秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

西尾幹二

2307/西尾幹二批判019—『国民の歴史』⑥。

  西尾幹二・国民の歴史(1999、2099、2017)は「歴史」に関する随筆・評論(時事評論を含む)の寄せ集めにすぎない。むろん、「(歴史)学術書」、<思想書>では全くない。
 概念の不明瞭さと、単純なことを長々と(レトリックを使って)書いている冗長さがひどい。現実の認識自体にも奇妙なところがある。
 これら等を、この書の最後の章「34/人は自由に耐えられるか」に即して指摘してみよう。
 西尾幹二・国民の歴史(全集版、2017)。p.619〜。
 ---------------
  西尾・あなたは自由か(ちくま新書、2018)でこの人は、こう書いた。 
 「完全な自由などというものは空虚で危険な概念です。素っ裸の自由はあり得ない。私は生涯かけてそう言いつづけてきました」(p.120)。
 「完全な」、「素っ裸の自由」などないと「生涯かけて…言いつづけてきた」。
 しかし、そう言うわりには、既述のように、西尾幹二は「自由」を基本概念とする法学または憲法学の本を一冊も参照していないと見られる。また、<自由>を主題とする哲学書を古典的なものも含めて一冊もまたはほとんどきちんと読んでいないと見られる。
 さらに、上の2018年書での Freedomと Libertyの違いの西尾の理解は、日本の高校生でも冒さないような幼稚な間違いである、旨もすでに述べた。
 ---------------
  2018年書でも上のとおりなのだから、1999年『国民の歴史』の最後の章の「自由」の意味が全く不明瞭であることは、当然のことなのだろう。
 西尾幹二は、何となくの、常識的感覚?でもって、「自由」という語・概念を用いている。
 その何となくの常識的感覚での言葉だと理解しても、その「自由」に関する叙述の<論理展開>の前提となっているつぎの認識は、すでに基本的に間違っている、と考えられる。
 ①「社会に枠がない。だから、…」。全集版、p.627。
 ②「現代においては、言葉によるにせよ上映像によるにせよ、われわれはあまりに自由に自己表現できる状況下に生きている」。p.629。
 ③「日本に限らない。現代の文明社会に住むすべての人間は、あまりに自由であり、空中浮遊の状態におかれている…」。同上。
 ④「われわれを直接的に拘束し抑圧するものは、今はなにもない」。p.633。
 ⑤「共産主義」と張り合った時代があったが、「私たちは否定すべき対象さえもはや持たない」。p.632。
 これらは、西尾の叙述の<前提>になっている。
 a 自由だ→だから<自分の枠>を作っている、あるいは、b 自由だ→本当は「不自由」だ、あるいは、c 自由だ→「自由だけでは、自由になれない」=ひどく「退屈」している。このc が、最終の節のハイデッガーの「退屈」論へとつながつていく
 さらに言うと、少し既に触れたが、「退屈」しつつ何も信じられないという「人間の悲劇」の前で立ち尽くしている、という「自覚」がある、というのが、最終章の、かつこの書の最後の一文だ。
 このような論理?の前提がそもそも間違いだったら、どうなるだろう?
 「自由」の意味が不明瞭だから断定し難いとはいえ、上の①〜⑤のように<単純に>論定できるだろうか、いやできないだろう(詳論は省く)。
 西尾は、「論述」しているのではなく、レトリックを用いて自己の「思い」・「ひらめき」を表現しているのだ、と反論するかもしれない。そうだとすると、まさにこの点に、概念の意味や論理展開を可能なかぎり明確にまたは厳格にしようという姿勢が欠けた、<随筆・評論>文書であることが明らかになるだろう。
 ---------------
  西尾の最終章の論脈の骨子は、要するに、上のa +b +c に「退屈」論を経ての「人間の悲劇」の前に立ち尽くしている、という結語を加えただけのものだ。
 これを言うために、長々と全集版二段組で18頁、文庫版で27頁も使っている。
 西尾の文章の<飛び跳ね>、<連想づけ>、あるいは衒学趣味を含むレトリックに惑わされてはいけない。没入し、吸い込まれてはいけない。
 以下、もう少し細かく、その叙述の「論理」らしきものを追ってみよう。
 節番号はないが「0/」にあたる序言らしきもののあとの第一節にあたるのは、「1/理性への期待と未来への不安」だ。p.620〜。
 ここで西尾が書いているのは、最も簡単には、現在の日本はギリシャの「ヘレニズム時代」に似ている、ということに尽きる。あれこれの衒学(たぶん何らかの書物の要約・コピー)や<飾り>はある。
 何が似ているか、いうと、つぎの文章がある。
 ①「開かれた」社会へと変化し「理性の時代に向かっているかにもみえる」が、「自由の不安が、人々の心をひたひたと襲っていた」。p.622。
 ②「一方に理性への信頼があるのに、他方に個人が自由の孤独にどう対処してよいかわからないという不安がどこかで漂っている」。
 これらはこの章の基調のようなもので、すでに書いてしまっているのだ。ここから「退屈」や「人間の悲劇」はさして遠くない。
 また、何のためにギリシャ「ヘレニズム時代」を持ち出すのか。似ている時代は他にもきっとあるだろう。
 上の類似性を根拠づけるものとして、西尾は「占星術」の流行を挙げる。p.624。
 日本でのそれは何かというと、「経済や政治の行く手をめぐって絶え間なく占星術がまかりとおっている」、「株屋の予想のような…経営指南書」、「成功の秘訣を教えるこの傾向は教育論にまで及ぶ」。「人は現代のスタイルにおける星占いに狂奔しているのである」。
 ふーん? そもそも「占星術」の意味の問題でもあろうが、これで、ヘレニズム時代と現代日本の類似性を論証した、とでも思つているのだろうか。「論証」でなくとも、少なくとも「説明」をしたつもりなのだろうか。どこかおかしい。
 ---------------
  つづいて第2節にあたる、「2/自分を閉ざす『仕切り』を欲する心理」
 冒頭からやや唐突に、歴史書でも哲学書でもない、少年を主人公とする一小説(日野啓三、1980年)の内容紹介がある。
 そして、西尾が何を言いたいかと言うと、結局のところこうだ。
 この小説は「現代の人間は中学生の少年だけではなく、多かれ少なかれガレージの四壁の中に閉じこもる少年と同じような、意図的な自己閉鎖の試みによって、かろうじて精神のバランスを保っているのではないか」と問うているようだ。
 このように一小説を用いて、「社会に枠がない」、「自由」だから「自分の周りに小さい枠をつくって、その中に入ってしまわないと安定しない」という、西尾の「自由」→「自己閉鎖」論が説かれる。
 「自由」も「自己閉鎖」も意味がそもそも明瞭でないのだが、西尾は心理学者でもも脳科学者でもない。「多かれ少なかれ」という副詞も挟んで、けっこう長々と叙述して、何が言いたいのか。
 さらに、自分が作った「枠」に衝突して攻撃しようとする「破壊衝動」が生まれる、そしてこれが基礎にしている「自閉衝動」を含む二つの衝動を満たそうとして中学生少年による<酒鬼薔薇事件>も起こったのだ、と言う。p.627 。
 文芸評論家になったり時事評論家になつたりしているが、ふーん?、それで?、という印象だけが残る。西尾はひよっとすれば得意になって、自分の文章の運びに酔っているのかもしれないが、冷静な読者はそうはいかない。??と感じるだけだ。
 ---------------
  つづいて第3節にあたる「3/生活の中に増えていく間接体験」
 一つの章全体がさらに小さな随筆・「小論」の並びで(寄せ集めで)構成されているが、この節では、すでに提示されている主題を執拗に繰り返すこともしている。引用が一部重複するが、つぎのごとし。p.629。
 「現代においては、言葉によるにせよ上映像によるにせよ、われわれはあまりに自由に自己表現できる状況下に生きている」。
 しかし、自分の真意は「実際には言葉も映像も、ともに事実を表現するには無力であり、不自由だということなのである」。
 お得意の「自由」=「不自由」論であり、そして<人間は「自由」に耐えられるか>へとつながっていく。しかし、上でいう「無力」がなぜ直後に「不自由」という語に置き換えられるのかの理由・論理はさっぱり分からない。
 種々の事故・事件・異常犯罪を現場にいた者または当事者でなければ「直接に」経験することはできないのは明らかなことで、わざわざ言うほどのことではない。
 にもかかわらず、西尾は一頁以上を使って叙述する。 p.627-8。
 表題にも「間接体験」という語を用いているのだが、この語を思いついて、得意になったのだろうか。しかし、文章・映像、新聞・テレビ等を通じて「間接体験」しかほとんどできないのは、常識のことではないか(truism という語もある)。
 馬鹿馬鹿しくも、西尾はこの<言うまでもないこと>を長々と叙述する。
 ①「事実の異例さに驚くことはあつても、事実そのものに本格的に戦慄するところまでいくことは、じつは滅多にない」。p.630。
 ②「どっちにしてもわれわれは事実そのものを共体験することできないのだ」。p.631。
 自分の思いつきやひらめき、そしてそれらを言葉にしたものは「思想」だ、あるいは「優れた指摘」だ、などという狂っているとしか思えない傲慢さがないと、こういう文章を公にすることはできないのではなかろうか。
 また、この節でも最後に、「不自由」・「空虚」・「不安」に「じつと耐える」べきだ、という思想?、主張?が語られている。その中に、「事実」そのものを「共体験」できないのたから、という理由づけ?も入っている。
 レトリックとしては、何やら美しい文章なのかもしれない。しかし、いかなる具体的内実をもち得るだろうか。何度も、それで?と問わなけれはならない。
 ①「なぜ人は、ポッカリ開いた心の中の空虚を、空虚のままにじっと耐えつづけようとしないのだろうか。そうしない限り、…なにも経験したことにならない…」。p.631。
 ②「われわれは事実の前に言葉を失って立ち尽くし、ポッカリ開いた心の中の空虚を、空虚のままに風にさらしつづける不安に耐える勇気を持っていなくてはいけないのではないだろうか」。同上。 
 「ポッカリ開いた心の中の空虚を、空虚のままに風にさらしつづける不安に耐える勇気」を持て。何だ、これは??
 自然科学や社会系の学問分野で、こんな余計なことを冗長に書けるはずはない。歴史学分野でも同じ。「思想」だとかりにして、いかなる「思想」か??
 西尾はこの節の最後の一文として、「空虚を簡単に言葉や解釈で埋めてはならないのではないだろうか」と書いて、終えている。
 少しは笑ってしまう。この書物刊行後も、「言葉や解釈で埋め」る作業をして、雑誌論考を書き、書物を刊行してきたのは西尾自身ではないか。
 ---------------
  長くなったので、「4/明るさのなかのあてどない生のさ迷い」、「5/ハイデッガーの三つの『退屈』」はもう省略する。似たようなことを指摘し続けなければならないからでもある。
 「5/」にはすでにこの欄No.2299〔批判018)で言及した(その際に「4/」としたのは誤り)。

2299/西尾幹二批判018—『国民の歴史』⑤。

  西尾幹二・国民の歴史(全集版、2017)の最後の章にあたるのは「34/人は自由に耐えられるか」だ。その最後の節にあたるものの表題は、数字番号を勝手に付せば、「04/ハイデッガーの三つの『退屈』」だ。
 前の節の最後には、西尾らしい、つぎの文章がある。全集18巻p.633。
 「自由というだけでは、人間は自由にはなれない存在だからである。
 言い換えれば、われわれは深く底抜けに『退屈』しているのである。」
 さすがだ。<自由だけでは、自由になれない>、<自由でも自由になれない>、<自由でも自由ではない>。これらにはきっと深遠な意味があるのに違いない。
 もっとも、西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)での「自由」概念や「自由」論からしても、ここでの、または章の表題にすら使われている西尾における「自由」という語・観念の意味は、さっぱり分からないのだが。
 上の点はともかく、表題のとおり、ハイデッガーに言及がある(ハイデッガーを使っている)。そして、この哲学者は「退屈」には三種類あると述べているとし、西尾は三番目のそれに着目しながら、「自由に耐えられない」「人間の悲劇」の前で立ち尽くしてるという「自覚」を記して、この節、この章、そしてこの書物の本文全体を終えている。
  この最終節でのハイデッガーの扱いを見て、ただちにつぎの疑問が生じる。
 ハイデッガーは、「退屈」について叙述した、論述しただけの哲学者なのか? なぜこの部分についてだけハイデッガーを取り上げるのか?
 『国民の歴史』全体を通じて、西尾はほかにハイデッガーには言及していないはずだ。
 上のことが示唆しているのは、西尾幹二はほとんどハイデッガーを読んでいない、ということだ。そして、「退屈」論だけを利用した、ということだ。
 L・コワコフスキの大著等々におけるハイデッガーに関する叙述やナツィスとの関連が問題とされることのあることを知ってはいるが、この欄での紹介等に再度言及はしない。池田信夫もブログで「反啓蒙」主義者として言及していたことがある(→No.2130/2020/01/24参照)。なお、この欄でこれまで言及していないものに、L・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014 )p.217〜p.226の10頁にわたる、難解な内容の論述がある。
 ただ、英国の政治思想学者のジョン・グレイ〔John Gray〕は(反キリスト教・反啓蒙では共通性があるようにも思えるが)よほどハイデッガーをお気に召さないようで、こんなことを書いているので、再度紹介しておく。
 ハイデガーのごとく「哲学者がかくまで自己を主張し、妄想に取り憑かれることはきわめて稀である」。 →No.2077/2019/11/16参照。
 ついでに、グレイによる悪罵は(キリスト教的啓蒙批判ではやはり共通性もあると見られるが)ニーチェに対する方がより強いようで、例えばこう書いている。 
 ニーチェは「人類の歴史」の無意味を「知っていながら承服できなかった」。「最後まで信仰に囚われて」いたので「動物である人間もどうかなるという迷妄を断ち切れず」、「笑止千万な超人の思想を生み出した」。彼は「支離滅裂な人類の夢に、…悪夢を加えるだけで終わった」。同上、参照。
 回り道をしたが、指摘しておきたいのは、西尾幹二における<哲学>の欠如または希薄さだ。
 L・コワコフスキが<…のような意味での哲学者ではない>とニーチェを断じていたことと関係するだろうが、既述のように、西尾は、西欧哲学における、①<認識論>(epistemology, Erkenntnisstheorie) 、②<存在論>(ontology, Ontologie)に関する知識・素養がないのだと思われる。
 そうでなければ、最近にその2020年著の「あとがき」について紹介したような、<哲・史・文>全体によって初めて「外部の全体を見る」ことができる(No.2295/2021/02/19参照)、というような安易な文章は出てこないものと考えられる。
 すなわち、ヒト・人間という<主体>が「外部を見る」、<認識>する、ということの意味を哲学者たちは<思考>してきたのであり、「外部」現象や人間・「個人」・「私」が「ある」・「存在」するということの意味をあれこれと論じてきたのだ。カント、ヘーゲル、そしてマルクスも。
 ハイデッガーもこれらに否定的だとしても、例外ではないだろう。主著に『存在と時間』(1927)がある。
 (ついでながら、茂木健一郎・生きて死ぬ私(ちくま文庫、2006/原書1998第二章「存在と時間」の方が、西尾の文章内容よりもはるかに興味深く、刺激的だ)。)
  以上、多くはかつて指摘したことの反復だ。西尾『国民の歴史』がまるで(その挙げる書の全体を読んで理解したかのごとくして)<ハイデッガーの「退屈」論>だけを取り上げていることの異様さ(・大胆さ?)に刺激されて、記した。

2297/西尾幹二批判017-同・GHQ焚書図書開封4(2010)。

 言葉・観念の意味の不明瞭、「論理」展開・「推論」過程の不十分。これらをほとんど欠如させても、「情緒」・「雰囲気」でもって何らかの「感動」を与えたいならば、政治・社会・歴史にかかわる「評論家」・「随筆家」ではなく、詩人・小説家・劇作家等の「創作者」・「創造者」になればよかったのだ。
 西尾幹二における、日本の「神話」(それも日本書記・古事記の「全体」)→<女系天皇の否認>という『論理」・「推論」のひどさと誤りについては既述だが、1999年の『国民の歴史』に関係させて今後も指摘するだろう。
 以下は、上の主題に関しての一例。
 No.2150/2020.02.16の一部のそのままの掲載・再掲
 「削除」=「割愛」、その意味での「短縮」を行なっているが、以下の部分はかつてと全く同じ。
 西尾幹二がその個人全集ですらしているような、既発表論考の近年になっての加筆・修正は、いっさい行なっていない
 **
  神話→女系天皇否認、ということを、西尾幹二は2010年刊の書で、すでに語っていた。
 西尾幹二・GHQ焚書図書開封4/「国体」論と現代(徳間文庫、2015/原書2010)。
 文部省編・国体の本義(1937年)を読みながら解説・論評するふうの文章で、この中の「皇位は、万世一系の天皇の御位であり、ただ一すじの天ツ日嗣である」を引用したのち、西尾はこう明言する。p.171(文庫版)。一文ごとに改行。
 「『天ツ日嗣』というのは天皇のことです。
 これは『万世一系』である、と書いてあります。
 ずっと一本の家系でなければならない。
 しかもそれは男系でなくてはならない。
 女系天皇では一系にならないのです。」
 厳密に言えば文部省編著に賛同しているか否かは不明であると言えるが、しかしそれでもなお、万世一系=女系天皇否認、と西尾が「解釈」・「理解」していることは間違いない。
 ひょっとすれば、2010年以前からずっと西尾はこう「思い込んで」きて、自分の思い込みに対する「懐疑」心は全く持とうとしなかったのかもしれない。これは無知なのか、傲慢なのか。
  万世一系=女系天皇否認、と一般に理解されてきたか?
 通常の日本語の解釈・読み方としては、こうはならない。
 しかし、前者の「万世一系」は女系天皇否認をも意味すると、この辺りの概念・用語法上、定型的に理解されてきたのか?
 結論的に言って、そんなことはない。西尾の独りよがりだ。
 **
 以上。
 以上に直接につづく秋月の理由づけの部分を、やはりそのまま以下に再掲する。
 **
 大日本帝国憲法(1889)はこう定めていた。カナをひらがなに直す。
 「第一條・大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す
  第二條・皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を繼承す」
 憲法典上、皇位継承者を「皇男子孫」に限定していることは明確だが、かりに1条の「萬世一系」概念・観念から「皇男子孫」への限定が自動的に明らかになるのだとすると、1条だけあればよく、2条がなくてもよい。
 しかし、念のために、あるいは「確認的」に、2条を設けた、とも解釈できなくはない。
 形成的・創設的か確認的かには、重要な意味の違いがある。
 そして、結論的には、確認的にではなく形成的・創設的に2条でもって「皇男子孫」に限定した(おそらく女系天皇のみならず女性天皇も否認する)のだと思われる。
 なぜなら、この旧憲法および(同日制定の)旧皇室典範の皇位継承に関する議論過程で、「女帝」を容認する意見・案もあったところ、この「女帝」容認案を否定するかたちで、明治憲法・旧皇室典範の「皇位」継承に関する条項ができているからだ。
 「万世一系」が「女帝」の否認・排除を意味すると一般に(政府関係者も)解していたわけでは全くない。
 **

2296/西尾幹二批判016—同・あなたは自由か(2018)⑥再掲。

 西尾幹二における諸欠陥については、同じようなことを何度もくり返して指摘してきたし、これからもそうする必要がありそうだ。
 考え・思い、思いつき・ひらめき、これらを言葉によって表現する行為を行う者が「思想家」と称されるのならば、私も含めて、言葉を用いる全ての人間が「思想家」になる。
 以下において、「自由」とはいったい何のことか。No.2149/2020/02/15のそのままの再掲
 **
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 西尾幹二に、<あなたは自由か>と問う資格があるのだろうか。
 西尾には、<あなたの「自由」とはどういう意味か>、と問う必要がある。気の毒だ。
 ①p.81-「幼くして親元を離れて上野駅に集まった『金の卵』の労働者たち」は、「一人前の大人」・「社会人」となるよう徹底的に叩き込まれた。「生きて、働いて、成功しなければならなかったのです。/彼らこそほかでもない、最も自由な人たちでした。
 ②p.205-「完全な自由などというものは空虚で危険な概念です。素っ裸の自由はあり得ない。私は生涯かけてそう言いつづけてきました。
 ③同上-「藤田幽谷は天皇を背にして幕府と戦いました。あの時代にして最大級の『自由』の発現でした。
 ④同上すぐ後-「私たちもまた天皇を背にして、<中略>…ローバリズムに、怯むことなく立ち向かうことが『自由』の発現であるように生きることをためらう理由があるでしょうか。」
 ***

2295/西尾幹二批判015。

 
 つぎの書の存在にようやく?気づき、古書で入手したので、少しばかりコメントをする。
 西尾幹二・歴史の真贋(新潮社、2020)。
  全体を熟読するつもりは、今のところ全くない。賢明な読者は、本棚の端に飾ることはあっても、そんな無駄な作業をしない方がよいだろう。
 書物の体裁(オビを含む)に目を取られて、さぞや立派な内容をもつ本だろうなどと誤魔化されてはいけない。
 新潮社編集部の富澤祥郎の作文だろうか、それとも西尾と富澤が話しあって決めたのだろうか、いずれにせよ、西尾も了解していると見られるオビの文にこうある。
 「…、崖っぷちの日本に 必要なものは何かを 今こそ問う。
 真の保守思想家の集大成的論考
 <保守>とか<真の保守>という形容も気にならなくはないが(保守とは?、「真の保守」とは?)、それらよりも「思想家」と謳っていることが目を惹く。
 1999年の『国民の歴史』について、西尾が2009年に「私の思想が思想としては読まれず、本の意図が意図どおりに理解されないのは遺憾でした」等と書いていたことを知って、最近の02/14=No.2285でこう書いた。
 「もちろん、この人〔西尾幹二〕は「思想家」ではなく、<評論家または時事評論家、端的には、一定の出版業界内部での『文章執筆請負自営業者』>にすぎない」。
 但し、「文章執筆」の対象には何「評論」の他に「随筆」も挙げておくのがより正確かもしれない。
 あるいはまた、2011年に西尾が自ら語った自己認識を付け加えれば、以下のようになる。
 「『私』が主題」である「私小説的な自我のあり方で生きてきた」、そのような「評論家」または「随筆家」であり、端的に言えばそのような<一定の出版業界内部での文章執筆請負自営業者>だ。
 他者から「思想家」と(かつ可能ならば「優れた、偉大な思想家」と)見なしてほしいというのは西尾幹二の最大の?宿願かもしれない(特定の一部少数者からを除いて、叶うことがないのは気の毒ではあるが)。
 その他、いろいろと自分自身について<私はこうだ(であるはずだ、と言われている)>と西尾が思っているその他の様々の属性・形容は、A・ダマシオが論述していると浅野孝雄が紹介・検討する<自伝的自己>に該当するだろう。
 この<自伝的自己>について、ダマシオ・浅野によるつぎの文を参考資料として掲げておこう。やはり、ダマシオ・浅野による。
 「人間の栄光と惨めさ、喜劇と悲劇は、フィクションである自伝的自己への固執から生じる」
 西尾幹二における<栄光と惨めさ、喜劇と悲劇>、<自伝的自己への固執>。さて、この人自身は、どう感じているだろう。
  あらためてつくづく感じるのだが、戦後日本の「文学部」出身者が、「文学部」に帰属した過去に拘泥・執着することを続ければどうなるかを、西尾幹二自身が(そしておそらくこの書物も)示しているだろう。
 こうあらためて感じるのも、上の書の「あとがき」にある文章からによる。
 「あとがき」は文学部は「哲・史・文」だとかつて(高校生時代に?)教えられた、から始まり、つぎの文章で結ばれている。
 「『哲・史・文』という全体によって初めて外の世界の全体が見えるという若い日以来の私の理想とその主張に、あらためて活路を拓きたい」と念じ、この書を上梓する。p.359。
 さて、つぎの二つの感想が生じる。つつしんで?指摘させていただく。
 第一。「哲・史・文」だけでは、決して「外の世界の全体」を見ることはできない。社会、自然、人間(・人体)等に関する教養・知識をふまえてこそ、「外の世界」を全体として、総体として、総合的に「見る」ことができる(秋月はそうできている、という意味ではない。むしろそうした教養・知識の乏しさを私は大いに恥じている)。
 この点は、これまでも書いたし、これからも指摘するだろう。
 第二。「哲・史・文」のいずれについても、西尾幹二は中途半端にしか知らない。まるでこれら全体を知っているか、または少なくともそう努めきた、という書きぶりになっているが、とんでもない<思い上がり>だ、という他はない。
 この点は、これまでも書いたし、これからも指摘するだろう。
 途中に、自分は「ニーチェ研究家」とされているが「正しくない」、こう言うのは「専門家でありたくない、あってはならないという私の原則が働いている」からだ、とある(p.356)。この部分は、西尾自身が何の専門家でもないことを自認しているということを示していて、当然の自認ではあるが一つの意味はあるだろう。
 それよりも、特定の専門領域を持たない「哲・史・文」全体の通暁者?だという<自負>を表現していると見られることの方が重要だろう。そして、その自負は間違いであり、とんでもない<思い上がり>だ。
 そして、何の専門家でないとすれば、「哲・史・文」のいずれの分野・世界についても、西尾幹二はただの<しろうと>(に少し毛が生えた者?)であるはずだ。
 **

2291/西尾幹二批判014+池田信夫ブログ023。

 西尾幹二におけるレトリック・<概念の揺れ>の一例を挙げる。
 2017年、「つくる会」創立20周年記念集会での挨拶。全集第17巻p.714。
 ひと続きの文だが、一文ごとに改行。
 「ですから江戸時代は『前近代』でも『初期近代』でもないのです。
 『近代』そのものなのです。
 むしろ明治以後において、われわれは『近代』を再び失っているのかもしれません。
 そういうとびっくりされるてしょうが、『近代』は動く概念です」。
 そのあと、「近代」概念を用いる、つぎの二つの文もある。
 ・「漢唐時代の官僚制度に私は、『近代』を認めるのにやぶさかではありません」。
 ・「中国や韓国のようになぜいつまでも日本のように近代文明を手に入れることができないのかを、…」。
 以上。 
 「そういうとびっくりされるでしょうが」と書いて、文字通り「びっくりさせる」、あるいは意表をつく、常人?とは異なる表現方法を意識的に使う、というのは、西尾幹二の文章にときにみられる、その特徴の一つだ。
 しかし、何やら意味深いことを言っているつもりなのかもしれないが、このような概念の「揺れ」を用い、「〜」は「動く概念です」と明認していけば、<何とでも言える>。
 秋月でも、こんな文章を<作る>ことができる。
 「最も美しいものの中にこそ、最も醜いものがあるのではないでしょうか」。
 「正義の中にこそ、本当の不正義が含まれているのです」。
 「賢者と言われる者こそ、本当は愚者でしょう」。
 「〜での前近代とは、まさに近代そのものであったのです」。
 等々。
 詩・小説等は<創作>であり、フィクションであり、言ってみれば全編にわたって<建て前としては>「捏造」なのだから、何とでも言え、何とでも書ける。
 しかし、西尾幹二は小説家(・フィクション作家)ではない(はずだ)。
 そのような西尾がフィクション作家のようにして歴史・社会・政治を「評論」してはならないだろう。とくに同じ文章の中では、同じ言葉、「概念」を上のように「揺らして」はいけないのではないか。
 この人において、自分が用いる言葉・概念の「意味を明確にしておく」という姿勢は相当に乏しい。上の「近代」もそうかもしれないが、「歴史・神話」の意味もそうだ。
 ——
 池田信夫ブログマガジン2021年2月1日号の中に<名著再読/法と革命>があり、H・J・バーマン『法と革命』(邦訳書)をとり上げている。
 この本では「近代」または「近代西欧に特有の契約社会」の成立の背景等を、宗教史ないし法制史の学者・研究者が論述しているらしい(日本の「法学」界では、自分たちの「基礎」を疑わしめるものであるためかどうか、ほとんど読まれていないと思われる)。
 「近代」についてではない。西尾幹二批判との関係で注目を惹いたのは、池田の紹介に誘われて入手した上の邦訳書/宮島直機訳・法と革命I—欧米の法制度とキリスト教の教義(中央大学出版部、2011)の冒頭(・序論)すぐに、ニーチェのつぎの言葉が引用されていることだ。ニーチェのどの書のどの部分のどのような論脈の中でのものかは分からない。
 「歴史のなかにあって、たえず変化しているものは意味を定義できない」。 
 「たえず変化しているものは意味を定義できない」—西尾幹二はニーチェのこの言葉または文章を知っているのではないか。
 そうだとしても、西尾幹二は自分をニーチェと同等の「思想家」だと考えているのか?
 そもそも、「意味を定義できない」「たえず変化しているもの」とは何か?
 上の言葉は、西尾幹二における「概念の揺れ」、「定義のなさ」を正当化するか?
 こんな関心を惹き、疑問をもたらしたニーチェの言葉だった。
 ところで、著者・バーマンは、前後をもう少し引用すると、つぎのような論脈の中で、ニーチェの言葉を用いている。一文ずつ改行する。
 「ヨーロッパ」、「法制度」、「伝統」、「革命」という「4つのキーワードの意味は、歴史に言及するなかで説明して行くことにして、いま、その意味を定義することはしない
 なぜなら、ニーチェ Friedrich Nietzsche がいっているように、『歴史のなかにあって、たえず変化しているものは意味を定義できない』からである。
 ただ誤解を避けるために、つぎのことだけは、あらかじめ断っておくことにする。」
 このあと、「ヨーロッパ」について邦訳書で3頁余の論及があり、「法制度」と「伝統」について5頁余の論及がある(まだ「序論」)。
 さすがに、学者・研究者だと思われる。提示する主題で用いる概念の「意味」、「定義」が問題になることを十分に弁えた上で、そのことを知った上で、「意味」の確定、全体的定義をするのを先に延ばしつつ、すでにある程度の叙述をかなり詳しく行なっているわけだ。 
 「歴史のなかにあって、たえず変化しているものは意味を定義できない」とかりにしても、西尾幹二の叙述・発言の姿勢とは、まるで異なるだろう。西尾には、レトリックとして?、あえて言葉の意味を「曖昧に」しておく、「一次的・暫定的な定義も行わない」で、意表をつく?論述をする、という傾向がある。

2289/西尾幹二批判013。

 前回に取り上げた遠藤浩一を聞き手とする西尾幹二の発言をあらためて読んでいると、面白い(=興味深い)箇所がある。
 月刊WiLL2011年12月号(ワック)、p.247。
 西尾幹二の他の人物論評の仕方として、別の点も、とり上げてみよう。
  西尾は上で言う。大江健三郎の「文学の根源的なところ」には「私小説的自我の幻想肥大かある」、と33歳のときに書いた、と。
 興味深いのは、つぎだ。
 「幻想的な自我は石原慎太郎氏も同じ」と書いた。
 石原慎太郎はどちらかと言うと<保守>派とされるが、こういう批判・揶揄?は、西尾幹二において<保守>派に対しても向けられていたわけだ。
 ついでの記載ということになるが、「幻想的な自我」をもつという石原慎太郎は、西尾幹二よりもはるかに、注目されるべきで、将来もまた注目されつづけるだろう、と秋月瑛二は評価している。
 石原慎太郎=曽野綾子・死という最後の未来(幻冬社、2020)。
 昨年秋には、この欄で言及していないが、上の曽野綾子との対談書を購入して読んだ。
 石原慎太郎(1932〜)。国会議員、複数の大臣、東京都知事、政党(日本維新の会)代表。
 これだけで西尾幹二とは全く異なる。政治的・社会的「実践」の質・程度は、<つくる会>会長程度の西尾の比ではない。
 さらに加えて、作家・小説家、芥川賞受賞者。これまた、西尾幹二が及びもつかない分野だ。
 さらに、量・数だけではあるいは西尾の方が多いかもしれないが、石原慎太郎には、政治・社会評論もある(全7巻の全集もある)。
 加えて、<宗教>への傾斜を隠しておらず、<法華経>に関する書物まである。読んでいるが、いちいち記さない。
 異なるのは、出身大学・学部のほか、石原慎太郎には、産経新聞・月刊正論グループへの「擦り寄り」など全くない、ということだろう。
 アメリカで西尾は無名だが、石原慎太郎はある程度は知られているだろう。かりに同じ反米自立派だとしても、西尾とは比較にならない。
 石原慎太郎は、全ての広い活動分野について、<左派>側からも含めて、その人物が総合的に研究・論評されるべきだろう。
 ところで、「私小説的自我の幻想肥大」は、西尾幹二に(も?)見られはしないか? 既に見たように、2011年に西尾自ら「私小説的自我のあり方で生きてきた」と明言し、遠藤浩一は「私小説的な自我の表現こそ、西尾幹二という表現者の本質ではないか」、と語ったのだ。
  出典をいちいち探さないので正確な引用はできないが、西尾幹二は、古い順に、明らかに以下の旨を書いた。記憶に間違いはない。
 ①<(この時代は)左翼でないと知識人にはなれなかった、と言われますが、…>。
 ②<保守派のN氏(原文ママ—秋月)は、左翼でないと知識人とは言われなかったのです、と言っていた(言っていましたが、…)。>
 ③<西部邁氏は、左翼でないと知識人とは見なされなかったのです、と言ったことがある
 ③は西部邁の死後に追想を求められて、発言(執筆)したもの。 
 「左翼でないと知識人にはなれなかった」とは西部邁が大学入学直後に日本共産党(当時)に入党し、<左翼>全学連活動家となったことについて西部自身が言っていたことのようだが、西尾幹二に個人的・私的に言ったかどうかは別として(その点も気にはなるが)、のちに<保守>派に転じた?西部邁にとって、少なくともどちらかと言えば、触れられたくはない点だったように推察される。
 そして、彼の生前にはせいぜい「N氏」でとどめていたのを、西尾はその死後に、この発言主の名を明瞭にした、暴露したわけだ。
 これはいったい、西尾の、どのような<心境>・<心もち>のゆえにだろうか。
 西尾は、西部邁、渡部昇三らに対するライバル心を、<左派>論者に対する以上に持っていた、と推測できる。端的に言って、<同じような読者市場>の競争相手になったからだ。そして、その<ライバル心>を、ときに明らかにしているのだ。
 なお、櫻井よしこに対してすら、その<ライバル心>を示していることがある。櫻井よしこ批判には的確なところがあることも否定はできないけれども。
  2019年6月〜7月にこの欄で「西尾幹二著2007年著—『つくる会』問題」と題して何回か「西尾幹二著2007年著」=『国家と謝罪』(徳間書店、2007年)の一部を紹介したのは、明記しなかったが、つぎの理由があつた。
 それはすでに刊行されていた『西尾幹二全集17・歴史教科書問題』(2018年)が、西尾が「つくる会」結成後の会長時代の文章に限って収載していることを奇妙に(批判的に)感じたからで、実質的な分裂やその理由・背景に関するこの人の文章を、とくに『国家と謝罪』の中にまとめられている文章の一部を、この欄に掲載して残しておこうと感じたからだ。
 <個人>全集であるにもかかわらず、設立前から「会長」時代のものに限る、という、西尾個人の<個人編集>の奇妙奇天烈さには、つまり『国家と謝罪』等に収録したものは無視し、実質的分裂の背景・原因にかかる歴史的記録にとなり得るものは除外する、という<個人編集>方針に見られる異常さには、別にまとめて触れなければならない。
 <つくる会>運動については、きちんとした総括が必要であって、西尾は立派なことだけをしました、という『全集』編集方針は、「歴史」関係者の(そのつもりならば)姿勢としても、間違っているだろう。現在の<運動>関係者(とくに実務補助者の方)は気の毒に思っているが、割愛する。
 上のことはともあれ、今回指摘しておきたいのは、八木秀次に対する批判の「仕方」だ。八木秀次の側に立つわけでも、彼を擁護したいわけでもない。
 西尾は、No.1994で引用・紹介のとおり、こう八木を批判する。 
 ①「現代は礼節ある紳士面の悖徳漢が罷り通る時代」だ。「高学歴でもあり、専門職において能力もある人々が」社会的善悪の「区別の基本」を知らない。「自分が自分でなくなるようなことをして、…その自覚がまるでない性格障害者がむしろ増えている」。「直観が言葉に乖離している」。「体験と表現が剥離している」。「直観、ものを正しく見ることと無関係に、言葉だけが勝手にふくれ上って増殖している」。「私が性格障害者と呼ぶのはこうした言葉に支配されて、言葉は達者だが、言葉を失っている人々」だ。
 ・「私は八木秀次氏にも一つの典型を見る」。
 この①は、「性格障害者」という言葉と<レッテル貼り>がひどいが、まだマシかもしれない。では、つぎはどうか。
 ②「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。
 言葉の向こうから語り掛けてくるもの、言葉を超えて、そこにいる人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない。
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す」。
 以上の②のような人物批判「方法」は、特定の人物についての本質分析論かつ本質還元論と言ってもよいもので、<本質的に〜だ>、そして<本質的に〜の人間だから、〜という過ちをおかしている>という批判の「論法」・「方法」だ。
 これではいけないし、八木秀次は、のちの人生を通じて、西尾と「和解」する気には決してならなかっただろう。
 今回に書いたのは、西尾幹二という人間の「本質」、「個性」、「人柄」に垣間見える<異常さ>・<歪み>と言ってもよいものだ。
 そうだから、という論証を仕方を、あるいは<人間本質分析論>かつ<本質還元論>的叙述を一般的にする気はない。但し、一回だけ参考材料とてして紹介しておくことにした。
 ——
 追記しておくと、<右翼的・保守的>だから「敵」(味方)だ、逆に<左派的・リベラル的>だから「敵」(味方)だ、というのは、上に記したよりもはるかに単純または純粋に、徹底して、<本質>あるいは基本的立場(・立ち位置)を理由として(それを見究めたつもりになって)、脊髄反射的に、論評・評価(敵か味方か)・結論を決めてしまうようなもので、アホらしいことだ。
 このような発想・推論しかできない人々が、なぜある程度は生じるのか?
 それは、<自分で考えて立ち入って判断するのは面倒くさい>、<簡単に回答を得たい>、<楽をしたい>という、「脳細胞の劣化」・「自分の脳に負担をかけたくない」という、それなりに合理的な?理由があるものと思われる。
 人間には、少なくともある程度の範囲の人々にとっては、問題・論点にもよるが、<簡単なほどよい>、<少しでも自分自身の判断過程を省略したい>という「本能」が備わっている。

2287/西尾幹二批判012ー『国民の歴史』④。

 西尾幹二2009年に『国民の歴史』(1999年)への反応について、「私の思想が思想としては読まれず、本の意図が意図どおりに理解されないのは遺憾でした」と書いた(全集第18巻p.695掲載)。
 この人は自分を「思想家」だと自認している(いた)フシはある。 
 福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)のオビに、<新しい思想家の出現>という推薦の言葉を載せていた。ということは、自分は古い、または現在の「思想家」だと考えていたようにも思える(これは2016年のこと)。そうでないと、「新しい思想家」とは形容しないのではなかろうか。なお、この部分は福井義高に対する私の皮肉や批判を何ら含むものではない。
 西尾幹二にとって「思想家」だと自称しなかったとしても、他者からそう見られることはきわめて嬉しいことだったに違いない。一部には、そう形容した人や編集者がいたかもしれない。何といっても、全集刊行出版社の国書刊行会によると、西尾は「知の巨人」なのだから。
 一方、すでに紹介したことだが、2011年、全集刊行開始とほぼ同時期に、こんなふうに発言していた。一文ずつ改行。
 月刊WiLL2011年12月号(ワック、編集長・花田紀凱)p.242以下。<『西尾幹二全集』刊行記念・特別対談>「私の書くものは全て自己物語です」(聞き手・遠藤浩一)。
 「遠藤さんもご存知のように、私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした
 …を皮切りに、ソ連文学官僚との対話や西ドイツの学校めぐり、…や新しい歴史教科書をつくる会の会長時代の体験記、…、はては自分のガン体験まで、『私』が主題でないものはありません
 私小説的な自我のあり方で生きてきたのかもしれません。」p.245。
 ここで対象となっている「私の書くもの」の範囲は明確ではないが、すでに刊行されたか刊行予定のいくつか(11巻・自由の悲劇、13巻・全体主義の呪い等)は間違いなく含んでいると見られる。そして、どの程度の範囲までこの発言の趣旨が及んでいるかを明確にしていないようだ。
 しかし、聞き手の遠藤浩一は、つぎのようにまとめており、西尾も特に異議を挟んでいない。p.246-7。
 「全集の全てが先生の個人物語であり、これまで私小説的な自我で生きてこられたということでした。
 この私小説的な自我の表現こそ、西尾幹二という表現者の本質ではないかと思います。」
 『国民の歴史』等の全ての執筆物が「自己物語」であり「私小説的な自我の表現」だと論評するのは、おそらく行きすぎだろう。しかし、少なくとも1999年の『国民の歴史』以前の西尾にとって重要だったはずの仕事が『私』を主題とする「自己物語」だと2011年に語られていることは、やはり無視することはできない。
 つまり、「私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした」と少なくとも1990年前後までの自分の仕事について2011年に発言した同じ人物が、1999年の『国民の歴史』を「研究」書・「学術」書として執筆できるはずはなかったのだ。
 したがって、2009年の「私の思想が思想としては読まれず、…遺憾」だったという文章は、「私の思想」というかたちで示した「自己表現」・「自己物語」が理解されなかった、という意味で理解することができる。
 あるいは、西尾は傲慢に、<自分の思いつき・考え>を<私の思想>と同一視して、言い換えているのかもしれない。
 これらのとおりだとすると、理解されなかったのは当たり前のことだ。
 西尾幹二の「私の思想」に込められた、「我」の表現、「自己物語」を第三者が(少なくとも容易に)理解できる筈はない。あるいはまた、<自分の思いつき・考え>をそのまま理解しろと言うのは傲慢極まりなく、むしろ自分の文章の論理展開等に原因があったかもしれない。この人においては、<自分を認めよ>という意識・感覚が強すぎるのだろう。それほどの<超人>なのか。
 さて、もともと「思想」がどこにあるのか、と前回に本欄で書いたところだが、「私の思想」を『国民の歴史』というタイトルの「歴史随筆」として、非体系的に、「随筆」・「散文」の寄せ集めとしてまとめたのが、1999年の『国民の歴史』ということになるだろう。
 しかし、西尾において、2018年には、『国民の歴史』は突然に?、「歴史哲学」を示したもので、「グローバルな文明史的視野を備え」る、「これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担」ったものに変化(転化?)してしまう。
 もともと西尾幹二が書いたものを真剣に(真面目に)読むのは時間の無駄だ(全集も。かりに所持しても誰も真面目には精読・熟読していないのではないか)。その根本原因の一つは、一貫性のなさであり、ほぼ同趣旨だが、「概念」の曖昧さやその動揺だ。
 これは「自然科学」的知性とも、西尾のいう「社会科学的知性」とも異なる「文学的」知性なのかもしれない。
 だが、「思想」といいつつ、日本での「思想」や「哲学」に関する議論状況をほとんど知らず、「我流」で「自己表現」として「私の思想」なるものを展開しているにすぎないだろう。また、<概念の曖昧さ・動揺>は当然のことだ(これが「文学」的、「文学部」的知性なのか?)、と考えているようでもある。
 これら二点には、また別に論及することにする。

2285/西尾幹二批判011—『国民の歴史』③。

 西尾幹二・国民の歴史(1999、2009、2017)について、<歴史随筆>・<広義での歴史読み物>にすぎない、とすでに書いた。
 これの「随筆」ぶりは、第27章に該当するだろう「27・終戦の日」(全集版p.516-)が「私の父には異母弟が二人おり」から始まって、終戦直後に西尾が父親に出したという文章の<原文写し>までが掲載されていることでも容易に知られる。
 そのあとには「29・大正教養主義と戦後進歩主義」と題する戦後<進歩派>知識人批判とか、「31・現代日本における学問の危機」「32・私はいま日韓関係をどう考えているか」などの「国民の歴史」を扱う<歴史書>らしくはない主題が続き、最後の章(らしきもの)は「34・人は自由に耐えられるか」という表題だ。
 それぞれ、「随筆」または「評論」(・「時事評論」)に該当するとしても、もちろん「学術書」とか「研究書」と言われるものに該当しない。
 したがって、西尾がつぎのように2009年に書いた(ようである)のは、勘違いも甚だしい、と考えられる。
 「私の思想が思想としては読まれず、本の意図が意図どおりに理解されないのは遺憾でした」。全集第18巻p.695。
 いったいどこに、「思想」があるのだろう。いろいろな書物の何らかの複写・西尾の脳内での「編集」があるとしても、「思想」はない。
 あるとすれば、この書がもともと<新しい歴史教科書をつくる会>の運動を背景として出版された、という背景を考えると、強いていえば<日本主義>・<日本民族主義>・<愛国主義>、きわめて曖昧な(頻繁には使いたくない一定の意味での)<保守主義>ということになるのだろうが、これらの<主義>は至るところに、あるいは現在の「いわゆる保守」や日本会議という活動団体の中や周辺にはどこにでも見られるもので、一般的・抽象的・観念的に語ることはできても、詳細な研究に値する「思想」ではない。
 言い換えると、西尾幹二はもともと一つの「社会運動」のためにこの書物を書いたのであって、自分の「思想」うんぬんを語るのは、相当に<後付け>的説明だ。
 西尾の表現によるとまるで少なくとも本質的には「思想」書のごとくだが、一方で、「学術」書とか「研究」書とかは自称していない(ようである)ことは興味深い。
 「学問」よりも「思想」が、したがって「学者」よりも「思想家」の方がエラい、と考えているのかどうか。もちろん、この人は「思想家」ではなく、「評論家」または「時事評論家」、もっと明確には、一定の出版業界内部での<文章執筆請負自営業者>にすぎない、のだけれども。
 少し戻ると、第二代の「つくる会」会長だったらしい田中英道は、「月報」ではなく西尾幹二全集の中に本文と同じ活字の大きさの「追補」執筆者として登場して(このような「編集の仕方」の異様さはまた別に触れる)、西尾著のかつての批判者・永原慶二の文章をつぎのように紹介・引用している。原文を探しはしない。
 「直感と結論を何の証明もなく、無媒介に、弁舌だけで意味ありげに提示することは学者に許されることではない」。全集上掲巻p.735。
 日本共産党の党員だった、または少なくとも完全に<容日本共産党>の学者だった永原慶二を全体として支持する気持ちはさらさらない。
 しかし、「直感と結論を何の証明もなく、無媒介に、弁舌だけで意味ありげに提示」しているとの批判?は、おそらくは相当に適切だ。西尾幹二には「直感」と「弁舌」がある。
 だが、この永原の指摘が決定的に奇妙なのは、「学者に許されることではない」と批判?していることだ。
 すなわち、西尾は「学者」として『国民の歴史』を執筆したのではない。
 西尾幹二は、「学者」ではない。「学術」書・「研究」書として『国民の歴史』を刊行したのではない。
 したがって、上の表現を借用すれば、「直感と結論を何の証明もなく、無媒介に、弁舌だけで意味ありげに提示」しているという批判は、当たらない。なぜならば、西尾幹二は「学者」ではないからだ。「学者」ではない西尾には、そのようなことはもともと「許される」ことなのだ。
 西尾よりも神がかり?しているらしい田中英道が書いている永原に対する反論・批判や西尾擁護は、当然に的確ではない。
 なお、アリストテレスによる<学問分類>に孫引きで言及して、西尾幹二のしていることは<制作的学問/弁論術>に該当し、隣接させている<制作的学問/詩学>ではない、等と指摘したことがある。No.2251ー2020.07.09。
 その際アリストテレスの<学問>体系によると学問・科学は大きく三分類されるが、「制作的学問」はつぎのとおり、最も下位に位置づけられる(らしい)。
 A/理論的学問、B/実践的学問、C/制作的学問。
 「弁論術」・「弁舌」あるいは「レトリックの巧みさ」は、もともと「学問」性の低いものだ。今日の常識的な語法では、創作=詩・小説・映画・音楽・演劇等々とともに「学問」ではそもそもない。相手や読者・公衆を「説得」する、「その気にさせる」ことはできるものではあっても、<事実>・<真実>を追及するものではない。
 さらになお、アリストテレスが「詩学」に含めているとみられる詩・小説・演劇・音楽等々は人々の「こころ」を「感動」させる力が十分にあり得るが、西尾幹二が生業としてきた「弁論術」には、そのような力はないか、あっても、上記のものよりは程度が小さい、と言えるだろう。
 

2280/西尾幹二批判010・『国民の歴史』②。

  前回(批判009)の補足。
 西尾が書いているとおり、『国民の歴史』の「14」は表題自体が「『世界史』はモンゴル帝国から始まった」となっていて、最初から19頁め(全集18巻版)に、こうある(p.289)。
 「以上、『モンゴルと中国の関係略史』(一)(二)は岡田英弘氏から直かにご教示いただいて記述したが、文責は私にある」。
 「文責」、つまり文章化・要約・作文は西尾にあるが、計5頁ほどの「内容」は岡田英弘に依っていることを認めている。長々とした一連の文章群の内容は西尾幹二自身によるものではない。
 二 『国民の歴史』の「6 神話と歴史」から、気になる点をさらにいくつか挙げておこう。まず、第一。
 その11「神話の認識は科学の認識とは逆である」p.128(全集版)にこうある。
 「すでに神を感じない社会」に生きる我々が「神々によって宇宙が支えられていると感じる古代社会の言葉と感性と同じはずはない」。
 何となく読み過ごしてしまいそうな文章だが、このような「古代」の人々の「感性」の理解・認識は適切なのだろうか。
 つまり、彼らはほんとうに「神々によって宇宙が支えられていると感じ」ていたのだろうか? 西尾の一見「深遠な」言明は、じつは「適当に」発せられていることが少なくないのではないか。
 古代の人々はどういう「感性」で生きたのだろうと想像することは、私には楽しい。しかし、「神々」の意識・感覚はかなり高度なもので、なかなか発生しないのではないか、と考える。
 生きていること、そのための呼吸と心臓の鼓動を意識し、死とそれが訪れるとやがて身体は腐敗していくことを知っていたに違いない(なお、もっとのちの日本の文献によく出てくる「もがり」は再生・蘇生しないことを確認するための儀式だったように思われる)。
 また毎日昇って消えていく太陽、およそ(今でいう)一月ごとに形の満ち欠けを変えながら「この地」を回っている月、日の出・日の入りの太陽の位置が寒暖の季節ごとに異なりおよそ(今でいう)一年ごとに同じになることを、早くから知っていただろう。
 さらに、むろん、生きていくために「水」・「食料」が必要であることも。「空気」(中の酸素)はひょっとすれば所与のものとして意識しなかったかもしれないが、海中や高山では生き難いことは知っていたはずだ。
 これはヒト・人間をとり巻く「自然」にかかわることであって、いつの時点から「神」なるものを意識したのかは、よく分からないことだ。
 だが少なくともヒト・人間は、縄文時代の人々も、「神々によって宇宙が支えられていると感じ」てはいなかっただろう。「宇宙」=地球全体の感覚はまだないはずだ。「宇宙」=「自然」という意味では「宇宙」を感じていただろうとしても。
 繰り返すが、「神」という意識・感覚の発生はかなり高度の精神作用を必要とするのであって、古代の人々が何となく自然に身につけるようなものではないのではないか。むろん、「必然」ないし「規則・法則」的なことと「偶然」・「事故」的なことの区別くらいのことは当然に意識し、知っていただろうが。
 第二。西尾はもっぱら「言葉」と「文字」の関係一般に着目して、日本文明(縄文原語)と中国文明(漢字)を記述しているように見えるが、私の関心は他にもある。
 日本書記における「年」の表記の仕方には十干十二支を利用したもの、「天皇」の在位年数を利用したもの、年号(大化等)を利用したものの三種あるとされる。最初の<十干十二支>は、令和日本の現在でもなお用いられることがあるが、どのようにして、いつ頃から、日本列島の人々は利用し始めたのだろう。中国からの「輸入」以後でないとすると、それまではいったいどのようにして「年数」を数え、記憶・記録していたのだろうか。
 西尾の著書には、これに関する叙述はないのではないか。のちのちの、<陰陽五行説>についても。これらは、「仏教」・仏教典の一部にあるのではないはずだ 。
 より重要な第三は、以下。
 既述のとおり、「6」章の節名を利用すれば、この章での西尾幹二の出張したいことの重要な一つは、章名とともに以下にあると理解しても決して誤りではない。 
 ・「歴史と神話の等価値」。・「すべての歴史は神話である」
 しかし、この書物(全集版)が刊行された2017年とまさに同じ年に、西尾幹二は、つぎのように明言している。そして、翌年2018年刊行の全集の別の巻(17巻)に収載している。一文ずつ改行する。
 「歴史の根っこをつかまえるのだとして、いきなり『古事記』に立ち還り、その精神を強調する方が最近は目立ちますが、…そのまま信じられるでしょうか。
 神話と歴史は別であります。
 神話は解釈を拒む世界です。
 歴史は諸事実のなかからの選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由をどうしても避けられませんが、神話を前にしてわれわれにはそういう自由はありません。
 神話は不可知な根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません
」。
 西尾幹二全集第17巻・歴史教科書問題(国書刊行会、2018年)p.715、「『新しい歴史教科書をつくる会』創立20周年記念集会(2017年1月29日)での挨拶文」の一部(原出、月刊正論2017年4月号)。
 西尾幹二に真面目に訊ねたいものだ。『国民と歴史』のうちの6章「神話と歴史」に関する叙述と上の「挨拶文」の内容は、矛盾しているのではないか。少なくとも、どういう関係に立っているのか。
 つづけて、第四
 西尾幹二のために、「助け船」を出すことはできる。すなわち、歴史と神話の関係・異同に関する言明は真反対のように見えてもいわば<レトリック>であって、主眼はそれぞれの「解釈」の方法の違いの指摘にあるのだ、と。
 たしかに『国民の歴史』には、こういう文章もある。18巻、p.129。
 「神話を知ることは対象認識ではない。どこまでも科学とは逆の認識の仕方であらねばならぬ」。
 「認識とは、この場合、自分が神の世界と一体となる絶え間ない研鑽にほぼ近い。」
 後者の「自分が神の世界と一体となる」は、前者の「神話」を前にしては<解釈の自由はない>という指摘と似ているとは言える。
 しかし、前者は(西尾によくあることだが)突然に「科学」という言葉・概念を持ち出し、「歴史」=「科学」(の一部)という前提に立っているようだが、「歴史」、「科学」等の概念の丁寧な説明はない。そして「逆の認識の仕方」とだけ述べて、<解釈・選択の自由がある>という旨を明確に語ってもいない。
 少なくとも、同じ2017年の発言と刊行書の内容の間の齟齬・矛盾を指摘しても、何ら厳しすぎることはないだろう。
 なお、<「神話」は解釈を許さない>という言明がなぜ、どのように根拠づけらるのか?
 これは、バカバカしいので、省略する。「神々」の時代も含めて、それ以降についても、日本書記、古事記の種々の「解釈」がなされており、議論があることは、高校生でも知っていることだろう。西尾幹二の「解釈」にはこの人に独自の(ほとんど誰も理解できない我流の)意味があるのだろうか。
 第五。そもそも、日本書記、古事記は、全体として「神話」なのか。
 西尾幹二は上の二つとも「神話」だという前提に立って、中国の「歴史」書との「等価値」性を指摘し、後者も広義では「神話」だとする。
 しかし、そもそも論として、日本書記、古事記のいずれも、全体として「神話」だ、という認識は決定的に誤っているだろう。
 よく知られるように、日本書記は計30巻から成るが、そのうち巻第一は「神代上」、巻第二は「神代下」とされ、巻第三以降・巻三十までが「天皇」を中心とする叙述になっている(神武〜持統)。   
 今日の目で見て、「史実」とは感じられないような叙述があるのだとしても、作者・編纂者は、巻第三以下は真面目に?日本国家の「歴史」書だとして記述したと考えられる。そして、彼らが「神」の時代の「話」=「神話」だと明瞭に意識して記述したのは、巻第一・第二の「神代」だけだ。
 これに関連して、日本書記の今日の「解説」者は、こう記す。
 「巻三以下巻三十まで、すべて天皇名で標題とすることは、明らかに中国史書の『帝紀』に相当するわけで、『日本書記』という書名は『日本書の帝紀』の意であることも首肯できる」。「ただ異なるのは、巻一・二が『神代』となっている点である。中国の史書は『神代』を語ることはないからである」。
 この文は巻第三以下を「人皇代」と称してもいる。
 日本書記・上(小学館日本古典文学全集、1994)「解説」の西宮一民担当部分
 一方、古事記は上つ巻・中つ巻・下つ巻の三部に分かれるが、中つ巻が神武〜応神、下つ巻が仁徳〜推古の各天皇の時代を叙述しており、上つ巻が日本書記の用語では「神代」に当たる。
 こう区別されているところを見ると、また内容から見ても、上つ巻だけは「神たちの時代」と意識されているとしても、それ以下は、作成者の「主観」においては古代の日本「歴史」だった可能性が高いものと思われる。
 このような日本書記、古事記を、例えば仁徳天皇以下も含めて、西尾幹二はすべて「神話」だ、ということから出発しているわけだ。
 全てが「史実」を記述しているとは秋月も考えないが(なお、安本美典は熱心な応神天皇実在論者だ)、「史実」であって、またはそれをかなり反映していて、決して簡単に「神話」だと認定できない部分をいずれも含んでいる、と考えられる。これは、常識ではないか。
 しかるに、西尾幹二は最初からこれらが「神話」だとしている。それから出発している。
 日本書記も古事記も実際には、全くまたはほとんど「読んだことがない」西尾の面目躍如というところだろう。
 西尾幹二はこれらの「歴史」書性をできるだけ否定しようとしする戦後「進歩的」歴史学に、最初から屈服している、とも言える。
  ついでに、ということになるが、上に二の第三で引用した2017年の「挨拶文」の一部は、一部を除き(古事記うんぬんの部分)全く同文で、対談中の発言であるはずの以下でも用いられている。
 実際の対談後の「原稿化」の過程で追加されたように思われる。
 西尾幹二は、一つながりの文章群を<使い回し>ているのだ。一粒で二度おいしい。<古事記>への言及は欠落しており、元来は別の論脈の中での文章だ。
 「神話は歴史と異なります。
 「歴史は…、諸事実の中から事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてはわれわれはそういう自由はありません。
 神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません
」。 
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」月刊WiLL2019年4月号(ワック)
 西尾幹二という人物は、こういう<文章の使い回し>を(こっそりと)平気で行う人物だ、と知らなければならない。言いたいことがたまたま?同じだから、という釈明は成立しない。

2279/西尾幹二批判009ー西尾と岡田英弘。

 本欄No.2217(2020.05.04)で紹介した岡田英弘の見解の一部は以下。そのまま支持する、という趣旨ではない。西尾幹二とはずいぶん異なる、ということを示す。かつての紹介部分を大幅に縮減し、かつ原文に即した部分を増やす。
 岡田英弘・同著作集Ⅲ・日本とは何か(藤原書店、2014)、p.490以下の、「歴史と神話をどう考えたらよいか」より。
 ・「本来、歴史を持っている文明は、シナ文明と地中海文明の二つだけであり、…。日本文明の歴史というのは、もちろんシナ文明のコピーである」。
 ・「日本書記」編纂の「過程はちょうど日本の建国の時期に当たっていた。その編纂は建国事業の一環だった。そのためになるべく古いところに日本国と天皇の起源を持ってゆく必要があった」。
 「シナ文明圏では、王権の正統性を保障するのは歴史であり、そのパターンから日本は抜け出せない」。「神武天皇以下、16代応神に至る架空の天皇を発明した」。「神武天皇の建国を紀元前660年となり、秦より400年以上古い」という「操作に神話は使われた」。
 ・「今でも歴史を論じるとき、なにかと神話に戻りたがる人がいる。神話から史実を読み取ろうとするのだ。しかし、歴史で神話を扱う際には、こうした神話の性質を充分わきまえておかねばならない」。
 ・「神話が与えてくれるロマンは、現実からの逃避には都合がいいだろうが、そうした情緒的ニーズと合理的な歴史を混同してもらっては困る」。
 岡田英弘上掲書の「おわりに」で、岡田はこう書いてもいる。p.532。
 「本巻の内容は、彼ら保守派で愛国者である私の友人たちの間でも、賛否両論を巻き起こすだろう」。
 「彼ら」、「私の友人たち」の中には西尾幹二の名が明記されている。同頁。
 **
  西尾幹二は、岡田・上掲書の「月報」に以下のことを書いている。月報p.5-p.7。
 ①岡田から「漢字」という文字の限界を「講話」してもらって、その内容を『国民の歴史』で「二ページにわたって」記した。
 (秋月注記−西尾・国民の歴史(全集第18巻版)p.118-9。)
 ②岡田の別の文章にある、日本とヨーロッパに近似性があるが、「中間にあるモンゴル帝国から世界史が始まった」との説は衝撃的で、自分ははこれを『国民の歴史』14で採用した。
 ③岡田は「日本という国号が生まれる7世紀まで日本は存在しなかったのだ、縄文も弥生もまだ日本ではない」と語った。しかし、「日本語と中国語は根本から異なり、縄文原語が推定され得るので、日本は大陸とは独立した別の文明と見る」のは許されないのか(いつか訊ねてみたい)。
 上の①はそのとおりで、内容は省略して、前回(批判008)でも触れた。
 上の②は文春文庫版の『国民の歴史』で明示した、という。時間的前後は別として、このように、他人の説を存分に<利用>するのは西尾幹二の文章・思考の特徴の一つだろう、と考えられる。というのは、モンゴルを中心にして、ヨーロッパ・日本への「文明」の拡散という図式?は、その後の西尾幹二において、しばしば見られるからだ。その際に岡田英弘等の名前を西尾は明記しない。そして私は、いったいどこからこのような説を<導入>したのだろうと感じてきた。西尾自身が「発見」できるような事柄ではない、と思っていたからだ。
 櫻井よしこにも江崎道朗にもより下品なかたちで見られる<コピー・ペイスト>の原型は、西尾幹二にもある、と言ってよい。
 上の③の二人の言葉は、<噛み合っていない>可能性がある。
 というのは、岡田のいう「日本」と西尾の「日本」が同じ意味ではない可能性も十分にあるからだ。また、西尾は「日本は大陸とは独立した別の文明」だとしきりに強調しているのだが、いつかの時点での<古代>に限ってのこの言明の当否は「日本」・「大陸」(中国)・「独立した」・「別の」・「文明」という言葉・概念の意味の捉え方によって異なるので、簡単に論じることはできない。
 常識的には、日本書記も古事記も「漢文」で書かれたのだから(但し、後者は日本的な漢字利用)、前者の一部は中国人を母語とする者が執筆したとされているのだから、さらには日本の藤原京(明日香の北)以降の「都」の条坊制は中国の洛陽等をモデルにしているのだから、等々、<中国文明>の完全な一部ではないにせよ、その強い影響下にあった、影響を受けた、ということはおそらく言えるだろう。
 もともと大陸・半島から日本列島に多数の人間が渡って来ている。列島に原住の人々がいたとして、その人々が有していた「文化」だけが日本「文明」だというのはやや苦しいだろう。それに、列島が形成されておらず、いまの日本は大陸・半島と地続きの長い時代もあった。西尾の「視野」はどこまで及んでいるのだろう。かりに縄文・弥生時代以降に限るとしても、<日本か大陸か>ということにさほどに拘泥する意味はどこにあるのだろうか。長い歴史の中では些細なことのようにも感じられる。
 **
 西尾『国民の歴史』「6神話と歴史」について、前回に論及しなかった点に触れようと思って書きはじたのだったが、長くなったので、次回に委ねる。

2278/西尾幹二批判008—『国民の歴史』。

 西尾幹二全集第17巻(国書刊行会、2018)の西尾自身による「後記」(計14頁)の中で、西尾自身が、<国民の歴史>と<江戸のダイナミズム>のという二つの「主著」は「グローバルな文明史的視野を備えていて」、「これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」と自賛する。
 また、その直前では、<国民の歴史>等の著作は「『つくる会』運動の継承者を末長く動かす唯一の成果」で、「この観点を措いて」この運動の「意義は他に存在しなかった」とまで言い、それだけ「歴史哲学の存在感は大きい」と記している。p.751。
 そのあとで「思想上の戦い」という言葉もあることからすると、西尾幹二は、自著の<国民の歴史>は、「歴史哲学」上、および歴史「思想」上の顕著な意義をもつらしい。あくまで2018年時点での言葉だが。
 はたして本当にそうか。
 <決定版>と銘打っていた文春文庫版を「底本」としつつ「決定版」という文字を削った同全集第18巻(2017)収載のものによって、その一部の「6 神話と歴史」に少し立ち入ってみよう。
 一 いわば<章>にあたる部分を「6 神話と歴史」とだけ記して、全体に「章」・「節」等の語が用いられていないのは何故か。著者の趣味・気分によるのではなく、<国民の歴史>を体系的・学術的に描いたものではない、という西尾の「自覚」あるいは「負い目」が表れているようにも思える。
 この書物は「歴史哲学」書などという学術書でも論文集でもなく、言ってみれば、<歴史随筆書>だ。あるいは、広い意味での<歴史読み物>だ。
 哲学だ思想だなどと、気取ってはいけない。
 第6章にあたりそうな「神話と歴史」は、さらにぎのように分けられる。各「節」とはされておらず、「数字番号」すら付いていない。
 番号を勝手に付けて順に並べると、つぎのような「体系」?を構成している。
 0 (無題、はしがき)。
 1 日本古代史学者よ、常識に還れ
 2 歴史と神話の等価値
 3 すべての歴史は神話である
 4 神話と歴史叙述について
 5 日本語の起源問題は今までの言語学では手が届かない
 6 漢字漢文における表現力の限界
 7 "沈黙する歴史"の文字へのリアクション
 8 日本固有の文明の回復に千年を要した
 9 文字は知性を辱める
 10 文字は言語に及ばない、言語は行為に及ばない
 11 神話の認識は科学の認識とは逆である
 以上
 こういう順序でつづって、筆者はこの「6 神話と歴史」でいったい何が言いたいのか。
 これはさほどに困難な問題ではなく、おそらく一つは、つぎの「節」が「7 魏志倭人伝は歴史資料に値しない」であることからしても、中国の「史書」の意義・価値を低め、日本の「神話」の意味・価値を高めることだろう。これは典型的には、上の「2 歴史と神話の等価値」、とか「3 すべての歴史は神話である」という表題でも示されている。
 二つは、上とも関連して中国の文明・文化に対する日本の文明・文化の独自性を強調することだ。
 これだけのことを、29頁も使って長々と書いている、という印象もある。
 また、明瞭に、または「論理的」にこれらを<実証>しようとする姿勢は乏しく、かなりは推論であり、こうであってほしい、こうであるはずだ、という著者の「思い込み」だ。
 この「6」でも見られる西尾の叙述の特徴は、先行する文献をかなり多く紹介したり、引用しつつ、それらを根拠にして?自分の言述を正当化しようしていることだ。以下、登場させる人名、紹介・引用する著書の人名を全て列挙しよう。前者は()で括る。
 (タイラー、フレーザー、吉田敦彦)、エルンスト・ベルトラム、(ヤーコブ・ブルクハルト、トゥキュディウス)、①吉田敦彦、(レヴィ=ストロース)、②川瀬一馬、(網野善彦)、③早田輝洋、④松本克己、⑤安本美典、⑥東野治之、⑦山尾幸久、⑧黄文雄、⑨加地伸行、⑩岡田英弘、⑪小林芳規、⑫ヤン・ブレキリア。⑬本居宣長。
 これらの名前や説に言及して西尾が言いたいのは、「小括」がないので分かりにくいようでもあるが、上記を繰り返せば、第一に、中国の「史書」の意義・価値を低め、日本の「神話」の意味・価値を高めること、第二に、中国の文明・文化に対する日本の文明・文化の独自性の強調だ。
 あえて、原文そのものから引用しておこう。
 ・「漢書」や「魏志倭人伝」の「一見合理的にみえる」記述は「合理的」で古事記や日本書記の「ばかばかしいつくり話にみえる神話は歴史ではない、と戦後簡単に決めつけられたことがはたして正しいのだろうか、と問うている」。
 ・「あえて言うが、広い意味で考えればすべての歴史は神話なのである」。
 。「繰り返すが、すべての歴史は広い意味での神話なのである。ことに古代においては歴史と神話のあいだに明確な境界は立てれない。したがって、『漢書』や『魏志倭人伝』もまた、多面では神話の一種であると言っておかねばならぬ」。以上、p105-106。
 ・「われわれの社会の言葉の感性を、古代社会へわがまま勝手に当てはめることてせ足りるとする風」がある。一見合理的な「漢書」や「魏志倭人伝」の「現代的解釈でもってして日本列島の始源を記した唯一絶対の証拠とするなどは、まさにそれである」。「儒仏到来以前の民族の原体験を象徴している記紀神話を、重要な歴史解釈の手段としようともしない戦後の知的惰性は、現代の空疎な傲慢のもうひとつの実例である」。p.128。ここには<レトリック>もある。
 二 どこかおかしい。いや、だいぶ、おかしい。元々は20年以上前の書物に関する論文を執筆するわけでも、書評を書くわけでもないので、西尾幹二に倣って?「適当に」思いつくまま、コメントしよう。
 01 「歴史」と「神話」の第一次的・暫定的な定義すらない。そして、漢書・魏志倭人伝は「歴史」書とされ、日本書紀・古事記は「神話」だとされている、ということから出発している。
 02 上の出発点に立つことなく、日本書紀・古事記も(日本の)「歴史」書だ、と主張することから始めても両者を相対化できる、または「等価値」視できるはずだが(論理的には)、そういう論理を採用していない。
 03 「神話」概念の中に、明らかに「伝説」や「伝承」を含めている(p.105、等)。「神」が登場する、または関係する「神話」と「伝説」・「伝承」は、古代ではかなり近いとかりにしても、同義ではない。一般に、西尾幹二という人物は概念に厳密ではない。
 04 西尾が非難し対決しようとする(有力・通説的)日本史学界が「漢書」や「魏志倭人伝」を(それらの「現代的解釈でもって」)「日本列島の始源を記した唯一絶対の証拠とする」ことをしていたのかどうか自体、疑わしい。秋月が中学生当時に学んだ歴史教科書の内容の記憶からしても、そう言える。
 西尾は、誤った、架空の敵と戦っている(いた)のではないか。
 なお、ついでながら、「自虐史観」者ではない出口治明は、『ゼロから学ぶ「日本史」講義・古代編』(文藝春秋、2018年)を、「地球の歴史、生命の歴史」から始めている。「ビッグバン」にも言及がある。西尾幹二の知識は、20年前にすでに時代遅れであった可能性が高い。
 <ナショナリズム>の観点から、あえて敵の姿を歪めているのではないか。
 05 問題は「歴史」か「神話」か、魏志倭人伝等も<広義の「神話」>か、ではない。漢書倭国伝・魏志倭人伝と8世紀に成立した日本書記・古事記がそれぞれ、どの程度<事実>を反映しているか、であって、二者択一の問題ではない。
 魏志倭人伝が全て事実を記しているとは秋月も考えないし、記紀がすべて事実ではない、とも考えない。魏志倭人伝の陳寿がどの程度正確に伝えたかという問題はあるし、そもそも「女王の都する」処には来ていない可能性もある。一方、日本書記、古事記が全て完全な「でっちあげ」話でもないだろう。何らかの「伝承」を伝えている、または反映している可能性はある。これらはほとんど常識ではないか。
 問題は、もっと具体的なのだ。具体的な論点がいくつもあるのだ。西尾は無知のゆえに単純化しすぎなのではないか。
 06 西尾幹二ははたして、漢書(の倭国部分)・魏志倭人伝、古事記・日本書記の全体をすべて「きちんと読んだのか」?
 おそらく間違いなく、否、だ。この人は全くかほとんど読まないで、他人が言及したり紹介したりしている部分だけを参照して、これらを「知った」気になっている。
 恥ずかしいものだ。日本書記・古事記を実際に読んでみる、ということをしないで、「神話、言語、歴史をめぐる本質論を以下展開する」(p.103)とよくぞ書けたものだ。
 07 以上で、すでに西尾幹二『国民の歴史』の「歴史哲学」的意味の存在は疑わしい。
 08 上に記した少なくない人名(・書物)への言及は、西尾の叙述にとって「都合のよい」箇所を選択したもので、なぜその人物(・書物)に言及するのかの説明はなく、その人物全体の(日本古代に限っても)歴史観や歴史叙述の中ではどう位置付けられているのかも不明なままだ。
 網野善彦や山尾幸久のように西尾とは異なる界隈の歴史学者の名もあるし、岡田英弘とて、日本書記・古事記の見方は西尾幹二とはまるで異なる(すでにこの欄で紹介したはずだ)。安本美典も。
 結局のところ、これらの人名・その叙述への言及は<衒学>だと考えられる。自分の本業は「歴史」ではないが、これだけ多数の文献に目を通したのですよと、読者に言いたい、そして自慢したいのだと思われる。1-2頁ぶん使って引用して、せっかくの紙面を無駄にしている場合もある。
 三 この『国民の歴史』が「歴史哲学」、歴史「思想」に関係する? 「グローバルな文明史的視野を備えてい」る?
 悪い冗談はやめた方がよい。

2274/西尾幹二批判007。

 西尾幹二の<反大衆>性については、また別に記す。
  L・コワコフスキによるニーチェに関する小論考のうちで、関心を引いた文章群はつぎだった。邦訳書・藤田祐の訳に添って、つぎのように略述した(No.2259)。 
 ニーチェは諸論点を自信満々に語るが、批判者は相互矛盾を指摘する。「しかし、ニーチェの標的は明確だ。ヨーロッパ文明である」。彼はロックやカントが取り組んだ問題を扱わなかったという意味では「哲学者ではなかった」。彼の目的は、「ヨーロッパ文明が幻想で虚偽で自己欺瞞に満ちていて世界をありのままに見られない」ことを明確にさせて、「当時のヨーロッパ文明がいかに脆弱で軽蔑すべきで堕落しているのかを示す」ことだった。
 この部分の主要な意味は、ニーチェの<反科学・反ヨーロッパ文明・反近代文明>性の指摘だろう、と思われる。
 だが、併せて付随的に印象に残るのは、ニーチェは「ロックやカントが取り組んだ問題を扱わなかったという意味では『哲学者ではなかった』」、という部分だ。
 この部分の紹介は、邦訳書および英語原書をあらためて参考にしても、誤ってはいない。全体を「」で包んで引用しておこう。
 「ニーチェは、ロックやカントが提起した問題(the quetions posed by Locke or Kant)と格闘(wrestle)しなかったという意味で言うと哲学者(a philosopher)ではなかった」。
 換言すると、ニーチェはロックやカントのような哲学者ではなかった、という意味になるだろう。
 これは、いったいどういう意味だろうか。ニーチェもまた<哲学者>の一人ではないのか。少なくとも日本では、一般的にそう理解されているはずだが。
 あためたてニーチェの文献を読む気のないことは既述のとおりだが、L・コワコフスキによる紹介・分析等々と併せて考えると、ニーチェはつぎのような意味で、欧米の<ふつうの>哲学者とは異なる、のではないかと思われる。
 すなわち、L・コワコフスキ等々の哲学関係文献を読んでいてしばしば、またはときどき出てきて、意味不分明なままで、または立ち入った意味探索を省略して「試訳」として使ってきた言葉・概念だが、ニーチェには、つぎの二つが欠如している、またはほとんどないのだ、と思われる。
 ①<認識論>=epistemology, Erkenntnisstheorie 。
 ②<存在論>=ontology, Ontologie 。
 これらは古くから(西欧)哲学の重要な対象、または中核的に「哲学」された問題だった。安易な紹介は恥ずかしくなるので避けたいが、後者は「存在・不存在』の区別と各々の意味を問題にし、前者は「認識」するということの意味、つまり「主体」・「主観」と「客体」・「客観」の関係や各々の意味を問題にする。
 たしかに、ニーチェの諸主張・諸見解には、これらについての「哲学者らしい」考察はなさそうだ。
  さて、西尾幹二はニーチェの研究者であったらしく、ニーチェを中心として西欧(・欧州)の哲学・思想一般に造詣がある、という印象を与えてもいるが、この点は相当に疑わしいだろう。
 なるほど、欧州・世界の学問研究・「論壇」の市場でどの程度通用するかは別として、西尾は<日本では>、<日本人の中では>、ニーチェについて詳しい知識を持つ人物なのだろう。
 だが、ニーチェはロック、カント等の系列にはない、<ふつうの>哲学者ではない、という指摘があることを知ると、ニーチェが哲学者の一人だとしても、ニーチェについての知識が多いことは西欧(欧州)の哲学やその歴史について造詣があることの根拠にはまるでならないだろう。
 そして、西尾幹二の文章を読んでいると、ニーチェの名前が出てくることはあっても、アリストテレス、プラトンを初め、カント、ヘーゲル、ハイデッガー等々の名前が出ていることはまずない(かりにドイツ系に限っても)。ハンナ・アーレントの名を出していることがあったが、邦訳書自体ですでに大部なので、どの程度詳細に彼女を読んだかははなはだ疑わしい。
 以上が示唆するのは、西尾幹二は、①<認識論>、②<存在論>について、ほとんど何も知らない、ということだ。先走れば、西尾幹二のある書物の最終頁にこんな文章がある。
 これらは「ごく初歩的な歴史哲学上の概念」を提示している。すなわち、「歴史は果して客観たり得るのか。主観の反映であらざるを得ないのか」。
 こんな「ごく初歩的な」問題をあらためてくどく記していることにも、こうした問題についての初歩的・基礎的な思考・考察をしてこなかったことが現れているだろう。
 西尾幹二全集第17巻(2018)、p.760。
 こうした、「主体」・「主観」と歴史を含む「外界」の関係・区別にかかわる問題領域についてある程度は知っていないと、哲学・思想畑に関係する文章を書き、書物を出版することはできない。
 では、西尾幹二は、ニーチェについてだけは、正確に理解しているのだろうか。
 この欄ですでに紹介したことだが(No.2249)、西尾は、例えばつぎのようにニーチェに言及する。月刊WiLL2011年12月号。
 「『神は死んだ』とニーチェは言いましたが、西洋の古典文献学、日本の儒学、シナの清朝考証学は、まさに神の廃絶と神の復権という壮絶なことを試みた学問であると『江戸のダイナミズム』で論じたのです。
 明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」 。
 このような文脈でニーチェの名前を出すことに、どういう意味があるのだろうか。
 すでに指摘したことだが、ニーチェはキリスト教上の「神」について、「神は死んだ」と書いた(はずだ)。しかし、そのことと、「日本の儒学、シナの清朝考証学」や「明治以後の日本の思想」とはどういう関係があるのか。
 また、新たに指摘すれば、ニーチェは「神の廃絶と神の復権」について、いったいどういう発言をしたのだろうか。
 要するに、「神」に触れる段になってニーチェの言葉を「思いついて」、あるいはその名前が「ひらめいて」挿入したにすぎないと思われる。ニーチェについてならば、自分は言及する資格がある(ニーチェ専門家なのだ)、と思ってのことだろう。
  ニーチェにおける<反大衆>性に関係するが、ニーチェは「弱い」、「劣った」民衆には無関心で、そのような人々を侮蔑し、<力への意思>をもつ「強い」人間になれ、自分はその「強い」人間だ、というようなことを言ったらしい。
 こうした気分は、西尾幹二にも見られる。<反大衆>性には別に言及するが、そのような<思い上がり>は、西尾の例えばつぎの文章に顕著だ。 
 西尾幹二全集第17巻・歴史教科書問題(2018)、p.751。
 「中国をを先進文明とみなす指標で歴史を組み立てる」のを「克服しようとしている『国民の歴史』はグローバルな文明史的視野を備えていて、もうひとつの私の主著『江戸のダイナミズム』と共に、これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」。
 何と、自分自身の著書を二つ挙げて、「グローバルな文明史的視野を備えていて、…と共に、これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」、だと‼︎。西尾、83歳のときの言葉。
  上の部分は、30歳のときから計算しても50年間の自分の「主著」は(ニーチェに関するもの以外に?)上の二つしかないことを自認しているようで、その意味では興味深い(現在の上皇后批判書、雅子妃は(当時の)皇太子と離婚せよ、小和田家が引き取れ、という内容の書物は「主著」ではないのだろう。きっと)。
 また、上は西尾幹二全集の(西尾自身が執筆した)「編集後記」の中にある文章なのだが、西尾幹二全集という「全集」の編集の仕方は異様であって、看過できないところが多々ある。この点は別にもっと詳しく書かなければなない。

2266/西尾幹二批判006。

 可能なかぎり多数の例証を示して書こうと思っていたが、とれだけ先になるか分からないので、今のうちに書いておく。
  L・コワコフスキによるニーチェ論述にあるように、ニーチェは相当に「レトリック」に長けていたようだ。ニーチェのレトリックに刺激され魅了された多数の者がいる旨も語っている。
 やや唐突にアリストテレスによる学問(科学)分類を持ち出して、西尾幹二がしてきたのは<製作的学問/弁論術>に該当するだろう、とこの欄で記した。
 →No.2251・アリストテレスの「学問分類」—西尾幹二批判003。
 西尾はレトリックに長けた人物であり、その意味で「弁論術」に秀れている。
 西尾は若いときにニーチェの原書を毎日のように読んで、ある程度はニーチェの「レトリック」に魅了されまたは影響を受け、レトリックの秀れた人物(書き手)は「えらい」・「秀れた」人だと思い込んだように見える。
 ここでレトリックを用いる「弁論術」とは、アリストテレスがその隣に位置づけている「詩学」とは異なるもので、後者は、詩や小説等の「創作」活動を広く含むと見られる。つまり、アリストテレスは今日にいう狭義の<文学>あるいは(主としては言葉を用いる)<芸術>活動を意味させていると思われる。そして、西尾幹二は<創作家>でも<芸術家>でもない。
 しかし、大学院を含む学生時代に「文学」か「思想」かと(自分が立身出世する??)進路を迷ったと何かに書いていたように、結局は後者を選択したのだったが、元々根っこにあった(狭義の)「文学」的気分を残したまま、社会・政治・歴史等に関する「評論」活動を行なってきた。そして、彼が決して無視しないのは、狭義の「文学」または「文章表現の技術」であり、内容とは別に「うまい表現」あるいは「美文」に感心する側面がある。また、自分の文章・「レトリック」に酔っている印象を受けるときもある。
 長々と述べて最後は賛成か反対か、高く評価するか消極的にしか評価しないかの結論を5〜6文字で書けるところを、あえて3行ほども用いていることがある(付与された原稿枚数・紙面の都合かもしれないが)。
 以上はたんなる印象・感想だが、大きくは誤っていないだろう。
 <芸術>に傾斜しがちな<弁論>家なのであり、そこでは、<レトリック>は重要なのだ。しかし、<レトリック>にいくら長けていても、その文章作成「技巧」が秀れていても、言うまでもなく、叙述・論述の内容の適正さと関係はない。
 なお、ニーチェにはきっと<アフォリズム>が多数残されているのかもしれない。西尾も好きなようで、自分のブログサイト上に、第三者が抜粋している自分自身の<アフォリズム>を掲載している。「文芸評論的おしゃべり」のためにはレトリックも、それが生んだアフォリズムも意味があるのかもしれないが、問題は、何とでも言える「言葉・文章」ではない。
  上の点は、しかし、些細な論点だ。
 L・コワコフスキのニーチェに関する論述のうち、西尾幹二にもあたっていると感じた大きな点は、二つある。一つは、<反科学>性だ。
 西尾にとって重要なのは事実・真実ではなく、「言葉」によるその「解釈」だ。極限すると、事実・真実などは「言葉」によって、つまり「言葉を通じた解釈」によっていかようにも変更し、認定することができる、と考えているのではないか(極限すると、だが)。
 その<反科学>性はニーチェと共通性・類似性があるが、ニーチェの場合は、キリスト教のもとで育まれ進展した西欧的「近代科学」、「近代(西欧)文明」を敵としていたのだろう。
 そのような歴史的背景とはおそらく無関係に、西尾は「自然科学」を軽蔑し、無視しようとしている。前回にも触れたとおり。「自然科学」ではない「日本の科学」が西尾には重要なのだ(すでに紹介した)。
 そして、ニーチェによるキリスト教に対する敵視(L・コワコフスキは強調している)は、西尾による「宗教」嫌悪にもつながっているように見える。この人物はかつて、自分は<(何らかの)宗教に嵌まることはできない>と明記したことがある。
 きっと、本質的にはニーチェと同様に、「無神論」者なのだろう。
 しかし、2019年に西尾は、こう発言していたことを思い出す必要がある。
 西尾は対談の中でこう言った(複数回に言及済み)。月刊WiLL2019年11月号別冊、p.225。
 「日本人には自然に対する敬愛の念があります。日本には至るところに神社があり、儀式はきちんと守られている。…、やはり日本は天皇家が存在するという神話の国です。決して科学の国ではない。だからそれを守らなくてはなりません。
 「神社」を持ち出すところをみると、西尾は「神道」信者、少なくとも「神道」に愛着を感じる者、なのだろうか。また、「日本人には自然に対する敬愛の念があります」というからには、自分自身も「自然に対する敬愛の念」を抱いているのだろうか。
 いずれも、否、でないかと思われる。西尾幹二にとっては何よりも<自分の精神>が重要なのであって、神道を本当は崇敬してはいないし、「自然」を敬愛してもいない。むしろ自分を「自然」と対立・対峙させている。
 自然と人間の対比・対立、自然と「自分」の対比・対立はこの人にとっての出発点であり、絶対的なものだ、と考えられる(西尾に限られるわけでもないが)。
 しかし、秋月瑛二は、究極的には自分自身もまた「自然の一部」だと考えている。
 「私」・「自己」というものは、さほどに重大・深刻なものではない(と別のテーマになってしまった)。
 第二は、<反大衆>性だ。別の回にするが、つぎの歌詞(と旋律)に、西尾はきっと何の感動も持たない可能性がある、とだけ記しておく。
 「夢がなくても 希望がなくても 生きがいがなくても いつか見つかる
  悲しいことでも つらいことでも 報われる日がくる そう信じてる
  小さなともしびを 消さないようにと 肩をすくめながら 歩いてきたんだ

 2013年、辻井伸行/作曲=ピアノ演奏、Exile ATSUSHI/作詞=歌唱。「それでも、生きてゆく」の一部。正確な歌詞を見ていないので、漢字の使い方は原詞と違うかもしれない。

2265/「わたし」とは何か(3)。

 (つづき)
 第二。<生まれてから死ぬまでの個人・個体の<同一性>というドグマ、と前回最後に記したが、「ドグマ」、「同一性」という語自体の意味に問題はある。
 また、「生まれてから死ぬまでの個人・個体の…」ということも、厳密には疑わしい。
 別の回に茂木健一郎も述べていて、また脳科学分野全体で合致があるようなのだが、睡眠(とくにノンレム睡眠)中と全身麻酔中の人間には「意識」はない、とされる。「意識」(conciousness)が欠如していればと「私」という(「私」に関する)自己意識も消滅していることになる。とすると、毎日・毎夜、全身麻酔手術ののたびに「私」は途切れていて、連続していないことになろう。意識の喪失=「死」、ではないが、かりに誤ってこれらを同一視するとすれば、我々は何度も「死んで」いるのだ。つまり「私」は決して連続していないのだ。「意識」が消滅しているときの「私」とは、いったい何だろう。
 上のことはさて措くとしても、重要なのは、「生まれてから死ぬまで」とはいつからいつまでのことか、ということだ。
 脳科学、脳神経科学等の書物をかじっていて、ときに感じるのは、どのような人間を対象にして叙述、議論をしているのだろう、ということだ。おそらくは、<ふつうの(正常な)成人>を念頭に置いている。だが、生誕後に限るとしても、乳幼児期からいつ頃までに、「自己意識」をもつ「私」は発生>するのだろうか。
 いや、茂木健一郎は別の回で「胎児にも私があって、睡眠というものがあって、後で覚醒して、あっ私だ、と感じるのだろうか」というようなことを語っていたが、生誕時から(胎児の時から??)「私」はすでに発生しているのだろうか。
 逆に、「死ぬ」ときまで、「私」は存在しているのだろうか。認知症の患者にはどのような「私」があるのだうか。統合失調症の人々には、<歪んだ私>があるのだろうか。いわゆる精神障害者にとっての「私」とは??
 これはいつからいつまでを自立・自律の「人間」と見るのか、という大問題にかかわっているだろう。脳科学だけで解決できる問題でもないだろうが(つまり常識・伝統・制度等が関係する)、しかし脳科学・生物学こそが最も大きな寄与をすべき問題であるように見える。
 余計ながら、現在の日本の法律(・その解釈)では「人」となる時期は決まっていて「胎児」と区別されるが、旧優生保護法全面改正の現母体保護法(2013年〜)第14条第1項1号によると、「指定医師」は、「本人及び配偶者の同意を得て」、「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」について「妊娠中絶を行うことができる」。ここで「妊娠中絶」とは簡単には<胎児の母体からの排出>をいう(同第2条)。立ち入らないが、人としての生誕・非生誕は決して自然なものではない。なお、いくつかの寺院には真新しい「水子地蔵」がたくさん並んでいる。
 「死」の時期についても、「脳死」問題が議論されたように、自然に、あるいは明確に定まるものではない(むろん一定の基準はある)。
 <生まれてから死ぬまでの個人・個体の<同一性>>というドグマに立つとしても(実際には、または世俗生活的にはそのドグマを私も前提にはしているのだが…)、その始期と終期の厳密な確定にはなおも問題がある、ということを、<ふつうの(正常な)成人>だけを視野に入れるのではいけないのではないか、ということを、言っている。
 さらに余計ながら、人工妊娠中絶の是非はアメリカ等では<リベラル・保守>を分ける根本的対立点のようだし、自殺の是非・可否もキリスト教の人々には重要な論点のようだ。
 生と死に関係する重要な問題だが、日本人はどのように考えてきたのだろうか。生きていてこそ「私」があり、「こころ」もある。
 西尾幹二は、条件の物的な整備よりも「こころ」・「精神」の問題がより重要だと、強調する。また、「自然科学」も蔑視する。
 「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことができない領域」がある。それは「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」だ。
 以上、西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 「自然科学の力とどう戦うか、それが現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だ。
 以上、歴史通/月刊WiLL2019年11月号別冊「対談/皇室の神格と民族ま歴史」。
 西尾幹二は、日本での中絶や自殺・脳死の問題について、何か発言したことがあるのだろうか。これらは、もちろん<技術的な>問題ではなく、ヒト・人間にとって<本質的な>問題だ。
 ——

2260/L・コワコフスキによるF・ニーチェ②―西尾幹二に関連して。

 前回のつづき。L・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014)より。p.196〜。
 (9)ニーチェの言う「力への意思(意志)」には狭義と広義がある。狭義では、「周辺の軽蔑すべき弱者より高みに昇ろうとし、群衆から嫌われ孤立することを恐れない、高貴で勇敢な戦士にふさわしい精神」を示す。かかる戦士は「人間の高度な形態」を具現化し、人類の「目的」・「終着点」を実現する。この「目的」・「終着点」の意味は不明なままだが。
 広義では「宇宙に働くメカニズム」で、「形而上学的な原理」と称し得る。実際には無数の「力への意志の核」の集積体であり、「われわれ一人一人」である各核が「自分の力」の拡大を目ざして格闘する。方向性・目的・意味は不明なままで。
 (10)「力への意志」をもつ人間は自己の「私的利益に関心がない」が、同時に「思いやりや良心や罪」も知らない。これは「種の劣った個体に苦痛」を課したいからではなく、「単に劣った人々に無関心」だからだ。
 (11)「普通の人々」への「激しい軽蔑」は、偉大さを求める「主人の道徳」とニーチェが「群衆」と呼ぶ者たちの「奴隷の道徳」との対照から生じる。ニーチェには街角の「パン屋にも靴職人」も興味がなく、その嫌悪と軽蔑の対象は主に「自由主義や社会主義に染まった教養ある」「群衆」―作家・政治家・哲学家・「多数者の権利と人間の平等」への信念を広める人々―だ。ニーチェが非難するのは、「ヨーロッパ文明を腐敗させ堕落させて」現実に向き合っていない点にある。
 (12)B・ラッセルによると、ニーチェ哲学はつぎのリア王の言葉でまとめられる。―「復讐」を行う、してやる、地上の「恐るべきものに」。
 (13)ニーチェの「自負」からするとB・ラッセルの軽蔑にも根拠はある。しかし、ニーチェは「ある程度正しい」。なぜなら、「20世紀はポスト・ニーチェの時代」とされ、彼は「思いやりや友愛やその他キリスト教の徳を捨て去った」のちのニヒリズム・シニシズム・無神論の描出に「ある程度成功」している。
 ニーチェ像は彼を「先駆けとして持ち上げた」ナチスによって傷ついた。ニーチェは「ナチスでも反ユダヤ主義」でもないことは論証し得るが、大が小に勝つ「自然法則」にもとづき、「他民族の絶滅を伴うにしても第三帝国」の計画を是認しただろう。しかし彼は、孤独で高貴な戦士ではなく、「群衆の本能と感情」を具体化した「ナチスの群衆」を軽蔑したに違いない。その意味で、「ナチスのニーチェ主義」は半分は捏造だ。
 (14)だが、ニーチェが「生を称揚して高尚で力強く偉大なものすべてを神格化」する背後にあると感じられるのは、「制御できずに揺れ動いている」「絶望」だ。存在が無意味であることを悟った精神に生じる「癒しえない絶望」だ。
 我々は以下を問う。「ニーチェのレトリックによって刺激を受け人間の営みの一部で、ある種の完成を成し遂げた人」、「そうすることができないとわかりニーチェ哲学に殉じて自殺した人々」、「どちらが多数派なのか」?
 (15)以下は、ニーチェが設定する「問いかけ」のいくつかだ。
 ①無限に細部まで人生を反復するという「永劫回帰」の理念を支持することによる見通しは「喜ばしい」ものか、「恐るべき」ものか?
 ②ニーチェによれば「生と力に敵対する弱さと恐怖」の宗教であるキリスト教が「世界の大部分を支配する」という成功を収めたことは、ニーチェの主張の「反証」になり得るか否か?
 ③ニーチェによると、「伝統的道徳律」と伝来の「善悪に関する考え方」とは無関係に「力への意志を働かせて自分自身で人生の意味を創りださなければならない」。この見方によれば「偉大な芸術家」と「大犯罪者」はどう異なるのか? いずれも「人生において望んだ意味を創り出している」ので、ともに「同等に賛美すべきなのか」?
 ―――
 以上、邦訳書、訳者・藤田祐の訳に従っての、レシェク・コワコフスキによるF・ニーチェ「哲学」に関する簡潔な?論述。
 さて、こうした要約作業を行ってみたのは、著者がL・コワコフスキであることによるのは当然として、日本の西尾幹二についての「把握」作業の一環として、L・コワコフスキの一文に関心を持ったからだ。
 西尾幹二がたんなるニーチェ「研究者」であるだけではなく、ニーチェにかなり、又はある程度「傾倒している」、少なくとも「強い影響」を受けている、又は少なくともその基礎形成に影響を強く受けただろうことは明らかだ。
 西尾は1970年代に40歳を過ぎてもニーチェに関する(訳書でもない)研究書らしきものを出版しているので、ニーチェに馴染んだのは20〜30歳代の「若い」時代だけではない。
 西尾・全集第4巻(中身は多くは1972年。国書刊行会、2012)参照。
 また、1995年(60歳の年)以降になっても、しばしば、又はときに、「ニーチェ」又はその主張・見解に言及している。
 (かつまた、西尾が研究・分析の対象とした欧米「哲学者」はほぼニーチェに限られることも明らかだ。ついでながら、欧米の(その他世界に広げても同じだが)特定の「哲学者」の研究者は同時代に多くて十名もいないだろうから、日本では容易に〜に関する「専門家」、「第一人者」になれる。このことは外国(の人物・制度・理論)に関する日本の人文・社会系学問分野にほぼ一般に当てはまると思われる。)
 ニーチェの文献を読むことも西尾のニーチェに関する作業に目を通すこともしないが、当然に、近年もつづく西尾による言及の仕方がニーチェの主張・見解を適切に理解したうえのものであるかは。問題になりうるだろう。
 それは別としても、L・コワコフスキによるニーチェの紹介・概括は、西尾幹二を「理解」するうえでも、十分に参考になるところがある。別に書くことにしよう。

2259/L・コワコフスキによるF・ニーチェ①―西尾幹二批判に関連して。

 レシェク・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014)。
 30人の(欧米の)哲学者に関する上の著のp.191-p.199.は、F・ニーチェを対象とする。
 むろんL・コワコフスキの読み方・解釈がニーチェに関して一般的なものだと主張するつもりはないし、その資格もないが、先ずはL・コワコフスキの論述をできるだけ忠実に、と言っても要約的にならざるを得ないが、邦訳書に即して段落ごとに追ってみよう。その際、藤田祐の訳しぶりを信頼することにする。
 以下の数字は何段落めかを示す。最終段落(15)だけは実際には4段落から成る(あくまで邦訳書による)。
 (1)ニーチェは①神、②世界の意味、③キリスト教による善悪の区別、を認めないことで「ニヒリスト」とも呼ばれる。しかし、彼は自己の思想を「ニヒリズム的」と説明しないし、生命や本能に「敵対するキリスト教の道徳律」を非難するために「ニヒリズム的」という形容を用意している。もっともこの表現に通常は値するのはキリスト教ではなく、彼自身だ。「しかし、このことは単なる言葉の問題で、取るに足らない」。
 (2)哲学者の著作はその人生の一部だとして、ニーチェの人生の中に「思想の源」を見つけんとする多数の研究者がいる。しかし、詩人や画家の場合とは異なり、「通常は明確でそれ自体で理解できるテクスト」を生もうとする哲学者に関しては人生での出来事・病気・特異な性格に言及する必要はない。そんな言及が必要ならば、哲学者の著作は研究するに値しない。よって、「ニーチェの著作はそれ自体テクストとして研究」でき、「体調不良と、精神病にかかって晩年は施設で過ごしたという事実」は「無視」してよい。
 ニーチェの人生は彼の「レトリックがもつ魅力に屈した」多くの著述家・思想家に何の影響も与えていない。彼の精神生活の有益性・有害性を議論できる。但し、「ドイツ語散文の名人だった」ことに疑問はない。
 (3)ニーチェは諸論点を自信満々に語るが、批判者は相互矛盾を指摘する。「しかし、ニーチェの標的は明確だ。ヨーロッパ文明である」。彼はロックやカントが取り組んだ問題を扱わなかったという意味では「哲学者ではなかった」。彼の目的は、「ヨーロッパ文明が幻想で虚偽で自己欺瞞に満ちていて世界をありのままに見られない」ことを明確にさせて、「当時のヨーロッパ文明がいかに脆弱で軽蔑すべきで堕落しているのかを示す」ことだった。
 どう世界を見るべきかのニーチェの答えは明確だ。「世界全体にも人類史にも、全く意味も合理的な秩序や目的もない。理性なきカオスがあるだけで、<摂理>によって監視されてもおらず、向かうべき目的も方向性もない。他の世界もない。この世界しかなく他のすべては幻想なのだ」。
 (4)ニーチェの時代までに無神論は新奇ではなくなっていたが、彼の有名な一文「神は死んだ」は瞠目すべき効果をもった。たんに神が存在しないことを意味しはせず、「ドイツとヨーロッパのブルジョワ文化の核心に届いた一撃」で、その目的は「キリスト教の伝統」による「ブルジョワ文化」の不存在を指摘し、存在を語るのは「自身を欺く」ことだと示すことだった。ニーチェの意図は、「世界は空虚だ」と人々に「認識」させることにあつた。
 (5)ニーチェによると、「科学」は神・目的・秩序なき世界を把握できない。彼には科学称賛の論考もあり、その時代にはまだ新奇だった「ダーウィニズムに魅了されてもいた」。彼は「自然選択と適者生存」の考え方を是認した。但し、ニーチェが感銘を受けたのは「種の中の弱く劣った個体は取り除かれ、…最も高貴で最善の個体だけが生き残る」という考えだった。この法則が「人間という種」でも働くべきであり、「他より弱々しい個人は死ぬべきで、他より強い個人は生き残って劣った個人が死ぬのを手助けする」のだとした。ニーチェがキリスト教を軽蔑したのは、不幸な者・弱者を自然・生の法則に反して「保護し生き延びさせる」という原理のゆえだった。彼によるとキリスト教は「単純に生に反している」。
 彼はまた、「人間は動物である」とのダーウィニズムも支持した。これはその哲学において「人間は単なる動物にすぎず、それ以上の存在ではない」ことを意味した。
 (6)ニーチェはまた、「ストア派の教説―永劫回帰の理論」を信奉した。これは「進歩や衰退という考え方を含まず、単に同じことが無味乾燥に繰り返されるだけなので、東洋の宗教にある輪廻に対する信仰とは異なる」。彼はこの教説を「科学的仮説」と見なして真剣に取組んだ。
 (7)だが全体としては、部分的に「科学への賛辞」を述べても、科学が<真理>を生み出すことを期待しない。ニーチェによれば、科学は全ての認識と同じく「偏った観点」から解放され得ず、科学のいう「事実」は存在せず、「存在するのは解釈のみ」だ。天国と神の空虚を知るために科学が必要であるのでない。
 (8)我々の「存在の意味」、生きるための「価値」、つまりは「人生の意味」を創出できる―ニーチェはこう言う。そのためには「迷信」を廃し「弱さや謙虚を強め生に反する」キリスト教道徳を廃棄する必要がある。キリスト教道徳とは「復讐を求める欲望とルサンチマンから生まれる道徳」、「奴隷の道徳、高貴な主人に対する復讐を夢見る無力な群衆の道徳」だ。この福音書道徳を「生を力強く肯定する」ものに置換え、「高貴で力強い人々の道徳」・「主人の道徳である力への意思」で武装しなければならない。この道徳には「奴隷道徳」上の「善悪の区別」はなく、「悪」evilではなく「有害」badの言葉に意味がある。生への敵対、「力強く勝利する生の拡大」への敵対が badだ。
 ――
 ほぼ半ばに達したので、ここでいったん区切る。

2256/池田信夫ブログ018・西尾幹二批判005。

 
 池田信夫ブログ2020年7月14日付は同20日予定の「ブログマガジン」の一部のようなので、全文を読んでいるわけではないが、すでに興味深い。
 タイトルは「『皇国史観』という近代的フィクション」
 ときに、またはしばしば見られるように、紹介・論及する書物に書いてあることの紹介・要約なのか池田信夫自身の言葉・文章なのか判然としないが、片山杜秀・皇国史観(文春新書、2020年4月)を取り上げて、池田はまずこう書く。そのままの引用でよいのだが、多少は頭の作業をしたことを示すために箇条書きするとこうだ。
 ①「万世一系の天皇という概念」ができたのは明治時代だ。
 ②「天皇」は「古代から日本の中心だったという歴史観」は徳川光圀・大日本史に始まるが、一般化はしていなかった。
 ③その概念・歴史観を「尊王攘夷思想」にしたのは「19世紀の藤田東湖や相沢正志斎などの後期水戸学」だ。
 ④明治維新の理念はこの「尊王攘夷」だったという「話」は「明治政府が後から」つくったもので、「当時の尊王攘夷は水戸のローカルな思想」だった。
 ⑤この思想を信じた「水戸藩の武士は天狗党の乱で全滅」、長州にこれを輸入した「吉田松陰も処刑」。そのため、戊辰戦争の頃は「コアな尊王攘夷派はほとんど残っていなかった」。
 ⑥「水戸学」=尊王攘夷思想の最大の影響は、徳川慶喜(水戸藩出身)による「大政奉還」というかたちの「政権」投げ出しだったかもしれない。
 ⑦これは「幕府の延命」を図るものだったが、「薩長は幕府と徹底抗戦した」。
 以下、省略。
 こう簡単にまとめて叙述するのにも、幕末・明治期以降の「神・仏」・宗教・「国家神道」や戦後の神道の「宗教」化あたりの叙述と同様に、かなりの知識・素養・総合的把握が必要だ。
 片山なのか、池田信夫なのか、相当に要領よくまとめている。
 仔細に立ち入らないが、上のような叙述内容に、秋月瑛二も基本的に異論はない。
 少し脱線しつつ付言すると、①水戸藩スペア説・水戸出身の慶喜が一橋家養子となっていたため「最後の」将軍になった、という偶然?
 ②「大政奉還」は全面的権力放棄ではなく(1967年末には明治新政府の方向は未確定で)、とくに「薩長」が徳川家との全面対決と徳川権力の廃絶を意図して「内戦」に持ち込み、勝利してようやく<五箇条の御誓文>となった(ついでに、この第一項は決して今日の言葉での「民主主義」ではない)。
 ③尊王攘夷の「攘夷」は<臆面>もなく廃棄されたが、それは「長州ファイブ」でも明らか。-上に「コアな尊王攘夷派ほとんど残っていなかった」とあるのは、たぶん適切。
 
 明治維新を含んでの、上のような辺りに関する西尾幹二の<歴史観>を総括し分析するのは容易ではない。これは、日本の歴史・「天皇」についての理解の仕方全体にも当然にかかわる(容易ではない原因の一つは、同じ見解が継続しているとは限らないことだ)。
 だが、西尾幹二にも、明治期以降に「作成」された、あるいは本居宣長等以降に「再解釈」された「歴史観」・「天皇観」が強く反映されていることは明瞭だと思われる。
 <いわゆる保守派>によくある、明治期以降の「伝統」が古くからの日本の「伝統」だと思い込んでしまう(勘違いしてしまう)という弊害だ。
 西尾幹二自身も認めるだろうように、「歴史」の<認識>は少なくともある程度は、<時代の解釈>による。明治期あるいは大日本帝国憲法下の「歴史観」(=簡単には「皇国史観」)という一つの「解釈」に、西尾幹二も依拠しているものと思われる。
 この点は、いくつかの西尾の書物によって確認・分析するだろう。
 上のブログ叙述との関係でいうと、池田信夫が、①藤田東湖ら「後期水戸学」の尊王攘夷思想は「ローカルな」ものだったが、②明治政権が明治維新の理念に関する作り「話」として「後から」作った、③但し、真底から?これを実践したわけではない、と述べている部分は(最後の③は秋月が創作した)、西尾幹二とかなり関係している。
 「自由」を肯定的意味でも用いることのある西尾幹二によると、藤田東湖の父親の藤田幽谷は、こう叙述される。あくまで、例。
 ①藤田幽谷が幕府と戦ったのは「あの時代にして最大級の『自由』の発現でした」。
 ②「徳川幕藩体制を突き破る一声を放った若き藤田幽谷…」。
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)、p.205、p.379。前者に先立つp.181~に「後期水戸学」に関するかなり長い叙述がある。
 また、つぎの著は本格的に?、藤田父子を挟んで、水戸光圀から天狗党の乱までを叙述している。
 西尾幹二・GHQ焚書図書開封11-維新の源流としての水戸学(徳間書店、2015)
 このように西尾は藤田幽谷・東湖を高く評価している。但し、つぎの書には「水戸学」関係の叙述は全くないようなので、西尾が藤田幽谷・東湖らに関心を持ったのは、どうも2000年-2010年より以降のことのように推察される。
 西尾幹二・決定版/国民の歴史-上・下(文春文庫、2009/原著1999)。
 (ところで、西尾幹二全集第18巻/国民の歴史(国書刊行会、2017)p.765によると、「新稿加筆」を行い、上の「決定版」の三文字は外した、という。西尾『国民の歴史』には、1999年・2009年・2017年の三種類がある、というわけだ。「最新」のものだけを分析・論評の対象にせよ、ということであるなら、まともな検討の対象にはし難い。<それは昔書いたことで、今は違う>という反論・釈明が成り立つなら、いったん活字にしたことの意味はいったいどこにあるのか?)。
 さて、西尾幹二によるとくに「後期水戸学」の評価にかかわって、つぎの疑問が生じる。
 第一。西尾幹二は別途、「豊穣な」江戸時代、「すでに近代だった」江戸時代という像も提示していると思われる。
 西尾幹二・江戸のダイナミズム(文藝春秋、2007)。/全集第20巻(2017)。
 この書は本居宣長をかなり扱っている。しかし、珍しく「索引」があるものの、「水戸学」も「藤田幽谷」・「藤田東湖」も出ていない
 それはともかく、江戸幕藩体制を「突き破る」精神・理念を提供したという後期水戸学・藤田父子への高い評価と、上の書の江戸時代の肯定的評価は、どのように整合的・統一的に把握し得るのだろうか? 必ずしも容易ではないように思えるのだが。
 第二。池田信夫ブログにあるように、「尊王攘夷」思想が現実化された時期があったとしても、ごく短い時代に限られる。
 したがって、藤田幽谷ら→明治期全体、という捉え方をすることは全くできない。ましてや、藤田幽谷ら後期水戸学→「近代日本」という(少なくとも直接の)連結関係もない。
 余計ながら、明治時代こそ、現在の西尾幹二等々が忌み嫌う「グローバリズム」へと突き進んだ(またはそうせざるを得なかった)時代だった。「鹿鳴館外交」とはいったい何だったのか。
 したがって、今日において藤田幽谷らを「称揚」することの意味・意義が問われなければならない、と考えられる。西尾において、この点はいかほどに意識的・自覚的になされているのだろうか。
 そんなことはどうでもよい、と反応されるのかもしれない。とすれば、いかにも「西尾幹二的」だ。

2255/西尾幹二批判004-佐藤優・籠池泰典。

 
 佐藤優が週刊現代(講談社)2020年4月7号で、籠池泰典(森友事件参照)の書物(文藝春秋、2020年2月)を読んで、つぎのようなことを書いている。
 佐藤優のおそらく直接引用によると、籠池泰典は奈良県庁職員だった頃に「目の前に興福寺があり、東大寺や春日大社といった由緒正しい神社仏閣も間近に位置し、この国の伝統文化の息吹を日々感じることができた」。
 この部分に着目して、佐藤優はこう述べる。
 神社仏閣に日本の「伝統文化の息吹を感じる」という認識が重要だ。彼においては「神仏が融合して神々になっている」、「このような宗教混淆は神道の特徴だ」。
 彼は、「神道と日本文化を同一視している」。
 「実はここに『神道は日本人の習俗である』という言説で、事実上、国家神道を国教にしてきた戦前・戦中の宗教観との連続性がある」。
 「神社非宗教という論理に立てば、キリスト教徒でも仏教徒でも日本人であれば習俗として神社を参拝せよ、という結論になる」。
 佐藤はこのあたりに、かつて一時期は明確に日本会議会員(かつ大阪での役員)だった籠池についての「草の根保守」の意識を感じとっている。
 日本会議うんぬんは別として、上の佐藤の叙述は、じつはかなり意味深長であり、奥深い。あるいは、明瞭には整理されてないような論点を分析している。
 神道と仏教はそれぞれ別個の「宗教」だとの書き方をこの欄でしたことがあるのは現在の様相・建前を前提としているからで、江戸時代・幕末までの両者の関係・異同は分かりやすいものではなかったことは承知している。
 また、<神仏分離>の理念らしきものが生まれた一方で、伊藤博文は大日本帝国憲法制定の際に、「神道」は「宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し」く、日本国家の「機軸とすべきは独り皇室あるのみ」としたのだった。この点はすでに、以下の著に主としてよってこの欄で紹介した。
 小倉慈司=山口輝臣・天皇の歴史09/天皇と宗教(講談社、2011)。
 こうして「神道」は仏教と並ぶような(本来の?)「宗教」性を認められず、「宗教」に該当しないとされたがゆえに、実際には戦後すぐに生まれてすぐに消滅した観念であるらしい「国家神道」の状態が(上の佐藤によると)「事実上」生じたのだった。
 ともあれ、佐藤優は上の籠池著の紹介・書評を、籠池の印象に残ったというつぎの別人(日本会議大阪の役員)の言葉と、つぎの自らの言葉で結んでいる。
 <籠池さん、日本会議というタマネギの皮を剥いでいくと最後に何が残ると思います? 芯にあるのは神社なんです。>
 「国家神道が静かに蘇りつつある現実が、本書を読んでよく分かった」。
 
 西尾幹二は、岩田温との対談で、2019年末にこう発言した。月刊WiLL2019年11月号別冊、p.225。①~⑤は秋月が付したが、一続きの文章・発言だ。
 「①日本人には自然に対する敬愛の念があります。②日本には至るところに神社があり、儀式はきちんと守られている。③…、やはり日本は天皇家が存在するという神話の国です。④決して科学の国ではない。⑤だからそれを守らなくてはなりません。」
 全体として奇妙な論理でつながっているが、ここではとくに、①→②の「論理」が興味深い。
 ①日本人には「自然に対する敬愛の念がある」、②日本には「至るところに神社があ」る、という二つは、どのようにして、何故、こう<論理的に>結びつくのだろうか?
 ②の原因が①であることを肯定したとしても、①であれば当然に②になる、という論理的関係はないはずだ。
 日本人以外の人々もまた、アジアの人々も、たぶんキリスト教以前のヨーロッパ人も、「自然に対する敬愛の念」(かつ同時に<畏怖>の念)は持って来ただろうと思われる。
 それが、太陽・月、風雨、山海等々の「自然」の中で生きなければならなかったヒト・人間の自然の、素直な感情、<宗教意識>と称してよいようなもの、だったと考えられる。
 仏教徒も(あるいは日本的仏教らしい<修験道>者も)、「自然」を敬愛しかつ畏怖してきただろう。
 にもかかわらず、西尾幹二においてはなぜ、①日本人には「自然に対する敬愛の念がある」<から>、②日本には「至るところに神社があ」る、という発言の仕方になるのだろうか。深読みすると、「自然に対する敬愛の念」は当然に「神社」につながる、と理解され得るような発言の仕方になるのだろうか。
 既述のように、西尾幹二は「宗教」という語も、また「神道」という語すらもいっさい用いない。「神社」は「神道」の施設であることは常識、周知のことであるにもかかわらず。
 そして、上の佐藤優の表現を想起すると、西尾幹二においても戦前・戦中の「国家神道が静かに蘇りつつある」という現象が見られるのではないか、と感じられる。
 むろん、「日本会議」との関係を否定したい、あるいはそれを推測もされたくはないだろう西尾幹二が、その旨を明言するはずはない。
 しかし、「自然」→「神社」→「天皇」という上のような関係づけ(の単純な肯定)は、「国家神道」的であり、かつ(どのように西尾幹二が否定しようとも)日本会議と共通性または親近性がある。
 西尾幹二は、<最後の身の置き所を見つけておきたい、という境地>にあるのだろう、というのが、秋月瑛二の見立てだ。それが日本会議ではなく、産経新聞社・ワック等の<いわゆる保守>情報産業界隈であるとしても。
 
 追記。明治初年のいわゆる「学者の統治」の時期(上の山口輝臣らp.194-。これは「国学者の優越」時期のことだ)、萩藩=毛利藩の萩城下で起きたのが、隠れキリシタンの処遇に関する<乙女峠の惨劇事件>だった。一般には知られていない、明治初年の「状況」を知ることのできる事件と思われるので、この欄でいつか紹介したい。
 ***
 上に萩としたのは誤りで、乙女峠の所在は、正しくは石見国津和野藩。訂正する。/7月22日に後記。

2251/アリストテレスの「学問分類」-西尾幹二批判003。

 
 Newton2020年6月号(ニュートンプレス)の特集は<哲学>で、種々の興味深いことが書かれている。
 中でも、アリストテレスによる<学問分類>を紹介しているところが秋月にはきわめて面白い。
 「アリストテレスは学問分類をつくり、『万学の祖』と呼ばれています」と本文で述べて、その「学問分類」を紹介している(p.32)。
 この特集全体の「監修」はつぎの4名。金山弥平、金山万里子、一ノ瀬正樹、伊勢田哲治。元大学教授、現教授、現准教授だが専門は分からず(私には)、執筆担当または監修責任部分も明記されていない。しかし、かなりの素養のあることは、素人の秋月のせいかもしれないが、よく分かる。
 さて、これによると、アリストテレスは、「学問」をつぎの三種に分けた。
 A/理論的学問、B/実践的学問、C/制作的学問。A~Cの符号は秋月。
 これらを総じてアリストテレスは「哲学」と呼び、「論理学」は「哲学」に含めず、後者のための「道具」と見なした、という。
 先走って筆者なりに表現すると、ここでの「哲学」はほぼ、人間の「知的」営為全体だ。「知」への関心・愛着こそが Philosophy の原意だともされてきた。
 つぎに、上の書によると、上の三種はそれぞれ、さらに次のように分けられる。単純な分類ではなく、次の段階へと発展・展開するもののようにも感じられる(この部分は秋月)
 A/理論的学問→a・数学、b・自然学、c・形而上学
 B/実践的学問→a・倫理学、b・政治学
 C/制作的学問→a・弁論術、b・詩学。a~cの符号は秋月。
 上の7つについて、簡単な説明もあるが、ここでは省略する。
 
 なぜ、上の紹介が関心を惹いたかというと、こうだ。
 第一。<理系>・<文系>の区別、あるいは<自然科学>・<人文学>・<社会科学>(・「医学」)といったよく用いられる「学問」分類は、はたして人間の「知」的営為あるいは一定の意味での「精神」活動の段階・構造あるいは対象を的確に捉えて分類しているのか、という疑問をそもそももつに至っている。
 これは、直接には学校教育制度での「教育」内容・体系や日本での「学問」分野の設定・分類にかかわる。
 しかし、この全体または根本的なところを問題にしている研究者等はいるのだろうか。あるいは、全体・根本の適正さもまた問題にしなければならないのではないか。
 そのうちにいずれ、<幼稚な>西尾幹二の学問体系の認識の仕方には触れるだろう。
 人間の「知」とは何かが、脳科学・脳生理学・生物進化学、遺伝学等々も含めて、問われなければならず、そうしないと、無駄な「知」的作業、悪弊ばかりの「知的」活動も生まれてくる。それ自体が、人間の「知的」活動の必然的成り行きなのかもしれないけれども。
 なお、説明されているように今日にいう「自然科学」に最も近いのは、上の「自然学」だ。「法学」は上の「政治学」の中にかなり入りそうだ。
 第二。上のCのa・「弁論術」について、「聴衆に対するすぐれた説得法を対象」とする、との説明がある。また、「詩学」については、「文芸や演劇を対象」とする、とされる。
 これらも(「制作的学問」とアリストテレスが言ったらしいもの)もまた「知的」活動であり、広義には「学問」であり「哲学」でもあるだろう。「知的」、「精神」活動であることに変わりはない。
 上の二つに関連して、「政治」と「文学」の<二つの論壇>で自分は活躍?しているかのごとき迷言を吐いた小川榮太郎を思い出さなくもない。
 だが、もっとも直感的に想起したのは、西尾幹二がやっていること、やってきたことはアリストテレスのいう「弁論術」に最も適確には該当するだろう、ということだ。
 西尾幹二は文芸評論家でも少なくともかつてはあって、自らを「文学者」と呼ぶことにあるいは躊躇しないかもしれない。その意味では、小川榮太郎とも共通して上の「詩学」にも親近的で、傾斜しているかもしれない。
 しかし、何よりも、西尾幹二本人が明言しているように(002参照)、「理論的」であれ「実践的」であれ、西尾は「学問」をしているとは自己認識していない。
 この「理論的」と「実践的」の区別は、「理論・原理」科学と「政策・応用」科学の区分を想起させるところがあるが、どちらであっても、西尾幹二は追求してきていないし、追求してこなかった、と思われる。論理的・理論的な「筋道」、概念の首尾一貫性等々は、この人にとっては後景に退いている。
 では何を目ざしているのかは、別途ゆっくりと「分析」することとしよう。
 前回に紹介したように、西尾自身の言葉によるとやってきたことの全ては「研究でも評論でも」ない「自己物語」であり、「私小説的な自我のあり方」を-おそらくは本質的・究極的にはという限定つきだろうが-問題にしてきたのだ。
 なお、ついでながら、「詩学」にはさらに、「音楽」・「絵画」等の<言語>によらない表現活動も含めてよいのだろう。これらもまた、人間の「知的」、「精神的」活動であることに変わりはない。これらも含めて、「知」は体系化・構造化される必要があるものと思われる。
 
 当然のこととして、アリストテレスの若干の著作(むろん邦訳書)にあたって確認してみようとしたが、どうもよく分からない。
 アリストテレス=出隆訳・形而上学(岩波文庫、1959)は明らかに「哲学」の種別を問題にしているので、この書で上のような<学問分類>が語られているのかもしれないが、簡潔にまとめてくれているような叙述はないようだ。
 したがって、上のNewton2020年6月号のアリストテレスに関する叙述・紹介の適正さを私自身は保障しかねるのだが、「監修」者たちがとんでもない間違いをしているわけではおそらくないだろう。 

2249/西尾幹二批判002。

 
 前回に引用した、つぎの西尾幹二の発言もすでに奇妙だ。月刊WiLL2011年12月号。
 ①「『神は死んだ』とニーチェは言いましたが、」
 ②「西洋の古典文献学、日本の儒学、シナの清朝考証学は、まさに神の廃絶と神の復権という壮絶なことを試みた学問であると『江戸のダイナミズム』で論じたのです」。
 ③「明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」 。
 上の①・②は一つの文、①・②と③は一続きの文章。
 第一に、前回に書き写し忘れていた「西洋の古典文献学」においては別として、ニーチェが「死んだ」という<神>と「日本の儒学、シナの清朝考証学」における<神>は同じなのか? 一括りにできるのか?
 ニーチェの思い描いた「神」はキリスト教上の「神」であって、それを、インド・中国・日本等における「神」と同一には論じられないのではないか。
 ①と②の間に何気なくある「が、」がクセモノで、いわゆる逆接詞として使われているのではない。
 このように西尾において、同じまたは類似の言葉・観念が、自由に、自由自在に、あるいは自由勝手に、連想され、関係づけられていく、のだと思われる。
 したがって、例えば1999年の『国民の歴史』での「歴史・神話」に関する論述もまた、元来は日本「神話」と中国の史書における「歴史」の差異に関係する主題であるにもかかわらず、「本質的」議論をしたいなどとのカケ声によって、ヨーロッパないし欧米も含めた、より一般的な「歴史・神話」論に傾斜しているところがある。
 そのような<発想>は、2019年(月刊WiLL別冊)の「神話」=「日本的な科学」論でも継承されているが、しかし、神話・歴史に関するその内容は1999年の叙述とは異なっている。西尾において、いかようにでも、その具体的「内容」は変化する。
 連想・観念結合の「自由自在」さと「速さ」は、<鋭い>という肯定的評価につながり得るものではあるが、しかし、「適正さ」・「論理的整合性」・「概念の一貫性」等を保障するものではない。
 ついでに、すでに触れたが、「神話」に論及する際に、「宗教」に触れないのもまた、西尾幹二の独特なところだ。日本「神話」が少なくとも今日、「神道」と切り離せないのは常識的なところだろう。しかし、1999年の『国民の歴史』で<日本>・<ナショナリズム>を示すものとして多数の仏像の「顔」等の表現を積極的・肯定的に取り上げた西尾幹二としては、仏教ではなく神道だ、とは2019年に発言できなかったに違いない。
 もともと1999年著を西尾は、神道と仏教(等)の区別あるいは異同(共通性を含む)に関心を持たないで執筆している。この当時は、神道-神社-神社本庁-神道政治連盟という「意識」はなかった可能性が高いが、これを意識しても何ら不思議ではない2019年の対談発言でも、日本「神話」の「日本の科学」性を肯定しつつも、<仏教ではなく神道だ>とは明言できないのだ。
 ここには、まさに西尾幹二の「評論」類の<政治>性の隠蔽がある。<政治評論>だからいけない、という趣旨ではない。その具体的「政治」性を意識的に隠蔽しようとしている欺瞞性を指摘している。
 第二に、西尾は「明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」と何げなく発言している。だが、上の第一の問題がそもそもあることのほか、「ニーチェの問い」を問題として設定する、あるいはそれに対して回答・解答する義務?が「明治以後の日本の思想」にあるわけでは全くないだろう。
 したがって、これは西尾の「思い」にすぎない。ニーチェに関心がない者、あるいはニーチェの「問い」を知ってはいても反応する必要がないと考える者にとって、そんなものは無視してまったく差し支えない。
 もともとはしかし、「神は死んだ」というのはニーチェの「問い」なのか?(上の西尾の書き方だと、そのように読める)、という疑問もある。
 
 上の部分を含む遠藤浩一との対談は『西尾幹二全集』の「刊行記念」とされていて、2011年10月の第一回配本の直後に行われたようだ。
 したがって、西尾幹二の個別の仕事についてというよりも、<全体>を視野に入れたかのごとき対談内容になっている。
 そのような観点からは、つぎの西尾幹二の自らの発言は、すこぶる興味深い。p.245。
 「(遠藤さんもご存知のように、)私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした。
 …を皮切りに、…まで、『私』が主題でないものはありません
 私小説的な自我のあり方で生きてきたのかもしれません。」
 自分が書いたものは全て①「自己物語」で、②「『私』を主題」にしており、③「『私小説的な自我のあり方』」を問題にしてきた。
 上の③の要約はやや正確さを欠くが、いずれも同じ、またはほとんど同じ趣旨だろう。
 西尾幹二の発言だから、多少の<てらい(衒い)>があることは、差し引いておくべきかもしれない。
 しかし、ここに、西尾幹二の<秘密>あるいは、西尾幹二の文章(論説であれ、評論であれ、研究的論述もどきであれ)を読む場合に読者としてはきちんと把握しておかなければならない<ツボ>がある。
 瞞されてはいけないのだ。
 つまり、西尾自身が明記するように「私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語」だ、というつもりで、読者は西尾幹二の文章を読む必要がある。
 この辺りの西尾自身の発言が興味深いのは、西尾の「論述」に、「自我=自己肥大」意識、その反面での厳密な「学術性・学問性」の希薄さをしばしば感じてきたからだ。
 少し飛躍してここで書いてしまえば-これからも書くだろうが-、政治や社会やあるいは「歴史」を<文学評論>的に、あるいは<文芸評論>的に論じてはならない。
 政治・社会・国家を<文学的・文芸的>に扱いたいならば、小説等の<創作>の世界で行っていただきたい。三島由紀夫のように、「戯曲」でもかまわない。
 「オレはオレは」、「オレがオレが」の気分で溢れていなくとも、それが強く感じ取れるような「評論」類は、気持ちが悪いし、見苦しいだろう。西尾幹二個人の「『私小説的な自我のあり方』」などに、日本や世界の政治・社会等の現状・行く末あるいはそれらの「歴史」に関心をもつ者は、関心を全く、またはほとんど、持っていない。
 
 レシェク・コワコフスキにつぎの書物があり、邦訳書もある。
 Leszek Kolakowski, Why Is There Something Rather Than Nothing - Quetions from Great Philosophers(Penguin Books, 2008/原著2004ー2008).
 =レシェク・コワコフスキ(藤田祐訳)・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014.01)。本文p.244まで。
 後者の邦訳書の藤田祐「訳者あとがき」も参照して書くと、この書はつぎのような経緯をたどったようだ。
 まず、ポーランドで(ポーランド語で)2004年、2005年、2006年に一部が一巻ずつ計3巻刊行された。
 そして、2007年に1冊にまとめての英訳書が出版された。但し、この時点では23人の哲学者だけが対象とされていて、副題も含めて書くと、英訳書の表題はこうだった。
 Leszek Kolakowski, Why Is There Something Rather Than Nothing - 23 Quetions from Great Philosophers(Allen Lane/Basic Books, 2007)。
 2008年版では、扱っている哲学者の数が、30にふえている。2007年以降に著者がポーランド語で追加したものも含めて、2008年の英訳書にしたものと見られる。
 なお、英訳者は、2007年版も2008年版も、Agnieszka Kolakowska。父親のLeszek Kolakowski は2009年に満81歳で逝去した。
 2008年版と上記のその邦訳書は30人の哲学者を取り上げている。
 つぎの30名だ。横文字で、全てを列挙する。()内の7名は追記版で加えられた人物。
 01-Socrates, 02-Parmenides of Elea, 03-Heraclitus of Ephesus, 04-Plato, (05-Aristotle), 06-Epictetus of Hierapolis, 07-Sextus Empiricus, 08-St. Augustlne, 09-St. Anselm, (10-Meister Eckhard), 11-St. Thomas Aquinas, 12-William of Ockham, (13-Nicholas of Cusa), 14-Rene Descartes, 15-Benesict Spinoza, 16-Gottfried Wilhelm Leibniz, 17-Blaise Pascal, 18-John Locke,(19-Thomas Hobbes), 20-David Hume, 21-Immanuel Kant, 22-George Wilhelm Friedrich Hegel, 23-Arthur Schopenhauer, 24-Sören Aabye Kierkegaard, 25-Friedrich Nietzsche, 26-Henri Bergson, 27-Edmond Husserl, (28-Martin Heidegger, 29-Karl Jaspers, 30-Plotinus)
 原著・第一の英語版では23名で、つぎの7名が後で加えられた(この説明は日本語版「訳者あとがき」にはない)。再掲する。
 05-Aristotle, 10-Meister Eckhard, 13-Nicholas of Cusa, 19-Thomas Hobbes, 28-Martin Heidegger, 29-Karl Jaspers, 30-Plotinus.
 さて、西尾幹二と比べてL・コワコフスキは遥かによく知っているなどという当たり前のことを記したいのではない。
 上に(25-)Friedrich Nietzsche があるように、L・コワコフスキはニーチェも当然ながら?読んでいる。30人の哲学者を一冊で扱っているので(但し、簡易辞典類のものでは全くない)、ニーチェについても邦訳書で8頁しかない(文庫本のごとき2007年版英訳書では、計10頁)。
 それでも、L・コワコフスキのニーチェに関する記述を参考にして(幸いにもすでに邦訳書がある)、ニーチェが西尾幹二に対して与えた深い?影響は何かを、少しは探ってみたい、と思っている。
 つづける。

2245/西尾幹二批判001。

 小分けすると面倒くさいので、まとめる。
 
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018.10)は比較的最近の西尾の<哲学・思想>畑の本だ。
 この書名は編集者(湯原法史)の発案によるらしいとしても、この書名から「自由」が種々に論じられているという期待または幻想は、はかなくも瞬時に破れる。
 既述のように、A・スミスは「経済学者」だから、そこでの「自由」はfreedom ではなくliberty だ、などというとんでもない叙述が最初の方にある。「経済学とはそういう学問です」(p.36)という珍句?まであるのだが、A・スミスもF・ハイエクも(フリードマンも)、「たんなる経済学者」ではなく「哲学者」、少なくとも「経済哲学(思想)」、「社会哲学(思想)」、「歴史哲学(思想)」等にまたがる人物だったことは、むしろ常識に属するだろう。
 西尾幹二が『自由』を問題にしながら、古今東西の「自由」に関する多数の哲学者・思想家・歴史家等々の文献を渉猟して執筆しているわけではないことは、すぐ分かる。
 世に「哲学者」として知られている者の著書のうち、参照しているのはほとんどF・ニーチェだけだろう。後半にルター、エラスムスが出てきているが、「自由」論とのかかわりは未読なのでよく分からない。
 きりがないが、ロックも、ホッブズも、ルソーも、カントもヘーゲルもマルクスも、ベルクソンもフッサールもサルトルも、ハーバマス等々々も、ついでにトニー・ジャットもジョン・グレイもL・コワコフスキも、西尾幹二の頭の中にはない。きっとまともに読書したことがないのだ。また、日本で現在もよく使われる<リベラリズム>も、liberal 系とはいえ、「自由主義」とも訳されて、当然に「自由」に関係するが、この言葉自体が西尾著にはたぶん全く出てこない。
 そんなだからこそ「深み」はまるでなく、「自由」と「平等」との関係をけっこう長々と叙述したあと、こんなふうに締めくくられる(p.154)。
 オバマは「平等」にこだわり、トランプは「自由」にこだわり続けるだろう。二人のページェントが「これから先、何処に赴くかは今のところ誰にも分かりません」。
 ?? 何だ、これは。
 
 西尾幹二は若いときはニーチェ研究者だったようで、おそらくは、ドイツ語・ドイツ文学・ドイツ哲学あたりの<アカデミズム>をこれで通り抜け、あとは<アカデミズム(学界)>にとどまってはいない。
 この<アカデミズム(学界)>からの離脱は多少の痛みは伴いつつも、彼にとっては<自慢>だったかにも見える。自分は狭いアカデミズムの世界の中にいる人間ではない、広く<世間>、<社会>を相手にしているのだ。
 「論壇」に登場する「評論家」というのは、たんなる「~(助)教授」よりは魅力的で<えらい>存在だと彼には思えたのではないか。
 余計な方向に滑りかけたが、ともかく、西尾幹二はニーチェ研究者だった。
 そして、ニーチェを良く知っていること、反面ではそれ以外の哲学者についてはろくに知らないことは、のちのちにまで影響を与えているようだ。
 その証拠資料たる文章があるので、以下に書き写す。表題がむしろ重要だが、次回以降に言及する。
 西尾幹二(聞き手・遠藤浩一)「私の書くものは全て自己物語です」月刊WiLL2011年12月号(ワック、編集長・花田紀凱)p.242以下。
 ・遠藤「先生のニーチェ論を読んでいると、ご自身の自画像をなぞっておられるのでは、との印象を受けることがあるのですが」。
 西尾「実は私を知るある校正者からも『これは先生自身のことを書いているのではないですか』と告げられました(笑)」。
 ・遠藤「『江戸〔のダイナミズム〕』がニーチェの続篇?」
 西尾「私の心のなかではそうです」。
 西尾「『神は死んだ』とニーチェは言いましたが、日本の儒学、シナの清朝考証学は、まさに神の廃絶と神の復権という壮絶なことを試みた学問であると『江戸のダイナミズム』で論じたのです」。
 この直後に「明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」という一文が続く。なんというニーチェ傾倒だろうか。
 おそらくは現在にまで続くニーチェの影響の大きさと、その反面として、その他の種々の「哲学・思想」に、「日本の思想」も含めて取り組んだことがこの人はなかった、ということも、この一文は示していそうだ。
 なお、遠藤浩一はこの欄で論及したこともあったが、故人となった。1958~2014。

2241/西尾幹二・西部邁と「天皇」の変容。

 
 西尾幹二・皇太子さまへの御忠言(ワック、2008/2012)。
 西尾幹二「皇太子さまへの御忠言/+第2弾!」月刊WiLL2008年5月号/6月号(ワック)。
 西尾幹二「女性宮家と雅子妃問題」月刊WiLL2012年3月号(ワック)。
 こうした西尾幹二の発言・主張に対して、西部邁は2013年秋にこう批判的にコメントしていた。なお、これら月刊WiLLのこの時期の編集長は花田紀凱。
 西部邁「天皇は世襲の法王なり」月刊WiLL2013年10月号(ワック)。p.283-4。
 「…。しかし、戦後に進んでいるのは、日本の伝統を全て天皇に預けて国家の歴史には無関心でいる、という伝統に関する無責任体制です。//
 そう考えると、僕には西尾幹二さんのように、皇太子さまや雅子妃殿下に対して『御忠言申し上げる』という態度には出られない。
 …全面否定しているわけではありません。国民が皇室のあり方について発言するというのは、最低限のエチケットを守っているかぎりにおいて許されることだと思いますし、『畏れを知らずに皇室にもの申すとはけしからん』などいう意味で疑問を呈しているわけではない。
 国民の責任をまず問えと言いたいだけです。//
 しかし、今日の国民を見ればわかるように、これほどまでに伝統を無視し、つまりは、天皇の地位の基盤となるものを破壊しておきながら、しかも皇室に様々な問題が生じている時に皇室批判に立ち上がるというのは、僕にはどうしても本末転倒だと思う。」
 上の西部邁論考全体ではなく、上のコメント・感想のかぎりで、西部の言いたい趣旨もよく理解できる。
 そして、「(今日の国民は)天皇の地位の基盤となるものを破壊しておきながら、…」という部分に関して、別に長く書こうと思っていたのだが、よく調べて確認しないままで以下に記しておくことにする。
 
 上で西部の言う「天皇の地位の基盤となるもの」の「破壊」の具体的意味ははっきりしない。
 だが、「破壊」された「天皇の地位の基盤」を無視して、まるで旧憲法下の「天皇」制度が戦後に継承されているかのごとき<錯覚>を、自称あるいは「いわゆる保守」派はしていることが多いと見られる。あるいは、<錯覚>していることを意識しながら、その点を無視して、一生懸命に女系天皇排除とか容認とかに焦点を当てて論じているのようにも見える。
 女系天皇・女性天皇うんぬんの議論が全く無意味だとは思えない。
 しかし、旧憲法下と現憲法下と、「天皇」をめぐる環境は大きく変容していることを十分に意識しておく必要があるだろう。
 世襲天皇制の現憲法上の容認でもって、「天皇」制の連続を語る者は多いだろう。125代とか126代とか言われる。
 しかし、江戸時代の「天皇」と明治憲法下の「天皇」とが大きく変化したように、戦後の「天皇」もまた、戦前とは大きく変わっている。この「現実」をまずは明確に認識しなければならない。以下、立ち入った確認作業を省略して書く。
 第一。戦前の、「皇族」・「華族」・「士族」・「平民」・…という<身分>制度が、「皇族」を除き、全て消滅した。
 「天皇」制度はなぜ長く残ってきたのか、武家政権はなぜ「天皇」を許容したのか、といった問題が設定されることがある。これについては、「天皇」一身または天皇「一族」程度ならば、世俗武家政権は<廃絶>あるいは露骨には<一族根絶>くらいのことはすることのできる実力(・暴力)機構を有していたかと思われる。
 それをしなかった、またはそうできなかった理由は、「天皇」をとり囲む「貴族」あるいは「公家社会」の存在だ。天皇個人や天皇一族を殺しても、「公家社会」全体を廃絶することはできず(皇位主張者はおそらく途切れず)、むしろ大きな反発を喰い、重大な「社会不安」の原因となる。
 専門家ではないから、一種の思いつき的なものだが、上のような事情が少なくともあったことを否定できないのではないか。
 明治以降も「華族」制度は残った。それには公家に加えて新しく、<廃藩置県>後に旧藩主階層まで入ってきた(公卿に加えての諸侯)。これらかつての<貴族・公家>にあたる階層は、明治以降も、「天皇」、そして「皇族」を(現在よりも)厚く取り囲み、心理的・精神的面を含めて保護する役割を果たしていたかに見える。
 そのような「華族」(公爵・伯爵・侯爵・子爵・男爵)は現在にはない。あるのは「皇族」とそれ以外(あるいは「皇族」と「旧皇族の末裔」とそれ以外)だけだ。
 「天皇(家)」は、孤独なのだ。「皇族」の数も減ってきた。この減少、そして敗戦後の「旧皇族」の多くの皇籍離脱の実質要求がGHQの「陰謀」だとする見方も多いようだが、今のところそうは感じない。
 「皇族」以外についての<法の下の平等>、それ以外の<身分>制の廃止にこそ根源があると見るべきだ。
 そして、<いわゆる保守>派も、日本会議も、「華族」・「士族」の廃止を批判してこれらの復活を主張しているわけでは、全くないだろう。明治憲法下への<郷愁>があるとするなら、この点はいったいどうなのか??
 第二。上野「恩賜」公園という名前で現在でも残っているが、戦前は、天皇および「天皇家」は大資産家だった。<天皇財閥>という語もあったと読んだことがある。
 もともと一般の「公家」一家以上には天皇「家」は少しは裕福だったようだが、明治維新後の近代<所有権>制度の確立とともに、「国(国家)」とともに「天皇(家)」も大資産家になったのではないか。神宮(・外苑)もまた、天皇(家)の「私」有地だった。
 戦後憲法下ではどうなったか。
 国有財産法(法律)に「皇室用財産」という言葉・概念がある。しかしこれは「国有財産」の一種であって、「皇室」または「天皇」の<私有>財産ではない。
 皇居の土地も建物も、逗子や那須の「御用邸」も皇室用財産としてもっぱら皇室または天皇家の利用に供されているようだが、全て国有財産であって、排他的に利用できる地位・権能が「皇室」であるがゆえに実質的に認められているにすぎない。
 三種の神器は天皇家に伝わる「由緒ある」ものとされて国有財産ではないようだが、天皇(家)あるいは秋篠宮家等が<私的に・個人的に>所有している>財物というのは(外国賓客からの個人的贈答品は含まれるかもしれない)、相当に限られているのではないか。
 かつて現在の上皇陛下が皇居内で某ホンダ製自動車を運転される映像を見たことがある。皇居内の公園・緑地ならば<運転免許証>は不要だろうと感じたものだが、はてあの自動車は「誰の所有物」だったのか? 当時の天皇個人の所有だったのか、宮内庁(・国)から「借りて」いたのか。
 要するに、ここで言いたいのは、現在の天皇(家)はまともな?私有財産をほとんど所有していない、ということだ。国からの「内廷費」から、個人的な支出も行われている、ということだ。天皇(家)は「ほとんど裸の」状態にある、との叙述を読んだこともある。
 以上、少なくとも二点、旧憲法下から現在へと憲法上「世襲天皇制」が、そして皇室典範(法律)上原則としての?<終身在位>制が明治憲法下の皇室典範においてと同様に継承されているとは言え、「天皇」(家)をとりまく環境は、大きく、決定的と言ってよいほどに変容している。
 そのような天皇(家)だけに対して日本の「伝統」を守れ、と主張するのは、西部邁も指摘するように、「本末転倒」という形容が適切かどうかは別として、やや異常なのだ。あるいは、何らかの「政治上」または「商売上」の目的・意図を持つものと思われる。

2239/西尾幹二の境地・歴史通/月刊WiLL11月号別冊⑥。

 
 西尾幹二(1935~)の遅くとも明確には2019年以降の<狂乱>ぶりは、戦後「知識人」または「評論家」、少なくとも<いわゆる保守>のそれらの「行く末」、最後あたりにたどり着く「境地」を示しているだろう。
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL11月号別冊(ワック)=月刊WiLL2019年4月号の再収載。
 何度めかの引用になるが、西尾幹二は、こう明言した。
 ①「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません。
 大げさにいえば超越的世界観を信じるか、可視的世界観しか信じられないかの岐れ目がここにあるといってよいでしょう。
 …、少しは緩めて寛大に…と考える人…。しかし残念ながらそれは人間世界の都合であって、神々のご意向ではありません」。p.219。
 ②「日本人には自然に対する敬虔の念があります。…至るところに神社があり、儀式はきちんと守られている。
 …、やはり日本は天皇家が存在するという神話の国です。決して科学の国ではない。だから、それを守らなくてはなりません。」p.225。
 上の最後に「天皇家」への言及がある。
 ところでこれを収載する雑誌=歴史通・月刊WiLL11月号別冊(2019)の表紙の下部には、現天皇と現皇后の両陛下の写真が印刷されている。
 ところが何と、広く知られているはずのように、西尾幹二は、中西輝政や八木秀次・加地伸行らとともに、現皇后が皇太子妃時代に皇后就位資格を疑い、西尾は明確に「小和田家が引き取れ」と書き、秋篠宮への皇統変化も理解できる旨を書いた人物だ。
 平成・令和代替わり時点での他の雑誌に西尾幹二は登場していた。むろん、かつての皇太子妃の体調等と2019年頃以降とは同一ではないとは言える。状況が変わったら、同じ事を書く必要はないとも言える。
 しかし、誠実で真摯な「知識人」・「評論家」であるならば、西尾幹二は編集部からの執筆依頼にホイホイと乗る前に、あるいは乗ってもよいがその文章や対談の中で、かつての皇太子妃(・現皇后)、ひいては皇太子(・現天皇)について行った自分の言論活動について、何らかの感想を述べ、態度表明をしておくべきだろう(かつてはそれとして正当な言論活動だった、との総括でも論理的には構わない)。
 西尾幹二は、自らに直接に関係する「歴史」についても、見ようとしていないのではないか。別に触れるようにこれは<歴史教科書問題>についても言えるが、自らに関係する「歴史」を無視したり、あえて触れないようにしているのでは、とても「歴史」をまともに考察しているとは思えない。むろん「歴史家」でも、「歴史思想家」でもない。「歴史」に知識が多い「評論家」とすら言えないだろう。
 
 上掲の対談部分できわめて興味深いのは、西尾は「神話」に何度も言及しつつ、以下の二点には論及しようとはしていないことだ。
 第一。「神話」とか「神々のご意向」と、西尾は語る。
 ここでの神話とは日本で日本人として西尾は発言しているのだから、「日本(の)神話」あるいは「日本(の)神話」上の「神々」のことを指して、上の言葉を使っていると理解する他はないだろう。まさか、キリスト教「神話」またはキリスト教上の「神々」ではないだろう(仏教の「神」はふつうは「神」とは言わない)。
 しかるに、西尾幹二は、「日本神話」という語も、また、<古事記>という語も<日本書記>という語も(その他「~風土記」も)、いっさい用いない。
 これは異様、異常だ。使われていない言葉にこそ、興味深い論点が、あるいは筆者の意図があったりすることもある。
 そしてもちろん、「女系天皇は史上例がない」という西尾の<歴史認識>の正しさを根拠づける「日本(の)神話」上の叙述を一句たりとも、一文たりとも言及しないし、引用もしない。
 これもまた、異様、異常だ。なお、p.223では対談相手の岩田温が、<天照大御神の神勅>に言及している。これにすら、西尾幹二は言及することがない。
 だが、しかし、この「神勅」はかりに「天皇(家)」による日本統治の根拠になり得るとしても(もちろん「お話」として)、女系天皇の排除の根拠には全くならない。(さらには、天照大御神は古事記や日本書紀上の「最高神」として位置付けられているというのも、疑わしい一つの解釈にすぎない。)
 第二。「神話」というのは、世界でどの程度がそうなのかの知識はないが、何らかの「宗教」上のものであることが多い。または、何らかの「宗教」と関係していることが多い。ここでの「宗教」には、自然や先祖への「信仰」を含む、<民俗宗教>的なものも含めておく。
 さて、西尾幹二の発言に特徴的であるのは、「神話」を熱心に語りながら、「宗教」への言及がいっさいないことだ。
 上に一部引用した中にあるように、「神社」に触れている部分はある。また、<宮中祭祀>にも言及している。
 しかし、何故か、西尾幹二は、「神道」という語・概念を用いない。「神社神道」という語はなおさらだ。
 かと言って、もちろん「宗教」としての「仏教」に立ち入っているわけでもない。
 これまた、異様、異常だ。 いったい、何故なのだろうか。
 抽象的に「神話」で済ませるのが自分のような「上級かつ著名」な「知識人・評論家」がなすべきことで、「神道」(・「神社神道」)といった言葉を使うのは「下品」だとでも傲慢に考えているのだろうか。
 それとも、かなりの推測になるが、「神道」→「神社神道」→「神道政治連盟」→日本会議、という(相当に常識化している)連想を避けたいのだろうか。
 西尾幹二は櫻井よしこ・日本会議は<保守の核心層>ではないとそのかぎりでは適切な批判をし、日本会議・神道政治連盟の大多数が支持している安倍晋三政権を「保守内部から」批判したりしてきた。そうした経緯からして、日本会議・神道との共通性または自らの親近性、西尾幹二自身もまた広く捉えれば日本会議・櫻井よしこらと同じ<いわゆる保守>の仲間だ、ということを感じ取られたくないのだろうか。
 
 神話について叙述しながら、かつまた「神話と歴史」の関係・異同を論じながら、つまり「神話」と「歴史」という語・概念は頻繁に用いながら、<宗教>に論及することがない、またはきわめて少ないのは、西尾幹二のつぎの1999年著でも共通している。
 西尾幹二・国民の歴史/上(文春文庫、2009/原著・1999)。
 ここで扱われている「歴史と神話」は日本に固有のそれではなく、視野は広く世界に及んでいるようだ(と言っても、欧州と中国が加わっている、という程度だと思われる)。
 しかし、この主題は日本の「神話」と中国の「歴史(書)」=魏志倭人伝の比較・優劣に関する論述の前段として語られていること、または少なくともつながっていることを否定することはできない。
 そして、きわめて興味深いのは、日本または日本人の「神話」あるいは古代日本人の「精神世界」に立入りながら、西尾幹二は決して「神道」とか「仏教」とかを明確には論述していないこと、正確にいえば、「日本の神道」と「日本化された仏教」を区別して叙述しようという姿勢を示していないことだ、と考えられる。
 西尾幹二は「神道」と「仏教」(や儒教等)の違いを知っているだろうが、この点を何故か曖昧にしている。
 これは不思議なことだ。
 しかし、西尾の主眼は<左翼>ないし<左派>歴史観に対して『ナショナリズム』を対置することにあるのだとすると、上のことも理解できなくはない。
 この書には(原書にも文庫本にも)「日本文明(?)」の粋と西尾が思っているらしき日本の彫像等による「日本人の顔」の写真が掲載されている。文庫本に従うと(原著でも同じだった筈だが)、つぎの16だ。
 ①四天王・増長天像(当麻寺金堂)、②四天王・広目天像(同)、③塔本四面具・八部衆像(法隆寺五重塔)、④塔本四面具・十大弟子像(同)、⑤八部衆・五部浄像(興福寺)、⑥八部衆・沙羯羅像(同)、⑦十大弟子・目犍連像(同)、⑧十大弟子・須菩提像(同)、⑨四天王・広目天像(東大寺戒壇院)、⑩無著菩提立像(興福寺北円堂)、⑪世親菩薩立像(同)、⑫重源上人坐像(東大寺俊乗堂)、⑬二十八部衆・婆藪仙人像(三十三間堂)、⑭二十八部衆・摩和羅女像(同)、⑮護法神像(愛知・荒子観音寺)、⑯十二神将・申像(愛知・鉈薬師堂)。
 なお、口絵上の上記以外に、本文途中に、つぎの写真もある。便宜的に通し番号を付す。p.395以下。
 ⑰宮毘羅像頭部(新薬師寺)、⑱持国天像邪鬼(興福寺東金堂)、⑲雷神(三十三間堂)、⑳風神(同)、21梵天坐像(東寺講堂)、22十二神将・伐析羅大将像(興福寺東金堂)、23金剛力士像・吽(興福寺)。
 一見して明らかなように、これらは全て<仏教>上のもので、現在は全て仏教寺院の中にある。口絵部分の最後の2つの⑮・⑯が見慣れた仏像類とやや異なるが、あとは紛れもなく「仏像」または「仏教関連像」と言ってよいものだと考えられる。
 しかし、興味深いのは、西尾幹二が関心をもってこれらに論及して叙述しているのは、日本人の「精神」や日本の「文化」・「美術」であって、<仏教という宗教>(の内容・歴史)では全くない、ということだ。
 妙法院三十三間堂は平清盛が後白河法皇のために建設して献じた、とされる。
 それはともかく、上のような「日本人の顔」を描く像を「文化」ないし「美術」、広くは日本「精神」の表現とだけ捉えて論述するのは、大きな限界があるように考えられる。
 つまり、諸種・各種の「仏教」・「仏典」等に立ち入って初めて、これらの意味を真に理解できるだろう。
 もちろん、日本「文化」・「文明」や「美術史」上、貴重なものではあるだろう。
 だが、それ以上に踏み込んでいないのが、さすがに西尾幹二なのだ。
 出典を明らかにできないが、西尾幹二は<特定の宗教に嵌まることはできない>と何かに書いていたことがある。
 この人は、仏教の各宗派にも諸仏典にも、何の興味も持っていないように見える。
 おそらくは、日本の仏教または仏教史をきちんと勉強したことがない。あるいは多少は勉強したことがあっても、深く立ち入る切実な関心をこの人は持っていない。
 同じことは、じつは、日本の「神道」についても言えるのではないか、と思っている。
 西尾幹二は、神道の内実に関心はなく、その<教義>にも<国家神道なるものの内実>にもさほどの関心はない。
 そのような人物が何故、「神社」に触れ、「宮中祭祀」に触れ、女系天皇を排除すべき「天皇の歴史」を語ることができるのだろうか。
 「神社」とは神道の施設ではないのか? 「宮中祭祀」は無宗教の行為なのか? 宮中三殿に祀られている「神」の中に、仏教上の「神」に当たるものはあるのか。
 結局のところ、「神社」も「宮中祭祀」も、「天皇」も、かつての皇太子妃(・皇太子)批判も、<神道-天皇>を永続的に守りたいという気持ち・意識など全くなく、西尾幹二は文章を書いている、と思われる。
 <天皇>に触れても、少なくとも明治維新以降、「仏教」ではなく「神道」が<天皇の歴史>と密接不可分の関係を持たされた、というほとんど常識的なことにすら、西尾幹二はまともに言及しようとしない。
 いったい何故か? いったい何のためか?
 おそらく、西尾幹二の<名誉>あるいは<業界での顕名>からすると、そんなことはどうだってよいのだろう。戦後「知識人」あるいは「評論家」という自営文章執筆請負業者の末路が、ここにも見えている。

2217/岡田英弘「歴史と神話」(1998年)-著作集Ⅲより。

 岡田英弘「歴史と神話をどう考えたらよいか」同著作集Ⅲ・日本とは何か(藤原書店、2014)p.490以下。初出、月刊正論(産経)1998年・シンポジウム/古代史最前線からの眺望・基調報告(著作集によるとこれの「採録」)。
 なお、翌年刊行された西尾幹二・国民の歴史(扶桑社、1999)も、「歴史/神話」問題に触れている。
 以下、岡田論考の抜粋的引用。上掲書、p.493~p.502。
 ----
 ・「中世」という時代区分には「歴史には一定のゴールがある、という考え方が潜んでいる。「歴史には法則性がある、という考え方」はこれから派生している。
 「この世で起きることは、すべて偶発事件であり、その偶発事件の積み重なりで、この世界はあちらへよろよろ、こちらへよろよろする。歴史に法則などあるわけがない」。
 ・「歴史家の仕事は、歴史に法則を見つけ出すことにあるのではなく、さまざまな史料から取捨選択して筋道を立て、過去の世界に合理的な解釈を施すこと、世界を理解することにある」。
 「要するに、歴史は、世界を理解する仕方の一つ」だ。「世界とは、もちろん人間の住む世界」だ。
 「世界を理解するための道具として、たとえば物理学も数学も哲学も使えるだろうが、歴史という見方もそうしたアプローチの一つなのだといえる」。
 「歴史家の存在を危うくする暴論」ではなく、先に「歴史は世界に対する解釈」だと記したように、「歴史とは一つの文化なのである」。
 ・「本来、歴史を持っている文明は、シナ文明と地中海文明の二つだけであり、他の文明はみなこの二つのどちらかから、歴史という文化をコピーしている。
 日本文明の歴史というのは、もちろんシナ文明のコピーである」。
 シナでは「変化しない世界」、地中海世界では「変化する世界」をそれぞれ書くのが「歴史」だ。「水と油」だが、「この世界を空間だけではなく、時間の軸に沿っても捉えよう」とする点でどちらも「歴史」だ。
 「時間の軸に沿い、今見えなくなった世界も実在する世界であると見て、まとめて理解しようとするのが歴史なのだ」。
 ・「では、『理解する』とは、どういうことなのか」。
 「ストーリーを受け入れる、ということ」だ。「ストーリー(物語と言ってもいい)」は頭に入りやすく、「因果関係」で結ぶと受け入れられる。
 「この世界は、本当は偶発的事件ばかりの積み重ねで、なんの筋書きもないのだが、歴史はそれにストーリーを与える機能を持っている。
 言ってしまえば、文学なのである。だから歴史をつくっているのは言葉であって、ものではない。」
 ・「18世紀末までが古代、19世紀以降は現代」だ。「国民国家」の登場は後者で、それ以前にはなかった。
 ・ヘロドトスの歴史叙述は「ギリシア神話」を利用した。
 司馬遷も、「天上の神々であった五帝を地上の人間のように書き直し、そうすることで皇帝権の起源を説明」した。
 「日本最初の歴史書『日本書記』も同様である」。編纂過程は「日本の建国の時期」だったので、「建国事業の一環」として、「なるべく古いところに日本国と天皇の起源を持ってゆく必要があった。
 そのために、「神武天皇以下、16代応神天皇に至る架空の天皇を発明した」。また、「壬申の乱に際し天武天皇が伊勢で発見した地方神」の「アマテラスオホミカミを中心とした神話を新たにつくり、神武天皇の話の前にくっつけ」た。「神様を人間に」し、「幽冥界から死んだ天皇を呼び出してくる」といったやり方で、「歴史をつくった」。
 「どんな国の歴史」も初めて書かれるときはそんなもので、「神話が歴史に読み替えられるのである」。
 ・「『日本書記』が建国の時期をなるべくむかしに持ってゆこうとしたのは、シナを意識してのことである」。
 シナは紀元前221年・秦の始皇帝のときに国が初めてできたので、「シナに対抗するには、それよりも建国を古くしなければならない。日本の天皇のほうが、シナの皇帝よりも古い起源を持っているのだ、と言わねばならない」。
 「シナ文明圏では、王権の正統性を保障するのは歴史であり、そのパターンから日本は抜け出せない」。神武天皇の建国を紀元前660年で、秦より400年以上古い、という「操作に神話は使われた」。
 ・「今でも歴史を論じるとき、なにかと神話に戻りたがる人がいる。
 神話から史実を読み取ろうとするのだ。
 しかし、歴史で神話を扱う際には、こうした神話の性質を充分わきまえておかねばならない」。
 「もっとも、一般の人たちが神話に戻りたくなる気持ちも、わからないではない。
 古代というのは、いまだに神代と同意義に使われていて、なんでもありの異次元空間なのである。そこでは現実世界の法則は通用せず、なんでもできる。…。
 そういう神話が与えてくれるロマンは、現実からの逃避には都合がいいだろうが、そうした情緒的ニーズと合理的な歴史を混同してもらっては困る。」
 ----

2187/西尾幹二の境地-歴史通・WiLL2019年11月号別冊⑤。

  言葉・概念というのは不思議なもので、それなくして一定時期以降の人間の生活は成り立ってこなかっただろう。というよりも、人間の何らかの現実的必要性が「言葉・概念」を生み出した。
 しかし、自然科学や医学上の全世界的に一定しているだろう言葉・概念とは違って(例えば、「脳」の部位の名称、病気の種類等の名称のかなりの部分)、社会・政治・人文系の抽象的な言葉・概念は論者によって使用法・意味させているものが必ず一定しているとは限らないので、注意を要する。
  面白く思っている例えば一つは、(マルクスについてはよく知らないが)レーニンにおける「民主主義」の使い方だ。
 レーニンの「民主主義」概念は多義的、あるいは時期や目的によって多様だと思われる。つまり、「良い」評価を与えている場合とそうでない場合がある。
 素人の印象に過ぎないが、もともとは「民主主義」は「ブルジョア民主主義」と同義のもので、批判的に用いられたかに見える。
 しかし、レーニンとて、-ここが優れた?政治運動家・「革命」家であったところで-「民主主義」が世界的に多くの場合は「良い」意味で用いられていること、あるいはそのような場合が少なくともあること、を十分に意識したに違いない。
 そこで彼または後継者たちが思いついた、または考案したのは、「ブルジョア(市民的)民主主義」と対比される「人民民主主義」あるいは「プロレタリア民主主義」という言葉・概念で、自分たちは前者を目ざす又はそれにとどまるのではなく、後者を追求する、という言い方をした。
 「民主主義」はブルジョア的欺瞞・幻想のはずだったが、「人民民主主義」・「プロレタリア民主主義」(あるいは「ソヴェト型民主主義」)は<進歩的>で<良い>ものになった。
 第二次大戦後には「~民主共和国」と称する<社会主義をめざす>国家が生まれたし、恐ろしくも現在でも「~民主主義人民共和国」と名乗っているらしい国家が存続している。
 似たようなことは「議会主義」という言葉・概念についても言える。
 マルクスやレーニンについては知らない(スターリンについても)。
 しかし、日本共産党の今でも最高幹部の不破哲三は、<人民的議会主義>と言い始めた。
 最近ではなくて、ずいぶん前に以下の著がある。
 不破哲三・人民的議会主義(新日本出版社、1970/新日本新書・1974)。
 「議会」または「議会主義」はブルジョア的欺瞞・幻想として用いられていたかにも思われるが(マルクス主義「伝統」では)、日本共産党が目ざすのは欺瞞的議会主義ではなく「人民的議会主義」だ、ということになった。現在も同党の基本路線のはずだ。
 <民主主義革命・社会主義革命>の区分とか<連続二段階革命>論には立ち入らないし、その十分な資格もない。
 ともあれしかし、そうだ、「たんなる議会主義」ではなく「人民的議会主義」なのだ、と納得した日本共産党員や同党支持者も(今では当たり前?になっているかもしれないが)、1970年頃にはきっといたに違いない。
  しかし、元に戻って感じるのだが、これらは「民主主義」や「議会主義」という言葉・概念を、適当に(政治情勢や目的に合わせて)、あるいは戦術的に使っているだけではないだろうか。
 <反民主主義>とか<議会軽視=暴力>という批判を避けるためには、「人民民主主義」・「人民的議会主義」という言葉・概念が必要なのだ。
 たんに言葉だけの問題ではないことは承知しているが、言葉・概念がもつ<イメージ>あるいは<印象>も、大切だ。
 人間は、それぞれの国や地域で用いられる<言葉・概念>によって操作されることがある。いやむしろ、常時、そういう状態に置かれているかもしれない。
 自明のことを書いているようで、気がひける。
 ----
 四 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通・月刊WiLL11月号別冊(ワック)。
 p.222で、西尾幹二はこう発言する。
 ・「女系天皇を否定し、あくまで男系だという一見不合理な思想が、日本的な科学の精神」だ。「自然科学ではない科学」を蘇生させる必要がある。
 ・日本人が持つ「神話思想」は、「自然科学が絶対に及び届くことのない自然」だ。
 ここで西尾は、「自然科学」(または「科学」)と「日本的な科学(の精神)」を対比させている。
 これは、レーニンとて「民主主義」という語が~と上に記したように、西尾幹二とて?、「科学」という言葉・概念が<良い>印象をもつことを前提として、ふつうの?「自然科学」ではない「日本的な科学」が大切だと主張しているのだろう。
 民主主義または欧米民主主義とは異なる「日本的民主主義」というのならば少しは理解できなくはない。しかし、「自然科学」またはふつうの?「科学」と区別される「日本的な科学」とはいったい何のことか?
 これはどうやら日本の「神話(思想)」を指す、又はそれを含むようなのだが、しかし、このような使用法は、「科学」概念の濫用・悪用または<すり替え>だろう。
 ふつうの民主主義ではない「人民民主主義」、ふつうの議会主義ではない「人民的議会主義」という語の使い方と、同一とは言わないが、相当に類似している。
 五 西尾幹二・決定版国民の歴史/上(文春文庫、2009/原著・1999)。
 これのp.169に、つぎの文章がある。この部分は節の表題になってもいる(p.168)。
 「広い意味で考えればすべての歴史は神話なのである」。
 つまり、「神話」は、<狭義の歴史>ではなくとも<広義の歴史>には含まれる、というわけだ。
 「神話、言語、歴史をめぐる本質論を以下展開する」(p.166)中で語られているのだから、西尾としては重要な主張なのだろう。
 あれこれと論述されていて、単純な議論をしているのではないことはよく分かる。
 しかし、上の部分には典型的に、「神話」と「歴史」の両概念をあえて相対化するという気分が表れていると感じられる。
 つまり、「歴史」概念を曖昧にし、その意味を<ずらして>いるのだ。
 こうした概念論法を意識的に用いる文章を書くことができる人の数は、多いとは思えない。
 言葉・概念・文章で<生業>を立ててきた、西尾幹二らしい文章だ。
 相当に単純化していることを自覚しつつ書いているが、このような言い方を明瞭な形ではなくこっそりと何度でもするとすると、こうなる。
 ああ言えばこういう、何とでも言える、という世界だ。
  <文学>系の人々の文章で、フィクション・「小説」・<物語>と明記されて、あるいはそれを当然の前提として書かれているものならばよい。
 そして、いかに読者が「感動」するか、いかほどに読者の「心を打つか」が、そうした文章または「作品」を評価する<規準>となる、ということも、フィクション・「小説」・<物語>の世界についてならば理解できなくはない。
 しかし、そうではなくノン・フィクションの「学問」的文章であるならば、読者が受けた「感動」の質や量とか、どれだけの読者を獲得したか(売れ行き)の「多寡」が評価の規準になるのではないだろう。
 何となしの<情感>・<情緒>を伝えるのが「学問」的文章であるのではない。
 <文学>系の人々の文章も様々だが、言葉の配列の美しさとか思わぬ論理展開とかがあっても、それらはある程度は文章の「書き手」の巧拙によるのであって、「学問」的著作として評価される理由にはならない。
 これはフィクション・「小説」・<物語>ではない、「文学」つまり「文に関する学」または「文学に関する学」でも同じことだろう。
 何となく<よく出来ている>、<よくまとまっている>、<何となく基本的な趣旨が印象に残る>という程度では、小説・「物語」とどこが異なるのだろうか。
 <文学系>の人々が社会・政治・歴史あるいはヒトとしての人間そのものについて発言する場合の、評価の規準はいったい何なのか。
 長い文章を巧く、「文学的に」?書くか否かが規準ではないはずだろう。
 長谷川三千子もきっとそうだが、西尾幹二もまた、日本の社会・政治、あるいは「人間学」そのものにとっていかほどの貢献をしてきたかは、全く疑わしい、と思っている。今後も、なお書く。
 江崎道朗、倉山満ら、上の二人のレベルにすら達していない者たちが杜撰な本をいくつか出版して(日本の新書類の一部またはある程度は「くず」の山だ)、論理的にも概念的にも訳の分からない文章をまとめ、「その他著書多数」と人物紹介されているのに比べれば、西尾幹二や長谷川三千子はマシかもしれない。
 しかし、学者・「学術」ふうであるだけ、却ってタチが悪い、ということもある。
 <進歩的文化人>ではない<保守的文化人>と自認しているかも知れない論者たちの少なくとも一部のいい加減さ・低劣さも、いまの時代の歴史の特徴の一つとして記録される必要があるだろう。

2150/西尾幹二の境地-歴史通・月刊WiLL2019年11月号別冊④。

  西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通・月刊WiLL11月号別冊(ワック)。
 西尾発言、p.219。
 「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません。」
 ①「神話」とだけ言い、日本書記や古事記の名を出さないこと、また②「神」という語が付いているが、神道等の「宗教」にはいっさい言及しないこと。これらにすでに、西尾幹二の<言論戦略>があると見られる。これらには別途触れる。
 上の、神話→女系天皇否認、というこの直結はほとんど信じがたいものだ。
 かりに神話→万世一系の天皇、を肯定したとしてもだ。
 しかし、神話→女系天皇否認、ということを、西尾幹二は2010年刊の書で、すでに語っていた。
 西尾幹二・GHQ焚書図書開封4/「国体」論と現代(徳間文庫、2015/原書2010)。
 文部省編・国体の本義(1937年)を読みながら解説・論評するふうの文章で、この中の「皇位は、万世一系の天皇の御位であり、ただ一すじの天ツ日嗣である」を引用したのち、西尾はこう明言する。p.171(文庫版)。一文ごとに改行。
 「『天ツ日嗣』というのは天皇のことです。
 これは『万世一系』である、と書いてあります。
 ずっと一本の家系でなければならない。
 しかもそれは男系でなくてはならない
 女系天皇では一系にならないのです。」
 厳密に言えば文部省編著に賛同しているか否かは不明であると言えるが、しかしそれでもなお、万世一系=女系天皇否認、と西尾が「解釈」・「理解」していることは間違いない。
 ひょっとすれば、2010年以前からずっと西尾はこう「思い込んで」きて、自分の思い込みに対する「懐疑」心は全く持とうとしなかったのかもしれない。これは無知なのか、傲慢なのか。
  万世一系=女系天皇否認、と一般に理解されてきたか?
 通常の日本語の解釈・読み方としては、こうはならない。
 しかし、前者の「万世一系」は女系天皇否認をも意味すると、この辺りの概念・用語法上、定型的に理解されてきたのか?
 結論的に言って、そんなことはない。西尾の独りよがりだ。
 大日本帝国憲法(1889)はこう定めていた。カナをひらがなに直す。
 「第一條・大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す
  第二條・皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を繼承す」
 憲法典上、皇位継承者を「皇男子孫」に限定していることは明確だが、かりに1条の「萬世一系」概念・観念から「皇男子孫」への限定が自動的に明らかになるのだとすると、1条だけあればよく、2条がなくてもよい。
 しかし、念のために、あるいは「確認的」に、2条を設けた、とも解釈できなくはない。
 形成的・創設的か確認的かには、重要な意味の違いがある。
 そして、結論的には、確認的にではなく形成的・創設的に2条でもって「皇男子孫」に限定した(おそらく女系天皇のみならず女性天皇も否認する)のだと思われる。
 なぜなら、この旧憲法および(同日制定の)旧皇室典範の皇位継承に関する議論過程で、「女帝」を容認する意見・案もあったところ、この「女帝」容認案を否定するかたちで、明治憲法・旧皇室典範の「皇位」継承に関する条項ができているからだ。
 「万世一系」が「女帝」の否認・排除を意味すると一般に(政府関係者も)解していたわけでは全くない。
 明治憲法制定過程での皇位継承・「女帝」をめぐる議論は、以下を読めばほぼ分かる。
 所功・近現代の「女性天皇」論(展転社、2001)。
 とくに、上掲書のp.25~p.45の「Ⅰ/明治前期の『女性天皇』論」。
 ***

2149/西尾幹二・あなたは自由か(2018)⑥。

 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 西尾幹二に、<あなたは自由か>と問う資格があるのだろうか。
 西尾には、<あなたの「自由」とはどういう意味か>、と問う必要がある。気の毒だ。
 ①p.81-「幼くして親元を離れて上野駅に集まった『金の卵』の労働者たち」は、「一人前の大人」・「社会人」となるよう徹底的に叩き込まれた。「生きて、働いて、成功しなければならなかったのです。/彼らこそほかでもない、最も自由な人たちでした。」
 ②p.205-「完全な自由などというものは空虚で危険な概念です。素っ裸の自由はあり得ない。私は生涯かけてそう言いつづけてきました。」
 ③同上-「藤田幽谷は天皇を背にして幕府と戦いました。あの時代にして最大級の『自由』の発現でした。」
 ④同上すぐ後-「私たちもまた天皇を背にして、<中略>…グローバリズムに、怯むことなく立ち向かうことが『自由』の発現であるように生きることをためらう理由があるでしょうか。」
 ***

2135/猪木武徳・自由の思想史(2016)②。

 猪木武徳・自由の思想史-市場とデモクラシーは擁護てきるか(新潮選書、2016)。
 この書の第3章第4節p.89~p.91は、「自由」につき、Freedom とLiberty の区別・差異に立ち入っている。
 すでに紹介したように、西尾幹二はこう書いていた。
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)、p.35。
 ・「ヒトラーが奪うことのできた自由は『公民の権利』という意味での自由であり、奪うことのできなかった自由は『個人の属性』としての自由です。
 『市民的権利』としての自由と、『個人的精神』としての自由の二つの概念の区別だというふうにいえば、もっと分かりやすいかもしれません。」
 ・「この二つの自由を区別するうえで、英語は最も用意周到な言葉です。
 すなわち、前者をliberty とよび、後者をfreedom と名づけております。」
 このように大胆に?書く根拠は何か。
 ヒトラーうんぬんは別として、このような両語に関する結論的理解は誤りだろう。
  西尾幹二によると、A・スミスにおける「自由」は前者なのだそうだ。
 その根拠として明記されているのは、つぎの一文だけだと思われる。p.36。
 ・「アダム・スミスは、私の友人の話によると、『自由』という日本語に訳されていることばにliberty だけを用いているようです。
 それはそうでしょう。経済学とはそういう学問です。」
 また、西尾幹二によるliberty とfreedom の区別・差異である「市民的権利」/「個人的精神」は、つぎのようにもやや敷衍されている。
 p.38。「奴隷」にはliberty がなかつたが、freedom はなかったと言えるのか。
 p.43-44。エピクテスが語った「自由」は「アダム・スミスのような経済学者がまったく予想にしていなかった自由の概念」で、「freedom の極限形式といってもいい」。
 p.44。ヒトラーやスターリンによる「社会の全成員からliberty (公共の自由)を全面的に奪い取ってしまう体制下では、freedom (精神の自由)も死滅してしまうのではないか」。
 p.36。「人の住居」を「快適、立派に」整えたり、「子どもの成長を妨げる悪い条件をなくして、伸び伸びと発達できる環境を与え」る、というのは「liberty の問題」で、「真の生活」を送るか否かや「子どもが成長するか」は、「freedom の問題」です。
 以上の西尾「説」につては、すでに基本的に疑問視してきた。
 ①アダム・スミスの原著の英文を見た上で、経済活動の「自由」について「freedom 」が使われている、と疑問視した。「経済学者」だから「経済的自由」だけしか語っていないと想定するのは大きな間違いで、前回に触れたように猪木著によると、A・スミスは「自殺の自由」に論及している。そもそもが、A・スミスを「経済学者」と限定すること自体が誤っているだろう。
 なお、西尾幹二が、いかに専門家らしくとも「私の友人の話」だけをもって、A・スミスは「経済学者」だから彼の言う「自由」は「liberty 」だと断定してしまっているのは、その思考方法・手続において、とても<元研究者>だは思えない。
 さらに、「私の友人」=星野彰男(p.29)は、本当に上のような「話」をしたのだろうか。
 ②F・ハイエクの著の英語原文によるfreedom 、liberty の用法を見て、西尾のようには明確に区別されて使われていないだろう、ということも確認した。
 ③仲正昌樹・今こそアーレントを読み直す(講談社現代新書、2009)が両語の語源に立ち入って、こう記していることも紹介した。
 ・英語のFreedom はゲルマン語系の単語。free、freedom はドイツ語の、frei(フライ)、Freiheit (フライハイト)に対応する。
 ・英語のLiberty はフランス語を介したラテン語系の単語。そのフランス語はliberté だ(リベルテ)。
 そして、H・アレントの原著を見ても単純にfreedom をアメリカ革命が、liberty をフランス革命が追求したとは言えそうにないが、しかし、少なくとも、西尾幹二が言うように「英語は最も用意周到な言語です」などと豪語する?ことはできず、むしろ相当に「融通無碍な」言語だろう、とも記した。
 ***
 西尾幹二の書いていることはウソだから、簡単に信用してはいけない
 猪木武徳が絶対的に正しいとは、秋月自身が言葉の語源探求をしているわけではないから言わないが、こちらの方がはるかに信憑性が高い。なお、福田恆存の名も出てくる。
 猪木武徳・上掲書p.89-p.91は、こう書いている。猪木は、西尾幹二があげつらう「経済学者」だけれども。
 ・シェイクスピアの悲劇<ジュリアス・シーザー>で、シーザーが「お前もか、ブルータス」と言いつつ倒れたあと、暗殺者の一人はこう叫んだ。
 -「自由だ!、解放だ!、暴政は滅んだぞ!」〔福田恆存訳〕。
 ・上の「自由」は原文では「liberty 」、「解放」は「freedom 」。劇中の山場で同義語を二つ並べる可能性は低いので、シェイクスピアの時代から、両語は「使い分けられている」。
 ・上の台詞と直接の関係はないが、「社会思想」や「経済思想」でのこの区別を学生に問われると「まずとっさ」の答えは「freedom はゲルマン系の言葉、liberty はラテン語起源、基本的には同じ」となるが、これでは答えにならない。
 ・「語源辞典」=Oxford Dictionary of English Etmology を見ると、「fri の部分」は「拘束されていない。外部からのコントロールに服していない状態」を指す。「世帯の長と(奴隷としてではなく)親族上の結びつき(tie)の認められる成員」の意味と記されている。
 これに対し、「liberty はラテン語系のliber から来ている」ものの、その意味は「世帯における本来的に自由な成員」を指す。よって、「liberty は親権(privilege, franchise)を意味する言葉」だったという。この場合の「自由な」というのは「特権をもった」という意味だ。
 ・そうすると、「リベラリズム」がイタリア哲学史学者〔Guido De Ruggiero〕により「特権の普遍化」として把握されることと一致する。その著<ヨーロッパのリベラリズムの歴史>〔英訳書/The History of European Liberalism〕は、「特権を持っていた王が、その特権を貴族・地主層・僧侶にも与え、そして民主化の波とともに市民、すなわちブルジョワ階級にもその特権が広がるという動きこそがリベラリズムの進展であったとする理論」を中核とする。
 ・'Liberty! freedom! Tyranny is dead' を福田恆存が「自由だ!、解放だ!、暴政は滅んだぞ!」と訳しているのは、「まことに的確な名訳」だ。但し、つぎに出てくる 'enfranchisement' は「特権の付与、参政権の付与」の意味なのでたんに「万歳」と訳すのは「不満が残る」。もっとも、替わる「妙案」があるわけではない。
 以上のとおりで、<liberty /freedom >には、西尾幹二の言う<市民的(公民的〕自由/個人的自由>、<物的・経済的自由/精神的自由>、<物的条件づくり/「真」>等の対比とは全く異なる次元の区別・差異があるようだ。<制度的自由/自然的自由>ならまだしも、<物的・経済的/精神的>とするのは間違いの方向に進んでいる、というところか。
 西尾は、少しは恥ずかしく感じないだろうか。
---
 だいぶ昔に、ドイツで、"Er ist liberal" (「…リベラール」)という言葉をじかに聞いたことを思い出した。
 このliberal はどういう意味だろうと感じたのだったが、おそらく政治的感覚・立場・見地の意味で<どちらかというと左翼>の意味だろうと思い出してきた(と、このことも思い出した)。
 リベラル(リベラリズム)とは欧州では元来の「自由主義」=保守だがアメリカでは「リベラル」=進歩・左翼だという説明を読んだこともある。しかし、欧州のドイツでそのとおりに用いられているわけではないだろう。
 自由民主党(FDP=Freie Demokratische Partei)という「中道」政党にFrei が使われているが、上の言葉を聞いたのちに、ドイツ社会民主党(SPD)を支持している、そういう意味だろうと(日本に帰国してから)理解した。たぶん、誤っていない。
 ドイツ人はfrei のみならずliberal という言葉も使っているのであり、その語からきたdie Liberalitätというれっきとした名詞もある。これらは英語(またはフランス語)からの輸入語かもしれないが、少なくとも英語だけが「用意周到」なのではないだろう。
 以上は、「言語学」ではなく、本文とたぶん直接には関係のない「政治的」雰囲気の言葉の世界の話だ。

2134/猪木武徳・自由の思想史(2016)①。

  猪木武徳・自由の思想史-市場とデモクラシーは擁護できるか(新潮選書、2016)。
 オビに「自由は本当に『善きもの』か?/ギリシア哲学から現代の経済思想まで」等とある。
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)と比べて読むのも、面白いだろう。
 前者は「選書」、後者は「新書」だが、前者計p.239まで、後者計p.396で、活字の大きさも後者が小さいので、文章・文字の総量は後者がはるかに上回る。
 内容や質は? 以下に書く。
 猪木著の「まえがき」で、こんなことが書かれる。
 ***
 <太った奴隷よりも飢えて自由の方がよい>旨のイソップ寓話がある。
 しかし、「隷従し」、「拘束を受けても」、「十分食べたい」という欲望が人間にはあるのではないか。
 「精神的な欲求としての自由を、いかなる価値よりも優先させるべき理由、そして人間の本性と両立しうる原理の根拠をどこに求めればよいのだろうか」。
 自由の実現には苦痛も伴う。「人間は、自由と不自由のコストとベネフィットを考慮することがあるのではないか」。
 「精神的な欲求としてだけではなく、『制度としての自由』には、さらに本質的な問いが潜んでいる」。
 以下、省略。
 ***
 すでに、勝負あり、だ。その背景は世代・年齢差(10年)にあるのではなく、基本的には、<文学・思想>分野か<経済・思想>分野かという、素養・「教養」の由来にあるだろう。
 西尾幹二は、「精神的な自由」、「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」を最重視しているかのごとくだ。人間も生物であることを完全に無視している。
 猪木武徳においては、まず「精神的自由」は最重要の価値なのかと問題設定される。
 「十分食べたい」という欲求は人間の本性(nature)に合致している。これを無視することは、少なくとも一切無視することは、絶対にしてはならないだろう。
 西尾幹二はすでに「人間」ではなくなっているのかもしれない。あるいは生物・動物であることを忘却している、そのふりをしているのかもしれない。
 猪木は第3章の冒頭(p.77)で、アダム・スミスに言及しつつ、「自殺」=「自由意思による死」の問題を彼は論じている、という。西尾はこれに論及していないはずだ。
 しかし、これも、「自由」の、しかも難解な「自由」に関する問題だ。<自殺>・<自由意思>一般の問題には立ち入らないが、ここで想起するのは、ジョン・グレイ(John Gray)が言及していた、ソ連の強制収容所体験者の回想記・<北極コルィマ物語>のことだ。紹介部分の一部を、省略しないで、そのまま引用する。
 J・グレイ/池中耿訳・わらの犬(みすず書房、2009)、p.104。
 「意味と名のつく一切を奪われた収容者に、生きつづける理由はなかった。
 しかし、多くは、時にみずからの選択で命を絶つ機会が訪れても、その機会を捉えて行動するだけの気力、体力を残していなかった
 『死ぬ気が萎えないうちに急がなければならない場合もあった』。」
 旧ソ連のでも、ナツィスのユダヤ人強制収容所でもよいのだが、被収容者の「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」とはいったい何だろうか。
 「死ぬ自由」すら選択できない、その「気力、体力」すら残っていない、という人々にとっての「精神的な自由」とは、いったい何だろうか。
 安全な場所に身を置いて、優雅に「精神・こころ」の大切さを説く高慢と偽善を許してはいけない。

2130/池田信夫のブログ016-近代啓蒙・西尾幹二。

 池田信夫ブログマガジン2020年1月20日号は「『不自然なテクノロジー』が人類を救う」と題して、この欄で別の著の一部を紹介したスティーヴン・ピンカー〔Steven Pinker〕/橘明美=坂田雪子訳・20世紀の啓蒙(草思社・2019)〔S. Pinker, Enlightment Now: The Case for Reason, Science, Humanism and Progress(2018)〕を紹介するふうだ。
 但し、池田はこの著については「本書のアメリカ的啓蒙主義に思想的な深みはない」とするだけだ。
 そして、むしろ、啓蒙主義によって「人類は幸福になった」とし、科学技術(テクノロジー)は「平和と安全」をもたらした、として、「原子力」の安全性や「環境」の改善等を強調する。
 ***
 この文での「啓蒙主義」・「西洋文明」・「テクノロジー」等の厳密な意味は問題になりうるとして、また西尾幹二がいかなる気分・「主義」で文章を書いていたかは正確には知らないとしても、以下の西尾の文は、おそらく明らかに「啓蒙主義」・「西洋文明」・「テクノロジー」に反対・反抗したい<気分>を示しているだろう。すでに、ある程度は言及した。
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通2019年11号再収載。p.222。
 ・女系天皇否認は「日本的な科学の精神」だ。
 ・「自然科学ではない科学」が蘇らない限り、「分析と解析だけでは果てしない巨大化と極小化へとひた走って」しまう。
 ・「自分たちの歴史と自由を守るために自然科学の力とどう戦うか、それが現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だ。
 なお、この対談には岩田温のつぎの発言もある。
 ・「皇室は、近代的な科学に抗う『日本文化の最後の砦』であり、無味乾燥な『科学』では言い尽くせない複雑な人間社会の擁護者であるともいえ」そうだ。
 これらは総じて、天皇・皇室あるいは日本の神話を「近代科学」・「自然科学」の対極に見ていて、後者を疑問視・批判するとともに、「日本」を対峙させる。
 西尾幹二には、「社会科学」を軽蔑するかのごとき、つぎの文章もある。
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 ・「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことができない領域」がある。それは「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」だ。
 これらには「近代」も「啓蒙」も出てこないが、岩田は別論として西尾幹二は、もともとは西欧から生まれた「近代啓蒙主義」にもとづく、またはそれに連なる人文社会系学問および「自然科学」(生物心理学から宇宙論まで)を批判するという<気分>をもつことが明らかだと思われる。
 <批判>あるいは「限界の指摘」どころか、西尾は「自然科学の力とどう戦うか、それが現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だとか、「社会科学的知性」が扱わない「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」がある、というのだから、明治期以降に日本も「継受」してきた(和魂洋才?の)「自然科学」・「社会科学」を<否定>するニュアンスすらがある。
 これは困ったものだ。「血迷っている」、と評してよい。
 近代啓蒙、「ヨーロッパ近代」なるものに自分も影響を受けていることを肯定しつつ、所詮は西欧・欧米の「精神」にもとづくものなので、簡単に別の言葉を用いれば、それらにおける「自由と民主主義」=(自民党の名の由来でもあるLiberal Democracy)を「日本」的に修正する、「日本化」することに秋月もまた反対ではなく、むしろそう主張してきた。「自然科学」はよく知らないが、<人文社会科学>の「欧米かぶれ」は今だにひどすぎる、と感じている。日本の「人文社会科学」(ここでは狭義の「文学」を除く)はより自主的で「日本的」なものにしなければならないだろう。
 その意味では、「日本」は「西洋」とも「東洋」とも違うのだろう。
 しかし、西尾幹二のように、「日本文化は西洋と東洋の対立の中にあるのではなく、西洋と東洋がひとまとめて、日本文化と対立している。そういう風に私は思っています」(上の前者)と発言するのは、「日本・愛国」主義の月刊WiLL(ワック)読者のお気に召すかもしれないが、「血迷った」空文であり、観念的被害意識の発露だ。
 ***
 反近代・反啓蒙には大きく二つがある、とも言われる。
 一つは「右翼」からのもので、「近代科学」の進展や世界規模での交流についていけず、「民族」・「一国家」、あるいは「非科学的」かもしれない「精神」的なもの・宗教・「神話」等への執着を示す。
 もう一つは「左翼」からのもので、「近代科学」の進展や世界化は<資本主義の発展>だと見なし、「資本主義」のもとでの科学技術の発展・「大衆文化」の成熟は<資本主義的欺瞞>のもとにあり、「真」の人間の成長にはむしろ有害だと見なす。
 わずかの文章から簡単に推察することはできないが、西尾幹二の近年の上に引用した文章には、上の二つの<気分>が、いずれもある。
 皇室・「日本」・「神話」の重視は、上の「右翼」的反近代論だと言える。
 一方、すでに№2124〔2020.01.17〕に書いたように、「自然科学」と戦うのが「現代」の最大の課題だとか、「社会科学」は(「条件」づくりではなく「真に」)重要な「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」の問題には役立たないとかの旨の言明は、擬似マルクス主義「左翼」である<フランクフルト学派>の「反啓蒙」論(・「反経験主義」)に相当に似ている。
 池田信夫は上記の本文の中で、一般論としてこう記す。
 「啓蒙主義に対して『美しい自然を人間が汚してきた』というハイデガーやアドルノのようなロマン主義は、いつの時代にも絶えない。
 『人類は破滅の道を歩んでいる』とか『西洋文明はもう終わりだ』といった暗い予感は、啓蒙主義より人気がある。
 しかし、西洋文明は終わらない。
 反啓蒙主義者が『帰るべき自然』と考えているものは、西洋文明が自然破壊を破壊し尽くした後に生まれた農耕社会なのだ。」
 「ハイデガーやアドルノののようなロマン主義」とフランクフルト学派は同義ではない。しかし、上の「西洋文明」を(西洋から発達した)「資本主義文明」あるいは「自由主義経済のもとでの文明」と読み替えると、上の「ロマン主義」やフランクフルト学派の基本的な論調と西尾幹二の「気分」はかなり似ている。西尾は、<大衆とは異なる鋭敏な知識人>の一部がかつてそうだったように、現況に「暗い未来」を感じとっているかのようだ。悪化しているとして現況を嘆く(ふりをする)のは「知識人」には「人気」があることかもしれない。
 むろん、両者が全く同じだとは言わない。西尾にはジョン・グレイ<わらの犬>が皮肉っている<道徳主義>・<人格主義>・<教養主義>が多分にある。これらは現代では日本でも相当に廃れている。
 そして、上の点はどの程度にフランクフルト学派論者に当てはまるかは分からないが、西尾はこうしたもの(=人格・教養等)が尊重された(と彼が思っている)時代への「ノスタルジー(郷愁)」があるようだ。
 しかし、<処方箋>を示すことなく、具体的な政策論を展開することもなく、「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」の問題が大切だなどと幼稚に言っているだけでは、何も始まらない。
 西尾が資本主義社会と社会主義社会を「相対化」して、共通する「現代」文明の(あるいは共通する「真の?自由」の喪失の)病弊があると言いたいようであることは別に触れることにしよう。
 ***
 思い出したが、西尾幹二は<いわゆる保守派>には珍しい<反・原発>論者だ。ろくに読んでいないから確言できないが、原発・原子力の<安全性>に関する非イデオロギー的・科学技術的議論を行っているのではなく、中島岳志にような「『保守』精神」論から出発したり、独自の「現代文明」論・「現代の科学技術」論を基礎にしているのだとすれば、ろくな結論と論理構成にはなっていないだろう。
 ***
 「各自の、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由の問題」を扱わなければならない、という旨の西尾幹二の高邁な?一文は、おそらくは現に生きている日本を含めた世界じゅうの人間たちのほとんどを「軽蔑」・「蔑視」するものだ。
 「物質」あるいは「物的条件」よりも「こころ・精神」が大切、という主張は一部の宗教家や哲学者によって歴史上、幾度となく語られてきた。西尾が特段新鮮なことを述べているわけではない。
 そもそもは、「脳科学」・「進化心理学」等々は、西尾幹二が知る以上にはるかに、人間の「精神」・「意識」・「こころ」に迫ろうとしている。アメリカが中心のようだが、近代啓蒙の基盤なくして、この分野での急速な進展は生じなかっただろう。
 この点は別として、キリがない話なので池田信夫の上の文章から手がかりを得て書くと、原発によるのであれ何であれ、「電気」エネルギーの助けがなければ、西尾幹二の住居の暖房も冷房もたぶん機能しない。「停電」・電力供給の停止の怖さを、西尾は想像したことがあるのか。「水道」事業もまた、長い歴史をもつ人間の技術的工夫の結果だ(一部は近代以前に遡り、一部では現在なお整備されていない国々が地球にはある)。「死亡率」は戦争・内乱によるのを含めるのかどうか知らないが、「幼児死亡率」とともに各段に下がったと思われる。これは医学・人間生物学・栄養学・薬学等およびこれらに関係する技術的開発の、さらには医療制度(医療保険制度を含む)等の社会制度(・法制度)のおかげでもある。
 常識的なことなのでキリがない。それでも西尾は、自分だけは「こころ」だけで生きているつもりで、いや「こころ・精神」が大切だ、と言い張るのか。「自然科学」と戦う、というその「自然科学」の成果を、西尾自身がタップリと享受している。
 エネルギー供給、交通手段の確保・運営、生活必需品の生産・販売等々、「より快適な条件で生物として生きていく」ために、多くの人々が働いている。
 台風・豪雨等の前や最中には、道路・河川・建物等の安全確保のために「働いて」いる多くの関係者がいる。災害によって生命を失う人もいる。西尾は、冷笑するのだろうか、いや「生命」よりも身の「安全」よりも、「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」の方が大切だ、と。
***
 「社会科学」もまた、人間で構成される「社会」を対象とするかぎり、その人間の「意志・意思」の決定の過程・ありようは、重要な研究対象となる。<合理的意思決定>論、<意思の自由>論(例えば刑法上の「責任能力」の議論)、<人間・日本人一般または各人の「心理」>等々は、人間一般の又は個別の人間の「こころ」の問題に直接または密接に関係する。経済学も経営学も法学も歴史学も同様。
 キリがないので、この点は別に機会があれば、書こう。
 西尾幹二は、「ふつうの、まともな人間のこころ」を持つのか?

2124/西尾幹二の境地・歴史通/WiLL2019年11月号③。

 一 「神話と歴史」の関係・区別を論じ、前者の優先性・優越性を語る点で、つぎの二つで西尾幹二は共通している。
 A/西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL2019年11月号別冊(ワック)、p.126-。月刊WiLL2019年4月号の再収載。
 B/西尾幹二・国民の歴史
(産経、1999)-第6章・第7章。
 さすがに、20年間を挟んで、と感じられるかもしれないが、少しばかり吟味すると、一貫しているわけではない。例えば、Bには歴史も「とどのつまりは神話ではないか」との「哲学的懐疑心」が肯定的な意味で語られていて(p.157)、神話と歴史の<相対性>もむしろ強調されているように読める。
 一方、Aでは両者を峻別して「神話」の絶対的超越性を説いているがごとくだ。-「歴史はどこまでも人間世界の限界の中」にあるが、「神話は不可知の根源世界で、…人間の手による分解と再生を許しません」(p.219)。
 Aが<女系天皇否認>のための前提として語られているアホらしさには、すでに触れた。日本書記等がかりに<万世一系>の根拠になっても、<女系否認>の根拠には全くならない。
 この点はさて措くとして、20年間も同じ考え方でおれるはずがない、等々の釈明は可能だ。20年間も同じテーマについて全く同じことを書いていたのでは「進歩」がない。
 しかし、西尾幹二のつぎの著は、「歴史」をどう語っていただろうか。
 C/西尾幹二・保守の真贋-保守の立場から安倍政権を批判する(徳間書店、2017)。
 
保守ならば、当然真っ先に心の中に響き渡っている主張低音があるはずである。……そして、これらをひっくるめて<五、歴史>。」p.16。
 上で省略した一~四は、つぎだ。1・皇室、2・国土、3・民族、4・反共(反グローバリズム)。従って、西尾幹二によると、これら四つを「ひっくるめたもの」が<5・歴史>となる。
 西尾のこの著では、「保守」の「要素」を総括したものが、「歴史」だ。さほどに「歴史」という観念・概念は重視されている。
 そして不思議なことに、全部を詳細に読んだわけではないが、この「歴史」と「神話」の関係・区別には論及が全くかほとんどない。
 上のA、2019年の対談では「歴史はどこまでも人間世界の限界の中」にある等々と語って、<女系天皇>問題は、今日の日本で「神話」という「超越的世界観」を信じることができるか否かの問題だ、などと壮言しているにもかかわらず。
 西尾は、2017年著との関係について、書物や対談の趣旨から判断して「歴史」を同じ意味で使っているわけではない。自分の著作を全体として見て評価・論評してもらいたい、と釈明するかもしれない。しかし、上の二つ(AとC)での「歴史」概念の差異は著しい。そして、書物等、従って執筆時期や読者層を考慮して、この人物は、上の釈明があてはまっているとかりにしても、<それぞれに、適当に>同じ基礎的な言葉・概念を使い分けている、ということが明らかだ。
 そのつど、そのつど、上に挙げた要因によるのはむろんのこととして、同一の書の中ですら文脈に応じて、同じ概念を異なる意味・ニュアンスをもつものとして使う、ということにこの人物は習熟しているのだ。
 D/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この書で、基本概念としての「自由」は揺れ動いている。そして、書物としてまとめる際に追記したかに見えるp.115-p.119は、ほとんど意味不明のことを喚いている。気の毒だ、見苦しい、と感じるほどだ。
 二 A/西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL2019年11月号別冊、p.222。ここに天皇論や「歴史」論ではない興味深い発言がある。
 ・「日本的な科学の精神」が「自然科学ではない科学」として「蘇る」必要がある。「分析と解析」だけではダメだ。
 ・「現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」は「自然科学の力とどう戦うか」だ。
 ・日本人が愛するのは、自然科学が与えている知性では埋めることのできない隙間」だ。
 ヨーロッパの庭園・建築物と日本の違いを話題に挿入しているが、より詳細な意味が語られているわけではない。しかし、おや?、と思わせる。
 これと似たこと、または通じることを、西尾は上のD・あなたは自由か(2018)でも書いている。p.37。近年に共通する「思い」に違いない。
 「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことができない領域」がある。それは「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」だ。
 「自然科学」ではなくここでは「経済学」を含む「社会科学的知性」を排除しようとしている。少なくとも、「自然科学」とともに「社会科学」もまた、西尾幹二の「意識」またはその言うところの「自由」の問題を解決することはできない、ということだろう。
 ここでの「社会科学的知性」とは、すぐ前に「条件づくりの学問」という語があるように、生活条件の整備・向上のための「学問」・「知性」を意味させているようだ。この叙述の前には、子どもの成長を妨げる条件を排除する環境の整備だけでは「真の」成長にならない、人の住居を快適にしても「真の生活」にはならない、という旨の文章がある。p.36-。
 簡単に言えば、西尾には<物的条件>の整備ではなく<精神・こころ>が重要なのだ。「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」こそ(だけ?)が。
 この著に関する論評はこの欄の別の項で扱っているので、子細には立ち入らないが、以上の部分やこの著の第2章<資本主義の「自由」の破綻>を読了しても感じるのはつぎだ。
 第一は、西尾幹二の、もともとあったに違いない<反欧米主義>だ。
 上のAのp.223にこうある。「西洋と東洋がひとまとめて、日本文化と対立している。そういう風に私は思っています」、とある。
 この<反欧米主義>とはもう少し言えば、<近代啓蒙主義>あるいは<ヨーロッパ近代>に対抗・反対しようとする<日本(・愛国)主義>だ。
 さらに言えば、<資本主義の「自由」の破綻 >という章題にも現れていると見られる、<反・資本主義>、<反・自由主義経済>の気分だ。別に言及するが、かつてソ連・社会主義諸国内にいて拘禁された者たち(ソルジェニーツィンら)の、解放されて「西側」諸国に接した際の「西側・自由主義」への批判・皮肉を長々と紹介したり言及したりしているのは、西尾の<反・資本主義(自由主義)>の気分をおそらくは明瞭に示している。
 この<反・資本主義(自由主義)>の気分は、当然に、西尾は断固として否定するかもしれないが、少なくともかつての「社会主義」への憧憬・「容共」気分と共通することとなる。
 この欄でレシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流の試訳をしていて<フランクフルト学派>に関する部分を終えているが、上に記したような西尾の文章部分を見ながら、コワコフスキ紹介によるこの<フランクフルト学派>(アドルノ、ホルクマイアー、ブロッホ、マルクーゼら)のことを想起せざるを得なかった。
 <フランクフルト学派>は「左翼」だとされる。そして、むろん簡単に要約できないが、資本主義のもとでの「科学技術」の進展や「大衆文化」の醸成に批判的で、「より高い(higher)」文化が必要だとした。近現代「科学技術」、そして「啓蒙(主義)」に対する強い懐疑・批判を特徴とする。
  西尾幹二の「自然科学」批判は、フランクフルト学派の近現代「科学技術」や「近代啓蒙(主義)」に対する批判・攻撃と(少なくとも気分として)共通性がある。
 西尾は、例えば以下の文章を、どう読むだろうか。
 「フランクフルト学派の哲学者たち」が「現実に提示しているのはほとんど、エリート(élite)がもつ前資本主義社会の文化へのノスタルジア(郷愁)だった」(№2032)。
 「ホルクハイマーとアドルノの新しさは、この攻撃を実証主義と科学に対する激しい批判と結びつけ、マルクスに従って、悪の根源を…〔要するに資本主義経済-秋月〕のうちに感知することだ」。
  「フランクフルト学派がもつ主要な不満」は、「資本主義が豊かさを生み、多元的な欲求を充足させ」るのは「文化の高次の(higher)形態にとって有害だ」、ということにある(№2025)。
 彼らは「『大衆社会』やマス・メディアの影響力の増大を通じた、文化の頽廃、とくに芸術の頽廃を攻撃した。また、大衆文化の分析と激烈な批判の先駆者たちで、この点では、ニーチェの継承者であり、エリートの価値の擁護者だった」(№2004)。
 第二に、<物的条件>の整備ではない<精神・こころ>の重要性、「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」を西尾幹二が語るときの、その基礎的な<哲学>・<人間論>の所在だ。「唯我論」だとは言わないことにしよう。最近にこの欄で紹介したつぎの文章だけ、再び掲げておく。
 <自分の著書(初版)への「宗教的、文化的右派」からの批判には、無視されると思っていたので、驚いた。①「心は脳の産物」、②「脳は進化の産物」という現在の「心理学者や神経科学者」には当然の前提が、「彼らにとって急進的かつ衝撃的だった」。
 スティーヴン・ピンカー/椋田直子訳・心の仕組み-上(ちくま学芸文庫、2013)の「2009年版への序」(№2116/2020.01/07)。
 西尾幹二はまだ17世紀の<デカルト・心身二元論>の段階にいるのではないか旨、すでに記したことはある。

2107/「邪馬台国」論議と八幡和郎・西尾幹二/安本美典②。

 安本美典著の近年のものは、先だってこの覧で言及した神功皇后ものの一部しか熟読していない。その他の一部を捲っていると、興味深い叙述に出くわした。
 邪馬台国論議や古代史論議に関心をもつ一つの理由は、データ・史資料が乏しいなかで、どういう「方法」や「観点」で歴史・史実に接近するのか、という議論が内包されているからだとあらためて意識した。これも、文献史学と考古学とでは異なるのだろう。
 安本の学問・研究「方法」そのものについては別に触れる。
 ①「私たちは、ともすれは、…、専門性の高さのゆえに難解なのであろうと考える。こちらの不勉強ゆえに難解なのであろう、と思いがちである。
 これだけ、社会的にみとめられている機関や人物が、自信をもって発言しているのであるから、と思いがちである。
 しかし、ていねいに分析されよ。」
 ②「理系の論理で『理解』すべきものを、文系の論理、つまり、言葉による『解釈』にもちこむ」。
 安本美典・邪馬台国全面戦争-捏造の「畿内説」を撃つ(勉誠出版、2017)。p.241.とp.202。
 西尾幹二が「社会的にみとめられている人物」で「自信をもって発言している」ように見えても、「ていねいに分析」する必要がある。さすがに深遠で難解なことを書いている、などと卑下する必要は全くない。
  「理系の論理で『理解』すべきものを、文系の論理、つまり、言葉による『解釈』にもちこむ」というのは、この欄で私が「文学」系評論家・学者に対して-本当は全てに対してではないのだが-しばしば皮肉を浴びせてきたことだ。私自身は「文系」出身者だが、それでも、「論理」や概念の「意味」は大切にしているつもりで、言葉のニュアンスや「情緒」の主観的世界に持ち込んで独言を吐いているような文章には辟易している(江崎道朗の書は、そのレベルにすら達していない)。
 ----
 西尾幹二は2019年の対談で「歴史」に対する「神話」の優越性を語る。しかし、そこでの帰結であるはずの<女系天皇否認>について、<日本神話>のどこに、どのように、皇位を男系男子に限るという旨が「一点の曇りもなく」書かれているかを、具体的に示していないし、示そうともしていない。
 西尾にとって大切なのは、「原理論」・「総論(・一般論)的方法論」の提示なのだろう。
 日本の建国・「国生み」の歴史についても、「魏志倭人伝は歴史資料に値しない」と(章の表題としても)明記し、日本書記等を優先させよ、とするが、では日本書記等の「神話」によれば、日本ないし日本列島のクニ・国家の成立・発展はどう叙述されているかを具体的に自らの言葉でもって叙述することをしていないし、しようともしていない。
 日本書記と古事記の間に諸「神話」の違いもある。また、日本書記は、ある書によれば…、というかたちで何通りもの「伝承」・「神話」を伝えている。
 <日本神話>を尊重してすら、「解釈」や「選択」を必要とするのだ。そのような地道な?作業を、西尾はする気がないに違いない。そんなチマチマしたことは、自分の仕事ではないと思っているのかもしれない。
 西尾幹二・国民の歴史(産経新聞社、1999)第6章<神話と歴史>・第7章<魏志倭人伝は歴史資料に値しない>。=同・決定版/国民の歴史・上(文春文庫、2009)第6章・第7章。以下は、入手しやすい文庫版による。
 西尾の魏志倭人伝嫌悪は、ひとえに<新しい歴史教科書>づくりのためのナショナリズム、中国に対する「日本」の主張、という意識・意欲に支えられているのかもしれない。
 しかし、かりにそれは是としてすら、やはり「論理性」は重要であって、「暴論」はよくない。
 ・p.209。-「今の日本で邪馬台国論争が果てるところを知らないのを見ても、『魏志倭人伝』がいかに信用ならない文献であるかは立証されているとも言える」。
 ・p.209-210。-岡田英弘によると1735年<明史日本伝>はかくも〔略〕ひどい。「魏志倭人伝」はこれより「1500年も前の文章」なのであり、この項は「本当はここでもう終わってもいいくらいなのだ」。
 ・p.216。-「結論を先にいえば、『魏志倭人伝』を用いて歴史を叙述することははなから不可能なのである」。
 ここで区切る。日本の歴史研究者の誰一人として、魏志倭人伝は正確な当時の日本の史実を伝えており。それに従って古代史の一定範囲を記述することができる、と考えていないだろう。
 魏志倭人伝だけを用いて叙述できるはずはなく、また、その倭人伝の中の部分・部分の正確さの程度も論じなければならない。日本のはじまりに関する歴史書を全て見ているわけではないが、かりに「倭国」から始めるのが西尾大先生のお気に召さないとしても、魏志倭人伝のみに頼り、日本書記や古事記に一切言及していない歴史書はさすがに存在しないだろう。
 西尾幹二は、存在しない「敵」と闘っている(つもり)なのだ。
 上の範囲の中には、他にも、まことに興味深い、面白い文章が並んでいる。
 石井良助(1907-1993)の1982年著を紹介してこう書く。p.214以下。
 ・石井は「古文書に書かれている文字や年代をそのままに信じる素朴なお人柄」だ。「全文が書かれているとおりの歴史事実であったという前提に少しの疑いももたない」。
 ・「伝承や神話を読むに必要な文学的センスに欠けているし、『魏志倭人伝』もとどのつまりは神話ではないか、というような哲学的懐疑の精神もゼロである」。
 ・石井は「東京大学法学部…卒業、法制史学者、…」。「世代といい、専門分野といい」、「日本の『戦後史』にいったい何が起こったか」がすぐに分かるだろう。
 ・「文学や哲学のメンタリティを持たない単純合理主義者が歴史にどういう改鋳の手を加えてきたかという、これはいい見本の一つである」。
 以上。なかなか<面白い>。石井良助はマルクス主義者ではなかったが、津田左右吉流の文献実証主義者だったかもしれない。「法制史」の立場からの歴史叙述が一般の歴史叙述とは異なる叙述内容になることも考慮しなければならないのだが、それにしても、「文学や哲学のメンタリティを持たない単純合理主義者」等の人物評価はスゴい。書評というよりも、人格的価値評価(攻撃)に近いだろう。
 そして、西尾幹二にとって、いかに「文学や哲学のメンタリティ」、あるいは「哲学的懐疑の精神」が貴重だとされているかが、きわめてよく分かる文章だ。
 とはいえじつは、西尾のいう「文学的センス」・「文学や哲学のメンタリティ」・「哲学的懐疑の精神」なるものは、今日での世界と日本の哲学の動向・趨勢に対する「無知」を前提としていることは、多少はこれまでに触れた。
 「哲学のメンタリティ」・「哲学的懐疑の精神」と言えば響きがよいかもしれないが、その内実は、「西尾にとっての自己の思い込み・観念の塊り」だろう、と推察される。
 さて、後の方で、西尾は別の意味で興味深い叙述をしている。こうだ。
 p.220。神話と「魏志倭人伝」の関係は逆に理解することも可能だ。つまり、魏の使者に対して日本の官吏は<日本神話>=「日の神の神話」を物語ったのかもしれない。
 しかし、これはきわめて苦しい「思いつき」だろう。「邪馬台国」も「卑弥呼」も、「日の神の神話」には直接には出てこない。イザナキ・イザナミ等々の「神々」の物語=<日本神話>を歴史として「この国の権威を説明するために」魏の使者に語ったのだとすれば、「日の御子」と「女王国」くらいしか関係する部分がないのは奇妙だ。それに、詮索は避けるが、のちに7-8世紀にまとめられたような「神話」は、「魏志倭人伝」編纂前に、日本(の北九州の官吏が知るようになるまで)で成立していたのか。
 ***
 西尾幹二によると、「『魏志倭人伝』は歴史の廃墟である」。p.226。
 このようには表現しないが、八幡和郎のつぎの著もまた、日本ナショナリズムを基礎にして、可能なかぎり日本書記等になぞりながら、可能なかぎり中国の史書を踏まえないで、日本の古代史を叙述している。もとより、日本書記等と魏志倭人伝 では対象とする時代の範囲が同一ではない、ということはある。
 八幡和郎・皇位継承と万世一系に謎はない-新皇国史観が中国から日本を守る-(扶桑社新書、2011)。
 冷静に、理知的に歴史叙述をするという姿勢が、副題に見られる、現在において「中国から日本を守る」という実践的意欲、プロローグから引用すれば「皇室」とその維持の必要性を理解する「論理と知識を、おもに保守的な読者に提供しよう」という動機(p.17)、によって弱くなっている。
 この書物もまた、古代史およびそれを含む日本史アカデミズムによって完全に無視されているに違いない。この欄では、あえて取り上げてみる。

2104/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)⑤。

 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)の検討のつづき。<二つの自由>問題。この書の出版・編集担当者は、湯原法史。
  仲正昌樹・今こそアーレントを読み直す(講談社現代新書、2009)。
 この書の第三章第2節の表題は「二つの自由」で、概略、こんなことが書かれている。
 ・アレントは「外的障害物」の除去で人々は「自然な状態へと自然に回帰する>という考えを内包する「解放」=liberation の思想の拡大を警戒する。
 ・彼女には、外的抑圧がなく物質が欠乏していないことは「自由な活動」の前提条件として重要だが、解放=自由(freedom)ではなく、「自由」とは、古代ポリスの市民たちによるような、「物質的制約」に囚われず「公的領域」で「活動」している「状態」のことだ。
 ・暴力による抑圧から「解放」されても、政治的共同体の「共通善」の探究を忘れれば「自由」ではなく、そのための討論の中に人間の「自由」が現れる。
 ・アレントには「自由」は「活動」と不可分で、アトム化し「動物化」している個人にとっての「自由」は無意味だ。私的生活に満足し「公的事柄に関心」をもたない者は「本来の自由」、「公的空間での自由」から訴外されている。
 ・私的生活への沈潜が「自由」だとするのは経済が支配する資本主義社会の「幻想」だ。経済的利益の追求は「本来的自由」につながらないとの考えは、F・ハイエクとは相容れない。
 ・アレントは、左派運動でも「政治討論」への参加の契機となり「公共性」を生み出すのであれば積極的に評価する。「政治的評議会」のごときものによる「自治」は望ましい。問題は、「革命的評議会」的なものが「いったん権力を握って硬直化し、単一の世界観・価値観で社会を統一的に支配しようとする」ことだ。
 ・彼女にとって、人々の間の「価値観の多元性」は公的「活動」の成果だ。「共通善」がナチズムやスターリン主義のごとき「特定の世界観・価値観」へとと実体化して人々を拘束すると奇妙なことになる。
 個人の孤立的生活と画一的な集団主義のいずれにも偏しない、「共通善」をめぐって「活動」する人々の「間」に「自由の空間」を設定することが肝要なのだ。
 以上のかぎりでは、フランス革命はliberty を、アメリカ革命はfreedom を目指したという趣旨は明らかではない。別の項も含めての、深い読解が必要なのだろう。
 同じことは、Liberty とFreedom の両語とフランスやアメリカが出てくる辺りを、H. Arendt の原書も参照しながら一部を引用・紹介してみても言えるだろう。
 邦訳書と原書の両方を折衷するが、フランス革命、アメリカ革命が直接的・明示的にあるいは簡潔に短い範囲で語られているわけでもなさそうだ。
 ハンナ・アレント/志水速雄訳・革命について(ちくま学芸文庫、1995)、p.221以下(第4章/創設(1)-「自由の構成」)。
 ・「公共的な自由(public freedom)を夢見た人々が古い世界に存在したこと、<中略>は、結局のところ、復古の運動、すなわち古い権利と自由(liberties)の回復する運動を、大西洋の両側で、一つの革命へと発展させた事実だった」。
 ・「革命の究極的目標が自由を構成すること(constitution of freedom)、<中略>であることに、アメリカ人はやはりロベスピエールに同意していただろう」。邦訳書、p.221。
 ・「というよりもむしろ逆で、ロベスピエールが『革命的政府の原理』を定式化したとき、アメリカ革命の行路に影響されていた」。
 ・アメリカでは、「解放(liberation)の戦争、つまり自由(freedom)の条件である独立ための闘争と新しい国家の構成との間に、ほとんど息抜きする間がなかった」。以上、邦訳書p.221-2。
 ・「反乱の目的は解放(liberation)であり、一方で革命の目的は自由の創設(foundation of freedom)だということを銘記すれば、政治学者は少なくとも、反乱と解放という激烈な第一段階<中略>に重点を置き、革命と構成の静かな第二段階を軽視する傾向にある、歴史家たちの陥穽に嵌まるのを避ける方法を知るだろう」。
 ・「基本的な誤解は、解放(liberation)と自由(freedom)の違いを明確に区別することが出来ていないことにある。
 新しく獲得された自由(freedom)の構成を伴わないとすれば、反乱や解放(liberation)ほど無益なものはない。」 以上、p.223-4。
 ・「革命を自由(freedom)の創設ではなく解放(liberation)のための闘争と同一視する誘惑に抵抗したとしてすら、<中略>もっと重大な困難が残っている。新しい革命的憲法にの形式または内容に、革命的なものはもとより、新しいものすらほとんど存在しないからだ。」
 ・「立憲的統治(constitutional government)という観念は、<中略>決して革命的なものではない。それは、法によって制限された政府や憲法上の保障を通じての市民的自由(civil liberties)の保護を多少とも意味しているにすぎない。」
 ・「市民的自由(civil liberties)は私的福利とともに制限された政府の領域にあり、それらの保護は政府の形態に依存してはいない。」
 ・「僭主政のみが<中略>立憲的な、つまり法による統治を行わない。しかしながら、立憲的統治の諸法が保障する自由(liberties)は、まったく消極的(negative)なものだ」。この中には投票権も含まれるが、「これらの自由(liberties)は、それ自体で力なのではなく、権力の濫用からの免除にすぎない」。
 ・「革命で問題にされたのが立憲主義のみだったとすれば、その革命は、『古代の』自由(liberties)を回復する試みだとなおも理解され得る、穏健な最初の段階に忠実にとどまっていたかのごとくだっただろう。
 しかし、実際はそうではなかった。」以上、p.224-5。
 ・19-20世紀の大激動を見ると、二者択一のうちの第一の選択は「ロシアと中国の革命」で、「自由(freedom)の創設」を達成しない「終わりなき永続革命」であり、第二の選択はほとんどのヨーロッパ諸国と旧植民地で、「たんに制限された統治」にすぎない「新しい『立憲的』政府の樹立」だった。p.226。
 ・19-20世紀の憲法作成者たちと18世紀アメリカの先駆者たちには「権力それ自体に対する不信」という共通性があったが、この「不信」はアメリカの方が強かった。アメリカにとっては「制限された政府という意味での立憲的統治」は決定的ではなく、「政府の大きすぎる権力に対してもつ創立者たちの怖れは、社会内部で発生してくるだろう市民の権利と自由(liberties)がもつ甚大な危険性を強く意識することで抑制されていた」。
 ・ヨーロッパの憲法学者たちは、「一方で、共和国創設の巨大かつ圧倒的な重要性を、他方で、アメリカ憲法の実際の内容は決して市民的自由(civil liberties)の保護にあるのではなく全く新しい権力システムの樹立にあるということを、理解することができなかった」。以上、p.229-p.230。
 ・アメリカ創設者の心を占めたのは「制限された」法による統治の意味での「立憲主義」ではなかった。主要な問題は権力をどう制限するかではなく、どう樹立するかだった。
フランス革命での「人権宣言」によってもこの辺りは混乱させられている。諸人権は「全ての法による政府の制限」を意味せず、諸権利の「創設」自体を指すと理解された。
 ・<万人の平等>は封建世界では「真実革命的に意味」をもったが、新世界ではそうでなく、「誰であれ、どこの住民であれ」「万人の権利」だと宣告された。
 もともとは「イングランド人の権利」の獲得だったが、アイルランド人・ドイツ人等を含む「万人」が享受すること、つまりは「万人」が制限された立憲政府のもとで生活すべきであることを意味した。
 ・一方でフランスでは、「まさに文字通りに」「各人は生まれたことによって一定の権利の所有者となっている」ことを意味した。以上、p.331-p.332。
   かくのごとく、なかなか難解で、アメリカではfreedom 、フランスではliberty という単純な叙述がなされているわけではなさそうだ。
 それでもしかし、liberty-liberation よりもfrredom に重きを置いているらしいことは何となく分かる。
 かつまた、西尾幹二の「二つの自由論」とは質的に異なっていることも明確だ。むろん、ハンナ・アレントの語法、概念理解が欧米世界で一般的であることの保障はどこにもないのではあるが。
  以上のことよりも、仲正昌樹の上掲書は「二つの自由」の語の基礎的な淵源に言及している、その内容に注目される。それによると、こうだ。
 ①英語のFreedom はゲルマン語系の単語。free、freedom はドイツ語の、frei(フライ)、Freiheit (フライハイト)に対応する。
 ②英語のLiberty はフランス語を介したラテン語系の単語。そのフランス語はliberté だ(リベルテ、自由)。これに直接に対応する英語の形容詞はなく、liberal は「自由主義的な」という意味だ。
 なお、秋月が追記すれば、フランス語でのliberté に対する形容詞はlibre (リーブル、自由な)だ。
 かくして、西尾幹二がこう書いたことのアホらしさも、相当程度に明らかになるだろう。 「二つの自由を区別するうえで、英語は最も用意周到な言語です。
 すなわち前者をliberty と呼び、後者をfreedom と名づけております。
 フランス語やドイツ語には、この便利で、明確な区別がありません。

 この記述は、おそらく間違っている。
 英語はフランス語やドイツ語よりも融通無碍な言語で、いろいろな系統の言葉が入り込んでいる。あるいは紛れ込んでいる。ゲルマン・ドイツ系のfrei, Freiheit も、ラテン・フランス系のliberté もそうだ。それらからfreedom やliberty が生じたとしても、元々あったかもしれないFreiheit とliberté の違いを明確に意識したまま継受したとはとても思えず、また両語にあったかもしれない微妙な?違いが探究されることはなかったのではないか、と思われる。
 決して英語は、「最も用意周到な言語」ではない。多数のよく似た言葉・単語があって、おそらくは人々はそれぞれに自由に使い分けているのだろう。かりに人によってfreedom やliberty の意味が違うとしても、英語を用いる全てまたはほとんどの欧米人にとって、その違いが一定である、とは言い難いように考えられる。
 それを無理矢理、西尾幹二のように、例えばF・ハイエクともH・アレントとも異なる意味で理解してしまうのは、日本人の一人の<幼稚さ>・<単純さ>によるかと思われる。
 ----
 ところで西尾幹二は、すでに紹介はしたのだが、こんなことを書く。p.37。
 「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことができない領域」がある。それは「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」だ。
 なかなか意味深長かもしれないが、西尾幹二という人間の<無知>を端的に示してていると考えられる。よほどに、「各自」という中の「(西尾)個人の」、「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」を守りたい、大切にしたいのかもしれない。それは「社会科学的知性」では扱うことができず、<文学・哲学のメンタリティ>があって可能になる、と言うのだろう。
 率直に言って、間違っている。気の毒だほどに悲惨だ。別に扱う機会をもちたい。

2095/西尾幹二の境地・歴史通11月号②。

 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL11月号別冊(ワック)。月刊WiLL2019年4月号の再収載。
 この項の前回①(№2074)に記したように、西尾幹二の原理的考え方は、「神話」>「歴史」>「自然科学」、という公式だ。
 これが何のために使われているかというと、タイトルに「皇室の神格と民族の歴史」とあるが、今日での皇室論、そして皇位継承論、そして男系継承論=女系否定論を主張するためにある。
 西尾幹二によれば、「女系天皇を否定し、あくまで男系だ」とするのが「日本的な科学の精神」であり、「自然科学ではない科学」であって、通常の「自然科学」とは「戦う」必要がある。p.222。
 また、「女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問い」に他ならず、「神話は歴史と異なる」。歴史観として言えば、通常の歴史観=「可視的歴史観」ではなく「超越的歴史観を信じる」か否か、の問題だ。p. 219。
 そして、最も簡潔には、つぎのことを言いたいのだろう。
 「126代の皇位が一点の曇りもない男系継承である…」。p. 219。
 西尾の「神話」崇敬論・「日本の科学」論・「超越的歴史観」からすると、次のとおりなのだ。
 <126代の皇位は、一点の曇りもなく、男系で継承されてきた。
 かりに西尾の「神話」崇敬の立場にたつとして、はたしてそうなのか、というのが前回の最後に指摘しておいたことだ。
----
 西尾は「神話」という言葉を使い、単純な?「歴史」と区別して前者の優越性を説く。
 そのとおりだとかりにして、そこでいう「神話」とは、対談の主旨・論脈からして、日本(民族)の「神話」であることはおそらく論じるまでもないだろう。
 つまり、日本の「神話」、<日本神話>のことを意味させていると理解しなければ、西尾の論旨を理解することができない。
 とすると、問題は、つぎのようになる。
 <日本神話>は、「女系天皇を否定し、あくまで男系」と語っているのか?
 <日本神話>からして、「126代の皇位が一点の曇りもない男系継承である」と言えるのか?。
 気の毒なことだ。一種の悲劇だろう。
 第一。<日本神話>として通常は理解されているのは、日本書記と古事記(その他の風土記類)の中にある「神話」とされている部分だ。
 日本書記と古事記の記述の全てが「神話」なのではない。
 以下、つぎの著をとりあえず瞥見する。
 宇治谷孟・全現代語訳/日本書記-上・下(講談社学術文庫、1988)。
 竹田恒泰・現代語/古事記〔ポケット版〕(学研、2016)。
 ほとんど常識的なことを、以下に書く。
 日本書記と古事記の記述の全てが「神話」なのではない。
 前者は全30巻から成るが、巻第一・巻第二がそれぞれ「神代上」・「神代下」とされ、巻第三がのちにいう「神武天皇」=初代天皇の項だ。
 常識的な理解だろうが、巻第一・巻第二が「神代」についての「神話」なのであって、巻第三以降のいわば<人代>は「神話」的部分を継承または包含しているとしても、執筆者または編纂者は<歴史>のつもりで叙述しているものと解される。本当の「史実」か否かは別の問題。なお、西尾は神武以下8代を含む「126代」を真実と信じて疑っていないようだ。
 後者は大きく三つの「巻」に分かれていて、「上つ巻」・「中つ巻」・「下つ巻」がある。
 これらのうち「上つ巻」の最後の節・項が「天孫降臨と日向三代」で、「中つ巻」の最初の節・項は「神武天皇」(「下つ巻」の最初は仁徳天皇)。
 常識的な理解では、これらのうち「上つ巻」だけが、そのまま<日本神話>を構成する。
 さて、上を前提として西尾に問おう。
 これら二著(=記紀)の「神話」部分、つまり「神代」や「上つ巻」の叙述において、「126代の皇位が一点の曇りもない男系継承である」ことは、いったいどこに書かれているのか??
 そもそも初代天皇自体が厳密には「神話」ではないこととして叙述されていると見られ、日本の「神話」=記紀等の「神話」部分が<皇位継承の仕方>を記述していないのは、明々白々だろう。
 第二。つぎに、一歩かあるいは百歩か譲って、かりに日本書記や古事記の全体を「神話」だと理解することしよう。
 前者はいわゆる「壬申の乱」の時代も含んでおり、最後の巻第三十は「持統天皇」に関する記述だ。後者の最後はそれよりも早く、「下つ巻」の最後は「推古天皇」に関する節・項だ。
 ついでに竹田恒泰の「解説」によると、古事記が「推古朝」で終わっているのは、古事記完成の元明天皇の「当時には推古天皇の次の舒明天皇以降が『現代』と考えられて」いたかららしい。上掲書、p.488。
 さて、日本書記と古事記の上記のそれぞれの範囲内の、いったいどこに、「126代の皇位が一点の曇りもない男系継承である」ことが書かれているのか?
 日本書記と古事記の各全体を見て、これらが皇位継承について「女系天皇を否定し、あくまで男系」だとしていると、なぜ判断することができるのか。
 気の毒なことだ。一種の悲劇だろう。いや笑い話だ。
 西尾は、こう釈明または反論するのかもしれない。
 いや、これらの「日本神話」の趣旨の<解釈>によって導くことができる、と。
 この反論・釈明は西尾にとっては成り立たない。
 なぜなら、西尾は「一点の曇りもない」と明記している。
 かつまた、そもそもが西尾にとって、「神話」を前にしては「解釈の自由」はないのであって、「人間の手による分解と再生」を許さないものなのだ(対談、p.219)。
 記紀の各全体の<趣旨>とか<解釈>とかを、西尾は持ち出すことができない。
 第三。さらに、かりに日本書記や古事記の記述を全体として「日本神話」だと理解するとして、それらの「解釈」によって、皇位継承につき「女系天皇を否定し、あくまで男系」だ、と主張することができるのか?
 これもまた、否定せざるを得ない。推古の前までの大王または天皇は全て「男」であることや、持統の前までを含めても女性天皇の数は少ない(推古、皇極=斉明。+のちに皇位に就いていることが否定されたが神功皇后)ことをもって、上のことの根拠にすることはできないだろう。
 以上、三段階をとって、記した。①記紀の本来の「神話」部分には天皇・皇位の問題すら出てこない。②記紀全体が「神話」だとしても、皇位継承の仕方は「一点の曇りもない」ほどに明瞭には記述されていない。③全体が「神話」だとしても日本書記・古事記から、<女系>否定の趣旨を「解釈」することはできない。
 皇位継承の問題も含めて、日本書記と古事記の間には記述内容に違いがある。また、それぞれについて、「解釈」の余地があり、実際に種々の議論が学説等においてなされている。
 これらを別に措くとしても、「神話」論から出発する西尾の見解・主張は根拠のないものだ。西尾の「信念」・「信仰」を披瀝したものにすぎない。
 もともとは、日本の歴史・「伝統」が現在または将来の皇室・皇位に関する議論の決定的な根拠になるわけではない。西尾もこれを認めているからこそ、<論陣>を張っているのだろう。<新しい伝統>は形成され得る。
 しかし、そのような限度であっても、秋月には妄言・虚言だと思われる「信念」を露骨に活字にしてほしくないものだ。
 境地・心境といえば響きはまだよいが、西尾幹二はなぜ、このような「信念」を強弁する<境地・心境>に至ったのか
 ----
 下は歴史通/WiLL11月号別冊(2019)より。
 IMG_1308 (3)

 

2091/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)④。

 西尾幹二は、もしかすると(vielleicht)、自身を「思想家」だと考えている(または考えてきた)のかもしれない。
 というのは、つぎの書のオビか何かの宣伝文に、自分の名で、<新しい思想家出現!>とか書いていたからだ。
 福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)。
 少なくとも<民主主義対ファシズム>史観の虚妄性・偽善性については秋月よりもはるかによく知っていて、英・独・仏・ロシア各言語を読めるというのだから優れた人であることは認めるが、「新しい思想家」とまで称賛されたのでは、福井もさすがにいい迷惑・有難い迷惑だと思ったのではなかろうか。
 そして、「新しい思想家」が出てきた、というからには、西尾幹二自身が「古い」、現在の「思想家」だと自認しているのではないか、と感じたものだ。
 上の疑問が当たっているかどうかは別として、西尾幹二は、哲学・思想分野に詳しいようでみえて、実のところどの程度の素養・蓄積があるかは疑わしいと思っている。
 哲学・思想にも法哲学(・法思想)、経済哲学(・経済思想)、政治哲学(・政治思想)等と様々ある。講座・政治哲学(岩波書店)も刊行されたことがある。
 これらの夾雑物?を含まない「純哲」=「純粋の哲学」という学問分野もあるらしく、哲学(または思想)分野のアカデミズム(学界)もある。
 この欄で既に触れたように、岩波講座/哲学〔全10巻〕(2008-2009)新・岩波講座/哲学〔全16巻〕(1985-1986年)が、各時代の哲学(哲学学)アカデミズムの総力挙げて?刊行されている。
 アカデミズム一般を無視するとか、岩波書店だから嫌悪するとかの理由があるかのかどうかは知らない。だが、西尾幹二の書の長い<主な参考文献>の中には<世界の名著>(中央公論社)<人類の知的遺産>(講談社)のいくつかは挙げられているにもかかわらず、上のいずれも挙げられず(個別論文を含む)、本文の中でも言及されていないようであるのは、不思議で奇妙だ。哲学(・思想)にとって、「自由」(と必然)は古来からの重要主題であり続けているにもかかわらず。
 上の<講座・哲学>類には「自由」に関係する論考も少なくない。
 また、この欄で既述のように、<岩波講座・哲学/第5巻-心/脳の哲学>(2008)は、デカルト以来の「身脳(心身)二元論」の現在的段階と将来にかかわるもので、当然に人間・ヒトの「自由」や「自由意思」に関係する。
 西尾幹二が「自然科学」を拒否して「哲学・思想」という「精神」を最も尊いものとし、哲学は「万学の女王の玉座」(上の講座本の「はしがき」冒頭)に位置していると考えているとすれば、100年くらい、少なくとも40年ほどは時代遅れだろう。
 また、「物質」を対象とする「自然科学」ではない「哲学・思想」という「精神」を人間・個性にとって最も尊いと考えているとすれば、そのわりには、多様な「哲学・思想」分野にさほど通暁しているわけではないことは、日本の哲学(哲学学)アカデミズムの状況をほとんど知らないようであることからも分かる。
 いまや、フッサールの某著を引き合いに出すまでもなく、学問分野としての「哲学そのものの存立基盤が脅かされている」、とされている(上記「はしがき」ⅶ)のだが。
 ***
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 もう一度、第1章後半の、Freedom とLiberty の違い問題に言及する。
 西尾は、こう書いている。あらためて抜粋的に引用する。p.34-p.56。A・スミス言及部分にはもうほとんど触れない。
 p.34。/「世には二つの『自由』があります」。
 p.35。/「ヒトラーが奪うことのできた自由は『公民の権利』という意味での自由であり、奪うことのできなかった自由は『個人の属性』としての自由です。
 『市民的権利』としての自由と『個人的精神』としての自由の概念上の区別だというふうにいえば、もっと分かりやすいかもしれません。」
 「ヒトラー独裁体制」の下での「ドイツ国防軍の内部」の動き等は「まだ、『公民の権利』『市民的権利』の回復のための戦いであり、どこまでも前者の自由の概念」に入る。
 「強制収容所の苛酷な条件においても冒すことのできない人間の内的自由」があった、という場合の「自由の概念は『個人の属性』としての、あるいは『個人的精神』としての自由の概念を指しています」。
 「この二つの自由を区別するうえで、英語は最も用意周到な言語です
 すなわち、前者をliberty とよび、後者をfreedom と名づけております。
 フランス語やドイツ語には、この便利で、明確な区別がありません。
 フランス語のliberté には、内面的道徳的自由をぴったり言い表す一義性は存在しません。」
 liberté は「邪魔されないこと、制限されないことを言い表す以上のもの」ではありません。
 p.36-。/逆に、「ドイツ語のFreiheit には、二つの自由概念の両義性を含んではいますが、やはりどうしても後者の自由概念、内面的道徳的自由のほうに比重がかかりがちです」。
 人間が住居を快適にまたは立派に整えたり、子どもの成長を妨げる悪い条件をなくすのは「liberty の問題」で、「真の生活」が行われることや子どもが「成長」することは「freedom の問題」で、これら「二つの概念上の区別をしっかりと意識しておく必要があるでしょう」。
 「ところで、私の友人の話によると、アダム・スミスは、『自由』という日本語に訳されていることばにliberty だけを用いているそうです。
 それはそうでしょう。経済学とはそういう学問です。」
 「住居をいかに快適に整えるか、子供の教育環境をいかによくするか、が経済学の課題と等質です」。ここから先は、快い住居での「真の生活」やよい環境での「子供の成長」は、「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことのできない領域」に入ってくる。「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題です」。
 p.37。/「サイバーテロなどコンピュータ社会に特有の不安」からいかに免れるかは「所詮liberty の自由概念の範囲です。」
 「liberty の領域が広がるか、制限されるのかの問題」ではなく、「まったくそれと異なる自由概念、精神の自由の問題をここであらためて示唆していることを強調しておきたいと思います」。
 p.43-。/〔p.38-p.42で長々と引用した〕エピクテトスが論じたのは「アダム・スミスのような経済学者がまったく予想もしなかった自由の概念ではないでしょうか。freedom の極言形式といってもいいでしょう」。 
 p.44-/「ヒトラーやスターリンの20世紀型テロ国家」は社会の全成員から「liberty (公共の自由)を全面的に奪い取って」、「freedom (精神の自由)も死滅してしまうのでないか」。21世紀でもなお、これら国家と同質の「全体主義的強権体制は中国、北朝鮮その他」ではまだ克服されていない。
 ハンナ・アーレントの「全体主義」。ナチス、ソ連、毛沢東、…。
 p.45-。/「敵の内容が移動していくことが全体主義が終わりの知らない運動であることの証明で、…体制の敵に何ら咎め立てられる『個人の罪』が存在しないことが特徴です。
 ここでは敵視されない人々はliberty を保障されます」。
 p.56。/一方、V・E・フランクル・夜と霧(邦訳書1956年〕〔p.47-p.55に長い紹介・引用あり〕から言えることは、「人間はliberty をことごとく失っても、freedom の意識をまで失うものではないということ」です。
 ----
 紹介、終わり。
 こうぬけぬけとかつ長々とliberty とfreedom の違いを語られると、思わず納得していまう人もいるかもしれない。しかし、西尾幹二の<思い込み>にすぎない。
 どのようにすれば、このように自信をもって、傲慢に書けるのだろうか。
 既述のように、このように両者を単純に理解することはできない。A・スミスもF・ハイエクも、liberty とfreedom を西尾の理解のように単純に対比させて用いたのではないと見られることは、すでに記した。
 また、西尾のいう二種の「自由」以外に、種々に分類・体系化される「自由」が日本国憲法上保障されるとされていることもすでに示した。
 話題を移せば、そこでの諸「自由」は西尾に従えばどのように、liberty とfreedom に分けられるのだろうか。
 精神・内心の自由はfreedom で、それ以外はliberty なのか? いや、宗教の自由や学問の自由も「内面的道徳的自由」であり、その他全ての「自由」はこれを基礎にしたfreedom だとも言えそうだ。そうすると日本国憲法上の「自由」はすべてfreedom だ、ということになる。
 そして、西尾のように公共生活条件の整備がlibertyという自由概念の問題だとするのは、相当に違和感の残る概念用法だ。freedom 享有の基盤づくりを、再び「自由」=liberty いう必要はないし、そのような用法は日本にはない。また、freedom 享有の基盤づくりに際して問題になるのがliberty の概念だというのも、きわめて難解で、こうした用法は避けた方がよいだろう。
 要するに西尾の概念用法をある程度は「理解」することができるが、しかし、了解・納得できるものではない。西尾幹二の<思い込み>にすぎない。
 なお、平川祐弘と同様に、「文学」系知識人らしきものによる「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性」に対する侮蔑意識が明記されているのは、まことに興味深いことだ。
 物質・生活条件整備ではなく「心」・「精神」・「内面的道徳性」が、こうした人たちにとっては尊いのだ。ある意味で、この人たちは物質・身体と心・精神を峻別する16-17世紀のデカルト的意識状態にまだいるのではないだろうか。
 人間、日本人の生活条件よりも、自分の「精神」・自分の「独自性」こそがおそらく尊いとされるべきなのだろう。なぜならば、自分たちは、衣食住に関係する多数の仕事を行っている「庶民」ではなく、水・エネルギー供給・交通手段等々の利益を享受しているとしても、それに感謝することもなく、高見で「きみは自由かね」と問う資格のある「知識人」だと自負しているのだろう。そのような「文学」畑の人間が、建設的な政策論議をろくに行うことができないで、「教養」と「精神論」だけしか示すことができずに、情報・出版産業界での非正規文章執筆自営業者となり、その数と影響力によって日本を悪くしてきた。
 ----
 さて、この問題に再度触れようと思ったのは、西尾が第1章の参考文献としてハンナ・アレントのものを挙げていることに気づいたからだ。
 さらにそのきっかけは、池田信夫blog/2009年5月19日で、つぎの書を紹介し、論及していたことだった。
 仲正昌樹・今こそアーレントを読み直す(講談社現代新書、2009)。
 池田によって紹介される、仲正のH・アレント・<革命について>の理解はこうだ。
 アレントはフランス革命を否定しアメリカ独立革命を肯定したが、「彼女はliberty とfreedom を区別し、前者をフランス革命の、後者をアメリカ独立革命の理念とした」。
 「Liberty は抑圧された状態から人間を解放した結果として実現する絶対的な自然権だが、Freedom は法的に構成される人為的な概念で、いかなる意味でも自然な権利ではない」。
 すでに、西尾幹二の両語の理解と質的に異なることは明らかだろう。
 仲正昌樹の上掲著の<二つの自由>以降は難解だが、おおよそは池田の紹介のようなことが書かれている。
 ハンナ・アレント/志水速雄訳・革命について(ちくま学芸文庫、1995/原邦訳書1975)にさらに、原書、Hannah. Arendt, On Revolution(1963)も参照しつつ、立ち入ってみよう。
 (つづく)

2090/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)③。

 このテーマでの前回②で憲法概説書として「あくまで一例」を示したつもりだが、岩波書店刊行のものであることを気にする人がいるかもしれないので、(日本国憲法に即しての)憲法学における「自由」の分類・体系化の試みの例を、もう一つ示しておこう。
 佐藤幸治・日本国憲法論(成文堂、2011)。佐藤は英米系の憲法論に詳しいはずだが、消極・積極・能動といった分類はドイツの学者のそれを思い起こさせる。一種の「美学」・「アート」だから、「自由」の分類・体系化に絶対的なものはない。
 目次構成から見ると、つぎのとおりだ。一部につき省略や簡略化をする。
 第二編・国民の基本的人権の保障。
  第1章・基本的人権総論。
  第2章・包括的基本的人権。
   第1節/生命、自由および幸福追求権。
   第2節/法の下の平等。
  第3章・消極的権利。
   第1節/精神活動の自由。p.216~。
    1/思想・良心の自由。
    2/信教の自由。
    3/学問の自由。
    4/表現の自由。
    5/集会・結社の自由。
    6/結社・移転の自由。
    7/外国移住・国籍離脱の自由。
   第2節/経済活動の自由。p.299~。
    1/職業選択の自由
    2/財産権
   第3節/私的生活の不可侵。p.320~。
    1/通信の秘密
    2/住居などの不可侵
   第4節/人身の自由および刑事裁判手続上の保障
    1/奴隷的拘束・苦役からの自由
    2~6/<略>。
  第4章・積極的権利。〔生存権、等々〕
  第5章・能動的権利。〔参政権、等〕
 ----
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この書が、「自由」として「個人の属性」・「個人的精神」にかかわる<精神的自由>に限ろうとしているようであることを、特段批判するつもりはない。<精神的自由>・<精神活動の自由>といっても、上記も示すように、決して同一内容ではないのではあるが。
 従って、猪木武徳・自由と秩序-競争社会の二つの顔(中公文庫、2015/叢書2001)のような経済学者による、<自由>を冠する書物を無視していても、問題視できないだろう。
 但し、「自由」論は、Liberty 系列かもしれないが、「リベラリズム」とか「リバタリアニズム」に関係しており、例えば以下の<新書>・<文庫>を秋月の広大な?書庫から見つけ出すことができる。
 森村進・自由はどこまで可能か-リバタリアニズム入門(講談社現代新書、2001)。
 仲正昌樹・「不自由」論-何でも「自己決定」の限界(ちくま新書、2003)。
 井上達夫・自由の秩序-リベラリズムの法哲学講義(岩波現代文庫、2017/双書2008)。
 こうした現代的?議論に西尾幹二は関心がないのかもしれない。それに、上の三つは、法学部出身者か、法学部に在職している人たちの書物だ。このことも、とくに疑問視することはしない、
 もちろん、以下の書物にも関心はないのだろう。
 ジョン・グレイ/松野弘監訳・自由主義の二つの顔-価値多元主義と共生の政治哲学(ミネルヴァ書房、2006)。
 =John Gray, Two Faces of Liberalism (2000).
 そして、巻末の計14頁に及ぶ「主な参考文献」から見ると、<歴史>、<思想・哲学>分野の文献が多い。
 但し、疑問をもつのは、<思想・哲学>での「自由」を表題の一部とする著名かもしれないものを欠落させている、ということだ。邦訳書があって所持しているものに限る。
 H・ベルクソン=中村文郎訳・時間と自由(岩波文庫、2001)。
 このベルクソンの書は、自由意思の存否を検討する中で茂木健一郎も触れていた。
 また、L・コワコフスキの大著は、このフランスの哲学者は、スターリン体制の中で「ブルジョアア」哲学者で「観念論」の代表者として扱われた、とかなり長く言及していた。
 また、L・コワコフスキがフランクフルト学派に関する叙述の中で言及していた中には、つぎの書もあった。
 エーリヒ・フロム=日高六郎訳・自由からの逃走(東京創元社、1952)。
 西尾は第2章の中で「自由が豊富に与えられることは自由をもたらしません。人間は大きな自由に耐えられない存在なのです」と書く(p.76)。L・コワコフスキは1978年(英訳)の書でこのE・フロムの著にも言及し、彼の考え方をこう簡単に叙述している。
 「我々は自由を欲するが、自由を恐れもする。なぜならば、自由とは、責任と安全不在を意味しているからだ。従って、人間は権威や閉ざされたシステムに従順になって、自由の重みから逃亡する。これは、生まれつきの性癖だ。破壊的なもので、孤立から自己諦念への、偽りの逃亡だけれども。」-本欄№2027/2019年8月16日参照。
 タイトルに用いているかだけが重要なのではないとしても、上のベルクソンとE・フロムのニ著は、「自由」に(も)関係するほとんど必須の哲学文献ではないのだろうか。   
 リベラリズムやリバタリアニズムを扱うべきだったとは思わないが、<時間と自由>、<自由からの逃亡>くらいは参照しいほしかったものだ。これは、「ないものねだり」だとは思われない。
 ともあれ、西尾幹二が挙げる「主な参考文献」が本当にきちんと吸収され、この書に利用されているのかを疑うとともに、よくは分からないが、重要な文献が参照されていないのではないかと思える。
 西尾は第1章関係文献として、H・アレント〔アーレント〕の全体主義論・全三巻の邦訳書を挙げている。西尾のこの書に関してまだ第1章にとどまって、ハンナ・アレントにも次回では言及する。

2076/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)②。

 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この本の、筑摩書房の出版・編集担当者は湯原法史。
 上の書・第一章のいわば第二節の表題は、「Liberty とFreedom の違いについて」。p.29。
 著者は、<あなたは自由か>と高飛車に発問するためには、英語に「Liberty とFreedom」の両語があることに触れざるをえないと考えたのかもしれないし、あるいはこの両者の「違い」を手がかりにして、何らかのことを語りかったのかもしれない。
 しかし、この節には、看過できない過ちがある、と見ざるをえない。
 ***
 冒頭でアダム・スミスのいう「見えざる手」によって「自由が広がるのではなく、私たちの市民的権利が知らぬままに脅かされ、不自由にいつのまにか覆われてしまう現代のもう一つの別の側面」があり、それは「コンピュータ社会」での「秩序の喪失、異常の出現」と軌を一にするのではないか、という旨の問題意識が示される。p.30。
 ここでは、前回でも触れた、「アメリカを先頭とする」資本主義・「自由主義経済」あるいは現代に発展する<科学技術>に対する不信・不快感・不安感がやはり示されているのだろう。
 しかし、現代の科学技術または「自然科学」を敵として戦おうしても無意味だ、技術、自然科学それ自体が一般に「悪」なのではない、ということは秋月のコメントとしてすでに記した。
 さて、アダム・スミスに論及する中で西尾はA・スミスにおける「自由」の原語に関心を示し、表題にしているここでのテーマについて、つぎの結論を見出す。p.35。
 ・ヒトラーが奪った「自由」は「公民の権利」という意味でのそれで、奪えなかった「自由」は「個人の属性」または「個人的精神」としてのそれだ
 ・英語は用意周到な言葉で、「前者をliberty とよび、後者をfreedom と名づけております」。
 ヒトラーうんぬんは別として、このような両語に関する結論的理解は誤りだろう。
 西尾幹二によると、A・スミスにおける「自由」は前者なのだそうだ。
 その根拠として明記されているのは、つぎの一文だけだ。
 友人・星野彰男がA・スミスの「見えざる手」に関する専門書を送ってくれたのだが、「アダム・スミスは、私の友人の話によると、『自由』という日本語に訳されていることばにliberty だけを用いているそうです」。
 そして、高名な?日本のいわゆる保守派知識人の西尾幹二は、つづけてこう書く。
 「それはそうでしょう。経済学とはそういう学問です」。
 この部分は、相当に恥ずかしい(はずだ)。
 友人の、いかなる態様かは不明な「話」を根拠にして、A・スミスの邦訳書も原書も紐解くことなく、こんなに簡単に言い切ってしまっている。そりゃそうだ、「経済学」なのだから、「個人の属性」または「個人的精神」の意味でのfreedom を用いているはずがない、というわけだ。
 しかし、秋月でも簡単に目にすることができる原著(英文)には、つぎの語が多数出てくる。
 freedom of trade
 これは、Adam Smith, The Wealth of Nations =An Inquiry into the Nature and the Causes of The Wealth of Nations. から探したもので、「取引の自由」と訳されると思われる。「trade」に「取引」以外の日本語をあてるとしても、「freedom」は「自由」としか訳しようがないだろう。
 その他、上の著には、こんな英語もある。他にもあるかもしれない。
 freedom of commerce、freedom of the corn change、freedom of exportation
 A・アダムスはスコットランド人だったかもしれないが、本来はスコットランド語ではLiberty に当たる言葉を英語に訳して?Freedom に変えた、ということはないだろう。
 というわけで、「個人の属性」・「個人的精神」に関係しなくてもfreedom は使われている。
 西尾自体の文章の中に「経済市場の自由競争」という言葉が出て来る。p.33。
 ここでの「自由競争」は、英訳すると、liberty が選ばれなければならないのか?
 ***
 西尾幹二は懸命に?つぎのように、言う。
 既述のサイバー・テロもコンピュータ社会も「所詮はliberty の自由概念の範囲」の問題だ。ここでは「まったく異なる自由概念、精神の自由の問題」を示唆していることを「強調しておきたい」。p.37。
 そうであるならばなぜ、この書物を第一章第一節の表題である「サイバーテロの時代にどんな自由があり得るか」で始めるのか、という感想・疑問が生じる。
 この書はときどきの随筆を何とか一つの主題をもつように集めたものであるかもしれない。
 「あなたは自由か」と上から目線で問いながら、そこでの「自由」概念自体が、微妙に揺れ動いている。
 秋月によれば、「Liberty とFreedom の違い」に立ち入って両者を異質のものと判断するから奇妙になっている。
「自由主義」(経済学)者といえばF・ハイエクの名を思い浮かべる人が多いだろう。
 この人はウィーン生まれだが(<オーストリア学派>とも呼ばれる)、邦訳されている著作のほとんどは英語で執筆しているのではないか、と思われる。
 瞥見したのみだが、F・ハイエクにおける、「Liberty とFreedom」の使い方には、つぎの例がある。
 F・ハイエク・自由の条件Ⅰ~Ⅲ/西山千秋=矢島釣次監修(春秋社、新版2007)。
 =F. A. Hayek, The Constitution of Liberty(1960).
 第一部/自由の価値。=Part Ⅰ/The Value of Freedom.
 第二部/自由と法。=Part Ⅱ/Freedom and the Law.
 第三部/福祉国家における自由。=Part Ⅲ/Freedom in the Welfare State.
 F・ハイエク・法と立法と自由Ⅰ~Ⅲ/西山千秋=矢島釣次監修(春秋社、新版2007)。
 =F. A. Hayek, Law, Legislation and Liberty(1960).
 第一部(PartⅠ)第三章第2節〔表題〕/自由は原理に従うことによってのみ維持でき、便宜主義に従うと破壊される。=Freedom Can Be Preserved Only By ….
第一部(PartⅠ)第五章/ノモス-自由の法。=Nomos: The Law of Liberty.
 これの第6節の中の文章(邦訳書Ⅰp.108.)-「各個人の『生命、自由および所有地』をも含めた…財産は、個人の自由を対立の欠如と妥協させるという問題にたいして、これまで人間が見出した唯一の解である」。=Property, in which --- not only --- but the 'life, liberty and estate' of every individual, is the only solution men have yet discovered to the problem of reconciling individual freedom with absence of conflict.
 西尾幹二が主張?するような、「Liberty とFreedom の違い」の理解の仕方を採用することができないことは明らかだろう。経済活動の「自由」と個人の精神的「自由」に両者が対応しているのでは全くない。
 秋月瑛二の幼稚な理解でも、liberty とfreedom は異質なものではない。L・コワコフスキ著の試訳をしていると両者が出てきて後者の方が多いが、異質の「自由」として語られているのではない、と解される。
 たしかに西尾が示唆するようにliberty は「市民(権)的自由」というニュアンスがあり、freedom は<一般的>であるのに対して、liberty は国家・市民社会の対比を前提とした、「国家」に対する(との関係での)「自由」という意味合いをもつようにも感じる。だが、後者は前者を含む、または基礎にしている、ということは否定できないのではないか。
 しかし、これも断定はできない。なお、<公民的(市民的)自由>には、civic freedom や civic rights という語が使われていることもある。civic でなく、civil —もある。
 ***
 なお、西尾は「自由」として経済活動の「自由」と個人的精神的「自由」の二つしか想定していないようにも見えるが、前回に私見の分類を示した中に簡単に書いたように、「自由」はそんなに単純に分類できるものではない。
 日本の憲法学の教科書・概説書類は、日本国憲法を念頭に置きつつ、「自由」を種々に分類・体系化していて、定説はない、と見られる(むろん、条文別の形式的分類は-改正がなければ-動かないだろう)。
 あくまで一例にすぎず、私が書いた「行動の自由」というのもないが、つぎの教科書・概説書は、つぎのように「自由」を分類・体系化している(同「目次」による)。
 芦部信喜=高橋和之補訂・憲法/第五版(岩波書店、2011)。
 A/精神的自由権(1)-内心の自由。
  1/思想・良心の自由。
  2/信教の自由。
  3/学問の自由。
 B/精神的自由権(2)-表現の自由。
  1~3/表現の自由の意味・内容・限界。
  4/集会・結社の自由、通信の秘密。
 C/経済的自由権。
  1/職業選択の自由。
  2/居住・移転の自由。
  3/財産権の保障。
 D/人身の自由。
  1/基本原則。
  2/被疑者の権利。
  3/被告人の権利。
 以上。
 他にも、9条から「平和に生きる自由」、13条から「プライバシー(私事)の自由」や「自己決定」の自由などが導かれ得るかもしれない(これは秋月の勝手な叙述)。
 西尾幹二は、このように多岐にわたる「自由」が論じられ得ることを知っているのだろうか。
 この人が関心を持つのは、「精神的自由」のうちの「思想・良心の自由」、それにもとづく「表現の自由」に限られているのかもしれない。
 そして、意識・気分を「不快」・「不安定」にする<科学技術の進展への不安>から免れるいう意味での「自由」、自分には知識がない「自然科学」なるものに脅かされているという<不安>から免れるいう意味での「自由」であるのかもしれない。
 しかし、<信仰・宗教の自由>も、<集会・結社の自由>も、<職業選択の自由>も、<人身の自由>もある。これらはむろん、「個人的精神」と密接な関係がある。
 ***
 ともあれ、西尾幹二が所持していても不思議ではないA・スミスの原著で確かめることなく、知人の「話」を聞いてA・スミスの(invisible hand に関連する)「自由」はliberty だとして、これをfreedom と区別し、かつ後者を「個人の属性」・「個人的精神」にかかわる「自由」だということから出発しているようでは、この書物に大きくは期待することができない。
 あれこれと揺れ動きながら随筆をとりまとめたような書物を、それでも現時点でさらに読んでしまった。
 今回の記述には、なおも追記したいことがある。

2074/西尾幹二の境地・歴史通11月号①。

 月刊WiLL2019年4月号(ワック)に、つぎの対談が掲載されたようだ。
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」。
 これが、歴史通/WiLL11月号別冊(ワック)に再掲されている。
 前者を読んでいないので知らなかったが、後者を読むと、今年の初めに西尾幹二が考えていたことが分かり、興味深いとともに、いささか驚き、また呆れる。
 その西尾発言部分を、まずは引用する。一行ごとに改行する。
 「女性天皇と女系天皇の区別」はかなり理解されてきたようでもある。<中略>
 「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません
 大げさにいえば、超越的歴史観を信じるか、可視的歴史観しか信じられないかの岐れ目がここにあるといってもいいでしょう。
 126代の皇位が一点の曇りもない男系継承であるからといって、今や…情勢が変わったのだから政治世界の条件は少しは緩めて寛大にしてもよいのではないかと考える人が急速に増えているようです。
 しかし残念ながらそれは人間世界の都合であって、神々のご意向ではありません。//
 神話は歴史と異なります。
 日本における王権の根拠は神話の中にあるのであって、歴史はそれを支えましたが、歴史はどこまでも人間世界の限界の中にあります。
 歴史は…、諸事実の中から事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてはわれわれはそういう自由はありません
 神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません。
 ですから神話を今の人に分かるように絵解きして無理なく伝えるのは容易な業ではなく、場合によっては危険でもあり、破壊的でもあるのです。//
 例えば、女系天皇の出現を阻止するのは…今や無理であり、…女性宮家を創設して、…が合理的で、男系継承一点限りの原則論ではもはややっていけない、と囁く声が保守派の中からさえ聞こえてきます。
 それでいいのですか。」
 ここで、いちおう区切る。
 これまでのところで、原理的な問題として西尾幹二が取り上げているのは、<神話と歴史>という問題だ。そして、明確に、前者を尊いものとしている。
 池田信夫は「天皇が『万世一系』だとか、男系天皇が日本の伝統だと主張するのが保守派ということになっているが、これは歴史学的にはナンセンスだ」と書いているが(同11月11日ブログマガジン)、ひょっとすれば?、「歴史学的にはナンセンス」であることは、西尾も容認するのかもしれない。
 しかし、西尾幹二は、「歴史学」が示す「可視的世界観」に立ってはならず、「人間世界の限界の中」にある「歴史」によらず、また「人間世界の都合」によらないで、「神々のご意向」に添わなければならない、という見解を主張しているようだ。
 なぜなら、「歴史」には「事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由」があるが、「神話を前にしては」「そういう自由」はない。
 「神話」と「歴史(学)」と関係は、一般論として、興味深い主題ではある。
 ごく最近に読んだジョン・グレイの書物の一部は、近代人文社会科学は「ヒューマニズム」を基礎としており、それはまた一種の「信仰」であり「迷信」だ、と主張しているとみられる。
 むろん、J・グレイの方が、西尾幹二よりも視野が広く、思索は深い。
 まだこの欄で紹介していないが、つぎの書物には、つぎのような印象深い一文がある。
 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)=John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)、邦訳書p.85。
 「曇りのない知見は、歴史、地理、物理学など、広い分野に学んで身につくものである」。
 西尾幹二の知見は、幼稚な秋月瑛二の目から見ても、「曇りのない知見」だとは思えない。
 以上はさておき、「歴史(学)」の対象には「神話」も含み、またJ・グレイの示唆するように「歴史(学)」もまた何らかの「宗教」(近代ヒューマニズム、近代啓蒙主義にもとづく人文社会系学問)を基礎にしているとも言えるから、西尾のように「神話」と「歴史」を対比させること自体が、なおも説得力を欠くところがあるだろう。
 しかし、それにしても、公然たる、明確な「神話」優越論だ。
 これが、日本人、あるいは世界も含めてもよいが、人間多数の支持を受け得るとは考え難い。
 「神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません」と何やら深遠なことを言っているようでもあるが、じつはほとんど無意味だ。
 「人間の手による分解と再生」を許さないのが「神話」であり、人間はそれに従うほかはない。これを西尾は「可視的歴史観」と区別される「超越的歴史観」と称しているようだ。要するにこれは、「神話を信じるべきだ」、という主張だ。
 世界観、人間観、人生観として、これは成り立つ可能性はある。キリスト教も含めて、真に敬虔な「宗教信者」は、たぶんそう考えているのだろう。
 だが、論じるまでもなく、そして残念ながら、普遍的な、または日本と日本人に不変の「世界観、人間観、人生観」として西尾が勝手に他者に押しつけることができるものではない。西尾幹二の「虚しい思い込み」にすぎない。
 この点ではまだ、岩田温のつぎの言葉の方が冷静だ。
 「神話をすべて信じろというのは現代人にとって難しいでしょうが、神話を敬う態度は必要だと思います」。上掲書、p.220。
 秋月もまた、「敬う」と表現できるかは別として、日本書記であれ古事記であれ、日本と日本人の歴史を考察するにあたって、これらのうちの「日本神話」を無視してはならないと思っているし、「事実」・「史実」ではないものがあると注記しつつ諸記述・諸「物語」を学校教育の場にも導入すべきだと思っている。
 しかし、むろん「神話を信じる」べきだ、という前提に立っているのではない。
 なお、上に引用部分にはないが、西尾幹二は、原理的・基本的な論点として、つきの主張を行っていることにも注目される。以下、引用。上掲雑誌p.222。
 「女系天皇を否定し、あくまで男系だという一見不合理な思想が、日本的な科学の精神です。
 自然科学ではない科学が蘇らない限り、…へひた走ってしまいます。
 それが行きつく先はニヒリスムです。<一文略>
 自分たちの歴史と自由を守るために、自然科学の力とどう戦うか。
 現代の最大の問題で、根本にあるテーマです。」
 ここでは私は、「ニヒリズム」観念には関心がない。
 興味深い一つは、「自分たちの歴史と自由」の大切さを説いて、ここでは(「神話」ではなく)「歴史」を重視していることだ。西尾幹二における諸概念の使い方には、そのときどきの、文章の流れの中に応じたむら気に対応して、結構いいかげんなところ、がある。
 それよりも決定的に重要だと感じられるのは、最後にある、「自然科学の力とどう戦うか」、これが「現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だ、という主張・見解だ。
 むろんこれも、西尾幹二の独自の主張の一つにすぎない。
 すでに言及した部分を含めて言えば、西尾幹二は、こういう図式を描いているようだ。
 「神話」>「歴史」>「自然科学」
 これまた面白い理解の仕方だ。J・グレイによると「曇りなき知見」を得るためには「物理学など、広い分野」を学ぶことが必要なのだが、西尾によると、「自然科学」と戦うことが必要なのだ。J・グレイとは真反対にあるとも言える(なお、この人物は<容共>主義者ではない)。
 岩田温もこれにほぼ追随していて、「皇室は、近代的な科学に抗う日本文化」の「最後の砦」だとか、「無味乾燥な『科学』」だとか発言している。上掲雑誌、p.224。
 ここに、はしなくも、日本の「文学」系人間に特徴的であることが多い無知蒙昧さが明瞭に示されている、と秋月は感じる。人間である日本人を理解するためには、人体・脳等々を学問対象とする「医学」、その基礎にある物理学、化学等々、そして脳神経生理学、進化生物学等々もまた必要なのだ。
 これら現代「自然科学」を無視しては、さらには「戦う」などという姿勢・感覚では、日本人も、その歴史も、西尾幹二もときに用いる「日本精神」なるものも、理解することができない、議論することすら不可能だと思われる。
 さて、以上は全体をいちおう一読したあとでの原理的、基本的な論点の所在の指摘だ。
 とりあえず問題になるのは、しかし、つぎにあるだろう。
 万が一「神話」と「歴史」(と「自然科学」)の関係が西尾が考えるようなものだとして、つまり西尾の見解にかりに従うとして、つぎの問題がただちに生じる。
 西尾のいう「神話」とは少なくとも日本書記上の「神話」だろう。あるいは古事記も含んでいるかもしれない。
 そして、第一に、日本書記(8世紀初頭成立)が記述する「神話」は、「神々のご意向」として、上に西尾の言葉を引用したような意味での「神話」としてそのまま「信じる」必要があるのか。あるいは「信じる」ことができるのか?
 第二に、「126代の皇位が一点の曇りのない男系継承である」ことは、日本書記(+古事記)が記述する「神話」に照らして、疑い得ないものなのか?
 岩田温は西尾に迎合して?、つぎのように語る。上掲雑誌、p.220。
 「人の世を扱う歴史には人間の自由があるが、神話には人間の自由がないとのご指摘、大変勉強になります。
 確かに歴史は解釈の余地がありますが、神話はその神話を受け入れるか、受け入れないかという二者択一を迫られます。」
 大いに「勉強」すればよいが、西尾の「神話」・「歴史」の対比とともに、これは少なくとも日本書記(+古事記)につては<妄言>・<誤謬>だ。
 ①日本書記と古事記では、記述内容が異なっている場合も少なくない。
 ②日本書記の記述は「解釈」を許さないほどに「一義的に明確な」ものではない。「神話」であっても、あるいは「神話」部分だからこそ、「受け入れるか、受け入れないかという二者択一を迫られる」ような意味明瞭な記述にはなっていない。
 日本書記の記述にだって、「解釈」の争いがあることがある。これは、ほとんど常識ではないか。
 西尾と岩田の二人は、いったい何を喚いているのだろうか。とりわけ、<日本の「保守派」知識人>西尾幹二は、いったい何を考えており、いかなる境地に達しているのだろうか。
 (つづく)

2045/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書, 2018)①。

 「自由」について最近に最も考えるのは、「意思は自由か」または「自由な意思はあるか」だ。この問題はもちろん、「意思」とは何で、その他の精神的行為または精神的態様とどう区別されるものなのか、に関係する。
 ヒト・人間の脳内の諸作業・態様の中に、「こころ」あるいは「感情」はどこにあるのか、どうやって成立しているのか、と類似の問題だ。
 「自由」か否かを論じること自体がヒト・人間として<生きている>ことの証左であり、さらに、たんなる覚醒状態・意識の存在だけではなく、より高次の「思考」を必要とするものだ。
 というわけで、たんなる覚醒状態・意識の存在とは次元が質的に異なるが、「自由」か否かを論じること自体が、<生きている>ことを前提にしていることは変わらない。
 上のことはつまり、<死者>には「意識」はなく、自分は「自由」か否かを考えたり、思い巡らしたりすることはできない、ということだ。
 「自由」か否かを論じるのは、<生者>の贅沢な遊びだ、ということにもなる。
 上に述べていることは、ヒト・人間には、<死から逃れる自由>=<死からの自由>は存在しない、という冷厳たる事実を前提にしている。
 さらに言おう。ヒト・人間は、生まれ落ちるときまでに自己の体内に宿していた<遺伝子>から自由なのか。直接には両親から受け継いだ、個性がある程度はある<生物体>としての存在から、ヒト・人間は「自由」なのか。否。
 さらに言えば、ヒト・人間は、生後の社会・環境から<無意識にでも>与えられる影響から、完全に「自由」でおれるのか? 否。
 「あなたは自由か」とずいぶんと<上から目線>の発問をして、書物の表題にまでしている西尾幹二には、まず上のようなことから論じ始めて欲しかったものだ。
----
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この本の、筑摩書房の出版・編集担当者は湯原法史
 上の書は、空気中の酸素を取り込んで炭水化物等を分解してエネルギーにしなければならない人間、酸素を多分に含む血液を脳を含む全身に送る心臓というポンプを必要とする人間、酸素を含む空気を体内に吸い込むための肺臓の存在を必要とする人間、といったものを全く意識させない、<文学的>、<精神主義的>ないし<教養主義的>自由論のようだ。人文(ないし人文・歴史)関係評論家の、典型的な作品かもしれない。
 もっとも、いちおうは精読したのは、全380頁以上のうちの57頁まで(第一章だけ)。
 しかし、上の範囲に限っても、注文を付けたい、または誤りを指摘しておきたい点がある。
 ----
 その前に、さらに私の「自由」論の序説らしきものを、上記に加えて綴ってみよう。
 組織(・団体)や国家の「自由」(これらを主体とする「自由」)は度外視する。
 第一。①何からの「自由」か。英語ではしばしば、free from ~という二語が併せて用いられる。<from ~>の~は重要なことだ。
 ②何についての自由か。
 ア/内心・政治信条・宗教(信仰)・思想等。
 イ/行動。この行動の「自由」を剥奪または制限するのが、刑法上の<自由刑>だ。
 ウ/経済活動。つまり、商品の生産・販売・取引等々。商品には物品のみならず「サービス」を含む。
 これらは、帰属する共同社会または国家により、法的・制度的な<制約>が異なる。
 第二。冒頭に「自由な意思」の存否の問題に言及したが、<身分から契約へ>を標語としたかもしれない「近代」国家・社会は、「個人の自由」について語るときに「個人の自由な意思」の存在を前提としている(正確には、あくまで原則または理念として)。
 <個人の自由意思>の存在を想定することなくして、法秩序は、そして社会秩序は、成立しない(またはきわめて成立し難い)ことになっている。
 以下は、典型的な法条だ。説明は省略する。あくまで一部だ。
 A/刑法38条「①罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
 ②重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
 ③法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。」
 同39条「①心神喪失者の行為は、罰しない。
 ②心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」
 B/民法91条「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う」。
 同93条「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
 同95条「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない」。
 こうした基本的な?法条に、西尾幹二の上掲著は言及していないようだ。きっと関心もないのだろう。
 茂木健一郎・脳とクオリア(日経サイエンス社、1997)、p.282。
 茂木は上の箇所で、「自由意思」の存在が「犯罪者を処罰する」根拠になっている、等と述べて、「自由意志」論(第10章<私は「自由」なのか?>)への導入文章の一つにしている。
----
 さて、西尾幹二・上掲書の短い読了部分(第一章)には、大きく二つの論点がある。
 紹介・引用しつつ、感想・コメントを記す。
 全体としてもそうなのだろうが、部分的な論及はあるとしても、そもそも「自由」をどう理解するのか、「自由」をどう定義しておくのか、が叙述されていない。
 たんなる身辺雑記以上の「随筆」でもない、少なくとも人文・歴史関係評論家の作品?としては、これは困ったことだ。基本的概念の意味がほとんど分からないまま、<賢い>西尾幹二が読んだ多数の文献が挿入されながら、あれこれと、あちこちに論点を少しは変えながら記述される長い文章を読んでいくのは、なかなかの苦痛でもある。
 それはともかく、先ずは、<いわゆる保守>評論家には見たことがない指摘または「怖れ」が(第一章)前半に叙述されているのが、気を惹いた。
 その最初は、カー・ナビやサイバー・テロに触れたあとのつぎの文章だ。p.10。
 ・「生活はほとんど便利になりますが、なんだか背筋の寒くなる、不気味な時代が始まりつつあるように思えました」。
 アメリカのエシュロンや「情報戦争」に触れたあとでは、こう書く。p.19。
 ・「私たちは今、これまでに知られていない、新しい不気味な一つの大きな檻の中に閉じ籠められているような異様な生活感覚の中で生き始めているように思えてなりません」。
 こうした部分はどうやら、この著の基本的なテーマらしい。
 つまり、そういうふうに変わってきているのに<あなたはあなたが自由でないことに気がついているか>(オレは気づいているぞ)ということが、書名も含めて、主張したいことらしい。同様のことは、「あとがき」でも述べられている。
 西尾が「不気味」だと感じるのは、「敵の正体が見えない」ことだ。「サイバーテロ」は誰がいつ襲うか、分からない。
 ここで西尾は旧東独の「秘密警察」(STASI)へと話題を広げる。
 「敵」が誰か分からず、スパイは家族や友人たちの中にもいた、という「かつての全体主義社会」の実例は、「いつ襲ってくるのか分からない敵の正体の見えにくさ、自由の不透明さ」において、現代へのヒントになる、と言う。p.20。
 それはそれとして参考になるかもしれないが、つぎの文章に刮目すべきだろう。このように「展開」させていくのだ。p.24。
 ・「旧共産主義体制のことを私はことさらに論(あげつら)っているのではありません。
 西側のコンピュータ社会が旧東側の、"少年少女スパイ育成社会"にある面では似てきているという新しい発見に、私が戦いているということを申し上げておきたい」。
 同じ趣旨は、つぎの文章ではさらに明確になり、強調されている。p.26。
 ・「世界の先端を行くアメリカのコンピュータ社会は、全体主義体制にある面で似てきているということの現れではないでしょうか」。
 ・「…倒錯心理、常識の喪失において、両者はどことなく共通し始めております」。 
 アメリカの<コンピュータ社会>は、「ある面では」、「どことなく」、共産主義諸国と「似てきて」いるのだ。
 この点が、西尾がこの辺りで指摘して強調したい点に他ならないと思われる。
 そして、日本社会もまた同じだと明記されている。
 端的には、こう書かれる。p.28。
 ・「新旧の共産主義体制にも、現代のアメリカ社会にも、そして日本の社会にもどことなく共通している秩序の喪失、異常の出現」がある。
 最後の締めくくりの文章はこうだ。p.28。
 ・「私たちの生きている今の世界は、どこか今までとは異なった異質な歪みを時間とともにますます肥大化させているように思えてなりません」。
 ***
 こうした西尾幹二のこの部分での叙述の特質は、以下の二点の指摘・表明だろう。
 ①<科学技術>の進展に対する不信感や恐怖。
 ②「現代」社会の欠陥・問題は<共産主義諸国>でもアメリカ・日本でも共通している。
 西尾の用いる「ある面では」とか「どことなく」という表現の意味こそが決定的に重要だと思われるが、そこにこの人は立ち入らない。
 あくまで<文学的>、<感覚的>だ。
 翻って西尾のこうした叙述を読むと、つぎの感想が生じる。
 第一に、<いわゆる保守>か「容共・左翼」かという対立には関係がなさそうだ、ということだ。<現代>批判では「左翼」的かもしれないし、アメリカを先頭に立つ「敵」と見立てているようであるのは「ナショナリズム・右翼」的かもしれないが。
 第二に、<科学技術>の進展に対する疑問や恐怖は、外国も含めてすでに多数の哲学者・歴史研究者等が議論してきたことだと思われる。
 ある者たちはそれを「資本主義」の行き着く先と見なし、(疎外労働によって?)「人間」を「非人間」に変えていく、と考えた。フランスの戦後の哲学者には、こんな主張もあっただろう。
 だが、<科学技術>の進展それ自体に<諸悪>の根源を見る、ということはできない。
 <科学技術の進展と人間の「自由」>というのは、より論じられるべき問題だ。
 結局は一つに収斂するかもしれないが、一方にはIT・AI(人工知能)等の言葉で示されるコンピュータ関連技術の発展があり、一方には脳科学・脳神経生理学等の発展が明らかにしつつあるヒト・人間の「本性」の研究がある。
 これらと社会・国家・人間の関係をもっと論じるべきなのだろう。
 しかし、西尾幹二は<怯えて><憂いて>いるだけで、処方箋を提示しない。それは<文学>系の自分の仕事ではない、と考えているのかもしれない。
 L・コワコフスキがフランクフルト学派の一人に放った厳しい一言を思い出す。記憶にだけ頼り、少しは修正する。
 <現代的科学技術の進化に戦き、かつて「知識人」としての特権を味わうことができた古い時代へのノスタルジー(郷愁)を表明しているだけ>だ。
 第三に、アメリカ・日本が「共産主義」・「全体主義」体制と「似て」きた、「共通して」きた、という指摘にも、十分な根拠が提示されていない。そもそもが、西尾幹二は「共産主義」をどう理解しているのだろう。
 このようにして東西陣営の「共通」性・「類似」性を指摘するのは、ソ連解体時に「容共・左翼」論者も行ったことだった(ソ連にもアメリカにも「現代」特有の病弊がある、と)。
 西尾において特段に意識的ではないのかもしれないが、アメリカを中心ないし先頭とする「現代」文明を批判するのは、中国・北朝鮮等の現代「共産主義」諸国を免罪することとなる可能性がある。
----
 一回では済まなくなった。もともとは、<茂木著②>の前書きのつもりだったのだが。

1994/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題④。

 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)所収の同「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」初出/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。
 西尾幹二、71歳の年。上掲書の一部。p.77~。いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>に関して。
 ③のつづき。直接の引用には、明確に「」を付す。原文とは異なり、読み易さを考慮して、ほぼ一文ごとに改行している。
 --- 
 2006年4月30日「理事会」での鈴木尚之「演説」の、西尾幹二による「一部」引用。これをさらに秋月によって「一部」引用する。
 ***
 ・「西尾先生宅に送られた4通の怪メール(FAX)」の「一通〔往復私信〕は私が八木さんに渡したものである。
 もう一通〔怪文書〕は、3月28日の理事会に出席していなければ絶対に書けない内容のものであり、4通はすべて関連している内容のものである。
 八木さんは<諸君!>で『私のあずかり知らないことである』ととぼけているが、そんなことで言い逃れできるはずがない。
 これもまた、八木さんの保守派言論人としての生命に関わることである。」
 ・2006年4月4日午後2時に「私と会った産経新聞の渡部記者は、『鈴木さん、申し訳ありません』と」「謝り、『とにかく謀略はいけません、謀略はいけません。八木・宮崎にもう謀略は止めようと言ったので、もう謀略はありませんから……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕。私は、産経新聞を首になるかもしれない』と言ったのである」。
 ・この産経新聞の渡部記者は「同じことを藤岡さんにも言った」とのことがのちに明らかになり、「このことを知って私は、八木さんに『産経の記者があなたにどんな話をしているのかわからないが、藤岡さんに話したことと同じことを私にも言っているのだから、これはもう重大なことですよ。最悪のことを考えて対処しないと大変なことになりますよ。とにかく記者は顔色をなくして私にこう言ったのだから。謀略はいけない、謀略はいけないと』。
 そのとき八木さんは、『謀略文書をつくったのは産経の渡部君のくせに……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕。彼は、1通、いや2通つくった。これは出来がいいとか言ってニヤニヤしていたんだから……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕』とつぶやいたのである」。
 ・「以上のことは、4月30日の理事会で、特別の許可を得て私がした報告の内容である」。
 「八木さんを糾弾するために言ったのではない。
 八木さんが、このような『禁じ手』を使ってしまったことを反省し謝罪しないかぎり、八木さんに保守派言論人としての未来はないという危機感を持ったから」だった。
 「それでも八木さんは、謝罪することなく、『つくる会』を去って行った」。
 ***
 (以下は、西尾幹二自身の文章-秋月。)
 ・「この鈴木氏の手記から見ても、怪文書事件には八木、宮崎、渡部の三氏が関与していた疑いを拭い去ることができない(渡部記者は新田均氏のブログにこの証言への反論を載せている)」。
 「八木氏が、もしこれを『私はやっていない』『他の人がやったのだ』と言いつづけ、与り知らないことで嫌疑をかけられることには『憤りを覚える』などと言い募るとすれば」、…と同じ「盗人猛々しい破廉恥漢ということになる」。
 ・付言しておくと、「怪文書事件のほんとうの被害者は私ではなく、藤岡信勝氏である」。
 「公安調査庁の正式の文書を装って」、氏の経歴の偽造、日本共産党離党時期の10年遅らせ等の文書が「判別した限りで6種類も、各方面にファクス」で送られた。
 理事たちは「本人に聞き質すまで」混乱して疑心暗鬼に陥った。しかも氏の「義父を侮辱する新聞記事」まで登場して「私の家にも」送られた。「はなはだしい名誉毀損であり、攪乱工作である」。
 ・「現代は礼節ある紳士面の悖徳漢が罷り通る時代」だ。「高学歴でもあり、専門職において能力もある人々が」社会的善悪の「区別の基本」を知らない。
 「自分が自分でなくなるようなことをして、…その自覚がまるでない性格障害者がむしろ増えている」。
 「直観が言葉に乖離している」。「体験と表現が剥離している」。「直観、ものを正しく見ることと無関係に、言葉だけが勝手にふくれ上って増殖している」。「私が性格障害者と呼ぶのはこうした言葉に支配されて、言葉は達者だが、言葉を失っている人々」だ。
 ・「私は八木秀次氏にも一つの典型を見る。
 他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。
 言葉の向こうから語り掛けてくるもの、言葉を超えて、そこにいる人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない。」
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。
 今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼の罪はきわめて大きい。
 言論思想界がこの儘彼を容認するとすれば、…を難詰する資格はない」。
 ・「それなのに八木氏らをかついで『日本再生機構』とやらを立ち上げる人々がいると聞いて、…ほどに閑と財を持て余している世の人々の度量の宏さには、ただ驚嘆措く能わざるものがある。」
 ---
 見出しなしの最初の段落のあとの、<怪文書を送信したのは誰か>につづく<言葉を失った人々>という見出しのあとの段落が終わり。つづける。

1985/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題③。

 記録しておく価値があるだろう。
 西尾幹二「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)所収-初/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。
 西尾幹二、71歳の年。上掲書の一部。p.77~。
 いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>に関して。
 ②のつづき。直接の引用には、明確に「」を付す。原文とは異なり、読み易さを考慮して、ほぼ一文ごとに改行している。 
 ----
 ・「謀略好きの人間と付き合っていると身に何が起こるか分らない薄気味悪い話である。」/この一文は前回②と重複。
 *以下の第三節に当たるものの見出しは「怪文書を送信したのは誰か」(秋月)。
 ・「まさか、と人は思うかもしれないが、恐るべき巧妙な仕掛けがもうひとつあった」。
 「怪文書中の『藤岡は<私は西尾から煽動メールを受け取ったが反論した>と証拠資料を配りました』における『証拠資料』は理事会には勿論配られなかったが、私の自宅には件の怪文書と同時に送られて来ていた」。
 ・「『証拠資料』とは私と藤岡氏との間に2月3日に交された『往復私信』である。
 私は会の事務局長代行の鈴木尚之氏のことを取り上げ、『鈴木氏はあなたの味方ではないですよ』『あなたは会長になるのをためらってはいけない』の主旨のファクスを送り、その紙の空白に藤岡氏が『鈴木氏は自分の味方である』『自分は会長になる意志はない』と簡単に反対意見を記した返信を再びファクスで送ってきた」。
 この『往復私信』は私と藤岡氏しか知らないはずである。
 ところが、怪文書の作成者はこれを知っているどころか所有している。
 しかも怪文書とともにこれを私に送りつけてきた。」
 ・「私はギョッと一瞬たじろぐほど驚いた。
 一体怪文書の作成者は何者で、藤岡氏からどうしてこの私信が渡ったのか。」
 ・「私は早速藤岡氏に問い質したところ、『鈴木氏は自分の味方である』という個所を読ませたくて、鈴木氏に渡したというのである。
 一方、鈴木氏は藤岡氏に会長を狙う意志がないことを示して安心させるために、ここだけのこととして八木氏に渡した。」
 ・「その際、誰にも渡らないように、ほかの人に渡すとすぐに八木氏からのだと分る印がつけてあるから、と注意して渡した。
 他への流出を恐れて渡されたこの『印がついた西尾藤岡往復私信』がなんと不用意にも、『証拠資料』として怪文書と一緒に、私の自宅に送られてきたのだ。
 とすれば、『福地はあなたにニセ情報を流しています。…、小泉も承知です。岡崎久彦も噛んでいます。CIAも動いています』の例の怪文書の送り主はほかでもない、八木氏その人だということになる。」
 ・「この間に起こった鈴木氏のあせりや問い合わせ、八木氏の電話のたじろぎ、沈黙などはいま全部省略する。
 印があることが確認された三度目の電話で八木氏はやっと認め、謝り、犯人は自分ではない、新田氏に転送したと逃げたのである。」
 ・「この間のいきさつは『SAPIO』(6月14日号)にも書いたが、ここでは新情報として4月30日の理事会で当の鈴木氏が行った長い演説を後日まとめた手記の一部を紹介する。鈴木氏は次のように語っている。」
 ----
 さらにつづける。

1966/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題②。

 記録しておく価値があるだろう。
 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)。
 西尾幹二「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」初出/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。西尾幹二、71歳の年。上掲書の一部。p.77~。
 いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>に関して。
 ①のつづき。一部ずつ引用。直接の引用には、明確に「」を付す。但し、原文とは異なり、読み易さを考慮して、一文ごとに改行していることがある。一部の太字化は、秋月による。
 ----
 ・「しかもここには古いしがらみをもつ党派的な人間関係もあった。
 前出の四人組と宮崎前事務局長は、松浦氏を除いて、若いころ旧『生長の家』の右派系学生政治運動に関係していた古い仲間であるという。
 執行部側は知らなかったが、いつの間にか別系列の党派人脈が会にもぐりこんでいたのである。
 彼らの結束が固いのも道理である。
 この学生政治運動には日本会議の事務総長椛島有三氏、日本政策研究センターの所長伊藤哲夫氏も参加していたという
 (後日分るが、郵政解散で議席を失い、安倍首相の肝煎りで自民党参院選候補に戻って、ひとしきり話題になった衛藤晟一氏も旧い仲間の一人であった)。
 がっちりとスクラムを組んだ彼らの前近代的仲間意識の強さにはただならぬものがあることをやがて知る。」
 ・「私は、八木氏はかねて遠藤浩一氏や福田逸氏に共感を寄せていたので、近代西洋思想に心を開いた人で、いわゆる国粋派ではないと思っていた。
 新田氏は、<中略…>ゼミで彼の先輩に当るという。
 要するに八木氏は思想的にどっちつかずで、孤立を恐れずに断固自分を主張するという強いものがそもそもない人なのである。
 会議でもポツリポツリとさみだれ式に話すだけで、全体をリードする人間力がなく、雄弁でもない。
 応援してくれる人がいないと一人では起ち上がれない弱々しい人だ。
 『僕には応援してくれる人がたくさんいます』という科白をわざわざ先月号の原稿の最後に吐くことに稚気を感じる。」
 ・以上は、2005年末頃~2006年1月17日の、「私〔西尾〕が退会した前後にいたる出来事」にもとづく。
 〔*以下の第二節に当たるものの見出しの原語は「怪文書を送信したのは誰か」(秋月)。〕
 ・「八木氏は藤岡氏の日共〔日本共産党-秋月注〕離党平成13年というガセネタのメールを公安調査庁に知人がいて確証を得たとして、あちこち持ち歩き、理事会の反藤岡多数派工作と産経記者籠絡の言論工作に利用した。
 つづいて私が退会して2ヶ月たった4月1日夜私の自宅に、次に掲げる薄気味の悪い怪文書を証拠資料と共に番号のつかないファクスで送ってくるものがいた。
 この脅迫めいた文書を作成し送信した者が八木氏であるかどうかを決めつけることはさておき、氏でなければ書けない内容も含まれ、少なくとも八木氏に近い人々による共同作業であったことだけは確かで、これには後述するような新しい証言がある。」
 ・「その頃なにかと理事会情報を私に伝えてくれたのは、福地惇氏だった」。
 福地氏は、「元文部省主任教科書調査官(歴史)」、「東大教授の伊藤隆氏の教え子」である。
 *以下、<怪文書>内容(秋月)。
 「福地はあなたにニセ情報を流しています。
 伊藤隆に言い含められて八木支持に回りました。」
 理事会で西尾幹二を相手にしないようにしようと言い出したのは「福地です」。
 「『フジ産経グループ代表の日枝さんが私に支持を表明した』と八木が明かすと会場は静まり返りました。
 宮崎は明日付で事務局に復帰します。」
 藤岡信勝は<西尾からの煽動メールに反論した>との「証拠資料を配りました」。
 彼は「代々木党員問題はうまく逃げましたが、妻は党員でしょう」。
 「高池はやや藤岡派、あとは今や全員八木派にならざるを得なくなりました。
 八木はやはり安倍晋三からお墨付きをもらっています。
 小泉も承知です。
 岡崎久彦も噛んでいます。
 CIAも動いています。」
 ・「私〔西尾〕が深夜読んで十分に不安になる内容であった理由を以下説明する。
 私は『小泉も承知です』の一行にハッと思い当ることがあった。」
 2005年12月25日の理事会の帰り際に「八木氏」は私〔西尾〕の新著「『狂気の首相』で日本は大丈夫か』を非難がましく言い」、「官邸は」西尾に「黙っていない、って言ってますよ」と「脅かすように告げたことがある」。
 ・「『誰が言ったのですか』」、「『知っている官邸担当の政治記者です』。」
 「『それはいつですか』。聞けば私のこの本の出る前である」。
 「そういうと『先生はすでに雑誌に厳しい首相批判を書いていたでしょう。西村〔真悟〕代議士がやられたのは『WiLL』での暗殺容認のせいらしい』」、「『私はそんな不用意なことを書いていないよ』」。
 ・2005年「12月25日は八木氏がにわかに私にふてぶてしく、居丈高にもの言いする態度急変の日だった」。
 「彼は安倍官房長官(当時)に近いことがいつも自慢だった。
 紀子妃殿下のご懐妊報道の直前、日本は緊張していた。
 あのままいけば、間違いなく『狂気の首相』が満天下に誰に隠すところもなく露呈してしまう成り行きだった。
 国民は息を詰めていた。
 制止役としての安倍官房長官への期待が一気に高まった。
 八木氏は安倍夫人に女系天皇の間違いを説得する役を有力な人から頼まれたらしい。
 まず奥様を説得する。搦め手から行く。」
 ・「八木氏はこの抜擢がよほど得意らしく、少なくとも二度私は聞いている。
 彼は権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人だった。」
 ・「右の怪文書の最後のCIAは関係あるのかもしれない深い謎だが、岡崎久彦氏の名は、いや味である。
 私の教科書記述のアメリカ批判内容を岡崎氏によって知らぬ間に削られ、親米色に替えられ、私が怒っていたことを八木氏はよく知っていたからである。」
 ・「伊藤隆氏が、つくる会理事退任届を出すに際し、過去すべての紛争の元凶は藤岡氏にあったとのメッセージを公開したことは、関係者にはよく知られている。
 伊藤氏の藤岡氏への反感は根が深く、伊藤氏が元共産党員であった、私などには分らぬ近親憎悪の前歴コンプレックスがからんでいる可能性は高い。」
 ・伊藤氏の大学の教え子の福地惇氏と八木氏・宮崎氏は2006年3月20日に会談した。
 「福地氏を反乱派の仲間に引きこむためである」。
 伊藤氏の反藤岡メッセージと「公安が保証したという藤岡党歴メール」を福地氏に見せて「このとき多数派工作を企てた」。福地氏について、「3月末の段階ではまだそういう期待もあった」。
 「こうして4月1日私に深夜送られて来た怪文書の最初の二行は、八木一派の工作動機を暗示している願望にほかならない」。西尾・福地間を「裂こうとする願望」も秘められている。
 ・「西尾がすでに退会しているので、クーデターの目標は藤岡排除の一点に絞られつつた」。
 西尾の口出しも排除したいが、「しかし何といっても藤岡が対象である」。
 「その執念には驚くべきものがあった」。
 ・私は「深夜の怪文書の一行目『福地はあなたにニセ情報を流しています』を信じてしまい」、理事会欠席の私に「親切な理事の一人が福地氏のウラを教えてくれた」のだと思った。
 「そういうことをしてくれる人は田久保忠衛氏以外にないと思い、氏に夜中に謝意をファクスで伝えた。
 翌日電話で全くの誤解だったことが明らかになり、田久保氏と二人で大笑いになった。
 しかしよく考えれば笑えない話である。」
 あのまま…ならば「3月28日の理事会はこういうものだったと死ぬまで信じつづけることになっただろう」。
 ・「謀略好きの人間と付き合っていると身に何が起こるか分らない薄気味悪い話である。」
 <つづく-秋月>

1963/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題①。

 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)。
 記録しておく価値があるだろう。上掲書の一部。p.77~。
 西尾幹二「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」初出/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。西尾幹二、71歳の年。
 八木秀次論というよりもむしろ、いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>にかかわって。
 一部ずつ引用。直接の引用には、明確に「」を付す。但し、原文とは異なり、読み易さを考慮して、一文ごとに改行していることがある。
 ----
・諸君!2006年5月号の八木秀次氏の私(西尾)に関する文章は「私の虚栄心をくすぐってくれた題である。これにリードがついて『執拗なイジメの数々…私〔秋月-八木のこと〕は林彪のごとく<つくる会>を去っていくしか術はなかった』と氏の行動が表現されている」。
 ・「一人の男として、会のトップに立つべき人として、足を引っ張られたとか、イジメられたとかは口が裂けても言ってはならないはずだが、全文を読み終ると、八木氏はこのリードの通り弁解めいた弱音をさらけ出し、〃ボクちゃんはイジメられたけど正しかったんだよお〃と訴えているように読める。」
 ・私(西尾)は2006年1月17日に<つくる会>の名誉会長を辞任した。
 「振り返れば、前年〔2005年-秋月〕の12月初旬、八木氏は突然、私に対して態度が大きくなり、ふてぶてしくなり、あっと驚く非礼があり、執行部の中心にいた彼が『宥和』を図ると称して執行部に反対する四人組(新田均氏、勝岡寛次氏、松浦光修氏、内田智氏の四理事)+宮崎正治・前事務局長の反乱側にひそかに寝返ったのである。
 執行部会議に名誉会長、すなわち西尾は出て来るべきではないと彼が私に面と向かって言ったのは12月25日だった。
 私は困難が発生したから乞われて執行部会議に臨時に出ていただけなのに、そういう言い方だった。
 執行部を中心とした良識派は八木氏の急激な変貌ぶりに危機感を覚え、守りを固めた。」
 ・私(西尾)は2006年1月16日の理事会で「『お前はなぜそこにいる』という意味の重ねての無礼な反乱側の挑発に腹を立て、名誉会長の称号を返上した」。
 ・「…渡りに船でもあり、辞任に不満はないが、クーデターは許せないと思った」。
 「平時に」理事会にも出ないが、大事なのでと執行部側から出席を求められ、「名誉会長の最後の義務だと思ってやりたくもない務めを果たしていた」。
 「しかし何度もいうが、会の精神を変えてしまうクーデターは許せない」。
 ・「というのは、単なるポストをめぐる争いではなく、会を教科書をつくる会ではなく、なにかまったく別の違ったものに変質させてしまう考え方をもつ人々による計画的簒奪であることが、後日少しずつ分るようになるからである。」
 ***
 ・「すでに反乱側の少数派は12月の段階で会を乗っ取ろうとし、事務局まで割って、執行部側の事務局員をイジメて追い出そうとしていた(実際に二人追い出された)。
 今思えば11月半ばから八木氏の会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会はこの早い時期に分裂していたといえる。」
 ・八木氏は先月号=2006年5月号で「悲劇の主人公を演じている」が、「六人のうち私と藤岡氏を除く三副会長、遠藤浩一、工藤美代子、福田逸の諸氏のうち工藤、福田の両氏を副会長に指名したのは八木氏その人だった」。
 「彼はその三副会長に背中を向け、電話もしない。
 六人の中で孤立したのではなく、他の五人から自分の意志で離れて『四人組+宮崎』派にすり寄ったのである。
 しかも何の説明もしなかった。
 三副会長は怒って辞表を出した。
 それでも八木氏は蛙の面に水である。
 都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常である。」
 ・言いたいことはガンガン言えばよい。「しかし彼は黙っている」。
 「語りかける率直さと気魄がない。
 それで後になって自分は置き去りにされていたとか、自分の知らない処でことが進んでいたとか繰り言をいう。
 すべてそういう調子だった。」
 ・「今考えると、サボタージュを含むすべての行動は計画的だったのかもしれない。
 しかし前記の論文では自分はイジメられて追い出されたという言い方をしている。//
 自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である。」
 <つづく-秋月>

1938/日本の「保守」・西尾幹二の2008年頃の主張。

 西尾幹二・皇太子さまへの御忠言(ワック、2008年)はきっとアホらしくて所持していない。
 万が一入手していたとしても(そしてどこか隅にあるとしても)、捲って読んだことはない。
 今のところ、特段の突発事がないかぎり、本年2019年5月1日に現在の皇太子が天皇に、現皇太子妃・雅子様が皇后になられる。
 この時期だからこそ今のうちに、<保守>派の少なくとも一部がかつて皇太子や同妃についてどう発言していたかをあらためて記録しておいてよいだろう。
 西尾幹二はどちらかというと肯定的にこの欄で言及することが多かったが(これもこの一年以上はやめている)、その天皇・皇室論のうちの現皇太子・同妃<批判>だけは賛同できなかった。
 冒頭に書いたとおり単行本は読んでいないが、ときどきの関係論考は読んだことがあって、この欄でも明確に批判または疑問視してきた。
 あらためて彼の文書を読み直す余裕はないので、自らのこの欄へのかつての記載から振り返ってみる。
一例になるだろうが、①2008/11/08付の、<0615/西尾幹二の月刊諸君!12月号論稿を読む。やはりどこかおかしい>によると、西尾幹二は月刊諸君!(文藝春秋)2008年12月号にこう書いた。
 「私が危惧するのは、いまのような状態をつづければ、あと五十年を経ずして、皇室はなくなるのではないかということです。雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける。というか、明確に拒否されて、すでに五年がたっている。…皇太子殿下はなすすべもなく見守っておられるばかりなのではないか。これはだれかがお諫めしなければならない。…、言論人がやらなきゃいけない」。
 この当時に秋月がすでに指摘しているが、「雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける」との指摘はおかしい。
 「宮中祭祀」なるものがいつの頃からかあったとして、皇太子も、ましてや皇太子妃も、その<主体>ではあり得ない。
 また、上の「なさる」が参加する、関与する、という趣旨だったとしても、「宮中祭祀」への参加・関与が皇太子妃の「公務」とはどこにも定められていない。
 ②2008/06/13付の本欄<0548/取り返しのつかない、一生の蹉跌、ではないか-中西輝政・八木秀次・西尾幹二>によると、西尾幹二は月刊WiLL2008年5月号(ワック)につぎの旨を書いた。
 1.小和田家が皇太子妃を「引き取るのが筋」だ。(=おそらく皇太子との「離婚」が前提。)   
2.「秋篠宮への皇統の移動」との提言も「納得がいく」。(=つまりは現皇太子は、次期天皇としてふさわしくないという見解の表明だ)。
 こうなると、論及する気もなくなる<アホらしい>ものだった。
 ----
 今回はこの程度にするが、この頃、<保守派>の少なくとも一部は何を血迷っていたのだろうか。
 上の②の表題にも出てくるように、西尾幹二、中西輝政、八木秀次は、<一致団結して>ではないが、それぞれに皇太子妃・雅子様を批判し、現皇太子の天皇就位資格を疑問視していたのだ。
 八木秀次も入っていることからすると、日本会議は(むろん正規の決定などしていないにせよ)このような論調に反対だった、八木のような主張を阻止しようとした、とは言い難い。容認していたのだろうと推察される。
 中西輝政、八木秀次の主張・発言内容には今回は触れないが、「平成」が終わろうとしている今、これら三人は、かつてのそれぞれの自分の主張・発言の内容の<適否>について、現時点での何らかの「総括」が必要なのではないか。
 なお、重視していなかったので当時はあまり取り上げなかったが、「アホ」の一人の加地伸行も当時に西尾幹二の主張を支持する論調だった。そして、のちに2016年になって明確に、皇太子・皇太子妃に対する<罵詈雑言>を吐く。その際の対談相手は、西尾幹二だ。
 その内容を分かり易く?列記したのが、以下だった。
 2017/07/16付の、<1650/加地伸行・妄言録-月刊WiLL2016年6月号>。
この上の最後の秋月の文章は以下。
 「この加地伸行とは、いったい何が専門なのか。素人が、アホなことを発言すると、ますます<保守はアホ>・<やはりアホ>と思われる。日本の<左翼>を喜ばせるだけだ」。

1782/西尾幹二と「日本会議」-2009年対談書。

  西尾幹二・保守の真贋(徳間書店、2017.09)の中に、平田文昭との対談の一部が「『日本会議』について」と題して、2頁分だけ収載(再録)されている。
 その元になっているのは、つぎの、p.280~p.282。
 西尾幹二=平田文昭・保守の怒り-天皇・戦争・国家の行方-(草思社、2009.12)
 この本を昨秋に広大な書庫(?)で探してみたが見つからないので購入したところ、いつだったか、同じこの本が二冊あることに気づいた。すでに所持していたのだ。
 西尾幹二全集だけは巻順に並べて(飾って?)いるが、他の同著書類は一箇所に集めているわけではないし、さすがに対談書までは所持していないのかと思っていた。
 さて、上の2017年著に再収されている部分ではないが、「日本会議」について、元の対談書には興味深い部分もある。
 その辺りにさらに関心をもったのは、ネット上で、この西尾幹二=平田文昭の対談書を、「正誤表」をつけて修正してるのに、出版停止にも絶版にも、修正版の新しい本の刊行もしていないと、それこそ罵倒している文章を見つけたからだった(たぶん昨秋)。
 おそらくは第一刷以降に挿入された一枚の「正誤表」によって西尾幹二発言についての「正誤」訂正の前後を正確に比較してみると、つぎのとおり。
 Aは「正誤表」による修正前、Bは修正後。冒頭に「家」とあるのは「生長の家」で、「生長の」が省略されている。<後日追記ーちょうどページの切れ目だった。>
 違いを明確にするために、ここでは敢えて、原書および「正誤表」とは異なり、一文ずつ改行する。この点と一部の太字化、下線、色づけは秋月によるものであることを明記しておく。
 A「家信者の活動家で芋づるのようにつながっていることはある時期までわかりませんでした。
  宮崎事務局長が別件で解任されかかったら日本会議本部の椛島有三氏が干渉してきて、内部の芋づるの四人の幹部と手を組んで猛反発し、会はすんでのところで乗っ取られかかり、ついに攪乱、分断されたんです。
  悪い連中ですよ。」
 B「家信者の活動家で芋づるのようにつながっていることはある時期までわかりませんでした。
  このうち松浦氏ひとりは生長の家活動家ではなかったとも聞いていますが、四人が一体となって動いていたことは間違いありません。
  宮崎事務局長が別件で解任されかかったら日本会議本部の椛島有三氏が干渉してきて、内部の芋づるの四人の幹部と手を組んで猛反発し、会はすんでのところで乗っ取られかかり、ついに攪乱、分断されたんです。
  悪い連中ですよ。」
 以上が(改行を除き)正確な引用で、訂正の前後の違いは、上のBの太い黒字下線の一文が追加挿入されているにすぎない。
 (なお、椛島有三は、現在も日本会議事務総長。
 「四人」とはp.263によると「新田均、松浦光修、勝岡寬次、内田智」で、Bにだけ(正誤表では)出てくる「松浦氏」とは松浦光修であることが分かる。「宮崎事務局長」とは、同頁によると、話題にしている時期の<新しい歴史教科書をつくる会>事務局長だった宮崎正治。) 
 こう見ると、この訂正は松浦光修のために(?)厳密さ、正確さを期したものであって、第一刷本を絶版にするほどの「誤り」では、社会通念上は、または常識的には全くない。
 もっとひどい書物はいくらでも出版、流布されている。
 かりに問題があれば「松浦氏」が仮処分等の申し立てをして法的に争えばよいだけで、わざわざ「正誤表」をつけて発行しているのだから、まだはるかに良心的な方だろう。
 しかるに、私の目を惹いたネット上の書き込みは何だったのだろう。
 現在も掲載されているのかは確認しないが、一枚の「正誤表」が封入されているこだけをもって、それによる訂正・追記の内容に立ち入ることなく、上記の西尾幹二=平田文昭の対談書の全体を非難し、貶めようとするものだ。
 そして、納得がいく。これをネット上に書き込んだのは、椛島有三を事務トップとする「日本会議」または同会もしくは椛島有三に親近的な組織・団体の活動員なのだろう。
 この対談書が「日本会議」に正面から批判的である(西尾幹二もそうだが、平田文昭の方がより厳しい)ことが<気にくわなかった>に違いない。
 2009年時点で「日本会議」や椛島有三等が公式にどういう対応をこの対談書の中身についてしたのかは知らないが、ネット上での書き込みの内容は-このとおり秋月瑛二の貴重な時間をのちに費やさせるごとく-相当に陰湿で、「気味が悪い」ものだった。
 なお、私には特別の関心はないが、上の訂正の仕方だと、<新田均、勝岡寬次、内田智>の三人は「家活動家」だと書かれて、事実誤認だとは考えなかったように見える。おそらく、きっと。

1716/中西輝政はかなり異常②-西尾幹二との対談本。

 西尾幹二=中西輝政・日本の「世界史的立場」を取り戻す(祥伝社、2017)。第二章のp.106。
 西尾幹二がアメリカについて「絶え間なく戦争をする。今度も危ない」と発言したのを受けて、中西輝政はこう言う。
 「そこにこそアメリカという国の本質や生命力の根源がある。私はトランプ政権は戦争をする政権だと思います。ただ、米中でやるんだったら、できるだけ日本を巻きこまない形で、日本から離れたところでやってもらいたいですがね」。
 この中西の発言はいったい何だろうか。冗句・冗談だと理解したいが、それにしては明確に言い過ぎている。
 この中西発言は、<一国平和主義>あるいはアメリカが起こす戦争に日本が巻き込まれるという平和安全法制に対する日本共産党その他の日本の「左翼」の議論と、どこが違うのか。
 中西は2015年平和安全法制に反対せず、その前から日本の集団的自衛権の容認と行使(憲法解釈および法律上の)を主張してきたはずだが、<改説>でもするのか。
 特定の意味での日米同盟の実在は認知せざるをえないだろう。そしてまた、東アジアでの米中の実力・軍事衝突に、日本が「巻き込まれない」可能性があるとでも、中西は本当に考えているのだろうか。
 少しずつさかのぼる。まず、p.103-4。
 中西によると、欧と米は「根っこから違う」、アジア人のほうが、アメリカ的なものとの共通部分があるようにさえ思う」。 
 これはかなりの共通想念を覆すものだ。本当に中西の指摘のとおりだろうか。
 p.101。西尾幹二がアメリカにおけるトランプ当選の意味を何度か言及しているのをおそらく受けて、中西輝政は、こう言う。
 「ポリティカル・コレクトネス」的な「近年の偽善的なリベラリズムに彼は反撥しているのだ、という人がいますが、私の見るところ、それもたぶんトランプ一流の偽装」だろう。「宗教ポピュリズムの世俗版のような大衆運動を起こす」のが自己目的で、「それから、トランプ個人の権力欲、それ以上ののものは何もない」。
 「トランプ個人の権力欲」うんぬんは別として、この部分は、明言されていないが、西尾幹二の見解・理解との決定的な対立点だ。
 中西は他にも、トランプとクリントン、共和党と民主党との違いを無視するか相対化する発言をしきりに行っている。
 p.89で西尾は、いずれも「アメリカ=帝国」という意識はもつとしつつ、上の二つの差違を問題にしているが、p.90で、中西はこう言う。
 ・トランプについての「始めからの私の見方」は、「徹底した金持ち優遇の古いネオコンの、さらにより乱暴なバージョン」だ。
 ・メキシコ国境に壁、日本も核武装をは、「どちらも就任すれば、うやむやにしてしまう」だろう。
 ・「そもそも、トランプが勝とうと、ヒラリーが勝とうと、私には、もともとそんなことはたいして興味がなかった。…、いまのアメリカは孤立主義に行くしかないのです」。
 中西輝政の発言は櫻井よしこによるトランプに関する些末な言及よりは本質を衝こうとしているようで面白くて刺激にはなる。
 しかし、トランプとヒラリーの闘い、つまり共和党と民主党の戦いに「もともとそんなことはたいして興味がなかった」と言ってしまうのは、日本の「知識人」としてもやや異様だが、<保守>派論客を自認しているとすれば、かなり異常だろう。
 こんなふうに考えていると、現在のアメリカを理解できないだろう。
 もっとも、中西輝政はもっと高い次元で「世界史」的にアメリカを観ているのだ、と主張するのかもしれないが、それはそれでもよいとして、問題は、疑問は、そういう主張が、いまの現在、いまの日本で、いかほどの意味・意義を持ちうるのか、だ。
 なお、念のため。中西輝政はかなり異常だと評するのは、この対談本の読んだかぎりでの部分についてであり(その後も想像はつくが)、私の言う<保守>の立場の発言としては、という意味だ。

1714/中西輝政はかなり異常だ-西尾幹二との対談本。

 西尾幹二=中西輝政・日本の「世界史的立場」を取り戻す(祥伝社、2017)。第二章まで読んだ。~p.106。 
 前回にこの本はトランプ等のアメリカ現代政治には言及していなさそうと予想したのは誤っていて、第二章「アメリカの正体」の主眼は、むしろこれだった。
 中西輝政による2015年安倍談話批判は冷静で論理的とも感じたが(それでも、自説の無視・軽視という経緯に対する腹立ちもあるだろうと想像したが)、この書での中西輝政の<狂信的な>アメリカ観・トランプ観には驚いてしまった。
 そして、前回にこの人の「共産主義」感覚を疑問視しておいてよかった、とも感じた。
 また、前々回(11/27)に西尾幹二の最近の論考(産経新聞「正論」欄)について、「ほとんどすんなりと読めた」と何気なく記したのだったが、重要な意味を持っていたことにも気づいた。なぜなら、この西尾の文章は、トランプ・アメリカ大統領のアジア歴訪を好意的に、少なくとも批判的・糾弾的にでなく、記述したものだつたからだ。
 櫻井よしこは、立ち読みした週刊新潮(新潮社)の最新号で、相変わらずトランプ批判を繰り返している(しかし、なぜかトランプに100%同意した安倍晋三を批判することは依然として全くない)。トランプのアジア歴訪は、とくに対中国は「大失敗」だった、とする。そして、相も変わらず、アメリカは信用できない→日本はしっかりしよう→そのために憲法改正を、と何とかの一つ憶えのように繰り返している。その際に、相も変わらず、他人の文章・言葉(今回も?田久保忠衛)の引用・抜粋・要約で紙数の過半を埋めるという<技巧>を使っている。
 桜井のもち前の技巧、他人の文章・言葉を自分の言葉・考えのように用いる・語ることのできる能力というのは、他人の原稿を自分の考え・自分が収集した情報のごとく読んでいた、テレビ・キャスターという過去の履歴と関係があるのではなかろうか。
 余計なことを、つい書いた。一年前にこの欄で、トランプ当選は「精神衛生」によかった、と記したことがある。トランプに対する印象は、西尾幹二のものの方が、私のそれ にはるかに近い。
 ----
 前回に記し遺した中西輝政発言に対する違和感、あるいはコメントを要するとの感触は、とりわけ、つぎのようなものだ。
 p.56。詳細な引用は省くが、中西は、アメリカの奇妙な国際法思想、国際法秩序への挑戦の歴史なるものに言及する。そして、こう言う。
 「ですから、いまの中国のやっていることも、世界史的に見れば、けっこう通用性のあることなのです」。
 ----
 一般に、全ての社会・政治事象は、何らかのかたちで連関し合っている。社会・政治事象は、自然現象ともまた関係し合っている。大地震もその他の自然災害も人間社会に政治に大きな影響を与える。豊作・豊漁といったもの、あるいは天照大神の岩隠れ(神隠し)伝承と皆既日食の事実との関係のように、自然界では珍しいが異常のことでなくとも、人間の政治・社会に強い影響を及ぼすことがありうる。
 自然現象ですらそうなのだから、人間界の「政治」現象は地域・国家が異なっても、何らかの関係を相互に持ち合っている。
 Aがあり、一方でBがあって、それらが対立・反発し合っている、というとき、どちらが根本・究極の原因にせよ、両者が成立した以上は、相互に何らかの影響を及ぼしうる。
 「いまの中国」の原因は「アメリカの歴史」にある、と中西輝政は言っているのと同じだ。
 「いまの中国のやっていることも、世界史的に見れば、けっこう通用性のあることなのです」。 
 このこと自体は、「世界史的に見れば」誤りではないのかもしれない。中西によると、「国際法秩序に異を唱える」ことによる「パクスアメリカーナ」の構築に対する反撥、あるいはそれの摸倣が「いまの中国のやっていること」らしい。「世界史的に見れば」。
 しかし、こう発言して指摘することの、実際的、実践的意味もまた問われなければならない。
 悪辣なアメリカがあった(ある)から、今の中国もある。こう中西は言っているのと同じではないか?
 これは、厳密な主観的意図はともかく、現実的な機能としては、現在の中国を(共産党中国を)擁護する議論だ。
 現在の中国を引き合いに出してまで、アメリカの歴史を批判している。
 中西輝政とは、そのような「学者」なのだ。
 ーーーー
 今回は第二章にまで立ち入れなかったが、「アメリカ憎し」の発言は、第一章以上に烈しい。<狂信的>とまで形容したほどだ。
 西尾幹二はほとんど聞き役で、何とか共通点・同意できる点を見出そうとするかのごとく、まだ冷静に(言葉数は少ないが)発言している。
 中西輝政の現在のアメリカ政治観・トランプ観には、唖然とするものがある。とても「保守」派とは評し難い領域にまで入ってしまっている。また別の日に。
 なお、中西の反アメリカ姿勢を批判しているから秋月は<親米>だ、などという二分法、二項対立図式の単細胞的思考をする人が多いから困る。私は、<対米自立、*日本的な*自由・民主主義の必要性>くらいは、何度でもこの欄で述べている。

1713/西尾幹二=中西輝政・日本の「世界史的立場」…(2017)。

 西尾幹二=中西輝政・日本の「世界史的立場」を取り戻す(祥伝社、2017)。
 対談や座談会の内容を文字にした、安易に造られる書物が多すぎる、とは断定しないでおこう。
 何しろ、相対的にはきわめてマシな、優れていると感じている「保守」派論客の対談本なのだから(司会は柏原竜一)。
 まえがきを2017年3月に西尾幹二が書き、あとがきを10月に中西輝政が書き、同11月付で出版されている。この時期に、西尾と中西の二人は何を語るのか。
 目次全体を眺め、一章まで読了した(~p.70)。
 西尾幹二によると、日本国民の「歴史認識を永いあいだ分裂させ、歪めてきた当のもの」である<世界史に日本がなく、日本史に世界がない>という「変則状態」の「欠を埋め、ここで自覚を新たにしたいというおもい」で起ち上がり作成された書物だ、という。p.4。
 司会者・柏原竜一は「問題提起-『西洋近代』のいかがわしさ」と題する第一章の冒頭で(しかし、本書全体の意図のごとく)、こう言う。
 「昭和における日本人の精神性の覚醒を正しく位置づける」ためにも、「大局から、『近代』というもの、『西洋近代』というものを見直す必要がある」との問題意識で、(二人に)「対談をお願いする」ことになった。
 ----
 まだ70頁までしか読んでいないが、大きな期待は持てそうにない、と直感的に思った。
 目次から、章名および節(に当たるもの)の名・タイトルにどのような言葉・概念が並んでいるかを見てみる。
 日本-14。最多のようだが、これは当然かもしれない。
 アメリカ-11、近代・西洋近代・西洋文明・欧米・ヨーロッパ-計8、中国-1。
 ロシア(・ロシア革命)・ソ連-ゼロ。共産主義・コミュニズム・マルクス主義・社会主義-ゼロ。
 あくまで目次上のタイトルで使用されている言葉・概念だ。
 しかし、この書のおおよその内容を掴む手がかりにはなるだろう。
 今年はロシア革命100年。だが、この書に関するかぎりでは、西尾幹二も中西輝政も、ロシア革命や「共産主義」の「世界史的」意義・意味、その今日に至るまでの日本に対する「日本史的」意義・意味には、とんと関心がないように見える。正確に再述しておく-「…かぎりでは」、「…ように見える」。
 中西輝政は、いつぞや「ネオ共産主義」という言葉を使って、まるで現在に現実としてある「共産主義」国家・「共産主義」体制は、<元来の・本来の>共産主義とは異なるとでも理解しているかのような文章を書いていた。この人にとって<真の>または<本来の・元来の>「共産主義」とはどういうものなのか。したがってまた、西尾との対談でもこれを(たぶんほとんど)話題にしないのは当然かもしれない。
 中西は、とっくに「マルクス主義の過ちは証明されている」ので、これ(マルクス主義・共産主義等)に拘泥するのは、遅れている、旧い発想だ、と考えているようにも思えた。
 このような発想は、じつは「日本会議」と同じだ。
 ----
 「近代」あるいは「欧米・ヨーロッパ近代」への懐疑・疑問・批判をテーマとする書物は、すでに多数ある。
 かつて私もよく読んだが、佐伯啓思がしてきた仕事のほとんどは、これだ。あるいはこれの繰り返し、しつこいまでの反復、だ。
 そして、大切なこととして指摘しておきたい。「近代」あるいは「欧米・ヨーロッパ近代」への懐疑・疑問・批判は、マルクス主義者・共産主義者もまた、共有する。
 彼らは、「市民革命」思想らしきものを都合よく利用しつつ、<自由と民主主義>をブルジョアジーが被支配者を「欺瞞」するための道具だとも考えた(考えている)。
 <西洋近代>の嫡出か鬼胎かはともかく、<近代>は共産主義もまた生み出したし、一方で共産主義は<近代>を克服しようとした(とする)考え方・運動だ。
 ----
 多くの<西洋近代>懐疑・批判書と違って、二人のこの本は、アメリカを主対象とし、アメリカ批判を主とするもののようでもある(しかし、トランプ等々、アメリカの現代政治を扱っているのでもなさそうだ)。
 オビに、こうある。
 「戦後日本を縛りつけているものは何か?/いまも世界を支配する歴史の亡霊。その体現者・アメリカの正体を暴く!」。
 この対談書によるかぎりで、西尾幹二と中西輝政にとって、現時点で「大局的には」、中国共産党体制よりも北朝鮮よりも、アメリカの方が<歴史的に?>大切な、重大な関心事なのだろう。
 しかし、素朴につぎのように考えてしまう。
 二人が語るアメリカ(の歴史等)とロシア(・ソ連)や中国等との関係はいったいいかなる<世界史的>関係にあるのか。日本史を語る際にも、少なくとも幕末以降の日本・ロシア関係、そして何よりも第一次大戦中のロシア革命(1917年)や終戦後のコミンテルン(1919年)との関係は重要な関心事でなければならないだろう。いやすでに北一輝にも見られるように、ロシア革命以前から、マルクス主義(・思想)の影響は日本に強くあったのだ。
 また、つぎのようにも思う。
 反アメリカ、あるいは「アメリカの正体を暴く」というだけでは、基本的には佐伯啓思ら多数の者がしてきた仕事の、新味のあるらしき、焼き直しにすぎないだろう。
 また、日本共産党もまた<反アメリカ>のナショナリスト政党だということを、あらためて強く指摘しておかなければならない。アメリカを批判的に考察し、「アメリカの正体を暴く」、というのは、決して日本共産党が嫌がることではない。
 この政党は十分に、民族主義的・対米自立の「自主・独立」、そして「愛国」政党でもある。
 さらに、北朝鮮がいまだに「アメリカ帝国主義」と称しているのも、中国が決してアメリカと全面的には同調しないのも、根源的には、その「共産主義」性、あるいはマルクス主義(・思想)がある。反資本主義・反「帝国主義」の心性を、彼らは失っていない。
 日本共産党についても同じ。アメリカを歴史的に批判することは、少なくとも一面では、あるいは一部は、日本共産党等の日本の共産主義者および「左翼」もまた喜びとするものであることを、強く意識しておく必要があるだろう(この点は、佐伯啓思の<左翼との通底性>にもかかわる)。
 ----
 さて、第一章。
 <「近代」とは何か>はでたらめのタイトルのごとくで、キリスト教に関する話が多すぎる。
 国家と宗教の分離、そこでの宗教について話題にするな、とは言わない。しかし、とりわけ、中西輝政の、「ピューリタニズム」に関する話が長すぎる。
 この機会にと、中西は最近に勉強?(研究?)したことを披瀝したかったのかもしれない。新しい知識も(いかほどに確かなのかは分からないが)、得られる。
 しかし、大発見のごとく勇んで強調するほどのことなのか。それで?、とも尋ねたくなる。
 中西輝政が上についてきちんと発言したいのならば、<欧米・ピューリタニズムと日本>とでも題する本格的な、300-500頁から成る専門的研究書を執筆・刊行して、世に問うていただきたい。
 もう一つ、中西輝政の発言には、気になる部分がある。別の日に。

 

1712/西尾幹二・人生について(新潮文庫)より。

 西尾幹二・人生について(新潮文庫、2015。原書、2005)p.201~3。
 「自分の死を意識したときに不思議でならなかったのは、死をさえ意識しているこの自分の『意識』がとつぜんあとかたもなく消滅してしまうということである。それはことばでは言い表わすことのできない恐怖、宙に向かって大声で叫びたくのをぐっとこらえているような恐ろしさである」。
 「病気が襲来したときの、死に随伴する肉体上の苦痛というようなものは、たとえどんなに大変でも、自分が消滅するという恐怖に比べれば、決して重大事ではない。少なくともこの二つは別のものである」。
 「死後の生命の存続というものがもし信じられるのなら、それほど楽なことはないであろう。しかし私は、私の身体が亡びると共に個体としての私も消滅し、『自分の意識』もいっさい消えてなくなるのだという以外の考えを持つことがどうしてもできない」。
 ----
 上は50歳代で癌の告知を受けた著者・西尾が60歳代初めに書いた文章のようだ。
 その体験がないと、このような精神の経験もないだろう。また、知識人に特有の自己認識と自己表現の強い希求が背景にあるようにも思える。後者の点に立ち入るのはさて措き、上のような認識・感覚は納得できる。
 つい最近に福岡伸一の本に触れる中で、死後の「意識」・「霊魂」は存在しないだろう、亡き両親等と「交信」したこはもはや全くないのだから、というようなことをこの欄で記した。
 ----
 興味があるのは、このような認識に至った人、あるいは至ったことのある人と、そうではないおそらくはより多くの人との間に、どのような人生観、人間観、そして社会観、世界観の違いが生じるのだろう、ということだ。
 ありていに、急に世俗っぽく言えば、<保守>の人と<左翼>の人で、違いはあるのか。「保守」派とされる高名な(誰とも名は浮かばないが)人と、「左翼」で弁証法的唯物論者?ともされる共産主義者・日本共産党員との間に、「死」に関する認識・感覚に違いはあるのだろうか。あるとすれば、どのように違うのだろうか(たんに<傾向>にすぎなくとも)。
 福岡伸一についても関心をもつのは、この人のように「生命」の本質を理解しようとしている人は、世俗の社会・国家についてはどういう考え方に至るのか、だ。
 この人はフェルメールが好きらしい。やはり人の個体としての<個性>はあるのだ。つまり個々人の嗜好・好みだ。
 私も、エゴン・シーレよりも、アルフォンス・ミュシャ(ムハ)よりも、フェルメールの絵の方が好きだ。ときに、フェルメールの絵の静穏さよりも、クリムトの絵の一部にある激しさに惹かれたりするけれども。
 絵画や音楽は別として、さらに、この福岡という人は、急に世俗っぽくなれば、<保守>派を支持するのだろうか、<左翼>を支持しているのだろうか。それとも、そうした政治的・社会的な対立は、人の意識の錯乱と錯誤の分岐点やその内容・程度の問題であって、ヒト・人間にとっては本質的な問題では全くない、「趣味」の問題だろうか。
 俗人である秋月瑛二は、こんなことも福岡伸一に尋ねたくなるし、さらにこの人の本も読みたくなる。
 ----
 上のような西尾幹二の文章の内容に、ほとんど完璧に共感する。同じように考え、かつ文章化することのできる、立派な人だと感じる。
 しかし、むろんそのことは、西尾幹二の政治・社会に関する主張や叙述に全面的に賛同することを意味しはしない。
 一番最近に同氏のネット上で読んだ雑誌(または新聞)論考ー追記・産経「正論」欄ーのそのままの紹介は、ほとんどすんなりと読めた。
 だが、西尾幹二・保守の真贋(徳間書店、2017.09)となると、簡単にはコメントできない。おそらくいったん全て読んでいるが、同感するところもあるし、気になるところもある。
 かりにこの本の感想を書き始めれば、とても一回では足りない。

 
ギャラリー
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2095/西尾幹二の境地・歴史通11月号②。
  • 2092/佐伯智広・中世の皇位継承(2019)-女性天皇。
  • 2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。
  • 2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2081/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)②。
  • 2080/宇宙とヒトと「男系」-理系・自然科学系と<神話>系。
  • 2066/J・グレイ・わらの犬「序」(2003)②。
  • 2047/茂木健一郎・脳とクオリア(1997)②。
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー