釈するのが、ふつうの日本語文章の読み方だ。英語が得意らしい櫻井よしこは、英訳公文も見た方がよいだろう。
 ③「談話で最も重要な点」は「謝罪に終止符を打ったことだ」。
 はたしてそうだろうか。安倍の、以下にいうBの部分を評価しなくはないが、「最も重要な」とは言い過ぎで、何とか称賛したい気分が表れているように見える。
 安倍内閣談話ごときで、これからの日本国家(を代表するとする機関・者)の意思・見解が完全に固定されるわけでは全くないだろう。いろんな外国があるし、国際情勢もあり、こちらが拒んでも「謝罪」を要求する国はまだまだありそうだ。
 ④これは、櫻井よしこが無視している部分だ。
 談話-「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」。/「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」。
 櫻井はこの部分を、読みたくないのか、知りたくないのか、無視している。
 安倍談話は、安倍晋三内閣が1995年村山談話(も菅直人談話も)「揺るぎないもの」として継承することを明言するものであることは、明確なのだ。
 だからこそ、村山富市は当時、基本的には異論を唱えなかった、という現実があった。
 これくらいにしよう。じつに、異様きわまりない。「異形の」大?評論家だ。
 ○ 安倍内閣談話の文章は、日本文らしく主語が必ずしも明確ではない。安倍晋三、そして安倍内閣は、そこをうまく利用して?、櫻井よしこら<保守派>をトリックに嵌めたようなものだ、と秋月は思っている。
 その一種のレトリックにまんまと嵌まったのが、櫻井よしこや渡部昇一だっただろう。あるいは、嵌まったように装ったのか。
 先に記したように櫻井よしこは、「朝日新聞社説」だけは?反対した、と書いている。
 朝日新聞が反対したから私は賛成しなければならない、という問題では全くない。そのような単純素朴な、二項対立的発想をしているとすれば、相当に重病だ。
 この点は、当時は書くまでもないと思っていて、ようやく今年2月に書いておいた、以下も参照していただきたい。コピー・貼り付けをする(2/08付、№1427「月刊正論編集部(産経)の欺瞞」)。
 「レトリック的なものに救いを求めてはいけない。/上記安倍談話は本体Aと飾りBから成るが、朝日新聞らはBの部分を批判して、Aの部分も真意か否か疑わしい、という書き方をした。/産経新聞や月刊正論は、朝日新聞とは反対に、Bの部分を擁護し、かつAの部分を堂々と批判すべきだったのだ。/上の二つの違いは、容易にわかるだろう。批判したからといって、朝日新聞と同じ主張をするわけではない。また、産経新聞がそうしたからといって、安倍内閣が倒れたとも思わない。/安倍内閣をとにかく支持・擁護しなければならないという<政治的判断>を先行させたのが、産経新聞であり、月刊正論編集部だ。渡部昇一、櫻井よしこらも同じ」。
 ○ 安倍内閣・安倍晋三をとにかく擁護しなければならない、という「思い込み」、<政治>判断はいったいどこから来ているのか。
 <政治>判断が日本語文章の意味の曲解や無視につながっているとすると、まともな評論家ではないし、ましてや「研究」所理事長という、まるで「研究」者ばかりが集まっているかのごとき「研究機関」の代表者を名乗るのは、それこそ噴飯物だ、と思う。
 ○ 天皇譲位問題もすでにそうだから、2015年安倍談話に関する論評も、いわゆる時事問題ではとっくになくなっている。だからこれらにあらためて細々と立ち入るつもりは元々ない。
 きわめて関心をもつのは、櫻井よしこの思考方法、発想方法、拠って立つ「観念」の内容、だ。
 「観念保守」と称しているのは、今回に言及した点についても、的外れではないと思っている。

1492/日本の保守-歴史認識の欺瞞・櫻井よしこ③。

 ○ 「歴史認識」という日本の保守にとって譲れないはずの基本的な問題領域で、日本の保守は、大きく崩れてしまっている。正確にいえば、読売新聞系ではない産経新聞系「保守」あるいは自国の歴史について鋭敏なはずの<ナショナル・保守>の保守「論壇」人についてだ。
 おそらく、「観念保守」の人々の歴史認識は、ほとんど全ての人々において、狂っているだろう。あるいはそもそも、きちんと正確に日本の歴史を見つめる勇気がない。あるいは語る勇気がない。あるいは、関心自体がない。
 以上のことを、2015年8月の安倍内閣・戦後70年談話に対する論評の仕方で、残酷にも知ってしまった。
 秋月瑛二自身も、これによって、産経新聞や一部の<保守>をきわめて強く疑うようになった。そして、「観念保守」という概念も見出した。
 ○ もちろん、正気の、まともな<保守>の人たちもいる。
 水島総が月刊正論(産経)誌上の連載を中止しているのは、産経新聞や月刊正論編集部の基本的な<歴史認識>(日韓慰安婦最終決着文書も含む)に従えないという理由でかは、私は知らない。
 だが、安倍晋三とその内閣の<歴史認識>の表明内容を、水島総はきちんと批判している。
 但し、この人の発言等を全部信頼しているのではもちろんない。この人の天皇・皇室への崇敬の情は、私には及びもつかない。
 中西輝政は、歴史通(ワック)2016年5月号で、上記談話への反応に関して、つぎのように書いた。
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。p.97。
 「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」が「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」。p.109。
 西尾幹二は、この欄に既に引用していることを上に続けてさらに掲載するが、月刊正論2016年3月号で、つぎのように書いた。
 「私は本誌『月刊正論』を含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか、という認識を次第に強く持ち始めている。言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」。
 西尾幹二と中西輝政の二人が、今年に入ってから読んだ雑誌で対談していたが、すぐには見当たらないので、関係する部分があるかもしれないが、省く。
 記憶に頼れば、戦後70年安倍談話を正面から批判したのは、われわれ二人だけだった、という旨を西尾が語っていた。
 二人だけではない。雑誌上でも、伊藤隆は批判派だったし、藤岡信勝や江崎道朗もおそらくそうだろう。他にも、渡部昇一、櫻井よしこ、田久保忠衛らの迎合的反応を苦々しく感じている人々が多数いると思われる(国家基本問題研究所の役員の中にも。しかし、全てではない。「アホ」もいるからだ)。
 小川榮太郎の見解は、知らない。
 ○ ふと気づいたが、櫻井よしこは、週刊新潮2016年12/8号で、朝日新聞社説を批判して、つぎのように言った。
 「朝日社説子は歴史認識について」某を批判した。「噴飯物である。如何なる人も、朝日にだけは歴史認識批判はされたくないだろう。慰安婦問題で朝日がどれだけの許されざる過ちを犯したか。その結果、日本のみならず、韓国、中国の世論がどれだけ負の影響を受け、日韓、日中関係がどれだけ損われたか。事は慰安婦問題に限らない。歴史となればおよそ全て、日本を悪と位置づけるかのような報道姿勢を、朝日は未だに反省しているとは思えない。」
 櫻井よしこは、2015年末日韓慰安婦最終決着を、2015年夏の戦後70年安倍内閣談話を、どう論評したのか。「噴飯物である」。
 歴史認識について、朝日新聞を、上のように批判する資格が、この人にあるのだろうか。
 ひどいものだ。日本語の文章の趣旨を理解できない人物が、「研究」所理事長になっており、田久保忠衛という同じく日本語の文章を素直にではなく自分に?都合良く解釈できる人物が、その研究所の<副理事長>におさまっている。
 いずれこの「研究」所の役員たちには言及するとして、櫻井よしこが戦後70年安倍内閣談話をどう読んだか等について、さらに回を重ねる。
 ○ ついでに、先走るが、櫻井よしこによる米大統領・トランプ批判の底にある、単純な<観念>的なものにも気づいた。
 櫻井よしこは、天皇や日本の歴史にかかわってのみ「狂信者」になるのではない。いや、正確には、「狂信」とまではいかないが、この人は、詳しい知識があるような印象を与えつつ、じつは単純・素朴な<観念>に支えられた、要領よく情報を収集・整理して、まるで自分のうちから出てきたかのように語ることのできる、賢い(狡猾な)「ジャーナリスト」だ。
 心ある、冷静な判断のできる人々は、例えば「国家基本問題研究所」の役員であることを、恥ずかしく思う必要があるだろう。

1485/日本の保守-櫻井よしこの<危険性>②。

 ○ 国家基本問題研究所は公益財団法人だが、国又は公共団体の研究所ではないので、前回に「任意、私的」団体と秋月が記したことは何ら誤っていない。
 さて、この研究所なるものの役員たちは、あるいは櫻井よしこに好感を抱いてる日本の保守的な人々は、櫻井よしこの「政治感覚」はまっとうで正確な、又は鋭いものだと思っているのだろうか。そうは私は、全く感じていない。
 ○ 最近に櫻井よしこは産経新聞4/03付の「美しき勁き国へ」で、「小池百合子知事の姿が菅直人元首相とつい重なってしまう。豊洲移転の政治利用は許されない」との見出しの小論を書き、「左翼」菅直人と結びつけてまで、小池現東京都知事に対する警戒感を明らかにしている。
 また櫻井よしこは、たしか週刊新潮では「保護主義」を批判的にコメントしていたが、週刊ダイヤモンド2017年1月26日号には、D・トランプ米大統領について、希望・期待を述べるよりは、皮肉と警戒、懸念を優先した文章を載せた。
 さらに、櫻井は1月21日に「日本の進路と誇りある国づくり」という高尚な?テーマで講演して、ほとんどをトランプに関する話に終始させている(ネット上のBLOGSの情報による)。種々の見方はあるだろうが、そこで語られているのは、トランプに対する誹謗中傷だとも言える。
 小池百合子やトランプについての櫻井よしこの言及内容をここで詳しく紹介したり、議論するつもりはない。
 しかし、小池百合子に対する冷たさは、石原慎太郎を守りたい観のある一部「保守」系雑誌(面倒だから特定を省略する)や、小池ではなく別の候補者を支援した自民党中央や東京都連の側に立っているとの印象がある。このような立脚点または姿勢自体が適切なのか、「政治的」偏向はないかを疑わせると私は感じる。(なお、産経新聞も、かつての大阪の橋下徹に向けた冷たさや批判が適切だったかが問われる。)
 また、トランプについては、ではヒラリー・クリントンが新大統領になった方がよかったのか、という質問を、当然ながら投げつけたい。
 櫻井よしこが週刊ダイヤモンドで依拠している、Wallstreet Jounal のデイビッド・サッターの適切さの程度についてや、またどのようなソースによってトランプに関する上の諸文章・講演はなされているのか、について興味・関心がある。
 例えばだが、アメリカの「保守」又は「反左翼」論者として有名らしい(詳しくは知らない)アン・コールター(Ann Coulter)は、昨2016年8月に、<私はトランプを信じる>と題する書物を刊行している。
 また彼女は、邦訳書『リベラルたちの背信』(草思社、2004/原書名等省略)を書いてアメリカの「リベラル」派を批判しているが、日本語版の表紙に写真のある人物は、F・D・ルーズベルト、トルーマン、J・F・ケネディ、ジョンソン、カーターおよびビル・クリントンで、全て民主党出身の大統領だ。所持しているが読んでいない原書の表紙にはないが、批判の対象がこれらの民主党大統領でもあることを示しているだろう。
 また、読みかけたところだが、B・オバマを「左翼」と明記して、<共産主義者>を側近に任命した、と書いている本もある。
 もう一度問おう。あらためて遡って確認してはみるが、民主党・オバマの後継者の、ヒラリー・クリントンの方がよかったのか?
 もちろん、日本人と日本国家のための議論だから、アメリカ国内の民主党・共和党の対立にかかわる議論と同じに論じられないことは承知している。
 しかし、櫻井よしこは、本当に<保守>なのか、健全な<保守>なのか。トランプに対する憂慮・懸念だけ語るのは、アメリカ国民に対してもかなり失礼だろう。
 思い出したが、「アメリカのメディアによると」と簡単に櫻井が述べていた下りがあった。
 <アメリカのメディア>とは何なのか。日本と同等に、あるいはそれ以上に、明確な国論の対立がアメリカにあること、メディアにもあること、を知らなければならない。あるいは、櫻井よしこが接するような大?メディアだけが、アメリカの評論界や国民の意見を代表しているのではないことを知らなければならない。
 ○ 以上のような批判的コメントをしたくなるのも、櫻井よしこには、秋月瑛二に言わせれば、政治判断を誤った<前科>があるからだ。
 かつてのこの欄にすでに何回も書いた。詳細を繰り返しはしない。
 櫻井よしこは、2009年の日本の民主党・鳩山由紀夫内閣の成立前後に、つまり2009年8月末の総選挙前後に、民主党の危険性についてほとんど警戒感を表明せず、同政権誕生後には屋山太郎の言を借りて<安保・外交政策に懸念はないようだ>とも語り、当時の自民党総裁・谷垣禎一を「リベラル」派と称して自民党にも期待できないとしつつ、民主党政権成立の責任の多くを自民党の責任にし(この部分は少しは当たっているだろうが、言論界の櫻井よしこの責任ももちろんある)、翌年になってようやく民主党政権を「左翼」だと言い始めた。
 こんな人物の政治感覚など、信頼することができない。秋月でも、2009年8月に、鳩山由紀夫の<東アジア共同体>構想等を批判していたのだ[2009年の8/28、9/18]。
 ついでに言えば、櫻井よしこに影響を与えたとみられる、上に名前を出した屋山太郎は、<官僚内閣制からの脱皮>を主張して民主党政権成立を歓迎した人物であり、渡辺喜美が「みんなの党」を結成した際の記者会見では渡辺の隣に座っていた人物だ。
 屋山は、官僚主導内閣批判・行政改革を最優先したことによって、より重要な政治判断を誤った、と断言できる。
 さらには、櫻井よしこはかつて、道路公団<民営化>に反対して竹中平蔵〔23:50訂正-猪瀬直樹〕らと対立していたが、この問題を櫻井は、どのように総括しているのか。
 もう一つ挙げよう。
 櫻井よしこは、今すぐには根拠文献を探し出せないが、かつて<国民総背番号制>とか言われた住民基本台帳法等の制定・改正に反対運動を行っていた一人だ。のちに遅れて、マイナンバー制度と称される法改正等が導入された。
 櫻井よしこは、この問題について、どのように自らの立場を総括しているのか。
 ○ こうした過去の例から見ても、櫻井よしこの発言・文章を信頼してはいけない。この人に従っていると、トンデモない方向へと連れていかれる可能性・危険性がある。
 同様の指摘とどう思うかの質問を、国家基本問題研究所の役員「先生方」に対しても、しておこう。

1469/なぜ「アホの4人組」か。天皇譲位問題・「観念保守」、つづき③。

 たぶん年齢順に、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次。この人たち4人をなぜ「アホの4人組」と称するのか。
 第一に、もちろん、昨2016年11月に、天皇関連有識者会議での「有識者ヒアリング」で発言した者たちであり、今上天皇の譲位(いわゆる生前退位)に反対して摂政制度の利用を主張した点で共通性がある。だが、そのような者は、他にもいる。
 第二に、いずれも、天皇の歴史も含めた、天皇問題の専門家ではない。
 大原康男や今谷明は、それぞれの分野で「専門家」だとは言えるだろう。所功も、園部逸夫もそうだ。
 八木秀次は憲法学者・研究者として、天皇問題の専門家だと自分を思っているのかもしれない。天皇・皇室問題で発言してきてもいる。
 百地章も、大石眞も、また高橋和之も、憲法学者・研究者として「専門家」なのかもしれない。 
 しかし、八木秀次の憲法学「専門家」性は、相当に疑問がある。そういうためには、憲法学界または憲法アカデミズムの一員として受容されていなければならないと思われるが、八木はとっくにそれから離脱しているのではないか。そして、<教育>問題・分野へと「活動」の重心を移しているのではないか。
 2015年にいわゆる平和安保法制問題が政局化した際に産経新聞は西修、百地章、八木秀次の三人の文章を「正論」欄に掲載したが、最も拙劣だったのは八木の文章だった。この当時にはこの欄で触れなかったが、八木秀次は、<憲法体制と安保体制の矛盾>という、日本共産党員の長谷川正安(故人、名古屋大学・憲法学)が言っていたようなことを述べていた(秋月も、子どもたちにウソを教えてはいけない旨を書いたことはある)。戦後日本の法現象の認識としてそのようなことを指摘できる可能性はあるのだろうが、当時の憲法「解釈」論としては、平和安保法制違憲論を断固として排斥し、合憲論をもっと強く主張しなければならなかった。
 というわけで、大石眞や高橋和之、そして百地章と並ぶ「専門家」と性格づけるのは困難だと思われる。
 第三に、月刊正論(産経)、月刊WiLL(ワック)、月刊Hanada(飛鳥新社)という保守系月刊雑誌に、人と雑誌によって多少は異なると思うが、頻繁に登場している。
 これが最も共通性の高い点だという印象もある。しかし、これだけではない。
 第四に、2015年8月の安倍晋三内閣によるいわゆる戦後70年談話を、いずれも支持した。
 渡部昇一と平川祐弘については、この点にこの欄でも触れて批判した。櫻井よしこがこの派に属することはとっくに確認している。 
 八木秀次について確認はしていないが、この安倍談話を批判していないことはおそらく間違いないだろう。今年になってからの、月刊正論3月号p.58でも、八木は「安倍晋三首相」と共通する立場にいることをとくに記している。
 第五に、これら4人はいずれも、秋月瑛二がこの欄で長らく批判的なコメントをし続けている人物だ。
 開設当初からというわけではない。漠然と思い出せば、八木秀次を信用できないと感じたのは早かったし、渡部昇一は現憲法無効論または廃棄論の主張者だと知って、これまた早々に(批判的コメントをするため以外は)読まなくなった。
 櫻井よしこを<保守>派のようだと明確に知ったのは遅かったかもしれないが、2009年の民主党内閣誕生前後の論考はひどいもので、とても<保守>派だとは思えなかった。
 屋山太郎とともに、この点で櫻井よしこは批判の俎上に載せた。2009-10年頃に秋月がコメントしたことは、間違っていないと今でも考えている。内容をいまここで繰り返しはしない。
 最後に、平川祐弘の名前は以前から知っていたが、積極的にせよ消極的にせよ読む価値のある人物だとの印象はなかった。
 にわかに関心を持ったのは、安倍戦後70年談話を、稚拙な文章でもって支持していたのを読んでからだ。そして、昨年以降のこの人の文章を読んでも、全く支持できない。
 以上のとおりで、たまたま「アホの4人組」と称したのではない。
 上智大学「名誉教授」、東京大学「名誉教授」、現役の某大学教授、そして「国家基本問題研究所」なるものの理事長を「アホ」だと言うのは、相当に勇気が必要なような気もする。
 しかし、「アホ」は「アホ」だから、仕方がないだろう。
 個人攻撃あるいは全面的な人格批判をしているのでは全くない。この人たちが何を、どのように書いているかを読んだうえでの、その内容についての批判だ。
 「アホ」は「アホ」だから仕方がない、と言うためには、もっと書かなければならないだろう。

1462/西尾幹二は「国体」を冷静に論じる-「観念保守」批判。

 ○ 櫻井よしこが書いていることは1937年・文部省編纂『國體の本義』とよく似ており、部分的には酷似している、と最近に書いた。そして、そのような一面的・観念的な「史観」による歴史叙述を簡単にしてはいけない、とも書いた。
 日本書記・古事記の記述は全部ウソだという人に対しては、いやいや、かなりの程度は少なくとも事実を反映している、何らかの民族的記憶を背景にしている、と言いたくなる。一方で、日本書記・古事記の世界をそのまま日本の歴史として(たんなる「お話」と事実と合致する歴史叙述を区別しないで)「信じる」人に対しては、いやいや、そう思いたくとも事実ではないところが多い、と言いたくなる。
 全か無か、正か邪か、善か悪か、真か偽か、物事をこのように二項対立的に単純に理解してはいけない。
 ○ 産経新聞社の、かつて月刊正論・編集代表者だった桑原聡は、退任するにあたって、同誌2013年11月号でつぎのように書いた。この欄の2013年11月14日付=№1235も参照。 
 「自信をもって」、「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、と。
 ここには、「何よりも尊い」、「天皇陛下を戴くわが国の在りよう」を護持しようとするのが<保守>だという、強い観念、強い思い込みがあるようだ。
 <保守>の意味もさまざまだから、そのように考えている<保守>の主張を一概に否定するつもりはない。
 しかし、秋月は、「天皇陛下を戴く」ことが日本と日本人にとっての最高の価値、最大限に追求すべき価値だとは思っていない。
 むしろ、天皇・皇室制度が「左翼」、とりわけ共産主義者によって利用されることを怖れている。例えば、日本人に親天皇・親皇室感情が強いと知っている共産中国は、かりに将来に日本を何らかのかたちで侵攻して日本の政権を事実上であれ従属させた場合、少なくとも当面は<天皇制度をともに戴く>ことを躊躇しないのではないだろうか。
 共産主義者は、目的達成のためならば、何でもする、何とでも言う、と想定しておかなければならない。日本共産党も同じ。
 なお、かつて雅子皇太子妃に対する批判が<保守>論壇でも有力になされたときに、いわゆる「東宮」側に立ったコメントをこの欄に書いたのは、何が何でも雅子妃を含む皇室を守るという気持ちからではなく、主としては、そのような(私が知らない何らかの情報があったのかもしれないが)批判をするのはもはや遅い、無意味だ、という反発からだった。
 率直にいって、美智子皇后に<ベアーテ・シロタは女性の人権拡張に貢献した>という発言があるという噂・風聞の方が怖ろしい。
 ○ 西尾幹二・GHQ焚書開封4-「国体」論と現代(徳間書店、2010/のち文庫化)は、サブ・タイトルどおり、「国体」論を扱う。その他の巻で扱われている書物もそうだが、GHQが「焚書」にしたからといって、それらの書物の内容が全面的に正しい、または真実だ、ということにはならない。当然ながら、西尾幹二は、そのことをふまえている。
 冒頭で言及した1937年・文部省編纂『國體の本義』に限る。西尾はつぎのように冷静に、この本を読んでいる(p.131~)。櫻井よしこに読ませたいような部分に限って、以下に部分的に引用する。
 『國體の本義』のすぐの冒頭部分を「読んで、正直ちょっとやりきれないな、と感じる人が普通で」はないか、「現代のわれわれの感覚からするとまったく浮世離れして見えるから」だ。p.134。 
 「ここからは私の批評です。ある意味では、この『國體の本義』に対する批判です」。p.154。
 日本人の心の「まこと」が「わが国の国民精神の根底だといわれると、たしかに…、それだけでよいのだろうか」。<和>に加えて<まこと> を説いて「自己完結しているところに、かえって問題を感じます。日本人にわかり易いがゆえに逆に曲者なのです」。p.159。
 「和と『まこと』」の一節を読んで、「日本は戦争に負けたのは当然だ」と思わざるを得なかった。「明き浄き直き心」だけでは「主観的すぎて、他の存在感を欠き、自閉と弱さの表明でもあることをあの大戦を通じて民族的に体験した」のだから、「戦前の『国体論』にそのまま戻ればいいという話ではまったくないということをしかと肝に銘じるべきです」。p.161。
 この書の天皇中心の歴史記述、親政天皇については詳しく(例えば後醍醐)、武士・幕府政治については冷淡だということ、に対する西尾の批判的コメントもあるが、省略する。
 ○ 小林よしのりが何かに、西尾幹二は天皇についてはあまり興味がない、と書いていた。
 たしかにそのようなところはあるが、櫻井よしこ、渡部昇一、平川祐弘らのような<天皇中心史観>のもち主よりは、はるかに冷静で、優れている。つまりは、「観念」論に嵌まってはいない。
 なお、西尾幹二は(日本共産党のように ?)『國體の本義』を全否定しているわけではないことを付記する。西尾は、部分的には、秋月が必ずしも同意できないことも述べている。
 ○ 西部邁の語源探りは読んでいて鬱陶しいのだが、その弊をふむと、R・パイプスの『ロシア革命』原著を読んでいて出くわした spritualism という語の意味は、ある辞書によると「観念論」で、「精神主義」という訳語は出てこない(後者は誤りでもないだろう)。またこれは、「心霊主義」、「降神術」という意味ももつらしい。
 櫻井よしこらの「観念保守」の者たちの「観念論」は、純化すると、すみやかに「心霊」にかかわる、特定の<宗教>に転化するに違いない。

1454/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」のつづき②のC。

 ○ 司馬遼太郎は、もともとは観念的思考、イデオロギーといったものを忌避するタイプの人物だっただろう。産経新聞社で最初に赴任した京都で、担当範囲にあった当時の大学の「左翼」的雰囲気に<染まる>ことがなかったのは、そういう<気質>があったからだと思われる。
 彼は、のちにたしか「純度の高い」概念・観念という言い方をしていた。ともあれ、抽象化又は単純化の程度の高い思考にはついていけない旨も書いていた。
 三島由紀夫の自裁に際して、司馬がかなり冷静な又は冷淡な感想を寄せたのは、そのような<気質>によるものだっただろう。司馬は、「狂信」というものが好みではなかった。
 三島は一方、明らかに「観念」で生きていた、あるいは、ついには「観念」に生命を捧げてしまった。守るべきは日本だ、というとき、当然に「天皇」も含んでいたに違いないが、その「天皇」は日本国憲法下での「象徴天皇」ではなく、彼が思い描き、観念した「天皇」だっただろう。
 しかし一方で、三島が憲法・法制に関するきちんとした知識をもっていたことも間違いない。「継受法」という概念も知っていた。また、その見識によってもいるのだろうが、彼の日本の現状認識、将来予測は、じつに鋭く、適確なものだった。この点には、この欄でいく度か触れた。
 元に戻ると司馬遼太郎は、京都での担当範囲の中に寺社廻りもあったために関心を持ち始めたのか、『空海の風景』(1975)では抽象的な仏教思想・仏教教義にも踏み込み、晩年とものちには言える時期には、土地の価格の高騰の時代を背景にして、かなり観念的で単純な世相批判も行っていた(土地問題について)。また、彼の日本軍国主義批判は、皮膚感覚的体験にも由来する一面的でかつ観念的なものだった可能性もある。
 とりとめなく書いていて、三島や司馬について何らかの結論的示唆を述べようとするものではない。
 「右」の全体主義は、伝統を「純化」しようとする、とか仲正昌樹は述べていたが、「純化」の程度が高いということは、「純度が高い」ということだ。
 「純度が高い」思考者を一概に非難することはできない。三島由紀夫もまた、その思考・「観念」が現実の世界では採用されないことを知った上で、つまりその「観念」あるいは「理念」・「理想」が<現実化>することはないという確実なまたは決定的な見通しをもって、1970年11月の行動に出たのだろう。そのような残酷な予測と自らの生命はいずれ不可避的に消滅せざるをえないという個体としての人間の限界の意識、この二つが、狂気ともされた行動への衝動になったかと思われる。
 そして、そのような三島をとくに批判しようとは思わない。いろいろな人間がある。仲間の数人以外には三島は誰も殺さなかった。三島由紀夫は、テロリストではない。そして、「美しい観念」を抱いて、それに殉じることができた。なかなか幸福な人物だった、とすら思える。
 ○ このような三島の「観念」世界に比べると、最近の日本の「観念保守」には、日本を貫き通すような強度や凄みはなさそうだ。
 櫻井よしこの、昨年11月の「専門家」ヒアリングでの発言内容を、遅まきながら、読んだ。
 やはり、この人は(も)、アホだ。というよりも、日本の「保守」というものの、きわめて深刻な精神的頽廃を感じる。
 この点にさっそく入っていきたいが、予定どおり、週刊新潮誌上の、櫻井記述に、あらためて以下に、言及する。
 櫻井よしこ・週刊新潮2/9号を見てみると、つぎの一文が印象的だ。書いていないことに注目すべきとか前回に書いたが、はっきりと書いていることにも明らかな誤り・問題点がある。
 光格天皇の具体的な言動を肯定的に紹介するのはよいとしても、以下のような櫻井よしこのまとめには、反対せざるをえない。
 「光格天皇の強烈な君主意識と皇統意識が皇室の権威を蘇らせ、高めた。その権威の下で初めて日本は団結し、明治維新の危機を乗り越え、列強の植民地にならずに済んだ。」
 第一に、明治維新等に関する叙述を、こんな二文ほどで終えてしまっていることに唖然とする。以下で指摘することも含めてだが、櫻井よしこは、日本の中学生レベルの日本史知識・明治維新に関する知識しかない、と思われる。
 くり返すが、本当に唖然とする。このレベルの人が、「保守」論壇のリーダー ?、情けなくて、涙が出そうだ。
 第二に、天皇の権威のもとで団結して「明治維新の危機を乗り越え」、「列強の植民地」化を防げた、というのは、それが天皇・皇室の権威-明治維新-植民地化阻止、という趣旨であるなら、それは前回にも述べた<明治維新よかった>史観だ、あるいは<薩長・勝利者史観>だ。あるいはそこに天皇・皇室の権威を媒介させているので、明治維新の源に「光格天皇の強烈な君主意識と皇統意識」があったと明言しているように、<天皇のおかげ史観>だ。櫻井が明治天皇を高く評価するのも分かる。
 家近良樹・江戸幕府崩壊-孝明天皇と「一会桑」(講談社学術文庫、2014、原著2002)は、最初の方(第2章の冒頭あたり)で、櫻井よしこのような史観を、同じ趣旨で、「王政復古史観」、「西南諸藩倒幕派史観」、「天皇制維新史観」と呼んでいる。
 また、戦前におけるこの史観の誕生と国民的確定 ?には、明治政府が「王政復古(戊辰戦争)の意義を確定」すべく1889年に刊行した、<復古記>という書物・全15冊や、戦前昭和の政府が1939-41年に「官製維新史の集大成」として刊行した<維新史>があった、としている。
 子細には立ち入らない。櫻井よしこの明治維新史イメージは、この、明治期や戦前期に当時の、「西南雄藩倒幕派」(とくに薩長両藩)やその後裔者たちが中心の政府によって作られたものと同じだ、とほぼ断定できるだろう。
 ○ 学者・研究者になれ、とは言わない。しかし、素人の秋月ですら、櫻井よしこが抱く明治維新、そして当時の天皇に関するイメージには疑問をもつ。少なくとも、そんなに簡単には言えない、と批判することができる。
 素人の見方を、少し提示してみよう。
 認識・理解そして議論の対象は、大きく、体制・政治の基本的仕組みと、政策目標とに分けることができる。
 前者には、大きく、A・天皇(・皇室)中心体制、B・天皇/幕府協力体制、C・幕府(・将軍)中心体制の三つがある。
 後者には、大きく、α・攘夷=鎖国と、β・開国(・開港)とがある。
 江戸時代は長らく、Cかつαだった。
 光格天皇の力もあったのだろうか、孝明天皇の時代に、幕府は対米通商条約について「勅許」を求める(1856年、前回に天皇側が主張したとしたのは正確でない)。幕府はβへと政策変更し、かつ部分的にはBに近づいた。天皇の力=権威 ?を借りて政策変更を諸大名にも認めさせようとした。条約の法的実施が天皇の判断に依存しているとすると、この時点で、天皇は「権力」の一部をもつに至った。画期的なことだ。
 しかし、孝明天皇は1857年2月の時点で、「勅許」を出さない。許可・認可の申請を拒否したか、又は「お預かり」にしたようなものだ。天皇・朝廷の一存で、条約の現実化ができない事態となる。この時点で、天皇・皇室はれっきとした「権力」機構の一部になっている。たんなる「権威」ではない。
 以上は、A~Cやα・βの区別はむろん私の思いつきだが、櫻井よしこも引用していたのと同じ著者の、藤田覚・江戸時代の天皇(天皇の歴史06、講談社、2011)を見ながら書いた。
 とりあえずここで区切る。大切なのは、この時点で、あるいは1866年、1867年の途中までですら、旧幕府を除外した新政権、つまりAの天皇中心体制ができるとは、ほとんど誰も予想していなかったことだ。いくつかの時点で、この当時、さまざまな歴史の選択がありえた。B(いわば公武合体路線)による、緩やかな開国と変革(と「富国強兵」 ?)および植民地化阻止もありえた、と考えている。
 薩長両藩等が新天皇(明治天皇)を中心にしてまとまり勝利した、明治維新がなされた、頑迷・旧態依然たる幕府時代と訣別して新しくよき明治時代になったという、後から見ての評価を、櫻井よしこのように簡単に下してはならない。
 ○ 櫻井よしこのような、<明治はよかった>史観は、明治時代である1889年の旧皇室典範の内容、終身在位制は素晴らしかった、という単純な理解と主張につながっている可能性がすこぶる高い。だからこそ、孝明天皇、明治維新、明治国家等の検討を私なりに試みている。

1452/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」のつづき②のB。

 ○広く日本史について素人としての関心はある。明治維新とか明治憲法とか明治の「元勲」たちということになると、かつて、ソウル・南山の西側中腹あたりにあった、安重根記念館を訪れたことを思い出す(タクシーで一人で行き、帰りはソウル駅近くまで歩いて降りた)。
 安重根は伊藤博文射殺犯で(1909年)、若き「愛国」テロリストふうかと想像していたが、記念館での展示物を見ていて、教育者であり知識人の一人だったと知った(筆字も達筆だ)。
 おそらくそのときか、日本への帰国直後だが、安重根は伊藤に対する「斬奸状」(にあたるもの)を書いていて、その中に、日本の天皇を弑虐した「罪」を挙げていたことも知った。それは、伊藤が、当時の天皇(明治天皇)の「ご父君」、つまり孝明天皇を殺害した、というものだった。
 朝鮮の人からすれば伊藤という「元勲」と日本の天皇・皇室との関係など本来は関心はないはずだが(日本の天皇のことを気にかける必要はないはずだが)、と思ったりしたが、それ以上の追究は当時はしなかった。しかし、伊藤博文と天皇殺害という関連だけでも、印象に残りつづけたのは確かだ。
 ○あらためて近年に読書渉猟をしていると、孝明天皇は皇女和宮の兄で明治天皇の父親・先代(これらはかつての知識の中にあったと思う)、そしてその当時は傍流だった光格天皇の孫。幕末の天皇で、明治改元直前に死亡していることが確認できる。
 そして、これが上の安重根にも関連するが、孝明天皇の(突然の発症による)死には、徳川幕府に対抗する薩長一派側の意向が働いており、孝明天皇の(その時点で)対幕府融和的な姿勢(「公武合体」方針)を「邪魔」・「有害」だと判断した者たちが、最終的には(直接に手をかけた訳ではむろんないが)朝廷内に関係者がいた岩倉具視が、天皇殺害を命令した、という<噂>があったらしい。
 <噂>がそれらしく思われていたらしいことは、上の安重根の記憶又は認識でも明らかだろう。岩倉具視であれば、まだ若い伊藤(周旋屋だともされた)は明治維新前はさほどの接触はなかっおたかもしれないが、のちに何かを知った可能性はないではない。伊藤から見ればとんだヌレギヌかもしれないのだが、朝鮮半島の人までその少なくとも<噂>を知っていたというのは、驚きの事実だろう。
 一番最近に見たからこそ記せるが、歴史小説を三つ集めた松浦行真・激流百年(サンケイ新聞社、1969)の中の一篇「洛北の虹・岩倉具視」の最後・末尾には、あくまで歴史小説だが、つぎの趣旨の文章がある。
 明治天皇が危篤の岩倉具視を慌てて見舞った、その岩倉の国葬への参列公家衆の一部から、「お上(明治帝)は親のかたきの死に目を見にゆかれた」という「ささやきが聞かれた」。「あの孝明帝の死にまつわるくらい風貌…」。
p.174。
 他にも、歴史小説家・中村彰彦の、学者を超えるかもしれない<推理>(岩倉による暗殺の肯定の方向。小説ではない)を読み終えている。
 ○ところで、光格天皇は(本流の皇嗣ではなかったためもあってか)天皇・皇室・朝廷の「権威」の回復に努めた江戸期には珍しい人物であるらしい。
 櫻井よしこもまた、立派な天皇(の一人)だった旨を、とくに記している。すなわち、同・週刊新潮2017年2/9号のコラム欄は、全体を光格天皇を讃える内容で埋めている。引用はしない。今のところ生前譲位の最後の天皇らしいことと関連させて、皇室改革をし、天皇の権威=「皇威」を高めようとする「強い皇統意識」のもち主だった、という。
 ここでただちに疑問が生じる。孝明天皇は光格天皇の直系の孫で、櫻井よしこが<明治天皇を「中心にして」近代明治日本を建国した>、と褒め称える明治天皇の実の父親だ。
 なお、この「明治天皇を中心にして」という部分は、櫻井よしこ・日本の息吹2017年2月号(日本会議)の文章の中で使われているはずだ。
 そしてまた、孝明天皇は、天皇にしてはきわめて珍しく、武家政権(徳川・江戸幕府)に対してモノを言い、反抗もしている。
 条約(対米通商条約)締結には「勅許」が必要だと、主張したのだ。外交権の行使に天皇の同意がいるとすれば(形式的・儀礼的ならばともかく)、これは立派な「権力」(の一部)に他ならない。もはや「権威」なるものを超えすらしている。
 いや、これ自体が当時の朝廷内の<反幕府>一派が誘導した可能性はあるが、しかし、孝明天皇はどうやら個人としても<攘夷>を(少なくとも当初は)貫きたかったかに見える。
 変節が著しいともいえる薩長一派は、最初は<尊皇攘夷>を掲げて、<開国>方針の徳川・江戸幕府側(例えば井伊直弼)をイジメていたのだ。その返礼として、吉田松陰はタイミングが悪くて刑死になってもいる。この当時は、孝明天皇も<邪魔>ではなかったに違いない。
 孝明天皇とは、じつに、天皇の「権威」を体現しようとした人物だったのではないか。践祚の際に16歳だった明治天皇よりもはるかに、またその後の明治天皇と比べても、<意思>・<肉声>らしきものが感じられる。
 しかるに、櫻井よしこが、光格天皇と明治天皇に皇室の権威という観点から肯定的に言及はしても、孝明天皇に同様の趣旨で触れないのはなぜか。同様の趣旨で肯定的に評価しようとしないのはなぜか。
 櫻井よしこは、藤田覚・幕末の天皇(講談社学術文庫、2013/原著1994)に依拠して、上の週刊新潮で多くのことを引用、紹介している。
 藤田覚の上の著は、しかし、孝明天皇についても多く触れている。半分ほどは孝明についての書物だ。
 そして藤田は冒頭で、つぎのようにも述べて導入している。
 「なかでも孝明天皇は、…国家の岐路に立ったとき、頑固なまでに通商条約に反対し、尊皇攘夷を主張しつづけた。それにより、尊皇攘夷、民族意識の膨大なエネルギー、を吸収し、政治的カリスマとなった」。p.9。
 櫻井よしこがとくに取り上げた光格天皇との関係についても、冒頭部で、つぎのように書く。
 光格天皇の「皇統意識、君主意識は、孫の孝明天皇に引きつがれ、それをバックボーンとして開国・開港という未曾有の危機にあたり、頑固なまでに…鎖国攘夷を主張した」。p.11。
 ちなみに、藤田作だという冒頭の川柳は、ゴロがよいように秋月が少し変えると、以下のようになる。
 <光格がこね、孝明がつきし王政餅、食らうは明治大天皇>。p.9参照。
 かくのごとく、櫻井が依拠し引用している藤田覚著には、たっぷりと孝明天皇も登場するのだ。
 そして、櫻井は、同・週刊新潮の2/16号では、藤田著等によりつつ、孝明天皇に論及している。
 しかし、その扱いは、光格の場合とまるで異なる。<皇威>という観点から孝明天皇を肯定的に紹介する論調では全くない。
 もう一度書こう。櫻井よしこが、光格天皇や明治天皇に皇室の権威を高めたという観点から肯定的に言及しながら、孝明天皇についてはその点はいっさい無視して、称賛していないのはなぜか。孝明天皇も、まさに<皇威>を実際に高めた立派な人物だったとなぜ肯定的に評価しないのか。
 結論は、はっきりしている。
 <薩長史観>を前提とした、戦前に主流の<史観>を持っているからだろう。
 光格はともかく、孝明天皇は、明治新政府登場までに亡くなった、薩長側に対する<敗者>の側の天皇だったのだ。
 歴史は勝者が作る、あるいは描く、ともいう。現在の日本で主流の<史観>も、戦争勝利者であるアメリカらの「連合国」が形成した、とおそらく言えるだろう(「東京裁判史観」という、渡部昇一が好んで用いているらしき概念は、狭すぎる)。
 戦後主流の<史観>を持ちたくないからといって、-「皇国史観」と言ってしまうのは語弊があるかもしれないが、-戦前の日本にあった<薩長中心史観>、つまり明治維新・開国・近代日本の建設をほとんど全面的に<良かった>ものと理解する史観に立つのは、既述のように、たんなる<裏返し>にすぎず、歴史を冷静には見ていない、と考えられる。
 要するに、櫻井よしこの歴史観・歴史認識も、最近の文章ではかなりの程度、「観念」論であり、「政治的」色彩を帯びているのだ。そしてまた、櫻井よしこの天皇譲位反対論も、この「政治的」・「観念的」歴史観に多分に依拠している、と言えるだろう。
 櫻井よしこのような歴史家・歴史研究者ではない者が(私・秋月ごときがこうした欄で何を書いても許されるかもしれないが)、活字となって広く読まれる可能性がある文章の中で、単純すぎる「政治的」・「観念」論を表明しないでいただきたい。読者は、櫻井よしこらが書いていないこと、言及していないことに、むしろ注目する必要がある。
 週刊新潮での櫻井よしこには、同じ趣旨でたぶんもう一回触れる。

1431/西尾幹二全集第16巻(国書刊行会、2016)。

 一 西尾幹二全集のうちの一つの巻を購入・入手しての愉しみは、明らかに未読のものや著者の後記、そして月報を読むことだ。
 その中に、西尾幹二は文学部出身にしては「社会科学的」だ、とか言われたことがある、というような趣旨のものがあった。最新刊行のものの中ではないので少し刊行順に遡って捲ってみたが、その趣旨の記述を再 ?発見できなかった。
 西尾は別に、文学部出身者が日本の<保守>論壇の多数または有力派を形成してきたとか語って、そのことを誇りにしているかのごときことも書いていた(と思う)。
 小林秀雄、福田恆存、江藤淳…と並べると、そうかもしれない。ここで並べるのはイヤだが、渡部昇一もそうらしい。
 だが、文芸(文学)評論家的<保守>論者は日本の<保守>派のしっかりとした形成にとっては悪影響をもたらした、少なくとも日本に独特の議論の仕方を生じさせた、と感じているので、上の趣旨の文章には違和感をもった。
 但し、西尾幹二自身は、<文芸(文学)評論家的保守>ではない。
 「評論家」では小さすぎるし、「思想家」というのも必ずしも妥当ではないだろう。
 というのは、教育政策、労働(移民)政策等々への発言も目立っているし、「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長という<実践家>でもあったからだ。
 「歴史家」と言ってしまうのも、その対象は日本に限らず世界に広がっているが、狭くとらえすぎるだろう。
 佐伯啓思、西部邁らの「思想家」タイプと比べても、西尾幹二の大きさ・広さは歴然としている。櫻井よしこ、八木秀次ら、そして渡部昇一とはまったく比べものにならない。
こんなことから<人文系と社会系>の差違について述べたかったし、また、西尾幹二のような論者と「専門家」という者の違いについても思い巡らしたかったのだが、別に扱おう。
 なお、追記するが、上のように記したからといって、秋月は西尾幹二の全ての主張・認識等に100%賛同しているわけではなく、100%「信頼して」いるわけでもない(そんな人物は一人もいない)。かつての皇太子妃関連の主張には異を唱えたこともある。原発に関する考え方もたぶん同じではない(秋月瑛二はすべての人物や組織から「自由」だ。それは、いかなる人物・団体の<支援>もなく「孤独」であることも意味している)。
 二 西尾幹二全集第16巻(2016、12)の「後記」を少し捲ったあと最初に読んだのは、「嗚呼、なぜ君は早く逝ったのか」と題する坂本多加雄の逝去・葬儀に関するものだった。「インターネット日録」掲載のもののようだが、知らなかった。
 坂本死去の2002年の頃の論壇等々の雰囲気を知って、テーマからするとやや非礼かもしれないが、興味深い。
 秋月もまた、坂本多加雄の少なくとも単行本化されている書物は、かなり高価だった中古本の<象徴天皇制度と日本の来歴(1995)> も含めて、ほとんどを所持し、一読はしているのだ。
 興味深い、というのは、けっこう著名な人物名が出てくるからでもある。
 伊藤哲夫、高森明勅、中川昭一、粕谷一希、北岡伸一、杉原啓志、ら。
 また、この当時の<保守>的活動の内容の一端をかなり生々しく知ることができるからでもある。
 坂本多加雄、52歳。この人の<反マルクス主義>の歴史観および歴史叙述観は、ひょっとすればこの欄に紹介したかもしれない。そして、西尾幹二の文章とともに、人の死ということをあらためて考える。
 のちに、遠藤浩一も亡くなった。いずれも、交際相手として選ばれるはずもない凡人の私の、個人的な知り合いでは全くなかつたのだが。
 この人たちが存命であれば、<保守>論壇の現状は、少しは良くなっていたような気がする。しかし、そう想ってみても、現実を変えることはできない。
 そのつぎにおそらく「後記」を読み直した。主として<路の会>のことだ。
 また、「月報」が挿入されていることに気づいて読んだ。書き手の名もその内容も興味深く、思わず集中してしまった。
 これらの感想、種々思うことは、この回には書けそうもない。

1430/西尾幹二全集第15巻(国書刊行会、2016)。

 西尾幹二全集第15巻(2016)の内容のほとんどは「わたしの昭和史」で(全集では「少年記」)、二冊の新潮選書(1998)で読んだことがある。
 いつか忘れたが読んだあとは、こんな記憶力とそれを呼び覚ます資料は自分にはない、したがって自分には書けない、という思いと同時に、1935年生まれの、私のいう<特殊な世代>、あるいは国民学校・小国民世代の人物が、よくぞ「左翼(的)」にならなかったものだ、という感想が生じた。
 もしあらためて読めば何かのヒントがあったのかもしれず、著者がこの問題に触れているのかもしれないが、読み返す余裕はたぶんない。
 1960年の時点、著者がちょうど25歳の頃に「左翼」でなかったことは上記単行本のp.505でも記述されている。
 すなわち、同年に樺美智子が死亡したのちの東京大学での演説会で日本社会党国会議員が「虐殺」うんぬんを述べていたとき、「私〔西尾幹二〕があれは虐殺ではない、圧死だと口走った」とある。
 このあと「口走ったとたん、巨漢の柏原〔柏原兵三、のち芥川賞作家-秋月〕の大きな掌が私の口をふさいだ」、彼は「私が殺されるのを恐れたからだった」、と続いて、生々しい。
 ともあれ、「虐殺抗議」のプラカートを先頭に掲げたデモの写真を見たこともあり、当時の各大学での(樺美智子もその一員だったが)「左翼」的雰囲気を想像することもできる。だが、西尾は明らかに「左翼」ではなかったようだ(なお、同じ文学部の同期入学生に、大江健三郎がいたはずだ)。
 そして、それはなぜ ?、いかにして<保守>論客に ?という感想が生じるが、それは全集をよくよく読み込めば判るのかもしれない。
 ところで、上の柏原某も出てくる文章はこの全集版で初めて読んだのではない。だが、示されている月刊正論1995年2月号で読んだのでもないとも記憶していて、やや不思議だ。
 この上の文章は<少年記>とは別の「付録/もう一つの青春」の一部で、私は上の部分のみを憶えていたかに見えるが、今回に(といっても昨2016年の刊行直後に)読んで印象に残ったのは、一つに、大学院学生の西尾は、当然ではあるのだろうが、研究の対象等の自らの将来に思い悩んでいた、ということだ。
 「私は相変わらず何を書くべきなのか、あるいは何が書けるのかも分らず、学校と自宅の間を往復し、文学と思想の広大な海を漂流していた」。(余計だが、「美しい」文章だ。p.504)
 もう一つは、大学院に進学したのちの「指導教官」を、当時にすでに故人ではあるものの、氏名を明示して、「私はその思想、研究業績を軽蔑していた」と明記していることだ。この「指導教官」は「日本の典型的な『進歩派』文学者」だったらしい。
 それで西尾は「ニーチェを師として選んだ」ようだ。
 さて、個々の人間の人生にはいろいろな偶然的な出逢いがあるものだ。西尾幹二にとっても、若き学生時代のいくつかの偶然はのちのちの西尾幹二が生まれる原因の一つだったことには違いなく、「指定された」という「指導教官」もまた、その一つだっただろう。
 さらに発展させれば、西尾は拒否したようだが、「指導教官」が日本共産党の党員学者だったり、明確な親共産党の者だったりすれば(そんなことは大学院の学生レベルでは通常はあらかじめ判っているものではないだろう)、西尾のように実質的に離れれば別として、その「指導」を受ける学生は、どのような学者・研究者に育っていくのだろうか、と想像して、暗然とする。
 そういう特定の教師・学生の特殊な「身分関係」は-それは学生にとって「就職」という生活・生存にかかわる-、今日まで、容共・「左翼」的な人文社会系学者・研究者たち(大学教授たち)の誕生に、大きく寄与してきたのではないか、と推測される。
 -と、かなり西尾の全集それ自体からは離れたことまで書いてしまった。

1426/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧③。

 一 月刊正論編集部のマップ(月刊正論3月号p.59)の基礎的問題点の一つは親米・反米に拘泥していることであり、これはアメリカを対象化・客観化して認識し議論することをきわめて困難にすることになる。
 すなわち、アメリカ自体が変容・変化する可能性があるが、<親米か反米か>という見方によれば、アメリカの変化によって親米の内容も反米の内容も変わってしまう、ということが看過される危険性がある。日本(人)の見方が、大きくアメリカの思想や政策に依存してしまうことになる。
 また、日本のほかに欧米も視野に入れた思考をできにくくする。例えば、アメリカの二大政党は私のいうB内部の対立なのか、BとCの対立に相当するのか(反共のブレジンスキーによれば前者のようだが、今の民主党は<容共>のようでもあり、私には判断しかねる)、既述のようにトランプ大統領はBからAに向かうのか、といった関心を封じることとなる。
 秋月瑛二の図表もイスラム・アフリカや共産主義諸国内部では不適切だろうが、それでも月刊正論編集部のそれよりは、広い視野を持つものだと思われる。
 二 西部邁・佐伯啓思らの表現者グループについて、その「保守」性を疑問視したり、<左翼との通底 ?>と書いたこともある。中島岳志を「飼って」いたり、佐伯啓思が橋下徹について<ロベスピエールの再来の危険>とか書いたこと等をきっかけとしてだった。
 しかしいちおう自己申告?に従って、「保守」だと見なすことにしよう。西部邁も含めて、その反米主張や「自由・民主主義」に対する疑問は日本の「左翼」に利用されかねないし、類似性もなくはないと思うが、<反共産主義>者たちだとは思われる。
 そうすると、菅原慎太郎らの月刊正論編集部は、他の保守との区別がつかなくなるではないかと、秋月瑛二の分類の仕方を非難するかもしれない。
 そのとおり、<保守・リベラル>=おおよそ読売新聞社系「保守」以外の保守は、私のいうA保守(反共)・ナショナルに含まれ、そのかぎりで、表現者グループと同じだ。
 想定しているのは、西尾幹二、中西輝政、櫻井よしこら。小林よしのりも。中川八洋については、かなり迷う。中川は<反共>意識旺盛だが、<親英米>の、私のいうBグループではないか、と。
 中西輝政も含めて、なお論評したいことは多いが、今回は避ける。
 櫻井よしこについては、渡部昇一に対するのと同様にこの欄で批判し続けてきているが、それは、こんなことを書いて<本当に保守派なのか>という疑問提示と叱咤激励のつもりだった(だが、昨年以降は、「観念保守」としてさらに距離を置いて批判する必要があると感じている)。
 ともあれ、A保守(反共)・ナショナルの内部にこそ、月刊正論編集部が注目している区別があるようであり、かつ、その区別を強調して過度に肥大化させる必要はない、と思っている。月刊正論編集部はいわば広い<身内>にのみ関心を寄せていて、視野が狭いようだ。
 すなわち、八木秀次に依頼したかにみえる論考タイトルは「保守とは何か-エセ、ニセの見分け方」で(但し、八木はこの「見分け方」を明示していない)、編集部のマップの中にも「保守・自称保守」と並べた言葉があるが、このような発想方法は、「真正保守」は何か、誰々か、を探ろうとするもので、ヒマな人々は勝手にすればよろしいが、ほとんど建設的・生産的な意味がない、と思われる。
(但し、「観念保守」という概念の設定はこれに反しているかもしれない。この概念の発見?は、なぜA保守ナショナルは多数派になっていないのか、その理由を考えたりしているうちに生じた。)
 「真正」か否かではなく、具体的に、あるいは個別テーマに即して、どのような主張・政策が<保守>派として最適なのか、を論じなければならない。2015年戦後70年安倍談話をいかに評価すべきかは基本的論点だが、他にも、憲法改正で急ぐべき条項はいずれか、原発問題は ?、皇位継承問題は ?、いっぱいある。
 もとより、一般的・抽象的な議論として<保守とは何か>を議論できるし、する必要があるのかもしれないが、国によって、また日本でも論者によって内容は様々で、「正しい」解答などは存在しないのではないか。
 「真正」・「自称」・「エセ・ニセ」といった形容句の玩弄はやめた方がよい。それはすぐさま、回避すべき<観念>的議論につながる可能性が高い。
 三 「保守とは何か」、これを論じるつもりはない、と前々回に書いた。しかし、私には、答えは簡単なのだった。
 反共産主義こそ、「保守」だ。そのかぎりで、<保守には、いろいろ(諸種・諸派が)あってよい>。

 なお、4分類、4象限化という思考・作業は当然に類型化・抽象化を伴っていて、「観念」化そのものだ、ともいえる。本来は相対的でありうる区別を絶対化して不要な分類作業をしてはいけないことは、自認・自戒している。

1425/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧②。

 月刊正論編集部作成の四分けマップと新聞社等の位置づけは、自己中心的なものだ。
 かりにこれによる二つの大きな基準によってすら、産経そして月刊正論は、前回でも触れたように、「歴史認識」問題では決して<自尊>派ではなく、大きく<自虐>派へと移行している。それは、2015年8月安倍談話以降、ぴたりと<歴史戦>と呼号( ?)しなくなったことでも分かるし、月刊正論の背表紙の文字のこの時点前後を比べれば一目瞭然だ。月刊正論編集部・菅原慎太郎らは、ごまかさない方がよい。
 また、自民党はこのマップではやはりどちらかというと「自尊派」に傾斜して位置づけられているが、実態は、少なくとも上の談話以降、読売新聞と同様の<リベラル保守>、月刊正論編集部による<自虐(保守)>派であることを明らかにしている。稲田朋美も下村博文も、おそらく誰も、自民党内では戦後70年談話に異議を挿まなかった。
 ほかにも難点はある。例えば、朝日新聞・毎日新聞が<対米不信>派に分類されているが、アメリカのメディアや同民主党政権の意向・考え方を利用して、いわば対米追随的に、日本の<自尊>派、または私のいう<保守・ナショナル>派を批判してきたことは周知のことだ。日本共産党と朝日新聞らをごっちゃにする月刊正論編集部の見方は、そもそも<対米協調>か<対米不信>かを大きな基準にすること自体が適切ではないことを示している。
 また、月刊正論編集部によれば、第4象限の<対米不信・自尊>派にはほとんど何も分類されなくなる。政党では辛うじて「日本のこころ」がこれに近いことが示されているにとどまる。
 だが、「保守」論壇人を見ると、「自由と民主主義はもうやめる」と書いた佐伯啓思や西部邁らの<表現者>グループは、月刊正論編集部のいう<対米不信・自尊>派だろう。
 そして、広義での「保守」が1・2・4の三象限を占めてしまい。いわゆる「左翼」は第3象限にしか位置づけられなくなる。
 現実は、保守対「左翼」が3対1ということはない。
 秋月瑛二の分類では、西部邁・佐伯啓思・西田昌司らの<表現者>グループは、<保守・ナショナル>派(第一象限)に位置づけられる。
 <自尊・自虐>という情緒的なものを大きな基準として採用していることのほか、<対米協調>か<対米不信>かを大きな基準として採用していることに、月刊正論編集部マップの致命的な欠陥がある。
 よほど月刊正論編集部と産経新聞は<対米協調>派であることを強調したいのだろう。
 月刊正論編集部の4つの分け方によれば、上が「対米協調」で下が「対米不信」。右が「自尊」で左は「自虐」。これで反時計回りに、象限に位置づければ、つぎのとおり。
 B/自虐・対米協調派 A/自尊・対米協調派
 C/自虐・対米不信派 D/自尊・対米不信派
 秋月瑛二の分類(前回のA~D)はたんに右から左へと並べたものではなく、上のような4象限化をすることも可能だし、そのように意図している。反時計回りに、第1~4象限。以下のとおり。もちろん、反共か容共かは大きな基準とされなければならない。
 B/リベラル・保守 A/ナショナル・保守
 C/リベラル・容共 D/共産主義(=ナショナル・容共)
 上半分はいわゆる保守、下半分はいわゆる「左翼」。
 左半分は<(欧米淵源の)自由・民主主義>派、右半分は、リベラル・デモクラシーをそのままは支持せず日本の特殊性を強調する、またはそれを(日本共産党のように)乗り越えようとする立場だ。
 D/共産主義に日本共産党だけが入るのではない。反日本共産党の日本の「共産主義」者たちがいることを知っている。但し、日本共産党に少なくとも限れば、この党は「アメリカ帝国主義」を大きな「敵」と見なす<民族=ナショナル>派的性格をもっていること、「民主主義」社会を超えた「社会主義・共産主義」社会を展望していること(単純なリベラル派ではないこと)を忘れてはいけない。

1424/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧①。

 一 「愚昧」とは挑発的だが、直接には、月刊正論3月号のp.58の、「保守」にかかわる論壇・政党のチャート(マップ)図表に異を唱えたい。
 また、<保守とは何か> も惹句であり、これを以下で正面から論じるつもりはない。
 月刊正論「編集部作成」という上記のマップは、一つは対アメリカ観に着目して「対米協調」と「対米不信」に分け、もう一つは「自尊」と「自虐」に分け、併せて四つの象限を描いている。
 月刊正論編集部の頭の中を覗きみる観がある。しかし、この二つの対立軸を合成して思想・論壇・政治家等を見るのでは、適切に現在の思想・政治状況を把握できないと思われる。
 まず、対アメリカの見方を重視すること自体、月刊正論編集部が「アメリカ」に拘泥していることを示している。例えばなぜ、「対中国」であってはダメなのか ?(対中国を基軸にせよとの趣旨ではない。)
 つぎに、「自尊」・「自虐」という基準は、適切な基準にはならず、正確には、これを基準とすべきではない、と思われる。
 同編集部によれば、産経新聞は第一象限の<対米協調・自尊>に属するらしい(朝日新聞は<対米不信・自虐>)。同編集部もまた、この立場をとりたいのだろう。
 とすると、「自尊」は疑いもなく肯定的評価が与えられ、「自虐」には疑いもなく消極的評価が与えられると<信じて>いるかに見える。しかし、そのように断定することはできない、と考える。
 長くなるので結論だけ書くが、「自尊」も程度による。いくつかの民族・文明を劣ったものと罵倒して、日本民族(日本人)の<優秀性、すばらしさ>だけを言い募ってはいけない。
 合理的・理性的なものならばよいが、実証性の欠く叙述・主張をして、自己満足をしてはいけない。<日本の歴史・伝統>を語ることは私も好きだが、できるだけ事実に即した冷静さも必要だ。
 産経新聞社の安本寿久らは、本当に日本書記の「神代」の記述、神武天皇の聖跡・東遷のルート上の言い伝えをほとんどそのまま「真実」だと思っているのだろうか。左はついでに。今年は皇紀2600+年だと「信じ」ないと<保守>派ではないのだろうか。左もついで。
 二 上のマップに興味をもったのは、秋月自身が、思想・思潮(とくに政治・論壇における)の4分類というものを思い描いており、この欄に提示して遺しておきたく考えていたからだ。
 それによると、共産主義に対する考え方、<自由と民主主義>に対する考え方の二つを基準として、現代日本の思想・思潮は以下のように分類できる。
<自由と民主主義>とは<欧州近代>思想と言ってもよく、liberal and democratic 又は Liberal Democracy を意味する。表向きは、日本国憲法の思想又は理念でもある。以下では、たんに「リベラル」と略記する。中島岳志のいう<保守リベラル>等と、以下の類似の言葉は同じではない。中島は<保守>界の紛れ込もうとした<容共・リベラル>だろう。
 説明・コメントは、のちにも行う。
 A/保守・ナショナル (産経新聞 →B ?)
 B/保守・リベラル  読売新聞
 C/容共・リベラル  朝日新聞・毎日新聞
 D/共産主義     「赤旗」
 ・人文・社会系の学界・大学の教授たちは、ほとんどがCかDに属する。憲法学界は、95パーセント程度か。
 ・自民党はAからBに広く及ぶが、Bの方が多そうだ。かつて(今も ?)、Cに属する議員もいた可能性がある。
 ・<保守>イコール<反共産主義>だと、秋月は考えてきた。D/共産主義の重視しすぎだとの感想を与えるかもしれないが、きちんと残しておくべきだ。このD/共産主義が(日本には)まだあるがゆえにこそ、Cも存在しうる。
 ・産経新聞は、もともとは<保守・ナショナル(愛国・反反日)>の新聞だったようだ。しかし、安倍戦後70年談話を支持して以降は、先の<戦争>の理解については、読売新聞と基本的には同じになっていると見える。昭和の戦争にかかわる<歴史認識>では産経も読売も変わらなくなったのではないか。上のマップでは産経新聞は<自尊>派とされているが、何が<自尊>だ。笑わせる。また、<対米協調>とは、<歴史認識>では<対米屈服>・<対米追従>なのではないか。笑わせる。
 ・欧米と日本を比べると、AとDを殊更に挙げておく必要があるのが日本で、欧米の圧倒的大勢は「近代市民革命」の肯定と<自由と民主主義>支持で覆われているようだ。民族問題はその基本的理念・理想のもとでの対立だと考えられているように見える。具体的には、日本におけるような<靖国問題>も、大きな対立がある<改憲問題>も、欧米には存在しないように見える。アメリカ・トランプ大統領はBからAへの離脱までしようとしているかは、まだはっきりしない。かりにそうだとすれば、欧米的<自由と民主主義>理念の放棄まで目指しているとすれば、根本的に新しい時代に入っている、と思われる(但し、これまでの<リベラル・保守>の範囲内のものである可能性も高い)。
 ・A/ナショナル保守も、さらに分岐する。親米か反米かという基準は、あまり役に立たないと考えるべきだ。むしろ、「観念保守/ナショナル」と「合理的保守/ナショナル」を重要なものと考えるべきだ、と最近は思っている。また、反共産主義という場合の「反共」の程度で、この内部を分けることができると思われる。
 ・月刊正論上記号の櫻井よしこ論考は、「観念保守/ナショナル」丸出し。櫻井よしこが保守論壇の(オピニオン・)リーダーだとされることがあるのは、恥ずかしく、情けない。かつまた、恐ろしい。
 月刊正論編集部もまた、俺たちこそが<真正保守>派だとの思いは(あるとすれば)、捨て去るがよいだろう。「真正保守」の認定権がこの編集部にあるわけがない。
 さらに続ける。

1413/日本の保守-正気の青山繁晴・錯乱の渡部昇一。

 多くはないが、正気の、正視している文章を読むと、わずかながらも、安心する。
 月刊Hanada12月号(飛鳥新社)p.200以下の青山繁晴の連載もの。
 昨年末の慰安婦問題日韓合意最終決着なるものについて、p.209。
 「日韓合意はすでに成された。世界に誤解をどんどん、たった今も広めつつある」。
 p.206の以下の文章は、じつに鋭い。最終決着合意なるものについて、こういう。
 「日韓合意のような嘘を嘘と知りつつ認める……のではなくて嘘と知りつつ嘘とは知らない振りをして、嘘をついている相手に反論はしないという、人間のモラルに反する外交合意」。
 青山繁晴は自民党や安倍政権の現状にも、あからさまではないが、相当に不満をもっているようだ。そのような筆致だ。
 できるだけ長く政権(権力)を維持したい、ずっと与党のままでいたい、総選挙等々で当選したい、という心情それら自体を批判するつもりはないが、それらが自己目的、最大限に優先されるべき関心事項になってしまうと、<勝つ>ためならば何でもする、何とでも言う、という、(1917-18年のレーニン・ボルシェヴィキもそうだったが)「理念」も「理想」も忘れた、かつ日本国家や日本人の「名誉」に対して鈍感な政治家や政党になってしまうだろう。
 今年のいくつかの選挙で見られるように、自民党もまた<選挙用・議員等当選用>の政党で、国会議員レベルですらいかほどに<歴史認識>や<外交姿勢>あるいは<反共産主義意識>が一致しているのか、はなはだ疑わしい。
 二 月刊正論2016年3月号(産経)の対談中の阿比留瑠比発言(p.100)、「今回の合意」は「河野談話」よりマシだ旨は、全体の読解を誤っている。産経新聞主流派の政治的立ち位置をも推察させるものだ。
 三 すでに書いたことだが、昨年末の日韓最終合意なるものを支持することを明言し、「国家の名誉」という国益より優先されてよいものがあると述べたのが渡部昇一だった。
 同じ花田紀凱編集長による、月刊WiLL4月号(ワック)p.32以下。
 この渡部昇一の文章は、他にも奇妙なことを述べていた。
渡部昇一によると、かつての「対立軸」は<共産主義か反共産主義か>だったが、1991年のソ連解体により対立軸が「鮮明ではなくなり」、中国も「改革開放」によって「共産主義の理想」体現者でなくなり、「共産主義の夢は瓦解した」。
 このように書かれて喜ぶのは、日本共産党(そして中国共産党と共産チャイナ)だ。ソ連解体や中国の「改革開放」政策への変化により<共産主義はこわくなくなった。警戒しなくてよい> と言ってくれているようなものだからだ。
 長々とは書かない。基本的な歴史観、日本をめぐる国際状況の認識それ自体が、この人においては錯乱している。一方には<100年冷戦史観>を説いて、現在もなお十分に「共産主義」を意識していると見られる論者もいるのだが(西岡力、江崎道朗ら。なお、<100年冷戦史観>は<100年以上も継続する冷戦>史観の方が正確だろう)。
 また、渡部昇一が<共産主義か反共産主義か>に代わる対立軸だと主張しているのが、「東京裁判史観を認めるか否か」だ(p.37)。
 これはしかし、根幹的な「対立軸」にはならない、と秋月瑛二は考える。
 「東京裁判史観」問題が重要なのはたしかだ。根幹的な対立の現われだろう。しかし、「歴史認識」いかんは、最大の政治的な「対立軸」にはならない。
 日本の有権者のいかほどが「東京裁判」を意識して投票行動をしているのか。「歴史認識」は、最大の政治的争点にはならない。議員・候補者にとって「歴史」だけでは<票にならない>。
 ついでにいえば、重要ではあるが、「保守」論壇が好む憲法改正問題も天皇・皇室問題も、最大の又は根幹的な「対立軸」ではない、と考えられる。いずれまた書く。
 渡部昇一に戻ると、上記のように、渡部は「東京裁判史観を認めるか否か」が今や鮮明になってきた対立軸だとする。
 しかし、そもそも渡部昇一は、昨年の安倍戦後70年談話を「100点満点」と高く評価することによって、つまり「東京裁判史観」を基本的に継承している安倍談話を支持することによって、「東京裁判史観」への屈服をすでに表明していた者ではないか。
 上の月刊WiLL4月号の文章の最後にこうある。
 「特に保守派は日韓合意などにうろたえることはない」。「東京裁判史観の払拭」という「より大きな課題に」取り組む必要がある。「戦う相手を間違えてはならない」。
  ? ? ーほとんど意味不明だ。渡部昇一は、戦うべきとき、批判すべきときに、「戦う相手を間違えて」安倍70年談話を肯定してしまった。その同じ人物が、「東京裁判史観の払拭」という「より大きな課題に」取り組もう、などとよくぞ言えるものだ。ほとんど発狂している。
 四 天皇譲位問題でも、憲法改正問題でも、渡部昇一の錯乱は継続中だ。
 後者についていうと、月刊正論2016年4月号(産経)上の「識者58人に聞く」というまず改正すべき条項等のアンケート調査に、ただ一人、現憲法無効宣言・いったん明治憲法に戻すとのユニークな回答を寄せていたのが、渡部昇一だった(この回答集は興味深く、例えば、三浦瑠麗が「たたき台」を自民党2012年改憲案ではなく同2005年改憲案に戻すべきと主張していることも、「保守」派の憲法又は改憲通 ?の人ならば知っておくべきだろう。2005年案の原案作成機関の長だったのは桝添要一。桝添の関連する新書も秋月は読んだ)。
 探し出せなかったのでつい最近のものについてはあまり立ち入れないが、つい最近も渡部昇一は、たしか①改正案を準備しておく、②首相が現憲法の「無効宣言」をする、③改正案を明治憲法の改正手続によって成立させ、新憲法とする(②と③は同日中に行う)、というようなことを書いていた。同じようなことをこの人物は何度も書いており、この欄で何度も批判したことがある。
 また書いておこう。①誰が、どうやって「改正案」を作成・確定するのか、②今の首相に(国会でも同じだが)、現在の憲法の「無効」宣言をする権限・権能はあるのか。
 渡部昇一や倉山満など、「憲法改正」ではなく(一時的であれ)<大日本帝国憲法(明治憲法)の復活>を主張するものは、現実を正視できない、保守・「観念」論者だ。真剣であること・根性があることと<幻想>を抱くこととはまるで異なる。
 この人たちが、日本の「保守」を劣化させ、概念や論理の正確さ・緻密さを重んじないのが「保守」だという印象を与えてきている。

1389/日本の保守-田村重信(自民党)。

 筆坂秀世=田村重信(対談)・日本共産党/本当に変わるのか-国民が知らない真実を暴く(世界日報社、2016)は、筆坂秀世と自民党政務調査会審議役という田村重信の対談本で、田村重信が安保法制等に関する著書も出している、国会議員ではない有力な論者なので、日本共産党について語られていることが関心を惹く。
 しかし、自民党という政権与党の論客であるわりには、日本共産党の理解に、きわめて大きい、致命的とも思われる誤りがある。田村は、p.55-56でこう言う。
 ・ソ連批判が生じると「ソ連を美化していた」のを「今度は独立路線」だと言う。
 ・「最近は」、結局、「マルクス、エンゲルス」だという。「ソ連も北朝鮮も参考にするものがなくなつたから、原点に戻ってマルクスだと言っている」。
 田村重信は自民党きっての理論家らしく思えてもいたが、日本共産党についての理解は相当にひどい。自民党自体については別に扱いたいが、自民党議員や閣僚等の日本共産党に関する認識もまた相当に怪しいのだろうことをうかがわせる。
 第一に、「ソ連を批判されると…」というのがいつの時期を指しているのか厳密には不明だが、日本共産党は、ソ連は現存の又は生成途上の「社会主義」国家だとは見なしつつ、1960年代後半には、ソ連や同共産党との関係では(中国ついても同様)<自主独立>路線をとっていた。ソ連をかつては全体として「美化」していたかのごとく理解しているようで、正確さを欠いている。
 重要な第二は、日本共産党はソ連崩壊後決して、レーニン・スターリンを飛び越して単純に「マルクス、エンゲルス」に戻れ、と主張しているのではない。「原点に戻ってマルクスだ」と主張していると理解するのは正確でない。
 たしかに不破哲三には<マルクスは生きている>という題の新書もあり、日本共産党はかつてのようにはレーニンの議論全体を採用していないところがある(例えば、「社会主義」と「共産主義」の区別)。しかし、今なおレーニンを基本的には肯定的に評価しており、何度もこの欄で紹介しているように、<スターリンとそれ以降>の歴代指導者が「誤った」と理解・主張しているのだ。
 なぜ日本共産党はレーニンを否定できないのか。それはすでに簡単には記述したし、もっと詳しく明確にこの欄でも書いておく必要があるが、レーニンを否定すれば、レーニン期に作られた(第三)コミンテルンの支部として誕生した「日本共産党」自体の出生も否定することになるからだ。この党が、戦前の「日本共産党」とは無関係の新しい共産主義政党だと主張していないかぎりは。
 自民党の有力な論者がこの辺りを理解していないとは、まったく嘆かわしい。
 現在の日本の「保守」の、日本共産党や共産主義についての理解・認識のレベルの決定的な低さを、田村重信の発言は示しているようだ。ため息が出る。

1383/日本の保守-悲惨な渡部昇一・加地伸行。

 天皇譲位問題についての、月刊WiLL9月号(ワック)の渡部昇一、加地伸行、百地章、月刊正論9月号(産経)の渡部昇一、八木秀次、竹田恒泰、月刊Hanada9月号(飛鳥新社)の高森明勅、に触れる。
 あまりにヒドいのは、渡部昇一、加地伸行だ。この二人は、「摂政」の制度の利用で(現実的には)足りるとするが、その際、現行の皇室典範(法律の一つ)が定める「摂政」に関する規定の内容を全く無視している。
 渡部昇一は「天皇がご病気のとき」という要件を勝手にでっちあげており(妄想しており、月刊正論p.56)、加地伸行は「摂政」制度の利用は当然に可能だという前提(思い込み)に立っている(月刊WiLLp.44以下)。
 こうした、議論の作法自体をわきまえない「論考」が保守系とされる月刊雑誌の冒頭近くに置かれ、表紙等でも重要視されていることは、現在の日本の「保守」論壇の悲惨さを曝け出している。
 「保守」言論人のすべてが渡部や加地のごとくではないだろうが、上のような雑誌の編集部が原稿を依頼した十人に満たない中に、皇室典範の規定を一瞥することすらしないで天皇・皇室問題を「論じる」者がいるのだから、「保守」論壇の劣化・悲惨さは明らかだ。
 高森明勅が引用しかつ論及しているが(月刊Hanada、p.293)、天皇が未成年のとき以外に「摂政を置く」と皇室典範が定めている条文は、つぎのとおりだ。第16条二項。
 「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。」
天皇陛下の談話以前に書いた原稿だと弁明するかもしれないが、陛下ご自身が問題は「摂政」制度利用では解決されえないことを明言された。
 また、高森明勅は上の条文の解釈に踏み込みつつ(これは当然の作業だ)、「陛下がお考え」の譲位と摂政設置は「似ても似つかない」と結論している。
 詳論しないが、私もまた、上の条文が定める要件は充たされていないだろう、と考える。
 渡部や加地は、天皇・皇室に関する自らのイメージと理解でもって「摂政」・譲位問題を議論している。愚昧きわまりない。
 渡部や加地は、結果としては、現在の天皇陛下が「精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができない」状態にある、と主張していると理解される可能性すらある(誤解だが)。
 百地章と八木秀次はさすがに皇室典範の上の条項を意識しているが、二人ともに<柔軟な解釈>をして適用することを主張または示唆していることが興味深い。
 しかし、このような論法は皇室典範の<解釈による実質的改正>の可能性を説くもので、支持し難い。<柔軟な>解釈なるものは、法的安定性を損なうことにもなる。
 また、百地や八木の解釈がほぼ一致して採用されるとは限らず、正面からこれを説けば、世論はもちろん、「皇室会議」での議論も紛糾するだろう。
 竹田恒泰が言うように(月刊正論p.75)、皇室典範の改正か「特別措置法」制定しかないだろう。立ち入らないが、竹田が後者を主張している根拠は必ずしも十分ではない。特別措置法も(現天皇についてのみ適用する、と竹田はイメージしているのだろうか ?)、いったん成立すれば「制度」(しかも皇室典範の特別法として優先する)になってしまうことに変わりはない。
 問題は、天皇・皇族の高齢化を避けることはできず(喜ばしいことかもしれないが)、いわゆる「高齢化」社会を想定していない法律(皇室典範)が60年以上も改正されることなく存在し続けていることにあるだろう。
 加地伸行が「暴力革命を支持する勢力」による譲位・退位の強制がありうるとして、「退位規程」を作るのに反対しているのは、一見もっとものように見えて、現行の制度・皇室典範についての知識のなさを再び示している。
 加地伸行によると、「議会で過半数を占める特定勢力が、議会の議決によって退位を可能」とする危険もあるのだ、という。
 皇室典範を法律ではなく天皇(・皇室 ?)が定める「家法」にせよとの主張ならばまだ分かる。しかし、憲法自体を改正しないとこれも困難だ。
 憲法第2条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する」。
 加地は、この条項も知らないで適当な文章を書いて、小遣い銭を貰っているのだろう。
 むろん、個別案件の適否は、国会が決めるのではなく、現行の制度を前提にすれば「皇室会議」が議決することになろう。
  「暴力革命を支持する勢力」が「議員」の過半数を占める事態は抽象的には想定できるが、そのような事態にな っているのであれば、現憲法の天皇条項自体が廃止・削除されているのではないか。
 ところで、現皇室典範第28条はつぎのように定める。
 「1 皇室会議は、議員十人でこれを組織する。
  2 議員は、皇族二人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以て、これに充てる。
  3 議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、各々成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。」
 マスコミによる外からの「煽動」も考えられるが、基本的には、これらの「議員」となる人物が信頼できないとなれば、日本は、国家と諸制度自体が「脆うい」状況にある、ということになろう。
 加地伸行は、上の規定もおそらく知らないままで原稿を書いているのだろう(摂政を置くことも個別には皇室会議の議決が必要)。
 渡部昇一もそうだが、どうして、このような人物が「保守」系雑誌に、よりにもよって天皇・皇室問題について、登場してくるのか。
 嘆かわしい、悲惨な状態だ。
 ついでに。天皇陛下の「ご負担」軽減というとき、①憲法上明記された国事行為、②その他の「公的」行為、③祭祀を含む「私的」行為、を区別して論じてもらいたい。百地、八木、竹田の論考も丁寧にこの問題に言及してはいない。
 法律、政令の改廃に対する御璽押印と署名だけでも(慣行上または法制上、公布=官報掲載のために必要だ。公布自体は憲法上の国事行為だ)、おそらく一年に数千件にのぼるだろう。

1382/共産主義の脅威と言論人。

 一 共産主義の脅威について、言論人の多くは触れたがらない。
 むしろ多少左翼的な姿勢を-それも過度ではなく-とることが、いまの世をわたる一番安全なみちであって、これはちょうど戦争前の昭和10年ころに、多少右翼的な姿勢を示すことが安全な処世術だったのと、似ているであろう。
 そういう態度を保っているかぎり、ジャーナリズムは衛生無害とみなしてくれる。
 しかし衛生無害の処世家で世の中が充満するとき、国はほろびるのである。
 流れに抗して、だれかがあえて憎まれ役を買って出なければならない。
 二 以上の5文は引用で、賀屋興宣・このままでは必ず起る日本共産革命(浪漫、1973)の冒頭にある序言の一つ、村松剛「共産主義はメシア宗教の一つ-序にかえて」の一部だ。
 2016年から見て40年以上前の文章だが、日本における「共産主義」と「言論人」の状況はほとんど変わっていないのではないか。
 1970年初頭の日本共産党の「民主連合政府」構想とその未遂、1990年代初めのソ連崩壊等にもかかわらず、日本共産党は延命しつづけており、「日本共産革命」(民主主義革命と社会主義革命という二段階の革命)の構想を党綱領を維持したまま、有権者から600万票(2016年参院選・比例区)を獲得している。
 三 保守派と言われる、または自称する言論人・論壇人の中ですら、「反共産主義」を鮮明にしている者はごくわずかにすぎない、という惨憺たる状況が現実にはある。
 いくら中国を、あるいは中国共産党の現在を批判しても、それはなぜか、日本共産党に対する批判にはつながっていない。意識的に日本共産党を名指しすることを避けているごとくですらある。
 いくら朝日新聞を、あるいは朝日新聞の「歴史」報道を批判しても、それはなぜか、日本共産党とその「歴史認識」に対する批判にはつながっていない。朝日新聞は日本共産党の「歴史認識」を知らずして、「歴史」に関する報道・主張をしているとでも思っているのだろうか。
 朝日新聞と日本共産党との関係に関心をもつ者は少なく、多くに見られる朝日新聞批判にもかかわらず、意識的に日本共産党を名指しすることを避けているごとくですらある。
 日本共産党に対する批判に向かうべき回路から別の回路へと、それ自体は必ずしも誤っているわけではない議論・主張であっても、それらを逸らす、大がかりな仕掛けができあがっているようだ。
 秋月の見るところ、産経新聞の主流派も、多数派の「保守」論壇人も、その大がかりな仕掛けに嵌まっており、かつそのことを意識していない。
 四 当然のごとく、自由民主党という政党の圧倒的多数派も、大きな仕掛けの中に入ったままだ。
 共産主義者は、権力維持のために、または権力掌握のために、要するに目的達成のためならば、何とでも言うし、何でもする。
 上のことは、維持したい「権力」を持った政治家にも多少ともあてはまるように思われる。
 権力の維持のために、権力維持期間を長くするために、元来は有していた「歴史認識」を言葉の上では-言葉・観念だけの過去に関する問題だと思って-捨ててしまう政治家が出てきても不思議ではない。
 もちろん、そのような政治家に「おべっか」して寄り添う出版社や論壇人もいる。阿諛追従。
 惨憺たる状況だ。
 五 賀屋興宣(1989~1977)は、1937年近衛文麿内閣の大蔵大臣、1941年東条英機内閣の大蔵大臣、いわゆるA級戦犯の一人で、終身刑判決により10年間収監されたのち、1955年に事実上の釈放、1958年総選挙で当選して衆議院議員、1963-64年池田勇人内閣法務大臣、1972年「自由日本を守る会」を組織。

1370/2016年参院選-<保守リベラル>派と<リベラル容共>派の対立。

 一 2016年参院選の結果について、自民党、自公与党、さらには<改憲勢力>の勝利または前進ということが言われているようだ。
 だが、と敢えて指摘しておくが、参議院議員は6年任期で3年ごとに半数ずつ改選されるところ、3年前の選挙(改選)結果と比べるならば、自民党の獲得議席数は後退している。その他の主な政党も含めて記せば、つぎのとおり。
 自民65→55(-10)、公明11→14(+3)、民進17→32(+15)、おおさか維新5→7(+2)、共産8→6(-2)。
 民進、公明、お維新は増やし、自民、共産は減らした。これが獲得議席数を3年前と比べての、客観的数字だ。
 自公与党は-7だった。民進・共産・社民・生活4党では+13だった。野党統一無所属というのも+3ほどはあるらしいので、後者は+16くらいだろう。共産が-2というのも、ある程度は野党系無所属に流れた結果だろうから、そのままに受け取ることはできない(共産党は比例区での850万票という目標は達成しなかったが、2000年以降での比例区獲得票数は今回が最多だったことに注意しておく必要がある)。
 要するに、とりわけ9年前・2007年に比べての3年前・2013年の自民党の大勝という「財産」のおかげで、今回の減少にもかかわらず全体としては勝利している外観があるのであり、3年前に比べれば、自民党は明らかに<後退>の傾向(トレンド)にある。
 二 自民党、自公与党の「勝利」なるものは、<保守>派の勝利を意味しない。<保守>の意味にかかわるが、自民党は「保守」政党ではまったくなく、<保守リベラル>政党とでも評すべきだろう。
 したがって、当たり前だが、今回の選挙結果は、産経新聞の論調の勝利でも月刊正論(産経)の論調の勝利でもあるはずがない(論調がある、としてだが)。
 自民党に投票した有権者のいったい何%が産経新聞の読者であり、さらに月刊正論(産経)の読者であるのだろう。自民党のカッコつき「勝利」にまったく貢献しなかったとは言わないが、新聞の中でいえば、自民党のそれに寄与したのは、圧倒的に読売新聞だろう。
 「保守」言論人はいい気になってはいけない。
 中西輝政も指摘したように、東京裁判史観に対して自覚的に批判的な有権者は、おそらく10%もいない。
 圧倒的に<東京裁判史観>に影響を受けたままで(何と安倍晋三首相は村山談話=これまでの政府の立場を unshakable into the future(揺らぎないものとして将来にわたって)継承すると明言したのだから、それもやむをえないと言うべきだろう)、戦後の「個人」主義・「自由」主義に深く浸っている多数の有権者が<よりまし>または<より悪くない>政党として自民党を選択したにすぎない(それも比例区の得票数では3分の1程度であり、全有権者比では6分の1になってしまう)。
 現在の諸政党間に見られる対立は、<保守リベラル>派と<リベラル容共>派の対立だと考えられる。決して、<保守>=反・共産主義派と日本共産党を中核とする<容共>派の対立の構図にはなっていない。
 三 改憲勢力2/3以上という結果も、3年前と同じ改選結果が繰り返されたとすれば、より容易に達成されたはずのものだった。上に指摘した自民党の(3年前と比べての)「後退」によって、ギリギリ達成されるということになった。
 これで念願の憲法改正が実現されるだろうと小躍りしている<保守>派の人々もいるのかもしれない。
 憲法改正は秋月も望むところだが、何と月刊正論に馴染みの「保守」言論人の間ですら優先的改憲条項についてまるで一致がないことは、月刊正論(産経)の今年の春の号のアンケート結果でも明らかだ。
 何度か書いたように、<憲法を改正しよう>とだけ叫んでも無意味だ。
 改正条項(96条)の改正に安倍首相が言及すれば、それを支持する論考が産経新聞等に並び、安倍首相・自民党が緊急事態条項の新設を優先するらしいとの情報が伝えられるや(百地章もそうだが)緊急事態条項の必要性を説く論考が産経新聞等に出てくる、という「自由な」発想の欠如・不十分さを<保守>派は克服しなければならない。
 また、自民党は改憲を立党の精神とするといっても、現在の草案がいかほどに自民党員・自民党国会議員によってしっかりと支持されているかは疑わしい。改憲が現実の政治日程になっていなかったからこそ、党内の委員会が作成した案が党のそれとして了承されたにすぎず、現実に(どの条項でも、九条二項でもよいが)具体的な改憲発議の議論になってくれば、<時期尚早>とか<無理するな>とかの手続・方法を理由とする反対論が、自民党内ですら必ず出てくるように推察される。
 そうした自民党であっても、現在は自民党国会議員だけでは改憲の発議はできないのだ。
 具体的改憲内容・手続・手法をめぐって、自民党は「保守」政党と<保守リベラル>政党に割れる可能性がある。
 民進党も、改憲に積極的か消極的かで割れる可能性がある。
 秋月は、共産・社民・生活および民主「左派」を微々たる勢力(合わせて5%以下の得票率)に追い込み、実質的な「保守」政党と<反共・リベラル>政党の二大政党制になるのが長期的には望ましいと考えたりする。産経新聞の社説が述べていたような、<健全な二大政党制になるような民進党の変化を>という構想とは、まったく異なる。
 自民党は、「保守」から<反共・リベラル>まで広すぎる。
 ともあれ、憲法改正の具体的内容・方向・手続等をめぐっての、建設的・生産的な国会議員の離合集散は望ましいと思われる。もっとも国会議員に限らず、とくに自民党所属の各級議員について感じるのだが、理念や政策ではなく<自己の議員職を維持するためにはどっちに付くのが有利か>を判断基準として行動する議員が多いと見られるので、上のような二大政党制が日本に生まれるのは(前提としての<容共>諸政党の激減もそうだが)掴み得ない「夢」かもしれない。

1364/日本の「保守」-水島総という勇気ある人、月刊正論(産経)誌上で。

 中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」歴史通2016年5月号(ワック)から再び引用する。
 ・「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」(p.97)。
 ・「心ある日本の保守派」が、「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして」、意味ある批判・反論をしないことに「大きな衝撃を受けた」(p.109)。
 こうした中で、水島総という人物は、勇気がある。
 月刊正論(産経)3月号p.106で水島は言う。「時が経つにつれ、安倍政権が歴史的大愚行を犯してしまったことが明らかになりつつある」。
 このあと2007年のアメリカ下院決議に当時の第一次安倍晋三政権は「反論も抗議も」せず、安倍総理も「残念」だとしたにとどまるという経緯等を、批判的に述べている。
 この2007年7月米国下院決議については、秋月も当時、警戒しなくてよいのか、放置してよいのか等を(たぶん直前に)記していた。その過程で、岡崎久彦が<じっと我慢するしかない>旨を書いていることを知って(正確な文章は最近の中西輝政論考の中にある)、改めて確認しないが、当時、そんなことでよいのか旨の疑問を示したこともあった(はずだ)。
 また、水島総は、2015.12の日韓慰安婦問題「合意は、我が国の安全保障体制にも重大な痛手を与える可能性がある」として、「人心」・「自衛隊員の士気」への影響等に論及している(p.108-9。異なる観点からの安全保障の観点からの疑問・批判は、後出の西尾幹二論考にもある)。
 そして水島総は、安倍政権「打倒」は主張しないが、安倍政権「不支持」を宣言する(p.110-1)。
 同じ3月号の西尾幹二「日韓合意、早くも到来した悪夢」は、最後にこう述べていた(p.81)。
 「日本人の名誉と運命を犠牲にしてこのような決断をあっという間にしたことが成功だったと言えるかどうかは、本当のところまったく分からない」。
 「言論界はいま、この問題で政治的外交的に過度に配慮する必要はなにもない。日本人の名誉を守るために、単純にノーと言えばよい」。
 「政治と言論、政治家と思想界とは立場が違うのだ。…。こちらから政治家に歩み寄るのはもってのほかである。安倍シンパの協力者たちには、そうあえて苦言を呈したい」。
 この言からすれば、水島総は同時期に、西尾幹二の言うような姿勢を示していたことになる。
 一方、別の雑誌の翌4月号で、2015.12日韓慰安婦問題「合意」を擁護、支持していた<保守>派らしき者もいたわけだ。この人物はいつから<安全保障・軍事>評論家になったのだろう。この分野の専門知識はほとんどないはずだが。また、いつから「政治評論家」になったのだろう。
 水島総月刊正論2016年8月号(産経)では、いわゆるヘイトスピーチ法に反対して、「だから言ったじゃないか、一体なぜ…こんな思いを第二次安倍政権樹立以来、もう何度も味わってきた。ざっと思い出しても、…」と書き始める(p.274)。そして言う。
 「『左ウィング』を拡げようとしたとき、安倍政権の根幹が崩壊する」(p.279)。
 成立してしまったこの法律に秋月も反対だ。この法律が責務法・理念法としてあるならば、在日本の「本邦外出身者に対する」<不当な優遇>を解消するための基本法があってもよいだろう。ここでまた?「歴史」とか「謝罪」を持ち出してはならない。
 それはさておき、上のような水島総の主張も、勇気がある。この論点を、産経新聞や月刊正論(産経)はいかほどに取り上げてきたのだろうか。
また、水島総は、上の法律の背景に<外国>があることを指摘しつつ、つぎのように締めくくる。p.279-280。
 「冷戦終結で、ソ連共産党は消失したが、共産主義は依然として、形を変えて生き残り続けている。それを私たちは夢々忘れてはならない。その中心が中国共産党である」。安倍政権を打倒したいのは、「国内の野党勢力だけではない」、「中国共産党政府」だ。「スパイ天国と言われる我が国に、様々な国際共産主義謀略工作組織が深く広く浸透しているのは公然の秘密である」。
 秋月は<保守派>の中でもごく少数派に属していると自覚しているのだが、このような、 (中西輝政、西岡力、江崎道朗らと同様の)明確な<反・共産主義>の主張を読むと、少しは安心する。もっとも、「様々な国際共産主義謀略工作組織が深く広く浸透している」としても、それは決して「公然の秘密」と言われるほどにはなっていないように見える。具体的な指摘と具体的な<暴露>が必要だ。
 なお、以上は、2016年参院選における投票行動をまったく意識しないで書かれている。
 そう言えば、ネット上で、安倍晋三の実際の言葉かどうかは確認していないが、つぎの面白い表現を見かけた。
 <いいですか、皆さん。民進党には、必ず共産党が付いてくるんですよ。

1361/渡部昇一批判3-<東京裁判史観>批判をしない「保守」。

 一 渡部昇一「『安倍談話』は百点満点だ!」月刊WiLL2015年10月号p.32-というものがあり、このタイトルは目次にも、雑誌表紙にも、さらには背表紙にも大きく謳われている。
 別の雑誌のものであるはずだが、月刊正論「メディア裏通信簿」欄に「編集者」として登場する人物は、同2015年11月号の「19」回で、つぎのように渡部昇一をおそらくは「擁護」している、または「庇って」いる。
 「渡部先生の文章には『百点満点』という表現はなく、『首相としての談話においては、これ以上の内容は現時点ではあり得ないだろう』と書かれているだけです。…現状では、首相の立場で出せる談話としては最高だ、と評価されたということでしょう」。
 そして、「弊誌正論10月号にも違う観点から論考をいただきましたが、やはり談話は高く評価されました」と続く。以上、月刊正論2015年11月号p.408-9。
 この「編集者」と月刊正論の実際の編集人・小島新一や同編集部とどう関係しているのか正確には分からないが、ふつうの読み方としては、同一またはほとんど同一であり、月刊正論編集部(・編集人小島)もまた、渡部昇一と同じく安倍「戦後70年談話」を「高く」評価しているのだろう。
 そしてまた、伊藤隆=中西輝政対談と西尾幹二論考を掲載している同号について、まさしく「編集者」は、「同じ正論なのに論調が少し変わっています」と認めている(p.397)。
 さて、月刊WiLL2015年10月号の渡部論考のタイトルがまるで著者の意思と無関係に付けられたかのごとく「編集者」が述べているのは、おそらく実態とは異なるだろう。そうであれば、渡部昇一はさすがに抗議するだろう。了解があった見るのが常識的だ。
 また、渡部昇一は「首相としての談話においては、これ以上の内容は現時点ではあり得ないだろう」と書いているだけなのか。
 月刊正論2015年11月号の「編集者」なるものは、きちんと日本語文章が読めるのだろうか。あるいは、読めても、マズイと思って、無視して=存在しないものとして扱っているのだろうか。
 渡部昇一の月刊WiLL2015年10月号論考の最後のまとめ部分には、こうある。以下、引用する。p.41。何十年先も、何百年先も、この渡部昇一の文章は記憶されるべきだ。
 「おわび」・「植民地支配」・「侵略』・「慰安婦」…。
 「これらの文言を盛り込みながら、村山談話はおろか、東京裁判史観をも乗り越えた安倍総理の、そして日本の大勝利である」。/
 「安倍総理の談話によって、日本はようやく村山談話をふっ切ることができた。安倍総理は悲願だった戦後レジームからの脱却にいよいよケリをつけ、名実ともに戦後を飾る大宰相となったのだ」。/
 「この未来志向の談話があれば、少なくとも『戦後百年』までは新たな総理談話は不要である。…」。/
 「『戦後』は安倍談話をもって終わりを告げることになったと言えるだろう」。/
 なるほどこの渡部論考の冒頭には、上の「編集者」のような理解を導く部分がないではない。しかし、「現時点」であれ「首相の立場」としての評価であれ、以上引用部分のとおり、渡部昇一が、安倍「戦後70年談話」を、村山談話を「ふっ切る」ものと、「東京裁判史観を乗り越え」るものと、そして「戦後(レジーム)」に「終わりを告げる」ものと、評価していることは明白だ。
 二 安倍首相「戦後70年談話」それ自体にここで立ちいることはしない。つまり、たしかに単純に意味が分かる理解しやすいものではないが、「解釈」の仕方・内容を詳しく述べることはしない。
 この安倍談話の内容については、例えば西尾幹二が、月刊正論2015年11月号で、安倍談話の「歴史認識」をかなり詳しく分析して、批判している。
 また、秋月瑛二の「解釈」・理解が決していびつなものでないことは、上にも言及の伊藤=中西対談で伊藤隆が「保守系全体の高い評価に驚き、もう一度読み返しましたが、やはり『歴史解釈が東京裁判と同じだ』と確信しました」(p.74)と述べていることで、おそらく十分だろう。
 はたして、渡部昇一の読み方が適切なのか、中西輝政や伊藤隆の読み方が適切・自然なのか。<(政治的)願望>をもって、日本語文章の意味を理解してはいけない。
 三 渡部昇一はまた、2015年12月の日韓「慰安婦」問題合意をも、擁護する。
 すでに言及したように<共産主義・反共産主義の対立は終わった>旨もこの中で書いていた、月刊WiLL2016年4月号「日韓慰安婦合意と東京裁判史観」においてだ。
 渡部昇一もさすがに、この「最終決着合意」なるものが<当時の日本軍事当局の関与(英訳文)>によって「慰安婦問題」が生じたことを認めていることを否定しようとはしていない。だが、言い方もいろいろあるものだ、渡部は述べる。
 すなわち、今次の日韓合意は、「国の名誉という国益」と「日本国民の生命財産を眼前の軍事的脅威から守る」という「国益」の選択を迫られて後者を、「河野・村山談話の継承によって、日本人の、よりによって嘘から始まった『恥』を末代まで残す危険性を除去しなければならない」という「国益」と「現在の日本国民の生命財産を守る」という「国益」の二つのうち後者を、選択した(選び取った)ものだ(p.34-35)。
 これは誤っている。<保守>派にあるまじき詭弁だ。
 国家や国民(日本と日本人)の「名誉」を守る、あるいは「嘘から始まった恥を末代まで残す危険を除去」する、という利益を捨ててよいほどの<国益・公益>とはいったい何か。
 一般論として、そのような<国益・公益>あるいは抽象的にいう「日本国民の生命財産」がありうるだろうことを否定はしない。
 しかし、渡部昇一がいう「眼前の軍事的脅威」とは何か。おそらく間違いなく、中国や北朝鮮のそれを指している(p.34)。だが、今次の合意は韓国との間でなされたものであってこれらは直接の当事者ではない。
 だが、と、渡部昇一は主張するのだろう。韓国との間の外交関係を良くしておかないと、中国や北朝鮮からの軍事的脅威の現実化の際に、韓国とも共同して防衛できなくなる、日韓だけではなく、アメリカ合衆国の意向も配慮せよ、と。
 一見筋が通ってはいそうだが、問題ははたして、日本国家と日本人の名誉を傷つける歴史認識を示してまで、つまりは「嘘から始まった『恥』を末代まで残す危険性」にあえて浸ってまで、昨年の12月に韓国と「合意」しなければならなかったほどに、「日本国民の生命財産」に対する危機は切迫していたのか、だ。
 このような具体的な「切迫性」はなかった、あるいは少なくとも、韓国との外交関係を良く(正常化?)することによってはじめて回避されるだろうような具体的な「危険」はなかった、と考える。
 問題は「眼前」とか、「切迫」性とか「具体」性とかの<程度>でもありそうだが、渡部昇一とは結論的に、<感覚>が異なる。
 秋月もまた、中国または北朝鮮が核やミサイルを日本列島に向けて発射する具体的な危険がいよいよ明確になった際に、これらに「歴史認識」問題で屈してでもその発射とそれによる日本国民・列島の惨害を防ぐ必要に迫られること、または韓国に対して「歴史認識」問題で屈してでも韓国(・軍)の協力を得なければ中国または北朝鮮による対日本武力攻撃の具体的な開始を阻止できない、という事態が全く生じえないとは思わない。
 だが、そのような<具体的危険>の<切迫>時に、中国・北朝鮮は「歴史認識」問題で態度を変えるのだろうか。同じく、韓国(・軍)は「歴史認識」問題で<有事>の際の対応を変えてしまうのだろうか。
 また、今次の日韓「合意」が上のような危険回避(日本人の生命財産の保護)のために有効であるためには韓国がそれを誠実に履行する意思・意欲を持っているか、も問題になる。渡部は、これを100%大丈夫だと言い切れるのだろうか。
 より重要なのは、韓国との外交(・軍事協力)関係が大切だとしても(さらにアメリカ合衆国の意向に配慮することがかりに必要であるとして)、その外交(・軍事協力)関係を良好なものにする方法は、今次の内容のような「合意」に限られるのか、他に選択肢はないのか、「合意」するとしても他の面での合意もいくらでもあったのではないか、ということだろう。
 なぜ、「慰安婦」問題が現在の日本の安全保障問題と結合されなければならないのか。
 渡部昇一は、きちんと説明してほしい。むろん、韓国(・朴大統領)があれこれと言っているらしいことは知っているが、なぜ「慰安婦」/「歴史認識」問題で屈しないと、日本はその安全を、日本人はその生命・財産の安全を守ることができないのか
 日本のまともな<保守派>は、かりに上のような現実が実際にあるとすれば、それこそ悲劇だと、大惨事だと感じる必要がある。そして、断固として、上のようなことに、つまり「慰安婦」問題を現在の日本の安全保障問題と結びつけることに、反対すべきだ。
 渡部昇一はいみじくも、「嘘から始まった『恥』を末代まで残す危険性」について語った。そして、上の論考で渡部昇一は、より大きな国益のためには、「嘘から始まった『恥』を末代まで残す」のもやむをえない、と明言したに等しいのだ。
 上のように述べて渡部は、「河野・村山談話の撤回」を求める「保守派」の人々に対して(p.34)、我慢せよ、怒るな、闘うな、と主張しているわけだ。この人のいったいどこが、<保守>言論人なのだろう。
 四 安倍首相「戦後70年談話」や昨年末の日韓合意が<村山談話>や<河野談話>を継承するものであることは、そしてより大きくは<東京裁判史観>に従っていることは、存命である村山富市や河野洋平が両談話(・声明)について好意的にコメントしていることでも明らかだ。また、朝日新聞が社説等で上のいずれも批判してはいない(基本的には支持している)ことでも明らかだろう。
 こういうときに、<保守派>の「大物」らしき者の中に「闘い、やめ!」と叫ぶ者が登場してくるのだから、うんざりして、ますます憂鬱になったわけだ。
 さらに追記すれば、産経新聞社(産経新聞出版)・国会議員に読ませたい敗戦秘話(2016.04)は安倍「戦後70年談話」や昨年末の日韓合意のあとで、これらを知っている時期での編集・準備を経て出版されていると見られるが(少なくとも「70年談話」よりは後だ)、全体で<東京裁判史観>を批判的に扱いながら、安倍「70年談話」や安倍・日韓合意には全く言及していない。これまた、うんざりすることだ。
 これら二つは、すでに<東京裁判史観>にもかかわる「歴史」になってもいるのだが、産経新聞(社)は、この無視を、恥ずかしいとは感じないのだろうか。
 産経新聞(社)には「政治家よ!もっと歴史を勉強してほしい!」(同上書オビ)と国会議員たちを説教する資格はあるのだろうか。やれやれ、という感じだ。

1360/渡部昇一批判2-<保守>の危機。産経の「歴史戦」はどうなったか?。

 一 今年2016年4月16日に、半年以上ぶりのこの欄で、こう書いた。
 「安倍晋三首相は、昨年(2015年・平成27年)8月、そして12月、いったい何のために誤りを含む歴史認識を示してしまったのだろう。秋月瑛二はうんざりしてますます憂鬱になっている。こんな歴史理解をする政権のもとで、自分は生き、そしてやがて死んでいかなければならないのか。/憂いは深い。ひどくいやな時代だ。」
 この、いやで憂鬱な気分は変わらないが、何とか生き続けて、日本共産党批判等をしようとなおも思っているのが不思議だ。
 二 見たくない、読みたくない、というものは「保守」派の人々にもあるだろう。しかし、つぎのような重要な発言を、無視してよいのか。
 ①中西輝政発言・伊藤隆との対談/月刊正論2015年11月号(産経)。
 「歴史問題には、戦後日本が抱え続けてきた『闇』が伏在しているように思えてなりません」。(p.76)
 「戦後日本の政治経済のエスタブリッシュメントが日米関係を最重視する特定の価値観を『…動かさないぞ』という、非常に強い意思があるように思います」。(p.78)
 ②中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」歴史通2016年5月号(ワック)。
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいるのである」(p.97)。
 「保守派のオピニオン・リーダーたちが8月の『70年談話』を、しっかりと批判しておけば、安倍首相はあの慰安婦合意に至ることはなかったであろう」(p.101)。
 「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々が、…安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」(p.109)。
 ③西尾幹二「日韓合意、早くも到来した悪夢」月刊正論2016年3月号。
 「90年代に日本の名誉を守るために一生懸命調査し議論し論証を重ねてきた人たちは、悲しみが身に染みているに違いない。…言論のむなしさをひたすら痛恨の思いで振り返らざるを得ないであろう」(p.75)。
 「私は本誌『正論』も含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか、という認識を次第に強く持ち始めている。言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」(p.77)。
 三 渡部昇一自身の文章に今回は言及しないが、上のいずれも、少なくとも渡部昇一の「言論」をターゲットにしていると見られる。
 渡部昇一はその戦前史に関する著書で、定義することなく一軍人グループを「右翼社会主義者」または「右翼共産主義者」とか称していた。日本共産党という少なくとも自称では「共産主義者」たちは、安倍内閣に<河野談話>・<村山談話>を継承させることを方針とし、少なくとも安倍内閣や自民党に対する関係では、いわゆる<東京裁判史観>(これと共産主義が無関係だと理解しているごとくである渡部昇一は愚かだ)を維持させようとしている。渡部昇一は、客観的には、<右翼社会主義(・共産主義)者>ではないのだろうか。
 「保守」言論界の<八方美人>・櫻井よしこは、櫻井よしこを支えてもいる「日本会議」会長・田久保忠衛は、この一年間、いったい何と発言してきたのだろうか。
 さらに、産経新聞は比較的最近まで一面等で「歴史戦」特集の連載をしており、月刊正論の背表紙にもしばしば「歴史」という言葉が載る。産経新聞社主流派や月刊正論の編集部に対して問いたい。「歴史戦」は続いているのか、どのような状況(戦況)で続いているのか。あるいは、「歴史戦」に敗北しているのか、勝利しているのか? それとも決着はついて、敗北したのか、勝利したのか?
 <たぶんあと1回だけ、つづける。>

1356/共産主義と闘ってこそ「保守」だ-渡部昇一批判1。

 一 今年2016年春に、目覚めて再び秋月瑛二になろうかと考える契機になった、既述のほかのもう一つは、中西輝政=西岡力・なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか(日本実業出版社、2016.03)および中西輝政「『さらば、安倍晋三』-政治に譲った歴史認識・完」歴史通2016年5月号(ワック)だった。
 判る人には判然としているテーマ・論点にかかわる。
 いくつかのテーマを平行させているが(2015年以来の残し物も二つある)、このテーマもようやく?扱うすることにする。
 二 「大物保守」と称されている(月刊正論2015年11 月号p.408)人物は、呆れたことに、こんなことを書いている。渡部昇一「日韓慰安婦合意と東京裁判史観」月刊WiLL2016年4月号(ワック)p.37。
 「戦後、言論界における対立軸は明らかに『共産主義を信奉するか、反共産主義か』であった」。
 「1991年、ソ連が崩壊してからは対立軸が鮮明ではなくなり、中国は台頭してきたが、改革開放によって延命している中国は『共産主義の理想』を体現する存在ではなかった。『最後の楽園』であった北朝鮮の厳しい現実も知られるようになった。共産主義の夢は瓦解したのである」。
 「次に鮮明になってきたのが、『東京裁判史観を認めるか否か』という対立軸なのである」。
 これを含む文章の雑誌表紙のタイトルには、上の表題に「保守分裂の愚」と追記されている。
 この雑誌の号は花田紀凱編集長最後のものだが、同編集長自体の意向も上の渡部昇一論考に反映されているのだとすれば、月刊Hanadaの購読も警戒しなければならない。
 中国についての理解とか、<共産主義・反共産主義>から「東京裁判史観を認めるか否か」へという対立軸の認識の問題には、書き出すと長くなるだろうので、立ち入らない。
 結論的に言っておきたいのは、共産主義との闘いをしない、共産主義との闘いは必要がない、共産主義はもはや敵ではない、という主張をするのは、「保守」言論人ではない、ということだ。
 「保守分裂の愚」という<左翼>が喜びそうな言葉が表紙についているのも気になるが、渡部昇一が昨年2015年夏以降に行なっているのは<保守崩壊の愚>だ。つまり「保守」の名前で、「保守」論壇を崩壊させようとしている。「暗愚」もひどすぎる。
 三 中西輝政「共産主義と日米戦争-ソ連と尾崎がやったこと・上」月刊正論2016年7月号には、つぎの文章がある。
 「日本人が冷戦を忘れてはならぬもう一つの理由は、軍備や核戦力の増強に励み、核兵器を使用する意図をちらつかせて他国を威嚇する現旧の共産主義国が日本を囲むように存在している、ということである」。
 「彼ら〔中国、北朝鮮、ロシア-秋月〕の体制は、いまや十全な意味での共産主義とは言えないかもしれない。しかし、彼らの体制が依拠しているのは、間違いなく『共産主義的価値観』である。…。この全体主義的ナショナリズムは、今日の中国、ロシア、北朝鮮のいずれにもはっきりと見られる価値観である」。
 「東アジア、日本周辺においては、冷戦は終わったとは到底言えない。マルクス流に言えば、 "ネオ共産主義" ともいうべき妖怪が、アジア・太平洋、特に東アジア、西太平洋といった日本周辺を徘徊しているのである」。以上、p.150.
 「にもかかわらず、日本人はなぜ、共産主義の脅威とそれによって起こされた冷戦を忘れ、それ以前の戦争について一方的で無条件の反省と謝罪を強いられ続けるのか」。p.151.
 「日本のアカデミズムに籍を置く近現代史研究者や昭和史家たちはこうした共産主義の裏面史や謀略工作の歴史をいっさい視野から除外して研究してこなかった。戦後長年にわたり左翼・リベラルが牛耳ってきた日本の知的風土は、共産主義や『進歩派』の思想にきわめて寛容で、共産主義の脅威などは存在しないかのように振る舞ってきたのである。それどころかソ連や共産中国を『平和陣営』などと呼び、逆に……」。p.153-4.
 「さすがにいま、ロシアや中国、北朝鮮のネオ共産主義国家・体制を『平和陣営』と呼ぶ知識人はいないしメディアもない。しかし、『平和陣営』を奉った勢力の系譜につらなる現代日本の左派・リベラルは、それらの脅威になぜか全く目を背け、あたかも『ないもの』とし、加えて、そうした脅威に適切に対処しようとする動きを『戦争を招く動き』と、かつてと同様、"ネオ共産主義" 陣営を利するかのように喧伝している」。//
 「こうした知的空間の中で出来上がったのが、『冷戦忘却』あるいは『冷戦隠蔽』史観である。安倍首相の『70年談話』が、全く冷戦体験に触れなかったのは、今も日本に残る、こうした『冷戦隠蔽史観』に屈したからである」。以上、p.154。//は原文では改行ではない。
 この中西輝政の文章のうち「いまや十全な意味での共産主義とは言えないかもしれない」という部分については、「十全な…」の意味が不明確ではあるものの、ロシアと北朝鮮には当てはまるかもしれない。しかし、市場経済政策を採用している中国も、少なくともわが日本にある日本共産党によれば、レーニンが見つけ出した<市場経済を通じて社会主義へ>の道を歩んでいる国家として(今のところは、かつ全体としては)肯定的に評価されているのであり、その意味では、れっきとした<社会主義国>であることに注意しなければならない、と蛇足的には考える。
 しかしともあれ、中西の基本的趣旨には全面的に賛同できる。中国は「改革開放によって延命して」おり、社会主義(・共産主義)国ではなくなっているかのごとき渡部昇一の認識と比べて、天地の差があるほどに優れている。
 渡部昇一は、「冷戦隠蔽史観」に、まさしく立っているのだ。本来の「保守」からすれば、敵の側にある。
 四 渡部昇一は「東京裁判史観を突破した『縦の民主主義』の歴史力」月刊正論2015年10月号(産経)p.64以下で、安倍晋三首相「戦後70年談話」について、「高く評価したい」、「大変良かった」、「眼前の歴史戦に大きくプラスに働く」等と高く評価した。
 また、渡部昇一は、「『安倍談話』百点満点だ!-東京裁判史観を克服」月刊WiLL2015年10月号p.32以下でも、「これ以上の内容は現時点ではありえない」、「全体として『東京裁判史観』を払拭する」等々と述べ、「村山談話はおろか、東京裁判史観をも乗り越えた安倍総理の、そして日本の勝利である」、「『戦後』は安倍談話をもって終わりを告げることになった」、とまで言い切った。
 2015年8月、「安倍談話」の内容を初めて知ったとき、秋月瑛二が感じたあの<違和感>を、今でも覚えている。談話の文章内容に即して立ち入りはしない。
 だが、月刊正論2015年11月号p.396に掲載されている、同誌読者の一人の「安倍談話」(正確にはその一部)に対する感想に、まさしく共感を覚える。
 すなわち、「これでは靖国で眠る英霊は、浮かばれない」。
 渡部昇一は「東京裁判史観」を乗り越えたとか払拭したとか評価しているが、いったいどこからそのような言葉が出てくるのだろう。例えば、まさしく「東京裁判」判決によって死刑判決を受け、「首を吊られて」死んだ7人のいわゆる「A級戦犯」たちの<霊>は、「戦後70年談話」によって癒されただろうか、名誉が回復したと喜んだだろうか。
 渡部昇一は、静岡県熱海の伊豆山・興亜観音にまで行って、松井石根らにまともに向き合うことができるのか。あの「談話」では、処刑された「戦犯」たち、かつての戦争を闘った「英霊」たちは「浮かばれない」。これが、まっとうな、日本人の感覚だ、と思う。
 五 いわずもがなだが、とくに渡部昇一には申しておきたい。
 かりに自民党を支持しているとしても、自民党のすべての政策に賛同しているとは限らない。かりに安倍内閣を支持しているとしても、安倍内閣のすべての政策を支持しているとは限らない。かりに安倍晋三を全体として支持しているとしても、安倍晋三のすべての個々の発言・行動を支持しているとは限らない
 これらは、多少は理屈の分かる中学生・高校生であれば、当たり前のことではないか?
 「安倍談話」を支持しなければ安倍内閣支持者(・自民党支持者?)ではないかの如き主張の仕方であるとすれば、論理的にも誤っている。
 ましてや、「安倍戦後70年談話」を基本的に又は全体として支持しなければ、あるいは一部についてであれ批判するような者は<保守>派ではない、と言いたいかの主張をしているとすれば、<ほとんど発狂している>。
 言葉はきついだろうが、論理的には、上のとおり、のはずだ。
 「安倍戦後70年談話」に盲従して?それを賛美せよ、と言うのは、<教祖>または<何とか党の最高指導者>を批判するな、と言っているに等しい。花田紀凱なのか渡部昇一なのか知らないが、何が「保守分裂の愚」だ。笑ってしまう。
 まっとうな<保守派>の人々は、冷静に物事を見て、思考しなければならない。
 六 安倍晋三の「戦後70年談話」や2015年12月の<慰安婦問題最終決着>文書についての、以上に言及した文献以外のものも、当然に読んでいる。
 秋月瑛二は、この論点について、断固として、中西輝政・西尾幹二・西岡力等の側に立ち、渡部昇一・産経新聞社主流派(?)等に反対する。
 <このテーマ、つづける。>

1281/「保守原理主義」者の暗愚1-渡部昇一・月刊正論2015年5月号の日本国憲法「廃止」論。

 渡部昇一の主張・議論のすべてではないが、その日本国憲法「廃止」論については、「保守原理主義」らしきものを感じ、「暗愚」はおそらく言い過ぎだろうが、間違いなく「意味不明」な議論だと感じる。
 南出某ら等々の日本国憲法「無効」論・「廃止」論にはこの欄ですでに論及しているので、参照していただきたい。以下は、渡部昇一「反日との我が闘い」月刊正論5月号p.60-63の叙述に対する批判的コメントだ。渡部のこのような叙述が月刊正論(産経)の実質的な「巻頭」を飾っているのだから、戦慄を覚えないではない。
 渡部昇一は、敢えて「憲法改正」とは言わないようにしてきた、それは「憲法改正」は「今の憲法を承認したうえで、それを改正する」ことを意味するからで、「占領統治基本法」である、「嘘に塗り固められ、国家の恥に満ちた」日本国憲法という認識にもとづけば、「今の憲法はまず廃止されるべき」である、とする(p.62)。
 このあたりは、これまで読んできた日本国憲法「廃止」論(・「無効」論)とほとんど変わりはなく、渡部の主張としてとくに目新しいものではない。また、最初の小見出しになっている「日本国憲法は憲法ではないという認識を」(p.61)も、<日本国憲法はまともな憲法ではないという認識を>というふうに改めていただければ、賛同することができる。問題は、p.63上段の半ば以降の叙述にある。
 渡部昇一は、「とにかく、まず一度、明治憲法に戻って今の憲法を廃止し、皆がつくった憲法を廃止する」、これが「筋の通ったやり方だ」とする。ここにもすでにその意味内容が分かりにくいところがあるが、決定的には、つぎの文章には唖然としてしまった。
 渡部はいう。日本国憲法を「廃止」すれば「大混乱に陥る」という反論があるかもしれないが、「新憲法のもとで一つ一つを変えていくまでは、現行憲法が効力を維持するとすればいいのです」。
 「現行憲法が効力を維持する」とはいったいいかなることを意味するのか。渡部は、新憲法のもとでの「法改正」が一つ一つできるまでは、「今までどおりでOKとすれば、何の混乱も生じない」とも書く。
 これまで、日本国憲法「無効」論は同「廃止(廃棄)」論と基本的趣旨は同じだと理解して、「無効」・「廃止」の宣言・確認の主体や手続に関する主張は非現実的だ、論理矛盾がある、等と指摘してきた。
 上の渡部昇一の主張からすると(渡部の諸文献での主張をここで網羅的に参照することはできないので、上記部分に限る)、この人の主張は日本国憲法「廃止」論であっても「無効」論ではない。なぜなら、「廃止」後の一定の時期までは日本国憲法は「効力を維持する」と明瞭に述べているからだ。
 小児に語るようなことだが、「効力を維持する」とは<無効ではない>、<有効である>ということを意味する。「有効」であるとは「効力をもつこと」、「効力を維持」していることを意味する。「効力を維持する」とは、「無効」とはしない、ということを意味しているのは明らかなことだ。
 では、渡部のいう日本国憲法の「廃止」とはいったい何のことなのか。
 通常、法律等の成文法の「廃止」とは、<効力を否定する>こと、<効力を失わせる(=失効させる)>こと、つまりは<効力がないことにする>=<無効とする>ことを意味するはずだ。
 日本国憲法を「廃止」はしても同憲法は「効力を維持する」とは、いったい何のことなのか? いったい、何が言いたいのか? これが唖然としてしまった点だ。渡部において、効力の有無とは無関係なものとして語られている「廃止」とは、いったい日本国憲法に対するいかなる働きかけのことを意味しているのだろうか。
 なるほど、違憲な法律、違憲の行為であっても効力は維持する、つまり無効ではない、とすることはありうる。国会議員選挙の違憲・無効訴訟の諸判決の中にも、このような論法を示すものがある。
 では、日本国憲法を<無効とする(無効を確認する)>のではないが、<廃止>する、とはいったいどういう論法なのだろうか。問題は法律や具体的行為の<合憲性・無効性>ではなく、日本国憲法を<廃止>するということの意味だ。
 明治憲法に違反すること、あるいは国際法(?)に違反することを「確認」することを意味するのだろうか。
 しかし、成文法の「廃止」とは上述のとおり<無効とする>=<効力を維持させない>ことを意味させるのが通常であるはずなので、渡部昇一における「廃止」は、新奇な意味をもたされていると理解するほかはない。そして、その意味はほとんど理解不可能だ。
 渡部昇一においても、概念の混乱・不明瞭さがある。「無効」を、制定時にさかのぼってではなく、<将来にむかってのみ>効力をなくするという意味で用いている「無効」論者にも、通常の意味での「無効」とは異なる「無効」概念の誤用があると思われるが、渡部は、日本国憲法が将来において「効力を維持する」ことを一定時期までは認めつつ、「廃止」を語っている。上の意味での「無効」論以上に意味不明だと言わざるをえない。
 先に留保したところだが、p.63の半ばでは、国会の承認を得ての「憲法草案」策定→政府による明治憲法に「帰る」ことの宣言=日本国憲法の「廃止」→新憲法の発布、という手続・過程が想定されている。
 この辺りもよく分からないことが多い。①「政府」とは何か、それが「内閣」のことだとすれば、日本国憲法の規定にもとづいて同憲法下の国会によって指名された内閣総理大臣とそれの任命した大臣によって構成される「内閣」=政府に、自らの生誕の母体ともいえる日本国憲法を「廃止」する権限・権能がそもそもあるのか、②明治憲法に「帰る」べきと主張しながら、天皇に何ら論及がないのはなぜか、新憲法を「発布」する権限は政府にあるかのごとき書き方だが(①のような問題がすでにあるが)、天皇陛下の少なくとも何らかの関与を明示的には認めていないのはなぜか、という疑問が容易に生じる。
 p.61-62あたりの叙述にも首を傾げる部分があるが、省略する。
 厳密にはとても採用できそうもない議論がごく少数の論者によってなされているならば、無視しておいてよいかもしれない。しかし、月刊正論の冒頭に置かれている渡部の論稿の少なくとも一部は、倉山満の日本国憲法「改正」=<恥の上塗り>論等とも共鳴しつつ、憲法「改正」運動を批判するもので、客観的には妨害する可能性がある。
 「保守」派意識の旺盛な人が、現憲法の制定過程の不正常さを知るのはよいが、そのことで(知ったかぶりをして?)<現憲法は無効>あるいは<現憲法はいったん廃止>と簡単に言ってしまうことがあるのを知っている。無駄な手続を要求することによって、またあえて<廃止>論や<無効>論を主張することによって、憲法「改正」を遅らせることがあってはならないだろう。現在の憲法「改正」運動の主軸は自民党内にあると見るほかなく、「美しい日本の憲法をつくる会」にあるのではない。そしてまだ決戦の火蓋は切られていない。自民党の船田元、保岡興治、磯崎陽輔
らは渡部昇一らの「観念的・原理的」議論の影響を受けていないようであることは、安心できることだ。

1205/中西輝政・賢国への道(2013)の「保保二大政党制」論。

 中西輝政の主張について、8月上旬に、この欄であいまいに次のように書いていた。

 8/06-「残念ながら数ヶ月前に読んだためか文献を確認できないが、中西輝政もまた、<リベラル系>をなお含んでいる自民党に比べて日本維新の会は<保守性>が高いという旨を書き、上記の遠藤浩一のごとく、とくに憲法改正に向けての自民党と日本維新の会の協力・連携を期待する旨をこの数カ月以内にどこかで書いていた」。

 8/10-「中西輝政の主張はたんなる両党の連携等というよりも、遠藤浩一の今年最初の<保守合同>論でもない、両党による<二大保守政党>成立への展望だったように思い出してきた。その場合、維新の会を自民党よりも<右>または<より保守的>と位置づけていたような気がする」。

 どの雑誌上だったかと気になり続けていたのだが、原文を見つけた。雑誌ではなく、単著だった。すなわち、中西輝政・賢国への道-もう愚かではいられない(致知出版社、2013)の第五章だった。

 昨年末総選挙後・参院選前に執筆されているこの著で中西は、日本の直面する三大危機は①経済・財政問題、②外交・安全保障問題、③政治のリーダーシップにあるとし、この③に関する第五章で、うろ覚えで記した上記のようなことを書いている。但し、必ずしも正確ではないようなので、あらためて関連部分を紹介しておく。

 章の下の第一節にあたるものの見出しを「保保二大政党制で一枚岩の態勢を作る」とし(p.166)、次のように言う。
 ・「民主党か自民党かという選択は間違」い。「民主党はとんでもない左翼政党」。

 ・「求めるべきは保保二大政党制」。現在の自民党は「保守といっても、ほとんど中道リベラル政党」。「もう一つ、日本の歴史と伝統文化に沿った国家軸を持つ本格保守政党が必要」(p.169-)。

 ここで自民党以外の「保守」政党とは石原慎太郎・橋下徹代表の日本維新の会が想定されているように感じられた。そのように読めなくもない。だが、必ずしもそうでもなさそうだ。
 安倍政権の当面の課題はともかくも<自民党参院選挙勝利>で、安倍首相が①「身近な敵を黙らせる」、②「中国の挑発に乗らない」ことにより参院選に勝利できるかに「日本の未来はかかっている」(p.200)という別の議論の中で、参院選前の靖国参拝や河野・村山談話見直しがなくとも、「保守層」は参院選自民党勝利まではじっと耐えるべきだ、ということを強調している(とくにp.195-6)。
 まさに<戦略的>な主張をしているわけだが、上の①「身近な敵を黙らせる」に関連して、次のように言う。
 ・公明党は「根本的な国家観が違い」、いつ離れるか分からない。
 ・「『維新』と連立」すればとの意見もあろうが、「維新」は「まだ海のものとも山のものとも分かりません」。内部のベテラン議員に「自民党内をかき回される可能性」もある。

 ・自民党内の「反安倍陣営」の結成に警戒が必要(p.193-4)。

 以上からすると、日本維新の会に高い評価を与え、強く期待しているわけでもなさそうだ。
 はて、中西輝政の真意は何なのだろう。

 中西の安倍晋三に対する期待はきわめて高いことを前提にすると、現在の自民党と日本維新の会を中心とする勢力による「保保二大政党制」ではなく、自民党内の安倍晋三らの「保守派」と維新の会や他党の中にいる「保守派」が合体して現在の自民党ではない「日本の歴史と伝統文化に沿った国家軸を持つ本格保守政党」を作り、現在の自民党にもいる「中道リベラル」系(かつ反共)の者たちによる<その他の保守>政党との「保保二大政党制」を展望しているのだろうか。一種の、大きな<政界再編>だ。

 だが、中長期的にはともかく、自民党が近い将来に分裂する可能性は少なく、安倍晋三らが自民党から出て他グループと連携または合同する可能性も少ないだろう。安倍晋三は、相対的に多数の国会議員を擁する自民党の総裁のままでいた方がよい、と考えられる。こちらの方が戦略的にはベターだと思われる。

 そうだとすると、自民党を「ほとんど中道リベラル政党」と見なし、もう一つ「本格保守政党」が必要だとすることの意味はよく分からなくなる。

 今年の1月に刊行された書物の中の主張なので、自民党が7月参院選にいちおう勝利した後であれこれと吟味しても大きな意味はないかもしれない。しかし、将来的には現実化するまたは現実化させる必要のある論点になるのかもしれない。

 さて、追記になるが、中西輝政は「保守」の人々は自民党の参院選勝利までは安倍内閣か「保守」的行動・措置を執らなくとも我慢をすべし、と強調し、「本当の安倍政治が始まるのは参院選のあとなのです」(p.200)と言う。
 最近にこの欄に記したこととの関係でいうと、橋下徹慰安婦発言について、支持・同調できる部分もある、と安倍首相でなくとも自民党幹部が発言していたとすれば自民党は現実に得たような「勝利」を獲得できなかったのだろうか、同じことだが、橋下徹発言には正しい部分もあると自民党幹部が発言していたとしても、民主党に対する不信は前年と同様に激しいものがあったから、自民党は実際と同様に「勝利」していたのではないか、とも思われる。

 この点はもはや歴史のイフに属するかもしれず、これ以上は立ち入らないことにしよう。問題はこれからだ、

 中西輝政は述べた、「本当の安倍政治が始まるのは参院選のあと」だ、と。参院選後すでに、短い国会と夏休みが終わり、東京五輪招致問題も決着した。

 中西はさらに予測する-「参院選に勝てば、…『戦後レジームからの脱却』を改めて掲げて、前政権でやり残したことを次々と実現していくはずです。歴史問題にも真正面から取り組んでいくでしょう。…靖国参拝もするでしょう。それから憲法改正にも手をつけ始めるはずです」(p.200)。

 参議院では自民党は2/3超の議席を持たず、非改選組を含めれば1/2にも達していない。そのような状況で、どのようにして「憲法改正にも手をつけ始める」のかはむつかしい。

 しかし、ともあれ、中西輝政の言うように安倍首相や自民党中心内閣が「前進」していくことを期待するほかはない。 

1147/橋下徹、石原慎太郎、安倍晋三、佐伯啓思、中島岳志。

 一 <左翼>は間違いなく橋下徹・維新の会を危険視・警戒視してきた。社民党も共産党も勿論だ。
 最近の某週刊誌に東京都知事選で宇都宮某を「市民派」・「リベラル」等だとして支持することを明記していた者に森永卓郎、池田理代子、香山リカ、雨宮処凜がいたが、社共両党が支持するこの元日本弁護士会会長を支持する者たちもまた、橋下徹に対しては批判的であるに違いない(すでに明確に批判している者もいる)。
 一方、<保守>の中では橋下徹・維新の会に対する評価が分かれたし、現在でも分かれたままであることは興味深いことだ。
 その橋下徹を石原慎太郎は義経に、自分を義経を支え保護する武蔵坊弁慶になぞらえ、橋下を義経ではなく頼朝にしたいとか発言していた。そして、石原新党は橋下徹・日本維新の会に合流した。
 安倍晋三も橋下徹に対して決して警戒的・批判的ではなく、将来における「闘いの同志」と言っていたこともあるし、衆議院解散後も「お互いに切磋琢磨して‥」などと言っていた。
 <保守>派論者はおおむね又はほとんど石原慎太郎・安倍晋三を支持しているか好意的だと思われるが、この二人には好感を持ち、かつ橋下徹は「きわめて危険な政治家」だとか「保守ではない」とか言って批判していた者たちは、近時の石原や安倍の橋下徹に対する態度をどう観ており、どのような感想を持っているのだろうか。
 石原慎太郎や安倍晋三は橋下徹の本質、その危険性を見抜いていないとして苦々しく思っているのだろうか、そして、この二人に諫言または忠告でもしたい気分だろうか。それとも、橋下徹に対する評価を少しは改めたのだろうか。
 二  佐伯啓思は産経新聞11/22の「正論」で、新日本維新の会について次のように述べている。
  「石原新党が合流した日本維新の会は、ただ『統治機構改革』すなわち中央官僚組織をぶっこわし、既成政党をぶっこわす、という一点で政権奪取をうたっている」。
 そのあと「橋下徹氏の唖然とするばかりの露骨なマキャベリアンぶりを特に難じようとは思わない」としつつ、かなりの国民が維新の会を支持しているとすれば、「われわれは民主党の失敗から何を学んだことになるのだろうか」と結んでいる。
 この後半部分はどうぞご自由に論評を、と言いたいが、その前提となっている、「ただ『統治機構改革』すなわち中央官僚組織をぶっこわし、既成政党をぶっこわす、という一点で政権奪取をうたっている」という認識は、学者らしくなく、あるいはある意味では学者らしく、あまりに単純すぎる。
 日本維新の会はもっといろいろなことを主張しているのであり、とりわけ「自主憲法の制定」の方向を明確にしていることを看過する論評は、大きな欠陥があるだろう。とても、緻密な?佐伯啓思の文章だとは思えない。
 三 「左翼」だと思われるが、自称「保守」または「保守リベラル」でもあるらしい中島岳志は、宇都宮健児・雨宮処凜・佐高信・本多勝一らとともに編集委員をしている週刊金曜日の11/16号の、朝日新聞にある欄の名称とよく似た「風速計」という欄に、「第三極のデタラメ」と題する文章を書いている。それによると、以下のごとし。
 橋下徹代表の日本維新の会とみんなの党は「リスクの個人化」を志向し、「小さな政府」に傾斜しているのに対して、「たちあがれ日本」は「リスクの社会化」を志向している。また、日本維新の会
と「たちあがれ日本」は「タカ派的主張」を中核にしているが、みんなの党は「消極的リベラルの立場」だ。
 こうして実質的にはこれら三者の合流は困難だと、のちに聞かれた「野合」論を先走るような叙述をしている。
 各党の個々の評価には立ち入らない。興味深いのは、学者らしく、あるいは厳密にはしっかりした研究者らしくなく、「リスクの個人化」か「リスクの社会化」か、「タカ派」か「リベラル」か、という単純な対比によって各党を評価しようとしていることだ。
 実際は、もっと複雑だと思われる。学者の、レッテル貼りにもとづく単純な議論はあまり参考にしない方がよいだろう。
 ところで、中島岳志は、橋下徹代表時の日本維新の会と「たちあがれ日本」の主張を「タカ派的」と称している。このような称し方は「左翼」論者や「左翼」マスコミと変わりはしない。まともな<保守>派論者ならば、改憲の主張を「タカ派」などと呼びはしないだろう。
 中島岳志の「左翼」ぶりは、今回の総選挙に際しての「緊急の課題」を次のように述べていることでも明瞭になっている。すなわち-。
 「保守・中道リベラルと社民リベラルが手を結び、新自由主義・ネオコン路線と対峙すること」。以上、上掲誌p.9。
 「新自由主義・ネオコン路線」という一時期の<左翼>の好んだ語がまだ使われていることも目を引くが、中島が「社民リベラル」に好意的であることを明瞭にしていることの方が面白い。
 中島岳志が<保守>であるはずがない。この中島を同好の者のごとく同じ月刊雑誌(「表現者」)に登場させている西部邁や佐伯啓思の<保守>派性すら疑わせる人物だ。

1141/月刊正論(産経、桑原聡編集長)の編集方針は適切なのか③。

 月刊正論9月号(産経)の「編集者から」(p.327)の文章で驚いたのはつぎの言葉だ。
 一読者が「いたずらに異見を責めるのではなくて、国民の落着点を求め」る姿勢が大切ではないかと(前回に紹介にしたことを書いて)「編集者へ」述べたことに答えて、それが「必要な場合もあるでしょうが…」と述べているのは一般論としては誤っていないだろうが、問題は、それに続くつぎの文章だ。
 「それ〔異なる意見〕が日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には、我々は異見を潰しにかかります」。
 月刊正論編集部は「日本と日本人を間違った方向に導くと判断し時には」「潰しにかかる」、そういう編集方針を明らかにしたわけだ。
 善意に解釈して、その気分ないし意気込み?は理解できなくもないが、ただちに、次のような疑問が生じる。
 第一。「日本と日本人を間違った方向に導く」意見かどうかを判断するのは、明らかに月刊正論編集部(「我々」)だとされている。
 しかして、そもそも月刊正論編集部に、諸意見・考え方等々のいずれが「日本と日本人を間違った方向に導く」か否かを適切に判断する資格または能力があるのだろうか。
 主観的に、そのような気概?を持って何らかの「判断」をするのは結構だし、妨げることもできないだろうが、そもそもその「判断」が正しいまたは適切か否かの客観性は何ら保障されていない。
 奥付?によると月刊正論「編集部」には、「編集人」の桑原聡のほかに「小島新一・永井優子・川瀬弘至・上島嘉郎」の4名しかいない。政治・社会系の研究者・学者としても、政治・社会系評論家としても何らその地位を確立しているとは思えない、長の桑原を含めてこれら5名に、「日本と日本人を間違った方向に導く」か否かの判断を、読者は委ねることができるだろうか。一般論として、とても不可能だ、と考えられる。
 「我々」が「日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には」、という書き方は、まるで「我々」がその判断を客観的ないし的確に行うことができるということを前提にしているごとくで、誤っている可能性がきわめて高く、ひどく<傲慢>だ。
 読者は、「日本と日本人を間違った方向に導く」意見・考え方か否かの判断を、上の5名が客観的にかつ適切になしうるとは考えていないし、期待もしていないだろう。
 そもそも月間
発行部数2万程度の雑誌の、たった5名の「編集者」にそのようなことができるわけがない、と考える方が常識的だ。
 百歩譲って、編集者としての気分・気概を宣明しただけだ、と理解するとしても、そのような気分・気概は、ある意味では、すべての政治・社会系雑誌の編集者が持っていても不思議ではないもので、わざわざ文章にし、活字にしておくような類のものではない。
 あえて上のようなことを活字にしていること自体が、やはりどこかおかしい、と感じざるをえない。
 第二。「日本と日本人を間違った方向に導く」意見・考え方を「我々」は「潰しにかか」る、という。
 その前提的判断の客観性・適切性に疑問がありうることは上に記したが、そのような前提的判断に立っての、上のような「異見」は「潰しにかかります」、という表現は尋常ではない。
 具体的には、そのような「異見」は掲載せず(執筆を依頼せず)、それを批判・攻撃する論考のみを掲載していく、という編集方針を宣言していることになるのだろう。
 一般論として、何らかの編集方針を持つことはありえ、それに基づいて具体的な雑誌編集を行うことはむろんあるだろう。どの雑誌もそうしている、とも言える。
 だが、上のような「異見」は「潰しにかかります」、という表現は、穏やかではない。
 客観的にまたは結果的にそのような機能を持つことがあっても、あるいは持つことを意図していたとしても、ふつうは、上のように「潰しにかかります」とまでは、文章化しない、活字にはしない、のではないか。
 この点でも、現在の月刊正論編集部は、やはり、どこかおかしい。
 それにまず、自分(たち)の気にくわない意見は「潰しにかかる」という姿勢・態度を明らかにすることは、多分に気味が悪いものだ。月刊正論編集部は、政治・社会問題にかんする諸意見についての<思想警察>のつもりなのだろうか。そういう立場に立つつもりなのだろうか。右向きか左向きか知らないが、どこか<ファシスト>的匂いを感じる表現であることに、実際の書き手は注意した方がよいと思われる。
 つぎに、そもそも、月刊正論という雑誌の力で、「日本と日本人を間違った方向に導く」意見を同誌編集部が「潰しにかかる」ことができると本当に考えているのだろうか。
 そうだとすれば、尋常ではないし、やはりひどく<傲慢>だ。
 月間発行部数2万程度の雑誌に、朝日新聞の数分の1しか読者のない産経新聞のさらに100分の1程度の読者数の雑誌に、その雑誌編集部の「判断」と異なる意見を<潰す>ことができるとはとても思えない。<潰せる>と考えているとすれば、その自信過剰さは、尋常な感覚ではないだろう。
 実際問題として、月刊正論(編集部)が「日本と日本人を間違った方向に導く」意見だと判断するかもしれない諸意見は種々の、別の雑誌に溢れているし、今日ではブログやツイッター等の表現手段もある。
 月間発行部数2万程度の雑誌の「編集者」が、気にくわない「異見」を「潰しにかかります」などと、かりに内部でそう考えていたとしても、正規に、雑誌上に文章とし、活字にするようなことはしない方がよいだろう。
 ごく常識的な感想を書いたつもりだ。内容的にも疑問があり、「潰しにかかる」という言葉には<思想警察>的な気味悪さを感じる。と同時に、そのような文章を平気で活字にし、正規に残しておく、という姿勢・態度・感覚に、尋常ではない、戦慄すべき<怖ろしさ>を感じる。
 余計ながら、ひょっとして具体的には皇位継承問題(女系天皇の是非)を念頭に置いて「編集者」の上の文章は書かれたのかもしれない。しかし、そのような特定・限定はなく、一般的な宣明のかたちで、上の文章は書かれている。
 さらに余計ながら、「日本と日本人を間違った方向に導く」、日本国内のマルクス主義者・親マルクス主義者あるいは「左翼」の諸意見・考え方を「潰しにかかる」という編集方針を、月刊正論編集部は採っているのだろうか?、かりに採っているとしても、それは十分なものだろうか?、という疑問がある。
 「保守」派内の「内ゲバ」に主要な関心を向けたり、その一方に加担することに熱心な月刊雑誌は、少なくとも「保守」派一般の、またはその代表的な雑誌になることすらできないだろう。ましてや、憲法改正に必要な国民・有権者の過半数に支持される、あるいは関心をもたれる雑誌に成長することは決してないだろうと思われる。
 月刊正論の親会社の発行する産経新聞8/14加地伸行と竹内洋の対談中に、こんな部分があった。
 「加地 今の保守系は論壇というよりも、悪口を言うことで終わってしまっている。……
  竹内 それと内ゲバ。左翼…が、保守論壇も。仲間内でやるのが一番見苦しい」。
 この秋月の文章も一種の「内ゲバ」かもしれないが、秋月瑛二のブログにそのようなものの一方当事者となる資格(・読者数)はないものと自覚している。

1138/月刊正論(産経、桑原聡編集長)の編集方針は適切なのか?①

 〇「Weekly 雑誌ニュース」というサイトによると、各雑誌の月間発行部数は、文藝春秋約60万、潮約40万、WEDGE-約16万、サピオ約12万、月刊WiLL-11万、エコノミスト8万、月刊ボイス-約3万、らしい。
 月刊正論、新潮45、世界等については「調査中」とある。
 但し、この欄で既述のように、雑誌・撃論3号(2011.11)の編集部による文章によると、<月刊WiLLの販売部数は月平均約10万部、産経新聞社の月刊正論は実売2万部以下>らしい。
 月刊WiLLについての上の両者の数字が11万・10万とほぼ同数であることからすると、月刊正論についての数字も、信頼してよさそうに見える。
 歴史があり、新聞社に支えられている(はずの)月刊正論(産経)よりも、後発の、同じく一般には
<保守>派とされていると思われる月刊WiLL(ワック)や月刊ボイス(PHP)の方が、よく売れているわけだ。
 とくに、月刊正論は月刊WiLLの5ないし6分の1程度しか読まれていない(売れていない)、ということは興味深い。
 以上のことは、以下に述べることと直接の関係はない。但し、現在の編集方針だと(つまりは現在の編集長・編集部員だと)、販売部数は増えそうにない、という気はする。
 〇月刊正論やその個々の論考については言及したいことは多い。さしあたり、月刊正論全体ないしその編集方針について、まず、いくつかをごく簡単にコメントする。
 ①「近いうち」の衆議院解散・総選挙という時期なので、あるいはずっと前から今年(2012年中)の解散・総選挙の可能性は高いと言われてきたので、政治・社会系総合雑誌がすべきことは、私見では、<(2009年誕生の)民主党政権とは何であったか・民主党政権はいったい何をしてきたか>という総括だろう。
 これが月刊正論にはほとんど見られないようだ。少なくとも「特集」は組まれていない。
 この点では、月刊文藝春秋8月号が「政権交代は何をもたらしたのか―民主解体『失敗の本質』」という特集を組んでいることの方が(p.116-)が、決して「保守派」雑誌でないにせよ、時代的・時期的センスが(月刊正論編集部よりも)優っている。

 また、月刊WiLL9月号は「総力大特集/醜悪なり民主政権」と銘打つ特集を組んで、4本以上の論考を載せている。山際澄夫「朝日新聞は土下座して読者に詫びよ」(p.84-)などは、反民主党、反朝日新聞の読者を少しは痛快な気分にさせるだろう。
 ②朝日新聞や岩波・雑誌「世界」らは、2009年の民主党政権樹立へとムード・空気を煽ってきた。2009年の投票日に並んでいた月刊世界の表紙のタイトルは「政権選択選挙へ」だったと記憶する。さすがに「政権交代選挙へ」とは打てなかったのだろう。だが、総選挙とはつねに「政権選択選挙」たる性格をもつことからすると、月刊世界のタイトルの含意は明瞭だった。
 政権交代を朝日新聞等は「歴史的」と表現して歓迎した。自分たちの世論誘導は見事に効を奏したのだった。
 従って成立した民主党政権を罵倒するはずはないのだが、残念ながら民主党内閣の「失点」は相次ぎ、叱咤激励はするものの、政権交代の現実的なプラスの成果を、朝日新聞らは提示できなかった、と思われる。
 だが、朝日新聞らが意図したことは、<民主党政権は批判されるべきだが、自民党政権に戻してもダメだ>という世論形成だった。民主党がダメだとしても、自民党が良いわけではない、というのが彼らの<矜持>あるいは<面子>からする主張だった、と思われる。そして、これまた、そのような世論形成は、相当に成功したように見える。
 「保守派」のはずの月刊正論(産経)も、そのような雰囲気に対抗することはせず、むしろ、その編集長は、2011年4月号に、次のように書いていた。あの3.11の起こった時点の、編集長・桑原聡の文章だ。 
 「…民主党内閣が、憲政史上最低最悪の内閣であることは多くの国民が感じているところだろうが、かりに解散総選挙が行われ、自民党が政権を奪回したとしても、賞味期限の過ぎたこの政党にも、わが国を元気にする知恵も力もないように思える」(p.326)。
 解散・総選挙の現実的可能性が高まった現在でも、桑原聡はこう考えているのだろうか。このような見解は、<民主党はもちろん、自民党にも投票するな>と言っているに等しい。
 どちらがよりマシか、どちらがより「保守的」か、どちらが現憲法改正草案を持っているか(九条2項削除を明確な方針としているか)、どちらに靖国神社参拝をする議員が多いか、などを考えれば、編集長・桑原聡の上の文章は、ほとんど、朝日新聞らの「左翼」と同じだ。
 自民党よりも「保守的」な有力政党の結成・誕生を見ていない現在では、多少は異なる見解に至っていることを期待したい。だが、月刊正論の(2012年)8月号は、<自民党批判>の特集を組んでいる。解散・総選挙が近づいていることは客観的に明瞭だった時期に、月刊正論は、<民主党政権の総括的批判>ではなく<自民党批判>の特集を打ったのだ。
 この雑誌は、あるいはこの雑誌の編集長、その編集方針は、やはりどこかおかしい。とても<保守派>の雑誌とは思えない。
 ③今年2012年は、日本共産党創立90周年の年だ。産経新聞でもまともにこれを採り上げた記事は少なかった(あっても大きな紙面を用いたものではなかった)が、きちんと日本の「共産主義」政党の過去と現在を分析し、批判的に総括しておくことは、新聞ではなくむしろ「保守派」雑誌の役割だっただろう。
 しかるに、月刊正論は、これを怠っている、と見られる。月刊正論(編集部)は、いったい何と闘っているのか? いったい日本をどうしたいのか?
 編集長・桑原聡が早々に(今年初めの時点で)、橋下徹を「きわめて危険な政治家」、日本「解体」を意図している、と論定してしまったように、まるで政治的センスに乏しく、<いったい日本をどうしたいのか>について多少とも錯乱しているのではないだろうか?
 憲法改正は重要なテーマだが、この問題についての(大きな論点ごとでもよいが)特集は組まれていない。
 従来の、「固い」読者層を掴んでいれば大丈夫だという感覚なのだろうか。そのような感覚では、国民・有権者の過半数の支持が必要な憲法改正のために情報発信するメディアの中の中心に位置することはとてもできないだろう。
 以上のほか、9月号をごく最近に見ていて、月刊正論の「編集方針」に、あるいは編集部自身の文章に、<戦慄すべき>怖ろしさを感じた。
 長くなったので、次回に譲る。 
 

1109/西部邁・佐伯啓思グループの「反共」性。

 佐伯啓思の昨年9月と今年4月の文章(産経新聞連載コラム)を読み返してみると、前者では「事実上は、日本には主権性は帰属しない」とも述べつつ、その前には「不完全な主権性」(「国家統治権限」はGHQの「制限のもとにおかれる」(subject to)こと)と明確に語ってもいる。
 後者では、日本国憲法は「本来は」無効である理由として、たんに「広義の戦争状態における占領である。日本には主権はない」、「憲法制定とは、主権の最高度の発動以外の何ものでもないから」、と記している。
 ニュアンスが少し違うようなのだが、こう指摘することは揚げ足取りになるのかもしれない。
 それよりも、講和条約・安保条約の締結・発効に関する問題を<日米関係>の視角でのみ見ているようであることが、大いに気になる。
 むろん佐伯啓思が指摘するように、これらは「主権」性をめぐる法的および実質的な論点を生じさせただろうが、これらの条約の背後には、1949年における東西ドイツの分裂・建国(社会主義・ドイツ民主共和国の成立)や毛沢東・中国共産党による社会主義中国(中華人民共和国)の成立等があり、1950年の朝鮮戦争勃発もあった。佐伯が知らないわけではもちろんないだろうが、東西対立を背景としての日本の<反共・自由主義>陣営への参加という決断があった。そこに米国の意思が働いてないとは言わないが、日本にとっては当然の、少なくともやむをえない「単独(実際は多数)講和」だった、と思われる。
 ソ連等をも含む「全面講和」条約を締結をして日米安保条約を締結しなければ、日本の主権は法的にも事実上も明確に「回復」したのだろうか。そのような選択の現実的可能性はあったのだろうか(むろん、立花隆等が敬愛する南原繁ら「進歩的文化人」、岩波・「世界」等の<全面講和>論もあったわけだが、この論が親社会主義・コミュニズム幻想を背景にしていたことは明らかだ)。
 こんな事情を抜きにして、アメリカとの関係のみに着目して、主権の「完全」性・「自立」性や「従属」性を現時点で語ることに、いかほどの生産的・建設的な意味があるのだろうか。全くないとは言わないし、むろん、「思想家」としての格好の思考素材にはなるのだろうが。
 なお、<西部邁・佐伯啓思グループ>が反米・自立の必要を強調はするが、中国・北朝鮮という「現存する」社会主義国に対する批判的視線はきわめて弱い、ということは何度か書いた。
 旧社会主義国・ロシアにより北方領土は実効支配され、社会主義国・中国は尖閣諸島を自らの領土と宣言し、実効支配をしようしているがごときだ。これらは「主権侵害」ではないのか? 北朝鮮による日本人拉致もそうだが、さらに、中国や北朝鮮の「工作員」による「間接的」な「侵略」、つまりは<主権侵害>は、多くの国民が考えている以上に、日常的に行われているのではないか。中国について、 ペマ・ギャルポの、中国の「日本解放工作」に関する書物・論考等参照。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>は、これらについて、まともに議論し、その成果等を雑誌に発表したりしたことがあるのだろうか?

1105/「保守」は橋下徹に「喝采を浴びせ」た(桑原聡)か?

 月刊正論(産経)編集長・桑原聡は、同5月号の末尾、「操舵室から」と題する編集長コラムの中で、「保守を自任する人々まで、……橋下氏に喝采を浴びせるが、」と書いたあとで、橋下徹を「きわめて危険な政治家」、「目的は日本解体そのものにある」と断じた。
 上にいう、「保守を自任する人々まで、…橋下氏に喝采を浴びせる」との認識は正確なものだろうか?
 「保守」派、あるいは「保守を自任する人々」のうち誰が明確に橋下徹に対して「喝采を浴びせて」いるのだろうか。
 橋下徹に関する論評類のすべてを見ることはむろんできないが、大阪市長戦後の産経新聞の昨年の11/28で、「保守」派だとふつうは思われているだろう産経新聞の政治部次長・石橋登は、「橋下氏は救世主なのか。それとも破壊王なのか」と、やや長い署名記事を結んでいた。喝采を浴びせてもいないし、「大衆迎合の危うさ」という見出しもあるほどで、少なくとも肯定的・積極的にのみ橋下徹を評価したわけではなかった。
 産経新聞を含む選挙前の報道の仕方自体、「保守」派らしき産経新聞も含めて、決して橋下徹に有利で好意的はものではなかった。「左翼」人士たちが大阪まで行って集会等を行い(それが逐一報道され)、週刊文春や週刊新潮が露骨な<反橋下>の記事を載せたことはよく知られている。関西の書店では、<反橋下>の本の方がはるかに多く目立つところに並べられていただろう。橋下徹自身の書物(堺屋太一との対談本を含む)の他には、彼を応援する<保守>派の書物などは一つもなかったのではないか。
 選挙・投票当日の朝の産経新聞の第一面には、対立候補・平松某の最後の演説の遠望写真のみが(写真としては)載っていた(有名な場所なので記事と照合するとどちらの陣営のものかが簡単に分かった)。橋下徹がリード、との予測を各紙がしていたにもかかわらず、だ。
 橋下徹市長の誕生後の産経新聞紙上でも、櫻井よしこ遠藤浩一櫻田淳らの、名うての?<保守>派論客も、橋下徹への明確な判断を避けていて(単純かつ性急に批判・非難する桑原聡よりはまだマシだが)、最近触れたように、佐々淳行が橋下徹への期待または「祈念」を語っていたのが、むしろ目立つくらいだ。
 いったいどこに、「橋下氏に喝采を浴びせる」「保守を自任する人々」がいるのか? 桑原聡は、虚偽を書いているのではないか。
 「保守」を自認している<西部邁・佐伯啓思グループ>が、佐伯啓思中島岳志藤井聡など、橋下徹を明示的に(桑原聡と同じく)厳しく批判していることは、この欄で言及したとおりだ。
 橋下徹を支持・応援している人々として挙げられうるのは、石原慎太郎堺屋太一のほか、特別顧問や政治塾の講師になったりしている、中田宏山田宏古賀茂明高橋洋一らだと思われ、必ずしも多くはない。
 こうした名前を記していて気づくのは、橋下徹を支持・応援しているのは、政治・行政の実務をしているか、その経験がある者ばかりだ、ということだ。
 反面ではこのことは、もっぱら<口舌の徒>であることを生業としている者たち、つまり、評論家や大学教授類で橋下徹支持を明確にしている者はほとんどいない、ということを意味している。
 <文章書き>だけの世界では、あるいは<文章書き>たちと接触している編集者たちの世界では(新潮45の編集長も含めて)、むしろ<反橋下>がモーデ(Mode、ムード)なのではないか。
 そのムードの中に「真正保守」の川瀬弘至・月刊正論編集部員もいるのだろう。
 そうした中で、産経新聞4/14の高木桂一のコラムなどによると、自民党の小泉進次郎は2/10に、橋下徹・維新の会に関して、「…新しい勢力がそこに刺激を与えてくれる。自民党にとってそれが危機感となって、自分たちを省みて『よくしなきゃいかん』という方向に行くならプラスじゃないですか」と答えたらしい。
 「デマゴーグ」とか「きわめて危険な政治家」と簡単に言い放つ「口舌の徒」の者たちに比べて、政治家らしく、冷静で、<大人>だ。

1091/西部邁・佐伯啓思グループとは何者たちか?

 前回に、<西部邁・佐伯啓思グループ>または<(隔月刊)表現者グループ>について、「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって…という疑念を捨て切れない、と書いた。
 分かりにくい、矛盾もしていそうな形容表現だが、示唆を得た叙述は、西部邁や佐伯啓思らを念頭に置いたものでは全くないものの、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011)の中にあった。一度は雑誌連載で読んでいたはずのものを、単行本で先月末あたりに読み終えていたのだ。
 竹内洋はおおむね1970年代(ないし1960年代半ば)以降の思想潮流に論及して、「左翼」側の<構造改革>論(江田三郎ら)、「保守」側の「モダニズム保守」または「ニューライト」の登場を語る。そして、後者に関して「マルクス主義と切断された進歩の思想である近代化論」の台頭が背景にあるとする。
 面白く感じたのは、上のことに触れつつ、「保守と革新の変容」と題する<図>(チャート)を示している、その内容だ(p.502)。
 それによると、思想潮流は「左派」対「右派」というかたちで(ヨコ軸で)示される対立のほかに、「近代主義」対「伝統主義」というタテ軸で示される対立もある。二つの軸によって四つの象限ができるが、竹内は左上の「左派・近代主義」を<構造改革派>にあて、右下の「右派・伝統主義」を「オールドライト」と総称する。さらに、以下が興味深いのだが、左下の「左派・伝統主義」を「土着主義左翼」とし、右上の「右派・近代主義」に<ニューライト>をあてている。
 西部邁・佐伯啓思グループとはいったいいかなる性格の、あるいはいかに位置づけられるべきグループなのかという関心をもっていたときに上の図・表を見たために、はたして西部邁・佐伯啓思らはどこに位置するのだろうと考えてしまった。
 反復するが、竹内洋は戦後「進歩的文化人」や近年の「幻想としての大衆」について語ることを主眼としていて、西部邁らに言及しているのではまったくない。
 だが、西部邁や佐伯啓思らは<強いていうと>、竹内のいう後二者の「土着主義左翼」か「ニューライト」に該当するのではないかと感じたのだった。
 「左派」と「右派」はそれぞれ、伝統的にいう「革新」または「左翼」と「保守」または「右翼」に相応するものと理解してよいだろう。この対立に加えて、竹内は<近代主義X伝統主義>という対立軸を加味して理解しようしているのだ。
 さて、西部邁・佐伯啓思グループは、反米を強調し、そのかぎりで「日本的なもの」または「民族性」を強調することになっている点では竹内のいう「伝統主義」の側に立っている、とも言える。
 佐伯啓思は「日本の愛国心」や「日本という価値」を論じており、かつ欧米流「近代」主義をかなり厳しく批判(または批判的に分析)してもいるのだ。竹内は「土着主義左翼」と称しているが、これを少し表現し直したのが、前回に使った、私の「民族的左翼」という言葉だった。<反米>は「保守」のようでもあるが、「左翼」でもありうる。
 日本共産党ら「左翼」も、ある意味では、むろん<反米>だ。
 それに、西部邁らの論考や発言には「左翼」臭を感じることがある。二つだけ、例を挙げておこう。
 ①西部邁=佐伯啓思=富岡幸一郎編・「文明」の宿命(NTT出版、2012)の富岡の「はじめに」が、共産主義・コミュニズム批判を見事に欠落させて「現代文明」を語っていることはすでにこの欄で触れた。
 それとともに、中島岳志や藤井聡も執筆しているこの本では、「現代文明の全般的危機」が一つのキーワードになっていて、西部邁の論考はこれを一節のタイトル(見出し)にまでしている(p.25)。しかして、「…の全般的危機」とは、どこかで聞いたことがあるような、「左翼」またはマルクス主義用語なのだ。
 詳細は知らないが、マルクスらは「資本主義の全般的危機」という用語または概念を使ってきた。現在の日本共産党はこれをそのままでは採用していないようだが、ともあれ「資本主義の全般的危機」とは<左翼>用語だ(った)。
 西部邁らが好んで?用いている「現代文明の全般的危機」とはマルクス主義的な「資本主義の全般的危機」概念・論の影響を受けたものであり、かつ少なくとも部分的には、マルクス主義によるこれに関する議論を参照し、または取り込んだものではないだろうか。
 ②西部邁=佐伯啓思編・危機の思想(NTT出版、2011)の中の西部邁の序論には、「反左翼メディア」あるいは「反左翼人士たち」を批判または揶揄する部分がある(例、p.27、p.36)。その内容には立ち入らないが、「反左翼」を批判・揶揄するということは、常識的または通常の理解からすれば、自らは「反左翼」の立場にいることを表明または示唆しているとも理解できる。
 むろん、西部邁は「私どもの保守思想」とも言っていて(はじめにp.4)、上の意味するところは、その他大勢のエセ「反左翼」=「保守」とは違って、自分たちこそが「真の(本来の)保守」だ、ということなのではあろう。
 だが、その他大勢の?多数派的「保守」とは自分たちは違うのだ、と自分たちを位置づけていることはほとんど間違いはない。
 このことは、多数派的?「保守」からすれば、西部邁らを自分たちとは異なる「左翼」(の少なくとも一派)だと論定しても一概に批判されることではないと、第三者的読み手からすれば、なるだろう。
 要するに、「保守」だとかりにしても、じつに奇妙な、不思議な「保守」であるのだ。
 とりあえず二点挙げただけだが、この西部邁・佐伯啓思グループが、反共・反中国・反北朝鮮の主張を全くかほとんどしていない、コミュニズムや中国等に対して「甘い」、ということは、これまでに何度か指摘してきた。
 さらに叙述し続け、「ニューライト」または私の使った「合理主義的(近代主義的)保守」とも位置づけられるのではないか、という点に及ぶつもりだったが、長くなったので、ここで切る。後者は、「理性主義的=反情緒的保守」、と称してもよいかもしれない。西部邁・佐伯啓思グループには、こうした面もあるようだ。別の回に述べる。

1056/赤か自由か、反米か反共(反中国)か。

 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)の冒頭近くの西部邁の文章に、以下のようなものがある。

 ・韓国の「靖国と教科書」に関する「内政干渉」に対して「自称保守」は反発するが、アメリカによる日本の外交・内政への休みのない干渉があるにもかかわらず、それを「甘受」し、対米屈従を「日米同盟」と称して「アメリカの属国」化を「喜んできた戦後日本」が、「いかなる面子」を張って韓国・中国に対抗しようというのか。「自称保守は一言もない」。
 同旨のことは、在日韓国・朝鮮人の「地方参政権」要求に反発しても、アメリカは日本の国会や政府への「参政権を(実質的に)確立」しているのではないか、というかたちでも語られている(以上、p.18-19)。
 いわゆる<親米保守>に対する批判のようで、日本の対米従属性を(日本共産党と同じように?)指摘し、対米自立の必要を説くものと言えよう。
 <保守>に反米と親米があってもかまわないと思うし、いつか佐伯啓思の論考に触れて、両者は究極的には矛盾・対立するものではなく、同時に両者でありうる旨を記したこともある。
 上の西部邁の文章を読んで、あらためて考えさせられるところがあるのだが、ふと、以下のようなことを思いついた。
 かつての東欧諸国は形式的には国家主権を持った独立国だったが、実質的には程度の強弱はある程度はあれ(離反の度合い=自主性の高かったルーマニア共産党を、日本共産党は東欧諸国の共産党の中で肯定的に評価していた)、ソ連(・ソ連共産党)に従属した<傀儡>国家であり、各国の共産党は<傀儡>の共産党だった、と言えた。
 そのような形式的な独立・主権保持と実質的なソ連共産党への従属よりも、例えばチェコ(またはチェコスロバキア)を例にとれば、オーストリアまたは旧西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と<合邦>し、あるいはそれら連邦国家の中の一つの州となって、チェコの言語等の文化と<自治>を保障されながら生きていく方が、チェコ(チェコスロバキア)にとっては良かった(あるいは幸福だった)のではないか。
 公用語として独墺語を(も)使わなければならなかったり、連邦制度による制約をうけただろうが、それよりも、秘密警察が存在したりして基本的に政治的「自由」がなく、また「自由な市場」がなく国家によって経済が統制された共産党政権国家よりはまだ良かった(幸福だった)、マシだったのではあるまいか。
 問題は、一般的な<実質的な従属>の是非にあるのではなく、かりに従属があるとしても、いったい何に、あるいはいかなる国に<実質的に従属>するか、にある、のではあるまいか。
 西部邁の文章の趣旨は分かるし、肯定したい気分もある。しかし、<対米従属>性を認識・自覚し、実質的独立・自立を勝ち取ったように見えたとしても、別の国、例えば中華人民共和国への<新しい従属>の始まりであったとすれば、いったい何のための<対米従属>性批判だったのか、ということになるだろう。
 対米自立を主張する者たちの中には、おそらくは鳩山由紀夫がそうだったように、アメリカからより自立した、<東アジア共同体>という、中国を盟主とするグループないし「共同体」に属することを構想する者もあったのだ。
 反米的気分からする日本自立というそれ自体はまっとうな主張が、新しい、共産党国家への従属の方向に結果的につながってしまえば、元も子もない。
 西部邁および同グループの主張には、そのような危険性はまったくないのだろうか。
 つまるところは、反共と反米のどちらを優先させるかにある、といつも感じている。
 反米(反米保守)も結構だが、それが<反共>を忘れさせるようなものであっては困る。
 (中国に属する一つの州になってしまうことはもちろん)形式的な独立を保った中国共産党傀儡容共政権のもとでの生活よりは、まだアメリカ<従属>国家・政権のもとでの生活の方がましだ。
 <赤(コミュニズム)か自由か>。基本的にはこの対立・矛盾の中において、世の中の諸問題は理解され、考察されなければならない、と思っている。

1053/雑誌・表現者(ジョルダン)や中島岳志は「保守」派か??

 一 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)には西部邁や佐伯啓思らが参加する「保守思想から見た原発問題」との座談会があり、何カ所かに「保守放談」と題するコラム(小文)があったりもするので、紛うことなき<保守>派の雑誌らしい。少なくとも発行者や執筆者たちはそのように自己規定しているようだ。
 しかし、客観的に<保守>派かどうかは別途論じられてよい。
 西部邁もまた「自称保守」や「保守を自称する人々」を批判するところがあり(p.18-)、「保守」との自称がその「保守」派性を証明するわけではないことを当然の前提にしている。
 「反左翼」=「保守」だとかりにすれば、西部邁は「反左翼」を批判している部分もあり(p.26など)、彼が「保守」または「反左翼」の少なくとも一部に対して懐疑的であることも分かる。
 同じ思考は、西部邁らの(西部邁と佐伯啓思を「顧問」とする)表現者という雑誌についても向けられてよいだろう。この雑誌に執筆している者たちは「保守」なのか?、「自称保守」にすぎないのではないか?、という疑問をもっても、その思考方法自体については、西部邁も反対できないだろう。
 この雑誌・上掲号の冒頭近くの三浦小太郎の「保守人権派宣言」と題する連載ものらしい二頁の文章の最後は、ソルジェニーツィンが「資本主義も共産主義も同根の…危険性を持っていたことを見抜いていた」ことを肯定的に評価しているようで、ソルジェニーツィンの地点まで「思想的に深め」られれば、「現代日本への根源的な批判となりうるはずだ」という(p.15)。
 趣旨は分からなくはないが、しかし、「資本主義も共産主義も」という両者の同列視・同質視ははたして「保守」派の思想なのか、という疑問も生じる。反共産主義・反コミュニズムこそが(コミュニズム誕生以降の)<保守>思想の中核だと私は理解しているからだ。

 むろん<保守>はいろいろに定義または理解できるのだが、この西部邁グループのいう「保守」がいかなる意味で使われているのかは、参加者において一致しているとは思えないし、雑誌自体がきちんとした定義をしているとも思えない。「保守」、「保守」とこの概念を多用する前に、この雑誌は一度、現在の日本における「保守」派ないし「保守」思想とは何かについての詳細な座談会を組んでみたらどうか。

 なお、今年6月にこの欄に、「西部邁・中島岳志ら『表現者』グループは『保守』か?」と題する文章を私は書いている。

 二 すでに感じていた疑問または関心からも興味を惹くのは、とくに、中島岳志の「橋下徹大阪府知事こそ保守派の敵である」と題する文章だ(p.114-120)。

 中島岳志はこの文章では自らを「保守派」と明確に位置づけている(p.114)。ここですでに、中島は別のところでは(朝日新聞では)自らを(じつに奇妙な形容の)「保守リベラルの立場」と書いたのではないか、「保守派」と「保守リベラル」は同じなのか、と突っ込みたくなる。
 上はさておき、この文章はタイトル通り、橋下徹に対する「保守」派(自称)からの批判であり、「保守派」は橋下徹を支持してはならない、という警告?になっている。
 しかし、賛同することはできない。いくつかの論理の飛躍、都合のよいように(批判しやすいように)対象を歪曲しての批判、が見られる。
 詳しくは述べない(長くなりすぎる)。だが、橋下は「保守的どころか、反保守的と言わざるを得ない側面がほとんどである」という結論(p.114)には十分な説得力がない。
 中島によると、橋下は伝統・慣習よりも「法というルール」を「絶対視する傾向」がある(p.15)、橋下にとっては道徳・倫理ではなく「明文化されたルール」等に価値がある(p.117)。
 また、中島は、「大阪市の解体」を「一気に進める」べきとの橋下の主張は「ラディカリズム」あるいは「急進的な設計主義と伝統的価値観の否定」だとする。橋下の「ラディカルな改革熱」とともに、かかる「ラディカルな合理主義」に対して、「保守思想」は「懐疑的立場」をとるのだそうだ(p.118)。したがってまた、中島は「中央政治をぶっ壊す」との橋下のブレインとされる上山信一の文章にも噛みついている(p.119-)。
 中島のような断定的結論を導くには、中島が例として挙げる橋下徹の文章・発言は少なすぎる。それらは中島岳志のようには解釈できない可能性は残る。また。中島は自己が想定する「保守」思想とは矛盾するまたは対立する「反保守」の思想をあらかじめ想定して、その中に橋下の文章・発言を(慎重さの必要に配慮することなく)位置づけている可能性が高い。
 また、橋下の文章・発言等はむろん何らかの事案・問題との関係性を持っているので、単純に、中島の言うような、<伝統・慣習>か<法的ルール>か、(漸進的な改革ではない)<ラディカルな(急進的な)改革>の是非、といった一般論でその是非を判断することはできないように思われる。

 橋下が言っているわけではないが、<今こそ憲法改正を>とか<今こそ日本も核武装を>という主張は「急進的な変化」を追求するもので、「保守」思想から外れるものなのだろうか(かかる主張自体の現実的当否をここで述べているのではない)。
 あるいはまた、<戦後体制・戦後民主主義>からの脱却にはかなり思い切った覚悟と勇気が必要であって、ある意味ではラディカルな=急進的な主張や実践的運動にならざるをえないところがあるように思えるが、中島はそのような「ラディカルさ」をいっさいの場合について非難するつもりなのだろうか。
 中島は<大阪市の一気な解体>という主張のラディカルさを批判しているが、問題はそこにあるのではなく、「大阪市の解体」という主張の当否にあるはずだ。しかも、そもそもが、現行法制上(中島は「法」がお嫌いのようだが)、大阪市を簡単に(一気に)解体することなど不可能なのだ。横浜市、名古屋市らとまったく無関係に、大阪市だけの解体などがありうるはずがない。
 中島は最後の方であらためて、橋下徹を「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」と性格づけ、「保守が支持してよいのでしょうか」と警告?している。
 「大阪市の解体」については上でも言及したが、中島は、その議論に対する詳しい反論(大阪市存続論)を叙述しているわけでもない。
 「国家まで解体しようとする」となるとますます怪しい。
 この部分に対応するのは、上山信一の「中央政府をぶっ壊す」との表現だろうと思われる。だが、後者の「ぶっ壊す」は「廃棄」=<消滅させること>ではなく現状を大きく変える程度の意味だろう。また、そもそも、「中央政府」と「国家」は同じ意味ではない。
 しかるに、中島岳志の頭の中では、上の表現が<国家の解体>を意味するものと読み替えられているのだ。
 これはフェアな批判ではなく、自己の主張に都合のよいように対象を変化させたうえでの<卑劣な>方法による批判にすぎない。そして、中島岳志という人物の頭の<幼稚さ>を示してもいるだろう。
 ところで、注目されてよいのは、橋下徹が大阪府知事を辞任して大阪市長選挙に立候補するという時期に、中島岳志は上の文章を公にしている、ということだ。
 前回に書いたように、この中島岳志という人物は、香山リカらととともに、大阪で<反ハシズム>集会に参加して喋っている。
 ひょっとすれば、この集会は、大阪府の(橋下らの会派が提案した)職員・教育に関する条例を批判するための集会だった(橋下徹を一般に批判したわけではない)と釈明?するかもしれないが、10月下旬という時期に橋下徹を批判することが、対立候補となることが想定された(そして現実にもそうなった)民主党・平松某を助けることとなる政治的機能を果たすことは容易に考えられえたはずだった。
 そして、今回とり挙げている雑誌・表現者において、たんに特定の条例に対する批判ではなく、一般的な橋下徹批判を中島は展開しているわけだ。
 従って、たんなる反橋下集会への参加・発言を捉えてではなく、一般的に、以下のように言うことができる。
 中島は橋下徹を「反保守」として批判・罵倒するが、では民主党・平松某をいったいどのように評価しているのか??
 選挙・投票を前にした時期に一方だけを批判することは、そうではない片方を支持・擁護し、その片方の当選・勝利へと導こうとする意図を持っているとしか考えられない。
 なぜ、中島岳志の文章には、「民主党」もその擁立する「対立候補(平松某)」もひとことも出てこないのか。
 結局のところ、橋下徹を批判することによって、少なくとも客観的な機能としては、民主党・平松某を支持していることにしかならないと思われる。しかして、現時点において、相対的には民主党・平松を擁護することになる文章を公にするような人物はまっとうな「保守派」なのか??
 橋下徹を批判することが結果として(少なくとも大阪の、そしてひいては国政上の)民主党を「持ち上げる」関係になることは明らかだ。
 中島岳志は実質的には、大阪の選挙における民主党支持を表明していることは明らかだ。少なくとも大阪市長選挙においては、民主党・平松某と橋下徹(大阪維新の会)が対抗しているのであり、橋下徹よりも「保守」的な候補はいない。
 もう一度言っておこう。かかる構図の中で、民主党の候補を支持することとなる文章を書く者は「保守」なのか??
 三 中島岳志という人物を「飼っている」表現者グループないし西部邁グループの「いかがわしさ」は、表現者39号でも明らかになった、と思われる。
 寺脇研もこのグループの一人らしく、かつ大阪で橋下徹の教育・教員政策を批判していること、中島岳志は「ラディカル」な改革とともに、野田佳彦首相が唱えているらしき「中庸」もまた批判していること(p.148-)との関係の曖昧さ・不思議さ、についても気にかかるが、さしあたり省略する。

1051/月刊WiLLと屋山太郎は「保守」か?

 〇先の日曜日(10/23)に手に入れた撃論第3号(オークラ出版、発行日付は2011.11.18)は、背表紙に「月刊誌『WiLL』は日本の国益に合致するか」とあって、凄まじい。
 但し、この背表紙に明らかに即した論考は、月刊WiLL誌上等で「脱原発」を主張する西尾幹二を批判する中川八洋のものくらい(p.86-)で、「月刊誌『WiLL』は、日本の国益に合致するか」と題する二頁の「編集部」の文章が最も即している(p.74-75)。この雑誌の編集人は「三田浩生」となっている(奥付p.184)。
 この文章によると、①月刊WiLLが「国益」を度外視した「商売至上主義の雑誌だとすれば」、「保守」でない。②月刊WiLLは「民族系の読者層をターゲットに絞っているだけ」でないか。③月刊WiLLは、菅直人・孫正義らの「脱原発」路線に編集方針をシフトさせ、「悪魔の脱原発」を批難しない。例として、西尾幹二・小林よしのりの論考・漫画の掲載、「マルキスト武田邦彦」の議論の「絶賛」、太陽光発電の欠陥を理解しない「超バカ」辛坊治郎の「もちあげ」等。④月刊WiLLは「反左翼イデオロギー」を持たない「日本の民族系」の欠陥に着目して(国家解体・亡国の)「アナーキズム」へと「巧みに誘導」している(p.74-75)。
 この文章の基本的主張およびこの雑誌の編集方針は「原発の推進」による「安定的で潤沢な電力供給」(→日本経済の発展・成長)のようだ。そしてこの観点から、菅直人・武田邦彦らを批判している高田純の論考(p.76-)も、<反月刊WiLL>特集?の一環と位置づけられているらしい。
 原発問題は私には「分からない」としか言いようがなく、従って脱原発=非保守とはただちに断じ難い。また、月刊WiLLが全体として「反左翼」性のない、非「保守」の雑誌だとは感じていない。
 だが、月刊WiLLに何やらいかがわしい部分、あるいは「非保守=左翼」的部分を感じてきたことはある。
 月刊WiLLだけではないが、反雅子皇太子妃の西尾幹二らの文章を掲載して大きく宣伝したのは月刊WiLLだった。小林よしのりを近年登場させているが、彼の最近の主張内容は「保守」か否か以前のレベルにあるように思える。
 何よりも、2009年に民主党支持を明確にしていた屋山太郎の文章を依然として巻頭コラムの一つとして使い続けているのは、きわめて疑問だ。月刊WiLL誌上で相も変わらず「天下り根絶」と叫び続けている屋山太郎は、もはや客観的状況の全体を見ることのできない、「非・保守」の論?者だと思われる。
 また、勝谷誠彦もそうなのだが、元文藝春秋グループの一人・花田紀凱(月刊WiLL編集長)は、「ジャーナリスティックな」勘は鋭いが、主義と商売とどちらを大切にするのだろうと不安にさせるところがある。商売上手、話題作りの巧さは「保守」派にも必要だが、商売上手・話題作りの巧さが「保守」性を証明するわけではむろんない。
 ところで、撃論「編集部」の上の文章によると、月刊WiLLの販売部数は月平均約10万部、産経新聞社の月刊正論は実売2万部以下、らしい。「保守」派雑誌の代表らしき月刊正論よりも5倍も売れているとは驚いた(事実とすればだが)。産経新聞社・月刊正論は、執筆者の選考等を再検討してみる必要があるのではないか。
 むろん、前回に書いたように40万部ですら有権者の1%程度にしか読まれていないのだから、10万や2万程度で、社会・政治全体が大きく変わることはありえない(これらの雑誌の全国紙への見出し等の大きな宣伝広告の方が影響力があるかもしれないとすら思う)。
 これは月刊WiLLについても同じだが、月刊正論の常連の執筆者だからといって、「保守」の世界での有名人だなどと威張っている者がいるとすれば、バカだ。
 〇櫻井よしこ代表の国家基本問題研究所は、依然として屋山太郎を「理事」として遇し続けている。この人物を「つまみ出す」ことができないような団体は、もはや<保守>派とは言えないのではないか。
 産経新聞は代表・櫻井よしこを重用し、「正論」執筆者グループの中に田久保忠衛(副理事長)や屋山太郎も加えている。産経新聞自体、その「保守」性は完全なものではない。広く「保守」を結集する(させる)のはよいが(西尾幹二も産経にときどき書いている)、屋山太郎の起用だけは大いに疑問だ。遅くとも2009年以降、自民党よりも(「左翼・反日」の)民主党を支持し続けている人物が「保守」と言えるのか?
 3/11以降の「正論」欄に憲法改正の必要性を(たぶん非常事態対処との関連で)主張する文章が載っていたが、いかほどの「現実」感覚があるのか、疑わしい。憲法改正の必要性は百も承知だが、それが可能な「現実」的政治状態(要するに国会内の状況)であるのか、そしてまた、憲法改正の必要性を論じるのではなく、重要なのは、いかにして国会内に2/3以上の憲法改正賛同勢力を創り出すか、だろう。その課題・戦略に触れない憲法改正必要論など、ほとんど無意味だと思われる。

 ところで、中山成彬を会長とする「国想う在野議員の会」のウェブサイトを見ていると、「文化人及び有識者の応援団」((2010年4月20日現在)として、青山繁晴、潮匡人、田母神俊雄、百地章、国家基本問題研究所の理事を辞めている中西輝政ら28人の名があった。
 屋山太郎が除かれているのは結構なことだ。但し、田久保忠衛と花田紀凱の名もある。とくに後者にやや驚く。花田紀凱とは、さほどに政治的・実践的な関与のできる人物なのか、と。花田が28名の中で違和感なく存在しているとすれば、月刊WiLLは「基本的には」、「保守」派の雑誌だと思うのだが、これは(撃論編集部に非難される)買いかぶりだろうか。
 八木秀次・渡部昇一の名もあり、やや気になるが、この二人については今回は省略する。 

1048/「保守」派の言論活動の意味?

 〇中西輝政は、<教育・マスコミ・論壇>という「日本左派」の「鉄の三角地帯」について語っている(同・強い日本をめざす道p.173(PHP、2011))。
 この教育・マスコミ・論壇という<三角地帯>のいずれにおいても、「左翼」が強固であり、「保守」は敗北している旨を語っている。
 おそらくそのとおりで、「保守」派を自認する者は、まずは上の事実のしっかりとした自覚をする必要があるだろう。中西の表現によると、「日本の保守は、自分たちが敗者であることを『徹底的に』認め…」なければならない(同上p.173-4)。
 「左翼」の中にもいるが、「保守」の中にも、(保守の場合は保守的な)マスコミ・論壇の中である程度の位置を占め、ある程度の「名声?」を獲得し、あるいは「そこそこに」経済的利益を得て、それでとりあえず満足してしまっている者も少なくないのではあるまいか。
 現状をいかほどに深刻に憂えて言論活動を行っているのだろうか。高年齢の人もいるのだが、晩年の「名前?」の維持、小遣い稼ぎの程度の感覚で文章を執筆している者もいるのではないか(ちなみに、産経新聞の「正論」欄は、執筆者の平均年齢が高すぎる)。
 「保守」派とされる産経新聞だが、そしてそれだけで朝日新聞や毎日新聞よりはマシなのだが、しかし、産経新聞社も企業体として利潤を得る必要がある。そこから、「そこそこに」利益を上げればいい、勝利・敗北などは直接の関係がない、世の中がどうなろうが「そこそこに」売れて、儲かればよい、という感覚が、論説委員・編集者や記者たちに生じてはいないだろうか。
 〇中西輝政は、「正直いって個人的には耐え難いほどの無力感を感じている」と書いてもいる(同上p.4)。これは正直で率直な感覚だと思う。
 一方で中西は、「個人的な感慨を乗り越えて、人々の奮起を促すことも、…大切な責務だと自らに言い聞かせている」とも書く(同)。
 この後者は考えさせるところがある。つまり、<政治的>要素を含む言論活動とは、いったいいかなる種類・性格の営為なのか、ということを考えさせる。
 中西輝政は「個人的な感慨を乗り越えて」と書くが、後者の意味するところは、個人的には感じる客観的な想定・予測よりも、読者の「奮起を促す」ための(客観性がより乏しい)「煽動」文書を書く必要もある、ということではないか。是非・善悪を問題にしているのではなく、むしろそのような言論活動も当然にありうるものと承知したい。
 いろいろな論者があれこれの言論を行っているが、いったいそれはいかなる種類・性格のものなのか。
 「客観的」事実を叙述して、積極的または消極的に、あるいは期待的または警告的にコメントするなどして、自らの(実践的な)立場・見解を述べる、というのが相場だろう。こうした作業は重要ではあるが、しかし、論点によっては、あるいは媒体メディア(雑誌を含む)によっては、また言っている、という「保守」派の世界では当然視される、つまりは批判を受けずに安心しておられる、安全な作業である場合もあるだろう。
 「客観的」で詳細な事実の叙述が長くて、そのこと自体が重要な価値を持つこともあれば、執筆者の主張・見解がいま一つはっきりしない、という論考もときにはある。
 唐突にやや離れるが、「保守」派とも言われる(但し、中川八洋は厳しく論難している)福田和也の毎週または毎月の多数の連載は、いったい何を目的にしているのだろう、何を主張したいのだろう、と感じさせるところがある(一冊の本にまとめられて初めてそれが分かるのかもしれないが)。
 〇すでにいつか言及したはずだが、西尾幹二が、何かの彼の本の中で<言論の無力さ>を痛感する旨を書いていた。中西輝政の上記の本の中にも同旨は見られる。西尾幹二や中西輝政ですらそうなのだから、秋月瑛二が無力感を感じても当然だ。一銭にもならない、所詮は自己満足の作業なのだが、無償でもときに無性に(?)何か書きたくなることはあるので、この欄を閉じてしまうのはやめておこう。

1021/西尾幹二は渡部昇一『昭和史』を批判する。

 一 渡部昇一は<保守>の大物?らしいのだが、①1951年講和条約中の一文言は「裁判」ではなく「(諸)判決」だということにかなり無意味に(=決定的意味を持たないのに)拘泥していること、②日本国憲法<無効論>に引きずられて自らもその旨を述べていることで、私自身はさほどに信頼してこなかった。産経新聞・ワック系の雑誌等に渡部昇一はなぜこんなに頻繁に登場するのだろうと不思議にも感じてきた。
 二 ジャパニズム02号(青林堂、2011.06)の座談会の中で、西尾幹二が渡部昇一の『昭和史』(ワック)を批判している。
 西尾は、戦前の日本についての「内向き」の、「失敗」・「愚か」話ばかりの歴史叙述を批判し、渡部昇一も「昭和史」と称して「統帥権の失敗と暴走」という「たった一本でずっと」(それを「中心のテーマ」として)書いている、とする。そして、渡部昇一は「日本はリーダーなき暴走をした」、「日本には主体性がなかった」と、丸山真男ばりのまとめ方をしている旨を指摘し、「渡部さんの方は最後には、日本の迷走を食いとめたのは、広島、長崎の原爆であったとかいてある」とも発言している(そのあとに「(笑)」とある)(p.105-6)。
 渡部昇一の『昭和史』を読む気になれず、かつ読んでいないので西尾幹二(ら)の批判の適切さを確認することはできないが、さもありなんという気はする。渡部昇一は、<保守>の大立者として信頼し尊敬するに値するような人物なのだろうか。
 なお、古田博司が、丸山真男や加藤周一らの「日本の文化ダメ、日本人バカ」論が続いてきたと述べたのち、その流れにある者として西尾幹二は、半藤一利、保阪正康、加藤陽子、秦郁彦、福田和也の名を挙げている。
 これまたこれら5人すべての著書類を読んでいないので適切な反応をしにくいが、渡部昇一の場合以上に、あたっているだろうと思われる(とくに、半藤と保阪については)。ついでながら、先日、NHKは加藤陽子を登場させて語らせて、<さかのぼる日本史>とかの一回分の番組ままるまるを作って放送していた。特定の日本史学者の考え方にそって日本の(昭和戦前の)歴史を語るということの(よく言えば?)大胆不敵さあるいは公平さ・客観性の欠如(偏向性)をほとんど意識していないようなのだから、怖ろしい放送局もあるものだ。今年もまた、8/15に向けて、戦争は悲惨だ、日本は悪い事をした、という「ドキュメンタリー」?類を垂れ流すのだろう。
 三 中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒―悪魔の女系論はどうつくられたか―(オークラ出版、2011.07)はタイトルのとおり、小林よしのり(+高森明勅)と、他に「民族派・男系論者」を批判する本のようだ。
 中川は戦前の平泉澄・戦後の小堀桂一郎も罵倒しているが、ヘレン・ミヤーズとその著を『国民の歴史』の中で「礼賛」しているとして、ミヤーズの肯定的評価について、小堀ととともに西尾幹二をも批判している(p.287、p.310)。
 中川のこの本については別の機会に言及するし、ミヤーズについて適切に評価する資格はない。
 ただ第三者的に面白いと思うのは(失礼ながら)、これで渡部昇一が中川八洋を批判していれば、渡部昇一←西尾幹二←中川八洋←渡部昇一←……という循環的相互批判が成り立つなぁ、ということだ。やれやれ…、という気もするが。

1017/<保守>は「少子化」と闘ったか?-藤原正彦著を契機として。

 一 最近この欄で言及した二つの雑誌よりも先に読み始めていたのは藤原正彦・日本人の誇り(文春新書、2011.04)で、少なくともp.175までは読み終えた形跡がある(全249頁)。
 藤原が第一章の二つ目のゴチ見出し(節名)以降で記しているのは、現在の日本の問題点・危機だと理解できる。
 ①「対中外交はなぜ弱腰か」、②「アメリカの内政干渉を拒めない」、③「劣化する政治家の質」、④「少子化という歪み」、⑤「大人から子供まで低下するモラル」、⑥「しつけも勉強もできない」(p.11-25。番号はこの欄の筆者)。
 上のうち<保守>論壇・評論家が主として議論してきたのは①・②の中国問題・対米問題で、③の「政治家の質」とそれにかかわる国内政治や政局が加えられた程度だろう。
 つまり、上の④・⑤・⑥については、主流の<保守>論壇・評論家の議論は、きわめて少なかったと思われる(全くなかったわけではない)。
 藤原正彦とともに、「政治、経済の崩壊からはじまりモラル、教育、家族、社会の崩壊と、今、日本は全面的な崩壊に瀕しています」(p.22)という認識をもっと共有しなければならないだろう。
 二 例えばだが、<少子化>が日本崩壊傾向の有力な原因になっていること、そしてその<少子化>をもたらした原因(基本的には歪んだ戦後「個人主義」・男女平等主義にある)について、櫻井よしこは、あるいは西部邁は(ついでに中島岳志は)どのように認識し、どのように論じてきたのだろうか。
 p.175よりも後だが、藤原は、「少子化の根本原因」は「家や近隣や仲間などとのつながり」を失ったことにある、出産・子育てへのエネルギー消費よりも<自己の幸福追求>・社会への報恩よりは「自己実現」になっている、「個の尊重」・「個を大切に」と「子供の頃から吹き込まれているからすぐにそうな」る、とまことに的確に指摘している(p.241)。
 このような議論がはたして、<保守派>において十分になされてきたのか。中島岳志をはじめ?、戦後<個人主義>に染まったまま<保守>の顔をしている論者が少なくないのではなかろうか。
 <少子化>の原因の究極は歪んだ戦後「個人主義」・男女平等主義にあり、これらを称揚した<進歩的>憲法学者等々の責任は大きいと思うが、中間的にはむろん、それらによるところの晩婚化・非婚化があり、さらに<性道徳>の変化もあると考えられる。

 中川八洋・国が滅びる―教育・家族・国家の自壊―(徳間書店、1997)によると、マルクスらの共産党宣言(1848)は「共産主義者は…公然たる婦人の共有をとり入れようとする」と書いているらしく、婚姻制度・女性の貞操を是とする道徳を破壊し、「売春婦と一般婦女子の垣根」を曖昧にするのがマルクス主義の目指したものだ、という。そして、中川は、女子中高生の「援助交際」(売春)擁護論(宮台真司ら)には「過激なマルクス主義の臭気」がある、とする(p.22-)。
 また、今手元にはないが別の最近の本で中川八洋は、堕胎=人工中絶という将来の生命(日本人)の剥奪の恐るべき多さも、(当然ながら)少子化の一因だとしていた(なお、堕胎=人工中絶の多さは、<過激な性教育>をも一因とする、妊娠しても出産・子育てする気持ちのない乱れた?性行動の多さにもよるだろう)。
 私の言葉でさらに追記すれば、戦後の公教育は、「男女平等」教育という美名のもとで、
女性は(そして男ではなく女だけが)妊娠し出産することができる、という重要でかつ崇高な責務を持っている、ということを、いっさい教えてこなかったのだ。そのような教育のもとで、妊娠や出産を男に比べての<不平等・不利・ハンディ>と感じる女性が増えないはずがない。そして、<少子化>が進まないわけがない。妊娠・出産に関する男女の差異は本来的・本質的・自然的なもので、<平等>思想などによって崩されてはならないし、崩れるはずもないものだ。しかし、意識・観念の上では、戦後<個人主義>・<男女対等主義>は女性の妊娠・出産を、女性たちが<男にはない(不平等な)負担>と感じるように仕向けている。上野千鶴子や田嶋陽子は、間違いなくそう感じていただろう。

 上のような少子化、人工中絶等々について、<保守>派は正面からきちんと論じてきたのだろうか?
 これらは、マルクス主義→「個人主義」・平等思想の策略的現象と見るべきものと思われるにもかかわらず、<保守派>はきちんとこれと闘ってきたのだろうか?
 現実の少子化、そして人口減少の徴候・現象は、この戦いにすでに敗北してしまっていることを示しているように思われる。
 このことを深刻に受けとめない者は、<保守>派、<保守>主義者ではない、と考える。 

0990/<保守派>論客を出自・元来の専門分野から見ると…。

 〇西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)という本は、その構成・編集の仕方が分かりにくい。渡辺望という目慣れない人の「はじめに」が延々と27頁も続くが、この本の趣旨・成り立ち等を西尾に代わって書いているわけではない。冒頭に、いわば<西尾幹二論>があるのだ。最後の方に唐突に「ブログ管理人/長谷川真美」による西尾幹二のブログの「歴史」が語られたりする。残りは西尾幹二のブログ(インターネット日記)の内容だとは推測されるところだが、ブログ内容に対する読者または知名人の感想等が挿入されていたり、西尾自身の出版直前のコメント等が挿入されていたりするので、いつの時点の文章のなのかもすこぶる分かりにくい。

 それでも、内容自体は興味深いテーマを扱っているので、読む人は読むだろうが、それにしても読者には不親切だ。関係する文章を時系列に関係なく、本文と解説等に分けることもなくごったにしてホッチキスで止めたような感じ。こんな本も珍しい。売れるとすれば、西尾幹二の名前によるところがほとんどではないか。

 〇上の渡辺望「はじめに」は、西部邁についてこう書いている。

 「福田恆存、江藤淳、竹山道雄、林健太郎、渡部昇一」らが「保守派」の論壇に存在していたが、「保守」という言葉を「現代日本に定着させた」のは西部邁の「論壇的功績」で、西部邁の1980年代の登場以降、「保守」という言葉を多くの人が使うようになった(p.19-20)。

 この西部邁論について大きな関心はないし、論評できる能力もない。興味を惹いたのは、そこで挙げられている「保守派」の論客の<出自>あるいは<(元来の)専門分野>だ。

 西部邁は経済学(・思想・歴史)だが、上の5人のうち林健太郎は歴史学・西洋史(とくにドイツ)で、あとの4人はいずれも<文学>畑だ。正確に確認しないが、渡部昇一は英語・英文学、そして西尾幹二もまた独語・独文学(・ドイツ思想・ドイツ哲学)という具合だ。

 福田恆存は英文学科卒、竹山道雄は独文学科卒、江藤淳は文学科英米文学専攻卒。

 このような<文学畑>または<文学部出身者(この場合は「歴史学」も含まれる)>によって<保守派>の論壇が形成されてきた、ということは、日本の<保守論壇>に独特の雰囲気・発想をもたらしているようにも見える。そしてそれは、必ずしもよいものばかりではないように見える。

 経済学部出身の西部邁、佐伯啓思、法学部(但し政治学系)出身の中西輝政あたりはむしろ少数派で、上記のような<文学畑>がなおも多数を占めているのではないか。櫻井よしこはハワイ大学で「歴史」を専攻したはずで、日本の大学でいうと文学部出身になる。

 どのような独特さをもたらしているかについて多少は書きたいこともあるが、ややこしいので別の機会にしよう。いつか言及した三島由紀夫と福田恆存の対談の中にも法学部出身者と文学部英文学科出身者の違いを感じさせる部分があった。

 <保守派>とはいえない屋山太郎は政治・行政に口を出しているので法学部出身かと思っていたら、文学部出身。経済についても法制についても<ドしろうと>なわけで、信頼できないことを書いている理由の一端も理解できる。政府の審議会委員をしていて見聞きして経験したことくらいで、政治・行政を「分かって」いると思っているとすれば、とんでもない勘違いだ。この人はまだ、民主党を1年半前に支持した不明を恥じる言葉を書いていない。

 〇先日の夜と翌朝にかけて、竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を全読了。2/26~27に月刊WiLL4月号(ワック)の中のいくつかをすでに読了。

0982/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」を読む②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋-その2-。
 ・日本には「保守主義の知識人」が「ほとんど存在しない」。明治期には井上毅がおり、武士階級の子弟が「家」制度の存在とともに結果として日本を「保守主義」で導いたが、1910年以降、①「ルソー系の平等思想」と②「マルクス主義」が台頭し、1917年以降、「マルクス・レーニン主義」が燃えさかった。この火は大東亜戦争を生み、戦後日本を決定づけ、いまは日本全体に浸透し日本人を「洗脳」している。
 ・「保守」は戦後の新語で、社会党・共産党ら「革新」に対する「親米/日米同盟支持」勢力を指し、もともと「思想やイデオロギーが弱く、ほとんど無い」。英米の、バーク、ワシントン、ハミルトンらの「保守主義」は「全体主義とアナーキズムの極左思想」の排撃を目的とする「人類史に燦然と輝く最高級の知で武装された戦闘的イデオロギー」だ。

 ・「ないよりまし」だった「日本の保守」すら、1991年末のソ連崩壊によって「壊滅的に瀕死」の状態になった。「革新」に対する「保守」はもはや不要だと、自ら棄てる、「愚昧な選択」をした。私(中川八洋)はソ連崩壊により「国防の軽視ばかりか、コミュニズムが日本の隅々まで浸透し支配する」と予見したが、それは「完全な正確さで」的中した。
 ・予見した日本の「新型コミュニズム革命」は、想像をはるかに超えて大掛かりとなり、翌1992年に本格化した。「政治改革」キャンペーンは「新型共産主義革命」のための「新体制」づくりだった。「民族系論者」にも<反「政治改革」>を協力要請したが、「だれ一人として」相手にしてくれなかった。彼らは、翌年の1993年政変=細川政権誕生の意味を理解できず、「極左イデオロギー」は「変幻自在に衣装を変え色を変え信仰され続」いて「永遠に死滅しない」ことも知らない。(以上、p.351-355)

 ・1994年1月の選挙区制の改悪と同時に「極左イデオロギー一色の新型共産革命」が列島全体を覆った。1990年代半ばの「夫婦別姓」運動の盛り上がりはその一つ。1999年には、男女共同参画基本法という「伝統と慣習を破壊するマルクス・レーニン主義」そのものの「日本共産革命法」が制定された。その他、①ブルセラ/援助交際の奨励による道徳破壊、②フェミニズムやジェンダー・フリーによる日本男性の「夢遊病患者」化と日本女性の「動物」化という「人格改造革命」、③ポスト・コロニアリズムによる国家解体、等々の「大規模で組織的な」革命が日本を襲っていることを自覚する知識人は「ほとんどいなかった」。「正しい保守」は「日本から完全に消えた」。自民党の民族系国会議員は「新型共産革命」を傍観するばかりか「積極的に協力した」。日本の「民族系政治家の無教養ぶり」は「教育不可能な絶望のレベル」だ(p.356)。

 ・1960代までの日本の「保守」には吉田茂などの「保守主義」の匂いが残存した。バークやハミルトンが検閲されて「焚書」状態の中で、ベルジャーエフとクリストファ・ドウソンが「真正保守」を代用していた。
 ・「日本の保守」=「反共」人士は、1970年代に入ってから「激減」した。偶然にか、この劣化・消滅は核武装支持者の大衰退の傾向と合致する。核拡散防止条約加盟・批准(1970.02、1976.06)を境に、日本の核武装支持者は急激に下向した。上の加盟と批准の間に、1972.09の日中国交回復があった。これこそは、日本から「反共」を撲滅する「劇薬的な除染液」となった。「反・中共」路線が、「保守」であるべき自民党政権によって行われたことは、ブーメラン的に日本の「反共=真正保守」を撃破した。
 ・「反共」の文藝春秋社社長・池島信平が月刊誌・諸君!を創刊したのが「保守」衰退開始の1969年だったのは皮肉だ。諸君!は21世紀に入ると、「保守つぶし」の一翼を担った。諸君!は1990年代には「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」の「民族系論客」や「反米一辺倒(極左)アナーキスト」を主執筆者に据えたため、「保守=民族系」との「大錯覚」が読者「保守」層に蔓延し、「保守偽装の極左=保守」という狂気の「逆立ち錯誤」すら90年代後半以降広く蔓延した。

 ・「民族系」は「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」という「左翼思想」を基盤とするもので、「反共」の「真正保守」とは根源的に対立する。彼らは、日本国内でのコミュニズムの浸透・偽装・変身を見抜けない。たまには「左翼批判ごっこ」はするが、「左翼イデオロギー」に関する知識欠如のために「左翼運動や左翼言説」に「致命傷」を与えず、「必ず不毛に終わる」。(以上、p.357-359)
 まだ中途。余裕があれば、なお続ける。

0981/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」①真正保守と「民族系」。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋。
 ここで中川が書いていることが適切ならば、日本は「ほとんど絶望的」どころか、「絶望的」だ。

 かの戦争の理解についても多くの<保守>論者のそれとは異なる<中川史観>が日本の多数派になることはないだろう。<日本は(侵略戦争という)悪いことした>のではない、という多数派<保守>の歴史観(歴史認識)が日本全体での多数派になることすら疑わしい、と予測しているのだから。かつての歴史理解の差異はさておいても、将来の自主的(自立・武装の)憲法制定くらいでは多数派を形成できないだろうかとささやかに期待している程度にすぎないのだから。

 さっそく脱線しかかったが、中川八洋の主張・見解を基本的なところで支持するにはなお躊躇する。あれこれと苦言を呈してもいるが、多数派<保守>の影響下になおある、つまり中川から見れば誤った<思い込み>があるのかもしれない。しかし、少なくとも部分的には、中川の主張や指摘には首肯できるところがある。

 以下、コメントをできるだけ省く。

 最後の方の図表(p.363)は以下のとおり。

 中川はタテ軸を上の<反共or国家永続主義>と下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義>で分け、ヨコ軸を左の<アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>と右の<反アジア主義(親英米・脱亜)/倫理道徳重視>に分ける。

 四つの象限ができるが、左・かつ下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義+アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>が中川のいう「Ⅱ・極左」だ。中心に近いか端に近いかの差はあるが、文章化しにくいので割愛し、そこで挙げられている人名(固有名詞)は、①林房雄、②福田和也、③保田與重郎、④共産党、⑤近衛文麿、⑥白鳥敏夫、⑦河野洋平、⑧松本健一、⑨村山富市、⑩宮沢喜一〔番号はこの欄の紹介者〕。①~③は、ふつうは<保守派>と理解されているのではなかろうか。

 右・かつ上(反共or国家永続主義+反アジア主義(親英米・脱亜)が中川のいう「Ⅰ・真正保守」で、次の8人のみ(?)が挙げられている。①昭和天皇、②吉田茂、③中川八洋、④殖田俊吉、⑤福田恆存、⑥竹山道雄、⑦林健太郎、⑧磯田光一

 右・かつ下はなく、左・かつ上の<反共or国家永続主義+アジア主義(反英米)>が中川のいう「Ⅲ・民族系」だ。自民党のある議員集団について中川が「容共・ナショナリスト」と断じていた、その一群にあたるだろう。そして、①渡部昇一、②松平永芳、③小堀桂一郎、④江藤淳、⑤西尾幹二、が明示されている。

 このグループはふつう <保守派>とされており、上のごとく(たぶん②を除いて)その「大御所」ばかりだが、中川八洋によれば、「真正保守」ではない。図表によると「反英米」か「親英米」のうち、前者を中川は「真正保守」に反対するものと位置づけていることになる。

 西尾幹二と江藤淳は対立したこともあるが広くは同じグループ。櫻井よしこも、渡部昇一と現在ケンカしている小林よしのりも、おそらくはこの一群の中に位置づけられるのだろう。

 西部邁や佐伯啓思はどう扱われるのだろうか。この二人の<反米>ぶりからして、「真正保守」とは評価されないのだろう。

 佐伯啓思は保田與重郎らの「日本浪漫派(?)」に好意的に言及していたように記憶するので、ひょっとすれば、中川からすると「極左」かもしれない。佐伯は親共産主義をむろん明言してはいないが、「反共」主張の弱いことはたしかだ。その反米性・ナショナリズムは「左翼」と通底するところもある旨をこの欄に書いたこともある(佐伯啓思が自らを「親米」でもある旨を書いていることは紹介している)。

 以上は、冒頭に記したように、中川の整理を支持して紹介したものではない。だが、少なくとも、思考訓練の刺激または素材にはなりそうだ。

 一回で終えるつもりだったが、ある頁の表への論及だけでここまでになった。余裕があれば、さらに続ける。

0957/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」。

 一 佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010.08)の第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」は、月刊正論2010年6月号(産経新聞社)の「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」に「多少の加筆修正」をしたもの。

 月刊正論の原論考ついては、この欄の5/07、5/17、5/18の三回ですでに紹介・言及している。不十分なコメントしかできていないが、単行本の一部となって読み直しても、<保守派>志向の者にとって、無視できない、重要な論点・問題を提起しているようだ。

 日本の「国民精神」は「西欧的なもの」と「日本的なもの」の間の、「もはや深刻なディレンマとして受け止めることができなくなってしまった」ディレンマとして表象されてきた。この「葛藤を引きうけること」によるしか「精神の活力もバランスもえることはできない」ので、「保守の立場とは、まずはこのディレンマを自覚的に引き受けるということから始めるほかない」(p.202-3)。

 日本の保守派(志向者)ははたして、「このディレンマを自覚的に引き受けるということから始める」ことをしているのだろうか? そしてまた、なぜ、この佐伯啓思論考を手がかりにしたような議論や論争が<保守論壇>で起きないのか?

 二 あらためて、この論考を最初から、メモをしながら読み直す。なお、今年2010年の4月頃に初出論文は執筆されたと見られることは留意されてよいかもしれない(まだ鳩山由紀夫首相で、まだ2010参院選民主党敗北も明らかでなかった。むろん尖閣問題も起きていない)。

 ・鳩山政権の支持率は下がっているが、自民党への期待が高まってもいない。その理由は「この政党の依って立つ軸のありかが全くもって不明な点」にある。但し、民主党も「同じ」で、「経済政策や外交政策の基本的な立場が見えない」(p.178)。

 ・民主党=リベラル、自民党=保守との図式ぱありうるが、「リベラル」・「保守」の意味自体が明快ではない。福祉重視=リベラル、市場競争重視=保守という「何とも大ざっぱで、しかも誤った通念」が流通した。これによると、「構造改革」をした自民党は保守、民主党は「その反動でリベラル」ということになる。だが、「構造改革」という「急進的改革」者を保守と称するのは奇妙で、それに「抑制をかける」ものこそを「保守」というべきだ。また、「過度にならない福祉」は「保守」の理念に含まれているはずだ(p.179-180)。

 ・下野した自民党の一部で「保守の原点」、「保守の再定義」、「真正の保守」等が語られているのは結構なことだ。では、「保守の原点に立ち戻る」とはどういうことなのか?(p.180)

 ・「保守」の立場の困難さの一つは、「改革」・「チェインジ」の風潮と現実のもとにあることだ。だが、現在の「変化が望ましい方向のものだという理由はどこにもない」。「変化」の意味を見極め、「変転著しい」「変化」に「振り回されない軸を設定する」ことこそが今日の政治の課題=「保守」という立場、だ(p.180-1)。

 とりあえず、以上(つづく)。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。