秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2013年09月

1216/井上薫は婚外子「差別」違憲判決を厳しく批判する-月刊WiLL11月号。

 月刊WiLL11月号(ワック)に、井上薫「婚外子違憲判決/八つの誤り」があり、井上薫はこの判決(正確には決定。最高裁大法廷平成25年9月4日決定)を結論自体も含めて批判している。
 この最高裁決定についてはすでに9/12に言及した。

 そこで「世界的な状況の推移の中で,我が国における…法制等も変化してきた」という理由しか書かれていないと疑問視したが、井上薫は理由不明で、日本で「社会環境の変化」があったとは言えないと中身も批判しつつ、この決定を「世の中が変わったから身を任せた」という「風見鶏の真似」、「風見鶏ごっこ裁判」だと酷評している(p.230-1)。

 ほぼ同旨の批判だと言ってよい。

 また、「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」と格調高く?述べている部分を「偽善的な美辞麗句にすぎない」と批判しもしたが、井上薫も「一般的に誤りであることを強調したい」と述べる(p.232)。

 子ども間の平等の是非とともに、よりその母親(法的な正規の妻と事実上の妻)間の平等の是非の問題であることも井上は指摘している(p.236。但し、法律上の妻との間がつねに「愛情溢れた」夫婦関係とは限らず、形骸化していて「愛人」との間の方が夫婦らしい場合もありうるので一概にはいえないという旨を、先日のこの欄では書いた)。

 大まかにいって、最高裁のウェブサイトから全文を一度概読しただけで書いた9/12の一文は、大きくは的を外していないようだ。

 但し、概読したときには意識しなかったまたは気づかなかった論点だが、井上は本来裁判所が持たない「抽象的違憲審査権」を行使したものとし、三権分立等に違反する、と述べている(p.235-)。この部分は専門家でなければ分かりにくいだろう。また、専門家の間でも議論がありそうにみえる(同様のことは、「司法のしゃべりすぎ」や<傍論>に関する井上薫の主張についてもいえそうだ、という旨は書いたことがある)。
 冒頭掲記雑誌の同じ号の最初の方に門田隆将「…偽善に満ちた最高裁判決」もある(p.26-)。門田は一四人の裁判官一致であることに驚いたとし、内容的にも「日本人の長年の英知を否定」するものだとし、この決定は日本で「事実婚」が促進される契機となる「歴史的」なものだ、とする。また、「なんでも『平等』を訴えて権利ばかり主張する風潮」=「偽善」への違和感を示してもいる。

 明確に「反対」とは書かなかったが、私もまたほぼ同様の感想をもつ。
 ところで、門田は、「大手新聞が一紙の例外もなく」この最高裁決定を支持したことにも驚いたとし、「偽善」に「最高裁も大新聞も」毒されている、とする。

 この大手新聞、大新聞の中には当然に天下の産経新聞も含まれている。

 この件は、最高裁判決(・決定)を新聞社が批判することの困難さを示してもいる。最高裁とはそれだけの「権威」を今の日本社会では持っているのだ。

 井上薫も論及しているが、法律上は何の基準も定められていない、内閣による最高裁裁判官の任命(憲法79条)の仕方、それについての現在までの戦後の「慣行」を問題にし、きちんと再検討しておく必要があるだろう。

 この「慣行」についての新聞記事は(雑誌記事もだが)見たことがない。一種の「ブラック・ボックス」になっていて、既得権が生じている分野・「業界」があるはずだ。「大手新聞」・「大新聞」はまずは、最高裁裁判官の任命(方法・基準)の実態についての取材と報道から始めたらどうだろうか。

 最高裁は私の見るところ、これまでは致命的な失態を冒してはいないようでもある。だが、ぎりぎりの過半数であれ、「左翼」的判決の確定が続いたのちでは、もはや取り返しがつかない、という事態が生じないとも限らない(今回の婚外子差別違憲判決がそのような「左翼」的判決の連続の始まりにならなければよいのだが)。

 最高裁裁判官といっても「人の子」であり、無謬ではありえないし、「政治的」・「社会的」的状況あるいは「時代の空気」の影響を十分に受けうる、と見ておく必要がある。

 最高裁の判決・決定を正しく分析し批判できるだけの力量を、天下の各「新聞社」は持つ必要があるのだが、これは一朝一夕には無理かもしれない、産経新聞社も含めて。

1215/ジャパニズム14号の井上太郎「ヘイトスピーチと在日特権」。

 一 「ヘイトスピーチ」なるものに前回触れたのだったが、関連する文章に、井上太郎「ヘイトトピーチと在日特権」ジャパニズム14号(2013年8月号、青林堂)p.108以下があった。

 井上は言う-「日本でのヘイトスピーチは批判するが、南朝鮮の国家レベルの無礼な反日活動はスルーするマスコミの存在…」。「南朝鮮や在日朝鮮人に対し一切批判を行ってこなかった日本のマスコミにも、在日問題に関し責任は全くないといえるの」か。「ヘイトスピーチを生み出しているのは、日本だけを悪者にするダブルスタンダードのマスコミの存在と在日自身にもあるというのは間違った意見」なのか。

 韓国・韓国人等は日本・日本人に対して立派な「ヘイトスピーチ(+ビヘイビア)」をしているではないか、特定の(非左翼の)日本人だけを批判して一部の近隣諸国(国民も含む)を批判していないとすれば、NHKは偏向しており、「自虐的」なままだ、というのは前回に書いたことだったが、同旨の指摘が「日本のマスコミ」について発せられていることになる。

 また、日本のマスコミが「在日特権」を問題にせず、「在日」に甘いがゆえにこそ「ヘイトスピーチ」が生じているのではないかという論理も、私には思いつかなかったが、成り立ちうるもので、よく分かる。

 二 井上が上の論考で三段組み2頁以上にわたって列挙している「在日特権」はたしかにすさまじいものだ。

 「自治体」の裁量と書いているが(p.109)、生活保護は実施主体は地方公共団体であっても国の法令と「通達」等に依っているとみられ、特定範囲の「在日」には日本国籍はなくとも日本国民を対象とする生活保護法という法律を「準用する」という、国のかつての厚生大臣か局長かの一片の「通達」にもとづいて日本人に対するのとと同じ生活保護がなされているにすぎない。「全てに法的根拠はなく」という叙述は正しいと考えられる。

 詳細には知らないが、他にも法律上の根拠なくなされている「在日」優遇は多いようだ。これは「法治行政」の中に政治的・外交的・裁量的判断を持ち込むもので、一般的な行政スタイルとしても問題がある。

 民主党・小宮山厚労相の命令により、生活保護を受けている「在日」は申請しさえすれば国民保険料が免除され、「満額の国民年金」を受け取れるようになった、らしい(p.111)。これはベラボーな話ではないか。ただでさえ年金財政は苦しいというのに、こんな「在日」優遇は認められるべきではなかろう。憲法25条がプログラム規定としてであれ最低限度の文化的生活をする権利を認めているのは「国民」であり、生活保護のみならずその他の福祉行政についても国籍の有無で「区別」するのは、何ら憲法違反ではないし、かつ法律レベルの政策判断としても不合理なものではまったくない。

 「在日」を差別する(不当・不合理に区別する)必要はないし、そうしてはいけないだろうが、<国籍の有無による差別はいけない>とか<要求または抗議が激しいので穏便に>などという誤ったかつ事なかれ主義の発想で行政はされてはならないだろう。

 表現方法や言葉遣いが問題だ、「レイシズム」だ、などと論難する前に、NHKは「在日特権(優遇)」の実態をきちんと調査して、大越健介演番組でなくとも国谷裕子の7時半からの番組でもよいから、報道し検証してみたらどうか。という期待は、きっと甘すぎるかもしれないが。

1214/NHKは日本と日本人に対する「ヘイト・スピーチ(+ビヘイビア)」を厳しく批判しているか。

 9/23だっただろうか、NHKの九時からのニュースは、<またやったか>と感じさせるところがあった。

 「ヘイト・スピーチ」に反対する集会・デモが東京で行われたというもので、「ヘイト・スピーチ」反対の集会・デモを、NHK、そして大越健介は肯定的・好意的に報道した。前提には、「ヘイト・スピーチ」をする集会・デモは「悪」だ、という価値判断があったようだ。

 なるほど「特定の人種や民族に対して差別や憎しみをあおったり、おとしめたりする言動」はよろしくないだろう。だが、「あおる」とか「おとしめる」にはすでに何がしかの価値評価が入っている。「あおる」ものか否か、「おとしめる」ものか否かの客観的基準を、NHK、そして大越健介、正確にはこの番組制作者・ディレクターかもしれないが、有しているのだろうか。

 <在特会>とやらの集会・デモについての知識が私にはないし、またNHK自体も「ヘイト・スピーチ」集会・デモを詳細にまたは頻繁に取りあげて報道してきたわけではないから、先日の報道は分かりにくく、やや唐突の観があった。

 そして何よりも、一定の価値評価、<善悪>の評価を簡単に下してしまったうえでの報道はいかがなものか、という疑問が残った。

 「ヘイト・スピーチ」に反対する集会・デモは表向きはまともなようであっても、特定の「ヘイト・スピーチ」をしているらしき人々に対する「差別」を<あおり>、<おとしめる>意図を持つものとも言えるのではないか。

 それにまた、中国や韓国では、日本や日本人に対する「ヘイト・スピーチ」がいくらでもあるのではないか。NHKはそれらをきちんと批判してきたのか?

 「小日本」とか「日本鬼子」という言葉自体が日本と日本人を馬鹿にしている。「慰安婦像」とやらを在韓国日本大使館の前に建てるのは<ヘイト・スピーチ>ならぬ<ヘイト・ビヘイビア(行動)>そのものではないのか。しかもまた、これらは、中国政府や韓国政府自体が行い、または少なくともそれらの事実上容認のもとで行われている。

 NHK、そして大越健介よ、かりに「ヘイト・スピーチ」はよろしくないと自信を持って報道するのならば、国家ぐるみで行われている、と言ってよい、<ヘイト・スピーチ>・<ヘイト・ビヘイビア(行動)>を厳しく批判し、これらに抗議しないと、公平ではないのではないか?

 それにまたNHKは主としては日本人からなる「日本」放送協会のはずだ。「ヘイト・スピーチ」集会・デモをする日本人はけしからんというのならば、より厳しく、中国や韓国での<ヘイト・スピーチ>・<ヘイト・ビヘイビア>批判して不思議ではないが、そのような報道の仕方をしてきたのか?

 内に厳しく特定の外国には甘いのだとすれば、公平感あるいはまともな感覚を失っている。日本人に対しては厳しく、「近隣諸国」(国民も含む)には寛容だとすれば、まさに(戦後に継続した)<自虐>意識そのままだろう。

 中国が尖閣諸島への接近を明らかに強め始めた頃、大越健介は<毅然とかつ冷静に>とかくり返して、<冷静>な反応を求めていた。「ヘイト・スピーチ」に反対する集会・デモに対する報道の仕方はこの「冷静さ」を維持しているか?

 「ヘイト・スピーチ」に反対する集会・デモをテレビ局で取りあげたのはNHKだけだったのではないか。朝日新聞らがその後に追随しているようだが、NHKだけが何故か突出している。
 このような放送団体との契約締結義務を課す現行放送法は、戦後の一定の時期まではともかく、現在では憲法違反(国民に対する契約締結「強制」)の疑いが濃いように思われる。

 ともあれ、NHKのニュース番組の中でも、夜九時からのものが最も「偽善的」で、最も多く「気持ちが悪い」部分を含んでいる。

1213/戦争中・占領期当初のコミンテルン・共産主義者の暗躍-江崎道朗著。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)のタイトルは、コミンテルンとその影響をコミンテルン(・共産主義者スパイ)から受けた米大統領によって、敗戦後の日本に対して「時限爆弾」があらかじめ仕掛けられていた、という意味だろう。
 なぜアメリカは戦前に<反日・親中>だったのか、なぜ日本には攻撃的で中国には融和的だったのか。その判断は、のちには中国共産党による大陸中国の「共産化」や南北朝鮮の分離・北朝鮮の「社会主義」化につながり、資本主義国アメリカにとっては大きなミスだったのではないか。そのような判断ミスそして政策・戦略ミスは何故生じたのか、というのはかねて持ってきた疑問だった。
 近年になって、ルーズヴェルト大統領の側近にコミンテルン(モスクワ)のエイジェントがいて、共産主義・マルクス主義に対して「甘かった」同大統領とソ連(・スターリン)とを
結びつけ、アメリカは<反日・親中>政策を採ったことが明らかになってきている。

 中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)についてはこの欄で触れたことがある。
 江崎の冒頭掲記の著書も、主として第三章「アメリカで東京裁判史観の見直しが始まった」で、コミンテルン・同スパイ・アメリカ共産党等の運動・行動について扱っている。
 その内容を簡単にでも紹介することは避けるが、江崎の本よりも第一次資料・史料といえる文献で邦訳されているものやその他の日本語文献があるようなので、以下にリスト・アップしておく。
 第一節「外務省『機密文書』が示す戦前の在米反日宣伝の実態」より(p.126-)
 ①馬暁華・幻の新秩序とアジア太平洋(彩流社)

 ②山岡道男・「太平洋問題調査会」の研究(龍渓書房)

 ③H・クレアほか・アメリカ共産党とコミンテルン(五月書房)

 ④レーニン・文化・文学・芸術論(上)(大月書店)

 ⑤中保与作・最近支那共産党史(東亜同文会)

 第二節「ヤルタ協会を批判したブッシュ大統領と保守主義者たち」より(p.146-)

 ⑥H・フィッシュら=岡崎久彦監訳・日米・開戦の悲劇(PHP文庫)

 第三節「アメリカで追及される『ルーズヴェルトの戦争責任』」より(p.162-)

 ⑦エドワーズ=渡邉稔訳・現代アメリカ保守主義運動小史(明成社、2008)

 第四節「『ヴェノナ文書』が暴いたコミンテルンの戦争責任」より(p.178-)

 ⑧中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)〔所持〕

 ⑨A・コールター・リベラルたちの背信-アメリカを誤らせた民主党の六十年(草思社)

 ⑩クリストファー・アンドルーほか・KGBの内幕・上(文藝春秋)

 ⑪楊国光・ゾルゲ、上海ニ潜入ス(社会評論社)

 ⑫エドワード・ミラー・日本経済を殲滅せよ(新潮社)

 第五節「コミンテルンが歪めた憲法の天皇条項」より(p.203-)

 ⑬ウォード・現行日本国憲法制定までの経緯

 ⑭ビッソン・ビッソン日本占領回想記

 以上 

1212/東京大学文学部社会学科はなぜ上野千鶴子を東京大学教授にしたのか。

 日本の大学の人事において、とくに歴史学や社会学を含む「社会系」については、その人物の「思想」・「イデオロギー」(それらによる所属団体、それらについての指導教授の「傾向」)がかなりの影響をもっているかを、この欄で何度か触れたことがある。マイナスになることもあれば、「左翼」/マルクス主義者・親マルクス主義者/日本共産党員であることがむしろプラスに働いて、これらを大学または学界における「処世の手段」として利用している者も少なくないのではないか、等をかつて記したことがある。   2007.07.06「大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?」   2009.02.06「<処世の手段>としての『左翼』/マルクス主義者/日本共産党員」。   2010.10.02「『共産党ではないが左翼』の社会・人文系学者たちの多さ」、など。

 長らく失念していたが、上野千鶴子の東京大学への招聘について、西尾幹二らが当時の東京大学文学部長と社会学科長に対して「公開質問状」を出していたことを思い出した。
 ネット上で、全文かどうかは不明だが見つけたので、再掲して紹介しておくことにする。なお、この質問状は西尾=八木・新・国民の油断(PHP、2005)に全文・経緯が掲載されているようだ。所持しているが、確認作業を節約させていただく。

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 「『上野千鶴子』問題については、東京大学の社会的責任を問う必要があると考えます。

 『女遊び』は、上野千鶴子氏が東京大学文学部教授会に迎え入れられる前、平安女学院短期大学教員の名で出された本で、東京大学の資格審査の際の参考文献に当然なっていたはずですから、同書と同書著者を受け入れた社会的責任が、東京大学文学部長と社会学科主任教授とにあると思います。もちろん、それに先立ち、文学部教授会全体にも社会的責任があります。

 憲法で『表現の自由』と『学問の自由』は保障されていますが、表現の『評価』は無差別ではありません。社会的影響力の大きい機関は『評価』に対し、当然、社会的責任を有しています。

 『女遊び』がどのような文献であるかは本書中で紹介したとおりで、必要なら古書でなお入手でき、再調査が可能でしょう。関係各位はご調査のうえ、判断や評価が適切であったか否かを、いまあらためてマスコミにおいて公表してほしい。

 もちろん機関としての判断決定の見直しは、いかに失敗であるとはいえ、もう時機を失しているでしょう。けれども、文学部所属の教授たち、ことに社会学科所属の関係者が上野千鶴子氏の『評価』の見直しを、己の学問的良心に照らして再度ここで行うことは可能です。私たちのこの提案に対し、開き直って彼女を礼賛するか、賛同して彼女を批判するか、いずれも自由ですが、沈黙するのは社会的無責任の表明と見なします。開き直って礼賛する人の論法は見物で、いまから楽しみにしています。

 なお、『女遊び』は学術的著作ではないので、審査対象からは外していたという見え透いた逃げ口上は慎んでいただきたい。業績の少ない若い学者の資格審査においては一般著作も参考にすべきで、それを怠ったとすれば、かえって問題です。

 まして『女遊び』は、上野氏のその後の反社会的思想と日本社会に及ぼしている悪魔的役割と切り離せない関係にあるだけに、見逃したという言い方は弁解としても成り立たないと思います。

 平成16年12月8日
  西尾幹二・八木秀次」

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 上野千鶴子は京都大学文学部・同大学院出身で上記の京都市内の女子短大や京都精華大学の教員だったが、突然に?東京大学文学部の助教授になった。
 上野の著「女遊び」とやらは読んだこともないが、上野のたった一つの学問的研究書と言えそうなのは同・家父長制と資本制-マルクス主義フェミニズムの地平-(岩波書店、1990)だろう。ここに見られるように、上野はたんなる「フェミニスト」またはフェミニズムの研究者ではない。「マルクス主義フェミニズムの地平」を目指して、ベルリンの壁崩壊・ソ連解体の頃以前に研究した文章をまとめて、1990年に、あの「岩波」から出版したのだった。<容日本共産党>の人物であることにもこの欄で言及したことがある。現在では東京大学を定年退官して優雅な「おひとりさまの老後」を過ごしているのだろうか。

 ところで、上の質問状からは不明だが、質問を受けた2004年度の東京大学文学部長ではなく、上野を採用することを決定した時点(1992年度と思われる)での東京大学文学部長は柴田翔であったと見られる。柴田翔とは、大学院学生だったとみられる1964年の芥川賞を「されどわれらが日々」で受けた人物。

 興味深いことに、西尾幹二と柴田翔(本名)はともに1935年の早生まれで(これは大江健三郎も同じ)、ともに東京大学独文学科で学んだ「学友」にあたる。そして、上野千鶴子問題を離れてさらに次のように思うのだ。

 失礼かもしれないが、西尾幹二は東京電気通信大学という理系の大学のドイツ語・ドイツ文学の教員だったのに対して、柴田翔は東京大学文学部教員として東京大学に残り、文学部長にまでなった。
 これまでの仕事・業績の全体を見ると、ドイツ関係に限ってすら、圧倒的に西尾幹二が柴田翔を凌駕しているのではないか。西尾幹二には「個人全集」すらある。柴田翔は芥川賞のおかげで世間的には著名かもしれないが、いったいいかほどのものを学界に残したのだろう。彼らの20歳代においても、東京電気通信大学と東京大学とでイメージされるような力量の差はなかったのではないかと思われる。しかるに、なぜ、柴田翔は東京大学に残り、その専任教員になれたのか。あくまで推測にはなるが、<思想傾向>がまったく無関係だったとは思われない。

 日本の大学というのは、「大学の自治」・「学問の自由」といった美名に隠れてはいるが、じつはかなり異様で奇妙な世界ではないかと感じている。  *後記(訂正)ー西尾幹二は1935年の「早生まれ」ではなく、同年7月生まれ。なお、大江はいわゆる<一浪>をしているので、結果として西尾と同年の入学のはずだ。

1211/在米「世界抗日連合」と中国共産党政府による「反日」運動-江崎道朗著の2。

 前回のつづき(江崎道朗著p.22-)。在米の「世界抗日連合」は南京「大虐殺」目撃とのドイツ人・ラーベの日記を発掘、南京「大虐殺」否定の石原慎太郎衆院議員(当時)への抗議意見広告をニューヨークタイムズに掲載、訪米中の天皇陛下への抗議デモを展開。米国の元捕虜グループには対日賠償請求を、韓国系アメリカ人には「慰安婦」問題での共闘を、呼びかけた。

 1990年に韓国で「韓国挺身隊問題対策協議会」が結成されていた。このアメリカ支部として韓国・北朝鮮系アメリカ人が1992年12月に「慰安婦問題ワシントン連合」を結成するやただちに提携を申し入れ、1993年3月の<日本の常任安保理国入り反対>などのデモ等の共同行動をしている。なお、ユダヤ系「サイモン・ウィーゼンタール・センター」とも一時期に連携した。これは文藝春秋刊「マルコポーロ」を廃刊に追い込んだ団体。

 在米反日ネットワークと中国共産党とはいかなる関係か。
 1950年結成の「日中友好協会」(初代会長・松本治一郎)は中国人遺骨送還・中国人殉難碑建設等をし、機関紙は日本の中国「侵略」批判を続けてきた。「中国帰還者連絡会」、中国で「洗脳」された元日本軍人組織、のメンバーは、「三光作戦」等の日本軍の「残虐行為」を「証言」して、「侵略史観」の形成を助けた。

 中国共産党政府は1963年に「中日友好協会」を設立し、併せて中国共産党中央委員会に「対日工作委員会」を設置、その上部組織として「党政治局」に「日本ビューロー」を設けた。

 中国政府は1982年の<教科書書換え誤報>事件に関して日本政府の検定を「内政干渉」だと一蹴されるかと「内心思いながら抗議」したところ、日本政府・宮沢喜一官房長官は結果として中国政府による日本の教科書内容への中国政府の容喙を認め、「教育に関する主権侵害」を容認する談話を8/26に発表した。中国政府は「驚き、そして喝采を叫んだに違いない」。その後、日中共同声明や宮沢談話を利用して「過去」を持ち出しては日本に譲歩を迫るに至る。1985年の「南京大虐殺記念館」建設を皮切りに、「東京裁判史観」に異を挟む日本の閣僚を遠慮なく非難するなどをする(その結果としての藤尾正行文部大臣辞任)。

 1989年天安門事件、1990年ベルリンの壁崩壊につづくソ連解体等の新しい状況のもとで対日本政策が問題になり、「アジアにおける中国の覇権」確立のための「日本の政治大国化」阻止、そのための「過去の謝罪問題」の取り上げとのシンクタンク意見に沿って、1993年には中国政府は「敵国日本」を追い落とす手段として「歴史カード」を使うという「対日戦略」を決定した

 アメリカでの1994年の在米中国人による「世界抗日連合」結成も上の中国共産党政府の戦略と無関係ではない。1995年、中国政府は「軍国主義・日本」・「その日本と戦った解放の旗手・中国」というイメージ宣伝に努めた。そのキャンペーン真最中の8/15に出たのが、いわゆる「村山談話」。「侵略と植民地支配」をしましたと述べて、中国の宣伝を「追認」した。この時点ですでに、日本国内の「左翼」の運動とも相俟って、「慰安婦という性奴隷制度をもった最悪の戦争犯罪国家・日本」というイメージが国際社会に定着した。

 中国政府は1996年の日米安保共同宣言(橋本龍太郎首相)を批判し、アメリカの「対日世論を悪化させて日米分断」を狙った。これに対応して12月に「世界抗日連合」後援の大戦中の「残虐行為についての日本の責任」と題するシンポジウムを開催、12/12にアイリス・チャンと記者会見して「ラーベ日記」存在を公表、「南京大虐殺」による大「反日キャンペーン」が始まった。アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」が発刊されたのは、1997年11月だった。

 第一節の終わりまであと10頁余もあるが、予定を変更して、ここまでであとは省略する。

 中国共産党・同政府にとって、「南京大虐殺」も「慰安婦強制連行=性奴隷」も(他にもあるが)、日本に<勝つ>ための大きな情報戦略の一つであることに変わりはない。彼らはすでに<戦争をしている>つもりであるに違いない。

 今はなきコミンテルンもそうだったが、表で裏で、陰に陽に、公式・非公式に、種々のネットワークを使って執拗に目的を達成しようとする<共産主義者たち>の骨髄は、中国共産党にも継承されているようだ。
 脳天気で善良な、「お人好し」の日本国民は、簡単に<洗脳>されてしまいそうだ。一般国民のみならず、日本の政治家の中にだって主観的には「歴史と過去にきちんと向かい合える」という<親中国>人士は少なからずいる。日本共産党のように、真偽はともかくとしても自党の存続・勢力拡大のために中国の「宣伝」を利用している者たちもいる。マスメディアとなると、朝日新聞を筆頭に…。朝日新聞の社説や記事の中にはもあるいは「左翼」人士の発言の中には「歴史・過去ときちんと向かい合う」ことの大切さを説いたり、それをできないとして自民党「保守派」政治家を批判したりする者がいるが、そのような言い方をする記事や発言は、日本社会党委員長だった村山富市と同様に、すでに中国共産党の<宣伝工作>に屈してしまっている、と言わなければならない。歴史をきちんと振り返るのは一般論としては誤りではないが、上のようにいう場合に想定されているのは、<日本(軍)の悪行>という特定の価値評価を伴った「過去」または「歴史」なのだ。

1210/江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)の第一章・第一節の1。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾/迫り来る反日包囲網の正体を暴く(展転社、2012)の「第一章・知られざる反日国際ネットワークの実態」の「第一節・中国共産党と国際反日ネットワーク」(p.14-47)を要約的に紹介する。この本は先月末か今月初めに読了している。

 アメリカでの慰安婦問題を利用した「反日」運動については、古森義久が産経新聞8/31付の「緯度経度」欄で、「米国にいる日本攻撃の主役」と題して、基本的なことは明らかにしている。
 古森の文章によると、「韓国ロビー」→「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム(KAFC)」のような新参団体が表面に出るだけだったが、「真の主役」は、「中国系在米反日組織の『世界抗日戦争史実維護連合会』(抗日連合会)」だった。米国各地での「慰安婦像」設置を「今後も推進する」と宣言しているらしい。また、「抗日連合会の創設者で現副会長のイグナシアス・ディン氏」は、「慰安婦像に関する中国共産党直轄の英字紙『チャイナ・デーリー』の長文記事で、設置運動の最高責任者のように描かれていた」。「米国下院の2007年の慰安婦決議も抗日連合会が最初から最後まで最大の推進役だった」、等々。

 上記団体は中国共産党と親近的な関係にあるらしいことが重要だろう。

 さて、江崎道朗著の上記部分は月刊正論2005年7月号掲載論考の改題・大幅加筆修正らしいが、古森のものよりも詳しい。

 「日本の戦争責任」をむし返し、「日本に謝罪と補償を求める」在米中国人グループは1987年に「対日索賠中華同胞会」準備会を結成し、1991年3月に正式結成した。主目的は「対日賠償請求運動」の盛り上げだったが、同月に「南京大虐殺」に絞った政治団体・「紀念南京大屠殺受難同胞連合会」も結成した。

 上はニューヨークを中心にしていたが、中国系が多いカリフォルニアにも飛び火し、1992年5月に(古森義久が上記記事で言及していた)「抗日戦争史実維護会」が結成された。その目的は江崎が「」付きで引用しているところによると、つぎのとおり。

 「大戦中の近隣諸国に対する日本の残酷な暴行の事実を日本政府に認めさせ、中国人民に謝罪し、その犠牲者と家族にふさわしい補償を実施させる。更にまた、日本が再び不当な侵略行動を開始することを阻止するために、アメリカ、中国、日本その他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう国際世論を喚起すること」。

 この「抗日戦争史実維護会」は1994年6月に他7団体とともに「全米華人の天皇への抗議と賠償請求公開書簡」を発表した(内容はここでは省略)。江崎の表現によると、彼らの「日中友好」とは、「日本が一方的に譲歩して賠償」をし、「日本の侵略を伝える歴史資料館を建て、今後、永久に中国の属国であり続けることを、日本が中国に誓う」ことを意味する。

 上の公開書簡以来中国系反日団体は統一行動をとるようになり、1994年9月にはワシントン・スミソニアン博物館の原爆展計画に対して、日本が被害者であることだけが強調されているとして、「日本侵略史観に基づく原爆投下容認論」を議会請願し、「抗日戦争史実維護会」のメンバーの一人は元米国軍人の力も借りて、上記博物館の「企画展示委員」に選ばれた。

 香港でも1988年に「香港紀念抗日受難同胞連会」が結成され、近年のそのHPは「日本軍国主義による尖閣侵略」を非難している。この団体を母体に2003年、尖閣問題に特化した「保釣行動委員会」が設立され、2012年6月には「世界華人保釣連盟」を結成した。2012年8月に尖閣に上陸を強行した中国人はこの団体の中心的活動家。

 カナダでも中国系カナダ人を中心に「第二次大戦史実教育擁護協会」が結成された。この団体は1997年6月、韓国系・フィリピン系等のカナダ在住者団体とともに、「日本政府による歴史歪曲と検閲に対抗して戦っている家永教科書裁判に対する支援キャンペーン」を実施した。

 世界の30ほどの中国系・韓国系・日系団体が結集して1994年12月に(古森義久が上記記事で「主役」とした)「世界抗日戦争史実維護連合会」が結成された。この団体は、カリフォルニアでの1994年12月の「『南京大虐殺』五十七周年世界記念会議」を後援した。この会議には「活動家」である大学教授・ジャーナリスト・作家なと300人が参加した。そして、「日本人および日本政府への宣言」を採択した。その要求内容は少なくとも次の5項目。
 ①中国人民への公式謝罪の声明と(中国共産党・台湾両政府への)文書提出、②日本の歴史教科書の誤りを正す、③中国・日本に慰霊の記念碑を建て、事実を刻む、④全被害者への合理的補償、⑤関連公文書公開・「過去の日本軍閥の罪行を天下に明らかにする」。

 ようやく第一節の約半分に達した。こういう団体が、在米韓国人団体が表面には出るかもしれない「慰安婦像」設置運動を支持すること、実質的に「主役」になってしまうことは論を俟たないだろう。
 なお、たしか青山繁晴がテレビで述べていたと思うが、カリフォルニア州のサンフランシスコ市長とオークランド市長は、いずれも中国系らしい。
 後半についてはなおも続ける。<歴史をめぐる情報戦争>の真っ最中だという自覚・意識が日本人には必要だ(もちろん日本政府にも)。

1209/五輪東京誘致とテレビ朝日、式年遷宮における「御治定」・「御聴許」。

 〇前回に触れた、五輪誘致東京「敗退」との誤報を放ったのは、当日のライブだったテレビ朝日池上彰の司会の番組もそうだったようだ。

 池上彰に非難が当たっているようでもあるが、池上個人の問題というより、当該番組制作者、つまりテレビ朝日の制作責任者に原因があるように思われる。氏名は明らかではない当該人物は自分の判断で、または朝日新聞社のツイッターを見て、すぐさま、その旨を書いた紙(カンペというのか?)を池上に見せたのではあるまいか。その誘導に乗って池上の発言になったのではなかろうか。
 池上彰を擁護する気持ちはなく、中途半端な人物だと思っているが、池上よりもテレビ朝日のミスならば十分に考えられる。なぜなら、テレビ「朝日」だからだ。上記の「朝日」関係の人物も、東京誘致が失敗すると面白い、と考えていたのではないか。

 ついでながら、NHKのテレビ放送を見ていて、決定後の座談会において、安倍首相の発言への言及がまったくかほとんどか、なかったのは印象的だった。安倍首相のプレゼン発言で決定的になった旨の外国の報道もあったようだが、わがNHKはそんな旨での報道をしなかった。逆に、安倍首相発言は「正確」なのか、という朝日新聞や毎日新聞等(系列テレビを含む)がのちに問題にしている論点にもまったくかほとんど触れていなかったのだが。

 〇9/11のエントリーで式年遷宮に言及した。その中で、つぎのように書いた。

 「遷宮の細かな準備日程は今上天皇の『許可』(正式用語ではない)にもとづいているように、伊伊勢神宮の式年遷宮とは実質的または本質的には天皇家の行事に他ならない。」

 前段の「許可」という用語および後半の意味について付け加える。
 最もあたらしい伊勢神宮のHPは、次のように知らせる。
 「天皇陛下には第62回神宮式年遷宮の遷御を執り行う日時を以下の通り御治定(ごじじょう・お定め)になられましたのでお知らせいたします。/遷御の儀は大御神様に新しい御殿へお遷り願う式年遷宮の中核となる祭典です。
  【 遷 御 】

 皇大神宮    10月2日(水)  午後8時

 豊受大神宮   10月5日(土)  午後8時」

 ここでは「御治定」という言葉が使われている。最終的な「遷御」の日時は今上天皇陛下が定めるのだ。

 また、同HPの2005年1月1日更新は次のように伝えていた。
 「神宮の最大の祭りである式年遷宮の本格的な準備が、平成16年4月5日、天皇陛下の「御聴許」(お聞き届けいただくこと)をいただき、進められています。/神宮における祭祀の主宰者は天皇陛下です。式年遷宮をおこなうにあたっても、その思し召しを体し、神宮大宮司の責任で遷宮の御準備が進められます。平成16年4月5日、陛下から正式にお許しを戴き、その後設置された各界の代表で構成する大宮司の諮問機関「遷宮準備委員会」の答申に基づいて本格的な御準備が進められています。一方、遷宮諸祭については今春(平成17年春)の山口祭(やまぐちさい)・木本祭(このもとさい)にはじまり、9年間に約30回にも及ぶ諸祭行事が行われ、主要な12のお祭りの日時は、天皇陛下のお定め(御治定・ごじじょう)を仰ぐことになっています。」

 遷宮の本格的準備が、ほぼ10年前の2004年4月の今上天皇の「御聴許」にもとづいて進められていた。この「聴許」という用語を先日は思い出せなかった。但し、「主要な12のお祭りの日時」は、「御聴許」ではなく、「御治定」によるようだ。厳密な違いは私は知らないが、対象からして、おおよその違いは分かる。
 より重要に思えたのは、神宮(伊勢神宮)自体が、「神宮における祭祀の主宰者は天皇陛下です」と明言・公言していることだ。
 これからすると、先日のように「実質的または本質的には」と限定を付す必要はなかったようだ。遷宮とは天皇陛下が「主宰」者として行われる神事なのだ。但し、後日に天皇・皇后両陛下が参拝されるが、当日は東京・皇居から定められた時刻に「御遙拝」される。直系で皇位継承第一位の皇太子殿下もそのはずだ。

 一方、その他の皇族の一部の方々は、当日に伊勢の現地で式典に参加されるか、見守る、ということをされるのではないか。曖昧なことは書けないので、より正確な情報ソースを参照していただきたい。
 ところで、天皇陛下のこのような伊勢神宮への強い関与は、<私事>・<私的行為>だからとして許容されていることになっている。このような説明は、先日に書いたように、奇妙だ。

 天皇陛下は憲法で明記された国家の一つの重要な「機関」のいわば担当者に他ならないが、そのような天皇陛下の伊勢神宮への強い関与を、誰も、朝日新聞も、「政教分離」違反とは言わない。「左翼」をけしかけているわけではない。じつに奇妙で不思議なことだと、常々感じているだけだ。 

1208/2020東京五輪-やらせたくなかった朝日新聞と利用したい中国共産党。

 日本時間で9/08の午前5時すぎ、2020年の五輪開催都市が日本の東京に決定した。

 関西テレビの夕方の「スーパーニュース・アンカー」は、青山繁晴出演の水曜だけ録画しているのだが、9/11の青山の発言・指摘は興味深くかつ重要だった。他にもあるが、二点だけ取りあげておく。

 第一。最下位都市除外するための第一回投票において、たまたま第二・第三の得票数の都市が同数であったためその二都市の名だけが公表され、東京の名前が出なかった。私は仕組みを知っていたから、東京が落選したものとは思わなかった。
 だが、東京敗退という誤報を打った報道機関があったらしい。一つは、中国の国営新華社通信、もう一つは朝日新聞社のツイッター。朝日新聞は1分程度のちに訂正はしたらしい。青山繁晴が朝日新聞の関係者に電話するとその者はともかく、朝日新聞社内には、<2020五輪を東京でやらせたくない>雰囲気があった、ようだ

 中国はともあれ、朝日新聞のことは重要だ。なぜ、やらせたくないのか? それは、東京招致の成功は安倍晋三や安倍内閣にプラスに働くからに決まっている。朝日新聞としては、東京敗退=誘致失敗により、安倍首相や(朝日新聞がケチをつけた)高円宮妃殿下のわざわざの南米訪問・プレゼン参加にもかかわらず敗れたと大いに騒いで、安倍政権に打撃を与えたかったのだろうと思われる。

 気分だけではなく、経済・雇用・観光等の面で五輪開催は日本と日本人にとってプラスに働くだろう。それを、そう思わない、歓迎しない、東京で五輪をやらせたくないと考える新聞社はいったいどこの国の、社員の大多数がどの国の国籍をもつ新聞社なのだろう。

 朝日新聞社としては、<安倍晋三の葬式は再びウチで出す>と少なくとも幹部の内心では、考えているに違いない。
 現実化・保守化しているという論評もあるが、信じられない。朝日新聞の報道姿勢が広告主の大幅な減少を導き、経営自体に支障を生じさせかねないという事態になるまでは、彼らはその本質を変えることはないと思われる。テレビに顔を出す星浩らは、東京誘致成功を本心では喜んでいないのだろう。

 第二。中国の尖閣侵略と五輪東京開催との関係の方がより重要だ。中国の政府系環球時報9/09付は、円滑で安全な東京五輪開催を目指す日本政府は日中の「武力衝突を避けるため、低姿勢をとらなければならないだろう」と書いたらしく、日本側にも中国は尖閣侵略(武力による実効支配)を「早めるおそれ」がある、という見方があるらしい。
 要するにこういうことだ。中国は尖閣諸島を中心とする「地域紛争」を発生させる。これが武力や実力衝突を伴うものである場合、東京五輪の準備や開催に支障が出てくる可能性がある。中国が狙っている一つは、日本がアジアで初めて夏期五輪を二度も開催することを妨害したい、東京五輪を中止に追い込むことだ。

 東京五輪が中止にならなくとも、日本政府が同開催のために「低姿勢」になる、つまりは中国による武力行使・実力による実効支配の試みに対して、自衛隊等を使っての「武力」による自衛=領土の防衛に「弱腰」になる。そうすると、円滑に東京五輪を開催したい日本政府の意向を逆手に取って、尖閣諸島を武力行使をして「奪う」ことができる。これが中国が狙っているもう一つだ。

 上のどちらか一方でも達成できれば、中国としては<うまくやった>ことになる。
 以上は、青山発言や番組内容の忠実な紹介ではなく、この欄の私の解釈・理解によって言葉や表現を変えている。但し、基本的な「論理」自体としては、青山は上のような趣旨を述べていた。
 青山繁晴の言っていたことは基本的に適切なのではなかろうか。<対中国危機のもとでの2020東京五輪>と言わなければならないだろう。
 自衛隊の戦力は、尖閣を防衛する日本国民の意識は、そして国防軍設置のための憲法改正は、あるいは「日米同盟」は、2018年頃までに、ということはあと5年しかないが、どうなっているだろうか。むろん、中国内部での変化の可能性もなくはない。
 かつて1988年ソウル五輪の開催を北朝鮮は爆弾を使ってでも妨害しようとし、実行に移した。脳天気で「お人好し」の大多数の日本人が想定できないようなことを考えている国が外国にはある(それに呼応しかねない日本人・日本のマスコミも存在する)、ということを知っておく必要があるし、まともなマスコミは、テロによる妨害を含むあらゆる危険性について、きちんと警鐘を鳴らしておくべきだ。

1207/最高裁の婚外子相続「差別」違憲判決をめぐって。

 〇最高裁大法廷平成25年9月4日判決の特徴は、婚外子(非嫡出子)に対する民法上の相続「差別」を憲法違反とした理由が明確ではないことだ。
 全文を大まかに読んで見ても、そこに書かれているのは、一文だけをとり出すと、「前記イ及びウのような世界的な状況の推移の中で,我が国における嫡出子と嫡出でない子の区別に関わる法制等も変化してきた」、ということにすぎない。この問題をめぐる環境の変化に言及しているだけで、直接になぜ「平等原則」違反になるのかは述べていないのではないか。述べているらしき部分はのちに言及する。
 上の前者の世界的状況とは、国連の自由権規約委員会が「包括的に嫡出でない子に関する差別的規定の削除を勧告」したこと、加えて児童の権利委員会も日本の民法改正を促す勧告や当該規定の存在を「懸念する旨の見解」を改めて出したことをいう。

 上の後者のわが国の法制等の変化とは、「住民基本台帳事務処理要領の一部改正」、「戸籍法施行規則の一部改正」等をいう。

 この判決は一方で、日本ではまだ「法律婚を尊重する意識が幅広く浸透している」こと、婚外子の割合は増えても2%台にすぎないことを指摘しつつも、これらは合憲・違憲という「法的問題の結論に直ちに結び付くものとはいえない」とわざわざ述べていることも、興味深い

 〇この判決の結論自体については、産経新聞社説も含めて反対の論評はないようだ。
 ここでも反対意見は書かないが、最高裁裁判官中に一つの反対意見もなく、14名全員一致だというのは、ある程度は気味が悪い。最高裁判決は「正しい」または「最も合理的」なのではなく、権威をもって世俗的に通用する、というにすぎないことは確認されておくべきだ。

 最高裁判決が触れていない論点を指摘しておこう。

 第一。同じ父親から生まれた子が母親または両親の婚姻形態の違いによってその父親の資産相続につき同等に扱われないのは、たしかに、子どもの立場からすると「不平等」・「不公平」ではある。
 しかし、母親のレベルから見ると、法律上の妻と事実上の妻とが同等に扱われる結果になることは、法律上の妻との婚姻関係が基本的には正常・円滑に継続しており、事実上の妻あるいは「愛人」・「二号さん」とは同居もしておらず、事実上の夫婦関係が一時的または断続的である場合には、法律上のまともな配偶者(とその子ども)を不当に差別することになりはしないだろうか。
 むろん男女関係はさまざまで、法律婚の方がまったく形骸化し、事実婚の方が愛情に溢れたものになっている場合もあるだろうので、上のように一概にはいえない。しかし、上のような場合もあるはずなので、今回の最高裁判決および近い将来の民法改正によって、不当な取り扱いを受けることとなる法律上の妻や婚内子(嫡出子)もあるのではないかと思われる。しかるに、最高裁が裁判官全員一致で今回のような一般的な判断をしてしまってよかったのだろうか。

 むろん民法の相続関係規定は強行法規ではないので、被相続人の遺言による意思の方が優先する。もともと国連の関係委員会等の「権威」を信頼していないことにもよるのだが、個々のケースに応じた弾力的運用がまずは関係者私人の間で必要かと思われる。

 第二。本最高裁判決は、「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」と格調高く?述べて、実質的な理由らしきものにしている。

 しかしかかる理由でもって子どもすべてを同一・同等に扱うべきだという結論を導くことはできない、と考えられる。この点は、産経9/12「正論」欄で長谷川三千子もつぎのように、簡単に触れている。

 「自ら選択の余地のない事情によって不利益をこうむっているのは嫡出子も同様なのです。その一方だけの不利益を解消したら他方はどうなるか、そのことが全く忘れ去られています。またそれ以前に、そもそも人間を『個人』としてとらえたとき、(自らの労働によるのではない)親の財産を相続するのが、はたして当然の権利と言えるのでしょうか? その原理的矛盾にも気付いていない。」

 前半の趣旨は必ずしもよく分からない。だが、親が誰であるかによって実際にはとても「平等」ではないのが人間というものの本質だ。例えば、資産が大きく相続税を払ってもかなりの相続財産を得られる子どもと、親には資産らしきものはなく相続できるプラス財産は何もない子どももいる。これは平等原則には違反しないのか。あるいは例えば、頭が賢く、運動能力も優れた子どもがいる一方で、いずれもそうではない子どもも実際には存在する。この現象に「親」の違いは全く無関係なのだろうか。

 「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許され」ないなどと言うのは、偽善的な美辞麗句にすぎない、と断じることができる。「親」が異なれば「子」も異なるのだ。嫡出・非嫡出などよりも、こちらの方がより本質的な問題だろう。

 さらに、長谷川が上に後半で指摘していることは正しい。
 今回の最高裁判決を「個人」主義・「平等」主義大賛成の「左翼」法学者・評論家等は大いに支持するに違いない。しかし、上に少し触れたように、例えば親の資産の有無・多寡が相続を通じて子どもの経済生活に「格差」を生じさせるのは、「個人」主義・「平等」主義に反するのではないか。
 つまり、「左翼」論者が本当に「個人」主義・
「平等」主義を貫きたいのならば、<相続制度>自体に反対し、死者の財産はすべて国庫に算入する、つまり国家が没収すべし、と主張すべきだと考えられる。

 「子ども」は親とは全く別の「個人」であり、親の財産を相続することを認めるのは、子ども「個人」の努力や才覚とはまったく関係のない、たまたまの(非合理的な)「血」縁を肯定することに他ならない。「個人主義」者は、これに反対すべきではないのか。また、そのような相続を認めることが親の違いを理由とする相続財産の有無・多寡という「格差」=「平等原則」違反につながるのだとすれば、「平等」主義者はますますもって反対すべきではないのか。
 本最高裁判決を肯定的に評価しているらしき棚村政行(早稲田大学」、二宮周平(立命館大学)らは、上の論点についてもぜひ回答していただきたいものだ。

1206/山村明義・本当はすごい神道(2013)と伊勢の式年遷宮ほか。

 〇山村明義・本当はすごい神道(宝島社新書、2013)を、たぶん先週初めに読了。同・神道と日本人(新潮社、2011)も所持していて、より重要なようだが、重たい感じで、冒頭掲記のものを先に読んだ。
 最初の方で、知らなかったことをいくつか知り、宗教(・神道)に関する現在の日本のマスメディアの異様さも感じる。以下は、知らなかったこと(~p.61)。

 ・2011-12年サッカー・ワールドカップの直前、日本代表チームは男女ともに「熊野三山」に参拝した。選手・関係者でかなりの人数になる。なぜ熊野かは省略する。私も熊野三山(本宮・新宮・那智)を二回は巡拝している。
 ・トヨタ自動車のある豊田市には「トヨタ神社」ともいわれる豊興神社があり、毎年年頭、トヨタグループの幹部たちは参詣する。三菱グループの「守護」神社は大阪市西区にある土佐稲荷神社、三井グループのそれは東京都墨田区の三囲神社、等々。いわば「企業神社」は多数ある。

 ・出光興産のそれは、出光佐三の郷里近くの宗像大社

 ・海上自衛隊護衛艦「いせ」には伊勢神宮の祠があり、同「ひえい」には東京・日枝神社の神札が貼られいる、等。

 ・朝日新聞社にすら、東京・中央区築地に波除稲荷神社という「氏神神社」がある。社の新車にはこの神社で「新車祓い」をする。関連会社の朝日浜離宮ホールは、歳末の舞台挨拶の日に波除稲荷神社の神職者が神事を行っている。

 政教分離とかの問題では小うるさい朝日新聞にも特定の「守護」神社があるとは愉快ではないか。

 〇東京巨人軍が宮崎神宮に、阪神タイガースが(西宮神社ではなく)広田神社(西宮市街地の北)に、シーズン開始前に必勝または優勝祈願をすることは、毎年のようにテレビのスポーツ番組で報道されている。

 上の点では、特定の、といえなくもない宗教、すなわち神道に対しておおらかとも見えるマスコミも、他の点ではほとんど宗教・神道関係の報道を避けている。

 最初に記したサッカー団体によるこぞっての熊野参拝は知らなかった。サッカー関係者にとっては大行事のはずだが、マスコミは取りあげていないのではないか。

 今年は出雲大社の60年ぶりの遷宮、伊勢神宮の式年遷宮の年だ。前者はすでに終わったはずだが、テレビではおそらく全く報道していない(地元・島根県は別かもしれない)。
 伊勢神宮の式年遷宮に関する報道もおそらくまったくなされていない。週刊誌や雑誌が取りあげ、それだけでの特集をする雑誌・ムック類も多数出版されているが、テレビや一般新聞はおそらく何も
報道していない。遷宮ですらこうなのだから、外宮境内に「遷宮館」が完成していることなどは全国ニュースとしてテレビ・一般新聞で報道されたことはないだろう。

 どこか異常ではないか。むろん、様々の信仰をもつ視聴者・読者がいるから<特定の>宗教に関する報道はできない、という理屈によるのだろう。

 しかし、かつてこの欄で伊勢神宮や神道、それらと皇室との関係についてかなり熱心に言及したことがあるのだが、宗教といわれるものの中で、少なくとも「神道」だけは別扱いがされてよい、されるべきだ、と考えている。
 法的理屈がまったくなくはない。世襲の天皇制度を現日本国憲法も認めているが、天皇家の宗教はいうまでもなく「神道」だ。神宮の式年遷宮の祭主代理は現皇太子殿下の妹の黒田清子さん(祭主は今上天皇の姉の池田厚子さん)であることにも示されているように、また遷宮の細かな準備日程は今上天皇の「許可」(正式用語ではない)にもとづいているように、伊勢神宮の式年遷宮とは実質的または本質的には天皇家の行事に他ならない

 この式年遷宮に対しても天皇・皇室はもちろん何らかの費用を負担しているが、それが「内廷費」といういわばポケットマネー、「お手持ち金」として支出されるのも奇妙なことだ。テレビや家具あるいは皇居内用の自動車を購入する費用と、法律上はまったく同質のものと扱われているのだ。

 そもそもは1945年の「神道指令」にもとづき、また現憲法の「政教分離」原則によってこうなっている。しかし、憲法上の存在である「天皇」の宗教が一貫して神道であることは占領期にも、日本国憲法制定時にも公知のことだったはずだ。天皇制度を維持するかぎり、何らかの配慮または特別の考慮が払われてしかるべきだったはずなのだが、何もなされなかった。
 その結果として、現在のテレビや一般新聞の神道に対する「冷たさ」がある。むろん一般国民はそんなマスコミの態度にかかわりなく、初詣をし、七五三行事をし、パワースポット巡りをしているのだが…。

 富士山が世界遺産とされたのは「自然遺産」ではなく、「文化遺産」としてだったことの意味を、テレビ局・一般新聞の関係者はしっかりと考えるべきだろう。「文化」には宗教も含まれている。富士山という山岳のみが世界遺産指定をされたのではなく、<富士山信仰>のあることを前提として、富士宮浅間神社を含む種々の宗教施設も含めて世界遺産とされたのだ。

 思うに、世界遺産指定関係者、ユネスコの方が、日本のマスコミよりもはるかに宗教に対して大らかだ。どういう国の者が指定メンバーなのかは知らないが、彼らは日本には日本独自の宗教がある、ということを、ごく自然な、ごく当たり前のこととして、神社等を含む「富士山」を世界遺産の中の「文化遺産」として指定したのだと思われる。

 日本には日本独自の文化があり、日本独自の宗教がある。当たり前のことではないか。日本のとくに「左翼」マスコミは、「日本独自の」ものが嫌いなのに違いない。NHKも含めて、伊勢神宮の10月初旬の遷宮行事がどう報道されるのか、注目しておきたい。

1205/中西輝政・賢国への道(2013)の「保保二大政党制」論。

 中西輝政の主張について、8月上旬に、この欄であいまいに次のように書いていた。

 8/06-「残念ながら数ヶ月前に読んだためか文献を確認できないが、中西輝政もまた、<リベラル系>をなお含んでいる自民党に比べて日本維新の会は<保守性>が高いという旨を書き、上記の遠藤浩一のごとく、とくに憲法改正に向けての自民党と日本維新の会の協力・連携を期待する旨をこの数カ月以内にどこかで書いていた」。

 8/10-「中西輝政の主張はたんなる両党の連携等というよりも、遠藤浩一の今年最初の<保守合同>論でもない、両党による<二大保守政党>成立への展望だったように思い出してきた。その場合、維新の会を自民党よりも<右>または<より保守的>と位置づけていたような気がする」。

 どの雑誌上だったかと気になり続けていたのだが、原文を見つけた。雑誌ではなく、単著だった。すなわち、中西輝政・賢国への道-もう愚かではいられない(致知出版社、2013)の第五章だった。

 昨年末総選挙後・参院選前に執筆されているこの著で中西は、日本の直面する三大危機は①経済・財政問題、②外交・安全保障問題、③政治のリーダーシップにあるとし、この③に関する第五章で、うろ覚えで記した上記のようなことを書いている。但し、必ずしも正確ではないようなので、あらためて関連部分を紹介しておく。

 章の下の第一節にあたるものの見出しを「保保二大政党制で一枚岩の態勢を作る」とし(p.166)、次のように言う。
 ・「民主党か自民党かという選択は間違」い。「民主党はとんでもない左翼政党」。

 ・「求めるべきは保保二大政党制」。現在の自民党は「保守といっても、ほとんど中道リベラル政党」。「もう一つ、日本の歴史と伝統文化に沿った国家軸を持つ本格保守政党が必要」(p.169-)。

 ここで自民党以外の「保守」政党とは石原慎太郎・橋下徹代表の日本維新の会が想定されているように感じられた。そのように読めなくもない。だが、必ずしもそうでもなさそうだ。
 安倍政権の当面の課題はともかくも<自民党参院選挙勝利>で、安倍首相が①「身近な敵を黙らせる」、②「中国の挑発に乗らない」ことにより参院選に勝利できるかに「日本の未来はかかっている」(p.200)という別の議論の中で、参院選前の靖国参拝や河野・村山談話見直しがなくとも、「保守層」は参院選自民党勝利まではじっと耐えるべきだ、ということを強調している(とくにp.195-6)。
 まさに<戦略的>な主張をしているわけだが、上の①「身近な敵を黙らせる」に関連して、次のように言う。
 ・公明党は「根本的な国家観が違い」、いつ離れるか分からない。
 ・「『維新』と連立」すればとの意見もあろうが、「維新」は「まだ海のものとも山のものとも分かりません」。内部のベテラン議員に「自民党内をかき回される可能性」もある。

 ・自民党内の「反安倍陣営」の結成に警戒が必要(p.193-4)。

 以上からすると、日本維新の会に高い評価を与え、強く期待しているわけでもなさそうだ。
 はて、中西輝政の真意は何なのだろう。

 中西の安倍晋三に対する期待はきわめて高いことを前提にすると、現在の自民党と日本維新の会を中心とする勢力による「保保二大政党制」ではなく、自民党内の安倍晋三らの「保守派」と維新の会や他党の中にいる「保守派」が合体して現在の自民党ではない「日本の歴史と伝統文化に沿った国家軸を持つ本格保守政党」を作り、現在の自民党にもいる「中道リベラル」系(かつ反共)の者たちによる<その他の保守>政党との「保保二大政党制」を展望しているのだろうか。一種の、大きな<政界再編>だ。

 だが、中長期的にはともかく、自民党が近い将来に分裂する可能性は少なく、安倍晋三らが自民党から出て他グループと連携または合同する可能性も少ないだろう。安倍晋三は、相対的に多数の国会議員を擁する自民党の総裁のままでいた方がよい、と考えられる。こちらの方が戦略的にはベターだと思われる。

 そうだとすると、自民党を「ほとんど中道リベラル政党」と見なし、もう一つ「本格保守政党」が必要だとすることの意味はよく分からなくなる。

 今年の1月に刊行された書物の中の主張なので、自民党が7月参院選にいちおう勝利した後であれこれと吟味しても大きな意味はないかもしれない。しかし、将来的には現実化するまたは現実化させる必要のある論点になるのかもしれない。

 さて、追記になるが、中西輝政は「保守」の人々は自民党の参院選勝利までは安倍内閣か「保守」的行動・措置を執らなくとも我慢をすべし、と強調し、「本当の安倍政治が始まるのは参院選のあとなのです」(p.200)と言う。
 最近にこの欄に記したこととの関係でいうと、橋下徹慰安婦発言について、支持・同調できる部分もある、と安倍首相でなくとも自民党幹部が発言していたとすれば自民党は現実に得たような「勝利」を獲得できなかったのだろうか、同じことだが、橋下徹発言には正しい部分もあると自民党幹部が発言していたとしても、民主党に対する不信は前年と同様に激しいものがあったから、自民党は実際と同様に「勝利」していたのではないか、とも思われる。

 この点はもはや歴史のイフに属するかもしれず、これ以上は立ち入らないことにしよう。問題はこれからだ、

 中西輝政は述べた、「本当の安倍政治が始まるのは参院選のあと」だ、と。参院選後すでに、短い国会と夏休みが終わり、東京五輪招致問題も決着した。

 中西はさらに予測する-「参院選に勝てば、…『戦後レジームからの脱却』を改めて掲げて、前政権でやり残したことを次々と実現していくはずです。歴史問題にも真正面から取り組んでいくでしょう。…靖国参拝もするでしょう。それから憲法改正にも手をつけ始めるはずです」(p.200)。

 参議院では自民党は2/3超の議席を持たず、非改選組を含めれば1/2にも達していない。そのような状況で、どのようにして「憲法改正にも手をつけ始める」のかはむつかしい。

 しかし、ともあれ、中西輝政の言うように安倍首相や自民党中心内閣が「前進」していくことを期待するほかはない。 

1204/適菜収が「大阪のアレ」と書くのを許す月刊正論(産経新聞社)。

 〇適菜収をいつぞや「C層哲学者」と書いた。それは、適菜がよく使う「B層」よりも下、低劣という趣旨だったのだが、週刊新潮8/15・22号(新潮社)の適菜の文章によると、「B層」とは近代的価値に肯定的(構造改革に肯定的)・IQは低い、「C層」とは近代的価値に否定的(構造改革に否定的)でIQは高い、のだそうだ。そして、「C層」とは簡単には「真っ当な保守」である。という(p.47)。
 こういう意味であるとすれば、適菜収を「C層」哲学者と称するわけにはいかない。

 ところで適菜は、自らは上の意味での「C層」と自認している様子なのだが、「最近の保守系論壇誌は面白くない」と強調し、また、参院選自民党勝利を「保守」の勝利と称することを疑問視している。

 何が「真っ当な保守」なのか、むろん適菜は詳細に論じているわけではないし、そもそも適菜の理解が正しい保障はまったくない。

 はっきりしているのは、上の週刊新潮によるかぎり、現在の日本で<保守>といわれている論壇や人々とは適菜は距離を置いている、ということだ。

 〇だが、しかし、定期購読していないので真面目に読んでいないのだが、月刊正論(産経新聞社)の今年4月号あたりから、適菜収は、「正論壁新聞」という比較的に冒頭の欄で、田母神俊雄らとともに常連の執筆者になっている。

 適菜の議論の基調はだいたい決まっている。<大衆はバカだ>、<大衆迎合の政治家は危険だ>、…。

 最近の月刊正論10月号では適菜は「生理的に受け付けない」、「紋切り型」の文章やその書き手を批判する退屈な文章を書いているが、某評論家(おそらく屋山太郎)や「紋切り型ライター」を批判したあと、最後に次のように書く。

 「大阪のアレに倣って言えば、一度彼らを『グレートリセット』をしたらどうか?」(p.53)。

 「大阪のアレ」とは橋下徹のことだとは容易に分かる。
 〇さて、日本の代表的な、とは言わなくとも、<保守>系論壇誌としては著名な産経新聞社発行の月刊正論が、「大阪市長」または「日本維新の会代表」という名前を冠することもなく、それらがなくとも橋下徹という固有名詞を明示することもなく、「大阪のアレ」という表現で橋下徹を意味させる文章を掲載するのは、橋下に対してきわめて失礼であり、また読者に対しても品性を欠く印象を与えるものではないか。

 字数の制限によって「大阪のアレ」とせざるをえなかったわけではない(橋下徹の三文字の方が短い)。
 月刊正論の編集部の誰かはこの適菜の文章を事前に見たはずだが、「大阪のアレ」という言葉遣いに違和感を感じず、修正を求めることはしなかったと見える。
 雑誌原稿の文章ははむろん依頼した執筆者の言葉遣いが優先はされるだろうが、問題があると考える場合には編集者(編集部)として「要望」くらいのことはできるはずだ。

 もともと適菜収の文章は「生理的に受け付けない」ところがあり、<気味が悪い>のだが、上のような月刊正論編集部の対応も「気味が悪い」。<~のアレ>で済ますような言葉遣いを含む文章を、新聞でも週刊誌でもその他の雑誌でも見たことがない。

 〇もともと、月刊正論が適菜収をまるで自らの雑誌に親近的な論者として使っていること自体が異様だ(田母神俊雄らに失礼でもあろう)。だが、昨年に同誌・桑原聡編集長が適菜に「橋下徹は保守ではない」と大きく宣伝したタイトルの文章を書かせ、橋下徹は「きわめて危険な政治家」と編集長自体が編集後記の中で明記した。そのような考え方を、桑原聡と同誌編集部(産経新聞社員)は現在でも維持している、ということだろう

 最近に産経新聞内にあるように見られる、橋下徹に対するアレルギー・嫌悪感にこの欄で触れたが、その潜在的な背景の一つは、昨年の<橋下徹は保守ではない>という表紙上および雑誌の新聞広告の大きな見出しにあるのではないか

 このような効果を適菜論考がもたらしたとすれば、犯罪的にも、日本維新の会を妨害し、そして憲法改正を妨害している。

 〇適菜についていえば、彼は上記週刊誌上で「毎号同じような見出しが並び、同じような論者が同じようなテーマについて執筆」、「基本的には、中国や韓国、北朝鮮、朝日新聞はケシカランみたいな話」等と「最近の保守系論壇誌」を批判しているが、これによくあてはまるのは、月刊正論そのものだろう。

 月刊正論の特徴の一つは、<憲法改正>に関する特集をしないこと、少なくとも表紙の見出しを見るかぎりは、憲法改正を重視してはいないことだ。
 月刊正論編集部または桑原聡に尋ねたいものだ。
橋下徹を批判することと、憲法改正に向けて世論を活性化することと、いったいどちらが重要なのか。

 適菜収が週刊新潮に書いていることを全面的に支持するわけではむろんないが、月刊正論という雑誌は、少なくとも<保守>派の国民ならば誰でも読みたいと感じる「保守系論壇誌」になっているだろうか。

 金美齢が産経新聞について言った「深刻な『質の低下』」は月刊正論にも、そして同誌編集部にも言えそうに見える。

1203/日本共産党ちょうちん記事一面の産経新聞は<保守>派の新聞か?

 〇月刊WiLL10月号(ワック)で金美齢が言及しているので(p.235)、確認してみると、産経新聞8/05の記事に以下がある。ウェブ上では紙面構成が分からないが、金美齢によると、これが当日朝刊の「一面トップ」だったらしい。

 タイトルは「『時代は共産」本当? ネット戦略、若返り奏功」で、日本共産党をもってきている。批判的にか? いやいや、そうではなく、産経新聞らしさはどこにあるのか、と感じる。

 本文は「共産党が俄然、活気づいている。7月の参院選では12年ぶりに選挙区で議席を獲得し、総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」から始まる。そして「自民、公明はイヤで民主もコリゴリ。日本維新の会もダメ。こうなりゃ共産に入れるしかない-。こんな心理が有権者に働いた可能性がある」で終えている。

 「保守」とは私の理解では、まず「反共・反共産主義」・「反コミュニズム」だ。そういう観点からすると「保守」派新聞は、日本共産党に対して、批判的・警戒的な見方をする、客観的事実もふまえた記事を載せる必要がある。参議院選挙の分析の一つのつもりかもしれないが、上の記事は誇張すれば、日本共産党の<ちょうちん記事>だ。

 参議院選挙の分析としても間違っている。「総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」と評価しているのは、朝日新聞、毎日新聞らと何ら異なるところはないようだ。本当にそうか?

 〇今年7月の参院議員選挙での、①獲得議席数は、日本共産党8だが、日本維新の会も8、みんなの党もまた8だった。あとの二つがもっと多い議席獲得の予想もあっがゆえに、また日本共産党が近年はあらゆる選挙を通じて低減傾向を示していただめに、当初の予想に反して意外に日本共産党が健闘したという印象はあるが、客観的な数字は、日本維新の会、みんなの党、日本共産党は同じだ。

 ②非改選を含む公示前議席数数との当選者数+非改選者数を比べてみると、日本共産党は6→11と確かに増やしたが、維新の会は3→9で、増加数は共産党の5を上回る6だ。みんなの党も13→18で共産党と同じく5を増やした。
 いったいどこを見て、産経新聞記者(高木桂一・楠城泰介の署名あり)、日本共産党が「総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」と言えるのか。とても正常な判断能力をもつマスコミ人間とは思えない。

 「総崩れ」した野党は民主党(86→59、新規は17)、生活が第一(8→2、新規は0)、みどり(4→0)、社民党(4→3)等であり、「野党」すべてではない。

 〇反日本共産党、反コミュニズムの意識がないか弱いテレビ局の中には「躍進」した日本共産党に着目して、志井委員長や党本部を紹介する番組中の一コーナーを作ったものもあった。産経新聞の感覚は、そのようなテレビ局と何ら異ならないようだ。

 繰り返しておく。増加数では日本維新の会の方が上。現在の議席数はみんなの党18に対して日本共産党は11。明らかにみんなの党の方が上だ(日本維新の会は元来今の数が少ないことがあり、9)。

 またくり返す、高木桂一、楠城泰介よ、日本共産党が「総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」とは不真実の報道、捏造報道ではないか

 〇日本共産党も、志井和夫をはじめ、「勝利」した、と総括したらしい。これもバカな話だ。

 両院の一つにすぎないことは別としても、参議院の総定員242名中の11(改選に限ると総数121名のうち8)を獲得した程度で、いったいどこが「勝利」なのか、総定員の5%弱を獲得して本当に喜んでいるとすれば、無邪気なものだ。いや、アホだ。

 日本共産党は1922年に国際共産党(コミンテルン)日本支部として設立されてから、何と100年以上の歴史を持つ。現在の路線の基礎になった綱領を採択したのが1961年だったから、そこから起算しても50年を超える。それほどの長い歴史をもつ、従って長々と日本国民にその政策・主張を訴え続けてきた政党だ。
 しかるに、数年前にできたみんなの党や昨年末に結成されたばかりの日本維新の会と同数の当選者8名しか出せなかったのは恥ずかしいことであり、嘆かわしいことではないのか。

 いったいいつ、日本共産党が目指す「民主主義革命」とそれが連続的に発展する「社会主義革命」が日本に起こるのだろうか。日本共産党は共産主義社会を志向する「革命」政党ではないのか。

 この程度で「勝利」したと喜んでいるとはちゃんちゃらおかしい。それに乗っかって、日本共産党は「総崩れの状態の野党で唯一気を吐いた」などと書いてしまう、産経新聞記者も、そして産経新聞もどうかしている。

1202/小林よしのりと橋下徹慰安婦発言と安倍首相・自民党。

 〇久しぶりに、小林よしのりの言説をとり挙げよう。

 ①5/16に「ゴー宣道場」のブログでこう書いた。

 「橋下徹の慰安婦問題に対する認識は基本的に正しい。/微妙に間違ってる点もあるが、一歩も引かぬ態度は支持するから、頑張ってほしい。
 安倍晋三や、稲田朋美や、産経新聞は、慰安婦に対する見解を180度変えてしまっている。/『女性の尊厳損ね許されぬ』には呆れてしまった。
 まったく唾棄すべき奴ら、軽蔑すべき奴らだ!
 安倍政権も産経新聞も、結局、アメリカの顔色を見て怯え、慰安婦問題でもどんどん自虐史観に戻ってしまったのだ。/卑怯者とは、こういう奴らのことを言う。」

 これは産経新聞5/15社説も読んだ後のものに違いない。

 ②また、産経新聞5/26の「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」によると、小林よしのりは週刊ポスト(小学館)5/31号で次のように語った、という。

 「橋下徹は、まるで『王様は裸だ』と叫んでしまった子供のようである。どんな反応が起きるのかまったく考えず、愚直に“本当の話”をし始めている」。「橋下発言は、何ら間違っていない」。「強制連行」・「従軍」に関しては「議論はとっくに決着している」。

 ③小林の舌鋒の矛先は、自民党・安倍晋三政権に強く向けられている。6/04発行となっているメールマガジン「小林よしのりライジング」40回では、次のように言う。

 「『河野談話』を修正か破棄し、「慰安婦制度は、当時は必要だった』と唱えたら、どんな目に合うか橋下徹が身をもって示し、安倍自民党はそれを傍観して震え上がったわけだ。

 誰も国のために戦った祖父たちの名誉を守ろうとしない。/日本は「性奴隷」を使用したレイプ国家にされてしまっているのに、安倍政権は何のアクションも起こさない

 橋下徹と一線をひいて、『村山談話』、『河野談話』を引き継ぐ歴代政権と何ら変わりがないことを、国際会議の場で必死で強調し、『戦後レジーム』の洞穴に引き籠って出て来なくなった」。

 〇小林よしのりの上の③は当たっているかもしれない。

 安倍首相は5/15、参院予算委員会で、「過去の政権の姿勢を全体として受け継いでいく。歴代内閣(の談話)を安倍内閣としても引き継ぐ立場だ」と述べた。これは翌5/16の産経新聞の記事による。同時に、「日本が侵略しなかったと言ったことは一度もない」と述べたようだ。

 これは<村山談話>を引き継ぐ、という趣旨だろう。
 産経の同記事が書くように、安倍首相は4/22に<村山談話>について「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と述べ、翌4/23には「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と述べていたにもかかわらず、である。

 いったい何があったのか。
 5/13が橋下徹慰安婦発言、橋下徹発言ほぼ全面批判の産経新聞社説は5/15だった。
 安倍首相は、橋下徹発言に対する反響に驚き、かつ産経新聞までが橋下発言を厳しく批判していることを知ったからこそ「軌道修正」(5/16産経記事)をしたのではなかっただろうか

 参院選挙まであと二月余という時期も関係していたかもしれない。
 だが、産経新聞5/15社説が<橋下徹発言は舌足らずだが、また一部に問題はあるが、おおむね(基本的には)正しい。河野談話の見直しを急ぐべきだ」という基本的な論調で書かれていたらどうなっていただろうか
 社説は場合によっては瞬時に基本的な主張内容を判断して数時間以内に文章化しなければならない場合もあるだろう。そういう場合にこそ、書き手のまたは論説委員グループの<政治的感覚>が問われ、試される。

 結果として、基本的には朝日新聞のそれと似たようなものになった産経新聞5/15社説は、安倍首相の感覚・判断をも狂わせた可能性がある、と感じられる。「女性の尊厳損ね許されぬ」を優先し、問題の「本質」、「より重要な問題」の指摘を数日あとに遅らせた5/15産経新聞社説は、基本的には<犯罪的な>役割を果たしたのではないか。怖ろしいことだ。

 最近にこの欄で<村山談話>の見直しはどうなっているのかと書いたばかりだが、安倍首相が国会で(少なくとも当面は、だろうが)「引き継ぐ」と明言しているとは、ガックリした。選挙対策、あるいは日本維新の会との差別化の意図によるとしたら、馬鹿馬鹿しいことだ。

1201/橋下徹発言と産経新聞のとくに5/15社説。

 〇産経新聞5/18付「一筆多論」欄での、論説委員・鹿間孝一の叙述によれば、いわゆる橋下徹慰安婦発言は、今年5/13午前の<ぶら下がり>会見で(朝日新聞記者から)「安倍晋三首相の『侵略の定義は定まっていない』との発言に対する見解を問われて、『首相が言われている通りだ』と述べた後、唐突に」出されたようだ。

 いつか述べたように、マスコミの中には「失言」・「妄言」なるものを引き出して中国や韓国に<ご注進>し、批判的コメントを貰ったうえで日本国内で<騒ぐ>輩がいるから気をつける必要がある。

 上の点はともあれ、橋下徹発言はあらかじめ準備され、用意されてのものではなく偶発的なものと思われる。従って、産経6/03付「正論」欄で桜田淳が、「橋下市長の一連の発言において批判されるべきは、その発言の中身というよりも、それを語る『必然性』が誠に薄弱だということにある」等と批判しているのは、的確ではないか、または橋下徹に対してやや厳しすぎるだろう。

 〇さて、産経新聞5/16付で阿比留瑠比は、「橋下発言検証『大筋正しいものの舌足らず』」と題して、<大筋は正しいが、舌足らずだ>という印象を与える(内容もそのような)記事を書いていたが、その前日5/15の産経社説(同新聞では「主張」欄)は、<大筋は正しいが、舌足らずだ>という内容のものだったのか。

 そうではなく、「橋下市長発言/女性の尊厳損ね許されぬ」というタイトルどおり、橋下発言を全体として厳しく批判した。

 やや立ち入れば、この社説は、第一に、橋下徹発言を、①「慰安婦制度は当時は必要だった」など、②米軍幹部に「海兵隊員に風俗業を活用してほしい」、と述べた、と紹介したうえで、「女性の尊厳を損なうものと言わざるを得ない。許されない発言である」とまず断定し、切って捨てている。この対象の中には、上の①の、「慰安婦制度は当時は必要だった」という、「当時は」という限定つきの発言も含めている。
 第二に、安倍首相は公権力による強制があったという「偽り」を含む河野談話を「再検討」しようしているのに、橋下徹が「『必要な制度』などと唱えるのは事実に基づく再検討とは無関係だ。国際社会にも誤解を与えかねない」と書いて、これまた橋下を批判している。但し、趣旨は不明瞭だ。<当時は必要な制度だった>という発言趣旨を誤解している可能性があるし、また、安倍内閣による再検討作業を橋下徹発言が邪魔をしているかの如き批判の仕方になっている(のちにこの旨を明記。第四点)。

 第三に、橋下が「当時の慰安婦の必要性を肯定した」ことについて、とここでは「当時の」と限定しつつも、自民党の稲田朋美下村博文両大臣の簡単な言葉を紹介し、「稲田、下村両氏は自民党内の保守派として河野談話の問題点を厳しく指摘したこともあるが、橋下氏の考えとは相いれないことを示すものといえる」と書いた。ここでは、橋下徹発言は自民党内「保守派」のそれとも異質だ、と指摘したいようだ。

 第四に、安倍政権の河野談話見直し作業を、「いわれなき批判を払拭すべきだという点は妥当としても、…見直しの努力を否定しかねない」と切って捨てて、疑問視している。

 第五に、「風俗業活用」発言について、「もってのほか」、「人権を含む普遍的価値を拡大する『価値観外交』を進める日本で、およそ有力政治家が口にする言葉ではなかろう」と断定的に批判した。

 この部分は橋下徹自身がのちに撤回しているが、橋下自身も言うように、売買春を勧めたわけではなく法律上合法的な(沖縄以外の本土にもあるような)「風俗業」の利用に言及したものだった。「もってのほか」と産経新聞社説が主張するならば、理屈の上では全国にある「風俗業の活用」はすべて「もってのほか」になるはずだ。

 以上、要するに、橋下発言に理解を示しているのは「いわれなき批判を払拭すべきだという点は妥当としても」という部分だけで、あとはすべて橋下発言を批判・否定する内容になっている。

 産経新聞がこうなのだから、朝日新聞や毎日新聞の社説がいかほどに厳しい批判だったのかは、容易に想像がつく。

 この「偽善」も一部に含むと考えられる産経新聞社説はいったい何なのだろう。参議院選挙前に、自民党と日本維新の会との差別化を図り、自民党を有利にしたい、という思惑を感じなくもない。もっとも、産経新聞自体が、自民党・稲田朋美が、慰安婦営業は「当時は」合法だった旨を発言したと報道してもいた。橋下発言と「自民党内の保守派」には(あるいは日本維新の会と後者には)この産経新聞社説が指摘するほどの違いがあるのか疑わしい。

 あるいは、朝日新聞等からの批判を予測して、「左」からの攻撃から自らをあらかじめ守っておこうという気分があったのかもしれない。一種の<横並び意識>でもある。少なくとも、一部でも橋下徹を守ろう、庇おう、という意識が感じられない社説だ。上記5/16付阿比留瑠比記事とトーンがまるで異なることは言うまでもないだろう。

 この5/15社説だけが社論ではない、と産経新聞関係者(とくに社説執筆者)は言うかもしれない。

 なるほど、5/17付で憲法96条改正の必要性を強調した産経新聞社説は、5/18付では、みんなの党の日本維新の会との選挙協力解消決定をうけて「橋下氏発言/避けたい改憲勢力の亀裂」というタイトルのもとで、両党の連携への期待を述べている。そして、次のようにも書く。

 「より根本的な問題は、根拠なしに慰安婦の強制連行を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話が今も、日韓関係などを損ねている事実だ。/政府や国会がすべきことは河野談話の検証である。慰安婦問題の本質を見失ってはならない」。

 この部分を読んで不思議に思う。「慰安婦問題の本質を見失ってはならない」、「根本的な問題」の原因が河野談話にある、というならば、その旨を、なぜ、5/15の段階で強調しなかったのか。5/15社説の基調は橋下徹発言批判であって、「慰安婦問題の本質」を見失うな、河野談話にこそ「根本的な問題」の原因がある、というものではまったくなかった。なぜ、こうした旨を数日前の5/15に書けなかったのか。
 橋下徹発言に対する批判の高まりを考慮して多少は抑制しようと考えたのかもしれないが、そうであるとすれば、時機を失している。朝日新聞等々ともにさっそく足並みをそろえて橋下徹発言批判を始めたのは、5/15社説だったのだ。

 産経新聞5/28社説では橋下徹発言批判はさらにトーンダウンしている。日本外国特派員協会での橋下徹会見に関するものだが、橋下会見での発言につき、こう書いている。

 「橋下氏は『国家の意思として組織的に女性を拉致したことを裏付ける証拠はない』とも述べ、慰安婦問題に関する平成5年の河野洋平官房長官談話について『否定しないが、肝心な論点が曖昧だ』と指摘した。/河野談話は、根拠なしに慰安婦の強制連行を認めたものだ。橋下氏は以前、『河野談話は証拠に基づかない内容で、日韓関係をこじらせる最大の元凶だ』と主張していた。これこそまさしく正論だ。後退させる必要はない」。

 5/15段階での威勢の良い橋下徹批判はどこへ行ったのか? そして、「安倍政権はいわれなき日本非難には、きちんと反論すべきだ」と、橋下にではなく安倍政権に向けての注文を書いて、締めくくっている。

 こうして見ると、産経新聞の論調の中でも、むしろ5/15社説こそが異様だったような気もしてくる。 

 もっとも、冒頭の5/18鹿間孝一の叙述は「橋下流は『賞味期限切れ』か」と題するもので、上記5/15社説にさらに追い打ちをかけるように、橋下徹が「自身『あと数年たてば、賞味期限切れになる』と語っていたが、現実になるのは意外に早いかもしれない」と締めくくっている。

 こうして見ると、他の例は省略するが、産経新聞社の中には、間違いなく橋下徹に対する一種のアレルギー、嫌悪感のようなものが、少なくとも一部にはあるのは否定できないろう。それが5/15社説で噴出し、諸々の事情を配慮して橋下徹批判の論調を抑制する方向に変化したのだ、と思われる。

 〇今年8/08に別の文献を参照して書いたことだが、産経新聞も他紙と同じく「当時は」という限定を付けることなく、橋下発言について「慰安婦制度は必要」と見出しを付けて報道したようだ。また、その同じ書き込みの中で紹介したように、産経新聞の5/15付社説の論調は、櫻井よしこの週刊新潮5/30号での、橋下徹発言は「日本の国益を大きく損ないかねない…」という明記等と共通するところがある。

 〇その後、産経新聞は5/27付で、<橋下氏の慰安婦発言「不適切」75%/維新支持も急落>、日本維新の会支持率20・7%から10・7%へほぼ半減、という世論調査結果を発表するなど、<維新失速>という「客観」報道をし続けた。
 世論調査はマスメディアが自分たちの国民の意見に対する誘導の効果を立証し、確認するための道具くらいに思っているが、上のような結果の少なくとも原因の一つは、あるいはとりわけ<保守層>の中での維新の会支持率減少の原因の大きなものは、産経新聞自体の社説・社論にあるのではないか。
 日本維新の会代表の発言をそっけなく冷たく批判しておいて、<維新支持も急落>とあとで報道しているわけだ。そうした点では、朝日新聞も産経新聞もほとんど変わりはしない。
 経緯・理由は私と異なるが、月刊WiLL10月号(ワック)で、金美齢は今年7月末をもって産経新聞の定期購読者たることをやめた、ということを明らかにしている(p.230以下)。

 産経新聞は決して<保守派>国民全員が信頼し支持できる新聞ではない。相対的にはまだマシなのだろうが、奇妙な点、歪つな点もある。あたり前のことだが、読者は、「教条的信仰」に陥らず、産経新聞もまた批判的に読まなくてはいけない。

1200/橋下徹慰安婦発言と産経新聞。

 橋下徹慰安婦発言に関連する産経新聞の記事をウェブ上で探してみた。

 〇5/28に、<「河野談話」の撤廃を求める緊急国民集会>が開かれた。先輩同胞が「女性を性奴隷にした、などという罪を着せられていることはもっとも屈辱的なこと」等の佐波優子発言はもっともなことだが、他にも興味深い発言がなされている。以下はごく一部。

 ・一色正春-「橋下さんの陰に隠れているが、正直な発言をして日本維新の会を除名された西村真悟代議士を救わねば、正直者がバカをみることになってしまう」。

 ・黄文雄-「橋下市長の発言には100%賛成。西村真悟先生の発言に関しては120%賛成だ」、慰安婦問題に関して「マスコミも政治家も偽善的だ」。

 〇5/23付の「直球&曲球」欄で宮嶋茂樹はこう書いている(もちろんかなり省略している)。

 「国会のセンセイ方。半年前の総選挙のときは、…、橋下徹・大阪市長にすり寄っとったのに、“落ち目”と見るや、韓国人や“ジェンダーフリー原理主義者”に、くみしてまで手のヒラ返すか」。「そもそも“従軍慰安婦”なるもんは、頼まれもせんのにどっかの新聞が、どこぞで見つけてきて作り上げた『強制連行された慰安婦』を日本まで連れてきたんや」。

 「日本の大新聞もこの問題、批判するんやったら、傘下に置くスポーツ紙はフーゾクの記事や広告を一切、載せたらアカンで」。

 産経新聞には「傘下に置くスポーツ紙」はなかっただろうか。いや産経は「大新聞」ではないか?

 〇政治部編集委員の阿比留瑠比は、5/16付で、秦郁彦の助けも借りながら、「橋下発言検証『大筋正しいものの舌足らず』」と題して、論点をつぎの4つに整理し、つぎのようにまとめている。

 ①強制連行-1997年3月に「当時の平林博内閣外政審議室長」が国会・委員会で「強制連行を直接示す政府資料は発見されていない」と答弁。第一次安倍内閣は2007年3月に「軍や官憲による強制連行を直接示す記述も見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定。「橋下氏は政府の公式見解を述べたに等しい」。

 ②各国の慰安所-GHQ下の東京、ベトナム戦争時の米軍や韓国の慰安所の利用や管理からして、「橋下氏の『なぜ日本の慰安婦制度だけが取り上げられるのか』との問題意識はもっともだ」。

 ③侵略の定義-橋下は「学術上、定義がないのは安倍晋三首相が言われている通り」と発言したが、「第一次安倍内閣は平成18年10月、『『侵略戦争』について国際法上確立されたものとして定義されていない』とする答弁書を閣議決定」。

 ④風俗業の利用・慰安婦の「当時の」必要性-「真意はともかく、秦氏は『政治家なら内外情勢を勘案し、何か主張する際には裏付けとなる証拠を示すなどもっときめ細かな配慮をすべきだった』と指摘」。
 以上のように見ると、①~④のうち、橋下徹発言に問題がある(=批判されてしかるべき)可能性があったのは、④だけであることになる。

 しかして、産経新聞は、橋下徹発言について、肝心の「社説」上ではいかなる主張をしたのか。次回に扱う予定だ。

1199/安倍首相は河野談話を見直す気がどれほどあるのか。

 慰安婦問題・河野談話については、この欄でも何度も触れたはずだ。
 今年ではなく昨年の8/19、産経の花形記者・阿比留瑠比は「やはり河野談話は破棄すべし」という大見出しを立てて、産経新聞紙上でつぎのようなことを書いていた。

 ・①「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」。②慰安婦の「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」。これらが河野談話の要点(番号は秋月)。

 ・「関与」、「甘言、強圧」の意味は曖昧で主語も不明確だが、この談話は<日本政府が慰安婦強制連行を公式に認めた>と独り歩きし、日本は<性奴隷の国>との印象を与えた。

 ・「日本軍・官憲が強制的に女性を集めたことを示す行政文書などの資料は、いっさいない」。談話作成に関与した石原信雄によるとこの談話は「事実判断ではなく、政治判断だった」。
 ・この談話によって慰安婦問題は解決するどころか、「事態を複雑化して世界に誤解をまき散らし、
問題をさらにこじらせ長引かせただけではないか」。
 以上はとくに目新しいことはないが、最後にこう付記しているのが目につく。安倍晋三は、「今年」、つまり今からいうと昨年2012年の5月のインタビューでこう述べた、という。

 「政権復帰したらそんなしがらみ〔歴代政府の政府答弁や法解釈など〕を捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない」。

 この発言がかつての事実だとすると、第二次安倍政権ができた今、「もう村山談話や河野談話に縛られることもない」はずだ。

 安倍晋三第二次内閣は「生活が第一」を含む経済政策・経済成長戦略や財政健全化政策の他に、いったい何をしようとしているのだろうか。初心を忘れれば、結局は靖国参拝もできず、村山談話・河野談話の見直し・否定もできず、支持率を気にしながら<安全運転>をしているうちに、第一次内閣の二の舞を踏むことになりはしないか。「黄金の三年」(読売新聞)は、簡単にすぎてしまうだろう。

 さらに、橋下徹が慰安婦問題について発言した今年5月、自民党議員、安倍内閣、そしてついでに産経新聞は、いったいいかなる反応をしたのだっただろうか。

1198/資料・史料-1993.08.04河野談話・1995.08.15村山談話。

 資料・史料-いわゆる<河野談話>・<村山談話>

 

 1.<河野談話>

 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

 平成5年8月4日

 「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」

 

 2.<村山談話>

 村山内閣総理大臣談話

 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
 
平成7年8月15日

 「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 『杖るは信に如くは莫し』と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。」

1197/六年半前と「慰安婦」問題は変わらず、むしろ悪化した。これでよいのか。

 この欄への書き込みを始めたのは2007年3/20で、第一次安倍晋三内閣のときだった。当初は毎日、しかも一日に3-6回もエントリーしているのは、別のブログサイトを二つ経てここに落ち着いたからで、それらに既に書いていたものをほとんど再掲したのただった。

 当時から6年半近く経過し、内閣は再び安倍晋三のもとにある。かつて安倍内閣という時代背景があったからこそ何かをブログとして書こうと思い立ったと思われるので、途中の空白を経て第二次安倍内閣が成立しているとは不思議な気もする。
 不思議に思わなくもないのは、定期購読する新聞や雑誌に変更はあっても、政治的立場、政治的感覚は、主観的には、6年半前とまったく変わっていない、ということだ。

 当時に書いたものを見てみると、2007年3/21に、「憲法改正の発議要件を2/3から1/2に変えるだけの案はどうか」という提案をしている(5回めのエントリー)。たまたま谷垣禎一総裁時代に作成された現在の自民党改憲案と同じであるのは面白い。但し、この案には、政治状況によっては、天皇条項の廃棄(「天皇制打倒」)も各議院議員の過半数で発議されてしまう、という危険性があることにも留意しておくべきだろう。

 同年3/25、16回めに、「米国下院慰安婦問題対日非難・首相謝罪要求決議を回避する方法はないのか!」と題して書き、同年4/12、63回めでは、「米国下院慰安婦決議案問題につき、日本は今どうすべきなのか?」と再び問題にしている。

 上の後者では、岡崎久彦や「決議案対策としての河野談話否定・批判は『戦術として賢明ではない』」等との古森義久の見解を紹介したあとで、「河野非難は先の楽しみにして、当面は『臥薪嘗胆』路線で行くしかないのだろうか。私自身はまだスッキリしていないが。」と書いている。
 この決議案は採択され、河野談話は否定されておらず、慰安婦問題という「歴史」問題は、まだ残ったままだ。残るだけではなく、さらに悪化している、とも言える。そして、「私自身はまだスッキリしていない」。今年の橋下徹発言とそれをめぐるあれこれの「騒ぎ」のような現象は、今後も間違いなく生じるだろう。

 急ぎ、慌てる必要はないとしても、自民党、安倍晋三内閣はこのまま放置したままではいけないのではないか。
 「歴史認識」問題を犠牲にしても憲法改正(九条改正)を優先すべきとの中西輝政意見もあるが、「歴史認識」問題には「慰安婦」にかかるものも含まれるのだろう。

 これを含む「歴史認識」問題について国民の過半数が一致する必要はなく、例えば<日本は侵略戦争という悪いことをした>と思っている国民も改憲に賛成の票を投じないと、憲法改正は実現できないだろう。

 しかし、河野談話や村山談話をそのまま生かしていれば、第二次安倍内閣は<固い保守層>の支持を失うに違いない。今のままで放置して、「臥薪嘗胆」路線で行くことが賢明だとは考えない。憲法改正を追求するとともに、河野談話・村山談話等についても何らかの「前進」措置を執ることが必要だと思われる。

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