秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2010年04月

0872/鳩山由紀夫「ルーピー」首相はやはり鈍感。ついでに朝日新聞。

 1.鳩山由紀夫首相は4/28に、東京検察審査会での小沢一郎「起訴相当」議決のあと、こう言ったらしい。

 政府としては「検察の判断に予断を与えることになるから、私は何もいうべきではない」。(したがって?)小沢氏は幹事長として「引き続き(このまま)頑張っていただきたい」。

 首相が小沢につき「このまま頑張って…」と言うこと自体が、小沢一郎にかかわる刑事問題について何らかのコメントを発している、少なくともそのように受け止められる可能性がある、ということを、この「現実から遊離した(ルーピー)」首相・鳩山由紀夫は分かっているのだろうか。

 もともとその発言ぶり等から、首相としての資質が疑問視されるている人物だが、上の簡単な言葉にもそれは表れているだろう。
 政府としては「検察の判断に予断を与えることになるから」余計なことは言えない(言わない)というつもりならば、同じ会見・コメントの場でつづけて、小沢氏は幹事長として「引き続き(このまま)頑張っていただきたい」ということも言うべきではないのだ。
 この程度のことが分からない人物が首相を務めているのだから、怖ろしい。
 鳩山由紀夫については「病気ではないか」とか「ビョーキ」とかの論評も出てき、また「現実から遊離した」とのまことに適切な形容も出てきた。
 その資質・基本的素養・能力への疑問は昨秋からすでに感じていたことだ。何だったか特定できないが、記者への受け答えを見聞きしていて、この人はどこかおかしいのではないか?、自分の地位・責任をきちんと理解しているのか?と感じてきた。
 だが、それでも、次のように昨秋11月初旬には書かざるを得なかった。

 「だからこそ、鳩山由紀夫のブレ等々にもかかわらず、少なくとも来年の参院選挙くらいまでは、鳩山政権が続きそうだとの予想が出てくる」(注-「だから」とは自民党のだらしなさを指す)。
 これを書いたとき、「来年の参院選挙くらいまで」とすることに、かなりの勇気または思い切りが必要だった。
 鳩山政権が発足して一年くらいは政権(内閣)がつづくだろうことは当時はまだ当然視されていて、衆議院での民主党の多数派ぶりからして3~4年間の継続を想定していた人たちも多かっただろう。したがって、<来年の参院選挙くらいまでは、鳩山政権が続きそうだとの予想>というのは随分と思い切って、少なめに見積もって書いたのだった。個人的には、本当にこの人物が2~4年も首相の任に耐えられるのだろうか、と感じていたからこそ、あえて<来年の参院選挙くらいまでは>という表現を使った。

 ところが現在では、5月末・6月初めまたは遅くとも7月参院選以前での鳩山退陣がかなりの現実性をもって語られている。

 実際にどうなるのか分からないが、昨年の10月・11月頃に比べれば政治状況・世論は大きく変化している(ようだ)。

 2.「無党派層」とは「日和見層」・「流動層」であって、マスメディアによる評価・ムード作りによって、どうにでも転ぶ(または「転びそうな」)人たちのことだ。
 「無党派」などという体裁のよい(?)、または「支持政党なし」層などという中立的な(?)言葉は使わない方がよいと思われる。
 この「日和見層」・「流動層」・<マスメディアによる評価・ムード作りによって、どうにでも転ぶ(転びそうな)人たち>に対して、これから参院選(の投票日)までマスメディアはどういうメッセージを発するだろうか。
 とくに朝日新聞はどういう<政治的戦略>のもとで報道し、記事を書き、紙面を編集するだろうか。「左翼」活動家集団・朝日新聞は、そろそろ基本的な<政治的戦略>を決定しているだろう。

0871/寺社への拝観料・入山料等はどこへ?

 一 「日本宗教者平和協議会」という団体があるらしい。
 ウェブサイトによると、略称の「宗平協」は、「宗教者(信者・門信徒もふくめて)で、『宗教者の良心に基づき世界の平和と人類の幸福に寄与する』という目的に賛同する人であれば、誰でも参加することができ」るらしい。基本的には、個人加入の組織のようだ。
 同じく、その<主な活動>は以下だとされている。
 「①信教の自由と政教分離の確立
 靖国神社の閣僚公式参拝や国家護持の動きなど、権力による宗教統制・利用に反対し信教の自由を守る。 宗教の側からの政治権力の利用に反対し、政教分離の原則を訴える。
 ②核兵器の使用禁止と廃絶
 核兵器禁止の国際条約の締結を要求し、全ての核兵器の廃絶を求める。

 ③軍事基地の撤去と軍事条約の撤廃
 憲法違反の自衛隊に反対し、沖縄をはじめとする日本国内の米軍基地の撤去と日米安保条約の緒廃棄を求める。

 ④日本国憲法の擁護
日本国憲法を擁護し、平和・民主主義の原則を守り発展させる。

 ⑤環境の保全と回復
 「自然と共に生き、自然の中に生かされている」ことを自覚し、環境の破壊を許さず、保全と回復につとめる。

 ⑥宗教者の国際連帯の強化
 平和五原則に基づく国際友好をすすめ、平和のための宗教者の国際連帯と相互支援を前進させる。」

 これらのうち、とくに①~④は現在の日本共産党の主張と同じだ(または、それよりも率直だ)。③では、自衛隊を「憲法違反」と明記し、国内の「米軍基地の撤去」、「日米安保条約の廃棄」をはっはりと謳っている(「緒廃棄」は原文ママだが、「諸廃棄」でも意味は通じないので、「即時廃棄」の入力ミスだろうか)。

 この団体は、次のアピールを出している。
 「2000/08/31 防衛庁長官と東京都知事に「防災演習」についての抗議と要請
  2000/06/10 森首相の「国体」発言を厳しく糾弾する
  2000/05/16 森首相の「神の国」発言に断固抗議する。
  1999/07/01 盗聴法案(組織的犯罪対策法案)廃案を求めます
  1999/06/15 「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とする法制化に強く反対します。
  1999/05/25 新ガイドライン関連法案の強行採決に抗議する
  1999/04/20 NATOのユーゴ空爆を即時停止し、紛争当事者による平和交渉の再開と、関係諸国に平和的解決を要請する
 1999/01/06 中村法相の罷免と国会の解散を要求する」

 最も上の2000/08のものは「防衛庁・自衛隊と東京都」が予定する「平成一二年度自衛隊統合防災演習」は「防衛庁・自衛隊の統合幕僚会議議長の指揮の下に大量の自衛隊員を首都へ移動させるなど、治安出動のための演習といわざるをえない」とし、「治安維持を自衛隊に期待する石原東京都知事の発言や、新ガイドライン成立によるあらたな自衛隊の『治安出動』のための法『改正』を狙う政府・自民党の策動からも裏付けられ」ると述べる。

 その下の森首相発言への抗議も含めて、→
http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/apnisyu2.htm#bousai

 一番下の中村法相うんぬんは「去る四日、中村法相が法務省内での新年集会において、『日本人は、連合国からいただいた、国の交戦権は認めない、自衛もできない、軍隊ももてないような憲法を作られて、それが改正できないというなかでもがいている』と発言したことは、歴史の事実に反し、憲法に違反し人類の進歩に逆行し、憲法改悪、『有事』参戦への布石として重大な問題を孕んでおり、何よりも憲法遵守の義務を負う法務大臣の資質の欠落を露呈したものであり黙過することはできません」と始まる。そして、「わが国の憲法は連合国から試案を提示されましたが、戦争放棄はまさに幣原首相の独創であったことをマッカサー総司令官自身が認めています」と、面白い(?)ことも断定的に書いている。

 これも含めて、下の4つの全文は、→

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/ap-nisyu.html#naka

 機関紙「宗教と平和」というのを発行しているようで、そこに示された「日本宗教者平和協議会」の(事務所・事務局の)所在地は次のとおり。

 「〒113-0003 東京都文京区湯島3-37-12 TS第7ビル502号」

 二 「日本宗教者平和協議会への加盟および平和諸団体との提携協力」を規約上の「目的」の一つとする地域的団体の一つに「奈良宗教者平和協議会(略称・奈良宗平協)」というのがある。

 ウェブサイトによると、この団体は、日本宗教者平和協議会とは別に、以下のアピールを発している。

 「2003/12/09 憲法違反のイラクへの自衛隊派兵『基本計画』決定に抗議する
 2003/03/17 イラクへの武力行使に反対する
 1998/05/20 インドの核実験に抗議する
 1996/07/27 史実に反する『従軍慰安婦発言』を繰り返す奥野誠亮衆議院に抗議し、議員辞職を要求する
 1996/06/10 中国の核実験に抗議する
 1995/11/14 フランス・中国の核実験中止と核実験全面禁止条約の締結を求める
 1995/05 ~終戦・被爆五〇年にあたって~核廃絶を呼びかける奈良県宗教者のアピール
 1994/07/24 核兵器廃絶の先頭に立ち、日本国憲法の平和的民主的原則を遵守せよ。-村山首相への抗議と要請
 1993/10 小選挙区制の導入に反対するアピール」

 ・奈良市中心部より東北の般若寺(はんにゃじ)には「原爆の恐ろしさと平和の大切さを後世に伝えるため」の「平和の火」をともす「平和の塔」というのが建っている。

 ・奈良市中心部より東南の白毫寺(びゃくごうじ)の境内には、「奈良宗教者平和協議会」と書かれた木板が入口に掛かる建物がある。

 宗教法人としての寺院そのものではなくとも、この二つの寺院の代表者または有力者が「奈良宗平協」に加入している(そして有力な構成員である)ことは間違いない。

 実際にも、上掲のアピールの最上の<イラク派兵反対>は、「奈良宗教者平和協議会 代表理事 工藤良任(般若寺住職) 宮崎快堯(白毫寺住職)」という名義で出されている。→

http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa/appeal.htm

 なお、上の二つの寺院はいずれも関西に25しかない、<関西花の寺二五カ所>の番所(札所)。

 三 大阪にも「大阪宗教者平和協議会」というのがあるらしい。

 「大阪宗平協ニュース」というのを発行していて、ウェブサイトによると、最新号は2009/11/24付。

 そのニュースには12/08の「第19回定期総会」と同日の記念講演(会)の案内が掲載されている。

 「民主党政権下での『反核平和』」とのテーマで講演する(した)のは中田進という人物で、同ニュースに記載の経歴によると、「1937年生まれ」の「関西勤労者教育教会講師」で、<学習の友社>や<新日本出版社>から本を出している。この二つの出版社は実質的には日本共産党とほとんど同一。

 「大阪宗平協」の事務所(事務局)は、同ニュースの発行元の記載によると、次のようだ。

 「大阪市東住吉区今川2-8-5 正念寺内」

 四 以上のようなことに加えて、「奈良宗平協」のウェブサイトからリンクを張っている諸団体等のうち「反核平和運動・被爆者団体・個人のHP」のトップ2つは「原水爆禁止日本協議会」と「日本被爆者団体協議会」であること、いくつかの県の「~平和委員会」も含まれていること、その他の「団体」のうちトップは「自由法曹団」であること、等を加味しても、「宗教者平和協議会(宗平協)」という団体は明確に日本共産党系だ。

 より正確にいえば、日本共産党員が宗教法人内に<フラクション>を形成して活動している、というのがむしろ実態に近いかもしれない。
 代表者・有力者がこの「宗教者平和協議会(宗平協)」に加入しているような寺社への拝観料・入山料等々は、いったいどこに消えるのか、何のために使われるのか。警戒しておいても悪くはない。

0870/山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)。

 山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)は、著者の各種書評類をまとめたもの。
 新聞や週刊誌等の書評欄という性格にもよるのか、批判的コメント、辛口の言及がないことが特徴の一つのように読める。

 1.寺島実郎・二〇世紀から何を学ぶか(新潮選書、2007)は民主党のブレインとも言われる寺島の本だが、好意的・肯定的に紹介している(p.63-64)。これを私は読んでいないし、寺島の別の本に感心したこともあったので、まぁよいとしよう。

 2.関川夏央・「坂の上の雲」と日本人(文藝春秋、2006)については、「楽天的な評論」と形容し、「プロの歴史家たる者」は関川の「司馬ワールドの解析」を「余裕をもって」眺めればよいと書いて、おそらくは「プロの歴史家」の立場からすると疑問視できる叙述もある旨を皮肉含みで示唆している。だが、全体としては好意的な評価で抑えており、これもまぁよいとしよう。
 3.だが、中島岳志・パール判事(白水社、2007)について、この書の基本的趣旨らしきものを全面的に肯定しているように読めるが(p.180-1)、小林よしのりの影響によるかもしれないが、この評価はいかがなものだろう、と感じる。いずれ、所持だけはしている中島著を読む必要があるとあらためて感じた(こんな短い、字数の少ない、研究書とはいえないイメージの本でよく「賞」が取れたなという印象なのだが)。

 4.渡邉恒雄=若宮啓文・「靖国」と小泉首相(朝日新聞社、2006)の書評部分には驚いた。

 山内昌之自身の言葉で、次のように書く。
 「…分祀は不可能と断定し日本の政治・外交を混迷させる現在の靖国神社の姿には、大きな疑問を感じざるをえない」(p.182)。

 以下もすべて、山内昌之自身の考えを示す文章だ。

 靖国神社に「戦争の責任者(A級戦犯)と戦死した将兵が一緒に祀られている。これは奇妙な現象というほかない。…兵士を特攻や玉砕に追いやったA級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」。
 小泉首相の靖国参拝は「近隣諸国から抗議を受けるから」ではなく「日本人による歴史の総括やけじめにかかわるからこそ問題」なのだ(p.182)。

 このような自身の考え方から、渡邉恒雄と若宮啓文の二人の主張・見解を好意的・肯定的に引用または紹介している。

 山内は<神道はもっと大らかに>との旨の若宮啓文の発言に神道関係者はもっと耳を傾注してよいとし、二人の「新しい国立追悼施設施設」建設案を、批判することなく紹介する(p.182)。さらには次のようにすら書く。

 「良質なジャーナリズムの議論として、日本の進路とアジア外交の近未来を危惧する人に読んでほしい書物」だ(p.183)。

 何と、渡邉恒雄と若宮啓文の二人が「良質なジャーナリズムの議論」をしていると評価している。

 前者はうさん臭いし、後者は日本のナショナリズムには反対し、中国や韓国のナショナリズムには目をつぶる(又はむしろ煽る)典型的な日本の戦後「左翼」活動家だろう。

 この書評は毎日新聞(2006.04.23)に掲載されたもののようだ。まさか毎日新聞社と読売・朝日新聞におもねったわけではないだろう、と思いたいが。

 また、そもそも、「A級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」との言葉は、いったい何を言いたいのだろうか。

 第一に、山内昌之も知るとおり、東京裁判が「日本人による歴史の総括やけじめ」ではない。A級戦犯を指定したのは旧連合国、とくに米国だ。かつ、とくに死刑判決を受けた7名の選択と指定が適切だったという保障はどこにもない。山内昌之は「戦争指導」者は「A級戦犯」死刑者7名、またはA級戦犯として処罰された者(のちに大臣になった者が2名いる)に限られ、それ以外にはいないと理解しているのだろうか。かりにそうならば、東京裁判法廷の考え方をなぜそのまま支持するのかを説明する義務があろう。

 そうではなくもっと多数いるというならば、山内がいう「開戦や敗戦の責任」をとるべき「戦争指導」者の範囲は、山内においてどういう基準で決せられるのだろうか。その基準と具体的適用結果としての特定の人名を列挙していただきたいものだ。
 これは日本国内での戦争<加害者>と<被害者>(山内によると一般「兵士」はこちらに属するらしい)の区別の問題でもある。両者は簡単にあるいは明瞭に区別できるのだろうか? 朝日新聞社等の当時のマスコミには山内のいう「責任」はあるのか、ないのか?、と問うてみたい。また、<日本軍国主義>と<一般国民>とを区別する某国共産党の論と似ているようでもあるが、某国共産党の議論を山内は支持しているのだろうか?

 第二に、「A級戦犯」とされた者は「開戦や敗戦の責任」を東京裁判において問われたのか? この点も問題だが、かりにそうだとすると、「A級戦犯」全員について、とくに絞首刑を受けた7名について、各人が「開戦」と「敗戦」のそれぞれについてどのような「責任」を負うべきなのか、を明らかにすべきだ。「開戦」と「敗戦」とを分けて、丁寧に説明していただきたい。

 新聞紙上で公にし、書物で再度活字にした文章を書いた者として、その程度の人格的(学者・文筆人としての)<責務>があるだろう。

 第三に、山内昌之は「責任」という言葉・概念をいかなる意味で用いているのか? 何の説明もなく、先の戦争にかかわってこの語を安易に用いるべきではあるまい。

 ともあれ、山内昌之は「靖国神社A級戦犯合祀」(そして首相の靖国参拝)に反対していることはほとんど明らかで、どうやら「新しい国立追悼施設施設」建設に賛成のようだ。

 5.山内昌之といえば、昨年あたりから、産経新聞紙上でよく名前を目にする。

 産経新聞紙上にとくに連載ものの文章を掲載するということは周囲に対して(および一般読者に)一定の政治信条的傾向・立場に立つことを明らかにすることになる可能性が高く、その意味では<勇気>のある行動でもある。

 だが、上のような文章を読むと、確固たる<保守>論客では全くないようで、各紙・各誌を渡り歩いて売文し知識を披露している、ごくふつうの学者のように(も)思えてきた。

 1947年生まれだと今年度あたりで東京大学を定年退職。そのような時期に接近したので(=学界でイヤがらせを受けない立場になりそうだから)、安心して(?)産経新聞にも原稿を寄せているのではないか、との皮肉も書きたくなる。

0869/外国人参政権問題-あらためてその5・憲法学界④

 ⅠとⅡの二冊で憲法全体をかなり詳しく叙述する野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利・憲法Ⅰ〔第四版〕(有斐閣、2006)の第5章「人権総論」は中村睦男が単独執筆している。

 中村睦男は刊行当時は北海道大学学長(!)。なお、高橋和之は刊行当時は明治大学教授とされているが、芦部信喜の指導を受けたと見られる、前東京大学法学部(法学研究科)教授。

 中村は上の章の「第三節・人権の享有主体」の「三・外国人」のうち、「(2)保障される人権の範囲」、そして②の「参政権」の項で、次のように叙述する(p.221-2)。

 ・「国政レベルでの参政権」につき、これは一定の外国人にも保障されるべきとする説(=浦部法穂)もあるが、日本国憲法の「国民主権原理は伝統的な国民主権原理を維持している」と解されるので、「日本国民に限られる」。

 ・「地方公共団体レベルの参政権」については、「禁止説」・「要請説」・「許容説」がある。

 ・上の「禁止説」は憲法93条2項の「住民」は同15条1項の「国民」を前提とすると理由づける。「しかしながら、外交、国防、幣制などを担当する国政と住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務を担当する地方公共団体の政治・行政とでは、国民主権の原理とのかかわりに程度に差異があること」を考えると、「選挙権を一定の居住要件の下で外国人に認めることは立法政策に委ねられているものと解される」。

 このあとで中村は、「最高裁も」として平成7年判決を挙げて、「許容説の立場に立っている」と書いている。

 平成7年最高裁判決や芦部信喜説の影響もあるかもしれないが、中村睦男は明確に外国人地方参政(選挙)権についての<許容説>だ。そして、最高裁平成7年判決の関係部分について、「傍論だが…」と書いていないし、ましてや<傍論だから無視してもよい>とは書いていない。最高裁判例としての意味があるものとして、所謂「傍論」部分を援用していると思われる。

 この中村の叙述内容は、中村が参照要求している浦部法穂や明示はないがこの欄ですでに言及した辻村みよ子の説に比べると、穏当なものだ。国政については明確に「禁止説」で、浦部法穂や辻村みよ子とは異なる。

 しかし、外国人地方選挙権については明瞭に「許容説」だ。したがって、外国人の範囲にもよるが、「一定の居住要件」を充たす外国人に地方選挙権を付与する法律案を支持する、少なくともそれを違憲視することはない、ということになるだろう。

 辻村みよ子が「禁止説」よりも「許容説」が「有力となった」と書いていることはすでに紹介した(同・憲法〔第三版〕p.148)。おそらくそのとおりで、上の中村睦男のような考え方が、芦部信喜のそれも含めて、近時の日本の憲法学界の<主流>ではないか、と思われる。

 <地方>にとりあえず限るが、日本の憲法学界は、外国人の選挙権に<優しい>のだ。こんなこともあらためて知っておいてよいだろう。

 ついでに、国の政治・行政も「住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務を担当」しているし、地方公共団体の政治・行政も例えば「国防」に関係する仕事を担当することがある、国と地方公共団体(の政治・行政)は中村が想定または想像している以上に複雑で複合的な関係にある、とだけ中村の叙述を批判しておこう。

0868/産経新聞上での東大寺大仏-渡部裕明とついでに佐伯啓思。

 産経新聞4/17で、論説副委員長・渡部裕明は「『遷都』に学ぶ国家のあり方」とのタイトルのもとで書く。
 奈良の大仏=「東大寺大仏」は当時の「人々の努力の結晶」で、その意義は大きさではなく「人々の喜捨によって造られた点」にある。この大仏は「国民の心を一つにさせた」。

 その他、飛鳥京から平城京への「遷都」の背景・理由等にも言及があるが、論説副委員長が書くにしては、あまりに教科書的・通説的すぎるのではないだろうか。大仏建立の目的等についても、あまりに表面的で、史料実証主義の弊はないだろうか。

 どうもこの論説副委員長は、反マルクス主義を明確にし、旧日本社会党や社民党の<九条(護憲)教>への皮肉等にも満ちている、井沢元彦逆説の日本史(小学館)のシリーズを一冊も読んでいないようだ。文科省の検定済み教科書を範とすることだけが産経新聞の社是ではないだろう。

 井沢元彦の本を手元に置く面倒は避ける。
 以下は、たぶん井沢元彦が書いていたことではなく私の個人的感想にすぎないが、東大寺大仏のような巨大な建造物は、なるほど当時の庶民の努力と技術の結晶でもあるのだろうが、<日本人本来の美意識>からはズレているような気がする。

 上へ上へと(天により近く)伸びるような、教会の高い尖塔が欧州のとくにゴチック建築物に見られる。だが、日本の宗教は、高さや巨大さによる威容を示して、人々を屈従させる(と言って悪ければ、信仰へと導く)ような態度をとってきたのだろうか。

 仏教ではなく神道の場合、典型的には伊勢神宮がそうだが、ご正殿は素朴で決して大きくはない。さらには、寺院では<本尊>にほぼあたると思われるカミの依り代は、正殿(・本殿)の中に隠されていて参拝者の目には触れない。さらには、その正殿と参拝者の間には閉じられた門(と玉垣)があって、正殿すらをも見ないままで、参拝者は柏手を打つのだ。

 伊勢神宮を想定したが、他の神社でも、おおむね拝殿と正殿(・本殿)は別にあって(建築物の構造上、一体化している場合等もある)、本殿の中は見えないか、見えても決して大きくはない丸い鏡などを遠くから望むことができるだけだ。

 神道(神社神道)は、決して威張らず、目立とうともしないカミを中心に置いているのではないか、と素人ながら感じている。

 寺院でも、本尊の形の大きさは必ずしも如来・観音・菩薩等の<偉さ>や<価値>とは無関係だとされているのではないか、と思われる。小さな木彫にすぎないご本尊(の物体化したもの・徴表)が本堂の中央に置かれているのは、しばしば目にすることだ。

 そうした経験および観点からすると、私自身は東大寺大仏の巨大さには違和感を覚える。そして、なぜこんな巨大なものを造ったか(造らせたか)という、当時の為政者側の特有の事情にむしろ関心をもつ。

 したがって、渡部裕明のように単純素朴に書くことはできないし、単純素朴にお説拝聴というわけにはいかない。

 産経新聞4/19佐伯啓思のコラム「平城遷都1300年に思う」も最後に東大寺大仏に言及している。天皇の政治的位置づけの変遷または時代的類似性にコラム全体の主眼があるが、あまり面白くはない。「巨大大仏」と今日の「巨大高層ビル」を対比させるあたりもやや苦しそうだ。

 だが、「大仏はいまでも鎮座しているが、それは巨大な観光資源になってしまっている」、という感覚は、東大寺大仏を見て<国家と国民の関係>を考え直そう(大仏の建設・再建には国民が積極的に?協力した)という趣旨を述べている渡部裕明の感覚よりは、相当にまともだ、と思う。

0867/外国人参政権問題-あらためてその4・憲法学界③。

 1.辻村みよ子・憲法〔第三版〕(日本評論社、2008。前回までにいうA)p.149は、(地方・国家を問わず)「選挙権者」の範囲の問題=「定住外国人を含めるか否か」には、「選挙権者」に該当する「具体的な『市民』概念を介在させることも理論上は有効」だとし、そのような「市民」概念を伴った例として、①フランスの1793年憲法、②EUの「欧州市民権」論を挙げる。

 ①についてはすでにコメントした。もう少し語れば、第一に、日本国憲法にかかわる議論になぜフランスの憲法上の議論・理論が「有効」なのか、一般的な(ふつうの)日本人にはほとんど分からないだろう。フランスやアメリカの憲法(理論)上の概念・理論を日本国憲法は継受している、ということを、この人は当然の前提にしているのだ。「選挙権者」の範囲という具体的問題について、はたしてそう言えるのか? また、かりにそうだとしても、欧米憲法(<近代>憲法)は「選挙権」者を「国民」に限っていないと一般的に言えるのか?
 第二に、なぜ、1793年憲法という、200年以上前!の外国の憲法(理論)が「理論上は有効」なのか、これまたさっぱり分からないだろう。

 第三に、フランス1793年憲法とは、成立はしたが施行されなかった、つまり現実に<生きた>憲法ではなかった憲法だ。それでも、その基礎にあった「理論」・考え方は参照に値すると辻村は言うのだろうが、施行されてはいないという事実を一切隠したままでこの憲法に論及するのは、いささか卑劣ではないだろうか。

 繰り返しておこう。200年以上前に成立だけした外国(フランス)の憲法の「理論」・考え方は今日の日本の選挙権の範囲の問題解決に「理論上は有効」だと、辻村は書く。これはいささか常軌を逸しているのではないか。日本の(立派な?)憲法学界内部ならばともかく、多くの日本人にとって説得的な議論の仕方ではないだろう。

 2.つぎに、上の②も奇妙だ。EUでの議論が「理論上は有効」であるためには、現在の日本もまた、EUと同様の法的状況にあることが前提として必要のはずだ。しかるに、今日の日本のどこに、EUと共通する要素があるのか。

 EUの「欧州市民権」論を持ち出すならば、日本を含む東アジア(またはアジア)がEU=欧州連合・欧州共同体のようになっている必要がある。

 鳩山由紀夫が<理想>としている「東アジア共同体」なるものが形成されてから、またはまさに形成されようとしている時期になってから、上のようなことを言ってもらいたい。そして<東アジア(に共通の)市民権>について論じていただきたい。

 現実・実態の違う欧州(EU)を現在の時点で持ち出しても、何の参考にもならないし、むろん「理論上は有効」であるはずがない。

 このように、辻村みよ子の叙述・議論の内容は相当に問題がある。だが、憲法教科書として<あの>日本評論社から刊行されて活字になっており、こんな叙述を読みながら、憲法学・日本国憲法を勉強している学生たちもいるわけだ。
 地方・国政を問わず、一定の外国人(定住外国人)には憲法上、法律によって選挙権を付与することが<要請>されている、とする辻村みよ子の主張(憲法解釈論・憲法学説)自体を問題視する必要がむろんあるが、その根拠・議論の仕方にも大いに疑問視してよいところがある、と言うべきだ。

 3.民主党は世界ですでに30~40カ国は一定の外国人に地方参政権を付与しており、決して<少なくない>と言っているらしい(正確な資料参照を省略する)。また、美辞麗句、君子豹変、八方美人の「言葉の軽い」鳩山由紀夫現内閣総理大臣は、外国人地方参政権問題は「友愛」の問題だと述べたらしい(同)。

 だが、別冊宝島・緊急出版/外国人参政権で日本がなくなる日(宝島社)p.77の、百地章の注記付きの表によると、一定の外国人に地方参政権を付与している国のほとんどは、①欧州(EU)内の国で他のEU諸国の国民(「EU市民」)にのみ付与しているか、②イギリス連邦の構成国(ニュージーランド、カナダ、オーストラリアなど)の国民に二重国籍を認めたうえで英国の選挙権を付与している、というものだ。①・②につき、百地章はいずれも正確な意味での「外国人」参政権付与の例ではない、としている。

 イギリスには特有の歴史的事情があるだろう。また、欧州では、EUという従来とは異なる新しい「国家」の形成の模索中なのだ。不正確だろうが、EU加盟国の国民は半分(?)程度はすでにEUという新しい国家の「国民」だとも見なしうるのだ(だからこそ、上述のとおり、辻村みよ子のように簡単には日本に適用できないのだ。EUには議会すらある。大統領または首相にあたる者、つまり執行権の代表者の一般選挙すら論議されている)。

 このように見ると、世界ですでに30~40カ国という<少なくない>国々が一定の外国人に地方参政権を付与している、という旨の民主党(その他社民党・共産党?)の主張は明らかに<デマ>というべきだ。<世界の趨勢>などという虚偽宣伝に騙されてはいけない。言わずもがなかもしれないが、念のために。 

0866/外国人参政権問題-あらためてその3・憲法学界②。

 辻村みよ子・憲法〔第一版〕(日本評論社、2000=B)は、平成7年最高裁判決を紹介したあと、以下のようにも批判している。

 ①「傍論」での「地方自治制度の趣旨」を根拠にした判示は、「本論」での憲法「九三条解釈にも反映されなければならなかったのではないか」(p.166)。
 これは前回紹介の後藤光男の論と同じく、「傍論」を支持する(少なくとも積極的に反対しない)立場から、簡単には、「本論」をこそ「傍論」に合わせるべき旨を言っているわけで、百地章とは真逆の立場からの「矛盾」の指摘だと理解することもできる。

 辻村みよ子は次のようにも書く。

 ②上記判決の「傍論」が「永住者等」を「国民に準じて考えるべき存在」としているとすれば、この「永住者等」は「地方公共団体と密接な関係をもっているだけではなく、すでに日本の国政にも十分密接な関係と関心をもつ者であり、国政レベルでの参政権についても許容説を導くことができるかどうかが問題となる」。

 語尾は曖昧になっているが、国政レベルでの選挙権付与「要請説」論者だからこそ、このように書けるのだろう。

 辻村の叙述で注目されるのは(A・B同じ)、<永住市民権説>というものに立ち(これは近藤敦も同旨だとされている。Ap.149)、その論拠の一つをフランスの1793年憲法に求めていることだ。

 このフランスの憲法はジャコバン独裁時の、ロベスピエールらによる<人民(プープル)主権>を採用した憲法だが、辻村みよ子は、よほどこの<社会主義を先取りしたような、そして「先取り」したがゆえにこそ施行もされず失敗したとされる>憲法がお好きらしい。

 辻村の文章は次のようなもの。
 「…選挙権者の範囲に定住外国人を含めるか否かの議論の際には、欧州連合条約における『欧州市民』権(…)や…フランスの『人民(プープル)主権』論に基づく1793年憲法(主権主体である人民を構成する市民が選挙権者となる)のように、選挙権者に該当する具体的な『市民』概念を介在させることも理論上は有効である。このような『新しい市民』概念の確立による選挙権者の拡大を図ることが望ましいと考えられる」。

 国籍保持者以外への<選挙権者の拡大>が望ましい=「善」または<進歩的>という発想自体にすでに従えないのだが、ここには、「左翼」の中に多い、そして鳩山由紀夫も影響を受けているようである、(「国民」とは区別された)独特の「市民」概念・「市民」論があるのは明らかだ。

 こういう、既に凝り固まった人を善導?するのはもはや困難かもしれない。
 別冊宝島・緊急出版/外国人参政権で日本はなくなる(宝島社、2010)によると、民主党・自民党・公明党・社民党・国民新党・みんなの党のすべてが「外国人国政選挙権」の付与に反対している(民主党は川上義博の個人見解とされる)(p.80以下)。日本共産党は「積極的な反対でないため回答を保留」したらしい(p.91)。

 平成7年最高裁判決およびこうした諸政党の態度を見ると、「外国人国政選挙権」についての(憲法による)「(付与)要請説」は、きわめて少数の、異様な(?)学説のはずだ。日本共産党よりもはるかに<付与>の方向に傾いた説なのだ。

 だがしかし、この説は、日本の立派な?憲法学界では、決して珍奇でも稀少でもなさそうだ。

 誇ってよいのか、嘆くべきなのか。日本の憲法学界、つまりは百地章等を除く圧倒的多数の憲法学者たちは、親コミュニズムのゆえか、外国の「左翼」的・「進歩的」文献にかぶれているゆえか、健全で常識的な感覚を失っているのだはないか。すでに「日本人」では意識の上ではなくなっており、かつそのことを恥じることもなく、むしろ<誇り>に感じているのではないか。異様な世界だ。
 <法学(憲法学)>の世界にあまり詳しくはない方々には、上のようなことを知っておいていただきたい。東北大学、名古屋大学、早稲田大学といった<有力な>大学の教授たちの学説であることも含めて。

0865/外国人(地方)参政権問題-あらためて、その2・憲法学界。

 1.外国人(地方)参政権問題に関して不思議に思っていることの一つは、すぐれて憲法問題で(も)あるにもかかわらず、現在の日本の憲法学者(研究者)による発言等が雑誌や新聞上でほとんど報道されないことだ。

 産経新聞紙上では、百地章・長尾一紘と近藤敦(名城大学)くらいで、保守系論壇ではほとんど百地章が一手に引き受けて憲法学者としての反対論(外国人参政権否定論)を述べているようだ。

 かかる状況は、憲法学界または憲法学者の対社会影響力、世論形成力の弱さを示しているとも感じられ、果たしてよいことなのかどうか、気になるところだ。

 また、マスメディア(新聞を含む)に従事する人々の<法学>オンチ、または苦手意識からする<法学(・法律)・何となく嫌い>気分が表れているようでもある。

 産経新聞紙上で少なくとも二度は目にした近藤敦(名城大学)は、賛成論者として登場している。

 この問題についての学説はさまざまな観点から分類できるが、被選挙権を含まず、かつ「地方」参政権に限って、長尾一紘は月刊正論5月号(産経)p.55で、3分類(禁止説・要請説・許容説)を示している。

 このうち「要請説」とは、憲法は法律で付与することを「許容」しているのみならず付与を「要請」しているとするもので、厳密にはさらに、①この要請に違反すれば憲法違反になるとする説(付与していない現行法律=公選法は違憲になる)と②立法者=法律制定者に付与するよう努力義務(政治的義務・責務)を課しているだけで、この違反はただちに憲法違反にならないとする説に分けられる。

 長尾は上の①の意味のものを「要請説」と称している。

 2.辻村みよ子(東北大学)、近藤敦(名城大学)の見解はより正確にはどのようなものなのか。その一端だけを、辻村みよ子・憲法〔第三版〕(日本評論社、2008=A)、同・同〔第一版〕(日本評論社、2000=B)によって、見ておく。

 辻村A・Bによると、「学説は、外国人参政権を一切認めない従来の禁止説から脱して、しだいに地方参政権を認める見解(許容説)が有力になった」とされる(Ap.148、Bp.167)。

 辻村Bによると、国政選挙ではなく、地方選挙に限ると、a「禁止(否定)説」、b「積極的肯定説」、c「消極的肯定説(許容説)」に分けられる。ここでのb「積極的肯定説」は「要請説」とほぼ同義のようであり、上記の①の、違憲判断を導く「要請・違憲説」と、上記の②の、ただちに違憲とはしない「要請・政治的義務説」とに分けられている。

 辻村自身の説はいずれか。辻村A・Bによると、「要請説」だ。その中のいずれか、というと、辻村Bは、<「政治的義務説」(ないし「違憲説」)>だという書き方をしている(Bp.167-8)。この部分は、辻村Aにはない。

 ともあれ、辻村みよ子説は、「禁止説」でも<有力な>「許容説」でもなく、「要請説」だ。

 現在の代表的な「左翼」憲法学者の一人・辻村みよ子は、平成7年最高裁判決の「傍論」以上に、一定の外国人の地方参政権付与に積極的であることに、とりあえず注目しておく必要がある。

 なお、「要請・政治的義務説」か「要請・違憲説」かは不明だが、「要請説」であるかぎりで、近藤敦も同じのようだ(辻村著の文献参照による)。

 かかる見解の持ち主だと、民主党(中心)政権は今のところは国会提出を見送っているようだが、一定の外国人への地方参政権付与法案を歓迎しているだろう。

 3.興味深いのは、一定の外国人の「国政」参政権についての辻村等の見解だ。辻村は(上のAでもBでも)「要請説」に立っている。そして辻村Bでは、「地方」の場合と同様に<「政治的義務説」(ないし「違憲説」)>という書き方をしている(Bp.168)。

 「国政」参政権について、「禁止(否定)説」ではない。さらに「許容説」でもなく、それを超えた「要請説」を採っているのだ。辻村著によると、近藤敦も同じ。

 さすがに、「左翼」憲法学者の面目躍如というところだろう。外国人「国政」参政権を法律で付与することが「要請」されるという考え方(憲法解釈?)なのだ。

 「地方」はともあれ平成7年最高裁判決のように「国政」参政権を憲法上否定するのが(「禁止(否定)説」が)憲法学界でも一般的だ、と即断してはいけない。

 上に地方参政権について「許容説」が「有力」との辻村の認識を紹介したが、「国政」参政権についてもかなりあてはまりそうだ。

 辻村著によると、「国政」についての「許容説」論者に、九条の会呼びかけ人の一人・奥平康弘(元東京大学)がおり、「国政」についての「要請説」論者に、辻村・近藤のほかに、浦部法穂(神戸大学→名古屋大学)、後藤光男(早稲田大学)がいる。

 4.後藤光男は、ロ-スクールを含む学生(・同業者?)向けと思われるジュリスト増刊・憲法の争点(有斐閣、2008)の「外国人の人権」の項の中で、以下のように述べる。

 平成7年最高裁判決は「外国人は国政レベルの参政権は有しない」という前提に立っているが「なぜ外国人には地方参政権だけしか認められないのか、…疑問が生じる」。この見解は「住民自治」と「国民主権」を「別個の原理」と見ていて「妥当ではない」。「民主主義」=「共同体の自治」と考えれば「生活の本拠をもつ住民」を「単位」とすることの方が「当然」。「基本的」なのは「共同体の一員」であるか否かであり、「国籍」の有無は「それに付随した技術的なものである」(p.74)。

 何とも見事な、反国家・<ナショナルなもの否定>、そして「左翼」の文章だ。

 百地章は平成7年最高裁判決の「本論」の「禁止説」と「傍論」での地方参政権についての「許容説」を、前者の立場で一貫させよ、という観点から「論理的に矛盾」等と批判していた。一方、後藤光男は、<地方>につき「許容説」を採るならばなぜ<国政>でも採れないのか、と矛盾(?)を指摘しているわけだ。

 後藤と似たようなことを、辻村みよ子も書いていた。(*次回へと続く*)

0864/外国人(地方)参政権問題-あらためて、その1。

 1 外国人参政権に関する最高裁平成7年2月28日判決に関与した元最高裁裁判官の園部逸夫、および園部を批判している百地章の議論については、すでに一度だけ触れた(3月14日エントリー)。

 このときは日本会議・月刊「日本の息吹」3月号というマイナーな(?)雑誌又は冊子に載っていた百地章の文章を手がかりに、産経新聞2/19の記事と絡めて書いた。

 月刊WiLL3月号(ワック)に、百地章「外国人参政権・園部元最高裁判事の俗論」がある(p.203)。こちらの方が、長く、より正確な百地の論考のようだ。
 月刊「日本の息吹」3月号では園部見解の典拠の一つは「日本自治体法務研究」とされていたが、正確には、「自治体法務研究」という雑誌(9号、2007夏)。
 2 あらためての感想の第一は、やはり園部逸夫という人物の<いかがわしさ>になる。裁判官時代は優れた、まともな人だったのかもしれない。だが、あくまで百地章による紹介・引用を信頼して感じるのだが、少なくとも自分が関与した上記最高裁判決に関するその後の園部の発言ぶりは、異様だ。

 前回(3/14)、百地が紹介しているとおりならば、「そのような『法の世界から離れた俗論』にすぎないとされる『傍論』を含む判決理由の作成に参画し合意したのは園部自身ではないか、という奇怪なことになる」と書いた。かつての自分を批判することになることを元最高裁裁判官が言うのだろうか、という思いが、<奇怪なこと>という表現になっていて、まさか…という気分が全くないではなかった。

 しかし、今回の百地章の文章を読んで、まさにその<奇怪なこと>を園部逸夫はしている、と断定してよいものと思われる。

 関心の高い人にはすでに無意味・無駄かもしれないが、整理・確認の意味を含めて、百地の文章から、園部逸夫発言を抜き出す。

 ①朝日新聞1999年6月24日-上記最高裁判決で「傍論を述べて立法に期待した」。

 ②自治体法務研究2007夏号-所謂傍論部分を「傍論…としたり、重視したりするのは、主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、法の世界から離れた俗論である」。
 ③A・産経新聞2010年2月19日-所謂傍論部分には「政治的配慮があった」。

  B・阿比留瑠比ブログ2010年2月19日-所謂傍論部分は「確かに本筋の意見ではないですよね。つけなくても良かったかもしれません」、「なくてもいいんだ」。

 筆者(秋月)が直接に確認できるのは③A・Bだけだが、とりわけ、①と②の間には、私の理解ではより正確には、最高裁判決そのものと②の間には、異常な懸隔、この上もない奇怪さがある。自分が関与した(しかも「主導した」とすら言われる)判決部分について、「傍論…としたり、重視」するのは「法の世界から離れた俗論である」と言ってしまえる感覚・神経は尋常のものではない。

 3 私は上記最高裁判決の論理は成り立ちうるもので、「矛盾」しているとまでは言えない、と理解している。この点につき、百地章は「論理的に矛盾」している旨を詳論している。

 同趣旨のことは別冊宝島・緊急出版/外国人参政権で日本がなくなる日(宝島社、2010.04)の「百地章先生に聞く! いちからわかる憲法違反の外国人参政権」でも、「…傍論だし、しかも本論と傍論は矛盾している」(p.72)と述べられている。

 潮匡人に対する批判的コメントをしたりもしたが(その前には渡部昇一をとり挙げた)、広くは<仲間>だと主観的・個人的には考えている者の述べていることに(<仲間うちの喧嘩>のごとく)逐一反論しない方がよいのかもしれない。しかし、私のような理解(判例解釈)も成り立つとなお考えているので、簡単に述べておく。

 上記最高裁判決の、百地のいう「本論」(理由づけ)は、そのままに全文を引用すると次のとおり。①・②…は秋月による挿入。

 <〔①〕憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである。そこで、憲法一五条一項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。〔②〕そして、地方自治について定める憲法第八章は、九三条二項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三五年(オ)第五七九号同年一二月一四日判決・民集一四巻一四号三〇三七頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである。」
 そしてこのあと、「〔③〕このように、憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、…」と冒頭でまとめたあとで、所謂<傍論>へとつなげている。

 百地章も認めているように(月刊WiLL5月号p.205)、上のとくに②・③は、「外国人への参政権付与は、たとえ地方選挙権であっても認められない(禁止される)」とは「明言していない」。

 それを百地は、上の前段の「」内のように最高裁判決(本論)を<解釈>しているのだ。百地がp.210で「」付きでまとめている「本論」は、判決文そのものの引用ではなく、百地の<解釈>を経たものにすぎない。そして、これは成り立つかもしれない一つの(最高裁判決の)<解釈>なのかもしれない。

 しかしながら、少なくとも、絶対的にそのような内容の解釈しか出てこない、という文章ではない、と私は読んで(解釈して)いる。

 最高裁の上の文章で明確に述べられているのは、憲法93条2項は「我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない」(②)、同じことだが、「我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえない」(③)ということだけだ。

 これを、憲法(93条2項)は積極的に(地方参政権を)付与していない、とだけ<解釈>し、法律でもって付与することは憲法上「禁止されているものではない」(許容されている)〔所謂<傍論>中〕とつなげることは、決して<論理矛盾>ではない、と思われる。
 つまり百地章はすでに特定の解釈を加えて<本論>を理解し、そのうえで<傍論>と「論理的に矛盾」している、と主張しているわけだ。

 上のような<特定の解釈>を採用すれば、たしかに「矛盾」している。しかし、そもそもそのような前提に立たなければ、「矛盾」しているとは言えないだろう。

 本来は些細な問題かもしれない。あるいは、<政治的には>百地見解に従っておけばよいのかもしれない。だが、日本文の読み方として、いずれが適切な、または自然なものなのか、百地先生の教えをあらためて乞いたいものだ。 

0863/月刊正論5月号と週刊新潮4/15号(新潮社)から。

 〇潮匡人のコラムの後半(月刊正論5月号、p.51)をあらためて読んでいて、この人が言いたいのは、次のようなことなのだろうか、とふと思った。

 <兼子仁著は、新地方自治法によって国と自治体が「対等」になったとする、つまり地方自治体も国と同様に、かつ国と対等の「権力」団体になった。とすれば、外国人に「国政」参政権が認められないならば、国と「対等」の地方自治体についても、国の場合と同様に外国人参政権は認められないのではないか。>
 これは分かり易い議論・主張のようでもある。だが、かりに潮匡人の主張の趣旨がこのようなものであるとすれば、基本的なところで、やはり無理がある。

 第一に、地方公共団体が国と同様の「統治団体」(または「権力」行使ができる)団体・法人であること、広い意味では地方公共団体もまたわが国の<統治機構>・<国家機構>の一つであること、は戦後(正確には日本国憲法施行後または独立回復後)一貫して認められてきたことであり、2000年施行の改正地方自治法によってはじめてそうなったのではない。
 第二に、地方公共団体と国の「対等」性とは、基本的にそれぞれの行政機関は上下関係には立たないということを意味し、立法権能レベルでは国の法令は地方公共団体の条例に対して優位に立つので(憲法94条参照)、そのかぎりでは決して「対等」ではない。法律自体が「地方自治の本旨」に沿うように旨の注意書き規定が2000年施行の改正地方自治法で新設されたが、合憲であるかぎりは法律の方が条例よりも「上」位にあることは、改正地方自治法の前後を通じて変わりはしない。

 第三に、国と地方自治体(地方公共団体)の「対等」性が、それぞれの議会の議員等の選挙権者の範囲を同一にすべし、という結論につながるわけでは必ずしもない。法律のもとでの「対等」性、とりわけ法的にはそれぞれの行政機関間に上下の指揮監督関係はないということ、と議会議員(や地方自治体の長)の選挙権者の範囲の問題は直結していない。

 かりに潮匡人が上の第一、第二のことを知らないとすれば、幼稚すぎる。かりに日本の地方自治制度を岩波新書(兼子仁著)あたりだけで理解しているとすれば、あまりに勉強不足だろう。
 かりに潮匡人が上の第三のように考えているとすれば、単純素朴すぎる。結論はそれでよいかもしれないが、(いつか何人かの憲法学者の議論を紹介するが)外国人地方参政権付与に賛成している論者に反駁するには弱すぎる。議論はもう少しは複雑だと思われる。

 〇期待もした、長尾一紘「外国人参政権は『明らかに違憲』」(月刊正論5月号)はかなり不満だ。しばしば言及されてきた当人の文章なので読む前には興味を惹くところがあった。しかし、最初の方だけが憲法学者らしい文章で、あとは、政治評論家の如き文章になっている。つまり、憲法研究者としての分析・検討・叙述がほとんどない。最高裁平成7年2月28日判決への言及すらない。

 憲法学者ならばそれらしく、憲法学界での「外国人選挙権」問題についての学説分布などを紹介してほしかったものだ。民主党の政策を批判するくらいは、長尾でなくともできるだろう。1942年生まれで今年に68才。もはや<現役>ではないということだろうか(だが、現在なお中央大学教授のようだ)。

 〇週刊新潮(新潮社)はもっとも頻繁に購入する週刊誌。4/15号もそうだが、また、他の週刊誌についても同様だが、まず初めにすることは、広告および渡辺淳一の連載コラム等々で表裏ともに不要と考える部分を<ちぎって破り捨てる>こと。半分程度に薄くなり軽くなったものを(主要部分を読んだあとで)保存するようにしている。

 渡辺淳一のコラムをいっさい読まず<破り捨てる>対象にし始めたのは、渡辺の田母神俊雄問題に関するコメントがヒドかった号以来。したがって、一昨年秋以降ずっと、になる。この週刊誌を買っても、それ以降は渡辺の文章はまったく読んでいない。

 田母神俊雄論文を渡辺は、<日本は侵略戦争という悪いことをした>という<教条的左翼>の立場で罵倒していた。その際に<戦争を私は知っているが…>ということを書いていた。

 なるほど私と違って、戦時中の苦しさを実感として知っているのかもしれない。だが、1933年10月生まれで敗戦時にまだ11才の少年だった渡辺に、あの戦争の<本質>の何が分かる、というのだ。この人も、占領下の<日本は悪かった>史観の教育によって左巻に染められた、かつての「小国民」だったのだろう。

 〇渡辺淳一の2頁分のコラムに比べて、昨年あたりから始まった1頁に充たない、藤原正彦の文章(巻頭の写真付き連載の「管見妄語」)の、内容も含めての美しさ、見事さ、そして(とくに皮肉の)切れ味は、ほとんどの号において素晴らしい。
 渡辺淳一と、別の週刊誌にコラムを連載している宮崎哲弥と、週刊新潮・新潮社は交代させてほしい。

 〇4/15号の櫻井よしこ連載コラムは「朝鮮高校の授業料無償化は不当だ」。

 こんなまともな意見もあるのに、朝日新聞は仕方がないとしても、読売や毎日新聞の社説は問題視していない(朝鮮高校も対象とすることに賛成している)らしいのはいったい何故なのだろう。

 これまた、<ナショナルなもの>の忌避・否定、<日本(人)だけ>という排他的?考え方をもちたくない、という現代日本の<空気>的な心情・情緒に依っているのではないだろうか。

 社民党・福島瑞穂的な<反ナショナリズム>・<平等主義>には、じつは<ナショナルな>部分をしっかりと維持している点もある、という矛盾がある、ということをいつか書く(こんな予告が最近は多い)。

 〇週刊新潮の、並みの?用紙部分の最後にある高山正之の連載コラム「変見自在」は、ときに又はしばしば、こちらの前提的な知識の不足のために、深遠な?内容が理解不十分で終わってしまうときがある。いつかも書いた気がするが、関係参照文献の掲記(頁数等を含む)がないことと、字数の制約によることも大きいと思われる。

 4/15号の「不買の勧め」は朝日新聞批判で、これはかなり(又はほとんど)よく理解できた。

0862/外国人(地方)参政権問題-月刊正論・長尾一紘論考と産経新聞4/11記事。

 月刊正論5月号(産経)の長尾一紘「外国人参政権は『明らかに違憲』」p.55に以下の趣旨がある。
 <「許容説はドイツにおいて少数説」だ。当時(1988年)も現在も「禁止説が通説」。マーストリヒト条約によりEU内部での「地方選挙権の相互保障」を認め合うこととなり、ドイツでは「憲法改正が必要」となった。その結果、「EU出身の外国人」の地方参政権は「与えてよい」ことになった。「その他の国からきた外国人」については現在でも「憲法上禁止されていると考えられて」いる。>

 この叙述とはニュアンスと内容のやや異なる情報が、産経新聞4/11付に載っている。「外国人参政権/欧米の実相」の連載の一つだ。「『招かれざる客』めぐり二分」との見出しの文章の中に以下がある(署名、ベルリン・北村正人)。

 <ドイツでは80年代にトルコ人が地方選挙権を求めて行政訴訟を起こし、「法改正により外国人に地方…選挙権を与えても」違憲ではないとの判決があった。そこで、社民党政権の2つの州で外国人地方参政権付与の「法改正」があった。

 だが、保守系〔CDU・CSU、ちなみにメルケル現首相はCDU〕連邦議会議員らが「違憲訴訟」を起こし、連邦憲法裁判所は90年に「国民」=「国籍保有者」として、2州の「法改正」を「違憲」とした。

 現在、「左派党」政権の3つの州が「定住外国人に地方参政権を付与する」連邦憲法(基本法)改正案を連邦参議院(秋月注-ベルリンに連邦議会とは別の場所にある第二院で各州の代表者たちから成る)が「発議」している。>

 現在は憲法裁判所判決の結果として憲法(基本法)の解釈による付与の余地がないので、付与の方向での憲法(基本法)自体の改正の動きが一部にはある、ということのようだ(その運動議員の考えと写真も紹介されている)。

 なるほど「少数説」だったかもしれないが、かつて西ドイツ時代の11州のうち2州は(連邦憲法裁判所の「違憲」判決が出るまでは)外国人に「地方選挙」の「選挙権」を認める、という<実績>まであったのだ。当然に、それを支える法学者たちの見解もあったに違いない。また、<左派>の社民党(ドイツ社会民主党)や現在の「左派党」〔または「左翼党」、die Linke〕が付与に熱心だということも、日本と似ていて興味深い。

 この「記事」中、「法改正」とは「州法律」の「改正」のことだろう。「地方選挙」が何を指しているかはよく分からない。「州」議会議員選挙は含まず、記事中に引用の連邦憲法中の「郡および市町村」〔Kreis、Gemeindeの訳語だと思われる〕の議会の議員の選挙なのだろう。ドイツの州は連邦を構成する「国」ともいわれ、「地方」ではなさそうなので。また、「選挙権」とだけ書いているので、被選挙権を含んでいないのだろう。

 ともあれ、上の二つの種類の情報を合わせて、ドイツのことはある程度詳しく分かった。

 両者には、とくにドイツの現在の法的状況について、異なるとも読めるところがあるようだ。現在ベルリンにいるらしい産経・北村の方が正確または詳細かもしれない。
 以上は感想のみだが、この外国人参政権問題についてはさらに別の機会に触れる。

0861/潮匡人が月刊正論5月号で外国人地方参政権問題に論及するが…。

 外国人(地方)参政権問題につき、最高裁平成7年2月28日判決の「傍論」が述べた、法律で付与することも<できる>(付与しても、しなくとも違憲ではない)という所謂<許容説>は、元東京大学法学部教授の芦部信喜(故人)の説の影響が大きいと言われることもある。

 一度は芦部信喜の本(教科書)を見て確認しておかねば、と思っていたら、月刊正論5月号(産経)の潮匡人の連載コラム(この号は「リベラル派の二枚舌」との題)が芦部信喜『憲法』(岩波書店)の関係部分をそのまま引用してくれていた(何版、何年刊かは不明)。2頁のコラム中に全文引用できるほどに短く、簡単だ。
 「参政権は、国民が自己の属する国の政治に参加する権利であり、その性質上、当該国家の国民にのみ認められる権利である。したがって、狭義の参政権は外国人には及ばない。しかし、地方自治体、とくに市町村という住民の生活に最も密着した地方自治体のレベルにおける選挙権は、永住資格を有する定住外国人に認めることもできる、と解すべきであろう」。
 このあと、「判例も」として、「傍論」と注記をすることなく、上記の最高裁判決の所謂「傍論」部分を紹介しているらしい。
 以上の紹介は有益だ。もっとも、芦部信喜の代表的教科書は有斐閣版だったかとも思うので、あらためて調べて(=探して)みよう。
 しかし、潮匡人が兼子仁・新地方自治法(岩波新書)を挙げて、同著が改正地方自治法(2000年施行)は国・自治体の「『対等』原則を定め、まさに地方自治法制を一新したと言える」等と書いているとし、芦部信喜と兼子仁の二つの著は同じ岩波書店刊なのに、両者の「リベラル」な部分だけを援用する学者らは「二枚舌」だと述べているのは、いかなる意味・趣旨なのか理解に苦しむ。
 両人ともにたしかに<リベラル>で、その「左翼」性は兼子仁の方が高いというイメージ・印象はある。だが、芦部信喜もまた、東京大学の憲法学教授として(?)、<左翼・リベラル>だったと思われるので、潮匡人は<日本を惑わすリベラル教徒たち>の続編には是非、芦部信喜も対象としていただきたいものだ。また、「経済的自由」と「精神的自由」の保障の所謂「二重の基準」に言及するなどして潮匡人は憲法学(理論)にも造詣が深いようだから、新憲法制定時に東京大学の憲法学教授だった宮沢俊義の<思想>もまた、「リベラル教徒」批判の観点からでも、分析・検討していただきたいものだ。
 脱線しかけたが、かつての地方自治法のもとでは、都道府県や市町村の機関(知事や市町村長など)は当該都道府県・市町村自体の仕事ではなく「国」の仕事もかなりしていた。都道府県(の機関)で半分以上、市町村(の機関)で1/3程度とも、言われてきた。これを「機関委任事務」と称した。
 この時代には、知事や市町村長を選挙することは、「国」の仕事も相当程度に任されていた、「国」の下級行政機関を選任することでもあった。したがって、地方参政権は(とくに知事・市町村長選挙の選挙権は)、「国政」と直接に関係する、と言い易かった。あるいは、そのように簡単に断定できた。
 しかし、兼子仁のいう「『対等』原則」を定めた新地方自治法によって、「機関委任事務」は廃止され、都道府県や市町村(の行政機関)の仕事には「国」のものはなくなった。それぞれの仕事は「自治事務」と「法定受託事務」に分けられ、後者は少数だが「国」(の行政部)の仕事ではなく、あくまで地方公共団体の事務であることに変わりはなくなった(以上、改正地方自治法2条参照)。
 それでもなお、地方公共団体の仕事と「国政」との密接な関係を語ることができる。別の機会にこの論考にはもっと言及するが、月刊正論5月号(産経)所載の長尾一紘「外国人参政権は『明らかに違憲』」のp.55-57はそのような例を示している。
 だが、「機関委任事務」を廃止した「新地方自治法」は法的タテマエとしては法律のもとでの国・地方自治体の「対等」を定め、従来の「機関委任事務」の実施に際してのように国の行政機関(要するに中央省庁)の指示・指揮に地方自治体の知事や市町村長等が<法的に>拘束されることはなくなったのは確かなので、兼子仁の叙述は客観性を欠く、<リベラルに偏向>したもの、では全くないと思われる。
 新地方自治法によって<地方分権>が従来よりも進められたのは確かな事実なので(これの評価は多様でありうるとしても)、岩波刊の芦部信喜著と並べて兼子仁の著(の潮匡人の引用部分)に論及する意味は全くわからない。
 潮匡人の文章をもう一度読み直すと、兼子仁著が述べるように新地方自治法による国・自治体の「『対等』原則」の定め、「地方自治法制」の「一新」があったので、「芦部の生きていた時代はともかく」、参政権付与が「自治体レベルなら許される」というのは、「現在では成り立たない見解」だ、ということのようだ(こうしか読めない)。

 しかして、上の叙述の趣旨はやはり???だ。どうしてこんな論理(?)になるのか? 何らかの勘違いがあるとしか思えない。あるいは、叙述ないし説明不足か?
 嫌いではない潮匡人のコラムなので、「程度の軽い瑕疵」(p.51末尾参照)だと見なしておくことにしようか。

 外国人地方参政権問題および関係最高裁判決について、より書きたかったことは別にある。別の機会にする。

0860/月刊正論5月号(産経新聞社)を一部読む。

 1.月刊正論5月号(産経新聞社)が表紙に掲げる「総力特集」は「民主党よ、どこまで日本を壊したいのか」。「日本」と「壊」だけは赤文字になっている。
 上の文の意味は私は解るが、少なくとも民主党・代表(首相)の鳩山由紀夫(その他の民主党の主流派の面々)には理解不可能ではなかろうか。
 「日本を壊」そうなどとしていない、とムキになって反論してくるのならまだマシだが、「日本」などという(偏狭な・排他的な)国家意識をこそ民主党は破壊して、「国民」ではない「(地球)市民」による共生の社会を目指そうしているのだから、「日本を壊し」てどこが悪いのか、むしろ「日本を壊したい」のだ、と開き直るのではないか。
 そういう人物には、月刊正論の表紙の言葉は、馬に念仏、蛙のツラに何とか、とやらで、何ら心に響かないと思われる。編集者を批判しているのでは(必ずしも)ない。言葉・文章でもって議論なり説得なりをしても、決して判らない、納得しない人々もいる、ということだ(判り、納得して<反省>する人が皆無ではない、ということを否定はしないが)。
 2.さて、最近の各号についての通例として、まず、竹内洋「続・革新幻想の戦後史」を読む(p.254~)。
 小田実が「新手の右」と思われていた時期もあった(またはそう思っていた人も一部にはいた)こと、石原慎太郎は60年安保の頃、「江藤淳や大江健三郎などと『若い日本の会』をつくって安保改定反対の行動をしていた」こと(p.256)などは、初めて知った。
 全体としては、竹内の小田実との接触(?)体験の叙述等が生々しく記憶に残る一方で、「小田実」は「鬱と躁」をかけめぐった、というまとめ方(p.254、p.263)はあまり面白くない。個人の「心理」・「情緒」の揺れに焦点を当てて、「戦後史」全体につなげられるのだろうか、と思いもする。
 ともあれ、いずれ単行本になるだろう。まとめて読んでみたい。

 3.いくつかを一部ずつ読んだあと、石川水穂「マスコミ走査線」の連載(p.162~)。多数の新聞等をすべて読むことはできないので、こういう記事(?)は重宝する。
 これによると、高校授業料無償化につき朝鮮学校も対象とするかという問題については、全国紙社説等で朝日・毎日・読売は賛成、産経のみが反対または疑問視らしい。

 これでは全国紙レベルでは(そしておそらく地方紙も)、<世論>の勝敗はほとんど明らかだろう。青木理は週刊現代4/10号で、「日本ではまたぞろ憂鬱極まりないニュースが飛び交っていた」などと述べて産経新聞(だけ?)の主張を大きく受け止めて、感情的に反発する文章を書く必要はないのではないか。
 4.前回言及した筆坂英世の本には、日本共産党機関紙「赤旗」(日刊)の発行部数は<約130万に落ちた>旨の文章がある。
 週刊現代4/10号p.54、p.56によると、「大手」新聞各社の2009年下半期の発行部数は以下のとおり(()内は前年比?)。

 ①読売1001万(+)、②朝日801万(-14000)、③毎日373万(-96000)、④産経166万(-460000)(日経の数字は紹介されていないようだ)。
 これを信じるとすると、産経新聞の166万は、日本共産党「赤旗」130万と、あまり変わらないではないか。
 新聞では産経新聞、月刊政治(総合)雑誌では月刊正論、だけを読んでいたのでは、<KY>になりそうだ(日本国民全体の<空気は読めない>)。
 もちろん、その<空気>に、産経新聞社記者・山本雄史のかつての見解のように、<従う>必要はまったくないのだが。
 今回の文章は産経新聞(社)に対する嫌味に満ちていると感じられるかもしれない。

 5.次いで、竹田恒泰「政治家が『大御心』を語る危うさ」(p.208~)。

 これに書かれている天皇陛下等の「お考え」はおそらくは事実に相違ない、と私は感じた(つまり<女系容認>というご意向を「忖度」できない)。
 タイトルでは「政治家」になっているが、この文章の最後は、「政治家や官僚、そして学者や言論人までもが自由に天皇の大御心を語り、…を正当たらしめようとすることを、国民は許してはいけない」、だ。
 小林よしのりの名は一言も出てきていないが、最近の小林よしのりの論に対する明確な批判になっている(と感じた)。

0859/筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。

 筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。
 目次等でわかる共産党員の悩み事・相談事は「赤旗」拡大の悩みとか党中央文書を読む必要性とかで、すでに共産党員ではなくなっている筆坂に尋ねても、また筆坂が回答しても無意味のようなものばかりだ。
 ただ、―筆坂・日本共産党(新潮新書)は発刊後すみやかに全読了しているが―彼が除籍される直前( 2004年頃)までの日本共産党内部の実態は改めてよく分かるところもあり、興味深い部分もある(今回は省略)。
 そもそも日本共産党員が悩むべきなのは、日本共産党という政党の存在意義、換言すれば、「社会主義」(→共産主義)を目指すという目標を設定することが<正しい>のか、だろう。コミュニズム、マルクス主義または日本共産党のいう「科学的社会主義」は<正しい>のか、でもよい。
 とりわけ、冷戦終結(と私は考えていないが)をもたらしたとされるソ連共産党・ソ連の解体・崩壊は「社会主義」理論に、および「社会主義」運動に、いかなる影響または意味をもつかを、誠実な日本共産党員であれば、深刻に<悩み>、思考するのが自然だろう。
 そのような「悩み」事は筆坂には寄せられなかったようだが、<「共産党」という名前に拘泥する必要はないのでは?>という趣旨の「相談」に対して、筆坂は相当に興味深い、思い切ったことを書いている。以下のごとし(p.184-187)。
 ①党指導部に「党名を変えろ」と主張するより、「もっと本質的な問いかけをすべき」だ。つまり、「マルクスから離れることは決定的な間違いなのか」、だ。
 ②日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言う。
 だが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られました」。「大きく道を踏み外す」、その「淵源は、マルクス、エンゲルスにもあった」。
 「すべてをスターリンの責に帰す議論は、まったく公正ではありません」。
 ③「しかも」、日本共産党自身が「スターリン時代のソ連」を「社会主義だと規定」してきた。「計画経済や国有化、集団化に社会主義の姿を見てきたからこそ」のはずだ。
 そういう「規定」を「そうではなかった」と「覆したのは、ソ連とソ連共産党が崩壊してから」だ。
 「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか。人権抑圧も大量弾圧も、大国主義・覇権主義も、官僚主義も、ソ連崩壊以前から周知のことでした」。
 ④そういう理由で(「真の社会主義」ではなかったとして)「旧ソ連を切って捨てたのであれば、なぜいまの中国を日本共産党は批判しないのでしょうか。一党独裁、チベットなどへの侵略、人権弾圧、政治的民主主義の抑圧、大国主義など、その体制は旧ソ連と何ら変わりません」。
 それなのに日本共産党は、「何一つ批判しないどころか」、「中国共産党はマルクス主義の立場を真面目に追求している」と「評価さえ」している。
 ⑤「科学的社会主義」と言ったところで「実態は単なるご都合主義」だ。資本主義→社会主義は「歴史的必然」という論も「現実を見れば仮説でしかなかったことは明瞭でしょう」。マルクス主義から「離れる」ことで「良い社会」ができればいいのではないか。それを日本共産党ができれば、「政党名云々などは瑣末な問題にすぎません」。
 筆坂がどの程度正確に日本共産党の主張・見解を紹介しているかは、厳密には疑っておいてよい。例えば、日本共産党は、ソ連の「大国主義・覇権主義」に対する批判はソ連共産党・ソ連の解体・崩壊前から行っていた、と反論するかもしれない。
 しかし、気になる点はないことはないが、上の②と③は私がこの欄に書いてきたことと基本的趣旨に変わりはなく、まことに堂々と筆坂は日本共産党を批判している、と感じる。
 日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言うが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られ」たのではないのか?、「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか」?と、心ある、まともな神経のある日本共産党員ならば<悩む>べきだ。そして、党中央の主張・見解を疑い、可能ならばすみやかに離党すべきだ。一度しかない人生、大ボラの体系の、一種の<宗教>の信者として過ごすのは一刻も早く、止めた方がよい。
 上の④は、強くは意識していなかったが、なるほどと思わせる。
 日本共産党は中国共産党との関係の再修復を歓迎し、それを党中央の「成果」だと評価している。そして、現在の世界情勢を語る場合、大人口をもつ中国も含めて(その他、ベトナムやキューバ等を加えて)、社会主義または親社会主義の国々は世界の1/3か1/4を占めている(日本共産党の文献で確認することを省く)と「豪語」して、<社会主義>勢力が衰退していないことの証拠としている。
 日本共産党は<自主・独立>の党のはずだが、今や、中国共産党とその支配する中華人民共和国は、その存在・存続自身が、日本共産党の存在にとっても不可欠になっているようだ。
 ソ連が崩壊し、中国まで共産党支配国でなくなってしまったら、いくら再び<毛沢東(あるいは鄧小平?)以来ずっと、中国は「真」の社会主義を目指す国ではなくなっていた。日本共産党だけは「正しい」社会主義を追求する>などと後から言ったところで、党員も含めて誰も(一部の幹部を除いて?)信じないだろう。
 こうした状況では、筆坂が指摘するように、日本共産党は中国(共産党)の悪い側面を指摘・批判することができないようだ。そういう面を知ってはいても、とりわけ中国の<社会主義的市場経済>の進展・発展ぶりに期待する文章を志位和夫か不破哲三が書いていたのを読んだことがある。
 <屈中・媚中・親中>は、日本共産党にも(日本共産党こそが?)あてはまる。
 その意味では、上のように書く筆坂は、小沢一郎や鳩山由紀夫、民主党よりも、まっとうな感覚を持っている。チベット問題は「内政」問題だとしてコメントを避ける岡田外相よりも優れている。
 筆坂が離党したのは2005年7月で(57才になる年で)、それまでは、日本共産党と「科学的社会主義」の諸文献を読んで生きてきたに違いない。したがってそれまでは、<日本>という国家の特性、<日本>の歴史・文化・伝統等に関心をもったことはほとんどなかっただろう。
 したがって、筆坂が天皇・皇室に関して、どういう考えを持っているかも知ることはできない。離党してから、小泉信三「共産主義批判の常識」(p.181~で言及)以外にどんな本を読んだだろうか。
 だが、私とほとんど同い年で、長くはないがまだ<人生>はあるだろう。たくさんの本に目を通しつつ、日本共産党員であり続けていれば不可能だったように、彩りと潤いと、美しさと静穏さと、様々なものを感受しながら、残りの人生を全うしてしていただきたいものだ。

0858/週刊現代4/10号の山内・立花の対談と青木理の「歪狭」な論。

 週刊現代4/10号(講談社)。表紙に「小沢は害毒である」、「何をしてんだか、民主党。」とあって、前号よりも<反民主党>的だ。
 表紙の前者と「ソ連共産党と化した民主党政権。この国はいま危ういところにいる」を見出しにつけた、立花隆=山内昌之の対談がある(p.36以下)。
 ソ連共産党うんぬんは、山内昌之の次の発言から取っているようだ。
 思い浮かぶのは「ソ連共産党」。「民主集中制のソ連共産党、つまりボリシェビキ最大の特徴は、書記長に全権が集中するシステム…」。「スターリンの権限が集中した書記局のアパラチキ(機関員)が、歯車のように決定をふりかざして…新参ボリシェビキを完全支配する」。これが「スターリン支配政治体制を成立させる土壌」にもなった。民主党幹事長室・周辺議員は「民主党を変質させるアパラチキのように見えて仕方がない」(p.39)。
 民主党の権力構造、そして国家全体の政治構造が一党独裁の「社会主義」国に似ているところがあるのは、私もかつて指摘したとおり。だが、本当の「民主集中性」・「共産党一党独裁」は今の民主党のような程度ではないことも言うまでもないだろう。前原や枝野はまだ小沢批判的な発言を公にできている。本当の「社会主義」だと、かつてのソ連共産党だと、そんな自由はなく、前原らは地位を失うか、<粛清(流刑または殺戮)>されている。
 この対談で立花隆は、「民主党が官僚をうまく使わないことが国家を危うくしている」(p.41)、「政治家主導のお題目は唱えるが、官僚を主導できるだけの政治家が少なすぎる…」、「司を動かせば官僚機構は動くのに、事務次官なんかいらないみたいなことを言うから…国家機構全体が糸が切れたタコ状態になっている」、「財政破綻もひどいが、官僚無視による国家のシステム破壊、アイデンティティ破綻の方がずっとずっとひどい」(p.42)と、まともなことを言っている。<護憲・左翼>の立花隆にしてすでにそうだ。
 国家基本問題研究所理事・屋山太郎は、<官僚主導>か<議会制民主主義>かなどを先の総選挙の最大の争点に見立てて、民主党を応援し、その政権誕生を歓迎し、何度でも書くが、<大衆は賢明な選択をした>とまでのたまった。
 2010年4月時点でもそう思っているのかどうか、どこかで書いてほしいものだ。なおも<政治家主導>第一主義は正しいと考えているならば、上記の理事はやめた方がよい。あるいは、櫻井よしこらは屋山を理事から<解任>すべきだ。
 対談は全体としては、山内昌之のペースで、こちらの口数の方が多い。ほとんどかつての蓄積にのっかっただけの立花隆の老いをやはりある程度は感じる。
 そういう週刊現代だが、4/03・4/10号によると、魚住昭、森功、岩瀬達哉、青木理によるリレー連載欄があり、日垣隆の連載があり、斎藤美奈子が登場し、井筒和幸の映画批評があったりで、明確な<左翼>な分子を含む売文業者等をたくさん抱えているのが分かる。
 4/10号で、青木理は、高校授業料無償化に関する「朝鮮学校外し」を、次のように批判している。
 「酷い感情論だ。いや、…社会が最低限守るべき理念を根本から腐らせる、単なるレイシズムではないのか」、「これほどに歪狭な愚論がもっともらしく語られてしまう日本のムードも、酷い憂鬱を禁じ得ない」(p.61)。
 何とも「酷い」、凝固した「左翼」が、こんな<感情論>をそのまま活字にできる<日本のムード>に「酷い憂鬱を禁じ得ない」。
 週刊現代・講談社の編集部の心底を見た思いもする。<反民主党>で今は売れる、と全体としては判断しているのだろう。しかし、青木理のような文章もちゃんと載せておく、ということを忘れない。
 青木理は「現在、国公立大学のほとんどが朝鮮学校出身者の受験資格を認めている」ことを根拠の一つとしている。
 だが、このこと自体に問題があることを想像はしないのだろうか。国公立大学(私立も基本的には同様だが)の受験・入学資格は基本的・原則的に日本の高校卒業者(・予定者)に限られる。おそらくは<その他、日本の高校卒業と同等程度の学力をもつと認められる者>という例外があり、これをタテにとった朝鮮(高級)学校側の運動と圧力(?)によって、個別的にではなく概括的に、朝鮮(高級)学校卒業(・予定)者の受験資格を認めてきているのだろう。ここには、面倒なことは避けたい、とか、あるいはひょっとして北朝鮮に「寛大」な措置をして「友好」的・「進歩」的に見られたいとかの、日本の国公立大学の弱さ・甘さが看取されるように思われる。
 彼ら朝鮮(高級)学校卒業(・予定)者はいわゆる<大検>に合格しているわけではない。とすると、本当は事前に個別に試験をして、受験資格があるかどうかを見極める必要があると思われる。しかるに、「朝鮮学校出身」というだけで例外的な受験資格を認めていることの方こそが本当は問題にされてよいように思われる。
 下らないことを書く「左翼」分子に、講談社は原稿料(これはひいては読者・購入者も負担する)を支払うな、と言いたい。 

0857/週刊現代4/03号(講談社)の山口二郎の言葉。

 サピオ=小学館=週刊ポスト、かつての月刊現代=講談社=週刊現代、という対比もあって、週刊ポストよりも週刊現代の方がより「左翼的」という印象があった。だが、最近は、表紙からの印象のかぎりでは、週刊現代の方が<反民主党>・<民主党批判>の立場を強く出しているようだ。
 もっとも、NHKを含むマスメディアの<体制派>は、民主党を批判しても、決してかつての自民党政権時代には戻らせない(とくに安倍晋三「右派」政権の復活は許さない)という強い信念・姿勢をもって報道しているように見える。
 上の点は別にまた書くとして、週刊現代4/03号(講談社)。
 山口二郎「私は悲しい。鳩山さん、あなたは何がしたかったのですか」(p.40以下)がある。
 「民主党政権・生みの親」とされる北海道大学教授が民主党・鳩山政権を辛口で批判している。
 批判はよいが、「…25%削減を打ち出した温暖化対策は鮮烈だったし、八ツ場ダムの凍結も画期的でした」(p.41)、通常国会冒頭の鳩山の「施政方針演説は、まことに立派なものでした。官僚の作文ではない、血の通った言葉だった」(p.43)とか書いているのだから、山口二郎はまだ大甘の、頭のピントが外れた人だと思われる。「小沢さんは日本政治を最大の功労者の一人であると、今でも信じています」とも言う(p.42)。
 「八ツ場ダムの凍結」はたまたま民主党の選挙用「マニフェスト」に具体名が挙げられていただけのことで、特定の案件について、いかなる基準で公共工事の凍結・継続が決められたか、およびその判断過程は明らかにされていない、と思われる。そのどこが「画期的」なのか?
 「最初の民主党ができた頃から、民主党政権を作ることが夢でした」と真面目に(?)語っている山口の心理・精神構造には関心が湧く。こんな人がいるからこそ、マスメディア(のほとんど)も安心して自民党叩き・民主党称揚の報道をしたのだろう。
 山口二郎は、北海道大学関係者にとって、<恥>なのか、それとも<誇り>なのか。
 その山口も、まともなことも言っている。
 ・民主党の「政治主導」の諸措置により「政務三役だけやたらと忙しく、他の議員はヒマ…」、「格好だけ政治家が前へ出て…その実、まともな政策論議ができていない」(p.41)。
 ・小沢一郎が「幹事長室に陣取って……自民党的な利益誘導政治をしている」(p.42)。
 これらは、<保守>派評論家とされ、国家基本問題研究所理事の屋山太郎よりもまっとうだ。屋山の判断力が、山口二郎・旧社会党ブレインよりも劣っているとは、情けない。

0856/日本共産党のソ連はスターリンから道を外したとの主張の滑稽さ・再言。

 一 山内昌之・歴史学の名著30(ちくま新書、2007)のトロツキーの著の項にはスターリンへの言及はあるが、レーニンとスターリンとの関係、正確には両者間の同質性または断絶性には、トロツキーも山内も触れていないようだ。
 二 すでに別の文献も使って書いたことだが、日本共産党はレーニンまでは正しかったが、ソ連はスターリンから<社会主義への道>を踏みはずした、社会主義国または社会主義を目指す国ではなくなった、という見解に立っている。
 不破哲三・日本共産党と中国共産党の新しい関係(新日本出版社、1998)は、北京での1998年7月20日の不破と胡錦濤(当時、政治局常務委員)の会談内容、翌7月21日の不破と江沢民(総書記)の会談内容を資料として含めており、不破の発言は正確にそのまま掲載しているようだ。
 二回の会談内容に(当然ながら)大きな違いはない。不破が江沢民との会談で中国共産党側に述べているのは次のようなことだ。適当に抜粋して言及する。
 「日中関係五原則」なるものを提起している。その第一は「日本は、過去の侵略戦争についてきびしく反省する」。第二は「一つの中国」の立場を「堅持する」。以下は略。
 現在の日本を覆っている対中<贖罪意識>の醸成に、日本共産党も大きくかかわっている。上を含む「五原則」を胡錦濤は「積極的に受けとめ」た、という(p.108)。
 江沢民も自らの言葉として「日本軍国主義の中国への侵略戦争」なる表現を用い、「歴史の問題にいかに正しく対処するか」、これを「うまく処理できれば健全な関係を発展させられる」と日本人には強調してきていると述べ、「中国人民が特別に警戒していることの一つは日本軍国主義の教訓が日本国内ではまだ明確にされていないことです」と明言している(p.119-120)。
 いわゆる村山談話以後でも、江沢民はこのように言っていた。日本人の(言論の)100%が屈しないと気が済まないのだろうか。このような現中国共産党の主張・路線に沿った主張・見解をもっているマスメディア、政治家が(そして何となくそう思っている国民が)日本では多数派を形成している、と思われる。(根源は米国の初期占領方針だが、その後の)中国の策略は功を奏しているだろう。
 三 不破はソ連問題につき、対胡錦濤では自ら積極的に、対江沢民では江沢民の「世界の共産主義運動の問題」の質問に答えて、以下のように述べている(p.131-対江沢民)。
 ・ソ連崩壊のとき「この社会はいったい何だったのか」を研究した。「ソ連覇権主義が社会主義とは無縁」だと「早くから指摘して」きたが、「ソ連の国内体制についても…社会主義とは無縁な人民抑圧型の社会だった」というのが研究の「結論でした」。
 ・「レーニン時代のソ連と、スターリン以後のソ連とを、厳密に区別する立場」だ。「スターリン以後のソ連は、社会主義に向かうレールから、完全に脱線」した。
 ・ソ連共産党解体のとき、1992年12月に「国際的声明」を出し、①「ソ連をモデルとする考え」から脱却する必要、②「自主独立の立場」、③「資本主義万歳」論の影響を「克服」する必要、を説いた。
 この欄で既述のことだし、よく知られていることだが、国際共産党日本支部としての日本共産党はソ連共産党の指導権がすでにスターリンにあった1922年に設立され、その後もその綱領・政策等について、ソ連共産党を中心とするコミンテルンやコミンフォルムの影響を強く受けてきた。
 かつてはスターリンを具体的にはひとことも批判しておかないで、少なくとも1960年直前まではむしろその従属下にありながら、ソ連共産党とソ連が解体・崩壊するや、スターリンから道を外した、と主張するとは、正気の沙汰だろうか。日本共産党の幹部たちがまともな神経の持ち主だとは思えない。
 だが、さすがに<自主独立>の党だなどと思って、党中央の言い分を<信頼>し、なおも「正しい」社会主義(・共産主義)への展望を持って活動している日本共産党員もいるのだろう。一度しかない人生なのに、まことに気の毒としか言いようがない。
 だがしかし、日本共産党の存在は、日本共産党のような<組織的左翼>・<頑固な左翼>ではなく、自分は<リベラル>で<自由な>「左翼」だと自己規定して民主党または社民党を支持する(=これらに投票する)かなりの層の存在と形成に役立っていると見られる。<共産党ほど偏った左ではない>という言い訳みたいなものを共産党員や共産党シンパではないその他の「左翼」(<何となく左翼>を含む)に与えて、安心させる?存在に日本共産党はなっている、と考えられる。
 その意味で、日本共産党自身の影響力もまだ無視できないが、広い「左翼」の中で果たしているこの政党の役割こそがむしろ深刻視されなければならないようだ。
 四 江沢民は「共産主義」、「マルクス主義」という言葉を使っている(前者はもともとは日本での造語・訳語の借用かもしれない)。不破は後者を「科学的社会主義」と言い換えているが(言い換えても本質は同じ)、「共産主義」はそのまま用いていて、「共産主義」や「社会主義」を肯定的に理解している。
 日本共産党は<自由と民主主義>の党を標榜していても、「共産主義運動」を日本で行なっていることを当時の中央委員会幹部会委員長・不破哲三は江沢民に対して何ら否定していない。「革命と社会主義の理想」(p.132)を明確に語っているのだ。
 書くのも面倒くさいが、<民主主義と自由>の擁護者、という仮の姿に、騙されてはいけない。また、彼らのいう「民主主義」等とは「社会主義」(・共産主義)と少なくとも当面は矛盾しないことに留意すべきだ。社会主義国・東ドイツは「ドイツ民主共和国」だった、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」だ。彼らのいう「民主主義」は徹底すると「社会主義」(・共産主義)につながる。「民主主義」は「全体主義」の萌芽をも簡単に形成することは、フランス革命期のジャコバン独裁(・テロル)でも明らかなことだ……。
 以上、散漫さなきにしもあらず。

0855/山内昌之・歴史学の名著30におけるレーニン・トロツキーとジャコバン・ルソー・ヘーゲル。

 一 山内昌之・歴史学の名著30(ちくま新書、2007)は、「作品の歴史性そのもの」、「存在感や意義」を考えて、ロシア革命についてはトロツキーを選び、E・H・カーを捨てた、という。
 トロツキー・ロシア革命史(1931)を私は(もちろん)読んでいない。トロツキストの嫌いな日本共産党とその党員にとってはトロツキーの本というだけで<禁書>なのだろうが、そういう理由によるのではない。
 山内の内容紹介にいちいち言及しない。目に止まったのは、次の部分だ。
 山内はトロツキーによる評価・総括を(少なくとも全面的には)支持しておらず、トロツキーが「革命が国の文化の衰退を招いた」との言説に反発するのは賛成できない、とする。いささか理解しにくい文章だが、結局山内は「革命が国の文化の衰退を招いた」という見方を支持していることになろう。推測を混ぜれば、トロツキーはかつての(革命前の)ロシアの文化など大したものではなかった、と考えていたのだろう。
 そのあとに、山内の次の一文が続く。
 革命によって打倒された「文化が、西欧の高度の模範を皮相に模倣した『貴族文化』にすぎないとすれば、ヘーゲルやルソーなど、トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたちが多くを負う思想を含めた西欧文化は行き場所がなくなってしまう」(p.206)。
 これも分かり易い文章ではないが(文章が下手だと批判しているのではない)、一つは、革命前のロシアも「西欧文化」を引き継いでいたこと、二つは、その「西欧文化」の中には「ヘーゲルやルソーなど、トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたちが多くを負う思想」が含まれていること、を少なくとも述べているだろう。
 興味深いのは上の第二点で、山内は、「トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたち」は「ヘーゲルやルソーなど」に負っている(を依拠している、継承している)として、まずは、「トロツキーやレーニンら」を「ジャコバンたち」、つまりフランス革命のジャコバン独裁期のロベスピエールらと同一視または類似視している。
 そして、つぎに、そのような「トロツキーやレーニンら」の源泉・淵源あるいは先輩には「ヘーゲルやルソーなど」がいる、ということを前提として記している。ルソーがいてこそマルクス(そしてレーニン)もあるのだ。
 短い文章の中のものだが、上の二点ともに、私の理解してきたことと同じで、山内昌之という人は、イスラム関係が専門で、ロシア革命やフランス革命、あるいはこれらを含む欧州史・西欧思想の専門家ではないにもかかわらず、よく勉強している、博学の、かつ鋭い人物に違いない、と感じている。
 山内は1947年生まれ。「団塊」世代だ。岩波書店からも書物を刊行しているが、コミュニスト、親コミュニズムの「左翼」学者ではない、と思われる。そして他大学から東京大学に招聘されたようで、東京大学も全体として<左翼>に染まっているわけではないらしい。
 但し、東京大学の文学部(文学研究科)でも法学部(法学研究科)でもなく、大学院「総合文化研究科」の教授。さすがに東京大学は、「歴史学」の<牙城>であるはずの文学研究科の「史学(歴史学)」の講座または科目はこの人に用意しなかったようだ。

0854/小林よしのりの皇位継承論(女系天皇容認論)・その3、旧宮家・限定皇族復帰案。

 平成17年11月24日の皇室典範に関する有識者会議報告書には、「(補論)旧皇族の皇籍復帰等の方策」と題して次のように書く部分がある。
 「旧皇族は、〔①〕既に六〇年近く一般国民として過ごしており、また、〔②〕今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される。…このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる」(〔 〕は引用者)。
 まだ悠仁親王ご誕生前のことだったが、上の①については<たかが六〇年ではないか>と思ったし、また、②についても違和感をもった。全体として、有識者会議の意見としてではなく「国民の理解と支持」を得難いとして、「国民」に責任転嫁(?)しているようなニュアンスも気になった。
 小林よしのりも、次のように、上の②と全く同様の主張をしている。
 <男系主義者>の「唯一の代案」が「旧宮家」の皇族復帰だが、これは「トンデモない主張」だ。「旧宮家」が「男系でつなっているという天皇は、なんと室町時代の北朝3代目、崇光天皇である。あきれたことに20数世代、600年以上も離れている!」(月刊WiLL5月号p.197)。
 このような感想・見解を他にも読んだか聞いたことはあるので、有識者会議が書くほどではかりになかったにしても、かかる懸念をもつ者も少なくないようではある。
 しかし、<男系主義者>たちがどのように反論または釈明しているのかは知らないが、女系天皇容認論者あるいは<(男女を問わない)長子優先主義>者がこのような主張をするのは(有識者会議の文章もそうだが)、じつは奇妙なことだと私は感じている。
 すなわち、将来において男女対等に<女性天皇>・<女系天皇>を容認しようとしながら、旧皇族(11宮家)については、なぜ<男系>でのみたどって今上天皇との「血」の近さを問題視するのか、同じことだが、今上天皇と共通の祖先をなぜ<男系>でのみたどって探そうとするのか。
 これは、無視できない、重要な論点だと考える。
 とりあえず、祖父(・祖母)が旧皇族(旧宮家)だった、竹田恒泰がこう書いていることが、同・語られなかった皇族たちの真実(小学館、2006)を読んだとき、私には印象的だったことを記しておこう。
 「私は明治天皇の玄孫〔孫の孫〕であることを誇りに思っている」(p.23。〔〕は原文ママ)。
 竹田恒泰にとって、室町時代の北朝の天皇・崇光天皇(今上天皇が125代とされるその間の代数には含まれていない)の遠い子孫(男系)であることよりも、まずは明治天皇の玄孫だとの意識の方が強いと思われ、かつそのことを彼は「誇りに思っている」のだ。
 正確に書けば、竹田恒泰の父方(・祖父方)の曾祖母は明治天皇の第六女・昌子内親王だ。女性を介して、彼は明治天皇の血を引いている(男系だけでたどると、既出の崇光天皇の孫の貞成親王が、今上天皇との共通の祖先になる)。なお、今上陛下は、男系でのみたどって、明治天皇の曾孫であられる。男女(息子と娘)の違いを無視すれば、今上天皇陛下と竹田は、明治天皇の曾孫と玄孫の違いでしかない。
 女性を介せば、竹田恒泰よりも現皇室に近い血縁の旧皇族およびその子ども・孫たちはいる。竹田から離れて、一般的に記す。
 最も近いのは<東久邇宮>家だ。男系では、他の宮家と同じく、崇光天皇の子で<伏見宮>家の祖の栄仁親王の子の上掲・貞成親王(後崇光院、1372~1456)が今上天皇との共通の祖先になる。
 しかし、まず第一に、<伏見宮>家から分かれた(伏見宮邦家の子の)<久邇宮>朝彦の子で<東久邇宮>家の初代となった東久邇宮稔彦(元内閣総理大臣)の妻は明治天皇の第九女・聡子(としこ)内親王だ。その二人の間の子どもたち、さらに孫・曾孫たちは、明治天皇の(女性を介しての)子孫でもある。
 第二に、東久邇宮稔彦と聡子の間に生まれた長男の盛厚は、昭和天皇の長女の成子(しげこ)と結婚している。従って、盛厚・成子の子どもたちは、昭和天皇の孫であって、現皇太子・秋篠宮殿下(・清子元内親王)と何ら異ならない。母親は、今上天皇陛下の実姉、という近さだ。
 東久邇宮盛厚と成子の結婚は、竹田恒泰も書くように、「明治天皇の孫(盛厚)と曾孫(成子)との結婚」だったのだ(p.243)。
 何も室町時代、14世紀まで遡る必要はない。現在の「東久邇宮」一族は、今上天皇の実姉の子孫たちなのだ(上掲の二人の子どもから見ると、父方でも母方でも明治天皇へと「血」はつながる)。
 男女対等に?<女性天皇>・<女系天皇>を容認しようという論者ならば、上のようなことくらい知っておいてよいのではないか。いや、知った上で主張すべきなのではないか。
 室町時代にまで遡らないと天皇と血が繋がらない、そんな人たちを<皇族>として崇敬し尊ぶ気になれない、などとして<女系天皇容認>を説く者たちは、小林よしのりも含めて、将来については<女性>を配慮し、過去については<女性>の介在を無視する、という思考方法上の矛盾をおかしている、と考える。
 将来について<女性>を視野に入れるならば、同様に、過去についても<女性>を視野に入れるべきだ。
 「東久邇宮」一族、東久邇宮盛厚と成子を父母・祖父母・曾祖父母とする人々は、「皇籍」に入っていただいてもよいのではないか。そして、男子には皇位継承資格も認めてよいのではないか。たしかに最も近くは昭和天皇の内親王だった方を祖とするので、その意味では<女系>の宮家ということになるかもしれない。また、その昭和天皇の内親王だった方は明治天皇の皇女だった方を母とする東久邇宮盛厚と結婚していて、これまた<女系>で明治天皇につながっていることにはなる。
 だが、将来について女性皇族に重要な地位を認めようとするならば、この程度のことは十分に視野に入れてよいし、むしろ考慮対象とされるべきだ。
 くり返すが、室町時代!などと「あきれ」てはいけない。自らが将来において認めようとする「女系」では、昭和天皇、そして明治天皇に「血」が明確につながっている旧皇族(旧宮家)もあるのだ。
 昭和天皇との血縁はなくとも、かりに明治天皇への(女性を介しての)「血」のつながりでよいとするならば、上記のように<竹田宮>一族の「皇籍」復帰も考えられる。竹田恒泰は明治天皇の玄孫であり、その父は曾孫であって、決して「600年以上も離れている!」ということにはならない。
 竹田宮家以外に、北白川宮家と朝香宮家も、明治天皇の皇女と結婚したという血縁関係がある。但し、今日まで子孫(とくに男子)がいるかは今のところ私には定かではない。
 以上のあわせて4つの宮家以外は、明治・大正・昭和各天皇との間の<女性>を介しての血縁関係はないようだ。やはり、男系でのみ、かつての(室町時代の)皇族の「血」とつながっているようだ。
 従って、上記の4つ、または少なくとも「東久邇宮」家一つだけでも、<皇籍>をあらたに(又は再び)付与してもよいのではないか。
 こうした<限定的皇族復帰案>を書いている、あるいは唱えている者がいるのかどうかは知らない。
 だが、11宮家すべての<皇籍復帰>よりは、有識者会議の言を真似れば、「国民の理解と支持を得ること」がたやすいように思われる。
 小林よしのりにはここで書いたことも配慮して再検討してほしい。また、<男系主義>論者にも、こうした意見があることも知ってもらいたいものだ。
 以上、竹田恒泰の上掲の本のほか、高橋紘=所功・皇位継承(文春新書、1998)のとくに資料(系図)を参照した。
 他にも皇位継承に関する書物はあり、旧宮家への皇籍付与を主張する本はあるだろうが、上の二冊だけでも、この程度のことは書ける。
 他の書物―例えば、櫻井よしこ=大原康男=茂木貞純・皇位継承の危機はいまだ去らず(扶桑社新書、2009.11)は所持はしているが全くといってよいほど目を通していない―については、あらためて十分に参照し直して、何かを書くことにしよう。

0853/山内昌之・歴史学の名著30(ちくま新書)を機縁に皇位継承問題にほんの少し触れる。

 山内昌之・歴史学の名著30(ちくま新書、2007)は「付録」を含めて32のうちに15の和書・漢書を挙げていて、欧米中心でないことにまずは好感をもつ。コミュニスト又は親コミニズムの学者ならば当然に鎮座させるだろう、マルクス=エンゲルス・空想から科学へ、などのマルクス主義文献がないようであることも興味深い(但し、トロツキー・ロシア革命史を挙げているが、山内がマルクス主義者またはトロツキストではないことはすぐ分かる)。
 挙げられる一つに、北畠親房・神皇正統記(14世紀)がある。
 山内昌之によると、この書は「皇室男系相続の将来性がかまびすしく議論される」現在において「改めて読まれるべき古典としての価値」がある、という(p.115)。
 この書を私は(もちろん)未読で、後醍醐天皇・南朝側に立ってその正当性を論じたものくらいの知識しかなかった。だが、山内によると、後醍醐天皇の「新政」の失敗の原因を批判的・反省的に述べてもいるらしい。つまりは、南朝・後醍醐天皇の正当性が「血」にあるとかりにしても、「御運」のよしあし(p.114)はそれだけでは決まらない、ということをも述べているらしい。
 今日の皇位継承に関する議論に関係させた山内の叙述はないが、示唆的な書ではあるようだ。
 <血>なのか、「結果責任」(p.114)を生じさせうる<徳>または<人格>なのか。
 道鏡に譲位しようとして和気清麻呂による御神託によって阻まれた称徳天皇(48代。46代・孝謙の重祚)の例があり、そして皇位は天武天皇の血を引かない天智天皇系の光仁天皇(桓武天皇の父)に移ったという歴史的経緯を振り返っても、やはり基礎的には「血」なのだろう。皇室と血縁のない道鏡への「王朝交代」は許されなかったのだ(なお、天皇・皇后陛下が最近ご訪問された京都のいわゆる「御寺」・泉涌寺に祀られている諸天皇の位牌の中には、称徳・聖武等の天武系の天皇のものはないらしい)。
 少なくとも継体天皇以降は、どの血縁者かについては議論や争いがあったこともあったが、「血」縁者であることが条件になること自体は、結果としては疑われなかった、と言えよう。
 だが、北畠親房すらもかつて少なくとも示唆していたようだが、正当とされる天皇およびひいては皇族のすべてが「有徳」者・「人格」者であったわけではない。「お考え」あるいは諸政策がつねに適切だったわけではない。
 また、かりに「有徳」者・「人格」者だったとしても、ときの世俗的権力者(またはそれを奪おうとする者)によって少なくとも実質的には殺害されたと見られる天皇もいた。崇峻天皇、安徳天皇だ。
 皇位は、純粋に天皇・皇族の内部で決せられたのでは必ずしもなく、また天皇・皇族は純粋に俗世間とは無関係に生活しそれらの地位が相続されてきたのではなく、時代、あるいはときどきの世俗権力者・政治の影響を受けながら、ある意味では「流動」しつつ、長々と今日まで続いてきた、と言えよう。そのような<天皇>位をもつ国家が、世界で唯一か稀少であるという、日本の(文化・政治の)独自性を維持しようとすることに、小林よしのりと見解の違いはない、と思われる。
 だが、前回までに書いたのは、要するに、皇位(天皇)および皇位継承者を含むはずの皇族にとって、「血」と「徳」のどちらが大切なのか、小林よしのりにおいてその点が曖昧であるか、または矛盾した叙述があるのではないか、ということだ。

0852/小林よしのりの皇位継承論(女系天皇容認論)-その2。

 小林よしのりは同・天皇論/ゴーマニズム宣言スペシャル(小学館、2009.06)で(例えばp.179-180)、次のように述べていた。
 ・「日本の天皇は『徳』があるか否かが皇位継承の条件にはならない」。「日本の『皇道』は万世一系、神話からの連続性によってのみ成り立つ」。「『人格』は天皇即位の資格ではない!」。
 そして、「なかなか人格の怪しい天皇も歴史上存在している」とし、安康天皇、武烈天皇、称徳天皇、冷泉天皇の具体例を挙げている。
 ということは、少なくとも一般論としては、天皇または皇族の行動や発言、その基礎にある「お考え」がつねに適切であるとは限らない、つまり「人格」者としての適切な行動・発言・「お考え」であるとは限らない、ということを認めていることに他ならないだろう。
 そうだとすると、皇統・皇位継承あるいは女系天皇問題についても、現在の天皇陛下または皇族のご発言や「お考え」にそのまま従う必要は必ずしもない、ということを認めることになりはしないだろうか。
 しかるに、小林は天皇陛下や皇太子・秋篠宮殿下の「お考え」を女系天皇容認・旧宮家の皇籍復帰反対と「忖度」して、「だからこそわしも女系を認める主張をしているのだ!」と書いている(サピオ3/10号p.71)。
 さらに次のようにすら書く。-観測が外れていて「陛下、殿下が『男系絶対』というご意向ならば、わしは直ちにそれに従うとあらためて言っておく」(同上、p.72)。
 こうした見解は、天皇(・皇族)の地位は「人格」ではなく「血統」にもとづく旨の、すなわち天皇(・皇族)は「人格」者であるとは限らない旨の主張と完全に整合的だろうか。
 つまり、天皇(・皇族)の「お考え」を絶対視してはいけない場合もあることを小林よしのり自身が一方では認めており、少しは矛盾しているのではないか。
 今上陛下や両殿下は「人格」者ではないとか、推測される、あるいは小林が忖度している「お考え」は誤っている、などと主張したいのでは全くない。論理矛盾はないか、と小林に問うている。
 もっとも、小林よしのりは次のようにもいう-「日本の『皇道』では『徳』があるか否かは皇位の条件ではない。しかし、…現在の天皇にあっては、皇位が徳を作るという面も確実にあると言ってよい」(同・天皇論p.186)。
 これはいかなる趣旨だろうか。現在の天皇陛下、皇太子・秋篠宮殿下は「徳」がおありなので、絶対的に従う、との立場表明なのだろうか。
 だがしかし、小林よしのりは次のようなことも書いていた。
 平成16年の園遊会で今上陛下が国旗掲揚・国家斉唱は「強制でないことが望ましいですね」とご発言されたことにつき、「衝撃を受けた!」、陛下の真意は「形式だけでなく、ちゃんとした理解と心が伴っていることが望ましいですね」だろうと思ったものの、「だが、それが理想ではあっても、わしは『現状では強制も必要』と思っている!」(同・天皇論p.367-8)。
 ここでは今上陛下の「お考え」にそのまま従ってはいない小林の気持ちが語られているように読める。
 そうだとすると、天皇陛下・皇族の方々に「徳」があるか否かは、結局は自己が正しい又は適切だと考える見解と合致しているか否かによって決定されることになるのではないだろうか。この辺りはよく判らない。小林よしのりにおいて、必ずしも論旨明快ではないところもあるのではないか。
 内在的矛盾を感じて印象に残った書きぶりに、月刊WiLL3月号(ワック)の以下のようなものがあった。
 私は詳細を知らないが、竹田恒泰(この人が「皇族」だったことはないことは小林の指摘のとおり)が属する旧宮家・竹田家の一族の誰かについて、小林はこう書く(p.196)。
 「『週刊新潮』に家族のスキャンダル記事が出てるじゃないか」、「彼は護憲派であり、護憲のために天皇の公布文を悪利用してるじゃないか!」〔「彼」とは誰のことなのか私は知らない〕。
 この部分は、男系主義者の竹田恒泰を批判するために、または皇族復帰が望ましくない<不人格者>が竹田家一族の中にはいる、ということを言いたいがために、書かれたように思える。
 だが、そもそも、「スキャンダル」とか<人格>は「皇族」適性とは無関係だ、というのが本来の小林よしのりの主張ではないのだろうか。
 <人格>者か否か、<有徳>者か否かは、天皇たる地位、そして皇族たる地位とは関係がなく、決定的なのは「血」(・「血統」)なのではないか。
 その「血」の<薄さ>、つまり、旧宮家が天皇に男系でつながるのは「あきれたことに20数世代、600年以上も離れている」ことを指摘して(月刊WiLL5月号p.197)、小林よしのりは旧宮家の皇族復帰による男系維持論を批判する有力な論拠にしている。
 この論拠についても、私は(思考方法にもかかわる)異論または違和感を持っている。別の機会に書く。

0851/小林よしのりの皇位継承論(女系天皇容認論)-サピオ4/14・21号。

 小林よしのり・昭和天皇論(幻冬舎、2010)は読み了えているし、小林よしのりのサピオ(小学館)と月刊WiLL(ワック)上の天皇・皇室関係の連載もすべて読んできている。
 そのつど何らかの知識も追加的に得ており、何らかの感想も持ってきている。
 皇位継承問題が-雅子皇太子妃の個人的問題などよりはるかに-重要であることは言うまでもない。但し、小林よしのりの議論・主張に全面的に反対はしないが、無条件に支持することもできない。
 結論・内容自体についてもそうだが、論旨・論理過程にいささか無理なところもあると感じるし、内在矛盾がある点もあると感じる。
 さかのぼることは面倒なので(ヒマがあればいつか書いてもよいが)、最も新しい、サピオ4/14・21号(小学館)の2本の「天皇論・追撃篇」を取り上げてみる。
 小林よしのりは女系天皇容認論者で、男系限定論者、小堀桂一郎・櫻井よしこ・渡部昇一らを批判する。それはそれでもよいとして、その理由づけには疑問も残る。
 小林よしのりは今上天皇および皇太子・秋篠宮両殿下の意向は<女系天皇容認>だとし、それを「忖度」せよ、と主張している。
 基礎的データを小林が使っているものに限るが(いろいろと調べ、確認するのにも時間が要るし、そのヒマがない)、第一に、天皇陛下が「将来の皇室の在り方については、皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要」と述べられたその意味は、「将来の皇室の在り方」は皇太子・秋篠宮殿下の「考え」そのままに決定してほしい、という趣旨かどうかは疑問が残る。日本国憲法を遵守する旨を仰ったこともある天皇陛下が、皇室典範が法律として国会が定めることに現憲法ではなっていることを御存じないはずはなく、現実にも「国会の議論にゆだねるべきであると思いますが…」と前置きされている(p.61)。
 皇太子・秋篠宮殿下の「考え」そのままに決定してほしいとかりに望まれているとしても法制上はそれが絶対的に可能だとは思われていないと推察されるのであり、上のご発言の基本的な趣旨は、国会が議論する際には、皇太子・秋篠宮の「考え」も十分に配慮して議論して決定してほしい、ということではないだろうか。
 国会(あるいは加えて政府・審議会)だけで議論すれば足り、皇族の意見などいちいち聴く必要はないと考えている者たちもいるので、その意味では、陛下のご発言は「実に異例」、あるいは画期的だったかもしれない。
 だがそれは、審議(議論)・決定の<過程>に皇族、とくに皇太子・秋篠宮殿下も参画する機会、ご意見を発表する機会が与えられ、かつそれが十分に配慮されるように望む、という趣旨ではないかと思われる。
 上の意味でのご発言に、私はまったく異存はない。皇太子・秋篠宮殿下に限らず、皇族は発言して(意見発表して)も構わない、と考える。その内容について自由に批判する自由も国民には(あるいは政治家・評論家等)あるが、しかしそうした発言をすること自体を<けしからん>・<余計な介入をするな>とは言えないだろう。そのような意味で、天皇陛下のご発言は理解されるべきではないか。
 上の趣旨に沿ったことを秋篠宮殿下も言われているようだが(p.63、「皇太子」とご自分・「秋篠宮」殿下にとりあえず限定されているようだ)、第二に、皇太子殿下や秋篠宮殿下のお考えが「女系天皇」の容認(p.65)、あるいは「将来の皇族は…皇太子と秋篠宮、そしてその子供が新設する宮家に限定すべき」というもの=かつての皇族の皇族復帰の否定(p.63)であるかどうかは、なおも断定できないし、断定してはいけないような気がする。
 小林は「というお考えにしか読めない」(p.63)、「誰にでも『お察し』できよう」(p.65)と言うが、それは自らの女系天皇容認論に都合のよいように推測(忖度)している可能性を、なおも論理的には否定できないのではないか? かりに「せっかく」の「サイン」だとしても(p.65)、あくまで推測であり、「忖度」の結果であることは明瞭に意識しておく必要があるように思われる。
 第三に、小林よしのりは女系天皇容認の論拠の一つとして皇祖・天照大御神が女性だったことを挙げ、「ならば日本の天皇は女系だったと考えることもできる!」と言っているようだが(p.66)、これはさすがに無理だ。
 天照大御神が女性だったとしても(これは間違いないだろう。「卑弥呼」も女性だ)、その後の天皇位の継承が<男系>主義でなされたことは歴史的事実だろう。女性天皇は存在したが例外的で、<女系天皇容認>の歴史的根拠を探すならば、皇子がいたのに皇女が皇位を継承した例、あるいは最初に生まれた子供が女性(皇女)だったが最長子を優先して天皇となった、というような例、というのを見出さなければならないように思われる。あらためて勉強する気持ちは今はないが、そのような例は皆無だったのではないか。
 まだ「天皇」位というものが意識されていない時代の、そしてまた後世(飛鳥時代・奈良時代)になっても「天皇」とはされなかった天照大御神が女性だったことを援用するのは、いかにも苦しい。
 「日本の天皇は女系だったと考えることもできる」と小林は言うが、その場合の「女系」という語は一般に理解された「女系」ではなく、拡張された、あるいはズラされた「女系」概念で、今日の議論にそのまま当てはまるものではないだろう。
 第四に、上の点をもち出したうえで、小林は男系限定論者は天照大御神が登場する「神話」を無視、否定しようとしていると批判しているが(p.66、p.73)、そこで登場させている小堀や新田均の主張を正確には知らないものの、これも無理筋、<いいがかり>にすぎないような気がする。
 小堀、新田均のこの問題に関する主張を支持している、と言いたいわけではない。彼ら「男系主義者」は天照大神を「排除」するために「神話」を「切り離し」、「何が何でも『神武天皇から』にしたいのだ、という論難は当たっていないような気がする、と言いたいだけだ。彼らとて、神話を完全に「否定」・「排除」する気などはないだろう。
 したがって、「神話を否定することは、天皇を否定することだ」、<男系主義者>は「どこまでカルト化」するのか、彼らは「うるさい少数者」で「左翼プロ市民と変わらない」、「神話と歴史を切り離し、天皇を単なるホモ・サピエンスの子孫としか」見ない、などと批判するのは(p.74)、感情的な表現で、それこそ「左翼プロ市民」の言い方にも似ている悪罵・罵詈雑言の類のように思える。
 それに、そもそもが、天照大神からか神武天皇からか、という議論の仕方は不毛なのではないか。
 第五に、最後の基本的な問題として、かりに天皇陛下や(重要な)皇族の意向が「忖度」できたとして、日本国民はそれを絶対的に支持しなければならないのか、という問題があるだろう。
 こんなことを書くと、小林よしのりから<不忠>・<左翼>と罵られるのかもしれないが、しかし、皇位継承の仕方は、歴史的に見ても、各時期の天皇や皇族の意向どおりになった、とは必ずしもいえないように思われる。この点もあらためて勉強しないで書くが、ときどきの政治的・世俗的権力者の意向も反映して定められたことはあったのではないか。
 そのような事例こそ異例であり、純粋に天皇・皇族の意向どおりに皇位の継承(とその仕方)は決定されるべきだ、という主張は成り立つだろう。しかし、かりに異例であっても事実としては、天皇・皇族の意向どおりには皇位継承されなかったこともあった。あるいはそもそも天皇・皇族の間で(皇室の内部で)皇位継承につき争いのあったこともあったのだ。
 天皇陛下や皇太子殿下等の皇族のご意向・ご意見も十分に考慮して審議・決定はなされるべきだろう。だが、かりに万が一正確に拝察できたとしても、「忖度」されたその内容に国民(・国会)はそのまま従うべきなのか、という問題はなおも残っている、と私は考えている。重く受け止めるべき、という程度のことは言えるだろう。しかし、「そのまま」拘束されるべき、とまで言えるのか…。
 以上は思考方法、論理の立て方の問題にかかわる。皇位継承の仕方の中身の問題については別途書くつもりだ。

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