秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2012/01

1077/産経新聞と櫻井よしこと遠藤浩一。

 〇「保守」概念、「保守主義」なるものの意味について考えている。これまでここで取り上げていない文献に言及したいこともある。だが、やや重たいテーマだ。あまり間隔を空けるのも問題なので(と勝手に感じている)、以下の程度でお茶を濁しておこう。
 〇産経新聞1/12櫻井よしこ連載「首相にもの申す」は、かなり興味深い。というのは、櫻井はこの文章の9割ほどをかけて、野田内閣の実績を評価し(「…評価すべき実績が見えてくる」)、同内閣に対する「期待」を語っているからだ。
 前者は①TPP交渉参加表明、②金正日死去の際の哀悼の意の不表明、後者は内閣改造によって「首相が税と社会保障の一体改革に伴う消費税増税に命運をかけた攻勢に出る」ということで、「党内の反対を考慮せず信ずるところを実行に移すのがよい」と述べている。「集団的自衛権の行使を決断」することへの期待も語っている。
 野田佳彦は民主党内「保守」派とされているようで、なるほどイメージとしては鳩山由紀夫や菅直人よりはましのようにも感じる。
 だが、こんなに評価し、期待してよいのだろうか。評価すべきとする①は論者によって(「保守」派論者の中でも)異なるだろうし、②は「当然といえば当然」なのではないか。
 また、もともと、産経新聞上での「期待」を野田はどれほど意識するだろうか、(消費税増税についても議論があるところだが)かりに妥当な内容であったとしても、どれほどの「応援」になるのだろうか、という気もする。産経新聞のスタンスとしては、民主党内閣に対しては、少なくとも<やや辛口>程度ではいるべきだろう。勝手な期待?だが、そうした期待?からすると、櫻井よしこの文章は、産経に期待するレベルを超えて民主党内閣に「甘い」。
 産経新聞1/16の「正論」欄の遠藤浩一の文章は、櫻井よしことはだいぶ論調が異なる。
 遠藤は、内閣改造による「社会保障と税の一体改革」への「不退転の決意」表明に(櫻井よしこの上記文章もあるが-秋月)世論も市場も冷たく、それは「こうした重要にして困難な政策を進めていく当事者能力および適格性が野田・民主党政権にあるのかという不信が払拭されていないからだろう」等と述べる。
 そして一番最後の文章は、「野田氏に期待するのは空しいということである」、となっている。
 櫻井よしこによる「期待」を意識して書かれたのではないだろうが(あくまで推測)、遠藤浩一のスタンスは櫻井とはかなり異なる。
 こういう違いが同じ産経新聞紙上で見られるのは興味深いことだ。そして、遠藤浩一の感覚の方が、私はまっとうだと思っている。 

1076/中島岳志の幼稚な「エセの(?)」「設計主義」批判。

福田恆存19121994)は、1990年に、ある文章の中で以下のようなことを述べている。
 ・「進歩主義」に対するものとしての「漸進主義」において、「進歩」は「求めて得られぬ理想ではなく、単に在るがままの現実に過ぎない…。つまり、そのまま放っておいても放っておかれないのが、人間の自然であり歴史というものなのである」。
 ・G・ワトソンが、某は「マルクスより若かったが、リフォーム(改革・改良)は変化をもたらし、リヴォルーション(革命)は屡々物事を現状のまま放置するという事実を能く見抜いていた」、と書いている。「私〔福田恆存〕と能く似た事を言うと思った」。

 以上、福田恆存「老いの繰り言」福田恆存全集別巻(麗澤大学出版会、2011p.217-8
 〇これを読んで連想したのは中島岳志による「設計主義」批判、橋下徹批判だった。
 この欄に既に書いたことの一部反復になるかもしれないが、中島岳志は「保守」系隔月刊誌・表現者39号(ジョルダン、西部邁事務所編集)で、次のように橋下徹を批判していた。
 ・橋下徹の考え方は「急進的な設計主義」と「伝統的な価値観の否定」に直結する。「保守思想」は「人間の理性や知性に対する奢りが潜んでいる」「ラディカリズム」を拒絶し、「ラディカルな合理主義」を懐疑する。橋下徹の「改革熱は、反保守的な態度としか言いようがない」。
 ・「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」を「保守」は支持できない。橋下徹において「伝統や道徳は、既得権益を温存させる悪しき価値」で、「歴史的に構成された価値観や経験知は日教組、左派メディア……と同様に旧体制の象徴として解体されるべき」なのだ。かかる「地方で起きている破壊的ポピュリズムを阻止することこそが保守派の役割」だ(以上、p.118-120)。 
 なお、中島岳志は表現者40号(2012.01)でも、「大東亜戦争」を支えたのは「設計主義」だとし、「左翼的な思想が介在」したものとして批判している。「大東亜戦争」や特定の「思想家」の評価に関連するので、今回はこれ以上は立ち入らない(但し、かくも簡単に「大東亜戦争」を支えた「思想」を概括してしまっていることに驚いたことだけは記しておく)。
 このような中島岳志の論述(?)を読んでもつ第一の基本的な疑問は、厭うべき「進歩主義」・「革命」・「ラディカリズム」・「設計主義」と望ましいまたは自然な「漸進主義」・「改良」とはどのようにして区別されるのか、ということだ。
 「保守」主義はいかなる「変化」をも拒絶するものではないと考えられる。「保守」と「漸進主義」・「改良(改革)」は、一般論として、決して矛盾しない。これを矛盾すると理解するとすれば、それは「退嬰」主義であり「現状凍結」主義だ(あるいは「敗北主義」だ)。
 福田恆存いわく、「そのまま放っておいても放っておかれないのが、人間の自然であり歴史というものなのである」。
 中島岳志は、上のような基本的な問題に何ら言及していない。
 「保守」主義が<反・設計主義>で、理性万能・合理性重視の「設計(・構築)主義」を批判しているくらいは、私も百も承知だ。
 かかる前提に立つとしても、問題は、どこから先が「設計主義」に陥る、悪しき合理主義=「左翼」思想なのかにある。
 <戦後体制(戦後民主主義体制)からの脱却>は現状の日本の基本的な「変化」を追求するものであり、そのための「運動」が必要であり、ある程度はそれなりの「戦略」・「戦術」も必要と思われるが、中島岳志の論じ方に従えば、これまた「ラディカリズム」・「設計主義」になりかねない。憲法改正(とくに九条2項の削除)についても、同じことがいえる。
 中島岳志は、それなりの地位・自由と名誉が保護された現状(「戦後体制」・「自由と民主主義」)に保護されることを望み、それらを「保守」したいだけではないか、という皮肉または嫌味も投げかけたくなる。
 第二に、中島岳志のいう「保守」思想からする橋下徹批判は、ほとんど説得力がない。
 なぜなら、例えば、①橋下徹の考え方が「急進的な設計主義」と「伝統的な価値観の否定」に直結するとする、実証的・説得的な根拠は何ら提示されていない。②橋下徹は「大阪市を解体し」ようとしているかもしれないが、「国家まで解体」とは明言していないし、その意図もないと思われる。「国家」が「国家」それ自体ではなく<国のしくみ>のようなものだとすれば、その中には「改良」・「変革」・「解体」されてしかるべきものもある。例えば、日本国憲法それ自体に問題がある。③橋下徹は「伝統や道徳」や「歴史的に構成された価値観や経験知」を否定・無視・軽視すると論難しているが、そのための実証的かつ説得的な根拠は示されていない。むしろ逆に、橋下の考え方は(「西欧」思想に馴染んだ中島岳志以上に?)これらを尊重する人間なのではないか(参照、国歌・君が代や「護国神社」への態度)。
 こうして見ると、中島岳志という人物がますますいかがわしく見えてくる。これで大学教員(北海道大学)なのか、学者・研究者なのか。「本格的な思想格闘を行う必要がある」(表現者40号p.153)などと肩肘を張る、あるいはムキになることはない。そもそも自らにそのような資格・能力があるのかどうかを、謙虚に自省してみたらどうか。

1075/東谷暁・南木隆治・遠藤浩一と橋下徹。

 〇東谷暁は月刊正論2月号(産経)の連載「論壇時評」で、2頁を使って、橋下徹を批判している、または、警戒視している(p.196-)。後半は産経新聞に書いていたのと同じ内容で、<一粒で二度おいしい>(同じことを書いて2回原稿料を稼ぐ)とはこのことを言うのだろう。
 橋下徹を無条件に支持はしないし、彼の勝利はある程度は一種の「ポピュリズム」の結果だとも思うが(なお、対立候補も民放のローカルニュース・キャスターの経歴を持っていた)、有権者は、当選者が一人の場合、候補者が2人の場合は<どちらがよりましか>で、3人以上の場合は<いずれが最もましか>で判断せざるをえない。
 当選者を批判するのはよいが、では対立候補(大阪市の場合は平松某)が当選した方がよかったのか、対立候補だった者(平松某)についてはどう評価し、論評するのか、と東谷暁には問いたいものだ。

 〇同じ月刊正論2月号の南木隆治「橋下前知事が教育改革で見せた凄み」の中に、―この論考全般への言及は省略する―興味深い記述がある。
 ほとんど報道されていないと思うが、これによると、橋下徹は知事辞任直前の2011年10月20日に、「大阪護国神社秋季例大祭」に「公式参拝」している(p.77)。
 福岡政行は隔週刊・サピオ1/11・18号で「次の次の」総選挙に橋下徹は出馬して「橋下政権」が「誕生する可能性さえある」という(p.34)。こんな予測のが当たるかどうかは全く不明だが、万が一(?)橋下徹が首相になったとすれば、この人物は靖国神社「公式参拝」をするのではないか。
 〇再び月刊正論2月号に戻ると、遠藤浩一「維新前夜―英雄の条件」は、次のように橋下徹に言及している。
 「口が達者らしいことを除いて橋下氏について判断材料を持ち合わせていない小生としては、英雄に大化けするかの判断は留保」する(p.55)。
 <英雄に大化け>するかどうかは「英雄」の意味も含めてこの欄の筆者にも分からないが、橋下徹について「口が達者らしいこと」しか知らないとは、(政治)評論家としてはお粗末だろう。但し、おそらくはそれ以上の知識は持ちつつも、(櫻井よしこと同様に?)評価を「逃げて」いる、という方が正確だろう。

 判断材料が乏しいのはこれまでの橋下の経歴からしても仕方がなく、従って確定的な評価をし難いのはやむをえない、とは言える。天皇・憲法(九条)・防衛(・中国)等について、橋下徹は明言したことがないのは確かだ。
 だが、かなりの程度の想像はできる。例えば、朝鮮学校無償化に反対する動きを迅速に見せたのも自治体首長の中では橋下徹だった。上の「護国神社」参拝も一つの材料にはなるだろう。

1074/中西輝政「米中対峙最前線という決断―米軍が日本から消える日」(月刊正論)と産経。

 〇月刊正論2月号(産経)の中西輝政「米中対峙最前線という決断―米軍が日本から消える日」(p.86-98)は、米オバマ大統領の2011.11演説によるアメリカの対中強硬政策への明示的な転換、その具体的内容を軍事面を中心に月刊WiLL上よりも詳細に述べている。その代わり、日本自体についての言及は少ない。
 印象に残る部分二つのみを、以下に紹介。
 ・「中国が共産党一党独裁のまま市場経済に移行すれば国際社会にとってかつてない深刻な脅威となる」という二〇年前に生じた懸念は脳裏から離れず、国際社会や日本はいつそれに気づくのかと訴え続けてきた。「ようやくアメリカがそのことに気付」いたが、遅すぎたかもという懸念もある。中国が持ってしまった力を思えばこそだが、「責任はひとえに”日中友好”に浮かれ、何の国家戦略も持たずに中国をここまで強大化させてきた日本人の側にある」(p.87-88)。
 ・「アメリカの戦略転換」に対する中国の「巻き返し戦略」に日本はどう対処すべきか。「現状では殆どその能力を欠いている」。「対日工作に対する日本の政治と世論の抵抗力は極めて脆弱」で、「政治の決断」、「防衛力の顕著な増強」が不可欠だ。もう遅いかもしれないが、緊急性が高いのは「財政危機よりも社会保障よりも」「防衛力の増強」だ。併せて、集団的自衛権行使・憲法改正という体制・精神の整備をしての「国家戦略の大転換」が必要だ(p.98)。
 このあと、月刊WiLLで書いていたような条件つきの「楽観」的文章で終わっている。
 〇ところで、月刊正論2月号の表紙の最大の見出しは石原慎太郎の立川談志に関する文章で、中西輝政の上の論考名もあるが、屋山太郎(!)の文章のタイトルの下に小さく?書かれている。また、目次欄でも、リーダー・英雄論を主テーマ(特集)するかのような記載がされている(実際にそのような扱いだ)。
 石原慎太郎や立川談志を蔑視するわけでは全くないが、この二人に関係するものを最も大きく目立たせるとは、月刊正論の編集部はセンスがない。それとも、<お堅い>政治・社会論壇誌とのイメージを払拭したいのだろうか。また、「英雄」・「リーダー」特集も、あまり面白くない。
 産経新聞(社)や月刊正論は「保守」の側に立つ最大の、または少なくとも重要なメディアのはずなのだが、経営的にも岩波書店や朝日新聞社の方が安定しているだろうし、堅い芯と執拗さという点でも岩波や朝日新聞には劣っていそうだ。そして、的確に政治状況を把握しての的確な編集のセンスという点でも「左翼」メディアに負けているのではないだろうか。
 「保守」は相対的な少数派であり、今後も<勝てそうにない>のでないか、という悲観的見通しを持たざるをえないのも、(産経の個々の社員を論難はしないが)「保守的」雑誌・新聞等々の有力なまたは中心的な戦略・司令塔のような媒体が存在していないことにある。むろん、ゲリラ的なもの(?)を含む多数の「保守」系雑誌等のあることは知っているが、おそらくは(「大衆的」な)広がりに乏しい。
 中西輝政論考を冒頭に持ってき、また、<解散・総選挙>の実施を煽るような編集方針でないと、(本来は)いけないのではないだろうか。ないものねだりかもしれないような期待を、産経新聞(社)に寄せつつ(1/4記)。

1073/月刊WiLL2月号の中西輝政論考・九条の呪い・総選挙。

 〇自民党幹事長・石原伸晃は1/03に「1月の通常国会の冒頭に解散すれば1カ月で政治空白は済む」と発言したらしい。今月解散説だ。今月でなくとも、今年中の解散・総選挙の主張や予測は多くなっている。
 にもかかわらず、産経新聞も含めて、「(すみやかに)解散・総選挙を」と社説で主張する新聞は(おそらく地方紙を含めても)ない。のんびりとした、何やらややこしく書いていても<あっち向いてホイ>的な社説が多い。
 朝日新聞は総選挙を経ない鳩山由紀夫退陣・民主党新政権発足(「たらし回し」)に反対していたが、近い時期に総選挙をとはいちおう社説で書いていた(2010年6月頃)。朝日新聞がお好きな「民主主義」あるいは「民意」からすると、「民意」=総選挙によって正当化されていない野田・民主党内閣も奇態の内閣のはずであり、今年冒頭の社説では<すみやかに解散・総選挙をして民意を問え>という堂々とした社説が発表されていても不思議ではないのだが、この新聞社のご都合主義または(自分が書いたことについての)健忘主義は著しく、そのような趣旨は微塵も示されていない。
 マスメディア、大手新聞もまたそこそこの<既得>の状況に安住していて、本音では(産経新聞も?)<変化>を求めていないのかもしれない。

 〇月刊WiLL2月号(ワック)の中西輝政論考の紹介の続き。
 ・日本「国家の破局」の到来が危惧される3つめの理由は、「
政党構造が融解し、国内政治がまったく機能していないこと」だ。「保守」標榜の自民党も「見るに堪えない状況」で、「大きな政界再編の流れ」は全く見られない。官僚も企業も同じ。今年に解散・総選挙がなければ、日本は今年の「世界変動」に乗り遅れるだろう。ロシア大統領、台湾総統のほか韓国大統領選挙もあるが、新北朝鮮派(野党・韓国「民主党」)が勝利すれば、38度線が対馬海峡まで下がってくるような切迫した状況になる。そして、日本は「親北」民主党政権なのだ。日本には「冷戦終局後かつてない危機が、さらに明確な形で目前にまで迫っている」(p.40-42)。
 ・だが、全くの悲観論に与しない端的な理由は、<欧州も中国ももはや一つであり続けられない>のが、2020年代の大きな流れだからだ。EUは崩壊するだろう。中国でもバブルが崩壊し「社会体制」も崩れて「国家体制」を保てなくなるだろう(p.42-43)。
 ・かかる崩壊は「民主主義と市場経済の破綻」=「アメリカ的なるもの」の終焉にも対応する。アメリカ型市場経済は臨界点を超えると「激発的な自己破壊作用」に陥る。「物質欲、金銭欲の過剰」は「市場経済のシステム自体」を壊す。「個人が強烈な物質主義によって道徳的に大きく劣化し、『腐敗した個人主義』に走り」、「自らの欲望」だけを「政治の場」にも求める結果として、「民主主義そのものがもはや機能しなくなっている(p.43-44)。

 ・①「過剰な金銭欲」と②「腐敗した個人主義」という「現代文明の自己崩壊現象」が露呈している。「アメリカ由来の市場経済も民主主義も、長くは機能しない」。「アメリカ化」している日本に、むろんこれらは妥当する。この二つが日本を壊すだろうと言い続けてきたが、不幸にも現実になった。だが、これは「アメリカ一極支配の終焉」でもある(p.44)。
 ・「グローバル」化・「ボーダーレス」・「国家の退場」・「地球市民社会」などの「未来イメージ」は結局は「幻想」だった。アメリカ一極支配後の核心テーマは、「国家の再浮上」だ。この時こそ、「一国家で一文明」の日本が立ち上がるべきで、その状況まで日本国家が持続できていれば、「日本の世紀」になる。これが「短期の悲観」の先の「長期の楽観」の根拠だ(p.45)。
 ・「固有の文明」をもつ日本は有利だ。だが、「民主主義を荒廃」させる「腐敗した個人主義」の阻止が絶対条件だ。日本文明の再活性化・国民意識の回復のためには、「国家の刷新、とりわけ憲法改正が不可欠」だ。とくに憲法九条の改正。「すべてを、この一点に集中させる時が来ている」(p.45-46)。
 ・アメリカ「従属」、歴史問題・領土問題・財政問題・教育問題などはすべて、「九条の呪い」に発している。憲法改正に「保守」は正面から立ち向かうべきだ。今の危機を乗り越えれば、「日本の時代」としての2020年代が待っている(p.46-47)。
 以上。
 アメリカ的市場経済に批判的なところもあり、ある程度は佐伯啓思に類似した論調も見られる。
 「腐敗した個人主義」という形容または表現は面白い。利用?したくなる。
 おおむね賛同できるが、「九条の呪い」という表現や叙述は、朝日新聞の若宮啓文等々の「左翼」護憲論者、樋口陽一等々の大多数の憲法学者はとても納得できない、いや、理解できないに違いない。

 最終的には条件つきの楽観視で中西輝政はまとめているが、はたしてこのように楽観視できるだろうか? そのための「絶対条件」は達成できるだろうか? はなはだ心もとない。

 中西輝政は真意を隠してでも多少は煽動的に書く必要もある旨を述べていたことがある(この欄でかつて紹介した)。従って、条件つきの楽観視も、要するに「期待」・「願望」にすぎないのだろう、とは言える。だが、微かな希望でも存在しうると指摘されると、少しは精神衛生にはよいものだ。

1072/米中冷戦時代への突入-中西輝政論考。

 〇大した数を読んではいないが、昨年末に読んだ論壇誌類中の論考の白眉は、月刊WiLL2月号(ワック)の中西輝政「二〇二〇年は日本の時代」(p.30-47)だろう。実質的に巻頭論文であり、表紙でもこのタイトルが最右翼に掲示されている。もっとも、産経新聞を含む大手メディアは無視または軽視するかもしれない。
 「二〇二〇年は日本の時代」は文末の(条件つきの)楽観的予測から取ったものだろうが、内容的には、中西輝政が類似のことも指摘・主張している、月刊正論2月号(産経)中の、「米中対峙最前線という決断」(p.86-)というタイトルの方がよいかもしれない。
 以下は、月刊WiLLの方の要約的紹介。
 ・「非常に優れた保守の論客」との会話で中国の脅威を軽視しているのに驚き、日本の「保守の分岐点」はここにある、と感じた。「中国の脅威をどう考えるか」で保守の立ち位置も極北・極南ほどに離れる(p.30)。
 ・アメリカが日本に及ぼす害悪は日本「文明」に対するものである一方、中国のそれは、日本「国家」の存立を劇的に脅かしている。また、深刻度は同じでも切迫度に大きな差がある。日本の「保守」は「国家の危機」にこそ敏感になるべきだ(p.31)。
 ・近年の中国の軍事・外交動向に欧米諸国は「あらたな国家モデル」の提示と「世界覇権」への意図を感じ取った。多くの途上国は前者に影響を受けている。リビアも「中国モデル」継承者だったが、この国に介入した英米軍等にはそのモデルは「許さない」との意志があった。これは<米中新冷戦>構図の北アフリカ版で、「世界秩序」は歴史的に重大なとば口に立っている。この「中国の脅威」に「世界中で一番鈍感なのは、日本人」だ(p.32-33)。

 ・尖閣事件等々は中国の本質を分からせるに十分だった。「軍部による中国の国家支配がはじまっている」。アメリカ・オバマ大統領の2011.11.16演説は東シナ海・インド洋へと広がる「中国の動きを軍事的に牽制するため」のもの。かかる変化は遅すぎるものだが、「アメリカが中国との対峙を明言」したことは、それだけ「中国の脅威が増した」ことを意味する。「米中は間違いなく、冷戦時代に突入した」(p.34-35)。

 ・日本の政治家・官僚・国民はかかる「歴史の転換」を「正しく感じ取って」いるか。与野党もマスコミも「自らの生活が第一」と、「現状にしがみついて」いるのではないか(p.35-36)。
 ・日本が現状のままで2015年まで推移すれば、日本「国家」の存立自体が「非常に困難な状況に陥る」=「破局が到来する」可能性が大きい。理由はつぎの三つ。  ①財政・経済問題。経済力、世界競争力は凋落したまま。  ②安保・外交。遅くとも2020年代頃に尖閣は中国に奪われているだろう。現状を客観的に見れば、すでに尖閣の実効的支配権は中国が持っているとも言える。現状はすでに「平時」ではないが、日本政府の動きは鈍い。中国を囲むロシアも韓国もアジア諸国も軍備増強させている中で、「中国包囲網」の「もっとも弱い環」は日本だ。中国は当然に日本をターゲットにして包囲網打破を図るが、それは「軍事だけではなく、政治工作や世論工作など、あらゆる手段」を使ったものになろう。  ③「政党構造が融解し、国内政治がまったく機能していないこと」。これの最大の原因は政治家を含む国民全体が「生活が第一」と、「腐敗した個人主義の暴走に身を委ね、民主主義がまったく機能していない」ことだ。
 これで2/3くらいまで。

 〇反米=自立の主張はあってよいが、対中国を含む「反共」を無視・軽視してはならず、むしろ後者をこそ優先すべき旨は、これまで何度も書いてきた。  佐伯啓思の冴えた分析に感心しながらも(最近も読んではいるがこの欄で言及するのは少なくなっている)、なぜこの人は(アメリカまたは近代欧米思想を批判的に語るのに)コミュニズム・共産主義批判または(現存する社会主義国である)中国に対する批判的叙述が乏しいのだろうとも感じてきた。
 反米・自立が達成されたとしても、同時に別の国(中国)に従属した形式的「自立」に変わったのでは元も子もなくなる、とも最近に書いた。
 アメリカは防衛線を東南方向へと移し、朝鮮半島と日本は中国に任せる、従って日米安保条約は廃止される(日本が対中国防衛をするためには自主軍備によることが必要になる)との情報または予測も語られている。
 日々の生活に、それなりの既得権益の維持に、それぞれの国民やマスコミを含む会社・団体が汲々としている間に、日本「国家」自体が消滅する(これは日本の中国の一州・自治州化か北朝鮮の如き中国傀儡政権の日本における誕生を意味する)危機にあるのではないか。
 そのような中国「共産主義」国家の脅威を、中西輝政のように語る論者がもっと増えなければならない。親中・媚中・屈中の朝日新聞や同新聞御用達の大学教授・評論家等に期待できないことだけははっきりしているが。
 中国は「社会主義的市場経済」の国で共産主義国家でもそれを目指す国家でもない、という認識があるとすれば、それは根本的に間違っている。日本共産党・不破哲三が中国を「現存する社会主義国」と見なして中国の今後に期待していること(この欄でいつか触れた)は一つの例証ではあるだろう。
 上の続きの紹介は別の回で試みる。

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