秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

西尾幹二

1223/西尾幹二・憂国のリアリズム(2013)を全読了。

 西尾幹二・憂国のリアリズム(ビジネス社、2013)を、10/12~10/13に、数回に分けながら、すべて読んだ。

 〇最終章(第五章「実存と永遠」)の最後の節のタイトルは「宗教とは何か」。

 その中で自然科学者や社会科学者は「実在」を対象としていて、「自己」をとくに問題にしない、一方、人文科学はそうはいかない、と書いているのは興味深い。たしかに、経済・政治・法等を対象とする学部・学科に所属するまたは出身の「評論家」・論者に較べて、西尾幹二の文章には「自己」というものが相対的には色濃く現れているように感じるからだ。
 西尾は続けて、歴史学に言及し、歴史研究の認識対象たる「実在」は「過去」だが、「歴史は記述されて初めて歴史になる」、記述には過去の「特定の事実の選択」が先行し、この選択には記述者の「評価」が伴う、歴史研究の対象たる「客観世界」は「自己」が動くことによって「そのつど違って見える」、というようなことを書いている(p.321)。
 そのとおりだろう、と思われる。但し、瑣末で余計なことだが、歴史学は現在の大学での学部・学科編成とは異なり、元来は「社会」系の学問分野ではないか、と感じている。そして、おそらくは西尾の論述の仕方とは逆に、「社会科学」なるものも厳密には「自己」なるものの立場を抜きにしては語られえないのではないか、とも感じている。

 さて、西尾幹二は「宗教」を、「過去」なる具体的・有限の「実在」を前提としたりするのではなく、「何もない世界、死と虚無を『実在』とする心の働き」だと、ひとまず定義している。ここに学問と宗教の違いがある、ということだろうか。そしてまた、「何もない世界、死と虚無を『実在』とする」のは「途方もないこと」で、「死ではなく永遠の生、虚無ではなく永遠の実存を信じ」る多くの宗教組織・教団類があるが、「どれか一つの宗派の選択だけが正道である」とする強靱さを自分は持てない、「特定の宗教に心を追い込むことがどうしてもできない」と西尾が告白?しているのも(p.322-4)、興味深い。

 最も最後の段落の文章は、なかなか難解だ。-学問と宗教は相反概念だが、明治以来日本人は欧州から「近代の学問の観念を受け入れ、死と虚無を『実在』として生きているのが現実であるにもかかわらず、このニヒリズムの自覚に背を向け、誤魔化しつづけて生きている。そのため宗教とは何かを問われたり問うたりしたりして平然と『自己』を疑わないでいるのである」(p.325)。

 〇ところで、この著書は西尾幹二の2010年~2013年6月に諸雑誌に発表した論考をまとめたものだ。五つの章に分類されてはいるが、数えてみると全部で26本の論考から成り立っている。
 どの雑誌に発表されたものかを「初出一覧」(p.330-)で見てみると。月刊WiLLまたは歴史通(いずれも、ワック)が計7で最も多く、ついで、言志(これは知らなかったのでネットで調べてみると、ブクログが発行所、編集長・水島総、編集者・井上敏治・小川寛大・古谷経衡)が5。第三位なのが月刊正論(産経新聞社)で3、続いてサピオ(小学館)と週刊新潮(新潮社)が各2ジャパニズム・週刊ポスト・テーミス等が各1、になっている。

 言志なる雑誌(メールマガジン?)に関心をもった。同時に、西尾幹二は現在は月刊正論(産経)に連載しているようだが、月刊WiLL+歴史通と言志で12/26を占めており、月刊正論掲載は3論考しかないので、とても<産経文化人>とはいえない、ということが明確になってもいる。産経新聞の「正論」執筆グループの一人でもないはずだ。些細なことかもしれないが、こんなことも興味深くはある。

 「産経」を批判または皮肉っている部分も数カ所あった。この本の内容についてはさらに言及する(今回に上で言及したのは最も非政治的な論考かもしれない)。

1212/東京大学文学部社会学科はなぜ上野千鶴子を東京大学教授にしたのか。

 日本の大学の人事において、とくに歴史学や社会学を含む「社会系」については、その人物の「思想」・「イデオロギー」(それらによる所属団体、それらについての指導教授の「傾向」)がかなりの影響をもっているかを、この欄で何度か触れたことがある。マイナスになることもあれば、「左翼」/マルクス主義者・親マルクス主義者/日本共産党員であることがむしろプラスに働いて、これらを大学または学界における「処世の手段」として利用している者も少なくないのではないか、等をかつて記したことがある。   2007.07.06「大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?」   2009.02.06「<処世の手段>としての『左翼』/マルクス主義者/日本共産党員」。   2010.10.02「『共産党ではないが左翼』の社会・人文系学者たちの多さ」、など。

 長らく失念していたが、上野千鶴子の東京大学への招聘について、西尾幹二らが当時の東京大学文学部長と社会学科長に対して「公開質問状」を出していたことを思い出した。
 ネット上で、全文かどうかは不明だが見つけたので、再掲して紹介しておくことにする。なお、この質問状は西尾=八木・新・国民の油断(PHP、2005)に全文・経緯が掲載されているようだ。所持しているが、確認作業を節約させていただく。

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 「『上野千鶴子』問題については、東京大学の社会的責任を問う必要があると考えます。

 『女遊び』は、上野千鶴子氏が東京大学文学部教授会に迎え入れられる前、平安女学院短期大学教員の名で出された本で、東京大学の資格審査の際の参考文献に当然なっていたはずですから、同書と同書著者を受け入れた社会的責任が、東京大学文学部長と社会学科主任教授とにあると思います。もちろん、それに先立ち、文学部教授会全体にも社会的責任があります。

 憲法で『表現の自由』と『学問の自由』は保障されていますが、表現の『評価』は無差別ではありません。社会的影響力の大きい機関は『評価』に対し、当然、社会的責任を有しています。

 『女遊び』がどのような文献であるかは本書中で紹介したとおりで、必要なら古書でなお入手でき、再調査が可能でしょう。関係各位はご調査のうえ、判断や評価が適切であったか否かを、いまあらためてマスコミにおいて公表してほしい。

 もちろん機関としての判断決定の見直しは、いかに失敗であるとはいえ、もう時機を失しているでしょう。けれども、文学部所属の教授たち、ことに社会学科所属の関係者が上野千鶴子氏の『評価』の見直しを、己の学問的良心に照らして再度ここで行うことは可能です。私たちのこの提案に対し、開き直って彼女を礼賛するか、賛同して彼女を批判するか、いずれも自由ですが、沈黙するのは社会的無責任の表明と見なします。開き直って礼賛する人の論法は見物で、いまから楽しみにしています。

 なお、『女遊び』は学術的著作ではないので、審査対象からは外していたという見え透いた逃げ口上は慎んでいただきたい。業績の少ない若い学者の資格審査においては一般著作も参考にすべきで、それを怠ったとすれば、かえって問題です。

 まして『女遊び』は、上野氏のその後の反社会的思想と日本社会に及ぼしている悪魔的役割と切り離せない関係にあるだけに、見逃したという言い方は弁解としても成り立たないと思います。

 平成16年12月8日
  西尾幹二・八木秀次」

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 上野千鶴子は京都大学文学部・同大学院出身で上記の京都市内の女子短大や京都精華大学の教員だったが、突然に?東京大学文学部の助教授になった。
 上野の著「女遊び」とやらは読んだこともないが、上野のたった一つの学問的研究書と言えそうなのは同・家父長制と資本制-マルクス主義フェミニズムの地平-(岩波書店、1990)だろう。ここに見られるように、上野はたんなる「フェミニスト」またはフェミニズムの研究者ではない。「マルクス主義フェミニズムの地平」を目指して、ベルリンの壁崩壊・ソ連解体の頃以前に研究した文章をまとめて、1990年に、あの「岩波」から出版したのだった。<容日本共産党>の人物であることにもこの欄で言及したことがある。現在では東京大学を定年退官して優雅な「おひとりさまの老後」を過ごしているのだろうか。

 ところで、上の質問状からは不明だが、質問を受けた2004年度の東京大学文学部長ではなく、上野を採用することを決定した時点(1992年度と思われる)での東京大学文学部長は柴田翔であったと見られる。柴田翔とは、大学院学生だったとみられる1964年の芥川賞を「されどわれらが日々」で受けた人物。

 興味深いことに、西尾幹二と柴田翔(本名)はともに1935年の早生まれで(これは大江健三郎も同じ)、ともに東京大学独文学科で学んだ「学友」にあたる。そして、上野千鶴子問題を離れてさらに次のように思うのだ。

 失礼かもしれないが、西尾幹二は東京電気通信大学という理系の大学のドイツ語・ドイツ文学の教員だったのに対して、柴田翔は東京大学文学部教員として東京大学に残り、文学部長にまでなった。
 これまでの仕事・業績の全体を見ると、ドイツ関係に限ってすら、圧倒的に西尾幹二が柴田翔を凌駕しているのではないか。西尾幹二には「個人全集」すらある。柴田翔は芥川賞のおかげで世間的には著名かもしれないが、いったいいかほどのものを学界に残したのだろう。彼らの20歳代においても、東京電気通信大学と東京大学とでイメージされるような力量の差はなかったのではないかと思われる。しかるに、なぜ、柴田翔は東京大学に残り、その専任教員になれたのか。あくまで推測にはなるが、<思想傾向>がまったく無関係だったとは思われない。

 日本の大学というのは、「大学の自治」・「学問の自由」といった美名に隠れてはいるが、じつはかなり異様で奇妙な世界ではないかと感じている。  *後記(訂正)ー西尾幹二は1935年の「早生まれ」ではなく、同年7月生まれ。なお、大江はいわゆる<一浪>をしているので、結果として西尾と同年の入学のはずだ。

1195/西尾幹二=竹田恒泰と小川榮太郎の本、全読了。

 8月中に読了した書物に、少なくとも次の二つがある。いつ読み始めたかは憶えていない。感想、伴う意見等を逐一記しておく余裕はない。以下は、断片的な紹介またはコメントにすぎない。
 第一、西尾幹二=竹田恒泰・女系天皇問題と脱原発(飛鳥新社、2012)。

 1.第三部は「雅子妃問題の核心」。かつて対談者の二人はこの問題に関して対立していて、私は西尾幹二の議論に反対していた(ということはたぶん竹田と同様の見方をしていた)。この本では、正面からの喧嘩にならずに平和的にそれぞれが言いたいことを言っている。
 離れるが、①皇太子妃に「公務」などはありえない。皇后についても同様だ。②美智子皇后が立派すぎるのであり、皇后陛下を標準として考えてはいけない。かつての時代を広く見れば、模範的な皇族を基準とすれば、異様な皇族など、いくらでもいたはずだ、皇太子妃であっても。また、おおっぴらに語られることはなくとも、異様な天皇もいたであろう。それでも皇統は続いてきた。皇族が「尊い」理由は各人の人格・人柄等にあるのではなく「血統」にある。皇太子妃は皇太子の配偶者であるというだけで、「尊い」と感じられるべきだろう。

 2.本件当時に「怒り」のような感情を抱いたものだが、2012年4月に羽毛田宮内庁長官は今上天皇・皇后の薨去後の方法についての希望ごを記者会見で発表したことがあった。
 今上天皇が何らかの意見をお持ちになることはありうるだろうが、天皇の「死」を前提にする具体的なことを平気で宮内庁長官がマスコミに対して話題にすること自体に大きな違和感を覚えた。

 よろしくない場合もあるが、日本と日本人は井沢元彦の言うように「言霊」の国なのではないか。一般人についてすらその将来の「死」に触れることが憚られる場合もある。ましてや天皇や皇族についてをや。

 また、この本p.148によると、羽毛田は皇后陛下のご本意と異なることを発表したらしい。ひどいものだ。竹田は宮内庁ではなく皇居域内に建物はあっても「宮外庁」だと言っていたが、その通りのようだ。羽毛田は元厚生労働省の官僚。憲法改正の必要はないとしても、皇室に関係する組織のあり方は行政機関も含めて、検討の必要がある。
 3.第四部の「原発問題」では二人の意見は基本的に一致しているようだが、私は賛同していない。竹田の最初の論考に原発労働者の実態が詳しく書いてあった記憶があるが、それを読んだとき(この欄には何も書かなかったはずだが)、それなら労働環境を改善すればいいだけのことで、原発自体に反対する理由にはならない、と感じたことがある。その他、二人の<反原発>文献は読んでいない。

 第二、小川榮太郎・国家の命運-安倍政権・奇跡のドキュメント(幻冬舎、2013)。
 1.p.143-4、昨年末の総選挙についてのマスコミ報道-マスコミは二大政党からの選択という「文脈を敢えて無視するかのように、『第三極』をクローズアップした。民主党三年三カ月の検証番組はなかった。自民党に政権復帰能力があるかどうかの検証もなされなかった。第三極や多党化という泡沫的な現象を追うばかりだった」。「日本のマスコミのこの二十年に及ぶ、度重なる浅薄な選挙誘導の罪、日本を毀損する深刻度において民主党政権と同格だ」。以上、基本的に同感。
 朝日新聞等の「左翼」マスコミは民主党政権に対して何と「甘く」、優しかったことだろうか。批判するにしても<叱咤激励>にあたるものがほとんどだっただろう。そして思う、いかに「政治的」新聞社・報道機関であっても<報道>業者であると自称しているかぎり、「事実」についてはさすがに真っ赤なウソは書けない。あれこれの論評でもって庇おうとしたところで、「事実」自体を変更することは(あくまで通常はだが)朝日新聞であってもできない。民主党政権にかかわる「事実」こそが、同党政権を敗北に導き、同党の解党の可能性を生じさせている。

 2.つぎの文章は、しっかりと噛みしめて読まれるべきだろう。-安倍晋三の「微妙な戦いは、我々国民一人一人が、安倍政治の軌道を絶えず正し、強い追い風で安倍の背中を押し続けない限り、不発に終わる。そして、もしそれが不発に終われば、日本は、中国の属国となってその前に這いつくばり、歴史と伝統を失い、日本人ではなく単に日本列島に生息する匿名の黄色人種になり下がるであろう。/その危機への戦慄なきあらゆる政策論は、どんな立場のものであれ、所詮平和呆けに過ぎない」(p.203)。

 3.知らなかった(大きくは報道されなかった)ので戦慄すべきことが書かれている。p.234以下。

 「事実上の発射準備」である「射撃管制用レーダーの照射」を中国海軍艦艇が行ったのは1/30で、翌月に小野寺防衛相が明らかにし抗議した。「最早挑発ではない。歴とした武力による威嚇」であることに注目すべきことは言うまでもない。問題は、以下だ。
 「
民主党政権時代にも、レーダーの照射は少なくとも二回あったが、中国を刺激するとの理由で公表しなかった」。

 小川が書くように(p.235以下)、民主党政権が続いて「その極端な対中譲歩が続いて」いれば、尖閣諸島はすでに「実効支配されていた可能性が高いのではないか」。

 小川はその理由を言う。-中国が「軍事」衝突なく施政権を奪えば、尖閣に日米安保は適用されない。「もし民主党政権が『中国を刺激するな』を合い言葉に、軍事行動なしに中国に施政権を譲ってしまえば。その段階でアメリカには防衛義務はなくなる」。
 ここでの「施政権」とは、「事実上の支配」とおそらくほぼ同義だろう。民主党政権が中国による何らかの形での尖閣上陸と実力・武力・軍事力による「実効支配」を、日本の実力組織(さしあたり、海上保安庁、自衛隊)を使って妨げようとしなかったら、かかる事態は生じていたかと思われる。小川はさらに、次のように書いている(p.237)。

 「勿論、民主党政権は口先で抗議を続けただろう。型通りの抗議を続けながら泣き寝入りを…。しかし現在の国力の差では、中国に実効支配を許したものを日本が取り返すことは至難だ」、日本は「世界の笑い者になる」。この点だけでも、「安倍政権の誕生は、間一髪だった」。

 さて、中国が強い意思をもって尖閣に上陸し「支配」しようとする状況であることが明らかになったとき、朝日新聞は、あるいは吉永小百合を含む「左翼」文化人は何と言い出すだろうか。<戦争絶対反対。上陸と一時支配を許しても、その後で中国政府に強く抗議し原状回復を求めるとともに、中国の不当性を国際世論に広く(言葉を使って)訴えればよい。ともかく、日本は武力を用いるな>、という大合唱をし始めるのではないか。かかる「売国奴」が「左翼」という輩たちでもある。

 4.この本は安倍晋三支持の立場からのもので、そうでない者には異論もあるかもしれない。だが、悲観的、絶望的気分が生じることの多い昨今では(今年に入っても程度は質的に異なるが、似たようなことはある)、奇妙に安心・楽観的気分・希望を生じさせる本だ。  

1184/久しぶりに月刊正論を読む-西尾幹二論考。

 産経新聞も月刊正論も定期購読しなくなって、かなり経過した。

 月刊正論8月号(産経新聞社)の西尾幹二「日本民族の偉大なる復興・上/安倍総理よ、我が国の歴史の自由を語れ」は、まったくかほとんどか、違和感なく読める。

 論旨の一部ではあるが、橋下徹のいわゆる慰安婦発言に対するコメントも-「旧日本軍だけを責めるのはおかしい、とくりかえし主張したことは正論で、良く言ってくれたと私は評価している。/ただ橋下氏は多くを喋り過ぎることに問題があった」等々-穏当またはおおむね公平な評価と批判だと思われる。

 西尾自身が自らの月刊WiLL6月号(ワック)上の論考に言及しているが、おそらく橋下徹はその西尾論考を読んでいただろう。記者の質問に対する咄嗟の応答の過程で西尾論考の基本的な内容も頭をよぎっていたのではないかと想像している。なお、質問をして橋下発言のきっかけを作ったのは朝日新聞の記者のようだ。「歴史認識」にかかわる質問をして十分な用意のないままでの<妄言>を引き出し、韓国政府・マスコミ等に批判させて日本国内で騒ぐ(そのために辞任した閣僚もこれまで何人もいた)、というのは、今回がそのまま該当するかは不明だが、朝日新聞がよくやってきた陰謀・策略的手口で、橋下徹もその他の「保守」政治家も<用心>するにこしたことはない。

 ところで、これまた西尾幹二の月刊正論論考の重要部分でないかもしれないが、そこで紹介されている渡辺淳一の週刊新潮上の連載随筆の一つ(橋下徹発言批判)には、それを読んでいなかったこともあり、あらためて驚愕した。この人物がこの随筆欄で50~60年代の「進歩的・左翼知識人」が言っていたような奇妙で単純なことを現在でも自信をもって書いているらしきことに驚きかつ呆れていたものだが、西尾はこう断じる-渡辺淳一は「日教組教育に刷り込まれた頭のままで成人して、以後人間と世界のことは新しく何も学ばずに成功し、太平楽を並べ、身すぎ世すぎができた幸福なご仁だ…」。
 西尾は「成功」と書いているが、けっこうな収入を得て有名にもなった、ということだけのことで、渡辺は日本国家・社会、日本人にとっては何事もなしてはいない人物にすぎないだろう。それはともかく、渡辺淳一、1933年生まれ。西尾幹二にも近いが、大江健三郎にも近い、私のいう、1930年代前半生まれの<特殊な世代>の一人だ。そして、西尾幹二の指摘する、「日教組教育」あるいはその基礎・背景にあるGHQまたはアメリカによる<自虐史観>教育を受け、成人後も、あるいは日本再独立後も、「人間と世界のことは新しく何も学ばずに」戦後の日本社会で生きてきた人間たちが、この世代には「塊」となってまだ残存している、と思われる。彼らは、いわゆる「団塊」世代よりもタチが悪い(大江のほかに同じく9条の会の樋口陽一や奥平康弘もこの世代だ)。
 大江、樋口、奥平あたりにはまだ「確信犯」的なところがあるだろうが、「新しく何も学ばずに」、現在で言えば、月刊WiLLや月刊正論「的」な論調があることやその正確な中身を知らず、そうした論調の一部を知るや<脊髄反射的>に、「保守・反動」だ、<偏っている>、と決めつけてしまう「単純・素朴な(バカの)」人たちがまだ多数いる。

 西尾幹二にはまだもっと活躍していていただく必要があるが、そういう人たちは、日本のためにも早く消え去っていただきたいものだ。

1153/西尾幹二が橋下徹について語る-月刊正論1月号。

 橋下徹を擁護する文章をこの欄に書いてはいるが、いつかも触れたように、この人物のすべてを、この人物の主張・言動のすべてを手放しで賞賛しているわけではない。
 ただ、橋下徹を「保守ではない」とか「ファシスト」・「ヒットラ-」だとか、あるいは佐伯啓思のごとくロベスピエール(の再来の懸念あり)>だとか、簡単または単純に決めつける論調が自称<保守派>の中にすらあることに強い危惧を覚えているのだ。
 佐伯啓思の名を先に挙げてしまったが、中島岳志-本質が「左翼」ならば当然だが-、適菜収、新保祐司、月刊正論編集長・桑原聡らがこれに該当する(藤井聡もこれらに近い)。
 月刊正論2013年1月号(産経)に、西尾幹二「救国政権誕生の条件と保守の宿命-危機克服のリ-ダ-に誰を選び、何を託すのか」がある。
 西尾論考全体の趣旨の方が重要だろうが、橋下徹への言及もあるので、ここでも触れておく。西尾が橋下徹に論及するのを読むのは初めてでもあるからだ。
 結論的に言って、西尾の橋下評は穏便で、無難なものだ。
 西尾幹二の橋下評は、「橋下氏は毀誉褒貶が激しいが、私は早くから好意を抱いてきた」から始まる(p.80)。続けて述べる-「言葉は激しく時に辛辣だが、意外に柔軟性がある。自分に対して謙虚なところもあって、彼からは決して傲慢なイメ-ジは受けないのである」。
 基本的に私と異ならない。はっきりと意見を述べることと、「ファシスト」・「独裁者」とはまるで異なる。そのような論評の仕方をする者またはグル-プの中に私は「左翼」を見い出してもきたのだ。
 西尾幹二が「都」は天皇のおられるところ一つで、「大阪都構想」はおかしいという点も同感できる。ただ、言葉遣いのレベルの問題で、東京都制のように政令指定都市ではない特別区をうちに含む大都市制度というイメ-ジで用いられている可能性はあるだろう。
 西尾幹二はまた、橋下に「地方」のイデオロギ-に「過度にこだわらないでほしい」と助言し、道州制には反対だと述べている。
 果たして橋下徹が<地方のイデオロギ->を持っているかは、とくに「イデオロギ-」という語が適切かは疑問で、コメントし難い。また、道州制の問題は種々の具体的制度設計にかかる議論が今後なされなければならない。「アメリカ式」の「州政府」を持つものに必ずなるのかは疑問だし、アメリカやドイツのように州憲法までもつ「道州」が日本で構想されているわけでもないだろう。
 「国家観の根幹がぼやけている危ういと思うこともある」、というコメントも理解できる範囲内だ。ついでながら、石原慎太郎・橋下徹らの日本維新の会は、できるだけ早く、制定を目指すという「自主憲法」の具体的内容を明らかにすべきだろう。
 西尾幹二の橋下徹への言及はつぎの文章で終わる。
 「どうかもっと勉強してほしい。若いのだから、歴史も法律も国際関係もいくら学んでも学び足りない謙虚さを一方ではもちつづけてもらいたい」。
 何と暖かい言葉だろう。40歳すぎそこそこの人間に過大な注文をつけるな、若造に高いレベルのものを要求した上で物足りないと言って批判・攻撃するな、というのは、単純で乱暴な橋下徹批判論に対して感じてきたことでもある。

 西尾幹二は安倍晋三、石原慎太郎についても興味深いコメントを明確にしている。紹介は省略して、今回はここまで。

1136/西尾幹二「私の保守主義観」と中島岳志。

 一 西尾幹二全集第3巻(国書刊行会、2012.07)所収の、「私の保守主義観」(p.45~、初出・1964)を読む。以下は、私なりの要約。
 ・「保守的な生き方というものはあっても、保守主義という特定の理論体系は存在しないし、また存在すべきではない」。
 ・「革新派」の「進歩主義」のごとき、特定の「主義」を、「保守派」は掲げるべきではない。ドグマを奉じた集団形成、イデオロギーによる現実裁断は「保守主義」と言えない。
 ・「未来への明確な見通し」により「世界や歴史を理路整然と説明」するのは「革新派の身上」で、「保守派は革新側に規定されてはじめて、自分が保守派であることを意識する」。
 ・E・バーク以来、「保守主義とはつねにそういうもの」で、彼はフランス革命に「急進的な自由主義の暴走」を見て批判・抵抗した。「革新思想」は「社会主義に衣装をかえていった」が、「保守主義」の本質的あり方に変化はなかった。「保守主義とは、一個の抽象的理論なのではなく、革新側が主張する特定のドグマや世界観に対し、そのつど具体的な状況に応じて提出される懐疑であり、批判であり、警告のことば」なのだ。
 ・「保守と革新」、「反動と進歩」という対立概念は「革新側」が過去の裁断のために作った標語で、「保守派」は関知しない。対立図式により規定するには現実は手に余るものであることを、「保守派」は知っている。
 ・「保守的な生き方・考え方とは、自己についても、世界についても、割り切れないものを割り切ろうとはしない態度、理論より理論の網目からもれたものを尊重する態度」、「楽観的な合理主義に虚偽をかぎつける本能」だ。
 ・「保守派」は「進歩を否定しているのではない」。ただ、「進歩」を最高の価値・究極の目的とする「観念的な未来崇拝」に与しないだけだ。
 ・「保守主義は進歩や改革を否定しているのでは決してない。むしろその逆である」。日本では、「もっとも自覚的であるべきはずの革新主義がもっとも無自覚な偶像崇拝のとりことなり、もっとも近代的であるべきはずの知識階級の意識が、実業の世界に生きる人々にくらべてはるかに遅れているのが現状」だ。
 ・「自由な、現実的な姿勢」で対処することが必要で、それを「保守的」と呼びたい者は呼ぶがよい。肝要なのは「呼称ではなく態度、理論ではなく理論をあつかう主体の姿勢」だ。
 以上、1960年安保騒擾時に見られたような「革新勢力」・知識人の「固定観念と集団陶酔」等への批判等は割愛したが、基本的な内容はこのようなものだ。
 私は「保守」について、思考方法ないし態度ではなく一定の「価値」の選択・選好だと書き、それは今日の日本では<反コミュニズム=反共>だ、という旨を記したことがある。
 かかる考え方は西尾幹二のそれとは異なるようでもある。しかし、西尾は「革新思想」は「急進的自由主義」から「社会主義に衣装をかえていった」という叙述もしているように、「革新派(左翼)」に規定されて意識される、<反革新(反左翼)>としての「保守派」の主張内容は、今日では(今日でも)基本的には<反社会主義=反共>だろう、と思われる。それは(反マルクス主義と当然に同義であるとともに)、反日本共産党でもあり、反中国・反北朝鮮でもある。あるいは、「革新派(左翼)」によって、歴史認識や政策を含む「そのつど具体的な状況に応じて提出される」種々の論点について、「自由な、現実的な姿勢」でもって対決、あるいは反論していくことでもある。
 したがって、西尾の考え方と私のそれが全く乖離している、矛盾しているとは、感じていない。
 二 ところで、中島岳志は某雑誌(表現者)上で「私の保守主義」なるものを語って、中島なりの「保守主義」理解を<理論的・体系的に>提示しようとしているようだ。また、中島岳志は、橋下徹を「保守」ではないと断じるとともに、「保守主義」の立場から演繹した<反原発>の主張も(同じ雑誌上で)しているように理解できる。
 中島岳志は、何らかの「保守主義という特定の理論体系」を前提としているように解される。そして、そのような前提的発想は、そもそも西尾幹二のいう「保守的な考え方」ではないのではないか。
 中島岳志は、月刊・論座2008年10月号(朝日新聞社)で、つぎのように語ってもいる(p.33)。
 ①「保守とは、人間の理性によって社会を進歩させることは不可能だという立場」だ。
 ②「保守主義本来の発想」は、「伝統や慣習、常識、共同性、といった人智を超えた所与のものに依拠する方が、世の中の秩序は安定し、よりましな社会が漸進的に続いていくんだ」、というものだ。
 三 「保守主義」と言わなくとも「保守的な考え方」は「態度」・「姿勢」にある旨を強調する西尾幹二の上の叙述にもいくばくかの疑問はあり、西尾幹二が参照していると見られ、類似点のある福田恆存「私の保守主義観」同・評論集第5巻(麗澤大学出版会、2008、初出・1959)p.126以下に、岩田温・政治とはなにか(総和社、2012)は従わず、一定の内容・価値を「保守」概念に意味させている(とりあえずは詳しくは紹介しない)。
 四 上の点はともあれ、中島岳志の述べる上の①は、<理性による社会の進歩は不可能>とするのが「保守」だ、というもので、これは西尾幹二の理解とも(そして福田恆存の理解とも)異なっている、と思われる。
 西尾幹二において(但し、1964年)、「保守主義は進歩や改革を否定しているのでは決してない。むしろその逆」なのだ。その「進歩や改革」に「人間の理性」は不要だとは言えないだろう。
 中島岳志は、「保守」という「主義」を想定している点で西尾幹二・福田恆存と異なっていると考えられ、また、「保守」の理解が(その態度・心性に着目するとしても)あまりに単純すぎるか、過度に一定の面を強調しすぎている。
 また、中島岳志は上の月刊・論座の座談会の中で「保守」への不満を述べ、(<中国や韓国への感情的反発>に偏った)日本の「保守」を変えようとしたいらしき発言をしてもいるのだが(なお、中島岳志は憲法現九条改正に反対する-p.37)、そのような日本の「保守派」の現状批判と変革について、彼自身がその「理性」を働かせているはずなのだ。
 また、中島岳志は日本の「保守」は「設計主義的」すぎるとも批判しているが、「保守主義」という主義・理論に立って日本の「保守派」や原発問題等についてあれこれと論じること自体も、ある意味では<設計主義的>だと思われる。
 要するに、まともな?「保守派」・「保守主義者」らしく振る舞っているようである中島岳志は、じつは本質的に「保守派」ではない、のではないか。
 こうした疑問または結論は、すでに何度か述べたことがある。

1133/西尾幹二全集第3巻(2012.07)・「進歩的文化人」。

  一 1 西尾幹二全集第3巻・懐疑の精神(国書刊行会、2012.07)のうち、この全集企画がなかったら「永遠に闇の中に消えて」いただろう(p.601)二篇のうちの一つ、「大江健三郎の幻想的な自我」(初出、1969)、のほか、若干を読む。この大江健三郎分析は二段組み計16頁で、決して短くはないし、引用・紹介したくなる同感点も多いが、これ以上の言及は省略する(1969年という時期にも感心する)。
 月報に、「先覚者としての西尾幹二」と題する三浦朱門の文章が載っていて、「今や進歩的文化人という言葉すら、死語になろうとしている。彼らを『殺した』犯人の一人は間違いなく西尾幹二なのである」、と結んでいる。
 やや釈然としない。西尾幹二が「進歩的知識人」と対決してきた(している)論者の一人であることは間違いないだろう。しかし、「進歩的文化人という言葉」はたしかに消滅しつつあるかもしれないが(完全に死語になったとは思えない)、言葉・用語法・概念はどうであれ、これに該当する者たちは、今日でも歴然と生き続けているのではないか。
 「今や…言葉すら、死語になろうとしている」という表現は、「言葉」とともに実体も当然に死につつある、という趣旨に読めるが、かかる認識・判断は、甘すぎるものと思われる。
 コミュニスト・親コミュニズム者、マルクス主義者・親マルクス主義者、そして「左翼」は、執拗に(かつてのマルクス・レーニン主義的用語は用いなくとも)生き続けているだろう。その影響力は、かつてよりも増した、という見方すらできるのではないか
 具体的には例えば、民主党政権、菅直人内閣総理大臣の誕生自体が、「左翼」の体制化、「左翼」の支配を意味していた(意味している)と言いうる。かつての「進歩的文化人」の主張・思想あるいは思考方法は、きちんと継承されていると思われる。
 2 産経新聞8/11の「昭和正論座」は1980年の林三郎論考を掲載しているが、コメント者の「湯」(湯浅博かと思われる)は、「ポーランドがいかに祖国の歴史を否定する勢力と闘ってきたかをみれば、日本の一部新聞や進歩派を名乗る知識人の偽善、欺瞞(ぎまん)を感じるだろう」と述べ、「進歩派を名乗る知識人」を語っている。これは1980年頃の状況に限られた叙述ではないように思われる。
 3 産経新聞7/28の「昭和正論座」は、1982年の、「崩壊した左翼的知識人の論理」を最大見出しとする辻村明論考を掲載している。コメント者の「石」(石井聡かと思われる)は、「朝日新聞の論壇時評を執筆する『進歩的文化人』にも向けられた」、「革命に同調しないものの、革命を志向する左翼学生らには理解を示す、ぬえ的な学者・文化人の“化けの皮”がはがれ始めたころの正論である」と述べている。ここでの「進歩的文化人」・「ぬえ的な学者・文化人」は、1982年当時のそれらだろう。
 二 ところで、上の最後に言及した辻村論考には、気になることもある。
 辻村明は月刊・諸君!(文藝春秋)誌上で当時、「戦後三十五年間にわたって、朝日〔新聞〕の『論壇時評』で活躍した錚々たる進歩的文化人たちを取りあげ、相当に遠慮のない批判を加えた」らしいのだが、それに対して、「論壇時評」を担当していた高畠通敏は、朝日新聞紙上で、辻村は「進歩的文化人」・「左翼的知識人」を批判しているが、「これまでのような社会主義革命を理想と考える文化人の集団などというものは、すでにはるかな昔から存在していないのである」と反論し、その例として、当時の都留重人論考を挙げた、のだという。
 以上は、それはそれで興味深い話だが、高畠の反論?に対する辻村明の再反論は適切ではないように感じられる。
 辻村は都留重人論文そのものを読んでおらず、高畠による紹介によって内容を理解しているようだ。そして、「社会主義革命に夢を託していた時代の都留氏は、確かにそこにはいないが、どうしてそのように変わったのか」、「私が批判したいことは『進歩的文化人』たちが『変わった』ということではなく、『変わった』ことについての論理的な説明がないということ」だ、と指摘して、叙述を終えている。
 都留重人論文そのものを私も読んでいないから確言はできないが、容共・「左翼」の(マルクス主義の影響を戦前のアメリカで受け、戦後当初は木戸幸一らとともにGHQに協力した等々といわれる)都留重人は本当に「変わった」のだっただろうか。まだソビエト連邦が存在していた時期に、「日本の伝統の再評価を求め」る「保守」的知識人に変わったとは、とても想像し難い。
 したがって、批判は、<変わったことについての説明の欠如>にではなく、都留重人らの「進歩的文化人」が、いかに論点を変え、いかに用語法を変えても、あるいはいかに部分的な修正を
加えようとも、本質的には<変わっていなかったこと>に向けられなければならなかったのではないか。あくまで<直感的>な感想にすぎないが。
 三 些細な問題かもしれない。が、ともあれ、上の一と二は関連し合ってはいるだろう。

1125/西尾幹二が「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」を語る。

 西尾幹二全集第2巻(国書刊行会、2012)に所収の「『素心』の思想家・福田恆存の哲学」は2004年の福田恆存没後10年記念シンポでの講演が元になっているようで、月刊諸君!2005年2月号(文藝春秋)に発表されている。全集の二段組みで48頁もあるので(p.359-406)、本当に月刊雑誌一回に掲載されたのかと疑いたくなるような長さ・大作だ。
 内容はもちろん福田恆存に関係しているが、西尾幹二の当時の世相の見方等を示していて相当に興味深い。講演からは8年ほど経っているが、今日でもほとんど変わっていないのではないか。
 6頁め(p.364)にある「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」という節見出しが、目につく。「間接的な言論統制」には「ソフト・ファシズム」というルビが振られている。「気分左翼」も「間接的な言論統制」も、福田恆存かかつて使った語のようだ。
 なぜ目を惹いたかというと、私は「何となく左翼」という語をこの欄でも使ったことがあるし、田母神俊雄の「日本は侵略国家ではない」論文に対する政府(当時は自民党政権)や<保守>論壇の一部にすらよる冷たい仕打ちに対して<左翼ファシズム>の成立を感じ、この欄でもその旨を書いたからだ。
 「何となく左翼」(意識・自覚はしなくとも「左翼」気分のメディアや人々)による「左翼」的全体主義がかなり形成されているのは間違いないと思われる。
 メディア・世間一般ではなく、特定の学界・学問研究分野では、より牢固たる「ファシズム」、<特定のイデオロギーによる支配>がほぼ成立しているのではないかとすら思われる(日本近現代史学、社会学、教育学、憲法学等)。
 さて、西尾幹二の叙述(福田恆存ではなく西尾自身の文章)を以下に要約的に紹介しておく。
 ・昭和40年の福田恆存「知識人の政治的言動」は「現在ただいまの日本を論じているに等しい」。「今の日本を覆っているのはまさに思想以前の気分左翼、感傷派左翼、左翼リベラリズムと称するもののソフトファシズムのムード」だ。「政府、官公庁、地方自治体、NHK、朝日、毎日、日経、共同通信、民放テレビ等を覆い尽くしているもの」がある。福田恆存にいう「間接的な言論統制」だ(p.366)。
 ・「真綿で首を絞められるような怪しげなマスコミの状況に今われわれ」はいる。それは「平和というタブー」に由来し、「最初はアメリカが日本全土に懸けた呪いであり、やがて革新派が親米的政権に同じ呪いをかけて身動きできなく」なった。これが「今の日本の姿」で、「呪いは全国を覆い尽くして」いる(同上)。
 ・2004年には経済界の一部が首相に靖国参拝中止を言いだし、「共産国家の言いなりになるように資本家が圧力をかけている」。NHKは1992年頃まで「政治的撃論の可能なメディア」だったが、今や「衛生無害」の「間接的な言論統制」機関になっている。文部省はかつては「保守の牙城」だったが、いつしか「次官以下の人事配置においても日教組系に占められ、”薄められたマルクス主義”の牙城」になっている(同上)。
 ・「男女に性差はないなどという非科学的奇論、ジェンダーフリーの妄想が…官僚機構の中枢に潜りこ」み、地方自治体に指令が飛び、「あちこちの地方自治体で、同性愛者、両性具有者を基準に正常な一般市民の権利を制限する」という「椿事」が、「従順な地方自治体の役人の手で次々と条例化されて」いる。「全国的な児童生徒の学力の急速な低落は、過激な性教育と無関係だとはとうてい言えない」だろう(同上)。
 ・「官庁の中心が左翼革命勢力に占領」されるという事態を福田恆存は予言しており、福田が新聞批判を開始した頃から「日本は恐らくだんだんおかしくなり」、福田の予言の「最も不吉な告知が、今日正鵠を射て当たり始めているのではないか」(p.367)。
 以上。もう少し、次回に続けよう。 

1122/西尾幹二全集第2巻(2012.04)のごく一部。

 西尾幹二が福田恆存を追悼して書いた文章の中に以下の部分がある。
 「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して、反米・反政府を自明のよう語りながら、しかも日本共産党の過ちをも批判するという当時のどっちつかずの知識人の姿勢は、恐らく今なおリベラルの名で語られる政治潮流とどこかでつながっている。/福田氏が闘った相手はまさにこれである」。
 「現実を動かした強靱な精神―福田恆存氏を悼む」西尾幹二全集第2巻(第三回配本)所収p.299(国書刊行会、2012.04。初出は1994.11)。
 福田恆存の初期の評論「一匹と九十九匹と」に言及して「当時」と言っている。福田のこの評論は1946年(昭和21年)11月に書かれ、翌年3月刊の雑誌に発表されている(福田恆存評論集第一巻所収p.316以下、麗澤大学出版会・2009.09)。
 いつぞや、反自民・非共産で、後者よりの「左翼」が現在の日本の学者・知識人にとってもっとも安全な立ち位置だ、という旨を書いたことがある。
 さすがに現在では「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して…」とは言い難く、<反自民・「左翼」ぶりを身分証明のように利用して、かつ日本共産党そのものとも一体化せす(同党に批判的な眼も向けつつ)…>とかに、少しは表現を変える必要があるだろうが、「リベラルの名で語られる政治潮流」の姿は、西尾幹二が上のように書いてから20年近く経っても、さらには福田恆存の「当時」から60年以上経っても、本質的には変わっていないようだ。その点が興味深く、ここに引用する気になった。
 西尾幹二が初めて読んだ福田恆存の評論は「芸術とは何か」で1950年のもの、60年安保騒擾の際に西尾の救いとなったのは福田の「常識に環れ」らしく、これは1960年のものだ(それぞれ、福田恆存評論集第一巻、第七巻に所収)。
 他にも有名な「平和論の進め方についての疑問」(福田恆存評論集第三巻)などに、西尾は言及している。
 読んだことがあるものもある。あらためて、多くの福田恆存論考をじっくりと読みたいものだ。そう思わせる「評論」が今日では少なくなっていると思われる。西尾幹二の書くものもまた、私には一部の内容・主張に不満があるが、数少ない「評論家」であることは間違いないだろう。 

1082/宮脇淳子と西尾幹二全集と岡田英弘と。

 〇隔月刊・歴史通3月号(ワック)の巻頭随筆の最後に、「東洋史家」・宮脇淳子いわく、「…震災後、国家の指導的立場にある日本人の無能力と無責任さが暴露され続けているが、じつはNHKを筆頭とする大マスコミ、大学・学界も同じなのである」(p.3)。
 これはまったくそのとおりで、「大マスコミ」の中には民間放送局(テレビ局)のキー局(TBS等々)のみならず、それらの系列下にある各道府県の「地方」テレビ局も含むだろう。また、大手全国紙のみならず、産経新聞社が関係書物を出版していたが、通信社の配信情報に多くを(場合によっては社説まで)依存している「地方」新聞(社)についても言えるだろう。さらに、大手出版社も含めてよい。
 政治家や官僚の「無能力と無責任さ」を指弾しつつ、自分たちは「そこそこに」安住した現状に満足しているのではないか。「大学・学界」も含めて、「無能力と無責任さ」においては変わるところはないのではないか。一億総白痴・一億総無責任時代だ。それを忠実に反映しているのが現在の多くの政治家や官僚たちだ。
 新聞社や出版社はさておき、放送局(放送会社)は、「免許」制度に守られ、どんな不祥事を起こしても、いかほどに利潤が減少しても、「倒産」することはない(京都の近畿放送(ラジオ局)が戦後唯一の例外だっただろう)。この身分の安定さの点で、民放社員たちは公務員と何ら異ならない。
 NHK職員の「高給」ぶりが先立っての国会で話題になっていたが、公務員の給与の「高給」さをマスコミが批判しようとするならば、自らのテレビ局(上記のとおり中央・地方を含む)の会社員の平均年収(・基準年齢)をきちんと<情報公開>してからにしたらどうか。公務員(・その給与制度)に問題がないとは言わないが、民間テレビ局社員は「高給」取りではないのだろうか?? 自らの実態を語らずして、<官僚バッシング>をして大衆うけ?を狙うのは不誠実で卑劣な作法だ。
 民間放送(テレビ局)の実態については、まだ書きたいことが多いが、今回はこの程度に。
 〇「東洋史家」とは歴史学者の一種だろうから、日本史、とくに日本近現代史の研究者ほどではないにしても、マルクス主義または日本共産党の史観に影響を受けてきたと思われる。にもかかわらず、まだその著を読んだことはないものの、ワックが刊行の歴史雑誌に登場するとは珍しい、と感じてきた。
 その理由・背景が少しは理解できたのは、西尾幹二全集第1巻(第二回配本)(国書刊行会、2012)の「月報」を見ることによってだった。その中に岡田英弘が西尾に関する一文を寄せていて、「私の妻の宮脇淳子」という表現がある。岡田英弘の本もまた読んだことがないのだが(これは昨日にちらりと記したように、少なくとも共産党・中国のひどさは何となく想像可能だからだ)、産経新聞の「正論」欄にときどき執筆している岡田と宮脇淳子は夫婦なのだ。
 些細なことだが、宮脇はおそらく、学部を卒業してすぐに大学院生になったのではないのではないか。ひょっとすれば「東洋史」は別なのかもしれないし、大学や指導教師にもよるのかもしれないが、大まかにいって、日本の歴史学界(アカデミズム)には、入ってしまうと内部にいては分からないような「偏向」があると思われる。これは「歴史学」に限らない、日本の人文・社会科学分野の特徴でもあると思われるが、それはともかく、宮脇は必ずしもオーソドクスなキャリアを経てきているのではないだろうと推測される。
 ワックの出版物などに執筆していては、<白い羊の中の黒い羊>として仲間はずれにしてしまうのが日本の歴史学界なのではなかろうか(東洋史学は例外ならばけっこうなことだ)。
 そういえば、宮脇は「東洋史家」という肩書きだけで所属大学はないようだ。これが学界または大学の「思想(傾向)」差別によるものではなければよいのだが。個人的・家庭的な事情を詮索する意図はまったくない。
 しばしばあることだが、この欄に書き出すと、当初にイメージした内容と異なるものになってしまう。今回も同様だ。

1021/西尾幹二は渡部昇一『昭和史』を批判する。

 一 渡部昇一は<保守>の大物?らしいのだが、①1951年講和条約中の一文言は「裁判」ではなく「(諸)判決」だということにかなり無意味に(=決定的意味を持たないのに)拘泥していること、②日本国憲法<無効論>に引きずられて自らもその旨を述べていることで、私自身はさほどに信頼してこなかった。産経新聞・ワック系の雑誌等に渡部昇一はなぜこんなに頻繁に登場するのだろうと不思議にも感じてきた。
 二 ジャパニズム02号(青林堂、2011.06)の座談会の中で、西尾幹二が渡部昇一の『昭和史』(ワック)を批判している。
 西尾は、戦前の日本についての「内向き」の、「失敗」・「愚か」話ばかりの歴史叙述を批判し、渡部昇一も「昭和史」と称して「統帥権の失敗と暴走」という「たった一本でずっと」(それを「中心のテーマ」として)書いている、とする。そして、渡部昇一は「日本はリーダーなき暴走をした」、「日本には主体性がなかった」と、丸山真男ばりのまとめ方をしている旨を指摘し、「渡部さんの方は最後には、日本の迷走を食いとめたのは、広島、長崎の原爆であったとかいてある」とも発言している(そのあとに「(笑)」とある)(p.105-6)。
 渡部昇一の『昭和史』を読む気になれず、かつ読んでいないので西尾幹二(ら)の批判の適切さを確認することはできないが、さもありなんという気はする。渡部昇一は、<保守>の大立者として信頼し尊敬するに値するような人物なのだろうか。
 なお、古田博司が、丸山真男や加藤周一らの「日本の文化ダメ、日本人バカ」論が続いてきたと述べたのち、その流れにある者として西尾幹二は、半藤一利、保阪正康、加藤陽子、秦郁彦、福田和也の名を挙げている。
 これまたこれら5人すべての著書類を読んでいないので適切な反応をしにくいが、渡部昇一の場合以上に、あたっているだろうと思われる(とくに、半藤と保阪については)。ついでながら、先日、NHKは加藤陽子を登場させて語らせて、<さかのぼる日本史>とかの一回分の番組ままるまるを作って放送していた。特定の日本史学者の考え方にそって日本の(昭和戦前の)歴史を語るということの(よく言えば?)大胆不敵さあるいは公平さ・客観性の欠如(偏向性)をほとんど意識していないようなのだから、怖ろしい放送局もあるものだ。今年もまた、8/15に向けて、戦争は悲惨だ、日本は悪い事をした、という「ドキュメンタリー」?類を垂れ流すのだろう。
 三 中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒―悪魔の女系論はどうつくられたか―(オークラ出版、2011.07)はタイトルのとおり、小林よしのり(+高森明勅)と、他に「民族派・男系論者」を批判する本のようだ。
 中川は戦前の平泉澄・戦後の小堀桂一郎も罵倒しているが、ヘレン・ミヤーズとその著を『国民の歴史』の中で「礼賛」しているとして、ミヤーズの肯定的評価について、小堀ととともに西尾幹二をも批判している(p.287、p.310)。
 中川のこの本については別の機会に言及するし、ミヤーズについて適切に評価する資格はない。
 ただ第三者的に面白いと思うのは(失礼ながら)、これで渡部昇一が中川八洋を批判していれば、渡部昇一←西尾幹二←中川八洋←渡部昇一←……という循環的相互批判が成り立つなぁ、ということだ。やれやれ…、という気もするが。

1019/西尾幹二による樋口陽一批判②。

 前回のつづき。西尾幹二は、「ルソー=ジャコバン型モデルの意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が重要」という部分を含む樋口陽一の文章を20行近く引用したあと次のように批判する。
 ・「まずフランスを上位に据えて、ドイツ、日本の順に上から序列づける図式的思考の典型例」が認められる。「後進国」ドイツ・日本の「劣等感」に根拠があるかのようだった「革命待望の時代にだけ有効な立論」だ。革命は社会の進歩に逆行するという実例は、ロシア・中国で繰り返されたのだ(p.73-74)。
 ・中間団体・共同体を破壊して「個人を…裸の無防備の状態」にしたのが革命の成果だと樋口陽一は考えているが、中間団体・共同体の中には教会も含まれる。そして、王制だけではなく「カトリック教会」をも敵視した「ルソー=ジャコバン型」国家は西欧での「一般的な歴史展開」ではなく、フランスに「独自の展開、一つの特殊で、例外的な現象」だ。イエ・家族を中間団体として敵視するフランス的近代立憲主義は「日本の伝統文化と…不一致」だ(p.74-75)。
 ・日本では「現に樋口陽一氏のようなフランス一辺倒の硬直した頭脳が、国の大元をなす憲法学の中心に座を占め、若い人を動かしつづけている」。「樋口氏の弟子たちが裁判官になり、法制局に入り、…などなどと考えると、…背筋が寒くなる思いがする」(p.75)。
 ・オウム真理教の出現した戦後50年めの椿事は、「『個人』だの『自由』だのに対し無警戒だった戦後文化の行き着いた到達点」で、「解放」を過激に求めつづけた「進歩的憲法学者に煽動の責任がまったくなかったとは言いきれまい」。「解放と自由」は異なる。何ものかへの「帰依」なくして「自我」は成立せず、「信従」なくして「個性」も芽生えない。「共同体」をいっさい壊せば、人間は「贋物の共同体に支配される」(p.75)。
 ・「樋口氏の著作」を読んでいると、「社会を徹底的に『個人』に分解し、アトム化し、その意志をどこまでも追求していく結果、従来の価値規範や秩序と矛盾対立の関係が生じた場合に、『個人』の意志に抑制を求めるのではなく、逆に従来の価値規範や秩序の側に変革を求めるという方向性」が明確だ。「分解され、アトムと化した『個人』の意志をどこまでも絶対視する」結果、「『個人』はさらに分解され、ばらばらのエゴの不毛な集積体と化する」(p.75-76)。
 ・「『個人』の無限の解放は一転して全体主義に変わりかねない。それが現代である。ロベスピエールは現代ではスターリンになる可能性の方が高い」。実際とは異なり「概念操作だけはフランス的で…『個人』を無理やり演出させられていく」ならば、東北アジア人としての「実際の生き方の後ろめたさが陰にこもり、実際が正しければ正しいほど矛盾が大きくなる」、というのが日本の現実のようだ(p.76)。
 以上。法学部出身者または法学者ではない<保守>論客が、特定の「進歩的」憲法学者の議論(の一部)を正面から批判した、珍しいと思われる例として、紹介した。  樋口陽一らの説く「個人主義」こそが、個々の日本人を「ばらばらのエゴの不毛な集積体」にしつつある(またはほんどそうなっている)のではないか。
 本来は、このような批判的分析・検討は、樋口陽一に対してのみならず、古くは宮沢俊義や、新しくは辻村みよ子・浦部法穂や長谷部恭男らの憲法学者の議論・主張に対して、八木秀次・西修・百地章らの憲法学者によってこそ詳細になされるべきものだ。  「国の大元をなす憲法学の中心」が<左翼>によって占められ続けているという現実を(そしてむろんその影響はたんに憲法アカデミズム内に限られはしないことを)、そして有効かつ適切な対抗が十分にはできていないことを、少数派に属する<保守>は深刻に受けとめなければならない。

1018/西尾幹二による樋口陽一批判①。

 一 フランス革命やフランス1793年憲法(・ロベスピエール)、さらにはルソーについてはすでに何度か触れた。また、フランスの「ルソー=ジャコバン主義」を称揚して「一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」(自由と国家p.170)とまで主張する樋口陽一(前東京大学・憲法学)の著書を複数読んで、2008年に、この欄で批判的にとり上げたこともある。以下は、その一部だ。
 ・「憲法学者・樋口陽一はデマゴーグ・たぶんその1」
 ・「樋口陽一のデマ2+……」

 ・「憲法デマゴーグ・樋口陽一-その3・個人主義と『家族解体』論」
 ・「樋口陽一のデマ4-『社会主義』は『必要不可欠の貢献』をした」
 ・「憲法学者・樋口陽一の究極のデマ-その6・思想としての『個人』・『個人主義』・『個人の自由』」
 二 西尾幹二全集が今秋から刊行されるらしい。たぶん全巻購入するだろう。
 西尾『皇太子さまへのご忠言』以外はできるだけ西尾の本を購入していたが、西尾幹二『自由の恐怖―宗教から全体主義へ』(文藝春秋、1995)は今年になってから入手した。
 上の本のⅠの二つ目の論考(初出、諸君!1995年10月号)の中に、ほぼ7頁にわたって、樋口陽一批判があることに気づいた(既読だったとすれば、思い出した)。西尾は樋口陽一の『自由と国家』・『憲法』・『近代国民国家の憲法構造』を明記したうえで、以下のように批判している。ほとんど全く異論のないものだ。以下、要約的引用。
 ・「善かれ悪しかれ日本は西欧化されていて、国の基本をきめる憲法は…西欧産、というより西欧のなにかの模造品」だ。法学部学生は「西欧の法学を理想として学んだ教授に学んで、…日本人の生き方の西欧に照らしての不足や欠陥を今でもしきりに教えこまれている。……西欧人に比べて日本人の『個』はまだ不十分で…たち遅れている、といった三十年前に死滅したはずの進歩派の童話を繰り返し、繰り返しリフレインのように耳に注ぎこまれている」(p.70)。
 ・「例えば憲法学者樋口陽一氏にみられる…偏光レンズが『信教の自由』の憲法解釈…などに影響を及ぼすことなしとしないと予想し、私は憂慮する」(同上)。
 ・「樋口氏の文章は難解で読みにくく…符丁や隠語を散りばめた閉鎖的世界で、いくつかの未証明の独断のうえに成り立っている。それでも私は……など〔上記3著-秋月〕、氏の著作を理解しよう」とし、「いくつかの独断の存在に気がついた」(p.71)。
 ・「『日本はまだ市民革命が済んでいない』がその一つ」だ。樋口によると、「日本では『個人』がまだ十分に析出されていない」。「近代立憲主義を確立していくうえで、日本は『個人』の成立を阻むイエとか小家族とか会社とか…があって、今日でもまだ立ち遅れの著しい第一段階にある」。一方、「フランス革命が切り拓いたジャコバン主義的観念は『個人』の成立を妨げるあらゆる中間団体・共同体を否定して、個人と国家の二極のみから成る『ルソー=ジャコバン型』国家を生み出す基礎となった」。近代立憲主義の前提にはかかる「徹底した個人主義」があり、それを革命が示した点に「近代史における『フランスの典型性』」がある。―というようなことを大筋で述べているが、「もとよりこれも未証明の独断である。というより、マルクス主義の退潮以後すっかり信憑性を失った革命観の一つだと思う」(同上)。
 ・フランス本国で「ルソー=ジャコバン型」国家なる概念をどの程度フランス人が理想としているか、「私にははなはだ疑わしい」。「ジャコバン党は敬愛されていない。ロベスピエールの子孫の一族が一族の名を隠して生きたという国だ」。ロベスピエールはスターリンの「先駆」だとする歴史学説も「あると聞く」。それに「市民革命」経ずして「個人」析出不能だとすれば、「革命」を経た数カ国以外に永遠に「個人」が析出される国は出ないだろう。「樋口氏の期待するような革命は二度と起こらないからである」。「市民革命を夢みる時代は終わったのだ」(p.71-72)。
 ・樋口陽一の専門的議論に付き合うつもりはない。だが、「どんな専門的文章にも素人が読んで直覚的に分ることがある。氏の立論は…今述べた二、三の独断のうえに成り立っていて」、その前提を信頼しないで取り払ってしまえば、「立論全体が総崩れになるような性格のもの」だ(p.72)。
 ・樋口陽一「氏を支えているのは学問ではなく、フランス革命に対する単なる信仰である」(同上)。
 まだあるが、長くなったので、別の回に続ける。  

0943/中国は「共産主義を全面的に捨てた」のか-西尾幹二=青木直人・尖閣戦争(祥伝社新書)より。

  西尾幹二=青木直人・尖閣戦争―米中はさみ撃ちにあった日本―(祥伝社新書、2010.11)で、西尾幹二は「中国は共産主義からの体制変換を宣言していません」と述べる(p.70)。

 西尾はまた、中国は、①古代専制国家、②共産主義・独裁国家、③似非金融資本主義国家、の三つの「蛇頭」をもち、さらに④「全体主義的ファシズム体制」の特徴が色濃くなっている、という(p.240-1)。

 上の②と④は同じことの別表現ではないかと思うが、西尾は、月刊正論12月号(産経新聞社)の「日本よ、不安と恐怖におののけ」でも同旨のことを述べていた(4点を挙げる、月刊正論p.75)。
 西尾幹二はまた、「東アジアには冷戦がつづいていた」ということを付随的に書く(上掲書p.70)。この点は、「冷戦は終わった」ことを前提として叙述する佐伯啓思とは異なる。

 だが、その佐伯啓思も、某誌11月号では、次のように書いて、中国は「共産主義」国であることを認めている。

 <「冷戦時代」の世界の構図は分かりやすかった。「中国は独特の共産主義国ですが」、基本的には東西対立で世界を理解できた。だが、「冷戦が終わって以降」、単純ではなくなった。(中略)九〇年の「社会主義陣営」崩壊後に「一番経済が発展したのが共産主義の中国」だ。これは「皮肉なことで、ほとんど漫画みたいな話」だ(p.7)>。

 「社会主義」と「共産主義」とを厳密に使い分けているとは思えない。佐伯においても、中国は「共産主義(社会主義)」の国なのだ。

 だが、興味深く、また検討を要するとも思うのは、西尾幹二との共著(対談著)である上掲の本で、青木直人は、中国は「共産主義」国ではない旨を述べていることだ。青木によると、以下。

 1989年の天安門事件頃、保守派(李鵬ら)と「市場経済」派(趙紫陽ら)の対立があった。湾岸戦争、ソ連崩壊を経て鄧小平が担ぎ出されたが、鄧小平は「趙紫陽やかつての自分たち」の主張した「経済開放政策、経済特区策」は正しかったと大演説をした。彼は<社会主義・資本主義>論争を非生産的とし、最晩年には「もはや社会主義は終わった。歴史的運命を終えた」と宣言した。「このとき、共産党は共産主義を全面的に捨てたのです」。1992年以後の人民日報社説ではかつてのターム「プロレタリア国際主義」が姿を消し、代わりに「中国愛国主義」が急増する(以上、p.84-88)。

 青木直人はより細かいまたは具体的なレベルで中国の政策・主張の変容を分析しているので、同じ「共産主義」という概念でも、厳密または純粋なそれを意味させているのかもしれない。

 しかし、釈然としないことはたしかで、なるほど<社会主義的市場経済>とはいったい何か、それも共産党一党独裁下での<市場経済>とは何か、といったことを十分には理解できていないようであることをも自覚する。

 青木には、「共産主義が全面的に捨て」られているとすれば、いったい何が採用されているのか、さらに詳述してほしいものだ(他の自著で書いているのかもしれない)。

 また、<中国経済>の専門家もいると思うが、この国の<経済>の仕組みを分かり易く解きほどいて説明しておいてほしいものだ。理論的・厳密な研究対象にできるだけの、信頼できる統計・資料等が乏しいのかもしれないのだが。

 二 ついでに、あと二点。西尾幹二は上の共著でつぎのように主張している。

 第一に、<すべて欧米基準にする必要はないが、日本は「民主主義国家ですよ、自由が存在する国ですよ、中国とはまったく違いますよ」ということをきちんと主張することが大切だ>(p.122)。

 これは月刊正論12月号での中西輝政の主張とほとんど同じで、また、佐伯啓思ならばこういう書き方はしないだろうように推測されて、興味深い。

 第二に、総選挙実施の主張だ。<尖閣事変は中国による「民主党の売国シグナルの真意を試す」行動で、中国には好ましいデータが揃っただろう。「この忌々しい状況を覆すには、マスコミの伝えない支那の恐ろしさを国民に知らしめ、売国民主党の支持率を下げさせて一刻も早く民主崩壊に導き、総選挙体制に持ち込むこと」だ(p.236)。

 この点はまったくの同感だ。例えば、現在の議席配分のままだと、公明党・社民党・日本共産党の賛成によって、上程されれば、参議院ですら外国人地方参政権付与法案は通過してしまう。

 佐伯啓思はややニュアンスの異なる主張をしているが、別の機会に言及したい。

0942/「戦後」とは何か④-西尾幹二ら・尖閣戦争(祥伝社新書)より。

 西尾幹二=青木直人・尖閣戦争―米中はさみ撃ちにあった日本―(祥伝社新書、2010.11)を、11/19に、全読了。

 構成は、序章・尖閣事件が教えてくれたこと、一章・日米安保の正体、二章・「米中同盟」下の日本、三章・妄想の東アジア共同体、四章・来るべき尖閣戦争にどう対処するか。計251頁。
 逐一の感想やコメントは書かない(時間がなくて書けない)。

 本題からはやや外れるだろうが、次の言葉は印象的だ。

 西尾幹二いまだに中国が共産主義の国であるということすら、しっかり認識していないし、五〇〇〇年の歴史を持った普通の国みたいに思っている人が多い。ちっともわかっていない」(p.29)。

 多数の<中国本>にもかかわらず、こういう状態だった、またはこういう状態のままの日本国民は多いだろう。

 菅直人は、先日の胡錦濤との「交談」で、両国は「一衣帯水」の関係にあり、とか何とかメモを見ながら冒頭で述べていた。五〇〇〇年(4000年?)の長い歴史を持ち、種々の文化を日本に伝えてくれた、というイメージも強いのだろう。

 だが、19世紀以降に日本から「学んだ」のは中国の側だ。古代を除き、その後いったい何を恵んでくれたのか。

 蒙古人、満州族による支配(王朝)があったことは知識としては常識的なことで、現在のような漢民族中心の国家が長々と続いてきたわけではない。中国という「国家」があって、連綿と続いているわけではない(現在は、毛王朝とか共産党王朝とか表現できる)。この点、日本とは決定的に異なる(<戦国時代>に統一国家=中央政府があったかはかなり疑わしいが)。

 にもかかわらず、上のような印象・イメージが日本人にあるのはなぜなのだろうか?

 中学校・高校時代に、中国または中華人民共和国についての正確な知識が教えられていないことがまずは大きい。きちんと「共産主義」なるものが教育されなければならない。

 ということは、中国に関係する教科書の問題になり、そして、中国に関係する教科書をどのような人々が執筆しているのか、という問題に行き着くだろう。

 そして、歴史・政治・経済・現代社会等々の教科書を執筆している大学教授たち等が<社会主義幻想>を持っていて、<親中国>の立場にいたら、どうなるのか? どういう中国に関する叙述になるだろうか? これが日本人の一般的意識に何を生じさせているかの根源かもしれない。

 そのような教育を受けた者が行政官僚・司法官(+弁護士)・マスコミ社員等々になっていく。中国(中国共産党)を批判する者はナショナリストで「右翼」だ、的なイメージが片方では作られている。

 そのような状況は、今回の事件で少しは変わっただろうか?

 いつか、朝日新聞について、すでに中国に<籠絡され>ているのではないか、という表現を使ったが、これはたんに親中・媚中の意識を持っているということにとどまらず、少なくとも実質的には、中国(中国共産党)の<エージェント>になっている幹部社員や記者等も朝日新聞にはいるのではないか、という疑いを持っているからだ。

 いかにして<エージェント>になるかは様々な方法・過程があるだろう。教育それ自体に問題があるところに、そしてそれは<左傾化した>(社会主義幻想をなお持つ)大学教授らに依るところが大きいと見られるところに、個々具体的な<策略>が種々に仕掛けられている、と見ておいた方がよい、とあらためて感じる。

 この、日本人になお残る、社会主義(共産主義)国に対する<甘さ>(警戒心の欠如)は、<戦後>というものの基本的な一内容でもある、と考えている。

0725/西尾幹二は何故、「左翼」週刊朝日1/16号に寄稿して、皇太子ご夫妻を批判したのか。

 大まかな記憶では昨年の4~6月頃に西尾幹二の皇室(とくに現皇太子妃殿下)論に言及したのち、昨秋以降のこの問題に関する西尾の諸発言は(読んでも)この欄では触れないできた。
 前回に再び言及してしまったので、さらに続ける。
 西尾幹二は、週刊朝日1/16号(朝日新聞出版)の<天皇陛下と美智子さまの20年>との特集の中に、「ご自覚欠ける皇太子ご夫妻・『民を思う心』をお持ち下さい」と題する文章を寄せている。
 ここでは批判(諫言)の対象の中心は雅子妃殿下(・小和田家)ではなく、「皇太子ご夫妻」になっている。そして西尾は昨年来、「皇太子殿下と雅子殿下に皇族としてのご自覚が欠けているのではないか、天皇制度そのものが傷ついているのではないかと問題提起した」とも書いている(p.22)。
 この部分での問題は、「皇族としてのご自覚が欠けている」とする、その根拠・材料の真否にあるだろう。歴史上もいろいろな皇太子妃殿下(・皇后陛下)がおられた筈で、雅子妃殿下の、西尾が言うような宮中祭祀へのご態度などは、「天皇制度そのもの」にとっては些末な問題だと私は理解している。現皇太子殿下が宮中祭祀に粗雑に対応されているとは、西尾も語っていないはずだ。
 また、西尾幹二は、羽毛田宮内庁長官の「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論があることによって」、「両陛下が深く傷つけられた」という指摘は、「妃殿下を弁護する論者に対する批判」であり、「形を変えた妃殿下に対する明確な批判」だ、と「私はみています」と述べている(p.22)。
 この叙述又は論理はおかしいのではないか。<左翼・反日分子>たる「妃殿下にとって」、特有の日本文化の象徴・継承者である「皇室そのものがストレス」なので宮中祭祀へのご参加・同席も熱心ではなくなっている、とするのが、雅子妃殿下に対する批判者たちの<論旨>ではないのか。
 前回も書いたように、そうだとすると、「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論」を提起しているのは西尾幹二らであり、そうした「論」によって「両陛下」を「深く傷つけ」ているのは、西尾ら自身ではないのか。
 西尾によると、「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論」が出現していることの原因は「元をただせば」、雅子妃殿下の「公務と祭祀の長期ご欠席」が「様々な憶測を呼んでいる」ことで、皇太子殿下こそが両陛下に「謝罪の意を伝えるべき」なのだそうだ(p.23)。雅子妃殿下こそが「論」発生の元凶、というわけだ。
 だが、これもおかしい。「様々な憶測を呼んでいる」と西尾は書くが、客観的な事実だと誰もが認めているわけでもないデータを提出したり推測を語ったりして「憶測」をし、かつ、<左翼・反日分子>が<獅子身中の「虫」>になっているとほぼ断定するかのような書き方をしてきたのは、西尾ら自身なのではないか。
 「様々な憶測」をし、勝手な(部分を少なくとも含む)主張をしている者たちの側には、両陛下のご心痛に対して、いかなる責任もないのか
 西尾は最後に言う-「妃殿下の問題一つをとっても、両殿下には『公』の自覚がなさすぎます」。「今のうちに、どうかご姿勢をお改めになるよう努力して下さい」(p.23)。
 問題は、前者のように簡単に<断定>してしまってよいのか、だ。また、最後の一文については、皇太子ご夫妻に対して「…努力して下さい」と小学校の教師の言の如き書き方がなされていることに驚く。せめて、<…ご努力をお願いしたい>くらいにはならないものか。
 私自身の皇室の方々への言葉遣いにも多数の問題があるだろう。何しろ、学校・家庭で、そんなことは教育されずに育ってきた。だが、<愛国・忠君>?の筈の西尾幹二ならば、教師が生徒に、あるいは先輩が後輩に諭すような言葉遣いは慎むべきではないのか。言葉遣いは必ずしも本質的問題ではないとは思うが、西尾幹二の、皇室又は皇太子ご夫妻に対する叙述には、ある種の<冷たさ>を感じるところがある。
 あらためて観て確認はしないが、4/05のテレビ番組の中でも、皇太子殿下に対して、一般人に対するのと全く同様の言葉遣いがなされていたことがあり、一瞬驚きを感じた。
 ところで、これまた正確な内容を確認はしないが、西尾幹二は、文藝春秋は(月刊文藝春秋も(株)文藝春秋)も)立場が明確ではない、<左翼>に引き摺られているのではないか、との旨の論考を何かに書いていた。
 今回取り上げた西尾の文章は、文藝春秋とは異なって明確に「左翼」の朝日新聞系会社(子会社)の出版する週刊誌に掲載されている。しかも、西尾が望んだことではないとしても、「20の証言」の中でただ一つ別枠(罫線囲い込み)の扱いを受けており、かつ、表紙の「週刊朝日」の文字の上に、「西尾幹二」とその文章のタイトルが(他の19名とは異なり)特記されている
 このような特別扱いを朝日新聞系週刊誌によって受けたこと、さらにはそもそも「左翼」系週刊誌に(依頼を受けてだろうが)執筆したことを、西尾幹二はどう考えているのだろうか。
 20名の文章のうち皇太子ご夫妻を批判するのは西尾幹二ただ一人だ。西尾は、朝日新聞的な、どちらかと言うと「左翼」的な読者が多いとも推察される週刊誌に執筆して、「左翼」的な者たちにも支持を拡げたい、自らの問題提起を知ってほしい、と考えたのかもしれない。
 だが、西尾幹二は文藝春秋以上に朝日新聞を嫌ってきたはずだ。これまでの経緯は、むしろ<天敵>どおしであったのではないか。だとすると、西尾が週刊朝日による執筆依頼を拒否しても、何ら不思議ではなかった、と思われる。
 何故、週刊朝日に「保守」論客・西尾幹二が登場するのか(曾野綾子らも同じ号に書いてはいるが…)、奇妙でなくはない。
 そして、西尾の主観的な気持ちが、上記のように、「左翼」的な者たちにも支持を拡げたい、自らの問題提起を知ってほしい、ということだったとしても、客観的には、西尾幹二は「左翼」と手を組んで皇室内に<混乱>を生じさせようとしている(又は拡大しようとしている)、という疑念を生じさせても、即時に一笑に付されるようなものではない、と考えられる。
 また、週刊朝日編集部の側が西尾幹二の名を「利用」しようとした、との疑いには、より十分な理由があるようにも思われる。
 70歳を超えてまだまだ髙い知的水準を維持しておられるようである西尾幹二には、別の方面でもっと活躍していただきたい、と願っている。同・私の昭和史(新潮社)も早く完結させていただきたい。

0724/西尾幹二の天皇・皇室問題論を再び疑問視する-4/05テレビ「~委員会」。

 一 アメリカと中国が「日本再占領」政策を採っているとの西尾幹二の指摘は分からなくはない。かつての「占領」期のイメージが伴いやすい「再占領」という語よりも、<属国化>・<従属国化>・<傀儡国家化>政策と言った方が分かりやすいかもしれない(すでにそうなっているとの見方もあろう)。
 但し、西尾幹二が「再占領」政策の「大筋に日本で最初に着手したのは安倍晋三」で「背後で支えている」のは恐らく「中曽根康弘」だと指摘するまでに至ると、具体的な証拠資料が提示されているわけでもなく、<憶測>あるいは<妄想>の類ではないかと言いたくもなる。いずれにせよ、西尾幹二の言論の一部に(常人では理解できない)奇矯なところがあるのは確かだと思っている。
 二 西尾幹二は尊敬に値する仕事を多数している人物だが、納得できない、奇矯なことも言う人であることは、昨年の皇室(とくに皇太子妃)問題についての彼の議論・主張を知って感じた。
 録画していた4/05の<~のそこまで言って委員会>を1ヶ月以上も遅れて観た。何と、皇室問題がテーマとされ、西尾幹二がゲストとして登場していた。以下は、遅いが、この日のこの番組の感想。
 やはり西尾幹二はおかしい。<次の天皇に秋篠宮殿下を>との意見をどう思うかとの問いに対するパネラーの反応に、大高未貴の「皇室解体推進論者の巧妙な言語工作」というのがあったが、かねて思っている(書いたかもしれない)ように西尾の議論の仕方は「皇室解体推進論者」を喜ばせるものだ。
 また、<一部の雑誌が仕掛けているだけ>との鈴木邦男の反応も的確だろう。西尾幹二は次代天皇は秋篠宮殿下にと明確に主張しているわけではないが、現皇太子の皇位継承適格を疑問視していることにはなろう。そして、西尾幹二を支持する方針をとったのは、ワックの月刊WiLLであり、その編集長・花田紀凱だった。月刊文藝春秋の保阪正康論文は意識的に読んでいないが、ひょっとして月刊文藝春秋も(株)文藝春秋も、結果としてはその方向で<仕掛ける>機能を客観的には果たしているのかもしれない。
 月刊文藝春秋の最近の編集方針に対して批判的なことも書いている西尾幹二だが、そして「左翼」の保阪正康とは種々の歴史認識において対立している筈の西尾幹二だが、こと保阪の文藝春秋の論考については、西尾は支持又は擁護している。奇妙な構図だ。そして、花田紀凱とは元文藝春秋関係者という因縁(上司・部下関係)があることにもよるだろう、勝谷誠彦はときどき叫び声を上げて、大高の発言を遮ったり、西尾幹二の問題提起を擁護したりしていた。
 私は、出演者の中では、所功、鈴木邦男、大高未貴の考えに賛同し、西尾幹二、勝谷誠彦の姿勢は支持しない。
 辛坊治郎は、おやっと感じるほどに、西尾幹二を挑発していた。
 辛坊は、かなりの勇気がいると思われるが、西尾さんの話は「たんなる小和田雅子さんと雅子さんの出身家庭の悪口にしか聞こえない」、と断じた。
 西尾が書いている全体を知っていればかかる感想にはならないだろうが、この日のそれまでの西尾の口頭発言だけだと、かかる感想・印象も生じる。
 そして、辛坊の、「どうしたいんですか? どうしてほしいんですか?」とのかなりキツい質問に西尾は「言えない」「どうもできない」とし、せいぜい雅子妃の「医者を二人に」と言うだけだった。また、医者が二人になって病気でないことが判ったらどうすべきなのか、との辛坊の畳みかける質問に、<仮定の問いには答えられない>、<病気だと言うだろう(口裏を合わせるだろう)>と答えるだけだった。
 西尾の本来の主張は、<小和田家は雅子妃を引き取れ>つまり<皇太子殿下夫妻は離婚せよ>ということだと思われる。これをテレビで公言できなかったのはやむをえないとしても、そもそもこの議論はもはや遅すぎる。皇太子殿下の婚姻前にこそ(結婚してはならないという形で)言うべきだった。
 西尾幹二は雅子現妃殿下が皇室を離れたあとをどう現実的に構想しているのだろうか。皇太子殿下はどなたかと再婚されることになるのだろうか。それとも、秋篠宮殿下が次代天皇になるべきだ、と考えているのだろうか。
 後者の議論があるなら、「天皇陛下のご聖断の要請、皇室会議召集、政界等の真剣な討議」が必要、とも西尾は述べているようだが、上の後者の結論をストレートに述べているわけでもない。
 たしかに雅子現妃殿下ご本人が離婚と皇族離脱を本心から望んでおられ、その意向を明確に公にされたとすれば、離婚・皇族離脱を認めないわけにはいかないとも考えられる(皇室会議の承認を経る。但し、同会議を納得させるだけの<特別の>根拠・理由が必要だろうから、さほど容易とも思われない)。
 しかし、その場合でも、現皇太子の皇位継承資格第一位という地位は、消失するわけではない。法律(皇室典範)改正によって配偶者(皇后)を欠く者は長子であっても皇位を継ぐ資格がない旨が定められない限りは、現皇太子がいずれ天皇になられる。
 これを覆すような「天皇陛下のご聖断」は出る筈がない、と考えられる。これは現皇室典範に違反しており、「要請」自体が違法(法律違反)だ。いくら「皇室会議」や「政界」が真面目に議論しても、現皇室典範に違反できるはずがないではないか。現皇室典範を改正できるのは「国会」(両院)だ。
 また、西尾は秋篠宮殿下は人格的に立派だ(と書いているらしい)との保阪正康の月刊文藝春秋の文章を支持又は擁護していたが、小林よしのりも隔週刊雑誌・サピオ(小学館)の4月中の号で書いていたように、現行法制上は(および遅くとも江戸期以降の慣例では)<人格>の優劣等によって皇位を誰が継承するかが決められるわけでは全くない。
 それにもともと、現皇太子が皇位継承できない<非人格者>でいらっしゃるとはとても思えない。
 西尾幹二が雅子妃殿下と小和田家(とくに恒)を批判するのはまあよいとしても、そして<離婚すべきだ>と主張するのもかりによいとしても、そのあとどうしたいのか、どうなればよいのか、という問題はなお残る。
 もっとも、失礼な表現ながら西尾ら
の表現を真似ると、<獅子身中の「虫」>さえ除去されればそれで西尾は満足なのかもしれない。だが、そのためだけに、西尾がすでに使っているほどのエネルギーをなぜ必要としなければならないのか、というのは常人には甚だわかりにくい。
 今の法制のままだと、今上天皇→現皇太子殿下→秋篠宮殿下→悠仁親王と皇位は続いていく。現皇太子妃殿下(雅子様)のご体調やその原因に由々しき問題がかりに万が一あるとしても、上のことに何ら変わりはない。
 問題は、現在の皇族の中の悠仁親王の世代には、他に男子が全くおられない、ということにある。こちらの方こそが、もっと憂慮され、議論されてよいことだ。
 前後するが、西尾幹二は新しく(新奇で?)、重要な(又は奇妙な?)ことも発言した。
 五〇年後が怖い。(学習院の院長はいつのまにか外務省OBになっているが、)外務省は「外国とつながっている」、外務官僚は「国益よりもつねに外国の利益を頭におく」。一番怖いのはどこか、中国ではなくアメリカだ。「アメリカは、天皇家をがっちり握っているんです。天皇家から押さえることができるんです、この国を」。
 西尾幹二によると、外務省(・小和田恒)→雅子妃殿下というルートで<アメリカが天皇家を通じて日本を押さえている>らしい。
 なかなか興味深い指摘だ。だが、そもそもこうした発言だけでは視聴者は理解できないだろう、ということともに、次のような疑問がわく。すなわち、天皇の権能というのは形式的・手続的には<政治>に及んでいるが、<政治>的権能は実質的にはなきに等しい。従って、いかに雅子妃殿下→将来の天皇陛下をアメリカが「握っている」としても、そのことが、アメリカの国益にとって都合のよい政策(外交・経済等々)を日本政府が採る方向にどれほど役立つかは疑問だ。きわめて微々たる、かつ相当に迂遠な影響力の行使の仕方だ。
 むしろ怖ろしいのは、アメリカが「天皇家をがっちり握っている」ということではなく、アメリカが<天皇家の廃止・解体>に向けての世論工作をする(又はそのような国内の運動に実質的に加担する工作をする)ことだろう。
 上の二の最初の方でも書いたが、雅子妃殿下批判あるいは皇室「内紛」の印象は「皇室解体推進論」者が喜ぶことで、その「解体論者」の中にアメリカを含めてもよい可能性がある。アメリカは、日本国家の維持・存立を脅かすために、あるいは日本が<強く・自立した>国家にならないように、国家・国民の統合の「象徴」たる天皇をもつ世襲天皇制度が無くなった方がよい、と考えている可能性がある(アメリカ、と大雑把にはいえず、アメリカ内の一部日本有識者だろうが)。
 そうだとかりにすると、西尾幹二は客観的には、アメリカの<策略>に沿った言動をしていることになるのではないか。
 辛坊はこのコーナーの最後に、再び大胆にも、「西尾さんの今日の発言で、皇室に対する評判が上がったと思います? 下がったと思います?」と問い、勝谷誠彦が「上がったでしょうね、ちゃんと論じてるから」と辛うじてフォローしていた。
 雅子妃はうんぬん(皇太子妃らしくない行動をしている)との西尾の諸発言によって、「皇室に対する評判が上がる」はずがないではないか。そして、繰り返すが、西尾の言動は「皇室解体推進論」者が喜ぶことで、かつアメリカが望む方向に沿っている可能性すらある。
 追記する。羽毛田信吾・宮内庁長官は、①天皇陛下の「ご心痛」の理由の一つに<将来の皇統>問題がある、あるいは、②雅子妃殿下のストレス・ご病気の原因は「皇室そのもの」との「論がしばしばなされる」ことに対し、雅子妃殿下とともに「天皇皇后陛下は深く傷つかれた」と述べた、とされる。
 これらの報道があった際にすでに感じたことだが、少なくとも②の「天皇皇后陛下は深く傷つかれた」というその「論」は、まさに西尾幹二が先頭に立って行っているものだ。そして、西尾幹二らの言動そのものによってこそ、両陛下は「深く傷つかれた」のではないか、と私は考える。
 西尾幹二は、上の可能性があることを、微塵も容認しないだろうか。

0717/月刊正論6月号(産経)・西尾幹二論考における天皇条項論、稲田朋美等。

 一 稲田朋美は、渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)のp.207-8で、現憲法1条の「象徴天皇」は「成文憲法以前の不文の憲法として確立していると見なすべき」として、憲法改正の限界を超える(改正できない)と主張する(この本については、昨年に言及したことがある。但し、上の点には言及しなかった筈だ)。
 また、稲田は同書p.209で、現皇室典範(法律)1条が「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めていることに注目し、ここでの「皇統に属する…」は2条以下の「皇族」に限られないとして、現在「皇族」でなくとも、「皇統に属」しているかぎりは皇位の継承資格がある(したがって、現在の法律上では「皇族」でなくとも「皇統に属する男系の男子」が存在するかぎりは皇位継承者も存在し、皇統断絶の懸念又は皇位継承者欠如の問題は生じない)旨を主張する。
 これらは憲法問題でもあるが、憲法学者であるはずの八木秀次は稲田朋美のこれらの主張に何ら反応していない。
 上の点はともかく、稲田朋美の主張(解釈)はいずれも成り立つ可能性がある。もっと議論されてよいだろう。
 だが、いずれも現在の通説・政府解釈ではないようだ。とくに皇位継承資格者の問題は、それが「皇族」に限られることを前提として、旧宮家一族の皇族籍復活等が論じられてもいる。
 かかる現在の通説・政府解釈を前提にすると、現皇太子・秋篠宮両殿下の下の世代の男子(親王)は悠仁親王しかおられないことをふまえて、「皇族」の範囲を拡大して、皇位継承者・「皇統」の安定的確保の途を早急に検討しなければならないと思われる。この問題は、現皇太子妃殿下に関するあれこれの議論よりもはるかに重要だ。
 二 さて、月刊正論6月号(産経)で八木秀次はご成婚50年記者会見(4/08)での天皇・皇后両陛下のご発言を「誰よりも保守主義を正確に理解されている」とそのままに全面的に尊重・尊敬するコメントを述べている(p.44)。
 結果的には大きな異存はないが、両陛下のご発言はある意味ではきわめて政治的で、あるいは非常によく準備されたものだ、という感想も私は持った。八木秀次ほどには私は単純・素朴ではないのかもしれない。
 また、美智子皇后陛下が「一方で、型のみで残った伝統が社会の発展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」等と「伝統」について述べられた内容はある意味で新鮮であり、ある意味では刺激的でもあった。<保守すべき伝統>というものがあるはずなのだが、<保守>派はどちらかというと日本の<伝統>を丸ごと維持・保守しようという言説・主張に傾きやすかったのではないか。その意味で、皇后陛下が「伝統」の消極的な面・弊害も明言されたことは、注目されてよいと思われる(その内容自体に反論するつもりはない。問題は「社会の進展を阻」む「型のみで残った伝統」とは具体的に何か、になる)。
 三 月刊正論同号西尾幹二論考は、両陛下、とくに天皇陛下の発言を(八木秀次は勿論)私よりも<深く>解釈しているようだ。西尾は、「陛下の…お言葉はじつは相当に政治的であり、政治的役割を果たしておられるとも思います」と書いている。
 天皇陛下のお言葉とは、簡単には、日本国憲法の「象徴」規定に「心を致」す、日本国憲法の天皇条項は「天皇の長い歴史で見た場合、天皇の伝統的な天皇のあり方に沿う」、というものだ。
 西尾幹二は、十分な展開は見られないと思われるが、こうしたご発言を手がかりにして、天皇制度の将来には次の二つの方向があると主張していると見られる(天皇条項改正論でもあると思われる)。この点にも安倍晋三・中曽根康弘による日本「再占領」政策加担・追随論とともに、斬新さがある。
 一つは、政治的責任をより負担する、その点を明文化した「元首」になっていただくことだ。
 いま一つは、「京都にお住居をお移し下さり」、一段と「非政治的存在に変わっていく方針をおとり下さる」ことだ。
 これらは天皇条項の憲法改正をほとんど不可避的に伴うものと思われる。もっとも、「国」と「日本国民の統合」の「象徴」である旨の現1条を改正する必要はない可能性はあるので、冒頭に記した稲田朋美説と完全に矛盾するわけではないかもしれない。
 憲法改正は必要ではないとしても、前者の方向をとる場合、例えば、天皇の<宮中祭祀>は正式の「国事行為」(現憲法だと7条10号「儀礼を行うこと」)か、少なくとも「公的行為」としてきちんと位置づけられる必要が出てくるだろう(憲法20条と皇室の「神道」の関係についての解釈論の整理も必要だ)。
 後者の方向をとる場合、西尾は言及していないが、現行憲法の大幅な改正が必要になるものと思われる。
 現憲法6条・7条によると、天皇に最終的・形式的な権能があるのは、次のように幅広く、かつ重要なものばかりだ。
 ①内閣総理大臣の任命、②最高裁長官の任命、③法律・政令・条約の公布、④国会の召集、⑤衆議院の解散、⑥総選挙施行の公示、⑦国務大臣等の任免、⑧「全権委任状及び大使及び公使の信任状」の「認証」、⑨外国の大使・公使の「接受」、等々。
 これらの行為は、天皇のお住まいが現在の皇居のように、国会・首相官邸・諸外国大使館等に近い場所にあるからこそ容易にかつ速やかに行うことが可能なものではないか。
 したがって、天皇(・皇后)陛下が京都にお戻りになるということは、まさしく西尾の言葉どおりに、上のような<政治(・外交)>に関わらない、「非政治的存在」に変わることを意味することにほとんどつながるものと考えられる。例えば首相が衆議院解散を決意し記者会見等で公にしても、天皇陛下による正式の(最終的・形式的な)衆議院解散は、かりに天皇陛下が京都におられれば、その後早くても6時間程度は要するのではないか。同じことは、多数あるはずの、法律・政令等の「公布」についても言える(「公布」にはさらに官報掲載が必要な筈だが、その前提として現行憲法上は天皇陛下の御名・御璽が不可欠なのだ)。
 こう見ると、天皇の明確な政治的「元首」化にしても純粋な「非政治的存在」化にしても、憲法条項の具体的内容にかかわるもので、本来、憲法改正論議のなかで丁寧に議論すべきものと思われる。
 そういう問題提起を含んでいるので、西尾幹二は憲法学者・八木秀次よりも<鋭い>し、よく考えていると思わざるをえない。かりに明確な「元首」化を想定せず、「象徴」規定を維持するとしても、憲法が天皇に認める国事行為又は「公的」行為の範囲いかんによって、天皇は現在よりもより政治的にもなりうるし、非政治的にもなりうる。憲法改正をゼロ・ベースから、すなわち「白紙」の出発点から考えるのなら、この点は留意されておくべきだ。
 とは言っても、今後いかほどの熱心な議論が上に示した論点について生じるかは、心もとない。ほとんど現九条二項問題だけに関心が集まる可能性は高い。また、西尾幹二のいう二つの方向(現状のままだと三つの方向)のいずれが適切かについて、既述のこと以外には、述べるほどの私見は現在のところは殆どないというのが率直なところだ。

0716/西尾幹二「日本の分水嶺―危機に立つ保守」(月刊正論6月号)を読む-1。

 月刊正論6月号(産経)の西尾幹二「日本の分水嶺―危機に立つ保守」(p.96-)は、NHKスベシャル「JAPANデビュー/第一回」にもさっそく言及している。
 具体的批判内容はともあれ、西尾のユニークなのは、こんな番組が罷り通る<背景>を洞察していることだ(とりあえず結論的にはp.101-2)。
 少し遡れば(p.100-1)、NHKの中枢にはどういう人物がいて「何が起こっているの」か、と西尾は問い、「共産主義イデオロギー」になおしがみつく者たちと「今の時局に便乗し、中国のために(あるいはアメリカのために)日本を押さえ込む再占領政策を意識的に」推進せんとする者たちの二種が「重なり合い、不分明に混ざり合っているケースが考えられ」る、とする。
 前者は日本(資本主義・自由主義)「国家」を敵視し、貶めて弱体化を目指すので、もともと後者と共通する基盤があると言える。そして西尾も言うように、「自国破壊に道徳感や清浄感」を覚える「不思議な心理」に陥っている者たちは、朝日新聞・NHKに限らず、「官界にも、司法界にも、学界や教育界にも、いたる処に蟠踞している」(p.101)。
 だが、と西尾は続ける。中核は「共産主義イデオロギー」で、欧米では共産主義と「何度かに分けて…ケジメをつけて」きたにもかかわらず、日本では、大学のマルクス主義系歴史や経済学や哲学の教授たちは九〇年代前半こそ「穏和しく」していたが、その後は「環境学だの平和学など女性学だのといった新分野の衣装を纏って」、政府審議会委員等になったり大学人事を占拠している。かかる状態等を「マスメディア」が問題にすることはない。「メディアを支配しているのは依然として旧党員、ないしはそのシンパだから」だ。
 以上のことに、全くと言ってよいほど異論はない(他分野ほどは目立たないかもしれないが、歴史学・経済学・哲学のほかにマルクス主義系「教育学」と「法学」も加えてよい)。日本は、(日本人が何かと参考にしたがる)欧米に比べて、「共産主義イデオロギー」が占める比重が<異様に>大きいのだ。NHKの最近の問題番組もかかる状況の中に位置づけうる。

 このあとの西尾の指摘が、まずは興味深い。
 「あからさまウソ」を「ためらいなく」放送するNHKの「自信は何か」。田母神俊雄論文問題で月刊WiLLと月刊正論を除く「すべての言論界を蔽った同一音調」=「田母神叩き」は、「どこかに司令塔があるのではと思わせるほど不自然」で「言論ファシズムの匂い」がある。「ウソを声高に語るNHKの今度のシリーズ」にも「同じ匂い」がある(p.101-2)。
 とりあえずは、<鋭い嗅覚>と言うべきではないか。
 だが、「どこかに司令塔があるのではと思わせる」という関心から導かれる最終的な西尾の推測は、考えさせはするものの、はてはてという感じで、なおも説得力が十分ではない。
 西尾の推測に至る論述はこうだ(p.102-3)。
 1.東欧の「自由化」と全く同様のことは東アジアでは起こらず、親中(・親韓)派はむしろ強く生き延び、「教科書、拉致、靖国のいわば歴史問題」は解決していない。「南京、慰安婦、竹島、尖閣、チベット、核問題」も加えて、困難の度は増している。
 2.安倍晋三首相は中国・韓国、とくに前者との「関係修復」を率先したが、「どこか外から(恐らく米国と中国の両方から、そして日本の財界から)強い要請を受けて企てられた気配」がある。2007年4月に靖国参拝を済ませていたが、「不思議なのは中国が騒がなかったこと」だ。その後の福田・麻生首相も「民族問題にはほぼ完全に背を向け、安倍氏の敷いた路線」を歩んでいる。
 3.安倍も麻生も「村山談話や河野談話」を振り捨てられないのは、「米中」による「再占領政策」の「轍の中にはめこまれて」しまったからだ。NHKのスペシャル番組は、見事に、「米国と中国という旧戦勝国の要請に応え」、日本国民にあらためて「罪の意識」を植え付けようとしている。
 つぎが、結論的推測。
 4.上の米中の「再占領」政策の「大筋に日本で最初に着手したのは安倍晋三」。「背後で支えているのは恐らく…中曽根康弘」。NHKは「必ずしも左翼だけ」ではなく、「日本の保守の方針」に忠実
でもあるのだろう。
 こう書かれると、<左翼>・<保守>の概念もますます混乱してくる。結局は、日本のかつての<保守>は「左翼」化して「民族」問題を放棄し=ナショナリストでなくなり、「米中」による「再占領政策」に追随している、という趣旨なのだろう。そして、その文脈の中で、安倍晋三、(福田、麻生、そして)中曽根康弘の名前が出てくる。
 上記のとおり、この推測は俄には納得し難い。安倍晋三は<戦後レジームからの脱却>を掲げ、(対中は勿論)対米「自立」を目指したのではなかったのだろうか。むしろ、その点は、アメリカ(の少なくとも一部)に警戒感を与えたのではなかったのだろうか。そのかぎりで、アメリカは、渡辺恒雄=読売新聞もそうだったと勝手に推測しているが、2007年参院選での安倍晋三=自民党の<後退>をむしろ望んでいたとも推測される。そのかぎりでは、心情的には朝日新聞と同様の立場にあったアメリカの有力政治家・学者もいたと思われるのだが。
 というわけで、西尾幹二の主張は真面目に考えると、じつに大きな問題提起・論争提起だ。だが、繰り返すが、あれあれ、はてはて、ととりあえずは感じる他はない。
 上記の西尾幹二論考は、ご成婚50年会見の際の天皇(・皇后)陛下のご発言に関連して、八木秀次とは異なる、将来の天皇(・皇室)制度論にも言及している。別の回にしよう。

0714/諸君!最終・6月号(文藝春秋)-徳岡孝夫、佐伯啓思、竹内洋、八木秀次、西尾幹二等々。

 諸君!6月号(文藝春秋)と月刊正論6月号(産経)を手にする。
 最終号なので先に前者を開いて巻頭を追っていると、「紳士と淑女」欄筆者は徳岡孝夫だったと明らかにされている。この人は三島由紀夫が自決した際、直前に文章(檄文)を預かった者で(これはたぶん間違いない)、かつ当時は毎日新聞の記者ではなかっただろうか。後段も記憶が正しいとかりにすると、毎日新聞と諸君!は結びつき難いので少しは驚きがある。
 好みに従い、佐伯啓思「アメリカ型改革から<桂離宮の精神>を守れ」竹内洋「革新幻想の戦後史・最終回」を読む。後者は全体が戦後<進歩的文化人>の分析・批判だった気がする。いずれ単著になるだろう。<進歩的文化人>とはもはや死語のようでもあるが、しかし、そのDNAを継承する者は学界・法曹界・官界・マスコミ等にうんざりとするほどいて、まだ<多数派>かもしれない(「進歩的」・「文化人」の理解の仕方にもよる)。
 続いて、「リベラル右派」と自称している(p.242)宮崎哲哉の司会による彼も含めて八名の座談会。仕切っている宮崎はなかなか賢いと思うが、八木秀次は宮崎からツッこまれている(p.239)ほどに発言がやや少なく、精彩を欠く。とくに、自衛隊を律令制下の「令外の官」に譬える説を紹介して、宮崎に「立憲主義」の重要性を説かれ、現状では「憲法ニヒリズム」に堕すと指摘されている辺りは(p.216-7)、八木の自説でもなく十分な言及をする時機を失っているとしても、どちらが憲法学者なのかが分からないくらいだ。
 「立憲主義」そのものは、それが欧州近代の所産だとしても、法律制定者を拘束・制約する「メタ・ルール」の存在を肯定するという意味で日本でも妥当すると見てよいだろう。問題は「憲法」=「メタ・ルール」の具体的内容、それが<日本(人)>の歴史・伝統等をふまえた適切なものかどうか、だ。
 この座談会でも西尾幹二はよく発言しているし、注意・興味を惹く内容もある。
 順番としてはもっと後で読んだが、月刊正論6月号の連載コラム欄で八木秀次は、「ある雑誌の座談会」に「違和感を持ちながら」いた、「保守」はイデオロギーではなく生活・生き方等と「言う人に限って、人を押し退けてしゃべり続ける。その姿勢が他人との協調や謙虚さを重んずる日本の良き伝統に反する」と感じたからだ、と書いている(p.44)。
 「ある雑誌の座談会」とは諸君!6月号のそれで、「人を押し退けてしゃべり続ける」人とは西尾幹二なのだろう。西尾の発言内容を全面的に支持するつもりはないが、また八木が「違和感を持」ち温和しかった(?)理由らしきものに同情するとしても、別の雑誌でこんな私憤(?)を活字にするとはいかがなものか。または、どうせ書くなら雑誌名・人物名もきちんと書くべきではないのか。さらに、「人を押し退けてしゃべり続ける」と感じるか否かは人によって異なることで、それを根拠として「保守」ではないとか「日本の良き伝統に反する」、と断じることもできないのではないか。
 西尾と八木の<個人的>確執は一読者・一国民としては全く些細なことだ。むしろ、八木は上のコラムで天皇・皇后両陛下のご成婚五〇年の記者会見でのご発言を完全にそのまま肯定的に理解しているのに対して、月刊正論6月号の方の西尾幹二「日本の分水嶺-危機に立つ保守」は(是非はともあれ)<深い>理解を示しており、天皇制度の今後のあり方に関して重要とも思われる問題提起をしている、ということの方が大切だと考えられる。但し、今回はこれ以上は触れない。
 元の諸君!6月号の座談会に戻ると、村田晃嗣が田母神俊雄(論文)を何回か<親米>すぎる・切り貼り等と批判しているのが目についた。しかし、村田の少なくとも後者の批判は厳しすぎる。田母神は長い<研究論文>を紙数の制限を受けずに書いたのではない。新聞や雑誌が全文を登載したり、結果としては自著の一部として活字になることなど想定していなかっただろう。せいぜい(かりに入選すれば)論文募集会社の何らかの会報類に掲載されることくらいを予想していたにすぎないのではないか。この欄でも既述のとおり、あの程度の字数で詳細・厳密に論じるのは不可能だ。
 田野神にとっての<不注意・不用意>は、その論文が内局のトップ・増田好平事務次官に<悪用>される可能性を考えていなかったことだろう。
 もっとも、田母神俊雄論文への反応につき昨秋に<左翼ファシズム>成立又はその怖れを指摘したことがあるが、それに向かってのもっと深く広い<策略・陰謀>が背景があるのかもしれない(よく分からない。西尾・月刊正論6月号論考はその旨を指摘している)。
 西尾幹二が座談会で、竹中平蔵と野口悠紀夫を名指しして、アメリカ帰りの親米(「新自由主義」)経済学者と批判しているのも目についた(p.223)。別の何かでは、郵政民営化議論に関して問題は財投資金だと選挙直前に正しく指摘していたと、「勇気」ある経済学者として野口悠紀夫を褒めていたからだ。
 宮崎哲哉はなかなかの人物・論者だとあらためて思う。論壇又は議論・思想状況全体を広い観点から掴んでいるように見える(例えば、p.229)。
 このあと、たぶん月刊正論の方に移った。次回に。
 諸君!についてのあれこれの賛辞(p.155-。渡辺恒雄、立花隆、井上章一まで書いている)を多少は読んで思うのだが、この雑誌はそれほど立派な<保守>系雑誌だったのだろうか。「左翼」・保阪正康が最終回まで43回も連載しているのは何故なのか。不思議だ。 

0673/竹田恒泰、西尾幹二、勝谷誠彦、社民党・福島瑞穂。

 〇記していなかったが、二月中に全読了したもの。ひょっとして他にもあるかも。
 ・竹田恒泰・怨霊になった天皇(小学館、2009.02)。2~3日で読み終えた。
 仔細はもう忘れかけているが、長い歴史の中では、天皇も皇族もいろいろ、といった感想。
 井沢元彦によると、明治天皇は、明治改元か即位礼の前日にわざわざ四国・香川県の崇徳天皇陵に参拝されたはずだ。12世紀前半に就位の天皇が、祟らないで国家・新天皇の御代の平穏をとの思いを19世紀にまで持たせ続けていたことになる。一度、崇徳天皇陵には行かねばならない。
 ・西尾幹二・真贋の洞察(文藝春秋、2008.10)。すでに一部触れたことはある。触れたのは、福田恆存にかかわる長い論考(講演録)の一部(p.123-190、計68頁!)。
 金融・経済への関心に感心するとともに、最後にとっておいた「安倍晋三は真正保守の政治家に非ず―二大政党制という妄想―」も頗る面白かった。
 月刊WiLL2007.10号初出で原題は「二大政党制という妄想」。この題のとおり、執筆当時は首相在任中ぎりぎりだったと思われる安倍晋三批判は大して重要なテーマではない。今日の政治状況を鋭く予感していた、との評価もできる。
 「自民党も三分の二くらいは左翼のようなものです」(p.32。加藤紘一、後藤田正純、河野太郎の名を挙げる)。きっとそうなのだろう。
 「私は共産党、社民党、公明党は…政党として認めていない…。…党首討論に…大きな顔をして出演させるべきではない」(p.34)。同感。とくに後者は、従前からそう感じていた。
 二大政党制をよしとしないのは自民党・民主党ともに「寄り合い所帯」で「理念が不透明」だから。なぜ日本政治がこうなったかには「小沢一郎が深く関与している」(p.35)。
 細かく引用しない。その後の、1955年体制の総括的言及・小沢一郎批判にも納得するところがほとんどだ。
 「小沢一郎は日本の政治をねじ曲げた万死に値する男です」(p.40)。
 こうした論評からすると、小沢一郎びいきの「保守」派らしき男、勝谷誠彦とは異様な人物だ。よいことも書き、喋ってもいるのに、小沢一郎(・従って現在の民主党)にはボロボロに甘い。
 これまであえて取り上げてこなかったのだが、勝谷誠彦・偽装国家Ⅱ(扶桑社新書、2007.12)では、安倍晋三を「偽装保守」と称し、「美しい国」と言うのを聞いて「私は椅子から転げ落ちました」とまで侮言しながら(「美しい国」との言葉の悪意をもった解釈もしながら)、また、多数の「偽装」の例を挙げながら、朝日新聞等による大々的で集中的な反安倍・反自民キャンペーンによる2007.07の参院選の結果については、ひとことも<偽装>とは称していない。あの選挙での自民党の後退しすぎは、マスメディアによる国民の意思の<偽装>だ、と思っている(2005の小泉「郵政」総選挙の結果もその面が強い)。私の感覚は、勝谷誠彦とは大きく異なっているようだ。まだ西尾幹二の方に近い。
 〇社民党・福島瑞穂は昨年(2008年)12月に桝添要一厚労相に対して「非正規労働者支援の緊急申し入れ」を行い、その中で「多くの非正規労働者が雇用保険の加入漏れの恐れがあることがわかった。非正規労働者が、資格がありながら雇用保険に加入していない実態を掌握する措置を講ずること」等を求めた。
 一方、福島瑞穂が代表の「福島みずほ事務所」は、「平成18年度までの数年間、雇用する私設秘書2人について労働保険に加入していなかった」。

 以上。産経新聞3/04による。
 これは実態把握については「灯台元暮らし」、措置要求については<天に唾する>、とでも言うのだろう。なかなか面白い記事だった。

0652/佐伯啓思・国家についての考察、小熊英二・<民主>と<愛国>、西尾幹二・真贋の洞察等。

 一 全読了している佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)の帯・右側に記載されている「本書目次」は次のとおり。
 序章 なぜ「国家」を論じるのか
 第一章 現代日本の国家意識
 1 「戦後的なもの」の溶解
 2 「世界市民主義」とは何か
 3 逆立ちした国家意識
 第二章 「二重言説」の戦後日本
 1 保守と革新の作り出した構図
 2 「公式の言説」と「非公式の言説」
 3 近代日本の宿命

 第三章 戦後民主主義という擬装
 1 民主的主体という擬装
 2 「戦後」という欺瞞
 第四章 国家をどう理解するか
 1 近代的国家のロジック
 2 継続性の中にあるロジック
 第五章 国家論の構築に向けて
 1 ナショナリズムとは何か
 2 「われわれ」意識のロジック
 3 均衡体としての国家 
 4 誰が国家の「担い手」か
 5 「公」「私」、そして「国家」
 ついで、帯・左側の関心惹起?のための文章は次のとおり。大きな「「国家」への思考停止から、「国家論」の構築へ!」という文字の上に並ぶ。
 「「戦後」の時空間の中で、国家への考察を徹底封鎖し、その結果、主体性・価値観・魂を喪失した日本および日本人に、戦後日本の思想的営為の「歪み」を鋭く指摘しつつ、「国家意識」についての再考、「国家論」の構築を促す、画期的な書き下ろし論考」
 この本のごく一部、朝日新聞社説に批判的に言及して論を進めている部分については、昨年12月に5回に分けて紹介・コメントした。右端は月日。
 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/836830/  1216
 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/835710/ 1215
 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/832422/ 1213
 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/831734/ 1211
 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/830132/ 1210
 
二 上のような書き写しをしたのは、佐伯の書物の中でも、最も基礎的な主題を論じた、最も好ましいものだと感じているからだが、それは別としても、実際よりももっと幅広く読まれてよい本だという印象を強くもつからだ。
 佐伯啓思は昨年に日本の愛国心(NTT出版、2008)という本を出した。
 異論・疑問が全くないわけではないにせよ、非常に優れた、刺激的な(論争誘発的でもある)本だ。
 にもかかわらず、簡単な書評を若干見かけただけで、この本が大きな論争を巻き起こした、ということはなかった。上記の『国家についての考察』もおそらく、世間的にはあるいは少なくとも論壇においてすら、あまり注目されなかったのだろう。
 どこかおかしい。その理由の大きな一つは、朝日新聞や同社的なマスメディア(・雑誌)が、佐伯啓思の本を完全に無視しているからではないか、と思われる。朝日新聞等が大江健三郎・加藤周一(昨年死去)・井上ひさしらの本を取り上げ、コラムを書かせているのとは対照的で、彼らは絶対に言及しない、コラム執筆も依頼しない著者・評論家・学者のリストを作っているものと推察される。
 世情を賑わし、大部が売れたいくつかの本よりも、佐伯の例えば上の二つの本をじっくりと読んだ方が、深く、理論的な思考にはるかに役立つ。
 どこかおかしいのだ。言論統制に近いものは、国家によってではなく、出版社・新聞社が自らによって行っているのが実態だろう。自分たちに気にくわない思想・主張は無視する、封殺する、これが朝日新聞等のやっていることだ、と思う。
 三 朝日新聞社系の雑誌・アエラの最新号で、立ち読みの記憶だから正確ではないかもしれないが、姜尚中が政治(・思想?)関係の書物を30ほど推薦している記事があった。
 佐伯啓思・西尾幹二らの本が挙げられているはずはない。姜尚中の自著いくつかの他、丸山真男(二つ)、フーコー(二つ)、大江健三郎、加藤周一<この二人は九条の会発起人>等々が挙げられていた。さすがに「左翼」新聞社がご愛用の「左翼」学者だと感じたものだ。
 こうしたリストアップを中庸で正統的なものと信頼して購読する真面目な?読者もいるのだろうから怖ろしい。
 姜尚中がリストアップした推薦書の中には、小熊英二・<民主>と<愛国>(新曜社)があった。
 先日1月4日に西尾幹二・真贋の洞察(文藝春秋)に言及して、経済史学者・大塚久雄を皮肉る(批判する)部分等を紹介したが、その部分等は、じつは、小熊英二のこの本を西尾が論評する中で書かれたものだった。
 → 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/859811/
 西尾による小熊英二著批判の表現は数多いが、このような紹介もなされている。
 「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、埃を払い、茣蓙を敷いてその上にずらっと並べて天日に干して、もう一度眺められるようにお化粧直しする」(、そんな本だ)、「若い読者はこれが戦後の思想史のトータルな姿だと思うだろう。たまに保守派の名を出しても、…脇役か刺身のつま、あるいは左翼進歩派の論を補強する引き立て役としてである」(p.87)。
 西尾の同じ論考によると、小熊英二の上の著の索引での言及頁数が多いのは、次の順らしい。多い方から、丸山真男、竹内好、鶴見俊輔、吉本隆明、江藤淳、小田実、石母田正、荒正人、大塚久雄、清水幾太郎(p.85)。この中で保守派といえるのは江藤淳と晩年の清水幾太郎だけだろう。これら以外で頻出する「左翼・進歩派」(といっても一枚岩ではないが)は、小田切秀雄、本多秋五、井上清、網野善彦、中野好夫、久野収、国分一太郎、鶴見和子、中野重治、南原繁、宮本百合子、宗像誠也、大江健三郎(p.88)。
 あくまで西尾の言を通じてではあるが(小熊の上の本の古書は高価で購入していない)、このような内容の小熊の本を姜尚中は推薦しているのだ。
 姜尚中自身の推薦リストですでに明白なことだが、姜尚中もまた「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、…お化粧直し」をしたいに違いない。
 こんな姜尚中が、朝日新聞系の枠にとどまらず、昨年末のNHK紅白歌合戦の「審査員」を務めたらしいのだから、NHKも、日本社会全体も、気づかないままに、発狂・崩壊への道を静かに歩んでいる。
 *追記-前回に追記した日以降のアクセス数が、1/16にさらに10000余増加した。

0647/西尾幹二・真贋の洞察(2008.10)の一部を読む-戦後「左翼」の権威・大塚久雄の欺瞞。

 前回使った言葉とあえて結びつけていえば、西尾幹二・真贋の洞察(文藝春秋、2008.10)p.107には、「講座派マルクス主義」の「お伽話」という語がある。
 西尾幹二の上の本によると、「戦後進歩主義」又は「戦後左翼主義」の代表者は丸山真男大塚久雄だ(p.94)。
 政治学が丸山真男、経済(史)学が大塚久雄だったとすると、歴史学や法学は誰だったのだろう。歴史学は井上清か、それとも羽仁五郎か。日本共産党の要素を加味すると古代史だが石母田正か。法学は、横田喜三郎(国際法)か宮沢俊義(憲法)ではないか。次いで川島武宜戒能通孝あたりか。日本共産党的には平野義太郎の名も挙げうるかもしれないが、社会的影響力は横田喜三郎や宮沢俊義の方が大きかっただろう。
 脱線しかかったが、西尾の上掲書は大塚久雄について面白いことを書いている。少なくとも一部は、知る人ぞ知るの有名な話なのかもしれない。
 ・大塚久雄によると、「絶対王制」と「結びついた」「特権的『商業資本』」が「新しい『産業資本』によって打倒されたかどうか」が、「市民革命」成立の有無の基準になる。
 ・大塚によると、フランスでブルボン王朝と結びついたいくつかの「特権的『商業資本』」が打倒されたことがフランス革命の「市民革命」性の証拠になる。日本(の明治維新)にはこのような例がない。
 ・しかし、-西尾は小林良彰の著書・明治維新とフランス革命(三一書房)を参照して以下を言う-江戸時代に栄えたいくつかの「特権的大商人」は明治維新を境に「廃絶」した。一方、大塚が挙げる具体の「商業資本」は、「フランス革命で廃絶」しておらず、むしろ「二十世紀の代表的企業に発展」した(以上、p.109)。
 ・大塚は「イギリスの農村におけるマニファクチャーの存在」の根拠として英仏二つの著書を挙げていたが(ここでは書名・著者名省略)、1952年に矢口孝次郎(関西大学)、次いで1956年に角山栄(和歌山大学)が、これら二著を大塚久雄が読んでいないことを「突きとめた」。大塚の論文当時に翻訳書はなかったが、角山栄が洋書不足時代に「隅から隅まで」原書を読んでみると、「驚くべきことにマニファクチャーのことなんか」何ら書かれていなかった。
 ・西尾は角山の本を参照して以下を書くが、大塚は学生に「角山の本は読むな」と警告し、「地方大学からの批判に中央のマスコミは関心を示さなかった」(以上、p.110-111)。
 以上を記したのち、西尾幹二はこう書く-「驚くべき事実」だ。「コミンテルンの指令な忠実な東大教授を守るために、中央のマスコミは暗黙の箝口令を敷いたのに相違ない」(p.111)。
 大塚久雄について、このような事実があったとしてみる。すると容易に推測できるのは、大塚に限らず、政治学(政治思想史学)の丸山真男についても、歴史学や法学の上に挙げたような学者たちについても(とくに丸山を含む東京大学(助)教授については)、類似のことがあった可能性がある、ということだ。
 <昭和戦後「進歩的」知識人>の「権威」は、(時期によってやや異なるだろうが)コミンテルン又はGHQの歴史観・「歴史認識」との共通性の有無・程度と「東京大学」等の有力大学教授かどうかによって、一口で言えば<非学問的に>(つまりは<政治的に>)築かれたのではないか。
 さらに言えば、今日の(とくに社会・人文系の)各学界の「権威」者たちは、本当に学問的・「科学的」に立派な学者・研究者なのだろうか、という疑問が生じても不思議ではない。

0619/文藝春秋本誌は「左」に立とうとして保阪正康・半藤一利・立花隆らを愛用し続ける-西尾幹二。

 一 最近の11/08に、西尾幹二が月刊諸君!(文藝春秋)12月号p.27に、文藝春秋はかつての中央公論と似てきており、朝日・論座、講談社・現代を欠く中で、文藝春秋と中央公論(=読売)は「皮肉なことに最左翼の座を占め、右側の攻勢から朝日的左側を守る防波堤になりつつある」と書いていることに触れた。
 西村幸祐責任編集・撃論ムック/猟奇的な韓国(オークラ出版2008.10)を捲っていたら、p.140で西尾幹二が上の旨をもう少し詳しく語っている。以下のごとし。
 文藝春秋(月刊)は「いよいよ怪しくなりだして」いる。この「本誌」は、「諸君!」とは別だとして距離を保とうとし、「ほんの少し左に」立とうとしている。そのため、「保阪正康、半藤一利、福田和也、立花隆といった面々を長々使い続けている」。今や明らかに「中央公論」の方へ寄っており、「知らないうちに朝日新聞の側に堕ちようとしている」。「『諸君!』とは違うんだ」と言っているうちに「朝日の側にどんどん傾いてしまっている」。
+  上で明記されている固有名詞のうち、保阪正康・半藤一利・立花隆の三人が紛れもなく「左翼」であることは私も確認している。例えば、半藤は「九条の会」賛同者、保阪は首相の靖国参拝糾弾者等々で、立花隆については論を俟たない。福田和也については、中川八洋が厳しい批判の本を出版しているようだが(所持はしていても)読んでいないこともあり(それ以上に福田の書いたものをほとんど読んでいないために)、私自身の判断・評価は留保する他はない。
 それでも、保阪正康・半藤一利に対して批判的であることは、西尾と私の間に違いはない。もっとも、文藝春秋(本誌)が叙上のようにヒドくなっているか否かは俄かには賛成しかねるが。
 「ほんの少し右」かもしれないが、月刊諸君!だって、保阪正康の文章を長々と連載している(12月号で38回め!)。月刊諸君!もまた、産経新聞以上に、「<保守>派としての<純度>」はとっくに薄れていると思われる。<保守>派論壇の力量自体が低下しているのかもしれないが。
 なお、月刊諸君!の連載のうち秀逸なのは、竹内洋「革新幻想の戦後史」だろう。完結と単行本化を期待して待ちたい。
 二 保阪正康・半藤一利に対して批判的であるのは小林よしのりも同じで、意を強くした記憶がある。
 古いサピオ(小学館)を見てみると(といってもまだ今年)、既述の可能性もあるが、小林よしのりは①3/12号で「中島岳志や保阪正康ら」を「薄らサヨク」と呼び(p.62)、②4/09号で、「保阪正康や半藤一利あたりの連中」も日本に戦争責任ありとの思い込みから逃れられない「被占領民」だとし(p.60)、③10/08号では「保阪の歴史観の異常さ」をかなり長く言及し(描写し)ている(p.55-59、この「31章」のほとんど全て)。
 これら以外に、保阪正康・半藤一利の二人は戦前の個々の軍人・政治家や個々の政策決定・戦術等の評価にかまけて<大局的>判断をしていない旨の指摘も読んだ(見た)記憶があるが、今は確認できなかった。
 保阪正康・半藤一利の二人は、戦時中のコミンテルンや中国共産党について、あるいはルーズベルト政権と「コミュニズム」との関連について、いかほどの知識と関心があるのだろうか。<敗戦>の責任者は誰かとその責任の度合いを日本国内の軍人・政治家について検討し論じているようでは、いかに個々の人物・事件や戦局の推移に詳しくとも、全体的なまともな歴史を語り得ないだろう。
 そのような保阪正康・半藤一利を(も)<愛用>しているのが文藝春秋(本誌も諸君!も)だ、と言って今回の当初の話題と結びつけておこう。

0615/西尾幹二の月刊諸君!12月号論稿を読む。やはりどこかおかしい。

 月刊諸君!(文藝春秋)12月号西尾幹二「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」。p.26-37でけっこう長い。
 一 「論壇」という観点等からの戦後史の理解に参考になる指摘がある。
 1.「1960年代の終わりから1970年代なかば」は「決定的分岐点」。「大学知識人」の地位は失墜した。丸山真男の力も「雲散霧消」した。p.27。
 2.1970年代以後、朝日新聞対文藝春秋の対立の構図があり、やがて朝日対産経の構図にとって代わられた。
 産経の「保守的姿勢」は純度を欠くにいたっている。また、文藝春秋はかつての中央公論と似てきており、朝日・論座、講談社・現代を欠く中で、文藝春秋と中央公論(=読売)は「皮肉なことに最左翼の座を占め、右側の攻勢から朝日的左側を守る防波堤になりつつある」。p.27。
 挿むと、なかなか興味深いが、かかる論壇の現状認識は適確なのだろうか。「右側の攻勢」が「朝日的左側」に対して実際に有効に加えられているのなら、よいのだが。
 3.論壇誌は経済に弱い。経済誌は政治に弱い。後者から出た野口悠紀夫の「一九四〇年体制論」はかつての「戦時協力体制」が支配しつづけて、日本経済の「自由主義的発展」を阻害しているとするが、「戦時体制」による「日本社会の合理化」が戦後日本経済(の成長・強さ)に関係あるのではないか。p.29-30。
 挿むと、高度経済成長の終焉後の議論としては噛み合っていないところがあるようでもある。
 4.ロッキード事件・田中角栄逮捕は、「ソ連主導の共産主義」の経済的「足踏み」の時期と重なる。1970年代半ば、日本国内の「革命幻想の嵐」は終息に向かい、自民党・社会党の「馴れ合い進行」へと移っていた。国際的なある種の「雪解けムード」が田中角栄逮捕→角栄の闇権力の残存・政権たらい回しにも反映したのでないか。p.31。
 5.1993年の細川政権誕生、その翌年の自社連立政権という「想像を絶する愚劣な政権」の誕生も、「冷戦終焉、ベルリンの壁崩壊による安堵感」という世界史的背景を見てこそ、本質がわかるだろう。p.32。
 6.いま、今日の日本の政治状況も「国際政治」の「なんらかの反映」がある筈だが、「答えることができ」ず、「ぜひ教えてもらいたい」。
 上の4.5.は興味深い。社会主義国の状況はやはり日本の国内政治と関係ではない筈だ。
 「いまの政治状況」をどう理解しどう叙述するか自体が難問だ。だが、今後の方向を考える場合には、「公務員制度改革」も「地方分権」も、<格差是正>も(「国民生活」も)大切かもしれないが、やはり「社会主義」国である中国・北朝鮮との関係にかかる見解・政策こそが最大または第一の論争点でなければならない、と私は考えている。
 相対的にだろうが、親中国派・親北朝鮮派のより多い政党への<政権交代>を主張する又は期待するのは、反コミュニズムを最大の基本理念とする「保守主義」者ではないだろう。この点で怪しい「保守」論客もいるようだが別の機会に書こう。
 二 西尾幹二は論壇における「皇室論」、又は自らの「皇室論」への論壇の反応についても触れる。p.36-37。
 二つの「皇室論」があったという。第一は、「皇太子殿下ご夫妻に、もっと多くの自由を」と説く、「ソフトで、制約がないことが望ましい」とする「平和主義的、現状維持的イデオロギー」(「自由派」)、第二は、「古風な、がちがちに硬直した、皇室至上主義的なイデオロギー」で、皇室に「もの申す」のは「不敬の極み」などと西尾を論難した(「伝統派」)。
 そして、これらいずれも「東宮家の危機を、いっさい考慮にいれていない」、「目を閉ざしてしまう」点では「一致している」。
 こうしたまとめ方・語句の使い方には必ずしも賛同できないところがあるが、とりあえず措く。
 問題だと思うのは次の文章だ(p.37上段)。
 「私が危惧するのは、いまのような状態をつづければ、あと五十年を経ずして、皇室はなくなるのではないかということです。雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける。というか、明確に拒否されて、すでに五年がたっている。…皇太子殿下はなすすべもなく見守っておられるばかりなのではないか。これはだれかがお諫めしなければならない。…なら、言論人がやらなきゃいけない」。
 西尾はどうしてこうまで<焦って>いるのだろうか? よく分からない。「あと五十年を経ずして、皇室はなくなるのではないか」との懸念が「雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける」ということを根拠にしているとすれば、それは当たっていないと思われる。
 そもそもが「雅子妃」は「宮中祭祀をなさる(なさらない)」と書いて、雅子妃殿下が宮中祭祀の主体(の少なくとも一人)であるかのごとき認識をもっているようだが、これは誤りだろう。すなわち、皇太子妃は宮中祭祀の主体ではなく参加しても「同席者」・「列席者」にすぎず、「主体」はあくまで天皇陛下だと思われる。
 また、これまでの歴史においていろいろな皇太子妃や皇后がいたはずで、雅子妃と同様に(?)宮中祭祀に関心を示さない皇太子妃や皇后もいたのではなかろうか。美智子前皇太子妃・美智子皇后を基準にしてはいけない。
 さらには、確認はしないが、財政不如意のために皇位継承後の大嘗祭(新嘗祭)というきわめて重要な宮中祭祀を行えず、数年後になってそれをようやくなしえた天皇がかつて複数いたはずなのだ。
 にもかかわらず、そういう時代があっても、天皇家と天皇制度は存続し続けてきた。雅子妃の件が<皇室消滅>の原因になるとは思われない。いろいろな皇太子妃・皇后がいた、ということだけになるではないのか。
 再確認はしないが、宮中祭祀の主体は天皇陛下おん自らであり(代拝等はありうる)、皇太子妃等は<付き添い>・<見守り>役にすぎないことは、西尾よりも皇室行事・宮中祭祀に詳しいと考えられる竹田恒泰が明言していたことだ。
 竹田恒泰は(そしてついでに私も)、西尾幹二が上にいう第二の「伝統派」にあたるのだろうが、皇太子妃・皇后と宮中祭祀の関係についての竹田恒泰の文章を西尾は読んでいるはずなのに、その後も全く触れるところがない。
 「伝統派」は畏れ多いとだけ言っているのではなく、<大げさに心配するほどの問題ではない>と言っているのだ、と思う。この点でも、西尾幹二は正確に論議を把握していないか、知っていても無視しているのではないか。
 以前に、かりに本当に皇太子妃殿下が<反日・左翼分子>に囚われてしまっているのだとすると<もう遅い>、現皇太子の婚姻の前にこそ西尾は発言すべきだった、と書いたことがある。
 <もう遅い>というのは、極めて遺憾なことだがやむをえない(いろいろな皇族がいても不思議ではない)という意味であり、そのこと(皇太子妃殿下の心情や行動)と皇太子殿下(将来の天皇)のそれらとを同一視してはいけない、又は同一になるはずがない、ということを前提にしている。
 このような同一視の傾向は、再引用は省略するが、八木秀次の文章の中にも見られたところだった。
 西尾幹二の全ての仕事を否定する(消極視する)つもりはないのだが、やはり今年の西尾の皇室論はいくぶんエキセントリックだったと思われる。その意味では、今日の「雑誌ジャーナリズム」・「論壇」を奇妙なものにし、「衰退」させている一因は、西尾幹二にもあるのではないか。
 なお、現皇太子はもっぱら戦後の<空気・雰囲気>の中で生きてこられた。戦後に生まれ、戦後の「教育」を受けてこられた。昭和天皇や今上天皇と全く同じことを期待するのは酷だ。「自由派」の主張には全く反対だが、悠久の歴史を引き継ぎつつ、独自の新しい面もある天皇像が示されることとなってもやむをえないのではないか。むろんこれは宮中祭祀不要論・否定論では全くない。伝統は伝統として(神道形式も含めて)間違いなく継承されるはずだ、と信頼している。

0590/西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007.07)を読む-つづき。

 一 西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)は「つくる会」問題でのみ八木秀次を批判しているわけではなく、安倍内閣の「教育再生会議」に対応した民間版応援団体?「教育再生機構」の理事長に八木秀次が就いたことについても、政治(家)と民間人(ブレイン)の関係等に注意を促し、「八木氏は知識人や言論人であるには余りに矜持がなさすぎ、独自性がなさすぎ、羞恥心がなさすぎる」(p.150)などと批判したりしている。
 そういえば、福田内閣になり<教育>が大きな政治的争点でなくなった後、この「日本教育再生機構」はいったい何をしているのだろう。
 月刊正論9月号(産経新聞社)によると、「日本教育再生機構」は某シンポの主催団体「教科書改善の会」の「事務局」を担当しているらしい(p.272の八木発言)。「教科書改善の会」という団体の「事務局」が「日本教育再生機構」という団体だというのは、わかりにくい。組織関係はどのように<透明>になっているのだろうか(ついでに、このシンポは、あの竹田恒泰とあの中西輝政・八木秀次が同席して「日本文明のこころとかたち」を仲よく?語っているのでそれだけでも興味深い)。
 二 西尾幹二対八木秀次等という問題よりも本質的で重要なのは、西尾が「あとがき」の副題としている「保守論壇は二つに割れた」ということだろう。
 何を争点・対立軸にして「割れた」かというと、小泉内閣が進めて安倍内閣も継承した<構造改革>の評価にあるようだ。これはむろん、アメリカの世界(経済)戦略をどう評価し、日本の経済政策をどう舵とるべきか、という問題と同じだ。この点で、小泉内閣等に対して厳しく、アメリカに批判的だったのが西尾幹二で、小泉内閣・安倍内閣、とくに後者にくっつき?、そのかぎりで<より親米的>でもあったのが八木秀次等だ、ということになる。
 西尾幹二と八木秀次はどうやら、西尾が小泉純一郎についての『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』を出版した頃から折り合いが悪くなったようだ(上掲書p.82-83)。
 西尾によると八木秀次は「権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人」で、八木は、安倍晋三が後継者として有力になっていた時期での小泉批判を気に食わなかった(戦略的に拙いと思った?)らしく思われる。
 個人的な対立はともあれ、上記の問題に関する議論は重要だ。「保守論壇は二つに割れ」て、<保守>派支持の一般国民が迷い、方向性を失いかけるのも当然だろう。
 八木秀次は<より親米>の筈なのだが、中西輝政との対談本では中西輝政の<反米>論に適当に相槌を打っている。もともと、佐伯啓思が論じてきたような<アメリカニズム>あるいは<グローバリズム>についての問題意識自体が、おそらくはきわめて乏しかった、と思われる(法学者とはそんなものだ)。
 今日の混迷、見通しの悪さも上記の問題について「保守論壇」に一致がないことを一因としている。はたして「保守」とは何か。あるいは<より適切な保守>とは、現実の政策判断(とくに経済・社会政策)について、<アメリカ>とどう向き合うべきなのか? 日本の<自主性・国益(ナショナリズム)>と対米同盟(友好)関係の維持(反中国・反北朝鮮というナショナリズムのためにも必要)はどのように調整されるべきなのか。

0589/西尾幹二の2007年の本による八木秀次批判。ついでに新田均。

 一 憲法学者・樋口陽一はしばしば元ドイツ大統領のワ(ヴァ)イツゼッカーの<有名な>演説に言及している。ドイツはきちんと謝罪している、それに比べて日本は、という文脈で語られることが多い。これもまた<デマ>であることを確認的にいつかメモしておこうと思うが、西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)を手にしたのも、題名からして<謝罪>問題をテーマとする本だろうと思ったからだった。
 実際に見てみると、全く無関係ではないが、発刊日近く(「あとがき」は2007年6月下旬)以前の西尾幹二の雑誌掲載諸論稿をまとめたものだった。
 二 新しい教科書をつくる会の組織問題については西尾のプログで何か読んだ記憶はあったが、安倍晋三内閣をめぐる動きの方に関心が強く、また同問題は自分とほとんど(あるいは全く)関係がないと思っていた。
 現在でもほとんど(あるいは全く)関係がないのだが、西尾幹二による、上掲本の中の八木秀次批判はスゴい。p.73~p.165は「つくる会」問題で八木秀次批判が中心になっている(他の箇所にも八木秀次(ら)批判の文章はある)。
 混乱を大きくする意図はないが(いや、一般論として、かりに意図はあったとしてもこんなブログメモにそんな実際の力はない)、若干の引用メモを残しておこう。
 ・(2005年)11月半ばからの八木秀次の「会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会は…分裂していた」。
 ・八木は自分で2副会長(工藤美代子、福田逸)を指名した。この二人と遠藤浩一(つまり5人中、西尾幹二と藤岡信勝以外)に「背中を向け、電話もしな」かった。5人の副会長の中で「孤立した」のではなく、「自らの意志で離れて」別のグループに擦り寄った。だが、何の説明もなかったので3副会長(遠藤、工藤、福田)は「怒って辞表を出した」。
 ・それでも八木は「蛙の面に水」。「都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常」だ。
 ・「彼は黙っている。語りかける率直さと気魄がない」。
 ・「自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である」。
 ・要するに八木は「思想的にはどっちつかずで、孤立を恐れずに断固自分を主張する強いものがそもそもない人」だ。(以上、p.79-p.80)
 ・八木秀次は某の日本共産党在籍歴というガセ情報を流して「反藤岡多数派工作と産経記者籠絡」に利用した。また、八木の周辺者(又は八木本人)から奇怪なファクスが送られてきた。
 ・八木の「藤岡排除」の「執念には驚くべきものがあった」。(以上、p.81-82、p.84)
 ・「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。/…言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」。
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼〔八木秀次〕の罪はきわめて大きい」。
 ・そうした八木をかついで「日本教育再生機構」を立ち上げる人々がいるらしいが、「世の人々の度量の宏さには、ただ感嘆措く能わざるものがある」。(以上、p.89-90)
 とりあえず今回はこの程度にしておく。八木秀次はこうした西尾による批判に対して反論又は釈明をきちんとしたのだろうか。こうまで書かれるとはタダゴトではない(と常識的には感じる)。
 西尾幹二をこの問題で全面的に支持するつもりはないし(判断材料が私にはたぶん欠けている)、西尾「思想」の全面的賛同者でもないのだが、西尾による八木秀次評、すなわち、「言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」という文章には同感するところが大きい。
 八木秀次の本も文章もいくつかは読んでいるし、月刊正論中のコラムも読んでいるが、「確かな存在感」はない。また、ハッとするような論理の鋭さも、広くかつ深い思想的造詣も感じることはできない。
 すでに書いたことだが、その八木秀次が中西輝政との対談本『保守はいま何をなすべきか』(PHP、2008)で<保守の戦略>を語ろうとしたり、<保守思想の体系化>をしたい旨を語っているのを読んで、とてもこの人の力量でできることではないと思った(そして、内心では嗤ってしまった)。また、八木秀次の問題性にはこのブログで何回かつづけて触れた(「言挙げしたくはないが-八木秀次とは何者か」というタイトルだったと思う)。
 そのような意味との関係でも、上の西尾幹二の八木秀次に関する文章も興味深く読んだ。
 三 ところで、最近の月刊正論9月号(産経新聞社)誌上の論稿に言及した新田均に対しても、西尾幹二は上掲の本で批判している(p.89)。そして、「つくる会」問題にかかわっても、新田均はどうやら八木秀次を支持する、そして西尾幹二に反対する立場にあったようだ(p.86)。ということは、今回の皇室・皇太子妃問題よりも以前から、西尾幹二と新田均は対立していたようだ。 
 それはそれでもよいのだが、だとすると、新田均は、皇室・皇太子妃問題にかかわって西尾幹二のみを批判するのは公平ではない。大仰に言えば<党派>的だ。何回か言及したように、八木秀次も(中西輝政も)「君臣の分限」をわきまえないような、西尾幹二と類似の主張をしているのだから。

0587/天皇制度・皇室をめぐる<保守派>の分裂―新田均・月刊正論9月号の西尾幹二批判。

 月刊正論8月号(産経新聞社)には斎藤吉久「皇室伝統を蔑ろにする宮内官僚を糾す」(p.150~)というのが載っていて、特定の皇族個人を問題にするよりも、戦後教育と戦後政治の影響を受けている国家公務員・宮内庁官僚をこそ、より問題視し、批判する必要があるのではないか、と感じたことだった。
 月刊正論9月号(同)では、神社神道系と思われる<保守派>の新田均による「皇太子さま『御忠言』の前に考える・君と臣の分限について-それは本当に皇室と日本の弥栄を願ってのものだろうか」(p.120~)が、田中卓や葦津珍彦の論を援用しながら、西尾幹二を実質的には相当に厳しく批判している。
 田中卓が月刊日本7月号に書いたところによれば(私は未読)、西尾幹二は皇室の中に彼にとって不適当と思う人物がいれば放逐させ、天皇制度自体の「廃棄」も辞さない、「天皇抜きのナショナリズム」論者らしい。
 私は西尾幹二を八木秀次などに比べてはるかに尊敬できる<思想家>だと思っているが(「保守」と冠するかどうかは自信がなくなってきた)、これまた孫引きになるが、新田均によると、西尾幹二はかつて次のように書いたことがあるらしい。
 ・自分(西尾)は天皇については「怨恨もなければ、なんら愛情もないという無関心な感情」で、「天皇制に対する感情は希薄」だ(論争ジャーナル、1967年12月号)。
 ・「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」(撃論ムック217(号?))。
 これにはいささか驚いた。
 後者は西村幸祐責任編集・撃論ムック217号・中国の日本解体シナリオp.139-141(オークラ出版、2008.07)で、より長く引用しておくと、次のとおり。
 「私〔西尾〕は…天皇問題に関心の強いほうでは」ない。「日ごろ無関心なのが、むしろ保守の証しだと言っておきたい」。「現実に私は天皇と聞いて感涙にむせぶ種類の人間」でも「政治的反発を覚える者」でもない。「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」。だが、「…天皇制度はつねにわたしたちの歴史意識に触れてくる重大な問題の一つ」で、「突如として人に薦められて」、「皇太子ご夫妻の問題について危機を感じていた」こともあって「皇室問題について論じることになった」。日本では西洋や中国とは異なり「王権が権力を一切もたない代わりに、静かなる宗教、神としての信仰の対象にもなっている」。この点について「比較王権論という視点から」「一つの仮説」を出したのが「最大の目的」だった。
 新田均の紹介するほど単純ではないが、しかしやはり…、というところだろうか。
 西尾幹二は月刊WiLL9月でも「もう一度だけ(これで最後)」の発言をしている。当初の厳しい、そしていくぶん奇矯な、皇太子妃殿下批判からすれば、天皇制度・皇族一般の話へと変わってきており、皇太子殿下はどうかご留意を、というニュアンスが強くなっていると感じている。だが、上のような意識が基底にあるのだとすると、年齢上は年下になる皇太子ご夫妻に対する、西尾の<対等な>又は<教え諭すような>物言いの仕方も不思議ではないと思えてくる。そして、西尾幹二に対してすら、戦後の<合理的>教育にもとづく思考方法、<天皇制度>に関する教育や社会風潮の影響が及んでいる、と深く慨嘆せざるをえない。
 近年の皇室問題、率直に言って<皇太子妃殿下問題>については、西尾幹二と八木秀次・中西輝政は、月刊諸君!7月号(文藝春秋)上の記述では、<共闘>又は<統一戦線>を組んでいるようでもある。
 だが、二年ほど前の(一年半前?)新しい教科書をつくる会問題では、西尾幹二と八木秀次・中西輝政はそれぞれ対立するグループに属するようだ。何をやっているのだろうねぇ。<保守派>のおエライさんたちは?!。イヤ、八木秀次は<保守派>のおエライさんたちの一人とは決して考えてはいない(そして、いけない)。
 元に戻ると、西尾幹二に数回(4回?)も皇室問題に関して執筆させ、福田和也が皇太子・皇太子妃両殿下の将来を楽観視しているのを産経新聞紙上のコラム(週刊誌ウォッチング)で疑問視していた月刊WiLLの編集長・花田紀凱もまた、まさしく戦後の教育と社会風潮のもとで、「畏敬心」を微塵も感じない、ジャーナリスティックな<天皇(制度)>観又は<皇室>観をはぐくんできた一人に間違いないように思える。この人による月刊WiLL(ワック)よりも(西尾幹二も八木秀次も登場するが西尾批判をする新田均も出ている)月刊正論の方がまだマシで、多面的で多様だ。
 西尾幹二は上掲の撃論ムックの中で、「突如として人に薦められて」とか「雑誌WiLLの話に乗り」とか書いている。昨今の皇室・皇太子ご夫妻問題にかかわる<騒ぎ>に、この花田紀凱が棹さしているのは確かなようだ。
 日本も、日本の<保守>派も、崩壊しかかっている、溶解しはじめている、という恐怖(・懸念)をもつ者は私一人ではないのではないか。

0582/板倉由明は田中正明を全否定したわけではない。西尾幹二・GHQ焚書図書開封(徳間)を半分読了。

 前回のつづき又は補足-田中正明の『松井石根大将の陣中日記』を批判した板倉由明は1999年に逝去し、遺作として、そして研究の集大成として同年12月に『本当はこうだった南京事件』(日本図書刊行会)を出版した。
 だが、その著の中には田中正明を批判した『歴史と人物』誌上の論文を収録せず、かつその名を巻末の「主な著作・評論」のリストにすら記載していない。
 小林よしのりもある程度のことは書いているが(パール真論)、推察するに、自分の学問的研究(田中正明の著の批判)が朝日新聞と本多勝一に「政治的に」利用されてしまったことへの後悔又は本多勝一等に対する憤懣があったからではないだろうか。
 小林によると「改竄の事実を指摘した板倉由明でさえ、田中正明の全ての言説を信用できないと言っていたわけではない」(p.212)。
 大部数を誇る全国紙を使って自分たちの考えと異なる史実を指摘し主張している本を<抹殺>しようとしたのだから、朝日新聞とは怖ろしい新聞(社)だ。
 だが、小林よしのりによると、「学界・マスコミ」では今だに「軍国日本を糾弾する論文を書けば、論壇の寵児になれる」体制が続いている(p.213)。そして、中島岳志の「パール判決書をねじ曲げたペテン本」が出る事態に至る。そしてこの本は、朝日新聞と毎日新聞から「賞」まで与えられた。怖ろしい、怖ろしい。
 有名な江藤淳・閉ざされた言語空間-占領軍の検閲と戦後日本(文藝春秋、1989)と櫻井よしこ・「眞相箱」の呪縛を解く(小学館文庫、2002)は所持しながらも意識的に未読で、<最後に>残しておこうというくらいの気持ちだった。
 だが、被占領期のGHQの言論統制について、西尾幹二・GHQ焚書図書開封(徳間書店、2008.06)を半分くらい読んでしまった。購入して目を通していたらいつのまにか…、という感じ。
 この西尾幹二の本を読んでも思うが、先の大戦、日本の対中戦争や対米(・対英)戦争に関する正確な事実の把握(とそれにもとづく評価)は、数十年先には、遅くとも50年先にはきっと、現在のそれとは異なっているだろう(と信じたい)。
 松井石根とは-知っている人に書く必要もないが-東京裁判多数意見によりA級戦犯として死刑となった者のうち、ただ一人、<侵略戦争の共同謀議>によってではなく南京「大虐殺」の責任者として処刑された人物だ。南京「大虐殺」が幻又は虚妄であったなら、紛れもなく、この松井石根は、無実の罪で、冤罪によって、死んだ(=殺された)ことになる。もともと「裁判」などではなく<戦争の続きの>一つの<政治ショー>だった、と言ってしまえばそれまでなのだが。
 アメリカの公文書を使っている西尾幹二とは別に、中西輝政らもソ連共産党・コミンテルン関係の文書を使って、かつての共産主義者の<謀略>ぶりを明らかにしている。
 毛沢東・中国共産党の戦前の文書はどの程度残っているだろうか。残っていれば、いずれ公表され、分析・解明されるだろう。
 いずれにせよ、中国や(GHQや)日本の戦後「左翼」の日本<軍国主義>批判という<歴史認識>を決定的なもの又は大勢は揺るがないものと理解する必要は全くない。まだ、早すぎる。それが事実的基礎を大きく損なったものであることが判明し、現在とは大きく異なる<歴史観>でもって日本の過去をみつめることができる日(私の死後でもよい)の来ることを期待し、信じたいものだ。

0530/西尾幹二は皇室典範等のどの法律・どの条項に基づく「皇室会議」を指しているのか。

 月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の<われらの天皇家、かくあれかし>特集で、西尾幹二は、皇室典範(という法律)29条が内閣総理大臣を「皇室会議」の議長と定めているので、福田康夫現内閣総理大臣に対して、質問・要請する、というスタイルで文章を綴っている。最初の質問・要請事項は、皇太子妃のご病気・宮中祭祀へのご欠席等は「国家」問題・「国家レベルで解決されるべき政治問題」だと思うが、閣下(福田首相)は「そのような認識をお持ちであろうか」、のようだ(p.241)。
 内容的又は実質的問題はすでに(前回に)かなり触れたので、形式的・手続的問題について言及しておく。すなわち、「皇室会議」は「皇室」に関する事項ならば何でもすべて議題として議論することができるのか? 西尾が援用している皇室典範の全条項を、西尾自身は読んでいるのだろうか。
 皇室典範37条
皇室会議は、この法律及び他の法律に基く権限のみを行う」。
 皇室会議の権限は法律に列挙されている事項に限られる。同会議の議長としての内閣総理大臣の権限も(同会議に関する限りは)同じ範囲・事項に限られることとなる。その範囲・事項に該当しないと、議長・内閣総理大臣は「皇室会議」を招集・開催できない。

 やや急いで確認したので、見落としがありうるが、法律のうち皇室典範上の定めに限ると、「皇室会議」の権限は次のとおりだ。以下、特記がない限り、「皇室会議の議を経ることを要する」又は「皇室会議の議により…」と定められている。
 ・同3条/「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき」に、2条に定める順序に従つて「皇位継承の順序を変えること」。 
 ・同10条立后及び皇族男子の婚姻」。
 ・同11条
一項/「年齢十五年以上の内親王、王及び女王」が「その意思に基き」、「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同・同条二項/「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王」が「前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるとき」に、「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同13条但書皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる」が、「直系卑属及びその妃」が例外的に「皇族の身分を離れないものとすること」。
 ・同14条二項/「皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が、その夫を失つたときは、その意思により、皇族の身分を離れることができる」(第一項)が、これらの者が「その夫を失つたとき」、「その意思に」よらなくとも、「やむを得ない特別の事由があるとき」に「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同16条
二項/「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に、「摂政を置く」こと。 
 ・同18条/「摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、又は重大な事故があるとき」に、一七条が定める「順序に従つて、摂政又は摂政となる順序を変える」こと。
 ・同20条
/上記の「第十六条第二項の故障がなくなつたとき」に、「摂政を廃する」こと。
 西尾幹二は、皇太子妃うんぬんの問題は、上記の皇室会議の権限のうちどの条項に該当すると判断しているのか、皇室典範以外の法律上の権限ならばどの法律の何条が定める権限に属する問題なのか、を明確にしておくべきだ、と思う。冒頭の文を「皇室典範の第二九条に…と書かれてある」から始めているのだから。

0471/天皇(制度)と佐藤優・原武史・西尾幹二。

 月刊・文藝春秋4月号(文藝春秋)の<総力特集>は<天皇家に何かが起きている>で、6名による座談会もある。
 保阪正康の発言をできるだけ読まないようにして通読したが、なるほど、先日に八木秀次による批判に言及した原武史は、「たとえば祭祀をすべてやめるような抜本的な改革をしなくてはうまくいかないのではないか」(p.111)などと、たしかに発言している。
 同号には偶然なのかどうか、佐藤優による原武史・昭和天皇(岩波新書)の書評も掲載されている。
 佐藤は正面からこの本を批判はせず、日本国家の将来を考えるための「知的刺激に富んだ材料を提供」しているなどと末尾の方で書いている。だが、基本的スタンスが原武史とは異なることは、佐藤優が自分の考え方を示す次のような文章でわかる。
 ・「評者は、天皇がこのような超越性に対する感覚をもっていることが日本人が生き残る上で大きな役割を果たしていると考える」。(「このような」とは簡単には、昭和天皇がアマテラス・伊勢神宮への祈願・祭祀と戦勝・敗戦を結びつけていたことを指す。)
 ・「恐らく筆者〔原武史〕が本書で述べたい結論とは反するだろう」が、「評者は、祭り主としての天皇に対する意識をわれわれが回復することによってのみ、日本国家と日本人が二十一世紀に生き残ることが可能になると思う」。
 ・この本の材料を咀嚼して「二十一世紀の日本がもつべき神話についてよく考えてみる必要がある」。
 これらは原武史の見解とは異なるのだろう。21世紀・将来の日本(国・人)にとっての<天皇制度>の具体的なありように関する佐藤優の考え方と私のそれが一致しているとは限らないし、佐藤優がその多くの著書で書いていることの中には私には理解が困難な所もあるが、<「祭祀を伴う天皇」制度>の継承・維持という点では、私は原武史よりもはるかに佐藤優に近い意見・立場だ。
 雅子皇太子妃に関する問題に立ち入る気は全くない。が、上のようなことを書いていると、月刊WiLL5月号(ワック)で西尾幹二が、「何をしてもいいし何をしなくてもいい」皇室になった「暁には」、「天皇制度の廃止に賛成するかもしれない」(p.43)と書いているのを読んで驚いたことを思い出さずにはおれない。
 八木秀次も同旨を指摘していたことだが、(神道的)祭祀を伴わない<天皇(・皇室)制度>は概念矛盾で、<天皇(・皇室)制度>とはそもそも(日本の歴史的・伝統的な考え方・方法によって)国・祖先のための祭祀を行う、という意味が付着しているものだろう。天皇(・皇室)にかかわる歴史・伝統について<明治期以降のもの>だとしてその歴史的伝統性を否定し揶揄しようとする歴史学者もおり、たしかに明治以降にのみ生じたこともあると思われる。だが、<国・祖先のための祭祀を行う>ということは天皇制度の成立以降の(おそらくはさらに「卑弥呼」の時代にまで遡る)長い、連綿とした伝統だろう。そして、そのような伝統の付着したものとして日本国憲法は「天皇」制度を存置した、という憲法解釈も十分に成立する筈だ。
 そのような<天皇(・皇室)制度>を維持するのかどうか、どのようにして維持するのか、が今日、あるいは近い将来に日本人の全てに問われる(問われている)、ということだろう。本来は、こうした「問い」が発せられること自体が避けられている方が望ましいと思うが。

0336/西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007.07)を一部読む。

 西尾幹二の上掲書の「学者とイデオロギー」以下、最後の30頁余のみを読了。
 ・2004年の執筆文だが、西洋史学者の「八割はマルクス主義史学者」だ(p.298)。日本史学者も今でも似たようなものだろう。高校での日本史必修論もあるようだが、誰が書く教科書を誰がどのように教えるかが問題だ。「マルクス主義史学者」の執筆する教科書を使うなら、必修化は却って危険。
 ・「薄められたマルクス主義」という言葉は面白い。
 ・「左翼」又は「マルクス主義者」を「怖がる学者たち」というのも合点がゆく。論理展開を厳密には(私がここでは)しないが、加藤陽子とは何者なのだろう。
 「歴史学会」だけでなく、「インテリの世界が大体」、「左翼」又は「マルクス主義者」を怖がっている(p.294)。きっとそうだろう。
 ・「左翼」又は「マルクス主義」イメージを薄めるための、石井進(故人)らは、「オトリ」だった(p.292)。なるほど。学界もマスコミ(出版社)も、いろいろ考えるものだ。
 ・林健太郎の晩年(と死)の様子が興味深い。このような人を師または知人に持ちたかったものだ。
 とりあえず。

0210/西尾幹二が朝日新聞の5/03「社説21」を嗤う。

 選挙に候補者を立てないが実質的には「政治活動団体」に他ならない朝日新聞社も、日本共産党と同じく、憲法九条二項断固死守という当面の重要な<政策方針(国民誘導方針)」を固めているようだ。
 5/27(日)に月刊WiLL7月号(ワック)の西尾幹二「朝日新聞「社説21」を嗤う!」に紹介的に触れつつ、「西尾の論稿にはまた別の機会にも触れることとして…」などと書いて、全体について紹介・コメントはしていない。以下、前回との重複を避けて、かつ殆どは印象に残った文章の引用のみにしておく。
 ・「小学生の「学級民主主義」のような文章を、いい大人たちが寄り集まって書いているかと思うと、うすら寒いものを感じ」る。
 ・朝日社説は「インド、中国の発信力を高め、日本の存在感をますます希薄にしろと言っているに等しい」のだから「笑えて」くる。
 ・「非軍事的な場面で国際貢献せよ、という意味のフレーズが呪文のように出て」くるが、「正直、腹を抱えて笑」った。「戦乱や疫病や災厄で混乱している国に、軍事力を持たない国がのこのこ出かけていって、なにができるのか」。
 ・「社説21」は「一貫して空想、夢物語を語ってい」る。「「僕ちゃんはいい子にしています」と言っていれば、友達から愛され、先生からかわいがられるだろうという発想」だ。「「いい子」になるのは全く結構な話だ」が、「「悪い子」に殴られたり、いじめられたり時はどうするの」か。「誰も助けてはくれない」。
 ・「願望と実現の間には大きな隔たりがあ」ることを「ついぞ自覚したことのない人が朝日新聞の社説を書いている」。
 ・朝日は「自国の独立を考えず、対米隷属を続けようという姿勢を露骨に示して」いる。「外の世界を、見ざる、聞かざる、言わざるで、呑気にこのまましておいてほしいと言っている」。
 ・核保有大国は戦争のみならず「平和をコントロールし始めて」いて、日本等の核非保有国を脅かしており、日本は「コントロールされっ放し」でありつつ米国は「中国に近寄っている」、という「現実の変化を朝日新聞は一切、見ない。見ないどころか、無いことにして物を言っている。正直、驚い」た。
 ・朝日は「憲法九条が日本が守ったのではなく、冷戦構造下の日米安保条約によってアメリカが日本を守ってきたという事実を受け入れることができないらしい」。一方では「誠に矛盾する」が、「日米安保に安住し続け、日米同盟が今、危うくなっている現実も受け入れない。砂上の楼閣である日米同盟を、そうではないと二十一本にわたって一所懸命述べてい」る。
 ・「社説21」は5/03に掲載された如く、「憲法九条の死守がイデオロギーの中核を成している」。「驚愕したのは、「平和安全保障基本法」を憲法の他に作るという珍案」で、これは「九条を据え置くための…新手の憲法の拡大解釈」だ。こんな提案されなくとも「すでに自衛隊に関しては拡大解釈されてい」る。「何の解決にもならない」。
 ・「平和安全保障基本法」
がもつべき4要素の一つに「PKOは国連に定められた範囲で行う」という「国連信仰」があるが、中国の拒否権行使により「国連は場合によっては、日本の敵になることもあるそれを考えるのが防衛の「戦略」」なのに「全くもって馬鹿馬鹿しい」。
 ・朝日は「社説21」で「「外国のために存在する国になれ」と叫んでいるように見え」る。「隣国には「徳」が」、「我が国には「悪」がある」と言いたいらしいが、「多くのまともな日本人は信じる」だろうか。
 ・朝日は「外国の日本潰しの戦略に一所懸命、協力している新聞を作っている」。「中国が喜ぶような方向で歴史問題を解決することが日本にとっての安全保障になると言っている」。
 ・慰安婦問題という「歴史カード」が米国から来たという現実にかかる「問題意識が…皆無」だ。
 ・<…ヒロシマは戦後日本の原点>等と書いているが、「なんていうピンボケした時代錯誤の言葉」だ。ヒロシマは今、「アメリカを脅かしている」。朝日は「あたかも日本が加害者のような口ぶり」だが、「大江健三郎氏と同じような訳の分からないムード的なことを言っている新聞が数百万部売れているということは、日本の未来を危うく」する。
 ・「社説21」は「朝日新聞の自己幻想と願望に埋め尽くされた主張であり、…非現実的なことを、いい格好をしたいがために論じる様に彩られてい」る。
 ・上の例に、<イスラムと欧米の対立に日本が間に入って打開策を引き出す外交を模索すべき>との主張がある。「できるわけがない。しかも、朝日新聞は軍事力を使ってはいけないと言っている」。「地球貢献国家」を目指す朝日は「いや、できる」と言いたいのだろうが、「その願望がただの空想で、いかにデタラメか」は、<日本が主導して原子力の平和利用を>という主張にも見られる。
 ・ある知人が「社説21」は「新米記者を21人集めて書かせたのでないか」と言ったので、「違う」と答えた。「朝日新聞は論説委員になって地位が上がれば上がるほど、頭がおかしくなる」。「その頭がおかしな論説委員の言っていることは、反日日本人の代表格である土井たか子福島瑞穂氏の言っていることとほぼ同じ」だ。「画一的」で「閉鎖的な国家主義の匂いすら漂っている」。
 ・朝日新聞は「今、最大の危機に直面している」。「全編にわたって戦略がなく空想なの」だ。「このような空想は国際社会で通用」せず、「まじめに相手する価値もない」。「無視すれば済む」が「困ったことに空想というのは人を誤らせ」る。朝日新聞の「体質には言論界はほぼ完全に沈黙」しているのは「呆れて言う言葉もない」からだ。
 以上。引用のすべての部分を理解し、賛同しているわけではない。とくに、私にも嫌米・米国警戒の気持ちはあるが、西尾幹二ほど強くはないようだ。
 しかし、第一に、朝日新聞が<まともな現実感覚>を持っていないということは、西尾の指摘によってもよく分かる。
 議論するためには、客観的現実・事実に関する共通の知識・データが必要だろう。その客観的現実・事実の認識自体が異なっている相手とは、もはや議論は成り立たないのではないか。朝日新聞の<非現実的な空想>を共有できる人びと(これまた観念的・非現実的空想者だが)のみが、朝日新聞の読者であり、朝日の主張に「何となく」賛同しているのではないか。
 そういう読者が数千万人はいるらしいので、それこそ空怖ろしいのだ。
 関連して第二に、戦後の日本の進路に関する基本問題について、現実に成功裡に選択されたと歴史的には総括できる主張・政策方向に朝日新聞は反対し、異なる意見を吐いてきたことを想起する必要がある。単独(正確には多数)講和に対する<全面講和論>、60年の<安保改定反対論>、あるいは<拉致被害者いったん北朝鮮へ帰せ論>等だ。
 基本的路線問題について結果的に正しかった(適切な又は合理的だった)と言えるのは、読売新聞等の主張であり、朝日新聞の主張ではなかった
 憲法改正問題にしても、(むろんこれが最大の根拠では全くないが)朝日新聞の主張とは反対の方向を選択すれば日本はうまくいく、というのが歴史的・経験的教訓だ。従って、九条二項は改正(削除)する必要がある。朝日新聞の主張に従っているとロクなことがないというのは、日本人が獲得した戦後の貴重な知恵だ、と考えている。
 第三に、朝日新聞の「空想」とは違って、日本共産党はもっと「現実的に」考えている筈だ。同党にとって、九条二項護持は、その点に絞って同党を中心とする<統一戦線>的なものを作り、そして究極的には日本共産党支持者と日本共産党党員の数を増やし、党の力を維持・拡大するための<方便>だろう。
 かつての野坂参三質問を持ち出すまでもなく、同党が本音として、国家に軍隊は不要と考えているとは全く考えられない。現在のように共産党の影響力下にない自衛隊や近い将来の?軍隊には反対するかもしれないが、かりに万が一、日本共産党が一翼をきちんと担うような政権ができれば、反対勢力や対米国を意識して、当然に、<自分たちの言うことを聞く>軍隊を持とうとするだろう。
 日本共産党の主張はあくまで<当面>の主張であり、<本来>の主張と比較すると、「小ウソ」、「中ウソ」、「大ウソ」だらけだ、と理解しておいてほぼ間違いはない。  <ウソつき>の日本共産党とその追随者に未来はない

-0038/朝日新聞らしさと西尾幹二。

 旅行中は朝日新聞を読む機会が多くなる。朝日「らしさ」を探して見ていると決して期待は裏切られない。正確な日付は失念したが、「9条歌人の会」の記事は他新聞にはなかっただろうし、まるで朝日の記者が書いたような、数日前までの朝日の記事にそっくりの文章も投稿欄にあった(村山談話継承を言わない安倍批判)。産経は麻原死刑確定に関して弁護士を明確に批判し弁護士会による処分まで主張していたが、朝日にはそういう弁護士批判はなかった。昨日17日の加藤紘一を登場させる記事中では安倍晋三批判も語らせているが、とくに社説の「靖国批判」はしつこい。
 それに、朝日は基本的に反米のはずなのだが、自社の主張と同じか近いとなると、恥ずかしげもなくアメリカ様の何でも利用するのだろう。
 ついでに、社説最後の「米国からの問いかけをきちんと受け止めるべきである」という主張の「きちんと受け止める」とは具体的に何を意味しているのか、きちんと書いてもらいたい。
 持参していた西尾幹二・わたしの昭和史1(新潮選書、1998)を読了し、同・同2の30頁まで進んだ。
 筆者に関しても日本の歴史に関しても興味深い。自分は個体だが「個人」ではない(p.212、p.218)との叙述には若い頃だとおそらく反発していたか、不審・不信に感じていただろう。しかし、現在の年齢になってみると、かなりの程度はわかる。
 西尾と大江健三郎は大江の一浪のため大学学部時代は同学年のはず。それは別として、ほぼ同じ時期の「教育」を受けた両氏の「精神」・「個性」の違いの原因・由来は?と関心は広がる。3以降刊行を期待。
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