秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2011年12月

1071/岡崎久彦・真の保守とは何か(PHP新書、2010)の一部。

 「保守とは何か」に関する文章・議論を昨今にもいくつか目にした。以下もこれに関係する。
 岡崎久彦・真の保守とは何か(PHP新書、2010.09)は岡崎の2007~2010年のほぼ三年余の間の論考をまとめたもので、最後から二つめの「真の保守とは何か」(初出2010.05.18、新潮45)を読んでいただいても「本書を発刊した目的の半ばは達成された」と思っている、とされる(p.4-5)。
 書名にも採用されたこの論考で、まず注目を惹いた文章は、あえて引用すれば、つぎの二つだ。
 ①「どの程度政府の統制が望ましいか、民営化と政府の統制のどちらがいいかなどということは、どちらが民主主義の正統路線か、あるいは保守の本流であるかというような大きな問題ではない」(p.213-4)。
 ②「真の保守主義は、経済問題ではなく、外交、安保、教育などの面でその真価が発揮されるべきものである」(p.215)。
 これらは適切であるように思われる。基幹産業の全面的国有化を別にすれば、経済政策、あるいは「経済」への国家(政府)関与の程度・形態は、<保守か左翼か>という対立軸で決定されるものではないだろう。「保守」(主義)から見て、郵政民営化の是非が決定されるわけではないし、「規制緩和」の是非も同様だ。

 昨今問題にされているTPP参加問題にしても同様だろう。また、原発政策(推進・維持か廃止・脱か)についても言えるように思われる。現に、これらについて(自称)「保守」論者の中でも対立がある。そしてそれは当然であって、「保守」か否かによって、あるいはいずれが「真の保守」かによって決定される政策問題ではない、と言うべきだろう。
 岡崎の文章の中には、自民党の綱領や主張にも関係する、以下のようなものもある。
 ・小泉・竹中改革には「規制廃止、自由競争原理〔の重視〕」こそ「真の民主主義、保守政党」という主張があるようだが、「特に、郵政民営化」を考えると、日本の従来型制度をバークが批判した「人間の理性、あるいは浅知恵で急速に」変えようとし「すぎたきらい」はなかったか(p.213)。
 ・「経済の自由化」を謳うから「真に保守的」で、「規制を強化」すればただちに「社会主義的」とするのは日本政治では「ほとんど意味がない」(p.215)。
 「しすぎたきらいはなかったか」という郵政民営化に関する抑制的なコメントも含めて、基本的に同感だ。
 全面的な国家計画経済さえ選択しなければ、広義の「自由主義〔市場主義)」の範囲内で経済に対する規制強化も規制緩和もありうる。どの程度が具体的に妥当かどうかは国家によって、時代によって、あるいは経済(産業)分野ごとに異なるもので、一概にに断定できるものではない。そして、これらの問題についての解答選択は、何が「真の保守か」とは関係がない。無理やり、「思想」または「主義」の問題に還元させるのは、無意味な思考作業だろう。
 その他、以下のような岡崎久彦の文章も、読むに値するものだ。
 ・「岸、佐藤、福田の安保優先政策、親韓、親台湾政策に対抗する、経済優先、親中政策」が「保守本流」だとするのは、「高度経済成長の功を全部池田内閣に帰」そうとする、「フィクション」だ。

 ・「自称の保守本流」は「安全保障重視のタカ派保守」に対して自分たちは「経済優先のハト派保守だ」と言いたいのだろうが、もともと「安全保障と経済は対立概念ではない」。これを対立概念のごとく扱ったことから「一九七〇代以降の日本の政治思想の頽廃が起きた」(p.219-220)。
 <経済優先のハト派>が「保守本流」だとの意識・議論が(自民党内に)あったとは十分には知らなかったが(むしろ逆ではないか)、趣旨はよく分かる(つもりだ)。
 では、岡崎にとって「真の保守」とは何か。引用は少なくするが、以下のごとくだ。
 ・「国家、民族と家族を守るのが保守主義である」(p.224)。自民党は、明確な国家意識と家族尊重の姿勢を示し、「外交政策、安保政策、教育政策」をはっきり表明することが、「再生の王道」だ(p.225)。
 ・かかる「真の保守に立ち戻る」のでは「国民の広い支持を得られないという危惧」はあるが、「中間層はいずれにしても大きく揺れる」のであり、「固定層からの確固たる支持票を得ている政党」は強い(p.225)。

 ・「志半ばで病に倒れた安倍政権」の「戦後レジームからの脱却」こそが「保守主義」だ(p.229)。
 岡崎久彦のこの本は菅直人政権発足後、かつ3・11以前に刊行されている。そして、人柄なのかどうか、民主党、あるいは菅政権に対する見方が「甘い」と感じられるところや日本の将来をなおも?楽観視しすぎていると感じられる部分もある。
 だが、基本的には賛同できる内容が多い。
 この欄に書いてきたように、基本的には、「保守」主義とは「反共(反容共)」主義だと思っている。後者は「保守主義」概念のコアではないとの議論がありかつ有力なのだとすれば、「保守」という言葉にこだわるつもりはない。
 この点はともあれ、「保守」=「反共」という理解の仕方と、岡崎久彦の文章は矛盾しているわけではないと考えてよいだろう。

1070/花田紀凱・橋下徹・東谷暁・西部邁(「表現者」)。

 〇前回に続いて花田紀凱の産経新聞連載「週刊誌ウォッチング」に触れると、12/17付(341回)は2011年前半の各月平均雑誌販売部数を紹介している。それによると、以下(100以下四捨五入)。
 ①週刊文春47.7万、②週刊現代38.4万、③週刊新潮38.4万、④週刊ポスト30.3万。
 私は週刊文春よりも同新潮派だったし、週刊現代よりも同ポスト派だったので、世間相場からすると<少数派>であることをあらためて(?)実感する。
 その他では、⑦週刊朝日15.1万、⑨アエラ9.5万、⑩サンデー毎日7.7万。
 これらの中間で経済誌が奮闘?していて、①日経ビジネス23.5万、②プレジデント17.5万、③週刊ダイヤモンド10.5万、④週刊東洋経済7.5万、らしい。
 月刊誌では月刊文藝春秋が42.1万とされる。
 なお、この欄の10/26で触れたが、撃論3号は、月刊WiLLは19万、月刊正論(産経)は実売2万以下、としている。

 〇人口あたりの読者数でいうと、大阪府や大阪市では週刊文春や週刊新潮は全国平均よりは多く読まれたとは思うが、これら二誌の橋下徹批判は選挙結果(当選者)に影響を与えなかった。

 だが、例えば大阪市長選での対立候補は前回よりも絶対得票数は増加させたらしいので、これら二誌の記事や日本共産党を筆頭とする「独裁」批判(あるいは自・民・共の共闘)は、ある程度は効を奏したというべきだろう。換言すれば、これらがなければ、橋下徹と平松某の得票数との間には、もっと差がついていたことになる。
 阿比留瑠比の最近の11/27の
文章(新聞記事に世論・社会を誘導する力はなく、逆に世論・社会の動向が新聞記事に反映されるとかの旨)にもかかわらず、マス・メディアの力を無視・軽視してはいけないと考えられる。書店・キオスク等で並ぶ週刊誌・新聞の表紙・一面等の見出しだけでも<雰囲気>・<イメージ>はある程度は変わる、と言うべきだ。
 〇橋下徹・大阪維新の会の主張・政策を無条件に支持しているわけでは、むろんない。
 <大阪都>構想自体曖昧なところがあるし、また曖昧ではなかったとしても議論・検討の余地は十分にあるものと思われる。<大阪都構想>という語自体にミス・リーディングを生むところがあり、より正確には<新大阪府・市関係構想>(全国一般論でいうと<新都道府県・政令市関係構想>)とでも言うべきなのだろうと思われる。
 また、すでに指摘があるように、大阪都構想は現在の都道府県制度を一つの前提にしているはずなのだが、橋下徹が次の総選挙の争点は<道州制>だ、というのも趣旨がはっきりしない。広域自治体としての都道府県制度を道州制に変えることを目指しているのだとすれば、<大阪都構想>とは矛盾していることになるだろう。
 もっとも、<大阪都構想>を実現したあとで<道州制>を、という時系列的な差異がイメージされているのだとすると、両立しないわけではない。
 だが、ともあれ、橋下徹を公務員労働組合や日教組・全教(教員の職員団体)がそろって攻撃し、労組(・連合)の支持を受けた民主党幹部(の例えば平野博文や輿石東)の橋下対応が他の政党幹部に比べて冷たかった、と報じられているように、橋下徹が反「左翼」の人物・政治家であることは疑いえない。そのことは、訪問先に社民党や日本共産党を選択していないことでも明らかだ。
 また、<地方主権>を謳っていた民主党支持を表明したことがあったり、民主党・小沢一郎と親しそうに?対談をするなど、教条的な<反左翼>主義者でもない柔軟さを持ち合わせていることも肯定的に評価されてよいものだろう(最後の点は無節操・融通無碍と批判する者もいるかもしれないが)。
 〇東谷暁は産経新聞12/14付で「地域独裁がもたらす脅威」と題して、実質的に橋下徹を批判している。あるいは、橋下徹を危険視して警戒すべき旨を書いている。
 東谷暁は、文藝春秋の「坂の上の雲」関係の臨時増刊号で年表作りを「監修」しているなど、器用?な人物だ。
 だが、そのことよりも興味深いのは、東谷暁とは、中島岳志と同じく、西部邁らを顧問とし、西部邁事務所が編集している隔月刊・表現者(ジョルダン)にしばしば登場して執筆している、「西部邁グループ」の一人だと目される、ということだ。
 中島岳志が(一面では朝日新聞・週刊金曜日と関係をもちつつ、「保守」の立場からとして)橋下徹を批判していたことはすでに言及した。
 この中島岳志という得体の知れない人物と同じく、東谷暁もまた橋下徹を(少なくとも)支持・歓迎できないことを明瞭に述べているわけだ。
 雑誌「表現者」または「西部邁グループ」は<保守か?>と題した文章を書いたことがたぶん数回あるだろう。
 あらためて思わざるをえない。雑誌「表現者」グループは(佐伯啓思も一員のようだが)はたして<保守なのか?>、と。
 西部邁はかつて共産党宣言を読むこともなく、東京大学入学後にすみやかに日本共産党入党を申込みに行ったらしい。
 そんなことは関係がないとしても、一般論として言うのだが、「保守主義」に関する知識を十分にもち、「保守」思想を上手に語れる<左翼>もいる、と考えておかねばならない。
 かつてコミンテルンのスパイだった者、あるいは二重スパイと言われたような者たちは、コミュニズムを信奉しつつも、その他の種々の思想・主義・考え方にも通暁していたものと思われる。
 だからこそ、相手にコミュニスト(共産主義者)だと微塵も気づかれることなく接近し、信頼を獲得でき、情報を入手・収集できたのだ。
 似たようなことは、現代の日本でも生じている、行われているはずだ。西部邁グループについて断定するつもりはないが、警戒・用心しておくにこしたことはない。

1069/花田紀凱・三重博一(新潮45)と大阪市長選・橋下徹

 〇週刊新潮(新潮社)と週刊文春(文藝春秋)がともに二週続けて、橋下徹の個人攻撃記事を載せたのは、10月下旬・11月上旬だった(11/03号、11/10号)。
 この連載を疑問視したのは、産経新聞紙上での花田紀凱「週刊誌ウォッチング」の連載で、花田の正当な感覚はきちんと記録され、記憶されてよいと思われる。
 花田紀凱は産経10/29付で「なぜ今?橋下徹大阪府知事の出問題特集」と題して、こう書いた。
 「『週刊文春』と『週刊新潮』(ともに11月3日号)が揃(そろ)って橋下徹大阪府知事の出自の問題を特集している。…/両誌ともほとんど同じ内容で、…というもの。/これまで書かれなかった出自のことが、なぜ今? なぜこのタイミングで?/府知事辞任、市長選出馬表明というこの時期を考えると、明らかにネガティブキャンペーンの一環としか見えないだいたい橋下知事の出自を問題にすることに何の意味があるのか。/しかも、この件は両誌に先行して『新潮45』11月号で、…ノンフィクション作家、上原善広氏がレポートしているのだ。/月刊誌署名記事の後追いという形でしか記事にできなかったところに週刊誌ジャーナリズムの衰弱を感じる。『文春』が上原レポートに一切触れていないのはフェアじゃない。…/両誌とも後味が極めてよくない。」

 花田は11/12付でもとくに週刊新潮を疑問視し、選挙後の12/03付でも、「未練がましく」橋下徹批判を続ける週刊新潮(12/08号)を皮肉っている。
 産経新聞その他の活字メディアは両週刊誌の(選挙直前の)報道ぶり・記事作りを明示的には何ら問題視せず、産経新聞ですら、対橋下「反独裁」キャンペーンに影響を受けた見出し・記事作りをしていたのだから、花田紀凱のジャーナリストとしての感覚は相当に鋭く、かつ、まっとうだ。マスコミにあった特定の雰囲気(空気)の中で、勇気があった、とも言える。
 〇情けなく、そしてヒドいのはとくに週刊新潮と新潮45(新潮社)だ。

 なかでも新潮45の12月号の「記者匿名座談会」(p.239-)は、いつか言及したマスコミ関係者の「うけねらい」意識を露骨に示している。「匿名」の内輪話?として、以下のようなことが活字にされている。
 ①新潮45の11月号は「増刷」になったので「乾杯」。②橋下徹伝は読ませた。③週刊新潮と週刊文春は「大特集ですぐに続いた」、「週刊誌らしい熱狂を久々に見た」、④だが、テレビのワイドショーは続かず、新聞も似たようなもの。⑤「橋下特集で『45』が増刷になったことを取り上げた新聞・テレビさえ、ほとんどなかった」。
 ①は「雑誌」記者らしいので、月刊新潮45の記者または編集長そのものの言葉だろう。「増刷」を他愛なく喜んでいるのだ。また、③・④のような<恨み節>を語らせて活字にしているのも、異様な感覚だろうと思われる。
 こんなことを語るか、語らせている新潮45の「編集兼発行者」・三重博一という人物は、(正義とか善とかにまるで関係なく)<売れればよい>・「うければよい」と考えていることを恥じも外聞もなく吐露している。新潮社にこんなことを明言してしまう編集者がいることは怖ろしいことだ。

 このような雑誌作りをしても、次号以降が従来よりも売れなかったら、一年・二年と長期的に見るとマイナスになるだろう。一冊の(一時的な?)「増刷」によって、「乾杯」と活字に残すほど喜んでいるとは驚いた。
 明確な政治的信条をもって、断固として橋下徹の市長選当選を阻止する方向で誌面作りをするのも一つの立場ではあろう。
 だが、上の座談会では、橋下が負けた場合は「半生記」を出せばよい、当選したら「ザ・ラストメイヤー(市長)」を書いてもらえる、などという無責任な発言を掲載しているくらいだから(p.240-241)、朝日新聞や岩波書店(の編集者)ほどの<信条>にもとづく橋下徹批判特集連載でもなかったようだ。
 要するに、<うけて>・<話題になる>、そして売れればよかったのだ。
 こんないいかげんな雑誌・出版社は「後味が悪い」(花田)し、気持ちが悪い。
 〇東谷暁は産経12/14付に、橋下徹批判(・警戒)と明確に読める一文を載せている。同日の遠藤浩一の「正論」は大阪市長選にも言及しているが、こちらはほとんど違和感なく読める。

 なお、櫻井よしこは週刊新潮誌上での連載や産経新聞紙上の「首相にもの申す」欄等で橋下徹(または大阪、「維新の会」)に論及する機会が最近にいくらでもあったと思われるにもかかわらず、いっさい触れていない。
 櫻井よしこは「日和見」していて、橋下徹に対する評価・判断をまだ下していないのだろう。この人の政治的感覚は、残念ながら(惜しいことに)信頼できない場合がある。
 以上の三点(三人)については、機会があれば、再び言及する。

1068/新潮社(新潮45)・野田正彰・三重博一と2011大阪市長選。

 一地方自治体の首長選挙であるにもかかわらず、月刊・新潮45(新潮社)は、特定の候補(またはその予定者)の批判(・攻撃)を特集として二号続けた。このこと自体がすでにいぶかしげに感じさせるものだが、内容もヒドかった。
 橋下徹が当選したからよかったものの、同候補が僅差ででも敗れて、その原因が新潮45や週刊新潮(新潮社)等(・「バカ文春」)の記事にあった可能性があるという総括または分析が出ていたとすると、今回の新潮社(の一部?)の編集方針は、マスコミ史に残る<大スキャンダル>として記憶され続けることになったのではなかろうか。<出自>を問題にしたマスメディアが選挙結果に与えたことになってしまっていた可能性があるのだ(これはじつに深刻な問題で、マスコミ関係者はもっと議論・総括すべきだ)。
 週刊文春よりは週刊新潮を(そして週刊現代よりは週刊ポストを)しばしば読んできたが、また、佐伯啓思の連載が始まった以降に新潮45にも目を通すようになったが、本来は文芸中心のはずのこの出版社に対する態度・評価は改めなければならないと思っている。
 以下は、断片的な覚え書きの一つ。
 月刊・新潮45の12月号(2011.11)には、野田正彰「前大阪府知事はやっぱり『病気』である」が掲載されている(p.26-)。
 野田正彰によると、橋下徹は「演技性人格障害」という病気に罹患しているらしい。そして、野田は言う。
 「演技性人格障害者だからといって、個人として非難ざれべきだ」とは言わない。だが、「この様な人が大阪府や大阪市の政治をもてあそび、独裁宣言までして破壊しようとしている」。このような人格(障害者)が「政治や司法の場で活動してはならない」。私たちはそれに気づく必要があるから、「あえて書いている」のだ(p.30)。

 野田は「司法」まで持ち出している。橋下徹の弁護士としての活動資格についても疑問視(または否定)しているようだが、この点は、さて措く。
 上の文章で呆れてしまうのは、長々と橋下の「人格」分析をして病名を「発見」したあとで、橋下徹について、「大阪府や大阪市の政治をもてあそび、独裁宣言までして破壊しようとしている」という短い一文だけでまとめてしまっていることだ。
 「…の政治をもてあそび」とは具体的に何を言うのか、もっと具体的かつ詳細な叙述がないと、まるで説得力はない。
 また、「独裁宣言までして」と書いているが、橋下の<独裁>宣言なるものの全文を正確に読んだ(聞いた)上でこう書いているのか、きわめて疑わしい。
 特定の政治的な判断(投票・選挙)がなされる前に、かつそのような政治的行動に関係し、影響を与える可能性のある文章を、いや正確に言えば影響を与えることを意図した文章を、日本全国で販売される月刊誌の一つに執筆することは、相当に「勇気」の要ることだ。
 そのような「勇気」をもって書かれた文章が、要するに人格障害者が「大阪府や大阪市の政治をもてあそび、独裁宣言までして破壊しようとしている」、というだけの内容であるとは情けない。
 上のような政治的意図をもつ上のような程度の文章を月刊雑誌にあえて執筆して、読者の政治的判断を特定方向に誘導しようとしてすることは、専門家ではないから正確な病名は分からないが、まさに精神的・人格的「病気」だ、というにふさわしい。
 上掲雑誌に記載されていないが、ネット情報によると、野田正彰は関西学院大学教授で、国歌(君が代)斉唱にかかわる東京都教員が原告の訴訟で原告側に立って、原告らは「君が代症候群」といえる精神的苦痛を受けていると証言したらしい。
 また、野田正彰は、<念仏者九条の会>(「本願寺九条の会」の改称)の呼びかけ人の一人で、「自衛隊はインド洋やイラクに派兵され、すでに解釈『改憲』によって憲法は死に体に近い状態です。……憲法第九条の改悪に反対の声を上げます」なとという文章を発表している。
 <医療九条の会>や<山形県九条連>などで講演したりもしている。
 一部にすぎないだろうが、野田正彰とは、かくのごとくれっきとした「左翼」(かつ少なくとも親日本共産党)の立場の人物なのだ。
 専門家ぶって人格分析などと<工夫>してはいるが、野田正彰の橋下攻撃の根っこには、<反・反共>主義(という一種の「思想の病気」)があることが透けてみえる。
 このような人物の文章を掲載する新潮45の編集者(編集兼発行者は三重博一)の愚かさについては、また書くことがあるだろう。

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