秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2007/09

0329/中西輝政・月刊WiLL11月号論文は読まれるべき。

 中西輝政・月刊WiLL11月号論文「『悪魔の密約』-小沢一郎と日本共産党」は読まれるべきだ。
 内容は日本共産党関係だけではない。
 安倍首相辞任の背景には1.米国の北朝鮮に関する意向、2.日本共産党の衆院候補擁立方針の変更(=「密約」あるいは小沢と共産主義勢力の「結託」、民主党内部への日本共産党勢力の浸透)がある、とする。
 さすがに中西輝政だ。「左」又は朝日新聞等にはステレオタイプ的な議論・論調が多いが、「右」の方にだって教条的・ステレオタイプ的なことを言い、書く人もいる(今ひとり名を挙げたくなったが、書かない)。中西輝政の議論・主張は新鮮だ。
 内容の紹介・引用は、断片的な以下のものにとどめる。
 「痴呆的ポピュリズム」(p.30)。大嶽秀夫に中公新書・日本型ポピュリズム-政治への期待と幻滅-(2003)というのがあり、主として小泉純一郎(とマスコミ等)を扱っているが、未読ながら上杉隆・小泉の勝利・メディアの敗北(草思社)というのもあるらしい。
 これらのいずれかでも読めば、マスコミの有権者への影響力はなく有権者は<自主的かつ合理的に>投票しているなどという呆言又は寝言をいう人、とりわけ産経新聞社の中にもいるようであるマスコミ人は、いなくなるはずだ。なお、中西輝政はこの言葉を、安倍辞任表明に対するマスコミ論調について用いている。選挙結果をただ尊重すべきだとのみ唱えていた者は、「痴呆的ポピュリスト」とでも称されるべきだろう。
 余計ながら、口先だけならともかく、本気で「国民の目線で」などと言っている政治家は信頼できない。大衆に迎合して、大衆の中に埋没しようとする者が、国民大衆の中からの<選良>であるはずがない。とても書ききれないが、<大衆民主主義>下の<大衆迎合主義>の誤り・危険性は何度でも強調するに値する。
 「今の日本のマスコミは、それすらわからぬほどに劣化している」(p.32)。コメント省略。
 「朝日新聞を先頭」とするマスコミの「反安倍キャンペーン」は政権発足以前から始まっており、「しばしばなりふり構わぬ常軌を逸したものになった」(p.34)。このことを朝日新聞関係者は認めないだろうが、産経新聞社の記者にすらこのことを認めない者がいるのだから、読売新聞等々、そして一般国民のかなりの部分はこのことを理解できていない可能性が高い。
 北京・東京・ワシントン(ニューヨーク)を通じた「反靖国」の強い陣営があり、「その中心となっているのは間違いなく朝日新聞だ」(p.36)。コメント省略。
 「朝日が全社を挙げて『反安倍の報復戦』に動いていたことも明らか」。このことを朝日新聞関係者は認めないだろうが、産経新聞社の記者にすらこのことを認めない者がいるのだから、読売新聞等々…(以下同文)。
 小沢一郎-「共産党と組んででも、という今の凄みを帯びたマキャベリズム」、「一切の価値観を排したニヒリズム」、「悪魔的政治家」(p.45)。すごい形容だ、とだけ述べて、コメント省略。
 最後にしておくが、以下の二つは、共産主義、そして日本共産党を断固として警戒しなければならないことを教える。
 ①旧社会党出身の民主党議員グループの人脈は「日本共産党につながっている」。旧社会党の者が「パイプ役」となり、「小沢一郎…は共産党と非常にスムーズに合意ができ」た(p.41)。
 ②「社保庁労組の中」の「共産党フラグ」が「連合につながる部分にも非常に大きな影響力を持っている」、「年金問題の本当の帰趨を握っているのは、今も共産党につながる勢力」だ(p.41)。
 朝日新聞の背後又は一部で、民主党の背後又は一部で、日本共産党(員)が<暗躍>していると見ておく必要がある。これは私の文。

0328/読売は朝日新聞と同じ?-時田英之・渡辺恒雄。

 時田英之なる人物が執筆している読売9/19の「2007思潮9月」(論壇の総括・時評のようなもの)を読むと、この新聞が決して「保守」ではないことがよく分かる。産経などよりもはるかに朝日新聞に近く、朝日の同種の記事・論壇評論欄として読まされても区別がつかないほどだ。
 上の印象への過程の説明は省略する。
 いずれにせよ、「保守」とともに曖昧な「リベラル」という概念を使っておくと、朝日は<リベラル左派>であるのに対して、読売は、少なくとも時田英之は、せいぜい<リベラル右派>なのではないか。
 読売の個々の記事・コメント類にはこれまでも批判的に言及したことがある。だが、読売新聞内の論壇の評論・分析者がこれでは、ますます、この新聞は信用がおけない(産経が信用できると言っているわけではない)。
 読売は、社説は(朝日と違って)けっこうまともなのだが、他の一般記事は朝日・毎日らと大して違いないのではないか。
 朝日新聞社全体の論調と<闘う>という迫力をこの新聞社から感じることはできない。だから、朝日との棲み分けを狙っているのではないか、との邪推?も生じてくる。
 ところで、週刊新潮9/27の櫻井よしこコラムは読売批判、そして渡辺恒雄批判が厳しい。渡辺は、安倍が靖国参拝すると読売1000万部の力で「倒す」旨を発言したらしい。
 渡辺が元日本共産党員だったことを理由にするつもりは全くないし、櫻井も言及すらしていない。正しく<思想>を変更すること=マルクス主義から脱却することはよいことだ。
 だが80歳を越えた老人の影響力がまだ残っているようでは、天下の読売も情けないものだ。心ある読売人は恥ずかしくないのか。

0327/朝日新聞の「狂気」。

 別に珍しい話題ではない。
 9月の16-22日の週の発売の週刊誌だと、政界・政治の関心を自民党総裁選挙(福田か麻生か)あるいはその後の国会の動向に置きそうなものだが、表紙だけを見たにすぎないものの、週刊朝日の同週号の表紙には、大きく「安倍逃亡」とだけあった。
 かかる編集・見出しつけ方針をとって、国家・公益よりも安倍への「私怨」を晴らすことを優先しているのが、朝日新聞社のようだ。
 かかる新聞社がなぜ、まだ新聞を発行でき、雑誌等を出版できるのか。消滅するか、「朝日」関係で働いていることが対社会的、対世間的に<恥ずかしい>ことだと感じさせるような、そんな時代にならないと、日本は蝕まれていってしまう。
 「ジャーナリズムに名を借りた良識のない安倍殲滅作戦が展開された」(週刊新潮9/27の高山正之コラム)ことを忘れてはならない。

0326/日本新聞協会の「談合」。

 読売9/06によると、日本新聞協会は9/05に、読売・渡辺恒雄会長・主筆と元朝日社長・中江利忠の2人に、12年ぶりに「新聞文化賞」受賞者に選定した、という。
 産経にも同趣旨の記事はあるが、上の旨は見出しにしていない。読売は渡辺・中江の顔写真、渡辺のコメントつき。
 読売と朝日の81歳と77歳の老人に仲良く?12年ぶりに授賞とは、当然に、読売と朝日を中心とする新聞協会内部での事前の「寝回し」・「談合」があったことだろう。
 元朝日の中江利忠が「言論・新聞事業を通じて社会文化に顕著な功績があった新聞人」(かかる人物に「新聞文化賞」は贈られるらしい)と言えるのか。読売新聞はその点に何ら触れていないし、渡辺のコメントも自分の受賞を喜ぶばかり。
 渡辺・中江両人のカラー顔写真を並べて掲載するようでは、読売は朝日新聞に対するいかなる批判的な意識も姿勢も有していない、と疑われてもやむをえないだろう。
 読売は<狂気>の朝日新聞社とともに新聞業界を二つに収斂させて支配したいのか。嘆かわしい。

0325/猪瀬直樹の9/13コメントは興味深い。

 産経9/13猪瀬直樹が「談」として語っている。
 「マスコミの『安倍叩き』はどうだったか。政治資金収支報告の記載漏れ…枝葉末節…『魔女狩り』の様相を呈して…」。
 以下の方が興味深い。
 「内閣改造で遠藤武彦氏が入閣したとき、『霞が関』は3年前に会計検査院で指摘されていたことを官邸に故意に知らせなかった。遠藤氏は『霞が関』が仕掛けたトロイの木馬だった」。
 安倍改造内閣は桝添厚労相人気もあってか支持率を上昇させたのだったが、遠藤農水相辞任で早々に水をぶっかけられた。
 遠藤武彦という人は就任後に「最もやりたくなかった大臣」旨を公言して、ヒドい人物、下品な人物だと思ったが、自らが役員を務める(務めていた)団体への補助金(農水省直接ではなく外郭団体のそれのようだが)にかかわる不正又は不備を認識していたのかどうか。
 認識していれば農水相担任を受諾すべきではなかった。
 あの時点では認識していなかった(記憶していなかった)可能性もある。
 しかし、当人の頭の中にはなくとも、きちんと認識している者がいる。「霞が関」の農水省の関係官僚(役人)だ。その官僚が、官邸に知らせることはなく遠藤氏農水相就任後にマスコミに(とくに朝日新聞に)リークした可能性がある。
 安倍政権は、ここでも<情報策略>に敗れている。
 そしてまた、「霞が関」と朝日新聞等が一体となった<情報策略>だとすれば、安倍首相が「霞が関」にいかに<嫌われて>いたかもわかる気がする。
 「天下り」規制にふみ込んだ安倍内閣に対する批判・嫌悪は(組合に集う下・中級官僚ののみならず)上級官僚およびそのOBにも強かったようだ。このことは半面では、安倍氏の対官僚姿勢を示すもので、政治・行政関係の「改革」(<戦後体制からの脱却)という「安倍政治」の重要な一つを示すものでもあっただろう。
 官僚(や韓国・北朝鮮)に「受け」がよいかもしれない者が次期首相になって、そのことが国家・国民の将来のためになるのかどうか。

0324/安倍晋三に全責任があるのか-無責任な古賀誠ら。

 政治家の言動は、マスコミ・評論家・コメンテイター類の無責任さと比べて、寛恕の余地はある。選挙で当選して、その現実の世界に生きていかなければならないからだ。
 安全な立場を維持したまま適当なことを適当に言ったり書いたりしている多くのマスコミ・評論家・コメンテイター類とは、やはり違うだろう。
 だが、政治家の無責任を指弾することはできる。佐伯啓思は安倍首相への「逆風」の一つは自民党自体だったと指摘しており(今月既言及の佐伯・産経コメント)、適切と思うが、産経9/15の酒井充記者の署名記事(コラム)は古賀誠らの派閥領袖に対する皮肉と批判が適切で、引用しないが、読まれてよい。
 安倍を総裁に選出しておきながら、とりわけそのときは安倍に投票しておきながら、参院選敗北の責任のすべてを、あるいは自民党支持の低下のすべてを、安倍一人に押しつけて済まそうとするがごとき一部の自民党議員(後藤田正純を含む)の言動には虫酸が走る。
 上の酒井充記者は、産経9/13で安倍を「政治的死者」と切って捨てた産経新聞政治部長・乾正人よりもだいぶマシだろう。

0323/朝日の安倍叩きは歴史的「汚点」-花田紀凱は真っ当。

 産経9/15のコラムで花田紀凱は書く。
 「朝日に総力挙げてあれだけ叩かれたら並の神経ではもつまい。朝日の安倍叩きはジャーナリズム史に残る汚点だ」。
 私はマスコミの「腐敗」・「犯罪」として後世に記録されるだろうと書いたのだったが、私の感想・意見はたった一人の感想・意見ではなさそうだ。
 (安倍には「並の神経」ではないことを示して欲しかったが。健康への支障まで生じていては…。一般論として、「言葉」は、意識・精神を通じて人の(肉体的)健康、ときには生命に対してすら影響を与える。)
 産経9/17の曽野綾子コラムの中にも勇気ある(私には「ふつう」のはずなのだが)言葉がある。
 「マスコミとその無責任な読者には、次なる人間喜劇が展開される楽しみが待っている…」。
 先の参院選を西部邁は「民主喜劇」とか皮肉っていたが、それはともかく、「無責任な読者」(無責任な有権者にほぼ等しいだろう)とは、よく書けた。そのとおりだ。

0322/御厨貴さん、遠藤弦さん、よくも簡単に言えますね。

 御厨貴という東京大学所属の政治学者は、失礼ながら、頭がよさそうではない。又は、特定の偏った<主義>のもち主のように見える。この人は読売9/13にこんなことを書いている。
 「安倍さんは選挙期間中、『私を選ぶか、小沢代表を選ぶか』と演説した」、「安倍首相は、本来ならば参院選惨敗の直後に辞めておくべきだった」。
 安倍(まだ現首相)が上のように発言したのは事実だ。このことを朝日新聞の社説は、安倍退陣を強く要求する理由の一つとして明記した。産経新聞の一部の記者も同旨のことを述べた。
 古い話題だが、しっかりと思い出しておく必要がある。安倍の発言・演説内容は事実で、それは首相選択選挙としての安倍対小沢という闘いならば自分に有利だろうとの安倍氏の判断があったからだろう。しかし、この点を安倍は最後まで又は一貫して強調したわけでは全くなかった。それはもともと参院選(第二院のかつ半数の改選)が首相・政権選択選挙では全くない、ということを彼が意識または知悉しているがゆえだっただろう。
 マスコミ論調もまた、安倍首相かそれとも小沢首相かという選択の選挙、少なくとも自民党政権か民主党政権かという選択の選挙として位置づけて報道したのか。全くちがっていた。朝日新聞を中心とする「サヨク」メディアは<逆風三点セット>を煽ったのであり、安倍の基本的理念(憲法改正等々)の是非すら、重要な争点または対立軸としてはとり挙げなかったのだ。
 従って、選挙後も、安倍の目指す基本的方向が否定されたわけではないとの論評・分析があったし、それは「民意」の適切な認識だっただろう。
 しかるに、選挙に自民党が大敗してみれば、まるで<安倍政治>全体が否定されたかのムードを朝日新聞等々は作りだした(憲法改正反対を明言し主要な争点とした社民党・共産党が議席を減らしたことは大きな話題とはされなかった)。その一つとして、この「サヨク」新聞が利用したのが、上記の安倍発言だったのだが、このいわば情報<策略>に、意識的にか、無意識でか、御厨貴という人は加担するか、屈服している(産経の一部の記者も同様)。
 本当に首相として「安倍を選ぶか、小沢を選ぶか」を最大の争点とした選挙だったなら、安倍・自民党は勝利していただろう。確かなデータは手元にないが、(わからない・無回答が第一位だったかもしれないが)首相として誰がふさわしいかの世論調査において、安倍は小沢を一貫して上回っていた。安倍対小沢なら、安倍は確実に勝っていた。
 自民党を大敗させた「民意」は、安倍・自民党与党内閣ではなく小沢・民主党内閣を作れ、というものでは全くなかった、と考えて、まず間違いはない。多くの人が、民主党に投票した者も含めて、民主党が勝てば、小沢・民主党政権ができる、などとは考えていなかったはずだ。
 読売新聞9/14一面に、同政治部記者・遠藤弦は書いている。-「安倍路線は、参院選で『ノー』を突きつけられた」。ここでの「安倍路線」の意味内容にもよるが、読売の記者が一面でこんなに簡単にサラッと書いてしまうのだから、怖ろしいものだ。
 読売新聞の多数の政治部記者もまた<戦後体制>にどっぷりと浸っているのだろう。朝日新聞記者と同じ(朝日の場合は意図的に誤っているのだが)認識に結果として立っている。
 「安倍路線」が否定されたと自民党員・議員たちが理解して、安倍カラーとは異なる、加藤紘一が支持するような人物が自民党総裁・首相になれば、自民党はますます弱体化し(本来の保守層は離れ)、日本国家も(中国や北朝鮮とは仲良くなるかもしれないが)ますます衰亡の道、「自立」性喪失の道を歩むだろう。
 何かに櫻井よしこは書いていた-自民党は、左にブレれば負ける。一時的に民主党から浮動層の支持を奪い返してもほとんど無意味だ。大衆=衆愚の人気とり政党が二つもできるようでは、日本は本当に「危ない」。

0321/朝日新聞の若宮啓文よ、喜べ。

 安倍首相辞職記者会見。生まれて初めて支持したいと考えた首相と内閣だっただけに残念だ。親共産主義・社会主義でないことはもちろん、親中国・親北朝鮮ではないことの明瞭な(つまり谷垣・加藤らではない)後継者が、安倍晋三の基本的理念を引き継ぐことを期待したい。また、安倍はまだ若いので、一有力政治家としての活躍と再起に期待する。
 朝日新聞の若宮啓文ら、そして北朝鮮・金正日は、勝利の雄叫びをあげているのではないか。朝日社内では今頃、祝杯を飲んでいるのだろう。
 今日に至ったのも、もともとは参院選の結果にあり、その結果をもたらした不可欠の要因は、<異様な>朝日新聞等の報道ぶりにあった。8月以降も<安倍憎し>で凝り固まった<安倍降ろし>の報道を続けたのは朝日だった。
 週刊朝日は、ふつうなら、「自民党惨敗(大敗)」との見出しでよさそうなところを、表紙に、安倍首相の顔の写真にかぶせて「安倍惨敗」と大きな見出しを打ったのだった。異様な反安倍報道は(政治家はこれを口が裂けても言わないようであるし、同業者も、花田紀凱等々の一部の勇気ある-といっても私にはふつうに思えるが-人々を除いては言及しない)後世の歴史に、マスコミの<腐敗>あるいは<犯罪>として記録されるだろう。
 朝日新聞が進めたい方向に進んだら、日本はおかしくなる。参院選の結果がすでにそうだったのだが、真剣に考えると、きわめて憂慮すべき事態だ。「日本」ははたして存続し得るのか?
 文明には、あるいは国家には、全世界史的に見ても、栄枯盛衰がある。日本は、1990年前後に国際・国内環境が質的に変化したことに気づかないままの視野狭窄症の者ばかりが政界や言論界・マスコミ界をリードしたために、<衰亡>の過程を着実にに歩んでいるのではないか。これを阻止することを安倍政権には期待したのだったが…。
 「日本」なんて、「(国民)国家」なんてどうでもよい、個人の尊厳と「地球市民」であることの方が大切だ、と考えている朝日新聞の要職にあるような人々には、何も言うことはない。<マスコミはナショナリズムの道具ではないのだ>と叫びながら、「日本」と「日本国家」が弱体化し消失していくのを、喜んで眺めていたまえ。
 ところで、コミュニズムを支持しているわけではないが、自民党の(これまでの基本的な)安倍政権の方向・理念にも反対する、という塊として存在する潮流を、何と称し、どう性格づければいいのだろう。
 八木秀次・日本を愛する者が自覚すべきこと(PHP、2007)は「フランクフルト学派」と言っている。又は、これの強い影響を指摘している。産経9/03の正論欄で渡辺利夫は「ポストモダン思想」と称している。
 素人ながら筆者には、上の後者は広すぎ、前者は狭すぎるような気がする。だが、どちらにせよ、戦後レジームこそが、あるいは「日本国憲法」体制こそが生んだ思想・思潮・心性であることに間違いないだろう(単純ではないが、これに外国のポスト・マルクス主義思想が影響を与えているのだろう)。
 長くは書かない。産経9/01の正論欄で佐伯啓思は、参院選での安倍首相への逆風三つのうち一つを「サヨク的勢力」と称していた。正確には、「憲法改正論や教育改革論を回避して、問題を年金記録に矮小化しようとした『サヨク的勢力』。これにはサヨク的メディアだけではなく、民主党も含まれる」と書いていた。
 この「サヨク」を甘く見ていた、勢力減退気味の「サヨク」が反安倍の総抵抗をした、等々の分析を私はひととおりは読んでいる(逐一は紹介しない)。
 この「サヨク」あるいは「サヨク的勢力」はいったい、いかなる(たんに反-ではない、積極的な)主義・思想・理念を、いま、掲げているのか?。民主党のそれも含めて、私にはさっぱりわからないのである。

0320/日本国民はマスコミの影響をうけずクールに判断したって?

 マスコミ人ならずとも一般にも広く知られている言葉に、マスコミは「第四権力」、というのがある。
 マスコミの影響力は実質的に国家の三権に等しく、場合によってはそれ以上でありうるし、むろん「人権」侵害も行うことがある。
 ところで、ある選挙区でA党(A党の候補でもよい)支持者が60%、B党(同前)支持者が40%だったとかりにすると、もともとはA党はB党の1.5倍の支持者がいた筈なのに、10%のA党支持者がB党支持者へと<乗り移る>ことによって、A党対B党は50:50となり、ごく僅差の勝負となる。もともとが59%対41%だったとすると、10%が上の<動き>をすれば、49%対51%となり、明確にB党が勝利する。
 選挙民又は有権者に影響を与えるためには、彼らの過半数に影響を及ぼす必要は全くない。上の例でいうと、10%、つまり10人に1人さえ<変心>させれば足りる。
 従前が59-60%対41-40%だった場合を想定したが、上のような計算は簡単にできる筈だ。もっと開きがあれば10%以上の有権者が、もっと差が小さければ10%未満の有権者が何らかの影響をうけて支持政党を変更すれば、同様の結果となる。
 じつは上のような場合も想定したとしても、10%は多すぎる。つまり、有権者は全員が投票しないからだ。そして、投票率が7月末参院選挙程度の60%(実際には58%)だったとかりにすると、10%の60%、すなわち有権者全体の6%に<変心>をさせることに成功すれば、元来はA党・59-60%対B党・41-40%の差があったとしても、B党は勝利するか、僅差の接戦にもち込める。
 投票率60%、二つの政党が1.5対1以下の範囲内にあるとすると、有権者の6%に対して、特定の方向への投票行動を誘発する影響力が働けば、従来の第二位政党・少数派政党は勝利するか、接戦となる。
 この有権者の6%に対する特定方向への影響力を、日本のマスコミ(新聞・テレビ)は有していないだろうか?
 常識的なマスコミ人なら<有している>と答えるだろう。あるいは、「国民の判断の結果です」などと言って体裁を取り繕って、表面的には明言しなくとも、腹の底ではそう考えているだろう。
 若干のくり返しになるが、過半数以上の、あるいは「多くの」選挙民がマスコミの報道の内容・仕方に影響をうけず、<冷静>に判断したとしても、マスコミが選挙民の6%(あるいは多くても10%程度)に影響を与えてしまえば、叙上のとおり、選挙結果は大きく変わるのだ。それだけでも大きな「風」又は「逆風」を作り出せるのだ。
 じつに単純なことを書いたにすぎない。以上のことを肯定することのできないマスコミ人は、よほど頭が悪いか、そもそもマスコミで働く資格がないものと思われる。 

0319/泥棒の巣-社会保険庁。

 社保庁職員による着服あるいは横領は、たまたま公務員としての不適格者が多かった、では済ませられない。また、「たまたま」でもないだろう。
 「犯罪者」のすべてが少なくともかつて、上部団体を自治労とする組合員だったとは言わないが、組合員もいたに違いなく、かつ組合の幹部がおそるべき実態をいっさい知らなかったとは考え難い。
 反(資本主義的)権力・反「保守」権力者たちにとっては、政治と行政が円滑に効率よく、国民のために機能してもらっては困る。年金制度が問題なく、あるいは問題ができるだけ少ないままで運営されては困る。自由主義・「保守」主義の政治・行政を混乱させ、麻痺させ、自由主義・「保守」主義では困るとの印象を国民大衆に与える必要があるのだ。そうした<社会主義>幻想の尻尾を残した反権力・反資本主義国家「主義」のためならば、総計数億円が国庫から消えたところで、何の痛痒も感じない。そうした確信犯的「犯罪者」や知らぬ振りをした組合幹部がいたはずだ。
 国家組織内に巣くう「白蟻」。当然にすみやかに駆除し、かつ刑罰という制裁を課す必要がある。金額が微少だとかの理由で告発もされずまだ公務員の身分を持っている者がいるだろうと思うが、将来の日本年金機構に採用されてはならないのは当然のことだ。  --------  メモ-サピオ8/22・9/05合併号の共産党特集を読んだ。

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