秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2010/03

0850/2009年秋~2010年03月の本。

 本・雑誌・新聞を読んでの「備忘録」(覚え書・メモ)というのが、元来の、いや途中から明確にしたこのブログ欄の利用目的のはずだった。しかし、残念ながらそのようにはなっておらず、全部または一部を読んでもこの欄では(まだ)言及していない書物等が多数ある。
 新聞記事(論文調のものも含む)はたぶんもう遅いが、また雑誌も逐一挙げるのは面倒だが、昨年の秋(9~10月頃)から今年3月末までに購入して(「はしがき」であれ「あとがき」であれ)一部は読んだ記憶があるものを、年度末でもあるので、以下にメモしておく。
 購入したが少しも目を通していないものもあるようだが、これはいちおう除く。また、大雑把に昨年の秋(9~10月頃)以降のものに限るので、それ以前に購入して全部または一部を読んだもの(かつこの欄では取り上げなかったもの)は含まない。但し、上の二点のいずれも、曖昧なところがある。(全読了のものを除き、順不同。本の体裁の大きい順をむしろいちおうの基準にしている。)
 ・小林よしのり・昭和天皇論(幻冬舎、2010.03)<5晩ほどかけて全読了>
 ・小林正啓・こんな日弁連に誰がした?(平凡社新書、2010.02)<購入日に全読了>
 ・西尾幹二=平田文昭・保守の怒り(草思社、2009.12)<忘れかけていたが全読了の痕跡があった>
 ・水島総原作・1937南京の真実(飛鳥新社、2009.01第二刷)<たぶん全読了>
 ・西村幸祐編・激論ムック/迷走日本の行方(オークラ出版、2009.11)<かなり読んだ>
 ・西村幸祐編・激論ムック/外国人参政権の真実(オークラ出版、2010.04)
 ・田中健之編・別冊宝島/「靖国」に祀られざる人々(宝島社、2007.08)
 ・新潮45別冊/櫻井よしこ編集長・「小沢一郎」研究(新潮社、2010.04)
 ・藤井厳喜・NHK捏造事件と無制限戦争の時代(総和社、2009.11)
 ・三橋貴明・民主党政権で日本経済が危ない!本当の理由(アスコム、2009.12)
 ・櫻井よしこ編・日本よ、「戦闘力」を高めよ(文藝春秋、2009.10)
 ・西尾幹二・三島由紀夫の死と私(PHP、2008.12)
 ・竹内修司・創られた「東京裁判」(新潮選書、2009.08)
 ・田母神俊雄・真・国防論(宝島社、2009.05)
 ・竹内洋・立身出世主義〔増補版〕(世界思想社、2005.03)
 ・福田恆存評論集第一巻(麗澤大学出版会、2009.09)
 ・安本美典・真説・邪馬台国/天照大御神は卑弥呼である(心交社、2009.12)
 ・富山太佳夫編・現代批評のプラクシス3/フェミニズム(研究社出版、1995.12)
 ・不二龍彦・天皇・皇室ファイル(学研、2010.02)
 ・宮崎正弘・朝日新聞がなくなる日(ワック、2009.11)
 ・遠藤浩一・小澤征爾-日本人と西洋音楽(PHP新書、2004.10)
 ・三橋健・神道の常識がわかる小辞典(PHP新書、2007.05)
 ・日暮吉延・東京裁判(講談社現代新書、2008.01)
 ・根井雅弘・市場主義のたそがれ-新自由主義の光と影(中公新書、2009.06)
 ・武光誠・一冊でつかむ天皇と古代信仰(平凡社新書、2009.05)
 ・鈴木貞美・戦後思想は日本を読みそこねてきた(平凡社新書、2009.12)
 ・鈴木貞美・日本の文化ナショナリズム(平凡社新書、2005.12)
 ・西尾幹二・決定版/国民の歴史/上・下(文春文庫、2009.10)<単行本で既読のものの「決定版」の再読>
 ・W・ゾンバルト(金森誠也訳)・恋愛と贅沢と資本主義(講談社学術文庫、2008.12第七刷)
 まだ他に買って読みたいもののそれに至っていないものが多いにもかかわらず、こうして書き並べて見ると、とても全部は読み切れない(他に週刊誌・雑誌・新聞もある)とあらためて感じて、げんなりした。 

0849/生業(なりわい)としての「保守」派。いや、「保守」派ではない「売文業者」-屋山太郎。

 屋山太郎の文章について、好意的・肯定的に言及したこともあった。
 2007.06.26付「社保庁職員の自爆戦術-屋山太郎の二つの文」。
 だが、昨年の総選挙前あたりから、屋山の主張・見解を疑問視し、選挙後の論評を読んで、この人は決して<保守>派ではない、と感じている。以下の3つを書いた。
 ①2009.08.06「屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙」。
 ②2009.09.21「屋山太郎が民主党を応援し『官僚内閣制』の『終焉』を歓迎する」。
 ③2009.10.31「屋山太郎は大局を観ていない。これが『保守』評論家か」。
 この③では屋山の1.産経新聞8/27付「正論」、2.月刊WiLL10月号(ワック)p.24-25、3. 産経新聞9/17付「正論」、4.月刊WiLL12月号(ワック)p.22-23の4つに言及し、「価値序列、重要性の度合いの判断に誤りがある」、「かりに<議会制民主主義>に論点を絞るとしてすら、屋山太郎は大局を観ていない」等々とコメント(批判)した。
 何と言っても、屋山太郎は昨年の総選挙の結果につき、「大衆は賢明だったというべきだ」(上記月刊WiLL12月号)と明記した人物だということを銘記しておく必要がある。自分自身は「大衆」に含まれているのか、それとも「大衆」とは次元の異なる世界に住む<エリート>だと自己意識しているのかは知らないが。
 その後、屋山太郎は民主党政権(鳩山由紀夫・小澤を含む)につき批判的なことも書いている。
 だが、そのような民主党(中心)政権の誕生を応援しかつ歓迎したことについての自己反省・自己批判の言葉は、その後いちども目にしたことがない(屋山太郎の文章のすべてを読んでいるわけではないので見落としのある可能性はある。だが、おそらくそのような言葉を公にはしていないのではないか)。
 屋山太郎が誠実でまともな感覚の持ち主だったら、<見通しが甘かった>、<こんな筈ではなかった(のに)>くらいのことは書いたらどうか。
 逆に、1月末発売だから昨年末か今年初めに執筆されたと思われる月刊WiLL3月号(ワック)p.22-23では、屋山はまだ性懲りもなく、こんなことを書いていた。
 ①昨夏の「総選挙」は「官僚内閣制」から「議会制民主主義」に「体制」を変えた選挙で、「今、議会制民主主義にふさわしい体制変革が進行」しており、「次の総選挙」こそが「政権交代」選挙になる。
 ②「日本の(議会制)民主主義」はおかしい、「実はニセモノ」だと感じてきた。「民主党政権四年の間には『議会制民主主義』が定着するだろう」。
 -そして、以下の諸点を肯定的に評価している。
 ③A「官僚の政治家への接触を禁止」、B「官僚の国会答弁を禁止」、C「省の方針」の「政務三役」による決定、D「事務次官会議を廃止」。E「陳情を幹事長室に一元化するのも、政治家と業界の癒着防止のためだろう」。
 最後に、こんな文章もある。
 ④「体制変革」の方向〔「官僚内閣制」から「議会制民主主義」へ〕は「間違えていない」。「この『変革』は、民主主義体制確立のためには不可欠」だ。
 唖然、呆然とせざるをえない。これが少なくともかつては<保守>評論家と位置づけられた者の書くことか?
 逐一詳細なコメントはしないが、上の③のAは一概には評価できないもの、Bはむしろ国会による行政(行政官僚)監視・統制のためには必要な場合もあるもの、Dも一概には評価できず、
「事務次官会議」による閣議案件の実質的決定はたしかに問題だが、それによる各省間の<調整>のために必要または有益な場合もありうるもの、と思われる。
 ③のEに至っては笑止千万。それほどまでに民主党(・小沢一郎)を応援したいのか。昨年末にはすでに、「社会主義」国における共産党第一書記(または書記長)による政治(・立法)・行政の一元的「支配」または「独裁」体制に似ている、という鳩山政権の実態に対する批判は出ていたはずなのだが。
 私も2009.11.29に、「そこまで大げさな話にしなくてもよいが」と遠慮がちに(?)付記しつつ、次のように書いた。
 「国会(議会)・行政権の一体化と、それらを背後で実質的に制御する政党(共産党)、というのが、今もかつても、<社会主義>国の実態だった」。
 (「『行政刷新会議』なるものによる『事業仕分け』なるものの不思議さと危うさ」) 
 すでに書いたことだが、「政治(家)主導=官僚排除」と<議会制民主主義>の確立・充実は同義ではない。また、屋山太郎があまりにも単純に「議会制民主主義」や「民主主義」を素晴らしい、美しいものとして想定しているようであることにも驚く。
 どうやらこの人も占領下の「民主主義」教育に洗脳された人々のうちの一人らしい。
 このように「(議会制)民主主義」の徹底・確立を説くのは、こちらは<とりあえず>だけにせよ、日本共産党の主張と全く同じではないか。屋山太郎は、重要な点でいつから日本共産党と同様の主張をするようになったのか。
 屋山太郎の近視眼さ、視野の狭さもすでに指摘したことがある(上記の書き込み参照)。
 佐伯啓思は隔月刊・表現者28号(2010年1月号、ジョルダン)で、端的にこう書いている(p.55)。
 <民主党のほか、自民党・マスコミを含む「今日の日本の政治的関心」にとっての「もっとも重要な課題」は「民主主義の実現」とされている。「政治主導」とは官僚から国民に政治を取り戻す「民主政治の実現」であり、「民主政治の進展こそが、民主党政権の存在意味」なのだった。
 「しかし、状況はもっと危機的であることを認識すべきである。この十数年の間に日本がおかれた状況は、脱官僚政治、というような議論で片付くようなものではない」。> 
 また、佐伯啓思は民主党について次のように書くが(p.56-57)、私は屋山太郎にも同じ言葉を向けたいと思う。
 <民主党の「あまりに浅薄で聞こえの良い政治理解・民主主義理解に虫酸が走る」。>
 それにしても、ウェブ情報によると、櫻井よしこを理事長とする国家基本問題研究所は理事長・副理事長に次ぐ(と思われる)「理事」13名の中の一人として、なおも「屋山太郎」を選任(?)し続けている。
 屋山太郎が「理事」をしているような団体は、少なくともまともな「保守」派の団体ではなさそうに見える。櫻井よしこ・田久保忠衛や評議員等を含めて、少なくとも大きな疑問を感じる人物はいないのに(各人の主張内容を詳しく知っているわけではない)、屋山太郎だけは今や別だ。
 何が「保守」かはここでは議論しない(上記の隔月刊・表現者28号(2010年1月号、ジョルダン)には、具体的論点については本当に「保守」派なのかと疑われる中島岳志が「私の保守思想1-人間の不完全性」というのを書いているが(p.132以下)、そこでの「保守」の意味内容はなおも基本的、常識的すぎる)。
 明らかなのは、屋山太郎は「保守」派あるいは「保守(主義)」思想に依拠している人物ではない、ということだ。他にもいそうだが、「保守」派(的)と一般的にはいわれている雑誌や新聞に文章を書くことを「生業(なりわい)」にして糊口を凌いできている「売文業者」にすぎないのではないか。

0848/<仏・共連合>の成立?②(終わり)。

 二 (つづき)
 ②別の某県某市のこれまたこの地域では有名な寺院の一つを訪れてみると、残念ながら写真を撮っておらず、文書・パンフをきちんと残していないことに今気づいたのだが、本堂近くに、まるで「九条の会」が主張しているような内容のビラか冊子のようなものが置かれてあった。
 先の①の寺院(・大会)よりも露骨に、「護憲」(と「反戦」)を呼びかけるものだった。
 仏教徒にも「政治的」活動の自由はある、とは一応は言えるのだろう。また、当該寺院の責任者たちは自らの信仰と「九条の会」の主張とは矛盾してない、むしろ合致している、と考えているかもしれない。
 だが、政治的には日本共産党系の運動といってよいのが常識的だと思われる「九条の会」の主張と似たようなことを書いた文書を参拝者の目に付きやすい場所に置くとは、あまりにも「政治的」に<幼稚な>感覚というものだろう。
 その寺院にもいろいろな檀家の人々がいると思われる(訪問者・参拝者の中には、私のような者もいる)。そのような直近の人々の(檀家総会の?)同意を得て、そのような文書を作成しているのだろうか。奇妙に感じながら、その寺院の境内を後にしたものだ。
 ③つぎは、全国的にも有名と見られる、日本の大寺院10に含める人もいるかもしれないほどの大寺院でのこと。
 その寺院の某建物の廊下に、10名の人物の顔写真を掲載した大きなポスターが貼ってあった。
 その10名のうち当該寺院の宗派「管長」以外の9名は、タテ長のポスターの右上から左下への順番で書くと、益川敏英(現京都産業大学理学部教授、ノーベル賞受賞者)、秋葉忠利(広島市長、元日本社会党国会議員)、湯川れい子(音楽評論家)、坪井直(被爆者)、麻生久美子(女優)、張本勲(元プロ野球選手)、田上富久(長崎市長)、小山内美江子(脚本家)、井上ひさし(作家)。
 これだけ並べると推測がつこうが、ポスターの中心には「核兵器のない世界を・あなたの未来のために国際署名にご協力を!」と書かれている。下部には、横書きで「私たちは、/核保有国をはじめとするすべての国の政府がすみやかに核兵器禁止・廃絶の交渉を開始し、締結することに合意するようよびかけます」との一文が記載されている。
 そのまた下に小さく書かれているこのポスターの製作者名は、次のとおり。
 「〇『核兵器のない世界を』国際署名キャンペーン事務局 〇113-8464東京都文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階 原水爆禁止日本協議会気付 〔TEL、URL省略〕」
 井上ひさし小山内美江子ですでに「左翼」色は明確なのだが(よく知らないが、益川敏英もたんに名声?を「利用」されているのではない、<確信的な>活動家的信条の持ち主だと書いていた人もいる)、上記事務局の「気付」先とされる「原水爆禁止日本協議会」とはいわゆる(日本)原水協で、日本共産党系(直属の?)団体そのものではないか。

 <核兵器禁止・廃絶>を謳えば、(日本人ならば?)誰でも支持してくれる(はずの)運動であり、またそのためのポスターだと、この有名大寺院の責任者は考えているのだろうか。
 怖ろしいことだ。この寺院は、(日本共産党系・)日本原水協系の活動・運動の、この地域での拠点になっている可能性すらある。あまりも堂々と、建物内に入った者は誰でも通る廊下の壁にポスターは貼られていた。
 こんな例を見ると、①で紹介した文章は、たんなる<観念的理想家>の僧侶・仏教者が書いたのではなく、僧侶・仏教者の中にも日本共産党員は存在していて、そのような者が共産党色は出さないように用心しながら配慮して書いたのではないかとすら思えてくる。
 三 以上の三つの例の寺院はいずれも、直接にコミュニズム(または日本共産党)を支持することを明言したものではない。だが、現在の日本共産党の主張・路線と決して矛盾はしないものだ。<左翼的>(あるいは少なくとも社民党的)であることはほとんど明らかで、共産党員または親共産党の者が書いた、または責任者として貼った、という可能性も否定できない。
 <仏・共連合>という見慣れないだろう言葉を使ったのは、上のことによる。
 仏教徒が現在(とくに日本で)何をすべきかと真摯に思考することを排除するつもりはない。だが、そのような誠実で真摯かもしれない思考と活動の中に<容共(親コミュニズム)>精神が結果としてであれ浸透してきているようで、これまた<戦後>思潮の結果・成りゆきの一つとして、私は怖ろしく感じるし、強い憂慮も覚える。

0847/<仏・共連合>の成立?①

 一 かつて日本共産党と創価学会が「創共協定」なのものを結んだことがあるくらいだから、コミュニスト(共産党員を含む共産主義者、広くは親共産主義者・共産党シンパ)と仏教徒が協力関係に立っても、あるいは(少なくともとりあえずは)同一の目標を目指しても何ら不思議ではないのだろう。
 知識・勉強不足で、新興仏教(の信者たち)は別として、従来からの仏教界(やそのような仏教の信者たち)は総じて<保守>的・<伝統的>で、反「左翼」ではないかと思ってきた。
 だが、「総じて」とは決して言えないようだ。よくよく思い出して見ると、従来的な仏教寺院と仏教関係者が日本で最も多いと推測される京都府で、社・共(社会党・共産党)連合による蜷川虎三「革新」府政がしばらくの間継続したのだった(確認しないが、京都市長も社・共推薦候補が担ったことがあったはずだ)。
 二 ①2000年~2009年の間の半ばに、某県某市で「全日本仏教徒会議」の大会が開かれた。その会場となった某寺は大きな古い寺院で(少なくともその県の代表的な寺院の一つで)、本堂には皇室の菊の紋章が何カ所にも付けられていたりする。
 その大会は「出会い 緑を生き、伝えるわれら」を「開催趣旨の大会テーマ」とした。「開催趣旨」はより正確には次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水はいのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史と共に大いなる環境の変化をもたらしています。/また、世界各地で起こる争い、環境破壊、温暖化現象など人間の欲望が加害者となり、限りあるこの地球というすばらしい星を苦しめています。/みほとけの慈悲と共生のこころを21世紀から地球と子孫に伝え、さらに未来に向けてひとりひとりが真剣に考えるつどいとなるよう…〔略〕から発信していきましょう。」
 採択された「大会宣言」は次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水は、いのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し、進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史とともに大いなる環境の変化をもたらしています。/人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません。清らかな水と空気が濁りつつある今日、異常現象や自然の災害は人類の生命をおびやかしています。/21世紀に入り早くも…年が経ちました。心の時代と言われながら、しかも前回の仏教徒会議で『日本仏教者からの平和の願い』を私たちが提言したにもかかわらず、今において人間が人間の生命を奪い取るという悲しいニュースの報道は、心痛の極みであります。/このような時にあたり仏教徒として、私たちは、みほとけの慈悲と共生のこころを現代に生きる人達に伝えていきます。さらに、私たちは明日という未来に向けて、ひとりひとりが真剣に、かつ、信念に満ちた活動を実践していくことを宣言いたします。」
 以上。これらの文章は読みやすい字で書かれて木製の柱の上の掲示板に記載され、その掲示柱はその寺院の山門のすぐ傍らに立てられている。また、すぐ隣に、「出会い、緑を生き、伝えるわれら」という言葉や「全日本仏教会々長」と当該寺院の「貫首」の氏名(個人名)等を刻んだ立派な石碑がある。
 人には諸活動の自由があり、仏教徒にもあるだろう。「清らかな水と空気」の大切さを説くことに反対する気はむろんない。
 だが、大きな違和感も覚えた。たとえば、1.「進化」と「進歩」を肯定するかの如きいわば<進歩主義>は、仏教の教義と合致しているのだろうか。2.「みほとけの慈悲と共生のこころ」と言うが、実質的意味は別としても、「共生」という言葉は何かの教典に明示されているものなのか。3.仏教徒が、「人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません」と断定してしまってよいのか。
 この文章は、「左翼」的環境保護運動の活動家の書いた少しはマイルドなアジ(アジテーション)・ビラの如くでもある。民主党の「左派」(旧社会党系)や社民党が強調していることと似てはいないだろうか。<地球は人類だけのものではない>との旨の部分は、<日本列島は日本人だけのものではない>と言ったらしい鳩山由紀夫を彷彿しさえする。
 「全日本仏教徒会」なる組織・団体が日本の仏教徒・寺院のうちのどの程度を組織しているのかは知らない。だが、この寺院やこうした文章が示す考え方が仏教界において決して稀少ではないようであることは、次の②・③の例でもわかる。
 (つづく)

0846/佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」と日本国憲法13条。

 一 産経新聞3/15の佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」を読んで、深い感慨に耽らざるをえなかった。
 二 鳩山由紀夫が「幸福度指数」なるものを持ち出していることに刺激を受けてだろう、佐伯は次のように言う。
 A<アメリカ独立宣言は「幸福追求の権利」等を「普遍的価値」と謳ったが、「自由」とともに「幸福追求の権利」はイギリスに対する「抵抗」の思想だったにもかかわらず、それが忘れられ、「誰もが幸福でなければならない、という一種の強迫観念」を生んだ。これに浸かってしまい、「他人が幸福であれば自分も幸福でなければ面白くない。不幸だと感じた途端、自分の人生は失敗だった」と感じてしまう。この強迫観念に捉えられれば「人は決して幸福になれない。それどころか…人をますます不幸にする」。>
 B<日本にはもともとは「かくも利己的で強迫的な幸福追求の理念」はなかっただろう。①「仏教的な無常観」、②「武士的な義務感」、③「儒教的な『分』の思想」、④「神道的な晴明心」、のいずれを持ち出し、いずれに依拠するにせよ、これらはすべて「個人的な幸福追求に背馳する境地をよし」とするものだ。ここに「日本人の死生観や自然観や美意識」が生まれた。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ。「幸福」の指標などと言う前に「日本人の背負ってきた死生観や自然観を学び直す」必要がある。>
 このような佐伯啓思の見解・主張を私はほとんど違和感なく受け容れることができる。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ、との部分も、論争的であるとしても(議論の対象になりうるとしても)、結論的にはそういう他はない、と感じている。
 三 佐伯の一文を読んで深い感慨を覚えた、というのは、佐伯啓思の見解・主張を私個人は十分に納得できるものの、しかし、現在の日本人の多数はむしろ理解できず、あるいは反発するのではないか、という、うんざりとするような気分も同時に湧いたからだ。
 なぜなら、佐伯も言及するアメリカ独立宣言が謳う「自由」や「幸福追求の権利」は現日本国憲法において、まさしく実定法化され(=明文で憲法典にまで書かれており)、少なくとも成文法としては日本国憲法は「最高法規」とされ、それにもとづいて行われた戦後の公教育のための、疑いをもつことが許されないほどの<理念>としてすらされてきた。
 あらためて、現日本国憲法13条を引用しよう。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 第一文でいう「個人の尊厳」(の保障)が樋口陽一をはじめとする<左翼>(かつおそらくは圧倒的に多数の)憲法学者において、現憲法の最重要の基本理念とされていることは、すでにニュアンスを変えつつ、この欄でも何度も言及した。
 この<個人の尊厳(の保障)>=「個人の尊重」とともに「(自由および)幸福追求に対する権利は…国政上最大の尊重を必要とする」と現憲法は謳っているのであり、かかる憲法規定を知り、学んだほとんどの(かつての、も含む)少年・青年たちには、とりわけ、狭く言えば大学の法学部で憲法を勉強した者たちには、さらには司法試験に合格し専門法曹になったような者たちには、<個人が尊重され>、個人がそれぞれ<幸福を追求する権利をもつ>ことは、疑問を微塵も生じさせないだろうような、しごく常識的で、当然のことになってしまっている、と思われるのだ。
 この13条の淵源はアメリカに、ひいては西欧(欧米)の法(人権・)思想にある。そして、佐伯啓思も指摘するように、必ずしも日本人本来の「人間」観・「人生」観とは合致していない、と思われる。
 だが、そのような問題があることを全くかほとんど意識することなく、<個人の尊厳>と<幸福追求権>の保障が存在することを、現在の日本人の多くは当然視しているのではないか。
 佐伯啓思の一文の内容を諒解しつつ、怖ろしいと感じるのは、上のことにある。
 佐伯啓思の考えていることと、日本国憲法に明示されていることにもよる、多数日本人の意識の間の、この大きな乖離。ここに怖ろしく感じる原因はある。
 それぞれの個人が(自由に)<幸福を追求>することができる、ということ自体は当然のようにも思えるが、佐伯も指摘又は示唆するように、個人は<平等に>「自由」・<幸福追求権>をもつと考えられていることから、他人との間の比較意識、<格差>を嫌う、<そねみ・ねたみ>の意識は容易に生じる。もともと日本人にとっての「自由」とは(他人に害悪を及ぼさない限度での)<気まま>・<放恣>・<何でもアリ>の気分に転化してしまっていること(これはほとんど<多様な個性の尊重>という通念に等しいこと)は、あえて長々と書かなくてよいだろう。
 こうした「自由」・<幸福追求権>を支えるかのごとき<個人の尊重(「個人の尊厳」保障)>の理念も元来は欧米に由来するものであることは、代表的な憲法学者だったらしい樋口陽一が、フランス革命期の<ジャコバン型個人主義>を日本人も(もっと?)体験すべき、と主張していることからも明らかだ。そして簡潔に書くが、丸山真男・樋口陽一(・辻村みよ子)らの日本の「左翼」知識人たちは、日本人は(欧米人のように?)自己を確立した<強い個人になれ>と戦後ほぼ一貫して(戦前から?)主張してきたのだ(そこでは自分は欧米的な「個人」として自立しているが日本の
「大衆」はまだ<遅れている>という暗黙の前提があった)。
 このような欧米的思想を継受した日本国憲法のもとで培養された現代日本「国民」の意識は必ずしも佐伯啓思のそれと同じではないと思われる。佐伯を批判しているのではなく、はがゆい思いで、事実の認識として書いている。
 そして、ここにもまた、日本「国民」の間の<国論の分裂>の根っこを感じ取らざるをえない。
 (「家族」に関する規定のない)日本国憲法も描く<自立した強い個人>の<自由(勝手)>な<幸福追求>活動の保障というイメージは、佐伯啓思の指摘するとおり、やはり日本と日本人の本来の意識とは合致しない、合致するはずがないのではないか。
 「日本人の背負ってきた死生観や自然観」に依拠して日本国憲法をも含めて見直すのか、それともかかる「日本人」意識あるいは<ナショナルなもの>は捨てて<普遍的な>「国際人」(地球市民?)になることを目指すのか、人についても国家についても、基本的なところで<国論の分裂>があり、あちこちで火花を散らしている。
 以上、内容としてはじつに幼稚な、新味のない文章になった。 

0845/渡部昇一の「裁判」・「判決」区別論は適切なのか?③。

 一 既述のように、渡部昇一は、月刊ボイス10月号・「東アジア共同体は永遠の幻」(PHP、2009)で「判決の受諾か、裁判の受諾か。これをどう考えるかで、じつは恐ろしい違いがある。『裁判を受諾する』といった場合には、東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづけるということになるからだ」と書き、別冊正論エクストラ第10号・「東京裁判史観からの脱却なくして自立なし」では、「裁判の『内容』を受諾するか、『判決』を受諾するかは、絶対に混同してはいけない」と書く(p.5)。
 はたして、<裁判>と<判決>の区別で、このような「おそろしい」違いが出てくるものなのか??
 1951年9月締結(翌年4月発効)のいわゆるサンフランシスコ講和条約は日本国は「裁判(または諸判決)」を「遵守し、…」とする部分を含み、この「裁判(または諸判決)」の原語は<
judgments>なのだが、これを「裁判」ではなく「(諸)判決」と訳しかつその意味で理解するとして、そもそも<judgment>とは何を意味するのか。渡部のいうような帰結を本当にもたらすのか?

 二 A/高柳賢三=末延三次・英米法辞典(有斐閣、初版1952.10,16刷1978.07)、B/田中英夫編集代表・英米法辞典(初版1991.05、3刷1994.08)、C/田中英夫編集代表・BACIC英米法辞典(東京大学出版会、初版1993.09、5刷1997.07)のそれぞれにおいて、<judgment>がどう翻訳され、説明されているかを、以下にほとんどそのまま引用して記載する。
 なお、第一に、時期的に東京「裁判」と講和条約(「日本国との平和条約」)に最も近いのはAだ。第二に、CはBの簡略版のようなもので(編者も同じ)、いずれも1990代以降のもの。二種あるからといって、多数決でB・Cの記述の方がAよりも信頼できる、という保障があるわけではない。
 A・「判決」-「(イ)裁判所の判決。…〔略〕。(ロ)判決の理由。判決にあたつて述べた各裁判官の意見をjudgmentということもある」(p.251)。
 B・「判決」-「当事者間の権利義務について判断し解決する裁判所の最終判断。…〔略〕。Judgmentとは、裁判所が事件の解決について出した結論のことで、例えばFederal Rules of Civil Procedure(連邦民事訴訟規則)Form31&32の示すように、日本の判決の主文にほぼ相当し、この結論に達するまでの根拠を述べた部分はopinion(意見)とよばれる。ただし、俗語的には、この意見の部分も含めてjudgmentということがある」(p.480)。
 〔なお、Bは第一の訳語として上記の「判決」を挙げ、第二の訳語として「判断・評価」を示す。後者は日常的用語としてのjudgmentの意味だと思われ、特段の説明はない。〕
 C・「判決」-上のBと(「略」部分の二文のうちの一文が削除されているが、その他は)まったく同じ。
 三 AとB(・C)のいずれも「判決」と訳す点では共通している。「裁判」よりは適切な訳語であるわけだ。
 だが、Aは「裁判所の判決」とは異なる第二の訳語・意味として「判決の理由」と記すのに対して、B(・C)は「日本の判決の主文にほぼ相当」する、と説明していて、この部分に関するかぎり、二種(・三種)の英米法辞典は異なる、矛盾する説明をしている。
 四 渡部昇一の議論が成立しうるのは、1990代に入って以降のB(・C)に「ほぼ」従って、Judgmentを「判決の主文」と理解する場合に限られる。この場合であっても、まったく<理由>(による拘束?)から自由ではないことは、のちに述べる。
 逆に、1952年初版のAの狭義の説明に従って「判決の理由」と理解するならば、渡部昇一の主張・理解はまったく見当はずれ、ということになるだろう。「判決の理由」の中にこそ、渡部のいう「東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――」が書かれていた(はずだ)からだ。
 問題は、1951年9月の時点で条約締結国、とくにアメリカと日本の担当者たちが「judgment(s)」をどういう意味で用い、どういう意味だと理解したかだ。とりわけ、「判決の主文」のみか、むしろ「判決の理由」を含むかだ。しかし、参照した二種(・三種)の英米法辞典によっては、決定的な手がかりを得ることはできない。1951年に近いAが当時の一般的または相対的多数の理解だったと言えそうにも見える。しかし、B(・C)はその後の研究の成果をふまえて、より正確な叙述をしている、という評価が成り立たないわけでもなかろう。但し、1952年以降のアメリカ・連邦民事訴訟規則の上掲部分の制定または改正がB(・C)の叙述につながっているとすると、新しいからといって、1951年の条約中の文言の解釈の決め手には少なくともならない。
 また、そもそも、いわゆる<東京裁判>にかかわって、通常の裁判・訴訟を念頭に置いた諸概念が条約中で用いられたのか、という基本的な問題もあると思われるのだ。
 ともあれ、「judgment(s)」を「裁判」ではなく「(諸)判決」と訳さないと「東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け―南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで―に日本が縛られつづけるということになるからだ」という渡部昇一の主張は、十分なまたは決定的な根拠はないと思われる。「裁判」と理解すれば上のように「縛られ」、「(諸)判決」と訳せば上のようには「縛られ」ない、というのは、何らかの誤解にもとづく、不適切な主張だと考えられる。
 既に言及したことだが、渡部は「判決」とは「判決主文」のことだと単純に思い込んでいるのではないか? 「判決」の中には「主文」の他に「事実」と「理由」又は「事実及び理由」も含まれる。
 英文学者の渡部昇一が書いているからといって、裁判(・法律)関係の英米語についてまで正確な知識が示されている
とは限らない。
 また、かりにB(・C)に従って「日本の判決の主文にほぼ相当」する、と理解するとしても、日本の<東京裁判>遵守義務を主張・強調したい者たちは、次のように主張するすることが可能だと思われる。
 すなわち-「judgment(s)」とは厳密には(各)「判決主文」のことだとしても、結論たる「主文」にはそれなりの何らかの「理由(根拠)」(事実認定とその評価・法的判断)があるはずだ、従って、両者を無関係のものとして扱うことは不当で、「判決主文」を遵守するということは、当該(各)判決で書かれた「理由」をも実質的には尊重することにつながるはずだ…、と。
 このように、「judgment(s)」をかりに厳密に(各)「判決主文」と理解するとしても、日本が「縛られ」ることを期待し、主張する者たちには「南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで」等を<事実>の記載として尊重すべきだとする余地がなおも残されている、と見られる。
 以上のことからすると、「裁判」と「(諸)判決」の区別論は、後者の方が適訳だとしても、渡部昇一が望むような効果を(残念ながら)もたらさない、と考えられる。
 問題・課題は、「裁判(諸判決)を遵守」するという条約中の文章の意味を、それが置かれたテキスト・条文(関係他条項を含む)の中で的確に(関係的に)把握することであって、「judgment(s)」の訳語に渡部昇一のごとく拘泥することは、決して生産的・建設的意味をもたない、と思われる。
 保守論者たちの中に渡部昇一の議論がどの程度の影響を与えているのかは知らないが、遵守の対象は「裁判」ではなく「(諸)判決」だと(条約中の「遵守」義務を持ち出す)<左翼>に対して反論(?)しても、決定的な力を持たないし、たいして有効なものにもならない、と思われる。これまた傍流的(?)な意見かもしれないとは思いつつ。
 なお、このテーマをこれで終えておくが、12月以降の中断は、自分が想定していたことの誤謬等に気付いたためでは全くない。叙上のことはすでに12月の時点で分かっていたことだ。遅れは、東京裁判関係の本をいくつか捲って、<「裁判」・「(諸)判決」論争>はたいして重要な争点ではなく、他に考えるべきもっと重要な点がいくつもあると思い至ったこと、ついでに半分は冗句として書くと、多少は専門的な(ふつうの人々は見ないだろうような英米法辞典を使っての)叙述を、一円の利益を得ることもなく、かかるブログに書いてしまうことが多少は馬鹿馬鹿しくなった、ということによる。

0844/外国人(地方)参政権問題・その2。

 一 産経新聞2/19朝刊一面トップは「参政権付与は在日想定」等の見出しで、一定の外国人への地方参政権付与は違憲ではない(付与しなくても違憲でもなく法律レベルで判断できる)旨の「傍論」を明記した平成07.02.28最高裁判決の際の最高裁裁判官の一人だった園部逸夫への取材(インタビュー?)結果を紹介した。そして、園部見解は「外国人参政権推進派にとっては、大きな打撃」になるとの評価を強調しているように読める(署名は小島優)。
 また、かつて上記最高裁判決「傍論」の論旨にあたるいわゆる「部分的許容説」を採っていた憲法学者(中央大学・長尾一紘)が反省しているらしいことも含めて挙げて、翌2/20の産経新聞社説はあらためて<外国人参政権付与>反対を述べた。見出しは「付与の法的根拠が崩れた」。
 こういう報道や主張自体を問題視するつもりは、むろんない。
 但し、厳密には、「付与の法的根拠が崩れた」とまでは言えないだろう。
 なぜなら、平成7年最高裁判決は何ら変更されていないし、その「傍論」部分を否定する新しい最高裁判決は出ていないからだ。
 かりに園部逸夫が「主導的役割を果たしたとされる」(2/19)のが事実だとしても、その園部がのちに何と発言しようと、最高裁判決自体(「傍論」を含む)が取消されるわけではない。問題の最高裁判決の理由(「傍論」を含む)は5名の裁判官が一致した見解として書かれたもので、その内容を修正・限定するいかなる法的権能も、現在は私人にすぎない園部にあるはずがない。
 それにしても、1929年生まれで、私のいう<特殊な世代>(占領期の「特殊な」教育を少年・青年期に注入された、1930-35年生まれの世代。大江健三郎等々を含む)にほとんど近い園部逸夫とはいかなる人物なのか。
 問題の「傍論」部分には「(在日韓国・朝鮮人を)なだめる意味があった。政治的配慮があった」と明言したらしい。
 5人の裁判官の合意の上で書かれたはずの文章部分について、当時の裁判長でもない一人の裁判官だったはずなのに(裁判長であっても許されないが)あとからその趣旨・意図を解説してみせる、というのは、取材記者による誘導があったかもしれないが、かなり異常だ。
 判決理由中で書かれた文章が客観的に社会に残されたすべてであるはずなのに、他の4人に相談することもなく(?)一人で勝手に注釈をつけるのはどうかしているし、その内容も異様だ。
 この点では、テレビ中継は見ていないが、産経新聞3/6によると枝野幸男(行政刷新相)が参院予算委員会で語ったという、「政治的配慮に基づいて判決したのは最高裁判事としてあるまじき行為だ」との批判は当たっている。
 「その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法76条3項)という裁判官の職責に抵触していない、「良心」と<政治的>配慮は区別し難い場合もあるから、という反論・釈明は可能かもしれないし、もともと園部逸夫の発言の趣旨が厳密に正確に報道されたのか、という問題もあるかもしれない。
 しかし、紙面によるかぎりは、園部逸夫という人が、最高裁裁判官だった者としてふさわしくない発言をしているのは確かだ。
 そして、最高裁裁判官になった人ですら、ひいては最高裁判決ですら<政治的>配慮をすることがある、ということを(あらためて?)一般に知らしめた、ということでも興味深い。
 園部逸夫の歴史認識には正確でないところがあるようだが、いずれにせよ、朝鮮人・韓国人に対する<贖罪意識>が基礎にあるように推察される。そして、かかる<贖罪意識>は、上に触れた<特殊な世代>のみならず、そのような世代の意識を継承した、またはそのような世代によって教育を受けた、より若い世代にも―裁判官を含む専門法曹の中にも―広く蔓延している、と見られる。
 この(中国人に対するものも含む)<贖罪意識>と、日本「国」民ではない多様な文化を背景とする人々との「共生」、<多文化共生社会>を目指そうという一種のイデオロギー-後者は「ナショナルなもの」の無視・否定という戦後の大きな<思潮>に含まれる、またはそこから派生している―が、外国人(地方)参政権付与「運動」の心理的・精神的支柱に他ならないだろう。
 二 某神社(神宮)のグッズ販売所(?)のカウンターに、日本会議という団体発行の月刊「日本の息吹」3月号というのが自由にお取り下さいという感じで置かれてあったので、初めて見たこの雑誌(冊子)を持ち帰り、少し読んだ(ひょっとして有料だったのか?)。
 百地章が「提唱者も否定した外国人参政権」という一文を寄せている(p.12-13)。
 提唱者=長尾一紘も改説して「否定」し、当事者として「主導したと思われる」園部逸夫元裁判官もいわゆる「傍論」を「批判」している、という。
 百地章によると、園部逸夫は三年前の某雑誌(日本自治体法務研究9号、2007年)で、「この傍論を重視するのは俗論である」と「批判」したらしい。百地は「園部氏もさすがに傍論が一人歩きしているのはまずいと多少は責任を感じられたのでしょうか」、「となれば…傍論の当事者たる裁判官によっても否定されたことになります」と続けている。
 二つの感想が湧く。まず第一に、叙上のとおり、いったん書かれた判決理由がすべてであって、裁判官を退いてから、あとで何らかの修正・限定をしようとしているとすれば、そのような文章を書いた園部逸夫は異様だ。それに、百地引用部分のかぎりでは、「傍論を重視する」、「俗論」の意味がいずれも明瞭ではない。前者は要するに<程度>問題だと思われるし、後者の「俗論」とはいかなる意味の言葉なのかもはっきりしない。傍論は「法の世界から離れた俗論」だと言うならば、また、園部は「主観的な批評に過ぎず…」とも書いているらしいが、このような「傍論」の理解は奇妙だと考えられるし、そもそもそのような「法の世界から離れた俗論」にすぎないとされる「傍論」を含む判決理由の作成に参画し合意したのは園部自身ではないか、という奇怪なことになる。
 つぎに、百地章は「したがって部分的許容説はもはや崩壊したも同然です」とまとめているが、ここで「崩壊したも同然」とだけ書かれ、「崩壊した」と断定されていないことに、(少なくとも法的には)注目される必要がある。
 百地章も認めるだろうように、平成7年最高裁判決は変更・否定されずにまだ「生きて」いるのだ。
 提唱学者が改説し、当事者裁判官の一人がその意味を減じさせようとするかのごとき発言をした、と書いて、あるいは報道して、その<政治的>意味をなくそう(または減じさせよう)とすることに反対するつもりはない。だが、平成7年最高裁判決が法律による参政権付与を許容する「一定の在日外国人」の範囲は同判決の文言に照らして厳密に検討する必要があるとしても、「法的」(あるいは「判例」としての)意味が完全になくならないかぎりは、それはなおも<政治的>意味を完全には失わないだろう。
 心ある法学者または憲法研究者がなすべきことは、<傍論>にすぎないとか、提唱者や当事者裁判官も否定・批判(疑問視)しているとかと言い募ることではなく、憲法解釈論としていわゆる「傍論」部分を正面から批判し、判例変更を堂々と主張し要求することではないか、と思われる。
 平成7年最高裁判決について、主文に直接につながる部分と「傍論」とは<矛盾>している、と批判する<保守派>の論調もあるようだ(百地章も上の文章の中で「この奇妙で矛盾した傍論」と書いている)。
 だが、憲法上は権利として保障(付与)されていないが法律で付与することは違憲ではない(法律で付与しなくても違憲ではない)という論理は一般論としては成り立つものだ。憲法上の「人権」等として保障されていなくとも、法律レベルで具体的権利が付与されている例はいくらでもある。
 憲法15条のみの問題として把握するのではなく、国政と地方政治(地方行政)は同一ではないことを持ち出して、憲法92条(「地方自治の本旨」)・93条(「住民」)上のいわば白紙部分を法律で補充することを容認する、という憲法解釈を採用することがまったく不可能とは思えない(そして、そのような旨をいわゆる「傍論」は明言したことになる)。
 このことをふまえたうえで、国政と地方政治(地方行政)は同一ではないが、いずれも広義には「国家」の統治作用であり、明瞭に区別することはできない(=地方政治・行政も狭義の「国」政と無関係ではなく、影響を与える)、等々の議論をして、平成7年最高裁判決のいわゆる「傍論」部分を正面から問題視することの方が、よりまっとうでまともな議論の仕方だろう。
 遅ればせながらの、かつ傍流(?)的感想として。

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