秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2019/11

2089/日本文化会議編・日本は国家か(1969)。

 日本文化会議、1968年6月~1994年3月。
 この団体・組織は石原萠記が事務局にいた<日本文化フォーラム>とは別のものだ。
 つぎの著に、結成時のいきさつが書かれている。
 石原萠記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)。p.916~。
 設立趣意書の「草案」は村松剛が起草し、「やや厳しいものを廃して」(これは石原の語ではない)新しくまとめたのは福田恆存だった、という。p.921。
 設立準備の「常に話し合いの中心」にいたのは、福田恆存と石原萠記だった。p.921による。
 この二人以外に、ときには欠席した者もいたが、つぎのような人々が趣意書や予算について会合をもった、という。同頁。
 竹山道雄、木村健康、平林たい子、林健太郎、武藤光朗、中村菊男、村松剛、高坂正堯、若泉敬、鈴木重信、岩佐凱実、木川田一隆、藤井丙午、中山素平、鹿内信隆、今里弘記、小坂徳三郎、下村亮一。
 日本文化会議編・日本は国家か(読売新聞社、1969)。
 この書物の内容を、ほぼ目次の構成を参照して、下に紹介する。()内の所属等は、この書のp.11をそのまま記載。
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 1969年4月12日-13日、日本経営研究所会議室(千代田区平河町)。
 第一議題/『権力なき国家』の幻想。
  問題提起/高坂正堯(京都大学・国際政治学)。
  討論司会/江藤淳(評論家)。
  討論参加者/高坂のほか、山崎正和(評論家)、武藤光朗(中央大学・経済哲学)、三島由紀夫(作家)。
 第二議題/市民と国家。
  問題提起/田中美知太郎(京都大学・哲学)。
  討論司会/大谷恵教(早稲田大学・政治学)。
  討論参加者/田中のほか、佐伯彰一(東京大学・米文学)、林健太郎(東京大学・西洋史)。
 第三議題/国家は有用か。
  問題提起/坂本二郎(一橋大学・経済学)。
  討論司会/西義之(東京大学・独文学)。
  討論参加者/坂本のほか、加藤寛(慶応大学・経済学)、若泉敬(京都産業大学・国際政治学)。
 総合討論/日本は国家か。
  討論司会/泉靖一(東京大学・文化人類学)。
  討論参加者/以上掲記の会員たちのほか、会田雄次(京都大学・西洋史)、酒枝義旗(元早稲田大学・経済学)、鈴木重信(神奈川県教育センター顧問)、野田一夫(立教大学・経営学)、林房雄(作家)、吉田富三(癌研究所所長)。
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 1969年春。「大学紛争(騒擾)」の真只中だったのではないか。
 三島由紀夫が第一議題にだけ出席して発言し、その発言をめぐる「議論」も掲載されている。これまた、知的に<面白い>。
 翌1970年11月に、三島由紀夫は自決。
 さて。
 日本文化会議は、1994年に解散。
 日本会議(事務局長・椛島有三)の設立は、1997年。
 日本文化会議の設立は、1968年。
 日本青年協議会の設立は、1969年。上と関係はなかっただろう。
 日本青年協議会・機関誌は月刊『祖国と青年』
 江崎道朗は、この雑誌の編集長をしていたことがあった。
 また、江崎は、1997年~少なくとも2006年、「日本会議事務総局に勤務、政策研究を担当」。これは、2006年刊の椛島有三との共著による。
 また、この2006年刊の小著での江崎の肩書は「日本会議専任研究員」(表紙裏)。江崎道朗は近年に自ら、「国民運動」をしていた、と書いていたことがある。
 いろいろと考えさせられることがある。
 「右翼」団体が、「保守」という美名を簒奪した。
 「保守」と自称しているからには月刊正論(産経新聞社)もまず第一に<反共産主義>だろう、と誤った判断をしてしまった。これも、「言葉」・「概念」のトリックだった。

2088/遠藤博也・<法の多元性>(1987年)。

 法律に違反すれば罰せられる(刑罰として)、というのが最もよくある「法」または「法律」のイメージかもしれない。
 また、<憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの。ベクトルが違う>という奇妙なことを真面目に書いていた某新聞もあった(朝日新聞社説、2017年頃)。
 法の多様性、ということに関して。つぎの著を紹介しよう。
 遠藤博也・行政法スケッチ(有斐閣、1987)。
 遠藤博也、1936~1992年、享年55歳。1970年~(1992年)、北海道大学法学部教授。
 上の書は、1985-86年の雑誌連載をまとめたもの。
 この書の章の表題の中に、<二つの法・裁判-裁判と強制・公法と私法>、<三つの法根拠>、<五つの法過程>といったものがある。
 すでに一部見られるが、この書は「数字」にひっかけて?構成されている。すなわち、第18章まであるが、各章が1~18という数字に関係・関連する話題を取り上げている。
 といっても、書名から感じられるかもしれないような<行政法随筆>ではなく、専門性は相当に高いので、平川祐弘、江崎道朗、伊藤哲夫等々が読んでもほとんど理解することができないだろう。
 と書いているうちに、各章の表題を書き写しておきたくなった。
 第 7章の「七(7)」は意外にむつかしかったようで、下記のとおりになっている。
 第16章も苦しく、16=4×4で、むしろ「44」から出発している。
 第14章は表題にはないが日本国憲法14条(法の下の平等)に関係させている。
 第17章は日本国憲法17条に入っていき、現実の国家へと及ぶ。但し、冒頭に、江崎道朗や櫻井よしこらが詳しいはずの聖徳太子・十七条の憲法への論及が計6~8頁もある。
 第18章は苦しい<お遊び>ではなく、「数字」に関する優れた哲学的考察?も語られている。
 なお、<行政法(学)>分野に特有な話題だけではなく、以下でも言及するように、「法」・「法学」・「法律」一般に共通する論点も少なくない。
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 第 1章/一つの行政-統一的法と内部・外部の法。
 第 2章/二つの法・裁判-裁判と強制・公法と私法。
 第 3章/三つの法根拠-制定法・法の一般原則・当事者自治。
 第 4章/四つの基本原則-公共性・権限分配・権利尊重・公正手続。
 第 5章/五つの法過程-行政先攻の基本構造。
 第 6章/六つの法局面-適法・違法概念の相対性。
 第 7章/なぜか行政行為の諸分類-行政行為の分類に関する代表的学説。
 第 8章/八つの行政委員会-行政委員会による準司法手続。
 第 9章/民法709条と憲法29条。
 第10章/時効一〇年-安全配慮義務と守備ミス型の不作為の違法。
 第11章/11時間めに来た男-「特別の犠牲」の基準と適用。
 第12章/一二の法律-公共施設周辺(地域)整備法。
 第13章/行訴13条・請求と訴え-取消訴訟の訴訟要件と実体的請求要件。
 第14章/武器平等の原則-行政争訟手続における当事者間の公平の確保。
 第15章/取消判決の効力-取消判決の形成力と拘束力。
 第16章/行訴44条・仮の救済-行政に関する訴訟における仮の救済制度。
 第17章/一七条の憲法-憲法構造と現代行政国家の現実。
 第18章/一八番(おはこ)・本書のまとめ-分類と体系における数の不思議
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 <法の多元性>に関係する部分は多数あるが、最も直接に関係するのは、第6章・六つの法局面(p.117~)だ。
 遠藤博也著のこれによると、-特別に新奇なことが書かれているのではないが-つまりは3×2の計6種の「法」が語られている。
 冒頭部分に、こんな一般論が記述される。
 「法はなかなか複雑なものだから、あちらこちらから多面的、多極的に観察しなければならないわけである。ひとくちに行政が違法だとか、適法だとかいっても、それが具体的にいみするものが、場合によって違っている。」
 具体的に遠藤は、つぎの各種「法」を挙げる。
 A/「内部の法」と「外部の法」
 B/「主観的法」と「客観的法」
 C/「適法性に関する法」と「責任に関する法」
 三つの観点から二つずつに区別されているので、3×2で、計6の「法」あるいは「法局面」が語られているわけだ。
 以下、遠藤著に依拠しないで、自由勝手に書いてみよう。
 上のうちAの二つは、かなり<行政法(学)>的だ。その他の法(学)分野にはない公務員法(国家公務員法という法律等々)や行政組織法(内閣法、国家行政組織法という法律等々)にかかわるからだ。前者は一般の<労働法>の一分野かもしれないが、公務員が行政機関の担当者(たる人間)である点で、なお特有性がある。
 これに対して、BやCの各二つは、かなりの法(学)分野にも関係する。
 Bの二つは、現日本国憲法上の「司法」権概念に直接に関係する。
 つまり、思い切り簡略化せざるを得ないが、憲法上固有の意味での「司法」とは、私人ないし国民の「権利義務に関する」(それらの存否や内容等に関する)具体的紛争を裁断する(そして権利を保護する)作用(・機構)と、圧倒的に解釈・理解されていて(むろん個々の事案での争いはある)、たんに「法」または「法律」等に違反するか否かという「客観的」問題についてのみ判断する作用(・機構)ではない、とされているからだ。この点で、異なる基本法制を採る国もある(例、ドイツ)。
 この区別が分からないことには、<ふるさと納税>制度をめぐって泉大津市が国・総務省(地方自治・地方税所管)に対して訴訟を提起したということの意味等も、<辺野古・公有水面埋立>をめぐって沖縄県(・知事)と国(国土交通省等)が長い間争っていることの意味等も、正確には理解できない。国地方係争処理委員会なる行政機関の法的位置づけも。
 民法上の法的紛争で訴訟の対象となるものも、当然ながら私人の<権利義務に関する>(それらの存否や内容等に関する)具体的紛争だ。たいていはこの制約をクリアするが、なかには「司法」権の対象性自体が否定されることもある。
 <権利義務に関する>はしばしば<主観的>と表現される。「主観性」ともいう。ドイツ法から継承したものかもしれない。但し、<~に関する>という表現自体には、なお曖昧なところがあるだろう。
 Cの二つはむしろ、民法や刑法(民事法や刑事法)の分野でとくに語られるものだ。
 各「法典」との関係での適合性または「違法」性なるものと<責任>の負わせ方はどう関係するのか。後者は、<民事法上の責任>や<刑事法上の責任>のことだ。<民事上の責任>の中で主要なものはおそらく「不法行為による損害倍賞」責任であり、<刑事法上の責任>とは主として「刑罰」(を受けて「責任」を果たすこと)だ。
 藤原かずえ(kazue fgeewara)がこれらの「法的」責任に関する議論を全く知らないままで麻生太郎・財務大臣等の「責任」を-何やら知ったふりをして<造語>までして-「論じて」いたことは、この欄ですでに触れた。
 かりに<責任をとる>=<辞任する>と理解していたとすれば、呆れるほどの「無知」だ。
 行政・公務員の分野でも、政治的・行政的なものではない「法的」責任と言いうるものがある。不法行為責任の一種が民法・不法行為法の特別法だと一般には解されている国家賠償法という法律による「損害賠償責任」だ。また、公務員個人が公務員であるがゆえに刑事法上の特別の犯罪の「責任」を課されることもあるがあるし(収賄罪、暴行陵虐罪等)、公務員法制にもとづく「懲戒責任」、いわば「懲戒罰」(こんな専門用語はないだろうが)を受ける責任、正確には各種<懲戒処分>を受け得ることも、公務員としての一種の「責任」だろう。同様の懲戒は私企業でもあるが、公務員法制上に根拠があることや争訟の手続・方法が民間企業の場合とは異なる。
 といったわけで、「法」は単色・単様ではない(上の記述や遠藤著がこれを全て説明しているわけでもない)。
 「法学士」たちには以上はかなり常識的なことだろうが、とくに「文学」畑の知識人または「知識人らしく勿体ぶっている人」たちにとっては難解かもしれない。
 平川祐弘にもそうだろう。西尾幹二も、2018年の著<あなたは自由か>(ちくま新書)で、「自由」を論じながら、あるいは「自由」に関する随筆らしき文章を書きながら、現行法制にもとづく国民・私人の「自由」の実態・現実、法制・法学・法哲学・法思想、そして政治哲学・思想上の「自由」論には全く、またはほとんど立ち入っていない。
 それでもって「自由」論を扱えるのが奇妙で、不思議だ。それでも、日本の現在の情報産業界では通用するらしい。
 A・スミスも当時のイギリス等の取引や貿易に関する具体的法制または制度や慣行をふまえていたように思えるし、F・ハイエクも「法」について頻繁に言及している。知られるように、書名からして、Law やLegislation を用いるものがある。マルクスも、レーニンも、「法学」をいちおう修業しているのだから、「法学士」にも様々な人物がいるのはむろん承知しているけれども。
 なお、遠藤博也の個別論文に、同「行政法における法の多元的構造について」田中二郎先生追悼論文集・公法の課題(有斐閣、1985)がある(あった)。こちらの方が、さらに専門性が高い。上掲書にも出てくるが、「既判力」とか「権限の重複・競合」とか書かれていても、上に名を挙げた人々には、何のことかさっぱり分からないに違いない。

2087/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)④。

 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 =Antonio R. Damasio, Descartes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain.
 第5章第2節以降の抜粋・一部引用等。引用は原則として邦訳書による。
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 第二部/第5章・説明を組み立てる〔Assembling an Explanation〕②。p.146-p.152。
 第2節・有機体、身体、脳。
 我々は、自分も、「一個の純身体〔body proper〕(『身体』と略す)と一つの神経システム(『脳』と略す)をもつ複雑な生ける有機体である」。
 「脳」は普通には「身体の一部」だが、本書での「身体」は、「有機体」から「神経組織(中枢神経系と末梢神経系)を除いたもの」を意味する。
 「有機体」は「一つの構造と無数の構成要素」をもつ。「一つの骨格構造」をもち、その「多数の部品」〔parts〕は「関節で連結され筋肉で動く」。「システム的に結合」する「多数の器官」ももつ。これは「外縁を形成する境界または膜」をもち、「おおむね皮膚」で成る。
 この「器官」、すなわち「血管〔blood vessels〕・頭・腹の中の器官〔chest and abdomen〕・皮膚」を、本書で「内臓」〔複数形viscera, 単数形viscus〕とも呼ぶ。「内臓」は普通には「脳」も含むが、ここでは除外される。
 有機体各部は「生物学的組織」〔biological tissues〕で、またこの組織は「細胞」で、構成される。
 各「細胞」は、「細胞骨格〔cytoskelton〕を作るための無数の分子、多数の器官とシステム(細胞核〔cell nuclei〕と多様な細胞器官)、境界」で構成される。
 「生きている細胞や身体器官を実際に見ると、その構造と機能の複雑さに圧倒される」。
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 第3節・有機体の状態〔state〕。
 「生ける有機体」は次々に「状態」を帯びつつ「絶え間なく変化」している。のちに「身体状態」や「心的状態」〔mind state〕を用いる。
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 第4節・身体と脳の相互作用-有機体の内部。
 「脳と身体は、これら両者をターゲットとする生化学的回路と神経回路〔biochemical and neural circuits〕によって、分割不可能なまでに統合されている」。
 この「相互結合」の「中心ルート」は二つ。①「感覚と運動の末梢神経」〔sensory and motor peripheral nerves〕。「身体各部から脳」、「脳から身体各部」へと「信号」を送る。②「血流」〔bloodstream〕。「ホルモン、神経伝達物質、調節物質といった化学的信号」を伝搬する。
 つぎの簡単な要約ですら、「脳と身体の関係性」の「複雑」さを示す。
 (1) 「身体のほとんど全ての部分、全ての筋肉、関節、内臓は、末梢神経を介して脳に信号を送る」。これら信号〔signals〕は「脊髄か脳幹のレベル」で脳に達する。そして、「いくつかの中継点」を通って「頭頂葉と島領域にある体性感覚皮質」〔somatosensory cortices in the parietal lobe and insular regions〕に入る。
 (2) 身体活動から生じる「化学物質は血流を介して脳に達し」、直接に又は「脳弓下器官」〔subfornical organ〕等の特殊部位を活性化して「脳の作用に影響を及ぼす」。
 (3) これと逆に、「脳は神経を介し、身体各部に働きかける」。仲介するのは「自律(内臓)神経系と筋骨格(随意)神経系」だ。前者への信号は「進化的に古い領域」=「扁桃体、帯状皮質、視床下部、脳幹」〔amygdala, cingulate, hypothalamus, brain stem〕で、後者への信号は「進化的には様々な時代の運動皮質と皮質下運動核」〔motor cortices, subcortical motor nuclei〕で発生する。
 (4) 「脳」はまた、血流中の「化学物質」、とくに「ホルモン、伝達物質、調整物質」の生産や生産指示をして「身体に働きかける」。
 実際にはこれら諸項よりもっと複雑で、「脳」の若干「部分」は、「脳部位からの信号」も受け取る。
 「脳-身体の緊密な協力関係」で構成される「有機体」は、一個のそれとして「環境〔environment〕全体と相互作用する」。しかし、「自発的、外的反応」ではない「内的反応」も行い、後者のいくつかは「視覚的、聴覚的、体性感覚的、等々のイメージ」を形成する。これが「心の基盤〔basis for mind〕ではないか」と私は考える。
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 第5節・行動と心〔behavior and mind〕。
 「脳のない有機体」すら「自発的に」または「環境中の刺激に反応」して活動=「行動」する。これには、①「見えない」もの=例は「内部器官の収縮」、②「観察」できるもの=例は「筋肉の引きつり、手足の伸張」、③「環境に向けられた」もの=例は「這う、歩く、物をもつ」がある。
 これらは全て、自発的であれ反作用的であれ、「脳からの指令〔commands〕」による。
 だが、「脳に起因する活動」のほとんどは「反射作用」を一例とする「単純な反応」であり、「熟考」〔deliberation〕によるのではない。
 有機体の複雑化により「脳に起因する活動」は「中間的なプロセス」を必要とするようになり、「刺激」ニューロンと「反応」ニューロンの間に他ニューロンが介在し、「様々な並行回路」が形成された。
 こうした「複雑な脳」をもつ有機体が「必然的に心をもった」のではない。そのためには、つぎの「本質的要件」の充足が必要だ。すなわち、「内的にイメージを提示し、『思考』〔thought〕と呼ばれるプロセスの中でそれらのイメージを順序よく配列する能力」。イメージには「視覚的」のみならず、「音」、「嗅覚的」等もある。
 「行動する有機体」の全てが「心」・「心的現象」〔minds, mental phenomena〕をもつのではない。これは全てが「認知作用や認知的プロセス」をもつのではない、と同義だ。「行動と認知作用」の両者をもつ有機体」、「知的な行動」をもち「心」をもたない有機体もあるが、「心を有し」つつ「行動」をもたない有機体は一個たりとも存在しない。
 私見では、「心をもつ」とは、つぎのような「神経的表象〔neural representations〕を有機体が形成すること」を意味する。すなわち、「イメージ〔images〕になり得る、思考と称されるプロセスの中で操作し得る、かつ、将来を予測させ、それに従って計画させ、次の動作を選択することで最終的に行動に影響を及ぼすことのできる神経的表象」。
 このプロセスに「神経生物学〔neurobiology〕の中心」がある。つまり、「学習によってニューロン回路に生じた生物学的変化からなる神経的表象が我々の中でイメージに変わるプロセス」=「ニューロン回路(細胞体、樹状突起、軸索、シナプス〔cell bodies, dendrites, axons, synapses〕)の中の不可視のミクロ構造〔microstructural〕の変化が一つの神経的表象になり、次いでそれが我々が自分のものとして経験するイメージになるプロセス」。
 大まかに言って、「脳の全般的機能」は①脳以外の「身体」で「進行していること」、②「有機体を取り巻く環境」を、「熟知」〔be well informed〕していなければならない。この「熟知」によって、有機体と環境の間の「適切かつ生存可能な適応」が達成される。
 「進化的視点」からは、「身体」がなければ「脳」は存在しなかった。ちなみに、「身体も行動も」あるが「脳や心」のない「単純な有機体」、身体内の「大腸菌のような多くの幸福なバクテリア」の数は、人間よりもはるかに多い。
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 第6節以降につづける。

2086/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)③。

 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 =Antonio R. Damasio, Descartes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain.
 第5章第1節の抜粋・一部引用等。引用は原則として邦訳書による。
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 第二部/第5章・説明を組み立てる〔Assembling an Explanation〕①。p.142-146。
 第1節・ミステリアスな連携(alliance)。
  第一部(1-4章)で、①推論・意思決定にかかる後天性障害患者は「つねに脳システムの一群が損傷」している、②その「システム」は「一見意外な一群の神経心理学的プロセスに完全に依存」している、を確認した。
 ①これらの「プロセスを相互に結びつけている」ものは何か。②それらの「プロセス」を「神経システムと結びつけている」ものは何か。以下がその「暫定的な答え」だ。
 第一。一定の社会的環境で生起する「個人的問題」に関する「決断」は、a「広い基盤に根ざした知識〔knowlege〕」とbその上で機能する「推論の戦略〔reasoning sterategies〕」の両者を必要とする。
 aは「物、人、外界の状況」に関する「事実」を含む。但し、「決断」は「生存」問題と分離できないがゆえに、「有機体〔そのヒトの身体〕全体の調節に関する事実とメカニズム」をも含む。
 bは、「目標、行動オプション、将来結果の予測、多様な時間スケールでの目標実現のための計画」を中心に展開する。
 第二。「情動と感情のプロセスは、生体調節機構のための神経機構の要の部分」だ。「生体調節の中核は恒常性の制御、欲求、本能〔drives, instincts〕で構成されているから」だ。
 第三。a=「知識」は「脳の一領域」にではなく、相互に「離れた複数の脳領域に位置する多数のシステム」に依存する。「知識の大部分」は「脳の一部位でのイメージ」ではなくて「複数の部位でのイメージ」として想起される。「たぶん、多様な部位での活動の相対的同時性が、ばらばらな心の部品を一つにまとめあげている」。
 第四。b=「推論の戦略」の展開には、aが散在し部分化しているゆえに、「無数の事実に関する表象が、かなり長時間(最低でも数秒間)広範な並列的表示の中で動的に保たれている」ことが必要だ。換言すると、「推論」で用いる①「特定の物体や行動や関連シェーマのイメージ」や②「言葉」に翻訳するための「言葉のイイメージ」は、「ピントが合う」だけではなく「心の中で動的に保持されている〔held active in mind〕」必要がある。
 複雑なこの「プロセス」のミステリアスさの理由は、「問題の性質」や「脳のデザイン」等による。「不確実性」をもつ「個人的社会的決断」は直接間接に「生存に影響を与え」るからこそ、「決断」は、「有機体」の外部かつ内部の「広範な知識」を必要とする。その「知識」を空間的に分離して「維持」・「想起」するので、「注意やワークングメモリ」も必要だ。
「神経システム」が「歴然と重複している」のは、「進化的に都合がよかったから」だろう。「基本的な生体調節が個人的社会的行動の指針に必要不可欠のものだった」とすると、「自然選択において優勢だったとみえる脳のデザイン」が①「推論や意志決定を担当するサブシステム」や②「生体調節にかかわるサブシステム」の二つと「密接に連動」しているものになった。この両者が「生存」に関係していたのだ。
  以下では、上記の妥当性を検証し、仮説を提示する。必要不可欠だと考える「いくつかの問題」に絞る。
 この5章は既述の「事実」と6章以降で示す「解釈」の「架け橋」だ。目的の第一は、これから用いる諸概念(「有機体、身体、脳、行動、心、状態(organism, body, brain, behavior, mind, stste)」等)を検討すること。また、「知識」は「本質的に部分化され」かつ「イメージに依存」することを強調しつつ、「知識の神経的基盤〔neural basis〕」を論じること。
 第二は、「神経の発達」に関する「私見」を述べること。
  繰り返すが、以下で示すのは、「同意されている事実のカタログではなく、制約のない探究」だ。「私が考えている仮説と経験的検証であって、確実性を主張することではない」。
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 つづける。

2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。

 平川祐弘「天皇の『祈り』とは何か」新潮45・2017年8月号。これは、特集<日本を分断した天皇陛下の「お言葉」>の一つと位置づけられている。
 「座長代理」・一部マスコミ批判・非難には立ち入らない。
 但し、現上皇が「象徴」の意味を戸惑いつつ熟考し、多数の国事行為・公的(象徴)行為を行ってきた中で<これらをしないで、または減らして「私的」行為である祭祀を最優先してほしい>と発言されたれのでは、実際にどういう感想をもたれたかは勿論分からないが、<これまでの行動を全否定された> と当時の天皇(現上皇)が受け止められても、相当程度に無理からぬところはあったように思われる。
 さて、平川祐弘が本当に「アホ」であるらしいことは、上の雑誌論考の冒頭の第一文によって、すでに明らかだ。冒頭の第一段落は、こうだった。
 「皇位の世襲が憲法の定めである以上、天皇が個人的な考えを述べ、それで憲法の定めを変えるに近いことをしてよいのか。
 その懸念を多くの有識者が述べた。」
 後段にも間違いらしきものがあることに気づく。
 「憲法の定めを変えるに近いこと」とは天皇の譲位・(生前)退位を認めることを指すのだろうが、「憲法の定めを変えるに近い」とまでは言えない。譲位・(生前)退位の可否について憲法(日本国憲法)は何も定めていない。当時の皇室典範(法律)が終身在位を前提としていただけだ。
 この点も平川祐弘における法制知識のゼロを示している。
 決定的なのは、つぎだ。
 「皇位の世襲が憲法の定めである以上、…」。
 これは、彼のいう「憲法の定めを変えるに近いこと」につながった「個人的な考えを述べた」ことを批判する根拠・理由として書かれている。つまり、「おことば」は天皇には許されない「政治的発言」だとしているわけだ。「天皇が個人的な考えを述べ」ること一般を否定することはできないだろうから、平川は、その「政治性」、「憲法の定めを変えるに近い」ような意味合いの考えを述べることを意味させているのだろう。
 しかし、つぎがポイントだ。
 天皇が文字通りに「政治的」言動をしてはならないのは、現憲法4条1項「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」によるのであって、第2条にいう「世襲」とは直接の関係がない。
 平川祐弘によれば、「世襲」だから<政治的発言は許されない>。
 こんな馬鹿を活字にする者がいることを知らなかった。
 明治天皇も「世襲」だったが大日本帝国憲法の発布者となり「統治権の総覧者)として大正天皇も戦前の昭和天皇も紛れもない「政治」的行為を行った。昭和天皇は二・二六事件の兵士たちに「呼びかけ」、終戦の「聖断」を下した。
 「世襲」だから、政治的意味をもつ「個人的考え」を述べてはならない、ということにはならない。
 もう一度、上の平川の文章を読むと、「あほ」であることが明瞭だろう。
 「内閣の助言と承認」による「国事行為」の他は「国政に関する権能を有しない」と現憲法は(明治憲法とは全く違って)定めているからこそ、これとの関係で、天皇(現上皇)の「おことば」を問題視する意見が出された。
 実際的には、法律改正または特例法の制定を必要としたという意味で「政治的」性格が全くなかったとは言えないとは思われる。しかし、その点を考慮したからこそ、いわゆる皇室典範特例法の「公布文」の中に天皇(現上皇)の意思・「おことば」に直接に由来するものではないことを敢えて、ある程度詳しく記して、憲法問題が発生するのを避けたのだった(なお、「公布文」は、六法全書類には掲載されない。他の法律でも同じ(はずだ)。)
 「世襲」→<政治的行為不可>という、とんでもない間違いを、依頼された文章の冒頭で書いてしまう。このような「アホ」ぶりを再び示したのが、新潮45の2017年の論考だった。
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 平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)。
 これは2015年の<戦後70年安倍(内閣)談話>を、基本的に支持・肯定している文章だ。
 平川によると「五箇条の御誓文」には及ばないが、「終戦の詔勅」と並べて読むべきで、「教育勅語」よりも「必読文献」だ。上掲誌、p.32。
 上の点も消極的な意味で面白いが、つぎの平川祐弘の文章は面白くて、必見・必読ではないか、と思われる。p.35-p.36。
 「どこの国にも、自国のしたことはすべて正しいと言い張る『愛国者』はいる
 とくに日本のように戦後自虐的な見方が一方的に説かれてきた国では、その反動としてお国自慢的な見方がとかく繰り返されがちになる。
 おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい。/〔改行〕
 不幸なことに、祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い
 だが、そんな熱心家が鬱憤晴らしを大声で唱えても外国には通じない。
 相手のいい慰みものにされるのが関の山だろう。」
 「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増える」-そのとおりかもしれない。
 しかし、平川祐弘自身が「おかしな右翼」の一人なのではないか。
  「祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い」-そのとおりかもしれない。
 しかし、祖国を弁護する「いささか頭が単純な人」の一人は、平川祐弘自身ではないか。
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 いささか古い時期のもので新規さはないが、上の二つの雑誌の平川祐弘の文章の一部は印象深くて、ずっと記憶にあった。そこで、あらためて記録して、日本の「右翼」たちの中には「あほ」が多いことの例証の一つにしたくなった。
 平川祐弘、1931~、東京大学教養学部卒、東京大学「名誉教授」。
 国家基本問題研究所(理事長・櫻井よしこ)研究顧問、美しい日本の憲法をつくる国民の会(共同代表・櫻井よしこ・田久保忠衛ら)代表発起人。
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 下は、譲位問題の頃の平川祐弘と八木秀次。産経ニュースのネット上等より。

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2084/平川祐弘・新潮45/2017年8月号①。

 平川祐弘「天皇の『祈り』とは何か」新潮45・2017年8月号。 
 副題に「御厨座長代理の悪意ある記事に応える」とある。
 もっとも、編集者の意図は、いわゆる天皇退位特例法が成立したのちに、退位反対・摂政設置を主張していた一人だった平川祐弘の同法成立後の感想・意見を求めるものだったように思われる。その機会に、平川は主として、その方向で議論した有識者会議「御厨座長代理」に物申したかったのだろう。なお、周知のとおり、この約1年後に、新潮45(新潮社)は廃刊となった。
 渡部昇一・櫻井よしこらとともに平川祐弘は譲位反対・摂政設置を現憲法や現皇室典範の諸条項をまるで読むこともしないで主張していたので、この欄で併せて「アホの四人組」と敢えて称したことがあった。憲法を少しは知ってはいたが<いわゆる国事行為委任法>で解決できるとか論じていた八木秀次を含めていた。のちに、加地伸行も含めて「アホ」は5人だと書きもした。
 勇気が必要だった「アホ」呼称だったのだが、2017年になっても、平川祐弘は変わらなかったようだ。以下、その旨を指摘する。
 決定的な「アホ」らしさは別に(②で)記述することにする。
 平川は上の記事でまずこんなことを書いている。上掲誌p.46-p.47。
 ・「連綿として続く天皇家は、卑近な国政の外にあって、…『天壌無窮』に続くことによって、その万世一系という命の永続の象徴性によって、日本人の永生を願う心のひそかな依りどころとなっている」。
 ・「天皇は敗戦後の憲法では国民統合の象徴だが、歴史に形づくられた伝統では民族の永続の象徴である。
 …永生を願う気持はおのずと宗教的な性格を帯びる。」
 ・「日本では古代から天皇家はまつりごとを司どってきた」。これは「政治」であるとともに「祀事と書くと祭祀、すなわち民族宗教の儀礼となる」。
 「天皇家にはご先祖様以来の伝統をきちんと守って、まず神道の大祭司としてのおつとめを全うしていただきたい。
 その方が卑近な皇室外交などの政治的なお勤めよりもはるかに大切なのではあるまいか。」
 ここで区切る。<いわゆる保守派>かつ<日本会議派>諸氏の見解・主張なので、とくに大きく驚くには当たらないだろう。
 そして、櫻井よしこらとともに、現1947年憲法(日本国憲法)上の「政教分離」=「政祭分離」の原則にまるで無頓着であることも明らかだ。この思考方法は当然のこととして、<戦後憲法の定めよりも歴史的伝統が優先する>を前提としているのだろう。
 「政教分離」原則に何一つ言及することができないのもすでに「あほ」なのだが、これは等閑視する。また、「古代」以来の天皇家と宗教との関係に関する平川の無知らしきことにもここでは言及しない(先日に書き忘れたが、仏教寺院・東大寺と大仏(毘盧遮那仏)の建立も、聖武天皇らによる。奈良「仏教」と天皇・皇室の関係の深さは常識だろう)。
 いわゆる特例法に至るまでの議論では平川祐弘も明記していなかったと記憶することを、ここでは明確に述べているのが、やや驚き、やや気を惹く。
 すなわち、天皇は日本の「民族宗教」である「神道の大祭司としてのおつとめ」をその他の「卑近な」仕事よりも優先してもらいたい、という明瞭な主張だ。
 ここに明らかに、上にすでに述べた現憲法の条項に関する「無知」がある。国事行為・「公的(象徴としての)行為」・「私的」行為の三分など、また国費・宮廷費・内廷費の三区分など、この人にとってはどうでもよいのだ。
 憲法・現皇室典範も皇室経済法も、ほとんど何も知らなくて、政府の諮問会議に出席・発言した、というのだから「どうかしている」。
 こう書けば、平川祐弘はこう反論?するのかもしれない。p.48 にこうある。
 ・「長い目で見ない人は経済学部出だけではなく、法学士に多い。
 視野が六法全書に限定されがちだからである。」
 思わず苦笑する、「経済学部出」や「法学士」に対する偏見だ。
 「法学士」という古くさい?呼び方は別としても、「視野が六法全書に限定されがち」だとするのは、友人・知人に立派で良識のある「法学士」さまが存在しないためかもしれない。
 「六法」とは6つの法律だけを意味しない(法律ではない憲法もふつうは含めていう)。また、容易に購入できる市販の「六法全書」には「皇室用財産」に論及する国有財産法や皇室経済法も掲載されているだろう。また、むろん法学部卒業生によって理解の程度は異なるだろうが、「法」には、平川祐弘がおよそ知らないような「法哲学」・「法思想」あるいは「法の歴史」が反映されている。戦後日本の法制とこれらとの関係にここでは立ち入らないけれども。
 また、平川祐弘が知らないような「卑近な」現実生活上の諸問題の指針や解決基準となるためにも、「法律」あるいは「法政策」は必要なのだ。むろん、現在・現行の法制・法政策が素晴らしいとは、ひとことも言わないけれども。
 平川が人間として、日本人として生活しているからには、諸税法は当然のこととして、水道法・下水道法・電気事業法・道路法・道路運送法・建築基準法・河川法・都市計画法等々、そして地方自治法や学校教育法等々と平川自身も関係しており、相当の程度に「恩恵」もまた受けているはずなのだ。
 イタリア語を読み、源氏物語を囓ったことのある「知識人さま」には分からない世界がある。
 さて、上掲誌で平川は、渡部昇一の見解・主張に同感するとして渡部昇一を「称え」たのち、こう書く。p.49。
 ・「これからはご在位のまま、まず祭事のおつとめをお果たしください、というのが私どもの意見である」。
 正確には「意見だった」と記すべきだろう。
 そして、上の記事で特徴的なのは、「御厨座長代理」やマスコミ(とくに毎日新聞)に対する鬱憤めいた批判・非難を長々と書き記しながら、自分や渡部昇一らの上の主張がなぜ諮問会議(検討会)や国会、国民世論の多数派を形成することができなかったのか、という問題について、反省も洞察も全く見られないことだ。
 ここで取り上げているのは1917年夏の文章だが、平川はおそらく、現在でもこれを「理解」することができていないのだろう。
 日本の歴史について、「祈り」-宗教-「神道」-天皇、という<あほ>としか表現できない、単純で幼稚な理解しかもっていないからだ、と思われる。
 もっとも、いちおうつぎのようには書いている。p.52。とくに最後の一文。
 「噂される上皇職の人数からだけでも天皇の権威がいまや二分されようとしている。
 やはり穏当なのは京都にお住まいになって…ゆったりと晩年をお過ごしになる事ではないのか。
 国民多数が退位に賛成したのは、天皇様ご苦労様でしたという気持ちからだった。」
 最後の一文はともあれ、八木秀次らが懸念していた?上皇と天皇の「権威の分裂」は、現実には生じなかっただろう。平川が上に書く「天皇の権威」の分裂は、すでにかつて記したように、「天皇」とは別に「摂政」が設置されても、もともと「天皇」と「摂政」の間に生じる可能性があったものだ。
 「座長代理」・一部マスコミ批判・非難には立ち入らない。
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 さて、平川祐弘が本当に「アホ」であるらしいことは、上の雑誌論考の冒頭の第一文によって、すでに明らかだ。
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 ②につづく。

2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。

 「生きているとはどういうことか/生物学者・団まりなに訊く」森達也・私たちはどこから来て、どこへ行くのか-科学に「いのち」の根源を問う-(筑摩書房、2015)の第4章。
 この書物は2015年刊だが、2012-2014年に某小雑誌に連載されたものをさらにまとめたものらしい。そして、団まりなとの対談またはインタビューは2013年1月に行われている(団まりなは2014年3月13日に「急逝」-同書p.156)。
 したがって、団自身の文章ではない。
 面白いのは、物理・化学といった自然科学の「主流」に対する生物学者の批判・鬱憤が、あるいは生物学の「主流」に対する批判・鬱憤が、団まりな・細胞の意思(NHKブツクス、2008)における以上に、明確に語られていることだ。
 自然科学といってもさまざまだ。一括りにして自然科学一般・近代「科学」を論評してはならない。なお、細胞の「自発性」や「意思」の有無は相当程度に言葉の遣い方、表現・強調の仕方の問題で、正しい/誤りの問題ではないと思われる。
 また、奇妙な「文学」畑の人々の中にある、<オレはオレは>の、あるいは知識をひらけかすだけの(つまり衒学的な)<人間論>よりも、はるかに自然なかたちで、理性的・知性的に生物である「人間」なるものに向かい合っているとみられることも、ある意味では感動する。
 以下、要約的紹介・引用のみ。番号は秋月の恣意による。コメントはもうしない。p.125~p.149。
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  森達也によると、団まりなは「ある意味で既成のアカデミズムに喧嘩を売り続けてきた」、また「階層生物学」を提唱した。この「階層」問題から対談・インタビューは始まる。
 「非常に大きなスコープで自然界を眺めると、素粒子・原子・分子と」微細から大へと「積み重なっている」。これは「階層」だ。生物学の範囲でさかのぼると「発生学」となり、さらには「進化学」になる。かつての「発生学」に不満で、「記述的な発生学」ではなく「何がどうなってどういう段階を踏んで」が知りたかったが、当時は「階層性という発想」はまだ皆無だった。
 「分子や遺伝学をやらない」ことが批判された。
 「分子や遺伝を専門にしている人から見れば、生態や行動は学問ではないんです。
 できるだけ物理化学に近い手法で機械などを使って精密な数値を出すことが、彼らにとっては学問なんです」。
 「階層性」についても、その意味が問われ、「証明できないし、再現性も語れない。ならばサイエンスじゃない、と判断されてしまう」。
 「進化論」も再現不可能であることには目をつむり、「遺伝子の相同性を調べるために、数学や統計の手法などについて話し合う」。「つまりDNA」で、「DNAを比較する手法を研究するのが進化学」。「DNA以外のものは、『はぁ』?みたいな感じ」。
  「擬人化」を厭わない。「擬人化すべきとまでは言わないけれども、擬人化を排除したら生物はわからないというのが私のスタンスです」。
 「物理の言葉で生物は語れません。
 当たり前のことなのに『サイエンスとは再現性がなくてはいけない』とか『証明できなくてはいけない』という物理や化学の手法が、生物学に押しつけられている。」
 「今は爛熟期にある分子生物学も、実は生物学ではなくて生物分子学とよぶべき」だ。
  「細胞」が培養皿の中で「別の細胞」と出会い、離れたりくっついたりする。ある場合は接合して「大きなシート」になり、別の場合は「出会っても動いて逃げる」。これを「出会ったり別れたり、一緒にやろうって協働することを『合意した』と記述したとしても、それは擬人化でも何でもない」。
 「細胞が出会ったら、まず自分たちが何者かをお互いに探って、相手を認識する」。ある場合には「お前と俺とでシートをつくろう」と、別の場合には「お前と俺とは違うな。じゃあね」と退く。「出会って、触れて、認識し合って、同族かどうかをチェックして、…何らかの合意で次のステップに行く」か「違うやつだなと思って別れる」。これを「擬人化で説明することに、何の不都合もありません」。
  森によると、団は「擬人化」どころか、「細胞は実際に人のように意思をもってふるまっている」と主張して、風当たりが強い。
 「それ(意思)は細胞の中にあるんですよ。
 だって実際に協働の構造までつくるんだから。」
 「合意という粗っぽい言葉だけではメカニズムまでは示せないけれど、細胞のふるまいをより深く感じるためにはそれでいいんです」。
  「進化論」や「DNA、二重らせんとか塩基の接合とか」では、「絶対に説明できません」。「DNAは細胞の部品」、「自動車で言えばエンジン」だが、「エンジンだけで自動車は語れない」。
 「分子細胞学」を無駄だと言っているのではない。「細胞みたいな混ぜこぜシステム」を扱うのは「モダンな科学ではないなどの下らないことを言いさえしなければいい」。
 「iPS細胞の発見」によって少し風向きは変わった。「分子の言葉だけでは語れない」。「大事なことは、細胞が最小の生きている単位であるということ」だ。
 「バクテリアは最も原初的でありながら、私たちと同じ感覚をすべて持っている。
 それぞれのメカニズムで、努力して一所懸命生きている。」
 バクテリアには「脳」はないが、「私たちと同じ」で、「生きている」。「外から分子を取り入れるとき、細胞膜に埋め込んだ輸送タンパク質により、ATP(…)を消費して取り入れます。人間と同じです」。
 「自発性」ではなく「意思」だ。「だって状況判断みたいなことをするわけ」だから。
 「現代的な"科学"を信奉する人たち」の現象説明では、「本当に知りたかったのは何だったか」を忘れてしまう。
  「進化論」は、「根源的に、物質がだんだんとまとまっていく性質がある、そのまとまり方の一つのセクション-というか、一つの分野かな」と思う。「突然変異と適者生存だけ」では「説明」できない。
 「動脈には弁がある」が、「突然変異と適者生存を満たすために、動脈に完璧な弁を持つ子供」が突然に生まれたとするのは「どうしても無理」だ。「細胞が血流を理解している」と考えたらどうか。「心臓、血管、血流というシステムを構築し、それを実際に使ってみて、一定以上の血流を循環させるには、要所要所で逆流を止めなければ効率があがらないということを経験的に知って、…弁という工夫を思いつき、…流すべき血液の量に応じた弁の洗練(進化)が始まる」、と。 
 「細胞レベルでの脳は全体だと思います。
 システム自身が思考している。いろんな細胞現象をみればそう考えざるを得ないんです。
 細胞は身体全体を脳のように使って生きている。」
  (「バクテリア」-)「プラナリヤ」-「鳥」-「犬」-「猿」、「脳の機能にもやはり階層性がある」。
 「情動を司どる部位は私たちの脳のうんと奥深くにある」が、ニワトリの情動・カエルの情動等と「階層的に考えると、情動の捉え方が大分違ってきます」。
 「情動の起源は、おそらく魚のあたり」だろう。「無脊椎動物となると情動とは言えそうにないから」。「一つの階層の上昇があると思われる」。
 「魚の脳に何を加えたら猫の脳になるのか」。「サルやゴリラやチンパンジーは人と近い」が「でもやはり何かが違う」。これが何故かを考察するのが「階層性」研究だ。
  「細胞」には「三段階の階層」がある。そのうち①「原核細胞」と②「ハプロイド細胞」は、「細胞分裂で無限に増える」。しかし、③「ディプロイド細胞」は二つの「ハプロイド細胞」が組み合わさった「いわば構築物」だ。但し、「このユニットがちゃんと細胞分裂できる」。
 「一個のディプロイド細胞は、自分がちょっと前に二つのハプロイド細胞からできたことを絶対にわかっている」、「こんな状態を続けたらいずれ自分のシステムがた゜んだん変な矛盾をきたしてくることもわかっている」。「だから、リニューアルしなければならない」。 
  「私たちの身体を構成している細胞」は細胞分裂の回数の限度を「知っている」。
 だから、「私たちは捨てられ、次の世代が出てくる」。「人間自身のリニューアルです」。
 80年で終わりであっても、「いいんです」。
 「だってリニューアルの方法が組み込まれている」。「私がまた私になる」のではなく「別の個体になる」のだけれども、「『私』ということはあんまり重要ではない」。
  「自分のシステムをもう一度つくれるのだから、いまあるものが解消してもかまわない。
 そんな感じで、あっさりとしているのだと思います。」
  でも「細胞たち」にも「『生きたい』という意思があることは明確です。絶対に死ぬのはいやだ。そのために工夫する。その工夫の結果として、いろいろと複雑になってきたわけです」。
 例えば、「ミトコンドリアの元となったバクテリアを取り込むための第一段階として、いくつかの細胞同士が集まって自らを大きくした」。次の段階で「DNAをタンパク質で包み込もうと考えた」。「細胞」はこうしたことを「彼らなりの方法でわかっているのだ」。
 「マーギュリス」[Lynn Margulis、1938-2011。生物学者(女性)]が言うように、バクテリアが持つミトコンドリアを「細胞」は「食べた」。そして「食べてはみたものの、消化しないで持っていた方が有利だと気がついた」。そして、そのような「細胞たちが、その後の競争に勝って繁栄した」。
 ミトコンドリアの「意思」との「合意形成」のためには、「最初に、ミトコンドリアをどのように騙したかを考えなくてはならない」。「たぶん、栄養をあげたんです」。「ミトコンドリアは原核細胞だから固形物は食べられない」が、「融合して巨大化すれば」、小粒子や水溶性の「大きな分子」も「飲み込むことができる」。
 10 「自然淘汰」も「適者生存」も強引で万能主義的で、「生物は闘いだ」とのイメージを刷りこむ。しかし、「ハプロイド細胞同士の有性生殖」のように「協力は両方で完全に合意しなかったらできない」。「お互いに溶け合って、また元に戻る」なんてことは「すごい深い協力関係」、「互いに意思」がないと不可能だ。「人は闘う本能」をもつというのは「男性原理に偏った見方」だ。
 11 「宗教」には向かわない。「意思をもつ理由は生きるためです」。
 「細胞も状況判断をしています。そこで判断している主体は細胞しかない。
 ならば、メカニズムがどうであれ、『そこに意思がある』と言えるんです。」 
 親しくしたり逃げたりする「原初的なモティーフ」は、「脳」がなくとも、「絶対に死ぬわけにはゆかないという事情のなかから生まれて」いる。
 「自ら膨大なエネルギーを使って自分の体を成立させるシステムが生命ですから、そのシステムの存続こそが、生きるモティーフそのものなのです。
 「意思やモティーフ」のための「特別の場所は存在しない」。「タンパク質やRNA、…それらの複合体が混然と存在する坩堝のような状況」の「細胞の中」に「エネルギー源となる糖の分子がものすごい勢いで入ってきて、<中略>最後は…尿素やクエン酸となって坩堝から外へと排出される」。他にも、「タンパク質や核酸を作り直す反応や細胞膜の素材を合成する反応」など、「何千、何万もの化学反応がネットワークを形成しながら、同時並行で行われて」いる。これらのスピードが遅くなると「システム全体」が破壊され、「エネルギーの流れが低下すれば、全てがほとんど同時に瓦解してしまう」。例えば、「青酸カリの作用は酸素の流れを一瞬乱すだけ」だが、「身体全体が壊れてしまう」。
 「生きるモティーフが細胞そのものに内在する」。「細胞構造の成立そのものが、自らのメカニズムや機能に立脚した抜き差しならないバランスの上に成り立っている」のだ。
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 以上。p.149-p.156は割愛した。
 下は、すべてネット上より。1つめは、茂木健一郎と団まりな。右は団・NHKブックス。

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2082/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07①。

 櫻井よしこは2017年初頭にこう書いていた。週刊新潮2017年2月9日号。つぎの二文は、連続したものだ。
 「光格天皇の強烈な君主意識と皇統意識が皇室の権威を蘇らせ、高めた
 その〔皇室の〕権威の下で初めて日本は団結し、明治維新の危機を乗り越え、列強の植民地にならずに済んだ。」 本欄№1620-2017/07/03も、参照。
 櫻井よしこは、今年・2019年初頭に、実際の執筆は昨年末だろうが、こう書いた。 週刊新潮2019年1月3=10日号。
 「日本の国柄の核は皇室である。皇室の伝統は神話の時代に遡り、それは神道と重なる
 「神道の価値観」は「穏やかで、寛容である。神道の神々を祭ってきた日本は異教の教えである仏教を受け入れた」。
 光格天皇についても神道についてもロクに勉強せず上のようなことを書いているのだから、真剣にとり上げるに値しないことははっきりしている。
 しかし、著名な?日本の週刊誌の一つに活字となって述べられているので、少しコメントし、さらにいくつかのことを書き記そう。
 上の二つの論考?から感じ取れるのは、あるいは上の二つを単純に結びつけると読み取れるのは、こういうことだろう。
 「日本の国柄の核」は「その伝統」が「神道と重なる」「皇室」であり、「光格天皇」は「皇室の権威を蘇らせ、高めた」。
 こう要約するのは、決して誤りではないだろう。実際に櫻井よしこは、こう「認識」している可能性が高い。
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 光格天皇と神道または仏教との関係について、素人でも簡単に分かることをまずいくつか記す。
 なお、光格天皇の在位は1779年~1817年、没は1840年。つまり、仁孝天皇(追号)に「譲位」をした。それから200年ほど後の現上皇による「譲位」まで、生前退位(譲位)の最後の例だった。
  既述のように、光格天皇の陵墓はいまは宮内庁管理地だがかつては明確に泉涌寺の境内にあり、現在でも泉涌寺の本堂(仏殿)近くを通らないと参拝できない、東山後月輪陵の中にある。先代の後桃園天皇(まで)の陵墓は東山月輪陵の中にあっていちおうは別だが接している。光格天皇(・上皇)の薨去後に、狭くなっていたので、新しく区画を造成?したのだろう。
 神道式の墓地はあるようだが、どのようなものかよく知らない。しかし、光格天皇の陵墓が「仏教式」であることははっきりしている。のちに改めて触れるが<九重仏塔>が用いられている。
  櫻井よしこ(ら日本会議派諸氏)は天皇はまるでずっと神道式の葬礼を受けてきたと勘違いをしているのかもしれない。少なくとも、日本書記・古事記の編纂の時代から1300年ほどはそうだ、と思い間違いをしているのかもしれない。
 天武天皇皇后だった持統天皇が天皇で最初に「火葬」されたことはよく知られている。
 光格天皇も、その陵墓の規模からしても、「火葬」されたことは明確だ。
 これらは、持統天皇以降ずっと連続していたとは書かないが、「仏教」の影響だった、または「仏教」式そのものだった、と考えられる。
  ついでに書いておけば、古事記が成立し日本書記も完成した後の聖武天皇・同妃光明子(光明皇后)が<篤い>仏教徒だったこともよく知られている。
 東大寺正倉院には聖武天皇・皇室の所持品だったものが国宝も含めて多数ある。正倉院は東大寺内にあるのであって、神社である春日大社ではない。
 同じ時代に、いわば国営・国立の仏教施設である国分寺や国分尼寺の設置・建設も始まった。奈良市内に現在もある法華寺は門跡寺院の一つだが、光明皇后による開設で国分尼寺のいわば総本山とされ、代々女性僧侶が住職であるらしい。
 この時代、元明天皇時代に日本書記も編纂・提出されていたが、<神道>は何だったのか?
 こんな<教科書>的なことを櫻井よしこに教えても無駄だろうが、櫻井のために書いているのではないので、続けよう。
  京都市内の京都御苑すぐ東(寺町通東側)、梨木神社(寺町通西側、祭神は三条実美)の真東辺りに、廬山寺〔ろざんじ〕という寺院がある。
 この寺による小冊子によると、この寺院の場所に平安時代にあった邸宅で紫式部が「一生の大部分」を過ごし、「結婚生活」を送ったとされる。当然に<源氏物語>の執筆地ということになる。但し、石山寺(大津市)で一時期にせよ<源氏物語>を執筆したとされていて、石山寺本堂には「源氏物語の間」だったか「紫式部の間」だったかがある。
 上は余計な話題だ。
 光格天皇に戻すと、光格天皇と廬山寺は関係が深い。
 同寺仏殿(本堂)内の掲示等々によると、光格天皇の「愛用の品々」が現在でも廬山寺に残されており、同天皇とゆかりがあるという「茶室」もある。また、上皇となってのちの仙洞御所(上皇用の住居)の建物の少なくとも一部が廬山寺に「下賜」された。
 どこかの神社ではない。蘆山寺は、れっきとした仏教寺院だ。
 廬山寺による小冊子によると、明治維新まで京都に「宮中の仏事を司る」寺院が四つあって、廬山寺はその一つだった(ほかは二尊院等だとされる)。
 明治維新後の1873年=明治5年に(小冊子によるとおそらく)自立性が剥奪されて比叡山延暦寺の一部となり、1948年に再び独立した(天台圓浄宗)。
 光格天皇が「皇室の権威を蘇らせ、高めた」のは確かなようなのだが、しかし、櫻井よしこは、上のような仏教との関係の深さを全く知らないのだろう。<神仏習合>の時代が長くつづいたのだとすると、自然なことだと感じられもするが、櫻井ら日本会議派諸氏は「知りたくない」、「知っても書きたくない」ことかもしれない。
 ***
 さらに続ける。

2081/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)②。

 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 =Antonio R. Damasio, Descrtes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain.
 第4章の後半からの一部引用等。引用は原則として邦訳書による。
 ----
 第4章・冷めた心に〔In Colder Blood〕の一部。
 /邦訳書p.128-p.130。
 「推論・意志決定障害と情動・感情障害が顕著にあらわれる神経学的概観」から、次のことが明らかになる。
 「第一」に、「前頭前腹内側皮質〔ventromedial sector〕という人間的な脳領域」の損傷により、「推論と意志決定および情動と感情〔reasoning/decision making and emotion/feeling〕の双方が、それもとくに個人的、社会的領域において、冒される」。
 「第二」に、右半球の「体性感覚皮質複合体という人間的な脳領域」の損傷により、「推論と意志決定および情動と感情が冒され、さらに基本的な身体信号のプロセスが混乱をきたす」。
 「第三」に、「前頭皮質」の「腹内側部」側の他にも「推論と意志決定」を阻害する脳領域があるが、「冒され方は異なる」。悪影響の対象は、①「あらゆる領域の知的作用」か、②選択的に「個人的、社会的」作用よりも「言語、数、物、空間に関する作用」かのいすれかだ。
 「要するに」、人間の脳には、①「推論」=「目的志向の思考プロセス」と②「意志決定」=「反応選択」の両者に「一貫して向けられる」、かつ「個人的、社会的」領域が強調される「システムの集まり」がある。そして、この「システムの集まり」は「情動や感情」に、「部分的には身体信号の処理」に関係している。
 /邦訳書p.136-p.139。
 「脳幹中の、あるいは前脳基底部の小核内のニューロンから〔シナプス空間に〕放出〔deliver〕される」「神経伝達物質」〔neurotransmitters〕にはセロトニン・ドーパミン・ノルエプネフリン・アセチルコリン〔serotonin、dopamine、norepinephrine、acetylcholine〕等々がある。「近年の発見」では、「前頭前皮質の腹内側部〔ventromedial sector of the prefrontal cortex〕と扁桃体〔amygdala〕にセロトニンの化学的レセプターの一つが集中している」。一般的には「セロトニンの機能を強化すると、攻撃性が減り、社会的行動が助長される」。
 実験・研究によると、「行動が社会的にうまく適応している」サルでは、「前頭葉腹内側部、扁桃体」や「近傍の側頭葉内側皮質」にセロトニン-2レセプターが「非常に多い」が他の領域ではそうでなく、「非協力的、敵対的行動を示すサル」ではこれらの反対だ。
 この発見は「セロトニンだけが適応的社会的行動」の原因となり、その不足は「攻撃性」をもたらすと「表面的に」理解してはならない。「特定のセロトニン・レセプターを持つ特定の脳システムの中」でのセロトニンの存否が「システムの作用を変える」。
 「何か症状が出現したとき」、問題は「セロトニンの多寡ではない」。セロトニンは、「過去、現在の社会的文化的要素も強力に干渉する」、「きわめて複雑なメカニズムの一部にすぎない」。
 「社会的要素だけ」を強調しても「神経化学的相関〔neurochemistry〕だけ」を取り上げても「社会暴力に対する解決策」は生まれない。
 /邦訳書p.140。
 この章で示した証拠は「一群の脳領域と推論と意志決定のプロセスの間に密接な関係がある」ことを示唆する。「神経システムの役割について、いくつかの事実」を列挙できる。
  「第一に、確かにこれらのシステムは、広義での理性〔reason〕のプロセスに関与している。とくに、計画や意志決定〔planning and deciding〕に関与している。
 第二に、これらのシステムのある部分的集合(サブセット)は『個人的で社会的』〔personal and social〕という言葉で一括りできるような計画形成や行動決断に関係している。通常合理性〔rationality〕と呼ばれる理性の側面とこれらのシステムは関係しているように思われる。
 第三に、我々がこれまでに確認してきたシステムは、情動の処理〔processing of emotion〕において重要な役割を果たしている。
 第四に、これらのシステムは、もはや存在しない対象の適切なイメージを、ある時間のあいだ心に留める〔hold in mind〕のに必要とされている。」
 「こういった本質的に異なる役割が、なぜ脳のある限られた領域〔a circumscribed sector of the brain〕で合流〔come together〕する必要があるのか?」。
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 以上。
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2080/宇宙とヒトと「男系」-理系・自然科学系と<神話>系。

 野村泰紀・マルチバース宇宙論入門-私たちはなぜ<この宇宙>にいるのか-(星海社新書、2017)。
 以下は、「まえがき」p.4-p.5 から。野村泰紀、1974年~、理論物理学。
 「我々が全宇宙だと思っていたものは無数にある『宇宙たち』の中の一つにすぎず、それら多くの宇宙においては……に至るまで多くのことが我々の宇宙とは異なっている。
 また我々の宇宙の寿命は無限ではなく、通常我々が考えるスケールよりはるかに長いものの、有限の時間で全く別の宇宙に『崩壊』すると予測される。」
 本書の目標は「マルチバース宇宙論の核心部分」を紹介することだが、「まだ発展途上」であるし、「ひっくり返すような…展開」もあり得る。
 「これは、科学の宿命である。
 科学では、もし旧来の理論に反する新たな事実が出てきた場合、我々はその理論を新たな事実に即するように修正するか、または場合によっては理論自体を破壊しなければならない。
 科学は、理論の構成過程等における個人的信念を別にすれば、最終的には信じる信じないの世界ではないのである。」
 団まりな・細胞の意思-<自発性の源>を見つめる-(NHKブックス、2008)。
 以下は、まず「まえがき」p.10-p.11から。団まりな、1940~2014年、発生生物学・理論生物学。
 「私たちの身体の素材である細胞は、自然科学の対象物として人間の前に登場しました。
 一方、自然科学は、物理学と化学が先行したために、物質の原子・分子構造を解明するものとの印象を、人間の頭に強く植えつけました。」
 このため、「細胞を究極的に理解するとは、細胞の分子メカニズムを完璧に解明することだ」という「教義」が「今も現役で、細胞に関する学問を支配しています」。
 「しかし、細胞はいわゆる物質とは根本的に違います」。
 「細胞をその内部構造や分子メカニズムとして理解」することは人間を「解剖」して「その部分部分の分子構成を調べる」のと同じで、「人間がどのように喜怒哀楽に突き動かされ、ものを思い言語を使ってそれを伝え合い、科学技術を創造し、高層ビルを建てるか、ということについては何一つ教えてくれません」。
 つぎは、同「あとがき」p.218から。
 人間の「細胞」は「膨大な種類の数の化学反応の、想像を絶するほど複雑なバランスの上に成り立って」おり、この「システム」を「分子メカニズムとしてとらえ尽くすことはできません」。
 「細胞を私たちと同じ生き物と認め、共感をもってこれに寄り添うこと」は「擬人的でも、情緒的でも、非科学的でもなくできる」ことを私は「本書で実例をもって示したつもりです」。
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 上の二つを読んで、興味深いことを感じる。
 最大は、「理科」系学問あるいは「自然科学」といっても、対象分野によって、「科学」観はかなり異なるだろう、ということだ。これは理論物理学と生物学、あるいは<宇宙>を対象にするのと<ヒト(という生物)>を対象にするのとの差異かもしれない。いずれも秋月自身と無関係ではないことは、私もまた太陽系の地球上の生物・動物の一種・一個体であることからも、当然の前提にしている。
 また少しは感じるのは、すでに紹介・一部引用した日本の「いわゆる保守派」の論客?である西尾幹二と岩田温の発言が示す<無知>と<幼稚さ>だ。
 西尾幹二は、「女系天皇を否定し、あくまで男系だ」という「日本的な科学」ではない「自然科学の力とどう戦うか」が「現代の最大の問題」だと極言し、岩田温は、、「皇室は、近代的な科学に抗う日本文化」の「最後の砦」だとし、かつ「無味乾燥な『科学』」という表現も用いる。
 西尾幹二=岩田温/対談「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL11月号別冊(ワック、2019)。  本欄№2074を参照。
 はたして、自然科学や「近代的な科学」はこの両人が語るように戦う対象だったり、「無味乾燥」なものだろうか。J・グレイはこうした幼稚さとは質的に異なる、数段上の<近代科学>・ヒューマニズム批判に達しているようだが。
 「理科」系または「自然科学」分野の研究者を私は個人的に知らないわけではないのだが、上の例えば団まりなは、その文章内容からして十分に「人間らしい」。A・ダマシオもまた、人間の「愛」、「喜び」、「絶望」、「苦悩」等々について語っていた。
 むしろ、「物質」よりも「精神」を尊いものとし、もっぱら言葉と観念で「思索」する<文学>畑の人間の中に、人の「心」や「感情」に関して、じつは「冷たい」・「非人間的な」者もいることも知っている。むろん、「理科」系と「文科」系の人間タイプをこのように一概に分類し、断定しているわけではないけれども。
 以上の感想に含めてはいないが、「科学」という言葉・概念の用い方が一定していない可能性はもちろんあるだろう。
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2079/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)①。

 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 =Antonio R. Damasio, Descartes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain.
 上の書物については、「池田信夫のブログマガジン」に言及する中で、この欄ですでに2回触れた。しかし、内容の紹介または読書メモには至っていない。
 適宜、興味深い部分を抜粋・要約または一部引用する。引用は原則として邦訳書による(微細に修正している部分がある)。
 まずは「序文」だが、これは原著(1994年)のそれで、<新版へのまえがき>ではない。
 要約、引用等はこの欄の執筆者の関心と能力によるので、適切であるとは限らない。また、内容のある程度の専門科学性にもよるだろうが、「第一の話題」と明記してくれている部分は(言葉上は)ないなど、元々完璧に読みやすい文章ではないようにも感じる。
 番号は秋月が勝手に付したもので、原文にはない。
 英語書を参照して、適宜、原語を〔〕で示す。
 なお、「情動」と「感情」は相互排他的な言葉ではないようだ。<新版へのまえがき>ではほぼ「情動」だけが用いられている。
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 序文(初版、1994年)〔Introduction〕。
  第一の話題は、フィネアス・ゲイジ[Phineas Gage]という男性の事例とそれを契機とする考察だ。
 この事例から、「感情が理性という仕組みの不可欠な要素ではないか」と感じた。
 本書で提示したい考え方の第一は「情動や感情」[emotion, feeling]と「理性」[reason]の関係だ。おそらくはこう言える。
 「人間的な理性の戦略は、進化においても、そして一人の人間においても、生体調節機構[the mechanisms of biological regulation]という誘導的な力なしには発達しなかった。そして、その生体調節機構の顕著な表現が情動と感情である」。
 「その戦略の効果的な展開は、かなりの程度まで、感情を経験する持続的な能力に依存している」。
 もう少し語ろう。「情動と感情」は「理性」・「推論」[reasoning]に悪影響を及ぼし得ることを否定しないが、一方で、前者の欠如が後者に悪影響を及ぼし得るということも、「驚くべき、新しい」知見だ。
 「情動と感情」に注目することによって、人間は「理性」的でないと主張するのではない。「情動と感情のプロセスのある種の側面は合理性[rationality]にとって不可欠である」と提示するだけだ。
 我々の将来には「不確実さ」[uncertainty]がある。「そのとき情動と感情が、その基礎にある生理学的仕組み[physiological machinery]と一体となって、不確かな将来を予測し、それを基礎にして我々の行動を計画するという厄介な仕事を助ける」。 
  本書では、①「合理性障害と特定の脳損傷との関係」を最初に明らかにしたゲイジの事例を分析し、②同事例と最近の研究が示す「人間と動物の神経生理学[neuropsychological]研究」上の関連事実を概観し、③つぎの考え方を提示する。
 すなわち、「人間の理性は一つの脳中枢[brain center]に依存するのではなく、多様なレベルでの神経組織[neuronal organization]を介して協調して機能するいくつかの脳システムに依存している」=「前頭前皮質[prefrontal cortices]から視床下部[hypothalamus]や脳幹[brain stem]まで、『上位』脳領域と『下位』脳領域が協力して理性を生み出している」。
 上に言う「下位」レベルの「神経組織」は、「情動や感情のプロセスや有機体の生存に必要な身体機能[body functions]を調節する」ものと「ずばり同じ」だ。これは、「事実上すべての身体器官[bodily organ]と直接的相互的な関係を保っている」。よって、「身体は、推論、意思決定、そして社会的行動や創造性という最上位のものを生むという作用の連鎖の中に、直接に置かれている」。
 「情動、感情、生体調節」は「人間的理性」においてそれぞれ一定の役割を果たしている。=「我々有機体[our organism]の下位の指令[lowly orders]が、上位の理性のループの中に存在する」。
  ダーウィンの記述に、人間の「心的作用」[mental function]に「進化の過去の影が存在する」旨があるのは興味深い。但し、上位の理性が下位に変化するわけではなく、例えば「倫理原則」[ethical principle]に脳内の「単純な回路の関与」が必要だとしても「倫理原則」の価値は下がらない。
 変化してよい可能性があるのは、「同じような生物学的習性[biological disposition]を有する多くの人間が特定の環境の中で相互作用するとき、ある社会的背景の中で生じる倫理的原則の起源に生物的要素はどのように寄与してきたか」に関する我々の見方だ。
  本書の「第二の話題」は「感情」だ。
 「感情」は「人間の特質と環境との適合または不適合に対するセンサー」だ。
 この「特質」[nature]とは、①「遺伝的に構築され我々が受け継いだ一群の適応[adaptations]という特質」と②意識的か否かを問わず「社会的環境との相互作用をとおして我々が個人的な成長の中で獲得してきた特質」の両者を意味する。
 我々は「感情」を通して「生物学的な活動の只中にある有機体の姿」を見る。本来的な苦楽が定められた「身体状態」[body state]を感じ取れなければ、「人間の条件[human condition]には苦悩も至福も、切望も慈悲も、悲劇も栄光もない」。
 「複雑精緻なメカニズム」を知れば「驚異の念は増す」。「感情[feelings]は、人類が何千年ものあいだ、人間的な精神や魂[soul or spirit]と呼んできたものに対する基礎」を形成している。
  本書の「第三の話題」は、「脳の中に表象される身体[body]が、我々が心[mind]だとして経験する神経プロセス[neural processes]の不可欠の基準[frame of reference]を構成していること」だ。「人体という有機体そのもの」が、外周「世界」の他に「常在的な『主観の感覚』を構築するための基準」として、つまり我々の「洗練された思考、最善の行動、この上ない喜びや悲しみ」全ての「基準」として、使われている。
 上の考え方は、以下を基礎とする。①「人間の脳と身体は分かつことのできない一個の有機体[organism]」であり、「相互に作用し合う生物学的および神経的な調節回路[biochemical and neural regulatory circuits](内分泌、免疫、自律神経的要素を含む)によって統合[integrate]されている」。
 ②「この有機体は、一個の総体として環境と相互作用している」。身体または脳のいずれかの相互作用ではない。
 ③我々が「心[mind]と呼んでいる生理学的[physiological]作用は、その構造的・機能的総体に由来する」のであり「脳のみに由来するのではない」。「心的現象」は「有機体という文脈」でのみ「完全に理解可能」なものだ。
  「いまや心がニューロン〔神経細胞[neuron]〕の活動から生じていることは明白だから、まるでニューロンの作用が有機体の他の部分から独立しているかのよう」に語られる。しかし、「脳を損傷」した多数患者を診るにつれて、「心的活動[mental activity]は、ごく簡単なものからきわめて精緻なものまで、脳と身体の双方を必要としているという考え方」を抑えられない。
 「身体の優先性」[body precedence]から出発すると、我々は「どのようにして周りの世界を意識[concious]」するのか、我々は「認識しているもの」や我々が「認識」しているということを、どう「認識」[know]するのか、といった問題を解明できる可能性がある。
 「愛や憎しみや苦悩、優しさや残忍さ、科学的問題の計画的解決や新しい人工物の創造」は全て「脳の中の神経活動」に依拠するが、それは「脳が過去から現在まで、かつ現在もなお、身体と相互作用している」ことを前提とする。「苦しみ」は、始まりが「皮膚の中」であれ「心象」[mental image]であれ、「すべて肉体[flesh]の中で起きる」。
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 以上。

2078/秋月瑛二の想念⑦-2019年11月。

 「自由」、「平等」、「正義」あるいは「日本(民族)精神」、<真・善・美>でも何でもよい、こうしたものに関する<思考>・<思想>の実体はいったい何なのか?
 なぜ人々はこうしたものに関して考え、かつ人によって差異や対立があるのか、あるいはなぜ、どのようにして、日本でも欧米でも、<左翼>と<右翼>等々の差異や対立があるのか、を問う前に、そもそも、「思考する」、「哲学する」等の人間の<行動>の実体は何か?
 精神的自由、その中でも「内心の自由」なのかもしれないが、その「内心の自由」によって形成される「意思」・「意図」・一定の「思想」・「哲学」等は、人間の、論者によれば生物の中で人間にしかない<理性>の働きかもしれない。
 <(個人的)人格の形成・陶冶・完成>を目標とするような(旧制高校的・教養主義的)人にとっては、以上で十分なのかもしれない。
 自分個人の「理性」の発現体である言葉・文章・論考・書物によって、他ならぬ自己の「考え」・「思想」等の<立派さ・偉大さ>が表明され、実証される(はずな)のだ。そうした人々にとっては。
 しかし、そうした人々も他ならぬ生物の個体であり、ヒトの一員であるからには「死」を迎えざるをえず、それ以降は、「考え」も「思想」も、その基礎にある「理性」も、その(かつて生きていた)人間には、なくなってしまう。
 自己の<霊魂>・<魂魄>の永生を真に「信じる」ならば、別だ。
 「考え」・「思想」等も、それらの表明のために用いられる言葉・文章等も、「理性」なるものも、よく考えれば、少しでも<事実>に向き合う気持ちがあれば、それぞれの人間・ヒトの「精神」作用であり、「脳内」作業の所産であることが分かる。悲しいかな、自分を高い「人格」をもって「思索」していると自負している人の「理性」による行為も、他者と本質的には異ならない、生物が行う種々の営為の一つにすぎないことが分かる。
 強い「思い込み」・「偏執」というのは(<左翼>であれ<右翼>であれ)、脳細胞の、あるいは神経回路の一定の、独特な絡まり具合によって生じる。
 生物・ヒトに関する自然科学または「科学」に接すると、かつての「文科」系人間には見えていなかった世界が、新鮮に立ち現れてくる。「観念」・「思索」こそが<人間>なのだ、と「思い込んで」いる<文学的>人々は、むろん江崎道朗や小川榮太郎も含めて、ほんの少しは、秋月瑛二の程度には、生物・ヒトに関する自然科学または「科学」を知った方がよい。
 「言葉」・「観念」を弄ぶだけでは、虚しい。何の意味もない。たんなる「自己満足」だ。しかし、拡散されるそうした空しい「言葉」・「観念」に酔ってしまう人々が生じるのも、またそのような陶酔によってこそ<食って生きて>いくことができる人々が生じるのも、人間という生物の種の<弱さ>・<不十分さ>であり、そして人間世界の<はかなさ>なのだろう。
 あるいはまた、<食って生きて>いくことはできるようになってきた人間の<文化>による、日本社会も含めての、贅沢な<遊び>なのかもしれない。
 <余暇>が生じてこそ、種々の「娯楽」・「エンターテイメント」産業も成立するのだが、「評論」・「言論」もまた相当程度に産業化・商業化してきているので(「情報産業」、広義の「エンターテイメント」産業)、「言葉」・「観念」(・「観念体系」)に陶酔した人々によって書かれる文章や書物もまた、それらを「気晴らし」として必要とする人々によって読まれるのだろう。需要が、一定程度はあるのだ。
 そこにはしかし、「自由」、「正義」あるいは<真・善・美>とかの高尚な?理念はない。「売れれば」よい。「売れる」ことは「じっくりと読まれる」ことを意味せず、また、「読まれる」ことは、著者が尊敬されたり敬愛されたりすることをむろん全く意味しないのだけれども。
 侮蔑の対象にしかならないような書物が、依然として多数出版されている。それに関係して(出版社も編集者も)<食って生きている>または<生活の足し>にしている人々がいる。
 これはどの程度「日本的」現象なのだろうか。日本語という世界的には一般的ではない「閉鎖的」な言葉で、しかし相当程度の規模の「市場」をもつ日本社会で発表される、多数の日本語による雑誌・書物。これらは、世界的な規模・視野での批判に晒されることはほとんどない。侮蔑の対象にしかならないような書物が依然として多数出版されているのは、ある程度は、ヒト・人間の一種である「日本人」が形成する社会の特殊「日本的」現象なのだろう。

2077/J・グレイ・わらの犬(2002)④-第2章01。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。<ー人間と他の諸動物に関する考察>。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 邦訳書からの要約・抜粋または一部引用のつづき。
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 第2章・欺瞞〔The Deception〕①。邦訳書、p.37~p.54。
 第1節・仮面舞踏会。
 カントが仮面舞踏会で恋慕した仮面の麗人は実妻だったというショーペンハウワーの寓話での妻はカント時代のキリスト教信仰で、ヒューマニズムが現代の信仰だ。哲学は200年の間にキリスト教を捨てたが、「人間は他の生き物と根本的に違うと考える教理の根幹をなす誤謬は温存した」。仮面を剥ぎ取るはずの哲学者の仕事は本格的には開始されていない。
 「動物はみな、この世に生まれ、番(つがい)の相手を求め、餌を漁り、死に果てる。それだけのことだ」。人間は「意識、自我、自由意思」があるから違うと言うが、誤りだ。
 「人の一生は意識の命じる主体的な行動よりも断片的な夢想の堆積である」。
 「死命を分ける重大な決断の多くを知らず知らずのうちに下す」。
 「自身の存在を意志の力で統御することはできない相談であるにもかかわらず、…できると考えるのは神に対する非合理な信仰を棄てて、非合理な人類信仰に乗り換えた思想家の教条主義である」。
 第2節・ショーペンハウアーの難題〔Crux〕。
 ショーペンハウワーは19世紀半ばの人間「全的解放」を批判し、「革命運動には恐怖と侮蔑」を抱き、主流哲学に「猛然と反発し」、「後にマルクスにも強い影響を与えたヘーゲルを国家権力の代弁人風情と扱き下ろした」。
 彼は規則正しく生活し、「人間存在の根底にある盲目的な意志」に従った。哲学は「キリスト教の偏見に毒されている」とし、18世紀の「啓蒙」の主潮だったカント哲学を「キリスト教信仰の世俗版」だと批判した。
 彼にとって「人間は本質において動物と何ら選ぶところがない」。人間も同じく「世界の根底にあって苦悩し、忍従しながらすべてを誘起する生命衝動-盲目的な意志の現れ」だ。
 カントはイギリス(スコットランド)のヒュームの「底知れぬ懐疑主義」に衝撃を受けた。ヒュームによれば「人間は外界の存在を知り得ず、…自分自身の存在すら知っていない」、「何も知らない以上、自然と慣習を標に生きるほかはない」。
 ヒューム説の「人間は事物をそれ自体として知ることはできず、ただ経験のかたちであたえられる現象を知るだけ」によると「経験の背後にあるリアリティ、カントのいわゆる物自体は不可知」だが、カントは「高鼾の熟睡」に再び戻り、ヒューム・懐疑論を拒否した。
 ショーペンハウワーは「世界は不可知」とのヒューム・カントを受容しつつ、「世界も、世界を知ったつもりでいる個別の主観も、リアリティの根拠を欠いた幻影だと論じた」。彼は「ベーダンタ哲学と仏教思想に共鳴している」。そして、カントを進めて、「表象」世界に生きる人間を捉え直した。
 ショーペンハウワーによると「欲情は種の保存を約束するが、個人の福祉や自律にはなんのかかわりもない。体験が人間に自由行為者たる確信を押しつけると考えるのはまちがいである」。また、「独立した個体は存在せず、数多性も差異もない」、ただ「<意志>と名付けた絶えざる衝動だけ」がある。「理知は否応もなく意志にしたがう下僕でしかない」。
 ショーペンハウワーは、「カント哲学を否定し、返す刀でキリスト教信仰とヒューマニズムの根底にある人間の唯我論を切り捨てた」。
 第3節・ニーチェの「楽天主義」〔Optimism〕。
 ニーチェはショーペンハウワーの「ペシミズム」を批判したが、後者は前者の「神の死」という結論をすでに道破していた。
 ニーチェは「キリスト教とその価値観を論難してやまなかった」が、それ自体が「信仰から脱しえなかったことの何よりの証拠」だ。父母に「キリスト教の血筋」もある。
 彼はショーペンハウワーを意識しかつ敬愛しつつも後者の「哀憐」は「至高の徳目ではなく、…生命力の減退の徴」だと弁じた。後者は<意志>に背いて=「自身の幸福や生存に対する執着を断って、はじめて他者を憐れむ心になる」と説いたのだが、ニーチェにとって、「憐れみ」は「反生命主義」で、<意志>を賛美する方が理に叶う。「苛酷な生をそっくりそのまま是認する」のが、ショーペンハウワー・悲観主義に対するニーチェの回答だった。
 しかし、ショーペンハウワーは「哀憐ゆえに蹉跌する」ことはなく、ニーチェの方が「錯乱」して「身を滅ぼした」。
 ニーチェと異ってショーペンハウワーは、キリスト教信仰・その根幹の「人類の歴史を重視する思想」を放棄した。
 「ほんとうにキリスト教と絶縁する気なら、人類は歴史に意味があるとする考えを棄てなければならない」。古来の異教世界と文化ではかかる認識の例はない。「ギリシア、ローマでは、歴史は栄枯盛衰の自然な循環であり、インドでは、ただ果てしなくくり返される共同幻想だった」。
 「人間は生き物で、他の動物と変わらないとわかってみれば、人類の歴史などというものはありえず、ただ個体の一生があるだけである。
 かりに種の歴史を語るとすれば、そうした個体の一生の、知りようもない総和に意味をさぐることでしかない。
 動物と同じで、幸せな生活もあれば、惨めな暮らしもある。
 だが、個体を超えたところに存在の意味はない。」
 ニーチェは「人類の歴史」の無意味を「知っていながら承服できなかった」。「最後まで信仰に囚われて」いたので「動物である人間もどうかなるという迷妄を断ち切れず」、「笑止千万な超人の思想を生み出した」。
 彼は「支離滅裂な人類の夢に、…悪夢を加えるだけで終わった」。
 第4節・ハイデガーのヒューマニズム〔Humanism〕。
 ハイデガーは西欧哲学を支配してきた「人間中心の思想」への決別を宣した。しかし、「人類は必然の存在だが、動物に正当な存在理由はないという」偏見をもち、「存在」に目を向けて「人類の特異な立場を肯定」した。ニーチェと同じく、「キリスト教の希望」を棄てきれなかった「不信仰者」だ。
 ハイデガーは「宗教に依存しない人間存在」を語るが、「現在性」・「無気味さ」・「罪」のいずれも「キリスト教の理念の世俗版」だ。キリスト教の「堕落」・「原罪」等に「実存主義的なひねりを加え」た「焼き直し」にすぎない。
 「存在」の意味は不明で「定義を拒むもの」と考えている節があるが、明らかに「独我論の根拠」になっている。
 ハイデガーは世界を「ただ人間との関係においてしか」見ない。「旧来の人間中心主義」と変わらず、「秘教的知恵」が救うとする「古代思想」や「グノーシス主義」の世俗化した「蒸し返し」だ。
 ニーチェは「放浪者」のために書いたが、ハイデガーは「終生、身の置きどころを求め」た。後者は次第にヒューマニズムから遠ざかったと公言したが、人間中心でない「古来の思想」への関心はなかった。「ギリシア語とドイツ語だけが真の哲学の言葉」だと断じて、「荘子、道元」等々の「深遠な思想も哲学ではありえない」と無視した。
 ハイデガーのごとく「哲学者がかくまで自己を主張し、妄想に取り憑かれることはきわめて稀である」
 晩年に「静謐」を語るが、ショーペンハウワーの「意志からの解放」にとどまるだろう。後者によると芸術・音楽への耽溺で「意志」形成の労苦を忘れて「没我の境」に入り、「無私無欲の観察者の視点」で世界を観察する。ハイデガーは晩年に「迂路をたどってショーペンハウアーに回帰した」。
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 つづける。

2076/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)②。

 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この本の、筑摩書房の出版・編集担当者は湯原法史。
 上の書・第一章のいわば第二節の表題は、「Liberty とFreedom の違いについて」。p.29。
 著者は、<あなたは自由か>と高飛車に発問するためには、英語に「Liberty とFreedom」の両語があることに触れざるをえないと考えたのかもしれないし、あるいはこの両者の「違い」を手がかりにして、何らかのことを語りかったのかもしれない。
 しかし、この節には、看過できない過ちがある、と見ざるをえない。
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 冒頭でアダム・スミスのいう「見えざる手」によって「自由が広がるのではなく、私たちの市民的権利が知らぬままに脅かされ、不自由にいつのまにか覆われてしまう現代のもう一つの別の側面」があり、それは「コンピュータ社会」での「秩序の喪失、異常の出現」と軌を一にするのではないか、という旨の問題意識が示される。p.30。
 ここでは、前回でも触れた、「アメリカを先頭とする」資本主義・「自由主義経済」あるいは現代に発展する<科学技術>に対する不信・不快感・不安感がやはり示されているのだろう。
 しかし、現代の科学技術または「自然科学」を敵として戦おうしても無意味だ、技術、自然科学それ自体が一般に「悪」なのではない、ということは秋月のコメントとしてすでに記した。
 さて、アダム・スミスに論及する中で西尾はA・スミスにおける「自由」の原語に関心を示し、表題にしているここでのテーマについて、つぎの結論を見出す。p.35。
 ・ヒトラーが奪った「自由」は「公民の権利」という意味でのそれで、奪えなかった「自由」は「個人の属性」または「個人的精神」としてのそれだ
 ・英語は用意周到な言葉で、「前者をliberty とよび、後者をfreedom と名づけております」。
 ヒトラーうんぬんは別として、このような両語に関する結論的理解は誤りだろう。
 西尾幹二によると、A・スミスにおける「自由」は前者なのだそうだ。
 その根拠として明記されているのは、つぎの一文だけだ。
 友人・星野彰男がA・スミスの「見えざる手」に関する専門書を送ってくれたのだが、「アダム・スミスは、私の友人の話によると、『自由』という日本語に訳されていることばにliberty だけを用いているそうです」。
 そして、高名な?日本のいわゆる保守派知識人の西尾幹二は、つづけてこう書く。
 「それはそうでしょう。経済学とはそういう学問です」。
 この部分は、相当に恥ずかしい(はずだ)。
 友人の、いかなる態様かは不明な「話」を根拠にして、A・スミスの邦訳書も原書も紐解くことなく、こんなに簡単に言い切ってしまっている。そりゃそうだ、「経済学」なのだから、「個人の属性」または「個人的精神」の意味でのfreedom を用いているはずがない、というわけだ。
 しかし、秋月でも簡単に目にすることができる原著(英文)には、つぎの語が多数出てくる。
 freedom of trade
 これは、Adam Smith, The Wealth of Nations =An Inquiry into the Nature and the Causes of The Wealth of Nations. から探したもので、「取引の自由」と訳されると思われる。「trade」に「取引」以外の日本語をあてるとしても、「freedom」は「自由」としか訳しようがないだろう。
 その他、上の著には、こんな英語もある。他にもあるかもしれない。
 freedom of commerce、freedom of the corn change、freedom of exportation
 A・アダムスはスコットランド人だったかもしれないが、本来はスコットランド語ではLiberty に当たる言葉を英語に訳して?Freedom に変えた、ということはないだろう。
 というわけで、「個人の属性」・「個人的精神」に関係しなくてもfreedom は使われている。
 西尾自体の文章の中に「経済市場の自由競争」という言葉が出て来る。p.33。
 ここでの「自由競争」は、英訳すると、liberty が選ばれなければならないのか?
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 西尾幹二は懸命に?つぎのように、言う。
 既述のサイバー・テロもコンピュータ社会も「所詮はliberty の自由概念の範囲」の問題だ。ここでは「まったく異なる自由概念、精神の自由の問題」を示唆していることを「強調しておきたい」。p.37。
 そうであるならばなぜ、この書物を第一章第一節の表題である「サイバーテロの時代にどんな自由があり得るか」で始めるのか、という感想・疑問が生じる。
 この書はときどきの随筆を何とか一つの主題をもつように集めたものであるかもしれない。
 「あなたは自由か」と上から目線で問いながら、そこでの「自由」概念自体が、微妙に揺れ動いている。
 秋月によれば、「Liberty とFreedom の違い」に立ち入って両者を異質のものと判断するから奇妙になっている。
「自由主義」(経済学)者といえばF・ハイエクの名を思い浮かべる人が多いだろう。
 この人はウィーン生まれだが(<オーストリア学派>とも呼ばれる)、邦訳されている著作のほとんどは英語で執筆しているのではないか、と思われる。
 瞥見したのみだが、F・ハイエクにおける、「Liberty とFreedom」の使い方には、つぎの例がある。
 F・ハイエク・自由の条件Ⅰ~Ⅲ/西山千秋=矢島釣次監修(春秋社、新版2007)。
 =F. A. Hayek, The Constitution of Liberty(1960).
 第一部/自由の価値。=Part Ⅰ/The Value of Freedom.
 第二部/自由と法。=Part Ⅱ/Freedom and the Law.
 第三部/福祉国家における自由。=Part Ⅲ/Freedom in the Welfare State.
 F・ハイエク・法と立法と自由Ⅰ~Ⅲ/西山千秋=矢島釣次監修(春秋社、新版2007)。
 =F. A. Hayek, Law, Legislation and Liberty(1960).
 第一部(PartⅠ)第三章第2節〔表題〕/自由は原理に従うことによってのみ維持でき、便宜主義に従うと破壊される。=Freedom Can Be Preserved Only By ….
第一部(PartⅠ)第五章/ノモス-自由の法。=Nomos: The Law of Liberty.
 これの第6節の中の文章(邦訳書Ⅰp.108.)-「各個人の『生命、自由および所有地』をも含めた…財産は、個人の自由を対立の欠如と妥協させるという問題にたいして、これまで人間が見出した唯一の解である」。=Property, in which --- not only --- but the 'life, liberty and estate' of every individual, is the only solution men have yet discovered to the problem of reconciling individual freedom with absence of conflict.
 西尾幹二が主張?するような、「Liberty とFreedom の違い」の理解の仕方を採用することができないことは明らかだろう。経済活動の「自由」と個人の精神的「自由」に両者が対応しているのでは全くない。
 秋月瑛二の幼稚な理解でも、liberty とfreedom は異質なものではない。L・コワコフスキ著の試訳をしていると両者が出てきて後者の方が多いが、異質の「自由」として語られているのではない、と解される。
 たしかに西尾が示唆するようにliberty は「市民(権)的自由」というニュアンスがあり、freedom は<一般的>であるのに対して、liberty は国家・市民社会の対比を前提とした、「国家」に対する(との関係での)「自由」という意味合いをもつようにも感じる。だが、後者は前者を含む、または基礎にしている、ということは否定できないのではないか。
 しかし、これも断定はできない。なお、<公民的(市民的)自由>には、civic freedom や civic rights という語が使われていることもある。civic でなく、civil —もある。
 ***
 なお、西尾は「自由」として経済活動の「自由」と個人的精神的「自由」の二つしか想定していないようにも見えるが、前回に私見の分類を示した中に簡単に書いたように、「自由」はそんなに単純に分類できるものではない。
 日本の憲法学の教科書・概説書類は、日本国憲法を念頭に置きつつ、「自由」を種々に分類・体系化していて、定説はない、と見られる(むろん、条文別の形式的分類は-改正がなければ-動かないだろう)。
 あくまで一例にすぎず、私が書いた「行動の自由」というのもないが、つぎの教科書・概説書は、つぎのように「自由」を分類・体系化している(同「目次」による)。
 芦部信喜=高橋和之補訂・憲法/第五版(岩波書店、2011)。
 A/精神的自由権(1)-内心の自由。
  1/思想・良心の自由。
  2/信教の自由。
  3/学問の自由。
 B/精神的自由権(2)-表現の自由。
  1~3/表現の自由の意味・内容・限界。
  4/集会・結社の自由、通信の秘密。
 C/経済的自由権。
  1/職業選択の自由。
  2/居住・移転の自由。
  3/財産権の保障。
 D/人身の自由。
  1/基本原則。
  2/被疑者の権利。
  3/被告人の権利。
 以上。
 他にも、9条から「平和に生きる自由」、13条から「プライバシー(私事)の自由」や「自己決定」の自由などが導かれ得るかもしれない(これは秋月の勝手な叙述)。
 西尾幹二は、このように多岐にわたる「自由」が論じられ得ることを知っているのだろうか。
 この人が関心を持つのは、「精神的自由」のうちの「思想・良心の自由」、それにもとづく「表現の自由」に限られているのかもしれない。
 そして、意識・気分を「不快」・「不安定」にする<科学技術の進展への不安>から免れるいう意味での「自由」、自分には知識がない「自然科学」なるものに脅かされているという<不安>から免れるいう意味での「自由」であるのかもしれない。
 しかし、<信仰・宗教の自由>も、<集会・結社の自由>も、<職業選択の自由>も、<人身の自由>もある。これらはむろん、「個人的精神」と密接な関係がある。
 ***
 ともあれ、西尾幹二が所持していても不思議ではないA・スミスの原著で確かめることなく、知人の「話」を聞いてA・スミスの(invisible hand に関連する)「自由」はliberty だとして、これをfreedom と区別し、かつ後者を「個人の属性」・「個人的精神」にかかわる「自由」だということから出発しているようでは、この書物に大きくは期待することができない。
 あれこれと揺れ動きながら随筆をとりまとめたような書物を、それでも現時点でさらに読んでしまった。
 今回の記述には、なおも追記したいことがある。

2075/L・コワコフスキ著第三巻第13章第2節③。


 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻・最終章の試訳のつづき。
 第13章・・スターリン死後のマルクス主義の進展。
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 第2節・東ヨーロッパでの修正主義③。
 (22)ハンガリーで修正主義の第一の中心になったのは、ブダペストの "Petőfi Circle"で、ルカチ学派の者たちを含んでいた。
 ルカチ自身はこの議論で顕著な役割を果たした。そして、ポーランドの修正主義者たちと比べて、彼もその支持者たちも、マルクス主義への忠誠をはるかに強調した。
 ルカチは「マルクス主義の枠内での」自由を求め、単一党支配の原理に疑問を抱いていなかった。
 あくまで想定にすぎないが、ハンガリーの修正主義者たちのスローガンがはるかに正統派的だったことは、民衆一般の不満の運動から離れるようになって、党に対する攻撃を彼らが適度に維持することができなかった理由だった。
 その結果は、明示的に反共産主義の性格をもつ大衆的抗議だった。そしてこれが、党の崩壊をもたらし、ソヴィエトの侵攻を招いた。
 ソヴィエトによる侵攻は、「民主化された」共産主義体制という考えはお伽噺であることがただちに明白になったポーランドにのみならず、西側の共産主義者たちに対しても、衝撃を引き起こした。
 小規模の共産党のいくつかは分裂し、その他の共産党は多数の知識人たちの支持を失った。
 ハンガリー侵攻は、世界じゅうの共産主義者たちの間に多様な異端的運動や、ソヴィエト路線の運動や教理を再構築しようとする試みが生まれるのを刺激した。
 イギリス、フランスおよびイタリアでは、民主主義的共産主義の可能性如何に関する多数の著作が出版された。
 1960年代の「新左翼」の大多数は、これらから刺激を受けて鼓舞されたものだ。
 (23)ハンガリーの修正主義運動は、ソヴィエトの侵攻によって破壊された。
 ポーランドのそれは、数年間にわたって、多様な、比較的に穏健な形態の抑圧と闘わざるをえなかった。抑圧とは、定期刊行物の閉刊、党方針に屈するのを拒む寄稿者の強制的な不採用、個々の著作者による出版の禁止、文化の全分野に及ぶ検閲の強化、といったものだ。
 しかしながら、ポーランドの修正主義が次第に減退していった主な理由は、そのような抑圧手段ではなく、修正主義者による批判論によって掘り崩されていった、党イデオロギーの解体にあった。
 (24)修正主義は、「根源」-主としては青年マルクスとその人間性の自己創造という観念-に立ち戻ることによってマルクス主義を再生し、その抑圧的で官僚制的な性格を治癒して共産主義を改良しようとする試みとしては、つぎのかぎりで、有効なものであり得ただろう。すなわち、党が伝統的イデオロギーを真摯に受け止め、党装置がイデオロギーの問題にある程度は敏感であるかぎりで。
 しかし、修正主義自体が、公式的教理に対する敬意を党が失ったこと、そしてイデオロギーがますます殺伐としているが不可欠の儀礼になったこと、の大きな原因だった。
 このようにして修正主義者の批判論は、とくにポーランドでは、共産主義の脚下からそれを崩した。
 文筆家や知識人たちは、宣言行動と抗議、当局に政治的圧力を加える試みを継続した。しかし、徐々に、真の修正主義思想、つまりマルクス主義に依拠することが少なくなった。
 党と官僚機構では、共産主義イデオロギーの重要性が明らかに衰退していた。
 かりにスターリニズムの暴虐に関与したのであってもそれぞれに忠実な共産主義者であって共産主義の理想を堅く保持していた者たちに替わって権力を掌握したのは、自分たちが利用してきた共産主義スローガンの空虚さを完全に知った、冷笑的で幻惑から醒めた出世第一主義者たち(careerists)だった。
 こうした種類の者たちで成る官僚制的機構は、イデオロギー上の衝撃にも動じなかった。/
 (25)他方で修正主義自体に、やがてマルクス主義の先端部を超えて進行するという、確かな内在的論理があった。
 合理主義の考え方を真摯に採用した者は誰でも、マルクス主義の伝統に対する自分の「忠誠心」の程度について、もはや関心をもつことができず、別の淵源や理論的刺激を利用することが禁止されているとも感じなかった。
 レーニン=スターリン主義の形態でのマルクス主義は貧困で未熟な構造をもつものだったので、厳密な検証を行うにつれて実際には消滅していった。
 マルクス自身の教理は、確かに知性に対するより多い栄養を供給するものだった。しかし、物事の性質からして、マルクスの時代より後に哲学や社会科学が提起した諸問題に対する回答を与えるものではなかったし、また、20世紀の人間主義的(humanistic)文化が発展させた多様で重要な観念的範疇を消化することができるものでもなかった。
 マルクス主義をどこかで始まっている新しい動向と結びつける試みがなされたが、それはすみやかにその明晰な教理形態をマルクス主義から奪うこととなった。
 マルクス主義は、知的歴史に寄与するいくつかのうちの一つにすぎなくなった。マルクス主義は、たとえ困難に思えても全ての問題に対する回答を見出すことができる、権威ある真理による全包括的な大系ではなくなった。
 マルクス主義は数十年間は、ほとんど全体として、有力だが自己充足的なセクトの政治イデオロギーとして機能した。その結果は、マルクス主義は諸思想がある外部世界からほとんど完全に遮断された、ということだった。
 この孤立状態を解消しようとする試みがなされたときには、すでに遅かった。-教理は解体した。ミイラ化した遺骸が突如として空中に晒されるがごとく。
 こうした観点からすると、正統派党員たちは全く正当に、マルクス主義の中に新しい空気を注入することを怖れた。
 修正主義者たちの訴えはたんに常識的なことと感じられた。-マルクス主義は科学に普遍的に適用される知的な方法にもとづく自由な討議で防衛されなければならない。現代的諸問題を解決するマルクス主義の能力を恐れることなく分析しなければならない。マルクス主義の観念的大系は豊富にされなければならない。歴史文書は捏造されてはならない。等々。
 こうした修正主義者たちの訴えは全て、悲惨な結末となることが判った。マルクス主義を豊かにしたり補完したりすることなく、疎遠だった諸思想の逆巻の中へと消失したのだ。//
 (26)ポーランドの修正主義はしばらくの間は残存したけれども、反対派の他形態の思想に比べて次第に重要ではなくなっていった。
 ポーランド修正主義の1960年代初期を代表したのは、KurońとModzelewski だった。彼らは、マルクス主義的かつ共産主義的な綱領を提案した。
 彼らによるポーランドの社会と政府に関する分析の結論は、共産主義諸国には新しい搾取階級が存在するに至っており、それはプロレタリア革命によってのみ克服される、というものだった。そしてこれは、伝統的なマルクス主義の基本的考えに沿っていた。
 彼らはこれにより、数年間の投獄を被った。しかし、彼らの抵抗が助けたのは、1968年の3月に相当に広がった暴動を指導することとなる、学生たちの反対運動の形成だった。
 しかしながら、このことは、共産主義イデオロギーとはほとんど関係がなかった。
 学生たちのほとんどは、市民的自由と学問の自由の名のもとで抗議運動を行った。そして、これらを特別に共産主義の意味で、また社会主義の意味ですら、解釈しはしなかった。
 政府は、暴乱を鎮圧した後、文化の分野での攻撃を開始した(これは当時の党内批判者たちとの闘いと関連していた)。そして、そうすることで、政府の主要なイデオロギー上の原理が反ユダヤ主義であることを露呈した。 
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 ④へとつづく。

2074/西尾幹二の境地・歴史通11月号①。

 月刊WiLL2019年4月号(ワック)に、つぎの対談が掲載されたようだ。
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」。
 これが、歴史通/WiLL11月号別冊(ワック)に再掲されている。
 前者を読んでいないので知らなかったが、後者を読むと、今年の初めに西尾幹二が考えていたことが分かり、興味深いとともに、いささか驚き、また呆れる。
 その西尾発言部分を、まずは引用する。一行ごとに改行する。
 「女性天皇と女系天皇の区別」はかなり理解されてきたようでもある。<中略>
 「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません
 大げさにいえば、超越的歴史観を信じるか、可視的歴史観しか信じられないかの岐れ目がここにあるといってもいいでしょう。
 126代の皇位が一点の曇りもない男系継承であるからといって、今や…情勢が変わったのだから政治世界の条件は少しは緩めて寛大にしてもよいのではないかと考える人が急速に増えているようです。
 しかし残念ながらそれは人間世界の都合であって、神々のご意向ではありません。//
 神話は歴史と異なります。
 日本における王権の根拠は神話の中にあるのであって、歴史はそれを支えましたが、歴史はどこまでも人間世界の限界の中にあります。
 歴史は…、諸事実の中から事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてはわれわれはそういう自由はありません
 神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません。
 ですから神話を今の人に分かるように絵解きして無理なく伝えるのは容易な業ではなく、場合によっては危険でもあり、破壊的でもあるのです。//
 例えば、女系天皇の出現を阻止するのは…今や無理であり、…女性宮家を創設して、…が合理的で、男系継承一点限りの原則論ではもはややっていけない、と囁く声が保守派の中からさえ聞こえてきます。
 それでいいのですか。」
 ここで、いちおう区切る。
 これまでのところで、原理的な問題として西尾幹二が取り上げているのは、<神話と歴史>という問題だ。そして、明確に、前者を尊いものとしている。
 池田信夫は「天皇が『万世一系』だとか、男系天皇が日本の伝統だと主張するのが保守派ということになっているが、これは歴史学的にはナンセンスだ」と書いているが(同11月11日ブログマガジン)、ひょっとすれば?、「歴史学的にはナンセンス」であることは、西尾も容認するのかもしれない。
 しかし、西尾幹二は、「歴史学」が示す「可視的世界観」に立ってはならず、「人間世界の限界の中」にある「歴史」によらず、また「人間世界の都合」によらないで、「神々のご意向」に添わなければならない、という見解を主張しているようだ。
 なぜなら、「歴史」には「事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由」があるが、「神話を前にしては」「そういう自由」はない。
 「神話」と「歴史(学)」と関係は、一般論として、興味深い主題ではある。
 ごく最近に読んだジョン・グレイの書物の一部は、近代人文社会科学は「ヒューマニズム」を基礎としており、それはまた一種の「信仰」であり「迷信」だ、と主張しているとみられる。
 むろん、J・グレイの方が、西尾幹二よりも視野が広く、思索は深い。
 まだこの欄で紹介していないが、つぎの書物には、つぎのような印象深い一文がある。
 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)=John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)、邦訳書p.85。
 「曇りのない知見は、歴史、地理、物理学など、広い分野に学んで身につくものである」。
 西尾幹二の知見は、幼稚な秋月瑛二の目から見ても、「曇りのない知見」だとは思えない。
 以上はさておき、「歴史(学)」の対象には「神話」も含み、またJ・グレイの示唆するように「歴史(学)」もまた何らかの「宗教」(近代ヒューマニズム、近代啓蒙主義にもとづく人文社会系学問)を基礎にしているとも言えるから、西尾のように「神話」と「歴史」を対比させること自体が、なおも説得力を欠くところがあるだろう。
 しかし、それにしても、公然たる、明確な「神話」優越論だ。
 これが、日本人、あるいは世界も含めてもよいが、人間多数の支持を受け得るとは考え難い。
 「神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません」と何やら深遠なことを言っているようでもあるが、じつはほとんど無意味だ。
 「人間の手による分解と再生」を許さないのが「神話」であり、人間はそれに従うほかはない。これを西尾は「可視的歴史観」と区別される「超越的歴史観」と称しているようだ。要するにこれは、「神話を信じるべきだ」、という主張だ。
 世界観、人間観、人生観として、これは成り立つ可能性はある。キリスト教も含めて、真に敬虔な「宗教信者」は、たぶんそう考えているのだろう。
 だが、論じるまでもなく、そして残念ながら、普遍的な、または日本と日本人に不変の「世界観、人間観、人生観」として西尾が勝手に他者に押しつけることができるものではない。西尾幹二の「虚しい思い込み」にすぎない。
 この点ではまだ、岩田温のつぎの言葉の方が冷静だ。
 「神話をすべて信じろというのは現代人にとって難しいでしょうが、神話を敬う態度は必要だと思います」。上掲書、p.220。
 秋月もまた、「敬う」と表現できるかは別として、日本書記であれ古事記であれ、日本と日本人の歴史を考察するにあたって、これらのうちの「日本神話」を無視してはならないと思っているし、「事実」・「史実」ではないものがあると注記しつつ諸記述・諸「物語」を学校教育の場にも導入すべきだと思っている。
 しかし、むろん「神話を信じる」べきだ、という前提に立っているのではない。
 なお、上に引用部分にはないが、西尾幹二は、原理的・基本的な論点として、つきの主張を行っていることにも注目される。以下、引用。上掲雑誌p.222。
 「女系天皇を否定し、あくまで男系だという一見不合理な思想が、日本的な科学の精神です。
 自然科学ではない科学が蘇らない限り、…へひた走ってしまいます。
 それが行きつく先はニヒリスムです。<一文略>
 自分たちの歴史と自由を守るために、自然科学の力とどう戦うか。
 現代の最大の問題で、根本にあるテーマです。」
 ここでは私は、「ニヒリズム」観念には関心がない。
 興味深い一つは、「自分たちの歴史と自由」の大切さを説いて、ここでは(「神話」ではなく)「歴史」を重視していることだ。西尾幹二における諸概念の使い方には、そのときどきの、文章の流れの中に応じたむら気に対応して、結構いいかげんなところ、がある。
 それよりも決定的に重要だと感じられるのは、最後にある、「自然科学の力とどう戦うか」、これが「現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だ、という主張・見解だ。
 むろんこれも、西尾幹二の独自の主張の一つにすぎない。
 すでに言及した部分を含めて言えば、西尾幹二は、こういう図式を描いているようだ。
 「神話」>「歴史」>「自然科学」
 これまた面白い理解の仕方だ。J・グレイによると「曇りなき知見」を得るためには「物理学など、広い分野」を学ぶことが必要なのだが、西尾によると、「自然科学」と戦うことが必要なのだ。J・グレイとは真反対にあるとも言える(なお、この人物は<容共>主義者ではない)。
 岩田温もこれにほぼ追随していて、「皇室は、近代的な科学に抗う日本文化」の「最後の砦」だとか、「無味乾燥な『科学』」だとか発言している。上掲雑誌、p.224。
 ここに、はしなくも、日本の「文学」系人間に特徴的であることが多い無知蒙昧さが明瞭に示されている、と秋月は感じる。人間である日本人を理解するためには、人体・脳等々を学問対象とする「医学」、その基礎にある物理学、化学等々、そして脳神経生理学、進化生物学等々もまた必要なのだ。
 これら現代「自然科学」を無視しては、さらには「戦う」などという姿勢・感覚では、日本人も、その歴史も、西尾幹二もときに用いる「日本精神」なるものも、理解することができない、議論することすら不可能だと思われる。
 さて、以上は全体をいちおう一読したあとでの原理的、基本的な論点の所在の指摘だ。
 とりあえず問題になるのは、しかし、つぎにあるだろう。
 万が一「神話」と「歴史」(と「自然科学」)の関係が西尾が考えるようなものだとして、つまり西尾の見解にかりに従うとして、つぎの問題がただちに生じる。
 西尾のいう「神話」とは少なくとも日本書記上の「神話」だろう。あるいは古事記も含んでいるかもしれない。
 そして、第一に、日本書記(8世紀初頭成立)が記述する「神話」は、「神々のご意向」として、上に西尾の言葉を引用したような意味での「神話」としてそのまま「信じる」必要があるのか。あるいは「信じる」ことができるのか?
 第二に、「126代の皇位が一点の曇りのない男系継承である」ことは、日本書記(+古事記)が記述する「神話」に照らして、疑い得ないものなのか?
 岩田温は西尾に迎合して?、つぎのように語る。上掲雑誌、p.220。
 「人の世を扱う歴史には人間の自由があるが、神話には人間の自由がないとのご指摘、大変勉強になります。
 確かに歴史は解釈の余地がありますが、神話はその神話を受け入れるか、受け入れないかという二者択一を迫られます。」
 大いに「勉強」すればよいが、西尾の「神話」・「歴史」の対比とともに、これは少なくとも日本書記(+古事記)につては<妄言>・<誤謬>だ。
 ①日本書記と古事記では、記述内容が異なっている場合も少なくない。
 ②日本書記の記述は「解釈」を許さないほどに「一義的に明確な」ものではない。「神話」であっても、あるいは「神話」部分だからこそ、「受け入れるか、受け入れないかという二者択一を迫られる」ような意味明瞭な記述にはなっていない。
 日本書記の記述にだって、「解釈」の争いがあることがある。これは、ほとんど常識ではないか。
 西尾と岩田の二人は、いったい何を喚いているのだろうか。とりわけ、<日本の「保守派」知識人>西尾幹二は、いったい何を考えており、いかなる境地に達しているのだろうか。
 (つづく)

2073/孝明天皇暗殺(非自然死)説-中村彰彦。

 京都・泉涌寺-孝明天皇陵といえば、ただちに連想するのは孝明天皇「暗殺」説だ。
 のちの伊藤博文に対する狙撃犯・安重根も「噂」を知っていた、というくらいだから、(伊藤の関与の程度は別として)明治の「元勲たち」の誰かによる孝明天皇「暗殺」の風聞はかなり広く伝搬していたのだろう。
 公武合体・攘夷論者の孝明天皇の死により、攘夷論は「臆面もなく」放棄されて倒幕・開国への政治情勢へと大きく転換した(と秋月には感じられる)。次期天皇・明治天皇の母・中山慶子の父親(明治天皇の実の祖父)は岩倉具視等々とともにいわゆる<過激派>公家だった。
 「暗殺」と称さなくとも、自然死ではなかった、病気自体を感染させられた、あるいはその治療が適切には行われてなかった等々の主張・見解あるいは推測・憶測の類は、明確ないずれかの「物証」が出てこない限りは、今後も継続するような気がする。
 中村彰彦・幕末維新史の定説を斬る(講談社、2011/文庫2015)。
 この中に、中村彰彦が1992年、2008年にすでに書いていた孝明天皇の「毒殺」・「暗殺」に関する「小論」を詳細にした、または発展させた、「孝明天皇は『病死』したのか」が収められている。小説ではない。
 内容もそうだが、別の点である意味ではきわめて興味深い叙述が、最初の方にある。文庫版、p.153。
 2008年の小論が発表されたあと、こういうことがあった、という。一文ごとに改行する。
 「ある会合で評論家の宮崎正弘氏に会うと、かれは声を潜めて告げた。
 『ある右寄りの人が中村さんの歴史読物を読んで、天皇暗殺を論じること自体が尊王の態度に反するといっているそうです。
 気をつけた方がいいですよ』。
 この忠告を受け、中村は「天皇暗殺を論じること自体が尊王の態度に反する」と批判・立腹されていると考えたようだ。そして、「官撰国史」の日本書記もまた二人の天皇(安康・崇峻)が「弑逆」されたことを明記している、として、天皇「弑逆」事件を記述するのは決して「反・尊王」ではない、と反論?している。
 この反批判または釈明は、必ずしも的を射ていないように思われる。
 「ある右寄りの人」が怒っている対象は特定の孝明天皇についての「暗殺」事件の記述であり、かつその加害者がのちの明治新政権の中に入った者たちの中にいる、というほとんど明示的な指摘・推測がなされていることだろう、と考えられる。
 そして「ある右寄りの人」は明治維新あるいは「明治の元勲たち」が批判されている(または批判されているようである)ことを苦々しく感じたのだろう。
 上によると、宮崎正弘は「声を潜めて」、「気をつけた方がいいですよ」と言った。
 気味が悪い、話だ。
 「気をつけた方がいい」、というのは、身体または生命に対する危険が(多少とも)ある、ということを告げた言葉だろう。
 しかして、「ある右寄り」の人はどういう人物で、属しているとすれば、どういう団体・組織または運動団体だったのだろうか。「右寄り」は「右翼」とも表現することができる。
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 泉涌寺-孝明天皇の死-孝明天皇陵という連関は、さらにつぎのように辿ることできる。
 孝明天皇陵-御陵衛士-伊東甲子太郎-新撰組-「油小路の変」(京都・七条油小路での伊東らの「暗殺」)。
 また、つぎのような連想も可能だ。
 孝明天皇-京都守護職-会津藩主・松平容保(・黒谷金戒光明寺)-新撰組。 
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 「狂熱的」・「狂信的」な人は、たぶん「尊王・右翼」の人の中には、いるものだ。安本美典のある著書に対して、某ネット上の書籍販売サイト上に、こんな「書き込み」(レビュー)があった。今でも残っているかもしれない。
 <神功皇后を実在だとするのはよいが、同皇后を「不義密通」した女性だとするのは「許せない」。>
 この「許せない」、というのが、なかなかに「気味が悪い」。
 同じ団体・組織の事務方の長(事務長・事務総長)を20年以上も同一人物が続けていることとは、別の次元のものだとしても。
 上の「不義密通」というのは、応神天皇は神功皇后の子だとしても(胎中天皇)、父親は仲哀天皇ではない、ということを意味する。安本美典のほか、井沢元彦も、その可能性を強く示唆している。
 この秋月の書き込みも「気をつけた方がいい」内容なのかもしれない。不気味だ。

2072/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史06。

 一 産経新聞2019年10月21日付は、自民党有志「日本の尊厳と国益を護る会」提言を報道する中で、こう記述している。ネット上による。一文ごとに改行。
 「皇統は126代にわたり、父方の系統に天皇をもつ男系で維持されてきた。
 女性天皇は10代8人いたが、いずれも父方をたどると初代の神武天皇に行き着く男系だ。
 女性天皇の子が即位した『女系天皇』は存在しない。」
 これが日本会議諸氏・櫻井よしこや「126代」と明記した西尾幹二らの見解として書かれているならばよい。
 驚いたのは、これが、「沢田大典」という署名のある産経新聞記者による「地」の本文の中にある、ということだ。
 産経新聞社または産経新聞記者は、日本の(天皇の)歴史をこう確定的に記述する、いかなる資格・権限があるのだろうか。歴史の「捏造」ではないか。せめて、<~と言われている>くらいは追記しておくべきだ。
 日本書紀には代数の記載はなく(近年の<日本書記>現代訳文の書物には参考として日本書記原文にはない代数を記載しているのもあるが紛らわしい)、「大友皇子=弘文天皇」の記事はなく、一方、女性の「神功皇后」の記事は(神武等々と同じ扱いで)いわば一章を占める。
 冒頭の「皇統は126代にわたり」という数字自体、明治期以降の<決定>にもとづくものだ。
 また、「初代の神武天皇」という記述自体、<日本書記によれば>という話で、<史実>性は疑わしい。
 「女系天皇」の存否や「神武」以降の不連続性の可能性には立ち入らないが、明治維新以降、戦前までの<国定・公定>歴史解釈を現在の全国民が採用して「信じる」義務はない。
 しかるに、産経新聞の記者は何を考えているのだろう。
 堅い読者層の中に<天皇・愛国・日本民族>の「右翼」派が多いからといって、歴史を勝手に「創造」してはいけない。朝日新聞の「虚報」・「捏造」ぶりと本質的にどこが違うのか。
 二 池田信夫Blog/2019年11月7日付(全部は11/11の電子マガジン配信予定らしい)は、こう書く。こちらの方が適切だろう。但し、以下は一部省略しているが、「儒教の影響」だとする等の専門的知見は、私にはない。
 「天皇家をめぐる論争では、天皇が『万世一系』だとか、男系天皇が日本の伝統だと主張するのが保守派ということになっているが、これは歴史学的にはナンセンスだ。
 万世一系は岩倉具視のつくった言葉であり、『男系男子』は明治の皇室典範で初めて記された原則である。」
 「それまでの政権は万世一系どころか、継体天皇以前は王家としてつながっていたかも疑わしいが、そのうち有力だった『大王』が『天皇』と呼ばれた。
 中国の建国神話をモデルにして『日本書記』が書かれ、8世紀から遡及して多くの天皇が創作され、天皇家が神代の時代から世襲されていることになった。」
 「武士が実権を握るようになると、天皇は忘れられた。
 それを明治時代に『天皇制』としてよみがえらせたのが、長州の尊皇思想だった。
 それは『王政復古』を掲げていたが、実際には新しい伝統の創造だったのだ。」
 三 <古式に則り>という言葉を最近によく聞くが、その<古式>の全てではないにせよ、明治期以降の<古式>・儀礼方法であることが多いだろう。
 先月10月22日の「即位礼正殿の儀」を、テレビでたぶん全部視ていた。
 最近の関心からは、<神道>的色彩がどれほどあるかに興味があった。
 所功(ところ・いさお)らによると京都御所には「宮中三殿」はなかったらしいから、「宮中三殿」中での賢所等での天皇の儀礼は、大正天皇からなのだろう。しかし、これは<神道>的・式なのかもしれない。もっとも、神道式とは特定できない<天皇・皇室に独自の儀礼>かもしれない。「神道」の意味・範囲にもかかわる。
 一方、<高御座>で言葉を述べられる等の「国事行為」は、当然に特定の「宗教」色があってはならずせいぜい<日本の伝統>に即して、ということに理屈上はなると思われる。
 だが、素人の私の感触では、「日本」独特というよりも、「中国」(むろん過去の)の影響・色彩を強く感じた。
 なるほど十二単衣等は「平安王朝」的かもしれないが、前庭に立っていた「幟」の様子・色彩や「萬歳」と明らかに明確に漢字で書かれた旗などは、日本の「みやび」・「わびさび」等々の<和風>とは離れた<中国>風に感じた。高御座の建築様式自体も、どちらかというと神社ではなく寺院に見られるように感じた。これが仏教的なのか、道教なのかあるいは儒教ふうなのかは正確にはよく分からない。
 ひるがえると、明治天皇の即位の場合はどういうふうだったのだろうか。
 新政府が安定した(戊辰戦争勝利)後だったのか否かも、確認していない。
 しかし、まだ<神武天皇創業>以来の「日本的」儀礼の仕方が確定されていない時期だとすると、<即位の礼>が純粋に<日本的>ましてや<神道式>であったかどうかは疑わしいだろう。そして、この明治天皇を含めてそれ以降の大正天皇等の<即位の礼>の様式を、今回も採用したような気もする。
 上のことは、<即位の礼>に関することで、天皇の死後の葬礼・墳墓の性格となると、つぎのように、話は異なるようだ。
 四 この欄で、京都・泉涌寺に関係して、室町時代から江戸末期の仁孝天皇までとは異なる、つまり<仏教式>ではない葬礼と陵墓が明治天皇の父親の孝明天皇について行われたようだ、と書いた。№.1982、2019/06/18。
 専門家がいずれの分野にもいることは分かっているので「大発見」のつもりで記したのでは全くない。
 きわめて興味深く感じたので、孝明天皇陵については陵墓の方式自体が九重仏塔を持たない「円墳」のようだと書いたのだった(一般には立ち入れないので、既存の写真に頼るしかなかった)。
 しかし、推測が妥当であることを、上記の池田信夫Blog が挙げているつぎの書物によって確認することができた。
 小島毅・天皇と儒教思想-伝統はいかに創られたのか?-(光文社新書、2018)。
 こう書かれている。
 「文久年間に在位していた孝明天皇は、…慶応へと改元されたその二年の年末、12月25日(グレゴリオ暦では1967年1月30日)に崩御する。
 翌慶応三年にはその陵墓が、じつに1000年ぶりに山稜形式で造営された。
 陵墓に埋葬され、かつ国家管理の聖地とされたのは、明治政府の陵墓政策を先取りするものだった。」
 この「山稜」というのは、南向きで南側に拝礼場があると見られる、<後月輪東山陵>のことで、現在も京都市東山区・泉涌寺の東の丘の中腹にある。
 先だっては記さなかったが、それまでの天皇は「仏式」でかつ「火葬」のあとで納骨されて葬られている(かつ真西の方向を向く)のに対して、孝明天皇については(「神道」式か否かは不明だが少なくとも)「仏教式」ではなくかつ「土葬」の陵墓のようだ。
 しかも、上の書物によると、「じつに1000年ぶりに山稜形式で造営された」、とある。
 これまた、<新しい伝統の創造>だっただろう。
 もっとも、かつての「山稜形式」は「神道」式と称し得るものであるかについては、疑問が残る。
 いわゆる前方後円墳(伝仁徳天皇陵、伝応神天皇陵が著名)が「神道」式なのかというと、おそらくこれを肯定する学者・論者は存在しないのではないか。
 この問題は、「神道」というのはいったい何だったのか、いつ頃どのように形成され、意識されたのか、といった疑問にかかわる。
 櫻井よしこは、神道の「寛容」性のゆえに仏教伝来を許した、という旨を明記している(別に扱う)。聖徳太子の時代頃の「仏教伝来」以前にすでに確たる「神道」があった、という物言いなのだが、果たして本当か? 
  天皇家と「神道」に(神武天皇以来?)強く密接な関係がある、天皇家の「宗教」はずっと神道だ、と主張するならば、古代天皇は「神道」式で葬られたのか? その儀礼や墳墓の様式は?
 尊いはずの初代・神武天皇陵の場所が特定されて整備され、近傍に橿原神宮が造営されたのは、いったいいつの時代にだったのか? まだ150年ないし120年ほどしか経っていない。
 「初代の神武天皇」と「史実」のごとく平気で書く産経新聞記者・沢田大典は、そのような「初代」天皇の「墓」の所在地が<2000年以上>も不明なままだったことを、不思議とは感じないのだろうか。「古い」ことだから仕方がない、では済まないと思われる。
 このあたりは、あらためて触れることにする。

2071/J・グレイ・わらの犬(2002)③-第1章03。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 邦訳書からの一部引用・要約のつづき。
 「各『小節』の見出しは原書にはないようで、…」とこれまで記してきたが、大間違いだった。
 例えば、第一章第2節「恣意的進化の蜃気楼」の原語は、The Mirage of Concious Evolution。
 同第6節の「反原理主義…」の原語は、Against Fundamentalism …。
 「」は邦訳書からの直接引用。太字化は秋月による。
 <わらの犬>の意味は、第12節で説明されている。
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 第一章・人間③。邦訳書、p.23~p.35。
 第8節・人間中心主義を矯正する科学。
 「科学」は「人間中心主義の要塞」で、他生物と違って「自然を意のままに服従させることも…可能であるという思い込み」を助長して身を守っている。
 しかし、「最先端の自然科学」は「因果律も古典論理」も本質からずれていると疑問視し、例えば「時間が外的世界の部分」ではないと示唆し、「一つの事象に複数の現実が存在する」ことを肯定する。「観測者の立場次第で世界は変わるとするのが量子力学の根幹」だ。
 「ほんとうは、人間が知覚するように組み立てられた世界は絵空事(ギメラ)であることを露呈するところに、科学ならではの意味がある」のではないか。
 第9節・真理をもたらすもの。
 ヒューマニストは「真理を知ることで人間は自由になる」と言うが、そうした「ヨーロッパ思想」はソクラテスからプラトンを経てキリスト教に伝わった。
 ソクラテスにとって「真理の本質」は問題にならず、「人間の知識と福利は別物」だ。「内省」を重んじ、真の「充足は不変のうちにある」とする立場には「原始宗教の名残」がある。「シャーマニズム」という「精霊との交感」を大切にした風習の影響で、彼は「内なる声」を「神の声」と呼ぶ。
  「ヨーロッパの合理主義は神秘体験が原点」だが、現代ヒューマニズムが異なるのは「その不合理な起源を自覚せず、大それた高望みを正当」とする点にある。
 ヒューマニストの一部は「真理が人間を自由にする」とするソクラテスを含む「ギリシア思想」とキリスト教の「解放の希望は万人のもの」とする信仰を混同している。
 「現代のヒューマニズムは、人間は科学を通じて真理を知り、自由を手にするという信仰である。
 しかし、ダーウィンの自然淘汰説が正しいとしたら、これはありえない。
 人間の頭脳は、…ひたすら真理を求めるようにはできていないからだ。」
 ダーウィン以前の誤りの一例は「ミーム論」=「模倣子」・「意伝子」論で、残念だが「ミームは仮想の主体であり、遺伝子とはちがう」。 
 「思想の対立が真理の勝ちで決着するとは思いもよらない」。「思想は対立し、反目するが、…権力と愚昧を味方につけた側が勝つことに相場が決まっている」。
 ダーウィン・進化論は「真理への関心が生存や繁殖のためには無用で」「むしろ少なからず有害である」ことを示す。
 「進化心理学」は「動物が擬態で外敵を欺く」ことを教えるが、「同じことは政治の場をはじめ、さまざまな人間関係について言える」。
 進化過程は、「真理」は「誤謬」より「優位」ではなく「その逆」で、「自己欺瞞の度合いで方向を選ぶ」ことを示す。
 「生存競争の修羅場で真理を求めるのは贅沢か、さもなければ無知の業である」。
  人間と同じく「科学」は「もっぱら真理の探究と人間の向上を目指す」ことはなく、「知識」は「むら気と曲がった心に妨げられる」。
 「日常生活の中で人間が一所懸命になるのは、損得の勘定である。<一文略>行動がただ感情を発散させるため」だけのこともある。これらは「改まる落ち度ではない」。
 第10節・啓蒙家パスカル。
 17世紀のパスカルは、「信仰」が「心の空白を満たす」と考えなかったが、「信仰を支える習慣」の力を知っていた。同様に現代人は「科学」に期待し、「理性を眠らせて、人類に対する信仰を深め」ている。
 第11節・人間主義対自然主義。
 「分子生物学」のジャック・モノー(J. Monod)によると、「生命は理論では説明できない偶然の産物だが、ひとたび発生すると突然変異と自然淘汰で進化する。人間は、宇宙が賽子を投げていい目が出た他の生き物と少しも変わらない」。
 この「なかなか容認しがたい事実」、「自身の存在がまったくの偶然であることを認めなくてはならない」。但し、モノー自身が「人類は特権に恵まれた孤高の種」だとしてじつは認めていない。 
 モノーは「人間主義と自然主義を折衷」した。ダーウィン・進化論は「自然主義の真理」を明らかにしたが、「逆説」的に、この論が「人間が獣性を超越して地球の支配者たりうるとするヒューマニズム信仰の要石となっている」。
 第12節・わらの犬。
 <ガイア説>は、「地球は一個の自動制御システムであり、その動作は少なからず生命体に似ている」とする。ラヴロックの<デイジー>モデルは「惑星温度は自動制御される」とする。
 <デイジー>モデルのごとく<ガイア説>は「狭義の科学信仰」にもとづくが、「科学原理主義者」はこれに反発する。「ガイア説と現代の正統派の対立は、科学的な論議」に由来せず、「その根底にあるのは、キリスト教信仰と、はるか以前か伝わる古い信仰の衝突」だ。
 <ガイア説>の「概念」は、「老荘哲学の原典」・「道徳経」に明記されている。
 「古代中国では、わらの犬を祭祀の捧げものにした。
 祭りのあいだ、わらの犬は丁寧に扱われたが、祭りがすんで用がなくなると踏みつけにされ、惜しみなく棄てられた」。
 「人間とても、地球の平穏を乱せばたちまちに踏みつけにされ、情け容赦なく棄てられる」。<ガイア説>批判者は「非科学的」だとこれを忌避する。
 しかし、「実を言えば、人間はわらの犬でしかないことを認める勇気がないばかりにそっぽを向いているのである」。
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 第2章以降につづく。

2070/J・グレイ・わらの犬(2002)②-第1章02。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 邦訳書からの一部引用・要約のつづき。
 各章の中の「小節」の見出しは原書にはないようで、邦訳者が読者の便宜のために付したのではなかろうか。「」は邦訳書からの直接引用。太字化は秋月による。
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 第一章・人間②。邦訳書、p.15~p.23。
 第5節・グリーン・ヒューマニズム。
 環境保護のグリーン論者は「人間が地球の支配者たりえない」ことを知っているが、「ラッダイト運動にも似て、…地球を人間の目的にかなうものにすることができるという幻想」を引き摺っている。彼らは「人間主義-ヒューマニズムの焼き直し」を唱えているだけだ。
 「技術」は地球上の生命と同じ「長い歴史」をもつ。昆虫にも「技術」がある。
 人間自身が「原始バクテリア共同体が遺伝子保存の手段として工夫した機械的装置」であることを、マーギュリス(L. Margulis)とセーガン(D. Sagan)は、こう述べる。
 人間は「バクテリアが地球を席巻して以来の複雑なネットワークの一部である。
 生命力と知力は人類の占有ではなく、全生物が共有する財産である」。
 「ヒューマニズムは救済の教理であり、人類は自己の運命に責任を負うという思い込み」だ。グリーン論者は、地球の「資源を管理」する役を理想としているが、「人間の行動が自分たちや惑星を救う」とおめでたく考えている。
 有史以前から、人間は概して他の生物と「多少とも」違うとは考えてこなかった。
 「人間と動物を隔てる溝は越えがたいというヒューマニストの認識は誤りで、人間も動物も等しく自然の一員である」。希薄化しているかもしれないが、人間と生物を「運命共同体と見る感覚は人の心の深層に刷りこまれている」。
 人間はときに「意識の表層に浮かぶ倫理観には縛られず、利己心から行動」する。「いつの場合も、人間を駆り立てるのは、その時々の必要である」。
 「ずば抜けた破壊能力を持つ種に地球を託す以上の悲劇」はないだろう。
 第6節・反原理主義-宗教と科学。
 「科学」は「宗教」から権威を奪い、人間を「偶然の…取るに足らない」存在にした。「人間存在」の意味を復活させるなら「信仰」も復活させる必要がある。しかし、「現代社会」から意識的に「科学を排除することは不可能」だ。
 「科学は技術を介して社会に浸透する。人間の意志にはかかわりなく、科学技術は生活様式に変化を強いる。」//
 「宗教原理主義者」は現代社会の「医療師」だと自負するが、そうした存在自体が「病の兆候」で、その主張は「妄想」だ。彼らが「どれほど望もうとも、科学の網目に覆われて生きている人間が近代科学以前の視野に立ち戻ることはできない」。
 「科学原理主義者」の「公平無私な真理の探究」だとの主張は、「人間の現実を無視」している。「科学」がもつ一つは「希望」で、「進歩神話の根拠」となる。しかし、「無条件の信頼」からではなく「諦めた先に何があるかわからない不安」のためだ。「科学」の「進歩」的様相は「道徳律や政治」に求めることはできない。
 「科学」がもつもう一つは「異端を封じる力」で、「現在、権威を誇りうる唯一」のものだ。それは「浅薄な既成の世界像を俗受けのする幻影のままに温存する」ことでその「人気を根底で支えている」。大衆には「不確実から身を守る避難所」なのだ。
 「科学」の権威が由来するのは「人間がその力を借りて環境に影響をおよぼす」ことで、また「実際の必要を離れて純粋に真理の探究」に資するかもしれない。しかし、「その目的が達成される」と想定するのは「科学以前の発想」で、「実用の場から切り離」された「自然とは異質な超越論的思考に変容させること」、「世界を支配するのは真理であり、真理は神聖であるとする神秘主義の再現」が見られる。
 第7節・科学の不合理な起源。
 「科学原理主義者」によれば科学は「すべてに優る理性の表現」で、それは教会・国家・迷信等と闘って「合理の探究を実現した」。
  しかし、「科学の起源は合理の探究ではなく、信仰、魔術、知略」にある。ガリレオ・地動説が時代を画したのは「科学的」でない「条件が見方」したからだった。
 「20世紀をつうじて最も影響力のあった」カール・ポパーによると「理論は反論されてはじめて科学的」だが、ダーウィン・進化論もアインシュタイン・相対性理論も「発表当時は確たる証拠」がなく、「かなり後に」揃った。
 「現在では宗教、神話、魔術の領分とされている考え方が近代科学を開拓した先人たちの世界観を支える親柱だった」。「理性に背くこと」により、科学も進歩も生じた。
 例えば、「ガリレオは、自身、教会の敵ではなく、神学擁護の立場をもって任じていたし、…ニュートンは、自分の理論を森羅万象、神の定めた秩序にしたがおうとする教理と不可分であるように考えて、時にみられる自然界の異常を神の残した指紋と説明した」。
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 つづける。


2069/J・グレイ・わらの犬(2002)①-第1章01。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 以下、邦訳書から一部引用したり、要約したりする。
 各章の中の「小節」の見出しは原書にはないようで、邦訳者が読者の便宜のために付したのではなかろうか。「」は邦訳書からの直接引用。
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 第一章・人間。邦訳書、p.1~p.15。
 第1節・科学かヒューマニズムか。
 現代人の多くは自分たちで「運命を支配する」ことができるヒトという生物の種の一員だと考えているが、これは「信仰である。科学ではない」。
 ダーウィンをもう一度振り返る必要がある。
 「種とは遺伝子の集合であって、遺伝子は相互に、かつ変遷する環境と、無作為に関連し合っているにすぎない。
 種は自己の運命を制御できない。
 個々の遺伝子を取り出してみれば、種というものはない。
 生き物はすべて同属で、人間も例外ではない。」
 人間が「人類の進歩」を語るのは、「キリスト教の希望」に由来する「抽象概念」にとらわれているからだ。
 「人間とほかの生き物は同類」だが、人間を優越させるキリスト教を母胎としたために「進化論」は喧しい議論を発生させた。
 現在では、「人間主義者」と、「人間は動物と同じで運命の支配者たりえないことを理解している少数派」が対立する構図がある。
 「人間主義」とはここでは「進歩信仰」を指す。「人間は増しつづける科学知識を力として、ほかの動物〔の〕…限界を超え、自己を解放できるという思いこみ」だ。
 これには何の根拠もない。「知識を身につけたところで、生き物である人間はもとのままである」。
 他の動物と変わりがないとしたダーウィンに対し、「ヒューマニストは人間と動物をいっしょにするなと声高に言う」。それを裏付けるため、「人間は、みな救われる」というキリスト教の「いかがわしい約束」を担ぎ出したが、「ヒューマニストの進歩信仰はキリスト教信仰の世俗版でしかない」。
 ダーウィンの「世界に進歩と呼べるものはない」。
 ヒューマニストにこれは耐え難いことで、ダーウィン説を「逆手に取り」、「人間はいかなる動物とも異なる」とするキリスト教の根底にある「誤信」を永らえさせた。
 第2節・恣意的進化の蜃気楼。
 人間は「偶然にもてあそばれている-当てもなく進化の流れに身を任せてきた」。
 しかし、ウィルソン(E. O. Willson)は遺伝子工学を味方につけて、「人間進化の恣意的な操作」は可能である、と言う。しかし、この主張は「蜃気楼」だ。
 「人類が運命の管理責任を負うという考えは、種に目的意識があってはじめて意味をなす」。しかし、「種は遺伝子の流れに浮かぶ泡沫でしかない」。
 次世紀にかけて「科学の力で人間が変わることはありえよう」。しかし、変わるとしても「無計画な改造に終わる」。
 「人間が神の立場で運命をあやつったところでどうなるものでもない。
 もし人類が改良されるなら、それもまた運命の気紛れである」。
 第3節・人間がいっぱい。
 6500万年前に「全生物の4分の3に相当する種」が忽然と消滅した。その後も急速につづく「種の絶滅」の原因は、「地にはびこって」いる人間にある。
 1万2000年前に人間が登場した世界に生きていた動物の原産種のほとんどは、「狩猟によって絶滅した」。
 「自然破壊はグローバルな資本主義や産業化」や「人間の組織や習慣」の欠陥に起因するのではなく、「進化の過程で異様なまでに貪婪な霊長類が突出した結果」だ。有史以前から今日まで、「人類の隆盛と自然環境の荒廃は軌を一にしている」。
 地球規模で見ると、今後も人口は大幅に増加する。80億人ともなれば、「地球を荒らさずには維持できない」。
 遺伝子工学が「痩せこけた土壌からむりに豊かな収穫を上げる」のに成功すれば、「ほとんど何もなくなつた地球で、人間だけが人工的に欠乏を補った環境に細々と生きる」「孤愁の時代」がやって来る。
 実際には「地球の自動調節機構」によって、人間が住めなくなるか、人口の増加停止が生じるだろう。
 ラヴロック(J. Lovelock)の「筋書き」は、1.病原菌である人類の絶滅、2.慢性的地球汚染、3.宿主たる地球の破壊、4.地球(宿主)と人類(寄生動物)が「互恵関係を維持する共生」、だ。
 最もあり得るのは、1.に「いくぶんか脚色」を加えたものだ。「気候変動の副次的効果で、新しい病気が人口を抑制するとも考えられる」。「戦争の影響は計り知れない」。「生物化学兵器」、「遺伝子兵器」類が「人間社会の生命維持機構にあたえる打撃こそが深刻」だろう。
 モリソン(R. Morrison)はつぎのように言う。
「環境がもたらすストレスに、動物の多くはホルモンによって反応を制御し、栄養源が不足するとなれば新陳代謝をより効率のいい状態に切り替える。当然ながら、エネルギーを消耗する生殖行動は真っ先にその対象となる。<一文略>
 出産を打ち切って環境ストレスに対応する人間は動物一般と少しも変わらない。」
 「気候変動、新型の疾病、戦争の惨害、出生率の低下」等々の複合と「未知の要因」により、それ自体が「一過性の異常」である「人口爆発」は終息するだろう。
 「2150年までに生物圏は無事、ホモ・サピエンスがはびこる以前の状態に戻り、人口は5億から10億のあいだに落ち着くにちがいない」。
 第4節・人類はなぜ技術をもてあますのか。
 「『人類』は存在しない。ただ、矛盾する欲求と幻想に衝き動かされ、とかく不確かな意志と判断に左右される人間がいるだけである」。
 「技術」を手に負えなくしている原因は国家が多数に分かれていることではなく、「技術」を実現する「知識」それ自体は無償であることだ。「大量殺戮」目的の「新種ウイルス」開発に「莫大な資金、大規模な設備、最先端の機材」は必要がない。
 ビル・ジョイ(B. Joy)の言う「知識が招来する大量破壊の危険」という情況の責任の一端は国家にあるが、つまるところは「誤った政治の結果」ではなくて「知識の普及」による。
 「技術の管理は強制できない」。「遺伝子操作」は「戦争」に使われ得る。「政府の目が届かない…生物兵器」を防ぎようがない。「クローン人間」技術は「人間の理性や感情に乏しいか、まったく欠落した兵士」をいくらでも増殖させ得る。
 「ユダヤ人大虐殺」は「鉄道と、電信と、毒ガス」があって可能だった。スターリン・毛沢東の「強制労働収容所」には「近代的な輸送、通信手段」が必要だった。
 「そもそも技術は人類の手に負えない」。テレビ、インターネット…、「新しく登場した技術はとうてい人の理解がおよばないところまで生活様式を変える」。
 「道徳の深化が科学知識の発展に歩調を合わせられなかったこと」を嘆いても、無意味だ。
 「手段に罪はない。その手段をもてあそぶ人間にこそ問題がある」。
 「技術の進歩はひとつだけ未解決の問題を置き去りにする。すなわち、人間の弱さである。
 悲しいかな、こればかりはどうする術もない。」
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 第1章②へと、つづける。

2068/J・グレイ・わらの犬「序」(2003)③。

 政治思想・政治哲学研究者のジョン・グレイ(John Gray)は1948年生まれ。
 John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals は2002/2003年に刊行されている。原版は、54歳になる(なった)年だ。
 そして、2008年まではイギリスの大学教授(最後はロンドン大学)で、その年に引退するまでは講義や研究指導をしていたのだろう。
 それにしては、つまりそうした年齢や境遇からすれば、上記著書の内容は相当に驚くべきものだ。
 邦訳書に依拠すれば、巻末の最後の文章は、以下のとおり。一行ごとに改行する。
 「動物は、生きる目的を必要としない。
 ところが、人間は一種の動物でありながら、目的なしには生きられない。
 人生の目的は、ただ見ることだけだと考えたらいいではないか。
 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)、p.209。
 上の「見る」は、原文では see。
 最後の一文を直訳すると、<我々は、人生の目的について、たんに見ることだと、考えることはできないのか?>
 この「たんに見る」というのは、すでに「序」でも書かれているが、社会あるいは世界を「変革」しよう、「改善」しよう、「進歩」させよう、などと考える必要はない、あるいはそうしてはならない、ということを意味するだろうと思われる。
 静かに<見る>、<じっと黙想する>、それでよいではないか、と言いたいのだろう。
 こういう境地には、54歳くらいで、また現役の大学教授が、とくに「文科」系の研究者が、なかなかなれないのではないか。
 上に引用の文だけではなおも理解し難いようだが、脳科学者の茂木健一郎が標題を<生きて死ぬ私>とする書物を30歳代に刊行した、そのような心境に、政治・思想を扱う「文科」系人間でありながら、到達しているように見える。
 80歳を過ぎている日本の「知識人」らしき人物が、なおも<世俗感>・<現世感>丸出しの文章を雑誌に寄稿したり書物を出版しているのとは、大きく違っているだろう。
 もっとも、J・グレイには彼なりの<戦略>があったのかもしれず、そしてその意図どおりに、この著は種々の大きな<衝撃>を欧米の(少なくともイギリスの)「知的」世界に与えたらしい。
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 「序」は邦訳書で計6頁ほどしかなく、以下はこれまで紹介していない最後の部分を、ほとんど邦訳書に依らないで、抜粋的に「試訳」しておく。邦訳書ⅶ~ⅷ。
 「進歩という希望が幻想であるとすれば-つぎのように尋ねられるだろう-、我々はいかに生きるべきなのか?
 この疑問が前提にしているのは、世界を造り直す(remake)力を有していてのみ、人間は幸福に(well)生きることができる、ということだ。
 しかし、過去に生きたほとんどの人間はこれを信じ(believe)なかった。そして、大多数の人間は幸福(happy)に生きてきた。
 この疑問が前提にしているのはまた、人生の目的は行動だということだ。しかし、これは近現代(modern)の異端説だ。」
 プラトンは人間の最高の形態は「行動」だとしたが、同様の見方は「古代インド」にもあった。
 「人生の目的は世界を変革(change)することではない。世界を正しく見る(see rightly)ことだ」。//
 こうした考え方は「今日では破壊的な真実(subversive truth)」を示すものだ。「なぜならば、政治というものの空虚さをその意味に含んでいるからだ」。
 「優れた政治は卑劣であり当座凌ぎのものなので、21世紀の初めの世界には、失敗に終わったユートピアの瓦礫が山のように撒き散らされている。
 左翼は瀕死の状態にあり(moribund)、右翼がユートピア的空想の本拠になった。
 グローバルな共産主義のあとに続いたのは、グローバルな資本主義だった。。
 これら二つの未来像には、多くの共通するところがある。
 両者ともに醜怪で(hideous)、かつ幸いにして、荒唐無稽(chimerical)だ。」//
 「政治活動が救済(salvation)のための代用物になるに至っている。しかし、いかなる政策も、人間をその自然条件から救い上げる(deliver)ことはできない。
 いかに急進的であっても、政治的な諸方針はあくまで便宜的なものだ。-それらは、繰り返し出現する悪に対処するための穏健な方策にすぎない」。
 「人間は、世界を救済することができない。しかし、このことは絶望する理由にはならない。
 人間は、救済を必要としない。
 幸運にも(happily)、人間は決して、自分たちが造る世界に生きることはないだろう。
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 <わらの犬>の意味も含めて、別にこの書物の内容に論及したい。

2067/L・コワコフスキ著第三巻第13章第2節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻・最終章の試訳のつづき。
 第13章・・スターリン死後のマルクス主義の進展。
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 第2節・東ヨーロッパでの修正主義②。
 (9)修正主義者たちは、これら全ての問題について、民衆一般のそれと合致するように要求した。
 しかしながら、彼らは、民族主義的または宗教的議論ではなく社会主義やマルクス主義の論拠を用いた。そして、党生活やマルクス主義研究に関連する要求も提示した。
 この点では、歴史上の異端者たちと同様に、「根源への回帰」を訴えた。すなわち、システムに対する批判論の基礎にしたのは、マルクス主義の伝統だった。
 とくに初期の段階では、一度ならず、レーニンの権威が持ち出された。彼らはレーニンの著作の中に、党内民主主義、統治への「広範な大衆」の参加、等々に関する文章を探し求めた。
 要するに、修正主義者たちは、しばらくの間は、この運動の残存者たちが今でもときどき行っているように、レーニンをスターリニズムに対抗させた。
 しかし、知的な面での多くの成果はなかった。スターリニズムとは、レーニンの基本的考え方を自然かつ正当に継承するものであることが、議論を通じてますます明確になったからだ。
 もっとも、政治的に見れば、彼らの論拠は、自分たちのステレオタイプに訴えかけることで、すでに述べたように共産主義イデオロギーが壊れていくのを助けた、という重要な意味があった。
 状況が特有だったのは、マルクス主義とレーニン主義はいずれも、人間的で民主主義的なスローガンに充ちたものとして語られた、ということだ。それらは、権力システムに関するかぎりでは空虚な修辞用語だったが、当時のシステムに反対するために呼び起こされた。
 修正主義者たちは、マルクス=レーニン主義が語ったことと現実の生活との間のグロテスクな対照を指摘することで、教理自体に内在する矛盾を暴露した。
 イデオロギーは、いわば政治的運動から切り離されるようになった。イデオロギーは運動のたんなる表面にすぎなかったのだが、しかし、独自の歩みをとり始めた。//
 (10)しかしながら、レーニン主義にしがみ付く試みはほとんどの修正主義者たちによってすみやかに放棄されたが、他方で、「真の(authentic)」マルクス主義に回帰するという望みは、より長く継続した。//
 (11)修正主義者たちを党の仲間たちから分かつ主要な論点は、彼らはスターリニズムを批判したということではなかった。
 当時、とくに20回党大会の後では、党員たちのほとんど誰も、異様な力をもってスターリニズムを防衛する、ということがなかった。
 主に批判論の範囲についてすら、違いはなかった。そうではなく、違いは、スターリニズムは「誤り」または「歪曲」だった、あるいは一続きの「誤りと歪曲」だった、という公式の見解を拒否した、ということにあった。
 彼らのほとんどは、スターリン主義システムはその社会的機能の観点からはほとんど誤っておらず、ゆえに悪の根源はスターリンの個人的な性格または共産主義権力の性質以外の「誤り」に求められなければならない、と考えていた。
 しかしながら、彼らがある範囲の時期の間に信じていたのは、共産主義をその基盤を疑問視することなく再建する、または「脱民主主義化」することができる、という意味で、スターリニズムは治癒可能だ、ということだった(その特質のうち基本的なのはは何で偶然的なのは何かはほとんど分かっていなかったけれども)。
 しかし、ときが経つにつれ、このような立場は成り立たないことがますます明瞭になった。すなわち、かりに一党システムが共産主義の不可欠の前提条件であるならば、共産主義システムを改良することはできない。//
 (12)しかしながら、しばらくの間は、マルクス主義の社会主義はレーニン主義改革がなくとも可能であるように、そして共産主義は「マルクス主義の枠組みの内部で」攻撃することが可能であるように見えた。
 このゆえに、反レーニン主義の意味でのマルクス主義の伝統を再解釈する試みが行われた。//
 (13)修正主義者たちは、マルクス主義は検閲、警察や特権といった一元的権力に依拠するのではなく、科学的な合理性という規範的規準に従うべきだ、と要求することから始めた。
 そのような特権的地位は不可避的にマルクス主義の頽廃をもたらし、マルクス主義から生命力を奪う、と論じた。
 マルクス主義は、科学が普遍的に受容する経験的かつ論理的な方法でもって、その存在を防衛することが可能でなければならない。かつまた、マルクス主義研究は、批判から免れる国家イデオロギーへと制度化されてきたがゆえに廃絶されなければならない。
 こうしたことは、理性的論拠でもってこそ各人の地位を守らなければならない、そのような自由な議論があってのみ、一般化することができただろう。
 批判論は、マルクス主義諸著作の未熟さと不毛さを、今ある時代の主要諸問題について適切さを欠くことを、図式性と硬直性を、そしてその教理の主要な構成員だと見なされている者たちの無知を、攻撃した。
 レーニン=スターリン主義的マルクス主義の観念的範疇の貧困さを、全ての文化を階級闘争の用語法で説明し、全ての哲学を「唯物論と観念論の間の闘い」へと還元し、全ての道徳性を「社会主義の建設」の手段に変える、等々の単純な企てを、攻撃した。//
 (14)哲学に関するかぎりは、修正主義者たちの主要な目標は、レーニン主義教理とは対立する、人間の主体性(human subjectivity)の擁護だった、と定式化することができるかもしれない。
 彼らによる攻撃の主要点は、つぎのとおりだった。//
 (15)第一に、レーニンの「反射の理論」を批判した。マルクスの認識論(epistemology)の意味とは全体として異なっている、と論じることによって。
 認識(cognition)とは客体が心(mind)に反射されることではなく、主体と客体の相互作用であり、社会的および生物的要因に規定されているこの相互作用を、世界を複写したものと見なすことはできない。
 人間の精神(mind)は、存在と関係し合う態様を超越することができない。
 我々の知る世界は、部分的には人間によって造られた。//
 (16)第二に、決定論(determinism)を批判した。
 マルクス理論も事実に関するいかなる考察も、とくに歴史に関する決定論的形而上学を正当化しない。
 不変の「歴史の法則」があり、社会主義は歴史的に不可避だという考えは、共産主義に対する熱望を掻き立てるのに一定の役割を果たしたかもしれない、しかしなおそれ以上のものをもった神話的迷信だった。
 偶然と不確実さを過去の歴史から排除することはできない。未来の予言については、なおさらのことだ。//
 (17)第三に、不確定な歴史編纂の定式から道徳的価値を帰結させようとする企てを、批判した。
 かりに間違って、社会主義の将来はあれこれの歴史的必然性によって保障されている、ということが支持されたとしても、そのような必然性を支持するのが我々の義務だ、ということにはならない。
 必要なことは、その貴重な理由のためにあるのではない。社会主義は、「歴史的法則」の結果だと主張されるものの基盤の上に、それを超えたところに、なおも道徳的基礎づけを必要としている。
 社会主義という観念を回復するためには、価値のシステムが先ずは歴史編纂上の教理からは別個に再建されなければならない。//
 (18)こうした批判論は全て、歴史過程および認識過程での主体の役割を回復するという共通の目的を持っていた。
 それらは、官僚制的体制への批判と結びついた。また、党装置は「歴史的法則」に関する優れた見解と知識をもっており、この力の強さにもとづいて無制限の権力と特権をもつのだ、という馬鹿げた偽装に対する批判とも。
 哲学の観点からは、修正主義はすみやかに、レーニン主義と完全に決裂した。//
 (19)修正主義者たちは、批判論を展開する過程で、当然のこととして、さまざまの根拠に訴えた。そのうちある範囲はマルクス主義で、別のある範囲はマルクス主義ではなかった。
 東ヨーロッパでは、一定の役割を実存主義(existentialism)が、とくにSartre の著作が、果たした。多くの修正主義者たちは、Sartre の理論、主体は事物たる地位に還元できないこと、に惹き付けられたのだ。
 別の多数の者たちは、ヘーゲルに着想を求めた。一方では、エンゲルスの科学理論に関心をもった者たちは、分析的(analytical)哲学をエンゲルスとレーニンの「自然弁証法」へと適用しようとした。
 修正主義者たちは、マルクス主義と共産主義に関する西側の批判論や哲学上の文献を読んだ。すなわち、Camu、Merleu-Ponty、Koesler、Orwell。
 過去のマルクス主義の権威は、彼らの議論と批判では二次的な役割しか果たさなかった。
 トロツキーへの言及は、ごく稀れだった。
 ある程度の関心はRosa Luxemburg に向けられたが、それは彼女のレーニンおよびロシア革命に対する攻撃のゆえだった(しかし、この点に関する彼女の書物をポーランドで出版する試みは、成功しなかった)。
 哲学者たちの中では、一時的にはLukács に人気があった。それは主として、主体と客体は統一へと向かうという歴史過程に関する彼の理論に理由があった。
 いくぶんか後に、Gramsci が関心の対象になった。彼の著作は完全にレーニンのそれとは反対する認識(knowledge)に関する理論の概略を含んでおり、それはまた、共産主義官僚制、先進的前衛という党に関する理論、歴史的決定論および社会主義革命への「操作的」接近方法、に関する批判的考察を伴っていた。//
 (20)このときにさらに補強する力を与えたのは、イタリア共産党だった。
 そのときまで生え抜きのスターリン主義者という、それに値する評価を受けていたPalmiro Togliatti は、第20回党大会の後では、ソヴィエトの指導者たちを批判した者として記録に残された。彼の言葉遣いは穏やかだったが、重要なのはその結論だった。
 彼はソヴィエト指導者たちを、スターリニズムの責任の全てをスターリンに負わせ、官僚機構の退廃の原因を分析できなかったとして非難した。そして、世界共産主義運動の「多極化(polycentrism)、すなわち他諸国共産党に対するモスクワの覇権を終焉させること、を訴えるに至った。//
 (21)1950年代の批判運動が東ヨーロッパの他国よりもはるかに進んだポーランドの修正主義は、党知識人から成る多数のグループの作業だった。-哲学者、社会学者、ジャーナリスト、文筆家、歴史家および経済学者。
 彼らは特別のプレスや文学、政治の週刊誌(とくに<Po prostu>と<Nowa Kultura>)に表現の場を見出し、それらは当局に抑圧されるまでは重要な役割を果たした。
 修正主義者だとして頻繁に攻撃された哲学者および社会学者の中には、B. Baczko、K. Pomian、R. Zimand、Z. Bauman、M. Bielińska および、主犯者として抜き出されたこの書物の執筆者がいた。
 修正主義理論を前進させた経済学者は、M. Kalecki、O. Lange、W. Brus、E. Lipinski およびT. Kowalik だった。//
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 ③へとつづく。

2066/J・グレイ・わらの犬「序」(2003)②。

 ジョン・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002/2003).
「序」のつづき。
 (1) ダーウィン・進化論(ガレリオ・地動説、ニュートン力学も?)がキリスト教世界・文化に対して与えた衝撃を実感として理解することはできない。
 ともあれ、J・グレイはダーウィニズムにこう言及しつつ、さらに、キリスト教→ヒューマニズムの歴史を語り、後者もまた「科学」ではなく「信仰」だと述べる。以下、邦訳書を参照しつつ、そのままには従っていない。
 ・本書は「新ダーウィニズムの思想(Neo-Darwinism orthodoxy)」が「人間という動物(human animal)に関する究極的な説明」だとはどこにも書いていない。支配的な「ヒューマニズムの世界観」を打破するために「戦略的」にダーウィニズムを使っているのだ。にもかかわらず、ヒューマニストたちは「進歩への信仰が今日に揺れ動いている」のを支えるためにダーウィンを用いている。しかしながら、彼が明らかにした世界には「進歩」はない。「真に自然主義の世界観は、世俗的な〔進歩という〕希望の余地を残していない」。
 ・19世紀初めに、Henri Saint-Simon とAuguste Comte が「人間中心教(Religion of Humanity)」を創始した。これが20世紀の「政治的宗教(political religion)」の原型となり、John Stuart Mill に強い影響を与え、「リベラリズムを今日の世俗的信条(secular creed)にした」。また、Karl Marx への影響を通じて「科学的社会主義」の形成を助けた。
 ・「ヒューマニズムは科学ではなく、宗教(religion)である。-人間はこれまでに生きてきたいずれよりも世界をより良く造ることができる、というキリスト教以降の信仰(faith)である。」
 (2) つぎにJ・グレイが言及するのは、ヒューマニズムという「進歩への信仰」のもう一つの淵源(source)としての「知」=「知識(knowledge)」だ。
 ・「科学では、知識の増大は蓄積していく。しかし、人間の生活全体は、蓄積していく活動ではない。ある一つの世代が獲得したものは、つぎの世代には失われるかもしれない。」
 ・「科学では、知識は純然たる善き(good)ものだ。しかし、倫理や政治では、知識は善であるとともに悪(bad)でもある。
 ・「進歩という観念が依拠するのは、知識の増大と種の進化は相伴っている、という信念(belief, 邦訳書では適切に「思い込み」)である」。
 ・「知識は、我々を自由にはしない。知識は我々を、これまでつねにそうだったような、あらゆる種類の愚行の餌食にしたままだ」。
 (3) このような「知識」論は、秋月瑛二の最近の関心を大きく刺激するところがある。
 「知識」は無条件に良いものではない。「知識の増大」=「進化」・「進歩」ではない。
 つまり「良い」必要な知識も「悪い」不要な知識もある。
 にもかかわらず、「知識」ないし「知」がほとんど無条件に良いものだと考えられているのは、いったい何故なのだろうか。
 「知識人」それ自体で<えらい>わけでは全くない。良質の「知識人」もいれば、悪辣で犯罪的な「知識人」もいる。
 にもかかわらず、「知識人」というだけで<立派な>人間だというイメージ・「思い込み」が生じているようであるのは、いったい何故なのだろうか。
 「知識」をほとんど対象とするのが、高校入学試験、大学入学試験、種々の国家試験類(公務員試験・司法試験等々)だ。これらに合格して特定の「大学」生等々の<資格>を得ること自体は、まだ善か悪か、<えらい>か否か、<立派>か否かを決するものでは全くない。
 にもかかわらず、「知識」の有無・多寡によって<全人格>までが決せられるようなイメージがある程度は相当に生じているようであるのは、いったい何故か。
 これは、<学歴>一般のほか<国家公務員最上級職>とか<弁護士>とかの資格の評価に関連する。
 「知」・「知識」の重視、これは少なくとも明治期日本以降には<伝統>になった、と思われる。
 日本国憲法もまた<リベラル・ヒューマニズム>の系列・流れの中にある。
 J・グレイによれば、憲法もまた一つの「宗教」・「信仰」あるいは「仮構」・「虚構」ではある。この点も、私にはよく分かる。
 そしてまた、<リベラル・ヒューマニズム>あるいは「近代啓蒙主義」は「知識」=「善」・「進歩(に役立つもの)」と理解したと考えられるが、これもまた「宗教」・「信仰」・「仮構」・「虚構」だろう。
 「知識」は生命体たる人間の、あるいは人間の脳内の一定部位や一定の仕組みが持つ、一定の側面にすぎない。
 「学歴」意識の虚妄と「学歴」意識の無惨・悲惨。
(つづく)
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2065/J・グレイ・わらの犬「序」(2003)①。

 ジョン・グレイ(John Gray, 1948~)というイギリスの政治・社会思想家(・研究者)の文章を少し読み始めている。
 ジョン・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 この中の「ペーパーバック版序」は2003年に書かれているが、なかなかに興味深い、刺激的な内容を含んでいる。
 本文を読まない、「序言」・「後記」のみ読者の弊害に陥らないで、全体を読んでみたいものだ。しかし、興味深いのでここで論及する。
 原書は2002年刊行で、邦訳書の対象であるPaperback 版は2003年に出たようだ。原書の原題は、つぎのとおり。
 John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002/2003).
 原書の英語(とくに単語)も参照しつつ、「序」に言及する。なお、Paperback 版の元の原書には「Foreword〔序〕」はなかったようだ。
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 J・グレイがこの著で主張したいことは、上の「序」によると、簡単には、以下に対する反抗、あるいは以下のものの「否定」、「消極視」だ。
 すなわち、「リベラル・ヒューマニズム」、あるいはたんに「ヒューマニズム」、「人間中心主義」。
 この文章には出てきていない言葉・概念ではあるが、グレイの意味する「リベラル・ヒューマニズム」、「ヒューマニズム」、「人間中心主義」とは、<近代>あるいは<(近代)啓蒙主義>あるいは<近現代の「科学」主義>であるように思える。
 あるいは、彼が反抗?しているのは「近代進歩主義」または「進歩」という観念自体だ。
 冒頭に、「思想家の不用意な謬見」を「論破」するのが本書の趣意だと明言したあと、つぎのように書いている。原文を参照して、一部またはかなり、邦訳書の訳を変更する。
 ・「リベラル・ヒューマニズム(liberal-humanism)」はかつての「啓示宗教」に劣らず「広く一般に浸透」し、ヒューマニストたち(Humanists)は「理性的(rational)な世界観」を「標榜」している。
 ・しかし、「その核心をなす進歩信仰(belief in progress)」は、いかなる宗教よりもなお、「人間という動物(human animal)の真実」〔邦訳書では、「生き物である人間の本然」〕から遠く離れた「迷信(superstition)」である。
 これと同じ主旨が繰り返し、かつより詳細にまたは具体的に語られている。しばらく追ってみよう。原文を参照して、一部は邦訳書の訳を変更する。
 ・「科学」の分野は別として「進歩とはたんに神話(myth)にすぎない」と原書が主張したので一部の読者は激高し、「リベラルな社会への忠誠という中心的項目を誰も疑問視することができない」、「それなくしては、我々は絶望的だろう」と言った。しかし、彼らは「進歩的希望(progressive hope)」という「虫の食った旗印」に縋りついている。
 ・「宗教界の思想家たち」はもっと自由に考えている。一方で「世俗の信仰者たち(believers)」は、「時流の在来的知識にとらわれて、検証されていないドグマの捕囚になっている」〔これは一般の思想家・哲学者のこと〕。
 つぎに、最近にこの欄に「自由」する西尾幹二著とも関連させて論及した<自由意思>に、J・グレイは説き及ぶ。
 ・現在の「主流の世俗的世界観は、当今の科学正統派と敬虔な希望を混合したもの」だ。ダーウィンは人間は動物だとしたが、「ヒューマニストたち」は「他のどの動物とも違って」、「我々は我々が選択するように生きる自由がある」と説教する。
 ・しかし、「自由意思(free will)という観念は、科学に由来するものではない」。「自由意思」の起源は、彼らが揃って罵倒する宗教・「キリスト教信仰」にある。「人間は、自由意思を持つことによって他の動物いっさいと区別される、という信念は、キリスト教から継承したものである」。
 ・ダーウィンの進化論はインド、中国、アフリカで唱道されたならば、欧米でのような「論議の的」(scandal)にならなかっただろう。「キリスト教以降(post-Christian)の文化でのみ」、「科学的決定論」と「自分の生き方を選ぶ人間に特有の能力」とを調和させようとする「哲学者たち」の努力が見られた。「確信的ダーウィニズムが皮肉であるのは、哲学者たちが宗教に由来する人間性という見方を支持するために、それ〔ダーウィニズム〕を援用している、ということだ」。
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 まだ「序」の1/3も終わっておらず、つづける。
 最後の方に、グレイのこんな文章がある(邦訳書による)。一文ずつ改行する。
 「21世紀を迎えた世界は、…失敗に終わったユートピアの瓦礫の山である。
 左翼は息も絶えだえで、右翼がユートピア思想の本家となり、世界資本主義が世界共産主義に取って代わった。
 この二つの未来像には共通するところ少なくない。
 ともに醜怪この上なく、幸いにして、荒唐無稽である。
 欧米または<キリスト教(を継承した)諸国・社会>との違いもやはり関心を惹くが、日本にも当てはまるだろうという意味で「普遍的な」テーマが提示されているだろう。
 近代・啓蒙・近代「科学」・近代「思想」-これらと現代日本・日本人。
 ヒト・人間と「科学」・思想・宗教。
 J・グレイが合理主義・理性主義(またはヒューマニズム・リベラル)に対して懐疑的・批判的であるのは、日本での本来の「保守」におそらく近いだろう。
 しかし、おそらくはという推測になるのだが、J・グレイは、日本の「いわゆる保守派」とは異なる。
 人間中心ではなく、「自然との共生」とか「環境の保護」とかくらいは(持続可能な社会等とともに)、<容共・左翼>でも主張しているだろう。
 また、日本の「いわゆる保守派」も、人間は「自然の一部」だとか「自然」を畏怖してきた日本人等々とか叙述しているかもしれない。
 しかし、これまた全体を読まないでの推測になるが、J・グレイが主張したいことは、人間が「自然」の一部であることは当然で、かつ犬・猫等々の他の動物・生物と<本質的に>変わるところはない、それらと十分に共通性がある、ということだろうと思われる。 そして、そのことを十分に意識して思考し、議論しなければならない、ということだろう。
 この欄で比較的最近に、私の理解として<ヒト・人間の本性>(の認識・重視)という言葉を使うことがある。上がJ・グレイの主張したいことなのだとすると、かなり共通性がある。
 そして、考える。例えば、<日本精神>、<日本人のこころ>が日本人に自然に「継承」されているかのごとき見解・主張は、<ヒト・人間の本性>に反している。
 なぜならば、人間の生後の獲得形質は「遺伝」の対象にはならないのであって、日本人だから<日本精神>、<日本人のこころ>を受け継いでいる、というのは、人間の本性と学問的にも反する、反科学の「迷信」ごときものにすぎない。
 江崎道朗が6世紀の「保守自由主義」なるものが19世紀に「受け継がれた」とか叙述するのも、荒唐無稽な、日本人を含む<ヒト・人間の本性>に全く反する血迷いごとだ。
 せいぜい<こうあってほしい>という願望で、正確には、<政治的プロパガンダ>の虚言だ。
 J・グレイは「右翼がユートピア思想の本家となり…」と語るが、日本の「右翼」はまともな「ユートピア」像すら示すことができていない。
 ともあれ、さらに次回へ。
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