秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2007/07

0307/安倍首相は朝日新聞に絶対に屈してはならない。

 産経によると、一部マスコミで「安倍バッシング」が厳しくなっているようで、朝日新聞だけではなく毎日新聞等の名も挙がっていた。
 このような結果にかりになればと予想していたとおり、朝日新聞はここぞとばかり<安倍退陣>の主張をして、世論を煽るだろう。「政治団体」なので、当然のことだ。
 朝日7/31朝刊を見ると一面に星浩・編集委員の「民意読めぬ自民」との大きな見出しの文章。安倍首相続投もこの「民意」と「大きく隔たって」いて「対照的」らしい。
 4面には、内容を読んでいないが、「「安倍不信任」そのもの」との大きな文字の見出し。7面には「国民の不信感噴出」とのこれまた大きなゴチ文字のもとで「左翼」・護憲派で知られる朝日好みの作家等・辻井喬等の座談会。39面には「格差軽視不満の渦」と再び大きなゴチ文字。
 政治ビラ・アジビラのような大きな文字と大袈裟な記述・表現ぶりは朝日に珍しくはなく、いつものことだ。何よりもやはり社説がスゴい。若宮啓文が執筆しているか、少なくとも了解はしている筈だ。
 社説のタイトルは「首相の続投・国民はあぜんとしている」。ここで「国民」という言葉を使われると困る。私には「朝日新聞記者のような一部の国民はあぜんとしている」のだろうと思われる。少なくとも私は「あぜんとして」いないので、このタイトルには違和感をもつし、厳密ではない。
 制度的にみて、安倍晋三は衆院・参院の両院で内閣総理大臣として指名された。また、憲法上、両院の意思に合致がない場合は衆院の議決が優先するとされている(憲法67条)。参院選の結果が首相の地位を左右するとの法制度的根拠は全くない。
 あとはすべて政治的な問題だ。やはり朝日社説は44だった橋本内閣、36だった宇野内閣の先例を持ち出しているが、たんなる先例の若干で、こういった数字が政治的慣行・ルールになっているわけではない
 安倍後継者がまだ固まっていないとかの理由付けもされているようだが、私見では、安倍首相が退陣する必要がない決定的な理由は、自民党は(朝日も同様と思うが前回言及の読売の見出しを利用すれば)「年金」・「格差」・「政治とカネ」を最大の又は主要な争点とする選挙に敗北したのであって、<安倍政治>・<安倍改革>が基本的な所で否定されたわけではない、ということだ。
 「年金」問題の本質は公務員労働問題で安倍首相・同内閣の責任は殆ど形式的なものだ。実質的責任を問えば、民主党にだってとばっちりは向かう問題だ。
 「政治とカネ」問題も安倍首相自身の問題ではない。むろん閣僚任命責任はあろうが、事務所経費問題自体がじつはさして本質的な問題ではない。
 「格差」問題は、例えば四国で自民全敗の如く地方の疲弊が自民党離れを起こしていて小沢民主党に巧妙に衝かれたという面があるのはたしかだろうが、9ケ月ほどの安倍内閣の責任がどれほどあるだろうか。「小泉改革」の後始末をするのは安倍内閣の歴史的課題というのが先日言及した中西輝政氏の理解だった。少なくとも、安倍内閣自体の失政によるとは言えないだろう。それにそもそも、格差=不平等は一切いけないのか、という基本的問題もある(格差ゼロは一部特権エリートを除いてみんな平等に貧しい社会主義社会ではないか)。
 大きな争点にならなかったこともあって、改憲路線あるいは<戦後体制からの脱却>という基本路線が今回の選挙によって国民に信任されなかった、ということはできない憲法問題についていえば、9条護持を強く主張した日本共産党・社会民主党は逆に議席・得票率ともに減らした。繰り返せば<安倍政治>・<安倍改革>が否定されたわけでは全くない。
 朝日新聞もディレンマを感じてはいるだろう。「年金」・「格差」・「政治とカネ」を争点として煽り立てて自民党の議席を大きく減らすことはできたのはよいが、じつはこれらは<安倍政治>・<安倍改革>の骨格とは関係がないのだ。「年金」・「格差」・「政治とカネ」にかかわる<イメージ>・<印象>によって安倍自民党を「大敗させる」ことに成功はしたが、本質的な所で、安倍首相に打撃を与えることはできていないのだ。
 安倍首相個人の思いはむろんよく分からないが、<改革路線が否定されとは思わない>(あるいは<支持されていると思っている>)旨の発言は、上のような脈絡の中で理解されるべきだろう。
 朝日社説は、「派閥全盛期の自民党を懐かしむわけではないが」としつつ、自民党内で安倍首相の責任を問い退陣を求める声が強くは出てきていないのを歯がゆく感じているようだ。
 別の報道によれば、加藤紘一は勿論だが、谷垣禎一も続投に疑問を呈したようだ(但し、彼の発言もさほど厳しいものではない)。古賀誠、山崎拓、麻生太郎は続投支持・安倍首相信任で一致している。
 自民党有力者もまた、加藤紘一のような口舌だけの徒・異端者を除いて、今回の敗戦の原因を安倍首相に大きく負わせることはできない、と判断しているものと思われる。そしてそれは、決して政治的なものではなく、客観的にも妥当なところではないか。
 朝日社説もまた参院選の結果だけでは安倍不信任にはならないことを理解しているようでもある。最後の文で、「続投するというなら、できるだけ早く衆院の解散・総選挙で」民意を問えと主張している。決定的なのは参院選ではなく衆院選であることを認めている文章ではなかろうか。
 だが、しかし、朝日新聞は今後も執拗に安倍退陣に導く方向での記事を書き、紙面づくりをするに違いない。あくまで<反安倍・左翼政治団体>だからだ。
 そのために、自民党内の安倍批判派・批判者の声を大きく取り上げ、逆に温和しい者に対して何故続投を容認するのかと批判し皮肉る記事を書くだろう。公明党批判も続けるだろう。
 また、選挙前にすでに書いたように、世論調査を最大限に利用するだろう。<参院選で自民党が大敗したにもかかわらず安倍首相が退陣しない(続投する)のをどう思いますか>というアンケートをし、望むような結果を得て、<国民多数も辞任を要求>・<多数が続投を疑問視>といった大きな見出しをつけるだろう。
 むろん、すでに表れているが、朝日に有利な<識者コメント>を今後も多用するに違いない。
 これらは目に見えている。自民党が37でなくったって、与党が過半数割れをすれば=ともかくも自民党が<敗北>すれば、かかる<政略>が基本的<政治>方針だったことは明瞭だろう。
 安倍首相は、当然に、朝日新聞に負けてはならない。安倍自身も含む捏造記事を書いて訂正も謝罪もしない朝日新聞に、自分の虚報で火をつけておいて虚報と判明するや別の論点にすり替え、米国で慰安婦決議問題が発生すればまさしく他人事の如く白々しい社説を書くような朝日新聞に(他にも多々あるが)、絶対に屈してはならない。
 私は安倍首相をめぐる動向は、一面では、安倍晋三対朝日新聞の闘いだ、とも考えている。<戦後レジームの権化>・朝日新聞に負けてはならず、朝日新聞の策略に陥ることなく、逆に朝日の本質を全国民的に暴露しなければならない。
 朝日の本質といえば、ついでに書いておくが、7/31朝刊社説はのもう一本は「小田実氏死去・市民参加の道を示した」だ。社説でもって、逝去を機に小田実程度の人物を肯定的に評価するとは、死者に失礼ながら、私は呆れる。
 小田は反米・反ベトナム戦争の「市民」運動をしたようだが、1968年の(プラハの春後の)ソ連のチェコ侵攻に抗議したのか、中国のベトナム等への<侵略>に抗議したのか、北朝鮮の反人道的行為・核実験・ミサイル発射に<平和>主義者として抗議したのか。<戦後レジーム>の中で、なぜか「社会主義」国には論及せず、安全な所にいて、批判しても潰れそうにはない米国を口舌のみで罵っていただけではないのか。
 もう一点。朝日7/31は2面の「ひと」欄で、当選した新人議員のうちとくに川田龍平のみを取り上げて紹介している。川田の「イデオロギー」にはもう立ち入らないが、<朝日好み>の議員が1人は増えたようだ。

0306/朝日等マスコミにより操作された投票行動-参院選結果をうけて。

 2007年7月の参議院選挙は、「安倍改革」と日本の国家的自立を妨害し、遅らせ、どの程度になるかは今は解らないが、日本の政治に大きな混乱をもたらした結果を生んだものとして、歴史に残るだろう。
 一年半前に自民党に衆院で300以上/480の議席を与えたのと(ほとんど)同じ有権者が今度は自民党を「大敗」させる。大衆民主主義とは、そして「衆愚政治」とは、かくも<気まぐれな>有権者を主人公にしているのだ。
 <無党派層>といえば少しは格好がよいが、要するに<浮動層>であり、<定見がない>層だ、と言ってもよい。もっとも、<定見>を持てないのは有権者にのみ責任があるのではなく、<政治の対立軸>を明瞭に示すことのできない政党・政治家の責任も大きい。
 自民党もある程度はそうだが、民主党とはそもそも基本的にいかなる理念をもつ政党なのか。この<寄せ集め>政党は統一的に何を目ざしているのかがさっぱり分からない政党だ。この党の勝利は自民党>安倍政権への<不満・怒り>の受け皿になったということだけが理由で、民主党の何かの基本的政策が積極的に国民多数の承認を受けた、などと今回の選挙結果を理解することは大間違いだろう。
 次の衆院選で民主党は政権交代を目指すのだという。開票時にテレビに出てこれない健康状態の小沢一郎がそのときまで代表を務めていることはおそらくないだろう。それどころか、この政党はそれまでに、分裂・瓦解するように思われる。たんに<反自民党>という性格だけでは、長く維持・継続できる政党だとは思われない。安保防衛・憲法問題で全体が一致できる基本的政策を立てられる筈がない。ということは、いずれ、内部に種々の亀裂が走り始める、ということだ。それなくして、万が一にでもたんに<反自民党>というだけの政権ができてしまえば1993年の細川護煕政権の二の舞で、再び<空白の~年>を経験しなければならなくなる。日本にそんな時間的余裕はない。
 さて、とりわけ<気まぐれな無党派層>による投票をプラスして民主党が勝利した原因は、<気まぐれな無党派層>を対象とした周到な<策略>にあった、と思われる。
 それは簡単には、朝日新聞+民主党・小沢一郎+社会保険庁労組(2007.04前後で名称は異なる)による策略だ。
 朝日新聞が、自民党というだけではなく安倍晋三率いる内閣だからこそ<私怨>をもって、安倍退陣に追い込むほどに自民党を大敗させてやろうと考えていたのは明瞭なことだ(この点はこれまで何度も書いた)。これに、安倍氏個人への<私怨>はないものの、仲間の毎日・日経や東京新聞、地方の県紙を支配する共同通信も結果として協力したものと思われる。
 小沢一郎は見事に<年金問題>を最大の争点化した。これに呼応して「消えた年金」という不正確なフレーズを用いて有権者大衆を惑わせたのは朝日新聞を筆頭とするマスコミだった。消えたのは年金そのものではなく、年金関係文書(記録)だった。
 また、民主党は社会保険庁労組から情報が入手できるという有利な立場にあった。民主党の長妻某議員が熱心に調査してうんぬん…という記事又は主張もあるようだが、社会保険庁労組内部の民主党を支持する活動家民主党員そのものである可能性も高い)から、政府・厚労省・社会保険庁上層部も知らないような具体的・詳細な情報が入手できたのだ。だからこそ、細かい数字に関する国会質問も可能で、政府側の方が遅れをとっている印象(事実そうだったかもしれない)を与えることができた。
 そのような情報を民主党に流した社会保険庁労組から見れば、屋山太郎が指摘していたように、選挙結果までの一連のできごとは(但し、安倍首相は退陣しないだろうが)、社保庁労組による<自爆>と表現してよい面がある。より正確には<安倍内閣道連れ自爆>であり、<安倍内閣との無理心中>の試みだ。
 所謂<年金問題>の発生前に、すでに安倍内閣は社会保険庁解体・職員非公務員化「日本年金機構」法案を国会に提出していた。昨年までにとっくに社会保険庁の金の使い方・仕事ぶりには<すこぶる>付きのヒドさがあることが明らかになっていたからだ。
 いったん解体され、新機構に再雇用される可能性が疑わしい労組活動家は焦ったに違いない。どうせ解体され、あるいは少なくとも公務員としての「甘い」仕事ぶりを続けられなくなることが必至と悟った彼らは、自分たちの仕事ぶりのヒドさをさらに暴露すると共に(あれほどとは殆どの人が気づいていなかった)、それと引き替えに国民の批判を行政権の長=安倍首相→自民党に集中させることを策略したのだ。
 この策略に朝日新聞が飛びついたのは言うまでもない。
 むろん、安倍内閣の側にもつつかれてよい問題はあった。閣僚の諸失言、事務所経費問題などだ。だが、こうした(本質的でない些細な)問題を大きく取り上げたのは朝日新聞等のマスコミだ。閣僚の講演会・演説会には、問題発言が出ないかと待ち受けている朝日新聞の記者又は朝日新聞に頼まれた者が<常在>していたのではなかろうか。
 税金が出所でもない事務所経費の問題は異常な取扱い方だった。政治家の活動の中には公にはしたくない形でかつて地方公務員について問題になったような食糧費・交際費支出にあたるものを伴うものもあると思われる。一円以上の領収書を全て公開することにして、いつどこの店にいた、場所にいた、ということが分かってしまえば政治家としての活動はしにくくなるのは目に見えているのではないか。この後援団体代表等(政策・情報提供者でもよい)にはこれだけの金銭を、別の後援団体代表等(政策・情報提供者でもよい)には異なるこれだけの金銭を使った、ということがすべて明らかになって、政治家・国会議員として円滑に仕事ができるのだろうか。地方自治体の行政公務員について以上に、そうした側面があることに留意すべきだろう。
 朝日新聞は、橋本五郎のいる読売新聞でもよいが、自社の記者の情報収集のための経費支出について、一円以上の領収書をすべて国民に開示することによって、すべて明らかにしてみせることができるだろうか。
 一方で、民主党に不利になるような情報は大きくは取り上げられなかったと思われる。某議員への朝鮮総連からの献金問題小沢一郎の政治資金による不動産保有問題小沢一郎の国会出席(記名投票参加の程度)の少なさ問題等々だ。この最後の問題は、かりに朝日新聞が反小沢の立場・政略を採っていれば、第一面に大きく載せて批判的に取り上げたのは間違いないのではないか。
 かくして年金・政治とカネ・格差等の民主党が争点としたいテーマがそのまま新聞に大きく取り上げられ、テレビニュースで語られるようになった。
 朝日新聞は選挙前の少なくとも二ケ月間、反安倍の<政治ビラ>を毎朝・毎夕、700万枚も蒔き続けた。毎日・東京等、共同通信支配の地方紙も合わせれば、その倍はあっただろう。毎日千数百万枚である。これにテレビ報道が加わる。
 産経新聞は他マスコミの報道ぶりの異様さを感じたのだろう。終盤で<何たる選挙戦>との連載記事を1面上に持ってきた。
 読売新聞はどうだったか。投票日7/29の1面左には橋本五郎・特別編集委員の「拝啓有権者の皆さんへ」を載せていちおうまともなことを言わせている。社説も朝日に比べればはるかに良い。だが、1面右を見て唖然とする。大きく「参院選きょう投開票」とあるのは当然だろうが、そのすぐ右に白ヌキで大きく「年金」「格差」「政治とカネ」と謳っているのだ。これをこの三つが(最大の)争点なのだと(読売は考えている)と理解しない読者がいるだろうか
 橋本五郎が何を書こうと、社説で何を主張しようと、文章をじっくりと読む読者と、1面は見出しを眺めた程度の読者とどちらが多かっただろうか。少なくとも過半は、「参院選きょう投開票」のすぐ右に白ヌキの「年金」「格差」「政治とカネ」の三つの言葉のみを見たかそれの方に影響を受けたのではないかと思われる。そして、読売新聞の読者でも民主党に投票した者は相当数に上るだろう。
 読売7/30社説で「国政の混迷は許されない」と主張している。読売の社説子や論説委員に尋ねてみたいものだが、読売新聞自体が「国政の混迷」を生み出すような、少なくともそれを阻止する意図のない、紙面づくりをしたのではないか。もう一度書くが、投票日の読売の1面最右端の見出し文字は白ヌキの「年金」「格差」「政治とカネ」の三つの言葉だったのだ。
 よくもまぁ翌日になって、「国政の混迷は許されない」などと説教を垂れることができるものだ、という気がする。
 読売は、いったい何を考えているのか。官僚界・一部知識人を通じて<反安倍>気分が少しは入っているのではなかろうか。何と言っても1000万部を誇る新聞紙だ、その影響力は大きいと思うが、結果としては、朝日新聞と似たような役割を(少なくともかなりの程度は)果たしてしまったのではないか。この新聞社が安倍内閣をどう位置づけ・評価し、日本国家・社会をどういう方向に持って行きたいと考えているのか、私には、少なくとも極めて分かりにくかった。まっとうな<保守>路線と<大衆迎合>路線とが奇妙に同居しているのではないか。
 昨夜の開票作業に伴う各放送局・マスメディアの報道・コメントぶりを一部ずつ観ながら、ある種の滑稽さを感じざるをえなかった。自分たちこそが醸成した雰囲気によって大まかなところでは予想していた結果を、たんに確認し、なぞっているだけではないか。まるで、シナリオ・脚本のある芝居のようだった
 事実はマスコミによって大きくも小さくも伝えられ、場合によっては全く報道されず、あるいは歪曲して伝えられる
 朝日新聞が報道している<事実>を<朝日新聞的事実>と称するならば、<朝日新聞的事実>の報道が全くなされなくなるか、又は<朝日新聞的事実>を無視し信用しない有権者が大多数を占めるようにならないと、似たようなことが繰り返される可能性がある。
 そもそも国政選挙とは<タレントの好感度(「イメージ」の良さの順位による)投票のようなもの>なのか。そのような投票行動に国民を煽り立てたのは誰なのか。
 とりあえず、選挙後第一回はこのくらいに。

0305/投票日当日の「政治団体」朝日新聞の社説など。

 昨日28日の夕方のTBS/毎日系のローカルニュースを偶々観ていたら、「年金問題と政治とカネを最大の争点とする参議院選挙が…」とアナウンサーが語りはじめた。
 「年金問題と政治とカネを最大の争点」とは、いったい誰が決めたのだろう。原稿を書いた放送記者は、何を根拠にこんなことを書けるのだろう。
 世論調査によると、国民の関心あるテーマは…と回答するかもしれない。しかし、<年金問題>や<政治とカネ>に国民の関心が向くように誘導する記事を書き放送をして、これらが<最大の争点>であるかのごとく感じさせたのは新聞社・放送局というマスコミそのものではないか(正確にはたぶん一部を除く)。
 自分たちで煽っておいて、平然と「年金問題と政治とカネを最大の争点とする…」とさも客観的な報道であるかの如く装う。ほとんどのマスコミは<犯罪的>で、国家・国民に対して<弊害>を撒き散らしている。
 今日29日の朝日新聞社説をウェブ上で読んだ。むろん、ひどいものだ。朝日新聞は、投票前の最後の戦術として、若者たちに投票させる、という主張をすることにしたようだ。見出しは、「若者たちへ―その1票に未来がかかる」。
 若者たちに投票を呼びかけることは悪いことではない。問題は、その投票の際に「二つの視点」から考えてほしいとする、その二つの視点だ。
 朝日社説によれば、第一は、「世の中に広がる格差社会の波を、若い世代こそが大きくかぶっている」こと、第二は「年金問題」だ。
 自民党に投票するな、民主党に投票しろ、とはどこにも書いていない。しかし、<年金>問題や<格差>問題を最も取り上げて自民党を批判していたのはどの政党だったのか。
 この社説は、民主党への投票を「若者たち」に呼びかけているにほとんど等しい。自民党の劣勢ぶりをさらに決定的にするためには、前回は30%台にとどまった20歳代の投票率を上げる必要がある、と<政略会議>で決めたのだろうか。
 年金問題についてもうあえて触れないが、「世の中に広がる格差社会の波」という現象の存在の客観さとそれが社会・歴史全体から見て消極的に評価されるべきであるとの価値判断の正しさ、およびその現象がかりにあるとして、それが安倍晋三・自民党与党内閣の政策に原因があるということの根拠づけ、を朝日はきちんと報道してきたのか。あるいは、社説子は自信を持って説明できるのか
 「若者たち」むけとはいえ、投票当日の社説に、基本的な安全保障問題、憲法問題、経済・財政問題に何ら触れることができない朝日新聞。日本国民を安易で適当な思考へと導いて自分たちの<政略>に利用しようとしているマスコミの筆頭が、じつはマスコミではなく候補者を立てない「政治団体」に他ならない朝日新聞だ。恥を知れ、と何度も言いたい
 大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書)p.30によると、日本国民にはかつて既成の政治(家)に反発する非・反政治性と<政治を「あそび」の一つとみなす…無責任な態度>があった。こうした風潮は現在でもなくなっていないだろう。
 そしてこのような風潮を醸成したのは、既成の政治(家)を批判し、ときどきの<ジャーナリスティックな>国民多数の関心を惹きそうな話題ばかりを選んで報道してきた日本のマスコミだった、と考えられる。若者たちに限られない、先進国では異例の投票率の低さは、そもそも日本のマスコミの政治に対するスタンス、政治に関する報道ぶりによるところが大きい、というのが私見だ。
 そのいいかげんさ、無責任ぶりを、今朝の朝日新聞もまごうことなく示している。

0304/中西輝政「構造改革なくして「美しい国」はない」(別冊正論エクストラ)を読む。

 7/23に通読し終えていたのだが、中西輝政「構造改革なくして「美しい国」はない」(別冊正論エクストラ07、2007所収p.52以下)はなかなか(いや、たぶん極めて)スゴい、優れた論文だ。
 巷の選挙戦論議における政党の主張のレベル、各新聞社の政治記者の記事のレベル、そして月刊現代に駄文を掲載している立花隆の議論レベルと比べて、これらがアホくさくなるほどに、視野が広く、分析が深く、歴史を丁寧に見ている
 立花隆の議論は要するに、<日本の戦後の「繁栄」(経済大国化)は軽武装主義の憲法(九条)のおかげ>ということに尽きる。上の中西論文を読むと、立花隆のように2007年までの戦後を全てひっくるめて議論している(冷戦崩壊にもバブル崩壊にもまともに言及していない)のが、まるで、大学研究者と幼稚園児の違いのように感じるほどだ。少しでも立花隆の議論に傾聴し、少しでも立花隆に敬意を払っている者は、上の中西輝政論文(その他の同氏の論文・著書)と比べてみるとよいと思われる。立花隆の衰え・鈍さ・粗雑さを看取できるに違いない。
 と書きつつも、中西氏の思考・分析を正確に論評・評価できる能力・資格が私にあるはずもない。上の論文の副題又はリードは「世界は「思慮深い保守」の時代に入った。改革の痛みを克服し自立した国をめざせ」で、これが論旨・主張の要点だろう。以下、途中から要約的に紹介する。
 1.欧州での冷戦終了後、大幅対米黒字を背景に「日米構造協議」交渉が始まり、米国は日本に市場開放・大幅規制緩和を求めた。しかし、日本人の関心は「三つのあらぬ方向」に向いていた。一つは85年以降の<バブル景気>、二つは日本経済の世界一化、三つは<グローバリゼーション>というのみの国際経済動向認識。
 2.そのとき、バブルが崩壊しはじめ、「91年の湾岸戦争で、バブル崩壊がはっきりする」。この二つは、「「軽武装・経済繁栄」と言われた戦後日本の「国家戦略」の敗北を意味」した。
 この敗北は文字通り「第二の敗戦」だった。このとき、「不可避の戦後処理」課題が二つ生じた。「構造改革」と「憲法改正」だ。
 3.にもかかわらず、安保政策も経済政策も変わらず、竹下・海部・宮沢内閣の時代に「内需拡大策、四百数十兆円の国内投資」を対米公約にさせられた。
 4.ケインズ主義的景気刺激策としての公共投資・需要創造によっても景気は回復しなかった。戸惑っているうちに、経済の<戦後ドリーム>の崩壊は「政治危機に発展」し、細川内閣・村山内閣誕生という「混乱した事態」となり、国内的な「政治的意思決定が全くできない政権が橋本内閣の前まで続いた」。
 5.バブル崩壊の影響は深刻で「日本の金融システムを危機に陥れ、日本経済の「戦後レジーム」を崩壊させて行った」。
 そこで日本経済の自主的な「構造改革」の必要性が明確に認識された。「金融ビッグバン」の完成は、2001年・小泉政権誕生の年だった。
 6.英米から始まった経済改革(サッチャー・レーガン)は大きな世界的潮流だったが、日本は認識が遅れ、国内は<戦後体制>のままで凌げるという「無知と楽観」が「バブルの発生と崩壊」をもたらした。日本経済のどん底化を経験して初めて「構造改革」の必要性に気づいた。
 日本人は視野狭窄で、「構造改革」が<大きな政府から小さな政府へ>への転換という「資本主義の本質的問題と結びついている」ことが理解できなかった。21世紀を前に、日本は「決定的な出遅れ」をした。全ての原因は「世界を見る眼とそこでの国家戦略の欠如」だった。
 7.グローバル化・ボーダーレス化は経済次元のことで、個別国家の消失を意味しない。多くの国は国際経済の変化を自国の国力の向上に利用しようとした。日本もまた、「この潮流に抗して何が出来るか、遅くとも九〇年代始めに詰めて考えて置くべきだった」。経済とともに「安保つまり憲法改正と「国防の自立」も同時に着手しておくべきだった」。
 しかし、日本は古い経済システムの中では先頭にいたために認識が遅れた。「いまだに「国防の自立」が…世界で重要か、目覚めようとしない」のと同様だった。経済についての覚醒は橋本内閣以降で、明確な自覚は小泉内閣になってからだ。
 8.小泉内閣登場までの「失われた十年」に「国家の競争力にとって非常にまずい」ことがあったが、それは「「第二の敗戦」のまごうことなき結果」だ。しかし、その責任の議論や総括は全くなされていない。
 小渕内閣・森内閣でもまだ「財政出動」による「景気回復」という議論と政策を続け、「ドブに金を捨てる」ことになったが、財政赤字が最大になった宮沢内閣、小渕内閣の宮沢蔵相、ということからして、財政積極論者・アメリカ「タダ乗り」論者・「「大きな政府」の体現者」だった宮沢喜一は、「第二の敗戦の「A級戦犯」の筆頭」に他ならない。
 9.グローバル化もマクロ的には終わろうとし、欧米では活性化とともに生じたカオスを調整する段階に入っている。それが「新・新保守」・「ネオ・ネオコンサーバティブ」ともいうべきフランスのサルコジ、ドイツのメルケル等の政権だ。日本では小泉政権がサッチャーの役割を果たしたとすれば、安倍政権のすべきことは「小さな政府」(構造改革)が引き起こした大波、小波を日本独自のやり方で克服していく作業」だ。
 10.小泉構造改革により景気は全体として顕著に回復した。その過程での「陰」・「負」の部分のみを指摘するのは正しくない。
 雇用の問題は重要だ。一方、「「官の支配」の打破」も重要で、安倍首相は公務員制度改革の入口・「天下り」規制に取り組んだが、「徹底的にやらないと、日本経済のさらなる潜在力は発揮できない」。それこそ「戦後レジームからの脱却」で、「官の支配」という日本の根本的構造を変えないと他の一切の構造改革は進まない。「「官の構造」に大きなメスを入れる」ことは「安倍改革の大きなテーマ」だ。
 以上。
 1990年前後に日本は大きな転機を遂げた。中西は「第二の敗戦」と位置づける。それから20年近くも経つのだが、立花隆は相変わらず日本が「繁栄」しているという前提でモノを書いている。彼の本が一番売れた頃と時代自体が相当に変わっていることが、立花隆には全く見えていない。
 それはともかく、むろん上述のとおり、中西の議論の妥当性を証することはできないが、世界の中での日本の位置と日本独自の課題、小泉内閣や安倍内閣の性格・課題等について、示唆に富むと言えるだろう。
 中西は政治学者の一人の筈だが、財政・経済問題にも関心を持っており、詳しそうだ。そしてやはり、それこそ人びとの<生活>に最終的には直結する経済・財政政策こそが政治にとっては最重要又は最も基礎的だと感じる。
 7党党首討論会で安倍首相は<自分は財政主義者ではない、経済主義者だ>と発言したのだったが、理解した政治部記者や国民はどれほどいただろうか(私には解る)。
 また、安倍首相は<改革か逆行か、成長か逆行か>と訴えているが、これの意味を理解できる政治部記者や国民はどれほどいるだろうか(私には解る)。
 安倍首相がハード・イシューを取り上げ、国民にわかりやすく説明していないという批判は十分にありうると思うが、彼の主張が誤っているわけではない。経済成長があってこそ借金を返せるし、福祉・社会保障にも金を回せるのだ。
 中西が最後に指摘する<官の支配の打破>もなるほどと思わせる。OBを含む上級官僚も含めて、安倍に批判的な官僚がいるのも解るような気がする。
 たぶん前の日曜日の午前八時台のトーク番組で、元大蔵省の榊原英資がしたり顔で安倍内閣には<ガヴァナビリティ(Governability)>(統治能力)という点で問題がある旨を言い、安倍の指揮能力を疑問視したいふうだったが、彼自身が<第二の敗戦>の責任を負うべき大蔵省の有力官僚の一人だったのではなかろうか。そしてまた、彼は、日本全体、日本の将来のことよりも、後輩たちを含む「官僚」世界の既得権的地位の保持に関心を持っているのではなかろうか。そういう人物が、客観的に安倍政権を理解・論評できるはずがない。
 中西は安倍政権が参院選後も継続するという前提で、この論文を執筆しただろう。「官の打破」を含む「安倍改革」を継続・推進するためにも、安倍首相や彼を支える自民党は頑張ってほしいものだ

0303/参院選投票1日前-伊藤哲夫発言に寄せて。

 日本政策研究センター(「歴史と国益の視点から日本再生を目指す、戦うシンクタンク)」のサイトの7/11上に、「安倍晋三か?小沢一郎か? これが参議院選挙の焦点だ①~③」が掲載されている。発言者は所長の伊藤哲夫(よくは知らない)のようだ。
 私の理解に近いと思われるので、私自身の頭の整理も兼ねて要約しておく。
 1.「今度の選挙が本当に「政権選択」の性格を帯び」ているなら、争点は<安倍か小沢か>になるはずだ。「農水相の事務所費問題や、防衛相の不適切発言」、「政治とカネ」の問題は「本質的な問題なのだろうか」。「年金問題は本質的問題だと言う人がいるかもしれない。だが、政権を選ぶということは「日本の将来を選ぶ」ということで、「小沢民主党に日本の将来を任せて大丈夫なのか。小沢民主党が安倍自民党のしていることよりも間違いなく日本を良くできる保証があるのか。そういうことをもっと議論しなくてはならない」。
 2.「
少なくない人々が「自民党にお灸をすえてやらなきゃいかん」と感情的になっているのかもしれない」が、「「将来の日本」ということを考えた場合に、感情にまかせて「今度は民主党だ」ということで本当にいいのか」。
 3.「安倍政権の評価については、評論家の宮崎哲弥氏が…朝日新聞にコメントを寄せている」。彼は「要するに、今は非常に不評判だけれども、後になって振り返ってみると安倍政権の評価の方が高くなるに違いない。実際それだけのことをしている」と言っている。
 4.「9カ月、客観的に安倍政権が何をやってきたのか」をみると、「改正教育基本法を成立させ、防衛庁を防衛省に昇格させ」、「海洋基本法国民投票法教育改革関連3法を成立させ」、「社会保険庁改革関連法年金時効停止特別措置法公務員制度改革関連法を成立させた」。
 「
これら一連の重要法案はいずれも歴代政権が先送りにしてきたものだ。まず教育基本法は、昔からずっと改正が言われてきたが六十年間棚上げされたままだった。国民投票法も、憲法制定以来六十年、必要な法整備を完全に怠ってきた。防衛省への昇格は、昭和30年代から言われてきたことだがこれも先送りにされてきた。海洋基本法にしても、他国は94年に国連海洋法条約が発効したのを契機に国内法を整備したにもかかわらず、日本は必要な法整備を怠って完全に後れをとっていた。このように、安倍政権は歴代政権が先送りしてきた課題に真正面から取り組み、必要な法整備を成し遂げた」。
 5.「年金問題は、直接的には安倍政権が引き起こした問題ではない」。「一番の問題はずさんな事務を生み出してきた社会保険庁の体質」だ〔このテーマについては別に<年金騒動の本質は改革潰しにある>との特集が組まれている-秋月〕。
 「民主党は、この年金問題で具体的提案をするよりも、とにかく抵抗して法案〔「社会保険庁解体」法案・公務員制度改革関連法案-秋月〕を葬り去ろうとした」。これは「「改革潰し」で、その裏には改革に反対する自治労という労働組合(民主党の有力な支持団体)の意を迎えようとして、そういう行動をとったとしか思えない部分がある」。
 7.外交面では、「拉致問題を最重要課題と位置付けて北朝鮮に圧力をかけ」、「就任直後中国を訪問」して「「主張する外交」を積極的に展開」した。
 「より重要なのは、…「自由・人権・民主主義・法の支配」という価値観を前面に押し立てた「価値観外交」を展開していることだ」。
 8.安倍首相は、「ハイリゲンダム・サミットの時も、一月の欧州歴訪の時も、欧州各国の首脳に対して」、中国に自由・民主主義・人権はあるのかと問うた。「そのような国が、本当にアジアの中心的な指導国家になれるのか、いったい何を指導するのか」というふうに問い掛けた。「首脳たちは…アジアで最も重んじなければならないのは日本であるということに気付いたのだ」。また、安倍首相は「EUの対中武器禁輸の緩和に釘を刺し」、「拉致問題の解決に、より一層の協力を訴え、支持を取り付けた」。
 9.「価値観外交の二番目の眼目」は、麻生外相がの言う「自由と繁栄の弧」だ。この「「自由と繁栄」のモデルは日本であって、中国ではないという意味も」込められている。また、「オーストラリアやインドとの関係強化にも積極的に乗り出している」(「日豪安保共同宣言」締結、初の「日米印の海軍共同演習」)。
 10.三番目に、「価値観外交は」、「13億の中国人民全体を視野に入れた関係でなければならない」という認識にもとづく「中国共産党一党独裁政治の下で悲惨な状況に置かれている中国人民に対するメッセージであり、中国共産党政権に対する無言の圧力」なのだ。
 「謝罪していればそれで事が済むとしてきた日本外交にとって、これは革命的転換」だ。
 11.「安倍政権の内政の特徴は、二つある」。「
一つは「古い自民党をぶっ壊す」と言った「小泉構造改革路線」の継承・発展」だ。
 「もう一つは、これはより重要なことだが、…価値観を基礎に置いた政治、価値観を基軸とした国造りをやろうとしているということだ。…
そのことが一番はっきりと現れているのが、憲法改正を堂々と打ち出したことだ」。「何よりも重要なのは、教育改革を重要政策と位置付けていることだ」。さらに安倍首相は、「「国益を重視する」…「官僚制民主主義」から本来の「議会制民主主義」へ。さらに官邸がリーダーシップを発揮する民主主義に変えようとしている」。「安倍改革は価値観のない改革ではなく、国益を柱に据えた改革を指向している」。
 12.マスコミはある時期まで安倍政権を「タカ派政権」「危険な安倍政権」というイメージで伝えていたが、「昨秋の訪中以降は」、「経験不足の無力な政権」「指導力のない安倍首相」という「イメージで伝えるようにシフトしてきた」。「マスコミは、そういう形でアピールした方が政権の弱体化に効果的だとして、戦略的にそういうイメージを伝えていると思う。これまではそれが一応の成功を収めている」。
 しかし、「安倍首相は指導力を発揮している」。「普通の政権ならば、教育基本法を通したところでもうヤレヤレ」だが、「教育改革関連3法」を「間髪入れず」に提出・成立させた。また、「公務員制度改革にあたって安倍首相は、事務次官会議を飛び越して〔=この会議での全員合意なくして-秋月〕この案件を閣議決定してしまった」。「屋山太郎氏は「ここを打破したことは歴史的な重大事。官僚たちは真っ青になっている」と評価している」。
 安倍首相は「官僚内閣制」を破り、「有権者に選ばれた政治家主導の政治、真の民主主義政治の実現に向かって、首相はリーダーシップを発揮している」。「指導力がない」というイメージは、「所詮マスコミが作り上げた虚像」だ。
 13.「拉致問題」につき「手詰まり感」とか「目に見える成果がない」とかの評価もあるが、「じゃあ、どうすればいいのか」、「またコメを送ればいいのか」。
 「昨年7月、北朝鮮のミサイル発射を受けて、日本政府は当時の安倍官房長官の主導で、万景峰号の入港禁止という独自の経済制裁を発動した。また安倍政権発足直後の昨年10月には、北朝鮮の核爆発実験を受けて経済制裁を強化し、万景峰号だけでなく北朝鮮籍船舶の入港禁止措置をとった。これらの措置により、ミサイル部品などの持ち出しの大半は阻止できるようになった。また、…昨年11月からは、ぜいたく品24品目の禁輸措置をとっている。それと同時に、安倍首相が官房長官の時代から始めた厳格な法執行により、朝鮮総連の脱税行為をはじめとした不正行為を厳しく取り締まっている」。
 14.「ここで安倍改革をストップさせ、小沢民主党に交代して何かいいことがあるのか」。「小沢民主党は改革の方向性すら決められない。憲法改正にしても、教育改革にしても、本気で議論したら民主党そのものが壊れてしまう」。
 「参議院副議長を務めていた民主党議員は朝鮮総連傘下団体からヤミ献金を受けていた。また、民主党の参議院議員会長は日教組に強制カンパをさせて当選している。さらに、ナンバー2の代表代行は「南京大虐殺」を積極的に認めているし、女性議員たちは「従軍慰安婦」への国家賠償を先頭に立って要求し、朝鮮総連を議員会館に招き入れ抗議集会を開かせていたこともある。こういう政党に、果たして日本の国益を担うことができるのか」。
 15.「保守層の中には、慰安婦問題、歴史認識問題、拉致問題等々について、安倍首相の対応が気に入らないと批判する人がいる」。「けれども、そういう人たち聞いてみたいことがある。「じゃあ、あなたは小沢さんでいいんですか。小沢さんが政権を握った方が日本がよくなる。慰安婦問題でも前進する、拉致問題も解決する、歴史認識も小沢さんの歴史認識の方がいい。そういう保証があるんだったら示していただきたい」と」。
 16.「日本は…一夜にして変わることはない。現に自民党の中は抵抗勢力の方が未だに多い。それが表面化していないのは、参議院選挙が終わるまでは抵抗を止めておこうというだけ…。また、官僚の世界は自民党内よりももっとひどい。…社保庁は自治労に牛耳られてきた。それに象徴されるように、霞ヶ関や地方自治体といった日本の行政実働部隊を握っているのは、いまだ共産主義・社会主義勢力だ。その現実に目を開いて、…「日本のための構造改革」を進めなければならない」。
 以上。少しは解らないところもあるが、あらためて安倍内閣は<ただものではない>内閣であることが解る。これらをきちんと報道していないマスコミは、何らかの政治的意図・謀略をもっているか、安倍内閣の政治的意義・価値を理解できない<無知蒙昧>かのいずれかだろう。
 ただ、私は100%安倍内閣の政策を理解できているわけではない。とくに、米国下院での慰安婦決議問題についての政府の対応はあれでよかったのかとの疑問を今も持っている。
 だが、小沢・民主党よりも遙かに優れていることは明々白々だ。これだけは100%明瞭だ。
 民主主義(民主制)とは大衆政治であり「衆愚」政治だと言うが、思い出すと、記者クラブでの立派な会場での7党党首討論会における、記者たちの質問はひどかった。
 読売新聞橋本五郎は最初の質問で何と赤城農相の事務所経費問題を話題にしたのだ。その他、「ニュース性」に重点を置いた質問を3-4人がしていたが、誰一人、日本国家を基本的にどのようにしたいのか、どういう基本的方向に導きたいのか、という質問をしなかった。「大きな政府」か「小さな政府」かも問題にしなかった。憲法問題を重要視した質問もなかった。
 小沢民主党代表に対して、かつて所属した政党かつかつて連立した政党と対決する気持ちはどのようなものかと尋ねた記者はいなかった。
 すでにマスコミ、この場合は新聞社の記者クラブの記者自体が、<衆愚>の一部になり下がっているのだ。
 こうしたマスコミを見ると日本の未来は決して明るくない。だが、絶望する必要もない。心ある国民、「日本」を守り抜こうとする国民が多数いることを信じる

0302/参院選投票2日前-産経・櫻井よしこ談を手がかりに。

 産経7/27一面の<何たる選挙戦4>は「首相の理念・継続が大事」との櫻井よしこ氏の「談」。3までは産経の記者執筆だったので、体裁・形式にはやや違和感もある(櫻井氏は産経の記者扱いか?というような…)。
 櫻井氏の談には、いつものとおり殆ど異論はない。安倍首相の欠点もこう率直に書かれるとそうだっただろうな、と思える所もある。
 しかし、「私は、安倍政権が続いてほしいと考えるが…」という氏の、次の最後の言葉は余計又は早すぎはしないか。
 「安倍首相の継続を好ましいと思いつつも、万一の場合、まだ52歳なのだから、一度、退陣し、強靱なる精神を身につけてから再チャレンジするというほどの余裕を持ってほしい」。
 まだ参院選の投票は行われず、開票も行われず、結果も明らかになっていない。種々のよく似た予測が報道されているが、20-40%がまだ最終決定していないということも附加されており、本当のところは当日29日の夜の開票を待たないと分からないのではないか。各選挙区で接戦が続いているようだが、一つの選挙区の予測が違えば他も揃って違ってくる可能性があることはまだ否定できない。そもそもいずれかの新聞の予測どおりの結果になったことはこれまでの選挙で一度としてあったのだろうか。予測の範囲すらはみ出たこともあったのではないだろうか。
 従って、万一の場合」を語るのはまだ早すぎる。焦らなくてよい。
 そもそも、今回の選挙で安倍首相率いる自民党以外の政党に投票してはいけないことは、100%明瞭なことだ。それは、4月の東京都知事選において石原慎太郎候補以外の者に投票してはいけなかったのと全く同じことだ。
 多少の後退はやむを得ないとしても大幅な議席減少は、安倍氏が企図している政策推進を大きく阻害してしまう。「万が一」の場合は後継者が誰かにもよるが、よりスムーズに政権運営・政策実現がなされる保障は全くない。
 安倍首相が続投の意思を明確化しているのは正しい。
 選挙後の内閣改造で、守旧派組又は年寄り組を排除し、人心を一新する清新な内閣を作って、再スタートしてほしい(麻生太郎は幹事長。尾身・伊吹・柳沢らの頭の切れが悪くなっている老人組は壮年・若手と交替していただく)。
 基本方針バラバラ、多様といいつつレズビアン公表者・元在日韓国人、労組・労連代表者等の寄せ集めの民主党が伸張して、なぜ日本が良くなるのか。
 <安倍政権にお灸を>なんて言って遊んでいる余裕は日本にはない。
 安倍晋三政権を継続させるべきなのは当然だ。「安倍政権は歴代政権で唯一、北朝鮮が恐れた政権だ」(上掲・櫻井談)。日本を弱体化させてはならない。北朝鮮や中国を喜ばせてはならない(憲法改正=自衛軍正規認知を最も懼れているのは中国だろう)。
 民主党投票者のほとんどは北朝鮮や中国の怖さ・脅威を深刻には受け取っていない「甘さ」があるのだろう。理念的・主義的に親中国・親北朝鮮の者はやむをえないが、そうでない者はこぞって安倍・自民党にこそ投票すべきだ。

0301/黄文雄・日本人から奪われた国を愛する心(徳間文庫)をほんの少し読む。

 黄文雄の本はいくつか読んでいるが、すでに私の血肉の(正確には歴史認識等の)一部になっていることもあって、とり上げたことは、たぶんない。
 未読の黄文雄・日本人から奪われた国を愛する心(徳間書店、2006。初出2005)の文庫本を購入した。
 「はじめに」によると、日本人が愛国心を失った「最大の元凶」は日本国内の「平和運動や市民運動」にある。そして、かつての学生運動・共産主義運動のような反戦運動は冷戦崩壊以降鳴りを潜めたが、そうした勢力・思潮は消滅しておらず、「とくに、マスコミや教育界、法曹界などではこうした思想教育やプロパガンダが、形を変えて行われている」、と言う(p.3-4)。
 とくに珍しくもない指摘なのだが、そのとおりだろう、と思われる。共産主義思想の支持者が、あるいは日本共産党の支持者がたいして存在するとは思えないのだが、例えば日本共産党への投票者の数以上に、「革新」・「進歩」・「反日」・「媚中」・「反政府」・「反権力」等々の雰囲気はかなり蔓延している。
 日本共産党の潜在的影響力との一言では済まないだろう(だが、歴史的な形成過程ではマルクス主義の影響力は大きかったとは思われる)。別の何か、つまり共産主義(日本共産党)を支持しないが例えば安倍自民党をも強く嫌悪するという<思潮・雰囲気>が、根強く存在しているようだ。「平和運動や市民運動」となって表出してもいるこれの根源的な思考方法・思想・理念は何なのか、は大いに関心を惹くが、必ずしも適確な答えを目にしたことはないように思う。簡単に言ってしまえば、朝日新聞のような新聞が、なぜ今日も、一定の読者層をもち、一定の影響力をもっているのか、だ。
 ところで、黄文雄の上に引用の文は、「とくに、マスコミや教育界、法曹界など」と記している。おそらくは正鵠を射ていて、マスコミ・教育界・法曹界はある種の考え方・ムードを醸成する基礎分野?のようだ。
 出身学部でいうと、 「マスコミ」(とくに文章を書いている人びと)は文学部をはじめとする文科系学部、「教育界」は教育学部をはじめとする各科目関係学部で、文科系学部の比重はたぶん大きい。「法曹界」は法学部。とすると、法学部・文学部をはじめとする文科系学部出身者が<反戦平和運動>・<反戦平和の雰囲気>の中心にいることになる。
 黄文雄は上の本でこうも言う-日本の反戦平和運動は世界的に見ても「きわめて異質かつ「滑稽」の一言に尽きる」もので、特色の一つは「日本の思想、哲学、芸能、文学といったさまざまなジャンルにおける代表的な人びと―…代表する知識人―などを通じ、政治、文化に巨大な影響力を行使」してきたことだ。これは「戦後日本史を彩る一大風物詩であるとすらいってもよい」(p.6-7)。
 いわゆる<進歩的文化人>(大学所属者を含む)を想定すれば、かかる指摘もそのとおりだが、<進歩的文化人>なるものもまた、出身学部でいうと殆どが文科系学部だろう。
 とすると問題又は関心の一つは、文科系諸学部において学生たちを教授している教師たちはどういう人物で、どのようにして養成されているのか、ということだ。このあたりは、戦後日本史の隠れた重要テーマではないか。しかし、適切な参考文献はどうも見あたらない。

0300/大嶽秀夫・新左翼の遺産(東京大学出版会、2007)もある。

 大嶽秀夫の本を最近二つ利用?した。一つめの中公新書の際にすでに知っていたのだが、同氏には新左翼の遺産―ニューレフトからニューモダンへ(東京大学出版会、2007)という本もあり、その最後に「一九六〇年代前半期の新左翼的雰囲気を筆者とともに駆け抜けた妻…に捧げる」との言葉(自註)がある。
 と書きかけて自信がなくなってきたが、この言葉から、大嶽は「一九六〇年代前半期」、つまり彼の大学生時代には、「新左翼的雰囲気」の中で、かつそれを支持又は受容していたのではないか、と感じた。
 政治学者が自らの個人的な政治的価値観または政治的志向を持ってはならない、ということはないだろう。だが、それと研究対象・研究内容・結論的な分析や認識そのものとの間の間には多少は緊張関係があるに違いない。
 朝日新聞の紙面は一つの左翼団体の「政治ビラ」と化してしまっているが、政治学者の論文や本が特定の政治的主張のための「政治ビラ」であってはマズいだろう。
 この点に大嶽に問題がある、というわけでは全くない。二つの中公新書や上の本に政治的な<偏向>は全くといいほど感じないし、優れた、政治現象の認識にとっておおいに参考となる分析を示してくれている、と思われる。
 ただ、上に紹介のような言葉を読んでしまうと、上の本の対象の選択も含めて、この方は少なくともかつての一時期は「新左翼」で、現在もそれに親近感をもっている可能性があると、世俗的な私は感じてしまったのだ。
 上の新左翼の遺産という本も、「新左翼」への親近感又は親近的関心があるからこそ執筆した、と感じられなくもない。そして、日本のそれも含めて、「新左翼」にさほどに関心を持たなくてもよいのではないかと思うし、のちに諸々に又は千々に分かれて変異していったとしても所詮はマルクス主義・共産主義の一種だったのではないか、つまりは日本共産党と兄弟のような関係だったのではないか、という感想を禁じ得ない。
 もっとも、かりに大嶽が主観的に「新左翼」に親近感又は親近的関心を持っていたとしても、上の本の価値が下がるわけでもないだろう。
 また、中公新書による小沢一郎の理念・行動の分析などは、そういう立場に基本的には立脚しているからこそ(と断言できる自信はないが)、正しくかつ鋭いものになっている、と言えなくもない。
 上の「新左翼」に関する本は70頁程度しかまだ読んでいないが、その段階での、上に紹介した最後の言葉(自註)に刺激を受けた、とりとめのない<つぶやき>になった。

0299/民主党とはどういう政党か。

 大嶽秀夫・日本型ポピュリズム(中公新書、2003)は序章を含めて6つの章か成っており、小泉純一郎に2つの章、田中真紀子に1つの章があてられているにとどまり、小泉純一郎らの「ポピュリズム」のみを扱った本ではない。
 序章を読んでいて、現在の民主党の性格がかなり鮮明になってきたと個人的には感じた(とっくに整理できている人もいるだろうが)。
 さて、大嶽によると、1990年代の初頭に、「政治改革」・「政党政治の抜本的な再編成」を意図した三つの流れが日本に表れた。
 一つは、小沢一郎らの「新保守主義」だ。「孤立主義的平和主義の克服」(=積極的な軍事的国際貢献)・「自民党の利権構造の全面的な改革」を主張した。
 二つは、日本新党やさきがけに結集した「市民派」だ。成熟した多様な市民の代表、緩やかなネットワークに基礎を置くことを特徴とする。一種のアマチュアリズムで支持を受け、細川護煕や菅直人には一時的には「ポピュリズム」的要素もあった。<小さい政府>論では小沢一郎らと共通したが、小沢らの党中央指導的・執行部中心的政党運営観は、分権的な政党運営観のこのグループとは対極的だった。
 三つは、社会民主主義勢力だ。1989年の労働界の「連合」結成を機に、当時の日本社会党・民社党の和解や政策の現実化を通じて、社民勢力の拡大による自民党に代わる政権を展望した(p.6-11)。
 これら三つの流れが合流してできたのが、細川護煕・反自民連立政権(1993.08)に他ならない。もともと異質な部分を含む寄せ集め世帯だつたので、三つのいずれかが脱退すれば(そしてとくに自民党と手を結べば)、簡単に崩壊する弱点を内在していた。そして、細川護煕は、三者のいずれからも絶縁されたわけでも(少なくとも表向きは)ないのに、自己の政治資金が問題にされるや、無責任とも思えるほどにあっけなく政権を「投げ出して」しまった(1994.04)。そのあとで、三者の対立が顕在化し、小沢・細川グループと社会党・さきがけグループへの分裂により短命羽田孜政権が生まれ、そして社会党が小沢らよりも自民党を選択して村山富市・自社さ連立政権ができたのだった。
 このあたりの社会党に関する大嶽氏の分析は興味深いが別の機会に書くとしよう。
 さて、現在の民主党の性格を考えるとき、大嶽が理解・主張しているわけではないが、上の三つの流れ又は傾向が合流したものという性格づけは細川政権のそれと基本的には同じだろう、と考えられる。
 上の順番をそのまま生かせば、第一に、新進党瓦解後、最も後から民主党に合流してきた、小沢一郎ら、当時の自由党グループだ。羽田孜も渡部恒三も元々は小沢と同じく自民党田中派→新生党→新進党→のちの保守党を含む自由党→保守党が分裂した後の自由党→民主党と渡り歩いたことになる(羽田孜は一時期小沢と離れて「太陽党」を作ったりした)。その理念は、変わっていないとすれば「ネオ・リベラル」要素を含む「新保守主義」だ。
 第二に、菅直人、鳩山由紀夫らの旧さきがけ組を中心とする旧市民派グループだ。菅直人は社会民主連合、鳩山由紀夫は自民党田中派の経歴をもつので、政治家生活当初からの仲間だあったわけではない。
 第三は、横路孝弘らの旧社会党グループだ。社会民主主義勢力ということになるが、旧社会党の<非武装・無抵抗>平和主義に染まっている人もいらっしゃる。
 他に若手で前原誠司等々がいるが、菅・鳩山という元来の民主党の核によって結党したあとで入ってきたものだろう。
 さて、自民党にも加藤紘一や河野洋平がいる如く自民党も決して一枚岩の政党ではないが、民主党の<一枚岩でない>様子は自民党以上で、よくぞ政党としてまとまっていると感じられるほどだ。自民党に対する第二党という看板がなければ、あるいは1人しか当選しない選挙区が多数の選挙制度でなければ、理念的・理論的には本来は四分五裂していても不思議ではない、と思われる。
 小沢一郎は政権交代を、と主張しているが、こんな政党でどうやって統一的な政策を形成し法案化し現実化していけるのだろう。野党の場合には全党的な議論と合意が欠けていても適当なことを代表が主張して誤魔化しておれるが、政権与党となるとそうはいかない。
 かつての細川連立政権の姿が、今の民主党を見ていると、その後ろに透き通って見える。参院選で民主党が勝利しても政権交代につながらないのだが、かりに万が一その後の衆院選で過半数を獲得して民主党政権が出来たとすれば、やはり、早晩に空中分解するだろう。
 <大きい政府>の社会民主主義と<小さい政府>の新保守主義が同居できるはずはないと思われる。また、改憲賛成派と改憲反対派が同じ政権与党内に一緒におれるはずがないと思われる。
 大嶽も示唆しているが(p.23)、自民党こそが小沢らの<新保守主義>の「お株を奪う」政策を実施してきた、という現実がある。議論と検討を要するが、橋本・小泉・安倍政権こそが<改革>を唱え続け、野党は現状を維持を訴えて<抵抗>しているのだ。
 自民党こそがこの10年で変わったのだ(だからこそ従来の支持者の離反・減少を招いているという面がある)。そうした中で、民主党は自民党に対する対立軸を明瞭に打ち出していないし、また上に見たように、打ち出せるような政党でもないのだ。公務員・労働問題に他ならない「消えた年金」問題や閣僚の事務所経費の不透明性や失言を捉えて、一部?マスコミの狂気じみた後押しのおかげで、議席を増やすのかもしれない。だが、日本共産党と同様に、この党にも未来はないことは明らかだ。
 保守党を作って小沢らの自由党を去った野田毅・二階俊博・扇千景らと残った小沢、羽田、渡部恒三、西岡武夫らとの間に基本的な考え方・政策に大きな差異があったのだろうか。おそらくは「人間関係」と与党議員であるか否かの選択の問題だっただろう。
 民主党の中にも一皮むけば自民党であっても不思議ではない者もいくらでもいるのだ(海部俊樹もいた)。
 そんな民主党が一体何を対立点として「政権交代」を訴えているのか。ちゃんちゃらおかしい。

0298/参院選前の新聞・テレビの一部。

 産経の7/24と7/25の1面は<何たる選挙戦1・2>、大きな見出しは「誰を利する「国家」なき迷走」(北朝鮮が安倍退陣希望を明瞭に等)、「醜聞・年金だけの争点は恥だ」ときた。
 そのとおりだと思うが、産経が朝日新聞と同数程度の読者を擁していればなぁと、歯がゆい想いが強い。
 一方、読売は社説ではきちんとした主張をしているとは思うが、一般紙面では決して親安倍・親自民党ではない。少なくとも安倍首相に対して<温かい>とは思えない。朝日新聞の減紙のあとを狙って、この新聞は<左にウィングを伸ばして>いるのかとも勘ぐってしまう。
 諸予測・諸情報の中には楽しい又は興味深いものとそれらの逆のものとが当然にある。
 産経の選挙結果予測(7/23)によると、日本共産党は現有(非改選を含む)9で7~9、社会民主党は現有6で5~6。両党合わせて現有15で予測は12~15。要するに、両党ともに増加はなく、減少の可能性あり、ということだ。
 両党国会議員は確実に憲法九条二項の改正に反対するので、なかなか楽しい予測だ。共産党は消滅へとさらに一歩近づいてもらいたい。
 政治・政党の対立軸は、最も基本的なのが共産主義対自由主義だ。アジアで冷戦が終わっておらず、北朝鮮や中国が近隣にあるかぎり、まず第一には、この対立軸で選択をしなければならない。日本共産党はもちろんだが、同党支持者・同調者のほか、共産主義(>日本共産党)と闘う姿勢が弱い政党や人びともまた警戒し、場合によっては<敵視>する必要がある
 上の点さえしっかりしておけば、民主党議席の増大もさほど怖れる必要はないともいえる。民主党は、外交・防衛、憲法問題について統一した政策を打ち出せないで、代表・小沢一郎が「憲法改正は喫緊の課題とは認識していない」などと言って曖昧にしている<選挙互助組合>政党で、外交・防衛、憲法問題が対立軸として明瞭に設定された場合、不可避的に分裂する政党だ。松原仁・西村真悟(元)と岡崎トミ子・平岡秀夫が同じ党員だという(西村は元)信じ難い政党だ。憲法改正等に関して分裂、一方の自民党への合流又は連立、はかなり現実的な予測だろう。
 だが、民主党の中にも、そして今回の候補者の中にも、日本共産党・社会民主党と同様に九条絶対護持の者がいる。はたして、参院でも改憲派が2/3を超えて発議に賛成できるかどうかは、そうした者たちの数によることになる。
 前後するが、共産党につき、朝日新聞によると大阪選挙区で共産党は自民党と最後の三番目の議席をめぐって「接戦」を演じている。産経によると共産党は4位で「追って」いる。どちらが正しいだろうか。複数立てている訳でもない自民党がここでも負ければ、全国的な趨勢も最悪かもしれない。
 一方、東京選挙区でも朝日新聞によると共産党は最後の議席をめぐって、自民党(新人)や無所属(川田某)と「接戦」。産経によると、定員5で自・民・公が優位で残る2議席を民・自(新人)・無(川田某)の3人が争う(ということは共産党は圏外)。どちらが正しいだろうか。ここは6年前は共産党が1を獲得したので、今回当選しないと、自動的に現有からマイナス1となる。定員が5もある大都市選挙区で共産党1の当選が少なくとも確実視されていないとは、かつてを知っている者としては隔世の感がある。共産党は減少、消滅へと確実に歩んでいるのだ。
 昨夕の朝日新聞系のテレビ放送局のニュースをたまたま観ていたら、与党過半数割れの場合の安倍首相の進退を話題にしていて、自民党支持者(どの範囲か、どの程度の人数かは忘れた)のアンケート結果を図示し、「自民党支持者でも30数%の人が退陣すべきとしています」とのみコメントした。だが、その図には53%の者が「退陣する必要はない」との意見であることも示されていた。こちらの方はコメントしないで、<退陣すべき>という声のみ紹介したわけだ。
 選挙結果がまだ確定していないのに、まるで結果が出たあとのような、この<前のめりの>報道姿勢は一体何だろう。読んでいないが、きっと、朝日新聞は<退陣>に焦点をあてた同様の報道・紙面づくりをしているのだろう。
 昨夕のテレビニュースを観て、なるほど、世論調査をしてそれを<客観的に報道する>という実質的<倒閣運動>があるな、と感じた。<全体で何%が、自民党支持者でも何%が安倍首相は退陣すべきだと考えています>と報道しまくって(「何」の数字が低いと使えないだろうが)、<辞めろ>イメージ・雰囲気を醸成していくわけだ。
 さっそくすでに加藤紘一のような自民党内異分子が、<潔く投げ出すものだ>などとコメントしているようだ。この人は自分を何様と思っているのだろう。朝日新聞だけは持ち上げてくれるので、その<虚像>のために自分の客観的姿を誤解しているのではないか。
 まだ、山崎拓の方がマシそうで、彼は<憲法改正で大連立>との将来予測を述べたらしい。安倍首相の進退よりも、じつはそのような将来の国家のあり方・憲法のあり方の方が重要な問題だ。むろん、安倍退陣は将来の国家・憲法のあり方に大きな(消極的)影響を与えるからこそ、退陣すべきではない、と私は考えているのだが。以上、気軽な雑文。

0297/小沢一郎とは何者か-「立場や状況」に応じた変節者?

 小沢一郎氏は変節したかウソを言っているかのいずれかだと考えてそのかつての著・日本改造計画(1993)と今の民主党の主張を2回続けて比べてみたのだが、似たようなことを本格的に考える人・団体は当然ながら存在するもので、「歴史と国益の視点から日本再生を目指す、戦うシンクタンク」だという<日本政策研究センター>のサイトには、昨年の機関紙掲載論文の再掲という形で、<剛腕・小沢一郎氏の「矛盾と変節」>という分析の①~④が掲載されている。第一回(①)は→
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=439
 小沢氏の歴史認識は、民主党内に蠢く左翼勢力とも十分共鳴するように見受けられる。結局、小沢氏はそうした勢力を意識して、自らの立場や状況に応じて、その政治的主張をコロコロと巧妙に変えているのかも知れない。とりわけ、民主党代表の座について以降の小沢氏の主張には、そんな印象を拭えない」から始まる原物は上のサイトの原文を見ていただくこととして、私が読んで勝手に要約してみる。
 第一回-1.外交につき小沢は2006年の雑誌・論座や近著・剛腕維新で日米中は「正三角形」関係と主張するが、これは1993年の本の認識・主張と違う。かつては「日米基軸」で、かつ「ASEANやオセアニア諸国との協力関係を緊密にする必要がある」と説いていたが、その中で中国に言及はしなかった。
 2.むしろ「中国はまだ経済的に発展途上であり、政治体制も異なっている」と述べ、かつ「日本のPKO協力に対し、『日本軍国主義復活の陰謀』などと非難した」などと中国への警戒的姿勢をかつては示していた。
 3.中西輝政によれば「日米中正三角形」論は「中国の一貫した外交方針であり、日米分断の論理」で、「このような虚構の論理を説く政治家は党利党略に目がくらみ国家的立場を見失ったか、北京と特殊の関係ができたか、と勘ぐらざるを得ない」という。
 第二回-1.2006年7月の北朝鮮のミサイル発射に関連して、小沢は「対北経済制裁は日本だけでは効果が限られるので、国連の共同作業として行うべきだ」旨を主張した。これは、国連安保理に中ロがいる以上は「事実上の経済制裁断念論」だ。
 2.だが3年前の某書の一部で小沢は、「民主党の中にも経済制裁と言う人がいますが、それをやったときに一番被害を受けるのは、つまり北朝鮮の国家テロの攻撃対象になるのは日本であり、日本人なのです」、「その覚悟があってやるのなら大賛成ですよ」とだけ述べて、国連のコンセンサスを得よなどとは言っていない
 3.近著・剛腕維新でも、3年前の主張として、「日朝間の物的、人的、金銭的流れを断てば絶大な効果があるだろう」と、日本の経済制裁の絶大な効果を認めている。「
国連の共同作業として行うべき」との昨年の主張と明らかに矛盾する。
 第三回-1.近著・剛腕維新で小沢は小泉首相に対して「政治家の信念というなら、たとえ批判されようとも堂々と終戦記念日の八月十五日に参拝すべきである」と焚きつけたが、小泉首相がその通り実行するや、「一部では『首相は信念を貫いた』という人がいるが、僕はまったくそう思わない。……本当に一国のリーダーとしての信念があるならば、天皇陛下がご参拝することができるように環境を整えるべき」だと氏は述べ、「退任前のパフォーマンス」だと手厳しく批判した(夕刊フジ・八月十八日「剛腕コラム」)。
 2.小沢は昨年、「東條英機元首相以下、当時の国家指導者たち」(つまり「A級戦犯」)は「靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しない」と断罪して「霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」と提案した(『剛腕維新』所収)。これは暴論だが、この論で一貫してきたわけでもなく、1986年4月に自治大臣だった小沢は「A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない」「たまたま敗戦ということによって戦勝国によって戦犯という形でなされた人もいる」と述べ、「その責任論と私どもの(靖国神社参拝への)素直な気持ちというのはこれは別個に分けて考えていい」と答弁している。それが今や(昨年)、「A級戦犯」は「英霊に値しない」へと変わったのだ。
 第四回-小沢氏は最近の「剛腕コラム」で、「戦勝国側が一方的に断罪した「戦犯」は受け入れ難い」と書きつつ、「当時の国家指導者たちは、外国から言われる以前に、日本国民に対して戦争を指導した重大な責任を負っている」と強く批判しており、東京裁判=「報復裁判」の歴史認識に呪縛されているようだ。
 以上。
 前回に1993年の本の方が本音で今はウソをついている旨を書いたのだが、外交や歴史認識(・靖国問題)については、なるほど「民主党内に蠢く左翼勢力とも十分共鳴する」ところがあり、「そうした勢力を意識して、自らの立場や状況に応じて、その政治的主張をコロコロと巧妙に変えている
のかもしれない。立場に応じての<変節>だ。だが、いずれかが本音ならば別のいずれかは<ウソをついている>ことにもなるだろう。
 このような<変節>・<ウソつき>を簡単にできるがゆえにこそ、理念・政策が多少は異なるはずの諸政党を<渡り歩く>こともできたのだろう。
 小沢の1993年以降の履歴を少しメモしておこう。
 1993年06/18、宮沢内閣不信任案に賛成投票、6/23(自民党を離党して)新生党結成(代表は羽田孜、小沢は幹事長格)。
 1994年04/28、羽田孜少数派内閣発足(4/25に新生党、日本新党、民社党等が日本社会党抜きで国会会派「改新」を結成したことが原因)。
 同年06/29、首相指名選挙で海部俊樹をかついだが、自民党も推した社会党・村山富市に敗北。小沢は初めて野党議員に。
 同年12/10、新進党結成。党首は海部俊樹、小沢は幹事長。
 1995年7月参院選、新進党は19→40。羽田孜との間に亀裂。
 1996年10月衆院選、新進党は160→156で敗北。12月党大会で羽田孜を破って党首に。12/26-羽田孜ら13名が<太陽党>結成。
 1997年、「保保」路線を選択。12/18党首に再選される。12/25-新進党を解党
 1998年01/06、自由党結成。民主党に次ぐ野党第二党。
 同年11/19、小渕恵三首相との間で<自自連立>の合意。自由党幹事長・野田毅が自治大臣として入閣。小沢、5年ぶりに与党。
 1999年7月、公明党が参加し<自自公連立>政権に。
 2000年04/01、小沢が小渕首相と会談。連立解消へ。この直後、小渕氏は脳梗塞で倒れる。連立維持派と対立し自由党分裂。連立維持派は<保守党>を結成。6/25衆院選、自由党18→22。
 2003年9月、自由党が民主党(この時の代表・鳩山由紀夫)に吸収される(表向きは「合併」)。
 2006年04/07、小沢、菅直人を破り、民主党代表に。
 何ともめまぐるしい履歴だ。1998.11~2000.03に<自自連立>・<自自公連立>の時代があったことをじつは失念していた。2000年04/01に小渕恵三首相は相当に精神的ストレスを感じるやりとりを小沢との間で行ったに違いないことも思い出した。
 小沢だけに限らないだろうが、国益も日本の将来の基本的方向も考えない政党の離合集散、政党の<渡り歩き>を通じて、平気で<変節>し又は<ウソをつける>体質・気質をより強く身に付けたのだろう、と思われる。
 参院選選挙公報の民主党の部分には、小沢一郎の大きな顔の下に、「自治労組織局次長」、「元日教組教文局長」等々、かつてなら日本社会党から立候補しただろうような人びとが並んでいる。小沢は、1993年頃の自分の政治理念・基本政策を思い出すとき、現在の自分を恥ずかしくは思わないのだろうか

 

0296/小沢一郎とは何者か。同・日本改造計画(1993)を読む-その2。

 小沢一郎という人は、1.十数年前の考え方を今はすっかり変えてしまったか、2.変えてはおらず現在はウソをついているか、のいずれかだろう。
 大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書)p.59によれば、小沢・日本改造計画(講談社、1993)は<「新保守」の立場を鮮明にした>もので、その主張の中には、1.地元利益・職業利益によらない「党中心の集票」、2.「ネオ・リベラリズム」も含まれていた(7/17参照)。この2.の方に焦点を当ててみよう。
 小沢・日本改造計画p.4-5は、世界を含む時代と日本社会の変化に対応した「変革」の目標として「政治のリーダーシプの確立」、「地方分権」につぐ第三として「規制の撤廃」と明記し、「経済活動や社会活動は最低限度のルールを設けるにとどめ、基本的に自由にする」と書く。そして、次のように連ねる。
 「これらの究極の目標は、個人の自立である。個人の自立がなければ、真に自由な民主主義社会は生まれない。国家として自立することもできない…。国民の”意識改革”こそが、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。そのためには…個人に自己責任の自覚を求めることである。
 十数年前に小沢はこのように主張していた。現在の彼は、国民・有権者に「個人の自立」・「自己責任の自覚」を訴え、国民に<意識改革>を求めているだろうか
 国家(政府)と国民(個人)の関係にかかわり、上の本p.185-6は、「個人を解放することを提案」して個人の「五つの自由」の最後に「規制からの自由」を挙げ、次のような叙述をしている。
 「個人に自由が与えられれば、結果的に選択肢の多い社会になる。多様な生き方が可能になる……不要な規制は一刻も早く撤廃すべきである。…要するに、まず国民を保育器から解放することである。もちろん、それによって国民は自己責任を要求される。しかし、それでよいと私は思う。自己責任のないところに、自由な選択など存在しない。…政治が個人の選択に口をはさむべきではない。政治に求められることは、国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない。…障害を取り除き、環境を整備することだ」(p.186-7)。
 また、次のような文章もある。
 「自由主義社会では基本的に自由放任であるべきだ。そのうえで、どうしても必要なところに必要最小限の規制があればよい」(p.244)。金融機関の「利用者にもある程度の自己責任原則を要求する。…自分の判断で選び、その結果に責任を負うようにするのである」(p.248)。「民間の知恵とアイディアと活力を生かすために、民営化努力は今後も続けていかなければならない」(p.249)。
 以上のような考え方は、大嶽の指摘のとおり、<ネオ・リベラル>=<新自由主義>と称してもよいものだ。そして、<空白の~年>のあとの橋本内閣以降、規制緩和・民営化という<ネオ・リベラル>志向が基本的な政策課題になってきた、と言ってよいだろう(厳密な議論はしない)。<規制緩和>・<民でできるものは民で>は小泉純一郎首相のキャッチコピーの如くですらあった。<構造改革>と言われることもある。
 具体的に日本における<規制緩和>・<構造改革>の問題・評価に立ち入ることはしない。問題は、上のように書いていた小沢一郎は、いま何を言っているかだ。
 小沢は、この選挙戦中に、<小泉改革のおかげで「格差」が拡大した>と明確に述べて批判していた。それを聞いて、私はかつての小沢の主張の基本的なところは知っていたので、奇異に感じ、<ウソをつくな>と思ったものだ。
 なるほど、小沢の1993年の著書には<格差拡大容認>とは書いていない。しかし、規制緩和・自己責任領域の拡大とはじつは、「格差」の発生・拡大に他ならないことは常識的に考えても明らかなことだ。
 小沢一郎は、「国民を保育器から解放」すべきと明言していたのだ。また、「政治に求められることは、国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」とも明言していたのだ。
 国民を「保育器」から解放するとは(規制緩和等により)自己責任領域を拡大し、<国家の保護>を縮小させることだ。当然に既得権益は少なくなり、<格差>も発生する。そのような<格差>を埋めるのがごく簡単には社会保障政策ということになるが、小沢はかつて、政府に求められるのは「国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」と明言していた。
 私は1993年の著書の考え方が小沢一郎の本音だろう、と推測している。彼の考え方はじつは、彼が逃げ出した自民党与党政権によって少しは実現されてきているのだ。
 しかし、小沢は民主党の代表だからこそ自民党を批判するために<格差の拡大>なんていうことを問題にしているのだ(<格差拡大>か否かの客観的認識の正しさを私は知らない)。選挙対策として、言葉だけの主張をしているわけで、私には何とも奇妙に、かつ小沢一郎を可哀想にすら思う。
 小沢はかつて主として外交・軍事面で<普通の国家に>と主張し(上の本第二部p.101以下のタイトルは「普通の国になれ」だ)、新党さきがけの武村正義が「小さくともキラリと光る国に」と応じたりしていたが(当時も今も、前者・小沢の方がまともだと考える)、あの頃は彼はまだ輝いていた。
 現在は民主党代表という「役割」を演劇・芝居の如く演じているだけではなかろうか。民主党の議席数の増加だけを自らの「役目」として、彼の元来の理念・主張と無関係に、精一杯頑張ろうとしているだけではないのか。
 もう彼も六〇歳代半ばで、心臓に疾患があるという<噂>もある。小沢の心境を想像するとき、ある程度は憐憫の情も、じつは生じる。
 しかし、小沢一郎は、本能的な<選挙>観にもとづいて、国民に自分の本来の理念・主張とは異なる<ウソ>をついていることは間違いない。
 何が<小泉改革による格差…>だ。何が<生活が第一>だ。笑わせるな、と言いたい。自らこそ、かつては<ネオ・リベラル>な主張をし、かつ政府に求められるのは「国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」と明言していたではないか。さらに普通の国家」としての自立を強調していたではないか。
 ついでに言えば、彼の本来の「民営化」論は、民主党の支持基盤の重要な一つの公務員(労働組合)の利益と衝突するものだ。
 選挙戦術としての小沢一郎の発言に、この<政略家>の言葉に、騙されてはいけない。この<政略家>が率いる政党を支持し勝利させれば、日本に歴史的な禍根を遺すだろう。

0295/小沢一郎とは何者か。同・日本改造計画(1993)を読む-その1。

 小沢一郎という人は、1.十数年前の考え方を今はすっかり変えてしまったか、2.変えてはおらず現在はウソをついているか、のいずれかだろう。
 小沢一郎・日本改造計画(講談社、1993)とは、大きな古書店には4、5冊も並んでいる、小沢が自民党を脱党した頃に出した本だ。この本には、大嶽秀夫の本を紹介する中でも言及し、大嶽のおおよその理解も紹介した(7/17)。
 この本のp.252にはこんな文がある。
 「民主主義の前提が日本人に欠けたまま…実際には民主主義が根づかないまま現在に至っている。…民主主義の土壌をつくるはずの戦後教育も、その使命とは裏腹な方向に進んできたのではないだろうか。自己の確立どころか、非行・犯罪の増加、学校と家庭での暴力、麻薬やエイズの拡大など、青少年の自己の崩壊さえうかがわせる問題が深刻化しているのが現状である。教育がこうした荒廃状況と無関係であるとは、誰も断言できまい。教育改革を断行しなければならない」。
 第一に、こう書いたこの人が現在率いる政党は、なぜ自民党の教育基本法改正案に反対投票したのか。なぜ教育再生関係三(四)法案に反対したのか
 考え方が変わっていないとすれば、自民党に同調だけはしないという<党利党略>のために反対したのだ。理念と行動が一致しないこの人物を私は全く信用していない
 ついでに第二に、上では日本の「民主主義」の未成熟さを嘆いているが、カネにかかわる、<大衆(衆愚)>に解りやすい問題を選挙の争点化し、<生活が第一>などという<大衆(衆愚)>の心に一番響きそうなキャッチフレーズを採用したのはいったい誰なのか
 この小沢という人物は、日本人の<弱点>あるいは<大衆民主主義>=<衆愚政治>の問題点を熟知しつつ、あえて、その弱点を衝いた問題を争点とし、最も<大衆(衆愚)>受けしそうなスローガンを掲げているのだ。
 彼の少なくともかつての考え方が<生活が第一>などと要約できるものでないことは、別の機会に書くだろう。
 小沢という人物は、本気・本意を胸の裡に隠した<策士>だ。さすがに<選挙上手>と言われるだけのことはある。
 すでに読んだ大嶽の本に依れば、小沢一郎とは、かつては、地域・地元利益(自民党)、職業(=公務員・組織労働者)利益(社会党)という<集票構造>を壊そうとした人物ではなかったか。
 それが今はどうだ。街頭にあまり立たず、労働組合の本部や農業団体の事務所をこまめに回って地域・地元利益も職業(=公務員・組織労働者)利益も代表しようとしている。
 この人物を私は全く信用しない。この人の言葉と本音はおそらく全く違う。<政略家>に騙されてはならないだろう。こんな<政略家>が率いる政党を支持し勝利させることは、日本に歴史的な禍根を遺すだろう。

 

0294/安倍首相を退陣させるな。朝日新聞を喜ばせるな。

 7/22日曜日午前中の二つの番組の一部を録画で観た。とくに午前10時30分(?)から始まる田原総一朗の番組で、大きくは二つのことが印象に残った。
 第一に、野党各党首へのインタビューの後の政治記者等(+議員・学者)の座談会で、安倍首相退陣の可能性が話題になっていた。午前8時台のもう一つの番組の座談会では櫻井よしこ、三宅久之両氏が(自民党の数字による可能性を全否定はしていないようだったが)安倍にはどんな数字であっても辞任(退陣)する意向はない、とおそらくは安倍の主観的気持ちの忖度としては正確と思われることを述べていた。
 一方、田原司会の番組では、安倍首相の意向については同様のことが語られつつも、(以下、正確に観ながらではなく記憶によるが)参加者の一人・朝日新聞の星浩だけは、これこれの数字以下では他の自民党議員が黙っていないだろうとか、数字の責任はやはり<大将>の責任なのだからなどと、<安倍退陣>に未練を残した発言をしていた。これがまず、印象的だった。
 朝日新聞はやはり、安倍退陣(総理辞任)を本気で狙っているのだ。自民党の獲得議席数にもよるが、44程度だと、橋本龍太郎首相は参院選44で責任をとった、36程度だと宇野首相は36で責任をとった、と大きく報道するに違いない。そして、どの数字にせよ、民主党を下回った場合には、加藤紘一山崎拓古賀某らの安倍首相に批判的な(退陣が望ましいと示唆するような)コメントを載せて大きく扱うに違いない。自民党内の動きの報道というかたちを表面的にとりながら、じつは<政治的な>倒閣運動をこの新聞社はきっと行うだろう
 心ある自民党員、自民党議員は、安倍内閣のもとでのせっかくの前進を<逆行>させてはならない。朝日新聞の報道ぶりなど、<デマ新聞>・<政治ビラ>の一つと思って無視しなければならない。
 第二に、志位和夫日本共産党(幹部会)委員長の発言に興味深いものがあった。一つは、田原総一朗が「共産」という名をやめたらどうかと質問したのに対して、<いつまでもずっと資本主義社会が続くとお考えですか?>旨を述べ、明瞭に社会主義(・共産主義)社会を展望していることを述べていた。これではむろん「共産」の名称の変更はできない。そして、さすがに、日本共産教の信徒総代だと思った。社会主義(・共産主義)社会の<到来>をやはりこの人は本当に<信仰>しているのだ。合理的・理知的?(という程でもないか)な顔をして、<宗教>に嵌り込んでいるのだ(東京大学出身ながら、じつは莫迦なのだろう。そもそもこんな問題に学歴は無関係なのだが)。
 二つは、志位としては当然だろうが、マルクスを棄てていない、と明言した。マルクス主義は19世紀前半の社会系諸科学を統一した・凝縮し発展させたとかも言われるが、「共産党宣言」出版は1948年だ。今から150年以上前の(当然に外国産の)「理論」が今の日本共産党の基礎にはまだあるのだ。古色蒼然。古ければいい、というものではない。
 三つは、北朝鮮に対する立場はよく知らなかったが、現在の北朝鮮を中国・ベトナム・キューバのような「社会主義」国とは見ていないことを明言した。
 それはそれでよいが、しかし、例えば1961年の綱領制定時点では、北朝鮮もまた(ソ連と同様に)「社会主義」国、少なくとも「社会主義へと進んでいる国」だと認識していた筈で、いずれかの時点(正日への権力世襲時?)以降になってようやく「社会主義」国のリストから除外した筈なのだ。もっと突っ込んだ質問が北朝鮮についてあれば、ソ連はレーニンとスターリンのいずれの時期から誤ったのか?との質問とともに、面白い場面が見られただろう。
 日本共産党とその追随者に未来はない。憲法九条護持を明確にしている日本共産党(と社会民主党)の、今後6年も任期のある参議院議員を、一人でも増やしてはいけない。一人でも、二人でも、憲法改正発議の障碍になることは明瞭だからだ。
 (なお、上の番組での民主党・小沢の発言内容はきちんと聞いていない。)

 

0293/朝日新聞-「安倍憎し」に燃える「異様すぎる選挙報道」。

 文藝春秋と新潮社ではどちらかというと文藝春秋の方が(文春新書の執筆者を見ても)より「保守的」とのイメージがあるが、週刊誌となると逆になって、週刊文春よりも週刊新潮の方が「保守的」又は親与党的だ。正確には、週刊文春よりも週刊新潮の方が朝日新聞をはじめとする「左翼」に対して<厳しい>、と言った方がよいかもしれない。
 その週刊新潮7/26号はかなり大きく「「安倍憎し」に燃える朝日の「異様すぎる選挙報道」」との見出しを立てて、殆ど巻頭特集のような扱いをしている。以下、言葉・フレーズだけの引用(カッコ内は記者とは別の評論家等)。
 「これでもかという安倍打倒参院選キャンペーン」、「よほど宿敵・安倍首相の支持率が下がったことがうれしかったに違いない」、「…との手前勝手な解説まで入っている」、「この程度で驚いてはいけない。…では…を強調し、…と露骨な投票行動をおこなっている」、「さながら野党機関紙の様相」、「さらに…も凄まじい。…安倍首相に…とケチをつけ、…と畳みかけている」、「年金問題…民主党の支持基盤である自治労…オクビにも出さず、ひたすら安倍攻撃に邁進する」、「極めつきは…と一国の総理の発言を”ヘ理屈”とまで言ってのけた」、「ここまで”政治党派性”を露骨にしての政権攻撃は異様…。ジャーナリズム史に残る事態…」(古森義久)、「普段使わないような情緒的な言葉を多用して安倍攻撃をおこなっている」(古森)、「朝日は、安倍政権にマイナスになることだけを書きつづけていますから」(屋山太郎)、「自分の価値観だけをひたすら押しつけてくる、ただのビラ。”反政権ビラ”…」(屋山)、7/09記事では安倍内閣・自民党支持率回復につき「見出しを打たず、前回の参院選より低いと…」、「まさに世論操作そのもの」、「とにかく安倍憎しという一心で記事をつくっている」(稲垣武)、「昔は…オブラートにくるんで政権批判をしたのに、今は感情むきだし。…新聞以下のイエローペイパー、デマ新聞のレベル…」(稲垣)、「朝日自身が”戦後レジーム”そのもの」(稲垣)、「朝日は、昔のコミンテルン…。…自分たちの思想を宣伝し、ずっと嘘を言いつづけることで、白を黒にしてしまう」(本郷美則)。
 いやはや、この記事を読んでも、<読売新聞や産経新聞も逆の立場で朝日新聞と似たようなことを…>などとの呑気なことを言える人はいるのだろうか。いるとすれば、その人はまともな神経の持ち主ではないか朝日新聞の記者自身ではないか。
 この週刊誌記事の最後の文はこうだ。
 「日本と日本人をひたすら貶めて生きてきた朝日新聞。その常軌を逸した報道は、…朝日ジャーナリズムの断末魔の叫びなのかもしれない」。
 近い将来、上の「なのかもしれない」を「だった」に替えて読み直したいものだ。
 産経新聞7/21花田紀凱の連載コラムで、同氏は上の週刊新潮の記事についてこう書いている。
 「まさにその通り。朝日の反安倍偏向報道、目に余る。どこが不偏不党だ。朝日も恥を知った方がいい」。
 朝日新聞自身も自らの<異常>・<偏向>ぶりを自覚しているのではなかろうか。そして、それが「ジャーナリズム史に残る事態」かもしれないことを意識しているのではなかろうか。
 しかし、そんなことにかまっている余裕がこの新聞社にはないのだ。自民党を敗北させ、安倍晋三を首相の座から引き摺り下ろすことができるかもしれない絶好のチャンスが訪れている(と判断している)のだ。この機会を絶対に逃すまいと、必死の、「常軌を逸した」紙面づくりをしているのだ。
 自民党のある程度の敗北はやむをえないとしても(むろん民主党よりも多数議席の方が望ましい)、安倍晋三を絶対に内閣総理大臣の地位から下りさせてはならない
 朝日新聞の意向・主張に添うことは日本の国益にならず、その主張と反対の方向を選択することこそ日本の戦後の教訓であり指針だった。朝日の考える方向に誘導されず、それをきっぱりと拒否しなければならない。

0292/坂本多加雄の一文-例えば「平等」。

 故坂本多加雄氏(1950-2002)の文章は、安心して読めて、風格や論理性も高い。
 中公クラシックス・福沢諭吉(中央公論新社、2002)の緒言「「文明」と「瘠我慢」のあいだ」にも印象的な文章がある。
 1.「私たちは…平等を「結果の平等」と捉えがち」だが、「小学校の競走競技で、参加者全員に一等賞を与える」といった「結果の平等」めざす傾向は、「個人の努力の意味を希薄させたり、各人のさまざまな能力上の差異という厳然たる事実に正面から向き合わないといった弊害も生むであろう」(p.4)。
 とくに後半はいい文章だし、内容も的確かつ重要だ。あえてさらに要約すれば、「結果の平等」目的→1.「個人の努力の意味」の「希薄」化、2.「各人のさまざまな能力上の差異という厳然たる事実」の無視、ということになる。
 2.関連して、平等主義というよりも<人間の見方>又は世界-国家(日本)-国民(個人)の関係に関連して語られているが、上と類似性もあるこんな文章もある。
 「人間は、それぞれ具体的な地域の社会的な諸条件・諸環境のなかに生まれ落ち、それが課すさまざまな負荷を帯びて成長する」。かかる負荷を全て捨象して「人間をひとしなみに「人類」の一員と同定することはどこまで妥当かという問題がある」(p.28)。
 「人が自分が置かれてきた環境や自らが担っている具体的な属性や条件を無視して、ひとえに「人類の一員」や「純粋な個人」として振る舞うことは果たして、どこまで正しいのか」(p.29)。
 こうした文章は、日本を<地球貢献国家に>とか主張しているらしい朝日新聞の記者や自分を日本国民よりも前に<地球市民>だなどと考えている者たちに読ませてやりたい。
 若いときはさほど感じなかったが、私も含めて人は両親(および両親につながる祖先たち)を選んで生まれてきたわけではなく、「生まれ落ち」る時代を自分で決定したわけでもない。
 そしてまた、「生まれ落ち」る郷土・<国家>も自分で判断して選択したわけでもない。たしかにわれわれはヒトの一種で人類の一員だろうが、現在の時代環境からすると、地球(世界)市民として生まれた、というよりも、やはり日本国民として生まれたのだ。そして、日本の社会であるいはその教育制度の下で大人になってきたのだ。このことに無自覚のようにみえる日本人が多すぎはしないか?
 あるいはまた、生まれつき(男女の区別はもちろん)身体的・精神的(知的)条件・能力においてある程度は<制約されている>こと、そしてその<制約>の内容・程度がどの他の個人とも同一ではではないことは、自明のことであり、厳然たる事実だ。
 生まれつきの<制約>の違いから生じる<不合理かもしれない>点、<不平等>性について、国家や社会の<責任>を追及できるのか? 殆どは、<運命>・<宿命>として受容しなければならないのではないか。むろん、出生後の環境や本人の<努力>(および偶然又は「運」)の影響を否定するものではないが。
 やや余計なことに私が筆を進めれば、朝日新聞や<左翼>の方々が好きかもしれない、個人を日本国民としてではなくまずは「人類の一員」や「純粋な個人」として捉えようとするのは、ルソー的な<平等なアトム的個人>という人間観だろう。財産等々の不公平(・格差)を否定しようとする平等主義は、資本主義(経済)に対する<怨嗟>・<憎悪>の念にもとづく社会主義・共産主義ーの第一歩となるだろう。
 3.戦後日本の歴史観への批判の文章もある。
 「戦後かなり長い間、明治国家の体制を「明治絶対主義」と規定するソヴィエトのコミンテルンの歴史観が圧倒的な影響力を保ち、マルクス主義が想定するような歴史の歩みに逆行するとされた明治政府にいかに対立したか、いかに抵抗したかで、明治期の政治家や言論人の思想や人物を評価したり批判したりするタイプの研究が幅をきかせてきた(…その粗雑な例としては、とくに中学校の歴史教科書の多くに見受けられる)」(p.11)。
 明治国家を「絶対主義」国家と規定したのは、言うまでもなくコミンテルンの影響(というより支配)を受けた、戦前の日本共産党系の「講座派」マルクス主義で、その考え方は現在の日本共産党(および「講座派」的マルクス主義者)にも継承されている。
 4.内容には立ち入らないが、坂本多加雄は世界(「文明」)-国家(日本)-国民(個人)の関係について福沢諭吉の議論を絡めながら説明し又は議論している。国民国家がまだまだ思考の基礎におかれるべきと考えられるところ(当然のことを書くが、日本国憲法や日本の法律は日本という国家にのみ・原則としては日本国民にのみ適用があるのであり、「国家」を単位としてこそ世界・地球は成り立っているのだ)、同旨を再述するが、日本を<地球貢献国家に>とか主張しているらしい朝日新聞の記者や自分を日本国民よりも前に<地球市民>だなどと考えている者たちは、福沢諭吉の「瘠我慢の説」等々による<精神的苦闘>を先ずは学習していただく必要があるように思う。

0291/古森義久「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」に寄せて。

 産経古森義久が氏のブログで7/11に、「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」というタイトルで、その題のとおりのことを批判的に指摘している。
 朝日新聞の記事を全て読んでいないが、古森の感想・考えが正しいだろうことは容易に想像がつく。
 安倍内閣を支持している読売又は産経自体はどうなのかと問題をずらしている、又は公平に論じろとの旨の意見もあるようだが(読売は安倍内閣支持で明確なのか私には分からない)、それは、安倍晋三と朝日新聞の長い<敵対>関係を知らない無邪気な人だからこそ言えることだ。
 朝日新聞は、安倍が中川昭一等とともに若手の「保守派」の会である日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会の要職・事務局長を務めて以来(中川昭一が代表)、警戒すべき政治家だと注意を向け、事あらば批判し、政治的に打撃を与え、うまくいけば失墜させてやろう(政治生命を奪ってやろう)と考えてきた「左翼政治団体」だ。
 2005年になって4~5年前のできごとについて<政治家がNHKに圧力>という本田雅和ら執筆の虚報(捏造記事)を放ったのも、そうした<戦略>の一環だった。この件につき、安倍、中川およびNHK幹部にも毅然と反論されて窮地に陥ったのは、朝日新聞だった。
 その後この件について朝日新聞は訂正も謝罪もせずに勝手に<幕を引いて>いるが、朝日新聞の<挑戦>を堂々と受けて立ち、活字によっても朝日新聞を名指しで批判した安倍晋三は、朝日新聞の<私怨>の対象とすらなったのだ。 
 思い出すがよい。一年前、朝日新聞は安倍以外の者、例えば、福田康夫が自民党総裁→内閣総理大臣になるように必死の紙面づくりをし、福田の氏名を挙げて<さぁ、立て>とまでけしかけたのだった。今でもそうだが、当時も、加藤紘一のコメントを「愛用」したのは朝日新聞だった。(それにしても、加藤紘一は自分が属する政党の党首を「危ない」とか等々々々よくもまぁマスコミ上で批判できるものだ。いつも呆れている。日本共産党なら、即刻除名)。 
 その安倍は、今や内閣総理大臣になった。彼が朝日新聞発行の週刊誌(週刊朝日)の記事にでも敏感に反応するのは当然のことだ。一方、現在の朝日新聞が何とか<安倍退陣>まで持っていこうとの<戦略>を立て、個々の<戦術>を繰り出しているのも分かる。安倍関係になるととりわけ、朝日新聞は報道機関ではなく<政治団体>に姿を変える。
 朝日新聞には2000万人の読者がいるから影響は大きいだろう。また、もともと今回の選挙は自民党が議席を減少させることが容易に想定された選挙だった(6年前が勝ち過ぎだった)。だが、安倍首相が退陣を余儀なくさせられるほどに自民党を大敗させてはならない。朝日新聞の本田雅和、若宮啓文、元朝日の本多勝一、さらには週刊金曜日の佐高信、石坂啓らに<勝利の哄笑>をさせてはなせらない
 朝日新聞の紙面に問題があるなら(そうだと思うが)、産経新聞はその旨を紙面で堂々と批判すべきだ。一般常識のほか新聞倫理綱領等々に朝日新聞も拘束されているはずで、同業だから批判できないというのでは情けない。古森のブログのみでお茶を濁すような情けないことを産経新聞はするな、とむしろ言いたい。


0290/朝日新聞7/18社説を嘲笑する。

 朝日新聞7/18社説「政府の役割―年金解決に市場の知恵を」を読んで、奇異な思いに駆られた。
 第一に、今頃何を寝ぼけたことを言っているのか、ということだ。
 「社会の中で政府が果たす役割を、根本的に考え直す必要があるのではないか」。
 →今更言われなくとも19世紀以降、いろいろな人(傑出した者は「思想家」とも言われる)が、日本人も含めて発言し、議論してきたことだ。今頃になって発見した<大論点>だというつもりだろうか。こんな文章を大新聞の社説で読むとは想像もしていなかった。
 「
今回あらためて明らかになったことは、市場の失敗を正すはずの政府もまた大失敗をする、ということだ。
 →これまた今更指摘されなくとも常識的なことではないか。「市場の失敗を正す」ことのできない政府が、(社会主義国のように)自ら経済運営を<計画>的に行おうとすれば大失敗することもまた常識的なことではないか。大新聞の社説が今頃何を言っているのだろう。
 上の文章の前の、「19世紀から20世紀にかけてできた社会保障制度の発想は「市場の失敗を政府が是正する」というものだ。資本主義経済は暴力的で、競争に負けた人々の生活を破壊する。政府は市場経済の外側にあって市場経済という巨象が暴れないよう外からオリをつくる、という発想だ」は、少しは議論する余地があり、逆に、こんなに簡単にまとめてもらっては困る、と思われる。
 というのは、「
資本主義経済は暴力的で、競争に負けた人々の生活を破壊する」と理解の仕方はまさしく(資本主義社会を憎悪した)マルクス主義のそれであり、また(今世紀の意味での)社会民主主義やひょっとして一部はケインズ主義もこう理解する傾向があるが、「資本主義経済」を無条件・無前提に「暴力的で、競争に負けた人々の生活を破壊する」と表現するのは、暴力的」・「競争に負けた」・「生活を破壊」の各意味の問題にもなるが、誤りだと思われる。大新聞の社説が、こんな一般化した叙述をしてよいのか。
 
「「政府は市場よりもすぐれた能力や善い意図を持っている、あるいは持つべきだ」という
20世紀の発想から抜け出さなければならないのではないか。
 →これまた、朝日新聞様に指摘されなくとも常識的なことではないか。ひょっとして朝日新聞様は今までは、典型的には社会主義理論・マルクス主義のように、政府は市場よりもすぐれた能力や善い意図を持っている、あるいは持つべきだ
」と理解してきたのだろうか。だとすれば、あまりに幼稚で、かつあまりにも怖ろしい。
 そのあとに示されている、「大企業中心の経済」から自由な個人や中小企業がグ
ローバルに活躍できる」「市場経済」へという時代認識が適切かどうかは、私には的確に判断できない。但し、少なくともこうは簡単に言えないのではなかろうか。
 それに、この朝日新聞社説子は「大企業」という言葉で厳密には何を意味させているつもりだろうか。日本共産党がしょっちゅう使って批判しているいる「大企業に奉仕する…」とか「大企業中心の…」とかの意味が不鮮明なのと同様の曖昧さを感じる。
 第二に、自らのこの主張を、朝日新聞も含まれる(同社が市場に参加している)新聞業界にもきちんと適用せよ、ということだ。
 例えば、第一に、<記者クラブ制度>は情報収集への新規参入を拒んで、一部マスメディアの寡占体制化・特権化に寄与しているのではないか。
 朝日社説は「
官僚や「有識者」に丸投げせず、オープンな市場の知恵をもっと信頼する。それが21世紀に市場と国家の役割を仕切
り直すうえで必要ではないか。市場とは結局、私たち自身のことなのだから」と結ぶ。
 「
オープンな市場の知恵をもっと信頼する」ということと、<記者クラブ制度>は矛盾しないのか。
 第二に、「オープンな市場の知恵をもっと信頼する
」価格設定が新聞紙についてはできているのか。朝日に限らないが、いくつかの大新聞の定期購読価格が同じというのは、<自由な市場>を信頼すれば、異常な事態ではないのか。この社説の書き手は自らが属する新聞業界も視野に入れているのだろうか。
 第三に、定価販売のみを許す、いわゆる<再販制度(再販売価格維持制度)>は、「オープンな市場の知恵をもっと信頼する」という主張と矛盾していないのか。
 新聞に特殊性が全くないとは言わないが、この社説の書き手は自らが属する新聞業界も視野に入れて主張しているのだろうか。
 自らの属する業界のことはケロッと忘れて何やら主張しているのだとすれば、<エラそうなことを言うな!>と言ってやりたい。
 補足しておけば、この社説は経済学部出身の記者が書いたものではなく、若宮啓文もそのようだが、法学部出身者が書いたのではなかろうか。そうでないと、こんな幼稚で、かつ一部は簡潔すぎる社説はできない、と思う。
 また、法学部出身者であっても、上級官僚や良質企業の幹部候補生社員はとくにそうだと思うが、入省・入社してから経済学もかなり勉強するはずで、「社会の中で政府が果たす役割を、根本的に考え直す必要があるのではないか。」などという幼稚な文章は、20歳代でも恥ずかしくて書けないのではないか。
 私はこの7/18社説「政府の役割―年金解決に市場の知恵を」を書いた朝日新聞記者を嘲笑する。

0289/日本のマスメディアは「まとも」か-野口悠紀夫コラム。

 安倍首相・自民党の憲法改正に反対して、憲法学界および憲法学者の多くと同様の教科書で同様の教師たちから憲法を学んだ他の分野の法学者たちの多くは、日本共産党か社会民主党に、又は自民党を敗北(議席減少)させるために民主党に投票するのかもしれない。
 しかし、日本共産党員でもマルクス主義者でもない経済学者や政治学者の多くから見ると、参院選前の政策論議とそれを伝えるマスコミ自体がまともなものではない、と映っているのではなかろうか。
 週刊ダイヤモンド野口悠紀夫の連載コラム7/21号の「政策論議を歪めるマスメディアの構造」は、こんなことを書く。
 「テレビの政策論議は単純な二分法」、「善玉と悪玉の戦い」になる、「富者と貧者、大企業と零細企業、都市と地方」等。そして「官僚は常に悪く、民営化は常に望ましい。…扇情的な言葉に影響されやすく、水に落ちたイヌは徹底的にたたかれる(その半面で、鳴き声の大きなイヌには手が出せない)」、「大事件が起きると、右往左往して意見がぶれる」。日本のテレビ界の政策論議は基本的にこのようなレベルで、「床屋談義」・「井戸端会議」だ。「新聞はテレビに比べれば多様な意見が登場しうる」が「全国紙、一般紙という制約から逃れることはでき」ず、「テレビとの差は程度の差でしかない」(p.118-9)。
 私のそれはきっと野口の経済学から見る社会認識と一致しているわけではないと思うが(そもそも野口の議論を殆ど知らない)、経済学の著名な碩学もまた、日本のテレビ・新聞上の「政策論議」は異常だと言っているわけで、同感だ。「大衆」民主主義社会の代表者が「大衆」に媚びるテレビ・新聞だ、とも言える。
 こんな現象はどこの(自由主義)国もそうかと思っていたら、野口は、マスメディアの「多様性」が「アメリカと日本にはかなりの差がある」と言う。
 野口によれば、「アメリカには全国紙はないに等しい」。日本では戦時中の政策により「全国紙の地位が高ま」り、その「全国紙がテレビをも支配する構造になっているため、日本の主要なマスメディアは極端な寡占体制になっている」。日本のテレビはチャンネル数が「ごく少数に制約され」、「それが新聞社とほぼ一対一対応で経営されるため、多様な意見の報道はきわめて難しい」。
 日本のテレビ・新聞等のマスメディアはもともと「歪んだ」ものになりやすい構造をもっている、日本に独特の欠陥がある、ということだろう。私にとって完全な新知見ではないような気もするが、改めて読むと、やはり日本のマスメディアはどこか奇妙だ、と感じる。
 上の野口の文章は政党間対立からは中立と思われる。だが、現時点のマスメディアを一瞥していると、どうやら反安倍首相・反自民党のムード醸成で殆どが一致しているようでもある。少なくとも、安倍首相にとって<暖かい>雰囲気ではない。<年金記録消失問題選挙>といったい誰が決めたのか。<消えた年金>とかのフレーズを誰が作ったのか。自民党が<逆風>にある、と誰が決めつけたのか。
 「日本の主要なマスメディア」ではないネットやブログの世界は、では、多様な意見を反映しているだろうか。少なくとも表面的には、私にはそうにも思わない。<政治的に>ネットやブログを利用してやろうという者のサイトも少なくない、という印象がある(無意味に多いと感じるのは日本共産党員のブログだ。同党のビラと同じことを書くなと言いたい)。但し、一般のテレビ・新聞には出てこない情報や意見を知ることができるのは、選挙とも無関係に、ネットやブログの重要な存在意義だとは感じているが。そして<表現の自由>にとってネットの世界が重要なフォーラムであることも否定はしないのだが。

0288/そして、宮本顕治もいなくなった-日本共産党。

 いつか、「そして、宮本顕治の他は、誰もいなくなった」というタイトルで一文を書こうと思っていた。つい先ほど、同氏が死去したことを知ったので、宮本顕治もいなくなってしまった。98歳。追悼する、という気持ちは私にはない。
 新党綱領を制定した1961年とそのときの共産党大会が現在の日本共産党の<(表面的な)議会主義的・平和主義的>路線の実質的な始まりで、1961年こそが同党の新設立の年だ、それまでの共産党は名前は同じでもコミンテルン・コミンフォルムの影響を受けすぎた別の政党だった、という説明の仕方も可能だった、と思われる。そうすれば、1922~1960年までの(50年以降の分裂と少なくとも片方の<武装蜂起>路線も)現在まで問題にされ批判されている事柄は現在の党とは無関係だと強弁することはできただろう。
 しかし、そうしなかったのは、宮本顕治らの戦前組、そして<獄中組>の<プライド>が許さなかったからだろう。そしてまた、戦前からの活動経験と10年以上の獄中経験こそが宮本顕治ら一部の者に対して、一種の<カリスマ>性を与えたのかもしれない。
 それにしても、1961年以降の日本共産党は、上に、「そして、宮本顕治の他は、誰もいなくなった」と書いたが、中国の毛沢東、北朝鮮の金日成のように、宮本顕治が自らに反抗する(反対意見をもつ)同等クラスのものを徹底的に排除しいく過程だっただろう。社会主義国でなく資本主義国内の共産党でも<独裁>・<(実質的な)個人崇拝>容認思考は形成されていたのだ、と考えられる。
 犠牲者は、それぞれ事由は違うが、春日庄一志賀義雄(日本のこえ)、そして(最)晩年を党員として生きることも許されなかった袴田里見野坂参三…と続いた。<新日和見主義>とされた一群の者たちや有田芳生などの個別のケースの者を挙げているとキリがない。
 一般の日本共産党員は何ら不思議に思っていないようだが、宮本顕治から不破哲三への実質的権力の移譲、不破哲三から志位某への実質的権力の移譲は党大会で承認されたわけでは全くない。幹部会委員会か常任幹部会委員会か知らないが、一般党員には分からない数名(たぶん数十名ではない)の<仲良しクラブ>の中での<密室>の話し合いか又は前任者による<後継指名>によって決まったわけだ。そこには<党内民主主義>なるものは一片もない。あるのは極論すればただ<個人的嗜好>だろう(もちろん共産党の実質的代表として「立ち回れる」能力・知識があることは条件とされただろうが)。
 そういう政党を作り、ここまで40年以上長らえさせたのは、おそらくひとえに宮本顕治の力にかかっている。
 いつかも書いたような気がするが、宮本は二度と入獄の経験などしたくないと心から強く(皮膚感覚を伴って)考えていたに違いない。そして、武装闘争による逮捕→党員数減少・一般国民からの支持の離反などは御免こうむりたいと強く願っていたに違いない。
 その結果が、1961年党綱領だった。そのおかげで日本共産党はまだある。日本共産党の専従活動家として同党に生活を依存している者も多いに違いない。その者たちのためにもある程度の数の議員をもつ政党として日本共産党を存続させていかなければならない。-かかる発想は現在の志位和夫にもあるだろう。
 その代わりに、日本共産党のいう民主連合政府→民主主義革命→社会主義社会・共産主義社会という道は<夢の夢>へとますます遠ざかっている。職業的活動家を扶養するだけの新聞収入と議員歳費収入のある政党として、今後も<細く長く>生きていくつもりだろうか。
 本当はソ連・東欧社会主義国崩壊の時点で、日本の新聞等のマスコミ・論壇は、<日本にコミュニズム政党が存在する意味>を鋭く問わなければならなかった。それを怠った日本のマスコミ・論壇は、それら自体がかなりの部分マルクス主義に冒されていた、というべきだろう。
 勿論現在でも<資本主義国・基本的には自由主義国の日本での「共産主義」政党の存在意義>を問うことができるし、問うべきだろう。しかし、そのような論調はわが国のマスコミ・論壇では必ずしも大きくはない。マルクス主義者の<残党>がまだ一定の影響力をもっているからに他ならないと思われる。なんと日本は<多様な思想>を許容する<寛大で自由な、優しい>国なのだろう
 以上、宮本顕治逝去の報に接して一気に。

0287/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書)を少し読む-その3・小沢一郎。

 小沢一郎とは、かつて、いかなる人物だったのか。大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書、1999)p.57以下の叙述を読む。
 小沢は竹下内閣(1988~89)の副官房長官、海部内閣(1989~91)の際の自民党幹事長として日米経済摩擦・湾岸戦争をふまえた現実的危機意識を持ったが、財政的危機は遠のき福祉政策にもまだ猶予がもてた(要するに、日本経済は底力をもつと判断されていた)時期に、それを前提として「日本がより積極的な国際的役割を果たすことが不可欠との認識」を確たるものとした。彼は、「選挙制度改革」を通じての「改革」を追求し、自民党と新保守的新党の「二大保守党制」が望ましいと考えた。その著・日本改造計画は「新保守」の立場を鮮明にしたものだった(p.58)。
 小沢の改革実現のための戦略は、次のようなものだった。第一に、日本「社会党に、小選挙区制度によって壊滅的打撃を与える」、第二に、新選挙制度による地元利益・職業利益によらない「大政治」により「党中心の集票」を可能にする。これは「党を中央集権的に党首を指導の下に置く」ことを意味する。第三に、「農村を過大に代表している議員定数の大幅な変更」により、上の第二点を補強する。つまりは選挙制度改革を通じて地元利益・職業利益を個別に代表するシステムを根絶し、「ネオ・リベラリズム」とそれに反対する「大きい政府」との政党対立に再編し直すことだった(p.59)。
 小沢と違い多くの識者は第二党として社会党を中心とする社民(社会民主主義)勢力を想定していたが、93年の総選挙(宮沢内閣)での社会党大敗北・日本新党大躍進により小沢の想定シナリオに近くなった(→1993.08非自民・細川連立内閣)。
 しかし、選挙制度改革後の選挙で、「小沢の率いる新進党は、「政治改革」に動員した支持を、ネオ・リベラル的な「改革」支持に転換し、政党として定着させることには完全に失敗した」。新進党(1994.12-)は「既成政党の寄せ集めという実態」がそのままイメージになった。旧新生党・旧公明党・旧民社党等の統一イメージはなく、旧新生党議員自体に「新保守主義」を訴えて闘う力がなかった。
 かりに新進党が「新保守」路線を明確に示していたとしても、旧新生党支持者においてすら「ネオ・リベラル」な争点に関する同党の主張は正しく理解されなかっただろう(1996.10総選挙で自民239、新進156、民主52、社民15、さきがけ2)。
 さきがけ・社会党は小沢の国際貢献論を<軍事大国>路線と批判しはじめ、両党はこれを「ハト派の代表たる河野洋平をリーダーに戴いた自民党との連立」のために利用した(→1994.06村山内閣)。<新保守>は<旧保守>と同一視されたのだ(p.65)。
 小沢はどの時期でも、「新保守主義的な彼の主張を有権者に直接アピールして、安定的な政党支持を形成することには、それほど熱心ではなかった」、むしろ「既存の政党を分裂させ、新たに離合集散させるという…政治家たちを再編することに腐心していた」。「彼の手法は、…集権的な党の指導体制を作り上げることで、有権者から一種の白紙委任を受け取れるようなシステムを作ることにあったと思われる。…「大政治」への有権者の政策関心をを動員することに、ほとんど無頓着であった」(p.66)。
 さて、大嶽の分析を全面的に支持する姿勢で読んでいるわけでは全くないが、90年代の半ば頃の数年間を中心とする活躍時期、その後の目立たない時期(自由党党首→鳩山・菅の民主党に吸収される)それそれにおいて、小沢一郎とはいった何者だったのか。
 1942年生れの小沢は90年代の半ば頃は50歳代前半でまだ<健康>だったのだろう。それもあって、自民党幹事長等の要職経験から傲慢=自信過剰になっていたかもしれない。
 問題意識としては<ネオ・リベラル>・<新保守主義>主張に親近感を覚え、勝谷誠彦がテレビでいつか明確に言っていたように安保・外交面では<安倍さんよりも右です>という面もあった。
 そういう意味でなかなか面白い、重要な政治家の一人だったと思うが、やったことと言えば、政党の離合集散を促進し、政界を混乱させ、政治家がじっくりと冷戦後の体制、21世紀の新体制を論じる余裕を与えなかったことだった、と思う。
 せっかくの細川連立政権を成立させながら社会党を敵に回すというような戦略的稚拙さをもち(社会党抜きの羽田内閣の成立)、海部俊樹元首相をかついでも、自・社・さ連合に敗北したのだった。新進党成立の頃が絶頂で、その後はもはや<過去の>政治家になった、と思われる。
 その彼が今や衆院第二党・民主党の代表となって<政権交代への一歩を>とか言っている。自民党と民主党でどのような<対立軸>の政党間対立になると、彼は説明できるのだろうか。今の民主党とは、彼がかつて夢見た(大嶽によるとだが)、<ネオ・リベラル>・<新保守主義>の政党なのだろうか。大嶽によると、かかる政党に自民党という<大きな政府>党が対峙することを小沢一郎は想定していたようだが、橋本・小泉・安倍内閣という自民党与党内閣こそがむしろ、<ネオ・リベラル>・<新保守主義>的な「改革」を主張し、ある程度は実施・実現させているのではないか。また、防衛・外交面での小沢一郎の「右」ぶりは、安倍首相によってもかなりは代替されているのではないか。
 私には、小沢一郎は、自分の想定の如く政界と政治を動かすことをとっくに諦めているように思われる。民主党が負ければ次期衆院選には立候補しないとの(言う必要もない)発言は、私には彼のもう<政治家>を辞めたいとの想いの吐露としか感じられない。
 前原前代表がコケた後で思わずめぐってきた民主党党首という<晴れの舞台>にいるのが、現在の彼なのだ。居候の如く民主党に入れてもらって温和しくしていたところ、<昔の名前>でもいいから登壇してほしいと頼まれて<昔の名前で出ている>わけだ。
 そういう彼だから、彼のかつての政策との整合性あるいは民主党自体の政策との整合性すらどうでもよくなっている。彼の頭にあるのは、いつかも書いたが、<選挙に勝つ>ことだけ、に違いない。政策・理念など彼にはもはや全くないだろう。日本をどういう国にしたいかのビジョンを彼は語れないだろう。語れるのはただ、<政権交代(への一歩)を>ということだけだ。
 そして<政権交代>すれば、又はそれに近づけば具体的にどういう価値・理念が実現され、現在・将来の国民の利益になるかも、彼は全く語ることができない。むしろ、彼が<仕組んだ>かつての<政権交代>の実例をふり返ってみれば、小沢のいう<政権交代>なるものが、日本の国家とその政治をただ混乱に巻き込むだけだ、ということが分かる。
 彼の功績は、日本社会党を消滅させたことだ。にもかかわらず、民主党内では他グループよりも旧社会党グループ(横路ら)と親近的であるとも聞く。不思議で、奇妙な人物だ。
 こんな人が率いる政党が、参院選で<勝利>してよいのか。2月にすでに明瞭になっていた社会保険庁の<問題>を5月になってマスコミに取り上げさせて、参院選の<争点化>を図る策謀をした、とも言われる。
 上の大嶽の指摘によれば、小沢一郎とは、「党を中央集権的に党首を指導の下に置く」こと、「集権的な党の指導体制を作り上げる」こと、「有権者から一種の白紙委任を受け取れるようなシステムを作る」こと目指した人物だった。元「居候」の立場では民主党内部でさほどの強引さは示していないかもしれないが(但し、対自民党対決姿勢・容共産党姿勢は小沢色だとも言われる)、元来この人には、<集権的>又は<強権的>イメージがある。安倍首相を<強権的>と批判する向きもあるようだが、小沢一郎がかりに衆院300議席を擁する政党のオーソドクスな総裁だったら、安倍首相と比較にならないくらい<集権的>・<強権的>・<独裁的>手法をとるだろうような人物にみえる。
 また、成功した細川連立や失敗した海部擁立等で<黒子>として働いたように(その前には「ミコシは馬鹿な方がよい」との発言もあった)、<策略>・<陰謀>に巧い政治家という臭いもする人物だ。むろん、田中・金丸直系の<金権体質>のあることは安倍首相と比較にすらならない。
 再度いうが、こんな人物が率いる政党に、参院選で<勝利>させてよいのか

0286/無限に近い目的は「罠」だ-日本共産党綱領。

 日本共産党の綱領(2004.01、第23回党大会)が最後に「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」と題してまず「生産手段の社会化」を提唱していること自体の中に、ソ連・東欧の失敗や北朝鮮・中国での経済運営の失敗に学べないマルクス・レーニン主義(科学的社会主義)の病弊を看てとることができる。
 さらに、その「五」の最後には、「(一七)社会主義・共産主義への前進の方向を探究することは、日本だけの問題ではない」との見出しを立て、「二一世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前進の世紀とする」ことをめざすという、美辞麗句らしきもので結んでいる。
 読書のベースは阪本昌成の別の著の次は同・リベラリズム/デモクラシー〔第二版〕(有信堂、2004)だったのだが、やっと、第一部のp.116まで読了した(その次は、阪本昌成・法の支配(勁草書房)の予定)。
 そのp.111にA・ゲルツェンという人の次の語句が引用されている。
 「無限に近い目的などは目的ではない。それはいわば罠なのだ」(ゲルツェン・向う岸から)。
 この文章を阪本は「統治」は「人類や労働者階級を救済するためにある」のではなく「人びとが現世の諸利益を獲得し、維持し、増進することを可能にする」ためにある、ということから、<政治理論>・<国制論>に関して引用している。
 私は日本共産党の上のような<政治理論>を連想してしまった。<21世紀の遅くない時期に民主連合政府を>という目標もすでに「無限に近い目的」だと思うが、その後の「社会主義・共産主義への前進」などは「無限」そのものの将来の目標ではないか。そして、それはじつは「罠なのだ」。
 可哀想にも「」に嵌ってしまった日本共産党員以外に、どの程度の支持を同党が獲得できているか、それは私の今月末の参院選の結果についての大きな関心の一つだ。
 いずれ消滅する政党だとは思うが、とりあえずは、憲法九条護持の主張を(社会民主党とともに)明言して、選挙の争点の一つとしているのは、この点が曖昧な民主党よりはそのかぎりで潔いし立派だ。
 そして、6000ほどもあるという「九条の会」が一般国民をも巻き込み、かつ日本共産党の支持を増大させていれば、同党の得票や議席は増えるはずだ。しかし、同党の得票や議席が変わらないか減少するとすれば、「九条の会」運動は、次の二つのいずれかであることが判明するだろう。
 第一に、憲法九条改正反対の国民の集まりであり、日本共産党が主導権を持っておらず、又は少なくとも選挙時の投票行動にまで影響を与えるには至っていない。
 第二に、日本共産党の地域・職場の「支部」が名前を変えただけのものに殆ど等しく、ほとんど<仲間うち>だけの「会」になっている。
 憲法改正に向けての障害物に他ならない日本共産党(と社会民主党)の選挙での帰趨を早く知りたい気もする。

0285/日本共産党員作家・野間宏のスターリンを讃える詩。

 加賀乙彦・悪魔のささやき(集英社新書、2006.08)p.66-67によれば、野間宏は、1953年のスターリンの死の翌年、詩集・スターリン讃歌に「讃者」の一人として、つぎの詩を載せた。が、のちの彼の「全集」には収録しなかった、という。
 「
同志よ!/つきすすむ 大きなスターリンの星にみちびかれて/夕空に色をかえる雲のように
 私は数知れぬ たたかう星のなかで/かがやく自分の色をかえた。
」(/は改行)
  この頃は主権回復=再独立の翌年・翌々年で、日本共産党の一派は武装闘争を行っていた。スタ-リン批判はこののちの、1956年だ。
 野間宏(1915-1991)は1946年に「入党」したとみられる。1946年「暗い絵」、1952年「真空地帯」、1960-61年「わが塔はそこに立つ」。そして、1964年に党を除名される。
 共産党員だった時期の小説の、映画化もされた「真空地帯」がどのような<立場>からの作品かわかろうというものだ。
 「わが塔はそこに立つ」の塔は冗談ぽく言えば「党」ではなく、これは高校=三高時代の自伝的作品とされる。長篇だ。そして「塔」とは、三高の東南方向の丘陵地上にあった
真如堂という寺院の三重の塔を意味しているらしい(未読)。
 
なお、1950年代前半の学生運動に関する小説に、高橋和巳「憂鬱なる党派」(1965)がある。
 この頃に私は生まれていたが、むろん野間宏もスターリンも「知る」年齢ではまるでなかった。

0284/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(1999)を少し読む-その2。

 大嶽秀夫・日本政治の対立軸-93年以降の政界再編の中で(中公新書、1999)のp.36は、93年以前についてだが、「マスメディアは、党派的中立性を装いながらも、自民党一党支配が続くことは非民主的で、政権交代が望ましいとの主張は一貫してとりつづけた」と書く。
 宮沢喜一内閣不信任決議後の93年総選挙時に、たしかテレビ朝日の某氏が、野党に有利に(自民党に不利に)番組を作ったとのちにマスコミ関係の会合で発言して物議を醸したことを思い出す。
 現在のマスメディアは上の記述ほどには単純ではないと思うが、細川内閣誕生、さらには村山内閣誕生という<政権交代>をすでに経験し、それらの経験が国民・社会にとって決してプラスだったと少なくとも断じることができないことは明らかなのに、今なお、<とにかく政権交代を>と主張している人・考えている人がいるのには呆れてしまう(月刊WiLL誌でアリバイ的に?反安倍コラムを連載している岡留安則(元噂の真相編集長らしい)はその一人だ。私はこの人の政治的センスを疑っている)。
 さて、大嶽の本に戻ると、p.45-56あたりではこんなことが書かれている。
 1.70年代末以降「政策エリート内部」では「新保守主義」の主張が有力化し、経済政策において、「社会民主主義合意(ケインズ型福祉国家)」に対する「ネオ・リベラル」防衛・外交政策において、70年代のソ連の軍拡に対応した西側防衛への貢献論、冷戦後の積極的な国際貢献論への傾斜による自民党内のハト派や社会党の平和主義者」への対抗を内容とした(p.46-47)。
 2.新自由クラブの経済政策は「ネオ・リベラル」の先取り的面もあった。80年代の中曽根内閣の戦略も同様だ。後者は、防衛・外交政策上の「新保守主義」の登場だった(p.47)。
 3.新自由クラブ内で、河野代表-「従来の社会党寄りの保守内ハト派・中道」と西岡幹事長-「萌芽的ネオ・リベラリズムによる「保守刷新」」の対立は、同クラプの分裂・解党につながった。
 のち西岡武夫は小沢一郎の盟友として新進党幹事長となる。河野・西岡の対立はのちの自民党・新進党の保守対決を予言したかのようだ(p.49)。
 ここで私が口を挟めば、上の叙述からすると、西岡・河野の対立は<新保守的>・<親社会民主主義>という、あえていえば、西岡・右、河野・左の対決だった筈だ。しかして、現在の二人を見ると、河野洋平は自民党総裁を経て衆院議長、西岡武夫は旧日本社会党議員もおり日本共産党とも同じ候補を推薦することもある民主党の一議員として今回の参院選挙に立候補する。この分かれに小沢一郎が影響を与えたことは明らかなのだが、政治家の<政党渡り>の結果の奇妙さ・面白さを感じる。
 大嶽の本に戻る。4.中曽根首相の<新保守主義>による「政党再編」を中曽根は「左にウィングを伸ばす」と表現したが、三つの側面があった。第一にソ連圏に対する国際的「自由主義」により日本の防衛力整備を正当化する、第二に、官公労を既得権益擁護者と批判し、そのことで官公労を組織基盤とした平和運動・勢力に打撃を与える、第三に、小店主・農民への自民党の依存を小さくし、都市新中間層等に支持を広げる(p.50-51)。
 5.中曽根首相の戦略は1988年選挙での自民党圧勝等、日本社会党の重大な後退を生じさせたが、短期的で長期的政界再編はなかった(p.51)。
 6.中曽根首相の<新保守主義>による政策群は「日本の一般の有権者にとっては、理解が「難しい争点(hard issue)」だった(p.52)。その理由は第一に、外交・防衛上の「国際貢献」に関する議論は従来の保革の対立軸を覆す効果をもたず、第二に、「経済政策についてのネオ・リベラル的な処方箋は、日本政治に登場して間もなく、国民に馴染みの少ない」もので、第三に、「旧中間層を手放して、新中間層に支持基盤をシフトさせる用意」は、中曽根首相にも自民党にもなかった。
 というわけで、<社会民主主義的合意>があり、<新保守主義>又は<ネオ・リベラル>による政策が「難しい争点」だったとすると、日本国民はいったい何を<基準>にして投票行動してきたのだろうか
 たまたまのスキャンダルめいたものの多寡によって政党の議席獲得数が左右されてきたのでは、少し(いや大いに?)情けないのではなかろうか。さらに読みつづける。

0283/マスコミ・出版界(の一部)は何故<反安倍>なのか。

 7/15(日)午後の某テレビ局のなんとか委員会に、講談社の今は某女性月刊誌の編集長だとかいう藤谷英志という者がパネラーとして出演していて、安倍首相・安倍政治に対して明らかに批判的な論調でコメントしていた。それを聴きながら、マスコミ・出版界の少なくとも一部には強固に存在するのだろう<反安倍ムード>を感じることができた。また、藤谷某はそのような人びとの中の典型的な人物のような気がした。
 むろん推測なのだが、安倍首相に対する批判意識の理由の第一は、安倍氏は頭が悪い、というものではないかと感じることがある(上の藤谷某氏の発言の中にもそのように受けとめられる口吻はあった)。その際、むろんこれまた推測なのだが、安倍氏の出身大学が問題にされて(成蹊か成城か、私はじつは正確に記憶していない)、もっと<いい>大学出身のマスコミ・出版界の連中が安倍首相をバカにするにような風潮があるのではないか、と推測している。
 だが、誰でも一般論としては認めるとおり、18ー19歳の時点での特定の分野での知識・能力でもって、現在の、とりわけ政治家としての、能力・技量を判断してはならない。
 先日の7?党党首討論会の模様を録画で概ね観たが、個別政策についての詳しさ、個別政策の全体から見ての位置づけの確かさ等について、安倍晋三は、他の党首に抜きん出て優れている、と感じた。日本共産党の志位某も社会民主党の福島某も東京大学出身の筈だが(民主党の小沢一郎氏は慶応?)、これらに安倍はむろん引けをとってはいない。
 事務所費用問題では歯切れが悪かったし、首相ならぱもう少しゆっくりと堂々と語った方がよいようにも多少は感じたが、数の上では多い野党党首たちを相手とする議論という<修羅場>に十分以上に耐えていた。
 安倍首相はこれまでの自民党総裁=内閣総理大臣の中でも決して政治家としての知見・能力について劣ってはおらず、むしろ優れている方に属するのではないだろうか。たんなる二世議員、「坊ちゃん」政治家ではない。あまたいる自民党議員の中から50歳代前半の若さで総裁(→首相)に選出されたのだから、やはりそれなりの、あるいはそれにふさわしい知見・能力・技量・人格をもっている、と感じる。
 それでも、世の中にはアベとかアベシンゾーとか安倍首相を呼び捨てにして、<低能(脳?)>等々の罵詈雑言を書きまくっているブロガーもいるだろう。6/20に紹介したが、曽野綾子の文章を再び思い出す。
 「素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない。総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる方法である。なぜなら、…これは全く安全な喧嘩の売り方なのである。…相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に偉くなったような錯覚さえ抱くことができる」。
 安倍首相に対する批判の第二は、その<右派的・(明瞭な)保守派>的立場に向けられていそうだ(この点を上の藤谷はより明確に語っていたと思う)。
 ここで先日も言及したが、平和祈念=革新=進歩的・モダン=そして善軍事を話題に=保守=反動的・伝統的=そして悪、という何ら論証されていない(朝日新聞がかかる雰囲気を醸成しているかもしれない)二項対立的な強いイメージがなお残っていることを感じる。
 そして、マスコミ・出版界の者たち(の一部)にとって重要なことは、<インテリ(と自らを思う者)>は、上の二つのうち前者を採るべきだ、と彼らは無意識にせよ<思い込んで>いると見られる、ということだ。
 <庶民>の目線でなどと言いつつ、彼らの多くは、自らを<庶民>とは自己規定しておらず、<庶民>と区別された<インテリ(の端くれ)>と思っているのではないか(講談社の藤谷の如く、ふつうの会社員・銀行員・公務員とは違う長髪両分けスタイルも一つの<スタイル>なのだろう)。
 そして、上のとおり、(似非インテリのゆえに?)現実ではなく観念が先走って、<軍事を話題にする=保守=伝統的>の方を嫌悪し、その中にいると彼らが断じる安倍首相をかなり強く嫌悪する原因になっているのではなかろうか
 そのようなマスコミ・出版界の者たちが作る紙面・誌面を読まされる多数の国民は、いうまでもなく<被害者>だ。

0282/朝日7/12社説-「左翼政治団体」日刊機関紙の如く、ひどい。

 朝日新聞は、参院選の投票を前にして、いよいよ<狂気>じみてきているようだ。公示日7/12の社説については、すでに産経・古森義久が詳しい紹介・分析を掲載している。
 それによると(私も朝日の当該社説を見ているのだが)、朝日は今回の参院選を、1.<「宙に浮いたり、消えたり」の年金不信>、2.<閣僚に相次いて発覚した「政治とカネ」のスキャンダル>、3.<無神経な失言の連発>という、「逆風3点セット選挙」(又はたんに「年金選挙」・「年金記録信任選挙」)と理解しており、また国民にも理解してほしいようだ。
 なぜなら、そのように選挙を性格づければ安倍首相率いる自民党にマイナスになることは必至だからだ。上のような点の強調又は反復には、朝日新聞の<必死の想い・願望>が込められている、と言ってよいだろう。
 古森が前提としているように、また前回言及の佐伯啓思のコラムが述べていたように、争点はこんなところにはない筈だ。
 とはいえ、朝日社説はアリバイ的に他のことにも言及している。いわく、<同時に、この9か月に安倍政治がやったこと、やらなかったことを、その手法も含めて有権者がしっかりと評価するのが、この選挙の重要な目的であることを忘れてはならない>、<これからの日本の政治のあり方をめぐって重要な選択が問われていることを心にとめておこう。/安倍政治がめざす「戦後レジームからの脱却」か、小沢民主党がめざす政権交代可能な二大政党制か――。投票日までの18日間、しっかりと目を凝らしたい>。
 しかし、古森も指摘するように、「この9か月に安倍政治がやったこと、やらなかったこと」や「安倍政治がめざす「戦後レジームからの脱却」」については、まるで殆ど言及がないのだ。言及する場合には、「国民投票法など対決色の強い法律を、採決強行を連発しながらどんどん通していった。/教育再生や集団的自衛権の解釈などでいくつもの有識者会議をつくり、提言を急がせたりもしている」と、批判的・否定的にのみ言及する。
 古森指摘のとおり、「「安倍政治」を語るならば、当然、教育基本法の改正、憲法改正を目指しての国民投票法の成立、天下りを規制する公務員制度改革法の成立、防衛庁の省昇格、そして中国や韓国との関係改善、さらにはNATOとの初の首相レベルでの接触、インドやオーストラリアとの「民主主義の共通価値観」に基づく新連携などなどが、少なくとも言及されるべき」だ。
 朝日社説はまた、アリバイ的言辞を挿入していることもあって、論理をたどることがかなり困難だ。
 重要な選挙の告示日に、朝日新聞はこのような、安倍内閣に打撃を与えてほしいとの魂胆だけがミえみえの、論旨のわかりにくい、勿論格調の低い社説しか書けないのか。
 もちろん<左翼政治団体>の日刊機関紙だと公言してくれていればそれでよい。安倍批判をしたいがために<前のめり>になるのも分かる。しかし、報道機関たる天下の「新聞」の社説として、若宮啓文らは恥ずかしくないのだろうか。
 今、あらためてこの朝日社説を読んでみた。ひどい。これで700万部発行され、2000万人の眼に触れているとは、怖ろしい。心ある多数の国民の良識に期待するほかはない。

0281/産経7/14の佐伯啓思の「正論」を読む。

 産経7/14佐伯啓思の「正論」によれば、「本来は、今回の参院選の中心的な争点は、安倍政権が推し進めている「戦後レジームの見直し」にあった。具体的には、すでに着手した教育行政の見直しや、イラク、北朝鮮をめぐる日本の対応、そして憲法改正にあった」。「当然のことながら、「宙に浮いた年金」は、…参院選の行方を左右するテーマではありえない」。しかし、「「宙に浮いた年金」の争点化によって、憲法改正をふくむ「戦後レジームの見直し」という真の論争点が隠蔽(いんぺい)されてしまうのは「代表者によって国の根本問題を論議する」という参議院の理念からしても問題がある」。
 そのとおり。だが、氏は次のようにも言う。「自己責任や市場主義による成長優先政策か、社会の共同生活の枠組みの安定か、という対立がある。「年金」不安はそのことを背景としている。しかし、与党も野党も問題の設定に失敗してしまった」。
 後者の対立又は争点は多くの人びとには全く又は殆ど意識されていないのではないか。あるいは、国民もマスコミもほとんど「社会の共同生活の枠組みの安定」を選択しているかの如くだ。政党がかかる争点を掲げ、かつ前者を主張し後者を軽視すれば必ずや惨敗するように見える。
 その意味で、佐伯啓思は、紙幅の制限の中で、やや難解な論点に言及してしまった感もある。

0280/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書、1999)を少し読む-その1。

 全て読了したわけではないが、大嶽秀夫・日本政治の対立軸-93年以降の政界再編の中で(中公新書、1999)を読むと、1999年時点での執筆だが、いろいろと興味深いことが書かれている。立花隆の駄文よりは遙かに大きな知的刺激も受ける。
 内容の私自身の文による紹介・要約はしない。大嶽氏は次のようなことを指摘、主張している。
 1.1993年まで、即ち所謂「55年体制」下では、経済政策・国家の経済への介入・福祉問題は、「保革」(「保守」と「革新」、「右」と「左」)を分ける政策の対立軸になっていなかった。両者を分けるのは、安保・防衛・憲法改正(+天皇)の問題だった(p.4-5)。「政党間対立に経済政策をめぐる争点が直接結びつくことにはならなかった」(p.17)。
 2.同じ時期において、平和主義=高学歴=若年=ホワイトカラー層=近代的、再軍備支持=低学歴=高年齢=自営業者(農業を含む)=伝統的、という社会的亀裂があり、革新・保守いずれも「この亀裂を集票に動員した」(p.9)。
 3.戦後の米国では「大きい政府」対「小さな政府」や社会道徳的争点が対立軸としてあったが、「日本の特殊性は、価値の対立が防衛問題にからみ、さらには…体制選択の問題に絡んだことによって、生まれた」(p.10)。
 4.1970年代半ばに登場した新自由クラブ、社会民主連合は一時的にある程度の支持を獲得したが右寄り中道・左寄り中道のライン上に結局は埋没した。
 5.「革新自治体」の広がりに危機感を覚えた自民党は環境・福祉問題の解決を自らの課題とし、政権交代によることなく1970年代には環境問題の大幅な改善・福祉制度の大幅な拡充が行われた。1970年代半ばには「社会民主主義」的合意が有権者に成立し、この(社会民主主義的政策に関する)争点は防衛問題に代わる「政党間の対立軸」にはならなかった(p.20-21)。
 6.自民党が農業・建設関係自営業の「地元利益」・「業界利益」を代表し社会党が官公労働者の「職業利益」を代表し、政党対立は政策によるそれではなく「分け前をめぐっての対立」に変質した。両党議員の役割は「既得権益」を守ることで、これらに対する、消費者・納税者等の利益のために政治改革を求める層との対立が潜在的には生じていた(p.21-23)。新自由クラブの躍進・社会党のマドンナブーム・93年の日本新党の躍進等は具体的な顕われだった(p.23)。
 以上をいちおうの一区切りとしておくが、別の観点からの次のような指摘は私には新鮮なところがある。
 1.既成政党・政党政治や官僚・政府等の「政治・行政のプロ」に対する「拒否反応」が上の6の前半叙述部分に対して起こった。新自由クラブ・日本新党はその象徴だった(p.27)。一種のアマチュアリズム、「政治のプロに厳しい姿勢をとり、アマチュアたる市民の立場を代表」することが好感を持たれ、また、マスコミも積極的にこれを支持したからこそ躍進できた(p.35)。但し、<新鮮さ>を失うと、新党は急速に衰退した(p.36)。
 2.既成の政治エリートへの反発という「反政治性」は「非政治性」を根本に持っており、<まじめな反対>よりも「政治を「あそび」の一つとみなす、ある意味で無責任な態度」を特徴としている。日本では50年代末からすでに新中間層も労働者も「革新から離れて保守化し」、「大都市の若者も都市の新中間層は、むしろ、私生活に関心を集中するという…私事化・私化に傾斜」したが、この「私生活中心化、私事化の延長上」に、「あそび志向への変化」がある。1995年の青島幸男東京都知事・横山ノック大阪府知事の当選は非既成政党との面に「あそび」としての投票という面が結びついた結果だ。細川護煕の一時的人気も、「いつでもやめる姿勢にみられる、無責任ともいえる」彼の「あそび感覚への共感」によるところが大きい(p.32)。
 ここでまた区切るが、上の二点の指摘は面白い。アマチュアリズムと「あそび」感覚への支持、そしてこれらを客観的には支持し煽ったマスコミの存在。外国ではどうなのかは分からないが、なるほど日本ではこういう側面もあったかと思わせる。
 但し、真面目に考えれば、そうしたアマチュアリズムや「あそび」感覚の投票が許容されたのも既成政党・官僚等の政治・行政のプロがきちんとまだ存在していたがゆえの余裕でもあったようにも思われる。
 アマチュアの政治・「あそび」感覚の投票を許容するほどに、日本の現在のエスタブリッシュメントは堅固だろうか。私はかなり危ういと感じている。上級官僚も、社会保険庁問題に見られる一般官僚もそうだ。政治家の質が従来よりも高まっているとはどうも思えない。どんなに無茶なことをして<遊んでも>日本の国家は大丈夫、などという余裕はとっくにないだろう。
 上の二点以外では、第一に、最初の番号の中の5、自民党が「社会民主主義」的政策を実施したという点が、私の記憶又は理解とも合致していて、興味深い。日本社会党は1/3程度の支持は獲得していたが政権奪取(第一党化)しそうにはなかった。それは、同党の安全保障政策に決定的な問題があったからだが、政権をとれない日本社会党に代わって自民党が、欧州ならば社会民主主義政党が主張するような政策を立案し実施したのだ。
 それは「革新自治体」のそれと同様に<バラマキ福祉>だった可能性もある。しかし、まだ1970年代は(オイルショックもあったが、それを乗り越えた)日本の経済力がまだ十分に大きく、財政的余裕があったのだ(但し、いずれ勉強・調査したいが、国債の-少なくとも大量の-発行=借金はこの時代に始まったと思われ、田中角栄・三木武夫両内閣等には日本の国家財政に対する歴史的責任があるのではないかという感覚を持っている)。
 第二に、最初の番号の中の2も興味深く、大嶽氏が「55年体制」下において見られたという、平和主義=高学歴(インテリ)=若年=モダン(進歩的)、再軍備支持=低学歴=高年齢=伝統的(復古的)、という、とっくに古びた、時代遅れのイメージになおすがりついている「自称インテリ」がまだまだ多いような気がする(とくにマスコミ界にはかかる「自称インテリ」がコゴロゴロしているのではないか。「自称インテリ」は朝日新聞の読者が多く、自民党でも共産党でもなく民主党に投票してしまう傾向にあると推測している)。こうした「思い込み」=「刷り込み」からは早く離脱しなければならない。 
 今回はこれくらいにして、大嶽秀夫の上の本のうち、小沢一郎が登場するあたりは別の機会に言及する。

0279/阪本昌成の「社会権」観とリベラリズム。

 中川八洋はその著・保守主義の哲学等で、ハイエクにも依りつつ、「社会的正義」という観念を非難し、「社会的正義」の大義名分の下での「所得の再分配」」は「異なった人びとにたいするある種の差別と不平等なあつかいとを必要とするもので、自由社会とは両立しない。…福祉国家の目的の一部は、自由を害する方法によってのみ達成しうる」などと主張する。
 そこで5/13には<中川八洋は一切の「福祉」施策を非難するのだろうか。>とのタイトルのブログを書いたのだった。
 自称「ハイエキアン」・「ラディカル・リベラリスト」の阪本昌成もまた「福祉国家」・「社会国家」・「積極国家」というステージの措定には消極的なので、中川八洋に対するのと同様の疑問が生じる。
 その答えらしきものが、棟居快行ほか編・いま、憲法を問う(日本評論社、2001)の中に見られる。「人権と公共の福祉」というテーマでの市川正人との対談の中で、阪本昌成は次のように発言している。
 1.私(阪本)は「自由」を根底にするものを「人権」と捉え、「社会権」のように国家が制度や機関を整備して初めて出てくる「基本的人権」は「人権」と呼ばない(p.207)。
 2.「生存権」によって保障されているのは「最低限の所得保障に限る」。その他の要求を憲法25条に取り込む多数憲法学者の解釈は「国民負担を大とし」、「現代立憲主義の病理」を導いている。「大きな政府」に歯止めを打つ必要があるp.208)。
 3.「社会権」の重視は「社会的正義の表れ」というのだろうが、そのために「経済的自由、なかでも、所有権保障は相対化されてきた」(同)。
 4.日本には「自由な市場がない」。ここに「いまの日本の病理がある」。これは一般的な「自由経済体制の病理ではない」(p.212)。
 5.経済的自由は「政策的」公共の福祉によって制約できるというだけでは、また、精神的自由との間の「二重の基準論」のもとでの「明白性の原則」という枠だけでは立法政策を統制できない(p.217-8)。
 私は阪本昌成の考え方に「理論」として親近感を覚えるので、主張の趣旨はかなり理解できる。
 もっとも、現実的には日本国家と日本社会は、日本こそが<社会主義国>だ、と半ばはたぶん冗談で言われることがあったように、経済社会への国家介入と国家による国民の「福祉」の充実を当然視してきた。
 現在の参院選においても、おそらくどの政党も「福祉」の充実、「年金」制度の整備・安定化等を主張しているだろう。従って、阪本「理論」と現実には相当の乖離がある。また、「理論」上の問題としても、国民の権利の対象となるのは「最低限の所得保障」であって、それ以上は厳密な国民の権利が対応するわけではないとしても、例えば高速道路や幹線鉄道の整備、国民生活に不可避のエネルギーの供給等に国家が一切かかわらないということはありえず、一定限度の国家の<責務>又は<関与の容認>は語りうるように思われる。 
 かつて7/01に日本は英国や米国とは違って「自由主義への回帰が決定的に遅れた」と書いた。
 宮沢喜一内閣→細川護煕内閣→村山富市内閣→という<失われた10年>を意味させたつもりだった。だが日本の実際は「自由主義への回帰」はそもそもまだ全くなされていないというのが正しい見方かもしれない。
 「理論的」には阪本は基本的に正しい、というのが私の直感だ。国家の財政は無尽蔵ではない。活発な経済活動があってはじめて主として税収から成る国庫も豊かになる。そうであって初めて「福祉」諸施策も講じることができるのだが、「平等化」の行き過ぎ、どんな人でも同様の経済的保障を例えば老後に期待できるのであれば、大元の自由で「活発な経済活動」自体を萎縮させ、「福祉」のための財源も(よほどの高率の消費税等によらないかぎり)枯渇させてしまう。
 経済・財政の専門家には当たり前の、あるいは当たり前以下の幼稚なことを書いているのだろうと思うが、本当は、経済政策、国家の経済への介入の程度こそが大きな政治的争点になるべきだ、と考えられる。
 だが、焦る必要はないし、焦ってもしようがない。じっくりと、「自由主義」部分を拡大し、<小さな国家>に向かわせないと、日本国家は財政的に破綻するおそれがある。まだ時間的余裕がないわけではないだろう。
 なお、上の本で市川正人は「たまたま親が大金持ちであったために裕福な人と、親が貧しかったために教育もまともに受けられなかった人とがフェアな競争をしているとは到底できないでしょう」と発言し、阪本は「誰も妨害しないのであれば、それは公正なレースと言わざるをえない…。個々人の違いは無数にあって、全てに等しい条件を設定するということは国家にはできません」と回答している。
 このあたりに、分かりやすい、しかし深刻な<思想>対立があるのかもしれない。私は阪本を支持する。市川の議論はもっともなようなのだが、しかし例えば<たまたま生まれつき賢かった、一方たまたま生まれつきさほどに賢くなかった>という「個々人の違い」によって生じる可能性・蓋然性を否定し難い<所得の格差>は、国家としてはいかんともし難いのではないか。
 同じくいちおうは健康な者の中でも<たまたま頻繁に風邪をひき学校・職場を休むことが相対的に多い者とたまたま頑強で病欠などは一度もしない者>とで経済的報酬に差がつくことが考えられるが、このような、本人の<責任>を追及できず生まれつき(・たまたま)の現象の結果と言わざるをえないような「個々人の違い」まで国家は配慮しなければならないのだろうか。
 二者択一ならば、こう答えるべきだろう。平等よりも自由を平等の選択は究極的には国家財政を破綻させるか、<平等に貧乏>(+一部の特権階層にのみのための「福祉」施策)という社会主義社会を現出させるだろう。

0278/マルクス主義法学講座第3巻(日本評論社)と日本共産党。

 長谷川正安=渡辺洋三ほか編集・マルクス主義法学講座第三巻・法の一般理論(日本評論社)は1979年3月に刊行されている。古書で入手できた。
 執筆者とテーマは次のとおり。
 藤田勇・第一章「社会構成体と法的上部構造」

 長谷川正安・第二章「法の現象形態」
 片岡曻・第三章「法の解釈・適用」
 渡辺洋三・第四章「階級闘争と法」
 以上のごとく、すでに見た1巻・5巻と比べて、しごく簡単な構成だ。そしてこの巻でも、長谷川正安・渡辺洋三両氏が重要な?テーマを執筆していることに気づく。
 第四章の最後の節を渡辺洋三はこう書き始めている。-「現代日本の階級闘争の当面の目標は、全体制の民主的変革である」。またこうも書く-「現代日本法を、安保体制下の国家独占資本主義法の全面的展開としてとらえ…」(p.332)。
 そして、渡辺は、「民主的変革のための法律学の課題」として「少なくとも」つぎの5つを挙げる。1.「安保法体系を廃棄する」ことによる「現行憲法の一元的支配を回復する」こと、2.「安保体制を支えている現代日本国家独占資本主義下の国民経済を、民主的に改造、変革」すること、3.「統治構造を、日本国憲法の民主主義的諸原則に合うようにつくり変え」ること、4.「民主的主体の変革」(5.は省略)。
 「民主的」・「民主主義的」のオン・パレードであり、これが当面の革命の目標は民主主義革命だとする日本共産党の綱領・方針に添ったものであることは言うまでもない。そして、「民主的」に、とは日本共産党(員)が主導権をもっての意であり、「民主化」とは日本共産党(員)が主導権を握ることの意味だったわけだ。
 そうした「民主的」とか「国家独占資本主義」との語を抜いて読むと、高尚で難解な理論が展開されていると思いきや、とんでもない駄文であり、意味不明の文であることに気づく。
 なお、第一に、上の1.の「安保体制」と「憲法体制」の矛盾解消の指摘は、当然に日米安保条約の廃棄の主張を含んでおり、現在では日本共産党はあまり強調しなくなったが、<安保廃棄>はこの党の重要な主張だった。
 そして、近日に言及した立花隆の「護憲論」が日米安保条約には何ら論及していなかったことを思い出すし、立花隆の自衛隊合法論は少なくとも1970年代の日本共産党や日本社会党の主張とは異なることが明らかだ。
 第二に、当面は「民主主義」を唱えつつ、それだけでは終わるつもりはないことは日本共産党の綱領を読んでも明らかだ。
 同党綱領の「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」の最初だけ引用する。
 「 (一五)日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。/社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。」
 日本共産党の「自由と民主主義の宣言」も現在主張されている「民主的」な政策も「資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる
ための手段・戦術に他ならないことを銘記しておかなければならない。

0277/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その6。

 10番目ということにしておくが、立花隆という人は、内容のない罵詈雑言的言辞を好む品性の物書きのようだ。
 私自身もかなり批判的な言葉を使うこともあるので完全に他人事にすることはできないが、立花の表現技術?もなかなかのものである。
 月刊現代8月号p.44によれば、彼のいう「自明の理が見えない政治家は愚か」で、「自明の理が見えずに改憲を叫ぶ政治家は最大限に愚か」で、「金の卵を産む鵞鳥の腹を裂いて殺してしまう農夫と同じように愚か」である。この「愚か」というのは、立花隆お得意の批判の言葉のようだ。相手を見下して、<莫迦>と言っているわけだ。
 こうも言う-「いまの改憲論者のほとんど」は「安倍首相も含めて」、「憲法に関して基本的知識をちゃんと持ち、深くものを考えた上での改憲論者というよりは、頭の中が軽くて浅いだけの軽佻浮薄な改憲論者か、時の勢いに安易に乗るだけの付和雷同型の改憲論者と思われる」。
 本人は気持ちよく書いているのかもしれないが、論理も内容もないこうした殆ど罵倒だけの文章は、改憲論者に対して何の影響も与えないだろう。少なくとも私に対してはそうだ。
 私から見れば、立花隆こそが、「憲法に関して基本的知識をちゃんと持ち、深くものを考えた上での」護憲論者ではない。彼が「頭の中が軽くて浅いだけの軽佻浮薄な、「時の勢いに安易に乗るだけの付和雷同型の」護憲論者である可能性も十分にある。護憲論、とくに九条護持論は巷に溢れており、その中には「軽佻浮薄」あるいは「付和雷同」的なものも多いからだ。
 ところで立花隆は「いずれ軽佻浮薄派と付和雷同型が多数を占めて、憲法改正が実現してしまう日がくると私は見ている」とやや唐突に書いている(p.45)。
 これは一体何だろう。この人が「私の護憲論」を書いているのは憲法改正を阻止したいからではないのか。だとすれば、かりに内心思っていても、こんな予想を書くべきではないのではないか。
 この文を見て、立花隆という人は、歴史又は政治の当事者では全くなく、安全な場所に身を置いて社会を論評する、無責任な評論家だとあらためて感じた。結局は、現実がどうなってもよい、あれこれと自由に論評でき、駄文を綴れる自由があればよいとだけ考えている、歴史という舞台の鑑賞者にすぎないのではないか。
 第一一に、立花隆は憲法九条が「占領軍の押しつけではなく、日本側の発案でできたものだということを明らか」にする、という。
 ここでの「日本側」とは幣原喜重郎のことで、マッカーサーと二人での密室の会談において幣原が提案したという、これまでも語られた又は主張された歴史上の理解の一つだ。但し、支配的見解ではない。
 さて、幣原がかりに提案したのだとしてもそれを「日本側」の発案と表現するのは厳密にはおかしい。内閣の承認を受けた内閣総意の発案ではないし、国会の多数派の意見でも(天皇の意見でも)ないからだ。
 そんなことよりも、そもそも、憲法九条が「占領軍の押しつけではなく、日本側の発案でできたものだということを明らか」にすることによって、立花隆は何が言いたいのだろうか。
 <押しつけ>られたのではなく「日本側の発案」によるものだから、現在及び今後いっさい改正してはならない、ということなはならないことは明らかではないか。
 このことをじつは立花隆も認めている。日経BPのサイト上の連載コラム「改憲狙う国民投票法案の愚・憲法9条のリアルな価値問え」において、立花自身がこう書いていたのだ(今年4月)。
 「
憲法9条を誰が発案したかについては、いまだに多くの議論があり、いずれとも決しがたい。参照すべき資料はすでに出尽くした感があり、いまつづいている議論は、どの資料をどう解釈するかという議論である。同じ人物の同じ発言記録をめぐって、そのときその人がそう発言していたとしても、その真意はこうだった(にちがいない)というような形で、いまだに延々と生産的でない議論がつづいている。
 
私はそのような議論にそれほど価値があるとは思わない」。
 「いま大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく(究極の解明は不可能だし、ほとんど無意味)、9条が日本という国家の存在に対して持ってきたリアルな価値を冷静に評価することである」。
 立花隆は月刊現代誌上で、自らつい最近に「生産的でない」とか「それほど価値があるとは思わない」と書いた議論を展開するつもりのようだ(まだ終わっておらず、9月号へと続く)。
 私は幣原発案説は採用し難いと考えている。だが、そんなことよりも、幣原発案説の正しさを論証しようとし、かつかりに論証し得たとして、一体何に役立つのか。立花隆自身が4月に述べていたように、「大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく」、9条の現在・今後の存在意義ではないか。
 立花隆は月刊現代の誌面を無駄に費しそうだ。
 なお、このブログでも既述だが、憲法<押しつけ>論に対しては、国民主権原理の明記や基本的人権条項のいくつかは「日本側」の私的な研究会(鈴木安蔵らの「憲法研究会」)の案がかなりの影響を与えた、あるいは採用されたとの議論があり、小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)がほぼ全面的にこのテーマを扱っており、実教出版の高校「政治経済」教科書にまで書かれている(執筆はおそらく浦部法穂。6/14参照)。
 立花隆はなぜか、こちらの方には関心はないようで、「憲法全体は基本的に押しつけだったのに、どうも問題の憲法九条だけは…」(p.49)という書き方をしている。
 立花の議論は、どうやら、かなりムラがありそうな気もがする。せっかくの「日本側」の鈴木安蔵らの「憲法研究会」案には一切の言及がないのだから。
 月刊現代9月号発売は先のことになる。とりあえず「嗤う」シリーズはこれで終えておこう。
 立花隆、老いたり、の感が強い。

0276/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その5。

 立花隆「私の護憲論」を嗤う、を続ける。対象は月刊現代7月号から8月号(講談社)に移る。
 すでに書いた(批判した)ことなので新しい番号は振らないが、立花隆はこの号でも「日本を世界一の成功国家にした「戦後レジームの国体」とは何であるか。それは、昭和憲法そのものである。なかんずく憲法九条がもたらした国家的リソースの配分のゆとりが、戦後国家日本を成功にみちびいた最大要因」と反復している。
 戦後レジームと日本国憲法の同一視という論理的誤謬をも含むこのような信仰又は<迷信>に嵌ってはいけない。
 「憲法九条がもたらした国家的リソースの配分のゆとり」という部分には、二重の欺瞞が隠されている。
 一つは、正規の軍隊を持った(西)ドイツも韓国も戦後に「成功」した国家の一つと言えるからだ。
 二つは、憲法九条にもかかわらず、立花自身ものちに触れている自衛隊(←保安隊←警察予備隊)が存在し、それに一定のリソースを割かざるを得なかったという事実、及び米軍の駐留経費も相当部分を負担してきたという事実だ。これらを全く無視して立花は論を進めている。
 そして、上に引用した部分のことを<自明の理>とまで言い切っている。失礼ながら、上品ではないが、アホか、と言いたくなる。
 日本の<繁栄>・<成功>の原因は、前回に書いたとおりだ。立花隆の文章を借りれば、前回に私が書いたような「自明の理が見えない立花隆は愚かである。この自明の理が見えずに改憲反対を叫ぶ立花隆は最大限に愚かである」。この<立花隆>の部分に、憲法九条(二項)のおかげで平和と繁栄を達成できたという理由で九条(とくに二項)絶対護持を主張しているどなたを入れても構わない。
 さて、嗤いたい点の第八はつぎのことだ。立花隆は、改憲論の中に「環境権」や「知る権利」を加えたらよいとの加憲論があるが「「環境権」も「知る権利」も、いまさら憲法を改正しなくても、すでにとっくに現行憲法の枠内で十分に認められている」と書く。
 私は大いに嗤いたい。
 立花隆なら知人に弁護士(又は裁判官)も多数いるだろう。その法律専門家に尋ねていただきたい、「環境権」も「知る権利」も、現行憲法の枠内で十分に認められている>か、と。ふつうの専門家であれば、否、と答えるに違いないのだ。
 民事上の「環境権」存在の主張・学説はあるかもしれないが、裁判例は民事上の「環境権」などは一度も認めてはいない(公法上も)。「知る権利」も同様で、憲法によってではなく、情報公開法(法律)や情報公開条例によってはじめて情報開示請求権が認められた、と解されているのだ。憲法(たぶん13条)から直接に導かれる権利とは、せいぜい<私事権(プライバシーの権利)>くらいではないか。
 抽象的・理念的に憲法が援用される程度では「権利」性を語るには十分ではない。
 この上の記述によって、立花隆は自分では憲法・法律に詳しいと思っているのかもしれないが、じつは<法律の素人>であることがよく分かる。
 第九に、立花隆は、憲法を改正しなくても、「自衛隊は憲法違反の存在ではない」と明言する。そして、自衛隊法という「組織法」がちゃんとあり、「毎年約五兆円にも及ぶその存在を支える資金も、毎年の国会審議を経た上で、国家財政から出ている」、「自衛隊は堂々たる合法存在である」と言ってくれている。
 上の方で引用した成功の原因としての「国家的リソースの配分のゆとり」とここで言う「毎年約五兆円
」がどういう関係に立つのか気になるところだが、そして「毎年約五兆円」くらいならまだ「ゆとり」はある(あった)とでも説明しておいてほしいところだが、この問題には言及はない。
 それはともかく、立花隆が「法制局」まで持ち出して言っていることは、要するに、政府解釈と同じく、自衛隊は、憲法九条二項でいう「陸海空軍その他の戦力」に該当しない、ということだ。立花隆においては、今日までの政府の言い分と同じく、自衛隊は「軍」又は「戦力」ではない(それ以外の)「実力」組織なのだ。
 私は、自衛隊は「軍」・「戦力」ではないというのは、きちんと憲法改正されて正規に自衛軍が持てるまでの、<戦後レジーム>の<大ウソ>の最たるものだと考えている。
 世界で有数の上位国となる「毎年約五兆円」の国費が支出され、20万人以上の隊員がおり、迎撃ミサイルも保有している「実力」組織は、常識的にみれば、疑いなく「軍」・「戦力」だろう。
 立花隆は改憲=九条二項の削除による「自衛軍」の認知に反対するために、これまではむしろ政府側がついてきた<大ウソ>に乗っかっているとしか思えない。
 1960年に20歳になった立花隆は、学生としておそらく所謂60年安保反対のデモに参加しただろう。その頃、彼は自衛隊は憲法九条に違反する違憲の組織と考えていなかっただろうか(旧日本社会党は、日本共産党もだが、違憲と主張していた)。その立花隆は考え方を改めたように思われる。いつの頃からかは興味の湧くところだ。
 自衛隊を自衛軍として正規に「軍」・「戦力」と認知するためには、姑息な解釈(「大ウソ」つき)によるのではなく、憲法改正>現九条二項の抹消が必要だ。従って、少なくともこの部分についての改憲は、立花隆がいう「「必要性の誤信」にもとづく」「軽々の変更」(p.44)にはあたらない。<つづく>

0275/読売7/10夕刊の猪木武徳コラム-日本社会の病の一因は「言論」。

 読売新聞7/10夕刊猪木武徳のコラムには面白い文章がある。タイトルは、「年金問題などに見る社会不安」「言葉の軽さ「病」の一因」だ。
 猪木は言う-かつて外国のエリートに平均すると負けると言われた日本のエリートの「欠落を、高い資質をもつ堅実な一般国民が補」うという「相補関係」があったが、年金問題・朝鮮総連疑惑にどを見ると、そうした関係が「危なくなってきた」。手軽な解決策はない。
 そしてこう結ぶ-「現実を直視せず、美しげな言葉で事の本質をはぐらかしてきた日本の言論にこそ、この社会の病の一因があると思うのである」。
 「日本の言論」とは朝日新聞をはじめとする新聞・テレビ等のマスメディア、月刊雑誌上の<論壇>などだろう。これらを上の一文は批判していることになる。
 参院選挙を前にしてあらためて感じるのだが、日本のマスメディアや<論壇>は正常に機能にしているのだろうか。
 「日本の言論」などとは全く無関係に日々の生業にいそしみ、暮らしている人びとこそが現実的でかつ健常な・良識的判断を下せる、とすら思う。
 但し、テレビニュースの話題や新聞の見出しを一切見ないという人は殆どいないだろう。とすると、やはり、各マスメディアの<政治的意図>は印象又は雰囲気として人びとの<感覚>に残らざるをえない。
 大衆民主主義制度下において、「現実を直視せず、美しげな言葉で事の本質をはぐらかして」いるかもしれない<マスコミ>の怖さを、あらためて感じる。

0274/朝日新聞社説-「突出した情緒論で終始」・「事実無根に近い」。

 産経7/06「正論」欄の秦郁彦「沖縄集団自決をめぐる理と情」は、新聞の中でもとくに朝日新聞を批判している。
 秦は南京事件については4万人説論者で、「なかった」派ではない。
 秦は書く-沖縄県住民集団自決問題につきさすがに社説となると各紙は冷静になるが、「朝日だけは突出した情緒論で終始している。……と書いているが、いずれも事実無根に近い」。
 そして、研究者の中にも、集団自決や慰安婦強制連行の証拠文書が発見されないのは終戦時に焼却されたからだとか、命令はなくとも「天皇制や軍国主義教育」が原因だと「強弁する」者が少なくないが、朝日社説の結びの文章も「同類項なのだろうか」と締め括っている。
 朝日新聞の本質をよく知っている者にとっては珍しくもない話題だが、朝日新聞が「突出した情緒論で終始」する社説は勿論記事を書き、「事実無根に近い」内容の社説は勿論記事を書く新聞社であることを、あらためて確認しておきたい。

0273/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その4。

 立花隆月刊現代7月号上の「護憲論」批判を続ける。
 前回からの続きで第五に、立花は、1962年に南原繁が憲法制定過程への不信の発生を予言していた等と高く評価している(p.43)。
 具体的な問題はさておき、立花隆による南原繁の肯定的評価は、同じ彼による<戦後レジーム>の肯定的評価と両立できない、矛盾するものだ。
 南原繁は、1950年5月に吉田茂首相によって「曲学阿世の徒」と揶揄されたが、それは南原が所謂<全面講和>論を唱えた一人だったからだ。<全面講和>論とはソ連や中国との国交回復を伴う、これらの社会主義国をも含めて<講和>すべきとする論で、多数の自由主義国との<講和>による再独立を急いだ吉田茂内閣の方針に反対するものだった。
 しかして、<戦後レジーム>とは何か。立花隆はこの語について詳細な又は厳密な意味づけをしていないので分かりにくいが、日本の<戦後レジーム>の基礎にあるのは、あるいは日本の<戦後レジーム>の前提条件は、日本が自由主義諸国の一員となり、資本主義経済の国として生きていく、ということだろう。
 南原繁が真に日本が社会主義国になることを願っていたかどうかは分からない。しかし、彼を含む<左翼>的又は<進歩的>知識人は、<全面講和>論を主張して、客観的にはソ連や中国の利益になる、少なくともこれらの国に対して<媚び>を売ることをしたのだ。
 ということは、南原繁は、日本の再独立後のそもそもの<戦後>のスタートに際して、現実に築かれた<戦後レジーム>には反対していたのだ。
 一方で南原繁を高く評価し、他方で<戦後レジーム>も肯定的に評価する。これは、大いなる矛盾だ。論理的にも、決定的に破綻している。立花隆が<戦後レジーム>を肯定的に評価するのならば、少なくとも南原繁らの<全面講和>論を厳しく批判しておくべきだ。こうした批判の欠片も語らない立花隆が、知的に誠実な人物とは思えない。<戦後レジーム>を基本的な点で担ったのは、南原繁らとは異なる、別のグループの、現実的かつ良識的な人びとだったのだ。
 ちなみに、岡崎久彦・吉田茂とその時代(PHP文庫、2003。初出2002)p.366はこう書く-「日本のいわゆる進歩的文化人のあいだでは中ソを含む全面講和論が高まっていた。…振り返ってみると、やはりソ連共産党-日本共産党-共産党前衛組織-進歩的文化人というつながりによって、日米講和反対というクレムリンの政策が日本の言論に反映される仕組みになっていたのであろう。…当時の共産主義勢力としては当然やるべきことはやっていただろうことは推察にあまりある。…全面講和論というのは、日本を自由主義陣営の一員として安全に保つという吉田構想による平和条約をつぶすということである」。
 
第六に、これは批判ではなく検討課題として残したい点だが、立花隆は新憲法下の最初の国会開会直後にマッカーサー司令部は憲法「修正」の必要性を「日本政府側に確認して」いるが、「衆議院も参議院も再改正の必要はないとちゃんと回答しているんです」と記述している。
 いったん成立し施行された日本国憲法の改正をGHQも認めていたのに、従って、改正の機会はあったのに、日本側が放棄したのだ、と言いたいように読める。
 上の事実について立花が何を典拠にしているかは分からない。しかし、<再改正の必要なし>との回答は十分にありうるし、非難されるべきものではない。
 なぜなら、GHQの占領が継続している限りはその政策の範囲内でしか憲法改正ができなかっただろうことはほぼ明らかなことで、講和=主権回復を待ってから<自主>的に憲法を改正しようと政府あるいは両議院は考えていたとすれば、それは適切なものだったと思える(現に1955年結成の自由民主党は「自主」憲法制定を謳った)。
 なお、岡崎久彦の上の著p.218-9によると、日本国憲法公布後の1947年1月3日にマッカーサーは吉田茂宛書簡で「憲法施行後一、二年ののち、憲法は公式に再検討されるべきであると連合国は決定した」と通告した、という。また、芦部信喜・憲法第三版(東京大学出版会、2002)p.29にも「極東委員会からの指示で、憲法施行後一年後二年以内に改正の要否につき検討する機会が与えられながら、政府はまったく改正の要なしという態度をとった」との記述がある。
 立花隆が上に書く憲法施行後初の国会開会直後の話は、岡崎の著や芦部の著には出てこない。さらには、 芦部信喜・憲法学Ⅰ(有斐閣、1992)にも、大石眞・日本憲法史〔第二版〕(有斐閣、2005)にも、立花隆が上に書いたような新国会開会直後の話は記載されていない。
 いずれにせよ、1947年1月の段階で将来の憲法改正の可能性を語られても、その時に占領が解除されているかどうかが分からない状況では、岡崎も示唆しているように、吉田茂はいかんとも反応しようがなかっただろう。
 第七に、立花隆は南原繁が国民投票の提案をしていたとし、「そのとき国民投票を行って日本国民の意思を確認していたら、文句なしに、当時は新憲法支持者が圧倒的という結果が出たでしょう」と書いている。
 問題なのは「そのとき」とはいつか、だ。立花はその前に1962年の南原繁の論文から一部引用しているので1962年だとすると、上のように「文句なしに」という結果が出たとは全く考えられない。自主憲法制定(九条改正)を党是とする自民党が第一党だったのであり、国民投票は過半数で決するのだとすると、「確認」ではなく「否認」決定が出た可能性だって十分にある。
 国民投票については上に岡崎久彦著に関して触れた1947年1月3日のマッカーサー書簡も、連合国が必要と考えれば「国民投票の手続を要求するかもしれない」と書いていたようだが(岡崎p.219)、国民投票で「文句なしに」新憲法支持が「圧倒的」に示され得たのは、占領期間中か、法的な疑念を回避するためという目的をもって政府が主導した場合の主権回復直後すみやかな時期(1952年秋くらいまで)ではなかろうか
 その後はとくに鳩山一郎内閣成立以降、憲法改正をめぐっての対立が続き、改憲派が過半数ではなく発議に必要な2/3の議席を獲得できない状況が続いて数十年間は終熄したのだ。
 立花隆は「そのとき」がいつかを明確にしないまま、国民投票をすれば「新憲法支持者が圧倒的」だっただろう、などと書くべきではない。時期によれば、これはとんでもない誤りである可能性が十分にあるというべだ。

0272/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その3。

 立花隆の月刊現代7月号上の「護憲論」批判を続ける。
 第三に、立花隆は現憲法が「押しつけ」られたものであることは簡単に肯定し、「押しつけられた」おかげで「歴史上最良の憲法」を持っている、とする。そして、「この憲法のおかげで」「戦後日本というレジームは、日本歴史上最大の成功をおさめ」た、「安倍首相は、戦後レジームをネガティブに捉え、これを根本的に変革」しようとしているが、「戦後レジームこそ、数千年に及ぶ日本の歴史の中で最もポジティブら捉えられてしかるべきレジームだ」とする(p.40-41)。別の箇所から同趣旨を反復すれば、「日本国憲法、とくに憲法九条がつくりだした戦後レジームをなぜそれほどまでに高く評価するかというと、それはこの憲法が、…歴史上最も繁栄させてきたからです。戦後レジームこそ、日本の繁栄の基礎だったからです」。
 さて、ここでの立花の議論の特徴は、<戦後の繁栄>←日本国憲法←とくに九条という単純な思考によっていることだ。九条関係は次に触れることとして、次のような疑問がある。
 第一に、歴史を全面的に又は100%、是か非に評価することはできない。安倍首相もまた、立花が上に言うようには<戦後レジーム>を全面的に又は100%否定しようとしているとは思われない。立花隆には<戦後レジーム>がもたらした日本国家・日本社会・日本人に対する問題点・課題等々が一切見えていない(少なくとも一切記述がない)。彼は全面的に又は100%、<戦後レジーム>を肯定しているのだ。こんな大まかな議論をして、よくぞ評論家・文筆業と名乗っていられるものだと感じる。
 第二に、戦後レジームと日本国憲法をほとんど同一視しているのも特徴だ。憲法の定めに関係なく、又は憲法に制約されない範囲内で、人びとの生活や国家活動がなされうることをこの人は看過している。
 万が一<戦後レジーム>を全面的に又は100%肯定するとしても、そのことは日本国憲法(とくに九条)を全面的に肯定的に評価することには、論理的にも、ならない。憲法外的に又は憲法の範囲で形成されてきた<戦後レジーム>もあるのだ。
 第三に、かりに戦後日本が日本の歴史の中で最も「繁栄」していた(この「繁栄」の意味を立花は詳細には述べていない)ということを認めるとしても(かりに、である)、そのことは<戦後レジーム>を維持すべきであるとの結論には、論理的にも、全くつながらない。
 なぜなら、<戦後レジーム>が今日までで「最もポジティブ」に捉えられるべきレジームだったとしても、そのことは、より高い又はより大きな「繁栄」を将来において導く、<よりよいレジーム>の存在を否定することには全くならないからだ。
 一般的に言って、いかなるレジームにも<賞味期限>があるだろうし、<制度疲労>も生じているだろう。<戦後レジーム>の悪しき部分又は問題点を改めて、新しい時代に対応する<よりよい21世紀レジーム>づくりを目指すべきだ
 立花隆の文章に横溢しているのは、見事な「保守的」気分だ。<戦後>は良かった、今後も維持したい、という、それだけの気分だ。
 現在の日本が抱える国際・国内の具体的問題・課題を忘れて、きわめて大雑把な、きわめて大まかな議論を展開しているにすぎない。
 第四に、立花隆は憲法九条のおかげで軍事費を少なくすることができ諸リソースを民生用に回せたことが、戦後の「未曾有の経済復興と経済成長による国家的繁栄をつくった」、とよく見かける議論を展開している。
 この俗論が誤りであることは、すでに何回か触れたことがある。この議論によるならば、憲法九条二項のような条文を憲法に持たず正規軍を有しているドイツや韓国や、さらにはアメリカもフランスも<経済的繁栄>をしていない筈だが、立派に<繁栄>しているのではないか。軍隊をもつドイツも韓国も、「未曾有の経済復興と経済成長」を遂げた、と言いうるのだ。
 経済的繁栄と軍事費の間には、ほとんどの場合は有意の関係はない。但し、旧を含む社会主義国においては、軍事費の負担が大きすぎて崩壊した国もあったし、崩壊寸前である国家もある。
 立花隆は「この憲法のおかげで…平和のうちに繁栄を続けている」と述べている。但し、立花は、自衛隊という<軍隊まがい>のものがあり、それに世界各国中で上位の費用支出がなされていることには全く言及していない。まるで<実質的軍事費>が戦後一貫してゼロだったかの如き書き方だ。防衛省・自衛隊の存在を考慮せずして、軍事費のなさを経済的繁栄を簡単に結びつけることのできるとは、すばらしく大胆な論理展開だ。
 上の自衛隊の点は別としても、立花隆は、日本人であるなら、次のことくらいは常識として知っておいてほしい。
 戦後日本の平和は、憲法九条(とくに二項)によるのではなく、核兵器を保有してにらみ合った両大国間の冷戦体制、そして日米安保体制のおかげだった。日米安保がなかったならば、日本国憲法の条文がどう書いていても、ソ連軍又は中国軍による<侵略>を受けただろう。あるいは<間接侵略>、すなわち、ソ連共産党や中国共産党と意を通じた勢力が日本の政権を握って、<日本人民共和国>ができ、社会主義的な憲法に変わっていた可能性もある。
 経済的繁栄もまた憲法九条(とくに二項)とは関係がない。ドイツ・韓国の例による反証は上に既に書いたが、「繁栄」という言葉を使うなら、日本が所謂「西側」、自由主義陣営に属して、同じ自由主義諸国に大量に良質の製品を輸出できたからこそ、経済的に「繁栄」できたのだ。むろん日本人(民族)の誠実な努力、独特の技術力や会社経営の仕方等も「繁栄」に寄与しただろう。
 立花隆には戦後の歴史がきちんと「見えて」いるのだろうか。憲法(とくに九条二項)のおかげで「繁栄」した、などという謬論、いや<大ウソ>をつかないで欲しい。自らの声価を将来において決定的に落とし、侮蔑の対象となる原因になるだけだろう。

0271/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その2。

 立花隆による月刊現代7月号(講談社)の「護憲論」の嗤うべき点の指摘を続ける。
 前回に続けていうと第二に、立花隆は「たしかに、最終案を煮詰める過程は二週間ほど」だが、「その過程に入る前に、実は数年間にわたる先行研究があるんです」と書く(p.38-39)。
 まるで憲法草案の作成作業が数年間にわたって行われた如くだが、彼の表現を使えば、数年間にわたる先行研究の対象は、戦後の「日本の体制をどう変えればいいか」、「戦争が終わったらどうするか」なのだ。その中に、新しい憲法草案の起草が含まれている筈がない。立花自身がそのように理解されるのを注意深く避けつつ、しかし、そのように誤解されてもよいようにも書いてあり、かなり巧妙な文章になっている。わずか一週間(立花のいう二週間ですらない)で条文原案作りがなされたということを立花隆すら、隠したいのだろう。
 GHQ側の憲法改正の内容に関する考え方が明瞭に示されたのは、松本蒸治委員会案が新聞で報道されたあと、1946年2/03のマッカーサー・ノートによる「三原則」だろう。それは、1.天皇制度の存置、2.戦争放棄、3.封建遺制の排除だった。この時点までは、GHQはこれらの基本的考え方以上の具体的な草案などは全く用意していなかった。立花隆の上の文章はこの点を誤魔化すものだ。
 なお、立花は現憲法三章の「基本的人権の部分は、非常によくできた部分であって、国際的にも評価が高い」としし、さらに現憲法97条を特筆して重要な条文だと言っている。
 考え方の違いになるが、初めて日本国憲法の内容を知ったとき(小学生高学年か中学生だっただろう)、私が一番違和感を持ったのは97条だった(「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」)。というのは、他の条項はそれぞれ何らかの内容を持っているのに、この97条は「基本的人権」一般の性格を述べているだけで、かつ国民の<心構え>をお節介にも述べているように感じたからだ。今の時点で言えば、これは<美しい作文>であるとの疑問を持ち、自然法による、又は自然権としての基本的人権という考え方にも違和感を持った、ということかもしれない。
 この条文の内容を「人類の共有財産」・「人類共通の遺産」等と高く評価する立花隆は、「人類」の中に全アジア・全アフリカ、イスラム圏の人びとも含めているはずだが、その点は措くとしても、多くの憲法学者とともに、<美しいイデオロギーに嵌っている>。

0270/日本の社会民主党の友党は世界に存在しない。

 西尾幹二・江戸のダイナミズム(文藝春秋、2007)によると、ドイツにもキリスト教とは別の「ゲルマン神話」というものがあるらしい。「日本神話」があるのと似たようなものだ。だが、そもそも生徒・学生時代の勉強不足なのか、「ゲルマン神話」なるものをもつ基本的には同じ民族なのに(中世にはすでに「ドイツ」との語はあったと何かで読んだか実際にドイツのどこかの古い教会で見たが)、ドイツは何故普仏戦争後1871年まで「統一国家」を形成しなかったのだろう、隣のフランスはとっくに一つの中央集権的国家になっていたのに、と不思議に感じる。フランスのような強力な王権が形成されず、最大の邦でも北・東独の一部の プロイセンだった。ミュンヘンのバイエルン、ドレスデンのザクセン等々に分かれていた。日本ほどではないが、フランスよりは丘陵が多くかつ複雑な地形だったことも関係しているだろうか。
 どの週刊誌か忘れたが、福田和也がたぶん明治天皇(昭和天皇?)か明治時代の政府高官の渡仏に関連させて、恐らくは短期間のパリ滞在記を書いていた(この数ケ月以内に読んだ)。そこにアンバリッド(廃兵院)の建物の前の広い空地の話も出てきて、彼が書いている道路幅か長さが私の記憶よりは小さいと感じたのだか、それはともかく、アンバリッドの奥にナポレオンの墓があり、入らなかったが軍事博物館もあるらしい。そのアンバリッドとやらは議会下院(ブルボン宮)の建物よりも大きく、前庭も広い。ナポレオンを軍人として記憶しようとしているであろう建物をまっすぐ北に進むと大きな橋(アレキサンドル3世橋)があり、さらに少し進むと軍服姿のドゴールの細身の銅像が交差点付近(左=西がシャンゼリゼ)に立っている。
 何が言いたいかというと、要するに、「軍事」的なものに対するフランス人又はパリ人の抵抗のなさだ。
  フランスは核保有国だ(この点、ドイツと異なる)。仏社会党出身のミッテラン大統領が日本に来て国会で演説したとき、自国(フランス)が核を保有する意味・正当性も述べたらしい。だが、社会党好き?のさすがの朝日新聞もその部分は報道しなかった、とこれは昨年だと思うが、何かで読んだ。
 フランス社会党は自国の核保有に反対しておらず、米国を含むNATO加盟にも反対していない。むろん、フランスは自国の正規軍を有しており、フランス社会党がこれに反対しているわけがない。これらは英国労働党についても同じで、核保有の点を除けば、ドイツ社会民主党も全く同様だ。
 こうした、安全保障面で安心できる政党があるなら、日本でも社会民主主義系の政党をたまには応援してもよいという気持ちになるかもしれないが、日本の社会民主党ではダメだ。この党は、社会民主主義系だろうが、むしろ憲法九条絶対保守の土井たか子的<護憲>政党としての性格の方が強く、欧州の社会民主主義諸政党や米国の民主党とは安全保障政策が全く異質だ。
 日本共産党は論外。できるだけ早く、日本共産党と社会民主党を消滅させるか国会議員数0~2の泡沫政党化してはじめて、建設的な第二党の形成を語りうることになるだろう。
 現在の民主党は一部では日本共産党と同じ候補者を推薦しており、小沢代表が<全野党…>という時、日本共産党まで含めている。旧日本社会党で社会民主党に行けなかった(行かなかった)者が民主党内に残っていることは言うまでもない。建設的な、政権を任せられるような政党ではありえない。
 基本的な問題であるはずの憲法の将来のあり方について<検討します、論じます>としか言えない政党が、政党として一つにまとまっていること自体が不思議だ。
 ゲルマン神話からフランス・パリ・アンバリッドを経て日本の民主党までの、幅広い??文章になった。

0269/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その1。

 立花隆とは、2年前の中国での反日デモが、日本での1964年東京五輪を前にした1960年安保改定反対の国民的盛り上がりに相当するものと<直感的に>捉え、北京五輪を前にした中国の経済成長段階が日本の1960年頃に達していることの表れとも書いた、その程度の評論家に少なくとも現在は堕落している。
 日本の過去と共産党支配の中国の経済成長段階とを単純に比較しようとする立花隆の感覚は、私の<直感>からして、まともな、冷静なあるいは論理的な評論家・文筆業者ではない(又は、なくなっている)ことを明瞭に示している。
 その立花隆が、月刊現代7月号(講談社)以降に「私の護憲論」なるものを連載している。大いに嗤わせてくれる論文?だ
 立花隆は安倍内閣成立時にも昨年8/15の南原繁関係のシンポジウムの原稿をほとんどそのまま用いて、大部分を南原繁のことに費し、最後にその南原繁の基本的考え方と異なるとする安倍首相を批判するという、タイトルと中身が相当に異なる「安倍晋三「改憲政権」への宣戦布告」と題する論文?を月刊現代の昨年10月号に載せていた。
 今回の護憲論も5/6の講演「現代日本の原点を見つめ直す・南原繁と戦後レジーム」を加筆・修正したもののようだ(p.43の注記参照)。元々はタイトルに<憲法>も<護憲>も入っていないのに、立花隆も出版元の講談社も、講演記録の焼き直しを「護憲論」と銘打ってよくぞ書き、書かせると思うが、昨年のものよりは内容が憲法に相当に関係しているので、まぁ許せる。
 だが、月刊現代のために書き下ろした文章ではないことは確かで、立花隆という人は、こういうふうに一つの原稿をタネにして二度も三度も同じようなことを喋り、執筆して、儲けているわけだ。
 さて、最初の10頁は私には退屈だったというだけだが、妙な記述が10頁めを過ぎると出てくる。以下、嗤いたい点を列挙する。
 第一に、安倍首相が4/24に「現行憲法を起草したのは、憲法に素人のGHQの人たちだった。基本法である以上、成立過程にこだわらざるを得ない」と発言したのを<安倍首相「素人」発言の不見識>との見出しののちに紹介し、「それは全然違うんです。あの草案を作ったのは、全部法律の専門家です。それこそハーバード大学の法科大学院を出て、法曹資格をとり、プロの弁護士をしてきたような連中が陸軍の内部にちゃんと法務官として在職していたわけです」と反論している。
 安倍首相の発言は適切だ。
 立花隆よ、ウソをつくな
 私は4/09にこう書いた。<古関〔彰一〕・新憲法の誕生〔1995、中公文庫〕によれば、民政局行政部内の作業班の運営委員4名のうちケーディス、ハッシー、ラウエルの3名は「弁護士経験を持つ法律家」だった。/小西〔豊治〕の著〔憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)〕p.101はホイットニー局長と上の3名は「実務経験を持つ法律家」でかつ「会社法専門の弁護士」という点で共通する、ともいう。「会社法専門」でも米国では問題は広く(州)憲法に関係するとの説明も挿入されている。
 九条護持論者のこの二人の本に依っても、あの草案を作ったのは、全部法律の専門家」などとはとても言えない。運営委員4名のうち3名が「弁護士経験を持つ法律家」だったのであり、1名は異なる。
 さらに、<米国では問題は広く(州)憲法に関係する>とされつつも3人ともに「会社法専門の弁護士」だったと小西著は明記している。そして私はこう書いた。
 <上の二冊を見ても、GHQ案の作成者は法律実務家(当時は軍人)で、米国憲法の基礎にある憲法思想・憲法理論の専門家・研究者でなかったことは間違いない。ましてや基本的にはドイツ又はその中のプロイセン(プロシア)の憲法理論を基礎にした当時までの日本の憲法「思想・理論」を熟知していたとはとても言えない。そしてもちろん、日本の歴史・伝統、天皇制度や神道等々の日本に独自のものに対する十分な知識と理解などおそらくは全くないままに、草案は作られたのだ。米国の!弁護士資格をもつ者が草案作成に関与していたことをもって「まともな」憲法だと言うための根拠にするのは、いじましい、嗤われてよい努力だろう。
 あらためて別の本を参照してみると、百地章・憲法の常識/常識の憲法〔文春新書、2005)p.にはこう書かれてある。
 「草案の起草にあたった民政局のスタッフは、総勢二十一名、アメリカのロ-スクールを出たエリート弁護士等はいたものの、憲法の専門家は含まれていなかった」。
 これによると、民政局行政部の憲法担当幹部の中にはたしかに米国のロ-スクール出身者はいたが、憲法の専門家ではない。また、彼ら以外には、上の「総勢二十一名」の中にロ-スクール出身者はいなかった、というのが実態だ。草案作りの最初の作業をしたのはまさに「法律の素人」の者たちであり、幹部又は上司の中にいたのも、
「会社法専門の弁護士」ではあっても<憲法の専門家>でなかった。「法律の専門家」と<憲法の専門家>とはむろん同じではない。「法律の専門家」であれば<憲法>に関しても専門家だろうというのは、それこそ<素人>判断だ。
 それに、上のかつての私の文章でも指摘しているように、米国の法律等を勉強した米国の法律家が、どれほど的確に又は適切に、歴史も文化も異なる日本の憲法草案を起草することのできる資格があったのか、極めて疑わしい、と言うべきだろう。
 また、中川八洋・正統の憲法/バークの哲学(中公叢書、2001)p.204にはこう書かれてある。
 現憲法の第三章の基本的人権等の諸規定と第十章の97条(これは元来は第三章の一部だった)の「原案は、憲法の素人ばかりのたった三名が書いた。主任がロストウ中佐〔秋月注-法律家とされる上記の三名に入っていない〕、次が…H・E・ワイルズ博士、三人目がベアテ・シロタ嬢であった」。
 重要な<国民の権利及び義務>(現在の章名)について草案諸規定を起草したのは「法律の専門家」では全くない。なお、ベアテ・シロタは百地著によると当時22歳、中川著によると5歳~15歳の間日本に滞在していて語学力が買われ、タイピストとして雇われていた(という程度の)人物だ。
 立花隆よ、<あの草案を作ったのは、全部法律の専門家ですという大ウソをつくな。この辺りの見出しは<立花隆「素人」記述の不見識>が適切だ。
 なお、メモ書きをしておくが、日本政府内に憲法問題調査委員会が作られ(委員長は松本蒸治国務大臣・商法学者)、1945年12/08に松本四原則を発表ののち1946年2/08に改正案を
GHQに提出したが、拒否された。松本改正案の内容を事前に察知していたGHQは1946年2/03にホイットニーに対して草案起草を命じ、一週間後!の2/10に草案(マッカーサー草案)を完成させ、2/13に日本政府に<突きつけた>。  *つづく* 

0268/朝日新聞の情報操作・世論誘導に騙されてはいけない。

 松岡前農水相自殺の翌朝の朝日新聞には、<安倍政権に打撃>という文字が一面中央下あたりにしっかりと刻まれていた。それも含めて、この事件が、<安倍政権に打撃になってほしい>という気持ちがありありと感じられる紙面の作り方だった。読売・産経を読んだあとだったので、新聞によってこうも違うのかと、改めて感じ入った記憶がある。
 久間防衛相辞任後の朝日新聞7/04朝刊の一面右上見出しは「参院選 首相に打撃」で前農水相自殺の際の<安倍政権に打撃>よりも大きいフォントだ。かつ今度は<安倍政権>ではなく、ずばり「首相」になっている。安倍首相にとっての打撃になれ、なってほしいとの気分が溢れ出ている。二面も同じで、大きく「身内かばい政権危機」とある他、「甘い認識対応後手」「「反転攻勢」狙った矢先」とタタミかけている(いささか品が悪いほどだ)。
 批判的な指摘もあった産経・読売と比べても、明らかに紙面作り、その結果としての紙面から生じる印象・雰囲気が異なる。
 朝日新聞は自民党の大幅減は必至と予想し、何とか安倍首相の退陣にもっていきたい、と考えている、と容易に想像がつく。そうなるまでの自民党の大敗北を期待し、かつ世論を誘導しようとしているのだ。
 安倍首相と朝日新聞はふつうの政治家・マスコミの関係とは異なる。安倍首相に関係すると、報道機関性など忘れた露骨な政治団体と化すのが朝日新聞だ。
 定期購読していないのでただちには気づかないだろうが、朝日新聞は、今後ますます、安倍首相率いる自民党大敗北に寄与する記事を書き、紙面を作るだろう。明瞭な捏造・虚報記事は発しないかもしれないが、これまでのいきさつ・事件も含めて、安倍首相攻撃は止むことがないだろう。
 <地球貢献国家へ>などと寝ぼけたことを言い、7/04の社説では1945年9月の同紙上の鳩山一郎の原爆投下批判により「占領軍により発行停止になった」と自慢げに書きつつ、その後は占領軍にべったりの迎合記事しか書けなかったことには一言も触れていない。さらに、主権回復後に<米国は原爆投下を謝罪せよ>との旨の社説を掲載したことは一度もない筈であるにもかかわらず、「原爆投下が誤りであり、原爆の被害が悲惨なことを、日本から粘り強く発信し、米国に伝えていく」などと、「粘り強く発信」という独特の朝日用語も用いつつ、<偽善者>的に主張している。
 政界の、そして参院選の最も大きな対立・争点は、やはり、あくまでも親共産主義か親自由主義かにある。朝日新聞は親共産主義陣営に入る代表的なマスコミだ。
 この対立点さえ忘れられていなければ、選挙結果が日本を悪い方向には向かわせないだろう、と信じる。
 左翼又は<進歩的・良心的>リベラル対安倍首相が代表だとする<強権的><国家主義的>右翼の対立では、ない。
 前者を支持して投票行動をとろうと思っている人々は、無意識に、意図せずにであれ、共産主義者(中国・北朝鮮を含む)に手を貸すことになることを知るべきだ。
 むろん、日本国憲法が有効かどうかなどいう<法学上の神学的議論>は些細な争点ですらない。

0267/<処世の手段>としての「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員。

 前回書いたように大学の社会系(歴史学を含む)学部の教員には「左翼」/マルクス主義者/マルクス・シンパが多いとすれば、これまでの企業の多くの大学卒業者の採用の仕方は適切なものだったといえるかもしれない。
 企業が18~19歳時点の特定の能力によって決まる出身大学の名前にのみ関心をもち、大学でどれだけ真面目に勉強したのかを示す大学での成績を考慮しないで採用し、入社してから「鍛える」という傾向を批判する向きもあった(今もあるだろう)。だが、「左翼」的教員の多い大学・学部では、真面目にきちんと勉強すればするほど「左翼」的理論・知識・心性の学生が育つに違いないだろう。ここで「左翼」的とは大まかには親社会主義・反資本主義、闘争・対立好み、「個性」重視・反秩序を意味させておく。
 前回紹介の諸発言はどの程度一般化できるかは厳密には問題で、大学、学部又は学問分野、教員個人によって様々ではあるはずだ。しかし、概してではあれ、大学又は学界では当然のこと又は中立・中間的なことと大学教員が考えていることは、世間一般の尺度に照らすと<だいぶ左にズレている>とは言えるのではないかと思われる。
 典型的には(マルクス主義経済学界を別にすれば)、勝手に推測すれば、マルクス主義者又はそれへの親近者が多いのは(当然に日本共産党員も多いのは)、日本史学界、次に、法学界の中の憲法学界ではあるまいか。
 また、これらの学界に限らず、「左」派であること、さらに日本共産党員であることが、大学就職や変更に有利に働く(!)ことがあるに違いない。
 前回に触れたように指導教授が誰か(どういう<思想傾向>か)によって大学院学生の就職が不利になることがありうることは、逆に指導教授の<思想傾向>のおかげで就職や大学の移動が有利になる大学院学生や若手の大学教員がいることを示している。
 とすれば、就職や所属大学の変更を有利にするために、自らの<思想傾向>を選択する者が発生しても全く不思議ではない。
 旧ソ連等の旧社会主義国や現在の中国や北朝鮮では共産党員であることが<エリート>である(となる)ための条件のはずだ(だった)。
 そのような過去及び現在の国々におけると同様に、日本の一部の世界では、「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員であることは、一つの<処世の手段>あるいは<立身出世の手段>になっている(あるいは少なくとも、なりうる)と言ってよいだろう。
 むろん、資本主義経済のもとでの私企業ではそんなことはない。だが、大学という「特殊」な世界の社会系学問分野では、すべての分野と言うつもりはないが、上のようなことが現実にも生じている、と推察される。このようにマルクス主義への甘さが残ったままの社会が一部にせよあるというのも、一つの<戦後レジーム>の徴表ではないか。マルクス主義者・日本共産党員たちが<戦後レジーム>を壊されたくないのは当然のことだ。

0266/大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?

 この1年間で、いや8カ月と区切ってもいいのだが、最も印象的で、最も衝撃的な情報は、月刊諸君!2007年2月号(文藝春秋、2006.12末発売)の伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」の中の次のような文章だった。
 伊藤教え子たちがいろいろな大学に就職…聞くのですが、大学の歴史・社会科学系では実はまだまだ共産主義系の勢力が圧倒的多数なんですね
 中西近年、むしろ増えているのではないですか。現在は昭和20年代以上に、広い意味での「大学の赤化」は進んでいると思います
 伊藤「…戦後第一世代と異なるのは、そうした左翼シンパのひとりひとりはほとんど無名の存在だ…。いま大学にいるのは遠山(茂樹)井上(清)の孫弟子の世代なんです。だから誰も彼らが左派系だなんて気づかない。そんな連中が教授会の多数派をしっかりと握っている大学が多い
 中西「…石母田(正)の怨念の籠もり籠もった歴史学…。家永遠山の歴史観にも共通した特徴ですが、彼らの影響を受けた研究者たちが、いま日本の歴史学会の多数を支配している…。大学はなかなか変化しないんです」(p.50-1)。
 伊藤隆は歴史学者であり、歴史学界を主な対象として語られているようだ。だが、中西輝政は政治学・経済学界についても丸山真男大塚久雄の名を出したのち次のように言っている。
 中西研究対象を選ぶ段になると、学会での地位や就職が絡みますからナーバスに…。直接、左派知識人に批判的なことをやると、大学への就職が難しくなるという有形無形のプレッシャーはいまだにものすごく強いですからね」(p.53)
 <大学の自治>の下での<学問の自由>の現状はおそらくこうなのだろう。国家ではなく「左派」によって<学問の自由>が事実上侵害されている。そしてかかる現象は―特段の言及はないが―歴史・政治・経済学以外の法学・社会学等々にもある程度はあるものと思われる。
 「左派」すなわち共産主義・マルクス主義の影響を受けた、又はこれを「容認」する大学研究者(教員)が人文・社会系では「多数」のようだとは、私のある程度は想像する所でもあったが、こう明確に語られると、慄然とする。彼らが執筆した人文・社会系の(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の)中学・高校の教科書で学んで、上級官僚や法曹が、そして若い国会議員が育ってきているのだ。
 上の<激論>の中で中西輝政は指導教授の高坂正堯が時々「きみたちには悪いねぇ」(早く就職させられなくて)と大学院学生たちに言っていた、「高坂先生は…七〇年代までは学界で異端視されていて、その門下生と知れると、ほとんどお呼びがかからなくなる。私たち大学院生は…「高坂門下」ということで大いに差別される」等と発言しており(諸君!2月号p.52)、中公クラシックスとなった高坂正堯の本・宰相吉田茂(中央公論新社、2006)の緒言で、中西寛(現京都大学法学部)は高坂正堯の吉田茂を肯定的に評価する論文・著書に関連して、「マルクス主義や進歩派知識人による保守政治批判が大多数だった」「当時においては、学者や知識人にとって保守政治家を批判する方が肯定的に評価するよりもよほど安全だった」と記している。
 「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員の強い分野では、事実上の「思想統制」が(国家によってではなく)行われていたし、現在も行われている可能性があるわけだ。
 「思想統制」にはあたらず、その逆だろうが、東京大学出身者でもない樋口陽一はなぜ東北大学から東京大学(法学部)に迎えられたのか、同じく上野千鶴子はなぜ京都の某女子大から東京大学(文学部社会学科)に迎えられたのか。その<思想傾向>は、一般世間以上に、大学の世界では所属大学の変更も含む<人事>にかなりの影響を与えていそうだ。

0265/2/27君が代伴奏命令拒否懲戒処分取消訴訟最高裁判決。

 やや旧聞だが今年2/27、君が代伴奏命令拒否懲戒処分取消訴訟で東京都側の勝訴が確定した。最高裁判決を支持したい。この判決に関しても、関心を惹くことはある。
 1.原告音楽教諭は「君が代は、過去の日本のアジア侵略と密接に結びついて」いると考えているらしい。簡単に「過去の日本のアジア侵略」と理解してよいのか、いつから「侵略」になったのか既に満州事変からかさらに日清・日露戦争もそうだったのか、原告はきちんと理解しているのだろうか。始まりの時点に誤りがあれば、またそもそも全体として「アジア侵略」と称し得ないものであれば、原告が前提とする理解・歴史認識自体が誤りであることになる。
 2.かりに1.の前提が正しいと仮定して、そのことと君が代とがどういう関係があるのか。君が代が「アジア侵略」と「密接に結びついている」という感覚は、前者が後者の象徴として用いられたということなのだろうが、理解し難い。読売の要旨によると藤田宙靖裁判官は「君が代に対する評価に関し、国民の中に大きな分かれが存在する」と書いたらしいが、かかる認識は妥当だろうか。かりにそうだとしても、国民代表議会制定の法律によって国歌を君が代と明定していることとの関係はどうなるのか。擬制でも、国民の多数は君が代を国歌と見なしていると理解すべきではないのか。過去の歴史を持ち出せばとても現在の国歌たりえないものは外国にもいくらでもありそうだ。
 ともあれ、原告は戦後の悪しき歴史教育の、あるいは「一部の教師集団が政治運動として反「国旗・国歌」思想を教員現場に持ち込んできたこと」(読売社説)の犠牲者・被害者だともいえる。その意味では実名は出ていないが気の毒な気もする(尤も、仲間に反「国旗・国歌」思想を吹き込む積極的な活動家だったかもしれないが)。
 3.判決は学習指導要領を根拠にしており、従って私立学校についても今回の判決はあてはまりそうだが、公務員であることを理由とする部分は私立学校教員にはそうではない。懲戒処分取消訴訟という行政訴訟の形もとらないはずで、私立の場合はどうなるのかは気になる。但し、学校長の命令が特定の歴史観・世界観を否定したり強要するものではないとする部分は私立学校の場合でも同じはずで、命令拒否を理由とする何らかの懲戒は私学でも許されることになるように思われる。尤も、これも採用又は雇用時点での契約にどう書かれるのかによるのかもしれない。
 60年以上前のことで多大のエネルギーを司法界も使っている。南京事件も「慰安婦」問題も一体何年前の出来事なのか。今だに引き摺っているとは情けないし、痛憤の思いもする。

0264/荒木和博・拉致-異常な国家の本質(2005)を読む。

 荒木和博・拉致-異常な国家の本質(勉誠出版、2005)は北朝鮮拉致被害者救出運動に密接に関与している人の本で、詳しい情報・当事者だからこその指摘・主張がある。
 それとともに興味を惹いたのは荒木の歴史観・戦争観だ(p.103-)。
 1.「20世紀の歴史に関する私の基本的見方」は同世紀の「最大の思想的害悪はマルクス・レーニン主義(科学的社会主義あるいは共産主義)であるということだ」。ずばり全く同感だ。
 荒木は根拠資料を示すことなく「この思想によって20世紀に命を失った人が億を下らないのは言うまでもない」と述べる(p.104)。いくつかの本に従って8000万~2億人と書いてきたようにが、<少なくとも1億人>以上というのは、おさらく確実なところだろう。
 2.敗戦の原因につき、私はきちんと整理して考えたことはないが、長らく、「悪い戦争」又は「侵略戦争」だったから負けたのではなく、結局は軍事力等を支える技術・科学を含めての「国力の差」だった、と感じてきたように思う。
 荒木はこう言う-「侵略戦争をやったから負けた」、「陸軍が暴走し勝算のない戦いに突入し物量の差で負けた」とかなのではなく、a「当時の政治家や軍の指導層の切迫感のなさ、無責任」と、b「それに乗じたゾルゲ・尾崎秀実などの謀略の成功」にあった(p.105)。
 また言う-「日本の最大の過ちは国家としての明確な戦争指導方針を欠いたこと」だ、あの戦争は「謀略に乗せられ、なし崩し的に突入せざるをえなくなった、失敗した自衛戦争」だった(p.107)。
 中西輝政等も言及しているが、中国国民党を同共産党と組ませて抗日に向かわせたコミンテルンの「戦略」(又は謀略)、米国ルーズベルト政権に入り込んでいた共産主義者たちの反日・親中姿勢等々が<日本敗戦>の大きな原因だったようだ。おそらくは上の荒木の認識は、教科書的な認識ではない。
 しかし、戦時中にもまた「共産主義という悪魔」の謀略があったことはたしかで、<情報戦争>に負けた、彼らの<情報謀略>に勝てなかった、という側面があったのは事実だろう。
 ソ連共産党のエージェント(スパイ)だったとされるゾルゲにつき、篠田正浩監督の映画<スパイ・ゾルゲ>(2003)は、観ていないのだが、彼と尾崎秀実らをドイツ・ナチスや日本軍国主義と闘った<ヒーロー>の如く描いているらしい(6/18の潮匡人氏に関する部分参照)。そのような映画の製作・上映もまた、今日の、一つの<情報謀略>ではないかと思われる。

0263/マルクス主義法学講座第5巻(1980)で全巻配本。

 日本評論社刊のマルクス主義法学講座第五巻を古書で入手したが、この巻はたまたま最終配本号で発行は1980年8月だ。
 6/10に書いたように第一回配本の第一巻刊行は1976年6月だった。4年余りを経て、全8巻が刊行されたことになる。
 この講座ものが日本共産党員学者を中心に執筆されていると見られることはすでに記した。
 1976年頃は同党は<70年代の遅くない時期に民主連合政府を>というスローガンを掲げていて、衆院に限ると1967年・5→1969年・14→1972年・38と三倍近くの増を二回繰り返していたから、かりに二倍ずつの増加としても、あと二回の総選挙で→76→152になることになり、日本社会党との連立政権(両党で過半数制覇)も夢ではない雰囲気がいっときはあった。だが、衆院議席数は1976年に16と下がり、1979年に39と盛り返したものの、100にはとても届かず、民主連合政府の<夢>も幻となった。
 参院も1971年・10→1974年・20と倍増していたが、その勢いは続かず、1977年には16と後退した。
 余計なことを書いているが、このマルクス主義講座が刊行された1976年には日本共産党系マルクス主義者には現実的<夢>がまだあった。近いうちに自らが党員である又は強く支持する日本共産党が参加する政権生まれるという希望をもっていただろう。しかし、全巻が揃った1980年には客観的にはその<夢>が現実化するのはきわめて困難なことが明らかになっていたはずだ。
 それでも、ともあれ、マルクス主義法学講座なる大系ものが出版されたというだけでも、現在とは異なる1970年代後半の<雰囲気>の一端は感じ取るべきだろう。どのような想いで、執筆者たちは講座完結の日を迎えたのだろう(その後、この種の「マルクス主義法学」講座ものは出ていない。この語を題に使った本も極めて稀だろう)。
 編集委員一同は末尾の「講座の完結にあたって」で、「この講座を出発点とし、あるいはこれをふみ台として、若い優秀なマルクス主義法学研究者が多数育ってくれれば、これに過ぐる幸いはない」と書いているが、はたして、80年代以降に全く新しいマルクス主義法学研究者たちの養成・成長があったのかどうか。むろんよくは知らないが、現在(表向きは隠していても)マルクス主義的な法学研究者である者は、ほとんどが70年代末までにはマルクス主義の<洗礼>を受けていたようにも思える。
 但し、マルクス主義法学研究者の指導を受けた者の多くは積極的なマルクス主義者にならずともマルクス主義を異端視あるいは嫌悪しない<容共的>研究者になっただろうことは想像に難くない。
 上の末尾の言葉の中には、出版社としての日本評論社への謝辞もあり、社長の小林昭一、「担当」の林克行(現在、社長)、山本雄の三名の名を挙げている。かかる講座を企画・出版することは、それなりの<思い入れ>がないとできないだろう。この三名の名も記憶にとどめたい。
 さて、第五巻は<ブルジョア法の基礎理論>が全体テーマで、執筆者・担当部分は次のとおりだ。()は所属。6/10に既に記した者については省略した。
 <渡辺洋三(東京大)-「はしがき」・「第一章・総論」・「第二章・財産制度―その理論史的検討」・「第四章第二節・家族/現代家族法理論の課題三」
 本間重紀(静岡大)-「第三章・現代財産権論」
 江守五夫(千葉大)-「第四章第一節・家族/近代市民婚姻法の構造」
 黒木三郎(早稲田大)-「第四章第二節・家族/現代家族法理論の課題一・二・四」
 長谷川正安(名古屋大)-「第五章-基本的人権」・「第六章第一節・議会主義と権力分立/近代憲法の組織原理」
 森正(名古屋市立女子短大)-「第六章第二節・議会主義と権力分立/議会主義」
 今井証三(日本福祉大)-「第六章第三節・議会主義と権力分立/権力分立」
 下山瑛二(東京都立大)-「第七章・行政権」>
 以上で目につくのは、編集委員でもある渡辺洋三(東京大学社会科学研究所)と長谷川正安(名古屋大学法学部)が、重要な部分をかつ分量的にも長く執筆していることだ。
 それぞれ岩波新書を複数書いているこの二人が、この当時および1980年代くらいまでの、日本共産党系マルクス主義法学者のリーダー格だったと推測できなくもない。

0262/辻村みよ子はなぜ<人民主権>の方を選好するのか。

 先日言及した棟居快行ほか編・いま、憲法学を問う(日本評論社、2001)には、「主権論の現代的展開」と題する、棟居快行と辻村みよ子の対談がある。
 辻村はフランス革命期の分析をふまえて近代以降の主権論にも<ナシオン(国民)主権><プープル(人民)主権>があるとする論者で著名らしい(詳しくは知らない)。前者についてこう説明する。
 「ナシオン主権論は、歴史上、もともとフランス革命時に一握りのブルジョアジーが権力を独占するために抽象的・観念的な建前としての全国籍保持者を主権主体としつつ、実際には自分たちだけが国民代表となって主権を行使するために構築した理論です」(p.58)。
 ほう、<ナシオン(国民)主権>とは歴史的限界のある理論なのかという気がするが、それにしても、「一握りのブルジョアジー」などというマルクス主義的言葉をいとも簡単に使えるのはこの人らしいのだろう。また、ここで言っている趣旨は、この人の指導教授らしい杉原泰雄の1971年の本にも書いてあった。
 そのあと「プープル(人民)主権」の説明もあり、日本国憲法は「両者に適合的な規定の両方が混在している」とする。
 だが、基本的な疑問は、日本の<主権>構造あるいは<代表制>のありようを、なぜフランスでの概念を使って説明する必要があるのか、だ。欧米諸国の全て又は殆どが上記の二種の主権概念を知っており、それらを使って議論しているのならは別だが、フランスだけだとしたら、何故日本の問題をフランスの議論を使って説明する必要があるのか。この人に限らないだろうし、憲法学/法学にも限らないだろうが、外国の法制又は法理論によって日本のことを説明したり議論するのはもうやめた方がよいのではないか。
 もともと、上の二つの区別は、私には、<間接民主主義>と<直接民主主義>という語を使って説明し議論もできるように感じる。
 次の叙述も私にはきわめて疑問だ。
 日本国憲法を「どちらの方向に解釈してゆくのか、という解釈論の問題」については、「現代憲法として、より民主的な制度を採用しうるプープル主権の方向に解釈することが望ましいと考えます」(p.60)。
 杉原泰雄の国民主権の研究(1971)でも<人民主権>は「民衆」、<国民主権>は「ブルジョアジー」という対置があり、前者がより<進歩的>に理解されていたと思うが、この点でも、辻村は指導教授を継承しているようだ。
 基本的な問題は、なぜ、「プープル主権の方向」の方が「より民主的な制度を採用しうる
」のか、だ。これは間接民主主義よりも直接民主主義の方が「より民主的」と言っているに等しい。第一に、そもそも「民主的」ということの意味に関係するが、なぜ、このように簡単に言えるのか
 第二に、かりに間接民主主義よりも直接民主主義の方が「より民主的」だと言えるとしても、そのことのゆえに直接民主主義の方が制度として<より優れている>と、なぜ言えるのか<民主的>であればあるほど<より優れて>いるなどというのは、ただの<思い込み>ではないのか
 こんなふうに「プープル(人民)主権」を私が警戒するのも、その淵源がルソーにある、「人民」の名による(「人民民主主義」の下での)圧制・専制政治を実際の歴史は経験しているからだ。
 辻村の憲法教科書は序章で特段の定義も説明も限定もなく「平和憲法」という語を登場させていることに気づいたくらいで、未読のままだ。また、岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)計54頁のうち32頁を執筆して「有事法制」批判をしているのは知っているが、これもまだ読んでいない。
 <憲法再生フォーラム>の会員(少なくとも2001年時点)であることも含めて見れば、辻村が相当に固い九条護持論者であることは容易にわかる。
 さらには、おそらくは浦部法穂と同様に、あるいは少なくともかつての杉原泰雄と同様に、日本における「民主主義」の徹底→<社会主義革命>という歴史的推移を予想していたマルクス主義者又はマルクス主義シンパではなかろうか。この人が説いているという「市民主権」論の内容とともに、そのような徴表・痕跡がないかどうかにも関心をもって、辻村みよ子の文献を今後読んでみたい。

0261/憲法再生フォーラム、2001年11月現在の全会員の氏名。

 憲法再生フォーラムなる組織(団体)について、4/08に、「2001.09に発足した団体で2003.01に会員35名、代表は小林直樹高橋哲哉(以上2名、東京大法)・暉峻淑子、事務局長・小森陽一(東京大文)だったようだ」、同編・改憲は必要か(岩波新書、2004)によると2005年6現在「会員39名、代表は辻井喬桂敬一水島朝穂(早稲田大法)、事務局長・水島朝穂(兼務)、のようだ」と書いた。
 岩波ブックレット・暴力の連鎖を超えて(2002.02)も実質的には同フォーラム関係の出版物のようで、この冊子には、2001年11月現在の、従っておそらくは発足当時の、会員全員の氏名・所属・専門分野が掲載されている。
 資料的意味があると思うので、以下に転記しておく。
 代表名-加藤周一(評論家)、杉原泰雄(一橋大→駿河台大/憲法学)、高橋哲哉(東京大/哲学)、会員29名-石川真澄(元マスコミ/政治学)、井上ひさし(作家)、岡本厚(「世界」編集長)、奥平康弘(元東京大/憲法学)、小倉英敬(/思想史)、加藤節(成蹊大/政治学)、金子勝(慶応大/経済学)、姜尚中(東京大/政治学)、小林直樹(元東京大/憲法学)、小森陽一(東京大・文学)、坂本義和(元東京大・政治学)、佐藤学(東京大/教育学)、新藤栄一(筑波大/政治学)、杉田敦(法政大/政治学)、隅谷三喜男(元東京大/経済学)、辻村みよ子(東北大/憲法学)、坪井善明(早稲田大/政治学)、暉峻淑子(元埼玉大/経済学)、豊下楢彦(関西学院大/政治学)、長谷部恭男(東京大/憲法学)、樋口陽一(元東京大/憲法学)、古川純(専修大/憲法学)、間宮陽介(京都大/経済学)、水島朝穂(早稲田大/憲法学)、最上敏樹(国際基督教大/国際法)、持田希未子(大妻女子大/芸術大)、山口二郎(北海道大/政治学)、山口定(立命館大/政治学)、渡辺治(一橋大、憲法学)
 以上のうち、加藤周一、井上ひさし、奥平康弘の3氏は、「九条の会」呼びかけ人でもある。
 岩波書店が会合場所・事務経費等をサポートしている可能性が高い。そして、名簿を見て感じる一つは、現・元の東京大学教授の多さで、上の計32名のうち10名がそうだ。東京大学出身者(例、山口二郎)を含めると、半数程度を占めるのではないか。朝日新聞社もそうだが、岩波書店も「東京大学」という<権威(らしきもの)>が好きなようだ。<左翼>ではあっても決して<庶民的>ではない印象は、雑誌「世界」でも歴然としている。
 憲法学者は、小林直樹、奥平康弘、杉原泰雄、樋口陽一、渡辺治、水島朝穂、辻村みよ子、古川純、長谷部恭男。いずれもよく見る名前だ。
 ハイエクについての本も多い経済学者の間宮陽介が入っているのに驚いた。

0260/自由と民主主義との関係をほんの少し考える。

 芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.17は、「立憲主義と民主主義」との見出しの下でこう書いている。
 「①国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加する民主制度を必要とするから、自由の確保は、国民の国政への積極的参加が確立している体制においてはじめて現実のものとな」る。
 「②民主主義は、個人尊重の原理を基礎とするので、すべての国民の自由と平等が確保されてはじめて開花する、という関係にある。民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった立憲民主主義でなければならない」。
 以上には、「自由」・「民主制度」・「国民の国政への…参加」・「民主主義」・「個人尊重の原理」・「平等」等の基礎的タームが満載だ。そして、それらが全て対立しあうことなく有機的に関連し合って一つの理想形態を追求しているような書き方だ。
 阪本昌成の本の影響を受けて言えば、上の文は、諸概念の「いいとこ取り」であり、「美しいイデオロギー」であって、とりわけ「自由」・「平等」・「民主」それぞれが互いに本来内包している緊張関係を無視又は軽視してしまっているのではないか(ついでに、上にいう「立憲民主主義」とは一体どういう意味なのだろうか)。
 上の①は<権力からの自由>のためには<民主制度が必要>と言うが、<権力からの自由>のためには<民主制度のあることが望ましい>とは言えても、<必要>とまで断言できるのだろうか。
 上の②は<民主主義の開花>のためには<国民の自由と平等の確保>が前提条件であると言うが(「…されてはじめて開花する」)、国民に<自由と平等>のあることが<民主主義の「開花」のためには望ましい>と言えても、前者は後者の不可欠の条件だと断言できるのだろうか。
 <有機的な関連づけ合い>がなされているために、却って、それぞれの固有の意味が分からなくなっている、又は少なくとも曖昧になっているのではないか。
 それに次のような疑問が加わる。
 消滅した国家に、ドイツ「民主」共和国、ベトナム「民主」共和国、現存する国家(らしきもの)に朝鮮「民主主義」人民共和国というのがある。これらは国名に「民主(主義)」を書き込むほどだから、自国を「民主的」な又は「民主主義」の国家だと自認し、宣言している(いた)ことになる。
 しかるにこれらの国々において、上の②のいう「
すべての国民の自由と平等が確保されてはじめて…」という条件は充たされていた(いる)のだろうか。これらの国々の国民に「自由」がある(あった)とはとても思えない。
 とすると、これらの国々の資本主義諸国又は自由主義諸国に対抗するために本当は「民主主義」は存在しないことを知っていながら僭称していた(ウソで飾っていた)のだろうか。
 私はそうは考えていない。彼らには彼らなりの「民主主義」観があり、「民主主義」もあると考えていた、と思っている。
 唐突だが、日本共産党は、同党の運営は<民主主義的ではない>とはツユも考えてはいないと思われる。つまり、一般党員(支部所属)→党大会代議員選出→党大会・中央委員選出→中央委員会設立(議長選出)→幹部会委員選出→幹部会委員会設立(委員長等選出)→常任幹部会委員選出→常任幹部会設立という流れによって、究極的には一般党員の意思にもとづいて、中央委員会も幹部会委員会も(委員長も)常任幹部会も構成されており「民主(主義)」的に決定されていると説明又は主張しているだろう(地区・都道府県レベルの決定については省略した)。
 だが、上の過程に一般党員から始まる各級の構成員に、上級機関の担当者を選出する本当の「自由」などあるのだろうか。
 筆坂秀世・日本共産党(新潮新書、2006)p.84-によると、定数と同じ数の立候補者がいて中央委員の選出も「実態は、とても選挙などといえるものではない」。また、p.89-によると中央委員選出後の第一回中央委員会では、仮議長選出→正式議長選出→幹部会委員長・書記局長の推薦することの了承(拍手で確認)→同推薦(拍手で確認)→その他の幹部会員も同様という過程を経るらしい。
 ある大会(22回)のときの具体的イメージとしては、「大会前に…人事小委員会が設置され、大会前に…四役の人事案がすでに作成され、常任幹事会で確認されていた。/一中総では幹部会委員、第一回幹部会では常任幹部会員が選出される。このときの第一回幹部会などは、一中総の会場の地下通路に五五人の新幹部会委員が集まり、全員が立ったままで、不破氏が二〇人の常任幹部会員の名簿を読み上げ、拍手で確認して決まった」(p.90-91)。
 かかる過程のどこに「自由」はあるのだろう。だが、一般党員・一般中央委員等の意思に基づいているかぎりで「民主主義」は充たされている、とも言える。
 日本共産党の話をしたが、同じ事は、旧東独・旧ベトナムでも基本的には言えたのだろう(北朝鮮については現在は形式的にすら「民主主義」が履践されていない可能性がある)。
 言いたいのは、「民主主義」とは「自由」や「平等」の条件がなくても語りうるし、そのような意味での「民主主義」の用法も誤りではない(むしろ純化されていて解りやすい)ということだ。
 マルクス主義憲法学者の杉原泰雄・国民主権の研究(岩波、1971)は<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という歴史の潮流を語り、現に見られる「人民主権憲法への転化現象」についても語っていたのだが(p.182、6/21参照)、「人民主権憲法」とは「人民民主主義」憲法(=社会主義憲法)の意味ではないかと推察される。
 すなわち、民主主義にも、マルクス主義によれば、あるいは現実に社会主義国が使った語によれば、「ブルジョア民主主義」と「人民民主主義」とがある。旧東独等での「民主」とは日本共産党内部の「民主主義」と同様の「人民民主主義」又は「民主集中制」だったのだろう。
 こうしたマルクス主義的用語理解の採用を主張したいわけではない。ただ、現実には「自由」とは論理的関係なく「民主主義」という語は使われてきたことがあることを忘れてはならないだろう。
 「自由」と「民主」の双方を語るのは良いし、双方ともに追求するのも構わないだろう。だが、上の芦部信喜氏が説くようには、両者は決して相互依存関係にはない、と理解しておくべきだ、と考える。それぞれに固有の価値・意義が、区別して、より明瞭に語られるべきだ。
 以上、阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー第二版(有信堂、2004)p.90のあたりに刺激を受けて書いた。阪本の主張を紹介したのでは全くない。但し、阪本は芦部信喜氏の上の②につき「若い憲法研究者がこの民主主義観にはもはや満足することはないものと、私は期待する」とコメントしている。

0259/産経・皆川豪志の無意味な対句と粗雑な「金権体質」観。

 産経新聞を全面的に信頼している、わけでは勿論、ない。
 6/30皆川豪志の署名記事<「頼りない」か「信用おけない」か>・<参院選で有権者が出す答えは>、「頼りない」=民主党、「信用おけない」=自民党、という世間から見た両党の印象の違いを重要な柱にしている。
 だが、せっかくシャレたつもりかもしれないが、「頼りない」と「信用おけない」は、いずれも<信頼できない>という語で括れるもので、大した違いはない形容詞だ。紹介は省略するが、この二つを使った文章全体の内容も、結構の字数を使って書くほどのものではない。
 次に、先だって読売のコラムについて指摘したのとは少し種類が違うが、軽率な表現がある。こんな一文だ。
 「…の自殺ショックも大きく、有権者は、この党が相変わらずの金権体質から脱皮していないことを見抜いている」。「この党」とは自民党のことだ。
 さて、<自民党は相変わらずの金権体質から脱皮していない>ということをこの文章は前提としているが、こんなに簡単に公党たる自民党の消極的評価を書いてしまってよいのか
 自民党員あるいは同党国会議員は全て、あるいは殆ど一般化できるほどの多数が、<金権体質から脱皮していない>のか。その根拠はどこにあるのか。この皆川豪志はいかなる根拠も示していない(強いて言えば松岡前農水相の自殺だ!)。
 逆にまた、それでは民主党は全員が<金権体質から脱皮している>のか。小沢一郎は<金権>田中角栄氏の直系だが、政治資金による不動産購入も含めて<金権体質>は全くないのか。朝鮮総連から献金を受けていた元参院副議長は<金権>とはいえないのか。さらには、労組又は労組連合体から多額の献金を受けている労組出身の民主党議員たちには<金権体質>は全くないのか。
 なぜ、自民党についてのみ<金権体質>を語るのか皆川豪志は新聞記者として紙面を利用できる筈だから、いつか紙面上で明確に回答していただきたい。
 願わくは、産経新聞社に入社する前の、自民党=金権・腐敗、他の政党=清潔、という朝日新聞なら作り出していそうなイメージにそのまま乗っかって、思わずポロッと書いてしまったのではないことを。

0258/憲法現九条の目的は「日本を永久に武装解除」すること。

 産経7/01のワシントン・古森義久「憲法の生い立ち想起」との記事は、彼が1981年4月に元GHQ・民政局次長で日本国憲法草案起草に携わったケイディスに長時間インタビューしたことの記録又は記憶によるもので(インタビュー時ケイディス氏は75歳)、日本国憲法の制定過程に関心をもつ者としては興味深い。
 歴史的に重要な意味をもつ点に関係しているので、すでに古森氏は書物にしているのかどうか、私は知らない。もし未だならば、新聞の、かつ中途半端な月日に掲載するようなものではないだろう、という気がする。
 さて、インタビューへの回答内容の記述を信頼するとして、ケイディスは、1.日本国憲法現「第9条の目的」について、「日本を永久に武装解除されたままにおくことです」とあっさり答えた、という。また、2.上司が示した「日本は自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する」との案を、自衛権がなければ国家でなくなるとして採用しなかった旨発言した、という。さらに、3.現9条2項冒頭の「芦田修正」の採用につき、上官と協議する必要はないと芦田氏に答えたと言った、という。
 「永久に武装解除」はするが自衛権による「戦争」=「自衛戦争」は認めるというのは分かりにくいが、前者は「自衛戦争」以外の「戦争」のための「武装」の「解除」の「永久」化という意味であるとすると理解できる。
 それはともかく、「武装解除」することによって米国に二度と刃向かうことができなくする、そのかぎりで日本を軍事的に弱体化することに九条導入(採用要求)の目的があったことはこれまでも指摘されてきたことで、とくに新しい情報ではない。
 鈴木安蔵らの<憲法研究会>案にも現九条にあたるものはなかった。幣原喜重郎発案説をのちにマッカーサーは述べたが、信憑性は低いと思われることはすでにいつか述べた。
 あとは、東京裁判での天皇訴追を免れさせる代わりに現九条受容が要求されたという話がかなり有力だが(今回の古森記事は天皇制度との関係には言及がない)、これは信頼してもよいのではないか、と感じている。
 このように見ると、平和を希求する米国人が<世界平和>に向けた一つの<理想>を実現するために現九条の案を作った、というのはとんでもないデマ話だということになる。
 再述すれば、日本の軍事力の復活を米国が怖れたからこそ、九条ができたのだ。
 しかるに、そのように日本を弱体化させるために制定された九条をもって、<世界平和>を追求するための、世界で先進的な、当時としては<最も理想的な>憲法条項だったなどと理解する<お人好し>の日本人が少なくない(憲法学界では多数派?)のはまことに奇妙で、倒錯した感覚だとしか思えない。
 なお、どなたかがすでに書いていたのを読んだか、私の推測がある程度は混じるのかは明瞭でないが、GHQは九条を日本に「押し付け」たことをすみやかに後悔しただろう、と思われる。
 憲法改正(又は新憲法制定)を要求した1946年2月頃から議会審議等を経て公布する同年11月頃まではギリギリ<冷戦>構造の発生は鮮明でなかったかもしれないが、その後<冷戦>の発生=東西両陣営の対立が明確になり、1950年の朝鮮戦争を米国は日本「軍」の助けなく闘わなければならなかったからだ。また、ソ連・中国に対抗する又は日本を防衛するために米軍の本格的な日本駐留が余儀なくなったからだ。
 この両者の矛盾から出てきたのが、警察予備隊→保安隊→自衛隊に他ならない。
 元に戻って、九条は平和を希求した米国人の<善意>だったなどという呆けた理解をすべきでないことは、今回紹介されたケイディスの言葉によっても明らかだ。

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