秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2017/08

1706/社会主義と独裁③-L・コワコフスキ著18章6節。

 この本には、邦訳書がない。何故か。
 日本共産党と日本の「左翼」にとって、きわめて危険だからだ。
 <保守>派の多くもマルクス主義・共産主義の内実に関心がないからだ。
 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 試訳の前回のつづき。
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 第6節・社会主義とプロレタリア-ト独裁③。
 プロレタリア-ト独裁は-一時的にではなく永続的に-、議会制度および立法権と執行権の分離を廃棄するだろう。
 これこそが、ソヴェト共和国と議会主義体制の間の主要な違いだとされるものだ。<以上二文、前回と重複>
 1918年3月のロシア共産党(ボルシェヴィキ)第七回大会で、レーニンはこの原理を具体化する綱領案を提示した。
 『議会制度(立法権の執行権からの分離としての)の廃棄、立法的国家活動と執行的国家活動との統合。行政と立法の融合。』
 (全集27巻p.154〔=日本語版全集27巻「…第七回大会/ソヴェト権力についての一〇のテーゼ」154頁〕。)
 別の言葉で云えば、支配者は法を決定し、その法によって支配し、誰からも統制されない。
 しかし、誰が支配者なのか?
 レーニンはその草案で、自由と民主主義は全ての者のためにではなく、労働被搾取大衆のために、彼らの解放のために目指されるべきだ、と強調した。
 革命の最初から、レーニンは、プロレタリア-トからの支持のみならずクラク(kulag, 富農)に反対する労働農民からの支持を期待した。
 しかし、すぐに明確になったのは、農民全体が大地主に対する革命を支持し、次の段階へ進むことについては熱狂的でない、ということだった。
 党は、農村地帯での階級闘争を煽ることを最初から望み、貧農や労働農民が豊かな農民に対して抵抗するように掻き立てた。とりわけ、いわゆる『貧農委員会(Committees of the Poor)』によって。
 しかし、成果は乏しかった。そして、階級としての農民の共通の利益が貧農と富農との間の対立よりも総じて強いことが明確だった。
 レーニンはすみやかに、全体としての農民を『中立化』すること支持して語ることを始めた。
 1921年5月、ネップ前夜の党第一〇回全国協議会で、レーニンはこう明言した。
 『我々は、欺すことをしないで、農民たちに、率直かつ正直に告げる。
 社会主義への途を維持し続けるために、我々は、諸君、同志農民たちに、多大の譲歩をする。
 しかし、この譲歩は一定の制限の範囲内のみでであり、一定の程度までだ。
 もちろん、その制限と程度とを、我々自身が判断することになる。』
 (全集32巻p.419〔=日本語版全集32巻「ロシア共産党(ボ)第十回全国協議会/食糧税についての報告の結語」449頁。)//
 最初の『過渡的な』スローガンは、つまりプロレタリア-ト独裁と貧窮農民のスローガンは、もはや妄想であるかプロパガンダの道具だった。
 党は、やがて公然と、プロレタリア-ト独裁は全農民層に対して行使されることを肯定した。かくして、農民に最も関係する問題の決定について、農民は何も言わなかった。彼らはなおも、考慮されるべき障害物であり続けたけれども。
 事態は、実際、最初から明白だった。〔1917年の憲法制定会議のための〕十一月の選挙が示したとおりに、かりに農民が権力を分かち持っていたならば、国家は、ボルシェヴィキを少数野党とするエスエルによって統治されていただろう。//
 プロレタリア-トはかくして、独裁支配権を誰とも共有しなかった。
 『多数派』の問題について言うと、このことはレーニンを大して当惑させなかった。
 『立憲主義の幻想』という論文(1917年8月)で、彼はこう書いていた。
 『革命のときには、「多数派の意思」を確認することでは十分でない。
 -諸君は、決定的な瞬間に、決定的な場所で、「より強い者であることを証明」しなければならない。諸君は「勝利」しなければならない。<中略>
 我々は、よりよく組織され、より高い政治意識をもった、より十分に武装した少数派の勢力が、自分たちの意思を多数派に押しつけて多数派を打ち破った、無数の実例を見てきた。』
 (全集25巻p.201〔=日本語版全集25巻218頁〕。)//
 しかしながら、<国家と革命>で叙述されたようにではなく、プロレタリア-トは党によって『代表される』との原理に合致してプロレタリア少数派が権力を行使すべきものであることは、最初から明白だった。
 レーニンは、『党の独裁』という語句を使うのを躊躇しなかった。-これは、党がまだその危機に対応しなければならないときのことで、ときどきは正直すぎた。
 1919年7月31日の演説で、レーニンはつぎのように宣告した。
 『一党独裁制を樹立したと批難されるとき、そして諸君が耳にするだろうように、社会主義者の統一指導部が提案されるとき、我々はこう言おう。
 「そのとおり。一つの党の独裁だ! 我々は一党独裁の上に立っており、その地位から決して離れはしない。なぜなら、数十年をかけて、全ての工場と産業プロレタリア-トの前衛たる地位を獲得した党だからだ」。』
 (全集29巻p.535〔=日本語版全集29巻「教育活動家および社会主義文化活動家第一回全ロシア大会での演説」549頁〕。)
 レーニンは、1922年1月の労働組合に関する文書で、大衆の遅れた層から生じる『矛盾』に言及したあと、こう明言した。
 『いま述べた矛盾は、間違いなく、紛議、不和、摩擦等々を生じさせるだろう。
 これらの矛盾をただちに解決するに十分な権威をもつ、より高次の機構が必要だ。
 その高次の機構こそが党であり、全ての国家の共産党の国際的連合体-共産主義者インターナショナル〔コミンテルン〕だ。』
(全集33巻p.193〔=日本語版全集33巻「新経済政策の諸条件のもとでの労働組合の役割と任務について」191頁〕。)//
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
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 ④へとつづく。

1705/江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(2017年08月)①。

 この出版物を、慶賀とともに、悲痛な想いで一瞥した。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017年08月)。
 要点をできるだけ絞る。
 第一。「第一章/ロシア革命とコミンテルンの謀略」、p.29-96、について。
  1.日本への影響を叙述する、日本の書物の中では詳しいのだろう。
 しかし、決定的な弱点は日本語訳書に限っても、10冊も使っていないことだ。従って、説得力や実証性が十分ではない。
 参考にしている、または依拠している文献は、おそらく以下だけ。狭い意味でロシア革命とレーニン以外のものも含めて、欧米(+ロシア・ソ連)の文献そのものはないようだ。1950年代の古すぎる本は除外。出版社・翻訳者、刊行年は省略。
 ①クルトワ=ヴェルト・共産主義黒書/ソ連篇。
 ②アンヌ・モレリ・戦争プロパガンダ/10の法則。
 ③マグダーマット=アグニュー・コミンテルン史。
 ④ミルトン・レーニン対イギリス情報部。
(⑤春日井邦夫・情報と謀略。)
 江崎道朗のこの本の出版を喜ぶとともに、日本の現況を考えて、寒心に堪えない。身震いがする。怖ろしい。
 2017年の夏に、この程度の詳しさでも、日本人の執筆者が書いた、おそらくは先進的な叙述になるのだろう
 江崎が最も依拠しているのは上の③のようで、コミンテルン自体の文書やレーニンの文章は、この③の資料部から採用・引用しているようだ。
 2.江崎道朗に是非とも助言しておきたい。以下を読んで、参考にしてもらいたい。
 一部の試訳・邦訳をこの欄で試みている、①リチャード・パイプスのロシア革命本二冊、②レシェク・コワコフスキの本(マルクス主義の主要潮流)でも、ロシア革命とレーニンは詳しく扱われている(後者では、著者は「ハンドブックを意図する」と第一巻で書いているが、全3巻の中で、レーニンについてはマルクスに次いで詳しく叙述する)。 
 前者のリチャード・パイプスの二冊については一冊の簡潔版があって、これには邦訳書がすでにある。
 この邦訳書だけでもすでに、昔ふうの?レーニンの像とは異なるものが明確だ。
 リチャード・パイプスの本には「革命の輸出」という章もあって、当然ながらコミンテルンへの論及も、その背景・目的も含めてある(世界革命か一国革命かにも関わる)
 レシェク・コワコフスキの本は、今まで訳した中では(以下の重要な指摘を除いて)、レーニンの「戦争」観にも(当然ながら)論及がある。
 日本人の中では、学者もしていなことを先進的に?研究した,などと自信を持ってはいけない。
 3.一瞥して、私、秋月瑛二の方が<より詳しい。より多くロシア革命とレーニンについては知っている。>と感じた。
 例えば、江崎道朗は、つぎの重要なことに言及していない。しかし、秋月は気づいている。
 試訳では、L・コワコフスキの文章をこう訳した。この部分はかなり意味読解に苦労して、無理矢理訳したところもある(翻訳が生業ではないのだから、やむをえないと思っている)。8/5=№.1693。
 「1920年12月6日の演説で、レーニンは、アメリカ合衆国と日本の間でやがて戦争が勃発せざるをえない、ソヴィエト国家はいずれか一方に反対して他方を『支持する』ことはできないが、その他方に対する『決勝戦』を闘わせて、自国の利益のためにその戦争を利用すべきだ、と明言した。/ (全集31巻p.443〔=日本語版全集31巻「ロシア共産党(ボ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説」449-450頁〕参照。)」//
 私は、レーニン全集の該当巻の該当するらしきところだけ探し出しているだけではない。自然に、前後も読んでしまうときがある。
 そして、レーニンがこのとき何を考えていたかの一部を理解した。レーニン全集日本語版31巻の上掲「演説」を参照。
 すなわち、第一に、日米間で戦争が(「帝国主義」国間の戦争が)起きるだろうと予測し、かつ期待した。
 第二に、日本がアメリカと闘わずにロシア・ソ連を攻める(いわばのちに言う「北進」だ)のを恐れた。
 明言はないが、<帝国主義国>相互を闘わせて、消耗させよう、と思っている。これは、ロシア・新ソ連の利益になる。また、日本がアメリカではなくて、ロシア・ソ連に向かうのをひどく恐れている。ロシア・新ソ連の<権力>を守るためだ。
 すでに、1920年のこと。日米戦争への明確な論及がある(江崎道朗はたぶん知らない)。
 スターリンは、このレーニンの「演説」も、じかに聞いたか、のちにじっくりと読んだに違いない。
 スターリン・ソ連が、日本が北と南のどちらに向かうかをきわめて気にしていたこと、それに関する情報を切実に知りたかったこと(ゾルゲ事件参照)は、その根っこは、遅くともすでに1920年のレーニンの文章・演説に見られる
 4.江崎は中西輝政を尊敬して、この分野(コミンテルンと日本)の第一人者だと思っているようだが、秋月瑛二のこの一年間の読書によると、中西輝政にも相当の限界がある。あくまで日本の学界内部では優れている、というだけではないだろうか。
 何しろ、中西がW・チャーチルを「保守」政治家として肯定的に評価しているようであるのは、スターリン時代にまで遡ると、きわめておかしい。
 戦後にようやく?<反共>政治家になったのかもしれないが、江崎道朗もしきりに言及しているようであるF・ルーズヴェルトとともに、<容共>の、かつ戦後世界に対する<責任>がある、と私には思われる。
 また、アメリカ等に対するコミュニズムの影響力を<ヴェノナ>文書でのみ理解するのでは、決定的に不十分だ。
 上の邦訳書づくりへの寄与をむろん肯定的に評価しはする。
 しかし、アメリカについては(おそらくイギリスについても)ロシア革命後の<アメリカ共産党>の創立とその運動についても、知らなければならないだろう。
 この欄でいずれ触れる。
 英語文献を知っている人ならば、英米の共産党(レーニン主義政党)の少なくともかつての存在に気づくはずだ。英米語が読めれば、何とか私でもある程度のことは分かる。2000年以降でも、アメリカ共産党や同党員だった者に関する書物は出版されている。
 リチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキだけが特殊ではない。
 日本の「共産主義者」や日本共産党にとって<危険な>欧米文献は全くかほとんど邦訳されていない、ということを知らなければならない。
 5.中西輝政あたりが、最高の、あるいは最も先進的な、<共産主義・コミンテルンの情報活動と日本>というテーマの学者・研究者だし思われているようであること。
 これは、日本の現況の悲痛なことだ。
 月刊正論執筆者の中では<反共産主義>が明瞭だと思われる江崎道朗ですら、リチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキの名すら知らず、ましてや原書を一部ですら読んでいないようであること。
 これまた、悲痛な日本の<反共産主義>陣営の実体だ。
 「日本会議」は日本共産党や共産主義と闘おうとしていない。この人たちにとってマルクス主義の過ちは、<余すところなく>すでに証明されているのだ。
 繰り返すが、リチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキだけではない。
 欧米文献を多少とも目にして分かることは、欧米にある<しっかりとした反・共産主義>の伝統だ。
 自らを<社会民主主義者>と称しているようであるトニー・ジャッドですら、<反・共産主義>の態度は決定的に明確だ。
 アメリカ的「社会的民主主義者」ないしは<自由主義者>であるらしきトニー・ジャッドがフランスのフランソワ・フュレのフランス革命観と「反共産主義」姿勢に同感していることは、アメリカでは決して珍しいことではないと思われる。
 日本では「社会民主」主義者は<容共>かもしれないが、少なくともアメリカのトニー・ジャッドにおいてはそうではない。
 このような脈絡でも、井上達夫の主張・議論・「思想」には興味がある。
 第二。「おわりに」より。p.414。
 この回を、急ごう。
 江崎道朗もまた、「明治維新」を分かっていない。理解が単純すぎると思われる。
 江崎は、反共産主義者でありかつ「保守自由主義」者のようだ。私もおそらく全く同じ。
 しかし、つぎの文章の内容は、絶対にダメだ。p.414。
 「われわれはいまこそ、五箇条の御誓文につながる『保守自由主義』の系譜を再発見すべきなのである」。
 ここに日本の「保守」派に多く見られる、明治は素晴らしかった、という、「日本会議」史観の影響があるようだ。この点に限れば、司馬遼太郎史観もそうかもしれない。
 「聖徳太子の十七条の憲法」と「五箇条の御誓文」をふり返るべき日本の「(保守的?)精神」だと単純に考えているようでは、先は昏い。絶望を感じるほどに、暗然としている。
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 江崎道朗の新書出版は、ある程度は慶賀すべきことなのだろう。
 しかし、途方もなく涙が零れそうになるほどに、日本の本来の「保守」=反・共産主義派の弱さ・薄さ(ほぼ=共産主義がとっくに「体制内化」していること)を感じて、やるせない。
 1991年の<米ソの冷戦>終焉から、四半世紀。日本人は、いったい何をしてきたのか。

1704/谷沢永一・正体見たり社会主義(1998)③など。

 谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998/原1994)。
 メモ書きをつづける。マルクスについて要領のよいと思われる批判が並ぶ。
 「国家なき社会の運営のプラン」はマルクスになく、レーニンにも「何もなかった」。p.164。
 「レーニンは、プロレタリア-トの独裁によって過渡的な形でできる国家は、勝利獲得後、ただちに死滅しはじめると考えた」。
 レーニンは「マルクス主義とアナーキズムには類似性があると認めるところまでいっていた」。「国家の代わり」の「実務のみの社会」は「人間の善意のみで運営」される村役場あるいはバザールで、「極端な復古主義」だ。p.166-7。
 レーニンは当初は「プロレタリア-トの党については、考えていなかった。革命さえ起こせば、すべてが解決する」はずだった。<国家と革命>には「党のことはほとんど触れられていなかった。これは歴然たる事実なのである」。p.168-9。
 上の最後はほとんど同趣旨が、L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1974、英訳1976)の中にある。他の部分も、L・コワコフスキが叙述していることと似たようなことを書いている。
 谷沢はL・コワコフスキ著をある程度知っていたかとも思わせるが、党については、革命直前の<国家と革命>研究書・論評書は多かったりするので、常識的なことなのかもしれない。
 但し、革命前の運動期の<何をなすべきか>では独自の、職業家から成る意識的・純粋な党の像を語り、メンシェヴィキと対立した。革命後の党の役割、国家と党の関係等には熟考のないまま、「革命」=権力剥奪に進み切った(好機があれば逃さなかった)のだろう。権力奪取の後の政治・行政の<付け焼き刃>。
 何が根拠なのか、レーニンに「甘い」部分もある。
 「レーニンが考えた党の独裁とは、合議制による運営」で、「レーニン個人による独裁」でなかった。スターリンがこれを踏みにじった。p.192。
 「独裁」の意味にもよるが、ソヴェトの内部での一党支配、ソヴェト自体からの自立、を経ての国家=一党支配体制におけるレーニンの位置は、<立法・行政>権ともに持ちかつ<司法権>を下部に置く「人民委員会議の議長(首相とも紹介される)」かつ党中央委員会委員長だ。その人民委員会議や中央委員会が「合議制」というのは全くの建前で、レーニンの意思・意向に反することは決められていない。
 但し、スターリンは党内部の政敵・意見対立者を「殺した」が、レーニンはそこまではしなかった(反面では、党「外部」者、例えば左翼エスエル指導者、対しては行なった)。
 スターリンによる<大テロル>(1935-38年又はより短くは1936-38年)は、今日では日本共産党すらが大々的に批判している。
 谷沢p.203によると、1935-38年の4年間に、10月「革命」時の名のある指導者たちの「ほとんど全部が、トロツキストの汚名のもとに逮捕投獄された」。しかも「その多くが」「処刑されていった」。1934年党大会で選出された中央委員・同候補のうち「7割の98人」、同大会代議員の「過半数」が「処刑ないし追放された」。p.203。
 逮捕・拘束-「自白(強要)」-刑法典等による「処刑」もあれば、陰に陽にの「暗殺」=不意打ちの突然の殺戮もあった。スターリンの「意」をうけた殺戮者グループがいた。
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 ところで、この本については、10年以上前に、この欄の前のサイトで言及していた。
 2006年9月下旬にすでに。ぼんやりとある程度読んだ記憶があるだけで、書き込んだことまではすっかり失念していた。こんなことは他にもしばしばあるので、イヤになる。 №--0044・2006年09/23付でこうある。谷沢関係部分の全文。
 「谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998)を2/3ほど読んだ。
 平易な語と文章で解りやすい。この本は同・『嘘ばっかり』で七十年(講談社、1994)の文庫化で、題名どおり日本共産党批判の書だ。
 今でいうと「…八十年」になるだろう。もっとも終戦前10数年は壊滅状態だったので、1945年か、実質的に現綱領・体制になった1961年を起点にするのが適切で、そうすると『嘘ばっかり』の年数は少なくなる。
 それにしても谷沢は日本近代文学専攻なのに社会主義や共産党問題をよく知っている。戦前か50年頃に党員かシンパだったと読んだ記憶があるが、『実体験』こそがかかる書物執筆の動機・エネルギ-ではなかろうか。」
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 谷沢永一の没後、昨年に、二巻選集が刊行された。
 浦安和彦編・谷沢永一・二巻選集/上・精撰文学論(言視舎、2016.01)。
 鷲田小弥太編・谷沢永一・二巻選集/下・精撰人間通(言視舎、2016.09)。
 とくに後者を一瞥したが、鷲田小弥太の解説・解読も読む価値がある。また、谷沢のすさまじい知識ぶりにも感心する。
 もっとも、誤っていると思われる事実認識や論評も散見される。
 こうした「知識人」が存在したことについて、種々、感じることもある。
 ①戦後日本の「大学」というもの、「大学教授」というものの存在。谷沢永一の生活を支え、こうした「自由」な言論ができたのも、「大学(教授)」という制度が存在したからだ。
 ②関西と東京(または首都圏)。中西輝政ですら、京都・関西と東京(首都圏)の言論人・論壇人(?)との<距離>について、何かで語っていた。
 東京集中のメディアと出版業界も関係する。京都よりさらに東京から「遠い」大阪にいたことも、<谷沢永一>を生んだに違いない。
 司馬遼太郎についてもまた、この観点を無視できないだろうと思われる。
 ③上に関係があるのかどうか、谷沢永一は<新しい歴史教科書をつくる会>の教科書を批判した。まだ生ぬるい、あるいは<左翼的・自虐的>だ、というのがおおよその理由だったかと思う。
 日本の<保守>論者、<保守>的言論の歴史も複雑だ。
 ④上の「下」に収載の<日本通史>(別に単行本になっていて、所持している可能性が高い)は、一人でここまで書ける<文学評論家>がいたのかと驚かせる。
 だが、反・非マルクス主義的であるものの、<天皇・皇室>を肯定的な意味で重視したり(なお、「天皇制」という語をマルクス主義概念だとして拒否する)、昭和天皇を称えたりと、ある意味では、1990年代までの(今もつづく?)「左翼・自虐史観」に反対するがゆえだと思われる、明治維新以降に関する歴史叙述があるのも印象的だ。
 この「知識人」もまた、時代の制約から全く「自由」ではなかった、と思われる。
 全く「自由」だった人、全く「自由」な人、はいるのか、と問われると、皆無と答えるしかないのかもしれない。
 個々の人間が、時代環境、所属する国家、思考するために使う言語、成長過程も含めて学校教育あるいは文献読書で入手した知識・情報から「自由」でないはずはない、ということだろう。
 上の③や④は別に触れるかもしれない。

1703/陸自「日報」問題・情報公開と古賀茂明・佐藤正久。

 陸上自衛隊日報にかかる情報開示問題につき、佐藤正久・現外務省副大臣、古賀茂明・元経済産業省官僚で元内閣審議官の二人の論評類をネット上で読んだ。
 テレビ、新聞等は、陸上自衛隊「日報」問題を、稲田朋美・安倍内閣問題にのみほとんど焦点をあてて<政治的に>報道してきた。産経新聞、フジ系テレビ局でも、事態はほとんど変わらない(かりに立場が正反対のようでも)。国の情報公開制度に関する基礎知識に曖昧な部分または誤りがあるのではないか、と思われる。
 ましてや、月刊正論(産経)等の「特定保守」系雑誌に稲田・安倍等に関して書いている人は、何も知らないだろうと思われる。
 現副大臣・佐藤正久、そして著名?評論家・古賀茂明。この人たちはだいじょうぶなのだろうか。
 曖昧さや明らかな誤りではないかと思う部分がある。なお、この二人を個人的に批判するのが、以下の目的ではない。
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 A「2016年7月の情報公開請求があったとき、陸自の現場は、日報の存在を隠す判断をしている。文書が物理的に存在するのに、情報公開請求に対して不存在と回答する場合の官僚の言い訳は、『物理的に存在しても、単なる個人のメモ、あるいは、ただの走り書きのようなもので正式なものではないから<行政文書>としては存在していない』という理屈である。加計学園問題で文部科学省でも同様の言い訳が使われたことは記憶に新しい。
 今回のケースでは、組織内のネット上で多数の職員が閲覧できる形で存在したものだから立派な行政文書なのだが、それを捻じ曲げて、不開示決定をしてしまった。/その時の陸自関係者の意識は、こういうものではないか。」
 以上、古賀茂明「官僚と稲田防衛相に“阿吽の呼吸”が成立しなかった本当のワケ」2017年7/31付・朝日新聞系のアエラ・ドットコム上。
 B「“日報”とは、現場の部隊から国内の大臣等に報告のため、作成されるものであり、文書の性質上、“行政文書”に属する。そのため、行政文書に係る法令等に従うことは当然であり、情報開示請求の対象となるのである。/これは、現状の法令に則った回答である。
 現在の報道では、日報の存在を組織ぐるみで隠蔽したとされ、“情報開示”の在り方に主にスポットが当てられている。/確かに、情報開示に関する防衛省の組織体制は再考する必要はあるだろう。//
 しかし根本の問題を見過ごしていないであろうか?/すなわち、“情報保全”である。
 日報には当然であるが、隊員の健康状態・装備品の状況の詳細といった、我が国の“手の内”が記載されている。/現場での任務遂行のための必要な情報の塊といっても良いであろう。/さらに、今回の対象となったのは、現在進行中の任務である。
 その様な状況の日報・レポートを開示請求されたならば開示するといった国は、おそらくどこにもない。開示するような国と共に行動する国も、おそらくないであろう。
 実行中の任務の日報については、不開示という判断も当然あり得る。
 “情報”の取り扱いの在り方について、引き続き考えて行きたい。」
 以上、佐藤正久ブログ7/31「“情報保全か?”それとも“情報開示か?”」
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 A・古賀は、日報という「文書が物理的に存在」する場合に「情報公開請求に対して不存在と回答する場合の官僚の言い訳は、『物理的に存在しても、単なる個人のメモ、あるいは、ただの走り書きのようなもので正式なものではないから<行政文書>としては存在していない』という理屈」だ。/今回のケースでも「組織内のネット上で多数の職員が閲覧できる形で存在したものだから立派な行政文書なのだが、それを捻じ曲げて、不開示決定をしてしまった」、と書く。
 しかし、「立派な行政文書」であっても、不開示決定にすることはできる。かつ、その判断に「裁量」が認められてよい、と考えられる。「裁量」性の問題を別にすると、上の「かつ」以前の文意は、法律上で<明記>されている、と言ってよい。
 もとより具体的事案に立ち入るつもりはないが、<行政文書なのに「捻じ曲げて」不開示決定した>という叙述はおかしい。どちらかと言うと、誤りだ。関係条文は、あとで以下に示す。
 B・佐藤の文章の趣旨は、必ずしも明晰でない。
 行政文書→開示請求の対象になる→不開示もあり得る、と明確に書いてくれないと困る。
 つまり、先ずは例えば、開示請求の対象になる=開示義務が発生する、ではない、ということを。
 Aの古賀の文章だと、行政文書→不開示決定は「捻じ曲げられ」たことになる。正しくは、上記のとおり、(文書・情報→)「行政文書」→開示請求の対象になる=審査・検討の義務が大臣等に発生する→開示決定または不開示決定、なのだ。
 もっとかみくだいて言うと、不開示決定には、つぎの二つのものが、厳密にはつぎの三つのものがある、ということを明確に知っておく必要があるだろう。
 新聞記者、メディア関係者は知ったうえで報道してきたのだろうか。
 「特定保守」雑誌への執筆者たちは、たぶん全く知らない。
 ①文書・情報そのものが不存在のとき。古賀のいう「物理的」な不存在の場合。
 ②文書・情報はあっても、法律上の「行政文書」に該当しないとき。つまり、<行政文書の不存在>のとき
 ③当該文書・情報は「行政文書」だが、法律が定める「不開示情報」に該当する(と認める)とき
 いずれの場合も、間違いなく同じく<開示しない旨の決定>がなされるはずだ。
 ①の場合は、存否の判断が正しいものならば、開示(公開)したくてもできない。
 ②、③には、「行政文書」か否か、「不開示情報」を含むか否か、という法律解釈または法律の適用・個別案件ごとの要件充足性の認定が伴う。
 以上のことを、佐藤正久は分かったうえで書いているのだろうか。どうも微妙だ。
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 ①と②で、「ある」(ない)・「存在」(不存在)と言っても、意味・レベルが違う
 ②の場合の「ある」・「存在」は、法律上の一定の概念に当てはまる経験上の現物たる「もの」がある(ない)とか存在する(存在しない)という意味で、<現実の客観的(・物理的)認識>上の「ある」・「存在」ではない。
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 関係法律と関係条文は以下。防衛省(・自衛隊)も同じ法律の適用をうけ(かつ適用除外されておらず)、開示に関する法的な決定権限者は防衛省でも事務次官でも自衛隊でもなく、一人の人間が担当する職としての防衛大臣であることの根拠・関連条項は省略。 
 行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成11年=1999年法律第42号、最近改正・2016.05)。
 いわゆる国の情報公開法(法律)。独立行政法人には直接の適用はなく別の法律があるので、<行政機関情報公開法>とも略称されている。
 同法2条項本文「この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。」(但書の各号省略)
 同法第5条本文「行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。」
 同第5条第3号「三 公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」。
 シロウトにも、「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ…」が「あると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」は「不開示情報」として開示しないことができる、ということが分かる。
 佐藤正久は、このことをきちんと知って、意識して、上の文章を書いたのだろうか。
 怪しい。それとも、具体的に問題になった<陸自日報>が「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は…」のある情報かどうかに逡巡があって、上のような、「引き続き考えて行きたい」という、締めくくりの言葉になったのか。
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 天皇譲位問題も自衛隊憲法明記問題も、数ヶ月遅れてまともに書く気になった。天皇制度も憲法九条も、主要な関心対象ではなくなっているからだ。この回の情報公開制度は、さらにもっと同じ。
 だが、ネット上の諸発言・主張・見解等々をいつになく見ていると、気になることが山ほど出てくる。
 早く卒業して、本来の?L・コワコフスキ、R・パイプスの本の試訳作業、共産主義や「全体主義」・「ファシズム」の問題に戻りたい。

1702/百地章・産経「正論」欄8/9の過ちと悲しさ。

 気の毒だ。悲しいことだ。しかし、百地章はやはり信頼できない。
 産経新聞8/9「正論」欄に、つぎの案を書いてしまった。二項存置自衛隊明記の条文案だ。
 「9条の2/前条〔9条〕の下に、わが国の平和と独立を守り、国際平和活動に協力するため、自衛隊を保持する。その組織及び権限等は、法律で定める」。
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 さっそく小林よしのりが批判した。ブログの8/9で。
 「産経新聞の『正論』欄で、百地章が安倍政権の改憲草案作りを粛々と進めよと言っている。//
 ものすごい勘違いだと思うのは……。…/百地章は客観性を担保しろ。/
 そして、甚だしい勘ちがいの2番目は、憲法9条1、2項をそのままで自衛隊明記という『加憲案』は、『一歩でも二歩でも前進する』方法論ではない。
 国民投票で、可決されても、否決されても、現状より悪くなる史上最悪の『加憲案』」である。/
 わしは純然たる『改憲論者』だから、この『加憲案』は絶対に許せない!」
 小林よしのりはその前から、今次の「加憲」なるものに反対だった。<安倍・日本会議案>とも、事態をより本質的に?捉えてもいる。
 8/3-「憲法9条1項2項をそのままで、自衛隊を明記するという考えは完全に『護憲派左翼』である。/
 「『護憲派左翼』は実は『従米主義』であるという欺瞞から目を背けているだけなのだ」。
 7/31-「安倍晋三のわがままで、日本会議のために、憲法9条そのままで自衛隊を明記するというトリック加憲が目指されている。/『お友だち内閣』だから、日本会議というお友だちのために、働くのだ。/決して国民のためではない」//。
 「安倍晋三は、発議しても国民投票で必ず負ける詐欺的加憲案を、やっぱり作るらしい。/憲法改正は、安倍晋三の『私』的なレガシー、政治的遺産作り、名誉欲のためだけに行ってはならない!//
 「わしは『公』と『権力』が合致しているときは、政府を応援するが、この二つがズレ始めたら、警鐘を鳴らし、……これを阻止する。//
 わしは常に「公」に付く。/だが、劣化保守&ネトウヨ連中は、安倍個人崇拝で、「公」よりも「権力」に付く。//
 言っておくが、自衛隊明記のためだけの加憲は、国民投票で可決されても、否決されても、日本にとって最悪な結果しかもたらされない。/可決されれば、戦後レジームの完成、軍事法廷なしの集団的自衛権行使に突入。//
 否決されれば、憲法改正の機会は100年遅れる。// 
 「公」のためにならない、最悪の安倍・日本会議案にわしは断固反対する!」
 7/28-「わしは安倍首相の改憲論は、ウルトラ欺瞞であって、左翼に媚びた加憲だと思っている。/
 わしは個人的に、恐れると言えば、確かに恐れる。//
 なぜなら「戦後レジームの完成」、自衛隊が永遠に軍隊になれない、盤石な左翼国家の誕生になるからだ。//
 それはアメリカの永久属国憲法になると思っている」。
 「福島瑞穂が出したら、猛反対するくせに、安倍晋三が出したら大賛成するのだから、産経新聞、極左大転向というニュースになっていいくらいだ」。
 この最後の7/28には、この欄の7/30=№1677で言及した。
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 秋月瑛二も6月に伊藤哲夫改憲案に批判的にコメントしたあと、7月末からこの<九条存置自衛隊明記>論を成文化がほぼ間違いなく不可能な案として、その論拠も含めて、頻繁に書いた。
 その中には、百地章「私案」に対するものもあった。
 すなわち、8/2の「百地章私案もダメ-「日本会議」派の九条二項存置・自衛隊明記論」。
 産経「正論」欄で百地章が書いている案は、ほぼ上と同じなので、8/2での批判がそのまま当てはまる。
 以下、あらためて記し、またこの人が他に言うことにもコメントしよう。
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 「9条の2/前条〔9条〕の下に、わが国の平和と独立を守り、国際平和活動に協力するため、自衛隊を保持する。その組織及び権限等は、法律で定める」。
 第一、「前条〔9条〕の下に、わが国の平和と独立を守り…i協力するため」は「自衛隊法の条文を参考に」しているらしいが、自民党の改憲案にも、「国防軍」か「自衛軍」について見られるはずだ。但し、自民党改憲案は九条二項削除での<軍>設立明記の際の趣旨文言だったのだから、意味・位置づけが全く違う。
 第二に、上のことよりも、「自衛隊を保持する」と、第一文の最後に「自衛隊」という語・概念を使っているが、これがそもそも何を意味するのかがさっぱり分からない、という基本問題がある。
 前回に批判的にコメントをしたときは<自衛隊の権限を一切変更しないのが大前提」だという事前の<解釈>または<解説>をつけていた。
 これをおそらく、第二文案の「その組織及び権限等は、法律で定める」に改めている。
 <現在の自衛隊の権限等を変更しないのが前提>とか言っていた部分を、「法律で定める」に変更して、問題を回避している、かに見える。
 実際には、そんなことは全くない。
 百地章は、この案の「狙いの第一」は「『自衛隊の保持』を憲法に明記することで違憲論の余地を無くすことにある」という。
 憲法学者でありながら、幼稚としか言いようがない。
 何度も、同じことを書く。
 第一文にいう「自衛隊」とは何のことなのか。
 たしかに、ここにいう(加憲された条文の言う)「自衛隊」なるものは、その設置が明記され、合憲的なものとされる。しかし、これはまだ、憲法規範上の概念であり、用語だ。
 この自衛隊が現在の・今の自衛隊をそのまま意味しているはずがない。
 百地章が正当にも第二文で書くように、「自衛隊」「の組織及び権限等は、法律で定める」のであって、その「法律」を見なければ何も分からない。
 上記のごとき目的のための「自衛」の「隊」というだけのことだ。
 しかしおそらく百地章は、現在に自衛隊に関して存在する諸法律が憲法上の「法律」に当たることになる、と主張するのだろうと思われる
 そのように、論旨展開をすることはできなくはない。しかし、そう主張しても、現在の諸「法律」自体が違憲だ、あるいは例えば集団的自衛権行使容認のこの部分が違憲だ、といった主張を消滅させることはできない。
 <<かりに万が一>>百地章の案が実際に憲法条項なったとしても、いまの・現在の自衛隊違憲論者あるいは少なくとも集団的自衛権行使容認違憲論者は、断固としてつぎのような憲法解釈を主張するに違いない。
 すなわち、例えば、百地章案九条の二の「自衛隊」は九条二項の「軍その他の戦力」であってはならない、いまの・現在の自衛隊(を種々に定めている)「法律」はその根幹部分がこの制約に違反しており、少なくとも自衛隊に集団的自衛権行使を認めている法律諸条項は違憲である、と
 前回に言及した、「左翼」・水島朝穂の憲法解釈の仕方は、スジとしては誤っていない。
 百地章は、設置が明記され合憲的なものとされる、と言うが、これは大ウソ。
 絶対に、違憲論が残り、有力に主張される。この点で現状と同じで、憲法解釈論を今よりも複雑にさせるだけだ。
 そして、万が一かりにこの加憲が成功したとしても、それは、<軍・戦力ではないものとしての自衛隊>をしばらくの間はずっと公認・公定することになる。これこそが、今次の百地章案であり、「日本会議」案だ
  また百地章は今回の立論の趣旨の一つは「自衛隊に栄誉を、そして自衛官に自信と誇りを与え、社会的地位を高めることだ」、という。
 気分が少しは分からなくはないが、これは欺瞞だ。
 なぜなら、「軍その他の戦力」である、正規の?国軍・国防軍・自衛軍・防衛軍ではない<自衛隊>の構成員としての「自信と誇りを与え」、というのは、一体何を百地章は主張したいのだろうか。<軍・戦力ではない自衛隊員としての自信・誇り>とは一体何のことだ。
 <自衛隊を明記を>というスローガンの真実は、<戦力でない自衛隊の明記を>、<戦力として認めないままで自衛隊の明記を>、ということだ。
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 これ以上の繰り返しを避ける。百地章等について記したことを、もう一度、そのまま以下に掲載する。
 8/2-「百地章にいう私案の冒頭で『自衛隊』という概念を使ったとたんに、現実にいまある『自衛隊』とは論理的には別の概念・範疇が生まれる。/その別の概念・範疇と現実とを、…連結することはできない。百地章の<頭・観念世界>の中ではできても。/この<連結>は、不能だ。分かって主張しているとすれば、ペテンであり、欺瞞だ。//
 この百地章も、概念・現実、規範と現実、憲法規範と現行法規範の関係について、大きな錯覚に陥っている。大きな過ちを冒している」。
 8/9-「憲法上に『自衛隊』なるものの容認規定を作ったところで、そこでの『自衛隊』がいまの・現在の自衛隊を意味することになるわけでは全くない。
 ひどいことに、八木秀次や西修も、全く気づいていない。/
 法規範解釈論としては、「左翼」・水島朝穂の方がまだ鋭い。/
 百地章、八木秀次、西修、いずれも産経新聞、「日本会議」派の<憲法学者>のようだが、知的・学問的なレベルでは、九条二項存置・自衛隊明記論に限ると、伊藤哲夫・岡田邦宏・小坂実、そして櫻井よしこ・田久保忠衛らと変わらないようだ
 いや、知的学問としてではなく、<政治>優先の=安倍支持・産経支持の=文章を書いているのにすぎないのかもしれない。」


1701/二項存置「自衛隊」明記でも「自衛隊」は違憲-水島朝穂(早稲田大)。

 一 「戦力」不保有のままで自衛隊が何らかの形で憲法に明記されても、自衛隊の合憲性が確定するわけでは全くない。
 いまの・現実の自衛隊の合憲・違憲論争が終わるわけではない。
 すでに何度も書いた。
 なぜか。上にいう憲法に<何らかのかたちで明記される自衛隊>と<いまの・現実の自衛隊>が同一のものであるはずがないからだ。
 今回のタイトルでいうと、「自衛隊」の意味が左右で(前と後で)十分に異なりうるからだ。
 憲法解釈論を本業としている者は、とりわけ「左翼」として長年を(一生を?)過ごしてきた者は、水島朝穂は、さすがに?よく理解している。
 二 水島朝穂「明記しても自衛隊の違憲性は問われ続ける」週刊金曜日8/4=11合併号。
 つぎのように、明記している。これは解釈論として、誤りではない。p.28。
 「新9条で自衛隊『自体』が合憲になったとしても、自衛隊の個別の『装備・人員』が『戦力』に当たることはあり得るから、自衛隊の違憲性は問われ続ける」。
 このとおりだ。
 この点は、すでに百地章と潮匡人に対する批判の中で述べた。
 つまり、<現在の自衛隊を変えない>とか<自衛隊の名前だけ>という場合に意味されているだろう、いまの・現在の自衛隊が<<万が一>>合憲になったとしても、その小さな権限・装備・人員を変える(おさらくは拡充・拡大・増員)するたびに、二項でいう「戦力」の範囲内にとどまるものであるのか否かが、つねに問われつづける、ということだ。
 百地章では、現状を<固定>してしまう危険があると、この欄で明記した。同じ趣旨は、潮匡人案についても言える。
 また、そもそも伊藤哲夫ら日本政策研究センターの者たちの案についても言えるが、この人たちは、上のような問題の所在を全く知らないままで、単純かつ幼稚な議論をしているので、ここまでこう書いているのを読んでも、?と趣旨が理解できない可能性が高い。
 三 水島朝穂は、<いま・現在の自衛隊の明記による合憲化>はありうると考えているようだ
 しかし、秋月瑛二は、この点で、この「左翼」たちよりも厳しく、冷静だ。
 だからといって、私は「左翼」でも「極左」でもない。
 <政治的信条>から離れての、<憲法規範と現実>の理解の仕方という観点から申し述べている。
 すなわち、現二項存置のままでの<いま・現在の自衛隊の明記による合憲化>、つまり最終的にはこれのための「条文化」は不可能だろう、と断じたい。
 成文化の作業でつねに、「戦力」概念の解釈を何らかのかたちで前提にせざるをえない
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 繰り返すが、憲法上に「自衛隊」なるものの容認規定を作ったところで、そこでの「自衛隊」がいまの・現在の自衛隊を意味することになるわけでは全くない
 言葉・概念の錯覚に陥ってはならない。
 ひどいことに、八木秀次や西修も、上述のことに(この欄で何回か書いたことに)全く気づいていない。ネット上で、この二人の安倍晋三改憲案関連文章を読んだ。
 法規範解釈論としては、「左翼」・水島朝穂の方がまだ鋭い。
 百地章、八木秀次、西修-いずれも産経新聞、「日本会議」派の<憲法学者>のようだが、知的・学問的なレベルでは、九条二項存置・自衛隊明記論に限ると、伊藤哲夫・岡田・邦宏・小坂実、そして櫻井よしこ・田久保忠衛らと変わらないようだ。
 いや、知的学問としてではなく、<政治>優先の=安倍支持・産経支持の=文章を書いているのにすぎないのかもしれない。

1700/社会主義と独裁②ーL・コワコフスキ著18章6節。

 レーニンは、「人民(民衆)」、「被抑圧階級」等々とよく言う。
 日本共産党がこれに該当とするものとして現在用いているのは、「国民」だ。
 「国家、それは一階級の他の階級に対する支配を維持するための機構である」。p.485。
 「国家とは、一階級が他の階級を抑圧するための機構、一階級に他の隷属させられた諸階級を服従させておくための機構である」。p.487。
 エンゲルスが言うように、「土地と生産手段の私的所有が存在しており、資本が支配している国家は、どんなに民主主義的であろうと、すべて資本主義国家であり、労働者階級と貧農を隷属させておくための資本家の手中にある機構である」。p.493。
 以上、1919年。日本語版・レーニン全集29巻より。
 「今日に至るまでの全ての社会の歴史は、階級闘争の歴史だ。/
 封建時代の没落から生まれた近代ブルジョア社会は、階級対立をなくさはしなかった。新たな階級を、新たな抑圧条件を、新たな闘争形態を古いものと置き換えたにすぎない。/ブルジョア階級の時代は、階級対立を単純化したことによって際立っている。社会全体がますます、敵対する二大陣営、直接に対峙し合う二大階級-ブルジョア階級と7プロレタリア階級-に分裂する」。
 以上、1848年。カール・マルクス・共産主義宣言より。平凡社・2015年の柄谷行人訳を参照。
 日本共産党は、「国家」観も、「歴史」観も、最初からまるで違っている。
 <階級闘争>-<敵・支配階級との闘い>-絶えず<敵>を設定しての執拗かつ継続的な<闘い>。まともな人間は意識したり想定したりしないところのものを、彼らはつねに考えている。彼らとは<人間>そのものが同じではない、と理解しておくべきものなのだ。
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 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 この本には、邦訳書がない。何故か。
 日本共産党と「左翼」にとって、読まれると、きわめて危険だからだ。
 <保守>派の多くもマルクス主義・共産主義の内実に関心がないからだ。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 前回のつづき。
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 第6節・社会主義とプロレタリア-ト独裁②。
 1917年4月-5月の『党綱領改正に関する資料』で、レーニンはこう書いた。
 『公教育は、民主主義的に選出された地方政府機関によって管理されるべきこと。
 学校のカリキュラム編成や教材の選択に中央政府が介入するのを許さないこと。
 教師たちは直接に地方民衆によって選任され、地方民衆は望ましくない教師を解任する権利をもつこと』、等々(全集24巻p.473〔=日本語版全集24巻501頁〕。)(+)//
 最終目標は国家と全ての束縛を完全に廃棄することだ。このことは、自発的な共存と連帯の原理に人民が慣れるときに可能になるだろう。
 犯罪や非行の原因は、搾取と貧困だ。そして、社会主義のもとで徐々に消失するだろう。 -こうしたレーニンの確信は、実際上、社会主義者たちの間で一般的なものだった。//
 ヨーロッパで戦争が闘われている間にこうした言葉で叙述されたレーニンの夢想郷(Utopia)は、ソヴィエト権力50年を経た後で読む者には、度肝が抜かれるほどにナイーヴ(無邪気)だ。
 トマス・モアの空想小説がヘンリ13世のイギリスを扱ったのと同じように、やがてすぐに成立することとなる国家を扱っている。
 しかし、綱領的計画と半世紀後のその『達成物』の間の醜悪な相違(grotesque divergences)を全て指摘するのは、実りないことだ。
 レーニンの夢想郷は、総じてはマルクスの考えと合致している。しかし、のちの著作には触れないで、レーニン自身の初期の著作と比較すると、際立つ違いが明らかだ。すなわち、党に関してはそもそも何も語っていない、ということだ。//
 レーニンがその幻想を真面目に書いたことを疑う理由はない。書いたときに彼は、世界革命がまさに起こりつつあると間違って(wrongly)信じていた、ということが想起されるべきだ。
 しかし、レーニンは明らかに、自分が描く絵は自分自身の革命と党に関する教理に紛れもなく反している、ということを感知していなかった。
 『多数者の独裁』は、歴史に関する科学的な理解で装備された政治組織を通じて行使されると想定されていた。『過渡期のプロレタリア国家』という考えに広く通じるこうした性格づけは、<国家と革命>では、全く述べられていない。
 この書物を書いていた時期に、レーニンは、明確につぎのように思い描いていた。武装し、解放された全人民が、行政、経済管理、警察、軍隊、裁判等々の全ての作用を直接に遂行するだろう、と。
 彼はまた、自由への制約は従前の特権的階級に対してのみ適用され、一方で労働者および労働農民は完璧に自由に、選択に従って彼らの生活を規律するだろう、と考えていた。//
 しかしながら、革命後に出来あがった体制の本質は、たんに内戦やロシアの外部での革命運動の立ち止まりと関係する歴史的偶然の結果ではなかった。
 専制的でかつ全体主義的な(この区別は重要だ)全ての特質を備えた体制は、その主要な道筋については、レーニンが長い年数をかけて作りだしたボルシェヴィキの教理によって、あらかじめ描かれていた。当然に、その結果は完全には実現されなかったし、予見もされなかったけれども。//
 レーニンが1903年以降に多くの場合にかつ多様な形態で設定した根本的な原理は、自由や政治的平等といった範疇は重要な意味をもたず、階級闘争の道具にすぎない、そして、どの階級の利益に役立つのかを考慮しないでこれらを擁護するのは阿呆(foolish)だ、というものだった。
 『実際には、プロレタリア-トは、共和制への要求を含む、全ての民主主義的要求への闘いをブルジョアジーの打倒のための革命的な闘争の劣位に置くことによってのみ、自主性を維持することができる。』(+)
 (『社会主義革命と民族の自己決定権』、1916年4月。全集22巻p.149〔=日本語版全集22巻「社会主義革命と民族自決権」172頁〕。)
 ブルジョア諸制度のもとでの専制政と民主政の違いは、後者が労働者階級の闘争を容易にするかぎりでのみ意味がある。これは二次的な違いであって、形式の一つにすぎない。
 『普通選挙、憲法制定会議、国会は、たんなる形式であり約束手形であるにすぎず、現実の事態を何ら変えることがない。』 (+)
 (『国家について』、1919年7月11日の講義。全集29巻p.485〔=日本語版全集29巻493頁〕。)
 これこそが、革命後の国家に関する、なおさらに(a fortiori)本当のことだ。
 プロレタリア-トに権力があるがゆえに、その権力を維持すること以外に、重要なものは何も考えられない。
 全ての組織上の問題は、プロレタリア-ト独裁を維持することの劣位に置かれる。//
 プロレタリア-ト独裁は-一時的にではなく永続的に-、議会制度および立法権と執行権の分離を廃棄するだろう。
 これこそが、ソヴェト共和国と議会主義体制の間の主要な違いだとされるものだ。
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 (+) 秋月注記-日本語版全集を参考にし、ある程度は訳を変更した。
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 段落の中途だが、ここで区切る。③へとつづく。

1699/門田隆将8/6ブログの「ファクト」無視と「夢見」ぶり。

 門田隆将は「ファクト」重視の「リアリスト(現実主義者)」か。どの程度に?
 出所の特定が最近はむつかしい。援用、二欄以上にほぼ同時に掲載、などによる。
 門田隆将が8/6のどこかのブログサイトで書いている。
 第一。つぎは、「ファクト」無視だろう。
 いわく。-「森友や加計問題で、“ファクト”がないままの異常なマスコミによる安倍叩きがやっとひといき…」。
 「異常なマスコミによる安倍叩き」があったことは、私も「ファクト」だと思う。
 しかし、「“ファクト”がないままの」と断じるのは、ファクトを無視している。
 何らかの<違法>とか明らかな<裁量権逸脱>のレベルだけが、議論の際に考慮されていた「ファクト」ではないだろう。
 森友にさしあたり限る。門田隆将さん、以下は、「ファクト」ではないのか?
 ①森友の籠池某氏は、「日本会議」の会員か役員だった(現在どうかは別として)。
 ②安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、同首相在任中に、森友関係学校・学園の「名誉校長」だった。
 ③安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、同首相在任中に、森友関係学校・学園で講演をしている。(謝礼受領の有無・金額はともかく)。
 ④安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、籠池某氏の妻(法人役員)と、今年になって、<電子メール>のやりとりを数回した。
 ⑤籠池某氏は、<安倍晋三記念小学校>と命名することを考えていた(安倍晋三が断った、固持したからといって、この事実は消えないだろう)。
 ⑥竹田恒泰は数回、この森友関係学校・学園で講演をした(本人が語った)。
 上は、「ファクト」だろう。もっと他に、このレベルのものはあるに違いない。
 むろん、⑥は安倍晋三とは無関係。しかし、産経新聞派的「保守」派の竹田の行動は、①とともに、籠池某氏の、少なくともかつての、申請時や行政折衝の時代の<政治信条>を推認させうる。もとより<政治信条>によって法廷で裁かれてはならない(法的な「優遇」もいけないが)。
 ②、③、④は、安倍晋三ではなく、安倍昭恵のこと。安倍晋三そのものではない。しかし、そのようには切り離せないことは、門田隆将も理解できるはずだ。安倍晋三は妻・昭恵の行動をどこまで放任、容認、了解していたのか、という疑問が出てきても<やむをえない>。
 以上は、何の犯罪でもないし、補助金適正化等々の違反でもない。
 しかし、「ファクト」ではあるだろう。
 第二。門田隆将は書く。-「用意周到な計算の末に改造され、“リアリズム内閣”となった安倍政権が、対『石破茂』戦争という明確な方針を示し、かつ、憲法改正問題や、都民ファーストとの戦いを念頭に動き出すことで、永田町はこの夏、『新たなステージ』に進んだのである。」
 美しい応援、激励の言葉だ。「リアリズム内閣」は意味やや不明だが、これから明確になるのかもしれない。
 対石破茂論あるいは「『決められない都知事』小池氏は、これまで書いてきたリアリズムの“対極”にいる政治家であろう」という小池百合子観も、まあよいとしよう。産経新聞・「日本会議」派的評価だが。
 しかし、以下は、門田隆将がリアリスト(現実主義者)ではなく、ドリーマー(夢想主義者)であることを示している。「6月に、私は当ブログで『やがて日本は“二大現実政党”の時代を迎える』というタイトルで、民進党の『崩壊』と、自民党に代わる新たな現実政党の『出現』について」書いたとし、民進党や小池新党はそういう現実政党ではない旨を述べたあとで、こう書く。
 いわく-。「しかし、国民は『二大現実政党』時代を志向し、実際に政局がそういう方向に向かっているのも事実である」。
 何だ、これは。最後の「…事実である」という断定は、何を根拠にしているのか。
 国民の声、多数の声なるものを紹介するふりをして自説を主張する、というレトリックはよく見られる。しかし。
 ①「国民は『二大現実政党』時代を志向」しているかは、実証されていない。
 ②「実際に政局ががそういう方向〔=おそらく二大現実政党の方向〕に向かっていることも、実証されていない。
 「ファクト」を大切にするはずの門田隆将にしては、えらく単直な、安易な「断定」だ。
 秋月瑛二は、日本共産党とそれを支持する国民が全有権者、正確には投票者の最高でも5%以下にならないと、絶対に二大政党制にはならないと、確信的に想定している。
 二つのうちの一つの大政党が完全な<容共>政党であれば、そんな二大政党制など形成されてほしくない。
 一方でまた、10%程度、500-600万票も日本共産党が獲得していれば、その票を欲しくなる政党が絶対に出てくる。
 二大政党制を語る前に、日本共産党を国会での議席がせいぜい2-3程度の、零細政党にしてしまわないとダメだ。
 小林よしのりが最近簡単に、二大政党制が日本の「民主制」のためにもよい、民進党頑張れ、との趣旨でつぶやいておられることにも、承服しかねる。
 以上の門田隆将に対する批判的コメントは、上のブログの内容に対するものであり、この人のこれまでの全仕事に対するものでは、当然に、ない。
 ---
 加計問題については、安倍晋三首相は、7/24に国会・委員会で、こう語ったとされる。 
 「友人が関わることですから、疑念の目が向けられるのはもっともなこと。」
 (「今までの答弁でその観点が欠けていた。足らざる点があったことは率直に認めなければならない。」)
 内閣改造の日、8/3の記者会見の冒頭で、安倍晋三首相は、こう言ったとされる。
 「先の国会では、森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設、防衛省の日報問題など、様々な問題が指摘され、国民の皆様から大きな不信を招く結果となりました。/そのことについて、冒頭、まず改めて深く反省し、国民の皆様におわび申し上げたいと思います」。
 これら「発言」があったこと自体は、「ファクト」になっている。
 門田隆将によると、こんな言葉はいっさい不要だったのか? 安倍晋三は心にもないことを「口先」だけで言ったのか?
 門田隆将は、民進党や共産党(+小池・自民党内非安倍)だけを批判しておきたいのか?
 「ファクト」重視の「現実主義」とは、そういう姿勢を意味するか??
 


 

1698/「日本会議」・伊藤哲夫の稚拙と安倍内閣改造。

 これでまともな改憲提案か。
 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 体裁からして、計200頁ほど。
 三点しか、改正の提案はない(緊急時、九条、家族)。しかも、具体的な条文案を用意しているのでもない。
 その計200頁ほどのうち、総論的部分が30頁ほどあるので、平均すると、一つの改憲項目について、50-60頁ほどしか当てていない。しかも、そのうち過半は「鼎談」。
 読者を馬鹿にしているだろう。
 これでよく、「護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?」と表紙に書けるものだと思う。ほとんど発狂している。この人たちがいう「護憲派」は、この人たちの発言・文章よりも確実に1万倍以上、長年にわたって執拗に情報を発信してきている。
 これで本当に「それでも憲法改正に反対か?」と胸を張れると思っているのだろうか。ほとんど発狂している。
 ---
 伊藤哲夫による、冒頭の総論・入門部分(といっても計17頁)を読んでみよう。明らかに、稚拙さあるいは誤りがある。
 伊藤は堂々と「憲法改正に関する基本認識と現状への視覚」と表題を掲げる。
 伊藤哲夫が指摘するのは、現日本国憲法には「国家」と「日本」が欠けている、ということ。これは、さすがに?、「日本会議」がその設立趣旨で謳っているのと同じで、かつ櫻井よしこが最近に現憲法・憲法改正にからめて言っていることとほとんど同じ
 もちろん、「国家」・「日本」の意味が問題になるが、先に進もう。
 第一。そのような欠陥の「淵源」を、アメリカの「占領政策」に求める。p.15。
 これは「日本会議」派によく見られる、<反米>ルサンチマン的心情の発露だ。
 <親米>外交政策を支持しつつ、この人たちには、<民族の栄光>を侵奪してしまった、侮辱したアメリカへの底知れぬ憤懣があるやに感じる。
 中川八洋がよくこの人たちを<民族系>と称するのは、根拠がないわけではない。
 ともあれ、しかし、①現日本国憲法の直接の「淵源」はアメリカでありマッカーサーだっとしても、現憲法の基礎にあるのは、天皇条項は別として、<リベラル・デモクラシー>という欧米的・近代的「国家・憲法」観であって、アメリカに限るのは、誤謬だ。
 アメリカ独立・連邦建設時の「国家・憲法」観とともにフランス革命時およびその前後以降の、<欧米思想>がはっきりと流れ込んでいる。三権分立(規範制定と執行の別、司法権の別置)、<自然権的「人権」>思想、等々。
 伊藤哲夫は、きちんと勉強したことがないのだろう。政策研究センター「代表」らしい程度には。
 現憲法の上の二つの欠落は「まさに占領政策に淵源する」。/「占領政策の影響をストレートに受けた」、「その帰結そのものがこの憲法になった」。p.15。
 上の認識、評価は誤りだ。
 また、②占領期のアメリカの対日政策は、1950年以前、すでに1947年頃には<変化>>している。九条の定めにしても、制定・公布時と比べて、国際・東アジアの安全保障・軍事環境はまるで変わっていた。だからこそ、<白色>パージから<レッド・パージ>へと公職追放対象は変わったし、日本政府も、憲法改正(とくに九条)をしないままで警察予備隊・保安隊を設立する方途へと進んだ。
 <アメリカの占領政策>と簡単に書き、「マッカーサー・ノート」を持ち出したりするのだけでは、決定的に時代認識が足りない。なぜその頃に憲法改正(とくに九条)しなかったのか、できなかったのかにも言及すべきだろう。
 幼稚、稚拙-伊藤哲夫。おそらくは、「日本会議」の幹部・活動家(櫻井よしこを含む)たちも。
 第二。伊藤哲夫は長々と欠陥住宅・耐震補強やゴルフの喩え話をする。p.18-22。
 せっかくの貴重な紙面を、退屈な話で埋めている。読者としてきっと、伊藤哲夫らと同等の読者を想定しているのだろう。
 しかし、こうした部分は、むしろ多くの読者を<馬鹿にする>ものだ。自分のレベルに合わせない方がよい。
 第三。いつぞや、<ただ、卑しい>と書いた。
 政治戦略的なテーマになるのだが、この人たち、伊藤哲夫らは、自分たちが<政治戦略>を考えていることを、明らかにしている。
 つまり<改憲に反対でない国会議員>が三分の二超を占めている、という国会の状況、そしておそらくは安倍晋三が首相である、というのを前提にしてだ。p.21-24。
 これを踏まえて、何とか<改憲>したい、または安倍晋三に<改憲>をさせたい。これこそが、この人たちの基本的パッション(熱情)だろう。
 このこと自体を批判しない。「左翼」・日本共産党のように<安倍による改憲反対>などとは思わない。
 しかし、問題なのは、卑屈になり、場合によっては日本共産党の<憲法解釈>に屈服してまで、つまりは合意が得られるようにハードルを下げて、<形式的でもいいから、改憲したい・させたい>という願望を実現しようとしていることだ。
 その結果として、九条二項存置のままでの三項・自衛隊明記論も出てきている。
 この案の行く末については、すでに書いた。
 結局のところは、<現実的に>これまでの「保守」の基本的考え・目標を投げ捨てることにつながっている。
 小林よしのりが自衛隊=非「軍・戦力」視を固定する「左翼」・「極左」の改憲案・考え方だと評したのも、ある程度は的を射ている。
 興味深いと思うのは、伊藤哲夫らは政治家でも国会議員でもないのに<政治戦略>を弄していることだ。
 この人たちは、いったい何者なのだろう。<策略家>か、<陰謀家>か。
 <保守>論者ならばそれらしく、スジを通すべきではなかったのか。
 しかもまた、その案は<現実的>でも何でもない。
 理想を70-80点だとすると、<現実的に>20-30点を獲得しよう、という案にも、実際にはなっていない。
 繰り返さないが、案への賛成・反対を論じる以前に、この案は実際には成文化できないだろう。現実の案にはならない、きっとつぶれるものだった、と思われる。
 伊藤哲夫や「日本会議」に対して冷たすぎるかもしれないが、秋月瑛二にもいろいろな経緯がある。
 もう少し別に触れよう。
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 二項存置・自衛隊明記案は、すでに政治的には消滅した可能性もないではない。
 8月の安倍首相による<内閣改造>は「お友だち内閣」という名の、実際には、正確には、「日本会議とつながった」内閣では危ないと安倍晋三が判断しての、「日本会議」隠し内閣改造だった(まだ少しは残っている)。
 2012年末の安倍晋三内閣誕生は、「日本会議」・産経新聞だけが生み出したのではなかった。
 しかし、安倍晋三内閣は、「日本会議」・産経新聞が崩壊させる可能性・危険性がある。
 そのように、政治的感覚が(樺島有三、伊藤哲夫、櫻井よしこらよりは)鋭い安倍晋三が判断した、という可能性があるだろう。
 2015年安倍内閣戦後70年談話を、産経新聞や「日本会議」がかりに批判していても、安倍内閣は倒れなかっただろう。朝日新聞らが基本的には反対できない「歴史観」を述べたからだ。
 しかし、一方で、産経新聞と「日本会議」派だけでは、安倍晋三内閣を支えることはできない
 安倍晋三は、ひょっとすればこの重要なことに、ようやく気づいたのかもしれない。

1697/篠田英朗・ほんとうの憲法(ちくま新書、2017)①。

 篠田英朗の「もし…明確化する」ならばという加憲条項案も問題が多い。
 篠田英朗・ほんとうの憲法(ちくま新書、2017)。
 「おわりに-9条改正に向けて」の最終行=「あとがき」の直前。
 「前二項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない」。
 これが、著者・篠田英朗の、「かりに」九条三項を創設するとすればの案だ。おかしい。
 第一に、これでは、篠田のいう「自衛隊の合憲性を明確にするのであれば」という前提目的を達することができない。
 なぜならば、現在の・いまの自衛隊が「本条の目的にそった軍隊を含む組織」でありその活動が上にいう「…活動」であることの確証は何もない。
 むろん、篠田英朗によれば、現在の・いまの自衛隊はそのようなものなのだろう。私もまた、そうだと<解釈>する(但し、「軍隊を含む」との部分には大きな留保がつく)。
 しかし、そのように認識または<憲法解釈>をしない人たち・活動家・政治家等々がいるからこそ、問題なのだ。
 つまり、彼らは、現在の・いまの自衛隊は、「本条の目的にそった軍隊を含む組織」であるとは(おそらく絶対に)主張しない、容認しないのだ。
 かりにだが、上の条文案で本当に「加憲」されたとする場合、日本共産党や同党員憲法学者たちは、現在の・いまの自衛隊とその活動は「本条の目的にそった…組織」・「活動」ではないと、主張するに違いない。
 そもそもが、<九条の目的>の理解・認識・<憲法解釈>が異なるのだから、上のような条項ができたからといって、現在の・いまの自衛隊の合憲・違憲の問題が解消されるはずはないのだ。
 「自衛隊」という語・概念を用いないのは優れている?のかもしれないが、せっかくの篠田英朗の案は、現状を解決することには絶対にならない
 <憲法解釈>上の(かつ政治的な)論争を、さらに複雑にするだけだ。「戦力」不保持の明文条項を残したままでの、現在の・いまの自衛隊の合憲化という試みは、三浦瑠璃の言葉によれば、却って、<頓珍漢な議論を温存>することになる。
 全体として、篠田英朗の叙述、主張に反対しているのではない。
 現憲法の現状のままでの自衛隊合憲論、かつ九条二項削除論は、十分に読むに値するのだろうと思われる。そのかぎりで、勉強にもなるし、多くの人が読めばよいとも思われる。
 しかし、たまたま出版が5月安倍晋三発言の直後(しかもまだ校正中で追記可能?)だったためかもしれないが、上の案は、採用できない。
 他にも、「軍」概念をめぐって等々、憲法解釈論の観点からすれば、大いに疑問もある。第二以下を、さらに別に記す。

1696/「前衛」上の日本共産党員⑪-2013年7・8月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年7月号による。
 小沢隆一/東京慈恵医科大教授・憲法学者-またも。
 中山 徹/奈良女子大学教授-公共事業予算。
 田中靖宏/ジャパン・プレス・サービス社長-ベネズエラ。
 佐藤次徳/マツダ訴訟原告団事務局長。
 高根孝昭/マツダ共闘会議事務局長。
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 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年8月号による。
 伊佐真次/東村高江ヘリパッドいらない住民の会。
 高橋美枝子/羽村平和委員会-横田基地。
 工藤昌宏/東京工科大学教授-アベノミクス。
 芝田英昭/立教大学コミュニティ福祉学部教授-TPPと医療。
 寺内大介/弁護士・ミナマタ弁護団全国連絡会事務局長-水俣訴訟。
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 *以下、別の号へとつづく。

1695/社会主義と独裁①-L・コワコフスキ著18章6節。

 この本には、邦訳書がない。何故か。
 日本共産党と「左翼」にとって、読まれると、極めて危険だからだ。
 <保守>派の多くもマルクス主義・共産主義の内実に関心がないからだ。
 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 第6節へと進む。第2巻単行著では、p.497~。
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 第6節・社会主義とプロレタリア-ト独裁①。
 レーニンの活動の全体は、『最終的な目標』、すなわち社会主義社会の建設、のための闘争に向けられていた。しかし、戦争の前には、その社会がどのようなものであるかを明確に語ることに関心を示さなかった。
 その著作物の中には、財産の集団化、賃労働や商品経済の廃止等々の、よく知られる社会主義の考えへの言及が散在していた。
 しかしながら、革命の前には、『プロレタリア-ト独裁』という、生涯にわたって変えないままだった概念が何を意味するかを説明した。
 <カデットの勝利と労働者党の任務>で、彼は、強調してこう表明した。
 『独裁とは、法にではなく実力(force)にもとづく、制限なき権力(power)だ。』
 (全集10巻p.216。)
 『権力(authority)-無制限で、法の外に立ち、そして言葉の最も直接的な意味での生の力(force)にもとづく-が、独裁だ』(同上、p.244〔=日本語版全集10巻231頁〕。)。
 『「独裁」という概念には、<これ以外のいかなる意味もない>。-このことをよく憶えておきなさい、カデット紳士諸君』(同上、p.246〔=日本語版全集10巻233-4頁〕。)。//
 見地が変わらなかったことを明白にするため、レーニンは上のような言明を1920年に繰り返した。
 独裁は『強制の最も直接的な形態』だ。そして、プロレタリア-ト独裁は、プロレタリア-トが打倒した搾取者に対してプロレタリア-トが実力(force)を行使することだ。
 この実力がいかに行使されるかに関して、レーニンは、第二インターナショナルの指導者たちに向けられた小冊子<国家と革命>で、回答を示した。
 第三インターナショナル(彼の頭では早くも1915年のつもりだった)創立の直前に、革命が全ヨーロッパの至る所ですみやかに勃発するだろうと期待して、レーニンは、何度も国家に関するマルクス主義理論および社会主義が国家装置の作動にかかわってくる変化の理論を詳説することが必要だと考えた。//
 マルクスとエンゲルスによれば、とレーニンは指摘する、国家は和解しえない階級対立の結果物だ。両者の間を調整したり仲裁するという意味においてではなく、逆に、国家そのものは今まではつねに、所有階級が被抑圧階級に押しつけてきた装置だった。
 その諸装置は階級対立において中立ではありえず、一方の階級の他方に対する経済的抑圧の法的表現にすぎない。
 ブルジョア国家の諸装置と諸機関が、労働者の解放のために用いられることはあり得ない。
 ブルジョア国家での選挙権は、社会的緊張を緩和する手段ではない。被抑圧階級が権力を獲得するのを可能にする手段でもない。たんに、ブルジョアジーの権力(authority)を維持する方法にすぎない。
 プロレタリア-トは、国家機構を破壊(destry)することなくして自らを解放することはできない。
 これが革命の主要な任務であって、マルクス主義理論と一致する国家の『消滅』とは明確に区別されなければならない。
 ブルジョア国家は、ここでいまや、粉砕(smash)されなければならない。消滅は、プロレタリア国家にとっては革命のあとに、すなわち政治的権力が打倒される将来の時点に、生じる。//
 レーニンは、とくにパリ・コミューンに関するマルクスの論文およびその<ゴータ綱領批判>に言及し、また、エンゲルスの小文や手紙にも言及する。
 社会主義運動上の修正主義およびブルジョア国家をプロレタリア-トの利益に役立つよう使用するという考え方は、マルクス主義の基盤に反している、と彼は言う。
 それは妄想であり、あるいは革命を放棄した日和見主義者の欺瞞的な策略だ。
 プロレタリア-トは、国家を必要とする(ここでアナキストは過った)。しかし、それは、枯渇して自らを破壊する方向にある国家でなければならない。
 移行期に搾取者の抵抗を抑え込むために、その抵抗の強さを予見することはできないが、国家の従前の形態とは違って所有階級の残り滓に対する社会の大多数による独裁になる、プロレタリア-トの独裁が存在しなければならない。
 その時期の間、資本主義者の自由は制限されなければならない。一方で諸階級がすっかりなくなってしまったときにのみ、完全な民主主義が可能になるだろう。
 この移行期の間、国家は困難なく作動し続けるだろう。多数者が少数の搾取者を簡単に打ち負かし、特殊な警察機構を必要としないだろうから。//
 パリ・コミューンの経験は、共産主義国家組織の一般的な特質を描写するのに役立つ。
 その国家では、常設軍は廃止され、代わりに人民が武装するだろう。国家の全官僚が、労働者階級によって選出されかつ罷免されるだろう。
 警察は、軍隊のごとき機能を持つものとしては必要とされず、武力を携帯することのできる人民全体によって実施されるだろう。
 付け加えると、国家の組織上の作用は簡素なので、読み書きをする誰もが履行することができる。
 社会一般の作動のためには、特殊な技能は必要でないだろう。そして、そのゆえに、分離した官僚層は生じないだろう。簡素な行政と会計が、手工業者と同じ賃金で、公民全員によって交替で履行されるだろう(レーニンは、この点をとくに強調した)。
 誰もが平等に国家の奉仕者[公務員]になり、平等な基準によって支払われ、平等に仕事をする義務を負うだろう。
 彼らは手仕事労働者と役人[公務員]のいずれかを選択できるので、誰も官僚主義者にならないだろう。
 行政の簡素さ、報酬の平等さ、そして公務員たちの選挙と解任可能性があるので、社会から孤立した、寄生的官僚層が形成される危険はないだろう。
 最初には政治的な強制がなければならないが、国家がその機能を失うにつれて、徐々にその政治的な性格も失い、純粋な行政の問題になるだろう。
 命令はもはや、最上者から与えられるのではない。必要な中央の計画が、幅広い領域的自治と結びつくだろう。
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
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 段落の中途だが、ここで区切る。②へとつづく。

1694/井上達夫-法哲学者の欧米と日本の「現実」。

 井上達夫、1954~。現役の東京大学教授・法哲学
 一度だけ単直に言及して、お叱りもネット上で受けた。
 あほな人は簡単に批判できるが(櫻井よしこ、平川祐弘、倉山満ら)、この人はそうはいかないだろう。
 じっくりと読んで批判的・分析的コメントをしたい。
 まだその時機ではないが、しかし、この無名の欄だからこそ、備忘の「しおり」的に書いておこう。
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 さしあたりの直感的な疑問は、以下。
 正義論でも、「リベラリズム」論でもよい。
 井上達夫は、いったい何を対象にして、いったい誰に向かって発言しているのか?
 つまり、こういうことだ。
 世界か、欧米(とくに米・英)か、日本か、日本の<論壇>か、日本の<法哲学界>か?
 さらには、こういうことだ。
 教壇・講壇で語るに必要な、またそのために研究してきた多様な<法哲学・法思想>上の知識、精神的・観念的・理論的な素養でもって、例えば日本の憲法や政治を論ずることができるのはいったい何故か?
 井上達夫がかりに日本の憲法や政治を論じているのだとすると、その基軸・分析枠組みは、欧米に関するそれと同じなのか、同じでよいのか?
 上の問いは、逆に言うと、こうなる。
 井上達夫がもつ(とくに法哲学・法思想・政治思想等の)欧米学者の議論で欧米を見ることは、ある程度の妥当性をもっては、きっとできるだろう。むろん、種々の法哲学者、社会・歴史・思想学者等々がいるのは、秋月瑛二でも知っている。
 しかし、それは、「日本」を語る場合、いかほどに有効か。この観点・視点を欠かせたままでは、適切で合理的な日本国家・日本社会に関する発言、あるいは日本に関する「法哲学・法思想」的観点からの発言にはならないものと思われる。
 日本と自分が日本人・日本国民である、ということの自覚・意識化がどの程度に、なされているのだろうか。
 <論じることの(実践的な)意味>を、どう自覚的に意識しているのだろうか。
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 上はほとんどは、仮定の、疑問だ。むろん、一読、一瞥しての疑問だ。逆にいうと、一読、一瞥しただけを基礎にする疑問だ。だから、「仮の」と言っている。
 井上達夫・リベラルのことは嫌いでも-(毎日新聞出版、2015)。
 知的関心?は山ほどある秋月瑛二は、これを2015年には入手して、ほんの少しだけ見た。冒頭の2頁めで、さっそくずっこけた。井上達夫は書く。
 丸山真男、川島武宜、大塚久雄-「彼らは左翼ではない」。p.7。
 もともと「左翼」、「リベラル」等を人々は多様に用いているので、用語法は自由ではある。
 しかし、秋月瑛二からすると、再三に書いているように、<容共>=<左翼>だ。
 上のうち少なくとも丸山真男は、日本共産党に批判されても(なお、この遡っての批判はたしか1990年代初頭で、日本共産党が最も「知識人」の動揺を怖れていた頃だ)、<容共産主義>であって、「左翼」だ。日本の<古層>に関心があっても、「左翼」だ。
 そのつぎの頁に、井上は書く(述べる)。
 「マルクス主義が自壊した後、保守の攻撃衝動がリベラルに集中的に向けられた」。 p.8。
 これは日本に関する認識であり、その叙述のようだが、本当か?
 「マルクス主義が自壊」とはいったい、何のことだ。大まかに、かつかりに言っても、欧米限りの話ではないか。
 日本で「マルクス主義が自壊」したとは、いったい何のことだ?
 「日本会議」と全く同じことを、井上達夫も述べている。
 これは<学者の頭の中で自壊した(はずだ)」という、多少は願望も込めた、認識の叙述であるならば、何とか、理解できる。
 端的にいって、井上達夫にとって、日本共産党とは何なのだ。日本にはマルクス主義者・共産主義者あるいはこれらの組織・団体は「自壊」して消失しているのか。
 この人もまた、「日本会議」と同じ幻想を振りまいているのではないか。
 ついで、「保守の攻撃衝動がリベラルに集中的に向けられた」。p.8。
 これもどうやら日本に関する話のようなのだが、ここでの「保守」とは何だ。「リベラル」とは何だ?
 これらを何となく理解するとして、「冷戦の終了」後に、前者が後者を<集中的に攻撃した>とは、いったいいかなる事実・現象を捉えて言っているのだろうか?
 井上達夫による<捏造>・<空想>ではないか。
 「保守の攻撃衝動がリベラルに集中的に向けられた」-日本で生じたいったいどういう現象のことなのか?。
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 非・反日本共産党で非・反「特定保守」ならば、私の<仲間>でもある。
 その憲法論も、私は「理解」できるつもりでいる。私が何とか「理解」できないような議論をしてもらっては困る。
 しかし、えてして、講壇学者さまたちは、上の両派とは異なる意味でだが、<独自の観念世界・観念体系、思想イメージ・理論イメージ>を作り、それを本当は複雑な思想・思潮・論壇等、そして<現実>に適用するという嗜好・志向をもっている
 理論・論理に興味深い点が多々あっても、<現実>から浮いていてはあまり意味がない。
 といった観点から、さらに井上達夫から「勉強」させていただこう。

1693/帝国主義と革命③-L・コワコフスキ著18章5節。

 この本には、邦訳書がない。何故か。
 日本共産党と「左翼」にとって、読まれると、極めて危険だからだ。
 <保守>派の多くもマルクス主義・共産主義の内実に関心がないからだ。
 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 前回のつづき。
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 第5節・帝国主義の理論と革命の理論③。
 誰が侵略者であるかは問題でなく、実際、攻撃(offensive)戦争と防衛戦争の違いはなかった。そして、軍事活動の基礎にある階級の利益こそが重要だった。
 この点に関するレーニンの言明は多くあって、かつ完璧に明白だ。現在の後継者たちによって、さほど多くは引用されないけれども。
 『戦争を防衛戦争と侵略(agrresive)戦争に分けるのは馬鹿げている』。(+)
 (1914年10月14日の演説。全集36巻p.297〔=日本語版全集36巻「『プロレタリア-トと戦争』についての公開報告」331頁〕。)
 『国際関係上の全ての個別現象に対する社会民主党の態度を考察して決定する唯一の規準は、戦争の性質が防衛的か攻撃的かではなく、プロレタリア-トの階級闘争の利益、あるいは-より十分に言えば-、プロレタリア-トの国際的運動の利益だ。』 (+)
 (『好戦的軍事主義と社会民主党の反軍国主義的戦術』、1908年8月。全集15巻p.199〔=日本語版全集15巻186頁〕。)
 『あたかも問題なのは、誰が最初に攻撃したか?で、戦争の原因は何なのか? その目的は何なのか? どの階級が遂行しているのか?、ではないようだ。』 (+)
 (ボリス・スヴァラン(Boris Souvarine)への公開書簡、1916年12月。全集23巻p.198〔=日本語版全集23巻215頁〕。)
 『戦争の性格(反動的であれ革命的であれ)は、攻撃したのは誰かや『敵』がどの国に設定されているかに関係はない。
 <どの階級>が戦争を遂行しているのか、いかなる政策をこの戦争は継続するものなのか、による。』 (+)
 (<プロレタリア革命と変節者カウツキー>、1918年。全集28巻p.286〔=日本語版全集28巻305-6頁〕。)//
 かくして、『侵略』は戦争の階級的性格を隠蔽いるのに役立つブルジョアの詐欺的な観念だ、ということだけではなく、自分の国家で組織される労働者階級は、資本主義国家に対する戦争を遂行する全ての権利をもつ、ということが分かる。定義上は、労働者階級は抑圧された階級の利益を代表し、正義(justice)は彼らの側にあるのだから。
 レーニンは、この結論を出すのを躊躇することはない。
 『例えば、社会主義が1920年にアメリカやフランスで勝利し、そのとき日本や中国が、まあ言おう、彼らのビスマルクたちを-最初は外交的にだけでも-我々に向けてくれば、我々はきっと、彼らに対する攻撃的な革命戦争に賛成するだろう。』 (+)
 (『第二インターナショナルの崩壊』。全集21巻p.221注〔=日本語版全集21巻217頁注(1)〕。)
 1920年12月6日の演説で、レーニンは、アメリカ合衆国と日本の間でやがて戦争が勃発せざるをえない、ソヴィエト国家はいずれか一方に反対して他方を『支持する』ことはできないが、その他方に対する『決勝戦』を闘わせて、自国の利益のためにその戦争を利用すべきだ、と明言した。
 (全集31巻p.443〔=日本語版全集31巻「ロシア共産党(ボ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説」449-450頁〕。)
 1918年3月の第七回党大会では、『大会は、党中央委員会が適切な時機に至ったと判断するときには、あらゆる講和条約を破棄しまたどの帝国主義国家に対してであれ全世界に対してであれ宣戦を布告する権限を党中央委員会に対して与える』との意味を持つ決議を提案した。 (+)
 (全集27巻p.120〔=日本語版全集27巻「戦争と講和についての決議にたいするトロツキーの修正案に反対する発言。3月8日」118頁〕。)
 これがブレスト=リトフスクの雰囲気で草せられていた、というのは本当だ。しかし、応用については概括的で、レーニンの教理と完全に合致している。
 プロレタリア国家は定義上資本主義国家に真反対に向かい立つ(vis-avis)ので、また、侵略の問題は戦争を判断するに際しての重要性がないがゆえに、事態が示すときはいつでも、プロレタリア国家には明らかに、資本主義国家を世界革命のために攻撃する権利と義務がある。資本主義と社会主義の間の平和的共存がレーニンの見解では不可能なので、ますますそうなのだ。
 既に引用したが、1920年12月6日の演説で、彼は、こう述べた。
 『我々は戦争から平和へと移行させたが、戦争は戻ってくるだろうことを忘れなかった、と私は言った。
 資本主義と社会主義がともに生きている間は、両者は決して平和裡に生活することができない。』 (+)
 (全集31巻p.457〔=日本語版全集31巻「…モスクワ組織の活動分子での会合での演説」464頁〕。)//
 こうしたことが、社会主義国家の外交政策の簡素なイデオロギー上の基盤だった。
 新しい国家は定義上、歴史を指導する勢力を代表した。攻撃しようと自衛しようと、それは、進歩の名のもとで行動していた。
 国際法、仲裁、軍縮会議、戦争の『違法化(outlawing)』-これらは全て、資本主義が存続しているかぎりでの欺瞞だ。そして、のちには、これらは必要でなくなるだろう。戦争は社会主義のもとでは、資本主義のもとでは不可避であるがごとく、不可能だからだ。//
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 (+) 日本語版全集を参考にし、ある程度は訳を変更にした。
 ---
 第5節、終わり。第6節の表題は、<社会主義とプロレタリア-ト独裁>。

1692/安本美典・2017年7月著。

 「組織集団がある方向にむいている場合、その内部にいる人たちには、組織集団の文化の特異性に、気づきにくくなる。/思い込みと、ある程度の論証の粗雑さとがあれば、どのような結論でもみちびき出せる。当然見えるべきものが見えず、見えないはずのものが見えるようになる」。はじめにⅲ。
 「捏造をひきおこす個人、組織、文化は、捏造をくりかえす傾向があるといわれている」。はじめにⅹ。
 「素朴な人がらのよさを持っている方が、他の分野よりも多いような感じがする。/それだから困ってしまう。/信じたい情報だけを選び、それ以外は無視する」。p.346。
 「私は、…、捏造であるという『信念』を述べているのではない。…である『確率』を述べているのである。/それは、…私が…にあった『確率』を計算して述べているのであって、『信念』を述べているのではないことと同じである。/確率計算は、証明になりうる」が、「宣伝は、証明にならない。/この違いを、ご理解いただけるであろうか」。p.347。
 以上、安本美典・邪馬台国全面戦争-捏造の「畿内説」を撃つ(勉誠出版、2017.07)。
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 「信念」だけで、物事を判断してはいけない。信念とか、<保守の気概>とかの精神論は、理性的判断を誤らせ、人々を誤らさせる狂信・狂熱を呼び起こすに違いない。
 「宣伝」をしてはならないし、それを単純に信頼してもいけない。「宣伝」する者は、事実に反していることを知っていても事実・真実だと偽って「宣伝」することがしばしばある。とくに<政治的論評・主張の分野>では。<評論家・政策研究家>の肩書きの「宣伝員」を信頼してはいけない。
 自戒を込めて、安本美典の文章も読みたい。この人は古代史、かつ「邪馬台国」所在地論争について語っているが、<歴史>全般にかかわるし、現在の種々の<認識・報道・論評>にも関係するだろう。
 上の文章を、日本共産党員に読ませても意味がない。しかし、阿比留瑠比や小川榮太郞には、多少はぶつけてみたい気がする。
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 安本美典は、もう10年前には<卒業>したつもりでいた。
 しかも、しっかりと吸収して、「邪馬台国」北九州説をほとんど迷うことなく支持し、中心地だったとする福岡県甘木市(合併によりいまは朝倉市)も訪れた。さらに、甘木の奥のわが故郷(?)秋月地区も訪れた。
 卑弥呼=天照大神説もほとんど迷うことなく支持していて、実在の人物を反映しているとみられる卑弥呼=天照大神は、3世紀半ば頃の活躍だったと推測している。
 とすると、神武天皇等々の年代も、おおよそのことは判断できる。
 いつぞや皇室の系譜はどこまで実証できるかについて、神武天皇、さらには天照大神にので遡らせることはせず、継体以降は確実だが、とか記したが、実証はほとんど不可能にしても、神武天皇や天照大神「に該当する人物」または人たちはいたのだろうと感じている(但し、血統関係の正確さはよく分からない)。
 安本美典は<神武天皇実在説>なるものに分類されていることもあるようだが、日本書記記載のそのままのかたちで存在していたなどと主張はしていない(はずだ)。
 安本美典は記紀編纂時期までの<天皇の代数>くらいの記憶・記録はあったのではないか、とする。あくまで「代数」で、在位年数とか、在位時代の記述までそのまま彼が「信じて」いるわけではない(はずだ)。
 一定時期以前に関する記紀の叙述を「すべて」作り話とする大勢の学者たちに反発しているのであって、逆に「すべて」がそのまま真実だなどと主張しているわけではない(はずだ)。
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 ちなみに、櫻井よしこは、簡単に「2600年余の」皇統とか平気で書く。
 神武天皇は紀元前660年に「即位」とされているので、以降、1940年は<紀元2600年>だったわけだ。
 しかし、天照大神より後の(とされる)神武天皇が紀元前7世紀の人の可能性は絶無だろう。
 そう<信じたい>・<信念を持ちたい>人は、どうぞご勝手に、なのだが。
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 上のように安本美典を「ほとんど迷うことなく支持」したいのは、その理性的・合理的な説得性による。「確率」の高さの主張かもしれないが、そのとおりだろうなぁ、と感じてしまう。立ち入らないが、余裕があれば、詳細にこの欄で紹介したいくらいだ。
 10年ほど前までに安本の本は読み尽くした感があったので、しばらくはずっと手にしなかった。
 ところが、数年前から、ぶ厚い書物をまだ多く刊行していることに気づいた。これまでの書物をまとめた全集ものかと思ってもいたが、実際に入手してみると、そうではなかった。
 安本美典、1934年~。もう80歳を超えている。そして、上の書物は今年7月の刊行。
 すさまじい精神力と健康さだと思われる。
 この人の本を立てて並べてだけで、2メートルほどの幅になるのではないか。
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 西尾幹二・全集第20巻-江戸のダイナミズム(国書刊行会、2017.04)。
 この本の巻末に、江戸のダイナミズム・原書(文藝春秋、2007)の出版を祝う会の叙述があり(なお、2007年!、としておこう)、その中に「安本美典」の返信文も掲載されている。
 安本美典と西尾幹二は、刊行本を交換し合うような程度の交際はあったらしい。ある程度は「畑」が違うので、西尾の本で安本の名を見て、興味深く思った。
 西尾幹二、1935年~。 
 お二人とも、すごいものだ。
 秋月瑛二は80歳まで絶対に生きられないと決めて(?)いるので、異なる世界に住んでおられるようだ。いくら「信念」があっても、いくら「根性」があっても、致し方ないことはある。

1691/自衛隊を憲法に明記しよう!との大ウソ-「日本会議」派・櫻井よしこらの会。

 自衛隊を、戦力とは認めないで憲法に明記しよう!
 戦力ではない自衛隊を憲法に明記しよう!
 ならば、まだよい。
 しかし、「自衛隊を憲法に明記しよう!」とだけのスローガンは、いわば不当表示の、大ウソだ。
 重要なポイントを、わざと、意識的に隠している。
 本質的な部分を、隠蔽している。
 同じような不当表示を、「戦争法」等々、日本共産党や「左翼」はさんざんやってきたし、やっている。
 <美しい日本の憲法をつくる国民の会>(事務局長・椛島有三)がノボリや看板に書いている上のスローガンも、かなり似ている。
 「日本会議」、<美しい日本の憲法をつくる国民の会>、そして代表の一人・櫻井よしこは、こうしたことを平然とするのだと思われる。
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 上のノボリ、車上看板の証拠は、8月1日朝の産経新聞のネット上のニュースに添付されている写真。
 これだけ熱心に報道するのは、産経新聞しかないだろう。文字の部分に限られるが、以下、抜粋。
 「憲法改正の意義を広める国民運動組織『美しい日本の憲法をつくる国民の会』(共同代表・櫻井よしこ氏ら)の全国縦断キャラバン隊が31日、高崎市などを訪れた」。「この日は、JR高崎駅東口で約1時間にわたり街頭宣伝やチラシ配布を行った」。
 「キャラバン隊は、『平和と安全を守ってくれているのは自衛隊でも、1文字も書かれていない。憲法に明記し、自衛隊がしっかり任務を果たせるよう感謝のメッセージを伝えましょう』と訴えた」。
 「駅前を通りかかった…女性は『明記されていないのはおかしい。…北朝鮮からミサイルは飛んでくるし、日本はやられてしまうのでは…。みんなに(改憲の必要性を)広めたい』と話した」。
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 上のスローガンは、サギの一種だろう。長くは書けないとか、難しいことを言っても理解してもらえないと釈明するつもりか。
 安倍晋三案の趣旨をそのまま書けば、<自衛隊を、戦力とは認めないで憲法に明記しよう!>、または<戦力ではない(ままで)自衛隊を憲法に明記しよう!>になるはずだ。
 平然と、正確でないプロパガンダを行う、「日本会議」、<憲法をつくる国民の会>、櫻井よしこ、…。

1690/産経新聞8/4社説の「憲法改正」という大ウソ。

 1000万人程度の人はダマされている可能性がある。
 産経新聞8/4社説が前提とする九条二項存置・自衛隊明記は「改憲」だというウソによっても。
 大手新聞社の一つと「日本会議」派によって。恐ろしい。デマだ。
 「憲法改正」について「首相の決意を改めて問いたい。首相と自民党は、改正案の策定や有権者との積極的な対話を通じ、改正への機運を高めてほしい」。
 と産経新聞8/4社説は叫ぶ。
 すでに社説で支持したから、後戻りはできない。伊藤哲夫・櫻井よしこら「日本会議」派が背後にあるとすると、今さら撤退できない。
 と考えてしまうのも、「商売」として、分からなくもない。
 しかし、九条二項存置のままでの、同三項又は九条の二新設による<自衛隊明記>は、本当に「改憲」・「憲法改正」なのか???
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 形の上ではそのようにも思える。
 読売新聞紙上で橋下徹が支持するようなことを発言していたので、秋月瑛二も改憲として「成り立つ」案と考えてしまった。産経新聞や、決定的には「日本会議」派の主張内容を、よく知らなかった。櫻井よしこのアホで奇妙な?論理の方に気が向いてしまった。
 集団的自衛権の行使を認めた2015年平和安全法制の基礎の憲法解釈のエッセンスを明文化するもののように、誤解していた。
 そのような程度の<高尚>さも<高潔>さも、まるでないことが分かった。ただ、<卑しい>。
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 ①「自衛隊」という語をたんに明記したところで、二項があるかぎりは、「戦力」との区別という解釈問題はそのまま残したままになるのであり、何の意味もない。
 ②「自衛隊」という憲法上の新概念が、いまの・現実の「自衛隊」を意味する・表現することになるのでは、全くない。
 ③かりに「自衛隊」という語・概念を使わなくとも、存置される二項との関係で、あるいは二項が残るかぎりは、その組織・機構は、憲法上は「軍その他の戦力」に絶対になりえない。憲法二項が「軍その他の戦力」の不保有をそれこそ<明記>しているからだ。
 ④したがってまた、<二項存置・自衛隊明記>という案は、条文自体を作ることがおそらくは絶対に不可能だと、考えられる。「おそらくは」と限定したが、修辞であって、間違いなく作れない。
 さらに追記する。<かぎりなく軍に近い自衛隊>、<実質的に戦力であるような自衛隊>関係条項を目指すのは結構だが、二項があるかぎりは、絶対に「軍その他戦力」にはなり得ない。パーフェクトになり得ない。また、<かぎりなく…>、<実質的に…>とするために、どうぞ条文案を作っていただきたい。間違いなく、不可能だ、と断言してよい。
 以上は、この数日間に書いたものも参照していただきたい。   
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 産経新聞(社)は「改憲」支持のようだ。秋月瑛二も支持だ
 憲法九条を何とかしたい。二項を削除して、日本が当たり前の国家になってほしい。
 「天皇」とともに、憲法九条・これに関する憲法改正の問題は、個人的にはとっくにカタがついていて、わざわざ論じるまでもない。個人的には、もはや主要な関心事ですらない。
 しかし、錯覚と幻想を与える議論が一部に、あるいは産経新聞や月刊正論(産経)等々で少なくとも1000万人程度にはまき散らされているかと想うと、さらには、一国の総理大臣たる自民党総裁が、<つながりのある>団体又は個人からの示唆によって錯覚と幻想を与えるような議論をさらに拡大している可能性があると想うと、黙ってはおれない。
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 産経新聞が支持する、いったんは安倍晋三が「問題提起として」?語ったかもしれない案は、上記のとおり、「改憲」案ではないし、そもそも成立・実施不可能な案だ。
 西尾幹二が安倍案を<保守への裏切り>としたのは、正当だ。保守は櫻井よしこや日本会議だけでない、としたのも正当だ。
 三浦瑠璃が、憲法解釈上の問題に、読んだ中では最も適確に、立ち入っていると思える。この人のブログ5/4。
 「9条1項2項をそのままに、自衛隊を明記したとしてもこの問題は解決し」ない。/
 「『戦力』ではないところの『自衛隊』とはいったい何なのか」。/
  この「頓珍漢な議論」が温存されてしまう。//紹介、終わり。
 <「戦力」ではないところの「自衛隊」、とはいったい何なのか。
 <「戦力」ではない「自衛隊」を「憲法に明記」する、とはいったい何のことなのか。
 文学的?にではなく、真摯に考察しなければならない。
 産経新聞(社)もまたきっと、ダマされていて、錯覚に陥っている。
 その加害者は、犯人は、いま知り得るかぎりで、「日本会議」役員の伊藤哲夫だ。
 「日本会議」が、日本国民をダマそうとしている。
 櫻井よしこも、産経新聞(社)も「付和雷同」。「日本会議」代表の田久保忠衛はお飾りなので、子細は知らないままで、これまた追従している。櫻井よしこは、そして櫻井=田久保共同代表の<美しい日本の憲法をつくる会>は、広告部隊・運動部隊になっている。

 支持・反対を<政治的に>捉えてはいけない。
 正確にいうと、あらゆる言論や文章は多少とも<政治性>を帯びるとすれば、その<政治性>の色をきわめて濃くして、判断してはいけない。
 「日本会議」の案だからとか、安倍総裁の案だから、とかの理由で支持を決めてしまうのは<きわめて政治的だ>。
 「日本会議」の案だからとか、安倍総裁の案だから、とかの理由でただちに反対するのも<きわめて政治的だ>。
 秋月瑛二は、そんなことはするつもりはない。
 九条に限っても、「改憲」一般・「改憲」それ自体に反対はしないし、むしろ積極的に賛成する(これまでにさんざん書いてきている)。
 しかし、いまの産経新聞支持の<改憲案>・<改憲への道筋>なるものは、幻影だ。
 しかも、ふつうの、まともな九条論を抑止するという意味で、弊害の方が多く、その意味で<犯罪的>だ。
 日本共産党の「別働隊」としての産経新聞・「日本会議」というテーマで、また書く。
 さらに、心づもりはあっても書けなくなってしまうことがしばしばあるので、痕跡を残しておく。-<文学部的保守>が、日本を決定的に悪くした
 池田信夫の<文学部廃止>論、<人文社会系学部(原則)廃止論>に、その基本趣旨に、大賛成だ。

1689/帝国主義と革命②-L・コワコフスキ著18章5節。

 この本には、邦訳書がない。Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 前回のつづき。
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 第5節・帝国主義の理論と革命の理論②。
 レーニンが第二インターナショナルの指導者たち〔カウツキーら〕を言葉上は革命的で行動上は修正主義者だと批難したのは、疑いもなく正当(right)だ。
 彼だけが、権力奪取のことを真剣に考えていた。そして、さらには、彼はそれ以外のことを何も考えていなかった。
 レーニンの立場は、明確だった。すなわち、権力というものは、それが政治的に可能であればいつでも、奪取しなければならない。
 彼は、生産力が社会主義者の蜂起の地点にまで成熟しているかどうかに関する理論上の推計に耽ることはなかった。彼の推計は、全てが政治情勢に関係していた。
 レーニン自身は、言葉上の決定論者(determnist)で、行動上は現実政治家(Realpolitiker)だと、正当に批難され得ただろう。
 頻繁にではないがときどき、彼は決定論者的なカテキズム(catechism, 公教要理主義)を繰り返した。
 (『歴史上に起きることは全て、必然的に起きる』-『ズュデクム(Suedekum)のロシア版』、1915年2月1日。全集21巻p.120〔=日本語版全集21巻「ロシアのジュデクム派」113頁〕。〕(+)
 しかし、この決定論は自分や他人が、共産主義の根本教条は勝利すべく歴史的に強いられていると確信するのに寄与しただけで、独特な政治行動のいずれにも適用されなかった。
 レーニンは、全ての国は資本主義の発展段階を経て進まなければならないという、マルクス主義の基礎の一つだと見なされていた考えすら、投げ捨てた。
 1920年7月26日のコミンテルン第二回大会で、つぎのように宣言した。遅れている人民たちは、先進諸国のプロレタリア-トとソヴェト権力の助けによって、資本主義の『段階』を回避(bypass)して、直接に社会主義へと進みうる(might)だろう、と。
 (じつに、このことがなければ、ロシア帝国に属する数ダースの未開部族や小数民族対してソヴィエトの国家権力を行使するのを正当化するのは困難だっただろう。)//
 そうして、レーニンは、『経済的な成熟性』にではなく、もっぱら革命的な情勢の存在にのみ、関心をもった。
 1915年の論文『第二インターナショナルの崩壊』で、この情勢の主要な特徴を、つぎのように明確にした。
 (1) 『低層階級の者』が従来どおりに『生活するのを望まない』だけではきわめて不十分だ。『上層階級の者』が従来どおりに『生活するのができない』ことがまた必要だ。
 (2) 被抑圧階級の苦痛と欲求が、尋常でない程に高くなること。
 (3) 『上記のことの結果として、自立した歴史的活動に自ら加わろうとする<中略>大衆の活動力が著しく増大すること』。
 しかし、『すべての革命的情勢が革命を生み出すとは限らない。
 革命は、上述の客観的な変化が主体的な変化を伴なう情勢からはじめて発生する。この主体的変化とは、革命的階級が古い統治を破壊するか揺るがすかするに足りるほどに強い革命的大衆活動を行う、という能力のことだ。』(+)
 (全集21巻p.213-4〔=日本語版全集21巻208-9頁〕。)//
 レーニンが叙述した状勢は戦争時に、とくに軍事的な敗北の際に発生しそうだ、というのが容易に見てとれる。
 このことから、彼は怒った。資本主義は戦争を回避し、そしておそらくは革命的情勢が発生する機会を排除するだろうとの見解に対して。
 かくしてまた、革命家たちは帝国主義戦争で自分たちの国が敗北するのを狙い、そしてそれを国内の戦争(内戦)に転化させるべきだ、とのレーニンの欲望も、生じる。//
 レーニンが政治権力の問題に頭を完全に奪われていたことは、つぎのことを意味した。すなわち、いわゆる『ブルジョア的平和主義』のいかなる痕跡からも完璧に自由な、唯一の社会民主党の指導者だった。-彼にとって、この『ブルジョア的平和主義』というのは、資本主義の革命的廃棄なくして戦争を放棄したいという希望であり、戦争が勃発したならば国際法の方法でそれを終わらせようという試みだ。
 ブルジョア的平和主義の兆候は、戦争の階級的性格を無視して、侵略(aggression)という観念(concept)を用いることだった。
 戦争は、国家の用語法によってではなく、階級の用語法で理解されるべきものだ。戦争は二つの国家組織体の衝突ではなく、階級の利害の産物だ。
 レーニンはしばしば、クラウセヴィツがこう述べたのを引用した。『戦争とは、別の手段による政治の継続にすぎない』。
 そして、この格言によって、ナポレオン時代のプロイセンの将軍〔クラウセヴィツ-秋月〕は『戦争に言及する弁証法の主要命題』を定式化したとされた(同上、p.219〔=全集21巻214-5頁〕。)(+)
 戦争とは、階級利害を原因とする対立の宣告だ。この対立を解消する戦争的手段と平和的手段との違いは、純粋に技術上のもので、この違いに政治的な意味合いはない。
 戦争は『たんに』、別の時代にはそれによらないで目標を達成できた手段であり、階級の利害とは別の、特別の道徳的または政治的な性質を持たない。
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
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 段落の中途だが、ここで区切る。③へと、つづく。

1688/策略の失敗-「日本会議」派二項存置・自衛隊明記論⑦。

 高村正彦・自民党副総裁(留任)挨拶・8/3-「先ほど役員会で総裁に『総裁の5月3日の憲法発言は憲法論議を党内外で活性化させるのに大変良かったけれども、これからは党にお任せいただいて、内閣としては経済第一でやっていただきたい』とお願いしてきたところであります」。
 おそらく間違いなく、九条二項存置・自衛隊明記論は消えるだろう。
 条文化の検討に入ったとたんに、いや検討に入らなくとも、少しばかりは想定しかけたとたんに、「その文章化はほとんど困難であるか、またはかりに作っても無意味であるために、必ず、つぶれる」。
 「自民党の案として、おそらく間違いなく、まとまることはない。/したがってまた、こんな改憲案が国民に示されることはない。」-以上、「 」内は既述。
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 党総裁が突如として、現在の自民党改憲案と異なる、九条二項存置・自衛隊明記との憲法改正案を5/3に述べたのは奇妙ではあった。
 それを、自民党の会議や集会ではなく、「日本会議」系憲法改正集会へのビデオレターーで明らかにしたのは極めて異様だった。これは、一紙・読売新聞のインタビュー答えたよりも、異様だった。
 高村正彦は、月刊正論(産経)9月号に写真つきで登場して上の案肯定を述べてしまって、恥ずかしく思っているのではないか。
 遅れて読んだが、三浦瑠璃のつぎのわずか二文は、ことの本質・深層をすでに見抜いている。三浦瑠璃ブログ・5/4。
 「仮に、総理が提起するように、9条1項2項をそのままに、自衛隊を明記したとしてもこの問題は解決しません。『戦力』ではないところの『自衛隊』とはいったい何なのかという、頓珍漢な議論が温存されてしまうでしょう。」 
 二項存置のままで<自衛隊の存在を憲法に明記>しても「問題は解決し」ないのであり、「戦力」でないまままの「自衛隊」について「頓珍漢な議論が温存」するだろう。
 これは正当な指摘だ。①<自衛隊の存在を憲法に明記>するのは実質的にほぼ不可能だし、②従前よりも奇妙で複雑でかつ「頓珍漢な議論」を憲法解釈論に持ち込むことになるだろう。
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 もう関心もなくなったし、実際的意味もなくなっただろうが、伊藤哲夫ら「日本会議」派の頭の中を覗いてみる意味はまだあるだろう。
 また、産経新聞によるとさっそく、櫻井よしこと「日本会議」代表の田久保忠衛が共同代表である「美しい日本の憲法をつくる会」の<憲法に自衛隊を明記を>と掲げたキャラバン隊がどこやらの都市を走っているらしいのだが、できもしないことを主張して動く、若い?運動員たち、「日本会議」や櫻井よしこらに<そそのかされている>人々の可哀想さに思いを馳せて、気の毒だという想いを書きつづってもよいだろう。
 可哀想なのは、月刊正論、そして月刊正論編集部、編集代表・菅原慎太郎も同じ
 「仕事」として、「日本会議」尊重・安倍晋三追随の会社と雑誌の基本方針に反するわけにはいかない。
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 「自衛隊の存在を」というとき、おそらく提案者は、無意識にでもすでに、現行法制とそれにもとづく組織・人員および活動-広義での<現実>-の理解・認識を行っている。
 「憲法上に明記を」というのは、新しい憲法規範の設定作用で、<現実>の理解・認識とは別の次元での精神的行為だ。それがあってのちに、<憲法解釈>および<現実化>が始まる。
 この二つを平板に並べる、あるいは結合して叙述する文は、その文自体に陥穽・ワナ、がある。
 「自衛隊の存在を憲法に明記」という文は、異質な精神的行為を混在させていることに気づかなければならない。
 条文化の時点で隘路にはまり、現に一部そうなっているように、「頓珍漢な議論」が続出することになるだろう。

1687/「前衛」上の日本共産党員⑩-2013年6月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年6月号による。
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 寺尾正之/全国保険医団体連合会事務局-社会保障制度改革。
 林 泰則/民医連常駐理事-社会保障制度改革。
 布施祐仁/ジャーナリスト-原発労働現場。
 脇田 滋/龍谷大学教授(労働法学)-労働規制緩和。
 萬井隆令/龍谷大学名誉教授(労働法学)-解雇規制。
 吉田敏浩/ジャーナリスト-安保・米軍基地。
 **付記-不破哲三・スターリン秘史/大テロル(下)が30頁分ある。
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 別の号へとつづく。

1686/帝国主義と革命①-L・コワコフスキ著18章5節。

 この本には、邦訳書がない。Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. =L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 第5節へと進む。第2巻単行著の、p.491以下。
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 第5節・帝国主義の理論と革命の理論①。
 帝国主義に関するボルシェヴィキの理論は、レーニンとブハーリンが作った。
 ブハーリンは、最初に、新しい歴史的時代のために革命の戦略の基礎を定式化した。
 帝国主義に関する著作でレーニンは-すでに書いたことだが、たいていの部分は、J・A・ホブソンの<帝国主義>(1902)とR・ヒルファディングの<金融資本主義>(1910)にもとづく-、帝国主義を前独占資本主義時代と区別する主要な五つの特質を列挙する。
 (1) 生産と資本の集中。これは、大独占体による世界経済の支配へと至る。
 (2) 銀行と金融資本の融合およびその結果としての金融寡頭制。
 (3) 資本の輸出のとくに重要な役割。
 (4) 国際的資本主義の独占同盟者たちによる世界分割。
 (5) 大帝国主義諸勢力による世界の領土的分割競争。
 この状況は資本主義の矛盾を除去せず、極限にまでその矛盾を高める。体制内部での発展の不均等性と競争の激しさは、戦争の蓋然性を減少させないばかりか、それを一層不可避にする。
 最後の点を、レーニンは、カウツキーを攻撃して、強調する。
 カウツキーは、世界経済体制が『極端な帝国主義』の段階へと移行するのを予見するのは可能だ、と主張していた。その段階とは、大諸国と国際的カルテルが世界の分割を安定化させ、戦争の危険性を排除できる帝国主義の段階だ。
 カウツキーは、これを一般的な仮説として提起し、このように必然的に進むとは何も主張しなかった。
 しかし、レーニンは、戦争なき資本主義、革命も起こりそうにない状態の国家、という考え方だと憤慨した。
 カウツキーの『愚にもつかない話』は反マルクス主義的で、日和見主義の兆候だ。帝国主義は、世界発展の不均等性を調整して排除する手段はないので、戦争なくしては存在し得ないはずだろう。
 そのことから、論文『プロレタリア革命の軍事綱領』(1916)で、レーニンは、社会主義は全ての国で同時に勝利することはない、との結論を導いた。
 革命の過程は一つまたは若干の国々で始まり、それがさらなる対立と戦争につながるだろう。//
 ブハーリンは、革命の展望と、単一の制度を同時に構成する世界経済の不均等な発展との関係を、戦争中と革命後の最初の数年の間に書いた書物で、詳述した。
 彼が説明するには、帝国主義は、監督して規制する力のある国家とともに、生産の無秩序を克服しようと、かつ合理的な経済を組織しようと追求する。
 しかし、矛盾と競争を除外することはできず、そのゆえに、帝国主義戦争を避けることはできない。
 全体としての資本主義体制は、社会主義革命に向けて成熟している。しかし、技術的な発展が高度に達しており、莫大な収益のおかげでブルジョアジーが労働者に高い賃金を支払うことができ、労働者に革命を思いとどまらせるところでは、矛盾の集中が最大になっている、つまり資本主義世界の外縁の、後進地域、植民地および半封建的な諸国以上に、この社会主義革命は、勃発しそうにない。
 増大する搾取、民族的抑圧、および農民運動が組み合わさって、これらの諸国は、世界的体制の鎖を力づくでもぎ取ることのできる最も弱い繋ぎ目(環)だ。
 発展していない諸国での社会運動は、直接に社会主義の建設を導くことはできない。しかし、それは、先進諸国のプロレタリア-トの自然の同盟者であって、労働者、農民の結合した力にもとづいて、漸進的で平和的な社会主義への発展と一致するブルジョア民主主義的目標を達成する、そのような過渡的な社会形態を創り出すことができるだろう。//
 しかしながら、レーニンは1916年までに、議論をつぎの段階へと進めた。
 『自己決定に関する討論の総括』で、こう書いた。//
 『植民地や欧州の小民族の反乱が伴わない、<偏見を全てもった>小ブルジョアの一部の革命的な暴発が伴わない、地主、教会および君主制による抑圧に反対する、あるいは民族的抑圧に反対する等々の、政治的には無自覚のプロレタリアと半プロレタリアの大衆の運動が伴わない、そのような社会革命が<考えられ得る>、と想像するのは全て、社会革命を放棄することを意味する。<中略>
 「純粋な」社会革命を期待する者は誰も、それに生きてめぐり合うことは<決してない>だろう。<中略>
 ヨーロッパでの社会主義革命は、抑圧されかつ不満をもつあらゆる全ての者の側の、大衆闘争の暴発以外のものでは<あり得ない>。
 不可避的に、小ブルジョアや遅れた労働者の一部もそれに参加するだろう-このような参加なくして、<大衆>闘争は不可能であり、<いかなる革命も>また可能では<ない>。
 また彼らは、全く同じように不可避的に、自分たちの偏見、反動的な空想、弱さと誤りを運動に持ち込むだろう。
 しかし、<客観的には>、彼らは<資本>を攻撃するだろう。』
 (全集22巻p.355-6〔=日本語版全集22巻416-7頁〕。)//
 この理論の帰結またはこれがマルクス主義の伝統から逸脱する程度を、レーニンが十分に意識していたかどうかは明確でない。
 マルクス主義が発展の『ブルジョア』段階だと、別言すれば一次的な農民と従属民族の段階だと見なすような多数の充足されない要求や熱望があるところでのみ、社会主義者の蜂起は発生し得る。-このことが、いずれにしても、断固として述べられた。
 これは、社会がブルジョアジーとプロレタリア-トでのみ構成される、マルクスが予見したような状況に資本主義が接近するときには、社会主義革命は生じない、または生じそうにない、ということを意味する。
 充たされない農民と民族的要求および『封建主義の残滓』の存在はプロレタリア-トを助けて、『非プロレタリア』の活力でもってプロレタリア-トを補強し得るだろうとのレーニンの言明は、もちろん、マルクスとエンゲルスの戦略と矛盾してはいない。
 マルクスとエンゲルスは、多様な場合に同様の立場を採用した。例えば、1848年のドイツのプロレタリア革命や1870年代のロシアの革命への望みにおいて、あるいは、アイルランド問題はイギリスの労働者階級の立場を強化するだろうとの見方において。
 本当のことだが、マルクスとエンゲルスは、この同盟がどのように作動するかに関するいかなる精確な理論をも提示しなかったし、どのようにして彼らの望みは社会主義革命に関する一般理論と調和できるのかについて、明確でもなかった。
 しかし、プロレタリア革命は『封建主義の残滓』による補強なくしては決して生じることができないとの言明は、マルクス主義における新考案物(novelty)であり、伝統的理論からは完全に離反するものだった。//
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
 ②へとつづく。

1685/憲法規範というもの-非専門の<素人>が陥るワナ。

 秋月瑛二とは何者かについて、できるだけ示唆を与えないようにして、気軽に書いてきた。
 多少は専門家ふうに書かせていただく。
 ①憲法典上に言葉・概念が「存在しない」から、憲法上「認められていない」、のでは全くない。
 例、「営業の自由」という言葉・概念は、現日本国憲法上のどこにも、基本的人権保障条項のどこにもない。
 では、日本国憲法は、「営業の自由」を<自由権的>人権の一つとして<保障>していないのか?
 そんなことは、ない。
 例、「知る権利」・「プライバシー」という言葉・概念は、現日本国憲法上のどこにも、基本的人権保障条項のどこにもない。
 では、日本国憲法は「知る権利」・「プライバシー」の権利性または保護法益性を、いっさい認めていないのか?
 そんなことはない。
 情報<公開>に関する法律や条例の多くは「知る権利」という言葉・用いないが、これは「知る権利」なるもののいっさいを否定する趣旨ではない。一方で、「知る権利」という言葉・概念を使っている条例もあるが、だからといって、「知る権利」の保障に厚い、というわけでも全くない。法律や条例上のより具体的な制度内容や適用・執行の仕方にむしろ大きく関係する。
 *「自衛隊」という語・概念がないからといって、法律以下による「自衛隊」の設置・編成およびそれにもとづく組織と活動を憲法が<認めていない>のでは、全くない。
 ②憲法典上の言葉・概念そのままの意味で、法律以下の法制がその言葉・概念を使っている、のでは全くない。
 例、<地方公共団体>。憲法上の「地方公共団体」と地方自治法(法律)上の「地方公共団体」の意味・範囲は、憲法の通説および最高裁判所の判例によると、明らかに異なっている。
 東京都の新宿区という<行政団体>は、憲法92条以下の「地方公共団体」なのか。法律上はそれであることは明らかなのだが(「特別地方公共団体」の一種としての「特別区」)。
 例、<条例>。憲法94条でいう「条例」と地方自治法(法律)上の「条例」の意味・範囲については、いくつかの説がある。立ち入らない。
 *憲法上に「自衛隊」という語・概念が(その存在を肯定する意味で)使われたとしても、自動的に、その意味内容、組織・公務員・活動の範囲、あるいはその国の機構の中の位置づけが、明らかになるわけでは、全くない。
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 潮匡人、伊藤哲夫らは、少しは理解できるだろうか。
 <自衛隊の存在>を<憲法に明記する>とは、どういう精神的活動だと考えているのか?
 さらに論じてみたい。

1684/潮匡人・新潮新書もアホ-「日本会議」派二項存置・自衛隊明記論⑥。

 橋下徹入閣、しかも憲法改正担当ということであれば、少しは書き方を変えるが、主張自体は変わらない。
 <保守>派言論人らしき者は、そろって異常だ。
 「『自衛隊』という名前のまま、憲法に明記する」。p.233。
 潮匡人・誰も知らない憲法9条(新潮新書、2017.07)。
 憲法上に「自衛隊」という語を明記したとして、いったい何故、その語・概念が意味するのは、現在ある、現行諸法制にもとづく、現行法規範上の、または現実のもしくは<経験上の>「自衛隊」と同一だと、言えるのか???
 憲法上に「自衛隊」という言葉さえ導入すれば、現実の、現行法制上の「自衛隊」もまた、憲法上、より具体的に正当化されるのか???
 この潮匡人もまた、バカだろう。
 純粋に防衛・軍事問題を研究して発信することに執心して、<しろうと>の憲法論議になど関与しないでいただきたい。
 まだ熟読はしていないのだが、どうも伊藤哲夫・岡田邦宏あたりよりも、ヒドそうな気がする。
 月刊正論の座談記事は別途読むが、期待していない。
 ああ恥ずかしい。本当に、安倍晋三がこの案に執着するのだとすると、安倍晋三内閣は、完全にアウトだ。
 ---
 昨日に書いたたしか三つ、および今朝書いた、百地章「私案」批判の文章も読んでいただきたい。 

1683/百地章私案もダメ-「日本会議」派の九条二項存置・自衛隊明記論⑤。

 百地章が、7/30に時事通信社に対して、こう語ったとされる。時事ドットコムニュース/政治による。
 百地章は、九条二項存置・自衛隊明記の安倍晋三案を「積極的に評価する」と明言したのち、こう言う。
 ①/「私案だが『9条の2』を設け、『前条の下に(=9条の下に)、わが国の平和と独立を守り国際平和活動に寄与するため、自衛隊を保持する』との文言を加えてはどうか。自衛隊の権限を一切変更しないのが大前提」だ。
 ②/「自衛隊明記は9条に矛盾するという人もいるが、現在の自衛隊は9条の下で存在している。単に憲法に明記するだけでどうして矛盾するのか、論理的にあり得ない。」
 ②/は説明不足かもしれないが、結論的には、よい。
 しかし、①/の「私案」はおかしい。
 この人は憲法学者・法学者のはずだが、分かっていない。
 すなわち、「自衛隊の権限を一切変更しないのが大前提だ」というが、この大前提は、いかにして憲法上あるいは憲法解釈上、担保される、あるいは保障されるのか。
 憲法学者なら、答えていただきたい。
 「(現在の)自衛隊の権限を一切変更しない(ものとする)」、という文章を条文化するのか??
 根本的に、つぎの問題がある。
 第一。「一切変更しない」、「自衛隊の権限」とはそもそも何か。現在時点での現行法令上の「権限」と同じ権限を意味するなら、それをこと細かく憲法上にも規定しないと憲法上の権限にはならない。そして、それは不可能。
 第二。このように固定してしまうと、<現状>からの多少の変更も、憲法上禁止されてしまうことになる。 こんな現状固定が許されるはずがない。「権限」にも大から小まであるので、法律で追加・修正する必要が生じうる。
 こんな「私案」が、のうのうと語られてはならない。
 こんな「私案」で、条文化できるはずはない。
 百地章にいう私案の冒頭で「自衛隊」という概念を使ったとたんに、現実にいまある「自衛隊」とは論理的には別の概念・範疇が生まれる。
 その別の概念・範疇と現実とを、「自衛隊の権限を一切変更しないのが大前提」だとして連結することはできない。百地章の<頭・観念世界>の中ではできても。
 この<連結>は、不能だ。分かって主張しているとすれば、ペテンであり、欺瞞だ。
 この百地章も、概念・現実、規範と現実、憲法規範と現行法規範の関係について、大きな錯覚に陥っている。大きな過ちを冒している。
 より詳しくは、この欄に最近に書いたことを参照していただきたい。

1682/九条二項存置・自衛隊明記論④-伊藤哲夫・小坂実のバカさと危険。

 小坂実は、以下の著で、こう言う。
 「せめて世界標準の個別的自衛権が行使できるよう、憲法に自衛隊を明記しましょうよと。本気で個別的自衛権で反撃できるというなら、是非とも自衛隊の『加憲』に同調すべきだと」。p.131。
 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 これは、恐ろしい主張だ。
 つまり伊藤・岡田とともに小坂が二項存置・自衛隊憲法明記案を主張する際の「自衛隊」とは、集団的自衛権を行使しうるのではなくても、個別的自衛権を行使できるだけのものでもよい、そこまでは一致できるはずだから、「加憲」に賛成しようよ、と言っているのだ。
 ---
 九条二項存置のままで個別的自衛権とか集団的自衛権の区別に関係する<明文>を定めることは相当に困難だ。
 とすると、何という概念を小坂は使うつもりなのかは知らないが、新三項によって明記される「自衛隊」なるものは、個別的自衛権の行使に限られる(集団的自衛権の行使は認められない)組織・機構だと<憲法解釈>されてよい、と小坂は明示的に主張していることになる。
 少なくとも法律レベルで実質的に明記し、憲法にも違反しないと(国会、内閣>内閣法制局によって)解されている集団的自衛権の行使を、小坂実は、新九条三項「加憲」によって、憲法解釈上、個別的自衛権の行使に限定してよい、というのだ。
 ひどい後退、劣化だ。こんなことを言う「センター研究部長」の気が知れない。
 よほど<自衛隊の明記>にこだわっている。
 しかし何と、明記を拘泥する<自衛隊>は、個別的自衛権しか行使できないと憲法解釈されてよい、というのだ。
 この人、小坂実は、「左翼」であり、日本共産党同調者だろう。九条二項削除をよほど怖れて、先ずは三項「加憲」でごまかそうとしているのかもしれない。
 ---
 何度でも、つぎのことを、書いておく。
 「法解釈にのみ依存する自衛隊の存在」。p.94の見出し。
 これは、結論誘導的で、欺瞞的な表現の仕方だ。
 この人たちの、「明記」と「法解釈」を大きな断絶があるものとして<どしろうと>として理解している、幼稚な知識と発想にもとづいている。
 <憲法解釈にもとづく(依存する)>というのは、<憲法にもとづく>とほとんど同じ意味だ。
 この人たちの論じ方を使っていうと、<憲法にもとづく>には二種ある。
 <憲法上の、だれも疑い得ないほどに明確な言葉で成る規定にもとづく>と<憲法解釈にもとづく>。
 憲法「解釈」であっても、それが安定していて、堅固であれば、ほとんど何の問題もない。
 自衛隊員たちの士気にかかわるとかの議論をする、訳の分からない者たちがいるようだ。
 そういう人たちは「憲法解釈」論をかぶった日本共産党の政治闘争にすでにある程度は屈服している。
 「自衛隊」という直接の言葉はなくとも、現憲法が国家に固有の自衛権行使を容認しているかぎり、現在の自衛隊は憲法にもとづくものであり、かつまた1954年以降60年以上にわたって、国民を代表する国の国会が、つまりは全国民の代表者たちが、合憲的なものとして、その崇高な任務を自衛隊に、そして自衛隊の隊員たちに与えたのだ。
 そのことが申し訳ないというなら、九条二項を削除して、本格的に安全保障・軍事関係規定を設ければよい。
 そうしないでおいて、またそう主張しないでおいて、二項存置のまま形だけ「明記」しようとするのは、日本共産党や「左翼」の政治的主張に屈服している。
 日本にまともな「保守」が希薄化していることの証拠だ。
 中でも、小坂実の上の主張は、ひどい。
 ---
 ところで、10年ほど前、秋月瑛二は日本政策センターなるものの薄い月刊誌的なものを、1年間だけ購読したことがある。雑誌名をすぐに思いだせない。
 1年で止めてしまった契機になったのは、2000年頃に廃止された「機関委任事務」なるものについての知識・理解がその後かなり経っていたが不十分で怪しいままの論文的なものを読んだからだった。
 その著者名を、思い出した。小坂実、だった。
 地方行政、または国と地方の関係を問題にしながら、その論考らしきものは、「機関委任事務」という(国・地方の)行政公務員であれば基本的には了解しているはずの基本的タームの意味を、理解できていなかった。
 これでよくぞ、地方行政あるいは国と地方の関係について語れるものだと、呆れてしまったのだ。
 「機関委任事務」。その当時にすでに(制度としては)廃止されていたから(しかし、何らかのかたちで継続している事務の方が多い)、説明は省く。
 ともあれ、こんな基本概念(だったもの)を知らずして日本の「政策」を「研究」している団体だと分かって、一年かぎりでおサラバしたのだった。
 代表・所長・研究部長、専従の「研究」者は、この三人だけなのだろうか
 さらについでに書くと、小坂実、1958~、東京大学法学部卒。唯一の「法学部」出身者だ。卒業するだけはほとんど誰でもできるので、卒業できるでけの勉強はしたらしい。
 また、これでよく、「株式会社」として経営していけているものだと、感心し、不思議に思いもする。

1681/九条二項存置・自衛隊明記論-伊藤哲夫・産経新聞の愚③。

 つぎの二人は、他にもいるだろうが、現時点で憲法現九条二項削除の憲法改正を主張しない。そして、言う。
 岡田邦宏「いずれにしても、自衛隊の存在を憲法に明記することが肝要」だ。p.107。
 伊藤哲夫「まず議論の出発点として、自衛隊を憲法上、明確に位置づけることが必要だ。」
 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 すこぶる疑問なのは、ここでほいほいと出てくる「自衛隊」とは何のことか?、だ。
 きっと二人は、こう問われても、意味が理解できないのだろう。 
 ---
 自衛隊法(昭和29年法律第165号、最終改正・平成28年5月)という法律がある。防衛省設置法が「自衛隊」に言及し、これについては「別に法律」が定めるとする、その別の法律にあたる。
 自衛隊法3条は、つぎのように「自衛隊の任務」を定める。
 第3条「1項/自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
 2項/自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
 一 我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
 二 国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動
 3項/陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。」
 ---
 これらの定め(明文規定)から、<どしろうと>には分からないかもしれないが、素人でも、現在の「自衛隊」の「任務」について、つぎのことが理解できる。
 第一、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」こと(第一項)。
 ここで「我が国を防衛すること」が「主」とされ、そうではないものとして、「必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」ことが記されていることも分かる。いわば、第一種と第二種だ。
 第二、上のほか、「主たる任務の遂行」に支障がない限度でかつ「武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲」で、かつまた、「別に法律」が自衛隊が実施すべきとするかぎりで、つぎのものも、自衛隊の「任務」でありうることも分かる(第二項)。そのまま記す。
 ①「我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動」
 ②「国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動」
 そうすると、上のことから任務は三種に分けうることもわかり、最後の第三種には、上の①と②がありうることも分かる。
 これだけでは第三種の中身は分からない。「別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるもの」を確定しなければならないからだ。
 しろうとでも容易にわかるものもあれば、かなり複雑な法制になっている部分もある。
 いわゆる<有事法制>は、仮の呼称だが、<第一種>だろう。
 この機会にいくつか記しておけば、以下。
 武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成15年=2003年法律第79号、最終改正・平成二七年=2015年法律第76号)。
 武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(平成16年法律第112号、最終改正・平成二七年=2015年法律第76号)。
 武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律(平成16年114法律第114号、最終改正・平成二七年=2015年法律第76号)。
 他にも、いくつかの<有事>関連法律があるが、省略。
 <第三種>の1にかかる「別の法律」とみられるのは、以下。
 重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(平成11年法律第60号、最終改正・平成27年=2015年法律第76号)
 重要影響事態等に際して実施する船舶検査活動に関する法律(平成12年法律第145号、最終改正・平成二七年=2015年法律第76号)。
 <第三種>の2にかかる「別の法律」とみられる7のは、以下。
 国際緊急援助隊の派遣に関する法律(昭和62年法律第93号、最終改正・平成18年法律第118号)。 
 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(平成4年法律第79号、最終改正・平成27年法律第76号)。
 国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(平成27年=2015年法律第77号)。
 正確さを全面的には主張しない。しかし、少なくとも、「任務」の面をとっても自衛隊のそれは多様だと分かる。
 上では、「公共の秩序の維持」、つまり<警察>的活動を「必要に応じ」てすべきものとする、その他の個別の<警察>的活動、自然災害発生時の応急行動など、の関係諸法律の名称を挙げてはいない。
 上で試みたのは、自衛隊法上の「任務」規定からする分類だが、自衛隊発足以降徐々に増加してきた<任務の変遷の歴史>という観点からの<任務の分類>も考えられるだろう。
 また以上は活動・任務の観点から「自衛隊」を捉えようとするものだが、<組織・定員等>の観点、あるいは国家組織全体から見ての「自衛隊」の位置づけという観点、から自衛隊を理解しようとすることもできる。
 ---
 なぜ、以上のようなことを書いたのか。
 現在の自衛隊が行っているのは、日本の防衛(自衛)活動だけではない。
 国内的にも、国際的にもそうだ。
 また、防衛・自衛といっても、個別的自衛権の行使と「集団的」自衛権行使に関するものに、大きくは分けられる。
 さて、そもそも、伊藤哲夫、岡田邦宏らがほいほいと「自衛隊」というとき、<任務>だけからしても多様なのだが、いったいどのような任務・活動を行うものを想定して語っているのか。これを問題にしたいから、上のように自衛隊法(法律)の定めに立ち入った。
 まさかとは思うが、観念的に・抽象的に「自衛隊」という観念・範疇だけが一人で(頭の中で)歩いているのではないだろう。
 どこからどこまでの自衛隊の任務・活動を想定して(二項存置前提の)<自衛隊>明記・三項追加が語られているのか、いくら読んでも、さっぱり分からない。
 現憲法九条は現憲法の<第二章・戦争の放棄>の唯一の条だが、自然災害時の現実の自衛隊の活動は<戦争の放棄>と、論理的にいかなる関係があるのか?
 これも説明しないで、あるいし説明し切れないで、簡単に「自衛隊」という言葉・概念を使ってよいのだろうか。
 さらには、<自衛隊の存在を憲法上明記>などと主張して、自衛隊にかかわる憲法改正論を説く資格があるのだろうか?
 <もう一度出直せ>、とすでに書いたのは、このようなことも理由としている。
 「自衛隊」という語の<観念化>のひどい者たち、自衛隊なるものの現実・実際に降りていくという姿勢が乏しい者たち、こんな者たちが平然と平和と安全保障にかかわる憲法論を説くのを、許してはいけない。
 前回に書いたのだが、概念・規範等と現実、法の憲法と法律以下の少なくとも二層制等の理解・認識について、この人たちには、どこかに大きな過ちがある。
 産経新聞社自体にも(そして、月刊正論・編集代表の菅原慎太郎にも)、きっとあるのだろう。

1680/九条二項存置・自衛隊明記論-伊藤哲夫・産経新聞の愚②。

 九条二項を存置したままでの九条三項の追加による、または九条一・二項をそのままにしたうえでの九条の二の新設による<自衛隊の明記>という案は、<成り立つ>と思った。
 それは、2015年に平和安全法制を改正・成立させるに際してその当時の国会が採った憲法および九条関連「解釈」、つまりは、新「武力行使三要件」で限定された意味での集団的自衛権の行使が憲法上認められるということを前提とする「解釈」のエッセンスを書き込んで憲法に明記することはありうる、つまりいったん憲法解釈として採用されたものを憲法上に明記して確認する、ということはありうる、そういう議論も<成り立つ>と考えたからだ。
 むろん、この<エッセンス>をどう文章化するかという、という問題が残ることは意識した。
 棟居快行が読売新聞上で示した「試案」は簡単すぎるだろうと、感じてもいた。
 しかし、この案が単純に「自衛隊明記」案だとか称されていることや、その主張者たちの文章を読んでいて、すでに結論は出てしまった。
 ---
 たしかに、九条三項(または九条の二)に<二項と矛盾しない自衛隊関係条項>を作るという案は、考え方または案としては成り立つ。しかし、その文章化はほとんど困難であるか、またはかりに作っても無意味であるために、必ず、つぶれる。自民党の案として、おそらく間違いなく、まとまることはない。
 したがってまた、こんな改憲案が国民に示されることはない。
 三項加憲案を支持するか、支持しないかの問題ではない。それ以前の基本的問題として、文章化・条文化が実質的に不可能だと思われる。
 支持とりつけ→条文化、ではない。そもそも、「条文化」を試みて、それを支持してほしいと訴えるべきで、上のような<軍・戦力ではないものとしての自衛隊の憲法上の明記>を支持するか、しないかの議論を先行させてはいけない。
 <軍・戦力ではないものとしての自衛隊の憲法上の明記>なるものは、実質的に不可能だ。
 したがって、この案は、必ず、つぶれる。おそらく間違いなく、自民党の案にならない。
  ---
 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 前回に書いた。「明記」、「解釈」、「認める」、といった概念・言葉で何を意味させているのか。このような言葉、概念の意味・違いを明確にさせてから、<もう一度出直せ>。
 方法的、概念的、論理的な疑問は、前回に書いたこと以外にもある。
 ①「自衛隊について憲法に何も定めがないというのは異常です」。 p.99。
 陥穽への第一歩がここにもある。
 「自衛隊について」が何を意味するかが、そもそも問題なのだが、これは別に書く。
 「憲法に何も定めがない」とはいかなる意味か?
 「定め」が明示的な(ausdrueklich)な規定という意味であればそのとおりで、その意味では<明記>されていない、とも言い得る。
 しかし、だからといって、現在の自衛隊が憲法外の、あるいは超憲法上の存在であるわけでは全くない。現在の憲法秩序、現憲法が<認める>、あるいは<許容>しているものとして現在の自衛隊は存在している。
 そうでなければ、自衛隊法等々も、2015年平和安全諸法制も法規範として存在していない。
 つぎの②に対するコメントの一部と同じことだが、現在の自衛隊は現憲法が<認める>、あるいは<許容>しているものであり、その意味で<憲法に根拠づけ>られている。
 繰り返すが、憲法外の、あるいは超憲法上の存在であるわけでは全くない。
 憲法学者の90%以上が集団的自衛権行使容認の平和安全法制を違憲だとしたとか、憲法学者の60%以上が自衛隊を違憲だと言っている、ということを重視する向きがある。
 秘境・魔境に生息する者たちを重視しすぎてはいけない。
 上のことを気にするのは、憲法学界・憲法学者の中に食い込んでいる、日本共産党および同党員学者の「憲法解釈」論上での<政治的な闘争>に屈服していることを、ある程度は示している。
 そもそもの伊藤哲夫・岡田邦宏らの発想は、この対日本共産党屈服、だろう。
 正面から闘わないで、脇道を通って、<形だけの>勝利を目指そうとしているかに見える。
 そして、その<脇道>は、実際にはほとんど塞がれていることは、前回も、今回も、述べているところだ。
 ②「自衛隊が憲法に明記されず、九条二項に反しないような解釈にのみ根拠づけられていることに問題の根源がある」。p.101。
 大きな陥穽に落ち込みそうな叙述だ。
 つまり、「明記」と「(憲法)解釈」をそれぞれどのような意味で、従ってどのように区別して、用いているのか。
 結論だけ、まず示そう。
 第一に、つぎの三項追加案で、<自衛隊を明記>したことになるのか?。
 「第三項/自衛隊は、存在する。」、「第三項/自衛隊を、設立する。」、「第三項/自衛隊を、認める。」
 たしかに「自衛隊」を「明記」しているが、これでは無意味だろう。
 この無意味さを分からなければ、議論に関与するな、と言いたい。
 なぜか。三項で新たな憲法上の概念として出てくる「自衛隊」が、現在ある自衛隊を意味しているとする、根拠は何も、少しも、全くないのだ。
 現在の法律や<経験上の>知識を前提にしてはいけない。
 (かりにそうだとしても、自然災害対処や国際平和協力など「自衛」概念に通常は入らないものも現「自衛隊」はしていること等に、別に触れる)。
 そもそも、憲法上の「自衛隊」という語の<解釈>がやはり必要なのだ。
 第二に、「自衛隊」という語を使わないで、どう成文化するか。
 できるかもしれないが、しかしその場合、*二項存置が絶対の前提なので*、二項の「軍・戦力」ではないものとして三項で<明記>するものを表現しなければならない。
 その場合に、二項の「軍・戦力」ではない自衛権行使組織を定めようとすれば、当然ながら、二項の「軍・戦力」や<自衛権>についての<憲法解釈>を前提にせざるを得ない。
 結論だけ、が長くなったが、つまり、こうして追加される三項もまた、<憲法解釈>を必然的に要求するのであり、<明記されずに憲法解釈にのみ根拠づけ>られる状態は、何ら変わりない
 第三。決定的な反論または岡田邦宏批判。
 「憲法解釈にのみ根拠づけ」られていても、「憲法に根拠づけ」られていることに変わりはない。
 「どしろうと」にとって、「明記」と「法解釈」の間の溝・区別はきわめて大きいのだろう。
 しかし、「明記」というのは、言葉・概念それ自体の常識的・社会通念的・通常日本語上の意味が確定している場合に使いうる言葉であって、憲法上の概念とは、そんなものばかりではない。
 ---
 だからこそ、憲法はしばしば「法律の定めるところにより」と書いて明確化・具体化を法律に任せているのだ。
 伊藤哲夫や岡田邦宏や小坂実は、「内閣」は憲法上に明記されていると思っているだろう。その通りであり、かつその構成にも言及があり、「内閣」の仕事も憲法上に列挙されている。
 しかし、そのような憲法上に「明記」された「内閣」の姿だけで、現実の「内閣」を理解できるのか? あるいは「知った」と言えるのか?
 この問いの意味が理解できなければ、国家「政策」や憲法論に関与する資格はない、と思われる。
 憲法にかりに<明記>される自衛隊(「自衛組織」等々)と現実の自衛隊が「全く同じ意味・範囲」であるはずはない。
 <二項存置+自衛隊憲法明記>論者は、どこかで、言葉・概念・規範と現実、法規範の憲法と法律以下の最少でも二層の区別、に関するとんでもない過ちを冒している、と考える。
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