秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2010/11

0947/仙石由人「暴力装置」発言は「平和憲法」に反する?

 仙石由人「健忘・左翼」官房長官が自衛隊を「暴力装置」と称したそのとき、質問者の自民党・世耕弘成は<自衛隊に失礼だ>と批判しただけだったが、たしか同日の後の質問者だった自民党参議院議員・丸川珠代(1971年1月生)は、「われわれの平和憲法を否定」するものだ、として仙石を批判した。
 また、誰が原文を執筆したのかは知らないが、自民党・みんなの党の幹部の了解を得ただろう、参議院での仙石由人問責決議の「理由」文は、上記発言についてだけではないが、次のように書いている。

 「第3に、日本国憲法に抵触する発言を繰り返し、憲法順守の義務に違反している」。「平和憲法に基づき国家の根幹である国防を担い、国際貢献や災害救助に汗をかく自衛隊を『暴力装置』と侮辱したことは、決して許されるものではないし、自衛隊を『暴力装置』と表現することは、憲法9条をはじめとする日本国憲法の精神を全く理解していないということである」。
 丸川は仙石発言を「平和憲法」否定だとし、問責決議は仙石は「憲法9条をはじめとする日本国憲法の精神を全く理解していない」と指弾している。

 上の二つは基本的には同じ趣旨だが、これはきわめて奇妙な批判の仕方だ。つまり、現憲法のもとでの「自衛隊」の位置づけがどうなっているのか、丸川や多くの自民党国会議員等はきちんと理解しているのだろうか。「暴力装置」発言の適否よりも、こちらの方がむしろ気になる。

 日本国憲法九条2項第一文は、「…、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記する。こんな条文のもとで、現在の自衛隊は、上の「理由」中に書かれているように、「平和憲法に基づき国家の根幹である国防を担」っていると断じられるのか?

 また、この規定との関係で、自衛隊の合憲性が問題となった(なっている)ことくらいは、国会議員ならば知っているはずだろう。

 「戦力」の保持が憲法によって禁止されているにもかかわらず、<自衛隊>という「実力」組織は法律制度上存在している。<自衛隊>は憲法で保持が禁止されている「戦力」にあたらないのか、という問題が生じることは常識的なことだろう。

 そして、現在までの日本の憲法学界では、自衛隊は「戦力」で、違憲の存在だ、との説の方が有力だと思われる。

 例えば、東京大学法学部の現役教授による、長谷部恭男・憲法(第4版)(2008、新世社)は次のように叙述する。

 多数説は「侵略」目的のもののみならず「あらゆる戦力」の保持が禁止されていると解する。これによると、「現在の自衛隊は、上述の意味における憲法によって禁止された戦力にあたることとなろう」(p.62-63)。

 このようなわが憲法学界によれば、仙石発言ではなく、むしろ自衛隊こそが「われわれの平和憲法を否定」しているのだ。自衛隊の方が、「憲法9条をはじめとする日本国憲法の精神」(平和主義?)に反しているのだ。

 こういう緊張関係が日本国憲法(とくに九条2項)と自衛隊(という「軍隊・戦力」まがい?)との間にはあることを全く知らないまま、上記のような論評が出てきているとすれば、まことに驚きという他はない。

 自衛隊違憲論をここで主張したいのではない。これまでの政府見解(憲法解釈)は<戦力に至らない程度の、自衛のための最小限度の実力の保持>は九条2項でいう「戦力」にあたらない、現存の自衛隊もこれに該当しない>、というものであることも知っている。

 だが、(「警察予備隊」レベルならばともかく)相当に苦しい解釈であることは確かで(政府解釈によると、核兵器も保持が可能だ)、自衛隊は正規の「自衛軍」ではなく、「軍隊・戦力」まがい?のものとして、いわば<憲法嫡出子>、憲法上に堂々たる正当な根拠をもつもの、とは見なされてこなかったのだ。

 ここに「戦後」日本の、憲法にかかわる<大ウソ>を指摘することもできる。<欺瞞>と<偽善>がここにある、と見ることもできる。こんな<大ウソ>または<欺瞞>・<偽善>を罷り通らせる大人たちを、子どもたちは信頼するだろうか。国民全体が<憲法ニヒリズム>に陥らないだろうか。

 再び1970年の三島由紀夫の「檄」を見てみよう。

 「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因」になってきた。「自衛隊は敗戦後の国家の不明確な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった」。

 そして、三島は次のようにまで言っていた。政府は自衛隊によらずとも治安保持できることを示して、「左派勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得た」。

 こうした三島由紀夫の「懊悩」を、丸川珠代や現在の自民党等の幹部はまるで知らないか、理解していないごとくだ。

 必要なのは、仙石発言を「憲法違反」と論評することではなく、むしろ、自衛隊を明確に憲法適合的なものにするように、憲法改正(とくに九条2項削除と自衛軍・防衛軍・国軍設置の明記)をすることだろう。

 現憲法と現実の自衛隊や現実の軍事情勢との間には不適合あるいは矛盾・緊張関係がある、ということを意識しておかなければならない。その意味で、上に記したような仙石発言に対する批判の仕方には、寒気を覚えるところがある。

 なお、「日本国憲法に抵触する発言を繰り返し、憲法順守の義務に違反している」という一般的な批判の仕方も慎重であるべきだ。なぜなら、現憲法の不備や憲法改正を指摘または示唆・主張するかつての首相等の閣僚に対しては、民主党内閣以前の野党は、憲法99条の「国務大臣」等の<憲法尊重・擁護義務>に反すると批判してきたからだ。丸川珠代や自民党・みんなの党が現憲法を100%容認し、不備も感じず、改正の必要も意識していないのならば、話は別だが。

0946/「戦後」とは何か⑥-佐伯啓思・日本という「価値」(2010)より2。

  佐伯啓思・日本という「価値」(2010、NTT出版)によると、自民党内部に、「顕教的価値」重視勢力と「密教的価値」重視勢力の二つの「政治文化」が形成された。①「護憲的勢力と改憲派」、②「国際主義とナショナリズム」、③「国連中心主義者と親米派」、④「非核三原則とアメリカの核のカサ」、⑤「普遍的な人権論者」とそれへの「反対勢力」、⑥「自由競争路線と福祉重視派」、⑦「都市化論者と地方主義者」、「すべてがあった」(p.166)。
 個々の自民党員や国会議員が上のすべての項についてきれいに前者か後者のいずれかに分類されるとは思えないが、自民党が「国民政党」という名の、これらの「包括的政党」だったとの趣旨は分かる。

 そして次のいくつかの文章は、少なくとも1990年頃までの「戦後」を、じつに的確にかつ簡潔に描いているように見える。

 自民党の内部対立が顕在化することなく推移したのは、「戦後憲法の平和主義を(暫定的であれ)受け入れ、日米関係を堅持し、そのもとで経済成長を達成し、…その成果をできるだけ国民に広く配分する」という「現実主義的妥協」だった(p.166)。

 この妥協はときに「吉田ドクトリン」と呼ばれるが、どこまで自覚的だったかはともかく、この妥協によって日本人は「あの二重性のもつ亀裂や分裂に頭を悩ませる必要から解放」された。「亀裂はうまく隠蔽」され、顕教も密教も「その時々においてすみ分けつつ配備」され、日本人は「特に痛痒を感じることなく過ごす」ことができた(p.166-7)。

 「大多数のサラリーマン」は「日本的」企業で「一生懸命働けば、所得が増加し、家族が満足し、そして、日本全体としても豊かになっていった。その時に、一体誰が日米関係の変則性や憲法のもつ矛盾に頭をなやます必要があるだろうか」(p.167)。

 「経済成長のもと」で「個人、家族、地域、企業、日本」は一本につながり、「あえて難問を思考するという不協和音」を入れる余地はなかった。「吉田ドクトリン」は1951年以降の自民党の「政治原則を示すキーワード」だろうが、これは自民党政治の象徴のみならず、「戦後日本を覆う精神状況そのもの」だった。自民党政権の長期継続は、自民党の体質が「戦後日本人の平均的な精神状態を表していた」からだろう(p.167)。

 「吉田ドクトリン」なるもの、つまり吉田茂の<思想と政策>についてはなおも検討の余地があるだろう。だが、少なくとも1990年頃までの、あるいは今日もなおも維持されている「戦後」日本の基本的体制(?)は、A・日本国憲法のいう「戦力」不保持条項のもとでの「平和」または「軽装備」主義とそれを補う日米安保条約を通じたアメリカ(の核を含む軍事力)による日本の「保護」、B・これを前提または与件とした「経済成長」または「経済的・物質的富」の追求、だった、とさしあたり理解している。

 自民党の長期政権の背景には、「顕教」と「密教」のいずれかを上手く分担してくれる政党が他になかったこと、つまり、少なくとも表向きは、上のAの要素である「日米安保条約を通じたアメリカ(の核を含む軍事力)による日本の『保護』」に反対して、日米安保破棄を主張していた日本社会党が野党第一党だったという不幸な事態があった、ということは記しておいてよいだろう。この点に佐伯啓思は明示的には言及していないが、ともあれ、「(A①)戦後憲法の平和主義を(暫定的であれ)受け入れ、(A②)日米関係を堅持し、そのもとで(B)経済成長を達成し、…その成果をできるだけ国民に広く配分する」、あるいは国民は物質的・経済的利益を「配分」される、という政策、意識あるいは「体制」が継続した―基本的には今日も継続している―のが、日本の「戦後」だった、と思われる。

 佐伯は上で、①「日米関係の変則性」と②「憲法のもつ矛盾」を簡単に語っている。佐伯のいう「冷戦(構造)の終わり」のあと、おおむね1990年代初め以降、本当はこれらがより強く意識され、まともに論じられ、改められる必要があった。これらについては、また触れる機会があるはずだ。

0945/資料・史料-2010.11.26仙石由人官房長官問責決議案理由

 史料・資料-参議院・仙石由人官房長官問責決議案「理由」 2010.11.26問責決議可決

 

 理由

 「菅内閣発足以来、国難ともいうべき事態が続いており、内閣の要であり、実質的に内閣を取り仕切っているといわれる仙谷大臣の官房長官としての責任は極めて重大である。菅内閣では、仙谷官房長官が実質的に重要事項の決定を主導しており、最近では法務大臣、拉致問題担当も兼務することになったが、仙谷官房長官が内閣の中枢に居座ったままでは、現状の打開は望むべくもない。

 以下、仙谷官房長官を問責する理由を、列挙する。

 第1に、「尖閣諸島沖中国漁船衝突事件」における極めて不適切な対応である。

 公務執行妨害で逮捕された中国人船長の釈放は、那覇地検が「わが国国民への影響や今後の日中関係を考慮」して判断したとしているが、このような重大な外交上の判断が一地方検察庁でなされたと信じる者は誰もいない。総理、外務大臣が国連総会で不在の中、官邸の留守を預かる仙谷官房長官主導で釈放の政治判断が行われたと考えざるを得ない。

 しかし、仙谷官房長官は、釈放は那覇地検の判断であったとの強弁を繰り返している。仮に、一行政機関である那覇地検が外交判断による釈放を行い、それを政府が是認したとすれば、検察が外交を行ったという日本外交史上、例を見ない越権行為が民主党政権下で行われたことになる。逆に、官邸が那覇地検に釈放の圧力をかけたとすれば、仙谷官房長官は虚偽の答弁を重ねてきたことになる。どちらにしても、この件を主導してきた仙谷官房長官の責任は重大である。
 さらには、諸外国に対してわが国の正当性を訴えるために戦略的に使われるべきであった衝突時のビデオは、官房長官の主導により長期間非公開にされ、事件発生から50日間を経て、ようやく6分50秒に編集されたものが国会に提出されただけであった。仙谷長官の誤った対処により、わが国は貴重な外交カードを失ってしまったのである。一連の対応により、失われた国益は大きい。

 さらに政府が国会に提出したビデオの6倍以上にわたる2回の衝突の時間を含む44分間のビデオが一海上保安官の手で流出し、全世界で視聴可能な状態となった。仙谷官房長官はビデオの国会提出にあたり書面で「慎重な扱い」を求めていたにもかかわらず、政府内では情報管理を行っていなかったことが露呈した。本来公開すべきビデオを公開しなかったからこそ起こった問題と言わざるを得ない。この責任も重大である。加えて事態発覚後は「政治職と執行職」という詭弁を弄して、自分たちの責任を海上保安庁長官一人になすり付けようとしたことも糾弾されるべきである。

 第2に、国権の最高機関たる国会を愚弄する、暴言、失言の数々が繰り返されていることである。

 菅総理自らが今国会冒頭の所信表明演説で、熟議の国会を呼び掛けているにもかかわらず、指名されてもいない仙谷官房長官がしゃしゃり出て、話をすり替え、恫喝し、また答弁席からやじを飛ばすなど、国会軽視もはなはだしい。また、報道に基づき質問した質問者に対して、自らも過去に何度もの質問をしていたことを棚に上げて「最も拙劣な質問」だと侮辱し、予算委員会が民主党も賛成した議決に基づいて呼んだ参考人に対して疑義を唱え、さらには恫喝を加え、内閣のスポークスマンとしての官房長官の資質を疑わざるを得ない。
 第3に、日本国憲法に抵触する発言を繰り返し、憲法順守の義務に違反していることである。

 中国漁船衝突事件のビデオ公開関連の「厳秘」書類を予算委員会で撮影された際に、自らの危機管理の甘さを恥じることもなく、「盗撮」呼ばわりし、取材規制の強化を振りかざし報道の自由を侵害しようとした。また、国会の外においては、自衛隊の施設内での民間人の発言を規制することを認めるなど、仙谷官房長官は憲法に定める表現の自由の侵害に加担している。

 仙谷官房長官は自衛隊を「暴力装置」と発言した。学生時代、社会主義学生運動組織で活動していた仙谷長官にとっては、日常用語であるかもしれないが、平和憲法に基づき国家の根幹である国防を担い、国際貢献や災害救助に汗をかく自衛隊を「暴力装置」と侮辱したことは、決して許されるものではないし、自衛隊を「暴力装置」と表現することは、憲法9条をはじめとする日本国憲法の精神を全く理解していないということである。

 第4に、国会同意人事案件に対する怠慢である。

 民主党政権は、今次国会召集からかなり日時を経た、10月半ばに5機関11名について提示した。これらはすべてが任期満了か、既に辞任した空席を補充するための人事であった。さらに今なお再就職等監視委員会の人事については提示さえしてきていない。さらには、この同意人事の国会議決がされていないにもかかわらず、次の人事を提示した。これらを長く放置していたことは国会軽視、政府の怠慢以外の何ものでもない。同意人事を担当する官房長官の責任は重大である。

 第5に、北朝鮮による韓国・延坪島砲撃事件における危機管理能力の欠如である。

 北朝鮮の砲撃開始は午後2時34分であるが、菅総理は砲撃を3時半ごろ報道で知り、官房長官もほぼ同時刻に第一報を東京都内の私邸で受け取っている。総理が官邸に入ったのは午後4時45分、仙谷官房長官は同50分である。総理、官房長官ともに、砲撃から2時間以上、一報を受け取ってから1時間20分経過してから官邸に入っている。しかも官房長官は総理より遅い登庁である。

 仙谷官房長官のその傲岸不遜な発言、失策の数々には、与野党を問わず、批判が集中している。一刻も早く、官房長官が職を辞すことが、菅内閣による日本の国益への損失を少しでも抑えることにつながると確信する。

 以上が本決議案を提出する理由である。」 

0944/「戦後」とは何か⑤-佐伯啓思・日本という「価値」(2010)より。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)という「論文集」(p.309)は三部で構成されているが、あえて言えば第一部は経済、第二部は政治、第三部は思想をテーマとするものを収載している。タイトルに示された「日本という『価値』」は価値を失い、または価値追求を失った日本人に何がしかの(日本としての、日本に特有の)「価値」発見・追求を求める趣旨なのだろうが、基本的趣旨は理解できるとしても、その「価値」の具体的内容は、残念ながら明瞭ではない。
 重要と思われる論考の一つは第8章「保守政治の崩壊から再生へ」。これは、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(2010、ジョルダン)の中の独立の論考で2010年3月初出。自民党と民主党に言及しつつ、「戦後日本的なもの」を論じている。以下の頁数は冒頭に掲記の単独著。

 佐伯啓思によると、自民党とは何だったかを問うことは「戦後日本」を振り返ることでもあり、「戦後日本的なもの」は、「顕教としての普遍的価値」と「密教としての日本的習慣」の結合または「二重構造」だった(p.164)。じつに(?)大胆な主張または仮説だ。

 「顕教としての普遍的価値」とは、「誤った」戦前から「正しい」日本を再生させるとされた諸理念で、以下のものがとくに列記される-「個人の自由、民主主義、合理主義、科学や技術の尊重、平和主義、人権尊重、国際主義(国連中心主義)」。これらを「普遍的正義」としての<近代国家>の実現が戦後の「公式的価値」となった、戦後憲法は「この理想を表明」するものだった。

 「密教としての日本的習慣」とは、かの戦争にかかる「一方的な日本断罪(たとえば東京裁判)への不満、日本的な宗教精神(儒教的・仏教的・神道的・古代的自然観など)を基盤にした日本的価値観への愛好、社会の中に根付いた習慣や習俗、地域に残る共同体的なもの、家族や親子、あるいは教師と学生、上司と部下などの人間関係についての『日本的』観念」といったものを指す。

 上の後者は合理的・科学的では必ずしもないために「戦後的価値」(公式的価値)とは「表面上は齟齬」をきたし、顕教の「近代主義」から見れば「前近代的」で、ときに「封建的」とされる。しかし、「人間関係を差配」する「非合理的な慣行」・ルールという「目に見えない文化」を捨て去ることはできず、「声高に公式的に」表現されなくとも「非公式の価値」となってきた(p.164-5)。

 この「二重性」が戦後日本を特徴づけた。かつ、両者は「容易に調停」しがたく、差異を意識すれば「亀裂」は大きくなる。「日本人の自己像は分裂してゆく」。

 そこで、戦後日本人は「あえて思考停止を選んだ」。表面的には「近代主義的」「普遍的価値」を称揚し、表面下では「日本的慣行」に従って行動した。言説空間では「近代主義者」として、具体的生活空間では「前近代的」日本人として振る舞った。

 かかる「戦後日本の二重性を見事に表現した政治政党」、「この二重性を利用しつつ巧みに覆い隠した」政党が、自民党だった。日本人自身が「二重構造がもたらす自己分裂もしくは自己喪失を直視したくなかった」のであり、自民党は、「面倒なことから目をそらしたい」という「戦後日本人の心理に巧みに寄り添った」(p.166)。

 <戦後>とは何だったかを考えるためにも、きわめて興味深い叙述ではないか。上のいわばテーゼ的なものは、自民党のみならず、「吉田ドクトリン」や民主党政権の誕生にも関連させられる。次回に続ける。

0943/中国は「共産主義を全面的に捨てた」のか-西尾幹二=青木直人・尖閣戦争(祥伝社新書)より。

  西尾幹二=青木直人・尖閣戦争―米中はさみ撃ちにあった日本―(祥伝社新書、2010.11)で、西尾幹二は「中国は共産主義からの体制変換を宣言していません」と述べる(p.70)。

 西尾はまた、中国は、①古代専制国家、②共産主義・独裁国家、③似非金融資本主義国家、の三つの「蛇頭」をもち、さらに④「全体主義的ファシズム体制」の特徴が色濃くなっている、という(p.240-1)。

 上の②と④は同じことの別表現ではないかと思うが、西尾は、月刊正論12月号(産経新聞社)の「日本よ、不安と恐怖におののけ」でも同旨のことを述べていた(4点を挙げる、月刊正論p.75)。
 西尾幹二はまた、「東アジアには冷戦がつづいていた」ということを付随的に書く(上掲書p.70)。この点は、「冷戦は終わった」ことを前提として叙述する佐伯啓思とは異なる。

 だが、その佐伯啓思も、某誌11月号では、次のように書いて、中国は「共産主義」国であることを認めている。

 <「冷戦時代」の世界の構図は分かりやすかった。「中国は独特の共産主義国ですが」、基本的には東西対立で世界を理解できた。だが、「冷戦が終わって以降」、単純ではなくなった。(中略)九〇年の「社会主義陣営」崩壊後に「一番経済が発展したのが共産主義の中国」だ。これは「皮肉なことで、ほとんど漫画みたいな話」だ(p.7)>。

 「社会主義」と「共産主義」とを厳密に使い分けているとは思えない。佐伯においても、中国は「共産主義(社会主義)」の国なのだ。

 だが、興味深く、また検討を要するとも思うのは、西尾幹二との共著(対談著)である上掲の本で、青木直人は、中国は「共産主義」国ではない旨を述べていることだ。青木によると、以下。

 1989年の天安門事件頃、保守派(李鵬ら)と「市場経済」派(趙紫陽ら)の対立があった。湾岸戦争、ソ連崩壊を経て鄧小平が担ぎ出されたが、鄧小平は「趙紫陽やかつての自分たち」の主張した「経済開放政策、経済特区策」は正しかったと大演説をした。彼は<社会主義・資本主義>論争を非生産的とし、最晩年には「もはや社会主義は終わった。歴史的運命を終えた」と宣言した。「このとき、共産党は共産主義を全面的に捨てたのです」。1992年以後の人民日報社説ではかつてのターム「プロレタリア国際主義」が姿を消し、代わりに「中国愛国主義」が急増する(以上、p.84-88)。

 青木直人はより細かいまたは具体的なレベルで中国の政策・主張の変容を分析しているので、同じ「共産主義」という概念でも、厳密または純粋なそれを意味させているのかもしれない。

 しかし、釈然としないことはたしかで、なるほど<社会主義的市場経済>とはいったい何か、それも共産党一党独裁下での<市場経済>とは何か、といったことを十分には理解できていないようであることをも自覚する。

 青木には、「共産主義が全面的に捨て」られているとすれば、いったい何が採用されているのか、さらに詳述してほしいものだ(他の自著で書いているのかもしれない)。

 また、<中国経済>の専門家もいると思うが、この国の<経済>の仕組みを分かり易く解きほどいて説明しておいてほしいものだ。理論的・厳密な研究対象にできるだけの、信頼できる統計・資料等が乏しいのかもしれないのだが。

 二 ついでに、あと二点。西尾幹二は上の共著でつぎのように主張している。

 第一に、<すべて欧米基準にする必要はないが、日本は「民主主義国家ですよ、自由が存在する国ですよ、中国とはまったく違いますよ」ということをきちんと主張することが大切だ>(p.122)。

 これは月刊正論12月号での中西輝政の主張とほとんど同じで、また、佐伯啓思ならばこういう書き方はしないだろうように推測されて、興味深い。

 第二に、総選挙実施の主張だ。<尖閣事変は中国による「民主党の売国シグナルの真意を試す」行動で、中国には好ましいデータが揃っただろう。「この忌々しい状況を覆すには、マスコミの伝えない支那の恐ろしさを国民に知らしめ、売国民主党の支持率を下げさせて一刻も早く民主崩壊に導き、総選挙体制に持ち込むこと」だ(p.236)。

 この点はまったくの同感だ。例えば、現在の議席配分のままだと、公明党・社民党・日本共産党の賛成によって、上程されれば、参議院ですら外国人地方参政権付与法案は通過してしまう。

 佐伯啓思はややニュアンスの異なる主張をしているが、別の機会に言及したい。

0942/「戦後」とは何か④-西尾幹二ら・尖閣戦争(祥伝社新書)より。

 西尾幹二=青木直人・尖閣戦争―米中はさみ撃ちにあった日本―(祥伝社新書、2010.11)を、11/19に、全読了。

 構成は、序章・尖閣事件が教えてくれたこと、一章・日米安保の正体、二章・「米中同盟」下の日本、三章・妄想の東アジア共同体、四章・来るべき尖閣戦争にどう対処するか。計251頁。
 逐一の感想やコメントは書かない(時間がなくて書けない)。

 本題からはやや外れるだろうが、次の言葉は印象的だ。

 西尾幹二いまだに中国が共産主義の国であるということすら、しっかり認識していないし、五〇〇〇年の歴史を持った普通の国みたいに思っている人が多い。ちっともわかっていない」(p.29)。

 多数の<中国本>にもかかわらず、こういう状態だった、またはこういう状態のままの日本国民は多いだろう。

 菅直人は、先日の胡錦濤との「交談」で、両国は「一衣帯水」の関係にあり、とか何とかメモを見ながら冒頭で述べていた。五〇〇〇年(4000年?)の長い歴史を持ち、種々の文化を日本に伝えてくれた、というイメージも強いのだろう。

 だが、19世紀以降に日本から「学んだ」のは中国の側だ。古代を除き、その後いったい何を恵んでくれたのか。

 蒙古人、満州族による支配(王朝)があったことは知識としては常識的なことで、現在のような漢民族中心の国家が長々と続いてきたわけではない。中国という「国家」があって、連綿と続いているわけではない(現在は、毛王朝とか共産党王朝とか表現できる)。この点、日本とは決定的に異なる(<戦国時代>に統一国家=中央政府があったかはかなり疑わしいが)。

 にもかかわらず、上のような印象・イメージが日本人にあるのはなぜなのだろうか?

 中学校・高校時代に、中国または中華人民共和国についての正確な知識が教えられていないことがまずは大きい。きちんと「共産主義」なるものが教育されなければならない。

 ということは、中国に関係する教科書の問題になり、そして、中国に関係する教科書をどのような人々が執筆しているのか、という問題に行き着くだろう。

 そして、歴史・政治・経済・現代社会等々の教科書を執筆している大学教授たち等が<社会主義幻想>を持っていて、<親中国>の立場にいたら、どうなるのか? どういう中国に関する叙述になるだろうか? これが日本人の一般的意識に何を生じさせているかの根源かもしれない。

 そのような教育を受けた者が行政官僚・司法官(+弁護士)・マスコミ社員等々になっていく。中国(中国共産党)を批判する者はナショナリストで「右翼」だ、的なイメージが片方では作られている。

 そのような状況は、今回の事件で少しは変わっただろうか?

 いつか、朝日新聞について、すでに中国に<籠絡され>ているのではないか、という表現を使ったが、これはたんに親中・媚中の意識を持っているということにとどまらず、少なくとも実質的には、中国(中国共産党)の<エージェント>になっている幹部社員や記者等も朝日新聞にはいるのではないか、という疑いを持っているからだ。

 いかにして<エージェント>になるかは様々な方法・過程があるだろう。教育それ自体に問題があるところに、そしてそれは<左傾化した>(社会主義幻想をなお持つ)大学教授らに依るところが大きいと見られるところに、個々具体的な<策略>が種々に仕掛けられている、と見ておいた方がよい、とあらためて感じる。

 この、日本人になお残る、社会主義(共産主義)国に対する<甘さ>(警戒心の欠如)は、<戦後>というものの基本的な一内容でもある、と考えている。

0941/「戦後」とは何か③-遠藤浩一著の3。

 1963年(昭和38年)に、「文学座」分裂事件が起こり、これには三島由紀夫福田恆存も関係している。この事件は、<親中・媚中>の「左翼」で、のちに大江健三郎のそれの次の年に日本の文化勲章受賞を拒否した杉村春子が主人公のようで、「政治」と文芸(・新劇)との関係あるいは<進歩的文化人>なるものの所為を知る上でも興味深い。1963年とは、東京五輪の前年になる。
 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(2010、麗澤大学出版会)p.214-によると、福田恆存はこの1963年から翌年にかけて、「日本近代史論」を月刊文藝春秋に連載したらしい。この論考は現在刊行中の福田恆存評論集(麗澤大学出版会)には収載されていないようだ。

 遠藤によると、福田論考の内容は、次のようだ(「」はもともとの福田恆存の文章の引用部分)。

 明治以降の「近代化」は「壁なし社会」形成という成果はあるが、「大壁、小壁が存在しなくなったのではなく」、「透明な部分が多く」なりかつ「在り場所が不規則に」なっただけのこと。悪法も無視することで「存在を透明に」して「あたかも無きがごとき錯覚」を与えうる。特に戦後の日本は一九四六年製の胡乱な憲法によって拘束されているが、その歪みに対する疑念は拭われていない(「悪法は法に非ず」が安直に実現され日常化されている)。

 また、日本の国際化は国際的視野が広がったのでは必ずしもなく、「国家という大城壁が崩れ去」り「透明になり見えにくくなったという意味」にすぎない。

 さらに、大衆化現象の進展・マイメディアの発達による都市化の急速化で大都市・農村を問わず「彼等の欲望を強烈に刺激し、その欲求不満を掻立てる」ようになった。そして自然科学の進歩や技術革新により、日本人は「悪夢の中」に「他方では限り無く美しい薔薇色の夢の中」に包まれて、「自由を束縛する壁」や「危険を守ってくれる壁」の存在が「全く解らなくなっている」。

 以上だが、なかなかに含意に富む。

 <透明化>とは近年ではよい意味で使うことが多いが、ここでは存在するのに見えなくすること(見えなくなること)の意味だ。

 ①日本国憲法制定過程・手続に大げさには「悪」があったとしても、見ても見ぬふりをする(気づいていても知らないふりをする)心性にほとんどの日本人が陥っていたのではないだろうか。また、過程・手続にのみならず内容自体にも奇妙なところがあることを意識していた者も少なくなかっただろうが、あえて言挙げする者の方が少なかったのだろう(だからこそ憲法改正は現実化しなかった)

 ②1963-64年の時点にすでに福田恆存はマスメディア等が日本人の「欲望を強烈に刺激し、その欲求不満を掻立てる」現象を指摘している。大宅壮一がテレビによる<一億総白痴化>を語ったのは1957年くらいらしい。だが、経済成長に伴う、とくにマスメディアを通じた<消費「欲望」肥大化>・<「物質的」豊かさの追求>に対する批判的なコメントとしては、1963年頃でも早いと言えるだろう。

 ③「壁」が見えなくなっているとの指摘は、「国家」意識の減退・縮小や規律・秩序の弱体化・崩壊を意味しているようだ。

 そして驚くべきことに、上の①~③のような、福田恆存が1963年頃に含意させていたような事柄は、今日、2010年でも、基本的には何ら変わっていないのではないか。

 遠藤浩一も言うとおり、<「戦後」はまだ続いている>。

 「悪法を改めることもせず、その解釈拡大(無視)によってしのぎ続ける日本人。『国家という大城壁』を崩壊に任せたままの日本人。欲望の充足だけが政治の課題だと信じ込んでいる日本人。自らを守るものを見失ったままの日本人。何も変わっていない」(p.216)。

0940/戦後史②-遠藤浩一著の2。

 <戦後>とは何だったか、については直接・間接にいろいろと言及してきた。かつて、類似タイトルの田原総一朗の本の内容に触れたこともある。

 あらためて、より包括的に、だが当面は遠藤浩一と佐伯啓思の本を手がかりにして、<戦後史>を考える。

 日本の<戦後>の第一の区切りは1952年の講和条約発効だったかに見える。だが、1950年の朝鮮戦争と警察予備隊発足による日本の事実上の<再軍備(軽装備だが)>の始まりと、その前提としてのアメリカの占領基本方針の変更(変更前の「成果」こそが1947年施行の日本国憲法だった)の時点の方が政治的意味は大きいかもしれない。

 1947年初め(日本国憲法はすでに公布されていた)までを<戦後第一期>とすれば、その後が<戦後第二期>で、今日にいう<戦後>とは、この<第二期>の、アメリカの軍事力に守られて(軽軍事力のままで)経済成長にいそしむ、という「体制」に他ならないだろう。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)p.216(2010、麗澤大学出版会)は、そのような「戦後というものの継続」が確定したのは、1952年でも、(政治学者はしばしば画期として用いる保守・左翼政党のそれぞれの統一年である)1955年(「1955年体制」)でもなく、「昭和三十年代半ば以降」だったとする。

 昭和30年代の半ば、昭和35年は1960年で、<六〇年安保騒擾>の年。この年に岸内閣は退陣し、池田勇人内閣に変わる。

 池田は「朝鮮特需の頃」(1950年)から「助走」を始めていた「高度成長に棹さすことによって所得倍増政策を推進」した(p.217)。

 1963年10月に池田勇人は「在任中、憲法改正はいたしません」と宣言した(p.221)。

 遠藤浩一によると、池田政権の発足ととともに「軽武装・対米依存・経済成長優先」という「吉田路線」が復活し、「戦後」は終わらないまま「池田時代から本格化した」(p.221)。

 最近しばしば目にする<吉田ドクトリン>の内容とその評価はなおも留保したいが、<60年安保騒擾>後の数年間で、現在の日本の基本的姿は決まってしまった、という趣旨には同感する。

 すなわち、この時期に、政権党・自民党は、憲法改正(自主憲法制定)を実質的にあきらめてしまったのだ。

 どうしてだったのだろう? この時期に憲法調査会の報告もあったはずだが、改憲反対勢力が国会で1/3以上を占めていたので、改正の現実性は低かった。

 しかし、憲法改正(自主憲法制定)を訴え続け、国会内勢力を憲法改正発議が可能なように改める努力を、なぜ自民党政権はしなかったのだろうか。

 いつかも書いた気がするが、この時期に憲法改正=「自衛軍」の正式な(憲法上の)認知がなされていれば、今日まで残る基本的な諸問題のかなりの部分はすでに解決されていた。 三島由紀夫の1970年の自裁はなかった可能性がむしろ高いだろう。

 表向きはまたは身近は「平和」な状況のもとで快適で豊かな「物質的生活」を望んだ国民の意識が背景にはあるのだろう。しかし、国民の意識あるいは「欲望」に追随し阿るのが政治家・政党ではあるまい。

 岸信介は、「経済は官僚でもできる。だが、外交や治安はそうはいかない」と語ったらしい(遠藤浩一・下p.217)。

 なぜ、憲法改正はこの時期に挫折し、その後実質的には政治的課題・現実政治的な争点にならなくなったのだろうか。

 改憲反対勢力が国会で1/3以上を占めていた、あるいはそのような状態にさせていた「力」は、いったいどこから来ていたのだろう、という問題ともこの疑問は関連するはずだ。

0939/自衛隊を「暴力装置」と呼ぶ仙石由人の「反日」・マルクス主義者ぶり。

 一 仙石由人「健忘」官房長官が、11/18、自衛隊を「暴力装置」と呼んだ。

 軍(・警察)を「暴力装置」と呼ぶのはマルクス主義用語で、仙石の頭の中には、<自衛隊(軍)=暴力装置>という固定観念が根強く残っていることが、とっさの国会(参院予算委)答弁中の発言であることからもよく分かる。

 しかも、仙石由人は、「法律用語としては適切ではなかった」とだけ述べて陳謝し、撤回した。「法律用語」ではない「政治(学)」用語または「社会科学」(?)用語としては誤ってはいない、という開き直りを残していることにも注意しておいてよい。

 厳密には、マルクス・レーニン主義(コミュニズム)においては「国家」こそが「暴力装置」で、その国家を体現するのが<軍(・警察)>ではなかったか、と思われる。そして、マルクス・レーニン主義上は、「暴力装置」としての(またはそれを持つ)「国家」は、「家族」・「私有財産」とともにいずれ死滅する筈のものだった。現実に生まれたマルクス主義国家=社会主義国家が、まだ過渡的な時代のゆえか(?)、強力で残忍な「暴力装置」(政治犯収容所等を含む)があってはじめて存立しえたこと(しえていること)はきわめて興味深いことだが…。

 二 仙石由人は、奇妙で重要な発言を官房長官になって以後、しばしばしている。ソ連(ロシア)とは平和条約を締結しておらず国交を回復していないとの認識を示したらしいことも、官房長官としての資格を疑うに足りた(たしかのちに撤回した)。これよりも重大なのは、日韓関係についての発言だろう。

 2010.08.10の菅直人首相談話は100年前の日韓併合条約によって「その〔韓国の人々〕の意に反して行われた植民地支配」が始まった、と述べた。閣議を経ていることからも、仙石由人がこの文案作成に大きく関与している可能性がきわめて高い。

 また、2010.07.07には1965年の日韓基本条約に関連して、次のように述べた、と伝えられる。すなわち、「日韓基本条約を締結した当時の韓国が朴正煕大統領の軍政下にあった」ことを指摘し、「韓国国内の事柄としてわれわれは一切知らんということが言えるのかどうなのか」と述べ、同条約で韓国政府が日本の「植民地」時代にかかる<個人補償>請求権を放棄したことについて「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか」と発言した。解決済みの筈の、または問題自体が存在しない、<従軍慰安婦>個人補償「問題」を、政府としてむし返す意向だ、と理解された。

 さて、当時にすでに感じたままこの欄に書いてこなかったことだが、仙石由人は、では、日本と日本国民にとって(韓国人にとっての日韓併合条約と同等に)重要な1947年の日本国憲法は日本国民の完全に<自由な意思>にもとづいて、つまり<意に反して>ではなく、制定され、施行されたのだろうか。当時は間接統治だったが、GHQの「軍政下」で制定され、施行された。朴正煕の「軍政」以上の、外国の「軍政」下にあったときに日本国憲法は作られたのだ。

 仙石由人は、日韓併合条約や日韓基本条約の韓国側の<任意性>や<(軍政下という)内部事情>を問題にするならば、日本国憲法の出自につき、万が一「法律的に正当性がある」と主張できるとかりにしても、なぜ「それだけで物事は済むのか」と考え、主張したことがあるのか?

 自分の国の憲法制定についての<任意性>や<(軍政下という)内部事情>という重大な事柄には思いを馳せず、韓国側の<任意性>や<(軍政下という)内部事情>は考慮するのは、いったい何故なのか? ちゃんちゃらおかしい。

 さらにいえば、1945.08.14の<ポツダム宣言>受諾自体、日本の<任意>だった、と言えるのか? 昭和天皇の「ご聖断」により決定された。だが、<任意に>とか<自由意思により>とかは厳密にはありえず、アメリカの強大な武力(核を含む)による威嚇によって<不本意>ながら受諾した、というのが、真実に近いだろう。敗戦という<終戦>が、本来の「意」に反して、行われない筈がない。国家間の戦争・紛争・対立の解消とは、少なくともどちらか一方の「意に反して」行われるのが通常だろう。

 仙石由人(や菅直人)には、このような常識は通用しないらしい。<意に反して>=<任意ではなく>=<強制的に>といった彼らの(とくに日中・日韓関係にかかわる)言葉遣いには注意が必要だ。

0938/三島由紀夫の「憲法」理解の対極にあった憲法学界の<親社会主義>。

 一 三島由紀夫は1970年11月に、「生命尊重以上の価値」をもつ「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」を「骨抜きにしてしまった憲法」と、1947年憲法(日本国憲法)を評した。そこで念頭に置かれているのはとくに、国家の軍隊の存在を否定する九条2項であることは明らかだ。自衛隊が存在しながらこれを正規の「軍その他の戦力」と位置づけない憲法解釈は、あるいは憲法改正によってそれを明瞭にしない<憲法護持>論は、三島にとって、姑息で欺瞞に満ちたものだった。

 こういう三島のような理解は、しかし、当時の政治家・国民の多数派のものではなかったし、ましてや憲法学者の大勢の理解でもなかった。

 当時はもちろん、今日でも、上の三島由紀夫のような理解は日本の憲法学界においてほとんど支持されていないと見られる。

 なぜか。端的に言って、戦後の憲法学者の圧倒的多数には、<社会主義幻想>がはびこっていたからだと思われる。資本主義→社会主義という<歴史の発展法則>に添うような憲法解釈をしようとすれば、日本が<社会主義>国になるためには、日本は(資本主義国たる日本を守るための)正規の「軍隊」などを保持してはならない、ということになる。その帰結は、①自衛隊を「違憲」の存在と見て廃止または縮小を求めるか、②自衛隊は正規の「軍その他の戦力」ではないために「合憲」であるという一種の強弁に、じつは詭弁・虚言に、少なくとも表向きはしがみつくか、のいずれかだった。

 <社会主義幻想>の内容の一つは、社会主義国は<平和愛好>的で資本主義国は<侵略的>とのデマだった。

 社会主義国ならばともかく、資本主義陣営の日本国家に、<侵略>性を有する軍隊などを保持させてはならなかった。かかる観点から憲法9条2項の解釈と自衛隊へのその適用も論じられたのだ。

 二 日本の憲法学・公法学が、表面的にはともかく、<体制選択>に関する特定の判断を前提として議論を展開させてきたことは、現役憲法学者・阪本昌成(広島大学→立教大学)の次の叙述により、明確だ。

 阪本昌成・法の支配(2006.06、勁草書房)p.1-2は、次のように一著の冒頭に書いている。時期的には、安倍晋三内閣が成立する直前にあたるだろう。

 「公法学における体制選択  20世紀は資本主義と社会主義との偉大な闘争の時代だった。経済思想史においても、政治思想史上においても、この闘争は人類史上の最大の論争点だったといっても過言ではない。この論争は公法学にも当然影を落とした。/

 過去半世紀を超えて、わが国の公法学者は、資本主義か社会主義かという体制選択問題を常に意識しながらも、あからさまなイデオロギー論争を巧みに避けて、個別的な場面での『解釈』や『政策提言』に各自の思想傾向を忍ばせてきた。イデオロギーを異にしながら、多様な『解釈』や『政策提言』を示してきた公法学者にも、奇妙な共通項があった。それは、経済市場と国家の役割への見方である。通常は、国家のもつ強制力に警戒的である論者も、こと経済市場の動きに対しては、国家介入に寛容となる。いくつか例を挙げれば、国家による市場秩序の人為的設計(かたや大企業への警戒感、かたや弱者としての中小企業や労働者の救済策)、社会保障プログラムの拡大・充実(市場における経済的弱者への思い入れ)、環境保護政策の推進(公害問題の発生因を市場経済に求める着想)等の姿勢である。/

 体制選択のひとつの候補が社会主義だった。この言葉には、”人々が程良い豊かさと自由を享受する正しい社会”という響きがどこかにあった。そのため、自由経済体制(「資本主義体制」)の社会主義体制に対する優越を公然と口にする公法学者には『右派・保守』というスティグマが与えられがちだった。ところが、社会主義国家の自己崩壊後、『社会主義』という言葉に輝きも快い響きもない。……」

 上でこの欄での文脈上とくに重要なのは、「自由経済体制(「資本主義体制」)の社会主義体制に対する優越を公然と口にする公法学者には『右派・保守』というスティグマ〔焼き印・刻印〕が与えられがちだった」、という部分だ。

 反社会主義的(または反共産主義的=反共的)言辞・発言には、<右派・保守>というレッテルが貼られがちだった、というのだ。それが少なくとも「社会主義国家の自己崩壊」までは続いた、と阪本昌成は言う。三島の死から約20年経っても、<反共>的言辞は<右派・保守>として異端視されていたのだ。

 社会主義国家はじつはすべて「崩壊」してはおらず、「体制選択」の問題は、日本では、そして日本の公法学界では、「あからさま」ではないにしても残っているように思われる。この点では、「自由経済体制」=「資本主義」の勝利とまだ決定的には断じられないところがある、と私は感じている。

 上のことには留意が必要だが、しかし、憲法学界等の公法学界の雰囲気が<親社会主義>的だったことは、おそらくは上の阪本昌成の文章でも示されているとおりだろう。

 そのような<親社会主義>的姿勢が、九条を始めとする憲法「解釈」や「政策提言」に影響を与えないはずがない

 辻村みよ子・フランス革命の憲法原理―近代憲法とジャコバン主義―(日本評論社、1989.07)は、ルソーの影響を受けたロベスピエールらの「ジャコバン主義」者、彼らの(未施行の)1793憲法の研究書だが、これらへの共感に満ち、これらを称揚しつつ、日本国憲法の「(国民)主権」論等の「原理」に関する示唆を得ようとするものだ。

 この本は東西ベルリンを隔てる「壁」の崩壊直前に執筆されたと見られる。そして、「あからさま」にはイデオロギー表明はしていないものの、(河野健二・岩波新書によると)早すぎた「社会主義」革命だったがゆえに失敗したとされる<ジャコバン独裁>を肯定的に把握しようとするもので、「あからさま」ではないが<社会主義幻想>に依拠して書かれている、と想定して間違いない。
 こうした人々にとって、三島由紀夫などは<右翼・反動>の極致の人物だっただろう。そして、こういう人々こそが(世代は上の杉原泰雄樋口陽一らも含めて)憲法学界・公法学会の主流派だったと見られる。今日に至って、少しは変化しているのだろうか

 ともあれ、日本の憲法学(学界)の大勢は、三島由紀夫の対極に位置していた、ということだけを、少なくとも確認しておきたい

 三 なお、第一に、阪本昌成が学界の「奇妙な共通項」として上に指摘するようなことは、日本国憲法もしっかりと(?)勉強して司法試験に合格した戦後教育の優等生である、福島みずほや仙石由人等を見ていると、なるほどと頷けるところがあるだろう。

 第二に、阪本昌成の上の本は、この欄でメモしながら読みつなぐことを意図したが、二年前にp.21くらいまで進んだだけで終わってしまった。

 上の引用は、最後の部分を除いて全文だが、かつて、次のように要約していた。

 <前世紀は資本主義と社会主義の対立の世紀で、この対立・論争は「公法学」にも影を落とした。日本の公法学者はこの体制選択問題を「常に意識し」つつも「あからさまなイデオロギー論争を巧みに避け」て、個別の解釈論や政策提言に「各自の思想傾向を忍ばせ」てきたが、「経済市場と国家の役割への見方」には奇妙な一致があった。すなわち、通常は国家の強制力を警戒する一方で、経済市場への国家介入には寛容だった。
 体制選択の一候補は社会主義で、快い響きをもっていたため、自由主義経済体制(資本主義)の優越を「公然と口にする公法学者」には「右派・保守」とのレッテルが貼られた。だが、社会主義国家が自己崩壊し体制選択問題が消失した今では、「リベラリズムの意義、自由な国家の正当な役割、市場の役割」を問い直すべきだ。その際のキーワードは、「政治哲学」上の「自由」、「法学」上の「法の支配」>。 

0937/「戦後」とは何だったのか①-三島由紀夫「檄」。

 三島由紀夫の自裁後、ちょうど40年がもうすぐだ。
 1970年11月25日の「檄文」は、当時における三島の「戦後」認識を示している。そして、40年後の現在も何も変わっていないことに気づく。いや、何も変わっていないのではなく、当時よりも状況は<悪く>なっているかもしれない。

 「戦後」とは何だったのか。現在も含めて、<1947年憲法体制>の時代、と将来は呼ばれそうな気がする。ともあれ、三島由紀夫の「檄文」における「戦後」認識を引用する。なお、この「檄文」の一部はすでにこの欄に掲載したことがあるが、そのときよりも、引用部分をより長くした(新仮名遣いに改めている)。決定版三島由紀夫全集36巻p.402以下(2003、新潮社)。

 「檄/〔略〕/
 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。〔中略〕しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不明確な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。〔中略〕憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力を尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 〔中略〕日本の軍隊の建軍の本義とは、『天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る』ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしたのである。

 〔中略〕その日〔昭和44年10月21日〕に何が起こったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て『憲法改正』という火中の栗を拾わずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。〔中略〕政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬っかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。〔中略〕そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 〔中略〕この昭和四十四年十月二十一日という日は〔中略〕憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され〔中略〕自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は、『護憲の軍隊』として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。

 〔中略〕沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであろう。

 〔中略〕もう待てぬ。〔中略〕生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。〔以下略〕」

 「戦後」認識には当然に、戦後の基本的「体制」をどう認識するかも含まれる。そこには憲法上は「戦力」ではない筈の自衛隊をどう見るか、上の文には出てこないが日米安保をどう見るか、もまた含まれる。そして「憲法改正」にどういう立場を採るかにも関係してくる。

 一字一句、三島由紀夫の文章を<信奉>することはしない。だが、40年前の三島の鋭い指摘・認識にはあらためて感心する。三島由紀夫だけの認識や考え方ではなかっただろう。だが、当時も現在も、基本的なところですら、日本の政治家や国民の<多数派>にはなっていない。痛い想いとともに、三島の死の意味を考える。

0936/講和条約から60年安保「騒擾」へ-遠藤浩一著。

 一 いわゆる「六〇年安保」の1960年が、戦後日本にとっての重要な分岐点の一つだっただろう。

 遠藤浩一は、<六〇年安保闘争>などという語は用いず、「六〇安保騒擾」と称している。ともあれ、今でも、この「闘争」なるものに参加して国会周辺デモをしたことを懐かしくかつ何の恥ずかし気もなく語っている者が知名人の中にも少なくないことはどうしたことだろう。騙されてか、信念を持ってかのいずれにせよ、樺美智子や西部邁らとともに安保改定「反対」デモに加わったということは、秘すべき、恥ずかしい過去なのではないか。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(2010.04、麗澤大学出版会)p.47は、次のように<主権回復時(から安保改定に至るまでの経緯)>の論点を整理している。適確なのではないかと思われる。
 ・「平和憲法」により「戦力は…保持しない」として「自分で自分を守ることは致しません」と内外に宣言した日本が「主権を回復」しようとするとき、「二つの選択肢」が想定された。

 ・①「憲法を改正して普通の独立主権国家並の体制を整える」(そのうえでどこかと「同盟関係」を結ぶというオプションもありうる)。②「憲法の非戦条項を維持したまま別の国家に保護を求める」。

 ・かつまた、「東西」分裂・「冷戦」の激化があったので、この点でも「複数の選択肢」が発生した。

 ・A「自由民主主義陣営」に属する、B「共産圏」に属する、C「非同盟中立」を標榜して「独自の道」を歩む。但し、Cの場合は日本を「軍事的、経済的に保護」できる「非同盟中立の大国」は存在しなかったので、この道は「必然的に憲法を改正し自主防衛を追求」せざるをえない。

 ・以上を複合させて整理すると、「主権回復時」の日本は次の五つから進むべき途を選択する必要があった。

 ・①「憲法を改正し再軍備」したうえで「自由民主主義諸国」と連携する。②「再軍備したうえで共産圏」にコミットする。③「再軍備して非同盟・中立」を追求する。④「憲法」に手を付けず(=憲法改正をせず)「軽武装もしくは非武装」で「米国に軍事的保護を求める」。⑤同様に「軽武装もしくは非武装」で「ソ連に軍事的保護を求める」。

 ところが、と遠藤浩一は続ける。「全面講和論者」は「平和、平和」と気勢を上げるだけで、当時の日本が置かれた「状況」とそこから導出される「選択」について、「説得力ある議論」を展開したわけではなかった(p.47)。

 二 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者は、現実に明確な<勝利>をしたわけではないが、戦後日本の歩みにきわめて重要な役割を果たした。その系譜は、脈々と今日まで受け継がれ、<左翼・売国>政権となって政治の現実について主導権を握るまでに至っている(「コミュニズム」の影響は今日の日本でもなお根強く生きている)。

 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者とは簡単にはかつてにいう<進歩的文化人>を含み、かつこれによって煽られ、「理論」的に支えられもした。この者たちの<罪>は、永遠に忘れられてはならない。むろん、その背後にソ連共産党等の外国を含むコミュニストがいたことも明らかなことだ。

 戦前の個々の「戦史」や作戦・戦略面での<判断ミス>やその責任者について関心はなくはないが、そしてそれは戦後(・占領期)の「東京裁判」の理解と関係するが、基本的には、戦前の歴史には積極的な関心を持たないようにしている。

 時間的余裕が、現在も、想定される将来も乏しいからだ。

 日本は<戦争に負けた>、という事実から、日本の「戦後史」をふりかえるしかない。そして、<戦争に負けた>のは事実だが、そこに道徳的・倫理的な評価を混ぜることがあってはならない、ということをも前提としてふりかえるしかない。

 <戦争に負けた>のは事実だとしても、日本がその<戦争>をしたこと自体が「悪」だったとか、道義的・道徳的・倫理的に批難されるべきものだったとかの立場には立たない。<日本は(反省すべき)悪いことをした>という歴史認識は、一方に偏り過ぎている。いかにそれが、戦後の<正嫡の>「歴史観」だったとしても、<正嫡>・<公式>の歴史観・歴史認識が適切または「正しい」保障はない。言わずもがな、だが。

 というわけで、あるいは、ということを前提として、遠藤浩一の本等に言及しながら、「戦後史」をふり返る作業も、この欄で行う。

0935/資料・史料-2010.11.06「尖閣ビデオ流出」朝日新聞社説。

 資料・史料-2010.11.06「尖閣ビデオ流出」朝日新聞社説
 平成22年11月06日//朝日新聞社説
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 尖閣ビデオ流出―冷徹、慎重に対処せよ
 政府の情報管理は、たががはずれているのではないか。尖閣諸島近海で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した場面を映したビデオ映像がインターネットの動画投稿サイトに流出した。
 映像は海保が撮影したものとみられる。現在、映像を保管しているのは石垣海上保安部と那覇地検だという。意図的かどうかは別に、出どころが捜査当局であることは間違いあるまい。
 流出したビデオを単なる捜査資料と考えるのは誤りだ。その取り扱いは、日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な案件である。
 それが政府の意に反し、誰でも容易に視聴できる形でネットに流れたことには、驚くほかない。
 ビデオは先日、短く編集されたものが国会に提出され、一部の与野党議員にのみ公開されたが、未編集の部分を含めて一般公開を求める強い意見が、野党や国民の間にはある。
 仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない。
 もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである。政府が隠しておきたい情報もネットを通じて世界中に暴露されることが相次ぐ時代でもある。
 ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある。警視庁などの国際テロ関連の内部文書が流出したばかりだ。政府は漏洩(ろうえい)ルートを徹底解明し、再発防止のため情報管理の態勢を早急に立て直さなければいけない。
 流出により、もはやビデオを非公開にしておく意味はないとして、全面公開を求める声が強まる気配もある。
 しかし、政府の意思としてビデオを公開することは、意に反する流出とはまったく異なる意味合いを帯びる。短絡的な判断は慎まなければならない。
 中国で「巡視船が漁船の進路を妨害した」と報じられていることが中国国民の反感を助長している面はあろう。とはいえ中国政府はそもそも領有権を主張する尖閣周辺で日本政府が警察権を行使すること自体を認めていない。映像を公開し、漁船が故意にぶつけてきた証拠をつきつけたとしても、中国政府が態度を変えることはあるまい。
 日中関係は、菅直人首相と温家宝(ウェン・チアパオ)首相のハノイでの正式な首脳会談が中国側から直前にキャンセルされるなど、緊張をはらむ展開が続く。
 来週は横浜でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議が開かれ、胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の来日が予定されている。日中両政府とも、国内の世論をにらみながら、両国関係をどう管理していくかが問われている。
 ビデオの扱いは、外交上の得失を冷徹に吟味し、慎重に判断すべきだ。
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0934/衆議院の解散・総選挙で改めて民意を問うべきだ。

 〇産経新聞11/13によると、時事通信社の世論調査(11/05-08)の結果は次のとおり。

 菅内閣支持27.8%(前月比-11.4)、不支持51.8%(+12.6)。

 政党支持率 民主党16.2%、自民党16.5%。政権交代後「初めて」自民党が逆転したらしい。

 この種の世論調査にどの程度の信頼性があるのか知らないが、菅内閣支持率の続落(仙石由人健忘長官の詭弁は上昇に役立っていない)ことのほか、上の第二点の「逆転」はかなり重要なニュースではないか。

 もっとも、「支持政党なし」という、隠れ共産党支持者(同党員)等を除いて、ほぼ<日和見層>・<浮遊層>にあたるものが、57.4%。今後のマスメディアの報道の仕方によってなお大きく変わりそうではある。

 〇NHKの11/08の午後七時からのニュースは、興味深いデータ(NHK世論調査)を報道していた。

 菅内閣支持31%(前月比-17)、不支持51%(+16)。

 これらよりも「興味深い」のは、<法案を成立させることが難しい「ねじれ国会」をどう打開すべきだと思うか>との問いに対する回答で、次のとおりだったという。

 ①「衆議院の解散・総選挙で改めて民意を問うべきだ」38%

 ②「与党と野党が政策ごとに連携すべきだ」36%

 ③「与党と野党の一部が連立政権を組むべきだ」・③「与党と自民党が大連立政権を組むべきだ」、それぞれ7%。

 なんと、解散・総選挙であらためて民意を問うが相対的には第一位になっている。

 一世論調査の結果の数字だとはいえ、このような「民意」が、産経新聞を含む全国紙やテレビメディア等に表に出てきていないのは、何故なのだろう。

 〇櫻井よしこの週刊新潮の連載コラムを3回分見てみる(11/04、11/11、11/18各号)。

 中国批判またはその批判的分析が多く、最近号の前半でようやくまとまった菅・仙石由人批判が出てくる。

 どこにも、「(衆議院)解散」、「総選挙」、「内閣打倒」、「倒閣」等の言葉は出てこない。

 中国や対中国対応を批判しているのは親中内閣を批判しているのと同じであり、内閣を批判しているのは内閣不支持→倒閣(そのための総選挙等)の主張と実質的には同じだと強弁(?)されるかもしれない。しかし、明確な言葉で書いているのとは大きな違いだ。

 あれこれとかりに正しく適切な<保守派的>言説をバラ撒いても、適切な時期に適切な主張をしなければならない。

 とくに櫻井よしこだけを論難してはいないが、民主党政権の誕生という、とり返しのつかない(既成事実としてすでに1年以上経った)政変を許してしまったのは、民主党政権誕生を許してよいのか、ということこそが昨年の総選挙の争点だったことの認識または政治的感覚の不十分さが<保守派>の側にあったことも大きいと考えている。

 そうだったからこそ、櫻井よしこらはなぜか安心して(?)自民党を<右から>批判して、結果としては民主党政権誕生の流れに棹さした。櫻井よしこは総選挙前の2009.07に、自民党は<負けるなら潔く負けよ>とまで明記していたのだ(櫻井よしこ・日本を愛すればこそ警鐘を鳴らすp.43-(2010.06、ダイヤモンド社)。

 政権交代直後にも民主党政権には期待と不安とが<相半ば>すると明記していた櫻井よしこだから、適切な政治感覚を期待しても無理かもしれない。それに、近傍には屋山太郎という民主党政権誕生大歓迎者もいる。

 せっかくよいことを多数の雑誌や本で書いても、ある程度の適切な政治的感覚・「勘」がないと、これらが<鈍い>と、今後も日本の具体的な方向性を結果として誤らせる可能性があることを懼れる。

0933/佐藤幸治の紹介する「戦略的護憲論」と井尻千男の唱える「憲法改正是非国民投票」。

 〇佐藤幸治・憲法とその”物語”性(2003、有斐閣)は、日本国憲法についての改憲論、護憲論にはそれぞれ二種ある旨を述べている。

 前者・改憲論には①根本理念を否定的に評価する「全面的改憲論」と、②全体としては「受け入れ」つつ「九条」の改正を主張する「部分的改憲論」(p.62)。

 記憶に頼るが、櫻井よしこは国民の権利義務の章についても疑問を呈しているので、上の①。八木秀次は人権条項等には間違っていないものもある旨を書いていたことがあるので(この点はこの欄で触れているが、自分の文章ながらも検索しない)、上の②に近いだろうか。

 いわゆる改憲論者は、自分が上のどちらに属するのか、明確な自己確認をしておいてよいだろう。私は理論的には、あるいは望ましい改正の姿からすれば、①の「全面的改憲論」に立つ。

 自民党の改憲案は現行憲法を前提として一部に削除・追加等をするもので、②に近いものと考えられる。

 本来は、自民党案のような<継ぎ接ぎ(つぎはぎ)改正>ではなく、条項名も内容も一新した全面改正が望ましいと考えられる。それによってこそ、日本と日本人は<自立>できるだろう。

 だが、現実的には、九条2項削除(+新設規定)による国防軍(自衛軍)の正式認知が可能ならば、そして法技術的観点等も含めてその方がより容易ならば、<継ぎ接ぎ改正>という<妥協・譲歩>もやむをえない、と考えている。

 元に戻る。佐藤幸治によると、後者・護憲論には、①「全面的擁護論」と、②「別種の理想社会への過渡的措置としてだけ評価する」いわば「戦略的護憲論」とがある。なお、①も「自由主義」から「社会民主主義」までの「多様な立場を包摂」する、とされる(p.62)。

 興味深いのは、佐藤幸治が、②「別種の理想社会への過渡的措置としてだけ評価する」いわば「戦略的護憲論」なるものの存在をきちんと認知し、かつどちらかといえば消極的評価のニュンスを匂わせていることだ。

 まさしく、②「別種の理想社会への過渡的措置としてだけ評価する」「戦略的護憲論」はある。日本共産党の護憲論、日本共産党員の護憲論、日本共産党員憲法学者の護憲論はこれにあたる。

 日本共産党のみが現行憲法制定(旧憲法「改正」)時に「反対」投票をしたことはよく知られている。それも、固有の自衛権の行使のための「戦力」保持を禁止する九条2項を当時の日本共産党は問題視したのだ。

 それが近年では<九条の会>運動の担い手になっているのだから、笑わせる。

 吉永小百合もそうだし、その他の空想的・理念的<平和主義>者もそうだが、日本共産党の<戦略>としての護憲論(いやこの党は<憲法改悪阻止>と表現しているかもしれない)に騙されてはいけない。社会主義・共産主義社会という「別種の理想社会」への「過渡的措置を実現」するための<戦略>としての護憲論に騙されて、<ともに闘う仲間だ>などという甘い考えを持ってはいけない。

 〇月刊日本11月号(K&Kプレス)に井尻千男「今こそ憲法改正の好機だ」(インタビュー回答)が掲載されている(p.28-)。尖閣事件を契機とするもので、最近に言及した産経新聞11/03の田久保忠衛「正論」と似たようなものだ。

 しかし、上の中で井尻千男がこう言っているのには目を剥いた。
 <民主党だ自民党だと争っている場合ではない。与野党を超えて一致団結すべきだ。そこから「政界再編」もありうるが、「憲法改正の是非を問う国民投票をまず実施するべきだ」。>(p.31)。

 現時点で憲法改正に向けて「与野党」が一致できるかという現実認識の当否は別としておくが、「憲法改正の是非を問う国民投票をまず実施」すべきだ、とは、この人は何を寝ぼけたことを言っているのだろう。

 憲法改正を論じながら、現憲法上の「改正」手続に関する諸条項の内容すら知識としてもっていないようだ。他にどんなことを言っても、三島由紀夫が1970年に述べた「果たしえていない約束」を果たすべきだ等と言ったところで、上の部分で、ズッコケる。

 「憲法改正の是非を問う国民投票」などが「まず」必要になるのではない(むしろ不要だ)。最近書いたように、そんな思いつき(?)よりも、内閣を変えること、そのために総選挙をして国会議員の構成を変えること、の方がはるかに「憲法改正」に近づける。じつに常識的なことを書いているつもりなのだが。

0932/朝日新聞の二枚舌、大阪大学・鈴木秀美の奇怪な識者コメント。

 〇朝日新聞11/06社説をあらためて読むと、「非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない」と書いている。
 奇妙で滑稽でもあるのは、ここでは「政府や国会の意思に反する行為」だから、ということが理由とされている、ということだ。「国会」というのは、正確には民主党が多数を占める衆議院のことだ。

 はて、自民党(中心)内閣・自民党多数国会だったら、朝日新聞はこんなふうに主張しただろうか。
 自民党(中心)内閣・自民党多数国会が「全面公開しない」=非公開を決定したところで、その方針が気にくわなければ(場合にもよるが朝日新聞だとそういうスタンスを採ることが多かっただろう)、「非公開の方針に批判的な」行政官僚(・「捜査機関」)をむしろ持ち上げ、勇気あるものとして称揚するのではないか。

 そもそも政府の「意思」または与党が実質的に決定した国会の「意思」に反するから「許されない」とは、一般論としても、断じて言えない。政府・与党支配の国会の判断よりも優先されるべきものがある。それこそ、朝日新聞がお好きなはずの日本国憲法が示す諸価値・諸人権であり、そうした理念や<新しい人権>の中に、「透明で開かれた行政」や「(国民の)知る権利」が含まれていたのではなかったのか?

 今回に限らないが、朝日新聞の<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>はひどすぎる。
 この社説は「もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである」と白々しくも書くが、そのあと続けて、「ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」と言う。

 一般論としてはもっともに見えるこの主張を、朝日新聞は自民党(中心)内閣・自民党多数国会時代に貫いてきたのか。あるいは、民主党に変わって、<より保守的な(または朝日の嫌いな「右派」)>政党が国会多数派を占め、<より保守的(「右派」)>政権ができた場合にも、上のようなことを断乎として主張しつづけることができるのか。

 朝日新聞は、そういう政権・国会の場合は、「外交や防衛」についての透明性・情報公開を強く(限度以上に)要求することはほぼ間違いないだろう。

 このいいかげんさ、<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>を、朝日新聞記者たちは自覚しているだろうか。

 幹部「左翼」活動家たち(論説委員の中にも当然にいる)は自覚している可能性はある。自分の新聞社が<左翼政治団体>に他ならないことを知っているからだ。

 以上、朝日社説がなぜかくも簡単に情報流出者を「許せない」と詰る(なじる)ことができるのか、不思議に思って書いた。

 国家公務員法「形式的」違反がただちに刑罰可(有罪)や懲戒処分相当という結論にはつながらない、という論点には、<形式秘>・<実質秘>の区別も含めてここでは立ち入らない。

 ひとことだけ追記すると、「起訴便宜主義」を持ち出して那覇地検の<処分保留・釈放>を「諒」とした仙石由人健忘(?)長官が、尖閣ビデオ流出以降は「流出者」を犯罪者(有罪者)のごとく断定的な言い方をしているのも、大笑いの<ご都合主義・ダブルスタンダード>だ。

 〇毎日新聞11/10朝刊に面白い識者コメントが掲載されている。

 弁護士・阪口徳雄は(本来は「左翼」的と見られる人物だが)、今回の情報流出行為は「公益通報者保護法」の保護の対象外であるとしつつ、「この程度の映像なら秘密にする必要はなかったのでは」と追加発言をしている。なお、NHK等によると、<情報法(学)>の第一人者と見られているかもしれない堀部政男(前一橋大学)は、<国会でも一部公開されているので国家機密=「実質秘」にあたるか疑問。最初から全面公開して国民の議論の対象にした方がよかった>旨を述べているようだ。

 毎日新聞の記事で<面白く>感じたのは、次の鈴木秀美(大阪大学教授・憲法)の「話」だ。以下、記事中の全文引用。

 「不祥事など政府による明らかな違法行為があったり、沖縄密約のように政府が国民に隠し続けた事実を暴くケースとでは情報の質が異なる。政府の高度な政治的判断で非公開としたものを、不満だからと一職員が流したのだとすれば、正当行為だとするのは難しい」。

 こういう場合のコメント(発言)は記者による要約・簡略化が入っているだろうから、このままそっくりを鈴木秀美なる憲法学者が喋ったのではないかもしれないが、「話」の要点だけはおそらく伝えているだろう。そのことを前提として、以下に続ける。

 この鈴木の「話」はどこやら朝日新聞11/06社説の上記部分に似ているところがある。つまり「政府」が「非公開」と決定した情報を「一職員が流した」のだとすれば「正当行為」ではない、と言う。

 本当に憲法学者がこんな趣旨を述べたのか疑いたくなるほどに、憲法感覚のないコメントだ。

 第一に、「政府」の決定に反すれば、なぜ「正当行為」でなくなるのか??

 「高度な政治的判断で」決定したかどうかは問題と関係がない。政府の「高度な政治的判断」の方が誤っている可能性があるからだ。

 第二に、鈴木秀美によると、「沖縄密約のように政府が国民に隠し続けた事実を暴く」のは、許される「正当行為」らしい。

 ここで質問したいものだ。「沖縄密約」なるものは「政府の高度な政治的判断」によって交わされ、「政府の高度な政治的判断」によって<非公開>とされてきたのではなかったのだろうか??

 こちらを「暴く」のは許され、尖閣ビデオという「政府が国民に隠し続けた」情報をオープンにする(「暴く」)のは許されない、とするのはいったい何故なのか。いかなる根拠・基準によるのか。

 鈴木秀美にも、朝日新聞と同様に<ご都合主義>=<ダブル・スタンダード>があることは明らかだ。

 この人にとって見ればおそらく間違いなく、民主党政府に<楯突く>ことは許されず、自民党政府に<楯突く>ことは許される、のだ。そうではないか?? 鈴木秀美よ、答えてみるがよい。

 鈴木秀美という憲法学者らしき者には、民主党政権を何とか擁護したいという心情があることが透けて見えるようだ。そうした心情を<左翼>または<何となく左翼>と称する。

 個人的にどのような心情・信条を持とうと自由だが、憲法学教授という肩書きで、<政治的心情(信条?)>を語るな、と言いたい。
 もっとも、鈴木に限らず、日本の(大学所属の)憲法学者の圧倒的多数が<左翼>または少なくとも<何となく左翼>という異様な状況にあるようなので、特別の驚きはない。自己の政治心情・信条を憲法学的(憲法解釈論的)言語を使って表明している者の何と多いことか。日本国民は、日本の憲法学界の大部分は、<世間的常識・良識>・<まともな論理>をもって生きているわけではないこと(+論文を書いたり講義したりしているわけではないこと)を、あらためて想起しておいてよいだろう。 

0931/中国(中共)御用新聞・朝日の真骨頂=11/06朝日新聞社説。

 11/06の全国紙各紙の社説は興味深い。毎日を除き、いわゆる<尖閣ビデオ>全面公開について触れている。朝日を除いて、要点のみ引用。

 産経-「ビデオ映像は、中国漁船の違法性を証明する証拠として、本来なら政府が率先して一般公開すべきものだった。遅きに失したとはいえ、菅首相は国民に伝えるべき情報を隠蔽した非を率直に認め、一刻も早くビデオ映像すべての公開に踏み切るべきだ」(最末尾)。
 読売-「尖閣ビデオ流出/一般公開避けた政府の責任だ」(タイトル)。「政府または国会の判断で、もっと早く一般公開すべきだった」。「中国人船長の逮捕以降、刑事事件の捜査資料として公開が難しくなった事情は理解できる。だが、船長の釈放で捜査が事実上終結した今となっては、公開を控える理由にはならない。/中国を刺激したくないという無用な配慮から、一般への公開に後ろ向きだった政府・民主党は、今回の事態を招いた責任を重く受け止めるべきだ」。
 日経-「迫られる尖閣ビデオの全面公開」(タイトル)。「政府には、漁船衝突ビデオについて、重要な善後策がある。映像の全面公開である」。「政府は刑事訴訟法の規定を盾に…公開できないとしてきた。しかし同規定の趣旨は、最高裁判例によれば①裁判に不当な影響を与えない、②事件関係者の名誉を傷つけない―の2点にある。/中国人船長がすでに帰国した現在、証拠ビデオを公開しても同規定の趣旨には反しない」。従って「公開しようと思えば、法律的には必ずしも不可能ではなかった。それでも一貫して公開に後ろ向きだったのは、日中関係への配慮という政治判断が働いたからだろう。/結果論からすれば、そうした対応は誤っていた」。

 異彩を放ち、さすがと思わせるのは、朝日新聞社説だ。政府の情報管理に不満を述べたのち、こう書く。

 朝日-「流出したビデオを単なる捜査資料と考えるのは誤りだ。その取り扱いは、日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な案件である」。

 だからどうなのか、次のように続ける。

 「政府の意に反し、…ネットに流れたことには、驚くほかない。/ビデオは先日、短く編集されたものが国会に提出され、一部の与野党議員にのみ公開されたが、未編集の部分を含めて一般公開を求める強い意見が、野党や国民の間にはある」。
 「もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである。政府が隠しておきたい情報もネットを通じて世界中に暴露されることが相次ぐ時代でもある。/ただ、外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」。

 「流出により、もはやビデオを非公開にしておく意味はないとして、全面公開を求める声が強まる気配もある。/しかし、政府の意思としてビデオを公開することは、意に反する流出とはまったく異なる意味合いを帯びる。短絡的な判断は慎まなければならない」。

 「ビデオの扱いは、外交上の得失を冷徹に吟味し、慎重に判断すべきだ」(最末尾)。

 なんと、上掲3紙社説と異なり、「全面公開」に消極的であり、有り体にいえば<反対>している。
 朝日社説子によると「仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない」。つまり、漏洩者=流出者は、もちろん<英雄>ではなく、酌量の余地のある公務員法形式的違反者でもなく、れっきとした「許されない」人物なのだ。

 なぜ朝日新聞は「全面公開」に反対なのか。朝日は正当にも(?)<尖閣ビデオ>は単なる「捜査資料」とは理解していない。その取り扱いは「日中外交や内政の行方を左右しかねない高度に政治的な」案件だとし、「外交上の得失」を冷静に吟味せよ、と主張している。

 ここにこの新聞の本音が示されている。

 民主党政府の本音(対中配慮)を的確に把握しつつ、その本音(対中配慮)を支持し、貫け、と主張しているのだ。

 もう少しいえば、民主党・仙石らと同様に、<尖閣ビデオ>の「全面公開」によって「日中外交」が気まずくなること、つまりは中国(政府・共産党)が不満を高めることを怖れているのだ。

 「映像を公開し、漁船が故意にぶつけてきた証拠をつきつけたとしても、中国政府が態度を変えることはあるまい」とまで書いている。「全面公開」してもマイナスの方が大きい(可能性がある)し、「中国政府が態度を変えること」はないから無駄だろうとまで言っている。

 要するに、朝日新聞は、民主党政府はこれまでどおりに、中国(政府・共産党)の意向を配慮せよ、と主張している、ということに尽きる。

 「態度を変え」ようが変えまいが、すべき主張はきちんとしておくべきだと思われるが、相手の顔色を見て主張の仕方を変えよ、言っているに等しい。そのことによって、日本の利益がどうなろうと関係はなさそうだ。それが、朝日のいう「外交上の得失を冷徹に吟味」することなのだ。

 朝日はこういう主張を、どの外国との関係でも行うのではあるまい。上のような主張の中には一般論としては全面的には誤ってはいない部分が含まれてはいるが(その意味でもじつに巧妙だ)、今回の事件が、そして<尖閣ビデオ>が、中国(政府・共産党)を一方当事者とするがゆえにこそ、そのように主張しているに他ならないだろう。

 古くからもつDNAは生きたままだ。日本の有力な新聞の中に、このような、自国(日本)よりも中国(政府・共産党)の利益・意向を優先する新聞がある。

 たんなる政治的見解の相違というよりも、この新聞社(・幹部・論説委員・政治部や国際部の記者たち)は、とっくに中国(政府・共産党)に籠絡されているのだろう。あるいは端的に、事実上は、中国(政府・共産党)の支配下にあると言ってよいのだろう。

 注-「真骨頂(しんこっちょう)」=「そのものの本領(本来の姿)」(新明解国語辞典)。

0930/仙石由人・枝野幸男の卑劣な詭弁-「刑事事件」にしたくなかった筈なのに。

 一 11/01に<尖閣ビデオ>を「視聴」対象を短くし、かつ一部の国会議員にのみ「視聴」させたことにつき、社民党・福島みずほや民主党政府に対して<ふざけるなと言いたい>と書いた。

 11/06の深夜現在も、政府側は全面<公開>の方向性を示していない。

 二 いわゆる流出後の11/05に仙石由人健忘(・官房)長官は、「捜査記録」であるために<公開>できない旨を、あるいは「捜査の観点から言っても」流出が問題視される旨を言ったらしい。

 また、枝野幸男・民主党副幹事長は、「刑事訴訟法」の観点からも全面<公開>できない旨を(少なくともその観点を含めて公開の是非は考えるべき旨を)述べたようだ。

 何を言っているのか、この二人は。この議論に何となく同意したい民主党(または民主党政権)支持者もいそうだから、あらためて書いておく。<ふざけるな>。

 三 なるほど、情報公開法5条六号によると(前回は言及しなかったが)「公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」があるときは開示(公開)しないことができる旨を定め、その事務・事業の例として「争訟に係る事務」を明記している(六号ロ)。

 なお、海上保安庁自体の事務・事業すなわちその任務・所掌事務の遂行一般のいずれかに「支障を及ぼす」おそれがある、という主張もありえそうだが、仙石、枝野はそうは主張していないようだ。

 また、そもそも「流出者」として海上保安庁職員も疑われているようであることからも示されるように、ビデオが公開されても海上保安庁の<仕事>に悪い影響は与えないのではないか。むしろ、その仕事の苛酷さ等が国民によく判り、同庁職員の「士気」も上がって、「支障を及ぼす」おそれがあるのではなく、逆に<利益を及ぼす>ものと常識的には考えられる。

 さて、仙石・枝野の主張は情報公開法にあてはめると、上記のとおり、主としては、「争訟」に関する情報性を根拠とするかに見える。

 だがこれはふざけている。詭弁だ。

 たしかに、<処分保留>で釈放したのだから、いかなる(刑事)処分をするかはまだ決定されていない、刑事訴訟法の手続に入る可能性はある、その意味で訴訟で証拠資料として使われる可能性がある「捜査記録」にはなるのだろう。

 しかし、上はあくまで論理的にはまたは抽象的には想定できる<可能性>にすぎない。

 そしてそもそも、その可能性が現実になるように仙石等の現内閣や枝野らの民主党幹部は努力しているのか。すなわち、釈放した中国人(「船長」)の身柄拘束と日本への移送を、仙石や民主党は中国政府(・共産党)に求めているのか??

 仙石らは隠蔽・糊塗しているつもりかもしれないが、もともと<刑事事件>にしたくなかったからこそ、那覇地検は勾留決定まで得ていたにもかかわらず(そして実際に勾留していたにもかかわらず)、換言すれば那覇地検は<刑事事件>にするつもりだったにもかかわらず、それをなしくずしにし、(ここではもう経緯は省略するが)<釈放>して(させて)しまったのだ。

 仙石も菅直人も、正規の<刑事事件>にしたくなかったのだ。

 それを今になって、あるいは<釈放>後ずっと、<刑事事件>(となる可能性のある)関係情報(>ビデオ)だから国民一般に<公開>することはできない、と理屈づけるとは、何と言う卑劣な詭弁だろう。

 自ら「捜査」の継続を諦めさせておいて、「刑事訴訟」手続になることをさせないでおいて、「捜査記録」だからとか、「刑事訴訟法」上の問題があるとか、よくも言えたものだ

 呆れてものが言えない。<ふざけるな>という他ない。

 「赤い」健忘(・官房)長官・仙石由人は現役「左翼」活動家としていくらでも平気で詭弁を弄するだろうことは理解できるが、枝野幸男まで、仙石みたいなことを言う人物だとは知らなかった。

 これまで国民の「知る権利」という言葉を使っていないが、社民党や民主党「左翼」こそが、この概念を使って自民党中心内閣の政治・行政の「公開」あるいは「透明性」を要求してきたと思われる。

 仙石も枝野も、この概念・言葉は忘れてしまったのだろう。

 四 ついでに。傾向的には「左翼」こそが、捜査・尋問・調書作成過程の<透明性>・<可視化>を要求している。

 今回のビデオは日本国民のいかなる「プライバシー」を侵害するものではないし、海上保安庁の今後の活動を阻害しないことはもちろん、地検の捜査・起訴活動に何の不利益も与えないと考えられる。

 このことは、元警察官僚トップの佐々淳行が「今回の映像は初動段階で公開すべきもので、国家機密でも何でもない。それを菅内閣が勝手に機密化した」とコメントしたようであることからも、明らかだろう。

 被疑者との尋問過程にはるかに及ばない今回のようなビデオの「公開」・<可視>化を怖れて、いったい何をもって捜査・尋問・調書作成過程の<透明性>・<可視化>を要求できるのか??
 「左翼」・仙石よ、民主党よ、<ふざけるな。>

0929/産経11/03社説(主張)の「能天気」ぶり。

 産経新聞11/03の社説(「主張」)「憲法公布64年/国家の不備を正す時だ/尖閣を守る領域警備規定を」は、おわりの直前まではまともな指摘・叙述をしているようだ。

 しかし、最後の段落の「審査会の早期始動を」の部分は、寝言に等しい。

 憲法改正の必要性を前提としてだろう、「参院の民主、自民両党幹部の協議で、委員数など審査会の運営ルールとなる『規程』の制定に民主党が応じる考えを示した」ことをもって「注目すべき動き」と捉え、両院での議論の活性化につなげるべきだとし、「日本の守りの不備をどう是正するかなどを、審査会で論議すべきだ。……/民主党は党の憲法調査会ポストを空席にしたままだ。政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」と結んでいる。

 なるほど民主党が憲法改正手続法により設置されたはずの憲法審査会の動きを前進させるようであるらしい(参院の審査会「規程」の制定に「応じる」らしい)ことは、好ましい変化なのかもしれない。

 だが、現在の国会の議席状況から見て、かりに万が一両院で憲法審査会での「議論」が始まったとしても、まともな憲法改正の方向に結実しないことは、ほぼ明らかではないのだろうか。

 民主党に「政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」と産経社説は書くが、厳密にいえば、ともかくもいかなる内容であれ憲法が改正されればよい、というものではないことは自明のことだろう。かりに万が一、政権与党が憲法改正に積極的になったとして、民主党と同様の見解の政党とともに出した結論が、現9条2項の削除ではなく、第一章・天皇条項の削除であったとしたら、社説子は歓迎するのか?

 現在の民主党政権のもとで、あるいは現在の議席配分状況からして、「戦後の絶対平和主義」から脱した、自主・自立の国家を成り立たせるための憲法改正(の発議)が不可能なことは、常識的にみてほぼ明らかではないか。

 産経新聞社説子がとりわけ現9条2項の削除・正規の「自衛軍」(防衛軍・国軍)の設置の明記を望んでいるならば、現与党による「憲法改正への主体的な取り組み」を求めても無駄だ。

 こんなことを理解していないとすれば、<能天気>であり、本当に思考力は<寝た>ままではなかろうか。

 自民党自体にいかほどに憲法改正(・現9条2項削除等)を目指す「意思」と「力」があるかは問題だ。しかし、民主党よりは「まだまし」だろう。

 喫緊の課題は、現与党・民主党に憲法改正への何らかの「期待」を寄せることではなく、民主党政権自体を「よりましな」内閣に変えることだ。それを抜きにして、望ましい方向での憲法審査会の「議論」がなされるとはとても思えない。
 産経社説は、寝惚けたことを書く前に、現内閣<打倒>をこそ正面から訴えるべきだ。

 <打倒>という表現でなくともむろんよい。<あらためて政権選択を!>とか、<政権選択のやり直しを!>とかくらいは主張したらどうか。

 と考えているところに、民主党には「政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」などと主張されたのでは、ガックリくる。

 近いことは、同じ11/03の田久保忠衛の「正論」についても言える。「憲法改正の狼煙上げる秋がきた」(タイトル)と叫ぶ?のはいいのだが、どのようにして憲法改正を実現するか、という道筋には全く言及していない。「狼煙」を上げて、そのあとどうするのか? 「憲法第9条を片手に平和を説いても日本を守れないことは護憲派にも分かっただろう」くらいのことは、誰にでも(?)書ける。
 問題は、いかにして、望ましい憲法改正を実現できる勢力をまずは国会内に作るかだ。産経新聞社説子もそうだが、そもそも両院の2/3以上の賛成がないと国民への憲法改正「発議」ができないことくらい、知っているだろう。

 いかにして2/3以上の<改憲>勢力を作るか。この問題に触れないで、ただ憲法改正を!とだけ訴えても、空しいだけだ。
 国会に2/3以上の<改憲>勢力を作るためには、まずは衆議院の民主党の圧倒的多数の現況を変えること、つまりは総選挙を早急に実施して<改憲>派議員を増やすべきではないのか?

 <保守>派の議論・主張の中には、<正しいことは言いました・書きました、しかし、残念ながら現実化しませんでした>になりそうなものも少なくないような気がする。いつかも書いたように、それでは、日本共産党が各選挙後にいつも言っていることと何ら違いはないのではないか。

0928/黒宮一太の「国民」と辻村みよ子の「市民」(外国人参政権付与論)。

 「法的側面からみれば」と限定して言っているが、<ふつうは>、黒宮一太の言うとおり、「国民」とは「国籍保持者」のことを指す。黒宮がより厳密に示す、「国民」とは「近代国家の統治に参与して主権を構成する集団、または主権者によって統治される集団」という説明も、下記の辻村みよ子からすれば「主権」概念の厳密さが問われうる(なぜなら上の説明では「国民」は「主権者」であるとともに「主権者」による被統治者でもあることになる。おかしくはないか? もう少し説明が要るのではないか?)が、大まかにはそのとおりだろう。以上、佐伯啓思=柴山桂太編・現代社会論のキーワード(ナカニシヤ出版、2009)p.91。

 上のことよりも、黒宮の以下の叙述は、よく分かる。

 ・「誰に国籍が付与されるか」を考えると、「多くの場合、諸国家の歴史的・文化的条件が加味されている」。「国民」を「純粋に法的・政治的側面からのみ規定することはできない」。それは「歴史性や文化的特質をともなった共属意識をもつもの」と考えておくべきだ。(上掲書p.91)

 「多くの場合」との限定つきだが、このような「国民」概念に付着しているはずの「諸国家の歴史的・文化的条件」や意識の「歴史性や文化的特質」を無視して、あるいは正確にはそのゆえにこそそれを嫌って、「市民」概念を使い、「国民主権」ではない「市民主権」の可能性を探り、主張しているのが、辻村みよ子・市民主権の可能性―21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー(有信堂、2002。索引等を除き全295頁)だ。

 東北大学教授の辻村は、上の著のかなりの部分を<外国人参政権>問題にあて、いわゆる「許容」説をも超えた「要請」説を主張する。そして、外国人への地方(この人にとっては国もだが)参政権付与の憲法解釈論的根拠をかなり詳細に述べている。

 民主党あるいは社民党の中に多数いると思われる<付与>積極論者の理論的支柱になっているのではないかと思われる。福島みずほや千葉景子等の女性弁護士たち等々の、とくに<女性活動家>たちは、おそらくはこの本を所持して、おそらくは熟読しているだろう。

 辻村みよ子の論旨の特徴は、一口でいって、「国家」という概念が使われていても、<日本>の「歴史的・文化的条件」はまったく無視されていることだ。見事に欠落している。怖ろしいほどだ。

 「日本」の特性あるいはその「歴史的・文化的条件」を考慮することは<ナショナリズム>に傾斜することで、回避しなければならない、という強い<思い込み>(一種の<信仰>に他ならない)があるとしか思えない。

 辻村の憲法解釈によると、日本国憲法15条の「国民」は<国籍保持者>を意味しない。これは一例だが、外国人参政権付与に反対の論者たちは、この辻村みよ子の「理論」または「憲法解釈論」をも、<理屈>の上であるいは「説得の仕方」のレベルで、克服しなければならないだろう。少なくともこの本の議論を凌がないと、外国人参政権付与論は消失しないだろうと思われる。十分に止目しておくべき(危険な)書物だ。

 なお、先だって遠藤浩一の2001の本に依拠して紹介した菅直人の(「国家」観および)「市民」観と辻村みよ子のそれはかなり親近性・近似性がある。

 菅直人は「天皇」は尊敬はするが「ぼくのイメージの中の国家とはまったく別だ」と言い放っていた。「天皇」を無視して日本の歴史・文化を、そして日本「国家」を語りうるのだろうか? また、いわば自然発生的(土着的?)な「日本」への帰属意識とは離れた「思考タイプ」を持つものこそが「市民」だとも言っていた(10/26のエントリー参照)。

 政治学者・松下圭一に限らず、コミュニズムに親近的な、または結局はそれを容認することにつながる「左翼」論者は、しっかりと学界の中に多数いて、社民党や民主党内「左翼」を支え、指導していることを忘れてはならない。

0927/<左翼・売国>政権打倒のための総選挙実施を-月刊正論12月号一読後に。

 1.月刊正論12月号(産経新聞社)内をいくつか読んでいて、とくに中西輝政論考によってだろうか、尖閣諸島に非正規の中国実力部隊とともに多数中国人が上陸し始める、海上保安庁は、あるいは自衛隊は何をできるか、中国の正規軍(・軍艦)が(中国にとっての領海内に)入ってくる、という事態や問題が現実になりうるようで、いくぶんかの戦慄を感じざるをえない。

 2.月刊正論12月号は西部邁、中西輝政、西尾幹二、櫻井よしこの4人揃い組。これに渡部昇一、佐伯啓思あたりも加わっていれば、<保守>論者の大御所のオン・バレードだ。多少は皮肉も含まれており、似たような名前がいつも出てくるなぁ、と思いもする。

 <左翼>の側には、いろいろな戦線・分野で、いろいろな幅をもって、もっと多様な書き手、論者がいるのではないか。どうも心許ない。

 といったことを書いている余裕は本当はないのかもしれない。

 3.よく見る名前だが、<尖閣>または<9・24>をテーマとする論考に、主張内容の違いがあるのが分かる。むろん、基本的なところでは(対中国、対民主党政府等)、一致があるのだろう。だが、現在において何に重点を置いて主張したいかが論者によって同じではない。
 頁の順に、巻頭の西部邁「核武装以外に独立の方途なし」(p.33)は、タイトルに主眼があり、アメリカへの不信感を述べつつ、「自分らの国家を核武装させ、…他国への屈従から逃れてみせるしかない」と主張する。その過程で、「日米同盟の強化なしには尖閣の保守もなし」と唱える言説は、「いわゆる親米保守派」のそれで、「本当の噴飯沙汰」と明記している(p.36)。
 中西輝政「対中冷戦最前線、『その時』に備えはあるか」(p.48~)は、中国による「実際の軍事力の行使」=「危機の本番」は「年末から年明けにも」と予想する(p.50)。詳細には触れないが、具体的な想定等には、冒頭に記したように、戦慄と恐怖を覚えるところがある。

 中西によると、「日本人の精神の目覚め」を阻止するための、中国による「対日世論工作」が今後、活発化する。より具体的には、①「反米基地闘争」の「さらなる高揚」による「日米同盟」関係の「離間」、②「日本の言論界そのものに対する統制」、③与党・民主党に「親中利権派議員」を大量に作ること、だ(p.54-55)。

 ①~③のすべてがすでにある程度は、②に至ってはすでに相当程度に、奏功しているのではないか。

 中西輝政がまとめ・最後に述べるのは、次のようなことだ。

 <「民主主義」や「人権」は中国(・共産党)の「最大の弱点」なので、「同じ民主主義体制の国々」とともに中国にこれらの重視を対中政策の第一とすべき。「中国の民主化」という「人類社会」の「大義」に向かって協力するのが重要で、それは「大きな武器」になる。>(p.56)

 西部邁のいう「親米保守」派に中西輝政が入っているのかどうかは知らないが、中西輝政も憲法改正や核武装論に反対ではないだろうにせよ(むしろ積極的だ)、西部邁と中西輝政では、同じ状況・時期における具体的な主張は同じではない、と理解せざるをえないだろう。

 西尾幹二「日本よ、不安と恐怖におののけ」(p.74-)は、中国の分析、日本のマスメディア批判のあと、日本人の精神の対米従属性(+アメリカは本気で尖閣を守る気はない)を嘆いて終わっている。いわく-「この期に及んで自分で自分の始末をつけられない日本国民」をアメリカ人は「三流民族」だと見ているだろう、「否、…私も、日本国民は三流民族だとつくづく思い、近頃は天を仰いで嘆息しているのである」(p.81)。

 西尾のものは、同感するところなきにしもあらずだが、一種の精神論のごときで、最もリアリスティックなのは中西輝政の論考だ。西部邁は<核武装>に至る、または<核武装論>を議論するに至る、必要不可欠の過程を具体的に示してもらいたい。今どきのこの主張は、正しくとも、時宜にはかなっていない<空論>になるおそれが高そうに見える。

 もっとも、佐伯啓思ならば決して書きそうにない中西輝政の最後の主張も、正しくとも、やや綺麗事にすぎる、あるいは、米国も欧州諸国もそれぞれの国益を最優先するとすれば、多少は非現実的なところがあるかもしれない。「民主主義」と「人権」の主張の有用性・有効性を否定はしないが、はたして現実に<自由主義>諸国はそのように協力してくれるだろうか。

 中西輝政論考のポイントはむしろ、究極的(最終的)には<自衛隊の「超法規的」な軍事行動に期待するしかない>という想定または主張にあるように思われる(p.53-54)。

 4.上の三人ともに現民主党政府に批判的だろうが、誰もひとことも書いていないことがある。

 それは民主党(菅直人)政権を変えて<よりましな>内閣を作る、という、核武装や憲法改正よりも、現実的な論点・課題だ。

 朝日新聞の社説ですら、菅直人への首相交代時に<できるだけ早く>国民の信を問う(=総選挙する)必要性を(いちおうは)書いていた。

 尖閣問題への対応を見ても、この内閣が<左翼・売国>性をもつことは、ますます明瞭になっている。

 参加しないで言うだけするのも気が引けるが、10/02と10/16の二回の集会・デモのスローガンはいったい何だったのだろう。その中に<菅内閣打倒!>・<売国政権打倒!>・<即時総選挙実施!>などは入っていたのだろうか。

 現実的には、対中「弱腰」以上の、「親中」・「媚中」以上の<屈中>政権をこれ以上継続させず、外務大臣も官房長官も代えることの方が具体的な<戦略>だと思われる。そのためには、総選挙を!というムードをもっと盛り上げていく必要があるのではないか。

 いわゆる<政権交代>からもう一年以上経った。今の内閣が現在の<民意>に添ってはいないこともほぼ明らかだ。マスコミの主流は現内閣の困惑と混迷ぶりばかり報道しているようで、かつ産経新聞も含めて、<あらためて民意を問う>必要性を何ら主張していないのではないか。非現実的なのかもしれないし、上記の三人もそのように考えているのかもしれない。しかし、重要なこと、より現実的に必要なことは、やはり(憲法改正等と同等に)主張し続けなければならない、と考える。

 <左翼・売国>政権打倒!という表現では過半の支持は得にくいかもしれないが、形容・表現は極端に言えば何でもよい、現在の民主党政権を一日でも早くストップさせ、<よりましな>政権に変える、このことがとりあえずは日本の将来と現在の国益に合致している(もちろん国民の利益でもある)、と考えるべきだ。

0926/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)を全読了。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)を11/02夜に全読了。全311頁。

 最初から順に読み通したのだから(但し、佐伯の発表論考をまとめたもの)、感想は当然にある。
 既に初出論文について書いたかもしれない、<保守>にとって重たいまたは刺激的な論述もあるし、その他、佐伯らしい鋭い指摘・分析もある。全体として挑発的・論争誘発的(ポレーミッシュ、polemisch)な本なのに、この著をめぐって論争・議論が発展・展開したようでもないのは、<保守>論壇の貧困さの表れでもないだろうか。

 佐伯啓思に全面的に賛同しているわけではない。この9-11月という時期に読んでいると、<中国>への言及が、アメリカや<欧州近代>等に比べてはるかに少ないことに、驚きすら覚える。また、「マルクス主義」は「一九九〇年代には、さすがに腐臭をはなち、どう廃棄処分にするかが関心事であった」(p.45、2008年)とか、1930年代とは異なり「もはやファシズムも社会主義もありえない」(p.99、2009年)とかいう認識は、佐伯の頭の中や佐伯の<仲間たち>や純経済理論にとってはそうなのかもしれないが、「マルクス主義」や「社会主義」(の危険性・脅威)に対して<甘すぎる>、と感じる。

 具体的な紹介等をしていない遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(上下、2010.04、麗澤大学出版会)への言及とともに、より詳しい感想等は、他日を期したい。

0925/岡崎トミ子は「警察庁」と「警視庁」の区別ができているか?

 岡崎トミ子は国家公安委員会委員長というブラックジョークのような地位についているが、11/02に、警視庁の内部資料のネット掲載問題につき、閣議後の記者会見で<情報管理の重要性は「きちんと警察に指示している」と述べた>らしい。そのあと、<「警察で管理しなければならないものがネット上に出ていると、こういうことですよね?」と逆質問>という珍?問答もしたらしい。

 上の後半はさて措くとして、国家公安委員会委員長に、「警察に指示」する法的権限はあるのか?? とりわけ今回の文書管理者は警視庁という、法的または形式的には東京都に属する組織だ。

 国家公安委員会は内閣府設置法により、その外局として置かれる(同64条)。

 具体的な権能・権限等は警察法が定めていて、国家公安委員会は五人の委員により構成される(同4条2項)。この委員会の委員長には「国務大臣」があてられるが(同6条1項)、委員長が独自に権限を行使するのではない。いわゆる合議制の行政委員会であり、委員長は「会務を総理し、国家公安委員会を代表する」にすぎない(同6条2項)。

 以上からでもすでに、岡崎が、<警察に指示した>などと簡単に発言していることに疑問符がつく。いつ、そのための委員会の会議は行われたのか?

 国家公安委員会規則である国家公安委員会運営規則によると、「委員会は、会議の議決により、その権限を行う」(同2条1項)。 いつ、<警察への指示>のための国家公安委員会の会議・議事は行われたのか? とり巻いている新聞記者たちは、そういう疑問をまったく持たなかったのだろうか。

 委員会は警察法が定める委員会の任務・所掌事務の「運営の準則その他当該事務を処理するに当たり準拠すべき基本的な方向又は方法」を示す「運営の大綱方針」を定めることができ、「この大綱方針に適合していないと認めるとき」には「警察庁長官」に対して「必要な指示をするものとする」とされているが(2条4項)、第一に、これは委員会の権限で委員長かぎりでの権限ではないし、第二に、指示の相手方は国の機関の一つである「警察庁長官」であり、今回の件の「警視庁(総監)」とは直接の関係がない。
 また、警察法12条の2は「国家公安委員会は、第五条第二項第二十四号の監察について必要があると認めるときは、警察庁に対する同項の規定に基づく指示を具体的又は個別的な事項にわたるものとすることができる 」ととくに定めているが、ここでもまた、この権限の行使主体は委員長ではなく委員会であり、かつ、相手方は「警察庁」であって「警視庁」ではない。さらに、もともとこの条項は、対象事項を「第五条第二項第二十四号の監察」にとくに限定している。

 岡崎が述べたという<きちんと警察に指示している>とはいったい何だったのか。いかなる法的根拠にもとづいて、岡崎は、そんな大それたことを行うことができたのか。この人物をとり巻いている新聞記者たち等は、疑問に思わなかったのだろうか。寒心に堪えない。 

 ついでに書いておくが、第一に、国家公安委員会(委員長ではない)の基本的な任務は、「警察庁」を「管理」することだ。上のようの特段の定めがないかぎり、「警察庁(・長官等々)」の権限行使・事務処理に関して、個別具体的な指揮監督権を持っているわけではない。ましてや、委員長となると、委員会を代表するが、その構成分肢にすぎない。

 第二に、警視庁を「管理」するのは東京都公安委員会だ。国家公安委員会ではない。

 岡崎が「警察」と言ったとき、国の「警察庁」と東京都の「警視庁」の区別はついていたのだろうか。そもそも、「警視庁」とはいかなる行政組織なのかを理解していたのだろうか。

 委員会と委員長の区別も含めて、こんなことすら知らないで、「警視庁の内部資料」についてうんぬと述べているのだとすれば、当然に資質・資格が問われる。この人物をとり巻いている新聞記者等々は、何の疑問も持たなかったのだろうか。寒心に堪えない。

 新聞記者はともあれ、岡崎が上のとおりならば、即刻、辞任した方がよい。菅直人は罷免してもよい。ここに書いたことだけでも、十分な理由になる。

 なお、警察法5条4項に、「国家公安委員会は、都道府県公安委員会と常に緊密な連絡を保たなければならない」、とある。前者は後者に(直接に)<指示>する権限をもっているわけではない。念のため。

0924/<尖閣ビデオ>はなぜ一般的「公開」ではなく一部国会議員限定の「視聴」なのか。

 一 いわゆる情報公開法、正確には行政機関の保有する情報の公開に関する法律、によると、開示(公開)請求の対象となる「行政文書」とは「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう」(2条2項)。但書による例外もあるが、以下で言及するものは例外にあたらない(「官報、白書」等々)。ビデオテープも、ここでいう「行政文書」には含まれる。

 開示請求があると、行政機関の長(以下のものについては、国家行政組織法別表第一が定める「行政機関」の長である海上保安庁長官になると見られる)は、以下の事項のいずれかに該当しないかぎり、開示(公開)しなければならないものとされている(5条本文)。いわゆる個人情報・法人情報にあたるもの(の一部)を除けば、次のとおり。
 5条の第三号~第六号。
 「三
 公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報
 四  公にすることにより、犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報

 五 国の機関、独立行政法人等、地方公共団体及び地方独立行政法人の内部又は相互間における審議、検討又は協議に関する情報であって、公にすることにより、率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれ、不当に国民の間に混乱を生じさせるおそれ又は特定の者に不当に利益を与え若しくは不利益を及ぼすおそれがあるもの 

 六 国の機関、独立行政法人等、地方公共団体又は地方独立行政法人が行う事務又は事業に関する情報であって、公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの

 イ 監査、検査、取締り、試験又は租税の賦課若しくは徴収に係る事務に関し、正確な事実の把握を困難にするおそれ又は違法若しくは不当な行為を容易にし、若しくはその発見を困難にするおそれ 
 ロ 契約、交渉又は争訟に係る事務に関し、国又は地方公共団体の財産上の利益又は当事者としての地位を不当に害するおそれ
 ハ 調査研究に係る事務に関し、その公正かつ能率的な遂行を不当に阻害するおそれ 

 ニ 人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ

 ホ 国若しくは地方公共団体が経営する企業、独立行政法人等又は地方独立行政法人に係る事業に関し、その企業経営上の正当な利益を害するおそれ」。
 二 今日11/01に国会議員の一部のみが、国家審議の参考資料という名目で海上保安庁作成・保管の<尖閣ビデオ>、しかもそれをかなりカットした(編集した?)もの、を国会内で見ることができたらしい。
 社民党代表・福島みずほは、国民一般に見せるのはいかがかと、国民一般に対する<公開>には消極的な発言をしていた。
 与党・民主党も同様だが、ふざけるな、と言いたい。
 国民のかなりの部分が関心をもっている問題に関する情報について、かつての自民党(中心)政府・自民党等が公開に消極的な姿勢を示せば、<隠蔽体質糾弾!>とか<国政・行政の透明化を!>などと叫んで、「公開」・「透明化」を強く要求しただろう。
 民主党や社民党・福島みずほのダブル・スタンダードには呆れる。再び、ふざけるな、と言っておく。情報公開法や情報公開条例の制定に熱心だったのは、<左翼>だった、あるいは自民党よりもむしろ社民党・民主党だったのではないのか??
 国民一般(つまりはマスメディアということになろう)への「公開」を否定できる法的・政策的根拠はいったい何なのか?
 おそらくは、<中国(政府・共産党)のご機嫌を損ないたくない>、ほぼ同じことだが<日本国民に「反中国」感情を増やしたくない>(<日本人の「ナショナリスム」を煽りたくない>)、ということだろう。
 これははたして、法廷の場でも通用する理屈なのか? 弁護士資格をもつらしい、社民党・福島みずほや民主党・仙石由人等々は、上の情報公開法という法律のどの(開示しないことができる)例外的事由にあたるのか、を明言してもらいたいものだ。
 5条の四~六号は関係がないと見られる。四号について言えば、「公にすることにより、犯罪の予防、……その他の公共の安全と秩序の維持」を、むしろ増進させることとなる、と言うべきだ。
 唯一残るのは、三号の「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある」、ということだろう。
 ビデオ公開によって、どのようにして「国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ」があるのか、民主党・仙石や社民党・福島は説明してほしいものだ。
 公開すれば、中国軍によって日本の「安全が害されるおそれ」があるのか。もし本当にそうだと言うならば、法的問題以上の、真に由々しき事態にあると言わなければならないだろう。
 あるいは中国との「信頼関係が損なわれるおそれ」があるのか。しかし、中国という特定の国家との「信頼関係」を守るために、日本と日本国民の正当な利益まで失ってよいことまでをも、上の号は含意しているのか?。そんな形式的解釈は成り立たないだろう。「信頼関係」とは正当な(・国家や国民の利益と矛盾することが明らかではない)「信頼」関係でなければならないだろう。また、外国(人)の「犯罪」を当該外国のために<隠蔽>することが当該外国との「信頼関係」を維持するために必要だとかりに主張する者がいるとすれば、詭弁であり倒錯した論理だと言うべきだ。
 三 おふざけの弁護士を多数かかえているようである民主党の目を醒まさせる意味でも、全面・一般的公開を主張しているらしい自民党は、その代表(・総裁)あるいは幹事長個人の名前で(むろん自民党国会議員全員が名を連ねてもよい)、上の法律にもとづく開示請求をすることを考えたらどうか。むろん国会議員でなくとも「何人」でも、日本国民でも外国人でも、産経新聞記者個人でも、開示請求はできるのだが(3条)。
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