秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

神谷匠蔵

1855/「ポピュリズム」考-神谷匠蔵の一文から②。

 ポピュリズムとは字義からして、人種とか民族には関係がないと漠然と感じてきた。
 神谷匠蔵が2017年に「人種差別」や「排外主義」をも要素とするものだと「左翼」が意味を転倒させたとして嘆き又は批判しているのは、アメリカや欧州(とくにルペンのフランス)を意識してのことだろう。
 おそらく1年以上前にドイツに関する日本での報道特集的なものを見ていたら、ドイツ・メルケルの難民政策に批判的な活動をしている中年男性ドイツ国民を取り上げていて、同時に、その国民の話しかけに対して‘Schweine!’と吐き捨てた若い夫婦らしき二人のうちの男性も映像に捉えていた。
 邦訳されていなかったが、Schweine!とはたぶん、<ブタ野郎!>とかの意味だ。
 ドイツ政府の難民政策の見直し要求・批判をする者を侮蔑する国民も、一方にはいる、ということだ。
 欧米でのポピュリズムなるものが、各国での「難民」政策にかかわっており、したがってそれに関する議論が人種・民族に関連している、ということなのだろう。
 アメリカのトランプ(大統領)やフランスのルペン(この当時に大統領候補)を批判した(している)「左翼」の側が、この人たちを支持し、難民政策の変更または移入制限を求める人々や運動をポピュリズム(・ポピュリスト)とか称したのだろう。
 関連して思い出すのは、NHK等の日本のテレビ・メディアが、フランス・ルペンやドイツの政党・AfD(ドイツのための選択肢)を明瞭に「極右」と表現していたことだ。
 フランス社会党の候補が大統領決戦投票の二人の中に存在しなかったという状況で、二人の候補の一人を「極右」と形容したのは、フランス国民に対して失礼だっただろう。
 共・社・中道左派・中道右派そして「極右」という時代のままの、すでに古くさい図式に日本のメディア関係者は嵌まったままだと感じたものだ。しかも、日本にこそある、日本的な外国人移民・労働政策への真摯な検討の姿勢を新聞も含めた日本のメディアにはあまり感じないような状態であったにもかかわらず。
 ***
 日本でポピュリズムという語を使った批判があることを知ったのは、橋下徹に対する佐伯啓思による批判によってだっただろうか。その後に昨年も小池百合子に対する批判の中で、「ポピュリズムに陥ってはならない」というようなことが説かれていたように思う。
 日本での議論・評論の特徴の一つは(あるいはどの国でもきっとそうなのだろうが)、意味不分明なままで言葉がすでに何らかの評価(ポピュリズムの場合は批判的・蔑視的評価)を持ったものとして使われることだ。
 一年ほど前だろう、天下の読売新聞が「ポピュリズム」についてこれをとくに「大衆迎合主義」と言い換えて、言葉・概念の説明する小さい欄を設けていた。
 これもどとらかと言えば、批判的・消極的な評価を伴うものだったが、違和感を感じた。
 神谷匠蔵によると「大衆の熱狂」の喚起又はその利用がこの言葉の中核要素らしいのだが、そこまで進まない「大衆迎合」くらいは読売新聞社もどの新聞社も行っていることで(そうでないと販売できないだろう)、他人事のごとく大新聞社が「大衆迎合主義」と訳して解説していたのが奇妙で、あるいはむしろ面白かった。
 厳密には違うと訂正されそうでもあるが、民主主義とは民衆主義・大衆主義でもあるのであり、もともと「大衆迎合主義」の要素を含んだ概念ではないのだろうか。Democracy のDemo とは「大衆」であり、あるいは「愚民」のことだろう。
 「大衆迎合」を批判できる民主主義体制など存立し得るのだろうか。
 これは言葉の意味・射程の問題で、少なくとも、決まり切った答えはないだろう。
 しかし、この言葉になおこだわって想念を働かせると、新聞や雑誌の販売部数もテレビ番組の視聴率も、あるいは全ての(物やサービスの)商品の売れ行きも「大衆に迎合」してこそ高くなるのであって、「大衆迎合はけしからん」などとは、ほとんど誰も口にできないのではないか。
 にもかかわらず「大衆」を何となくバカにする、ポピュリズム=「大衆迎合主義」批判はどうも偽善的だ。本音では、販売部数を、視聴率を、販売額等々を読者・視聴者・消費者大衆との関係で「上げたい」はずなのに。
 ***
 ところで、佐伯啓思は2012年かその次の総選挙の際に、<ポピュリズムがどう評価されるか、それが今回の選挙の争点だ>と投票前に何かに書いていた。選挙後にこれについての総括をこの人はたぶん何も行っていなかったはずだ。
 今日に捲っていた本の中で原田伊織が「学者」と「物書き」の区別をしていた。
 佐伯啓思の新聞や雑誌での文章はたぶん学者・研究者の「論文」ではなく評論家という「物書き」の仕事としてのものなのだろう。この人は一年くらいからは「死に方評論家」にもなったらしく、また西部邁逝去後には西部に関連して「右か左かなどはとるに足らない問題だ」とか某雑誌に書いていた。佐伯啓思に全く限りはしないのだが、「学者」の議論は専門家すぎるか全体・大局を見ない議論・主張であることも少なくなく、たぶん「評論家」なるものも含まれるだろう「物書き」は玉石混淆だが「玉」は滅多にいなくて、アホらしくて読めないものがや多い。
 この感想に圧倒的に寄与した大人物は、佐伯啓思ではなく、月刊正論(産経)毎号執筆者・江崎道朗。第三者には理解し難いかもしれないが、とりわけ日本会議系「保守」論者の低レベル、いやそういう高低の評価自体になじまないほどの悲惨さ・無残さには唖然とした。こんなヒドさでも、平気で出版できる日本のアマさ、ユルさは相当の程度に達している。
 あまり意味のない、退屈な文章を書いてしまった。

1853/<ファシズムの兆候>と闘うつもりの日本の左翼-神谷匠蔵の一文から①。

 <民主主義対ファシズム>という(基本的対立構造に関する)幻想の解消を秋月瑛二が日本での主要課題の第一に挙げたことがあるのは、むろん、そのような幻想をなお抱いている人々が多い-欧米よりも顕著に多い-という判断による。
 大まかにいってそのような人々は、護憲・改憲の議論にもかかわって「ガラパゴス左翼」とか「えせリベラル」とか称される人々(・組織や政党)に該当するので、この課題または論点は、少なくとも一部の論者たちにとっては、すでに無視してよい論点として決着済みの可能性はある。
 しかし、依然として上のような「基本的対立構造」に関する「理解」をしている人々が顕著に存在していると見られる。簡単に言えば、日本の社会・政治諸現象の中に「ファシズム」の兆候が見られ得るとし、その兆候が見られたとすればそれを批判的に指摘し、それと闘うことこそが「正しい」見方で、そのような立場を採るのが「正しい左翼」であり(当然に正しくないことはあり得ない)共産主義者(>日本共産党員)だとする、そういう人々だ。
 「言論プラットフォーム」なるアゴラの中で知ったが、1992年生まれらしい、信じがたいほどの若さの神谷匠蔵は、2017年1月の文章の中で、主題は「ポピュリズム」ではあり、また上のような私の論脈の中でではないが、上のような「リベラル左派及び共産主義者」の考え方・発想の仕方を、つぎのように述べている。
 神谷・2017年1月5日付「左派によって歪められた『ポピュリズム』の実像」。
 ・「左派」は「今日でもあらゆる右派的な言動の中に『ファシズム』の影を、『全体主義』の影を、…見出しては恐怖を語り『先の大戦の惨禍』が再び繰り返される可能性をあらゆる点に見出し、その芽を潰すことで『人類』に対して政治的に貢献できていると思いたい」のだろう。
 ・「左派のポピュリズム批判」は第一次大戦後から現在まで「一向に変化して」おらず、ヴィシー政権・ナチスおよびドイツ国民を「批判」したのと同じ言葉でトランプ氏やルペンに対する「人身攻撃」を浴びせているだけだ。彼ら左派が「『ポピュリズム』を批判する時、その念頭にあるのは常に第二次大戦の記憶であり、ナチスであり、ヒトラーである」。
 ・ポピュリズムは必ずしも「人種差別」や「排外主義」という要素を持たずたんに「娯楽至上主義」であり得るのであって、鍵は「大衆の熱狂」だ。にもかかわらず「左派および共産主義者が敢えて『無知な大衆の人種差別的排外主義的感情の発露』へと矮小化した」のは彼らに都合が良かったからだろう。
 ・つまり「リベラル派・左派は」、「ナチスと自分たちを区別する為にあたかもナチス的な『ポピュリズム』においては人種差別思想が不可欠の要素」だっかたのごとく語り、「そうすることで自らの『ポピュリズム性』を隠蔽してきたのである」。
 ・さらに言えば、「ポピュリズム」=「反知性」、自分たち=「知性」だと主張できるように「ポピュリズム」を再定義したのだ。かくして、「『知的で教養ある貴族の良識ある保守主義』と『大衆の扇動によって体制変革を試みる革命主義』の二項対立図式」を、見事に「『人種差別的な大衆感情を利用する極右』と『異文化に理解のあるリベラリスト』へとひっくり返した」。
 ファシズムとは直接に関係がない部分まで引用してしまった。
 しかし、「『先の大戦の惨禍』が再び繰り返される可能性をあらゆる点に見出し」、「念頭に」置くのは「常に第二次大戦の記憶であり、ナチスであり、ヒトラーである」というのは、欧米について語られていても、まさに日本の「左翼」=容共主義者の現在の主張の仕方、基本的発想にもあてはまる。
 「ナチスであり、ヒトラーである」は、「ナチスであり、ヒトラーであって、それと軍事同盟を結んだ日本の軍国主義者たち」と言い換えた方がよいかもしれない。
 繰り返すが、彼らにとって先の大戦は<民主主義対ファシズム>の戦争であり、共産主義者=ソ連は前者の側に含まれていた。そして、この戦争に「唯一」反対して闘った「栄光ある」日本共産党もまた前者の側にいたのだ。
 首相としての戦後70年談話で怪しくはなったが、それ以前の日本共産党・不破哲三による同党中央委員会政治理論誌・前衛上の論考では、安倍晋三は第二次大戦の「悪」、日本の「侵略」性を認めない→日本はドイツ(+ファシスト・イタリア)と軍事同盟を結んで戦った→ナチス容認→ゆえに「ネオ・ナチス」だ、という単純かつ簡単な(かつ幼稚な)論法と結論が述べられていた(いまだに不破哲三は日本共産党の最高幹部の一人のはずだ)。
 何かといえば少なくとも内心ではナチスとかファシズムに結びつけ、安倍晋三、安倍・自民党や安倍政権という「右派」政権を警戒し危険視して打倒しよう(少なくとも混乱させよう)というのが日本の「左翼」=容共主義者の<怨念>に満ちた基本発想であることを知っておく必要がある。
 こうした、現実認識というよりも政治的な主張に客観的には「協調」しているのは、改憲問題にかかわっての一定の憲法学者・憲法研究者だ。すでに過去のものだが、<集団的自衛権>行使容認をめぐる2015年あたりの安保法制の合憲性や真の語義からは逸脱している「立憲主義」をめぐる問題があった。
 上のような基本的対立軸の設定そのものに差異があること、その設定軸自体に内在する間違いがあること、いや我々も「民主主義」の側にいるのであって「ファシズム」を容認しているわけではないなどと反論・釈明し始めてはならないということ、を意識すべきだ。
 キミたちのいう「民主主義」とは何か?、その中には「正しい」ものならば(あるいはスターリン的以外ならば)共産主義(コミュニズム)も含まれるのか??、としつこく問う必要がある。
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