秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2015年01月

1279/<左翼>愛好の「国家のゆらぎ」論を萱野稔人が批判。

 Think global, Act local というスローガンかモットーのようなものを読んだことがある。<グローバルに考え、ローカルに行動せよ(しよう)>ということだ。
 この二つにあえて反対する必要はないようにも見えるが、当然ながら、重大なことに気づく。
 グローバル・「世界」・「国際」・「地球」とローカル・「地域」との間の、<国家>がすっぱりと抜け落ちているのだ。
 上記は、ナショナルに考え、行動することは絶対にしたくないという、<左翼>の標語なのだろう。
 「国家」、そして「ナショナルなもの」をできるだけ無視したい、想起しないようにしたいというのは、遠い将来の<国家の死滅>を予言し最終目標とするコミュニズム・「共産主義」に親近的な者たちの考え方でもある。
 エンゲルスの著-家族・私有財産および国家の起源-は、コミュニストたちが廃棄したい三つのものを明確に記していた(この著の前にルソーは「家族」について実践していたが)。
 そういう人々は近年、<国家のゆらぎ>ということを語りたがる。それは一つは、単一の近代国家が統合へと向かう兆しによって生じており、EU(欧州連合)はその好例だとされる。日本近辺については、<東アジア共同体>なるものを目指すことを肯定的に語る者もいる。
 いま一つは、単一の国家内部で、「国家」と社会または民間の境が曖昧になりつつある現象として表れているとされる。国家の事務の範囲・役割が不明確になっていることを前提とする、公共事務の<民営化>も、そうした傾向の重要な一つだとされる。
 だが、<国家のゆらぎ>を積極的・肯定的に語りたがる者は、 「国家」・「ナショナルなもの」をできるだけ無視したい、想起しないようにしたい、<左翼>の学者や評論家たちだと思われる。
 萱野稔人は<保守派>だとは見なされていないようだが、「日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが…」という一文を含む文章を朝日新聞の2015.01.18朝刊に書いていて、その内容は納得できるものだ。
 萱野稔人は、「国家のゆらぎ? ゆらいでいるのは米の覇権」と題し、昨年のクリミヤ半島ロシア編入、「イスラム国」、スコットランド独立住民投票に言及したあと、「これまでの国家の枠組みをゆるがすようなできごとが相次いだ」が、「これらの動きを主権国家そのものの衰退ととらえることには無理がある」と断じる。そして、ウクライナ・イスラム世界での出来事は「国家そのもののゆらぎではなくて、米国の覇権のゆらぎである」とする。
 そのあと、さらに次のように述べる。
 「国家のゆらぎについてはこれまでも、グローバリゼーションによって国境の壁は低くなり、国家は衰退していくのではないか、ということがとりわけ日本では盛んにいわれた」。しかし、サッセンの近著はそうした見方を「表面的で稚拙な見方だと批判」し、「グローバリゼーションによって国家の主権は消滅するのではなく、新たな役割を担うだけだ」としており、ドゥルーズ=ガタリの近著も「資本主義と国家の関係を理論的に考察」しつつ「(資本が国家を)超えるとは、国家なしですませるという意味では決してない」ととしている。
 最後に、つぎの一文でまとめられる。
 「日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが、国家を正面から考えるためには、そもそもそういった発想自体が問い直されなくてはならない」。
 <国家のゆらぎ>を語りたがる日本の<左翼>学者等は、「表面的で稚拙な見方」を改め、その「発想自体」を問い直す必要がある。
 ところで、「日本のリベラル派の言論人」の言説を多数掲載してきたのは朝日新聞で、そのような者の書物を多く刊行しているのも朝日新聞出版だ。上の萱野の文章における批判的指摘は、朝日新聞に対しても向けられていると見るべきだろう。だが、朝日新聞は<事前検閲>をして掲載中止を求めることはしなかった(又はできなかった)。この寄稿の担当者は、どういう気分で読んだのだろうか。

1278/毛利透(京都大学)の憲法制定過程の日独の差異を無視する妄言。

 毛利透(京都大学・憲法専攻)が、昨年7月半ばに、共同か時事に配信された憲法改正に関する文章を、地域新聞に載せている(先に読売新聞と記したのは誤り)。そこに、つぎの、デタラメな文章がある。
 「ドイツ基本法も占領下で制定されたが、与野党が支持しており、『自主憲法でない』などと主張すると極右扱いされる」。
 この一文は、ドイツを模範として?、同じ占領下に制定された憲法であるにもかかわらず日本国憲法を「自主憲法でない」、「おしつけ憲法」だと(与党が?)主張するのはとんでもない「極右」だ、という意味を込めている、ということは間違いない、とみられる。
 上の一文のうち「占領下で制定された」という点で西ドイツ憲法(いわゆるボン基本法)と日本国憲法には共通性があるという指摘のみは誤っていないが、あとは、ドイツと日本の各新憲法の制定過程や位置づけの差異を全く無視したもので、こんな一文をもって日本の改憲派・憲法改正の主張を揶揄したいという、卑劣で下司な心情・意識にもとづいている、と断じてよい。
 第一。日本国憲法は<ほぼ押しつけ(られた)憲法>だと先日にも書いたが、西ドイツ憲法(現在は統一ドイツの憲法)は<ほぼ自主憲法>だ、と言える。この違いを毛利は無視している。
 毛利と同じく憲法護持派の「活動家」学者・水島朝穂は自らのウェブサイト上で、以下のように記している(本日現在で読める)。長いが、できるだけそのまま引用する。
 「連邦道9号線沿いにあるこの建物〔アレクサンダー王博物館〕で、1948年9月1日、基本法制定会議(議会評議会)が開会された。その2週間前、バイエルン州の景勝地ヘレンキームゼー城で専門家の会議が開かれ、憲法草案がまとめられた。そこでは、先行するドイツの諸憲法(とくにフランクフルト憲法とヴァイマール憲法)のほか、諸外国の憲法、とくに米英仏とスイスの憲法が参考にされた。たとえば、基本権関係では、外国憲法だけでなく、国連の世界人権宣言草案も影響を与えた(とくに前文、婚姻や家族、一般的行為の自由、人身の自由)。また、集会の自由はスイス憲法がモデル。連邦憲法裁判所はアメリカ最高裁が参考にされた。ただ、全体として、特定の憲法がモデルになるということはなかった(〔文献略-秋月〕)。特筆されるべきは、ドイツを分割占領した米英仏占領軍の影響である。3カ国軍政長官は、3本のメモランダムや個々の声明などを通じて直接・間接に制定過程に介入。たとえば、48年11月22日の「メモランダム」は、二院制の採用、執行権(とくに緊急権限)の制限、官吏の脱政治化など、内容に踏み込む細かな指示を8点にもわたって行っていた。その干渉ぶりは、米占領地区軍政長官クレイ大将に対して、米国務省はもっと柔軟に対応すべきだとクレームをつけるほどだった。/約8カ月の審議を経て基本法が可決されたのは、49年5月8日。日曜日にもかかわらず、この日午後3時16分に会議は開始された。賛成53、反対12(共産党と地方政党)で可決されたのは午後11時55分。日付が変わるわずか5分前だった。〔一文略-秋月〕 5月12日、3カ国の軍政長官たちは、基本法制定会議の代表団と州首相に対して、基本法を承認する文書を手渡したが、この段階に至ってもなお、個々の条文を列挙して条件を付けた。5月21日までに、基本法はすべての州議会で審議され、バイエルン州を除くすべての州で承認された。このような状況下で制定された基本法を『押しつけ憲法』と見るか。当初はそういう議論もあったが、50年の歴史のなかで『押しつけ』といった議論はほとんどない。実際、軍政長官の影響は、財政制度、競合的立法権限、ベルリンの地位などに絞られ、全体として基本法制定会議で自主的に決定されたと評価されている。占領下の厳しい状況のなかでアデナウアーらは、占領軍の顔をたてつつ、したたかに実をとっていくギリギリの努力をした。その結果生まれた基本法は、その後の世界の憲法に重要な影響を与えるとともに、憲法学の分野で必ず参照される重要憲法の一つとなった」。
 以上のとおり、水島の叙述を信頼するかぎりは、その制定過程において米英仏占領軍・同軍政長官の介入・関与はあったようだが、「全体として基本法制定会議で自主的に決定されたと評価されている」。「自主憲法でない」という見解がもともとごく少数派なのであり、日本と同一でない。
 なぜ「自主憲法でない」という見解がもともとごく少数派なのか。それは、ドイツ憲法の制定過程が日本国憲法のそれに比べれば、はるかに<自主的>だからだ。
 上の水島の文章でも触れられているが、名雪健二・ドイツ憲法入門(八千代出版、2008)および初宿正典「ドイツ連邦共和国基本法/解説」初宿・辻村みよ子編・新/解説世界憲法集-第3版(三省堂、2014)によって、あらためて記述しておこう。
 ・ソ連占領区域を除く英米仏占領地域(西ドイツ)について憲法制定をすることを三国が合意したのが、1948.06.07のロンドン協定。
 ・当時の上の地域の各州(ラント)の首相は主権未回復の状況では正規の「憲法制定会議」設立は適切でないと判断して、各ラントの代表者から成る「議会評議会(・基本法制定会議)」をボンで開催することを決定。これが、1948.07.08-10のコブレンツ会議。
 ・各ラント議会によって「基本法制定会議」議員が選挙されたのが、上につづく1948.08。
 ・各ラントの首相により「専門委員会」が設立され(むろん全員ドイツ人)、これがオーストリア国境に近い湖上の島・キーム・ゼー内のヘレン島で「基本法」(憲法)の草案を議論して起草。1948.08.10-23だ。これが<ヘレンキームゼー草案>とも呼ばれて、のちのボンの「基本法制定会議」の審議の基礎になった。
 ・「基本法制定会議」は70人(むろんドイツ人)の各ラント代表者によって1948.09.01から討議を開始。議長はコンラッド・アデナウワー。
 ・1949.05.08に53対12で「基本法制定会議」が「基本法」(憲法)を採択。さらに1949.05.22までにバイエルンを除く各ラント議会の採択により成立。翌05.23に公布。その翌日、1949.05.24に施行。
 上の経緯のうち、2週間のドイツ人専門家から成る<ヘレンキームゼー草案>の審議が基礎となって「基本法」(憲法)が採択され、公布・施行されたということが重要だろう。なお、基本法(憲法)施行後の1949.08.14に新憲法上の国家機関である連邦議会の議員選挙、09.07に連邦議会と連邦参議院発足、09.12に初代大統領ホイスを選出、09.15に初代首相アデナウワー選出、09.20に同内閣発足。
 日本国憲法の制定過程にはここでは立ち入らない(すでに何度か言及したことがある)。GHQによって条文から成る草案そのものが政府に手交されたのであり、上に見たドイツとは大きく異なる、と言ってよい。また、<憲法制定議会>と称してもよいかもしれない、<明治憲法改正>のための衆議院の議員選挙に際してGHQの改憲案は正確には知られておらず(民意は反映されておらず)、かつ<GHQの圧力>のもとでの衆議院の<改正>の議論は決して<全体として自主的に>になされたとは言い難い、と考えられる。
 第二。上でもすでに触れているが、西ドイツ憲法(基本法)の施行は同時に西ドイツ・ドイツ連邦共和国という新しい国家の成立・発足をも意味している。西ドイツ発足は1949.05.23とされるが、それは西ドイツ憲法(基本法)の公布日であり、同法は1949.05.24の午前0時0分の施行だった。
 この点でも、日本国憲法と大きく異なる。日本国憲法施行後も占領は継続し、新憲法上は禁止されているはずの「検閲」がGHQにより行われるなど、<超憲法>的権力が日本にはなお存続した。
 このような大きな違いがあるにもかかわらず、たんに「同じ占領下に制定された憲法」というだけで、西ドイツ憲法に関するドイツでの議論が日本にもあてはまるかのごとき毛利透の言説は、きわめて悪質だ、毛利透(京都大学)は恥ずかしいと思わないか? 詳細を知らない新聞読者に対して、日本の改憲派の主張の一部にある「押しつけ憲法」論がさも異様であるかのごときデタラメを書くな、と言いたい。

1277/山際澄夫が産経新聞に注文-月刊WiLL3月号。

 〇 山際澄夫が産経新聞を批判している、または産経新聞に注文をつけている。月刊WiLL3月号(ワック)の山際「朝日と産経"角度"のつけ方」だ(p.98-)。第一次的には朝日批判の文章の中で、山際は次のように産経にも論及する。
 ・「産経新聞にも朝日新聞に劣らず角度のついた記事が多い」。産経新聞のOBで産経を購読していない者が言うには、「読まなくても何を書いているのか分かる」、「民主党を叩くのはいいのだが、記者の思いが前面に出過ぎてニュースなのか、記者の主張なのかが分からないこともある」。
 ・産経新聞を称賛して余りあるが、「報道が単色」との批判もある。例えば、「安倍政権について批判的なニュースはほとんどない」。
 ・自民党は選挙公約から竹島の日式典政府主催等を削り、安倍首相は一昨年末以降靖国参拝をせず、村山談話・河野談話を継承するとしている。これらに自民「党内や支持層に動揺や批判はないのだろうか。批判がないとしたらそれはなぜなのか」。産経新聞にはこうした疑問に答える記事がほとんどない。
 ・「安倍政権を支持することとキチンと批判することは、別なはずだ」。
 ・産経新聞の経営体質は「古くて弱い」。フジテレビの支援が不可欠らしいし、幹部が政治部出身者で固められているのも「どうかと思う」。誤報についての責任のとり方も、威張れたものではないことがある。
 山際澄夫のような<保守派>論客が<保守派>産経新聞について上のように書くのは、けっこう勇気のいることだと推察される。但し、その内容には同感する点が多い。私自身、2007年参議院選挙前に朝日新聞等による内閣打倒・安倍バッシングのキャンペーンが始まるまでは、アメリカでの「慰安婦」決議等々に対する第一次安倍内閣の姿勢・不作為について、この欄で疑問を書いたことがある。
 私も安倍政権を支持し、久しぶりに宰相らしい首相が日本にも出てきたと感じているが、山際の言うように「安倍政権を支持することとキチンと批判することは、別なはずだ」。安倍政権のしていることを100%支持し賛同しないと<保守派>ではない、とでもいうような<教条主義>に陥ってはいけない。<反共>は当然に「自由」を尊重する。個々の「自由」を圧殺するような雰囲気を作ることは<反共>(=「自由封殺」の<共産主義>に断固として反対すること)の考え方とは相容れないものだ。
 〇 上に指摘されているような、「安倍政権について批判的」な記事がほとんどないこと、安倍政権擁護ぶりは、産経新聞社刊の月刊正論にもあると見られる。例えば、月刊正論1月号(産経)の末尾には、次のような読者の「編集者へ」の意見と編集部の「編集者から」と題する回答?(コメント)がある(p.366-7)。
 ・読者の意見-産経新聞を読んで安倍政権が河野談話を撤回しないのはアメリカに遠慮しているためだと分かった。米国への遠慮は「歴史修正主義」と受け止められることを怖れてのことらしい。それでも、疑問が残る。撤回はなぜ「歴史修正」なのか。さらに、「歴史修正主義」と見られないように取り繕うことは正しい姿勢か。「歴史修正主義」でないように装うことは「戦後レジームからの脱却」の大義を放擲することで、安倍政権の自己否定ではないか。
 これは編集部に回答を求める性質のものではないとも思われるが、編集部はあえて次のように書いて「説得」?している。編集部の誰が書いているかは不明だが、編集長・小島新一は了承しているのだろう。
 ・編集部の見解-歴史観の修正の必要はそのとおりだが、欧米各国から「歴史修正主義者」と見なされることは「避けなければならないということは強調させて下さい」。「歴史修正主義者」とはたんに歴史の修正意図者ではなく「ナチスやその種の思想や行動を肯定しようとする者という語感を持つ言葉だそうです」。日本の指導者がそのような者だと受取れられれば日本は国際社会から敵視され孤立する。「国際社会が欧米中心の秩序で成り立っている限り」、その中でどう誤解を解くのかを考えざるを得ない。以上。
 あらためて書けば、上の読者の意見はもっともだ。これに対して、まるで安倍内閣を代表して、いや「代わって」回答しているかのごとき編集部の文章の方に疑問が多い。
 まず、「歴史修正主義」なるものの意味について、読者-「先の大戦を『ファシズムと民主主義の戦い』ととらえ、大戦の責任を全て日本に負わせ、日韓合邦も朝鮮への不当な支配とみなす歴史認識」、編集部-「ナチスやその種の思想や行動を肯定しようとする者という語感を持つ言葉」、という違いがある。この語の意味をまともに考えたことはないが、編集部が「だそうです」などと曖昧に述べているかなり狭い意味での捉え方よりも、読者の理解の方が的確だと思われる。後者<前者、という関係になるだろう。また、フランス革命を従来のように美化せず、問題も多かったことを認める考え方がそのフランスでも出てきていて「歴史修正主義」というらしいと何かで読んだが、そこでの「歴史修正主義」はナチスとはむろん関係がない。基本的に言って、これまでの通説的または支配的な<欧米近代>を起点・中心とする歴史観を疑うのが「歴史修正主義」で、どちらが適切かは今後数十年後か100年後には変化している可能性がある、と思う。月刊正論編集部は、安倍政権を擁護したいあまり、不正確な、又は狭すぎる「歴史修正主義」の理解を持ち出しているのではないか。
 編集部の最後の文章は、その卑屈さに驚く。「国際社会が欧米中心の秩序で成り立っている」ので、じっと我慢せよ、と言いたいかの如くだ。
 争点は、河野談話を撤回すべきか否かだ。産経新聞をきちんと読んではいないが、上記のようなやりとりがあることからすると、産経新聞は河野談話を撤回せよ、と主張してはいないようだ。月刊正論編集部によれば、それは安倍内閣が「歴史修正主義」に立っていないことを示すためのようだが、さほどに大袈裟な問題ではないだろう。言うまでもなく「慰安婦」問題に関する談話なのであり、先の大戦全体の認識・評価に直接は関係がない。すなわち、「歴史修正主義」に立たなくとも、河野談話を否定・撤回することができる(そうはいかず、深刻なのは村山談話だ)。
 具体的な問題は、とくにアメリカとの関係で(韓国や中国とも関係はするが)どのような<外交>戦術をとるべきか、だ。ここで、中西輝政の言う<保守原理主義>か<戦略的現実主義>のいずれを、この案件について、とるべきか、の問題が生じるのかもしれない。この観点から、後者に立って安倍政権を擁護するならばまだよいが、「歴史修正主義」や「欧米中心の秩序」を持ち出して擁護するのは、安倍晋三首相の本意ともおそらくは違っているように考えられる。
 <保守派>の代表らしき月刊雑誌の編集者が(いや、代表は月刊WiLLに変わっただろうか)上のようなことを書いて、それ自体はまともだと考えられる読者の意見を<切り捨て>、<説教>しているのは、多少は情けなく感じてしまう。

1276/田久保忠衛・憲法改正最後のチャンス(並木)を読む-4。

 〇 現憲法九条について、その1項と2項とを分けて論じることは、決して「左翼」憲法学者の解釈ではない。彼らはむしろ、1項によって自衛(防衛)戦争を含むすべての戦争が「放棄」されていると読みたいかもしれない。学者ではなく、吉永小百合を含む「左翼」一般国民は、九条1項ですべての戦争が放棄され、2項はそれを前提にして確認的に具体化した規定であると漠然と理解している可能性が高い。
 <保守派>憲法学者である百地章は、2013年参院選直前の産経新聞7/19の「正論」欄で「『憲法改正』託せる人物を選ぼう」と題して、次のように述べていた(この欄の2013.07.20で既述)。
 「9条2項の改正だが、新聞やテレビのほとんどの世論調査では、『9条の改正』に賛成か反対かを尋ねており、『9条1項の平和主義は維持したうえで2項を改正し軍隊を保持すること』の是非を聞こうとはしない。なぜこれを問わないのか。」 
 このとおり、<9条1項の平和主義は維持したうえで2項を改正し軍隊を保持すること>を提言することは、<保守>派の者であっても何ら奇異なことではない。産経新聞社案「国民の憲法」とその解説は、むしろ異質で少数派に属するかもしれない。
 ここで再び不思議なことに気づく。百地章は田久保忠衛とともに産経新聞案「国民の憲法」の起草委員の一人なのだが、何と前回に言及した「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の<幹事長>でもあるのだ(ウェブサイト、本日現在で同じ)。
 ということは、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表の一人と幹事長は、産経新聞社案起草の際は現九条1項を含めて九条を全面的に改めることに同意していたが、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表と幹事長としては、九条1項の「平和主義」は堅持する考えであることになる。きわめて奇妙で不思議だ。
 合理的に考えられるのは、産経新聞社案起草の際と上記の「国民の会」設立の際とでは考え方を変えた、ということだろうが、憲法改正論上の重要な論点についてこのように簡単に?基本的考え方を変えてよいのか、そして、そのような方々を信頼してよいのか、とすら感じてしまう。田久保忠衛は2014年10月30日刊行(奥付による)の本でも産経新聞社案と同じ考え方であることをその理由も挙げて積極的に記している。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の設立は、2014年10月01日だ。はて??
 なお、憲法学者の西修(駒沢大名誉教授)も、5人の産経新聞案「国民の憲法」の起草委員の一人であるとともに、上記「国民の会」の<代表発起人>だ。
 〇 上の問題はこのくらいにして、「前文」に移る。既述のように、田久保忠衛はその著で憲法の具体的内容については、前文・天皇条項・九条にしか触れていない。国会についても、衆議院と内閣の関係についての衆議院「解散権」の所在・要件についても、「地方自治」等々々についても、むろん「人権」または国民の権利・義務条項についても論じられるべき点は多いにもかかわらず、上の三論点あたりに関心を集中させてきたのが<保守派>の憲法改正論の特徴だ。田久保が触れていない問題については、別のテーマとして扱ってみたい。
 さて、田久保は縷々述べたのちに、現在の前文を産経新聞社案「国民の憲法」のそれに「一日も早く…差し替えたい」としている(p.107)。
 感想の第一は、そもそも憲法の前文とはいかなる法的性質をもつのか、に関する議論が必要だ、ということだ。産経新聞社・国民の憲法(産経)を見ないままで書くが、現日本国憲法のような長い前文をもつ憲法は世界でもむしろ少ないように思われる。あっても、制定の経緯のほかは基本的原理・理念をごく簡単に述べているにとどまるようだ。
 現憲法前文が日本の「国柄」に合わないこと、これを改めてしっかりと日本の「国柄」を書き込みたいという気持ちは理解できるし、あえて反対はしない。しかし、もともと前文とは本文(の個々の条文)のような法規範的意味は持たず、個々の条項の解釈に際して「参照」または「(間接的に)援用」されるものにすぎないと考えられる。
 したがって、過大なエネルギーを割くほどのものではないし、文章内容について激しい議論・対立が生じるようであれば、いっそ現在のものを削除して、新しい前文は改正(「新」憲法の制定でもよい)の経緯を記録として残す程度にして、内容的なものはいっさい省略する、というのも一つの考えだと思われる。
 むろん、日本の「国柄」を示す10ほどの文からなる文章について、容易に合意が成立し、過半数国民も理解し、納得できるならばそれでもよい。あえて反対はしないし、する必要もない。
 第二の感想は、田久保が「差し替えたい」と望んでいる新前文の内容について、上のような合意・納得が得られるのだろうかという疑問が生じる、ということだ。
 例えば、「国家の目標として独立自存の道義国家を目指す」というが、「道義国家」とは何か。ほとんど聴いた又は読んだことがない「国家」概念だ。むろん、「道義」をもつ国家であろうとすることに反対はしないが、「国家の目標」として憲法前文に書き込むほどのことなのだろうか。
 上のことよりも、より疑問をもち、問題を感じたのは、「道義国家」文の一つ前の「日本国は自由主義、民主主義に立脚して基本的人権を尊重し…」というくだりだ。
 櫻井よしこの週刊新潮1/29号の連載コラムには最後に、「自由、民主主義、法治という人類普遍の価値観」を肯定的に語っている文章がある。
 安倍晋三首相も同じまたは類似の発言をしばしばし行っていて、本心で又は心底からそう思ってなのか、対中国(・北朝鮮等)を意識して欧米(かつての西側)むけに<戦略的に>言っているのか、と訝しく思っている。
 「日本国は自由主義、民主主に義に立脚」するという場合の「自由主義、民主主義」とはいったい何を意味しているのだろうか。櫻井よしこが言うように「人類普遍の価値観」なのだろうか。アフリカ・イスラム圏を含む「人類普遍の価値観」だとは到底思えない。これらは近代西欧に由来する<イデオロギー>で、日本ではそのままでは採用できず、そのままでは定着することはない、と考えている。こんなに簡単に前文の中に取り込むためには、その意味等々について相当の議論が必要だと思われる。
 とくに「民主主義」は、日本共産党を含む「左翼」の標語であり、そのうちに(人民民主主義・プロレタリア民主主義という「独裁」の一形態を経ての)「社会主義」・「共産主義」というイデオロギーを胚胎している、と私は理解している。
 私どころか、有力な<保守派>論客も、「民主主義」の危険性を説いてきた。
 長谷川三千子・民主主義とは何なのか(文春新書、2001)のある長谷川は、最近の長谷川=倉山満・本当は怖ろしい日本国憲法(ビジネス社、2013)の中でも、民主主義・「国民主権」の<怖ろしさ>を語っており(p.34-48など)、倉山満は、「長谷川先生は『平和主義』『人権主義』『民主主義』というのは、そもそも怖いものだということを力説しています」とまとめてもいる(p.155)。
 長谷川三千子は産経新聞社憲法案とは無関係のようだが、上記、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の「代表発起人」の一人ではある。長谷川が上記の「日本国は自由主義、民主主義に立脚して基本的人権を尊重し…」という部分に容易に賛同するとは考え難い。
 自民党憲法改正草案はいわゆる<天賦人権論>に立つと言ってよい現憲法97条を削除することとしており、産経新聞社案も同様のはずなのだが、そこでなおも語られる「人権」・「権利」ではない<基本的人権>とは何のことなのか、近代西欧的<天賦人権論>が付着した、それと無関係に語ることはできないものなのではないか、という問題もある。
 田久保忠衛の推奨する産経新聞社案の前文が<保守派>のそれだとすれば、私はきっと<超保守的>であるに違いない。<戦略的に>?「自由主義、民主主義」等を語ることも考えられるが、真意ではない文章を掲げるくらいならば、いっさい省略してしまう方がよい、と思う。
 というようなわけで、田久保のせっかくの長い叙述にかかわらず、「国柄」を書く文章はむつかしい、と感じざるをえない。
 フランスのように自由・平等・博愛(友愛)をなおも理念として前文に書いたり(1958年第五共和国憲法)、ドイツ憲法(ボン基本法)のように「ドイツ連邦共和国は民主主義的かつ社会的な連邦国家である」という明文条項をもつ国家はうらやましいものだ。「国柄」をどう表現するかについて、過半の日本国民に一致はあるのだろうか、合意は得られるのだろうか。

1275/田久保忠衛・憲法改正最後のチャンス(並木)を読む-3。

 田久保忠衛・憲法改正、最後のチャンスを逃すな!(並木書房、2014.10)は、筆者の、「体系的」憲法論ではなく、「体感的な」憲法論だとされているので(p.252)、国際政治が専門らしい田久保に専門的な憲法論を期待するのは無理かもしれない。しかし、表紙裏の経歴には「産経新聞『国民の憲法』起草委員会委員長」と明記されているのだから、産経新聞案「国民の憲法」に関する(委員長個人としてであれ)、産経新聞社の本にはない説明または解説がある程度詳しくはあるものと期待しても不思議ではないだろう。
 また、今年に入って気づいたことだが、田久保忠衛は「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表の一人(あとの二人は櫻井よしこ、三好達)だ。この団体は2014.10.01に設立されたようで、同日に設立宣言を発表している(同会のウェブサイトによる)。そして、たんにこういう名称の会の設立だけだと、さっそく「美しい日本の憲法」の具体的内容は何かと問いたくなるが、同会はQ&Aのかたちで、条文案ではないものの、目指す憲法の骨子を7点に整理しまとめたものを公表している。
 そうすると、時期的には田久保の上掲書は上の会の設立前に書かれてはいるが、一年も前ではない直前の時期に書かれていると推測されるので、同著は「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の代表(の一人)が書いたものだ、という<権威>をもってしかるべきことになるだろう。
 だが、期待しもした産経新聞社案「国民の憲法」のより詳しい説明はほとんどないし、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が公表している7つの骨子の過半についてはまったく触れるところがない。
 しかも、一方では起草委員会の委員長を、片方では共同代表を努めながら、両者が提言する憲法案の具体的内容には<一致していない>、<矛盾する>部分がある。これはきわめて奇異なことだ。
 矛盾しているとほぼ明らかに言えそうなのは、九条についてだ。産経新聞案「国民の憲法」と田久保の上掲書は矛盾してはいないが、田久保の上掲書の九条(およびその改正案)に関する叙述と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」公表の改正案骨子は矛盾している。
 先に「美しい日本の憲法」案の方から紹介すると、第三の柱として「九条…平和条項とともに自衛隊の規定を明記しよう」との見出しが掲げられ、その第三文では、こう書かれている(ウェブサイトのそれとまったく同一文ではない同会のパンフレットによる。ウェブ上では以下の「軍隊」は「国軍」になっている)。
 9条1項の平和主義を堅持するとともに、9条2項を改正して、自衛隊の軍隊としての位置づけを明確にします」。
 すでに書いたことだが、このような文章の考え方にもとづく改正案づくりと憲法改正(おそらくは1項の基本的な維持と現2項の削除、そして自衛隊を正規に「軍隊」と位置づける条項の新設)に私は賛同する。
 だが、田久保忠衛が起草委員会委員長だった産経新聞社案「国民の憲法」は、このような考え方に立っていないことはすでに記したとおりだ。
 自民党草案も読売新聞社試案も現9条1項は基本的に維持することとしているのだが(また、北岡伸一も、1項の平和主義は維持し2項の戦力不保持は改正しようとする意見を無視して、朝日新聞は一括して改憲論>九条改正論=「平和」主義・「平和憲法」否定というデマを撒き散らしている旨を述べて朝日新聞を批判していたが)、くり返せば、産経新聞社・国民の憲法(産経、2013)は、自民党草案について、つぎのように書いていた。
 <自民党草案は1項に「自衛権の発動を妨げるものではない」を追記して「工夫を重ねている」が、「主権の行使に制限を課している条文をそのままにしている意味では不徹底で不完全だ」>(p.140)。
 そして、現9条1項の断片のみを残した「平和」希求と国際紛争の「平和的解決」を志向する新たな条文を作り、別の条文で、「軍を保持する」ことを明記することとしている(同案15条・16条)。
 「美しい日本の憲法」案が「9条1項の平和主義を堅持する」と記しているのは現1項の条文を基本的に維持するとの趣旨ではなく、この産経新聞案「国民の憲法」のような書きぶりでも「平和主義」の堅持にあたる、という可能性がないではない。
 しかし、「美しい日本の憲法」案の文章が続けて「9条2項を改正して、自衛隊の軍隊としての位置づけを明確にします」と書いていることからすると、9条1項は(基本的に)改正しないという趣旨だと解釈するのが自然で、やはり、、「美しい日本の憲法」案と産経新聞社案「国民の憲法」は異なる、と理解することができるものと思われる。
 そして、田久保忠衛の上掲書は、現9条1項は基本的にであれ維持することはしないという考え方を明確に語っている。つぎのとおりだ(p.172-5)。
 <当初は九条1項はそのまま残す説に賛成だったが、森本敏の次の指摘(森本ら・国防軍とは何か(幻冬舎ネネッサンス新書)に「まったく同感」して、産経新聞社案では「現行憲法第九条第一項を含めて全面的に改める」ことした。>
 森本の指摘とは、①第一項があると、「国連決議にもとづく集団安全保障に参加できなくなる」、②第一項があると、「多国籍軍」に入っているアメリカ軍が攻撃された場合に「集団的自衛権の行使」ができなくなる、をいう。
 要約したし、もとの森本の発言内容を読んではいない。また、私自身の知識と勉強の不足かもしれないが、これらの理由が当たっているのかは理解困難だ。だが、<集団的自衛権>の行使は現憲法のままでも行使可能と閣議決定されたところであるし、「国連決議にもとづく集団安全保障」措置への参加の許容性については現憲法は何も語ってはいないのではないのだろうか。また、正規に認知された軍ができたとすれぱ直ちに「国連決議にもとづく集団安全保障」措置に参加できるというものではなく、法律(+条約?)による正当化が必要だろう。
 この問題には立ち入らない。ともかくも、現九条1項も「改め」る見解である旨を田久保忠衛は上掲書で明確に述べている。しかるに、共同代表を務める会の「美しい日本の憲法」案はどうも現九条1項は「堅持」するつもりのようだ。
 これは明らかに矛盾で、田久保は上掲書の考え方に立つのであれば、「美しい日本の憲法」案の内容に反対するのが論理的な筋のはずだ。にもかかわらず、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」による公表後に、それと異なる見解を明らかにしている書物を公にしているのは、奇異・奇妙だと言う他はない。
 もともと、p.110以下の叙述を読んでいても、現九条に関する田久保の理解の仕方には疑問が生じるところである。例えば、「芦田修正案は政府の見解ではない」という理解はそのとおりだが、「戦力」ではない「必要最小限度の実力の行使」による相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うことは「交戦権の行使」としてのそれとは「別の観念」という政府答弁は「何を意味するのかよくわからない」と書いている(p.113-4)。しかし、私にはよく分かる。現憲法の政府解釈によるかぎりは、自衛権はあり、そのための実力行使は「交戦」ではない(実力行使組織=自衛隊は「軍その他の戦力」ではない)、ということになる。
 憲法学上の「多数説」に従って私は記してきているのだが(最近にあらためて憲法学文献で確かめておいた)、諸説が成り立つものの、1項は自衛権を否定するものではなく<自衛のための軍>設置・「自衛戦争」を否定するものでもない。しかし、2項が一般に「軍その他の戦力」の保持等を否認している結果として、「自衛」目的であれ「軍」は保持できず「戦争」もできない。但し、「自衛」のための「必要最小限度の実力の行使」は可能であり、そのための組織の保持も許容される。このような、政府解釈も基本的に拠っていると思われる(むろん、但し以降は相当に苦しい)論理構造くらいは、民間団体とはいえ、憲法改正案起草委員会の委員長や新憲法制定運動団体の共同代表の方には、理解しておいていただきたいものだ。

1274/田久保忠衛・憲法改正最後のチャンス(並木)を読む-2。

 〇 田久保忠衛・憲法改正、最後のチャンスを逃すな!(並木書房)は、憲法改正の具体的内容については、①前文、②天皇条項、③九条に触れているにとどまる。また、これらに限っても、起草委員会委員長を務めた産経新聞社案「国民の憲法」はいかなる理由で自民党草案と異なっているのかについての詳しい説明があるわけではない。
 つぎに、改正の優先順位は、上の三点を優先的に考えているのだろうとは推測できるが、その中での順位・重要性の程度に言及してはいない。
 また、いかにして国会内に「憲法改正」発議に必要な勢力を作るか、有権者国民の過半数の支持を得るにはどうすればよいか、についての戦略・戦術についても、言及するところがない。
 したがって、田久保忠衛を<改憲派>の代表的論者だと見るかぎりは、先日1/05に述べた<憲法改正に関する保守派の怠惰>という感想を変更する必要はなさそうだ。このような感想を書いてしまったがゆえに、もっと正確に田久保忠衛の主張を知っておこうと上掲書を読んだのだったが、印象は変わらない。
 〇 「憲法改正」に関する議論のあり方については、2013年につぎの三つの文章をこの欄で肯定的に引用した(その前にもあるかもしれないが、自らの投稿ながら、探索を省略する)。
 2013.08.11-中西輝政「いっさいの抵抗を排して憲法九条の改正に邁進することである。…もし九条改正の妨げとなるならば、『歴史認識』問題をも当面、棚上げにする勇気をもたなければならない。」(中西「憲法改正で歴史問題を終結させよ-アジアの勢力均衡と平和を取り戻す最後の時が来た」(月刊ボイス2013年7月号(PHP))。
 2013.08.12-遠藤浩一「多くの人が憲法改正(ないし自主憲法制定)の大事さを説きますが、現実の政治プロセスの中でそれを実現するにはどうすればいいのか、どうすべきかについてはあまり語りません。多数派の形成なくして戦後体制を打ち破ることはできないという冷厳なる事実を直視すること、そして現実の前で身を竦ませるのではなく、それを乗り越える戦略が必要だと思います」(遠藤発言・撃論シリ-ズ/大手メディアが報じない参議院選挙の真相(2013.08、オ-クラ出版))。
 2013.10.11-中西輝政「これまでの日本の保守陣営が、原理主義ではなく、戦略的現実主義に基づいてもっと賢明に対処していれば、ここまで事態は悪くならなかった」。「原理主義」によって「妥協するならお前は異端だ」という「神学論争的な色彩を帯びてしまったのが、日本の保守の悲劇」だ。「一歩でも前進することの大切さ」を知ることが「いま日本の保守陣営に求められている」。「玉と砕け散ることが一番美しい」という「古い破滅主義的美学に酔いしれることから早く脱」するべきだ(中西「情報戦/勝利の方程式」歴史通2013年11月号(ワック))。
 ここでは、中西輝政の、上の二つの文章、すなわち併せて読めば、<憲法九条の改正のためには「歴史認識」問題も棚上げすべきで、保守「原理主義」ではなく、「戦略的現実主義」に立つべきだ>ということになると考えられる見解に注目したい。
 いわゆる「慰安婦」問題、南京「大虐殺」事件問題、「百人斬り競争」問題、沖縄「集団自決」命令問題等々、<歴史戦>とも産経新聞が呼んでいる<歴史認識>問題がある。またそもそもより基本的には、先の戦争をどう認識し評価するかという問題もある。この、先の大戦・戦争の認識・評価の問題について、田久保忠衛は一定の叙述をしているので、別の機会に触れる。その他、占領期のアメリカをどう評価するかや、「日本国憲法」の制定過程の認識とその評価もまた、<歴史認識>の問題に他ならない。だが、個々人のこれらについての「歴史認識」がどうであろうと、それが「憲法改正」の問題につながりはしないし、また、つなげてしまうと「憲法改正」は不可能になるだろう。
 「憲法改正」運動のためには、「日本国憲法」の制定過程の実際を広く知らしめることは必要だ。例えば、①GHQによって100%「押しつけ」られたのではなく、二院制の採用・参議院の設置などの日本側の意見・希望が採用された部分もあるが、基本的な部分については又は全体としてはほぼ「押しつけ憲法」と評価してよいと見られること、九条二項は幣原喜重郎、つまり日本側が提案したとの理解は疑わしく、鈴木安蔵ら日本人の憲法案もあったことは、ほぼ「押しつけられた憲法」との評価を変える理由にならないこと、②1946年の総選挙で選出された衆議院議員により憲法改正案は審議されたので国民の意思が反映されているはずだという憲法学者の文章を最近に読んだが(氏名と媒体は忘れた)、その衆議院選挙前に新憲法案の全文が知られていたわけではまったくなく(したがって、新憲法案の当否は選挙の争点にほとんどならず)、また「公職追放」の危険性もある中でGHQ草案をもとにした政府案を議員たちが「自由」に審議できたはずはないこと、などを現在の国民はもっと知っておいてよいと思われる。
 しかし、上の意味で現憲法を<占領憲法>と略称するのはかりによいとしても、現憲法を「占領基本法」と称するのがよいかどうかは別の議論が必要だ。そして、この「占領基本法」なる言葉の意味を、現在の有権者国民は容易にはまたは的確には理解できないように思われる。
 田久保忠衛はむろん、現憲法の改正に賛成する者はそれを「占領基本法」だと認識・評価すべきだとか、現憲法を「占領基本法」と認識・評価できない者は改憲に賛成するな、と言っているわけではない。しかし、何気なくであれ、現憲法は「占領基本法」だと一般国民が読む可能性のある書物で書き、その意味もきちんと説明していない、というのが、前回に問題にしたことだ。
 上に記したような<歴史認識>の問題に比べれば、些細な問題であるとは言える。だが、もともと<保守派>の中においてすら完全な一致があるとはいえない用語法だとは思うが、<仲間うち>だけで通用するような概念・用語を一般国民が読む可能性のある書物で用いるべきではないだろう。そこに私は、中西輝政のいう「保守原理主義」の匂いを感じてしまった。
 「保守原理主義」で突っ走って勝利するのであれば、それでもよいだろう。しかし、「憲法改正」をめぐる戦いは、<正しいことを主張しました。しかし、力及ばず負けました>では済ますことが絶対にできないものだ。
 有権者国民の過半数が理解でき、かつ賛同できるような議論・主張・運動をしなければならない。産経新聞の読者だけが、あるいは仏教寺院関係者ではなく神道政治連盟に属する神社関係者だけは、理解でき、賛同できるような議論・主張・運動であってはならないだろう。
 〇田久保忠衛の上掲書の内容については、奇異に感じた部分もある。初めに記した改正の三論点に関する議論、田久保の先の戦争についての評価とともに、近いうちに論及するだろう。

1273/田久保忠衛・憲法改正最後のチャンス(並木書房)を読む1。

 2014衆院選で与党圧勝とは言うが、自民党は定数減を考慮してほとんど橫バイで、議席数を増やしたわけではない。大阪府下の小選挙区で維新の党から奪い返した議席が10ほどあるから、それ以外では10議席ほどマイナスだった。産経新聞などの300議席超えが確実という旨の予測と比べると、むしろ後退の印象がある。
 その他の衆院選結果で印象的なことは次世代の党とみんなの党の大幅減または壊滅だ。その分を増やしたのが民主党と日本共産党だから、全体としても<保守派>は後退した、というのが客観的な把握だろう。
 維新の党が何とか「踏みとどまった」のに対する次世代の党の壊滅状態は、<保守化>とか<右傾化>の現象があるわけでは全くないことを意味していると思われる。
 田母神俊雄には当選してほしかったし、山田宏・中田宏という<反共>・<反・反日>の明確な人物が比例復活もならなかったのは残念だ。とくに中田宏はまだ若いのだから、再起を期して、将来は橋下徹らとともに新しい風の担い手になってほしい。
 大阪維新の会と立ち上がれ日本→太陽の党が合流して石原慎太郎・橋下徹共同代表による日本維新の会ができたのち、旧立ち上がれ日本グループは橋下徹に対する違和感を隠さなかった印象があったが、2012年総選挙で日本維新の会は議席を伸ばし、旧立ち上がれ日本グループ(石原グループ)もかなり当選した。石原グループの議員たちの多くは自分たちの「保守」の力で当選したと思ったかもしれないが、石原・橋下コンビの清新さへの期待もかなり大きかっただろう。その後も橋下徹批判を平気で続ける者もいたが、自分の当選に橋下徹人気も寄与していることを忘れているのではないか、と感じたことだった。
 橋下徹グループと別れて、旧立ち上がれ日本グループ=次世代の党は二名しか当選させることができなかった。維新の党の松野某らは何とか比例復活したにもかかわらず、比例復活させるほどの票をまんべんなく集めることはできなかった。
 次世代の党という名前自体、自分たちはすでに旧世代の年寄りたちだという自覚の表れのようで、魅力を感じさせないものだった。それに、彼らは、<保守化>について、何らかの「錯覚」をしていたのではないか。安倍晋三政権が比較的に安定して支持され続けたことが自信を生じさせたのかもしれないが、有権者国民は、自民党よりも「右」の<保守>政党に期待することが少なかったわけだ。
 江田憲司は、石原慎太郎らの「自主憲法」制定という主張に「憲法破棄」論を感じるとして、石原らまたは次世代の党とは組めないとか言っていたが、「自主憲法」制定という語をそこまで穿って理解することはないだろうと思われた。だが、次世代の党の正確な公約または政策提言は承知していないものの、また正式に表明しているかどうかは別として、石原慎太郎も含めて、日本国憲法「破棄」論や同「無効」論の主張者・支持者が同党には多いだろうという印象はある。日本国憲法「無効」論は現として存在しているが、2009年や2012年の総選挙でそれを明示的に主張した政党は(維新政党・新風も含めて)なかったように思われる。そしてまた、次世代の党が醸し出している?日本国憲法「破棄」論・同「無効」論は、今回の選挙でも、支持されなかった、と言ってよい、と思われる。
 日本国憲法「無効」論が決して微々たる存在ではないことは、勝谷誠彦=倉山満・がんばれ!瀕死の朝日新聞(アスペクト、2014)に、「日本国憲法は日本の憲法ですらない」と題する章の中に「日本国憲法の改正では意味がない」と題する節があることでも分かる(p.122-)。そこでは、二人のこんな会話がある。
 勝谷/僕の意見は「廃憲」・「今の日本国憲法の廃止」。倉山/「本当にできるなら」それが一番よい。そして、それをするのは「天皇陛下」のみ。議会には廃止権限はない。憲法を廃止するとすれば「一度天皇陛下に大政奉還するしかない」、「本来はそれが筋」。日本国憲法改正手続によって「帝国憲法を復活」することは「論理的には可能」。
 こうした議論は、日本国憲法は「本来は無効」という考え方を前提としているとみられる。上の天皇陛下による憲法廃止論にも、倉山が上のあとで述べている、「改憲派すら」日本国憲法の「条文をどうやって変えようかという議論しかしていない」(p.126)という批判にも、反論することができる。但し、別の本、倉山満・間違いだらけの憲法改正論議(イースト新書、2013)はニュアンスの異なることを書いているので(上でも「論理的には」と述べている)、別の機会に譲って、ここではこの問題には立ち入らない。
 ともあれ、日本国憲法「無効」論はあり、それを<保守派>論者の中で明確に述べてきたのは渡部昇一で、渡部は、日本国憲法を「占領基本法」とも称してきた。
 さて、田久保忠衛・憲法改正、最後のチャンスを逃すな!(並木書房、2014)には、現日本国憲法は「占領基本法だ」、との旨を書いている部分が、少なくとも2カ所ある。
 ①集団的自衛権容認に対する反対論には「…国際情勢の中で占領基本法だった現憲法がいかに旧式になってしまったかという説明は皆無だった」(p.212)。
 ②「日本を危機にさらすのは占領基本法を死守しようとする護憲派だ」(p.249)。
 <保守派>の重鎮?・渡部昇一の使っている表現を<保守派>の慣用句?のごとく無意識に使っているのかもしれず、「占領基本法」なるものの意味は説明されてはいない。
 しかし、将来に「国民投票」に参加するかもしれない有権者国民の感覚で質問するが、「占領基本法」とはいったい何のことか。
 日本国憲法が本来の、まっとうな憲法ではないという意味をもっていることは何となく分かるが、それ以上に何を意味しているのか? この語を用いることにいかなる意味・効用があるのか? また、この概念の前提には日本国憲法「無効」論があると見られるが、田久保は明確にその立場に立っているのだろうか?
 少し踏み込んで言えば、憲法ではなく占領基本「法」だとすれば、憲法でも法律でもない「法」は(不文法を除けば)存在しないので、占領基本「法」は法律の一種になるのだろうが、それでは昭和天皇の<憲法改正の詔勅>とはいったい何なのか。、法律の一種だとすると後法優先・特別法優先が働いて、事後の法律によっていかようにも特則・例外を作れることになるが、法律の「憲法」適合性を審査する規範・基準として現日本国憲法は機能して、最高裁によって<違憲>とされた法律(の条項)もすでにいくつかあることをどう理解すればよいのか。
 <保守派>の常套句のつもりで簡単に用いているのかもしれないが、もともと渡部昇一の議論は、サ条約上のJudgementsは「裁判」ではなく「諸判決」だと、鬼の首を取ったように主張していることも含めて(この点はすでにこの欄で言及している)、信用することができない。
 有権者国民から質問されて適切には回答することができないような術語を、そしてまた憲法改正のためには不可欠でもない用語を、用いない方がよい、と思われる。
 周辺部分の、やや些細なことから始めてしまったが、少しずつ、上掲の本によって、田久保忠衛の<憲法論>についてコメントする予定だ。

1272/「憲法改正」の事項的「単位」と産経新聞社案「国民の憲法」。

 1/06に、次のように書いた。-「憲法改正とは、現憲法の全体を一挙に廃棄・廃止して、新しい憲法を一括して創出する、というものではない」。「憶測にはなるが、ひょっとすれば産経新聞『国民の憲法』案は、渡部昇一らの現憲法『無効』論や石原慎太郎の現憲法『破棄』論の影響も受けて、現憲法の全体に新しい『自主』憲法がとって代わる、というイメージで作成されたのではないか、という疑問が生じなくはない」。「現憲法と『新』憲法案のどちらがよいと思うか、というかたちで一括して憲法改正の発議と国民投票が行われるはずがない。確認しないが、憲法改正手続法もまた、そのようなことを想定していないはずだ」。
 この問題は、「憲法改正」の発議および「国民投票」の仕方、より正確には、発議や賛否投票の<対象>または<単位>の問題だ。先には憲法改正手続法と書いたが、この問題、とくに発議の<対象>・<単位>についての関係既定は、(改正された)国会法にある。以下、憲法制度研究会・ポイント解説Q&A/憲法改正手続法-憲法改正手続と統治構造改革ガイド(ぎょうせい、2008)に依って説明しておく、なお、憲法制度研究会が編者だが編集代表は川崎政司だ。この人は地方自治法・行政法の書物もあり、慶応大学法科大学院の客員教授だが、もともとは参議院法制局の職員・官僚(いわば立法・法制官僚)である人、またはそうだった人で、<とんでもない左翼>の人物ではない。叙述内容も、できるだけ客観的になるように努められている、という印象がある。
 上の本はやや古いが、言及されている関係条項は現在でも変わっていない(総務省・現行法令データベースによる)。国会法6章の2の表題は「日本国憲法の改正の発議」。その中の、現行規定でもある、国会法68条の3は次のように定める。
 「第六十八条の三  前条の憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする。
 上掲書は、つぎのように「解説」する(p.30-31)。
 ・例えば九条改正と環境権の創設という別々の事項が一括して投票に付されると、一方には賛成だが別の一方には反対である、という国民はその意思を適切に投票に反映できない、そこで、「内容において関連する事項ごとに区分して」発議することとされた。
 ・問題は、何が「内容において関連する事項」に当たるか、だ。憲法改正手続法の国会審議では上の例の場合に一括発議・一括国民投票は「好ましくない」という点で一致したが、自衛軍の設置とその海外活動は一括できるか、自衛軍と軍事裁判所の設置は一括できるか、などについては「明確な判断は示されてい」ない。
 ・結局、個別の案ごとに国民の意思を問う要請と「相互に矛盾のない憲法体系を構築する」要請から決定されるべきもので、「個別具体的事例については、国会が発議するに当たって、しかるべき判断を行うことにならざるを得ない」ようだ。
 ・この点について、参議院では「発議に当たり、内容に関する関連性の判断は、その判断事項を明らかにするととともに、外部有識者の意見も踏まえ、適切かつ慎重に行うこと」との付帯決議がなされた。
 ・この条文により「全部改正」が不可能になったのかも問題になったが、「すべて相互に密接不可分である、つまり内容の上で分かち難いというものであれば一括して発議がなされるという場合も論理的にないことはない」とのむ答弁が提案者からなされている。
 ・国民投票のイメージとしては、個別の事項の案ごとに投票用紙を受け取り、投票(投函)を済ませてから次のブースに移り、そこで次の別の事項に関する投票をする形が間違いないという見解、その場合10も20もブースを作ることは困難で、3~5問程度が限度だとの見解も提案者から示されていた。
 以上のとおりだが、はたして、産経新聞社「国民の憲法」案は、このような国会法等の規定も十分に意識して作成されたのだろうか。
 なるほど、「すべて相互に密接不可分である、つまり内容の上で分かち難いというものであれば一括して発議がなされるという場合も論理的にないことはない」ということに「論理的には」なるのだろう。しかし、同社案は「すべて相互に密接不可分である」ものとして作成されたのだろうか。そのように主張する起草委員および産経新聞関係者も存在する可能性はある。だが、「基本的人権」または「国民の権利義務」の章の個別の条項の書きぶりはさらにいくつかに区分することが可能であると見られるし、いかに「産経憲法観」?によっているとしても、例えば「財政」や「地方自治」の章の具体的内容までが前文や「国防」の章(の案)と「密接不可分である」とまでは言えないように考えられる。
 ともあれ、産経新聞社「国民の憲法」案が、「憲法改正」運動のためには、形式面において「使いづらい」ところがあることは否定できない、と思われる。
 「憲法改正」発議の仕方、発議の対象となる<単位>には少なくともある程度の、「内容において関連する事項ごとに」、という限定があることもふまえて、「憲法改正」は議論されなければならない。そして、だからこそ、どの条項から優先して「改正」していくか、という問題があり、その問題に関する議論もしなければならないわけである。

1271/コミュニストにより作られたハル・ノート-櫻井よしこ・週刊誌連載。に関連して2。

 櫻井よしこ週刊新潮1/22号(新潮社)で、アメリカ・ルーズベルト政権は日本が呑めないことを見越して「日本に事実上の最後通牒であるハルノートを突きつけ」、開戦に追い込んだ、という旨を記していたが、中川八洋の理解は大きく異なるようだ。
 中川八洋・近衛文麿とルーズヴェルト-大東亜戦争の真実(PHP、1995)p.39によれば、「米国側からの最後通牒『ハル・ノート』の故に、日本は敗戦を覚悟してやむなく窮鼠猫をかむ決断を強いられた、という俗説」が是正されなく今も通用しているのは「歴史の歪曲」、少なくとも「歴史の真実に対する怠慢」だ。
 中川八洋は「大東亜戦争…とは、…東アジア全体の共産化のための戦争であった」(p.34)、「大東亜戦争=日本とアジアの社会主義化」というのが「歴史の真実」だ(p.276)と捉えているので、出発点あるいは逆の結論自体が櫻井よしこらとは基本的に異なっているように見える。
 そして、同書の第二章「『ハル・ノート』とロシアの『積極工作』-財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト」でも、上のような「俗説」なるものとは異なる叙述を行っている(p.36-57)。以下、ハル・ノートやそれと日本の関係に限っての要約・抜粋的紹介。
 ・1941.07.28の日本軍の南部仏領進駐(ベトナム・サイゴン入場)は日本の英米蘭に対する実質的な開戦で、ハル・ノートが日米戦争の引き金ではない。同09.06の午前会議で10月上旬の開戦の想定(帝国国策遂行要領)が決定され、さらに11.05には12月上旬に定め直され、11.26午前には南雲中将らの機動部隊は真珠湾に出撃していた。ハル・ノート(のちに述べる最終案)が手交されたのは11.26午後で、日本の真珠湾攻撃はハル・ノートに対する反発によるものではない。日本の対米開戦は同年7月以降の既定路線だった。
 ・といって、ハル・ノートに重大性がないわけではない。ハル・ノートにはハルがまとめた「ハル試案」=暫定案と、時期的にはのちのホワイトが執筆してハルの名で手交されたより強硬な「ホワイト試案」=最終案とがあった。前者であれば日米講和の可能性があり、これによって敗戦・降伏していれば、ソ連の対日開戦はなく、満州の悲劇も千島の領土喪失もなかった。「強硬姿勢一本槍」の「ホワイト試案」=最終的なハル・ノートは日本の関係者すべてを憤激させ、日本を徹底抗戦へと誘導した。そして戦後には、ハル・ノートは日本国民の対米怨念形成の劇薬になり、戦後の日米関係に対して致命的悪影響をもたらした。なお、<最終案>・「最終的なハル・ノート」という語は、秋月が作った。 
 ・「ホワイト試案」=最終的なハル・ノートは、アメリカ内部で、どのようにして採択されたのか。暫定案→最終案への変化は1941.11.17-11.25の間に生じた。財務次官補・ホワイトは試案を11.17に財務長官・モーゲンソーに渡し、その翌日にモーゲンソーはルーズヴェルト大統領とハル国務長官に送付した。ハルは自らの暫定案に固執し続けたが、ルーズヴェルトはホワイト試案を気に入ったようで、11.25にそれの採用をハルに命じた。
 ・ルーズヴェルトが「ホワイト試案」を支持したのは、ソ連擁護のために対ドイツ開戦をしたくて、ドイツと同盟関係にある日本に対米開戦を決行させることにあっただろう。日本の対米開戦はドイツの対米開戦と見なしてよかった。ルーズヴェルトは「100%の確率で受諾拒否となる」「最後通牒」をどうしても日本に手交したかった。
 ・H・D・ホワイトとは何者か。彼の「別の顔」はKGBの前身組織の在米責任者バイコフ大佐指揮下の「ソ連工作員の一人」。のち1953年にブラウネル司法長官は、ホワイトを名指しして「ソ連のスパイであり、米国の機密文書を…他の秘密工作員に渡していた」と言明した。1948年にバイコフ機関に関する証言のために召喚されたホワイトは、喚問三日後の08.16に心臓麻痺で死亡し、ハル・ノートをめぐる歴史の謎は闇の奥にしまわれた。しかし、ハル・ノート(最終案)が「共産主義者」である「ソ連のスパイ」により執筆された、という事実は等閑視できない。「共産主義の心底には破壊主義」が強く潜み、ホワイトはソ連防衛のみならず、日米戦争による「日本の破壊」の目標も秘めていたただろう。
 以上に続いてルーズヴェルト政権内のホワイト以外の「共産主義者」である「ソ連のスパイ」についての叙述があるが省略する。
 中川八洋は「最後通牒」性を否定しているが、かりにハル・ノートが日本に対する「最後通牒」との<俗説>が正しいものであったとしても、そのハル・ノートを実質的に作成したのはソ連・コミンテルンのスバイだった、という指摘はすこぶる大きな意味があるはずだ。
 櫻井よしこはどの程度の知見を持っているのかは知らないが、少なくとも週刊誌上の簡単な叙述だけでは不十分であることは明らかだろう。
 それにしても、先の戦争、大東亜戦争、八年戦争、昭和の戦争(の時代)についての歴史「認識」は同じ<保守派>であっても決して一様ではないことに驚かされるところがある。中川八洋を<保守派>論者でない、と評する者はいないだろう。近く田久保忠衛の戦争(の時代)についての歴史「認識」にも触れる予定だが、<真正保守>の歴史観というものがあるのかは疑わしい。また、自ら<真正保守>と任じている者の歴史把握が<真正>なものである保障は決してない、ということも心得ておいてよいと感じられる。

1270/<保守>派の情報戦略-櫻井よしこ・週刊新潮連載コラムを読んで1。

 櫻井よしこ週刊新潮1/22号(新潮社)の連載コラム639回で「外交も戦争も全て情報戦が決める」と題して、「情報戦」の重要性を説いている。そのことにむろん異論はないが、書かれてあることには、不満が残る。
 櫻井はビーアド・ルーズベルトの責任/日米戦争はなぜ始まったか(開米淳監訳、藤原書店)を読んで、先の戦争時におけるルーズベルトや同政権の認識・言動等をおそらくは抜粋して紹介している。しかし、対ドイツ関係のグリアー事件(1941年)に関することを除いて、すでに何かで読んで知っていたようなことだ。
 また、ビーアドの書物がどこまで立ち入って書いているのかを知らないが、櫻井よしこがここで紹介しているかぎりでは、なおも突っ込みが足りないと感じる。まさかとは思うが、櫻井よしこはビアードのこの本によってここで書いてるようなことを知ったのではないだろう。そして、ビーアドの叙述による事実・現象のさらにその奥・背景が(も)重要なのだと思われる。
 例えば、ビーアドによると、大多数のアメリカ人には対日戦ではなく対ドイツ・ヒトラー戦争こそが重要だったにもかかわらず、ルーズベルトは1941年7月に「在米日本資産を凍結し、通商を停止し、日本を追い込みつつ」対日戦争を準備していた、ということのようだが、「在米日本資産を凍結し、通商を停止し、日本を追い込」んだ原因・背景がアメリカにも日本にもあったはずで、ルーズベルトの個人的な意思のみを問題にしても不十分だろう。
 また、「日本に事実上の最後通牒であるハルノートを突きつけ」ながらも、日本政府がこれを受諾しないで開戦してくるという確信をルーズベルトは隠していた、という旨も書き、さらに、春日井邦夫・情報と戦略(国書刊行会)によりつつ、ルーズベルトはハル・ノートの手交当日にも戦争準備をしており、日本の真珠湾攻撃を「待ち望んでいた」「口実」として対日戦争・参戦を始めた、という旨も書いている。
 何で読んだかは忘れたが、上のようなことは私はおおむねすでに知っていたことだ。
 問題は、ハル・ノートの作成・手交や開戦前の日米交渉において、ルーズベルトだけではなく、同政権内部の誰々がどのような役割を果たしたか、同様に同時期の日本政府は、具体的には誰々が、どのように判断してどのように行動決定したかの詳細を明らかにすることだろう。別の機会に関係コメントは譲るが、コミンテルン(・ソ連)およびその工作員・スパイの役割に論及する必要があると思われる。櫻井は、コミンテルンにもコミュニズム(共産主義)にも何ら触れていない。
 最後に櫻井は、「情報戦の凄まじさ、恐ろしさを実感する。いま、日本は中国の情報戦略で深傷(ふかで)を負わされつつある」と書いて、「情報戦」を戦う強い意思を示している。このことに反対しないが、しかし、揚げ足取りまたはないものねだり的指摘になるかもしれないが、<情報戦略>をもって日本に対応・対抗しているのは、中国だけではない。アメリカも韓国も北朝鮮も、その他の諸国も、多かれ少なかれ、日本に対する<情報戦>を行っている。そして、それに応えるような、日本を謀略に自ら陥らせるような「報道」の仕方をするメディアが、それに巣くう日本人が、日本国内には存在する。
 「情報戦」は、朝日新聞等々の、日本国内の<左翼>・<容共>勢力との間でも断固として行わなければならない。歴史認識、「憲法改正」等々、戦線はいくらでもある。朝日新聞のいわばオウン・ゴール?で少しは助かっているようにも見えるが、日本国内の<左翼>・<容共>勢力の「情報戦略」は決して侮ってはいけないレベルにある。
 私が懸念しているのは、<保守>・<自由>・<反共>陣営にはどのような「情報戦略」があるのか、だ。

1269/安倍首相は大阪都構想に好意的で、橋下徹は改憲のため「何でもする」。

 安倍晋三首相は昨年10/06の衆議院予算委員会で、維新の党の「大阪都構想」について「二重行政の解消と住民自治拡充を図ろうとするものだ。その目的は重要だ」と述べていた。
 昨日の1/14の大阪・関西テレビでの生発言でも、「二重行政をなくし住民自治を拡充していく意義はある。住民投票で賛成多数となれば必要な手続きを粛々と行いたい」と述べたらしい。
 これは重要なニュースだ。
 第一に、大阪市・府の自民党議員団は(したがって大阪府本部も)「大阪都構想」に反対で、住民投票にも反対している。公明党は住民投票実施には賛成に(なぜか?)回ったので、大阪の自民党は公明党よりも<反・橋下>姿勢が強固なのだ。にもかかわらず、公明党の姿勢が変化し、大阪・自民党は従来のままである中で、首相であり自民党総裁でもある安倍晋三が上記のごとく、「大阪都構想」には「意義」があるとし、「住民投票で賛成多数となれば必要な手続きを粛々と…」と語ったのだから、かりに一般論であり、かつ仮定形の発言だったとしても、ふつうであれば、驚くべきことだ。
 安倍首相は昨年10月には大阪府連の姿勢について質問されて「地方自治のことなので、そこまで私が『ああせよ、こうせよ』ということは差し控える」とだけ述べたようだが、大阪の自民党とは真っ向から異なる見解を明らかにしているに等しいだろう。
 安倍首相には、自民党大阪府連を困らせてもかまわない、という大局的判断があるものと思われる。そしてまた、この欄ですでに記したように、大阪の自民党は、橋下徹・維新の党よりも民主党や共産党と<仲良く>するような愚行をいま以上続けるな、と言いたい。大阪の自民党は<保守政党>の支部なのか、それとも<容共>の「左翼」的支部なのか。あるいは、そんなことはどうでもよい、面子と自分の選挙当選にのみ関心を持って周囲を見渡している<日和見>者たちの集団なのか。
 第二に、安倍首相の親維新・親橋下徹の姿勢だ。橋下徹は1/15に「ありがたい。僕はうれしくてしょうがない」と述べて喜び、憲法改正について、「絶対に必要で、〔安倍〕総理にしかできない。何かできることがあれば何でもする」と語ったらしい。
 安倍首相が出演したと思われる関西テレビの夕方の番組の水曜のゲスト・コメンテイターの青山繁晴はいつぞや、安倍から直接に<橋下徹をどう思うか>と尋ねられたことがあり、安倍は橋下徹に期待をもっているようだ、という旨を語っていた。
 安倍首相の、橋下徹に期待し、少なくとも<反・橋下>姿勢を示さない、という感覚、政治的センスは優れていて、1/14の発言も、大局的かつ戦略的な判断にもとづいている、と思われる。すなわち<保守>勢力を糾合し、拡大し、ひいては憲法改正を成就するためには、橋下徹あるいは現維新の党の協力が必要だ、少なくとも<敵に回す>ようなことをしていいけない、と判断しているものと思われる。地方議会議員を中心とする、自民党大阪府連の面々とは、考えていることの次元・レベルがまるで異なる。
 産経新聞社・月刊正論1月号p.377の「編集者から」はかなり露骨な安倍晋三政権擁護の回答をしており、質問者・意見者である読者を斬って捨てている観があり、気になる。この点はあらためて触れるとして、ここにも見られるように、月刊正論編集部は親・安倍晋三、親安倍自民党姿勢を採っているように見える。
 しかるに、前編集長の桑原聡は橋下徹を「危険な政治家」だ、日本を「解体」しようとしている、と明言した。そして、「今週のバカ」を某週刊誌(週刊文春)に書いて<毎週のバカ>ぶりを示し、安倍+橋下徹による憲法改正には反対だと明言した適菜収に<反・橋下徹>論考を巻頭に書かせ、さらには適菜を「賢者」の一人として扱っていさえした。
 このかつての編集長の文章は取消しされていないし、むろん謝罪の言葉があるはずもない。むろん政治家等について月刊雑誌またはその編集長がどのような評価をしようと自由なのだが、自由に評価したその結果は誤っていることを認め、自覚しておくくらいはしておいてもらいたいものだ。
 なぜなら、むろん、簡単に言って、安倍晋三擁護・支持と橋下徹批判・悪罵が両立することはありえない。安倍晋三の橋下徹に対する姿勢だけは誤っている、という見解もありうるが、そうならば、そのような趣旨を含む文章を掲載すればよいだろう。
 月刊正論の出版母体・産経新聞社は橋下徹に対して決して暖かくないし(例、1/15社説)、松本浩司のように皮肉まじりの文章を書いている者もいる。
 産経新聞社、そして月刊正論には、<堅い>読者層の支持と購読さえ得られればよい、<そこそこに>収益が出ればよい、といった程度の気構えで仕事をしてほしくない、と思っている。できるならば、<憲法改正>のための情報センターのような役割を果たすことを期待して、産経新聞には厳しいことも書いているのだが、月刊正論の執筆者に見られると感じられる偏りや(おそらくは産経新聞が想定していない定期購読者だろう)橋下徹のような人物まで<取り込む>姿勢がないように見られることは、残念なことだ。
 ついでながら、上に<憲法改正>という語を何度か使っているが、それでは本来はいけないことは別に述べる。また、産経新聞社「国民の憲法」案の地方自治条項について、橋下徹は<これではダメだ>と言い放ったが、これは橋下徹の感想の方が適切だ。いずれも、別の機会に触れる。
 安倍首相と橋下徹の関係から、産経新聞社に論点が移ってしまった。
 さらについでに、私自身は維新の「大阪都構想」に双手を上げて賛同しているわけではない。
 大都市制度がどうあるべきかは、現地方自治法制定時にも、基本的には都道府県のもとにある一市とする、どの都道府県にも属さない「特別市」とする、の二案があったところ、妥協・折衷の結果として、<政令指定市>制度ができた。近時にも、名称・細かい制度設計は違うが、似たような議論・政策提言があった。そして、砂原庸介・大阪-大都市は国家を越えるか(中公新書、2012)p.223-が述べるように、「仮に彼〔橋下徹〕がはじめから大阪市長になっていれば、現在とは異なるかたちで特別市構想が復活していたかもしれない」、と言える。橋下徹は最初に府知事になったからこそ、政令指定市・大阪市域について知事の権限が及ばない部分があることに疑問を持ったのだと推測される。最初に市長になっていれば、府知事が大阪市に関与・介入できる余地を削減し又はゼロにする運動すらしたかもしれない、とも思われる。
 「大阪都構想」の是非は、イデオロギーの問題ではなく、日本における大都市制度のあり方という、法制度・行政制度の設計にかかわる、すぐれて政策的・技術的な問題だ。それに、「大阪都構想」の具体的な制度内容はまだ詳細には詰められていないように見える。それでも、「ファシスト」であり安倍首相とも親しい憲法改正派だというだけで、橋下徹・維新提案の「大阪都構想」に絶対反対の姿勢をとる日本共産党などもいるに違いない。大阪の自民党が親橋下か反橋下かだけで態度を決めるとすれば、愚かしいことだ。

1268/先の戦争へのコミュニズムの影響。

 〇 栗田健男中将はなぜレイテ海戦の際に「反転」したのか、といった戦記ものあるいは個々の戦術ものには、ほとんど関心を持たないできた。それは戦後生まれのものにとって敗戦は既定の事実で今さら敗戦の戦術的・技術的原因を探ることがほとんど無意味と思われたことや、占領期についてでも複雑なのに、もっと複雑そうな戦時中の細かな歴史について勉強しておくことの時間的な余裕はないと感じられたことによる。
 但し、1930年代には日本共産党はとっくに壊滅していて一部の者が獄中で念仏のごとく「反戦」を唱えていたかもしれないこと程度で、戦争は日本共産党とは対極にある<右翼的・反共的>グループが継続したというイメージが強かったところ、日本国家あるいは日本の軍部・政治家等に対するコミュニズムやコミンテルンの影響やアメリカのルーズベルト政権自体の<容共左翼>性の指摘があることを知って、にわかに先の戦争と「共産主義(コミュニズム)」の関係についての関心が高まってきた、という経緯が私にはある。
 それは、アトランダムに言えば、先の戦争は<民主主義対全体主義・ファシズム>の戦争だったなどと単純には言えないだろうこと、ソ連や大戦の結果生まれた中国共産党主導の新中国は「民主主義」陣営であるはずはなく<左翼全体主義>の国家ではないか、なぜアメリカはそのようなソ連と手を組んだのか、アメリカは<共産中国>を新たに生み出す結果をもたらした(そしてそれは今日でも大きな悪い影響・問題を生じさせている)戦争をなぜしたのか、なぜアメリカは(中国ではなく)日本を執拗に敵視したのか、といった認識や疑問と関係してくる。
 〇 隔月刊・歴史通2015年1月号(ワック)のいくつかに少しばかり言及する。
 藤岡信勝「戦後レジームの自壊が始まった」の中で藤岡が1995年の「自由主義史観研究会」立ち上げの頃は「私も日本が満州から北支に進出したことは咎められるべきだと思っていました」と率直に「告白」しているのが興味深い(p.41)。その時期からまだ20年ほどしか経っていない。藤岡は、しかしもちろん?、「中国側の絶え間ない挑発に日本は対応していたに過ぎず、侵略行為とは言い難い」、「日本は挑発行為に乗せられて戦争の道に走っていったと見るべき」だ等の今日の認識を示している(同上)。
 「中国側の絶え間ない挑発」は日本の<南侵>を誘導する中国共産党、その背後のコミンテルンの戦略をおそらく意味しているのだろう。
 岡部伸「近代日本を暗黒に染めた黒幕」はカナダ人のハーバート・ノーマンを扱うもので、「日本を貶めた最大の敵ではなかったか」との基本的主張・認識があり、戦前の日本を「封建的要素が残った、いびつな近代社会」と理解する、講座派的な日本「暗黒史観」の持ち主で、戦後当初には日本共産党を「民主主義」勢力とみなした、等々を叙述している(p.70-)。ハーバート・ノーマンを自殺に追い込んだ?アメリカの戦後のマッカーシズムの評価やノーマンと都留重人、尾崎秀実やゾルゲとの関係など、すでにある程度は知っているが、もっと詳細かつ明確な研究成果を読みたいものだ(この最後の部分は岡部の一文を批判するものではない)。
 中西輝政と北村稔の対談「日米・日中/戦争の真犯人」も興味深い(p.94-)。
 北村稔は彼の「学生時代、日本史研究と東洋史研究の分野ではマルクス主義の影響がものすごく強かった」と述べているが(p.103)、とくに日本近現代史の分野では、今日までその現象は続いているのではないだろうか(従って、私は、高校教育における「日本史」必修化には、教科書の書き手からするその内容と、教える教師の、推測される「左翼」=親マルクス主義的傾向のゆえに、現時点では簡単に賛成はできない)。
 中西輝政は例のごとく?、真珠湾攻撃に関するルーズヴェルト陰謀説に近い議論は「日本の国際政治や歴史の学会ではほとんど相手に」されなかったと、<左翼アカデミズム>の支配の一端を語っている(p.104)。
 中西はまた、今後の研究・検証が必要なテーマをいくつか挙げている。例えば、①永田鉄山らの「華北分離」・<南侵>路線の背景-背後にコミンテルンの工作か。②「国民政府を相手にせず」声明(第一次近衛声明)の背景-尾崎秀実が糸を引いていたか等。③海軍の戦争推進・拡大方針の批判的検証。④近衛の「東亜新秩序建設」声明(第二次声明)の背景。
 〇 上に最後に述べた諸点とコミンテルンまたはそのスパイ(・エージェント)の関係はまだ明確には分かっていない、ということなのだろう。
 もっとも、精読したわけではまだないが、すでにある程度の自信をもって確言している論者もいる。
 中川八洋・近衛文麿とルーズベルト―大東亜戦争の真実(PHP、1995)、同・近衛文麿の戦争責任―大東亜戦争のたった一つの真実(PHP、2010)だ。ハル・ノート(日本に開戦させるための強硬な最後通牒?)についても、<保守派>あるいは「自由主義史観」では通説的かもしれない理解とは異なる評価を下しているようだ。
 かなり飛躍するかもしれないが、憲法改正論の具体的内容と同様に、<保守派>あるいは<産経史観>?の論者においても、先の大戦の具体的な認識や評価は一様ではないと見られる。簡単には表現し難いが、欧米「帝国主義」からアジアを解放するための戦争だったという評価と、共産主義者・コミンテルンに誘引されてずるずると嵌まり、拡大してしまった戦争という評価では、大きく異なると感じざるをえない。
 西尾幹二が続けている、戦後にGHQにより「焚書」された戦前・戦中の日本人の諸文献の研究・解明によって、上のような論点はどの程度明らかになるのだろうか(すべて所持しているが、わずかしか熟読していない)。
 戦前・戦中に共産主義者・コミンテルン(・工作員等々)が日本に対してはたした役割、行った悪業にだけは関心をもって、諸文献・論考等を読んでいくことにする。 

1267/丸山真男と現憲法九条・「軍事的国防力を持たない国家」論。

 〇 竹内洋・丸山真男の時代(中公新書、2005)は丸山真男に対して批判的であり、竹内・革新幻想の戦後史(中央公論社、2011)も同様だ。竹内の上の前者によると、1996年8月に丸山真男が逝去したのち朝日新聞はある一面のすべてを「丸山の業績と人をしのぶ」座談会で埋めたが、産経新聞は元慶応大学・中村勝範の「丸山政治学は思想的に日本人を混乱させた元凶でした。過去の分析も戦後の状況判断も完全に誤っていた」とのコメントも掲載した。
 水谷三公・丸山真男-ある時代の肖像(ちくま新書、2004)を、私は丸山真男(の思想)に対する訣別の書として読んだ。だが、長谷川宏・丸山真男をどう読むか(講談社現代新書、2001)のような、丸山真男を称揚する書物は今日でも新たに刊行され続けている。
 戦後「左翼」のなお強固な残存の源流の一つは、丸山真男にあるだろう。
 〇 ジャパニズム21号(青林堂、2014.10)によって気づかされたのだが、丸山真男は、亡くなる一年前以内の雑誌・世界(岩波)の1995年11月号に、「サンフランシスコ講和・朝鮮戦争・60年安保」と題する回顧談的文章を載せている。その中に、つぎの文章がある。丸山真男全集第15巻(岩波、1996)から直接に引用する(p.326)。
 平和問題談話会の法政部会で憲法第九条の問題を論じたときは、民法専攻の磯田〔進〕君のような左派は、『軍備のない国家はない。軍備がないというのはおかしい』と批判しました。正統左派ではない大内〔兵衛〕先生も、『国家である以上は、完全非武装というのはありえない』というのが、このときのお考えでした。そこで僕は、こうなったら国家観念自体を変革する以外にない、今日の言葉でいえば、…『普通の国家』論でいえば、軍備のない国家はないんだけれども、憲法第九条というものが契機の一つになって一つの新しい国家概念、つまり軍事的国防力を持たない国家ができた、ということも考え得るんじゃないかといって、磯田君と議論した。(ジャパニズム上掲p.118と引用の部分・仕方が少しだけ異なる)。
 ジャパニズム上掲号の「左翼アカデミズムを研究する会」という実質的には無署名の書き手は、上の文章から、大内兵衛ですら武装肯定の時代にすでに<非武装中立>を信念としていた、というまとめ方をしているが、私には、丸山真男が現憲法九条を「国家観念自体」の「変革」、「新しい国家概念」提示の契機と理解しようとしていた、ということが興味深い。
 いずれにしても、「丸山という知の権威がつくりあげた憲法九条イデオロギーは、さまざまな形で、今日の左翼アカデミズムに大きな影響を及ぼしている」(同上p.118)のはおそらく間違いない。ここにいう「憲法九条イデオロギー」は、たんに<反戦・平和>の気分に支えられているのではなく、「左翼」が夢想したい「新しい国家概念」の展望によっても基礎づけられているかに見える。
 憲法九条2項改正(・削除)論・論者に対する強固で執拗な、あるいは脊髄反射的な反発は、現実的・具体的な議論によって成り立つているというよりも、まさに「イデオロギー」に依拠するものだろうと考えられる。
 そうだとすると、やはり、それを打ち砕いておくために、憲法九条2項の改正(・削除)は日本にとって絶対になすべき課題だ、と感じられる。
 池田信夫はそのブログ2014.12.25付で「憲法改正は『大改革』ではない」と題して、憲法>「第九条を改正しても、自衛隊の名前を『国防軍』と変える以外の変化はほとんどない。大事なのは一院制にするとか衆議院の優越を明確化するなどの国会改革だが、自民党の改正案は参議院にまったく手をつけない。これでは改正する意味がない」
等と書いている。
 後段の指摘には賛同したい部分があるが、九条改正による「変化はほとんどない」、したがってその改正に大きな意味はないというかのごとき主張には、賛同し難い。九条2項を「改正(・削除)」しなくとも、すでに自民党中心の政権による憲法解釈によれば合憲とされている自衛隊によって、かなりのことが可能になっていることは確かであり、改憲反対派・憲法九条2項護持派によるデマ宣伝が言うほどには実態は大きくは変わらず、これまでの変化・実態の蓄積の延長線上にあるものにすぎないかもしれない。その意味では「質的」・「革命的」変化を生じさせるものではないかもしれない。
 しかし、「軍その他の戦力」の保持が明確に禁止されているにもかかわらず自衛隊を合憲視するのは相当に苦しい解釈ではあり、その「おとなのウソ」を解消する必要はやはりある、正規に「軍」と認知することによって日本の安全保障に一層寄与する、という点をかりにさしおいても、丸山真男のいう「軍事的国防力を持たない国家」という「新しい国家」観を、そして「憲法九条イデオロギー」を、きちんと打ち砕いておく課題と必要はある、と考えられる。問題は安全保障に関する現実だけではなく、<精神>・<国家観>にもあるのだ。
 〇 なお、丸山真男の、上の1995年の文章は「平和問題談話会から憲法問題研究会へ」という副題をもっている。
 前者の「平和問題談話会」については戦後<進歩的文化人>生成の重要な場であるという関心からそのメンバーの探索・確定や、安倍能成らの「オールド・リベラリスト」の排除による<純化>の過程の叙述を、たぶん竹内洋等々の文献を手がかりに、この欄でメモしていったことがある。そこでも触れたことがあるような経緯・構成員の一端を当事者の一人だった丸山も語っていて興味深い。また、後者についても、宮沢俊義(憲法学者)、我妻榮(民法学者)が政府系の憲法調査会ではなく、「憲法問題研究会」に入会したことは社会的に、また東京大学法学部内部でも大きな話題になった、等が語られていて興味深い。機会(・余裕)があれば、また言及しよう。

1266/神社・仏閣めぐり-護国神社巡拝はいかが?

 神社仏閣・社寺(寺社)と一括りにいうが、寺院については四国遍路88をはじめ西国33・坂東33・秩父34の札所めぐり(四国遍路以外はいずれも観世音菩薩=観音信仰による観音菩薩を本尊とする寺院巡拝だ)等々があるのに対して、神社についてはきわめて少ない。
 もともとは「ご朱印」というのは納経の証明書のごときもので仏教に由来するものだと思われ、神道・神社にはなじみがなかったものかもしれない。それでも、いつ頃からなのだろう、神社でも、たいていは、「ご朱印」がいただけるようになっている。なお、神社も寺院も全国一律に300円の「ご志納」が代金になっていることは興味深く、これは安いだろう(あらかじめ印刷されていて捺印と参拝日付だけの記入にとどまる場合は200円であることもある)。500円出しておつりは要らないつもりでも必ず返金があることも興味深い(但し、例外はあるし、賽銭の追加のつもりでと言えば受領してもらえることもある)。
 寺院については上記の観音霊場めぐりの他に、薬師霊場巡拝、不動尊聖跡巡礼等々が各地方(おおむねプロック単位)でかなり多く存在している。北海道についてはよく知らない。
 神社についても、例えば「東京十社めぐり」という元准勅祭社巡拝もあり、専用の御朱印帳もある。個人的なことを書くと、亀戸天神社の一つだけを除いて、あとの九社はお参りをして、ご朱印もいただいている。他に、京都市内に限っての、京都五社、京都八社などもある。他にも、比較的狭い地域での神社めぐりがセット(?)されていることはあるものと思われる。
 四国、関西、関東といった広い地域での神社めぐりのコースはないようなのだが、より広く「全国一の宮めぐり」というものがある。これにはB5版の比較的大きい専用の御朱印帳が用意されており(購入でき)、「新一の宮」を加えて、沖縄・那覇、対馬、壱岐、隠岐、佐渡、会津から札幌まで、地域は日本全国に広がる。これだけの広さのある仏教寺院めぐりはないだろう。「新一の宮」を含む「全国一の宮」の数は長野県の諏訪大社四社や京都の下鴨・上賀茂の二社をどう数えるか、若狭姫神社を含めるか等の問題がありむつかしいが、御朱印帳の一頁に別々に記載されている神社数は108のはずだ(薩摩国には二、紀伊国には三、安房国には二など複数ある場合が少なくないので、旧国数や現在の都道府県数よりも多い)。
 神社についてはこれくらいのもので、あとは個人的に全国の護国神社めぐりをすることが考えられ、ガイドブックも近年になって発売されている。それによると、全国に52の護国神社がある(靖国神社は含まない)。原則として各府県に一つあるが、北海道には三つ(札幌・旭川・函館)、兵庫県には二つ(神戸・姫路)、広島県にも二つ(広島・福山)あり、なぜか神奈川県には(靖国のある東京都にも)ない。但し、残念ながら、専用の御朱印帳は発売・販売されていない。ついでに書くと、釧路護国神社があることも知っているが(但し、ご朱印はいただけなかった)、公式には?ガイドブックに掲載されていない。
 したがって、唯一専用の朱印帳がある、広い地域での神社巡拝セットは「全国一の宮めぐり」だけなのかもしれない。集客?のためといっては失礼だが、いろいろなアイデアが工夫されてよいかもしれない。
 なお、関西(三重県を除く)には神仏霊場巡拝といって、90の寺院・60の神社、計150の社寺がそれぞれの(札所のごとき)番号をもち、ぶ厚い専用の御朱印帳もあるものがある。これは寺院と神社の両方を巡るもので、かなりユニークな(そして私にはよいと感じられる)ものだ。
 ここで思い出したが、神社についても、後醍醐天皇ゆかりの神社(吉野神社、神戸の湊川神社など)については専用の御朱印帳がある。また、氷川神社、津島神社、各地の八坂神社などの素戔嗚尊を祭神とする神社は「全国清々会」という団体を作っているようで、専用の御朱印帳(但し、個別の神社名の記載はない)もある。
 以上のようなことを書いてるのも、ロクに仕事をしないで、全国の寺院・神社を、ふつうの?人に比べればたくさん訪れていると思っているからだ。その経験から、日本の宗教や日本の歴史や日本人の心情・精神等々について、いろいろと感じることが少なくない。いずれ、おりにふれて、より具体的なことをこの欄に記していってみよう。

1265/産経新聞社案「国民の憲法」について2-天皇条項の一部。

 現憲法一条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」、と定める。
 「象徴」ではなく「元首」化をという議論についてはさておき、後段は、とくに「主権の存する」は、いわゆる「国民主権」(昔風には主権在民)を憲法上明記するために、やや無理して挿入された、とも説明されてきた。この条文以外に、<国民主権>を規定する明文は現憲法にはない。
 この「象徴」天皇制度の規定をふまえて、現憲法二条が「皇位は、世襲のものであ」ると明記していることは、占領期の憲法という特殊性を考慮すれば、刮目すべき重要なことだったと言える。なぜなら、日本の敗戦という結果にもかかわらず、日本の長い伝統に近い<世襲天皇>制度を明記して容認しているからだ。竹田恒泰がどこかで言っていたように、天皇制度が廃止されて<共和制>になっていたことを想像すると、それよりは優れた選択を現憲法はしている(GHQもそれを認めた)ことになる。連合国のうちかつてのソビエト連邦が戦後日本の憲法を企図したとすれば、あるいは原案作成に強く関与していれば、このような条項は採用されなかっただろう。
 さて、<世襲による象徴天皇制度>は憲法上のものであり、かつそれは「主権の存する日本国民の総意に基く」ととくに規定されているのだから、制定時の理解・解釈はさておき、それとは独自に成立しうる憲法解釈として、現一条(+二条)は現憲法上の重要な<原理>として、憲法改正の限界を画す、つまり、憲法改正によっても変更・削除することはできない、と理解することも不可能ではないと考えられる。このように解釈すれば、憲法改正によって、<世襲による象徴天皇制度>を廃止することはできない。もし廃止しようとすれば、それは法的には非連続の一種の<革命>になる。
 だが、以上は成り立ちうる解釈だとは思うが、戦後の憲法解釈学において、現一条(+二条)は憲法改正の対象にできない、という議論はまったくなかったように見える。それよりも、逆に、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」のだから、「主権の存する日本国民の総意」によって変更する、そして廃止することもできる、と解釈されてきた。この点を意識または強調して、将来の天皇制度廃止を展望する論者は、明言しないにせよ、現在の憲法学界には多いのではないか、と推測される。
 しかし、そのような解釈しか成り立たないのではないことは上記のとおりだ。<憲法制定権者である憲法制定時の国民の総意>にもとづくと明記されているのだから、将来の国民もこれに拘束される(改正・廃止はできない)と解釈することが、さほど荒唐無稽なものだとは思われない。一条の上記部分の通例のまたは多数の解釈は、<政治的>色彩をやはり帯びているように考えられる。
 ところで、産経新聞社・国民の憲法(2013)のうち、同社案「国民の憲法」と自民党改正案の違いを記した部分には、天皇条項について、つぎのような叙述がある(p.139)。
 自民党案には「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という部分が残ったままで、これは「あたかも国会の議決で天皇の地位を自在に改変できるかのような誤解を招きかねない」。そして、この条文を使って「天皇制廃止」を「堂々と主張する憲法学者もいる」ので、「このような誤解を生み出す記述は削除し」た。以上、抜粋引用。
 この文章・論理は奇妙だ。少なくとも二人の憲法学者が起草委員会には加わっていたはずなのだが、このような叙述をお二人とも了解しているのだろうか。
 根本的に言って、「主権の存する日本国民の総意」=「国会の議決」ではありえない、ということはほとんど自明なことで、ほとんど誤解を生じさせない、と考えられる。誤解する一部の者には誤解だと説明すれば足りる。それに、この条文を使っての「天皇制廃止」論は憲法改正によるそれを展望していると容易に想定できるのであり、国会の議決=(ほとんどが)法律、による「天皇制廃止」を主張する憲法学者など皆無なのではないか。そのような議論・主張を読んだことは一度もない。
 以上のとおりで、憲法(改正)レベルの問題と法律(改正)レベルの問題の混淆が、上の叙述にはある、と見られる。
 ひょっとすれば、明言はしていないが、「主権の存する日本国民」という理解に対する反発・懸念が産経新聞社「国民の憲法」立案者にはあるのかもしれない。たしかに「主権」概念の法的意味と効用は議論されてよいものの、そのまま残しておいてさしたる弊害は生じないものと私は考える。むしろ、これを残すことによって、<世襲による天皇制度>は憲法改正の対象にはできないという解釈を導くことが不可能ではないことは、上述のとおりだ。なお、読売試案2004年は「その地位は、国民の総意に基づく」、として「主権の存する」との部分を削除しているが、産経新聞社案に比べれば、はるかに現行の上記条文を残す自民党案に近い。この点でも、産経新聞社案は異質だ。
 さらにいうと、産経新聞社案「国民の憲法」によれば、「天皇制廃止」の主張は排撃され、、「天皇制廃止」は不可能になるのだろうか。そんなことはない。同案によれば(117条)、各議院の過半数議員の賛成による国民への提案にもとづく国民投票での国民の過半数の賛成でもって憲法改正が可能である。産経新聞社案「国民の憲法」上の天皇条項は、なんと現憲法によるよりも容易に改正される(廃止される)ことになっている(「憲法改正の限界」に関する明文はないようだ)。「天皇制廃止」を「堂々と主張する憲法学者もいる」ので上記部分を削除したというが、削除したところで、憲法改正による「天皇制廃止」を「堂々と主張する」ことを封じることはできないのだ。
 以上、二回めの、産経新聞社案「国民の憲法」についての感想とする。
 なお、産経新聞社・国民の憲法(2013)の奥付の前の頁には、産経新聞社の名のもとに小さく、「近藤豊和、石川水穂、湯浅博、石井聡、安藤慶太、榊原智、小島新一、溝上健良、田中靖人、内藤慎二」と記載されている。この人たちが(おそらくは起草委員会メンバーではなく)この本を執筆・編集しているのだろう。したがって、完全に産経新聞社の名のもとに隠されているわけではない。だが、今回に言及した部分も含めて、個々の部分の文章作成の(内部的な)責任者の個人名は明らかでない。

1264/産経新聞社案「国民の憲法」について。

 田久保忠衛の名も出しつつ、<憲法を改正しよう>と主張するだけでは意味がない、と前回に書いた。
 これに対して、田久保忠衛は、改正の優先順位も政治的な戦略・戦術にも触れていないが、産経新聞社の「国民の憲法」起草委員会の委員長として、改正の具体的内容は検討・議論して、公表している、と反論するかもしれない。
 そのとおりで、産経新聞は「国民の憲法」(憲法改正要綱)を公表している。そして、産経新聞社・国民の憲法(2013.07、産経新聞社)の中には、自民党改正草案との違いを(わずか3頁だが)叙述している部分もある(p.138-140)。従って、かりにその部分を田久保が執筆しているか、または了解しているのだとすると、田久保が産経新聞社案と自民党案との違いをまったく説明していないというわけではない。
 以上のかぎりで田久保に対する批判的コメントは一部取消させていただく。もっとも、上記書物は「国民の憲法」の個々の条項に即して自民党案を採用しなかった理由を述べてはいない。上の3頁の中で触れられているのは、のちに触れる基本的スタンスの他は、天皇条項・現九条・前文のみだ。
 それに、あらためて上記書物を手がかりに産経新聞「国民の憲法」要綱を見てみると、基本的なよく分からない点があり、また奇妙に感じる点もある。
 まず第一に、この産経新聞「国民の憲法」案の発表主体はいったい誰なのか。どうやら、上記委員会ではなく、産経新聞社という会社法人(新聞会社)そのもののようだ。上記書物の「はじめに」の執筆者(署名)は「産経新聞社」になっている。そして、この書物は「起草委員会の議論をもとに…編集」したものだとされているが、「国民の憲法」案を最終的に完結的に作成したのは田久保を委員長とする起草委員会なのか、それとも起草委員会の議論の過程に産経新聞社の社員・記者たちがすでに関与したのか、も分かりにくい。起草委員会なるものの性格・位置づけにかかわるが、おそらくは上の後者で、起草委員会の「事務局」としての社員・記者たちがすでにかなり関与したように推測される。そして、その産経新聞の社員・記者たちの固有名詞・人名が「産経新聞社」の名の中に隠されていることも特徴の一つだろう。
 このような曖昧さは、読売新聞社の<読売試案2004年>の作成過程とはかなり異なっている。
 読売新聞社編・憲法改正-読売試案2004(2004.08、中央公論社)によると、この試案が読売新聞社の名によるものであることが明らかだが、この書物の「はじめに」は同社の「調査研究本部長」が執筆し、「おわりに」は同社「調査研究本部」員が執筆して、それぞれ固有名詞(個人名)まで明らかにしている。また、読売試案の作成には(社外の専門家の助言等を得たかもしれないが)「起草委員会」なるものがかかわっているわけではない。
 つぎに第二に、時期的に私が産経新聞を定期購読しなくなって以降のことだったことに原因がある勉強不足のためかもしれないが(もっともネット上で改正案作成の動きや結論の公表があったことは知っていた)、あらためて産経新聞「国民の憲法」案を見て、大きな違和感を抱いたことがある。
 それは、自民党案との違いとして記述されていることでもあるが、「現行憲法をゼロベースで見直して」いて、自民党案や、さらに読売試案とも違って、現憲法の条項との関係がはなはだ分かりにくいことだ。現憲法の△条を改めて「…」とする、という書き方をしておらず、現憲法の「構成」や各条項とは無関係に、一体として、「新」憲法案が提示されていることだ。
 この点について、上記書物p.138は、自民党案は現憲法を「下敷き」にしているので「現行憲法の抱えるさまざまな欠陥をそのまま引き継い」でいる、と述べている。論理的に見て、「下敷き」にしていれば必ず「欠陥を引き継ぐ」ことにはならないとは思うが、それは別としても、現実の憲法改正(の発議と国民投票)のためには、産経新聞「国民の憲法」案ははなはだ使いづらい。
 なぜならば、憲法改正とは、現憲法の全体を一挙に廃棄・廃止して、新しい憲法を一括して創出する、というものではないからだ。
 ここで、憶測にはなるが、ひょっとすれば産経新聞「国民の憲法」案は、渡部昇一らの現憲法「無効」論や石原慎太郎の現憲法「破棄」論の影響も受けて、現憲法の全体に新しい「自主」憲法がとって代わる、というイメージで作成されたのではないか、という疑問が生じなくはない。
 総選挙における<次世代の党>の衰退とも関連させて、現憲法「無効」論・現憲法「破棄」論についてはあらためて触れる予定だ。ともあれ、現憲法と「新」憲法案のどちらがよいと思うか、というかたちで一括して憲法改正の発議と国民投票が行われるはずがない。確認しないが、憲法改正手続法もまた、そのようなことを想定していないはずだ。
 より具体的に、あるいは個々の条項に即して、例えば(自民党案によれば)現九条2項を削除して九条の二(国防軍の設置)を新設することに賛成か反対かで、あるいは(読売試案2004年によれば)①現九条1項を一部修正する、②現九条2項を削除して、別内容の条文に代える、③新たに別の条を追加して「自衛のための軍隊」保持可能等を明記する、のそれぞれについて、またはこれらだけを一括して賛成か反対かで、国民投票は行われるはずだ。
 産経新聞「国民の憲法」案の個々の条項を見て、かつ優先順位さえ決定すれば、上のような技術的?問題は解消できる、というのが産経新聞社案の意図なのかもしれない。しかし、現憲法との比較対照表を作れない(作っていない)案は、かなり分かりにくいし、上記のような(革命的?な一挙の)一括的「改正」をイメージしているのではないか、との疑問が生じなくはない(そうした気分がまったく理解できないわけではないが、非現実的で、却って「改正」を遅らせる)。
 さらに第三に、ここで書いてしまっておけば、産経新聞社の上記書物における現憲法九条1項の理解はいぜんとして奇妙だ。すなわち、p.140は、現九条1項は「主権の行使に制限を課している」、「不徹底で不完全」なものだ、と記している。
 しかし、自民党改正案も読売試案2004年も、基本的には現在の現九条1項の条文をそのまま残すこととしている。
 歴史的由来のある「国権の発動たる戦争」等の意味が理解しやすいものではなく、大きな誤解も招くことになっているのは確かで、<侵略戦争>の否定の趣旨を書き直すことは考えられてもよい(そうした趣旨の規定に対する、<侵略戦争>否定は「主権の行使に制限を課す」不適切なものだ、との批判はあたらないだろう)。
 しかし、産経新聞「国民の憲法」案よりもより長い時間と議論を経て作成されたとみられる自民党の最新改正案や読売試案2004年が現九条1項を基本的にはそのまま維持しているのと比較すると、同じく<保守派>の中では異質な案になっていることを、田久保忠衛や産経新聞関係者は意識・自覚しておいてよいと思われる。
 なお、産経新聞社の上記書物は、自民党案は「戦争放棄の規定(9条)をほぼ踏襲している」と書いて疑問視している(p.139)。しかし、(侵略)戦争放棄の規定は「9条」ではなく、同条1項だ。法学者ではない北岡伸一でもしているような理解を、どうやら産経新聞関係者および上記起草委員会は採用していないようだ。不思議で仕方がない。
 とりあえず、憲法改正の仕方・内容に関して若干のことを述べた。最優先されるべきは、現九条2項の廃止(削除)と実質的に自衛隊を正規の「軍」と認めることとなる条項の新設だ(法律改正により名称等々の変更が必要だが)、と考えている。「自衛軍」でも「国軍」でもよいが、「国防軍」で差し支えないのではないか。
 憲法の専門家ではない者が書いていることだが、憲法改正にむけての議論に小さな渦でも生じさせることがあれば、幸い。

1263/具体的・建設的で戦略も意識した議論を-憲法改正をめぐる保守派の怠惰。

 月刊正論1月号(産経新聞社)に、田久保忠衛「衆院選で忘れてはならぬ/憲法改正のラスト・チャンス」がある(p.158-)。産経新聞の憲法改正案起草委員会の一員だった人物(かつ国家基本問題研究所の幹部)が憲法改正の必要性を説き、衆院選の重要な争点とすべき旨を主張してるのだが、これを概読して、2010年11月03日の産経新聞「正論」に掲載された、やはり田久保忠衛の「憲法改正の狼煙上げる秋がきた」を読んで感じたのと似たようなことを感じた。
 当時感じたことは、この欄の2013.08.12投稿でも繰り返されている-「問題は、いかにして、望ましい憲法改正を実現できる勢力をまずは国会内に作るかだ。/この問題に触れないで、ただ憲法改正を!とだけ訴えても、空しいだけだ」。
 当時は民主党政権下だったので現在とはやや状況は異なるが、発議自体に各議院議員の2/3以上の賛成が必要であることに変わりはなく、これが達成されている状況にあるとは、衆議院に限っても明確には言い難い。
 また、国会議員の構成は民主党政権下に比べれば改憲のためにより有利にはなっているだろうが、そもそも憲法「改正」の具体的内容は改憲派(あるいは「保守派」)において明確になっているのか、という根本的問題がある。
 田久保は月刊正論1月号で現前文・現九条の改正と緊急事態対処条項の三つに少なくとも触れているようだが、田久保には尋ねてみたいことがある。
 まず、産経新聞社「国民の憲法」草案起草委員の一人として、すでに公表されていた自民党の憲法改正案を知っていたはずだが、産経「国民の憲法」案・要綱と自民党改憲案はまったく同じではないはずのところ、なぜ両者には違いがあるのか?、自民党の改憲案をそのまま採用しなかった具体的理由は何なのか?
 これくらいのことを明らかにしてくれていないと憲法改正のための具体的な議論はできないのではないか。
 また、憲法改正は-いずれまた触れるだろうように、明治憲法を全体としてそのまま復活させるという主張を採用しないかぎり-現憲法全体に対して改正案全体を提示して、全体について一括して支持するか否かを国民投票によって決する、というのではない。一箇条(の改正または新設)のみについて一回の記載か、複数の条項についての改正案(新設を含む)に即して複数回の(賛否の)記載を国民に問うのか、というやや技術的な(とはいえ現実には重要な)問題もあるが、いずれにせよ、改正が優先されるべき個々の条項について改正(・新設)の賛否を国民に問うことになるはずだ。
 しかして、田久保はいったい現憲法のどの条項から改正を始めるべきだと考えているのか。この点も明らかにしてくれていないと、憲法改正についての具体的な議論はできない。
 田久保忠衛に限らない。月刊正論2月号(産経新聞社)に、八木秀次「見え始める憲法改正への道筋」という魅力的なタイトルの論考があるが(p.58-)、総選挙結果の政治評論家的分析が3/4を占め、憲法改正に関する、上のような疑問に答えるところはない。ただ一つ、「憲法改正を政治日程に載せるためには1年半後の参議院選挙で改憲派の議席を確保しなければならない」等の、率直に言って改憲派ならば誰でも書けるようなことを書いているにすぎない。
 たまたま田久保忠衛と八木秀次の名を出したが、①両議院に2/3の改憲派を生み出し、国民投票でも国民・有権者の過半数の支持を得るための戦略・戦術、②すでにある改正案もふまえて、具体的にどのような内容の条文にするかのより突っ込んだ検討(ちなみに、櫻井よしこは「国防軍」ではなく「国軍」でよいと、どこかに書いていた)、③そもそもどういう順番で、改正案を国民に提示していくのか、についてのきちんとした検討、はいずれも、改憲派(「保守派))において、決定的に遅れているか、まったくなされていない。
 実に悲観的(・悲惨的)で危機的な状況にある、とすら言える。改憲派の論者たちは、本当に、真剣に、現憲法を変えたい、「自主憲法」を制定したい、と考えているのだろうか。
 このような状況では、安倍晋三首相が、憲法改正について具体的なことを語ることができないのも、当然だ。適当に何かを論じ、書いていれば済む立場に、安倍首相はいるわけではない。発議に必要な要件を彼は痛いほど理解しているだろうし(96条改正問題にもかかわる)、また、具体的な改憲条文を示した上で国民投票にかける必要があることも、どの条項から始めるべきかという問題があることも、当然に強く意識しているはずだ。
 にもかかわらず、安倍首相の問題意識・問題関心に応え、具体的にサポートする議論を改憲派(「保守派))が行ってきているとは思えない。
 優先順位にしても、公明党の「加憲」論に配慮して、安倍首相は緊急事態対処条項から始めたいのでは、という憶測記事を新聞で読んだことがあるが(何新聞だったかは忘れた)、かかる程度の<優先順位>論すら、改憲派(「保守派))は何もしていないのではないか。現九条か、前文か、緊急事態条項か、それとも「環境権」か?
 改憲派(「保守派」)の怠惰だ。
 もともと自民党は安倍晋三が言うとおり、「自主憲法の制定」を悲願としてきたのだから、改憲派(「保守派」)が、たんに、<憲法を改正しよう>と主張しても、訴えても、ほとんど意味はない。いいかげんに、それだけの主張や議論はやめるべきだ。
 ついでに言うと、周知のとおり、憲法改正反対(とくに現九条2項護持)の政党・運動団体があり、憲法学者の大半は<護憲派>とみられるところ、現96条改正や現九条改正に反対する憲法学者等の主張・議論に、改憲派(「保守派」)は適確に反駁してきているだろうか。
 例えば、昨2014年に、東京大学の現役教授・石川健治は朝日新聞に「乾坤一擲」の長い文章を載せ、京都大学の現役教授・毛利透は読売新聞紙上で護憲の立場で論考(・インタビュー回答)を載せていたが、これらに、迅速に改憲派(「保守派」)は反応し、これらを批判したのだろうか。
 <憲法改正を>だけ叫ぶのはいいかげんにしてほしい。具体的かつ建設的で戦略も意識した議論が、そして<護憲派>に対する執拗といってよいほどの批判が、必要だ。
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