秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2011/03

1002/大地震・大津波後2週間余-風土と思想、朝日新聞と岩波。

 〇レマン湖畔生まれのJ・J・ルソーは地中海や大西洋を見たことがあるだろうか。あったとしても、津波を知らず、大地震を経験したこともなかっただろう。

 マルクス、エンゲルスも同様。彼らに限らず、スコットランドのアダム・スミスもエドマンド・バークも(コウクも)、ドイツのヘーゲルやカントも、オーストリア(出身)のケルゼンもハイエクも、大地震や津波を経験することなく、これらによって不意に多数の人々が生命を喪うことがあることを知らないままで「思考」しただろう。

 農耕民族と狩猟民族という対比のほかに、相対的には日本の方が温暖で、欧州は(イタリア南部等を除いて)日本人な感覚では寒冷地だということも日本と欧州の差異として指摘しうるだろう。この後者は、日本の自然の方が恵まれている、という趣旨でも指摘されてきた。四季があり、美しい山と平地と海とを一箇所からでも望見できることは、日本の誇りでもある(あった)だろう。

 だが、地震と津波をおそらく全く(またはほとんど?)経験することのない欧州人と、何十年かに一度はそうした自然の「襲撃」を受けてきた日本人とでは、寒冷地と温暖地という差異も含めて、自然観、死生観、人間観、そして宗教や「思想」が異なって当たり前だと思える。

 いかに魅力的な?「欧州近代」の思想も理念も、そのままでは絶対に日本に根付くことはないと思われる。「日本化」されて吸収されてこそ、あるいは吸収されたのちに「日本」的な変容をうけてはじめて、日本と日本人のものになる、というべきだろう。
 「風土」は<思想>(や<宗教>)と無関係ではない。それぞれの「風土」ごとに<思想>や<宗教>は成り立つ、というべきだろう。
 というような、当たり前のことかもしれないことを昨今、感じている。欧州産の「思想」を理解した気分になって<偉そうに>日本(・日本人)への適用を説くエセ知識人、日本人ではなくなっている(とくに人文・社会系の)学者・研究者たちを、軽蔑しなければならない。(かつてはマルクスが…、ルソーが…、)ルーマンが…、ハーバーマスが…、レヴィ=ストロースが…などとさかんに言っているような人々は、「日本」と「日本人」をいかほど理解しているのだろうか。日本国憲法もまた「欧州近代」の思想・理念を継受して(によって作られていて)いるが、その憲法を欧米の思想・理念・原理によってのみ理解する日本の憲法学者は、はたして「日本人」だろうか。

 〇大震災・原発問題を表紙とする雑誌・週刊誌類に混じって、「日本破壊計画」と銘打った週刊朝日増刊・朝日ジャーナル2011.03.09号(朝日新聞出版)が書店に並んでいるのを見て、朝日新聞が進めている「日本破壊計画」がまさに実現しているようで、ゾッとする。この時点で、「日本破壊計画」を特集する週刊朝日増刊を出版するとは…。

 むろん偶然ではあろう。「左翼」政治活動家・編集長の山口一臣は巻頭言は、今の日本にある「アンシャン・レジーム」を解体・破壊せよとの旨を書いているが、じつに興味深い倒錯が(やはり)見られる。戦後「平和と民主主義」のもとで日本国憲法を戴きつつ「アンシャン・レジーム」を形成・維持してきた中心にあったのは、朝日新聞(社)そのものではないか。また、「アンシャン・レジーム」というフランス革命時代に愛用された語を使っていることも、山口一臣の「革命」願望を示しているに違いない。

 これまた偶然だろうが、月刊世界の別冊-2011年819号(岩波)も並んでいて、「新冷戦ではなく、共存共生の東アジアを」という大きな見出しを表紙に掲げている。掲載されているシンポジウムのテーマは「2050年のアジア―国家主義を超えて」(日本側の基調報告者は東京大学名誉教授・坂本義和。また東京大学だ)。
 尖閣問題のあとでなお「共存共生の東アジアを」と叫びつづけるとは、さすがに朝日新聞とともに「左翼(・反日)」の軸にある岩波書店、というべきだ。「国家主義」が(厳密にどう定義・理解されているのか読んでいないが)<悪>として描かれているのも、相変わらずの<反ナショナリズム>(「ナショナル」なものの否定)を明瞭にしていてうんざりする。
 大手メディアはきちんとは報道していないようだが、自衛隊とともに在日米軍は被災地で奮闘してくれてくれているようだ。
 一方、「東アジア」の中国が日本に派遣したのは東南アジアの小?国と同程度の15人らしい。これで反米・非米の「共存共生の東アジアを」と叫んでいるのだから、異様な感覚だ。今さら指摘するまでもないのだが。
 〇月刊WiLL5月号(ワック)に掲載の諸氏の「東北関東大震災/私はこう考えた」の文章のうち、(全部読んだわけではないが)最も印象に残ったのは、つぎの西部邁の文章だ(なお、西部邁を<保守>派の第一位と位置づけているわけではない)。
 「この大震災は日本国家の沈没を告げる合図だ、と感じないほうが不思議といってよい」(p.50)。
 そのような「合図」に少なくとも結果としてはなったと、後世の「日本」史学者あるいは世界の歴史家が叙述しない、という保障はまっくないだろう。西部邁はこう続けている-「そのことについての率直な感想が、どのTVのどの番組においても、ただの一言もなかったのである」。
 西尾幹二らも、また別に山際澄夫「国難を延命に利用/菅総理の卑しい魂胆」(p.233-)も縷々指摘していることだが、「戦後」のなれの果ての、「左翼」民主党政権下で大震災を被ってしまったことは、なんという悲痛なことだろう。

1001/読書メモ-2011年3月。竹田恒泰、池田信夫ら。

 〇先月下旬に竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を読み了えているが、第一に、それぞれの「人気がある」理由を近年の(あるいは戦後の)日本は失ってきているのではないか、との旨の指摘の方をむしろ深刻に受けとめる必要があるかもしれない。

 第二に、最後(巻末対談)の北野武との対談で、北野武は、テレビではあまり感じないが、明確に<反左翼>・<ナショナリスト>であることが分かる。
 〇池田信夫・ハイエク―知識社会の自由主義(PHP新書、2008)を、今月中の、これに言及した日以降のいずれかに、全読了。一冊の新書でこれだけの内容を書けるというのは、池田はかなりの知識・素養と能力をもつ人だと感じる。ハイエク「自由主義」とインターネット社会を関連づけて論じているのも興味深い。本文最後の文章は-「われわれはハイエクほど素朴に自生的秩序の勝利を信じることはできないが、おそらくそれが成立するよう努力する以外に選択肢はないだろう」(p.200)。

 また、池田によると、例えば、ハイエクは英国の労働党よりは保守党に「近い」が、既得権擁護傾向の強い保守党に「必ずしも賛成していない」。むしろ保守党の「ナショナリズム的なバイアス」には批判的だった、という(かなり簡潔化。p.103)。こういった関心を惹く指摘は随所にある。

 〇中川八洋・国が亡びる―教育・家族・国家の自壊(徳間書店、1997)を先日に全読了。220頁余のこの本は、日本の亡国を憂う<保守派>の必読文献ではないか。

 「男女対等(…共同参画)」とか「地方分権」とか、一見反対しづらいようなスローガン・主張の中に、<左翼>あるいは<共産主義(・社会主義)>イデオロギーは紛れ込んでいる、そして日本の(自称)<保守派>のすべてがこのことを認識しているわけではない、という旨の指摘は重要だろう。

 思想・精神・徳性の堕落・劣化・弱体化もさることながら、「想定を超える」大震災に遭遇すると、日本は<物理的・自然的>にも<自壊>してしまうのではないか、とすら感じて恐れてしまうのだが…。
 〇高山正之・日本人の目を覚ます痛快35章(テーミス、2010)をかなり読む。月刊テーミスでの連載をテーマ別に再構成してまとめたもの。

 第一章・日本を貶める朝日新聞の報道姿勢
 第二章・大江健三郎朝日新聞の奇妙な連携
 第三章・卑屈で浅薄な大学教授を叩き出せ
 第四章・米国には仁義も友情もないと知れ
 第三章の中の一文章(節)のタイトルは「朝日新聞のウケを狙う亡国学者&政治家の罪」(p.109)。
 この部分から列挙されるものに限っての「卑屈で浅薄な大学教授」らは次のとおり。倉石武四郎(東京大学)、船橋洋一(朝日新聞)、後藤乾一(早稲田大学)、青木正児、園部逸夫(元成蹊大学・最高裁判事)、門奈直樹(立教大学)、大江志乃夫、倉沢愛子(慶應大学)、家永三郎、染谷芳秀(慶應大学)、小島朋之(慶應大学)、明日香寿川(東北大学)。

 真否をすべて確認してはいないが、ご存知の教授たちもいる。それはともかく、この章の最後の文章(節)のタイトルは「文科省が任命し続ける『中国擁護』の大学教授―『日本は加害者だ』と朝日新聞のような主張をする外人教授たち」だ。

 この中に「問題は元中国人がそんな名で教授になることを許した文科省にもある」との一文もある。
 少し誤解があるようだ。大学教授の任命権は文科省(・文科大臣)にあるのではない。旧国立大学については最終的・形式的には文科大臣(文部大臣)が任用・昇任の発令をしていたが、それは各大学の、実質的には関係学部の教授会の「決定」にもとづくもので、実際上、文科大臣・文部大臣(文科省・文部省)に任命権があるわけではない。実質的にもそれを認めれば(例えば「内申」を拒否することを文科省側に認めれば)、<大学の自治>(・<学問の自由>)の侵害として大騒ぎになるだろう。

 旧国立大学においてすらそうなのだから(国立大学法人である現国立大学では学長に発令権が移っているはずだ)、私立大学や公立大学の人事(教授採用・昇格等々)について文科省(同大臣)は個別的にはいかなる権限もない。残念ながら?、文科省を批難することはできず、各大学、そして実質的には問題の?教授等が所属する学部(研究科)の教授会(その多数派構成員)をこそが批難されるべきなのだ。

 〇久しぶりに、小林よしのりの本、小林よしのり・本家ゴーマニズム宣言(ワック、2010)を入手して、少し読む。五木寛之・人間の覚悟(新潮新書、2008)も少し読む。いずれについても書いてみたいことはあるが、すでに長くなったので、今回は省略。

1000/菅直人内閣は「ある程度、落ち着いたところで」総辞職せよ。

 ・この欄1/27に紹介したが、今年1月中に執筆したとみられる屋山太郎月刊WiLL3月号(ワック、2011)の連載で屋山はこう書いていた。
  「…総選挙をやって、自民党が政権を取れば、ましな政府ができるのか。…自民党は国民から見離されて大敗し、野党に転落したのである。一年四ヶ月の間に、大いに反省して生まれ変わったという証拠もない。/一方、『解散しろ』という建前論に従って、民主党が大敗必至の総選挙に打って出るわけがない。…」(p.22)。
 屋山太郎は、しかし、2カ月ほどのちの 産経新聞3/15付「正論」欄でこう書く。
 「民主党の命脈は6月までと考えていた。…失政で政局は行き詰まり、菅直人首相は総選挙を打つ構えだった」。
 解散・総選挙をすべきではないし、するはずもないという趣旨の1月(菅直人改造内閣発足後)から3月半ばまでの間に、屋山の認識・見解を変えさせるような何があったのか?

 屋山の論述は、こうつづく。
 「菅氏のこれまでの政治には全く不満だが、当分この人物に大仕事を任せるしかない」。「非常時だから解散は求めない。その代わり…間違った路線の転換も同時並行的に進めなければならない」。
 「間違った路線」とは、屋山にとってはまずは公務員制度改革の懈怠にあるのだろうから、この点でもじつは「お笑い」(重点・優先順序の判断の誤り)だ。だが、それよりも、屋山太郎は「菅氏のこれまでの政治には全く不満」だと言いつつも、「国民から見離されて大敗」した「自民党が政権を取」るよりは<マシ>だと考えていたのだろう。その旨が、この3/15付文章では伝わってこない。

 また、「非常時だから解散は求めない」と書くが、それでは、「非常時」ではなかったら、屋山太郎は「解散」を求めたのか? 1月には「『解散しろ』という建前論に従って、民主党が大敗必至の総選挙に打って出るわけがない」と書いていたにもかかわらず、3/15付では「民主党の命脈は6月までと考えていた。…」と書いている。

 この人の頭の中には、どこかに誤魔化し、自己撞着があるかに見える。結局のところ、「非常時だから解散は求めない」というあたりで後づけ的に自己の見解の矛盾を隠蔽しているかに見える。

 このような感覚は、つぎの東京大学教授・御厨貴のそれと大きくは異なっていないようだ。御厨はむろん<保守派>ではない、<親民主党>のイデオローグ(デマゴーグ)だ。

 ・朝日新聞3/17付で御厨貴はこう発言している。

 「あの日、大きな揺れに立ちつくしながら思ったのは、『これで菅直人政権は続く』だった。政治休戦は当然だ。…野党が与党の足を引っ張ることは許されない」。
 とりわけ今回の大震災の被災者には、とくに上の太字部分の、東京大学現役教授の言葉をしかと憶えておいていただきたい。

 ・しかし、こんな見解もある。産経新聞3/16付「正論」欄で、佐々淳行はこう書く。
 「野党の良識ある『政治休戦』で、土肥隆一…の…も、菅首相の…献金問題も吹き飛んだ感があり、『これで菅政権の寿命が延びた』との声もあるが、とんでもない話だ。菅氏は、ある程度、落ち着いたところで、東日本大震災の危機管理の失敗の責任を取って、総辞職すべきである」。

 「『これで菅政権の寿命が延びた』との声」の中には、屋山太郎や御厨貴の<便乗的>な声も実質的・結果的には含まれているのではないか。

 「東日本大震災の危機管理」の実態についてはなおも検証が必要かもしれない。しかし、大震災以前の政治的問題が消えてしまったと考えるのは、むろん誤りだ。
 どのような時点で「ある程度、落ち着いた」と言えるかはむつかしいかもしれない。しかし、佐々淳行の言っていることはまさに「正論」だろう。

 ・それにしても、村山富市社会党委員長が首相になった翌年に1995年の阪神淡路大震災は起きた。自民党所属の経験のない、かつ与党に自民党がいない初めての首相である菅直人政権発足の翌年に今回の大震災は起きた。

 理性的・合理的ではないことはよく分かっているつもりだが、これははたして偶然なのか?

 被災者から見れば不適切な発言なのだろうが、石原慎太郎東京都知事が言ったという<日本に対する天罰>というのは、当たっているような気もする。日本人の「我欲」(戦後「個人主義」→エゴイストの大群の発生)が原因であるとともに、<左翼化>する日本に対する大自然の<警告>なのではないか。

 週刊新潮3/24号の連載記事を、高山正之はこう締め括っている。
 「二昔前の村山富市政権…。/今回の菅政権…。/単なる偶然とも思えない。罪深い政権はもうこれきりにしろという暗示か」(p.154)。

 上の「正論」中で、佐々淳行は、より合理的に、湾岸戦争(海部俊樹首相)、サリン事件(村山富市首相)も含めてこう書いている。心して記憶しておいてよいものと思われる。

 「…のように、弱い首相の時に、大事件が起きるという危機管理ジンクスがまたまた当たってしまった」。

0999/アメリカ建国の理念とは-佐々木類(産経新聞)・佐伯啓思・中川八洋における。

 一 A 産経新聞アメリカ支局長・佐々木類は産経1/16付紙面で、「同盟深化に米建国の理念理解を」と題して、米国での銃規制の困難さにも関連させて、こう書いていた。

 「書生っぽいことをいえば、ロックが1676年に『統治二論』で著した社会契約説が、100年後に米国建国という形で具体的な姿を現した。ロックは、人間が自分を守る権利と労働の結果生まれた私有財産は人民の契約に基づいて国家が作られる前からあった『自然権』だとし、国家権力がこれに干渉してはならないと定義した。/この精神を引き継いだ英国の植民地人、つまり、米国人らが、自分たちの意向を無視して証書や新聞などに印紙を貼らす印紙税や茶に課税する英国に対し、『代表なくして課税なし』と立ち上がり、独立戦争に突き進んだのである」。
 B 佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010)は、「アメリカの建国の精神」について、こう書く。

 ・「ジェファーソンの『独立宣言』に見られるように、「生命」「自由」「幸福の追求」を万人に平等に与えられた普遍的価値とみなしている」。
 ・「このアメリカ建国の精神である、強くて自由な個人、民主主義、個人の能力主義と競争原理などの価値へと『復帰』することは、アメリカにおいては『保守主義』ということになる」。
 ・「これは本来のイギリス流の保守主義とかなり異なっている。……アメリカ独立が…イギリスの伝統的国家体制への反逆であり、王権からの分離独立であることに留意すれば、アメリカの建国それ自体が、イギリスからすれば自由主義的な革新的運動であった」。アメリカ建国には「進歩主義」の理念が色濃く、「アメリカ流保守主義」は「いささか倒錯的なことに」すでに「『進歩主義』に染め上げられている」(p.188-9)。
 C 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は、「米国の建国」について、つぎのように言及する。

 ・「サッチャー保守主義の原点」にはバークがあるが、その基底で「ヴィクトリア女王時代の栄光の大英帝国」を崇敬していた。これは、「ジョージ・ワシントンやアレクザンダー・ハミルトンが米国の建国に当たって、エリザベス女王時代の…あとの頃一六〇〇年代初頭の…古き英国をイメージして、理想の新生国家・米国を建設したのと似ている」(p.233)。
 二 さて、米国建設の理念・イメージがかくも異なって叙述されることにまずは止目されるべきだろう。

 中川八洋はアメリカの対英「独立」の理念と一三州統合しての「建国」の理念とは区別すべしと別の著で説いており、上で挙げるハミルトンらは英国「保守主義」と基本的に異ならない「建国」の理念提示者として叙述されていると見られる。

 これに対して佐伯啓思はジェファーソンの名を挙げて対英「独立」の理念に着目しているようだ。

 かかる違いはあるとはいえ、基本的に英国「保守主義」を継承したと捉える中川と、米国の「保守主義」は英国のそれから見ると「進歩主義」だとの見解を示す佐伯啓思とは、やはり同じことを述べているとは、同様に理解されているとは、理解できない。

 アメリカ「建国」の理念も、論者により、あるいは論じられる脈絡との関係により、異なって語られうることは、知的関心を惹く、興味深いことだ。これは、アメリカを理解するうえで、そして<日米同盟>を語る場合の、決して「知的」関心の対象にとどまらない問題でもあろう。

 これに対して、佐々木類の「書生っぽい」叙述は、上の二人の学者とはやはり異なり、通俗的だ。要するに、<欧米近代>を一色で見ている。英米の違いはもちろんのこと、英・仏間にある大きな違いを見ることもしていない。ロックの「社会契約説」を挙げていることからすると、米国独立戦争前のルソーの『社会契約論』(1762)も、米国の国家理念と矛盾していないと理解されているのだろう。

 怖ろしいのは、「書生っぽい」、あるいは高校の社会科教科書を真面目に勉強したような<欧州近代>の理解でもって、欧米諸国(の建国理念・歴史等)を単純に捉えてしまうことだと思われる。

 そこには、今日ではすでに自国ですら疑念が提起されている、かつての通説的な「フランス革命」の(美化的)理解を疑いもしない、かつての「書生っぽい」認識も含まれる。ルソーもフランス革命も、さらには<欧州近代>(ロックを含む)そのものも、日本の<保守派>ならば「懐疑」の対象にしなければならないのではないか。
 ちなみに、中川八洋に全面的に賛同するつもりはないし、評価する資格もないが、中川によるとロックはホッブズ(中川のいう有害な思想家)の影響を強く受けており、ハイエクは英国名誉革命に関するヒュームとロックの議論を対比してヒューム(中川のいう有益な思想家)に軍配を上げた、という。またヒュームは(中川も)ロック、ルソーの「社会契約説」に批判的だ(下掲書p.320-1)。但し、全体としては、中川八洋は、ロックを、モンテスキュー、パスカル、ショーペンハウエル、カントとともに(いずれかに傾斜しているとしつつも)「有益」、「有害」それぞれ31名の思想家リスト(p.384-5)の中には含めず、「双方の中間」と位置づけている(中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)p.388)。

0998/民主党・長妻昭の「無能」さと中川八洋による「子ども手当」批判。

 〇桝添要一は半年ほど前のテレビ番組で、長妻昭(民主党・前厚労大臣)を「無能です」と一口で切って捨てていた。

 長妻昭が大臣時代に、年金切替忘れの専業主婦を「救済」する方針が決定され、課長「通達(通知)」でもって今年から実施された。

 近日において、民主党内閣(細川厚労大臣)はこれを「違法」ではないが「不適切」だったとし、当該課長を官房付に「更迭」したと伝えられる。

 長妻昭は課長「通達」で済ますことの問題性を何ら認識していなかったようだ。ほとんど誰もその点を問題にしなかった旨を他人事のように述べていた。当該課長が「更迭」されるという<行政>的責任をとったとすれば、大臣だった長妻はどう<政治的>責任をとるつもりか?

 日本経済新聞の政治・行政担当の記者の経験もあるらしい長妻昭は、やはり「無能」なのではないか。かつて政治・行政担当の新聞記者であっても、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいか、という問題意識すらなかったようなのだから、行政担当の政治家としては「無能」と断言してよい。長妻に期待を寄せていた者もいるのだろうが、そのような人々も「無能」なのだろう。かつての新聞記者というのはこの程度だ(という者も多い)、ということもよく分かる。
 「違法」か「不適切」かはじつは重大な違いがある。特定範囲の在日外国人に対しても日本国民(国籍保持者)と同様の生活保護措置が執られることは、関係公務員(自治体も当然に含む)なら誰でも知っているだろうが、自民党内閣時代からの、古い、<生活保護法を……に準用する>旨の一片の「通達(通知)」にもとづいているにすぎない。このような例も含めて、国会では、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいかを論議してほしいものだ。

 〇上の「救済」策は、忘却した直接の当事者に対しては、一種の「バラまき」にあたる。

 民主党は少子化対策とか景気浮揚の経済政策とか言っているようだが、<子ども手当>施策には「バラまき」との批判も強い。

 だが、「バラまき」福祉という批判だけではこの施策の本質を見抜いていない、という重要な指摘を中川八洋はしている(中川に限らないだろうが、ここでは中川の文章をとり挙げる)。中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)によると、以下のとおり。

 ・「子ども手当」等の「子育て」支援はマルクス=エンゲルス『共産党宣言』(1848)を教典とするカルト信仰からの思いつきで、「日本人から家族をとりあげ『家族のない社会』に改造する」ためのステップだ。共産党宣言にはこうある-「家族の廃止!……我々は両親の小児に対する搾取を廃止しようとする。〔親による教育の禁止は〕……〔子どもの〕教育を支配階級の影響からひき離すにすぎない」(p.14)。

 ・「子育て支援」とは<国家こそが子育ての主体>、<親は産んだ瞬間に役割を終える>等の狂気のイデオロギーによる共産党の造語だ。かかる施策が立法・行政に闖入したのは「自由社会では日本のたった一カ国」。類似の政策は①レーニンによる家族解体の狂策(但し1936年頃廃止)、②金日成・北朝鮮の「子供の国家管理」の制度化(p.16)。

 ・「子育て支援」施策の異様さは「扶養控除」の廃止と連結していることで分かる。「扶養控除」は<親が子供を育てる>を大前提として、親に対して国家が減税により若干の協力をしようとするもの。一方の「子育て支援」思想は「家族=孤児院」とするイデオロギーだ。子供=孤児、親=孤児院の経営者に見立てている(p.17)。

 ・「子育て支援」の狂気は、ルソー(重度精神分裂症者・孤児)の『人間不平等起源論』・『エミール』を教典とし、それを盗作的に要約したマルクスら『共産党宣言』にもとづき、レーニンが実行したおぞましい歴史を21世紀の日本で再現しようとするもの。民主党のマニフェストの「子ども手当」の背後思想は日本共産党により大量出版された「子育て支援」文献を援用しており、民主党は「共産党のクローン」になっている(p.17-18)。

 まだまだ続くが、ここで止めておく。

 民主党の元来の「子ども手当」の思想は<所得制限>といったものに馴染まない(だからこそ結果としては一貫して所得制限は導入されていない)。両親の収入の多寡に応じた「社会福祉」という国家の<援助>とは異なる。「国家」こそが「子育て」の主体(子どもを家族・両親から早期に切り離す)というイデオロギーに支えられたワン・ステップ(一里塚)と位置づけられている、と考えられる。中川八洋の指摘は決して大げさなものとは思えない。

0997/中川八洋・国が滅びる(徳間書店、1997)の「教育」篇。

 一 たしか西尾幹二が書いていたところによると、日本の「社会学」は圧倒的にマルクス主義の影響下にあるらしい。歴史学(とくに日本近現代史)も同様と見られるが、「教育学」もまた<左翼>・マルクス主義によって強く支配されていることは、月刊諸君!、月刊正論に<革新幻想の…>を連載している竹内洋によっても指摘されている。戦後当初の東京大学教育学部の「赤い」3Mとかにも論及があったが振りかえらない。狭義の「文学畑」ではない<文学部>分野および<教育学部>分野には(にも?)、広くマルクス主義(とその亜流)は浸透しているわけだ。
 二 中川八洋・国が滅びる―教育・家族・国家の自壊(徳間書店、1997)p.48-によると、日本の「狂った学校教育」は、①「反日」教育、②「人権」教育(「人間の高貴性や道徳」の否定)、③「平等」教育(「勤勉や努力」の否定・「卑しい嫉妬心」の正当化)、を意味する。

 生存・労働権を中核とする「人権」のドグマは人間を「動物視」・「奴隷視」する考えを基底にもち、ロシア革命後にも人間の「ロボット」改造化が処刑の恐怖(テロル)のもとで進められた。さらに、「人権」のドグマは、①地球上の人間を平等に扱うがゆえに「民族固有の歴史・伝統・祖先」をもつことを否定し、②「善悪(正邪)の峻別を原点とする道徳律や自生的な社会規範」を否定する(p.50-52)。

 ①の魔毒は「反日キャンペーン」となり、日本国民ではなく「地球人」・「地球市民」に子供たちを改造しようとする。②の魔毒は「生存」の絶対視を前提として「どんな悪逆な殺人者に対する死刑の制度」も許さず、殺された被害者は「すでに生存していない」ので「人権」の対象から除外される。「人権」派弁護士とは生存する犯罪者に動物的「生存」を享受させようとする「人格破綻者」だ(p.52-53)。

 かかる「教育」論に影響を与えている第一はルソーの、とくに『エミール』だ。日本の教育学部で50年以上もこれを必読文献としている狂気は「日本共産化革命」を目的としている。ルソーは、『社会契約論』により目指した全体主義体制を支える人間を改造人間=ロボットにせんとするマニュアルを示すためにこれを執筆した。ルソーは『人間不平等起源論』に見られるように「動物や未開人」を人間の理想とするので、『エミール』を学んだ教師は生徒を精神の「高貴性」・高い「道徳観」をもたない「動物並み」に降下させる(p.55-59)。

 第二はスペンサーで、その著『教育論』は「人間と動物に共通する」普遍の教育原理を追求し、人間を野生化させる「自然主義・放任主義」を是とし、「道徳律の鍛錬」や「倫理的人間のへ陶冶」を徹底的に排除した(p.59-60)。

 第三は戦後日本教育を攪乱したデューイで、スペンサーの熱烈な継承者、実際の実験者だった。

 これら三大「悪の教育論」を排斥しないと、日本の教育は健全化しない(p.60)。

 以上は、中川八洋の上掲書の「Ⅰ・教育」のごく一部。
 三 八木秀次「骨抜きにされる教育基本法改正」(月刊正論3月号(産経)p.40-41)は安倍内閣時の教育基本法改正にもかかわらず、教育実態は変わらないか却って悪くなっていると嘆いているが、教育「再生」のためには、多数の教師が学んできた戦後日本の「教育学」・「教育」理論そのもの、そしてそれを支えた(中川八洋の指摘が正しいとすれば)ルソー、デューイらの教育「理論」にさかのぼって、批判的に検討する必要もあると強く感じられる。教育基本法という法律の改正程度で「左翼」・「反日」(<「国際」化)教育が死に絶えることはありえない。 

0996/池田信夫・ハイエク-知識社会の自由主義(PHP新書、2008)ほか。

 〇「はじめに」・「はしがき」類だけを読んで読み終わった気になってはいけないのだが、池田信夫・ハイエク-知識社会の自由主義(PHP新書、2008)の「はじめに」にはこうある。

 ハイエクは生涯を通じて、社会主義・新古典派経済学に共通の前提(「合理主義」と「完全な知識」)を攻撃しつづけた。それゆえにハイエクは主流派経済学から「徹底して無視」され、「進歩的知識人」から「反共」・「保守反動」の代名詞として嘲笑されてきた。しかし、死後一五年以上経って、経済学は彼を「再発見」し始めている。……
 ハイエクに関する書物はけっこうたくさん持っていて、全集の一部も所持している。日本の憲法学者のうちでおそらくただ一人「ハイエキアン」と自称する阪本昌成の本を読んだこともある。

 この池田の文章も読んで、あらためてハイエクをしっかりと読んで、その「自由」主義(リベラリズム)・「反共」主義を自らのものにもしたいような気がする。

 池田信夫は、経済学部出身で「文学畑」とは異なる。NHK15年という経歴が玉に傷だが、大学生時代にNHKの本質や現在のヒドさを認識・予想せよというというのも無理で、知識人または評論家としては(つまりは政治的戦略等々に長けた文筆家としてではなく)相対的に信頼が措けそうな気がする。
 〇先日、井沢元彦・逆説の日本史17/江戸成熟編(小学館、2011)を購入、少しは読む。このシリーズは単行本ですべて買い、読んでおり、その他の井沢元彦の本もかなり読んでいる。<隠れ井沢元彦ファン>だ。

 〇だいぶ前に、小田中聡樹・希望としての憲法(花伝社、2004)と同じ著者の裁判員制度批判の本を購入し、少しだけ読む。
 日本共産党員とほぼ見られる刑事法学者(元東北大学)で、「左翼」性のあからさまで単純・幼稚な護憲(九条護持)論と裁判員制度論についてこの欄で論及しようと思っていたが、果たしていない。

0995/月刊正論(産経新聞社)編集長・桑原聡の政治感覚とは。

 月刊正論4月号(産経新聞社)で編集長・桑原聡いわく-「…民主党内閣が、憲政史上最低最悪の内閣であることは多くの国民が感じているところだろうが、かりに解散総選挙が行われ、自民党が政権を奪回したとしても、賞味期限の過ぎたこの政党にも、わが国を元気にする知恵も力もないように思える」(p.326)。
 同誌の宣伝紹介記事(産経3/01付)で同じく桑原聡いわく-「国民の大半が期待しているのは、この党〔民主党〕が一日も早く政権の座から降りてくれることだけだ。しかし、かりに解散総選挙となって、自民党が返り咲いたとしても、賞味期限の過ぎたこの政党にも多くを期待できない」。
 産経新聞社内の出世コースを歩んでいるのかもしれないこの桑原聡のこのような<政治的>判断を基準にして、産経新聞全体は別としても、当面の月刊正論は編集されていくものと見られる。

 はたして、かかる立場を編集長が明記することはよいことなのかどうか。それよりも、その<政治的>判断は適切なものなのかどうか。

 2009年総選挙前に、自民党はダメだ、(よくは分からないが、新しい)民主党は期待できそうだ、というムードを煽ったのは朝日新聞を含む大手メディアだった。櫻井よしこすら、自民党に対して冷たかった(民主党内閣成立後も<期待と不安が相半ばする>旨を書いていた)。

 現時点で、自民党を「賞味期限の過ぎた政党」と断定して叙述するこの桑原聡のような、大(?)雑誌、しかも<保守系>とされる雑誌の姿勢は、どのような政治的効果をもたらすだけだろうか。

 2009年に自民党離れが生じ、かりに民主党に投票しなくとも<保守派>国民の中に<棄権(無投票)>行動がある程度は生じたと推測されるように、上のような断定は、反民主党(同党政権)の見解をもった国民に対して、自民党にも投票せず、<棄権(無投票)>するという行動を誘発する方向に機能するだろう。そしてそれは、民主党に有利に働くだろう。

 かりに現在のような政党状況のままで解散・総選挙が行われた場合、そのような投票行動は、日本を<良い>方向に導くのだろうか? 民主党の延命を助けるだけではないのか。
 それに、上のような断定は、<右>からの自民党は「第二民主党」、「民主党と同根同類のリベラル」という批判と共鳴しているとももに、<左>からの、例えば日本共産党(・社民党)のいう、民主党(内閣)は<第二自民党(内閣)>だ、という批判とも共振している。

 桑原聡は、上のように、その主張は、日本共産党(・社民党)のそれとも共通することを、いかほど意識しているのだろうか。代表的<保守系>雑誌が、こんな感覚の編集長に率いられているのだから、内容に奇妙な部分が出てくるのもやむをえないだろう。

 月刊正論4月号のウリは「保守論客50人が提言~これが日本再生の救国内閣だ!」で、屋山太郎のような「保主論客」とは思えぬ者を含む人々に、それぞれが構想する内閣の布陣(構成)を語らせている。

 まじめによく考えられており、かつ現実味がなくはないと感じられる「構想」もあるが、雑誌の全体としていえば、<お遊び>の類だ。保守的論者による保守派政治家・評論家類の「人気投票」のような観もある(一部には文章を書かせているが、じっくりと読みたいものがあるものの、1.5頁~2頁に過ぎず、短か過ぎる)。

 八木秀次は「公務員制度改革担当相」に屋山太郎をあてる。筆坂秀世は法務大臣に長谷部恭男(東京大学教授)、「領土問題担当相」に志位和夫(日本共産党委員長)をあてる。野口健は外務大臣に岡本行夫、防衛大臣に前原誠司、環境大臣にC・W・ニコルをあてる。河添恵子は首相に出井伸行、官房長官に辛坊治郎をあてる。……。

 重ねて桑原聡はこの雑誌の最後でこう書く-「筆坂秀世氏が領土問題担当大臣に志位和夫氏を指名しているが、現在の国難は、これぐらいの大胆さがないと乗り越えられないのではないか。いかがだろうか」(p.326)。「賞味期限の過ぎた」自民党(中心)内閣よりも、志位和夫を閣僚の一人とする<救国>内閣の方が、桑原には「よりまし」であるらしい。

 現実的実現可能性はさておくとしても、この桑原聡は正気で、「いかがだろうか」などと暢気に訊いているのだろうか。

 (少なくとも日本の)ジャーナリズム・ジャーナリストの類は(マスメディア一般がそうだが)、総じては、または基本的には、国家・社会・国民を「正」・「善」・「美徳」の方向に導こうなどという気構えはなく、そもそもが何が「正」・「善」・「美徳」かなどという思考をめぐらしもせず(価値相対主義・一種のニヒリズムに陥るとこうなる)、何が<話題になるか>、何が<面白いか(興味を惹くか)>、そして何が<相対的によく(多く)売れるか(儲かるか)>を基準にして雑誌等を編集しているように見える。

 例えば「適切さ」はもちろん現実の実現可能性よりも、<面白い>かどうか、<話題になる>かどうか、が基準になっているように見える。

 産経新聞社の新(?)編集長のもとでの月刊正論も(いい論考も少なくないのに)、そのような弊を免れていないようだ。

0994/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント2。

 中川八洋は刺激的な書物を多数刊行しているが、さすがに、全面的または基本的に支持する、とも言い難い。

 細かな紹介は省くが、中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の、例えばp.287の安倍晋三、大前研一、江口克彦、平山郁夫、山内昌之、川勝平太、中西輝政に対する罵倒または特定の党派性の決めつけは、詳しく具体的な根拠が示されているならばともかく、私がこれらの人々を基本的に信頼しているわけでは全くないにしても、にわかには信じ難い。

 つづくp.288には、安倍晋三が「マルキスト中西輝政をブレーンにしたのは、安部の思想軸に、(無意識にであれ)マルクス主義が根強く浸透しているから」だとの叙述もあるが、これに同感できるのはきわめて少数の者に限られるのではないか。もっとも、例えば、戦後<左翼>的「個人主義」・「自由主義」等々が(渡部昇一を含む)いわゆる<保守派>の面々に「無意識にであれ」浸透していないかどうかは、つねに自省・自己批判的克服が必要かと思われるが。

 より基本的な疑問は、中川の「保守主義」観にある。中川の、反共主義(・反極左・反フェミニズム等)、共産主義と闘争することこそ「保守」だとする議論には全面的と言っていいほど賛同する。そして、この点で曖昧さや弱さが日本の現在の<保守>にあるという指摘にも共感を覚えるところがある。この点は、のちにも具体的に論及していきたい。

 しかし、中川八洋の「保守主義」は、マルクス主義が外国産の思想(・イデオロギー)であるように、「英米」のバークやハミルトン等々を範とするやはり外国産のそれをモデルとしている。それを基準として日本の「保守」を論じるまたは批判するのは、自由ではあるものの、唯一の正しいまたは適切な立脚点だとはなおも思えない。

 日本には日本的な「保守主義」があってもよいのではないか。

 中川八洋によると、「保守主義の四哲人」はコーク→ハミルトン・バーク・ハイエクだ(p.310の図)。そして、レーガンはハミルトンとバークの、サッチャーはバークとハイエクの系譜上にある(同)。また、「八名の偉大な哲人や政治家」についても語り、コーク、バーク、ハミルトン、マンネルハイム、チャーチル、昭和天皇、レーガン、サッチャーの八人を挙げる(p.351)。

 昭和天皇は別として、中川の思考・思想の淵源が外国(英米)にあることは明らかであり、なぜ<英米の保守主義>を基礎または基準にしなければならないのかはじつは(私には)よく分からない。学ぶ必要はあるのは確かだろう。だが、中川のいう<英米の保守主義>をモデルにして日本で議論すべきことの不可避性は絶対的なものなのだろうか。

 外国人の名前を挙げてそれらに依拠することなく、中川八洋自身の独自の思想・考え方を展開することで十分ではないのか。その意味では明治期以来の<西洋かぶれ>の弊は中川にもあるように感じられる。

 また、以上と無関係でないだろうが、中川八洋が「保守」はつねに(必ず)「親米」で、「反米」は「(極左・)左翼」の特性だ、と断じる(p.361-2)のも、釈然としない。「親米」の意味の理解にもよるのかもしれないが、<保守>としても(論者によっては<保守>だからこそ?)「反米」的主張をせざるをえないこともあるのではあるまいか。

 このあたりは小泉構造改革の評価にも関連して、じつは現在のいわゆる<保守派>でも曖昧なところがある。また、「反米」よりも<反共>をこそ優先させるべきことは、中川八洋の主張のとおりだが。

 以上のような疑問はあるが、しかし、日本の<保守派>とされる論客、<保守派>とされる新聞や雑誌等は、中川八洋の議論・指摘をもう少しきちんととり上げて、批判を含む議論の俎上に乗せるべきだろう。さもないと、似たようなことをステレオタイプ的に言う、あるいはこう言っておけば(閉鎖的な日本の)<保守>論壇では安心だ、との風潮が、いっそう蔓延しそうに見える(かかる雰囲気があると私には感じられる)。

 中川八洋の主張・指摘の中には貴重な「玉」も多く含まれていて、「石」ばかりではないと思われる。<保守>派だと自認する者たちは、中川八洋とも真摯に向かい合うべきだろう。

0993/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋と渡部昇一。

 敗戦・占領に伴うGHQによる日本国憲法の実質的な「押しつけ」とその憲法が今日まで一文も改正されることなく効力をもち続けていることは、日本国家と日本国民にとって屈辱的なことで、改正または実質的には新憲法の(当然に自主的な)制定は国家と国民のの基本課題とすら言えるだろう。

 だが、物事の見方は多様で、上のような見方よりもはるかに巨視的に判断している者もいる。

 中川八洋・山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像(弓立社、2008)の「まえがき/昭和天皇のご無念」がそれだ。

 中川によると、今日の日本<滅亡>の危機の元凶は昭和前期の「狂気」にあり、「GHQ七年間」の占領に原因があるのではない。それどころか、「マクロに考察すれば、GHQ占領こそ、天皇制度の温存にしろ、自由経済にしろ、政党政治の回帰にしろ、日本の国家蘇生に裨益した」。「憲法第九条など有害なものも多いが」、それは「ミクロに観察」した場合のこととされる(上掲書p.5)。

 これには驚いた。だが、なるほど中川八洋は戦争の継続と被害の増大・日本の焦土化のあとに「共産革命」がありえたと判断している、つまり「共産主義者」たちは日本の徹底的な破壊のあとの「革命」=<社会主義日本>の樹立を狙っていたと理解しているので、それに比べれば、昭和天皇の「御聖断」による終戦と「自由主義」国・米国による実質的な単独占領は、そのような「共産革命」を防いだ、<よりまし>なことだった、と捉えられることになる。

 こういう見方は、決して荒唐無稽ではない、と思われる。たしかに種々の大きな課題・禍根をGHQ「占領」は残したが、ソ連の影響力のもとでの日本全体または日本の半分の「社会主義」国化、ソ連の「傀儡」国家化は、東欧や北朝鮮に実際に生じたように、まったくありえなかったわけではない、と考えられる。もしも、戦争がさらに継続され、ソ連が先に、あるいは米国とソ連がほぼ同時に日本国土に上陸していたならば…、戦慄する事態になっていただろう(国内にはそれに迎合し、ソ連を歓迎する「共産主義」勢力が存在した)。

 だが、中川八洋とて、「日本国憲法」が現在のままでよいとは考えていないだろう。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の基本的なコメントの第二のマクラのつもりで書き始めたが、すでに長くなった。

 方向を転換して、上掲書にさらに言及しよう。

 中川八洋は、次のようにも書いている。日独伊三国同盟締結という「大罪」を犯した松岡洋右らまで、「軍人でもなく戦死したわけでもないのに祀る」という「前代未聞の暴挙」を靖国神社は1978年に行った(p.6)。すでに言及したが、中川八洋によれば、大東亜戦争とは日本国内の「共産主義者」たちがコミンテルンらと結びついて、日本を大崩壊させ、のちに「共産」日本を樹立するための陰謀で、「国家反逆性」(p.6)をもつ。

 いつか述べたように、道徳的な「悪」とは言えない戦争と敗戦を出発点として考えたく、あの戦争にかかる開戦・敗戦の原因等々の詳細に立ち入って<復習>しようという関心はほとんどない。

 中川八洋の主張についても、論評する資格はない。ただ、ありうる、成り立ちうる議論で、そのうち触れるだろうように、中川のいう「民族派」の中にも、戦争の過程での「共産主義」勢力の関与・策略をきちんと指摘する論者も少なくない、とは感じている。

 だが、大東亜戦争=「(日本)国家反逆」という性格づけには、上の松岡ら靖国合祀批判も含めて、「民族派」あるいは<ナショナリスト保守>の多くの論者はおそらく納得できないだろう。

 しかしながら、奇異なことに、上掲書(中川八洋・山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像)のオビ(の表紙側)には、こんな言葉が印刷されている。

 「渡部昇一、大絶賛!! 大東亜戦争の真実が、帝国海軍についての初めての解剖的研究で、これほど迫真的に暴かれたことはかつてなかった。中川八洋氏のこの衝撃の新著は、現代史の超重要文献だ!」

 何と、渡部昇一は2008年刊の上掲書にこのような称賛・推薦の言葉を寄せている。個々の論点のすべてについて賛同するという趣旨ではなくとも基本的にまたは全体としては共感するからこそ、かかる称賛・推薦の言葉を書いた(または原文・素案を承認した)ものと思われる。のちに明確に「保守」ではない「民族派」と位置づける渡部昇一の称賛・推薦を受けた中川八洋もどうかと思うが、自分の名前がいろいろな所に出ればよいとでも考えたのか、渡部昇一の感覚もまた、異様に感じられる。

 渡部昇一の近年の日本歴史の何冊かの本は読む気はないが(購入の予定もない)、日支戦争・太平洋戦争(大東亜戦争)に対する見方・歴史観は、中川八洋と渡部昇一とは、まるで違う、むしろ真逆なのではないか。前回に書いたことと併せてみても、渡部昇一というのは、どうも信頼が置けない。そもそもきちんとゲラ刷りを概読でもしてから「大絶賛!!」の文章を書いたのか?。そうではない、いいかげんな人物だと思われる。こんな「保守」派論客が代表者の一人とされているようである<日本の保守>とは、いったい何か。「生き延びられる」未来はあるのだろうか。

0992/もはや解散・総選挙以外にない+渡部昇一の妄論。

 〇「もはや解散・総選挙以外にない」-遠藤浩一・産経新聞3/02正論欄。なお、この人は法学部出身。

 〇とりあえずごく簡単に書いておく-渡部昇一監修・日本は憲法で滅びる(総和社、2011.02)の「はじめに」を渡部昇一が書いていて、日本国憲法は「占領対策基本法」で憲法としては「無効」なので「無効宣言」をすべし、というこれまでもいろいろな所で書いてきている妄論を主張している(「憲法改正」反対論の一種。p.3)。

 たんなる渡部個人の著・論考ならまだよいが、「憲法」をタイトルに打った本の監修者の「はじめに」となると、座視できない。

 日本国憲法「無効」論については渡部昇一以外の者の詳論も読んで検討したことがある(今回は急いでいるのでかつてのエントリーへのリンク省略)。結論は、「無効論」に値せず(「無効」概念の誤用がある)かつ<憲法改正>または<自主憲法の新制定>を遅らせるだけの、議論の混乱を招くだけの妄論だ、ということだった。

 「無効宣言」すべしとする一部の論者に尋ねたいが、その宣言主体はいったいどの国家機関なのか(あるいはどのような手続を経てどの国家機関が行うのか)? 「国会」とする論者もあるようだが、渡部昇一は上の「はじめに」で、「その手続は意外と簡単」だなどと空論を述べ、「日本政府」がとにかく一度でも「無効宣言」すればよい、と説く(p.3、p.5)。

 そこで渡部昇一に一つだけ尋ねる。「日本政府」とはいったい何か。国会も含めて広く統治機構を「政府」と称する語法もあるが、現憲法(および大日本帝国憲法)の概念だと「内閣」をおそらく想定しているのだろう。そうでないと、漠然と「日本政府」と言うだけでは国家機関を特定したことにはならない。あるいは渡部は緻密に思考していないので、内閣を代表する内閣総理大臣を念頭に置いているのだろうか。その場合でも以下の論旨は同じ。

 しかして、渡部昇一のいう「日本政府」=「内閣」(または内閣総理大臣)は旧憲法上のものか、渡部昇一のいう日本国憲法=「占領対策基本法」上のものか??

 前者はすでに存在していない、と認識するのが(規範論としても現実論としても)妥当だろうと思われる。

 後者だとして、渡部昇一のいう日本国憲法=「占領対策基本法」にもとづく、かつそのもとで制定されてきた法律(「内閣法」)によっても構成されてきた内閣(または代表・内閣総理大臣)に、自らを生んだ日本国憲法=「占領対策基本法」を「無効」と判断し「宣言する」権限はあるのか??。自らの祖先を殺すようなもので、こういうことを平気で述べる著名な<保守>論客が存在すること自体が、悲痛な想いにさせる。

 「国会」を「無効宣言」の主体と考えても、同じことがいえる。衆議院と参議院から成る国会は日本国憲法のもとでの国家機関で、日本国憲法が生み出したものだ(旧憲法では構成も異なる「帝国議会」)。

 渡部昇一は、「日本政府」なのものの意味をより明確にするとともに(日本国憲法には前文を除き「政府」概念はない。旧憲法でも同じ)、その国家機関を「法的に」生み出した出所を明らかにされたい。

 占領下において、日本国憲法を上回る超憲法的な「権力」があり、諸施策が行われたことを否定はしない。現憲法が禁止する「検閲」はあったし、超憲法・超法規的に公職追放等もなされた。

 だが、そのようなことは、現在における日本国憲法「無効」論の根拠にはならない。

 不思議に思うのだが、渡部昇一の「はじめに」以外は未読だが、各執筆者のうち南出喜久治を除いて、その他の者は、例えば西尾幹二も(現憲法下の法制のもとでの)「法曹」資格ある稲田朋美も法学部出身の遠藤浩一も、監修者・渡部昇一の日本国憲法「無効」論・「無効宣言」すべし論に与しているのだろうか??

 一見新鮮なようでいてじつは無駄な議論だと、南出以外の者は感じていないのだろうか?

 そのように一致しているとは思えない主張を、監修者たる資格で渡部昇一はよくも堂々と書けたものだと思う。

 このような者が、<保守>の代表的な論者とされているのかと思うと、日本の将来に、やはり暗澹たる思いがする。かかる妄論が一冊の初めに堂々と主張されているようでは、「九条の会」参集者も、渡部昇一のいう「憲法を食い物にする敗戦利得者」=現在の日本の憲法学者(憲法研究者)のほとんども、せせら嗤って、何ら痛痒を感じないだろう。

 百地章、西修、稲田朋美、ついでに八木秀次らは、渡部昇一という名前に怯む?ことなく、日本国憲法「無効」論・「無効宣言」すべし論を批判すべきだ。こんな「はじめに」をもつ、<憲法>をテーマとするがごとき書物が<保守>派によって刊行されてよいのか? 百地、西、八木に学者としての「良心」はあるのか?

 以上述べたことは、個別の各論考にかかわるものではない。

 これまでこの欄でほとんど渡部昇一の本・主張を採り上げなかったのは、渡部が日本国憲法「無効」論にだらしもなく影響をうけていることが明瞭だったからでもある。誰か、勇気のある者は、退場勧告をつき突けた方が(日本の将来のためにも)よい。

0991/古田博司「時代の触角/親中メディアの生理的イライラ」(歴史通3月号)。

 歴史通3月号(ワック)の古田博司「時代の触角③/親中メディアの生理的イライラ」(p.200-)によると、日本の全国紙のうち朝日・毎日・日経は1960年代に「黙って」・「素知らぬ顔で」反米・親中へと変化した、読売は2006年に「鋭角的に」そう変化し、産経は非親中のまま、らしい。これにNHKの親中ぶりを合わせると、大手メディアの<親中>体制は強固だ。

 NHKは在日エジプト人の200人ほどの集会を丁寧に放送し、別の某民放局(忘れた)は在日リビア人のそれよりも少ない数の活動を追っていたが、昨秋の尖閣事件を契機とする他ならぬ日本人の東京での数回にわたる数千人規模のデモ・集会をほとんど無視した。だが、菅直人内閣の支持率の急落の最大の原因は私にはこの尖閣問題への対処のヒドさ(国民に生じた基本的な平和・安全自体への危惧)にあったと思える。大手メディアの報道ぶりと庶民的<世論>の感覚はかなりズレているのではないか。

 古田論考には他にも興味を惹く叙述がある。詳しく反復しないが、親中べったり派の毎日新聞の元・現の記者として、石川昌、中野謙二、辻康吾、金子秀敏という固有名詞を挙げている。そして、「尖閣事件以来、毎日の『スター』はずっとイライラし続けている」のだそうだ。

 古田によると日中友愛の<理想・幻想・空想>は「ウソの団子三兄弟」または「想兄弟」。これに該当する兄弟たちは、東京新聞の清水美和、慶應大学の国分良成、みずほ総研の細川美穂子、東京大学の苅部直(「事後のピエロ」)、慶應大学の添谷芳秀

 「わが日本国ではリベラルと親中が六〇年代に進歩的文化人らにより接着されてから、ずっと剥がせないまま、インテリのマジョリティを作り上げて今日まで来てしまった」のだが、古田は、自分たちで剥がせなければ「際限なくウソ」をつき続ける他はないとして、若干の例も挙げている。
 この古田論考をとり上げたくなったのは、次の最後の一文にある。「東アジア情勢の変動が国内政治にどう反映するか、いよいよ楽しみになってきた今日この頃である」。

 「いよいよ楽しみになってきた今日この頃である」。日本の将来を悲観し、悲痛に思い詰める必要はない。菅直人政権の右往左往ぶり、支持率急落(最新の某調査で20%以下!)、衆議院解散を求める世論の増大(事態の改善方向の第一位意見)に対して、朝日新聞はこれからどう菅・民主党政権を擁護し、自らのかつての主張との齟齬を取り繕うだろうか、「いよいよ楽しみになってきた今日この頃である」、という気分で日々を過ごすことにしよう。

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