秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2009年11月

0838/「行政刷新会議」なるものによる「事業仕分け」なるものの不思議と危うさ。

 「行政刷新会議」なるものによる「事業仕分け」なるものには、よく解らないことが多すぎる。
 一 まず、「行政刷新会議」とはいかなる行政機関なのか?
 憲法上、「予算を作成して国会に提出すること」は内閣の職務とされている(73条五号)。その内閣の職務を内閣総理大臣が代表?して行い、その手伝いをしているのが、従来は主として財務省(財務大臣)だったところ、現政権においては「行政刷新会議」なのだろう。
 それはそれでよいとして、では、「行政刷新会議」なるものの設置根拠はどこにあるのか?
 国家行政組織法によると、国の「行政機関」である「省、委員会及び庁」の設立には法律の定めが必要だが(3条)、この「会議」にはそのような法的根拠はないと見られる。
 国の組織・機構に関して国のHPを見てみても、「行政刷新会議」は正確には位置づけられていない。官邸HPのトップに突如として「行政刷新会議」なるものが現れる。そしてどうやら、つぎの<閣議決定>に設置根拠はあるようだ。
 「行政刷新会議の設置について 平成21年9月18日閣議決定
 1 国民的な観点から、国の予算、制度その他国の行政全般の在り方を刷新するとともに、国、地方公共団体及び民間の役割の在り方の見直しを行うため、内閣府に行政刷新会議(以下「会議」という。)を設置する。
 2 会議の構成員は、以下のとおりとする。ただし、議長は、必要があると認めるときは、構成員を追加し、又は関係者に出席を求めることができる。
 議長   内閣総理大臣
 副議長  内閣府特命担当大臣(行政刷新)
 構成員  内閣総理大臣が指名する者及び有識者
 3 関係府省は、会議に対し、関係資料の提出等必要な協力を行うものとする。
 4 会議の事務は、内閣府設置法第4条第2項の規定に基づき、内閣府が行うこととし、内閣府に事務局を設置する。
 5 会議は、必要に応じ、分科会を置くことができる。
 6 前各項に定めるもののほか、会議の運営に関する事項その他必要な事項は、議長が定める。」
 閣議決定は法律でも政令でもない(省令でもない)。「国民の皆さま」を代表する議員によって構成される国会によって承認されてはおらず、行政権かぎりでの事実上の決定にすぎない。これによる機関・「会議」の設置が違法とまでは言えないだろうが、そのような機関・「会議」がそのような位置づけにふさわしい仕事だけをしているかが問題になりうる。
 だが、担当大臣(仙石某)まで置かれ、事実上であれ、予算案編成作業に関して重要な役割を果たしているようだ。むろん法的には、そこでの作業は内閣総理大臣や内閣を法的に拘束しない、たんなる<たたき台>にすぎない、と説明されるのだろう。
 だが、たかがそんな組織にしては、(とくにその<仕分け作業>に)マスコミは注目しすぎているのではないか。また、民主党や政府の側も、たかが一つの準備作業を<オープン>にすることによって<ショー>・<パフォーマンス>化して、政治的には自らに有利な方向に利用しようしているのではないか。それに引っ掛かっているマスメディアも見識が不足しているというべきだ。
 二 ますます不思議なのは、<仕分け人>の位置づけだ。
 上の設置要綱(閣議決定)によると、「議長〔内閣総理大臣〕は、必要があると認めるときは、構成員を追加」することができ、また、「構成員」は「内閣総理大臣が指名する者及び有識者」とされている。
 気になるのは、第一に、国会議員、すなわち枝野某や蓮某らが、<仕分け人>として仕事をしており、どうやら少なくとも「分科会」の構成員であることだ。
 内閣によって提出された予算案を議決して正式の予算とするのは国会の仕事だ。
 ということは、彼ら国会議員は(上の二人に限らない)、予算案の作成の準備作業に参画し、かつ最終的には国会議員として、予算に関する議決にも関与することになる。この後者の権限・任務は当然だが、そのような権限・任務・職責を持つ者が、そもそも同時に前者、つまり事前の作成作業にまでかかわってよいのか??
 たとえば、事前の段階で<仕分け人>として持って(<仕分け>会議で)公にした見解(特定の事業補助費等の予算配分への賛否等々)と矛盾する案が最終的には内閣によって決定され、国会に提出された場合、彼らはどういう態度をとるべきか?、という問題が生じうる、と考えられる。
 むろん、見解・意見は変わりうるものだとして、かつては反対した予算配分を含む予算案全体に賛成することは法的に禁じられるわけでもあるまい。
 だが、そもそも、このような問題を生じさせるようなことをすること、つまり副大臣でも政務官でもない国会議員を、「行政刷新会議」(の分科会?)の構成員とすること自体が適切とはいえないのではないか??
 屋山太郎は、これまた政治家による行政官僚統制だとして肯定的・好意的に評価するのかもしれないが、ここで生じているのは、立法府(法律制定者・予算決定者)の一員と、行政府(予算案作成・「行政刷新会議」)の一員との兼職であり、国会と行政権との間の混淆あるいは区分の崩壊であるように思われる。
 これは議会制民主主義の範疇を超えている、というのが私の直感的感想だ。
 第二に、<仕分け人>の中には、民間人も入っている。「有識者」とされているのだろう。この民間人の「参加」はどのように考えられるべきものだろうか。
 審議会類に民間人が学識経験者として入ることはよくあることだが、その場合、非常勤の「公務員」として扱われる。そして、「行政刷新会議」の<仕分け人>もそのように位置づけられるのだろう。
 だが、マスコミによって大きくとり挙げられるわりには、いかなる基準・資格認定によって、一定の民間人が<仕分け人>として採用されているのかは、さっぱり分からない。議長=内閣総理大臣(鳩山)も副議長(担当大臣=仙石)も、この点を何ら明らかにしていないように見える。
 こんな曖昧な選任方法によって仕分け人とされた者に、華々しく話題にされるような仕事をさせてよいのか?
 あるいは、これは予算編成作業の過程への<市民参加>なのだろうか。だが、予算編成作業編成過程の透明化や何らかの「国民」参加がかりに必要であり、少なくとも違法ではないとしても、現在行われている専門家?民間人の「参加」が、そのための十分に必要な条件を満たしているとは思えない。
 何ゆえに、いかなる理由でもって、特定の民間人(専門家?)が仕分け人に選任されているのか、その基準がさっぱり分からず、公にされていない、と思われるからだ。
 第三に、ますます訳が分からないことがあることがある。仕分け人の中には碧眼の欧米人も入っている。きちんと確認していないが、その人物は日本人、すなわち日本国籍をもつ者なのか??
 かりに外国籍の者だとするとそのような者に、日本国の予算案作成(編成)過程に関与させてよいのか?? これに関与して意見を言う資格(・権利)は国政参加権にもとづく一票(投票権)の行使よりも大きいというべきだ。
 この疑問はすこぶる大きい。いかに「友愛」だとて、「地球市民」感覚だとて、外国人には日本の予算案策定事務に「参加」する<資格>も<権利>もなく、これらを与えてはならないだろう。
 三 以上のような種々の疑問をもつが、大(?)新聞である産経新聞を含めたマスメディアがこのような問題について説明したり解説したりしているのを読んだり見たりしたことはない。
 野党・自民党もまた、このような観点からの批判はまるでしていないようだ。ただ<ショー的>だ、と指摘しているだけで、重要な政治的・法的問題がある、という問題意識はないように見える。
 重要な政治的・法的問題がある可能性がある、という問題意識が全く希薄であるようなのは、大(?)新聞である産経新聞を含めたマスメディアも同じ。評論家たちの意見はよく知らない。
 国会(立法府)と行政権(府)の議会制民主主義における適切な協働と緊張関係を超えた融合は、むしろ危険視すへきだ。
 国会(議会)・行政権の一体化と、それらを背後で実質的に制御する政党(共産党)、というのが、今もかつても、<社会主義>国の実態だった。
 そこまで大げさな話にしなくてもよいが、<行政刷新会議>とそこでの<事業仕分け>なるものには、何やら怪しさ・奇妙さと覚束なさがつきまとう。
 大マスコミも、多数いるはずの政治・行政評論家も(憲法研究者を含む学者はもちろん)、以上のような疑問に答えてくれていないようであることこそ、まさに異常なことではないか。成りゆき、ムードに任せてはいけない。

0837/<左翼・容共(親中・隷中を含む)>政権の先導役・朝日新聞。

 一 朝日新聞には感心する。文化・芸能・スポーツ等々、日本共産党の機関紙・赤旗にスポ-ツ欄やテレビ欄があるのと同様に、まるで一般的諸問題を扱い、あるいは高校野球大会(夏の甲子園)の主催者にもなって、まるでふつうの・まともな新聞社・団体であるかに装ってはいるが、その実、見事に<左翼・容共(>親中・隷中)>で、民主党新政権を支持・掩護する政治団体であることを隠そうとする、その巧みさに、だ。しかし、-。
 今月に朝日新聞社系出版社から出た本に、あくまで例えばだが、朝日ジャーナル別冊1989-2009/時代の終焉と新たな幕開け-希望の思想はどこにあるのか?、がある。ここでは2009年の政権交代が「新たな幕開け」と肯定的に理解されていることは間違いない。はたしてそうか。良い方向への「幕開け」だったかどうかを判断するのは、少なくともまだ早すぎる。
 山崎養世・高速道路無料化-新しい日本のつくり方(朝日文庫)というのも、今月に出ている。この本は、「民主党のブレーンでもある著者が、無料化問題を集大成。『無料化こそが日本経済を復活させる』成長戦略であることを明快に説く」ものらしい。朝日新聞が民主党および民主党ブレーンを好んでいることは明らか。
 先月(9月?)には、表紙に「民主党がわかる/民主党衆院議員308人完全データ」等と書かれた、アエラ2009年10月号増刊が書店に並んでいた。選挙直後に、表紙に「民主党革命」と大きく謳ったのは、週刊朝日だった。
 二 最近の社説を見て喫驚したのは、11/23付「外国人選挙権―まちづくりを共に担う」だ。
 これを読むと、朝日新聞は民主党政権を支持し掩護するのみならず、自分たちが好ましいと考える方向へと政権を先導する役割をも果たそうとしているようだ。<左翼・容共(>親中・隷中)>への世論誘導者でもあり、アジテーターでもある。
 むろんかつての(今もある?)「左翼過激派」 活動団体のビラのような、煽情的な書きぶりはしない。紳士的?に書いてはいる。だが、中身はすごい。
 ①「鳩山政権は『多文化共生社会』をめざすという。実現へ踏み出すときではないか」。「…そうした外国人を排除するのではなく、多様な生き方を尊重する社会にしたい」。
 ここでの「多文化共生社会」・「多様な生き方を尊重する社会」とは近年の「左翼」が好んで口にするフレーズであることを読者は知らなければならない。あるいは、こんな情緒的な言葉でもって、外国人(地方)参政権付与の是非を議論してもらっては困る。
 ②「世界を見ても、一定の要件を満たした外国人に参政権を付与する国は、欧州諸国や韓国など40あまりに上る」。
 読者はこれを読んで、世界の傾向などと誤解してはいけない。欧州にはEUの存在などの特有の事情がある。それに、この社説が「一定の要件を満たした外国人に」とだけ書いていることに注目すべきだし、かつその「一定の要件」を朝日新聞社説は明確に書いていないのも杜撰であり、じつは卑劣だ。
 ③反対論の中には、「人々の不安をあおり、排外的な空気を助長する主張」があり、「首をかしげる」、と書く。これは一種のデマゴーグ文章だ。反対論=<排外主義>者(排外的・偏狭なナショナリスト)とのレッテルを貼ろうとしている。
 ④民主党は国交のある国籍の者に限る=北朝鮮国籍者を排除する法案を検討しているらしい。これにも朝日社説は噛みつく。現時点の民主党よりもさらに<左翼(容共)>に位置する主張だ。「左」から民主党を実質的に批判していることになる。
 「しかし、朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない。良き隣人として共に地域社会に参画する制度を作るときに、別の政治的理由で一部の人を除外していいか。議論が必要だろう」。
 「北朝鮮を支持しているわけではない」者を配慮した文になってはいるが、実質的・結果的に親北朝鮮の姿勢であることは明らか。北朝鮮だけを特別扱いするな、と言いたいわけだ。
 また、「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない」ということは、選挙権付与のためのまともな根拠になるのか。つまり熱烈な北朝鮮体制支持者であれば選挙権を付与しなくてもよい、と朝日新聞は主張するつもりなのか。
 もう少しはまともで論理的な議論をし、そのような文章を書いてほしい。
 「良き隣人として共に地域社会に参画する制度」とは、上の①のこともあてはまるが、民主党・鳩山由紀夫と同様の美辞麗句でもある。「必ずしも」、「良き隣人」ばかりではないのではないか、と感じることの方が常識・良識をもつ人間の感覚だろう。ここでは、(特定の)在日外国人(日本国籍をもたない者)はすべてが「良き隣人」だと理解されているようにも読める。「東アジア共同体」構想にも通じるところがあるが、なぜか(いや確信的にだろう)朝日新聞は東アジア諸国には<優しく、甘い>。
 三 他の社説を見てみると、11/22付の「G2が動いて世界が動く」で最後にいう米国と中国についての「二つの大国」という表現は、たんに温室効果ガス排出量一位と二位の国だという意味ではなさそうだ。
 11/21付「たじろがず新成長戦略を」も面白い。
 新政権による「デフレ宣言」による、経済政策・景気対策の観点からの民主党政権批判の増大、支持率低下を怖れてだろう、<助け舟>を出している。
 「いまは、鳩山政権が掲げる「コンクリートから人へ」の大方針に沿った福祉経済化や雇用対策、地球温暖化対策としての「グリーンな経済」づくりを基礎に、民間の投資や消費を引き出すような成長戦略を組み立て、実行に移すことが期待される」。
 「福祉経済化や雇用対策、地球温暖化対策としての『グリーンな経済』づくり」が、民主党の採る経済政策だと言っている。これは民主党の立場に立っての釈明だとも理解できる。
 「来日したOECDのグリア事務総長は今週、日本の課題について、女性の社会進出や環境技術の発展で「新たな成長をめざす必要がある」と指摘した。このエールにこたえたい」とも最後に書く。これは「女性の社会進出や環境技術の発展」による経済成長・景気対策を是として、民主党政権に期待するものだ。
 民主党・現政権を何とか援護したい気分は分かるが、どうせ経済オンチの朝日新聞論説委員のご高言を信頼していたのでは、日本経済は立ちゆかないことは目に見えている。

0836/渡部裕明・産経新聞論説副委員長・11/14の「歴史的」大失態。

 一 奈良県の桜井市教委が、纒向遺跡内から大規模建物跡が発見された、と発表したらしい。
 産経新聞11/11は「卑弥呼の居館か」との大見出しを打って邪馬台国=近畿説の石野博信(香芝市二上山博物館長・元奈良県立橿原考古学研究所副所長兼附属博物館館長・関西大院卒)の「…卑弥呼の館の可能性はある」との言葉を伝え、辰巳和弘(同志社大教授)は「高床式建物はまさに卑弥呼の居室」と「明言」したと報道する一方で、邪馬台国=九州説の高島忠平(佐賀女子短大学長、元佐賀県教育委員会)は「大型建物跡は4世紀で卑弥呼の時代より50年以上も新しい」として「邪馬台国との関連を否定」した、と伝える。
 (なお、石野博信コメントは「可能性はある」というだけで断定するものではない。辰巳和弘コメントも「高床式建物」は「卑弥呼の居室」という一般論を示すだけで、今回発掘された建物跡の建物が「卑弥呼の居室」だったという趣旨ではないと解される)。
 産経新聞11/12は邪馬台国=近畿説の白石太一郎(大阪府近つ飛鳥博物館長、元奈良県立橿原考古学研究所所員、同志社大院卒)は邪馬台国所在地論争は「だんだん決着に近づいてきた」と「強調」した、と伝え、かつ赤塚次郎(愛知県埋蔵文化財センター調査課長、白石太一郎らとの共著あり)は「畿内説が有利になった」と「指摘」した、とする。
 同新聞は11/14から<卑弥呼いずこに・激論、邪馬台国>の連載を始めるが、第一回(上)に登場の、邪馬台国=近畿説だと思われる寺沢薫(橿原考古学研究所総務企画部長)は、「卑弥呼の宮殿として問題ないか」との先走った(幼稚な)質問に対して、単純な回答を避け、「卑弥呼が調査した辺りにいた可能性は高い」とだけ述べる。この部分を、記事は寺沢の顔写真の下にも引用している。
 11/15(日)に登場の七田忠昭(佐賀県教育・文化財課参事)は、邪馬台国=九州説の立場から「有明海沿岸が最有力」とし、纒向遺跡が示すのは「魏志倭人伝には登場しない別の勢力」ではないか、としている。
 11/16の第三回(下)はまだ読んでいない。
 二 以上、比較的長々と引用したのは、11/14の産経新聞「土曜日に書く/纒向遺跡と国家誕生」を書いた、産経新聞論説副委員長なる肩書きの渡部裕明の文章を奇異に感じたからだ。
 渡部裕明はこの文章(記事)の最後の方で「邪馬台国は大和で決着」との小見出しを付け、こう書いている。
 「邪馬台国九州説を唱える人はまだいる。しかし、それは学問的な発言ではなく、もはや『お国自慢』のレベルでしかないと筆者は感じている」。
 どのように「感じて」いようと勝手だし、それを全くの個人的・私的見解として公にするのも目くじらを立てることではないだろう。
 だが、産経新聞論説副委員長と明記したうえで、このようなことを書いてよいのか。内心で「感じる」ことや個人的・私的に語ることと、このような肩書きを付けて公式に活字にすることとの間には大きな懸隔がある。渡部裕明は、そう思わないか?
 第一に、自らの産経新聞に登場させている、邪馬台国九州説論者、すなわち、高島忠平や七田忠昭に対して失礼ではないか。「学問的な発言ではなく、もはや『お国自慢』のレベルでしかない」などと書いてしまうのは。
 なるほどこの二人は佐賀県に所縁があるのかもしれないが、それを言うならば、産経新聞が登場させている邪馬台国=近畿(畿内)説論者は、赤塚次郎を除く全員が「近畿」地域で仕事をしてきた者たちだ。
 第二に、この「産経新聞論説副委員長」氏は、いったいどの程度、所謂邪馬台国論争についての知識・素養があるのだろうか。
 同じ産経新聞社発行の月刊正論12月号は珍しく邪馬台国問題を取り上げ、黒岩徹「皆既日蝕が明かす卑弥呼の正体」を掲載しているが(p.232~)、この黒岩の文章は明確に邪馬台国=九州説を前提としている。そして、卑弥呼=天照大御神説でもある。
 まさかとは思うが、渡部裕明・産経新聞論説副委員長は、この月刊正論12月号の文章すら知らないまま、読まないままで、堂々と自信たっぷりに新聞紙上で邪馬台国=九州説は「学問的な発言ではなく、もはや『お国自慢』のレベルでしかないと…感じている」などと傲慢不遜な言葉を活字にしてしまったのではないか。
 長年の議論の蓄積があり、多様な論点がある問題について、いくら大(?)新聞の論説副委員長だとしても、上のように簡単に「決着」を付ける能力・資格などありはしない、と考える。
 三 素人の私ですら感じるのだが、産経新聞の11/12の一般記事が書く、纒向遺跡の中の「箸墓古墳」は「かつては4世紀の築造といわれたが、木の年輪幅の違いを利用して伐採年代を割り出す年輪年代測定法の成果などによって、3世紀の邪馬台国時代にさかのぼる可能性が高まった」、かかる研究により「今回の大型建物跡で出土した土器も、3世紀とほぼ特定できたという」こと自体が、まだ確立した学説にはなっておらず、争い・疑問があるところだろう。
 上の記事の文章すら正確には、「可能性が高まった」、「ほぼ特定できた」と叙述しているのであり、高まる「可能性」や「ほぼ…」というだけでは、何ら学問的に確立した考え方・認識にはなっていないことを認めた書き方だ。
 渡部自身も箸墓「築造の時期は、土器の編年や放射性炭素による年代測定などから3世紀半ばから後半と考えられるようになった。卑弥呼の没年と限りなく近づいた」と(こちらは断定的に)書く。
 しかし、これまた何ら学問的に確立した考え方・認識ではない。たしか国立歴史民俗博物館の研究者が見出したとかいう「放射性炭素による年代測定」方法なるものも、いかほどに科学的で信頼がおけるものかについて、専門家の間でも争いがあるはずだ。
 こんな曖昧な自社の記事や研究成果の影響を受けて、渡部裕明・産経新聞論説副委員長が、「箸墓」=卑弥呼の墓、今回遺跡出土の建物=卑弥呼の宮殿と「ほぼ」理解して、「邪馬台国は大和で決着」などという小見出しをつけたのだとすれば、大いにそそっかしいし、後世に、専門家でもないのに日本古代史上の問題に口を出して「結論」まで書いてしまった愚かなジャーナリストとして嗤われ続けるだろう。
 四 渡部裕明が書くように、纒向遺跡の地域=奈良盆地の東南地域が「ヤマト王権発祥の地」だったことは疑いなく、渡部が「もはや動かしがたいだろう」と書くまでもない。
 問題はそのあとに続けて、「邪馬台国(倭国連合)から古墳時代への移行はこの地〔纒向遺跡の地域=奈良盆地の東南地域〕で、直接的に行われたのである」と断定して書いたことだ。そのあとの一段落の文章(省略)では、こう言うための十分に説得的な根拠には全くならない。立ち入らないが、例えば、渡部は、記紀上の神話の記述、<神武東遷>伝承等、との関係をどう理解しているのだろう??

 五 箸墓=卑弥呼の墓説を有力視?させた、国立歴史民俗博物館の研究発表後に、安本美典・「邪馬台国=畿内説」・「箸墓=卑弥呼の墓」説の虚妄を衝く!(宝島社新書)は刊行されている(2009.09)。同・「邪馬台国畿内説」徹底批判(勉誠社、2008.04)もある。
 月刊正論12月号の黒岩徹「皆既日蝕が明かす卑弥呼の正体」は、安本美典の著作等を参考にしており、安本から「貴重な助言」を受けた、と明記している(p.239)。
 渡部裕明・産経新聞論説副委員長は大(?)新聞紙上に傲慢不遜な文章を書くのならば、安本美典の著作等も「参考」にしたらどうか(きっと一度も一冊も読んでいないだろう)。あるいは、安本美典の「貴重な助言」を受けて記事を執筆したらどうか。
 なお、安本は京都大学文学部・院卒、出身も九州ではない。<「お国自慢」のレベルでしかない>などと渡部が書けば、渡部自身が恥を掻くだけだ。
 六 日本史上の大問題に(箸墓=卑弥呼の墓説に関する朝日新聞と同様に)乏しい知識のみで簡単に決着をつけたつもりでいるのが「論説副委員長」なのだから、産経新聞紙上の「論説」のレベルの高さ(=低さ)も分かろうというものだ。何ともヒドく、情けない。

0835/資料・史料-2005.11.22自由民主党の基本方針。

 資料・史料-2005.11.22自由民主党の基本方針 

  ● 新理念
 平成17年11月22日
 ・わが党は、すべての人々の人格の尊厳と基本的人権を尊重する、真の自由主義・民主主義の政党である。
 ・わが党は、自国の安全はみずからが守るという、気概と使命感をもち、正義と秩序を基に世界平和を希求し、その実現に貢献する政党である。
 ・わが党は、貧困・疾病・環境など人類が直面する課題の改善に貢献し、地球規模の共生をめざす政党である。
 ・わが党は、常に長期的・国際的視点に立ち、日本の方向を定め、改革を断行し、また、直面する課題に対しても安易な迎合に堕することなく、強い責任感と実行力をもって対処する責任政党である。
 ・わが党は、先人達が築き上げてきた日本の伝統と文化を尊び、これらを大切にし、その発展をめざす政党である。
 ・わが党は、政治は国民のものとの信念のもとに、都市・地方の幅広い支持のうえに立つ国民政党である。
 
  ● 新綱領
 平成17年11月22日
 ・新しい憲法の制定を
 私たちは近い将来、自立した国民意識のもとで新しい憲法が制定されるよう、国民合意の形成に努めます。そのため、党内外の実質的論議が進展するよう努めます。

 ・高い志をもった日本人を
 私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします。

 ・小さな政府を
 私たちは、国、地方を通じて行財政改革を政治の責任で徹底的に進め、簡省を旨とし、行政の肥大化を防ぎ、効率的な、透明性の高い、信頼される行政をめざします。また、国、地方の適切な責任分担のもとで、地方の特色を活かす地方分権を推進します。

 ・持続可能な社会保障制度の確立を
 私たちは、思い切った少子化対策を進め、出生率の向上を図り、国民が安心できる、持続可能な社会保障制度を確立します。

 ・世界一、安心・安全な社会を
 私たちは、近年の犯罪の急増やテロの危険性の高まりに対し、断固たる決意をもって闘うとともに、災害に強い国づくりを進めることにより、日本を世界一、安心・安全な社会にします。

 ・食糧・エネルギーの安定的確保を
 私たちは、世界の急速な変化に対応するため、食糧とエネルギー資源を確保し、経済や国民生活の安定に努めます。特に、食糧の自給率の向上に努めるとともに、食の安全を確保します。

 ・知と技で国際競争力の強化を
 私たちは、わが国の質の高い人的資源と技術力を基礎に、新しい産業の育成にも力を注ぎ、国際競争を勝ち抜くことのできる、活力と創造力あふれる経済の建設をめざします。
特に、日本の中小企業の活力を重視し、また、最先端技術の基礎的、独創的な研究開発を推進し、知と技によって支えられる科学技術立国をめざします。

 ・循環型社会の構築を
 私たちは、自然も人も一体という思いから、地球規模の自然環境を大切にし、世界の中で最も進んだ持続可能な循環型社会の構築をめざします。

 ・男女がともに支え合う社会を
 私たちは、女性があらゆる分野に積極的に参画し、男女がお互いの特性を認めつつ、責任を共有する「男女がともに支え合う社会」をめざします。

 ・生きがいとうるおいのある生活を
 私たちは、ボランティア活動や身近なスポーツ・芸術の振興、高齢者や障害者の社会参加を促進し、生きがいとうるおいのある生活をめざします。そのため、NGO・NPO諸団体をはじめ、あらゆる団体との交流を深め、また、まじめに働く人たちの声を大切にします。
 
  ● 立党50年宣言
 平成17年11月22日
 わが党は民主主義のもとに、平和と自由を愛する国民政党として立党以来、ここに50年の歳月を刻んだ。この50年間、我々は国民の負託に応え、情理を尽くして幾多の問題を克服し、国家の安全と経済的豊かさを実現すべく、つねに主導的役割を果たしてきた。

 この半世紀は、わが国が国際化の道を歩んできた時代でもある。
 また、冷戦が終焉し、世界が大きく変動した時代でもある。
 わが国は、いまや少子高齢化、国際テロリズムの激化への対応など多くの課題をかかえている。

 我々は先人が明治の改革、戦後の改革に大胆に取り組んできたように、新しい党の理念と綱領に基づき、構造改革、行財政改革、党改革などの諸改革を進めていかなければならない。

 我々はわが国の歴史と伝統と文化を尊び、その是をとって非を除き、道徳の高揚につとめ、国際社会の責任ある一員として積極的に活動する国家の実現を国民に約束する。

 右、宣言する。
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<出所-自民党HP。下線は掲載者>

0834/渡部昇一の「裁判」・「判決」区別論は正しいのか?

 1952年4月発効の日本国との平和条約、いわゆるサンフランシスコ講和条約の11条第一文前段につき、「受諾」=accept したのは「裁判」ではなく「(諸)判決」(judgements)だとの旨を、渡部昇一は強調し続けている。
 月刊正論11月号(産経新聞社、2009)の巻頭、渡部「社会党なき社会党の時代」p.42は、田母神俊雄更迭←村山談話←東京裁判史観と系譜をたどった上で、日本の外務省は平和条約11条の「判決」を「裁判」と混同したため、日本政府・自民党は「卑屈」になった、外務省・小和田恒の国会答弁には「裁判と判決をごっちゃにした致命的な誤り」がある、等と説く。
 渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP、2009)p.149でも同旨を語り、11条の「…の受諾」という「部分の解釈をしっかりしておくことが、日本が独立として起つために不可欠の『知』だと思います」とも述べる。
 月刊ボイス10月号(PHP、2009)の渡部「東アジア共同体は永遠の幻」p.77では、次のようにすら述べる。
 「判決の受諾か、裁判の受諾か。これをどう考えるかで、じつは恐ろしい違いがある。『裁判を受諾する』といった場合には、東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづけるということになるからだ。/げんに、『東京裁判を受諾した』ということが強調されるようになる一九八〇年前後から日本の外交は全部ダメになっていく。…」。
 講和(平和)条約11条第一文前段につき、「判決の受諾か、裁判の受諾か」を問題にする渡部昇一の問題意識とその結論的叙述は適切なのか?
 なるほど「裁判」ではなく「諸判決」の方がより適切な訳語であるように思われる。だが、そのことで、いったい何が変わるというのか?
 かねて、かかる疑問を持ってきた。だが、櫻井よしこも-渡部昇一の影響を受けてだろう-、とくに「左翼」による日本国・東京裁判「肯定」説に対して、「裁判」ではなく「判決」にすぎない旨を言って反論しているのを読んだことがある。
 また、法学者であるはずの八木秀次も、上のPHPの鼎談本の中で、渡部昇一の言い分をそのまま聞いていて、疑問を発しようともしていない。
 渡部昇一は①いかに「裁判」と「判決」を定義しているのだろう? いちおう別だが、重なり合うところの多い概念ではないか? あるいは、渡部昇一は②「判決」を判決「主文」のことだと誤解しているのではないか? 「判決」は「主文」と「理由」(・「事実」)から成り立っていることを知ったうえで語っているのだろうか?(かつては「主文」・「事実」・「理由」の三分だったが、後二者は「事実及び理由」に括られるようになっている-正確な叙述は別の機会に行ってみよう)。
 上の②の疑問からして、「裁判」と理解すれば、「東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづける」が、「(諸)判決」と理解すれば「誤った事実認定に基づく不正確な決め付け」から免れる、などと簡単に言えるはずはない、と考えられる。
 また、上の①の疑問を基礎づけうるある法律用語辞典による「裁判」と「判決」の説明も、紹介したことがある(この欄の10/19)。再掲する。
 以下、有斐閣・法律用語辞典(第三版)による。それぞれ全文。
 「裁判」=「通常は、司法機関である裁判所又は裁判官が具体的事件についてする公権的な判断。訴訟事件の本案に関する判断はもとより、訴訟に付随しこれから派生する事項についての判断も含まれる。判決、決定及び命令の三種類がある。なお、両議院がその議員の資格に関する争訟について判断する場合及び弾劾裁判所が判断する場合にも、裁判という語が用いられる。」
 「判決」=「(1)民事訴訟法上、原則として口頭弁論に基づき裁判所がする裁判で、特別の場合を除き法定の事項を記載する文書(判決書)に基づく言渡しによって効力を生ずるもの。①確認判決、給付判決、形成判決、②終局判決、中間判決、③本案判決、訴訟判決、④全部判決、一部判決、追加判決等と講学上分類される。(2)刑事訴訟法上は、特別の場合を除き口頭弁論に基づいて裁判所がする裁判で、公判廷で宣告によって告知されるもの。すべて終局裁判である。」
 再度いうが、「裁判」ではなく「(諸)判決」と理解して(訳して)、いったいどういう違いが出てくるのか??
 <保守>の代表的論客の指摘だからといってつねに適切だとは限らない。上の問題を疑問視する<保守>知識人がいないようであることこそ奇妙というべきだ。
 渡部昇一は「裁判」(trial、tribunal)と「判決」(judgement)の違いに関する<英文学者>としての何らかの根拠をもっているのかもしれない。だが、その根拠自体がすでに危うい可能性がある。英米語(とくにアメリカ語)でも、「裁判」と「判決」は上の日本の辞典のようにやはり解されている可能性が高い。また、より適切に議論するためには<英米法>学者の知識も必要だろう。「裁判」・「判決」区別論には、あらためて論及する。   

0833/資料・史料-1955.11.15自由民主党/立党宣言・綱領等②。

 資料・史料-1955.11.15自由民主党/立党宣言・綱領等②

 
D 党の使命
 昭和三十年十一月十五日
 世界の情勢を考え、国民の現状を省み、静かに祖国の前途を思うに、まことに憂慮にたえぬものがあり、今こそ、強力な政治による国政一新の急務を痛感する。
 原子科学の急速な進歩は、一面において戦争回避の努力に拍車を加え、この大勢は、国際共産勢力の戦術転換を余儀なくさせたが、その終局の目標たる世界制圧政策には毫も後退なく、特にわが国に対する浸透工作は、社会主義勢力をも含めた広範な反米統一戦線の結成を目ざし、いよいよ巧妙となりつつある。
 国内の現状を見るに、祖国愛と自主独立の精神は失われ、政治は昏迷を続け、経済は自立になお遠く、民生は不安の域を脱せず、独立体制は未だ十分整わず、加えて独裁を目ざす階級闘争は益々熾烈となりつつある。
 思うに、ここに至った一半の原因は、敗戦の初期の占領政策の過誤にある。占領下強調された民主主義、自由主義は新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない。この間隙が新たなる国際情勢の変化と相まち、共産主義及び階級社会主義勢力の乗ずるところとなり、その急激な台頭を許すに至ったのである。
 他面、政党及び政治家の感情的対立抗争、党略と迎合と集団圧力による政治、綱紀紊乱等の諸弊が国家の大計遂行を困難ならしめ、経済の自立繁栄を阻害したこともまた反省されねばならぬ。
 この国運の危機を克服し、祖国の自由と独立と繁栄を永遠に保障するためには、正しい民主主義と自由を擁護し、真に祖国の復興を祈願する各政党、政治家が、深く自らの過去を反省し、小異を捨てて大同につき、国民の信頼と協力の基盤の上に、強力な新党を結成して政局を安定させ、国家百年の大計を周密に画策して、これを果断に実行する以外に途はない。
 わが党は、自由、人権、民主主義、議会政治の擁護を根本の理念とし、独裁を企図する共産主義勢力、階級社会主義勢力と徹底的に闘うとともに、秩序と伝統の中につねに進歩を求め、反省を怠らず、公明なる責任政治を確立し、内には国家の興隆と国民の福祉を増進し、外にはアジアの繁栄と世界の平和に貢献し、もって国民の信頼を繋ぎ得る道義的な国民政党たることを信念とする。而して、現下政治の通弊たる陳情や集団圧力に迎合する政治、官僚の政治支配、政治倫理の低下の傾向等を果敢に是正し、国家と国民全体の利益のために、庶政を一新する革新的な実行力ある政党たることを念願するものである。
 わが党は右の理念と立場に立って、国民大衆と相携え、第一、国民道義の確立と教育の改革 第二、政官界の刷新 第三、経済自立の達成 第四、福祉社会の建設 第五、平和外交の積極的展開 第六、現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備を強力に実行し、もって、国民の負託に応えんとするものである。

 E 党の政綱
 昭和三十年十一月十五日
 一、 国民道義の確立と教育の改革
 正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道義を確立するため、現行教育制度を改革するとともに教育の政治的中立を徹底し、また育英制度を拡充し、青年教育を強化する。
 体育を奨励し、芸術を育成し、娯楽の健全化をはかって、国民情操の純化向上につとめる。 
 ニ、 政官界の刷新
 国会及び政党の運営を刷新し、選挙制度、公務員制度の改正を断行して、官紀綱紀の粛正をはかり、政官界の積弊を一掃する。
 中央、地方を通じ、責任行政体制を確立して過度の責任分散の弊を改めるとともに、行財政の簡素能率化をはかり、地方自治制度の改革を行う。
 三、 経済自立の達成
 通貨価値の安定と国際収支の均衡の上に立つ経済の自立繁栄と完全雇用の達成をはかる。
 これがため、年次計画による経済自立総合政策を樹立し、資金の調整、生産の合理化、貿易の増進、失業対策、労働生産性の向上等に亘り必要な措置を講じ、また資本の蓄積を画期的に増強するとともに、これら施策の実行につき、特に国民の理解と協力を求める。
 農林漁業の経営安定、中小企業の振興を強力に推進し、北海道その他未開発地域の開発に積極的な対策を講じる。
 国際労働憲章、国際労働規約の原則に従い健全な労働組合運動を育成強化して労使協力体制を確立するとともに、一部労働運動の破壊的政治偏向はこれを是正する。
 原子力の平和利用を中軸とする産業構造の変革に備え、科学技術の振興に特段の措置を講じる。
 四、 福祉社会の建設
 医療制度、年金制度、救貧制度、母子福祉制度を刷新して社会保障施策を総合整備するとともに、家族計画の助長、家庭生活の近代化、住宅問題の解決等生活環境を改善向上し、もって社会正義に立脚した福祉社会を建設する。
 五、 平和外交の積極的展開
 外交の基調を自由民主主義諸国との協力提携に置いて、国際連合への加入を促進するとともに、未締約国との国交回復、特にアジア諸国との善隣友好と賠償問題の早期解決をはかる。
 固有領土の返還及び抑留者の釈放を要求し、また海外移住の自由、公海漁業の自由、原水爆の禁止を世界に訴える。
 六、 独立体制の整備
 平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
 世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える
 <D、Eの符号を除き、出所-自民党HP。下線は掲載者。了>

0832/資料・史料-1955.11.15自由民主党/立党宣言党等①。

 資料・史料-1955.11.15自由民主党/立党宣言・綱領等①

 A 立党宣言
 政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。
 大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。
 われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。
 われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。
 右宣言する。

 B 綱領
 昭和三十年十一月十五日
 一、 わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。 
 一、 わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。 
 一、 わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。

 C 党の性格
 昭和三十年十一月十五日
 一、 わが党は、国民政党である
 わが党は、特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではなく、信義と同胞愛に立って、国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党である。 
 ニ、 わが党は、平和主義政党である
 わが党は、国際連合憲章の精神に則り、国民の熱願である世界の平和と正義の確保及び人類の進歩発展に最善の努力を傾けようとする政党である。 
 三、 わが党は、真の民主主義政党である
 わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する。 
 四、 わが党は、議会主義政党である
 わが党は、主権者たる国民の自由な意思の表明による議会政治を身をもって堅持し発展せしめ、反対党の存在を否定して一国一党の永久政治体制を目ざす極左、極右の全体主義と対決する。
 五、 わが党は、進歩的政党である。
 わが党は、闘争や破壊を事とする政治理念を排し、協同と建設の精神に基づき、正しい伝統と秩序はこれを保持しつつ常に時代の要求に即応して前進し、現状を改革して悪を除去するに積極的な進歩的政党である。 
 六、 わが党は、福祉国家の実現をはかる政党である
 わが党は、土地及び生産手段の国有国営と官僚統制を主体とする社会主義経済を否定するとともに、独占資本主義をも排し、自由企業の基本として、個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる。 
 ---------------------
 
<出所、「A」「B」「C」の文字を除き、自民党HP。下線は掲載者>  

0831/<保守>言論人・<保守>論壇の不活発さも深刻だ。

 一 民主党政権の成立による<左翼・売国>政策実施の現実化の可能性が高いことは、じつに深刻な事態だ。
 とこれまでも書いたが、深刻な事態の第二は、あるいはさらに深刻なのは、朝日新聞やテレビ朝日等の報道ぶりにもよるのだろう、多くの国民が現政権の「危険性」を理解していないことだ。
 先日、たしか10/31の夜のNHKスペシャルの中で、御厨貴・東京大学教授は、古い55年体制を打破しようと小沢一郎は1993年に行動を起こしたが、当時は多くの者が小沢のスピード感に従いていけず、細川政権崩壊・自社連立政権成立を許したが、自社両党は55年体制の利得者だったところ、ようやく時代に即応しない55年体制が2009年総選挙で崩壊した旨をのたまい、もともとは日本社会党のブレインだった山口二郎・北海道大学教授も反論していなかった。
 NHKが収集した各「証言」自体は興味深いものもあったが、上のような御厨貴の簡単な総括でぶち壊しになった。1993年・1994年政変と2009年「政変」(政権交代)を上のようにしかまとめられない御厨貴は政治学者か、しかも東京大学所属の政治学研究者か、と問いたい。
 民主党御用学者ぶりはいい加減にしてもらいたい。また、小沢一郎の1993年の行動を素晴らしいものと積極的に評価しているが、小沢らの離党は、自民党内部、とくに旧田中派内部での「私憤」にすぎないとの見方があるくらい、政治学者ならば知っているだろう。田中-金丸の「金権」体質を継承しつつ、のちには彼の「自由党」は自民党と連立したという事実もまた、政治学者ならば記憶しているだろう。小沢が1993年以降は終始一貫して<古い55年体制>との闘争者だったなどとは、とんでもない話だ。
 今や明瞭な「左翼」の立花隆ですら、小沢離党・新生党設立の際に、小沢が<改革(・清潔)>派ぶるのは「ちゃんちゃらおかしい」と朝日新聞に書いた。理念なき選挙・政局好みこそ小沢の体質・政治感覚だろう。御厨貴はいったい何を観ているのか。それこそ「ちゃんちゃらおかしい」。
 こんな人物にまとめらしき発言をさせるのも、NHKらしいとも言える。
 二 深刻な第三、あるいはさらに深刻なのは、民主党<左翼・売国>政権にとって代わるべき政党が存在するかが疑わしいことだ。
 自民党に期待できそうにない。衆議院の予算委員会(第一日め)での質問者に、党内<リベラル左派>で有名な、安倍政権を(「右寄り」で)「危ない」とマスコミを前に語った加藤紘一や、同じ傾向の、<日本国憲法のどこが悪いんだ>とやはりマスコミの前で公言した後藤田正純を起用するようでは、まともな「保守」政党ではない。だからこそ、鳩山由紀夫のブレ等々にもかかわらず、少なくとも来年の参院選挙くらいまでは、鳩山政権が続きそうだとの予想が出てくる。
 現政権もダメ、自民党にも大きな期待をとてもかけられないそうにない、ということこそ、じつに深刻な事態だと認識すべきだろう。
 三 深刻な第四、あるいはさらに深刻なのは、<保守>言論人または<保守>論壇において、現状を打破するための建設的で具体的な議論が、ほとんどか全く、存在しないようにみえることだ。
 自民党が頼りなくとも、しっかりとした言論が小さくとも存在していれば、それを手がかりにして、多少は明るい未来を展望できそうなものだが、それもなさそうであることが、じつに深刻だと思われる。
 ①隔月刊・表現者27号(ジョルダン)、佐伯啓思「『民主主義の進展』による『政治の崩壊』」(p.52-)。
 「民主党を批判することはきわめて容易」、自民党に<保守>再生能力があるとは言えない(p.53)、等々、佐伯啓思の主張の趣旨はよく分かる。
 だが、ではどうすればよいのか。佐伯は、「プラトンの政治論に立ち返るのが適切」だとし、「善き国家」=市民が「善き生」を送れる国家の実現を説き、かかる国家は「民主」政では生まれない旨を書く。民主主義は目ざすべき「価値」とは無関係との旨は佐伯が繰り返し書いてきている。
 しかし、「われわれは、仮に民主主義者でなくとも、民主政治の社会秩序のもとで生活していることは事実である。とすれば、…できることはと言えば、あのプラトンの言葉の危惧を絶えず思い起こすことであろう。保守とは古典の精神に学ぶことにほかならないからである」、との文章だけで結ばれたのでは、何の慰めにもならず、何の建設的で具体的な展望も出てこないだろう。
 なぜプラトンかとの疑問はさて措くとしても、「あのプラトンの言葉の危惧を絶えず思い起こすこと」をしていれば、民主党政権を打倒することができ、「保守」再生政権を生み出すことが可能になるのか。この程度の抽象性の高い主張では、ほとんど何の役にも立たないと思われる。<思想家>・佐伯啓思に期待しても無理なのかもしれないが。
 なお、上掲誌同号の諸論考は(西部邁「保守思想の辞典/役人」も含めて)、民主党批判と現状分析が中心で、<保守>派の現在と今後の具体的あり方については説き及ぶところがほとんどないようだ。
 ②月刊・文藝春秋11月号(文藝春秋)、中西輝政「英国『政権交代』失敗の教訓」(p.94-)。
 1994年の自社さ連立内閣以降の自民党は「政権にしがみつくこと自体」を自己目的化した、という御厨貴に近いニュアンスの批判(p.96)はまぁよいとしよう、また、鳩山・菅直人「団塊世代」の対米屈折心理の存在の指摘(p.98)やフランス・イギリスを例にしての、<脱官僚>等の民主党政権への懸念・不安もそれぞれに参考にはなる。
 だが、それらは民主党政権継続を前提とする議論だ。そして、「民主党による政権奪取は、より大きな日本政治の大移行期の『第一幕』に過ぎないのかもしれない。今後十年、いやもっと長いスパンでの日本の命運が、そこにかかっている…」(p.103)という結びだけでは、建設的で具体的な展望は何も出てこない。「今後十年、いやもっと長いスパンでの日本の命運」がかかっているとは、すべての(基本的な?)政治事象について言えることではないのか?
 執筆を依頼されたテーマが「日本政治の大移行期」の具体的な展開内容の想定・予想あるいは<あるべき移行の姿>ではなかったためかもしれないが。
 なお、文藝春秋同号の立花隆の文章(p.104-)はこれまでとほとんど同じ内容の小沢一郎批判で、御厨貴よりもマシかもしれないが、新味に乏しい。立花隆、ますます老いたり、の感がますます強い。
 ③西村幸祐責任編集・撃論ムック/迷走日本の行方(オークラ出版)の中の、西村幸祐=三橋貴明=小林よしのり=城内実(座談会)「STOP!日本解体計画―抵抗の拠点をどこに置くのか」(p.6-)。
 これの方がまだ将来の具体的なことを語り合っている。
 しかし、小林よしのりが「『伝統保守』という理念の再生」の必要を語りつつ、「地道なやり方をつなげていって、大きな流れにするしかない…。一人二人が四人五人になる。そういう核が全国各地でいくつもできて、それがやがて大きなうねりになる。…」と(p.23)、日本共産党・民青同盟の拡大あるいは「九条の会」会員拡大の際してと似たような話ではないかと思われる程度の発言しかできていないのは、やはりなお大きな限界と歯がゆさを感じる。
 むろん抽象的には上のとおりかもしれないし、小林よしのりは一人で「『伝統保守』という理念の再生」のために数十(数百?)人以上の仕事をしているので、引き続いての健闘を彼には期待しておくので足りるとは思われるのだが。
 この座談会で城内実は、将来はA「日本の国益と伝統を大事にする保守主義の政党」、B「個人主義や新自由主義を打ち出す自由主義政党」、C「平和主義のリベラル政党」に「分かれていくのではないか」と発言している(p.21-22)。
 これ以上の詳細な展開はないが、この辺りを、その具体的な過程・方策も含めて、<保守>言論人または<保守>論壇には論じてもらいたいものだ。
 他人のことをとやかくいう資格はないかもしれないが、民主党(政権)を(厳しく?)批判しつつ、将来については何となく<様子見>の議論が多すぎるような気がする。その意味では、<保守>言論人・<保守>論壇にも大きく失望するところがある。  

0830/日本共産党員の、林直道・強奪の資本主義(新日本出版社、2007)を一読。

 一 林直道・強奪の資本主義-戦後日本資本主義の軌跡(新日本出版社、2007)は、「一九四六年に大学を卒業してそのまま大学に残り、経済の研究の道を選びました」(p.231)という、経歴とこの本の出版社から見てほぼ間違いなく日本共産党員と思われる経済学者の本。
 精読していないが(つもりもないが)、「戦後日本資本主義」の軌跡をマルクス主義・日本共産党の史観から見て、<できるだけ悪く、悪く、「強奪の資本主義」への道>として描いている。
 二 少しは参考になりそうなのは、戦後日本資本主義の軌跡を大きく四段階に分け、さらに全体(但し2007まで)を八段階に分ける、その区切り方だ。簡略化してメモすると以下のとおり。
 第一・基礎作りと対米従属固め、①敗戦直後(1945-50)、②朝鮮戦争(1950-54)、第二・巨大な経済発展、③高度経済成長(1955-73)、④石油危機・ハイテク産業確立(1974-82)、⑤経済大国化・バブル(1983-90)、第三・長期不況・財政破綻・リストラ、⑥長期停滞(1991-2003)、第四・「強奪資本主義への暴走」、⑦小泉「構造改革」(2001-06)、⑧「経済成長第一主義の超タカ派安倍内閣」(2006-)。
 三 興味深い叙述を二点。
 第一。林直道は、日本は「資本主義国として異例の繁栄」をし「かなり好もしい安定」状況にあったが、それは「…新しい憲法と教育基本法があって、日本が外国とは絶対に戦争しないという大安心に支えられていたから」で、「戦後の民主改革のおかげだということを忘れてはなりません」と書く(p.10)。
 日本共産党(員)もまた<戦後レジーム>の信奉者であることを示している。また、寝惚けた<憲法平和教>を説いているのも「左翼」そのもの。「日本が外国とは絶対に戦争しないという大安心」が万が一あったとしても、外国から「(侵略)戦争」をされれば、防衛「戦争」又は(「戦争」という語をあえて避ければ)自衛の「実力行使」をせざるをえなかったのではないか。そういう大きな事態にならなかったのは憲法九条二項のおかげでも何でもない。林直道や日本共産党は承認しないだろうが、日米安保と米軍駐留(「核の傘」)が他国による「戦争」を抑止してきたと見るのが健全な常識だ。
 林直道や日本共産党にとっては、「戦争」を仕掛ける危険があるのはつねに日本で、近隣には日本(の国土と国民を)を「侵略」しそうな外国は全く存在しなかった(存在しない)のだろう。
 もっとも、「全般的危機」に陥って社会主義への展望が出てくる筈なのに、そうではないのは「新しい憲法」と<戦後レジーム>のためではないか? そうだとすると、共産主義者は本当は、現憲法と<戦後レジーム>を呪い、廃棄・打倒を目指すはずなのだ。<当面、民主主義革命>の日本共産党の路線の苦しいところだろう。
 第二。最後の節のタイトルは「新しい平和友好のアジア共同体へ」。鳩山某首相の「東アジア共同体」論と似ているではないか。
 林直道は書く-「日本は…、アメリカ偏重を改め、近隣アジアとの友好協力を深める方向に進むべきです」(p.217)。鳩山由紀夫はこの本を読んではいないだろうが、鳩山某首相の発言とそっくりではないか(鳩山・民主党政権は「左翼」=「容共」の証左でもある)。
 四 林直道は日本共産党員らしく(「左翼」教条者ならば日本共産党員に限らないが)、狂気の言葉を最後に書き散らしている。以下のとおり。狂人の言葉にコメントする気も起きない。
 「中国は信義を重んじる国民性の国」だ。「たとえば田中角栄元首相…、中国は…今も最大限の鄭重な扱い」をする(p.218)。

 「日本の侵略によって中国民衆は1000万人(…)の命を奪われ」た。「中国人は日本軍の行為を『三光』(…)と呼」んだ。「いつまでも忘れる」ことはないだろう。「ところが、靖国神社には、その日本の中国侵略の最高責任者、いわば元凶も祀られて」おり、「あの戦争を『正しい戦争』だったと言い張る遊就館という宣伝センター」もある。「靖国神社は、そういうネオナチの精神に匹敵する特定の政治目的をもった運動体」だ(p.219)。
 「2007年頭の『御手洗ビジョン』」にも「憲法九条を廃棄し、日米軍事同盟を強化して日本の『集団的自衛権』の発動の方向へ踏み切ろうとする安倍政権下の財界主流の意思が示され」ている。「<強奪の資本主義>への道にころがり落ちるのか、…訣別して…人間をたんなるコストとしかみない貧弱な思考=新自由主義を乗り越えるかが問われてい」る。この「乗り越える力」は「社会的連帯という豊かな、創造的思考に裏打ちされた国民の運動にある」(p.221)。
 1946年に21才だったとすると、林直道は現在84才。一度しかない一生を上のような認識と言葉で生きてきて、まことに気の毒というか、あるいは「幸福」だった、というか…。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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