秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2013年08月

1196/浦川泰幸(朝日放送)と日本共産党系活動家・吉永小百合。

 〇8/15の朝番組について、同日のこの欄で、テレビ朝日の坪井直樹らしきキャスターの発言を批判的に取りあげたが、正しくは朝日放送の浦川泰幸の「おはよう朝日です」内での発言だった。坪井直樹氏にはお詫び申し上げる。ほとんど見たことのない番組だったので(朝日系は原則として観ない)、キャスターの氏名になじみがなかった。異例だが、8/15の書き込みの名前をこのあとで「浦川泰幸」に改める。
 しかし、もちろん、発言内容に関する批判的コメントを改めるつもりはない。

 浦川泰幸、1971年5月生まれ、立命館大学経済学部卒。出身大学・学部と先日の発言とに直接の関係はないだろうが、立命館大学とは「リベラルな」末川博のもとで戦後、容日本共産党の「左翼」教授たちを集めてきた大学。1970年前後の学生「紛争」時代、すべての学生自治会の主導権・執行部を「全共闘」系ではなく、日本共産党・民青同盟系学生が握っていたことでも知られる。少なくともかつては、同大学経済学部は日本共産党系マルクス主義経済学者でほとんどを占めていたものと推測される。

 現在でも上記のような雰囲気は残っているはずなので、浦川泰幸は「何となく」その影響を受けた可能性がある。そうでなくとも、朝日放送に入社以来、おそらくは毎朝・毎夕に朝日新聞を読んで、「朝日」的感覚と「朝日」的歴史認識を身につけたのだろう。そうでないと、原稿を読むでもない、先だって記したような発言を早口で一気に喋ることができるはずがないと思われる。

 〇やや古いが、今年5/03付朝日新聞朝刊に「女性は戦争への道を許さず、憲法9条を守ります」と大書した、一面全体を使った「意見広告」が掲載されている。
 この意見広告の呼びかけ人は、雨宮処凜、澤地久枝、湯川れい子、田中優子(法政大学教授)ら。
 目を惹いたのは、「第一次賛同人」として氏名が小さく書かれている102人の中に、「吉永小百合(俳優)」とあることだ。
 岩波書店の護憲派のブックレット類に文章を寄せている吉永小百合だから「左翼」的だろうと思っていたが、この意見広告の「事務局団体」の列挙を観ていると、呼びかけ人や賛同者は日本共産党系または日本共産党とは対立していない、(立命館大学教員と同様に?)<容日本共産党>の女性たちであることが分かる。
 事務局団体のうち「自由法曹団女性部」、「新日本婦人の会」が日本共産党系(幹部は党員だろう)であることは知っていた。その他を少し調べてみると、「全国労働組合総連合(女性部)」とは民主党系のいわゆる<連合>とは異なる日本共産党系の<全労連>のこと、「日本婦人団体連合会」とは新日本婦人の会などが加入しているやはり日本共産党系とみられる全国的連合団体。その他は省略するが、「左翼」の中には非または反・日本共産党系の者たちも存在するところ、この意見広告は日本共産党系の女性たちのものであり、その中に吉永小百合も明記されている。俳優または女優と注記があるのは10名もいないにもかかわらずだ。

 将来に現憲法9条2項の改正が現実的な政治的・国民的争点になるとき、「国民的女優」・吉永小百合は積極的にか利用されてか、改憲反対(護憲)の主張者として、ある程度の影響力を持ってしまう可能性がある。「国民的女優」ぶりはJR東日本の宣伝キャラクターとして活躍し?、ある程度大きな同区域の駅の構内には吉永小百合の顔のポスターが目に付くことでも示されている。
 いざとなれば「国民的映画監督」・山田洋次も、同様の役割を果たす可能性がある。NHKは<山田洋次監督が選んだ…日本映画>とやらを連続放映していたが、わざわざ「山田洋次監督が選んだ」と題するところに、NHKらしさがあるとも言える。
 改憲派、憲法九条2項改正派は、吉永小百合や山田洋次等に対抗できる「国民的」俳優・映画監督を自分たちの仲間に含めているのかどうか、気になる。
 日本共産党系発言者としての吉永小百合の活動を封じる必要がある。

1195/西尾幹二=竹田恒泰と小川榮太郎の本、全読了。

 8月中に読了した書物に、少なくとも次の二つがある。いつ読み始めたかは憶えていない。感想、伴う意見等を逐一記しておく余裕はない。以下は、断片的な紹介またはコメントにすぎない。
 第一、西尾幹二=竹田恒泰・女系天皇問題と脱原発(飛鳥新社、2012)。

 1.第三部は「雅子妃問題の核心」。かつて対談者の二人はこの問題に関して対立していて、私は西尾幹二の議論に反対していた(ということはたぶん竹田と同様の見方をしていた)。この本では、正面からの喧嘩にならずに平和的にそれぞれが言いたいことを言っている。
 離れるが、①皇太子妃に「公務」などはありえない。皇后についても同様だ。②美智子皇后が立派すぎるのであり、皇后陛下を標準として考えてはいけない。かつての時代を広く見れば、模範的な皇族を基準とすれば、異様な皇族など、いくらでもいたはずだ、皇太子妃であっても。また、おおっぴらに語られることはなくとも、異様な天皇もいたであろう。それでも皇統は続いてきた。皇族が「尊い」理由は各人の人格・人柄等にあるのではなく「血統」にある。皇太子妃は皇太子の配偶者であるというだけで、「尊い」と感じられるべきだろう。

 2.本件当時に「怒り」のような感情を抱いたものだが、2012年4月に羽毛田宮内庁長官は今上天皇・皇后の薨去後の方法についての希望ごを記者会見で発表したことがあった。
 今上天皇が何らかの意見をお持ちになることはありうるだろうが、天皇の「死」を前提にする具体的なことを平気で宮内庁長官がマスコミに対して話題にすること自体に大きな違和感を覚えた。

 よろしくない場合もあるが、日本と日本人は井沢元彦の言うように「言霊」の国なのではないか。一般人についてすらその将来の「死」に触れることが憚られる場合もある。ましてや天皇や皇族についてをや。

 また、この本p.148によると、羽毛田は皇后陛下のご本意と異なることを発表したらしい。ひどいものだ。竹田は宮内庁ではなく皇居域内に建物はあっても「宮外庁」だと言っていたが、その通りのようだ。羽毛田は元厚生労働省の官僚。憲法改正の必要はないとしても、皇室に関係する組織のあり方は行政機関も含めて、検討の必要がある。
 3.第四部の「原発問題」では二人の意見は基本的に一致しているようだが、私は賛同していない。竹田の最初の論考に原発労働者の実態が詳しく書いてあった記憶があるが、それを読んだとき(この欄には何も書かなかったはずだが)、それなら労働環境を改善すればいいだけのことで、原発自体に反対する理由にはならない、と感じたことがある。その他、二人の<反原発>文献は読んでいない。

 第二、小川榮太郎・国家の命運-安倍政権・奇跡のドキュメント(幻冬舎、2013)。
 1.p.143-4、昨年末の総選挙についてのマスコミ報道-マスコミは二大政党からの選択という「文脈を敢えて無視するかのように、『第三極』をクローズアップした。民主党三年三カ月の検証番組はなかった。自民党に政権復帰能力があるかどうかの検証もなされなかった。第三極や多党化という泡沫的な現象を追うばかりだった」。「日本のマスコミのこの二十年に及ぶ、度重なる浅薄な選挙誘導の罪、日本を毀損する深刻度において民主党政権と同格だ」。以上、基本的に同感。
 朝日新聞等の「左翼」マスコミは民主党政権に対して何と「甘く」、優しかったことだろうか。批判するにしても<叱咤激励>にあたるものがほとんどだっただろう。そして思う、いかに「政治的」新聞社・報道機関であっても<報道>業者であると自称しているかぎり、「事実」についてはさすがに真っ赤なウソは書けない。あれこれの論評でもって庇おうとしたところで、「事実」自体を変更することは(あくまで通常はだが)朝日新聞であってもできない。民主党政権にかかわる「事実」こそが、同党政権を敗北に導き、同党の解党の可能性を生じさせている。

 2.つぎの文章は、しっかりと噛みしめて読まれるべきだろう。-安倍晋三の「微妙な戦いは、我々国民一人一人が、安倍政治の軌道を絶えず正し、強い追い風で安倍の背中を押し続けない限り、不発に終わる。そして、もしそれが不発に終われば、日本は、中国の属国となってその前に這いつくばり、歴史と伝統を失い、日本人ではなく単に日本列島に生息する匿名の黄色人種になり下がるであろう。/その危機への戦慄なきあらゆる政策論は、どんな立場のものであれ、所詮平和呆けに過ぎない」(p.203)。

 3.知らなかった(大きくは報道されなかった)ので戦慄すべきことが書かれている。p.234以下。

 「事実上の発射準備」である「射撃管制用レーダーの照射」を中国海軍艦艇が行ったのは1/30で、翌月に小野寺防衛相が明らかにし抗議した。「最早挑発ではない。歴とした武力による威嚇」であることに注目すべきことは言うまでもない。問題は、以下だ。
 「
民主党政権時代にも、レーダーの照射は少なくとも二回あったが、中国を刺激するとの理由で公表しなかった」。

 小川が書くように(p.235以下)、民主党政権が続いて「その極端な対中譲歩が続いて」いれば、尖閣諸島はすでに「実効支配されていた可能性が高いのではないか」。

 小川はその理由を言う。-中国が「軍事」衝突なく施政権を奪えば、尖閣に日米安保は適用されない。「もし民主党政権が『中国を刺激するな』を合い言葉に、軍事行動なしに中国に施政権を譲ってしまえば。その段階でアメリカには防衛義務はなくなる」。
 ここでの「施政権」とは、「事実上の支配」とおそらくほぼ同義だろう。民主党政権が中国による何らかの形での尖閣上陸と実力・武力・軍事力による「実効支配」を、日本の実力組織(さしあたり、海上保安庁、自衛隊)を使って妨げようとしなかったら、かかる事態は生じていたかと思われる。小川はさらに、次のように書いている(p.237)。

 「勿論、民主党政権は口先で抗議を続けただろう。型通りの抗議を続けながら泣き寝入りを…。しかし現在の国力の差では、中国に実効支配を許したものを日本が取り返すことは至難だ」、日本は「世界の笑い者になる」。この点だけでも、「安倍政権の誕生は、間一髪だった」。

 さて、中国が強い意思をもって尖閣に上陸し「支配」しようとする状況であることが明らかになったとき、朝日新聞は、あるいは吉永小百合を含む「左翼」文化人は何と言い出すだろうか。<戦争絶対反対。上陸と一時支配を許しても、その後で中国政府に強く抗議し原状回復を求めるとともに、中国の不当性を国際世論に広く(言葉を使って)訴えればよい。ともかく、日本は武力を用いるな>、という大合唱をし始めるのではないか。かかる「売国奴」が「左翼」という輩たちでもある。

 4.この本は安倍晋三支持の立場からのもので、そうでない者には異論もあるかもしれない。だが、悲観的、絶望的気分が生じることの多い昨今では(今年に入っても程度は質的に異なるが、似たようなことはある)、奇妙に安心・楽観的気分・希望を生じさせる本だ。  

1194/8月15日と靖国神社参拝と戦争と。

 〇田母神俊雄と都内某所でたまたま遭遇して、わずかの会話までしてしまってから、二年が経った。そのときと違って、民主党「左翼」政権下のもとで生きてはいないのは、元に戻ったに、異常から普通に戻ったにすぎないが、とりあえず慶ばしいことだ。
 〇朝日放送の8/15の朝番組で、浦川泰幸というキャスタ-が、首相靖国参拝問題で面妖な「偏った」ことを述べていた。
 ・局が用意したフリップに、「中曽根首相、初の公式参拝」(たぶん1983年か1985年)とあった。はて、中曽根が公式参拝を初めてした? 吉田茂をはじめとして歴代の首相は小泉純一郎まで靖国神社を参拝してきた。三木武夫が質問に対して「私人として」などと答えたためにややこしくなったようだが、それ以前の首相参拝は公式か否かすら問題とされない、しかし「公式」のものだったはずだ。テレビ朝日は歴史を捏造しているのではないか。
 ・浦川泰幸は、首相参拝問題を「世界が注目」していると述べたが、実際に挙げた国名は中国・韓国・米国だけだった。テレビ朝日が「世界」というとき、この三国のみを指す、というので一貫させるならば、テレビ朝日はその旨をきちんと公告し、どの番組でも一貫させてほしいものだ。
 ・浦川泰幸は、「A級戦犯合祀」を明らかに問題視し、合祀時点(1978年のようだ)の靖国神社宮司は旧陸軍出身者だと明言し、だからこそ合祀に踏み切ったということを含意させた。はて1978年時点の宮司の経歴についてはほとんど報道されていないようだが、浦川の発言内容は正しいのか、どなたか確かめてほしい。またそもそも、だからどうなのだ、と浦川とテレビ朝日には言わねばならない。
 ・「A級戦犯」は戦争「指導者」だから戦争に動員されただけの者と区別するのは当然である旨を前提とする発言をしていた(だからこそ中国等が問題視している旨を言っていた)。
 浦川泰幸朝日放送に問い質したい。「指導者」か否かはどういう基準で決めるのか? 「A級戦犯」と決めたのは日本人でも日本政府でもなく東京裁判法廷だが、GHQの広義の指揮下の裁判官たちの選別が正しいとする根拠は何か?

 「A級戦犯」ではない「B・C級戦犯」のうちの刑死者の中には「指導者」はいなかったのか?

 そもそも合祀されているのは「戦死者(いわゆる法務死を含む)」に限られている。「A級戦犯」の責任を追及したいならば、死刑にならなかった「A級戦犯」者の責任も問題とすべきだが、テレビ朝日は、そして親会社の朝日新聞社は、賀屋興宣等の禁固刑者でのちに犯罪者扱いされなくなった者たちの責任を一貫して問題にしてきたのか。
 また、「A級戦犯」という分類は罪名による区別であり「指導者」か否かとは本来は関係がない。浦川泰幸らしき男は、このことくらいわきまえて発言しているのか。
 ・浦川泰幸は、戦争被害者は、軍人だけではなく一般国民もそうだ、後者も含めて慰霊されるべきと、一瞬はまともらしき感じもする見解を述べた。だが、一般国民と、公務・職務の結果として又は遂行中に「戦死」した者とは、やはり区別されてしかるべきだ。あるいは、区別して慰霊するだけの十分な根拠がある。このことくらいを理解できないほどに浦川泰幸は、およびそれを使っている朝日放送は、バカなのだろう。

 〇先月のいつかに(7/17かもしれない)、NHKの9時からのニュ-スで大越健介は、「風立ちぬ」の作者・宮崎駿に対して、「戦争美化という印象(・声)もありますが、そうではないですよね」とわざわざ質問した。
 そのときに感じたのは、次のようなことだった。
 大越健介は、日本には「戦争を賛美・美化」する人々や勢力がある、という理解を(単純・幼稚に)前提としている。ひょっとすれば現安倍晋三首相もその傍らにいると思っているのかもしれない。

 だが、「戦争を賛美(・美化)」とはいったいどう意味なのか? 一般論として、戦争一般を「望ましい」・「美化されるべき」ものと思っている者は全くかほとんど存在しないだろう。そうすると、大越のいう「戦争」とは先の戦争、太平洋戦争とか大東亜戦争とか言われるものを指しているのだろうが、はたしてそれを(日本の行動を)100%「美化」している人々はどれほどいるのだろうか。コミンテルンとそのスパイたちによって誘導された、引きこまれた戦争だったという見方もある。
 大越はもはや古びた「戦争美化」という言葉を今日もなお使っているとしか思えない。彼の歴史意識・歴史認識およびこれをめぐる議論についての知識はNHKに入局したときからほとんど進化していないのではないか。このような人物が9時からのニュ-スのメイン・キャスタ-だ。NHKの<底の浅い>、「何となく左翼ぶり」を十分に感じさせる配置になっている。

  *8/15時点で<テレビ朝日直樹>と記していたが、のちに<朝日放送の浦川泰幸>が正しいことが分かったので、異例だが、あとで改めた(8/29記)。

1193/歴史戦争・歴史認識・歴史問題-中西輝政論考の一部。

 中西輝政のものを読んでいたら、引用して紹介したい部分が随所にある。すべてをという手間をかける暇はないので、一部のみを、資料的にでも引用しておく。

 〇阿比留瑠比との対談「米中韓『歴史リンケ-ジ』の何故?」歴史通7月号(ワック)p.36、p.41

 「いまやマルクス主義や共産主義を真面目に信じている人はいなくなりましたが、敗北した戦後左翼の人々の社会に対する怨念、破壊衝動は残っています。日本国内で長い間社会主義に憧れてきた人たちは、突然社会主義が崩壊してしまったのを見て、日本を攻撃するタ-ゲットを『侵略戦争』すなわち、歴史認識問題へと移しました」。「国際的なリアリズムを踏まえたうえで、歴史問題を考えなければいけません。全ての元凶はどこにあるのか。それは憲法九条です憲法九条さえ改正できれば、歴史問題を持ち出されても対応できるでしょう。憲法改正、歴史談話、靖国参拝の三つで賢く敵を押し返さねばなりません」。

 基本的趣旨に賛成だから引用した。以下はとるに足らないコメント-1.「マルクス主義や共産主義を真面目に信じている人はいなくな」ったのかどうか。生活のため又は惰性ではない日本共産党員もいるのでは。2.「戦後左翼」は「敗北」したと思っているだろうか。3.「突然社会主義が崩壊してしまった」のはソ連・東欧で、中国・北朝鮮はなお「社会主義」国の一つではあるまいか、他の要素・側面が混じっているとしても。4.「憲法九条」は「憲法九条2項」としてほしい。

1192/憲法改正の主張ではなく、いかにして憲法改正するかの「戦略」的主張を。

 民主党政権下の2010年11月3日、産経新聞社説は民主党は「政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」等と主張した。これに対して、同11月6日付のこの欄で、「現在の民主党政権のもとで、あるいは現在の議席配分状況からして、『戦後の絶対平和主義』から脱した、自主・自立の国家を成り立たせるための憲法改正(の発議)が不可能なことは、常識的にみてほぼ明らか…」、「産経社説は、寝惚けたことを書く前に、現内閣<打倒>をこそ正面から訴えるべきだ」、と批判した。

 同様の批判を同じ欄で、産経新聞同日の田久保忠衛の「正論」に対しても行っていた。以下のとおり。
 「『憲法改正の狼煙上げる秋がきた』(タイトル)と叫ぶ?のはいいのだが、どのようにして憲法改正を実現するか、という道筋には全く言及していない。『狼煙』を上げて、そのあとどうするのか? 『憲法第9条を片手に平和を説いても日本を守れないことは護憲派にも分かっただろう』くらいのことは、誰にでも(?)書ける。
 問題は、いかにして、望ましい憲法改正を実現できる勢力をまずは国会内に作るかだ。産経新聞社説子もそうだが、そもそも両院の2/3以上の賛成がないと国民への憲法改正「発議」ができないことくらい、知っているだろう。
 いかにして2/3以上の<改憲>勢力を作るか。この問題に触れないで、ただ憲法改正を!とだけ訴えても、空しいだけだ
 国会に2/3以上の<改憲>勢力を作るためには、まずは衆議院の民主党の圧倒的多数の現況を変えること、つまりは総選挙を早急に実施して<改憲>派議員を増やすべきではないのか?
 <保守>派の議論・主張の中には、<正しいことは言いました・書きました、しかし、残念ながら現実化しませんでした>になりそうなものも少なくないような気がする。いつかも書いたように、それでは、日本共産党が各選挙後にいつも言っていることと何ら違いはないのではないか。」 以上。
 政治状況は当時とは違っているが、衆議院はともかく、参議院では憲法改正に必要な2/3の議員が存在せず、いくら憲法改正を(9条2項廃棄を)と「正しく」主張したところで、国会は憲法改正を発議できず、従って憲法改正が実現されないことは当時と基本的には変わりはない。
 また、昨年12月総選挙も今年7月参議院議員選挙も、「憲法改正」は少なくとも主要な争点にはなっていない。したがって、民主党政権下とは異なりいかに自民党等の改憲勢力がかなりの議席数を有しているとしても、議席配分または各党の議席占有率がただちに国民の憲法改正に関する意向を反映しているとは断じ難い。
 衆議院では自民党・日本維新の会の2党で2/3以上をはるかに超える、参議院では維新の会・みんなの会と民主党内「保守派」を加えて、あるいは<野党再編>によって何とか2/3超になりはしないか、と「皮算用」している者もいるかもしれないが、やや早計、早とちりだろう、と思われる。
 というのは、軍の保持を認めて自衛隊を「国防軍」にするか否か、そのための憲法改正に賛成か否かを主要な争点として選挙が行われたとした場合の議席獲得数・率が昨年の総選挙、今般の参議院選挙と同じ結果になった、という保障は何もない。有権者の関心のうち「憲法改正」は、主要な諸課題・争点の最下位近くにあったと報道されたりもしていた筈だ。
 しかし、とはいえ、憲法改正を!という主張だけでは<むなしい>ことは、少なくともそれに賛同している者たちに対する呼びかけとしてはほとんど無意味であることは明らかだ。
 上の点からして、遠藤浩一の、撃論シリ-ズ・大手メディアが報じない参議院選挙の真相(2013.08、オ-クラ出版)の中のつぎの発言は、私のかつての記述内容と同趣旨で、適確だと思われる。

 「多くの人が憲法改正(ないし自主憲法制定)の大事さを説きますが、現実の政治プロセスの中でそれを実現するにはどうすればいいのか、どうすべきかについてはあまり語りません。多数派の形成なくして戦後体制を打ち破ることはできないという冷厳なる事実を直視すること、そして現実の前で身を竦ませるのではなく、それを乗り越える戦略が必要だと思います」(p.26)。
 ここに述べられているとおり、「現実の政治プロセスの中でそれを実現するにはどうすればいいのか」についての「戦略」を語る必要がある。

 <保守>派らしいタテマエや綺麗事を語っているだけではタメだ。私はこの欄で遅くとも2020年までには、と書き、2019年の参議院選挙が重要になるかもしれないと思ったりしたのだが、それでは本来は遅すぎるのだろう。だが、しっかりと基礎を固め、朝日新聞等の影響力を削ぎ、「着々と」憲法改正実現へと向かうには、そのくらいの期間がかかりそうな気もやはりする。むろん何らかの突発的な事態の発生や周辺環境の変化によって、2016年の参議院選挙、その辺りの時期の総選挙を経て、2017年くらいには実現することがあるかもしれない。
 このように憲法改正の展望を語ることができるのは昨年末までに比べるとまだよい。民主党等が国会の多数派を形成している間は、永遠に自主憲法制定は叶わないのではないかとの悲観的・絶望的思いすらあった。「ぎりぎりのところで日本は救われた」(中西輝政「中国は『革命と戦争』の世紀に入る」月刊ボイス8月号p.81)のかもしれない。

1191/憲法改正のために「歴史認識」問題を棚上げする勇気-中西輝政論考。

 昨日、中西輝政が<憲法改正(とくに9条2項)を最優先し、そのためには「歴史認識」問題を犠牲にしてもよい>、というきわめて重要な(そして私は賛同する)主張・提言をしていたと書いたが、雑誌数冊をめくっているうちに、この主張・提言のある文章を見つけた。
 月刊ボイス7月号(PHP)、中西「憲法改正で歴史問題を終結させよ-アジアの勢力均衡と平和を取り戻す最後の時が来た」だ。

 その末尾、p.57には-本来は前提的叙述にも言及しないと真意を的確には把握できないのだが、それには目を瞑ると-、こうある。
 「具体的には、いっさいの抵抗を排して憲法九条の改正に邁進することである。その手段として、九六条の改正に着手することも選択肢の一つであり、他方もし九条改正の妨げとなるならば、『歴史認識』問題をも当面、棚上げにする勇気をもたなければならない。」

 このあと続けて簡単に、「日本が九条改正を成就した日には、対日歴史圧力は劇的に低下するからである」という理由が書かれている。
 「歴史認識」問題について中国や韓国(そして米国?)に勝利してこそ憲法9条2項削除(「国防軍」の設置)も可能になるのではないかという意見の持ち主も多いかもしれない。
 しかし、中西輝政の結論的指摘は、私が感じていたことと紛れもなく一致している。中西と同じでではないだろうが、私が思い浮かべていたことは以下のようなことだった。
 国会(両議院)の発議要件がどうなろうと、有権者国民の「過半数」の支持がないと憲法改正は成就しない。しかして、産経新聞社の月刊正論をはじめとする(?)<保守派>が提起している「歴史認識」問題のすべて又はほとんどについて、国民の過半数が月刊正論等の<保守派>と同じ認識に立つことはありうるのだろうか。ありうるとしても、それはいつのことになるなのだろうか。
 田母神俊雄の<日本は侵略国家ではない>との主張・「歴史認識」が、問題になった当時、国民の過半数の支持を受けたとは言い難いだろう。当時の防衛大臣は現在の自民党幹事長・石波茂だったが、自民党の閣僚や国会議員すら明確に田母神を支持・擁護することが全くかほとんどなかったと記憶する。
 先の戦争にかかる基本的評価には分裂があり、2割ずつほどの明確に対立する層のほかに、6割ほどの国民は関心がないか、または歴史教科書で学んだ(人によっては「左翼」教師によって刷り込まれた)日本は悪いことをしたという<自虐>意識を「何となく」身につけている、と私には思える。
 昭和天皇も「不幸な」時代という言葉を使われた中で、さらには<村山談話>がまだ否定されていない中で、いくら産経新聞社や月刊正論が頑張ろうと、
国民の過半数が<日本は侵略国家ではない>という「歴史認識」に容易に達するだろうか。
 上は基本的な歴史問題だが、<南京大虐殺>にせよ<首切り競争>にせよ、あるいは<沖縄住民集団自決>にせよ、さらには<朝鮮併合(「植民地化」?)>問題にせよ、これらを含む具体的な「歴史認識」問題について、国民の過半数は<保守派>のそれを支持しているのだろうか、あるいは近い将来に支持するに至るのだろうか。

 朝日新聞、岩波書店、日本共産党等々の「左翼」の残存状況では、これは容易ではないだろうというのが、筆者の見通しだ。いつぞや書いたが、「seko」というハンドルネイムの女性らしき人物が「在日」と見られる人物に対して、「本当にすみませんでした」という謝りの言葉を発しているのを読んだことがある。産経新聞や月刊正論の影響力など全体からすれば<微々たる>ものだ、というくらいの厳しい見方をしておいた方がよいだろう。

 そうだとすると、憲法改正をするためには、日本はかつて<侵略>をした、<南京大虐殺>という悪いことをした、と(何となくであれ)考えている国民にも、憲法改正、とくに9条2項削除を支持してもらう必要があることになる。
 そういう観点からすると、<保守派>内部に、あるいは<非左翼>内部に対立・分裂を持ち込んでいては憲法改正が成就するはずはないのであり、「歴史認識」に違いはあっても、さらについでに言えば<女性宮家>問題を含む<皇室の将来のあり方>についての考えについて対立があっても、憲法改正という目標に向かっては、「団結」する必要があるのだ。「左翼」用語を使えば、いわば<憲法改正・統一戦線>を作らなければならない。
 日本共産党はずいぶんと前から「九条の会」を作り、又はそれに浸入して、憲法9条の改正にかかる「決戦」に備えている。実質的・機能的には日本共産党に呼応しているマスメディアも多い。
 そうした中では<保守派>にも「戦略・戦術」が必要なのであり、残念ながら「戦略・戦術」を考慮して出版し、そのための執筆者を探すというブレイン的な人物が岩波書店の周辺にはいそうな気がするのに対して、<保守派>の中の「戦略」家はきわめて乏しいのではないか。中西輝政は-安倍晋三と面と向かえる行動力も含めて-貴重な、「戦略」的発想のできる人物だと思われる。

 かつて皇室問題、より正確には雅子皇太子妃問題に関する中西輝政の発言を批判し、国家基本問題研究所の理事を辞めたらどうかと書いたこともあるのだが(なお、むろん私の書き込みなどとは無関係に、中西はのちに同理事でなくなっている)、中西は、相対的・総合的には、今日の日本では相当にレベルの高い<保守派>論客だと思われる。

1190/中西輝政の主張・見解は熟読されてよい。

 一 中西輝政の、自民党と日本維新の会の連携の必要を説いた文献(雑誌)は何だったかと探しているうちに、中西輝政の主張はたんなる両党の連携等というよりも、遠藤浩一の今年最初の<保守合同>論でもない、両党による<二大保守政党>成立への展望だったように思い出してきた。その場合、維新の会を自民党よりも<右>または<より保守的>と位置づけていたような気がする。
 また、同じ論文においてだったかは定かではないが、中西は、<憲法改正(とくに9条2項)を最優先し、そのためには「歴史認識」問題を犠牲にしてもよい>、というきわめて重要な(そして私は賛同する)主張・提言を行っていたことも思い出した。細部の内容に自信はないが、執筆者を間違えている筈はないと思っている。
 二 ところで、故三宅久之らが安倍晋三に対して自民党総裁選への立候補を勧めるために、そして激励するために安倍に文書を手渡しているシ-ンをテレビで何度か見たが、数少ないものの、三宅久之の隣に座っていたのは中西輝政であることが明確に分かる(視野のやや広い)撮り方をしたビデオを流していたテレビ番組もあった。
 京都大学を退職していたことと関係があるのかは知らないが、もっぱら「語る」または「書く」だけの、まだ京都大学教授である佐伯啓思と比べて(同じ研究科所属だったのに)、現実の政治へのかかわり方はずいぶんと違うものだ。
 そして、佐伯啓思よりもあるいは櫻井よしこ等よりも、政治的感覚が鋭いのは、あるいは大局的見地から適切な現実政治にかかわる戦略的思考をしているのは(そしてそれを文章化しているのは)、逐一この欄に書いてはいないが、中西輝政だろう、と判断している。
 このことを例証するためにも一で触れた内容の中西輝政論考を見つけ出さなければならず、その時点であらためて詳しく紹介しよう。以下は、探索過程でいくつかあらためて見た(すべて一度は読んだ)中西輝政の最近の論考だ。読書録のつもりで、列挙しておこう。
 A 月刊WiLL(ワック)
 ①「私が安倍総理に望むこと/『国家観の再生』を」(2013年1月号)

 ②「中国の奥の手は『敵国条項』」(2月号)

 B 歴史通(ワック)

 ③「中国という狂気」(2013年3月号)

 ④(阿比留瑠比との対談)「米中韓『歴史リンケ-ジ』の何故?」(7月号)

 C 月刊ボイス(PHP)

 ⑤「次期政権は大義の御旗を掲げよ」(2013年1月号)

 ⑥「憲法改正で歴史問題を終結させよ」(7月号)

 ⑦「中国は『革命と戦争』の世紀に入る」(8月号)

 D 月刊正論(産経新聞社)

 ⑧「現代『歴史戦争』のための安全保障」(2013年2月号)

 以上。

 産経新聞お気に入りの?櫻井よしこよりも、月刊正論で「大物扱い」の?遠藤浩一よりも(ついでに新潮45お気に入りの佐伯啓思よりも)、中西輝政諸論考の方が視野が広く、複眼的・総合的だ(かつ現実的だ)。そして上のように列挙してみると、中西は産経以外の媒体にむしろ多く執筆しているようだ。質量ともに中西に匹敵する仕事を依然として行っているのは、こちらは最近の月刊正論によく登場している(アメリカという国家の本質を探っている)西尾幹二くらいではあるまいか。

1189/櫻井よしこは民主党政権について当初は何と論評していたか。

 かつてのこの欄での記述の(各回のうちの)一部をそのまま再掲しておく。二つのいずれも、櫻井よしこに関するものだ。
 一 2010年5月14日

 「櫻井よしこは-この欄で既述だが-昨年の2009総選挙前の8/05の集会の最後に「民主党は…。国家とは何かをわきまえていません。自民党もわきまえていないが、より悪くない方を選ぶしかないのかもしれません」とだけ述べて断固として民主党(中心)政権の誕生を阻止するという気概を示さず、また、鳩山由紀夫内閣の誕生後も、「…鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」(産経新聞10/08付)と書いていた。文字通りには「期待と懸念」を半分ずつ持っている、と言っていたのだ!。
 鳩山由紀夫の月刊ヴォイス上の論考を読んでいたこともあって、私は民主党と鳩山由紀夫に対しては微塵も<幻想>を持たなかった、と言っておいてよい。<総合的によりましな>政党を選択して投票せざるをえず、民主党(中心)政権になれば決して良くはならない、ということは明らかだったように思えた。外交・安保はともあれ<政治手法>では良い面が…と夢想した屋山太郎のような愚者もいただろうが、基本的発想において<国家>意識のない、またはより正確には<反国家>意識を持っている首相に、内政面や<政治手法>面に期待する方がどうかしている。
 しかし、櫻井よしこは月刊WiLL6月号(ワック)p.44-45でなおもこう言っている。
 「自民党はなすすべきことをなし得ずに、何十年間も過ごしてきました。その結果、国家の基本というものが虫食い状態となり、あちこちに空洞が生じています。/そこに登場した民主党でしたが、期待の裏切り方は驚くばかりです」。
 前段はとりあえず問題にしない。後段で櫻井よしこは、何と、一般<日和見>・<流動>層でマスコミに煽られて民主党に投票した者の如く、民主党・鳩山政権に「期待」をしていたことを吐露し、明らかにしているのだ!
 何とまあ「驚くばかり」だ。これが、<保守系シンクタンク>とされる「国家基本問題研究所」の理事長が発言することなのか!? そのように「期待」してしまったことについて反省・自己批判の弁はどこにもない。」

 二 2010年12月31日 

 「「左翼」政権といえば、櫻井よしこは週刊新潮12/23号(新潮社)の連載コラムの中で、「三島や福田の恐れた左翼政権はいま堂々と日本に君臨するのだ」と書いている(p.138)。
 はて、櫻井よしこはいつから現在の民主党政権を「左翼政権」と性格づけるようになったのだろうか?

 この欄で言及してきたが、①櫻井よしこは週刊ダイヤモンド11/27号で「菅政権と谷垣自民党」は「同根同類」と書いた。

 自民党ではなくとも、少なくとも「谷垣自民党」は<左翼>だと理解しているのでないと、それと「同根同類」のはずの「いま堂々と日本に君臨する」菅政権を「左翼政権」とは称せないはずだ。では、はたしていかなる意味で、「谷垣自民党」は「左翼」なのか? 櫻井よしこはきちんと説明すべきだろう。
 ②昨年の総選挙の前の週刊ダイヤモンド(2009年)8/01号の連載コラムの冒頭で櫻井よしこは「8月30日の衆議院議員選挙で、民主党政権が誕生するだろう」とあっさり書いており、かつ、民主党批判、民主党に投票するなという呼びかけや民主党擁護のマスコミ批判の言葉は全くなかった。

 ③民主党・鳩山政権発足後の産経新聞10/08付で、櫻井よしこは、「鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」と書いた。「期待と懸念」を半分ずつ持っている、としか読めない。

 ④今年に入って、月刊WiLL6月号(ワック)で、櫻井よしこは、こう書いていた。-「「自民党はなすべきことをなし得ずに、何十年間も過ごしてきました。……そこに登場した民主党でしたが、期待の裏切り方は驚くばかりです」。期待を持っていたからこそ裏切られるのであり、櫻井よしこは、やはり民主党政権に「期待」を持っていたことを明らかにしているのだ。→ <略>

 それが半年ほどたっての、「三島や福田の恐れた左翼政権はいま堂々と日本に君臨するのだ」という櫻井よしこ自身の言葉は、上の①~④とどのように整合的なのだろうか。
 Aもともとは「左翼」政権でなかった(期待がもてた)が菅政権になってから(?)「左翼」になった。あるいは、Bもともと民主党政権は鳩山政権も含めて「左翼」政権だったが、本質を(迂闊にも?)見ぬけなかった。
 上のいずれかの可能性が、櫻井よしこにはある。私には、後者(B)ではないか、と思える。

 さて、櫻井よしこに2010年の「正論大賞」が付与されたのは、櫻井よしこの「ぶれない姿と切れ味鋭い論調が正論大賞にふさわしいと評価された」かららしい(月刊正論2月号p.140)。

 櫻井よしこは、「ぶれて」いないのか? あるいは、今頃になってようやく民主党政権の「左翼」性を明言するとは、政治思想的感覚がいささか鈍いか、いささか誤っているのではないか?」

 なお、屋山太郎については再掲しないでおく。この人物が靖国神社の総代会か崇敬奉賛会の役員に名を出している筈であるのは異様であると、靖国神社のためにも言っておきたい。

 以上は、先月の<民主党政権成立を許したことについての保守派の責任をきちんと総括すべきだ>旨のエントリーの続きの意味ももっている。

1188/橋下徹のいわゆる慰安婦発言をめぐって。

 一 「正論を堂々と臆することなく述べる人物に対する、メディアという戦後体制側の恐怖と嫌悪感」という表現を、撃論シリ-ズ・従軍慰安婦の真実(2013.08、オ-クラ出版)の中の古谷経衡「”橋下憎し”に歪むテレビ芸人の慰安婦論」は末尾で使っている。
 このタイトルと上の表現の直後の「防御反応としての橋下叩き」という表現でも分かるように、冒頭の表現は橋下徹のいわゆる慰安婦発言に対するマスメディア側の反応についてのものだ。
 二 古谷によると、橋下発言に対する大手メディアの反応はおおむね4・4・2の割合で次に分かれたという。①「強制性」を強調して日本に反省を求める、②一定の理解を示しつつ「タイミングや発言のニュアンス、つまり方法論」に異議を述べる、③平和・議論必要等の美辞麗句を伴う「無知を基底とする思考停止」の反応。
 小倉智昭、田崎史郎、古市憲寿、吉永みち子、みのもんた、等が「歪むテレビ芸人」としてそれらの発言とともに紹介されているが、宮根誠司は「じっくりと議論していく。ちゃんと勉強して、諸外国の方に謝るべきところは謝る。いつまでもこの話を堂々巡りでやっていては日中韓の信頼は築けない」と述べたようで(日テレ系列)、上の③に分類されるだろう。古谷は「手前の無勉強を棚にあげての高みの謝罪推奨説教の美辞麗句」と評している。
 感心し?かつ唖然ともしたのは、紹介されている次の菊川怜の発言だ(フジテレビ系列)。
 「従軍慰安婦の問題で傷ついている人がたくさんいて、私は根本的に戦争とかをなくしていくという方向が気持ちとしてあります。従軍慰安婦について、強制だったとか、日本以外の国もやっていたとか言うのではなくて、それを反省して二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちを持つことだと思います」。

 古谷によると「橋下氏は苦笑いで対応」したらしいが、この菊川怜の発言の仕方・内容は東京大学出身者にふさわしい、<二度と戦争を起こしてはいけない>ということだけはきちんと学んだ?、「戦後教育の優等生」のなれの果て、または「戦後教育の優等生」の、実際の日本が経験した戦争についての「無知蒙昧」のヒドさ、を示しているだろう。橋下徹発言に「戦争反対」とコメントとするのはバカバカしいほど論点がずれていることは言うまでもない。
 クイズ番組には登場できても、現実の歴史や日本社会の諸問題、政治的な諸思想・諸論争には関心を持たず、知らないままで、デレビ界で生き延びるためには、自分がそこそこに目立つためには、どうすればよいかをむしろ熱心に考えているのだろう「無知蒙昧」さを、「テレビ芸人」としての菊川怜は見事に示してくれた、と言うべきだ(むろんそのような者を使っているテレビ界自体により大きな問題があるのだが)。
 三 橋下徹のいわゆる慰安婦発言に対して<保守論壇>は、あるいは自民党はどう対応したのだっただろうか。
 詳細にはフォロ-していないが、橋下徹があとで批判していたように、自民党は<逃げた>のではなかっただろうか。自党の見解とは異なるというだけではなく、また政府見解は強制性を明示的には肯定していない等でお茶を濁すのではなく、橋下発言には支持できる部分もある、というくらいは明言する自民党の政治家・候補者が現れていてもよかったのではないか。
 自民党は公明党とともに<ねじれ解消>を最優先して、減点になりかねないとして重要な<歴史認識>問題の争点化を避けたのではないか。安倍晋三は密かには自民党だけでの過半数獲得を期待し、比例区での当選者が期待的予測よりも数名は少なかったことを嘆いたとも伝えられているが、その原因は<無党派層>を意識するあまりに確実な<保守層>の一部を棄権させたことにあったのではないか、とも思われる。

 四 <保守>派論者では、櫻井よしこは上記二の分類では明らかに②の立場を表明していた。テレビ界にも何人かは(決して「保守」派とは思えないが)存在はしていた、「タイミングや発言のニュアンス、つまり方法論」を批判する立場だった。

 櫻井よしこは、週刊新潮5/30号で橋下発言の要点を11点に整理した上で、7-11の5点を問題視し、自民党の下村博文文科大臣の、「あえて発言をする意味があるのか。党を代表する人の発言ではない。その辺のおじさんではないのですから」というコメントを「まさにそれに尽きる」と全面的に支持した。
 さらには、「歴史問題を巡る状況は本稿執筆中にも日々変化しており、これからの展開には予測し難い面がある。なによりも橋下氏自身が慰安婦問題をより大きく、より烈しく世界に広げていく原因になるのではないか。氏は日本の国益を大きく損ないかねない局面に立っている」と明記し、一部でいわれる「情報戦争」または「歴史認識」戦争の状況下で、橋下徹は「日本の国益を大きく損ないかねない」とまで批判(こきおろして)いる。
 興味深いのは、櫻井よしこは、問題がないとする(と読める)1-6の橋下徹発言については言及せず、正しいことを言ったとも明記せず、むろん褒めてもいないことだ。
 この櫻井よしこの文章は、実質的には<保守>内部での厳しい橋下徹発言批判だっただろう。
 このような櫻井よしこ的風潮が保守派内を覆っていたとしたら、<維新失速>も当然ではあっただろう。

 なお、何度か書いたように、櫻井よしこの<政治的感覚>は必ずしも適切ではない場合がある。
 産経新聞ははたしてどうだったのか。7/04付社説では(自民党は選挙公約には明記しなかったのに対して)憲法96条先行改正を明記した日本維新の会をむしろ肯定的に評価しているようだ。
 但し、先の古谷論考によれば、産経新聞もまた他紙と同じく「当時は」という限定を付けることなく橋下発言につき「慰安婦制度は必要」と見出しを付けたようだし、平然と<維新失速>または<第三局低迷>という客観的または予測記事を流し続けたのではなかったか。真に憲法改正のためには日本維新の会の(実際にそうだったよりも大きい)獲得議席の多さを望んでいたのだったとすれば、多少は実際とは異なる紙面構成・編集の仕方があったのではあるまいか。もっとも、定期購読をしていないので、具体的・実証的な批判または不満にはなり難いのだが。

1187/憲法改正に向けて維新の会や橋下徹は大切にしておくべきだ。

 遠藤浩一月刊正論2月号(2013、産経新聞社)の「保守合同こそが救国への道」で、次のことを述べていた。

 戦後の日本政治は昭和24年のように保守合同によって局面を打開してきた。憲法改正のためにも、民主党に匹敵する議席を獲得した「日本維新の会との連携を緊密にする必要がある」。安倍首相が本気で<戦後レジ-ムからの脱却>を目指すのなら、「自公政権」ではなく、「あくまでも、より厚みのある本格的保守政権の確立をめざす」べきではないか(p.37-38)。

 みんなの党への言及はないようで、タイトルにいう「保守合同」とはまずは自民党と日本維新の会の「合同」を意味させていると読める。

 大阪の維新の会が太陽の党と合併したことについては批判もあったが、既述のように両党にとってよかったと思っている。合併=橋下徹と石原慎太郎の結合がなければ、衆院選54議席の獲得はなかった。この点を、ジャパニズム11号(2013.02、青林堂)の田口圭「日本維新の会/その歴史と未来を徹底分析」は次のように適確に指摘している。
 石原慎太郎の維新の会への合流という<正しい判断>は、たちあがれ日本→太陽の党の「いわゆる愛国保守系の落選議員を多数当選させた」ことによって証明された(p.97)。
 また、田口は触れていないが、日本維新の会が全国的に多地域から支持を受けて比例区票数では民主党をも上回ったのは、大阪中心の、橋下徹らだけの維新の会ではなしえなかったことだろう。

 上の点はさておき、参院選直前にも、日本維新の会支持を明確にしていたのが、撃論シリ-ズ・大手メディアが報じない参議院選挙の真相(2013.08、オ-クラ出版)の冒頭の無署名(編集部)「反日マスコミの自民・維新の会包囲網を打ち破れ」で、つぎのように書いている。
 「維新の会は、歴史、外交、安全保障において、明らかに自民党以上に正当な保守政党としての理念を表明している」。

 残念ながら数ヶ月前に読んだためか文献を確認できないが、中西輝政もまた、<リベラル系>をなお含んでいる自民党に比べて日本維新の会は<保守性>が高いという旨を書き、上記の遠藤浩一のごとく、とくに憲法改正向けての自民党と日本維新の会の協力・連携を期待する旨をこの数カ月以内にどこかで書いていた。
 このような意見もあり、上記撃論の冒頭は、「維新の拡大なくして憲法改正はありえない、この認識が現在の政治を取り巻くもっとも重要な鍵である。…参院選は、自民党の安定した勝利、そして維新の凋落ーせき止めること、この二点に懸かっている」とも書いていた。
 そしてまた、同文章は、「一部保守派」による橋下徹批判をたしなめてもいる(p.3)。
 完全・完璧な人間や政党は存在するはずがないのであり、何が相対的に最も重要な論点・争点なのかについての間違いのない判断を前提として、橋下徹についても日本維新の会についても論評される必要がある。重要な政治的課題が憲法とくに9条2項の改正であることはほとんど言うまでもないだう。そして、日本維新の会は(橋下徹個人のこれまでのいちいちの発言ではなく政党の政策表明に着目すれば)9条2項の改正を支持している。
 このような状況において関心を惹くのは、月刊正論も出版している産経新聞社の維新の会・橋下徹に対する「社論」ははたして一致しているのか、だ。
 何度か書いたが、何しろ産経新聞社発行の月刊正論とは、その昨2012年5月号において、編集長・桑原聡が「編集長個人の見解だが、橋下氏はきわめて危険な政治家だと思う。…橋下氏の目的は日本そのものを解体することにあるように感じる」と、その「個人」による詳細な理由づけ・説明もないまま明記してしまっている雑誌だ(末尾、p.336)。そして、同号の表紙には、その編集者の見解に添ってだろう、C級哲学者・適菜収の論考タイトル、「理念なきB層政治家…橋下徹は『保守』ではない!」が一番目立つように大書されているのだ。そしてまた、月刊正論の公式ブログ内で「あなたの保守度」を点検などという読者に対する<上から目線>の設問を書いて遊んでいたりした編集部の川瀬弘至は、この適菜収論考を「とてもいい論文です」と好意的に評価してもいたのだ。
 産経新聞本紙が維新の会に対して少なくとも全面的に批判し敵対視しているというわけではないだろう。但し、少し怪しい記事もあるようだし、ネット上ではとくに関西発のニュ-ス・評価の発信の中に橋下徹や維新の会に対して厳しいまたは不要に批判的すぎると感じられるものもある。
 産経新聞社の維新の会・橋下徹に対する「社論」ははたして一致しているのか。少なくとも一部には、上記にいう「一部保守派」のごとき記事や論考もあるように感じられる。
 そして、そのような姿勢・「社論」では日本のためにならないだ
ろう。橋下徹に多少は?批判的なのが<真の保守>だ、などという勘違いはしない方がよい。
 桑原聡や川瀬弘至は見解を改めたのかどうか(後者は適菜に対してむしろ批判的になったのか)は知らない。たぶん明示的には何も書いていないだろう。
 その他の気になる「一部保守派」たちもいるので、さらに書き継ぐ必要があるようだ。
 なお、上記の撃論本で遠藤浩一は、「第三極の失速・減速」を理由として、先の「保守合同」論を改めている。この点も別の機会に扱う。

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