秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2007/05

0181/福島瑞穂の憲法学の先生?小林直樹も常岡説と異なる。

 社民党の福島瑞穂は、誰から、又は誰の本を読んで憲法を勉強したのだろうか。
 この人は1955年生れ、1974年東京大学入学、1980年同卒業、1984年に司法試験合格、1987年弁護士登録、という経歴のようだ。
 東京大学の当時の憲法学の教授は、まず、小林直樹(1921-)かと思われる。福島が大学入学した年は、小林氏が53歳になる年の筈で、現役バリバリだっただろう。そしてこの人は日本社会党のブレインで、マスコミや雑誌類への露出度は(次の芦部に比べて)はるかに高かった。
 もう一人は、故芦部信喜(1923-99)だ。福島が大学入学した年、芦部もまた51歳になる現役教授だった。
 他にも助教授も含めていたかもしれないが、主としてはこの二人の憲法学を中心にして憲法を学んだのだろうと推測される。
 そして、小林直樹は上記のとおりだが、芦部信喜もまた、その憲法教科書の九条や制定過程あたりを読むと、日本の憲法学者としては別に珍しくもないのだろうが、明瞭に「左翼」だ。
 福島は、こうした「先生」たちの本や講義で日本国憲法を学んだ優秀な学生だったのだろう。そして九条の意味も「しっかりと」伝授されたのだろう。もっとも、29歳の年の司法試験合格は決して早くないし、「優秀な学生」だったことと、「優秀な政治家」又は「優秀な人間」かどうかは全く別のことだが。
 話題を変える。古書のため1972年刊とやや古いが、小林直樹・憲法講義〔改定版〕(東京大学出版会)の憲法改正権の限界に関する部分を見てみた(この本は、福島が勉強に使った可能性もある)。p.864は、次のように叙述している。
 「前文および第9条の平和主義そのものは、憲法の基本原則として確定しているかぎり、その削除や否認は許されないであろう。しかし、…非武装規定(9条2項)も、同様に考えるべきかどうか、問題になる。「…永久にこれを放棄する」という規定から、…改正することは「憲法の同一性を失わせることになる」(鵜飼・憲法、25頁)、と解する見解にも十分な理由があろう。しかし、平和主義とそれを実現するための手段(軍備の放棄もしくは禁止)とは、法理論上はいちおう別個であり、平和主義の立場を守りながら一定限度の軍隊をもつために後者を改正(削除)しても、民主憲法の同一性は失われない、と解してよいだろう。したがって、具体的にいえば、対外侵略の意図も能力ももちえない限度での自衛の軍備のための改定は-…-その政策的是非をまつたく別にすれば、法的に不可能なこととはいいがたい」。
 小さい活字の次の注記のような文が続いている。
 「…。再軍備は、たしかに徹底した平和主義をとろうとした日本国憲法に、大きな変更を加えることになるけれども、それが直ちに根本的な「憲法破壊」を意味するものではなく、憲法の同一性は、それによって失われない…。それはあくまでも、高次の憲法政策の問題であり、そのようなものとして、政治の場で徹底的に是非論が闘わさるべきだ、と思う」。
 憲法学者として朝日新聞に最近投書した常岡せつ子には不利な文献をまた一つ見つけたことになるようだ。
 1971年といえば、日本社会党の影響力はまだ強く、九条二項の改定の現実的可能性などなかった頃だが、芦部信喜とは別の東京大学教授によっても、上のようにきちんと、九条二項の改正は「憲法的に不可能なこととはいいがたい」と明記されていたのだ。
 但し、常岡せつ子(?)と同じと思われる考え方を説く憲法教科書もついに?見つけた。浦部法穂(1946-)・憲法学教室Ⅰ(日本評論社、1988)だ。p.25は改正できない規定に関する叙述だが、本文の中のカッコ書きでこんなふうに書いている。
 「九条二項の非武装規定については、…説と…説とに分かれている。けれども、日本国憲法の掲げる平和主義の画期的な意味は、まさに非武装規定にあるから、改正限界説に立ちながら、これを改正できるとするのは、おかしい」。
 さすがに、日本評論社出版の本だという感じもある。また、この人は東京大学出身で、この本の時点では神戸大学教授だが、のちに名古屋大学教授になっている。
 こう見ると、上で小林直樹が言及している鵜飼信成(この人の本は所持せず)とこの浦部法穂の二人は、いわば<九条二項憲法改正範囲外説>に立っていることになる。だが、この説がとても「通説」とは言えないことは、何回も述べた。<ゼロ人説>ではなく「ごく少数説」と言ってよいが、「通説によれば」と表現することは絶対にできず「大ウソ」だ。常岡せつ子には、失礼乍ら、何らかの<錯覚>があるようだ。

0180/朝日新聞社に3.56億円の追徴課税(更正処分)。

 読売5/30夕刊によると、朝日新聞社は2006年3月期までの三年間で計約8億3000万円の申告所得洩れを東京国税から指摘され、重加算税も含めて法人税等計約3億5600万円の更正処分(追徴課税)を受けた、という。
 「申告漏れ」とは「所得隠し」で、重加算税賦課処分まで受けているのだから、納税者として明らかに「違法」な行為を行ったことになる(「見解の相違」と言いつつ、朝日は法的に争うつもりはないようだ)。
 3.5億円以上の結果的には<脱税>を意図していたと認定された、そういう会社であるのに、<どの面下げて、故松岡勝利前農水相の事務所経費の使途の不透明さを追及していたのか。
 故松岡氏の光熱水費の使途にその金額から見て不分明さ・不自然があったのはおそらく確かだろう。
 だが、現行政治資金規正法が光熱水費については領収書の添付を義務づけていない以上、「違法」な記載ではなかったし、現に警察等によって取り調べられたりはしていない。かつ、その金額は数年間合計しても1億円を大きく下回る筈だ。
 松岡氏の<自殺>問題についてはいずれ何か書くが、3.5億円以上の法律上の納税義務を履行しないでおいて、<政治(家)とカネ>を論じる資格が朝日新聞にあるのか。
 かりにまともな新聞社ならば(そうは思っていないが)、まずは、<新聞社とカネ>、例えば、地方総局設置の自動販売機の販売手数料収入は「所得」でないのか、グループ企業出向社員の給与の本社負担分の一部のグループ企業からの戻し入れの減免は朝日本社の所得とどう関連するのか、講読者からの中途解約された場合の手数料は販売店から払い戻しを受けるべきではないのか、といった諸点をきちんと検討し、解決してからにしていただきたい。

0179/現在国会議員を有する全政党が<改憲>政党。

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0178/芦部信喜・憲法学Ⅰ憲法総論(有斐閣)も常岡せつ子を支持しない。

 現憲法九条二項は憲法改正の限界を超えるとするのが「通説」だという<大ウソ>を朝日新聞に投書した自称・憲法学者らしき人(常岡せつ子)がいたことは既に触れた。
 <大ウソ>であることの根拠はすでに十分に示し得ていると思うが、さらに追記しておこう。
 すでに名を出した故芦部信喜に、同・憲法学Ⅰ憲法総論(有斐閣、1992)という、先日言及したものよりも詳しい別の本がある。
 この本は、憲法改正の限界につき無限界説と限界説、限界説の場合のその具体的内容を殆どは客観的に坦々と叙述しているが、平和主義・九条二項については次のように自身の見解を明瞭に述べている。
 「国内の民主主義(人権と国民主権)と国際平和の原理は、不可分に結び合って近代公法の進化を支配してきたと解されるので、平和主義の原理もまた改正権の範囲外にあると考えなければならない。ただし、平和主義と軍隊の存在とは必ずしも矛盾するわけではないので、憲法九条二項の戦力放棄の条項は理論的には改正可能とみるべきである」(p.78。「人権と国民主権」を「国内の民主主義」という語で統合するのは解り難く、民主主義原理から「人権」が出てくるのではないと阪本昌成なら批判しそうだが、立ち入らない)。
 この本は現在も発売され、(私が確認したかぎりでは)少なくとも2005年までは増刷されている。
 上記の自称・憲法学者らしき人は、上の文を全く見ていないか、前半だけを見たのだろう。
 芦部信喜は「平和主義と軍隊の存在とは必ずしも矛盾するわけではない」と正しく明瞭に述べ、「憲法九条二項の戦力放棄の条項は理論的には改正可能とみるべきである」と自己の意見としてこれまた明瞭に述べていたのだ。
 憲法学界のことをむろん詳細には知らないが、この元東京大学教授の主張とは反対の意見が「通説」だとは、通常は考えられないのではないか。現に、芦部信喜氏が指導した世代の一人の辻村みよ子氏、その中間の佐藤幸治氏、という有力と見られる人の教科書が、上記の自称・憲法学者らしき人の言う「通説」とは異なることを叙述していることはすでに紹介したとおりだ。
 上記の自称・憲法学者らしき人は朝日新聞に訂正する投書をすべきではないか。または朝日新聞の「声」欄担当者は異なる意見の投書を掲載して実質的に修正しておくべきだはないか。そうしておかないと、これまた過日紹介した天木直人氏のブログのように、著名な(?)知識人(?)までが、「そうだ、これが通説なのだ」などと言って、誤った知識にもとづいてハシャぐことになる。
 ところで、読売新聞社は、1994年、2000年、2004年と憲法改正試案を発表してきている。読売新聞社編・憲法改正読売試案2004(中央公論新社、2004)の安全保障の部分を見てみたが、現憲法九条二項を全面改正(削除)して、1994年試案では「自衛のための組織を持つことができる」、2000年試案では「自衛のための組織」を「自衛のための軍隊」と改め、2004年試案もこれを維持している。
 かりに憲法九条二項が憲法改正の対象のならない(そもそも改正できない)とするのが憲法学界の「通説」ならば、そのことに何かの言及があっても不思議ではないが、上記の書物にはいっさいそうした部分はない。改正可能であることを前提として、新しい法文を試案的に提示しているのだ。
 (また、読売試案に対して、憲法改正の限界を超えるというという観点からの強い批判意見が出された、という記憶はない。)
 なお、のちに発表された自民党新憲法草案と比べると、第一に、自民党案は「自衛軍」とし、読売案は「自衛のための軍隊」と表現する、第二に自民党案は「自衛軍を保持する」とし、読売案は「自衛のための軍隊を持つことができる」とする、という違いがある。第二点は、自民党案では自衛軍保持は憲法上の義務(又は当然予定されたこと)になり、読売案では義務にならない(すなわち、<持たないこともできる>ことになる。保持が憲法によって許容はされているので、法律レベルでの判断に委ねられる)、という違いをもたらす。

0177/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(2000)を読む。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)には、5/22に朝日新聞社説氏の教養の深さを疑う中で一部すでに言及した。
 読書のベース(時間配分の重点というよりも全部を最後まで読み切るべき本)として阪本昌成・りリベラリズム/デモクラシー(有信堂)を考え、実際にある程度は読んだのだが、これは後回しにして、上記の本をベースにすることにした。その理由は、リベラリズム/デモクラシーの初版と第二版の中間の時期に刊行され、同初版よりも新しいのだが、副題に見られるように、フランス革命を問題にしているからだ。
 中川八洋の二つの本を読んですでに、ごく簡潔に言って、フランス革命を好意的・肯定的に評価するか否が、親<社会主義>と親<自由主義>を分ける、という感触を得ている(中川は「日本を害する思想」と「日本を益する思想」とも対比させていた)。
 この点を阪本昌成はどう論じて(又は説明している)かに興味をもつ。
 なお、この本は私が古書で初めて、当初の定価以上の金額を払って買い求めたものだ(しかも2倍以上)。
 さて、阪本・「近代」立憲主義を読み直す「はしがき」にはすでに一部言及したが、日本の憲法学が国民にとって<裸の王様>になっていると見られるのは何故かについて、すでに引用した日本の「憲法学は、「自由」、「民主」、「平等」…こうしたキーワードにさほどの明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発してきた」ことの他に、日本の「憲法学は望ましい結論を引き出すために、西洋思想のいいとこ取りをしてきた」ことも、推論としてだが挙げている。
 「はしがき」のその後は、すでに結論の提示又は示唆だ。次のようなことが語られる。
 1.<ルソーは間違っていて、ヒュームが正しかったのでないか>。ヒュームの視点に立てば、・中世と近代の截然とした区別は不可能、・人間の「本性」を「近代」の色で描く革命は無謀、・「歴史の変化は見事な因果関係で解明」は不可能、が分かる。
 2.「自然法」とはキーワードでトータルな解答だが、外延は伸びすぎ、内包は実に希薄だ。
 3.「人権」とは人が人であることによる無条件的利益だという、「人であること」からの演繹の空虚さを「市井の人びとは、直観的に見抜いてきた」のでないか。
 4.<人→その本性→自然権>と<人の自由意思→社会契約→国家>の二つを「自然権保全のための国家」という命題により連結するのが、「合理主義」だ。一方、ヒュームらの「反合理主義」は人が簡単に統御できないことを知っており、合理さと不合理さの統合を考える。
 「合理的」に説明する前者が勝っていそうだが、<理解されやすい学説はたいてい間違い>で、「合理主義の魔術に打ち勝ちたい」。だからこそ、<ルソーは間違っていて、ヒュームが正しかったのでないか>と先に書いた。
 本文は「第Ⅰ部・近代立憲主義のふたつの流れ」「第Ⅱ部・立憲主義の転回-フランス革命とヘーゲル」に分けられる。今のところ、前者を読み終えた。
 「第一部」にも「はじめに」がある。要約は避けて、印象的な文章部分のみを以下に10点、引用しておく。
 1.日本の「憲法学界にも、…「マルクス主義憲法学か非(反)マルクス主義憲法学か」、「自然法思想か法実証主義か」、「護憲か改憲か」をめぐっての緊張関係がみられたこと」もあったが、その論争も「大陸での合理主義的近代哲学という土俵」の上で展開されたにすぎず、「最適規範となるような倫理的秩序を、現実の”市民社会”の上に置くか、…論者自らは…隔絶された高みから現実を観察しながらの、…「宣教師的憲法学」だったよう」だ。
 2.<人権は人の本性にもとづく普遍的な価値>だから現在・将来の日本人は守るへきとの言い方の背後には、「「護憲の思想」が透いて見えて」いる。「この種の論調の憲法学を「嫡流憲法学」と呼ぶことにしている。
 3.日本の嫡流憲法学は…近代の主流啓蒙思想の説いてきた人間の道徳的能力に依拠し続け」た、「実に無垢な善意にあふれた語り」だが、それでは「改憲派に対しても、マルクス主義に対しても、対抗力をもった理論体系を呈示できない
」。(p.6)
 4.「ナイーブな善意の花を飾り立てるがごとき言説を繰り返してきた憲法学の(護憲派の)思想は、予想以上に弱々しいものだ」。
 5.「戦後の憲法学は、人権の普遍性とか平和主義を誇張して」きたが、「それらの普遍性は、国民国家や市民社会を否定的にみるマルクス主義と不思議にも調和」した。「現在でも公法学界で相当の勢力をもっているマルクス主義憲法学は、主観的には正しく善意でありながら、客観的には誤った教説でした(もっとも、彼らは、死ぬまで「客観的に誤っていた」とは認めようとはしないでしようが)」。(p.7)
 6.従来の憲法学は、「国民国家」や「市民社会」の意義を真剣に分析しておらず、それらを「一挙に飛び越えて登場するのが、「世界市民」とか「世界平和」といった装飾性に満ちた偽善的な言葉」だ。(p.8)
 7.「戦後の憲法学は、…「閉じられた世界」で、西洋思想のいいとこ取りをしながら、善意に満ちた(偽善的な)教説を孤高の正しさとして繰り返してきた」が、その「いいとこ取りをしてきたさいに、その選び方を間違ってきた」のではないか。「間違ってきた」というのが不遜なら<西洋思想のキーワードを曖昧なまま放置してきたのではないか>。「その曖昧さは「民主的」という一語でカヴァされてきた」かにも見える。
 8.「戦後の「民主的」憲法学は、自然権・自然法・社会契約の思想に強く影響されて」きた。これらを歴史的展開の解明の概念として援用するのはよいが、日本国憲法の個別論点の解釈に「大仕掛けの論法」として使うべきではない。「自然状態、自然権、自然法、社会契約、市民、市民社会という憲法学の基本概念は、これを論じた思想家によって大いに異なっているのだ。(p.9-10)
 9.本書の最大のねらいは、<自然状態から市民社会を人為的に作りあげようとする思想の流れとは別に、もうひとつの啓蒙の思想がある>、すなわち「スコットランドの啓蒙思想」がある、ということだ。(p.10)
 10.「第Ⅰ部での私の主張は、政治思想史・法哲学においては、既に旧聞に属する、いわば常識的知識にすぎない」が、「残念なことに…憲法学界においてはもさほど浸透していない
」。(p.12)
 やや寄り道をした感があるが、第Ⅰ部の第一章は「啓蒙思想のふたつの流れ」で、上でも触れた<ルソーではなくヒュームが正しかった>ということ、日本での主流思想とヒュームらの
スコットランド啓蒙思想
」の差違が簡単に整理されている。
 両者は次のよう種々の対概念で説明される。すなわち、<近代主義/保守主義>、<近代合理主義/伝統主義(批判的合理主義)>、主唱者の出身地から<大陸啓蒙派/スコットランド啓蒙派>だ(p.13-14)。また、第Ⅰ部の「まとめ」では<意思主義/非意思主義>、<理性主義/非理性主義>とも称される。
 前者に属するのがデカルト、ルソーで、後者に属するのがヒューム、アダム・スミス。
 私の知識を加味して多少は単純化して言えば、出身地による区別は無意味になるが、前者はデカルト→ルソー→<フランス革命>→マルクス→レーニン→<ロシア革命>→スターリン→毛沢東・金日成とつながる思想系列で、後者はコウク→バーク→ヒューム→アダム・スミス→ハイエクとつながる。
 とりあえずデカルト、ルソーとヒューム、アダム・スミスを対比させるとして、両者の「思想」はどう違うか。長い引用になるのは避けるが、1.前者は<社会・国家は人間の理性によって意図的・合目的に制御されるべきで、また制御できる>と考え、「人格的・理性的・道徳的存在」としての人間の「自由な意思の連鎖大系」が「市民社会」だとする。
 後者は、<制度、言語、法そして国家までもが、累積的成長の過程を経て展開され出てきた>と考え、伝統・慣習等「個人の意思に還元できないもの」を重視する。「人間の不完全さを直視し」、「理性に対しては情念、合理性に対しては非合理性に積極的な価値を認め」る。
 2.大陸啓蒙派の形成に影響を与えたのはイングランド的啓蒙派で、ホッブズロックが代表者。彼らは「人の本性」=「アトムとしての個人が当然に持っている性質」を「自然」という。
 スコットランド啓蒙派は、「社会生活の過程を通して経験的に徐々に習得される」、「人が人との交わりのなかで習得」する、「感情・情念」を「人間の理性より…重視」した。
 阪本昌成は、<人は理性に従って生きているだろうか?>とし、「人間は本来道徳的で理性的だ、という人間の見方は、多くの人びとの直観に反する」のでないか、とする。スコットランド啓蒙派の方により共感を覚えているわけだ。
 私の直観も阪本氏と同様に感じる。若いときだと人間の「理性」による人間と社会の「合理的」改造の主張に魅力を感じたかもしれないが、今の年齢となると、人間はそんなに合理的でも強くもない、また、人知を超える不分明の領域・問題がある、という理解の方が、人間・社会のより正確で客観的な見方だろう、と考える。
 このあと阪本著はモンテスキューは大陸出身だがスコットランド派に近く、ベンサムは英国人だが大陸派に近いと簡単に述べたあと、第2章でホッブズ、第3章でロックを扱うのだが、省略して、次の機会には「第4章・啓蒙思想の転回点-J・ルソー理論」をまとめる。ルソー理論がなければフランス革命はもちろんマルクス主義もロシア革命もなかったとされる、中川八洋の表現によれば「狂人」だ。
 さて、中川八洋の本と比べて阪本昌成の本は扱っている思想家の数が少なくその思想内容がより正確に(と言っても限界があるが)分かるとともに、憲法学の観点から諸政治・社会思想(哲学)を見ている、という違いもあり、中川の罵倒ぶりに比べればルソーらに対する阪本の批判はまだ<優しい>。
 この本でも阪本昌成はマルクス主義憲法学に言及し、それへの批判的姿勢を鮮明にしているが、具体的にだれが日本のマルクス主義憲法学者なのかは、推測も含めてたぶん多数の氏名を知っているだろうが、この本にも明示はしていない。とくに現存する人物については氏名を明示して批判することを避ける、というル-ルがあるとは思えないが、マルクス主義者かどうかというのはデリケートな問題なのだろう。
 なお、宮地健一のHPによると、長谷川正安(1923-)・元名古屋大学法学部教授(憲法)は日本共産党「学者党員」と断定されている。この人を指導教授としたのが、これまでも名前を出したことがある森英樹・名古屋大学法学部教授だ。→ 
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/saiban7.htm

0176/1956年3月衆議院内閣委員会での神川彦松公述人と石橋政嗣委員の質疑。

 50年前の憲法大論争(講談社現代新書)に1956年3月の衆議院内閣委員会での公述人・神川彦松と委員(議員)石橋政嗣(日本社会党、のち書記長・委員長)のやりとりが掲載されていて、興味を惹く。
 神川彦松は他の二人の公述人(中村哲・戒能通孝)と違って「日本国憲法」を占領下憲法・マッカーサー憲法とか称して、制定過程・日本人の民主憲法ではないことを問題にする「公述」をした。
 これに対して、石橋政嗣は、「民主主義と平和主義と基本的人権尊重主義の三つの偉大なる原則」をもつことを「自民党諸君」も不可とはしていない、「現行憲法の三大原則-これが生命であります。これを是認しておる」ということは、「どのような成立の経過を経ようとも、りっぱなものではないか」、とまず言う(p.89-90)。
 ここで、1956時点でとっくに、1.「民主主義と平和主義と基本的人権尊重主義」という「三大原則」が語られていること、2.内容がよければ「どのような成立の経過を経ようとも」よいではないかとの考え方が示されている、ということが興味深い。
 以上のあと、石橋は神川に対して、内容は立派でも「制定の由来」からして「無効」と考えているのか、と問うている。そして、1.占領下だったからというなら独立と同時に「無効宣言」してもいいのに「自民党の諸君」がそれをする勇気がないのはおかしい、2.明治憲法の改正手続によっているので「無効」というなら了解もできる、とまで付け加えている。
 神川彦松の答えはこうだ。1.国際法上は占領終了と同時に「日本国憲法」は「失効」している。2.しかし、国内法上は「失効させるだけの手続」が必要だ。いくつか方法はあるが、「ひとつの方法は…、国会において…国際法上無効であるから失効すると宣言をしてよろしい」。
 国際法と国内法の関係は単純にそうなのか(国際法上無効→憲法も国内法上無効?)はよく解らないが、この1.2.はいちおうは理解の範囲内に収めることができる。だが、次の3.4.がややこしい。そのままの引用では相当に意味不明なのではなかろうか。
 3.「マッカーサー…ですらあれだけ驚くべきことを断行」しながら「明治憲法の七十三条」を利用したのだから、「われわれもマッカーサーの故知にならいまして…憲法九十六条の手続に従ってやったほうが穏当」。
 4.だが、「法理」的には「日本の憲法制定権を代表している日本の国会が無効の宣言をし、…続いて国民投票についていちおう念のためにやってみて、…大多数が大賛成と言えば…私はよろしい、こう思う」(p.100-1)。
 この神川の発言に対して、石橋政嗣は、最初に「理論の矛盾をみずから露呈」したと指摘し、「帝国憲法の七十三条の手続きを踏んでいるんだから無効を宣することはできないということは、…実質的に現憲法をお認めになっている」、これは「理論が一貫しておらない」と述べている(p.102)。
 以上は神川・石橋<論争>のごく一部にすぎないが、私には、噛み合っていないと思える。
 すなわち、解説者・保阪某は何ら言及していないのだが、石橋は神川意見を<明治憲法の改正手続によっているので無効宣言できない>旨理解しているが、その理解は正しくはないのでないか。
 神川は上の2.4.で明らかに国会による無効確認又は無効宣言が可能である旨を述べている。問題は3.だが、その趣旨は、マッカーサーは国民主権原理の憲法を明治欽定憲法の改正手続で<作らせた>くらいだから、「日本国憲法」の改正条項(96条)を利用して実質的には「改正」ではない(「日本国憲法」の無効を前提とする)新憲法を制定するくらいの<巧緻>さがあってもよい、ということではないか、と思われる。上の限定された部分だけをとっても、国会が無効宣言をできないとは一言も言っていないのだ。
 細かなことだが、こんなふうに論旨が噛み合っていない、相手の趣旨を正確に理解しないままでの議論のやりとりが明瞭に見られるのは、個人的には、又は<頭の体操>的には、相当に<面白い>。
 そんなことよりも、つぎの点の方が、憲法改正に関する議論にとっては重要かもしれない。
 第一に、神川は上の4.で「国会が国民の憲法制定権を代表」していると言っているが、「日本国憲法」の無効宣言はできるがそれまでは有効なので憲法制定権は「日本国憲法」により国民に移ったと理解しているようだ。実質的・本質的に「無効」ならば明治憲法の効力がなお残る余地がありそうで、その点は少なくとも議論の対象にはなりそうだが、こんなに簡単に、自らが国際法は「無効」で国内法的にも「無効宣言」できるとする「日本国憲法」の新原理を承認してしまっていいのだろうか。
 一方、「国民投票」は「念のために」するもので不可欠のものではないようだが、「国民の憲法制定権」を語るなら、1947年憲法に即して、「国民投票」は法的に必要なのではないか。むしろここに<論理一貫性>のなさを私は感じる。
 なお、既述のことだが、以下でも言及する現在の日本国憲法「無効」論者・小山常実の本は、「無効確認」に国会が関与することを法的に必要なものとは見ていない。
 第二に、上で<巧緻>という言葉を用いたのは私だが、神川が3.で「法理」的には厳密でなくとも、、「日本国憲法」の改正条項(96条)を利用して実質的には「改正」ではない(「日本国憲法」の無効を前提とする)「新」憲法を制定してもよい、と主張した(と思われる)のは興味深い。「法理」的にはともかく、その方が「穏便」だとの旨も述べている。
 この点は、現在の日本国憲法「無効」論者の方々に注目していただきたいものだ。
 大目的が<占領憲法>(日本国憲法)を廃止して<自主憲法>を制定することにあるならば、日本国憲法「無効確認」・明治憲法復原確認→明治憲法の殆どの効力停止→「日本国憲法」の殆どの条項を内容とする臨時措置法(法律)による自衛軍の創設→明治憲法の改正条項の改正等々という複雑な手続(小山常実・憲法無効論とは何かp.139以下による)をとることを要求することなく、(むろん相応しい内容に関する議論は必要だが)端的に現憲法96条を「利用」して実質的には「新しい」自主憲法を制定すればいいのではないか(かりに万が一、現憲法が「無効確認」できるような性格のものだったとしても、そのような純粋な「法理」を貫くことは決して<最高の価値>ではないのではないか。専門的法律家はあまり言わないだろうが、「法理」よりも大切なものはある)。
 これと同様のことをかつて、神川彦松は、少なくとも示唆していた、と理解できるのだ。神川の発言の中では、むしろこの点に着目したい。

0175/50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007)に寄せて。

 昨年8/26の朝日新聞に小泉前首相靖国参拝をうけて<「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」>と訳のわからないことを書いていた保阪正康の本を買う気はもはや全くないのだが、同氏の監修・解説にすぎず資料的価値があると判断して、50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007.04)を購入した。
 憲法調査会法案(のちに成立して1956.06.11施行)の審議中の衆議院内閣委員会公聴会の記録がこの本の中身の殆どで、今読んでも(全部はまだ読んでいないが)興味深く、資料的価値は高い。
 この時代を振り返っての基本的な感想又は感慨は次のとおりだ。
 上の法案は1955年6月に国会に提出された。当時の首相は鳩山一郎で、彼は「自主憲法」制定を目指していた。鳩山は民主党で、同党と自由党(緒方竹虎総裁)が合同して自民党(自由民主党)となったのは、1955年11月だった(衆議院299・参議院118の議員数)。
 上の本の解説等をきちんと読んではいないが、憲法調査会法案が近い将来の憲法改正(自主憲法制定)を視野に入れてのものだつたことは疑いえない(収載されている清瀬一郎等の提案理由からも分かる)。
 法案提出前の総選挙(1955年2月)での獲得議席数は、民主185、自由112、左派社会党89、右派社会党67、労農4、共産2で、じつは民主と自由を合わせても2/3以上ではなかった。
 従って、改憲(自主憲法制定)を実現するためには、憲法調査会法にもとづく調査等を経て改正の発議をしようとする時点で改憲(自主憲法制定)派が2/3以上を占めておく必要があった。
 しかし、1956年7月の参院選では、自民61、社会49、緑風5、共産2、その他10で、自民は2/3以上(のたぶん85)を獲得できず、1958年の総選挙(衆議院)でも、自民287、社会166、共産1、その他13で自民は2/3(のたぶん312)以上を獲得できなかった(社会党は戦後の最高水準)。
 ようやく基本的な感想・感慨を書くに至ったが、これらの選挙で改憲(自主憲法制定)派が2/3以上の多数を占め、防衛軍又は国軍を保持することを明記していれば(1954年に法律により自衛隊は発足していた)、現在問題になっていることの多くは議論しなくても済んだ
 また、1952年の主権回復・再独立からすぐにではないにせよ10年以内に(現在までの憲法に対する)外国人の関与がない、日本人のみによる新憲法が制定されていたことになるので、現在までの憲法を「無効」とする議論が現在まで残ることはありえなかった。
 なぜ1950年代後半に改憲(自主憲法制定)できなかったのか。自民党の責任もむろんあるのだが、第二党の社会党(1955年10月に左右合同)が反対し続けたからだ。同党は1947年施行憲法(現憲法)「押しつけ」論や「無効」論に強硬に反駁しており、かつ(今の共産党等と同様に)米国の戦争に巻き込まれる、日本軍も戦争をすることになる、戦前の過ちを繰り返すな、という論陣を張り、1/3を上回る議席数を獲得し続けたのだ。
 短い石橋湛山内閣のあとを継いだ岸信介首相も改憲(自主憲法制定)をしたかった、と思われる。だが、発議のための議席数がないとなればいかんともし難く、池田首相以降、自民党は改憲(自主憲法制定)を現実の政治的課題とはしなくなる(これを改めたのが小泉前首相・安倍首相だ)。
 再びいえば、当時の日本社会党(+若干の「革新」政党)の態度こそが、重要な問題を未解決にしたまま約60年が経過したこと、自衛隊が「軍隊その他戦力」ではないとの大ウソが政府・自民党によっても語られ続けた(かつ野党もまたそれで満足していた)こと等の原因なのだ。
 すぐのちの所謂60年安保闘争についてもそうだが(さらに解党するまでずっと継続したとも言えるが)、日本社会党(1961年以降は加えて日本共産党)に理論的・イデオロギー的根拠を与え(客観的にはソ連等の「社会主義」への幻想を前提とするものだった)、指導し、応援し、支持した、大学教員だった者を含む「進歩的」・「革新的」文化人・知識人の責任は(いつかも書いたが)頗る大きい、と言わなければならない、と思う。彼らを、氏名を列挙して、歴史的に「断罪」すべきだ、と考えている。
 そのような一人が、上記の衆議院内閣委員会公聴会の3人の「公述人」の一人だった中村哲だ(1912-2003。政治学者、法政大学教授・のち総長)。
 彼は憲法調査会法案に反対して、「憲法改正のための調査会を作るとすれば、末代までその恥を残すことになると思います」と述べている(p.69)。末代までその恥を残す」ことになった一人は、日本社会党の支援者だった中村哲氏その人ではないか、と私は思っている。
 もともとはこの本に即してもっと細かいことを書こうと思っていたのだが、当初の想定というのは外れやすいものだ。

0174/石原慎太郎の米国講演、西尾幹二・水島総の朝日新聞等批判。

 少し古いが、産経5/19によると、石原慎太郎はニューヨークでの講演で、次のようなことを述べたらしい(イザ!ニュースなし)。
 1.日本有事に際し米国が安保条約による責任を果たさない場合は<日本は自分で守る努力をする。核保有もありうる>。
 2.中国経済は2008年までと英国エコノミスト誌編集長と一致した。経済が破綻した中国は「軍事的冒険主義」に出てきて「台湾や尖閣諸島に向けられる」可能性がある。
 3.尖閣諸島有事の際に米国が何をできるかは疑問。日米関係の将来は米国が中国をどう認識・評価するかに依るところが大きい。
 4.米国と中国が全面戦争になった場合、米国は必ず負ける。
 産経ですら小さく扱ったのみだから、他紙やテレビで大きくは報道されなかっただろう。
 私としては、上の2と3に現実的な関心をもつ(1と4に関心がないわけではないが)。簡単には、1.中国の経済・社会状況は今後どうなるか、2.米国は「社会主義」中国を(日本との比較が当然に含まれるが)どう認識・評価していくか、だ。
 岡崎久彦はかなり<親米(保守)>のようだが、<反米(保守)>と言ってたぶんよいだろうと思われるのが、西尾幹二だ。
 その西尾幹二が、月刊WiLL7月号(ワック)で「朝日新聞「社説21」を嗤う!」というのを書いている。そして、上の石原講演の内容とあえて関連させると、以下が興味深い。
 私は朝日新聞の「社説21」は読んでいないしデータ保存もし忘れたが、1.朝日は日米安保を前提として議論している。西尾によれば、朝日は「極めて保守的」で、「今まで反米的」だったが、「左翼のくせに親米」だ。
 冷戦構造の中で日本は経済的利益拡大の僥倖に恵まれたが、「朝日新聞は今後もその特権を保守し、なにも責任をとらず、きれい事を言ってアメリカの力にすがりましょうと声高に言っている」。
 2.朝日新聞は、米国に近寄り過ぎると怖い(「直接には関係のない紛争に巻き込まれる危険性がある」)が、遠ざかると相手にしてもらえなくて怖い(「いざという時に守ってもらえないという心配…」)、その「微妙な間合いをとるのに役立ったのが憲法9条」だった、と書いているが、世界情勢が変化し、九条護持を唱え続けることができなくなっていること、「自国を自国で守ろうとする日本の意志がなければアメリカも見放す時が来ている」ことが、「全くわっかっていない」(p.40)。
 上の二つの朝日新聞の社説批判は要するに、米国の対日姿勢が変わりうる(既に変わっているかもしれない)という現実、従ってまた憲法九条の持ちうる意味も変わらざるをえないという「現実」をまるで認識していない、ということに(たぶん)尽きるだろう。
 朝日新聞批判の中で述べられているが、西尾氏自身の言葉としての、3.米国はしばしば歴史上のミスをしてきたが、「例えば、日本を敵に回して中国の共産化を招いたというのは、おそらく歴史的にアメリカが犯した最大の判断ミスでしょう」(p.41)。
 この後で西尾は、ビンラディン登場により米国は「中国という悪魔」と手を結ぼうとしているし、「金正日という小悪魔とさえ、手を組まざるを得ない醜態」見せている、と記す。
 このあたりは私の知識の及ぶところではないが、石原とも共通して、米国が日本を無視又は軽視して中国(・北朝鮮)を重視する(=と友好的になる)ことを懸念し、かつ批判している、と言える。
 やや離れるが、歴史的にみて、日本軍が大陸にいるときに完全に中国側に立ったことは米国の判断ミスだった、と思われる。ルーズベルトの周辺にはマルクス主義シンパがかなりいて、どの政策が「ソ連」の利益かで判断していた可能性が高いが(ゾルゲ・尾崎秀実もそうだった)、中国が「共産」化する可能性の程度を米国は予測し誤ったのだと思われる。それは、二次大戦終了後も続いた。1949年に中国が中国共産党支配の「中華人民共和国」になることを予測できていれば、日本国憲法九条の内容は現在のそれとは違っていた筈だ。
 現憲法九条は戦後の一時期のロマンティックな平和幻想の所産で、冷戦開始(=米ソの対立。1949年の東西ドイツ別々の建国、「中共」成立、朝鮮戦争勃発で完全に明確になった)後にすみやかに、「現実」には不適合の条項になっていた、あっという間に「賞味期限」を過ぎた、のだ。そこで、憲法改正(九条改定)が無理ならばと登場してきたのが、「戦力」ではないとされる、警察予備隊→保安隊→自衛隊だったわけだ。
 上のように振り返れば、現在の憲法九条に関する国論の「分裂」は、「一時期のロマンティックな平和幻想」に陥り、また日本の将来の「軍事大国化」を怖れたがゆえに九条を日本に事実上は「押し付けた」(私は幣原発案説は無理だと考えている)、GHQ・マッカーサーに、そもそもの責任がある、とも言える。
 そのような米国だから、日本に十分な連絡なく突如として米中(大陸の中国)国交を回復したことがあったように、米国の利益に関する判断で今後も動くだろうことは明らかで、米国を中国ではなく日本に引きつけるとともに、米国の判断からの自律性を徐々に身につけることもまた、今後の日本にとっては重要だろう。
 と言って、<親米保守>と<反米保守>(小林よしのりは後者だろう)のいずれかの立場に立っているわけではない。私にはよく分からないことは沢山ある。
 中途だが、西尾の論稿にはまた別の機会にも触れることとして、同じ月刊WiLL7月号には水島総「無惨なり、三大新聞論説委員長!!」もあり、5/06のサンプロの読売・毎日・朝日の論説委員長(論説主幹)の揃い組みをリアルタイムで(保存だったか?)観ていただけに、興味深かった。
 水島総によると、そもそも新聞の論説委員長がテレビ番組で顔を出すこと自体が失敗だった。「みっともない姿をさら」して、「あのおっさん」がこの社説を書いているとのイメージを与えた悪影響は大きい、という。そうかもしれない。
 私の記憶と印象では、朝日新聞の若宮啓文が最も緊張しており、落ち着きがなかった(自社系のテレビ局だったのに、と言いたいが、まぁ無関係だろう)。
 このときの若宮啓文発言についてはすでに批判した。毎日の論説委員長が<論憲>とだけ言い、その具体的内容については<これから考えます>と悪びれることもなく<微笑をたたえて>答えていたことに呆れた記憶もある。
 もう忘れていたが、水島総によると、朝日・若宮啓文氏は、次のような醜態をさらけ出したらしい。
 司会・田原総一朗が「湾岸戦争と同じ状況」になれば「朝日新聞は、今度は国連が正式決議すれば、自衛隊参加に賛成するんですね」と質問したところ、朝日・若宮啓文は、「かなり慌てた表情で、言いよどみ、それは、そのとき、その場で、よく状況を考えていくということで…と、あいまいな答え」しか出来なかった。
 水島は「笑ってしまった」と書き、毎日新聞の出演者とともに「その時に対応を考えます」では「常識で考えても、世間一般では、とても通用しない理屈である」、と批判している(p.138-9)。
 以上、日米関係(中国問題が絡む)と朝日新聞批判がいちおうのテーマの、冗文になった。

0173/天木直人-常岡せつ子氏の「大ウソ」を信じて大失態。

 元外務省官僚・天木直人の本は読んだことはないが、小泉前首相の外交政策を批判する文章を何かで読んだような気はする。
 その天木直人の(公式)ブログの5/18付のタイトルは「集団的自衛権をめぐる議論の結論はこれできまりだ」で、首相の私的懇談会による検討は無意味で、朝日新聞5/18付の元内閣法制局長官・秋山収の意見のとおり、<集団的自衛権の行使を認めるためには憲法改正しかない>、「これで決まり」だ、と主張している。
 この点も重要な問題だが、そのあとの文章が目を惹いた。
 すなわち、「同じく5月18日の朝日新聞の「声」の欄に、常岡せつ子という横浜在住の53歳の大学教授の次のような意見が掲載されていた」として憲法尊重擁護義務の問題に触れたあと、次のように書く。
 常岡せつ子氏は「為政者に改憲の発案権があるとしても、改憲の限界、つまり、どのような「改正」も認められるかという問題が残ります…。憲法の基本原理を変える変更は、現憲法の否定であり、もはや「改憲」とは呼べないというのが学説の通説となっています…(ですから憲法9条を変えることは)新憲法制定、またはクーデターとも言うべきものです。96条の(改憲の)手続きで行うのは国民を欺くものです…。」と書いている。
 「その通りである。これが通説なのだ。すなわち集団的自衛権行使を容認すると言う事は、安倍首相とその取り巻きによるクーデターなのである。そう考えると、国民投票で為政者の改憲の試みを拒否することは、国民の側のクーデターである。私が繰り返し声を上げてきた日本の歴史上はじめての民主革命であるということだ。やっと日本国民も欧米諸国がとうの昔に成し遂げた民主革命を手にする時が来たのだ。/こう考えれば雲が晴れたようにすべてハッキリとする。マスコミはこの点を繰り返し強調すべきだ。国民がこの事に気づくならば、為政者の改憲の企ては吹っ飛んでしまう。政権そのものが民衆の目覚めで倒されてしまう。安倍首相はとんだやぶへびの失敗を犯そうとしている。愚かだ。
 天木直人は余程小泉→安倍政権が嫌いなのだろう。常岡氏が「通説によれば」九条二項は憲法改正の限界外でこれを変えるのは「クーデター」となると書いているのを真に受けて、「その通りである。これが通説なのだ」と喜ぶ。そして、安倍首相側のクーデターである改憲を阻止することは「国民の側のクーデター」だとして、大袈裟にも、「日本の歴史上はじめての民主革命」だ、とまで言う。
 政権側のクーデター阻止が国民側のクーデターで同時に「民主革命」だ、という言い方もよく分からないところがあるが、既述のとおり、そもそも常岡の述べていることは「通説」では全くない。「その通りである。これが通説なのだ」とは言っておれないのだ。
 とすれば、あとの昂奮した文章はすべて砂上の楼閣で、全く意味がなく、残念ながら、ただちに崩れ落ちる。「
マスコミはこの点を繰り返し強調すべきだ。国民がこの事に気づくならば、為政者の改憲の企ては吹っ飛んでしまう。政権そのものが民衆の目覚めで倒されてしまう。安倍首相はとんだやぶへびの失敗を犯そうとしている。」なんて言うことは全くできないのだ。天木が安倍首相に投げつけている言葉を使えば、全く「愚かだ」。 
 常岡の言明を「信じた」天木は可哀想なことだ。
 そして、専門家・憲法学者が「通説」かどうかに関する「大ウソ」を書いてしまうことが犯罪的な、社会的議論を混乱させる役割を果たすことを、この天木のブログ文章は典型的に示しているだろう。
 常岡せつ子は天木に対して、謝りの手紙くらい出しておいた方がよい

0172/日露戦争とレーニンとスターリン-林達夫の一文。

 歴史のイフに言及した5/6の17時台のエントリーの中で「最後に、…日露戦争の勝利は、ロシア帝国の弱体化を早め、ロシア革命=社会主義国ロシア→ソ連の成立に寄与したのではないか。/日露戦争にロシアが勝利していてもロシア革命は起こった可能性は無論あるが、その時機を少しは早めたのではないだろうか。日露戦争は祖国防衛戦争だったと司馬と同じように私は理解しているが、それがレーニンらを客観的には助けたのだとかりにすると、身体がむず痒い感触も伴う。」と書いた。
 この問題に関係することが、林達夫・共産主義的人間(中公クラシックス、2005)の中の「『旅順陥落』-わが読書の思い出」に出てくる。  「旅順陥落」とはあのレーニンが日露戦争について書いた本だが、少し理解し難いものの、要するにレーニンは、日露戦争の日本の勝利を、「日本ブルジョワジー」の勝利ではあるが歴史に「進歩主義的」な役割を果たしたとして肯定的に評価しているらしい。レーニンは書いた。-「恥ずべき敗北を喫したのは、ロシア人民ではなくして、この専制主義である。旅順の降伏はツァーリズムのそれの序曲に外ならぬ」(p.333。  こう指摘され、ロシア革命を少なくとも早めたのだとすると「身体がむず痒い感触も伴う」。  ところが、二次大戦後に林達夫が読んだ雑誌の中に、ソ連の対日参戦後にスターリンが将兵に発したメッセージ全文が載っていて、それは<満州に進出したソ連赤軍将兵はかつてその父兄が受けた屈辱を雪いで仇をとった>という旨の「祝福」の文章だった、という。
 時代が異なるとはいえ、日露戦争の評価がレーニンとスターリンで正反対だ。
 林達夫は、スターリンの言葉を本心からのものと思うのは「阿呆」で、「清濁併せ呑む共産主義者の政治的逞しさ」か「同じく清濁併せ呑むソヴェート人民の政治的痴鈍」のいずれかだとし、どちらかというと、「マルクス・レーニン主義的啓蒙によってもなかなか犯し難い」ロシア庶民の気風を背景にした後者だろうという判断を示している。
 言ってみれば、スターリンは、当面の闘いの意義を見つけ、勝利するためには日露戦争敗北という屈辱の「仇」をとる、というマルクス・レーニン主義とは無関係な(と思われる)心情に訴える必要があった、ということになるのだろう。
 とすると、こちらのスターリンの方の理解もあまり楽しいものではない。
 ところで、林のこの小文は某雑誌1950年7月号に掲載され、のちに書名にもなった「共産主義的人間」は某雑誌1951年4月号に掲載されている。
 日本共産党が分裂し半分は地下に潜っていた頃だが、まだまだ<理論的>には共産主義又はマルクス・レーニン主義の影響力は強く残り、維持されていたように思われる。そんな時代の中では、とくに上の後者は、「共産主義的人間」を冷静に見てきちんと批判的に分析している。林達夫の本は、現在よりも後世にもっと読まれるようになるのではないか(現在はまだ、客観的にはマルクス主義の影響を受けた者の数が多すぎると思う)。

0171/山崎行太郎は自分の安倍晋三批判を赤面することなく読めるか。

 産経5/23によると、韓国の盧武鉉大統領が政府内等の記者クラブ数の縮小を発表してマスコミの反発を買っているらしいが、その記事の中にこんな文章がある。
 「盧政権は、大手紙などの反政府的報道に対してはそのつど誤報訂正要求や告訴、取材拒否で対応してきた…」。
 坂真・韓国が世界に誇るノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録(飛鳥新社、2007.01)p.63以下によると、盧武鉉は2005年の5月、ソウルでの世界新聞協会総会の祝賀演説でこう言ったそうだ。
 「権力と言ってもいい。言論権力の乱用を防ぐ制度的装置と言論人の倫理的姿勢、および節制がきわめて重要だ」。
 同書によるとまた、韓国では、最大発行部数の新聞は市場占有率が30%を超えてはならず、上位3紙も合計60%までと制限し、中小新聞には支援を行う「新聞法」(新聞等の自由と機能の保障に関する法律)が2005年07.28に施行されている。
 坂真氏は「文字通りの「権力による言論への介入」と言わざるをえない」とまとめている。
 いちおうの自由主義国・韓国ですらこうなのだから、中国や北朝鮮では果たして「言論の自由」が存在するのかどうか自体が疑わしいだろう。政府又は言論警察機関が許容した範囲内でのみの「言論」行使ができるらしいことは、逐一関係資料を確認しないがこれまでの日本の中国等に関する報道によっても明らかだと思われる(これらの国の「憲法」がどうなっているのかは知らないが、少なくとも現実には、憲法で保障された人権としての表現の自由という意識・観念が恐らく存在しない)。
 ところで「山崎行太郎」という人は、自ら書くところによると、「文藝評論家(or哲学者)。 慶応大大学院(哲学専攻)修了。東工大講師を経て、現在埼玉大学講師、日大芸術学部講師、朝日cc「小説講座」講師」らしい。
 もともと小説又は文学作品を書かない文評論家とか、小説を書かないで(又は売れた小説を書いたこともなく)「小説の書き方」とかを講じている人は何となく胡散臭く感じてきたし、自ら「or哲学者」などと名乗る人にロクな人はいないだろうとも思うのだが、この山崎行太郎という人も、失礼乍ら、やはり<胡散臭い>人で、<ロクな人>ではないように見える。
 この人は言論統制・言論弾圧に関心を持っている(研究対象としている?)らしいのだが、過日すでに一部紹介したように、安倍首相について、5/18にこんなふうにブログ上で公言している。
 「安倍が総理就任以前から言論統制や言論弾圧にこだわっていることは明らかだが、総理総裁に就任後も、相変わらずマスメディアの情報に敏感に反応し、新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」→「誠に情けないというか、なんというか、馬鹿丸出しの体質がミエミエで哀れ」。
 「安倍シンゾーは、どうした風の吹き回しか知らないが、総理総裁に就任する以前から言論弾圧に異常に固執している政治家である。女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝したのもこの人だ。「ボクは言論弾圧なんかやってないよ…」と言うが、「やった」に決まっている。」→「言論弾圧や言論統制を武器にして政権維持を画策するような、こんな低レベルのチンピラ政治家を総理総裁として持たざるをえない日本国民の一人として、かなり恥ずかしいと思うだけだ。
 「安倍は、これまでもNHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた」→「そのことの喜劇性と非常識をまったく自覚できていないという時点で、政治家失格というより、人間失格である。これぞまさしく「キチガイに刃物」である。
 山崎行太郎なる人物は、1.安倍晋三氏による総理就任以前からの「言論統制や言論弾圧
とは具体的にどのような行為で、かつなぜそれが「言論統制や言論弾圧に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 2.安倍氏が総理就任後も「新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」とは具体的にどういう行為で、かつなぜそれが「
脅迫と恫喝」に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 3.安倍氏が「
女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝した
ということのうち、とくに下線部分を、朝日新聞の記事や同社記者・本田雅和らおよびNHKの長井暁の発言以外の資料又は記録文書を使って、きちんと通常人ならばなるほどそうだっただろうと納得できるように十分に説明していただきたい。
 関連してついでに、言論弾圧を「
「やった」に決まっている。
」とは断定的文章ではなく強く推測しているとの趣旨だと思われるが、そう「強く推測」する根拠を示していただきたい。
 4.なお、安倍氏が「NHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた
という部分については、上の2.の質問によって代える。
 以上の問いに具体的に回答できないとすれば、山崎行太郎なる人物は、確たる根拠もなく、いわば「思いこみ」に近い心理にもとづいて、安倍晋三を、「
誠に情けない」・「馬鹿丸出し」・「低レベルのチンピラ政治家」・「政治家失格というより、人間失格」、キチガイ(に刃物
)」と罵倒していることになる。文芸評論家(+哲学者)だから許される又は甘く見てもらえる、ということはなく、むしろ逆であることは当然のことだ。
 再度簡単に繰り返しておくが、安倍晋三のどの行為が「言論統制や言論弾圧」で、どの行為が「脅迫と恫喝
」なのか。
 加えていえば、この山崎某なる人物は、次のような奇妙なことも書いている。
 1.「政治家や権力者にとってマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒は、不可避である。有名税というようなレベルの問題でもない。マスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるかどうかが、政治家としての資質の有無を判別する基準である。安倍シンゾーにマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるだけの人間的包容力がないことは明らかだ」。
 この人は何を言っているのか。「
マスメディアや一般大衆」からの批判をいわば「有名税」として甘受又は無視する必要がある場合もむろんあるだろうが、この文章は、何を書かれても、どんなひどいことを書かれても「人間的包容力」をもって「許容」しろ、それが「政治家としての資質
」だ、旨を言っている。
 そんな馬鹿なことはない。常識と「理性」を持った「マスメディア
」の批判等だけならよいが、十分な根拠を持たないままの、政治的影響力減少・政治家失墜を狙った、表向きだけは報道機関らしきものの記事もありうるし、秘書等が殺人犯の所属する団体の関係者だと書かれてしまうこともありうる。それらに<十分な根拠>があれば別だが、そうでない限り、「人間的包容力」をもって「許容」
できない場合もあるのは当然ではないか。
 上の方で紹介した韓国・盧武鉉大統領の対マスコミ言動に比べれば、安倍首相の対応は、遙かに穏便だ(穏便すぎるかもしれない)。
 こんなまともと思われる議論も、自称「文藝評論家(or哲学者)」の方には通用しないのかもしれない。国際女性戦犯法廷NHK問題につき、「山岡俊介」という人のブログの次の文章をそのまま引用している。山崎某自身のそのままの理解でなくとも、肯定していると思われる。
 「疑惑の中川昭一代議士と違い、安倍氏の場合、放送直前にNHK幹部に会い、「公正な報道を」と番組に関する発言を行っていることを自ら認めているのだから、完全に真っ黒と言わざるを得ない。/例え、恫喝しなくても、また、NHK側から出向いたのが本当だとしても、そんなことは本質論からいえば些末なこと。番組の件で、放送直前に会ったこと自体が大問題なのだ。
 これまた、馬鹿ではないか。こんなふうに批判されるのであれば、NHK等の放送局、さらにはいかなるマスメディアの人物とも「会う」ことができなくなる。
 放送局であれ、新聞社であれ、それらの関係者と「会う」ことは、全てが、何らかの番組放送又は記事の公表(新聞配送)の「直前」になってしまうのだ。お解りかな?
 そして何らかの番組放送・記事公表の「直前」に「会った」ということだけで、<政治家の圧力>があったと言われてしまうのであれば、たまったものではなかろう。
 具体的にNHK問題について言えば、既に何度もいろいろとネット上でも話題にされた筈なので、詳しく繰り返さないが、当時において安倍の耳にも入っていた<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、放送上の規定に即した一般的な発言をするのはむしろ当然のことだ。上坂冬子等もどこかで書いていたが、あの<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、何も言わない方がむしろおかしく、その方が政治家としての良識・見識が疑われる。
 山崎某あるいは上の山岡某は、見事に、朝日新聞と全く同じく、<国際女性戦犯法廷>に関する番組がどういう内容のものだったかには全く触れていない
 そして、山崎某はNHKの松尾に対する安倍の発言を、大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ。
 あるいはまた、<政治家が圧力>との旨の記事を書いた本田雅和等や朝日新聞社に抗議し批判したことを、同じく大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ(「脅迫」とは刑法犯罪になる行為を示す言葉でもある)。
 これで「文芸評論家(+哲学者)」か? いや、だからこそ、上に紹介してきているような粗雑な文章を書けるのかもしれない。
 つまり、基本的には大江健三郎と類似しているとも思うが、この人にとって<真実>・<事実>がまず第一に重要なのではない(社会系の学者・評論家とは違うところがあるようだ)。そうではなく、自分の描いているこの世のイメージに現実を合わせる(そして満足する)ことの方が大切なのだ、と思われる。
 そして、山崎行太郎は、上に紹介したようなことを公然と書いて公表したままにしておける、日本の「言論の自由」の保護の状況を直視すべきだ。そして、有り難いものと感謝すべきだ。
 私は、この人の上のような叙述は「言論の自由」の枠を超えており、<侮辱罪>の構成要件は充足していると思うが、「言論の自由」に対する恣意的な規制になるおそれを回避するために、実際には警察が動くことなどありえず、言論の一つとして、ネット上に残したままにしておける。日本は何と「自由」な国だろう。
 言論統制・言論弾圧に関心がおありならば、ソ連・東独等の旧「社会主義」国、そして中国や北朝鮮等の現存「社会主義」国の言論統制・言論弾圧の状況にも関心をもち、日本の状況と比較して欲しいものだ。産経5/22には、「露、強まる言論統制/大統領選控え/反政権派”排水の陣”」という見出しの記事もある。
 「文芸評論家(or哲学者)」という肩書きで、安倍首相を罵倒し、あるいは私は知らない某々等の人物への個人的な批判のようなことを書き連ねて生活していけるのだから、結構なことだ。
 最後に「政治ブログ」とやらに参加しているようだが(だからこそこの人のブログの存在を知ったのだが)、たしかに「政治」に関する文もあるが、<文芸>に関することの方が多そうだ。私の上の質問にきちんと答えたあとで、「政治ブログ」エントリーは止めたらいかがか。その方が、私の精神衛生にはよろしい。
 こんな、今回のような内容の文章を本来は書きたくないのだが、山崎某の、無責任な、好き勝手な言いぐさを読んでいると、何やら腹が立ってきて、<義憤>らしきものも湧いてきたのだ。山崎某に関心のない方は、許されたい。

0170/「平和主義」と自衛軍・憲法改正権の限界の関係。

 自民党新憲法草案の前文の中に、「…平和主義…は、不変の価値として継承する」との文言がある。
 この前文改正案は要点を箇条書きしたような出来のよくない文章で成り立っていると感じるが、それはともかく、このように「平和主義」を継承する、と書きつつ、周知のように、同草案九条の二では「…自衛軍を保持する」と定めている。
 この案も前提としているだろうが、平和主義と軍隊の保持は矛盾するものではない
 いつぞや阪本昌成の言明を紹介したように、「平和主義」の中にも<非武装による平和主義>もあれば、<武装・軍備による平和主義>もあるのであり、「平和主義」を自衛戦争の放棄や非武装(=軍隊不保持)主義と理解するのは、特定の(偏った)理解の仕方にすぎない。
 (このような曖昧な「平和主義」という概念を前文の中に書き込むかは再検討されてよい。平和を愛好する、平和を志向するということ自体は殆ど当たり前のことだし、阪本昌成氏が指摘していたように-後述の常岡氏のように-「誤解」へと意図的に?導く人々も生じうる。)
 さて、常岡せつ子の朝日新聞への投書が話題にしていた憲法改正の限界の問題だが、野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利・憲法Ⅱ〔第四版〕(有斐閣、2006)p.397は「限界説に立った場合、…内容的には、…国民主権、…人権尊重主義ならびに平和主義の諸原理があげられる」(野中俊彦・法政大学教授執筆)と書いている。
 また、伊藤正己=尾吹善人=樋口陽一=富松秀典・注釈憲法〔新版〕(有斐閣新書、1983)は、「基本原理」である「国民主権と基本的人権の原理が憲法改正の限界をなすという説、ないしすすんで平和主義の原理を含めてそう解する説が支配的」で、「憲法改正」条項も含める説が「有力」だ、と書いていた(樋口陽一・東京大学名誉教授執筆)。
 4/25の17時台に「日本国憲法は三大原則か六大原則か」と題してエントリーしたのだが、上の二つの本は、「三大原則」とされるもの、すなわち国民主権・基本的人権保障・平和主義が憲法改正の限界の対象になる旨を書いている、と言える。
 この4/25の段階では憲法上の「原則」が何かは「憲法改正の「限界」とは無関係に語られているのではないかと思われる(あくまで私の理解だが)」と書いていた。同時に、八木秀次氏が「三大原則」は1950年代に「護憲派勢力」が憲法改正によっても変更できないものとして「打ち出した」と述べているとも紹介していたが、「私の理解」は少し足らなかったようだ。
 だが、上の二つの本もたんに「平和主義」と書いているだけであり、具体的にその中に九条二項が含まれることを明示してはいない。少なくとも、九条一項のみか、九条二項も含まれるのか、という議論がなお生じる書き方になっている。
 常岡せつ子は、上のような叙述をする本があるのを知っており、かつ改正できない「平和主義」の中には九条二項も含まれるという、いわば<非武装の平和主義>という特定の理解に立って、九条二項の削除は憲法改正の限界を超える(範囲外だ)と主張したものと推察される。
 しかし、明瞭ではないが、かりに上の二つの本が改正できない「平和主義」の中に九条二項を含めているとしても、そのような考え方が「通説」かどうかは別の問題だ。
 第一に、通説と明瞭に言えるためには、例えば上の二つの本が、より明確に九条二項に論及し、明確に改正不可の旨を書いている必要があるだろう。
 第二に、上の二つとは異なり、明瞭に九条二項は憲法改正の対象にならないことはないとするのが「通説」である、と明記する芦部信喜、辻村みよ子の本があり、平和主義・九条二項に何ら言及しない佐藤幸治の本もあることは既に書いたとおりだ。
 従って、常岡せつ子が「大ウソ」をついた、という判断に何ら変わりはない。
 この人は、1.憲法の基本原理は改正できない、2.その基本原理の中には「平和主義」も含まれる、3.「平和主義」の条項には九条二項も含まれる、という、八木によれば「護憲派勢力」が1950年代に「打ち立てた」戦略にそのままのっかった、それぞれ議論になりうる論点についての特定の単純な理解にもとづいて「通説」だと主張してしまったのだ。
 そのような考え方もありうるのだろうとは思う。しかし、そのことと、そのような考え方が「通説」だと喧伝できるかどうかは全く別の問題だ。
 公正かつ慎重であるべき学者・研究者が自己の特定の単純素朴な理解が「通説」だなどという<大ウソ>をついてはいけない。
 なお、常岡せつ子が<九条の会>賛同人として寄せている長文の「メッセージ」は以下のとおりだ。
 「「国民一人ひとりが九条を持つ日本国憲法を、じぶんのものとして選び直す」ことが必要だという「九条の会」アピールに心から賛同いたします。ただ問題は、九条をどのように解釈した上での九条の「選び直し」かという点にあるのではないでしょうか。昨今のマスコミの論調は、例えば六月三〇日付の朝日新聞の社説にもありますように、戦後憲法学界が積み重ねてきた「九条は一切の戦争を放棄している」という九条解釈を敢えて無視し、憲法学界が従来解釈改憲であるとして批判してきた政府の九条解釈に則った上で、「自衛隊が海外で武力行使する」ことを可能にするような「改正」には問題があるのではないかというものにシフトしてきているように思われます。九条にどのような意味を読み取るかという点において〝発起人〟の皆様の間で何らかの合意がなされているのでしょうか。それとも九条解釈を問題にすることは、むしろ「立場を超えて手をつなぎ合う」ことへの障害になるとお考えなのでしょうか。私自身は九条は集団的自衛権はもとより、個別自衛権も放棄していると理解した上で「九条の選び直し」が必要と考えております。

0169/朝日新聞「声」欄上での「九条の会」メンバーのやりとりだった。

 前回に「常岡せつ子」の主張内容の「通説」との説明を問題にしたのだが、さすがにネット界?は多様な情報が豊富で、常岡の投稿の背景についての次のような興味深い説明を見つけた。
 「朝日新聞を叩き潰す掲示板」という名のサイトへの投稿者による情報だ。  朝日新聞の5/15の「声」欄に「上田武郎」(医師、鳥取市、50歳)という人が「安倍氏が…首相として改憲を進めようとすることに違憲の疑いはないのか、専門家のご意見を伺いたいと考えます」と書いた。大臣等の憲法尊重擁護義務(憲法99条)との関係での質問(のような疑問の提示)で、論点としては存在しうる。
 これに「専門家」として「常岡せつ子」(大学教授、横浜市泉区、53歳)という人(と妙な表現はしているが、実在の人物だ)が応えたのが、朝日5/20(18?)の「声」欄だったことになる。そして、常岡は、上田氏の質問への回答以上のことを語ってしまった、と言えるだろう。
 ところで、上の掲示板情報によると、上田武郎は「九条の会・医療者の会」の活動家で、常岡せつ子は「九条の会」の呼びかけ「賛同者」の一人。従って、「これら二本の投稿は、共産党系の「9条の会」の身内によるバトンリレーでした」、ということになる。
 私自身もネット上で確認をとってみた。上田武郎との氏名は「九条の会・医療者の会」の「中国・四国」の部分に「医師」として出ている。

 また、アサヒ・コム内には「鳥取市九条の会」の代表の上田務という79歳の医師(鳥取県歯科医師会名誉会長)が登場しているが、この人は上田武郎氏の父親かもしれない。

 一方、常岡せつ子は「九条の会」の呼びかけ「賛同者」の一人であることに間違いはなく、賛同者の中で最も長いのではないかと思われる「メッセージ」を書いている。
 要するに、「九条の会」のメンバーが朝日新聞を利用して、キャッチボールをした、とも言える。朝日新聞はたんに利用されたのではなく、積極的に彼らに意見表明の場を与えたのだと思われる。朝日新聞もまた改憲反対の「(政治的)運動団体」だからだ(上に言及の鳥取市九条の会代表の取り上げ方でも分かる)。
 以上、あるネット情報を再確認してみました、ということのみ。

0168/常岡せつ子-主張・見解はいいが「大ウソ」はつくな。

  
 常岡せつ子
という大学の先生は、特筆すべき勇気を持っている。「大ウソ」を書いて朝日新聞に投稿するという勇気、だ。
 朝日新聞5/22(18?)の「声」欄の常岡氏の投稿文の要点は、見出しにもなっているが、1.「憲法の基本原理を変える変更」は「現憲法の否定」で「改憲」ではないとするのが「学界の通説」だ。
 2.「9条2項を削り「自衛軍」保持を記す自民党案は、通説に従えば」「改正」案ではなく、「新憲法制定」又は「クーデター」だ。
 要するに、9条2項は「憲法の基本原理」の一つでこれを削除するのは「改憲」・「改正」ではなく、「クーデター」だ、と言っている。
 さらに言い換えると、憲法改正権にも限界がありその限界(範囲)を超えることはできないが、九条二項を削除(改正の一つ)することは憲法改正権の限界を超える=違憲であり、もしもするなら、「クーデター」になる、と言っている。
 「クーデター」(か「革命」?)になるとは<法的連続性>が絶たれるとの趣旨だろう。
 これがたんに一つの主張又は学説とした語られているならまだよい。
 だが、上の文章は、2.の部分についても「通説に従えば」と明記して、上に要約したような内容は「通説」だと述べているのだ。
 そんな筈はないだろうと思って、所持しているいくつかの憲法概説書・教科書を開いてみた。そして、上の内容は1.は一般論としては通説だが、2.は全く「通説」ではないことが容易に分かった。
 常岡氏は「大ウソ」を書いている
 まず、元東京大学教授の芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.367は書く。-「国際平和の原理も、改正権の範囲外にあると考えなくてはならない。もっとも、それは、戦力不保持を定める九条二項の改正まで理論上不可能である、ということを意味するわけではない(現在の国際情勢で軍隊の保有はただちに平和主義の否定につながらないから)、と解するのが通説である」。
 つぎに、常岡と大学院時代の指導教授が同じかもしれない現東北大学教授の辻村みよ子・憲法第2版(日本評論社、2004)p.570は上の芦部著を参照要求しつつ書く。-「憲法の平和主義の改正には限界があるとしても、戦力不保持を定めた九条二項を修正しえないのかどうかについては議論があり、通説はその改正までは理論上不可能としているわけではない(芦部・憲法三六七頁)」。
 上の二つの本が岩波、日本評論社という「左翼的」(「進歩的」?)出版社から出ているのは偶然かもしれないが、芦部も辻村も、九条護持派又は「九条保守派」の論者の筈だ。その二人がいずれも、九条二項は憲法改正権の対象外だということはない(対象となりえ、改正できる)と明瞭に述べ、かつそれが「通説だ」と叙述しているのだ。
 想像するに、常岡せつ子が九条二項について述べているようなことを書いている日本国憲法に関する本は一つもないのではないか。
 常岡の説に従えば、九条二項については「改正」の議論すらできない。常識的に考えてもそんな馬鹿なことはないだろう。
 第三に、前京都大学教授の佐藤幸治・憲法〔新版〕(青林書院、1990)p.38-39は、改正の限界につき、1.「憲法制定権力の担い手の変更」(秋月注-国民主権原理のことと思われる)、2.「同一性を失わせるようなもの」、「例えば…「自然権」的発想を否定するような改正」、3.改正手続規定、の三点を指摘している。どこにも「九条二項」など出てきていない
 (なお、佐藤氏の<「自然権」的発想>うんぬんは解りにくいし、欧米的理論による日本国憲法の解釈・説明は止めて欲しいとも思うが、ここでは無関係なので省略。
 さらに、佐藤氏はこんなことも書いている。-改正限界肯定説・否定説両方があり、限界肯定説からすれば限界を越えた行為は「改正ではなく…無効ということになるが、新憲法の制定として完全な効力をもって実施されるということは十分にありうる。そして、改正の「限界」内にとどまるのか否かの判定権が改正権者の手にあるとされる限り、理論上新憲法の制定とみざるをえないものが改正の名において行われることはありうる」。(p.39)
 憲法理論上の改正の限界を超えた「改正」でもそのような「改正」案を
改正権者=国民が承認すれば、(国民は改正の限界を超えるとは判断しなかったとも考えられるので)改正とも言える、というような趣旨だろう。
 とりあえず、上の三つの本だけを紹介した。元東京大学教授(東京大学出身)、現東北大学教授(一橋大学出身)、前京都大学教授(京都大学出身)の三人の本はいずれも、常岡せつ子の主張することとは異なることを書いていることは明瞭だ。常岡が自らの説を「通説によれば」として説明できるためには、少なくとも上の三人のうち一人くらいは同じ又は殆ど同じ主張をしていなければならないのではないか?
 さらに他の、所持している憲法学の本を見て追記することもありうる。
 <主張、見解>を述べるのは、あるいは新聞に投書するのは、研究者として、新聞読者として、自由だ。
 しかし、自己の<主張、見解>が学界において「通説」である旨の「大ウソ」を述べてはいけない。
 常岡は、上の意味において大学教員としての<適格性>を欠いている、と考える。雇用主(使用者)たる所属学校法人は、あるいは所属学部教授会は一体どのようにこの人の処遇を考えるのか。この人の勤務先はフェリス女学院大学らしい。そして国際交流学部に所属しており、「比較憲法」を研究分野としている(さらにネット情報によると、一橋大学社会学部出身で、進学した大学院が同大学の法学研究科)。 
 表現の自由も学問の自由もある。しかし「大ウソ」を吐き、教える「自由」はない。これを、常岡もご承知のとおり、自由の「内在的制約」とか言うのだ。
 朝日新聞の「声」欄の担当者がかりに法学部出身者だったら、常岡の「声」が事実ではないと気がついたか、少なくとも不審に思うことができた筈だ。法学部出身者でなくとも、朝日新聞社には、代表的な憲法学教科書の若干も置かれていないのだろうか(そんなことはあるまい)。そして、上の芦部信喜の本でもちょっと見れば「通説」うんぬんが事実ではないことに容易に気づく筈なのだ。
 朝日新聞の「声」欄の担当者がかりに常岡のいう「通説」うんぬんが事実ではないと知りつつあえてそのまま掲載したのだとすれば、そして「9条2項削除/改正の枠逸脱」と見出しをつけたのだとすれば、さすがに朝日と言うべきだが、これまた怖ろしい。

0167/日本国憲法「無効」論とはいかなる議論か-たぶんその3。

 再び、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)に言及する。
 .こう主張する(p.131)。「失効・無効の確認がなされるまでは、本来無効な「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける」。
 <一応有効であるとの推定を受ける>という表現は、とくに「推定を受ける」は厳密にいうとややキツいだろう。
 より正しくは、<事実上、有効なものとして通用する>ではないかと思われる。その事実上の<通用力>のあることを認め、従うべきことが要求されている、ということではないか。
 どちらでもいいような細かなことだが、<有効性の推定>という表現はやや気になる。
 .「無効確認」の意味・効力につき、こう主張する。「無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生するのであり、過去に遡ることはない」(p.141)。
 こうした「無効」または「無効確認」という語の使用法は通例の「無効」概念とは違うのではないか、ということをすでにたぶん4/28に次のように書いた。
 このように<「無効」という言葉を使うのは法律学上通常の「無効」とは異なる新奇の「無効」概念であり、用語法に混乱を招くように思われる。/無効とは、契約でも法的効果のある一方的な国家行為でもよいが、当初(行為時又は成立時)に遡って効力がない(=有効ではない)ことを意味する。無効確認によって当初から効力がなかったこと(無効だったこと)が「確認」され、その行為を不可欠の前提とする事後の全ての行為も無効となる。と、このように理解して用いられているのが「無効」概念ではなかろうか。
 こうした感想は今でも変わらない。「無効確認」がなされるまではそうではないが、「無効確認」が正規になされれば(その主体・手続につき議論がありうることは既述)、当初に遡って効力がなくなり、それを前提としていた全ての行為の有効性もなくなる(無効となる=法的にはなかったことになる)、というのが「無効確認」の意味であり、そういう意味があるからこそ「無効確認」決定をする必要もあるのだ、というのが通例の用語法だろう。民事訴訟(行政訴訟を含む)において問題になる(使われる)「無効」とは、このような意味なのではないか。
 異なる意味で用いると言うのならば、それを明確にしておけば問題はない、ともいえる。ただ、やはり新奇の「無効」概念だと私には思える。
 .上のように「無効」という語が使われるので、「違法確認」との区別がないか、少なくとも不明瞭だ、と感じる。
 著者も前提としておられるだろうように、違法な又は瑕疵ある国家行為がそのゆえにただちに「無効」となるわけでもないし、「無効確認」の要件が満たされるわけでもない。
 違法な又は瑕疵ある国家行為であっても有効なことはあるし、また正規の「無効」確認がなされるまでは有効との外観を呈することもある。だが、「無効」と判断できるだけの強い違法性又は瑕疵があれば「無効」確認をして、無効=効力が最初からなかったものとして扱うことができることは、上でも述べた。
 だが、将来においてのみ効力をなくすというのであれば、正規の「違法確認」行為がなされた場合とどう違うのだろう。違法→無効ではないことは上述のとおりだが、手続的に正規の「違法確認」行為・決定がなされれば、違法=少なくとも将来に向かっては効力がなくなる(という意味での「無効」)とするのが原則であり、それが(法の支配又は)法治主義の要請するところだろう。
 現在において「違法確認」することは、その行為の過去の効力に影響を与えない筈だ。とすると、主張されている「無効」論は「違法」論とどう違うのだろう。
 読解不足、私の知識不足かもしれないが、どうもよく分からない。
 .将来に向かってのみ「日本国憲法」の効力を否定することの意味・意義はそもそもどこにあるのだろう。
 著者によれば、新憲法制定までの<手続>・<段階>はこうだ。
 第一に「無効確認」と(ほぼ)同時に明治憲法の復原の確認がなされる。第二に、新憲法制定までの間は改正規定(明治憲法73条)以外の明治憲法の諸規定の「効力を停止し」、臨時措置法を制定する。この臨時措置法の内容は、前文・九条・改正手続規定(96条)以外は「日本国憲法」の条文を「基本的に採用する」。5-10年後に、第三に、明治憲法73条にもとづいて明治憲法を改正する新憲法制定に移るのだが、まずは改正手続規定である明治憲法73条を改正し「日本国憲法」96条のような規定にする。その上で、第四に、実質的には「日本国憲法」96条を内容とすることとなった明治憲法73条により国会の発議・国民の承認という手続で(明治憲法の改正による正当な)新憲法を制定する。
 何とも複雑な手続で容易には解りにくく(私は何とか理解できたが)、まさに<アクロバティック>な手続を経る必要があることになる。
 日本国憲法「無効」論のほとんど不可欠の帰結であるらしいこのような手続と、現在の日本が「現実」に置かれている状況と比較すると、今の現実は、上の第三までは終わっており、第四の段階に移ろうとしている段階にある。
 ということは、「現実」と比較すると、日本国憲法「無効」論とは、上の第一~第三の「段階」を余計に踏ませるための議論なのだ、と言い得る。
 むろん、日本国憲法が「無効」なのだからそうしないと「正統な」憲法は生まれない、ということなのだろうが、それにしても解りにくく複雑だ。また、日本国憲法を無効と考えていない者にとっては、<全く不要で余計な、かつ複雑な>行為の連鎖を要求していることにもなる。
 この説に従うと、(もともと議会による無効確認決議、天皇の裁可等の「現実」的可能性はほぼゼロだと思うがその点は別としても)現憲法の改正は「現実」よりもかなり遅れるだろう。現憲法九条は、臨時措置法の制定によってとりあえず削除されるようだが、日本国憲法無効確認と明治憲法の復原確認の後になることには変わりはなく、「現実」が進もうとしている時期よりも遅くなることは間違いないだろう。
 この議論の「現実」的通用性は別として論理的に言っても、<日本の現実は、そんなに悠長なことを言っておれる状況なのだろうか?>
 .著者のいう日本国憲法の「無効」事由には立ち入らない。説得的なものもあれば、首を傾げるものもある。
 芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.29がのどかにも?「完全な普通選挙により憲法改正案を審議するための特別議会が国民によって直接選挙され、審議の自由に対する法的な拘束のない状況の下で草案が審議され可決されたこと」を現憲法の制定過程は「不十分ながらも自律性の原則に反しない」ということの根拠の一つに挙げていることに比べれば、より現実に即していると思える部分もある。
 .だが、もう端的に結論だけ示しておきたいが、今頃になって日本国憲法の「無効」を主張するのは遅すぎる。主権回復後早々に同様の主張がなされて(明治憲法の改正手続を利用するか、制憲議会の設立・国民投票を特別に行うか等の問題は残るが)日本人のみによる「正統」な憲法制定がなされればまだ良かったかもしれない(「無効」論に全面的に組みしている訳ではない)。
 だが、憲法施行後60年も経った主権回復後でも55年も経った。<憲法学者等に騙されてきたのだ>と主張されるのかもしれないが、その55-60年の間、圧倒的多数の国民が、政府関係者、裁判所関係者、そしておそらくは昭和天皇も今上(明仁)天皇も、日本国憲法は「有効」な憲法だと信じて国政を運営し、生活を営み、現憲法を前提として皇位の継承も行われたのだ(正確な記録は持っていないが、昭和天皇も今上(明仁)天皇も何度も「日本国憲法に則り」とか「日本国憲法に基づき」とかの言葉を用いられた筈だ)。
 議論のために天皇陛下の主観を利用するつもりはない。再述すれば、天皇や皇室はかりに別としても、圧倒的多数の国民は日本国憲法は「有効」な憲法だと考えてきたのだ(そのことは現在の国会議員の全員が有効性を前提としていることでも証されるだろう)。
 それを今頃になって「無効」と主張し、「無効確認」を国家機関にさせようと主張するのは、第一に、民法でいう「権利濫用」にあたる、国家機関による<権限濫用>をそそのかしている疑いがある。関連して第二に、民法でいう「信義則」にあたる、国家行為への国民の<信頼の保護>原則を大きく損なう可能性がある。
 いちおう分けたが、国家行為への国民の<信頼の保護>を大きく損なうがゆえにこそ、無効確認行為は国家機関による<権限濫用>になる可能性が極めて高い、と言い換えてもよい。
 著者が言及している論点だけが、この問題に関係する論点なのではない。国家の<権限濫用>も国民の<信頼保護>も視野に入れるべきだ。
 さらに、法原理の中には、抽象的・究極的ではあれ、<法的安定性の維持・確保>という要請もある。違法又は無効の国家行為についてこの一般原理を濫りに使うべきではないのはいうまでもないが、しかし、55-60年という長期間の経過を考えると、<法的安定性の維持・確保>も視野に入れるべきだ。視野に入れているからこそ「無効確認」の効力は将来にのみ及ぶと主張していると反論されるかもしれないが、無効確認、そして明治憲法の復原確認という行為そのものが<法的安定性>を十分に害する、と考える。
 日本国憲法「無効」論は、現憲法の制定過程の<いかがわしさ>を明らかにし、現憲法を(当然に同96条と最近成立した憲法改正手続法に基づいて)改正して、日本人(のみ)による新憲法の制定=改憲をするために有利な議論として、個人的には利用させていただきたい、と考えている。

0166/小山常実の日本国憲法無効論に寄せて-その2。

 小山常実氏の日本国憲法無効論(同・憲法無効論とは何か(展転社、2006))について5/04に若干の感想を記した。以下はいちおうは第二回めになる。
 最初の感想又は意見と異なるのは、次の点だ。5/04では、無効確認手続について「政治的には、国会による決議がなければ立ち行かないだろう」(p.140)とあるのを疑問視し、「政治的」又は「現実的」な議論を混淆させている等のコメントを付した。
 だが、国会の決議が「政治的」にのみ要請されるとするのは疑問で、法的にも必要ではないか、という気がしてきた。少なくとも、後者の説も成り立ちうると思われる。
 理由は次のとおり。大日本帝国憲法(明治憲法)の改正手続、ポツダム宣言、現実のGHQや日本政府、昭和天皇の言動等々が複雑に絡む現「憲法」の制定過程の問題の処理又は論点整理がまずは必要なのだろうが、それらは今回は省略する。
 第一に、かりに明治憲法の改正手続によって現憲法が制定されたのだとすれば(改正内容が改正限界論を超えるとの論、さらにそれが無効事由となる論があるのは承知だが、とりあえずは措く)、その手続は、天皇が「議案ヲ帝国議会ノ議ニ付」し、「両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席」して「議事ヲ開」き、「出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得」て「改正ノ議決ヲ為ス」ことによって行われた(明治憲法73条1項・2項)。
 明治憲法の制定は法的には明治天皇によってなされたが、その改正については同憲法は天皇の専権とはせず、「両議院」の議員の各々2/3以上の出席と2/3以上の賛成による議決を要求していた。議会議員の意思を重視していた、と言ってよい。上の要求を充たさないと、天皇が憲法改正を「裁可」することはできなかったのだ。
 このことに着目すると、「法的に言えば」首相他の国務大臣の副署に基づき天皇が無効確認すれば「十分」である(p.140)ということにはならないように思える。
 改正(制定)時点で議会が重要な関与をしていたのだから、無効確認手続の場合も議会にしかるべき関与の機会を与えるのが「法的」な筋道のように見える。
 第二に、明治憲法の改正手続をとったのは全くのマヤカシだったということになると、現憲法の有効性を説明するためには、<国民の自由意思…>という言葉のあるポツダム宣言を受諾したことにより、<革命>によって憲法改正権力が国民に発生したという所謂<八月革命説>を採用するしかないのだろう(たぶん)。
 この場合も、無効であっても「失効・無効の確認がなされるまでは…「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける」(p.131)のだとすれば、国民主権下における国民代表議会、あるいは「国権の最高機関」とされている国会(現憲法41条)による無効確認決議がやはり「法的」に必要なのではないか。
 (尤も、後述のように、第一の場合の議会と第二の場合の議会は同じか、衆議院のみか参議院も含むのか、等の問題はある)。
 第三に、<八月革命説>を批判してこれを採用しなくとも、しかし、もう一度書けば、無効であっても「失効・無効の確認がなされるまでは…「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける(p.131)のだとすれば、同じことになるのでないか。
 小山において、上の部分に続けて「有効であるとの推定を受ける以上、失効・無効確認があるまでは、「日本国憲法」は守らなければならないことは当然である」と明言されているのだ(p.131)。
 但し、「日本国憲法」無効論を前提とする無効確認決議についてまで、「一応有効であるとの推定を受け
」るものであっても、日本国憲法41条等が適用されるのかはどうかはなおもよく解らないところがある。
 次に、無効確認をすべき議会とは何を意味するかいう問題に移ると、現実には貴族院が存在しないことを前提とすると、上の第一の立場からすると衆議院のみを意味することになるかもしれない。上の第二、第三の立場だと、衆議院の他に参議院も含まれることになるだろう。
 だが、第一の場合も、基本的な趣旨は選挙で選出された議員で構成された議会の意思を尊重するということなので、同じく国民(有権者)の選挙で選出された議員により成る参議院も含めてよいようだ。
 つまり、貴族院を「参議院によって代替させる」(p.144)というのではなく、実質的には又は基本的には衆議院と類似の性格をもつ参議院を無視しない、という意味で、あるいは衆議院のみよりは参議院も加えた方が選挙民の意思をより反映するだろうという意味で、参議院も加えるわけだ。
 なお、「憲法としては」無効とされる日本国憲法が無効確認手続がなされるまでは「一応有効であるとの推定を受ける」という場合、それは「憲法」として「一応有効」
との趣旨なのか、別の性格の法規範として「一応有効」
なのかは、読解に問題があるのかもしれないが、よく分からない。次回あたりで扱ってみよう。
 -というようなことを書いたが、私にとっては極めて興味を惹く法的問題に関する「頭の体操」に近いところがある。そして、<そんなアクロバティックな説明や手続要求をしなくても、日本にとって相応しい内容の憲法を日本人の手で作りあげる、ということに傾注すればいいのではないか、その方が生産的・建設的で日本国家のためにもなるのではないか>という想いを禁じえない。
 以上のような想いは次のような「現実」にもよる。
 「日本国憲法」無効論に立つ政党又は政治団体もあるようだ。しかし、管見の限りでは、各種選挙に候補者を立てているのかもしれないが、国会議員はゼロの筈だ。
 つまり、自民党・国民新党から共産党まで、少なくとも現時点では、全ての国会議員が、日本国憲法有効論に立った上で改憲賛成・反対等の議論をしているものと考えられる。このことの原因・背景として、むろん(「憲法」を「生業」とする)憲法学者の圧倒的大勢の考え方の影響も挙げうるかもしれないが、やはり「無効」論そのものに問題があることも挙げておいてように思われる(この点は別の機会に触れよう)。
 両院に設置された憲法調査会の報告書も、きちんと読んでいないので正確には言えないが、「日本国憲法」無効論には言及すら殆どしていないのではなかろうか。
 むろん、これからの選挙において、「日本国憲法」無効論に立つ議員が増えていく可能性はないとは言えない。しかし、そのような考え方が過半数を制するとはとても想定できないだろう。
 ということは、いかに衆議院単独または衆議院+参議院による現憲法「無効確認」決議は可能であるとしても、実際にそのような決議がなされることはほぼ100%期待できないのではないか。
 それでも「日本国憲法」は無効で国会は「無効確認」決議をすべきだ、と主張し続けることは、勿論自由にできる…。

0165/朝日新聞は「社会主義」幻想をもつマルクス主義(毛主義?)者の集団か。

 朝日新聞の5/20社説は、同紙の<中国観>を垣間見せており、その点でそれなりの意味がある。
 いわゆる「価値観議連」の古屋圭司会長は、こう述べた。「首相の日中首脳会談には大きな成果があった。しかし一方では、軍事費増大など覇権拡張の疑念は払拭できない。中国は共通の価値観を持つ国ではない」。
 また、同議連の会合で講演した中川昭一・自民党政調会長はこう述べた。「中国は我々に一番近くて脅威の国だ。我々が中国の一つの省になることは絶対に避けないといけない」。
 これらに全く問題はない、と私は思う。
 しかし、朝日社説は、上の二つの発言を紹介したのち、こう書く。「日中外交がようやく軌道に乗り始めているときに、何とも刺激的な中国警戒論ではないか。
 まず第一に、上の発言内容に問題はなく、これを「
何とも刺激的な中国警戒論」として批判し、封印しようとするのは、中国に対しては正しいことも言うな、言いたいことも言うなに等しい。こうした姿勢は、かつて中国の文革時代に朝日新聞社自身が採ったものだった。今でも当時の朝日の中国関係報道記事の歪み(媚中・屈中姿勢)を批判する声は大きい。だが、基本的な部分では朝日は依然として変わっていないのだろう。
 中国の軍事費増強に懸念を示してどこがいけないのか。従ってまた、「一番近くて脅威の国」との感じ方は決して異常ではなく、日本が
「中国の一つの省になる」のを絶対に避けるべきとの発言は至極当然のことだ。
 第二に、朝日社説には、「日中外交がようやく軌道に乗り始めているとき」
だからいけない、とのニュアンスがある。
 何を寝ぼけているのだろう。私は、「日中外交が軌道に乗る」ということは
中国が共産党支配の国であるかぎのたぶんありえないことだと考えている。「日中外交が軌道に乗る」ということの意味の問題でもあろうが、近隣国家としての儀礼的なつきあいはあるだろうし、それを続けるべきだとしても、真に友好的な「外交」が、共産党支配の中国との間で成立する筈がない。
 中国もまた本音では、私と同じように考えている筈だ。
 「社会主義」中国と真に仲良くできると朝日は考えているとすれば、まだ幼児の如く、「社会主義」国の怖さ、共産党の怖さを知らない。積極的に「社会主義」中国と真に仲良くすべきだと考えているとすれば、それは中国の言いなりになれと主張しているのと等しく、かつ、いまだに「社会主義」幻想を捨てていないマルクス主義(毛沢東主義?)者の如き発想だ、と思う。

0164/朝日新聞社説子は「自由・民主・人権」の意味・関係をきちんと説明できるか。

 しばらく朝日新聞の社説を読む機会がなくWeb上で見ることも忘れていた。
 憲法改正手続法(国民投票法)衆議院通過後の朝日の4/17社説について、同日のブログで<「メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限、最低投票率の設定など、審議を深めてほしい点がある」という理由だけしか書けず、致命的な又は大きな欠点・問題点を堂々と指摘できないのでは、「廃案」→「仕切り直し」という主張のためには不十分だろう。>と書いた。
 まさかこの文の影響ではないだろうが、ネット情報等によるとその後朝日は<最低投票率制度を導入によ(それがないから反対)>という主張をしたようだ。国会審議前にこの具体的主張をせず、参議院に送付されてからこんな主張をし始めるとは、朝日新聞はやはり<たいした>言論機関だ。いよいよ成立しそうになってからの<反対のための反対の理由>を挙げただけではないのか。
 この最低投票率制度の問題にはもはや立ち入らない。
 保存するのを忘れたが、憲法改正手続法案が参議院の委員会で議決された後の朝日の社説(5/12(土)?)は興味深かった。翌週早々に参議院本会議でも議決されて成立する見込みとなって、まるで水の中(池でも河でもよい)に落とされた犬が必死で陸に這い上がって、投げ落とした者に対して<うらみ・つらみ>の泣き言を喚いているような文章の社説だったからだ。
 もっとも、5/15(火)の社説は「投票法成立―「さあ改憲」とはいかぬ」と題して、何とか元気を取り戻した様子だったが。
 さて、最近の朝日社説にいくつかコメントをしておく。
 一.上の5/15の社説の中に、自民党の新憲法草案九条の二に関する次のような文がある。
 「つまりは、現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つということだ。自民党は、今後つくる安全保障基本法で自衛軍の使い方をめぐる原則を定めるとしている。だが、たとえ基本法に抑制的な原則をうたったとしても、憲法9条とりわけ2項の歯止めがなくなれば、多数党の判断でどこまでも変えることが可能だ
 二点指摘できる。第一に、「現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つということ」という表現の仕方、とりわけ「普通の軍隊」
という言葉の使用は、自衛隊も<普通の軍隊ではないが軍隊だ>という意味を含むとも解釈することができ、興味深い。
 第二に、「基本法に抑制的な原則をうたったとしても、…多数党の判断でどこまでも変えることが可能だ。」という部分は、別の機会にも指摘したかもしれないが、「民主主義」の価値を大いに謳っている新聞社にしては、国民の代表を通じての議会制民主主義の意味を理解できていないかの如くだ。つまり、「
多数党」
ということは、国民の多数が支持している政党を意味する筈であり、その政党の判断が国会の意思となり、何らかの事項を「変えて」いくことに一体何の問題があるのか。
 自社に気に入らない決定をする国会の場合には<多数党の横暴>といい、自社の主張に即した決定をする国会の場合には<議会制民主主義を守れ。少数党は自制せよ>という主張をしそうな、つまり所謂<ご都合主義>に毒された新聞が朝日新聞ではないのか。
 二.5/17社説「党首討論―もっと憲法を論じよう」にも面白い部分がある。
 同社説は「時間が少なかったし、そう問われなかったということもあっただろう。だが、この60年、憲法の下で民主主義人権平和主義を培ってきた国民の「成果」に対する肯定的な評価は、安倍氏からはまったく聞かれなかった」と安倍首相を批判している。
 ここでも二点指摘したい。第一に、この文の前で、<首相は戦後日本を次のように批判する。/「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」>と安倍首相の発言を紹介している。
 「問われなかったということもあっただろう」
が、朝日社説は、上の安倍首相発言の内容に賛成とも反対とも、自らの見解を全く述べていないのだ。安倍首相が語らなかった部分に文句をつける前に、明確に語った部分について何らかの評価を明示したらどうか。批判したいけれども批判し難い、というのが本音なのだろうか。あるいは、さらにそのずっと前の辺りにある「復古主義」という言葉で批判しているつもりなのだろうか。
 朝日は安倍首相等を不明瞭・曖昧等と批判することがあるが、自社の社説はすべて明瞭で曖昧さはないと言い切れるのか、少しは反省してみるがよい。
 第二は、より大きな問題だ。朝日は5/20社説でも、古屋圭司氏を会長とする所謂「価値観議連」に参加した議員たちの発言をとり上げて、「右派の熱心なテーマばかりだ。これがめざす「真の保守主義」なのだというが、「自由・民主・人権」というより、復古的な価値観に近いのではないか」と疑問視又は批判している。
 ここでも朝日社説は守るべき価値として「民主主義・人権(保障)」等を考えているようだ。この二つの他に5/17では「平和主義」を、5/20では「自由」を挙げている。
 私の現在の強い問題関心は、「自由」・「民主」・「人権」等は現在においていかなる理念的意義を持ち得るのか、またそれぞれがどのような関係に立つのか、にある。
 とくに1990年代以降、これらの意義が少なくともある程度は疑問視され再検討される必要が出てきた、というのが私の時代認識だ。
 卑近すぎるかもしれないが、「人権」と「平等」のある意味での<いかがわしさ>は、地方自治体の行政の<腐臭>の源の発覚によって、露わになってしまったのではなかろうか。
 かかる問題意識は、私一人のものではないと思われる。
 つい先日紹介したように、ジュリスト誌上で、棟居快行・大阪大学教授は、「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」と述べていた。
 「近代立憲主義の憲法学の武器庫」には、<民主主義>も<自由>も<人権>も当然に含まれる筈だ。
 また、リベラリズム/デモクラシーを途中まで読んだ後に入手した阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)はその「はしがき」の中で、憲法学は<裸の王様>だと”市民”は「肌で感じ取ってきている」のではないか」とし、その理由を阪本は「暫定的に」次のように述べている。
 「憲法学は、「自由」、「民主」、「平等」、「人間性」、「自然法」、こうしたキー・ワードにさほどの明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発してきたのではなかろうか」。
 こんなことを憲法学者の少なくとも一部は明言しているのだが、朝日新聞の社説子は、「
民主主義人権平和主義」を、あるいは自由・民主・人権」をいかなる意味で、それぞれがいかなる関係をもつ概念として用いているのかを、きちんと明瞭に説明できるのか。朝日の社説子もまた、明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発して」はいないか?
 日本の<戦後民主主義>が当然視してきたようなことが当然ではなくなっているのが、現在だ。ソ連型「社会主義」崩壊、経済のグローバル化、「情報社会」化、中国・北朝鮮の新たな動向等々は、上に挙げたような基礎概念の意味を絶えず問うているのだ。
 朝日の社説子にはそれだけの時代認識もなさそうに見える。<フランス革命の神話>という言葉の含意を理解できる論説執筆者がどれほどいるのか。「民主主義、人権、平和主義」を、あるいは自由・民主・人権
」を<お経>の如く唱えているだけではないのか
 まだ、最近の朝日の社説についてコメントしたい点はあるが、今回はここで終わっておこう。

0163/日本評論社・岩波書店の詐術的・脅迫的なひどい題名の本。

 日本評論社というのは少なくとも法学分野については明瞭な「左翼」路線をとり続けているようだ。前回記したように、護憲派の「憲法研究会」編の本を出しているのも日本評論社だし、記憶ははっきりしないが、『マルクス主義法学講座(全集?)』という珍しい講座ものをかつて刊行していたのも日本評論社だった(現在、古書で探索・注文中)。
 その日本評論社が憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本(2006)という詐術きわまる題名の本を出版している。<憲法(とくに九条)を変えると戦争になる>と、素朴に平和を愛好している人びとを欺そうとするタチの悪い題名だ(私も平和を愛好しているが)。
 厳密にいえば、戦争にも多様なものがあり、まともに又はきちんと思考している人は護憲論者でも「正しい戦争」の認否が最終的な争点だとか述べているので(例、樋口陽一)、憲法を変えて正しい(防衛)戦争はできるようにしようという考え方は十分に成立しうるのだが、そんな理屈まで視野に入れて付けられた題名ではない。要するに、改憲に賛成すると「戦争になるよ」と脅かしているわけだ。
 この日本評論社の本と同様に詐術的題名を付けているのが、岩波書店のブックレット、このブログでも言及したことのある、憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005)だ。<憲法を変えると戦争に行くことになるよ>という、これまた脅かしだ。
 例えば、<憲法(九条二項)を変えて(正規軍を保持し、戦争を仕掛けられないようにして)日本の平和を守ろう!>という呼びかけも十分に成立するのだ。改憲→戦争という単純な連結は、読者を欺しているし、馬鹿にもしている。
 上の二つの本の執筆者等の氏名を全て列挙しておくことにする。
 日本評論社の本-<編著者・高橋哲哉(1956-)、斎藤貴男(1958-)。執筆者-井筒和幸(1952-、映画監督)・山田朗(1956-、日本史)・木下智(1957-、憲法学)・森永卓郎(1957-、経済評論家)・豊秀一(1965-、朝日新聞社)・室井佑月(1970-、作家)・貫戸朋子金子安次こうの史代(1968-、漫画家)、田口透(1955-、東京新聞社)、辻子実(1950-)>
 岩波書店の冊子-<
井筒和幸井上ひさし香山リカ姜尚中・木村裕一・黒柳徹子・猿谷要・品川正治・辛酸なめ子・田島征三、中村哲半藤一利・ピーコ・松本侑子・美輪明宏、森永卓郎吉永小百合・渡辺えり子>
 明確な基準はないが、すでに登場させたことのある人物等は適当に太字にしておいた。

0162/読売新聞5/20朝刊-「気鋭の改憲論者どこに」。

 読売新聞5/20朝刊に、前木理一郎という署名入りの記事「気鋭の改憲論者どこに」がある。それによると、こうだ。
 1.「全国憲法研究会」の5/12の研究集会(成城大)に行ったら、司会の駒村圭吾(慶応大学)が<憲法60年で還暦お祝いなのに「赤いちゃんちゃんこ」ではなく「経帷子」(仏式の際死者に着せる白い着物)を着さされそうな雰囲気だ>旨言った。「憲法改正を憲法が死ぬととらえるのは穏やかではないが、…憲法学界は「護憲」派が大多数を占めている」。
 2.有望らしい東京大学教授の石川健治(1962-)が論座6月号(朝日新聞社)で<9条2項を改正して自衛隊に正当性を与えた上で国民の自由を確保すできるだけの力量は…日本の議会政治にはいまだ備わっていない>と書いているのを読んでショックを受けた。
 3.55年生まれ組として注目されているのが松井茂記、棟居快行、安念潤司各教授だが、棟居は「9条は自衛隊の存在を前提としない文字通りの丸腰論で、とっくに賞味期限は切れている」と石川を批判する。但し、安念は「憲法〔学?-秋月〕の世界では改憲論者は、はっきり言って二流学者」と言った。
 以上のように述べたあと、「同業者から認められ、政府が手を伸ばしたくなるような気鋭の改憲論者の登場を心待ちにしたい」と締め括っている。
 小さな記事だが、なかなかよく現在の憲法学界の雰囲気を伝えている。いくつかの感想・コメントを記しておく。
 1.私は勝手に憲法学者の80-90%は護憲派(とくに九条改憲反対派)だと想像しているが、この記事は「大多数」と表現している。
 「憲法研究会」なるものは、例えば日本評論社から同会編の憲法改正問題という本(雑誌特集号?)を刊行して「護憲」のための主張をしている、護憲派ばかりが集まっている研究会だと推測される。
 2.石川健治のものを読んだことはないが(とくに「論座」など買うわけがない)、この人も東京大学教授なのか。日本の「議会政治」という<権力>側に対して強い又は執拗な<不信感>を持っているようだが、「議会政治」を支える国民一般もまた<信頼>しておらず東京大学という「高み」から<蔑視>しているのだろう。それにしても東京大学の憲法学教授には「左翼」が多すぎはしないか。いや「左翼」ばかりではないか。
 3.たまたま前々回にこの記事をきちんと読まないままで肯定的評価を書いた棟居快行教授が、この記事の引用が正確である限り、明確に9条(2項)を批判している。「とっくに賞味期限は切れて…」と私も思うが(占領初期の数年だったのではないか)、この表現は九条二項改正論支持を意味しているのではないか。とすれば、珍しい、まともな「改憲論」の憲法研究者ではないか。
 上では言及しなかったが、棟居は改憲論を支持すると政府・与党に引っ張られて「勉強できなくなる」から護憲派になっている者が多いのではないかとの「ユニーク」なことを言っているようだ。当人もきっと忙しくなるのはイヤなのだろう。だが、この見方は<ジョーク>の類だと思われる。というのは、護憲派の憲法学者もまた、労組・「市民」団体等々への九条護持のための講演やら研修やらで現在すでに忙しく、「勉強できなくな」っている可能性も十分あるからだ。
 ともあれ、「同業者から認められ、政府が手を伸ばしたくなるような気鋭の改憲論者」
が必要であることは間違いない。だが、現在までの憲法研究者の「養成」の仕方(主として指導教授が大学院で行う)からすると、大きな期待をすることはできず、私はほぼ絶望的だと何となく思っている。
 東京大学の小林直樹芦部信喜両教授のもとで何人の憲法研究者が育っただろう。東京大学に限らず、小林直樹、芦部信喜両氏のような九条改正反対の教授のもとで何人の憲法研究者が育っただろう。そして、そのような、「憲法研究会」に参加しているような彼らこそが、法学部学生に、あるいは高校までの教員免許を取ろうとする教育学部等の学生に「日本国憲法」を講義してきたのだ。
 現在の国や地方の「官僚」や学校教員に(さらにはマスコミ関係者にも)、そのような<憲法教育>が影響を与えていない筈はない。いつかも書いた気がするが、暗然たる思いがするし、指導的な憲法学者(故人も含む)の社会と歴史に対する「責任」はきわめて大きい、と感じる。

0161/国歌伴奏拒否音楽教諭への戒告処分に反対する法学者たち。

 つぎに書く予定のものに関してネット検索をしていたら、前回に少し言及した、本年2/27の、東京都国歌伴奏拒否音楽教師懲戒戒告処分を適法とした(取消し請求を棄却した)最高裁判決(第三小法廷)を批判する「法学研究者声明」なるものに出くわした。
 【呼びかけ人】は「奥平康弘、阪口正二郎(一橋大学)、戸波江二(早稲田大学)、成嶋隆(新潟大学)、西原博史(早稲田大学)」。奥平康弘氏は、九条を考える会の9人の呼びかけ人の一人。
 【賛同人】をそのまま転写する。憲法学者に限定されてはいないようだ。
 「愛敬浩二(名古屋大学)、麻生多聞(鳴門教育大学)、石川裕一郎(聖学院大学)、石埼学(亜細亜大学)、稲正樹(国際基督教大学)、井端正幸(沖縄国際大学)、今関源成(早稲田大学)、植松健一(島根大学)、植村勝慶(國學院大學)、右崎正博(獨協大学)、浦田一郎(一橋大学)、浦田賢治(早稲田大学名誉教授)、(立命館大学)、岡田健一郎(一橋大学大学院生)、小栗実(鹿児島大学)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学)、加藤一彦(東京経済大学)、上脇博之(神戸学院大学)、北川善英(横浜国立大学)、木下智史(関西大学)、君島東彦(立命館大学)、小林武(愛知大学)、小松浩(神戸学院大学)、近藤真(岐阜大学)、斎藤一久(東京学芸大学)、笹沼弘志(静岡大学)、清水雅彦(明治大学)、菅原真(尚絅学院大学)、高橋利安(広島修道大学)、多田一路(立命館大学)、只野雅人(一橋大学)、田村武夫(茨城大学)、塚田哲之(神戸学院大学)、寺川史朗(三重大学)、内藤光博(専修大学)、長岡徹(関西学院大学)、中川明(明治学院大学)、中川律(明治大学大学院生)、(立命館大学)、中島徹(早稲田大学)、長峯信彦(愛知大学)、永田秀樹(関西学院大学)、成澤孝人(三重短期大学)、新倉修(青山学院大学)、丹羽徹(大阪経済法科大学)、馬場里美(立正大学)、前原清隆(長崎総合科学大学)、松田浩(駿河台大学)、三島聡(大阪市立大学)、水島朝穂(早稲田大学)、三輪隆(埼玉大学)、村田尚紀(関西大学)、本秀紀(名古屋大学)、森英樹(名古屋大学)、山内敏弘(龍谷大学)、山口和秀(岡山大学)、山元一(東北大学)、横田力(都留文科大学)、渡辺洋(神戸学院大学)
 そして「
計64名(呼びかけ人5名、賛同人59名:2007年4月5日現在)」とされている。
 太字にしておいたのは、憲法九条に関係して、すでにこのブログで言及した記憶がある人物だ。
 1か月余りでこれだけの数の法学研究者が自分の名を出すことに同意するとは、かなり強いネットワークがあることを推測させる。某政党関係かもしれない。

0160/ジュリスト1334号巻頭座談会を読む-蟻川恒正に学者の資格はない。

 5/18の午前中に自分で予告したことに拘束される謂われはないのだが、面倒と思いつつも、ジュリスト1334号・特集日本国憲法60年(有斐閣)の冒頭の、佐藤幸治・高橋和之・棟居快行・蟻川恒正の座談会記事を読み終えた。
 「憲法60年」を実質的に1990年代以降に限っても結構だが、「憲法」の「現状と課題」ではなく、(1990年代以降の)「憲法学」の「現状と課題」を話題にしてほしかったものだ。その観点からは、きわめて物足りない。
 また、私自身がよく分からず退屈を感じるところもあるのだが、「憲法」の「現状と課題」というテーマであるとしても、まとまりが悪い。
 せっかく佐藤や高橋が<批判のみならず構築も>という話をしているのに、蟻川が佐藤の説に関連して刑事・裁判員制度への疑問というスジ違いと思われる発言をしたり、高橋和之の主張らしい「国民内閣制」の議論への疑問をやはり蟻川が述べたりして論点を拡散させており、前半のまとまりの悪さは主として蟻川恒正の責任だろう。
 また、佐藤幸治(元京都大学)は橋本内閣の行政改革会議や小泉内閣の司法制度改革審議会の委員の経験があるのに対して他の3名はもっぱら書斎派?のようで、「迫力」又は「格」で見劣りがする(但し、佐藤も自らの経験を語りすぎているきらいがある)。
 そして、<構築>も大切とする高橋和之の「国民内閣制」論はたんなる批判ではないと自負されており、他の者もそれを否定していないようだが、もともとその議論の内容を私が知らないためか、いかほどに現実に影響を与えたかはさっぱり解らない(結局は学者が何か言っただけ、に終わっているのではないか)。
 高橋和之はなおかつ、最後にこうも言う。-「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」。(p.36)
 私はこの発言をやや奇異に感じた。批判の対象は実際の「憲法状況」(憲法現実)なのだろう。そして、憲法学者・研究者が「憲法現実」との間に緊張関係を持っているべきだ、との程度なら理解できなくはない。しかし、社会系の学者・研究者の姿勢は一般に現実への<批判が出発点>なのかどうか。<批判が出発点>という考え方自体がすでに一つの<政治的>立場なのではないか。つまり、むろん個々の憲法状況・憲法現実によって異なりうるのだが、「現実」の動向を<支持し又は促進>しようとするのも、すでにそれも一つの<政治的>立場あるとしても、一般論としてはとってよい学者・研究者の姿勢なのではないか。
 何げなく語られる、この前東京大学教授の言葉に、影響力が強い筈のこの人を含む憲法学界の雰囲気の一端を感じた。
 この高橋は芦部信喜・憲法(岩波書店)の補訂者として名を出しているので、故芦部信喜が指導教授だったものと思われる。芦部信喜のこの概説書の憲法制定過程や九条に関する叙述を見ると、少なくとも体制側・政府側・権力者側には「批判的」だ。これらの側が作りだした(作りだしている)「憲法現実」に対して、高橋が「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」と言うのも、芦部「門下生」ならば当然だと納得しはする(賛成はしない)。
 もっとも、芦部や高橋が旧ソ連等の社会主義体制の「憲法現実」(そしてマルクス主義)に「批判」的だったかどうかは分からないが。
 すでに、樋口陽一を指導教授とする蟻川恒正が「護憲」派で親フェミニストらしいことは記したが、この推測(とくに前者)が当たっていることを、蟻川の次の発言は明瞭に示している。
 「安保と9条を共存させ続けていく」のは「すっきりしない態度」に見えるが、「すっきりしない曖昧さをどちらかに振り切ってしまうのではなく、すっきりしないけれども複雑なものを抱えて、時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家ではないか」。「曖昧さに耐えることができる者としての法律家が、今の時代、ますます必要なのではないか」。
 東京大学の長谷部恭男の説との類似性を感じさせるこの発言の背景には、憲法九条は「軍隊その他の戦力」の保持を禁止しているが軍隊もどきの自衛隊が現実にはあり、れっきとした軍隊(外国の)が日本国内に駐留しているという現実を容認したまま、かつ憲法九条の改正にも反対するという<苦衷>があるようにも見える。
 かりにそうならば、同情に値するが?、しかし、「時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家」だとはよく言ったものだ。同じことだが、「曖昧さに耐えることができる者としての法律家」
がますます必要とは、よく言ったものだ。
 私に言わせれば、この蟻川恒正は法律家「失格」だ。一般的に言っても複雑な事案から「曖昧さ」を抜き取り、法的に「すっきり
」させるのが、専門家としての法律家の仕事ではないのか。あるいは、複雑な込み入った種々の議論を論文等によって整理・分析して「曖昧さ」をなくして論点・争点を(場合によっては結論も)「すっきり」させるのが、法律に関する学者・研究者の仕事ではないのか。この人は何と<寝呆けた>ことを言っているのだろう。これで現役の東京大学教授とは、驚き、呆れる(先日の事件で東京大学法学部又は法学研究科がどういう処置をしたかは知らない)。
 この座談会は今年2/06に行われたようで、東京都国家伴奏拒否音楽教師事件の最高裁判決(2/27)の前なのだが、蟻川恒正は、日教組等の主張と同様に、通達・職務命令による学校教師に対する国歌の起立斉唱の「強制」(反対教師の処分)にも反対する発言もしている(引用しない。p.26-27)。
 その際に、「命令し制裁する権力から、調査し評価する権力へ、という形で、権力の在り方の変質を指摘できるのではないか」と、ひょっとして自分自身はシャレたことを言ったつもりかもしれないことを、述べている。
 こんな変質論は当たっていない。一般論として見ても、「権力」はとっくに、「命令し制裁」しもするし、「調査し評価」もしてきている。あるいはどちらの「権力」の契機又は要素もとっくに見出すことができる。この人は、1990年代以降の「教育」行政に関してのみしか知識がないのだろうか。
 というわけで、全体として面白く有意義な座談会では全くない。4名の責任だけでもないだろうが、日本の憲法学界の貧困さを改めて感じる。
 但し、4名のうち、棟居快行の発言はなかなか面白い。90年代以降の時代の変化の「認識」は、この人が最も鋭いと思われる。佐藤・高橋の「時代認識」はよく聞く、かなりありきたりのもので、蟻川となると、年齢が若いためか「時代認識」すらないようだ。
 それに、棟居快行は、私の問題関心に応えるような、次の発言もしている。
 「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」。
 これは重要な指摘で、よく分からないが、憲法学界全体が「危機感」を持つ必要があるのではないか。
 また、じつは私にはさっぱり意味が判らないのだが、棟居(むねすえ)にはこんな発言もある。
 議会重視・強化論は既に破綻した構想でないかとの高橋和之発言を受けて<一度もしていないので破綻もしていないのでないか>旨述べたあとで、こう言う。
 「むしろルソー的なものに対する憲法学全体のアレルギーがあるわけで、ルソー的なるものをシュミット的なものにすぐにつなげてしまって、それに対して我々の一種の恐怖心のようなものがあって封印している。そのぐらいなら護送船団的、調整的、多元的なケルゼン的というのか、そちらの方が安全牌だということでしょう」。
 ???で憲法学界は本当に「ルソー的なもの」への「アレルギー」があるのだろうか、カール・シュミットやケルゼンについての上のような言及の仕方は適切なのだろうかと思うのだが、しかし、阪本昌成と同様に(どう「同様」かは分からないが)憲法に関連する基本的「思想」・「主義」に関心をもち、知識もある憲法研究者がここにもいる、と知って喜ばしく思った。棟居快行(1955-)はネット情報によると、東京大学出身、神戸大学→成城大学→北海道大学→現在は大阪大学と、神戸大学時代にすでに「教授」であった後、渡り歩いて?いる。
 蟻川恒正の<素性>を確認できたことのほか、この棟居を発見?したのが、今回の読書の成果だった、と言っておこう。

0159/阪本昌成の憲法九条論の一端-ジュリスト1334号。

 ジュリスト1334号(有斐閣)における阪本昌成の「武力行使違法視原則のなかの九条論」を要約又は抜粋するのは論文の性質上困難だが、最後に結論ふうに述べられているのは、つぎのようなことだ。
 すなわち、<「1.国家として「自衛権」をもつこと、そして、2.国際紛争の緊急時・異常時には、当面、国家として「自衛の措置」を採り得ること」の二つは、法理論的かつ実践的にも「直結し得る命題」で、「確立された国際法規」にもなっている。これら二つと「3.異常時・緊急時に備えて、国家としてどの程度の戦力または実力部隊をもつべきか」の「政治的決断」は「各主権国家の憲法及び法律によって定められるべき事項」で、1.や2.と「論理必然の関係にはない」。
 しかるに、3.に関する「憲法解釈」が1.2.と「関連付けられてきた」、例えば、「国際法上の法理が、国内法における戦力または実力部隊の在り方を左右する」かの如く説くのは問題だ
 「”自衛隊は、国際法上主権国に法認されている自衛のための実力であって、戦力ではない”というロジック」は、「国際法」上の合法性を基準に「憲法」上の限界を説く強弁だ
。>(p.58)
 
必ずしも理解しやすい内容ではないが、九条をめぐる従来の通例の?議論の仕方を批判すること、つまり国際法上の問題と日本国家の問題である「憲法」上の議論とを単純に結合させるな、という趣旨だろうと思われる。
 とすると、憲法のみならず国連憲章等の国際法に関する標準的な知識と素養が必要なわけで、課題がまた増えたような気がしてやや鬱陶しい。
 それはともかく、上の結論ふうの部分からは阪本の現九条についての評価を窺えないが、次のような部分は多少は関係しているだろう。理解しやすい二部分のみを抜粋的に紹介して、終えておく。
 1.<
「平和主義」ではなく「国家の安全保障体制」と表現すべき。九条は「主義・思想」ではなく国防・安全保障体制に関する規定だからだ(p.50)。
 「平和主義」という語は「結論先取りの議論を誘発」するが、「平和主義」はじつは「絶対平和主義」から「武力による平和主義」まで多様だ。

 ここで阪本昌成は「非武装による平和主義」を自分は「9条ロマンティシズム」と呼んでいると注記している。これは、「非武装による平和主義」に対する皮肉だと思われる。吉永小百合様や「日本国憲法2.0開発部」には心して読んでいただきたい。
 2.<九条は私人(国民)が何をなすべきか、なし得るかを何ら定めておらず、「自衛権」の行使につき「私人の抵抗活動」まで含める解釈は「無謀」だ。なぜなら、国際法は自衛権の行使主体として私人を想定しておらず、私人の主体性を認めれば私人(一般国民)を他国による「攻撃対象」としてよいことを承認することに等しく、また、私人に「ゲリラ戦や郡民蜂起」を要請又は期待することは「過酷」で国家として無責任だ。
 ここで阪本はカール・シュミットの次の文章等を注で引用して「絶対平和主義者」を実質的には批判している。
 <「個々の国民が、全世界に友好宣言」し又は「武装解除」することで「友・敵区別を除去」できると考えるのは「誤り」。「無防備の国民には友だけがいると考えるのは、馬鹿げた」ことで、「無抵抗」が敵の「心を動か」すと考えるのは「ずさんきわまる胸算用」だ。
 カール・シュミットという人の議論を一般的に信用してよいかという問題はあると思うが、上の部分は適切だろう。吉永小百合様、「日本国憲法2.0開発部」、そして社会民主党の皆様には心して読んでいただきたい。

0158/「マスコミ九条の会」呼びかけ人ー史料として。

 周知のように、九条の会とは、九条を考える会の呼びかけに応えて、各地域・各職場・各業界等々に結成され、6000ほどすでにあるとされ、日本共産党が強力に結成又は参加を呼びかけている組織であり、現憲法九条の護持(改正に反対)を明瞭に主張している団体だ。
 マスコミ九条の会というのも、遅くとも2006年には結成されているようだ。そのサイトによると、呼びかけ人は次のとおり。知らない人もいるが、全員を()もそのままにして、記載しておく。
 「秋山ちえ子(評論家)、新崎盛暉(評論家)、飯部紀昭(道都大学教授)、石川文洋(報道写真家)、石坂啓(漫画家)、池辺晋一郎(作曲家)、井出孫六(作家)、猪田昇(日本ジャーナリスト会議北海道会員)、岩井善昭(日本ジャーナリスト会議北海道運営委員)、内橋克人(経済評論家)、梅田正己(日本ジャーナリスト会議出版部会代表)、大岡信(日本現代詩人会)、大谷昭宏(ジャーナリスト)、大橋巨泉(著述業)、岡本厚(岩波書店「世界」編集長)、小沢昭一(俳優)、恩地日出夫(映画監督)、桂敬一(立正大学文学部教授)、鎌田慧(ジャーナリスト)、川崎泰資(椙山女学園大学教授)、北村肇(「週刊金曜日」編集長)、小中陽太郎(作家)、斎藤貴男(ジャーナリスト)、佐藤博文(弁護士)、佐野洋(作家)、ジェームス三木(脚本家)、柴田鉄治(国際基督教大学客員教授)、須藤春夫(法政大学教授)、隅井孝雄(京都学園大学教授)、関千枝子(女性ニュース)、せんぼんよしこ(演出家)、高嶺朝一(琉球新報社)、谷口源太郎(スポーツジャーナリスト)、田沼武能(写真家)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)、仲築間卓蔵(日本ジャーナリスト会議放送部会代表)、茶本繁正(ジャーナリスト)、塚本三夫(中央大学法学部教授)、辻井喬(詩人・作家)、坪井主税(札幌学院大学教授)、栃久保程二(日本ジャーナリスト会議北海道代表委員)、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、中村梧郎(フォト・ジャーナリスト)、橋本進(ジャーナリスト)、ばばこういち(放送ジャーナリスト)、原壽雄(ジャーナリスト)、平岡敬(中国・地域づくり交流会)、広河隆一(写真家、デイズジャパン発行・編集人)、前泊博盛(琉球新報社論説委員)、増田れい子(エッセイスト)、箕輪登(元衆議院議員)、宮崎絢子(日本ジャーナリスト会議代表委員)、三善晃(作曲家・芸術院会員)、守屋龍一(日本ジャーナリスト会議事務局長)、門奈直樹(立教大学教授)、山田和夫(映画評論家)、湯川れい子(音楽評論家)、吉田ルイ子(フォト・ジャーナリスト)、吉永春子(ジャーナリスト)、若杉光夫(映画監督・演出家) ※五十音順
 私には著名で、かつ露出度が高そうな人を太字にしておいた。
 石坂啓は女性漫画家で売っているようだが、既述のように、「週刊金曜日」編集人の一人で、本田勝一や佐高信の仲間。鎌田慧の「左翼」ぶりは顕著だが、冷静そうに見せている
内橋克人もれっきとした「左翼」。辻井喬は朝日新聞社から(も)小説を刊行している。佐野洋はすでに70年代に日本共産党の支持者として名を出していた。平岡敬は元広島市長。
 鳥越俊太郎はオーマイニュースをその後どうしたのかの詳細は知らないが、呼びかけ人として名を出すように、九条護持派であることを明らかにしている。市民の「中立的」なニュースサイトを運営できるわけがない。
 他にも呼びかけ人等の氏名が公表されていれば、この欄にも転写又は記載していく。九条改正絶対反対という日本共産党・社民党の姿勢と通底していることを隠して、「一般」人あるいはノンポリふうに装っている人もいるので、注意と警戒が必要だ。

0157/立花隆は「厚顔無恥」にも詫び・訂正を明示せず<こっそり>修正した。

 これまた些か古い話題だが、私にはきわめて興味深かったことなので、記録に残しておきたい。立花隆という人物がいかほどの人物なのかを、ある程度は示しているように思う。
 昨年の11/23のことだが、日経BPのサイト内の立花隆のエッセイ連載記事に入ってみると、「踏みにじられた教育基本法審議」という11/17付のコラムが掲載されていた。
 残念ながら保存しなかったが、そこには、明らかに、<教育基本法改正案につき衆院で与党が単独採決したのは参院が審議・議決しなくても30日経てば(衆院議決のままで)自然成立するのを待つためだ>、との旨が書いてあった。
 この記述内容の中核、すなわち、<参院が審議・議決しなくても(衆議院議決から)30日経てば衆院議決のままで法律は自然成立する>、というのは、明確な誤りだ。憲法59条~61条を見て確認すれば、すぐに分かる。
 おそらく立花隆には、60年安保の際の記憶が鮮明すぎて、条約と法律の区別がついておらず、衆議院が議決すれば条約は参議院がなくとも衆議院議決後30日経てば批准される、という条約の場合と混同していたのだ。
 cf.「61条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。」
 「60条第二項 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。」
 さすがに、日経BPの編集部は誤りに気づいていたようで、「編集部注」として正しい内容が11/23の時点で記されてあった。
 cf.「59条第二項 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。」
 ところが何と、11/25に再び同じ立花隆の同じエッセイ欄を見てみたら、「よく知られているように、…参院の審議内容がどうあれ、それが審議時間切れで衆院に戻されても、法案は再び衆院の3分の2以上の賛成があれば可決してしまうからである」と、本人の訂正の言葉は一片もなく、日付を変えることもなく、憲法規定の正しい内容通りに実質的に修正されていた。
 細かな憲法規定の知識に関することだが、上のような訂正を<こっそり?>としておいて、「よく知られているように」とはよく書けたものだ、と思った。「よく知って」いなかったのは、立花隆自身ではないか。これが他人の場合なら、立花隆は、<厚顔無恥>という批判の言葉を浴びせかけたのではないか。

0156/宮崎哲弥の適確な「核論議」論と朝日新聞批判。

 些か古い話題だが、宮崎哲弥の主張は適確と考えられるので、記録として残しておく。彼は、週刊プレイボーイ2006年12/04号の時評でこう書いた。
 「近頃中川自民党政調会長や麻生外務大臣が核兵器の保有の是非を議論すること自体は別に悪くないんじゃないかという趣旨の発言を繰り返し野党やマスメディアからはその責任を追及されている。…批判する勢力は一体何を守ろうとしているのか。
 しつこいようだが、核保有是非論争を再論する。何度もいうが、私には議論もいけないという立場がさっぱり理解できない。もし閣僚や与党幹部が議論を禁じるべしと主張すれば憲法上の大問題となるが、議論を容認するならば全く差し支えない。むしろ、議論の封殺を企図するがごとき野党幹部の態度の方がよほど不審である。いやしくも国会議員やマスメディアがこんなバカげた論争で政治資源を濫費している国が日本以外のどこに存在するだろうか。
 「世界の目」とは次のようなものだ。<核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。…中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい>。
 これは、ゴリゴリのタカ派の発言ではない。朝日新聞10月30日付朝刊に掲載されたフランスの左翼リベラル派を代表する著名な知識人、エマニャエル・トッド氏のインタビュー記事の一節だ。さすがに朝日新聞の社論とは全く異なる見解なので、そのままではマズイと判断したのか、記事には「刺激的な議論になった」だの「頭の体操だと思ってお読みいただきたい」だのと、トッド氏には随分失礼な断り書きが入れられている。
 こういう蛇足を見ると、朝日新聞って本当に読者を信頼していないのだな、と痛感する。いや、もっと言えば、<世界の常識>が日本の各層に知れ渡り、市民が目覚めてしまうことを恐れているのだろう。
 朝日新聞の11月11日社説に本音がにじみ出ている。<世界の先頭に立って核不拡散条約(NPT)の重要性を訴えてきた日本が核保有へと急変すれば、国際社会での信用は地に落ちる。…米国には日米安保条約への不信の表明と受け止められる>。まず、核兵器保有論議是非論が核保有容認論にすり替わっていることに注意。ここの争点のすり替えも実に姑息だが今は措くとしよう。核保有なんぞしようするものなら<国際的に孤立するぞ><アメリカが懸念するぞ>といった他律的姿勢が露わになっている。
 
たしかに、日本が核を保有すれば北東アジアの軍事バランスは一変する。覇権国や周辺国がこれを警戒するのは当然だ。が、核保有とはそういう状況の醸成を目的として行なうものではないのだろうか。つまり、朝日新聞社説などに指摘されずとも、日本が核武装に踏み切る場合とは、そういう利害得失を勘案してもなお国益に資するという結論に至った時に決まっている。そうした議論をもう一度詰めてみようというのが中川氏や麻生氏の見解だが、それを批判する社説の中に議論の<結論>めいたものが混入しているのはいかなるわけか。典型的な<論点先取りの虚偽>ではないか。
 ちなみに日本テレビの最新の世論調査によれば、核について具体的な議論があってもよいという人の割合は実に72%に上っている。もはや市民の覚醒は止められなさそうだ
」。

 

0155/週刊文春5/24-「おかしな記事」を書いても「いきり立」たないでという<甘え>。

 週刊文春5/24号(文藝春秋)の「週刊朝日vs安倍晋三/どっちもどっち/「落ちた犬」を訴えた首相の「品格」」(p.150-1)はミョウなことを書いている。さすがの文藝春秋も、同業週刊誌となれば朝日新聞社発行のものについても「仲間うち」意識が働くのだろうか。
 安倍事務所の現・元の秘書3人が朝日新聞社、週刊朝日編集長山口一臣らを被告として損害賠償請求等の訴訟を提起したことにつき、最後にこう締め括っている。
 「おかしな記事にまともにいきり立っているようでは、…狭量な政治家に見られてしまいますよ」。
 この文は、当然に、次のような意味と解される。<「おかしな記事にまともにいきり立」つ「政治家」は「狭量」だ>。あるいは、<「狭量」ではない「政治家」は、「
おかしな記事」を書かれても「まともにいきり立」つべきではない。
 こうした認識は、誤っている。
 <週刊誌がおかしな記事」を書いても(記事の関係者であっても「まともにいきり立」たないで下さいよ>という、<甘え>が丸見えの認識とそれにもとづく言明だ
こんな<甘え>で「週刊文春」全体が成り立っているならば、マスコミ又はジャーナリズムを名乗る資格は「週刊文春」にはない。こんな文章を容認した、文藝春秋社員・週刊文春編集人の鈴木洋嗣、同発行・松井清人の見識を疑う。
 むろん「どっちもどっち」などという見出しも問題で、週刊文春のこの記事は「歪んで」いる。「おかしな記事」(正確には、「おかしな」どころではなく名誉毀損の記事だ)を書くこととそれに対して
「まともにいきり立」つことの、一体どこが「どっちもどっち」なのか?
 以上でほぼ十分だが、なおも続ける。
 
この記事は、週刊朝日の記事が「お粗末だった」ことを認めている。しかし、「言論によるテロ」や「政治運動ではない」、とする。また、服部隆章・立教大学教授や田中辰巳・危機管理コンサルタントとやらを登場させて、前者に安倍首相側の行動こそが「政治行動」だ、後者に「大人げない」と語らせている。
 朝日新聞シンパかもしれないこの二人の氏名を記憶しておくが、相手が朝日新聞社だから安倍首相側が過敏に反応したのだとかりにしても、また「全国紙政治部デスク」が語っている「総理の”朝日”憎し」が事実だとしても、それには相当の根拠・背景が厳然としてある。
 そのことを、雑誌諸君!や月刊・文藝春秋を刊行している会社の週刊誌部門の者が知らない筈はないだろう。
 朝日新聞社は安倍首相(および中川昭一)が当選ホヤホヤの議員だった頃から警戒すべき「右派」と看做したと思われ、安倍らが<保守派>的とされる若手議員の会だった「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の要職(事務局長・会長は中川昭一)についた頃からは明確に批判の対象にしてきた。そして、2005年1月の本田雅和らの記事が、その4年前の安倍・中川による<NHKへの圧力>を捏造することによってこの二人の政治的地位又は影響力を大きく損なおうとしたものであることは明らかだと思われる。
 朝日新聞は特定の政治家をターゲットにして政治的な失墜を狙ったのであり、その限りで、<(政治)運動団体>に他ならない。
 他にもきっとあるだろうが、上のような体験をもつ安倍晋三が、朝日新聞社の出版物の記事の内容に他社のそれに対するよりも過敏になり、<またか>と感じても当然のことだ。
 問題は、安倍首相が「朝日には厳しい」(某政府関係者)ことが批判されるべきことなのか否か、だ。私は、安倍首相が「朝日には厳しい」ことは当然のことだ、と考えている。
 週刊文春のこの記事の書き手は、上のような安倍vs朝日の歴史についての認識・評価が私とは違うのかもしれない。それならある程度は仕方がないとも言えるが、認識自体がない、すなわち「無知」にもとづいているのだとすれば、週刊誌の記者としては完全に<失格>だ。また、服部隆章や田中辰巳なる人物も、朝日新聞の<本質>を知らないお人好しに違いない。
 上述のことからしても、「きっこのブログ」5/11が書く<「週刊朝日」だけを訴えて「週刊ポスト」を訴えないということは、「週刊ポスト」に書いてある内容は「事実無根」ではないのでしょうか?>なんていう疑問には何の根拠もない。
 さらにまた、次の、山崎行太郎
という文芸評論家の5/10のブログの文章はまさしく書き手こそが<狂気>の持ち主(すなわち、-<キ--->という言葉を私は使うのに慣れていないので-<狂人>)であることを明瞭に示している。
 <「キチガイに刃物」という言葉があるが、この言葉から「安倍に言論弾圧」という言葉を連想する…。総理総裁に就任後も、相変わらずマスメディアの情報に敏感に反応し、新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している様は、誠に情けないというか、なんというか、馬鹿丸出し…。女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝したのもこの人だ。「ボクは言論弾圧なんかやってないよ…」と言うが、「やった」に決まっている。…安倍は、…政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきたわけだが、そのことの喜劇性と非常識をまったく自覚できていないという時点で、政治家失格というより、人間失格である。これぞまさしく「キチガイに刃物」である。
 こんな文章を書く者が、そして一国の総理大臣を「馬鹿丸出し」、「人間失格」、「キ---」という言葉を使って平気で罵る者が、かつまた、訴訟の提起それ自体を「言論弾圧」だと理解してしまう知能の低そうな者「文芸評論家」でかつ「哲学者」とも名乗っているとは驚いた。
 この人がもっと有名人でかつより広く多数人に読まれる機会がある文章なら、間違いなく名誉毀損等で訴訟を起こされ、謝罪の文章を新聞に掲載すべきことになろう。また相手が首相でなければ、刑法犯として立件される(逮捕され取り調べられる)可能性がある。
 cf.「刑法230条1項(名誉毀損罪) 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
 「刑法230条の2第1項(特例) 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
 「刑法231条(侮辱罪) 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。
 日本の現在と将来に、それこそ薄ら寒い恐怖を覚える。こんな感覚の持ち主(「きっこ」?を含む)が多数派を占めてしまったら、それこそ「日本」はおしまいだ。

0154/ジュリスト最新号(有斐閣)に見る日本の憲法学界。

 5/12の22時台のブログでその日の読売朝刊の橋本五郎による記事によって憲法学界の状況にコメントした。
 そこで言及されていたジュリスト最新号=1334号(5/1=5/15合併号、有斐閣)を購入した(2200円もする)。たしかに橋本が紹介したようなことを佐藤幸治、高橋和之両教授は発言しているのだが、驚いた又は目を惹いたことが二、三ある。
 一つは、自称「ラディカルなリベラリスト」の阪本昌成が、「武力行使違法化原則のなかの九条論」というタイトルで憲法九条に関する論稿を寄せていることだ。既に読んだが、ありきたりの九条論でなくて面白い。別に紹介する。
 二つは、先日、護憲派・親フェミニズムとみられる東京大学の憲法学教授が「痴漢」、の旨で取り上げた蟻川恒正が、巻頭の「座談会」に4名の中の1名として登場していることだ(顔写真付き)。高橋和之は定年のため東京大学教授でなくなったこともあって、4名のうち東京大学の現役教授は彼一人。こういう特集号での巻頭の座談会は重要な位置づけがあると思われ、そこに出席しているのだから、憲法学界又は同誌編集部としては<重要な>人物と彼を看做したのだろう。その彼が、雑誌刊行直後に逮捕されるとは…。
 三つは、特集名は「日本国憲法60年」で「日本国憲法の改正」又は「憲法改正」ではないことだ。後者のような特集名で改正反対=護憲論が多数登場することもありうるのだが、安倍内閣発足以来、<憲法改正>はしばしばマスコミを賑やかしている言葉であり、それに向けての現実的動きがあるのに、「日本国憲法60年」という、たんに施行後60年経ったというだけの特集名になっている。ジュリスト編集部(有斐閣)および憲法学界の雰囲気をこの一点でも、象徴的に知ることができそうな気がする。
 それにこの雑誌が編集されている頃は、憲法改正手続法(国民投票法)の国会での審議が続いていた頃で、その成立の可能性もあった筈だが、この雑誌のこの号には憲法改正手続法〔国民投票法)に関する論稿はなく、論及している執筆者もないように思われる。
 学界・学問の世界と政治の世界は別だから、政治情勢に合わせて学問研究をしろとは全く思わない。
 だが、読売や産経は5/3以降頃に<憲法改正が具体的政治日程に、問題は具体的改正内容だ>とかの論調を示していたのと見ると、この雑誌の特集の仕方はあまりに「現実」からかけ離れている(座談会では切実な発言があるかもしれないが、一部を除き未読。いずれ紹介する)。
 また、憲法改正手続法(国民投票法)については百地章、小林節が産経に、大石真(京都大学)が別の新聞に何か書かれていた(発言されていた)と思うが、結局のところ、ごく数人の憲法学者しか対社会的には発言しないまま憲法改正手続法(国民投票法)は成立してしまったようだ。
 国民投票を憲法改正に限るのか、その他の国政上重要な問題にも広げるのか(私は後者は決して「進歩的」でなく、憲法の精神でもないと思う)という問題や最低投票率を設定すべきか(私は反対だ)という問題は、重要な憲法問題でもあり、全ての憲法研究者が何らかの自説を何らかの形で公にしてもよかったのではないか。
 しかるに、改正手続法制定の過程で、殆どの憲法学者は「寝ていた」。将来になって日本の憲法学界史をたどるとき(そういうものがあるとしてだが)、この事実をもはや消すことはできない。
 全ての憲法学者(だと思っている者)は覚醒して、憲法に関する「憲法政策」的議論、憲法に関する「制度設計」論を展開すべきだ。そうでないと、近い将来、憲法改正についてもほとんど「寝ていた」という事態が生じかねない(すでに両院の憲法調査会等で「参考人」として知見・見解を述べている者はいるとは思われる)。
 改正に反対でも賛成でもよい、具体的な問題についての議論でもよい、全ての憲法学者が何らかの形で「参加」すべきだろう。多くの憲法学者は、憲法が改正されれば、それを所与の前提として再びその「解釈」に埋没するつもりなのか、あるいは日本の憲法など無関係に諸外国の憲法問題又は憲法判例を紹介したりして「やり過ごす」つもりなのか。情けないことだ。

0153/やはり「哀れ」を誘う、中村政則・戦後史(岩波新書)。

 戦後史に関する概説書はいくつか読んだ。中村政則・戦後史(岩波新書、2005)もその一つだ。
 この本は、1.「戦争」に着目した「貫戦史」との方法をとるというが、それにしては朝鮮戦争、アフガン戦争の扱いは小さく、ベトナム戦争、湾岸戦争の扱いは大きい。
 2.何よりも、周辺事態法制=有事法制を「まさに戦争目的のための」ものと躊躇なく断言し(p.260)、「いま」日本は「戦争の道」か「平和の道」かという対立・選択を迫られている、「戦後最大の岐路に立っている」と締めくくりにかかるに至っては(p.289)、ヤレヤレ40年前の本かと思ってしまう。
 さすがに岩波が起用した執筆者だ。日本人はいったい何度「戦争の道」ではなく「平和の道」を選ぶように「煽られて」きたことだろう。
 3.戦後史を語る以上、ソ連・東欧「社会主義」体制の崩壊への言及は避けられないが、十分に詳細ではなく(p.185-等)、かつ日本の戦後史の見方そのものを変更させる可能性を多分にもつ、インパクトの大きさを感じ取ることはできない。
 思うに、執筆時点で70歳くらいだったこの元一橋大学教授は、コミュニズム、マルクス主義の敗北の影響を(p.233あたりに触れられてはいるが)、大きいものとは見ていない、又はそう見たくはない、あるいは少なくとも自らの歴史学の見方・方法を変えなければならないほどのものとは見ていないのだろう。にもかかわらず、ソ連解体等に触れないわけにはいかず、筆者の筆致には率直な感想として何やら痛々しさすら感じてしまう
 「戦争の道」と「平和の道」という対立は、かつてはアメリカ等の資本主義又は「帝国主義」国とソ連等の「社会主義」国の対立を意味したはずだった。後者がほぼ消滅した現時点で、この二つの道の「選択」・「岐路」を強調する筆者は、いったいいかなる対立を想定しているのだろうか。熱意を感じさせるが如き文章がじつは空疎に感じる原因も、このあたりにあると思われる。
 悪しき日本と気の毒な「アジア」という対立図式なのか? むしろ「戦争の道」を進んでいるのは北朝鮮等と見るのが素直と思えるが、北朝鮮や中国の異常さ・危険性にほとんど言及しない中村政則老人はそうは考えておらず、日本国内にいるらしい「戦争」勢力への警戒を強調したいのだろう。
 なお、4.ソ連崩壊の90年前後で「戦後は終わった」と書きつつ(p.283)、その後も2000年までを「戦後」と位置づけているのは、子細に読めば矛盾していないかもしれないが、やや解りにくい。
 それにしても2005年にこんな本がまだ刊行されるとは。著者は表現・学問の自由を、岩波書店は出版の自由を享受すればいいが、こうした本の影響で誤った歴史観・歴史の見通しをもってしまう「純朴な」人々への責任は誰がきちんと負うのか。

0152/朝鮮戦争に関するマルクス主義歴史家の「哀れ」。

 朝鮮戦争は南北どちらが先に攻撃を仕掛けて開始したかという問題につき、松本清張・日本の黒い霧「謀略朝鮮戦争」(松本清張全集30のp.386以下、初出、1962?)は曖昧にしつつ、南による北侵説の余地を多分に残している。
 だが、中国共産党の影響を受けている可能性を否定できない、朱建栄・毛沢東の朝鮮戦争(原著1991、岩波現代文庫、2004.07)すら、p.22で、朝鮮戦争は「北朝鮮が発動したことについて、もはや疑問を挟む余地はなくなった。そして金日成が スターリンの支持を取り付けて、その軍事的援助を得て、…開戦計画を練っていたことも明らかになった」と記すに至っている。
 また、児島襄・朝鮮戦争1(文春文庫、1984。初出1977)は明瞭に「北」による「南侵」説だったが、元赤旗平壌特派員で2005年に共産党を除籍された萩原遼・朝鮮戦争(1993、文藝春秋)刊行の頃までには、この戦争が、朱建栄の言うように、米国・韓国軍の北侵によってでなくスターリンと毛沢東の了解のもとで北朝鮮軍の南侵により始まったことは関係史料から明らかになっていたと思われる。
 しかるに、第一に、マルクス主義歴史学者の井上清・昭和の50年 -新書日本史8(講談社現代新書、1976.09)p.139-140は、「米軍が、日本を基地として朝鮮戦争をおこした」、「6月25日、李承晩軍は38度線で北側を攻撃し、北は大反撃に出た。こうして朝鮮戦争がはじまった」と述べ、著者と講談社は1992.12の第9刷になってもこれをそのまま発売している(私の所持している範囲で指摘する)。
 第二に、亀井勝一郎との間で<昭和史論争>を引き起こした遠山茂樹=今井浩一=藤原彰・昭和史(新版、岩波新書、1959)の56刷は1995.05に出ているのだが、同p.276も「6月22日」アメリカは「極東において積極的行動に出ることを決定した」、「25日、北朝鮮軍が攻撃してきたという理由で、韓国軍は38度線をこえて進撃を開始した」と記述している。
 上述のように、1990年代初頭には(旧ソ連の関係史料が公開されたことにより)朝鮮戦争は<北朝鮮による侵略>により始まったことは明らかになっていたのに、上の二つの本の著者たちと講談社、岩波書店という日本有数の?出版社は、歴史の真実を歪曲した、端的には「ウソ」を書いている歴史本を90年代の前半以降も販売し続けたのだ(ひょっとして2007年の現在でも?)。執筆者は勿論だが、出版社にも「良心」又は(大多数の研究者等が承認する又は史料により疑いがなくなった)歴史的事実への「謙虚さ」が必要だろう。名誉毀損等の具体的な被害者はいないとしても、歴史の「偽造」は、長期的には、又は国家的観点からは、遙かに<罪深い>ものだ、と考えられる。
 ところで、出版元や内容から日本共産党員だろうと推測される鈴木正四・戦後日本の史的分析(青木書店、1969)を古書で持っているが、その「まえがき」は「もっとも全面的な、もっとも客観的な学問の立場であり方法であると思うから」、「労働者階級の立場、マルクス主義の方法と観点にもとづいて書かれている」と勇ましく宣言している。そして、p.114で朝鮮戦争について次のように言う。-「絶対」と言いたいところを学問的な表現で「少なくともいわば1万中の9999まで、アメリカが戦争をおこした疑いがきわめてこいという結論にたっした」。
 同じく古書で買った、藤原彰・日本帝国主義(1968、日本評論社)も結論は同じだ。
 出版された時期、当時は旧ソ連の史料を知ることは困難だったことを考慮しても、今から見るとこれらマルクス主義歴史家の叙述は、何やら<哀れ>を誘う。<取り憑かれ>とは怖ろしいものだ。

0151/小林よしのり・新ゴーマニズム宣言スペシャル/脱正義論(1996)。

 じつは(と大袈裟に言うことでもないが)、小林よしのりゴーマニズム宣言は旧・新を含めて、(古書もあるが)全部所持し、読んでいる(と思う)。内容の記憶はほとんど朧げになっているが、雰囲気・イメージの記憶は残っている。
 そのスペシャル版もたぶん全て所持し、読んでいる。そのうち、新ゴーマニズム宣言スペシャル・脱正義論(幻冬舎、1996)は、小林が1994年に「HIV訴訟を支える会」の代表となり、弁護士等と運動の仕方等について軋轢を生じさせながら活動し、1996年03.29に加害企業と「和解」が成立して、彼の影響も受けて「支える会」会員となった者たちを含む若者(学生)たちに、<さぁ日常に戻ろう>と呼びかけたところ、「支える会」の支部等の「代表も事務局長も会計もすべて左翼系団体の同盟員というところもある。民青が仕切ってたりするところもあるらしい」(p.70)ことを知って愕然として原告患者青年の川田龍平に伝えたところ、彼は「知ってますよ」とニヤリと笑って答えた(p.78)、なんていうことが生々しく描写されていて、とても印象的だ(とても長い一つの文だ)。
 「HIV訴訟を支える会」の実際がどうだったのかの知識はないが、純粋な善意で始まった「市民」運動も、いつの間にか政党等の「色のついた」(多くの場合は「左翼系」の)運動に変質していくことは、十分に考えられる。この本が描くように「支える会」を日本共産党・民青同盟系の者たちが実質支配したのだとかりにすれば、さすがに「大衆団体」を党・民青等近接団体の<下請け>化することに手慣れていて、巧いものだ。また、こうした訴訟の場合、手がける弁護士たち自体がとっくに日本共産党員又は同党シンパであることも十分にありうるだろう。
 「政治」と何らかの関係のある問題についての、多数の「個」の純粋な「連帯」は、小林が正義感をもって当初想定したよりはやはり相当に困難なのが現実だろう。
 その他、書き残しておきたいことが二つある。
 1.「あとがきにかえて」に、「もっと腹が立つのは佐高信ら、『絶対の正義』と薬害エイズが世間に認定された後に近寄ってきて自分の言い分にこれを利用しようとするハイエナみたいな言論人」とある(p.256)。
 なるほど、佐高信は、自分たちの「運動」に利用しようとして小林又は「支える会」にも接近してきたのだ。
 佐高信は、巧妙に隠しているものの「週刊金曜日」共同編集人でテレビ・コメンテイターをしている石坂啓もそうだと思うが、決して<評論家>ではなく、<(社会)運動家>だ。「ハイエナみたい」と表現されているのも、ずばり適切で、よく分かる。
 「週刊金曜日」編集人たちは、選挙に候補者を立てないから政治資金規正法上の「政治団体」ではないだけで、昨秋に反皇室演劇つきの集会を行うなど実態は「政治団体」に他ならず、「週刊金曜日」はその機関誌だと思われる。
 2.川田龍平は7月参院選に東京選挙区から立候補するらしい。日本共産党・民青そのものには加入しなかったようだが、訴訟等の運動の中で「左翼的」活動家に成長したのだろう。
 小林の上の本の中に、「支える会」の若者の間でカール・ヴォルフレンの本がよく読まれているという話が挿入されていたが、彼の日本・権力構造の謎(上・下)(早川書房、2000)は日本の国家・社会を欧米的観点から「異常視」する、偏見に満ちた本で、なるほど(反発がありうる)モロの共産党・民青の本よりは、外国人が書いた(客観的ふうの)日本の「権力構造」批判の本として、読者を「反体制」化・「左翼」化するのに役立ったに違いない。

0150/阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(第二版)「まえがき」。

 4/30午前0時台のエントリーで紹介したように、阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(第二版/有信堂、2004)は「マルクス主義憲法学」批判を鮮明にしている。そのときに紹介しなかったマルクス主義批判の文に、次のようなものもある。
 「正義は、人間の知性によって積極的に作り上げうるものではなく、また、人間の情念を度外視して語れるものではない。二〇世紀最大の人類的規模の実験が失敗に終わった理由は、ここにある」(p.23)。
 デカルト以降の「理性」信仰(私流に言えば、人は、人間や社会を「合理的」に認識・説明でき、改革できる筈だとの、人知の及ばない領域があることを無視した「近代」の傲慢さ)への批判が上の文にも含められているだろう。
 5/13のやはり午前0時台のエントリーで述べたように、中川著の後の読書のベースは阪本昌成の上の本で、50頁くらいまでは進んだ。基礎概念の意味と論旨展開は重要なので、メモ書き代わりにここに記していこう。
 阪本にとってマルクス主義はもはや「論敵」ではないとされ(p.22)、既述程度の文章しかないのだが、マルクス主義批判の文のあとには「福祉国家」が「警戒すべき実験」として語られる(p.23)。
 先走ったが、阪本も自称ハイエキアンであり、ハイエクを(きわめて)肯定的・積極的に評価する中川八洋と同様の論調である所があるだろうことは容易に想像がつく。
 さて、最初から出発しよう。「まえがき」によれば、「リベラリスト」とは「統治の正当性・限界を、人びとの合意に求めることを避けて、すべての人に保護領域が与えられるべきことに求めようとする立場の人」だ(「保護領域」とはさしあたり「自由に行動できる生活空間」で十分)。
 一方、「デモクラット」とは「統治の正当性・限界、すなわち立憲主義の源泉は人びとの合意にある、と強調する人」だ(p.1)。
 書名でも明らかなのだが、リベラリズムとデモクラシーは矛盾しあう・対立しあうということが著者の議論の前提だ。あえて日本語を使えば、自由主義と民主主義自由と民主の差違・関係が阪本の関心事であり、かつこの問題が(マルクス主義うんぬんよりも)今日的・現実的な意味をもつ、と考えられているものと思われる。
 そして、阪本は自分は「ラディカル・リベララリスト」だと既に結論的に宣言している(p.2)。となると、未読の部分の方が多いが、デモクラシー(民主主義・民主政治)への批判が多いだろうと想像できる。
 つぎに言う。「リベラル」や「リベラリスト」は米国では「社会民主主義(者)」を指すため、「真のリベラリズム」のために「リバターリアニズム(リバターリアン)」という言葉が作られ、後者は、ア.個人主義徹底、イ.国家の強制力は反道徳的、ウ.国家・公共の利益に懐疑的、という態度だ。だが、阪本は「リバターリアニズム」と共通性があるかもしれないとしつつ、リベラル/リバターリアルの区別の論議に入らず、「リベラリズム」を次の共通性をもつものの意味で用いるとする。
 1.「自由を消極的に捉えること」(秋月注-「消極的」とは「否定的」の意ではない)、
 2.「ルールの源泉を人間の意思に求めないこと」、
 3.「ルールは社会のなかで自己増殖的にできあがり、そのルールは一定の属性をもつに至ると承認すること」等。
 但し、「リベラリズム」は社会民主主義を含む曖昧さを持つので、上の意味でのリベラリズムを「古典的リベラリズム」、「社会民主主義的な自由観」を「修正的リベラリズム」と称することもある、という(p.2)。
 その後、若干の主張が(結論示唆的に?)なされる。
 「法学でいう自由」とは「個人の人格的規律や意思の不可侵性」といった「個人の内面領域」ではなく「政治・統治の領域」での概念で、リベラリストは、「私たちの日常的な利害対立の調整または解決を政治過程にできるだけのせないことが望ましい」と考える。
 リベラリストはこう考える傾向にある。1.「個人の内心の自由」は「政治的自由」の「根源的な位置」にあるものではなく、「歴史的にみて最初のものでもない」。
 2.個人の「内面的自由は「政治的自由」を否定された人びとが「内面への退却」をしたときに気づかれたもので、「内面的自由は人間の尊厳にとって固有の領域」だとの「誇張された主張」は、自由の問題を「人格的自律や意思の不可侵性」を問う議論へと「再び誘導する」だろう。しかし、この筋道を避けて、「人と人との交わりのなかで世俗的な利害の調整のあり方に賢慮を」めぐらすべきだ。
 3.「「法の支配」を真剣に受けとめる」。「法の支配」とは「私たちの消極的自由を保障するための思想であり、制度だ」。一冊の本が必要なところを「あえて簡単にいえば」、「国家が法律を制定するにあたって、私たちを匿名の存在として扱うルールに従うこと」だ。(p.3-p.4)
 「まえがき」の僅か4頁のためにこれだけ費やしたとは先が思いやられる。
 だが、何らかの共通了解があって語られているようにも見える「自由」も「民主」も(そして「立憲主義」も「法の支配」も)じつは簡単に語りえない複雑な側面をもち、両者は単純な関係には立たない(ようだ)。
 若い頃から近年までの勉強不足、思考不足を嘆きつつ、読み終えてみよう(計230頁程度)。
 ところで、中川八洋の本を読んでおいたことはよかった。阪本著で外国人の名とその「思想」が出てきても殆ど全く、驚きはしないからだ。

0149/「大衆」の忘恩と小児性-「民主主義」は機能するか。

 すでに読み終えた中川八洋・保守主義の哲学だが、刺激的な言葉が随所にある。例えば、
 「日本列島は無政府状態の色を濃くしているし、レーニン/ヒットラーの全体主義を再現するかのような不気味な土壌をつくりつつある」(p.297)。
 「日本の学界・教育界は、大正デモクラシーの大波をかぶってそのままデカルト/ルソー/マルクスの住む島に流れつきそこにとじこもることすでに八十年、理性万能の狂妄から目を覚ますことがない」(p.325)。
 ところで、読みながら、失礼ながら何故か、「きっこのブログ」や「きっこの日記」のきっこ?を想起してしまったのは、第六章「平等という自由の敵」の第四節「大衆という暴君」の中の、次のような、紹介されている等の、いくつかの言葉だった(p.298-9)。
 オルテガ-「大衆人」は「生の中心がほかでもなく、いかなるモラルにも束縛されずに生きたいという願望にある」。
 中川-「道徳」とは…のことだが、「これを欠くか、ない方がよいと願う「大衆人」とは、その本性において、社会主義者・共産主義者のシンパとなりやすい特性をもっている」。
 オルテガ-「大衆人」は「倫理・道徳性の欠如」を示し、「忘恩の徒」となる。「忘恩」とは「甘やかされた子供の心理」でもあり、「今日の大衆人の心理図表に…線を引くことができる。…安楽な生存を可能にしてくれたいっさいのものに対する徹底した忘恩の線を…」。
 ホイジンガ-「ピュアリリズム(小児病)」とは「子供を大人に引き上げようとせず、逆に子供の行動にあわせてふるまう社会、このような社会の精神態度」のことだ。
 ホイジンガ-「ピュアリリズム(小児病)」の特質は「…他人の思想に寛容でないこと、褒めたり、非難するとき、途方もなく誇大化すること、自己愛や集団意識に媚びるイリュージョンに取り憑かれやすいこと」だ。
 ル=ボン-「衝動的で、昂奮しやすく、推理する力のないこと、判断力あよび批判精神を欠いていること、感情の誇張的であることなど…こういう群衆のいくつかの特徴は、野蛮人や小児のような進化程度の低い人間にもまた同様に観察される」。
 自戒の意味も込める必要があるが、きっこ?氏に限らず、日本という国家への「忘恩」、上に種々書かれている「小児」性は日本国民のかなりの部分に蔓延しているのではないだろうか。上では「大衆」という言葉が使われ、中川八洋には「大衆蔑視」的ニュアンスが全くなくはないと感じるのは気になるところだが、ほぼ「(一般)国民」と置き換えて読むべきだろう。そして、国民の「忘恩」と「小児」性は、「民主主義」は適切に機能するか、の基本的な問題でもある、とも考えるのだ。

0148/産経5/15・志方俊之「護憲派の不思議な論理を笑う」。

 産経5/15の志方俊之「正論/護憲派の不思議な論理を笑う」は、ほとんど異論なく読める。
 「護憲派」の奇妙な意識につき、例えば、こう指摘している。
 1.「護憲派の多くは日米防衛協力に反対で、米国離れの自主的な日本をと主張しているのだが、自主憲法を唱えることだけは御法度だというのだから笑止千万」だ。
 2.「護憲派の多くは、自主を標榜しながら、米国の核の傘を万全と信ずる不思議な思考の持ち主」だ。
 3.「護憲派の多くは核の問題となると核廃絶を唱えて現実から逃避するのが常である」。
 要するに、「護憲派の多く」は自分たちを含む日本国民の「安全」と東アジアの「平和」が、米国の<核の傘>付きの日米同盟によって辛うじて守られているという現実を知らないか、知ろうとしていないのだ。
 そして、志方の言うとおり、「米国の核の傘を否定するならば、残る選択肢は(1)核には目を瞑(つむ)って国民を無防備の危険に曝(さら)しておく(2)中国かロシアの核の傘に入る(3)独自の核を持つ-の3つで、いずれも非現実的だ」、ということになるものと思われる。
 志方はこれまでの自民党も批判しており、正当だ。
 「与党だった自民党も怠慢に過ぎた。自民党は改憲の遅れを説明するのに、まず「時機が熟さない」といい、次に「解釈で実は得ている」といい、党を挙げて憲法改正の機を熟させる努力をしてこなかった」。「自民党は憲法には交戦権を有しないとしてあるから「自衛隊は軍隊ではない」と言ってきた」。
 そして、つぎの言葉は、憲法(九条二項)改正の必要性をずばり衝くものだ。-「国民の目にも近隣諸国民の目にも、誰が見ても自衛隊は軍隊そのものではないのか。軍隊が軍隊であることが悪いのではない。悪いのは軍隊を軍隊ではないと言いくるめることであって、国際社会はそんな変な国を国連安保理の常任理事国に推すとは到底思えない」。
 志方は米国を無条件に信頼することの不可、日本の自主的な防衛努力の必要性も指摘している。
 「日米同盟は「かけがえがない」といっても、米国が自国の国益を最優先に考えて幾つかの戦略的・戦術的な対応を取ることは、当然で何の不思議もない。/
わが国が米国の国益を守るために諸肌を脱がないのと同じだ。国益がほぼ合致したときにのみ同盟は力を発揮するのであって、それが同盟の限界であり国際政治の現実だ」。
 「わが国は…自らは何ら核に対する備えを行ってこなかった。非核三原則を堅持し、敵地攻撃能力の整備も進めず、最近ようやくミサイル防衛の配備と集団的自衛権行使の再検討に着手したに過ぎない。
核の傘があっても、直ちに核によって反撃されることの実効性が不確かな場合もあり、信頼度を高めるため多方面での努力を惜しむべきではない。非核三原則を二原則にするとともに、早急に弾道ミサイル早期警戒能力や敵地攻撃能力の整備は急ぐべきだ」。
 分解しての紹介だけになったが、「まっとう」な主張だと思う。


0147/樋口陽一の愛弟子・現東京大学教授、「痴漢」容疑で現行犯逮捕される。

 読売5/15夕刊によると某大学教員が電車内での20歳の女性に対する「痴漢」により東京都迷惑防止条違反の現行犯で新宿警察署に逮捕された。容疑者は容疑を認めており、「好みの女性だったので…」などと供述している、という。
 大学教員であってもこんなことはありうる事件なので珍しくもない、従って大した関心を持たないのだが、今回はかなりの興味をもった。
 それは、大学教員が東京大学大学院法学政治学研究科の教授で、かつ憲法学専攻らしいからだ。
 容疑者は、蟻川恒正、42歳。
 ネット情報によると、万全ではないが、さしあたり次のことが分かる。
 1.おそらくは東北大学法学部・同大学院出身で、指導教授は「護憲」派で著名な樋口陽一と思われる。(5/20訂正-樋口氏が東北大学から東京大学に移ったあとの「弟子」で、東京大学法学部卒、ただちに助手となったらしい)。
 8年前の1999年(蟻川氏は34歳か)の東北大学法学部の「研究室紹介」に次のように書かれている。
 「蟻川恒正助教授/
東京都出身。専門は憲法。東北大学名誉教授である樋口陽一先生の憲法学の正当な継承者である。その高貴な顔立ちとは裏腹に気さくな人である。意外にも落語好き。また、独身貴族でもある。
 2.東北大学(法学部)は、文科省からの特別の予算を受けられる21世紀COEプログラムとして怖ろしくも「男女共同参画社会の法と政策」なる総合研究を行っており、仙台駅前に「ジェンダー法・政策センター」なるものまで設置し、専任の研究員まで置いているようだ。このCOEの代表(拠点リーダー)はやはり憲法学者の辻村みよ子(1949-)。この人は一橋大学出身で、指導教授は杉原泰雄、2005年~2008年民主主義科学者協会法律部会理事。
 上の研究の一環として東京から上野千鶴子(2006.02.10)や大沢真理(2005.11.26)を呼んでのシンポジウム等も行っているが、少なくとも2005年度は蟻川も法学部教授として上のCOEプログラムの「事業推進担当者」の一人だった。2005年の12.19には「身体性と精神」と題して研究会報告を行っている。「アメリカ合衆国における女性の人工妊娠中絶の自由に関連する連邦最高裁の主要な裁判例を跡づけながら、自己決定権という権利概念が憲法理論上において持つ意義を探ろうとしたもの」らしい(→
http://www.law.tohoku.ac.jp/COE/jp/newslatter/vol_10.pdf)。
 3.樋口陽一=森英樹高見勝利=辻村みよ子編・国家と自由-憲法学の可能性(日本評論社、2004)という本が出版されているが、これらの編者および長谷部恭男愛敬浩二水島朝穂らとともに一論文「署名と主体」を執筆しているのが、蟻川恒正。
 編者4名や上記3名の名前を見ていると、辻村が「民科法律部会」(日本共産党系の法学者の集まりといわれる)の理事だつたことも併せて推測しても、蟻川恒正は、「左翼」的、<マルクス主義的>憲法学者だと思われる。上記のように、ジェンダーフリー・フェミニズムに特段の抵抗がないようなのも、このことの妥当さを補強するだろう。
 従って、憲法改正問題についていえば、樋口陽一らともに九条二項護持論者だろうとほぼ間違いなく断定できる。
 護憲論(又は「改悪」阻止論)者に「痴漢」がいても何ら不思議ではない(改憲派の中にもいるだろう)。ただ、東京大学の憲法学の「改悪」阻止派の教授が、しかも親フェミニズムらしき教授が「痴漢」をした、というのはニュース価値は少しは高いだろう。

0146/日本国憲法-「八月革命」説による<新制定>か「改正無限界」説による<改正>か。

 明治憲法(大日本帝国憲法)の憲法改正条項は同憲法73条で、つぎのとおりだった(カタカナをひらがなに直した)。
 「第73条 1項 将来此の憲法の条項を改正するの必要あるときは勅命を以て議案を帝国議会の議に付すべし

 2項 此の場合に於て両議院は各々其の総員三分の二以上出席するに非されは議事を開くことを得す出席議員三分の二以上の多数を得るに非されは改正の議決を為すことを得す
 現憲法96条が各議院の<3分の2以上>の賛成を「発議」要件としているのも、この旧憲法を踏襲したかに見える。
 それはともかく、この条項にもとづく明治憲法の改正という形で日本国憲法が成立したことは周知のとおりだ。
 日本国憲法の施行文はこう言う。-「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる
 このあとに、御名御璽、計15人の内閣総理大臣・国務大臣の連署、前文、第一章第一条…と続く。
 憲法学の専門家には当たり前のことを書いているだろうが、天皇が定めた「天皇主権」の欽定憲法である明治憲法の「改正」の形で「国民主権」の日本国憲法を制定できるのか、という、<憲法改正権の限界>という問題があった。
 形式的・手続的には明治憲法の改正であっても<憲法改正権の限界>を超えるもので、新憲法の制定に他ならず、ポツダム宣言の受諾によって「国民主権」への革命があったのだとするのが<八月革命説>で、宮沢俊義・東京大学法学部教授が1946年になってから唱えたこの説がどうやら主流の説らしい。
 だが、GHQができるだけ日本人の意思によって憲法が制定(改正)されたかの印象を作りたかったからかどうか、少なくとも表面的には、天皇の発議により両議院(衆議院と貴族院)が審議し、議決し、天皇が裁可し、公布せしめたのが日本国憲法だ。
 枢密顧問への諮詢を経て帝国議会に憲法「改正」案(じつはGHQ作成の原案に若干の修正を加えたもの)を附議した際の天皇の言葉は、「朕…国民の自由に表明した意思による憲法の全面改正を意図し…」だった。
 上の段落は、阪本昌成が憲法の制定過程やその「有効性」をどう叙述しているかに関心を持って見た、阪本昌成・憲法Ⅰ(国制クラシック)p.108(有信堂、2000)による。
 阪本は自説を展開することはなく、「学界では、主権在民をうたう新憲法(民定憲法)護持の立場が圧倒的で、改正無限界説からの分析は精緻になされることはなかった」とのみ記述している。改正無限界説に多少の<未練>はあるかの如き印象をうける。
 実際になされた天皇の発言、天皇に始まる手続、天皇による裁可と公布を見ると、<八月革命説>は相当にフィクションであり、<改正無限界説>に立って、明治憲法の「改正」により現憲法が生まれた(天皇自身も無限界説的な理解をしていた)、と説明する方が私にはわかりやすい。
 天皇主権と国民主権、欽定憲法と民定憲法とはそれぞれ正反対のようでもあるが、欽定憲法と言っても明治天皇が大日本憲法の具体的条文を策定されたわけでは全くないし、天皇主権といっても天皇の実際上の権限・地位が相当に限定された、殆ど「象徴」的なものだったことはよく知られている筈で、少なくとも天皇の地位については現憲法との<連続性>の方がむしろ強調されてもよい、と思われる。「革命」が起こった、と理解したのは一時期の(一部の者の)<熱狂>と<昂奮>の結果で、説明の仕方としては合理的ではないのではないか。
 天皇が自ら(および子孫の誰か)を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とすることに異存がなかったとすれば、<改正の限界>を超えていた、と理解する必要はなかったのではなかろうか。
 ここでこんなことを書いても無意味かもしれない。但し、現憲法の制定に昭和天皇の「意思」が深く関係していると思われることは確認しておきたい(占領下だったのであり、100%の「自由」な意思に基づくものだったとは一言も言っていない。念のため)。
 当初の関心の対象だった現憲法の「有効」性については、阪本昌成はいっさいこれを疑っていないようだ。憲法学の中の少数派と見られる阪本の教科書において、<日本国憲法無効論>は本文中のカッコの中で「無効だ、と主張する少数説もないではない」と言及されているにとどまる。これでもひょっとして<親切>な方かもしれない。

0145/産経5/14には石川水穂「河野談話の検証が必要だ」もある。

 産経5/14には、石川水穂の「河野談話の検証が必要だ」が載っている。岡崎久彦は、この石川の考えを「無用」として否定するのか、それとも国内問題としてはこの石川の考えの正当性を肯定するのか、いずれかの紙面又は誌面で明瞭に答えていただきたいものだ。
 石川水穂は慰安婦問題米国下院決議案には「多くの事実誤認の内容が含まれる」とし、河野談話についても「極めて問題の多い政府見解である」と明言している。
 資料記録的意味で記しておくが、1997年3月に当時の官房副長官・石原信雄は、政府収集資料の中には「軍や警察による強制連行を示す証拠」はなかったこと、河野談話はその直前に「韓国政府の要請で行った…元慰安婦16人からの聞き取り調査のみに基づいて強制連行を認めた」ことを明らかにし、その後の国会質疑等で「聞き取り調査」の「裏付け」はなされていないことも判明した。
 ここで問題をかき混ぜた、あるいは戦線を拡大したのが、朝日新聞だった。
 朝日新聞は1997年3/31社説「歴史から目をそらすまい」で、「日本軍が直接に強制連行をしたか否か、という狭い視点で問題をとらえようとする傾向」を批判し、「資料や証言を見れば、慰安婦の募集や移送、管理などを通じて、全体として強制と呼ぶべき実態があったのは明らかである」とした。
 「日本軍が直接に強制連行をした」という自らのいう「狭い視点」からさんざん報道しておきながら、信憑性が極めて低いと判るや、「狭い視点で問題をとらえよう」としてはいけない、と言い出したのだから、その神経の傲慢さ・杜撰さは尋常ではない
 それに、「慰安婦の募集や移送、管理など」に日本軍が関与していたとしても、そのことをもって「全体として強制と呼ぶべき実態があった」
と表現するのは、日本語の用法として誤っている。どうしても「強制」という語を残したかったのだろう。再述するが、慰安婦の募集や移送、管理など」に日本軍が関与していたことのどこに「全体として強制」という概念があてはまる現象があるのか。朝日は自らの主張のためならば、通常の日本語の意味・論理すら無視しているのだ。
 石川は、韓国人元慰安婦からの聞き取り調査の中身は今も公表されていないとして、学問的検証の必要を説く。当然の主張だと思う。こういう作業もまた、岡崎久彦によれば「無用」で、「常識」に任せよ、ということなのだろうか?

0144/産経5/14・岡崎久彦論稿を読んで-慰安婦問題。

 昨日5/13の午後10時台に、米国下院慰安婦日本非難決議案にかかる「安倍首相等の日本政府の言動は岡崎久彦の助言が大きいのではないかと勝手に推測しているが、果たして首尾よくいったのかどうか」と書いたばかりだが、今日5/14の産経の「正論」欄で、その岡崎久彦が、要するに<首尾よくいった>旨を書いている。
 決議案に関する彼の結論はこうだ。「議会の決議案審議の結果如何に関わらず、この問題は今後の日米問題から遠ざかっている」。
 つまり、決議案が採択されようとされまいと、もはや今後の日米問題にはほとんど?関係がない、ということのようだ。「ほとんど?」と?を付けたのは「遠ざかっている」ということは再び「近づいてくる」可能性を否定していないと思ったからだが、この点は以下では措く。
 彼によると、「全米の有権者の3分の1に近いといわれるエバンジェリカル(福音伝道派)が絶対的に主張する人権問題」であり「慰安婦制度そのものが悪」なので、どう釈明しても無意味。安倍首相の「20世紀は人権を無視した時代であり、日本にも責任がある。同情の意と謝罪の念を表明する」との発言は「特に良かった」。
 さらに彼は書く。「謝罪は旧日本軍、ひいては国家としての日本の名誉を傷つけるものとして釈然としない人々は、強制の有無を問題にして事実を徹底調査して問題の黒白を付けることを主張している」が、「無用のこと」で、「常識で考えれば良い」。「慰安婦制度が女性の尊厳を傷つける人権違反の行為であったことに謝罪するのが正しいというのが昨今の道徳的基準」だ。
 さて、岡崎久彦を私は信頼していないわけではないし、アメリカ有力筋にコネクション又は情報源を持ってもいるのだろう。だが、テレビでたぶん先月にも聞いたが、そもそも「全米の有権者の3分の1に近いといわれるエバンジェリカル(福音伝道派)が絶対的に主張する人権問題」で…という論拠は適切なのか、気になるところだ。 
 それはともかくとして、「議会の決議案審議の結果如何に関わらず、この問題は今後の日米問題から遠ざかっている」という判断が適切だとすれば結構なことだ。だが岡崎は「今後の日米問題」としか書いていない。
 米国で日本首相がすでに「謝罪」しており、かりに下院で日本非難決議が採択されることとなっても、今後の中国や韓国(・北朝鮮)の間での問題は全くないと言い切れるのだろうか。
 「20世紀に人権を無視」したとは全く考えていない、被害国のつもりのこれらの国は、安倍首相も謝罪した(米国下院も日本の責任を認めた)ではないか、ということで、例えば、何がしかの経済的代償(・協力)を政治的・外交的に求めてくることは十分に考えられる。また、「慰安所」を作ったことはないとするこれらの国(欧米諸国が問題なのではない)は、日本に対して、道徳的・精神的に<優位>な立場を決定的に占めてしまうことになりそうな気がする。
 岡崎久彦は対米問題のみを重視しすぎてはいないか。中国の仕掛けている<情報>戦争という見方を岡崎は否定しているようだが、その根拠ははっきりしない。「
エバンジェリカル(福音伝道派)」うんぬんと中国の仕掛けている情報戦争という見方は決して排斥し合わない。
 「反日」勢力にとっての道具を安倍首相はすでに渡し、米下院も与えようとしている危惧は全く杞憂のものとは言えないだろう。
 米国人には「河野談話の何たるかを知らない」かもしれない。だが、中国政府、韓国政府等は正確に文字通りに理解しているだろう。<河野談話の継承>とは、彼らとの関係で、歴史の捏造をそのまま承認した、ということにはならないのだろうか。
 当然ながら、中国・韓国・北朝鮮に「常識」が通用するはずはない。私はなお「釈然としない」し、正確な歴史認識を持っておくことが「無用」のこととは思えない。
 岡崎久彦の主張を全面的に批判するわけではない。対米関係では何とか<やりすごせた>とすれば結構なことだ(だが下院決議の帰趨は未だ解らない)。だが、とりわけ東アジア諸国に対して、正しい歴史をきちんと主張し、虚偽の歴史認識を是正させる課題はまだまだ残っている、と感じる。一段落ついた、というのは大間違いではないか。

0143/日本に「軍隊」があれば、北朝鮮の日本人「拉致」はどうなっていたか。

 月刊雑誌・正論6月号(産経)の荒木和博「なぜ拉致被害者救出に自衛隊を投入しない!」(p.144-)を読んで、この中には書かれていないが、こんなことをふと考えた。
 憲法九条の存在によって日本の平和は守られたなどとの愚劣な言を吐く人がいる。しかし、真の事態は逆であり、憲法九条二項によって、日本が正規の「軍隊」をもちえなかったからこそ、北朝鮮当局による日本人拉致という<侵略>を許してしまったのではないか
 荒木は上の一文の中で「北朝鮮による拉致は戦争である」を見出しの一つにしている。そのとおり、北朝鮮にとっては日本人の拉致はかりに散発的であっても軍事行動の一つであり、<侵略>であり、対日<戦争>そのものの一部なのではなかろうか。
 しかるに、政府も拉致をテロとか主権侵害とか言っているが、日本国内から容易に日本国民が実力行使によって<さらわれる>という事態を、日本の防衛問題、安全保障問題の一つと考える思考が些か弱いのではなかろうか。
 北朝鮮の工作員たちが一様に言うのは、日本ほど<侵入>しやすい国はない、ということらしい(むろん不法入国である)。
 荒木は、日本の海岸に突如外国の軍隊が上陸してその地域一を占領し、住民を殺傷し又は拘束して人質にした仮定した場合、「まず敵を制圧して、国民の生命財産と領土を保全」しなければならないが、「警察には許されない」、「軍隊であればこそ許される」と書いている(このあたりは「日本国憲法2.0開発部」とやらの人々に読んでほしいものだ)。
 実際の北朝鮮による日本人拉致は上のような軍事行動よりは小規模だが、不法上陸・日本国民の人身略奪であることに変わりはない。いつぞや北朝鮮の「不審船」が日本の領海内で逃走しつつ自爆して沈下したのち引き揚げたら、相当の重装備の船だった筈だ。拉致被害者を運んだ船も当然に何らかの「武器」で装備されていただろう。
 日本人の拉致に対して、自衛隊が何をしてきたのか、何をできるのか、に関する詳細な知識はない。自衛隊ではなく正式に憲法上も認知された<海軍>・<陸軍>・<空軍>があれば何ができたのかを詳細・正確に述べる能力もない。
 しかし、正規に「軍隊」を持っていれば、あれほど簡単に侵入を許し、女子中学生を含む日本国民が<略奪>されることはなかったのでないか。
 むろん、「軍隊」の行動規範は基本的には法律によって定められるだろうから、「軍隊」という呼称のみから具体的な結論を導くことはできない。
 上のことは承知で再び言うのだが、九条二項によって正規の「軍隊」扱いされない自衛隊があり、<専守防衛>という(相手が明確に攻撃するまで何もするなという)安保政策をとっていたからこそ、北朝鮮の日本人拉致が生じ、少なくとも、被害者の数は増えたのではなかろうか。
 継続的に「軍隊」が領海上を監視し、場合によっては領海内の「不審船」を堂々と攻撃できるような法制であれば、北朝鮮当局も日本人拉致にはより警戒的、より消極的になったのではなかろうか。
 憲法九条二項があるがゆえに、つまりは50年代又は60年代に憲法が改正されて「国軍」・「防衛軍」が正規に誕生するということが無かったがゆえに、北朝鮮による日本人拉致が起きた、と単純化するつもりはない。
 だが、とっくに日本が正規の「軍隊」を持ち、安全保障(「拉致」阻止を当然に含む)に関する政治家や国民の意識が実際とは異なっていれば、70年代以降の日本人「拉致」もまた、その様相は実際に起きたのとは異なっていた、と間違いなく言えるのではないか、と思う。

0142/小林よしのり「ゴー宣・暫」(サピオ5/23号)はスジ論で正しくはないか?

 米国下院の慰安婦日本非難決議案はその後どうなったのだろうか。
 サピオ5/23号(小学館)の小林よしのり「ゴー宣・暫」は、安倍首相等を「事なかれ主義」、「腰砕け」等と非難し、<どの国にも慰安婦はいた。しかし日本には「性奴隷」はいなかった>と明言して闘え、と書いて(描いて)いる。
 安倍首相等の日本政府の言動は岡崎久彦の助言が大きいのではないかと勝手に推測しているが、果たして首尾よくいったのかどうか。
 安倍首相は「気の毒」、「同情する」というだけの気分が強いだろうが「詫び」という語を用いたことは事実だ。そして、日本語の「詫び」という言葉はapologyと訳され、結局は「謝罪」したのと同じことになる。安倍首相を助けるつもりだったのかどうか、ブッシュ大統領は「首相の謝罪を受け容れる」などと余計にも思える発言をしていた。いずれにせよ、安倍個人の本意ではないかもしれないが、いずれかの時点から<河野談話を継承する>の一本槍で済ませてきたのだ。
 よく分からないが、上の小林の主張は正論であるような気がする。また、小林が指摘しているように(p.57)、<広義の強制はともかく「狭義の強制」はなかった>旨をいったん国会答弁したが、狭義・広義うんぬんは「慰安婦の強制連行がなかったと実証された後で、左翼が議論をわざとややこしくして煙を巻くために創った、トリック・ワード」で、安倍首相はこれに嵌ったのではなかろうか(全否定のように米国マスコミに受け止められて批判が生じたようだ)。
 慰安婦問題の火元は朝日新聞で、このトリックを考えたのも朝日新聞だ。朝日新聞のかつての報道さえなければ、河野談話も今日の米国での問題もない。あらためて、売国的・国辱的新聞社だと思う。

0141/中川八洋は一切の「福祉」施策を非難するのだろうか。

 中川八洋・保守主義の哲学を読んでいて、そのままでは従(つ)いて行けないと感じたのは本の最後の残り1/5の中にある。すでにその一つを書いたが、もう一つは「社会的正義」の扱いだ。
 中川は、ケインズ経済学を「自由否定/道徳否定のベンサムの狂気から生まれた」、「ベンサム功利主義を継承するものの一派」で、マルクス経済学と「祖先が同じ血のつながった親類」だとし、日本では「マルクスだけでなく、ケインズからも自らを解放することが急務」だとする(p.338-345)。
 このあたりで既に私には理解が殆ど不能になるのだが、その後中川は、法や法律と「自由」の関係を論じたりしつつ、ハイエクの著・社会正義の亡霊(1976年)に依って、こう書いている。
 <ハイエクの「社会的正義という概念が空虚であり無意味である」との説は正しい。>(p.361)
 <社会正義との概念はJ・S・ミルの本(功利主義、1863)が初出で、「英国のマルクス」で「レーニンと寸分も変わらぬ冷酷で残忍な性格」のミルは「すべての制度も、すべての道徳的な市民の努力も、できるかぎりこのものさし」、すなわち「社会的正義と分配の正義の最高の抽象的ものさし」を「目標にしたものであるべきである」と書いたのだが、ミル・自由論をよく読むと「道徳の放棄と、伝統・慣習を破壊するよう呼びかける」以上の何物でもなく、さらにはミルは「個人の幸福追求を社会全体のために犠牲にすることを目論んでいた」。>(p.362-4)
 <ハイエクの言うとおり、「「社会的正義」の大義名分の下での「所得の再分配」」は「異なった人びとにたいするある種の差別と不平等なあつかいとを必要とするもので、自由社会とは両立しない。…福祉国家の目的の一部は、自由を害する方法によってのみ達成しうる」。>(p.365)
 これはすでに殆ど一種の経済政策論だと思うが、次のようにも書く。
 <「「社会正義」という”亡霊”が迷信の信仰のごとく狂信されている状況のひどさは、そもそも所得の格差が正義に適うとか正義に悖るとかいえないのに、また正義に適うとか正義に悖るとかは人間の道徳的な個人行動に関する用語であるのに、国家(社会)の行政上の権力行使(命令)にそれを期待し要求することでもわかる」。>(p.366)
 「正義」とは「道徳的な個人行動」関係概念で、「所得の格差」とは無関係だ、というわけだ。
 このあと「社会的正義」という語への(中川ではなく)ハイエクによる侮蔑の表現が並んでいる。
 「デマゴギーであり、三文ジャーナリズムであり、責任ある思想家が使用するに恥ずかしい用語」。
 社会的正義に「訴えているのは、その要求が実際には何らの道徳的正当性をもたないのに、道徳的なものだと承認してもらおうとの一種の誘惑行為」。
 社会的正義という「福音は、はるかに野卑な劣情に基づいている場合が多い。…自分より豊かな暮しをしている人々への嫌悪であり、あるいは単なる嫉妬である」。
 これらの主張が全く理解できないのではない。たしかに「「社会的正義」は「平等主義」の母胎から誕生した子どもの一人」だろう。今日の最も重たい問題にかかわる叙述だとも思う。問題又は疑問は「所得の格差」を多少とも是正するための立法者そして行政府による「所得の再分配」政策を一切否定しているのだろうか、ということだ。
 だとすれば、「福祉国家」も現憲法25条の理念も一切が排斥されることになってしまう。
 「社会的正義」という名分によってそれがなされるのを厳しく批判しているのだろうか。このあたりはハイエクそのものを読まないと解らないかもしれない。
 ところで、上のような考え方を知ると、中川も指摘のとおり、規制緩和・民間活用とか言われて「自由」=自己責任の領域が拡大しているかにもみえるが、日本の現状とはまだまだ相当な懸隔がある。「格差」が大きな話題になり、自民党系の候補者までが「格差是正のために~をします」とか演説していることがあるのを先月聞いたところだ。
 中川からすれば恐らく、自民党もまた「福祉」を重視した、半分は「社会民主主義」政党であるような気がする。同党は田中角栄等々によって「ばらまき」もしてきた。決してハイエク的「自由主義」の政党でないことは間違いないだろう。まして、社民党、共産党をや。
 予定どおり、次の読書のベースは、自称ハイエキアンの憲法学者・阪本昌成のリベラリズム/デモクラシー(勁草書房)になる。

0140/読売2007.05.12の橋本五郎記事による憲法学界の状況に寄せて。

 読売5/12朝刊の橋本五郎・特別編集委員の記事はなかなか面白い。この人は今年の1月に、東京大学の憲法学者の長谷部恭男と読売紙上で対談していた。
 憲法改正手続法成立見込みの時点で、「「抵抗の憲法学」を超えて」という大見出しのもとで、現在の憲法学界の状況を紹介・コメントするもののようだ。
 1.現在岩波書店が出版している講座・憲法全6巻のうちの第一巻の「はしがき」にこう書いてある(直接の引用ではない)のを読んで、「違和感を覚えた」という。
 <「戦後憲法は紙屑だ」と言い放っている人たちが「押し付け憲法」であることを根拠に現憲法を葬り去ろうとしている>。
 こんなふうに書かれれば、改正試案を発表している読売の立場もなかろう。従って、改正試案を世に問うたのは「「押し付け憲法」だからというのではない。「紙屑」だと思ったからでもない」、と橋本は反論?している。
 上の<>を「はしがき」を書いたのは第一巻の編者だと思われ、そうだとすると、東京大学の法哲学の教授の井上達夫、ということになる。
 岩波書店(および日本評論社)が出す憲法の講座ものが<公平>・<客観的>である筈がない雑誌『世界』の出版社らしく当然に<偏向>している、と私は思っているので特別の驚きはなく、やっぱりと感じるのだが、本当に法学部の(しかも東京大学の)教授が上のようなことを書いているのだとすれば、空怖ろしいことだ。まともな神経ではない。まともに現実が見えていない(安い古書になれば購入を考えよう。なお、長谷部恭男もいずれかの巻の編集者の筈だ)。
 2.1966年に故芦部信喜東京大学教授(憲法学、1923-99)は、自衛隊違憲論+改正反対論は「政治に対しても国民に対しても、訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっているのではないか」と書いたらしい。
 東京大学法学部には自衛隊についての<違憲合法論>を示した、旧日本社会党ブレイン(と思われる)小林直樹(1921-)がいて、こちらの方は明確な「左翼」だった。世間的には小林直樹ほどは目立っていなかった芦部信喜も、最近に代表的な憲法概説書ということで彼の本の憲法九条の部分を読んでみると明らかに「左翼」だ(いずれ、彼の議論も俎上に乗せるつもりだ)。
 晩年に書いたもののようだが、芦部信喜氏は、評論家ふうに「訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっている」
などと書ける立場の人物ではなかったのではないか。すなわち、訴求力をなくし、学説と国民意思を乖離させた責任の一半は、東京大学教授だった自らにこそあるのではないか。
 同じ1996年に、よくは知らないが芦部の「弟子」(芦部を指導教授とした)らしい高橋和之(現在、東京大学法学部教授・憲法学、1943-)は、自衛隊違憲論を唱えた「大きな代償」として次の2点を挙げた、と橋本は書いている。
 1.<憲法学者は非現実的すぎるという印象を国民に与え、憲法学者の発言の説得力を低下させた>、2.<現実が憲法規範通りにいかないのが通常のことだという意識を国民の間に蔓延させた>。
 私も橋本とともに、「その通りだと思う」。私は日本の憲法学者の殆どを信用していない。おそらくは殆どの憲法学者がフランス革命を平等・人権等のための「素晴らしき市民革命」と理解しているはずだ(あるいは、そういう「囚われ」から抜け出ていない筈だ)。
 3.「特別編集委員」というのは専門雑誌も読むようだ。ジュリスト最新号(有斐閣)で、佐藤幸治・京都大学名誉教授(1937-)は、<憲法学の役割は「批判」・「抵抗」だけでなく「創る」・「構築」も重要だ>旨書いているらしい。高橋和之も、「制度設計」を議論しないで他人の創った制度を「批判」するだけでは「憲法学として半分しかやっていないような気がする」と、「抵抗の憲法学」からの脱却を述べているらしい。
 これらは誤りではなく、適切だ。しかし、私に言わせれば、今頃にこんなことを言っていたのでは遅すぎる。それに高橋の「…しかやっていないような気がする」とは一体何だろう、「ような気がする」とは。
 ジュリスト最新号を購入して、全体をきちんと読んで、再び触れるかもしれない。
 橋本は読売の改正試案発表の動機のようなものを次のように述べている。
 ア「国民の大多数が認知している自衛隊を憲法学者の多くが違憲…と学生に教え」、「政府は自衛隊を…「実力は持っているが…戦力ではない」などと、綱渡りのような解釈でしのいできたのはおかしいのでないか」。
 イ「国連平和維持活動」等の果たすべき国際的責務を「憲法9条があるからできないというのは本末転倒で」、「憲法上きちんと位置づけるべきではないのか」。
 これらはまことに尤もなことだ。ふつうの人間の「常識」・「良識」に合致するのではないか。
 しかるに、過日と同じことの繰り返しになるが、自衛隊は憲法上の「戦力」ではないとの「大ウソ」をつき続けて、<現実が憲法規範通りにいかないのが通常のことだという意識を国民の間に蔓延させた>ままにしようとしているのが、朝日新聞社(若宮啓文)・九条の会等々の面々に他ならない。憲法学者の多くは、正気に戻って、こうした面々を応援・支持することを即刻止めるべきだ。

0139/島根県教育委員会、日本教育再生機構主催集会の後援を拒否。

 産経5/11によれば(izaなし)、島根県教育委員会は、八木秀次が理事長の日本教育再生機構が主催の島根県内での3月のタウンミーティングの後援依頼を拒否した、という。
 同記事によると主催者側は、島根県教委はジェンダーフリー等の講演は後援しているのにと判断基準を問題にしている。県教委は、八木氏の「主義主張」や日本教育再生機構のパンフの記述内容を問題にしており、一方、八木氏は「思想差別」と憤っているようだ。
 この記事だけからすると、フェミニズムに立つジェンダーフリー関係集会についての後援例があるのだとすると、島根県教委の後援する・しないの基準は合理的ではない。それに今回は主催団体の冊子(パンフ)までチェックしているようだが、従来の全ての後援例について主催団体の冊子(パンフ)を事前にチェックしてきたのだろうか。そうでない事例があるとすれば、「平等」・「公平」な行政とはいえない。
 なお、島根県教委は日本教育再生機構のパンフが日本を「国の中心に一系の天皇をいただいてきた伝統の国」としていることを問題視したようだが、象徴天皇制であっても、「国の中心」という表現は誤りではないだろう。また、八木らの団体は政府が進めている教育改革を民間の立場から「応援」するものの筈だ。
 島根県教委はいったい何を考えているのか。島根県教組(組合)の意向を気にしているのだとすれば、この県の教育委員会事務局も心理的に教員組合の「不当な支配」の下にあるのではないか。
 島根県議会の中にいるだろう「まっとうな」議員たちは、県教委の「後援」の運用についてもしっかりと監視し、問題があれば注文をつけるべきだ。

0138/諸君!2007年02月号-冷戦期知識人の「責任」。

 今年の(厳密には昨年末刊行以降の)月刊雑誌の記事で最も印象に残っているのは、諸君!07年02月号(文藝春秋)の、伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」(p.34-66)だ。
 具体的な一部分にはすでに言及したかもしれない。
 この「激論」は「戦後日本の負の遺産ともいうべき、冷戦における知識人の戦争責任」につき論じるもので(櫻井、p.35)、「戦争責任」ある「冷戦における知識人」とは、私流にいえば(ソ連・)中国・北朝鮮との「冷戦」中にこれら諸国を客観的にでも応援している(した)者たちだ。
 対論中に登場する順に、一時期のことにせよ批判されている者又は批判的にとり上げられている者の名を生(・没)年の記載もそのまま引用しつつ以下に掲げる。田中角栄(1918-93)、金丸信(1914-96)、野中広務(1925-)、和田春樹(1938-)、大江健三郎(1935-)、丸山真男(1914-96)、大塚久雄(1907-96)、竹内好(1910-77)、加藤紘一(1939-)、河野洋平(1937-)、橋本龍太郎(1937-2006)、山田盛太郎(1897-1980)、石母田正(1913-2001)、井上清(1913-2001)、家永三郎(1913-2002)、遠山茂樹(1914-)、蝋山政道(1895-1980)、大内兵衛(1888-1980)、有沢広巳(1896-1988)、尾崎秀実(1901-44)、西園寺公一(1906-93)、風見章(1886-1961)、横田喜三郎(1896-1993)、石田雄(1923-)、加藤周一(1919-)、南原繁(1889-1974)、中島健蔵(1903-1979)、千田是也(1904-1994)、武田泰淳(1912-1976)、秋岡家栄(1925-)、杉田亮毅(1937-)、清水幾太郎(1907-1988)。
 対談者の専門の関係で日本史学者の名もある程度出てくる(石母田正、井上清、家永三郎、遠山茂樹)、丸山真男、石田雄、南原繁は政治学者だ。秋岡家栄は朝日新聞の元北京特派員、同社退職後は中国「人民日報」の販売代理店の代表とかの御仁だ。過日紹介した「平和問題談話会」のメンバーも多い。
 1955年の南原繁の、「中国では毛沢東主席、周恩来総理、そういう偉大な政治家を持っておる国民は非常に幸福だと思う」との発言が、中国による対日工作との関係で紹介されている(p.57)。この南原繁に対して最大級の尊敬の言を発していた立花隆(1940-)に読んでもらいたいものだ。だが、立花隆もこの南原と同じ考えだったりして!?
 なお、同誌同号には細谷茂樹「金正日をあやし肥らせた言説」との論稿もあり(p.67-75)、タイトルどおりの諸氏の言説が引用・紹介されているので、記録又は資料として価値がある。
 言説がとり上げられているのは、野中広務鳩山由紀夫不破哲三村山富市辻元清美土井たか子日本社会党石橋政嗣小田実都留重人和田春樹坂本義和安江良介(元岩波書店)、松本昌次西谷能雄(以上2名、元未来社)、朝日新聞、だ。

0137/自民党新憲法草案は同党の「最終」案である筈がない。

 安倍晋三首相はカイロでの記者会見で、自民党の新憲法草案について、二次案を作る考えはあるか等の記者(所属は不知)の質問に答えて、<我々はもうすでに案を持っており、それを示すのであり、二次案などは考えていない>との返答をした。生で見ていた際の私の記憶による。正確には、「自民党の新憲法草案を基本に与党、全党で国民的な議論をしていきたい。第2次案の作成はまったく考えていない」と述べたようだ。
 そのときも感じたのは、参院選に向けてはたしかに現在の案しかなくそれを自民党案として示し「国民的な議論」の対象にしてもらうしかないが、最終的な発議や国民投票は早くても4-5年先なので、それまでに<より良い>第二次案、第三次案を考えていけばいいのではないか、現在のものを最終案の如く理解する(その旨自民党総裁たる安倍首相が言明する)必要はないのではないか、ということだった。
 たしかに現在の草案でも党内で相当の複雑な過程を経たもので、それなりの重みが十分にあるのだろう。だが、別の国会議員グループ(民主党議員を含む)はより<保守色>な前文を含む改正要綱を作って5/03に発表した。個人的には、私にだって述べておきたい意見がある。また、2/3以上の賛成を得るためには、この改正要綱とは異なる方向で、または別の点で、現在よりも<譲歩>する政治的判断が必要となることも考えられよう。
 可能ならば、民間憲法臨調の5/03の会合で櫻井よしこや遠藤浩一拓大教授らが話題にしたようだが、「改正の名に値する改正が肝心だ」し、安倍自民党の「保守らしさ」のある改正がむろん望ましい。しかし、国会各院の2/3以上の議員の賛成を獲得できないことには改正発議もできないのだ。
 まだ政治情勢や、各院の議席配分がどうなるかは明瞭ではない。表向きの言い方はともかくとしても、現在の自民党草案がさらに<改正>されるべきなのは当たり前のことと思えるのだが。

0136/中川八洋は華族・士族・平民の復活を主張するのだろうか。

 中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)の殆どは、少なくとも「なるほど」又は「ふーん」で読んでいけるのだが、ときに、とくに現実の日本に言及する部分には首を傾げたくなるところもある。
 例えば、こんな文がある。
 「日本の現実を見れば、エリートの生産に最小限不可欠な「家」制度が、…極左民法学者の暗躍のもと、旧民法の改悪によって一九四七年に廃止された。”階級”は西洋かぶれで西洋を知らない明治維新の「志士」によって一八六八年に完全に壊された。明治新政府の「四民平等」は、四十年後の日本からエリートを消したように、エリート破壊の刃となった」(p.306)。
 この文は、ルソー等の「平等という、自由の敵」(第六章題)によって「大衆という暴君」(同章第四節題)が登場して「エリートを排除する現代の「大衆人の支配する社会」の強固なメカニズム」のおかげでエリート=「貴族的な生の少数者」=「自然的貴族」が解体することを中川自身が嘆き、明治維新時の「逸材はことごとく武士階級の出身者であったように、階級と伝統ある家族がエリート輩出の源泉である」等として「世襲的家族制度と階級の重要性を強調」した英国籍の詩人・エリオットの「説は正しい」(p.304-6)、と述べたあとで出てくる。
 戦後の家族制度・家族法制(民法)の変化については多少の議論の余地はあるかもしれないし、天皇制度の護持のために「皇続」の範囲を広げようとする議論も理解できるところがある。しかし、中川氏は、戦前の華族・士族・平民という「身分」制度、さらには、明治新政府の「四民平等」政策による士農工商という「階級」区別の解消も、今日まで遺すべきだった、と主張しているのだろうか(そのように読める)。
 新田次郎・藤原正彦父子の祖先は信濃・諏訪藩の藩士(武士)だったようで、藤原が書いている父・新田次郎の子・藤原への接し方や藤原の「武士道」精神への親近感の背景に、旧「士族」の<血>を感じることができる。また、「士族」なら持っていたのかもしれない倫理観・道徳観を現在の日本人は少なからず失った、とも感じる。
 しかし、華族・士族制度の復活、ましてや士農工商という「階級」区別の復活は、もはやあまりにも非現実的だ。中川は日本の解体・衰亡傾向の客観的原因の一つとしてのみ叙述しているのかもしれないのだが。

0135/「平和問題談話会」メンバー等の全面講和・中立・米軍駐留反対論。

 西尾幹二・わたしの昭和史2(新潮社、1998)によれば、実証的根拠・資料は定かでないものの、1949-50年頃「北朝鮮や中国の共産体制を自国のモデルと看做し、讃美してやまない人が知識人の8、9割を占め、国民の過半数に近かった」(p.139)。
 かかる雰囲気の中で、1948年12月に全面講和・中立・軍事基地反対等を主張・提唱する「知識人」たちの「平和問題談話会」も結成された(結成年月は、林健太郎・昭和史と私(文春文庫、2002)p.208による)。
 歴史的に見て当時のこれらの論が誤っており、実際に採られた「単独講和・米国との同盟」論等が適切だったことは明らかだ。全面講和論等の流れは60年安保改定をめぐる国論の分裂の一方を形成することにもなった。全員が本当に親共産主義だったかは別として、「平和問題談話会」の主張の錯誤は明白で、これに参加した「知識人」の責任は「60年安保闘争」への影響も含めてきわめて大きい。
 但し、メンバーの正式な氏名がはっきりしない。西尾・上掲書によれば、35人のうちまずは、安倍能成有沢広巳大内兵衛川島武宜久野収武田清子田中耕太郎都留重人鶴見和子中野好夫羽仁五郎丸山眞男宮原誠一蝋山政道和辻哲郎の15人が判る(p.184-5)。
 さらに同書には、鵜飼信成桑原武夫南博宮城音弥杉捷夫清水幾太郎辻清明奈良本辰也野田又夫松田道雄矢内原忠雄、の11人が記されている(p.253)。
 大学の仕事が忙しくてこの会には参加しなかったようだが、立花隆が尊敬する、だが吉田茂は当時「曲学阿世」と批判した南原繁も、全面講和・中立・反基地論者だった。
 こうした「知識人」は、しかし、なぜ当時全面講和論などを主張したのか。これは十分に研究の対象・課題になりうる。
 西尾幹二少年は新制中学3年だった1950年8月1日の日記にこう書いた―「わが国としては一日も早く講和を結び、独立国になったうえで、はっきりした態度をとるべきだ。それなのになお、全面講和説を唱えているものがある。これは講和はいつまでもしなくてよいと言っている様なものだ」(p.233-4)。
 上記談話会発足後の1950年07月に朝鮮戦争が勃発したのだが、直後に発行の文藝春秋8月号で加瀬俊一はこう書いていたという。
 共産勢力を阻止できるのは実力のみで自由主義諸国の結束以外に平和維持の方法はなく英国労働党も中立政策を危険視している、この期に及んで全面講和を論議するのは「時間の浪費に過ぎない。…南朝鮮が共産軍の侵入によって動乱の巷と化している…この危機に当って、なお空論に拘泥する余裕はない」、全面講和論は「放火によって大火災が起こりつつある時、全市の消防車が集まるまでは消火してはならぬというようなもの」だ(p.225)。
 この朝鮮戦争開始までに1946.03にチャーチルの「鉄のカーテン」演説、1948.06にスターリンによる「ベルリン封鎖」、1949.04にNATO調印、1949.05と同年10月に西独・東独の成立、1949.10に中華人民共和国成立、50.02に中ソ友好同盟条約調等、すでに東西「冷戦」は始まっていた。
 国連軍(米軍)が参戦しても50.08.18には韓国政府は釜山まで後退したが、日本国民は、とりわけ上記の如き「知識人」たちは、日本も共産主義勢力(北朝鮮軍)によって占拠・占領される危険を全く感じなかったのだろうか。上の加瀬の指摘は完璧に適切だ。
 海を隔てた隣国で東西の「代理」戦争=殺戮し合い・国土の破壊し合いが継続していたときに「全面講和・中立」等と主張するのは、15歳の西尾幹二少年が感じていたように、永遠に講和条約を締結しない、つまりは独立=主権回復をしないという主張に等しく、また客観的には東側(ソ連・中国・北朝鮮等)を利するものだったことは明瞭のように見える。
 「知識人の8、9割」の中には本気で韓国・米軍の敗北=北朝鮮・中国軍の勝利と日本の社会主義国化を望んだ者もいたかもしれない(当時の共産党員やそのシンパならこの可能性は高い)。また、どの程度「本気」だったかは別として、多くの「知識人」が漠然とした「社会主義幻想」に支配されていたようにも思える。そしてまた、朝鮮戦争の現実や日本が攻撃・侵略される現実的危険を直視せず、又は直視できず、かつ北朝鮮・中国等を「平和主義」の国と錯覚しつつ、すでに施行されていた新憲法の「平和主義」の理念・理想に依って口先だけで唱えた者もいたかもしれない。いずれにせよ、当時の多くの「知識人」たちの感受性・思考方法は理解が困難だ。
 毛沢東や金日成の政権奪取の経緯もスターリンの「粛清」も知らず、フルシチョフによるスターリン批判や「ハンガリー動乱」は後年のことだったとすれば、ある程度はやむをえなかったのかもしれない。
 しかし、それにしても「一級の知識人」のはずの者たちが、少なくとも今から見れば空想的・観念的と断言しうる主張をしていたのは不思議だ。
 一口でいうと「社会主義幻想」ということになるかもしれないが、その根源・背景を更に突き詰めると、一つは、戦前からの日本共産党等のマルクス主義理論影響だろう。
 いま一つは、皮肉にも日本占領期の<当初に>GHQがとった、読売用語にいう「昭和戦争」中の日本(政治家・軍)は全面的に悪かった・誤っていたという日本人の「洗脳」教育政策と社会主義・共産主義的傾向を危険視しなかった政策だろう、と思われる。
 1949-51年頃、客観的には日本は危険な状況にあった。「大袈裟にいえば歴史の命運がかかっていた」(西尾・前掲書p.252)。単独(正確には「多数」)講和の選択は適切であり、新憲法により「戦力」保持が禁止されていたとあっては米軍の駐留(安保条約)もやむを得なかった。逆の主張をした「知識人」たちは、南原繁も含めて、本当は「知性」が全く欠けていた、と思われる。
 林健太郎・昭和史と私(文春文庫、2002)によって、「平和問題談話会」のメンバーとしてさらに、高木八尺田中美知太郎、の2名が判る(p.208)。
 また、この「談話会」の全員が単独(多数)講和に反対したわけではなく、最初の参加者のうち和辻哲郎蝋山政道田中美知太郎は賛成した、という(p.220)。
 それにしてもこの会への参加者を中心とする「知識人」たちの影響力は大きく、社会党や総評の活動を理論的にも支えたようだが、林によればこの会の発足と「全面講和」等の政治運動への傾斜には清水幾太郎が中心的に働き、かつ安倍能成都留重人という専門・個性の異なる2人が協力したことが大きかった、という(p.215、p.218-9)。
 上で「知識人」の多くが全面講和・中立・反基地論を支持した背景らしきものを2点記したが、林の上の本を読むと、第三に、社会主義国、とりわけソ連による日本人に対する積極的な「反米」・「親ソ連(親社会主義)」工作があったことも挙げてよいようだ。
 かりに日本に「革命」が起こらなくとも、「反米」・「親ソ連」勢力が有力に存在することはソ連の安全・安泰にもつながることだった。1950.01のコミンフォルムによる野坂参三批判等によってスターリンのソ連共産党と日本共産党の関係は良好でなく、むしろ社会党員や同党関係知識人の中にはソ連による何らかの「工作」(と客観的にはいえるもの)を受けた者もいるのではないか。別の本で、後に委員長となった某社会党有力国会議員は「エージェント」だった旨を読んだ(信憑性不確実なのでここではその名は書かないが)。
 全面講和・中立・反基地論の背景の第四としてあえて挙げることはしないでおくが、林健太郎の上の本p.222は「アメリカが日本弱体化のために課した憲法が独特の観念的平和主義を生」んだことにも言及している。そして、安倍能成は「共産党嫌い」だったが「日本がいったん非武装を宣した以上それを破るのは罪悪だという観念論の頑固な信奉者でもあった」とも書く(p.218-9)。
 東欧や中国の行方が明確でないままソ連も含めて「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するとの1947年施行の日本国憲法前文の「理想」は、すでに日本人の精神の中にかなり浸透していたのだ。
 また、林は、日本共産党とは異なる労農派マルクス主義(・日本社会党左派)も存在したため、反政府運動は容易に反米=親ソ運動となり、日本の与野党対立を「容易にイデオロギー闘争に転化させる独特の政治風土」を作り出した、という。
 この指摘は、その後長年にわたる自・社対決が(後年の社会党がどの程度本気で社会主義国化を目指したかは疑わしく、個人的には「労働貴族」・国会議員になることを最終の「出世」と考える如き姿勢に近かったとも思えるが、タテマエとしては)不毛なイデオロギー対立となって与野党の現実的・建設的な議論・対立にならなかった原因に関するものとして首肯できる。
 日本政治の不幸は、英国やドイツと違い(社・共のいずれであれ)マルクス主義・共産主義の影響を受けた勢力が強力に残存したことだった。だからこそ、与党=自民党が西欧なら社会民主主義政党が主張するような政策をも実施したのだ、と考えられる。
 清水幾太郎の名が出てきたとあっては、同・わが人生の断片・下(文春文庫、1985、初出1975)の講和条約あたりに目に通さざるをえない。
 同書によれば、「平和問題談話会」の母体となったのは1948.07のユネスコ本部による8名の社会科学者の声明の影響をうけてできた「ユネスコの会」で、この会のメンバーのおそらく全員の名が記載されている(p.87-88)。が、その数は50人で、「談話会」の35人より多い。
 既述の他に渡辺慧が明確に後者のメンバーだったことが判るが(p.101。これで計29人)、尾高朝男阿部知二のほか(p.108参照)、1950年の09.16夜に「丸山眞男、鵜飼信成の両君と…京都へ出発」し翌09.17に「恒藤恭、末川博の両長老に会って…依頼し」とあることからすると(p.113)、恒藤恭末川博も加えてよいだろう。とすると、これで計33名になる(もっとも、既述のとおり、メンバーの中には「単独講和」に賛成した者もいた)。
 要を得ない文章だが、こうした今でも結構著名な人々がかつて全面講和・中立論を説いた(そして多くが60年安保改定に反対したと見られる)。この人たちの「教え」を受けた弟子・孫弟子たちが現在も多数、諸「学界」にいることを忘れてはなるまい。

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0134/「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」。日教組を指導した学者は誰か。

 大和撫吉・日狂組の教室(晋遊舎、2007.06)は簡単に読了。
 最後の八木秀次の論稿を読んで改めて感じたのは、教育行政にとっての村山富市社会党首班内閣誕生の犯罪的な役割だ(p.158あたり参照)。
 最後の頁に、八木はこう書く。「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」(p.160)。
 新潟大学教育人間科学部の世取山某は全くの例外ではないのだ。やれやれ。日本史学(+西洋史学)、政治学、社会学、法学の中のとくに憲法学、経済学の一部、の辺りが「左翼の巣窟」と思っていたが、「教育学」もそうだとは私には盲点?だった

 日教組問題全体についていえば、その運動方針・実際の活動内容等を批判していくことも大切だが、私は日教組(・全教)の教員活動家よりも、日本の教育にとって責任のより重い者たちがいる、と考えている。
 それは、戦後、日教組を「理論武装」させ、指導し、唆した、多くは大学に在籍したと思われる、教育学、歴史学、法学、経済学等々の専門をもつ、マルクス主義者たち、又は社会主義者たちだ。
 時代によって変わっている筈だが、大内兵衛などは戦後すぐに労働組合運動全体を「指導」したに違いない。
 現在でも、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが、多くの大学教員又は「知識人」と称される者が教員の「反社会的」あるいは「歪んだ教育」運動を指導し、嗾しているのではないか。
 かつては教育問題に限らない講和問題・安保問題で、「平和問題談話会」に集った知識人・文化人たちが大きな役割を果たした。かつてのこの会等のメンバー名をきちんと特定して記録しておきたい、と思っている。
 現在についても(再述すれば、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが)、個々の組合員又は指導部よりも実質的責任は大きいとも言える「学者」たちの氏名リストを何とか作れないものかと考えている。
 5/10発売の週刊新潮5/17号の高山正之のコラムのタイトルは「学者か」だ。慰安婦問題のデタラメ証言を「信じるのは学者だけだろう」で終わっているのだが、日本を悪くしてきているのは、かなりの部分、大学の「学者」様ではないか。肩書などに欺されてはいけない。

0133/安倍首相秘書ら朝日新聞社等を提訴-阿比留瑠比5/09メモ。

 報道されているように、5/09に安倍首相の秘書2名と元秘書1名、計3名が朝日新聞社等を被告として、損害賠償、謝罪広告等を求めて提訴した。
 この提訴にかかわる「詳細な背景」等を知らせてくれるものとして、阿比留瑠比の5/09午後11時台のエントリーはとても重要で、かつ興味深い。
 直接に彼のブログ・エントリーを読めば済むことだが、あえて殆どをコピーして、こちらの方の記録にもしておきたい。
 1.訴状の内容-<原告(元秘書)らが長崎市長銃撃事件を起こした「山口組系水心会幹部から脅かされていた事実は全くない」と指摘…。つまり、週刊朝日に掲載された記事を、その前提から否定…。週刊朝日は、警察庁幹部がそうした内容を証言したと書いていますから、その証言自体がどうなの?、ということ…。関係者は、「冷静に考えて、どうして長崎ローカルの暴力団から秘書が脅かされるのか」と指摘…。
 2.週刊朝日編集長・山口一臣からの直接謝罪の動き(訴状による)-<安倍首相が訪米に出発した4月26日午前10時30分の直後に、週刊朝日の山口編集長から安倍氏に謝罪にうかがいたいとの申し入れがあった…。これに対し、安倍事務所側は、安倍氏が出発後で本人に伝えられないこと、25日付朝日朝刊の隅の小さな、週刊朝日の記事内容に何ら触れることのない記事をもって「謝罪」とする朝日側と会うことはできない旨伝えた…。
 3.週刊朝日編集長からの手紙(訴状による)-<同日、山口編集長から「記事は安倍晋三首相と射殺犯の関係を報じたものではありませんが、一部広告であたかも直接関係があったかのように受け取られる不適切な表現がありました。安倍首相のご発言を聞いて、心の痛む思いです。重ねておわびします」などと書いた手紙が郵送されてきた…。ただ、この手紙の中でも、一番傷ついた元秘書らへの謝罪は一切なかった…。
 4.阿比留のコメント-「こうして見ると、朝日サイドは、なんとかことを穏便に収めようとはしたものの、安倍首相に対して詫びるだけで、一番被害を蒙った元秘書については、眼中になかったようです。安倍氏が何に対して一番怒っているかは、ちょっと自社の元安倍番記者にでも聞けばわかることでしょうに。
 5.請求された謝罪広告文面-《平成19年4月24日付朝日新聞朝刊に掲載された週刊朝日の新聞広告及び同誌記事において、安倍首相の元秘書が長崎市長射殺事件の容疑者が所属する暴力団から脅かされていたとの記事を掲載しましたが、そのような事実はまったくありませんでした。
 なお、平成19年4月28日には朝日新聞朝刊社会面、毎日新聞朝刊社会面、岐阜新聞朝刊社会面及び中日新聞朝刊に「お詫び」と題する記事の中で「記事は、首相の元秘書が長崎市長射殺事件の容疑者の所属する暴力団の組織の幹部などから被害を受けていたとの証言などを伝えたものでした。」と記載しましたが、全く事実に反する記事でした。この記事を取り消させていただきます。
 さらに週刊朝日(平成19年5月18日号)誌上でも「おわび」と題する記事を掲載し、あたかも安倍首相の元秘書がとの広告や記事を掲載しましたが、まったくそのような事実はありませんでした。この記事を取り消させていただきます。
 安倍首相及び元秘書の方並びに関係者の方々には二度にわたり大変な迷惑をおかけしました。衷心より深くお詫び申し上げます。

 なお、「謝罪広告に使用する文字は①表題及び作成名義人の記載は12ポイントのゴシック体②本文は10ポイントの明朝体。大きさは社会面に2段・横5センチと指定」。
 以上。朝日がすみやかにこれを「のめ」ば、朝日側の完全敗北だ。だが、抗弁して争っても完全敗北となる可能性は高い。ただ、その場合の判決確定は数年先になりそうなので(朝日側が主張する証人採用の人数如何によるが)、朝日の打撃はより少ない印象になるかもしれない。
 ともあれ、安倍首相側は(現・元の秘書たちはご苦労だが)朝日による「言論によるテロ」を敵にして、是非とも奮闘していただきたい。

0132/日本語条文の日本人大学教員による読み方の(政治的)「悪例」。

 第8章 地方自治
 第91条の2(地方自治の本旨)
 ① 地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う。
 ② 住民は、その属する地方自治体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を公正に分任する義務を負う。
 第91条の3(地方自治体の種類等)
 ① 地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括し、補完する広域地方自治体とする。
 ② 地方自治体の組織及び運営に関する基本的事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律で定める。
 第92条(国及び地方自治体の相互の協力)
 国及び地方自治体は、地方自治の本旨に基づき、適切な役割分担を踏まえて、相互に協力しなければならない。
 第93条(地方自治体の機関及び直接選挙)
 ① 地方自治体には、法律の定めるところにより、条例その他重要事項を議決する機関として、議会を設置する。
 ② 地方自治体の長、議会の議員及び法律の定めるその他の公務員は、当該地方自治体の住民が、直接選挙する。
 第94条(地方自治体の権能)
 地方自治体は、その事務を処理する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
 第94条の2(地方自治体の財務及び国の財政措置)
 ① 地方自治体の経費は、その分担する役割及び責任に応じ、条例の定めるところにより課する地方税のほか、当該地方自治体が自主的に使途を定めることができる財産をもってその財源に充てることを基本とする。
 ② 国は、地方自治の本旨及び前項の趣旨に基づき、地方自治体の行うべき役務の提供が確保されるよう、法律の定めるところにより、必要な財政上の措置を講ずる。
 ③ 第83条第2項の規定は、地方自治について準用する。

 長く引用したが、これは自民党新憲法草案の<地方自治>に関する章(第八章は現行と同じ、95条は削除。枝番号付きの条項は新設)だ。これらに関するコメント・感想を述べたいのではない。
 この案を見て、市販の本の中で次のように語
っている大学教員がいるのだ。
 「草案の『地方自治』に関する条文から読み取れるのは『教育の財政責任はすべて地方自治体にある』ということ。…地域による教育格差が広がることは否めません」。
 上の草案条項のどこから、かかることが「読み取れる」のだろうか。「教育」経費につき第94条の2①(第一項)のみを見て、②(第二項)「国は、…法律の定めるところにより、必要な財政上の措置を講ずる」等の他の条項は全く見ていないことは明らかだ。
 悪意を持って見れば、ふつうの?花も毒と棘を持っているように「歪んで」見えてしまう好例だ。日本語文の悪しき(全体を見ない)読み方の典型なので、学校の国語の時間や文章読解の時間に(あるいは大学・教育学部の「国語」に関する科目の時間に)「悪い実例」として利用すればいいのではないだろうか。
 上のように「読み取れる」としたのは、前回言及の、新潟大学・世取山洋介別冊宝島1421の日本国憲法特集p.106にちゃんと載っている。
 ついでにこの本(ムック)のさらに若干のものを見てみたのだが、後藤武士「日本一人権を制限されている人」(p.100-)は、天皇陛下にはほとんどの人権が認められていないことを気の毒がっており、じつは天皇制度を無くしたらどうかと示唆していると「読める」<気味の悪い>一文。憲法学者のようである日笠完治による「Q&A入門・日本国憲法」は、10年前でもありそうな、護憲派による陳腐な憲法の説明だった。

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