秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

佐伯啓思

1257/田中英道の新著と佐伯啓思の「天皇制」論。

 田中英道・戦後日本を狂わせた左翼思想の正体(展転社、2014.10)の中に、2013年に皇太子退位・皇位継承を論じた山折哲雄と山折論考は「たいへんに大事な問題を提出しようとしている」と受けとめた佐伯啓思論考(新潮45、1913年4月号)への簡単な論及がある(p.209-210)。
 田中は、山折や佐伯の議論は<「近代」主義者の見解>、あるいは<社会主義者ではなく「近代」主義の立場に立った近代リベラル立場のものだ>とほぼ断定している。田中によると、ここで「近代リベラル」とは「権力や権威から自由な立場に立とうとする、相対的な態度」のことらしい。

 八木秀次が憲法学者・佐藤幸治を「近代主義」者と称していた又は評していた記憶はあるが、私自身はこの「近代主義」なるものの意味はよく分からない。<近代リベラル>も同様だ。大まかには、社会主義者・マルクス主義者(明確なシンパを含む)ではないが、<明確な?>「保守主義」者でもない、という意味なのだろうか。
 上の点はともかく、佐伯啓思については、「日本」や「愛国」を論じながら、「天皇」や「神道」あるいは日本化された仏教への言及がはなはだ少ない、という感想をもち、その旨この欄で記したこともある(但し、正確な内容は思い出せない)。戦前の浪漫主義・西田幾多郎哲学等よりも、日本に固有の天皇や神道(・日本化された仏教)に、その歴史も含めて立ち入らないことには「日本」も「愛国」も語り得ないのではないか、という考えは今でも変わりはない。
 あらためて佐伯啓思の新潮45昨年4月号の論考を瞥見してみると、田中英道が問題視しているごとくであるように、<国民の意思によって天皇制を廃止することも可能だ>旨の指摘・叙述が複数回あって、強調されている。また、「天皇制」という概念用法はともかく、天皇位が「世襲」のものであることは、いわば<世襲の象徴天皇制>は憲法で定められており、国民の意思により変更可能であっても憲法改正によらざるをえないこと、その他の皇位継承のあり方を含む諸論点は国民代表議会による法律で改廃が可能であることが明瞭には区別されず、ともに「国民の意思」による改廃可能性が語られていることも気になる。
 もっとも、憲法1条は皇位が「主権の存する日本国民の総意に基づく」と明記しているので、現憲法を無視しないかぎりは(無効とみない限りは)、佐伯啓思の理解が誤っているわけではない。憲法学者もおそらくすべてがそう解釈しているだろうし、かつ親コミュニズムの学者たちは(日本共産党のように現時点において明確に主張しないものの)将来における天皇制度廃止(憲法14条違反??)を展望しているだろうし、立花隆もまた憲法改正による「天皇制」廃止の可能性を憲法1条を根拠として強調していた。

 佐伯啓思は日本の「天皇制」という政治制度は「おそらく世界に例をみない」と述べつつ、だからといって素晴らしいとも廃止すべきだと言うのではなく、この独自性をわれわれは知っておく必要がある」とのみ述べる(前掲p.332)。この辺りも、佐伯自身の中には「天皇制」尊重主義?はなく、距離を置いた、<相対>主義?だとの印象を与える原因があるかもしれない。
 もっとも、田中英道のように簡単に切って捨ててしまうのも問題があるだろう。佐伯啓思は、日本の天皇制度の特質の三つ、第一に、世襲制、第二、政治権力からの距離(祭祀執行者)、第三、「聖性」のうち、戦後は第三の、「聖性」を公式には喪失している、とする。佐伯による日本の天皇制度の歴史の理解は戦後の歴史教科書による、ひょっとすれば、陳腐で<左翼>的に誤っている可能性がなくはないとも感じるのだが、専門的知識の乏しい私はさておくとして、上の指摘はほぼ妥当なものではないだろうか。<祭祀執行>(むろん神道による)についても戦後憲法のもとでは天皇(又は天皇家)の「私的」行為としてしか位置づけられていないという問題点があることも、そのままではないが佐伯は触れている。
 そして、結論的には佐伯は、国民が<祭祀王としての天皇をフィクションとして承認する>か否かに天皇制度の将来はかかっている旨述べる。「王」という語の使い方は別として、この主張も、私には違和感がない。
 上のことを国民が承認するとすれば、現在の憲法上の天皇条項の内容や政教分離に関する条項の改正、すなわち、佐伯は明言していないが、憲法改正が必要になる。そして、そのようにすべきだと-神道祭祀を公的に位置づけ、政教分離原則の明瞭な例外(またはこの原則がそもそも妥当しないこと)を認めるべきだと-私は考える。
 元に戻れば、少しすでに触れたように、田中英道のように簡単に切って捨ててしまうのはいかがなものか、という気がする。すべてではないにせよ、<保守派>の議論には憲法・法律・行政制度等々についての知識・素養を欠く、もっぱら原理的・精神的な(あるいは文学論的な?)が議論もある(それらだけでは現実的には役に立たない)と感じることもあるところであり、田中英道の本が-まだ一部しか読んでいない-そのような欠点をもつものでないことを願っている。

1175/佐伯啓思の不誠実と維新の会・天皇。

 〇この欄の4/09で佐伯啓思の昨秋の文章についての私の昨年の12/31を引きつつ佐伯啓思の言論人・知識人としての「責任」を問うたが、12/31の私の文章を読み返していると、こうも佐伯に問うていたことを思い出した。
 「佐伯啓思にまじめに質問したいものだ。佐伯は11/22に『橋下徹氏の唖然とするばかりの露骨なマキャベリアンぶり』という言辞も使っていたのだが、日本維新の会、あるいは自民党の原発、増税、憲法等々についての諸政策は『大衆迎合主義』に陥っていたのかどうか。」
 佐伯啓思がこの秋月の欄を読んでいなくて何ら不思議ではないが、上に言及したようなことを佐伯啓思は産経新聞昨年11/22紙上で公言していたのであり、昨年12月総選挙結果もふまえて、自らの見解が適切だったかに論及することはやはり言論人・知識人としての「責任」なのではないか。佐伯啓思にはそのような感覚・姿勢があるのかどうか。
 〇佐伯啓思は新潮45(新潮社)2013年1月号の連載で「『維新の会』の志向は天皇制否定である」と題する文章を書いている(但し全9頁のうち4頁だけがこのタイトルに添う)。
 このタイトルと内容を一瞥して感じたことの第一は、では佐伯啓思は「天皇制肯定」論者なのか、だ。
 上のようなタイトルからすると、そうであることを前提としているようであるし、またそのように理解しても不思議ではない。しかし、じつは佐伯啓思は、自らの「天皇制度」または「天皇」に対する考え方・立ち位置をほとんど明らかにしてきていない。
 昨年12/05と12/09のこの欄で佐伯啓思の「天皇」観を示している文章に言及したが、そこで紹介したとおり、佐伯啓思は、「天皇という問題となれば、ある意味では、私自身もきわめて『戦後的なもの』の枠組みに捕らえられている」、「私には天皇や皇室への『人物的な関心』がなく、まして、天皇・皇室への『深い敬愛に基づいた情緒的な関心を示すなどということが全くない…」、「天皇陛下や皇室の方々の人柄だとか、その人格の高潔さだとか、といったことにはほとんど興味がない」、日本国憲法第一条の「象徴」という部分も、「象徴」の意味は問題になるにせよ、「しごく当然のことであろう、と思う」、などと書いていた。
 このような佐伯啓思が、<維新の会は天皇制否定>などと銘打つ文章を簡単にかつ堂々と書けるのかどうか。
 まずは自らは「天皇制肯定」論者であることを、その意味も含めて詳細かつ明確にしたうえで、<維新の会は天皇制否定>論は書かれるべきだろう。
 感想の第二は、<維新の会は天皇制否定>という結論的認識が妥当かどうかだ。簡単に書けば、石原慎太郎がそうだという論拠は石原と三島由紀夫の1969年の対談の一部と三島の石原に対する評価(のそのままの追随)だけであり、橋下徹については「橋下氏が天皇制についてどのように考えているのかはわかりません。しかし、彼らが共和主義的であることは十分に想像がつきます」(上掲誌p.333-4)という程度にとどまる。
 丁寧な論証がなされているとはとても思えない(なお、同じことは同じ上掲誌上の青山繁晴論考についても言える)。それにそもそも、欧米の「共和主義」なるものに多大の関心を示し、それに関する書物の共編著者になっていたのは、佐伯啓思自身ではないか(佐伯啓思=松原隆一郎編・共和主義ルネサンス(NTT出版、2007))。そこには、「共和主義」を否定し「天皇制を肯定」する心情のみが基礎になっていたのかどうか、はなはだ疑わしい。
 ついでに書けば、佐伯啓思によると、<私こそがこの国を変える、と軽々と言う>=「共和主義的」=「天皇制否定」という論理が簡単に成り立つらしい(上掲誌p.334)。いくら日本維新の会が嫌いでも、佐伯啓思ほどの者がこんな(大学院生ですら採用しそうにない)論理または推論を提示するとは、嘆かわしく、幻滅しもする。

1168/佐伯啓思の昨年12月総選挙の総括は何なのか。

 一 佐伯啓思・日本の宿命(新潮社、2013.01)p.36は「今回の総選挙」にも-急いで挿入または修正したのか-言及していて、「橋下ブ-ム」も一段落したかに見えるが、「前回の総選挙での民主党の大勝利、その後の民主党凋落、そして自民党大勝利と、依然『民意』はきわめて不安定なのです」、その意味で「橋下ブ-ム」は終わった訳ではない、と述べている。
 また、小泉「構造改革」につづく民主党による「改革」路線、「もっと徹底した変革者」としての橋下徹、といった「改革主義」がこの20年間の世論の中心だった旨も書いている(p.16-17)。
 すでにこの欄で書いてきたことだが、上の後者のような認識は間違っている、と私は考えている。小泉、民主党、橋下徹が主張している、あるいは部分的には実践もした「改革」は、例えば「新自由主義」などという一言で表現できるような同一のものでは全くない。それに何より、この佐伯啓思におけるようなとらえ方は、民主党政権という「左翼」政権の登場という衝撃と日本の<悲惨な>経験を覆い隠す機能をもつものだ。
 一方、前者の<民意の不安定さ>の指摘は産経新聞1月21日の佐伯の連載にも共通しているようで、「アベノミクスは成功するか」と題する文章の中で佐伯は次のように述べてもいる。
 「危惧の念が生じるのは、市場の心理などというものはいかにも気まぐれなものであって、つい先日までは『改革路線』一辺倒であったものが、今日はアベノミクスに喝采を送っているように、ほんのささいな動揺で、いつまた安倍政権を見はなすかもしれない。市場はともかく景気がよくなりさえすればそれでよいのである。だが思うように景気が回復しないとなると、また財政緊縮派や構造改革派、市場原理主義者などがそれみたことかとしゃべり始め、そこへリベラル派が群がるという構図が出現するともかぎらない。」 
 世論は小泉純一郎内閣以来「改革路線」一辺倒だったという認識の適切さは怪しいことは上に触れたことだが、一般論として<民意の不安定さ>を指摘することは誤りではないだろう。

 しかし、それが昨年末の総選挙の結果から得られる、またはそれに関する総括だとすると(そのように上の冒頭掲記の文章は理解できなくもない)、間違っている。あるいは少なくとも、より重要な点を看過するものだ。
 マスメディアに強く影響されての<民意の不安定さ>はほとんどいつの時代・時期にも程度の差はあれあることで、近年についてだけ特筆するようなことではあるまい。また、その程度が近年はかりに著しいとしても、上のようなまとめ方は、民主党「左翼」政権の崩壊と「戦後レジ-ム」からの脱却、日本国憲法改正等を明確に主張する安倍晋三率いる自民党の勝利の日本と日本人にとっての重要な意味をやはり看過させるものだ。
 佐伯啓思には、「時代」が見えていないのではないか。「戦後レジ-ム」からの脱却とまではいかなくとも、やはり小さな「レジ-ム」の変化があった、日本国民は客観的にはその「レジ-ム」変化を選択した、ということを見逃すべきではあるまい。
 以上に紹介した佐伯啓思の論述は、前回に言及した中西輝政・賢国への道(2013.01、致知出版社)とはまるで異なる。
 二 もう一つ、明確に異なる点がある。それは橋下徹および日本維新の会への評価、総選挙における日本維新の会の議席数への評価だ。

 佐伯の上掲著は「結局、議席数はさほどのびず、事前予測ほどの躍進とはいえません」と書いており(p.13)、選挙結果における維新の会の位置を大きいものとは見ていないようだ。
 「保守」派らしき新保祐司が橋下徹をヒトラ-になぞらえていたのに対して、佐伯啓思は(さすがに「単純左翼」ではないためか)橋下徹に「ロベスピエ-ルの再来」の危険を見ていた(月日や引用出典は省略するが、この欄にすでに書いた)。そのような佐伯啓思からすれば、橋下徹や日本維新の会を肯定的には評価できない、またはそうしたくはないのだろう。

 この点でも中西輝政は違っており、少なくとも、橋下徹・日本維新の会に対して佐伯啓思のように「冷たく」はない。
 中西の著書にももっと言及すべきだろうが、別の機会にせざるをえない(時間がない)。
 三 ところで、この欄の昨年12/31に記したことだが、そこで次のように佐伯啓思に対して問うていた。
 <11/22の産経新聞上の佐伯啓思「正論」は「今回の選挙の基本的な争点」は「あまりにポピュリズムや人気主義へと流れた今日の政治文化に決着をつけうるか否かでもある」と(も)述べていた。/そのように述べていた佐伯啓思において、今回の総選挙の経緯と結果は、いったいどのように総括され、評価されているのか? 「大衆迎合の政治文化」は、あるいは「あまりにポピュリズムや人気主義へと流れた今日の政治文化」はさらに拡大したのか、それとも少しは(あるいは大いに)是正されたのか? この問いに答えることは、全国紙の11/22付で上のように述べた言論人の<責任>なのではないか。>
 この問いに、あるいは言論人の「責任」に、佐伯は応えているのだろうか。それが、<民意の不安定さが(再び)示された>ということであるとすれば、佐伯啓思には、やはり「時代」が見えていない、としか言いようがない。

1167/佐伯啓思の議論はどのようなもので、どのように評価されるべきか-一部。

 佐伯啓思・日本の宿命(新潮新書)は2013年1月発行で、2012年12月17日付の筆者「あとがき」がある。そのわりには、前日12月16日の衆議院議員選挙の結果にも言及がある(p.3、p.13、p.37等)。

 それはともかく、昨年末総選挙の結果が判明していたと思われる2012年12月17日付で佐伯啓思はこう書いている。
 <自分の大きな関心は「制度論」や「事実論」ではなく「精神のあり方」や「ものの考え方」にある。>(p.222)。

 このように書いてはいるが、佐伯啓思は「構造改革」を中心とする「制度改革」を含む「改革」路線・「改革」ブ-ムを、佐伯のいう「橋下現象」とともに批判視・問題視してきた。また、産経新聞2/15の記事によると「大阪正論懇話会」では<構造改革では米国的な要素を持ち込んで市場競争を強化させてしまったことで、社会的な安定性に関わる部分が崩れてしまった。この過去を整理して、われわれがめざす経済の姿を考えなければならない。国がやるべき仕事は、公共工事や復興支援など安定性の部分をもう一度、立て直すことだ>等々と語った、というのだから、専門分野に包含されるはずの「経済政策」に関する発言も行ってきている。

 したがって、佐伯が「制度論」や「事実論」に関心がないはずはないのであり、あくまで(さらには上の書物でのそれに限られるかもしれないが)「大きな関心」ではない、ということに留意すべきなのだろう。

 ともあれ、佐伯啓思という学者・評論家が「精神のあり方」や「ものの考え方」に大きな関心を持ち、それによって種々の論述をしている、ということは佐伯の著書や文章を評価・分析するための一つのポイントだろう。
 しかして、佐伯自身の「精神のあり方」や「ものの考え方」とはいかなるものか。種々の現象や議論を、それらに潜む「ものの考え方」のレベルで分析し、あるいは批判的に論じることに、むろん意味がないわけではない。
 ただ、もちろんここで簡単に言ってしまうのは不可能だし乱暴でもあるのだが、佐伯自身の「見方」はさほどわかりやすいものではないし、あえて言えば<斜に構えた>視点から、あるいは通常のまたは大勢的な論調とは異なる、ある意味では「意表をついた」視点から、またはそのような論点を提出することによって論述するのが、佐伯啓思の特徴であると言ってよいだろう。少なくとも私は、そのような「印象」を持っている。
 だが、と再び次元の異なる論点を持ち出せば、「精神のあり方」や「ものの考え方」と「事実」や現実の「制度」はそもそもどういう関係に立つのか、という問題もある。
 つまりは、佐伯啓思のいう、または佐伯自身の、「精神のあり方」や「ものの考え方」が、戦後日本の「現実」の中で、それに影響を受けて形成されてきたものではないか、ということだ。
 「現実」の中には-さしあたり佐伯啓思のそれに限れば-佐伯が受けてきた戦後日本の学校教育も、佐伯がその中にいた学界や論壇の風潮も含まれる。そしてまた、東京大学を卒業し京都大学の現役教授であるという佐伯啓思の経歴や所属もまた、佐伯の種々の書物や文章の内容や「書きぶり」と無関係ではないだう。
 佐伯自身も否定はしないだろうように、佐伯自身の「精神のあり方」や「ものの考え方」は佐伯の内部のみから、外部から自由に生成されたものではない、はずだ。
 そして再びやや唐突に書くのだが、佐伯啓思の、<斜に構えた>視点からの、あるいは通常のまたは大勢的な論調とは異なる、ある意味では「意表をついた」論点提出による論述方法は、決して「大衆」が行いうるものではなく、東京大学卒の京都大学教授だからこそなしえているのではないだろうか。書き方を変えれば、無意識にせよ、自らの「位置」についてのそういう自覚を持っているからこそ、佐伯啓思のような諸仕事を佐伯はできているのではないだろうか。それは、あえて単純化はしているのだが、善し悪しは別として、「高踏的」、あるいは場合によっては「第三者的」・「評論家的」になっている。丸山真男ほどではないとしても。

 佐伯啓思が特定の「党派」的、政治実践的な主張を少なくともあからさまにはしていないのは、上のこととと無関係とは思われない。
 この点は、同じ大学・大学院研究科に所属していた中西輝政とは大いに異なる。これは、中西輝政の最近著・賢国への道(致知出版社、2013.01)の「まえがき」等を一瞥するだけでも瞭然としている。
 そして、今日においてわが日本が必要としているのは、佐伯啓思タイプの評論家・論者ではなく、中西輝政タイプのそれではないか、と感じている。
 あれこれと、あるいは「ああでもない、こうでもない」と分析的に論じること、あるいは細かいもしくは「意表をつくような」もしくは「独自の」・「ユニ-ク」な<解釈>をし、あるいは「見方」を提示することは、かりに意義があるとしても、現実的にいかほどの影響力をもつかは疑問だ。
 同じく新潮45(新潮社)の連載をもとにした佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書)は「予想以上に」売れたらしく、結構なことだが、数万部では、また数十万部ですら、新聞の影響力にはかなわないし、ましてやテレビ報道の論調に抗することは客観的には不可能だろう。
 もちろん佐伯啓思の本に限らないが、巨視的には、川の流れに小さなさざ波を立てるだけの書物がほとんどだろう。それでも好ましいさざ波ならよいのだが、悪質なものも少なくはなさそうだ。
 佐伯啓思の著書はすべて好ましいさざ波であるのかは疑問で、少なくとも一部には、日本と日本人のためにはよろしくない、またはほとんど無意味だ、と少なくとも私は感じる部分があることは否定できない。

 以上、佐伯啓思の文章のごく一部から発展させて。

1161/日本維新の会54議席と橋下徹らへの佐伯啓思の評価の適切さ。

 旧たちあがれ日本の日本維新の会への合流について、維新の会の純粋さ・新鮮さがなくなった、政策があいまいになった、等の批判もあったようだ。しかし、私は、橋下徹グループと石原慎太郎グループの合流・新しい日本維新の会の結成は、結果としてもよかったことだ、と思っている。
 橋下徹はもともとは全選挙区に候補者を立てるとか過半数の獲得を目指すとか言っていたが、これらは橋下一流の建前的「ホラ」のようなものだっただろう。そして、衆議院議員選挙で(合流後の)日本維新の会が民主党の57に次ぐ(ほぼ並ぶ)54議席を獲得したことは、第三極の失速とも言われた中での、大きな成果だっただろう。
 小選挙区での当選者が大阪府下に限られていたことをもって、全国的な広がりに欠けた、という論評もある。だが、選挙区では自民党2564万、民主党1360万に対して日本維新の会は694万で大きく劣ってはいたものの、比例区では、自民党1662万に次ぐ1226万を獲得して第二党であり、民主党の963万を大きく上回った。
 54という議席のかなりの部分は、比例区での獲得票の多さによる。そして、この全国的な(東日本を含む)比例区票の獲得は大阪中心の橋下・松井グループだけでは不可能で、石原慎太郎のネームバリューや(もともとたちあがれ日本が持っていた)全国的に散在する「保守」への期待によって可能になったものと思われる。繰り返せば、もともとの、橋下・松井グループだけの日本維新の会では、54議席の獲得は無理だったに違いないと思われる。
 そして、54という数は決して小さくはない。この欄の11/30付で「来月の総選挙の結果として憲法改正派2/3以上の勢力が衆議院の中にできるとは想定しがたい(この予測が外れれば結構なことだ)」と書いたのだったが、自民党と日本維新の会を合わせて、348も、みんなの党まで含めると366と、2/3をゆうに超える(3/4をも超える)議席を獲得してしまった。これで憲法改正(・自主憲法制定)が一挙に近づいたとはもちろん考えないが、理念的・理論的には改憲派の政党がこれだけの議席を衆議院で持っていることの意味は、決して軽視してはならないだろう。
 ところで、すでにこの欄の11/24と11/25で11/22の産経新聞上の佐伯啓思「正論」に言及したが、「大衆迎合の政治文化問う総選挙」というタイトルを掲げた同欄で佐伯啓思は、「今回の選挙の基本的な争点」は「あまりにポピュリズムや人気主義へと流れた今日の政治文化に決着をつけうるか否かでもある」と(も)述べていた。
 佐伯啓思にまじめに質問したいものだ。そのように述べていた佐伯啓思において、今回の総選挙の経緯と結果は、いったいどのように総括され、評価されているのか? 「大衆迎合の政治文化」は、あるいは「あまりにポピュリズムや人気主義へと流れた今日の政治文化」はさらに拡大したのか、それとも少しは(あるいは大いに)是正されたのか?
 この問いに答えることは、全国紙の11/22付で上のように述べた言論人の<責任>なのではないか。
 たまたま読んだ読売新聞12/30朝刊の中で、細谷雄一(慶応大学教授)は、「反原発や反増税などポピュリズム(大衆迎合主義)とも思える政策」という表現を用いて少なくとも「反原発や反増税」は「大衆迎合主義」の政策だったという見解を示し、これらの政策を掲げた政党は支持を得られなかった、とも述べていた。
 佐伯啓思にまじめに質問したいものだ。佐伯は11/22に「橋下徹氏の唖然とするばかりの露骨なマキャベリアンぶり」という言辞も使っていたのだが、日本維新の会、あるいは自民党の原発、増税、憲法等々についての諸政策は「大衆迎合主義」に陥っていたのかどうか。
 石原慎太郎グループとの合流前の維新の会の主張が<脱原発>寄りだったことは否定できず、それには飯田哲也(のち日本未来の党代表代行)等から成る大阪府市(?)エネルギー戦略会議の見解の強い影響があったと思われるが、石原グループとの合流後は、よい意味でこの点は曖昧になったと私は思っている。
 佐伯啓思は、「(政治)改革」という「大衆迎合主義」(・ポピュリズム)の流れの中に橋下徹や維新の会がある、という捉え方をこれまでし続けてきた。
 このような評価はそもそも適切だったのか。中高年層に「痛み」を求めることもあることを明言し、決して「大衆」受けはまだしそうにない「憲法」問題にも論及する日本維新の会は、そして橋下徹は、決して「大衆迎合主義」者・ポピュリストではないのではないか。
 真摯な言論人・研究者であるならば、佐伯啓思にはぜひ、上の問いに答えてもらいたいものだ。

1159/佐伯啓思の産経12/16の文章の低レベル。

 産経新聞12/16の月一回連載「日の蔭りの中で」欄の「民主主義への誤解」と題する佐伯啓思の文章は、総選挙の投票当日にこの程度のことしか書けないのか、と幻滅させるものだ。
 1 公正中立性がある程度は新聞にも要求されるのかもしれないが、この欄のようなエッセイ的部分では、新聞社説よりも、堂々と特定の党派的主張をすることもできたのではないか。
 佐伯啓思は、そのような特定の政党を支持する、または反対するという強い関心を持たない人物なのかもしれない。但し、この文章でも、維新の会・橋下徹の使った「ふわったとした民意」という語に対する皮肉は(やはり)見られるが。
 佐伯啓思においては、近年の政治状況の最大の問題は、「『政治改革』が世論の中心を占めるようにな」ったことにあると理解されているかのごとくだ。
 これはある程度は正しいのかもしれない。だが、第一の、最大の問題は2009年以降の民主党政権の発足・継続にあったのであり、この民主党政権に対する明示的な批判の言葉を一言も吐いていないことは、佐伯啓思の政治的感覚・政治的姿勢を相当に疑わせる。
 佐伯の書きぶりは、12/19の同新聞「正論」欄で佐々淳行が、「鳩山政権は、かつての左翼活動分子、日教組、旧社会党の残党、反国家的市民運動家の権力簒奪による左翼政権だった」と、私が当時に感じたのと同様のことをずばり指摘しているのと、まるで異なっている。
 2 より具体的な、内容についての疑問もある。
 第一。佐伯啓思は「民主主義の捉え方によっては」と条件をつけているが、「議会主義」と「民主主義」とは異なる、ということを強調したいようだ。しかし、佐伯は「われわれが通常考える民主主義とは、主権者が直接に政治に関わることをよしとする。つまり、できるだけ、個別の政策ごとに主権者の意思が反映されるべきだという。たえず『民意』」が反映されるべきなのだ」と、「民主主義」を理解して論述しており、この前提自体の妥当性が問われなければならない。
 佐伯の上にいう「民主主義」は「直接民主主義」のことで、「議会主義」を「間接民主主義」の一形態だと理解することもできる。そうだとすると、「民主主義」と「議会主義」は決して対立するものではない。
 「民主主義」を上のごとく「直接民主主義」と理解する、あるいは「直接民主主義」の方が「間接民主主義」よりも優れた民主主義だと理解する傾向にあるのは、<左翼>論者・学者だ。
 ついでながら、議会主義といっても、各議員が被代表者の意思に強く拘束される「命令的(拘束的)委任」と、選出された議員は選挙区有権者の意向とは別に自由に活動できる「自由委任」とが区別されることもある。現在の日本では後者が採用されている(日本国憲法は国会議員は「全国民を代表」する旨の規定をもつ)とされているのだが、前者の方がより民主主義的との主張がありうるとしても、後者が「民主主義」の要素を含まない、民主主義と矛盾するものだとは憲法学上も(「保守」派憲法学者においても)考えられていないはずだ。
 こんな区別に佐伯啓思は関心がないのかもしれない。ともあれ、佐伯啓思にしてはかなり杜撰な見解が提示されているのではなかろうか。
 第二。佐伯啓思は、「今回の選挙によって、そろそろ安定した議会政治を取り戻せるか否かは、われわれの『人物を見る眼力』にかかっている」、という文章でこの欄を締めくくっている。
 この程度しか書けないのかとは先にも述べたことに含まれるが、この内容自体にも、少なからず疑問がある。
 抽象的な「安定した議会政治を取り戻せるか否か」などよりも、民主党政治の三年余の評価(民主党政権を継続させるか否か)
の方がより重要な具体的争点だっただろう。
 この点は別としても、有権者国民の「人物を見る眼力」が試されている旨の指摘は、いったい何が言いたいのだろう。
 政党・政策ではなく「人物」をよく吟味せよという趣旨であるとすれば、少しは同意するが、しかし、その「人物」の所属政党とその政策を抜きにして、「人物を見る」ことはできないのではないか。
 ここでも佐伯は、具体的政党の評価や具体的政策論に立ち入ることを避けているようだ。あるいは、そもそもそれらに立ち入ることに対する関心が相当に薄い人物なのかもしれない。
 以上、これまでに読んだ佐伯啓思の文章の中では、最低の部類に属する。

1155/佐伯啓思において日本書記・古事記はすべて「神話」か。

  前回に続ける。佐伯啓思「『天皇』という複雑な制度をめぐる簡単な考察」隔月刊・表現者2009年9月号)はついで、元来の「すめらのみこと」を意味する「天皇」という語自体が「中国からの影響のもと」にある。しかし、中華秩序からの自立を意味したもので、中国とは異なって「世襲による王権であることを明示」したものだった、ということを述べている。
 再び、左翼的な「王権」という概念が使われていることが気になるが、より気になるのは以下だ。
 佐伯啓思は、「『記紀』による天皇の神格化」
と簡単には叙述し、世襲の「日本の王権の特質」の一つは、「神話」による「政治的正当性」の確保だった、と述べている(p.71)。
 明記はしていないし、紙数の制限により厳密な叙述はしていないと釈明または反論される可能性はあるが、まるで、記紀=日本書記・古事記全体が「神話」の叙述だという理解を前提にしているような書きぶりだ。
 佐伯はむろん「単純左翼」ではないので、①「左翼的意味」で天皇の正当性は「でっちあげられた神話に過ぎない」と言っているのではない、②「神話」は歴史学者のいう「事実」ではないが、「一国の文化的事実」だ、と書いている(「不可欠でそれなりによくできた発明だったと受けとめなければならない」とも言う)。
 だが、「神話」と「記紀」の二つについての正確な叙述がないので、後者全体が「神話」だと理解していると思えなくもない。
 日本書記は明らかに「神代」と神武天皇以下を区別しているし、古事記の中・下巻が神武天皇以下推古天皇の時代までの叙述になっている。
 むろん連続はしているのだが、「記紀」の作者または伝承者においては、神武天皇以前または古事記の上巻のみが「神話」=「神」をめぐる物語と意識されており、それ以降は少なくとも主観的には歴史的な事実だと理解されていたのだ、と私は理解している。
 推古天皇(古事記)または天武天皇や元明天皇(日本書記)、そしてこれらの天皇の時代は執筆者・伝承者にとってはほとんど当時における近現代のことであり「客観的な事実」のつもりで書かれたのだと思われる。
 むろん、客観的な歴史的事実とは異なる叙述も時代より古くなればなるほど含んでいるだろう(場合によっては「作為」も)。しかし、神武天皇以降の叙述は、主観的には決して「神話」ではなかったはずだ、と思われる。
 上のような趣旨が、佐伯の文章からはまるで伝わってこない。「そこに神話が生じる。『記紀』による天皇の神格化である」、という部分などは、繰り返すが、記紀の全体が「神話」だと理解しているごとくだ。こんなことを書くのも戦後の歴史学・戦後教育において日本書記・古事記の全体=とくに世襲天皇を美化・正当化するための「神話」で<ウソ・でっちあげ>という言説が一部には有力にあり、そのような教育等の影響を-「神話」の理解は同じでないとしても-佐伯も受けているようにも思えるからだ。
 些細なことかもしれない。だが、「日本的なるもの」という語をやたら使っている佐伯啓思の諸文章において、天皇も記紀も(いわゆる日本神話も)ほとんど言及されていないのであり、そして天皇に関する「物語」をこの人は十分には知らないのではないか、少なくとも大きな関心を持ってはいないのではないか、という疑いを持たせる。
 ○佐伯啓思は新潮45今年7月号(新潮社)の最後に、「本当にわれわれが支柱にすべき価値」、「日本人にとっての価値の基軸」について「今後、何回かにわたって」
模索してみたい、と書いている(p.334)。
 同誌の今年12月号の佐伯の連載のつづきは橋下徹と石原慎太郎批判で、この二人をそれこそボロカスに批判しているが、「日本人にとっての価値の基軸」の探求といかなる関係にあるのかは分からない。
 8~11月号も所持はしているので、佐伯における「模索」の内容を別の機会に確認してみよう。

1154/佐伯啓思があまり語らない「天皇」につき、2009年に語っていた。

 一 佐伯啓思日本という「価値」(NTT出版、2010)、日本の愛国心(NTT出版、2008)という著書を発行し、最近に記したように「近代民主主義」とうまく結合しないものとして「日本的なるもの」を語っている(新潮45今年8月号)。
 西欧所産の「近代民主主義」よりも「日本的なるもの」に身を寄せていることはほとんど明らかで、また日本にかかわって「価値」や「愛国心」を論じているのだから、「日本的なるもの」についてのある程度は具体的イメ-ジを提示してきていると想定しても、何ら不思議ではないだろう。
 上の二著すら手元に置かないで書くが、これらを読んでも、じつは彼のいう「日本的なのもの」とは何かは、はっきりしていない、と言える。
 「日本(的なるもの)」を語る場合に佐伯啓思が全くかほとんど触れることがないもの、その一つは「天皇」だ。もう一つは、菅野覚明・仏教の逆襲(講談社現代新書、2001)に上のいずれかの中で言及していた記憶はあるが、神道および日本化された仏教という「日本の宗教」だ。
 佐伯啓思の本領または得意分野が西欧近代(の思想・原理)にあるとしても、「日本的なるもの」に言及して、上の二つについてはほとんど立ち入った論及をしていないのは、読者には少なくとも物足りないところがある。あえて、偏頗すぎるとか、保守されるべきものとして語られる可能性がある「日本(的なるものの)」の具体的な象がきわめて不明確だ、といった批判形を使うのはやめておこう。
 二 佐伯啓思が「天皇」について語っている文章はないかと探していたら、隔月刊・表現者2009年9月号の佐伯「『天皇』という複雑な制度をめぐる簡単な考察」(p.68-71)を見つけた。
 「天皇」に関する叙述内容自体以前に、佐伯啓思という人物の「思想」を理解する上で興味深い文章があるので、まずはそれらを要約的に引用する。
 ・私は「戦後的なるもの」を批判的に見てきたが、「しかし、天皇という問題となれば、ある意味では、私自身もきわめて『戦後的なもの』の枠組みに捕らえられているというべきなのかもしれない」。
 ・なぜなら、私には天皇や皇室への「人物的な関心」がなく、まして、天皇・皇室への「深い敬愛に基づいた情緒的な関心を示すなどということが全くないから」だ。「天皇陛下や皇室の方々の人柄だとか、その人格の高潔さだとか、といったことにはほとんど興味がない」。
 ・日本国憲法第一条のうち天皇は日本国および日本国民の「象徴」という部分も、「象徴」の意味は問題になるにせよ、「しごく当然のことであろう、と思う」。
 以上で、佐伯啓思のこの文章のほぼ1/4は終わっているが、ここで示されている心情からすると、次のことが言えそうだ。
 第一。安倍晋三らは<戦後レジ-ムからの脱却>を唱えている。だが、佐伯啓思は<戦後レジ-ム>あるいは「戦後的なもの」から完全に離れるべきだとは少なくとも心情レベルでは感じていない。「戦後的なもの」を自分の意識に内包していることを自覚しつつ、それを問題視する感覚がなさそうだ。
 第二。自民党が2012年4月に決定・発表した日本国憲法改正案の一条の前半は「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって…」とある。断定はし難いが、佐伯啓思は、天皇を「元首」とすることを「しごく当然」とは感じず、違和感を感じてしまうのではないか。
 以上のあと佐伯啓思は、明治憲法上の「天皇」には西欧的立憲君主と日本の歴史の中で構成された神格性をもつ世襲的存在の二重構造があり、これを一つにする必要があったことに「明治近代化の悲劇」がある、三島由紀夫は政治的概念としての天皇と区別される文化的概念に「天皇の本義」を求めようとしたが、「天皇」概念には元来「政治的意味合い」、「日本の王権」の政治的正当性を特徴づけるという意味があった、といった趣旨を述べている。
 「左翼」歴史学者と同様に「王権」という語を使っていることも気になるが、より気になることは別の点にもある。次回に扱おう。

1150/日本は西欧と中国のどちらにより近いのか-佐伯啓思と中西輝政。

 新潮45(新潮社)の今年8月号の佐伯啓思「反・幸福論/20回・空気の支配」の末尾で、佐伯啓思はこう書いている。

 「『日本的なるもの』と『近代民主主義』の結合には何か基本的な難点がある」(p.334)。
 西欧近代(またはヨーロッパ近代)に対する懐疑または批判的分析は佐伯の文章の随所に見られるところで、この人の最も得意とする論点かもしれない。戦後日本の「空気」を支配する基本的な正義となっているとする「民主主義」・「平和主義」、その延長上にあるとする「国際化」・「個人の自由」・「基本的人権」等(p.331-2)の欧米所産の諸原理は「日本的なるもの」と必ずしも容易には結合しないという基本的な趣旨には反対しない(但し、この論考の基本的なテーマは「空気の支配」で、この論点に関する叙述内容にはいくつかの疑問を提示することもできるが、立ち入らない)。
 上の佐伯啓思の一文に興味をひかれたのは、ほぼ同時期に中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2011)をもう一度読み直していて、つぎの文章に出くわしたからだ。

 「法律」・「約束」等に対する「感覚は、日本と西欧がほぼ同じなのに、中国はまったく異なる…。『同じアジア人』という意識を持ってはいけない」
 テーマも文脈も異なる中で単純に対比してはいけないが、面白い論点が示されているように思われる。
 かりに欧米・日本・中国という三つの「文明」があるとして(むろん他にもあるのだが、省略する)、(歴史的にまたは現在において)日本は欧米と中国のいずれの「文明」に<より近い>のか。
 佐伯啓思は欧米「文明」と「日本的なもの」との不整合をあちこちで書いてきている。中国(・共産党)または中華文明に触れていないわけではないが、これらに関する論及は欧米所産の原理・「価値」へのそれと比べて格段に少ないように見える。

 佐伯啓思・反幸福論(PHP新書、2012)の中には「某国のように市民的自由さえ認められない全体主義では困りますが…」という文章があったりするので、「某国」の中に少なくとも現在の中国を含んでいるとすると、-上は一例にすぎないが-中国を好意的・肯定的に評価しているわけではないことは確かだろう。
 それに佐伯啓思は必ずしも明確にまたは強調して叙述しているわけではないが、ナチズムもコミュニズム(共産主義)も、そして「全体主義」も<西欧近代>から産まれたもので、あるいは<西欧近代>の矛盾・限界を解決するために発展的に生じてきたもので、いずれの根っこも<西欧近代>にあると言って過言ではないだろう。
 この点を佐伯は必ずしも明瞭には述べていないように見える。<西欧近代への懐疑>は、同時に、あるいはより強くコミュニズム(共産主義)に対して向けられるべきではないのだろうか。
 <西欧近代>への懐疑、<西欧近代>を基本的に継承した「アメリカニズム」に対する疑問・批判は鋭いし、傾聴すべきだろうが、中国または共産主義に対する疑問・批判が弱いのはいったい何故なのだろうと感じることがある。
 比べて中西輝政は、中国についても共産主義(コミンテルン等々)についても、とりわけ近年、多くのことを(批判的に)語ってきている。中身に言及しないが、読了している中西・迫りくる日中冷戦の時代-日本は大義の旗を掲げよ(PHP新書、2012)もその一つだ。
 もっとも、上で紹介したのは「法律」・「約束」等に対する「感覚」の相違についての文章なので一般化すると誤りになる可能性はあるが、日本文明は「西欧」文明により近く、「中国」文明とはより大きく異なる、と言えるのかどうかは、私自身はよく分からない。
 とりわけ、一般的に「日本と西欧がほぼ同じ」だとは断言できないと思われる。
 但し、明確なのは、現在において、アメリカと中国のどちらを選択すべきかと問われれば、躊躇いなく米国を選ぶべきだろう、ということだ。そのかぎりでは、基本的には反中・親米でなければならない。
 さらに言えば、日米の二国間の問題のみを視野に入れるとすれば、米国依存・米国従属をなくし日本の「自立」性を高めるべきで、そのかぎりでは、ある程度は<反米>でもなければならないことになろう。
 かりに明言していないとしても、現在において実質的にはアメリカに対するよりも中国に親近感を持っている人々・政党や、両国と<等距離>に接すべきと考えている人々・政党は、マスメディアも含めて、早く消滅してほしいものだ。

 文明論と現在の政策論とは同一であってはならないだろうが、混在を自認しつつ、駄文として書いておいた。 

1148/佐伯啓思に問う、「大衆迎合」・「ポピュリズム」でない「政治文化」はどのように。

 佐伯啓思産経新聞11/22の「正論」の見出しは「大衆迎合の政治文化問う総選挙」で、「大衆迎合の政治文化」、佐伯の別の表現では「あまりにポピュリズムや人気主義へと流れた今日の政治文化」に決着をつけられるか否かが今回の総選挙で問われているとする。
 もちろん「大衆迎合」・「ポピュリズムや人気主義」に批判的な立場から佐伯は書いている。佐伯に問いたいのは、では、「大衆迎合」・「ポピュリズムや人気主義」に陥らない「政治文化」とはどのようなもので(どのように名付けられるもので)、そしてそれはどのようにして形成、確立されるのか、だ。
 この問題に触れずして、「ポピュリズム」等に対する蔑視・批判の言葉を吐いているだけでは、何ら積極的で建設的な展望は出てこず、西部邁も、また佐伯啓思自身もよく使っている<シニシズム>を拡大するだけではないか。

1147/橋下徹、石原慎太郎、安倍晋三、佐伯啓思、中島岳志。

 一 <左翼>は間違いなく橋下徹・維新の会を危険視・警戒視してきた。社民党も共産党も勿論だ。
 最近の某週刊誌に東京都知事選で宇都宮某を「市民派」・「リベラル」等だとして支持することを明記していた者に森永卓郎、池田理代子、香山リカ、雨宮処凜がいたが、社共両党が支持するこの元日本弁護士会会長を支持する者たちもまた、橋下徹に対しては批判的であるに違いない(すでに明確に批判している者もいる)。
 一方、<保守>の中では橋下徹・維新の会に対する評価が分かれたし、現在でも分かれたままであることは興味深いことだ。
 その橋下徹を石原慎太郎は義経に、自分を義経を支え保護する武蔵坊弁慶になぞらえ、橋下を義経ではなく頼朝にしたいとか発言していた。そして、石原新党は橋下徹・日本維新の会に合流した。
 安倍晋三も橋下徹に対して決して警戒的・批判的ではなく、将来における「闘いの同志」と言っていたこともあるし、衆議院解散後も「お互いに切磋琢磨して‥」などと言っていた。
 <保守>派論者はおおむね又はほとんど石原慎太郎・安倍晋三を支持しているか好意的だと思われるが、この二人には好感を持ち、かつ橋下徹は「きわめて危険な政治家」だとか「保守ではない」とか言って批判していた者たちは、近時の石原や安倍の橋下徹に対する態度をどう観ており、どのような感想を持っているのだろうか。
 石原慎太郎や安倍晋三は橋下徹の本質、その危険性を見抜いていないとして苦々しく思っているのだろうか、そして、この二人に諫言または忠告でもしたい気分だろうか。それとも、橋下徹に対する評価を少しは改めたのだろうか。
 二  佐伯啓思は産経新聞11/22の「正論」で、新日本維新の会について次のように述べている。
  「石原新党が合流した日本維新の会は、ただ『統治機構改革』すなわち中央官僚組織をぶっこわし、既成政党をぶっこわす、という一点で政権奪取をうたっている」。
 そのあと「橋下徹氏の唖然とするばかりの露骨なマキャベリアンぶりを特に難じようとは思わない」としつつ、かなりの国民が維新の会を支持しているとすれば、「われわれは民主党の失敗から何を学んだことになるのだろうか」と結んでいる。
 この後半部分はどうぞご自由に論評を、と言いたいが、その前提となっている、「ただ『統治機構改革』すなわち中央官僚組織をぶっこわし、既成政党をぶっこわす、という一点で政権奪取をうたっている」という認識は、学者らしくなく、あるいはある意味では学者らしく、あまりに単純すぎる。
 日本維新の会はもっといろいろなことを主張しているのであり、とりわけ「自主憲法の制定」の方向を明確にしていることを看過する論評は、大きな欠陥があるだろう。とても、緻密な?佐伯啓思の文章だとは思えない。
 三 「左翼」だと思われるが、自称「保守」または「保守リベラル」でもあるらしい中島岳志は、宇都宮健児・雨宮処凜・佐高信・本多勝一らとともに編集委員をしている週刊金曜日の11/16号の、朝日新聞にある欄の名称とよく似た「風速計」という欄に、「第三極のデタラメ」と題する文章を書いている。それによると、以下のごとし。
 橋下徹代表の日本維新の会とみんなの党は「リスクの個人化」を志向し、「小さな政府」に傾斜しているのに対して、「たちあがれ日本」は「リスクの社会化」を志向している。また、日本維新の会
と「たちあがれ日本」は「タカ派的主張」を中核にしているが、みんなの党は「消極的リベラルの立場」だ。
 こうして実質的にはこれら三者の合流は困難だと、のちに聞かれた「野合」論を先走るような叙述をしている。
 各党の個々の評価には立ち入らない。興味深いのは、学者らしく、あるいは厳密にはしっかりした研究者らしくなく、「リスクの個人化」か「リスクの社会化」か、「タカ派」か「リベラル」か、という単純な対比によって各党を評価しようとしていることだ。
 実際は、もっと複雑だと思われる。学者の、レッテル貼りにもとづく単純な議論はあまり参考にしない方がよいだろう。
 ところで、中島岳志は、橋下徹代表時の日本維新の会と「たちあがれ日本」の主張を「タカ派的」と称している。このような称し方は「左翼」論者や「左翼」マスコミと変わりはしない。まともな<保守>派論者ならば、改憲の主張を「タカ派」などと呼びはしないだろう。
 中島岳志の「左翼」ぶりは、今回の総選挙に際しての「緊急の課題」を次のように述べていることでも明瞭になっている。すなわち-。
 「保守・中道リベラルと社民リベラルが手を結び、新自由主義・ネオコン路線と対峙すること」。以上、上掲誌p.9。
 「新自由主義・ネオコン路線」という一時期の<左翼>の好んだ語がまだ使われていることも目を引くが、中島が「社民リベラル」に好意的であることを明瞭にしていることの方が面白い。
 中島岳志が<保守>であるはずがない。この中島を同好の者のごとく同じ月刊雑誌(「表現者」)に登場させている西部邁や佐伯啓思の<保守>派性すら疑わせる人物だ。

1086/橋下徹を単純かつ性急に批判する愚③―佐伯啓思ら。

 〇佐伯啓思は、新潮45/3月号で「橋下現象」に「イヤなもの」・「嫌悪感」を覚えるとし、それは近年の日本の「必然的帰結」・今日の日本の「象徴」だという。そして、「一歩間違えば、とんでもない事態にわれわれを導きかね」ないと警戒視する(p.323)。このような基本的論調は三点に分けられてより詳しく論述されているが、直感的にこれは誤っている、単純化しすぎていると思われたのは、佐伯のいう第一点だ。第二、第三点の叙述も疑問はあるが、橋下徹の「姿勢」・「手法」への違和感が示されているだけ(?)なので、とりあえず、以下では触れない。
 佐伯啓思によると、以下のとおり。
 ①橋下徹の基本的な「政策」は、90年代以降の「行政の無駄の削減、財政再建、福祉の見直し、地方分権、政治的リーダーシップの強化など」という「改革」論そのもので、それを「とことん徹底したもの」だ。
 ②「徹底した成果主義」・「実力主義、業績主義、強力な指導力」による「徹底した『改革』」こそ、90年代以降の日本を覆ったもので、「民主党現象」もそうだった。「改革」は官僚や既得権者を敵対者と見なした。
 ③これまでの民主党を含む「改革」が不十分だった(と感じられた)ために橋下徹が期待された。
 ④90年代以降の「改革」論は「成果主義や能力主義や財政再建化や自由競争」等の「いわゆる新自由主義政策」だったが、「橋下改革もきわめて新自由主義的傾向の強い」もので、大阪市の場合も「新自由主義によって社会に活を入れるというショック療法が施されている」(p.323-4)。
 おおむね叙述順に要約的に紹介したが、かかる議論あるいは分析は正鵠を射ているのだろうか?
 第一に、上にも出てくる「新自由主義」を筆頭に、「財政再建、福祉の見直し、地方分権」というより具体的でもなおも抽象度の高い諸概念の意味がきちんと明らかにされていないと、よほど忠実にこれまでの佐伯の議論を読んできた者以外には、ほとんど理解不可能だろう。
 第二に、かりにより高いレベルの読者が読んだとしても、にわかに賛同することはできないだろう。それはまずは、90年代以降の「改革」(論)という一色の歴史理解(時代認識)のもとに「橋下現象」を位置づけよう、把握しようとしていることによる。
 佐伯の言うほどに単純なものではなかろう。自民党(末期?)の「小泉」改革・民主党の「改革」・橋下「改革」と、同じ「改革」(論)だと一括りにしてよいものなのか?
 佐伯の時代認識は、学者・「思想家」らしく、抽象度が高すぎる。「左翼(=容共)・反日」政権として登場した民主党政権による「改革」を従来の「改革」路線の延長と捉えるのは妥当ではあるまい。なるほど民主党も「改革」を唱えたようだが、「戦後民主主義」のなれの果てと言える「左翼(=容共)・反日」政権による改革論を自民党のそれと本質的に同一視することはできないと思われる。
 実際にも、労働組合によって支持され、現在は日教組の「親分」が幹事長をしている政党が、いかほどの「改革」を行いえてきているかはきわめて疑問だ。その「民主党現象」と「橋下現象」が似たようなもので、したがって橋下改革も「おおよそロクな結果をもたせさないでしょう」とまで佐伯は断言するのだから、呆れてしまう。
 「地方分権」論といっても、自民党・民主党そして「大阪維新の会」とでは中身が異なる。立ち入らないが、「維新八策」における「国」・「地方」の役割分担に関する叙述を見ても、民主党の曖昧な「地域主権」論よりもまともだと思われる。
 佐伯は「成果主義」等々を批判するが、これを一概に批判することができないことくらいは佐伯だから分かっているだろう。また、佐伯は「新自由主義的」と橋下徹の政策を論定しているが、報道されている大阪市西成区に対する施策の方向を知ると、とても「新自由主義主義的」などと論難できるものではないように思える。
 交通事業の民営化方針も佐伯によると「成果主義や能力主義や財政再建化や自由競争」等の「いわゆる新自由主義政策」なのかもしれないが、大阪市営交通事業の経営主体等の問題は、抽象度の高い、「新自由主義」的か否かといったレベルで決せられるものではあるまい。
 「財政再建」も「福祉の見直し」も、似たようなことが言える。
 いっさいの「改革」が悪だ、いっさいの「変化」を許さない、という立場に立たないかぎり、佐伯啓思の議論は支持できるものではない
 第三に、以上とほぼ同旨だが、そもそも90年代以降の「改革」(論)を否定し批判する佐伯啓思の立論の内容および立脚点自体が、十分に説明されていないし、十分に肯定されるものなのかという問題があるだろう。
 佐伯啓思は、「改革」論の帰結は「地域格差」・「所得格差」・「地方のコミュニティの崩壊」・「医療現場の崩壊」・「労働と雇用の不安定化」・「教員や家庭の崩壊」だったとし、「何よりも経済はちっともよくはなせなかった」と、社民党や2009年選挙以前の民主党のようなまとめ方を簡単にしてしまっている(p.324)。
 このような「帰結」をもたらした「改革」論と橋下改革は同じなのかという問題のあることは先に述べたとおりだが、これらの原因をあげて「改革」論に求めることは、きわめて粗雑だと思われる。
 問題は「改革」の具体的中身、その達成手法、そして「改革」論議と実際になされた「改革」の区別、をきちんとふまえて論じられなければならないだろう。
 佐伯啓思は産経新聞2/20付で、「『改革』についての功罪」をこう述べている。
 「グローバル化の功罪、金融自由化の功罪、日本的経営の崩壊の意味、二大政党政治の功罪、小選挙区制やマニフェストの問題、これらを自民も民主も整理できていない。むろん、マスメディアもジャーナリズムとて同様である」。
 <改革の功罪>を誰も整理できていない、というのだ。いやおそらく、佐伯啓思自身は「整理」しているつもりなのだろう。だが、佐伯自自身の「整理」が、つまりは「改革」(論)を総じて批判し否定し消極的に評価するという結論自体の正しさが、十分に論証されていないとまるで説得力がない、
 佐伯にとっての「悪」を橋下徹は継承している、というのが佐伯の論点の一つで、橋下徹が「継承」しているとにわかに論定すべきではない、と上では述べた。いま一つの佐伯の論点は「改革」(論)は悪だった、ということにある。この点がここで批判しているところだ。
 90年代以降の「改革」(論)をこのようにまとめ、あるいは上記のように簡単に「改革」の帰結=「罪」を列挙するだけでよいのだろうか。
 ともあれ、佐伯啓思以外には誰も(?)整理できていない課題の克服を橋下徹らに求めても無理強いであり、整理していないことをもって論難することも橋下徹らにとっては酷というべきだ。佐伯啓思は声を大にして、民主党と自民党のほかに、「マスメディアもジャーナリズムも」批判するがよいだろう。
 簡単に上のことを再述すれば、以下のとおり。
 ①橋下徹らの政策が90年代以降の「改革」(論)の系譜上にあり、それをさらに徹底したものだ、という把握の仕方は、単純で性急すぎる。
 ②90年代以降の「改革」(論)がよいものではなかった、ということ自体が説得的には何ら論証されていない。佐伯啓思の頭の中にはあるのかもしないが、ほとんどの読者には伝わっていない、と思われる。
 いっさいの「改革」や「変化」を許さない、という立場に立たないかぎり、佐伯啓思の議論は容易に支持できるものではないのではないか
 産経新聞2/20付の佐伯啓思論考にはあまり言及しなかったが、上で紹介したのと似たようなことを書いており、ほぼ同じような感想を抱くので、もはや省略しておく。
 〇産経新聞2/23の特集記事中に、橋下徹のつぎの言葉が紹介されている。
 ・「世間の民意とは関係なく、自分の主義主張だけで『世の中の方が間違っている』『衆愚政治だ』『大衆迎合だ』『世論は間違っている』『市民は一時の熱情に狂っている』とか、平気で言えるのが学者だ」。 
 同じ記事によると、田原総一郞はこう言った、という。「橋下さんに対する批判の弱さに、日本のインテリの弱さが出た」、「日本のインテリは権力側を批判はするが、対案を持っていない。『じゃあ、あなたはこの問題をどうしますか』といわれたときに、答えを持っていない」。
 佐伯啓思そして<西部邁・佐伯啓思グループ>の面々は、これらの言葉をどう聞くのだろうか。
 書き忘れていたが、佐伯啓思は90年代以降の「改革」(論)を批判してきているが、「じゃあどうすればよいのか(よかったのか)」という問題には具体的にはほとんど何も答えていない、と思われる。地方分権にせよ財政再建等々にせよ、具体的な「対案」があるわけでもないのだ。論壇・大学のインテリ=「口舌の徒」は楽なものだ、とあらためて感じている。かかる皮肉も、「思想家」には何の痛痒にもならないのかもしれないが。

1085/橋下徹を単純かつ性急に批判する愚②―佐伯啓思ら。

 〇いよいよ「御大」の西部邁も橋下徹批判の立場を明確にするようで、隔月刊・表現者(ジョルダン)の41号(2012.03)は、ほぼ橋下徹批判一色のようだ(未入手、未読。産経2/20の広告による)。これで<西部邁・佐伯啓思グループ>は一体として橋下徹批判陣営に与することを明らかにしたことになる。
 それにしても不思議で、奇妙なものだ。相も変わらずの言い方になるが、他の「保守」論者を「自称保守」とか呼び、産経新聞も批判したりしている少なくとも<自称>保守主義者たちがそろって、その勝利を深刻な打撃と受けとめている上野千鶴子とともに、民主党のブレインと目されかつ厳しく批判していた山口二郎とともに、そして日本共産党、民主党や両党系公務員労働組合とともに、橋下徹たち(大阪維新の会)を攻撃しているのだ。
 明瞭な「左翼」による橋下徹警戒論・橋下徹批判といったいどこが違うのだろう。違いがあるとすれば、分かりやすく説明してほしいものだ。やや戯れ言を言えば、「左・右両翼」から批判される橋下徹らは大したもので、<中道>のまっとうな路線を歩もうとしているのではないか??
 〇ふと思い出したのだが、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011)は、戦後の「進歩的知識人」について「知識人の支配欲望」という言葉を使っている(p.104)。
 竹内洋の叙述から離れて言うと、毎日新聞に連載コラム欄をもち、(あの!)佐高信と対談本を出しもしている西部邁は、言論によって現実(世俗)を変えることをほとんど意図しておらず、それよりも関心をもっているのは、あれこれの機会や媒体を使って発言し続けることで、自分の存在が少しでも認められ、自分が少しでも「有名」になることではなかろうか。
 失礼な言い方かもしれないし、誰でも「名誉」願望はあるだろう。だが、知識人あるいは言論人なるものは、現実(世俗)との緊張関係のもとで、現実(世俗)をいささかなりとも「よりよく」したいという意識に支えられつつ発言しつつけなければならないのではなかろうか。
 現時点における橋下徹批判はいったいいかなる機能を現実的には持つのだろうか。
 自称「保守」ならば常識的には、<西部邁・佐伯啓思グループ>は反日本共産党・反民主党だろう。だが、このグループの人たちは自民党支持を明確にしているわけではなく、佐伯啓思がつい最近も産経新聞に書いているように「小泉改革」・「構造改革」等には批判的だ。それでは「立ちあがれ日本」あたりに軸足があるかというとそうでもなさそうで、「立ち日」立党を応援していた石原慎太郎が支援している橋下徹を攻撃している。まさか「反小泉」で国民新党を支持しているわけでもあるまい。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>の知識人??たちも、書斎や研究会を離れれば一国民であり、一有権者であるはずなのだが、彼らはいったいどの政党を支持しているのだろうか。支持政党はなく、「政治(政党)ニヒリズム」に陥って参政権は行使していないのだろうか。それはそれでスジが通っているかもしれないが、そのようなグループに一般国民に対して「政治」を論じる資格はないだろう。
 好きなおしゃべりをし、活字に残し、「思想家」らしく振る舞っていたければそれでよいとも言えるのだが、佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書、2011)の最後の章は、民主党政権樹立を煽った「知識人」たちの責任をかなり厳しく批判している。
 佐伯啓思ら自身にも「知識人」としての対社会的<責任>があるはずだ。橋下徹という40歳すぎの、まだ未完成の、発展途上の政治家をせめて<暖かく見守る>くらいの度量を示せないのだろうか。
 将来のいずれかの時点で、2012年初頭に橋下徹を攻撃していたことの「自称保守」
知識人・評論家としての<責任>が問題にされるにちがいない。
 〇佐伯啓思の最近の二つの文章については、さらに回を改める。

1084/橋下徹を単純かつ性急に批判する愚①―佐伯啓思。

 やはりというべきか、中島岳志、東口暁、藤井聡に続いて、佐伯啓思も橋下徹に対する批判的姿勢を明らかにした。①新潮45/3月号(新潮社)と②産経新聞の月一回連載(2/20付)においてだ。
 前者についてもっと後でコメントしようと思っていたが、新潮45誌上よりも批判・警戒視の気分が明瞭な産経新聞上の文章が出たので、とり急ぎ感想を書いておく。
 ・上と同日の産経新聞紙上に、日本共産党の志位和夫が橋下徹をヒトラーになぞらえて警戒視しているという特集記事中の文章があるが、②の最後で佐伯啓思はフランス革命期のジャコバン派の勢力拡大に言及し、「そうなってからでは遅い」という。
 ヒトラーとジャコバン派(ロベスピエール独裁)との違いはあるが、日本共産党委員長と佐伯啓思が似たようなことを言っている。
 もっとも、①の計11頁のうちの後半の5頁は違和感なく読めるもので(橋下徹批判になっておらず)、橋下徹は「独裁者」だという批判をむしろ和らげるものになっている。そして、独裁者は「橋下の後に?」との見出しのもとで、橋下徹が独裁者になるとは思わないが、「人気者」デモクラシーを続ければ「いずれ本格的に…独裁者がでてくるかもしれません」、「その事態になってからでは遅い」とまとめている。
 この①の最後に比べれば、②のまとめ方は、紙数制限のゆえだろうが、性急すぎるか、簡略化しすぎている。
 ・佐伯啓思は①で「橋下現象」に「危険なもの」よりも「イヤなもの」・「嫌悪感」を感じる、と書いている。一方、②では「大阪維新の会」に対して「原則的な」、「大きな危惧の念」を抱くと書いている。
 この二つはややニュアンスが異なる。「橋下現象」と「維新の会」とで使い分けているとは思えない。後者で見解をより明確化した、ということだろうか。
 ・佐伯啓思は①で「橋下現象を批判することは結構難しい」と書いているが、私にはそうは思えない。佐伯がまさに批判しているように、今日までの(とくに最近20年間の)時代の所産の一つで、ポピュリスト(・デマゴーグ)で、マスメディアによる「人気主義」・「面白主義」の結果だ、等の批判は容易だ。佐伯が言うように橋下現象は「われわれ自身の変形された自画像」で「時代の象徴」なのだろう(p.327)。
 もっとも、上のような趣旨は、紙数のゆえだろうが、②にはまったく出てこない。
 
・上のように、佐伯啓思の二つの文章には、若干のブレ、ニュアンスの違いなどがある。
 もう一つ例を示せば、「素人政治」に関する言及は②にはあるが、①にはない。かつ、②におけるこの点の叙述はその意味がよく判らないところがある。
 佐伯啓思によると、「民主党の失敗の最大の原因」は「にわか作りの素人集団による政治の貧困」にあったにもかかわらず、「維新の会」という「素人集団」に(教訓を無視して)期待するのはいかがなものか、ということらしい。これはこれでスジは通っているのだが、大阪府知事を三年間は務めた橋下徹らを「素人集団」と言い切ってよいのか、という疑問もある(余計ながら佐伯啓思らはこのような政治・行政実務をしていないはずだ)。
 また、そもそも次のような叙述の意味が判らない。―「従来の政党政治」では「党内実績や地元との交流、人間相互の信頼関係の醸成、官僚との調整など時間をかけた積み上げが必要」だったが、これらを「省略して政治主導による合理的解法を見いだせるする政治」が「素人政治」だ。
 後者の「素人政治」を消極的に評価しているのはかりによいとしても、では前者の「従来の政党政治」は(100%でなくともよいが)肯定的に評価されるものなのか。佐伯啓思の書きぶりからすると後者よりはだいぶマシなものと理解されているようだ。
 多言はしないが、「従来の政党政治」をむろん完全に消極的に評価はしないとしても、「金」等にかかわる政策と無関係の党内の人間関係とか、「利権」の混じった「地元の交流」とかもあったのであり、佐伯啓思がイメージしているほどには「従来の政党政治」は万全のものではないと思える。「官僚との調整」も「時間をかけ」ればよい、というものではあるまい。
 「民主党」と「大阪維新の会」を同じイメージで捉えること自体が―下記および別の回のとおり―疑問だが、民主党のいう「政治主導」という「素人政治」に対する批判を橋下徹らに対しても投げかけるのは、「従来の政党政治」の評価も含めて、いささか性急すぎるか、単純化しすぎているのではないだろうか。
 さらに、この「素人政治」に関する部分は、佐伯啓思の②の文章の中にうまく溶け込んでいない、前後との関係がよく分からない、という疑問もある。
 ・以上は、佐伯からすればおそらく瑣末な問題だろう。
 佐伯啓思の言っていることに対する基本的な疑問は、「橋下現象」や「大阪維新の会」の主張を、日本のこの20年間の「改革」運動の一つ・またはより徹底したものと理解し、佐伯による、近年の「改革」運動の否定的評価を前提にして、橋下徹らの主張をも批判し、「否定」しようとしていることだ。
 ものごとを単純化・抽象化する作業を頭の中で(書斎の中で)することは簡単だが、現実は上のように単純には把握できないと考えられる(この点は佐伯啓思の叙述自体をもう少し紹介しておく必要がある)。
 それに、佐伯啓思が言及していないこと、例えば、橋下徹が府知事時代に大阪護国神社に参拝したこと、橋下徹は日本の元首は天皇陛下だと述べたらしいこと、橋下徹は国歌・国旗を大切にする姿勢を鮮明にして、民主党または日本共産党を支持する教員労働組合と対決しようとしていること、もある。
 これらも視野に入れないで、簡単にあるいは性急に橋下徹らを論評してはいけないのではないか? また、東口暁に対して述べたように、橋下徹と対立した候補が当選した方がよかったのか?、民主党・自民党・共産党が揃って支援した対立候補が勝利することこそが「イヤな感じ」の「気味の悪い」現象ではなかっのか、と問うてみたい。
 長くなったので、途中で切り上げた。最後の段落部分については、あらためてもう少し詳しく述べる。その際には、「思想家」佐伯啓思のこれまでの基本的論調との関係にも言及するだろう。

1078/西部邁=佐伯啓思ら編・「文明」の宿命(2012)の富岡幸一郎「はじめに」。

 西部邁=佐伯啓思=富岡幸一郎編・「文明」の宿命(NTT出版、2012.01)の、富岡幸一郎による「はじめに」だけを読了。
 中身についてものちに触れるかもしれないが、著者9人の一人は「雑菌」の中島岳志なので、読者はこの本がまともな「保守」主義による議論・論考をまとめたものだと誤解しない方がよい、と思われる。
 富岡による「はじめに」の前半は、素直に納得しながら読める。
 すでに一九世紀末・第一次大戦前に「西洋の没落」(シュペングラー)は語られていたのであり、「西洋近代を形成してきた進歩史観への警鐘」も発せられていた(はじめにp.2)。
 以下は私の言葉だが、しかるに、日本国憲法は<欧州近代>所産の法思想を疑問がないものとして、アメリカ独立宣言・フランス人権宣言等に遡及可能なものとして、継受してしまった。日本国憲法97条はつぎのように定めるのだが、私はこのような「お説教」を読んで、いつも苦笑を禁じ得ない。日本の今の憲法学者はどうなのかは知らないが。
 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 富岡の文章に戻ると、こう述べられている。
 現代の「文明」社会を深く覆うのは「ニヒリズム」で、すでに一九世紀末にニーチェが語ったものだ。それによると、「人々が生きる意味と目標を失い、よるべない虚無の淵に立たされる危機」のことで、あるいは、<宗教・道徳・理性・精神といった価値が無意味なものと化してしまったあとに出現する「最も気味のわるいもの」>だ(はじめにp.3-4)。
 このあたりまではよいのだが、その後の富岡の叙述には大きな疑問を持たざるをえない。
 富岡は、そのような「最も気味のわるいもの」が二〇世紀以降に生みだしたものを、あれこれと列挙している。まず単語だけを取り出しておこう。
 ・第一次大戦という「全面戦争」、科学技術による大量殺戮兵器、欧州の「血の地獄」化、世界恐慌から第二次大戦へ、核エネルギーの使用(はじめにp.5)
 続いて次のように所産または結果を述べている。
 ・「一九八〇年代後半からの冷戦崩壊によって社会主義体制はついえ去り、資本主義はそのまま生き延び」、九〇年代以降はアメリカ中心の「強欲ともカジノ的ともいわれる金融資本主義へと展開された」(はじめにp.6)。
 ・ニーチェのリヒリズムは二〇世紀には「大量殺戮の悲劇」を生み、二一世紀の今日では「…資本主義のテーモンに体現されている」(p.6)。
 このような時代または「文明」史の叙述には―一瞬はすらっと読んでしまいそうだが―、疑問を禁じ得ない。
 細かなことを言えば、二つの大戦の「外的要因」は「帝国主義の政策による衝突」で「内的要因」は「世界恐慌という経済的危機」だったという叙述(上では省略。はじめにp.6)は教科書的・通俗的で、はたしてこんな理解でよいのか、と感じさせる。これは、「左翼」の描く歴史とまったく同じなのではないか。それに、第二次大戦の前のロシア革命・社会主義ソビエトの成立とその影響にはまったく!言及がないのだ。
 「社会主義」の無視・軽視、これこそが富岡の文章の致命的な欠陥だと思われる。
 富岡は八〇年代後半以降に「社会主義体制はついえ去り」と平気で書き、その前に「冷戦崩壊によって」と簡単に書いてしまっている。だが、冷戦は終わっていない、あるいは新しい冷戦にとって代わっている。また、そもそも、「社会主義体制はついえ去」っていないどころか、この東アジアにおいて、中国、北朝鮮等というれっきとした「社会主義」国家はあるではないか(両国の共産党・労働党の大会において誰の肖像画・写真が大きく掲げられているかを思い出すがよい)。

 また、この日本の現実の中に「社会主義」の(「体制」ではなくとも)<思想>は脈々と残存し続けている。
 富岡幸一郎の書いてきた文章をいっさい否定するつもりはないが、上の点はあまりにヒドい、と思われる。いったい、この人は何を考えているのか?
 さらには、上にも関連するが、富岡によると、現下の最大の「文明」問題は、「資本主義のデーモン」であるようだ。しかし、現在の資本主義に問題がないとは言わないが、アメリカ中心の「強欲ともカジノ的ともいわれる金融資本主義」を批判すること、そのようなものを「現代文明の全般的危機」として把握することともに、あるいはそれ以上に、覇権主義・軍国主義を伴う「社会主義」国家が現存し、かつ「社会主義」イデオロギーが(日本においてこそ顕著に)残存し続けていることを、きちんと、そして深刻に「現代文明」の重要な問題と把握すべきだ。
 このような「社会主義」に対する<甘さ>は、「大量殺戮(の悲劇)」に関する富岡の理解の仕方にも表れている。富岡は明らかに、これを近現代の「科学技術」の所産として(第一次大戦との関係で)語っている。
 しかし、富岡は知らないのだろうか。両大戦の死者(大量殺戮の被害者)の数よりも、ソビエト連邦や共産主義・中国等々における革命・内戦・「粛清」の犠牲者の数の方が多いのだ。
 「大量殺戮(の悲劇)」という語を使いながら、コミュニズムの犠牲者(大量殺戮被害者)をまったく思い浮かべていないようであるのは、少なくとも<保守>派の論者としては、致命的な欠陥がある、と考えざるをえない。
 佐伯啓思や西部邁について、<反米・自立>を説くのはよいが、<反共>または「反中国」の姿勢・文章をもっと示して欲しい旨を書いたことが何回かある。
 西部邁・佐伯啓思グループの一人のようである富岡幸一郎にも、同じような弊があるようだ。

1011/佐伯啓思のリスボン大地震・カント・「近代」への言及を受けて。

 佐伯啓思が1775年にリスボンで大地震があり、カントが影響を受けて著書まで書いた〔『美と崇高の感情の観察』→『判断力批判』)、ということを初めて記したのはおそらく新潮45(新潮社)5月号だ(p.231-)。最近の表現者37号(ジョルダン、2011.07)の座談会「文明内部の危機」でも、同旨のことが語られている(p.39-)。
 佐伯によると、ヴォルテールはアウグスティヌスやライプニッツの<神の創造した世界は最善>とかの「神学的」世界観を疑う契機とした。また、カントは、壮大な自然現象の恐怖・脅威を人間は理性と構想力で克服しようとし、そのような人間は「人格性」をもち、かつ「崇高」だ、と論じた。これは「近代的な理性中心の発想」に連なるもので、「ちょっと極端にいえば」、「リスボン大地震を一つのきっかけ」にして「自然を人間がコントロールできる」、そこに人間の「素晴らしさ、崇高さがある、という近代的なヒューマニズムのようなものが力を得てくる」。要するに、リスボン大地震はそういう(「近代」に向けての)「大きな価値観の転換をもたらした」。そして、佐伯啓思によると、今回の日本の大震災は、かかる「近代的な考え方」が限界を迎えたことを意味する、という(表現者37号p.40)。また、新潮45の5月号では、カントのような欧州近代(またはそれを用意した欧州啓蒙主義)の自然観とは異なるものとして、宮沢賢治の詩に見られる(日本の)自然観・死生観に言及している(p.234-)。
 なかなか興味深いし、別のどこかで誰かが、ルソーの人間不平等起源論の「自然に帰れ」との反文明観の吐露もリスボン大地震の影響があったと書いていたこともついでに思い出す。
 だがむろん、完全に釈然としているわけではない。ヴォルテールとカントだけを持ち出して、「欧州近代」へのリスボン大地震の影響は論証できるのだろうか、という疑問がある。「一つのきっかけ」程度で、リスボン大地震の影響を過大評価してはいけないとの議論もできそうだ。
 また、自然災害を前にして自然と闘おうとする欧米(西洋)「近代」思想と、自然と「共生」しようとする日本的自然観・死生観との対比も上の佐伯啓思の論調には見られるようだが、そもそも「自然」環境そのものが、欧州と日本では異なる、ということが出発点なのではないか、という気もする。すなわち、自然観・死生観が異なるから大地震等々の「自然」現象への対処・対応が異なるのではなく、逆に「自然」環境が異質だからこそ、欧州と日本では自然観・死生観も異なるに至ったのではないだろうか。
 1775年といえば明治維新から100年近く前の江戸時代・安永年間。その頃以降も日本ではいくたびも大地震・津波を経験したのだが、欧州については1775年の大地震まで遡らなければならないということ自体に、自然<大災害>の多寡が示されているようにも見える。
 地域によって違うだろうが、土地の肥沃度では日本の方が総じて豊かなような気もする。しかし、地震、津波、台風といった自然現象による災禍は、古代からして欧州よりも日本の方がはるかに多く、そこから、日本(・日本人)には欧州とは異なる独自の自然観・死生観が育まれてきたのではないだろうか。
 というようなことを考えていると、なかなかに面白い。

0999/アメリカ建国の理念とは-佐々木類(産経新聞)・佐伯啓思・中川八洋における。

 一 A 産経新聞アメリカ支局長・佐々木類は産経1/16付紙面で、「同盟深化に米建国の理念理解を」と題して、米国での銃規制の困難さにも関連させて、こう書いていた。

 「書生っぽいことをいえば、ロックが1676年に『統治二論』で著した社会契約説が、100年後に米国建国という形で具体的な姿を現した。ロックは、人間が自分を守る権利と労働の結果生まれた私有財産は人民の契約に基づいて国家が作られる前からあった『自然権』だとし、国家権力がこれに干渉してはならないと定義した。/この精神を引き継いだ英国の植民地人、つまり、米国人らが、自分たちの意向を無視して証書や新聞などに印紙を貼らす印紙税や茶に課税する英国に対し、『代表なくして課税なし』と立ち上がり、独立戦争に突き進んだのである」。
 B 佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010)は、「アメリカの建国の精神」について、こう書く。

 ・「ジェファーソンの『独立宣言』に見られるように、「生命」「自由」「幸福の追求」を万人に平等に与えられた普遍的価値とみなしている」。
 ・「このアメリカ建国の精神である、強くて自由な個人、民主主義、個人の能力主義と競争原理などの価値へと『復帰』することは、アメリカにおいては『保守主義』ということになる」。
 ・「これは本来のイギリス流の保守主義とかなり異なっている。……アメリカ独立が…イギリスの伝統的国家体制への反逆であり、王権からの分離独立であることに留意すれば、アメリカの建国それ自体が、イギリスからすれば自由主義的な革新的運動であった」。アメリカ建国には「進歩主義」の理念が色濃く、「アメリカ流保守主義」は「いささか倒錯的なことに」すでに「『進歩主義』に染め上げられている」(p.188-9)。
 C 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は、「米国の建国」について、つぎのように言及する。

 ・「サッチャー保守主義の原点」にはバークがあるが、その基底で「ヴィクトリア女王時代の栄光の大英帝国」を崇敬していた。これは、「ジョージ・ワシントンやアレクザンダー・ハミルトンが米国の建国に当たって、エリザベス女王時代の…あとの頃一六〇〇年代初頭の…古き英国をイメージして、理想の新生国家・米国を建設したのと似ている」(p.233)。
 二 さて、米国建設の理念・イメージがかくも異なって叙述されることにまずは止目されるべきだろう。

 中川八洋はアメリカの対英「独立」の理念と一三州統合しての「建国」の理念とは区別すべしと別の著で説いており、上で挙げるハミルトンらは英国「保守主義」と基本的に異ならない「建国」の理念提示者として叙述されていると見られる。

 これに対して佐伯啓思はジェファーソンの名を挙げて対英「独立」の理念に着目しているようだ。

 かかる違いはあるとはいえ、基本的に英国「保守主義」を継承したと捉える中川と、米国の「保守主義」は英国のそれから見ると「進歩主義」だとの見解を示す佐伯啓思とは、やはり同じことを述べているとは、同様に理解されているとは、理解できない。

 アメリカ「建国」の理念も、論者により、あるいは論じられる脈絡との関係により、異なって語られうることは、知的関心を惹く、興味深いことだ。これは、アメリカを理解するうえで、そして<日米同盟>を語る場合の、決して「知的」関心の対象にとどまらない問題でもあろう。

 これに対して、佐々木類の「書生っぽい」叙述は、上の二人の学者とはやはり異なり、通俗的だ。要するに、<欧米近代>を一色で見ている。英米の違いはもちろんのこと、英・仏間にある大きな違いを見ることもしていない。ロックの「社会契約説」を挙げていることからすると、米国独立戦争前のルソーの『社会契約論』(1762)も、米国の国家理念と矛盾していないと理解されているのだろう。

 怖ろしいのは、「書生っぽい」、あるいは高校の社会科教科書を真面目に勉強したような<欧州近代>の理解でもって、欧米諸国(の建国理念・歴史等)を単純に捉えてしまうことだと思われる。

 そこには、今日ではすでに自国ですら疑念が提起されている、かつての通説的な「フランス革命」の(美化的)理解を疑いもしない、かつての「書生っぽい」認識も含まれる。ルソーもフランス革命も、さらには<欧州近代>(ロックを含む)そのものも、日本の<保守派>ならば「懐疑」の対象にしなければならないのではないか。
 ちなみに、中川八洋に全面的に賛同するつもりはないし、評価する資格もないが、中川によるとロックはホッブズ(中川のいう有害な思想家)の影響を強く受けており、ハイエクは英国名誉革命に関するヒュームとロックの議論を対比してヒューム(中川のいう有益な思想家)に軍配を上げた、という。またヒュームは(中川も)ロック、ルソーの「社会契約説」に批判的だ(下掲書p.320-1)。但し、全体としては、中川八洋は、ロックを、モンテスキュー、パスカル、ショーペンハウエル、カントとともに(いずれかに傾斜しているとしつつも)「有益」、「有害」それぞれ31名の思想家リスト(p.384-5)の中には含めず、「双方の中間」と位置づけている(中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)p.388)。

0972/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章を読む⑤。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」-メモ⑤

--------------------  「国」には「ステイト」と「ネーション」の二つの側面がある。戦後日本の前者の基軸は主として日米安保による在日米軍に委ねられ、後者をまとめる「共通の価値」は、「公式的にいえば、憲法に規定された個人の自由、基本的人権、平和主義」で、「占領下においGHQによって」与えられた。サ条約を「起点」とする「戦後」において、「平和憲法と日米安全保障体制は相互補完的」で「不可分の関係」にある。サ条約によって「主権回復」したというが、日本は「事実上、主権国家といえる」のか。  サ条約とともに締結された日米安保条約の基本的考えは以下。憲法により日本は「固有の自衛権を行使する手段」がない。だが軍国主義が世界からなくなっていないので日本には「危険」がある。一方、国連憲章により日本は「個別的および集団的自衛権」をもつ。この権利の「暫定的行使」として、日本は国内・付近に米軍が配備されることを希望する。  1951年安保条約は「あくまで暫定的措置」だった。アメリカも日本は「いずれは憲法改正を断行して軍事力を保持するものと想定」していた。  1960年安保改定にかかる岸首相の意図は「双方の義務を明確化」すること=「米軍による日本防衛と、日本の基地提供」の明瞭化によって、条約を「より対等なものに近づけ」ることだった。一説によると、岸は条約の双務的対等化により国民の支持を得た勢いによる憲法改正の実現を企図した。岸の選択は革新派の「アンポハンタイ」よりも「正しかった」が、世論の読み間違いがあり、皮肉にも、安保反対運動が憲法改正への道筋を阻止し、「日米安保体制」の強化により「戦後体制」が固定化された。  日米安保体制は変化していった。1996年の「共同宣言」、1997年の「新ガイドライン」で再定義された。この体制は「日本および極東」ではなく「アジア太平洋地域」の安全のための枠組みへと転化した。この背景には、「冷戦以降」の国際環境の中で、国際主義よりも「同盟国との関係を重視」する米国の方針転換があった。この延長線上に2005年の合意があり、これにより端的に「日米同盟」と定義された。日米は「世界の安全保障」という「共通の目標を達成するために同盟関係を活用する」こととなった。この合意は、対テロ戦争・対「ならず者国家」等のアメリカの世界戦略の中に日本を位置づけるものだった。これは「深化」ともいわれるが、「変質」だ。平和憲法による防衛能力の欠如の米軍による補填ではなく、「世界の安全保障」との「共通の戦略目標」のためのものへと変形したのだ。  かかる変化は、「戦後体制」を固定化し「いっそう先に推し進める」ものだ。  以上、p.191-195。 上の後半のような「安保体制」の変容の叙述または分析は、しかし、日本共産党等の<左翼>も行っている、と見られる。対米従属性、アメリカの(自分勝手な)戦争に日本が巻き込まれる危険、というのは日米安保条約締結以降の<左翼>の主張でもある。だからどうだ、というのでは、とりあえずは、ない。 --------------------------------------------  安保体制から同盟への変質は戦後体制をさらに固定化する。
 そこには「もはや憲法改正によって日本独自の防衛力を保持することが事実上不可能であるという」認識がある。「平和憲法のもとで」世界の安全保障のために協力するということは、アメリカの軍事行動に「平和憲法を前提にしつつ」後方支援等で日本が関与するとの方向を目指す。集団自衛権の保持と行使可能との憲法解釈をとることで、事実上「九条の平和主義の解釈を変更」しようとするものと推測される。「平和憲法」の成文はそのままにして「集団的自衛権」を行使する「普通の国家」に接近させる、ということだろう。これが「深化」の意味だ。
 だが、かかる関係は決して「対等な同盟」ではない。「従属的同盟」だ。本格的同盟にするためには日本は独自の軍事力と軍事戦略をもち、主体的な世界観をもって情報活動・外交をする必要がある。それはまず憲法改正を要請し、サ条約の時代に立ち返るわけで、日米安保体制のあり方そのものを遡って論じる必要がある。
 対等・共同の「同盟」は「集団的自衛権の行使を含む十全な軍事協力」が可能でなければならない。そのためには憲法改正が必要で、かつ九条の「非武装平和主義」を放棄するとすれば、当初の「安保条約」の意味の根本的再検討が可能になる。

 変則的「同盟」において、「日米共通の価値」の存在が強調されている。「自由・民主主義、…市場経済体制の絶対性」を承認し世界化することだが、「ネオコンの論理」はその価値観を端的に表明したものだった。
 日本が「自由・民主主義の世界秩序の受益者」であることは否定できない。しかし、<力による自由・民主主義の世界化>・<敵対者に対する力の対決>という価値観まで共有しているとは思えない。

 以上。17.5/26頁。

0959/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章を読む③。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」-メモ③

 ・保守の精神とは何か。「保守の思想」は、英国の歴史や思想風土と「深く結びついて」いる。エドマンド・バークが抽出した英国の「国民性に根付いた歴史的精神もしくは暗黙の合意」を表現したもの。もともとはバークによるフランス革命への強い警戒心から発し、「保守」はまず「進歩主義」批判を意図する。「近代」社会は「進歩」を掲げるが、「近代主義とはほとんど進歩主義と同義」だ。とすると、「保守」は時代の「先を読む」・「潮流に乗る」等の甘言に飛びついてはならず、「徹底して反時代的」である必要がある(p.184-5)。
 ・「進歩主義(近代主義)の精神」として次の4つは無視できない。①合理主義・科学主義・技術主義の精神、②抽象的・普遍的理念の愛好、③自由・平等な個人の無条件の想定、④「急激な社会変化への期待」。

 ・「保守の精神」は、上との対比でこうなる。①「理性万能主義への強い懐疑」と「歴史的知恵」の重視、②「具体的で歴史的に生成したものへの愛好」、③「個人」よりも「個人を結び付ける多様なレベルの社会的共同体の重視」、④「急激な社会変化を避け、漸進的改革をよわしとする精神」と「大衆的なもの」への懐疑。「大衆的なもの」とは「無責任で情緒的な行動」で「ムードによって相互に同調的で画一的」になり「自らを主役であると見なす自己中心主義的な心情」。この「大衆的なもの」による「急激な社会変革」を「保守」は「ことさら警戒する」(p.185-7)。

 ・四つの各特質の第一点について。親社会主義=「革新」、親「アメリカ的」「自由民主主義・市場経済」=「保守」とされた。これは、アメリカに比べてソ連社会主義は「左」だったので「冷戦時代」には「一定の政治的有効性」があった。しかし、「冷戦以降」は異なる。

 ・「いくつかの例外を除いて、基本的に社会主義は崩壊したし、もはやイデオロギー的力はもっていない」。今日の最も「進歩主義的国家」はアメリカだ。「保守の精神」からは、アメリカ流「進歩主義」こそが最も警戒すべきものだ(p.187-8)。

 --------------------

 このあたりから佐伯啓思らしさが出てくるともいえるが、コメント・感想を挟む。上の部分のうち、前半には賛同できない。
 「いくつかの例外」として何を意味させているのかは正確には分からないが、まだ<冷戦>は終わっておらず、「基本的に社会主義は崩壊したし、もはやイデオロギー的力はもっていない」と論定することはできない、と考える。

 中国(シナ)や北朝鮮を日本にとっての「例外」などと評価することはできない。そしてまた、中国・北朝鮮等という「社会主義」国家が近隣に現存するとともに、「社会主義」イデオロギーは日本国内においてすらなお強く現存している。
 現菅直人政権のかなりの閣僚は、「社会主義」イデオロギーの影響を受けていると想定される。少なくとも「社会主義幻想」を持ったことのある者たちがいる。だからこそ、民主党政権を「左翼・売国政権」(鳩山)とか「本格的左翼政権」(菅)と称してきた。

 他にも、日本共産党はもちろん社会民主党も、れっきとした、「社会主義」の「イデオロギー的力」の影響を受けている政党だ。

 さらにいえば、岩波書店、朝日新聞等、出版社やマスメディアの中には、「社会主義」の「イデオロギー的力」の影響の強い、「左翼」または親「社会主義」的と称してよい有力な部分が巣くっている。

 この論考だけではないが、佐伯啓思はなぜ、「左翼」または親「社会主義」勢力の現存・残存についての認識が<甘い>のだろう。職場・同僚・学界に、「左翼」(例えば親日本共産党学者と評せる者)はいないのだろうか。信じ難いことだ。

 脇道にそれたが、再び佐伯論考に戻ってつづける。

--------  ・「保守の精神」が「冷戦以降」の今日の「もっとも警戒すべき」は「アメリカ流」「進歩主義」だが、「強くて自由な個人、民主主義、個人の能力主義と競争原理などの価値」という「アメリカ建国の精神」へと「復帰する」ことはアメリカでは「保守主義」だ。だが、これは「イギリス流の保守主義」とはかなり異なる。アメリカ独立・建国はイギリスからの分離独立・イギリスに対しての「自由な革新的運動」だったので、建国の精神に立ち戻るという「アメリカ流保守主義」は「いささか倒錯的なことに」すでに「進歩主義」で刻印されている。この「倒錯」は、「ネオコン」=「新保守主義」が、「自由」・「平等」を普遍的価値とみなして「イラク戦争や対テロ戦争」を立案したとされることに、典型的に示されている(p.188-9)。
 ・「戦後日本」はアメリカ的価値観の圧倒的影響下にあったため、「アメリカ流保守主義」を「保守」と見なした。しかも冷戦下でアメリカ側につくことが「保守」の役割とされた。イギリス的「保守」とアメリカ的それとの区別が、決定的に重要なのに、看過された(p.189)。
 ・「日本とは何か」を問題にする際、「日本の保守」を「アメリカ流保守主義」と「自己同一化」してはならない。日本の「国体」はアメリカのそれと大きく異なり、むしろイギリスの方に近い。いずれにせよ、日本の「保守」にとって、「日本の歴史的伝統を踏まえた価値とは何か」という問いが決定的に重要だ(p.190)。
 ・いっとき勝利したかに見えた「保守」は今や退潮している。「この二〇年」で「保守」は「失敗した」。その原因は、日本の「保守派」が「保守」を「アメリカ流保守主義」によって理解していたからだ。日本は、①「経済構造改革」路線の選択、②外交・軍事上の「日米同盟」という、「二重の意味で、かつてなくアメリカと緊密な関係に立つという判断をした」(p.190-1)。
 ・かかる政策の当否を論じはしない。「保守」の立場からは何を意味するのかを明らかにしたい。ここでは以下、「日米同盟」につき論じる(p.191)。

 以上で、13/26頁。

0958/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章を読む②。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」-メモ②

 ・「保守」の立場の困難さの第二は、日本の「近代化」が一方で伝統的日本(と見られるもの)への回帰、他方では「西欧列強の制度や価値」の導入、によって遂行されたことだ。近代化は「外発的」で、「憧憬することで近代化を遂げた」。この事情は戦後はさらに「緊張感を欠いた漫然たる」ものになり、ほとんど「無自覚、無反省」のままで「アメリカ的なもの」への「傾斜、追従」がなされた(p.181)。

 ・決してアメリカ化などしていないとの反論はありうるが、「戦後日本人が、ほとんど無意識のうちにではあれ、『アメリカ的なもの』、すなわち、個人的自由、民主主義、物的豊かさと経済成長、人権思想、市場経済、合理的で科学的・技術的な思考、市民社会などに寄りかかった」のは間違いない。他方で、これらと対立するとされた「日本的なもの」、たとえば「家族的紐帯、地域共同体、社会を構成する権威、そして、日本的自然観、美意識、仏教的・儒教的・神道的なものを背景にした宗教意識」は、すべて否定的に理解された。ここに「戦後日本における大きな精神的空洞が出来した」(p.182)。

 ・「保守」が「その国の歴史的分脈や文化的価値をとりわけ重視する」ものだとすれば、上の事態は「由々しき」ものだ。「倒錯した価値をしごく当然のごとく受け入れてきた戦後日本という空間には、公式的にいえば、『保守』の居場所はない」。「日のあたる場所」は「アメリカ的」「戦後思想」が占拠したのだから。したがって、「保守」は、「戦後日本が公式的に重要な価値とみなしているものをまず疑うところから始めなければならない」(p.182)。

 ・「軍事力」のない「戦前に戻ればよい」という単純な話ではなく「日本の近代化」自体が孕む問題だが、「戦後」に限っても、「戦後日本の…ありように、根源的な違和感をもつ」、この前提がないと「『保守』という精神的態度は成立しえない」。したがって、「少なくとも戦後憲法の精神は保持したままで『保守の原点に戻る』などと言っても意味はない」。「戻るべき原点」とは何かも問題だ。

 ・しかし、「戦後」への「大きな違和感」をもつと同時に、「どうあがき悶えても」、「戦後日本」に生きてきているのであり、戦後憲法と下位法体系のもとで「生活を守られ、言論活動をしている」のも事実で、「今日、われわれは決して『戦後日本』の外へ出ることはできない」(p.182-3)。
 ・典型的「進歩主義」に覆われた「戦後日本の公式的価値空間」で「保守」を唱えること自体が「矛盾をはらんでいるのではないか」との疑問すら生じる。「実際その通り」なのだ。「保守」自体の矛盾に自称「保守主義者」たちは「どこまで自覚的」なのだろうか。まずは、「自らの置かれた立場についての引き裂かれた自覚」があるべきだ。この自覚がないと、戦後日本の「大方の」「保守主義者」のように、「社会主義に反対して日米同盟を守ることが保守の役割」だといった「倒錯した保守の論理」が出現する(p.183-4)。

 ・「戦後体制」、つまり「平和憲法と日米安保体制」という構造の中で生き、身を守られているとすれば、「日米同盟」を破棄できない。この状況自体が、「日本を日本でなくする危険に満ちている」。そのこともまた「今受け入れるほか」はない。とすれば、「この種の苦渋に満ちた矛盾と亀裂の只中にいるという自覚」だけが「保守」に「道を開く」のであり、この点に無頓着な「保守」は、「親米であれ、反米であれ、『真の保守』たりえない」と思われる(p.184)。

 以上で2回め、終わり。まだ7/26頁。

0957/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」。

 一 佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010.08)の第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」は、月刊正論2010年6月号(産経新聞社)の「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」に「多少の加筆修正」をしたもの。

 月刊正論の原論考ついては、この欄の5/07、5/17、5/18の三回ですでに紹介・言及している。不十分なコメントしかできていないが、単行本の一部となって読み直しても、<保守派>志向の者にとって、無視できない、重要な論点・問題を提起しているようだ。

 日本の「国民精神」は「西欧的なもの」と「日本的なもの」の間の、「もはや深刻なディレンマとして受け止めることができなくなってしまった」ディレンマとして表象されてきた。この「葛藤を引きうけること」によるしか「精神の活力もバランスもえることはできない」ので、「保守の立場とは、まずはこのディレンマを自覚的に引き受けるということから始めるほかない」(p.202-3)。

 日本の保守派(志向者)ははたして、「このディレンマを自覚的に引き受けるということから始める」ことをしているのだろうか? そしてまた、なぜ、この佐伯啓思論考を手がかりにしたような議論や論争が<保守論壇>で起きないのか?

 二 あらためて、この論考を最初から、メモをしながら読み直す。なお、今年2010年の4月頃に初出論文は執筆されたと見られることは留意されてよいかもしれない(まだ鳩山由紀夫首相で、まだ2010参院選民主党敗北も明らかでなかった。むろん尖閣問題も起きていない)。

 ・鳩山政権の支持率は下がっているが、自民党への期待が高まってもいない。その理由は「この政党の依って立つ軸のありかが全くもって不明な点」にある。但し、民主党も「同じ」で、「経済政策や外交政策の基本的な立場が見えない」(p.178)。

 ・民主党=リベラル、自民党=保守との図式ぱありうるが、「リベラル」・「保守」の意味自体が明快ではない。福祉重視=リベラル、市場競争重視=保守という「何とも大ざっぱで、しかも誤った通念」が流通した。これによると、「構造改革」をした自民党は保守、民主党は「その反動でリベラル」ということになる。だが、「構造改革」という「急進的改革」者を保守と称するのは奇妙で、それに「抑制をかける」ものこそを「保守」というべきだ。また、「過度にならない福祉」は「保守」の理念に含まれているはずだ(p.179-180)。

 ・下野した自民党の一部で「保守の原点」、「保守の再定義」、「真正の保守」等が語られているのは結構なことだ。では、「保守の原点に立ち戻る」とはどういうことなのか?(p.180)

 ・「保守」の立場の困難さの一つは、「改革」・「チェインジ」の風潮と現実のもとにあることだ。だが、現在の「変化が望ましい方向のものだという理由はどこにもない」。「変化」の意味を見極め、「変転著しい」「変化」に「振り回されない軸を設定する」ことこそが今日の政治の課題=「保守」という立場、だ(p.180-1)。

 とりあえず、以上(つづく)。

0946/「戦後」とは何か⑥-佐伯啓思・日本という「価値」(2010)より2。

  佐伯啓思・日本という「価値」(2010、NTT出版)によると、自民党内部に、「顕教的価値」重視勢力と「密教的価値」重視勢力の二つの「政治文化」が形成された。①「護憲的勢力と改憲派」、②「国際主義とナショナリズム」、③「国連中心主義者と親米派」、④「非核三原則とアメリカの核のカサ」、⑤「普遍的な人権論者」とそれへの「反対勢力」、⑥「自由競争路線と福祉重視派」、⑦「都市化論者と地方主義者」、「すべてがあった」(p.166)。
 個々の自民党員や国会議員が上のすべての項についてきれいに前者か後者のいずれかに分類されるとは思えないが、自民党が「国民政党」という名の、これらの「包括的政党」だったとの趣旨は分かる。

 そして次のいくつかの文章は、少なくとも1990年頃までの「戦後」を、じつに的確にかつ簡潔に描いているように見える。

 自民党の内部対立が顕在化することなく推移したのは、「戦後憲法の平和主義を(暫定的であれ)受け入れ、日米関係を堅持し、そのもとで経済成長を達成し、…その成果をできるだけ国民に広く配分する」という「現実主義的妥協」だった(p.166)。

 この妥協はときに「吉田ドクトリン」と呼ばれるが、どこまで自覚的だったかはともかく、この妥協によって日本人は「あの二重性のもつ亀裂や分裂に頭を悩ませる必要から解放」された。「亀裂はうまく隠蔽」され、顕教も密教も「その時々においてすみ分けつつ配備」され、日本人は「特に痛痒を感じることなく過ごす」ことができた(p.166-7)。

 「大多数のサラリーマン」は「日本的」企業で「一生懸命働けば、所得が増加し、家族が満足し、そして、日本全体としても豊かになっていった。その時に、一体誰が日米関係の変則性や憲法のもつ矛盾に頭をなやます必要があるだろうか」(p.167)。

 「経済成長のもと」で「個人、家族、地域、企業、日本」は一本につながり、「あえて難問を思考するという不協和音」を入れる余地はなかった。「吉田ドクトリン」は1951年以降の自民党の「政治原則を示すキーワード」だろうが、これは自民党政治の象徴のみならず、「戦後日本を覆う精神状況そのもの」だった。自民党政権の長期継続は、自民党の体質が「戦後日本人の平均的な精神状態を表していた」からだろう(p.167)。

 「吉田ドクトリン」なるもの、つまり吉田茂の<思想と政策>についてはなおも検討の余地があるだろう。だが、少なくとも1990年頃までの、あるいは今日もなおも維持されている「戦後」日本の基本的体制(?)は、A・日本国憲法のいう「戦力」不保持条項のもとでの「平和」または「軽装備」主義とそれを補う日米安保条約を通じたアメリカ(の核を含む軍事力)による日本の「保護」、B・これを前提または与件とした「経済成長」または「経済的・物質的富」の追求、だった、とさしあたり理解している。

 自民党の長期政権の背景には、「顕教」と「密教」のいずれかを上手く分担してくれる政党が他になかったこと、つまり、少なくとも表向きは、上のAの要素である「日米安保条約を通じたアメリカ(の核を含む軍事力)による日本の『保護』」に反対して、日米安保破棄を主張していた日本社会党が野党第一党だったという不幸な事態があった、ということは記しておいてよいだろう。この点に佐伯啓思は明示的には言及していないが、ともあれ、「(A①)戦後憲法の平和主義を(暫定的であれ)受け入れ、(A②)日米関係を堅持し、そのもとで(B)経済成長を達成し、…その成果をできるだけ国民に広く配分する」、あるいは国民は物質的・経済的利益を「配分」される、という政策、意識あるいは「体制」が継続した―基本的には今日も継続している―のが、日本の「戦後」だった、と思われる。

 佐伯は上で、①「日米関係の変則性」と②「憲法のもつ矛盾」を簡単に語っている。佐伯のいう「冷戦(構造)の終わり」のあと、おおむね1990年代初め以降、本当はこれらがより強く意識され、まともに論じられ、改められる必要があった。これらについては、また触れる機会があるはずだ。

0944/「戦後」とは何か⑤-佐伯啓思・日本という「価値」(2010)より。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)という「論文集」(p.309)は三部で構成されているが、あえて言えば第一部は経済、第二部は政治、第三部は思想をテーマとするものを収載している。タイトルに示された「日本という『価値』」は価値を失い、または価値追求を失った日本人に何がしかの(日本としての、日本に特有の)「価値」発見・追求を求める趣旨なのだろうが、基本的趣旨は理解できるとしても、その「価値」の具体的内容は、残念ながら明瞭ではない。
 重要と思われる論考の一つは第8章「保守政治の崩壊から再生へ」。これは、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(2010、ジョルダン)の中の独立の論考で2010年3月初出。自民党と民主党に言及しつつ、「戦後日本的なもの」を論じている。以下の頁数は冒頭に掲記の単独著。

 佐伯啓思によると、自民党とは何だったかを問うことは「戦後日本」を振り返ることでもあり、「戦後日本的なもの」は、「顕教としての普遍的価値」と「密教としての日本的習慣」の結合または「二重構造」だった(p.164)。じつに(?)大胆な主張または仮説だ。

 「顕教としての普遍的価値」とは、「誤った」戦前から「正しい」日本を再生させるとされた諸理念で、以下のものがとくに列記される-「個人の自由、民主主義、合理主義、科学や技術の尊重、平和主義、人権尊重、国際主義(国連中心主義)」。これらを「普遍的正義」としての<近代国家>の実現が戦後の「公式的価値」となった、戦後憲法は「この理想を表明」するものだった。

 「密教としての日本的習慣」とは、かの戦争にかかる「一方的な日本断罪(たとえば東京裁判)への不満、日本的な宗教精神(儒教的・仏教的・神道的・古代的自然観など)を基盤にした日本的価値観への愛好、社会の中に根付いた習慣や習俗、地域に残る共同体的なもの、家族や親子、あるいは教師と学生、上司と部下などの人間関係についての『日本的』観念」といったものを指す。

 上の後者は合理的・科学的では必ずしもないために「戦後的価値」(公式的価値)とは「表面上は齟齬」をきたし、顕教の「近代主義」から見れば「前近代的」で、ときに「封建的」とされる。しかし、「人間関係を差配」する「非合理的な慣行」・ルールという「目に見えない文化」を捨て去ることはできず、「声高に公式的に」表現されなくとも「非公式の価値」となってきた(p.164-5)。

 この「二重性」が戦後日本を特徴づけた。かつ、両者は「容易に調停」しがたく、差異を意識すれば「亀裂」は大きくなる。「日本人の自己像は分裂してゆく」。

 そこで、戦後日本人は「あえて思考停止を選んだ」。表面的には「近代主義的」「普遍的価値」を称揚し、表面下では「日本的慣行」に従って行動した。言説空間では「近代主義者」として、具体的生活空間では「前近代的」日本人として振る舞った。

 かかる「戦後日本の二重性を見事に表現した政治政党」、「この二重性を利用しつつ巧みに覆い隠した」政党が、自民党だった。日本人自身が「二重構造がもたらす自己分裂もしくは自己喪失を直視したくなかった」のであり、自民党は、「面倒なことから目をそらしたい」という「戦後日本人の心理に巧みに寄り添った」(p.166)。

 <戦後>とは何だったかを考えるためにも、きわめて興味深い叙述ではないか。上のいわばテーゼ的なものは、自民党のみならず、「吉田ドクトリン」や民主党政権の誕生にも関連させられる。次回に続ける。

0926/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)を全読了。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)を11/02夜に全読了。全311頁。

 最初から順に読み通したのだから(但し、佐伯の発表論考をまとめたもの)、感想は当然にある。
 既に初出論文について書いたかもしれない、<保守>にとって重たいまたは刺激的な論述もあるし、その他、佐伯らしい鋭い指摘・分析もある。全体として挑発的・論争誘発的(ポレーミッシュ、polemisch)な本なのに、この著をめぐって論争・議論が発展・展開したようでもないのは、<保守>論壇の貧困さの表れでもないだろうか。

 佐伯啓思に全面的に賛同しているわけではない。この9-11月という時期に読んでいると、<中国>への言及が、アメリカや<欧州近代>等に比べてはるかに少ないことに、驚きすら覚える。また、「マルクス主義」は「一九九〇年代には、さすがに腐臭をはなち、どう廃棄処分にするかが関心事であった」(p.45、2008年)とか、1930年代とは異なり「もはやファシズムも社会主義もありえない」(p.99、2009年)とかいう認識は、佐伯の頭の中や佐伯の<仲間たち>や純経済理論にとってはそうなのかもしれないが、「マルクス主義」や「社会主義」(の危険性・脅威)に対して<甘すぎる>、と感じる。

 具体的な紹介等をしていない遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(上下、2010.04、麗澤大学出版会)への言及とともに、より詳しい感想等は、他日を期したい。

0918/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)は民主党の「日本を外国に売り渡す」政策も語る。

 一 民主党政権になった一年余前、<左翼(=容共)・売国>政権だとこの欄で位置づけた。朝日新聞が嫌いなはずの、鳩山・小沢・輿石三人の「談合」の結果としての菅直人への(総選挙を経ない)政権「たらい回し」ののちには、この欄で<本格的「左翼」政権>誕生、と書いた。

 菅・民主党政権の具体的なことに言及するのは精神衛生に悪いので、極力書かないようにはしている。

 仙石由人官房長官はかつて日韓基本条約(1965年)締結に対する反対運動をしていた社会党系活動家で、のちに社会党から国会議員になった筈だから、社会党の党是、すなわち「社会主義への道」を少なくともかつては信奉していたはずだ。現に(おぞましき)「社会主義」の道を共産党・労働党指導のもとで歩んでいるらしい中華人民共和国や北朝鮮に、仙石が<甘く・優しく>ならないわけがない。

 拘禁後の中国人(船長?)釈放は、菅→仙石(または仙石→菅→仙石)→某法相→最高検総長→那覇地検という<事実上の>上意下達の結果であることはほぼ明らかだ。地検の<自主的な>判断という大嘘は当然に<卑怯だ>(検察一体の原則からして、もともと最高検が諒解していたかその指示によるかのどちらかであることは法制度上少なくとも明確で、那覇地検かぎりでの判断などはありえない)。

 田嶋陽子(かつて国会議員)らと「従軍慰安婦」個人補償法案を提案し、ソウルで韓国人運動家たちとともに日本大使館に向かって拳を突き上げた岡崎トミ子が国家公安委員会委員長(国務大臣)なのだから、呆れて大笑いしたくなるほどの、ブラック・ジョークのような現菅直人内閣だ。

 かかる「左翼・反日」政権とそのもとでの生活への<嫌悪に耐えて>、生きていかねばならないとは…。

 二 佐伯啓思・日本という「価値」(2010、NTT出版)は、民主党政権の<売国(・反日)>性をこの人にしては明瞭に語っている(以下の初出は2010年1月)。

 佐伯いわく-民主党の基本政策は「対米依存からの脱却」、「市場原理主義的な経済自由主義の見直し」、「土建型公共事業による経済成長」から「福祉に軸足を置いた生活中心社会への転換」で、これらに「特に異論はない」。だが一方でこの政権は①「二酸化炭素」25%削減を国際公約にし、②「外国人参政権」を認めようとし、③「夫婦別姓」も打ち出している。/「こうなるとよくわからなくなる」。「対米依存からの脱却」・「新自由主義路線の修正」は「国家の自立性を高める」という意図をもつ筈だが、他方で、「外国人参政権」を唱え、「聞こえのよい国際公約」を行って、「小々大げさにいえば」、「日本を外国に売り渡す」類の政策を促進する。「一体これらがどのような関係にあるのか」、マスメディアを含めて誰も問題にしていない(p.146-7)。

 佐伯は続ける-この「支離滅裂」は「国家や国民の捉え方の曖昧さ」が生んでいる。叙上のような基本政策は結構だが、その種のことを唱えるには、①「日本という国家の防衛をいかに行うのか」、②「経済成長に代わる価値観をどうするのか」、③「日本社会の将来像をどのように描くのか」、という「国家像がなければならない」。しかも、「相当な国民的な結束」が不可欠だ。「国家像」を描き、それを実現するためには「国民の道徳的な力」が必要なのだ。なぜ、「そのことを言わないのか」。言わないがために「政策に厚みがなく、他方で、『日本を外国に売り渡す』類の政策が平然と」行われる。民主党の政策は「ご都合主義的でファッショナブルなものへの追従かその羅列に過ぎない」ように見える。政策の背景にあるのは「幾分のサヨク・リベラル路線」をとっての「世論の流れと時代状況への追従」の「終始」ではないか(p.147-8)。

 佐伯啓思は私よりも民主党の具体的政策をよく知っていそうだから、あえて異は唱えない。おそらくは昨年末に書かれた文章にしては、民主党の<脆うさ>を、適確に指摘していると思われる。

 但し、民主党全体を評価するにしても、「サヨク・リベラル」と性格づけるのは(p.118も)、「リベラル」の意味が問題にはなるが、やや甘いかもしれない。

 にもかかわらず、「新自由主義路線」が<対米依存>でその「見直し」は「国家の自立性を高める」ことを意味するはずだということも含意しての、佐伯啓思による明確な、民主党政権の<売国性>の指摘は重要だろう。佐伯は8月の<菅談話>も一例として挙げるだろうか。

 なお、菅直人内閣についても、櫻井よしこ等の保守論者は「国家観なき…」とか「国家観のない」と(お題目のように?)言って批判することが多いが、彼ら民主党の要人たちにも何らかの「国家観」はあるのであり、ないのは、佐伯が上に指摘するような、具体的な「国家像」だ、と考えられる。

 仙石や菅らは(そして、その他の仲間たち諸々は)、<国家なんて本当はなくてよいのだ>、<国家意識を過分にもつことは危険だ>、等々の「国家観」を持っているように思われる。対立は、<国家観>の有無・存否ではなく、<どのような国家観をもつか(そしてどのように日本の将来像を描くか)、というその内容にある、のではないか。

0916/「テレビメディア」と政治-佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08)の中の一文。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)に、安倍首相のもとでの2007参院選のあとで書かれた文章が収載されている。この本でのタイトルは原題と同じく「<無・意味化な政治>をもたらすテレビメディア」で、初出は隔月刊・表現者2008年1月号(ジョルダン)。かくも厳しいテレビメディア批判をしていたとは知らなかった。

 2007年夏の参院選前の朝日新聞等のマスメディアの報道ぶりはいま思い出してもヒドかった。異様だった。そのことの自覚のない多くの国民の中に、産経新聞の記者の一人もいたのだったが。

 佐伯啓思は述べる。・「テレビは本質的に『無・意味』なメディアである。…テレビは本質的に世界を断片化し、統一体を解体し、真理性を担保せず、視聴者に対して、感覚的で情緒的で単純化された印象を与えるものだからだ。それはテレビメディアの構造的な本質」だ。

 ・我々は「この種の『無・意味化』へ向かう大きな構造の中に…投げ込まれていることを知」る必要がある。「政治に関心をもつということは、いやおうもなくこの『無・意味化』へと落とし込まれる」ことだ。

 ・とすれば、「政治への関心の高さ」を生命線とする「民主政治」とは、現代日本では「『無・意味化』の中での政治意識の溶解を称揚する」ことを意味する。かかる現代文明の構造からの脱出は困難だが、「そうだとしても、そのことを自覚する必要はある」。これは世界的傾向でもあるが、「欧米の民主政」が「同様の構造をもった視角メディアにさらされながらも…かろうじて健全性を保っているように見えるのは、この自覚の有無と、政治に対して意味を与えようとする意思にある」のではないか(p.137-8)。

 上にいう「無・意味化」とは、佐伯によると、「ある価値の体系にもとづいてある程度の統一と真理性をめざした言説や行動の秩序の喪失」のことをいう(p.136)。

 佐伯はテレビメディアと「民主政」は相俟って「無・意味化」へと「急激に転がり落ちている」旨をも述べる(p.136-7)。

 とりわけ小泉内閣のもとでの2005年総選挙以来、「劇場型政治」とか「ワイドショー政治」とかとの論評が多くなった。「大衆民主主義」のもとでのマスメディアの役割・影響力に関する、上の佐伯啓思のような指摘もとくに珍しくはないのだろうが、しかし、2009年総選挙も含めて、上にいう「テレビメディアの構造的な本質」による政治の「無・意味化」が続いていることは疑いなく、また、そのような「自覚」を国民は持つべきだが、必ずしもそうなってはいない、という状況は今日でも何ら変わっていない、と考えられる。

 中国での数十人の「反日デモ・集会」を大きく報道しながら、日本での中国を批判・糾弾する数千人の集会・デモ(今月)を全く報道しない日本のマスメディアには、佐伯啓思は上の一文では触れていないが、NHKも含めて、欧米のテレビメディアとは異なる、独特の問題点もあるのではないか。

 NHK以外の民間放送会社の資本は20%までは外国人(法人を含む)が保持できるらしい。また、民間放送が<広告料>収入に決定的に依存している経営体であるかぎり、中国を市場として想定する、総じての<企業群>の意向を無視できないのではないか。別の面から言うと、テレビメディアとは、その「広告」(CF等)によって消費者の「欲望」(購入欲)を煽り立てる(企業のための)装置でもあるのだ。公平・中立な報道というよりも、<視聴率が取れる、面白い政治関係ニュース>の方が重要なのだろう。

 まともな教育をうけ、まともな「思想」を持った、まともな人たちが作っているのではない、退屈しのぎの道具くらいの感覚でテレビメディアに接しないと、日本にまともな「民主政」は生まれないだろう。あるいは、「民主政」=「デモ(大衆・愚民)による政治(支配=クラツィア)」とは元来その程度のものだ、とあらためて心しておく必要がある。

0914/ルソーの民主主義・「人民主権」と佐伯啓思・表現者32号。

 一 佐伯啓思「『民主党革命』はあったのか」隔月刊・表現者32号(2010.09、ジョルダン)はかなり前にすでに読んだ。

 民主主義・国民主権そしてルソーにつき、関心を惹いた叙述がある。佐伯啓思は、以下のように述べる(p.62-63)。

 ・戦後日本には「民主主義」の誤解、「民主主義」=「国民主権」=「国民の意思が政治に直接反映するもの」という「思い込み」がある。
 ・かかる「おそらくはルソーの人民主権論に由来すると思われる民主主義理解は、実はルソー自身さえも決して支持するものではなく」、ルソーは「主権者」=人民と、政治的意思決定を下す「統治者」を区別しており、後者は「人民そのもの」ではない。
 ・「主権者」と「統治者」を一致させようとすれば「民主制は全体主義へと転化する」。「国民の意思」=「すべての国民に共有された意思」=ルソーにいう「一般意思」なので、「国民主権」のもとで決定されて明示された「国民の意思」に「誰も逆らうことはできない」し、「逆らう者がいるはずがない」からだ。いるとすれば、それは「国民」ではない。

 ・「民主主義」が「政治的たりうる」には「国民主権」との「一定の距離」が必要で、「政治」と「世論」の間の「適切な距離感こそが政治感覚」だ。民主党はこの「距離感を見失った」。いやむしろ、「距離感」を放棄して「政治」を「国民主権」に「寄り添う」ようにさせた。「主権者」と「統治者」をできるだけ一致させようとした。

 このあとの民主党分析・批判も興味深いが、さて措く。

 二 ルソーの真意だったか否かはともかく、ルソーの「プープル(人民)主権」論は社会主義あるいは「全体主義」と親和的だとの批判または分析はこれまでもあった。

 一例がかつてこの欄で言及したことのある、中川八洋・正統の哲学・異端の思想―「人権」・「平等」・「民主」の禍毒(1996、徳間書店)だ。

 中川の叙述を大幅に簡潔化すると、中川によれば、ルソー→<フランス革命>(ロベスピエール)→ヘーゲル→マルクス→レーニン→<ロシア革命>という系譜が語られうる。また、ロベスピエールらのジャコバン党の教義が「マルクス・レーニン主義」の「原型」、ルソーらの思想こそが「フランス革命の暴力/破壊/独裁の源泉」で、「マルクス・レーニン主義」とは「ルソー・ロベスピエール主義」の「二番煎じの模倣」とされる。

 ルソー・社会契約論で示されたらしきいわゆる「プープル(人民)主権」論は、どこかに「全体主義」と通底させる<トリック>を潜ませている、と想定している。上の佐伯啓思論稿は吟味が必要であることを示唆してはいるが。

 抜粋になるが、中川のルソーの文章の一部を使った叙述によると、①「人民主権の政治」とは「人民すべての意思」=「一般意思」と「合致した政治」、②「人民」がすべての権利・自由を「共同体に譲渡する」「社会契約」により個々の「人民の意思」は一致して「一般意思」となる。③「人民の一般意思」を体得した「立法者」はそれを個々の「人民」に「強制する」、④自らの意思=「一般意思」に強制され服従することによってこそ個々の「人民」は<自由>になる(例、中川p.233-237)。
 理解しやすいものではないが、「人民の意思」=「一般意思」にもとづいていると僭称する<独裁者>が出現すれば、ここにいう「人民主権」論は容易に<全体主義(・社会主義)>容認論になるだろう。

 三 日本の憲法学者の中には間接または半代表制の「国民(ナシオン)主権」よりも直接民主制的な「人民(プープル)主権」論を支持する者がいて(例、東北大学現役教授・辻村みよ子)、なぜか「間接民主主義」よりも「直接民主主義」の方が<より進んでいる・より進歩的>と考えているようだ。むろん、ルソーやフランス革命期のジャコバン憲法・ロベスピエールを高く評価する立場でもある。

 こうした議論からすると、民主党あるいは菅直人・鳩山由紀夫等の「民主主義」理解は従来の自民党的なそれよりも肯定的に評価されるのだろう。

 だが、佐伯も指摘するように、彼らの「民主主義」あるいは「国民主権」の理解は皮相すぎる。また、立法・行政の<権力分立>も正しくは理解していない、と考えられる。別の機会で、また触れる。

0883/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)のメモ。

 佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号、産経)のメモ。
 ・財政再建か景気拡張か、日米関係をどうするか、構造改革を促進するのか否か、消費税をどうするか。自民党は具体的な方向を指示しておらず、民主党も同じ。「その時々の情緒やムードに敏感に反応」する「世論」が「政治を翻弄」していて、真の「二大政党政治からはほど遠い」。  ・自民党=保守、民主党=リベラルと簡単に図式化できない。「福祉重視」派=リベラル、「市場競争」派=「保守」というのは大雑把で「誤った通念」。「構造改革」なる「急進的改革」の推進者が「保守」というのは「いかにも奇妙」で、それに「抑制をかけるものをこそ保守というべき」。また、「過度にならない福祉は保守の理念に含まれる」。自民党は以前は「一種の福祉政策」も行っていた。(以上、p.80-81)  ・「保守」とは、「保守の原点に立ち戻る」とは、いかなる意味なのか。「保守」の困難さの第一は、圧倒的に<改革・変革・チェンジ>ムードの影響下にあること。アメリカの時代→中国の時代、IT革命→環境・エコ革命、テロとの戦い→「核廃絶に向けて」、「自由に能力が発揮できる社会」→「格差を是正する社会」。凄まじい変化だが、現在の「変化が望ましい方向のものだという理由はどこにもない」。  ・「『変化』に振り回されない軸を設定すること」が、「保守」の立場の「政治的課題」だ。  ・第二は、「戦後日本という特殊な空間」の形成にかかわる。「日本の近代化」は①「王政復古」等の「伝統的日本への回帰」と②「西欧列強の制度や価値の模倣もしくは導入」により遂行された。「外発的」近代化、「憧憬」することによる近代化だった。この事情は「戦後」に「さらに著しくも緊張感を欠いた漫然たる」ものとなり、無自覚・無反省な「アメリカ的なものへの傾斜、追従」になった。  ・上に異論はあろうが、「戦後日本人」は「ほとんど無意識のうち」にであれ、「アメリカ的なもの」=「個人的自由、民主主義、物的な豊かさと経済成長、人権思想、市場経済、合理的で科学的・技術的な思考、市民社会など」に「寄りかかった」。これらに対立する「日本的なもの」=「家族的紐帯、地域共同体、社会を構成する権威」、「日本的自然観、美意識、仏教的・儒教的・神道的なものを背景とした宗教意識」などは「ことごとく否定的に理解された」。ここに「戦後日本」の「大きな精神的空洞」がある。(以上、p.82-83)  ・「日本的なもの」を否定的に理解して「アメリカ的なもの」を受け容れる、つまりは「倒錯した価値をしごく当然のごとく受け入れてきた戦後日本」には、「公式的」には「保守」の「居場所はない」。アメリカ的「戦後思想」が「日のあたる場所」を占拠したので、「保守」は戦後日本の「公式」の「重要な価値」の疑問視から始める必要があった。
 ・「軍事力」抜きの「戦前」に戻ればよいということにはならない。「日本の近代化そのもののはらむ問題」だ。「戦後日本」への「根源的な違和感」を前提にしてこそ「保守」という「精神態度」は成立する。ゆえに「戦後憲法の精神は保持したまま」で「保守の原点に戻る」というのは無意味
 ・だが、ここで「困難はいっそう倍加する」。「戦後」を懐疑しても「現憲法や下位の法体系」の下で言論等をしており、「戦後日本」の「外」には出れない。「戦後日本の公式的価値空間」での=「アメリカ的価値観の受容」をしての、「保守」提唱自体が「矛盾をはらんでいるのではないか」。
 ・上の事実に自称「保守主義者」たちは「どこまで自覚的」なのか。立脚点についての「引き裂かれた自覚」がまずは必要。
 ・反「社会主義」の「日米同盟」の強化は、下手をすると日本をますますアメリカの「保護領」にする。だが、誰もが「戦後体制」=「平和憲法と日米安保体制」の下で守られて生きていて、「日米同盟」破棄はできない。「状況そのもの」が「日本を日本でなくする危険に満ちている」。このことを今は「受け入れるほか」はない。この「苦渋に満ちた矛盾と亀裂の只中にいるという自覚」だけが、今日の「保守」に道を開く。このことに無頓着な者は、「親米であれ反米であれ」、真の「保守」たりえない。(以上、p.83-84) 

0882/表現者30号(ジョルダン)の佐伯啓思「民主主義再考」。

 隔月刊・表現者30号(ジョルダン、2010.05)の以下を、とりあえず読了。いずれも短い文章なので。
 A 佐伯啓思「民主主義再考」
 B 富岡幸一郎「『近代』の限界としての民主主義」
 C 宮本光晴「政権交代の議会制度が機能するための条件」
 D 安岡直「われわれは衆愚政治に抗うことが出来るか」
 E 柴山桂太「民主主義が政治を不可能にする」(以上、p.75-95)
 F 西部邁「民主主義という近代の宿痾」(p.196-9)
 以下はAの一部要約または引用。
 A 「民主政治というもののもっている矛盾が、民主党政権において著しい形で露呈している」(p.76)。
 <「民主政治」概念には、「民主主義」を徹底すれば「政治」は不要になり蒸発するという「本質的矛盾」がある、という「決定的な逆説」がある。>(p.76-77)
 <W・バジョットによると、「議院内閣制」の前提は「有能な行政府を選出」できる「有能な立法府(議会)」だが、かかる有能な立法府は「きわめてまれ」。「議院内閣制」での「政府の本当の敵は官僚ではなく〔無能な〕議会の多数党」。「民主党はこの点をまったく理解していない」。>(p.78)
 <W・バジョットによると、「議院内閣制」のよさは、第一に、「議会と政党」が立派=「政党政治家がそれなりの見識」をもつ、第二に、議会選出「内閣」が「優れた統治能力をもって長期的に政治指導」をする、という条件に依存する。><そうして初めて、「議院内閣制」は「大衆的なもの」=「民意」から「距離」を置き、かつ「強力な指導力を発揮できる」。>(p.79)
 <W・バジョットによるとさらに、英国政治体制には「威信」部分と「機能」部分があり、前者を「君主制と貴族院」が担って「大衆を政治に引き付け、政治に威厳と信頼を与え」、後者を「内閣と衆議院」が担当する。両者の分業によってこそ「大衆と政治的指導の関係はかろうじて安定する」。>
 <こう見ると、今日の日本の政治が「著しく不安定で混沌としている理由もわかる」。小沢一郎流「議院内閣制」はそれの「悪用」であり、鳩山由紀夫の「民主主義」観には「威信」部分はなく、「威信」と「機能」は「渾融」してしまった。「威信」部分こそが「演劇的効果」をもつが、それが欠けて「マスメディア」がそれを「発揮して」「大衆を政治に引きつけようとする」ので、政治は文字通りの「演劇的政治」になってしまった。>(p.79)
 なかなか面白い。小沢一郎による参院選の民主党立候補者選び・擁立を見ていると、優れた「政党政治家」から成る「有能な立法府(議会)」ができる筈がない。彼らが当選しても、<投票機械>になるだけのことはほとんど自明だ。かくして「優れた統治能力」を生み出す「議院内閣制」からはますます遠のくだろう。
 屋山太郎はよく読むがよい。「議院内閣制」における「政府の本当の敵は官僚ではなく〔無能な〕議会の多数党」だ。
 もっとも、民主党に限らず、他政党も、<知名人選挙、有名度投票>に持ち込もうとしているようで、日本政治はますます深淵へと嵌っていく…。

0876/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)読了。

 〇4月某日、表現者第29号(ジョルダン、2010.03)の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「市場論-資本主義による国民精神の砂漠化」を読了。
 4月某日、同上の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「議会論-『チルドレン』による『討論の絶滅』」を読了。
 いずれも座談会記録だが、ふつうの論文的文章に比べて、却って読みにくく、理解がし難い面がある。ほとんど未読の、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(ジョルダン、2010.03)もきっとそうだろう。
 〇5月某日、佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」月刊正論6月号(産経、2010.05)を読了。月刊正論のこの号では最初に読んだ。計16頁で長い。
 簡単にまとめられるわけがないが、佐伯啓思の主張・見解のほとんどはよく理解できる。こういう言い方が不遜ならば、とても参考になる。
 「親米」でも「反米」でもあるし、どちらでもない、という表現も(p.94~)、よく分かる。かつて八木秀次は<保守>論者を「親米」と「反米」とに分けた図表を作っていたが(この欄で言及したことがある)、そのように簡単にはグループ化できないだろう(八木は「親米」派のつもりで自分を西尾幹二と区別したかったのかもしれない)。議論は<多層的、複層的>なのだ。「幾層かにわけて論じられねばならない」(p.93)。
 だが第一に、佐伯啓思に限られないが(西部邁も似たことを言っているが)、<冷戦は終わった>という前提で議論されていることには、きわめて大きな疑問をもつ(p.88には「一応の冷戦終結」との表現が一箇所あるが、他の部分では「一応の」という限定はない)。佐伯啓思に関係して、同旨のことは既に書いたことがある。
 なるほど欧州では対ソ連との間の<冷戦>は終わったのかもしれない(それでも拡大されたNATOがあることの意味を日本国民はよく理解すべきだ)。しかし、中国・北朝鮮との間での日本の<冷戦>はまだ続いているし、その真っ只中にある、と考えるべきだ。まだ日本(とアメリカ)は勝利していない。敗北する可能性すらある。
 したがって、佐伯啓思には、アメリカに問題点、批判されるべき(追従すべきではない)点があるのは分かるが、中国(共産党)・北朝鮮(労働党)の現状をもっと批判してほしい。
 第二に、思想家・佐伯啓思に期待しても無理なのだろうが、「まずこのディレンマを自覚すること」との結論(p.95)だけでは、実際には一種の精神論だけで、ほとんど役に立たない可能性もある。
 佐伯啓思の複層的な思考と叙述は魅力的だが、例えば、7月参院選に関してどう行動すべきかは、佐伯啓思の文章をいくら読んでも分からないだろう。
 行動あるいは政治的戦略の前にまずは「保守」の意味・立場・考え方を明確にしておくべきとの前提的主張は、そのとおりではあるのだが、具体的な成果がすぐには出にくいことはたしかだろう。
 それに、私はよく理解できたと書いてしまったが、佐伯啓思の議論に従いていける<知的大衆>はどれほどいるだろうか、という懸念もなくはない。いわゆる<保守>派にも(「左翼」と同様に)狂信的・狂熱的な者たちがいそうだ。そういう人たちは佐伯啓思の本・文章を読もうとしないか、または読んでも(失礼ながら)ほとんど理解できないのではないか。
 2008年2月の佐伯啓思・日本の愛国心-序論的考察(NTT出版)を刊行直後に読んで、何かの賞に値するように思ったが、論壇で大きな話題になることなく終わってしまったようだ。そういう意味では佐伯啓思は不当に扱われており(不遇であり)、もっと多くの人にその著書等は読まれてよいと感じている。それを阻んでいるのが、佐伯啓思の本等を書評欄等で絶対に取り上げたりはしない、朝日新聞等の「左翼」マスメディアであるのだが。

0868/産経新聞上での東大寺大仏-渡部裕明とついでに佐伯啓思。

 産経新聞4/17で、論説副委員長・渡部裕明は「『遷都』に学ぶ国家のあり方」とのタイトルのもとで書く。
 奈良の大仏=「東大寺大仏」は当時の「人々の努力の結晶」で、その意義は大きさではなく「人々の喜捨によって造られた点」にある。この大仏は「国民の心を一つにさせた」。

 その他、飛鳥京から平城京への「遷都」の背景・理由等にも言及があるが、論説副委員長が書くにしては、あまりに教科書的・通説的すぎるのではないだろうか。大仏建立の目的等についても、あまりに表面的で、史料実証主義の弊はないだろうか。

 どうもこの論説副委員長は、反マルクス主義を明確にし、旧日本社会党や社民党の<九条(護憲)教>への皮肉等にも満ちている、井沢元彦逆説の日本史(小学館)のシリーズを一冊も読んでいないようだ。文科省の検定済み教科書を範とすることだけが産経新聞の社是ではないだろう。

 井沢元彦の本を手元に置く面倒は避ける。
 以下は、たぶん井沢元彦が書いていたことではなく私の個人的感想にすぎないが、東大寺大仏のような巨大な建造物は、なるほど当時の庶民の努力と技術の結晶でもあるのだろうが、<日本人本来の美意識>からはズレているような気がする。

 上へ上へと(天により近く)伸びるような、教会の高い尖塔が欧州のとくにゴチック建築物に見られる。だが、日本の宗教は、高さや巨大さによる威容を示して、人々を屈従させる(と言って悪ければ、信仰へと導く)ような態度をとってきたのだろうか。

 仏教ではなく神道の場合、典型的には伊勢神宮がそうだが、ご正殿は素朴で決して大きくはない。さらには、寺院では<本尊>にほぼあたると思われるカミの依り代は、正殿(・本殿)の中に隠されていて参拝者の目には触れない。さらには、その正殿と参拝者の間には閉じられた門(と玉垣)があって、正殿すらをも見ないままで、参拝者は柏手を打つのだ。

 伊勢神宮を想定したが、他の神社でも、おおむね拝殿と正殿(・本殿)は別にあって(建築物の構造上、一体化している場合等もある)、本殿の中は見えないか、見えても決して大きくはない丸い鏡などを遠くから望むことができるだけだ。

 神道(神社神道)は、決して威張らず、目立とうともしないカミを中心に置いているのではないか、と素人ながら感じている。

 寺院でも、本尊の形の大きさは必ずしも如来・観音・菩薩等の<偉さ>や<価値>とは無関係だとされているのではないか、と思われる。小さな木彫にすぎないご本尊(の物体化したもの・徴表)が本堂の中央に置かれているのは、しばしば目にすることだ。

 そうした経験および観点からすると、私自身は東大寺大仏の巨大さには違和感を覚える。そして、なぜこんな巨大なものを造ったか(造らせたか)という、当時の為政者側の特有の事情にむしろ関心をもつ。

 したがって、渡部裕明のように単純素朴に書くことはできないし、単純素朴にお説拝聴というわけにはいかない。

 産経新聞4/19佐伯啓思のコラム「平城遷都1300年に思う」も最後に東大寺大仏に言及している。天皇の政治的位置づけの変遷または時代的類似性にコラム全体の主眼があるが、あまり面白くはない。「巨大大仏」と今日の「巨大高層ビル」を対比させるあたりもやや苦しそうだ。

 だが、「大仏はいまでも鎮座しているが、それは巨大な観光資源になってしまっている」、という感覚は、東大寺大仏を見て<国家と国民の関係>を考え直そう(大仏の建設・再建には国民が積極的に?協力した)という趣旨を述べている渡部裕明の感覚よりは、相当にまともだ、と思う。

0846/佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」と日本国憲法13条。

 一 産経新聞3/15の佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」を読んで、深い感慨に耽らざるをえなかった。
 二 鳩山由紀夫が「幸福度指数」なるものを持ち出していることに刺激を受けてだろう、佐伯は次のように言う。
 A<アメリカ独立宣言は「幸福追求の権利」等を「普遍的価値」と謳ったが、「自由」とともに「幸福追求の権利」はイギリスに対する「抵抗」の思想だったにもかかわらず、それが忘れられ、「誰もが幸福でなければならない、という一種の強迫観念」を生んだ。これに浸かってしまい、「他人が幸福であれば自分も幸福でなければ面白くない。不幸だと感じた途端、自分の人生は失敗だった」と感じてしまう。この強迫観念に捉えられれば「人は決して幸福になれない。それどころか…人をますます不幸にする」。>
 B<日本にはもともとは「かくも利己的で強迫的な幸福追求の理念」はなかっただろう。①「仏教的な無常観」、②「武士的な義務感」、③「儒教的な『分』の思想」、④「神道的な晴明心」、のいずれを持ち出し、いずれに依拠するにせよ、これらはすべて「個人的な幸福追求に背馳する境地をよし」とするものだ。ここに「日本人の死生観や自然観や美意識」が生まれた。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ。「幸福」の指標などと言う前に「日本人の背負ってきた死生観や自然観を学び直す」必要がある。>
 このような佐伯啓思の見解・主張を私はほとんど違和感なく受け容れることができる。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ、との部分も、論争的であるとしても(議論の対象になりうるとしても)、結論的にはそういう他はない、と感じている。
 三 佐伯の一文を読んで深い感慨を覚えた、というのは、佐伯啓思の見解・主張を私個人は十分に納得できるものの、しかし、現在の日本人の多数はむしろ理解できず、あるいは反発するのではないか、という、うんざりとするような気分も同時に湧いたからだ。
 なぜなら、佐伯も言及するアメリカ独立宣言が謳う「自由」や「幸福追求の権利」は現日本国憲法において、まさしく実定法化され(=明文で憲法典にまで書かれており)、少なくとも成文法としては日本国憲法は「最高法規」とされ、それにもとづいて行われた戦後の公教育のための、疑いをもつことが許されないほどの<理念>としてすらされてきた。
 あらためて、現日本国憲法13条を引用しよう。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 第一文でいう「個人の尊厳」(の保障)が樋口陽一をはじめとする<左翼>(かつおそらくは圧倒的に多数の)憲法学者において、現憲法の最重要の基本理念とされていることは、すでにニュアンスを変えつつ、この欄でも何度も言及した。
 この<個人の尊厳(の保障)>=「個人の尊重」とともに「(自由および)幸福追求に対する権利は…国政上最大の尊重を必要とする」と現憲法は謳っているのであり、かかる憲法規定を知り、学んだほとんどの(かつての、も含む)少年・青年たちには、とりわけ、狭く言えば大学の法学部で憲法を勉強した者たちには、さらには司法試験に合格し専門法曹になったような者たちには、<個人が尊重され>、個人がそれぞれ<幸福を追求する権利をもつ>ことは、疑問を微塵も生じさせないだろうような、しごく常識的で、当然のことになってしまっている、と思われるのだ。
 この13条の淵源はアメリカに、ひいては西欧(欧米)の法(人権・)思想にある。そして、佐伯啓思も指摘するように、必ずしも日本人本来の「人間」観・「人生」観とは合致していない、と思われる。
 だが、そのような問題があることを全くかほとんど意識することなく、<個人の尊厳>と<幸福追求権>の保障が存在することを、現在の日本人の多くは当然視しているのではないか。
 佐伯啓思の一文の内容を諒解しつつ、怖ろしいと感じるのは、上のことにある。
 佐伯啓思の考えていることと、日本国憲法に明示されていることにもよる、多数日本人の意識の間の、この大きな乖離。ここに怖ろしく感じる原因はある。
 それぞれの個人が(自由に)<幸福を追求>することができる、ということ自体は当然のようにも思えるが、佐伯も指摘又は示唆するように、個人は<平等に>「自由」・<幸福追求権>をもつと考えられていることから、他人との間の比較意識、<格差>を嫌う、<そねみ・ねたみ>の意識は容易に生じる。もともと日本人にとっての「自由」とは(他人に害悪を及ぼさない限度での)<気まま>・<放恣>・<何でもアリ>の気分に転化してしまっていること(これはほとんど<多様な個性の尊重>という通念に等しいこと)は、あえて長々と書かなくてよいだろう。
 こうした「自由」・<幸福追求権>を支えるかのごとき<個人の尊重(「個人の尊厳」保障)>の理念も元来は欧米に由来するものであることは、代表的な憲法学者だったらしい樋口陽一が、フランス革命期の<ジャコバン型個人主義>を日本人も(もっと?)体験すべき、と主張していることからも明らかだ。そして簡潔に書くが、丸山真男・樋口陽一(・辻村みよ子)らの日本の「左翼」知識人たちは、日本人は(欧米人のように?)自己を確立した<強い個人になれ>と戦後ほぼ一貫して(戦前から?)主張してきたのだ(そこでは自分は欧米的な「個人」として自立しているが日本の
「大衆」はまだ<遅れている>という暗黙の前提があった)。
 このような欧米的思想を継受した日本国憲法のもとで培養された現代日本「国民」の意識は必ずしも佐伯啓思のそれと同じではないと思われる。佐伯を批判しているのではなく、はがゆい思いで、事実の認識として書いている。
 そして、ここにもまた、日本「国民」の間の<国論の分裂>の根っこを感じ取らざるをえない。
 (「家族」に関する規定のない)日本国憲法も描く<自立した強い個人>の<自由(勝手)>な<幸福追求>活動の保障というイメージは、佐伯啓思の指摘するとおり、やはり日本と日本人の本来の意識とは合致しない、合致するはずがないのではないか。
 「日本人の背負ってきた死生観や自然観」に依拠して日本国憲法をも含めて見直すのか、それともかかる「日本人」意識あるいは<ナショナルなもの>は捨てて<普遍的な>「国際人」(地球市民?)になることを目指すのか、人についても国家についても、基本的なところで<国論の分裂>があり、あちこちで火花を散らしている。
 以上、内容としてはじつに幼稚な、新味のない文章になった。 

0739/佐伯啓思・大転換(NTT出版、2009)におけるハイエク。

 すでに多少は触れたが、佐伯啓思・大転換(NTT出版)における、日本の「構造改革」とハイエクとの関係等についての叙述。
 ・「ハイエクの基本的考え方と、シカゴ学派のアメリカ経済学の間には、実は大きな開きがある」。
 ・たしかに「ハイエクは市場競争の重要性を説いた」。その理由は「市場は資源配分上効率的」、「消費者の満足を高める」、ではない。
 ・理由の第一は、「市場制度は…自然発生的に生成し、自生的に成長していく…。だからそれを政府が無理にコントロールしたり、造り替えたりすることはできない」ということ。市場は「自生的に成長する」ために「耐久力をもち、安全性を備えている」。この点で「市場は優れている」というのがハイエクの一つの論点だった。
 ・市場はただ人々の自己利益追求の交換場所ではなく「法や慣習といったルールに守られた制度」で、「人々が信頼できるだけの安定性」をもつ。「公正価格」・「適正価格」という「社会的・慣行的」なものも「制度」に含まれる。従って政府が市場を「意のままにコントロール」したり「急激に改変」しようとすれば背後の「制度や慣行」にまで手をつけざるをえない。それは「市場経済を不安定化」する。政府は市場への「無理な介入」をすべきではない。
 ・要するにハイエクの「市場経済擁護論」は「市場経済は長持ちのする信頼に足る制度」だとの主張で、それを「自生的秩序」と呼んだ。ハイエクのいう「市場」とは「市場競争システム」ではなく「市場秩序」だった。
 ・第二の理由は、「市場秩序」は「社会全体についての情報を必要としない」ことだ。人々は本質的に限られた情報しか持てず「社会全体や経済全体」の情報を持たないし関心もない。従っていかに「合理的」に行動しても「合理性」の程度には限界がある。
 ・市場は「自分にしか」関心がない者が集まっても「何とかうまくゆくようにできている」。「ルールや制度も含めて」「慣性的な安定性」をもち、特定の人間・グループが「市場を大きく動かす」ことはない。
 ・人々は「自分にかかわる」知識・情報をもち「非合理的に行動」してよい。「システム全体についての合理的な知識」は不要で、「多少誤ってもよい」「局所的知識」で十分だ。
 ・要するに、市場は「いささか非合理的で誤りうる人間」が活動しても「決してゆらぎはしない」。それは、「人々の情報や知識が限定」され「間違うかもしれない」との前提に立つ。これも「市場秩序」が優れている理由だ。
 ・以上がハイエクの「市場擁護論」で、フリードマンらの論と「かなり違っている」。
 ・経済学者は通常、「資源配分上、効率的」、「消費者の効用を最大限」化する、その場合人々は「合理的に行動し」「システム全体についての合理的な知識」すら持つに至る、と「市場を擁護する」。ハイエクはそうは言わない。彼にとって「市場秩序が優れている」のは信頼できる「自生的秩序」として「安定している」からだ。「自生的秩序」としての市場は、人々の誤りや非合理性からの「ゆらぎ」を「うまく吸収」してしまう「安定性」を持つ、とするのだ。
 ・だからハイエクは、「自然に歴史的に生成してきた秩序」を破壊し「新たにシステムを設計」できるとの「設計主義」(constructivism)を「痛烈に批判する」。その際にハイエクは「社会主義のような計画経済」を想定したが、「構造改革」も、ハイエクからすれば「一種の設計主義」だろう。
 ・「経済的利益追求」の背後には「広い意味でのルールの体系、…制度や法や慣行」があり、人々はじつはそれを「頼りに行動」している。これこそがハイエクにとっての「重要な点」だ。従って、既成の「制度や慣行をいきなり変更する」ことは「自生的秩序」を破壊することで、システムの合理的設計という「設計主義」と同じだ。それは「市場秩序への人々の信頼感を損なう」と、かかる「理性万能主義」をハイエクは攻撃した。
 ・とすると、「ある国の経済制度や慣行を一気に破壊して、合理的な経済システムに変更」すべきとの「構造改革」は「ハイエクの精神」と対立している。かかる「合理的な設計的態度こそ」ハイエクが嫌悪したものだ。
 ・シカゴ学派経済学とハイエクは「基本的なところでまったく違っている」。「フリードマンとハイエクを同列に置くことはできない」。
 以上、p.185-8。
 「意のままにコントロール」、「急激に改変」、「いきなり変更」、「一気に破壊」という場合の「意のままに」、「急激に」、「いきなり」又は「一気に」か否かは容易に判別できるのか、という疑問も生じるが、とりあえず、趣旨は理解できる。

0729/佐伯啓思「『政治の品格』取り戻すには」-産経新聞5/28。

 産経新聞5/28佐伯啓思の一文「日の蔭りの中で/『政治の品格』取り戻すには」がある。
 「二大政党政治」につき、英米にはそれなりの背景があるが、日本には「存在しない」、あったとすれば冷戦下の<保守>・<革新>の対立だ、今の対立は「政策選択にも二大政党政治」にもならず「兄弟政党政治」(=親(国民)に向かっての兄弟の悪口の言い合い)に過ぎない、との指摘に、ほとんど異論はない。
 但し、完全な兄弟ではなく、民主党の一部には明確な(元?)社会主義指向者=「左翼」がいるので、相対的には<左・右>の違いが少しはあるだろう。また、安倍晋三らと鳩山由紀夫とではやはり少し違うだろう、<戦後レジーム>の評価の仕方が。といっても、現在、こうした対立点がどの程度有権者国民に意識されているかは疑わしい。
 佐伯啓思は、「見方によっては、方向は明瞭」とも書いて、①<「グローバル・スタンダード」への適応>と②<崩壊してゆく『日本的なもの』の保守>の対立(日本の「近代以降」の二つのモメント)を語る。
 これは、<グローバリズム適応>と<ナショナリズム志向(「日本的なもの」擁護)>が対立軸又は争点たりうる、という趣旨だろうか。
 但し、佐伯は明確には書いていないが、民主党と自民党を明確にこれら二つの対立軸の片方ずつに位置づけることが困難なことも厄介なところだ。自民党の中には、<グローバリズム適合>と<ナショナリズム志向(「日本的なもの」擁護)>が入り混じっているように見える。民主党は前者かもしれないが、後者に属する者もほんの一部はいるかもしれない。
 加えて感じるのは、<グローバリズム適合>と<ナショナリズム志向(「日本的なもの」擁護)>が対立軸又は争点だとした場合、あるいは近い将来にかかる観点から<政界再編>が生じた場合、後者に立つ政党は勝利する=有権者国民の多数派の支持を受ける、だろうか、という心配だ。
 朝日新聞はおそらく明確に<国際主義=グローバリズム>の立場に立つだろう。そして、<ナショナリズム志向(「日本的なもの」擁護)>派を執拗にかつ陰湿に攻撃するに違いない。
 はたして将来、日本国民はそのような朝日新聞的発想から離れることができるだろうか。

0723/カール・ポランニー「ファシズムの本質」等、佐伯啓思。

 〇 週刊エコノミスト5/5・12合併号(毎日新聞社)で、佐伯啓思がインタビューに答えて、同・大転換-脱成長社会へ(NTT出版)の要旨のようなことを述べている。最近に言及した読売新聞の記事より詳しい。
 全く余計だが、同誌同号の巻頭の斉藤貴男のコラムは東京都の五輪誘致活動につき石原都政が「切り捨てた福祉や教育、小児医療等」の予算を財源とする「許されざるカネ儲けの典型」と批判。さらに、石原慎太郎は「何かと言えば戦争だ戦争だと喚き立て、女性や在日外国人や障害者や、社会的弱者に罵詈雑言を浴びせては居直った」等とそれこそ<罵詈雑言>を浴びせている。九条2項護持派・「左翼」は石原慎太郎のやることはみんな憎いのだろう。毎日新聞は朝日新聞の亜流、第二朝日新聞なのかもしれないが、その発行する雑誌の巻頭には、もう少しはまともな神経の持ち主の、上品な文章を掲載してほしいものだ。
 〇 佐伯啓思・大転換(NTT出版)の書名が、カール・ポランニー(1886~1964)の『大転換』に倣っている又はヒントを得ていることは、佐伯も記している。
 その『大転換』ではなくカール・ポランニー・経済の文明史(ちくま学芸文庫、2003。初出単行本は1975)の訳者・平野健一郎「あとがき」によると、ポランニーは「社会主義者」だっともされるが大学卒業後にハンガリー急進党書記長を務めたほかは「非政治的」だった(p.416)。但し、ソ連のフシチョフに「人間的社会主義」を見い出して「平和共存」のための理論誌の創刊を複数の者とともに企図した(没後刊行)とされる(p.418)。『大転換』の刊行は在米中の1944年。
 上掲書の解説者・佐藤光「解説/ポランニー思想の今日的意義」によると、ポランニーは「社会主義者であった」ともされるが(p.432)、彼へのマルクスの影響は「元来限定的なもので」、『大転換』における資本主義批判は「マルクス主義的」というよりも「ユダヤ=キリスト教的」なものだった(p.434)。また、晩年の著作には、「人間的自由の全面的な実現を過激に求めて失敗したロシアのボルシェビズムをはじめとする思想や運動への、そして、それを支持したかつての自分自身への、苦い反省の思いが込められている」、という(p.440)。そして、上掲書所収の一論文は、「キリスト教にまで行き着く」、「西欧世界に伝統的な個人主義
」を基調として、ファシズムはそれを「踏みにじり」、「社会主義こそがその理想を…実現する」と強調するが、晩年にはそのような「個人主義的理想の事実上の放棄」を説くはずだった、しかし、「愚かさ」を自他に語りつつ「近代的個人主義の理想」は「理想」であり続けたのではないか、とされる(p.440-1)。
 単純ではないポランニーの「思想」が、ある程度は、何となく、わかるような気もする。
 〇 上の上掲書所収の一論文とは「ファシズムの本質」(1935)で、少なくともその一部には、興味深い叙述がある。以下は、翻訳を通じてだが、ポランニーの一部の文章のかなり思い切った(従って厳密さを欠く)要旨又は抜粋。
 ファシズムの「哲学大系」をウィーンのオトマール・シュパンはある程度は作りだしており、その体系の基礎には「反個人主義の観念」がある。「普遍主義」を採るシュパンによると、ボルシェヴィズム(共産主義)は「個人主義」の理念を政治から経済領域へと拡張したもので、マルクスは「完全に個人主義者」・「無政府主義的ユートピアニズムとさえいえるまでに、個人主義的」だ。「歴史的にみれば、民主主義と自由主義を経過して、個人主義はボルシェヴィズムへと到達する」(p.172-3)。
 エルンスト・クリークも、「社会主義」への諸力は「個人主義」的性格をもつとしつつ、一八世紀の個人主義と「社会主義に具現される」個人主義の二段階を語る。クリークによると、社会主義においては個人主義にかかる「重点の移動」が生じるだけだ。そして、「社会主義」は「民主主義」の中で用意されており、「個人主義にほかならない」(p.174-5)。
 ヒトラーも、「西欧民主主義はマルクス主義の先駆」
で、前者なくして後者はない、と言った。ローゼンベルクによっても、「民主主義運動もマルクス主義運動」も「個人の幸福」に立脚する(p.176)。
 ボルシェヴィズムは個人主義の封殺、「個性の終末」とするのがこれまでの社会主義(・共産主義)に対する批判の仕方だったが、ファシズムはかかる「単純な批判派」との連合を拒否し、「社会主義は個人主義を継ぐもの」、「個人主義の実質を保存しうる唯一の経済体制」だと主張して批判する(p.176)。
 「社会主義と資本主義」はいずれも「個人主義の共通の所産」だと非難して、ファシズムはこれら二つの「不倶戴天の敵の姿を装う」(p.179)。
 だが、「社会主義」が拠り所とする「個人主義」と、シュパンが実際に議論の対象とした「個人主義」は全く異なったものだ。そしてたまたま、彼のおかげで、「社会主義とキリスト教が共通にもつ個人主義の意味」が明晰になってくる(p.180)。
 シュパンが主観的には批判しようとするのは「社会主義の内容としての個人主義」で、これは「本質的にキリスト教的」だ。だが、彼が実際に批判しているのは「無神論的な個人主義」だ。「絶対者」との関係を前者は肯定し、後者は否定する。これらを混同すると「有効な」結論には達しない(p.181)。
 「キリスト教的個人主義」と「無神論的個人主義」はまったく反対だ。前者は「神」の存在のゆえに「個々の人格は無限の価値」をもつ、「人間みな同胞」という考え方で、「共同体」の外では「個人の人格」は現実化しない、とする。これ(キリスト教的個人主義)は<社会主義(・共産主義)>と親和的であるのに対して、ファシズムが闘っているのは「人間と社会に関するキリスト教の観念全体」で、「キリスト教とファシズムはまったく両立しない」(p.183-4)。
 以上の程度にしておく。
 ドイツ・ファシズム(ナチス)がまだ敗北していない(そしてソ連「社会主義」は現存した)時代の論文だけに、理解し難い面もある。
 だが、骨格だけを抜き出せば、①ファシズム(ファシスト)は、より一般的な批判の仕方とは違って、「社会主義」は「個人主義」の発展型だと批判する、②たしかに「社会主義」は「個人主義」と親和的だ。③しかし、その場合の「個人主義」は「キリスト教的個人主義」であって、その反対の、ファシズムに親和的な「無神論的個人主義」ではない、ということになろう。
 上記の解説等によるとポランニーは親社会主義的で、ここではファシズムによる批判から社会主義(「ボルシェヴィズム」)を守ろうとしているようだ。その際の決め手は「キリスト教的個人主義」であり、ファシズムはこれに敵対的だとみている。
 さてさて、種々の議論があったものだと、人間の知的営為の蓄積にあらためて感心する。
 そして、まだソ連「社会主義」の実態が明らかになっていない段階で、反資本主義意識のあったポランニーはその「理想」を「社会主義」に求めたかにも見える。だが実際の「社会主義」はキリスト教を含む「宗教」に対して苛酷な態度をとり、かつ実質的には「個人主義」あるいは「個人の尊重」の理念を無視するものだったのではないか。
 また、ファシズムの側が、「近代」への幻滅・批判を前提としてだが、「社会主義」を「近代」個人主義・民主主義を継承するものとして捉えた(そして批判した)という点も、マルクスやレーニンによるルソーやロベスピエールへの肯定的評価を併せ
観ると、一面では的確な見方をしていると考えられ(じつはさらに奥底ではルソー・ロベスピエールの「全体主義」性を継承し発展させたのが「社会主義」だと捉えていたとも理解できる)、この点も興味深いところがある。ポランニー自身も、この1935年の論文では、「社会主義」は近代の「(キリスト教的)個人主義」を継承するものと見ていたのだ。
 「キリスト教」が理解できていないと、欧米の、こうした(社会・政治・経済の)文献は理解し難い面があることもあらためて感じる。

0714/諸君!最終・6月号(文藝春秋)-徳岡孝夫、佐伯啓思、竹内洋、八木秀次、西尾幹二等々。

 諸君!6月号(文藝春秋)と月刊正論6月号(産経)を手にする。
 最終号なので先に前者を開いて巻頭を追っていると、「紳士と淑女」欄筆者は徳岡孝夫だったと明らかにされている。この人は三島由紀夫が自決した際、直前に文章(檄文)を預かった者で(これはたぶん間違いない)、かつ当時は毎日新聞の記者ではなかっただろうか。後段も記憶が正しいとかりにすると、毎日新聞と諸君!は結びつき難いので少しは驚きがある。
 好みに従い、佐伯啓思「アメリカ型改革から<桂離宮の精神>を守れ」竹内洋「革新幻想の戦後史・最終回」を読む。後者は全体が戦後<進歩的文化人>の分析・批判だった気がする。いずれ単著になるだろう。<進歩的文化人>とはもはや死語のようでもあるが、しかし、そのDNAを継承する者は学界・法曹界・官界・マスコミ等にうんざりとするほどいて、まだ<多数派>かもしれない(「進歩的」・「文化人」の理解の仕方にもよる)。
 続いて、「リベラル右派」と自称している(p.242)宮崎哲哉の司会による彼も含めて八名の座談会。仕切っている宮崎はなかなか賢いと思うが、八木秀次は宮崎からツッこまれている(p.239)ほどに発言がやや少なく、精彩を欠く。とくに、自衛隊を律令制下の「令外の官」に譬える説を紹介して、宮崎に「立憲主義」の重要性を説かれ、現状では「憲法ニヒリズム」に堕すと指摘されている辺りは(p.216-7)、八木の自説でもなく十分な言及をする時機を失っているとしても、どちらが憲法学者なのかが分からないくらいだ。
 「立憲主義」そのものは、それが欧州近代の所産だとしても、法律制定者を拘束・制約する「メタ・ルール」の存在を肯定するという意味で日本でも妥当すると見てよいだろう。問題は「憲法」=「メタ・ルール」の具体的内容、それが<日本(人)>の歴史・伝統等をふまえた適切なものかどうか、だ。
 この座談会でも西尾幹二はよく発言しているし、注意・興味を惹く内容もある。
 順番としてはもっと後で読んだが、月刊正論6月号の連載コラム欄で八木秀次は、「ある雑誌の座談会」に「違和感を持ちながら」いた、「保守」はイデオロギーではなく生活・生き方等と「言う人に限って、人を押し退けてしゃべり続ける。その姿勢が他人との協調や謙虚さを重んずる日本の良き伝統に反する」と感じたからだ、と書いている(p.44)。
 「ある雑誌の座談会」とは諸君!6月号のそれで、「人を押し退けてしゃべり続ける」人とは西尾幹二なのだろう。西尾の発言内容を全面的に支持するつもりはないが、また八木が「違和感を持」ち温和しかった(?)理由らしきものに同情するとしても、別の雑誌でこんな私憤(?)を活字にするとはいかがなものか。または、どうせ書くなら雑誌名・人物名もきちんと書くべきではないのか。さらに、「人を押し退けてしゃべり続ける」と感じるか否かは人によって異なることで、それを根拠として「保守」ではないとか「日本の良き伝統に反する」、と断じることもできないのではないか。
 西尾と八木の<個人的>確執は一読者・一国民としては全く些細なことだ。むしろ、八木は上のコラムで天皇・皇后両陛下のご成婚五〇年の記者会見でのご発言を完全にそのまま肯定的に理解しているのに対して、月刊正論6月号の方の西尾幹二「日本の分水嶺-危機に立つ保守」は(是非はともあれ)<深い>理解を示しており、天皇制度の今後のあり方に関して重要とも思われる問題提起をしている、ということの方が大切だと考えられる。但し、今回はこれ以上は触れない。
 元の諸君!6月号の座談会に戻ると、村田晃嗣が田母神俊雄(論文)を何回か<親米>すぎる・切り貼り等と批判しているのが目についた。しかし、村田の少なくとも後者の批判は厳しすぎる。田母神は長い<研究論文>を紙数の制限を受けずに書いたのではない。新聞や雑誌が全文を登載したり、結果としては自著の一部として活字になることなど想定していなかっただろう。せいぜい(かりに入選すれば)論文募集会社の何らかの会報類に掲載されることくらいを予想していたにすぎないのではないか。この欄でも既述のとおり、あの程度の字数で詳細・厳密に論じるのは不可能だ。
 田野神にとっての<不注意・不用意>は、その論文が内局のトップ・増田好平事務次官に<悪用>される可能性を考えていなかったことだろう。
 もっとも、田母神俊雄論文への反応につき昨秋に<左翼ファシズム>成立又はその怖れを指摘したことがあるが、それに向かってのもっと深く広い<策略・陰謀>が背景があるのかもしれない(よく分からない。西尾・月刊正論6月号論考はその旨を指摘している)。
 西尾幹二が座談会で、竹中平蔵と野口悠紀夫を名指しして、アメリカ帰りの親米(「新自由主義」)経済学者と批判しているのも目についた(p.223)。別の何かでは、郵政民営化議論に関して問題は財投資金だと選挙直前に正しく指摘していたと、「勇気」ある経済学者として野口悠紀夫を褒めていたからだ。
 宮崎哲哉はなかなかの人物・論者だとあらためて思う。論壇又は議論・思想状況全体を広い観点から掴んでいるように見える(例えば、p.229)。
 このあと、たぶん月刊正論の方に移った。次回に。
 諸君!についてのあれこれの賛辞(p.155-。渡辺恒雄、立花隆、井上章一まで書いている)を多少は読んで思うのだが、この雑誌はそれほど立派な<保守>系雑誌だったのだろうか。「左翼」・保阪正康が最終回まで43回も連載しているのは何故なのか。不思議だ。 

0712/昭和の日・「戦後レジームからの脱却」等と佐伯啓思の2論考。

 一 昭和の日。産経新聞4/29社説は「経済的繁栄」後の日本人は「結束」心や「価値観」を「再び忘れてしまったようだ」と書き、「憲法改正などいわゆる『戦後レジーム(枠組み)』からの脱却や、戦後に戦勝国から押しつけられた自虐的歴史観の克服」といった「『昭和』が先送りした問題も多い」と書く。
 上の後段の「憲法改正」等の「戦後レジーム(枠組み)」からの脱却、「自虐的歴史観の克服」という課題を明示的に指摘しているのが注目される。産経新聞ならぱ当然なのかもしれないが、さっとこう明確に書けるのは素晴らしい。
 他紙の「昭和の日」社説を読んでいないが、しかし、上のように明言するのは産経にとどまるだろう。そして、産経は新聞紙販売シェアでは10%に満たないこともあらためて知っておく必要がある。おそらく、読売がどういう見解に立つか(簡単には、朝日か産経のいずれか)によって、世論の動向は決定的に左右されるような気がする。読売も産経に同調してはじめて、朝日・毎日・日経連合に拮抗できるようになるのではないか。産経新聞だけでは、新聞というマスメディアの大勢的雰囲気を作り出せない。
 二 週刊エコノミスト5/05・12合併号(毎日新聞社)の佐伯啓思「日本を真に豊かにするために『脱成長社会』の道を探れ」(p.96-97)を読む。
 「物質的成長や物質的幸福、永遠の生命」を追求しない、「豊かな」「日本人の自然観、死生観、歴史観」という「原点に戻りたい」。/「貨幣では測れないものがある。もう少し伝統的なものを大事にしてゆったりして暮らしたらどうだろうか」。
 「永遠の生命」を追求しないとは<生命=人生には限りがあると自覚する(諦念する?)>ことを意味しているのだろうが、精神的な意味での「永遠の生命」の追求を肯定する余地はあると思われるので、「永遠の生命」という語の使い方には若干の留保が必要だろう。だが、上の点を除いては、佐伯啓思の主張に全く異論はない。それは、「西洋の近代主義」(p.97)に立脚した「戦後レジームからの脱却」の主張とほとんど重なるだろう。
 産経新聞4/28佐伯啓思「日の蔭りの中で-文明の危機呼ぶ幼児性」は、ホイジンガーの1935年の本が、アメリカに見られた「幼児性」=「子供っぽいこと」を称賛する風潮こそが<文明の危機>の本質だと述べている、と紹介しつつ、今の日本で「私たちが目撃している」のも「大差ない光景」ではないか、とする。今の日本には「幼児性」が氾濫している-国会論議・バラエティを含むテレビ番組・犯罪に至るまで…。
 この「幼児性」は、佐伯啓思のいう「近代文明」又は「欧州近代」の限界を示すものとしての<ニヒリズム>の発生と無関係ではないだろう。あるいはまた、<戦後レジーム>(「個人主義」・「平和と民主主義」)こそが、「幼児性」をもつマスコミ先導の世論やテレビ番組等々を生み出した、とも言える。
 佐伯啓思・大転換-脱成長社会へ(NTT出版、2009.03)を先日から読み始めている。第一・第二章(~p.59)は読了。最近に佐伯が雑誌・週刊誌・新聞等に書いている短い文章と、当然ながら問題意識・叙述内容は共通しているか、似ている。

0709/佐伯啓思「『現代の危機』の本質」(表現者2009.05号)を読む。

 表現者24号(2009年5月号、ジョルダン)。まずは佐伯啓思「『現代の危機』の本質」(p.68-71)を読む。以下は要約的紹介。
 ・2008秋以降の世界経済危機の現象の表面だけからは、「景気を支えることだけがすべて」になる。だが、本当に怖ろしいのは、そのようにしか事態を把握できない「われわれの視野狭窄」だ。仮に今年後半に景気上昇があったとしても、「危機を回避する景気刺激政策は事態の深刻さただ先送りするだけ」で、「もっと恐ろしい」のは「今回の事態の意味するところ」が隠されることだ。
 ・今回の経済危機は、三つの観点から理解できる。①ブッシュの経済・対テロ戦争政策の失敗、②「グローバリズムと新自由主義的な市場中心イデオロギー」の帰結、③「二十世紀のアメリカ型の産業主義文明」の限界
 ・長期的で深刻な「文明的な位相」をもつ危機だと私(佐伯)は理解したい。今回の危機はしばしば「三〇年代の大恐慌」と類比されるが、「二〇年代から三〇年代」は、「西洋文明そのものの『危機』として意識されていた」のだ。
 ・シュペングラーの書が象徴する如く、両大戦間は「西洋文明の没落」が強く意識された。新しい文明たる「アメリカ」と「社会主義思想」の勃興を目の当たりにしてこそだった。
 ・シュペングラーは「西洋文明」を「人類が生み出したもっとも高度な文明」と見た。だが、その「西洋文明」が「文化のひとつ」になりつつ「形式的に普遍化され、内容空疎な『世界文明』へと変形」される。別言すると、西洋文化も多様な世界文化の一つとにすぎないと認めざるを得なくなりつつも、それは「科学、技術、貨幣」といった「普遍的」・「形式的」・「抽象的」手段によって、「世界的なもの」へと変形される。これをシュペングラーは「西洋文明の没落」と呼んだ。この「西洋文明の没落」を軽視してはならない。文明としては「最後の没落」だからだ。
 ・レオ・シュトラウスは1963年に、「西洋の危機」は、目的に確信を持てなくなったことにある、目的とは「平等な諸国民」・「自由で平等な男女」から成る社会、各国民が「科学の恩恵を被って自らの生産力について十分に発展」している社会(の維持・建設)=「近代のプロジェクト」だ、と述べた。「西洋の没落」とはかかる「確信の喪失」なのだ。
 ・何が「確信の喪失」を生んだのか。シュトラウスによると、危機の本質には<「哲学」と「科学」の分離>がある。「哲学」は当為=「すべき」に関係し、「科学」は事実=「である」の記述で「価値には関与しない」。そして、「いかなる価値の妥当性についての合理的判断も不可能」との前提に立つ、「哲学」=当為と「科学」=事実の分離こそが「確信の喪失」を生じさせた。
 ・換言すれば、「近代のプロジェクト」は<「哲学」と「科学」の分離>、さらには「哲学」の殺戮によって「いっさいの価値判断の基準」を見失った。
  ・この「ニヒリズム」こそが「二〇年代から三〇年代」の状況で、ニヒリズムを克服せんとする試みもまた「深いニヒリズム」を胚胎していた。「『血と大地』という土着的文化の特権化へと向かったナチズム」も、「『完全に平等で幸福な社会』の建設に向かった社会主義」も、ともに「いっそう深いニヒリズム」に落ち込んだ。ここで「いっそう深いニヒリズム」とは結局「『権力への意思』以外の何物をも信じることができない」ことを意味する。
 ・残ったのが「アメリカ」だった。だがこの文明も、「自由や民主主義理念の普遍的形式化」・「貨幣的富の獲得」で「幸福を『買う』」ことが可能との信念、全問題が「技術主義的に解決」可能との信念等、大いにニヒリズムに「傾斜」している。
 ・アメリカは「近代のプロジェクト」の自己矛盾の露呈の延長上で依然として「近代のプロジェクト」を遂行しようとしている。だが、「近代のプロジェクト」自体がその「正当性を合理的に論証できない」という矛盾を孕む。
 ・だとすると、「近代のプロジェクト」を「権力への意思」へと、つまり「力づくで世界に推し進め既成事実を作りだしてゆく」という「覇権主義」へとすり替える他はあるまい。これまた、「もうひとつのニヒリズム」なのだが。
 ・「今回の金融危機」が表現するのは、「近代のプロジェクト」の「断末魔」というべきだ。「アメリカ中心のグローバリズム、金融工学に示された技術主義的なリスク管理、無限に富を生み出す金融市場」という「近代のプロジェクト」が「音を立てて崩壊してゆく様」を「われわれは目撃している」。その意味でこそ、「三〇年代の『西洋の没落』の再来」というべきなのだ。
 以上。佐伯啓思の著作権を侵害するつもりはないので、関心のある方は、雑誌の原文章を読んでいただきたい。
 冗文を追加。<ヨーロッパ近代>はすでに疑問視され、そのゆえにこそ「ナチズム」も「社会主義」(コミュニズム)も生じたが、のちの(時期は違うが)「ナチズム」・「社会主義」の崩壊・敗北によって、かえって<ヨーロッパ近代>のもつ問題点は洗い流され、再び日本(国家・国民)の上に<普遍的>なものとして君臨するに至った。<アメリカ>とは<ヨーロッパ近代>の亜種だ。
 さらには、少なくとも一時期、「社会主義」(コミュニズム)は<ヨーロッパ近代>の「鬼胎」ではなく正嫡(発展形態)だと考えられた(マルクス主義者、親マルクス主義者、その他の親「社会主義者」によって)という事情が、日本にはとくに加わる。<ヨーロッパ近代>+<コミュニズム>という、いずれにしても外国産の「思想」が、ユーラシア大陸の東端に沿う日本(国家・国民)を表面的には大きく捉えてしまった。完全にとは、完膚無きまでとは、心底に至るまでとは、言えないし、言いたくもないけれども。

0686/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)を読む-その5。

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の前々回の続きを読む。「憲法の正当性とは何か」という節の最終部分。p.162-4。高校までの社会科教科書の引き写しのような防衛大学校長・五百旗頭真の叙述と相当に異なる、という以上の感想・コメント等は記さない。
 ・日本人は「戦後、…結局、革命を経験しなかった」。「敗戦による自失」のゆえであったにせよ、ともあれ、フランス型の「革命による正当性」をもつ「国家体制をつくる道を選ばなかった」。とすれば「国家体制の正当性」は「イギリス型の歴史の連続性」によるしかない。そして「ともかくも戦後憲法は、この連続性を辛うじて保持しようとした」。それが幸か不幸かは不分明だが、「幸い」だったとすれば、それは「天皇制度を維持し、何とか普遍的人権という言葉を回避した」こと、「連続性を最低限度確保した」ことだ。「不幸」だったとすれば、「事実上、普遍的な権利の思想を持ち込み、普遍的な『人』と、歴史的な『国民の断想』を、憲法の中にほとんど無自覚に持ち込んだ」ことだ。それにより、「歴史的な連続性」は「ただ見かけだけ」になり、「憲法の正当性の実質的根拠が失われかねない、という深刻な問題が持ち込まれた」。
 ・「天皇制度の存続と国民主権の間には、ロジカルな矛盾がある」。日本側は両者の「二本立て」を日本の「国家体制」と考えたようだが、「ロジカルに調和」はしない。共産党の野坂参三はこの「両立不可能」性を執拗に指摘して「これは憲法ではなく小説だ」と述べた。
 ・「天皇主権か国民主権か」を決せよと主張しているのではなく、「現行憲法の歴史的条件」について「改めて注意を喚起したい」だけ。「この憲法に内在する困難こそが、わが国の近代史そのもの」なのだ。
 ・アメリカやフランスも、「戦後独立」して憲法を初めて制定した国家も、「愛国心(国民意識)」を基礎にして「人」の「普遍的権利」と「国民」の主権を謳うことができた。「日本の歴史」は「そのどちらとも違う」。憲法を自ら創出する「愛国心」も、革命により「共和制」を樹立する「市民」も、「あの時期にもちえなかった」。「天皇制度と人民主権の間の対立は、完全に解消されることはありえない」。この「アンビバレンツは、近代以降のわれわれの国家体制の根底をなして」おり、逃れることは「残念ながら不可能」だろう。
 ・大江健三郎は近代日本の「あいまいさ(アンビギュイティ)」は日本が「前近代的、封建的要素を温存して来た」ことに由来する、と講演した。これは間違っている。
 ・「憲法に即して言えば、その正当性の基礎として、…革命的な断絶も、また歴史的な連続もどちらも完全には採用しきれていない」。換言すると、「どちらも必要とした」。「封建的なものが残存」というのではなく、「前近代的な」ものを残すことによって「辛うじて」「正当性を確保」しているのだ。これは憲法だけの問題ではなく「近代日本社会の宿命」のようなものだ。この宿命のあるかぎり、「アンビバレンツ」は「アンビギュイティ」として残る。「この宿命から容易に逃れることはできないのだとしたら、われわれは『アンビギュイティ』を手なずけ、飼い馴らす方策を学ぶ以外にないだろう」。
 以上。上の文章をもって「Ⅰ・近代への懐疑」は終わり、「Ⅱ・戦後日本の再検討」へと移っていく。

0684/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)を読む-その4・戦後憲法。

 一 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)をさらに読みつなぐ。なおも憲法にかかわる。
 ・「近代憲法の正当性の根拠」は欧州でも問題がなかったわけではなく、二つの立場があった。一つは、「ロック流の個人の社会権という社会契約というフィクション」を必要とした、「革命」により「近代社会」(普遍的「人権」等を内包する)が始まり、「その精神を憲法化する」、というやり方。フランスやアメリカで、これらには「近代社会」の「神話」を受容する「歴史的な構造」があった。もう一つは、イギリスのように「歴史的連続性」を強調するもので、統治・権利の原則を元来「イギリス人がもっていたもの」という伝統に遡及させる。「革命」という断絶は回避され、歴史の中の「本来の経験」に戻ろうとする(p.151-2)。
 ・では、日本の戦後憲法は上のどちらなのか? 明治憲法の「改正」手続を採った点で(形式的には)「歴史的連続性」が踏襲されているが、一方、実質的には、八月「革命」説のように「戦前との断層」に存在意義を主張していると見られる。ここに「日本国憲法の歴史に例を見ない奇妙な性格がある」。現憲法の「ユニークさ」はただ第九条にのみあるのではない(p.152)。
 ・欧米憲法において、国民(人民)主権原理のもとでは主権者たる国民(人民)が(議会・政府を通じて)自らの権力を制限するが(「集合的な権力の主体としての国民」)、これとは別に、そのような「権力」を超えた、「普遍的な権利をもった一人一人の個人」という範疇も成立する。国民(人民)主権を支えた、現実の「国民の一体感」・「愛国心」こそが、この二つの範疇の矛盾をとりあえず「隠蔽」し、「辛うじて調和させ」た(p.153)。
 ・アメリカ憲法修正1~10条は「連邦議会から個人の権利を守る」目的のものだが、ここでの「個人」は「抽象的で普遍的な」それではなく、アメリカ国民(人民)であり、連邦政府を作った張本人たちだ。これとは別に、「連邦政府の権限の以前に」、「自由な個人」が想定されていて、彼ら「個人」の「基本的な権利は不可侵」なのだ。
 ・日本国憲法においてはどうなのか? その11条によると「基本的人権」を保障するのは「この憲法」に他ならないが、元のGHQ案の表現では、「基本的人権」の根拠は「多年にわたる人類の自由への戦い」という歴史の「普遍性」にあった。この辺りが、現憲法では「一切不明確なまま」だ(p.156-7)。
 〔なお、ここで挿んでおくと、現憲法97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と、-その具体的な法的意味は他の条項に比べて違和感があるほど不明確だが-書いている。この条文によっても佐伯の提出する問題は残るだろうが、佐伯がこの97条の存在を意識しているかは定かでない。〕
 ・「憲法の専門家たち」がどう説明しているのか知らないが、戦後憲法において「国民の意思」、「その由来するところ」は「きわめてあいまい」ではないか? その原因は直接にはGHQ案に基礎をもつことにあるだろうが、「もっと根本的には」、「近代憲法の正当性の基盤」という困難な問題を「回避」したことによる(p.159)。
 ・既述のように、フランス型憲法における、「革命」により「普遍的人権に基づく近代社会」の創設という「ストーリー」を支えたのは「人民の一体感をともなった愛国心」・「国民意識」だったが、「戦後日本にはそのようなものはほぼ皆無だった」(p.159-160)。
 ・「戦後の体制変革は革命ではなく占領政策」だった。「愛国心や国民意識は…打ち砕かれていた」。そんな状態で「普遍的人権」に依拠した「近代憲法を創設する」ことができるわけがない。「国民」に憲法制定能力がないとすれば、「憲法の正当性は明治憲法の改正という手続」に求めるほかはない。そうだとすると、(改正の最終的主体としての)「天皇制度の維持はきわめて重要な事項」だった(p.160)。
 ・「良かれ悪しかれ、天皇制度を国家の(象徴的な)骨格としたのが日本の歴史の連続性」で、明治憲法も「その改正を天皇の勅令をもって帝国議会に付すべきこと」を規定していた。従って、明治憲法の中核である「天皇制度…を廃止するような改正」は「事実上不可能」だったのだ。だとすれば、その存続がマッカーサーの政治的判断であろうとなかろうと、「天皇制度」は「憲法のロジックにしたがって生き延びることになる」(p.161)。
 二 以上、あまり読んだことのないような指摘、問題設定、説明等がなされている(「国民」と「人民」は意識して区別されることなく叙述されている)。
 現に生きている日本国憲法は、そもそも何によって憲法として「正当化」されているのか? (憲法前文の前の告諭が明示するように)天皇が「裁可し、公布せしめ」た現憲法が、所謂「天皇」主権を廃して「国民主権」原理を採用している(とされている)ことはどう説明されるのだろうか。「告諭」は「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび」から始まるが、「日本国民の総意に基いて」と、なぜ言えたのだろう。
 ぎりぎり間接的には「国民代表」者から成る衆議院による可決を経ているが、国民(有権者)投票が行われたわけではなく、逆に、「枢密顧問の諮詢」という明治憲法上の規定もなかった枢密院での審議・可決手続を経ており、また、新憲法によって廃止されることとなっていた「貴族院」での審議・可決すらあったのだ。
 戦後日本は、<不思議な>来歴の憲法の下で国家運営がなされてきた、とあらためて感じる。法的・論理的には、完璧な説明はできないのではないか。そのような憲法が60年以上も生き続けてきたことに、大多数の国民が違和感を持たなかったのだから、憲法学者を含むその<鈍感さ>にあらためて驚くとともに、占領期の日本人の<思考停止>状態におけるGHQの力の大きさも感じる。
 新憲法制定・施行を「祝う」行事・催事がなされたはずだし、何といっても天皇陛下が「裁可し、公布せしめ」たとあっては、大多数の国民は(その内容に関係なく)新憲法を(少なくとも当面は)「支持」せざるを得なかったものと考えられる。
 だが、その「支持」は、はたして「内容」をも全面的に支持するものだったのかどうか。表面的にはともかく(占領下に新憲法反対の国民運動が起こせる筈もない)、実感としては違和感も覚える憲法条項もあったのではなかろうか。そうした違和感を潜在的には多少とも覚えつつ、建前としては「支持」しているうちに、<ごまかした>まま60年が経過してしまった、というところだろうか(直接には「護憲」派が国会で少なくとも1/3以上を占め続けたことによる)。
 当時の国民の全てが、あるいは圧倒的多数の国民が、手続的にはともかく「内容」的に支持し、受容した、という、少なからぬ(と思われる)憲法学者等の説明は、信頼できない、と思われる。

0678/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)を読む-その3・現憲法の「正当性」。

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)には、佐伯にしては珍しく、日本国憲法の制定過程にかかわる叙述もある。
 ・日本国憲法は形式的には「明治憲法の改正」という手続をとった。これは、イタリア・ドイツと異なる。イタリアでは君主制廃止に関する国民投票がまず行われ、その廃止・共和制採用が多数で支持されたあとで、「憲法会議」のもとの委員会により新憲法が作成された(1947年)。ドイツでは西側諸国占領11州の代表者からなる「憲法会議」により「基本法」が策定された(1949年)。
 ・日本国憲法の特徴は、内容以前に「正当性の形式」に、さらに言えば「正当性という問題が回避され、いわばごまかされた」点にある。明治憲法の「改正」形式をとることにより、「正当性」を「正面から議論する余地はなくなってしまった」。
 ・むろん、新憲法の「出生の暗部」、つまり「事実上GHQによって設定された」ことと関係する。さらに言えば、日本が独自に憲法を作る力をもちえなかった、ということで、これは戦後日本国家・社会のあり方そのものの問題でもある。
 ・「護憲派」は、「仮にGHQによって設定されたものであっても、それは日本国民の一般的感情を表現したものであるから十分に国民に受容されたもの」だ、と弁護する。かかる議論は「二重の意味で正しくない」。
 ・第一に、「受容される」ことと「十分な正当性をもつ」ことは「別のこと」だ。新憲法は形式的な正当性はあるが実質的なそれにはGHQによる「押しつけ」論等の疑問がつきまとっている。「問題は内容」だとの論拠も、問題が「正当性の根拠」であるので、無意味だ。「GHQによって起草」されかつ趣旨において「明治憲法と大きな断想」がある新憲法を明治憲法「改正による継続性」確保によって「正当性を与え」ることができるか、はやはり問題として残る。
 <たとえ押しつけでも、国民感情を表現しているからよい>との弁護自体が、「正当性に疑義があることを暗黙のうちに認めている」。
 ・第二に、「国民感情が実際にどのようなものであったかは、実際にはわからない」。それが「わからないような形で正当性を与えられた」ことこそ、新憲法の特徴だ。少なくともマッカーサー・メモ(三原則)は日本側を呆然とさせるものであったし、「一言で言えば、西洋的な民主化が、決してこの当時の日本人の一般的感情だなどとはいえないだろう」。「もし仮に、この〔GHQの〕憲法案が国民投票に付されたとしても、まず成立したとは考えにくい」。
 以上、p.147-p.151。
 現憲法の制定過程(手続)については何度も触れており、結果として国民に支持(受容)されたから「正当性」をもつかの如き「護憲派」の議論は論理自体が奇妙であること等は書いたことがある。
 1945年秋の段階では、美濃部達吉や宮沢俊義は明治憲法の「民主的」運用で足り、改正は不要だとの論だったことも触れた。
 さらには、結果として憲法「改正」案を審議することになった新衆議院議員を選出した新公職選挙法にもとづく衆議院選挙において、憲法草案の正確な内容は公表されておらず、候補者も有権者もその内容を知らないまま運動し、投票した、という事実もある(岡崎久彦・吉田茂とその時代(PHP、2002)に依って紹介したことがある)。従って、新憲法の内容には、国民(有権者)一般の意向は全くかほとんど(少なくとも十分には)反映されていない、と見るのが正しい。
 ついでに付加すれば、衆議院等での審議内容は逐一、正確に国民に報道されていたわけでもない。<占領>下であり、憲法(草案作成過程等々)に関してGHQを批判する、又は「刺激」するような報道を当時のマスコミはできなかった(そもそもマスコミが知らないこともあった)。制定過程の詳細が一般国民に知られるようになるのは、1952年の主権回復以降。
 「押しつけられた」のではなく、国民主権原理等は鈴木安蔵等の民間研究会(憲法研究会)の案が採用されたとか、九条は幣原喜重郎らの日本側から提案したとか、反論する「護憲派」もいる。のちには日本共産党系活動家となった鈴木安蔵は、「日本の青(い)空」とかの映画が作られたりして、「九条の会」等の<左翼>の英雄に最近ではなっているようだ。立花隆は月刊現代(講談社)誌上の連載で、しつこく九条等日本人発案説を(決して要領よくはなく)書き連ねていた。
 だが、かりに(万が一)上のことを肯定するとしても、日本の憲法でありながら、その策定(改正)過程に、他国(アメリカ)が「関与」したことは、「護憲派」も事実として認めざるを得ないだろう。彼らのお得意の言葉遣いを借用すれば、かりに「強制」されなくとも、「関与」は厳としてあったのだ。最初の「改正」への動きそのものがGHQの<示唆>から始まったことは歴然たる事実だ。そして、日本の憲法制定にGHQ又は米国が「関与」したということ自体がじつに異様なものだったことを、「護憲派」も認めるべきだ。
 ところで、長谷部恭男(東京大学)は、一般論として<憲法の正当性>自体を問うべきではない旨のわかりにくい論文を書いている。
 この点や本当に新憲法は国民に「受容」されたのか等々を、佐伯啓思の上では紹介していない部分に言及しつつ、なおも扱ってみる。

0675/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)を読む-その2

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)には、この欄の1/29に「自由主義・『個人』主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1 」と題して、p.57-60あたりに言及した。その後、佐伯・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)へと回ったので、間隔が空いたが、「その2」を続けてみよう。
 1 ・「通俗的リベラリズム、すなわち抽象的な個人、本来何物にも拘束されない個人から出発すると、国家はもっぱら個人の自由の対立物と見なされる」。だが、個人が「伝統負荷的」だとは「国家負荷的」でもあるということだ。国家の解体・衰弱は「個人」も空中分解させる(p.61)。
 ・80年代以降の「個人」と「国家」の矛盾を「やり繰り」するためには、「何物にも拘束されない個人の自由」から「話を始めることをやめなければならない」。かかる「近代主義から決別しなければならない」(p.65)。
 論点は異なるが、もともと「国家」とは「個人」を含む概念かどうかという問題がある。両者を対峙させ、後者の前者からの「自由」、前者の後者(の生命・財産)を「保護する責任」を説くという用法もかなり広く見られる。だが、もともと、主権・領土・国民という三要素を持つとされる「国家」の場合は、その一部・一要素として「国民」を含み込んでいる。とくに社会系学問分野において、この「国家」概念自体が明確にされて議論されているのかどうか。場合によっては、「国家」と「統治(政治)権力」とはきちんと区別して論じる必要がある。但し、主権は「国民」にあるとし、「統治(政治)権力」者は最終的には「国民」だと説明し始めると、またややこしくなる。とすると、「…権力」はやめて、国家と区別される「統治機構(担当者)」と語るべきか。簡単には「政府」という言葉も使われている。だが、この「政府」概念は、<地方政府>=地方自治体を含みがたいという難点があると思われる。そもそも現在の地方自治体は<(地方)政府>といえるほどの実体があるのか、という問題も含めて。だが、地方自治体も「統治機構(担当者)」ではあるだろう。
 2 ・冷戦終結以降の一般的認識はイデオロギー・思想の時代は終わったというもので、代わって「その場しのぎの現実主義」、ほぼその自動的結果としての「大衆迎合主義」が登場している。1993年以降の二つの連立政権(非自民細川・自社さ)も「依然として、慣れ合いと大衆迎合に基礎」をもつ、「大衆迎合的現実主義」の産物で、「五五年体制から一歩も出ていない」(p.66-67)。
 ・「生活者重視」たるキーワードは、元来は「経済的自由主義」・「消費者主権」という陳腐な、だが「決して自明なものとして流通」できない概念の言い換えなのだろう。だが、「生活者」との語によって、「経済的自由主義」・「消費者主権」概念の問題・「まやかし」が隠蔽されている。「場当たり的現実主義」が、「思想的課題」を排除している(p.68)。
 ・政治家のみならず、「おおかたの」学者・ジャーナリスト等の「知識人」も「確かな見通し」をもてない。自国(国益)中心の経済的枠組みを作る必要があるのに「経済的自由主義」を、「民族主義」の噴出にかかわらず「グローバルなデモクラシー」を、建前とせざるをえない、という「思想的混乱」が現出している(p.70)。
 この本は1996年刊なのだが、上のような諸指摘は2009年の日本についても、なおそのまま妥当しているのではないか。

0664/佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を読む・その3。

 一 佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)は、丸山真男にも言及する(つづき)。
 p.176以下。1970年前後に全共闘学生の攻撃対象になったのは丸山真男のような「穏健左翼」で、「最高の権威に守られた安全な場所」での「民主主義こそ大事」論は「左翼の偽装」・「欺瞞」だとされた。この時期以降、丸山は東京大学を辞職し「社会的に発言」しなくなる。
 上の点はともかく、丸山真男によると、日本が近代国家でなかった最大の証拠は「天皇が、政治的主権者であると同時に宗教者である」ことにあった。「西洋近代国家」の主権者の「価値に対して中立的」という「最大の要件」を充たしていない。あの戦争の開始も天皇主権(・民主主義の不在)と無関係ではない。「民主主義と天皇主権国家は両立」せず、「戦後日本」が「民主主義に生まれ変わったことはすばらしい」。従って、つねに「八・一五」に立ち返るべきだ。民主主義が成熟すれば日本はもう戦争を起こさないだろう。
 かかる趣旨の丸山真男論文(「超国家主義の論理と心理」)は「戦後民主主義の理論的支柱」となり、「弟子の政治学者」や「大江健三郎」らを含めた「進歩的文化人」を生み出した。
 だが、と佐伯啓思は続けるが、相当に省略する。佐伯は吉田満(・戦艦大和の最期)に言及しつつ、丸山真男は公式的「戦後民主主義、平和主義」の立場からの「悔恨の共同体」論だったのに対して、吉田満が示したのは、戦争の善悪はともあれ、「死んでいった若者たちに、われわれは非常に多くの何かを負っている」という「負い目の共同体」という考え方だ、とも述べる。
 ちなみに、今回の冒頭にいう「穏健左翼」の中には、日本共産党(員)も、丸山真男が支持していたと見られる日本社会党も入っていた。丸山の「悔恨の共同体」論からすると、戦死した若者たちは間違った戦前の<(騙された)無意味な犠牲者>になるのだろう。また、佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)は、もう少し専門的に?より詳しく丸山真男に論及している。いつかの機会に紹介する。
 二 佐伯啓思は「八・一五」(こういう言い方を彼はしないが)前後の歴史にも言及している。そして、言い古されたものもあるが、また議論がなお必要な論点もあるだろうが、佐伯自身の文章で書かれていることに、やはり注目しておきたい。
 ・アメリカはポツダム宣言や初期の対日占領政策文書では「日本国民の自由意思」に日本の最終政治形態は委ねるとしつつ、降伏文書では日本の主権はGHQに属する(subject to)とする。この二重性は日本国憲法にも表れており、形式的には明治憲法の改正手続によりつつ(日本国民の意思によると見せかけつつ)、「実質的には、GHQがつくり上げたものに」 なった(p.198)。
 ・そもそも「根本的に問題」なのは、主権を制限された国家が「いずれの形であれ憲法を持つことができるのか」、だ(p.197)。
 ・東京裁判の法的根拠は「マッカーサーの指令」にあり、「東京裁判そのものが占領政策の一環」だった。
 ・さらに厄介なのは日本が講和条約で「アメリカの歴史観を受け入れたとみなされている」ことだ。同条約11条の「…を受諾し」は、「諸判決」の「履行まで義務づけ」る(=拘禁刑受刑者をただちには解放しない)という意味で、「東京裁判の全体なり、東京裁判を支えている歴史観を受け入れたわけでは、毛頭ない」。にもかかわらず、日本は「アメリカの歴史観」を認めたことに、諸外国がそう見なしただけでなく、「何となく」、「日本自らも…みなしてしまった」(p.202-3)。
 ・上のことが「現在に至るまで、様々な問題を引き起こしている」。主権回復後、憲法改正も再度の裁判も可能だったのに、しなかった。日本人なりに「あの戦争の意味づけや解釈や批判的な検討もすべきだった」のに、しなかった。「占領期という特異な期間をそのまま承認」し、「その特異な産物である憲法もそのまま認めてしまった」。それどころか、「進歩的知識人も、保守系の政治家も」「日本は民主的な平和国家に生まれ変わった」、と言い出した。「自分たちでそうだと思い込んでしまった」、「そのことが現在でもわれわれの上に、非常に重たくのしかかっている」(p.204-5)。
 以上の文章を読んで、あらためて慨嘆する。ほとんど同じ世代の佐伯啓思にも私にも、そして「団塊」世代にも、実質的な<責任>は全くない。やや広く1946~1951年生まれを「団塊世代」というとしても、彼らが(我々が)成人を迎えた=有権者たる20歳になったのは、早くて1966年であり、占領期、同時期内での日本国憲法の制定、同じく東京裁判、サンフランシスコ平和(講和)条約、「戦力」ではない「自衛隊」発足、さらには所謂55年体制の成立、「60年安保」、1965年の日韓基本条約締結等に、実質的には(意見表明・選挙権行使等によって)関与することを全くしていない(なお、田母神俊雄は1948年生まれで狭義でも「団塊」世代)。
 すべてが、じつは明治後半から大正時代生まれの者たちによってなされた(昭和元年生まれの者でも敗戦の年にようやく20歳だ)。日本人先輩はそれぞれに苦労したのだとは思うが、敗戦後60年を経ても残っている課題があり、それらについて現在でも「国論」が分裂しているのは、到底正常な事態だとは思われない。せめて、自主的な憲法制定(・日本軍の正式認知)でも1960年代の前半までにしておいてくれれば、その後の政治の様相は大きく異なったに違いない。そして、だからこそ、日本社会党は過半数の議席を取れなかったが、憲法改正阻止のためには必要な1/3以上の議席を日本社会党(等の「護憲」政党)に与え続ける、その理論的支柱となり又は大衆的雰囲気を提供した<左翼・進歩的知識人>(多くの大学教授を含む)や朝日新聞等の<左翼・進歩的>マスコミの果たした役割は歴史的に見ても<きわめて犯罪的だった>とあらためて思う。
 三 最近関心を持つのは、論者たちが現在の日本に続く近未来の日本をどう予想しているか、だ。佐伯啓思はこの本の本文を、次のように述べて終えている。
 「日本の愛国心」とも言える「近代日本が宿命づけられた悲劇の感覚」を「絶えず想起する」ことはできるし、想起する想像力をもつ必要がある。「それさえあれば」、まだ「日本の愛国心」は「か細くも脈々と受け継がれていくように思われる」(p.224)。
 「それさえあれば」という条件つきの、「か細くも(脈々と)」とは、かなり悲観的な表現ではなかろうか。
 潮匡人・やがて日本は世界で「80番目」の国に堕ちる(PHP、2008.12)の最後の文章はこうだ。なお、日本は戦後の国連に80番目に加盟した。
 「日本は今後『衰退の一途を辿る』。やがて世界で八〇番目の国に堕ちる」。田母神俊雄が「暗黒の時代」の到来を身をもって示した如く、田母神論文の主張の正しさを「日本は身をもって示すに違いない」(p.221)。
 ここで言及されている昨秋の田母神俊雄論文の最後の二文はこうだった。
 「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」(田母神俊雄・自らの身は顧みず(ワック、2008)所収p.228)。
 潮匡人が悲観的又は絶望的な一文で終えているコラム的文章を二つほどは読んだような気がするが、上の本の末尾でも、楽観的な部分は全くない。
 他の論者については別途触れることがあるかもしれない。
 ともあれ、このような鬱陶しい時代状況の下で<老後>に入っていくとは想像していなかった。個人的にもひどく鬱陶しい。

0663/佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を読む・その2。

 たぶん2/05か2/06に佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を全読了。
 1 何となく感じていたこと又は他の人も書いているようなことを、佐伯自身の文章で読むと、新鮮な感がするところがある。
 p.142以下。21世紀は各国の争い・闘いの時代(ジョン・グレイの言う「帝国主義」時代)だ。日本の立場・国力・意思・価値観が問われる。「国力」にとって最も重要なのは「文化・価値の力」だ。
 しかし、「日本特有の事情」により、日本の「価値」は「今のわれわれ」には見失われている。「日本特有の事情」とは、「戦後の日本の、事実上のアメリカへの追従」だ。
 あの戦争でただ負けたのではなく「価値観の上で負けた」、負けたのは「道徳的に間違っていたから」だ、というのが「公式」的理解になった。「左翼進歩派」のみならず「戦後の日本政府」も基本的にはこの理解だった。
 「自主的な」戦後の構築を日本はせず、日本の「戦後政治」は「アメリカの占領政策の基本構造」の受容から始まる。「あの戦争についての、押しつけられた歴史観に抵抗して、自国の立場を主張することなく、…エネルギーを経済に振り向け、…奇跡的な経済成長を遂げた」。日本人の生活のほとんどはなおも「日本的な」習慣によるが、「根本的なところは、アメリカによって『骨抜き』にされてしまっている」。かつての価値が否定され、「精神的な空白」が生じ、「アメリカ的なもの」への「精神的従属」が生まれた。
 2 日本の独自性・「愛国心」 に触れつつ、次のことも明言している。
 p.164以下。「実際、今日の日本は、ある種の崩壊と言ってよいような、すさまじい過程に入っている気がする」。
 「今、日本の政治はまったくの機能不全に陥って」いる。今の日本には「国民の意思」がほとんど確かなものとしては存在しない。
 近年の選挙で示されたのは、「まともな民主主義」とは言えない。民主主義の機能のためには国民に「自国に対する責任」感、広義での「愛国心」が必要だが、今の国民には見あたらない。某調査によると自国に「誇り」もつ国民の割合は日本は74国中71位、戦争への参加は59国中「圧倒的に最下位」で日本は15%(中国90%、韓国75%、アメリカ64%)。
 3 姜尚中のナショナリズム・パトリオティズム概念の曖昧さを指摘したのちの、丸山真男への言及が新書本にしてはやや長い。
 p.175以下。「ナショナリズム、愛国心」対「自由、民主主義、平和」という構図を典型的に表明したのが、丸山真男の戦後の諸論文だった。アカデミズムの「権威」を背景にジャーナリスティックな場でも活動した「左翼系オピニオンリーダー」、「左翼思想におけるカリスマ的な人物」。丸山の民主主義論等は「権威主義」を排除するものの筈だが、「丸山門下や丸山信者は、丸山さんを絶対的な権威にしてしまっているのが、面白い」。
 途中だが、もう一回つづける。

0661/佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎、2008)を半分読む。

 一 昨年11月末に発刊されていたらしいが、迂闊にも気づかないでいた。2月以降で半分強のp.120まで読み終えた。
 佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008。760円+税)。
 第一章 保守に託された最後の希望
 第二章 自由は普遍の価値ではない
 第三章 成熟の果てのニヒリズム(~p.120)
 第四章 漂流する日本的価値
 第五章 日本を愛して生きるということ
 「…正論大賞受賞を記念して、産経新聞社主催で行われた講演会の記録をもとに」執筆されたもの(p.230)。
 二 先だって(1/29付)、自由や民主主義(・個人主義・平等)は「価値」・「中身」を伴わない観念だとかを独り言として書いた。佐伯啓思の影響をたぶんすでに受けていたのではあろう、この本でも佐伯は同旨のことを強調している。例えば、p.72。
 その他、全体として、容易に理解できるし、同感できるところがほとんどだ。
 戦後日本は(佐伯のいう)<進歩主義>が「公式的な価値観」となってきた(p.71)。<保守>の側が「変化」を求めて「戦後レジームからの脱却」(安倍晋三)を主張しなければならない、という<ねじれ>がある。以下は私の言葉だが、<進歩主義>(だが現状維持派)が自民党の政治家の過半を覆うほどに「体制化」していることは、昨年の田母神俊雄論文問題でも明らかになった。
 自由が大切なのではなく自由を活用して何をするかが大事、民主主義自体が大切なのではなく、国民の中の「文化や価値の重要なものが政治の場で表現される」ことが大事だ(p.72)。「文化」や「価値観」を抜きにして「自由も民主主義もうまく」機能しない(p.73)。
 日本的「精神」・日本的「価値」、これを佐伯は戦前の「京都学派」の議論を参考にして、「道義」、「道と義」とも言う(p.112-3)。さらに東洋的な「無」・「空」の思想についても触れる(p.114-5)。
 西洋的価値観に対する「日本的な価値観」とは何かを問題にし、これを追求する以外に進む途はない、という主張を佐伯はしている。そして、かかる問題設定すら、戦後の思想の領域では「丸山真男の影響力があまりに強くて」できなかった、のだという(p.118)。
 自由・民主主義(・個人主義)の行き着く果ての「ニヒリズム」、という考え方又は理解の仕方がこの本ではかなり強調されているようだ。すでに欧州ではニーチェらによって、19世紀末には<警告>されていた。現在の日本社会は、「社会の規範が崩壊し、確かな価値が見失われる」「ニヒリズム」のそれだ(p.28)との指摘もよく分かる。
 この「ニヒリズム」との闘いこそが<保守>の役割だとされる。「価値規範の喪失、放縦ばかりの自由、窮屈なまでの人権主義や平等主義、飽くことなき物質的富の追求、そして刹那的な快楽の追求」、このような「現代文明の崩壊」に「無頓着」でかつ「手を貸している」のが、「左翼進歩主義」なのだ(p.30)。
 再び日本的「精神」・「日本的な価値観」に戻ると、日本は敗戦によって「国土だけでなく、日本的価値も日本的精神も、すべて焼きつくされた感がある」。これれらが「何であるか、戦後の日本人にはわからなくなって」しまった(p.71)。
 そして、佐伯啓思は東洋的「無」との関係の箇所でのみ「天皇」に言及している(p.115)-「天皇という存在も日本文化の中心にある『無』を表している」。
 日本の伝統・歴史・文化という場合、「天皇」制度のほか、密接不可分の<神道>や<(日本化された)仏教>を無視することは絶対にできないだろう。それらは、戦前の「京都学派」(西田幾太郎ら)の思想よりも重要な筈だ。この「学派」が、天皇・神道・仏教を全く無視していたとは思わないが。
 アメリカと欧州の違いの指摘も、相当に納得がいく。「親米保守」は概念矛盾、アメリカは「左翼急進主義」者、といった指摘は、「親米保守」論者にとっては厳しいものだ。
 三 既に同旨を述べたことがあるが、佐伯啓思の叙述でいま一つ納得がいかないのは、中国・北朝鮮への言及やそれらへの警戒の文章が(アメリカ批判に比べて)全くかほとんどないことだ。
 佐伯によると、「冷戦」とは、アメリカ的解釈によると、「ソ連という全体主義国家に対して、西側が自由と民主主義を掲げた戦争」だとされる。そして、ほぼ自分の言葉として、「冷戦が終わり、自由・民主主義・市場経済の敵が消え去った」とも述べている(p.93~p.94)。
 しかし、繰り返しになるが、東アジアでは<冷戦>はまだ続いているのではないか。アメリカとの関係で自立・自存の方向へ向かうべきことも明らかだと思われる(自主憲法制定、自国「軍」の認知はその方向への重要な目標だろう)。日本的「価値」を探る議論もきわめて重要だ。だが、アメリカ的「自由・民主主義」を戦略的にでも利用して、中国(共産党)や北朝鮮と対峙する必要は、中国が軍事力を強化し、北朝鮮がミサイル(テポドン)発射の準備を進めているという状況下では、なおも必要なのではないか。
 もっとも、佐伯啓思は、(かつての?)麻生太郎らの「価値観外交」の中には「自由や民主主義」だけではなく「日本的価値観を織り交ぜる必要がある」(p.118)という書き方もしていて、「外交」上の「自由や民主主義」の標榜を全くは否定していないようだ。とすると、大して変わらないことになるのかもしれない。

0659/自由主義・「個人」主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1

 一 <民主主義>とは「国民」又は「人民」の意向・意思に(できるだけ)即して行うという考え方、というだけの意味で(「民主政治」・「民主政」はそのような「政治」というだけのこと)で、「国民」・「人民」の意思の内容・その価値判断を問わない。従って、「国民」・「人民」の意思にもとづいて<悪い>又は<間違った>又は<不合理な>決定が行われることはありえ、そのような「政治」もありうる。民主主義にのっとった決定が最も「正しい」とか「合理的」だとは、全く言えない。
 また、「国民」・「人民」の意思だと僭称するか(各国共産党はこれをしてきたし、しているようだ)、しなくとも実際に多数「国民」・「人民」の支持・承認を受けることによって、ドイツ・ワイマール民主主義のもとでのナチス・ヒトラー独裁のように、民主主義から<独裁>も生じうる。また、民主主義の徹底化を通じた<社会主義・共産主義>への展望も、かつては有力に語られた。
 <民主主義>に幻想を持ちすぎてはいけない。
 <自由>が国家(・および「因習」等)による拘束からの自由を意味するとして、それは重要なことかもしれないが、このような<自由>な個人・人間が目指すべき目標・価値を、あるいは採るべき行動・措置を、何ら指し示すものではない。<自由>を活用して一体何をするか、何を獲得するかは、<自由>それ自体からは何も明らかにならない。
 とくに<経済的自由主義>はコミュニズムに対抗する意味でも重要なことだろうが(むろん「自由」にも幅があるので又は内在的制約があるので、<規律ある自由>とかが近時は強調されることもある)、しかし、「自由主義」に幻想を持ちすぎてもいけない。
 <個人主義>も同様だ。人間が「個人として尊重」されるのはよいし、その個人の「生命、自由及び幸福追求に対する…権利」が尊重されるのもよいが(日本国憲法13条)、「生命、自由及び幸福追求」というだけでは、「自由な」尊重されるべき「個人」が、一体何を目指し、何を獲得すべきか、いかなる行動を執るべきか、いかなる具体的価値を大切にすべきか、等々を語るには、なおも抽象的すぎる。要するに、各個人の「自由な」又は勝手気侭な選択はできるだけ尊重されるべし、というだけのことだ。
 <平等>主義も重要だろうが、これまた具体的<価値>とは無関係だ。適法性を前提としても(法の下の平等)、平等な貧困もあるし、平等に国家的・社会的規制を受けることがあるし、平等に「弾圧・抑圧」されることもありうる。<平等>原理だけでは、特定の<価値>を守り又は獲得する手がかりには全くならない。
 二 というようなことを思いつつ、佐伯啓思のいくつかの本を見ていると、なるほどと感じさせる文章に遭遇する。
 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の、80年代アメリカ経済学・「グローバリズム」・「新自由主義」批判は省略。
 ①「リベラリズム」(自由主義)の「基礎を組み立てている」のは「消費者」ではなく、しいて名付ければ「市民」だとしたあと(上掲書p.56)、次のように書く。
 ・「市民」はその原語(ブルジョアジー)の定義が示すように何よりも「財産主」であり、「財産主」であることを守るためには「安定した社会秩序」を必要とした。さらに「社会秩序」の維持のためには「公共の事柄に対する義務と責任」を負い、この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」・「日々の経験」・「人々との会話」・「読書」・「芸術」によって培われる。
 ・「公共の事柄に対する義務と責任」を負うために必要な「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を、人は、「いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として」身に付けることはできない。人は「近隣、家族、友人たち、教会、それに国家」、こうした「様々なレベルでの」「広義の『共同体』」と一切無関係に「価値や判断力」を獲得できない。
 ・「近代社会」による「封建的共同体からの個人の解放」は「個人主義」の成立・「近代リベラリズムの条件」だと理解されている。しかし、これは「基本的な誤解」か、「すくなくとも事態の半面を見ているにすぎない」。「一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえない」。仮にありえたとして、彼はいかにして、「社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在」を学ぶのか。
 ・「通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の権利をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」。(以上、p.57-58)。
 昨年に憲法学者・樋口陽一の「個人」の尊重・「個人主義」観をこの欄で批判的に取り上げたことがある。樋口陽一や多くの憲法学者の理解している又はイメージしている「個人」とは、佐伯啓思は「ロックなどの社会契約論が思想の端緒を開き…」と書いているが、ロック・ルソーらの(全く同じ議論でないにせよ)社会契約論が想定しているようなものであり、それは「誤り」を含む「通俗的な近代リベラリズム」のそれなのではないか。
 ②次のような文章もある。
 ・80年代に「リベラリズム批判」と称される四著がアメリカで出版され、話題になった(4名は、ニスベット、マッキンタイアー、ベラー、サンデル)。これらに共通するのは、「支配的なリベラリズム」が想定する「何物にも拘束されない自由な個人という抽象的な出発点」は「無意味な虚構だ」として排斥することだ。「抽象的に自由な個人」、サンデルのいう「何物にも負荷されない個人」という前提を斥けると「個人とは何なのか」。マッキンタイアーが明言するように、「何らかの『伝統』の文脈と不可分な」ものだ。
 ・人は「書物や頭の中で考えたこと」によって「価値」・「行動基準」を学習・入手するのではなく、「日々の経験や実践」の中で学ぶ。ここでの「実践」も抽象的なものではなく、それは「必ず歴史や社会の個別性の中で形成される」。つまり、「実践」は必ず「伝統」によって負荷されている。従って、「実践」とは先輩・先人・先祖との関係に入ることも意味する。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、残るのは「極めて貧困な実践」であり、そこから「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ(以上、p.58-59)。
 ・まとめ的にいうと、「確かに、リベラリズムは…、かけがえのない個人という価値に固執する」。「個人的自由」はリベラリズムの「基底」にある。しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえない」。つまり、「特定の『実践』や『伝統』から無縁ではありえない」(p.60)。
 今回の紹介は以上。
 上の一部にあった、「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ、ということは、わが国の戦後に実際に起こったことではないか。
 日本の戦前との断絶を強調し(八月革命説もそのような機能をもつ)、戦前までにあった日本的「伝統」・「価値」 を過剰に排斥又は否定した結果として、「伝統」・「歴史」の負荷を受けて成長すべき、戦後に教育を受けた又は戦後に社会的経験・「実践」をした者たちは(現在日本に生きている者のほとんどになるだろう)、まっとうな感覚をもつ「豊かな個人」として成長することに失敗したのではないか(私もその一人かも)。そのような「個人」が構成する社会が、そのような「個人」の総体「国民」が「主権」者である国家が、まともなものでなくなっていくのは(<溶解>していくのは)、自然の成り行きのような気もする。

0652/佐伯啓思・国家についての考察、小熊英二・<民主>と<愛国>、西尾幹二・真贋の洞察等。

 一 全読了している佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)の帯・右側に記載されている「本書目次」は次のとおり。
 序章 なぜ「国家」を論じるのか
 第一章 現代日本の国家意識
 1 「戦後的なもの」の溶解
 2 「世界市民主義」とは何か
 3 逆立ちした国家意識
 第二章 「二重言説」の戦後日本
 1 保守と革新の作り出した構図
 2 「公式の言説」と「非公式の言説」
 3 近代日本の宿命

 第三章 戦後民主主義という擬装
 1 民主的主体という擬装
 2 「戦後」という欺瞞
 第四章 国家をどう理解するか
 1 近代的国家のロジック
 2 継続性の中にあるロジック
 第五章 国家論の構築に向けて
 1 ナショナリズムとは何か
 2 「われわれ」意識のロジック
 3 均衡体としての国家 
 4 誰が国家の「担い手」か
 5 「公」「私」、そして「国家」
 ついで、帯・左側の関心惹起?のための文章は次のとおり。大きな「「国家」への思考停止から、「国家論」の構築へ!」という文字の上に並ぶ。
 「「戦後」の時空間の中で、国家への考察を徹底封鎖し、その結果、主体性・価値観・魂を喪失した日本および日本人に、戦後日本の思想的営為の「歪み」を鋭く指摘しつつ、「国家意識」についての再考、「国家論」の構築を促す、画期的な書き下ろし論考」
 この本のごく一部、朝日新聞社説に批判的に言及して論を進めている部分については、昨年12月に5回に分けて紹介・コメントした。
 二 上のような書き写しをしたのは、佐伯の書物の中でも、最も基礎的な主題を論じた、最も好ましいものだと感じているからだが、それは別としても、実際よりももっと幅広く読まれてよい本だという印象を強くもつからだ。
 佐伯啓思は昨年に日本の愛国心(NTT出版、2008)という本を出した。
 異論・疑問が全くないわけではないにせよ、非常に優れた、刺激的な(論争誘発的でもある)本だ。
 にもかかわらず、簡単な書評を若干見かけただけで、この本が大きな論争を巻き起こした、ということはなかった。上記の『国家についての考察』もおそらく、世間的にはあるいは少なくとも論壇においてすら、あまり注目されなかったのだろう。
 どこかおかしい。その理由の大きな一つは、朝日新聞や同社的なマスメディア(・雑誌)が、佐伯啓思の本を完全に無視しているからではないか、と思われる。朝日新聞等が大江健三郎・加藤周一(昨年死去)・井上ひさしらの本を取り上げ、コラムを書かせているのとは対照的で、彼らは絶対に言及しない、コラム執筆も依頼しない著者・評論家・学者のリストを作っているものと推察される。
 世情を賑わし、大部が売れたいくつかの本よりも、佐伯の例えば上の二つの本をじっくりと読んだ方が、深く、理論的な思考にはるかに役立つ。
 どこかおかしいのだ。言論統制に近いものは、国家によってではなく、出版社・新聞社が自らによって行っているのが実態だろう。自分たちに気にくわない思想・主張は無視する、封殺する、これが朝日新聞等のやっていることだ、と思う。
 三 朝日新聞社系の雑誌・アエラの最新号で、立ち読みの記憶だから正確ではないかもしれないが、姜尚中が政治(・思想?)関係の書物を30ほど推薦している記事があった。
 佐伯啓思・西尾幹二らの本が挙げられているはずはない。姜尚中の自著いくつかの他、丸山真男(二つ)、フーコー(二つ)、大江健三郎、加藤周一<この二人は九条の会発起人>等々が挙げられていた。さすがに「左翼」新聞社がご愛用の「左翼」学者だと感じたものだ。
 こうしたリストアップを中庸で正統的なものと信頼して購読する真面目な?読者もいるのだろうから怖ろしい。
 姜尚中がリストアップした推薦書の中には、小熊英二・<民主>と<愛国>(新曜社)があった。
 先日1月4日に西尾幹二・真贋の洞察(文藝春秋)に言及して、経済史学者・大塚久雄を皮肉る(批判する)部分等を紹介したが、その部分等は、じつは、小熊英二のこの本を西尾が論評する中で書かれたものだった。
 西尾による小熊英二著批判の表現は数多いが、このような紹介もなされている。
 「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、埃を払い、茣蓙を敷いてその上にずらっと並べて天日に干して、もう一度眺められるようにお化粧直しする」(、そんな本だ)、「若い読者はこれが戦後の思想史のトータルな姿だと思うだろう。たまに保守派の名を出しても、…脇役か刺身のつま、あるいは左翼進歩派の論を補強する引き立て役としてである」(p.87)。
 西尾の同じ論考によると、小熊英二の上の著の索引での言及頁数が多いのは、次の順らしい。多い方から、丸山真男、竹内好、鶴見俊輔、吉本隆明、江藤淳、小田実、石母田正、荒正人、大塚久雄、清水幾太郎(p.85)。この中で保守派といえるのは江藤淳と晩年の清水幾太郎だけだろう。これら以外で頻出する「左翼・進歩派」(といっても一枚岩ではないが)は、小田切秀雄、本多秋五、井上清、網野善彦、中野好夫、久野収、国分一太郎、鶴見和子、中野重治、南原繁、宮本百合子、宗像誠也、大江健三郎(p.88)。
 あくまで西尾の言を通じてではあるが(小熊の上の本の古書は高価で購入していない)、このような内容の小熊の本を姜尚中は推薦しているのだ。
 姜尚中自身の推薦リストですでに明白なことだが、姜尚中もまた「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、…お化粧直し」をしたいに違いない。
 こんな姜尚中が、朝日新聞系の枠にとどまらず、昨年末のNHK紅白歌合戦の「審査員」を務めたらしいのだから、NHKも、日本社会全体も、気づかないままに、発狂・崩壊への道を静かに歩んでいる。
 *追記-前回に追記した日以降のアクセス数が、1/16にさらに10000余増加した。

0636/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-「朝日新聞」の「大きな欺瞞」。

 一 佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)p.76以下は「『他国への配慮』と国益」との節名で、前回紹介したようなことを、再述又は別論している(この本全部は、12/15に読了した)。
 7 ①「国益」観念が背後にない「他国への配慮」・「国際的友好」は無意味だ。そして「国益」が意義あるためにはその国の「正義」あるいは「共有価値」で支えられている必要がある。「正義」・「共有価値」は「生活上の習慣や文化的様式の中に暗黙のうちに表出」されるものだろう。
 しかし、「今日の日本」のように「暗黙裡」のものであれ「正義」あるいは「共有価値」の「存在そのものが怪しくなっている」場合には、「ナショナル・アデンティティ」の名のもとに「日本という国家を構成する精神的基盤について論議するのは当然のこと」だ(p.76)。
 ②「他国への配慮」・「国際的友好」を唱える者たちもかかるナショナリズムを前提としている筈だが、この「進歩主義的立場に立つ国際主義者」は「反国家主義」を標榜し「インターナショナリズムをナショナリズムと対立させる」ために自らの「インターナショナリズム」を骨抜きにしている。「国益」・「ナショナル・アデンティティ」を排除した「国際主義」は「ただ空疎な美辞麗句」にすぎない。
 彼らの「国際主義」は「反ナショナリズム」から発しているがゆえに、その「国際主義」自体が「『自己陶酔的で排他的な』ナショナリズムの単なる裏返し」となり、「『自己卑下的で追従的な』インターナショナリズムへと転化」している。その対中国姿勢、対国旗・国歌法姿勢等こそ、「まさに『自己陶酔的で排他的』なナショナリズムをただ裏返しただけに過ぎない」(p.76-77)。
 ③彼らの「友好」・「配慮」は「きわめて独善的」で「一国主義的」でもある。「ナショナル・アデンティティ」を排除した「国際主義」は「真の意味での国際主義=国家間主義(インターナショナリズム)とはなりえない」。「友好」・「配慮」は、「奇妙なことに『自己卑下的で追従的な』国際主義を『排他的で自己陶酔的に』追求するという結果となりかねない」(p.77)。
 ④「朝日新聞」社説が「ナショナリズム」や「ナショナル・アデンティティ」を「根本から否定」しているとは思わないが、それを語ることを「躊躇」しているために、五輪ナショナリズムはよいが「現実のナショナリズムは危険」だなどという「トンチンカン」な論説を展開している。「過激なナショナリズムを高揚させるほどの国家への切迫した思いも一体感も現代の日本人は持ってはいない」。五輪ナショナリズムは過激だが「国家意識は低調」ということは「通常は考えにくい」(p.78)。
 ⑤既述のように「朝日新聞」社説の「反ナショナリズム」は「裏返された」ナショナリズムで「隠された」ナショナリズムを背後にもつ。ナショナリズムあるいは「国家という『主体』」なくして「他国への配慮」・「国際的友好」を語り得ないのは自明のことで、朝日新聞」社説も「戦後進歩主義者」もこれを前提とせざるをえない筈だ(p.78-79)。
 ⑥しかし、「今日の日本」ではこの「国家という『主体』」という「自明性が見えなくなってしまっている」。小林よしのりの本も新しい教科書の会の運動も「戦前復古ではなく、現在の『主体』をいかに構成するかという関心」に導かれていると考える。
 「朝日新聞」社説もかかる「主体」の必要性を前提とする筈だが、しかし、「この『主体』がほとんど崩壊、もしくは溶解しつつあるとき、その主体の構成を図るための議論をナショナリズムと規定して排斥するのは一体なぜなのか?
 「ナショナリズムを隠蔽した反ナショナリズム」、「反ナショナリズムの内に潜むナショナリズム」、「この奇妙な二重構造」・「顕揚と隠蔽」あるいは「無意識の検閲」、「ここに大きな欺瞞があるのではないか?」 そしてそれこそが「『戦後的なもの』を内側から溶解させてしまった根本」要因ではないか?(p.79-80)。
 ⑦この「二重性」・「無意識の検閲」は後述もするが、そもそも「反ナショナリズムの思想的拠点は何」なのか。次にこれを扱う(p.80)。
 二 以上でp.57-80のメモは終わり。この部分は、この著の序章「なぜ『国家』を論じるのか」の次の第一章「現代日本の国家意識」の1「『戦後的なもの』の溶解」の後半ほぼ3/4にあたる。
 このあと、2「『世界市民主義』とは何か」、3「逆立ちした国家意識」とつづき、第二章「『二重言説』の戦後日本」以降へと移っていく。いずれも<朝日新聞>と無関係ではないが、覚書的紹介はとりあえずここでやめる。
 のちに丸山真男宮沢俊義(・日本国憲法)に触れるところや佐伯自身の「国家」観・論の展開が見られるところがあるので、別の機会にこの欄で言及したい。
 三 それにしても、朝日新聞、そして若宮啓文は、上のような朝日新聞的「反ナショナリズム」批判(又は批判的分析)にどう反応する(又は反応した)のだろうか。若宮啓文が佐伯啓思のこの著を一顧だにすることなく単純な「ナショナリズム」批判をしている(した)ことは明瞭だ。彼らがしていることは本能的・感覚的な「ナショナリズム」嫌悪感の表明にすぎないだろう。朝日新聞の社説執筆者やその一人だった若宮啓文の思考の<驚くべき底浅さ>は、佐伯啓思の丁寧な(そしてこの人にしては珍しく朝日新聞と明示しての大胆な?批判を含む)論述と比べると、きわめてよく分かる。
 若宮啓文はもう遅いかもしれないが、より若い世代の「戦後進歩主義者」は、佐伯啓思の上掲書を一度きちんと読んでみたらどうか。

0635/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-朝日新聞批判・その4。

 一 11月の半ば以降だったのだろうか、佐伯啓思・国家についての考察(2001、飛鳥新社)を再び読み出して、計320頁のうち、300頁を読み了えた。もう少しだ。
 先週金曜日あたりからの数日間で、竹内洋・学問の下流化(中央公論新社、2008.10)をほぼ2/3のp.196まで読んでしまった。小論を集めてまとめたもので読みやすいが、読後感の<軽さ>は、この人の他の本にも見られるわかりやすい文章のためだろうか。それとも、この人の思考・思想自体の<軽さ>によるのだろうか。けっこう面白い本であることは確かだが。
 二 さて、佐伯啓思の上掲書のメモのつづき。全体についての紹介的覚書を記すつもりはないが、佐伯が<朝日新聞>という名を明示して所謂<進歩派>を批判又は分析するのは珍しいと思われるので、もう少し続ける。
 朝日新聞らの<反ナショナリズム>の分析は前回までにも紹介した。佐伯は「『国益』とは何か」と節名を変えて、朝日新聞らの<反ナショナリズム>または<ナショナリズム批判>を、「他国への配慮」という点に着目して次のように批判する。
 6 ①<反ナショナリズム>に「裏返され、萎縮し、隠されたナショナリズムを見る思いがする」。
 国際関係は基本的には「国益」をめぐる対立の場だ。この対立は常に「力」のそれや「紛争」になりはしないが、1.「他国への配慮」は「国益の追求」のためにも不可欠で、前者は後者の「手段の一つ」となる、2.諸国家の利害調整のために国際ルール・国際機関が形成され、かかる「制約条件」のもとで「相互に国益を追求する複数国家のシステム」こそが「国際秩序」というものだ(p.71-72)。
 ②「国益」とは次の「二つの側面の適切な結合」だ。1.「国民生活の豊かさの追求や安定の確保という…物質的側面」、2.「比較的長期に」「歴史性に根ざし」て「共有している文化的価値を実現してゆくという…精神的次元にかかわる側面」。「国民の統合」を前提とする「近代国家」は何らかの「価値の共有」を必要とし、その「価値を実現」する「条件を作り出す」ことが「長期的な『国益』」になる。
 「国益」は「共有する価値の裏づけとその実現」という「理念的・精神的支え」を必要とする。しかもその価値は「歴史性」と「普遍性」をもつ必要がある。「国益」とは「少々おおげさ」には「その国の『正義』」、「他国に対する自国の正当な言い分」だ。「正義」なき「利益」追求は他国に正当化されないし、「利益」と結合しない「正義」は「宙に浮いた」もので国民に支持されない。要するに、「国益とは、国民の幸福や生活の向上という功利的な『利益』と、国際的に主張しうる自国の立場や価値という『正義』の結合」に他ならない(p.72-73)。
 ③従って、「国益」を議論するにはその国の「価値」・「正義」の議論が必要で、これは「広い意味でのナショナル・アイデンティティ」に関する議論となる。しかし、この議論が「今日の日本」では「きわめて困難」だ。その理由は、この議論が「戦後を疑う」ことから
出発せざるをえないことにある。「戦後を疑う」のは「否定する」と同義ではないにしても、「戦後の価値観の中で否定され隠されたものを再び明るみに出し、…日本にとっての『正義』とは何かを改めて問い直す作業」だ。これは「『戦後的なもの』の中でタブー視された価値をいったんはすべて解放する」という「困難な作業」を伴う(p.73-74)。
 ④「ナショナル・アイデンティティ」は「作り出された」ものだとしても、かかる「フィクション」を想定できないと「国益」観念は定義できず、国際社会での「確かな立場」は取れない。そうなれば、憲法前文にいう「国際社会で名誉ある地位を占める」ことも、そもそも「他国への配慮」とか「国際的に友好的」という観念さえも無意味になる(p.74)。
 ⑤「戦後的なもの」の擁護者は「自由主義、民主主義、平和主義、人権主義など」を「正義」とし、この点に「議論の余地はない」と考えるが、本当にそれが「国民の正義」で実際に「共有された価値」ならば「ナショナリズムの復興」を怖れる必要はない。
 「ナショナリズム」とは「国民の共有された価値の実現を図ろうとする運動」だ。「国民の共有された価値」が「自由主義、民主主義、平和主義、人権主義など」ならば、これらの実現を図る「国民運動」になる。
 にもかかわらず、「朝日新聞」社説等の「戦後的なもの」の擁護者は、「明らかにナショナリズムの高揚に恐怖し、それを復古主義だと唱える」。それは、「戦後的なもの」が「国民の正義」、「共有された価値」になっていないからだ。「彼ら自身がそれを認めている」。
 「ナショナル・アイデンティティ」、「正義」、「価値」に関する議論の余地は存在している。それは「戦後的なもの」という「枠を解除した」議論である必要がある(p.74-75)。
 ⑥「戦後的なもの」の擁護者-「戦後進歩主義者」-は「ナショナル・アイデンティティ」・「日本の国益」といった観念は「政治的に構成されたフィクションにすぎない」と言うかもしれない。「その通り」だが、「民主主義や人権主義という観念」も、「平和主義」も、同じく「政治的に構成されたフィクション」だろう(p.75)。<次の節へとつづく>

0634/佐伯啓思・国家についての考察(2001)による「朝日新聞」的<反ナショナリズム>の分析。

 佐伯啓思・国家についての考察(2001)のつづき。
 「他国」とりわけ「アジア諸国」への「配慮」の障害となるのは「危険なナショナリズム」だと言うときに、「実際に隠蔽されるものは何か」。佐伯は節名を「『戦後的なもの』の崩壊」と変えて、さらに論述を展開していく。
 5 ①「実際に隠蔽される」のは「戦後の歴史の『歪み』そのもの」だ。この「歪み」は後述するが、若干言い換えると、「排除され隠蔽され」ているのは、「今日のナショナリズム」が置かれている、「戦後日本」という<文脈>、さらに言えば「近代日本」の、「『日本』という歴史性を持った」「文脈」だ。この「文脈」の中で「『国家』をいかに理解するか」が「排除され隠蔽され」ている(p.68)。
 ②日本に限らず、ナショナリズムはその国の「独特の歴史的特性や文化的固有性」と関連があり、「ナショナリズムが歴史や文化を強調するのは当然」だ。「自己陶酔的」では全くない(p.68)。
 ③だが、日本は「戦後の歴史と戦前のそれ」との間に「大きな断層」があり、それが「文化の次元まで及ぶ」という、「いささか特異な立場」にある。「断層」は主として「ものの考え方、価値観、文化なるものの表現」にかかわり、「端的」には「戦後の、自由主義、民主主義、平和主義などという価値によって、それ以前の価値や文化的な様式はほとんど全体的に否定された、という特異な時代経験」を指す。この「断層」によって否定されたものの上に「戦後日本」という「特徴的な世界」が成立したのだ(p.68-69)。
 ④したがって、日本の「歴史意識」はこの「断層」を不可避的に問題にする。ここに、「今日の日本のナショナリズム」が「断層」を意識して「戦後を疑う」という「表現形態」をとらざるをえない「理由」がある。それは「回顧的」・「復古的」ではなく、「『断層』によって何が隠されたのか、その上に成立した『戦後』とは何か」と問うことは現代日本の「ナショナリズムの当然の姿勢」だ
 「断層」によって「見えなく」されたものは「葬り去られ」てはおらず、「今なお…ここにある」。だから、それを「掘り出す作業は歴史的『文脈』を追う」。ナショナリズムが依拠する「ナショナル・アイデンティティの意識」は「歴史的継続性と文化的共有性」(という「文脈」)の「再発見」・「再定義」によって形成される、ということが「重要」だ。だとすれば、「戦後を疑う」という表現形態は不思議ではなく「戦前への回帰」ではない。「まさに今日的な営み」だ。
 「進歩主義者たちのナショナリズムへの過敏なまでの拒絶反応」は、ナショナリズムが「時代はずれ」の「復古」ではなく「まさに今日的問題」であることを「本当は気づいているからであろう」。たんなる「時代はずれ」の「復古」ならば、「放っておけば自然に忘れ去られるはず」だ(p.69-70)。
 以上もかなり引用の密度が高いが、この部分のまとめ的な次の段落は、ほとんど引用ばかりになる。
 ⑤「『朝日新聞』社説に示されるナショナリズム批判は、今日のナショナリズムの根幹を封じようとしている」。「頑として封印」しようとするのは、「『戦後を疑う』という姿勢そのもの」だ。「『戦後を疑う』という姿勢」を許せば、「ナショナリズムはその芽を吹くことになる」。なぜなら、「戦後を疑う」ことは、敗戦・連合軍の占領以降の「自らの文化的アイデンティティの破壊、勝者が押しつけた価値のもとでの被抑圧感情、こうしたルサンチマン的感情」を「すべて表面に解き放ってしまいかねないから」。
 「朝日新聞」や「『朝日新聞』的なもの」が「その上に自らの立場を築き、地歩を確保してきた『戦後的なもの』」を彼らは「死守しなければならない」のだろう。そのためには「ナショナリズムの一切の芽を摘むことが必要不可欠となる」(「戦後的なもの」を「保守」せんとする「ナショナリズム批判者の言説が、ナショナリズムを戦前回帰として片づけようとすることは当然だ」が、それは「見当はずれ」だ)(p.70)。
 以上で今回の紹介は終わり。「戦後的なもの」の「死守」を図る朝日新聞(や意識的「左翼」)が、「ナショナリズム」言説に過敏に反応しそれを抑圧・封印しようとする背景が説得的に語られている。若宮啓文もまた<本能的・感覚的に>そうした抑圧・封印の意識を形成して(形成し終えて)いると思われる。
 こうした過敏で、本質的な問題を素通りして決めつける、<(左翼)ファシズム>的反応は、最近の田母神論文に関しても顕著に見られたことだ。田母神はまさに「戦後を疑う」、「戦後」の通念に矛盾する、「ナショナリズム」的文章を発表したのだった。今日の言論空間・「知的」空間の<主軸>または「構造」を、なおも簡潔にだが、佐伯啓思は語っていると考えられる。なおも続ける。

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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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