秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2016年04月

Hoover: Freedom Betrayed, p.879〔フーバー回顧録05〕

 Hoover: Freedom Betrayed, 2011〔フーバー大統領回顧録〕の一部の試訳 05
 文書18  "政治家資格失墜〔Lost Statesmanship〕-7年に19度の-に関する省察"  1953
 第89章

 p.879
 〔第十節〕 三ヶ月の冷却期間をおく日本との合意の受諾を拒絶したこと
 第十。第十の正当な政治の喪失は、1941年11月に、三ヶ月の冷却期間をおくことを合意しようという、彼の大使が知らせた日本の天皇からの提案の受諾を拒絶したことであった。我々の軍官僚たちは、ルーズベルトに対して受諾するように強く働きかけた。そのとき日本は、ロシアが同盟国・ヒトラーに対して勝利するかもしれないと警戒していた。九〇日間の引き延ばし(delay)があれば、日本は戦意をすべて喪失していたであろう、そして太平洋には戦争が生じないままだったであろう。スティムソン日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその官僚たちは、日本人たちが明白な犯行をするように挑発する方法を探していたのである。こうして、ハルは馬鹿げた最後通牒(ultimatum)を発し、我々はパール・ハーバーで敗北した。
 全南アジアの日本占領地域における継続した損失と日本の勝利は、計算できなかったものであった。さらに、制海権を失ったので、ヒトラーとTogoは、我々の海岸線から見えるところで我々の船舶を破壊することが可能であった。(注10.)
 注10…第38章、第39章参照。

 投稿者注記/藤井厳喜=稲村公望=茂木弘道・日米戦争を起こしたのは誰か-ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず(勉誠出版、2016)p.106-, p.258-.も参照。上のTogoは、Tojo=東條が正確だと見られる。〕

日本共産党こそ主敵-<悪魔の100年史>刊行を。

 月刊Will(ワック)は5月号で、日本共産党批判の特集を組んでいた。
 その他、雑誌Japanism等でも特集がある。
 しかし、一瞥のかぎりだが、私は不十分だと感じている。それについては近いうちに言及する。
 さて、月刊正論6月号(産経新聞社)の藤岡信勝論考の最後にこうある。正確には「若者」に対してだが。
 「日本共産党の歴史を、戦前は立花隆、戦後は兵本達吉の本を読んで知ってもらいたい」(p.135)。
 この二つを当然ながら秋月は読んでいるが、考えさせられることがある。
 それは、そう言えば、日本共産党の歴史(と現在)に関する詳細で学問的でもある(かつ分かりやすい)文献はなさそうであることだ。上の二つは、人文社会系の学者・研究者によるものではない。
 共産主義一般に関する(日本人による)批判的文献はないではない。また、ソ連や中国(・北朝鮮)の実態等に関する書物は多いとは言えないかもしれないが、まだある。
 しかし、日本の共産主義者たち、または肝心の日本共産党についての(むろんその歴史を含む)体系的・包括的な文献はひょっとすればまったく存在しないのではないか。
 研究者あるいは評論家と言われる人たちの中に、まともな(体系的・理論的も含む)日本共産党批判書を刊行している人はいるのだろうか。これは、日本の保守派=反共産主義派の大きな怠慢ではないか。
 人文社会系の学者たち、あるいはいわゆるアカデミズムが大きくコミュニズムに汚染されていて、現に日本にあったし、ある日本共産党の客観的分析、とりわけ批判的分析ができないだろうことは理解できる。だが、そのような実態こそ、いったい保守派は、とくに保守派とされる学者・研究者たちはいったい何をしてきたのかを疑問視させるものでもある。
 日本共産党自体の「社会科学的」研究こそが望まれる。処世・世渡りのために日本共産党自体の研究と公表をおろそかにしているとすれば(自民党についてはいくつかあるはずだ。55年体制とか「吉田ドクトリン」等々について)、本来は「社会科学」の精神・学問の自由の理念から離れている。
 日本共産党は2022年、6年後に創立100年になる。現在の状況では、大々的に<日本共産党の100年>とかの書物を「党史」として刊行する可能性が高いだろう。
 まだ6年ある。共同作業でもよいから、日本共産党自身が宣伝するような歴史と実態を同党はもつものではないことを、詳しく包括的に(かつできるだけ分かりやすく) 叙述する書物を保守派=反共産主義の学者あるいは論壇人たちは出版してほしいものだ。

Hoover: Freedom Betrayed, p.878-9〔フーバー回顧録04〕

 Hoover: Freedom Betrayed, 2011〔フーバー大統領回顧録〕の一部の試訳 04
 文書18  "政治家資格失墜〔Lost Statesmanship〕-7年に19度の-に関する省察"  1953
 第89章

 p.878-9
 〔第八節〕 日本に対する1941年7月の経済制裁
 第八。ルーズベルトの政治における第八の巨大な過ちは、一ヶ月のち、1941年7月末の、日本に対する全面的経済制裁だった。この制裁は、砲弾発射を除くすべての意味(本質)における戦争だった。ルーズベルトは再三にわたって自分の部下から、このような挑発は遅かれ早かれ戦争への報復を生み出すだろうとの警告を受けていた。(注7.)
 注7…第37章参照。

 投稿者注記/藤井厳喜=稲村公望=茂木弘道・日米戦争を起こしたのは誰か-ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず(勉誠出版、2016)p.99, p.256も参照。

 〔第九節〕 近衛の和平提案の受諾を拒絶したこと
  第九。1941年9月の、太平洋平和のための近衛首相の和平提案をルーズベルトが侮蔑的に拒絶したことによって、第九の正当な政治の喪失が完全になされた。近衛の諸提案を受諾するように、アメリカやイギリスの日本駐在大使たちは祈るような気持ちで強く働きかけていた。近衛が提案した諸条件に従えば、おそらくは満州(注8)の返還を除いて、アメリカはすべての目的を達成したことになっていたであろう。その満州返還ですら、まだ議論する余地を残していた。 皮肉家(犬儒学者)は、ルーズベルトはこの些末な問題をきっかけにして大きな戦争を起こそうと意図していた、そして共産主義ロシアに満州を与えた、と想起するであろう。(注9.)
 注8…満州はすでに、1933年5月31のタンクー(Tang-Ku)合意においてシナによって日本に譲与されていた。
 注9…第38章参照。

 投稿者注記/藤井厳喜ほか・上掲書p.102-4も参照。

日本共産党こそ主敵-月刊Hanada6月創刊号を少し読む。

 月刊Hanada6月創刊号(飛鳥新社)を一読。
 すでにある月刊Will6月号(ワック)と比べてみると、月刊Hanadaの方がよい。背表紙に「本当は恐ろしい日本共産党」とある。
 月刊Willには、目次を見ても共産主義・日本共産党に関するものが一つもない。時期的・政治的センスが相当に欠ける、と感じる。但し、裏表紙裏に西尾幹二全集の広告があるのはよい。
 月刊Hanada6月創刊号の既読のものは以下、(順番どおり)。
 ・西尾幹二「現代世界史放談-ペリー来航からトランブまで」
 ・名越健郎「日本共産党に流れたソ連の『赤いカネ』」
 ・藤岡信勝「騙されるな!共産党の微笑戦術」 以上、3稿。
 かつてのようには?、細かく紹介・言及・論及しない。 
 共産主義・日本共産党に関する、手垢のついた?、これまでにもあったような批判や分析は秋月瑛二にはもう十分だ。
 むろん歴史と伝統?に由来することも少なくないが、日本共産党の現綱領のもとでの現在の活動・主張を現在または最新の同党の現実の文献・文書等を素材にして、批判・分析することが必要だ(これは名越論考の有益性の否定をまったく意味しない)。
 この点、産経新聞も月刊正論も含めて-月刊正論はようやく5月号で特集を組んでいるが-保守派の議論には大きな欠陥があったと秋月は感じている(これは日本共産党はもちろん「左翼」に対しても言えることで、だから、長谷部恭男を自民党推薦委員とするような有力?自民党国会議員も出てくる)。
 日本共産党の卑劣さ・いやらしさを具体的に感じることのない、日本共産党の議論など無視して構わないと考えている、極論すれば保守の論壇内でぬくぬくと生きていければよいというがごとき論者がいるようだからこそ、日本共産党の棲息をなおも許しているとすら思える。
 1991年のソ連崩壊によって、勝負はついたとでも思って安心してしまっているのではないか。
 日本と日本人にとっての主敵は、日本共産党と同党員にこそある。
 アジアでは、自由主義と共産主義の闘いはなおも続いたままだ。
 もっとも、上の西尾幹二の論稿は、「放談」とはいえない、自由主義対共産主義という観点すら小さく思えるような大きなスパンに立ったものだ。自由対コミュニズムという基本的観点が誤っているとは思わないものの。
 西尾は予測する-何十年先か、地球は「再び大破壊を被る」、または「地球はカオスに陥る」。いずれも、アメリカが今後どうなるかに強くかかわる。それに応じて、日本と日本人はどう考え、どう行動すべきなのか。
 追-<堤堯の今月この一冊>も月刊Hanadaに移ったようで、堤は、藤井=稲村=茂木・日米戦争を起こしたのは誰か(勉誠出版、2016)を取り上げている。秋月瑛二が長い眠りから目覚めようかという気になったのは、この本と別のもう一冊(そのうち論及する)だったので、見る人は見ているな、という感はある。

Hoover: Freedom Betrayed, p.877-8〔フーバー回顧録03〕

 Hoover: Freedom Betrayed, 2011〔フーバー大統領回顧録〕の一部の試訳 03

 文書18  "政治家資格失墜〔Lost Statesmanship〕-7年に19度の-に関する省察"  1953

 第89章
 p.877-8
 〔第五節〕 合衆国の宣告なき戦争
 第五。政治家としての第五の大失敗は、1941年の冬にルーズーベルトが合衆国をドイツと日本との宣告なき戦争に放り込んだときだった。それは、数週間前に彼が選出された大統領選挙の際の公約に全く違反していた。注4.
 注4…第30章参照。

 投稿者注記/下掲書p.93の指摘のように、上の1941年は、正しくは1940年だと見られる。

 〔第六節」 慎重な待機策をとらなかった過ち
 第六。レンド・リース法〔軍需用品貸与法〕の(施行)前、そして軍事費がアメリカの人々の肩にに課される前の数週の間に、ルーズベルトは、ヒトラーがロシアを攻撃しようと決意していることを明確に知った。そして彼は、そのことをロシアに知らせた。彼はドイツとの宣告なき戦争を回避すべきであった。また、レンド・リース法(の適用)を、軍需品、糧食や船舶を購入するための金融支援という、イギリスに対する単純な援助に限定するべきだった。そうすれば、国際法の範囲内にとどまったままでいた。正当な政治〔 Statesmanship〕は、あの瞬間において、粛然として、注意深く待機する政策をとることを要求していたのである。注5.
 注5…第32章参照。

 投稿者注記/藤井厳喜=稲村公望=茂木弘道・日米戦争を起こしたのは誰か-ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず(勉誠出版、2016)p.95-96、p.254-5も参照。

Hoover: Freedom Betrayed, p.876-7〔フーバー回顧録02〕

 Hoover: Freedom Betrayed, 2011〔フーバー大統領回顧録〕の一部の試訳 02

 文書18  "政治家資格失墜〔Lost Statesmanship〕-7年に19度の-に関する省察"  1953
 89章

 p.876-7
 〔第三節〕 ミュンヘン
 第三。私は、つぎの理由では、ズデーテンのドイツ人たちを帝国〔ドイツ帝国=ヒトラー・ナチス〕に譲り渡す1938年9月のミュンヘン協定を非難する気にはなれない。それ〔譲渡〕はベルサイユ条約により生じたおぞましい財産で、同条約からしてそれは不可避だったのだ、という理由では。しかしながら、ミュンヘン協定によって、ヒトラーは、ロシアを侵攻するというその再三の決意を達成する諸ゲートを開いたのだ。〔ルーズベルトによる〕正当な政治の喪失〔Lost Statesmanship〕は、独裁者たち〔ヒトラーとスターリン〕の間の不可避の戦争に備えることから離れてしまい、そして、怪物たち〔monsters=ヒトラーとスターリン〕がお互いを殺し合うのを止めようとしていた。 
 <「第三節」おわり>

 投稿者注記/藤井厳喜=稲村公望ほか・日米戦争を起こしたのは誰か-ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず(勉誠出版、2016)p.253の「仮の訳」(稲村公望)と比較参照。同p.84-88も参照。

 

Hoover: Freedom Betrayed, p.875〔フーバー回顧録01〕

 Hoover: Freedom Betrayed, 2011〔フーバー大統領回顧録〕の一部の試訳 01

 p.875
 文書18  "政治家資格失墜〔Lost Statesmanship〕-7年に19度の-に関する省察"  1953
 <編集者による8行の記述あり>
 89章
 〔序節〕 政治家資格失墜-7年に19度の-に関する省察
 世界に生起したすべての惨害についてヒトラーとスターリンを非難することによって、なおもルーズベルトとトルーマンを擁護する人々がいる。彼ら〔ヒトラーとスターリン〕が人間の歴史における悪魔的で不吉な人物だったことには、何らの論証も必要としない。
 しかしながら、彼ら〔ヒトラーとスターリン〕との交渉におけるアメリカやイギリスでの正当な政治の喪失〔Lost Statesmanship〕についていかなる省察をしても、歴史の弁明の余地はない。この(正当な政治の喪失という)巨大な過ちがなければ、この惨害は西側世界に生じ得なかったであろう。
 私は、この錯綜した諸行為の中で読者が、何がありいつあったか〔what and when〕 に対する責任がいったい誰にあるのかを忘れてしまうことのないように、以下に、主要な出来事を列挙〔list〕することとする。私は読者に、この回想録中の諸章を注記する。そこ(その諸章)には、彼らが有罪であるとする事実と理由が述べられている。
 <「序節」おわり>

 投稿者注記-藤井厳喜=稲村公望=茂木弘道・日米戦争を起こしたのは誰か-ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず(勉誠出版、2016)p.250-1の「仮の訳」(稲村公望)と比較参照。Lost Statesmanshipの訳し方については、同書p.71-72も参照。
 

歴史・政治・個人03

 おそらくは平均よりも多く神社仏閣をまわっている。そこでは、神社と寺院に分けて、共通する言葉を内心で語るようにしている。神社ではそれぞれの祭神に、寺院では両親と祖先に(宗派と無関係に)内心で話しかけている。参拝とかお祈りとかふつうは言う。
 もっとも、正確にまたは厳密にいえば、秋月瑛二は「神」・「仏」あるいは「霊」というものの存在を「信じて」いるわけではない。人は死ねば「仏」になるとか言われ、人間でも死後に「神」になったらしい者もいるようだが、そもそも人間は死んでのちになお「霊」として存在するのかどうか、自分についていえば-死んだことがないので分からないが-きわめて疑わしく思っている。生まれる前にはいかなる自意識もなかったが、あるいは自分にとっては悠久の静寂だったが、死んだ後もまた、再びそのような、意識のない沈黙の世界に戻っていくだけなのではないか。
 死自体を自らは感知できないとすれば、個々の人の「死」とは、逆説的ながら、生きている人間のためにこそありうるのだろう。
 池田晶子・人生は愉快だ(毎日新聞社、2008)p.268-には、「共産中国」を批判する、あるいは皮肉る、つぎの旨の文章がある。
 ・人の死後にはその人の「霊魂」など存在しないはずだ。にもかかわらず、「英霊」を祀る靖国神社参拝を批判するとは、「英霊」という「存在しないもの」の「戦争責任」を追及しており、奇妙だ。「存在しないものを存在すると信じ込んでいる日本人の『迷信』を、まず論破すべきではないか」。
 池田の説、ごもっともだ。
 しかし、池田は徹底した?「唯物論」者ではないようで、上の著のp.111-は、マルクス(の「唯物論」)を例えばつぎのように述べて批判している。
 ・「この人は、意識がすなわち自己であるというこの当たり前が理解できない」。「自己を自己として思惟する者が、『利己主義者』と見える。そこに見えるのは一個の肉体だけだからだ」。
 ・この人は「目に見える肉体、目に見える社会しか眼中にない社会革命家」で、「目に見えない思惟の類はすべて、迷妄でなければ阿片である」。
 ・「人間に葬式を禁じることだけはできない」。「いかなる民族、いかなる体制においても、人間は人間が死ぬことを『何事でもない』と思うことができない」。人はその時「一個の石でもそこに置く」。「死とは必ず何らかの意味なのである」。
 これまた、ごもっとものように思える。
 池田の書いていることについて、丁寧な議論をしようとしているのではない。
 前回に「戦犯」被処刑者、とくに1948年の今上天皇(当時の皇太子)の誕生日に「首を吊られて」死んだ7名の人たち、を念頭において、「浮かばれないのでないか」とか書いたのだったが、とくに彼らの死と彼らの(あるとすれば)「霊」 というものに想いを寄せていて、ふと池田晶子の文章に接したにすぎない。
 彼らの「霊」は実在しないかもしれない。おそらくそうだろう。しかし、生きている者が、日本人が、彼らの「霊」を感じる、あるいは感じようとすることはできる。そして、涙することはできる。 

政治・歴史・個人02

 歴史の現実とは苛酷なものだ。
 この欄に書いたことがあるように、20世紀は二つの大戦とか<民主主義対ファシズム>の闘いとかによって特徴づけられるのではなく、1917年のロシア革命による<社会主義国家>の誕生と1989-91年のロシアを中心とするソ連の崩壊によって最も特徴づけられる世紀だった、と考える。つまりは、いわば前期(第一次)社会主義(・共産主義)国家の生誕と解体であり、その間に前期(第一次)の<自由主義対共産主義>の闘いがあり、前者が勝利した。現在は、後期(第二次)の<自由主義対共産主義>の時代だ。
 上のような叙述を時代遅れ、古くさいと感じる者が日本には少なくないだろうことは、実に残念な、深刻なことだ。それはともかく-。
 二つの大戦の死者数よりもソ連や中国等の<社会主義国>(の政権)による粛清や政策失敗による飢餓等での死者数の方が多い(この欄で既述)。
 ソ連のスターリニズムの犠牲になった人たちや中国の文化大革命時に殺害された人たちのことを想う。あるいは例えば、いっときの「自由」のあとでソ連圏に組み込まれてその傀儡国家になった=ソ連共産党の従属政党が権力を握ったチェコ(・スロバキア)の人たちのことを想う。
 1968年にいわゆる「プラハの春」事件が起きたのだったが、一時期の「自由(・自立)・改革」の運動は弾圧されて、その時の指導者たちは苦しい生活を強いられたはずだ。
 詳しくは知らない。だが、1989-91年以降に20年!を経て政治活動を復活することができた、まだ幸福な人たちの他に、自国の政治・体制を間違っていると感じながらも(あるいは強く確信しつつも)、1989-91年を待たずして死んでいった人たちも多くいたに違いない。政治的行為・活動を理由とする逮捕・拘束が直接・間接の原因ではなくとも、人間には、個々の人たちには、「寿命」というものがあり、長くても80-100年くらいしか生きられないからだ。
 1968年に抗議の自殺をした青年たちも含めて、<ソ連社会主義>は間違っているとの確信や感覚を持っていた人たちは、その確信・感覚の正しさが現実によって証明されることなく、無念のうちに、あるいは憤懣とともに死んでいったに違いない。チェコにもちろん限らない。数の上では旧ソ連や共産党支配の中国等における方が多いに違いない。
 むろん、もっぱら他国の国民のこととして書いているわけではない。日本にも無念や憤懣をもって死んでいった同胚たちが多数いる、はずだ。その人たちの人生や正義感は誤っていなかった、まっとうなものだった、と現在に生きるわれわれ日本人の多くが理解しているのだろうか。彼らの名誉は回復しているのだろうか。
 政治的な駆引きによる歴史認識操作によって、依然として「悪者」扱いされたままの人たちがいるとすれば、彼らはそれこそ浮かばれないのではないか。
 歴史の現実とは苛酷なものだ。個々の人間には一つの、かつ限りある「生命」しかない。したがって、いかに<正しい>人生を送ったところで、<正しい>主張をし続けてきたところで、それが証明されることを実感することなく、あるいは現実では何ら報われることなく、死んでしまう者もいることになる。

政治・歴史・個人01

 歴史(認識)と政治の関係について、いっとき考えた。
 結論は、第一、なるほど政治的目的をもって(この中には外交目的も含む)適切とはいえない歴史認識を示すことによって政治・外交がうまくいけばそれでよいと、現実的なまたは当面する政治目的を優先させてよいとする考え方もあるのかもしれない。
 だが、しかし、第二に、いくら例えば外交の相手方(国)を喜ばすことによって当面の政治的目的を達成したとしても、当面のそれのために、正しい、あるいは客観的に合理的な歴史認識を汚してしまうことは、長期的に見ても、日本国家のためにはならない、というごくふつうのものだった。
 少なくともその誤った歴史認識にもとづいて日本国家が過去を謝罪し、<日本は悪いことをしました>と認めるようなものであるならば。
 そしてとりわけ、それが国家を代表して内閣の長たる内閣総理大臣によって明言されるとすれば。
 安倍晋三首相は、昨年(2015年・平成27年)8月、そして12月、いったい何のために誤りを含む歴史認識を示してしまったのだろう。秋月瑛二はうんざりしてますます憂鬱になっている。こんな歴史理解をする政権のもとで、自分は生き、そしてやがて死んでいかなければならないのか。
 憂いは深い。ひどくいやな時代だ。
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