秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

フランクフルト学派

2396/西尾幹二批判028—ドイツに詳しいか。

  ドイツのエルンスト・ノルテ(Ernst Nolte)とフランスのフランソワ・フュレ(Francoir Furet)の往復書簡集を日本語に訳してみようと試みていたのが、もう5年前の2016年の夏だった〔後者は元フランス共産党員)。
 F・フュレ=E・ノルテ・<敵対的近接>-20世紀の共産主義(=コミュニズム)とファシズム/交換書簡(1998)。
 これには、つぎの、ドイツ語版と英語版とがあった(きっとフランス語版もあったのだろう)。
 ①Francoir Furet=Ernst Nolte, "Feindliche Nähe " Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert - Ein Briefwechsel(Herbig, Muenchen, 1998).
 ②Francoir Furet = Ernst Nolte, Fascism & Communism (Uni. of Nebraska Press、2004/Katherine Golsan 英訳)。
 フュレのつぎの大著にノルテの著に関する長い注記があり、これには邦訳書もあり、上の往復書簡集でも最初に引用されていたりして、何とか<試訳>としてなら訳せるのではないか、とその当時は思っていた。
 Francoir Furet, Le passe d'une illusion. Essai sur l'idee communiste au XXe siecle (1995).
 =フランソワ・フュレ(楠瀬正浩訳)・幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)。計700頁以上。
 (この邦訳書の表題は、より正しくは<幻想の終わり-20世紀の共産主義(コミュニズム)>でなければならない、とも当時に記した。)
 試訳を3回でやめてしまったのは、読解と邦訳の困難さによる。
 書簡集と言っても純粋に私的なものではなく、のちに公表・公刊されることが予定されていたと見られる。
 それでも、建前としては「手紙」なので、フランスとドイツの歴史学者二人が書いていることの内容的なむつかしさは当然としても(主題は両国の歴史と<共産主義>だ)、勝手に想像して例示すると、<〜については、〜で書いたけど、といっても〜については十分ではなくて、とくに〜については言及したかったのが、それでも〜の点にしか触れることができなくて、ここであえて明確にしておくと、〜ということなのだが、それでもあなたは承服できないかもしれない、とくに〜の問題、—これは中心論点なのだが—については。>というような文章が、全てではないにせよ、混じっていて、ドイツ語文では、副文構造が何階層にも下にあるというところも少なくなく、とても試訳すらできないと、途中で放り出した。もうとっくに、再開する気はない。
 →第1回(2016.07.27)、→第2回(2016.08.09)、→第3回(2016.08.29)。
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  上の中でもE・ノルテは当然に触れているのだが、この往復書簡が始まる前に、ドイツでは<歴史家論争>(ドイツ語で、Historikerstreit)と呼ばれる「論争」が、雑誌・新聞紙上で、歴史学者・哲学者等を巻き込んで行われていた。
 この論争がどういうものだったか、手っ取り早く紹介するため、厳密な的確さに留保はつけつつ、英語版のWikipedia とドイツ語版のWikipedia の書き出し部分(前文)だけを見てみよう。なお、興味深いことだが、日本語版には「(ドイツ)歴史家論争」という項目自体が存在しない。
 英語版では冒頭に、「些細な詳細に立ち入った過度に多い分量」になっているとのWikipedia 編集部による注記または読者への警告が付いているほど長いものだ。以下は、あくまで、書き出し(前文)部分だけ。一文ごとに改行し、段落の区切りには//を付す。
 英語版—「Historikerstreit (ドイツ語。"historians' dispute")は、1980年代遅くに西ドイツで、保守派(consevative)と中央から左派(left-of-center)の学者およびその他の知識人の間で行われた、ナツィ・ドイツとホロコーストをどのように歴史編纂(historiography)へと、さらにはより一般的にドイツ国民の自己認識へと取り込む(incorporate)か、に関する論争。//
 Ernst Nolte が率いた保守的知識人の立場は、ホロコーストは〔ドイツに〕特有ではなく、したがってドイツ人は「ユダヤ人問題の最終解決」につていかなる特別の罪悪の責任(burden)を負うべきではない、というものだった。
 Nolte は、ソヴィエト同盟の犯罪とナツィ・ドイツのそれとの間には道徳的な違いはない、そして、ナツィスはソヴィエト同盟がドイツに対して行ったかもしれないことの恐怖からそれと同じように行動した、と論じた。
 同様に、保守的歴史家のAndreas Hillgruber は、1944-45年の連合国の政策とユダヤ人に向けられたジェノサイドの間に道徳的違いはない。と主張した。
 他の者たちは、ナツィ時代の記憶を「標準化(normalize)」して、国民的な誇りの淵源とすることはできない、ナツィの宣伝を繰り返している、と論じた。//
 論争は西ドイツのメディアの注目を惹き、当事者たちは頻繁にテレビのインタビューに答え、新聞の特設記事欄に投稿した。
 この論争は、指導的人物の一人だったNolte が、2000年にコンラッド・アデナウアー科学賞を授与された2000年に、もう一度少しの間燃え上がった。//」
 ドイツ語版—「1988-89年の歴史家論争(Historikerstreit。Historikerdebatte, Historikerkontroverse、Habermas-Kontroverse とも言う)は、ドイツ連邦共和国での同時代史に関する論争で、争点はホロコーストの特異性(Singularität)や、これがドイツのアイデンティティを形成する歴史像にどのような役割を果たすべきかという問題だった。//
 端緒となったのは1986年6月のErnst Nolte の論文で、これは、レトリックの問題の形態でのホロコーストは、ソヴィエト同盟での先行する大量犯罪や収容所システムに対する国家社会主義者たちの反応だった、と論じた。
 哲学者のJürgen Habermas は、このような、また別の三人のドイツ連邦の歴史家の出張を、ドイツの国民(national)意識を「脱道徳化する過去」でもって揺り落として書き換える「修正主義」だと批判した。
 これに対して、多くのドイツ歴史家、ジャーナリズムおよび関心をもった著者たちが読者投稿や新聞論考で反応した。これらはのちに一冊の書物となって出版された。
 この論争は、約一年間つづいた。//」
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  さて、西尾幹二は、もともとはニーチェの研究者として出発したこともあり(その研究で博士号を得たと見られる)、ドイツの哲学や歴史学の状態に通暁している、という印象がないではないだろう。
 しかし、おそらく間違いなく、西尾幹二は、ニーチェ以外のドイツの「哲学者」についてはほとんど何も知らない。マルクス+ニーチェ=「フランクフルト学派」と簡単に図式化する論者がいることも知らないだろう。
 西尾の著にはハイデガーの一部(退屈論)が紹介されることはあっても、まさにドイツの都市名を冠する「フランクフルト学派」やハーパーマスに言及されていることは、おそらく一切ない。
 なお、上にも出てくるJ・ハーバマスは「フランクフルト学派」の後半または最後の世代とされるが、アドルノらと基本的な次元で同様の議論をしているのではないと見られる(それでも、上記の論争でも「保守」・ノルテに対抗した有力な「左派」ではあつた)。
 しかもまた、西尾はドイツの歴史学全般に通暁している、という印象を与えている可能性も高い。
 西尾幹二は戦後の東京大学文学部独文学科出身で、自身の言葉では、哲・史・文」(哲学・歴史・文学)の全体を「教養の柱とする…理想」を持ってきたと、「ニーチェ研究者」、「ニーチェ専門家」ではむしろない、という脈絡の中で述べている。
 西尾幹二・歴史の真贋(新潮社、2020)、p.354-6参照。
 しかし、西尾がまさに戦後ドイツの、かつまた1980年代後半という<対ソ連冷戦終了>の直前の時期に、おそらくはドイツ(西ドイツ)国内ではたんなるアカデミズムを超えた、ドイツの「国民意識」にかかわる著名な上記の論争について、何か言及しているのを読んだことは一切ない。
 それどころか、のちに何回も1985年のドイツ大統領(ワイツゼッカー)演説を厳しく批判してきたが、上記の論争に、ノルテ等の見解に言及することはなかった。。
 かつまた1999年刊行の『国民の歴史』の最終章<人は自由に耐えられるか>の前の第33章を<ホロコーストと戦争犯罪>という表題にして、「戦後補償」の問題等について触れている。全集版、p.605〜p.618。
 しかし、まさに戦後の「ドイツ民族」・そのアイデンティティにかかわる、従って戦後の日本と日本「民族」の自己認識にとっても重大な関心を持って参照されてよいはずの、上の<歴史家論争>には(1999年時点ですでに10年ほど経過していても)一切触れていない。
 Ernst Norte にも(A. Hillgruber にも)何ら言及されず、Jürgen Herbermas の名もいっさい出てこない。
 きっと何のやましさも、恥ずかしさも感じないで、<ホロコーストと戦争犯罪>という表題をつけて何やら専門家らしく?、あるいは広い教養をもった文筆家として?執筆したのだろう。西尾が自らの代表著だとする二つのうちの一つが、この『国民の歴史』(1999年)だ。
 ああ、恐ろしい。ああ恥ずかしい。
 (つづく)
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2032/L・コワコフスキ著第三巻第10章第7節②・第8節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.392-p.395。合冊版、p.1100-p.1103. 第8節・結語、へも進む。
 ごく一部の下線は、試訳者による。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第7節・批判理論(つづき)-ユルゲン・ハーバマス(Jürgen Habermas)②。
 (8)<知識と利益>でのマルクス批判は、おそらくはさらに進んでいる。
 ハーバマスは、マルクスは人間の自己創造を最終的には生産労働に還元し、そうすることで彼自身の批判活動を理解しなかった、とする。
 考察(reflection)それ自体が、彼の理論では自然科学が関係するのと同じ意味での科学的作業の一要素であるように思える。言ってみれば、物質的生産の様式をモデルにしているのだ。
 かくして、実践としての、自己省察にもとづく主体的活動としての批判は、マルクスの著作では社会的活動の分離した形態を十分にはとらなかつた。
 ハーバマスは、同じ書物で、科学主義、Mach、PeirceおよびDilthey を批判し、自然科学または歴史科学の方法論的自己知識の形態も、それらの認識上の立場やそれらの背後にある利益に関する理解を反映している、と論じる。
 しかしながら、彼は、その見解では理性の活動と利益や解放が合致する観点を獲得させる、そのような「解放」への潜在的能力を精神分析はもつことを指摘する。かりにそうでなくとも、認識上の利益と実践上の利益が同一になるようにさせる。
 マルクスの図式は、そのような統合の基礎を提供することができない。マルクスはヒトの種の独特の特徴を(純粋に順応的なそれとは区別される)道具的行動をする能力に還元したのだから。そのことは彼が、イデオロギーと歪んだ意思交流という趣旨での権威の間の関係を解釈することができないことを意味した。そうできないで、人間の労働や自然との闘いに由来する関係へとそれを還元したのだ。
 (ハーバマスの考えはこの点で全く明確なのではなく、精神分析では聴診も治療法だと明らかに思っていた。-患者が自分の状況を理解することは同時に、治療になる。)
 しかしながら、理解する行為が治療全体を指すのだとすると、これは正しくない。
 フロイトによれば、治療過程の本質は移転(transference)にあり、これは実存的行為であって、知的な行為ではないのだから。
 マルクスの理論では、合致は生じない。すなわち、理性の利益と解放が結びついて単一の実践知の能力となることはない。
 かりにこれがハーバマスの論拠だとすれば、彼のマルクス解釈は、(私は適切だと考えている)ルカチの判断、すなわちマルクス主義の最重要の特質は世界を理解する行為とそれを変革する行為はプロレタリアートの特権的状況において一体化を達成するという教理にあるという判断とは、一致していない。//
 (9)ハーバマスは、その鍵となる「解放」(emancipation)という概念を明瞭には定義していない。
 明確なのは、ドイツ観念論の全伝統の精神からして、実践的理性と理論的理性、認識と意思、世界に関する知識と世界を変革する運動、これらの全てが一つ(identical)になる焦点を、彼は探求している、ということだ。
 しかし、そのような点を彼が実際に見出したとは、あるいは、そこに到達する方途を我々に示しているとは、思えない。
 認識論上の評価の規準は、技術的進歩の過程と意思交流の形態とがともに自立した変数として現れる、そのような人間の歴史の一要素でなければならない、と彼が言うのは正しい。
 我々が認識上何が有効であるかを決定する規則のいずれも、(フッサールの意味で)先験的に(transcendentally)基礎づけられてはいない。
 また、知識の有効性に関する実証主義的規準は、人間の技術的能力に関係する評価を基礎にしている。
 しかし、こうしたことから、知識と意思の区別が排除されたと認めることのできる、そのような優位点(vantage-point)がある、またはあり得る、ということが導き出されはしない。
 ある場合には、諸個人や社会による自己理解の行為はそれ自体は、この語が何を意味していようと「解放」へと導く実践的な行動の一部だ、ということが言えるかもしれない。
 しかし、疑問はつねに残ったままだろう。すなわち、どのような規準によれば、その自己理解の正確さを判断することができるのか? また、どのような原理にもとづいて、別のそれではなくてある特定の情況では「解放」が存在する、と決定するのか?
 この第二点について、世界に関して我々がもつ知識を超える決定を下すのを、我々は避けることができない。
 善と悪を区別する、そしてそれと同じ行為で真か偽かを決定する、そのような高次の霊的な何らかの能力を我々がもつようになると信じるとすれば、我々は、いかなる統合にも影響を与えないで、恣意的に設定された善の規準でもって真の規準を単直に置き代えている。換言すれば、我々は、個人的または集団的な実用主義(pragmatism)へと回帰している。
 分析的理性と実践的理性の間を統合するものという意味での「解放」は、上に述べたように、宗教的な解明(illumination)の場合にのみ可能だ。その場合にじつに、知識と「関与」する実存的行為が一つのものになる。
 しかし、理性の活動をそのような行為で基礎づけることができると想定することほど、文明にとって危険なものはない。
 分析的理性、あるいは科学が機能するための諸規準の全体、はそれ自体の根拠を提示することができない、というのは実際に本当のことだ。
 諸規準は、道具として有効であるがゆえに受容されている。そして、合理性についてかりに何らかの先験的規範があるとしても、それは我々にはまだ知られていない。
 科学は、そのような規範の存在とは無関係に機能することができる。科学は、科学的哲学と混同されてはならないらだ。
 善や悪および普遍的なものの意味に関する決定は、いかなる科学的な基礎ももち得ない。
 我々はそのような決定をするのを余儀なくされるが、その諸決定を知的に理解する行為に変えることはできない。
 生活上のこれら二側面を統合する高次の理性という観念は、神話の世界でのみ実現することができる。あるいは、ドイツ形而上学の敬虔な願望にとどまり続けるだろう。
   <一行あけ-秋月>
 (10)フランクフルト学派の若い世代のうちの別の人物は、Alfred Schmidt だ。自然に関するマルクスの観念についての彼の書物(1964年)は、この複雑な問題の研究に興味深くかつ貴重な貢献をなした。
 彼が論じるところでは、マルクスの観念には曖昧さがあり、そのことが原因となって、矛盾する方途で解釈されてきた(人間の継続物としての自然、統合への回帰等々。反対に、自然の創造物としての人間。ここで自然は外部諸力に対処する人間の試みによって明確になる)。
 Schmidt は、マルクスの教理は疑いの余地のない単一の「システム」だと最終的には理解することはできず、エンゲルスの唯物論がマルクスの思想と本質的部分で合致している、と強く主張する。//
 (11)Iring Fetscher は、疑いなく優れたマルクス主義に関する歴史研究者の一人だ。この人物をフランクフルト学派の一員だと見なすことができるのは、この学派の著者たちが関心をもったマルクス主義の諸観点に受容的であることを彼の著作が示している、というきわめて広い意味でだ。
 彼の大きな業績は、マルクスが遺したものの多様な範型やあり得る解釈を明瞭に解説したことだ。しかし、彼自身の哲学上の立場は、否定弁証法や解放的理性のような、フランクフルト学派の典型的な思考にもとづいていたとは思われない。
 歓迎されるべき明晰さを別とすれば、彼の著作は、歴史研究者としての抑制と寛容を特徴としている。
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 第8節・結語(Conclusion)。
 (1)マルクス主義の歴史でのフランクフルト学派の位置について考察すると分かるのは、この学派の長所は哲学上の反教条主義、理論的推論の自立の擁護にあった、ということだ。
 フランクフルト学派は、誤謬なきプロレタリアートという神話から自由で、マルクスの諸範疇は現代社会の状態と諸問題について適切だという信仰からも解放されていた。
 フランクフルト学派はまた、知識と実践の絶対的で始原的な根拠があると想定するマルクス主義の全ての要素または変種を拒絶しようと努めた。
 それは、マルクスが理解したような階級の諸範疇では解釈することのできない現象としての「大衆文化」の分析に寄与した。
 また、(かなり一般的で、方法論のない用語でだったけれども)科学者的プログラムに潜在している規範的な前提命題に注意を引くことによって、科学的哲学を批判することにも貢献した。//
 (2)他方で、フランクフルト学派の哲学者たちには、理想的「解放」についての一貫した見解表明に弱点があった。それは決して適切には説明されなかった。
 このことは、「物象化」、交換価値、商業化した文化および科学主義を非難しつつ、それらに代わる何かを提示している、という幻想を生み出した。
 ところが実際には、彼らが現実に提示しているのはほとんど、エリート(élite)がもつ前資本主義社会の文化へのノスタルジア(郷愁、nostalgia)だった。
 彼らは、今日の文明から一般的に逃亡するという曖昧な展望の音色を奏でることによって、知らず知らずのうちに、無知で破壊的な抗議行動を激励した。//
 (3)要約すれば、フランクフルト学派の強さは純粋な否定にあり、その危険な曖昧さは、それを明確に認めようとしないで、しばしば反対のことを示唆したことにあった。
 それは、いかなる方向であってもマルクス主義の継続物ではなく、マルクス主義の解体とその麻痺化の一例だった。//
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 第7節・第8節、そして、第10章が終わり。

2030/L・コワコフスキ著第三巻第10章第7節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.387-p.392。合冊版、p.1096-1100.
 一部について、ドイツ語訳書の該当部分を参照した。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第7節・批判理論(つづき)-ユルゲン・ハーバマス(Jürgen Habermas)。
 (1)ハーバマス(Habermas)(1929年生れ)は現役ドイツ哲学者の代表者の一人に位置づけられる。
 彼の主要な書物の表題-<理論と実践>(1963年)、<認識と利益>(1968年)、<「イデオロギー」としての技術と科学>(1970年)-は、その主要な哲学的関心を示している。
 彼の著作は、理論的推論-歴史学および社会科学の意味のみならず自然史の意味での-と人間の実践的必要、利益および行動の間のあらゆる種類の連結関係を、反実証主義的に分析することで成っている。
 しかしながら、それは知識に関する社会学ではなくむしろ認識論的批判であり、この批判が示そうと意図しているのは、いずれの理論も実証主義および分析主義学派で案出された規準では適切な根拠を見出すことができず、また実証主義はつねに非理論的な関心に従った想定をしているけれども、実践的な関心と理論的な研究とを合致させる観点を見出すのは可能だ、ということだ。
 こうした見解には、フランクフルト学派の関心領域にたしかに入る主題がある。
 しかし、ハーバマスは、彼の前世代の指導者たちに比べて、より分析的に厳密化したものを提示する。
 (2)ハーバマスは、「啓蒙の弁証法」というホルクハイマーとアドルノの主題を採り上げる。-人類を偏見から解放するのに寄与する理性がその内在的な論理に従ってそれ自体に反発し、偏見と権威を維持するのに奉仕する、という過程のことだ。
 Hollbach によって代表される啓蒙主義の古典的時代には、理性は既存の秩序に対する社会的かつ知的な闘いの武器だった。そして、闘う際の大胆さという重要な美徳を維持するものでもあった。
 啓蒙主義からすると邪悪と偽善は同一のもので、解放と真実もまたそうだった。
 それは価値評価をなくしてしまおうとは考えなかったけれども、導かれるべき諸価値を公然と宣言した。
 フィヒテ(Fichte)の理性は、カント的批判にもとづくもので、ゆえに経験論のご託宣を呼び込むことはなかった。それにもかかわらず、それ自体がもつ実践的性格を意識していた。
 理解するという行為と世界を構成するという行為は、同時に行われる。理性と意思がそうであるのと同じく。
 自己を解放する自我の実践的利益は、理性の理論的活動ともはや分離することができない。
 マルクスにとっても、理性は批判的な力だ。しかし、フィヒテの見方とは対照的に、その理性の強さの根源は道徳的意識にあるのではなく、その解放する活動が社会的な解放の過程と同時進行することにある。
 虚偽の意識を批判することは、同時に虚偽の意識が由来している社会的諸条件を廃棄するという実践的行為だ。
 かくして、マルクスの範型での啓蒙主義は、理性と利益の連結関係を明瞭に維持している。
 しかしながら、科学、技術および組織の進展でもって、この連環は破壊された。
 理性は、次第にその解放機能を喪失した。一方では、合理性はますます技術的効率性に限定され、たんなる組織上の手段以外の目標を提示していない。
 理性は道具的な性格をおび、物質的または社会的技術の廃止に役立つ意味発生機能を放棄している。
 啓蒙主義は、それ自体に反抗している。
 理性は人間の利益から自立しているという妄想は、実証主義の認識論のように、また価値判断から自由な科学的プログラムのように是認されており、そうして、解放機能を遂行することができなくなった。//
 (3)しかしながら、ハーバマスは、フランクフルト学派の他の者たちと同様に、ルカチの意味での、または実用主義の意味での「実践の優位」に関心はない。
 彼が関心をもつのは、技術とは異なるものとしての実践という観念への回帰だ。言い換えれば、実践的機能を意識した、かつ「外部から」課されたいかなる目的にも従属しないで何とかしてそれ自体の合理性によって社会的な目的を構成する、そのような理性の観念の回復だ。
 ハーバマスは、そのゆえに、実践的でかつ理論的な理性を統合することのできる知的な能力(faculty)を得ようとする。それは、目標の意味を見極めることができ、従って目的に関して中立であることができず、また中立ではないだろうからだ。//
 (4)しかしながら、ハーバマスの批判の最重要点は、そのような中立性は存在しなかったし、あり得なかったし、実際にも達成されないものだ、そして、実証主義者の基本的考え方や価値から自由だとする理論の考え方は自己破壊の段階での啓蒙主義の幻想だ、と主張することにある。
 フッサール(Fusserl)は、正当に、こう論じた。自然科学が既製の現実、未構成の事物それ自体だとして提示するいわゆる事実または客体は、実際には、始原的な、自発的に創造された<生界(Lebenswelt)>だ。また、全ての科学は、前思考的な(pre-reflective)理性から、多様な実践的な人間の利益に従う一連の形態を継受している、と。
 しかしながら、フッサールは、理論に関する、実践の後滓がないとする自分自身の考えがのちには実践的目的のために使われることはない、と想定している点で、間違っていた。
 なぜならば、理論が実践的目的をもつのだとかりにすれば、現象学はいかなる宇宙論(cosmology)も、いかなる普遍的秩序に関する観念も、前提とすることができないのだから。
 ハーバマスは、つづける。自然科学は、技術という利益を基礎にして形成されている。
 自然科学は、その内容は実践的考慮に影響されないという意味で中立的なのではない。
 自然科学がその貯蔵物として用意している素材は、世界に存在するがままの事実の反射物ではなく、実践的な技術活動の有効性を表現したものだ。
 歴史的解釈(historico-hermeneutic)学もまた、別の形態によってではあるが、実践的利益によって部分的には決定されている。つまり、この場合は、「利益」とは、意思疎通を改善するために、人間界での理解可能領域を維持し拡大することにある。
 理論的活動は、実践的な利益から逃れることはできない。すなわち、主体・客体関係は、それ自体が何がしかの程度の利益を包含していなければならない。そして、人間の知識のどれ一つとして、人類の歴史との関係を除外してしまえば知的(intelligible)なものではない。人類の歴史には、そうした実践的利益が結晶化しているのだ。
 全ての認識上の規準の有効性は、その認識を支配している利益に依存している。
 利益は、-労働、言語、権威という-三つの分野または「媒介物」で作動する。そして、利益のこれら三類型に、それぞれ、自然科学、歴史的解釈学、社会科学が対応する。
 しかしながら、自己省察または「省察に関する省察」を行えば、利益と認識は合致する。そして、「解放する理性」が形を成すのは、この分野でこそなのだ。
 かりに、理性と意思、あるいは目的決定と手段分析、が一致する地点を発見することができないとすれば、我々は、つぎのように咎められることになるだろう。すなわち、先ずは表向きは中立的な科学がある、と。次には目標に関して根本的に非合理的な決定をしている、と。この後者の場合に合理的でないとは決して批判することはできず、どの目標も同等程度のものであるにもかかわらず。//
 (5)ハーバマスは、マルクーゼ(Marcuse)のようには、科学を批判することまでは進まなかった。すなわち、現代科学のまさにその内容が、技術的応用とは反対に、反人間的な目的に奉仕しているとは、あるいは、現代の技術は本来的に破壊的なもので人間性の善のために用いることができず、異なる性格の技術に変えられなければならないとは、主張しない。
 このように語ることは、現存する科学と技術に代わる選択肢を提示することができてのみ、意味があるだろう。マルクーゼは、そうすることができない。
 全く同じように、科学と技術は、それらの応用という点でも完全に潔白であるのではない。これらが大衆の破壊と僭政体制の組織化のための武器になる場合のあることを考えるならば。
 重要なのは、現代の生産諸力と科学が現代の産業社会を政治的に正当化する要素になった、ということだ。
 「伝統的社会」は、世界に関する神話的、宗教的および形而上学的解釈にもとづく諸装置によって、正統化されていた。
 資本主義は、生産諸力の発展のための自己推進機構を作動させて、変化と革新の現象を制度化し、権威の正統化のための伝統的諸原理を投げ棄てた。そして、等価の商業的交換に対応する諸規範-社会的組織化の根拠としての相関性(mutuality)という規則-へと置き代えた。
 このようにして、所有関係は直接的に政治的な意味を失い、市場の法則が支配する生産関係になった。
 自然科学は、技術的応用の観点からその射程範囲を定義し始めた。
 同時に、資本主義の進展につれて、生産と交換の分野への国家介入がますます重要になり、その結果として、政治はたんなる「上部構造」の一部ではなくなった。
 国家の政治活動-公的生活の組織化を改善する純粋に技術的な手段だと見られたもの-は、同じ目的のために役立つと想定された科学や技術と融合する傾向をおびた。
 生産諸力と権力の正統化を区別する線は曖昧になった。このことは、生産機能と政治機能が明瞭に分離していたマルクスの時代の資本主義とは異なっている。
 かくして、土台と上部構造に関するマルクスの理論は、時代遅れになり始めた。同じことが、(科学の巨大な重要性を生産力の一つと考えた)マルクスの価値に関する理論についても言えた。
 科学と技術は、技術モデルにもとづく社会像や人々から政治的意識、つまり社会的目標に関する自覚、を剥奪する技術政的(technocratic)イデオロギーを生み出したという意味で、「イデオロギー的」機能をもった。それは、人間の全諸問題は技術的、組織的な性格のもので、科学の手段によって解決することができる、という意味を含むものだった。
 技術政的心性(mentality)は、暴力を行使しないで人々を操作することを容易にする。また、「物象化」へと進むさらなる一歩なのであって、それ自体は目標について何も語らない技術的活動と人間に特有の関係性の間の区別を曖昧にする。
 経済に対する強い影響力を国家諸制度がもつ状況では、社会的対立もまたその性格を変え、マルクスが理解したような階級対立とはますます遠ざかる。
 新しいイデオロギーはもはやたんなるイデオロギーではなく、技術的進歩のまさにその過程と溶け合ってしまう。
 それを見分けるのは困難になり、その結果として、イデオロギーと現実の社会的諸条件はもはや、マルクスがそうしたようには、区別することができない。//
 (6)生産諸力の増大は、それ自体が解放の効果をもつのではない。
 そうではなく反対に、その諸力の「イデオロギー化された」形態をとって、人々が自分たちを事物(things)だと理解するようにさせ、技術と実践の区別を抹消する傾向にある。-この実践という用語が意味するのは、行為主体がその目標を決定する自発的活動だ。//
 (7)マルクスの批判の目的は、人々は真に主体にならなければならないということ、換言すると、自分たち自身の生活を合理的かつ意識的に統御しなければならない、ということだった。
 しかし、社会生活による自主規制は実際的または技術的な問題のいずれかだと理解することができるかぎりで、この批判の意味するところは不明確だった。そして、技術的な問題の場合は、無生物の客体を技術的に扱うのに似た操作の過程だと考えることができた。
 こうして、物象化は無くなりはせず、さらに悪化した。
 他方で、真の解放は、全ての者が社会的諸現象の統御に能動的に関与することを意味する範疇である「実践」へと回帰することとなった。言い換えれば、人々は客体であってはならず、主体でなければならない。
 この目的を達成するためには、ハーバマスは考察するのだが、人間の意思交流(communication)や現存する権力システムに関する自由な討議の改善、および生活の脱政治化(de-politicization)に反対する闘いが存在しなければならない。//
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 ②へとつづく。

2029/L・コワコフスキ著第三巻第10章第6節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.383-p.387。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第6節・エーリヒ・フロム(Erich Fromm)②。
 (8)この数百年の間にヨーロッパで発展した資本主義社会は、人間存在にある巨大な創造的可能性を解き放った。しかし、強力な破壊的要素も生み出した。
 人間は、個人の威厳と責任を自覚するようになった。しかし、普遍的な競争と利害対立が支配する状況の中に置かれていることも知った。
 個人的な主導性は、生活上の決定的な要因になった。しかし、攻撃や利己的活用がますます重要になった。
 孤独と孤立の総量は、測り知れないものになった。他方で、社会的諸条件によって人々は、お互いを人間としてではなく事物だと見なすようになった。
 孤立しないようにする幻惑的で危険な対処法の一つは、ファシズムのような、非理性的で権威的なシステムに保護を求めることだった。//
 (9)フロムの見解では、彼のフロイト主義からの激しい離反には、マルクス主義の様相があった。なぜなら、人間関係を防衛的機構や本能的衝動ではなく歴史の用語で説明し、また、マルクスの思想と調和する価値判断を基礎にしているからだ。
 フロムによれば、〔マルクスの〕1844年草稿はマルクスの教理を基礎的に表示するものだった、
 彼は、その著作と<資本論>との間には本質的差違はない、と強く主張する(この点で、Daniel Bell と論争した)。しかし、のちの諸作では初期の文章の<精神(élan)>がいくぶんか失われた、と考える。
 フロムは強く主張する。主要な問題は疎外であって、それは人間の束縛、孤立、不幸および不運の全てを示している、と。
 全体主義的教理と共産主義体制は、彼によれば、マルクスの人間主義的見方と何の関係もない。マルクスの見方の主要な価値は、自発的な連帯、人間の創造力の拡張、束縛と非理性的権威からの自由、にある。//
 (10)マルクスの思想は、男女が人間性を喪失して商品に転化する、そのような条件に対する対抗だ。また、人間がかつてそうだったものに再び戻る能力、貧困からの自由だけではなくて創造力をも発展させる自由を獲得する能力、をもつことを強く信じていることを楽観的に表明したものだ。
 マルクスの歴史的唯物論を人間はつねに物質的利益によって行動することを意味すると解釈するのは、馬鹿げている。
 反対に、マルクスが考えたのは、たんにそのような利益を好むように環境が人間に強いるときには、人間はその本性を喪失する、ということだった。
 マルクスにとっての主要な問題は、どのようにして、依存という拘束から個々人を自由にし、もう一度友好的に一緒に生きていくのを可能にさせるか、だった。
 マルクスは、人間は永遠にその支配の及ばない非理性的諸力の玩弄物でなければならないとは考えなかった。
 反対に、自分の運命の主人になることができる、と主張した。
 かりに実際に人間の労働の疎外された産物が反人間的力に転化するとすれば、かりに人間が虚偽の意識と虚偽の必要性の虜になるならば、かりに(フロイトとマルクスは同じように考えたのだが)人間が自分自身の真の動機(motives)を理解しないならば、これらは全て、自然が永遠にそのように支配しているからでは全くない。
 反対に、競争、孤立、搾取および害意が支配する社会は、人間の本性とは矛盾している。人間の本性は-ヘーゲルやゲーテ(Goethe)と同じようにマルクスも考えたのだが-攻撃や受動的な適応にではなく、創造的な仕事と友愛のうちに真の満足を見出すのだ。
 マルクスは、人間が自然とのかつ人間相互間の統合を回復し、そうして主体と客体との懸隔を埋めることを望んだ。
 フロムはこの主題を1844年草稿からとくに強調し、マルクスはこの点で、ドイツの人間主義の全伝統や禅仏教と一致している、と観察する。
 マルクスはもちろん、貧困がなくなることを望んだ。しかし、消費が際限なく増大することを望みはしなかった。
 彼は人間の尊厳と自由に関心があったのだ。
 彼の社会主義は、人間が物質的要求を満足させるという問題ではなく、自分たちの個性が実現されて自然や相互間の調和が達成される、そのような諸条件を生み出す、という事柄だった。
 マルクスの主題は労働の疎外、労働過程での意味の喪失、人間存在の商品への変形だった。
 彼の見方では、資本主義の根本的な悪は、物品の不公正な配分ではなく、人類の頽廃、人間性の「本質」の破壊にあった。
 この退廃は労働者だけではなくて誰にも影響を与えており、従って、マルクスの人間解放の主張は普遍的なものであって、プロレタリアートだけに適用されるのではない。
 マルクスは、人間は自分たち自身の本性を理性的に理解することができ、そうすることでその本性と対立する虚偽の要求から自由になることができる、と考えた。
 人間は、歴史過程の範囲内で、超歴史的な淵源からの助力なくして、そのことを自分たちで行うことができる、と。
 マルクスは、こう主張して、ルネサンスや啓蒙主義のユートピア的思想家たちばかりではなく、千年王国的(chiliastic)宗派、ヘブライの予言者と、そしてトーマス〔・アキナス〕主義者とすらも、一致していた、とフロムは考える。//
 (11)フロムの見解によれば、人間解放の全ての問題は、「愛」という言葉で要約される。「愛」という語は、他者を手段ではなく目的だと見なすことを意味する。
 それはまた、個々人はそれ自身の創造性を放棄したり、他者の個性のうちに自分自身を喪失したりするということはないということも、意味する。
 攻撃性と受動性は、同じ退廃現象の両側面だ。そして、いずれも、順応意識のない仲間感情と攻撃性のない創造性にもとづく関係のシステムに置き代えられなければならない。//
 (12)この要約が示すように、フロムがマルクスを称賛するのは、マルクスの人間主義的見方に関する真の解釈に依拠している。しかし、にもかかわらず、それはきわめて選択的だ。
 フロムは、疎外の積極的な機能あるいは歴史上の悪の役割を考察しない。彼にとって、フォイエルバハにとってと同じく、疎外は単純に悪いものなのだ。
 さらに加えて、フロムがマルクスから採用するのは、「人間存在の全体」という基本的な思想、自然との再統合というユートピア、および個人の創造性によって助けられて妨げられることのない、人類間の完璧な連帯だ。
 彼はこのユートピアを称賛するが、それを生み出す方法を我々に教えるマルクスの教理の全ての部分を無視する。-つまり、国家、プロレタリアートおよび革命に関するマルクスの理論を。
 そうすることでフロムは、マルクス主義のうちの最も受容しやすくて最も対立が少ない諸点を選択した。なぜならば、誰もが全て、人間が良好な条件のもとで生きるべきでお互いの喉を切り裂き合ってはならないということ、そして窒息して抑圧されるよりも自由で創造的であることを好むということ、に合意するだろうからだ。
 要するに、フロムにとってのマルクス主義は、ありふれた一連の願望とほとんど変わらなかった。
 彼の分析からは、どのようにして人間は悪と疎外に支配されるに至ったのかが明瞭でなく、また、健全な傾向が結局は破壊的なそれを覆ってしまうという希望のどこに根拠があるのかも、明瞭ではない。
 フロムに見られる曖昧さは、ユートピア思想一般に典型的なものだ。
 他方で彼は、現にある人間の本性から彼の理想を導き出すことを宣明する。しかし、その本性は現在のところは実現されていない。-換言すると、他者と調和しながら生きて自分の個性を発展させることこそが人間の本当の運命なのだ。
 しかし他方で、「人間の本性」は規範的な観念であることにも彼は気づいている。
 明らかに、疎外(または人間の非人間化)という観念や虚偽の意識と本当の必要との間の区別は、かりにそれがたんなる恣意的な規範として表現されているのだとすれば、我々がたとえ「発展途上の」国家であっても経験から知る人間の本性に関する何らかの理論にもとづいていなければならない。
 しかし、フロムは、我々はどのようにして人間の本性が必要としているものを、例えばより多い連帯意識やより少ない攻撃性を、知るのか、について説明しはしない。
 人々が実際に連帯、愛、友情および自己犠牲の能力をもつというのは、正しい。しかし、そのことから、これらの諸性質を提示する者が対立者よりも「人間的」だという帰結が導かれるわけではない。
 人間の本性に関するフロムの説明は、かくして、記述的(descriptive)な観念と規範的(normative)な観念を曖昧に混合したものであることを示している。このことは、マルクスとその多数の支持者たちに同様に特徴的なものだ。//
 (13)フロムは、人間主義者としてのマルクスの思想を民衆に広げるべく多くのことを行った。そして、疑いなく正しく、人間の動機の「唯物論」理論と僭政主義への短絡という粗雑で原始的な解釈をマルクス主義について行うことに対抗した。
 しかし、彼は、マルクス主義と現代共産主義の関係について議論しなかった。たんに、共産主義的全体主義は1844年草稿と一致していない、と語っただけだった。
 かくして、フロムの描くマルクスの像はほとんど一面的で、彼が批判するマルクス主義をスターリニズムの青写真だとする見方と同様に単純だった。
 マルクス主義と禅仏教の間の先に定立されていた調和に関しては、自然との統合への回帰に関する草稿上の数少ない文章にのみもとづいていた。
 それは疑いなく、初期のマルクスの、全てのものの他の全てのものとの間の全体的かつ絶対的な調和とい黙示録的(apocalyptic)思想と合致していた。しかし、それをマルクス主義の諸教理の核心部分だと考えてしまうのは、行き過ぎだ。
 フロムが実際に保持するのは、彼がルソー(Rousseau)と共通していると考えるマルクスの教理の一部にすぎない。//
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 第7節の表題は、<批判理論(つづき)。ユルゲン・ハーバマス。>

2027/L・コワコフスキ著第三巻第10章第6節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.380-p.383。合冊版、p.1091-3。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第6節・エーリヒ・フロム(Erich Fromm)①。

 (1)エーリヒ・フロム(Erich Fromm)(1900年生れ)は、1932年以降はアメリカ合衆国で生活した。最初は正統派フロイト主義者だったが、Karen Horney やHarry Sullivan とともに、精神分析の「文化主義」学派の創立者としてまずは知られた。
 この学派はフロイト主義の伝統から大きく離れたので(同じ関心領域を共有したことを除く)、精神分析的人類学、文化の理論という最初の基礎をほとんど残さなかった。ノイローゼ(neurose)理論についてすら、これは言えた。
 フロムはフランクフルト学派の従兄弟だと見なすことができるかもしれない。社会研究所の一員で、<雑誌>に論文を発表したことだけがその理由ではなく、その著作の内容という観点からしてもだ。
 マルクスの物象化と疎外に関する分析はまだ有効で現代文明の根本的諸問題の解決にとって決定的に重要だという確信を、フランクフルトの仲間たちとともに抱いていた。
 他の仲間たちと同じく、プロレタリアートがもつ解放に対する役割についてはマルクスに同意しなかった。
 彼がとくに関心をもった疎外は、全ての社会階層に影響を与えている現象だった。
 しかしながら、アドルノの否定論や悲観主義にも共感しなかった。
 フロムは歴史的決定論への忠誠心を持たず、より良き社会秩序をもたらす歴史の発展法則に期待もしなかったけれども、人類には無限の潜在的能力があると強く信じていた。自然や人間相互からの疎外を克服し、友愛にもとづく社会秩序を確立することができる、そのような潜在的な力だ。
 アドルノとは異なり、人間の本性と調和した社会生活の概略を明確にすることは可能だと考えた。
 その書物が自負と傲慢さで溢れているアドルノとは再び異なり、フロムの著作は善意および友愛と協力に向かう人間の潜在性への信頼で充ちている。
おそらくはこの理由で、彼にはフロイト主義が受け容れ難かったのだろう。
 フロムは、我々の時代のフォイエルバハだと称し得るかもしれない。
 彼の書物は簡潔で、読みやすい。
 説教ぶった道徳的な意図は隠されていないけれども、その表現は平易で率直だ。
 直接の主題が何であれ-性格理論、禅・仏教、マルクスあるいはフロイト-、全てが批判的で建設的な思考が語られている。
 著書の表題を見ると、とりわけ、<自由からの逃亡>(1941年)、<自分自身のための人間>(1947年)、<健全な社会>(1955年)、<禅仏教と精神分析>(鈴木大拙、R. de Martinoと共著)、<マルクスの人間観念>(1961年)がある。//
 (2)フロムは、無意識に関するフロイト理論はきわめて豊かな研究分野を切り開いたと考えた。しかし、性的衝動(リビドー, libido)と文化のもつ純然たる抑圧機能にもとづく人類学理論を、ほとんど完全に拒否した。
 フロイトは、人間個人を不可避的に他者と対立する本能的衝動によって定義することができる、と考えた。個人はその本性上反社会的だが、社会は個人にその本能的欲求を制限し抑制する代わりに安全確保の手段を提供する。
 充たされない欲求は他の社会的に許容された領域に流れ込み、文化活動に昇華する。
 しかしながら、文化と社会生活は、破壊されることのない衝動を監視しつづけ、充たされない欲求の代用品として創出された文化作品は、諸衝動がさらに大きくなるのを抑制する。
 世界での人間の地位は、自分の自然の願望を充足させるのは文化の破滅であって人間種の破壊を意味するだろうので、希望なきものだ。
 本能と人間存在にとって必要な共同生活の間の矛盾は、決して解消することができない。神経症になることに絶えず追い込んでいる複合的な諸原因も、解消されない。
 創造的諸活動の形態による昇華はたんなる代用にすぎない。さらには、少数の者のみがそれを行うことができる。
 (3)こうした議論に対して、フロムは答える。
 フロイトの教理は、特定の限定された歴史的経験を不当に普遍化するものだ。さらには、人間の本性に関する誤った理論にもとづいている。
 自己のための充足とその結果としての他者への敵対にもっぱら向かう、その本能的な欲求の総量によって個々人を定義することができる、というのは通例のことではない。
 フロイトは、ある人間が他人に何かを与えれば自分がもち続けた可能性のある富の一片を失うがごとく、語る。
 しかし、愛と友情は、豊かにするものであって、犠牲ではない。
 フロイトの見方は、諸個人の利益を相互に対立し合わせた特定の歴史的条件を反映したものだ。
 だが、それは一つの歴史的局面であって、人間の本性の必然的な効果ではない。
 エゴイズムと自己中心主義(egocentricity)は、個々人の利益にとって防衛的なものではなく、破壊的なものだ。そして、これらは、自己愛からではなくてむしろ、自己憎悪(self-hatred)から発生する。//
 (4)フロムは、人間は確実に永続的な本能をもつこと、その意味で不変の人間の本性があること、を認める。
 彼はつぎのようにすら考える。人類学的に恒常的なものなどは存在しないとする逆の考え方は危険だ。なぜならば、人間は際限なく塑形可能で、いかなる条件にも適合することができると想定しているのであって、その結果として、適切に組織されるならば隷従制が永遠に続いてしまうことになる、と。
 人々が現存する条件に反抗するということは、人々は際限なく適応可能ではないことを示している。これは、楽観論の根拠だ。
 しかし、大切なことは、いずれの人間の特性が実際に恒常的であり、いずれが歴史の問題なのかを、確定することだ。
 ここでフロイトは、資本主義文明の影響をヒトという種の普遍の特性だと見誤ることによって、間違った。//
 (5)フロムは、つづける。一般的に言って、人間の欲求は個人的な充足に限定されはしない。
 人々は、自然との、そしてお互いの間の連環(link)を必要としている。-その連環は何であってもよいというのではなく、目的意識と共同体への帰属意識を与えてくれるような連環だ。
 人々には、愛と理解が必要だ。孤立して、接触を奪われれば苦しむ。
 人間はまた、自分の能力を十分に活用することのできる社会的条件を必要とする。すなわち、人間は、諸条件や危険性に何とか対処するためにではなく、創造的な仕事をするために生まれたのだ。//
 (6)この理由で、ヒトという種の発展あるいは人間の自己創造は、特定の諸傾向との闘いの歴史だった。
 人間が自然秩序から解放されて真の人間になって以降ですら、安全確保と創造性を求める欲求は、しばしば対立し合ってきた。
 我々は自由を欲するが、自由を恐れもする。なぜならば、自由とは、責任と安全不在を意味しているからだ。
 従って、人間は権威や閉ざされたシステムに従順になって、自由の重みから逃亡する。
 これは、生まれつきの性癖だ。破壊的なもので、孤立から自己諦念への、偽りの逃亡だけれども。
 逃亡のもう一つの形態は、憎悪だ。人間はそれで、盲目的破壊によって自分の孤立を克服しようとする。//
 (7)フロムは、このような諸観点に立って、フロイトとは異なって心理のタイプまたは志向性を区別する。社会的条件や家族関係の用語でもって説明し、たんにリビドーの寄与分によってではない点で、フロイトと異なる。さらには、フロムはフロイトと違って、明瞭に善か悪かを分類する。
 性格が形成されるのは、幼児の時期からで、その子どもの環境およびその子が出くわす制裁と褒賞のシステムによってだ。
 「受容(receptive)」型の特徴は、応諾、楽観および受動的な博愛心だ。
 この性格の人々は、適応力があるが、創造力に欠けている。
 「利用(exploitative)」型は、これと反対に、攻撃的で嫉妬深く、他者をたんに自分の利得のための源泉として扱う傾向がある。
 「蓄積(hoarding))型は、積極的攻撃心はより小さく、敵対的猜疑心はより大きい。
  この性格の人々は、吝嗇で、自己中心的で、不毛な潔癖さに傾きがちだ。
 もう一つの非生産的な型は「市場(marketing)」志向で、支配的な様式や習俗に適合することで満足を得る。
 他方で、創造的(creative)な性格は、攻撃的でも適合的でもなく、自発性のある親切心と順応主義ではない方法でもって、他者との接触を追求する。
 この性格は全ての最良部分を集めたものだ。その非順応性は攻撃性へと退廃化することはないし、その協力を願う気持ちや愛への包容力は受動的な適応性に落ち込むこともない。
 これらの異なる諸性格は、従前にフロイト主義者、とくにAbraham が作成した分類に対応している。しかし、それらの原因に関するフロムの説明は、幼児期の継続的な性的固着性(fixation)ではなく、家庭環境と社会で通用力をもつ諸価値が果たす役割を強調する。//
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 ②へとつづく。

2025/L・コワコフスキ著第三巻第10章第5節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.376-p.380.
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第5節・「啓蒙主義」(enlightenment)批判②。
 (8)一般的に言って著者たちの「啓蒙」概念は風変わりで、彼らが嫌悪する全てのものを非歴史的に構成した混合物だ。実証主義、論理、演繹と経験科学、資本主義、貨幣の権力、大衆文化、リベラリズム、およびファシズム。
 彼らの文化についての批判は-商業化された芸術の有害さについてそれ以来常識的なものになってきた正しい観察は別として-、文化の享受がエリートたちに留保されてきた時代への郷愁に満ちている。つまりそれは、大衆に対する封建的軽侮の気分をもつ、「ふつうの人間の時代」に対する攻撃だ。
 大衆社会は前世紀に、多様な地域から攻撃された。とりわけ、Tocqueville、Renan、Burkhardt およびNietzsche によって。
 ホルクハイマーとアドルノの新しさは、この攻撃を実証主義と科学に対する激しい批判と結びつけ、マルクスに従って、悪の根源を労働の分化、「物象化」および交換価値の支配のうちに感知することだ。
 しかしながら、彼らは、マルクスよりもさらに進んだ。彼らによれば、啓蒙主義の原罪は、人間を自然から切り離し、自然をたんなる利用の対象だとして扱い、その結果として、人間が自然秩序と同質化され、それと同じように人間が利用されている、ということにある。
 このような過程は、性質ではなく量的に表現することができるもののみにに関心を持ち、技術的目的に役立つようにした、科学にあるイデオロギーの反映だ。//
 (9)こう理解することのできる攻撃は、本質的にはロマン派的伝統のうちにある。
 しかし、著者たちは、頽廃状態から脱するいかなる方法も提示しない。どうすれば再び自然と親しい友人になることができるかを、あるいはどうすれば交換価値を排除して貨幣や計算なしで生活することができるかを、語らない。
 彼らが提示しなければならない唯一の解決策は、理論的な推論だ。そして、我々は、彼らがその主要な長所だと想定しているのは論理と数学による僭政からの解放なのではないか、と推察できるかもしれない(彼らは、論理は諸個人に対する侮蔑を意味する、と語る)。//
 (10)つぎのことは注目に値する。すなわち、社会主義者は資本主義は貧困を生み出すと公式には非難するけれども、フランクフルト学派がもつ主要な不満は、資本主義が豊かさを生み、多元的な欲求を充足させ、そうして文化の高次の(higher)形態にとって有害だ、ということにある。//
 (11)<啓蒙の弁証法>は、現代哲学に対するマルクーゼ(Marcuse)ののちの攻撃の全ての要素を含んでいる。価値の世界に関する実証主義的「中立主義」を主張し、人間の知識は「事実」によって統御されなければならないと強調することによって、全体主義に味方している、とする攻撃だ。
 この奇妙な反理(paralogism)は、経験的で論理的な規準の遵守を現状<status quo>への忠誠やあらゆる挑戦の峻拒と同一視するもので、フランクフルト学派の諸著作に繰り返して何度も現れる。
 かりにその想定する実証主義と社会的保守主義または全体主義(この著者たちはこの二つを同一のものだと見なす!)の間の連結関係を歴史に照らして検討するならば、明らかになってくる証拠は全く異なっている。すなわち、実証主義者たちはヒューム(Hume)以降、リベラルな伝統との親愛関係に入ったのだ。
 明らかに、上の両者の間には論理的関係はない。
 かりに科学的観察がその客体に対する「中立」性を保ち評価を抑制することが<現状>を擁護するということを意味するとすれば、精神病理学的観察は疾病の肯定を意味すると、そしてその疾病と闘ってはならないと、我々は主張しなければならなくなるはずだろう。
 医学と社会科学との間に重要な違いがあることは、認めよう(この論脈でのフランクフルト学派の者たちの論述は人間の知識の全てに当てはまるのだけれども)。
 社会科学では、観察それ自体が、それが社会の像全体を含めて行われるかぎり、主観性をもつ事柄(subject-matter)の一部だ。
 しかし、だからと言って、できる限り価値判断を抑制している科学者は社会的固定主義または社会順応主義者の代理人だ、ということになるわけではない。その科学者はそうであるかもしれないが、そうでないかもしれない。
 そうではなくて、科学者の観察が「外部的」だとか中立的だということからは、何も推論することはできない。
 一方でかりに、観察者が見方について何らかの実践的関心をもつという意味でのみならず、自分の認識活動を一定の社会的実践の一部だと見なしているという意味で「関係して」いても、その科学者は、多かれ少なかれ、特定の関心には通用力のあると見えるものは何であっても、真実だと理解するよう余儀なくされている。特定の関心とは、自分が一体化する、換言すれば発生論的で実用主義的な真実の規準を用いるような関心だ。
 かりに上の原理が適用されるならば、我々が知るような科学は消失し、政治的なプロパガンダに置き代えられてしまうだろう。
 疑いなく、多様な政治的利益と選好は、多様なかたちで社会科学に反映される。
 しかし、これを最小化するのではなくそうした影響を一般化しようとする規準的考え方は、科学を政治の道具に変えてしまうだろう。全体主義諸国家の社会科学について生じたように。
 理論的な観察と討議は、その自律性を完全に喪失するだろう。これは、別の箇所に示されているような、フランクフルト学派の執筆者たちが望んでいるだろうこととは反対のことだ。//
 (12)科学的な観察それ自体は目的(aims)を生み出さない、ということも本当のことだ。
 一定の言明または仮定が科学の一部になる条件を記述する規準の中に、すでに何らかの価値判断が暗黙に示されているとしてすら、このことは言える。
 科学的手続という神聖な規範は、もちろん、探求者が実際的な目的に役立つ何かを発見しようと欲していることによって、あるいは、彼の関心が何らかの実際的関係によって喚起されているということによって、侵害されることはない。
 しかし、事実と価値の二元論を「克服する」というふりをしつつ(多数のマルクス主義者と同じくフランクフルト学派の執筆者たちは絶えずこれを克服していると自負した)、科学の真実がそれが何であれ何らかの利益に従属しているならば、その規範は侵害されている。
これが単直に意味するのは、科学者が自分自身と一体化する利益に適合するものは何であっても正しい(right)、ということだ。//
 (13)経験的観察の規準は、中世遅くから以降のヨーロッパの精神世界で、数世紀の間に進化してきた。
 そうした発展は何がしかの程度で市場経済の広がりと結びついていた、ということは、確実には証明されていないけれども、あり得る。
 他のほとんどの主題と同様にこれにもとづいて、「批判理論」の支持者たちは、歴史的分析を欠いた、剥き出しの主張のみを行う。
 実際に歴史的な連結関係があるならば、そうした経験的観察規準は「商品フェティシズム」の道具であって資本主義の拠り所だ、ということにはまだ決してならないだろう。
 このような前提は全て、実際には本当に馬鹿げたものだ。
 我々がいま考察している執筆者たちは、ともかくも潜在的には、人間の本性からの需要を充足させる何らかの科学上のもう一つの選択肢がある、と考えたように見える。
 しかし、彼らはそれに関しては、何も語ることができない。
 彼らの「批判理論」は実際のところ、理論には誰も否定しようとはしない大きな重要性があるというだけの一般的言明にすぎない。あるいは、思考でもって「超越する」よう我々を誘導しようとする、そのような現存する社会に対する批判的態度のための釈明物と大した変わりがない。
 しかしながら、超越せよとの命令は、どの方向へと現存秩序は超越されるべきなのかを彼らが語ることができないかぎりは、無意味だ。
 この観点からすれば、すでに記述したように、正統派マルクス主義にはもっと独自性がある。正統派マルクス主義は少なくとも、いったん生産手段が公的に所有され、共産主義政党が権力を掌握するならば、わずかに若干の技術的な問題だけが普遍的な自由と幸福の前に立ちはだかるだろう、と主張しているのだから。
 このようなマルクス主義者による保障は、経験によって完璧に否定されている。しかし、我々は少なくとも、彼らが何を言いたいかがが分かる。//
 (14)フランクフルト学派の<啓蒙の弁証法>その他の書物は、産業社会での芸術の商業化や文化的産物の市場への依存という弱さに関して、多数の健全な指摘を含んでいる。
 しかし、著者たちがこのことが芸術全体や人々開かれた芸術の享受一般を頽廃させると主張するとき、彼らはきわめて疑わしい根拠しか持っていない。
 かりに主張がそのとおりだとすれば、例えば、18世紀のカントリー・フォークはある程度の高次の文化形態をもったが、資本主義が徐々にその形態を奪い、粗野で大量生産の対象物と娯楽へと変化させた、ということを意味するだろう。
 しかしながら、18世紀の田舎者たちが、現在の労働者たちがテレヴィジョンから提供される以上に、教会の儀式、民衆スポーツや舞踊のかたちで高次の文化形態を享受していた、というのは明瞭ではない。
 いわゆる「高次の」文化は消失していないが、かつて以上に、比べものにならないほどに入手しやすくなった。20世紀の劇的で形式的な変化を交換価値の支配によって全て説明することができる、と論じるのは、きわめて納得し難い。//
 (15)アドルノはその多数の書物で芸術の頽廃に言及し、現在の状況には希望がないと考えているように思える。つまり、芸術を再活性化してその適切な機能を果たさせることのできる力の淵源は存在していない、と考えているようだ。
 他方で、「肯定的」芸術があり、現在の状況を受け入れて、混沌しかないところに調和を見出すふりをしている(例えば、Stravinsky)。
 また一方には、抵抗する試みもあるが、現実世界に根ざしていないので、非凡な者たち(例えば、Schönberg)ですら現実逃避に走り、自分たち自身の芸術素材の自己満足的王国に閉じこもっている。
<アヴァン・ギャルド>運動は否定の運動だが、さしあたりは少なくとも、それ以上の何も生み出すことができない。
 それが我々の時代の本当のことだと言うのならば、大衆文化や偽の「肯定的」芸術とは違って、文化の破産を表現する、か弱くて気の滅入る真実なのだ。
 アドルノの文化理論の最後の言葉は、明らかに、我々は異議を申し立てなければならない、だがその申し立ては無駄になるだろう、というものだ。
 我々は過去の諸価値を取り戻すことができない。現在の諸価値は堕落して野蛮だ。そして、未来は何も与えてくれない。
 我々に残されているのは、全体的に否定する素振りをすることだけだ。そのまさに全体性によって、内容が剥奪される。//
 (16)これまで述べたことがアドルノの著作についての適切な説明であるならば、我々はそれをマルクスの思想を継承したものと見なすことはできない、というばかりではない。
 アドルノは、その悲観主義という動機でもって、マルクスと真反対に対立している。
 明確なユートピア像を描くのに失敗して、人間の条件に対する最終的な反応は、言葉にならないほどの嘆き声(inarticulate cry)でのみあり得るだろう。
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 第6節の表題は、<エーリヒ・フロム(Erich Fromm)>。

2023/L・コワコフスキ著第三巻第10章第5節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.372-p.376.
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第5節・「啓蒙主義」(enlightenment)批判①。

 (1)ホルクハイマーとアドルノの<啓蒙の弁証法>(Dialectic of Enlightenment)はばらばらでまとまりのない考察から成っているが、一種のシステムに還元することのできる若干の基礎的な思想を含んでいる。
 この書物は第二次大戦の末期に書かれ、ナツィズムの問題を中心にしている。著者たちの見方では、ナツィズムはたんなる悪魔的奇形物ではなく、人類が落ち込んでいる普遍的な野蛮状態を劇的に表現するものだった。
 彼らは、この頽廃状態の原因をまさに同一の価値、理想が恒常的に機能したことに求めた。また、人類をかつて野蛮さから脱出させた、「啓蒙主義」(enlightenment)という概念で要約される規準のそれにも。
 彼らはこれによって、この概念が通常は用いられる18世紀に特有の運動を意味させなかった。そうではなく、「人間の恐怖からの解放と人間の主権性の確立を意図する…進歩的思考という一般的意味」で用いた(<啓蒙の弁証法>p.3.)。
 「弁証法」は、ここではつぎのことに存した。すなわち、自然を制圧して神話の足枷から理性を解放する運動は、その内在的な論理によって、その反対物に転化する、ということ。
 それは実証主義、実用主義および功利主義のイデオロギーを生み、世界を純粋に量的な側面にのみ帰することによって意味を絶滅させ、芸術と科学を野蛮化させ、人類をますます「商品フェティシズム」に従属させてきた。
 <啓蒙の弁証法>は、歴史に関する論述書ではなく、多様な形態での「啓蒙的」理想の失墜を証明するための、手当たり次第に集められたかつ説明のない諸例の収集物だ。
 啓蒙主義に関する若干の序論的論及のあと、この書物には、オデッセイ、マルキ・ド・サド、娯楽産業および反ユダヤ主義に関する諸章が続いている。
 (2)啓蒙主義は世界にある神秘的なものからの人間の解放を追求し、神秘的なものは存在しないと宣言したにすぎない。
 それは、人間が自然を支配することを可能にする知識の形態を追い求め、そのために知識から意味を剥奪し、実質、性質、因果律といった観念を投げ棄て、事物を弄ぶという目的に役立つかもしれないもののみを維持した。
 啓蒙主義は、知識と文化の全体を統合し、全ての性質を共通の測量基準に貶めることを意図した。 
 そうして、その責任によって、科学に対する数学的基準の賦課や交換価値にもとづく経済、すなわち全種類の商品の抽象的な労働時間の総量への変形、の創出が生じた。
 自然に対する支配の増大は自然からの疎外を意味した。そして同様に、人間存在に対する支配の増大を意味した。
 啓蒙主義が生んだ知識の理論は、事物を支配しているかぎりで我々はその事物を知る、このことは物理の世界と社会の世界のいずれについてもあてはまる、ということを意味した。
 啓蒙主義が意味したのはまた、現実はそれ自体では意味を持たず、主体によってのみその意味を取り出すことができる、そして同時に、主体と客体は互いに完全に別々のものだ、ということだった。
 科学は、現実が生じる原因を-まるで神話的思考を掌る「反復の原理」を模倣するがごとく-一度ならず頻繁に発生する可能性をもつものに帰する。
 科学は、範疇のシステムの内部に世界を包み込み、個々の事物と人間を抽象物に転化させ、そうして全体主義のイデオロギー上の基礎を産み出す。
 思考の抽象性は、人間による人間の支配と手を携えて歩んだ。
「散漫な論理、観念領域での支配、が発展させた思想の普遍性は、現実的な支配にもとづいて打ち立てられている」(p.14.)。
 啓蒙主義はその発展形態では、全ての客体は自己認識できる(self-identical)と考える。 ある事物がまだそれではないものの可能性があるとの考えは、神話の痕跡だとして却下される。
 (3)世界を単一の観念システムで、そして生来の演繹的思考で包み込もうとする強い意欲は、啓蒙主義の最も有害な側面であり、自由に対する脅威だ。
 「なぜならば、啓蒙主義は他のシステムと同じく全体主義的(totalitarian)だからだ。
 それが真実ではないことは、ロマン派の対敵たちがつねに非難してきた点にあるのではない。分析的方法、要素への回帰、反射的思考による解体。
 そうではなく、啓蒙主義にとっては最初から過程(<Prozess>)がつねに決まっているということにある。
 数学的過程では未知のものがある等号上の未知の量になるとき、何らかの価値が差し挿まれる前ですら、そのことは未知のものをよく知られたものにしてしまう。
 自然は、量子論の前も後も、数学的に把握することができるものだ。<中略>
 全体として把握されかつ数式化された世界を予期されるように真実と同一視して、啓蒙主義は、神話に回帰することに対抗して身を守ろうと意図する。
 啓蒙主義は、思考と数学を混同している。<中略>
 思考はそれ自体を客観化して、自動的な、自己活性力のある(self-activating)過程になる。<中略>
 数学的過程は、いわば、思考の儀礼になる。<中略> そして、思考を事物、道具に変える。」
 (<啓蒙の弁証法>,p.24-p.25.)
 要するに、啓蒙主義は、新しいものを把握するつもりがないし、そうすることもできない。
 現在にあり、すでに知られているものについてのみ関心をもつ。
 しかし、啓蒙主義の思考規準とは反対に、思考とは、感知、分類および計算という実体のものではない。
 思考は、「連続的な即時物のそれぞれを決定的に否定すること」にある(<そのつどの即時的なものの明確な否定〔独語-試訳者〕>)(同上、p.27.)。-これを換言すれば、推察するに、存在するものを超えて存在する可能性があるものへと進むことに、ある。
 啓蒙主義は、世界を同義反復のものに変える。そうして、もともと破壊しようとしていた神話へと転換させる。
 思考を抽象的「システム」に編成されなければならない「事実」に関するものに限定することによって、啓蒙主義は現在あるものを、つまりは社会的不公正を、神聖化する。
 産業主義は人間的主体を「物象化」し、商品フェティシズムが全ての生活分野を覆っている。//
 (4)啓蒙主義の合理主義は、自然に対する人間の力を増大させる一方で、一定の人間の他者に対する力をも増大させた。そしてさらには、その有用性を長続きさせてきた。
 悪の根源は労働の分割で、それに伴った人間の自然からの疎外だった。
 支配することが思考の一つの目的になった。そして思考それ自体は、そのことによって破壊された。
 社会主義は、自然を完全に外部のものと見なすブルジョア的思考様式を採用し、それを全体主義的なものにした。
 このようにして、啓蒙主義は自殺的行路へと乗り出した。そして、救済の唯一の希望は、理論のうちにあるように見える。すなわち、「真の革命的実践<独語略-試訳者>は、社会が思考に対して許容する無意識状態(<Bewusstlosigkeit>)を物ともしない非妥協性にかかっている」(p.41)という考え方。//
 (5)<啓蒙の弁証法>によれば、オデッセイ伝説は、正確には完全に社会化されるがゆえに個人が孤立することの原型または象徴だ。
 主人公は自分を「Noman」と称することでCyclops から逃げ出す。すなわち、自分を殺すことで、その存在を維持する。
 著者たちは述べるのだが、「こうした死への言葉上の適応は、現代数学の図式を包含している」(p.60.)。
 一般的に言って、この伝説が示すのは、人間が自分自身を肯定しようとする文明は自己否定と抑圧によってのみ可能なものになる、ということだ。
 かくして、弁証法は、啓蒙主義のうちにフロイト主義の側面を持つようになる。//
 (6)18世紀の啓蒙主義の完全な縮図は、マルキ・ド・サド(the marquis de Sade)だった。この人物は、支配のイデオロギーを最高度の論理的帰結とした。
 啓蒙主義は人間を、抽象的「システム」の中にある反復可能で代替可能な(それによって「物象化」された)要素だとして扱う。これはまた、Sade の生き方が意味するところだ。
 啓蒙主義哲学のうちに潜在している全体主義思想は、人間の特性を交換可能な商品と同質化させる。
 理性と感情は、非人格的な次元にまでと貶められる。
合理主義的計画化は、全体主義のテロルへと退廃する。
 道徳性は、弱者が強者に対して自らを守るために、弱者によって策略(manoeuvre)だとして嘲弄され、侮蔑される(これはニーチェが予想したことだ)。
 伝統的価値は、理性と反目している、幻想だ、と宣告される。これは、デカルト(Descarte)による延長された実在と思考する実在への人間の二分にすでに暗示されている見方だ。//
 (7)理性、感情、主体性、性質および自然自体を数学、論理および交換価値という罪深い結合でもって破壊することは、文化の頽廃のうちにとくに看取される。その甚だしい例は、現代娯楽産業だ。
 商業的価値が支配する単一のシステムは、大衆文化の全ての分野を奪取してきた。
 全てのものが、資本の力を永続化することに奉仕している。-労働者が公平で高い生活水準を達成したり、人々が清潔な住居を見出すことができる、といったことですら。
 大量に生み出される文化は、創造性を殺している。
 そのことはそれへの需要によって正当化されはしない。需要それ自体が、システムの一部なのだから。
 ある時期のドイツでは、国家は少なくとも市場の作用に対する高度の文化形態を保護した。しかし、その時代は過ぎ去り、芸術家たちは消費者の奴隷になっている。
 目新しいもの(novelty)は呪いの対象だ。
 芸術作品の製作も享受も、あらかじめ計画されている。芸術が市場競争を生き延びるためには、そうされなければならないかのごとくに。
 このようにして芸術それ自体が、それがもつ生来の機能とは逆に、個人性を破壊したり、人間存在を個性を欠く画一的なもの(stereotype)へと変化させるのに、役立っている。
 著者たちは、慨嘆する。芸術はきわめて安価で入手しやすいものになった、その不可避性が意味するのは、芸術の頽廃だ、と。//
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 ②へとつづく。

2021/L・コワコフスキ著第三巻第10章第4節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.369-372.
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第4節・実存的「真性主義」(existential 'authenticism')批判。
 (1)実存主義(existentialism)は「物象化」批判に関してはフランクフルト学派の主要な競争相手で、哲学としてははるかに影響力をもった。
 ドイツの思想家はほとんどこの語を用いなかったが、それにもかかわらず、彼らの人類学的理論の意図は同じだった。すなわち、個人の自己決定意識とそれ独自の規範に適合させようとする殺伐とした社会的紐帯の間の対照さを、哲学的用語を用いて表現すること。
 かくして、マルクスによるヘーゲル攻撃と同様に、KierkegaardおよびStirnerには共通する要素、つまり現実の主観性(subjectivity)に対する非人格的「一般性」の優越に対する批判、があったので、マルクス主義者と実存主義者は、人間存在を社会的に決定された役割に限定して擬似自然的な諸力に従属させる社会システムを批判する点で、共通する基盤に立った。
 マルクス主義者たちは、ルカチに従って、事物のこういう状態を「物象化」と呼び、マルクスが行ったように、その原因は資本主義諸条件の平準器である貨幣がもつ全能的な効力にあると見なした。
 実存主義それ自体は階級闘争や所有関係のようなものの説明を行わなかったが、やはり基本的には発展産業社会の文化に対する抗議であり、その文化は人間諸個人を社会機能の総体に貶めてしまうと考えていた。
 「真性」(authenticity)または「本当の存在」(authentic being)(<本来性(Eigentlichkeit)>)という範疇はハイデガーの初期の著作では重要な位置を占めるもので、還元不能な個々の主体を、「非人格的な」(impersonal)という言葉で要約される殺伐とした社会的諸力に対抗するものとして、擁護しようとする試みだった(<人(das Man)>)。//
 (2)ドイツの実存主義者に対するアドルノの攻撃は、したがって完全に理解可能なものだ。すなわち、彼は、フランクフルト学派は「物象化」に対する唯一の闘争者だと主張し、「物象化」を批判しているように見える実存主義は実際にはそれを是認していることを証明しようとした。
 これは、<本来性(Eigentlichkeit)という術語: ドイツのイデオロギーについて>(1964年)の目的だった。彼はこの書物で、ハイデガーと、またヤスパースや場合によってはBuber 等々とも原理的に論争した。
 アドルノは、「物象化」という概念とそれが人間の交換価値への従属から帰結したものだとするマルクス主義者の見方を受け入れた。しかし、プロレタリアートを人類の救済者だとする考えは拒絶し、「物象化」を生産手段の国有化によって除去するこができると考えもしなかった。//
 (3)実存主義に対するアドルノの攻撃の主要な点は、つぎのとおりだ。
 (4)第一に、実存主義者は、特有の「霊力」でもって言葉の独立した力に対する魔術的な確信を掻き立てる、そのような欺瞞的な用語法を創り出した。
 これは内容に先立つ修辞上の技術であり、たんに深遠だと思われるために考案されたものだ。
 言葉の魔術は、「物象化」の真の淵源を分析することに代わるもので、まじない言葉でもってそれを除去することができることを示すものだと考えられている。
 しかしながら、言葉は現実には、還元不能な主観性を直接に表現することはできず、「本当の存在」を一般化することもできない。すなわち、「真性主義」という惹句を採用して、物象化から逃れたと信じることは全く可能だが、実際にはそれに従属したままだ。
 さらに加えて-これが本質的だと思われるが-、「真性主義」はきわめて形式的な惹句またはまじない言葉だ。
 実存主義者たちは、どのようにして我々は「真性的」になることができるのかを語らない。すなわち、我々は何であるかに満足しているのみだとすれば、抑圧者や殺人者はまさにそれであることによってその任務を履行している。
 要するに(アドルノはこうした言葉で表現しなかったけれども)、「真性主義」は何らかの特有の価値を意味してはおらず、それが何であれ何らかの行動で表現され得るものだ。
 もう一つの欺瞞的な観念は、決まり文句の機械的な交換に対抗するものとしての、「本当の意思疎通(communication)」という観念だ。
 真性の意思疎通を語ることによって、実存主義者たちは、思考を他者に表現することだけで社会的抑圧を是正することができる、こうして会話はその後に生ずべきこと(アドルノは、これが何であるかを説明しない)の代わりになる、と人々を説得しようとしている。//
 (5)第二に、「真性主義」は、いかなる場合でも物象化の救済方策にはなり得ない。なぜなら、その淵源、つまり商品崇拝主義(fetishism)と交換価値の支配に関心を持っていないからだ。
 「真性主義」は、誰もが自分の生活を真性的にすることができると提示する。しかし、全体としての社会は、物象化の魔術のもとにあり続けている。
 これは、共同的生活の条件に変化を何ら生じさせることなく個人の意識のうちに自由を実現することができるという幻想を魔術的に取り出すことによって、人々の注意をその隷属状態から本当の原因を逸らす、古典的な形態だ。//
 (6)第三に、実存主義の効果は、「非真性」の生活の全領域を、排除できないが自分自身の存在に限定された努力でのみ抵抗することのできる、そのような形而上学的実体として硬直化することにある。
 例えば、ハイデガーは、物象化された世界としての空虚で日常的な雑談について語る。しかし、彼はそれを永続的な特質だと見なしており、宣伝広告のために金銭を浪費しない理性的な経済では存在しないだろうということに気づいていない。//
 (7)第四に、実存主義は、注意を社会的条件から逸らすことによってのみならず存在を定義する態様によって、物象化を永続化させがちだ。
 ハイデガーによれば、個々の人間存在(<Dasein>)は自己所有と自己参照の問題だ。
 全ての社会的内容は真性さの観念からは排除され、その真性さは自分自身を所有したいとの意思から成り立つ。
 このようにして、ハイデガーは、現実には、人間の主観性を物象化し、外部世界とは関連性のない「自分自身である」という同義反復的状態へと貶める。//
 (8)アドルノはまた、言語の起源を探求しようとするハイデガーの試みも攻撃する。
 彼はこれを、過ぎ去った時代、田園的素朴さ等を称賛する一般的傾向の一部で、その結果として「血と土」のナツィ・イデオロギーと連関したものだ見なす。
 (9)アドルノの批判は、「ブルジョア哲学」に対するマルクス主義者の伝来的批判の線に沿ったものだ。つまり、実存主義は、物象化を批判するふりをしつつ、実際には、社会的諸問題を考慮の外に置き、「自分自身である」とたんに決定することで「本当の生活」を達成することができると個々人に約束することによって、物象化をさらにひどくする。
 換言すれば、反対しているのは、<本来性という術語>は何の政治綱領も含まない、ということに対してだ。
 これは正しい。しかし、同じことは、アドルノ自身の物象化や否定いう術語についても言えるだろう。
 我々は交換価値を平準化する圧力に従属した文明に対してつねに断固として抵抗しなければならないという前提命題は、社会的行動に関するいかなる特有の規則をも意味包含していない。
 正統派マルクス主義者については、事情は異なっている。彼らは、有害な諸帰結を伴う物象化は全工場を国家が奪取するならば終わるだろう、と主張する。
 しかし、アドルノは、このような結論をとくに拒否する。
 彼は、代替可能な社会はどんなものかに関する示唆を何ら与えないままで、交換価値にもとづく社会を非難する。
 そして、将来に関する青写真を提示することができない実存主義者たちに対する彼の憤激には、何か偽善的なところがある。//
 (10)アドルノはたしかに正当に、「真性主義」は結論や道徳的規則を導くことのできないきわめて形式的な価値だと語る。
 さらには、それを最高に価値があるものとして設定するのは危険だ。例えば、強制収容所の所長はそれとして行動することで、人間存在を完全に達成することができる、という考えに対抗する道徳的な保護策を、それは提供しない。
 言い換えると、ハイデガーの人類学は、価値の定義を何ら含んでいないかぎりで、非道徳的だ。
 しかし、「批判理論」は、よりよい状況にあるのか?
 たしかにそれは、基礎的諸観念のうちにとりわけ「理性」と「自由」を含んでいる。
 しかし、「理性」は些細な論理または経験的情報崇拝に拘束されることはない、ということ以外には、より高次の弁証法的形式での「理性」については、ほとんど何も語っていない。
 そして、「自由」に関しては、自由ではないものを主としては語るだけだ。
 その自由は、物象化を排除しないで悪化させるブルジョア的自由でも、マルクス=レーニン主義によって約束され、実現される自由でもない。その自由は、隷属だからだ。
 明らかに、これら以外の何か良いものがなければならない。しかし、それが何かを語るのはむつかしい。
 我々は、積極的意味でのユートピアを予期することはできない。
 我々が行うことができる最大のことは、否定的に現存する社会を超越することだ。
 かくして、批判理論が教えるものは、特定されない行動の呼びかけにすぎず、ハイデガーの「真性主義」と全く同様に形式的なものだ。//
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 つぎの第5節の表題は、<「啓蒙」批判>。

2017/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節④。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.366-369.
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第3節・否定弁証法(negative dialetics)④。

 (19)アドルノの見解では、弁証法に関するこれらの教えの全ては、明確な社会的または政治的な目標に役立つはずだ。
 実践的行為の規準は、これらから推論することができる。
 「正しい実践や善それ自体のためには、理論の最も進んだ状態ほどに権威があるものはない。
 善に関する思想が具体的な理性的定義を十分には経ないで意思を導くことが想定されているとすれば、その思想は無意識に、具象化された意識から、社会が是認しているという意識から、秩序を獲得するだろう。」(p.242.)
 我々はかくして、明瞭な実践的規則を得る。すなわち、第一に、進歩した(<fortgeschritten>)理論があるはずだ。第二に、意識は「具体的な理性的定義」によって影響を受けるに違いない。
 このようにして明らかにされる実践の目標は、交換価値に由来する物象化を排除することだ。
 なぜならば、マルクスが教えたように、ブルジョア社会では「個人の自律」は表面的なものにすぎず、生活の偶然性や市場の力への人間の依存を表現するものであるからだ。
 しかしながら、アドルノの論述から、物象化されない自由は何で構成されているのかを集約するのは困難だ。
 我々は、この「完全な自由」を叙述するにあたって、いずれにせよ自己疎外(self-alienation)に関する観念を用いる必要がない。疎外からの自由の状態は、あるいは人間の自分自身との完全な統合は、すでに従前のあるときに存在しており、その結果として自由は出発点に立ち戻ることで獲得することができる、と想定されているからだ。-これは、定義上は反動的な考えだ。
 我々に愉楽の自由と「物象化」の終焉を保障する、何らかの歴史的デザインを知らされる、ということもない。
 現在に至るまで、普遍的な歴史に関する単一の過程というようなものは存在してこなかった。「歴史は、連続と非連続の統合体なのだ」(p.320.)。//
 (20)<否定弁証法>ほどに不毛だという強烈な印象を与える哲学書は、ほとんどあり得ない。
 人間の知識から「究極的な根拠」を奪おうとしているのが理由ではない。それは、懐疑主義の教理だからだ。
 哲学の歴史には尊重に値する懐疑主義の著作があって、それらは破壊的熱情とともに優れた洞察に充ちていた。
 しかし、アドルノは、懐疑主義者ではない。
 彼は、真実に関する規準は存在しない、全ての理論は不可能だ、あるいは、理性は無力だ、とは言わない。
 彼は反対に、理論は可能で、不可欠だ、我々は理性に導かれなければならない、と語る。
 しかしながら、アドルノの議論は全て、「物象化」に陥らなくしては理論は最初の一歩を進むことができない、ということを示すに至る。そうして、どうすれば第二またはそれ以上の歩みを進むことができるのかが明瞭でない。
 単直に言って出発地点がない。そして、そのことを承認することが弁証法の最高の達成物であるかのごとく主張されている。
 しかし、アドルノはこのような重大な言明を明確に定式化してはおらず、また、諸観念や格言類を分析することで、このことを支持してもいない。
 他の多数のマルクス主義者たちによくあるように、彼の著作は論拠を示してはおらず、どこでも説明していない観念を使って<権威的に(ex cathedra)>論述しているだけだ。
 じつに、彼は、経験的であれ論理的であれ、何らかの究極的な「データ」は哲学に出発地点を与えることができるという趣旨の実証主義的偏見を明確に示すものとして、観念上の分析を非難する。//
 (21)結局のところ、アドルノの議論は、マルクス、ヘーゲル、ニーチェ、ルカチ、ベルクソンおよびブロッホ(Bloch)から無批判に借用した諸思想の雑多な集合物に行き着いている。
 ブルジョア社会の全機構は交換価値を基礎にしている、それは全ての質的相違を貨幣という共通の分母に還元している、という言明は、マルクスから取っている(これは、マルクスのロマン派的反資本主義の形式だ)。
 マルクスに由来するのはまた、歴史を超歴史的な<世界精神(Weltgeist)>に従属させ、人間個人に対する「一般的なもの」の優越を主張し、現実を抽象物に取り替え、そうして人間の奴隷化を永続させるものだ、とするヘーゲル哲学に対する攻撃だ。
 主体と客体というヘーゲルの理論に対する攻撃も、再びマルクスから来ている。その理論では、主体は客体を明確にするものと定義され、客体は主体的な構成物だとされ、そうして悪性の円環が生み出されてしまうのだ。
 (しかし、アドルノがこの円環からどう抜け出すのかは明瞭でない。彼は主体と客体のいずれについても絶対的な「優越性」を否定するのだから。)。
 他方で、進歩と歴史的必然性の理論およびのプロレタリアートを壮大なユートピアの基礎的な担い手だとする発想を拒否する点では、マルクスから離れている。
 ルカチに由来しているのは、世界の悪の全ては「物象化」という語で要約することができ、完全な人間は「事物」の存在論的地位を投げ棄てるだろうという見方だ。
 (しかし、アドルノは、「脱物象化」した状態とはどのようなものかを、ましてやそれをどうやって達成するのかを、語らない。)
 プロメテウス的主題と科学的主題はいずれも放棄されており、曖昧でロマン派的なユートピアしか残っていない。そのユートピアでは、人間は彼自身となり、「機構的な」社会的諸力に依存することがない。
 アドルノがブロッホから借用しているのは、我々は現実の世界を「超越する」ユートピアという考えを抱いており、この超越性の特別の利点は原理的に、現時点ではいかなる明確な内容ももち得ないことだ、という見方だ。
 ニーチェから来ているのは、「システムの精神」に対する一般的な敵愾心、真の賢人は矛盾を恐れず、矛盾のうちに知を表現する、そして論理的批判に予め備えている、という便宜的な考え、だ。
 抽象的な観念は変化し得る事物を硬直化させるという考えは、ベルクソンから来ている(アドルノはあるいは、そうした事物を「物象化」すると言うだろう)。
 アドルノ自身は他方で、何ものをも硬直化しない「流動的な」観念を我々は創ることができるという望みを与えている。
 アドルノがヘーゲルから取っている一般的考えは、認識過程には主体と客体、観念と感知、個別的なものと一般的なものとのそれぞれの間の恒常的な「媒介」がある、ということだ。
 アドルノは、これらの要素全てに、ほとんど並ぶものがない曖昧な解説を付け加える。すなわち、彼は、自分の考えを明瞭に説明しようと全く望まず、勿体ぶった一般的叙述で覆ってしまう。
 <否定弁証法>は、思考の貧困さを覆い隠す職業的な大言壮語の、模範となるべきものだ。
 (22)人間の理性的推論には絶対的な根拠はないという見方は、たしかに擁護することができる。多様な形態でこれを深めた懐疑主義者や相対主義者によって示されてきたように。
 しかし、アドルノは伝統的考えに何も付け加えないどころか、彼独特の用語法でもってそれを曖昧化している(主体も客体も「絶対化」することができない、絶対的な「優越性」はない、等々。)
 彼は一方では同時に、「否定弁証法」は社会的行動のための何らかの実践的帰結を生むことができる、と想定している。
 かりにアドルノの哲学から知的または実践的な規則を抽出しようとすれば、結局はつぎの教訓となるだろう。すなわち、「我々は、より集中的に思考しなければならない。だが、思考の出発地点は存在しないこともまた忘れてはならない」。そして、「我々は、物象化と交換価値に反対しなければならない」。
 我々が何ら肯定的なことを言えないことは、我々の過失でもアドルノの失敗でもない。そうではなく、交換価値の支配に原因がある。
 したがって、今のところは、我々は否定的にのみ、全体としての現存する文明を「超越する」ことができる。
 「否定弁証法」はこのようにして、左翼集団(left-wing groups)のための好都合なスローガンを提供した。彼ら左翼集団は、政治的綱領としての完全な破壊のための口実を探し求め、弁証法という秘伝の最高の形態だとしてその知的原始性を高く評価するのだ。
 しかしながら、このような態度を激励する意図をアドルノは持っていた、と責めるのは不公正だろう。
 彼の哲学は、普遍的な反乱を表現するものではなく、無力さと絶望の表現だ。//
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 第3節終わり。第4節の表題は、<実存的「真正主義」批判>。

2016/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節③。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.363-p.366.
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第3節・否定弁証法(negative dialetics)③。

 (15)ハイデガー(Heidegger)の存在論はこの状況を解消しないし、むしろさらに悪いものを提示する。
 哲学から経験論とフッサールの<形相(eidos)>を排除して、ハイデガーは、存在(Being)を把握しようとしている。-その存在は、彼の理解によれば、純然たる無(nothingness)だ。
 彼はまた、現象を「分離」し、それを明確化に至る過程の諸要素(aspects, <Momente>)だと考えることができない。そのようにして、現象は「物象化」されるのだ。
 フッサールに似てハイデガーは、「媒介」なくして個別的なものから普遍的なものへと進むことができる、あるいは省察することに影響を受けない形式で存在を理解することができる、と考える。
 しかしながら、これは不可能だ。すなわち、存在は主体によって「媒介される」のだ。
 ハイデガーの「存在」は構成されたもので、たんに「与えられた」ものではない。
 「我々は、思考による場合に、主体と客体の分離がただちに消失するいかなる立場も採用することができない。なぜならば、全ての思考において、この分離は本来的なものだからだ。分離は、思考それ自体の中に内在している。」(p.85.)
 自由は、生活の両極の間に生起する緊張関係を観察してのみ、探し出すことができる。しかし、ハイデガーは、この両極を絶対的な現実だと見なし、それらをそれぞれの宿命に委ねるのだ。
 彼は一方で、社会は「物象化」されなければならないと認める。換言すると、<現状>をそのまま承認する。
 他方でしかし、人間にとっての自由は既に得られているものであるかのように叙述し、そうして、隷属状態を承認する。
 彼は形而上学を救おうと試みているが、救済を目指しているのは「直近に現存するもの」だと間違って想定している。
 概して言えば、ハイデガーの哲学は、抑圧的社会に役立つ<支配学(Herrschaftswissen)>の一例だ。
 存在するものとの間の約束した聖餐式を行うために、諸観念を放棄しようと呼びかけている。-しかし、この存在には内容がない。その正確な理由は、諸観念の「媒介」なくしてもそれを把握することができる、と想定されていることにある。
 彼の哲学は、根本的には、「である(is)」という連結詞を実在化したもの(substantivization)にすぎない。//
 (16)可能なかぎり一般的な用語で語れば、〔上のような〕ハイデガーの存在論に対するアドルノの攻撃の主要点は、つぎのヘーゲルの主張にある。第一に、主体を形而上学的考究の結果から完全に排除することは決してできない。第二に、かりにこのことを忘れて主体と客体を両側に位置づけようとすれば、そのいずれをも理解することが絶対にできない。
 いずれもが、分離できない考察の一部だ。いずれにも、認識論上の優越性はない。それぞれが、他者によって「媒介」される。
 同様に、いずれかが絶対的に個別的なものだとする認識-これをハイデガーは<存在とJemeinigkeit(自己帰属性)>と呼ぶ-によって理解する方策は存在しない。
 一般的な諸観念の「媒介」なくしては、純然たる「ここにあるこの物」は、抽象物だ。
 それを考察から「引き離す」ことはできない。
 「しかし、真実は、つまり主体と客体とが相互に浸透し合う集合体は、ハイデガーが曖昧にしがちな主体性との弁証法的関係をもつ存在へと還元する以上には、主体性に切り縮めることができない」(p.127.)。//
 (17)アドルノが「否定弁証法」という語で意味させたいものを説明するのに最も役立つ文章は、つぎのものだ。
 「弁証法的論理は、ある意味では、それを排除する実証主義以上に実証主義的だ。
 思考しているとき、弁証法的論理は、その客体が思考(thinking)の規則を気に掛けない場合であってもいずれが思考されるべきもの-客体-なのかを尊重している。
 客体を分析するのは、思考の規則から脱するということだ。
 思考は、それ自体の規則適合性に甘んじている必要はない。それを放棄しても、我々は様々に思考することができる。かりに弁証法を定義するのが可能ならば、これは提示するに値する定義になるだろう。」(p.141.)
 弁証法は論理の規則に束縛される必要はないということ以上を、我々がこの定義から導出できる、とは思えない。
 我々は実際に別の文章で、もっと自由につぎのように語られる。
 「哲学は理性の真実(vérité de raison)から成るのでも、事実の真実(vérité de fait)から成るのでもない。
 哲学が語る何も、『存在する事実(being the case)』に関する感知可能な規準に屈従しはしないだろう。
 構成観念に関する諸命題は、事実性に関する諸命題が経験科学の規準に従属しているほどには、事実の論理的状態に関する規準に従属していない。」(p.109.)
 もっとよく分かる立場表明を想定するのは、実際のところ困難だろう。
 否定弁証法論者は、第一に、論理の観点からも事実の観点からも批判されることはあり得ない、と明確に述べる。それらの規準は自分たちとは関係がないと断定しているのだから。
 第二に、自分たちの知的および道徳的な優越性は、これらの規準をまさに無視していることにもとづく、と宣言する。
 そして第三に、この無視こそが実際に、「否定弁証法」の本質(essence)だ、と主張する。
 「否定弁証法」は単直に言って白紙の小切手であり、歴史によって署名され、裏書きされる。
 存在、主体および客体は、アドルノとその支持者たちのためにある。
 いかなる金額も書き込むことが可能で、何であっても有効で、論理の「実証主義的偏愛」や経験主義から絶対的に自由だ。
 思考は、弁証法的にその反対物へと変転する。
 このことを否定する者は、「一体性原理」の奴隷となる。これは、交換価値に支配された、ゆえに「質的な相違」を知らない社会を受容することをその意味に包含している。//
 (18)アドルノによると、「一体性原理」がきわめて危険な理由は、それがつぎのことを意味することにある。
 それは、第一に、分離されたものは全て経験的に存在するものだ、第二に、個別的な客体は一般的諸概念でもって見極めることができる、つまり抽象化に向かって分析することができる(これはアドルノは言及していないが、Bergson の考えだ)、ということを意味する。
 一方では、哲学の任務は、第一に、事物は現実に何であるかを確定することであって、たんにそれがどの範疇に帰属するかを確定することにあるのではない(アドルノはこの種を分析した例を挙げていない)。
 第二に、それ独自の観念に従えば、まだ存在に至っていなくともそれは何であるべきかを説明することだ(これはアドルノはこの論脈では言及していないが、Bloch の考えだ)。
 人間は自分を定義する方法を知っている。だが、社会は、人間にあてがう機能に一致するように様々に人間を定義する。
 これら二つの定義の仕方の間には、「客観的な矛盾」がある(ここでも例示はない)。
 弁証法の目的は、観念による事物の固定化に反対することにある。
 弁証法は、事物は決してそれらと同一視されない、という立場をとる。 
 弁証法は、否定の否定は肯定的なものへの回帰を意味すると想定することをしないで、否定を探し出す。
 弁証法は個別性を承認するが、一般性によって「媒介された」ものとしてのみそうするのであり、個別性の要素(aspect, <Moment>としてのみ一般性を承認する。
 弁証法は、客体のうちに主体を見る。逆もまた同様であり、理論のうちに実践を、実践のうちに理論を、現象のうちに本質を、本質のうちに現象を見る。
 弁証法は差違を理解しなければならないが、それを「絶対化」することはない。そして、何らかの特定の事物を最も優れた(par excellence )出発点だと見なすことはあり得ない。
 フッサールの先験的主体のような、一切何も前提としない見方というものは、存在し得ない。
 全てのものを含み、かつ全体と一体となる一つの精神(spirit)があり得るという思想は、全体主義体制における単一党という思想と同じく、馬鹿げた(nonsensical)ものだ。
 精神と物質のいずれに優越性があるかに関する論争は、弁証法的思考では無意味だ。なぜならば、精神や物質という観念はそれら自体が経験から抽象化されたものであり、それら二つの間の「根本的相違」なるものは、因習的約束事(convention)に他ならない。
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 ④へとつづく。

2014/L・コワコフスキ著第三巻第10節第3節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.360-3.
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第3節・否定弁証法(negative dialetics)②。
 (6)同じように、認識論上の絶対的なものはなく、挑戦不可能なただ一つの知の源泉もない。
 認識行為の「純粋な即時性」は、かりに存在するとすれば、言葉による以外には表現することができず、そしてその言葉は不可避的に、抽象的で合理化された形式をそれに付与する。
 しかし、フッサール(Husserl)の先験的エゴも、間違って構成されたものだ。なぜなら、知識の社会的起源から自由な直観的行為など存在しないのだから。
 全ての観念は究極的には非観念的なものに、自然を制御しようとする人間の努力に、根源がある。  どの観念も、客体の全内容を表現することはできないし、それと一体化することもできない。
 ヘーゲルの純粋な「存在」は、最後には「無」(nothingness)であることが分かる。//
 (7)アドルノが言うように、否定弁証法は一つの反システム(anti-system)だと称することができる。その意味では、ニーチェの立場と一致するように思われる。
 しかしながら、アドルノはさらに進んで、全ての実体の加工は我々に示されているその形式の「否定」であるのとまさに同じく、思考それ自体が「否定」だ、と語る。
 何かあるものは一定の性格のものだ、という言明ですら、その何かは別の性格のものではないと意味するかぎりで、否定的なものだ。
 しかしながら、これは、「否定性」を自明のこと(truism)に還元している。
 その意味で「否定的」でない哲学はどのようにして存在し得るのか、あるいはアドルノは誰に反対して議論しているのか、が明瞭でない。
 しかしながら、彼の主要な意図は、さほどに自明のことではないように見える。つまり、哲学の伝統的諸問題に明確な回答を与えるのではなく、現在あるような哲学を破裂させることに自らを限定することを目指しているように見える。その「実証主義」に対する力説によっては、それは<現状(status quo)>の、すなわち人に対する人による支配の受容に堕してしまうからだ。
 解放されるときのブルジョア的意識は、「封建的」思考様式と闘った。しかし、あらゆる種類の「システム」の破裂をもたらすことはできなかった。「完全な自由」を代表していると感じていなかったからだ。
-このようなアドルノの見方の観察からすると、彼は「システム」に対抗する「完全な自由」を支持している、と集約することができる。//
 (8)アドルノは、「一体性」および「実証性」を批判して、フランクフルト学派がマルクスから継承した伝統的な主題を継続する。
 すなわち、「交換価値」による支配に従属している個人と事物を共通する次元と等質的な無名さへと貶めている、そのような社会に対する批判だ。
 このような社会を表現して肯定している哲学は、現象の多様さ、あるいは生活の多様な諸側面の相互依存性を、公正に論じることができない。
 そのような哲学は一方では社会を等質化し、他方では人々と事物を「原子」へと貶めている。
 -これは、アドルノが観察するところの、論理がその役割を果たす過程だ。この点で彼は、今日的な論理の発展を無視する一方で論理を痛烈に非難する、近年のマルクス主義の伝統に忠実だ。//
 (9)科学も人間に対する一般的共謀の当事者だと思われる。科学は理性を可測性(measurability)と同一視し、全てのものを「量」に還元し、知識の射程範囲から質的な相違を排除しているからだ。
 しかしながら、アドルノは、用意されているまたは採用されるのを待っている、新しい「質的な」科学を提案することはない。//
 (10)彼の批判の結論は、相対主義を守ることではない。これもまた、「ブルジョア意識」の一つだからだ。
 相対主義は、反知性的(<geistesfeindlich>)で、抽象的で、間違っている。なぜならば、それが相対的だと見なすもの自体が資本主義社会の条件に根ざしているのだから。
 「言われるところの社会的相対性という見方は、生産手段の私的所有のもとでの社会的生産という客観的法則に従って動いている」(p.37.)。
 アドルノは、いかなる「法則」のことを指しているのかを語らないし、ブルジョア的論理に対する自分の侮蔑心に忠実に、彼の批判の論理的有効性を考察することもしない。//
 (11)彼は、「システム」の意味での哲学は不可能だ、全てのものは変化するのだから、と論じる。-これは、つぎのように詳論される言明だ。
 「まるで全ての真実を我々が保持しているがごとくに、その独自の不変性(invariance)が産み出されたものである(<ein Produziertes ist>)不変のものを、可変的なものから剝き外すことはできない。
 真実は実体と合体しており、それが変化していくのだ。
 真実の不変性(immutability)なるものは、<最初の哲学(prima philosophia)>の妄想だ。」(p.40.)//
 (12)一方で、諸概念は一定の自立性をもち、事物を複写したものとして出現しはしない。
 他方で、諸概念は事物と比較しての「優越性」をもつことはない。-これに同意するのは、諸概念は官僚制によるまたは資本主義的な統治を受け入れることを意味するだろう。
 「人間社会を敵対的に引き裂く支配の原理は、精神的に言えば、概念とその服従者(<dem ihm Unterworfenen>)の間の相違を引き起こすのと同じ原理だ。」(p.48.)
 そのゆえに、唯名論(nominalism)は間違いだ(「資本主義社会という観念は<気息(flatus vocis)>ではない」。-p.50n.)。
 観念上の実在論(realism)も、同様だ。
 観念とその客体は恒常的に「弁証法的」に関連しているのであり、そこでは「優越性」は抹消されている。
 同様に、知識をたんに「与えられた」ものとへと還元してしまう実証主義者の試みは誤っている。「思考の内容を脱歴史化(dehistoricize)」しようとしているのだから(p.53.)。//
 (13)反実証主義者たちによる存在論(ontology)を再構築する試みも、同様に疑わしい。なぜなら、そのような存在論は、-特定の存在論の教理では全くなく-<現状>のための釈明であり、「秩序」の道具だからだ。
 存在論の必要性は十分にある。ブルジョア意識は「実体的」観念を「機能的」観念に置き代えて、全てのものが他者に対して相対的でそれ自身の一貫したものがない諸機能の複合体だと社会を見なしてきたからだ。
 それにもかかわらず、存在論を再構築することはできない。//
 (14)読者はこの点で、他の多くの諸点でと同様に、アドルノはどのようにその諸命題を適用するつもりなのか、と不思議に思うかもしれない。
 かりに存在論とその欠如がともに悪いことで、いずれもが交換価値の擁護へと我々を巻き込みそうであるとすれば、我々はいったいどうすべきなのか?
 おそらくは、我々は決してこのような疑問を思いついてはならないのだ。だが、哲学的諸問題に我々は中立だと宣言しなければならないのか?
 アドルノはしかし、このいずれをも選択しないだろう。そうすることは新しい種類の屈服であり、理性の放棄なのだ。
 科学はそれ自身を信頼し、それ独自のではない他の方法を用いた自己に関する知識(self-knowledge)を探求するのを拒むがゆえにこそ、現存する世界のための釈明物にそれがなることを非難する。
 「科学の自己解釈は、科学の<自己原因(causa sui)>となる。
 科学は所与のものであって、そのゆえに現時点で存在する形式、作業の分割もまた承認する。長期的にはその形式が十分ではないことを覆い隠すことはできないけれども。」(p.73.)
 人文社会科学は、個別の諸研究に分散して、認識への関心を喪失し、観念という外装を剥ぎ取られている。
 科学に対して「外部から」来る存在論は、(ヘーゲルの句では)銃弾のごとく突然に出現する。そして、科学の自己知識を獲得する助けにはならない。
 結局のところ、我々は悪性の円環から逃れる方法を知ることがない。//
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 ③へとつづく。

2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。
 Identity は、原則として「一体性」と試訳している。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第3節・否定弁証法(negative dialetics)①。
 (1)私が知るかぎり、アドルノの思想、つまり<否定弁証法>を完全にかつ一般的に叙述し、また疑いなく適切に要約したものは存在しない。
 そのような要約はおそらく不可能で、アドルノはおそらくそのことをよく知っていて、意識的にそうしたのだろう。
 その書物は、二律背反を具現した物と称し得るかもしれない。
 それは、挙げられる例または論拠によって哲学的著作の執筆は不可能だと分かってしまう、そのような哲学作品だ。
 その内容を説明するのが困難なのは、明らかに意図的なきわめて難解な統語論(syntax)や、ヘーゲルと新ヘーゲル派の術語を世界で最も明瞭な言語であるかのごとく使いつつ説明しようとは全く試みていないこと、によるばかりではない。
 かりにその書物が文章的形式も完全に欠いていないとすれば、様式の意図的な曖昧さと読者に示す侮蔑感はまだ耐えられるものであるかもしれない。
 この点に、アドルノが初期のあるときは塑形的芸術に、のちに音楽と文学で示した無形式性が、哲学の分野に現れている。
 アドルノの著作を要約するのは、「反小説」の筋または行動絵画の主題を叙述する以上に不可能だ。
 絵画での様式の放棄は芸術の破壊につながらなかった、と疑いなく語ることができる。そうでなくて、実際には「逸話」に関連した作品から純粋な絵画を解き放った。
 そして同様に、言葉で成るものではあるが、小説や戯曲は、我々がJoyce 、Musil およびGombrowiczを何とか理解して読むことができる程度に、(決して完全にはなり得なかった)様式の喪失を乗り越えた。
 しかし、哲学的な叙述では、彼による形式の解体はきわめて高い程度に破壊的だ。
 Gabriel Marcel のように、言葉でもって瞬時に過ぎ去る「経験」を把握しようと著者が試みているのならば、耐えられるかもしれない。
 しかし、抽象化を行いつづけつつ、一方では同時に言説の無意味な形態だと強く主張している、そういう哲学者に耐えて読み続けるのは困難だ。//
 (2)このように留保したうえで、アドルノの議論に関する〔私の〕考えを提示してみよう。
 彼の書物を支配して表現されている主要なテーマは、例えば、つぎのような、カント、ヘーゲルおよび現象主義の論調に対する批判だ。
 哲学を支配するのはつねに、形而上学的にも認識論的にも、絶対的な出発地点の探求精神だ。その結果として哲学者自身の意図にもかかわらず、「一体性(identity)」、すなわち他の全てのものが究極的には還元される、ある種の本源的な存在の探求へと知らぬ間に巻き込まれてきた。
 ドイツ観念論や実証主義、実存主義や先験的現象主義も似たようなものだった。
 哲学者たちは、反対物の典型的で伝統的な「一対」-客体と主体、一般と個別、経験と観念、連続と不連続、理論と実践-を考察する際に、これかあれかの概念に優越性を認め、全てを叙述することができる様式的言語を生み出す、そのような方法でもって、それらを解釈しようとしてきた。全てのものが派生してくる普遍的なものの諸側面を見極める(identify)ために。
 しかし、これを行うことはできない。
 絶対的な「優越性」などは存在しない。哲学がかかわる全てのものは反対物に相互依存したものとして表れるのだ。
 (これはもちろんヘーゲルの考えだったが、アドルノはヘーゲルはのちにこれに忠実ではなくなったと主張した。)
 伝統的な様式で「優先的な」事物または観念を発見しようとし続ける哲学は、間違った路線上にあり、さらに加えて、我々の文明では全体主義的かつ順応主義的な傾向を強めている。何を犠牲にしても秩序と不変性を獲得しようと努めることによって。
 哲学は、実際には不可能だ。
 可能であるのは、恒常的な否定だけだ。すなわち、「一体性」を付与する単一の原理の範囲内に世界を限定しようとする全ての試みに対する、完全に破壊的な抵抗だ。//
 (3)このように概括すると、アドルノの思考は絶望的で不毛だと思われるかもしれない。しかし、不公正にそうしたとは〔私は〕思っていない。
 否定の弁証法(これは形而上学的理論になるだろう)ではなく、形而上学と認識論を明確に否定するものだ。
 アドルノの意図は、反全体主義だ。すなわち、特定の形態の支配を永続させるのに役立ち、人間という主体を「物象化」された形式へと貶める、そのような全ての思想に、彼は反対している。
 彼は、このような試みは逆説的な「主体性」をもつ、とくに実存主義の哲学では、と主張する。実存主義哲学は、絶対的な個人的主体を還元不能な実体として凝固させることによって、ますます人間の隷属化を進める社会関係の全てに対する無関心を生じさせる、と。
 外部にある全てのものを暗黙裡に受容することなくしては、単項的実存が優越性をもっているとは、誰も主張することができないのだ。//
 (4)しかし、マルクス主義もまた-この論脈ではその名は言及されていないけれども、とくにルカチの解釈では-、「物象化」批判という色彩のもとで、同じ全体主義的(totalitarian)傾向をもつ。
 「ヘーゲルおよびマルクスに残っている理論的不適切さは歴史的実践の一部になっており、かくして、実践の優越性に対して思想が非理性的に屈服するのではなく、改めて理論の中へと反映させることができる。
 実践それ自体が、著しく理論上の概念だった。」
 (<否定弁証法>, p.144.)
 アドルノはこうして、理論が解体されてその自立性を喪失させるものとして、マルクス主義=ルカチ主義の「実践の優越」を攻撃する。
 「一体性の哲学」に対する反対論がマルクス主義の反知性主義とその全てを吸い込む「実践」に向けられているかぎりで、彼は、哲学が存在する権利を擁護する。
 彼は、「いったん時代遅れになったと見えた哲学は、それが存在しないと気づかれたときに生きつづける」との言明でもって書物の最初を始めすらする(p.3.)。
 この点で、アドルノは明らかにマルクス主義から離れている。
 彼は、マルクスがプロレタリアートによる人間の解放と「生活」との一体化による哲学の廃棄を望んだのは現実的だったかもしれないが、そのときはもう過ぎた、と論じる。
 理論はその自立性を維持しなければならない。これはむろん、理論は絶対的な優越性を保持することを意味していない。
 「優越性」を持つものは何もなく、全てのものが他の全てに依存している。そして、同様の理由によって、全てのものが「実体性(substantiality)」に関するそれ自体の判断基準をもつのだ。
 「実践」は理論の任務を遂行することができない。そして、かりにそう求めるならば、実践はすぐに思考の敵になる。//
 (5)かりに絶対的な優越性をもつものがないとすれば、アドルノの見解では、理性を用いて「全体(the whole)」を包摂しようとする全ての試みは非生産的で、神秘化という教条に奉仕することになる。
 このことは、実証主義者ならば主張したかもしれないが、理論は個別の科学へと解消しなければならないことを意味していない。
 理論は不可欠のものだ。しかし、さしあたりはそれは否定(negation)以外の何ものにもなり得ない。
 「全体」を把握しようとする試みは、全てのものの究極的な一体性という同じ信仰的忠誠精神にもとづくものだ。
 哲学が全体は「矛盾している」と主張するとき、哲学は、「一体性」に関する間違った見方をしている。そして、それはきわめて強力なので、「矛盾」は、普遍的世界の最終的な創造が主張されるときにはその道具にすらなってしまう。
 真の意味での弁証法は、かくして、たんに「矛盾」を探求することではなく、全ての事物を説明する図式(schema)だと見なしてそれを受け入れることを拒否することだ。
 厳密に言えば、弁証法は方法でも世界の描写でもなく、存在する記述的図式の全てに、そして普遍性を装っている方法の全てに、繰り返して反対する行為だ。
 「矛盾の全体は、一体化の全体が真実ではないことを明らかにしているものに他ならない」(p.6.)。//
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 ②以降へとつづく。
 下は、L・コワコフスキ著第三巻分冊版のドイツ語Paperback版訳書(1979年初版の1989年印刷版)の表紙。

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2011/L・コワコフスキ著第三巻第10章第2節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第2節・批判理論の諸原理(principles)②。
 (7)分かるだろうように、「批判理論」の主要な原理はルカチ(Lukács)のマルクス主義だ。但し、プロレタリアートがない。
 この相違は、この理論をより柔軟でかつ教条的でないものにしているが、それを曖昧でかつ一貫していないものにもしている。
 ルカチは、理論をプロレタリアートの階級意識と同一視し、ついでそれを共産党の知見と同一視することによって、彼の真実に関する規準を明確に定めた。すなわち、社会を観察する際には、真理は自然科学にも有効な一般的科学の規準を適用すること以上に進んではならず、その発生源でもって明らかにされるものだ。
 共産党が誤謬に陥ることは、あり得ない。
 このような発生起源論は少なくとも、真理が一貫しており完全に明確だ、という長所をもつ。
 しかし、発生論的規準がどのようにして理論の知的自立性と結合されるのか、どこからその正しさを統御する規則が生じてくるのか、を批判理論から知ることはできない。なぜなら、批判理論は「実証主義」的規準を拒み、かつプロレタリアートとの自己一体視も拒否しているからだ。
 一方では、Horkheimer は、思考するのは人間であってエゴ(自我)や理性ではないというフォイエルバハ(Feurebach)の言明を繰り返す(「現在の哲学での合理性論争」1934年で)。
 そうすることで彼は、科学的手続に関する規準と科学で用いられる蓄積された観念はいずれも歴史の創造物であって実際的な必要性の所産だ、そして知識の内容はその発生起源と分離することができない-換言すれば、先験論的主体は存在しない-、ということを強調する。
 これにもとづけば、理論は「社会進歩」のためにあるならば「善」だまたは正しい、あるいは、知的な価値はその社会的機能によって明らかになる、ということになりそうに見える。
 他方で、しかし、この理論は現実<に対する>自立性を維持するものと想定されている。
 その理論の内容は、現存するある運動との何らかの一体視に由来するものであってはならず、社会階級は言うまでもなく、人間という種の観点からすらしても、実用主義的(pragmatistic)であってはならない。
 ゆえに、どのような意味で「真実だ」と主張しているのかは、明瞭ではない。現実をそのままに叙述するがゆえになのか、あるいは「人間の解放のために奉仕する」がゆえにか?
 Horkheimer が提示する最も明確な回答は、おそらく、つぎの文章のようなものだろう。
 「しかし、開かれた弁証法は真実の痕跡を失うことがない。
 人が自分の思考、あるいは他人の思考に限界や一方性のあることに気づくことは、知的な過程の重要な側面だ。
 ヘーゲルも唯物論者の彼の継承者も、批判的で相対主義的接近方法は知識の一部だということを正しく強調した。
 しかし、自分自身の確信は確かだとか肯定できるとか考えるためには、観念と客体の統合が達成された、あるいは思考は終点に到達することができる、と想定する必要はない。
 観察と推論、方法論的検討や歴史的出来事、全ての作業と政治的闘争、こうしたものから得られる結果は、我々が用いることのできる認識手法に耐えることができるならば〔この句のドイツ語原語は省略-試訳者〕、真実だ。」
 (「真実の問題について」同上、第一巻p.246.)
 この説明には不明瞭なところがない、というわけでは全くない。
 社会環境がどのようなものであれ、批判理論は最終的には経験的な正当性証明の規準に従うものであり、それに従ってその真偽が判断される、ということをかりに意味しているとすれば、認識論的には、この理論が「伝統的」と非難する諸理論と何ら異ならない。
 しかしながら、かりに何かそれ以上のことを、すなわち理論が真実であるためには経験上の吟味に耐え、かつ同様に「社会的に進歩的」でなければならない、ということを意味しているのだとすれば、Horkheimer は、二つの規準が衝突している場合にはどうすべきかを我々に語ることができない。
 彼はたんに、「前(supra)歴史的」なものではない真実や知識の社会的条件、あるいは観念とその客体の間の「社会的媒介項」と彼が称するもの、に関する一般論を繰り返しているにすぎない。 
 Horkheimer は、この理論は「静態的」でない、主体と客体のいずれも絶対化しない、等々と請け負う。
 全く明らかなのは、「批判理論」はルカチの党教条主義を拒み、正当性証明に関する経験的規準を承認することも一方では拒んで、理論としてのその地位を主張しようとしていることだ。
 言い換えると、批判理論は、それ自体の曖昧さのおかげで存立している。//
 (8)このように理解される批判理論は、明確なユートピアを構成することはない。
 Horkheimer の予言は、ありふれた一般論に限定されている。すなわち、普遍的な幸福と自由、自分の主人となる人間、利潤と搾取の廃棄、等々。
 「全てのもの」は変化しなければならない、社会改良ではなく社会変革の問題だ、と語るが、どのようにしてこれを行うのか、あるいは何が実際に生じるのだろうか、については語らない。
 プロレタリアートはもはや歴史の無謬の主体とは位置づけられない。その解放は依然として、この理論の目標であるけれども。
 しかしながら、この理論は一般的解放のための有効な梃子だと自らを主張しないがゆえに、思考の高次の様式であって人類の解放に寄与するだろうという確信だけを除いて、明瞭に残されているものは何もない。//
 (9)社会の選好と関心に関してHorkheimer が述べていることは、社会に関する多様な理論が用いる観念上の諸装置にすでに含まれていた。そして、確かに本当のことだが、彼の時代ですら新しくはなかった。
 しかし、社会科学は異なる利益と価値を反映する、ということは、Horkheimer がそう(ルカチ、コルシュおよびマルクスに従って)考えたと思われるように、経験的判断と評価的判断の相違は超越された(transcended)ということを意味していない。
 (10)「批判理論」は、このような意味で、プロレタリアートとの自己一体視を受け入れることなくして、真実に関する階級または党の規準を承認することなくして、マルクス主義を保持しようという一貫した試みだった。また、このようにマルクス主義を縮減すれば生じる困難さを、解消しようともしなかった。
 批判理論はマルクス主義の部分的な形態であり、それが無視したものを補充することがなかった。//
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 第2節おわり。次節・第3節の表題は、<否定弁証法>。

2010/L・コワコフスキ著第三巻第10章第2節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.352-p.355.
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第2節・批判理論の諸原理(principles)①。
 (1)「伝統的」理論に対する意味での「批判的」理論の規準は、Horkheimer の1937年の綱領的論考で定式化された。その主要なものは、以下のとおりだ。
 (2)現在までの社会現象の研究では、つぎのいずれかを前提として想定するのがふつうだった。第一は、社会現象研究は推論に関する通常の規則にもとづかなければならず、可能なかぎり量的に表現される、一般的観念や法則を公式化することを意図しなければならない、というものだ。第二は、現象主義者たちが考えるもので、経験的な結果から独立した「本質的」法則を発見するのは可能だ、というものだ。
 上のいずれの場合も、観察の対象となる事物の状態は、それに関する我々の知識から切り離されている。ちょうど、自然科学の研究主題が「外部から」与えられるように。
 知識(knowlege)の発展はそれ自体の内在的論理によって統御される、そして何らかの理論が他の理論のために無視されるとすれば、前者には論理的困難さがあるか、経験上の新しいデータと合致しないことが分かったからだ、とも想定されてきた。
 しかしながら、現実には、社会的変化は理論に変化を与える最も強力な要因だ。
 科学は、生産に関する社会過程の一部であり、その変化に応じて変化を受けざるを得なかった。
 ブルジョア哲学は、人々が知識の社会的由来や社会的機能を認識することを妨げる、そのような多様な先験論的(transcendentalist)諸教理でもって、科学とは別個に、誤りへと導く信念を表現してきた。
 ブルジョア哲学はまた、科学が与えることのできない評価的判断を要するがゆえに、凌いだり批判したりするのではなくて世界を叙述する、そのような活動だとして、知識に関する像を主張した。
 科学の世界は、観察者が一定の秩序へと切り縮めようとする、既製の事実の世界だった。まるで、そうした事実を感知すること(perception)は、その内部で生起する社会的外殻とは全く独立しているかのごとくに。//
 (3)しかしながら、批判理論にとって、そのような意味での「事実」は存在しない。
 感知を、その社会的発生源から切り離すことはできない。
 感知もその対象のいずれも、社会的で歴史的な産物だ。
 個々の観察者は客体<に対して>受動的だが、しかし、全体としての社会は過程のうちにある能動的な要素だ。無意識にそうであるかもしれないけれども。
 確定される事実は、考察者が用いる観念上の諸道具を修繕する人間たちの集団的な実践によって、部分的には決定される。
我々が知る対象たる客体は、部分的には諸観念と集団的諸実践の産物だ。そうした起源に気づいていない哲学者たちは、前個人的で先験論的な意識へと自らを間違って硬直化させている。//
 (4)批判理論は、社会観察者の一形態だと自らを見なし、そのような自分たちの機能と起源を自覚している。しかし、そうであっても、言葉の真の意味での理論ではない、と意味させているのではない。
 この理論の特有の機能は、つぎのことにある。すなわち、現存する社会-労働の分割、知的活動に割り当てられる場所、個人と社会の区別等々-にある規準は、自然で不可避のものだと、伝統的理論がそうするようには、単純に理解することを拒否すること。
 批判理論は、社会を全体として理解しようと追究する。そしてその目的のためには、ある意味では社会の外部の立場をとらなければならない。一方では、自らを社会の産物だと見なすのだけれども。
 現存社会は、その社会の構成員の意思とは別個の「自然の」所産のごとく行動する。そして、このことを理解することは、構成員たちが被っている「疎外」を認識することだ。
 「批判思考は、本当に緊張状態を超越し、かつ個人の合目的性、自発性および合理性と社会の基礎である労働の条件の間の対立を除去すべく努める、という動機をいまや有している。
 これは、人間はこの自己一体性(identity)を回復するまでは自分自身と対立する、という観念をもつことを、その意味に包含する。」
 (A. Schmidt 編, <批判理論>第二巻, p.159.)
 (5)批判理論は、知識に関する絶対的な主体は存在しないこと、その過程は実際には社会の自分に関する知識なのだが、主体と客体は社会に関するその思考の過程でまだ合致していないこと、を承認する。
 この合致は、将来のことだ。しかし、それは将来のたんなる知的な進歩の結果ではなくて、社会生活から擬似自然的な「外部」性を剥ぎ取ることによって人間を再びその運命を宰どる主人に変える、そのような唯一の社会過程の結果だ。
 この過程は、理論の性質に、また思考の機能およびその客体との関係に生じる変化を含んでいる。//
 (6)これから見るように、ここでのHorkheimer の見解は、ルカチ(Lukács)のそれに近い。すなわち、社会に関する思考はそれ自体が社会的事実であり、理論は不可避的にそれが叙述する過程の一部になる。
 しかし、重要な違いは、つぎのことにある。
 ルカチは、歴史に関する主体と客体の完全な統合は、したがってまた社会的実践とそれを「表現する」理論の統合は、プロレタリアートの階級意識の中で実現される、そのことからして、観察者のプロレタリアートの階級観(つまり共産党の方針)との自己一体化は理論的な正しさ(correctness)の保障となるということになる、と考えた。
 Horkheimer は、プロレタリアートの状態は知識の問題では何の保障をも提供しないと宣告して、これを明示的に拒否する。
 批判理論はプロレタリアートの解放に賛成だが、プロレタリアートが自立性を保持するのも望む。そして、プロレタリアートの見地を受動的に受容すると決することを拒む。
 そうでなければ、批判理論は社会心理学に、所与のときに労働者が考えたり感じたりすることをたんに記録することに、変質するだろう。
 正確にいえば「批判的」であるがゆえにこそ、理論は、全ての現存する社会意識の諸形態<に向かいあって>自立したままでなければならない。
 理論は、より良き社会を創造しようとする実践の一側面だ。
 理論は戦闘的性格をもつが、単純に現存の闘争によって作動するのではない。
 社会システムの「全体性」に対するそれの批判的態度は、理論上の発見物に重ねられた価値判断の問題ではなく、暗黙のうちにマルクスから継承されている、観念上の諸装置のうちにある。つまり、階級、搾取、剰余価値、利潤、貧困化のような諸範疇は、「その目的が社会を現状のままに再生産することではなく正しい(right)方向へと変革することである観念体系全体のうちの諸要素だ」(同上、p.167.)。
 理論はかくしてそれ自体の観念上の枠組みにおいて、能動的で破壊的な性格をもつ。しかし、現実のプロレタリアートの意識とは反対になり得るということを考慮しなければならない。
 批判理論は、マルクスに従って、抽象的諸範疇を用いて社会を分析する。しかし、いかなるときでも批判理論は、理論<として(qua)>、それが描写する世界の批判論であり、その知的行為は同時に社会的行為であり、かくしてマルクスの意味での「批判」である、ということを忘却していない。
 それの研究主題は、単一の歴史社会だ。すなわち、人間の発展を妨害し、世界を野蛮さへの回帰でもって脅かしている現在の形態での、資本主義世界だ。
 批判理論は、人間男女が自分自身の運命を決定し、外部的な必然性に服従しないもう一つの社会を展望する。
 そのようにして、批判理論は、そのような社会が出現する蓋然性を増大させるのであり、かつこのことに気づいている。
 将来の社会では、必然性と自由の間には何の違いも存在しなくなるだろう。
 この理論は人間の解放と幸福および人間の能力と必要に適応した世界の創造に奉仕する。そして、人類は現存する世界で他の者たちが表明している以上の潜在的能力をもつ、と宣言する。//
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 第2節②につづく。

2009/L・コワコフスキ著第三巻第10章第1節③。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章・第1節の試訳のつづき。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第1節・歴史的・伝記的ノート③。
 (11)ドイツ文化に対して惨憺たる影響を与えたナツィズムの勝利によって、当然のこととしてフランクフルト学派の関心は、全体主義の驚くべき成功の心理学的および社会的な原因を考究することへと向かうことになった。
 ドイツとのちのアメリカ合衆国のいずれでも、研究所は、権威を望みその権威に服従する用意のあることを示した民衆の心理を研究する目的で、経験的な研究を行った。
 1936年の共著<権威と家族に関する研究>はパリで出版されたが、経験的観察とともに理論的な検討にもとづくものだった。
 これの主要な執筆者は、Horkheimer とFromm だった。
 Horkheimer は、家族の権威の消失と転移およびそれに対応した個人の「社会化」過程での政治制度の重要性の増大という趣旨で、権威主義的諸装置の成長を説明しようとした。
 Fromm は、心理分析の観点から権威への欲求を解釈した(サドマゾヒズム性)。
 しかしながら、Fromm は、本能と共同的生活の必要の間の不可避の対立あるいは文化の永続的な抑圧的役割に関する、フロイトの悲観主義を共有しなかった。
 フランクフルト学派の執筆者たちは、ナツィズムという現象に多様な側面から光を照らし、その心理学的、経済的および文化的根源を発見しようとした。
 Polleck は、国家資本主義という観点でナツィズムを議論した。彼はこれのもう一つの例を、ソヴィエト体制に見ていた。すなわち、この二つの体制は、国家が指令する経済、国家主義傾向、および強制力による失業の排除にもとづく支配と抑圧という、新しい時代を予兆している、と。
 ナツィズムは従来の資本主義を継続させたものではなく、経済が自立性を剥奪されて政治に従属する、新しい形成物だ。
 この学派のほとんどの執筆者たちは、現今の趨勢、つまり個人に対する国家支配の増大、社会関係の官僚主義化を見ると、個人の自由と本当の文化の見込みは乏しい、と考えた。
 ナツィとソヴィエトは歴史の逸脱ではなく、世界的な動向の兆候だ、と彼らは考えた。
 しかしながら、Franz Neumann は1944年の書物で、より伝統的なマルクス主義的見方を採用した。すなわち、ナツィズムは独占資本主義の一形態であり、その〔独占資本主義〕システムとの典型的な「矛盾」に巧妙に対処することはできないので、その存続期間は必然的に限られている。//
 (12)フランクフルト学派はアメリカで、全体主義体制の特徴である心理、信条および神話を生み出して維持する原因を明らかにすべく、社会心理分析の研究書を出版し続けた。
 これらの中に、反ユダヤ主義に関する一巻本やAdornoらの投影検査法や質問書にもとづく共著<権威主義的人格(The Authoritarian Personality)>(1950年)も含まれていた。
 これは権威を歓迎し崇敬する傾向にある異なる人格的特質の相互関係、およびこれらの特質や階級、養育、宗教のような社会的変数の存在と強さの連結関係に関する研究書だった。//
 (13)Adorno とHorkheimer は生涯にわたってきわめて活動的で、戦後のアメリカとドイツで諸著作を出版し、フランクフルト学派の古典的な文書だと見なされている。
 それらの中には、共著<啓蒙の弁証法>(1947年)、Horkheimer の<理性の腐食>(1947年)および<道具的理性批判について>(1967年)がある。
 Adorno には音楽学に関する多数の書物があるが(<新しい音楽の哲学>1949年、<不協和音-管理社会の音楽>1956年、<楽興の瞬>1966年)、この学派の哲学的概括書である<否定弁証法>(1966年)、実存主義批判書(<本来性という術語-ドイツのイデオロギーについて>1964年)、さらにはそのうちいくつかが<プリズメン(Prismen)>(1955年)に収載された文化理論に関する小論考も、出版した。
 彼はまたScholem と一緒に、二巻本のベンヤミン著作集(1955年)を編集した。
 Adorno の未完の<美の理論>は、死後の1973年に刊行された。
 上記のうち三つの英訳書(<啓蒙の弁証法>、<否定弁証法>、<本来性という術語>)も、1973年に出版された。//
 (14)私は、以下の諸節では、「批判理論」の主要点のいくつかを、年次的順序と無関係に、もっと十分に叙述する。
 Adorno の音楽理論は考慮外にしよう。重要でないという理由によってではなく、この分野についての私の能力のなさによる。//
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 第2節につづく。表題は、<批判理論の基本的考え方(principles)>。

2008/L・コワコフスキ著第三巻第10章第1節②。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章・第1節の試訳のつづき。
 分冊版、p.347-p.350.  合冊版p.1065-1067. 一部について、ドイツ語版も参照した。
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 第3巻/ 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第1節・歴史的・伝記的ノート②。
 (7)実証主義の現象主義的立場と闘う際に、フランクフルト学派は青年マルクスの歩みをたどり、同じ関心によって刺激されていた。
 彼らの目的は、人は実際に何であり、真の人間性(humanity)のための必要条件は何であるかを確認することだった。-これは経験的に観察することも恣意的に決定することもできない、そして発見しなければならない、本質的な目標だった。
 この学派のメンバーたちは、人間のまさにその人間性という理性によって何かのある物の原因は人間に由来すると、そしてとくに、人間は幸福と自由へと至る資格があると、考えたように見える。
 しかしながら、彼らは、人間性は労働の過程で実現される、あるいは労働それ自体が現在または将来に「人間性の本質」を明らかにしてそれを完璧なものにする、という青年マルクスの考え方を、拒む傾向にあった。
 こうした議論では、人間性というパラダイム(paradigm)を忠実に追求することがどのようにして人間は歴史でのその自己創造によって決定されるという考えと調和することになるのかが、いっさい明瞭ではない。
 知的な活動は歴史的実践という束縛を超えることができないという言明がどのようにして、「全世界的(global)な」批判を要求することと一致するのかも、明らかではない。そのような批判では、実践の全体性は理論または理性と対立するのだ。//
 (8)批判的理論のこうした全ての要素は、すでに1930年代にHorkheimerに存在している。Marcuse やAdorno におけると同じように。
 Adorno は、主体性と客体の問題を、そしてとりわけKierkgaard の哲学分析や音楽批判の論脈で、「物象化」の問題を研究した。
 独占資本主義のもとでの芸術の商品性は、彼につねにあった研究主題だった。
 彼には、ジャズ音楽は全体として、頽廃の兆候であると思えた。
 主要な論点は、大衆文化での芸術は「否定的」機能を、すなわち現存する社会の上にありかつそれを超えるユートピアを再現するという機能を喪失している、ということだった。
 彼が反対したのは芸術の政治化というよりもむしろ、それとは逆に、受動的で無神経な娯楽のために芸術の政治的機能が減少することにあった。//
 (9)Walter Benjamin の著作を、マルクス主義の歴史の観点から完全に要約することは不可能だ。
 哲学および文学批判に関するその多数の著作の中には、マルクス主義の系譜を示すものはほとんどない。
 にもかかわらず、彼は長きにわたって、彼が独特に理解した意味での歴史的唯物論の支持者だった。そしてときには、共産主義にも共感を示した。共産党には加入しなかったけれども。
 Benjamin は、マルクス主義とは何の共通性もない、あらかじめ作り上げていた彼自身の文化に関する理論にもとづいて、歴史的唯物論を把握しようとしたと思える。
 彼の親友でユダヤ教の歴史に関する当時の最大の権威の一人だったGershom Scholem は、Benjamin はきわめて強い神秘的性向の持ち主で、終生にわたってマルクスをほとんど読まなかった、と強調している。
 Benjamin はつねに言葉の隠された意味に関心をもち、これに関連して、秘儀(cabbala)や魔術の言葉、および言葉の起源と作用に関して、関心を強めた。
 彼は、歴史的唯物論を歴史の秘密の意味を解くことのできる暗号符だと捉えたように見える。しかし彼は、自分が考察する際の歴史的唯物論の教理は、人間の行動を自然のうちに存在する一般的な「擬態的」衝動と結びつける、そういうもっと一般的な理論の特殊な場合または一つの適用例だと考えた。
 いずれにせよ、彼の歴史に関する考察は一般的な進歩理論あるいは歴史的決定論とは何の関係もなかった。
 それに対して彼を魅惑したのは、歴史、神話学および芸術のそれぞれにある一回性と頻出性の弁証法だった。
 共産主義が彼を惹き付けたと思われるものは、歴史の規則性という信条ではなく、むしろ歴史の非連続性の思想だった(そのゆえに彼のSorel への関心も生じた)。
 死の数カ月前に書いた<歴史概念論(Thesen über den Begriff der Geschichte)>で、彼は、歴史という河の流れに沿って泳いでいるという確信ほどにドイツ労働者運動にとって破壊的なものものはない、と述べた。
 彼の見解によると、とくに有害で疑わしいのは、利用する対象だと自然を見てそれを進歩的に制圧する過程が歴史だとするすマルクス主義の諸範型だった。-これに彼は、技術者支配(テクノクラート、tecnocratic)のイデオロギーの匂いを嗅いだ。
 同じ上の書物で、彼は、歴史は構成物であり、その意味で空虚な、未分化の時間ではなく、<今(Jetztzeit)>で充ち満ちたものだ、と書いた。-現在に絶えず再生される、過ぎ去ったものの出現だ。
 消え去らない「現在性」(presentness)というこの問題は、彼の著作のいくつかの箇所で現れる。
 Benjamin は、過去の永続性について強く保守的な感情をもち、その感情を歴史の非連続性という革命的信条と合致させようと努めた。
 彼はこの後者の歴史の非連続性の考えを、マルクス主義の教理とは反対に、真に内在的な終末(eschatology)は不可能だと考えて、ユダヤ的救世主(Messianic)伝統と結びつけた。
 そして、<終末日>(eschaton)は出来事の推移の自然な継続として現在に出現するのではなく、時間の空隙を通じて救世主(Messiah)の降臨として出現する、という見解を抱いた。
 しかし、歴史の非連続的で厄災的な性格は、意味を生む力を過去から取り去ることはできない。
 Benjamin の、芸術と神話や礼拝の間の古代的な連結の消失に関する多様な両義的で曖昧な考察から読み取ることができるのは、この空隙という断絶が本当の収穫物(pure gain)だとは決して考えなかった、ということだ。
 彼は、かりに文化が存続し続けるとすれば、何がしか本質的なものは人類の神話的な伝来遺産でもって救われて残される、と考えたように見える。
 彼はまた、人間の言語や芸術では創造されないが明示されはする人間の諸感覚(the senses)がもともと存在している、と明らかに考えたように見える。
 彼によれば、言語が意味を伝えるのは、慣習や状況でもってではなく、客体や経験との一種の錬金術師的な親和性によってだ(これとの関係で彼は、言語の起源に関するMarr の考察に関心をもった)。
 実証主義には特徴的な、言語はたんに道具にすぎないという見方は、彼には、技術支配政(technocracy、テクノクラシー)へと向かっている文明の中で、継承した意味を全体的に瓦解させた断片だと思えた。
 (10)Benjamin はときおりマルクス主義者だと告白したが、それにもかかわらず、彼は相当の部分でマルクス主義と一致していたとは思えない。
 芸術の商品化から帰結する多様な形態での文化の退廃に関心をもった点では、彼はたしかにフランクフルト学派と結びついていた。
 彼はしばらくの間はこの学派の他のメンバーたち以上に、プロレタリアートの解放に向かう潜在的能力を信じた。しかし、彼の見方によれば、プロレタリアートは新しい生産様式の組織者というよりもむしろ、神話の影響が衰退するにつれて消滅していった諸価値をいつか回復する、そのような文化の標準的な担い手だった。//
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 第1節③へとつづく。

2005/L・コワコフスキ著第三巻第10章<フランクフルト学派>第1節①。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.343-p.347.
 第1節の最初の部分は11段落に分けて人物の系譜等を叙述しているが、改行による段落分けがやや多すぎるので、ここでは便宜的に、(1)で一括する。(2)以降は、原書(=英訳書)の段落分けのとおり。
 <>内は、これまでどおり、原書で斜字体(イタリック)の部分。
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 第3巻/ 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第1節・歴史的・伝記的ノート①。

 (1)社会研究所は、青年知識人たちによって1923年の初めにフランクフルトで設立された。
 資金は彼らのメンバーの一人のFelix Weil の家族によって寄付されたが、研究所は公式にはフランクフルト大学の一部署だった。
 主要な設立者および初期のメンバーは、つぎのとおり。
 Friedrich Pollock(1894-1970)は経済学者で、のちにソヴィエト・ロシアの計画経済に関する最初の真摯な分析で知られた(<ソヴィエト同盟の計画経済の試み, 1917-1927>(1929年))。
 Carl Grunberg (1861-1940)は初代研究所長で、ほとんどのメンバーたちと異なる知的背景をもつ人物だった。
 古い世代の正統マルクス主義者で、労働者運動の歴史を専門とし、<社会主義および労働者運動の歴史に関する雑誌>を編集した。
 Max Horkheimer(1895-1973)は研究所の中心人物で、1930年から所長だった。心理学者かつ教育を受けた哲学者。Hans Cornelius の生徒で、Kant に関する書物の執筆者。
 もう一人の最も初期のメンバーはKarl Wittfogel (1896年生れ)で、当時は共産党員、のちに中国の歴史に関する著作の執筆者として知られた(<中国の経済と社会>(1931年)、<東洋の僭政体制>(1957年))。
 彼は数年間だけ研究所で仕事をした。
 この人物のマルクス主義史上の重要性は、マルクスがほとんど触れなかった、「アジア的生産様式」に関する問題を考究したことだ。
 しかしながら、フランクフルト学派を典型的に代表する者だと見なすことはできない。
 Horkheimer と並んでフランクフルトでの個人的な哲学学派の形成に決定的に寄与したのは、Theodor Wiesengrund-Adorno (1903-1970)だった。1920年代遅くまで研究所には入らなかったけれども。
 哲学者、音楽理論家かつ作曲家で、Husserl の研究で博士の学位を得た。そして、Kierkegaad の美学に関する論著も書いた。
 彼は1925年以降、ウィーンで作曲と音楽理論を研究した。
 Horkheimer とAdorno は、二人の間でフランクフルト学派の具体化を行ったと考えてよいかもしれない。
 Leo Lowenthal (1900年生れ)もかなり遅くに研究所に加わり、文学(literature)の歴史と理論に関する著作でこの学派のイデオロギーに顕著な貢献を行った。
 研究所がドイツを去ったあと、1930年代に、Walter Benjamin (1892-1940)が加わった。この人物は、両大戦間の最も高名なドイツ文学批評家だった。
 しかしながら、彼の著作はマルクス主義の発展に対する寄与という点では重要でない。すなわち、フランクフルト学派の著名な執筆者全ての中で最も、マルクス主義運動とは関係がなかった。
 Wittfogel 以外に共産主義者だったのは、すでに別の章〔第8章-試訳者〕で論述したKarl Korsch 、およびFranz Borkenau だった。
 Borkenau は主として、党と決裂したあと共産主義を攻撃したことで知られている。
 しかしながら、彼の資本主義の成立に関する書物(<封建的世界像からブルジョア的世界像への移行>(1934年))は、フランクフルト学派の所産だと考えてよいだろう。というのは、この書物は、研究所での典型的な研究課題だった、市場経済の広がりと合理主義哲学の間の関係を分析するものだからだ。
 Henryk Grossman (1881-1950)はポーランド・ユダヤ人で、1920年代の遅くから研究所とともに仕事をしたが、典型的なメンバーではなかった。
 この人物は伝統的なマルクス主義正統派に属しており、利益率の低下と資本主義の崩壊に関するマルクスの予言を確認する目的をもって、経済分析に従事した。
 1930年代の初頭に、Herbert Marcuse が研究所に加わった。この人物については、こののちのその活動を説明すべく、別の章〔第11章-試訳者〕で論述する。
 かつてのフロイト主義者の中で最も有名な異端派の一人である、Erich Fromm についても〔第12章-試訳者〕。
 (2)研究所は1932年から、主要機関誌である<社会研究雑誌(Zeitschrift fur Sozialforschung)>を発行した。この雑誌に、この学派の基本的な理論上の文書の多くが掲載された。
 アメリカ合衆国に移ったのち、この<雑誌>は、<哲学と社会科学の研究>というタイトルのもとで2年間継続した(1939-1941年)。//
 (3)1933年初めにナツィスが権力を掌握したとき、もちろん、研究所はドイツでの活動を継続することができなかった。
 従前に支部がジュネーヴに設立されていたので、このときにドイツのメンバーたちはここに移った。
 パリに別の支部が設立され、ここで<雑誌>は発行され続けた。
 Adorno は、亡命生活の最初の数年間を、オクスフォード(Oxford )ですごした。その後1938年にアメリカ合衆国に移った。このアメリカに、研究所のほとんど全てのメンバーたちが遅かれ早かれ到着した(Fromm はその最初の人物だった)。
 Wittfogel は数ヶ月間強制収容所にいたが、最終的には解放された。
 <エミグレ (Émigrés)>〔移民・亡命者たち〕は、コロンビア大学に国際社会研究所を設立した。この研究所はフランクフルトでの企画を継続し、同様の方向にある新しい企画を開始させた。
 1935年以降はパリに住んでいたWalter Benjamin は、1940年9月にナツィスから逃れて、フランス・スペイン国境で自殺した。
 Horkheimer とAdorno は、第二次大戦中をニュー・ヨークとロサンゼルスですごした。
 彼らはそれぞれ1950年と1949年にフランクフルトに戻り、そこの大学で教授職を得た。
 Fromm、Marcuse、Lowenthal およびWittfogel は、アメリカにとどまった。//
 (4)フランクフルト学派の基礎的な考え方は認識論と文明批判のいずれにも当てはまるもので、Horkheimer の一連の論文によって定式化された。この諸論文のほとんどは、<批判的理論>というタイトルで1968年に再発行された(全2巻、A. Schmidt 編)。
 この論文のうち最も一般的で綱領的であるのは、1937年に執筆された「伝統的なものとと批判的理論」と題するものだった。
 その他のものは、多様な哲学上の問題を扱っていた。例えば、批判的理論の、合理主義、唯物論、懐疑主義および宗教との関係だ。
 我々は、Bergson、Diltheyおよびニーチェに関する批評文、あるいは哲学の役割、真実という観念および社会科学の独特の性格に関する小論考も、見出すことができる。
 「批判的理論」という語のHorkheimer の用い方は、彼の哲学的接近方法の三要点を強調することを意図している。
 第一に、マルクス主義を含む既存の諸教理<に対する>自立性。
 第二に、文明は治癒不可能なほどに病んでおり、たんなる部分的改良ではない急進的な改変を必要としている、という確信。
 第三に、現存社会の分析はそれ自体でその社会の一要素、その社会の自己意識の一形態だ、という信念。
 Horkheimer の思考には、マルクス主義の基本的考え方が浸透していた。その考え方とは、哲学、宗教および社会学的思想は異なる社会集団との関係でのみ理解することができ(しかし全てが「究極的には」階級利益に行き着くというのではなく)、その結果として理論は社会生活の一部になる、というものだ。
 彼は他方で、理論の自律性を擁護した。そして、これら二つの観点の間には解消されていない緊張関係がある。
 Horkheimer は、経験論者、実証主義者およびプラグマティストに対してヘーゲルの理性を擁護する。
 我々は真実を確認することができる、それは経験上の仮説または分析的判断としては表現することができない、と彼は確信していた。
 しかし、思うのだが、超自然的な主体に関するいかなる理論をも彼は受容していなかっただろう。
 彼は、科学主義に、換言すれば自然科学で現実に使われている方法は、我々が何らかの価値の認識し得る結果を獲得するために必要とする全ての知的装備で成り立っているという見方に、反対する。
 こうした見方に対して、彼は少なくともつぎの二点で、異論を唱える。
 第一に、自然科学とは違って社会的諸問題については、観察すること自体が観察されるものの中にある一要素だ。
 第二に、知の全ての分野で、経験的および論理的規準に加えて、理性(Reason)の活動が必要だ。
 但し、理性を支配する諸原理は、まだ十分には明瞭になっておらず、我々はそれをどこから導き出すのかはっきりしていない。//
 (5)このようなHorkheimer の思考は、Adorno の<否定的弁証法>のような、のちのフランクフルト学派の諸著作を本質的な点で予兆するものだった。
 すなわち彼は明らかに、伝統的にヘーゲル主義やマルクス主義が疑問視したことを論じるに際して、何とかして、全ての「還元主義」的定式を避けることになる。
 個人の主体性を完全に社会的範疇の中で叙述することはできず、社会的な原因へと完全に解消することもできない。ましてや、社会を心理学上の概念でもって叙述することはできない。
 主体は絶対的な優越性をもつもので、客体のたんなる派生物にすぎないのではない。
 「土台」も「上部構造」も、明らかに第一次的なものではない。
 「現象」と「本質」は、相互に独立して存在するものではない。
 実践は、理論を全て吸収することはできない。
 こうした思考は、しかしながら、厳密なものではなく、我々がただちにあらゆる「還元主義」、教条主義、観念論および世俗的唯物論の誘惑を抑えることができる方法論的規準の基礎を提供するほどのものではない。
 相互作用がある全ての場合で、我々は、相互に影響し合うが自律性の境界が明確に引かれている、そういう諸要素の部分的な自律性を意識して論じなければならない。
 恒常的な「媒介項」の必要を強調して、Horkheimer は明らかに、全ての「還元主義」的伝統に対する自分の立場を守ろうと努めている。//
 (6)Horkheimer からその他のフランクフルト学派の諸著作まで、つぎのことも明らかだ。
 すなわち、批判的理論は、経験論や実証主義の諸教理を、社会諸生活での技術や専門技術制的傾向の礼賛と関連させている。
 この学派の主要な主題の一つは、本質的には価値の世界とは無関係の科学が役立っている技術の進歩によって、世界は危機に瀕している、ということだ。
 かりに科学的な規準と制限が全ての認識活動を支配して、価値判断を生み出すことができないようになれば、科学と技術の進歩は、全体主義社会へと、人間存在の操作のいっそうの容易化と文化の破壊や個性の破壊へと、至ることを余儀なくしている。
 そのゆえに、ヘーゲルの理性(Reason、<Vernunft>)は理解(understanding、<Verstand>)と反対のもので、「全世界的な」判断を定式化することができる。非合理的に決定される目的を達成する手段のみならず、追求すべき目的をも予め定めることによって。
 科学者文化はこれを行うことができないし、行うつもりもない。なぜなら、その文化にとって、目的を科学的に決定することはできず、目的決定は気まぐれの問題に違いないからだ。
 しかしながら、Horkheimer もフランクフルト学派のその他のメンバーたちも、つぎのことを説明することができているようには思えない。
 同じ認識にある同僚専門家たちならば目的と手段の両者をどのようにして決定することができるのか?、あるいは、我々はどのようにすれば、諸現象の観察から、経験的に人がどうであるかのみならず自分自身の本性を完全に実現するならば人はどうなるかをも教えてくれる、そのような隠された「本質」を理解することにまで、進むことができるのか?//
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 第1節②へとつづく。

2004/L・コワコフスキ著第三巻第10章<フランクフルト学派>序。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する論述の試訳へと進む。分冊版、p.341-p.395.の計55頁ぶん。
 表題つきの各節の前の最初の文章には見出しがない。かりに「(序)」としておく。
 原書と違って一文ごとに改行し、各段落に原書にはない番号を付す。
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 第3巻/ 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 (序)
 (1)「フランクフルト学派」という語は、1950年代以降にドイツの擬似マルクス主義(para-Marxist)運動を指し示すために使われてきた。その歴史は、1920年代初頭に遡り、社会研究所(Institute für Sozialforschung)の歴史と結びついている。
 ここで「学派」(school)とはマルクス主義内部での他の傾向と比べて、より厳格な意味で用いてよい。よくあるように、特定の個々人がこれに属するのか否か、およびどの程度に属するのかについては、疑問があるけれども。
 いずれにせよ、二世代にまたがる、明らかに継続的な思考様式がある。
 先駆者たちはもう生存していないが、彼らはこの分野の継承者たちを残した。//
 (2)フランクフルト学派には豊富な学術的で広く知られた著作物があり、人文社会(humanistic)の学問分野の多くに及ぶ。哲学、経験社会学、音楽理論、社会心理学、極東の歴史、ソヴィエト経済、心理分析、文学の理論および法の理論。
 ここでの短い説明でこれらの成果について全体としてコメントしても問題はあり得ないだろう。
 この学派は、第一に、マルクス主義をそれに対する忠誠さを維持しなければならない規範としては把握しなかった、という特質がある。規範ではなくて、現存する文化を分析し、批判するための出発点および助けだと見なしたのだ。
 このことからしたがって、この学派は、ヘーゲル、カント、ニーチェおよびフロイトのような、多数の非マルクス主義の淵源から、発想の刺激を得た。
 第二に、この学派の基本的考え方は、明確に非党派的(non-party)だった。
 すなわち、特定の共産主義または社会民主主義による、いかなる政治運動とも一体化しなかった。むしろこれら二つに対して、しばしば批判的な態度をとった。
 第三に、この学派は明らかに、1920年代にルカチ(Lukács)やコルシュ(Korsch)が進展させたマルクス主義の解釈に影響を受けていた。とくに、現代世界の諸問題の縮図としての「物象化(reification)」という観念の影響を。
 しかしながら、これをルカチの門弟たちの学派だと見なすことはできない。なぜならば、このメンバーたちは-ここに第四の重要点があるが-、つねに理論の自主性と自律性を強調し、全てを包み込む「実践」に吸収されることに反抗してきたからだ。彼らがたとえ、社会変革の見地から社会を批判することにも専心してきたとしても。
 第五に-ここで再びルカチとは根本的に異なるのだが-、フランクフルト学派はプロレタリアートの搾取と「疎外」に関するマルクスの立場を受容しつつも、現存する階級意識と考えるという意味では、後者と一体視しなかった。<先験的な(a priori)>規範としての共産党の権威的指令については言うまでもない。
 フランクフルト学派は、社会の全分野に影響を与える過程としての「物象化」の普遍性を強調した。そして、プロレタリアートの革命的なかつ解放者としての役割をますます疑問視するようになり、最終的にはマルクスの教理のうちのこの部分をすっかり投げ棄てた。
 第六に、マルクス主義正統派に<対して>はきわめて修正主義的だったけれども、この学派は自分たちを革命的な知的(intellectual)運動だと考えた。
 改良主義的立場を拒絶し、社会の完全な移行の必要性を主張した。但し、ユートピア像を積極的には提示できないことをこの学派は認め、現在の条件ではユートピアを創り出すのは不可能だとすら認めていた。//
 (3)この学派が発展していく時代は、ナツィズムの勃興、勝利および瓦解の時代でもあり、その著作物の多くは、人種的偏見、権威の必要性、全体主義の経済的およびイデオロギー的起源のような、重要な社会的、文化的諸問題に関係していた。
 この学派の主要なメンバーのほとんどは、中産階層のドイツ・ユダヤ人だった。
 僅かに数人だけがユダヤ人共同体と現実の文化的連結関係にあったのだけれども、彼らの出自は疑いなく、この学派が関心をもった問題の射程範囲に影響を与えた。//
 (4)フランクフルト学派は、哲学において、知識と科学方法論の理論についての論理的経験主義や実証主義の傾向と論争した。のちには、ドイツ実存主義とも。
 そのメンバーたちは「大衆社会」を、そして、マス・メディアの影響力の増大を通じた、文化の頽廃、とくに芸術(art)の頽廃を攻撃した。
 彼らは、大衆文化の分析と激烈な批判の先駆者たちで、この点では、ニーチェの継承者であり、エリートの価値の擁護者だった。
 このような批判を彼らは、職業的官僚機構が大衆を操作する手段がますます効率的なものになっていく社会に対する批判と結合させた。そのような社会は、ファシストと共産主義者の全体主義および西側民主主義の両方について言えることだった。
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 第1節につづく。その表題は、<歴史的および伝記的なノート>。
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